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100検証会議:2009/04/28(火) 00:04:13
 フェイク 第1021号

 (発行=09.04.27)

 坊主は遊行、信徒は功徳なき苦行
 日顕宗 「七百五十億遍の唱題行」の不可解
 達師「唱題の数に偏執するは本宗の信仰ではない」

 「一遍も少なからず、百万遍も多からず、これが本宗の昔からの教えです」とは
日蓮正宗の最後の法主・細井日達師の指南である。

 ニセ法主の早瀬日如は、日達法主の「題目は数ではない」との指南を知らないのか、
或いは知っていて逆らうのか、七百五十億遍の唱題を宗内に命じた。

 日顕宗・法華講の機関紙「大白法」四月十六日付が「百日間の唱題行始まる」との
見出しで、全国の末寺で唱題の声が響いている、と書いている。だが、これは虚報で、
現実は「唱題行は出来ない」という講員からの苦言が相次いでいる。

 その主な声を紹介すると「法華講員は皆、仕事をしている。一日に二時間も唱題は
無理だ」「活動も仕事もしていない坊さんが拝めばいい」「私達は拝んでばかりじゃ、
仕事も活動も出来ない」等と辛らつである。

 事実、講員が一人も参加していない末寺もある。

 なかには「『七百五十億遍題目塔』を建立すると言い出し、また特別供養を集めるの
ではないのか?」という不安の声もある。

 日如が狂ったように突然、一日二時間の唱題を命じたのは三月十日だった。

 記念局通達の第三七〇号によると、四月一日から七月九日までの百日間で、七月の
「七万五千名大結集」のための唱題なのだそうだ。

 この通達では「日本国内の法華講員約十五万人が、一人一日五千遍(二時間)の唱題
を百日間(合計七百五十億遍)」行ない」云々、と謳っている。だが、国内の講員の
実数は、この半数もいない。従って、七百五十億遍にするには、少なくとも全講員が
一日四時間以上の唱題をする必要がある。

 一日二時間でも出来ない講員に、その倍の唱題は絶対に不可能である。

 それにしても、日顕宗ほど数字に偏執する邪教は他にない。

 折伏は倍増と言い、登山は五十万人、結集は七万五千人、供養は口実を設けて、
たとえば平成十年には「客殿」の建て替えで四十億円、平成十四年の「奉安堂」では
二百億円、今回の「御影堂」などで百七十億円というように金額を決めて法華講に供養
ノルマを押し付けるのが日顕宗の手口だ。

 唱題嫌いな日顕、日如

 話題を唱題に戻すと、日顕はニセ法主在任中、夜の勤行をしたのは、たったの一度
だけだった(本紙五六一号で詳述)。その日顕が平成六年一月一日から合計六百億遍の
唱題を僧俗に命じたが、大失敗に終わった。

 日顕の愚行を真似て、この度、唱題命令を出した日如は、日顕と同様、勤行・唱題が
大嫌いなのである。

 大願寺住職や法道院主管の頃、勤行の導師は首の曲がった執事や所化が代行して
いた。こんな日如が今更、命令を出したところで真剣に受け止めて唱題を実践する者は
いない。

 唱題について、日達法主は次のように「数ではない」と繰り返し指南していた。
「私は百万遍唱えたとか、十万遍唱えたとかと自慢する人がおりますが、それは本宗の
信心ではない」「信心なくして何万遍唱えてもしようがない」

 日如は、日達法主の指南を胸に刻み、信徒らに唱題を命ずる前に、己の信心を確立
することこそ先決だ。

102検証会議:2009/04/30(木) 19:36:53
 同盟通信 No131

 2009-04-23

 "速報"

 =里内師、住職を罷免さる=

 昨22日、夕刻4時40分頃、庶務部の斎藤副部長、渉外部の梅屋副部長、北海道
第三布教区の渡辺支院長、小口副支院長ら計8名が事前に何の連絡もなく突然得成寺を
訪れ、里内信徳師に対し、得成寺住職の罷免を通告した。5月15日までに寺から退去
すること、後任住職は川瀬某であることが告げられたという。

 "ついに"というべきか、"やはり"というべきか、隠尊ファミリーに刃向かった結果の
報復人事と言わざるを得ない。「立正安国論」執筆から750年目の慶祝行事の最中の血も
涙もない措置である。まるで"独裁社会"だ。

 罷免の理由はおいおい明らかになるだろうが、庶務部長が暴行を働き、それに抗議
したこと以外に里内師が罷免される本当の原因は見当たらない。もしも、寺院経営が
行き詰まったことを罷免の理由とするならば、里内師の前に罷免されなければならない
僧侶は掃いて捨てるほどいる。この点について、宗務当局は明快なる説明をすべきで
ある。庶務部長はいうまでもなく、隠尊の子息である。以前から人事に始まり、
さまざまな点でファミリーが優遇されているとの指摘が横行してきた。世田谷の善福寺
に入った木村信龍のお手盛り人事はその象徴だった。

 そうしたファミリー本位の宗門の私物化が今回の措置をもたらした。宗務当局は、
これまで多くの僧侶を不祥事で擯斥にしてきたが、庶務部長が傷害を働いた事実を擁護
するのならば、その根拠を示すべきだ。

 次の標的は、宗務院から補助を受けている寺院だ。

 宗祖曰く「百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうち
(同士打)はじまるべし」

 (憂宗護法同盟員より)

103検証会議:2009/04/30(木) 19:37:17
 同盟通信 No132

 2009-04-27

 =里内師につづく次の犠牲は誰か=

 里内信徳師の住職罷免の理由は、宗規第180条第2項であるという。それは「管長は、
宗務上必要と認めるときは、住職、主管及びそれらの代務者並びに事務取扱者を免ずる
ことができる」というものだ。これでは何の説明にもなっていない。要するに、楯突く
者は管長の権限で情け容赦なくクビを切れるということか。

 一方の庶務部長はいまだ検察で起訴・不起訴の狭間にいる。これまでの数々の乱暴な
査問から考えて、よもや無罪ということはありえまい。

 ところで、徳川幕府は260年余にわたり、平和を維持した。幕府の要職には関ヶ原の
戦以前から仕えてきた譜代の大名たちが充てられたが、領分は少なめに抑えられた。
 名誉は与えても財は最低限にとどめたのである。それに比べ、今の宗門は一部の閨閥
が地位も金もすべて独占して少しも顧みない。これではうまくいくはずがない。行く末
が思いやられる。

 宗門の財政状況からして、末寺はいずれ現在の3分の1に整理されていくだろうと
言われて久しい。そうなれば、まず整理されるのは宗務院から補助を受けている百数十
の寺院である。それらの寺院は早急に自衛策を講ずる必要があろう。それも自分の寺
だけでの防衛策では簡単に切り崩されるにちがいない。肝胆相照らす有志が連携を
図り、生き残りを策すことが唯一の道である。

 「ベルリンの壁」が崩壊して東西冷戦が終結したのは、西側世界の情報がラジオ等を
通して東欧はじめ東側世界の民衆に広まり、その結果、あっけなく東側世界が崩壊した
ためといわれる。情報の流通が決め手だった。

 宗内には執行部に対して不満をもち、将来に不安を抱く向きも多い。査問に
苦しめられた住職の数は3桁にのぼるとも言われている。しかし、実名で批判の声を
あげたら最後。里内師の例に明らかである。ここに一つの方策を提案したい。今は
ネット時代。宗内の声なき声をネット上に匿名で結集していってはいかがか。多くの
情報を共有することで宗門の民主化は可能になるはずだ。

 最後に注意事項を一つ。それは渉外部の動きに注意せよ、ということである。渉外の
連中がスパイもどきの情報収集に血道をあげているとの噂を軽視してはならない。明日
は我が身である。

