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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
270
:
り
:2025/11/09(日) 11:35:15 ID:Q/pbGpB20
>>257
>気づきは自己観察のことですか?
自己観察さんも、「自己観察の主体は別の領域」と書いていました。
→ 気づきとは、あなたの本性・本質的な存在のことです。
「思考や感情、感覚、身体感覚、記憶など、マインド全体を観察する」
という自己観察をスタートにする方法は、
とても自然で良いアプローチだと思います。
ただ、気づきの立場から見ると、
本当は「意識・存在・気づき」という大いなるフィールドの中で、
「自己観察する動き」が起きている、
という構図になります。
つまり、自己観察しているのは
「あなた(個)」ではなく、
すでに存在している「気づきの場」です。
そしてその「気づきそのもの」にも、
深まり、深度があります。
そのため真理探求のプロセスにも、おのずと理解度が増したり、直接理解の深さのようなものが表面的には浸透していくように起こるのです。
ただし、本質的には浅い深いというのも想念的・観念的な物語です。
しかし、これは素晴らしい物語です。
(そして、この深まるという体験は、ときに深いところから無条件の歓喜を伴います)
>願望実現系の達人さんたちも異口同音に、
「願望実現自体はオマケで、肝心なのは立ち位置を変えること
(エゴではなく別の領域に立つこと)」と書いています。たとえ願望が実現しても幸福を維持できるとは限らず、
願望実現後も幸福を維持できる人は、そもそも願望実現前から幸福だった人である。
→ なるほど。確かにそうかもしれません。
しかし、どちらにせよ、願望を求めること、苦から逃れ幸福を求めること以外、エゴ(個人)にはできません。笑
>ここでいう幸福とは、願望が物理的に実現することではなく、
エゴと距離を置くことです。
願望実現にも2種類あって、
「顕在意識(エゴ)で選んだ願望を物理現実で実現すること」と
「別の領域から下りてきた前兆(願望)を、物理現実で景色として楽しむこと」
がありますが、後者であれば願望実現と悟りを
そこまで区別する必要があるのかなと思いました。
→ その文脈でいえば、その通りですね。
願望実現としての幸福と、エゴではない別の領域(純粋意識・本来の自己)の幸福は、
幸福の次元が異なります。
願望実現の幸福は、不幸が存在することで成立する時間軸の内部のもの。
つまり、自分と他人、あるいは過去の自分と今の自分を比較した上での相対的ゲーム(比較構造)です。
一方、後者の幸福は、
「幸福も不幸も超えて、同時にどちらも私の中で起きている動きにすぎない」という立場からのものです。
したがって、
「不幸でも、私は在る」
「幸福でも、私は在る」
という観点になります。
雨でも曇りでも晴れでも嵐でも、
春でも夏でも秋でも冬でも、
私は在る。
笑
これがいわゆる悟り、見性者の立場です。
これを徹底していく(意識的に生きる)
期間が、悟りの理解の深まりです。
そういう意味で、あなたの言う
「下りてきた前兆(願望)を、物理現実で景色として楽しむ」という表現はとてもユニークで美しい。その状態を言い表しているとも言えますね。
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