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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?

237幸せな名無しさん:2025/11/01(土) 06:52:53 ID:AQ039NSc0
>>234
「良くなろうとする自分」も「今のままでいいと思う自分」も海で在り、波である。どちらが海でどちらが波でも構わない。ただ、そこに在るだけだよ

238幸せな名無しさん:2025/11/01(土) 07:38:19 ID:vm/vrqy.0
>>215
りさん、質問した者です。

丁寧で詳しい書き込み、ありがとうございます!

詩的に感じて圧倒され、同時に論理的で内容も衝撃的で圧倒されてしまい。言葉が出なくなってしまっていました。

あとは、自分で自分の道を歩んで自らの経験(恩寵)によって確かめるのがよいと思いました。

239幸せな名無しさん:2025/11/01(土) 13:19:39 ID:iGZI0bfI0
一元論ではないという意味分かってきました
一元論であり多元論であり、どちらでもありどちらでもない
コーヒーと牛乳が合わさりコーヒー牛乳となる、そして「コーヒー牛乳こそ真理だ」ではない
コーヒー牛乳は商品名、ラベルでしかない
コーヒーであり牛乳でありコーヒー牛乳でもある、そのどれでもあり、どれでもない、全て混ざり合っている
陰であり陽、混沌であり秩序、幻想であり真理、だから「溶けている」
それは言葉にはできない

240:2025/11/01(土) 14:09:58 ID:iiYlgNP20
>>235
こちらこそありがとうございます。
読むたびため息が出るというのは、それだけ思考では追いつけない何かが触れられている証拠かもしれません。笑 
個人の私からしたら、内側の気づきに触れられると、心身ともに本当にさまざまな反応が起こります。

>一元論ではなくエゴ目線で世界に自分一人しかいなかったら、今ほど焦らないしもっと流れに任せていた気がします。ここだけ、ちょっと気になりました。

→お、鋭い。笑
″世界に自分が一人しかいない″というこのフレーズはとても深淵なテーマを含みます。
もちろん、″エゴ目線での自分ひとり″という意味ではありません。ここを掘り下げると、集合意識や全体性の話に入っていく必要が出てくるので・・ここではあえて展開を控えました。

>思考はいつも比較して甲乙つけたがりますが、道の現れも流れに任せてよさそうですね。

→ええ。思考は常に「分ける」働きを持っています。けれど、思考そのものも意識から現れ、やがて意識に還っていく。
それを観ている側、つまり、気づきそのものが、すでに流れの中にあります。

明け渡しとは、その気づきの側に「個人的な」いろんなもの(想念・観念・信念)をそのまま還していく。
その構図が、絵自体が、「何かを掴まない、抵抗しない」ということです。
現れたものは必ず消えていく。
それをただ見送り続ける。
それが構図・絵として「手放し」とも言えます。

あなたの言う通り、これはメソッドというより、生き方そのもの、生命そのもの、といってもいいですね。
個人の私も、心も、人生や世界の出来事も、すべてが源へと還っていくプロセス。
それが進むにつれて、自然と「目に見えない・大いなるものへの信仰」や「運命それ自体への信頼」といった感覚が自然と芽生えます。
(「はからずとも、自然と芽生える」これがキーポイントです)

そのため根本的な恐れや疑念が日に日に溶けてくる。「流れに任せよう」という表現はあくまで言葉の都合です。
実際には、私たちはすでにその流れとして現れている。任せる以前に、任せきられています。
幸運をお祈りします。

241:2025/11/01(土) 14:18:02 ID:eMsyPscI0
>>236
まず、誤解のないように説明しますが、
私は潜在意識ちゃんねるで言われている、
いわゆる「願望入れ食い状態の″達人″」ではないですよ。長年、真理探求をしてきた経験があるだけです。
その特徴を抜いたら、いたって凡人です。はたまたただの奇人変人かも。笑

また、子供の頃に潜在意識の本を読んで夢中になり、結果的に、「心とはなんだ?自分とはなんだ?」と、真理探求の道に導かれていったという経緯はあります。

そのため、同じような人がいるかもしれない、
また、やり取りをしたら何か双方にとって良き発見があるかもしれない。
それと、マントラや悟り系のスレがあったため、思いつきで「何か質問あります?」とスレを立てたのです。(表面的な流れでは、)

私としては、結果的にスレを立てて良かったしいろいろな学びがありました。
チャットgptに関しては、思考実験の協力者になってもらったり、出た当時は結構遊びました。
「チャットgptに教えてもらっている」とおっしゃっていますが──各個人の外側の現象としてそういうことが起こるケースもあるため、完全に否定はできませんが──
正確にいえば、私個人の視点での教師は純粋意識、存在、気づきそのものです。
そこにとどまり、親愛関係を築き、
「そこに在ること」だけをとことんしました。
(というより、強制的にそれが起きた)

それが概念や知識の所有者の溶解や、
知識自体の消化につながりました。
また、それ自体が叡智の源ともいえます。
つまり、究極的には「彼」だけが真の教師でした。

あと、潜在意識・願望実現系のメソッドやそれらの知識に関しては、
実は私はここにいる皆さんより疎いです。

願望実現に対する私の回答を見ても一目瞭然でしょう。
「継続的に強く思い続けられた想念は、やがて具現化する」
↑達人どころか、このレベルの回答しかしておりません。
なので、それを言うならあなたの方が達人でしょう。笑
今より若い頃は願望実現をやっていましたが、
シンプルなメソッドしかやらなかったので。

それと、真理探求に入ってしまってからは、願望自体がどんどん保てなくなりました。
願望が握れなくなってきたのです。
そのため、「幸せ/不幸」「叶う/叶わない」が、そもそもそのこと自体どういうことだっけ?と、むしろ難解になっています。

それと私は、いわゆる「目覚めた人」「悟った人」「覚醒した人」でもありません。
自分のことをそういうふうに考えていた時期もありましたが、そのアイデンティティも期間限定でした。笑

つまり、私の立場は、概念的・表現不可能です。

また、人間としての姿形や振る舞いとしての表面的(相対的)には、ただの平凡ないち個人(エゴ)でしょう。

242:2025/11/01(土) 14:21:40 ID:eMsyPscI0
>>237
はい、意識そのものをを指し示す、言語表現としてはまさにそうなります。

243:2025/11/01(土) 14:28:08 ID:eMsyPscI0
>>238
こちらこそ!
詩的表現は、使いようによっては淡々と論理で説明されるより、ある種の感性の方にはスッと奥側に届くことがありますね。
私もすぐれた詩人の紡ぎ出す″ただ起きてるまま″の詩的描写に何度も救われたことがあるし、ときに狂ったように涙を流して感動したこともあります。笑

>あとは、自分で自分の道を歩んで自らの経験(恩寵)によって確かめるのがよいと思いました。
→はい。あなたの歩む道、また起こり続ける展開の幸運をお祈りします。

244:2025/11/01(土) 14:31:49 ID:eMsyPscI0
>>239
素晴らしい。まさにその通り。そして不可思議な恩寵により、最後にはパラドックス(二律背反)の理解者さえも溶けていきます。

245:2025/11/01(土) 15:07:09 ID:eMsyPscI0
ここでご報告。
さて、恩寵により、
みなさん何かしらの共鳴が起き、
それぞれが自分の道を信じて歩み始めるという、とても素晴らしい流れになってきました。
そして、ちょうどこのスレ自体の質問も静まってきたようです。笑

ここ数日間、こちらにいろいろ書き込みましたが、潜在意識(願望実現)と真理探求の話は、
同じ円の中のことではあるものの、
共通点や相乗効果もあれば、逆に相容れない側面も多々あるとも感じました。

また、真理探求の道に入ってしまった方に対しては、もっとプライバシーが確保された環境で、
継続的に丁寧な質疑応答を重ねていく必要があるなとも感じました。

掲示板の匿名性には、分離や立場のバイアスから自由でいられるという大きな利点があります。
一方で、互いの顔や温度が見えないがゆえに、
言葉の意図がすれ違ったり、思考が暴走したり、誤解が生まれやすい面もあります。

そして何より、このテーマそのものが成熟していくと、少しずつ質問という形が自然に消えていきます。一時的な興味や疑問は溶けていくけれど、奥深い問いほど、公の場では言葉にしにくくなっていく。それはとても自然な流れです。

また、すでに質問が消えた人たちは、
ただ「在る」ことや「真理」を静かに、雑談のように共有したいだけ──でもスレという形だと、それが公の議題として晒されてしまう。
結果、傍目的な視線の中での交流になってしまい、本来の静かな分かち合いが成立しにくいという構造的な難しさが出てきます。

質問を無理に捻り出すのもまた違うし、
ただ共に在ることを楽しむには、
スレッドという形式そのものが、少し合わないのかもしれません。

そのため今後は、「自分の願望欲はいま真理実現です」というタイプの方だけに向けた内容を、どこかの場所か、もしくはプラットフォームで、もし適した場がなければ、ひっそりと記事を書くか、あるいは別の表現方法、はたまた、言葉にならないかたちで静かに発信していこうと思っています。

そんなわけで、みなさん貴重なご質問をありがとうございました。
短い間のお付き合いでしたが、ここ数日間、スレ主として毎日こまめにチェックしていましたが、いったん離席します。
またタイミングで戻ってくることもあるかもしれませんが、しばらくの間、すべての質問への返信は控えさせていただきます。
(場合によっては、挨拶程度に何か書き込むことが起こるかもしれませんが)

このスレは思いつきで立ててしまいましたが、
みなさん、貴重な時間を割いてお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
みんなの願望がそれぞれの形で幸福に満たされ、
至福に包まれますように。

246幸せな名無しさん:2025/11/01(土) 15:39:15 ID:iGZI0bfI0
>>215
釈迦に説法かもしれませんが私の切り口から。
人には「極性」というものがあります「苦しみから救われたい、幸福になりたい」は人の本質的な極性になります。
極性とはすわなち陰陽とか+-とかSNとかですね。
この極性に対し逆極性というものがある、これを気の世界では「邪気」と呼びます。
極性がある限り逆極性の影響を必ず受けるようになる。
私の師匠的な(正確には師ではない)人は長年「無」の探究というものをやっていて
極性を超越するためでもあるんだろうけど、よく考えたら親しくないから理由を知らないなw
私は10年「無」というのがよくわからないままだった(FF5の影響かw)
でも数か月前の経験を切欠にして、このスレでやっと理解できました。
「無」は本来言葉にできないという事です。
でもそれが良くなかったとも思えない、言葉は強力な力を持ちます。
霊的、呪術的にそれを掌握するには「名前」をつける必要がある、
私は言葉、もっと言えば言霊を使いすぎていたのかもしれません。

>>244
オッケw

>>245
了解しました。ご活動応援しています。ありがとうございました、大変楽しい時間でした。

247幸せな名無しさん:2025/11/01(土) 15:47:10 ID:HaBMgBoM0
>>245
>>235です。
しばらく前から内側が静かになり、質問が浮かばなくなってきたところでした。

他の方がおっしゃる通り、詩的でありながら論理的で分かりやすい表現で、毎回読むのが楽しかったです。
いいタイミングでお話できてよかったです。
どうもありがとうございました♪

248幸せな名無しさん:2025/11/01(土) 16:30:54 ID:bcBCimvc0
>>167
遅くなりましたが、ありがとうございました。レスを頂いてから色々な気づきが有り
それがまとまってから返信しようと思っていたら全然まとまらず…
気づきも刻々と変化していきますね

まず、絵は「私」だけでは描けないものでした
すごく楽しくて順調だった時は「降りてきたアイデアを描いていただけ」なのに
それを「私」が勘違いしたみたいです。「私」だけで悩んでいても仕方のない事でした

あと、描けば時間の無駄、描かなければ描けない自分は駄目だと
どちらにしても自責が発生する流れとなっていました

そして強烈な人に色々言われたから描けなくなったというのは
本当の理由ではない事にも気づけました

クルッと丸を描いただけでも線を一本引いただけでも絵は絵です
幼い子が紙いっぱいに自由に描くみたいな心で描いてみたい、そんな気持ちです

このスレに書き込み、りさんからレスを頂いた事で
自分自身としっかり向き合う事が出来ました

ありがとうございました

249幸せな名無しさん:2025/11/01(土) 22:40:07 ID:WHo/9l4Y0
潜在意識ちゃんねる卒業しようかなと思っていたところで素晴らしいスレに出会えて本当によかった。
ここだけは読み返しに来ようと思います。
ありがとうございました。

250幸せな名無しさん:2025/11/02(日) 01:37:34 ID:DODr0UL20
良さげなスレはっけそ。
この板を見たのも、このスレに導かれたか。

251幸せな名無しさん:2025/11/02(日) 18:32:05 ID:nBThqg/20
りさん
何度か質問してご返答いただいた者です。
また質問しようと思っていた矢先でした。
まだりさんのお話を聞きたい思いが強いですがどこかでお目にかかれれば幸いです。
どうもありがとうございました!

252幸せな名無しさん:2025/11/03(月) 22:18:54 ID:RGUEPsGY0
りさん
このスレとの縁があって良かったです
願望実現は嬉しいことですが個人的に、叶う→常態化→次の願望、を繰り返す一時的なものでしかないと捉えていたので、その先?奥?、更に踏み込んだ内容について他者の見解を垣間見ることができ良い刺激になりました
ありがとうございました

253幸せな名無しさん:2025/11/04(火) 01:21:03 ID:RVKU4rbY0
あらまあ、終わっちゃってたw

254幸せな名無しさん:2025/11/04(火) 01:23:56 ID:RVKU4rbY0
あらまあ、終わっちゃってたw

255152:2025/11/04(火) 15:03:38 ID:Wa91KREo0
スレ主さま、大変奥深いレス改めてありがとうございました。長い間、こまめにレス、お疲れ様でした。
頂いた言葉を折々に眺めながら表現活動を続けていきたいと思います。今回は素敵なご縁と、優しいお言葉、本当にありがとうございました!

256幸せな名無しさん:2025/11/04(火) 18:15:27 ID:9glkGVVI0
>>206
お返事と御礼が大変おそくなり、失礼いたしました。183です。
答えにくい質問にもお答えくださり、ありがとうございました。

自分で質問しておきながら、なぜか、返信の言葉がどうしてもでてきませんでした。
自分でも何かよくわからない感情のようなもの、過去の記憶でもなく未来の不安でない、うわーっとした何かが出て来て、言葉になりませんでした。
敢えてその「何か」にラベルをつけて認識しようとしたら、「許せない」という言葉が出てきました。
そしたら「許せない」出来事がまたわぁーっと思い出されて、混乱して、言い訳になりますが、今ようやく、ここに書き込むに至ります。
決してりさんのご返信の内容に対して「許せない」と思ったのではありません。むしろ、たまたまりさんのご返信をいただいたタイミングでそれが「起こった」だけかもしれません。

とにかく「許せない」とか「受け入れられない」という思いばかり出てきたので、私はまだ、その夭折した魂たちの境地には程遠いようです。
正直、人間として生まれて来たならそんな経験はしたくない、と思ってしまうので、私はエゴエゴだらけなんだと思います。

願望が自分を苦しめるとは分かっていても、やはり実現したいと思っているのです。
一方で、こんなに「許せない」ものを抱えている自分が救われるには、真理探究の方が幸せへの近道なのかなとも思います。

すみません、まだこんな風に頭の中も言葉も整理されていませんが、りさんの誠意ある丁寧なご回答に御礼申し上げたく、書き込みました。
改めて、大変ありがとうございました。

257幸せな名無しさん:2025/11/05(水) 13:44:22 ID:BfNobVss0
気づきは自己観察のことですか?
自己観察さんも、自己観察の主体は別の領域と書いていました。

願望実現系の達人さん達も異口同音に、願望実現自体はオマケであって、肝心なのは立ち位置を変えること(エゴではなく別の領域に立つこと)と書いているので観点は同じなのかなと感じました。
たとえ願望が実現しても幸福を維持できるとは限らず、願望実現後も幸福を維持できる人はそもそも願望実現前から幸福であった人である。
ここでいう幸福とは願望が物理現実で実現したことではなく、エゴと距離を置くことです。

願望実現にも2種類あって、「顕在意識(エゴ)で選んだ願望を物理現実で実現すること」と「別の領域から下りてきた前兆(願望)を物理現実で景色として楽しむこと」がありますが、後者であれば願望実現と悟りをそこまで区別する必要があるのかなと思いました。

258幸せな名無しさん:2025/11/05(水) 23:58:53 ID:454ZeeiE0
このスレがYouTubeでまとめられていたので記念カキコ
ttps://youtu.be/KBDglF6B4mk?si=rKf792ePbEKIHKKU←最初にhを付けて下さい。

259幸せな名無しさん:2025/11/06(木) 00:06:07 ID:7EySjP/g0
>>256
ヨコだけど「許せない」「受け入れられない」のは悪い事なの?許す、受け入れるってのは相手が心底、謝罪してそれからの話でしょ?そうじゃ無いなら一生、「許せない」「受け入れられない」で良いのでは?「許せない」「受け入れられない」あなたのままで幸せになればいい。

260幸せな名無しさん:2025/11/06(木) 12:12:28 ID:9kc3eHwU0
>>259
ありがとうございます。
許せない自分を赦せていない自分に気づきました。

261:2025/11/07(金) 20:20:19 ID:0WP1I/5Y0

お久しぶりです。少し離席してました。
レスくれた方たち、ご丁寧にありがとうございます。

私事ですが、
以前、「掲示板ではなく、別の場所かプラットフォームで〜」なんて言って、
真理探求的なテーマをまとめようとホームページを作っていたら
突然、PCが壊れました。
(まさに恩寵。笑)

というわけで、少し復旧に時間がかかりそう。

それと、真理探求だけをテーマに焦点を絞って、そのまま書き流すと、どうしても扱う話も印象も、難解で、普通の人が読んだら怪しさ満点になりそうなんですよね。
なので、少し間を置く必要があるのかもね。笑

だからこそ、願望実現の話も交えつつ、
少しカジュアルに雑談やネタ、質問を交えながら書くくらいが、確かに筆が進みやすいのは否めませんでした。

さて、そんなこんなで、
ここで潜在意識的な小話をひとつ。

ちょうどこの時期は、スーパームーンでもありました。スピリチュアルや霊性の分野では、
スーパームーンは「満ちる力」「解放」「浄化」の象徴とされます。

つまり、心や環境の奥に溜まっていたものが表面化しやすいタイミング。
感情が揺れたり、物理的に「壊れる・止まる・変わる」ことが起きるのも、それが更新や、
再調整のサインとして現れている場合があります。

もちろんこれは科学的な話ではなく、あくまで象徴、雑談、ゆるいトーク。
でも、スーパームーンという満ちた月を、
「何かがあふれ出る/見えてくる時期」として眺めてみると、自分の内側や周囲の変化を、少し違った目で見守れる気がします。

もしかしたら、あなたにもその期間、
何かが動いたり、止まったり、壊れたり、
あるいは新しく始まったりそんな「揺れ」があったかもしれません。
(なんてね)

何であれ、それも流れの一部として起きたこと。
調整としての恩寵。そう思えば、少し安心して見ていられるのではないかと思いました。

そんな感じの
ちょっと(「占いちゃんねる」スレっぽいw)
ゆるめのご挨拶でした。

262幸せな名無しさん:2025/11/07(金) 22:39:30 ID:PX5U0Au60
>>261
こんばんは、IDコロコロ変わってますが何度か質問させていただいた者です。
まさかパソコンが壊れるとはw恩寵って不思議ですね〜
スピリチュアルに疎いのですが、月が綺麗だなぁと帰り道に思っていた矢先のお話でした。

最近たまたま気になったYouTubeをされている悟りを開いた方の動画を拝見する機会があり、りさんと同じようなことを仰っている方で驚きました。
その方も「一時的に受難だと思えることがあっても、プロセスであり恩寵」というお話をされていて、きっとそれが今の私へ向けてのメッセージなんだろうと受け取りました。

個人的な話になってしまいましたが…またどこかで、りさんのお話を伺える機会を楽しみにしております。

263幸せな名無しさん:2025/11/07(金) 22:47:03 ID:E8z237Go0
>>261
お待ちしておりました。楽しみにしています〜。

264幸せな名無しさん:2025/11/07(金) 23:48:55 ID:klou5buY0
>>261
別の場所で発信される際にはぜひ教えていただきたいです(><)
ナマコさんの一連のレスを何回も読み返しています。

265幸せな名無しさん:2025/11/08(土) 08:29:30 ID:obhauWu60
>>261
ホームページを準備されていたのですね。りさんのまとまった文章が読めるようになるとしたら、これほど嬉しいことはありません。

まさに恩寵!

266幸せな名無しさん:2025/11/08(土) 08:33:52 ID:obhauWu60
>>258
情報、ありがとう! りさんの姿、この姿もありかもしれません。これも恩寵♪

267幸せな名無しさん:2025/11/09(日) 09:01:14 ID:BClSTaSk0
>>266
マトリックス・リローデッドのセラフに似ている

268:2025/11/09(日) 11:27:07 ID:Q/pbGpB20
>>256
おはようございます。
返信が遅くなり申し訳ないです。
過去の回答と重なる部分もあると思いますが、よろしくです。

「許せない」
これは非常に重要な議題です。
今回も少し長くなりますので、テーマごとに分けてお話しします。(眼精疲労注意。笑)

テーマ1.〈言葉にならない感情とエゴの防衛〉

>自分でもよくわからない感情。
過去の記憶でも、未来の不安でもない。
ただ「うわーっ」と何かが湧き上がって、言葉にならない。

→それは自然な反応です。
私は「意識そのもの」としてのあなたに語りかけました。
すると、エゴ(個人・心)はどう反応するでしょうか?
つまり、蓄積された潜在的な″記憶たち″はどのように反応するでしょうか?

エゴからすれば、何が起きたのか言葉になりません。それは、あなたが二元を超えた非概念の領域・意識そのもの・に触れたときに起こる防衛反応です。

エゴは「私という個人」という物語を守るための城壁。その壁に気づきの光が触れた瞬間、
反射的に「やばい」と感じて閉じようとします。これが潜在マインドの「正常な防衛システム」なのです。

テーマ2.〈「許せない」という声の示すもの〉

「許せない」という言葉が出たのなら、
そこにはすでに意識の光(気づき)が届いています。その声そのものが、光(気づき)に照らされているのです。
個人というシステムは、「全体性」つまり「分かたれていないもの」に対して、
「許せない!」と反応します。
それはなぜか?
「境界が溶ける」ことを拒むからです。

これは正常なプログラムであり、悪ではありません。つまり「許し」とは、「全体性=あるがまま=意識そのもの」の立場そのものの、
別の呼び名です。

浄化とは、見えなかった「分離的想念・それらとの同一化の観念」が、意識の下から浮かび上がること。だからこそ、時間と忍耐が必要になります。
たとえば、
それは実際には触れることも、取り出すこともできない幻影のようなものです。
それなのに、まるで現実のように痛みを伴って感じてしまう幻影もセットで起きます。
怖い夢の中のように。
「怖い体験─怖がる体験者」が同時に起こるのです。
ちょうど、あなたの嫌いな人や苦手な何かが今ここにいないと分かっていても、
その姿を思い浮かべるだけで、まるで目の前にいるかのように苦しくなる。そのとてもリアルな感覚に似ています。

浄化のプロセスでは、それと似たことが起きます。もう終わったはずのこと、もういないはずの誰かが、思考や感情の中で
まるで実体をもっているかのように立ち現れ、あなたを再び締めつけるのです。
しかし、それが「浮かび上がっている」と気づいていること自体が、光がその幻影に触れたサインです。

ポイントは、それを「いけないこと」と思わないこと。そう考えることで、第二・第三の幻影的被害が発生してしまいます。
浄化は、一見厳しい仮面をかぶった恩寵です。
「浄化のプロセス」と「すべては恩寵によって起きている」という両方を学ぶことにより、
根深い罪悪感や「罪と罰」の観念ループから抜け出す速度が格段に速まります。
これは、あなたを深層的な面から癒す、
福音となります。

テーマ3.〈真のあなたとエゴの関係〉

真のあなたは、穢れなき「領域」「存在」「立場」そのもの。そこには「私」も「彼」も「彼女」もなく、分離が成り立ちません。
出来事の「良し悪し」さえも超えており、長い目で見ればすべては最適です。

なぜなら、すべては夢のようなものだからです。「実際に起きていないなら、許そう(あるいは不可思議)」という立場です。
たとえば、映画の中で残酷な場面を見ても、胸は痛むけれど、「フィクションだから」と、どこかで受け入れられるように。

ただし、この話をそのまま現実世界に持ち込むことはできません。無理にそう考えようとしたり、思想として固定したりするのも違います。
悲惨な出来事や深いトラウマを抱えて苦しむ個人に対して、「全部フィクションだから気にしなくていい」とは言えません。
なぜなら、その発言者さえも劇中の登場人物(個人)だからです。

この世界にはこの世界の暗黙のルールがあり、
私たちはその劇中の倫理を尊重する必要があります。そうでなければ、夢のルールが作動し、懲罰や修正のような現象が表面的に起こります。
これは葬式で「不動心を保とう」という話ではありません。泣くことが起きるなら泣けばいい。夭折した魂を想い、嘆くこと。
それが最適に起きているのです。

どうあれ、「あるがまま」が起きる舞台の中でこそ、逆説的に「すべてを超える」という意味が現れます。つまり、恩寵や真理の価値がここで力を帯びてくるのです。

269:2025/11/09(日) 11:31:56 ID:Q/pbGpB20
>>256
続き
テーマ4.〈エゴを直そうとしない〉

私たちは日常の中で、この世界の不条理に嘆くことがあります。
それなのに、自分の中にも他者に理不尽に振る舞う「自分(エゴ)」や「そのような思考・想念」があることを見ます。
つまり、言っていること(理想)と、やっていること(現実)の「乖離・矛盾」を見るのです。

それをありのまま観ること。
実はここからしか、真理探求は進みません。
ある賢者が言いました。
「善人であってもプロセスは進む。
だが、自分の中の矛盾を正しく見抜いた悪人なら、なお早く進む。」
分離した個としてのエゴは、バラバラであることで自分を保っています。
「他人(分離の概念)は地獄である」と言った哲学者がいましたが、まさにそれです。

だから、しんどい。
「分離という名の想念との同一化」
これが根源的な生きづらさの正体です。
そのしんどさに対して、私たちができる唯一のことは、ただ、「偽りを偽りとして観る」こと。敵対したり、直そうとしたりすれば、エゴはむしろ活性化します。

潜在領域の無数の記憶は、絡まりあった糸のようなもの。一度気づいても「はい達成。終わり!」とはいかない。丁寧にほどいていく時間が必要です。

だから表面的には、前進と後退を繰り返しながら上昇していく。それこそが、この世界に「長い時間」が存在する理由でもあります。

「真理的・エゴの取扱い術」を学び、
解放と自由の本来の立場を思い出すこと。
それが、私の言う真理探求のプロセス。
「壮大な里帰り」なのです。笑

テーマ5.〈願望実現と真理探求は矛盾しない〉
>願望が自分を苦しめると分かっていても、やはり実現したい。

→YES、それでいいのです。
生きることそのものが、願望実現の行為です。
実現してください。
大切なのは、マインドゲームではなく、
命の衝動として願望を生きること。
本気で望むものは想念が自然と反復され、
形や動きに繋がります。

どれほどその願望を保持し、叶えられない期間が続いても、向き合い続けられるか。
それが″真の願望″かどうかを示す唯一の指標です。

真の願望なら、宇宙一当たる占い師に「それは叶わない」と言われても、
全世界中の人に「不可能だ」と止められても、諦めることはできません。
なぜなら、それを止めることは「生きるな」あるいは、「屍のように生きろ」と言われているのと同じだからです。

真の願望は、あなたの選択や意志ではなく、
″真なる場″から恩寵を通して起きたもの。
だから消そうにも消せないのです。
一方で、そうでない願望は、飴玉のようにゆっくりと溶けていく。

真理と願望は矛盾しません。
むしろ多くの探求者は、願望実現を経てなお満たされない空虚に触れ、初めて真理(ホーム)を求め始めます。

「願望⇔実現」「叶う⇔叶わない」というプロセスをとことん味わい尽くしたあと、
自然と芽生える″複雑性からシンプルな自由への渇望″。それがエゴ(個人)の純粋な帰巣本能であり、真理探求の成熟です。

ですから、叶わない期間、停滞期であっても、それは決して無駄ではありません。
実はその期間こそ「浄化のプロセス」なのです。
恩寵は時に厳しい仮面をつけて、探求者に負荷をかけ、真理的理解を吸収するため心のコリを脱力させ、ほぐしています。なぜなら心を開く準備ができていないと、それらは直接的には入ってこないからです。

テーマ6.〈許しと恩寵〉
実は、エゴは自力で「許す」ことはできません。許しとは、恩寵の流れそのものです。

「許せない」という根深い塊が自然に溶けていくとき、それはあなたが何かを″した″結果ではなく、恩寵が働いた結果です。
(また「心を開く」ことに関しても同様です)

恩寵は時間を超えているがゆえに、時間を最適に整えます。
「何十年経っても、あのことが許せない」
そんなスローなペースさえも、恩寵の視点から見れば最適なのです。
(※これは思考では測れない領域です。)

「根源的な苦を取り除きたい」という叫びは、やがて「あなた自身が鍵である」という静かな声へと変わります。
そして、あなたの過ごす世界も、少しずつそのように展開していくでしょう。

では、その鍵となる「あなた」とは誰でしょう?
エゴエゴなあなたなのか?
それとも、エゴエゴなあなたに気づいているあなたなのか?

もし本当に″あなた″がエゴそのもの(主体・主人公)なら、
その主体を見ている″気づき″とは、一体誰なのでしょうか?

・・

「許せない」と「許し」は、対立ではなく同じ円の両端。
その中心で、点として、ただ静かに見ている
″あなた″こそ、恩寵そのもの。
そこに戻るたび、あなたの心全体=世界の痛みさえ。はからずとも、ただ、静かな祈りへと変わっていきます。

270:2025/11/09(日) 11:35:15 ID:Q/pbGpB20
>>257
>気づきは自己観察のことですか?
自己観察さんも、「自己観察の主体は別の領域」と書いていました。

→ 気づきとは、あなたの本性・本質的な存在のことです。
「思考や感情、感覚、身体感覚、記憶など、マインド全体を観察する」
という自己観察をスタートにする方法は、
とても自然で良いアプローチだと思います。

ただ、気づきの立場から見ると、
本当は「意識・存在・気づき」という大いなるフィールドの中で、
「自己観察する動き」が起きている、
という構図になります。

つまり、自己観察しているのは
「あなた(個)」ではなく、
すでに存在している「気づきの場」です。

そしてその「気づきそのもの」にも、
深まり、深度があります。
そのため真理探求のプロセスにも、おのずと理解度が増したり、直接理解の深さのようなものが表面的には浸透していくように起こるのです。

ただし、本質的には浅い深いというのも想念的・観念的な物語です。
しかし、これは素晴らしい物語です。
(そして、この深まるという体験は、ときに深いところから無条件の歓喜を伴います)

>願望実現系の達人さんたちも異口同音に、
「願望実現自体はオマケで、肝心なのは立ち位置を変えること
(エゴではなく別の領域に立つこと)」と書いています。たとえ願望が実現しても幸福を維持できるとは限らず、
願望実現後も幸福を維持できる人は、そもそも願望実現前から幸福だった人である。

→ なるほど。確かにそうかもしれません。
しかし、どちらにせよ、願望を求めること、苦から逃れ幸福を求めること以外、エゴ(個人)にはできません。笑

>ここでいう幸福とは、願望が物理的に実現することではなく、
エゴと距離を置くことです。
願望実現にも2種類あって、
「顕在意識(エゴ)で選んだ願望を物理現実で実現すること」と
「別の領域から下りてきた前兆(願望)を、物理現実で景色として楽しむこと」
がありますが、後者であれば願望実現と悟りを
そこまで区別する必要があるのかなと思いました。

→ その文脈でいえば、その通りですね。
願望実現としての幸福と、エゴではない別の領域(純粋意識・本来の自己)の幸福は、
幸福の次元が異なります。

願望実現の幸福は、不幸が存在することで成立する時間軸の内部のもの。
つまり、自分と他人、あるいは過去の自分と今の自分を比較した上での相対的ゲーム(比較構造)です。
一方、後者の幸福は、
「幸福も不幸も超えて、同時にどちらも私の中で起きている動きにすぎない」という立場からのものです。

したがって、
「不幸でも、私は在る」
「幸福でも、私は在る」
という観点になります。
雨でも曇りでも晴れでも嵐でも、
春でも夏でも秋でも冬でも、

私は在る。



これがいわゆる悟り、見性者の立場です。
これを徹底していく(意識的に生きる)
期間が、悟りの理解の深まりです。
そういう意味で、あなたの言う
「下りてきた前兆(願望)を、物理現実で景色として楽しむ」という表現はとてもユニークで美しい。その状態を言い表しているとも言えますね。

271:2025/11/09(日) 12:51:47 ID:Q/pbGpB20
>>262
私もIDコロコロ変わります。なんでだろ?笑
まさにそうですね。受難期は本当に辛いです。
私はそれを「私の物語─地獄編」と名づけました。しかし、少しずつ「私の物語─煉獄編」に変わっていき、終わりは必ず来ます。
しかし、理屈を超えて・・これは辛いです。
完成度の高いお化け屋敷のようなものです、それらは実相ではない作り物なのに、リアルすぎて悲鳴をあげてしまいます。
だからイリュージョンの渦中に、
「本当は大丈夫」と何度も何度も励ましが必要です。あなたは大丈夫です!

ありがとうございます。PCとの格闘がんばります!笑

>>263
ありがとう!がんばります♪

>>264
ありがとうございます。目と指疲れさせてる。笑
サイトある程度構築したらURL貼り付けますね!ちょっととっつきにくいというか、難解になるかもなので、よろしくです。

>>265
それは良かった。ありがとう。
まさに恩寵です。今振り返ると、潜在意識ちゃんねるの方々はある程度知識があるから割とスムーズな面もありましたね。ただ、そこではここで言ってないこともさらに掘り下げて書いていくので色々起こりそう。笑

>>266 >>267
私も見ました。確かに、文字よりも「耳で聞くほうが入りやすい」という人もいるでしょうね。とても参考になりました。

サングラススタイル、笑
面白い発想だと思います。
私自身、ネタやユーモアは好きなんですが、
真理に関心を持っている方々の気持ちを軽んじたり、神聖なものへの敬意を欠いた印象にはしたくないんです。
だから、サングラスをつけるとしても・・
「光を直視できない、我々人間のまなざし」を象徴する寓話的な扮装として使うのはアリかもしれませんね。笑
なので概要欄に、
※「光を遮っているのは外の何かじゃなく、
光を遮っているのは「私」自身。
その感じを表現するために、私はサングラスをかけています!」
と書く必要がありますね。笑

272幸せな名無しさん:2025/11/09(日) 14:28:41 ID:BClSTaSk0
>>271
>「光を遮っているのは外の何かじゃなく、
>光を遮っているのは「私」自身。
>その感じを表現するために、私はサングラスをかけています!」

このくだりを読ませていただいて、ポロポロと涙がこぼれ落ちてしまいました 恩寵

273幸せな名無しさん:2025/11/10(月) 13:19:38 ID:jM/EsB320
>>269
183です。りさん、何度も丁寧なレスをくださり、本当にありがとうございます。
私のような見ず知らずの人間にここまで時間を割いて回答してくださることに救われました。それがまさに私に起こった恩寵の一つかもしれません。

仰ること、全てその通りだなと思います。ただ、時間ばかり過ぎていく人生に焦っています。つまり、頭の中では常に「このままじゃいけない」「こんな人生で終わるのは嫌だ」という思考でいっぱい。
こんな精神世界のことも知らずにサクサクと明るく軽やかに楽しく生きている人を見ると、私もそっちの人生に生まれたかったと思ってしまいます。
つまり、本当は悟りなんてどうでもよくて、ただ楽しく生きたいと思っているんだと思います。
それぐらい、長らく心の底から楽しいと思った経験がありません。
そんな自分も遠くから観察するようにしているのですが、エゴが「手っ取り早くこの苦痛から出してくれ!」と言ってきます。

ただ、不思議なことに最近、ほんの一瞬ですが、そんな自分の世界の「外側」?の空間を見つけました。
そこは縦も横も奥行きもない、私もいない「無」の空間、、というか、何か、でした。
それは私の世界の重いエネルギーとの対比で初めて認識できるものでした。
真っ暗な映画館を外からみているような。

しかしそれは1秒にも満たない一瞬の刹那で、またエゴエゴな世界にすぐ戻ってしまうのですが。
本当に気が狂いそうなほどネガティブな気持ちになるときの避難所みたいな場所を見つけたような感じです。
ただ、そこにいるとまた新たなネガティブな感情が湧いて来て、キリがない感じもします。
私の人生は一生、この繰り返しで終わるのかも知れません。

274幸せな名無しさん:2025/11/10(月) 18:31:08 ID:g0ZD9bmE0
>>270
>気づきとは、あなたの本性・本質的な存在のこと

りさんの定義では

意識・存在・気づき:ハイヤーセルフ、魂、別の領域、アートマン

という理解であってますでしょうか?

もちろん、エゴとは別物です。
エゴとは異なる、宇宙と一体化した永久不滅の魂(ハイヤーセルフ、アートマン)の存在を認める立場ですか?

ヒンドゥー教のウパニシャッド哲学に近いでしょうか?

仏教は「無我」を説きますが、これはエゴが存在しないと言うだけでなく、永久不滅の魂も存在しないという立場だと理解しています。
仏教の世界観では、法に従って生成消滅する縁起が存在するだけで、固定的な存在はないと説かれています。

エゴが幻想であるというのはヒンドゥー教、仏教共通ですが、永久不滅の魂(アートマン)の存在を認めるかどうかで、ヒンドゥー教と仏教は1000年以上も論争を繰り広げているはずです。

であれば、永久不変の「意識・存在・気づき」があるという立場は恐らくヒンドゥー教に近いですね。

275幸せな名無しさん:2025/11/10(月) 18:46:53 ID:AKyhR8gg0
>>271
>私もIDコロコロ変わります。なんでだろ?笑

したらば掲示板の仕様がそうなっているようです。IDが固定だと自動的にコテハンになってしまうからではないでしょうか。IDが変わることにより匿名性が担保され、自由に発言し意見交換がしやすくしているのだと思います。

276幸せな名無しさん:2025/11/10(月) 18:52:08 ID:ZFXQgKD.0
IDのしくみですが1日に1度、午前0時でリセットされます
Wi-Fiのルーターを再起動したり、スマホの回線を切り替えたりすると日中でもIDが変わってしまいますが
なので、同日中で通信回線も同じままなら何度書き込んでもIDは変わりません

277262:2025/11/10(月) 20:57:38 ID:6GJAIijk0
IDコロコロ変わる理由を教えてくださった方、ありがとうございます。
したらば掲示板の仕様なんですねーたまに不便に感じますが、仰る通り匿名性を重視する意味では大事なことなのかもしれませんね。

>>271
ご返信ありがとうございました。
本当に…渦中にいるときには、とてもリアルで苦しく思えてしまうものですよね。
大丈夫と言ってくださって、安心しました。
私も地獄編から少しずつ光が見えてきた気がしています。
それはこちらのスレや、りさんのレスに出会えたことも含めてです。
少しずつ悩み苦しみ迷い、そして支えられながらプロセスを進んでいこうと思います。

278:2025/11/10(月) 23:49:11 ID:eaUJv/R.0
>>273
いえいえ、こちらこそ。
私もまた沢山の浄化が必要で、長く暗いトンネルを通過してきた者でした。なので、そういう視点からすれば、「見ず知らず」とは、やはり言えなく(見えなく)なってしまうのです。

たしかに、その時間がなくてはならなかったなと今では思えますが、当時の私がそれを聞いたら、おそらく物でも投げつけて全力で否定したでしょうね。

ただ、今になってわかったのは、苦しみそのものが問題ではなかったということ。
苦しみに抵抗し、それを「悪いもの」として想像的に、壮大に構築していたのは、頑なな心(エゴ)のほうでした。
実際には、あらゆる出来事が道案内(味方)だったのです。
個人の私は、無意識の奥では、きっと一番自分に合ったプランを、恩寵に要請していたのだと思います。(もちろん、これはいち感覚にすぎないので、信じなくても構いません。)

>時間ばかり過ぎていく人生に焦っています。つまり、頭の中では常に「このままじゃいけない」「こんな人生で終わるのは嫌だ」という思考でいっぱい。

→以前の私も含め、多くの人が同じように言われます。「大丈夫なのは知ってるよ!けど、このまま何も変わらない可能性もあることを私は知ってる!」と。そして、沢山の説得力のある情報を私に見せてくれます。笑
けど、そのような思考を生み出しているエネルギー自体は、実は「谷底から大きく上昇するための推進力」なのです。
ある種の個人は、ギャップを持って人生展開する物語という時間軸内でのパターンがあります。
恩寵は時に、強制停止を起こし、エネルギーを蓄える。その時に起こる恐れ・焦燥もまた、上昇(ジャンプ」の直前に起きる揺れ、という見方もできます。
また、これらの話は個人意識内だけではなく、世界(全体)の流れとも連動して最適なタイミングを調整されます。

>こんな精神世界のことも知らずに、サクサク明るく生きている人を見ると、自分もそっちの人生に生まれたかったと思ってしまいます。

→わかる、わかる。笑
しかし、あなたは必然的な流れとして精神世界に呼ばれた。だから、いろんな概念やメソッドを学び、潜在意識や、「心─世界」にまつわることや、意識の構造を探る道を歩いてきたのでしょう。
卒業するときは、卒業「する/しない」問題がある種どっちでもよくなる時です。
これは、「どうでもいい」という投げやりではなく、存在のシンプルさの中から、言葉にできない静かなよろこびが自然発生的に立ち上がる、その精妙な感覚から生まれる視点からの「どちらでも、よい」です。
また、恩寵が押す自然な流れの、卒業ボタンが来るまでは、無理に、焦って離れる必要はありません。

>本当は悟りなんてどうでもよくて、ただ楽しく生きたいと思っているのかもしれません。

→もちろん。それが生きとし生けるものみんなの本音です。
誤解を恐れず言えば、悟りを求める人ほど「楽しく生きたい」という欲求は強烈です。
「本来、私が苦しいなんてありえない!!どうしてだ?」という妥協のない反逆心。笑
また「本来の私は自由が当然であるはずなのに!」という根源的な「自由の記憶」の残り香のようなものがある、とかね。
だからこそ「ただ楽しく生きたい」「苦しみから自由になりたい」という気持ちが無意識下で強い人こそ、気づかぬうちに精神世界や、真理の扉に近づいてしまうことは多々あります。

エゴとの向き合い方。くどいようですが、これを丁寧に学ぶことがとても大切です。真理や、至福は、どの人にも共通の静けさの場「  」
ですが、エゴの性質や構造は人それぞれ。
だから、「エゴに効くこと」だけでなく、「エゴに不要なこと」をやめる逆説的な緩さも大切。

>最近、ほんの一瞬ですが、自分の世界の外側のような“無”を見つけました。

→いいですね!あなたの中で小さな祝福が生まれ起こりました。
その1秒の体験が、どれほど尊いかはいずれ分かるでしょう。
私たちは通常、夜の熟睡の中でその領域(避難所)へ、かえります。
あなたは「目覚めながら(起きている時のこと)」その一瞬に、「直接的」に触れたのです。それがまさに、存在そのものの領域。
焦らず、大切に取り扱い、丁重に消化していってください。
もちろん、エゴはしばらく全力エゴエゴモードで抵抗してくるでしょう。が、それでいいのです。
その人(エゴ)のことは、その人(エゴ)に任せてあげてください。
その人生のことは、その人生に任せてあげてください。それらはそれ自身の法則に従い、
自然に自らを世話し、調整し、動いています。
あなたはただ、それらすべてを照らす意識そのものとして在ってください

避難所など、ほんとうは初めから必要ありません。あなたこそが、それだからです。

279:2025/11/10(月) 23:55:46 ID:eaUJv/R.0
>>274
重要な質問ありがとうございます。
(長くなったので2回にわけます。)

実はそれらに関しては、この掲示板の色から逸脱してしまうのを避けるため、別の場所で書く予定でした。(ちょうどいま、テーマやカテゴリーの整理をしている最中です、ゆるゆると)

>りさんの定義では「意識・存在・気づき」=ハイヤーセルフ、魂、別の領域、アートマンという理解であっていますでしょうか?

→はい、それで合っています。
私のいう「意識そのもの」「存在」「気づき」の描写がそれに該当します。ただし、表現や定義は人によって少しずつ異なります。

>もちろん、エゴとは別物です。
エゴとは異なる、宇宙と一体化した永久不滅の魂(ハイヤーセルフ、アートマン)の存在を認める立場ですか?

→ここが最も重要なポイントです。
私はこれをより丁寧に、細かく整理して書こうと思っています。
なぜなら、「別物であり、同一でもある」という点が非常に大切な部分だからです。

正確には、エゴが「意識そのもの」に定着していく過程こそが、悟りや真理探求の道。
しかし、途中の段階では「エゴもまた意識である」という理解と、「エゴは意識とは別である」という矛盾した理解を同時に消化していく必要があります。これが、いわゆる中道の歩みです。
また、「意識=世界」、すなわち全体意識(宇宙意識・全体性)の理解も、このプロセスの中で自然に消化されていきます。

そして、永久不滅の「それ」
それこそが、これらすべてを超越しています。

ここでは詳しく触れませんが、非常に繊細な領域のため、私としても時間をかけて少しずつ表現していこうと思っています。
また、個々の状況や、霊性プロセスに応じた吸収のタイミングと、消化の流れを尊重しています。

280:2025/11/10(月) 23:57:04 ID:eaUJv/R.0
>>274
続き

>ヒンドゥー教のウパニシャッド哲学に近いでしょうか?

→そうかもしれません。
ただ、私は真理探求に役立つものであれば、宗派や哲学の枠、そして常識や時代性にとらわれずハングリーに取り入れてきました。
言葉や教義はどれも、たとえどんなに素晴らしくても「現れ」にすぎず、その奥にある「無言の本質」こそが、私にとって何度でも会いに行きたくなる「それ」でした。

>仏教は「無我」を説きますが、これはエゴが存在しないと言うだけでなく、永久不滅の魂も存在しないという立場だと理解しています。

→これを指し示しているのが、時空を超えた「それ」です。つまり、「それ」はどんな概念にも一度も触れたことがなく、自らを「知る」ことも「定義される」こともないままただ在る。
そして、それは「在る」ということさえも超えています。

>仏教の世界観では、法に従って生成消滅する縁起が存在するだけで、固定的な存在はないと説かれています。

→その視点で指しているのが、
「存在」「意識そのもの」「気づき」です。
起きることが起き、現れては消え、変化していくすべての動きは流動体。その流動の中心に「静止している何か」がある。
それが「存在」「意識そのもの」「気づき」です。
さて、問題はなぜその存在にあらゆる現象が起きてしまったのか・・。
この大きな問いの核心もまた、ここでは控えて別の場所や、個人の最適なタイミングで触れていきたいと思っています。笑

>エゴが幻想であるというのはヒンドゥー教・仏教共通ですが、永久不滅の魂(アートマン)の存在を認めるかどうかで、両者は1000年以上も論争を繰り広げているはずです。

→誤解を恐れずに言えば、「アートマン」という言葉が指す対象そのものが、時代や思想家によって異なっているのだと思います。
つまり、「意識内の領域をアートマンと説明する」場合もあれば、それをも「超越した“それ”」をアートマンと呼ぶ場合もあります。

ただし、これは直接的な理解を通した気づきのプロセスがないと、なかなか掴めません。
ちょうど、ブラジルに行ったことのある者同士なら多少表現が違っても「あぁ、その感じね」と分かるように。しかし、行ったことがない人同士だと、地図やガイド本の上で論争が起きる。そういうことです。

だからこそ、初めは「知識」から入り、次第にそれを消化し、恩寵の流れに導かれて「直接体験」に至る。この橋渡しをする鍵が、「意識そのもの」であり、「真のあなた」なのです。

また、すべてを超えた「それ」自身の立場は、歴史的論争が起きていることさえ知らない。
というより、知れない。それは、ただ静けさとして在り、世界が起こるより前から、ずっと沈黙を超えて沈黙しています。

>であれば、永久不変の「意識・存在・気づき」があるという立場は、やはりヒンドゥー教に近いという理解でよいでしょうか?

→私個人の視点では、世界中の宗教・哲学・思想、そのすべてが、真理をあらゆる角度から指し示しているものだと見ています。
まるで真理は、それを指し示そうとするあらゆる努力、言葉、芸術、祈り、哲学、文化、そして潜在意識の探求までも、それらすべてを通して、自らを映しているかのようです。
そしていま、あなたがこの言葉を読んでいる
なにげない「この瞬間」もまた、
その「意識そのもの」による、最大の自己表現なのかもしれませんね。

281:2025/11/11(火) 00:00:23 ID:9/RWVC5Y0
>>275 276
なるほど、そういうことだったんですね。
情報ありがとうございます♪

>>277
おっしゃるとおり。
地獄編から、少しずつ「理屈を超えた安心」や「光」が見えてくる。それが、たとえほんの小さな、かすかなものであっても、それはとても喜ばしく美しい瞬間です。
何より、それは、重さから解き放たれるのです。
あなたの中で、誰かの肩の荷がそっと降りて、軽くなっていきます。

不思議な言い方だけど、あなたによって、あなたは許されていくのです。はからずとも。
その小さな光を、どうかそのまま静かに、
ただ味わってください。
そこには、理由などなくていいのです。

ではではおやすみなさいzzz

282幸せな名無しさん:2025/11/11(火) 19:05:16 ID:3of0KBiA0
>>271
今まで、こう思っちゃダメだ、これを採用しちゃダメだと無意識に自分を否定していましたが、ナマコさんの一連のレスでそれらも全て完璧な流れの一部なんだと知りとても穏やかな毎日を送れています。何も変える必要がないし、このままで完璧だと思えたことはある意味では大きな変化でした。今は現実や思考をただ穏やかに眺めているだけの状態で過ごしています。
しかし、そんな中でもやはりエゴ的な願望や疑問が出てきますので、とても初歩的でエゴエゴな質問ですが聞いていただけないでしょうか。
それは、出産など期間に制限がある願望についてです。結婚や出産などが願望で、それを通して何を自分は得たいのか?自分に問いかけたところ、それは愛や安心だと思いました。いずれ私は愛や安心を得ることができると思います。(潜在意識的にはもう得ている)現実でそれらを得るもとがもしかしたら結婚や出産を通してではないかもしれません。結果的にそれでも愛や安心を受け取ることができるのだから私はその時満足していることでしょう。しかし、やはり今私は結婚出産がしたいと私のエゴが囁いてきます。笑
愛や安全そのものはあるとして、それらを得る流れは恩寵に委ねるしかないのですよね?だとしたら結婚や出産ができない可能性もあるということでしょうか?

283:2025/11/12(水) 00:47:06 ID:423KbMXo0
>>282
それは本当に素晴らしいこと。
「現実や思考をただ穏やかに眺めていられる」という状態。
これは何かを成し遂げることよりも、本当は尊く、深い静けさの現れです。
この静けさの上に立って、ただ、これから話すことを聞いてください。

ここから先は、あくまで私個人の見解として聞いてください。少しストレートな表現もあるかもしれませんが、決して批判や否定ではありません。書く以上、やはり私はドーンと出します。穏やかに聞いてくださいね。

>結婚や出産の願望について

まず、あなたは結婚や出産をリアルな意味で実現していいのです。
あなたは日々の生活の中でもエネルギーを使っています。けれど、まだ余力があるはずです。
その余ったエネルギーを少しずつ貯め、
それらにこう語りかけてください。

「私はこのエネルギーを、結婚や出産という目的のために使います」
他のことはほどほどでかまいません。

最上位の願いが「結婚・出産」なら、
そこに向けてエネルギーを集中させてください。

「これを実現するために、私は起こるまま動く。起こることも起きないことも、恩寵の計らいに委ねます。」

そう宣言して、エネルギーたちと契約するように進めるのです。そして、その契約通りに、現実で実現させましょう。世界(日常)の流れは決して無能ではありません。最適なベストパートナーです。
これがあなたにとって、自然で、必然の流れです。

>悟りとの関係について

悟りの知識や探求は、それを実現したあとでいい。あるいは、もしどうしても恩寵(見えない流れ)によってそれが阻止されるような出来事が続いたなら、そのときこそ、本格的に意欲を強めて悟りの方向へ進めばいいのです。

あなたがどちらの流れにいるかは、必ず「結果」として明らかになります。
焦る必要はありません。
穏やかなペースの中でやっていきましょう。

〈実例として〉
私の知り合いにも、あなたと同じような方がいます。
出産や結婚への強い願いの中で生きていて、
私から見てもその人は真理探求の素質を備えていました。
けれど、彼女にとって今は「悟り」ではなく「願望実現」の時期でした。
だから私は、その方向でしか話が展開しませんでした。
恩寵によって止められない限り、その人にとっても「結婚・出産を叶える道」が最優先だったのです。私はただ、励ましの言葉を送りました。
「絶対にできる。悔いのないようにやれることはすべてやろう。過去に何があっても、大丈夫。今回は違う。」
それだけです。
彼女にとっても、それが真理探求でした。

〈集合意識の流れ(ただ、参考までに)〉

信じるかどうかは自由ですが、
いま地球全体では、「男女・成功と失敗・正と誤」といった二元的な分離意識の浄化が進んでいます。特に女性の「結婚・出産」に関しては、
異性や性別、固定観念の浄化を通して進化していく段階にあります。

ですから、あなたの場合も、
「異性との関係そのもの」が修行の場であり、悟りの修行の場になるのです。

つまり、今の時期に関しては、
瞑想や明け渡しの本格的な取り組みよりも、
実際の婚活や恋愛、つまり人間関係の中で学ぶこと。それが今のあなたにとって最も自然な修行になります。そのほうが、遠回りにならず、一石二鳥どころか、三石くらいあるかもしれません。笑

〈実践的アドバイス〉

穏やかに日常を過ごしながら、願いを実現していきましょう。あなたはおそらく「自然な意味での強気モードになれる系」のアプローチが向いています。
たとえば
・祈りやアファやマントラなど、心がホッとする実践
・潜在意識的アプローチで言えば、「願望実現に関しての安心を育てる系」のメソッド
あなたの場合、これらを生活の中に取り入れると、心のエネルギーが整います。

さてさて、余談ですが、本当の「愛」や「安心」は、真のあなたそのものの立場にあります。

けれど、個人としてその感覚を現実に感じるためには、あなたが望む「結婚・出産」という形を通すことが自然です。
それを目指すことに、何の矛盾もありません。
むしろ、それもまた恩寵の流れの一部です。

そして、もし気が向いたときは
「あなた自身でもある恩寵」に向かって、
静かに祈ってみてください。
コツは、言葉よりも気持ちです。
上手に祈ろうとしなくていい。
願うでも、求めるでもなく、ただ素直に。
たとえば、

「どうか、私を導いてください」
「この流れを信じます」
「ありがとう」

そんな簡単な言葉でじゅうぶんです。
祈りとは、神聖な誰かに向けるものではなく、
あなたの中の、いちばん優しい部分に触れる行為です。その一瞬に、恩寵とあなたはひとつになります。
ではでは、おやすみなさい。

284幸せな名無しさん:2025/11/12(水) 10:31:32 ID:FE4/6EfE0
りさん、こんにちは。横ですが、りさんの283の書き込みを読んで
自分は探求型だと思いました。過去に婚活をしていた時も「相手と向き合っている
場合じゃない、自分の心が置き去りになっている、自分自身と向き合いたい」と思い
婚活を止めて自分と向き合うことを始めました、そして潜在意識の事を知り探求を始めて
現在に至る感じです。
自分には趣味と幼い頃からの夢が有りました。趣味を楽しみながら、やがてそれを仕事に
出来たら良いなというものです。過去に就いた仕事でも趣味が役には立ちましたが
それがメインではありませんでした。そして今は趣味を出来る時間がある状態だけど
出来ていない状態です。探求に向かえば向かうほど趣味から離れている気もします。
探求型の場合、願望実現は難しいのでしょうか?

285:2025/11/12(水) 12:49:16 ID:eTTr91Do0
>>284
こんにちは。

>自分は探求型だと思いました。過去に婚活をしていた時も「相手と向き合っている場合じゃない、自分の心が置き去りになっている、自分自身と向き合いたい」と思い、婚活を止めて自分と向き合うことを始めました。そして潜在意識のことを知り、探求を始めて現在に至る感じです。

→なるほど、そうだったんですね。
「自分とは何か」という問いに興味を持つことそれは確かに真理探求の入り口になります。
ただ、ここで一つ整理しておきたいのは、あなたの言う「自分」がどのレベルの「自分」を指しているのかという点です。
つまり、
・本来の自己(意識そのもの・存在そのもの)としての自分なのか。
・生まれ、心の傾向や性格を持ち、身体を伴って生きている個としての自分なのか。
この違いを明確にしておくと、今後の探求がとてもスムーズになります。
おそらくあなたが今感じているのは、後者。
「個人としての自分の心をもっと深く理解したい」「本音や信念に気づきたい」という方向ですね。

>趣味を楽しみながら、やがてそれを仕事に出来たら良いなというものです。そして今は趣味を出来る時間がある状態だけど出来ていない状態です。探求に向かえば向かうほど趣味から離れている気もします。探求型の場合、願望実現は難しいのでしょうか?

→この場合のポイントは、「その願いがどれほど真剣で、どれほど長く持続しているか」です。
もしその想いが心の底で繰り返し浮かび続けているなら、それはあなたにとって人生の流れが与えた取り組むべきテーマです。
その場合は、迷わずこう決めてください。

「私はそれを現実にしていく」

そう「決定」すること。
それが最初のスイッチになります。

私の言う「ただ起きている」「すべて起きている」というのは、本来の意識そのものから見た視点です。個のあなたがそれを概念として採用したり、思想として固定する必要はありません。

個としてのあなたの立場では、そこから先に問うべきはただ一つ。
「自分が持つエネルギー(注意・集中・意志)を、どれだけその方向へ注げるか」
真理探求も願望実現も、実は本質的にはエネルギーの使い方という点で同じです。

ここで、以前も触れたマズローの欲求段階を参考にしてみましょう。「生理的欲求 、安全欲求 、社会的欲求 、承認欲求 、自己実現欲求。」
そしてその先に「自己超越欲求(真理実現欲)」

真理探求型の人は、この「自己超越欲求」へ自然にエネルギーが流れる傾向があります。
けれど、それは「下位の欲求を否定して超える」という意味ではありません。
それらの欲求もすべて、意識の現れの一部です。
そして実際のところ、
恩寵(人生の流れ)は、私たちに「今どの段階を体験するのか」を完璧に割り振っています。
頭で選ぶより、起こる流れがその答えを見せてくれます。

判断基準はとてもシンプルです。
「やってみてどうだったか?」

成功か失敗かではなく、
何度もそこにエネルギーを捧げずにはいられないかどうか。それだけです。

「努力は必要?」「無駄な努力しない方がいい?」「何をするべき?」「何をやめるべき?」これらもすべて、最終的には恩寵が決めます。

もし「やめようとしてもやめられないもの」があるなら、それはあなたにとって縁のある道であり、捧げるに値するテーマなのです。

そして、自己超越欲求(真理実現欲求)だけは、他の欲とはまったく性質が異なります。
他の欲は「自分が選ぶ」感覚がありますが、
この欲求だけは、呼ばれてしまうのです。

というわけで、恩寵とは、あなたの人生と心を設計した熟練のプロフェッショナルのようなもの。どうすれば彼女(=あなた)に真理実現欲求を芽生えさせ、それを支えられる成熟を育てられるか。そのために、あらゆる欲求や経験を絶妙に組み合わせ、ベストな浄化のタイミングさえも精密に配置して調整しています。
あなたが今ここにいて、探求を続けていること。それ自体がすでに、恩寵によって選ばれ設計された体験の一部なのです。

286:2025/11/12(水) 13:12:22 ID:eTTr91Do0
ここでちょっとご報告です。
あれれ?なんとか別のWi-Fiを借りて投稿できましたが、さっき何度か「ホスト規制されています」と出ましたw
コンプラに引っかかったのかな?
まあ、正直なところ、テーマがどんどん発展してきて、潜在意識の掲示板の趣旨から離れつつある自覚はあります。
ちなみに、私のサイトはまだ骨組みを作っている段階で、ペースもかなりゆっくりです。
当分は検索しても出てこないと思います。
いずれURLを貼ることがあってもいいのか判断がつかないので・・
とりあえず「パ」から始まり「ス」で終わるタイトルのサイト、とだけお伝えしておきます。(タイトルだけは決まりました!)

というわけで、もし今後、自宅のWi-Fiから書き込めなくなったり、しばらく私の書き込みが途絶えたら、「あぁ、りさん、とうとう規制されたんだな」と思ってください。笑

ではでは!

287幸せな名無しさん:2025/11/12(水) 13:25:05 ID:NPxiVcaU0
>>286
どこかの掲示板で荒らす人が発生していて、それが落ち着くまでその対象プロバイダと言いますか通信会社からの書き込みを一時的に規制しているんだと思います
(個人をピンポイントで規制できないため)
りさんが何かをしたからではないのでご安心を

288幸せな名無しさん:2025/11/12(水) 13:27:05 ID:aDqtnNTQ0
>>278
毎回丁寧なお返事ありがとうございます。183です。
他の方とのやりとりも拝見して、とても参考になりました。
りさんとのやりとりの間に、様々な感情、身体の変化が起こりました。
りさんとの出会いも含めて、確かにこれは「起こった」ことです。
何度もお付き合いくださり、重ねてありがとうございました。
今後の発信も楽しみにしております。

289幸せな名無しさん:2025/11/12(水) 14:14:01 ID:tw5FsCk.0
>>283
ドーンと返信ありがとうございます!読解力がないもので、頭の中を整理しながら書きますがもし気分を害されることがあったらすみません。。
現実で結婚や出産を望んでもいいし実現してもいいとおっしゃって頂きホッとしました。エネルギーをそちらに集中すること、私の中の恩寵に祈る、信じる、今日からやってみようと思います。
私は若い頃を含めると婚活を10年以上続けてきました。ここ数年は抵抗のあるマッチングアプリや婚活パーティーなども参加したこともあります。正直やりたくないことを続けるのも、婚活自体も疲れてしまいました。
本当に甘えたこと言ってるんじゃねえ!と自分でも思いますが、そこらへんの道端でも畑でも出会って、さっさと結婚したいです。笑
ナマコさんがお知り合いの方にされたアドバイスの、悔いのないようにやれることはすべてやろう。というのは、現実的な行動も含めたものですよね?だとすれば、私はやはり自分の気持ちを奮い立たせて婚活(アプリやお見合い)をした方がいいのでしょうか。
それとも、全ては自分の恩寵にお任せして(どう行動してもそれが恩寵なのでしょうが)やろうと思えばやるし、やりたくなければやらないというただ流れに身を任せるだけでもいいのでしょうか。これは明け渡し?まだ私はこの段階ではないのかな?
いつも丁寧な返信ありがとうございます。ネットの調子が悪いようで、もし、面倒であればスルーで構いません!私なりにナマコさんの一連のレスを咀嚼して取り入れていきます!

290幸せな名無しさん:2025/11/12(水) 14:29:07 ID:AJCgn8is0
りさん。
はじめまして。今日このスレを発見して最新からちょこちょこ読んでいたのですがとっても面白かったです。
わたしは去年ごろ、あ〜全部ただの思い込みやったんかぁと腹落ちし楽になった者です。エゴも全然いますが、以前に比べると随分楽なのでゆらゆら流れて生きています。
ふとここを見つけることになり、更なる探究がしたくなりました。
それがいまの唯一の願望です。
新しいサイトも作っておられるとのこと、とっても楽しみにしています!

291幸せな名無しさん:2025/11/12(水) 16:04:46 ID:FE4/6EfE0
>>285
ありがとうございます。
「その願いがどれほど真剣で、どれほど長く持続しているか」
 ↑持続は長いですが、もしかしたら真剣度は低いのかもしれません。
「私はそれを現実にしていく」
 ↑これを決めることを怖いと感じてしまいました。
そしてマズローの欲求段階で自分は今生理的欲求に居ると気づきました。
名前のない「 」に意識を合わせて静けさを感じたりしていても精神だけの事で
身体の方で排泄したかったり空腹だったり眠かったりすればそちらが優先になる。
食事なら、食べて満たされる=体が満足する=心が満足する→その上での探求、という感じで
生きること→身体を持つこと→身体の満足が第一、が今の自分の状態のようです。
そうなると趣味はもっと段階が上の欲求になってくるので
今は出来なくても仕方ないのかもしれません。趣味での承認欲求は強かったと思いますが
邪魔なので手放したら趣味自体への興味が薄れたのもある気もします。
思い込みに気付く→手放す、を進めていくうえで、あれもこれも思い込みでした、
好きな物や、やりたいことも思い込みだったのかしら?自分の中には何もない?でも
身体が有るから体を満たしてあげるのが一番だよね!という状態のようです。
こうなると今は趣味どころか探求の段階ですらない感じかもしれません。
身体が有る以上、快眠・快食・快便が最高の幸せだよ!という状態みたいです。
どうしてこうなった?自分では分からない恩寵によりこうなった気がします。
りさんがレスの中にマズローの欲求段階の事を書いて下さったのも恩寵でした。
段階は少しずつ変化していくと思うので、頂いたレスを大切にして
何度も読み返したいと思います。そして決めることが怖くなくなったらしっかりと決めて
そちらへ進んでいけたらいいなと思います。ありがとうございました。

292幸せな名無しさん:2025/11/12(水) 16:12:55 ID:0rLKxYh20
ご無沙汰してます、201です。仲間に入れてもらって、私の体験談を。
できれば282さんには読んでほしいな。

世界を司る絶対的な導き手の存在を確信し、まさに真理探求の道に入ったばかりの時の出来事です。
個人的に叶えたい強い願望があるものの、障害があり困難な状況でした。
どうしても前に進みたくて、強い決意で「この障害を他の形にしてください。それがどんなものであっても絶対に受け入れます」と契約しました。
数日後、とんでもない暴力的な出来事に見舞われました。「これか!」と小説でしかあり得ないような地獄のような状況の中で理解しましたが、必死になって現実的な対処はします。笑
なんとか領事館に連絡にして、その国の警察トップに働きかけてくれたりとか少々揉め事になったものの、あっさり開放されました。
めっちゃしんどい出来事だったけど、覚悟の上の契約なのですんなり受け入れました。
ここで気になるところ。障害は取り除かれ願望は叶ったのか?
答えは「願望に向けて前進する意欲が弱くなった」です。結果として叶える方向には行きませんでした。
叶っても先には別の困難が待っているのはわかっていたし、それよりも、自分の内にあれ程の偉大な力を持つ存在があり外側も大きな愛で包まれているのを実感して「もういいかな」となってしまったようです。
自然な流れでそうなりました。
これはあくまで私のパターンであって、願望が普通に叶い、その上で探求を深める人も当然いるでしょう。

それで何が言いたいかというと、スレ主さんの言う「恩寵」をどれだけ信じ明け渡すかで起こる出来事とその体感の深さは変わるということです。
「信じる?決意?なにそれ?」状態なら、何か起こっても「ラッキー!」と軽く喜んだり「ふざけんな!」と憤慨したり「あれは何だったのかな?」みたいにあまり気にも止めず流す。
なので見方しだいでは願望は大きく強いほど好ましかったりする。
実現困難な強い願望があるなら、前進するために「それ」の愛と絶対性を信じ契約することを、私からも勧めます。
「それ」と交わした契約は内容はなんであれ絶対であり、結末はなんだろうと完璧です。完全な愛だから怖がらずに安心して任せればいい。
エゴのまま生きても試練。真理探求の道も試練の連続だけど、大いなる愛があちこちに散りばめられ実感できる道なんだと思います。

293幸せな名無しさん:2025/11/12(水) 20:10:56 ID:8x2dLBXk0
>>292
貴重な体験談とアドバイスありがとうございます!初めここに書き込むこと自体を悩んでいましたが、色々な助言を頂けて、勇気を出して書き込んでよかったです。
292さんのレスを読んで、私は心の底から恩寵を信じ切れていないと思いました。私はそれを信じていると同時に、潜在意識など存在しない、人生とは不条理なものだ、だから自分が幸せになれない可能性もあると考えています。
今まで、小さく認識が変わる度に幸せを感じては長く続かなかったり、現実にすぐ振り回されるのはきっと信じ切れていないからなのだと思います。色々なメソッドをしたり、自愛をしたり、、潜在意識を信じてやっているつもりでしたが、心の底では信じ切れていなかったと思います。私は私の恩寵を信じる、安心して任せる。張り切ってやってみます!とか言いながらずっと疑いながらやっていました。笑
レスを頂けなかったら無意識にできているつもりになっていたと思います。あなたからのレスも恩寵ですね。ありがとうございます!

294幸せな名無しさん:2025/11/12(水) 22:29:14 ID:FE4/6EfE0
291です、気づきがあったので追記
快眠・快食・快便が最高の幸せ、と気付いてから食べた食事はとても美味しかったです
この状態で居ると願望実現のハードルが下がり目に映るもの全てが実現であると思えました
そして今日の気づきは「基本的な事を大切に」というメッセージだったのかもしれません

295幸せな名無しさん:2025/11/12(水) 23:22:22 ID:ljPtsyUQ0
>>293
スレ主さんほど的確で深いことは言えないので、余計なこと書いてしまったかなと思っていました。
一個人の体験でも誰かの気づきのきっかけになれたことは良かった。

私は世間的な尺度では決して幸福とは言えませんが、人生に後悔はありません。なぜなら自分が納得できる選択を続けてきたからです。
このように生きることで、恩寵を信じる気持ちは自ずと強くなっていくはずです。
「それ」はあなたを見捨てることはありません。
信じていたはずなのに強い疑いが起こった私も、今こうして立ち直っています。笑
スレ主さんの言うように最優先の願望に注力し恐れず進むといい。
恩寵があることを実感し自然に信じる気持ちも強くなっていくはずです。
そして心の奥深くにある「想い」は浮かび上がっては浄化され過ぎ去っていき、結果どんどん生きることが楽になっていく。
この浄化中のプロセスがきつかったりするんだけどね。笑

296幸せな名無しさん:2025/11/13(木) 13:07:08 ID:CUorPd9Y0
>>286
>>コンプラに引っかかったのかな?
それはないと思います、コンプラ違反ならまずスレ、レス削除が行なわれるでしょう
別のしたらば掲示板ですが特に何もしてないのに規制に引っかかる事はよくありました(私以外も)

297:2025/11/13(木) 17:02:53 ID:lWz71muw0
>>289
こちらこそありがとう。少しでもホッと感じられたなら良かったです。読解力がない、と言っていたけれど、そうではなくて、ちゃんと咀嚼(読もうと)してくれているからこそ頭の中でいろいろ動いているだけだと思う。笑

さて、「恋愛や結婚」の話。これも意識から見れば大きなテーマですし、実際にこれで悩んでいる人も大変多いところなので、もう少し地に足のついた話も混ぜながら書いていきます。
(例によって、長くなったから2回にわけます笑)

あなたの今の状況をざっくりまとめると、
婚活は10年以上やってきた。
アプリやパーティにも参加してきた。
もう正直疲れている。
でも結婚や出産の願いはまだちゃんとある。
恩寵に任せていいのか、それとも無理してでも婚活した方がいいのか。
だいたいこんな感じですかね。

まずお伝えしたいのは、自己探求型や真理探求型の人にとって「婚活がしんどい」のは当然だということです。
あなたがしんどいのは実は弱いからでも、甘えているからでもありません。ここから先は、私が普段身近な人に話しているような、少し変わった視点なので、合うところだけを参考にしてください。

さて、今の恋愛や結婚の意識フィールドは、昔のような「役割としての結婚」ではなくなっています。昔は、結婚は人生の通過儀礼、みんなするもの、男女の役割がある程度決まっている、レールに乗る感覚。こういう世界観が強かったわけです。

しかし、今は結婚は選択の一つ、さらに一人一人の意識レベルがばらばら、心の傷やトラウマがそのまま恋愛や結婚に出てくる。こういう「心の修行フィールド」のようになっています。

昔と比べて、条件やスペックよりも、「心のあり方」や「安心感」や「相手との意識の相性」の方が重く、真剣に扱われるようになってきた。だから、繊細な人や探求者型の人ほど、婚活という場に出れば出るほど、えぐられる。

なぜか?

探求型は、
・自分の心の動きがよく見えてしまう
・相手の心理のクセも読み取れてしまう
・表面だけの関係に価値を見いだせない
・ズレや違和感に敏感
・「本音」で向き合いたいタイプ
・嘘や駆け引きが実は苦手
このような傾向があるからです。

つまり、婚活のような、
「初対面の人と、短時間で条件判断し合う場」
は、探求者型にとっては、恐ろしく向いていない。笑

なので、もしかしてあなたがしんどいのもそういった理由があるからかもしれません。だからこそ、なんであれまずはご自身を責めないであげてください。

次に、よく聞かれるポイント。
「探求者型だから、恋愛や結婚の願望は叶いにくいのか?」結論から言うと、だから叶わない、ではなくてただ、タイミングとやり方が変わってくる、これが実態に近いと思っています。

今の時代の探求者の多くには、
・趣味や仕事や自己実現
・結婚や出産やパートナーシップ
・真理への探求や目覚め
・親とのテーマや過去の傷
・男女観や性にまつわる集合意識の浄化
こういったものが、全部ごちゃっと一つの人生に詰め込まれている人が多いです。

そして、人のエネルギーは限られていますから、それらをどう配合するかを決めているのが、私の言うところの恩寵です。
・どのタイミングで恋愛を入れるか
・どの相手との出会いで一番学べるか
・どの失敗が一番深い癒しと気づきにつながるか
・どの願望を通して成熟が進むか
・どの段階で「真理」のスイッチを押すか

などを、こちらの頭では到底計算できないレベルで組んでいる、人生設計のプロフェッショナル。なので、婚活に疲れきっている今のあなたは「休息と再構築の時期」にいる。
それでも願望が消えないのはそれが「縁のある願い」だから。
この二つが同時に成り立っている状態と言えます。

298:2025/11/13(木) 17:05:45 ID:lWz71muw0
>>289
つづき
では、ここから1番の本題。
「行動」はどうすればいいのか?
無理して婚活アプリやお見合いを続けるべきなのか。それとも、完全に恩寵任せで何もしない、というのもありなのか。
それは明け渡しなのか、それともまだその段階ではないのか。ここが一番迷うところだと思います。

私の結論はこうです。
どちらか一方ではなく、
・恩寵に任せる
・小さな行動を残しておく
この二つを同時にやるのが、今のあなたには一番合っています。

一つ目。やりたくない婚活を、無理に続ける必要はありません。あなたは強いけど同時に、繊細です。嫌だ、しんどい、と感じている婚活スタイルを、自分にムチを打って続けるやり方は、エネルギーを潰すだけになってしまう。アプリを毎日開いては疲れ、義務感でパーティなどに行っては消耗し「やっぱ私が悪いのかな〜」と自分を責める。このループに関しては一度やめていいです。

二つ目。
だからといって、「完全に何もしない」というのも違います。願いがある以上、「縁が通る道」を少しだけ開けておく必要があります。
恩寵は、こちらが扉をほんの少しだけでも開けた分だけ動きやすくなるからです。

そこで、今のあなたに勧めたいのが
「恩寵と小さな行動を組み合わせるやり方」
探求者型の人とは相性が良いスタイルです。

具体的には、
まず、素直に祈りや宣言をしてみてください。

「結婚や出産への願いは、確かに私の中にあります。どういう形で叶うか、どの道を通るかは、恩寵に任せます。私は、その時その時に自然に起きてくる行動や出会いに、はい、いいえ、と正直に返していきます」

こんな感じで、「正直な告白」と「お任せ」をセットで投げる。これが大きな枠組みです。
その上で、現実の行動は小さく残しておきます。

出会い・婚活アプリやお見合いに対して、毎日気にする必要はないです。万が一気が向いた日にだけ、少し覗いてみることが「起こるなら」覗こう。この程度でオッケー。
婚活イベントも、
1ヶ月に1回でも何か月に1回でも、1年に1回でもいい、とにかく「心身ともに負担が少なそうな場」だけを起こるなら、選びましょう。
出会いの流れは、気がいいとき向いたとき、いつもと違うカフェやお店に行ってみる。起こるなら趣味の場や小さなコミュニティを一つ増やしてみる。
親しい人に「結婚したい気持ちは普通にある」とだけ伝えておく。目の前に気になる人が現れて、喋ることが起きたら、喋ってみる。

そんなふうに、
「ご縁が来るなら、ちゃんと通れるように、
道だけ細く開けておきます」くらいの感覚で十分です。
がっつり戦いに行く婚活ではなく、
空気穴を開けておく、くらいのイメージです。

探求者型の人に限って、恋愛や結婚を通しての学びが、本番前の道場になることが多い。
なぜかというと、多くの人にとって、
恋愛や婚活のプロセスはほぼ必ず、

自己否定
無価値感
親との関係からくるテーマ
自分の中の男性性と女性性の偏り
「私は愛されないのでは」という物語

こういったエゴの根源的な原初の想念を浮き彫りにしてきます。それはそのまま、意識そのものの光によって照らされ、溶けていき、いずれ意識に安定するための、浄化のメニューになっています。

今のあなたは、まさに人生の橋の上を渡っている最中です。片側には「探求や悟り」の世界があり、もう片側には「人としての喜びや、結婚や出産、パートナーシップ」の世界がある。
そのどちらかを否定する必要はありません。
両方を含んだまま進んでいけるのが、
本来の「   」あなたです。焦る必要はありません。
けれど、願いをなかったことにしようとする必要もありません。そのままのあなたでいてください。ただ起きます。ご安心を。
長々と繰り返し語りましたが、なんとなく読み流してくれたらオッケーです。
これらは本当は、読解する言葉じゃなく、ただ起こるものですから。笑

299:2025/11/13(木) 17:12:47 ID:lWz71muw0
>>290
こんにちは。はじめまして。
見つけて読んで面白いと思ってくれてありがとう。真理探求って、じつは
「ワクワク・面白い・楽しい」このアトラクションみたいな側面と、「自分って何だ?世界って何だ?」というジェットコースターみたいなスリリングさが共存している、遊園地みたいなんですよね。笑

>去年ごろ、あ〜全部ただの思い込みやったんかぁと腹落ちし、楽になった

→それ、大きな気づきですね。
こういう瞬間って、本当に、ただ起きるし、起きたあとは自然と深刻性の魔法が解けていく。
ゆらゆら生きられるのは、探究の初期のご褒美みたいなものですね。
そして面白いのは、その楽になったあとに
「もう少し深く見たい」「この先は何なんだろう?」と、自然に気持ちが立ち上がる。
それこそ完全に、あなた自身の恩寵の動きなんですよね。

願望がそれを深めたい一つだけになっているのもすごく自然です。
必要じゃない願望は勝手に落ちて溶けていくし必要な願いだけが残る。
まさにその状態。
そして、新しいサイトも楽しみにしてくれてありがとうございます。ただ、正直に言うと制作スピードがいまのとこ亀です。笑
でも、じっくり整理して形にしていくので、気長に待っていてください。ココでも気ままになにかあれば聞いてくれて大丈夫です。このスレが少しでも、あなたが真理に帰還する、なにかしらの助けになれたら嬉しいです。

300:2025/11/13(木) 17:25:05 ID:lWz71muw0
>>291
あなたの言う通り、願いは繰り返し長く続いてるのに「決めるのが怖い」って気持ちはよくわかる。好き度が高いほど、決めた瞬間に同じ強さの怖さも出てくる。自然な反応です。
ただ、私はね、友人知人らを見ていてもやっぱり思うんですよ。

「純粋に好きなことを仕事にしたい人に対してどうしても、んーじゃあ、やったら?系の励ましの言葉にはなってしまう」笑
それが真剣でも軽い気持ちでも、それに関して止める理由、私は皆無。

理由は単純で、
他人も世間も社会も結局、
あなたの心の中でしか存在できないから。

批判も評価も嫉妬もぜんぶセット。晴れがあって雨があって雷が鳴る日もある。この身体、この心、この人生は一回きり。
全部まとめてワンセット。

それにね、仮にあなたの視点から、「輝いてる人を見てザワつく」のは、未来のあなたが漏れ出してるだけ。あなたの視点で「怖がりな人を見て苦しくなる」のは、過去のあなたの残像が揺れているだけ。(抽象的な表現だけど笑)

でもこれ、本当にそうなんです。
意識の中で たくさんの「他人の仮面」をつけたあなたが映画の登場人物みたいに動いていて、本当のあなたの視点から見れば、それらはひとつの夢のカケラにすぎません。本当のあなたは安全領域にずっと在る。

だから、私は最後こう言いたくなる。
やってもやらなくても怖さは起こるもの。
それをふまえてゆっくり時間をかけて、決めちゃえば?って。

私個人も、恩寵によって無意識の契約にサインした人間なのです。怖いけど、その怖さごと道なんです。

ただ、怖い感情が出てきたら、実際に挑戦する必要はなくて、まずは心の中でちょっと遊んでみてほしい。

「その怖さの最終的な恐怖ってなんだろう?」
「究極の失敗って何だろう?」
「また、もし最悪の恐怖が実現してしまったら、その先には何がある?」

たどっていくと、大抵は
「わからん・・けど、怖い」
これだけだったりするw

つまり、生理的な自己防衛システム。

それと、趣味だし、好きなことだからこそ準備して、モチベ高めて、提供価値のレベルを上げたい気持ちも自然。心の準備、身体の準備、スキルを磨く、タイミングを待つ。
どれも自然。これらもまた、ただ起こる。
でも、

「じゃあ準備っていつ終わる?」
「ショックを完全に避けられる日は来る?」

もちろん、これはマインドには・・計り知れない話です。
この答えを知ってるのは恩寵だけ。
そのため恩寵は決して焦らない、最適かつ、完璧なタイミングでしか起こさない。

さらにさらに、
身体が最優先だと気づきが起きたのははとても素晴らしい。
あなたが書いてくれた
「身体を満たしてあげるのが一番幸せ」
「今は快眠・快食・快便が最高」
これは大切なことです。
また、身体を意図的に雑に扱ったまま探求や願望実現をしてもうまくいきません。
(※ただし、恩寵によって起きる霊性的な肉体苦業はべつ)

ただ、一つだけ補足すると、真相は、
「身体の中にあなたがいる」のではなく
「あなたの中に身体がある」んです。

身体はこの人生に一度きりの大切な相棒。
大事にしていいし、喜ばせていい。
というより、身体の動きも、その人の潜在的傾向に合わせて、ただ起こるダンスのようなもの。
でも、あなたの本心から湧いてくる願いは
たとえ今は止まっていても
いつか、また立ち上がるもの。
あなたが言ってた趣味を仕事に〜の願望が変化するかもしれないし、そのままかもしれないし、まったく無理なく溶けて別の形を実現してしまうかもしれない。
それらはすべて恩寵の御心に委ねられています。

行為や、努力、これらは「やらされる」とか「頑張れ」という話じゃなくて、
ただ、本物の願いは放っておいてもまた浮かぶ。笑 それだけのこと。
逃げても逃げても追ってくる願いは、
縁のある願い。
恩寵があなたに通らせるルートなんです。

だから今は、
・身体の安らぎ
・心の静けさ
・探求の芽
・願望の残り火(情熱)
これ全部ひっくるめて、
流れに乗っていればいいだけ。笑

あなたの中の段階(マズロー)も自然に変わっていくし、決めることが怖くなくなったら、
また最適なそのタイミングにちゃんと決めればいい。急ぐ必要はまったくありません。
もろもろ、今は安心を最優先に。
ゆっくりでいいですよ。
急がば回れです。
あなたにとってのふさわしい天職・実現をお祈りします。

301:2025/11/13(木) 17:30:11 ID:lWz71muw0
>>292
201さん、お久しぶりです。
ずいぶん軽やかで、お元気そうで何よりです!笑
そして、ご自身の貴重な体験談まで書いてくださり、本当にありがとうございます。
このように、実際に恩寵に触れた人の言葉って、読み物というより、みなさんにとっての道しるべみたいな役割を果たしますね。
内側の恩寵に実際に触れると、201さんが書かれているような
「大いなる愛」「完全な愛」「恩寵」
こういうフレーズが、どうしても胸の奥から自然にこぼれてくるんです。
そして同時に「目に見えないもの」に向けて抱いていた疑いも、じわじわと溶けていく。

真理って、ときに人から、また世間から誤解・警戒されやすい領域でもあるんですが、
(「恩寵」や「大いなる愛」なんて日常生活でなかなか聞きませんからね。笑)
しかし、こういうリアルな体験談を押しつけでもなく、淡々と自然に聞くと、
「あれ?こういう目に見えないものって、
嘘じゃなくほんとにあるのかもしれない?」
「真理探求だと!?けど、どんなものなのかな?」って、誰かの心の扉がすこーしだけ開くんですよね。
201さんの話は、まさにその扉が開くのを優しく誘ってくれるものだと思いました。
恩寵を信じる大切さ、みなさんにも「熱」、
「質感」が伝わったはずです。

というわけで、201さんレスありがとうございました。また何か動きが起きたら、お気軽にレスどうぞ♪

302:2025/11/13(木) 17:35:03 ID:lWz71muw0
>>287
なるほど、そういうことだったんですね。
助かります。ネットの回線事情疎くて。笑
説明ありがとうございます。

>>288
はい。不思議なんだけど、なぜか色々変化が起こります。笑
ただ、そうなります。
これこそほんとに、摩訶不思議。

>>296
スレごと消されることもあるんですね!
なるほど。掲示板事情に疎くて。笑 
情報ありがとう。助かります。

303幸せな名無しさん:2025/11/13(木) 19:12:57 ID:i3CsBkko0
>>301
どうも、ただいまです。笑
余計なことしちゃったかなとも思ったので、歓迎されてホッとしました。

思い返せばあの当時、探求の門をくぐったばかりの頃、怒涛のように不思議も含め色んなことが押し寄せました。
重要な指針のほとんどは、あの頃に一気に与えられたと感じています。
そんな諸々、誰が見てるかわからない掲示板で簡単に出せるもんじゃなく秘めておきたい気持ちは強いです。
それでも292でチラッと出してしまいました。流れには逆らえません。むろん後悔もないです。
誰かの為になったなら、良かったんだと思います。

また何かあったら気軽にレスします!ありがとう!