 (憂宗護法同盟員より)

104検証会議:2009/05/01(金) 03:23:27
 フェイク 第1022号

(発行=09.04.30)

 大阪の末寺で法華講員の奪い合い
 妙輪寺 (坊主・坂田正法) の地区長会を笑う
 ノルマに苦しみ、疲れ果てた日顕宗の信者達

 折伏や結集に行き詰まり、追い詰められた日顕宗の末寺が、他寺の講員を横取り
しようと画策し、紛糾している。なかでも大阪・妙輪寺が他寺の講員を勉強会に誘う
などして取り込もうとした怪しげな動きが布教区内で問題になっていた。他の坊主から
激しく反撃された妙輪寺の坂田正法が、地区長会で次のような泣き言を洩らして失笑を
買った。

 「他の講の人を誘うのは、もう止めよう。止めてください。あちこちの支部、坊さん
から苦情がくるんです。『何やってるんだ』と。あっちこっちの寺の僧侶はそれぞれの
考え方がありますからね。『どうしてくれるんだ』とか激しく抗議されますから、
他支部の思惑もあるでしょうからね。折伏です。三十世帯。はい」

 煽ったり、制止したりの坊主に踊らされる講員が大変だ。講員は疲れ果て、会合など
も空転している。

 そんな状況が浮き彫りになった三月一日の妙輪寺の地区長会をダイジェスト版で報告
する。講頭が「日蓮正宗を折伏して」「住職の話を聞き流す」と語り、講頭と司会の
言う人数も違う。だが、誤植ではない。地区長会自体が滅茶苦茶なのだ。

  ◇    ◇

 講頭 地区長会は妙輪寺の法華講の方だけ残って、他の人は法要の時に来て
   いただければ結構です。司会を青年部にお願いします。

 司会 まず先日、折伏責任者会がありまして、副責任者のKさんが出席されたので、
   レポートしていただきます。

 K  前年は大阪地方部の支部の半分ほどが折伏できなかったが、今年に限っては
   一世帯か二世帯、成就した状況です。

 司会 平等寺での広布推進会に行かれた方? Tさん、何かあれば……お願いします。

 T  えー、副青年部長の話がよかって、信心だけじゃなく沢山の本を毎月読んで
   いると言ってた。

 司会 他にGさん、ちょっと簡単なことでも。

 G  あの〜すいません。ほとんど寝てました。

 司会 Hさんも行かれたんで、ちょっとレポートを。

 H  私も聞いてなかったんですけど、Tさんの言われた副青年部長の話が
   よくってね。家に帰って娘達に、一ヶ月二十冊、本を読んでいこうと話した。
   (読書会の報告のようだ)

 講頭 広布推進会を作っていただいていますが、僕らもしんどいし、眠いし、大変
   なんですが、これが日蓮正宗の信心だと思います。日蓮正宗を折伏していくこと
   になりますね。丸岡尊師は神奈川のどっかの住職だが、平等寺に来て教えて
   頂きました。私達も日頃、住職の話を聞き流しながらやってます。三月は
   支部総登山があります。今のところ六十七名も足りません。

 司会 講頭の言葉通り、まだ目標に六十二名が足りていません。三月二十一日は
   彼岸法要ですが、五月の支部総登山二期の申し込み締め切りになっています。
   あと虫払いの登山ですね。納金は唱題行の終了後です。七月の大結集総会の
   御開扉は朝四時半です。

 講頭 高齢で止めとこうという人も登山するのです。

 司会 最後に御住職の御指導をお願いします。

 坂田 昨日から体調崩して話す事は何もありません。

 (締りのない地区長会だ)

105検証会議:2009/05/02(土) 01:46:14
 越 洋

 平成21年5月1日

 「初の新型インフル疑い患者=横浜の男子高校生」厚生労働省は1日未明、国内で
新型インフルエンザの感染が疑われる患者が見つかったと発表した。横浜市に住む
17歳の男子高校生で、感染の疑い事例が明らかになったのは初めて。

(中略)舛添要一厚生労働相は1日午前1時半、緊急に記者会見し、「高校生の接触者
らの調査を進める」と述べた。

 同省などによると、この高校生は4月10日から25日まで、修学旅行でカナダ西部
のブリティッシュコロンビア州に滞在。30日に医師の診察を受けたところ、簡易検査
でA型の陽性反応を示した。(中略)舛添厚労相は「万が一に備え、自主的に判断して
ほしい」とした上で、イベント自粛や学校の臨休校などについても言及した。
(「時事通信」より抜粋)http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009050100021&j1

 4月1日(水)から始まった思いつきとこじつけの「七百五十億遍唱題行」の成果も
なく、4月29日にはインフルエンザA(新型豚インフルエンザ)の世界各国の感染状況に
ついて、世界保健機関(WHO)は、警戒レベルを「フェーズ4」から、大流行
(パンデミック)の兆候があることを示す「フェーズ5」に引き上げた。その矢先
5月1日に、日本でも感染の疑いのある国内初の患者の発表を行った。

 「立正安国論」に云く「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」
(御書一九ページ)まさにここで説く『鬼神』のごとく我々の生命自体を奪う働きを
みせる今回のインフルAは、世界の人々を巻き込みその猛威を奮っている。

 本山では、こうした状況にもかかわらず5月30・31日と海外からの信徒を呼び寄せ
わざわざ登山会を行うことを発表している。全世界で渡航の注意が出されるなか、
海外からの登山会を即刻中止にすべきである。

 今まさに宗門では自界叛逆難と他国侵逼難の2難が競い起こっている。他国侵逼難は
まさに今回のインフルAである。自界叛逆難とは、昨年の里内氏の刑事告訴に端を
発した問題である。今回のことは、宗内を巻き込んで大きな波紋を起こしている。
 宗内では日顕の弟子以外の40歳以上の住職は今回の問題に触れ"もっとやれやれ"と
同調する住職が後を絶たない。住職解任という処置をとったことによって、更なる波紋
が起こることは必定である。いずれにしても、親バカ日顕譲りの信彰の暴力は
許されない。

 「如(し)かず彼(か)の万祈(ばんき)を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」
(同24ページ)こうした一切の根本原因は、日顕はじめ日顕宗の一凶に他ならない。
今こそ「悪侶(あくりょ)を誡(いまし)めずんば豈(あに)善事(ぜんじ)を
成(な)さんや」(同21㌻)との御金言を今こそ実践すべき時である。

106検証会議:2009/05/02(土) 12:01:59
大石寺短信 第461号 平成21年4月30日(木)

日顕宗の動き

1.阿部信彰に暴行受けた里内が住職をクビに

 憂宗護法同盟による「同盟通信」によると、得成寺(北海道網走市)の里内信徳が
住職をクビになったという。 昨年11月、信徒の投書によって大石寺に呼び出された
里内は、総監・八木、日顕の息子で庶務部長・阿部信彰に吊し上げられた挙げ句、
信彰に暴行を受けた。全治2週間の打撲を負った里内はその後、富士宮警察署に告訴状
を提出した。

 「同盟通信」によると、今月22日、庶務部の斎藤栄順、渉外部の梅屋誠岳、
北海道第3布教区支院長・渡辺慈順ら8人が得成寺に押しかけ、里内に住職罷免を
通告したという。

 同通信は、「隠尊(=日顕)ファミリーに刃向かった結果の報復人事と言わざるを
得ない。『立正安国論』執筆から750年目の慶祝行事の最中の血も涙もない措置である。
まるで"独裁社会"だ」と糾弾した上で、「庶務部長が暴行を働き、それに抗議したこと
以外に里内師が罷免される本当の原因は見当たらない。もしも、寺院経営が
行き詰まったことを罷免の理由とするならば、里内師の前に罷免されなければならない
僧侶は掃いて捨てるほどいる。この点について、宗務当局は明快なる説明をすべきで
ある」と主張。「以前から人事に始まり、さまざまな点でファミリーが
優遇されている」「そうしたファミリー本位の宗門の私物化が今回の措置を
もたらした」と指摘している。

