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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
630
:
り改め りょうせい
:2025/12/17(水) 16:51:30 ID:sRniCWyo0
>>622
>我々は神のどれいなのか?
→これは、文脈によります。
たとえば、「個としての私」という立場から
「神とは何か?」と問うなら、私の答えはこうなります。
一なる神は、真のあなたです。
多数の神は、あらゆるすべてです。
個のあなたが、
一なる神を愛すならば、その神は、非常に愛に満ちたイメージとして現れるでしょう。
一なる神を憎み、恐れれば、その神は、非常に恐ろしく、畏怖に満ちたイメージとして現れるでしょう。
同じことが、多数の神にも言えます。
多数の神とは、あらゆる存在、あらゆる出来事、あらゆる現象そのものです。
それらを愛すなら、世界は鏡のように、
愛に満ちたイメージとして、個のあなたに映ります。
それらを憎み、恐れれば、世界はその通りのイメージとして、個のあなたに映るでしょう。
(要するに、朱に交われば赤くなるというわけですね。)
つまり、意識である真のあなたが、最適に、完璧なダンス(運動)を踊っている。
個のあなたのリアクション、感想、思考、疑問、行為。それらすべてが、神の表現です。
そして、その神の表現の流れの中で、あなたの内に「個の私は神のどれいなのか?」
という問いが、自然に立ち上がった。わき起こった。ただそれだけのことです。
また、「どれい」という表現自体が必ずしも悪いとは限りません。
もし主人が不完全で、無慈悲で、気まぐれなら、「どれい」は不幸でしょう。
しかし、もし主人が最適で、完璧で、全知全能で、しかも慈悲深い存在だとしたら、それはもはや、私たちが想像する「どれい」とは
まったく別の感覚や表現になるかもしれません。
では、「え?じゃあ、シンプルに神を愛したほうが得じゃないか?」
あなたが、素直にこのように思ったとしましょう。
さて、そうだとしても、
それを、「個が継続的に信念として思い続けられるかどうか」これさえコントロールできません。
そのため、それもまた、起きるときは起きるし、起きないときは、この話は最適に、
記憶から忘れ去られるでしょう。笑
つまり、何を聞いても知っても、それを受け入れるか、拒否するか、それを実際的に活かすかどうかさえ。起こるか、起こらないか。
究極的にはそれだけです。
※「愛/恐れ」だと、どうも抽象的でイメージしづらい方は、愛=善きもの 恐れ=悪しきもので構いません。
あなたにとって、しっくりくるイメージに置き換えてください。
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