304幸せな名無しさん:2025/11/13(木) 19:48:18 ID:ihW192nk0
>>299
返信ありがとうございました。
なるほど、確かに遊園地みたいですね笑

わたしの場合なのですが、その気づきの後、本当に全身の力が抜けたように楽になって朝起きた瞬間からまるでこどもの時のクリスマスの朝のようなワクワク感がしばらく続きました。
そこから少しまた探究の方に足を踏み込んだところ、更なる静けさと同時に世界がモノクロになったように感じました。その時点のわたしからは、あぁ今までなんてカラフルな場所にいたんやろう、悲しかったり怒ったり、あれもカラフルで綺麗やったなぁって謎の心境になり、あのままで良かったんやわ、戻ろう。と決めた途端にまた戻ってきた感じです。楽になった感覚は持ったまま元の場所に戻ってきました。
わかりにくくてすいません、文字にすると大変伝えにくいですね。
でもまた探究しようと思えたんです。
りさん、ありがとうございます。

305幸せな名無しさん:2025/11/14(金) 02:38:11 ID:GExIBqYE0
>>300
ありがとうございます。怖いなんて情けないと思っていたので
そう言って頂けて安心しました。そして怖さを深掘りしたら二つの事が浮上しました。
まず「仕事」について。過去に2職種(1職種は複数の職場)経験したのですが
仕事をするにあたり「こう在りたい、これを届けたい」という思いが有ったのですが
実際その職に就くと、↑そのように在る事が出来ず、心が疲弊しました。
大好きで大切な趣味の分野でも同じことが起こるかもと思うと怖いのです。
次に「お金」について。受け取りに抵抗があります。昔は作品の即売会に出店していた
こともあったのですが、特に年齢の低い参加者さんがお小遣いで買って下さることに
申し訳なさがありました。ある日、同じ分野で過去に大手だった人のツイートを見たら
「昔、小学生の子たちがお年玉を持って買いに来てくれて可愛かったなぁ」という旨が
書かれていて感覚の違いに驚きました。
今はインターネットもSNSも色々あるので無料で作品を見てもらえるので利用しています。
作品を簡単に商品化して在庫を持たずに販売できるサービスも今はネット上に複数あり
少し前に、ためしに登録して1つ販売設定してみたのですが、ユーザー数が多すぎてすぐに新着から
流れてしまったのと、自分の商品に値段を付けて販売しようとしている気持ち悪さに
耐えられず数時間で消去してしまいました。こう書いてるだけでも泣きたい気持ちです。
申し訳なくてお金を受け取れない、そんな人の商品を誰が買いたいと思うのか。
卵が先か鶏が先かじゃないけど無限ループです。かなり重い観念が浮上しました。

でもここに書き込む事により、自分の中での変化に気が付きました。自分の気持ちを
正直に書くことが出来ている事です。怖いなんて、快眠快食快便なんて、こんなことを
書いたら変かもしれない、失礼かもしれない、適当にごまかそう、と過去の自分なら
そうしていた気がします。りさんの真摯な返信のおかげです、ありがとうございます。

>身体を意図的に雑に扱ったまま探求や願望実現をしてもうまくいきません。
↑実は、すぐ雑に扱ってしまう所がありました。教えて頂き感謝です。
そして身体を大切にすると決めて早々に体調不良が起きてしまいました。
不眠、頭痛、食欲不振。ご飯が美味しくない。頭痛は薬を飲んでやっと快復。
本当に健康って大切ですね。

>「輝いてる人を見てザワつく」のは、未来のあなたが漏れ出してるだけ
↑この言葉がまさに輝いて心に灯がともる感じがしました。ありがとうございます。
未来に居たらいいな、その私はちゃんと受け取り許可出来ているのかな笑
そしてまた観念が浮上しました。「成功したら調子に乗って嫌な奴になってしまうんじゃ
ないだろうか」成功してもいないのに変な話ですね。でもどこかのパラレルにこの私が
いるのかもしれないと思うと、初心を忘れるなって叱りに行きたいです。
こう書いていると、なんか面白いですね笑
そう言えば少し前に「何で私のグッズがお店に並んでないんだろう」と思ったことがあって
いやいや何でそんな疑問が出てくるのさ、ただの素人なのに頭おかしくなったのか?と
思ったのですがこれもどこかのパラレルにいる私のイタズラなのだろうか笑
このバージョンの私はお金の観念を解消できている感じですね笑
でもなんかちょっと調子に乗っていそうだ…今のこの私が𠮟り飛ばしに行かなくちゃ笑

>逃げても逃げても追ってくる願いは、縁のある願い
↑そうだと嬉しいです!思考停止のメソッドを実践したりお休みしたりしているのですが
全ておまかせ、で手放そうとしても、これだけはどうしても駄目だったんです。でも

>まったく無理なく溶けて別の形を実現してしまうかもしれない
↑これが起きたとしても、それはそれでとても幸せなのだろうなと思いました。

今回頂いたレスも何度も読み返し大切にします。ありがとうございました!

306幸せな名無しさん:2025/11/14(金) 03:19:46 ID:GExIBqYE0
ふと思い出した。そういえば過去の職場で、全員プチボーナスが出る事になった、はずなのに
もらえなくて、まぁ私の評価が悪いからだろうな仕方ない、と思っていたんだけど
休み時間に近くのお店で靴が安かったので買い物して帰ったらそれを見た人に
「ボーナス出たから早速お買い物だね♪」と言われて、あれやっぱり普通にみんな
もらえてる?しかもボーナスは本社から出る(はず)なのでこの職場が損するわけでもないのに
私の分は申請しなかった?それとも私の分をほかの人にあげた??みたいなことがあった
お金受け取りへの抵抗がこんなところにも影響していた可能性。面白いなぁ笑

307JAM ◆TJ9qoWuqvA:2025/11/14(金) 06:02:41 ID:GFnkbze60
真理なんて探しても何処にも無い。
何故ならばその時、その場、その人が感じる問題課題そのものが真理だからだ。

〜 完 〜

308:2025/11/14(金) 09:31:10 ID:hJ2FgmAE0
>>303
おかえりなさい。はい、また、タイミングでどうぞ。
>そんな諸々、誰が見てるかわからない掲示板で簡単に出せるもんじゃなく秘めておきたい気持ちは強いです。
→はい、私もそれは強く同意します。笑

>それでもチラッと出してしまいました。流れには逆らえません。むろん後悔もないです。
誰かの為になったなら、良かったんだと思います。
→本当にそういうことなんですよね・・
起きてしまうんだから、仕方ない。笑
私の場合、スレ立てた1秒後に、さっそく後悔が起こりましたがw

309:2025/11/14(金) 09:34:16 ID:hJ2FgmAE0
>>305
>「仕事」について〜
→それなら、こう考えてみてはどうでしょう?
好きな趣味の仕事は「これを届けたい」というやりがいも出るけど、同時に疲弊したり怖さも出る。でも、嫌いな仕事でも「やりたくないことをやらなきゃいけない」屈辱感や怖さが出るし、逆に時にやりがいが出ることもある。
つまり、どっちにしても「快」と「不快」は出る。・・それなら「どっちを選ぶ?」
そんな感じで、ゆるくどうぞ。笑

>「お金」について。受け取りに抵抗があります〜
→たとえば「快眠快食快便」
これは、あなたが「受け取れている」から成立しています。寝る場所、食べる物、水、空気、全部受け取ってるから機能しています。
受け取ったら、何かしら形を変えて出す。
吸ったら吐く、吐いたら吸う。呼吸と同じサイクル。お金が「沢山入る人」は、沢山「吐き出しています」「その人にできる価値・提供」を出してる。だから入ってくる。そう考えると、お金に関してあなたは今「便秘か、快便か」どっちがいい?って話になります。笑
つまり、身体で学んだバランスを、心と世界にも広げてみても良さそうですね。
身体の「快眠快食快便」が大事だとあなたに気づきが起きたように、その視点を活かして「心─世界」も「快眠快食快便」にしていけるようにトイレの神様にお祈りしておきます。笑

>書いたら変かもしれない、失礼かもしれない、適当にごまかそう〜
→ うん。あなたはそのような「怖い」思いがわいてたけど、なぜかレスすることが起きた。
その原因によって、なにかしら私も受け取り、返信しました。そう、これもまた呼吸みたいですね。てことで、あなたは、怖い思いを抱えながらも何か出すことによって、「不快」な結果もあれば「快」の結果もあるということを事実上体験しました。「趣味を仕事にしたい〜」の件も、もしかしたら同じかもよ?

>成功したら調子に乗って嫌な奴になるんじゃ〜
→真のあなたである、「恩寵の流れに乗る」ことを「調子に乗る」と言いかえてもいいかもです。笑 そして時々くる「世界から、叱り飛ばされるような体験」は、あなたの観念浄化メソッドの取り組みが機能していないからではなく、実は恩寵が世界を通してあなたを鍛えてるのかもしれない。なぜ鍛えるか?あなたの本心は実はレベルアップしたいから。一見厳しいそれらの体験を通して深い浄化を通過して、あなたはどんどん怖さを知らない領域へと、進歩していくのかもしれない。だとしたら、後から振り返ったら、怖い体験も、あらゆる便秘も。
すべて愛の体験の一部だったのかもしれない。もちろん、これは私の妄想トークなので信じなくていいけど。笑 そんな感じです!

310:2025/11/14(金) 09:35:03 ID:hJ2FgmAE0
>>307
はい、そうです。究極的には真理も、真理じゃないこともすべてありません。また、時も場も人も感情も、終わりも始まりもありません。笑

311:2025/11/14(金) 11:49:56 ID:2F.wTeo20
>>304
こちらこそ。
というか、電波悪くて書き込みできてなかったー。 返信の順番が前後してしまい大変申し訳ないです。

>その気づきの後、本当に全身の力が抜けたように楽になって朝起きた瞬間からまるでこどもの時のクリスマスの朝のようなワクワク感がしばらく続きました。

→はい、見性や、一瞥が起きると人はそのような感想持つことあります。クリスマスの朝のような、とか。夏休みの初日みたいな、とか。
永遠の子供時代のような、とか。つまり、自由感と軽やかさと懐かしさのような、あれですね。

>そこから少しまた探究の方に足を踏み込んだところ、更なる静けさと同時に世界がモノクロになったように感じました。その時点のわたしからは、あぁ今までなんてカラフルな場所にいたんやろう、悲しかったり怒ったり、あれもカラフルで綺麗やったなぁって謎の心境になり、あのままで良かったんやわ、戻ろう。と決めた途端にまた戻ってきた感じです。楽になった感覚は持ったまま元の場所に戻ってきました。

→説明とても分かりやすいですよ。
つまり、あなたに起こったことは、
「悟り・目覚め・覚醒の一瞥体験」です。
いわゆる、「霊性との衝突」です。
また、私が真理探求のプロセスに入った導入口も、そういう感じの流れでした。
それは、「起きて」しまいました。
誤解を恐れずいうなら、あの記憶、その価値の素晴らしさは、決して忘れられない類ものです。なぜならその無条件さは、この世界に属してない種類のエッセンスだから。

たとえ、「個の私」に戻り、日常に集中しようとしても、たとえマズローでいうところの、
「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求(所属欲求)」「承認欲求」「自己実現の欲求」に意識を集中させ、忘れようとしても、
一度でも、一瞬でも、知ってしまったら、
やはり、以前の普通に集中できたときの感覚と比べたら、もう明らかに違いがでてしまうと思います。
「日常の段階」に意識を当て直しても、以前の「普通に集中してた時」と同じ感覚には戻らない。

それで、あなたはもう自分には探究するという「覚悟のようなもの」が備わってきた。

仮に、もし、その一瞥のとき、
そのままそれで居続けたら、どうだったか?
個としてのあなたは溶けてしまいます。
それにエゴは生き残りの正常な本能機能としてそれを、避けるか、また、つかもうとします。
しかし、そうしようとした瞬間に、
それは消えてしまいます。
そのため、一瞥になりました。しかし、一瞥はプロセスの過程で重要な「説得力」になり得ます。多くの探究者がそのようにして悟りを深め、エゴとの同一化を本格的に溶かしていきます。

ちなみに、いま、(もちろんここで答えられる範囲で結構ですが)何か瞑想や明け渡しや、観察──などなど、なにか修練(プラクティス)はやられていますか?

312幸せな名無しさん:2025/11/14(金) 12:42:02 ID:GExIBqYE0
>>309
有難う御座います。頂いたレスを読みながら「小さく生きたい」という思いが浮上しました
>恩寵が世界を通してあなたを鍛えてるのかもしれない
↑これに疲れてしまったみたいです。自分は幼い頃から頑張り屋さんだったと思います。
学校嫌いだったけど無欠席、習い事も逃げたかったけど長年続けてた、運動神経ないけど
縄跳びなら縄があれば努力次第で出来るようになるから二重飛びまで出来るようになった。
あと未診断ですが発達障害あると思います。親からも「すごくなれとは言ってない
普通で良いのにどうしてそれが出来ないのか」とよく言われました。普通の人がすぐ
できるようになることも何倍も時間がかかってしまったり、必死にやっているのに
ふざけていると思われたり。努力すればするほど空回り。人間関係なんかもそうでした。
頑張れば頑張るほど意地悪な人が寄ってきて意地悪される。もういいやとあきらめると
優しい友達ができる。仕事も頑張るほどミスをするし、ブラック企業やブラックチームに
配属される。解雇されて、あーもう面倒しばらくのんびりするわ〜ってゆるゆるしていると
次は良い職場に行けたりする。つまり自分から大きく動こうとするといつも大失敗。
てきと〜に、ゆるゆる〜で、何故か上手く行っちゃう。そんなこんなで、もう2度と
頑張りたくない、が本音です。ダイナミックじゃなくていい小さく楽に生きたい。
お金も小さく入って小さく出したいです。食欲も旺盛だけど本当は栄養のいいものを
少量摂って少量で満足したい。あと頻尿で困ってる、たくさん水分摂って沢山出てしまう。
幸せは、日常の小さな幸せを全力で味わいたい。小さく小さくがいいです。
旅行するより散歩で満足したい、花屋の花も良いけど雑草の花たちが可愛くて大好き。
だから趣味も小さく収まっているのかも。誰か一人でもいいと思ってくれたらいいな、
それに関しては確実に叶っている感じです。これじゃ趣味を仕事にはできない感じですよね。
自己PRも苦手でネット上のハンドルネームも1文字だけとか記号だけ、自己紹介欄は空白。
名乗るほどの者じゃないアピールできる事なんてない。SNSでの誰かとの交流も無し。
作品投稿に特化したSNSで静かに作品アップを続けているだけ、なのにポツポツと
見てくれる方や反応してくださる方がいるのは、自分にはもったいないくらいの
とてもありがたく嬉しい奇跡なのかもしれません。
しかし意識だけだった私は身体を持って生まれてしまった、それならば
身体を使って叶えられる望み、趣味を仕事に、も体験してみたいのは本音です。
だけどもう努力はしたくないのです、努力すればするほど空回り。
もう嫌というほど体験しました。
>「恩寵の流れに乗る」ことを「調子に乗る」と言いかえてもいいかもです
↑これはそうかもしれません、勝手にうまく事が流れていきます。しかし嫌なのは
恩寵をエゴが自分の手柄だと勘違いしてしまう事です。すべて恩寵なのに。
小さく生きていれば、恩寵ありがとう、天気が良いのも恩寵だね、お散歩楽しいね、
道端のお花が可愛いねという気持ちで生きていける。もう疲れたのかもしれません。
でも生きる。好きな漫画の続きが読みたいから、アニメ見たいから、グッズ買いたいから笑
願望は、少し種類が違うけど、好きなものに対して消費する側だけではなく、発信側にまわってみたいという
望みなのかもしれません。自分は小さく小さくがいいのに、この点だけは
相反する感じになってしまうのです。
ちなみに人付き合いも最低限がいい、昔からの友人が二人いるのでそれだけで大感謝。
でも滅多に会ったりはしない、交流も小さく小さくがいい、そんな感じです。
いつも丁寧なレスを下さりありがとうございます。どんどん気づきが出てきます。
時々行っている思考停止メソッドが逆効果、蓋になっていたのかもしれません。

313幸せな名無しさん:2025/11/14(金) 13:39:12 ID:8jUfEPnM0
>>295
とんでもないです!無意識を意識できることって、人に言われないと分からないこともあるので(特に私は多い)、私にとってはとても貴重なお話でした!
私は後悔ばかりの人生で、、でもこのスレに来て数日間で変化したように思います。本当にここに来てよかった!
私もあなたのように、恩寵を心から信じて生きてみようと思います。そう思えるとても素敵なお話でした。本当にありがとう。

314幸せな名無しさん:2025/11/14(金) 13:40:42 ID:8jUfEPnM0
>>297 >>298
ナマコさん!!凄いです!!私の知り合いかストーカーでもないと知り得ない私の人生や性格を言い当てられてびっくりしています!笑
おっしゃる通り、
・趣味や仕事や自己実現
・結婚や出産やパートナーシップ
・真理への探求や目覚め
・親とのテーマや過去の傷
・男女観や性にまつわる集合意識の浄化
これらの問題全部がごちゃっと詰め込まれていて、幼少期から悩みの多い人生でした。
これら全てのタイミングを私の恩寵に委ねていいのならそれこそ安心でしかありません。
今まで、こんなに人生がうまくいかないのは自分や自分のおこないのせいだと自分で自分を責めてきたので。。
全て自分が通る道だったのだと考えると、よく頑張ってきたなぁと、自分の事を褒めてあげたいくらいです。こう思えたのは初めてです。
「恩寵と小さな行動を組み合わせるやり方」凄く、凄く!しっくりきました。
どちらか一方のやり方だと、私は絶対に不安になっていたと思います。こんなに的確に、自分が取り組む前から安心できるアドバイスを頂いたのは初めてです。今までは色んな知識を重ねても、分かってるけど不安が付き纏う状態でした。
ナマコさんはこのスレを立てて、すぐ後悔したとおっしゃっていますが、私は立ててくれて嬉しいです。本当に感謝しています。ナマコさんに現実でアドバイスしてもらえる人が羨ましいくらいです!
私以外の方へのレスもとても参考になります。
まだまだ質問したい事が沢山あるぞ!と私のエゴが囁いてきますが、他にも沢山助けを求める方がいらっしゃると思いますので一旦質問は終わりにします。それに今はもう疑問を解決する事でなく、とにかく、恩寵を信頼して祈りをささげ、安心して流れに身を任せることが私のやるべきことだと感じでいるのでやってみたいと思います。本当にありがとうございました!これからもこのスレは見ていますので、陰ながら応援しています。また落ち着いたらコメントさせてください!

315幸せな名無しさん:2025/11/14(金) 14:18:19 ID:ynJ1kSLA0
>>311

ご丁寧な返信をありがとうございます。
こういう話をする人もいなく、初めて誰かに話せたのですが、大変有意義な回答をいただけました。さらに理解が進み、自分の状況を知ることができました。
そういうのがあるんですね。
おっしゃる通りで、確かに以前の普通に集中できたときの感覚とは明らかに違います。

今はゲームをする感覚に近いような感じで生きています。一見入りこんでいるんですが、中でのわたしはその入り込んでるわたしを(笑)のように見ている感覚です。無為自然という感じです。
瞑想はしなくなりましたが、退屈だなぁと思う時があるのでまたやってみようかと思っています。何かおすすめがあれば教えていただけますでしょうか?

316幸せな名無しさん:2025/11/14(金) 18:15:17 ID:QEw.AKZw0
>>313
無駄なおしゃべりにならず、そこまで喜んでもらえて良かったです。
ところで「恩寵」という言葉、スレ主さんに合わせてるんですけど、当時の私の感覚では「全てを見通し図らい大きく包み込む壮大で畏怖を感じさせる、でも安心して委ねられる何か」だったんです。(文字にすると長い!笑)
神といえば簡単なんだけど、形骸化し干からびた古臭い宗教を連想させるのであまり好きじゃないんですよね。(それに、ここは宗教板じゃないし)
はじめの頃のレスで、自然を我が師としてたことを書きました。でも遠い存在で深い結びつきはあまり感じてなかった。
20代の頃で、宗教嫌いの無神論者でした。禅には興味があったけど…。
自然の中で過ごす時間は長かったです。仕事でも熊の存在にちょっとビビりながら一人きりとかだったんで、一種の明け渡しが起こってたのかもしれない。
また黙々と山の中を歩くのは、図らずも瞑想になっていたようです。
そのおかげで「それ」への信頼が強まり、距離が縮まったのかも。直のきっかけは書物でしたけど…。
ほんと何故かストンと落ちるように信じたんですよね。こればっかりは不思議です。スレ主さんなら「恩寵です!」と言うでしょう。

「今はあまり信じられてないけど、信じたい」あなたにこの想いがあるなら素直に祈るといい。
心からの真摯な気持ちなら応えてもらえます。応えてもらえるまで諦めず祈りましょう。「どうぞ信じなさい」と優しく促す何かが起こると思います。
お墨付きが欲しければスレ主さんにお願いしてみましょう!

317幸せな名無しさん:2025/11/14(金) 20:06:32 ID:RR8doTps0
>>314
横から失礼します。

りさんのことをナマコさんと呼ぶのはやめませんか。りさんは、ご自身で名前の欄に「り」と入力されています。そのことは、尊重したほうがよいと思います。

318幸せな名無しさん:2025/11/14(金) 21:05:18 ID:nN5qyfZE0
>>317
314さんはどこかで、ナマコさんとお呼びしたくなりましたと言い、スレ主さんが、どうぞいいですよと返した場面がありましたよ。
親愛を込めて呼んでいるので私は不快に思わないし、スレ主さんも全然気にしてないと思います。

319幸せな名無しさん:2025/11/14(金) 21:41:15 ID:RR8doTps0
>>318

すみません。該当するものが見つけられませんでした。

>>81
>>96

のことでしょうか? 81は私が書いたもので、96では、りさんが一時的なものと書かれていたので、私はりさんと呼ぶことが適切であると判断しました。他に該当する投稿があり、見落としてしまっていたらすみません。

320幸せな名無しさん:2025/11/14(金) 22:09:26 ID:OPdZBl2.0
>>316
私も自然の中で過ごすことが大好きで、山の中を歩くことが結構あります!そして、そういう時に、言葉では表現できないんですけど、何も心配することなんて起こってないんだよなーという感じ?安心感につつまれる感じ?が腑に落ちることも何度かあります。ちょっとこの話が出てきてびっくりです。まさか私の自然好きまでもがこのスレにバレてるとは!笑
ありがとうございます。まだまだ疑問に思う事が沢山あるのですが、エゴの疑問は置いておいて、安心して私自身(恩寵)に身を委ねたいと思います。また良い経過をいつか報告できたらと思います!本当にありがとうございます!

>>317
ナマコさんって呼んじゃってもいいのかなー?でも私って分かりやすくていいかなー?ってもやもやしてたので言ってもらえてよかったですm(._.)m不快にさせてしまって申し訳ありません。また今後書き込むことがある際は気を付けますね。
スレ主さん不快に思われていたらすみませんでした!

321幸せな名無しさん:2025/11/15(土) 00:34:12 ID:gIK..8YA0
>>319
その>>81だったと思います。あなただったんですね。失礼しました。
スレ主さんが、そう(ナマコさんと)呼んでいいですよと答えられたと記憶してるんですが、さらっと探したところ私も見つけられませんでした。
多分私の記憶違いかな?
なんか引っ掻き回したみたいにしてしまって、お二人には申し訳なかったです。

ただ最後に、このスレの主旨を踏まえた見方なら、どうなのか?
一般常識としては、さすがにナマコ呼ばわりは失礼じゃないかとなるのはわかります。
ところが、そんな常識を優先的に持ち込む場ではないんですよね。むしろそれから自由になっていいとも言える。
私は全然気にならないし、スレ主さんはもっと気にしてないはずです。
きっとこのやり取り見て微笑んでますよ。もっと力抜いていいんです。

322幸せな名無しさん:2025/11/15(土) 00:55:59 ID:Q8lHin3s0
>>320
あなたも自然好きですか?
ここはスレ主さんが引っ張ってきた霊的エネルギーで充満してるから、いろんなことが繋がりますよね。
自然ってのは力が抜けてホッとする一方、エゴにとっては厳しかったりするの感じませんか?
人里離れた自然の中、ただ一人ポツンといると、天候や時間帯では恐怖なんですよね。
熊、何回か見てます。笑
そんな大自然の中では、日常では埋もれている深い自分の本性が丸裸にされて出てくるものです。
まさに修練になっちゃってます。
言ってみれば、本格的な探求に入る前にあらかじめ設定された準備段階だったと思います。

323幸せな名無しさん:2025/11/15(土) 08:40:09 ID:3Aryk3Os0
>>320
>>321

りさんは、ご自身の呼び方についてこだわらないかもしれません。しかし、youtubeで動画になりましたが、表現されたご自身の姿について言及されたり、こちらでも言葉や表現については、受け取り手に誤解されないように適切に伝わるようにとても注意されているように思います。そのこともあり、りさんとお呼びしたほうがよいと私は思いました。

324幸せな名無しさん:2025/11/15(土) 10:18:18 ID:OwODD1vw0
>>323
ええ、あなたの言われることは、ごもっともと思います。そして同じく親しみを込めた表現もありです。
掲示板という互いが見えず誤解を生みやすい場だからこそ、どちらかに偏ることはまずい。
一方が他方の在り方を認めず排除しようとする。エゴの世界で普段当たり前のように行われていることですね。
分断と争い。これはなぜ起こるのか?何がそうさせているのか?解決はどこにあるでしょうか?
私は思わず文字にしてしまいましたが、スレ主さんは沈黙しています。
これは静観ではなく、沈黙することで各々が自分の内に戻り自身の存在を見つめ直すことを促しているんです。
ということで、喋りすぎた私は黙ります。失礼しました。

325:2025/11/15(土) 14:54:03 ID:X5Fx.V5k0

呼び方についていろいろ気を遣ってくださり、ありがとうございます。
私はどちらでも大丈夫なので、自然に呼びやすい呼び方で呼んでいただけたら嬉しいです。

ナマコ呼びについても、気にしていません。
あの時期は本当にナマコのような状態だったので、面白く読ませてもらいました。笑

「り」という名前についてですが、これは仮の名前として書いていたものです。
今後は、もう少し自然な名前に変える予定があります。
なので現時点では、
りでも、あだ名でも、自然であればどちらでもOK
という形でお願いします。

みなさんの配慮や議論もありがたく受け取っています。
どうぞ力まず、気軽にやり取りしていけたら嬉しいです。

326幸せな名無しさん:2025/11/15(土) 16:27:54 ID:3Aryk3Os0
>>324
>ええ、あなたの言われることは、ごもっともと思います。そして同じく親しみを込めた表現もありです。

ですが、近年、学校でも会社でも親しみを込めた表現が問題になっています。私自身、長年苦しみました。

>掲示板という互いが見えず誤解を生みやすい場だからこそ、どちらかに偏ることはまずい。

互いが見えず誤解を生みやすい場だからこそ、本人が名乗っている名前を尊重したほうがよいと思ったのですが。

また、これからまとめサイトに掲載される場合にも、ナマコという名称が広がれば、本人の意思に反してその名前で掲載されてしまうことも考えてのことでした。

>一方が他方の在り方を認めず排除しようとする。

排除しようとは思っていません。自分の考えを述べたまでです。

>エゴの世界で普段当たり前のように行われていることですね。

おっしゃるとおりです。

>分断と争い。これはなぜ起こるのか?何がそうさせているのか?解決はどこにあるでしょうか?

人類がエゴの問題を克服する必要があると思います。そのためには、今回の場合は、他者ではなく本人の意思(名前の欄に「り」と入力されている)を尊重すべきだと思いました。

>私は思わず文字にしてしまいましたが、スレ主さんは沈黙しています。

自分は沈黙しているとは判断しませんでした。PC環境、通信環境のことを書かれていらっしゃいましたので。

>これは静観ではなく、沈黙することで各々が自分の内に戻り自身の存在を見つめ直すことを促しているんです。

その可能性もありますが。

327幸せな名無しさん:2025/11/15(土) 16:29:06 ID:3Aryk3Os0
>>325
りさん、お騒がせしてスレを汚してしまい、申し訳ありませんでした。

328:2025/11/15(土) 19:17:31 ID:X5Fx.V5k0
>>312
なるほど。あなたに伝えたいのは、二つのバランスを取ること(中道)です。

1. 世界が不完全であることには意味がある。

この世界や人生そのものが不完全なのは、あなたがいずれ「本来の立場」へ還るよう、最初から仕組まれているからです。
もし世界が完全なら、永遠に還ることを忘れてしまいます。

歴史上の帰還者たちは皆、世界の不完全性を静かに見切ったあと、自然と覚悟が定まり、呼吸のように 元の立場に戻っていきました。

そしてあなたも今、少しずつ意識そのものの立場を思い出しはじめている。
道端の小さな花に可愛さや安心を見出せるようになったのは、その成熟の証です。
あれは「無条件に私が私を愛した瞬間」でもあります。
努力して愛そうとしたのではなく、ただ自然にそうなった。そこに「ただ起きるもの」の叡智が詰まっています。

それは同時に、物質の背後にある霊性(存在・愛・全体性)に触れた瞬間です。
たとえ小さな芽生えでも、本物です。
そして、そうなったのは偶然ではなく、これまでのあなたの人生体験すべてのおかげです。

結果論として「すべて良かった」と言えるのは、この構造があるからです。
ただし、当時は苦しい、それで正しい。
「結果論」と「当時の体験」は分けて考えてください。

2. 真理探求を深めたければ、喜びを味わっていい。
真理探求をさらに進めたいなら、生の喜びを遠慮なく味わってください。小さくても大きくても、自然に湧くものでOK。
「ランチ、軽めでもガッツリでもお好みでどうぞ」くらいの感覚で受け取れば十分です。

大切なのは、これまで出会った
心・エゴ・人間関係・理不尽・過去の苦しみ
これらを「嫌うこと」ではありません。
嫌うことは、それにパワーを渡すことになる。
あなたが明け渡すべきは、そっちではなく、
道端の花から感じた「存在・いのち・霊性」のほうです。それが「本来のあなた」だから。

そして、すべてを無理に愛そうという、
「無理ゲー」をする必要もない。
心がどう動くかは「個人の心・エゴ」にはコントロールできません。その動きすら「ただ起きた」のです。

だから捉え方も「ほどほど」でいい。
ゆるくいきましょう。

人生は、あなたが本来の立場へ還るまでを見守る「夢・蜃気楼」のようなもの。
本来の意識に戻ったとき、すべてが完璧な流れだったと分かります。
あなたの人生に現れたすべての存在・出来事は、ただの役者たちです。
あまりにも演技が上手いから、つい没入してしまいます。嫌いな学校役も、親役も、ブラック企業役も、全部「あなたという意識」から出てきた仮の、あなた自身の姿。

エンドロールが流れれば、全員が同じ夢の劇団チームの仲間。
敵も味方もイリュージョン的現れだった。
血も悲しみも、真相的には流れていなかった。
その時ようやく、
「あぁ・・全部が私か」
と分かります。(※ただし、ここで指すところの″私″は、″個人の私″が「全部が私」と思うことではありません。個人の私もまた夢の劇団チームの一部です)

それぞれの現れの役割は、すべて個人のあなたと、真のあなたとの再会・回帰のために配置されていた。
その奇跡のような流れと神秘の妙が、最後に「祝福の絵」として見えてきます。
(・・ちょっとファンタジーな表現だけどw)

329:2025/11/15(土) 19:18:44 ID:X5Fx.V5k0
>>312
つづき
>時々行っている思考停止メソッドが逆効果、蓋になっていたのかもしれません。

そうですね。各人の潜在的な傾向や気質によって、メソッドには合う・合わないがあります。
あなたのように色々やってみて、自分に合うものを絞っていくパターンか、誰かからすすめられてやってみるパターンが基本です。
また、場合により突然メソッド自体をやめてしまうことも起こり得ます。それはそれでオッケーです。
気づきがどんどん出てくるのは、このコミュニケーション自体が「気づきの瞑想・気づきの呼吸」になっているからです。
蓋が外れ、そこから潜在的な思考が出てくる。また外れ、また出てくる。
意識の深部にそれらが浮かび上がるという仕組みによって、気づきそのものの深度が上がっていきます。

さらに素晴らしいのは、
エゴは力まず、自分で観察を「しよう」と努力をする必要がないため、「隙(スキ)」が生まれます。
そのため恩寵に突かれて、ポロポロ蓋が外れるのです。つまり、「エゴを出し抜く形式」に自然となっている。これは実に楽ですね。笑

また、発信したい気持ち。

これはあなた自身である恩寵に祈りましょう。ずっとその想いがあれば、最適なかたちでことが起きます。恩寵により不思議な自信がわいてくるかもしれません。
また、エゴの頑固な劣等感が溶けてくるかもしれません。気づいたら、なんか発信が起こっちゃうかもしれません。
また、一見変化のない日常の中で、静かな喜びが浸透し始めるかもしれません。

>勝手にうまく事が流れていく。しかし嫌なのは恩寵をエゴが自分の手柄だと勘違いしてしまう事です。すべて恩寵なのに。

うん、これ鋭い気づきだね。笑
ただ、順序があります。
まずは「個のあなた」と「恩寵」という二元の感覚から始まる。
その次に「恩寵がすべてを世話している」という全体性の視点が「個のあなた」に生まれる。

さらに自然に進むと、「エゴを嫌がるあなたさえ、恩寵によって起こされている」という視点になります。
そうなると、あなたの人生も思考も行為も、恩寵が起こしているということになる。
私が返信していることもそう。全体含めてただ起きている。
ここでも恩寵がコメントをし、恩寵が返信しているのです。また、スレッドの観察者の方々もまた恩寵です。

さて、「すべてが恩寵」ならば、あなたも、エゴを嫌がるあなたも、その手柄だと勘違いするエゴさえも、恩寵の流れの中で起きている現象ではないでしょうか。
「全体と細部の流れは同じ全体じゃないでしょうか?」
それこそ、付属物のない意味での「すべては恩寵」です。

「すべて恩寵の流れ」それだけ。以上。

・・こうなると、「あなた」も、「私」さえも、その中に溶けてしまいましたね。

ところで、「エゴ」って一体なんことでしたっけ?笑

みたいなね。笑

330:2025/11/15(土) 19:20:34 ID:X5Fx.V5k0
>>314
言い当てられたって、なんかまるで占いちゃんねるみたいで、笑えますね。
これぞナマコ・マジック!笑
いやいや、冗談。

これぞ、いわゆる→「恩寵の働き」です。

>全て自分が通る道だったのだと考えると、よく頑張ってきたなぁと、自分の事を褒めてあげたいくらいです。こう思えたのは初めてです。

→それは、なによりです。
個の自分は、あなたである意識からしたら、勇敢な冒険者であり、永遠のパートナーであり、最愛の子供みたいなものですから、ほんとうは徹底的に癒さて良い存在です。

>ナマコさんはこのスレを立てて、すぐ後悔したとおっしゃっていますが、私は立ててくれて嬉しいです。本当に感謝しています。ナマコさんに現実でアドバイスしてもらえる人が羨ましいくらいです!

→ありがとうございます。起きてしましたが、
そう言ってもらると励みになります。

>それに今はもう疑問を解決する事でなく、とにかく、恩寵を信頼して祈りをささげ、安心して流れに身を任せることが私のやるべきことだと感じでいるのでやってみたいと思います。

→はい、その決意の中で浄化現象も起きますが、
「仮に安心に見えない状況の中で、それでも変わらずあるもの、それが真のあなたであり、安心そのものの立場であり、幸も不幸も超えた、不変のあなたです」
難解な言葉ですが、
婚活中でまたモヤモヤとストレスに挫けそうになったら、ぜひ思い出してみてください。笑

>また落ち着いたらコメントさせてください!
→はーい、ぜひぜひ。
またタイミングでお気軽にどうぞ。

331:2025/11/15(土) 19:22:35 ID:X5Fx.V5k0
>>315
>今はゲームをする感覚に近いような感じで生きています。一見入りこんでいるんですが、中でのわたしはその入り込んでるわたしを(笑)のように見ている感覚です。無為自然という感じです。

なるほどなるほど。
あなたの今のテーマ(課題)は、次の二つの問いに集約されます。

「行為者とは何か?」
「誰が見ているのか?」(観察者とは何か?)

つまり、あなたはすでに 感覚としてそれを知り始めている領域に入っています。

では、その「感覚として知る」ということは、
何が成立しているから可能なのか?
なぜ、その感覚のまま ″それを知れる″のか?
ここが、今後のヒントになる部分だと思います。
(抽象的な表現ですが、この方向で見ていくと、いずれ腑に落ちてきます)

>瞑想はしなくなりましたが、退屈だなぁと思う時があるのでまたやってみようかと思っています。何かおすすめがあれば教えていただけますでしょうか?

まず、この「退屈」という感覚は、言いかえれば、エゴのアイデンティティが純粋意識へ移行する時に起きる 「通過儀礼」みたいなものです。

退屈が湧くのは自然で、必要なプロセスです。
退屈とは、
エゴが来るべき時を察知して、
整理し、消化し、従来の在り方から真の立場へ移るための 「お別れの儀式」
心の準備をしているようなものです。

この期間の長さは人によって違うため、
「これをやるのがベスト」とは言い切れません。

むしろ、
起こることすべてが、そのままあなたの修練(プラクティス)
と言ってしまって良いくらいです。
瞑想については、あなたの気質によって、
自然とまたやりたくなる時が来るかもしれませんし、逆に、日常そのものが瞑想になっていく
という流れもあります。

瞑想の話に本格的に入ると、かなり深く・広くなる分野なので、笑
そこはあなたの今後の流れにあわせて、少しずつ話していきましょう♪

332:2025/11/15(土) 19:24:35 ID:X5Fx.V5k0
>>316
>当時の私の感覚では「全てを見通し図らい大きく包み込む壮大で畏怖を感じさせる、でも安心して委ねられる何か」だったんです。(文字にすると長い!笑)

→おっしゃるとおり、
文字にすると長くなりますね。笑
「畏怖」というのも、実に重要な表現なので、またタイミングでテーマに取り入れてさせていただきます。

>神といえば簡単なんだけど、形骸化し干からびた古臭い宗教を連想させるのであまり好きじゃないんですよね。(それに、ここは宗教板じゃないし)

→ほんとそれです。
まさに、神のために、(神を想うからこそ)
神という表現を慎重に取り扱わなければなりません。笑
神という表現がしっくりくる人にとっては、
恩寵もメソッドもさして重要視する必要ありません。
「ただ、神を想う」もうこれができるなら、
私は何も言うことありません。笑

また、神についての話はほんとは、とても楽しく心に優しい。エゴの苦行的浄化の「心の痛み」や「トラウマ」を大幅にほぐしてくれる素晴らしい作用もあります。
しかし、これまたタイミングですね!

333:2025/11/15(土) 19:26:34 ID:X5Fx.V5k0
>>327
いえいえ。呼び方についていろいろ気を遣ってくださり、ありがとうございます。

「名前」「呼び名」というテーマは、確かに大事で、私自身も考えさせられるところがありました。
仮のつもりで「り」と書いていましたが、この一文字表記は、いずれ早めに変える必要があると感じています。笑
というか、ここで、ここまで深い会話に発展するとは予想していませんでした!

今後、「潜在意識」の話を超えて、恩寵・神・哲学・宗教など、より深い真理テーマを扱ってともに探っていく可能性があるなら、またこのスレを超えて場を広げていくなら、
「り」という記号のような呼び名は、印象が悪く見えたり、誤解のもとになるかもしれません。

あなたの言われたことは本当にその通りで、私自身もその点は懸念しています。
なぜなら、正確には私が呼ばれる名前というより、私が名乗るその名前によって、
受け手の探求者の「恩寵・神・本来の自己への信頼のモチベーション」に少なからず影響するからです。

もちろん、すでに私を知ってくれている方には問題なくても、
これから触れる探求者の印象を考えると、もっと自然な名前に変える必要がありそうです。
自然な名前があれば、それを土台に、あだ名や愛称も無理なく成立します。
(「ナマコ」でも「ウツボ」でも。笑)

それと、みなさんも思われているかもしれませんが、掲示板はレス番号やIDが頻繁に変わるので、誰がどの書き込みをしたのか、また正確になんて言っていたか、分かりにくいですね。固定アカウントやハンドルネームがないので、時間が空くと、流れや情報も曖昧になってしまいます。
掲示板の良さは、匿名でありながら、質問や発言に対して私が反応できるところですけど。
今作っているサイトは私が一方的に書く形式で、かなり進みが遅い。

恩寵的な視点で言えば、

「真理には誰もが触れていいけれど、
不特定多数へ一方的に発信するのは慎重にすべき。
各個人の段階に合わせ、プライバシーの尊重がある状態で現時点の個人の関心テーマに沿って話すほうが、誤解が少ないし浸透がスムーズ。だから、プライベートに話せる場も必要になる」という見方です。

つまり、
・誰もが気軽に参加できる場
・個人的に深い話ができる場
この二つは分ける必要があると感じています。
以前にも書きましたが、シフト後の私の関心は、
真理探求に入りはじめた人、これから入る人への「励まし・フォロー・遠回りの防止」が中心です。それ以外は、本当の意味ではやることがないと言っていいくらいです(生活は一生懸命しますが)笑

なので、サイト制作に時間がかかっていることもあり、
「この掲示板以外にもっと適したプラットフォームはないか」と模索しているところです。

最後に、本名を出すつもりはありません。
(リアルの知人友人にシフトした的な話をしていないので、私生活への影響は避けたいのが理由です)
ただし、自然な流れで、いずれ最低限の信用問題のため、またスムーズなやり取りのために、顔や声を出す(大々的じゃなくても)という形になるなら、それはそれで構わないと思っています。本名とは別の形で、表に立つ方法はいくらでもありますし、前誰かが書いてたようにサングラス姿もありかもですしね。笑
ただ、それらは必要なら、またタイミングが整ったときに自然に決まるものかなと思っています。というわけで、呼び名の問題ひとつとっても、意外と深いテーマで面白いですね。
そんな感じのご報告です。
ではでは、また!

334幸せな名無しさん:2025/11/16(日) 00:05:37 ID:w0UGBL2Y0
>>332
316にまでコメントしていただいて、ありがとうございます。
「神」という言葉、本当を言うと>>292の体験談の時期は普通に使っていました。
強い繋がりを感じていたその頃は、それが自然でした。4年間くらいでしょうか。
「それ」を想うだけでひっそり涙する、そんな事がよくありました。(最初の2、3回は号泣に近かった笑)ほとんど誰にも話したことのない秘めていた記憶です。
あなたの言う通り、もうこれで十分という感じでした。
その最初の3、4年のうちに一気に覚醒までいかなかった理由、なんとなく分かってるようでよく分かってない。
更に10年後に覚醒に近づいた時も、もう一歩が足りない感じ。
このプロセスというかエッセンスというか質の違う2回が同時だったら申し分ない感じがする。
そこのところの深く重要な質問をするのに適切な場ではないのが、もどかしいです。
いや、回答を聞いたところで役に立たないか、聞いてはいけない気もします。

私のグルは身体的生命は私の生前に終わっていて、生きてはいますが、直接の言葉は聞けません。
そして何年も彼のもとを訪ねることが出来ていないため、あなたとの出会いは恩寵そのものでした。
どこか別の適切な場面で御縁があれば、核心の質問をするかもしれません。
このスレが続く間は、読んだり時に軽めのコメントしたりしたいと思います。

335:2025/11/16(日) 01:28:45 ID:LHil3TSU0
>>334
>「それ」を想うだけでひっそり涙する、そんな事がよくありました。(最初の2、3回は号泣に近かった笑)ほとんど誰にも話したことのない秘めていた記憶です。
あなたの言う通り、もうこれで十分という感じでした。

→私が動かされているのも、あんまり大きい声で言えないけど、ただ、そのためです。
つまり、その瞬間を切り取っていえば、
私とあなたのそれは、1000回会って、
1000回、何かものを語るよりも、もうその一瞬のそれで、分かり合えてしまうのです。

神を想うことが起こってしまう。
神を想い、涙が大洪水のように自然に流れてしまう。
それで、じゅうぶんです。
それは、個人の私たち、にできる最大の仕事です。

気の遠くなるくらいの長い時間、
幽閉された私たちの潜在的なおびただしい数々の記憶や闇体験はそれで、「あぁ、良かった」と、
ただ、その一瞬の抱擁で、帳消しになってしまう。(エゴは決してそうは思えなくても)
なんと、泥だらけの闇夜からの、
復活・ミラクルでしょうか!

言語化すると気狂い・綺麗事の、
陳腐な発言になりますが、
二元の世界でこれ以上の語るべき価値のあることや、奇跡はありますか。!?
誤解をおそれずいうならば、これを読んでる、そこのあなたの中にも、また、数万人の呻き声があり、その一瞬抱擁によって、なぜか全員、癒され、救われてしまうのです。

・・これ以上、話し合っては。
これでは、あなたのおっしゃるとおり、
神はただエゴの取引の手に堕ちてしまいます。そのため、これは、秘められた神と書いて「神秘」として、隠されながらも、
探求者たちの未来の最大の奇跡として待ち構えられているのです。

私もまた神に狂った人間です。
1000億円より、ハーレム宮殿より、
世界中の人から尊敬され承認されるより、

「いらない。ほんとの故郷に帰る」

と、神を選ぶことが「ただ」起きてしまった人間です。「あげるから、おいで。ほら欲しいでしょ?」

「ほら、これもあげる。こんなのものあるよ?
ほら、おいで、おいで。とっても気持ちいいよ」

「いらない。ほんとの場所に帰る。あなたはあなたの場所にお帰り。私は元いた世界にかえる。じゃあね」

こういったプロセスがはからずとも自動的に起きてしまいましたw
エゴの私は全エネルギーを使って、とことん神や真理を否定しましたが!笑
だってエゴにとっては、まったく理解できない、なんの得もない話ですから。
しかし、最後に、偽りは真実には勝てませんでした。

>そこのところの深く重要な質問をするのに適切な場ではないのが、もどかしいです。
いや、回答を聞いたところで役に立たないか、聞いてはいけない気もします。

→そのとおりです。
私があなたに伝えるのは二つだけ。
二元の現れの中で、「神」の演技、戯れを忘れないこと。そして、神という「純粋意識」を味わいつくしたあと、神のためにいずれ、神を食べること。飲み込むこと。
最後にはすべてを超えていくこと。
それは、決してあなたには「やる」ことができません。
ただ、起こります。これは最後の恩寵の話です。

でもそれは、最適なタイミングで起こります。
私の役目は、「大丈夫です」とお伝えするだけ。なんで大丈夫か?
その理由はあなたの中のそれが、すでに答えています。

>私のグルは身体的生命は私の生前に終わっていて、生きてはいますが、直接の言葉は聞けません。
そして何年も彼のもとを訪ねることが出来ていないため、あなたとの出会いは恩寵そのものでした。
どこか別の適切な場面で御縁があれば、核心の質問をするかもしれません。
このスレが続く間は、読んだり時に軽めのコメントしたりしたいと思います。

→貴重なお話ありがとうございます。
神のお話がこうして少しでも交わせて嬉しかったです。
読んだり、軽めのコメント、大変助かります。笑

追伸。ちょっとさっき知り合いと飲んできたこともあって、少しテンションが。たかいかも。笑
変な表現してすみません。笑
大人しく寝ます。みなさま良い夢を。
また夢の中で会いましょう。
おやすみなさいzzz

336幸せな名無しさん:2025/11/16(日) 01:57:10 ID:kp2hxkQ20
このスレの最初の方で書かれていた話と関係あるかもしれないと思ったので書いてみます。

一時的な短時間、短期間の経験ですが、世界が消える、認識が消える(止まる)経験をしたことがあります。

10年以上前のことですが、絶望して生きる意志を完全に失ったことがありました。

午後だったと思いますが明るい時間に公園のベンチかどこか外でひとり寝転がって空を見上げていて、目を開いた状態で世界がスーッと消えていき、認識も消えました。

どのくらい時間が経ったのかわかりませんが、世界が再び現れ、認識が戻ったときには夜空に星が見えていました。

意志が少しだけ復活していました。

その頃、朝目覚めるときに意識が戻ってきて、記憶が意識に読み込まれる瞬間、ある言葉が再生されたと思ったら、今まで見たことがない世界が出現しました。驚いて思わず声を上げてしまいましたが、声を上げた瞬間、その世界は消え、いつもの世界が現れました。

世界の見え方は、意識内に読み込まれる初期設定によって変わる可能性があるのだと思いました。

同じ頃、日中、視覚映像が消えてしまい、意識と清らかで細かい精妙なエネルギーだけの世界だと感じ、見えていることがありました。微粒子状のエネルギーが、まるでドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人の身体の周りに生じるエネルギーにも似た状態で見えていました。

それはマトリックスの緑の文字列が落ちてくる映像と似ている部分があり、世界の実体がエネルギーの微粒子であったような感じでした。

一時期、そのように見え、自分も単なるエネルギーであり意識だと感じていて、今では見えはしませんが、身体がわずかですがそのように感じることがあります。

337幸せな名無しさん:2025/11/16(日) 02:33:20 ID:qv15mPf20
>>328-329
>個人のあなたと、真のあなたとの再会
↑この言葉を見て驚きました。まさに昨日、久々に本当の私に会えたからです。
数年前、本当の私に助けられ、パニック発作が治りました。電車内で大きめの発作が
起きた時、怖い、私ではどうする事も出来ない、助けて潜在意識!と思ったら大きな私が
イメージの中に現れ、優しく抱きしめてくれて、体の呼吸が楽になっていきました。
大きなお母さんみたいな私が、小さな子供みたいな私を、愛で優しく包んでくれている
その感じが心地良くて、気付いたら眠ってしまっていました。
そしてそれ以来、発作は起きなくなりました。

本当の私はいつも傍に居るとは思うのですが、はっきり出てきてくれたのは久々です。
個の私が「願望成就が椅子取りゲームみたいなものなら他人に譲る、私は床に座る」と
思ったら、「望みがあるなら叶えさせてあげたいなぁ」と聞こえてきたので
えっ?と聞き返すと本当の私が居て、個の私が笑顔で椅子に座っているイメージが浮かんで
涙があふれて止まらなくなりました。
本当の私は、大きな愛で包んでくれる、大きな大きなお母さん。個の私=子の私は
その無条件の大きな愛にふれると安心して泣いてしまう赤ちゃんのようになってしまう。

大きな私によると願望は、例えば「娘ちゃんの大好きな美味しいものを
食べさせてあげたいんだけどお皿がなくて今は料理を出せない」そうで
お皿って何?と聞いた所で交信が途切れてしまった。
個の私は考えて、お皿=土台?基礎?うーん、料理に対してお皿と言えば
ここに料理乗せてね♪って感じの…受け取り許可?と思ったところで
「そう!今のあなたはお皿を床に叩きつけて割って踏んで破片でケガして痛くて泣いてる」
って返答が来た。ちょっと本当の私、その言い方キツイよ!笑
じゃあお皿をプラスチックにすればいいのかも?プラスチックのお皿は陶器より軽いから
かるーく「ここに乗せてね♪」と出したら良いのかな?と聞いたけど
もう返事は返ってきませんでした。本当の私を感じられなくなったので
還りたい、還りたい、大きなお母さんみたいな私の中に還りたいと、それしか
考えられなくなっていたのですが、りさんからのレスを読んで心がこちらへ戻ってきました。

>各人の潜在的な傾向や気質によって、メソッドには合う・合わないがあります
↑私には大嶋信頼さんの「心に聞く」が一番合うようです。潜在意識に問いかけて
返答をもらうものですが、自分では思いつかないような返答が返ってくるけど
その通りに動いたら良い事があったり、本当の私に会えてパニックが治ったのも
心に聞く、の恩寵だと思っています。そして
>このコミュニケーション自体が「気づきの瞑想・気づきの呼吸」になっている
↑りさんとのレスを通じて、また本当の私に会えた事、とっても嬉しかったです!
しかし、本当の私を思い浮かべただけで、還りたい還りたいの還りたい病みたいに
なってしまいました。お母さんと離された子供のような気分です(本当はそばにいるのに)
こうなってしまうから本当の私の存在が、普段は隠されているのかな?とも思いました。
還りたいに気を取られてプラスチック皿を手から放してしまった気分です。
(でも割れない安全、何枚でもあるはず!)
そして小さな願い事ならサッとお皿を出せるからちゃんと料理をもらえていたみたいです。
遠慮しているんだろうか?本当の私も私なんだから遠慮はいらないはずなのにな〜。
あ!ピンチの時に必ず助けが入るのは、考える間もなくお皿を出していたからかも!
りさんのスレに出会えたのも、きっとお皿の恩寵です!

いつも丁寧な返信を下さり本当にありがとうございます。
りさんの言葉は、とても素敵な恩寵のシャワーのようです。
今回頂いたレスも何度も読み返して気付きを深めていきたいと思います!

338幸せな名無しさん:2025/11/16(日) 05:09:00 ID:qv15mPf20
久々に心に聞くで遊んでみた。趣味の案をちょうだいと聞くと、言葉で返答があった。
でもイメージができなかったので、イメージを教えてと聞くと私の作風でデザイン画が
浮かんだ。しかし一部が不鮮明だったので、ここの詳細は?と聞くとすぐ鮮明になった。
下の方が切れていたので、ここから下の部分は?と聞くとそれも付け足された。
↑脳内のこれを私がなぞって描けばいいだけなんだけど、今じゃなくてもいいかな。
イメージ画だけ覚えておこう。忘れるかもしれないけど、また聞けばいい。笑

339幸せな名無しさん:2025/11/16(日) 06:54:42 ID:kp2hxkQ20
>>336に書いたような経験をする少し前に起こったことを書きます。長文失礼します。

小学6年の頃から中学高校にかけての疑問は、自分とは何か世界とは何か、自分はどこから来てどこへ行くのかということで、これらの疑問は折に触れて繰り返し生じていました。

20代のある日、ある人から今やっていることを続けるかとたずねられ、続けると答えた夜から子供の頃からの記憶が想起され始めました。そして、自分は納得のいく人生を歩んできたのだと思うようになり始めました。

しばらくして別の人に存在理由をたずねたところ、「ない」という答えが返ってきて、なぜか納得し安心しました。

それから想起され始めた幼い頃からの記憶が、甦ってくるだけでなく消えていくようになりました。そしてそれは自分の過去から現在(その当時の現在)へ向かい、どんどん甦っては消えていきました。

過去の記憶が一つ甦って消えていくと自由になりました。自分を縛っていた一つの価値観から自由になっていく感じでした。しかし、その価値観は自分を拘束すると同時に生きていく土台の一つであり、生きる方向性を示すものともなっていました。そのため、自由になり解放感を感じると同時に不安や恐怖を感じました。

記憶が甦っては消えていく現象は、24時間、起きているときも寝ているときも続きました。恐怖や不安を感じていましたが、それよりも自由になりたいという欲求が勝りました。自分を壊すことに夢中になりました。

そうして何ヶ月か経ち、想起される記憶が現在の自分まで追いついた瞬間、音が意味がある音としても単なる音としても同時に聴こえていました。見える世界も意味があると同時に単なる映像とも化していました。思考も感情も記憶も同様です。映像も世界も他のものも変わりませんでしたが、ある意味、消えてしまいました。

長年、おうちに帰りたいと思ってきたのに、帰るところなんてなかったんだとも、ここが帰るところだったんだとも思いました。長時間、泣いていました。

気づいたら、エネルギーがこんこんと湧き出ていました。自分の中から、この意識のなかから。

世界も自分も消えてしまったと感じましたが、自分は意識と意識内に生じる視覚を中心とした五感、思考、感情、記憶、身体、エネルギー等々、丸ごと一個全体としての自分なんだと思いました。

すべては終わったと感じました。

その後、336に書いたようなことが起こりましたが、しだいに恐怖を感じ始め、エゴまみれ不足まみれの自分に戻ってしまいました。

世界は自分を絶対的に否定していると感じる部分があり、存在しているだけでも必死、生きているだけで精一杯という状態が続きました。

そして、その後、紆余曲折を経て本やネット上の記事でですが、エックハルト・トールを知って実践して世界が存在していないと感じる状態から在ると感じる状態に少しずつなり、テラワーダ仏教、マインドフルネスを知り、そして潜在意識の達人たちの存在を知って、悟りよりも認識の変更が楽しそうだと感じ、認識の変更をしたいと思うようになって願望実現も目指すようになり、今こうして、りさんに出逢っています。

340:2025/11/16(日) 12:20:12 ID:LHil3TSU0
>>336 >>339
はじめまして。こんにちは。
貴重な体験談を書いてくださってありがとうございます。(長くなったので2回にわけます)

>一時的な短時間、短期間の経験ですが、世界が消える、認識が消える(止まる)経験をしたことがあります。
絶望して生きる意志を完全に失ったことがありました。

→なるほど。とても大切なお話です。
体験者(個人の「私」)が残ったまま、
純粋意識を超えた領域に触れると、その出来事は

「虚無を体験した私」
「私は虚無を体験した」

という形で、体験の記憶として残ります。
その結果、本来は
「私」も「世界」も含めて一気に飛び越えたジャンプだったものが、
「絶望の記憶」として「個人の私」に引き取られてしまうのです。
その体験そのものが、「個人にとっての恐怖の対象」になってしまうわけです。

>世界の見え方は、意識内に読み込まれる初期設定によって変わる可能性があるのだと思いました。

→世界は本来「流動するもの」「変化し続ける対象」です。つまり、

変わり得るものは、すべて「対象側」
です。だからこそ、真理探求の道筋としては、
不変の主体=「存在・意識・気づき」に立ち戻り、

「私はこの個体そのものだ」

という同一化の錯覚を、少しずつ溶かしていく必要があります。
ここを通らずに一気に超越してしまうと、

無・虚無・絶対的な闇
といったものを、そのまま「個人の私」が「体験者」として持って歩くことになります。
それが、いわゆる「魔境」です。
(※これは多くの探求者が、期間の差こそあれ、大なり小なり通過するものです)

なぜなら、それらはすべて「対象」だからです。

私たちが本当に用があるのは「主体の側」、
さらに言えば、「主体と対象」という二元さえも超えた「最奥の主体」です。

>同じ頃、日中、視覚映像が消えてしまい、意識と清らかで細かい精妙なエネルギーだけの世界だと感じ、見えていることがありました。
微粒子状のエネルギーが〜世界の実体がエネルギーの微粒子であったような感じでした。

→その体験自体には、確かに価値があります。
「世界は心の投影であり、夢のようなもの」
ということを、頭の知識ではなく、体感として一度つかんだ、という意味ですから。
実際、一切の心が完全に停止したら、文字通り「世界」も消えます。

ただし、そのときでさえ、
「世界が消えたことを知っている認識者」
が、同時に消えていなければ、「世界が消えた」ということすら分からないはずです。

つまり、「エネルギーの微粒子があった」「そう見えた」
と知った認識者は、消えずに残っていたわけです。
なので、私があなたにおすすめしたいのは、
その体験を真理探求の過程で起きた一つの神秘体験として、
「なるほど、世界って意外と曖昧なんだな」
と消化してしまい、
過去の一つの出来事として、そのまま棚に置いておくことです。
人によって、そういうエネルギー的・粒子的な見え方が起こることは確かにあります。否定はしません。ただ、その方向の探求は、どうしても「世界(現象)の探究」
になっていきます。
夢の中で、夢の仕組みを延々と研究しているようなものです。

私がここで言っている「自己探求・真理探求」は、世界が何でできているかではなく、
その世界を知っている「気づき」そのもの。
そして、普通の現象・日常の出来事・ときに起きる神秘体験を含め、あらゆる現象を成り立たせている「背後の下地」のほうです。
いわば、スクリーン側のほうですね。

341:2025/11/16(日) 12:21:33 ID:LHil3TSU0
>>336 >>339
続き。

ここから少し核心に入ります。

「絶望したのは誰でしょうか?」

真のあなたは、絶望も希望も抱けません。
なぜなら、絶望も希望もすべて
「心・マインド・記憶・身体感覚」の働きだからです。

熟睡中のあなたは、絶望できますか?
気絶しているときのあなたは、絶望できますか?

できないはずです。

つまり、
変化する感情・思考・体験者としての「個の私」が「絶望した」のであって、
あなたそのものが絶望していたわけではない。
真のあなたの中で、「絶望」という出来事が起きていただけです。

さらに核心に近づきます。

あるところに粒子だけがあり、それが動いたとします。
観察者なしで、その「動き」を知ることはできるでしょうか?

例えば、今この瞬間、ハワイで雨が降ったとします。
見る者・体験者が誰もいない状態で、
「ハワイで今、雨が降っている」
という事実を、誰かが「知る」ことはできるでしょうか?

できませんよね。

あなたの過去の体験を「知っていた何か」が、常にありました。
その「知る力」は、個人ではありません。
もし、個人を超えた何かが「見ていた」のだとしたら、
その「見ている主体」は、絶望そのものには決して飲み込まれません。
なぜなら、絶望はあくまで「心の反応」だからです。あなたは人生のどこかで、心が希望を感じたこともあったはずです。
だからこそ、

「自分とは何か? 世界とは何か?
 自分はどこから来て、どこへ行くのか?」
という疑問が湧いてきたのです。

>長年、おうちに帰りたいと思ってきたのに、帰るところなんてなかったんだとも、ここが帰るところだったんだとも思いました。
長時間、泣いていました。気づいたら、エネルギーがこんこんと湧き出ていました。(中略)
すべては終わったと感じました。

→それは、まさに「純粋意識そのもの」に触れた瞬間の描写だと思います。
ただ、ひとつ老婆心からお伝えすると、
純粋意識そのものに触れたことは「終わり」ではありません。
そこからが、むしろ本当の意味での始まりです。
そこから、

・エゴとの同一化
・心や観る者としての「私」
・身体感覚との同一化・癒着
こういったものが少しずつ溶けていくプロセスが始まります。
あなたの文脈でいうなら、

エネルギー的・粒子的なレベルで根深く残っている「個の私」との同一化を、
じわじわとほどいていく、大切な段階の入り口です。
「絶望」も「虚無」も、その中で溶けていきます。
なぜなら、それらは主体ではなく、対象として、
ただ観られていく側に、まわるからです。

あなたは子供の頃から、ある意味、水面下ではすでにスイッチが押されていたように見えます。
真理探求(発心)がずっと続いていたからこそ、
・純粋意識(私は在る)
・私=世界
といった体験が起き、その後に
原因と結果を超えた「絶対のそれ」を一瞥するところまで来たのだと思います。
それは、見方によれば確かに恩寵です。
霊性プロセス的な意味での恩寵です。

同時に、見方によっては、エゴにとって深いトラウマにもなります。
でも、本質的には恐れる必要は何もありません。

なぜなら、ここにいる皆さんだけでなく、
誰もが熟睡時には、毎晩それになっているからです。あなたは、熟睡時に「熟睡体験者」も同時に残してしまった。
そのために「恐怖」として印象付いてしまった。
ただ、それだけのことです。
正確には、恐れる理由は元々、どこにもありません。

>そして、その後〜(エックハルト・トールやテーラワーダ、マインドフルネス、潜在意識、認識変更・・)

→どうにかしながらも、前向きなほうへ少しずつ舵を切ってきたのが伝わってきます。笑
とても良い流れだと思います。
まずは、あなたの言う通り、
「在る」「純粋意識」に安定していくことが大事です。「絶対・超越」に対しての恐怖や虚無をやわらげるには、それが一番シンプルで、かつ精神衛生上もやさしい道筋です。
あなたの、とても貴重な体験談をシェアしてくださってありがとうございます。
きっと、今このスレを読んでいる誰かの参考にもなるはずです。

342:2025/11/16(日) 12:24:27 ID:LHil3TSU0
>>337
>大きなお母さんみたいな私が、小さな子供みたいな私を愛で包んでくれて、その感じが心地よくて眠ってしまっていました。
→うんうん、まさにそんな感じ。笑

>本当の私はいつもそばにいると思うのですが、はっきり出てきてくれたのは久々です。

→はい、本当の私はいつもそばにいます。
晴天の日の太陽のようにはっきり現れる時もあれば、曇り空の向こうでうっすらほのか〜に感じる時もあります。
でも太陽が 照らすことをやめないように、本当のあなたは、つねに小さなあなたを照らしています。

>個の私が笑顔で椅子に座っているイメージが浮かんで涙が溢れて止まらなくなりました。

→うん、「個の私たち」は「本当の私」から見れば赤ちゃんみたいな存在なのかもしれませんね。笑
それはまさに本当の私が「個の私」に送った、イメージを通したメッセージですね。

>還りたい、還りたい、大きなお母さんみたいな私の中に還りたい、それしか考えられない

→その想いは決して無駄にはなりません。届かないなんてこともありえません。
ただ、タイミングは大きな母の側で最適にゆっくり調整されます。

そして、その「時間をかけること」そのものが、あなたのいう「お皿」なのかもしれない。
ゆっくり丁寧に時間をかけてつくられたお皿のほうが、丈夫で質が良いですよね。
その想いは大切にしていてください。

>大嶋信頼さんの「心に聞く」が一番合います

→良いと思います。あなたの気質にも合っています。個の私たちは疑いの思考で光を避けがちですが、「心に聞く」はそのクセをやさしく中和します。癒しや整いが起きているならその道を続けてみてください。

気づきのシェアありがとうございました。
実は、「本当の私を″母″として感じる」というのは、古来から霊性プロセスを促進する方法として語られてきたアプローチです。

大きな私(母)を想うこと・愛すること・求めること・涙すること・笑うこと。
これらは普通の感覚から見れば理解されない領域かもしれませんが、まさに「聖なる狂気」です。笑

ただし、その「聖なる狂気」には、
エゴや個の私の深い癒し、疑念や恐れや記憶の傷たちとの同一化の溶解など、
強力な「治癒作用」があります。

もちろん薬(霊薬)なので、時にデトックス(浄化)も起こりますが、
日常的に続けられて、とても効果が高いアプローチです。

これをゆっくり深めていくと、日常のあらゆるもの・出来事が「大きな母」「大きな私」として感じられるようになります。
「これも大きな母」「あれも大きな母」
そんな視点がしだいに芽生えてきます。

つまり、「個の私」と「大きな母(私)」が一心同体になり、分離の感覚が静かに溶けていくんです。
「無条件の愛」「真理的な愛」という言葉にピンと来る人は、特に向いているやり方です。
考える思索活動より、感受性・感覚的に、感じることの方が、気質的に合ってる・向いてる方。そのような方に、自然とただ起きてくるものです。またタイミングで、何かあればコメントください。
貴重な体験報告、ありがとうございました。

343幸せな名無しさん:2025/11/16(日) 20:26:15 ID:kp2hxkQ20
>>340 >>341

りさん

ご丁寧にありがとうございます。匿名でIDが変わっていますのでわからないと思いますが、何回か質問に答えていただいたり、やりとりさせていただいたことがあります。

今回いただいたコメントも、自分の中に大切に入れて、自然に理解できるときを待ちたいと思います。

自分の一時的な経験が皆の役に立てるとしたら嬉しいです。前回の投稿の続きを書いてみたいと思います。どれも短期間、短時間の体験です。

この世に生まれてから周りの影響を受けて培ったと思われる存在観が崩壊し存在感がなくなってしまっていました。周りのものを立体視はできるけれども立体感も存在感も感じられなくなってしまっていました。

道路を歩いたり車で走っていたりすると、すれ違う街路樹がまるで薄っぺら看板のように感じられました。太陽を見ると、太陽は影のようだと感じられました。次第に、その状態にも慣れ、普通という感じになっていました。

こうしたなか、エックハルト・トールの本を読み、書かれている内容を自分なりに実践してみたところ、時々、街路樹に実体を感じるようになりました。とてつもなく巨大な存在感ではなく、中身があるというか真実の存在とでも表現するしかないような実体があることを感じ始めることがありました。見た目は単なる街路樹なのですが、ドカン!と圧倒されるような実体感があるのです。

当時、自分には自分が存在しているという感じはありませんでした。ただ、意識ではあると思っていたので、意識に注意を向けて感じるようにしていました。それから樹木に実体を感じるようになり、様々な物や世界が在るという感じが生じるようになりました。

ネット上で瞑想を実践している人たちと知り合い、明晰夢のなかで瞑想をすることをしていた頃のこと。夢の中で自分の意思で目覚めるという実験をしたことがあります。すると、目が覚めて起きたり、目が覚めずに睡眠状態のまま、夢から出て何もない空間に出たり、夢の世界が球状にたくさん並んでいる世界に出て、特定の夢を選んでみると、その夢の世界に入って別の夢が始まったりといった経験をしました。

これに倣って、現実も夢だとしたら、この現実から目覚めるなど同様のことができるのではないかとしてみようとしましたが、こちらはできませんでした。

次は、潜在意識の達人やその他の人たちが書き残したメソッド等を実践し始めてからのことを書きます。

完璧認定と呼ばれるようなことをしていた頃、しばらくしてから外出中に突然、過去・現在・未来、すべての可能性を経験したうえで自分は、この人生を選んで生きてきたんだという確信が生じました。

そして、展開していた過去・現在・未来、すべての可能性が、折りたたみ始め、ダーッと自分の胸の中の1点に凝縮して畳み込まれてしまうさまを目撃してしまいました。どれだけ驚いたかしれません。

何を実践していたときか忘れましたが、これも外出中、大型のショッピングセンターのなかで、周りの人や物がそれぞれ自分であるという感覚が生じ、それぞれが体験したいことを体験していると感じました。

既にあるという感覚も短期間ですが生じたことがあります。例えば、車が欲しいと思うと、車庫にその車が止まっている感覚が生じたり、テレビがほしいと思うと、リビングの在る場所にテレビが置いてあるという感覚が生じたりといった感じです。いくつかのものだけでしたが、そうした感覚が生じて何ヶ月かかかったものや何年かかったもものもありますが、実際に手に入りました。ただし、こうしたことは稀で、欲しいものがすべて、既にあるという感覚になったわけではなく、なったとしても手に入ったものは多くありませんでした。

あと、今思い出せるのは、自分が歩いたり走ったりしているのに自分は動いていなくて静止していて、周りの世界のほうが動いているという感覚に繰り返しなりました。

もっとたくさん書けると思って書き始めましたが、今思い出して書けるのは以上です。こうして書いていくことで、こうした体験から自由になり、安らぎのようなものを感じています。

最近は、りさんがこのスレに書かれていた「私は在る」や元祖1式スレでクラゲさんという人が書いていたことを参考に思いついた、思考を一旦止めてその状態に同化するというのを試しています。

344幸せな名無しさん:2025/11/16(日) 22:22:48 ID:qv15mPf20
>>342
>「無条件の愛」「真理的な愛」という言葉にピンと来る人
↑私は「自愛」に救われました。子供の頃、幼稚園の先生との相性が合わず、入園後に
自身が大嫌いになりました。それに伴い甘かったはずの両親からのあたりがきつくなり
自分責めが始まりました。皆すごい、私は一番下で居なくちゃ。それが反映され
スクールカースト下位で理不尽な目に遭い、どんどん自責がひどくなりました。でも
引っ越しをきっかけに救われましたが、クラスで1人をターゲットにしたひどいいじめが
起き、その子は孤立した。その子とは何度か一緒に遊んだことがあり、とても楽しかった。
下位の辛さを知っているし、皆がその子を裏切っていく中、自分だけは友達であり続けました。
その子とは大人になった今も友達です。あの時あなたがいなければ自分は〇んでいた、
下位にさげてごめんと言われました。私は驚き、あなたといると楽しかったし
友達でいたかったし下位なのは元に戻っただけだから気にしないでと伝えました。
下位での辛い思いは無駄じゃなかった、誰かの役に立てたのが嬉しかった。

しかし自分嫌いはそのままで苦しい現実が続く。だけど幼少期に日本昔話とかが大好きだった私は
ちゃんと生きていれば誰かがそれを見ていてくれてピンチの時は必ず助けが入る、と信じていたようで
それが現象化していたらしく超ネガティブなのに幸運なこともたくさん起こりました。
でも自分が大嫌い。頭の中はトラウマでいっぱい。自分で自分が好きだなんて人は
この世に存在しない。居るとしたらアニメとかのナルシストキャラだけだよね、と思いながら
忍たまの滝夜叉丸を思い浮かべる。でも滝夜叉丸なんだかいつも楽しそう。
ちょっと真似してみようかと思い脳内で「私はすごい、私は天才、私は美しい〜!」
あれ、何だか楽しくなってきた。そうだ、自分自身ときちんと向き合ってみようか。

そこからが地獄。今まで自責で抑え込んできた過去の自分たちの不満大爆発。でも
抑え込んだ過去の自分の本音を聞き出せた時、白昼夢のように当時の自分が現れ
今の私の中に統合されていった。これにより大きなトラウマが2つ解消された。しかし
大きなトラウマが消えたら小さいものが次々出現。過去の自分たちの話を聞いていくと
過去の押し込めた自分がいっぱい順番待ちで長蛇の列。話聞いても聞いても終わらない。
無理だ嫌だ逃げたい。もう過去の自分なんて全員叩き潰す。やっぱり自分大嫌い。
こんな嫌いな自分の体、叩く引っ掻く。うすく血がにじんで入浴時に痛くて泣けてくる。
心が痛くて泣いている。そんな時に書き込んだ自愛スレで素晴らしいアドバイスを頂く。
(あの時のすみっコねこ推しは私です。あの時のあの方にはもう本当に大大大感謝です。)

そして大きな気づきが起きた。なぜかキリスト教のイエス様が思い浮かぶ。今まで
十字架を背負って丘を登るイエス様にひどいことする人たち、ひどいよなぁと思っていたけど
これ、愛に満ちたイエス様は別に何とも思っていなくてむしろひどい人たちの心が救われていない事が
辛かったんだ!という思いが湧き(キリスト教に詳しくないし色々間違っていたら
ごめんなさい、でもなぜか高校は私立のキリスト教の学校で、委員会も推薦で宗教委員だった)

その思いと共に世界がパアッと輝き「みんな既に愛されている、みんな既に赦されている」
と言葉が降りてきて私も愛に包まれました。愛に包まれた感覚はその後2日位で消滅しましたが
愛に包まれている状態が本当だから消えたんだと思います。この日以来叩く引っ掻くは
起こっていません。大切な自分にそんなことできません。そして気持ちが落ち着いたので
元祖1式を実践しようと思ったのですが自分にとってはこれがよくなかった。

メソッド批判ではありません。合う方にとっては素晴らしいメソッドだと思います。
ただ合わない方にとっては「その思考も消す」で合わないというメッセージも無視する
事になるので、上手く実践できない方がいらっしゃったら一時休止してみるのをお勧めします。
私も実践しては失敗するを延々と繰り返していました。本当は合っていなかったんです。
そして更なる気付き。私はここで過去にイラストが描けないと相談させて頂いた事もありました。
趣味=イラストです。描けなくなった時期と元祖1式の実践時期が同じだったんです。
くりかえしますがメソッド批判ではありません。合わないメソッドを続けると
出来ていた事も出来なくなってしまう、自分の力が抑え込まれてしまうことになるので
実践する合うメソッドは本当に人それぞれなので自分を指針にした方がいいと気付きました。

続きます

345幸せな名無しさん:2025/11/16(日) 23:23:10 ID:qv15mPf20
>>342

>>344続きです
私は大嶋さんのメソッドの力を借りながら楽しく絵を描いていました。絵を批判された事なんて
本当はどうでもよかったんです。別メソッドの実践により「心に聞く」の心との通信が
弱くなってしまった。案が浮かばない。自分で考える。変な絵になる。1式で思考停止。
できない、できない、何も描けない。描けなかった理由が判明しました。
1式スレに創作で成功している方が来られて、その方は実践を徹底されていたので
あー自分はメソッドのやりこみが甘いのかなと思っていたけど、合っていないだけでした。

りさんへのレスのはずが、自愛スレ恩人への再びのお礼とか、1式が合わない人へのメッセージとか
自責がひどくても自愛はできるという事とか、伝えたいことがいっぱいになってしまいました。

そして、りさんのおかげで昨日大きな気づきが起き、同時に小さな嬉しいことがありました。
8月下旬に食べたピーマンの種を植えたら発芽したのでそのまま育てていたのですが
つぼみが出来ても花がなかなか咲かず、夏野菜だしもう寒いよねこのまま咲かないのかなと
思っていたのですが、大きな気付きが起こった昨日、ひとつ開花していました。
小さな苗の小さな花、とっても可愛くて愛おしい。まるで気づきが起きたのを
喜んでくれているみたいでとても嬉しかったです。

りさんからの素敵なメッセージ、愛のあるご返信、心に沁みます。
いつも本当にありがとうございます。今回のご返信は特に嬉しかったです。
りさんのレスは浄化そのものです。頂いたレス、大切にします。

>癒しや整いが起きているならその道を続けてみてください。
↑心に聞く、に対して背中を押して下さりありがとうございます。心とのつながりが
戻ってきました。心が絵のアイデアも教えてくれました。これでやっと描けるかな?
描けない事よりも心の声が弱くなってしまった事の方が悲しかったみたいです。
りさんのおかげで、心との通信が復活しました。そして今の方が頭が静かで本当の意味での
1式の実践が自然とできている状態になっています。1式がすべてに通じるといわれていた理由が
分かりました。本当は全メソッド共通なんだと思います。その人に合うか合わないかそれだけ。
今、心が晴れ晴れとしています。りさん本当にありがとうございます。

そして本日の気づき。個の私が大きな私となり、今まで私を支えてくれた、
過去の私たちすべてを大きな愛で包み込んで癒してあげたいと思いました。

余談ですが愛という言葉に嫌悪感がありプリキュア好きなのに愛がテーマというだけで
ドキドキプリキュアの視聴を見送ったあの自分がこんな気持ちになるなんてびっくり。笑
(MXの再放送で視聴、レジーナの、愛は初めから私の中にあった、という旨のセリフが
とても好き)ハートキャッチプリキュアの自己受容の回(37〜38話)も初回視聴時はピンと来なくて
自己向き合いを始めて以降に再放送で見たらもうビックリ。過去の自身が登場しそれを
攻撃しても倒せず、受け入れると今の自分と一つになり自分がパワーアップする。この話すごい。
アニメ好きでよかった、アニメからもヒントをいっぱいもらえてた。これも恩寵でした。

いままでのあれこれすべて恩寵かもしれません。趣味の絵も仕事で役に立った。(保育系と広告業)
過去に保育職を選んだのも、同じような思いをしている子を救いたいからと思いつつ
過去の自分自身を救いたかったのかもしれません。しかしブラック職場、とくにきつかったのは
鬱で退職した人の後任、幼稚園の4歳児クラスでクラス崩壊、窓ガラス割れる、室内水浸し。
園児数は園の中でも最多の33人。もう毎日必死、家に帰ってからも持ち帰り仕事でクタクタ。
気性の激しい子が多く、対応もむずかしく、ターゲットにされがちな子たちを、ちゃんと救えたのだろうか…。
でもそのクラスの時、おとなしかったある一人の子がお友達と元気に遊べるようになったのは
とっても嬉しかった。(退職後に感謝の手紙を頂きました。お2人から。でも私が何かを
したわけではなくその子たちとの人間同士の相性が良かっただけ、恩寵のおかげだと思っています)

りさんとの出会いも素晴らしい恩寵です。いつもありがとうございます!