 この傷害事件について、信彰本人も日顕宗執行部もダンマリを決め込んでいるが、
例えば一般社会において、会社の上司が部下に傷害を負わせたとなれば、不問に
付されることはありえない。その上司が何らかの処分を受けない限り、誰も納得しない
だろう。信彰を処分してせめてもの面目を保つか、処分せずに後世まで笑いものに
なるか。日如ら執行部の動向が注目される。

2.再三の本山招集に法華講幹部の不満噴出

 「もう、いい加減にしてくれ!」「本山は地方の大変さが分かっているのか!」。
今、法華講幹部の間から不満の声が噴き上がっている。

 先ごろ、各末寺に1枚の宗務院文書が届いた。それによると、本年8月2日に大石寺で
「講頭・副講頭指導会」が行われることになったという。しかし大石寺では、
7月15・16日に「立正安国論750年」の記念法要が行われ、26日には「7万5千総会」が
行われる。ということは、各末寺の講頭・副講頭はわずか3週間足らずの間に3回も登山
しなければならなくなったわけだ。もちろん旅費は自前。加えて、7月半ば以降は
交通各社が定める「繁忙期」に入るため、運賃が上がる。遠隔地からだと飛行機、
電車、その他の経費を引っくるめて1回で10万円以上も散財しなければならない
ところもあるのだ。そうでなくても、無謀な「50万」のために、年に何回もの登山を
強要され、なおかつ供養も取り立てられる。これでは悲鳴が上がるのも当然であろう。

 この8月2日の指導会について文書には、「7万5千名大結集総会における御法主上人
猊下の御指南に基づき、万全の態勢で大折伏戦を展開し、もって新たなる御命題に
向かって前進するため」とあり、開催時間はたったの2時間だという。ならば、
わざわざ後日に開催しなくても、「7万5千総会」の終了後にでも講頭・副講頭を
集めれば済む話ではないか。信者の苦しみなど全くお構いなし、無慈悲・冷酷の
日顕宗執行部だ。

 ちなみに記念法要も、7万5千総会も、この講頭・副講頭指導会も、出席する坊主には
旅費が支給される。片や、旅費をはたいて本山に着くたび、供養まで搾り取られる
法華講。これを「僧俗差別」と言わずして何というのか。

 この夏は、これまで日顕宗の理不尽さに我慢に我慢を重ねてきた信者にとっても、
決断の時となるだろう。

107検証会議:2009/05/02(土) 19:16:57
 フェイク 第1024号

 (発行=09.05.03)

 厚田墓園の桜が「絶景第一位」に
 北海道の旅行雑誌で紹介 道内随一の名所
 「不可能」を「可能」にした努力と忍耐の戦い

 北海道の厚田戸田墓地公園の桜が「北海道の絶景桜30」の「絶景スポット第一位」
に輝いた。これは旅行雑誌「北海道ウォーカーGW号」に掲載(写真参照)されている。
 毎年春になると八千本のソメイヨシノが満開になり、道内随一の桜の名所となって
いたが、この度、旅行雑誌で大きく紹介されたことで地元の人々の喜びも大きい。

 戸田記念墓地公園の開園は昭和五十二年で、約三十年の歳月を経て名誉会長の恩師・
戸田二代会長への熱い思いが、また一つ、文字通り大きく「花開いた」と言えよう。

 昨年五月の本部幹部会での池田名誉会長のスピーチが蘇る。

 「当時、この厚田の一帯では、桜のなかで最も親しまれているソメイヨシノの品種を
目にすることはなかった。(中略)しかし、私には願望があった。『戸田先生の墓園を、
先生がお好きであったソメイヨシノの桜で荘厳したい!』それは弟子としての一つの
願いであった(中略)私の心を心として、全身全霊で桜の育成に取り組んでくださった方
がいた。いわゆる桜守として有名な、わが同志の佐々木忠さんという方である。(中略)
努力の人が偉い。忍耐の人が勝つ。こうして十年間にわたって佐々木さんは改良を
続けた。ついに、「不可能」が「可能」となった。夢にまで見た満開の桜が、墓園を
彩ったのである」

 名誉会長の打つ手は一つ一つが数十年を経て見事に結実する。佐々木さんが育てた
本山の桜は伐採されて無用の駐車場になっているが、北海道では間もなく、桜花爛漫の
季節を迎える。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000693.jpg

108検証会議:2009/05/02(土) 23:06:51
 フェイク 第1023号

 (発行=09.05.02)

 「人混みの登山会が最も危険」
 新型インフルエンザの警戒は「フェーズ5」に
 無為無策の宗門、「海外登山は中止せよ」の声

 世界中で今、騒がれている「新型インフルエンザ」について世界保健機関(WHO)
は警戒レベルを遂に「フェーズ5」まで上げた。世界的な大流行になる恐れが高まる
なか、成田空港などでの水際対策は自衛隊の医官を含む医師の派遣など態勢が強化
され、患者が運ばれる可能性のある病院では準備が進められている。

 麻生首相、舛添厚労相は警戒感を強めつつ「正しい情報に基づいて的確な対応を」と
呼び掛けている。

 こうしたなか、大石寺の関係者や登山者の間では「新型インフルエンザ」の話題で
持ちきりである。

 大石寺は登山しろと言うだけで、インフルエンザの対応など何一つ考えていない。
そのため「海外登山は最も危険だ」「登山して感染しても宗門は責任もとらない
だろう」「感染すると『信心が足りない』といわれるのが関の山だろう」等と
語り合っている。

 なかには「五月の海外登山を中止するべきだ」との声も出始めている。

 かつて「鳥インフルエンザ」流行の際、責任ある立場にいながら責務から逃げた
大講頭の河原昭太郎も先日死んだが、感染した鳥は一日〜二日で百%死んでしまう
恐るべきものだった。

 これまでにも稀に鳥から人への感染の例も見られたが、真の脅威は今回のように
人から人へと感染する新型インフルエンザの発生である。

 WHOが「フェーズ5」に警戒レベルを引き上げたのは「複数の国で人から人への
感染が進んで、世界的な大流行の一歩手前」という状態である。

 残るフェーズは、現実に世界的に大流行している、という「フェーズ6」で、これは
世界戦争が始まったような状態を指すのである。

 新型インフルエンザの危険度は「感染力」と「毒性」である。現在の情報からみる
と「感染力」は相当強い。新型であるが故に、ウイルスに対する抗体を持っている人が
いないため、感染者の数が拡大しやすいのが懸念される。

 大流行が危険視される五月〜七月間の登山会

 今回のウイルスはメキシコで発生したと推測されてから極めて短時間のうちに、
世界の多くの国で感染者を出している。しかも、メキシコへの渡航歴のない人にも
感染している。

 短時間で世界各国に広まった強い感染力を考えると、早かれ遅かれ水際対策を
潜り抜けて日本国内にもウイルスが侵入する危険性は十分に考えられる。

 そのため、うがいと手洗いの励行、マスクの着用が訴えられている。確かに、
インフルエンザウイルスは、空気感染はしないが、飛沫感染する。ウイルス入りの
唾液飛沫などを避けるのにマスクは有効であり、うがいと手洗いを習慣にすることも
忘れてはならない。

