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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?

280:2025/11/10(月) 23:57:04 ID:eaUJv/R.0
>>274
続き

>ヒンドゥー教のウパニシャッド哲学に近いでしょうか?

→そうかもしれません。
ただ、私は真理探求に役立つものであれば、宗派や哲学の枠、そして常識や時代性にとらわれずハングリーに取り入れてきました。
言葉や教義はどれも、たとえどんなに素晴らしくても「現れ」にすぎず、その奥にある「無言の本質」こそが、私にとって何度でも会いに行きたくなる「それ」でした。

>仏教は「無我」を説きますが、これはエゴが存在しないと言うだけでなく、永久不滅の魂も存在しないという立場だと理解しています。

→これを指し示しているのが、時空を超えた「それ」です。つまり、「それ」はどんな概念にも一度も触れたことがなく、自らを「知る」ことも「定義される」こともないままただ在る。
そして、それは「在る」ということさえも超えています。

>仏教の世界観では、法に従って生成消滅する縁起が存在するだけで、固定的な存在はないと説かれています。

→その視点で指しているのが、
「存在」「意識そのもの」「気づき」です。
起きることが起き、現れては消え、変化していくすべての動きは流動体。その流動の中心に「静止している何か」がある。
それが「存在」「意識そのもの」「気づき」です。
さて、問題はなぜその存在にあらゆる現象が起きてしまったのか・・。
この大きな問いの核心もまた、ここでは控えて別の場所や、個人の最適なタイミングで触れていきたいと思っています。笑

>エゴが幻想であるというのはヒンドゥー教・仏教共通ですが、永久不滅の魂(アートマン)の存在を認めるかどうかで、両者は1000年以上も論争を繰り広げているはずです。

→誤解を恐れずに言えば、「アートマン」という言葉が指す対象そのものが、時代や思想家によって異なっているのだと思います。
つまり、「意識内の領域をアートマンと説明する」場合もあれば、それをも「超越した“それ”」をアートマンと呼ぶ場合もあります。

ただし、これは直接的な理解を通した気づきのプロセスがないと、なかなか掴めません。
ちょうど、ブラジルに行ったことのある者同士なら多少表現が違っても「あぁ、その感じね」と分かるように。しかし、行ったことがない人同士だと、地図やガイド本の上で論争が起きる。そういうことです。

だからこそ、初めは「知識」から入り、次第にそれを消化し、恩寵の流れに導かれて「直接体験」に至る。この橋渡しをする鍵が、「意識そのもの」であり、「真のあなた」なのです。

また、すべてを超えた「それ」自身の立場は、歴史的論争が起きていることさえ知らない。
というより、知れない。それは、ただ静けさとして在り、世界が起こるより前から、ずっと沈黙を超えて沈黙しています。

>であれば、永久不変の「意識・存在・気づき」があるという立場は、やはりヒンドゥー教に近いという理解でよいでしょうか?

→私個人の視点では、世界中の宗教・哲学・思想、そのすべてが、真理をあらゆる角度から指し示しているものだと見ています。
まるで真理は、それを指し示そうとするあらゆる努力、言葉、芸術、祈り、哲学、文化、そして潜在意識の探求までも、それらすべてを通して、自らを映しているかのようです。
そしていま、あなたがこの言葉を読んでいる
なにげない「この瞬間」もまた、
その「意識そのもの」による、最大の自己表現なのかもしれませんね。


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