346幸せな名無しさん:2025/11/16(日) 23:37:19 ID:KSFkWYQ.0
>>335
316で「神」というフレーズを使ってしまい、それに返信があった時は、正直やばいと後悔しました。
ところが結果として、あの体験に共感し喜んで語ってもらえたおかげで恩寵のうねりが起こり、更に歩みを進められました。
もういいなと疑問を手放した途端、答えのきっかけが現れ、長い間しぶといしこりのようだったのが消えスッキリです。
これで語るべき言葉は尽きたようです。ありがとうございました。

347幸せな名無しさん:2025/11/17(月) 11:43:25 ID:F9iyoXhQ0
りさんのレスが来るまで暇な人はちょっとした実験でも
以下の文を見て、あんまり思考を巡らせないでなんとく感じとってみてください

1. 現実は外側にあるのではなく、内側にある
2. 本当は内側(自分)と内側(現実)しかない
3. つまり内と外でなく内内
4. 内側しかないなら自分=世界

348幸せな名無しさん:2025/11/17(月) 21:24:41 ID:8mX.w3qw0
>>347

343です。

自分は意識であるという感覚が強く、「意識=認識している空間」であり、その空間内に世界も自分の身体の映像も映り込んでいる感じです。

意識スクリーン、空間スクリーンに自分自身の身体も含めて世界が映っている。

スクリーンと言っても平面ではなく球面の内側の面のようでもあり、球面の内部空間全部のようでもあり、では球面の外側の表面が在るかというと、そんなものはないし、そもそも球面の外なんていうものもない感じ。

映画のスクリーンだと平面の長方形ですが、この現実世界の空間スクリーンは、空間内部を構成している各点がスクリーン、立体スクリーンになっている。

映し出されている存在物は、平面であると同時に立体でもある。一定以上の距離にあるものは、すべて平面というか絵画状になってしまうけれども。

感じていることをうまく表現できない。

349幸せな名無しさん:2025/11/17(月) 22:04:31 ID:8OgJw9zI0
お目汚しすみません。
この板をとても興味深く読んでいます。
書き込みにも慣れていませんし、この板に来ている方々よりもレベルがかなり低いかもしれませんが、すみません。思いついたので書かせてください。
私は引き寄せから入り、というか毒親問題から入り(?)、心理学の本を読み漁ったり精神科にかかったりした挙句、その理論に疑問を持ったところから潜在意識に足を踏み入れたクチです。
もう潜在意識を知って数年になりますし、ほぼ全ての達人さんの掲示板は読んだと思います。
小さな事(と思っている事)なら沢山叶ってきました。でも大きな変化がありません。
最近は、願望を叶えてもその時にエゴが感じる幸福とは刺激でしかないのだから、慣れたら飽きて別の願望を叶えたくなる、その堂々巡りになるから、今に集中して既にあるもので満たされ尽くすことを知れ、という理論に興味を持っていました。元祖一式などで思考を止めて今にただある、問題を保持しないように意識したりしていました。
でももう、メンタル的に限界なのです。
多分一瞥体験はまだ経験していません。なので本当の自分(?)や、恩寵の素晴らしさはまだ分かりません。
ただ全ては認識でしかないのかもなーというのは少し分かってきたところです。
でも、それは逆も然りで、全て認識でないと知っても結局その"認識"が次から次へと湧いて出てきてしまう。
"本当はこんな願望叶えたいわけじゃないんじゃないか?"と思った次の瞬間には、"このままの自分で終わってしまったらゴミ屑のような人生だ、早く少しでも良いから変わらないと"という思いが湧き上がります。
多分元祖一式もあまり上手くできていません。
幸せって何なんだ?愛とは?私は結局何がしたいんだ?恩寵って何?と興味がある自分もいますが、
もうそんな事はどうでも良いから今すぐ救ってくれと叫ぶ自分もいます。
なんか堂々巡りなんです。
この状態って、りさんから見てどうなんでしょうか?
遠回り(そんなものはない?)しているんでしょうか。

350幸せな名無しさん:2025/11/18(火) 03:04:31 ID:vCaHCsFc0
>>348 の続きです

世界は「意識=空間」内に現れていると感じます。もちろん、世界と言っても、見える範囲の世界だけですが。

では、思考や感情は?

これらは見えないですが、やはり意識内、空間内に現れています。通常、自分だと思っている頭があると想定している部分や胸があると想定している部分のこともありますし、それらの部分からはみ出ていたり、身体外だったり、この意識空間全体だったりもします。

そういう感覚です。

ただし、仕事中、プライベイトでも他の人がいるときは、一般的に言われている普通の感じ方になっていることが多いです。

ついでに音について書きます。

たまにあるのですが、音が聴こえて、自分のいるここで聴こえることがあります。音が、ここで生じているように聴こえるわけです。その直後から思考が働いて、何の音か、どこから聴こえてきたのかとなるのですが、すると斜め右方向から距離はどれくらい、何の音とわかると、その瞬間、音はその方向のどのくらいの距離のところから聴こえてきたとなってしまいます。

視覚情報を意識・空間内に展開して配置し、そこに他の五感情報も配置して認識している、世界を構築(再構築?)して知覚しているという感じです。そうして世界が現れて、その現れた世界に対して、生まれ育った環境、経験により構築された解釈を、これまた瞬時に当てはめて世界を認識しているように思えるというか、そのプロセスをスローモーションのように体験したことがあります。

外界、外の世界が自分の意識とは別個に独立して存在しているのかどうか、感覚的にはわからないです。どちらの可能性もあるのだろうとしか今はいえません。

351り改め りょうせい:2025/11/18(火) 18:32:08 ID:sQC.SM7I0
ちょっと軽めのご報告(というより雑談)
こないだ話してたように、「り」と名乗るのはやめることにしました。

でもせっかくだし、「り」の音はそのまま使おうと、
り〜なんとかで色々考えてみたんです。

そして結論。でました
名乗りは 「りょうせい」 にします。

理由はシンプルで
「両方の性質のはなしを扱うから」。。笑
またスレの流れが「真理探求と願望実現、両方バランスよく生きよう」というテーマの方向になってきたから。

それと、個人的な昔話だけど、
世界「赤と青どっちが良い?」
私「青が良い」

そんな摩訶不思議なやり取りがあって(意味不明だよねw)
「青が良い」そこから 良青 → りょうせい という個人的な流れもあるので、ちょうど個人的にもしっくりきて良かったんです。

まあでも、私にとって名前はあくまで記号みたいなものなので、好きに呼んでください。「り」でも、「なまこさん」でも1さんでもスレ主さんでも、あだ名でもOKです。
とはいえ、また必要なら改名するかもしれませんが、笑
とりあえず固定のハンドルネームの音は、
りょうせい でいきます。

それと、日によって返信が遅れることもあります。でも、質問系や私宛のものは基本的に返します。
私宛じゃない書き込み・つぶやき系も、自然な感じなら全然どうぞ。
その場合は返信しないこともありますが、たまに引用してレスするかもしれません。まあ、そこは気にせず、なんであれリラックスして気軽に参加してください。
それから、長文だとどうしても濃くなりすぎて皆さん構えてしまう気もするので、
必要なときは短文返信も混ぜていきます。(・・と言いながら長くなる予感はしますが、努力はします。笑)

以上、ちょっとした名乗り変更のご報告でした。

352り改め りょうせい:2025/11/18(火) 18:42:25 ID:sQC.SM7I0
>>343
そうでしたか。それは失礼しました。笑 
お久しぶりです。
(2回に分けました)

>今回いただいたコメントも、自分の中に大切に入れて、自然に理解できるときを待ちたいと思います。

→本当にその通りですね。
そのような神秘体験や、外側から植えられた「種」が、その種自身のペースで内側で消化され、浸透し、発芽していく「熟成の期間」はとても大切です。

>存在観が崩壊し、存在感がなくなってしまっていました〜やがてその状態にも慣れ、「普通」になってしまいました。

→はい。だからこそ必要になるのが中道。
「両方の視点」です。言いかえれば「直接体験としての、非思考的な理解」です。

「色即是空・空即是色」「あるけどない、ないけどある」文献では、神が真理探求者に向かって、「私の名は存在である」と語ったかと思えば、別の箇所では「あなた(個)と意識(存在)と恩寵(プロセス)はひとつである」とも言う。さらに「あなたはすでにそれだ」とも言われる。

視点が変われば、言葉は矛盾しているように見える。しかし、視点そのものが溶けたら、
矛盾なく同時に成立してしまう。
つまり、「存在」と「非存在」は、視点によってどちらにも見えるし、どちらでもあり、さらにはそれすらも超えられてしまう。

一方で、私たち個人の思考(エゴやマインド)は、構造上「どちらか一方」しか掴めません。
「シマウマの色は? 黒? 白? どっち?
頼むからどっちかに決めて!」という立場です。
「黒でもあり白でもある」は許せない。
「じゃあ、シマ模様ってことにしよう。これならいいよ」こうなります。笑

ただ、霊性(理屈を超えた目に見えない領域)を探求するなら、思考・記憶・体験という「頭の理解」を超えた源泉にとどまる必要があります。そして、直接体験を通して深く・多面的に学びながら、エゴとの同一化を少しずつ溶かしていく方向を目指す必要があります。

「エゴ・マインド探求」は、あくまで心・世界の領域の話です。真理探求は、特別なエゴになることではありません。エゴの「知覚」が変わる必要があるということでもありません。本来のそれから見れば、「神秘体験」ですら夢の一部にすぎません。たとえ「超能力で空を飛ぶ」のも、「飛行機で空を飛ぶ」のも、どちらも夢です。
私が話しているのは、まず何よりも、
この世界の誰もがすでに持っている
「私が存在している」という「もっとも当たり前な感覚」です。
「体験以前」「体験の最中」「体験後」
このすべてのあいだ、ただ変わらず在り続けていたもの。それが意識そのものです。
まずは、今のあなたがしているように、
ここに(徹底的に)安定していくプロセスが大切です。

あなたが本気で目指しているのが、「真理探求そのものの終わり」だとしたら、それは二元的物語の中に現れる「特別な体験の一つ」ではありません。
私の言うシフト(実現)は、
1. 意識の安定
2. 超越 
3. そして「それ」が、「主体/対象」さえも超えた「   」として在るという構図です。
この立場の主体者(真の私)は、「私」も「意識」さえも、対象としては知り得ません。
そのため、「シフト/実現」が起きても、何が起きたのかをエゴが理解することは絶対にありません。それはそもそも、説明不能だからです。
そこでは「エゴ」も「世界」も感知できません。認識者(主体)がいないところで、
「誰が」「何を」「どう説明するのか」
という話になるわけです。

この「理解を超えた理解」「超越」の領域は、
私の見立てでは、
・意識そのものに安定していない
・エゴとの同一化の解除が整っていない
この状態で触れると、高確率で一瞥で終わる性質があります。過去の私がそうでしたから。

また、探求者が真理を求めているのは、裏側から見ると「体験者としての自分」を保持したいからでもあります。求めている限り、
「体験者を握りしめたまま真理を捕まえよう」という動きになってしまう。
これはエゴ批判ではなく、エゴは構造的に最後まで、そう機能するという説明です。
けれど同時に、
求めなければ探求はそもそも始まらないというパラドックスもあります。
その意味でも、意識にとどまることは、「求めそのもの」を静かに溶かしていくプロセスとして働きます。

真理そのものの側には、達成者はいません。
だからこそ、実現・シフトとは
「達成者なき、体験者なき実現」なのです。
にもかかわらず、「それ」は、ずっと前から、そして今も、変わらずに真のあなたとして在り続けています。

353り改め りょうせい:2025/11/18(火) 18:55:30 ID:sQC.SM7I0
>>343 つづき
>エックハルト・トールを実践して〜それはドカンと圧倒されるような存在感でした。

→はい、それが「意識」「存在そのもの」の存在感です。

>明晰夢のなかで瞑想をしていた頃、夢の中で意思で目覚める実験をした〜

→真理探求の文脈にも、そうしたアプローチはたしかにあります。(メキシコやチベットのシャーマニズム、夢見の技法など)
なので、「夢の中の構造研究」が探求の過程として起こることもあり得ます。
言われてみれば、私にも似たような時期がありました。笑 
ただし、一般的には「目覚めている日常」の中で探求は進みます。

>すべての可能性を経験した上で、この人生を選んで来たのだと確信しました。

→はい。ただし、真のあなたは「過去・現在・未来」を超えています。

>過去現在未来の全可能性が畳み込まれて胸の中の1点へ凝縮していく様子を見ました。

→胸の中の一点。ここは重要なポイントです。
心臓付近には、「私=身体」という潜在的な同一化が深く残っています。また、心臓まわり(胸の前後左右あたり)は真の私(気づき・存在感)の感触を感じやすいセンターでもあります。胸の中心には、個の私(身体・心・感情)
、真の私(気づき・存在感)が同時に重なるため、錯覚と真実が最も混ざりやすい箇所とも言えます。(この話はここまで笑)

>欲しいものが全部“既にある”と感じた時期もありましたが、長続きせず、全てが手に入ったわけでもありませんでした。

→はい。霊性プロセスと、「個の人生」の成功・願望実現プロセスは、恩寵によって最適な配分に調整されています。霊性の進歩を優先しているタイミングでは、霊性成長(自己超越欲)以外のプロセスが、一時的に停止してしまうこともあります。

その段階・タイミングで学ぶべき「必要な理解・進歩」が起きてしまえば、その停滞は自然と溶けて流れ出します。ある意味、その理解や進歩を起こすために停滞が置かれていると言ってもいい。

そのため、ここで起きている恩寵的なやり取りも、ただ「接触しただけ」で何かしらの流れが変わってしまうことがあります。
第三者から見れば、このやりとりを読んでも
・関心のポイント
・絡まっている場所
・気質
がそれぞれ違うので、見聞的な参考になる、探求のきっかけになることはあっても、「???」で終わることもあるし、まったく別方向に誤解されることもあります。
(本当は避けたいですが、ある程度は仕方ありません)

スピ本や動画、聖典をたくさん取り入れても「実感的な変化がない」と感じてしまうのは、まさにこの構造が原因の一つです。
各人に必要なエッセンスや言葉、メソッドは、個の私の視点からだと「自分が何を分かっていないのか、そもそも分からない」となりやすい。だからこそ、プロセスの深まりや進みを「ゆっくりと忍耐強く」待つ姿勢も必要になります。

>自分は静止していて、世界のほうが動いているという感覚に繰り返しなりました。

→その通りです。
意識そのもののあなたの中で、心も想念も世界のあらゆる運動も、「それぞれ自発的に」起き続けています。

>書いていくことで、こうした体験から自由になり、安らぎのようなものがあります。

→それは本当に良かったです。

>最近は“私は在る”や、クラゲさんの書いていた「思考を止めてその状態に同化する」を試しています。

→いいですね。
あなたにすでに起きていること(事実)の中に、最高のヒントや答えがすでに宿っています。
私はそれを少し解剖して、「今ここで本当は何が起きているか」を、私なりに翻訳して言葉にしてみただけです。

あなたの場合、いまやっているそのアプローチは、かなり直接的な修練法です。
「私は在る」「静かにする」、ぜひこのまま続けてみてください。

書かれていた通り、メソッドも変化も、それが板について自然になってくると、体感的には「普通の状態」になります。
メソッドも探求も、半分、自動運転になっていきます。自転車に何度も乗っているうちに、気づいたら何も考えずに乗れている、そんな感じです。

私自身が通ってきたメソッド・修練・アプローチ法(「こんなことやってました」的なやつ)も、タイミングが合えばどこかでまとめようと思っています。
貴重な体験談と、意識の描写のシェアしてくださってありがとうございました。

354り改め りょうせい:2025/11/18(火) 19:03:44 ID:sQC.SM7I0
>>344
「私の歴史」解説とシェアありがとう。笑
色々くぐり抜けて、よくここまで来ましたね。
(ただ、ここは掲示板だからプライバシーに関わる部分だけは少し気をつけてね。)

いずれ、プライバシーが守られた状態でやり取りできる場も作れたらと思っています。
そのときご縁があれば、またゆっくり聞かせてください。
あと、プリキュアだけは残念ながら観てないんだよね。笑(面白いらしいとは聞いてるけど)

さて、あなたは「自責とトラウマ」というエゴの闇夜を、自愛と「心に聞く」などを恩寵と協力して、今はただ、「大きな私の愛」で「過去の私」を全部抱きしめてあげてください。
過去の感情や、層になったエネルギーたちを解放できるのは、「ただ在る」という静寂、無条件の立場、つまり「大きな私」だけです。
それが「自信回復」(大きな自分を信頼・信じることで、小さな私たちが回復する)の真意です。
あとは恩寵が整えていきます。
日常の中で、ゆっくりとリラックスして取り組んでみてください。

「イエス様は自分を傷つける人を恨んでいたんじゃなくて、
その人たちの救われていない心のほうを悲しんでいたのでは?」
この直感は素晴らしいです。

そして、キリスト系の話を慎重に扱ったあなたはさらに大正解。笑
ただ、聖書は霊訓として読めるものが多いので、またタイミングが合えば扱いたいなと思っています。
ちなみに、私が言っている「恩寵」は、古い伝統では「聖霊」や「奇跡」の別名でもあります。

355り改め りょうせい:2025/11/18(火) 19:07:24 ID:sQC.SM7I0
>>346
はい、酔ってたせいもあって、胸熱モードで返信してしまいました。笑
こちらこそありがとうございました。
またタイミングが気分が起きたらお気軽にどうぞ。
>>347
いない時のフォローありがとうございます!
>>348 >>350
343さんも意識の描写説明ありがとうございます。「意識」とは何か?をこのように言語化して、やり取りするなんて本当不思議な現象ですね。笑 これはかなり濃厚なマニアックな会話です。おっしゃるとおり体験の言語化はとても難しいですね。

356り改め りょうせい:2025/11/18(火) 19:34:38 ID:sQC.SM7I0
>>349
読んでくれてありがとうございます。
お目汚しなんてとんでもない。この板は、むしろ今のあなたのようなタイミングの人が書くと、大きくスレの流れが動く場所かもしれません。どうぞ気軽に書いてください。

>私は引き寄せから入り〜大きな変化がありません。元祖一式などで“今にただある”を意識してきたけど、もうメンタルが限界です。

→まず本当に、お疲れ様でした。
この流れは、多くの人が必ず一度は通る地点です。そして「限界に来た」というのは、悪いサインではなく転機が迫っている兆しです。
なぜなら、エゴの限界を自分で知ったときにしか、飛躍は始まらないからです。

>一瞥体験はまだ経験していません。

→一瞥体験は、真相的にはあってもなくても価値は同じです。むしろそこに強くこだわるほど遠回りになることだってあります。

>全ては認識でしかない。でも認識が次々湧いてきて止まりません。

→ たとえば、静かな公園の片すみに
小さな噴水がポコポコ湧き続けている。
そんな情景を思い浮かべてみてください。
止めようとしたわけでもないのに、その噴水はただ勝手に水を湧かせ続けています。
あなたができることは、
そのそばのベンチに座って、
「あぁ今日もちゃんと湧いてるなぁ」
と見ていることだけ。
水の量を調整する必要もないし、
湧くこと自体に意味を探さなくていい。
ただ湧く。ただ起こる。
あなたはただ、それを静かに見ている側です。

>幸せって何?愛って何?私は何がしたい?
恩寵って何?
いやそれより、今すぐ助けてほしい。

→この文脈で言うと、あなたが本当に求めているのは
「問いそれ自体の終わり」
「堂々巡りが″自分ではなかった″と気づくこと」です。あなたは「答え」を探しているのではなく、「探し続けている動き・構造そのもの」の終焉を無意識下で求めているのです。

>この状態って、りさんから見てどうなんでしょうか?

→今あなたがいる位置は、マズローで言えば
「自己実現」と「自己超越」の境目の、手前で構造が整っている段階です。
エゴの足場が揺れて波立って土台の組み替えが起きているタイミング。
霊性プロセス的には、ストレートに近道です。
ただ、願望実現「自己実現・承認欲求・安全欲求など」ここがしばらくあなたの関心テーマとなると思います。
恩寵により浄化されながら少しずつ「個の私─心─世界」整えて回復していく必要があります。

>遠回りしてるんでしょうか?

いいえ。
ショートカットを進んでいます。
浄化の険しい道を選んだ意味ではむしろ勇敢です。
この世界の価値観で見ると、
・自分はダメだ
・何をやっても変わらない
・外の世界の人々は輝いて見える
こう感じるかもしれません。

けど、霊性視点では逆転することがある。
エゴの限界を真正面から見抜いた人間だけが、
本当の意味で「先へ進む資格」を持ちます。
一見輝いてみえる人でも、エゴに全依存していて動けなくなっているというケースはいくらでもある。あなたの動けなさはエゴの限界を見抜きつつある気づきですから、悟りや目覚めの線からいうと、プロセスが進んでいるともいえます。
これは思考実験として書いてますが、実際かなりよくある構造です。

今あなたに必要なのは、
「世界」への疑いを少しずつ溶かすこと。
「恩寵なんてあるのか?」という疑いが、
ゆっくり溶けていく段階に入っているということを知っておくこと。

そして、その溶けるプロセスは
あなたの力ではなく、勝手に起こる側の力によって進みます。

無理に信じる必要はありません。
聞き流すくらいで大丈夫です。
ただ、起きることが起きるだけです。
あなたは、本当は、そこに委ねていれば十分です。

357幸せな名無しさん:2025/11/19(水) 00:07:05 ID:50HmvV/s0
専業主婦になりたいのですが長年叶ってません。
どうしたらなれますか?

358幸せな名無しさん:2025/11/19(水) 02:16:59 ID:g5C34IUk0
>>354
りょうせいさん、素敵なお名前ですね!
今回もありがとうございます。

>いずれ、プライバシーが守られた状態でやり取りできる場も作れたらと思っています
↑ホームページ、楽しみにしています!

>「イエス様は自分を傷つける人を恨んでいたんじゃなくて、
>その人たちの救われていない心のほうを悲しんでいたのでは?」
>この直感は素晴らしいです。
↑有難う御座います。この気付きの後、白昼夢のようなイメージが降りてきて
小学生の頃私に意地悪をしてきた人のうち2名が、それぞれこんな悩みを持ちこんな辛さを抱え
それを自分で受け止められず下位の者にぶつけていた事に気付き(それらが真実かは不明ですが)
愛による癒しが起きました。

>今はただ、「大きな私の愛」で「過去の私」を全部抱きしめてあげてください
優しいメッセージを有難う御座います。以前、自己向き合いをしていた時期に
まどマギの(ご存知なかったら御免なさい無視して下さい)まどかちゃんが終盤で
一気に沢山の矢を放ち、過去の沢山の魔法少女達の所へ行き次々と癒していった、あんな感じで
過去の自分達を癒せたら良いのにと思っていたのですが、今の私なら出来るかもしれません。
そして過去のちょっとした温かい記憶が浮上しました。何で忘れていたんだろう。
けっこうすっぽり記憶が抜け落ちている時期も多々有るのですが、癒しと共に
宝物のような温かい記憶も色々出てきてくれたらいいなと思います。

>それが「自信回復」(大きな自分を信頼・信じることで小さな私たちが回復する)の真意
↑有難う御座います。この言葉で気付きが有りました。
昔、私の父が亡くなる(私が成人した翌年に他界)前に遺してくれた手紙があるのですがその一部に
「〇〇(私の名前)は、小さな事柄はまるでダメですが、グズで、だらしなくて、すぐ忘れるとか…
逆にとてつもなく大きなテーマでは素晴らしいものを持っている様です。自分では気付かない、
従って他人からも気付かれずほめられた事もない、けれど「ドデカイ」大きな長所があります。
私(父)にはそれがよくわかります。自分に自信をもって愉しい人生を歩んで下さい。」
↑この時私は社会人1年目、まさに動作が遅く忘れっぽくてミス連発、叱られてばかり。
履歴書等の長所欄の記入がいつも苦痛だった。自分も他人も気付かない長所なんて無価値。
何で長所の具体的な答えが書いてないの?せめて教えて欲しかった、そう思っていました。
でも昨日気付きました。とてつもなく大きなテーマ、ドデカイという表現の強調。これは私が未来で
いつか大きな自分の存在に気付き、小さな自分を癒していくというテーマに目覚める事を
亡くなる直前の父は知っていたのではないだろうか。確かにこれは他人からほめられる事ではないし
当時の自分は気付いていなかった。あの時父には何が見えたのだろうか。意味不明と思えた
父の手紙に込められた愛、やっと受け取る事が出来ました。

そういえば思い出したのですが、私は幼少期に大きな私と会えた事が一度だけ有りました。
幼稚園生の頃、休み時間に遊ぶ友達もおらず担任からも気にかけてもらえず暇なので
一人でぼーっとしながら「人間は何の為に生まれてくるんだろう?」と考えていた。
そうしたら白昼夢のようなイメージの中に、ものすごく大きな大きな人が現れて
優しく微笑みながら「それはね、はたらく為なんだよ」と教えてくれ、すぐ消えた。
そっかー!はたらく為なんだー!幼い私は仕事のことを差していると思った。でも
出来損ないの自分は大人になってもちゃんと仕事がこなせない気がするなぁと思ってた。
後で気付いたのは「はたらく」=仕事ではないんじゃなかろうか。そして今
はたらく=探求や気づきの事なのかもしれないなと思った。違うかもしれないけど。

ちなみに私が幼稚園生の頃、担任は私の事を嫌っていたようだが、隣のクラスの先生が、よく
私ちゃ〜ん!と駆けてきてハグしてくれたり(でも勢いがすごくてちょっと苦手だった)
新しいヘアゴムをつけていった時に、担任もクラスの子も誰も気づかないのに、その先生だけ
「あっ!それ、オニューだね!」って言ってくれた。私よそのクラスなのに髪飾りが新しいなんて
どうしてわかったの。ずっと私の事気にかけてくれてたんだ隣の先生。ここにも愛があった。
↑これ大人になってから気づいたんですよね、ちゃんと隣の先生にお礼伝えたかったなぁ。

>日常の中で、ゆっくりとリラックスして取り組んでみてください
↑時々大きめのエゴがやってくる感じがするのですが、急がず焦らず行こうと思います。
りょうせいさんから頂いたレスで今回も浄化が起きました。
いつも導いて下さりありがとうございます。

359幸せな名無しさん:2025/11/19(水) 02:27:15 ID:g5C34IUk0
以前、愛という言葉が嫌いだったのに、大好きな歌があった事を思い出しました。
辛島美登里さんの「あなたの愛になりたい」歌詞ttps://www.uta-net.com/song/9348/
これは真の愛の歌だから惹かれたのかなと思いました。
個の私と大きな私を想いながら聴くと、じんわり心に沁みます。
とても素敵な歌なので今これを読んで下さっている方々にそっと布教。笑

360幸せな名無しさん:2025/11/19(水) 20:29:13 ID:IFKm7PJM0
よく悟り系の本で思考に気づきましょうとか、エゴに気づきましょうとか書いてあるので実践してるのですが
ずーっとそれに気づこうとか捉えようとしてるのも思考とエゴだしなんか頭の中ぎゅっとなって違和感を感じるだけなんですが
これでなんか意味あるんですかね はよ答え教えてくれよみたいな探求パワーを強化してるだけみたいな気分になるんですが…
それこそ頭の中が便秘でスッキリできない感じみたいな りょうせいさん助けてください私はこれでいいんでしょうか

361り改め りょうせい:2025/11/20(木) 00:19:28 ID:Ne8LN0nI0
>>357
こんばんは。
まず大事なのは、願望が叶うタイミングは
「起きる時には起きる」「起きない時は起きない」という、とてもシンプルな仕組みで動いているということです。
たとえば、今夜眠る時どんな夢を見るかは
100%コントロールできませんよね。でも、昼間の気分や出来事や心の状態で、夢の雰囲気が変わることはある。

専業主婦になりたいという願望もそれに似ています。
・叶う「瞬間そのもの」はコントロールできない
・でも、叶う「流れそのもの」は変えられる
この2つが同時に存在しているのが、この世界です。
さて、それを踏まえて。
願望というのは、叶う瞬間だけではなく、そこへ向かう準備や日常の変化も全部ふくめて動いています。
宝くじが当たっても銀行に行かなきゃいけないし、その後の管理にもエネルギーが必要ですよね。
専業主婦も同じで、
・自然とそうなった人
・どうにかしてそうなった人
タイプはいろいろでも共通しているのは「流れの中で自然とエネルギーを注いだ」という点です。
では、なぜ長年動かないのか?
原因はアクセルが弱いのではなく、ブレーキが強いからです。
専業主婦になりたい願望の裏側には、次のような本音が隠れていることが多いです。
・生活を共有する怖さ
・誰かに頼る不安
・自分の世界が壊れる気がする
・親密さへの抵抗
・自由が失われる感覚
・家族観の影響
・受け取ることへの罪悪感

そして、あなたがこれらの想いや不安と「自分自身」を同一視してしまっている。その構造が強力なブレーキになっているわけです。

だからまずは、専業主婦という願いを「相手との共同プロジェクトとして叶うタイプの願い」として見てみてください。
趣味にも二種類ありますね。
・一人で完結する趣味(読書・散歩・編み物など)
・相手がいて成立する趣味(グループ演奏・スポーツ・ペアダンスなど)
専業主婦は完全に後者です。相手がいなければ成立しません。つまりこれは、あなたの人生が他者と溶け合う準備をしているプロセスでもある。
この願望が長年動かない背景には、高い確率で「心の境界が固い」ことが隠れています。
ここからは、その願望の性質に合ったワークをいくつか。必須ではなく、気楽に触れられそうなものだけ、どうぞ。

1. 境界線をゆるめる小ワーク
(専業主婦系願望の入り口にぴったり)

寝る前にひと言だけ。
「明日、私は少しだけ人に心を開いてもいいよ」
これで十分です。
心=想念=世界、なので「ほんの少しの開き」が現実に反映し始めます。

2. 受け取り力のリハビリ
(これは専業主婦願望の核心)
・ドアを開けて″もらったら″素直に「ありがとう」
・褒められたら否定せず受け取る
・貰ったもの、小さなギフトでも遠慮しないで「ありがとう」と受け取る

これ全部「受け取りの器」を広げる訓練です。
この器が変わると、不思議なくらい流れも変わります。
3. 生活スペースの共有テスト
部屋の一カ所だけでいいから、
「ここは誰かが座ってもいい場所」
と設定してみてください。

別に本当に誰かを呼ばなくていいです。
実際に誰も来なくていいし、来なくても効果は出ます。
ポイントは、「部屋の中に、他者のための余白をひとつ作る」
これだけで、あなたの中の
「心理的な領域(パーソナルスペース)」
がほんの少しゆるみます。

実は、恋愛系の願望や「誰かとの共同生活」に関する願望が長年止まる典型的な原因のひとつは、「空間を共有することへの無意識の拒絶」
なんです。
たとえば、電車で隣に人が来るのが苦手だったり、寄られるとなんか落ち着かなくなるタイプの人は、この「空間共有の抵抗」が強い傾向があります。

4. 願望の正体を書き出す
これ古くからあるシンプルなやつです。
・専業主婦になりたい理由
・その理由を否定する声
・その声が怖がっていること

この三つを書くと、
アクセルとブレーキの正体が
客観的に見えてきます。

ここで核心が分かる人も多いです。
専業主婦の願望は
単なる「肩書きの変更」ではなく、
「個の私が一人で守ってきた世界を、誰かと分かち合う準備」
というライフステージの移行そのものです。

だから、動き出すときは
急ではなく、静かで、自然。
願望の実現だけを見ると遠く感じますが、
実際のプロセスは「日常の境界線が、ほんの少し柔らかくなる」ここから始まります。
そして、ここが変わり始めると、
世界の「見え方」「感じ方」も少しずつ変わって見えてくるかもしれません。

362り改め りょうせい:2025/11/20(木) 00:20:58 ID:Ne8LN0nI0
>>358
ありがとうございます!まどマギのラストは私も超絶感動しました。笑

363り改め りょうせい:2025/11/20(木) 00:27:15 ID:Ne8LN0nI0
>>360
まず前提として、「思考に気づく」という練習が必要なのはなぜか?
ふつう人は、
「思考=自分の声=自分自身」
と無意識に信じています。
その思い込みをゆるめるために「気づく」練習があるのだけど、ここで多くの人が詰まります。

そして「エゴ」というのは本来、
思考・感情・記憶のまとまりを 「自分そのもの」だと思い込んでいる状態 のことです。

つまり、
・頭の中の声
・勝手に湧く不安
・勝手に湧く願望
・過去のストーリー

これら全部を
「私が考えている」「私の意見だ」と錯覚する構造=エゴということ。

いまあなたがつまずいている理由。
あなたの今の段階は、まさにこれです。
「思考に気づこうとしてる″私″も思考じゃね?」
ここに触れ始めると、
・頭が締めつけられる
・違和感
・探求(答えを探す)エネルギーが暴走する
・頭が詰まる感じ
・正しいか不安になる

これは全部プロセスとして正常です。
思考とエゴの正体がバレはじめたときに起こる典型的な反応だから。

じゃあ「意味あるの?」の答え
結論→意味はあります。

ただし、「努力して気づこうとする」のには限界がある。この練習の本質は、こういう流れです。

思考に気づく
 ↓
気づこうとする「私」に気づく
 ↓
あれ?気づきって、思考より先に「ただ在る」側だった・・
 ↓
「私は気づきそのものだった」

これは「理解」というより、
内側の構造が切り替わるプロセス です。

あなたはいま、その境目にいるかもしれない。
だから頭がキュッとしたり違和感が出るのは、
むしろ進んでいる証拠なんです。
もっと単純に言うと、

思考が出る
 ↓
気づこうとする
 ↓
気づこうとしてる「″私″」も「″思考″」だと気づく
 ↓
気づきだけが残る

こういう段階の途中。
ここでは脳が混乱するのは当たり前。

本当の私、本当のあなたは何か?
意識=存在=気づきそのもの。
その意識の中で、
・気づこうとする私
・焦り
・不安
・違和感
・探求欲
・感情全部
これらが勝手に生まれては消えていきます。
あなたは常にある不動の存在であり、
これらはただの一時的な現れ・動き。
波がどんな形でも、海そのものは変わりません。
これが腹に落ち始めると、
詰まりが少しずつ溶けていきます。
なぜなら、あなたは一度も詰まったことなくただ在り続けている存在だからです。

実践のコツ(ここが一番大事)

「気づこうとしない」こと。

気づきって、本来 「努力」ではありません。
努力して作るものではなく、
もともと「自然にある背景」
なぜなら、
意識=あなたは、非努力性で在り続けているものだからです。

だから今は、「気づこうとしている私」に気づいたら、そのまま放置でOK。
そこから先は、自動で進みます。

364幸せな名無しさん:2025/11/20(木) 01:12:48 ID:FDP/5Drw0
>>362
まどマギ御存知で良かったです、有難う御座います。
本日の気付きで、大きな私の意識の時は、体からはみ出ているような気がするのですが
エゴ思考が働いた瞬間、ヒュッと小さくなり体内に収まった感じがしました。
大きなもの、自然や世界と融合したいような寂しさ・切なさが湧きました。
意識が拡大している為か?フライパンで冷食の唐揚げやナゲットを炒めていた時
一瞬だけミニチュアを炒めているような気分になりました。

365幸せな名無しさん:2025/11/20(木) 10:26:41 ID:v3ZU.Az20
>>363
360です。「思考」とそれに対する「気づいたという思考」がある
更に思考と気付いたという思考両方に気づいてる「    」がある らしい
でもう思考の限界にきてますね。もうここまで来たら思考で出来ることはなく
りょうせいさんの言ってるような構造の切り替わりとか自動の行きつく先が起きるまで
肉体的な私に出来ることはないって感じですかね
私は最初に頭が便秘みたいと例えましたが、もう思考で「出ろ〜出ろ〜スッキリしてくれー」
ってやるんじゃなくてもう実際出るのを待つしかないみたいな
とりあえず今の段階ではこれでいいのだと思えたので少し楽になりましたありがとうございました

366り改め りょうせい:2025/11/20(木) 14:36:13 ID:Ne8LN0nI0
>>364
私も、数え切れないほどの作品に導かれてきました。大きな私の「大きさ」というのは、いってみれば無限の大きさであり、同時に 無限・小/大さえも超えています。
さまざまな現れを通して、世界=心は
・付着物を落とすための浄化のシャワー
・進む方向を示す導き
このふたつで満ちています。
つまり、教師も反面教師も、すべて「教師」という形をとったガイドです。
実は、とても楽な構造なんですよね。ありがたや、です。

>大きなもの、自然や世界と融合したいような寂しさ・切なさが湧きました。

はい。
エゴにとって「霊性プロセスが進む」というのは、たいてい 悲しみ(=浄化) と 慈しみ(=癒し・許し) を交互に通る道になります。
この往復を通して、
「自ら聖なるものに飛び込んでいく勇気」
「愛そのものを求めてしまう切望」
が育っていきます。
望まなければ、ずっと同じところで同じ夢をぐるぐる見続けることもできます。
なのに時々、はからずとも「愛や真理」そのようなものを求めてしまう。
個にとってそれは溶解なのにもかかわらず。
あらゆる思い込みが消えてしまうのにもかかわらず。
この摩訶不思議は、確かに起こってしまうのです。ただ、その不思議なモチベーションは「存在・愛・至福」ただ、そのものに還るためです。そこが実家だから。

>一瞬だけミニチュアを炒めているような気分になりました。

はい、その感触もまた象徴的です。
そんな気分が起きた「あなた」を、
真のあなた(大きな私)が、
愛と恩寵の調味料を振りかけながら炒めているんです。笑  これが、必要なことが必要な瞬間に起きてしまう、この世界の構造です。

367り改め りょうせい:2025/11/20(木) 14:38:55 ID:Ne8LN0nI0
>>365
360さんのおっしゃってる、
思考→ それに気づいたという思考→ さらに両方に気づいてる 「何か」
この観察の仕方は、方向としてまったく合ってます。ただここでよく起きるのが、
「思考の限界っぽいし、じゃあ私はもう何もできないのか?」という混乱。

ここが大事なところで、
ここを誤解すると探求って本当に何年も何十年も停滞・止まってしまいます。

「あなたにできることは何もない」問題について。
よく引用される言葉で、
・あなたには何もできない
・求めるほど遠ざかる
この2つがあるけど、これは真逆に誤解されやすい言葉です。

結論から言うと、
その言葉は 「行為者としての私だけ」を見た時には正しい。でも「探求全体」で見れば、まったく不十分。
ほんとはこういう意味です。

・行為者の視点では「する」がある

・存在の視点では「起こる」だけがある

この2つは同時に成り立っています。
行為者としてのあなたは、
・調べる
・読む
・観察する
・試す
・探求する
・向き合う など
こういう 「やる側のエネルギー」を投じる必要がある。

だけど、もっと深い視点から見ると、
・思考が出る
・気づきが起こる
・疑問が湧く
・理解が深まる
・脱力が起きる
・切り替わりが起きる など

これら全部は 「起きてしまう」側の現象。
呼吸が勝手に起きてるように。
そして、あなたの中の
「私が呼吸している」という感覚さえも
ただの起きている動きにすぎない。
これが正しい意味での
「あなたにできることは何もない」です。
これは「無力」という意味じゃなくて、
あなたの中のすべては、生き物みたいに勝手に動いている。という意味です。

そして、もうひとつの誤解されがちな言葉。
「求めれば遠ざかる」
この言葉が探求を一番台無しにします。
ほんとはこうです。
「浅い欲求ほど遠ざかるけど、深い求めは必ず叶う」
古くから伝わる教えは全部ここをハッキリ言っています。これは特定の思想じゃなく、あらゆる教えが共通して示し続けているものです。

→「信じる者は救われる」
→「求めよ、そうでなければ与えられない」
→「水中で空気を求めるほど求めよ」
→「探し続けよ、探す者だけが見つける」
→「魂は、それを切望する者にのみ自らを明かす」
→「求め尽くした果てに、求めるものが消える」


これは探求でも願望実現でも同じ。

「表面的な焦り」が求めても遠ざかるけど、
「深い本心の求め」は必ず引き寄せる。

あなたの感じてる「便秘みたいな詰まり」も、
実はその切り替わりの入口で起きる典型的な現象です。

>「もう思考で出そうとするんじゃなくて、出るのを待つしかない気がします」
これ、いい線いってます。

ただし「何もしないで待つ」ではなくて、
必要な時は必ず必要な行動を取るようになっています。
その行動もまた 「起きる」側だから。

いまあなたは緊張がふっと抜けていく方向に向かっている。
その「少し楽になった」という感覚が、それ自体プロセスの一部です。
そして、その後でまた自然に 「取り組むこと」が起きる。
探求って、いわば蛇が自分の尻尾を飲み込んでいくみたいなものです。
どこかで勝手にループが閉じて、輪そのものが静かに消える。
そこまでは、
・緊張
・脱力
・疑問
・安堵
これが波みたいに行ったり来たりする。
それらを繰り返しながら上へ上へ登っていくのです。

全部そのままで大丈夫。
あなたはちゃんと上昇の流れの中にいますから。

368幸せな名無しさん:2025/11/20(木) 16:23:20 ID:v3ZU.Az20
>>367
度々ありがとうございます。実は前に悟り系の本や動画に触れた時にも
「できること無いじゃん、そもそもすることに意味あるのか?(だってこの私じゃなんも出来んのでしょ)」
と一回投げちゃったんですよね。何をどうしても思考の域を出れないしもうわけ解らんからいいわみたいな。
その期間からカウントしたらまさに何年も停滞してます(笑)
でも最近リアルで色んなことがあったのとこの板やこのスレの影響もあって真理への興味が再熱しました。
これは起きてることかもしれませんが、素直に求めたり取り組んだり便秘頭でいきんで良かったなら安心です

369り改め りょうせい:2025/11/20(木) 19:08:11 ID:lkgau8Ng0
>>368
それは良かったです。
エゴではない、本当のあなたの立場というのは、本来「私はそれである」「私は存在である」という、とてもシンプルな在り方です。そこでは安心が当たり前すぎて、「安心?不安?なんのこっちゃ。私は″ただ在る″」という立場です。
なのに、不思議なことに
「エゴ(個)が私なんだよ?」
「あなたはこの物語の主人公なんだよ?」
という「世界的催眠ストーリー」が起こってしまった。
だからこそ「真理探求」という言葉が生まれたわけです。だから本来の「それである私」から見ると、
「真理?探求?なんのこと?
私はただ在るだけだけど・・」
くらいの感じです。笑
でも、エゴ側がふたたび素直に、本当の私を「求めたい」「取り組みたい」「思い出したい」と感じたのは、むしろとても良い流れです。苦しみながらやるより、少しでも楽しめたほうが早いし、なにより心が軽くなる。
探求って本来そんなに怖いものじゃないです。
だから落ち着いたり、じんわりワクワクしたりしながら理解が深まっていくものなので、
そのペースのままで大丈夫。起きることをそのまま起こらせてみてくださいね。

370幸せな名無しさん:2025/11/20(木) 20:35:21 ID:2PoGgBY60
>>369
>「安心?不安?なんのこっちゃ。私は″ただ在る″」
>「真理?探求?なんのこと?私はただ在るだけだけど・・」くらいの感じです。笑

ほんと、そーなんですよねー。笑
「一体今まで何やってたんだろ?ハハハ」みたいに力が抜けてニヤニヤしてたの、思い出しました。
このコメント読んで、思い出して、今ニヤニヤしてます。笑
思い出すだけでも、いいもんですね。

371幸せな名無しさん:2025/11/20(木) 22:34:40 ID:rBLNDXa.0
>>369
横から失礼します

>なのに、不思議なことに
>「エゴ(個)が私なんだよ?」
>「あなたはこの物語の主人公なんだよ?」
>という「世界的催眠ストーリー」が起こってしまった。

そうは言っても、そのストーリーの中で足をぶつけたら痛い、痛すぎます

372幸せな名無しさん:2025/11/20(木) 23:07:10 ID:FDP/5Drw0
>>366
いつも有難う御座います。
>エゴにとって「霊性プロセスが進む」
↑霊性プロセスという言葉を見てハッとしました。私はこういう話題を
誰かとやり取りするのは初めてでよく解っていなかったのですが
この話題の場合、不特定多数の見る場所で個人の深い話をする事は
身バレ以上に色々とマズイ事だったのではないかと…。
気付かせて下さり、有難う御座います。

大きな私は本当に大きいですね。イメージの中ではそこまででもないですが
これ位?と思うと、もっと大きいよ!となり、大きすぎて把握出来ない宇宙より大きいかも。
そういえば、アルティメットまどかも大きかったですね、漫画の封神演義の妲己ちゃんの最後も。

谷川俊太郎さんの「なんでも(+4文字)」の詩も、この気持ちの事かなと思いました。
>おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
>おれのからだ おれの気持ち 溶けてなくなっちゃいそうだよ
>でもこれじゃまるで〇んだみたいだなあ
↑個の私として読んだ時は???でしたが
大きな私を想いながら読むと共感しかありませんでした。
(妲己とかこの詩とかご存知なかったら御免なさい、スルーして下さい)

>個にとってそれは溶解なのにもかかわらず。
↑溶けたいと思います時々。ふと思ったのですが、このタイプの探求をしている時って
自分を守るバリアみたいなものが薄くなりますか?ここに書き込み始めて
快眠快食快便の話のところ辺りで2日続けて頭痛が起き、2日目の頭痛の時に
脳内で「お返しします!」と一度強く唱えたらスッと消えたので
もしかして…何か飛んできていた…?と思いました。

あと快眠快食快便の状態も崩れてしまいました。睡眠サイクルが変。
食事は以前より少量でも満足出来る様になりました。

そして、頭の中が探求ばかりに偏るのも良くないのかもと思いました。
なんかこう…干からびてしまいそうで。
今日は普通に外食と買い物を楽しんできました。うん普通。笑
普通にアニメ視聴も楽しみたいと思います。
そういえば「ぼのぼの」も時々、真理っぽい話がありますよね。
(ご存じなかったら御免なさい)
友人の1人がぼのぼの好きだったり、雑草をかわいいと思える優しい人だったりするので
こっち方向の話も大丈夫かな?と思い、軽く話題を振ろうと思っても
必ず、本当に必ずすぐ曇った表情になるので、あっマズイと思って話をそらしていました。
人を選ぶ話題なんですね…。

わたし探求の話題において初心者すぎて
書いていい部分とそうでない部分の区別がつきません。
なのでマズイ話題に触れている感じでしたらスルーお願い致します。

そういえば大きな私が「過去の」小さな私を癒す作業については
なんだか飽きてしまいました…。出てきた時に癒せばいいかなって思いました。
「今」は、いくらでもたっぷり癒されたいなと思いました。
(没入し過ぎず現実生活をしながら程々に、二人三脚程度のイメージで)

>悲しみ(=浄化) と 慈しみ(=癒し・許し)
だから寂しい感じがしたり、なんだか(個が)干からびそうになったり感じるのですね。

いつもありがとうございます!

373幸せな名無しさん:2025/11/21(金) 00:59:34 ID:8m3CrWoE0
372です。そういえば霊性プロセスって何だろう?と思い検索してみた所
こんなポストを見付けました。
ttps://x.com/kaori_garden/status/1989645549650206850
>自己否定、劣等感、恐怖心が一気に噴出し、魂は押し潰されそうになる。
>それでもなお、逃げず・誤魔化さず・すり替えず、自分の愚かさと現実から目を逸らさずに向き合う。
>この姿勢こそが、霊性の扉を押し開く第一歩となる。
↑自分はアレコレ書き込んでしまったこれに相当するものに対して
かなり長期間向き合い続けてしまいました。気付かない間に扉が開きかけていたのかもですね。
飽きたとか言わずに自己癒しを無理なく続けたいと思いました。

374幸せな名無しさん:2025/11/21(金) 01:18:08 ID:1zzzkaD60
お言葉に甘えて余談・雑談

大嶋信頼さんのことを書かれている方がいらっしゃいました。大嶋さんの本を読んで「お師匠さん」に憧れました。

「凪」は思考停止した、エックハルト・トールのアイデンティティシフト、静かな認識の変更した世界。その境地から生きるのが「無意識さん」の世界だと思いました。ついでにアニメネタでいうとドラゴンボール、悟空の身勝手の極意のようなものかなと。

375幸せな名無しさん:2025/11/21(金) 02:52:55 ID:8m3CrWoE0
>>374
こんにちは!大嶋信頼さんの事を書いたのは私です。
大嶋さんのお名前を見つけて、つい反応しちゃいました。笑
お師匠さん素敵ですよね、ガッハッハ!笑 私は催眠ガールを読んで(夏目ちゃん大好き!)
こんなお師匠さん(大嶋さんのお師匠さんがモデルですよね)のスクリプトを間近で聞けたり
励ましてもらえたりする夏目ちゃん、いいなぁ〜!と思っていました。(未読でしたらスミマセン)
認識の変更ができるとお師匠さんみたいになれるのかな?とも思いました。憧れますよね!
ドラゴンボールは知っている所と知らない所があるので「身勝手の極意」の記事を検索してみました。
すごいですねこの技!無意識さんパワー全開だと思いました。そして悟空だからこそ使える技な気がしました。
超の主題歌の一部分「 退屈は石になる 重くて落ちちゃう前に」の所
実践で退屈感にやられて敗北しがちなので、ああ〜と思いながら聞いてました。笑

376幸せな名無しさん:2025/11/21(金) 11:44:44 ID:bZ4tv5uY0
>>356
返信、ありがとうございます!!
是非書き込んでくださいと言っていただけホッとしました。
他の人への回答も含めて、やっぱりとても興味深く読ませていただいています。
りょうへいさんの回答を咀嚼しつつ、何か分かったような事を言いたかったのですが笑
分かるような、分からないような、分かりたいと思う事が違うというような、不思議な感じです。
生きてるって不思議です!訳分かんない!!
ただ、勇敢だと言っていただけたことがなぜか私の心に刺さりました。本当に私は何も出来ないな〜と落ち込んでいたので。
最近は、自分よりも大切なものなんて何もないんじゃないかという思考が出てきています。
ただの自分ではダメだから、何かを付け足さなきゃ!と思っていたけど、そんな事ないのかも?と。
まあ行ったり来たりなのですが。
AIと人間の違いというか、アイデンティティとは?みたいな思考も出てきて、色々興味深く考えています。
お話楽しかったです!ありがとうございました!

377幸せな名無しさん:2025/11/21(金) 11:47:40 ID:bZ4tv5uY0
>>376
りょうせいさんでした!間違えました!ごめんなさい!!

378り改め りょうせい:2025/11/22(土) 17:45:44 ID:7vU1r8f60
>>370
はい、笑
思い出すことを何度もくり返すとやがて、催眠が溶け、私の伝えているそれのリアリティが深まってきます。

※ここからは「思考観察を続けて混乱・停滞・ループに入った人向け」です。祈り・癒し・明け渡し型の方は読み飛ばしてOK

探求者が「エゴを何とかしよう」とすると迷いやすい理由があります。
それは、エゴが「自分を対象物として扱いはじめる」からです。

1.自分を観察対象として切り離す
2.原因を外側に探す
3.自分自身を直そうとして追いまわす

この循環が始まると、迷路に迷い込んだように混乱が強くなります。

ここで、シンプルで短いたとえ話

タイトル《世界会議》

世界中の偉い人が集まり、「エゴの正体を暴け!エゴを捕まえろ!」と真剣な捜査会議をしています。
スクリーンにはエゴの写真がドーン。

しかしその″エゴ本人″、なぜか会議室の最前列に普通に座ってるんです。笑
名札には「私」
真剣にメモしながら手を挙げて、
「すみません!そのエゴ捕獲のヒントについて質問があります!」
しかし、誰もその矛盾を指摘せず完全スルー。

・・いや、そのエゴってあなた本人だよ、というオチ。笑

この話が示すのは、エゴは「自分で自分を追いかける構造」になっているということです。

そしてエゴの本質は、
実体がないのに、追われるフリをしている存在
です。
探している「エゴ」は、
・思考
・感情
・記憶
・反応パターン
ただの寄せ集めで「私っぽく見えているだけ」です。だから本物のエゴは永遠に見つかりません。
そしてある時、起こります。
その「見つからなさ」に気づいた瞬間、

「え、全部この私の中の動きだったの?」
「エゴをどうにかしようとしてた″この私″がエゴだったの!?笑」

という、脱力・笑い・解放が自然と起き得ます。探求のある段階で体験する「ふっと力が抜ける」あの脱力感覚の正体はこういうわけなんです。

379り改め りょうせい:2025/11/22(土) 17:51:36 ID:7vU1r8f60
>>371
ほんとにその通りです。
痛みは、物語の中で「個としての私」が確かに体験します。このスレで話している内容は、
その痛みを否定したり、「痛みは錯覚だから気にするな」みたいな乱暴な話ではありません。

そして、これはすごく大事なポイントですが、
真理探求は「痛みを無かったことにする道」でも、「痛みに動じない鋼のメンタルを作る道」でもありません。むしろ逆です。
痛みを感じられるということは、
個としての私がちゃんと物語を生きている証拠でもあります。

そして、実はここに
大いなる存在と個の私の最大のラブストーリー
が隠れています。
エゴ(個の私)は、痛みも喜びも混ざった「人生そのもの」を体験している存在。
大いなる存在(真のあなた)は、
そのすべてを包み込んでいる側。

やがてエゴは自然と気づきます。
「私はずっと一人で痛みと戦っていたわけじゃないんだ」と。
その瞬間から、エゴは大いなる存在に少しずつ寄りかかり、やがて抱擁されるように静まり、溶けていく。

痛みがあるからこそ、
その「溶けていくプロセス」の温かさや深さが生まれるんです。(これは言語化するととても陳腐になりますが。)

痛みそのものが悪でも、間違いでもなくて、
そこで起きている一つ一つの体験を通じて、
大いなる存在とエゴが再び出会う道ができている。
だから、痛みを無視する必要はまったくないです。痛かったら「痛い」でいいんです。
痛みは物語の一部であって、
あなたの本質を傷つけることはできません。

そして、強い痛みや苦しみが起きたとき、
個としての私たちにできることは、
ただ静かに、
「どうかその痛みが少しでも和らぎますように」そんなふうに祈り、願うことぐらいです。
その祈りも願いも、また「存在」の優しさの現れなんだと思います。

380り改め りょうせい:2025/11/22(土) 17:55:14 ID:7vU1r8f60
>>372
こちらこそ。いつも丁寧に読んでくださってありがとうございます。
まずひとつだけ、とても大事なことを先にお伝えさせてください。

ここで扱っている内容は、
エゴの防衛エネルギーにとって かなり揺さぶりが強い領域 です。
あなたもおっしゃってるとおり、
たくさんの情報が一気に入りすぎている時期は、ここに書く量を増やすよりもまず、
「休む・静まる・静寂に触れる」時間。
つまり日常的な喜びを優先してあげてください。

「読む→考える→書く」だけを続けすぎると、
心が外側に開きっぱなしになり、
感受性の高い方ほど疲れが出やすく、
想念があちらこちらに暴走することがあります。これでは本末転倒になってしまいます。

私がお伝えしている実践は、日常生活の中に、概念を超えた静寂と平和がゆっくり浸透していく方向のものです。
必要なときに静かに触れてもらえれば十分です。
どうか無理のないペースで、日常生活と心身の健やかさを第一にされてくださいね♪

381り改め りょうせい:2025/11/22(土) 18:00:25 ID:7vU1r8f60
>>374
雑談どうぞどうぞ♪

382り改め りょうせい:2025/11/22(土) 18:06:03 ID:7vU1r8f60
>>376
→まさに。その「訳わかんない感じ」が大事なんです。探求って、「個としての私」が頭で理解するというより、触れているうちに、勝手に直接理解(=腑の底での納得)が起きてしまう領域なんですよ。

直接理解がほんの少しでも起きると、
個の私からするとこうなります。

「え?なんか分かった気がするけど全然わからん!」
「なんか変・・でも悪くない・・不思議!!」

この、わからんけど何かが反応してる感じはかなり良いサインです。
水面下では確実にプロセスが浸透しています。ゆっくりで大丈夫。アスファルトを突き破る芽のようにゆっくりでOK

>勇敢だと言っていただけたことがなぜか私の心に刺さりました。本当に私は何も出来ないな〜と落ち込んでいたので。

→これは気休めでもお世辞でもなく、本当にそうなんです。
もしあなたが友達とRPGゲームを一緒に始めて、相手がいきなり「ハードモード」を選んだらどう思いますか?
「いやあなた・・勇気あるなぁ。大丈夫か?笑」って思うはずです。

そして、ハードモードって確かに敵も強いけど、そのぶん経験値もデカいし、展開も深いんです。あなたが今体験していることもまさにそれです。
何もできてないのではなく、ハードモードで歩いてるから体感が強いだけです。

だから、起きること・人生の流れを「悪者扱い」にする必要は一切なくて、むしろ 飛躍と理解のチャンスが濃縮された道 なんですね。

焦らず、ゆっくり、今のリズムのままで大丈夫ですよ。グッドラック!

383幸せな名無しさん:2025/11/23(日) 13:26:48 ID:Tjnwg6io0
>>375
大嶋信頼さんの本は20冊くらい読んだことがあります。『催眠ガール』も2冊とも読みました。一番のお気に入りは『無意識さんの力で無敵に生きる』ですね。

384幸せな名無しさん:2025/11/23(日) 13:37:40 ID:gRYPzmxs0
>>378
370です。
他の方の質問が途切れてるようなので、お聞きします。

純粋意識の気づきがずっと続いてた時に、短時間ながらシフトが起こってます。
一旦世界が消えたあと、世界が再出現した時に意識としての私がありました。
意識としての私は、心の動きを眺めるだけでそれに影響されることなく幸福でした。
はっきり覚えていませんが1分間くらいかな?多分立ち上がって体を動かすうちにエゴに戻ったように思います。
あのようなシフトは自助努力では無理で、気づきの継続がなされた時のどこかのタイミングで起こるんだと思います。
エゴに戻らず安定して意識に留まるようになるには、何度も行ったり来たり繰り返すんでしょうか?

385り改め りょうせい:2025/11/23(日) 15:49:04 ID:DwQ1vmLc0
>>384
素晴らしい体験です。

たとえば蜘蛛がいるとして(苦手だったらすみません)、
蜘蛛本体を「意識としての私」としましょう。

蜘蛛は糸を出します。その糸が「心」です。
糸の動きが、想念・思考・概念・観念・信念といった心のあらゆる動きです。
そして糸がどんな形になるか、それが潜在意識の中身であり、「世界・世界観」として表現されます。

蜘蛛本体に糸がシュルシュルと巻き戻り、完全に本体だけになったら世界は消えます。
世界観も消えます。
あなたのように直接体験するのが一番話が早いのですが、その状態を言葉で表すなら「私は在る」「・」のようなニュアンスになるでしょう。

ただし、思考よりもさらに微細な認識(気づき)という糸があります。
これは糸の出入口付近の繊細な層です。
そのため「意識─気づき(認識)─存在(在る感覚)」という三位が、ひとつの性質として重なっています。

>意識としての私は、心の動きを眺めるだけで影響されず幸福でした。
→はい、それが存在・意識・気づき・至福・愛・平和などと呼ばれる「それ」の平和・愛・至福の側面です。
影響されないとは、すべてを包み、許し、あるがままにさせている「母体としての立場」にいたということです。

>多分1分くらい。体を動かすうちにエゴに戻ったと思います。行ったり来たりを繰り返しますか?
→結論から言えば 行ったり来たりは普通です。
入口までは努力が起きますが、「努力者の私 → 意識そのものの私」への転換の瞬間はただ起きる非努力・非行為です。
だから恩寵・祝福と呼ばれています。

そして実は、誰でも日常で1〜2秒なら普通に「在る状態」になっています。
静かにボーッとしている時などね。
その自覚がなく、覚えていないだけです。
あなたの場合はそれを自覚的に体験した。それが「私は在る」という立場です。

あなたの1分間は、とても貴重な1分間でした。
「意識そのものの私として在る」これが安定するまで、どれだけ時間をかけようとも、何度も何度もそれ自身から呼ばれることになります。

ここから自然に安定していく方向へプロセスが進んでいきます。参考までに、禅の十牛図(悟りのプロセス)に当てはめると、
・牛を探す
・牛の足跡を見つける
・牛を見る(見性)
このあたりまでは来ています。

ここから先は、行ったり来たりしながら、
やがて「牛を飼いならす段階」へ自然に移行していきます。その過程では、あたかも
意識としての私と、エゴとしての私が
主導権を交替しながら前に出たり下がったりするように感じることがあるかもしれません。

でもこれは争いではありません。
古い私の慣性がふっと顔を出したり、
意識そのものの視座が再び前に出てきたりする、ただの自然な揺れです。
プロセスが進行している時ほど、この揺れが起きます。これは浄化です。
何も間違っていません。むしろ今の流れ良いものです。
ぜひ「私は在る」として在る時間を、
一日のうち1分でも5分でもいいので、日常の中で増やしていってください。それが、もっとも直接的な道です。

386幸せな名無しさん:2025/11/23(日) 21:36:04 ID:ubWIwmfE0
>>385
蜘蛛は大丈夫です。家の中も外も普通にいっぱいいて、自然好き生き物好きの私は、特に屋内のアシダカグモなんか大切な同居人扱いで見守ってます。笑

世界が消えてる間は、ボーッとする瞬間と同じ感じでしたね。熟睡中と同じで世界が消えてることを知りませんでした。
そこにポンと認識が生じ、心と世界を眺める「意識としての私」を把握した。あの「認識」がある状態、あれが一時的だった訳、あなたの説明と十牛図は参考になります。
ただ十牛図については、その後の更に先のプロセスはアドヴァイタによる解釈とは異なる点があるように思えるし、私に与えられている指針とどのように合致するのか分からず疑問が生じます。
まあ良く分からないので先のことは気にせず「意識としての私」を直接体験し続けることを目下のテーマとして歩んでいこうと思います。

大して重要な質問ではないと思ってましたが、訊いてよかったです。
ありがとうございました。

387幸せな名無しさん:2025/11/23(日) 21:48:13 ID:5srUCq8I0
専業主婦になりたい
なりたいが叶ってる?

388幸せな名無しさん:2025/11/23(日) 22:07:06 ID:u8u1zSvU0
主さんは、寝ている時に見る夢、あれをどのような位置付けで捉えていますか?意識ありきで存在する世界という見方では、夢も現実も似たようなものなのでしょうか。
自分は比較的エゴが静かな時に、ふいに夢で見た景色を次々に思い出すことがあります。
このような分野を知り、体感に落とし始めてから、明晰夢を見る機会も増えました。
夢について、よろしければ見解をお聞かせください。

389り改め りょうせい:2025/11/24(月) 00:45:32 ID:UfUQ97Lg0
>>386
>蜘蛛は大丈夫です
→それは良かった。意識そのものへ移行していくと、好き嫌いとは別の次元で、自然に共通項が成立してくるんですよね。お互いが「存在」という名前の同じところから生まれているから。笑

>世界が消えている間は

→はい。私がしつこくお伝えしたいニュアンスは、「意識そのものの私/気づきそのものの私/存在そのものの私 」は「一度垣間見たら終わり」ではなく、そこから 深まり・深度・徹底 という 大切なプロセスの仕事が始まるということです。大げさに言うなら、ここからが本格的な内なる冒険の本番です。

古来から純粋意識についてはこう言われています。「それを一度見たら終わりではない。何度も会いに行かなくてはならない」

なぜか?
一度や二度の接触では、エゴは納得しないからです。
「私は個であり、身体である」という感覚は、あまりにも根深い。エゴは幻影をつくる、超プロフェッショナルな魔術師です。

車の運転、自転車、仕事、スポーツのように、
意識へのアイデンティティ移行の道にも、
それらよりはるかに長く深く、ゆっくり安定していくプロセスがあります。
くどいけど重要なので、何度でも言います。笑

>ただ十牛図については
>アドヴァイタによる解釈とは異なる点があるように思える
>私に与えられている指針とどのように合致するのか分からず疑問が生じます。

→まさかそこを指摘されるとは思わなかった。笑 あなた、いろいろ学んでますね。笑
確かに、十牛図は「悟り」のプロセス です。
個人が悟り、悟りの境地を深めていくための地図です。
そして私がここで伝えているのも、
純粋意識を知る、そこにとどまる、それを深める。この「純粋意識」という存在を、
まずは集合意識に、世界に、種として、植えている段階です。

なぜそこから始めるのか?
純粋意識こそ、すべての鍵だから です。
「まず悟ってもらう」
体験者が残っていてもいいから、その入口を開く。これが逃げても、断っても、しつこく私の中に起きている意図です。

アドヴァイタの道筋で言えば、
悟り → 全体意識 → すべてを超えていく。
つまり、「私は悟った」というアイデンティティすら超えていく方向です。
それが非二元・超越・絶対、有/無すら超えた領域です。

ここでは当然、その最深部の話は控えています。この話が必要なのは、「私は在る」に安定した者に対してだけです。

禅でも、純粋意識を超える領域を語る人物はごく限られています。(でも、あるっちゃあります)聖書でも「エゴ・身体の死と、最後の復活」とかなり象徴的に控えめに表現されています。

つまり、普通は 見性(小悟)だけでも超絶難しい、一瞥体験すら極めて難しいという、今はそういう時代です。(もちろん一部で例外は起こり得ます)エゴ、概念や想念との同一化、催眠の強さは宇宙の歴史を見れば分かる通り、圧倒的です。

そのため、アドヴァイタでもまずは、
「純粋意識を、″私″として思い出すところから」伝えられています。ここが主流です。

>まあ良く分からないので先のことは気にせず「意識としての私」を直接体験し続けることを目下のテーマとして歩んでいこうと思います。

→そう、それが一番です。
意識に安定することが、本当に大切。
シンプルだけど、非常に奥深く、そして最重要テーマです。

あなたは純粋意識と「たまに会う恋人」ではなく、10分のデートではなく、完全に結婚して、深く結ばれる、一つになる。
その準備段階として10分間の恩寵・祝福が起きたというお知らせです。笑

>大して重要な質問ではないと思ってましたが、訊いてよかったです。ありがとうございました。

→そういうプロセスの方、本人は意外と無自覚なものですが、・・これがどれほど重要なのか。(板のテーマと大きくずれてスレ削除されそうだけど。笑)

何かしらお役に立てたなら幸いです。
またいつでもどうぞ。

390幸せな名無しさん:2025/11/24(月) 00:51:33 ID:zgiG0TDI0
>>388
横から失礼します

私自身が夜眠くなって寝る過程を観察したところでは、思考が映像化したものが夢だという認識です。

夜、寝る瞬間を捉えようと観察を繰り返しているときのこと。ウトウトして眠くなってきたときに、足元の方で声がしてうるさくて眠れないではないかと思って、意識を向けると自分の声、自分の思考だと気づきます。すると、それは意識の中心に移動してきたかと思うと一体化してしまい拡大し映像化して夢見が始まりました。

昼間に瞑想をしているときに雑念が湧いてきますが、雑念にとらわれて一体化してしまったときに映像化して妄想状態(夢を見ている状態と同じだと感じました)になってしまったことがありました。

391り改め りょうせい:2025/11/24(月) 01:35:44 ID:UfUQ97Lg0
>>387
願いが叶うかどうかを決めるのは、あなたが追いかける気持ちではなく、その願いが静かに育つ流れがあるかどうかだけです。

その流れがあるときは、抵抗しても逃げても、結局そちらへ運ばれます。
そして、願いの前後に必ずある
「静かに気づいている私」だけは、
叶う・叶わないに関わらずいつも変わりません。そこに一度戻ってから願いを見ると、
自然と今やることも見えてきますよ。

392り改め りょうせい:2025/11/24(月) 01:39:26 ID:UfUQ97Lg0
>>388
質問ありがとうございます。

>寝ている時の夢をどのように捉えていますか?
→私の立場を率直に言うなら、
夢は一度も起きていない、という位置づけです。
「夢って何?」というより、
「動きとは何かが知られていない」
という方が本質に近いです。
これが真の私であり、真のあなたの立場です。

ただ、これだけでは会話が成立しませんので、
ここからは 個としての視点から夢とは何か?の説明に切り替えます。

>意識ありきの世界という見方では、夢も現実も似たようなものなのでしょうか。

→まったくその通りです。

夢とは、想念、潜在意識、微細な心の動き
これらがそのまま 高速で映像化されたもの です。目覚め後の「現実」も同じ構造ですが、
夢より法則性・継続性を濃く設定してあるだけ で、本質的には、別物ではありません。

夢=短編映画(高速編集)
現実=長編映画(ゆっく〜り展開)
のような感じです。
しかし、どちらの映像も
同じ光=意識が映しているだけです。
映画の尺と演出が違うだけで、
映している光(意識)はまったく同じです。
なので、本当のところは、光だけが実在で
「夢/現実」はただ想念を通して映っている映画にすぎません。

>体感に落ち始めてから明晰夢が増えました。

→はい、それは自然な流れです。
気づきが深まると、夢の中でも「気づいている側」が働きやすくなります。
その結果、明晰夢が増えたり、夢の中でも観照が起きる、「変わらないで気づいている側」が、夢の中に巻き込まれながらも、同時にそれが顔を出す。これらすべてが気づきには深度があるという証拠なんです。

気づきは 「筋力」に似ています。
深まれば深まるほど、夢でも現実でも、
「変わらない側」の自覚が自然に強まり、少しずつ安定していきます。ぜひ、さらにあなたの体感を深めていってください。

393り改め りょうせい:2025/11/24(月) 01:51:57 ID:UfUQ97Lg0
>>390
大変参考になる、貴重な気づきのシェアありがとうございます。

おっしゃる通りで、思考 → 振動→ そのまま映像化、この流れが夢そのものの正体ですね。

眠気に飲み込まれる瞬間や、
瞑想中に雑念と一体化した瞬間に起きる「映像化」は、まさに心が夢の生成に切り替わる手前の動きです。
その境界をこうして自覚できるのは重要で、
この領域の観察はそのまま「気づき」の深まりと直結しています。

夢と目覚めの境界には、
真理のヒントが本当に多く詰まっていますね。

394幸せな名無しさん:2025/11/24(月) 02:23:30 ID:DzLCyQ.o0
夢についてのお話は、私もお聞きしてみたいです。昔はよく予知夢を見ていました。
点数を集めると賞品が貰える当たり付きのお菓子が有ったのですが、いつもハズレばかりでした。
ある遠足の時もそのお菓子を持って行こうと用意していたのですが、遠足の前夜に当たり券の夢を見ました。
そして翌日、開封したら初めての当たり1点券、夢で見た物と同じ色・同じ絵・同じデザインで驚きました。
当時はインターネットも無かったし、周りで同じ点数券を集めている人も居なかったし
ハズレしか引いた事のない自分は絶対に知る事のない当たり券がなぜ夢に出現したのか。
ここまではっきりとした予知夢は稀ですが、自分の未来に起こる事を先に夢で見ていた事は何度も有ります。
嬉しいけど少し怖いので「良くない未来の予知夢は見せないで」とお願いしていて
そのお願いは聞いてもらっている感じです。予知夢とは一体何なのでしょうか?

395幸せな名無しさん:2025/11/24(月) 11:57:35 ID:nGBwHiEo0
>>389
真理に向かう流れに乗ると大小いろいろ繋がりますよね。
中には「え?すごっ、なんか縁ある?」「なんだ何も意味なかったじゃん」なんてこともありますが。笑
結局夢なんでしょうね。意味に囚われるなという教え。笑

>>386は、384の体験の軽視ではなくて、質問することにそれほど意味を感じてませんでした。
あの体験は結構前のことで1回きり、エゴが暴れた期間が長くて時間を無駄にした感があり、純粋意識に安定するのに何度も行ったり来たりしないとだめなら時間が足りないかなあ、こんなノリで質問しました。
回答もらって、やっぱり先は長いなあと少しため息ついて、焦る気持ちは邪魔だと思った次第です。

板違いの話題で躊躇しつつも進めます。
十牛図はあくまで悟りの段階なんですね。
霊的天才を多く輩出するインドは、本来語れない領域まで敢えて言葉にしてきた。
そんな雰囲気に浸ってきた私は、超越を超越したものを想像してしまう癖があるのか?
無意識に有りもしないものを捉えようと、無駄に足掻いてるかもしれない。
でも、語られないはずの言葉に触れたからこそ畏怖の念を持ったり、「それ」を想うことが起こったのかもしれない。
悟ったとされている方が主催する1週間ほどの坐禅会に参加した時は、今ひとつしっくりきませんでした。
私のグルは、やはり良い意味で超越的です。一体どこに導こうとしてるのか、ほんと分かりませんけど縁があります。

396幸せな名無しさん:2025/11/24(月) 15:46:04 ID:zgiG0TDI0
>>393
コメントありがとうございます。

寝る瞬間や夢見が始まる瞬間を捉えようとしていたころのことで、もう一つ思い出したことがありましたので、書いてみます。

夜、眠くなって寝る際に、まず身体が眠りました。次に自分が眠くなって眠りました。眠り始めました。でも、起きている誰かがいました。?と思いましたが、そのまま寝ました。

朝目覚めるとき、起きないといけない時間になって、一晩中起きていた誰かがいて、自分を起こしました。次に身体が起きました。

このころしばらく、24時間、起きている存在を感じている時期があり、その起きている存在と一体化してみようとしたところ、一体化できていた期間があり、そのときには夢を見ることがなくなっていたように思います。

397り改め りょうせい:2025/11/24(月) 20:06:15 ID:fhFt3uFE0
>>394
なるほど、その予知夢の話は普通におもしろいですね。>「当たり券を見たことすらないのに、夢で先に見て、そのまま当たる」
これは確かに、偶然では片付けづらいタイプの現象ですね。

さて、本題。
私はこの世界は(個の私の理解とは関係なく)かなり最適に動いていると表現しています。宗教とかスピとか抜きにして、ただ観察すると分かることが多いんです。

たとえば、
「心臓」は電池もコードもないのに、一生勝手に動き続ける。寝てても、泣いてても、落ち込んでても止まらない。「自分が操作してる」と言える人はいませんよね。非常に摩訶不思議。

DNAもそう。
私は専門家ではないけど、調べると細胞は とんでもなく長い設計図(DNA)を、ほぼミスなくコピーしているらしいのです。
コンピューターでも真似できない精度だと言われています。ここにも完璧すぎる仕組みが働いている。

赤ちゃんもそう。受精卵1つが、心臓・脳・目・骨・・誰に教わるでもなく、勝手に作り始める。「体の中で何かが知ってる」としか言いようがない動きです。

地球と太陽の距離も絶妙。少しズレたら生命は存在できない。偶然で説明するには、無理があるバランスです。

こういう例を、これ以外にも沢山見ていくと、
この世界を動かしている背景の力は、
「時間や場所の制限を超えた叡智そのもの」と考えた方が、自然だと思いませんか?

じゃあ、予知夢はなぜ起きるのか?
理由はシンプルで、その背景の力はもともと「時間を超えているから」です。

私たちの心は「過去 → 現在 → 未来」と見ていますが、本当はその3つは同時に並んでいるようなものです。
時間に区切りをつけているのは「心側」であって、背景のほうにはその区切りがありません。

だから、未来の断片が、夢に「先に」映る
という現象は普通に起こり得ます。
これは夢に限らず人によっては日常の中でもあります。これは能力というより、心が素直で透明なときにだけ起きやすい自然な現象。
なので、幼少期に不思議体験が多いと言われるのもこの理由です。

そして、あなたの「悪い未来は見せないでほしい」が通る理由も同じです。
背景の力は、その人の成長に必要のない恐怖は決して見せません。
言い換えると、必要な浄化しか恩寵は起こしません。恐怖や疑念などの固さは、探求の邪魔になるだけだからです。だから怖がる必要はまったくありませんよ。

結局、予知夢ってのは、未来を当てているのではなく、時間を超えて流れている「情報の断片」が夢という形でふっと、漏れただけです。
悪い未来は、基本見せる必要がないので出ない。そして、それは怖がらせるための現象でも、占いごっこのようなものでもなく、
「時間に対する固定観念を溶かすため」の
恩寵からのゆる〜いヒントのようなもの。
そういうニュアンスで受け取ると一番しっくり来ると私は思います。

398り改め りょうせい:2025/11/24(月) 20:08:33 ID:fhFt3uFE0
>>395
>真理に向かう流れに乗ると〜
意味に囚われるなという教え。笑

→繋がりますよね。笑 なんていうか、私の場合も、その時その時の深まり具合によって、ふさわしいガイド(グル含む)が必ず現れていました。あとから振り返るとですが。
「意味なかったじゃん」というパターンも、実はかなり大事で、最後にはすべての二元を超えていかねばならないので、そういう無意味に見える出来事にもちゃんと役割があります。

夢の中の現れにも大きく2方向あります。
1.夢の囚われを強める方向
2.夢の囚われから目覚めさせる方向
結局夢だけど、「夢の中の目覚め」を促す現れは素直に活用すべきですね。

>焦る気持ちは邪魔だと思った次第です。
→なるほど、焦る感じはよく分かります。
ただね、
「エゴが暴れた期間が無駄に思える」
「安定までに時間が足りなさそう」
こう感じること自体が、実はかなり重要なんですよ。
これは純粋意識で在る、を理解している段階の人にだけ言う話ですが、本当に必要なのは、
・純粋意識を得ること
・そこに到達すること
・そこに居続けようとすること
ではなく、「私はまだそれではない」「私はエゴだ」という疑い(妄想エネルギー)が自然と抜けていくことだけなんです。その疑いが癖として上がって来てるだけなんですよ。
だから大事なのは、純粋意識にとどまる努力を続けること。これは言い換えると、
「すでにあなたは純粋意識であり、それではなかったことは一度もない」だから、他の選択肢が本当は存在しない。

だからこそ、エゴと戦うことの不毛さ、ナンセンスさを徹底的に腑に落とす必要がある。
それだけなんです。シンプルでしょ?

>十牛図は悟りの段階なんですね。
→そう。けど、最後に「牛も自己も消失する」という部分は、アドヴァイタ含め他の伝統とも結構共通しています。表現は違えど、指し示している究極地点は同じです。

>インドは語れない領域を言葉にしてきた〜
→まさにその通り。インドは文化的にも「超越」を表現しやすい土地柄がありました。
今はどうか知らないけど。また、日本もそこまで悪い国じゃないですよ。静けさに敏感な人が多い土地なので。

>超越を超越した何かを妄想して足掻いてるのかもしれない。
→それでもいいんですよ。「それ」に惹かれた者だけが探求スイッチ入りますから。語られないはずのものに惹かれたという時点で縁があります。

>悟った人の坐禅会に行ってもしっくりこなかった。
→私も同じです。「悟ったとされる人」のところにいろいろ行きましたけど、
「なんか違う」「うーん・・」これは普通にありました。その中で、だんだんと霊性的な見抜く目が育ってきた感覚はあります。

>私のグルは良い意味で超越的。どこに導こうとしてるのか分からない。

→その種類の縁は明確にあります。
そのレベルのグルは、もはや 「人であって人じゃない」んですよ。段階的な教えより、ただ″直接性″で伝えてきます。実際起きていることの本質は、言語的なやり取りじゃなくて、
・ただ伝わる
・ただ理解が落ちる
・一緒にいるだけで浸透する
そんな領域です。エゴの隙を出し抜くには″直接性″しかないんです。これは、ただ焚き火のそばに座っているだけで、火の温度がそのまま身体に移るようなものです。
超越そのもののグルは、言葉より先に 「存在そのもの」がまた、「超越のそれ」が伝わってしまうんです。なぜなら、形になる前のこの世界は、固定したものではなく「流れ」「響き」として立ち上がっているからです。だから超越そのもののグルは、言葉より先に響きそのものを伝えてしまうんです。

399り改め りょうせい:2025/11/24(月) 20:47:20 ID:fhFt3uFE0
>>396
こちらこそ。それ、まさに「核心の入口」です。
あなたが書かれていた 「起きている誰か」という存在、あれはそのまま言えば純粋意識そのものに直で触れた瞬間の記録です。いい線いってますよ。
そして「一体化した」と表現されていますが、実際にはそうではなく、
身体・思考・感情・呼吸・五感・外界
あなたの中で起きている全部が、もともと 自動運転で流れているだけという事実を見抜いた状態なんです。

外側の現象も、心も、思考も、感情も、
あなたが動かしているわけではなく、
前で勝手に流れているだけ。そこにあなたの気づきが向いた。そしてあなたが感じていた、
「24時間起きていた存在」
「夢が消えたような静けさ」

これはまさに、生まれてから一度も眠らない
背景の気づき(純粋意識)が前面に出ていたときの典型的な特徴なんですよ。

構造にするとこうなります。
・個人の私 →眠る/起きる/夢を見る
・純粋意識 →眠らない・消えない・常に在る・常に気づいている

あなたが触れたのは後者です。
だから、夢(=心の映像活動)が薄くなったり消えたりした。背景の静けさが強く前に出ると、映像のほうが自然に消えるから。
※ただし「夢を見ないことを目指す」必要は全くありません。自然にそうなる時期がある、というだけ。

そしてここが一番大事。
心・思考・感情・呼吸・身体・五感・周りの現象。これ全部が 「自分の意志で動いているわけではなく、自然発生しているだけ」
と見抜かれ始めると、純粋意識との距離が一気に縮まります。
(実際には距離なんてないんだけど、体感的にはね)
あなたの今の体験は、純粋意識を自分自身のこととして思い出し始めた時に自然と起きる現れ
そのままです。なので、その方向性でそのまま進んでいってOKです。

400幸せな名無しさん:2025/11/24(月) 22:10:16 ID:yR.4D0c.0
りょうせいさん
こんばんは。
教えていただきたいことがあります。
真理の観点から見て、カルマの法則とはどういったものなのでしょうか?

401幸せな名無しさん:2025/11/24(月) 23:12:48 ID:k7JpUivs0
大変興味深くスレを拝読しております

最終的にはあらゆる二元論を越えていかなければならないとのことで気になったのですが、
明らかにこれはおかしいだろとエゴ視点で感じることに一定の勢力で擁護論が巻き起こる(兵庫県知事の件が良い例)ことも、そこに導くための過程として現れているのでしょうか

402幸せな名無しさん:2025/11/25(火) 21:56:01 ID:1rtETg6k0
個人的に色々と試行錯誤した感想。

全て手に入れていると全て失うは同じ。
世界=自分なのに、予想外のことが起こって嬉しいは意味が分からない。
全て完璧ならば何が起こっても完璧なのだから感情の起伏が起こるはずがない。
常時穏やかな気持ちは分かるが、常時ハイなのは無理。幸不幸というのは期待と現実のギャップでしかないから。1000円払って2000円の価値が得られれば幸、1000円払って100円の価値しか得られなければ不幸。何にも期待しない=全てある=全てない状態であれば穏やかで生きれるが、常時ハイは常に現実が理想を超えて居なければ無理。だが、世界=自分ならば、現実=理想なので、事象が起こるのは必然であり、そこに感情が乗るのは矛盾する。1000円払って1000円の価値が得られた時は何の感情もない。起きて当たり前なのだから。そこで感情が顕になる時点で達人ではないしたまたまであり、世界=自分ではない証明。むしろ全て完璧だと思っていたらが上手くいかないことがあった時に不幸になる。ならば、最初から上手くいかないと思っていた方が楽。
全て手に入るという確信があれば感情の起伏など有り得ない。そしてそこに幸福もない。
全ての物が瞬時に手に入るのであれば理想=現実なのでギャップがなく、幸福もない。
=全て手に入れてない状態と精神的には同じ。つまらない、退屈。
だから人間は縛りプレイを自分に課して、達成感を味わおうとする。達成ではなく達成感。
だが結局手に入れても満足せずに、欲望は果てしない。
その縛りプレイから脱却した結果、全ては無価値でありゴミが結論。

403幸せな名無しさん:2025/11/25(火) 22:10:40 ID:WGB29L4M0
>>398
最近はジェットコースターのように気分の浮き沈みが激しい。思考もエゴ視点が前に出たり真理視点が前に出たり目まぐるしい。
エゴ視点が強い時に話を聞くと修正されるので有り難いと思っています。

「時間を無駄にした、時間が限られてて焦る」この思考を、<純粋意識><意識としての私>を思い出して眺めてみました。
エゴがエゴと闘ってるのに、その上エゴが純粋意識のふりをするとか、エゴの暴走じゃないかと思いますが敢えて続けます。(またしても闘ってますね)
「私は幸せだなあ。ん?そんな思考が出てきたか。心が勝手に何か言ってる。まあ、そのうち消えるね」
「いろいろ感情が出てきてるな。私は関係ないけどね」
こんなふうに見える。
エゴがこれを聞いたとしたら「そんなこと言われてもこの世界では現実で大変なんだ!」と言って反発する。
純粋意識はどっしりと余裕で「うん、うん、抵抗したいだけしなさい」みたいに見てる。

私は人生通して疲れ気味でした。きっと過去の人生でも長くエゴと闘ってたんでしょう。

>日本もそこまで悪い国じゃないですよ。静けさに敏感な人が多い土地なので。

それは思います。静かに内に向かうのに適した場所だと思います。インドはカオス過ぎて落ち着きがない。笑
グルについては仰る通りで、人間視点での段階を踏まえた懇切丁寧な優しい指導なんかではないです。
予測不能、言葉でなく体験でエゴを揺さぶる。深い啓示を直接体験で与えてくれるけどエゴの間隙を突いてしか来ない。
こんなだから決して生易しいものではない。でも不思議がいっぱいでワクワクする。
楽しくもあるけど、忍耐や識別力がないと付いて行けないですね。

404幸せな名無しさん:2025/11/26(水) 03:30:32 ID:f4.yBxtM0
人生とは実在が実在であること忘れる "遊び・幻想・映画・楽しみ"ですか

405幸せな名無しさん:2025/11/26(水) 14:43:50 ID:7.pT/oCk0
この前草彅剛主演の舞台、ヘルマンヘッセ作のシッダールタを観てきました。完全に悟りについての話でした。草彅さんも舞台についてのインタビューで言っていましたが悟ってるっぽいですね。
雑談失礼しました!