 そして、何よりも重要なことは「五十万総登山」のような人混みには絶対に行かない
ことである。

 特に、肉体的に抵抗力の衰えた高齢者、それに小学生のような子どもは、死に直結
する危険性も極めて高いから要注意である。

 とりわけ、大流行が危険視されているのは、五月から七月頃にかけての期間で、
その間の登山が特に危ない。

109検証会議:2009/05/02(土) 23:07:58
 新改革通信 第99号

 平成二十一年四月二十八日発行

 「僧俗差別」を説く日顕らは、大聖人を迫害した者たちと同じ立場にある。"民主化"
という時代の波に逆行する、法主独裁の宗門は、前世紀の遺物でしかない。

 建長五年(一二五三年)四月二十八日、日蓮大聖人は清澄寺で、南無妙法蓮華経こそ、
末法の民衆を救済する唯一の正法であると宣言された。

 しかし、念仏を厳しく批判した大聖人に対し、念仏の強信者であった地頭・東条景信
は激しく憤り、大聖人の身に危害を加えようとした。

 すなわち、立宗は長く続く迫害の幕開けとなったのである。

 ●今の宗門は大聖人を迫害した側と同じ

 大聖人が戦った相手は、衣の権威で民衆の自由を奪っていた僧侶たちであった。彼ら
は僧俗差別を説いて民衆の地位を貶めていた。

 どんな人にも最高の生命境涯である仏界がある。しかし、当時の僧侶たちは、誤った
教えと僧俗差別によって、その仏性を封じ込めたのだ。

 今の宗門も同じである。彼らは"成仏にも差別がある"という。すなわち僧侶の成仏と
信徒の成仏とは違うというのだ。それは、信徒は、どんなに努力をしても僧侶を超える
ことができないという意味である。

 彼らにとって差別は自分の立場を守るための装置である。しかし僧俗差別を説くと
いうことは、宗門は宇宙大の生命境涯である仏界に差別を設けただけでなく、仏界を
矮小化するという、反仏法の教えを説くことになるのだ。

 ●宗門事件は試金石だった

 宗門事件というのは、宗門が僧俗平等の大聖人の教えを受け継ぐのか、それとも
檀家制度の弊害でもある僧俗差別の道を選ぶのか、その選択を迫られた試金石だった
とも言える。

 もし、宗門が衣の権威・出家の慢心を打ち破ることができていれば、宗門は、
僧俗平等を貫く、真の日蓮門下の僧侶集団として、生まれ変わっていたかもしれない。

 しかし、日顕にはそれができなかった。「目通りかなわぬ身」という言葉に象徴
されているように、出家の慢心に取り憑かれた日顕は、独裁者の道を選んだ。

 そして、他の宗門僧侶たちも日顕につき従い、カトリック教会が自分たちの立場を
守るために、地動説を唱えたガリレオたちを迫害したように、宗門をあげて、
池田名誉会長を非難し、僧俗平等を唱える創価学会を異端として、破門した。

110検証会議:2009/05/02(土) 23:08:12


 ●「下からの近代化」「民主化」に逆行する宗門

 第二次世界大戦後、世界はあらゆる分野で「下からの近代化」が進んでいる。

 日本の各宗派も、この数十年で教団の体制の民主化を進めている。具体的には、
教義の裁定権を持つ「法主」と、宗内行政のトップである「管長」を分離している。また、
宗議会の独自性が保証されているところも多い。

 しかし、宗門の場合、法主が管長を兼ね、宗門における全権力を持っている。

 また、日達法主の時代までは宗会が法主の辞職勧告を決議することもできた。現に、
大正十四年十一月二十日、宗会は五十八世日柱法主の不信任案を成立させ、辞職勧告を
決議している。

 ところが日顕は宗制宗規を変更し、宗会を無力化してしまった。今や、悪法主が
出現しても、宗門には自浄する手立てがない。


 ●絶対的権力は絶対的に腐敗する

 歴史学者J・E・アクトンは次のような名言を残している。

 権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対的に腐敗する。

 すなわち、専制的な権力を握った者は、すべてが自分の思いのままになるものと
錯覚して、必ず腐敗するが、それを止めることはできないということだ。

 多くの先進国は、このアクトンの法則を防ぐために「三権分立」という政治制度を
つくりあげた。

 一切の権力を手中に収めた日顕は、この法則の通り、宗内には綱紀自粛を徹底させ、
その裏で自分だけは豪遊を繰り返し、腐敗の姿を晒した。そして、末寺が経済苦で
喘いでいる中、女房の政子と娘の百合子が高級マンションを所有していることも
発覚した。阿部ファミリーだけが栄華をきわめていたと言っても過言ではない。

 今の宗門は前世紀の遺物である。僧侶主導で広宣流布をしょうという発想自体が
ナンセンスである。

 日淳法主は既に大正十二年『講中制度について』と題する論文の中で、次のように
述べている。

 当門の如く講頭或は役員に対して教師とせず、単に世話人の意味にのみ解して居ては
充分活動してゆくことができません。従て目醒(めざ)ましい発展を来たすことは
できないのであります。(日淳上人全集)

 日淳法主は、僧侶主導の布教の限界を指摘し、現代の大衆社会において広宣流布を
進展させるには、"信徒に「教師」の資格を与えよ"と言われているのだ。信徒も僧侶と
同じ資格も僧侶と同じ資格を持って布教をリードするという、今の宗門の僧俗関係を
根本から変革する提案である。

 この日淳法主の願いは、創価学会の出現によって実現された。三代会長の不惜身命の
戦いは、僧分を超越し、未来の広布の道を開いたのだ。

 (編集部)

111検証会議:2009/05/05(火) 23:24:11
 顕正会短信

 2009.05.05

 埋蔵人材の宝庫だが発掘できない顕正会(笑)

 顕正新聞4月25日号で面白い記事を見付けた。女子部の班長の活動報告なのだが、
つい最近までNHKでキャスターをしていたというのだ。NHKといえば「国営放送」
という印象を持たれているが、なるほど、「国立」にこだわる顕正会らしいネタだ(笑)。

 記事によれば、この班長は8年越しの夢が叶いNHKに採用されたようだが、他の
顕正会員の例に漏れず、放送局内で勧誘を始めたところ怨嫉の大合唱が起こり、番組を
突如降ろされたりもしたようだ。

 当たり前だ。仮にも放送・報道という立場にいる者が、偏向した思想を前面に出す
ことがどれだけ現場に不利益を与えるか、視聴率・広告主至上の民放ならいざ知らず、
NHKが気にしないはずがない。

 万一、放送中にその偏向した思想に基づく発言があった場合、大問題となることは
必定で、その危険性を回避するべく、番組を降番させることがあっても不思議では
なく、むしろ現場を監督する立場からすれば一般的な措置であろう。

 まさかとは思うが、「神社や寺や教会には取材には行きません」とか「祭りは謗法
ですから取材には行きません」とでも主張したわけではないだろう。しかし彼女が
こうした措置に対して異議を唱えて戦ったとか、番組復帰を勝ち取ったなどという発言
はしていない。

 そして記事は、自身が1日に4回も事故に遭ったという大罰の現象を語り、事故を
起こした際に関わった修理屋の社長を勧誘してどうのこうのと、NHKとは関係のない
部分に入っていくので割愛するが、この班長、実は「契約アナウンサー」で、単に
一年契約が切れただけのことなのだ。ただし、「契約アナウンサー」が皆、一年契約と
いうわけではなく、長期間画面に登場する人も多い中、この班長はすでに放送局のHP
から写真や経歴が削除され、この「女子アナブーム」の最中でも、ネット上ではごく
僅か、過去に神戸のインターネットTVに出ていた程度の情報しか拾えない。

