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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
1
:
り
:2025/10/11(土) 16:41:29 ID:xSAuVLWc0
私はこのサイトの存在は知ってるけど願望実現?系に特化したサイトだと思ってました。
久しぶりになぜかのぞいたら、真理系のスレもあったので、真理探求に興味ある人もいるのでは?と勝手に理解してスレ立ててみました。
この手のサイトのルールに疎いので、見当違いor邪魔だったらスルーしてください。
私も昔、願望実現、潜在意識、などの流れから、
じゃあ真理とはなんなんだ?と悟り系に流れて探求してきた者です。かなり地獄も味わいましたw
一応こんな自己紹介です。
ある程度放置してみて、レスつかなかったら、消えますw
693
:
り改め りょうせい
:2025/12/22(月) 22:21:46 ID:.s/kZ7zU0
>>681
私自身は、意識の視点からただ返信することが起きている、そう捉えています。
ただ、その起きた返信が、読み手にとって、意識の視点に見える時もあれば、個と世界の視点に見える時もある。
また、ときに読み手からすれば、そのズレがダブルスタンダードに見えることがあるのも理解しています。
私としては、真理探求者には、目覚めの流れが進みますように。
本当の自分に還っていく方向が、自然に起きますようにと思っています。
個と世界には、真理探求の流れに入る可能性が開かれますように。
そういう意図があり、スレを立てたのも、結果的にはそういう理由でした。
ただ、それを潜在意識板で立てたのは流れです。私としては、いい経験をさせてもらいました。
>このスレは願望実現したい人向けではなく、願望から解放されたい、あるいは気にならなくしたい人向け、とりょうせいさんが明確に交通整理してくれればこのような混乱がなくなるでしょう。
なるほど。たしかにここは、誤解されやすいところなので、あらためて整理して書いてみます。
あえて分けると、
潜在意識という概念自体を知らない一般の人
潜在意識という概念を知っている人
真理探求者
実はこの全員、「願望実現したい人」です。
ただし、真理探求者の願望は、
方向性の違う願望実現です。
一般の人や、潜在意識を扱う人は、夢の中で、より理想的な夢に変えていく方向。
一方、真理探求者の願望は、夢から完全に目覚めること。つまり、夢そのものから脱出する願望の実現です。
一般の人は、願望実現のために、
エネルギーや時間や感情を代償として捧げます。
潜在意識を扱う人は、願望実現のために、
メソッドを学び、実践し続けることにエネルギーを捧げます。
真理探求者は、真理実現のために、
エゴ(私・個としての偽主体)そのものを、意識に差し出していきます。
これは優劣の話ではなく、どこにエネルギーが向いているかの違い。このスレは基本的に、夢から目覚める方向を持っています。
ただ、今はまだ目覚める気がまったくない人でも、ウェルカムですよ、というスタンスです。
そして正直に言えば、夢から目覚める方向に1%も関心がない人は、ここでのやり取り自体に、そもそも興味が湧かないと思います。
また、自分が何を求めているのか、まだはっきり分からない人でも、私としてはウェルカムです。
夢とは何か。夢の構造とは何か。エゴとは何か。本当の私とは何か。
そのあたりの構造に興味があるなら、何かしら参考になる部分はあるかもしれません。
ただし、私は願望実現の達人ではありません。
こうやれば絶対に叶う、という方法も持っていません。
このスレを読んで、
目覚めの方向に流れが進むことはあるかもしれません。ただ、夢が叶う、現世利益がある、
それが必ず起きるとも、絶対に起きないとも、
私は言えません。正直、5秒後に何が起きるかなんて、誰にも分かりませんから。
そして、夢から目覚める方向に進む人の多くは、個として生きることや、世界の無常な仕組みに、どこかで言いようのない強い苦しさを感じています。
意識の繰り広げるマーヤを一つの国だとしたら、脱国したいタイプが多い、という感じです。
それが良い悪いではなく、ただ、そういう方向性があるかどうか。なぜなら、それがなければ、マーヤは超えられません。
また、一言で言えば、真理探求と潜在意識板では、カラーがかなり違います。
このスレは、潜在意識を使って願望を叶えよう、というテーマではない以上、
板の性質上、違和感が出るのも自然だと思っています。その意味では、流れとして、そろそろこのやり取り自体が一区切りになっても不思議ではありませんし、無理に続ける必要もないのですが、スレが進むうちはスレが終わるまで質問があれば返信する。そういう感じです。
694
:
幸せな名無しさん
:2025/12/22(月) 23:33:38 ID:JM03Ay8g0
私個人は、現世利益的な願望実現と真理探求的な願望実現の両方を求めているので、りょうせいさんのこちらのスレは本当に助かっています。
695
:
り改め りょうせい
:2025/12/22(月) 23:57:22 ID:usZxbUwg0
>>683
意識の見せる夢というのは、構造として無限の可能性を秘めています。目覚めるという流れは、生きとし生けるものすべてに、常に招待状として差し出され続けています。
ただ同時に、意識はその夢のリアリティを保つために、それが作り物であるということを、
あらゆる手を変え品を変え、「夢こそが真実である」という魔法で覆い隠します。
個と世界の観点から見れば、
前世・来世、ツインレイ、妖精、ドラゴン、
水の上を歩く、山を動かす、空を飛ぶ、
超能力、宇宙人、神が現れる、臨死体験、
タイムリープ、構造的可能性としては、なんでも起き得て不思議じゃありません。笑
簡単に言えば、あなたにツインレイ的な物語が起きるなら、起きるでしょう。
それは良い悪いの話ではなく、物語のルートとして書かれていたら、起き得る、というだけです。
そうなると、運命はあるのか?カルマはあるのか?前世・来世の構造は?
と話は広がっていくでしょうが、
夢から目覚めれば、それらすべて、
想念的な物語だった、とも言えます。
また、前世であれ、昔の思い出であれ、
過去の記憶が消えていくのは、私は「恩寵の配慮」だと捉えています。
無数の記憶や想念をすべて保持したままでは、
個のマインドは正気を保てず、とても耐えられないからです。そのため、不必要なものは、
自然と忘れ去られていきます。
また、夢から目覚めればすべては想念的物語だと言えますが、それがその人の人生に強く刻まれる体験だった、という事実まで消えるわけではありません。
個を否定したり、無感覚や虚無になって生きろ、というお話ではない、ということだけは補足しておきます。
696
:
幸せな名無しさん
:2025/12/23(火) 00:42:19 ID:KE9u7nmQ0
>>691
お答えいただきまして、ありがとうございます。
>ある瞬間に意識は肉体・マインドと同一化
>概念システムに組み込まれている
>夢から覚める可能性も、構造として最初から含まれている
>夢の中でだけ成立する概念として、
何となくですが、わかりそうな気がしています。
夢の中だけでの概念や、お話だったのですね。
記憶や計画のことは、もうあまり考えないようにしたいと思います。
いずれは、意識や全体が私であったことに気づける、夢から覚めることができる、少しでも早くに! と思いながら、内側の静けさに寄り添っていたいと思います。ありがとうございます。
697
:
り改め りょうせい
:2025/12/23(火) 01:03:59 ID:xam35uTI0
>>696
>夢の中だけでの概念や、お話だったのですね。
→そうです。真相は起きていないのに、表面的に起きているように現れ、表現され、動き回ります。
>記憶や計画のことは、もうあまり考えないようにしたいと思います。
→これは、記憶や、先のことの想像、
計画する/計画しない、
も、起こる時は起こるということです。
思考にも二種類あり、受動的に記憶や感想や判断が起こり続ける思考と、能動的に何かを考え、研究したり、計画したり、どうするかを練る思考があります。
後者は生きるために必要ですし、否定しなくても大丈夫です。
ただし、あとから振り返ると、どちらも起きていたというだけの話です。
>いずれは、意識や全体が私であったことに気づける、夢から覚めることができる、少しでも早くに!と思いながら、内側の静けさに寄り添っていたいと思います。
素晴らしい意欲です。
内側の静けさが、あなたの本性です。
そのお気持ちを大切にしてください。
ここで、逆説的なパラドックスを挟みますが、
なのにもかかわらず、真相的には、すでに真のあなたはその立場です。たった今も。まさに。(真相的には)
こちらこそ、ありがとうございます。
698
:
り改め りょうせい
:2025/12/23(火) 01:05:22 ID:xam35uTI0
>>680
>>682
>>685
>>687
解説・説明の書き込みありがとうございます。読んでる方の参考になるかと思います。
>>688
こちらこそ。いいですね。ナイス気づき。
無位の真人、純粋意識、私は在る、本来の面目。ほんとに表現は様々です。笑
>>694
ありがとうございます。それはなによりです♪
>>全員へ
ちょっと用事でバタバタします。返信遅れます
少し早いけど、
みなさん良いクリスマスをお過ごしください。
一応聖なる日なので。笑 ではでは
699
:
幸せな名無しさん
:2025/12/23(火) 08:12:19 ID:KE9u7nmQ0
>>697
>どちらも起きていたというだけ
>真相的には、すでに真のあなたはその立場です。
受動的であっても、能動的であっても、起きてきますものね。
内側の静けさを捉えることはできても、なかなかその先が上手くいきませんが、焦らずに進んでいきたいと思います。
どうもありがとうございました。
りょうせいさんも、素敵なクリスマスをお過ごしくださいね。
700
:
幸せな名無しさん
:2025/12/26(金) 03:55:01 ID:xzI76Vmw0
わたしはりょうせいさんが潜在意識掲示板でこのスレを立ててくださること、とてもありがたいです。
全体性からの視点と、そこから切り離されたように感じている個人の視点はルビンの壺のようなものだと思っています。つまり、壺に見えているときは壺にしか見えないし、顔に見えるときは顔にしか見えない。だけど実際は常に同時にそこにある。
私自身全体からの視点を垣間見たことはありますが、個人の視点しか見えなくなっているときは「全体」からは当たり前だったことが、ほんとに感覚としてわからなくなってしまう。
そのどちらの視点も同時に見られるりょうせいさんの言葉はとてもありがたいです。
メリークリスマス。
701
:
幸せな名無しさん
:2025/12/28(日) 13:57:23 ID:kq1sq2rw0
>>693
りょうせいさん、横から失礼します。
>私自身は、意識の視点からただ返信することが起きている、そう捉えています。
ただ、その起きた返信が、読み手にとって、意識の視点に見える時もあれば、個と世界の視点に見える時もある。
また、ときに読み手からすれば、そのズレがダブルスタンダードに見えることがあるのも理解しています。
そうなんだろうと思いますが、りょうせいさんの
>>654
の投稿は、 第1段落以外はほぼ、読み手にとって、個と世界の視点に見えるというものではなく、個と世界の視点で書かれているように思います。
702
:
幸せな名無しさん
:2025/12/28(日) 16:18:49 ID:SPtljlFc0
意識の視点からただ返信することが起きている=常に意識の視点で書いている、ではなくて
この場合は、意識の視点から《質問者の立ち位置(個と世界の視点)に合わせた返信》が起きたんじゃない?