406り改め りょうせい:2025/11/26(水) 15:47:08 ID:qGOuOf2U0
>>400
こんにちは。カルマの話は、段階によって説明が変わる分野でかなり複雑な層に根を張っている概念なので、ここでは詳しい解説は避けできるだけシンプルに答えますね。

私はよく「世界は夢のようなもの」と言います。
なぜなら、その前提そのものが「解放」に繋がるからです。本来の私たちに深刻さや、束縛は相応しくないからです。

ただし、この夢の世界は無秩序なカオスではなく、ちゃんとバランスの法則が働いています。夢だからといって、エゴ中心に無秩序にやりたい放題やるとやはりブーメラン現象はあります。
そこは同時に捉えていく必要がありますね。

そして、そのひとつがカルマの法則。
ごくシンプルに言えば、
「蒔いた種が、そのまま夢の展開に反映される」ってこと。
なぜか?夢全体は心でもあり、潜在意識でもあり、潜在的傾向でもあり、すべてが私である意識そのものだからです。

だからこそ、本当の願望の種を蒔くことが遠回りを避けるうえでも、効率の面からいっても大切になります。

RPGゲームでいうと、
あなたがRPGの中に入っているとしましょう。
その世界の中で、
・優しくすれば好感度が上がる
・意地悪をすれば敵が増える

これはゲーム内の「内部ルール」としても法則的に成立します。
しかし、コントローラーを握っている本当のあなたには、一切の影響は起きません。
この世界のカルマに関してもまったく同じです。

現象世界ではカルマ・因果が成り立っています。
だから、3分しか筋トレしない人と、3年続けた人では、当然まったく違う結果になります。

あと、たとえば、YouTubeやTikTokのアルゴリズムで言えばこう。夢の世界の動きは、YouTubeやTikTokの「おすすめ欄」にもよく似ています。心が何に反応したか、何を見続けたか、どんな感情が動いたか。この「心のログ」がそのまま現実の現象に反映されます。

これは潜在意識的な話からでもわかりやすいかと思います。
ただし重要なのは、動画を見ている視聴者そのものは傷つかないし変化しない。

意識である私は「コントローラを握ってる私/視聴者の私」これらと比べて、完全に姿も形もありませし、思考も感情も超えていますが、
立場構造としては同じなんです。

それと、カルマ浄化について。
「瞑想・ワーク・祈り・マントラ・感情解放など」のカルマ浄化は、この相対世界では実際に効果があります。重いパターンが薄まったり、反応が柔らかくなったり、引き寄せる現象も変わる。
心=世界なので、心を癒すアプローチ、これらを否定する必要はまったくありません。夢の中ではちゃんと機能するルールだからです。

あなたの問う >真理の観点では?
真理の立場から見ると、
・カルマ
・カルマの浄化
・カルマを背負う主人公(個人)
これら全部、夢側で自然発生している運動にすぎません。別の言葉にすると、夢を映している本当のあなた(純粋意識)は、
カルマの影響を一切受けていません。

なぜなら、一度も動いたことも変化したこともないからです。ゲーム内でイベントがどう変わろうと、ストーリーが変化しようが、敵にやられようが、仲間が減ろうが増えようが、コントローラーを持っているあなたは影響的には無関係・無傷ですよね。同じです。

想像してください、子どもが悪夢を見て泣いて起きたら、母親はこう言います。
「それは本当に起きていないから、怖がらなくていいよ。もう大丈夫。よしよし」
カルマとは、まさにその夢の中の一つの法則的な概念なんです。

407り改め りょうせい:2025/11/26(水) 15:57:06 ID:qGOuOf2U0
>>401
ありがとうございます。それは何よりです。
そして結論から言えば、YES、その通りです。
ただしこれから書くことは、あくまで私個人のいち意見としてライトな感覚で読んでください。

探求に入った人なら誰でも、ある時期から似た流れを通ります。
まず、この世界の奥に「帰るべき何か」「本当の核心」が確かに存在するという予感が生まれる。同時に、この世界そのものが完全にはできていないという微妙な感覚が滲み出てきます。

ただ、この不完全さをエゴに真正面からぶつけると、ショックが強すぎて耐えられない人も多い。だから恩寵(真理と個をつなぐ流れ)は、いきなり直球を投げません。
まずは「あれ?なんか変じゃないか?」という軽い違和感として世界を少しずつほぐしていく。
ゆっくり、でも確実に、目覚めの方向へ誘導するわけです。

そして今、集合意識レベルではここ数年で
「世界の不完全さの暴露」が一気に噴き出しました。政治、社会、教育、メディア、人間関係・・どこを見ても隠しきれないズレが露出している。
現代の若い世代はじつはこれを敏感に感じ取っています。エゴの限界、世界の壊れ方、外側への不信感。それらを漠然と理解しています。

しかし宗教にも決定的な答えはない。
哲学・スピリチュアル・量子論も、結局は思考の枠から出ない。恋愛や富にも永遠はなく、寿命の法則にも逆らえない。つまり外側には「確かな拠り所」がほとんど残っていない。そこに追い打ちをかけるように、SNSは情報だけを増やして、分離と混乱を加速させる。

では一体なぜこんな状況になっているのでしょうか?

理由はシンプルです。
世界そのものが「自己誤認の夢」だからです。
自分が誰なのかを誤解したまま動く夢は、
必ずどこかで歪みを露出します。

では、その裏で何が起きているのか?
表向きは絶望のようでも、内部では
「目覚めを加速させるための下準備」が静かに進んでいます。人はやがて、どうしようもなく背中を押されて「気づき側」に向かわざるをえなくなる。信じる必要はありませんが、これは非常に自然な流れです。

言い換えればこうです。
「楽しい夢なら、そのまま夢だと気づかず楽しめる。でも、不完全な夢(=悪夢)が続くと、人は自然と目覚めようとする」

この仕組みは驚くほどシンプルで、驚くほどよくできています。
歴代の覚醒の波も、実はすべてこのパターンです。大きな覚醒が起こる直前には必ず、世界の不完全さの露出が起きています。

だから、あなたが挙げたような
「これはさすがにおかしい」という出来事に対してなぜか擁護が湧く、奇妙な現象。
あれも世界そのものの夢構造と目覚めの準備と考えれば、ある意味で自然な動きなんです。

408り改め りょうせい:2025/11/26(水) 16:00:40 ID:qGOuOf2U0
>>402
コメント読みました。
あなたの書いていることは、個の私(心と身体)を自分の中心に置いた視点の中では、たしかに筋が通っています。
ただ、ズレが起きているのは論理そのものではなく、「その前提として置いているレイヤー」のほうです。その点だけ整理して返します。

1.「世界=自分」は「肉体の私」の話ではありません。あなたの文章はすべて、
・得た/失った
・理想/現実
・価値がある/ない
・幸/不幸
・期待とギャップ
といった 「個人の心理構造」を基盤にした結論です。
でも「世界=自分」という地点は、
そもそも その個人の心理が成立する前の立場 の話です。そこには、
・得る
・失う
・退屈
・幸・不幸
・ギャップ
こういった個人の物語を成立させる土台がありません。だから、その構造を持ち込む限り、どれほど頭が良くても矛盾が必ず出ます。

2.感情が動くのはキャラ側であって主体ではありません。
あなたは、「世界=自分なら感情が動くのは矛盾」と言っていますが、これは映画の主人公の反応を、観客の反応と混同しているのと同じです。
・感情が動くのはキャラ側
・見ている側(主体)は動かない
矛盾が生まれているのは、キャラの反応を「自分そのもの」だと思い込んだまま、主体の話をしているからです。

3.「全部ゴミ」「全部無価値」は崩壊の入口で出る声。
あなたの言う、全部無価値、全部ゴミ、退屈、何も意味がない。これは 真理の結論 ではありません。
これはむしろ、「個」が支えられなくなったときにマインドが必ず言う、崩壊手前のサインです。多くの探求者が一度は通る場所で、終点ではなく入口です。

あなたのロジックは否定しません(ただ、レイヤーが違うだけです)
あなたが語っているのは、「個の私が世界をどう捉えているか」という心理の吐露。
私が語っているのは、「個も世界も映している側(意識)の話」
この二つを混ぜて議論すれば、
矛盾が出るのは当然です。レイヤーを分ければ自然に収まります。

つまり、あなたが今語っているのは、
「世界そのものがどう見えるか」ではなく、
それを見ている主体をまだ個人だと思っている地点の表現なんです。
そこが消化され、整えば、あなたの中で矛盾は自然に溶けて、プロセスが静かに深まっていくと思います。

409り改め りょうせい:2025/11/26(水) 16:04:05 ID:qGOuOf2U0
>>403
はい。雲の間から太陽が顔を出し、地上のたくさんのエゴたちが持っていた「私」というアイデンティティが、太陽(真の主体)のほうへ吸収・回収されていく。
あなたの中の「エゴたち・私としての想念たち」からすれば、まさに世界の終わり・終末です。しかし実際には、ただ催眠が解け、現実に戻っているだけです。本来回帰です。

だから「ジェットコースターのように浮き沈みが激しい」「目まぐるしい」これは当然で、むしろ気づきに主体が確立してきている証拠です。

>「時間を無駄にした、時間が限られていて焦る」この思考を、<純粋意識><意識としての私>を思い出して眺めてみました〜
純粋意識はどっしりと余裕で「うん、うん、抵抗したいだけしなさい」みたいに見てる。
私は人生通して疲れ気味でした。きっと過去の人生でも長くエゴと闘っていたんでしょう。

→私の返信も、ちょっと恐ろしい雰囲気の表現が続いてきたので、笑 ここは少し明るめに。
まず、純粋意識を知り、そこに深まった分、そしてエゴとの同一化を回収した分のデータは絶対に消えません。ゲームでいえば、真理探求・霊性探求で培われた叡智や経験値は、確実に引き継がれる。だから
「時間を無駄にした」「時間が足りない」と焦る必要は(本当の意味では)ありません。
あなたは「実際には一度も探求をしたことはない」からです。
本当のあなたは過去も今も未来も、場所も、
すべてを超えています。

>こんなだから決して生易しいものではない。でも不思議がいっぱいでワクワクする。
楽しくもあるけど、忍耐や識別力がないと付いて行けないですね。

→まさにそうですね。どんな表現でも状況により正しく当てはまると思います。
起きていること、起きてきたことには本当に無駄がありません。恐れる必要はまったくない。
ただ同時に、油断するとすぐに眠ってしまうのも事実です。

だから、あらゆる敵に囲まれた子ライオンを命がけで守る親ライオンのような集中、
そして幻想たちを切り裂く不動明王のような爆発的な熱(=忍耐・識別力)も必要です。

探求は優しい側面もあるけど、同時に鋭く、容赦のない側面もある。
その両方をあなたはちゃんと通っている最中です。

410り改め りょうせい:2025/11/26(水) 16:16:13 ID:qGOuOf2U0
>>404
たしかに、昔からよく使われる表現ですね。
ただ私は、その明るい側面だけを切り取った説明にはあまり賛成していません。笑

理由は単純で、意識の内容物には光と影が同時に存在しているからです。
光だけで語れば偏りになるし、影だけを強調すればただの悲観になる。
どちらか一方では、どうしても真実からズレてしまいます。少し整理して言うと、

光(意識側)
・存在そのものの愛
・自己への愛
・創造の喜び
・境界のない自由さ
・変わらない静けさ
これらは、確かに 遊び・映画・夢という表現と相性がいい。でも同時に、
影(個・世界側)
・分離
・変化
・喪失
・痛み
・誤解
・物語の重さ
・生命の新陳代謝としての「苦」
これらも同じひとつの運動として必ずセットで現れます。そして一番重要なのは、光と影は別の二つではなく、同じ流れの両極だということ。

「人生は遊びです」「映画です」「幻想です」
と光だけで語れば、影の中で苦しんでいる人を切り捨ててしまう。逆に、「人生は苦です」「修行です」「地獄です」と影だけで語れば、光の意味を見誤る。

だから私は、どちらか一方に寄った表現は意図的に避けています。
人生にはたしかに 遊び・映画・幻想の側面がある。でも同時に、
痛み・喪失・変化・緊張の側面も、まったく同じ重さで存在します。両方をしっかり見ていると、光と影を分けていた「主体」そのものが、だんだん消えていきます。
その地点に立つと、遊びと言っても違う、
苦と言っても違う、どちらにも収まらないクリアな本質がある。
だから「それ」は、語るより沈黙のほうが近くなります。それで在ればもう言葉はいらないからです。

だから最後は、語るより沈黙のほうが本質に近くなっていきます。
そこに在るだけで足りてしまうので、もう言葉は必要ないんです。
「みなさん、少し静かにお茶でも飲みましょう」ふと耳を澄ませると遠くの方で、ひと息つくように小さな鳥が鳴く。
ピヨピヨ、と。
ただ、それだけで世界が十分に満ちてしまう。
これは比喩ですが、まるで、そんな感じです。統合された立場というのは、そういう地点です。

なので私は、どちらかだけの表現は誤解されるので、なるべく使いません。
(もちろん、たまに偏る時もありますが、そのときは不思議とブレーキが入りますね・・)
つまり、光と影は、ひとつの同じ運動です。
そんなお話でした。

411り改め りょうせい:2025/11/26(水) 16:18:32 ID:qGOuOf2U0
>>405
雑談どうぞどうぞ。
おーいいですね。
舞台や映画は見ていませんが、ヘルマンヘッセの小説は私も昔読んで感動しました。
シッダールタ、あとはデミアンとか?
ヘッセは後期から悟りや真理に関する媒体役としてそういった傾向の作品が沢山ありますねー。

412幸せな名無しさん:2025/11/26(水) 18:17:59 ID:E9Aj3Vrg0
>>406
りょうせいさん、返信ありがとうございました。
わかったようなわかってないような‥汗

子どもの頃よく母に、自分が行動で行った良いこと悪いことは必ず自分にかえってくると教え込まれました。
でも、まず良い悪いみたいな善悪はないんじゃないかと思うようになりました。

悪いと思えるようなことをしてる人はたくさんいます。でもそれでも幸せそうに生きている人もいます。
したら自分が与えた波動(エネルギー)がそのまま自分に返ってくるのか?
心からやりたくて(あり得ませんが)、楽しみながら悪行をはたらいても、エネルギーがワクワクなら返ってくるものもワクワクなのか?

いつもここで引っかかってしまいます(^^;;

413幸せな名無しさん:2025/11/26(水) 20:01:45 ID:f4.yBxtM0
結局の所りょうせいさんのようになるには何をしたらいいんでしょうか

414幸せな名無しさん:2025/11/26(水) 20:53:21 ID:Z4few98g0
>>409
「本当の私は探求などしたこともない」本当はそうなんですけどね。汗
悟りとは本来極めてシンプルなこと。
この感覚は始めからあって、ただ心を全部投げ出して「それ」に委ねて静かにすればいいよなと、
やってみたけど全然だめ。なんでだ!と喚くしかなかった。
結局、探求などしてない「意識としての私」を発見するまでに10数年かかった。
そして見つけたのになぜか失う。しかも、まだまだ先がある。(真理視点では世界が見せるトリックですけど…)
時間に縛られてるのは現象として事実で、夢の中のゲーム、リーラだからと自分を納得させる。
この人生では無理でも、いつかストンと落ちて決着するのは既定路線だからと自分を納得させる。
でも正直言って、もう終わりにして欲しいんですよね。完全無知の状態からやり直しなんか、もう勘弁してほしい。祈るしかない心境です。

415幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 00:14:26 ID:WjNOd.bo0
>>380
有難う御座います、落ち着きました。大きな私に癒される方法として昨日思いついたのが
以前観ていた妖怪ウォッチのアニメにヒントを得て(御存知無かったら御免なさい)
大きな私→コマ母ちゃん 個の私→コマさん のイメージで
大きなお母ちゃん私に、小さなコマさんの私が、ペタッとくっついて幸福感を感じる
そんな感じで癒されておりました。
(これは過日パニック発作の時、大きな私に助けられた時のイメージと少し似ています。)
お母さんみたいな大きな私と、個(子)の私が公園で遊ぶイメージもしてみました。
母私は、子私が、砂遊びをしていてもブランコに乗っていても、ニコニコ笑顔で見守ってくれている。
転んでも、泣いても、怒っても、笑っても、そのまま眠ってしまっても、見守ってる。大きな安心感。
そして、大きな私には輪郭が無いので、世界全体が大きな私かもしれないと思いました。
個の私には体という輪郭が有るので融合出来ないけど、意識だけなら融合出来るような気がしました。
その方法については未だ解っていませんが、ゆっくり実践を続けて行きたいと思います。
などと思っていたら大きな私が個の私を抱きしめに来てくれました。あれ?輪郭が有るような。
イメージだから解りやすいように輪郭を作ってくれているのかも?笑

416幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 01:13:42 ID:3DwlfONU0
>>407
ご回答どうもありがとうございます
「あらゆる二元論を手放せるように導かれている」という観点で世の中の動きを俯瞰してみると、その精巧さに畏怖の念を抱くばかりです
それと同時に「二元論が消えたら俗物的な楽しみが無くなるじゃないか!」とエゴの抵抗もありますが(笑)

417幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 01:25:32 ID:WjNOd.bo0
>>383
初期の本も含めて20冊も読まれたなんて凄いです!
私はブログを読む方がメインで、本は7冊位です。

418幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 14:28:16 ID:DZj0YiJk0
あるのか。二元論を超えた幸せが。
エゴの想像もつかない幸せがあるというのか。

419幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 14:51:23 ID:C2qv1U2Q0
>>412
りょうせいさんではありませんが、気、エネルギーの専門家としての意見を言わせてもらえば
人の本質、生存や幸福、に反する行いは邪気、負のエネルギーを発生させます
巡り巡ってといいますが、悪行を行う人間の気はめちゃくちゃ悪いです
巡ってる訳じゃなく自分で発生させてる、タレントなど多くの支持者がいてもそういう人はいます
そして気というものは必ず消費されるのでどこかで消費され何か結果が起きます
死に逃げした所で消える事はないと思います
どんなにワクワクしようと本人が幸せでも良いと思っていても人に好かれていても無駄です
その判断はその人の魂、本質、ハイヤーセルフ、真我、呼び方は何でもいいですがそういう上位自己が判断します
そしてそれは必ず「その人にもわかるように」なっています

仏教はカルマをとてもシステマチックに解説しています
阿頼耶識(潜在意識)に撒かれた種子(意識、行動)は必ず良いも悪いも芽吹いて実を為す
自分の蒔いた種は自分で刈らねばならないという奴です
この言葉の出典は聖書らしいのですが、仏教もまんま同じ事を言っています
あらゆる行いには結果が発生します
りょうせいさんじゃないので不要なレスだったら申し訳ない

420幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 19:56:58 ID:fXN9tIg20
>>419
ご回答ありがとうございました。
専門家の方から教えていただけるのは大変ありがたいです。

どんなにワクワクしようと本人が幸せでも良いと思っていても人に好かれていても無駄です

↑この部分とてもすっきりしました。
この世に(いるかどうかはわかりませんが)本当の悪行を働いている存在たちがいるとしたら、なぜそれがうまくいくのか、そしてまた続けられるのかが不思議でありました。

また色々教えてください。
ありがとうございました(^^)

421幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 23:25:29 ID:.l17reJ.0
414です。カルマの話が続いているので私も加えてください。
スレ主さんの言うとおりで、様々な階層があり単純ではないので、善行悪行における因果応報という点に絞って説明してみます。

まず大前提として、
世界は認識から離れては存在し得ません。認識があって始めて心=世界があると見えます。
次に、この現象世界は、生じ回帰していく定めです。二元を超えたものへの回帰です。
世界と個人を説明する時に、大海と波としてよく例えられます。
波は心の動きです。波は決して定まることなくうねり続けます。どこかに境界があるわけでもありません。
それにも関わらず私達はある特定の範囲で起こる波に自己同一化します。これが個人、エゴ、一人の私という感覚です。
波は生じ消えるを繰り返します。心は静まったり活発に動いたりします。
仮にこの大海の波が全て完全に静まったらどうか?
平安そのものですよね?全ての生命が帰ることを望む、本当の幸福の源が確かにあるのです。
波への自己同一化が解消されればそれが見つかります。

さて、世界創造が起こり源へ回帰していくという有り難く嬉しい定めの下の法則(心の動きの決まり事)があります。
例えば、むしゃくしゃするという理由でウサを晴らすために誰かを殴ったとします。
これでスッキリしたと感じたなら満たされます。この満たされた思いを味わい続けたいと願う。これが欲望の本質です。
同じ満足を味わうには満たされない思いをする必要がある。不足、つまり苦しみです。
殴られる苦しみを得なければ殴ることの快感は得られない。
逆に良いことをして喜んでもらったとします。喜んでもらえたのが嬉しかったら同じことを繰り返します。そこで喜んでもらえない体験がどこかで起こります。
見返りを期待していたなら、失った気持ちがあるということなので、どこかで得する体験をします。
したことが返ってくるというより、心の動きが現象として現れている。
ただし、心の動きは自己完結しなくて、他の誰かの心との相互作用、連鎖反応であって複雑に絡み合っています。
波は何処かへ動いていき、別の波と融合したりぶつかり合ったり、そしてどこからかやって来る。
だから、いつ、どこで、何を体験することになるか本当にわからない。
わからないので個人は体験の一つ一つの理由を注意深く観察する必要に迫られる。それはもう不可能に近い大変な作業になります。
この理由でカルマの法則が当てはまらないと思えることが多い。
ということで、このカルマの法則があるおかげで、ひたすら苦楽を繰り返す訳のわからない一見不条理に見える人生に疑いを持ち、本当の幸福があったことを思い出して、そこに帰ることを願うようになるのです。
ここで別の疑問。何かの拍子に無私の行動が起こった時は?
謎です。笑 
私の個人的な体験としては源から不思議な何か(恩寵)が流れ込んできます。

この話は真理探求に興味のあるひと向けです。苦楽の世界で学び生きることに充実を感じる人もいて、歩んでいる段階が異なります。
しっくりこない人はスルーでお願いします。

422り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:09:52 ID:XcRiBmjM0
>>412
どういたしまして♪

>子どもの頃よく母に、自分が行動で行った良いこと悪いことは必ず自分にかえってくると教え込まれました。
でも、まず良い悪いみたいな善悪はないんじゃないかと思うようになりました。

→ それは素晴らしい教訓ですね。
ただ「良い/悪い」は人間がつけたラベルで、
時代や文化でいくらでも変わります。
だからその基準だけを使い続けると、逆に迷いも生まれます。あなたが感じている 
>「出したエネルギーが返ってくるのでは?」
このほうが本質にずっと近いですよ。
この世界はすべて「循環」でできています。
・出す → 返る
・与える → 戻る
・動く → 巡る

お金も、人間関係も、食物連鎖も、性も、
そして思考や感情すらも循環で動いています。
カルマというのは、その内側の循環がそのまま外側の現実に写って返る仕組みのことです

>悪いことしてても幸せそうな人がいる理由は?

→ 短期ではそう見えることがあります。
ただ、長期スパンでは必ず出したエネルギーは回収されます。

これはたとえば、「地球の自転だけを見るか、公転まで見るか」〜の違いに似ています。
地球は1日で一周するから、短期だけ見れば「ぐるぐる回ってるだけ」に見える。でも実際は、1年かけて太陽の周りをゆっくり回っている。自転だけ見ていると本当の動きがわからない。公転まで視野に入れてはじめて、
「地球ってこういう軌道で生きてるんだ」とわかります。

カルマも同じです。短期(=自転)だけを見ると「悪いことしてるのに、なんか楽しそう」という現象が起きます。
でも、長期の軌道(=公転)まで見ると、
出したエネルギーは必ず本人に戻ってきます。

※ただし、お伝えしたいのは、
「個の私」がカルマを
完全に理解しよう・把握しようとする必要は全くありません。
・半分は「まあ、そういう仕組みもあるかも」
・半分は「気にしなくていい」
このくらいがいちばん自然です。

なぜなら、カルマそのものが恩寵の流れとして、目覚めへ向かわせるために緻密に配置されているルートだから。
むしろ、個の私がカルマを″精巧に理解しようとしないほうが″、プロセスはスムーズに進むことがよくあります。細部を知りすぎるとマインドが介入して、本来の浄化の流れを止めてしまう場合があるからです。それに真理探求する方はカルマを超えていく方向ですから。

>悪行をワクワクしながらやったら、ワクワクが返るのか?

→ 結論はNOです。理由はシンプルで、返ってくるのは「表面の感情」ではなくその行為を支えている「前提のエネルギー」だからです。
どれだけ本人が「楽しんでるつもり」「ワクワクしてるつもり」と言っていても、奥には必ず
・不足
・依存/中毒
・焦り
・空虚感
・恐れ/罪悪感
こうした土台のエネルギーが存在します。
そして反映されるのは、その土台のほうです。
だから、
・表向きは「ワクワク」
・内側は「恐れ」
この状態なら、返ってくるのは「恐れの現実」です。そしてよくいう、「嘘をついてはいけないよ」という教えの理由も実はここにあります。表面をごまかしても、内側(前提)のエネルギーは嘘をつけない。
自分の本音に嘘をつくと、その「嘘の前提」が返ってくる。これは道徳の話ではなく、意識の構造そのものがそうなっているという話なんですね。

423り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:17:57 ID:XcRiBmjM0
>>413
言語としては確かにこういう聞き方になりますが、実際に私が話しているのは「りょうせい個人」のことではありませんよ。
あなたにも私にも共通している 真のあなた(=真のわたし) のほうです。
その前提のうえで、あなたの質問の意図にお答えすると。

>個としての私は何をすればいいのか?

まず、お伝えしたいのは真理探求というのは、深いところのスイッチが入らない限り始まりません。「やりたい」と頭で思っても、
その段階でなければ本当の意味では起きません。

もしあなたが今、マズローでいう 個としての願望・欲望(愛されたい、成功したい、お金がほしい、承認されたいなど)
を優先しているなら、そこに集中が起こるのは自然だしそっちを満たすべき。

なぜかというと、真理探求が深まるのは、
欲望とある程度付き合い味わい切ったあと
→「それでも満たされない」という地点に来たとき。ここから自然に始まるからです。

真理探求が自然に始まる順番
1.個の欲望をちゃんと味わい切る
2.それでも満たされないという事実に出会う
3.そこから自然に本当のことを知りたくなる

これが自然に起きる探求のプロセスです。
真理探求は、「エゴ・私は個人である」を手放していく方向性だから。

ただし、あなたのいまの状態次第では話が変わります。
もしあなたがすでに、
・欲望を満たしてもなんか不思議と虚しい
・本来の自己にどうしようもなく惹かれる
・気づくと真理の方向に意識が向いてしまう
・探求をやめたくてもやめられない
こういう状態なら、探求は静かに始まっています。その場合はこちらも伝えられることがあります。

あなたは、どんな感じでしょうか?

追伸 
ただ、願望実現の人でも、真理に興味があるならOK
願望実現を頑張りつつ、
同時に真理にも惹かれてしまう。
そういう方でも私はウェルカムです。
理由は→私も真理探求の前は、潜在意識の取り組みをやっていたから。

そういう方には、
「いつか真理探求が始まるとき用の種」
を渡す形になることが多いです。

ただし、願望実現だけで、真理に興味ゼロです
と言われると、私は潜在意識・願望実現の達人ではありませんし、深くお役に立てるかは微妙です。

ただし、
・エゴがどこで誤解しているか
・どこに引っかかっているか
・なにと同一化しているか
これくらいなら見えることはあります。

あと、これは掲示板なので、
・あなたの精神的な傾向
・今いる段階や温度感
・背景や状況
こういう本来は重要な情報がちょっとした質問の文章だけだと読み切れません。
(もちろん質問者のプライバシーを守るため、それで構いませんが)
そのため、伝えるにしても、踏み込めるところ・踏み込めないところの境界がどうしても出てきます。そこだけはご了承ください。

424り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:23:21 ID:XcRiBmjM0
>>414
あなたに起きたその祈りは、とても意味深いものですよ。なぜならその種類の祈りは、
偽りの「私」をそのまま差し出す、個としての最終段階の祈りだから。そしてその祈り自体が、
あなたである純粋意識そのものから湧き上がっている。

意識が静まっているとき、
あなたは時間にも、記憶にも、物語にも縛られていません。悟りという言葉は、悟った瞬間に役割を終えます。それは世界の中の、ただの一つの物語のラベルでしかありません。

もし本当に「決着をつけたい」のなら、
ひとつだけ受け入れてください。
「真のあなたが気づけるもの・認識できるもの・知れるものはすべて私ではない」
この事実が、静かに浸透していくでしょう。

もちろん、表面ではまた巻き込まれて
「いや、これは私だ」と握ることも起こります。
それでいいんです。それも現象の動きのひとつですから。

そして大事なのは、どちらを選ぶかではなく、
純粋意識が自然にその動きを起こしていくということ。あなたは行為者ではありませんよね。
「あなたは、在る」です。

純粋意識が私として目覚め始めると必ず、
「じゃああなた本当にそこに留まれるのか?」
という恩寵的レッスンが始まります。
神々からのレッスンといってもいいかもしれない。

レッスンが進むほど、
疑いはあなたである意識に観照され、
消えるのが早くなる。
あるいは、残っていても平和な無関心が深まる。

そしてもうひとつ重要なこと。
あなたが「完全無知からまたやり直しだ!嫌だ、怖い!」と信じる限り、
意識はその信念に沿った風景を見せてきます。
見たいもの・避けたいものこれがこの世界のリアルさを構成しているから。

だから、未来のストーリーは一旦忘れてください。それは全部、夢の中の概念です。
遠い過去も、未知の未来も、想念でできた森です。気づきの光で燃やしましょう。

もし本当に決着をつけたいなら、
個が見る外側の「教え」を一度すべて置いて、
あなたである意識そのものに対してだけ語られた「事実」だけを採用してください。
知りたいことは「私は在る」が教えてくれます。

あなたが前におっしゃっていた外側のグル。
そして、あなた自身である内側のグル。
そこに、どんな想念を投げてもいい。
どれだけ暗黒でも、どれだけドロドロでも。
グル(=主体であるあなた)は
明け渡した想念。それを受け取り、溶かします。

こうして、起きてくる出来事ひとつひとつが
だんだん「直接的な理解」に変わっていきます。

それが本当の祈りであり、
祈る者と祈りの対象が一つに溶ける地点です。

追伸・余談
たしかにあなたも前言ってたように、だいぶ板違いな話のやり取りになってきました。
うーむ。笑

425り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:33:18 ID:XcRiBmjM0
>>415
それは良かったです。
あなたが言うように「大きな私」を想うことを続けていると、やがてそれは努力して行うものではなくなっていきます。

何かのために、一生懸命に、頑張って思い出す。そういう段階を越えて、「ただ、思いたいから思う」「自然にそこへ戻りたいから戻る」
という変容が起きてくるかもしれません。
こういうのは、エゴの辞書には載っていないタイプの動きです。
だからこそ、それは個の私にとっては受け入れ難い。でもどこか懐かしい感覚として起きてくる、かもしれない。

この地点に入ると、
それはもうメソッドではありません。方法でもアプローチでもなく、ただ大きな私の無条件さが小さな私に沁みてくる現象になります。
同じ「実現」でも
・願望の実現=個の私のための動き
・真理の実現=大きな私が小さな私を溶かしていく動き。この違いがハッキリ分かれます。

>大きな私は、転んでも、怒っても、泣いても、疲れて眠ってしまっても、ただニコニコ見守っている。

うん、まさにですね。
その絶対的な安心感そのものが、大きな私の本質です。

そしてあなたが気づいた通り、大きな私には本来、輪郭がありません。世界全体がそれでできているからです。
これは輪郭がないからこそ、どんなものにでも変身できる。輪郭があるように見えるのは、
小さな私が理解しやすいように
大きな私が 仮の姿を取ってくれています。

本当は輪郭などないのに、
個の私に安心を伝えるために輪郭のある姿をとる。その優しさ、あるいはユニークさ、子供のような無邪気さは、大きな私の本質そのものです。
だんだんと、マインドや思考の考察・解釈に頼るよりも「体感・直感・軽さ・平和・静けさ・安心感」これらを通して感じていくことを優先していくと良いでしょう。

「なぜかわからない、うまく説明できないけど、
嬉しい、楽しい、落ち着く、安心」
こういった線でプロセスが深まるといいですね。

あなたの場合、アニメを観て癒される

それがそのまま大きな私との交流になる

まさに、大きな私は、本当にあらゆるところに現れるということですね。

426り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:34:21 ID:XcRiBmjM0
>>418
そうですね。想像もつかない幸せというよりも、エゴという小さな箱に閉じ込められていること自体が苦なんですよ。二元論を超えた「それ」の正体こそ、他でもないあなたのことなんですよ。

427り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:38:54 ID:XcRiBmjM0
>>419
>>420
お二人ともカルマの補足、ありがとうございます。
私だけの表現だと伝わりにくい部分もあると思うので、こうして別の視点から表現・説明してもらえるのは本当に助かります。

あと、私がレス返しないときでも、
挙がっているテーマや関連するテーマでの、
雑談や意見は全然ウェルカムですからね。

私は「質問されたら答える係」みたいなスタンスなので、気が向いた方は気軽に書き込んでくださいね。(返信遅くなることもありますが)
よろしくです。

428り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:43:12 ID:XcRiBmjM0
あ、ミス。上のは
>>419
>>421さん宛てでした。ごめんなさいー

429り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:53:28 ID:ZGcl1I760
>>419さんでしたw
このように何度も打ち間違えるくらいカルマの構造の話はとても複雑だということですね。笑
それではみなさんおやすみなさいzzz

430り改め りょうせい:2025/11/28(金) 07:24:59 ID:XcRiBmjM0
>>416
そうなんです。精巧さ、畏怖の念。
まさにですね。
この世界の構造は本当に奇跡的。
なので、世界に対して祈るにしても、
祈り方の質が自然と変わってくるかもしれませんね。
あと、俗物的な楽しみを我慢する必要は まったくありませんよ。楽しめるなら、むしろ楽しんだ方がいい。我慢すると逆にエゴが暴走してしまいます。もちろん、
「欲望を見境なくやりましょう!」と推奨してるわけじゃないですが。笑
でも、正直なところ、やるときはやることが起こるし、落ちるときは自然と落ちる。
これがほんとうのところです。
なので、無理やり抑えたり戦う必要はありません。起こることは必ず落ち着く場所に落ち着いていきます。
その流れを、恩寵に委ねてしまえば充分ですよ。

431幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 09:53:03 ID:FhZYQpAY0
>>422
返信ありがとうございます。

はぁ〜ほんとに納得です。
複雑な内容をわたしにもわかりやすいようにお答えくださり感謝いたします。

個のわたしがカルマを完全に理解、把握しようとしなくていいんですよね。これまた囚われていたことに気づけて楽になりました。りょうせいさんのおっしゃってくださったように、「まぁ、そんな仕組みもあるか」で気にせずにおります(^^)
嘘の話もとてもわかりやすかったです。

419さん、421さん、カルマについて答えてくださりありがとうございました。
また何かに囚われたら質問させてください笑

432幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 10:16:49 ID:O6AGuUnc0
>>423
質問を書き直しますと、本当の自己に惹かれるが
あえて個の私として現段階でやれることはあるのか?でしょうか
別に欲望を全て満たしたわけではないですが前から真理・非二元系の話にも興味があったではダメですかね
願望実現系の達人の話を聞いても何か真理系に寄ってくんですよね、エゴは本当の自分じゃないみたいな
願望実現欲求も持ちつつ真理系と共通して言われる本当の自分とは一体?となってる私の様な人は多いのではないでしょうか
まぁワンネスとか愛とか制限ない存在とか在るとかいろんな呼び方は聞き及んでますが結局実感ないし起きないし悔しいしどうすりゃいいんだよて感じですかね正直に申し上げると

433幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 12:20:22 ID:Grpy2/6E0
>>411
雑談おっけーありがとうございます!!
ダミアン!それも読んでみようと思います!
そうなんです!意味のない厳しい修行をしたと分かって思わず笑いが込み上げてくる所、1人で孤独を選び(というか全てを自分で捨てているようにも思える)問いへの答えを探し続ける所、愛を知れば全て分かるんじゃないかと恋愛にはしるところ、自分は本当に想ってくれていた仲間をただ真理探求に理解がないというだけで切り捨てたんじゃないかと思って子供のように泣く所、愛を知ったと思ったのに肉親さえも上手く愛せない所、私は本当に愚かな人間だと全て手放す所。
私は決して真理探究が深く進んでいる訳ではないですが(肝心の最後はやっぱ分かんなかったし笑)とても共感する所が沢山ありました!!
この板を見ている時のような気持ちになりました!
それにとにかくつよぽんが素晴らしかったです!あの人面白いですね〜!!

434幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 15:11:19 ID:46wG4EY60
>>420
参考になったのなら何よりです。一つだけ補足させて頂くと
例えば、人の肉体は良いものを食べれば健康に、悪いものを食べれば病気になる
これは、どんなに悪知恵を働かせてもどうにもなりません
カルマとはこのようなもの、これもカルマの一種とも言えます

>本当の悪行を働いている存在たちがいるとしたら、なぜそれがうまくいくのか、そしてまた続けられるのかが不思議でありました。

これも誰も解説する人がいないんで、疑問に持つ方がいたら是非私にやらせてくれ、となってしまうんですがw
気にはプラスマイナス、陰陽があるというのはご存知だと思います。ここに法則にあります
「プラスとマイナスは引き合う」「プラスは生命力、マイナスは反生命力」これもまぁ分かると思います
そして悪人という存在は極マイナス、マイナスの力がとても強いという事になる
普通はそのままだと健康を害したりで死にます、でも、何故かそういう人ほど長生きしたりする
そういう疑問を持っている方は多くいると思います

ここで法則を思い出してください、極マイナスは周囲からどんどんプラスの気を引き寄せる事が出来ます
例えばマフィアのボスが沢山の美女を侍らせている、そんなイメージでしょうか
悪行で成功した人間には本能的にそういう事ができてしまう人間がいます
スピなどの業界ではこれを「エナジーバンパイア」と呼んでいます
そして極マイナスは法則により弱いマイナスの力を受けない、つまり呪いや祟りのようなものを全て無効化します
極マイナスは、極極マイナスのような存在からしかマイナスを受けないのです
そして受け流した強いマイナスの力は周囲や子孫の最も弱く善良な人間に行きます
呪いや祟りが「悪人」に効いた話なんて聞いた事ないですよね?

これは相当なカルマを産むと考えられます
普通の人は気を循環させながら生きていて、悪い気を押し付ける事もあれ良い気を与える事もある
しかしこのケースは一切プラスの気を産まず人から奪うだけ、借金、負債を全て他人に押し付けるようなものです
死に逃げしたとしても死後や来世といったものに持ち越される可能性が高い
信じる、信じない、ではなく転生、前世というのは法則、物理現実の一部としてあるとしか思えない気を調べるとそういったものが出てくる、これが私の見解です
また信用と能力のある方々も、どうにも調べるとそういうものが出てくると言っています

最後に実例を、私のケースです。私は父方の祖父母の顔を知りません
私が生まれる前後に亡くなったの事です、確か癌だったはず
母方の祖父母は私が40の頃はまだ存命でした、私は母方のひいお婆ちゃんの葬式に出た事もはっきり覚えています
そして父方の私世代は私以外全て女性で結婚し籍を変えていますし、私も継ぐ気がなく結婚できるなら姓を変えたいと思っています
つまり私の代で滅びる事が決定しています
私は父方と非常に強い確執、因縁があり、それは毒親という一言では説明しきれないほどです
最低でも一人は父方に強い恨みを持って死んだ親戚がいるらしい事が分かっています

死亡した年齢に40年もの差がある。家系が滅ぶ事が決定している。全て偶然でしょうか?
私は恐らく、この因縁、絡繰りを唯一理解できる人間として生まれています
長くなるので詳細は説明しませんが、見えない力が働いた必然である事は確かです

なぜ憎まれっ子世に憚るのか、この世には神も仏も地獄もないのか、多くの人がそう思っています
この現実世界や気の法則には極めて理不尽な面もあります、しかし、全てに理由があり
一面においては正しくても全体としてみればそうではないのです

435幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 22:57:31 ID:FhZYQpAY0
>>434
またお返事をいただけるなんて、ありがとうございます。嬉しいです。

疑問に持つ方がいたら是非私にやらせてくれ、となってしまうんですがw

↑頼り甲斐があります笑 教えてください!

プラスとマイナスの法則、そのように作用するんですね。教えていただいたことから考えると、マフィアのボス的な人たちが美女を侍らせているという理由は理解出来ました。

そしてカルマはやはり持ち越しされるんですね。。

実例も交えてご回答くださり感謝いたします。
わたしの考えつかないところまで教えていただき大変勉強になりました。

カルマって深すぎるし知れば知るほどやっぱりなんかこわいです。

436幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 23:40:31 ID:jgCCpg7M0
>>425
いつも有難う御座います。アニメは個の楽しみという感じで
自然(暖かい日差し・綺麗な落ち葉など)を大きな私からの贈り物の様に感じています。
幼い頃からずっと一緒に居てくれた存在に気付けて、温かい気持ちに包まれています。
「私は私と仲良くなりたい」という思いを抱いて11年、真理の実現が叶いました。

そういえば自己向き合いを始めてから数年は趣味のイラストを殆ど描いていませんでした。
このままでは描けなくなるかも?と思っていると描く流れが起き、心に聞く方法を知り
実践も兼ねてしばらくは楽しく描いていたのですが、何故かどうしても描けなくなってしまい
探求を始める流れが起きました。結局まだ描けてはいません。
もし絵を楽しく描き続ける事が出来ていたら探求の流れには入っていなかったと思います。

絵は「願望の実現=個の私のための動き」に該当し、真理の実現とは両立出来ないみたいです。
真理の実現の方へ進めているのはとても嬉しいですが
自分は(絵に限らず)願望実現の方じゃなかったんだ、と思うと少し寂しい気もします。

ただ、私が本当に幸せを感じられる、私にとって本当に必要な事は
きっと大きな私が叶えてくれるから心配しなくて大丈夫、という安心感も有ります。
(そしてそれは、小さくて地味だけど大切な何か、のような気がします。)

>マインドや思考の考察・解釈に頼るよりも「体感・直感・軽さ・平和・静けさ・安心感」
↑考える事よりも感じる事の方が好きなので楽しく実践していけそうです。
本来、実践とは頑張るものではなく
ラクに楽しみながら自然に出来るものなのかもしれないと思いました。

>優しさ、あるいはユニークさ、子供のような無邪気さは、大きな私の本質そのものです。
↑大きな私に対して「かわいいね」と言ったら「テヘペロ☆」と返ってきました。笑
(古い表現だとは思いますが、そう返ってきたので 笑)

>ただ大きな私の無条件さが小さな私に沁みてくる現象
↑温かいですね、とても心地良いです。そして何だかボーっとしてしまいます。
私は幼い頃からボーっとしがちな子だったのですが、大きな私の恩寵を
気付かないうちにたっぷりと受け取っていたのかもしれないなと思いました。

437幸せな名無しさん:2025/11/29(土) 09:37:44 ID:N3qdyC.Q0
436です 追記
願望は叶うと願望ではなくなるので
個の私が気付かないうちに叶ってしまっている願望も
本当はものすごく沢山有るのではないかと気付きました。

438幸せな名無しさん:2025/11/29(土) 18:24:20 ID:7CznLdjk0
だからカルマなんて把握できるわけがないのでしょうね。
地球上に人間だけでも90億。近しい人に限っても、誰がいつ何を思い何をするか、どんなことをしてくるかわからない。
自分のことさえ未来に何が起こり何を考え何をするかわからない。まして見ず知らずの人のことなどわかるわけがありません。
この世界は把握できない法則・カルマに従って動いている。理解できず不完全にしか見ることの出来ない人間視点に困惑し疑問を持った人は、真理探求に入るのでしょう。

439幸せな名無しさん:2025/11/30(日) 09:42:24 ID:NC6EcvNA0
身に起きたことは己の行為の結果であると認めることは少なく、多くのことの原因を外部に求める。
大部分は偶然にしか見えず、カルマはあるようでいて不完全であり疑わしいと感じる。
つらい事ほど外部の責任だと思いたがるのがエゴである。このために世界が争いに満ちてしまう。
この相対世界では、あらゆることは巡回し流れ展開するスクリーン上のドラマのようなもの。そこに私というエゴが介入し、現実であると錯覚し好ましいことのみを求める。
この愚かさに気付いた者だけに、真の意味での真理探求が始まる。

440り改め りょうせい:2025/11/30(日) 11:59:03 ID:6HBHTTIc0
>>432
※長くなってしまったので二つに分けました。
>あえて個の私として現段階でやれることはあるのか?
>欲望を全て満たしたわけではないですが前から真理・非二元系の話にも興味があったではダメですかね

→全然間違ってないですよ。
ぜひ同時に真理探求にも進んでください。
>「やれることはあるのか?」
これはもちろん熱量を込めて、「YES」です。
前にも少し触れましたが、探求者ってざっくり分けると
・直接知識タイプ
・明け渡しタイプ
・両方・または交互タイプ
この3つに落ち着きます。

これは自分の経験だけじゃなく、歴史上の宗教やスピ系のアプローチを全部並べても、結局この分類になります。軽く例を挙げると、こんな感じです。

1. 直接知識タイプ
「気づき」「観照」「洞察」「問いかけ」「識別」で私じゃないものを落としていくタイプ。

たとえば、
・アドヴァイタの、
「私は誰か?」「何が真で、何が偽か?」のアプローチ。
・仏教(ヴィパッサナー)
感情も体感も全部観察して、無常・無我を見抜く方向。
・禅(臨済宗)
「これは誰か?」系の公案。分別まるごと切る。
問いを使い、二元を超えてくアプローチ。
・スーフィー(知の道)
実在と影、観照者と対象。みたいな哲学的な切り込み。要するにこれらは「理解 → 静寂 → それ以前」に落ちる流れ。

2. 明け渡しタイプ
こちらは「委ねる、祈る、愛、溶ける」のライン。思考を使わない分、スムーズに個の柔らかさ・軽さ・聖なる愛や感情浄化のプロセスが進みます。

・バクティヨーガ
神に捧げる、涙・信頼・抱かれ感・聖なる歓喜。これはエゴの浄化にとても有効。
・浄土宗
ナムアミダブツ=完全委ね。阿弥陀に丸投げ。
これも上記と同じ。
・キリスト教の祈り・黙想
「御心のままに」自我を返す方向性。
これも上記と似てるけど、恩寵・奇跡・静寂の要素も加わる。
・スーフィー(愛の道)
愛で燃える系。「私を燃やしてください」みたいな陶酔。永遠の愛のためなら私は燃えても構わない。といえるような純愛型タイプの道。

3. 両方タイプ(統合型)

私もこれでしたが、二つを行き来しながら落ちていくタイプ。このパターンは、二つの仕事のかけもちのような負荷と、矛盾による迷いが増える分、日常のことも大切に捉えて包括的に行う必要があります。

・ヴェーダンダ(インド)
意識の階層を総合的に直接体験する。
・ゾクチェン(チベット)
理解+ 明け渡しのハイブリッド。
・ヨーガ全般(インド)
行為を捨てる学び・観照・静寂・献身・マントラ・チャクラ全部入ってる。
・曹洞宗(只管打坐)
ただ坐る=理解と明け渡しの中間。
・現代非二元・ノンデュアリティ
教えは知、体験はバクティという合体型。
ただし、探求初期や、取り入れるタイミングを間違えると虚無(ニヒリズム)や空虚(無意味さ)にも陥りがち。また知的理解で止まってしまう危険さと、エゴの精神的なトラウマが暴走し魔鏡に陥る可能性もあるので、探求の終盤に触れるのがおすすめ。(下に続きます)

441り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:08:46 ID:6HBHTTIc0
>>432
他にも挙げれば沢山あるでしょう。みなさんにも、聞き馴染みがあるものがあるかもしれないし、全くないかもしれない。ただ難しく捉える必要はなく、これらの話を一切全く知らなくても全然構いません。

で、「今の私ができることは?」について。
これはあなたのタイプによって違うんだけど、
ざっくり言うと 今の自分が自然に惹かれる方向が「まずの道」です。無理に選ばなくても、意識が勝手に方向づけしてきます。

私の経験でいうと、「純粋意識(私は在る)にとどまる」をひたすらやってたころは、
瞑想しかないな。と、思ってましたし、

「すべてを意識そのものに明け渡そう」
と、やってたころは、明け渡ししかないな。と、思ってましたし、

「神を全力で想う」をひたすらやってたころは、それしかないな。と、思ってました。
非二元の時は、非二元を吸収していました。アドヴァイタの時はアドヴァイタ・・禅の時は禅・・つまり、時期によって、モードによって、まるで人が変わっていました。笑

しかし、ある時、実際に「それ」が起きたら、
結論→「まったくどれも、なにも関係なかった。これは、ただ起きるか、起きないかだ。ガーーン」となりました。
しかし、同時に何一つ無駄がなかったと明らかになりました。つまり、探求してなかったら、発掘した宇宙一輝く宝石を、宇宙一価値のない石ころだと勘違いして、スルーしてただろうなということです。

そのため、私は、探求者に対して、「絶対このアプローチ、この教え、この哲学、この宗教、この聖者、この賢者、このスピリチュアル、この人だけが素晴らしいからそれをやりましょう」とは言えなくなってしまいました。

あなたが惹かれたもの、起きるアプローチ方法や、気質的にやってしまうこと、
その方向にひとつも無駄はなく、完全に最適。また、上に挙げたジャンルとは全く違うもの。たとえば、趣味や仕事、恋愛や結婚、人間関係などの様々な人生体験。誤解を恐れずいえば、たとえ人前で言えない系のどんなヤバい系の体験でも。また、強烈な悲しみの体験でも。
確実に真理探求に繋がり、確実にプロセスが深まります。
そのため、大枠では「すべては最適に恩寵が運びます」という発言になってしまいます。

>願望実現欲求も持ちつつ真理系と共通して言われる本当の自分とは一体?となってる私の様な人は多いのではないでしょうか

→もちろんです。潜在意識や真理探求のことを全く知らない人でも無意識下ではそのように感じているはずです。本当の自分を知りたいと。
それほど、エゴとの同一化は苦しいからです。

>ワンネスとか愛とか制限ない存在とか在るとかいろんな呼び方は聞き及んでますが結局実感ないし起きないし悔しいしどうすりゃいいんだよて感じです

→私も何十年もそんな状況でしたよ。
それが起きてしまえば、その過程自体は消えてしまう。だけど、ふと蘇るときがあります。
なので、おっしゃってる気持ちは痛いほどわかります。ただ、すでに起き続けているものは、起きない。
なぜならすでに在り続けているから。
その事実が確信的に明らかになるとき、
想像を絶する実感は、起こり得ます。

長くなってしまいましたが、
ちなみにあなたは、アプローチ、メソッド、修練など、なにかやってますか?

442り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:16:26 ID:6HBHTTIc0
>>433
雑談おっけーありがとうございます!!
ダミアン!それも読んでみようと思います!

ぜひぜひ。現代小説と違い、少し読みづらいかもしれないけど、私は印象に残ってます。
霊性的な啓示のある優れた小説や映画、ドラマ、アニメなどは、全体意識を理解するために非常に有効になりますしね。

ちなみに、「デミアン」です。笑

「ダミアン」はオーメンの悪魔の子の名前ね。爆笑

間違えて、「りょうせいさんに勧められてオーメン観ました!なるほど、ダミアンから真理探究に繋がる考察を得ました!」と書いてくれても、面白かったけど。笑 
それはそれで、悪魔をテーマとして話せるしね。(てか、オーメン古すぎて誰も知らないか。笑)

>意味のない厳しい修行をしたと分かって思わず笑いが込み上げてくる所〜

→大丈夫です。その一連の流れは完全に恩寵によって真理探究が深く進んでいますよ。

>1人で孤独を選び〜(というか全てを自分で捨てているようにも思える)

→これなんかは、真理探究が深まると、ケースとして普通に起こり得ます。つまり、余計な人間関係との変化が起きたり、意識それ自体に深まる過程で、不必要なものは物語から消えていくことがあります。もちろん、これは一時的で、探究が完全に終われば、再び自然な営みや日常に溶け込んでいきます。もちろん、ケースによっては様々ですが、なんであれ、気にする個人がもはや成立しなくなります。全体の最適な表現になってしまいます。

>この板を見ている時のような気持ちになりました!
→この板があなたにとって何かしらの励ましとして機能しているなら私も嬉しいです。

つよぽん素晴らしかったんですね。
確かにシッダールタ役に抜粋されてさらに観客を納得させるなんて、かなり役者を選ぶからね。素晴らしい舞台に触れられて良かったですね♪

443り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:21:42 ID:6HBHTTIc0
>>436
>絵は「願望の実現=個の私のための動き」に該当し、真理の実現とは両立出来ないみたいです。
>真理の実現の方へ進めているのはとても嬉しいですが
>自分は(絵に限らず)願望実現の方じゃなかったんだ、と思うと少し寂しい気もします。

→あなたの場合、起きてる流れは、
「願望実現」というよりは
「自己実現・生き方・天職への切望」みたいな方が近いんじゃないかな、と感じます。
だから、そっちの流れにしっかり集中してみるのもありですよ。絵は、あなたにとって
「個の私(エゴ)の心を映し出す鏡」みたいな役割をしているように読めます。
真理探求もそうですが、絵との向き合い方も、
すぐに答えを出そうとせず、時間をかけてゆっくり「根深い想念や、潜在的な傾向」をしっかり見ていくテーマに感じます。

「真理探求があるから、個のやりたいことは諦めなきゃいけない」という話では全くありませんよ。
起きる時は起きるし、起きない時は起きない。
それでもどうしても続けてしまうことは、
その人にとって大事なテーマだから繰り返し浮上してくるのです。

>大きな私の恩寵を気付かないうちにたっぷりと受け取っていたのかもしれないなと思いました。

はい、恩寵は、特別な誰かだけではなく、
世界全体に、もれなく行き渡っているものです。その働きは、浄化や癒しとして現れます。
それが少しずつ、
・「これは私のもの」
・「私の思考」
・「私の気づき」
と同一化して握っているものを、
ゆっくり溶かしていきます。
もしあなたが「大きな私」にもっと委ねたい、信頼を深めたい、と思うなら、
少しずつでいいので、あらゆるものを彼女(大きな私)に捧げていく必要があります。
そのためには、時間をかけて、
決して急がず・焦らず、静寂としての大きな私の声なき声に触れ続けることです。
真相レベルでは、本当に存在しているのは彼女(大きな私)だけですから。

444り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:27:48 ID:6HBHTTIc0
>>434
わかりやすいご説明ありがとうございます。またまた、みなさんの参考にもなるお話ですね。

445り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:29:49 ID:6HBHTTIc0
>>438
まさに、その通りです。
宇宙や世界の構造・法則性を研究したり、
それを体系づけていく専門家の方々の働きというのは、ある意味では 「世界の流れの中で配置された役割」 のようなものだと思っています。その探究が積み重なり、世界全体の理解や進化につながっていくことも確かです。

ただ、個として真理探求の道を進んでいくと、
世界や宇宙の仕組みをどれだけ追いかけても、
ある地点で必ず視点の転換が起こる瞬間があります。
それが、
「これを知りたがっている私とは誰なのか?」
「法則を掴んでコントロールしたがっている私とは何なのか?」
という問いが自然に立ち上がってくる地点です。
このあたりから、探求は外側の仕組みを解明する方向から、それを知ろうとしている主体そのものを見る方向へゆっくりと性質が変わり始めます。そして深まっていくと、次第にこう見えてきます。

「夢の展開は、それ自身の力で進んでいる。
そして夢から目覚めることこそが真理探求だった」
外側へ向いていた関心が、ゆっくりと、しかし確実に 内側へ反転していくそんなプロセスが起こってしまうのです。

446り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:32:17 ID:6HBHTTIc0
>>439
おっしゃる通りです。
ある意味、本当に真理探求の直接的な知識が開き始めるのは、まさにその地点からかもしれません。
エゴが自分の、(ある意味で)愚かさを、
直視し外側の責任にしてきた構造を見抜き、
「これは夢のドラマを本気で信じ込んでいただけだった」と理解する。
そこに至ること自体が恩寵であり、祝福であり、そして厳しい浄化のプロセスに耐え抜いた者だけの気づきです。

447幸せな名無しさん:2025/11/30(日) 23:21:36 ID:FdQYoOu20
最近こちらのスレッドを読むのが楽しいです!りょうせいさん、皆さん、ありがとうございます。
今私は、その時その時の自分(個)に最適なものが用意されているという感覚が強いです。
このような掲示板の書き込みに興味を持ったり、書き込みをしたりすることも。何かしらに後押しされている感覚がずっとあります。
全てが恩寵なのだと少しでも感じられると、エゴで嫌がっていたあれやこれやをも微笑ましく見守る視点が、微かかもしれないが確実にあると感じます。
特に質問があるわけではないのですが、今のこの感覚をこのスレッドに書き留めておきたくなりました。

448幸せな名無しさん:2025/12/01(月) 06:08:27 ID:0krOS45w0
>>440
詳しくありがとうございます、真理系の勉強にもなりますね
結局これに方法も関係もないんだけど色々ある中からやりたいことやるしかないって感じでしょうかね
やってることと言えば自己観察(思考観察?)とか瞑想の時間を設けるですかね
あとエゴとエゴ以外って何だろうと考えるとか 本当の私とは何かと考えるとか
書いてある中だとアドヴァイタが近そうですね
あとここでりょうせいさん(真の)の文を読んだりやり取りすることにも期待感があるかも

449幸せな名無しさん:2025/12/01(月) 10:27:22 ID:bP0USNok0
>>424
>レッスンが始まる

ええ、試されます。疑いが強まり全部否定していた時も、頭の片隅では試されてるのかという理解はありました。
なんだかんだで今はかなり楽になっています。ただ他のことで誤魔化した部分もあるのか深層では残ってるようで、夢の中で出てくることがある。
実現させないといけないことかもしれません。これに関しては自分から動く気はさらさらなくて、起きてほしいような起きてほしくないような、起こるんなら起こるんでしょ、というスタンスです。
そうは言っても、真の私はそんなあれこれに縛られてはいない、問題など始めからない。
しかしストンと落ちて定まることはない。で、原因は?となってループにはまる。そこで祈りが起こる。
こんな感じです。

>>440の話、私も統合か交互タイプですね。
最初に直接知識と強いバクティが起こり、しだいにバクティは弱くなっていきました。
でも智慧の道(直接知識)も最後は明け渡し(バクティ、「それ」を想い全託する、祈る)で最終決着する予感がある。
知識も明け渡しも、その他瞑想などどんな修練も「それ」の目前で終わる時は同じことになっている。
ただ静かに在る時は、知識も明け渡しも瞑想も祈りも全部同じです。
同じではあるが、最後は辿ってきた道自体が超えられない壁になる。
ラーマクリシュナはバクティでは決着せず、最後は識別を授からなければならなかった。
一つの道だけではいけないと思いますが、どうなんでしょうか?
最後に道からジャンプして離れる瞬間は語れない領域の恩寵ですかね。

>>438>>439 は両方とも私です。
カルマの話の流れで段階の違う過去の記憶が出てきたようで、書いてしまいました。なんかキャラも少し変わってます。
混乱状態の間に失った知識や気づきが、書くことによって戻ってくるようです。それが良いのか悪いのか、書いた直後は後悔しました。
先ほどの話のように、得た知識気づきの記憶を失うのは祝福なのでしょうか?

p.s.
しかし、もう完全に願望実現の話とは離れてしまいました。
探求の道に入ろうとしている方にはぶっ飛びすぎていて、変な人が訳分からんこと言ってると思うでしょう。
なんか不思議で面白そうくらいに思ってもらえるとありがたい。

450幸せな名無しさん:2025/12/01(月) 15:01:35 ID:rOulcmJI0
>>443
ありがとうございます。
>「根深い想念や、潜在的な傾向」をしっかり見ていくテーマ
↑そう思います。沢山の観念が貼り付いていて身動きが取れません。
絵と言っても、そんなすごいものを目指しているわけではなく(そもそもすごいものなんて描けない)
ちょっとしたもの、何かそれが描いてあるとホッと和むような、そんな感じの
楽しく気軽に描けて、絵に楽しい気持ちを込められて、見た人が少しだけホッとしたり
和んでくれたりしたら嬉しいなあ、というその程度のものです。ただ肝心の「楽しく描く」が
出来なくて、気持ちも乗らなくて、抜け殻みたいなものしか出来なくて、それが嫌で
今は描くのをストップしている状態です。

大きな私には輪郭がない。愛にも輪郭はない。個の私には輪郭がある。
個の輪郭=エゴのような気がしました。なので輪郭を消して大きな私に触れてみたら
個の私の中に大きな私が入ってくるような感覚になりました。

>>440に書かれていた、2. 明け渡しタイプの中の
>「私を燃やしてください」みたいな陶酔
>純愛型タイプの道
↑これ良いですね〜!強く惹かれます。大きな私くんor大きな私ちゃんに
メロメロになって溶かされたいです。あなたはコーヒー私はミルク、溶けあうふたり
って頭沸いてるじゃないですかー!?コーヒー飲むなら沸かすのはお湯だっ!笑

451幸せな名無しさん:2025/12/01(月) 15:35:58 ID:dqO9v4aA0
カルマの質問をした者です。

こういう探究を始め、また深めると、知ったわたしが出てきてしまいます。
心のどこかで無意識のうちに他人を見下してしまってるんじゃないかって感じるんです。「そうじゃないよ〜」とか思ってる瞬間に気づいて自己嫌悪というか。。
分離していることに気づいて都度修正していくようにしているのですが、こういう時はどうすればよいでしょうか?

452幸せな名無しさん:2025/12/01(月) 19:32:59 ID:oFQTBAsY0
>>451
あなたの言う探求が心理観察(エゴによるエゴの観察)であれば、エゴが付いて回るのも分離感も当然です。
しかし心理観察は真理探求のための大切な土台になる。
これをやり切ろうとするなら非常にきつく苦しい。私はそうでした。
エゴの世界の苛烈さを味わい尽くした子供時代、20代での苦しい心理観察は、大きな宝となった。
エゴの構造を徹底して見破れば、「私」の正体を突き止める真理探求に入ってから楽に進歩するし、得られる恩寵も大きい。
分離感で苦しむほどやり切ったのなら、真理探求に入る準備が整ったということだと思います。
エゴの中身を調べるのではなく、「私」という感覚は一体何なのかを突き止めることです
私はあなたのような状態から真理探求に入るまでの間は、3年ほど好きなことやって思いっきり楽しみましたね。
それでエネルギーが充電されてから自然と真理探求に入った。まずは真理系の本を読むことと瞑想でしたね。
苦しみながらじゃなく、ワクワクしながらでしたよ。
焦燥感で何をすればと悩まず、ひとまずボケーっとして楽になり、したいことが出てくればなんでもいいと思います。

453幸せな名無しさん:2025/12/02(火) 00:34:54 ID:Y9lz6.oM0
悟りを得た者は因果やカルマがわかるとか?
実際りょうせいさんは相当な洞察力を持ってそれらを語っているように思えます

>>451
>>分離していることに気づいて都度修正していくようにしているのですが
それでいいんですよ。435の人かな?情報の価値って「恐れ」なんですよ
ニュースで可愛い動物のニュースしか流れなくなったら困るじゃないですかw

454幸せな名無しさん:2025/12/02(火) 02:04:59 ID:ErSnlWAY0
りょうせいさんに質問です。
どうしても許せないこと、受け入れられないことにはどう向き合えば良いでしょうか。
例えば、親のこと。
こんな親の下で生まれたくなかったと思います。
憎んでいます。何十年も、感じきっても消えません。

455幸せな名無しさん:2025/12/02(火) 15:51:57 ID:yfC47Eig0
>>452
お返事ありがとうございます。
他者を否定するような声が出てきたら気づいて観察に入る感じです。
自己顕示欲のようなものがまだあるようでそれにいつも足を引っ張られるような気がします。

エゴの中身を調べるのではなく、私という感覚は一体何なのか

とてもいいヒントになりました。
ワクワクしながら。とりあえず力を抜いて楽になろうと思います。ありがとうございます!

456幸せな名無しさん:2025/12/02(火) 15:55:04 ID:yfC47Eig0
>>453
お返事ありがとうございます。
はい、435です!
ニュースで可愛い動物のニュースばかりが流れることを無意識に希望していたようです笑
はぁ〜。何かを恐れているのかな。。
でも、それでいいんですよと言っていただき嬉しかったです(^^)

457り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:18:20 ID:nQcRHfoo0
>>447
ありがとうございます。お気持ち嬉しいです。

>今私は、その時その時の自分(個)に最適なものが用意されているという感覚が強いです。

→ まさしくその通りですね。

>このような掲示板の書き込みに興味を持ったり、書き込みをしたりすることも。何かしらに後押しされている感覚がずっとあります。

→ はい。それは、あなたの内側で準備が水面下で進んでいたからです。悟り・覚醒・目覚めの方向へ心が開かれていないと、そもそもその「後押しのような気配」は生じません。すでに内部のプロセスが動き始めていた証拠です。

>全てが恩寵なのだと少しでも感じられると、エゴで嫌がっていたあれやこれやをも微笑ましく見守る視点が、微かかもしれないが確実にあると感じます。

→ そうですね。恩寵は、世界やすべての存在を常に世話しています。もちろん、恩寵は人格的な存在ではありません。感謝した分だけ見返りをくれるわけでもなく、反抗したからといって見捨てるようなこともありません。

これはつまり、真のあなたの本質が「完全に無条件である」ということです。
そこには条件づけや損得の概念が最初から存在していません。
この無条件性というものは、条件づけが当たり前の私たち個の視点や世界の一般常識からすると、全員が「まさか!!ありえない!!」と、驚愕するほど異質なものです。笑

そして私たち(エゴ側)が「恩寵という流れが常に働いている」という事実を理解し始めると、それだけでエゴの持つ原初的な罪悪感・恐れ・思い込みが少しずつ溶けていきます。

そのとき、内側では少しずつ次のような変化が起きてきます。
・重さや深刻さがゆるんでいく
・世界や人生への不信が薄まる
・過去のわだかまりが少しずつ癒えていく
・真理探求への誤解や抵抗が弱まる
・また、真理を知ることは破滅の道ではなく、自由への道なのかもしれないと感じ始める

その結果、一見地獄にしか見えなかったものの背景に、ずっと天国の下地が流れていたのだと分かり始めます。もちろんこれらはゆっくりと時間をかけて消化されていきます。

恩寵の存在を知り、それを信頼し、理解が深まっていくにつれ、あなたの内側では、ポジティブ/ネガティブを超えた意味でのあらゆるものとの和解が、ゆっくりと静かに進んでいきます。
>「楽しい!」
→あなたのその感覚。これがなにより大切です。実のところ真理探求者たちは、なぜ探求してるかというと・・
超絶大変なときもあるけど、その何倍も理屈を超えて「楽しい」からなんですよ。笑
魂の喜びというか、深いところで整合性がとれるというか、言葉にできないスッキリ感、聖なる陶酔、不思議なエクスタシーのようなものが水面下で流れるわけです。笑(もちろん、怪しくない安全なやつね)

あなたの中で起きている変化は、とても自然で正しい方向ですよ。ぜひその方向の流れに乗っていってくださいね。

458り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:27:09 ID:nQcRHfoo0
>>448
良かったです。あくまで参考程度で大丈夫ですよ。私も、宗教や哲学を体系的に研究してきたわけではなく、あくまで「自分の探求に役立つもの」だけを拾ってきただけです。

だから、みなさんに「世界の宗教や哲学を全部学びましょう」と言いたいわけではありません。むしろ大事なのは、
・人類史の中で、確かに真理探求者はずっと存在してきた
・実現者たちも実在した
・「探求と実現」は絵空事や妄想ではなく、リアルに起こる出来事である
という事実なんです。

そして、一見真逆に見えるアプローチでも、最終地点ではすべて統合されること。
個の気質によって向き不向きがあって当然で、向いてないことに落ち込む必要はまったくないということ。そして、最終的には、なんであれ、すべてはただ起こります。笑

>結局これに方法も関係もないんだけど色々ある中からやりたいことやるしかないって感じでしょうかね…

→ まず、瞑想ができる方は、瞑想のルートで純粋意識を直接知る流れで全然OKです。
瞑想って、気質的に向いてなければ、そもそも「瞑想しよう」という発想すら人生で起きません。
瞑想のやり方・重視する点・流れの組み立てなどは、掲示板ではさすがに説明しにくいですが、いつかタイミングが揃って、希望される方が多ければ「純粋意識に直接触れる瞑想法」はどこかでお伝えします。それも、また起こるなら起こるでしょう。

それと「瞑想」と一言でいっても、明け渡しと同様に種類がめちゃくちゃ多いんです。
・悟り目的の瞑想(私がやってきたタイプ)
・潜在傾向・カルマの浄化
・感情や心の癒し(ヒーリング系)
・願望実現系(恋愛・富・人間関係修復)
・インナーチャイルド系
・チャクラ開発
・健康・集中力アップ
・ダイエット目的の瞑想。
ほんと幅広い。笑

>あとエゴとエゴ以外って何だろうと考えるとか 本当の私とは何かと考えるとか

→ その思索そのものがとても大事です。
思考や考察は、真理探求では無駄どころか、むしろ必須の土台になります。頭の理解が、いずれ直接理解へ発展していくので。

>書いてある中だとアドヴァイタが近そうですね
→ アドヴァイタは完全なる「ド直球の悟り系」です。そのぶん、思想も深淵で、体系も広大です。最初は「頭での理解」からゆっくり馴染んでいく形になるかとおもいます。
ただ、最初は聞きなれない用語だらけで難解に感じるはずです。笑
特に日本人には馴染みが薄い単語が続きます。
(インド哲学・ヒンドゥー系は、とにかく奥が深いので)
少し触れてみて、吸収するかどうかは、何か響くものがあればで構いません。ハートにどう響くか?そこの感覚的な相性の部分を大切にしてください。
また、仏教から禅が派生したように、アドヴァイタから「非二元」が派生しています。
非二元で混乱した経験がある人ほど、アドヴァイタに触れると、非二元の位置づけや全体図が見えてくるかもしれません。

>あとここでりょうせいさん(真の)の文を読んだりやり取りすることにも期待感があるかも

→ そうだといいなと私も思います。笑
私も何十年も探求しましたが、探求の前半期は「グルやガイドと接触する前の準備期間」だったように思います。
私は独覚(ひとりで完成するタイプ)ではなかったので、グルやガイドの背中押しや伝達や恩寵がなければ、到底無理でした。

感謝や愛、魂としての命の恩人・・
あらゆる言葉を総動員しても足りないほどですが、同時に、全部ひとつの中の運動にすぎないのです。 運動とはいえ、奇跡的な美しい運動ですが。

459り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:29:56 ID:nQcRHfoo0
>>449
(二回にわけます)

神々から試される、と聞くと恐ろしく聞こえるかもしれませんが、
私の言っている「神々」とは、人格を持つ存在ではなく、五つの元素的エネルギー(意識の五つの動き)を象徴的に神々と呼んでいるという意味です。つまり構図としては、五元素の運動・法則(=意識のダイナミクス)そのものをあなたが超えていくという話です。

だからこそ、霊的な実現を見守り、支え、背中を押す神々(エネルギー)恩寵、あるいは歴代の真理実現者たちの加護が大切になるわけです。マントラや祈りはその加護(=恩寵の働き)をスムーズに受け取りやすくします。

>なんだかんだで今はかなり楽になっています。

→ 良かった。
どの段階でも、DNAの螺旋のように、一段登ると必ず「作用と反作用」が起きます。プロセスは常に螺旋状に進みます。昨日理解が深まったのに、今日は疑念モード。これは反動ではありますが、進んだからこそ起きている「祝福の揺り戻し」です。落ち込む必要は本来ありません。あなたのいうように、表面的に落ち込むけど、実相としては大丈夫。YES、まさにそのとおり。

>ただ他のことで誤魔化した部分もあるのか深層では残ってるようで、夢の中で出てくることがある。

→ これは「エゴの同一化の残り滓たちが燃えている」と捉えてください。潜在的傾向が意識のスープで煮込まれ、成仏していくプロセスです。夢の方が、起きている時よりも微細で根深い想念をあらわにするので。

>実現させないといけないことかもしれません。これに関しては自分から動く気はさらさらなくて、起きてほしいような起きてほしくないような、起こるんなら起こるんでしょ、というスタンスです。

→ 今はそのスタンスがベストです。
意識の安定が予定の地点まで進めば、
個の人生テーマに関しての願いはただ自然に満たされるか、あるいは「もうどちらでもいい」という本当の意味で自由な地点に落ち着きます。

>真の私はそんなあれこれに縛られてはいない、問題など始めからない。しかしストンと落ちて定まることはない。で、原因は?となってループにはまる。そこで祈りが起こる。

→ それは時空を超える準備運動です。
時空の縛りが溶け、複数の視点を切り替えられるようになりつつあります。
これは、純粋意識の安定が深まる過程で
サードアイ(象徴としての洞察の中心)が目覚めだす運動でもあるため。そして、
そこからだんだんと、純粋意識 → 全体意識へ自然に流れていきます。

>私も統合か交互タイプですね
→ そうですね。大正解。

>ただ静かに在る時は、知識も明け渡しも瞑想も祈りも全部同じです。

→ YES。愛が極まれば自由になり、自由が極まれば愛になる。最終的にはすべてのアプローチが一つへ収束します。

>最後は辿ってきた道自体が超えられない壁になる。

→ そのとおりです。純粋意識を深める段階までは努力・熱意と比例しますが、
最後の探求者の終わりは時空を超越する領域から、因果を超えて訪れます。

ただし逆説的に、そこまで強烈に探求できている時点で、
・すでに絶対のギリギリの領域から吸引されている
・世界側の加護(恩寵)が働いている
だからこそ、「その熱量を燃やせていることが可能である」とも言えます。
また、だからこそ成熟した果実のように、ある瞬間に、ただ枝から落ちるのです。

460り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:33:06 ID:nQcRHfoo0
>>449
>ラーマクリシュナの件

→( ※これはあくまでも私の個人的な見方です。ご興味ない方は読み飛ばしてください)

ラーマクリシュナがバクティだけで決着しなかった理由の一つは、初期段階で彼は、「二元を残したままカーリーを見たい」という願いがあったためです。
ただしこれは決して彼の欠けではなく、
彼の生まれ持った使命(世界の霊性計画の一部)として起きたことでもあります。

当時のインドではバクティが衰退し、
霊性が唯物論に浸食されていた時代でした。
そのタイミングで彼が現れ、その人生物語そのものが「バクティ復活・またインドの霊的な再建の装置」として働きました。(もちろん、彼だけじゃなく弟子も関わってますが)
彼は、

・文字通り命がけで、寝食も惜しんでカーリー女神を求め続け
・あるタイミングでカーリーが目の前に実際に現れました→ 物語を霊訓的に読み解くなら、この時点で彼のエゴは完全消滅。また、純粋意識・全体意識に安定と見るのが自然です。
・のちに不二一元論の師に出会い、即座に「絶対」へジャンプ
・それだけではなく軽々と多宗教のアプローチから実現を統合

この物語の流れは圧倒的です。
これは普通の探求者の動きではあり得ません。
なので、彼は絶対意識のギリギリの地点から現れた、まるで遊戯(リーラ)的な、「それ」の化身のような存在と見るのが自然でしょう。それもたった150年ほど前のつい最近の話です。笑

つまり、
・バクティ一本で実現は可能
・智慧の道一本でも可能
・混合型も可能
あなたのいう通り、頂点付近では全部同じ性質に撹拌(かくはん)され収束される構造になります。
ラーマクシュナはあえて世界に対して、また未来に対しての霊訓の波としてそのような物語のプロセスを恩寵が起こしたわけです。

>最後に道からジャンプして離れる瞬間は語れない領域の恩寵ですかね。

→ YES。恩寵も純粋意識も非人格ですが、ある種の方向性のようなものを持っています。
しかし、ジャンプ、超越の、その領域は言葉や概念では全く表現できません。一切が成立しない領域です。あなたにジャンプが起きたら、
真理探求に関する全ての動きは自然に完全に消滅していきます。

> >>438>>439 は両方とも私です。
カルマの話の流れで段階の違う過去の記憶が出てきたようで、書いてしまいました。なんかキャラも少し変わってます。

→どうぞどうぞ。
キャラ変オッケーです。笑

>先ほどの話のように、得た知識気づきの記憶を失うのは祝福なのでしょうか?

→ はい。それは「記憶そのもの」ではなく
「私の」というラベルが消える現象です。
必要な記憶は残り、不要なものは透明になり、
誰のものでもない記憶になっていきます。
これは記憶に苦しめられていた私からの解放・祝福です。

>しかし、もう完全に願望実現の話とは離れてしまいました。探求の道に入ろうとしている方にはぶっ飛びすぎていて、変な人が訳分からんこと言ってると思うでしょう。

→ そのとおりです。笑
突然スレが削除されてもまったくおかしくありません。笑
しかし、これらの流れもまた、最適にただ起きています!