 局内で宗教勧誘をあからさまにするような人物に対し、契約を更新するような企業が
どこに有ろう。せいぜい経営者が顕正会員の企業ぐらいのものだ。

 そういえば、昨年秋にリーマン日本法人を解雇された女子部や、大手新聞社を
辞めて(辞めさせられて?)「顕正新聞論説委員」になった男子部など、意外と顕正会
には“人材”が潜んでいるようだ。それが「解雇」「契約解除」「退職」の後でないと
発覚しないのは、なかなか“人材”を発掘できない幹部の能力のなさか。

 もっとも、在職中に“人材”として顕正新聞に掲載されようがものなら、公安調査庁
がマークする「特異団体」の構成員だと宣言するようなものだから、オファーが
あっても、「いまは立場があるから載せないでくれ」と懇願しているのかも知れない。
辞めた後なら何とでも言えるだろうからなあ(笑)。

112検証会議:2009/05/08(金) 20:01:12
 同盟通信 No 133

 2009-05-07

 =庶務部長の「お詫び文書」の不可解=

 4月29日付けで阿部庶務部長が全国の住職・主管に宛てて「お知らせとお詫び」と
題する文書を出した。内容は昨年の里内師に対する不適切な行為について猊下から
「厳重な御注意」と「十日間の職務停止」を命じられたという"処分"に関するものと、
「かかる事態を招来したことは、ひとえに小職の軽率な行為によるものであることに
重々思いをいたし、深く反省し」「深くお詫びいたします」という"お詫び"である。

 不可解な文書である。まず第一に、タイトルがおかしい。この文書は
「宗務院庶務部長阿部信彰」名で書いてあり、宗内においては公的な文書となる。
 公式文書で自分自身に対する「処分のお知らせ」を書く団体・社会がどこにあるか。
 普通、「処分のお知らせ」は監督責任のある上位役職者が出すべきもので、
この場合、猊下か総監が出すべきである。庶務部長は「お知らせ」する立場ではない。
タイトルはたんに「お詫び」であるべきなのだ。

 次に、処分の中身だが、里内師の「住職罷免」に比し、庶務部長の「休職十日」は
あまりにも差別的である。そもそも今回の問題の発端は庶務部長がいうところの
「不適切な行為」である暴行が引き起こしたもので、里内師は被害者である。宗門は
被害者が罰せられて、加害者が大目に見られる世界なのか。そうだとしたら、まことに
恐ろしい世界であるといわざるをえない。

 さらに、庶務部長には弁解の機会が与えられたが、当然、里内師にも弁明の機会を
宗務院は提供すべきではないのか。もしそれができないならば、不公平・不公正な
宗務行政といわれても仕方ないだろう。

 最後に、今回の庶務部長の「処分」は、「大日蓮」誌に掲載されなければならない。
在勤者や御信徒たちにも周知すべきだ。連休のどさくさまぎれに住職たちだけにそっと
通知して済まそうとする前時代的な体質とはもうそろそろ決別したほうがいいと忠告
しておく。

 (憂宗護法同盟員より)

113検証会議:2009/05/08(金) 20:01:31
 石山だより

 平成二十一年五月八日

 阿部信彰よ 即刻、庶務部長を辞任せよ!

 一、庶務部長・阿部信彰が、四月二十九日付けで「お知らせとお詫び」と題し、
北海道の得成寺・里内信徳師に対して不適切な行為に及んだとして、日如さんから
「十日間の職務停止」を命ぜられたと自分で発表した。こんな文書は前代未聞だ。
「人にキビシーク、自分にアマーイ」信彰のバカさ加減が滲み出たものである。

 「小職としては身に覚えのない点はあるものの」と反省などさらさらしていない
言々句々を並べ、宗内の感情を更に煽り、事態を悪化させている。里内師に
言わせれば「冗談じゃない。そんなことで告訴などするか!」と言うだろう。
一層、火に油を注ぎ、里内氏に加勢するものを増やすことは間違いない。

 信彰の暴力については、親譲りの血脈とも言える遍歴がある。埼玉・能持寺そして
ブラジル・一乗寺時代には、女房の信子の髪の毛をつかんで十メートルも引きずり、
信子が「ごめんなさい、ごめんなさい」と言っていた。「すみません」「申し訳
ありません」というのが信子の口癖だったようだ。所化や子供に対しても瞬間湯沸器
そのもので、弱い者に対して暴力を振るってきたのは日常茶飯事のことである。
目上の者にはペコペコ、目下の者には傲慢無礼、畜生そのものだ。在勤したものの中
には、恨み辛みを抱いているものは数知れない。「十日の職務停止」程度で
誤魔化すな!宗内僧侶の大半が待ち望んでいる声は、断固「庶務部長辞任!」である。

 一、東京・妙縁寺住職の光久日康師が

 ①「宗門の疲弊を招いたのは学会破門が原因」
 ②「宗門トップは学会に謝罪し話し合うべきだ」

 と言ってから、早いもので二年が経過する。光久師としては、本当のことを
言ったのに、宗門執行部は異常な反応を示した。あの時、光久師は大支院長と支院長を
クビにされた。日顕が裏で糸を引き、特に八木、信彰から強要されて教師講習会の席上
で他人が用意した謝罪原稿を無理矢理読まされたことは生涯許せない屈辱だろう。
光久師の処分と信彰の今回の処分には格差がありすぎ。所詮、親の権威で成り上がった
信彰は庶務部長の器に非ず!即刻、男らしく辞任せよ!

 (散々、信彰から暴力を受けてきた恨み骨髄の所化鼠)

114検証会議:2009/05/09(土) 12:17:05
 フェイク 第1025号

 (発行=09.05.09)

 坊主丸儲け、出費続きの信徒は丸損
 真夏の総会を外部でなく大石寺で開く狙い
 総登山で十億、大結集で一億五千万の御開扉料

 大石寺の無謀極まる五十万総登山の参加者は強要された高齢者が多い。病弱な人も
いる。塔中の表参道では脇にある石のブロックに手を着いてハアハアと苦しそうな呼吸
をしていた老講員が「もう歩けない」と立ちすくんでいた。また、駐車場でも地べたに
しゃがみ込んでいる老婦人もいた。近くには整理・誘導の役員らしき者もいたが、
ボケーッとしていて、お年寄りに声を掛けようともしない。

 何のために着任しているのか分からない。法華講員か妙観講の盲信者かは
分からないが、人間性のかけらも感じられない役員の態度である。無駄な駐車場ばかり
造成しても運営面は杜撰(ずさん)なものである。

 こんな調子で七月の大結集総会を強行したら、事故が多発し、病人が続出して、
死人も出る危険性が極めて高く、悲惨な結果になることは明らかだ。

 法華講の幹部が次のような話をしていた。

 「七月には七万五千名の大結集をするが、何でこんな交通の便の悪い大石寺でやる
のか?大結集をしたいのであればドーム球場か国立競技場でも借りてやればよい。
五万人でも十万人でも集めることが出来る」

 「真夏に屋外での集会とは信徒を何だと思っているのか?冷房完備の会場で行なう
べきだ」「大石寺では大結集のために今、お金をかけて駐車場を造っている。大結集が
終わったら、その後、一体、何に使うつもりか。お金がもったいないし、自然を壊す
ことになる。『立正安国論』を利用した金儲け以外の何ものでもない」

 この法華講幹部の疑問は、実にもっともだが、ドーム球場などを借りて総会を開いて
も宗門には御開扉料が入らないから大石寺境内で強行するのである。

 一人二千百円の御開扉料が七万五千人分も入ると、一億五千万円以上が儲かる。
 それに対し、外部の会場を借りれば、御開扉料が入らないうえ、莫大な会場費が必要
になる。