703
:
幸せな名無しさん
:2025/12/29(月) 07:00:24 ID:itAIa0JQ0
占いで好きな人の気持ちがよくない結果でした。私が勘違いして暴走してると。
とてもそんな風には感じないけど、これは信じず、好きな人を好きでいて付き合える?
704
:
幸せな名無しさん
:2025/12/31(水) 08:44:31 ID:TrMpLZY.0
最近外のカップルを見ると殺意が湧いてくるけど、エゴが暴走してるな。こういう時は願望の実現が近づいてる証拠らしいからポジティブに捉えとく。まだ恋人できたことないけど
705
:
り改め りょうせい
:2026/01/04(日) 10:21:31 ID:Edj/68Xw0
あけましておめでとうございます。
今年みなさんにとって良い年になりますように。
706
:
り改め りょうせい
:2026/01/04(日) 10:33:10 ID:Edj/68Xw0
>>700
>全体性からの視点と、そこから切り離されたように感じている個人の視点はルビンの壺のようなものだと思っています。つまり、壺に見えているときは壺にしか見えないし、顔に見えるときは顔にしか見えない。だけど実際は常に同時にそこにある。
素晴らしい例えですね。全体性、つまり、一なる意識だけがある。それでも蜃気楼は表面的に浮かんで動いているように振る舞います。
180分の映画が展開し続けていても、
本当はスクリーンしかありません。
そして、スクリーンと映画は本当は分かれていません。映画は変化し続けて平和はつかの間にしか見出されません。それと違い、スクリーンは常に不変の平和です。
>私自身全体からの視点を垣間見たことはありますが、個人の視点しか見えなくなっているときは「全体」からは当たり前だったことが、ほんとに感覚としてわからなくなってしまう。
心が静まれば、個人も他人も静まります。
″私″が静まれば、心も世界も静まります。
「いつか感覚としてわかるようになる。」
のではなく、わかろうと、掴もうとする探求者が静まって、常に、永遠に、消滅しているところ、その領域が、初めから終わりまで真のあなたです。
707
:
り改め りょうせい
:2026/01/04(日) 10:38:24 ID:Edj/68Xw0
>>701
そうですね。全体性は、「存在性」として在る。
在ることで、=それであることが成立します。
何かを喋ったり、心が1ミリでも動いた時点で、個としての表現に(見かけ上は)なります。それにもかかわらず実態は常に全体性なのです。
まるで、夢と同じシステムですね。笑
708
:
り改め りょうせい
:2026/01/04(日) 10:44:35 ID:Edj/68Xw0
>>703
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれません。
つまり、答えは神のみぞ知るってことでw
意識はただ動きます。ただ運動をします。
心や想念がその動きを判断したり、想像することも、意識の中でただ動きます。
そのため、それを神と表現するなら、
神の意志が起き続けます。
てことで、以上。ってことですね。
709
:
り改め りょうせい
:2026/01/04(日) 10:50:09 ID:Edj/68Xw0
>>704
エゴが暴走していることに気づいているのがエゴですよ。「″私″は◯◯だ。だけど◯◯だから◯◯だと捉えとく」といった文脈の、
その″私″が、エゴの根源ですよ。
恋人できるといいですね。
あなたに素晴らしいことが起きるように祈ります。
710
:
幸せな名無しさん
:2026/01/04(日) 11:12:55 ID:39CVhtiw0
>>695
夢で夢を溶かすような優しいご返信を有難う御座います。
自分の中に在るものは大切にしながらも、型に嵌めない方が良いなと気付けました。
昨日「合一してしまったらもう大きな私ちゃんに抱きしめてもらえない」と
寂しくて寂しくて泣けちゃって仕方なくなりました。
そんな中でも、ああ、エゴはこう来たかと静かに分析。
以前、自分の中に「常に溢れ続けている決して枯れる事のない愛の泉みたいなもの」がある事に気付いて
泉は常に在るんだろうけど感じられなくなってあの泉はどこぉ〜泣。ってなった事があったのですが
ふとそれを思い出して、大きな私ちゃんの正体はあの泉なのでは?と思ったら涙が引っ込んだ。
感覚としては泉は胸の奥にあったので、そこに意識を集中。大きな私ちゃんが胸の奥に居ると思って集中。
そこには泉ではなく静けさが在りました。そうだ本来はとても静かなものだったはず。
そして胸の奥に意識を集中させていたはずが、それが全身に広がっていく感じがしました。
ああ大きな私ちゃんは私の中の全てを満たしていたのね。包まれ感よりこっちの方が100倍暖かい。
あ〜いいわぁ、この安心感いいわぁ〜本当にあったかぁ〜い、なんて思っているんですけど
いつもの流れで行くとこの感覚もまたすぐに分からなくなってしまうと思われます。
711
:
幸せな名無しさん
:2026/01/04(日) 11:57:05 ID:CfQNfj820
りょうせいさん、みなさん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
また質問させていただきますね。
「全てはプログラム通り、全自動」ということを、よく聞くと思うのですが、それで、自分の言ったことや行いを、必要以上に後悔しなくて良くなり、楽になれたりしました。
「内側を変えると、外側も変わる」」というのは、何かに関しての自分の考え方を変える時期が来て、変えたことで体験する現実が変わった、という流れが、自分の意思とは関係なく、プログラム通りに起きている、ということでしょうか。
それとも、ループから抜け出る、再配達を終わらせる、望む現実を体験する、これらの方法を知って実践することで、「プログラムを変えることができる」ということでしょうか。よろしくお願いいたします。
712
:
り改め りょうせい
:2026/01/04(日) 12:00:21 ID:Edj/68Xw0
>>710
夢で夢を溶かすような優しいご返信を有難う御座います。
>自分の中に在るものは大切にしながらも、型に嵌めない方が良いなと気付けました。
そうですね。それが真理についてのお話なら、
真理ってのはなんの型もない「 」なのですよ。
型があり、型を認識する者も、そのこと(あるとかないとか)を知る″者″という型すら無いんです。だからこそ、あなたは熟睡中、なんのドラマもないのに、(また、なんのドラマもないからこそ、幸せも不幸も超えて)至福で平和なんですね。
>昨日「合一してしまったらもう大きな私ちゃんに抱きしめてもらえない」と
寂しくて寂しくて泣けちゃって仕方なくなりました。
そんな中でも、ああ、エゴはこう来たかと静かに分析。
合一したら、あなたは平和と静寂として、
それだけ、としてただ在るのみです。
大きな私ちゃんに抱きしめてもらったら、
あなたは安らいで、静かになるでしょう。
しかし、それには小さな私の、
「辛かったけど、抱きしめられて今は安心だ」
という時間軸の、物語、変化上のドラマを通してですよね。ドラマは必ず、不安→安心。
安心→不安。不安→安心。を繰り返します。
変化しないドラマは、そもそも″ドラマ″として成り立ちませんから。
大きな私はそのドラマが安心だろうが、不安だろうが、ずっと「不安⇔安心」という動きを知らない存在として、不動で、ただ在ります。
目に見えないだけです。ずっとあなたとして在ります。
>以前、自分の中に「常に溢れ続けている決して枯れる事のない愛の泉みたいなもの」がある事に気付いて
泉は常に在るんだろうけど感じられなくなってあの泉はどこぉ〜泣。ってなった事があったのですが
ふとそれを思い出して、大きな私ちゃんの正体はあの泉なのでは?と思ったら涙が引っ込んだ。
感覚としては泉は胸の奥にあったので、そこに意識を集中。大きな私ちゃんが胸の奥に居ると思って集中。
そこには泉ではなく静けさが在りました。そうだ本来はとても静かなものだったはず。
そして胸の奥に意識を集中させていたはずが、それが全身に広がっていく感じがしました。
ああ大きな私ちゃんは私の中の全てを満たしていたのね。包まれ感よりこっちの方が100倍暖かい。
あ〜いいわぁ、この安心感いいわぁ〜本当にあったかぁ〜い、なんて思っているんですけど
いつもの流れで行くとこの感覚もまたすぐに分からなくなってしまうと思われます。
あなたは安心そのものであり、静けさそのものです。
それがあなたなんだから、
本当は、
それを探さす必要もないし、それを無くすことも不可能なんですよ。
問題は、それが「見つかった」「消えた」と
動いている心が、(それが蜃気楼だとしても)消滅すること。それが探求(探究)の終わりです。
必要なのは、疑いを取り除いて捨てる・放棄するだけです。
それは捨てたあとも蜃気楼として現れるかもしれません。しかし、あなたはそれじゃないんです。蜃気楼を探って、触れてみてください。
掴もう、見つけようと、取り出そうと、探ってみてください。
絶対に触れられず、見つけられないから。
それが、エンドレスループの終わりです。
713
:
り改め りょうせい
:2026/01/04(日) 12:59:39 ID:Edj/68Xw0
>>711
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
>「全てはプログラム通り、全自動」ということを、よく聞くと思うのですが、それで、自分の言ったことや行いを、必要以上に後悔しなくて良くなり、楽になれたりしました。
はい、あなたのおっしゃるその″全て″(全体性)というのは、「思考や、考え、想像」これらを使った時点で、この″全て″は絶対的に掴めないということを見てみてください。
少しでも心が動いたり、掴もうとしたら、
″全て″の中での小さな揺らぎ、全ての中の一部に区分けされてしまいますよね?
