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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
311
:
り
:2025/11/14(金) 11:49:56 ID:2F.wTeo20
>>304
こちらこそ。
というか、電波悪くて書き込みできてなかったー。 返信の順番が前後してしまい大変申し訳ないです。
>その気づきの後、本当に全身の力が抜けたように楽になって朝起きた瞬間からまるでこどもの時のクリスマスの朝のようなワクワク感がしばらく続きました。
→はい、見性や、一瞥が起きると人はそのような感想持つことあります。クリスマスの朝のような、とか。夏休みの初日みたいな、とか。
永遠の子供時代のような、とか。つまり、自由感と軽やかさと懐かしさのような、あれですね。
>そこから少しまた探究の方に足を踏み込んだところ、更なる静けさと同時に世界がモノクロになったように感じました。その時点のわたしからは、あぁ今までなんてカラフルな場所にいたんやろう、悲しかったり怒ったり、あれもカラフルで綺麗やったなぁって謎の心境になり、あのままで良かったんやわ、戻ろう。と決めた途端にまた戻ってきた感じです。楽になった感覚は持ったまま元の場所に戻ってきました。
→説明とても分かりやすいですよ。
つまり、あなたに起こったことは、
「悟り・目覚め・覚醒の一瞥体験」です。
いわゆる、「霊性との衝突」です。
また、私が真理探求のプロセスに入った導入口も、そういう感じの流れでした。
それは、「起きて」しまいました。
誤解を恐れずいうなら、あの記憶、その価値の素晴らしさは、決して忘れられない類ものです。なぜならその無条件さは、この世界に属してない種類のエッセンスだから。
たとえ、「個の私」に戻り、日常に集中しようとしても、たとえマズローでいうところの、
「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求(所属欲求)」「承認欲求」「自己実現の欲求」に意識を集中させ、忘れようとしても、
一度でも、一瞬でも、知ってしまったら、
やはり、以前の普通に集中できたときの感覚と比べたら、もう明らかに違いがでてしまうと思います。
「日常の段階」に意識を当て直しても、以前の「普通に集中してた時」と同じ感覚には戻らない。
それで、あなたはもう自分には探究するという「覚悟のようなもの」が備わってきた。
仮に、もし、その一瞥のとき、
そのままそれで居続けたら、どうだったか?
個としてのあなたは溶けてしまいます。
それにエゴは生き残りの正常な本能機能としてそれを、避けるか、また、つかもうとします。
しかし、そうしようとした瞬間に、
それは消えてしまいます。
そのため、一瞥になりました。しかし、一瞥はプロセスの過程で重要な「説得力」になり得ます。多くの探究者がそのようにして悟りを深め、エゴとの同一化を本格的に溶かしていきます。
ちなみに、いま、(もちろんここで答えられる範囲で結構ですが)何か瞑想や明け渡しや、観察──などなど、なにか修練(プラクティス)はやられていますか?
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