 坊主共の狙いは金儲けであり、五十万総登山の御開扉料は、実に十億円以上で、日如
らは笑いが止まらない。

 また木々を伐採して無駄な駐車場の工事

 現在、本山周辺で道路拡張や駐車場の工事をしているが、常灯ヶ峰でも敷地内の木々
を伐採して、新しい道路を造っている(写真)。

 ここはバスの出入口だそうだ。また樹木を伐採して駐車場も造っている。宿坊を次々
と壊しては建て替え、やたらと駐車場ばかりを増やしている大石寺。こんな様子を
見て、近隣の人達は呆れている。

 「この不景気な時に大石寺は工事ばかりやっているが、その費用は全額、信者が負担
させられるのだろう。坊主丸儲け、信者は丸損だな。ずっと大石寺の近くに住んで
いるが、今まで駐車場が満車になったためしがない」と嘲笑していた。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000698.jpg

115検証会議:2009/05/12(火) 00:37:20
 フェイク 第1026号

 (発行=09.05.11)

 富士学林長の大村日統が死去
 宝浄寺寄進の願主を誹謗、広布破壊の極悪僧
 宗内には死を悼むより、飛び交う後任の噂

 日顕宗の富士学林長で権僧正の大村日統(前教学部長、大田区・宝浄寺)が十一日
午前三時過ぎ、入院先の東京都内の病院で死亡した。享年七十五歳。大村は昭和八年
十月十三日生まれ、同十六年十一月に得度。妙海寺・宝相寺・法栄寺の住職を経て、
昭和三十九年十二月二十一日、学会が建立寄進した大田区内の宝浄寺住職になった。

 一昨年八月、教師講習会で登山した時に倒れて入院。検査の結果、脳腫瘍と診断
され、手術をしたが腫瘍の三分の二しか切除できず、コバルト治療を続けていた。

 今年三月頃からは黄疸の症状も見られるようになり、今月八日に再び倒れて緊急入院
したものの、遂に帰らぬ人となった。

 大村は金の亡者で宗門問題が表面化した平成三年の初頭、それまで学会員に塔婆を
強要して集めた供養の金を約十一億円も溜め込んでいたことが露見した。そして東京・
目黒区内にある入会金一千万円の超高級医療クラブのメンバーにもなるなど、色々と
健康にだけは留意していたが、仏罰には対処法がなかったのだ。

 宗内に「大村死去」の訃報が流れた十一日午前、その大村の死を悼む声よりも
「次は裕福な一等寺院の宝浄寺に誰が入るのか」という憶測が飛び交い、渉外部長の
秋元広学(世田谷区・宣徳寺)が「序列からも次は俺だ」と思い込み、早くもソワソワ
しているという様子も伝わってきている。

 一方、秋元は闘病中なので、以前、宝浄寺にいた梅屋誠岳(藤沢市・寿照寺)が有力
ではないかとの噂もあるが、宗内の有力情報によると、早瀬日如の思惑は全く違う
らしい。

 日如は、暴力事件を起こしたため、「停職十日間」の処分に付した阿部信彰を宝浄寺
に異動させることで日顕の顔を立て、その信彰の後の妙国寺には新潟にいる自分の長男
の道寧(聞正寺)を入れる魂胆らしい、とのことである。

 宝浄寺に秋元、宣徳寺に小川只道を移し、妙観講を分断する案も

 また、秋元広学を宝浄寺に入れて宣徳寺には理境坊の小川只道を移し、父親の仇で
ある妙観講を各末寺に分散させる案も日如はもっている、とも言われている。

 それにしても死んだ直後、葬儀の段取りも決まらないうちに後任の噂でもちきり
とは、大村自身の身から出た錆とはいえ、何とも呆れ果てた邪教団である。

 大村は学会から受けた多大な恩を「盗作」という仇(あだ)で返した忘恩の輩で
あり、女性用下着を箪笥一杯に集め、少女の胸に触り、衣の袖には避妊具を忍ばせる
など変態坊主としても知られていた。

 ゴルフの腕前とカラオケ道場で鍛えたノドだけが自慢だった。得意な歌も
「愛の讃歌」や映画「マイ・ウェイ」の主題歌など数多い。

 宝浄寺の落慶入仏式で御供養目録を奉呈した池田会長(当時)に請書を渡した
日達法主は「立派な寺院を御寄進して頂きまして有り難うございました。今後は
寺檀和合して日本一の寺院とするよう励んでまいります」と感謝の言葉を述べた。

 この日達法主の意に反した大村は、僧俗和合を破壊し、謗法の限りを尽くして、
その生涯を閉じた。

116検証会議:2009/05/13(水) 16:22:04
 石山だより

 平成二十一年五月十三日

 一、宝浄寺住職・富士学林長大村日統の葬儀が十三.十四日に行われる。
享年七十五歳。合掌

 昭和十六年十一月二十八日、八歳で出家得度して六十七年になる。幼くして出家した
苦労はさぞかし大変だったろう。

 戦後の宗門は、農地解放のため、本山の土地が五万坪までになってしまった。
そして、まともに食べることさえ出来なかった。本山では、坊の裏はみんな畑になって
いて、そこを耕し、米、野菜を栽培して細々と生活していた。当時は、みんなが
貧しかった。建物は老朽化し、絹衣を着するなんて考えられない時代だった。貧しい
時は、僧も俗もなく、日昇猊下でさえ坊に来て一緒に食事をとった。時には、僧も俗も
一緒に畑仕事をした。そんな困窮した本山の実情を憂い、登山会を提唱してくださった
のが第二代戸田会長であった。老僧は「今の若い者に、戦後の大変さが解るか」と
しみじみ語っていた。

 一、思い返せば、第三代池田会長が就任後、海外広布の伸展により昭和三十八年三月
初の海外出張御授戒が行われた。その際アメリカに行ったのが、日顕と大村だった。
この時、宗史の汚点となったあのシアトル事件が起きた。

 日顕とは、この時以来の悪縁となった。昭和三十九年十二月二十一日、弱冠三十一歳
で大世帯の宝浄寺の住職に任命された。落慶入仏式から間もなく、四十五周年になる。
何かに付け、絶大なる配慮をしてくださったのが、池田名誉会長なのである。大村に
とっては、大恩人の大檀那だった。

 その大恩を仇で返した。かずかずの忘恩の所行は、仏法の因果の理法に法り厳罰と
なって顕れた。

 大村は、よく「マイ・ウエイ」を歌ったが、自分の信念を持って生きればよかった
のに、余りにも極悪の日顕の言いなりになりすぎたことが、人生最大の誤算だった。
(悪侶出来せば親近す可からざる事・在勤鼠)

 どうやら妙光寺・尾林日至が、今朝5時過ぎに亡くなったとのこと。最近、見る影が
なかった。

117検証会議:2009/05/13(水) 16:22:24
 フェイク 第1027号

 (発行=09.05.13)

 続く訃報! 尾林日至も死亡
 学会の海外組織の破壊を画策した極悪坊主
 能化二人の相次ぐ死に肩落とす日顕と日如

 日顕の陰謀に加担した能化が相次いで死亡――権僧正の尾林日至
(前宗務院海外部長、東京・妙光寺住職)が十三日午前五時過ぎに死去した。
享年七十一歳。

 きょう十三日は大村日統(十一日に死亡)の通夜だが、二人の能化の死に日顕は憔悴
しきっており、日如の落胆ぶりも激しい。

 尾林は海外の学会組織の撹乱、シアトル事件の隠蔽工作、御本尊不敬、杜撰な納骨
など悪逆の限りを尽くした極悪坊主の一人である。

 尾林は昭和六十三年八月、前川慈肇の後を受けて海外部長に就任。この海外部とは
極悪ペテン師・山崎正友が学会の海外組織を破壊する目的で昭和五十三年に作った
謀略機関である。

 日顕が「C作戦」を強行した直後の平成三年三月十五日、尾林は学会宛に無礼千万の
通知を送り付けた。

 「従来、海外信徒の指導をすべて池田SGI会長に一任し、海外においてはSGI
以外の信徒組織は認めない方針をとってまいりました。しかし今後は諸般の事情に
より、この方針を廃止する事に致しました」