これが、″全て″から「分離の揺らぎ」なんです。てことで、全ては、「全て」ってことでもう完結していて、完成しています。
それは思考でそう思うことではなく、
完成されているんです。その中で思考が揺らぎます。それでも、思考が起きようが起きなかろうが、ずっと完成されているんです。
話を進めると、個のあなたが以前と比べて、
後悔しなくなったり、楽になれたことは、
たしかに非常に喜ばしいことですが、
その話をあえて、もっと突っ込むと、
真のあなた(個人のあなたじゃないですよ)
つまり、全てのあなたの中で、
今後またある時に後悔がわいて起きても、
苦しみがわいて起きたとしても、
全てのあなたは一切不変で、全てとして完全性(完璧性)のままなんです。
個人のあなたが楽になった。
これはなりよりで、私も嬉しいですが、
もし仮に苦しくなったとしても、
(その後再び楽になったとしても)
真のあなたは変化なく、平和しか知りません。平和という言葉も概念ですが、なにも問題ありません。なぜなら物語を超えていますから。
動きという、物語の及ばないところに苦も楽も成立しないのです。
二元的な「苦⇔楽」ではなく、
「苦⇔楽」がないから、平和″感″というより、
「 」としての平和・安息なんです。
平和があるんじゃなく、苦が無いんです。
「 」に、平和・安息・愛・至福など色々概念的な表現を世界側からされるだけで、
「 」は「 」ですがね。ずっと。
>「内側を変えると、外側も変わる」」というのは、何かに関しての自分の考え方を変える時期が来て、変えたことで体験する現実が変わった、という流れが、自分の意思とは関係なく、プログラム通りに起きている、ということでしょうか。それとも、ループから抜け出る、再配達を終わらせる、望む現実を体験する、これらの方法を知って実践することで、「プログラムを変えることができる」ということでしょうか。よろしくお願いいたします。
これらも、同じです。
「私、個人、エゴ、」というのは、
その個の「個性」を通して形成された信念に向かって動きます。つまり、個としての自分が感じる苦を避けようとし、また、個としての自分が幸福だと信じれる道を進みます。
それでですね。
不幸感や幸せ感というのは、
実は願望叶う、叶わない問題というより、
幸せを感じることが起こるか、それとは違う重たい感じが起こるかの問題なんですね。
つまり、10億あっても幸せ感を感じれない人もいれば、一流芸能人や一流CEO、誰もが羨む恋人や家族がいても、不幸感を感じることはできても、幸せ感を感じにくい人もいるわけです。
これはなぜか?
◯◯感は絶対コントロールできないからってのが一つ。もう一つは、探すからです。
そうはいっても、
この″私″とは、「探すことをやめることを探してしまう」もの。
そのため、真理探求は、
探しているその主体。個の私。
つまり、探求者。
これがまさにエゴなんですが、この動き回るこのエゴとは何か?エゴ、心、想念、これらを発現させている″私″を探っていく、その私、
つまり、自己、これを探求する道なんですね。
自己探究とはよくいったもので。
そして、このエゴが何によって成り立っているか?というと、じつは真のあなたなんです。
真のあなたから、真ではない、偽りの主体が、
「生み出されている風に見える」
「動き続けている風に見える」
という錯覚が表面的に起こっているわけなんです。
714
:
幸せな名無しさん
:2026/01/04(日) 18:40:37 ID:W7MeQN3w0
>>705
>>688
です。あけましておめでとうございます。
昨年12月の気づきとりょうせいさんのアドバイスによる深まりによって、憑き物が落ちたように穏やかなお正月を過ごせました。何年ぶりでしょうか笑
りょうせいさん&皆さまにとって素敵な一年になりますように。
715
:
り改め りょうせい
:2026/01/04(日) 19:58:31 ID:hObDYKf20
>>714
あけましておめでとうございます。
憑き物。あー、ナイスな表現ですね。笑
ありがとうございます。
714さんも素敵な一年をお過ごしください♪
716
:
幸せな名無しさん
:2026/01/04(日) 22:10:26 ID:CfQNfj820
>>713
お答えいただきまして、ありがとうございます。
>″全て″から「分離の揺らぎ」なんです。
>ずっと完成されているんです。
分離の思考をすることで、完成されている全体性が見えなくなってしまう、ということですね。思考が揺らいでも、そのままにして、「完成されている」ことを、なんとなくでも感じるようにしてみたいと思いました。
>真のあなたは変化なく、平和しか知りません。平和という言葉も概念ですが、なにも問題ありません。なぜなら物語を超えていますから。
個の私にとって苦しみがわいて起きても、真の私には苦が無く、平和で安息、でもそれも概念で、「 」は「 」とは、無であり空っぽ、という感じでしょうか。ハーディングの受容能力というのが、こちらでしょうか。
>◯◯感は絶対コントロールできない
このことについて、もう少しお話を伺っていいですか。
>この動き回るこのエゴとは何か?エゴ、心、想念、これらを発現させている″私″を探っていく、
>真のあなたから、真ではない、偽りの主体が、「生み出されている風に見える」「動き続けている風に見える」という錯覚が表面的に起こっているわけなんです。
個の私というものが居る感覚になっていますが、はっと今に戻って、不動や静寂などの内的感覚に意識を向けるように、心がけてみたいと思いました。
体が勝手に動いている、ということを、少しずつわかるようになってきたので、行為者でなく、鑑賞者の視点でいる時間を長くして、「私」を探っていきたいと思いました。
文章がへたで、うまく書けなくて、すみません。教えていただいたことを、頭でも、感覚としても、わかりたいと思っています。何度か繰り返し読ませていただきたいと思います。ありがとうございます。
717
:
幸せな名無しさん
:2026/01/04(日) 22:51:58 ID:39CVhtiw0
あれっ、そういえばお正月の挨拶しないまま書き込んでいる!?(あほー)
大変失礼致しましたm(_ _)m 遅くなりましたが
明けましておめでとうございます!
皆様にとって健やかで穏やかな幸多き1年でありますように!
>>712
ありがとうございます。実はすっかり忘れていましたがこのスレ初期頃の自分の書き込みで
「 」は「 」ですよね!みたいな事を書いていたんです。本当は気付いているみたいなんです。
でも全然納得できない。エンドレスループにしたい理由があるみたい。それは何だろう。
そしてやっぱり寂しくて寂しくて仕方がない。大きな私ちゃんに必死になって縋り続けなくてはいけないレベルの
このものすごい寂しさ何だろうと思ったら「自愛が全然足りていない」でした。
物心ついた頃から長い間自己否定を続けてきたのに自愛を10年した位では全然ダメ足りないみたいで。
どれだけ寂しさとか本当の気持ちを無かった事にしてきたのかって事みたいです。
それを全て明らかにして受容するまで個の私は納得しないし、やってみたいようです。
あーじゃあ仕方ないよね、って感じですが、「浄化されたい」と願ってしまうと
恩寵が浄化する動きになってきつくなるからそこは願わずにお任せしようとは思いました。
恩寵に願うとしたら「本当の自分に戻りたい、全て受容したい」です。
無条件の愛で自分を癒すとかそんな感じです。
でもこれきついのかなー、きついのは嫌だなー、とも思ってはいます。
そして各種実践中に(特に自愛)高確率で起きてしまう事、現実で身近な人からの風当たりが
きつくなったり否定される事を言われる事が増えるのもきつい一因です。
なんで夢なら静かにしていればいいのに、わざわざややこしくしたがるかなーとは
自分でも思ってはいるのですが…。笑
探求でゴールを迎えたとしても個として生きていく事に変わりはないから
どうしても偽りではない本来の個を知りたい・戻りたいようです。
718
:
り改め りょうせい
:2026/01/05(月) 21:08:56 ID:K9YXuXog0
>>716
>分離の思考をすることで、完成されている全体性が見えなくなってしまう、ということですね。思考が揺らいでも、そのままにして、「完成されている」ことを、なんとなくでも感じるようにしてみたいと思いました。
そうです。もっと正確にいうと、
「分離の思考」が発生した時点で、
「主体(見ている者)」─「分離の思考(見られているもの)」と、実は分かれています。
そのため分離の思考を認識している主体(思考者)も、実は思考なんです。
はい、なんとなく感じてみてください。
>個の私にとって苦しみがわいて起きても、真の私には苦が無く、平和で安息、でもそれも概念で、「 」は「 」とは、無であり空っぽ、という感じでしょうか。ハーディングの受容能力というのが、こちらでしょうか。
「 」とは、熟睡のときのあなたです。
それは常に在り続けています。
あなたにとって、無くすことのできない、もっとも親しいものです。
無、空っぽというためには、知っている者がいなくてはなりませんが、「 」だけの時、
主体も対象も世界も心も消滅しています。
それでも、「 」があるから、宇宙や世界や心が映し出されて動いています。無、空っぽと表現されることもありますが、それは同時に無限の潜在的可能性を秘めています。
ダグラスハーティングの顔のない人間でしたっけ?昔、一度本を読んだことがある程度なので、おそらくですがあの実験や、アプローチは「私は在る(意識としての私として在る)」
「純粋意識で在る」
それとして在るアプローチとおおむね同じだと思います。
>◯◯感は絶対コントロールできない
このことについて、もう少しお話を伺っていいですか。
これは、個のあなたが、とある感情を狙って出そうと思っても出せませんよね?という話です。感情は何かに反応して独自に湧いてくるものだからです。
赤ちゃんとか、そうですよね?
喜怒哀楽がそのまま流れて、やがて消えていきます。
大人になると、エゴは行為者として確立していきますから、感情さえも″やろう″、″どうにかしよう″とします。なので、感情をコントロールしようとします。
それで抑えたり、抑圧することはできたとしても、それらもいずれは流れて、やがて消えていきます。思考も感情も″やり手″″掴む者″が邪魔をしなければ、流れて消えていくものです。
抑圧が沢山ある場合、時間がかかる場合もありますが、いずれは流れていくものです。
また、感情だけじゃなく、身体感覚に置き換えてもおなじことです。
>個の私というものが居る感覚になっていますが、はっと今に戻って、不動や静寂などの内的感覚に意識を向けるように、心がけてみたいと思いました。
いいですね。ぜひぜひ。
心や世界を見渡して、観察して、
ほんとに変化し続けているのか?
