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短詩人/Hyperion
633
:
秋魚
:2016/02/08(月) 20:30:28
(無題)
・・寒中、ひさびさの都心サイクリング。うっすら雪化粧の山並みから湿り雪といって道路にはつもらない。満を持しての浅草、隅田川千住木母寺、そこから南に川を下って深川芭蕉庵跡、万年橋、清澄庭園近くの禅師仏頂ゆかりの臨川寺、他はわき目も振らず朝8時すぎに出発した。青梅から多摩川サイクリングロードにでて古巣の国立までゆき中央線沿いに国分寺三鷹このあたりから青梅街道を走るという構想だったが、川沿いの道は雪がありそうであきらめ。ひたすら青梅線と中央線に沿った道を選んだ。先日新座平林寺をめざした道とほぼ一緒。自転車のチェーン周りの掃除をしてブレーキ調整もした。そのおかげで踏み足は軽い。立川国立あたりまでゴミゴミした道もここらはお手の物。ただし風が異様に冷たい。三鷹あたりから五日市街道か青梅街道にでるのを交番で尋ねた。環八か環七にぶつかるまでひたすら直進せよということだったが、早めに青梅街道を選んだ気がする。青梅街道をまっすぐ行けば新宿にでるのは知っていた。しかし今回は上野のむこうの浅草隅田川にゆきたい。どこかしらで飯田橋へゆく道に切り替えた。そうこうして大久保通りから後楽園にでた。ここの春日通りをゆけば上野、浅草は簡単だ。ここもよく知っている。はじめての道だが土地感がはたらいて最短距離で隅田川の厩橋まで来た。・・中野から新宿に近づく道は車道は危険。バスなどの大型車がスッと後ろから来ることがある。実は帰り一度だけこわい思いをした。こう書いている今は自転車も自分も無事故であったのを喜びたい。
・・浅草寺の後ろにあった新吉原の町跡をみたかったが今回はパスして隅田川の上流へもう千住といって合流する荒川に近いところ。梅若橋の木母寺をめざした。言問い橋は業平橋のことだろう。白鬚橋からもうひとつが梅若橋。ここだ。しかしまるで人気がない。寺ばかりは近代的にぴかぴかしていた。
隅田川沿いにある桜堤公園をずっと上流へ走る。桜の花の季節はほんとによい花見ができそうだ。川船に乗って遊覧するのもおもしろそう。しかし今は風が冷たい。人通りも多くはない。言問い橋を越えたあたりでキャッキャッ白い鳥が群れ騒いでいる。これが都鳥かともいぶかったが、それにしても群舞して風情がない。・・梅若橋の袂近く木母寺がある。石碑がやたらたくさんあって由緒が多いらしいがつきあってられない。・・梅若丸の歌がある。
尋ね来て 問はは応へよ都鳥 墨田川原の露と消へぬと
哀しいお話があるという。
京都五山の僧万里の「梅花無尽蔵」にも訪れがしるされている。木母寺の木母は、梅の字を解体して木母としたという。梅にたいへん縁がある。また「廻国雑記」を書いた道興もここを訪れた。・・梅若塚は謡曲「隅田川」によってよく知られている。
・・さてここは訪れるだけで充分。すぐに踵を返して下流の両国、深川芭蕉庵跡の方へ向った。ほぼ川に沿った道で気は楽だった。
・・芭蕉翁史跡展望庭園に寄ってみた。隅田川と小名木川を望む河岸の一角。中央にある翁像はゆかしいものだ。芭蕉の像はたいてい小川破笠の絵をもとにつくられている。説明書きを読み忘れたがこれも破笠の絵から面相をつくっていると思われる。「・・小川破笠(1663-1747)は芭蕉門の俳人で絵をよくした。寛保元年(1741年)、師匠であった芭蕉の肖像画を描いている。実際に芭蕉と親しく接していた者による肖像画だけに、芭蕉のおもかげを最もよく伝えるものであろう。」
・・ほかに小名木川に舟を浮かべ五本松を眺めながら詠んだ句がある。
川上と この川下や 月の友 はせを
・・この深川にいて、川上と川下の雅趣を思いやるというのは、発見。
「・・今宵月の夜に私は五本松のあたりに舟を浮かべて月を眺めているが、この川上にも風雅の心を同じゅうする私の友がいて、今頃は私と同様にこの月を眺めていることであろう」
これで、支考の墨直しの碑の文の意味もすこし解けてくる。
・・小名木川と隅田川にあたるところ万年橋がある。ここは以前訪れたこともあり、ここから清澄庭園の方へ向う途中に仏頂禅師のいた臨川寺があるはず。果たしてせまい一画だが寺はあった。臨済宗妙心寺派の寺だ。中に入るとおもしろいように石碑が並んでいる。芭蕉由緒の碑、墨直しの碑、玄武仏碑、梅花仏碑、の四つ。ほとんどこれらの碑が売りですね。とくに注目すべきは、墨直しの碑。これは京都東山双林寺にある墨直しの碑を、神谷玄武坊が碑文等そのまま写したものだ。銘文の一部を引く。
「・・あづさ弓 武さしの国の 名にしあふ 世に墨染の 先にたつ
人にあらずに ありし世の 言の葉はみな 声ありて その玉川の
みなかみの 水のこころぞ 汲てしる 六すじ五すじ たてよこに
流れてすえば ふか川や この世を露の おきてねて その陰たのむ
その葉だに いつ秋風の やぶりけむ その名ばかりに とささをきぬ」
・・支考の文で、武蔵の国の流れる川を「玉川」ひとつに代表させている。
・・おそらく芭蕉も支考も隅田川、玉川の上流を訪ねてはいまい。隅田川なら先刻木母寺のもちょっと先で荒川、そこを遡って川越で入間川に分かれる。昔は入間川の方がよく知られていた。浅草はそれなり賑わっていた。「花の雲鐘は上野か浅草か」芭蕉のこの句は花の雲の行方が暗示されている。入間川を飯能の方にたどると成木川に分かれる。これはもう青梅の川だ。・・限りなく多摩川の上流に近づくようだが水源を同じくすることはない。この水源を求むる旅を半分でも試みるものがいたとしたら、それは井月であろう。
・・碑を見学していたら、お若い住職さんに顔が会った。墨直しの碑は戦災で破損し後再建されたもの。それでも碑文は読めない。翻刻したものはありませんか?と尋ねたらパンフがあるという。家の中に入ってしばらくとてもよくできたパンフをみせてくれた。どうぞというので涙が出るほどお礼をいってこれで今日は大収穫。ホテルであきない思考ができる。
・・さてこの後深川稲荷を御参り。清澄庭園をぐるり廻って長岡藩下屋敷の跡地を探した。いろんなお寺が密集した区域がありどうもこのあたりではないか?ずかずか寺の受付で案内を乞うた。がどこも昔のことはわからないということでした。これはあきらめ。
・・永代橋のすばらしい夕景を拝んで兜町のホテルに向った。
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