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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
410
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 16:16:13 ID:qGOuOf2U0
>>404
たしかに、昔からよく使われる表現ですね。
ただ私は、その明るい側面だけを切り取った説明にはあまり賛成していません。笑
理由は単純で、意識の内容物には光と影が同時に存在しているからです。
光だけで語れば偏りになるし、影だけを強調すればただの悲観になる。
どちらか一方では、どうしても真実からズレてしまいます。少し整理して言うと、
光(意識側)
・存在そのものの愛
・自己への愛
・創造の喜び
・境界のない自由さ
・変わらない静けさ
これらは、確かに 遊び・映画・夢という表現と相性がいい。でも同時に、
影(個・世界側)
・分離
・変化
・喪失
・痛み
・誤解
・物語の重さ
・生命の新陳代謝としての「苦」
これらも同じひとつの運動として必ずセットで現れます。そして一番重要なのは、光と影は別の二つではなく、同じ流れの両極だということ。
「人生は遊びです」「映画です」「幻想です」
と光だけで語れば、影の中で苦しんでいる人を切り捨ててしまう。逆に、「人生は苦です」「修行です」「地獄です」と影だけで語れば、光の意味を見誤る。
だから私は、どちらか一方に寄った表現は意図的に避けています。
人生にはたしかに 遊び・映画・幻想の側面がある。でも同時に、
痛み・喪失・変化・緊張の側面も、まったく同じ重さで存在します。両方をしっかり見ていると、光と影を分けていた「主体」そのものが、だんだん消えていきます。
その地点に立つと、遊びと言っても違う、
苦と言っても違う、どちらにも収まらないクリアな本質がある。
だから「それ」は、語るより沈黙のほうが近くなります。それで在ればもう言葉はいらないからです。
だから最後は、語るより沈黙のほうが本質に近くなっていきます。
そこに在るだけで足りてしまうので、もう言葉は必要ないんです。
「みなさん、少し静かにお茶でも飲みましょう」ふと耳を澄ませると遠くの方で、ひと息つくように小さな鳥が鳴く。
ピヨピヨ、と。
ただ、それだけで世界が十分に満ちてしまう。
これは比喩ですが、まるで、そんな感じです。統合された立場というのは、そういう地点です。
なので私は、どちらかだけの表現は誤解されるので、なるべく使いません。
(もちろん、たまに偏る時もありますが、そのときは不思議とブレーキが入りますね・・)
つまり、光と影は、ひとつの同じ運動です。
そんなお話でした。
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