ほんとに無常なのか?を改めて調査してみてください。心や世界は、ずっと休まずに動き続けているのか、それとも、そうじゃない時もあるのか。
そして、動き回る中で、変化しないもの。
どれだけ騒がしい場でも、静寂なもの。
それを見つけ出して、それでいる、それである時間を作ってください。もちろん、気が向いた時でいいですが。
>鑑賞者の視点でいる時間を長くして、「私」を探っていきたいと思いました。
これは大切なので、それも同時に行ってください。
鑑賞者というのは、非個人・無努力性の気づきのことです。(鑑賞者・観照者、または目撃者とも言われています)
それは本当は個が″やること″ではなく、
鑑賞者としてのあなた(個ではないあなた)は、エゴ・個の様々な動きや光景を、一部始終、ずっと見せつけられているのです。笑
意識とは、「存在・気づき」です。
存在であると同時に=気づき(真の認識者)
なので、存在していながら、同時に気づいているんです。
>文章がへたで、うまく書けなくて、すみません。教えていただいたことを、頭でも、感覚としても、わかりたいと思っています。何度か繰り返し読ませていただきたいと思います。ありがとうございます。
いえ、少なくとも私には伝わってますよ。
これはお互いだと思いますが、テーマがテーマだけに文章化はなかなか難易度高いですよね。概念を超えたものについて、概念を使って書くという作業ですから・・口で喋った方が話が早くてスムーズかもしれないと感じることも多いです。
そうですね。頭の理解から→感覚的、直接理解が起こることをお祈りします。
こちらこそありがとうございました。
719
:
幸せな名無しさん
:2026/01/05(月) 21:41:40 ID:g00I/Ylw0
結局すべてどうでもいいってことでしょ
ここの長文コメントも「」ができてない人達ってことね
それにしても「」の中身が長文エゴすぎるだろ
720
:
り改め りょうせい
:2026/01/05(月) 21:43:00 ID:K9YXuXog0
>>717
あけましておめでとうございます。
717さんにとっても幸の多い1年でありますように。
あらためて真理探求のスイッチの話しですが、
真理への道を進むときって、
理由が成立しないんです、
なぜかわからないけど、そういう流れになってしまうんです。
「〇〇のために、真理探求します」
「〇〇を手に入れるために真理探求します」
仮に、表面的にこのような流れが起きたとしても、本来はそういうことじゃないんですね。
どちらかといえば、
「真理に惹かれてしょうがないから、真理探求してしまいます」
「やめたいのに、やめられない」
まるでこんな感じかもしれません。
真理の知識が直接的に深まると、
〜のために、〜を手に入れる、と言っている
その当事者の個(私)が解体されていく方向ですから。真理そのものになるという偉大な実現の代償としては、どうしても個が溶けなければなりません。
個は溶けることを最も恐れ、同時に、最も望んでいます。
なぜなら願望実現や人生の幸せ実現も、
結局なんの目的のためにしてるかというと、
願望や幸せが実現したら、
やっと、静かになれるからです。
静かになっている個は、そのとき溶けているんです。笑
そのため、あなたは素直で正直だからこそ、
無理して、そっちに行きたくない、
個を整えたい。このように素直に言える個は幸いです。
それでいいんです。
これは皮肉ではなく、本当にそれでいいんです。むしろ、自分の気持ちに嘘つかず、自己欺瞞に陥らないあなたは偉いです。笑
やりたいことをやりたいと思えるなら、
やってください。
また、本当はやらなくても、
愛はすでにあり、それが真のあなたである。
という言葉を、頭の隅っこに置いておくだけじゅうぶんです。忘れてもらって構いません。
恩寵の流れは最適です。
浄化の苦しみは、必ず、後から振り返れば偉大な宝に変わります。
この話は、プロセスの構造としてそう出来ているって話であって、信じる信じない論の話じゃありませんが。
721
:
幸せな名無しさん
:2026/01/05(月) 23:18:37 ID:ejZVv4lo0
いつも学びたっぷりの書き込みをありがとうございます
参考になります
りょうせいさんが以前おっしゃった通り、あらゆる二元論を乗り越えていくのが私達の定めなのでしょうが、そこで湧いてくる疑問があります
言葉という道具自体が二元論を前提として成り立っていますよね
言葉というものを使い続ける限り二元論から抜け出すことは難しそうですが、あらゆる二元論を手放した人間は、言葉というものにどのように接しているのでしょうか
気になるところです
722
:
幸せな名無しさん
:2026/01/06(火) 00:19:40 ID:5pPcqNic0
>>718
とてもわかりやすく、説明をしていただいて、ありがとうございます。
お忙しい中、お時間をいただいて、すみません。
>「分離の思考」が発生した時点で、
「主体(見ている者)」─「分離の思考(見られているもの)」と、実は分かれています。
主体と対象について、よくわからなかったのですが、今、頭での理解ですが、わかりました!「主体(思考を見ている者)」と「対象(見られている思考)」とに分かれる、ということだったのですね!分離の思考を発生した時点で分かれてしまったけれども、本来は分かれていなくて、完成されている全体性だった、ということですね。
「主体(人や物や出来事を見ている者)」と「対象(見られている人や物や出来事)」こちらの場合も同じこと、という認識で、あっていますか。
>分離の思考を認識している主体(思考者)も、実は思考なんです。
>>98
>探求者が気づきに気づかれます。
>>116
>主体─対象─存在─気づき。全てが一つの意識の運動だったということです。
このことに気づきたいものです。静かになって、集中して探ってみたいと思います。
>「 」だけの時、主体も対象も世界も心も消滅しています。それでも、「 」があるから、宇宙や世界や心が映し出されて動いています。
消滅しているほうは、わかるような気がするのですが、映し出されて動いているほうは、気づきが起きてから、きっとわかるようになるのですね。
実験は、動画で何度か見ていて、たまに見たくなる時があります。
>思考も感情も″やり手″″掴む者″が邪魔をしなければ、流れて消えていくものです。
繰り返しわき起こる、不快な思考や感情を、うまく流せるようになれば、いずれは消えていくもので、そのことがある程度できてこないと、やはり解放は起こりづらいものですかね。
>それを見つけ出して、それでいる、それである時間を作ってください。
はい、やってみます! 調査してみます。
>存在していながら、同時に気づいているんです。
「観照者」でしたね!すみません!送信してから気づいてしまいました 汗
それに、観照を個が”やること”ではない、気づきのことですね。変な文章になってしまっていました 汗
一日のうちに、思考が止まって、意識でいる時間が以前よりも増えてきて、たとえ一分でも、その時は楽で心地よい感じがします。
>頭の理解から→感覚的、直接理解が起こることをお祈りします。
頭の理解も遅いですが、自分なりに集中しておこなっていきたいと思います。ありがとうございます。
723
:
り改め りょうせい
:2026/01/08(木) 18:31:55 ID:rHKRXBEo0
>>719
ここで話してるポイントは決してすべてどうでもいいと思い込むことじゃありません。
どうでもいいと思い込もうとする態度は、
実のところ明け渡しや放棄したフリにすぎません。その内側には、何かを得たい、より良くなりたいという期待が薄く残っています。
結果を気にする誰かがそこにいる限り、
それは完全な明け渡しや放棄ではなく戦略的放棄なんです。
「 」そのものは、意味づけや感想や判断がありません。
だから動き回る心からすると虚無や空虚、退屈や無意味さと誤解されがちですが、
みんな熟睡時に動き回る心が消え、
満たされて至福です。
あらゆる誤解も悩みも束縛も問題も言葉も消えています。
心が「 」を想像すると、
心からしてみれば「消えてたまるものか!」と激しく抵抗するのは一般的です。
それで「 」とは、きっと恐ろしく悪しきものに違いないと想像しますが。
「 」は=「心と世界」でもあるんです。
「 」は在るだけで、書けないし話せません。
書き込みも読むことも、それぞれの心に浮かぶ思いやイメージを通して、自然とただ起きているだけなんです。
つまり、誰かがやっているように見えても、実際にはただ、それぞれの内側にある精神の傾向や質に従って身体が動いているだけなんです。
短文か長文かは、ただ短文か長文かってだけの話です。
724
:
り改め りょうせい
:2026/01/08(木) 18:36:27 ID:rHKRXBEo0
>>721
ありがとうございます。
シンプルかつなかなか深い質問ですね。笑
言葉とは、概念、レッテル、指し示すもの、
などなど色々表現があります。
思考や想念も言葉と言ってもいいかもしれませんね。
また、相対的な世界では、
言霊、「あ」は「あ」の音の、「い」は「い」の音のエネルギー的な意味があります。
そのためマントラや、言葉を繰り返し唱えるアプローチは実際に効果もあります。
そして、はじめに言葉ありきというように、
言葉があるから、概念や、意味が生まれ、
観念、信念、時間や空間、相対的な物語やドラマが生まれます。小説も文字がなきゃ、
なにも物語は成立しませんからね。
はじめ、「私」という言葉が純粋な意識の中で起こりました。これが自我意識の誕生というやつです。それが身体と心に結びついて、
「私」として同一化しました。
さて、「真理探求〜真理実現」とはなにか?
まず探求者は、頭の理解、知識から取り入れます。それが「言葉の必要性」です。
概念を使って、概念を落としていきます。
概念を使って偽りを指し示し、真実を指し示します。
トゲを使って、刺さっているトゲを引っこ抜くため。あるいは、川を渡るために船を使い、渡ったら船の役割はおしまいですが、探究するための優れた思索力や捜索力や、モチベーションは必要不可欠です。
さらに進んでいくと、
言葉ではない領域で、伝達されていきます。
それは目に見えない伝達です。
ハート的な、静寂的な、エネルギー的な、
それそのものとしての、非言語の類のものです。
あなたはAさんと会っただけで話さずとも元気になったり、Bさんと会っただけで話さずとも気が悪くなることがあるでしょう?
場所のエネルギーなども同じで、不思議と、直接感じる″なにか″のようなものです。
そして、段々と言葉ではなく、″それであること″を通して直接的理解が深まっていきます。
あなたの言う通り、最後には言葉、概念は余計なものになります。
探求者が、″それ″として確信するレベルまでは言葉は必要になる場合が多いという話です。
疑いを取り除くためには、何度も何度も、落としていく必要があるからです。
本当に問いが消滅するときは、それは意識さえも超えた領域です。
疑問が消え、言葉が完全に必要でなくなることは簡単ではないということです。
本当は超絶簡単なのですが、やはり、
強烈に簡単ではないんです。
マーヤ(心)の魅せるトリックは沢山の層に重なり、無数の糸が絡まっています。
なので、この世に沢山の修練方法があるわけです。
725
:
り改め りょうせい
:2026/01/08(木) 18:43:39 ID:rHKRXBEo0
>>722
(遅れてすみません。長くなったんで2回にわけました)
>「主体(思考を見ている者)」と「対象(見られている思考)」とに分かれる、ということだったのですね!