461り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:37:41 ID:nQcRHfoo0
>>450
>そう思います。沢山の観念が貼り付いていて身動きが取れません。
→ アニメ鑑賞が癒しの瞑想になっていて、
絵と向き合うことは今は厳しく感じるかもしれないけど、実はとても大切な通り道になっている気がします。

>絵と言っても、そんなすごいものを目指しているわけではなく〜

→ それで十分すぎるほど良いと思いますよ。
あなたの中で自然に起こる描きたいという衝動は、個の私より前にある大きな私から生まれているものです。

それに対して、
・自分を小さく見積もる
・比較してしまう
・自分を卑下する
こういったマインドが出てきたら、一度ぜんぶ大きな私に捧げてみてください。判断しているのは個の私であって、衝動の源はもっと奥にありますから。

そして、ゆっくりでいいので
・行為は起こるものか?
・個の私がコントロールしているのか?
という根本の部分も、少しずつ見ていくと良いですよ。

>ただ肝心の「楽しく描く」が
出来なくて、気持ちも乗らなくて、抜け殻みたいなものしか出来なくて、それが嫌で
今は描くのをストップしている状態です。

→ よく分かります。
真理探求も、創作も、願望実現も、どれも同じで時空という制限の中ではゆっくり進むしかありません。
始める → 続ける → 少し変化
また
始める → 続ける → 少し変化

この地味な繰り返し以外の道はないんですよね。
だからこそ、私たち個は定期的に癒しや、励ましが必要になります。恩寵の流れは常に最適に動くけれど、世界側はのんびりしている。
真の呪いとは、この「のろい」ことである。
と冗談めかして言いたくなるほど!笑
しかし、それでも、ある時、飛躍は起きるのです。

そういえば、あなたの近くに弁財天を祀っている神社やお寺はありませんか?
もしあれば、一度お参りして、絵にまつわる全部を捧げてみてください。悩みも迷いも、正直に全部渡してしまう形で。

>大きな私には輪郭がない。愛にも輪郭はない。個の私には輪郭がある。個の輪郭=エゴのような気がしました。なので輪郭を消して大きな私に触れてみたら個の私の中に大きな私が入ってくるような感覚になりました。

→ その理解、いいですね。輪郭があるからこそ、思考も物語も人生も区別や比較も成り立つ。そして輪郭が少しふわっとする時、大きな私の方が前景に出てきやすくなります。

>純愛型タイプの道
>これ良いですね〜!強く惹かれます。

→ いいですね。大きな私くんは、あなたが悩んでも動けなくても落ち込んでも、何をしても一切変わらずにただそこにいます。表向きは二元に見えても、本質的にはあなたと大きな私くんはひとつ。
千と千尋の、「千尋とハク」のような関係です。

もしあなたが真実の意味での愛に惹かれるなら、
愛は喜びや平和や癒しや明るさだけでなく、
大きな悲しみや寂しさや失敗さえも含んでいることを少しずつ知っていくといいです。
大いなる悲しみは、大いなる慈しみにつながります。だから、あなたに今起きていることに無駄はなく、意味がないものもないんです。

462り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:42:21 ID:nQcRHfoo0
>>451
探究をしていく中で「他人を見下してしまう感じ」が出てくるのは、正直に言うと、ほとんどの探究者に一度は起こる現象なので、まずそこまで自分を責めなくて大丈夫です。

なぜかというと、探究が進むというのは、
エゴの暗雲だらけの空に、少しずつ光が差してくるような流れだからです。
当然、探究者にとっては進歩を望み、退化を恐れるものです。

そして今の世界全体を見れば、
探究して目覚めの方向へ向かう人よりも、
「そっちには向かわないようにしている人」「まったく興味がない人」の方が圧倒的に多いですよね。笑

その中で、あなたの中には
・「ちゃんと目覚めの方向に進みたい」
・「無明のままではいたくない」
という志がすでにあります。
すると、エゴに眠っている人や、あまりにも無自覚に生きている人を見たとき、反面教師のような形で、
(ああはなりたくないな・・)
という気持ちが自然に立ち上がります。
それが「見下し」のような形で心に出てくることがある、というだけのことです。

相対的なレベルで見れば、たしかに段階の違いは確実にあります。
だから、
・直接本人に「見下し」をぶつけて攻撃すれば当然トラブル。
・心の内側で一瞬そう感じる → 正直、そこまで問題ではない。
という区別で見て大丈夫です。

それと、他人への見下しや嫌悪の感覚の中には、
「過去の自分」への嫌悪や恥ずかしさが含まれている場合も多いです。つまり、その人の中に「昔の自分」を見てしまうから、
余計にモヤっとする、というパターンですね。

その残りかすがまだ心に残っているからこそ、
似たものを外側に見たときに反応してしまう、という側面もあります。

いずれにせよ、最終的に、真のあなたがはっきりしてくると、
・段階やレベル
・他人の未熟さ
・自分の過去の愚かさ

こういったものは全部「一つの大きな運動の中の表面的な物語」にしか見えなくなっていきます。

なので結論としては、
・見下しが起きても「うわ、ダメだ・・」と過剰に責めない
・「ああ、こういう心の動きも今ここでただ起きてるだけなんだな」と眺める
・必要以上にストーリーに乗らない

これで十分です。
もしこれが何年も何十年も続き、
四六時中「見下しと自己嫌悪」に囚われ続けてしまうなら、そのときはもう少し深くテーマとして扱う必要が出てきますが、
今あなたが書いてくれた感じなら自然な通過点として起きている現象の範囲内だと思いますよ。

463り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:52:12 ID:nQcRHfoo0
>>453
横入りすみません。笑
>悟った者が因果やカルマを「理解している」?
→これは、「私や/あなた」という分離構造そのものが薄れていくことで、出来事や流れを全体として見る視点が自然に開けてくる、という方が正確です。

真相としては、個の私(りょうせい)という分離した夢の中のキャラとしての主体が特別な理解を得ているわけではありません。
「本当の私=本当のあなた」という境界のない領域の中で、ただこのやり取りそのものが自然に動いているだけです。

ただ、相対的に見るなら、探求者が「私は在る」「純粋意識」へ安定して深まるほど、
純粋意識と全体意識、さらにそれすら超えた領域の境界には、たしかに叡智と呼べる光のようなものがあります。

個が努力して洞察を得るというよりも、
個が透明になっている瞬間に、その光がただ通り抜ける。そういうニュアンスのほうが本質に近いでしょう。

本来、「それ」を正確に伝えるなら沈黙、
つまり「その立場としてただ在る」ことが最も適切です。しかし沈黙では会話が成立しないので、沈黙のすぐ手前の領域から言葉が自然に生まれてくるわけです。

世界という相対の視点で見れば、
この叡智はたしかに特別で不可思議に見えるでしょう。けれど、私自身の立場からは個の私は完全に気づかれる側にあります。

だから、個の私も、世界も、個のあなたも、
すべては「真のあなた」の中でゆらめくひとつの流れです。
ここに現れている個としての私たちは、
ただ「それ」のさまざまな元素的な運動、エネルギーの働きであり、それの表現にすぎません。

なので、個としてのりょうせいに特別な力があると思わないでください。笑
私が恩寵を扱っているのではなく、
恩寵が個の私を扱い、動かし、この会話すら起こしているだけです。そしてこの恩寵の働きは、あなたにもまったく同じように流れています。

探求が深まるにつれ、この「誰のものでもない叡智」は、個のあなたが成長するという意味ではなく、個が静まった分だけ、また同一化が消えた分だけ、自然に流れ込んでくるようになります。それは「個の私が得るもの」というより、ただ真のあなたの側が前面に現れてくるだけのことです。

必要なときには、必要な分だけ、静かにやってきて、自然に働き始めます。これも真理における、不思議でとても楽しい側面ですね。

464り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:59:16 ID:nQcRHfoo0
>>454
まず最初にはっきり言っておきます。
許せないなら、許せないままでいいんです。
無理に許す必要はどこにもありません。
親や身内のテーマは「個の私の物語」の根源的な層なので、扱いが難しく、深い痛みが出るのは自然です。
意識が身体と名前と同一化して最初に出会う存在が親なので、ここで大きく揺れるのは当然です。

そして大前提として知っておいてほしいことがあります。
「許そうとする」「受け入れようとする」という行為は、個の努力だけでは完全には達成できないということです。

なぜなら、個の私がどれほど努力しても、真のあなたである
・愛そのもの
・自由そのもの
・無条件そのもの
・平和そのもの
・許しそのもの
・豊かさそのもの
・完璧そのもの
といった本質そのものの領域には完全一致できないからです。

もし個が完全に本質と一致してしまえば、その瞬間、個の私はどこにも見つからなくなる。
つまり、心やマインドや精神は、本質そのものにはなりきれない構造を持っています。

だから、あなたが完璧に許せないのは当たり前で、努力不足でも弱さでもありません。
むしろ、「許せないまま」のほうが「動きとしての個」の正しい構造でもあります。

ただし、真理探求が進み、本当の私の側に立場がゆっくり移っていくと、見え方が少しずつ変わってきます。

・許せても許せなくても、どちらも意識の中のひとつの動きだった

・ひどいことをした人もされた人も、真相としては自然発生した記憶の中の動きだった

・加害でも被害でもなく、その状況ではそれ以外が起きようのなかった必然の流れだった

・また、短期的には痛みでも、長期的には個が物語そのものを超える動機になることがある

・真理実現した瞬間、黒だらけのオセロが全部白に変わるように、意味が反転する場合がある

こうした視点は探求が深まるほど自然に開いていくものです。

※ただし、この視点を早取りして現実の傷を雑に扱うのは絶対に避けてください。
(探求者が非常に落ちやすい罠です)

なので結論としては、

・絶対的視点では物語は夢のように存在していない
・相対的視点では、親を許せなくてOK。ただし個の私の心の傷は丁寧に扱い癒す必要がある
この二段構造で向き合うのが最も正しいです。

相対的な側では、
・加害者を反面教師として見る
・「自分はこうはならないようにしよう」と方向性を決める
・同時に行為は自然発生的に起こるというパラドックスを理解していく。これが成熟した探求です。

たとえば親について。
>こんな親の下で生まれたくなかった。憎んでいる。何十年も感じきっても消えない。

こういう場合、まず知っておいてほしいのは、
「感情そのものをどうにかする」というより、もっと深いレベル、身体感覚の微細なエネルギーに硬直や詰まりが起きている、ということです。
だからこそ、これは感情論よりも、
時間をかけて「体感的に」解放されていく必要がある領域なんです。
意識そのもので在る、というのは、
この身体感覚にも気づいている領域のことを指します。
だから個のあなたは、
・許せないままでいい
・癒えていなくていい
・どう扱えばいいかわからないままでいい

この「そのまま」の状態でいる方が、実はずっと早く癒えていきます。
なぜかというと、個がコントロールしようとしないことで、真理側(恩寵)が扱える余地・余白が残るからです。
逆に、個が必死に許そう、感じきろう、解決しようとすると、その余白はすぐに潰れてしまう。

私たちの心の奥には、多くの「傷ついた記憶」や「痛みを抱えた私たち」が地下に住んでいます。
それらを癒せる方法はただ一つ。

個の私が何かするのではなく、
本当の私の立場から気づいてあげること。
その気づきの光(純粋意識)を静かに当て続けること。つまり、本来のあなたとしてただ在ること。

これが超絶シンプルでありながら、
純粋意識であるあなたが、心や想念、物語たちにしてあげられる最も優しい行為です。

そうして少しずつ同一化がほどけ、
それらは浄化され、至福・平和・安心としての本来のあなたへ還っていきます。
深い意味での癒しやヒーリング。これもまた、真理探求者にとって見逃しがちな、とても大切な側面です。

465幸せな名無しさん:2025/12/02(火) 22:14:50 ID:yfC47Eig0
>>462
りょうせいさん、ありがとうございます。

的確かつ解答が優しく丁寧で言葉が出ませんでした。
まず、そこまで責めなくてもよいとのことで大変安心いたしました。わたしの中では自分がよっぽど偉いとでも思ってるのか!と自分が気持ち悪くなる瞬間があり、これさえなくなれば!と思うことがありましたが、四六時中囚われているわけではありません。

わたしも独学と自分の感性でだけで真理探究を続けていますが、やはり限界があり立ち止まることが何度もあります。
前の方の書き込みでグルやガイドの背中押し、と書かれていましたが、どうしたらそういう方の手助けが得れますか?

466幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 11:26:44 ID:7HC/qxrg0
意識としての自分がただあるだけ。
世界としての現実がただ起こっているだけ。

であれば、
自分=世界が腑に落ちない。

467幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 11:32:03 ID:7HC/qxrg0
全く関連性がないじゃないか。
何が起ころうとも意識は傷つかないように。

468幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 12:47:06 ID:HMF.9dYw0
>>464
詳しいお答えありがとうございます。
大変明快で、わかりやすいです。

特に
>>本当の私の立場から気づいてあげること。
その気づきの光(純粋意識)を静かに当て続けること。つまり、本来のあなたとしてただ在ること。

というのが、ミソなのかなと思いました。

私は今、許せないということに加えて、孤独感と無気力にも悩んでいます。
これらも同じように、「孤独を感じているのだな」「何もしたくないんだな」と本当の自分が気づいてあげ続ければ良いのでしょうか。

469幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 14:24:47 ID:F1WUmA6M0
>>463
なるほど、月並みな表現ですが詳細な解説ありがとうございます。

>>465
>>グルやガイドの背中押し
横だけど少しだけ「天は自ら助くる者を助く」です。ガイドは常に自分(あなた)の中にある。
あと潜在意識研究もされているクスリエの丸山修寛先生が「ループ」という簡易なメソッドを開発しているのでお勧めです。この人もここでは全然話題にされないなw

470幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 14:44:31 ID:aozQqEfI0
>>397
ありがとうございます。夢について更にお尋ねしたいのですが
夢は死後の世界や生前の世界と繋がっていますか?故人(家族)が出てきた夢で
白くて何もない広い場所の向こうにその人がいて、私は大声で呼びながら追いかけるが
その人は階段を降りて行ってしまった。私が白い場所の端までたどり着くと
故人の降りて行ったはずの階段がない。故人は下の浜辺を歩いている。私は大声で
私もそっちに行く!と叫んだら、ものすごく恐い顔で睨まれたので
ああ私はそこへ行ってはいけないんだと思い、元来た道を戻った所で目が覚めました。
(ちなみに故人の眠る墓地は海の近くにあります。)

故人の降りた階段があの世へ繋がる道だとしたら、私の前に出現しなかった理由となるし
そちらへ行きたいという思いを故人は恐い顔で睨む事で拒否した。もし満面の笑みだったら
階段無くても飛び降りた可能性はあると思います。そうしたらどうなっていたのか…。
ものすごく疲れていた時期に見た夢だったとは思います。

別の夢で、同じく何もない広大な場所だけど、その場所の床は透明で
地上3階位の高さで下界が見渡せて、それは私達が暮らしているこの世界で
みんな日々の暮らしを楽しそうに頑張っていて、その会話も表情も全部聞こえて見えて
ああ温かいな、そしてそれが見渡せる、上のこの何もない場所(暑くも寒くもなく
空腹もなくトイレも必要なく)でこうしているのも心地良いなと思っていたけど
ふと「あれ私なんでここに居るの?私が居るべきは下界の方じゃない?大変だ!」
おーいおーい助けてくれ、そっちに行かせてー!と叫んで透明な床を叩いても
その場所からは下界は見渡せるけど、下界からこっちの事は見えないんだったわー
やばいまずい、なにか向こうへ戻れる方法はと探したら、排水溝みたいな穴があったので
走って行ったらそこに吸い込まれて、シュルシュルシュル…ポンッ!と下界へ降りて来れて
そこで目が覚めました。
この夢の「下界の様子が全て解るけど、下界からは上は見えない何もない場所」は
何だか実際に存在しているように思えて、もしかしたら
生まれてくる前に居た場所なのではないか?と思ってみたり。排水溝は産道?
2つの夢に共通するのは、こちらとあちらが分かれている事と
こちらに戻って目が覚めた事です。
夢と、この世とあの世の関係、もし有りましたら教えて頂きたいです。

471幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 16:20:07 ID:V7iwTYGg0
>>469
丸山修寛先生!カタカムナのお話会に一度参加したことあります。でもループというメソッドは初めて知ったので、詳細調べてみます。
いつもありがとうございます。

472幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 22:20:52 ID:vl8HuJR60
>>459
有難うございます。
最初「神々」の文字を見た時に瞬発的に人格神を連想しました。
ちょっと考えたのですが、若い頃自然(Nature)に畏敬の念を抱き学んでいた私の在り方は、アニミズム信仰に近かったと思います。
それが癖として定着してるようです。
「レッスン」の意味は、心の様々な階層、要素を直視する出来事が起こり導かれる。
試され失敗したら落とされるわけではない。こういうことですね。
私はこのままで上手くいってるとのことで、良かったです。

>それは時空を超える準備運動です。
これは分かるような分からないようなです。
全体意識が時空を超えるのはなんとなく把握できますが、ループを体験することとの関連は、ピンときませんでした。

>絶対のギリギリの領域から吸引されている
これは感じます。「それ」「絶対意識」から誘われている感覚は初期からありました。とても特別なことだと思っています。
あともう一歩という感覚がずっとあるんですよね。でも個としての一切合切が忘却の彼方へ消え去るその瞬間の遠いこと…。
レッスンの度にエゴが思いっきり抵抗しますから。苦笑

>>460
ラーマクリシュナのプロセスに対する見解、大変興味深く読みました。
彼ほどの大聖者のことを通常の探求プロセスの枠組みで捉えるのは間違いでした。
彼の出現は、霊性衰退の流れの中で起きた逆らえない真理への回帰の必然の流れだったんでしょう。
彼の役割としてバクティの復活だけでなく、他の道の進み方をも示した一面があるわけですか。
それ以外にも様々な教えが彼の人生に詰め込まれてたんですね。見事な見解だと思います。
でもどうしても、一つの道だけでも可能というのが納得できません。
全ての覚者は、表に出して言わないだけでバクティ(ひたすら「それ」を想う)は共通して持ち合わせていたと思うんです。

最後のジャンプの瞬間は、やはり謎としか言えないですよね。

>「私の」というラベルが消える現象です。
記憶を失ったのではなく「私の」が消えたから深くに仕舞われて不要な時は表に出ないだけなんですね。
めっちゃ納得しました。

このスレが削除されないことを願いつつも、深遠な話をしたい気持ちは抑えられませんでした。やっちまったなと思ってます。笑

473幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 23:28:14 ID:ojZsCjLo0
現在ナマコ中です。

昨日スーパー銭湯に行きました。
もう、何も掴めない感覚になってきて、欠乏感もそこから抜け出すことも、泡がぶくぶくと湧いては消えていきます。

こちらの書き込みもちゃんと読めないレベルになっていますが、かろうじて読んでみました。

やはり興味はあります。

ナマコのわたしは今後どうなっていくのでしょう??。。。。。

474幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 00:27:38 ID:PJbluI/Y0
りょうせいさん、はじめて書き込みをさせていただきます。

>いつかタイミングが揃って、希望される方が多ければ「純粋意識に直接触れる瞑想法」はどこかでお伝えします。それも、また起こるなら起こるでしょう。

機会がございましたら、是非ともお願いしたいです。
瞑想は苦手だったのですが、数日前から寝る前に30分間くらい、瞑想をするようにしています。
自分なりに真理探究をしてきているのですが、今自分がどのようなところなのかもわからなくて、
もっとどうしていったら良いのかを知りたくて、私も、グルやガイドの背中押し、手助けをいただきたいという思いになってきました。

475幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 10:16:28 ID:da08Yvro0
>>472です。
真理、霊性系の書物には、心を脱ぎ捨てる、エゴが纏ったものを捨てる、忘れ去る、執着を捨てる、なんて表現が頻繁にされます。
誰かと話していても、こういう表現をする人が多い。というか殆んどです。
実際は「私は個である」という錯覚が消え、個が持っていたものへの執着がなくなるだけなんですよね。
あなたが以前に言われた「外部からの知識を忘れ」る必要はこうしたことですね。
「エゴが抵抗する」は錯覚でした。レッスンのときに起こる出来事に抵抗している(主体としてのエゴがある)のではなく、好き嫌いの反応が起こっているのをただ気づいているだけでした。
寝ていて、ウトウトから覚めそうになる時に「あっ!」ストンと気づきました。

ところで
>>473さんは>>450さんでしょうか?
その方へアドバイスする力は全然なく、私の見立てが正しければなんですが、すごく深く貴重、でも本人としてはパニックだよなと思うしかできません。
大きな私(純粋意識のある側面)に安住すると、個として生きている世界を把握するのが困難で「どうしよう、なんかやばい」となる。
もう少し浅く短く私もそんなふうになったことあります。
個人(小さな私)のことが気になりだしたら、小さな私にまた戻るんじゃないかな。
りょうせいさんの視点、どんなアドバイスするのか興味が尽きません。

476幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 12:47:15 ID:cSMiFNn.0
>>475
450ですが473さんとは別人です。現在、個の私は、大きな私LOVE状態で
これは恋かしら!?と実践が楽しくて仕方ありません。笑
大きな私モードと小さな私モードはスイッチ切り替えしている感じです。
常時大きな私モードだと日常生活がまずい気がしまして…。
本当は心地いいので大きいモードのままでいたいです。
絵については 私「なぜ描けないの〜」 心「描かないからじゃない?紙もペンも有るよ」
と、ど正論が返ってきて、エゴの私は地面に埋まりたいから綾部くん穴掘って(独り言)
エゴが隠れたがっている?混乱?していて、りょうせいさんから素晴らしい返信を
頂いているのに、書いて消してばかりでまだレスが出来ていない状態です。(すみません)
ナマコ状態、なってみたいです。ちょっと憧れています。

477幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 17:49:45 ID:Vgi0HtbM0
今日もナマコです(473です)

12月、ほぼなんの予定も入っていないので、年内心置きなくナマコです。これも宇宙の采配でしょうか?

ナマコでいることを否定する全ての思考の外にいます。
ナマコでいることが宇宙の愛と調和しています。。。。。

478幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 18:28:29 ID:cSMiFNn.0
>>461
色々アドバイス下さり有難う御座います。自転車で行ける距離に
小さい弁天社のある神社が有りましたので参拝して来ましたが
伝えたい思いが「楽しく描けますように」しか出て来ませんでした。
本当は、本当にこれだけなんだと思います。

>>476でエゴの私は地面に埋まりたいと思った後「埋めるものなんて何もないよ、幻だから」と
キャラクターの音声付きで心が返答して来ました。ところで、この、私に返事をくれる
心(無意識さん・潜在意識さん)=大きな私、だと思っていたのですが、もしかして別物ですか?
大きな私は本来静かなもののようですが、心さんはけっこう饒舌です。

千尋とハク!良いですね〜!解りやすく例えて下さり有難う御座います。

世界側はのんびり動く、何だか解ります。「ししおどし」みたいだなと思ったり。
水が溜まっていく間は全然動かないけど、突然カコン!と動く
止まっているように見えても何かが動き続けているのかもしれないなと思いました。
そういえば過去も、どんどん描ける時期と、あまり描けない時期の繰り返しだった気がしました。

・自分を小さく見積もる・比較してしまう・自分を卑下する
とっても心当たりがあります笑 でも大きな私に渡したらスーッと溶けちゃいそうです。
幻だから。んん、もしかしたら探求さえも幻なのかも…!?えっ、そんな…!?

>大いなる悲しみは、大いなる慈しみにつながります。
↑そう思います。ネガティブに光が当たり癒されると光のシャワーみたいになりました。

自分は明け渡し型だと思うのですが、その中でも日によって
今日は大きな私に抱かれる感じで、今日は小さな私を丸投げで、今日は愛で、みたいに
その時の気分で日替わり定食みたいな実践の楽しみ方をしています。

あと大きな私モードでずっといると、心地良いけどボーっとしてしまって危ないので
(もしかしてこれがナマコ状態?)
エゴを起こして通常の個の私にモード切替しています。
本当はなるべく大きいモードでいた方が良いのでしょうか?

479幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 22:02:50 ID:2Q6Vw4SA0
もう本当に無理です
こんなのカルマでもなんでもない
私に押し付けたまま何食わぬ顔で黙らせ続けるクソを殺したいです
虐待による感情の押し殺しが原因だったのに
クソはまともな頭を取り戻して感情に苦しんでる私をバカにし続けます
こんな奴を善人扱いして世界が狂ってたなんて本当に耐えられない

480り改め りょうせい:2025/12/04(木) 22:40:56 ID:FSAW6a120
>>465
それは良かったです。こちらこそ。
まず最初に、質問の核心である「グルやガイドの手助けはどうしたら得られるのか?」に答えます。

結論として、グルやガイドは、あなたの準備が整ったタイミングに合わせて必ず現れます。
そして実は今この瞬間も、形を変えて常に現れています。その前提で続きを話します。

まず、独学はとても大事な準備期間です。
独学や自分の感性だけで探究していく時間は、覚悟が固まり、自分の願望が本当に真理実現なのかが見え、受け取る耳、真理に心を開くことが育つ時期でもあります。
私も独学が長かったからこそ、いざグルに出会った時にちゃんと吸収できました。
独学ゼロだと、せっかくグルが目の前に来ても「よく分からないままスルー」してしまうことは普通にあります。

そして、独学の期間でもグルはすでにいます。
グルとは、人間の姿かどうかに限らず、あなたを「目覚める方向へ押し進める働き」のこと。
本や映画、友人の一言、自然、仕事、人間関係など、あなたを前へ押すものは全部グルです。
大枠では人生そのものが、もう後押ししているということです。

では、人間のグルはどういう存在か?
これはシンプルに螺旋の上昇プロセスを大幅に短縮させてくれる存在です。独学だと、勘違いに気づかないまま数年単位で回り続けることも珍しくありません。

ただし、人間のグルの真の役割や本質は「あなたの内側のグルを目覚めさせ、その場所へ送り届けること」です。
外側のグルはその架け橋役です。
最終的に実現を完成させるのは、内なるグル=本当のあなたです。

外側のグルがしているのは、
あなたが抱えた錯覚や勘違い、根深い催眠との同一化を優しく、また時に厳しく伝えたり指摘して外す手助け役です。

では、いつ出会えるのか?
これがあなたの一番知りたいところだと思います。

その答えは、準備とタイミングが揃った時。
その時は必ず来ます。
逆に準備が整っていなければ、たとえ大聖者があなたの前に現れ、真理伝達されても、吸収できません。準備ができていれば受け取れるし、準備がなければスルーするし、もっと眠っている場合は抵抗・敵視するかもしれない。
そういうことです。

あなたが真の私を少しずつ思い出し、「内なるグルに委ねる」という流れが起これば、外側のグルは自然に現れます。表面上は、人間グルによって質問が解消されたり、エゴの仕組みを観察したり、真偽を照らし合わせたり、沈黙の伝達で深まったり一緒に瞑想や祈りや歌を捧げたりとか。
いろいろ物語的に起こったとしても、実際にはすべて内側のグルがあなたを吸収していくプロセスが外側に映っているだけです。

もちろん、それを理解した上で、人間グルに憧れるならそのままで大丈夫です。それもまた自然なことです。意識は戯れ・触れ合い・共鳴のリーラを愛しますし、真理の話を分かち合うのは純粋に楽しいですからね。

私自身も、出会うまでは本当に長かったです。
あの人も違う、この人も違うの繰り返しで、結局はずっと独学の日々でした。限界だった時、ある聖地で何日も祈りました。
「もう自分の力では無理です。どうかグルを与えてください」と。
そこからしばらくして、突然流れが変わり、探究は一気に進みました。完全な導きでした。
そして超越が起きた瞬間、「私とグル」「悟る私」という物語自体が消え、最後にグルに感謝を伝えました。そういう流れです。

だから結論としては、グルに出会えるかどうかは、準備とタイミングが揃う時に必ず起こる。
そしてその準備期間こそが、今の独学の時間そのものです。
さらに言えば、同時にグルはすでに二十四時間、形を変えて働いています。だから無理に探す必要はありません。必要な時に、必要な形で現れます。やはりその流れも、最適です。

481り改め りょうせい:2025/12/04(木) 22:46:36 ID:FSAW6a120
>>466
自分=世界は、まず、考え方でも思想でもありません。自分=個という催眠が残っているかぎり、どうしても「自分(主体)が世界(対象)を見る」という構造のままになります。
この立場では、自分=世界は絶対に腑に落ちません。

主体と対象という催眠が解けたとき、
ただ、境界のない自分だけがあらわになります。
そしてその自分とは、個の私ではありません。

在るとして、自分=世界を、在るという表現そのものによって示されています。

個ではない自分として、その中に世界が起こっているのであり、その時はじめて、自分=世界が自然な当然の姿として、
その立場であるがゆえに、直接的に理解されるのです。

482り改め りょうせい:2025/12/04(木) 22:51:59 ID:FSAW6a120
>>468
>本来の私としてただ在ること。
というのが、ミソなのかなと思いました。

→はい。まさにそこがミソです。

>孤独感や無気力にも悩んでいます。
これらも「孤独を感じているんだな」「何もしたくないんだな」と、本当の自分が気づいてあげればいいのでしょうか?

→まず、本当のあなたは孤独も無気力も、過去の傷も知りません。
ただ、内側では「軽い動き」「重い動き」が生まれ、それがただ駆け巡っています。
エゴとは、その動きに名前を貼りつけ、「これは私だ」と所有して城を作る仕組みです。
モヤモヤに「孤独」「無気力」という名前がついたのも、その働きです。
良い悪いではなく、この二元の世界は本来こうして成立しています。
(音楽に無数のジャンルがあるように)

ただし、エゴはどこを探しても見つからない蜃気楼のようなものでもあります。
ですから私はあなたに、「孤独や無気力と戦いましょう!光で倒しましょう!」とは言いません。

なぜなら、真のあなたはエゴがどうであれ、
ずっとただ在り、気づき続けているからです。
気づきの仕事は、もう完璧に成されています。

では、「個」としてのあなたは何をすればいいのか?浄化や癒しの時に相対的にできることは、とてもシンプル。

・疲れたらよく休む
・無理せず、心身を労わる
・必要なら周囲の助けを求める
・祈り・マントラ・アファなど、無理のない範囲で委ねる動きを持つ

そして今あなたに起きているのは、確かにきつい浄化です。個が本当の私に向き始めると、奥に沈んでいたものが浮上し、抵抗したり暴れたりすることはよくあります。その苦しさは私もよく知っています。

浄化にできる最善のことは、ただ一つ。
「起こしておく」ことです。

浄化とは、恩寵があなたを風呂場に連れて行き、服を脱がせ、髪や身体をゴシゴシ洗っているようなものです。古いエネルギーの洗礼が必要だからです。

個にできるのは、それに抵抗せず任せておくことだけです。祈りも言葉も、自然に湧くなら起こせばいいし、つらすぎる時はしなくても構いません。

三日で終わる浄化も、エゴがいつまでも抵抗すると三年かかることがあります。
風呂場から逃げようとするほど延長されます。
そうならないよう願っています。

洗い終われば、恩寵はあなたを外に出し、服を着せ、髪を乾かしてくれます。
個のあなたは
「ああ、ひどいことをされていたわけじゃなかったんだ。ただ、信頼して任せればよかったんだ。ありがとう。おやすみ」
と感じ、安心して眠ればいい。

その頃には、「″私の″孤独」「″私の″無気力」はただ一時的に現れた重いバイブレーションのように見え始め、
風・雨・曇り空のように通り過ぎていきます。

心が作り上げていた物語性は自然に抜け、
あれほど大きな問題に見えたものの深刻さは、ゆっくりと静まっていくかもしれません。
それが静まりきった場所こそ、本当のあなたの場です。

483り改め りょうせい:2025/12/04(木) 23:18:56 ID:FSAW6a120
>>470
ありがとうございます。
どちらの夢も、あなたにとって相当インパクトのある内容だったのが伝わってきます。

まず前提として、死後そのものの細かい話は、この掲示板の性質上あまり深くは踏み込めません。
そして、このスレは「真理探求とは何か?」から始まり、「では、どう実現していくのか〜」という方向の流れに入ってきています。さらに、基本的に私は、死後やカルマを気にする必要はない領域として探求者に案内することが多いです。
ただ、ここまで具体的に質問が出ている以上、大枠だけお伝えしますね。

>「下界の様子が全て解るけど、下界からは上は見えない何もない場所」
>これは、何だか実際に存在しているように思えて、もしかしたら生まれてくる前に居た場所なのではないか?

→これはお見事。いい線いってます。

私がよく言う「それ」は、時空を超えた領域です。個の目線から見ると「何もない」としか言いようがないので、そう表現したくなる気持ちはわかります。
でも実際は、もっと深淵です。

あなたの夢には共通して、
・こちらとあちらの境界
・あちら側からこちら側へ戻る動き
が描かれていますね。

では、これを潜在意識の構造に寄せて説明してみます。

起きて体験しているこの物質世界が「顕在意識」よく言われる氷山の一角です。

夢の世界は「潜在意識」や「集合意識の海」
この層では、日常より想念の構造がゆるみ、
微細になり、深層のものが浮き上がりやすくなります。瞑想者が瞑想中に触れるのも、この領域です。
そして、想念が完全に静まった領域が「純粋意識(私は在る)」です。

あなたの夢に出てきた「何もない透明な場所」「下界が見えるが、下界からは見えない場所」は、意識のレイヤー間の境界を象徴(メタファー)しているように読めます。
(排水溝が産道という直感も、比喩として素晴らしい)

そして、ざっくり言ってしまえば、
本当は全部つながっているけど、層(レイヤー)が違うだけです。
この世、あの世、夢、なんであっても、
意識が映し出す映画の、世界観やジャンルの違いのようなものです。
アクション、ロマンス、コメディ、SF、ミュージカル。
ジャンルや質や世界観は違っても、
「映画」は「映画」ですよね。
それと同じで、
真の私からすべてが生み出されている
という一点に立つと、夢とこの世の境界も自然と見えてきます。

484り改め りょうせい:2025/12/04(木) 23:27:37 ID:FSAW6a120
>>472
>自然(Nature)に畏敬の念を抱き学んでいた私の在り方は、アニミズム信仰に近かったと思います。それが癖として定着してるようです。

→恩寵の最適さは、まさにこのように現れます。純粋意識が深まり、広がっていく過程で、あなたのアニミズム的な感性はとても活かされます。動物、植物、石、山、水。あらゆる自然物や現象の根底には純粋意識が宿っていて、「真のあなた」はどこにでも在るからです。

>「レッスン」の意味は、心の様々な階層、要素を直視する出来事が起こり導かれる。試され失敗したら落とされるわけではない。こういうことですね。私はこのままで上手くいってるとのことで、良かったです。

→はい。その理解で正しいです。誤解がほどけて良かった。恩寵の流れは常に最適です。

>それは時空を超える準備運動です。これは分かるような分からないようなです。

→すみません、ここは私の説明不足でした。
「時空を超える」というのはSF的なタイムリープではなく、「時間・距離・場所という概念」の構造が自然とゆるみ、巻き込まれなくなっていくこと、つまり純粋意識が安定することを意味していました。

>絶対のギリギリの領域から吸引されている
これは感じます。「それ」「絶対意識」から誘われている感覚は初期からありました。とても特別なことだと思っています。あともう一歩という感覚がずっとあるんですよね。でも個としての一切合切が忘却の彼方へ消え去るその瞬間の遠いこと…。

→たしかに特別でもあるのですが、同時に理にかなっているとも言えます。
あなたが扉を何度も何度も叩いてきたから、扉の内側からの吸引が強く起きている。
焦りや焦燥、不安、落ち着きがないエネルギーが出てくるなら、それもそのまま純粋意識に捧げていきましょう。

>レッスンの度にエゴが思いっきり抵抗しますから。苦笑

→475で「エゴが抵抗しているのは錯覚だった」と気づいておられたので、ここは何も言うことはありません。笑 そのストンという腑に落ち方、とても良いですね。

>ラーマクリシュナのプロセスに対する見解、大変興味深く読みました。

→あくまで私の見解ですが、そう言ってもらえて嬉しいです。彼のような存在の純粋な探求姿勢は、私たちにとって大きな励ましと栄養になりますね。

>でもどうしても、一つの道だけでも可能というのが納得できません。全ての覚者は、表に出して言わないだけでバクティ(ひたすら「それ」を想う)は共通して持ち合わせていたと思うんです。

→これはこう理解してみてください。
北へまっすぐ進めば、いつの日か南に出る。
南へまっすぐ進めば、いつか北に出る。
智慧の道が深まれば、自然とバクティが現れます。バクティが深まれば、智慧が現れてきます。
三角形の左(智慧)・真ん中(交互)・右(バクティ)のどこから登っても、頂点は同じ。
だから、どの道に惹かれても大丈夫です。

>最後のジャンプの瞬間は、やはり謎としか言えないですよね。

→最後のジャンプは、謎でもあり、そしてこれもまた、実は理にかなっているとも言えます。
意識は「愛」そのものです。
意識は自分自身を愛し、存在し続けたい。
しかし最後のジャンプでは、
意識がその愛ゆえに、純粋意識さえも手放し、「それ」に捧げる。
だから、エゴが純粋意識に捧げる構造と、
純粋意識が「絶対・超越」のそれへ捧げる構造がそっくりになる。
つまり、これは謎のままであると同時に、
全宇宙規模の壮大なラブストーリー(合一ストーリー)でもあるわけです。

>このスレが削除されないことを願いつつも、深遠な話をしたい気持ちは抑えられませんでした。やっちまったなと思ってます。笑

→ですね。笑 しかし、深遠な話をすること自体、個にとっても大きな癒しになるんです。
なぜなら、このテーマはあなたという全存在のすべてを肯定する話だから。
もちろん、理解が深まるにつれてエゴのぶり返しが一時的に起きることもある。
でも、それを差し引いてもこうした話が起こることは本当に素晴らしいです。まさに恩寵。

485り改め りょうせい:2025/12/04(木) 23:32:41 ID:FSAW6a120
>>473
>>477
読んでくれてありがとうございます。
スーパー銭湯いいですねー。

>もう、何も掴めない感覚になってきて、欠乏感もそこから抜け出すことも、泡がぶくぶくと湧いては消えていきます。

→はい、それが意識であるあなたの自然な在り方です。あなたの中であらゆる感覚が、文字通り泡のようにぶくぶくと湧いては消えていきます。

>やはり興味はあります。
→興味がおありならぜひ探求を続けてください。また、あらゆる疑念が消え、確信的に明らかになるまで、それは続くでしょう。

>ナマコのわたしは今後どうなっていくのでしょう??
→あなたの興味が真理実現なら、プロセスは最適に進行していきます。

>12月、ほぼなんの予定も入っていないので、年内心置きなくナマコです。これも宇宙の采配でしょうか?

→予定や、宇宙の采配を気にするナマコは、まだ真のナマコとは言えませんね。笑

>ナマコでいることを否定する全ての思考の外にいます。
ナマコでいることが宇宙の愛と調和しています

→それでは真理探求ではなく、
強迫観念的に「ナマコ」を目指す探求w
になってしまいます。
そもそも「ナマコ」って誰が言ったんだっけ?
あぁ、過去の私のレスか。笑
マジレスすると、ナマコ問題は気にしなくて大丈夫です!

486り改め りょうせい:2025/12/05(金) 00:43:10 ID:wU9L9Wjs0
>>474
はじめまして。
書き込みありがとうございます。

>「純粋意識に直接触れる瞑想法」
>機会がございましたら、是非ともお願いしたいです。

わかりました。準備はゆっくりですが進んでいます。起こる時には、必ず最適な形で起こります。

>瞑想は苦手だったのですが、数日前から寝る前に30分間くらい、瞑想をするようにしています。

いいですね。寝る前に30分というのは、本当に素晴らしいです。瞑想は「時間より質」と言われますが、30分に入れる時点で資質は十分あります。
ちなみに私の「純粋意識に直接触れる瞑想法」は、姿勢やルールに縛られない、とてもシンプルなものです。

>自分なりに真理探究をしてきているのですが、今自分がどのようなところなのかもわからなくて、もっとどうしていったら良いのかを知りたくて、私も、グルやガイドの背中押し、手助けをいただきたいという思いになってきました。

わかります。多くの探求者が、まさにその地点で一度立ち止まります。
私が最初に探求者に対してお手伝いできるのは、まず、「個の物語の同一化をほどく段階」 です。

もちろん掲示板では深く詳細にはできませんが、イメージとしては教会の「告白」に少し似ています。
ただし、罪を語るという意味ではありません。
ずっと心の奥で握りしめてきたものを、
安全な場所にそっと置いてみる時間です。
そして、なぜそれが起きたのか?の答えを伝えるというより、何が起きていたかを、構造として少しずつ理解し、同一化を解いていきます。
この段階が開き始めると、潜在的なクセがゆるみ、恩寵の働きが浄化プロセスを短縮してくれる。ある種「エゴの抵抗を出し抜いて通り抜ける」ような作用が起こります。

すると、こちらが(あなたが)頑張って掴まなくても、純粋意識のほうが自然と前に出てくるようになります。(掲示板という限界はありますが、すでにここでもそれと似たような流れは起きています)

ここを踏まえないと、瞑想をいざ始め、純粋意識に触れたとしても、すぐにエゴが激しくぶり返し、なかなか安定して進みませんから。

そこから先の流れは、とてもシンプルです

・純粋意識に直接触れる瞑想法
・瞑想と日常の両方で純粋意識が安定していく
・内なるグルが自然と動き始める
・質疑応答を通して理解が深まる
・必要なタイミングで必要な気づきが起こる

つまり、停滞していた物語との同一化がほどけた分だけ、恩寵や内なるグルか働きやすくなるわけです。

あと、ここからは私自身の個人的な話ですが。もし、本格的に私がガイドとして複数の方と向き合うとなると、いまのように「空いた時間に少しだけ」というゆるい形では不可能になります。なぜなら、エゴのぶり返しが起きた瞬間にスムーズにフォローできないと、探求が止まったり新たな混乱に繋がることも可能性としてあるからです。

そのため、対応する相手方の数が増えたら、
私(りょうせい)の生活サイクル、今の仕事、環境、場づくりこういったものを整えたり、必要ならば大きく変える必要があります。

今は、掲示板で最低限の形で言葉を届けながら、ゆっくり、サイト制作準備などをしている段階ですが、のろのろと悠長にしている場合ではなくなってしまいます。笑

というわけで、瞑想伝授に関しては
焦らず、どうか少しだけ待っていてください。
タイミングが揃った時には、自然と流れがつながるでしょうから。

その時には、探求者の段階に合わせた瞑想や、
日常での取り組み方や物語をほどくセッションなどなどこういったものを、もっとスムーズにお渡しできるようになるでしょう(なるといいんですが笑)
掲示板だと、どうしてもラグが出てしまいますからね。もちろん、これらの話は、探求のスイッチが押されていない方に無理に勧めるつもりは一切ありません。

そんな感じです。また、気になることがあれば、お気軽に書いてくださいね。

487り改め りょうせい:2025/12/05(金) 01:11:29 ID:wU9L9Wjs0
>>478
>自転車で行ける距離に
小さい弁天社のある神社が有りましたので参拝して来ましたが
伝えたい思いが「楽しく描けますように」しか出て来ませんでした。
本当は、本当にこれだけなんだと思います。

→お、いいですね。お疲れさまでした。
「楽しく描けますように」
それで十分です。とても良い参拝になったと思いますよ。
それは、やがて「楽しく描こうとしている私」さえ忘れて、ただ描く境地へと自然に流れていくための大切なプロセスです。

>この、私に返事をくれる
心(無意識さん・潜在意識さん)=大きな私、だと思っていたのですが、もしかして別物ですか?大きな私は本来静かなもののようですが、心さんはけっこう饒舌です。

→はい、その気づきは鋭いですよ。
大きな私は「直接性」として、小さな私のほうへ伝達しています。
ただ、それを受け取る小さな私の側で「音声」「キャラ」「言葉」として表現されるんです。
つまり、
・大きな私は静かで、ただ在る
・心が饒舌なのは、小さな私の翻訳
ここに矛盾はまったくありません。

>千尋とハク!良いですね〜!解りやすく例えて下さり有難う御座います。

→良かったらお時間あるとき、
「千と千尋」を真理目線でもういちど観直してみてください。きっと、以前とはまったく違う映画に見えると思います。

>でも大きな私に渡したらスーッと溶れちゃいそうです。幻だから。
>んん、もしかしたら探求さえも幻なのかも…!?えっ、そんな…!?

→YES YES。
ただ焦らず、ゆっくり消化していきましょうね。

個の私たちは、根深い幻を溶かすために、まず「探求という幻」を使います。
だから探求も道具なんです。
仏陀の「イカダのたとえ」がありますよね。
川を渡るためには必要だけど、渡り終えたら背負って歩く必要はない。という話。
探求も同じで、必要な間は使うし、要らなくなったら自然と手放されます。

>今日は大きな私に抱かれる感じで、今日は小さな私を丸投げで、今日は愛で、みたいに
その時の気分で日替わり定食みたいな実践の楽しみ方をしています。

→その楽しみ方がとても大事です。
楽しむことは、恩寵がもっとも働きやすい状態を作ります。
浄化も、ぶり返しも、揺れも、楽しめるならそれだけで探求は大安心の冒険になります。

>あと大きな私モードでずっといると、心地良いけどボーっとしてしまって危ないので
(もしかしてこれがナマコ状態?)
エゴを起こして通常の個の私にモード切替しています。本当はなるべく大きいモードでいた方が良いのでしょうか?

→ナマコはあくまで比喩なので気にしなくて大丈夫。探求者によっても全然違いますし、それに終盤のほうの話なので今は気にしなくていいです。

大きな私モードで心地よいけどボーッとするのは、あなたが「私は在る」を体感的に思い出しているサインです。ただし、外では危ないので
部屋で安全なとき、寝る前、5分だけでも起こるなら、そのまま起こるに任せてあげてください。どちらが良い悪いではなく、
大きいモードと小さいモードを行き来しながら、
自然に統合が進んでいきます。ゆっくりと、そして、楽しむ気持ちをどうぞ大切に。

488り改め りょうせい:2025/12/05(金) 01:15:13 ID:wU9L9Wjs0
>>479
まず、今あなたが書いてくれたことは、
真理探求の話、または、潜在意識的にどうとか、合ってるとか、反している、とか心が未熟だからという話ではなく、それらは一切置いておいて、これはもうただ単に限界まで追い詰められた心の悲鳴です。まずそこを責めないでください。

>もう本当に無理です
>こんなのカルマでもなんでもない
>私に押し付けたまま何食わぬ顔で黙らせ続けるクソを殺したいです

→カルマの話は完全に置いておきましょう。
今必要なのは 構造の理解ではなく、あなたの心が安全に呼吸できる時間です。
ここまでの怒りになるのは、その相手が「あなたの感情を封じ続けた歴史」があるからです。
怒りそのものは異常ではない。
むしろずっと押し殺されていた分、今やっと表に出てきているだけです。

>虐待による感情の押し殺しが原因だったのに
>クソはまともな頭を取り戻して、感情に苦しんでる私をバカにし続けます

→これはあなたが悪いのではなく、
本来向き合われるべきだった感情が、長い年月の後にようやく外に出始めた状態です。
あなたの反応は正しい。
歪んでいるのはあなたではなく、あなたに押しつけてきた外側の構造のほうです。

>こんな奴を善人扱いして世界が狂ってたなんて本当に耐えられない

→これは、世界に対する「正しさの裏切られ感」です。長い間、自分だけが傷を押しつけられ、加害側が平然と生きているように見える。
このアンバランスは誰だって壊れます。

そして次に大切なのはここです。
まず「安全」を確保することが最優先
もし現実的に離れられる手段があるなら、
それを第一に考えてください。
怒りや苦しみの生々しい環境に居続けると、
心がさらに削られてしまいます。

無理に悟り的な話や視点に立つ必要は一切ありません。そんな段階ではないし、そこを目指さなくていい。真理探求や精神世界の言葉で感情を否定してはいけない。
怒りが出るのは正常。
殺意が湧くのも正常。
それは「実際に行動する」という意味ではなく、
心が自分を守ろうとする自然反応です。
それをカルマや、悟ってないから。メソッドを正しく理解してないから。などの理由で押しつぶすと、余計に苦しくなります。
感情は敵ではなく「凍っていた痛みの解凍」です。これは精神的・霊的な観点でも同じで、
怒り=あなたの中で凍っていた痛みが、やっと声を出し始めただけです。

それが悪いわけがない。

いまの段階での私が出せる方向性はただひとつ。
自分の味方の立場に戻ること。
「それ以外はしなくていい」です。
あなたの苦しみは、あなたのせいではありません。

489幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 04:10:37 ID:utv4KIjE0
>>488
ありがとうございます
離れる方向に進めてたのに味方のフリしてた人にも裏切られて
元々私のものではないおかしいものを抱えさせられてたので
感情が出ることが本当の回復なのも理解したうえで
虐待の事実も脳機能の抑え込みの仕組みも全て伝えても
何話そうがクソは増々調子に乗ってトラウマ増やしてくるので、全く解消も回復もできないどころか増幅して悪化の一途で潜在意識を浄化とか味方を引き寄せるとかもできなくて
せめてここでまともな方に丁寧に返答いただけて一息つけました

490幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 07:53:25 ID:GWRCY6QA0
>>485

473です。ナマコというのは、比喩であって目指してはいませんよ^^
ご心配なく。。。

お返事ありがとうございました。。。。。

491り改め りょうせい:2025/12/05(金) 08:18:05 ID:LFgD67lY0
>>489
読ませていただきました。
あなたが今どれほどしんどい状況にいるのか、その重さは文面から十分に伝わってきます。
一息つけたと言っていただけたなら、まずはそれだけでも良かったです。

ただ、あなたの抱えている問題は、
あなたが悪いわけでも、努力不足でも、カルマや潜在意識の問題でもなく、
「一人で抱えるには重すぎるもの」 です。

そして残念ながら、鳥が空を飛び、魚が水を泳ぐように、虐待する人は虐待し、裏切る人は裏切るという動きをしてしまうことがあります。

これは、トラックがこちらへ猛スピードで向かってきている状況に近いです。
必要なのは、止まるよう説得することでも、
潜在意識で何とかしようとすることでもなく、
「まず離れること」
自分の身を守ることです。

そして、こういう時に大切なのは
「完璧な味方を引き寄せよう」とすることではなく、味方の人数を増やすこと。専門的な場のサポートは「逃げ」でも「弱さ」でもありません。
あなたの味方をもう一人増やす選択 です。

ここは掲示板で、しかも真理探求が中心の場所です。また、私が扱える範囲はあくまで
「過去にトラックにぶつかった古傷が時々痛む」というレベルまでです。
今まさにトラックが迫ってきている状況だとしたら、完全に私の手を超えています。
「危ない!逃げて」と叫ぶことくらいです。

そして掲示板という多くの人が読む場所では、
個人の具体的な過去を深く追う形では続けられません。

ただ、真理探求の観点からお伝えできる大切なことがひとつあります。

どんな状況でも「自分の味方の立場に戻り続ける」こと。
自分だけは、何があっても、
自分の味方に戻るという姿勢を、
「深いところで」忘れないこと。

これはあなたの人生を守る上でも、
真理探求という意味でも、そしてあなたの見ている世界の質を変えていく上でも、とても大切な指針になります。

あなたが、毒気のない安全な場所で、きちんと話を受け止めてもらえる方向へ進めること。そして適切な恩寵や、実際的なサポートとつながれることを心から願っています。

492り改め りょうせい:2025/12/05(金) 08:38:46 ID:LFgD67lY0
>>490
今あなたがどんな状態か、どんなプロセスか、
文面からは正確には掴みきれませんが、
もし今は「概念に触れる/理解する」こと自体が難しいほど、意識に煮込まれ、
個のプログラム全体が脱力して力が出ない状態でしたら、まずは回復して、言葉が扱えるようになったタイミングで、また気軽に書いてください。

私から一つだけ言えるのは、
どのプロセスも、その渦中では分からなくて当然で、終わってみて初めて 「あれは最適だった」と見える類のものだということです。

それとひとつだけ補足させてください。
私が以前使った「ナマコ」という比喩は、
あくまで 私自身の、ある特定の段階を説明するための比喩で、現象名でも段階名でもありません。

なので、あなたの現在の状態と、私が当時体験していた状態が、同じナマコという言葉を使っていても一致しているとは限りません。
同じ単語でも、内実が違えばまったく意味が変わってしまうので、そこはどうか誤解のないようにお願いします。

書ける状態になったときに、
あなたが今どんな体験をしているのか、
もう少し具体的に共有していただければ、こちらも適切にお答えできると思います。

493幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 10:58:37 ID:9P/aQ4Mg0
>>480
いつもわかりやすいご返答ありがとうございます。

結論として、グルやガイドは、あなたの準備が整ったタイミングに合わせて必ず現れます。
そして実は今この瞬間も、形を変えて常に現れています。

↑そうでしたそうでした!
今のわたしにとっては、りょうせいさんであり、大好きなラーマクリシュナであり、自然であり、本でした。また気づかせていただきありがとうございます。

準備とタイミングが揃えば必ず起こる。

ほんまにそうやと思います。
夫やこどもを置いてまたインドへ修行旅に出ようとしていました。外に求めすぎですね。笑
再び内に入ります。

去年、ぜーんぶが本当であり夢やったんや!
と気づいて楽になったはずやのに、久しぶりに掲示板を覗いてみたらりょうせいさんがいらっしゃって、なんかまた前の感じになってる自分が出てきていました。
でもその流れも、最適なんですよね(^^)

494り改め りょうせい:2025/12/05(金) 12:49:36 ID:wU9L9Wjs0
>>493
お役に立てて良かったです。
そう捉えると、本当にすべてがガイドに見えてくる瞬間がシンプルに増えますよね。
表面的には同じ変わり映えしない日常だけどその奥に、存在という、静かに広がっている平安や気配に、ふっと気づける機会がどんどん増えていくかもしれませんね。

>そうでしたそうでした!

はい、笑 まさにこれです。
個の私たちはふと気を抜くと、この偉大なマーヤにコロッと忘れさせられますから。笑
私の言葉も、しつこいくらい同じ内容が何度も何度も繰り返されるのは、ある意味でそのため、自然な起こりなんです。

>夫やこどもを置いてまたインドへ修行旅に出ようとしていました。
>外に求めすぎですね。再び内に入ります。

いや、その探求意欲自体は、とても美しいものです!笑

ただ、それが起こるなら最適に起こるし、起こらないなら起こらない。
どちらにしても、流れは自然と「 内へ」と向かっていきます。あなたの中には、すでにその方向性が芽生えていますね。

>久しぶりに掲示板を覗いたら、また前の感じになってる自分が出てきていました。
>でもその流れも、最適なんですよね(^^)

はい、その流れも最適です。
以前のあなたの重要な気づきの土台は、そのまま静かにちゃんと作用し続けています。
そして、よく「探求の完全な終わり」と呼ばれる表現がありますね?
それは実際には個の私が「そこに到着する」類のものではありません。

PCで例えるなら、
自分でシャットダウンにカーソルを合わせて電源を切る。感じではなく、
ただ普通に淡々と作業をしていたら、
ふと、どこかで電源コードがスッと抜けていた。
まるで、そんな突然の静けさです。

その瞬間、「切った人、切られたPC、作業していた私」
そのすべてが、ひとつの画面に映る夢のようだったと分かります。もちろん、それを理解するのは、当然、個では決してありません。
それは非個人的な叡智そのものなのです。
(これに関してのイメージは、ラーマクリシュナが、探求者としてカーリーを悟る前と、カーリーが現れてからのその後の彼の終わった変貌っぷりを注目して読んでみてください)

だからこそ、本当は、待つ必要も、掴もうとする必要もありません。
あなたが今している、ただ内へ向かうという修練のような、一見単純で地味な動きが、
コードが抜ける 「  」そのものに溶ける準備を、静かに整えています。
これは個のあなた自身も、外からも、まったく分からないほどの、静かな神秘の働きです。
なので、どうぞ、そのまま「内に入る」を続けてあげてくださいね。

何も急ぐ必要はありませんからね。
どの瞬間も、そのまま最適な流れの一部です♪

495幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 13:35:56 ID:9P/aQ4Mg0
>>494
ありがとうございます(^^)

個の私たちはふと気を抜くと、この偉大なマーヤにコロッと忘れさせられますから。笑

↑ほんまにこれで笑
子育てや日々の色んな問題と言われているものの中に入り込んでは、はっ!また!!と気づいて戻るの繰り返しです。
昔、達人さんと言われる方のスレを見させていただいていた時、一度認識の変更をするともう元には戻れないと書いてらして、去年の一瞥体験や大きな気づきがあって笑い転げていたあれは違ったのか、なんで何度も戻ってしまうー?笑なんて思ってたんです。
でもそんなわたしが思考してる範囲内ではわからない、感覚のようなお話ですものね。

りょうせいさん、わたしきっとまた戻って迷ってしまうのでまた質問させてください^^;

たくさんの気づきをありがとうございました。
今夜はラーマクリシュナの本を読み返してみます!

496幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 19:26:05 ID:GWRCY6QA0
考えるな。。。感じろ。。。

by ナマコ

497幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 20:47:43 ID:6qGRW29A0
個⇔世界で、意識がそれを内包しているって感じかな。

では意識から生まれた個や世界を変更することは可能なんでしょうか。それとも全く関連性はないんでしょうか。
現実は無視、などと言いますが。。。

498幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 21:20:18 ID:S/nuoCV60
>>486
お忙しい中、お返事を頂きまして、ありがとうございます。たいへん嬉しく思います。ご丁寧にありがとうございます。

>何が起きていたかを、構造として少しずつ理解し、同一化を解いていきます。

「構造」とは、出来事や嫌いな人に対して、いつも同じような不快な捉え方をしてしまい、その記憶が、度々頭に出てきて、またそのような状況が起こり、その度に、不快な思考や感情でいっぱいになってしまう、ということの繰り返しなのですが、このことが、「心=世界」であり、「構造」ということでしょうか。

そして「個の物語の同一化」とは、この不快な思考や感情にのめりこんでいるものが、自分である、と思ってしまっているところから、観察をしている側に意識にずらすこと、これが「同一化を解く」、ということでしょうか。
不快な思考も雑念も静まって、「純粋意識のほうが自然と前に出てくるようになる」そのようになりたいです。

>タイミングが揃った時には、自然と流れがつながるでしょうから。

承知いたしました。ご無理のないような形で、ゆっくりと進んで整っていかれると良いですね。

こちら、中間あたりのところで、まだまだ読ませていただいていないところが、たくさんありますので、これからじっくりと読ませていただいて、理解を深めていきたいと思っています。
貴重なお話を、いつもありがとうございます。

499幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 21:32:58 ID:FqYGaqYI0
ご質問させてください。初めて書き込みさせていただきます。
独学で潜在意識やスピリチュアル的な学びをしてきました。
実家は母が毒親という感じでした。
心理的虐待から自尊心が低くなり、苦しくなった時にガイドから『許し』の大切さを教えられました。
今私の最愛の夫は、学生時代の同級生であり、当時は私は彼に傷つけられた事がありました。成長してから再会し、彼は過去を謝罪して私を必ず幸せにすると約束してくれたので、私も彼を許して結婚し、子供にも恵まれました。
私は彼のことが大好きなので、学生時代の彼はなぜ私を傷つける行動をしたのか?気になって時々昔の話をするのですが、その度彼は激しく苦しみます。
私が過去の話をせずに、今の幸福を噛み締めてくれれば救われた気持ちになる、とも言っていました。
『彼を許す』とは彼との過去も完全に忘れ去って、話にも出さないことなのでしょうか?
私は彼の過去も理解して癒せたら…と考えたのですが、忘れて話に出さないほうが、真理としても『許し』『幸福』に近いのでしょうか?

500幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 01:18:48 ID:FHk044pc0
>>476
別人でしたか。失礼しました。
何かの拍子に大きな私から戻れなくなってしまったのかと思いました。
普通だと恩寵が働いてやばいと思った瞬間に戻るものなんですが、大きな私に惹き込まれすぎたかなと思いました。笑
霊性生活と日常生活のバランスが悪いと、深い領域に入り込んだ時にどちらにも正しく納まらず自力ではどうにもならない状態になることがあるようです。
真理探求の世界では、そんな人を時折見かけます。
まあ、あなたは違うので大丈夫ですね。余計なお世話でした、すみません。

501幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 01:19:31 ID:FHk044pc0
>>484
>あらゆる自然物や現象の根底には純粋意識が宿っていて、「真のあなた」はどこにでも在るからです。
自然の中にいて、普通なら恐怖を覚える状況でも、それを楽しむくらいの余裕を感じることがありました。
敬い信じれば、それ以上のことが返ってくる。腹を立てれば大抵は沈黙してしまい、お仕置きは思い出したように時々あるだけ。
そうやって人知を超えたものを信じるようなっていったと思います。

〜「時空を超える」について〜
子供の時、空間の概念が消えた意識状態になることが度々ありました。今までは、そんなこともあったと気にすることはありませんでした。
今回、時空を超えるテーマが出てきたため、新たな疑問として浮かび上がってきました。
頻繁に起こったことなので、プロセスのどこかで統合されるもののように思えてきました。
これまでに時間の概念が消える体験はありません。
ループの体験が私にとっては未知である時間の概念に関わる出来事であれば、それと合わせて純粋意識への安定に寄与するものなのかと思いました。

>あなたが扉を何度も何度も叩いてきたから〜
あまり自覚がありません。笑
振り返ってみれば、自然に探求していて(探求が起こっていて)やってる感はそんなにありませんでした。
心理分析でエゴの実態を暴く過程はきつかったけど、真理探求はわりと楽しく楽に進んできました。
頑張らない力が抜けたエゴ抜きの真っ直ぐな探求になっていたから、扉のあちらが引っ張ってくる?
純粋意識への安定に向かうあたりからエゴが強く出始めました。おかげでエゴは錯覚であることの一段上の気づきが起こりました。

〜「どの道でも可能か?」について〜
バクティだけの人を見ていると、識別がなく折角与えられた貴重な恩寵をみすみす見逃してたりします。
智慧だけの人(実際にそうなのか確かめようがありませんが)は苦しそうで、正しく歩んでるのかと思えます。
そんなことから、一つだけではいけないのではと思い込んでいたようです。よく考えたら、どのプロセスも一進一退、どこで何が必要かは人それぞれ。
あと、覚醒した人が皆バクティも智慧も必要と説いていたのを間違って解釈してたのかもしれません。
智慧はバクティに行き着くし、バクティも智慧に行き着きます。
一つの道でもOKなのか。ありがとうございました。

最後のジャンプのところでの「愛」の話は、今の私には深遠すぎます。笑
「それ」を想って身近に感じた。「私」という壁があって、それでも充分だった。
あの時は充分だったが今はどうなんだろう、くらいのノリで眺めておきます。笑

あー、新しい気づきや知識が起こっても、古い気づきと知識の記憶はどんどん薄らいでいく。「私の」が消えているのか?

502幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 11:24:06 ID:bL8/62M60
>>487
いつもありがとうございます。
千と千尋、題名自体が既に、私と本当の私みたいですね!主題歌のいつも何度でもを久々に聴いたのですが
大きな自分を想う事、エゴとの別れ、真の自分に還って歩み出す、そんな印象を受けました。

>要らなくなったら自然と手放されます
↑実は正直、絵に対してこれを望んでいる所も有りました。でもやっぱり手放せなかった。
「ただ描く境地へと自然に流れていく」今迄もそうでした。又待ってみようと思います。
逆に動けない時はそれが恩寵で、そのタイミングではないのかも、と思いました。

手放す、でふと思ったのですが、私は整理整頓が苦手で、物が捨てられません。
次の人に渡すと思えば処分出来るので以前は郵送買取をよく利用していました。
物だらけなのは一部屋だけですがグッズ類を段ボールに入れては積み上げて
段ボールトーテンポール状態です。レシートや書類も溜めがちです。部屋の倉庫化。
心に聞くの大嶋さんも片付けの本を出されていましたが、効いた人も多々居るようですが
これに関しては、私には全く効果なしでした。
片付けを始めると強烈な眠気に襲われてしまうのも片付けが進まない理由の1つです。
これはやはり潜在意識に何か詰まりが有るのでしょうか?

大きな私さんと無意識さんはやはり同一だったのですね!教えて下さりありがとうございます。
色々聞いて遊んでみました。
私「大きな私大好き!と言いながらも個の私がツンデレな態度を取ったらどうする?」
心「してたじゃないか」私「んん?自責とか?」心「そうそう」へーそうなんだ。
自責は本当は大きな私大好きなのに気付かず個が個を責め続けているから確かにそうかもしれない。
私「大きな私はトイレの時も傍に居るの?」心「見てないから大丈夫」
えー!?絶妙な返しが来て笑ってしまった。常時傍に居るのを解ったうえで聞いたのに。笑

就寝前よりも起床時に大きな私を感じます。
あぁ眠っている間今まで完全にふたりはひとつ状態だったのに〜!起きるのが悲しいです。笑

私は在る、これはまるで木々や草花や石のようだと思いました。それらは「私は在る」として
堂々とただ存在している。枝を折られても花を摘まれても怒ったりしない。ただ在る。
雨風にも抵抗せず完全に流れに身を任せている。

大きな私モードは安全な時・安全な場所で、にします。
ボーっとして表情が緩んで私自身が危ない人になっちゃう。笑
必ずマスクをするようにしています。大きな私に気付いて以降、日常でも時折、多分変な笑いが出てると思う。笑

予知夢や過去に見た2つの夢への返答もありがとうございました。
産道=圧縮と解放でしょうか?次の段階に行く前に圧縮が起き、解放されて新しい世界が開ける。
植物の種の発芽、花が咲く時、人間の命が生まれる時、そして探求における大きな気付きも。
もしかして万物全ては圧縮と解放の繰り返しなのかも?と思いました。

503幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 12:32:14 ID:fJ9ftVPQ0
「プロセス進行のための停滞」という概念おかげで今までどうにも理解できなかった事が全て腑に落ちました
どうも今、物理的に救われると霊的成長とのバランスが悪くなる?らしい
このスレを見ていなければ気付くのが遅れたか分からなかったかもしれませんね

504幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 15:01:00 ID:bL8/62M60
>>500
>普通だと恩寵が働いてやばいと思った瞬間に戻る
↑そうなのですね!これも恩寵に任せていれば良かったのですね。
何だか不安なので個の私モードを保っておかなくては…と思っていました。

>霊性生活と日常生活のバランス
↑やっぱりバランスが大切なのですね。大きな私に惹かれながらも
時々、探求は幻だからやらなくてもいっか〜♪みたいになります。
恩寵がのめりこみ過ぎないように調整してくれていたのかもしれません。

気にかけて下さって、レス頂けて嬉しかったです。ありがとうございました。

505幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 16:30:37 ID:bL8/62M60
あっ探求をやめるわけではないです、のめり込み過ぎずに楽しく続けます。笑

506幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 18:18:58 ID:Y0rMioGg0
何回かりょうせいさんにコメントをいただいて、そのなかで最大の贈り物は「私は在る」です。

「私を在る」を静かに想う・感じるということが、よく起こるようになりました。

感謝

507幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 19:39:25 ID:HYxrQ/Vw0
>>504
りょうせいさんに正しく導いてもらった方がいいので、500は真に受けなくていいです。
誤解されるとまずいので、もう少しだけ詳しく説明しておきます。
日常の精神生活の不足を補おうとして霊性の世界に逃げる人がいます。
そうなると身動きが取れない状態に追い込まれて、なかには錯乱して手に負えなくなる人もいます。
誰しもこの世界の日常はつらい面があるけど、逃げずにちゃんと向き合ってれば大丈夫なので普通は気にしなくていいことです。
私が言ったバランスはこの意味です。
日常からの逃避になっていないかだけ気をつけて、探求を続けるといいと思います。
まあ、逃げてもいいんだけど満たされたら小さな私にしっかり向き合う。この繰り返しでいいんじゃないですかね。
それから、本当にやばいとなるまで追い込むと実際に傷つくこともあるかもしれません。
不安というのがどのレベルのことか分からないのでなんとも言えないけど、小さな私にとって危険なら避けないとですね。
あと、探求が幻というより探求する個人が幻(錯覚)です。小さな私が幻だったと気づくまで探求は続きます。

508幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 21:51:30 ID:bL8/62M60
>>507
ありがとうございます。実は幼少期から宗教(神道)に触れていて(祖父母の代からの信仰)
おかげは和賀心にあり(神はわが心の中にある。わが心でわが身を救い助けよ)という教えのもので
私はあまり熱心な信者ではないのですが、神様や祈りはずっと身近に感じていました。
潜在意識の事を知り、自責がおさまり、物事のタイミングが良くなったり
小さな幸運がよく起きるようになりました。
逃避というよりは、自ら不足に向かって突っ込んでいく様な事は止めようと思いました。
不安というのは、潜在意識や探求を知らない人からすると、今の私の脳内は
「頭おかしい」状態だと思うので、うっかり日常で変な言動をしなければ良いんだけど…
という感じのものです。
小さな私が幻、これは自己観察や思考停止メソッドを実践していた時に
「思考は私じゃなかった」と気付きましたが、思考のない静寂が退屈過ぎて何度も挫折。
探求は思考が使えるぞワーイ!と遊んでいるような感じです。笑

509幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 22:53:59 ID:bL8/62M60
あっ肝心な部分が抜けている…
大きな私LOVE状態は、ある意味、遊びのような感じで
日常は潜在意識にお任せで物事のタイミングが自然と整っていく感じなので
個の私は以前と比べるとかなりゆる〜い気持ちで生きている感じです。
探求が逃避にならないように気を付けていきたいと思います。ありがとうございました!

510幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 23:36:04 ID:bL8/62M60
>>507
何度もごめんなさい、今意味が解りました(遅い!)
例えば、日常で嫌な事が有った時に、大きな私ちゃん抱っこして!みたいに
逃避する事の危険性ですよね。逆にその考えは無かったです、というか
ちょっと想像して怖くなりました。依存というか抜けられなくなりそう…。

大きな私にサポートしてもらって日常生活一緒に頑張るぞ!という感じなので
とりあえずは大丈夫かなと思いましたが、危険性について教えて下さり、有難う御座いました。

511幸せな名無しさん:2025/12/07(日) 00:58:28 ID:1OuukQwI0
>>508>>509>>510
そうでしたか。あなたの状態の詳細はこれまでのレスからでは掴めなくて、別の人の投稿と混同し、どうしたんだろうと思いました。
結局違う人だったので、あなたのことは大丈夫な人だと理解しましたよ。
実際日常に不満はないようだし。
ただ絵のことで悩んでるように見えたので、大きな私に逃避してる印象がありました。
なので、
>大きな私にサポートしてもらって日常生活一緒に頑張るぞ!
それでいいんですよ。エネルギーもらって日常に向き合えるんですから。
依存しすぎるのが危ないとわかったのなら、もう大丈夫!
時々甘えさせてもらって日常も探求も続けて、究極的には「大きな私」は優しく包んでくれる対象ではなくて「本当の私」だったと気づいていく。
私があんまり言うと混乱させてしまうかもしれないので、これくらいにしておきます。
お役にたてて良かったです。

512幸せな名無しさん:2025/12/07(日) 01:41:41 ID:YeefPwAU0
>>511
絵は諦められるなら諦めたかったけど今回も又諦めることを諦めました状態です。笑
確かに、探求に向かう事で自然と絵の事を忘れられるならそれも良いかもとは思いました。
描く時は「心に聞く」でアイデア提供してもらっているので二人三脚な感じです。
やっぱりまだ描けてはいないですが、自然と描きたくなるタイミングを待とうと思いました。
大きな私=本当の私、これはまだやっぱり抵抗があります。しばらくは大きな私に甘えていたい。
まだ個の私は消えたくないみたいです。ゆっくり実践を続けて行きます。
アドバイス下さり、ありがとうございました!

513幸せな名無しさん:2025/12/07(日) 03:05:26 ID:YeefPwAU0
あれ、何か大きな私が感じられなくなったし、心の声も聞こえなくなっちゃった
一時的なものなら良いんだけど…

514幸せな名無しさん:2025/12/07(日) 10:21:16 ID:5NAQdip20
>>513
早速次のステップに入ったか?猶予を与えない有無を言わせぬ厳しいところがとても恩寵っぽいです。
消えたのは「大きな私」の親心(恩寵)だと思います。
探求は「私」(エゴ)が剥がれていくプロセスなので「私」にとっては辛いんですよね。
本当に必要になったら現れてくれると思います。
わからないことはりょうせいさんが教えてくれるので安心ですね。

515幸せな名無しさん:2025/12/07(日) 11:30:21 ID:YeefPwAU0
>>514
ありがとうございます。手を伸ばせば届く距離に大きな私が居たのに居なくなっちゃって
何で!?と思っていたら後ろに居てそっと抱かれて「甘やかす事は出来ない」って言われて
至近距離から居なくなっちゃったんですよね。うわ〜ん寂しい!でもこれはもう私の方が
大きな私になって小さな私を抱っこするしかないんじゃない?小さい私ってどんな感じ?
あっ、ちいかわちゃんみたいな感じ?私あんなに健気でも可愛くもないけどちいちゃんお借りするね!
ちいかわちゃんヨシヨシ…って、ヤーッ!って討伐されたら終わりじゃない?終わるの?
よし分かった、こんがらがってきたから思考停止しよう!(←イマココ)

やっぱり親心だったんですね。大きな私にすがる事で絵を諦めようとしたのも
良くなかったのかもしれないなと思いました。あぁ〜。

516幸せな名無しさん:2025/12/07(日) 13:11:27 ID:YeefPwAU0
必要な時は手助けするけど過度に甘やかす事はしません、って事かも。
確かに。自分で歩けなくなっちゃうからね…。正しくは歩こうとしなくなる、かな。
しかも自分では無自覚のうちにじわじわとそうなりつつあったのが怖いところ。

517幸せな名無しさん:2025/12/07(日) 13:28:16 ID:YeefPwAU0
ふと、ジジの声が聞こえなくなって飛べなくなったキキ思い出した。
作中に絵描きのお姉さんも出てたね。スランプがどうのこうの言っていたような。
何で今これ思い出したんだろう?恩寵か、そうか〜。
連投失礼いたしました。

518り改め りょうせい:2025/12/07(日) 20:36:50 ID:SPXSav9M0
>>495
(2回に分けます)
>はっ!また!!と気づいて戻るの繰り返しです。

→いいですね。その「戻る → 気づく」の往復は、本来の自己へ定着していくうえで欠かせない動きです。深まりが進んでくると、日常では普通に巻き込まれているように見えても、その奥では 気づきとして在るという感覚が静かに育っていきます。

>昔、達人さんと言われる方のスレを見させていただいていた時、一度認識の変更をするともう元には戻れないと書いてらして、去年の一瞥体験や大きな気づきがあって笑い転げていたあれは違ったのか、なんで何度も戻ってしまうー?笑なんて思ってたんです。
でもそんなわたしが思考してる範囲内ではわからない、感覚のようなお話ですものね。

→ここからは、あなた個人に向けて、というより、このスレ全体に向けて構造説明するつもりで書きます。どうか気楽に読んでください。
(また、私はその達人の方の文脈を知らないので、その方を否定したいわけではありません)

「認識の変更」という言葉は、実は2つの意味があります。まず、潜在意識界隈で使われる「認識の変更」は、

・物の見え方
・感情の反応
・解釈
・気づきの質

など、個の人生をより良くするための調整を指しています。
現実を動かしたり、願望実現のための工夫として用いられるものですね。
これはこれで必要な段階であり、悪いものではありません。ただ方向性としては、あくまで 「個を強める側」 の働きなんですね。

一方、悟り探求、自己探求、真理探求の文脈で語られる同じ言葉は、まったく方向が違います。

・真の自己へ帰ることそのものが目的
・個がどう改善されるかは中心テーマではない
・個という前提そのものが溶けていく

こちらは 個という夢から目覚める動きです。
同じ「観察」「思考を見る」「明け渡す」
「手放す」「瞑想する」「在る」
「海と波の比喩」「映画の比喩」などの表現が使われていても、

・片方は「個を整えるため」
・片方は「個を超えるため」
構造は似ていても、方向性は真逆なんです。

では、この二つを同時に扱うと何が起きるのか?

悟りのメソッドを願望実現のために使うと、恩寵は必ずこう動きます。

「願望より先に、″個という前提″そのものをゆるめようとする」
これは罰でもお仕置きでも何でもなく、構造上きわめて自然な働きです。

その結果として、

・古い思考パターンが急に浮上する
・感情の揺れが強くなる
・浄化が加速する
・願望どころではなくなる
という、まるで逆走しているような現象が起きます。恩寵がお風呂に連れていき、シャワーで同一化を洗い流すというだけです。
なので、これは失敗ではありません。
むしろ必然なルートです。

ここから、多くの真理探求者のプロセスでも、
・浄化が激しく起こる人
・比較的楽に進む人
が分かれる理由にもつながります。

「願望実現したい力」と「真理へ向かう力」が同じくらい強いと、その間で摩擦(=浄化)が一気に噴き出すからなんです。

ですので私はいつも、
・願望実現を望むなら、素直にその道をまっすぐ進む
・真理探求が始まった人は、その道を歩く覚悟が必要
と線引きを強調しています。
混ぜると苦しくなりますが、どちらも尊重されるべき道です。これは願望実現がダメで真理探求は正しいと、いう話ではないので、そこは誤解のないようにお願いします。

519り改め りょうせい:2025/12/07(日) 20:38:01 ID:SPXSav9M0
>>495
続いて、話を戻します。
>一瞥体験や神秘体験をしても戻る理由

それは単純で、「認識が変わった」と言っている主体が、まだ「個の側にいる」ため です。

主体が変化側に立っている限り、主体そのものが揺れます。
ですから、
・揺れる
・戻る
・定着しない
これはすべて正常で、むしろ自然な流れです。

悟りを深めていくと、明らかになるのは、
「個がどう変わるか」ではなく
「個はそもそも私ではなかった」

という構造の暴露です。
一瞥体験は恩寵ですが、変化側の現象なので、それだけでは終わりではありません。

また、私が以前「シフトした」と書いた真意。
誤解を避けるために、またまた補足すると、
私が使った「シフト」という言葉は、潜在意識界隈の 「認識の変更」とは全く別物です。

あれは、
純粋意識・全体意識としての私から、さらに奥の絶対の側へ主体が自然に移った
という意味であって、
「個人(りょうせい)の認識がどう変わったか」という話ではありません。

なので、私の視点からは、
・個は全体の動きの一部でしかなく
・真の私は世界全体として在り
・そしてその世界でさえ、究極的には現実とは言えないという理解者なき、理解になります。

>もう元には戻れないとは何か?

→これは、夢にどれだけ熱中していても、朝、目が覚めた瞬間に「夢に戻ろう」という発想すら起きません。これが悟りで語られる 戻れないに近い感覚です。

ただしこれは、主体が純粋意識にしっかり落ち着いた後に自然と起きる変化であり、
そこまでは揺れが続くのは普通です。

あなたはまっすぐ真理へ進んでいます。そのモチベをぜひ大切に。ラーマクリシュナ読書体験ぜひ楽しんで下さい。またなにかあればどうぞ!

520り改め りょうせい:2025/12/07(日) 20:48:05 ID:SPXSav9M0
>>497
>個⇔世界で、意識がそれを内包しているって感じかな。

→個の視点から見るなら、その理解で問題ありません。ただ、意識そのものには形も境界もなく、掴もうとするとスッと抜け、離れようとすると逆に包まれるような、そんな曖昧でいながらも、決して揺らがない存在性質があります。
全宇宙を放出しながら、そのすべてとして在る
意識とは、本来そういう静かなシンプルな在り方なんです。

>では意識から生まれた個や世界を変更することは可能なんでしょうか。

→意識(あなた)は、意識自身の運動として世界を展開しています。個が「変えられた」「変えられない」と感じるのも、その運動の一部なんですね。
だから、起こるときは起こり、起こらないときは起こりません。

ただ、もしあなたの質問の意図が
「個として願望を持っていいのか?叶えていいのか?」ということであれば、私は迷わず YES と言います。友人や知人にも「やりたいことはやったほうがいいよ」としか基本的に言いません。

ここからは参考になるかわかりませんが、個としての私(りょうせい)の話をします。
(※これは、個の私のただのストーリーなのでご興味ない方は飛ばしてください)

まず、私が潜在意識に触れた理由というかキッカケは、願望実現が目的ではありませんでした。
もっと根源的で、説明のつかない体験がきっかけだったんです。

幼稚園の頃、自分しか知らないある特定の想念が、そのまま現実の形になって現れた出来事があったんです。

その衝撃が強すぎて、
「これはどういう仕組みなんだ?」
と知りたくなり、構造を追い始めました。

さらに父親からワンネスの話(木の例え)などを聞かされて育ったこともあり、
「世界とは何なのか?」「自分とは一体どこからきたのか?」「ただ存在しているだけでなんでこんなにも苦しいのか?」という問いが、子どもの頃からずっと消えなかったんです。笑

だから私は、願望を叶えるために潜在意識を研究したというより、はじめから意識の構造そのものに惹かれていました。

幼少期の私は本気でこう信じていました。
「今見えている前だけが存在で、背中側には何も存在していない」
親戚の人にそれを言ったら、当然ながら怪訝な顔をされましたし、笑 
内心その反応はショックでした。
しかし、当時の私は世界とは本当にそういうものだと思っていたんです。

性格もかなり極端で、
納得できないルールは守らない
興味のあるテーマは何週間でも潜る
興味のないものは視界から消える
集中すると周囲の声が本当に聞こえなくなる
そんな子どもでした(ほぼ問題児です・・笑)

だから願望実現に関しても、
叶えるために努力するという感じではなく、
「強い衝動が抑えられず、想い続けていたら気づけば身体が動き、結果として叶っていた」
ただそれだけでした。
大人になっても欲望は人の何倍も強く、
比較的、願望は何度も叶いました。
そして誤解を恐れずに正直に言うと・・たとえ叶っても、途中から深いところで、面白くなくなり、新鮮さがなくなり、言いかえればそれでも心の底から満たされず、虚しくなっていきました。

これは、ある意味では個(エゴ)のただの想念であり、同時に恩寵の働きなのですが、そんな時期もありました。
(もちろん願望実現を否定するつもりはまったくありません)
ただ私の場合は、「もっと手前で感じ続けていたあの違和感の正体を知りたい」
そちらが、どうしても勝ってしまっただけなんです。

そこから、少しずつ願望よりも
世界の根本とは何か?という問いが前に出るようになり、ある日、個の人生の基盤を揺るがす出来事をきっかけに、
気がつくと真理探求の大きな流れに巻き込まれていました。これは努力でも意図でもなく、
ただ 起きるべき流れに押し出された 感覚です。

なので、潜在意識も、願望実現も、真理探求も、
どれも私の意思というより、
「流れのほうが私を連れていった」
というのが正確なんですね。

私が恩寵という言葉を何度も使うのは、
こんなに自我が強く勘違いも多かった個の私でも、恩寵は最適に運び続けてくれていた、
その感謝の感覚が確かにあるからです。

>現実は無視、などと言いますが。。。

→私の場合でいうと、現実を無視したというより、そもそも「これが現実だよ」という感覚自体があまり定着しなかったんです。
いわば、現実に対して迎合するふりだけしつつ、
本心では世界の枠組み自体を元々あまり信じていないタイプでした。
そんな性質が子供の頃からかなり強かったんだと思います。
だから大人になっても、結局は起こりに合わせて、やる必要のあることだけを、ただやる、
起こらせる。
その気質がそのまま個の私の基本性格になっていました。
なので、願望実現に関しての個の私の意見は、そんな感じになってしまいます。

521り改め りょうせい:2025/12/07(日) 20:52:18 ID:SPXSav9M0
>>498
そのように言っていただけて、私もとても嬉しいです。

>「構造」とは〜
>このことが「心=世界」であり「構造」ということでしょうか。

→ はい、その理解で大丈夫です。
ここで言う「構造」とは、意識内の運動・想念のパターン のことです。

同じ出来事や人に対して、いつも似た反応をしてしまう。記憶が何度も浮上し、そのたびに不快な感情になる。この繰り返される心理パターンこそが 心=世界 の働きであり、構造そのものです。

>「個の物語の同一化」とは、この不快な思考や感情にのめりこんでいるものが、自分である、と思ってしまっているところから、観察をしている側に意識にずらすこと、これが「同一化を解く」、ということでしょうか。

→ そうです。その理解で問題ありません。
ただし、ここには 個が努力でできる範囲の限界 があります。

理由は2つ。

1.個のマインドには「正しい方向に進んでいるか」が判断できない
観察を続けても揺れが大きくなる人は多いです。

2.観察を続けるうちに「観察者という新しい個」が確立してしまうことがある。ここが初期の落とし穴ですね。

だからこそ、真理探求におけるガイドやグルの役割は知識ではなく、方向の調整と在り方そのものを伝えることにあります。たとえるなら、
日本でアメリカの本を読み続けるより、実際にアメリカに住むほうが、理屈を超えて理解が早い。その感覚に近いかもしれません。
(本当はもっと霊的な意味合いがありますが、例として分かりやすいかと思います)

>純粋意識のほうが自然と前に出るようになりたい

→ そう言っていただけると、このスレを立てた意味も報われます。励ましのお言葉も、ありがとうございます。

今、私は合間をぬってサイト制作を進めていますが、掲示板では質問者ごとに角度を変えて答えているため、
・個の領域
・純粋意識の領域
・超越の領域
これらが自然に混ざりやすいんですね。
第三者の読み手が どの段階の方でも安全に理解できるように、
言葉を置く位置や深さを毎回微調整しています。
この「段階の調整」こそがもっとも時間を使う部分で、文章化にはどうしてもタイムラグが出ます。
一方、サイトでは内容を体系的に整理し、
誰が読んでも段階的に理解できるよう構築しているため、さらに時間を要しています。

Q&A形式なら筆は軽く進みますが、
真理探求は概念を並べても意味がなく、純粋意識という共通の土台がなければ
ただのマインドゲームになってしまうからです。
このスレでは自然な流れで言葉が出てきますが、文章として残す際には、
・どこを残すべきか
・どこを削るべきか
・さらに第三者の読み手の段階ごとの誤解を避ける配置になっているか
など慎重に調整しているため、どうしても手間がかかります。
私としても、実にもどかしく、笑
もっと滑らかにサクサクやり取りしたい思いがあります。
そこで、今後の場づくりについて少し書いておきます。

掲示板はあくまで全体向けの場なので、
個々の物語を丁寧にほぐしていくには、やはり限界があります。
純粋意識の概念的理解がある程度浸透した今、
次に必要になるのは、個の物語を扱うより繊細な場だからです。

そのため、もっと気軽で、もっと個別に深く話せる場所。いわば簡易的な相談のプラットフォームを準備しようと考えています。
言葉が起きる速さも深さも、やはり個別のほうが圧倒的に合うんですね。
また、文章のやり取りだけではなく、他の形式にも広げたい気持ちがあります。

掲示板では具体的な宣伝は控える必要がありますので、また流れが整ったタイミングで、静かに報告させていただきます。笑

522り改め りょうせい:2025/12/07(日) 21:01:31 ID:SPXSav9M0
>>499
はじめまして。書き込みありがとうございます。あなたのご質問、とても繊細で、そしてとても本質的なテーマです。
「許し」「過去」「癒し」これは、個の心だけで扱うと必ず苦しくなる領域なんですね。
なので私は、真理の視点 からお話しします。
まず大前提。

あなたの本当の立ち位置は、
個でもなく、行為者でもありません。
人生には季節があるように、
心にも世界にも気質の変化があります。
・荒々しい季節
・内側へ沈む季節
・優しさが自然にあふれる季節
・自尊心が揺らぐ季節
例えると。
まるで
戦国 → 江戸 → 明治 → 平成 → 令和
と時代が移り変わるように、その時その時で
「世界観」そのものが違うんです。
では、なぜ昔、彼はあなたを傷つけたのか?

