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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
608
:
り改め りょうせい
:2025/12/15(月) 11:56:02 ID:PAYSkAa60
>>587
これについては、正直に言うと
真理実現者によって本当に様々です。
ただ、この問いがややこしくなる理由は1つしかなくて、「願望が1種類しかない」と思われていることだということです。
真理探求がある程度進んでくると、
自然と「気づきの力」や「識別(しきべつ)の力」が育ってきます。識別って難しい話じゃなくて、真の私と、偽の私を見分ける力、それだけです。
これはあくまで私の見解だけど、なぜ願望実現や潜在意識の分野に、真理探求の話やメソッドが混ざってきたのか。
また、一見まったく別物に見えるこの二つに、
なぜ共通点が多いのか。
ここ、みなさんも興味あるところだと思います。笑
その理由は、この「識別」と「全体性の視点」にあると思っています。
で、この視点から見ると、
願望って最初から2種類あることが分かってきます。それは、
・真の私からの願望
・偽の私からの願望
ここをごちゃ混ぜにするから、
「叶うのか?叶わないのか?」という問いが迷子になる。迷走する。
たとえば、分かりやすい例として
誰もが知ってる、イエスや仏陀を挙げてみます。
イエスの真の願望は「救済」でしたよね。
個の視点、世俗的な目で見れば、
どう考えても大不幸な人生です。
でも、彼の願望はどうでしょう。
今もなお、聖書は世界中で読まれ続けています。
仏陀も同じです。
楽で快適な人生とは、とても言えない。
それでも、彼の願望通り、仏教は今も残り続けています。
ここから見えてくるのは、
真の願望は、必ずしも楽で幸せな形で現れるとは限らないということです。
ただし、真の願望にははっきりした特徴があります。
・どうしようもなく、やらずにはいられない
・やらない方が、むしろ苦しい
・その方向へ動き出した瞬間から、
少しずつ、世界や全体性の流れと自然に噛み合い始める
これはなぜか?
なぜなら、真の私は、個であると同時に、全体性でもあるから。つまり、その願望は「個の願い」であると同時に、「世界の願望」でもあるということです。
だから、やらないという選択は、自分を誤魔化すことになってしまう。
すると、内側だけでなく、世界の流れそのものが噛み合わなくなり、出来事を通して、同じところを何度も突かれる。それが、苦しさとして現れる。
一方で、偽の私からの願望はどうかというと、
一時的には楽だし、満たされた感じもします。
でも、必ずどこかに虚しさが残る。
なぜなら、偽の私は、どれだけ満たしても本当には存在していないからです。
この意味で言えば、真理実現者は「願望が成立しない立場」とも言えます。
そこには、行為者としての私も、思考としての私も、意図としての私もいない。
ただ、世界の流れが起きているだけです。
そしてこの世界という動きの領域は、
幸せと不幸が入れ替わり続ける場です。
永遠の至福が、出来事として固定されることは決してありません。
だからこそ、私個人としておすすめするのは、
(真理探求という概念すら知らない一般の知人や友人に対してアドバイスするなら)
願望実現に取り組むなら、
・魂の願望
・魂の義務
・魂の天命
呼び方は何でもいいけど、
偽の声じゃなく、本当の私からの声に耳を傾けること。そして、個としての人生を「真の願望に取り組む場」として生きることをおすすめしてます。
真理探求も同じで、どうしようもなくスイッチが入るなら起きるし、入らないなら、無理にやる必要はないです。
そして、真の願望に沿って生きているなら、
もちろん時にしんどいかもしれない、けど、
叶うか叶わないか以前に、その過程そのものに、説明できない魂的な満足感が伴う。
私は、それで十分だと思っています。
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