そうです。分かれているから分離と呼ばれています。どんな状況やどんなことでも、認識できた時点で、「認識者と|認識されるもの」として分離が起きてるわけです。
>思考を発生した時点で分かれてしまったけれども、本来は分かれていなくて、完成されている全体性だった、ということですね。>「主体(人や物や出来事を見ている者)」と「対象(見られている人や物や出来事)」こちらの場合も同じこと、という認識で、あっていますか。
はい。(表面的に)分かれても、(全体的には)分かれていない。分かれることを可能にするためにはその「下地、背景」が必要なはずです。
たとえばあなたが絵を描くためには画用紙が必要です。その画用紙が全体性(意識・存在性)です。海の中で魚が必死になって海水を探しています。魚が動いても止まっても、海は海として在り続けています。
「思考者」も「思考」もともに意識の中の波です。
>このことに気づきたいものです。静かになって、集中して探ってみたいと思います。
はい、″私″、を探してみて、それで在ってください。私という想念が個と世界、つまり全体性を成り立たせている根源の想念です。
真の私は、私という意識なく個と世界や全体性に気づかずただ在ります。なのに同時に、
その真の私の中で幻想が起きている錯覚があるのです。しかし、真の私は一度も幻想に気づいていません。ぜひ調査してみてください。
心が動いているときの私。
心が動いていないときの私。
それとは一切関係なく、
変化せず、常に在る、私とは何でしょうか?
すべての不幸も苦しみも心が作り出しています。その心の流動の中で「想像された私」は常に変化しています。私(主体)という心がどこから現れるか?現れることを可能にしている何かがあるはずです。それは言葉で名付けられないものです。便宜上、「意識」とか「在る」とか「神」などと呼ばれています。今もまさに、世界の中で経験し体験し変化し続ける私(主体)とは別の「不変の自己」がいるはずです。
その″自己感覚″を探してみてください。
それが自己探究、真理探究です。
>消滅しているほうは、わかるような気がするのですが、映し出されて動いているほうは、気づきが起きてから、きっとわかるようになるのですね。
はい。「在る」が=気づきです。「在る」=叡智があり、叡智を通して直接的理解、直接的気づきが降りてきます。
726
:
り改め りょうせい
:2026/01/08(木) 18:44:18 ID:rHKRXBEo0
>>722
>実験は、動画で何度か見ていて、たまに見たくなる時があります。
ハーティングの動画みてみましたが、
なかなかいいですね。笑 あれも合うならやられると良いと思います◎
>繰り返しわき起こる、不快な思考や感情を、うまく流せるようになれば、いずれは消えていくもので、そのことがある程度できてこないと、やはり解放は起こりづらいものですかね。
ハーティングや他の聖者や賢者たちが言うように、本当のあなたは思考や感情でもないし肉体でもありません。永遠で不滅の何かです。
ただし、これは真相的な事実の描写であって、
同時に相対的世界ではすべてがあなたです。
対象を、私以外の別の何かに見えたとしても、
本当は真のあなたの本質と別のものはありません。見かけは相違や好き|嫌いは自然に起こりますが、本質は同じ意識です。
これはパラドックスですが二つの事実どちらも必要です。思考はAかBしか掴めません。
AでもありBでもあることを悟るには、それとして在ること、同時にそれらすらもを超えているもの。だけです。般若心経で言われているとおり、色は=空であり、空は=色であります。
そして、究極的な「それ」は、空や色という二極さえも超越しています。
>それに、観照を個が”やること”ではない、気づきのことですね。
はい。これまたパラドックスですが、
それでも個がやること、アプローチ、修練は必要です。なぜなら個の別名は、「探し求め、動き続ける」だから。想念は動き続けることしかできません。ストップしたら想念とは呼べません。
なので強い探求心は必要不可欠で、
やがて探求者そのものが溶解するまで行われるべきです。
>一日のうちに、思考が止まって、意識でいる時間が以前よりも増えてきて、たとえ一分でも、その時は楽で心地よい感じがします。
いいですね。たとえ一分でも、その一分が偉大です。100回の体験の中に、99回は価値がなく、1個だけ価値のある本物の体験が紛れているとしましょう。
たとえわずかな体験であっても価値のある本物の体験は、やがて99個の偽りを燃やしつくす流れに繋がります。
それと大切なポイントは思考を止める|止めないではなく、自分は誰なのか?ってことです。
「思考者|思考の内容(多い、静止)」に関わらずは、意識であるあなたは「騒音|無音」どんなときでも存在しているからです。
>頭の理解も遅いですが、自分なりに集中しておこなっていきたいと思います。ありがとうございます。
頭で分からなくて結構です。それでも心の奥(ハート)、内側に浸透しています。
よく分からない、知れない掴めない未知でオッケー。これは、掴もうとするエゴを出し抜いて浸透が行われているからオッケーなんです。
頭で知ることではなく直接的に「それ」としての深まりのプロセスは、エゴにとっては今どのようなプロセスが進行されているか決して分からない。しかし、螺旋階段を一段上に上がると、一段下の過程を振り返った時に絵(構図)が見えてくるんです。そのたびに少しずつ個もマインドも自分を成り立たせている神自身に心を開いていくのです。
ありがとうございました。
727
:
幸せな名無しさん
:2026/01/09(金) 00:22:37 ID:HxeyALBI0
>>720
ありがとうございます。愛あるお優しいご返信に個が心地良く溶けておりました。笑
探求はもしかしたら幼少期から始まっていたのかも知れません。個が幼稚園に入園する前迄は
積極的・声が大きい・少し意地悪。そんな性格だったそうです。人間として生きるには
好都合な性格だと思いますが恩寵はそれを良しとせず5歳で修練をスタートさせた。
その代わりピンチの時には必ず助けが入るという絶対的に守られている感じは常にありました。
真の私にも一度会っていました。あれは何だったんだろうとずっと思っていたのだけれど
間違いなく大きな私ちゃんです。同じです。ずっと見守ってくれていました。
>愛はすでにあり、それが真のあなたである。
↑ありがとうございます。何かをしなければ愛されないという条件があると
それを無意識的にでも採用してしまっていると、不自然でとても苦しく感じます。
やりたいこと…どうなんだろう、と思う事はあります。思っている時点でもしかしたら
やってもやらなくてもいい事なのかも知れません。あるいは何か無理をしているのか。
自分にとっての本当を知っていきたいです。
あっ!小さな事でもやりたいと思った事をやらずに居るとイライラする事はあります。
これはやった方が良いですね、やらないままでいるのはエゴだ。
そういえば内側から大きな私ちゃんの愛に満たされている時、何だかくすぐったい感じがしました。
心地良いです。ゆるんで何だかくすっと笑ってしまうような心地良さがありました。
そして真の私を内側で感じられた事でこれは全員共通のものだと実感出来ました。
例えるなら大きな大きな鏡餅。それが小分けにされて皆の中にも入っている。
誰かに対して違和感を感じた時にはその人の背景に在る「 」に意識を向けたら良いのかもと思いました。
それでも不快ならその不快も許す自愛をしていきたいと思います。
それから大きな私に内側を満たされて内側が空洞に感じられる事が起きました。
皮膚を隔てて自分の中と外が同一に感じられたので目を閉じて同一感に浸っていると
ここは何処か、今は何時かが分からなくなり、鳩時計の音も聞こえず
眠っていないのに意識が落ちて時間が30分ほど経過していました。
「 」を感じられたのかもと思ったのですが、またいつもの通りすぐにこの感覚も消えました。
認識の変更も、実感しては戻りを大袈裟ではなくもう100回以上は繰り返し続けています。
簡単に理解されては不都合なのだと思います。しっかり浄化してもらいたいのです。
なのでループしてしまう事を許す事にしました。
ループから脱するタイミングは恩寵が知っている筈。お任せしようと思いました。
>個を整えたい。このように素直に言える個は幸いです。
↑ありがとうございます。やっと素直になれたのかもと嬉しいです。笑
自分に噓をつくのは苦しいです。
実は本当の所、大きな願いを叶えたいとかは無いのだと思います。
中学生の時、卒業時の冊子の一人一言欄で「何気ない日々の中でも幸せ探して生きてゆく」
なんて事を書いたのを覚えています。何と地味な中学生なのでしょうか。笑
でもこれが個の本心なのだと思います。
ふと、大きな私ちゃんは個の私の中の女性性に対しては彼氏役を
男性性に対しては彼女役を演じてくれているのかなと思いました。
だからあんなに可愛らしくて魅力的なのか、そうかそうかとひとりで納得。笑
あと真の私は本当はかなり高次元の存在で個に合わせてレベルを下げて会話してくれているのかなと。
以前、真の私から届いた「みんな既に愛されている、みんな既に赦されている」このメッセージは
まだ個には段階が早すぎるのか、解るけど解らないような感じです。
そして偉大な存在ならば大きな私ちゃんなんて呼び方は良くないのかなぁ、なんて思ったら
「えーそんなのさみしいよぉ、ずうっと大きな私ちゃんって呼んで(はぁと)」と返ってきたので
あ、はい。じゃあそうさせてもらいます。と思いました。笑
>浄化の苦しみは、必ず、後から振り返れば偉大な宝に変わります。
↑ありがとうございます。これは、本当にそう思います。恩寵からの愛ですよね。
これは余談というか独り言ですが、大きな私と個の私の探求のテーマソングとしては
ClariSさんの「ルミナス」が最適なのかも、なんて思っていました。
歌詞の中の「包まれた瞬間すべての想いは君へ巡る」なんてもう共感しかない。笑
728
:
幸せな名無しさん
:2026/01/09(金) 22:16:05 ID:P0iQOmAU0
>>725
りょうせいさん、いつもご丁寧に教えていただき、ありがとうございます。
たくさんのお時間を頂いて、本当にすみません。今回もよろしくお願いいたします。
>「思考者」も「思考」もともに意識の中の波です。
>その真の私の中で幻想が起きている錯覚があるのです。
>その″自己感覚″を探してみてください。
「心が動いていないときの私」、その時に感じられる純粋な意識は、わかると思うのですが、叡智を通しての直接的理解、直接的気づきは、降りてくるまでは、わからないですものね。でも、意識でいることが徐々に増えてくるにつれ、精神的にも、現実的にも、穏やかで、幸せな感じが増えてくるようですので、まずは、そこを目指したいものです。