 池田SGI会長の指揮の下、約三十年間にわたって営々と築き上げてきた世界広布の
組織を一片の紙切れで奪い取ろうという腹黒い魂胆であった。

 それは日達法主が「私は世界の仏法流布という平和文化運動の実践運動をインター
ナショナル日蓮正宗創価学会会長池田大作先生に一切お願いいたしております」との
基本方針を真っ向から否定するものである。

 ところが、アルゼンチンでは坊主の問題発言で法人登録の抹消、ブラジルでは一乗寺
乗っ取り裁判で敗北、韓国では偽装寺院や不法布教で相次ぎ断罪、インドでは所化二人
の大学院への不正入学が発覚するなど尾林の海外工作は全て失敗した。

 そのうえ、海外での山田容済、中本代道の不倫までも露見したのである。

 また尾林は、クロウ夫人の告白によって日顕のシアトル事件が露見した際、シアトル
に急行して現場の確認作業を行ったが、これも徒労に終わった。

 大恩を忘れ日顕に追従、腰は曲がり悲惨な現証

 尾林自身、平成十七年の一月頃から文字が書けなくなり、四月の虫払いの後には腰の
激痛に苦しんだ。背中の第十二胸椎、腰椎からいうと六番目の骨が圧迫骨折していたの
だ。この年の五月の広布唱題会の当日から声も殆ど出なくなり、七月には声帯に腫瘍が
できた。

 その後、公の場から姿を消したが、パーキンソン病も患って平成十九年四月、久々に
同寺の御講に現れた姿は無惨だった。腰は「く」の字に曲がり、車イスで現れた尾林は
所化に担がれ、ようやく導師席に座ったが、鈴棒を持つ手は震え、勤行の声も弱々し
かった。

 尾林がいた妙光寺は以前、貧乏寺で墓地に植わっていたシキミを切り取り、それを
売って食いつないでいた。

 柿沼広澄がいた昭和三十九年三月、鉄筋コンクリート造りの本堂・庫裏が完成した
が、それは当時の池田会長が願主になり、費用の殆どを学会が負担して建立したので
あった。

 その後も学会の外護で守られた大恩を忘れ、日顕に追従して広布破壊のお先棒を
担いだ現証は悲惨だった。

118検証会議:2009/05/14(木) 14:45:24
 勝ち戦 第135号

 2009年 5月12日(火)

 大村日統の死相に絶句!
 『題目で病気は治せない』と暴言
 今年は、日顕宗『葬登山』の年だ!

 天魔・日顕と共に仏法破壊、広布破壊に狂奔した、極悪の邪僧・大村日統(大田区・
宝浄寺住職)が十一日、厳しき仏罰の姿を晒して死亡した。

 葬儀は、通夜が十三日(水)十九時から。本葬が一四日(木)十時から行なわれる。
日顕、日如が来る予定だ。

 十二日(火)には十九時から仮通夜が行なわれたが、読経の後、大村と
「最期のお別れ」をしようと参列者が順番に棺の中を覗き込んでいた。

 日顕宗の葬儀ではよくある光景だが、大村の死相を見た誰もが絶句。「エッ?」
口を押さえたまま固まる者もいた。大村の顔はまっ黄色に変色。その死相はまるで
クレヨンで黄色く塗ったかのようであった。

 日顕宗の葬儀では、紫色やドス黒い顔、歪に変形した顔など、他宗では見られない
独特の死相を現じることが多いが、さすがにまっ黄色には驚かされたようだ。

 大村は一昨年、脳腫瘍で倒れて手術をしたが完治せず、苦しい闘病生活を余儀なく
されていた。

 四月十二日の御講には出席していたが、片足を引きずりかなり衰弱している様子
だった。自分の罰の現証は省みず、学会への誹謗・中傷を繰り返していた。同月二六日
に行なわれた支部総会には欠席し、講中に大村の容態悪化説が流れ、一気に講中に動揺
が広がっていた。五月三日の広布唱題会と、十日の御講も欠席し、十一日に死亡した。

 大村は、昨年四月の御講で自らの闘病生活について告白し、「『患者』の『患』と
いう字は、『串』という字を書いて下に『心』を書くわけですが、つまり病を得た人は
心に串が刺さったような、そういう状況にあるわけです」と、自身の心境を「心に串が
刺さったような苦しみ」と激白していた。

 また、「大聖人様も、お題目で病を治しなさいなんて仰せになっていない。
必ず病は、お医者さんで治せるということを仰せなされておられるわけですから。
お題目で自分は治すなんていうふうに、ま、頑張る方もおられますけども、お医者さん
によって治すというのが常識であろうと思います」と発言し、驚くべき無信心ぶりを
露呈した。

 御本仏大聖人曰く、「南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病・障りをなすべきや」
「病を身にうけさせ給う・心みに法華経の信心を立てて御覧あるべし」「阿闍世王は
法華経を持ちしかば悪瘡も平癒し寿をも四十年延べたり」大村の発言は、御本仏大聖人
の仰せを否定し、信心、題目を否定するとんでもない邪義である。

 大村は、三月の御講で、「本年、総登山に行かないと無間地獄に堕ちる」と信者を
恫喝した。結局、エセ登山を強要した大村が、無間地獄に堕ちた。

 編集部(転載可)

119検証会議:2009/05/14(木) 23:29:18
 同盟通信 No.134

 2009-05-13

 "急告"

=尾林能化も死去、俄然注目される人事の主導権争い=

 大村能化の通夜の日に尾林能化が亡くなった。
 尾林能化は、隠尊のもと、17年間にわたり、海外部長を務め、頓挫が確実な数々の
海外工作に着手させられてきた。享年71歳。平均寿命には届いていない。その意味では
早い死だった。

 大村能化が亡くなって宗内の関心は直ちに後任住職の人事に集まった。都内の
有力寺院で預貯金は潤沢なうえ新築から間もないとあって、阿部庶務部長はじめ、
梅屋渉外部副部長、水島教学部長、笠原海外部主任らの名前が取り沙汰されている。

 妙光寺は名刹であり、人事の行方は宝浄寺以上に注目される。妙光寺の後任は
土居崎宗会議長が大本命と目されている。

 宝浄寺にせよ妙光寺にせよ、人事の決定に当たって、隠尊の影響力を尻目に猊下が
主導権を発揮できるか否かに宗内の関心は集まっている。

 昨年、67世の誕生を告げた椎名元重役が亡くなり、教学部長だった大村能化、
海外部長だった尾林能化が相次いで去った。46年前、隠尊と共に第1回海外出張御授戒
のため、訪米した大村能化は、「シアトル」の件の真相を知る人でもあった。文字通り
67世の時代は幕を閉じようとしているが、67世本人は今もしたたかに生き続けている。

 (憂宗護法同盟員より)

120検証会議:2009/05/15(金) 11:05:29
 大石寺短信 第462号

 平成21年5月14日(木)

 日顕宗の動き

 1.大村日統、尾林日至が相次ぎ死亡

 日顕宗の前教学部長で富士学林長の大村日統(東京・宝浄寺)が11日、死亡した。
享年75。大村は一昨年、脳腫瘍を患い、術後、療養していた。また、2日後の13日には
前海外部長の尾林日至も死亡した。享年71。尾林も数年前に体調を崩し、以降、腰が
「く」の字に曲がったまま介助される姿が見受けられていた。