とても大事な話をします。
今の彼はあなたを深く愛し、謝罪し、苦しむ。
これは 「令和の彼の気質」が出ている時代の反応です。でも学生時代の彼は「戦国の気質」の中にいた。
つまりあなたが
「どうして昔あんなことができたの?」
と聞くのは、今の落ち着いた彼(=令和の気質)に向かって、昔の荒々しい彼(=戦国の気質)の行動を説明させている。という構造なんです。これ例えですが、本当にそうなんです。
今の彼と、昔の彼は、同じ人物でもまるで違う時代の気質を背負って生きていた。季節が違えば風の吹き方が変わるように、そのときの世界観・心の質・意識の気候がまったく違うわけです。

だから昔の行動を
「今の彼の基準」で説明するのは、
そもそも 構造的に無理がある んですね
そのため、彼はこう言うしかない。
「あの頃は、あの気質の中で生きていたんだ・・今とは本当に違うんだ・・ごめん・・」

これは人格の問題ではなく、世界の気質が変わったために、彼という潜在的傾向も変わっただけです。
・世界が冬なら、人の心も固くなる
・世界が春なら、心は自然と開く
彼の意識の運動(=世界の季節)が変化したから、彼の行動(=人生の天気)も変化した。
それだけのことなんです。

では「許し」とは何か?
ここが本題の核心です。

許しとは、個が頑張ってするものではありません。
許しとは、
・許す
・許せない
・思い出す
・傷ついた
・癒したい

これらの想念すべてを内包している
「意識そのものの性質」です。
個のあなたは許せないかもしれない。
痛みが出るのは自然です。でも真相としては、「許す/許せない」も含め、すべては意識の運動であり、誰も何も行為していない。

あなたも彼も、加害者でも被害者でもなく、
ひとつの意識の中で起きた波立ちにすぎない。

では、過去を話さないほうがいいのか?
ここは誤解の多いポイントです。

「話す/話さない」ではなく、
どの立場から話しているか が重要。
・癒したい
・分かり合いたい
・安心したい
これが 個の痛みの立場 から出ると、
あなたも彼も戦国の世界観に引き戻されます。
しかしあなたが一瞬でも
意識そのものの落ち着きに戻ると、言葉を使わなくても彼は癒されます。

あなたが 許しそのものの意識の場から触れると、彼も同じ静けさに戻っていく。
だから、「過去を忘れないと許しではないのですか?」という問いそのものが、実は誤解なんです。

許しとは過去を消すことではなく、個の痛みの立場から自由であること。あなたが真の立場に戻れば、その瞬間にもう癒しは起きています。
つまり、あなたも彼も、
ずっと意識の中で最適に運ばれています。
あなたが「許し」に戻ること。
それが、お二人にとって最大の癒しになります。もし何か引っかかるところがあれば
また遠慮なく聞いてくださいね。

523り改め りょうせい:2025/12/07(日) 21:06:10 ID:SPXSav9M0
>>501
>これまでに時間の概念が消える体験はありません。

→ 時間の概念とは「記憶」と「想念」の連続によって成立しています。
そして、その想念が現れる最初の点が
「私 ─想念」 です。

この「私─想念」が流れ出していく場
そして、常に背後で静かにあり続けている下地。それが 真のあなた(純粋意識) です。

以前あなたが私の感覚を探しましょうというニュアンスのことを誰かに向けて書いていましたよね。(たしか・・笑)
まさにその線で合っています。
そして、ひとつスルーしてしまっていたので触れておきます。

>真理、霊性系の書物には、心を脱ぎ捨てる、エゴが纏ったものを捨てる、忘れ去る、執着を捨てる、なんて表現が頻繁にされます。
誰かと話していても、こういう表現をする人が多い。というか殆んどです。
実際は「私は個である」という錯覚が消え、個が持っていたものへの執着がなくなるだけなんですよね。あなたが以前に言われた「外部からの知識を忘れ」る必要はこうしたことですね。

→ これ、まさしくそのとおりです。
「心を脱ぎ捨てる」「エゴを捨てる」とは
個が頑張って手放すという話ではありません。

本質的にはただ、「私は個である」という同一化、錯覚が薄れ、その錯覚が掴んでいたものが、結果的に勝手に落ちていく。それだけのことです。つまり、「すべては結果論」なんですね。個が「それ」になろうと色々「それ」の性質の真似をするんです。しかし、「それ」の性質を真似るのではなく、「それ」で在るべきなんです。これが「合一」「私は在る」の叡智です。

インド思想で言えばヴァーサナー(潜在的傾向)心の性癖との同一化が、静かにほどけていく。そのプロセスがエゴの解体 です。

智慧の道は、
純粋意識として徹底して在り続けることで、
同一化が勝手に消えていく。

バクティは、
個として純粋意識に対して、
徹底して私が同一化しているすべてのものを捧げ続けることで、最後に捧げている主体そのものが溶ける。

見ている角度が違うだけで、
どちらも本質的には同じ運動です。

>扉を何度も何度も叩いた自覚はあまりありません。笑
>真理探求はわりと楽しく楽に進んできました。

→ あなた自身の自覚がないだけで、
扉のノックは長く長く続いていたんです。笑
しかも楽しく楽に進めるタイプの人は本当に稀。それはあなたの努力でもあり、
ある意味では 真理探求に関する徳を積んでいたとも言える。だから扉のほうがあなたを引っ張ったんです。

>あー、新しい気づきや知識が起こっても、古い気づきと知識の記憶はどんどん薄らいでいく。「私の」が消えているのか?

はい。まさに「私の」が薄らいでいます。
純粋意識とは、「私が気づく」のではなく、
「存在そのものが=気づきである」
という状態です。だから、
・時間を超えて
・記憶を超えて
・個のストーリーを超えて
気づきは常に今この瞬間だけにあります。
個としての「私の知識」は薄れ、
気づきそのもののほうが前に出てくる。
あなたに今起きているのは、その自然な流れです。

524り改め りょうせい:2025/12/07(日) 21:12:19 ID:SPXSav9M0
>>502
>私は在る、これはまるで木々や草花や石のようだと思いました。それらは「私は在る」として
堂々とただ存在している。枝を折られても花を摘まれても怒ったりしない。ただ在る。
雨風にも抵抗せず完全に流れに身を任せている。

→ はい、まさにです。
そして、真実のところ、「あなたは二人ではなく、最初から一人です」
言いかえれば二人という演技をした、一なる者なのです。
たとえば、想念の中で気づきや、解釈、声を聞くなどの探求を日常で楽しめる範囲でされるのはまったく問題ありません。
ただし、マインドを使った考察というのは、思っている以上に大量のエネルギー を消費します。
ですから、必ず休みを入れながら、
日常の体感と静けさを中心に置いてくださいね。
疲れたら休みましょう。
疲れたらアニメや趣味を通して、癒しの回復をしていきましょうね。

そこが土台になるます。瞑想や明け渡しといった霊性の深いプロセスは、人生のタイミングや状況の準備が整ったときに、必要な分だけ自然に起こります。
こちら側から急かす必要はまったくありません。
焦ると、かえってマインドの領域に戻りやすくなるんですね。どうか、静けさを大切に。
それだけで十分に進んでいきますよ。
幸運をお祈りします。

525り改め りょうせい:2025/12/07(日) 21:15:24 ID:SPXSav9M0
>>503
何かしら参考になったのなら、本当に良かったです。

>どうも今、物理的に救われると霊的成長とのバランスが悪くなる?らしい

→なるほど、そのお話は、核心を突いているかもですね。笑
そもそも 物質(目に見える世界)と
霊性(目に見えない世界)は、いつも綱引きのように働いています。

エゴというのは物質側の性質を持っているので、
どうしても 目に見える救い・成果・安心 を欲しがります。一方、霊性の恩寵は、
個の私たちを 目に見えない本質のほうへ静かに引っ張ります。だからある段階に来ると、
「物質的に救われすぎると、霊的成長の流れから逸れてしまう」
という調整が、自然に起こることがあります。

それは罰ではなく、
その個の霊性側の成熟が進んできた証拠です。
恩寵は、個が本当に向かうべき方向へ進みやすいように、そっとバランスを取り続けています。
物質と霊性は対立しているわけではなく、
ただ、シンプルにどちらを今優先すべきかが変わるだけなんですね。

526り改め りょうせい:2025/12/07(日) 21:18:44 ID:SPXSav9M0
>>506
私にとっていちばん伝わってほしい、贈り物があるとしたら、それはまさに「私は在る」なので、そう言っていただけてとても嬉しいです。

>「私を在る」を静かに想う・感じるということが、よく起こるようになりました。

→ 素晴らしいですね。
その静かな想起が増えていくことが、自然と深まっていく流れです。
こちらこそ、感謝いたします。

527幸せな名無しさん:2025/12/07(日) 23:18:48 ID:YeefPwAU0
>>524
有難う御座います。個の私があまりにも寂しがるので大きな私が戻って来てふわっと包まれて
そのまま1時間半ほど眠らされました。大きな私に気付いて以降、日常が更にスムーズに
なっていたのですが、居なかった今日は微妙に不協和音な感じでした。
大きな私は斜め後ろに居る感じですが今は言葉は聞こえません。日常においても大きな私が
すぐ傍に居てくれると思うと心強いので無理して離れようとするのはやめることにします。
>二人という演技をした、一なる者
↑何となく二人羽織っぽいなぁと思っておりました。だから背中側に移動したのかも。
ところで探求の流れはどの位の割合で起こる事なのでしょうか。10人中何人位とか。
今の私の状態は探求というより「個を整えるため」の方になっている感じですかね。
余談ですが、なるます。でアーニャちゃん連想してちょっと和みました。(すみません)

528幸せな名無しさん:2025/12/08(月) 01:37:36 ID:mXiXLstU0
>>521

> 掲示板はあくまで全体向けの場なので、
個々の物語を丁寧にほぐしていくには、やはり限界があります。
純粋意識の概念的理解がある程度浸透した今、
次に必要になるのは、個の物語を扱うより繊細な場だからです。

そのため、もっと気軽で、もっと個別に深く話せる場所。いわば簡易的な相談のプラットフォームを準備しようと考えています。


こういう場でためになることは、達人さんたちの言葉から伝わる意識の静寂であったり、エネルギーを感じとれることだと思います。

お願いもされずこういう場を作りお願いもされずプラットフォーム作成という流れは、最初からそういう意図で始められたのかな?と思ってしまいました。

お金もいただく流れでしょうか?
在り方という面ではそういう面も見てしまいます。

相手の個別のストーリーに入りこむよりかは、それが幻ですよとこの場で伝え続ける方が達人さんのスマートな在り方のように思えてしまいます。

529幸せな名無しさん:2025/12/08(月) 04:11:15 ID:IIQQl0Zs0
全て恩寵なら、個の私はこの酷く辛い人生をただただ耐えていくしかないですか?
どんなメソッドをしても、自愛をしても、自分の内面は変わっても現実は全く変わりません。
恩寵からしたら全て完璧でも、私はもう耐えられそうにありません。耐えられなくて自分で命を絶っても、完璧ですか?何かをしたら現実が変わるということから抜けて、全て恩寵から起きるものだとしたら、私はこれからも死なない程度に苦しめられ続け、ただそれを耐えながら見ていることしかできません。恩寵がヨシというまでは。本当に辛くてもギブアップ出来ないし、私が望むものは何一つ与えてくれない。恩寵にとっての完璧を押し付けられて、個の自分はその与えられた人生をただ耐えることしかできない。もう何十年も耐えてきました。何も変わってないように見えて奥底では実は変わっているのかもしれないけど、何十年も苦しいです。辛いです。こんな人生しか与えてくれない恩寵なんて全部消えてしまえばいいのに。

530幸せな名無しさん:2025/12/08(月) 07:35:44 ID:Omcwg4Hs0
>>522 
りょうせいさん
ご回答頂けてとても嬉しいです。許しに対しての理解が深まりました。

私は思春期に母から自死を命令されたことがあり、その際に『個としての痛み』を超えた『意識のわたし』に視点が移りました。

心は穏やかになり、癒しもありました。
その状態で日々過ごし成長していくと、私から癒しを得るために、あえて嘘をついたり、婚約して子供を授かっても中絶を望んでくる男性などもいました。

その体験から、私は『意識のわたし』であることから降りて再び『個としての痛み』の視点に戻ったのでした。

痛みがあるからこそ、大切な存在を守れるのではないか?と当時は考えた為です。

もしかすると、そこにも誤解があったのかもしれません。常に『意識のわたし』であれば、痛みの解釈も、人生の見え方もまた変わるのかもしれませんね。

とても深く染み入るお話です。
勉強になりました。ありがとうございます。

531幸せな名無しさん:2025/12/08(月) 13:53:41 ID:qlw9bJj60
>>524
527です。大きな私の感覚が掴めたかも知れません。過去に個の私が個の誰かを好きになるのではなく
大きな私が大きな相手に惹かれた事が有ったのを思い出しました。
↓ちなみにこの書き込みも私で、この事ですが個の事なので読まなくても大丈夫です。
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1610258414/453-454
しかし個の私からするとこれすごく嫌。個の相手の事は最初から一度も好きじゃないし。
でも大きな私はそうじゃなくて、純粋に大きな相手に惹かれて、大きな私目線の気持ちを思い出させてくれた。
もしかしてこの人ガイドさんだったんだろうか?個の私は「うげー」って退いてるけど。笑

昨日寂しがる個の私を抱きしめて眠らせたのは私。昔からピンチの時は必ず助けが入ると思っていたけど
助けるように調整したのも私。どういう方法を使ったのかは分からないけど。
しょんぼりする個の私をずっと見守っていたのも私。個の私が大きな私に気付いた後に
いっぱい話しかけたり抱きしめたりしたのも私。だって嬉しかったから。大きな私は個の私が大好きだから。
大きな私の純粋な気持ちが解った。心からやりたいと思った事は大きな私が望んでいる事なので
個が何度阻止しても無駄、何度でもその物事をやりたいなぁって気持ちにさせられる。
好きな物も同じ、大きな私が望んでいるから惹かれる。この視点でいれば個は無駄遣い減らせるかも。笑
気付きが有ったけど視点は個の私の方へ戻ったりすると思う。過去パニック発作の時に大きな私が助けてくれた時
一時的に大きな私視点になって個の私を眠らせてから個の私に戻った気がした。
大きな私視点を忘れそうになった時に、例の大きな相手の事を想うと、視点を思い出せたりするんですよね。
個の私からすると「ムキー!怒」なんですけどね。面白いなぁ。笑

532幸せな名無しさん:2025/12/08(月) 15:13:48 ID:qlw9bJj60
しかし個の私の喜怒哀楽は普通に存在しています。感情が発生した事に気付いたら
大きな私視点になって「はーいよしよしヾ(・ω・`)」しています。

533幸せな名無しさん:2025/12/08(月) 19:35:45 ID:/MbyHMbY0
>>482
すごく間が空いてしまってすみません、468です。
お返事ありがとうございました。
実は何度も読み返して、分からなくなって、少し放っておいてしまいました。せっかく沢山のお返事いただいていたのに、ごめんなさい。
ただ一つ、最近、変化がありました。
それは、とにかく、どんな感情、思考、行動が生まれても、否定しないでみようと思えるようになったことです。
実は最近、朝に目覚めた直後の絶望感が酷くて、⚫︎にたくなったりしていました。
その時、あまりに辛かったのですが、なぜか同時に「絶望してもいいんだよ」という思いも生まれました。
そしたら一瞬ですが、その絶望感から生じた胸の痛みが和らぎました。
それで、もう本当に⚫︎ぬなら、失うものはないんだから、全て認めて、それでいいよって言ってあげようと思いました。
思えば、親を許せないのは、いいよって言ってもらえていなかったからかもしれません。
それは悲しいことだけど、自分は、自分だけでもいいからいいよって言ってあげようと思えるようになりました。

534幸せな名無しさん:2025/12/08(月) 20:16:37 ID:0flokZ9M0
>>521
ご回答いただきまして、ありがとうございます。

>個が努力でできる範囲の限界 があります
真理探求におけるガイドやグルの役割は知識ではなく、方向の調整と在り方そのものを伝えることにあります。

そうなのですね。確かに、自分で判断できないですし、観察者という新しい個が確立してしまいそうです。スムーズに同一化を解いていくために、ガイドやグルのご指導を受けることができると、やはり良いですね。

>日本でアメリカの本を読み続けるより、実際にアメリカに住むほうが、理屈を超えて理解が早い。その感覚に近いかもしれません。

とてもわかりやすかったです。ありがとうございます。

>第三者の読み手が どの段階の方でも安全に理解できるように、
言葉を置く位置や深さを毎回微調整しています。
>文章として残す際には、
・どこを残すべきか
・どこを削るべきか
・さらに第三者の読み手の段階ごとの誤解を避ける配置になっているか
など慎重に調整しているため、どうしても手間がかかります。

そのようでございましたか。ご配慮いただきありがとうございます。
こちらのスレで、わかりやすく、丁寧にご説明いただいている、その文章に惹きつけられ、大切なところをメモ取りながら、読ませていただいております。私の理解や気づきが少しずつ、深まってきているように思います。いつもありがとうございます。

>言葉が起きる速さも深さも、やはり個別のほうが圧倒的に合うんですね。
また、文章のやり取りだけではなく、他の形式にも広げたい気持ちがあります。

文章でのご相談も、他の形式にしましても、どのような感じになるのか、とても楽しみですね。流れが整いましたら、是非ともお知らせを頂きたいです。

535幸せな名無しさん:2025/12/08(月) 20:52:41 ID:njeVzny60
りょうせいさんは真理探究をするべくして生まれてきたというか、生まれた時から特異な感じだったんですね
これは偏見かもしれませんが、悟り、真理のような方向へ行く人は
何か人生で大きなイベントがあって、みたいな人が多いように思います
私も正確には真理探究からはズレるのかもしれませんが、生まれた時から(なんなら生まれる前から?)
見えない力で筋書き、レールが決まってて、逸れたら死みたいな状況だったからやるしかなかった
これも生まれた時からというより、後から思えば全部決まってたなって感じでした
霊能者なんかも心底嫌だったとか、やりたくなかったけど無理だったとか、そういう人わりといますね
私はそこまで嫌々ではないけどライフワークとか(やらなくてもいいけど)やりたくてやってる、みたいにはならなかったですね
追い立てられて走らされている

536り改め りょうせい:2025/12/08(月) 23:03:55 ID:S.ZJTz/I0
>>528
ご意見ありがとうございます。

率直に感じたことを書いてくださるのは、
むしろありがたいです。

私はもともと、このスレを場づくりや有料化を計画して始めたわけではありません。
書いていく中で、掲示板だけでは届けにくい層がいると感じた、ただそれだけです。

サイト制作(ブログ記事)も同じで、全体向けの内容は無料で開きつつ、個別に深く扱う領域は、どこであっても有料にしています。
これは商売というより、質と責任を保つための線引きです。

>相手の個別のストーリーに入りこむよりかは、それが幻ですよとこの場で伝え続ける方が達人さんのスマートな在り方のように思えてしまいます。

これに関しては、個別のストーリーに入り込むというより、真理が働きやすいよう必要な部分だけを整える、という感覚でいます。

ここでは深入りしすぎず、全体が安全に読めるように意識しています。
コメント、ありがとうございました。

537り改め りょうせい:2025/12/08(月) 23:08:52 ID:S.ZJTz/I0
>>529
>全て恩寵なら個の私はこの酷く辛い人生をただただ耐えていくしかないですか?

→全てが恩寵かどうかは、個の視点からは見えません。だから今あなたが感じている苦しみ、悲しみ、怒り、抵抗、裏切られた感覚、逃げたい気持ち、それらは全部自然です。

恩寵という言葉は「全体の視点」であって、
個のあなたが理解して耐え続ける必要はありません。
私はこれまで、このスレで、(個の)あなたは苦しみそのものではないとお伝えしてきました。
これは、痛みに飲まれているように感じても、あなたが「それだけの存在」ではないという意味です。

まずは、朝起きて最初に感じるほんのわずかな呼吸の感触を大切にしてください。
もしメソッドや努力が苦しみの原因になっているなら、無理に続ける必要はありません。
あなたは「安心したい」と願っていいし、
何十年変わらなくても、自分を責める必要はありません。

そこから先にどう動くかは、あなたの内側から自然に起こります。

>どんなメソッドをしても、自愛をしても、自分の内面は変わっても現実は全く変わりません。

→現実が動くには時間が必要です。
だからこそ、人は支え合い励まし合える場所や、安心できるひとときを求めるのだと思います。

>恩寵からしたら完璧でも、私はもう耐えられそうにありません。耐えられなくて自分で命を絶っても完璧ですか?

→ここは真理よりも、あなたの身の安全が最優先です。心がそこまで追い詰められているなら、
まず必要なのは「安全」です。
逃げてもいいし、休んでもいいし、
助けを求めてもいいんです。
これは弱さではなく、生きようとする力です。
スピリチュアルや恩寵や真理の話は、心が少し落ち着いてからで十分です。

>私はこれからも死なない程度に苦しめられ続け、ただそれを耐えて見ているしかできません。

→まず、一度だけでもいいから、
深く息を吸ってください。
抵抗してもいい。
何もできない日があってもいい。
怒りや絶望や無気力があってもいい。
あなたが今、本当に必要としているのは
「耐えること」ではなく「自分を守ること」です。
苦しみにしがみつくエネルギーより、
安全へ向かうエネルギーの方がずっと軽いです。

>もう何十年も耐えてきました。奥底では変わっているのかもしれないけど。

→ここがあなたの文章の中で、最も真実に近い部分です。

変化は、静かに、見えないところで進んでいます。深い傷って、治っていく途中ほど見た目はずっと同じに見えます。
でも、表面がずっと変わらなくても内部では少しずつ再生が進んでいます。

ある日、傷が痛まなくなって初めて、「中ではずっと治っていたんだ」と分かる。
心も同じで、変化は外側より先に、
奥で起きます。あなたの内側でも確実に動きは起きています。

>何十年も苦しいです。辛いです。こんな人生しか与えてくれない恩寵なんて全部消えてほしい。

→あなたはこれほど長く、生き抜いてきた。
それだけで充分すぎるほど強いのです。
そして今の状態は永遠ではありません。
苦しみは必ず移り変わります。

さて、あらためて、いいですか?
もしメソッドが、苦しみになっているなら、
いったん全部やめて大丈夫です。

あなたは「ただ存在しているだけ」で十分です。

恩寵という言葉を使うなら、
それはあなたが安全へ向かう流れを邪魔しない静かな力という意味です。

恩寵は、あなたを追い詰める存在ではありません。

どうか今は、ご自分を責めず、
あなた自身の心身の安全だけを最優先にしてください。
あなたが少しでも安心の方向へ流れていけるように、その静かな力が働くことを願っています。

538り改め りょうせい:2025/12/08(月) 23:13:06 ID:S.ZJTz/I0
>>530
あなたの体験をこうして丁寧に言葉にしてくださったこと、その勇気にまず深く敬意を感じています。

思春期という、もっとも心が柔らかく傷つきやすい時期に母から「自死を命じられる」という出来事が起きたこと。それがあなたの世界にどれほど深い痕を残したのか、想像を超えるものがあります。

その瞬間に、個としての痛みを一気に超えて
「意識のわたし」に視点が移ったというのは、決して異常ではありません。
あれは、あなたを壊さないために心が発動させた、とても精妙な知性です。

そしてそこから、人として生きる場に戻るために「意識のわたし」から個の視点へ戻った。
これも間違いではなく、ごく自然な流れです。
「意識のわたし」にとどまることも、
個として痛みを感じて生きることも、
どちらかだけが正しいというものではありません。両方があなたの内側に共存して良いものです。

あなたが書いてくれた

「痛みがあるからこそ、大切な存在を守れるのではないか?」
という気づきも、その時確かに起こった大切な感覚だったと思います。

ただ、その時のあなたはもしかすると
「大切な誰かを守るために、自分を犠牲にする」という方向に理解してしまったのかもしれません。
でも本来、痛みが教えてくれるのは

・自分の境界
・自分の尊厳
・自分の安全
・自分の限界
これらを守る智慧(ちえ)です。

痛みは
「誰かのために生きなさい」
と命じるものではなく、「まずあなた自身を守りなさい」と静かに告げています。
あなたの痛みが癒えてくるほどに、
あなたは自然と、必要な相手に必要な形で温かさを分けられるようになります。

無理に与えようとしなくても、内側が満ちてくれば自然に滲み出るものだからです。

そして、「意識のわたし」とは
個を捨てることではなく、個をより丁寧に扱える視点でもあります。

個と意識。どちらもあなたの中に在って良いし、どちらかを排除する必要もありません。

あなたは、意識を失ったのではなく、
「人として生きる世界へ戻ってきた」のだと感じます。
そのプロセスはとても成熟した動きであり、あなたのこれまでの体験には一つの無駄もありません。

今回のメッセージも、また深くて大切な気づきに満ちています。こちらこそ、ありがとうございました。

539り改め りょうせい:2025/12/08(月) 23:19:01 ID:S.ZJTz/I0
>>531
>ところで探求の流れはどの位の割合で起こる事なのでしょうか。10人中何人位とか。

→探求。
これに関しては、どんな種類やジャンルの探求にしても、実は「全員」です。
個として生きること=探し求める運動だからです。形が違うだけで、誰もが何かしらの幸福、そして苦の終わりを探求しています。

>今の私の状態は探求というより「個を整えるため」の方になっている感じですかね。

→はい、それはとても大事です。
個がずっとモヤモヤし続けたままだと、どれだけ太陽が照らしていても雲がかかって見えません。なので、まずは「個を整えること」を優先して◎大丈夫です。

真理探求は、必要なときに必要な分だけ、自然に起こります。無理に方向づける必要はありません。

>しかし個の私からするとこれすごく嫌。個の相手の事は最初から一度も好きじゃないし。
でも大きな私はそうじゃなくて、純粋に大きな相手に惹かれて、大きな私目線の気持ちを思い出させてくれた。
もしかしてこの人ガイドさんだったんだろうか?個の私は「うげー」って退いてるけど。笑

→ まさにそういうこと。
個の私が大きな私のようにならなくていいんです。
例えばあなたが苦手な、
たとえば、虫にしましょう。
虫がいました。個のあなたは「うげー」でいいのです。
それは、自然発生的な思考や感情の起こりです。ただ大きな私からすれば、個のあなたもその虫も、同じ意識、存在、気づきの中の、
共通の「在るもの」ってお話です。

>余談ですが、なるます。でアーニャちゃん連想してちょっと和みました。(すみません)

→私も読み返して笑いました。
難解な真理探求の話がテーマだとはいえは、
たまにそういう軽さ、とても大事です。笑

>しかし個の私の喜怒哀楽は普通に存在しています。感情が発生した事に気付いたら大きな私視点になって「はーいよしよしヾ(・ω・`)」しています。

→ それでいいですよ。慌てない慌てない!
疲れたら休む。気分が沈んだら、またどこかリフレッシュできる場所に、おでけけしてきてください♪

540り改め りょうせい:2025/12/08(月) 23:25:14 ID:S.ZJTz/I0
>>533
お久しぶりです。
そして、ここまで率直に書いてくださって、本当にありがとうございます。

まず一つだけ伝えたいのは、今あなたが感じている絶望や苦しさは、何かが間違っているから、起きているわけではない、ということ。
これまで抱えてきた負荷が、素直にただ顔を出してきただけなんです。

その苦しさの中で「絶望してもいいんだよ」
という声がふっと現れたのは、とても大きな動きです。

>そしたら胸の痛みが少し和らぎました。

→それは、ごく自然な癒しの入り口です。
苦しみを無理に押し込めるのではなく、
「こう感じてしまう自分もいていい」
と認めた瞬間、心の防御がほんの少し下がります。

>親を許せないのは、いいよって言ってもらえていなかったからかもしれません。

→これは、とても深いところに触れています。
毒親育ちの方の多くは
「許せていない」のではなく
「一度も肯定されたことがない痛み」
のほうで苦しんでいるのだと思います。
あなたは今、自分に対して「いいよ」と言い始めている。これは大きな転換点です。

ここから、少し真理探求寄りの視点で話しますね。
親や家族の問題は、個の私にとって最も根が深い領域であり、
同時に、変容がもっとも起きやすい領域でもあります。

私(りょうせい)自身も、子どもの頃に
「ここは、まともな大人がいない世界なのか」
と感じた時期がありました。

ただ、ある時気づいたんです。
私にとっての「本当の親」や「本当の家」は、
外側の誰かではなく、意識としての私。つまり「本当の私」そのものだったと。

そこから私は、実の親のことを、
「意識の中に現れた役割のひとつ」
として見るようになり、その瞬間から、自分の内側にあった傷や境界が、少しずつゆっくりと回復し始めました。

もちろんこれは、親を美化しましょうとか、無理やり許しましょうという話ではありません。
外側の親を変えることではなく、
ただ、「自分の中心に、確かな支えがある」
と気づくことが、癒しを動かすのだと思っています。

あなたが今ふれている
「絶望もそのままでいい」
「どんな気持ちも否定しない」
「自分にいいよと言ってあげる」
この流れは、あなたの内側の「本当の私」に触れはじめているサインです。

それは誰かの教えを借りたのではなく、
あなた自身の中から自然に生まれてきた気づきです。

そしてこの気づきは、同じように苦しんでいる誰かにとって、確かな光になり得ます。
書いてくださったこと、そのままで価値があります。共有してくれて、ありがとうございました。

541り改め りょうせい:2025/12/08(月) 23:27:35 ID:S.ZJTz/I0
>>534
丁寧に読み進めてくださり、そしてメモまで取りながら深めている姿勢、とても嬉しく感じました。

あなたの中で起きている変化は、こちらが何かを与えたからではなく、もともと内側にあった理解が自然に開き始めているだけです。

真理の探求というのは、外や、押しつけられるものではなく、その人の内側の成熟が満ちたとき、勝手に動き出します。
今あなたが感じている静けさや理解は、その流れの一部です。これを私は恩寵と呼んでるだけです。

ここでの私の文章でのやり取りについて触れてくださった部分も、ありがたく受け取りました。

あなたは今、とても良いペースで進んでいます。
「もっと先へ行きたい」という感覚が生まれれば、あなたの気づきの深まりやタイミングは自然と向こうからやってきます。
そのときは静かに、そっとお伝えしますので、心配せず今のペースを大切にしてください。

こちらこそ、丁寧な受け取り方をしてくださってありがとうございます。

542幸せな名無しさん:2025/12/08(月) 23:29:06 ID:phQ8HmBE0
>>523
時間は記憶及び先を思う思考が作る概念。以前こんなことを考えていたのに思い出さず、全然役に立ってませんでした。笑
意識がここにあることはすぐに気づけるので、空間の束縛は弱いようです。
時間は単なる概念で、記憶への固執は絶賛解体中、先のことを思う想念は起こるので、まだまだ束縛されてると言えます。
数年前から身体や記憶を失う恐怖が出てくること、ループの体験、合点がいきました。
全ての出来事は純粋意識に定着していく流れの中で起きたことだと理解しました。

私の興味は「心の形」から「心と世界の関係」「世界の形」へ、そこから最終的に「私という存在って何?」に移行して、真理探求が始まりました。
アドヴァイタは、それまでに私が体験を通して理解したことの答え合わせのようで楽しく読みました。
その中で最大の衝撃だったのが「真の私はエゴではなく神(創造主)である」
あまりに完璧すぎる回答に感動で打ち震え、直後にあった最初の数々の体験も衝撃的。
ようこそいらっしゃいと完全に誘われていました。
きつい期間も1年ほどあったけど、乗り越えれば楽しいことの方が多かった。
「意識としての私」を体験した後のドロドロが次々に噴出した期間は長くて、全体の振れ幅も考えると楽で楽しいばかりとは言えない。
ただ個人的には楽しく楽だった印象の方が強いです。
辛い体験ほど忘れてしまえる性分のようです。楽観的なんでしょう。笑

そして…今思うこと。
純粋意識であり尚且つ「それ」を想い涙したあの愛が起こったなら、そこから先に私が出る幕はありません。
ジャンプ、超越は起こるのか?
起こるという信念が探求の門をくぐった時に授けられました。だから、ここまでやってこれました。
一切を疑った時に一度失ったけど大丈夫です。
人生は壮大なラブストーリーとして最後の幕を閉じるのでしょうね。先日と違い、感覚的イメージで理解できました。

>私の感覚を探しましょうというニュアンスのことを誰かに向けて書いていた
どのあたりのレスでしょうか?書いたかもしれないけど思い出せません。
何か書いたとしても深い理解にまではなっておらず、在り方や行動とは矛盾したりしてます。そのことでしょうか?
確かにこの手の矛盾に陥ってることは多いです。
特に外から得た知識に頼ったり影響されると「そうしよう」「そうなろう」になりがちです。
意図があるため、ふりをするはめになり、葛藤が起こり矛盾を抱えたままになる。
エゴはとことん根深いですね、困ったもんです。ただ在ればいいだけなのに。笑

多くの人への対応に追われる中、毎回丁寧に返信していただき感謝しかありません。

543幸せな名無しさん:2025/12/08(月) 23:29:46 ID:mXiXLstU0
>>536

>サイト制作(ブログ記事)も同じで、全体向けの内容は無料で開きつつ、個別に深く扱う領域は、どこであっても有料にしています。


→なるほど、これまでも有料でされていた方だったのですね。
自分の場もあって有料でもされていた方があえてこちらのスレを立ち上げたのですね。

お仕事ではないとのこと、どれくらいされているのでしょうか?

544り改め りょうせい:2025/12/08(月) 23:38:08 ID:S.ZJTz/I0
>>535
>りょうせいさんは真理探究をするべくして生まれてきたというか、生まれた時から特異な感じだったんですね

→特異というと聞こえは良いですが、実際は周囲の大人からするとかなり扱いにくいタイプだったと思います。笑

>これは偏見かもしれませんが、悟り、真理のような方向へ行く人は
何か人生で大きなイベントがあって、みたいな人が多いように思います

→そうですね。方向性が変わるような出来事、大きく揺さぶられる経験、それをきっかけに流れが決まる人は多いと思います。
個の私からすれば(これは一例ですが)「ショック・喪失・崩壊・突然の停止」のようでも、後から見ると探求へ向かう強烈な着火剤になっていたりします。(もちろん、これらが起きなくても真理探求は起こり得ますが)

>私も正確には真理探究からはズレるのかもしれませんが、生まれた時から(なんなら生まれる前から?)見えない力で筋書き、レールが決まってて、逸れたら死みたいな状況だったからやるしかなかった。これも生まれた時からというより、後から思えば全部決まってたなって感じでした。

→この感覚、よく分かります。
渦中ではただ必死で、後から振り返ると
「ああ、全部ここに向かっていたのか」
と見えてくるタイプの流れですね。

>霊能者なんかも心底嫌だったとか、やりたくなかったけど無理だったとか、そういう人わりといますね
私はそこまで嫌々ではないけどライフワークとか(やらなくてもいいけど)やりたくてやってる、みたいにはならなかったですね
追い立てられて走らされている

→分かります。
「望む/望まない」と関係なく、そっちへ行くしかない流れに入る人っていますね。

この「追い立てられて走らされている」
という表現、めちゃくちゃ本質だと思います。笑

私も
・逃げようとすると逆に戻される
・止まると余計に苦しくなる
→結局そっちに進むしかなくなるという感じでした。

インドではこれをダルマ(法・定め)と呼ぶみたいで、「その人の人生が自然と向かう方向」のことだそうです。

だから
・好きでやってる
・やりたくなくてやってる

のどちらとも少し違って、流れがもうそこへ向いてしまっているから、腹を決めて歩くしかない。あなたの感覚も、そういった感じかもしれませんね。

まさに、「起こることは、起こる」というやつです。

545幸せな名無しさん:2025/12/09(火) 00:30:08 ID:GznryTDI0
>>526
りょうせいさんに「私は在る」をいただいてから、質問したいことが起こると「私は在る」に注意を向けることが起こって質問がなくなる、ということのくり返しになり質問自体が生じなくなっていきました。

546幸せな名無しさん:2025/12/09(火) 09:12:12 ID:MZnqCfgA0
>>521

そのため、もっと気軽で、もっと個別に深く話せる場所。いわば簡易的な相談のプラットフォームを準備しようと考えています。
言葉が起きる速さも深さも、やはり個別のほうが圧倒的に合うんですね。
また、文章のやり取りだけではなく、他の形式にも広げたい気持ちがあります。

掲示板では具体的な宣伝は控える必要がありますので、また流れが整ったタイミングで、静かに報告させていただきます。笑

→わたしはこういう掲示板に詳しくないのですが、自分でスレを立ち上げ、自分の有料サイトへの誘導というのは、堂々とやってはいけないことなのでしょうか?

だとしたらそれはなぜでしょうか?

547幸せな名無しさん:2025/12/09(火) 13:08:45 ID:L8atLJ2w0
>>539
有難う御座います。全員が探求者との事、誕生した時点で探求のスタートですね。
個の状態は日々変化している感じがします。晴れたり曇ったりですが大きな私視点で見れば
どんな私もOKで全て愛おしく感じます。そのまま、ありのままで大丈夫。
ありのまま=在るまま=ただ在る=私は在る、でしょうか。

やはり例の人の本体はガイドだったのですね、絶対に初対面なのに強烈な懐かしさを
感じたのはガイドさん見つけた!という大きな私の歓喜だったのかも知れません。
すっかり忘れた頃に意識に上がってくるのも個からしたら「うげー」でしかないですが。笑
そして実際に虫は苦手なので正解です笑。でもそんなうげうげ言っている私も
大きな私視点では何だか面白可愛くてそのままで全然OKと感じられます。

しかし大きな私視点の私に包まれてみた個の私は違和感を感じました。肌触りが全然違う。
大きな私はもっと柔らかく温かくきめ細かい。お手本お願いしたら包んでくれました。
安心出来る極上の肌触り。そうそうこれこれ。
もしかしたらこの感じが波動とか振動数とか言われるものかも知れないと思いました。

これの感じに近づく方法は多分瞑想。思考やエゴによりゴツゴツザラザラになる気がする。
思考停止メソッドにより思考は自分ではないと気付いたり私や過去を切り離すことで
エゴの支柱が折れて「今」に放り出される事は実感しても思考が止められない思考中毒。
「今」のエネルギーが強すぎて気をそらしていないと焼かれて灰になりそうで。
今ここに留まる事で分散していた力が全部自分のところへ戻ってくるのも体験済みで
ものすごいパワー有るんですけどエネルギーに負けてしまうんですよねいつも。
「今」が太陽光だとすると真夏の直射日光でパワー強いけどやけどする感じです。
「本当の私」にはそれだけパワーがあるという事なのかもしれませんが。
「今」にエネルギー負けしない方法って有りますでしょうか?

548幸せな名無しさん:2025/12/09(火) 16:39:04 ID:L8atLJ2w0
ありのままOKしたら自分が不要だと思っていた部分への願望が実は有る事に気付いたり
そんなの気にしてないと思っていた事への不安が有る事に気付いた。
それらが存在する事が自分に許されていなかったんだなぁ。
素直な人や受け取り上手な人は良いなあとずっと思っていたけど
素直になる事も受け取り上手になる事も自分に許せていなかったんだなぁ。

549幸せな名無しさん:2025/12/09(火) 20:04:56 ID:a9BFGrIk0
>>541
>あなたは今、とても良いペースで進んでいます。
「もっと先へ行きたい」という感覚が生まれれば、あなたの気づきの深まりやタイミングは自然と向こうからやってきます。
そのときは静かに、そっとお伝えしますので、心配せず今のペースを大切にしてください。

ありがとうございます。そのように仰っていただけて、とても嬉しく思います。安心して今のペースで進んでいきたいと思います。
あまり人と会ったりせずに、自然に触れたり、ぼーっとしたり、静かに一人の時間を過ごすことが心地よくて、そのようにしています。今、心地の良い脱力のような感じがしています。
またご質問をさせていただきますね。これからもよろしくお願い致します。

550幸せな名無しさん:2025/12/10(水) 01:31:15 ID:qWLcZdW.0
りょうせいさんから以前頂いた返信
>エゴにとって「霊性プロセスが進む」というのは
>たいてい 悲しみ(=浄化) と 慈しみ(=癒し・許し) を交互に通る道になります。
↑この意味が解りました。飴と鞭の絶妙なバランスで癖になりそうです。笑

大きな私が音楽で応えてくれました。「私に生まれたこと感謝できればあなたはいつだって抱きしめてくれるのね」
中山美穂さんの「ただ泣きたくなるの」歌詞の一部です。
547・548で書き込みした中の、大きな私からの課題クリアっぽいです。

548の書き込みをじわじわとずーっと後悔しててエゴの揺さぶりがきつくて、もう無理
わたし茶巾寿司になりたいから大きな私ちゃんは卵になって包んでー!とか思っていたら
突然頭の中で音楽が流れました。ああやっと解放された…きつかったぁ…。

551幸せな名無しさん:2025/12/10(水) 06:03:48 ID:BHoIVUQc0
>>546
スパムや商売禁止にしないと業者が大量の宣伝を連投するからだと思われます
他所ではそのせいでまるで機能していないスレも見かけます
あと高額セミナーに誘導など行うとトラブルの元になります
「潜在意識関連の良書・良サイトを紹介し合うスレ」で第三者を装って宣伝できてしまうので
明らかに商売を目的としているとか連投はダメという事でしょう
これらはあくまで憶測なので、詳細な基準は管理人にしか分かりません

552幸せな名無しさん:2025/12/10(水) 14:51:03 ID:qWLcZdW.0
度々の書き込み失礼します。りょうせいさんにお礼を伝えたくて。いつも頂くご返信
その時はピンと来なくても後で、あっ!この事か!となったりします。少し時間をおいてからの
読み返し必須でした。少し先の段階の事を書いて下さっていたんですね。有難う御座います。
絵もテーマと仰って頂きましたが本当にそう思いました。ずっと悲しみと慈しみの繰り返しでした。
悲しみが起き、慈しみが起き、悲しみは来ないけどゆるやかに下降して描けなくなった(悲しみ)
今回は思い返せばこんな感じでした。描けるようになったらそれが慈しみなのかも。
そして慈しみが起きると長風呂したくなりますね。笑
大きな私から「はい行ってらっしゃい♪」されるときついですが、もう無理…となるギリギリの所で
はいOKお疲れさまでした!と救い上げてくれるんですよね。そして癒しが以前よりも深まる。
本当に絶妙の飴と鞭です。笑

553り改め りょうせい:2025/12/10(水) 17:29:00 ID:hHTOIPhg0
>>542(2回にわけます)
時間は記憶及び先を思う思考が作る概念。以前こんなことを考えていたのに思い出さず、全然役に立ってませんでした。笑

→大丈夫です。以前のその考え・気づきは、
しっかりあなたの役に立ってます。笑
以前に蒔いた種のおかげで、思い出す回数も深さも自然に増えていますから。

>意識がここにあることはすぐに気づけるので、空間の束縛は弱いようです。
時間は単なる概念で、記憶への固執は絶賛解体中、>先のことを思う想念は起こるので、まだまだ束縛されてると言えます。

→ここ、とても重要なので補足しますね。
「先のことを思う想念」が起こる=束縛、ではありません。それを「束縛だ」と見なし、取り除こうとする癖があるとしたら、それがいわゆる束縛になります。

純粋意識そのものは「無思考でただ在る」
その純粋意識から放出される世界の動きは、どれもただ自然な運動として起こるだけです。
だから本質的には、想念が起こることすらも自然発生。もちろん束縛と思う感覚さえ、
それもまた自然発生的に起きているだけなんですが。

>数年前から身体や記憶を失う恐怖が出てくること、ループの体験、合点がいきました。

→そこはエゴにとって「物語の開始点」、
つまり、初めの同一化ポイントですから、恐怖が出るのは当然です。時間をかけるというより、時間がかかってしまうからこそ、根深い恐怖が徐々に確実にほぐれていくんですね。

>全ての出来事は純粋意識に定着していく流れの中で起きたことだと理解しました。

→まさしくその通りですね。
すべてに意味があり、すべては必然。
神や神々(つまりその流れとしての運動)への畏怖や讃えが自然に起こるのはそのためですね。

>私の興味は「心の形」から「心と世界の関係」「世界の形」へ、そこから最終的に「私という存在って何?」に移行して、真理探求が始まりました。

→私も似たような流れです。笑
とてもよく分かります。

>アドヴァイタは、それまでに私が体験を通して理解したことの答え合わせのようで楽しく読みました。その中で最大の衝撃だったのが「真の私はエゴではなく神(創造主)である」
あまりに完璧すぎる回答に感動で打ち震え、直後にあった最初の数々の体験も衝撃的。
ようこそいらっしゃいと完全に誘われていました。

→本当に美しい恩寵の流れですね。笑
その一連が「招かれた」としか言いようのないあの不可思議な感じ、まさにです。

554り改め りょうせい:2025/12/10(水) 17:30:07 ID:hHTOIPhg0
>>542
>きつい期間も1年ほどあったけど、乗り越えれば楽しいことの方が多かった。
「意識としての私」を体験した後のドロドロが次々に噴出した期間は長くて、全体の振れ幅も考えると楽で楽しいばかりとは言えない。
ただ個人的には楽しく楽だった印象の方が強いです。
辛い体験ほど忘れてしまえる性分のようです。楽観的なんでしょう。笑

→そうですね。
(これはあまり大きな声では言いにくい話ですが、)あの時期って、学生の卒業式みたいに
「振り返れば色々あったけど、今思えば全部良い経験だったな」と後からまとめてしまえるんですよね。私も初レスのとき、地獄をさんざん味わいましたw と書きましたが、同時に、ほんとは楽しさだって沢山あったわけで。
また、誰もが悪夢を見ても、夢から目覚めれば、「地獄は地獄ではなかった」と言えてしまいます。

>そして…今思うこと。
純粋意識であり尚且つ「それ」を想い涙したあの愛が起こったなら、そこから先に私が出る幕はありません。ジャンプ、超越は起こるのか?
起こるという信念が探求の門をくぐった時に授けられました。だから、ここまでやってこれました。

→その信念、確信のようなものがなぜかある。
私もそうでした。タイミングはどうであれ、
その信念さえあれば確実に起こります。

>一切を疑った時に一度失ったけど大丈夫です。人生は壮大なラブストーリーとして最後の幕を閉じるのでしょうね。先日と違い、感覚的イメージで理解できました。

→最終的には、これは、逆説的な表現ですが
「絶対に起こってほしい!!」という切望モードと、「不思議な落ち着き」が同時に共存しながら安定してきます。だからあなたは「激しく切望しながら」同時に「落ち着いていていい」
この二つが自然と同居することが、深まっていくでしょう。

>私の感覚を探しましょうというニュアンスのことを誰かに向けて書いていた
どのあたりのレスでしょうか?書いたかもしれないけど思い出せません。

→私も忘れました。笑 勘違いだったらごめんなさい。ただ、素晴らしいアプローチ方法を書かれていたという意味です。スルーでOKです。

>確かにこの手の矛盾に陥ってることは多いです。特に外から得た知識に頼ったり影響されると「そうしよう」「そうなろう」になりがちです。意図があるため、ふりをするはめになり、葛藤が起こり矛盾を抱えたままになる。

→その一連のエゴの動きを観照できていることこそ、純粋意識が「あなた(私)」として深まっている証拠です。

>エゴはとことん根深いですね、困ったもんです。ただ在ればいいだけなのに。笑

→そうなんですよねー。だからこそ、私の話も、どうしても「エゴとは何か」「どう働くのか?」の説明が多くなるんです。純粋意識の説明は実はとてもシンプルで、複雑なのはエゴの構造のほうですから。エゴ=個性(人によって、段階によって、全然違う)
純粋意識=無個性(誰でも共通)という違いがあるからですね。笑

>多くの人への対応に追われる中、毎回丁寧に返信していただき感謝しかありません。

→こちらこそ感謝です。

555り改め りょうせい:2025/12/10(水) 17:31:48 ID:hHTOIPhg0
>>543
これは少し誤解があるので補足しますね。

私は「これまで真理系の相談を、仕事として有料でやってきた」というわけではありません。
先ほど書いた有料になる部分というのは、どんな場所でも、個別に深く扱う内容は自然と時間や集中を要するので、もし今後そういう依頼があれば有料になる、という意味で書いただけです。
過去から商業的に真理探求系のガイド活動をしてきた、という話ではありません。

それと、このスレは何かに誘導する目的で立てたものではありません。
やり取りさせてもらう中で、私自身にもたくさん気づくことがあって、
「自分のサイトで真理系の記事に絞った方が書きやすいな」と思ったのも、ここで深いやり取りをしてみたからこそでした。

ここで何かを売るつもりもなく、読んでくださっている皆さんにサイトや活動を宣伝する意図もありません。ここは潜在意識ちゃんねるなので、すでに真理プロセスに入っている方や、必要としている方に何かが届けばいいな、そのくらいのゆるい感覚で書いています。

また、私自身の活動としては、今後もサイト制作や相談を受けていくことは続けると思いますが、こちらから誘導するつもりはありません。
もし縁があれば、その時に自然と出会うこともあるかもしれませんが、それ以上の意味はありませんので、誤解なく受け取っていただけたら嬉しいです。

というわけで、私は過去に長期の有料活動をしてきたわけではありません。
その点だけ、念のためお伝えしておきますね。

556り改め りょうせい:2025/12/10(水) 17:34:33 ID:hHTOIPhg0
>>545
→素晴らしい。このように、純粋意識が対象ではなく「私は在る」へと主体が移行すると、
質問そのものが静寂に吸い込まれて成立しなくなってきます。(※もちろん、雑談やご報告とは別ですが)

なぜなら「私は在る」は、いついかなる時も「私は在る」であり、
質問という動きを発生させている、母体そのものだからです。これが私の言う、「外側の現れを通して内なるグルへ還(かえ)っていく」という状態ですね。

そして「私は在る」は叡智そのものでもあります。つまり、それでバッチリです。

それでも、個にとって質問が起こることもまた自然にありえますが、
やがて「私は在る」によって質問は吸い込まれ、
表面的な「個の私(りょうせい)/個のあなた」という分離構造もだんだんと静寂へと溶けて、たとえ、会話の形を取りつつも、
実質「在る」としての「在り方の形態」を通しての、″起きごと″的な会話現象になっていくでしょう。笑

ご報告ありがとうございました。
また何かありましたらお気軽に書き込んでください。

557り改め りょうせい:2025/12/10(水) 17:35:58 ID:hHTOIPhg0
>>546
これはシンプルに、掲示板の文化と空気感 の問題ですね。
私自身も詳しいわけではないのですが、昔2ちゃんなどを見ている限り、個人の有料サービスへの直接誘導は「商用利用・ステマ扱い」になりやすく、スレの空気が荒れたり、誤解を招くことが多いようです。

もちろん私は、誘導目的でスレを立てたわけではありませんし、ここでも具体的な案内を出していません。

単純に、この掲示板は商業利用っぽい動きに敏感な方が多い場所なので、スレ全体を安全に保つための配慮として、私個人の活動に関しては控えめに扱っているだけです。
別に法律で禁止されているとかではなく、文化的なマナーに近いものですね。

必要があれば、自然な流れの中で出会う方は出会うでしょうし、こちらから積極的に宣伝するつもりも、スレを量産する予定もありません。
正直、真理系の内容でここまでスレが成り立つとは私も思っていなかったので、
潜在意識系と真理系は、やはりどこかで共通の流れがあるんだな、と興味深く感じています。
そんなところだと思います。

558り改め りょうせい:2025/12/10(水) 17:45:04 ID:hHTOIPhg0
>>549
いいですね。真理探求のプロセスが進んでいくと、そのように一人の時間が自然と増えたり、静かな時間が心地よくなっていきます。

孤独では、なくそれは、孤高です。笑
(もちろんこの流れは比較的って意味で、必ず探求者全員そうなるとは言えませんが)
ただ、わりと多くの方が、似たような流れに入り、同じような変化を感じるものだと思います。

はい、またタイミングが来たら、
いつでもお気軽にどうぞ。

559り改め りょうせい:2025/12/10(水) 17:46:53 ID:hHTOIPhg0
>>551
説明&フォローありがとうございます!助かります。

560り改め りょうせい:2025/12/10(水) 18:10:56 ID:hHTOIPhg0
>>552
>飴と鞭。笑

→ただ、恩寵のそれは「ご褒美と罰」というよりも、常に最適なものとして起こっていて、
そこに個の私たちの、解釈や反応が生じているだけです。(あなたの言わんとする表現も分かりますがね)
なので私は、螺旋階段のように、戻ったり進んだりを繰り返しながらも、確実に上へ進んでいくプロセスだとお伝えしています。

>エゴの支柱が折れて「今」に放り出される事は実感しても思考が止められない思考中毒。
>「今」のエネルギーが強すぎて気をそらしていないと焼かれて灰になりそうで。
>「今」にエネルギー負けしない方法って有りますでしょう

→思考はただ起こるものですよ。
「本当の私」が無思考なんです。
本当の私は「ただ、在る」という在り方ですから。

車が目の前で走る、鳥が突然空を横切る、
風がどこからともなく吹く、そして思考が起こる。
どれも、ただ起こる。同じ運動です。
世界を止めようとしても世界は動き続けているように、思考もまたただの動きとして起こります。

本当の私から、時間的な思考(過去・今・未来)や記憶的概念の想念が、ただ起こっているだけです。つまり、構図としては本当にただ、それだけなんです。

>りょうせいさんにお礼を伝えたくて。いつも頂くご返信その時はピンと来なくても後で、あっ!この事か!となったりします。少し時間をおいてからの読み返し必須でした。少し先の段階の事を書いて下さっていたんですね。

→これは個の私(りょうせい)がどうと言うより、恩寵というのは、本当に最適で、
まるでタイミングを見計らったかのように万事うまく働いてくれます。
もちろん私たち個の視点からは、まったくそう思えない時も多々ありますが。

なので、慌てなくて大丈夫です。理解というのは消化の時間がとても大切ですから。

慌てればマインドが動き回り、疲れ、休み、そしてまた心が落ち着いて探求が始まる。
このサイクルもまた、実にうまくできていますね。

561幸せな名無しさん:2025/12/10(水) 20:23:40 ID:CM8Jsn2E0
>>558
ありがとうございます o(*^◡^*)o

562幸せな名無しさん:2025/12/11(木) 06:14:22 ID:QIqBKJPA0
私は今、鬱気味で生きていても楽しくありません。
悟りを開くより、生き生き楽しく生きたい。

563り改め りょうせい:2025/12/11(木) 11:33:15 ID:.bTxRlNc0
>>562
もちろんです。生き生き楽しく生きたいという、その正直な気持ちを大事にしてください。
悟りや真理探求って、人生の喜びや楽しさを否定するものでは全くないんです。
むしろ、生きることが少しでも軽くなったり、自由に感じられるためのものでもあるんですよ。

そして、真理探求というのはしなければいけないものではなくて、ある種の人には、ただ、なぜか自然に起こってしまう流れがあるだけです。笑
だから、今あなたが感じていることを優先して大丈夫です。悟りの方向の探求が必要なら、その時には勝手に動きますし、必要ない時はそっと止まります。
あなたが少しでも楽に、心地よく生きられますように。無理はしなくていいですよ。

564幸せな名無しさん:2025/12/11(木) 17:24:17 ID:bzzPdXio0
>>563
レスをありがとうございます。
いわゆるスピリチュアル的に自分を見つめ、自分の深いところの感情に気づいたのはよいのですが、ますます辛くなるばかりで、一向に楽になりません。
生きる喜びみたいなものもしばらく感じられなくて、どんどん世の中から取り残されたような、無価値感や寂しさばかりが増えます。
これも幻なんだって頭ではわかるけど、無意識でいると直ぐに元に戻ります。
生きていることが楽しいとか、ワクワクを感じるにはどうしたら良いのでしょうか。

565幸せな名無しさん:2025/12/11(木) 17:35:27 ID:JhpTvdBg0
以前書き込まれていた、気やエネルギーの専門家の方はまだいらっしゃいますか?
もしくはりょうせいさんは丹田や気に詳しいでしょうか?

566り改め りょうせい:2025/12/11(木) 21:31:37 ID:mVJe0SWQ0
>>564
こちらこそありがとうございます。

まず大前提として、あなたが今つらくなっているのは「間違ったことをしているから」ではなく、スピリチュアル的な内観が、あなたの目的とズレているからです。あなたの場合の本音は「生き生き楽しく生きたい」「ワクワクを感じたい」という方向ですよね。

ところが、スピ的な自己観察は幻想を見抜き、心の正体を暴くという悟り方向のアプローチなので、苦しみが軽くなるどころか、今のあなたの目的には真逆に働きやすいんです。
だからしんどくなるのは当然の反応です。

>自分の深い感情に気づいても、ますます辛くなる>取り残されたような無価値感が増える

これは
「根本原因を探そう」「本質を見抜こう」
という探求モードの時に起きる典型パターンです。悟り・真理探求の方向というのは現象を変えることではなく、どんな状況でも「変わらない本当の私」を思い出す方向。

でも、今のあなたが求めているのはそれではなく、
「日常の自分を元気にすること」
「心の癖を整えていくこと」
です。

>これも幻なんだって頭ではわかるけど、無意識でいると直ぐに元に戻ります。

そうです。頭で「全部幻だ」と思っても、その 思う動きもまた幻側なので、犬が自分の尻尾を追いかけるようにループになります。
なので、あなたの場合は
・心の癖
・想念の自動反応
・無価値感や寂しさを生み出す思考の連鎖
これらを少しずつ整えていく方がシンプルに早いです。

生きていることが楽しい、ワクワクを感じられるようになるには、心のクリアな時間を日常で増やすことが必要です。苦しみが強くなるのは、
「自分は取り残されている」
「自分は無価値だ」
という想念が自動で起きて、
自分自身を破壊する方向に働くからです。

まずは、その自動反応に気づいて、
・その連鎖を少しずつ止める
・逆の方向(自分に優しい想念・楽しい方向・「自/他」双方に対しての慈悲)を育てる

これだけで確実に変わっていきます。

そして根本的には、心の癖は習慣なので、
一瞬でガラッと変えるより、1ヶ月くらいかけて反対側の習慣を育てるのが現実的です。

潜在意識板にいる時点で、あなたならお詳しいというか、メソッドも沢山知っていると思いますが、
私のおすすめは、祈り・マントラ・心の中でのつぶやきの反復など。
何度も繰り返し取り組めたり、唱えられるアプローチは効果があります。
ただし「こうしなきゃ」「正しくやらなきゃ」
という強迫観念的な、縛りが入るとワクワクは消えます。だから、比べない・急がない・自分を責めない。あなたはあなたのままで大丈夫です。起きることはどうあれ起きます。

ワクワクは探すものではなく、心がクリアになると、結果的に自然に湧いてきます。まずはそこからで大丈夫ですよ。

567り改め りょうせい:2025/12/11(木) 21:41:58 ID:mVJe0SWQ0
>>565
丹田や丹田呼吸という言葉は知っていますが、私自身はその分野にはあまり詳しくないですね。
おっしゃっている「気」が、気功やエネルギーの扱いの話でしたら、専門的には分からないところが多いです。

568幸せな名無しさん:2025/12/12(金) 00:23:46 ID:0ypzqGg60
>>565
私がそうですが、質問があるなら私じゃなくても誰か答えるかもしれないし
いるかどうかの確認なんて取らずに書いた方がいいですよ
それがコツです

569幸せな名無しさん:2025/12/12(金) 11:17:36 ID:/sfj21jw0
>>560
ありがとうございます。飴と鞭は表現が変でした。以前レス頂いた
「付着物を落とすための浄化のシャワー」こっちだと思いました。付属物=傷みたいに
お風呂に入ると痛くてしみるから脱走したくなるけどキレイになってさっぱりしたいから
又風呂場へ戻ってくる。愛のお風呂。風呂場へはおもちゃの持ち込み禁止(心に聞くを封印される)
入浴しっぱなしだと痛くて気絶しちゃうから休みながら、そんな感じかなと思いました。

ただ在るは雨の日の校庭みたいなものかなと。中学の頃に廊下の窓からただそれを眺めていたんです。
すると友人が来て「何見てるの?んー?何もないじゃない」と言われて
(えっ?こんなにもあるのに?)と思ったけどそれは言わなかった。あの時確かに、ただ在った。
そう思いました。ただ在るは静寂と共に、そこかしこにどこにでもあると思いました。

ところで、私にとっての本当の私と、友人Aにとっての本当の友人Aと、
他人である全然知らないBさんにとっての本当のBさんと、ガイドさんにとっての本当のガイドさん、
この本当の4人は同一のものですか?
そしてよく知らないままガイドさんとか言ってしまっていますが、「グル」「ガイド」とは
分かりやすく言うとどんなものなのでしょうか?検索するとグルメガイドとか表示されて
ちがーう!ってなっています。
そういえば千と千尋、お正月に金ローで放送されるようですね。恩寵だ〜!

570り改め りょうせい:2025/12/12(金) 22:00:52 ID:1bicpkWY0
>>569
>飴と鞭は表現が変でした。以前レス頂いた
「付着物を落とすための浄化のシャワー」こっちだと思いました。>付属物=傷みたいに
お風呂に入ると痛くてしみるから脱走したくなるけどキレイになってさっぱりしたいから
又風呂場へ戻ってくる。

→本当にそうですね。
私も真理探求者─地獄編だった頃は、笑
「これって飴と鞭じゃないか?」と思ったことがあったので、そう言いたくなる気持ちはよく分かります。

ただ、決定的な違いがあって。
飴と鞭には、どうしても「支配」や「コントロール」の意図が含まれますが、恩寵としての浄化のシャワーには、無条件の愛と慈悲しかないんですね。構造は似て見えても、前提にある理念がまったく違う、という感じです。

>愛のお風呂。風呂場へはおもちゃの持ち込み禁止(心に聞くを封印される)
入浴しっぱなしだと痛くて気絶しちゃうから休みながら、そんな感じかなと思いました。

→愛のお風呂。
いい表現ですね。まさにその感覚だと思います。無理に入り続ける必要もないし、
逃げたくなったら一度出てもいい。
でも、どこかでまた戻ってくる。
その自然な往復そのものが、プロセスなんですよね。

>すると友人が来て「何見てるの?んー?何もないじゃない」と言われて
(えっ?こんなにもあるのに?)と思ったけどそれは言わなかった。あの時確かに、ただ在った。そう思いました。ただ在るは静寂と共に、そこかしこにどこにでもあると思いました。

→そうですね。その体験の質、よく分かります。究極的には「ただ在る」という言葉さえも超えてしまうんですが、ただ在る、つまり意識そのものは、全く何もない「  」から、全宇宙を世話しています。神、全知全能、無限の可能性と言われるのは、そのためなんですね。

「ただ在る」というと、
何もせず、ぼーっとしていて、どこか無力で無能なイメージを持たれがちですが、
実際はその逆で、もっとも偉大で、すべての領域を内包している。その空っぽさゆえに、すべてが可能になる。最上と最低が同時に成り立つ、パラドックスのようなものです。

>ところで、私にとっての本当の私と、友人Aにとっての本当の友人Aと、
他人である全然知らないBさんにとっての本当のBさんと、ガイドさんにとっての本当のガイドさん、この本当の4人は同一のものですか?

→はい、同一です。
表面的には別々で、性格も役割も違いますが、
どれも真の主体の、異なる表現にすぎません。

>そしてよく知らないままガイドさんとか言ってしまっていますが、
「グル」「ガイド」とは分かりやすく言うとどんなものなのでしょうか?
検索するとグルメガイドとか表示されて
ちがーう!ってなっています。

→。笑
私の感覚では、グルは「伝達者・指導者」、
ガイドは「案内人」。細かく言えば違いますが、大枠ではほぼ同じ意味です。つまり、本当のあなたの方向へと導いていく「現れ」や「流れ」そのもの。
覚醒や目覚めの方向へ向かわせる働きですね。
それが、本当の私からの使いという意味での天使。
一方で、
「こっちに来ちゃダメだよ」
「こっちに来ると″偽の私″あるいは″概念や想念の森″に眠ってしまうよ」と、あえて警告として現れる存在もいます。
それが、いわゆる悪魔。悪魔は元々天使、いわゆる堕天使でしたよね。つまり悪魔もまた、反面教師として注意を促す働きのグルやガイドなんです。そのため私は、
「すべて恩寵」と、しつこいくらいに言っているわけです。笑 そして、スピ界でよく言われる「すべて愛」「すべてに感謝」
という言葉も、本来はこの構造のことを指しているんですね。

>そういえば千と千尋、お正月に金ローで放送されるようですね。恩寵だ〜!

千と千尋は、真理探求のスイッチが入った方なら、一度はぜひ、「霊的な眼で。笑」観てみてほしい作品です。ハートで観る。
本当の私として観る。その練習のような感覚で。
「本当の私に還るとは何か」
「エゴとは何か」
「恩寵はどう働くのか」
「仕事とは何か」
「目覚めと眠りとは何か」
そういったテーマを意識しながら観ると、
あなた自身のプロセスの流れを理解する助けにもなります。真理の栄養を摂取するような感覚で、ぜひ楽しみながら鑑賞してみてください。

571幸せな名無しさん:2025/12/12(金) 22:49:45 ID:g20uJtbU0
>>553
<先のことを思う想念は起こるので、まだまだ束縛されてると言えます>
前のレスでこれを書いた直後に、矛盾した変なこと言ってんなと思いました。
「エゴが抵抗する」は錯覚、心の反応が起こってるのに気づいてるだけと腑に落ちたはずなのに、コロッと忘れてしまう。
畏るべき創造の幻力、マーヤーですね。笑
無知な状態から真実を思い出していくプロセスを味わうことがリーラの醍醐味とはいえ、
完全な絶望、虚無の方がましとさえ思えるおぞましい領域に触れた時は、気が狂うかと思いました、ほんとに。よく耐えられたと思います。
でも、そうした体験があるから決着したときの喜びは大きいのかなとは思う。
目覚めた人は、その無上の喜びについて多くを語りません。言葉にできない領域のものとは思いますが…。
秘められた不思議だからこそ価値があり、探求者を惹きつけるんだろうと勝手に想像してます。

>>554
なるほど、学生気分がずっと続いてる感じはあるかなあ。笑 いつまでも気が若いと思います。
死ぬまで学びだからでしょうね。

最終的に起こるであろう、切望モードと落ち着きの共存。
無力感の中で起こる深い祈りと、必ず応えてくれるという安心の落ち着き。
これの更に深いレベルが、意識としての私の中で同時に起こっている感じかと想像しました。
純粋意識へ安定していくプロセスと、意識が超越に向かうプロセスは似ていると仰ったのは、このことでしょうかね?

572幸せな名無しさん:2025/12/12(金) 22:51:27 ID:g20uJtbU0
>>564
542です。
心の観察、分析は葛藤を生むので、そればかりだと疲弊します。頭に気が昇っている状態。
疲れ切ってしまった心を休ませるのが一番。心は頭にあり、意識は胸、ハートに在ります。丹田のことは知りません。
頭の力を抜いて空っぽ(真っ白)にし、ハート(あなたという存在、意識)をただ感じます。※感じようとしないこと。これは重要な注意点
頭に張り付いて観察する(意識が頭にある感覚)のをやめて、ハートを感じる。心(頭)を意識するのをやめて、意識をハート(胸)に降ろす感じ。
始めは胸に手を置いてやると効果的です。
うまくいかないなら、陽光を浴びながらネガティブな感情を手放すイメージで息を吐き出す。落ち着いてきたら上の方法を試す。
心が開放され明るく穏やかで心地よい気持ちになります。
りょうせいさんも言ってるとおり、直ちに変わることはありません。
暗い気持ちになったら、これを繰り返すことで在り方の癖が徐々に変わっていきます。
私が知ってるのは以上です。

573幸せな名無しさん:2025/12/12(金) 23:00:47 ID:Bv0frkzw0
>>566
度々ありがとうございます。
うーん、結局、真理の追求をしてもイキイキ、ワクワクな状態にはならない、という理解であっていますでしょうか。
心の癖を変えるっていうのも、心理学でいう認知行動療法みたいなものなんですかね。

574幸せな名無しさん:2025/12/13(土) 01:10:05 ID:7InUHdy.0
もう願望ごっことかうんざり
全てをやめたいって思ってここに来る人が多いと思います

575幸せな名無しさん:2025/12/13(土) 01:11:32 ID:7InUHdy.0
>>1
私はこのサイトの存在は知ってるけど願望実現?系に特化したサイトだと思ってました。

久しぶりになぜかのぞいたら、真理系のスレもあったので、真理探求に興味ある人もいるのでは?と勝手に理解してスレ立ててみました

とありますね

576幸せな名無しさん:2025/12/13(土) 11:52:46 ID:0F/9nrRM0
ああそういうことか。おかしいと思ってたんだよね。問いの多くが作文臭いし答えはAi臭い。あのさ結婚して子供ができて「過去にこだわらず幸せを噛み締めてほしい」なんて会話しないよ。結婚=金策の日々です。

577幸せな名無しさん:2025/12/13(土) 13:44:40 ID:vIPg5gpQ0
難しい話じゃなくて、脳が自動的に決めてるから自由意思がなくてロボットと同じ
植物みたいに脳がなくても勝手に成長するみたいなものもいるし、自分なんて幻想

578り改め りょうせい:2025/12/13(土) 14:06:05 ID:wk0W2ILY0
>>571
>前のレスでこれを書いた直後に、矛盾した変なこと言ってんなと思いました。
>「エゴが抵抗する」は錯覚、心の反応が起こってるのに気づいてるだけと腑に落ちたはずなのに、コロッと忘れてしまう。

→あなたに起きてくることは、「思い出す速度が早くなる」ことです。
あなたと私は純粋意識という共通項をもとにこうして会話が起きているから、比較的、以心伝心がスムーズですが、普通は人生体験を通して少しずつ観照の力、気づきの力が育っていきます。あなたの場合書いた直後に気づけたのだから、それで全然問題ないんです。

>畏るべき創造の幻力、マーヤーですね。笑

→そうですね。笑
意識はいつまでも存在したい、存在愛、自己愛がとめどないからね。
歴代の聖者たちはしっかりとマーヤへの対応のコツを伝えてくれました。
「右頬をなぐられたら左頬も差し出せ」
つまり、幻想は本来非存在ですから、
嫌う、戦う、どうにかしようとする、排除しようとする、こういう扱いは幻想を活発化させるだけです。そのため、純粋意識にとどまる。
あなたに必要なことは、それだけです。
なんてシンプルなんでしょうか。笑

>無知な状態から真実を思い出していくプロセスを味わうことがリーラの醍醐味とはいえ、
完全な絶望、虚無の方がましとさえ思えるおぞましい領域に触れた時は、気が狂うかと思いました、ほんとに。よく耐えられたと思います。

→これもしつこく繰り返し説明しますが、
完全な絶望は、完全な希望です。
完全な虚無は、全部・すべてを包容しています。
エゴが1ミリでも偽主体として生き残っていると、完全性なのにもかかわらず、
不完全性としての錯覚が可能になるんです。
それもある意味で奇跡なんですがね。
この奇跡が成り立つこと自体、マーヤの驚くべき魔術・イリュージョンです。

>でも、そうした体験があるから決着したときの喜びは大きいのかなとは思う。
目覚めた人は、その無上の喜びについて多くを語りません。言葉にできない領域のものとは思いますが…。

→そうです。言葉は概知であり、二元性だから、
つまり決着自体を、対象としてとらえてしまいます。
しかし、決着とは真の主体側そのものであって、
「対象としての一時的な現象である→エゴ」
からしたら純粋意識や、それも超えた真我は未知なんです。
未知のものを言葉にしても誤解を招くだけだから控えめにせざるを得ないんです。
先入観が、真理探求者にとっての概念的障害になるから、そういう意味合いからの配慮もあるでしょうし。あとここが、潜在意識板だからってのも大いにあります。笑

>秘められた不思議だからこそ価値があり、探求者を惹きつけるんだろうと勝手に想像してます。
→それが他でもない、真のあなただから、決着するまでは、惹きつけられ続け、吸引され続けるのです。

>なるほど、学生気分がずっと続いてる感じはあるかなあ。笑 いつまでも気が若いと思います。死ぬまで学びだからでしょうね。

→真理探求とは、帰還なんですね。
物心つく前の記憶の残り香があるからこそ、
帰還しようと思う。
真理探求者のみなさんは根が純粋で気質が若い方が多いんじゃないかと思います。笑

>最終的に起こるであろう、切望モードと落ち着きの共存。無力感の中で起こる深い祈りと、必ず応えてくれるという安心の落ち着き。
これの更に深いレベルが、意識としての私の中で同時に起こっている感じかと想像しました。
純粋意識へ安定していくプロセスと、意識が超越に向かうプロセスは似ていると仰ったのは、このことでしょうかね?

→まず、個の私という催眠から目覚めて、
純粋意識の私を思い出す。
それから、純粋意識の安定と深まりが、
エゴとの同一化を燃やし尽くします。
そして、純粋意識として、全体意識の私を思い出す。これが不二一元論の方面だと、
アートマンとブラフマンは同一である、の智慧ですね。そして、最後はあらゆる時間と空間のすべての夢から、卒業していくんです。同時に、それがすでに不変で不滅の唯一のあなたですから。

579り改め りょうせい:2025/12/13(土) 14:24:53 ID:rsGiH.Sc0
>>573
イキイキやワクワクってのは、いくつかの条件が重なったりあるいは偶然によって、ただ起こる時に起こるものなんですね。
真理探求の道は、思考や心、感情をコントロールしてどうにかする方向ではなく、何があっても変わらない私を探し、見つけ出す方向です。

真の私とは一体なんだろう?
自分や世界って、そもそも何なんだろう?
なぜ人生という体験が起きているんだろう?

こうした問いが内側から止まらなくて、なぜか自然と探求してしまう。そんなタイプの人向けの話なんですね。もちろんこれは、どっちが正しい間違い、良い悪いじゃなくて。

580幸せな名無しさん:2025/12/13(土) 17:55:40 ID:C0d3vikQ0
>>567 >>568
返信ありがとうございます。

人生に行き詰まりを感じ真理探究を始めてから、元来のネガティブ気質がさらに悪化しました。
過緊張、イライラ、反芻思考、自責、他者との比較…常に交感神経優位で生きている感じでした(今思えば)

セドナメソッドなどの観念浄化ワーク、思考停止、瞑想、ネドじゅんさんのエレベーター呼吸など何をやっても変化なく。
ですが、丹田呼吸や丹田歩行、スワイショウなどを始めたところみるみる気力が湧いてきました。
(瞑想やエレベーター呼吸が効かなかったのは、みぞおち辺りが緊張していたせいかも?)
自己否定的な思考や虚しさが静まり、徐々に世界との分離感が消えてきてワンネスを感じられるような出来事が起きてきました。

あくまで独学による実践なので合っているか分からないけど、身体が緊張して気が弱かったから生きづらさや分離を感じていたのかな?と思うくらい、身体を変えることで諸々変化を感じています。
質問というより感想になってしまいましたが、「身体が変わる⇔心が変わる→世界(反映?)が変わる」ということなのでしょうか?

581幸せな名無しさん:2025/12/13(土) 18:23:10 ID:ydeowj7U0
うーん、なんというか
このスレは真理探求の先に何か甘いものがあるようなワードが並んでるね
非二元はそこに幻想を抱きやすいなと思う
私も昔は甘い幻想を抱いていたし、実際甘かった期間もある
しかしそこにどっぷりハマった後に突然放り出される
そこからが真の探求になるよね

582幸せな名無しさん:2025/12/13(土) 19:14:21 ID:qgYFmglE0
その甘いものが人間として手に入れられるものだと思ってたなら単なる幻想でしかないよね
手にすることは決して出来ないから放り出されてしまう
真の探求は何かを得る道ではなくて偽物を手放していく道だから
より良い人生を追求したい人には縁のないが真理探求

583幸せな名無しさん:2025/12/13(土) 23:00:36 ID:d7oBHYv20
>>580
>丹田呼吸や丹田歩行、スワイショウなどを始めたところみるみる気力が湧いてきました。
へー、面白いですね。私はそういう気功もやりましたが大して効果なかったです、瞑想ばかりでした
意識の深いところに問題があり瞑想的な方法が適していたのだと思います
貴方がやっている気功は「動功」といって肉体を物理的に健康にするやり方です
虚弱な人には特に効果があるでしょう。逆に霊障とか霊的因縁には効きません

>真理探究を始めてから、元来のネガティブ気質がさらに悪化しました。
浄化は基本きついもんで、私もそういうもんはバンバン出てきます
精神だけでなく体調も悪化します、気は消費されるものだから
邪気を消費するなら、その分の何かが確実に発生します
もしくは単純にあってなくて「そっちの方向へ行くな」という警告かもしれないですね

私のケースだと気や霊的成長をすると浄化で非常にきつくなる
浄化がストップしてると凄く調子よくなるけど、それは困る
貴方のケースは単に真理探究があってないだけか、やめると浄化が止まって気功で気を高めるから調子いいのか、ちょっと判断できない
浄化はやりたくなくても(私の場合は)勝手に発生するんで
調子よくなる事をやり続けても具合悪くなってきたらそれは浄化かもしれないです

>「身体が変わる⇔心が変わる→世界(反映?)が変わる」ということなのでしょうか?
それは勿論そうです、心が変わる時、肉体も変わっている筈です

584幸せな名無しさん:2025/12/13(土) 23:02:16 ID:7InUHdy.0
願望実現を目指すスレは他にいくらでもあるしね

585幸せな名無しさん:2025/12/14(日) 02:23:22 ID:3NbR9RUM0
>>570
いつもありがとうございます。心を静めて、ガイドさんの本体に意識を向けて
「ただ想う」のをやってみたのですが、気付きが有りました。
ただ想う時は、好きor嫌い、時間、場所を超えている感じがしました。

胸の辺りでただ想うに集中した時、透明な言語化できない感じに気付いた後
そのまま居たら、エゴが起動した為か、かすかな淡い恋心みたいなものが湧いて、はじけて
少しくすぐったいような感覚の心地良さと、甘い花の香りに包まれました。
(そんな香りの物は実際には無いのですが、本当にすごくいい匂いが感じられたんです。)

そしてこれを書いていると、子供時代の私が、やだやだ恥ずかしい!って
ずっと言ってる感じがするんですよね。ああ、やっぱりあなた、そうだったんだね。
自分の中にこっそり居たのを見付けちゃいました。
素直になって大丈夫だからね。今の私がしっかり受けとめて抱きしめてあげるから。

そして自愛の本質がこの「今の私がしっかり受けとめて抱きしめてあげる」である事にも気付きました。
ガイドさんの導きが凄くてあの人の本体がガイドである事を認めざるを得ません。(チクショー!笑)
でもガイドさんの本体も実は本当の私と同一なんですよね。何故あの人の中にそれを見つけたんだろう?
やっぱり腑に落ちないけど恩寵のみぞ知る何かなのかも知れません。

癒しが起きたことや気付きの事を書いてしまったので、話がそれてしまいましたが
ただ想うは無色透明でつかむ事の出来ないものでした。言語化も出来ません。
エゴが言語化すれば「好き」になるとは思うのですが、実際それじゃない感じです。
言語化すると決めつけや制限や浅くなってズレてしまう気がしました。

そして胸の真ん中あたりの部分が重要な気がしました。
この辺が「お家」ですね、きっと。ここに意識を向けると良いような気がしました。
お家というか、休憩スペースというか、椅子というか…玉座?
本当の私の為の場所?

今回の恩寵のシャワーはとても心地いいものでした。無条件の愛の方だと思います。
抵抗しなければ心地良いシャワー、抵抗が強いと痛くてしみるのか、今回はたまたま心地よかっただけか。
しかし気付きから時間を空けて書いていると(ちび私が恥ずかしがるので書けなかった笑)
何だか全部夢みたいに感じられます。何もないのにある夢。あるけどない。不思議な気持ちです。
味わって満足すると消えてしまうのかな?これもただ起きただけ、なのかも。

グルやガイドの言葉の説明や、千と千尋の注目ポイントも教えて下さり、ありがとうございました。
今回もまた頂いたレスをじっくりゆっくり読ませて頂こうと思います。
本当の私として観る。←この言葉から今回の癒しが起きました。まさに恩寵です。
いつもありがとうございます。

586幸せな名無しさん:2025/12/14(日) 08:03:38 ID:cwqFHUSU0
真理に到達することが願望になっている人たちのためのスレかと

自分の場合は、現世利益的な願望と真理の両方だけど

587幸せな名無しさん:2025/12/14(日) 08:13:55 ID:C.MVuQik0
結局真理を得た者の願望は叶うのか叶わないのか。どっちなんだい?
この願望というのは個の視点での願望です。
意識レベルで既にあるのは分かってる。

588幸せな名無しさん:2025/12/14(日) 08:42:22 ID:pe/XYxOQ0
>>579
ありがとうございました。
もやもやしていたものがちょっと晴れました。
悟りを開くことと、生き生き、ワクワク生きることは必ずしも両立しないということですね。
前から何となく感じていましたが、それをはっきり言っていただいて良かったです。
いわゆる悟りを開いた、と言われる方々を見ると、あるいは話を聞いてみると、正直、例えば子どもが将来なりたいものの対象になるかというと、少し違うと思っていました。
もっとハッキリ言うと、悟りを開いた方々は、必ずしも現実的に「幸せ」になっていない。
ただ、「平和」にはなっていらっしゃると思います。
悟りというのは夢の実現により幸せになるためのツールではなく、苦しみに対処するためのツール、というか対処できるようになった状態をいうのかもしれません。

ただ私個人的には、人間に快と不快という感覚が備わったことには意味があると思っていて、快や不快を超越して涅槃の状態に入ったら人間として生きている意味って何なのかなとも思う。
願望実現=快というプログラムが人間に設定されている以上、快を追求するのが自然の理。
ポイントはむしろ、その快の本質(私はどうしたら心の底から嬉しいのか)に気づいて、願望を間違えないこと、適切な願望を持つことじゃないかと思いました。

私の場合、究極の快は「自分に満足すること」でした。理想の自分に程遠い現状に鬱っぽくなり、無気力にもなりました。おそらくここで、理想の自分になれない自分を許したり、理想の自分にこだわる自分を手放す、という悟りのプロセスが一つの有効な手段なのだと分かっているのですが、それも難しく、どっちつかずになって結局、不幸になっているのかもしれません。

すみません、一人語りで話がだいぶズレましたが、ここまで辿り着いたのもりょうせいさんとの対話のおかげです。ありがとうございました。

589幸せな名無しさん:2025/12/14(日) 10:40:24 ID:3NbR9RUM0
>>570
585です。一晩眠って「本当の私として観る」が掴めたかも知れません。
例えば子供向け作品は「子供騙しな内容だと人気が出ない」とか言われているんですけど
彼らは本当の私として心の目で観ているからなんでしょうね。ただ本当の私として
心の目で世界を見ながら生きていると成長と共に不自由が生じてくるから封印しちゃう。
以前友人に「大人になってもトトロが見えるような心でありたかった」と言ったのを思い出しました。
探求はそれを目指していく道なのかも知れません。

590幸せな名無しさん:2025/12/14(日) 10:43:42 ID:cwqFHUSU0
>>556
こちらこそ、ありがとうございます!

