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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
206
:
り
:2025/10/27(月) 13:25:38 ID:SxFZ8y8w0
>>204
どういたしまして。
私が丁寧?に、そして時に同じことを繰り返し伝えるのは、決して「丁寧な性格だから」ではありません。笑
それは、相手のプロセスが自然に促進していくための、避けては通れない必然です。
言葉は、即効性のある薬ではなく、ゆっくり沁み込む漢方のようなもの。
(あるいは、消化が必要なものでもあります)
そして、こうしたやり取りは
第三者が読んでもときに混乱や勘違いを起こすかもしれません。けれど、それもまたプロセスの一部。真理はいつだって、“誤解を通して”明らかになっていくものです。
実は同じフレーズが何度も現れるのは偶然ではありません。エゴは「はいはい、もうわかった」と言いたがり、真理を″理解して生き延びよう″とします。しかし、何度も往復する問答の中で、その勢いが鎮まり、思考の速さが静かに溶けていく。だから、私は繰り返します。
質問が尽きるまで、どうぞお気軽に。笑
さて、本題。
はい。そんな感じです。
現実的な対処が起こるなら、起こしてください。観察が起こるなら、起こしてください。
どちらも、あなたの中で自然に起きることです。思考も、感情も、行動も、そして心の浄化も。
≫タマネギの皮を一枚一枚剥がされるように、自分の持っていたものを次々に剥がされて、「何もない自分」になっていくことに恐怖しています。
→それは、とても自然なことです。
精神的なアイデンティティにしても、現実的な喪失にしても、「なにでもない存在」
ただ在る、という状態は、個人の観点から見れば“死”にも似た恐怖を呼び起こします。
けれど、その恐怖の先には、永続的な静けさと平安があります。恐怖は夜のように深くても、やがて必ず明けていくのです。
≫それを引き起こした理不尽な出来事に「なぜ自分が」と感じてしまう。
→その思いもまた、人間として当然です。
理不尽の前では、どんな哲学も答えを失います。思考で意味を求めても堂々巡りになる。
けれど、平和そのものである“あなた”が「なぜ?」と思考を出し、感情を感じ、そこに「理不尽」という名を与えている──その事実自体が、もう“在る”の働きなんです。
≫例えば乳児や幼児が病気や犯罪などで夭折してしまう現実について、これも潜在意識で説明できるのか、そして「恩寵」はどう働いているのか。
→これは非常に繊細なテーマですね。
だから、個人としてではなく「真理の視点」から、静かに触れてみます。
まず、この世界では、″最適″の中に、″まったく最適に見えないこと”が起こります。
理不尽は理不尽として起こり、それを″最適だ″と思う必要もありません。
ただ、その出来事を通して周囲の心に″内省″や″祈り″が芽生える。
それが、この現象世界における恩寵のひとつの働きです。
夭折した魂たちは、「恐れ」や「分離」を知らない領域にいます。
いわば″仏″や″天国″そのものへと還る。
悪夢の中で多くの人を見ても、朝、目覚めたときにはすべてが消えているように──彼らは、すでに恐れの届かない平和の中にいます。
彼らが言うとすれば、きっとこうでしょう。
「恐れってなに?」
「大丈夫、何も起きてないよ」と。
そして、彼らを哀れみ祈る私たちに対して、
まるで天使のように微笑みながら、静かに同情するかもしれません。
私たちは、世界の理不尽を味わい尽くす存在です。それが幻だとしても、痛みや苦しみを″疑う″という発想すら、この世界では滅多に起こりません。
だからこそ、私たちは祈ります。考えます。嘆きます。そして、最後には静かに頭を垂れる。
そのとき、原因と結果を超えた″誰でもない祈り″が自然に湧き起こるかもしれない。
それは「苦しみから救われたい」と願う祈りではなく、ただ、″在る″そのものから生まれる祈り。また、それが慈悲の成熟であり、
″奇跡の種″でもあります。
もし今、あなたの中に世界の理不尽に対して祈りたいという想いがあるなら、
それはすでに恩寵の働きそのものです。
そしてあるとき、ふと気づけば、長い夜の果てに朝日の光が静かに差しているのです。
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