>ハーティングの動画みてみました
見ていただいたのですね!ありがとうございます。公的と私的。何度か見てみたのですが、私にはまだ、気づきにならなくて、また別の機会に見てみたいと思っています。
頭や顔の辺りに意識がいきますが、よく、ハートに意識を向けるようにと聞くと思うのですが、また違ったアプローチ、ということですかね。
「私」というのがどの部分か、というのはないと思うのですが、感覚としは、目の辺りに感じられるような気がしています。
>永遠で不滅の何かです。>同時に相対的世界ではすべてがあなたです。
>究極的な「それ」は、空や色という二極さえも超越しています。
そうなんだなと頭ではわかるのですが、どうしても対象を、私とは別の何か、と見てしまいます。だから苦が生じるのですよね。
>なので強い探求心は必要不可欠で、やがて探求者そのものが溶解するまで行われるべきです。
そうですね!進みは遅くても、学ぶことが楽しくて、探求し続けています。気づきが起きてからも、ずっとこのことに触れ続けて、学んでいきたいと思っています。
>自分は誰なのか?ってことです。
意識であることを、度々感じられるようになってから、思考や感情にハマっている状態に、たまにですが気づけるようになってきました。意識・存在であるほうを選びたいです。
>心の奥(ハート)、内側に浸透しています。
>そのたびに少しずつ個もマインドも自分を成り立たせている神自身に心を開いていくのです。
内側に浸透していると思うと、嬉しく思います。教えていただいていることを、いつもありがたく浸透させていただいています。読ませていただいている時に、心が清まるような感じがしています。意識であることに、意識・心を向けていたい感じになります。
>叡智を通して直接的理解、直接的気づきが降りてきます。
インドのサットサンの動画を見ていると、グルのお話を聞いている最中に、気づきが起きて、笑い出したり、泣き出したりする場面を見ますが、その方の準備ができていたことで、直接的な理解が起こった、ということですよね。その説法の内容が気になって、もう一度、注意深く聞きいてみても、私には気づきは起きないです。気づきのタイミングは、人によりますものね。
りょうせいさんの、以前の探求の様子や、気づきが起こる少し前は、どのような感じでしたか。
729
:
り改め りょうせい
:2026/01/11(日) 23:00:15 ID:yX3dy9m60
>>727
>探求はもしかしたら幼少期から〜
始まっていたのかも知れません。
はい。
そうじゃなきゃ、個の私がなぜこのような話に興味を持てるでしょうか。笑
>愛はすでにあり、それが真のあなたである。
↑ありがとうございます。何かをしなければ〜
>自分にとっての本当を知っていきたいです。
あなたに課題を出します。これはあなたの気質だけに合う漢方のようなものだと気楽に捉えてくださいね。
これは個のあなたのプロセス(神との合一)にとって重要なメタファー(たとえ話)です。
時間をかけて、ゆっくりこの話の真意を考察し消化して行ってください。これは頭で答えを出すというより、この話を頭の片隅に置いておくこと自体が、重要な叡智に繋がります。
・マタイの福音書 21章12節
・ヨハネの福音書 2章13〜16節
※解説者や説教者の説明は無視して構いません。
翻訳で書いてある文字の意味だけで結構。
>そして真の私を内側で感じられた事でこれは全員共通のものだと実感出来ました〜
いいですね。そうです、賢者は映画を鑑賞していてもスクリーンの存在を忘れていません。
映画の現れを無理矢理スクリーンだと思い込むというより、スクリーンがなければ映画も現れも映し出されないことを常に忘れていません。
>それから大きな私に内側を満たされて〜またいつもの通りすぐにこの感覚も消えました。
ナイスです。
>簡単に理解されては不都合なのだと思います。
すでに理解は起き続けてると思って過ごしましましょう。理解を求めている探してる演技が表面的に起きているように見えるだけです。それは錯覚です。構わず心身の動きが流れていっていることを観ましょう。
>でもこれが個の本心なのだと思います。
大きな私であること。それは永遠の至福です。正確にいえば、永遠の至福に誰もが常にいますがマーヤ、幻想という心の抵抗によってそこから離れることが高頻度で起き続けているだけです。
真理探究者は、個というキャラから目覚めるチャンスの流れであり、そのため大きな枠組みの流れの視点でみれば、探求者というだけでチャンスに恵まれて偉大な価値のある人生なのです。真理は誰もが興味を持つテーマじゃありません。
>ふと、大きな私ちゃんは個の私の中の女性性に対しては彼氏役を
男性性に対しては彼女役を演じてくれているのかなと思いました。
なるほど。
いわんとすることわかります。そうですね。笑
>あと真の私は本当はかなり高次元の存在で個に合わせてレベルを下げて会話してくれているのかなと。
かなりどころか唯一の至高者です。
個を心としてもいいでしょう。
心をたとえばひとつの国としましょう、
国民たちの中でも、真の私支持派と、
個の私支持派と派閥争いの戦争があるわけです。
なので、心にとって「恩寵と浄化」のように感じるけど、心の内面の善玉菌と悪玉菌のバトルのようなものです。笑
レベルの違いや、あなたがあるときは賢者であったり、あるときは迷子になるのもこうした理由から。
不快は快楽の記憶であり、快楽は不幸の記憶です。迷子が起きるのは記憶との同一化が根強いから。そのため時間という幻の概念を越えること。そしてそれが直接「真の私を愛すること」に繋がり、それが本当の自愛です。
すでに自愛はあります。それを防ぐことが心の活動です。
そして、直接理解は同時に個を整えることにも繋がります。一石二鳥以上の総合治療薬です。
私はここであえて真の私、神、いちなるものに対する、素晴らしさや褒め讃えや偉大さをあまり伝えていません。いかに素晴らしいか、また、個にとってそれはどれほど素晴らしいことに繋がるのか、どれほど最高の結果なのかをほぼ伝えていません。
「◯◯をしたら◯◯となる。だから◯◯をやりましょう」このような、餌となる表現は意図的に抑えています。それを言うと心、エゴのシステム上、ますますそれから遠ざかるからです。
それに探求者の心は常に動いて疲れています。これ以上心を疲れさせる必要はなく、ほんとは何かを求める必要さえなく、真のあなたはただ存在してるだけでいいんです。この基本的概要を基に、疑いや苦しみとの同一化を取り除くために探究しましょう。
だから私はあなたにも、〇〇のために、真の私、神を愛しなさいとは言いません。
言うなれば、真の私を愛するがゆえに、真の私を愛しなさい。です。
あなたがたとえば、自分のツインレイが現れて「◯◯が欲しいから、その目的として、あなたといたい。その目的を叶えられる手段として、あなたを愛している!」と言われるよりも、
「あなたといたい。あなたを愛している。
なぜなら、あなたといたくて、あなたを愛しているからだ!」と言われた方が良いはずです。笑
真の私との合一も同じです。ただ愛しましょう。
それができたらそれが強烈な明け渡しになります。
追伸 ルミナスいい曲でしたー⭐︎
730
:
り改め りょうせい
:2026/01/11(日) 23:01:34 ID:yX3dy9m60
>>728
>「心が動いていないときの私」、その時に〜感じられる純粋な意識は、わかると思うのですが、叡智を通しての直接的理解、直接的気づきは、降りてくるまでは、わからないですものね。
>でも、意識でいることが徐々に増えてくるにつれ、精神的にも、現実的にも、穏やかで、幸せな感じが増えてくるようですので、まずは、そこを目指したいものです。
意識があなたの本質です。意識自体は過去、現在、未来ずっと変わらない存在です。
しかし、個がそれを完全に忘却している状態と、
仮にそれを知ったとしても外側の遠い彼方にあるに違いないと思い込むのと、常にこの瞬間あると知るのでは、たしかに個の精神面にも違いが出てくるでしょうね。
自己知識が深まるにつれて結果的に自然とそうなることはあり得ますが、それは目指すべきものというより結果としてなんです。なぜかといえば深まると、たとえ精神的にも、現実的にも、不安で不幸せな感じが起きたとしても、それが幻想だと自然と見抜かれるからです。
また二元世界(相対的世界)の視点でいうと、二元世界はあなたがどの概念と同一化をしているか?をレッスンとして指し示していきます。心やカルマの振る舞いがどうあれ、忍耐強く意識で在りつづけることでそれらの想念たちのマーヤ的振る舞いとの同一化を溶かすことができます。
>頭や顔の辺りに意識がいきますが、よく、ハートに意識を向けるようにと聞くと思うのですが、また違ったアプローチ、ということですかね。「私」というのがどの部分か、というのはないと思うのですが、感覚としは、目の辺りに感じられるような気がしています。
いいですね。その部分が、どの場所であってもその私感覚を観照しているということがポイントです。
本当にそれ(私感覚)が真の私ならば、
決して「その対象である私」に気づくことはできません。
私感覚を目撃できた時点で、それを目撃している目撃者と私感覚はあきらかに違うわけです。
「私感覚は常に永続する真の私ではない」ということです。なぜならあなたの本質は感覚ではなく、″在る″だからです。
>そうなんだなと頭ではわかるのですが、どうしても対象を、私とは別の何か、と見てしまいます。だから苦が生じるのですよね。
相対的世界での、違いの感覚は形や性質が違うし、接触すると物語も起こるので別の何かと見えて自然です。それはそれで消そうとしなくていいんです。それでも在るがあるからそれらが成立します。どちらも正解です。
木を見てください、葉っぱは木なのか?
そうとも言えるし、そうではないとも言えます。
でも葉っぱが葉っぱでいられるのは、根があるから。見える姿の奥に、見えない全体がある。
その全体があるから部分が現れます。
>そうですね!進みは遅くても、学ぶことが楽しくて、探求し続けています。気づきが起きてからも、ずっとこのことに触れ続けて、学んでいきたいと思っています。
わかります。自己知識を学ぶことは相対的な楽しさとはまた一味違った好奇心というか、ときめきがありますね。笑
>意識であることを、度々感じられるようになってから〜意識・存在であるほうを選びたいです。
>意識であることに、意識・心を向けていたい感じになります。
はい、螺旋階段を登っていってください。
>インドのサットサンの動画を見ていると、グルのお話を聞いている最中に、気づきが起きて、笑い出したり、泣き出したりする場面を見ますが、その方の準備ができていたことで、直接的な理解が起こった、ということですよね。
プンジャジのやつですかね?笑
色々なことが起こり得ます!