この潜在意識関連界隈でも時々起こることですが、疑似「宗教の教祖と信者の関係」、つまり

教祖=わかっている人
信者=わかっていない人、信じる人

となりがち。

本当にわかっている人なら、自らを権威化・絶対化せず、その方法を独占しないで公開し、人々が自分と同じ認識を独力でできるようにすべきだろう。

また、本当に真理を探求している者なら、誰かを絶対化したり依存したりして信じるという立場にならず、その誰かと同じ認識に立つことを目指し、自分がその認識に到達するまでは正しいと信頼している人のいうことであってもあくまで参考にし、自分で実際に認識に到達してから、その正誤判断をするという姿勢をもつべきだろうと思っていて

このスレも、りょうせいさんに頼って質問ばかりして・・・

なんてことを少し前まで感じていました。

そして「私は在る」という方法を提示してもらったのに、なぜ質問が起こるのだろうと思っている部分がありました。

しかし、「私が在る」を観想し始めて時が経つにつれてそうした想い、感じも消えていきました。

私が在る。何も引かない、何も足さない。

591幸せな名無しさん:2025/12/14(日) 12:48:00 ID:Uzt0YJgc0
>>583
ありがとうございます。

>へー、面白いですね。私はそういう気功もやりましたが大して効果なかったです、瞑想ばかりでした
そうなんですね。私は瞑想するとかえって反芻思考が止まらなくなっていたのですが、丹田呼吸などを始めてから瞑想もできるようになりました。
なんかもうほんとに頭がガチガチだったのかも。

>浄化はやりたくなくても(私の場合は)勝手に発生するんで
私は真理探究や観念浄化で生きづらさを解消したいという下心ギラギラでした。
霊的成長というのも体感したことはないです。
何か勉強のように、目的を持って意欲的努力的にやっていたような気がします(^^;

身体が変わってきたら、真理探究に関しての興味も薄れてきました。
(と言いながらここに来たのは、初めの頃にりょうせいさんと数回やりとりして、スレの雰囲気がいいなあと感じたから)
緊張が解れるとともにコントロール欲求などエゴに気づきやすくなり、思考がどんなに分析や不幸を選択しても、身体は自然と幸せに向かうというか幸せであるように感じました。
作為をやめて受動であればあるほど気が入ってくる、起こってくる体感があります。

592り改め りょうせい:2025/12/14(日) 13:26:39 ID:JDjWrsVc0
>>580
>質問というより感想になってしまいましたが、「身体が変わる⇔心が変わる→世界(反映?)が変わる」ということなのでしょうか?

(長くなったので、2回にわけます)
→身体へのアプローチは、とても大切だと思います。真理探求の世界では、ときどき
「身体はエゴとの同一化の最も根深い部分だから、切り捨てるべきものだ」
というような、やや苦行的な方向へ進む方もいます。むろんそれ自体が最適に起きていて、真理に還ろうとする情熱の結晶化であるなら、否定されるものではありません。
ただ、これはもう何世代も真理探求を重ねてきたような、いわばベテラン向けの道だと考えてください。笑
多くの人にとっては、むしろ逆が自然です。

ご自身に合った食事を、常識の範囲でバランスよく摂る。身体に入る栄養は、心の潜在的な傾向や、想念の向きにも確実に影響します。
個人的には、この点は過剰に神経質になる必要はなく、「普通に大切にする」くらいで十分だと思っています。

また、根深い感情やトラウマが、身体感覚として詰まることもよくあります。あなたが書かれていた、様々な感情解放や呼吸法のアプローチ。
これは、人によって実際に効果が出る、とても優れたアプローチだと思います。

少し整理して言うと、
個も含めて、世界は「想念」として現れています。本来、想念の理想的な状態というのは、
流れが滞りなく、ただスムーズに起き続けることです。子供の頃誰もがそうだったように。

ところが、エゴの同一化システムが強固になっていくと、「エゴ=私のもの」として確立したいがために、流れを掴もうとしたり、何度も取り出したり、拡大しようとしたりします。

つまり、「ただ起きる」「ただ起き続ける」
この流れ・フローに対して、
「全部、私のものだから私も参加させろ」
と爪痕を残そうとするわけですね。笑

そのために、明け渡し、手放し、というアプローチが生まれます。これは真理探求的な壮大な明け渡し、手放しじゃないにしても、
日常的なアプローチとしても、全然活用されてますよね。
一般会話でもあると思います。
「やることはやった」「あとは、もう天に任せよう」このような会話がね。

593り改め りょうせい:2025/12/14(日) 13:28:24 ID:JDjWrsVc0
>>580
>質問というより感想になってしまいましたが、「身体が変わる⇔心が変わる→世界(反映?)が変わる」ということなのでしょうか?

→真理の視点から言うなら、想念をあえて「物質」だと仮定してみてください。

粗大で、大きくて、硬い想念。
中くらいの、感情や感覚としての想念。
微細で、日常生活に必要な思考やマインドとしての想念。

身体は、かなり粗大な想念です。
感情や感覚は、中くらいの想念です。
思考は、より微細な想念です。
世界も、同じ構造で成り立っています。
つまり、世界も想念です。

だからこそ、以前書いたように、
祈りやマントラ、日常の呟きの意図は、
「すべてが至福に包まれますように」
「すべてに幸あれ」
「世界全体が光に満たされますように」
と、世界全体(人生全体)の想念をやわらげる方向に向かいます。世界全体の中に個の過去・現在・未来も含まれていますので。

これだけで、基本的には成り立ちます。
時間はかかるかもしれませんが、とてもシンプルです。

潜在意識の分野、たとえばマーフィーの教えなどでも、結局は、
「淡々と、シンプルなことを、継続する」
という話に行き着きますよね。
(私の潜在意識の知識は、ほぼマーフィー由来です!笑)

分離的な思考に入ると、何年も構造分析に没頭することもできます。でも、アプローチやメソッドを頭で分析するより、シンプルなことを淡々と続ける。
もしくは、メソッドも辛いなら、
「ただ在る」「存在にとどまる」
これを深めたほうが、許しや、自己愛も含めて、体感的な理解は早まります。

あるいは、明け渡し、手放し、すべてを「真の主体」に返していく。これも、想念との同一化を、想念が放出される以前の静寂へと戻す行為です。

なので、かなりシンプルに言えば、
不幸せ系・破壊系の想念をリピートする癖があるなら、
幸せ全体系(平和全体系)をリピートする癖へ、
少しずつ移行していく、というだけの話です。

ただし、これらすべても「ただ起きている」
そうでしたね?

おすすめは、幸せ全体系の想念をリピートすることですが、すべての流れそのものは、
自然に起きてしまいます。止められません。
行為も思考も癖も起きてしまいますから。
やれるかどうかも、ただ起こるか起きないかのどちらかです。

だからこそ・・
祈りが起きる。
こうしたいのに、それすらできない。
行為も思考も継続するかどうかも、100%コントロールできない。
逆説的ですが、どうしようもないからこそ、
祈りが起きます。

祈りは、大きな慈しみであり、
同時に大きな大悲です。
ネガティブ気質が悪なのではなく、どうしようもなくネガティブ気質が起きてしまう。
起きることは起きるから。
それに反応してしまうことさえ、どうしようもなく、止められない。
だからこそ、祈りが起きる。あまりにも、何もかもコントロールできないから。

そのため、祈りは個が「する/やる」メソッドではなく、個を超えた深いところからただ起きてしまう、非個人的ところから発動する、
なにかなんですね。
だからこそ、はからずとも個の根深い想念との同一化を溶かしていきます。

そして、そんな中で、ふと、ある時から
世界が少しずつ微笑みを見せるようになっていく、かもしれません。
つまり、すべては結果論なんですね。
個が「狙い通りやってやった!!」
ではなく、はからずとも、
あれ?・・前の自分(地獄期・モヤモヤ期)
どんなんだっけ?みたいなね。笑
「あなた最近なにか良いことあった?」
「え、そうかな?まあ、言われてみれば・・」

こんな感じなんです。

594り改め りょうせい:2025/12/14(日) 14:17:19 ID:JDjWrsVc0
>>581
ご意見ありがとうございます。
私個人の視点では、ある種の人は、真理探求する流れのようなものから「呼ばれてしまう」ことがあるように感じています。
そのタイミングやきっかけ、形は本当に人それぞれですけど。

また、あなたの言う通り、真理探求はプロセスが進むにつれて、決して甘い道ではなくなる場合も多々あります。

ただ一方で、その反動として、度を超えた苦行的な方向へ振れてしまうことも起こりやすい。
(私のケースがそうだったように)
なので、「苦しむことそのもの」をどう扱うかは、少し慎重になる必要があると思っています。真理実現が目的であって、その過程の苦しみは、あくまでも過程ですから。

また、甘いか、苦いか、その配分も、個の気質や人生の流れによって本当に様々です。
それと、人生体験として、いわゆる願望実現的な領域をある程度やり尽くし、未練が少ない状態の方が、結果的に真理探求へ集中しやすくなる場合があります。
(これも、私が真理探求に入る前にそうだったからです)

そういう意味で、私は誰にでも真理探求を勧める立場ではありませんが、どうしても発心が止められないタイプの人、あるいは今後そうした流れが自然に起こり得る人に向けて、なにかしらの「種」としてこの場があればいい、なので、興味があればご意見や質問をしてくださいというスタンスですね。

また、プロセスの進み方や、向いている修練法、起こる出来事は本当に人それぞれなので、
「必ずこういう流れになる」と前もって断言することもしません。

ただ正直なところ、できるなら、個の私自身が通ってきたような遠回りのプロセスや、
いわゆる地獄・煉獄のような段階は、
少しでも短縮できたらいいな、という意図や気持ちは少なからずありますが、
最終的にはそれぞれの流れ次第ですし、
私も言葉を通してのやり取りですから、もちろんこれが完璧なレスや返信だとも思っていません。

ただ、真理実現とは。
エゴは恐れるが、決して怖いものでもない、という部分と、真理実現自体の真の動機は、
幸・不幸を超えた、至福に還るためのものだと思っています。
なので、「幸せになりたい」「だから本当の私に還りたい」という欲があること自体が、間違っているとも言えません。

そして、恩寵というか、真理実現に向けての流れそのものは最適に進み、起こることはどうあれ、最適だと何度もお伝えしているだけです。

595幸せな名無しさん:2025/12/14(日) 14:20:35 ID:/Y17.50s0
>>578
>「思い出す速度が早くなる」ことです
これは、なるほどと思いました。忘れてしまったことより思い出したことに焦点を当てると、前向きになれます。

完全な絶望、完全な虚無はエゴの反応で錯覚でしかない。実際は純粋意識に触れていたのにエゴが起こした錯覚により拒絶していただけなんですかね。
あの猛烈な拒否反応はエゴが消滅を恐れるほどに追い詰められていた証拠なわけですか。
一方で、好ましい体験として与えられる霊的啓示は、プロセスが順調に進んでること示してくれるし願ってもないご褒美でもある。
いや、もっと深い意味が隠されてるかもしれない?
今こうして俯瞰する側にいると、この二元の世界で起こっている夢物語はつくづく不思議で見事で感心します。笑

語れないものを語ってしまうと、誤解を招くし要らぬ執着を呼び起こす。これは理解しています。
ここでは話をしたい衝動がありますけど、私の修練は基本的に沈黙(在るだけ)で十分、他に何も要りません。読むことも喋ることも聞くこともすごく少ないです。

>意識はいつまでも存在したい
そうなんです、存在していたいんです。それで、リーラを鑑賞していたい。
その物語は錯覚(エゴ)があってこそなのに、目覚めたいと思い、ただ在ればいいとなる。
訳が分かりません。何か変なこと言ってますかね?自分で言っててよくわからない。笑

う〜ん、やはり純粋意識から先の話は分からないので、言われたことは心に留めておくだけにしておきます。笑
アートマンとブラフマンについては違うのか同じなのか、そもそも区別する境界があるのか、本当に分からないので…。
エゴから純粋意識へのシフトのような明確な違いがあるのでしょうか?
個人的には、なんかゴチャゴチャ言われてるみたいだけど分ける必要あんの?と勝手に思ってスッキリしています。笑

596り改め りょうせい:2025/12/14(日) 14:22:23 ID:JDjWrsVc0
>>582
それはそうですね。
ただし、真理探求者の流れや運命によっては、
一般的な生活を続けながら探求が進んでいくタイプもいれば、いわゆる世俗を放棄するような流れになるタイプもいます。

また、元大悪党のような人生を歩んできた人もいれば、元々博愛主義的な気質の人もいます。
思想や宗教、身分や立場とは関係なく、
純粋意識そのものは誰もが共有しているものですし、超越という現象も、因果関係に基づく努力とは別の次元で、誰にでも、ただ起こる可能性があります。

真理実現者の中でも、その後の生き方や現れ方は本当に様々です。だからこそ、真理そのものの在り方は、とてもシンプルで誰に対しても開かれた可能性として存在しているんですね。

結局のところ、興味や関心があるか、ないか。
それだけとも言えます。笑

597幸せな名無しさん:2025/12/14(日) 14:26:19 ID:cwqFHUSU0
>>590 誤記訂正です。すみません。

「私が在る」→「私は在る」

598り改め りょうせい:2025/12/14(日) 15:01:23 ID:JDjWrsVc0
>>589
>一晩眠って「本当の私として観る」が掴めたかも知れません。探求はそれを目指していく道なのかも知れません。

→はい。「本当の私として観る」と「本当の私として在る」は、次第にイコールになっていきます。というのも、「在る」というのは、
ただ存在しているという意味ではなく、
存在・気づき・認識をすでに備えた在り方だからです。そのため、いわゆる本当の私から個へと流れてくるインスピレーションや叡智的なものは考えを介さず、瞬時に伝達されます。
いわば第六感的な理解ですね。

ただしここで注意があって、個の私が「もっとインスピレーションを得たい」「何かを受け取りたい」
という目的を第一にして本当の私にとどまろうとすると、逆に、個の私が想念をぐるぐると弄ぶ形になりやすいんです。お分かりでしょう?
あなたも、少しずつその感覚が浸透してきていると思います。笑

こうした直接的な理解というのは、
起こるときには自然に、最適なタイミングで起こります。
だから、「起こそう」と構えすぎず
そういうスタンスで捉えておくといいでしょう。

基本的には、慌てず、強迫観念的に探求せず、
日常を第一に生きていくこと。
気づいたらプロセスも進行していて、
結果的に、しずかーに少しずつ本当の私が立ち上がってきて、深まってくる。
あなたの場合そういった線で、個の日常の癒しも忘れずに深めていかれるといいですよ。

599り改め りょうせい:2025/12/14(日) 16:11:09 ID:JDjWrsVc0
>>590
この話は、いわゆる悟った人・覚者と呼ばれる存在についての理解が関係していると思います。
(私の言う悟った人とは、純粋意識を体現した個人のことです。)

この段階では、その人は「ただの個人」ではなく、意識として在る人、という立ち位置になります。だからこそ、「純粋意識とは何か」を伝える者として機能すること自体は、構造的には可能になります。

というのも、その個人は、原因と結果のプロセスを経て、いわゆる長い探求や修練の結果として、悟りに至ったわけですから、
「教える者/教えられる者」という関係性として世界で機能すること自体は、必ずしも間違いとは言えないんですね。そこで信者や信奉者が増える、増えないもただの現象の現れ方の違いなだけです。

もちろん、ここには別の問題もあります。
体現したとエゴが偽るケース、
エゴが肥大し、妄想や魔境に落ちた状態で教えてしまうケース、
スピリチュアルエゴによる共依存構造、
また霊感商法など、
そういったものとは、まったく別の話です。
(これはいつの時代でも起きてきたことで、同時に、その失敗や違和感がきっかけとなって、最終的に「内なるグル」を信頼する流れに戻っていく探求者も多いですね)

ただ、そうした問題を除いた上で、
純粋に「悟った者が、人々に悟りを伝えようとする」こと自体は、世界の中での一つの役割として、正しく機能している側面もあります。

実は私自身も、かつては同じように私は悟った。覚者になったのだ。と考えていた時期がありました。たしかにその頃は、知人たちに対して、積極的にそうした話をしていたこともあります。笑
悟りを教えて、悟りに興味を持ってもらうために、ですね。

ただし、超越というのは、最終的に
「個が悟った」というストーリーそのものを消滅させてしまいます。超越という真の立場は、夢が一度も起きていない領域だからです。
つまり、原因と結果が完全に成立しない領域なんですね。

そのため、その地点から見ると、
「教える/教えられる」という構造自体が成立しなくなります。悟った者も、迷いの者も、どちらも消滅しているからです。

だから私は、興味のある方に対して、
「世界の大枠の流れ」や「エゴ・個の構造は、構造的にはこうなっているよ」
という説明はしますが、
「これをやれば間違いない」
「それは間違っている」
「あなたも悟るべきだ、悟りましょう!」

といった強い断言や方法論は、ごくシンプルなものしか提示していません。そして最終的には、すべてをお相手の恩寵の流れと、内なるグルに委ねています。あなたの言う通り、仮に一時的に依存が起きたとしても、目覚めさせる叡智があるのは恩寵や内なるグルであって、
個としてのりょうせいは、伴走者として話を聞き、ただその場で起きる必要なことを伝えるだけ、笑
という立場です。

また、
「私は在る」
「純粋意識にとどまる」
「真の私に明け渡す」
といったことは、直接的に体験してもらうための、もっともシンプルな提示ですが、
人によっては、非常に難解に感じられる場合も多いです。これは本当にそうなんです。

そのため、繰り返しの質疑応答が起こるのも自然なことだと考えていますし、
何度も聞かなくていいように、
純粋意識とは何かを、さまざまな視点から説明するブログ記事を、少しずつまとめてはいます。

ただ、扱っているテーマがテーマだけに、
正直かなり手こずっていて、時間もかかっています。それに、私は人の何倍もネット関係に弱いのでどれくらいかかるかもわかりません。笑

なので、そういう意味でも、
ここでの質問はとても参考になっていますし、
「個」や「世界」という領域から、
どうすれば純粋意識が比較的、理解されやすいのか、そのヒントとしてありがたく受け取っています。

その意味で、書き込んでくれるそ方々には感謝しています。
・・とはいえ、突然質問が大量に湧き上がると、私も少し困りますが。笑
今のペースの流れくらいなら、ちょうどよく、また雑談やこのテーマのやり取りはみなさんどうぞどうぞって感じです。

>しかし、「私が在る」を観想し始めて時が経つにつれてそうした想い、感じも消えていきました。私が在る。何も引かない、何も足さない。
→色々書きましたが、まさにそれに尽きます。それが、全過程を内包し、深めるための、すべてです。

600り改め りょうせい:2025/12/14(日) 17:28:06 ID:JDjWrsVc0
>>595
(2回にわけました)
>完全な絶望、完全な虚無はエゴの反応で錯覚でしかない。実際は純粋意識に触れていたのにエゴが起こした錯覚により拒絶していただけなんですかね。

→はい。完全な絶望、完全な虚無は「熟睡そのもの」のようなもの。つまり、「完全な絶望、完全な虚無」であるがゆえに、それを認識する側、認識者そのものも完全に消滅している状態です。

>あの猛烈な拒否反応はエゴが消滅を恐れるほどに追い詰められていた証拠なわけですか。

→エゴからしたらエゴの生き残り大作戦としての、ある意味でごく正常なリアクションです。

>一方で、好ましい体験として与えられる霊的啓示は、プロセスが順調に進んでること示してくれるし願ってもないご褒美でもある。

→そうですね。笑 エゴの本音は、消えたいけど、消えたくない。消えることが最高に祝福で、素晴らしいことだと、どこかでは分かっている。しかし、消えたらその最高のものを認識・体験・所有できなくなる。という矛盾を抱えています。
そのため、最後にはエゴではない何かが、ふと引っ張る。それは謎です。
意識は、いつまでも存在したい。
なのに、です。笑

木の枝は、この果実をいつまでもぶら下げておきたい。なのに、ある時なぜか、果実がポトっと落ちる。ただ、落ちるんです。

>いや、もっと深い意味が隠されてるかもしれない?今こうして俯瞰する側にいると、この二元の世界で起こっている夢物語はつくづく不思議で見事で感心します。笑

→そうです。偉大な夢物語です。
だからこそ、実現者たちの中でも
「さて、実現したけど、次は何をしよう?」
と、楽しみが尽きない場合が多いわけです。笑
それも流れ次第ですが。

>語れないものを語ってしまうと、誤解を招くし要らぬ執着を呼び起こす。これは理解しています。

→そうですね。ここでのやり取りの意味の、
全ポイントは、エゴの隙を出し抜くことです。
本や聖典を読めば、真理の答え自体は書かれています。今の時代ネットでいくらでも知識は取り寄せられる。
ただ、エゴのガードや防衛、力みが入ることで、いくら正しいことが書かれていても、読んでも、スムーズに浸透しないことが多い。

また、純粋意識が深まると、本を読むにしても、必要な箇所だけを必要な分だけ確認する、あなたの言うようにそんな感じの読み方になっていくと思います。

601り改め りょうせい:2025/12/14(日) 17:29:20 ID:JDjWrsVc0
>>595
>ここでは話をしたい衝動がありますけど、私の修練は基本的に沈黙(在るだけ)で十分、他に何も要りません。読むことも喋ることも聞くこともすごく少ないです。

→まさにそういうことです。沈黙のパワーが、あらゆる疑問や偽りの同一化を溶かしていきます。このやり取りは、あくまでただ起きてる会話です。

>意識はいつまでも存在したい
そうなんです、存在していたいんです。それで、リーラを鑑賞していたい。

→そうですね。

>その物語は錯覚(エゴ)があってこそなのに、目覚めたいと思い、ただ在ればいいとなる。訳が分かりません。

→不動であると同時に、あらゆる動きでもある、ということです。アドヴァイタでよく使われる、金のネックレスの例です。
金であると同時に、金でできたネックレスでもある。

>何か変なこと言ってますかね?自分で言っててよくわからない。笑

→純粋意識で在るあなたは、無言で在るだけです。笑

>う〜ん、やはり純粋意識から先の話は分からないので、言われたことは心に留めておくだけにしておきます。笑

→あなたは、ただ在る純粋意識でありながら、
あらゆる想念や現象が起きていますね?
それは純粋意識とは別の「非純粋意識」なのか。
それとも実は、それさえも純粋意識なのか。
この線で、暇なとき静かに調査してみてください。


>アートマンとブラフマンについては違うのか同じなのか、そもそも区別する境界があるのか、本当に分からないので…。

→いいですよ、それで。
純粋意識には小さい・大きい。
位置・境界。そういったものが本当にあるのか、という問いですね。それらを成立させているのは、あくまでも想念や概念です。

>エゴから純粋意識へのシフトのような明確な違いがあるのでしょうか?

→明確な違いや変化が起きる場合もあります。
ただし、少しずつ気づいたらそうなっていた、ということも多い。いずれにせよ、それも馴染んでくると、「普通にそうだよね」という当たり前感になります。
そして、「分からなくて探求していた記憶」
そのものが、だんだん薄くなっていく。
だって、真のあなたは一度も動いたことも、
探求したことすらないんですから。

>個人的には、なんかゴチャゴチャ言われてるみたいだけど分ける必要あんの?と勝手に思ってスッキリしています。笑

→純粋意識から全体意識へと開かれていく過程は、真理探求では重要なポイントです。

ただ、無理に分けなくても自然と深まります。
あとから「ああ、なるほど。これが言いたかったのか」と腑に落ちる。

多くの教えでも三位一体の流れがありますが、
分かれているようで一体。
なので、あなたの言わんとする感覚もよく分かります。笑

602幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 01:11:24 ID:FyuEY5HQ0
具体的な実践としては、この板だとやっぱり自己観察スレで書かれていることが真理探究になるのかな?
あと自愛や完璧認定もそんな感じがする

603幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 05:02:17 ID:bnE96sE60
もう知識は既にいろんなとこに書いてある

604幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 05:35:26 ID:pUwE53VA0
確かに知識は、様々なところに書かれているが、りょうせいさんの解釈は参考になる

605幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 08:02:26 ID:f9d1QJ9E0
これね、探求という形を取らずに実践していた時と全然違う。
自動的に課題が投げ込まれて途中で向き合うのを放棄しようとすると
駄目だよって引き戻される。
一つ向き合いの課題が出たら向き合って浄化するまで浄化の風呂場から出られない。
探求という形を取らずに自愛していた時と全然違う。

606幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 08:08:39 ID:f9d1QJ9E0
あ、課題と言っても自分の場合は内面の課題です。
まだ向き合っていない癒されていない部分の掘り出しをさせられる感じ。

607幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 08:30:29 ID:f9d1QJ9E0
最初に大きな私ちゃんが個の私に激甘だったのは信頼関係を築く為だったのではないかと思った。
探求を進めていく為の準備運動みたいな。気持ちが折れてしまわないように。
じわじわと指導が厳しくなってきてる。じわじわと。
探求の流れが起きていない人は無理はしない方が良いと思いました。
正直、けっこう苦しい。でも痛気持ちいい。笑

608り改め りょうせい:2025/12/15(月) 11:56:02 ID:PAYSkAa60
>>587
これについては、正直に言うと
真理実現者によって本当に様々です。

ただ、この問いがややこしくなる理由は1つしかなくて、「願望が1種類しかない」と思われていることだということです。

真理探求がある程度進んでくると、
自然と「気づきの力」や「識別(しきべつ)の力」が育ってきます。識別って難しい話じゃなくて、真の私と、偽の私を見分ける力、それだけです。

これはあくまで私の見解だけど、なぜ願望実現や潜在意識の分野に、真理探求の話やメソッドが混ざってきたのか。
また、一見まったく別物に見えるこの二つに、
なぜ共通点が多いのか。
ここ、みなさんも興味あるところだと思います。笑

その理由は、この「識別」と「全体性の視点」にあると思っています。

で、この視点から見ると、
願望って最初から2種類あることが分かってきます。それは、

・真の私からの願望
・偽の私からの願望

ここをごちゃ混ぜにするから、
「叶うのか?叶わないのか?」という問いが迷子になる。迷走する。

たとえば、分かりやすい例として
誰もが知ってる、イエスや仏陀を挙げてみます。

イエスの真の願望は「救済」でしたよね。
個の視点、世俗的な目で見れば、
どう考えても大不幸な人生です。

でも、彼の願望はどうでしょう。
今もなお、聖書は世界中で読まれ続けています。

仏陀も同じです。
楽で快適な人生とは、とても言えない。
それでも、彼の願望通り、仏教は今も残り続けています。

ここから見えてくるのは、
真の願望は、必ずしも楽で幸せな形で現れるとは限らないということです。

ただし、真の願望にははっきりした特徴があります。

・どうしようもなく、やらずにはいられない
・やらない方が、むしろ苦しい
・その方向へ動き出した瞬間から、
 少しずつ、世界や全体性の流れと自然に噛み合い始める

これはなぜか?
なぜなら、真の私は、個であると同時に、全体性でもあるから。つまり、その願望は「個の願い」であると同時に、「世界の願望」でもあるということです。

だから、やらないという選択は、自分を誤魔化すことになってしまう。
すると、内側だけでなく、世界の流れそのものが噛み合わなくなり、出来事を通して、同じところを何度も突かれる。それが、苦しさとして現れる。

一方で、偽の私からの願望はどうかというと、
一時的には楽だし、満たされた感じもします。
でも、必ずどこかに虚しさが残る。
なぜなら、偽の私は、どれだけ満たしても本当には存在していないからです。

この意味で言えば、真理実現者は「願望が成立しない立場」とも言えます。

そこには、行為者としての私も、思考としての私も、意図としての私もいない。
ただ、世界の流れが起きているだけです。

そしてこの世界という動きの領域は、
幸せと不幸が入れ替わり続ける場です。
永遠の至福が、出来事として固定されることは決してありません。

だからこそ、私個人としておすすめするのは、
(真理探求という概念すら知らない一般の知人や友人に対してアドバイスするなら)

願望実現に取り組むなら、
・魂の願望
・魂の義務
・魂の天命

呼び方は何でもいいけど、
偽の声じゃなく、本当の私からの声に耳を傾けること。そして、個としての人生を「真の願望に取り組む場」として生きることをおすすめしてます。

真理探求も同じで、どうしようもなくスイッチが入るなら起きるし、入らないなら、無理にやる必要はないです。

そして、真の願望に沿って生きているなら、
もちろん時にしんどいかもしれない、けど、
叶うか叶わないか以前に、その過程そのものに、説明できない魂的な満足感が伴う。
私は、それで十分だと思っています。

609幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 15:22:45 ID:lJvh71.E0
じゃあ、私、夢を追いかけていいんですか。

夢を叶えて大勢を楽しませたい、そのための準備や作品作りが楽しくて楽しくて仕方がない。

願望実現がしたいだけだったのに、だんだん疑問ばかりが増えていく。

「そもそも私の夢は全体からの恩恵?」
「個の偽の願望は、じゃあ叶っても虚しいの?」
「今はものすごく楽しいし作品作りが生き甲斐なのに、この楽しさはエゴ視点でしかないの?」

……いや、書いてて思いました。

結局エゴが「早く叶えたい」って叫んでるだけですね。

早く叶えて楽しく生きたくてもっともっと私も大切な人も幸せにできるよう金やらなんやら全部ほしい。
でも自愛の心地よさや真理の「全体=個」の探求も苦しいのに何故か惹かれてこのスレをずーっと毎日読み返してる。

これでいいのかな。
もうなんかわからなくなってきた。とりあえず夢のためにひたすら作るしかない、楽しいし。現実が苦しい。

610幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 16:22:49 ID:f9d1QJ9E0
横ですが、作品作りが楽しいって一番大切な事だと思いますよ。
>今はものすごく楽しいし作品作りが生き甲斐
↑これ多分どこか準備が整った段階で一気に叶う方へ動くんじゃないかなと思いました。
作り手が楽しみながら制作した作品って心にすごく伝わります。

私も楽しく描きたかったなぁ、まだ線一本引く事すら出来ないので
心から楽しみながら作品作りをされている方には夢をかなえて欲しいなって思います。

611幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 16:26:18 ID:f9d1QJ9E0
あれ、書き込み時間がおかしい。時空を超えた?笑

612り改め りょうせい:2025/12/15(月) 17:10:23 ID:e.WCek.M0
>>609(2回にわけます)
>じゃあ、私、夢を追いかけていいんですか。

→もちろん、いいんですよ。
というか、今すでに追いかけ始めてますよね。
その時点で、答えはもう出てます。笑

>夢を叶えて大勢を楽しませたい、そのための準備や作品作りが楽しくて楽しくて仕方がない。

→ぜひ、そのまま夢を追いかけてください。
大勢を楽しませたい、作品を作るのが楽しい。
それ自体が、すでに一つの「流れ」です。
ただ、ここで一つだけ静かに見てみてほしいことがあります。

その夢は、本当にあなたが「選んだ」ものでしょうか。その魅力を感じたこと、楽しいと感じたこと、それを人生でやろうと思ったこと。
それらを、あなたは完全にコントロールできましたか。
たとえば、渋谷で1000人に「あなたの夢は?」と聞いたら、1000通りの答えが返ってくるでしょう。なぜ、その中であなたには「それ」が魅力として立ち上がり、「それ」をやりたいと感じ、「それ」を良いものだと認識したのか。

ここは、個のあなた一人で決めたというより、
世界全体の流れの中で、あなたという個がそう動いている。そう捉える方が自然ですね。

そして、ここが一つ目のポイントなんだけど、
楽しいという感覚は、真の願望か偽の願望かの判定材料じゃないです。
楽しい/しんどい それは、ただの生命の流れです。
じゃあ何がエゴ的かというと、楽しいかどうかではなく、そこに「握り」があるかどうかです。

握りっていうのは、「早く・確実に・認められたい・失敗したくない・これがないと終わる」
みたいな締め付けです。楽しいのに苦しいのは、夢が偽物だからじゃなくて、夢を「安心の条件」にしてしまっているから苦しいんです。

>願望実現がしたいだけだったのに、だんだん疑問ばかりが増えていく。

→それも、自然なことです。疑問が増えるのは、間違った方向に進んでいるからではなく、視点が一段広がり始めているサインでもあります。ただし、ここには落とし穴も。
疑問が増えた人は、答えを増やして解決しようとしがちです。でも本当は逆で、疑問が増えたなら、握り・同一化を減らすタイミングです。

>「そもそも私の夢は全体からの恩恵?」

→全体とあなたは、切り離せません。
もともと、個の動きは、常に全体と連動しています。だからこれは個の夢か、全体の夢かと思考で判断して分けきろうとすると、かえって迷子になりやすくなります。

613り改め りょうせい:2025/12/15(月) 17:11:01 ID:e.WCek.M0
>>610
ここが二つ目のポイントです。全体って、「これは全体の意志ですか?」って判断できるものじゃないんです。全体は、考えて選ぶものじゃなく、気づいたら始まってるものです。つまり、作りたいが起きてるならそれがもう全体の現れです。

>「個の偽の願望は、じゃあ叶っても虚しいの?」

→ここは、少し整理しましょう。
叶って虚しいのは、願望が偽物だからというより、叶った結果で「私を完成させよう」とする時に、虚しさが出ます。

偽の願望って、内容の下品さじゃない。握りの強さです。逆に言うと、願望がどれだけ俗っぽく見えてもそれが誰かの苦を減らし、あなたの心を育て作品が世界に届くならそれはもう十分に真の流れです。

ただし、とても大事なことがあります。
真の願望も、偽の願望も、実際には「起きてしまう」

個の私たちは、真の願望100%、偽の願望0%
で生きられる存在ではありません。

だからこそ、恩寵、浄化、祈り、明け渡しという言葉が出てくるんです。
コントロールできないからです。

>「今はものすごく楽しいし作品作りが生き甲斐なのに、この楽しさはエゴ視点でしかないの?」

→楽しさは、楽しさです。
それ以上でも以下でもありません。
そして、ここが三つ目のポイント。楽しさを疑ってるのは、あなたが純粋だからです。でも、疑いの方向が少しズレてる。

楽しさは疑わなくていい。疑うべきはこの楽しさを失ったら私は終わるという恐怖の握りです。
楽しさは流れ。握りは同一化、別物です。
ぜひ、どんどん楽しんで作品をお作りください。

>……いや、書いてて思いました。
>結局エゴが「早く叶えたい」って叫んでるだけですね。

→そう感じる瞬間があるなら、
それもちゃんと見えています。笑
早く叶えたい!という声が起きている。
そして、あなたはそれに気づいている。
この時点で、もう同一化は弱まってます。
だから、ここで無理にエゴを排除しなくていい。
早く叶えたいが出てもいいんです。
大切なのは、ただ握らないってことです。

>これでいいのかな。
>もうなんかわからなくなってきた。

→分からなくなっているときは、無理に答えを出さなくていいです。今できるのは、とてもシンプルです。楽しいなら作る。しんどいなら休む。惹かれるなら探求する。離れたくなったら離れる。それだけです。

夢を追いかけることと、真理に惹かれることは、
必ずしも対立しません。むしろ、両方が同時に起きる人も多いです。

最後に、超シンプルな判定法を一つだけ置いておきます。
作ったあと、心が少しでも広がる。呼吸が自然になる。人に優しくなれる。
この方向なら、それは真の流れです。

逆に、成果が出ないと自分を罰する。
他人を呪う。息が詰まって常に比較する。
この方向に入ったら、夢が悪いんじゃなくて、
握りが強くなってるだけです。

だから夢を捨てよう、
じゃなくて、握りを捨てよう、です。笑

あなたの夢が、あなた自身と、周りの人にとってやさしい方向で育って幸福を実現していかれることを願っています。

614り改め りょうせい:2025/12/15(月) 17:14:03 ID:e.WCek.M0
613の2個目のレスは610さんではなく、
609さん宛てでした!

615り改め りょうせい:2025/12/15(月) 17:18:43 ID:e.WCek.M0
>>611
本当だ。時空超えましたね。笑

616幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 20:05:21 ID:wnvtlxY.0
>>608
なるほどねぇ、相変わらず言語化が難しい部分を解説するのが上手い
私が昔参考にしていた悟りブロガーさんは、その欲求を「本心」と呼んでいて本心に目覚める事が悟りだと言っていた
ただ本心に目覚める事は必ずしも幸福ではない、でも自覚してしまったらもはやどうにもならない

617幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 22:48:15 ID:f9d1QJ9E0
>>598
いつもありがとうございます。とうとう描かされました。探求が始まっている中で
「描けない」なんて思ったらどうなるか。本当の私に背中を蹴られて「描け」って言われました。
「向き合え、認めろ、デモデモダッテは許さない。」だそうです。
デモデモダッテが許されていたのは探求が始まっていなかったからなんだなと思いました。
まるで校則違反をチェックする先生のごとく「はい、そこ!」みたいな感じで
本心にそぐわない部分を見つけては指導が入るチェックマシーンのようです。
ある程度の枚数描かないと許してもらえないかもしれない…。
「描かないと次の課題あげない」とも言われたし。
ちょうど1年前にパソコンが壊れて以降、ソフトやペンが以前の物より使いにくいのも
描きたくなかった理由の1つかも知れないです。道具にも原因が。

本当の私として観る。心で見る。これ胸の中央に目があるようなイメージで見るようにしています、が
時々「詰まり」を感じます。詰まったら課題が来る。課題に従わないと喉がヒリヒリしてくる。
先日「目詰まり」という言葉の意味を検索した所、まるでエゴを表しているようなイメージでした。
詰まっていると心の目で見えなくなる気がします。

>「もっとインスピレーションを得たい」「何かを受け取りたい」
↑と思わなくても自動で課題が投げ込まれる形になってきました。しかも厳しい。

609さんへの返信も、すごく心に響く内容でした。横からですがありがとうございます。
とりあえず1枚描いてネット上に出してきました。温かい気持ちになったので「真の流れ」だと思います。
描く事は、思っていたほど怖くはないのかもしれません。

でもまだ喉がヒリヒリする感じがする。やっぱり1枚じゃ全然足りないのかもしれない…。

618幸せな名無しさん:2025/12/15(月) 23:14:17 ID:wnvtlxY.0
あっ616は横からの感想です。616≠587これ書かないとわからないですね

619幸せな名無しさん:2025/12/16(火) 00:08:24 ID:Xgy3hhGI0
617追記 自分で書いてて気付いたけど、怖かったんだ…。
これ完全に無自覚でした。怖くて動けなくなってたみたいです。
この気付きで今回の課題クリアとなるか…?

620り改め りょうせい:2025/12/16(火) 08:56:06 ID:4eiE2/zc0
>>616
ありがとうございます。笑
「本心」
その表現も、まさに同じで、つまりそういうことですね。エゴというのは、突き詰めると
自分を守るための防衛システムです。
もう少し具体的に言うと、エゴは「すでに知っていること(知っていると思っていること)」に囲まれていたい。
私は分かっている、私は把握している、という安全圏が欲しいんですね。

そのために、無意識のうちに
・未知
・やったらどうなるか分からないこと
・想像がつかないこと

こういったものを避けようとします。
そして必要とあらば、自分で自分の気持ち、本心に嘘をつく。それも、本人は気づかない形で。

これが進んでくると、個は
「あれ?自分の気持ちが分からない」という状態になります。感覚としては「グワァー」とか「モヤモヤー」とか何かは確実にある。
でも、言語化できない。
どの方向に進めばいいのか分からない。
結果として、動けなくなってしまう。

だから、すごくシンプルに言えば、

真の私の願望、本心、本音、そして、悟りとか覚醒と呼ばれるものも含めて、
結局は「本心(本当のこと)から目を背けなくなる」という、ただそれだけのことなんだと思います。願望実現にしても、真理実現にしても、
本当の自分が、個の自分を救おうとする
偉大な自己愛のラブストーリーなんですよね。
なので、少しずつ
・自分の本当の欲求
・本当の衝動
・ずっと見ないふりをしてきた声
こういったものに、気づいてしまう。気づかされていく。そして一度気づいてしまうと、もう「なかったこと」にはできない。笑

あなたが言うように、
>「ただ本心に目覚める事は必ずしも幸福ではない、でも自覚してしまったらもはやどうにもならない」

という点ですが、これは前提として、また「恩寵」の話に戻るのですが、恩寵は、個が予想できるような形の幸せのために働いているわけではありません。

恩寵は、意識としての立場の「本当の私」に還るために、二元世界のあらゆる現象を使って働きます。最終的にはそれが、一番の自己愛であり、個にとっても最大の幸福実現であり、
苦の消滅、つまり救済になるからです。
そのため、二元の光も闇も快も不快も成功も失敗もすべてが必要な過程、必要なレッスンの素材として使われます。

そして、個として二元世界を長く、深く体験すればするほど、たくさんの立場、感情、物語を経験することになる。
すると最終的に、
「あれ?立場や個性は違うけど、みんな同じじゃないか」という理解に近づいていきます。
姿・形・動き方・性質・気質はバラバラに見えても、結局みんな、

・幸福を求め
・苦を避けようとし
・できれば永遠に存在し続けたい
・この世界の物語を味わいたい
・なんだかんだで意識を愛しているw

これを、何度も何度も、手を替え品を替え、形を変えてやっているだけなんですね。
だから、本心に生きるということは、
二元の光と闇をより高い濃度で味わうということでもあります。
恋愛に例えると分かりやすいです。

「この世界で、この人しかいない」
と心底惹かれる相手と恋愛するのか。

それとも「嫌いじゃないし、まあいいか」
という相手と、ほどほどに付き合うのか。

どちらが正しい、という話ではありません。
ただ、体験の濃度がまったく違う。
前者は、喜びも深いけれど、同時に苦しさや試練も大きい。
だから、本心で生きている人は、側から見ると
「なんか、″生きてる″なあ」
「なんか人生が濃いなあ」と映ることが多い。

でも本人は当然、その分、揺さぶられる回数も多い。
一方で、本心から少し距離を取り、ほどほどに生きる。ほどほどに体験する。
これも、別に間違いではありません。気質や好みの違いもあるし、運命の違いもあります。

私も、普通に生きている人に「本心で生きろ!」とは言いません。
これやろうかどうか悩んでいる、と聞かれたら、
「後悔しないように、本当にやりたいことやりなー」と言うだけです。
何より、最終的にはすべては、
起こるか、起こらないか、それだけなので。笑
そんな感じですかね。

621り改め りょうせい:2025/12/16(火) 08:58:16 ID:4eiE2/zc0
>>617
おめでとうございます。それは、偉大なステップですね。

以下の話はあくまで私のおすすめなので、参考程度に聞き流してください。

まず、真理探求にせよ、願望実現にせよ、
あるいは個を整えること、恩寵や浄化を体験的に深めていくことにせよ、なんであれ共通して言えることがあります。

一歩でも進んだら。たとえ、なんてことない一歩でも、そこに流れが起こり、変化が起こり、
少しでも良い方向に動いたなら、必ず、多めに喜んであげてください。やや大袈裟でも構いません。

そして、個の私を褒めてあげてください。
必要であれば、自分にご褒美をあげてもいい。

(※もちろんこれは、人の前で「私すごいでしょ、偉いでしょ、ドヤ!」と表現することではありません。あくまでも、自分の中での話です。笑)

なぜ、これが大切なのか。

あなたはアニメや映画が好きだから、きっと分かると思いますが、
どんな物語でも、主人公にとって重要な展開が進んだあとには、必ず一時的に、ゆるーいシーンが入りますよね。ジャンプ系の作品でも、
冒険ものでも、恋愛ものでも、
ずっと連続して挑戦ばかりが続くことはありません。必ず、箸休めのような場面が挟まります。

もしこれがなく、ずっとハラハラドキドキが続いたら、なにより視聴者のほうが疲れてしまいます。

ところがエゴというのは、なぜかこういうタイミングになると、

「いや、1ミリしか進んでないし、喜ぶなんておかしい。大きな変化なら喜ぶけど」

とか、

「自分のことを褒める?たった1ミリなのに?こんなの普通じゃん。それに私は、エゴを調子に乗らせないように自分を厳しく見張り、なにより謙虚さを忘れたくない」

など、さまざまな理由を並べて、
決して自分を褒めない方向へ持っていきます。笑

その結果、「あー、やっぱダメだった。だよね」と、あとから撤退しやすい状態をあらかじめ作っておくわけです。笑

だって、そこで自分を褒めたり、多めに喜んでしまったら、いざ撤退しようとしたときに
強い矛盾や後悔を感じてしまうし、後ろ髪を引かれて、撤退しづらくなるからです。笑

さて、この話はここまでにして。

あなたは最近、いろいろな気づきも起きているようで、なによりだと思います。
これからも慌てず、ときどき休みながら、
ゆっくり腰を据えて、起きてくることを信頼しつつ、流れていってくださいね。

622幸せな名無しさん:2025/12/16(火) 21:53:25 ID:J0Q6gClc0
我々は神のど、れいなのか?

623幸せな名無しさん:2025/12/16(火) 22:09:30 ID:cY5i0bR60
私は生きてていいのか!?ずっとその事を考えている!!!乱文失礼!

624幸せな名無しさん:2025/12/17(水) 00:52:46 ID:iH3zCifY0
609です。

ご返答ありがとうございます。
夢を叶えることが「安心の条件」になっていたと、ハッと一旦空を見ました。

散々にエゴに振り回されないようしてきたつもりが、必死に作業をしていくうちに「これが失敗したらどうしよう」と不安にとりつかれていました。

夢をやろうと決めたのも確かに「私の意思でコントロールし、そうなったモノ」ではありません。
昔は夢なんて最初から潰して見て見ぬフリして、けれど結局は夢を叶える作業をしている間だけが唯一安心できる時間でした。

よく考えれば、夢を見て見ぬフリして、本心を押し殺して生きてきた時期に学んだことは、全て私が作る作品に直結する知識です。

そういえばある願望実現を叶えたとき、ついでのようにあまり働かなくてもよくなりました。

夢を叶えるための作業時間が大幅に増え。
夢を叶えるための環境、知識が整っている。

夢を叶えることを「安心する材料」にして不安が発生したけれど、結局はその夢(個の願望)のための「安心できる世界」が少しずつ作られている。

これが恩恵? 不安でもなにがあっても大丈夫、これが世界の流れというヤツ??


りょうせいさんの『作ったあと、心が少しでも広がる。呼吸が自然になる。人に優しくなれる』かどうか。

これの答えはあります。
作った後は心は達成感に包まれます。おそらく心が広がる、という言葉が私には達成感に感じます。呼吸は落ち着きますし「あ〜楽しい!」としばらく放心状態になります。

「じゃあ次はこれやろう」
「じゃあ次はこういうのやろう」

アイデアがずっと止まりません。というより、運転中でもいつでも考えていしまいます(もちろん安全には気を付けながら)。



『逆に、成果が出ないと自分を罰する。
他人を呪う。息が詰まって常に比較する』

ここは正直あります。
ふとした時に度々発生します。

「成果を出さないと」
「早く金銭的に何か得ないと」

きっと多くの人間が私のような焦りを抱いて願望へ手を伸ばすのでしょう。


ではどうするのか?
りょうせいさんA.「握りを手放す」

この簡潔で率直な答えに「それだ!!」となりました。
本当にありがとうございます。

ここは私の解釈ですが。
握りを手放すというのは、たぶん、ここで散々話されている「全の私」に「んじゃ適当(※本来の意味)によろしく!」することなのではと。
結局は夢を抱いた理由も現実も結果もコントロールできないのだから、お任せするしかないのではと。

ここが一番難しいですね!!
でもきっとこのままエゴを見て、観察して、自愛して、日常生活を楽しんでいればそのうち握った拳の力を離せるのでしょう。それすらも「適当(本来の意味)にお任せ」なのでしょう。

……合ってるのか?

いや、たぶん、今の私のこの「答えを求める」これこそが今の課題なのかもしれない。
一旦俯瞰して見て、同一化をゆっくり解除していくのが課題なのかもしれない。

625幸せな名無しさん:2025/12/17(水) 03:33:49 ID:WRAfOE1Y0
>>621
ありがとうございます!おすすめのアドバイスも頂けて嬉しいです。
たった1ミリ等のセリフ、私の脳内エゴちゃんがよく言いがちです。笑
脳内思考回路がバレてしまっている…。笑

>あとから撤退しやすい状態をあらかじめ作っておくわけです。
↑そんな理由が隠れていたんですね!
最初からダメを想定していたら、そりゃあダメになりますよね、確かに。笑

>一歩でも進んだら。たとえ、なんてことない一歩でも、そこに流れが起こり、変化が起こり、
>少しでも良い方向に動いたなら、必ず、多めに喜んであげてください。やや大袈裟でも構いません。
↑これはとても大切な事かもしれないと思いました。一歩でも進めば全く変化がないと言う事は
無いですもんね。変化が無いと言っているのはエゴであり真実ではない。
素直に喜んでいきたいなって思いました。
ゆるーいシーン良いですね、日常回ギャグ回好きです。笑

そういえば、数日前に見つけたインチャが統合出来ないの何でだろう、と思っていたら
実はこれは自分のある部分についての根底を覆す大事件だったんですよね。
「恋愛?何それ美味しいの?やっぱり分からない。誰かを好きになるなんて私には無理。」
ずっとそう思い込んでいたこれが嘘だったって暴かれちゃったんですよね。
この噓を信じたまま生きていても特に問題は生じていなかったはずなのに。(←それも嘘の可能性…)
しかし、どうしてそうなってしまったか、には複数色々なものが絡まっている気がするので
そこはやっぱり解きほぐして行きたいなと思いました。
タイミングが来たらまた恩寵の風呂場へ連行される…。笑

そして恩寵からの新しい課題は、その辺の部分に絡んだもので
「さて、あの時の私は本当はどんな気持ちだったでしょうか?涙が出たら正解です。」
こんなテストをされました。とりあえず1問は正解したけど、きついですね〜。笑

どう考えても時効な事で心をえぐられちゃうのが探求なのかっ!?とも思ったりしますが
古傷もきれいに治していかなきゃですよねぇ…。泣き笑い。

蓋をしたままでも問題ないならそれでも良いはずなのに
自分はやっぱりキレイに浄化される事を望んでいるんだろうなと思いました。
探求の流れも必然で起きたのだと思います。
いつもアドバイス下さり、ありがとうございます。

それにしても以前メソッドとして行っていたはずの、心と会話する方法を使って
恩寵から厳しい指導を次々と受ける事になるとは想定外でした。笑
しかし出題がハイペースだ…。

626幸せな名無しさん:2025/12/17(水) 03:46:37 ID:WFnzNBE20
仕事したくない
専業主婦になりたい
これを思い続けてても叶ってない
どうしたら叶う?

627幸せな名無しさん:2025/12/17(水) 08:45:50 ID:Xgy3hhGI0
625です追記 この浄化作業は一体何の為?と思いながら寝たら答えが来ました。
潜在意識の実践を始めて以降、日常生活で物事のタイミングが良くなったり
小さな幸運が良く起きるようになりました。でも何かがスッキリしない。
ずっと心にもやがかかった感じ。体は生きてるけど心が死んでるみたいな感じ。
何がしたいのか、何が好きなのか、今買ってきたグッズは本当に欲しかったのか、
今見ている作品は本当に好きなのか。そしてそんな状態になっている事さえ気づかないふり。
自分で自分に嘘をついているんじゃないかな?とは思っていたけど
想像を超えるかなりの嘘つきさんかも知れないです。探求を進めることで奥にある物も全部
洗い出しされていく気がしました。むしろどんどん洗ってくれって感じです。
日常の方にも少しだけ不穏な動きが出てきたようなそうでもないような。
恩寵を信じて進みます。

628幸せな名無しさん:2025/12/17(水) 08:50:54 ID:Xgy3hhGI0
このスレだけ時々時空が狂うのね?みんなタイムトラベラーなのね??笑

629幸せな名無しさん:2025/12/17(水) 12:19:03 ID:jgBhM9Sg0
>>593
返信ありがとうございます。
潜在意識の知識がマーフィー由来というのは私もです!笑

>分離的な思考に入ると、何年も構造分析に没頭することもできます。
>でも、アプローチやメソッドを頭で分析するより、シンプルなことを淡々と続ける。
>もしくは、メソッドもつらいなら、「ただ在る」「存在にとどまる」
>これを深めたほうが、許しや自己愛も含めて、体感的な理解は早まります。
>あるいは、明け渡し、手放し、すべてを「真の主体」に還していく。
>これも、想念との同一化を想念が放出される以前の静寂へと戻す行為です。

「想念が放出される以前の静寂へと戻る」のに、私の場合は身体への働きかけが合っていたようです。
働きかけといってもそれで何かをコントロールして得よう!というより、作為をやめるための作為みたいな感じです(伝わるでしょうか…)
この界隈でよく耳にしていて???だった「ただ在る」も、マインドがざわつき始めたときにそのパワーや素晴らしさを実感しました。

りょうせいさんに「私は小さい頃こうでああで、今こういう状態で…(だからどうにかしなきゃ)」って話してきましたけど、
今は、私という一人の人間を見つめすぎて考えすぎて没頭しすぎた結果、同化してしまったように感じます。
本当の私はそのストーリーを生み出している大元のような存在であるという感覚になりました。
大元のほうが自分であることを忘れ、一人、世界に対峙してジタバタ頑張っていたような。

うーん、言語化が難しいです笑。伝わってくれたらうれしいです。

630り改め りょうせい:2025/12/17(水) 16:51:30 ID:sRniCWyo0
>>622

>我々は神のどれいなのか?

→これは、文脈によります。
たとえば、「個としての私」という立場から
「神とは何か?」と問うなら、私の答えはこうなります。
一なる神は、真のあなたです。
多数の神は、あらゆるすべてです。

個のあなたが、
一なる神を愛すならば、その神は、非常に愛に満ちたイメージとして現れるでしょう。

一なる神を憎み、恐れれば、その神は、非常に恐ろしく、畏怖に満ちたイメージとして現れるでしょう。

同じことが、多数の神にも言えます。
多数の神とは、あらゆる存在、あらゆる出来事、あらゆる現象そのものです。

それらを愛すなら、世界は鏡のように、
愛に満ちたイメージとして、個のあなたに映ります。
それらを憎み、恐れれば、世界はその通りのイメージとして、個のあなたに映るでしょう。
(要するに、朱に交われば赤くなるというわけですね。)

つまり、意識である真のあなたが、最適に、完璧なダンス(運動)を踊っている。
個のあなたのリアクション、感想、思考、疑問、行為。それらすべてが、神の表現です。

そして、その神の表現の流れの中で、あなたの内に「個の私は神のどれいなのか?」
という問いが、自然に立ち上がった。わき起こった。ただそれだけのことです。

また、「どれい」という表現自体が必ずしも悪いとは限りません。

もし主人が不完全で、無慈悲で、気まぐれなら、「どれい」は不幸でしょう。
しかし、もし主人が最適で、完璧で、全知全能で、しかも慈悲深い存在だとしたら、それはもはや、私たちが想像する「どれい」とは
まったく別の感覚や表現になるかもしれません。

では、「え?じゃあ、シンプルに神を愛したほうが得じゃないか?」
あなたが、素直にこのように思ったとしましょう。

さて、そうだとしても、
それを、「個が継続的に信念として思い続けられるかどうか」これさえコントロールできません。

そのため、それもまた、起きるときは起きるし、起きないときは、この話は最適に、
記憶から忘れ去られるでしょう。笑

つまり、何を聞いても知っても、それを受け入れるか、拒否するか、それを実際的に活かすかどうかさえ。起こるか、起こらないか。
究極的にはそれだけです。

※「愛/恐れ」だと、どうも抽象的でイメージしづらい方は、愛=善きもの 恐れ=悪しきもので構いません。
あなたにとって、しっくりくるイメージに置き換えてください。

631り改め りょうせい:2025/12/17(水) 16:54:58 ID:sRniCWyo0
>>623
>私は生きてていいのか!?ずっとその事を考えている!!!乱文失礼!

→ もちろん、YESです!
なぜなら、あなたはすでに「事実として」生きているからです。

それ自体が、意識である、本当のあなたから出ている答えです。
「生きていいのか?」
と問えていることそのものが、
すでに生きている証であり、否定ではなく、確認が起きている状態です。
だから、許可を出す必要すらありません。生きている。それが、もう答えです。

632り改め りょうせい:2025/12/17(水) 18:09:13 ID:sRniCWyo0
>>624
>昔は夢なんて最初から潰して見て見ぬフリしていた。

→振り返ってみると、その「見て見ぬフリ」をしていた期間も、実はとても重要でしたね。
これは後からでないと分からない、結果論としての理解ですね。

>けれど結局は夢を叶える作業をしている間だけが唯一安心できる時間でした。

→その時間が唯一安心できたのは、あなたにとって、その瞬間「内側の本当のあなた」と繋がれていたからです。
これは、純粋意識にとどまるアプローチと本質的に同じです。何度も何度もそこに会いに行くことで、だんだん「戻る」ことが自然になっていきます。ぜひその作業を大切にしてください。

>よく考えれば、夢を見て見ぬフリして、本心を押し殺して生きてきた時期に学んだことは、全て私が作る作品に直結する知識です。

→その通りです。過去・現在・未来という枠を超えて、それらは最適なタイミングで使われていきます。つまり、全体としては「うまくできている」ということですね。

>そういえばある願望実現を叶えたとき、ついでのようにあまり働かなくてもよくなりました〜これが恩恵? 不安でもなにがあっても大丈夫、これが世界の流れというヤツ??

→そうです。恐れは、やがて疑いに変わり、
疑いは半信半疑に変わり、少しずつ「信頼する力」が回復していきます。その信頼は自己信頼へ、そして最終的には、世界そのものへの信頼へと広がっていきます。

>『作ったあと、心が少しでも広がる。呼吸が自然になる。人に優しくなれる』かどうか〜
>きっと多くの人間が私のような焦りを抱いて願望へ手を伸ばすのでしょう。

→ここで、これだけは覚えていってください。
意識が生み出すこの世界は、時空の制約を受けています。だから、プロセスは必ず「ゆっくり」「のろのろと」進みます。ただし、それは止まっているのではありません。
土の中で芽が育つように、水面下では確実に進んでいます。あるタイミングで、アスファルトを突き破る。それが「飛躍」です。飛躍の前は、必ず地味なプロセスが続きます。
急がば回れ、ローマは一日にして成らず、ですね。同じことを繰り返しているように見えても、螺旋階段のように、ちゃんと上へ進んでいます。

そして、個のあなたが静かに平和へ戻っていくための、とてもシンプルな方法があります。
もし覚えていたら参考にしてみてくださいね。
それはこれです↓

・夢を叶えて、大勢を楽しませたいと願っている世界中の人
・その夢のために、今まさに準備を続けている人
・作品を作ることが楽しくて、楽しくて仕方がない人
・そしてすでにそれを形にし、必要な分のお金を受け取り、周りの人や環境にも自然と幸せを循環させている人

こうした人たちを、ひとまとめに思い浮かべてください。そして「この人たちが、みんな幸せでありますように」と、定期的に祈ってみてください。力を入れる必要はありません。
感情を盛り上げる必要もありません。
淡々と、静かで良し。そのあとは、普段どおり、あなたがやるべき作業を、ただ淡々と続けてください。祈りは「操作」ではありません。
未来をコントロールするための道具でもありません。
それは、世界(人生)に向けて蒔く種のようなものです。芽が出るタイミングも、どんな形で返ってくるかも、個のあなたが決める必要はありません。ただ確実なのは、その祈りの種は、巡り巡って、必ずあなた自身の平和として戻ってくる、ということです。

>握りを手放すというのは、たぶん、ここで散々話されている「全の私」に「んじゃ適当(※本来の意味)によろしく!」することなのではと。結局は夢を抱いた理由も現実も結果もコントロールできないのだから、お任せするしかないのではと。

→ポイントは、実は最初からそうなっている、ということです。コントロールできているか、できていないか。そのどちらであっても、すべては全自動で進んでいます。

機会があれば、夜眠る前に、朝からその日一日がどう流れてきたかを振り返ってみてください。ドミノが倒れていくのを後から眺めるように。最初の一枚が倒れた瞬間から、次の動きはもう止めようがなかった。
自分で選んだと思っていた行動も、すでに倒れ始めていた流れの一部だったと見えてくるかもしれません。

>ここが一番難しいですね!!でもきっとこのまま〜
>一旦俯瞰して見て、同一化をゆっくり解除していくのが課題なのかもしれない。

→それらの思考や試行錯誤も、起こるなら起こる、それだけです。
あなたはA地点から電車に乗りました。
電車はB地点へ向かっています。
あなたは大きなバッグを持っています。
・バッグを荷物棚に置いて、座って景色を楽しむのもよし。
・バッグを抱えたまま、立ち続けるのもよし。
なんであれ、どれを選んでも、
電車は走り続け、必ずB地点に到着します。

あなたの夢の実現お祈りします。

633幸せな名無しさん:2025/12/18(木) 02:06:03 ID:1Fm2t3lk0
「起こる」が解ったかもしれない。
私は(627です)ある瞬間、確かに探求のスイッチが押されて、それが起こった。
引力が働いてベルトコンベアに載せられて動き出すような感じが確かにあった。
自力で探求の流れを起こそうとしていた時とは明らかに違っていた。この感じか…!

恩寵からの精神面での課題の影響で気持ちが落ちているのに
メルカリで欲しい物が売り切れてて更にどん底気分になった時に気付いた。
気持ちは落ちる所まで落ちたら、次は少しだけ上がるみたい。

以前、神社とかでお祈りする時に「みんな幸せになりますように」ってお願いしていたはずなんだけど
そういえばずっと忘れていた。みんなの中に自分も入っているんですよね。
横レスですが、気付きをありがとうございます。

634幸せな名無しさん:2025/12/18(木) 03:36:07 ID:BStvz1Mo0
りょうせいさんには、夢がありますか?
どんな夢が叶いましたか?

635幸せな名無しさん:2025/12/18(木) 08:50:08 ID:1Fm2t3lk0
起こる を言い換えると 発動する じゃないか。言葉の意味そのまま。
何で気付かなかったんだろう。何か一歩でも進めたらそこには確かに 動 があるし。
部屋が倉庫化したのも何か発動しちゃったよねコレ、とか思ってた。気付いたら巨大化してる。
あの部屋が気付きに繋がるとは予想外。片付けを発生させなきゃだけど、まあそれはそれとして…。笑
1つずつ進めていく事が大切という言葉の真意に気付けた気がした。
実は私だけが気付いていなくて、もうみんな既に知っているのかもしれない気もするけど…。笑

636幸せな名無しさん:2025/12/18(木) 09:17:42 ID:1Fm2t3lk0
世界では常にどこかで何かが、どこにでも大小さまざま発生・発動し続けている。
そういう視点で過ごしていると面白いのかもしれない。
もしかしたらそれが「ただ在る」なのかもしれない。
そしてこの気付きもすぐ忘れてしまうのかもしれない。笑

637幸せな名無しさん:2025/12/18(木) 09:38:18 ID:JJ9g2C.c0
エゴすらも神が創ったものであるからエゴに支配されることすら完璧ということですか?

638幸せな名無しさん:2025/12/18(木) 11:57:43 ID:4xdNxMQY0
世界が完璧であるならばエゴも完壁であり好きなことをすれば良いということでしょうか

639幸せな名無しさん:2025/12/18(木) 17:23:47 ID:1Fm2t3lk0
朝に気付きが起きても1日普通に過ごすとエゴ目線になってしまいますなぁ。笑
昨日完全に一度エゴが撃沈したけどもう復活してしまっている。笑

640幸せな名無しさん:2025/12/18(木) 20:03:59 ID:1Fm2t3lk0
深刻さは無いですけどね、幻術師エゴちゃんにやられてしまいましたわ…みたいな感じ。
恩寵からのお題は一時休止なのかな。今のうちに休んでおこう。笑

641幸せな名無しさん:2025/12/19(金) 02:07:30 ID:l6uaRd.s0
640追記
今ふと「エゴに惑わされていても惑わされていなくても私は私だ」と思いました。

642幸せな名無しさん:2025/12/19(金) 12:06:09 ID:l6uaRd.s0
違う方向から揺さぶりがかかった。小さな事ではあるけれども
「本質とズレた事を強いられて嫌だけど従うしかなかった」ので
エゴ着火!となる所だったけど某アニメきしめんさん回だったのでエゴが鎮火した。笑

そしてふと気付いた。対象は何でも良いんだけど
純粋に「大好き」な気持ちに浸る事がとても大切なのではないかと。
大好きは真の私からのものだと思うから。温かくて優しい気持ちになれるから。
アニメ好き・可愛いもの好きで良かった。大好きな対象いっぱいある。笑

643幸せな名無しさん:2025/12/19(金) 12:48:43 ID:l6uaRd.s0
否、そうじゃなくて、好き嫌いを超えた所に本当の平穏がある、気がする。
平穏にはそもそも好き嫌いなんて存在しない。

「魂のルフラン」の歌詞を見ていると何か掴めそうな気がするんだけれども
掴もうとすると指の間からすり抜けて行っちゃうんだよね…。
「心よ原始に戻れ」という歌も有るのかー。
エヴァ詳しくないけど地元ローカル局で再放送されてて少し気になってる。

644幸せな名無しさん:2025/12/19(金) 13:40:40 ID:l6uaRd.s0
やっぱり641で書いた「エゴに惑わされていても惑わされていなくても私は私だ」
これでいいことにする。恩寵からの課題が来ないので探求の流れは止まったかも。
考えていても答えは出ない。答えは自分じゃない所から来るから。

645り改め りょうせい:2025/12/19(金) 14:51:53 ID:1DHEjB4.0
>>629
潜在意識の知識がマーフィー由来というのは私もです!笑

→おぉー、そうでしたか。
あくまで私個人の理解というか見解ですが、
マーフィーの思想的背景には、エマソン的な新思考運動や、ユング的な無意識観、
さらにその奥には、聖書、とくに福音書的な構造が重なっているように感じています。

つまり、潜在意識や引き寄せの話の根底には、
福音書に見られる「蒔いた種が、そのまま実を結ぶ」という構造が流れている、というシンプルな理解です。

ただし、ここで言う聖典とは、
個の現世利益のために説かれたわけでも、
個を満足させるための成功法則としての聖典、という意味ではありません。

もともと福音とは、個という錯覚や眠りから目覚めるための「知らせ」という側面を強く持っていた。つまり、個という大きな誤解をほどくための福音だった、という見方もできると思っています。

心の強力な潜在的傾向や習慣は、
催眠のように個を覆い、多くの人は、無自覚なままそこに巻き込まれて生きています。
そういう意味で、聖書が今も世界で最も読まれている、というのは象徴的だな、と感じます。

>「想念が放出される以前の静寂へと戻る」のに、私の場合は身体への働きかけが合っていたようです。

→人によっては、身体へのアプローチはとても重要です。合っていると感じるなら、ぜひ続けてください。実際に効果があるでしょう。

>働きかけといってもそれで何かをコントロールして得よう!というより、作為をやめるための作為みたいな感じです(伝わるでしょうか…)この界隈でよく耳にしていて???だった「ただ在る」も、マインドがざわつき始めたときにそのパワーや素晴らしさを実感しました。

→伝わっています。とてもいい表現です。

「作為/無作為」という二元を超えるために、
まず第一に、そもそも「ただ在る」ことこそが主体だった、という事実に気づく必要があります。あなたが言うように、そのパワーや素晴らしさは、言語で説明できる類のものではありません。
静寂、サイレント。それ自体が、すでに完結している事実です。

>今は、私という一人の人間を見つめすぎて考えすぎて没頭しすぎた結果、同化してしまったように感じます。
本当の私はそのストーリーを生み出している大元のような存在であるという感覚になりました。大元のほうが自分であることを忘れ、一人、世界に対峙してジタバタ頑張っていたような。

→素晴らしい。まさに、その通りです。
大元が突然現れ、身体と、私は個であるという想念と重なりました。
入口に戻ると、まず「大元であるあなた」が、
静寂・サイレントを通して、すべての想念(物語)が強烈な催眠だったことを、静かにゆっくりと明かしていってくれます。

例えるなら、友達と一緒に寝て、朝起きたら、
その友達が寝ぼけまなこで、
さっきまで見ていた夢の内容を、
やけに真剣な口調で語り始めるようなものです。
「こんな主人公で、こんな名前で、こんな世界で、こんな人たちが現れて、こんな展開になって、それで〜」
あなたにできるのは、相手が少し冷静に静まったタイミングを見計らい、
「そうなんだ。大変だったね。でも、それは夢だよ」と伝えることです。
あなたは「そんな!!ふざけないで。人の気も知らないで!ひどい」と責められるか、
「・・あ、そうだったわ。ありがとう」と静かに感謝されるかどちらかでしょう。笑

646り改め りょうせい:2025/12/19(金) 15:08:57 ID:1DHEjB4.0
>>634
この質問ですが、仮にもしあなたに夢があって、叶えたくて仕方ないってことでしたら、
それはぜひ、叶えるために進んでくださいね。

そのうえで、少し視点を分けて答えますね。

まず、あなたが「個」として世界を見ている立場からなら、
りょうせいがいて、あなたがいて、
主体としてのあなたが質問し、
対象としてのりょうせいが答える。
そういう構図になりますよね。
それが、いわゆる二元の世界です。

その前提で物語として語るなら、
個の私(りょうせい)の人生の流れはこうでした。

真理探求が本格的に起こる前、
私はとにかく無我夢中で、
自分のやりたいことや欲望に忠実なタイプでした。マズローで言えば、承認欲求と自己実現をかなり徹底的にやったと思います。
主観的には、
「もうこれ以上はないな」
というところまで行った感覚はありました。

あるとき、まるでタイミングを見計らったように、個や人生の前提をひっくり返すような出来事が起き、そこから本格的に、真理実現だけが関心になる流れに入っていきました。(後から振り返れば、それ以前から実は探求は始まっていたことを知るのですが)
なので人生全体としては、
〇〇編 → 〇〇編 → 〇〇編と、大きくモードが切り替わってきた感覚ですね。

だから私は、真理探求のスイッチがまだ入っていない人に対しては、本格的に始める前によく考えてほしいと思っています。
特に、「個としての世界に対しての夢や、あるいは未練」が強く残っている場合は、無理にやる必要はない。これは、かなり強くそう思っています。

では、今の私に「夢はありますか?目標はありますか?」と聞かれると、正直とても答えにくいです。(沈黙で返信したいくらいです。笑)

なぜかというと、「あなたは今、どんな立場ですか?」と問われたとき、私=真のあなたの立場から見ると、
世界も、個も、意識も、対象としては認識できず、言葉や概念として成立しないからです。

たとえば、あなたも熟睡しているときに、

「どんな夢がありますか?」
「どんな記憶がありますか?」
「どんな人生でしたか?」

と聞かれても、答えがないどころか、質問自体が成立しないですよね。
ブラックホールの中で、あらゆるものが消えてしまう感覚に近い。

なので、「夢があるか/ないか」
「どんな夢が叶ったか」という問いは、
個の視点では成立しますが、

立場が変わると、夢から覚めたあとにその夢自体が消えてしまうように、問いごと溶けてしまいます。それは、主体と対象が完全に消えてしまうからです。

それを踏まえたうえで、
あえて個の視点に沿って答えるなら、
シンプルに、世界次第ですね。

個のりょうせいは、個の傾向のまま、ただ流れが起きているだけです。
真理探求というフィルターが完全に抜け落ちるだけで、動きそのものや、喜怒哀楽、好み、
生活や趣味などは、別に他の人と何か特別に違うわけではありません。
仮に違いがあるとしても、それはあくまで、もともとの個性や気質、趣味嗜好、あるいは運命の違い、というだけの話です。
(ただ、本当のことを言えば、その「個」自体は意識が見せている夢なんです)

そんな感じですね。

647り改め りょうせい:2025/12/19(金) 15:14:01 ID:1DHEjB4.0
>>637
エゴすらも神が創ったものであるなら、エゴに支配されている状態さえ、実相のレベルでは「良い/悪い」「正しい/間違い」といった評価の対象にはなりません。

その文脈で言えば、実相として存在しているのは、ただ「神」だけです。

エゴ、
創った/創られた、
支配/どれい
完璧/不完璧

これらはすべて、二元的な想念として現れている区別であって、実相そのものには存在していません。
ただしこれは、個の視点や立場で「どう生きるべきか」「何を選ぶべきか」という話とは、次元の違う視点のお話です。

648り改め りょうせい:2025/12/19(金) 15:16:45 ID:1DHEjB4.0
>>638
「好きなことをしていいかどうか?」
という質問であれば、ぜひ好きなことをしてください。

私は、「やりたいことがある」と言う知人や友人に対しては、「いいじゃん。犯罪以外なら、好きなことやるべし」と普通に勧めています。笑

ただし、ここで言っている「完璧」とは、
究極のそれそのものを、個や世界の側から指し示したときの表現です。

それそのものは、
「完璧である」とすら知りません。
なぜなら、そこには完璧を知る主体も、不完璧と区別する対象も、そもそも存在していないからです。
なので私は、「世界そのものや個が完璧である」とは言っていません。

夢の中に、最初から最後まで一切の欠けも揺れもない完璧な夢は成立しません。
夢とは、起承転結そのものだからです。
もし、ずっと完璧だけが続いていたら、
物語は成立しません。あるとしたら、それは
夢の開始前、そして夢の終わりの後にしかありません。
それにもかかわらず、その「完璧(言葉で指すしかないそれ)」があるからこそ、
夢は放出され、動き回り、展開していく。

また、夢の中でも、一時的に熟睡のような状態に入ったり、何かを達成して追い回すことが止まり、ただ存在している瞬間には、完璧に近い満たされた平和を感じることはあるでしょう。

なぜ、そのように感じられるのか。
それは、実際に完璧なそれそのものは、常に在るからです。
分厚い雲が薄くなったときに、太陽が現れたように見えるのと同じ仕組みですね。

649り改め りょうせい:2025/12/19(金) 15:19:27 ID:1DHEjB4.0
>>633
>以前、神社とかでお祈りする時に「みんな幸せになりますように」ってお願いしていたはずなんだけど

→それは素晴らしいですね。これは道徳的に立派だ、という話というより、自己愛なんです。
そして、その自己愛こそが本当のあなたの立場でもあります。

>そういえばずっと忘れていた。みんなの中に自分も入っているんですよね。

→そうです。
真の自分の中に、個のあなたも、個のみんなも入っている、ということですね。

あなたはとてもハイペースで吸収しようとする姿勢や意欲があって、それ自体は本当に素晴らしいです。ただ、その分だけ、消化の時間も必ず取ってください。ここで言う消化とは、
探求的な想念から一度離れる時間のことです。

意識的に「考えない」「追わない」時間を挟んだほうが、結果的に遠回りせずに済みます。
休み時間は、身も、心も、マインドものんびりさせてくださいね♪

650幸せな名無しさん:2025/12/20(土) 03:01:16 ID:iECPWFe60
私は恋人ができたことがないのですが、これは人生の流れとして起きてきたことなのでしょうか?

651幸せな名無しさん:2025/12/20(土) 03:27:00 ID:S1fy1ZEg0
>>649
いつもありがとうございます。一時休止かと思っていたら課題出てました。じわじわと圧を
掛けられ無力感凄くてああ私は空っぽだと思った時、ん?空っぽ?偽りの私の中身は無いって事?
と気付いて課題クリアでした。恩寵が休ませてくれないです、何故か。笑

>自己愛
皆幸せになる→皆優しい気持ちになる→私も優しい世界を生きられる
と考えると、確かに自己愛かも!と思いました。
そして絵の事をお願いした神社に描けましたとお礼に行きました。

>真の自分の中に、個のあなたも、個のみんなも入っている
これはまだよくピンと来ないです。以前はよく真の私が個の私を包んでくれていましたが
実は個の私だけを包んでいたのではなく、全てを包んでいたという感じでしょうか。

最近は包まれ感をあまり感じられないのですが、これについては
真の私と個の私は常に一緒に居るので、抱いてと言っても既に抱かれているので
これ以上抱きようがないから感触を感じないのかなと思いました。じゃあもういっその事
もっともっとぎゅーっとくっついたらどうなるか。全身全霊で真の私と抱擁を交わしたら。
そうしていたらある時ヒュッと吸い込まれそうになったんですよね。
びっくりしてイメージの中で突き放してしまった。チャンスを逃してしまったのかも。

イメージの中で個の私を自我が芽生える前の赤ちゃんにして
はいどうぞと真の私に手渡した事も有ったんですけど
その後プチ体調不良になったので手渡した赤ちゃん返してもらいました。笑

心に聞くが出来なくなってしまったなぁと思っていたら「絵を描くならネタ提供するよ」と
返答が有りました。なぁんだ通話出来るじゃないか。という事で
「探求の指導はお手柔らかにお願いします」「えーどうしよっかなー」
「もし探求を止めたいと言ったら?」「いいよ」この時心の苦しさが和らいだので
やはり探求用として精神に圧を掛けられているという事が解りました。
「やっぱり止めない」「おけ」で再び圧が掛かりました。笑

しかし個の私が違うここじゃない還りたい還りたいと言い続けているし課題は出続けるしで
もう祈ることにしました。大きな私をただ想う、ただ祈る。をしていたら
「もう両手上げて降参して私がそれでしたって認めるだけ」と返答が来て
えっそれだけ!?とその時は思ったけど後から考えるとよく解らない。
自分のバージョンが高い時と低い時があって、高い時に気付いた事って低い時には理解不能。
高い時にそれが出来たら行けるのかなぁと思ったりしています。

でも何で答えを教えたんだろう。「大きな私ちゃん、祈られると弱い?」「うん」
そうなのね!?じゃあ祈るし想うわ〜!
そして課題が止まったタイミングで休憩もしっかり入れていきたいと思います。

652幸せな名無しさん:2025/12/20(土) 10:22:39 ID:S1fy1ZEg0
真の私への祈りが、そのまま私に沁み込んで来る

653幸せな名無しさん:2025/12/20(土) 11:37:23 ID:S1fy1ZEg0
私への祈りになっちゃったみたい

654り改め りょうせい:2025/12/20(土) 13:40:31 ID:FiWzNaRE0
>>650
あなたがこれまでに恋人ができたことがないのなら、それは確かに「流れとして」起きてきました。そしてその流れは、これから変わるかもしれないし、変わらないかもしれません。
どちらも、この時点では正解でも不正解でもありません。

まず整理しましょう。
そもそも、恋人とは何でしょうか。
人生で一度だけすれ違う通行人は、恋人ではありませんね。知り合いですらありません。
けれど、その通行人を認識し、挨拶を交わし、
会話をし、時間を共有し、あなたの意識の中で相手の登場回数が増えていくと、それは知り合いになります。

さらに、会話やコミュニケーションの濃度が増し、感情が動き、関心が向き合うようになると、その関係が恋人と呼ばれるものになります。

つまり、恋人とは突然どこかから現れる存在ではなく、関係が育った結果として立ち上がるものです。
ここで、ひとつ現実的なたとえを出しますね。
あなたが職業紹介所に行き、
「仕事を探しています。まだ一度も働いたことがありません」と伝えたとしましょう。
紹介担当者は「それなら、今ご案内できるのはこの仕事ですね」と言います。

あなたが「もっと条件のいい仕事はありませんか?」と聞くと、
「それにはスキルや経験が必要です。今はこの条件になります」と、こう返される。

このとき、あなたの選択肢は二つです。
・まず、できる仕事から始めて、経験を積み、ステップアップする
・紹介は断って、自力で仕事を探す

これは、恋愛で言えば、
「付き合えれば誰でもいいのか」それとも
「自分の理想の相手じゃないと付き合いたくないのか」という選択と、ほぼ同じ構造です。

もし後者を選ぶなら、自分で相手と出会い、
関係を作り、ときに断られ、傷つきながらも挑戦を重ねる必要があります。

恋愛も、構造はほぼ同じです。
ここで、多くの人が一番しんどくなるポイントがあります。それは、どちらも選ばないまま、時間だけが過ぎていくこと。理想じゃないから動かない。でも、自力で探す覚悟も持たない。

これは、
・できる仕事を断り
・フリーで探す努力もしない
のと、まったく同じです。
何も選んでいないのに、人生だけは確実に進んでいくわけです。

恋人ができなかった理由は、あなたに価値がないからでも、魅力がないからでもありません。
ただ一つ、これだけです。選択に伴う代償を、まだ引き受けていなかった。

だからといって、いきなり「たった一人の恋人」を探す必要はありません。
まずは、
「この人と知り合いたい」
「この人と話してみたい」
そう思われる状態を、少しずつ増やしていきましょう。たとえば10人くらいに、「一緒にいてもいいな」と思ってもらえる在り方を育てる。
そのモードに入ると、恋人が生まれる可能性は自然に広がります。

そして、何より大切なのは、ここです。
まず、「自分が自分と一緒に存在していること自体に、″価値があるという感覚″を、少しずつ思い出すこと。」
自分の価値を否定するクセを、いきなり消そうとしなくていいです。ただ、少しずつ減らしていく。

あなたは、自分に価値がないから恋人ができないのではありません。
「自分には価値がない」という強烈な誤った催眠があるために、その催眠を壊しかねない出来事、つまり、恋人ができる流れそのものを、
無意識のレベルで避けているというケースが本当に多いのです。

だから、恋人と恋愛する前に、
「恋人と恋愛している日常」に向かう種を蒔く。そして同時に、「自分には価値がない」という種まきを、徐々にやめていく。

最後に、ひとつだけ大事な話をします。
「私には価値がある」
「私には価値がない」
この二つは、どちらも、まったくの幻想です。

真理そのものは不変だから、変えられません。
だけど、幻想は幻想だからこそ、変えられます。恋人ができるかどうかは、単に「起こるか・起こらないか」だけの話ではありません。

あなたは恋人が欲しい。そうですよね?

これをどれだけ真剣に望んでいるかは、
その願いのためにどれだけ「これがなくなったら困る自分」を失う(捨てる)覚悟があるかで決まります。
・孤独に慣れること
・期待しないふり
・どうせ無理という保険
・傷つかないための距離
それらを残したままの「恋人が欲しい」という願いは、願いではなく、願望の形をした安全装置です。

実際には、本当のあなたの価値は、誰にも証明できず、誰からも与えられません。
それは、ただ在ります。思い出されるか、忘れられたままか。違いは、それだけです

あなたに、必要な出会いと流れが訪れることを祈っています。

655幸せな名無しさん:2025/12/20(土) 18:01:37 ID:DkS3bHB20
>>654
私はこの質問をした者ではないですが強烈に腹が立ってしまいました。
全ては流れである、起こることは起こるけれど起こらないことは起こらないと言いながらあなたが選択するのを怖がってるから先延ばしになってるだけだってどういうことですか??
広い目で見たら全ては恩寵によって動かされている、けれど寄って見たら自分が選ぶことが出来るって事ですか?それってどういう事ですか?
エゴ(?)には一生分からないんですか?私のエゴの理解度が低いんですか?でもその理論って本当に新興宗教の教えと同じロジックじゃないですか?
あなたにはまだ分からないから意見を言う資格がないんだって言われてしまえば、もう誰も何も言えないし、だったらネットに書き込む意味も分かりません。
そもそも恋人が欲しいと思う事も、だけど人と一緒にいたくないと思う事も、人と一緒にいたくないという思いが浮かぶ過程も、全部自分で選んだことじゃないですよね?
私は少なくともそう思います。怠惰だと言われようと、潜在意識なんか調べようとする奴なんか頭おかしいことなんて分かっていても、それでも調べざるを得なかったんです。それくらい追い込まれたのはそれまでの人生で、努力して、挑戦して、選択して、苦労して、傷ついて傷ついて、もう動くのが怖くなるほど弱って追い詰められたからです。
ふわふわと風水を信じるように潜在意識の世界に迷い込んで、それで何となく願望が叶ったり真理(?)に到達するタイプもいるでしょうが、そうじゃない人だってたくさんいます。
自分には価値があるという事も価値がないと思う事も等価だというのは、まあ頭ではそうだろうと思いますが、それを納得したいが為にみんな願望を持って、それを叶えるために苦しんでるんじゃないですか?
幸も不幸も広い目で見れば同じだというのは、例えば日本で戦争が起こって徴兵されて酷い死に方をしようが、億万長者になって人に愛されて何不自由なく暮らそうが、それは一緒だって事ですか?
だとしてもそれを納得できる日なんて一生来ないと思います。

656幸せな名無しさん:2025/12/20(土) 20:29:57 ID:jqCZZtvA0
何AI回答に怒ってるの?けつあつがあがるよ。私なんてAIに高倉犬って名前つけてるからいつも高倉健になりきった犬が回答するわ。けつあつはさげろ。

657幸せな名無しさん:2025/12/20(土) 21:32:16 ID:DkS3bHB20
>>656
もうちょっと建設的な返答とか出来ない?
別に見当違いな反論してるつもりないんだけど。
怒るな、だけ?