それは起こるなら自然と起こります。止められません。
個の私(りょうせい)の場合、そういう体験が起きてから本格的に真理探究が始まりました。
>りょうせいさんの、以前の探求の様子や、気づきが起こる少し前は、どのような感じでしたか。
これは長くなるので機会があればどこかで書きます。ひとつ言えるのは何度も何度も聖なるイベントは起き得ます。だけど最後まで進まなくてはいけません。そのため聖なるイベントを必ずも求めたり目指す必要はありません。
そして最後の最後は皆同じところに行きますが、それまでの過程や流れは十人十色です。
731
:
幸せな名無しさん
:2026/01/13(火) 16:31:40 ID:gLgxfm2c0
v8氏お元気そうで
732
:
幸せな名無しさん
:2026/01/13(火) 22:24:14 ID:RKlATSt60
>>730
ご返信いただき、ありがとうございます。
>それが幻想だと自然と見抜かれるからです。
>忍耐強く意識で在りつづけることで〜
>「私感覚は常に永続する真の私ではない」
>それまでの過程や流れは十人十色です。
シンプルにわかりやすく、何度も説明をしていただいたことで、大分、頭の中が整理されてきました。実践していき、気づきを深めていきたいと思います。
本当にありがとうございました。
733
:
り改め りょうせい
:2026/01/15(木) 10:49:06 ID:a2zkOywY0
>>732
ありがとうございました♪
734
:
幸せな名無しさん
:2026/01/17(土) 16:58:36 ID:aA7sdri20
>>714
です。
りょうせいさん、お久しぶりです。
最近は「私は誰か?」の問いかけが好きで、想念が起こるたびに存在に還ることを続けています。
数日前、形や数へのとらわれが自然と消えていくのを体感しました。
無形無限の真我を超えるものはないと知ったからでしょうか。
形や数が変わったり失われたりする恐怖心や他者との数の比較からではなく、真我の物質化としてただ美しい、ただすばらしいと感じるようになりました。
(ただすべてが真我の派生なら、個の嗜好を捨てればすべて等価値なのかもしれませんが)
と、ここまで書いて散歩していると、「形や数にとらわれて身を滅ぼすのと同じように、真我にもとらわれすぎたら同じじゃない?」という疑問(不安)が浮かんできました。
それでりょうせいさんにお聞きしようと思ったら、しばらくして次のことが浮かんできました。
それは、真我を「対象」としている限りは執着になり得るけど、真我と一体でいる間はなりようがないのではないか?ということです。
例えば「Aさんと付き合いたい!」「彼氏が欲しい!」という自他の構図から、愛だけを感じる=愛そのものになるとか、
「〜円手に入れたい!」という自他の構図から、豊かさを感じる=豊かさそのものになる、に近いのかなと。
で、これって願望実現法でいうところの「祈り求めるものは既に叶えられたと信じなさい」に近いなと思いました。
りょうせいさんの見解をお聞きできればうれしいです。
735
:
幸せな名無しさん
:2026/01/18(日) 11:15:53 ID:uUMba0HE0
>>729
いつもありがとうございます。今回頂いたご返信も、じっくり読ませて頂きます。
その中に書いてあったツインレイという言葉を見て
そうだ今度こそこの概念を捨てよう頭の中から追い出そうと決めました。そうしたら
無事メンタル崩壊しました。笑
いつどこでこの言葉を知ったかは定かではないのですが何故か捨てても捨てても追いかけてくる概念で。
ここ暫くは相手が夢にも出て来なくなったしその言葉も相手の存在も忘れかけていた気がするのですが
探究始めてから思い出すような記事を見つけてすっかり思い出してしまいました。
間違いなく探究における内側からのガイドさんでした。ガイドさん追い出しちゃ駄目ですよね。笑
ちなみにガイドさんは自分の中でエネルギー体みたいな感じになっていました。
(人間の姿イメージの事もありますが)
エネルギー体に語りかける感じで謝罪して戻って来てとお願いしたら戻って来てくれました。
嬉しかったので愛を伝えてずっとここに居てねと伝えたらそのエネルギー体が歓喜したんです。
それからものすごい至福感に包まれまして。無限のエネルギー源に触れたかのように
すごく元気が湧いてくるし心は至福、もうその日は丸1日至福でした。
そして翌日。果たして昨日のエネルギーはガイドさんからのものなのか?と思って
本人か判るようにして?と伝えたら(済みません汚い話ですが)便秘でトイレにこもっていた時に
う〇こくせえって聞こえてきたんです。あっもうこれ絶対本人だわ小学生男子の言う事じゃん。
時間止まってるし(意識の世界は時間概念ないですよね)と思いました。笑
ツインレイ(なのかは謎ですが、とりあえずそういう事にしておきます)は男女ペアなので
恋愛の話と思われがちですがそうではなく、やはり本当は探究における内なるガイド役なのだと思いました。
自分の中に居るのでそれを愛する事がそのまま自愛になると感じました。
そして課題ありがとうございます。読んでみました。
意識の世界から現実世界を一度追い出す、みたいな感じでしょうか。違うかも知れませんが…。
「 」が真の私なのはツインとは別ルートから再び辿り着きました。が、ここからどうしたら良いのかが解りません。
大きな私ちゃんの事はただただ大好きなのですが、その気持ちのままいたらやがて合一に至るのでしょうか。
先日メルカリで買った物が届いた時に「湧いた」と感じました。頭の中の物が物質化したみたいな印象を受けました。
本当は全部「 」から湧いているのでしょうね。湧いているように見えるだけ?
常に毎瞬いろいろ湧き続けているように感じているのだとしたら人間って本当に忙しいですね。笑
736
:
幸せな名無しさん
:2026/01/18(日) 11:53:23 ID:iUpNl.QI0
りょうせいさんに、昨年いただいた「私は在る」を時々観想していますが、以前買って最初の方だけ読んでそのままになっていた、グレッグ・グッド著『気づきの視点に立ってみたら どうなるんだろう?』を思い出して読み始めました。
やはり、「気づき」がただ在るだけというのが、今はしっくりきます。
737
:
り改め りょうせい
:2026/01/18(日) 19:24:23 ID:2QARfQHQ0
>>734
お久しぶりです。
おー、素晴らしい実践をやられてますね。
>形や数が変わったり失われたりする〜
そうですね。物質化の内容は、最高の美のレベルから最高の醜さというレベルまで、笑
バラエティ豊かな種を自身の潜在力として備えています。それさえも含めて真我の物質化の流れはなんとも言いがたい不思議な奇跡と感じるかもしれませんね。
>それは、真我を「対象」としている限りは〜
なるほど。けど、それで全然大丈夫です。
はじめ、真我探究者は対象として真我を知ります。それは知識や頭の理解からでもまずは構いません。中盤で、対象であった真我が主体と転換する(あるいは思い出す)ことが少しずつ始まっていきます。
この過程を例えるなら、「真の私と、偽の私」が入り混じったような状態です。よく神話などで戦争が描かれていますね?ギリシャ神話的な。笑
これは勢力争いを表しているんです。聖いなる戦。これが浄化のプロセスです。
しかし、こういうことわざがあります。
「やがて正義(真我)は勝つ」です。笑
根深い心の潜在的傾向の闇を、
問いかけ・選別・識別・瞑想・明け渡しのプロセスなどを経て、真我という光で溶かしてクリアにしていきます。なので表面的に聖戦の時間は長くかかるように″見えて″しまいます。
>で、これって願望実現法でいうところの〜
私の見解としては、
どんな人でも大きな願望を叶えた瞬間、言うなれば一時的に、心が鎮まり安らぎます。
そのため真我に非常に似た(近いところの)幸福・平和領域に落ち着きます。
一方、真我探究者は直接的に真我を探究し、
やがて真我、究極のそれを知ります。
真我、その立場は永遠に至福の領域です。
どちらもそのとき「私」や「心」は溶けて鎮まり、平和で幸福な状態というわけです。
そのため、その文脈の部分だけを切り取ると、
「祈り求めるものは既にあると信じなさい」と指している言葉のポイントが、似て見えるのですね。つまり、本当はあなた自身がゴールなんだから安らぎましょう。本当のあなたはすでにそれである、と指し示してます。
しかし、誤解を恐れず本音を言えば、
願望実現の「すでにそれである」は、
目指すところは「◯◯が欲しい」の消滅です。
願望実現したからその結果「◯◯が欲しい」が消えて、幸福・平和になる場合もあれば、願望実現しなくても、なにかのきっかけで「◯◯が欲しい」が消えて、幸福・平和になる場合もあります。
一方、真我実現は「欲しい/いらない」、
「達成した/未達成だ」とそのように言う、
気にする、個人としての「私」「我」こそが、そもそも幻想であったという究極の方面の話です。
草で例えるなら、
願望探究は、根を残したまま草を整え、条件がそろえば花を咲かせ実を結ばせます。
花が咲いたらその時は一時的に幸福です。
ただし、根が残っている限り、また次の草も生えてきます。良いとか悪いの話ではなくシステムとして。
一方で真我探究は「私(個)」という草の根自体を抜くことです。それは幸福なのか?不幸なのか?というと、これはもはや表現不可能です。言語で表せません。
根を抜くなんて聞くと、個人からしたら一見とても恐ろしく聞こえるかもしれませんが、まっったく恐ろしくないんです。
(その証拠に熟睡中、恐れなどないはずですから。笑)
なのにもかかわらず、昨日も今日も明日も、あなたの真の立ち位置は、ずっと変わらずその立ち位置。つまり真我です。
問いかけ、ぜひおやりになってください。幸運をお祈りします。
738
:
り改め りょうせい
:2026/01/18(日) 19:35:17 ID:2QARfQHQ0
>>735
こちらこそ、ありがとうございます。
あなた(大きな私)という意識の織りなす運動は、例えるなら、雪のようなものです。
雪が降るとき、あちらこちらにランダムに地面に落ちているように見えても、落ちる場所に、ちゃんと確実に落ちます。
人間のツインレイが現れて、あなたと結ばれるならば、個のあなたが逃げても逃げても、絶対的に現れて、あなたと結ばれます。もちろん、逆も然りですが。どちらにせよ、あなたにとって素晴らしい展開が訪れることを、お祈りします。
さて、未来は未知です
未知という言葉を、人間は恐れますが、
未知を未知だと受け入れたとき、あるいは許せたとき、それは不思議となにか自由の味に変わるかもしれません。
個の私たちが、できうる最高の考えは、
「世界の中の対象を、できる限りの範囲で傷つけないように意図しながら、自由に、好きなように生きましょう」です。しかし、個がいくらそのように考えても、対象を傷つけたり、対象に傷つけられることは、起こってしまいます。
自由じゃない選択や、好きでもない嫌なことをすることさえ、起きてしまいます。もちろん、逆も然りですが。
つまり、まず前提として、
個も世界も実のところ「未知であり、完全ではない」と言えてしまいます。これは虚無主義ではなく、まっすぐ見た上での事実として。
「なるほど、本当にそうだな」と思えたり、
「私は長く生きて、たくさん色々なことを学んで知ってきたけど、実のところ、確かなことを分かることができないし、先のことはすべて未知だな・・」と言える者は、ある意味で成熟しています。(※もちろん、相対的世界で生活する場合においては、この話は採用しなくて結構ですが)
なのでマインドには、
本当の意味で何かを知ることも、分かることも不可能であり、数秒先のことさえ、すべて未知なんです。(ソクラテスは、このことを誰かれ構わず言い続けて、処刑されてしまいましたが・・)
ところが、逆説的に、そのことが心底、
腑に落ちれば落ちるほど、大きな私、つまり、真の私、神、人智を超えた偉大な何かに対して、個はようやく心を開く準備ができるようになります。これが明け渡しであり、サレンダーです。大きな私が、意識、個、世界、宇宙、これらをすべて生み出し、叡智や偉大なインスピレーションもふくめてあらゆることを起こし続けているからです。
そのため、大きな私、つまり、真のあなただけが、完璧であり、過去・現在・未来の、あらゆることを熟知しています。なので、大きな私を愛して、信頼することは、「個の限界点」に達して、ようやく自然に発動が可能となります。
個が、
「私のセルフイメージは全知全能の神になる予定だ!」「そのために、大きな私を、うまく手なづけて操り、我が人生のしもべとしよう!」w
このように掴もう!と野望マインドに満ちた個では、大きな私が、全面に出てこれないのです。個が心を開き、心の神殿をシンプルにし、
やがて空にすることで、大きな私が、光が、愛が、そこに鎮座することが可能になります。
どうぞ、ゆっくりでいいので、慌てず静かに浸透させていってくださいね。
>「 」が真の私なのはツインとは別ルートから再び辿り着きました。が、ここからどうしたら良いのかが解りません。
「 」である、真の私を感じる時間を、
1日、数分でいいので、感じ続けてください。
ポイントは、個の私の心が、最高のときも、最低なときも、「常に、真の私は変わらない姿勢で在る」この線から、「 」の性質や在り方を調査していってください。
>本当は全部「 」から湧いているのでしょうね。湧いているように見えるだけ?
「 」から、すべてが湧いています。
そして、変化し、消えていき、再び、新しい何かが湧いてきます。個のあなたの思考、感情、行為、感覚器官、五感、直感、すべて「 」から湧いています。
そのため、湧いてきたものは、本当は、個が否定したり、抵抗したり、ダメ出しや嫌悪する必要もなく、ただ、あるがままに在ってください。また、起こしていってください。
>常に毎瞬いろいろ湧き続けているように感じているのだとしたら人間って本当に忙しいですね。笑
まったく、その通りですね。笑
ただ、個のあなたが、
「ここからどうしたら良いのかが解らない」
このように心が弱まったときほど、不思議と逆説的に、大きな私との合一が進行されていきます。あなたはちゃんと、進んでいます。
焦らず、慌てずで大丈夫です。
追伸 疲れたとき、千と千尋でも、ゆっくり観てくださいね。
739
:
り改め りょうせい
:2026/01/18(日) 19:36:26 ID:2QARfQHQ0
>>736
ありがとうございます。
そうですか。貴重な役割を担うことができて私も嬉しい限りです。笑
素晴らしい。
「存在」というと、存在しているだけとマインドのイメージは想像してしまいますが、
存在は気づき(認識)であり、
気づき(認識)は存在である。
というこの同時成立している様が、
私は在ることで「事実からの説得力」として強まってきます。
気づきとは、意識、存在でもあります。
常に途切れることなく永続しています。
夢の中でも、目覚めてからの日常の中でもです。
あなたは「私は在る」「運動体の意識」
「永続的な気づき・認識」です。
マインドはすべてファンタジーです。
想像された何かです。
事実は「私は在る」です。
運動体の意識が、それ自身の
世話をし、身体を世話し、思考を世話し、行為を世話し、展開や物語を世話しています。
あなたは「私は在る」でありながら、
あなたの中であらゆる物事が起こっています。
それでもあなたは「私は在る」です。
あなたの中であらゆる物事が、本当はまったく起こっていないことを知っています。
あなたは「私は在る」だからです。
個や他者や時間や場所がファンタジーとして起きていることを許しています。
許すという行為なく、許しています。
五感が起きること、動きが起こること、
振動が起こること、想像と想像の比較や、
あれとこれと境界線を引く、そんな起こりさえあるがまま許しています。
なぜ許せるか?といえばそれらのファンタジーの正体、その事実は「私は在る」だからです。
さらに、よりシンプルなその境地へと、
自然に、静かに深まっていかれると思います♪
740
:
幸せな名無しさん
:2026/01/18(日) 20:27:19 ID:NJe/Txgc0
>>734
>それは、真我を「対象」としている限りは執着になり得るけど、真我と一体でいる間はなりようがないのではないか?ということです。
横ですが素晴らしい考察ですね
741
:
幸せな名無しさん
:2026/01/19(月) 17:59:21 ID:1LFFoO.20
>>737
返信ありがとうございます。
後づけになりますが、先日書き込んだのにはちょっとした経緯がありまして。
形や数は真我の物質化、所有はエゴの概念だと体感し、何もしないでも幸福感に満たされてぼーっと過ごしていたところ…
個人ブログに「ただ在る」の至福について書いた翌日に、それを否定する方のブログ訪問がありました。
「自分で考えて行動してお金やら何やら形あるものを手に入れないとこの資本主義社会で生きてる意味がないよ!」と謳い
セッションへ誘導するものだったのですが。
表面的な写真や文言に惑わされることはなかったのですが、「そのうち美容にも物質にも興味を失って仙人みたいになったらどうしよう」など思考がわらわら出てきて急に不安になって
(文字にすると滑稽ですが本気です笑)「真我にもとらわれすぎたら〜」という疑問が起きたのだと思います。
それらも想念に過ぎないと気づき平穏に戻りましたが、何もしないでも幸せな状態から、何かを達成し手に入れてこそ幸せ・〇〇しなければ最悪になるぞといったエゴに一気に引き戻された感じがしました。
(あれ?でもこの「真我にとらわれすぎたら〜」も真我から発生してるんですね…今書いてて気づきました。質問が自然消滅していく…(^^;)
草の根の例え、とても分かりやすかったです。
恐れずに問いかけを続けます。
742
:
り改め りょうせい
:2026/01/19(月) 20:24:01 ID:3Spn6kU20
>>741
なるほど!笑
微笑ましく(すみませんw)読ませていただきました。分かりやすく経緯を書いてくれて、ありがとうございます。
これは、結構難しいテーマですが、思うところを書いてみます。
まず、結論として、
「在る」にとどまったまま、生活をすることは可能です。つまり、お金を稼ぐ(活動する)、人と交流する(友情、恋愛、結婚)、
美容、趣味、娯楽(楽しみや気分転換)など。
また、前にもどこかで書きましたが、個人には、その個人が人生でやらなくちゃいけない、義務のような活動テーマもあります。
しかし、慣れてくると、「在る」にとどまったまま、それらを両立することは可能です。
>「そのうち美容にも物質にも興味を失って仙人みたいになったらどうしよう
この話は、たしかに個人の流れや気質によっては、あり得ます。
昔から、真我探究者には2種類あります。
1.「世俗を放棄して、真我にとどまる者」
2.「世俗の活動をしながら、真我にとどまる者」です。
なので、本当に仙人みたいになっちゃう人も、いるにはいます。笑
これは、気質や運命の流れ、展開によるところが多いです。
私個人は、基本的には2タイプでしたが、ある期間は1のときもありました。笑
しかし、真我探究者は、1や2の流れにこだわる必要はなく、大切なのは活動が多く起きていても、少なめであっても、「在る」として、あり続けること。ここがポイントです。
「在る」は不動ですが、行為や活動は動的です。
「不動が、動き回る」
このパラドックスは、どのみち避けられません。
例えば、家で人と会わず、静かに「在る」にとどまり続けていても、内側では、激しく活動しているのです。
それと、あなたの言うとおり、真我からすべてが発生し、現れ出ています。
資本主義も霊性主義も、どちらも真我の表現です。
またあなたの言うとおり真我にとどまることを続けると、いわゆる低次の欲望は、どんどん落ちていく傾向はたしかにあると思います。
欲望も、必要最低限で無理のない欲望に変化したり、無欲さが増える。このようなことはあるかもしれません。
確かに、欲望追求にあまりにも勤しむと、
人というのは誘惑に弱い生き物で、笑
真我への興味が薄れがちになっていくからですね。
それでも、重要なポイントは、
「行為は、そもそもはじめから、個人が一切やっていない」ということです。
つまり、資本主義的行為も、霊性的行為も、
個人には、選べないわけです。
なので、霊性に興味が出てしまうこと自体、
あなたが培ってきた徳のおかげとも言えるし、
なぜか、ただ起きた恩寵とも言えます。
まとめると、私個人的におすすめなのは、
「在る」にとどまりながら、
個人の人生に必要な行為は、起こしていく。
これらは両立できる、ということを覚えておく、です。
そして、行為の結果は、
「在る」に任せて、平和に在り続ける。
こんな感じで、いいんじゃないでしょうか♪
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