658幸せな名無しさん:2025/12/20(土) 22:34:16 ID:yPS1/bqk0
>>655
ヨコですが、全く同感。

659幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 01:20:31 ID:c4z8wOKk0
やっぱり回答AIかー
長いから読んでなかったけど

660幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 06:54:13 ID:cl0SeREc0
>>654 好きな人に勇気を出して連絡したけど拒否されました。自分はやっぱり人間向いてないんだなって思いました。

661幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 06:56:20 ID:cl0SeREc0
そもそも人間不信させたこの世界が悪いだろ。だから自分はこんな人間に生まれたわけであって

662幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 07:19:43 ID:cl0SeREc0
aiだったのか。なんか納得した

663幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 10:43:05 ID:EeoJbpKo0
仮にAI(生成AI?)だったとしても、りょうせいさんと何回かやりとりさせていただいて、私個人は学ぶことがあったのでよかったと思います。

ちなみに、ChatGPTとやりとりしたことがありますが、りょうせいさんとのようなやりとりほどのやりとりはできませんでした。ほとんど学ぶべきことはありませんでした。

664幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 11:12:16 ID:LnEzloGw0
毎回凄い情報量の書き込みをして下さるので、もしかしたらAIも活用されながら
ご自身の体験等を織り交ぜてお話しして下さっているのかなとも思っていました。
りょうせいさんとレスのやり取りをさせて頂く中で探求を進めて行く事が出来ているので
本当に大感謝なのですが、それを個のりょうせいさんにお伝えしても
「恩寵ですね」とだけ返答されそうな気はしています。笑 確かに間違いなく恩寵です。

665幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 11:38:05 ID:EeoJbpKo0
>>232 で、りょうせいさんは

>また、早く文字打つとどうしても文が乱れるので、誤字脱字チェック用のAIアプリは噛ませています(彼らはほんと、咀嚼が早い)。

と書いています。

内容、立論はご自身でされて、誤字脱字チェックだけでのAI利用ではないでしょうか。

666幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 11:52:40 ID:Drs7VvPw0
達人さんはAIだったのさ
〜完〜

667幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 11:58:47 ID:EeoJbpKo0
>>664
>毎回凄い情報量の書き込みをして下さるので

自分は生成AI登場前に、仕事で部下に指示出ししたり質問の受け答えをしたりしながら、書類やメールをものすごいスピードで入力し、誤りなく次から次へと仕上げていく人を見たことがあるので、その人の情報処理量に比べるとまだ少ない(失礼!)ので、素であり得るだろうと思っていました。

668幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 12:28:07 ID:LnEzloGw0
>>667
確かに!物事の処理スピードが尋常じゃなく早いし質も高い
超人みたいな方って実際にいらっしゃいますよね。
りょうせいさんもその方々と同じなのかも知れないなと思いました。
自分の処理スピードが亀さん過ぎるので気付けませんでした。笑
ありがとうございます!

669幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 13:01:43 ID:LnEzloGw0
りょうせいさんに質問しちゃいますです。
真の私に祈るとそれが自分の胸に届く感覚はあります。
祈りが大切なのは解りましたが、用事をこなしながら隙間時間にずっと祈っていたら
何に対して何を祈っているのかが解らなくなりました。
大きな私ちゃんに質問しても「恍惚…!」と言う返答が来て意味不明です。
この状態は一体何なのでしょうか。

670り改め りょうせい:2025/12/21(日) 15:25:46 ID:h3zprBpo0
>>660
>好きな人に勇気を出して連絡したけど拒否されました。

→それは素晴らしい勇気ですね。ナイスです。
個の私たちは、どれほど悪夢を見ようとも、
悪夢が消える瞬間、つまり、飛躍が起きると、
喉元過ぎれば熱さを忘れるように、
また、オセロでたくさんの黒が白に反転するように、

「はぁ、本当に良かったw 悪夢?なんだったっけ?」と嘘のようにトンネルから解放されます。(つまり、ほんとに嘘だったわけです。笑)なので、以前の流れはまったく関係ありません。
これからのあなたは、素晴らしい恋愛をすること、また恋人を作ることを強く望んでしまうのだとしたら、その可能性をすでに所有しているのです。

そして、その一歩の起こりが偉大なんです。
結果はどうあれ、理想の恋人とお付き合いした際、付き合いを長く継続させていく過程で、
その過去の小さな一歩の勇気は必ず活かされます。
今は、段階的に少しずつ、モヤモヤ(恋人実現は困難だという世界観)を晴らしていかれるのがいいかと思います。

>自分はやっぱり人間向いてないんだなって思いました。

→真のあなたは、人間であり、同時に想像を超えた最も偉大な存在です。これはどうかお忘れなく。

これはあくまで個のりょうせいの物語ですが、若いとき恋愛系の学びが多かったので、これまで片想い系からグレーゾーン系の恋愛wまで、恋愛系の悩みを聞く機会が多かったんですね。
男女問わずあらゆる物語にたくさん触れてきましたが、恋愛の構造。また、実現のために大切なことはほんとにシンプルです。

1.個の精神的傾向を少しずつ恋愛成功体質に整え、数多く恋愛につながる、恋愛運の流れを少しずつ上げていく。
2.できる範囲で異性にアプローチする流れの種を蒔き続ける。
3.そして、疲れたら休む。(これが重要)
時に周りの人に励ましてもらいながら勇気を燃やし続ける。笑 回復したらまた動く。
※注意ポイントは、他人の恋愛の成功に否定的になりすぎないことです。

このサイクルが、進めば進むほど、
あなたには当たり前に愛される価値がすでに備わっていることを、少しずつ思い出していかれると思います。

もちろん、ここは掲示板ですし、個の物語や気質・性質に沿った、段階的な返信には限界がありますが、大枠の構造の描写はそんな感じです。

私から起きる表現も、ほとんどが、
エゴ、心とはどう動くか?の大枠な構造描写や力学の説明なので、個のあなたの気質に合致しているかどうかはなんともいえません。

少しでも参考になるなら良いですが、真理探求のレイヤーの話とはまったく方向違いのテーマなので、こういった個人的な私の意見は聞き流し程度で構いません。笑

671り改め りょうせい:2025/12/21(日) 15:35:00 ID:h3zprBpo0
>>665
私、一気にドーンと出てくるので、
誤字脱字の校正通さないと、
ほんとに誤字脱字が多いんですよ。笑

一応質問をコピー&メモ帳にペーストして、
書いたあと、読み直しチェックはしていますが、出先や、時間ない時はAIに校正チェックさせています。
ずいぶん前に書いたレスを覚えててくれてありがとうございます。はい、ちゃんと個が書いてます。笑

672幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 15:52:46 ID:5yFTUvT20
りょうせいさん、655さんの質問にもこたえてあげて。
ここは非常に重要な点。
結局、あなたは個人の意思や行動が必要だと考えているのか、それともそれとは関係なく、「起こることは起きるし、起きないことは起きない」と考えているのか。

673り改め りょうせい:2025/12/21(日) 15:54:34 ID:h3zprBpo0
>>669
真の祈りとは、「私は私で在る」という、
常に変わらぬ、生まれてからこれまで、
一切変わらない、真の自己として在るということです。

つまり、祈る主体・祈られる対象、これが一つに合一(合体)している状態の描写説明なんですね。

なので、あなたの日常で祈りが起こる。
それは、初めは個が″やること″かもしれない。
それでも、段々と深まっていくと、「私は私である」(もちろん、これは個の私ではなく、真の私です。)
という、意識そのものの立場が増えてくるわけです。

ポイントは、この回数が増えていくことです。
それを時間をかけて、何度も何度も起こしていくわけです。つまり、この思い出すことの頻度のアップが、「私は在る」が深まる段階です。

「私は在る」つまり、本当の私として在るという立場は、個が、「私は理解した」「私は知識を手に入れた」というレイヤーではありません。

「私は在る」から、概念や想念が流出され動き回ります。

それでも、「私は在る」は依然として「私は在る」としてあり続けています。

恍惚が起きた。それはそれで起きたこととして否定する必要はまったくありませんが、
ポイントは、恍惚が起こる以前、また、その最中、また、それ以後も、真のあなたは、真のあなたとしてただ在り続けています。

その描写は常に動き回る個や世界からしたら、
「静寂」「サイレント」「平和」(他にも様々ありますね)として描写されています。

674り改め りょうせい:2025/12/21(日) 16:53:37 ID:h3zprBpo0
>>672
お答えします。結論から言うと、両方です。
個と世界のレイヤーでは人は意思を持ち、
考え、行動し、選択して生きています。
このレイヤーでは、行動しなければ何も起きません。これは責めでも指示でもなく、単なる構造の話です

一方で、意識・全体性のレイヤーから見ると、
その選択や行動そのものも含めて、すべては流れとして起きています。どちらかが正しく、どちらかが間違いなのではありません。
視点の立場(レイヤー)が違うだけです。

このスレでは、質問の内容や温度に応じて、
どのレイヤーから答えるかが自然に変わります。
そのため、第三者から見ると表現が揺れて見えることがありますが、それは矛盾ではなく、
前提としている視点が違うだけです。

675幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 18:51:48 ID:5B9Zuu/o0
前世の記憶があって、それをもとに、生まれてきた環境、親、自分の性質などが、「内面の投影」として現れているのでしょうか。
「生まれる前に計画を立ててきた」というようなことを、よく聞くと思うのですが、それは、意識・全体性のレイヤーから、「それぞれの個の私」に対して計画を立てた、ということでしょうか。よろしくお願い致します。

676幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 20:03:19 ID:KeoEvVYw0
>>674
ということは、結局「個」の立場から三次元的な願望を叶えるには行動が必要ということですね。それは起きるから起きるのではなく、個の私が起こさないといけないということですね。

677幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 20:55:46 ID:zdBUybAA0
全体=個ってことでしょ
個が頑張ろうと行動を起こすのは、全からの流れでもある

678幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 21:25:01 ID:KeoEvVYw0
>>677
そこは否定したつもりはないです。問題は、願望実現のためには個の意思や頑張りが「必要」かどうかというかところじゃないでしょうか。

679幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 22:30:33 ID:InwRFH3w0
>>675
りょうせいさんがどう答えるかはわかりませんが「前世」というレイヤーがあります
この世界にレイヤーは無数にあります

>>678
それは議論の余地あるかな?既にわかっているように見える

680幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 22:55:53 ID:EeoJbpKo0
自分の感覚での話ですが

意識が個に同一化している視点、エゴ視点では世界で起こった出来事に対してエゴが解釈して決断して行動している。

意識が個に同一化していない視点、在るの視点では世界で現象が起こり、それに対して個の反応が起こっているだけに見える。

前者のように感じることが多く、後者のように感じることは数少ないですが、そんな2つの状態があります。

また、同時に2つの視点というか感じ方が併存していることもありました。

681幸せな名無しさん:2025/12/21(日) 23:45:13 ID:zu9TMgBQ0
655さんも言ってるけど、都合によって個の立場から回答したり、全体の立場から回答したり、普通の人から見たらダブルスタンダードに見えることが問題なんでしょ。
このスレは願望実現したい人向けではなく、願望から解放されたい、あるいは気にならなくしたい人向け、とりょうせいさんが明確に交通整理してくれればこのような混乱がなくなるでしょう。
この点はこれまでの達人さんもあまりはっきりとさせてこなかった論点で、引き寄せ難民が生まれる原因の一つになっていると思う。

682幸せな名無しさん:2025/12/22(月) 00:17:14 ID:ET.kjoBU0
全体の立場説明だと「そのまま」としか言いようがないよね
個の立場からすれば全部恩寵なんで、迷うなら迷う、やるならやる、これも「そのまま」だw

683幸せな名無しさん:2025/12/22(月) 01:33:35 ID:lt7L/8ZI0
>>673
真の祈りについて教えて下さり、ありがとうございます。
頭で理解しようとしても出来ないので、頂いたレスを読み返しながら
実践に活かしていきたいと思います。

前世の話題が少し出ているので、以前から疑問に思っていた事を思い切ってお聞きしてみます。
「ツインレイ」というものは本当に有りますか?
人生の中で(年齢・性別を問わず、親しい・親しくないを問わず)普通に日常の中で
相当な人数と出会ってきていると思うのですが、あそこまで強烈な懐かしさを覚えたのは
ただ1人だけなんです。疑問に思ったので友人に「絶対に初対面なのに誰かに対して
強烈な懐かしさを感じたこと有る?」と聞いたのですが「普通に昔会ったことあるんじゃないの?」と
言われただけでした。当時11歳だったので昔なんてあんまり無いし、引っ越しも有ったし
以前会ったとするならば前世か?などと思っていました。好みのタイプだからビビッと来たとかでは
絶対にないです。なので1年後位に自覚したどうしても惹かれてしまう理由も全く解りませんでした。
質問したい内容としては
・前世の記憶により初対面の誰かを懐かしく感じる事はありますか?
・ツインレイというものは本当に存在しますか?
あってもなくてもどちらでも良いのですが、もし本当にあるとしたら個人的に思うのは
ネット上にあるツイン関連の情報は商売に利用されて恋愛面が強調されて
何かちょっと違うような、やや歪んでいるような気がするなとは感じています。

684幸せな名無しさん:2025/12/22(月) 02:17:17 ID:lt7L/8ZI0
肝心な情報が抜けていました。
勉強室みたいな場所で他にも席が空いているのに真ん前に座って来たり
(机の下で時々膝が当たってしまう位の至近距離で互いに無言のまま30分ほど)
特に珍しい名前でもないのに良い名前だなと褒められたり等あったので
両片思いの可能性は有ったと思います。ものっっっすごい悪態もつかれまくりましたが。

685幸せな名無しさん:2025/12/22(月) 02:20:16 ID:JM03Ay8g0
>>674

横から失礼します。

読ませていただきながら、自分が、ある人(妻)に告白して付き合って結婚に至ったときのことを思い出しました。

振り返ってみると告白したのは、自分の意志(意思というより意志と今は表現したい)とも言えるし、同時に自動的にそれが起こったとも確かに言えます。

勇気を持って覚悟を決めて告白したとも言えるし、自分ではどうにもできない力により、同時に自然な流れにより告白したとも言えます。

個と世界のレイヤーの視点から言えば、相手と付き合うことになったら結婚することを決めて勇気をもって告白したと言えるし、意識・全体性のレイヤーの視点から見るとすべては流れとして必然みたいに起こったと言えます。

個と世界のレイヤーの視点で見て、彼女と付き合って結婚するにはどうしたらよかったかというと、勇気を持って覚悟を決めて告白しろということになり、意識・全体性のレイヤーの視点で見ると、流れに任せろ、必然に従え、みたいな感じになるのでしょうか。

個と世界のレイヤー視点と意識・全体性のレイヤー視点の行動・出来事が同時に起こったように、今思い返してみると見えます。

686幸せな名無しさん:2025/12/22(月) 03:05:15 ID:JM03Ay8g0
>>685 の続き

では、それ以前の別の異性との間でうまくいかなかったときのことを振り返ってみるとどうなのか。

個と世界のレイヤーの視点で見ると、それでは相手とうまくいかないだろうということを繰り返していたことになる。

意識・全体性のレイヤーの視点で見ると、流れに任せていなかったということになるように思います。

トータルで振り返ってみると、こうした失敗も当時の自分としては苦しんだけれど、ある一時的な体験をしたときには、成功も失敗もすべての場合を経験したうえでの自分自身の選択で完璧だったという確信が生じたことがありました。今は、その確信まではないですが、そうなのかもという程度です。

今はただ、思考停止やその他の方法を実践して脱同一化を意図したり、「私は在る」を観想したりしながら、そうしていると何らかの認識に至るかもしれないと思っていたはずなのですが、今これを書いている時点では、どうでもいい感じです。明日、目が覚めるとまた違うことになっているかもしれませんが。

687幸せな名無しさん:2025/12/22(月) 11:08:21 ID:3FFuMSfg0
全体としては勝手に起きてますが、個人の視点からしたら自分がやってるように感じるだけで、それすらも全体の起こりで例外はないんだと思います。
もし、個人の選択に自由意志があるなら、今自分が不幸なのも過去の自分の選択のせいになるので、原因を突き詰めて行ったら生まれたこと自体が間違いになるので

688幸せな名無しさん:2025/12/22(月) 14:53:04 ID:QIvyDO.I0
>>629です。返信ありがとうございます。

>もともと福音とは、個という錯覚や眠りから目覚めるための「知らせ」という側面を強く持っていた。つまり、個という大きな誤解をほどくための福音だった、という見方もできると思っています。

久しぶりにマーフィーの本を読み返したところ、エマソンの引用がいくつかありました。
福音書は読んだことがありませんが、「個という錯覚や眠りから目覚めさせる」という側面があるのが興味深いです。
ある女性が著書の中で、人間本来の姿を「無位の真人」と表現した臨済に言及し、「すべての不幸な出来事も、トラブルや問題も、起こりうるすべてのことが、私たちをこの『人間本来の姿』に気づかせるために起きているのかもしれません」と書いていたのを思い出しました。
そして私自身も今それを体感しています。苦しかった出来事はまさに恩寵だったのだと。(でもこの体感も起きただけですね)

>「作為/無作為」という二元を超えるために、まず第一に、そもそも「ただ在る」ことこそが主体だった、という事実に気づく必要があります。
>あなたにできるのは、相手が少し冷静に静まったタイミングを見計らい、「そうなんだ。大変だったね。でも、それは夢だよ」と伝えることです。

そうですね、「ただ在る」が主体。
個として今振り返ると、エゴをどうにかしたいと思う一見正当な存在もエゴだと気づけたことが大きいです。

689幸せな名無しさん:2025/12/22(月) 15:07:01 ID:foM3MR120
>>688>>645のりょうせいさん宛てです。
失礼しました。

690幸せな名無しさん:2025/12/22(月) 17:25:27 ID:Q5qTjKPM0
>>679お返事をいただきまして、ありがとうございます。

>「前世」というレイヤーがあります
この世界にレイヤーは無数にあります

無数にあるレイヤー(層・階層)の中の一つに、「前世」というものがある、ということなのですね。「個の私」からは、「前世」や「生まれる前に立てた計画」のことは、わからない状態ですが、とても興味深く、たまに気になるときがあります。ありがとうございます。

691り改め りょうせい:2025/12/22(月) 20:43:25 ID:.s/kZ7zU0
>>675
前世がある/ないというより、
これをざっくり記憶としてしまいましょう。

たとえば、過去の記憶が起きます。
また、未来の想像も起きます。

これがあるから二元の世界が成り立つわけですね。記憶がなければ、時間の概念も、物語の概念も成立しないし、あなたは誰とも共通認識としての会話も成立しないわけです。

>記憶があって、それをもとに、生まれてきた環境、親、自分の性質などが、「内面の投影」として現れているのでしょうか。

→個・心の潜在的な傾向というのはあなたの言うとおり本当に様々です。
まず初め「私」という、自我が芽生える前に、
実はあなたは意識そのものとして存在していました。ある瞬間に意識は肉体・マインドと同一化しました。


>「生まれる前に計画を立ててきた」

夢の中を思い出してください。
ある夢が始まった時点で、夢は全体でありながらも、その進行中には「主人公と/主人公以外」の分離はすでにあり、どんな内容であれ主人公の物語が進行していきます。
主人公の視点から見れば、その夢の開始時点で、その夢の過去も未来も、前提として存在する概念システムに組み込まれているわけです。

全体は全体の流れとして、意識や全体が私であったとあとから気づかれていく流れが、
全体の現れそのものとして起き続けています。
しかし、それは、誰かが意図して悟らせようとしている、という話ではありません。
ただ、夢が放出されたということ自体が、
その夢がいずれ終わる可能性を、はじめから含んでいるというだけの話です。
呼吸のように、吐いたら、いずれ、吸いこむ。
そこに計画や目的があるわけではなく、
ただ、そういう構造になっている、ということです。

はっきり言うと、多くの個は、たとえどれほど側から見て幸せそうに見えても、意識の繰り広げる夢に苦を感じています。ただ同時に、夢から覚める可能性も、構造として最初から含まれているという話です。
私は、その可能性が最初から含まれていること自体を、恩寵と呼んでいます。

前世や来世の話は、夢の中でだけ成立する概念として、「生まれる前に計画を立ててきた」というアイデアが夢の中だけで存在するという話です。

692り改め りょうせい:2025/12/22(月) 21:24:27 ID:.s/kZ7zU0
>>676
まず、願望とは何か?をあらためて見てみましょうか。
たとえば、ある人が知らない町で迷子になり駅を探しているとします。
スマホは電源切れで、地図も見られない。
なんとなく直感で、(次の角を曲がったら駅がある気がする)そう感じて、実際に角を曲がったら駅があった。

さて、ここで
「願望が叶った」「願望実現をした!」
という思考が湧き、喜びが起きたとしたら、
願望という概念と願望が実現したという概念が、あとから物語の中で信念として成立します。

一方で、
「ようやく駅を見つけた。まったく、迷子になるなんて最悪だ」という思考が湧き、怒りが起きたとしたら、災難という概念と災難が実現したという概念が、同じ出来事から成立するわけです。

これを踏まえて構造を見ると、どんな個であっても、物語は常に起き続けています。
そして、どんな個であっても、誰かから
「なぜ、あなたにそれが起きたんですか?」
「何をしたから、それが起きたんですか?」
と本音で聞かれたら、だいたいこう答えるでしょう。

私はこんなふうに考えて、これをした。
そのあと、あれをして、そしたら◯◯が起きた。
さらに突っ込まれたら、こう続きます。
「なぜ、そう考えたんですか?」
「なぜ、その選択をしたんですか?」
「なぜ、途中で諦めなかったんですか?」
「どうやって◯◯を起こしたんですか?」

すると、こう答えるでしょう。
「あの時は他にも選択肢はあったけど、それらを選んだ。なぜか、そうしたんだ」

では次に、
「◯◯を起こしたいと思っている人に、あなたが言えることは?」と聞かれたら、こうなるはずです。

「私は◯◯が起きた。それは、起きる可能性があるということだ。私にも起きたんだから。だから、◯◯を起こしたいと思っている人にも、起こる可能性はある。それだけだ」
だいたい、こんな感じなんです。

願望実現について、世界があなたに伝えてくるのは、「これさえやれば100%叶う」という話ではありません。
ただ、可能性を上げていくために、やれることがあるならやってみるといい、それくらいの話です。

行動というのは、外側の動きだけではありません。意図や熱意、ときに休む(充電する)のも含めて行動です。潜在意識板でメソッドを学ぶのもその人なりの行動です。
つまり、プラスになりそうだと感じることは、なんであれやってみる。マイナスになりそうだと感じることは、控えてみる。

ただし、それが本当にプラスだったのか、マイナスだったのかは、実現したあとにしか分かりません。
だから、基本は暗中模索の試行錯誤の繰り返しです。誰にとっても、そこは同じだと思います。

693り改め りょうせい:2025/12/22(月) 22:21:46 ID:.s/kZ7zU0
>>681
私自身は、意識の視点からただ返信することが起きている、そう捉えています。
ただ、その起きた返信が、読み手にとって、意識の視点に見える時もあれば、個と世界の視点に見える時もある。
また、ときに読み手からすれば、そのズレがダブルスタンダードに見えることがあるのも理解しています。

私としては、真理探求者には、目覚めの流れが進みますように。
本当の自分に還っていく方向が、自然に起きますようにと思っています。
個と世界には、真理探求の流れに入る可能性が開かれますように。
そういう意図があり、スレを立てたのも、結果的にはそういう理由でした。
ただ、それを潜在意識板で立てたのは流れです。私としては、いい経験をさせてもらいました。


>このスレは願望実現したい人向けではなく、願望から解放されたい、あるいは気にならなくしたい人向け、とりょうせいさんが明確に交通整理してくれればこのような混乱がなくなるでしょう。

なるほど。たしかにここは、誤解されやすいところなので、あらためて整理して書いてみます。

あえて分けると、
潜在意識という概念自体を知らない一般の人
潜在意識という概念を知っている人
真理探求者

実はこの全員、「願望実現したい人」です。

ただし、真理探求者の願望は、
方向性の違う願望実現です。

一般の人や、潜在意識を扱う人は、夢の中で、より理想的な夢に変えていく方向。
一方、真理探求者の願望は、夢から完全に目覚めること。つまり、夢そのものから脱出する願望の実現です。

一般の人は、願望実現のために、
エネルギーや時間や感情を代償として捧げます。

潜在意識を扱う人は、願望実現のために、
メソッドを学び、実践し続けることにエネルギーを捧げます。

真理探求者は、真理実現のために、
エゴ(私・個としての偽主体)そのものを、意識に差し出していきます。

これは優劣の話ではなく、どこにエネルギーが向いているかの違い。このスレは基本的に、夢から目覚める方向を持っています。
ただ、今はまだ目覚める気がまったくない人でも、ウェルカムですよ、というスタンスです。

そして正直に言えば、夢から目覚める方向に1%も関心がない人は、ここでのやり取り自体に、そもそも興味が湧かないと思います。

また、自分が何を求めているのか、まだはっきり分からない人でも、私としてはウェルカムです。
夢とは何か。夢の構造とは何か。エゴとは何か。本当の私とは何か。
そのあたりの構造に興味があるなら、何かしら参考になる部分はあるかもしれません。

ただし、私は願望実現の達人ではありません。
こうやれば絶対に叶う、という方法も持っていません。
このスレを読んで、
目覚めの方向に流れが進むことはあるかもしれません。ただ、夢が叶う、現世利益がある、
それが必ず起きるとも、絶対に起きないとも、
私は言えません。正直、5秒後に何が起きるかなんて、誰にも分かりませんから。

そして、夢から目覚める方向に進む人の多くは、個として生きることや、世界の無常な仕組みに、どこかで言いようのない強い苦しさを感じています。
意識の繰り広げるマーヤを一つの国だとしたら、脱国したいタイプが多い、という感じです。

それが良い悪いではなく、ただ、そういう方向性があるかどうか。なぜなら、それがなければ、マーヤは超えられません。
また、一言で言えば、真理探求と潜在意識板では、カラーがかなり違います。
このスレは、潜在意識を使って願望を叶えよう、というテーマではない以上、
板の性質上、違和感が出るのも自然だと思っています。その意味では、流れとして、そろそろこのやり取り自体が一区切りになっても不思議ではありませんし、無理に続ける必要もないのですが、スレが進むうちはスレが終わるまで質問があれば返信する。そういう感じです。

694幸せな名無しさん:2025/12/22(月) 23:33:38 ID:JM03Ay8g0
私個人は、現世利益的な願望実現と真理探求的な願望実現の両方を求めているので、りょうせいさんのこちらのスレは本当に助かっています。

695り改め りょうせい:2025/12/22(月) 23:57:22 ID:usZxbUwg0
>>683
意識の見せる夢というのは、構造として無限の可能性を秘めています。目覚めるという流れは、生きとし生けるものすべてに、常に招待状として差し出され続けています。

ただ同時に、意識はその夢のリアリティを保つために、それが作り物であるということを、
あらゆる手を変え品を変え、「夢こそが真実である」という魔法で覆い隠します。

個と世界の観点から見れば、
前世・来世、ツインレイ、妖精、ドラゴン、
水の上を歩く、山を動かす、空を飛ぶ、
超能力、宇宙人、神が現れる、臨死体験、
タイムリープ、構造的可能性としては、なんでも起き得て不思議じゃありません。笑

簡単に言えば、あなたにツインレイ的な物語が起きるなら、起きるでしょう。
それは良い悪いの話ではなく、物語のルートとして書かれていたら、起き得る、というだけです。

そうなると、運命はあるのか?カルマはあるのか?前世・来世の構造は?
と話は広がっていくでしょうが、
夢から目覚めれば、それらすべて、
想念的な物語だった、とも言えます。

また、前世であれ、昔の思い出であれ、
過去の記憶が消えていくのは、私は「恩寵の配慮」だと捉えています。
無数の記憶や想念をすべて保持したままでは、
個のマインドは正気を保てず、とても耐えられないからです。そのため、不必要なものは、
自然と忘れ去られていきます。

また、夢から目覚めればすべては想念的物語だと言えますが、それがその人の人生に強く刻まれる体験だった、という事実まで消えるわけではありません。
個を否定したり、無感覚や虚無になって生きろ、というお話ではない、ということだけは補足しておきます。

696幸せな名無しさん:2025/12/23(火) 00:42:19 ID:KE9u7nmQ0
>>691 お答えいただきまして、ありがとうございます。

>ある瞬間に意識は肉体・マインドと同一化
>概念システムに組み込まれている
>夢から覚める可能性も、構造として最初から含まれている
>夢の中でだけ成立する概念として、

何となくですが、わかりそうな気がしています。
夢の中だけでの概念や、お話だったのですね。
記憶や計画のことは、もうあまり考えないようにしたいと思います。

いずれは、意識や全体が私であったことに気づける、夢から覚めることができる、少しでも早くに! と思いながら、内側の静けさに寄り添っていたいと思います。ありがとうございます。

697り改め りょうせい:2025/12/23(火) 01:03:59 ID:xam35uTI0
>>696
>夢の中だけでの概念や、お話だったのですね。
→そうです。真相は起きていないのに、表面的に起きているように現れ、表現され、動き回ります。
>記憶や計画のことは、もうあまり考えないようにしたいと思います。

→これは、記憶や、先のことの想像、
計画する/計画しない、
も、起こる時は起こるということです。
思考にも二種類あり、受動的に記憶や感想や判断が起こり続ける思考と、能動的に何かを考え、研究したり、計画したり、どうするかを練る思考があります。
後者は生きるために必要ですし、否定しなくても大丈夫です。
ただし、あとから振り返ると、どちらも起きていたというだけの話です。

>いずれは、意識や全体が私であったことに気づける、夢から覚めることができる、少しでも早くに!と思いながら、内側の静けさに寄り添っていたいと思います。

素晴らしい意欲です。
内側の静けさが、あなたの本性です。
そのお気持ちを大切にしてください。
ここで、逆説的なパラドックスを挟みますが、
なのにもかかわらず、真相的には、すでに真のあなたはその立場です。たった今も。まさに。(真相的には)
こちらこそ、ありがとうございます。

698り改め りょうせい:2025/12/23(火) 01:05:22 ID:xam35uTI0
>>680
>>682
>>685
>>687
解説・説明の書き込みありがとうございます。読んでる方の参考になるかと思います。

>>688
こちらこそ。いいですね。ナイス気づき。
無位の真人、純粋意識、私は在る、本来の面目。ほんとに表現は様々です。笑

>>694
ありがとうございます。それはなによりです♪

>>全員へ
ちょっと用事でバタバタします。返信遅れます
少し早いけど、
みなさん良いクリスマスをお過ごしください。
一応聖なる日なので。笑 ではでは

699幸せな名無しさん:2025/12/23(火) 08:12:19 ID:KE9u7nmQ0
>>697
>どちらも起きていたというだけ
>真相的には、すでに真のあなたはその立場です。

受動的であっても、能動的であっても、起きてきますものね。
内側の静けさを捉えることはできても、なかなかその先が上手くいきませんが、焦らずに進んでいきたいと思います。
どうもありがとうございました。
りょうせいさんも、素敵なクリスマスをお過ごしくださいね。

700幸せな名無しさん:2025/12/26(金) 03:55:01 ID:xzI76Vmw0
わたしはりょうせいさんが潜在意識掲示板でこのスレを立ててくださること、とてもありがたいです。

全体性からの視点と、そこから切り離されたように感じている個人の視点はルビンの壺のようなものだと思っています。つまり、壺に見えているときは壺にしか見えないし、顔に見えるときは顔にしか見えない。だけど実際は常に同時にそこにある。

私自身全体からの視点を垣間見たことはありますが、個人の視点しか見えなくなっているときは「全体」からは当たり前だったことが、ほんとに感覚としてわからなくなってしまう。

そのどちらの視点も同時に見られるりょうせいさんの言葉はとてもありがたいです。

メリークリスマス。

701幸せな名無しさん:2025/12/28(日) 13:57:23 ID:kq1sq2rw0
>>693

りょうせいさん、横から失礼します。

>私自身は、意識の視点からただ返信することが起きている、そう捉えています。
ただ、その起きた返信が、読み手にとって、意識の視点に見える時もあれば、個と世界の視点に見える時もある。
また、ときに読み手からすれば、そのズレがダブルスタンダードに見えることがあるのも理解しています。

そうなんだろうと思いますが、りょうせいさんの

>>654 の投稿は、 第1段落以外はほぼ、読み手にとって、個と世界の視点に見えるというものではなく、個と世界の視点で書かれているように思います。

702幸せな名無しさん:2025/12/28(日) 16:18:49 ID:SPtljlFc0
意識の視点からただ返信することが起きている=常に意識の視点で書いている、ではなくて
この場合は、意識の視点から《質問者の立ち位置(個と世界の視点)に合わせた返信》が起きたんじゃない?

703幸せな名無しさん:2025/12/29(月) 07:00:24 ID:itAIa0JQ0
占いで好きな人の気持ちがよくない結果でした。私が勘違いして暴走してると。
とてもそんな風には感じないけど、これは信じず、好きな人を好きでいて付き合える?

704幸せな名無しさん:2025/12/31(水) 08:44:31 ID:TrMpLZY.0
最近外のカップルを見ると殺意が湧いてくるけど、エゴが暴走してるな。こういう時は願望の実現が近づいてる証拠らしいからポジティブに捉えとく。まだ恋人できたことないけど

705り改め りょうせい:2026/01/04(日) 10:21:31 ID:Edj/68Xw0
あけましておめでとうございます。
今年みなさんにとって良い年になりますように。

706り改め りょうせい:2026/01/04(日) 10:33:10 ID:Edj/68Xw0
>>700
>全体性からの視点と、そこから切り離されたように感じている個人の視点はルビンの壺のようなものだと思っています。つまり、壺に見えているときは壺にしか見えないし、顔に見えるときは顔にしか見えない。だけど実際は常に同時にそこにある。

素晴らしい例えですね。全体性、つまり、一なる意識だけがある。それでも蜃気楼は表面的に浮かんで動いているように振る舞います。
180分の映画が展開し続けていても、
本当はスクリーンしかありません。
そして、スクリーンと映画は本当は分かれていません。映画は変化し続けて平和はつかの間にしか見出されません。それと違い、スクリーンは常に不変の平和です。

>私自身全体からの視点を垣間見たことはありますが、個人の視点しか見えなくなっているときは「全体」からは当たり前だったことが、ほんとに感覚としてわからなくなってしまう。

心が静まれば、個人も他人も静まります。
″私″が静まれば、心も世界も静まります。
「いつか感覚としてわかるようになる。」
のではなく、わかろうと、掴もうとする探求者が静まって、常に、永遠に、消滅しているところ、その領域が、初めから終わりまで真のあなたです。

707り改め りょうせい:2026/01/04(日) 10:38:24 ID:Edj/68Xw0
>>701
そうですね。全体性は、「存在性」として在る。
在ることで、=それであることが成立します。
何かを喋ったり、心が1ミリでも動いた時点で、個としての表現に(見かけ上は)なります。それにもかかわらず実態は常に全体性なのです。

まるで、夢と同じシステムですね。笑

708り改め りょうせい:2026/01/04(日) 10:44:35 ID:Edj/68Xw0
>>703
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれません。
つまり、答えは神のみぞ知るってことでw

意識はただ動きます。ただ運動をします。
心や想念がその動きを判断したり、想像することも、意識の中でただ動きます。
そのため、それを神と表現するなら、
神の意志が起き続けます。
てことで、以上。ってことですね。

709り改め りょうせい:2026/01/04(日) 10:50:09 ID:Edj/68Xw0
>>704
エゴが暴走していることに気づいているのがエゴですよ。「″私″は◯◯だ。だけど◯◯だから◯◯だと捉えとく」といった文脈の、
その″私″が、エゴの根源ですよ。

恋人できるといいですね。
あなたに素晴らしいことが起きるように祈ります。

710幸せな名無しさん:2026/01/04(日) 11:12:55 ID:39CVhtiw0
>>695
夢で夢を溶かすような優しいご返信を有難う御座います。
自分の中に在るものは大切にしながらも、型に嵌めない方が良いなと気付けました。

昨日「合一してしまったらもう大きな私ちゃんに抱きしめてもらえない」と
寂しくて寂しくて泣けちゃって仕方なくなりました。
そんな中でも、ああ、エゴはこう来たかと静かに分析。

以前、自分の中に「常に溢れ続けている決して枯れる事のない愛の泉みたいなもの」がある事に気付いて
泉は常に在るんだろうけど感じられなくなってあの泉はどこぉ〜泣。ってなった事があったのですが
ふとそれを思い出して、大きな私ちゃんの正体はあの泉なのでは?と思ったら涙が引っ込んだ。
感覚としては泉は胸の奥にあったので、そこに意識を集中。大きな私ちゃんが胸の奥に居ると思って集中。
そこには泉ではなく静けさが在りました。そうだ本来はとても静かなものだったはず。
そして胸の奥に意識を集中させていたはずが、それが全身に広がっていく感じがしました。
ああ大きな私ちゃんは私の中の全てを満たしていたのね。包まれ感よりこっちの方が100倍暖かい。
あ〜いいわぁ、この安心感いいわぁ〜本当にあったかぁ〜い、なんて思っているんですけど
いつもの流れで行くとこの感覚もまたすぐに分からなくなってしまうと思われます。

711幸せな名無しさん:2026/01/04(日) 11:57:05 ID:CfQNfj820
りょうせいさん、みなさん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

また質問させていただきますね。
「全てはプログラム通り、全自動」ということを、よく聞くと思うのですが、それで、自分の言ったことや行いを、必要以上に後悔しなくて良くなり、楽になれたりしました。

「内側を変えると、外側も変わる」」というのは、何かに関しての自分の考え方を変える時期が来て、変えたことで体験する現実が変わった、という流れが、自分の意思とは関係なく、プログラム通りに起きている、ということでしょうか。

それとも、ループから抜け出る、再配達を終わらせる、望む現実を体験する、これらの方法を知って実践することで、「プログラムを変えることができる」ということでしょうか。よろしくお願いいたします。

712り改め りょうせい:2026/01/04(日) 12:00:21 ID:Edj/68Xw0
>>710
夢で夢を溶かすような優しいご返信を有難う御座います。

>自分の中に在るものは大切にしながらも、型に嵌めない方が良いなと気付けました。

そうですね。それが真理についてのお話なら、 
真理ってのはなんの型もない「  」なのですよ。
型があり、型を認識する者も、そのこと(あるとかないとか)を知る″者″という型すら無いんです。だからこそ、あなたは熟睡中、なんのドラマもないのに、(また、なんのドラマもないからこそ、幸せも不幸も超えて)至福で平和なんですね。


>昨日「合一してしまったらもう大きな私ちゃんに抱きしめてもらえない」と
寂しくて寂しくて泣けちゃって仕方なくなりました。
そんな中でも、ああ、エゴはこう来たかと静かに分析。

合一したら、あなたは平和と静寂として、
それだけ、としてただ在るのみです。

大きな私ちゃんに抱きしめてもらったら、
あなたは安らいで、静かになるでしょう。

しかし、それには小さな私の、
「辛かったけど、抱きしめられて今は安心だ」
という時間軸の、物語、変化上のドラマを通してですよね。ドラマは必ず、不安→安心。
安心→不安。不安→安心。を繰り返します。
変化しないドラマは、そもそも″ドラマ″として成り立ちませんから。

大きな私はそのドラマが安心だろうが、不安だろうが、ずっと「不安⇔安心」という動きを知らない存在として、不動で、ただ在ります。
目に見えないだけです。ずっとあなたとして在ります。


>以前、自分の中に「常に溢れ続けている決して枯れる事のない愛の泉みたいなもの」がある事に気付いて
泉は常に在るんだろうけど感じられなくなってあの泉はどこぉ〜泣。ってなった事があったのですが
ふとそれを思い出して、大きな私ちゃんの正体はあの泉なのでは?と思ったら涙が引っ込んだ。
感覚としては泉は胸の奥にあったので、そこに意識を集中。大きな私ちゃんが胸の奥に居ると思って集中。
そこには泉ではなく静けさが在りました。そうだ本来はとても静かなものだったはず。
そして胸の奥に意識を集中させていたはずが、それが全身に広がっていく感じがしました。
ああ大きな私ちゃんは私の中の全てを満たしていたのね。包まれ感よりこっちの方が100倍暖かい。
あ〜いいわぁ、この安心感いいわぁ〜本当にあったかぁ〜い、なんて思っているんですけど
いつもの流れで行くとこの感覚もまたすぐに分からなくなってしまうと思われます。

あなたは安心そのものであり、静けさそのものです。
それがあなたなんだから、
本当は、
それを探さす必要もないし、それを無くすことも不可能なんですよ。
問題は、それが「見つかった」「消えた」と
動いている心が、(それが蜃気楼だとしても)消滅すること。それが探求(探究)の終わりです。
必要なのは、疑いを取り除いて捨てる・放棄するだけです。
それは捨てたあとも蜃気楼として現れるかもしれません。しかし、あなたはそれじゃないんです。蜃気楼を探って、触れてみてください。
掴もう、見つけようと、取り出そうと、探ってみてください。
絶対に触れられず、見つけられないから。

それが、エンドレスループの終わりです。

713り改め りょうせい:2026/01/04(日) 12:59:39 ID:Edj/68Xw0
>>711
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

>「全てはプログラム通り、全自動」ということを、よく聞くと思うのですが、それで、自分の言ったことや行いを、必要以上に後悔しなくて良くなり、楽になれたりしました。

はい、あなたのおっしゃるその″全て″(全体性)というのは、「思考や、考え、想像」これらを使った時点で、この″全て″は絶対的に掴めないということを見てみてください。
少しでも心が動いたり、掴もうとしたら、
″全て″の中での小さな揺らぎ、全ての中の一部に区分けされてしまいますよね?
これが、″全て″から「分離の揺らぎ」なんです。てことで、全ては、「全て」ってことでもう完結していて、完成しています。
それは思考でそう思うことではなく、
完成されているんです。その中で思考が揺らぎます。それでも、思考が起きようが起きなかろうが、ずっと完成されているんです。

話を進めると、個のあなたが以前と比べて、
後悔しなくなったり、楽になれたことは、
たしかに非常に喜ばしいことですが、
その話をあえて、もっと突っ込むと、
真のあなた(個人のあなたじゃないですよ)
つまり、全てのあなたの中で、
今後またある時に後悔がわいて起きても、
苦しみがわいて起きたとしても、
全てのあなたは一切不変で、全てとして完全性(完璧性)のままなんです。
個人のあなたが楽になった。
これはなりよりで、私も嬉しいですが、
もし仮に苦しくなったとしても、
(その後再び楽になったとしても)
真のあなたは変化なく、平和しか知りません。平和という言葉も概念ですが、なにも問題ありません。なぜなら物語を超えていますから。
動きという、物語の及ばないところに苦も楽も成立しないのです。
二元的な「苦⇔楽」ではなく、
「苦⇔楽」がないから、平和″感″というより、
「  」としての平和・安息なんです。
平和があるんじゃなく、苦が無いんです。

「  」に、平和・安息・愛・至福など色々概念的な表現を世界側からされるだけで、
「  」は「  」ですがね。ずっと。


>「内側を変えると、外側も変わる」」というのは、何かに関しての自分の考え方を変える時期が来て、変えたことで体験する現実が変わった、という流れが、自分の意思とは関係なく、プログラム通りに起きている、ということでしょうか。それとも、ループから抜け出る、再配達を終わらせる、望む現実を体験する、これらの方法を知って実践することで、「プログラムを変えることができる」ということでしょうか。よろしくお願いいたします。

これらも、同じです。
「私、個人、エゴ、」というのは、
その個の「個性」を通して形成された信念に向かって動きます。つまり、個としての自分が感じる苦を避けようとし、また、個としての自分が幸福だと信じれる道を進みます。

それでですね。
不幸感や幸せ感というのは、
実は願望叶う、叶わない問題というより、
幸せを感じることが起こるか、それとは違う重たい感じが起こるかの問題なんですね。
つまり、10億あっても幸せ感を感じれない人もいれば、一流芸能人や一流CEO、誰もが羨む恋人や家族がいても、不幸感を感じることはできても、幸せ感を感じにくい人もいるわけです。
これはなぜか?
◯◯感は絶対コントロールできないからってのが一つ。もう一つは、探すからです。

そうはいっても、
この″私″とは、「探すことをやめることを探してしまう」もの。
そのため、真理探求は、
探しているその主体。個の私。
つまり、探求者。
これがまさにエゴなんですが、この動き回るこのエゴとは何か?エゴ、心、想念、これらを発現させている″私″を探っていく、その私、
つまり、自己、これを探求する道なんですね。
自己探究とはよくいったもので。

そして、このエゴが何によって成り立っているか?というと、じつは真のあなたなんです。
真のあなたから、真ではない、偽りの主体が、
「生み出されている風に見える」
「動き続けている風に見える」
という錯覚が表面的に起こっているわけなんです。

714幸せな名無しさん:2026/01/04(日) 18:40:37 ID:W7MeQN3w0
>>705
>>688です。あけましておめでとうございます。
昨年12月の気づきとりょうせいさんのアドバイスによる深まりによって、憑き物が落ちたように穏やかなお正月を過ごせました。何年ぶりでしょうか笑
りょうせいさん&皆さまにとって素敵な一年になりますように。

715り改め りょうせい:2026/01/04(日) 19:58:31 ID:hObDYKf20
>>714
あけましておめでとうございます。
憑き物。あー、ナイスな表現ですね。笑
ありがとうございます。
714さんも素敵な一年をお過ごしください♪

716幸せな名無しさん:2026/01/04(日) 22:10:26 ID:CfQNfj820
>>713
お答えいただきまして、ありがとうございます。

>″全て″から「分離の揺らぎ」なんです。
>ずっと完成されているんです。

分離の思考をすることで、完成されている全体性が見えなくなってしまう、ということですね。思考が揺らいでも、そのままにして、「完成されている」ことを、なんとなくでも感じるようにしてみたいと思いました。

>真のあなたは変化なく、平和しか知りません。平和という言葉も概念ですが、なにも問題ありません。なぜなら物語を超えていますから。

個の私にとって苦しみがわいて起きても、真の私には苦が無く、平和で安息、でもそれも概念で、「  」は「  」とは、無であり空っぽ、という感じでしょうか。ハーディングの受容能力というのが、こちらでしょうか。

>◯◯感は絶対コントロールできない
このことについて、もう少しお話を伺っていいですか。

>この動き回るこのエゴとは何か?エゴ、心、想念、これらを発現させている″私″を探っていく、
>真のあなたから、真ではない、偽りの主体が、「生み出されている風に見える」「動き続けている風に見える」という錯覚が表面的に起こっているわけなんです。

個の私というものが居る感覚になっていますが、はっと今に戻って、不動や静寂などの内的感覚に意識を向けるように、心がけてみたいと思いました。
体が勝手に動いている、ということを、少しずつわかるようになってきたので、行為者でなく、鑑賞者の視点でいる時間を長くして、「私」を探っていきたいと思いました。

文章がへたで、うまく書けなくて、すみません。教えていただいたことを、頭でも、感覚としても、わかりたいと思っています。何度か繰り返し読ませていただきたいと思います。ありがとうございます。

717幸せな名無しさん:2026/01/04(日) 22:51:58 ID:39CVhtiw0
あれっ、そういえばお正月の挨拶しないまま書き込んでいる!?(あほー)
大変失礼致しましたm(_ _)m 遅くなりましたが

明けましておめでとうございます!
皆様にとって健やかで穏やかな幸多き1年でありますように!

>>712
ありがとうございます。実はすっかり忘れていましたがこのスレ初期頃の自分の書き込みで
「 」は「 」ですよね!みたいな事を書いていたんです。本当は気付いているみたいなんです。
でも全然納得できない。エンドレスループにしたい理由があるみたい。それは何だろう。
そしてやっぱり寂しくて寂しくて仕方がない。大きな私ちゃんに必死になって縋り続けなくてはいけないレベルの
このものすごい寂しさ何だろうと思ったら「自愛が全然足りていない」でした。
物心ついた頃から長い間自己否定を続けてきたのに自愛を10年した位では全然ダメ足りないみたいで。
どれだけ寂しさとか本当の気持ちを無かった事にしてきたのかって事みたいです。
それを全て明らかにして受容するまで個の私は納得しないし、やってみたいようです。
あーじゃあ仕方ないよね、って感じですが、「浄化されたい」と願ってしまうと
恩寵が浄化する動きになってきつくなるからそこは願わずにお任せしようとは思いました。
恩寵に願うとしたら「本当の自分に戻りたい、全て受容したい」です。
無条件の愛で自分を癒すとかそんな感じです。
でもこれきついのかなー、きついのは嫌だなー、とも思ってはいます。
そして各種実践中に(特に自愛)高確率で起きてしまう事、現実で身近な人からの風当たりが
きつくなったり否定される事を言われる事が増えるのもきつい一因です。
なんで夢なら静かにしていればいいのに、わざわざややこしくしたがるかなーとは
自分でも思ってはいるのですが…。笑
探求でゴールを迎えたとしても個として生きていく事に変わりはないから
どうしても偽りではない本来の個を知りたい・戻りたいようです。

718り改め りょうせい:2026/01/05(月) 21:08:56 ID:K9YXuXog0
>>716
>分離の思考をすることで、完成されている全体性が見えなくなってしまう、ということですね。思考が揺らいでも、そのままにして、「完成されている」ことを、なんとなくでも感じるようにしてみたいと思いました。

そうです。もっと正確にいうと、
「分離の思考」が発生した時点で、
「主体(見ている者)」─「分離の思考(見られているもの)」と、実は分かれています。
そのため分離の思考を認識している主体(思考者)も、実は思考なんです。
はい、なんとなく感じてみてください。

>個の私にとって苦しみがわいて起きても、真の私には苦が無く、平和で安息、でもそれも概念で、「  」は「  」とは、無であり空っぽ、という感じでしょうか。ハーディングの受容能力というのが、こちらでしょうか。

「  」とは、熟睡のときのあなたです。
それは常に在り続けています。
あなたにとって、無くすことのできない、もっとも親しいものです。

無、空っぽというためには、知っている者がいなくてはなりませんが、「  」だけの時、
主体も対象も世界も心も消滅しています。
それでも、「  」があるから、宇宙や世界や心が映し出されて動いています。無、空っぽと表現されることもありますが、それは同時に無限の潜在的可能性を秘めています。
ダグラスハーティングの顔のない人間でしたっけ?昔、一度本を読んだことがある程度なので、おそらくですがあの実験や、アプローチは「私は在る(意識としての私として在る)」
「純粋意識で在る」
それとして在るアプローチとおおむね同じだと思います。

>◯◯感は絶対コントロールできない
このことについて、もう少しお話を伺っていいですか。

これは、個のあなたが、とある感情を狙って出そうと思っても出せませんよね?という話です。感情は何かに反応して独自に湧いてくるものだからです。
赤ちゃんとか、そうですよね?
喜怒哀楽がそのまま流れて、やがて消えていきます。
大人になると、エゴは行為者として確立していきますから、感情さえも″やろう″、″どうにかしよう″とします。なので、感情をコントロールしようとします。
それで抑えたり、抑圧することはできたとしても、それらもいずれは流れて、やがて消えていきます。思考も感情も″やり手″″掴む者″が邪魔をしなければ、流れて消えていくものです。
抑圧が沢山ある場合、時間がかかる場合もありますが、いずれは流れていくものです。
また、感情だけじゃなく、身体感覚に置き換えてもおなじことです。

>個の私というものが居る感覚になっていますが、はっと今に戻って、不動や静寂などの内的感覚に意識を向けるように、心がけてみたいと思いました。

いいですね。ぜひぜひ。
心や世界を見渡して、観察して、
ほんとに変化し続けているのか?
ほんとに無常なのか?を改めて調査してみてください。心や世界は、ずっと休まずに動き続けているのか、それとも、そうじゃない時もあるのか。
そして、動き回る中で、変化しないもの。
どれだけ騒がしい場でも、静寂なもの。
それを見つけ出して、それでいる、それである時間を作ってください。もちろん、気が向いた時でいいですが。

>鑑賞者の視点でいる時間を長くして、「私」を探っていきたいと思いました。

これは大切なので、それも同時に行ってください。
鑑賞者というのは、非個人・無努力性の気づきのことです。(鑑賞者・観照者、または目撃者とも言われています)
それは本当は個が″やること″ではなく、
鑑賞者としてのあなた(個ではないあなた)は、エゴ・個の様々な動きや光景を、一部始終、ずっと見せつけられているのです。笑

意識とは、「存在・気づき」です。
存在であると同時に=気づき(真の認識者)
なので、存在していながら、同時に気づいているんです。

>文章がへたで、うまく書けなくて、すみません。教えていただいたことを、頭でも、感覚としても、わかりたいと思っています。何度か繰り返し読ませていただきたいと思います。ありがとうございます。

いえ、少なくとも私には伝わってますよ。
これはお互いだと思いますが、テーマがテーマだけに文章化はなかなか難易度高いですよね。概念を超えたものについて、概念を使って書くという作業ですから・・口で喋った方が話が早くてスムーズかもしれないと感じることも多いです。
そうですね。頭の理解から→感覚的、直接理解が起こることをお祈りします。
こちらこそありがとうございました。

719幸せな名無しさん:2026/01/05(月) 21:41:40 ID:g00I/Ylw0
結局すべてどうでもいいってことでしょ
ここの長文コメントも「」ができてない人達ってことね
それにしても「」の中身が長文エゴすぎるだろ

720り改め りょうせい:2026/01/05(月) 21:43:00 ID:K9YXuXog0
>>717
あけましておめでとうございます。
717さんにとっても幸の多い1年でありますように。

あらためて真理探求のスイッチの話しですが、
真理への道を進むときって、
理由が成立しないんです、
なぜかわからないけど、そういう流れになってしまうんです。
「〇〇のために、真理探求します」
「〇〇を手に入れるために真理探求します」

仮に、表面的にこのような流れが起きたとしても、本来はそういうことじゃないんですね。
どちらかといえば、
「真理に惹かれてしょうがないから、真理探求してしまいます」
「やめたいのに、やめられない」
まるでこんな感じかもしれません。

真理の知識が直接的に深まると、
〜のために、〜を手に入れる、と言っている
その当事者の個(私)が解体されていく方向ですから。真理そのものになるという偉大な実現の代償としては、どうしても個が溶けなければなりません。
個は溶けることを最も恐れ、同時に、最も望んでいます。

なぜなら願望実現や人生の幸せ実現も、
結局なんの目的のためにしてるかというと、
願望や幸せが実現したら、
やっと、静かになれるからです。
静かになっている個は、そのとき溶けているんです。笑

そのため、あなたは素直で正直だからこそ、
無理して、そっちに行きたくない、
個を整えたい。このように素直に言える個は幸いです。
それでいいんです。
これは皮肉ではなく、本当にそれでいいんです。むしろ、自分の気持ちに嘘つかず、自己欺瞞に陥らないあなたは偉いです。笑

やりたいことをやりたいと思えるなら、
やってください。
また、本当はやらなくても、
愛はすでにあり、それが真のあなたである。
という言葉を、頭の隅っこに置いておくだけじゅうぶんです。忘れてもらって構いません。

恩寵の流れは最適です。
浄化の苦しみは、必ず、後から振り返れば偉大な宝に変わります。
この話は、プロセスの構造としてそう出来ているって話であって、信じる信じない論の話じゃありませんが。

721幸せな名無しさん:2026/01/05(月) 23:18:37 ID:ejZVv4lo0
いつも学びたっぷりの書き込みをありがとうございます
参考になります

りょうせいさんが以前おっしゃった通り、あらゆる二元論を乗り越えていくのが私達の定めなのでしょうが、そこで湧いてくる疑問があります
言葉という道具自体が二元論を前提として成り立っていますよね
言葉というものを使い続ける限り二元論から抜け出すことは難しそうですが、あらゆる二元論を手放した人間は、言葉というものにどのように接しているのでしょうか
気になるところです

722幸せな名無しさん:2026/01/06(火) 00:19:40 ID:5pPcqNic0
>>718
とてもわかりやすく、説明をしていただいて、ありがとうございます。
お忙しい中、お時間をいただいて、すみません。

>「分離の思考」が発生した時点で、
「主体(見ている者)」─「分離の思考(見られているもの)」と、実は分かれています。

主体と対象について、よくわからなかったのですが、今、頭での理解ですが、わかりました!「主体(思考を見ている者)」と「対象(見られている思考)」とに分かれる、ということだったのですね!分離の思考を発生した時点で分かれてしまったけれども、本来は分かれていなくて、完成されている全体性だった、ということですね。
「主体(人や物や出来事を見ている者)」と「対象(見られている人や物や出来事)」こちらの場合も同じこと、という認識で、あっていますか。

>分離の思考を認識している主体(思考者)も、実は思考なんです。
>>98
>探求者が気づきに気づかれます。
>>116
>主体─対象─存在─気づき。全てが一つの意識の運動だったということです。

このことに気づきたいものです。静かになって、集中して探ってみたいと思います。

>「  」だけの時、主体も対象も世界も心も消滅しています。それでも、「  」があるから、宇宙や世界や心が映し出されて動いています。

消滅しているほうは、わかるような気がするのですが、映し出されて動いているほうは、気づきが起きてから、きっとわかるようになるのですね。
実験は、動画で何度か見ていて、たまに見たくなる時があります。

>思考も感情も″やり手″″掴む者″が邪魔をしなければ、流れて消えていくものです。

繰り返しわき起こる、不快な思考や感情を、うまく流せるようになれば、いずれは消えていくもので、そのことがある程度できてこないと、やはり解放は起こりづらいものですかね。

>それを見つけ出して、それでいる、それである時間を作ってください。

はい、やってみます! 調査してみます。

>存在していながら、同時に気づいているんです。

「観照者」でしたね!すみません!送信してから気づいてしまいました 汗
それに、観照を個が”やること”ではない、気づきのことですね。変な文章になってしまっていました 汗

一日のうちに、思考が止まって、意識でいる時間が以前よりも増えてきて、たとえ一分でも、その時は楽で心地よい感じがします。

>頭の理解から→感覚的、直接理解が起こることをお祈りします。

頭の理解も遅いですが、自分なりに集中しておこなっていきたいと思います。ありがとうございます。

723り改め りょうせい:2026/01/08(木) 18:31:55 ID:rHKRXBEo0
>>719
ここで話してるポイントは決してすべてどうでもいいと思い込むことじゃありません。

どうでもいいと思い込もうとする態度は、
実のところ明け渡しや放棄したフリにすぎません。その内側には、何かを得たい、より良くなりたいという期待が薄く残っています。 
結果を気にする誰かがそこにいる限り、
それは完全な明け渡しや放棄ではなく戦略的放棄なんです。

「  」そのものは、意味づけや感想や判断がありません。
だから動き回る心からすると虚無や空虚、退屈や無意味さと誤解されがちですが、
みんな熟睡時に動き回る心が消え、
満たされて至福です。
あらゆる誤解も悩みも束縛も問題も言葉も消えています。

心が「  」を想像すると、
心からしてみれば「消えてたまるものか!」と激しく抵抗するのは一般的です。
それで「  」とは、きっと恐ろしく悪しきものに違いないと想像しますが。
「  」は=「心と世界」でもあるんです。

「  」は在るだけで、書けないし話せません。
書き込みも読むことも、それぞれの心に浮かぶ思いやイメージを通して、自然とただ起きているだけなんです。
つまり、誰かがやっているように見えても、実際にはただ、それぞれの内側にある精神の傾向や質に従って身体が動いているだけなんです。
短文か長文かは、ただ短文か長文かってだけの話です。

724り改め りょうせい:2026/01/08(木) 18:36:27 ID:rHKRXBEo0
>>721
ありがとうございます。
シンプルかつなかなか深い質問ですね。笑

言葉とは、概念、レッテル、指し示すもの、
などなど色々表現があります。
思考や想念も言葉と言ってもいいかもしれませんね。
また、相対的な世界では、
言霊、「あ」は「あ」の音の、「い」は「い」の音のエネルギー的な意味があります。
そのためマントラや、言葉を繰り返し唱えるアプローチは実際に効果もあります。

そして、はじめに言葉ありきというように、
言葉があるから、概念や、意味が生まれ、
観念、信念、時間や空間、相対的な物語やドラマが生まれます。小説も文字がなきゃ、
なにも物語は成立しませんからね。

はじめ、「私」という言葉が純粋な意識の中で起こりました。これが自我意識の誕生というやつです。それが身体と心に結びついて、
「私」として同一化しました。

さて、「真理探求〜真理実現」とはなにか?
まず探求者は、頭の理解、知識から取り入れます。それが「言葉の必要性」です。
概念を使って、概念を落としていきます。
概念を使って偽りを指し示し、真実を指し示します。
トゲを使って、刺さっているトゲを引っこ抜くため。あるいは、川を渡るために船を使い、渡ったら船の役割はおしまいですが、探究するための優れた思索力や捜索力や、モチベーションは必要不可欠です。

さらに進んでいくと、
言葉ではない領域で、伝達されていきます。
それは目に見えない伝達です。
ハート的な、静寂的な、エネルギー的な、
それそのものとしての、非言語の類のものです。
あなたはAさんと会っただけで話さずとも元気になったり、Bさんと会っただけで話さずとも気が悪くなることがあるでしょう?
場所のエネルギーなども同じで、不思議と、直接感じる″なにか″のようなものです。

そして、段々と言葉ではなく、″それであること″を通して直接的理解が深まっていきます。

あなたの言う通り、最後には言葉、概念は余計なものになります。
探求者が、″それ″として確信するレベルまでは言葉は必要になる場合が多いという話です。
疑いを取り除くためには、何度も何度も、落としていく必要があるからです。
本当に問いが消滅するときは、それは意識さえも超えた領域です。

疑問が消え、言葉が完全に必要でなくなることは簡単ではないということです。
本当は超絶簡単なのですが、やはり、
強烈に簡単ではないんです。
マーヤ(心)の魅せるトリックは沢山の層に重なり、無数の糸が絡まっています。
なので、この世に沢山の修練方法があるわけです。

725り改め りょうせい:2026/01/08(木) 18:43:39 ID:rHKRXBEo0
>>722
(遅れてすみません。長くなったんで2回にわけました)
>「主体(思考を見ている者)」と「対象(見られている思考)」とに分かれる、ということだったのですね!

そうです。分かれているから分離と呼ばれています。どんな状況やどんなことでも、認識できた時点で、「認識者と|認識されるもの」として分離が起きてるわけです。

>思考を発生した時点で分かれてしまったけれども、本来は分かれていなくて、完成されている全体性だった、ということですね。>「主体(人や物や出来事を見ている者)」と「対象(見られている人や物や出来事)」こちらの場合も同じこと、という認識で、あっていますか。

はい。(表面的に)分かれても、(全体的には)分かれていない。分かれることを可能にするためにはその「下地、背景」が必要なはずです。
たとえばあなたが絵を描くためには画用紙が必要です。その画用紙が全体性(意識・存在性)です。海の中で魚が必死になって海水を探しています。魚が動いても止まっても、海は海として在り続けています。
「思考者」も「思考」もともに意識の中の波です。

>このことに気づきたいものです。静かになって、集中して探ってみたいと思います。

はい、″私″、を探してみて、それで在ってください。私という想念が個と世界、つまり全体性を成り立たせている根源の想念です。
真の私は、私という意識なく個と世界や全体性に気づかずただ在ります。なのに同時に、
その真の私の中で幻想が起きている錯覚があるのです。しかし、真の私は一度も幻想に気づいていません。ぜひ調査してみてください。

心が動いているときの私。
心が動いていないときの私。
それとは一切関係なく、
変化せず、常に在る、私とは何でしょうか?

すべての不幸も苦しみも心が作り出しています。その心の流動の中で「想像された私」は常に変化しています。私(主体)という心がどこから現れるか?現れることを可能にしている何かがあるはずです。それは言葉で名付けられないものです。便宜上、「意識」とか「在る」とか「神」などと呼ばれています。今もまさに、世界の中で経験し体験し変化し続ける私(主体)とは別の「不変の自己」がいるはずです。
その″自己感覚″を探してみてください。
それが自己探究、真理探究です。

>消滅しているほうは、わかるような気がするのですが、映し出されて動いているほうは、気づきが起きてから、きっとわかるようになるのですね。

はい。「在る」が=気づきです。「在る」=叡智があり、叡智を通して直接的理解、直接的気づきが降りてきます。

726り改め りょうせい:2026/01/08(木) 18:44:18 ID:rHKRXBEo0
>>722
>実験は、動画で何度か見ていて、たまに見たくなる時があります。

ハーティングの動画みてみましたが、
なかなかいいですね。笑 あれも合うならやられると良いと思います◎

>繰り返しわき起こる、不快な思考や感情を、うまく流せるようになれば、いずれは消えていくもので、そのことがある程度できてこないと、やはり解放は起こりづらいものですかね。

ハーティングや他の聖者や賢者たちが言うように、本当のあなたは思考や感情でもないし肉体でもありません。永遠で不滅の何かです。
ただし、これは真相的な事実の描写であって、
同時に相対的世界ではすべてがあなたです。

対象を、私以外の別の何かに見えたとしても、
本当は真のあなたの本質と別のものはありません。見かけは相違や好き|嫌いは自然に起こりますが、本質は同じ意識です。

これはパラドックスですが二つの事実どちらも必要です。思考はAかBしか掴めません。
AでもありBでもあることを悟るには、それとして在ること、同時にそれらすらもを超えているもの。だけです。般若心経で言われているとおり、色は=空であり、空は=色であります。
そして、究極的な「それ」は、空や色という二極さえも超越しています。

>それに、観照を個が”やること”ではない、気づきのことですね。

はい。これまたパラドックスですが、
それでも個がやること、アプローチ、修練は必要です。なぜなら個の別名は、「探し求め、動き続ける」だから。想念は動き続けることしかできません。ストップしたら想念とは呼べません。
なので強い探求心は必要不可欠で、
やがて探求者そのものが溶解するまで行われるべきです。

>一日のうちに、思考が止まって、意識でいる時間が以前よりも増えてきて、たとえ一分でも、その時は楽で心地よい感じがします。

いいですね。たとえ一分でも、その一分が偉大です。100回の体験の中に、99回は価値がなく、1個だけ価値のある本物の体験が紛れているとしましょう。
たとえわずかな体験であっても価値のある本物の体験は、やがて99個の偽りを燃やしつくす流れに繋がります。
それと大切なポイントは思考を止める|止めないではなく、自分は誰なのか?ってことです。
「思考者|思考の内容(多い、静止)」に関わらずは、意識であるあなたは「騒音|無音」どんなときでも存在しているからです。

>頭の理解も遅いですが、自分なりに集中しておこなっていきたいと思います。ありがとうございます。

頭で分からなくて結構です。それでも心の奥(ハート)、内側に浸透しています。
よく分からない、知れない掴めない未知でオッケー。これは、掴もうとするエゴを出し抜いて浸透が行われているからオッケーなんです。
頭で知ることではなく直接的に「それ」としての深まりのプロセスは、エゴにとっては今どのようなプロセスが進行されているか決して分からない。しかし、螺旋階段を一段上に上がると、一段下の過程を振り返った時に絵(構図)が見えてくるんです。そのたびに少しずつ個もマインドも自分を成り立たせている神自身に心を開いていくのです。

ありがとうございました。

727幸せな名無しさん:2026/01/09(金) 00:22:37 ID:HxeyALBI0
>>720
ありがとうございます。愛あるお優しいご返信に個が心地良く溶けておりました。笑
探求はもしかしたら幼少期から始まっていたのかも知れません。個が幼稚園に入園する前迄は
積極的・声が大きい・少し意地悪。そんな性格だったそうです。人間として生きるには
好都合な性格だと思いますが恩寵はそれを良しとせず5歳で修練をスタートさせた。
その代わりピンチの時には必ず助けが入るという絶対的に守られている感じは常にありました。
真の私にも一度会っていました。あれは何だったんだろうとずっと思っていたのだけれど
間違いなく大きな私ちゃんです。同じです。ずっと見守ってくれていました。

>愛はすでにあり、それが真のあなたである。
↑ありがとうございます。何かをしなければ愛されないという条件があると
それを無意識的にでも採用してしまっていると、不自然でとても苦しく感じます。
やりたいこと…どうなんだろう、と思う事はあります。思っている時点でもしかしたら
やってもやらなくてもいい事なのかも知れません。あるいは何か無理をしているのか。
自分にとっての本当を知っていきたいです。

あっ!小さな事でもやりたいと思った事をやらずに居るとイライラする事はあります。
これはやった方が良いですね、やらないままでいるのはエゴだ。

そういえば内側から大きな私ちゃんの愛に満たされている時、何だかくすぐったい感じがしました。
心地良いです。ゆるんで何だかくすっと笑ってしまうような心地良さがありました。

そして真の私を内側で感じられた事でこれは全員共通のものだと実感出来ました。
例えるなら大きな大きな鏡餅。それが小分けにされて皆の中にも入っている。
誰かに対して違和感を感じた時にはその人の背景に在る「 」に意識を向けたら良いのかもと思いました。
それでも不快ならその不快も許す自愛をしていきたいと思います。

それから大きな私に内側を満たされて内側が空洞に感じられる事が起きました。
皮膚を隔てて自分の中と外が同一に感じられたので目を閉じて同一感に浸っていると
ここは何処か、今は何時かが分からなくなり、鳩時計の音も聞こえず
眠っていないのに意識が落ちて時間が30分ほど経過していました。
「 」を感じられたのかもと思ったのですが、またいつもの通りすぐにこの感覚も消えました。

認識の変更も、実感しては戻りを大袈裟ではなくもう100回以上は繰り返し続けています。
簡単に理解されては不都合なのだと思います。しっかり浄化してもらいたいのです。
なのでループしてしまう事を許す事にしました。
ループから脱するタイミングは恩寵が知っている筈。お任せしようと思いました。

>個を整えたい。このように素直に言える個は幸いです。
↑ありがとうございます。やっと素直になれたのかもと嬉しいです。笑
自分に噓をつくのは苦しいです。
実は本当の所、大きな願いを叶えたいとかは無いのだと思います。
中学生の時、卒業時の冊子の一人一言欄で「何気ない日々の中でも幸せ探して生きてゆく」
なんて事を書いたのを覚えています。何と地味な中学生なのでしょうか。笑
でもこれが個の本心なのだと思います。

ふと、大きな私ちゃんは個の私の中の女性性に対しては彼氏役を
男性性に対しては彼女役を演じてくれているのかなと思いました。
だからあんなに可愛らしくて魅力的なのか、そうかそうかとひとりで納得。笑

あと真の私は本当はかなり高次元の存在で個に合わせてレベルを下げて会話してくれているのかなと。
以前、真の私から届いた「みんな既に愛されている、みんな既に赦されている」このメッセージは
まだ個には段階が早すぎるのか、解るけど解らないような感じです。
そして偉大な存在ならば大きな私ちゃんなんて呼び方は良くないのかなぁ、なんて思ったら
「えーそんなのさみしいよぉ、ずうっと大きな私ちゃんって呼んで(はぁと)」と返ってきたので
あ、はい。じゃあそうさせてもらいます。と思いました。笑

>浄化の苦しみは、必ず、後から振り返れば偉大な宝に変わります。
↑ありがとうございます。これは、本当にそう思います。恩寵からの愛ですよね。

これは余談というか独り言ですが、大きな私と個の私の探求のテーマソングとしては
ClariSさんの「ルミナス」が最適なのかも、なんて思っていました。
歌詞の中の「包まれた瞬間すべての想いは君へ巡る」なんてもう共感しかない。笑

728幸せな名無しさん:2026/01/09(金) 22:16:05 ID:P0iQOmAU0
>>725
りょうせいさん、いつもご丁寧に教えていただき、ありがとうございます。
たくさんのお時間を頂いて、本当にすみません。今回もよろしくお願いいたします。

>「思考者」も「思考」もともに意識の中の波です。
>その真の私の中で幻想が起きている錯覚があるのです。
>その″自己感覚″を探してみてください。

「心が動いていないときの私」、その時に感じられる純粋な意識は、わかると思うのですが、叡智を通しての直接的理解、直接的気づきは、降りてくるまでは、わからないですものね。でも、意識でいることが徐々に増えてくるにつれ、精神的にも、現実的にも、穏やかで、幸せな感じが増えてくるようですので、まずは、そこを目指したいものです。

>ハーティングの動画みてみました

見ていただいたのですね!ありがとうございます。公的と私的。何度か見てみたのですが、私にはまだ、気づきにならなくて、また別の機会に見てみたいと思っています。

頭や顔の辺りに意識がいきますが、よく、ハートに意識を向けるようにと聞くと思うのですが、また違ったアプローチ、ということですかね。
「私」というのがどの部分か、というのはないと思うのですが、感覚としは、目の辺りに感じられるような気がしています。

>永遠で不滅の何かです。>同時に相対的世界ではすべてがあなたです。
>究極的な「それ」は、空や色という二極さえも超越しています。

そうなんだなと頭ではわかるのですが、どうしても対象を、私とは別の何か、と見てしまいます。だから苦が生じるのですよね。

>なので強い探求心は必要不可欠で、やがて探求者そのものが溶解するまで行われるべきです。

そうですね!進みは遅くても、学ぶことが楽しくて、探求し続けています。気づきが起きてからも、ずっとこのことに触れ続けて、学んでいきたいと思っています。

>自分は誰なのか?ってことです。

意識であることを、度々感じられるようになってから、思考や感情にハマっている状態に、たまにですが気づけるようになってきました。意識・存在であるほうを選びたいです。

>心の奥(ハート)、内側に浸透しています。
>そのたびに少しずつ個もマインドも自分を成り立たせている神自身に心を開いていくのです。

内側に浸透していると思うと、嬉しく思います。教えていただいていることを、いつもありがたく浸透させていただいています。読ませていただいている時に、心が清まるような感じがしています。意識であることに、意識・心を向けていたい感じになります。

>叡智を通して直接的理解、直接的気づきが降りてきます。

インドのサットサンの動画を見ていると、グルのお話を聞いている最中に、気づきが起きて、笑い出したり、泣き出したりする場面を見ますが、その方の準備ができていたことで、直接的な理解が起こった、ということですよね。その説法の内容が気になって、もう一度、注意深く聞きいてみても、私には気づきは起きないです。気づきのタイミングは、人によりますものね。

りょうせいさんの、以前の探求の様子や、気づきが起こる少し前は、どのような感じでしたか。

729り改め りょうせい:2026/01/11(日) 23:00:15 ID:yX3dy9m60
>>727
>探求はもしかしたら幼少期から〜
始まっていたのかも知れません。

はい。
そうじゃなきゃ、個の私がなぜこのような話に興味を持てるでしょうか。笑

>愛はすでにあり、それが真のあなたである。
↑ありがとうございます。何かをしなければ〜
>自分にとっての本当を知っていきたいです。

あなたに課題を出します。これはあなたの気質だけに合う漢方のようなものだと気楽に捉えてくださいね。
これは個のあなたのプロセス(神との合一)にとって重要なメタファー(たとえ話)です。
時間をかけて、ゆっくりこの話の真意を考察し消化して行ってください。これは頭で答えを出すというより、この話を頭の片隅に置いておくこと自体が、重要な叡智に繋がります。

・マタイの福音書 21章12節
・ヨハネの福音書 2章13〜16節

※解説者や説教者の説明は無視して構いません。
翻訳で書いてある文字の意味だけで結構。

>そして真の私を内側で感じられた事でこれは全員共通のものだと実感出来ました〜

いいですね。そうです、賢者は映画を鑑賞していてもスクリーンの存在を忘れていません。
映画の現れを無理矢理スクリーンだと思い込むというより、スクリーンがなければ映画も現れも映し出されないことを常に忘れていません。

>それから大きな私に内側を満たされて〜またいつもの通りすぐにこの感覚も消えました。

ナイスです。

>簡単に理解されては不都合なのだと思います。

すでに理解は起き続けてると思って過ごしましましょう。理解を求めている探してる演技が表面的に起きているように見えるだけです。それは錯覚です。構わず心身の動きが流れていっていることを観ましょう。

>でもこれが個の本心なのだと思います。

大きな私であること。それは永遠の至福です。正確にいえば、永遠の至福に誰もが常にいますがマーヤ、幻想という心の抵抗によってそこから離れることが高頻度で起き続けているだけです。

真理探究者は、個というキャラから目覚めるチャンスの流れであり、そのため大きな枠組みの流れの視点でみれば、探求者というだけでチャンスに恵まれて偉大な価値のある人生なのです。真理は誰もが興味を持つテーマじゃありません。

>ふと、大きな私ちゃんは個の私の中の女性性に対しては彼氏役を
男性性に対しては彼女役を演じてくれているのかなと思いました。

なるほど。
いわんとすることわかります。そうですね。笑

>あと真の私は本当はかなり高次元の存在で個に合わせてレベルを下げて会話してくれているのかなと。

かなりどころか唯一の至高者です。
個を心としてもいいでしょう。
心をたとえばひとつの国としましょう、
国民たちの中でも、真の私支持派と、
個の私支持派と派閥争いの戦争があるわけです。
なので、心にとって「恩寵と浄化」のように感じるけど、心の内面の善玉菌と悪玉菌のバトルのようなものです。笑 
レベルの違いや、あなたがあるときは賢者であったり、あるときは迷子になるのもこうした理由から。

不快は快楽の記憶であり、快楽は不幸の記憶です。迷子が起きるのは記憶との同一化が根強いから。そのため時間という幻の概念を越えること。そしてそれが直接「真の私を愛すること」に繋がり、それが本当の自愛です。
すでに自愛はあります。それを防ぐことが心の活動です。
そして、直接理解は同時に個を整えることにも繋がります。一石二鳥以上の総合治療薬です。

私はここであえて真の私、神、いちなるものに対する、素晴らしさや褒め讃えや偉大さをあまり伝えていません。いかに素晴らしいか、また、個にとってそれはどれほど素晴らしいことに繋がるのか、どれほど最高の結果なのかをほぼ伝えていません。
「◯◯をしたら◯◯となる。だから◯◯をやりましょう」このような、餌となる表現は意図的に抑えています。それを言うと心、エゴのシステム上、ますますそれから遠ざかるからです。
それに探求者の心は常に動いて疲れています。これ以上心を疲れさせる必要はなく、ほんとは何かを求める必要さえなく、真のあなたはただ存在してるだけでいいんです。この基本的概要を基に、疑いや苦しみとの同一化を取り除くために探究しましょう。

だから私はあなたにも、〇〇のために、真の私、神を愛しなさいとは言いません。
言うなれば、真の私を愛するがゆえに、真の私を愛しなさい。です。
あなたがたとえば、自分のツインレイが現れて「◯◯が欲しいから、その目的として、あなたといたい。その目的を叶えられる手段として、あなたを愛している!」と言われるよりも、
「あなたといたい。あなたを愛している。
なぜなら、あなたといたくて、あなたを愛しているからだ!」と言われた方が良いはずです。笑
真の私との合一も同じです。ただ愛しましょう。
それができたらそれが強烈な明け渡しになります。

追伸 ルミナスいい曲でしたー⭐︎

730り改め りょうせい:2026/01/11(日) 23:01:34 ID:yX3dy9m60
>>728
>「心が動いていないときの私」、その時に〜感じられる純粋な意識は、わかると思うのですが、叡智を通しての直接的理解、直接的気づきは、降りてくるまでは、わからないですものね。
>でも、意識でいることが徐々に増えてくるにつれ、精神的にも、現実的にも、穏やかで、幸せな感じが増えてくるようですので、まずは、そこを目指したいものです。

意識があなたの本質です。意識自体は過去、現在、未来ずっと変わらない存在です。
しかし、個がそれを完全に忘却している状態と、
仮にそれを知ったとしても外側の遠い彼方にあるに違いないと思い込むのと、常にこの瞬間あると知るのでは、たしかに個の精神面にも違いが出てくるでしょうね。
自己知識が深まるにつれて結果的に自然とそうなることはあり得ますが、それは目指すべきものというより結果としてなんです。なぜかといえば深まると、たとえ精神的にも、現実的にも、不安で不幸せな感じが起きたとしても、それが幻想だと自然と見抜かれるからです。

また二元世界(相対的世界)の視点でいうと、二元世界はあなたがどの概念と同一化をしているか?をレッスンとして指し示していきます。心やカルマの振る舞いがどうあれ、忍耐強く意識で在りつづけることでそれらの想念たちのマーヤ的振る舞いとの同一化を溶かすことができます。

>頭や顔の辺りに意識がいきますが、よく、ハートに意識を向けるようにと聞くと思うのですが、また違ったアプローチ、ということですかね。「私」というのがどの部分か、というのはないと思うのですが、感覚としは、目の辺りに感じられるような気がしています。

いいですね。その部分が、どの場所であってもその私感覚を観照しているということがポイントです。
本当にそれ(私感覚)が真の私ならば、
決して「その対象である私」に気づくことはできません。
私感覚を目撃できた時点で、それを目撃している目撃者と私感覚はあきらかに違うわけです。
「私感覚は常に永続する真の私ではない」ということです。なぜならあなたの本質は感覚ではなく、″在る″だからです。

>そうなんだなと頭ではわかるのですが、どうしても対象を、私とは別の何か、と見てしまいます。だから苦が生じるのですよね。

相対的世界での、違いの感覚は形や性質が違うし、接触すると物語も起こるので別の何かと見えて自然です。それはそれで消そうとしなくていいんです。それでも在るがあるからそれらが成立します。どちらも正解です。
木を見てください、葉っぱは木なのか?
そうとも言えるし、そうではないとも言えます。
でも葉っぱが葉っぱでいられるのは、根があるから。見える姿の奥に、見えない全体がある。
その全体があるから部分が現れます。

>そうですね!進みは遅くても、学ぶことが楽しくて、探求し続けています。気づきが起きてからも、ずっとこのことに触れ続けて、学んでいきたいと思っています。

わかります。自己知識を学ぶことは相対的な楽しさとはまた一味違った好奇心というか、ときめきがありますね。笑

>意識であることを、度々感じられるようになってから〜意識・存在であるほうを選びたいです。
>意識であることに、意識・心を向けていたい感じになります。

はい、螺旋階段を登っていってください。

>インドのサットサンの動画を見ていると、グルのお話を聞いている最中に、気づきが起きて、笑い出したり、泣き出したりする場面を見ますが、その方の準備ができていたことで、直接的な理解が起こった、ということですよね。 

プンジャジのやつですかね?笑
色々なことが起こり得ます!
それは起こるなら自然と起こります。止められません。
個の私(りょうせい)の場合、そういう体験が起きてから本格的に真理探究が始まりました。

>りょうせいさんの、以前の探求の様子や、気づきが起こる少し前は、どのような感じでしたか。

これは長くなるので機会があればどこかで書きます。ひとつ言えるのは何度も何度も聖なるイベントは起き得ます。だけど最後まで進まなくてはいけません。そのため聖なるイベントを必ずも求めたり目指す必要はありません。
そして最後の最後は皆同じところに行きますが、それまでの過程や流れは十人十色です。

731幸せな名無しさん:2026/01/13(火) 16:31:40 ID:gLgxfm2c0
v8氏お元気そうで

732幸せな名無しさん:2026/01/13(火) 22:24:14 ID:RKlATSt60
>>730
ご返信いただき、ありがとうございます。

>それが幻想だと自然と見抜かれるからです。
>忍耐強く意識で在りつづけることで〜
>「私感覚は常に永続する真の私ではない」
>それまでの過程や流れは十人十色です。

シンプルにわかりやすく、何度も説明をしていただいたことで、大分、頭の中が整理されてきました。実践していき、気づきを深めていきたいと思います。
本当にありがとうございました。

733り改め りょうせい:2026/01/15(木) 10:49:06 ID:a2zkOywY0
>>732
ありがとうございました♪


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