 日顕が“盗座”した昭和54年(1979年)から、退座した平成17年(2005年)まで
教学部長を務めた大村。「エセ法主」にふさわしい「エセ教学部長」ぶりを発揮した
26年間だった。度々、盗作による原稿で講演を行ったかと思えば、学会機関誌に載った
イギリスの「ガーター勲章」に「十字架だから謗法」と的外れの言い掛かりをつけて
世間の失笑を買った。2年前の新潟県中越沖地震の際は「法華講員の墓石はきちんと
立っていて、その他の学会員の墓石が倒れた」と笑止千万のデマを吹聴し、「日顕宗の
坊主は大ウソつき」との定評をさらに強固なものとした。また、学会寄進の大寺院で
せっせと蓄財にふけりながら、口汚い学会批判に明け暮れるなど、「不知恩」を絵に
描いたような畜生坊主だった。

 尾林も、昭和63年(1988年)から17年間にわたり、海外部長として日顕の海外工作の
お先棒を担いできた。しかし、各国で次々と違法行為が摘発・断罪され、脱講が進む
など、「日本がダメなら海外で」との日顕の目論見は完全に破綻した。一方、自分の寺
の成果も毎年低迷続き。苦し紛れに学会批判の「手紙」を作って講員に配らせたが、
かえって地元学会員に破折され、尾林のメンツは丸つぶれとなった。また、坊主にした
一人息子を若くして亡くすなど、私生活でも不幸に見舞われていた。

 昨年の椎名日澄以降、3人の能化(=日号がつく坊主)が死んだことになる。この他、
福岡・法霑寺の秋山日浄の容体も厳しいとのこと。先月4日には香川布教区前支院長の
堀寿奘が60歳で死んだ。

 「立正安国論750年」の記念行事までわずか2カ月。執行部は、思いつきの唱題行を
始めるなどして、雰囲気を盛り上げようと躍起になっているが、その思惑とは裏腹に、
宗内には暗く陰鬱とした空気が漂うばかりである。

 2.「停職10日」の信彰が不可解な「お詫び」

 昨年11月、北海道・得成寺の住職・里内信徳に暴行を働いた庶務部長・阿部信彰に、
ついに処分が下った。処分の内容は「10日間の職務停止」。各末寺に配信された文書
は、「4月29日」付けの「庶務部長 阿部信彰」名で「お知らせとお詫び」と題した
もの。文書には、里内への「不適切な行為」について「本日、御法主上人猊下より、
厳重なる御注意を賜るとともに、十日間の職務停止を命ぜられました」とあり、
さらに「かかる事態を招来したことは、ひとえに小職の軽率な行為によるものである
ことに重々思いをいたし、深く反省し」「深くお詫びいたします」とある。

 これを、憂宗護法同盟の「同盟通信」が手厳しく糾弾している。同通信は、まず、
「公式文書で自分自身に対する『処分のお知らせ』を書く団体・社会がどこにあるか。
普通、『処分のお知らせ』は監督責任のある上位役職者が出すべきもの」とし、法主の
日如か総監の八木が出すべきとしている。また、「里内師の『住職罷免』に比し、
庶務部長の『休職十日』はあまりにも差別的」と指摘。さらに、「(信彰の処分を)
在勤者や御信徒たちにも周知すべきだ。連休のどさくさまぎれに住職たちだけにそっと
通知して済まそうとする前時代的な体質とはもうそろそろ決別したほうがいいと忠告
しておく」と痛撃している。

 被害者・里内が信彰を刑事告訴してもなお、ダンマリを決め込む執行部への批判が
強くなってきたゆえの今回の処分というところだろうが、またまた、「日顕宗の常識は
世の中の非常識」という事実を宣伝する結果となった。

121検証会議:2009/05/15(金) 11:05:59
 越 洋

 平成21年5月14日

 隠尊夫人の政子が赤坂の一等地に時価1億数千万円の“隠しマンション”を所有して
いる事実が発覚し一年と二ヶ月が過ぎた。未だに日顕を始め関係者からなんらの説明も
ない。説明責任があるのに、災難が通り過ぎるまでダンマリを決め込んでいる。

 娘の百合子は百合子で、売りに出したとはいえ麹町に“時価7千万円”は下らないと
いうマンションを持っていた事実も露見。日顕ファミリーとその取り巻きだけが
贅沢三昧をしている現状は、毎月の生活費さえ困窮している末寺住職・寺族にとって、
許し難い事実だ。その怒りは頂点に達していた。ましてや、百合子は未亡人なのに、
高級車を乗り回し、本山所化に今でも、カウンセリングをやって、過分の手当を
もらっている。

 そんな中、日顕に盲従していた大村(11日)と尾林(13日)の急死の報が入った。
多くの住職達は“やっぱり厳しき現罰がでた”と仏意仏勅の広宣流布の団体を誹謗する
ことの現証を目の当たりにしたのである。

 大村日統(75歳)は、一昨年8月に本山で倒れ脳腫瘍の手術をしたが、腫瘍が
三分の二しか取れず、コバルト治療をしていた。海外部長だった尾林日至(71歳)は、
パーキンソン病で頭は働いているが、身体は筋肉が萎縮していく奇病で、法務は出来ず
病院で療養していた。治療の甲斐もなく、両氏ともほぼ時を同じくするが如く突然の
急死である。誰もが、仏法の厳しき因果律からは逃れることは出来ないことを思い知る
ことになった。

 教学部長という立場で支え続けた大村、また海外SGIの破壊と檀徒作りに奔走し続けて
来た尾林の二人を失った日顕。宗門事件発生から19年目の本年、令法久住・広宣流布
そっちのけで、日顕一族が栄耀栄華を目論み、自分たちだけの享楽にふけってきた時代
の終焉の時を迎えた。

122検証会議:2009/05/15(金) 11:06:28
 フェイク 第1028号

 2009年(平成21年)5月14日(木)

 「能化が死ぬと法主も死ぬ」
 宗内に不吉な予感 関心事は葬儀より人事
 「妙光寺住職に阿部信彰」の噂に早くも非難

 日顕宗内では能化の相次ぐ死について「不吉な予感」だと受け止めている者もいる。
 以前から宗内では「能化が死ぬと相前後して法主も死ぬ」というジンクスがある
からだ。例えば、昭和三十四年、管長代務者を勤めたことのある品川・妙光寺の
中島日彰(僧正)と第六十五世・堀米日淳法主は殆ど同時期の他界だった。

 また、第六十六世・細井日達法主の死去は漆畑日広(昭和五十四年七月に追叙 僧正)
の直後であった。

 昨年は日顕の相承詐称の片棒を担いだ平安寺の椎名日澄が死に、今月は大村日統と
尾林日至が立て続けに死亡した。

 そこで、宗内には「いよいよ次は御隠尊が……」という予感が広がっているのである。

 同年代の人の葬儀は相当にショックなのが人情だが、まして、日顕にしてみれば自分
よりも十歳以上も年下の者の死から受けるダメージは大きいに違いない。

 それはともかく、大村日統の通夜が十三日夜、早瀬日如の導師で行われたが、参列者
の関心事は、大村に続いて尾林の死による住職の後任人事であった。

 最も注目されるのが妙光寺住職の後任である。ここは常在寺、常泉寺と並んで
「能化寺」とも言われ、日顕宗の中では格式も高い。

 やがて法主になるかもしれない坊主の出身寺としては申し分ない。そんな理由から
日如は、この寺に本命の土居崎慈成を外して阿部信彰を入れることで日顕を黙らせ、
あとは思い通りの人事を断行するのではないだろうか、との噂もある。

 それにしても、末寺の平坊主にケガを負わせた信彰は、本来ならば庶務部長をクビに
なるべきなのだが、僅か「停職十日間」の処分を受けたと自己申告しただけで、何の
咎(とが)めも受けないばかりか、一等寺院の妙光寺に入るのではないか、との噂に
早くも非難の声が聞かれ、この人事は難航が予想される。

 次に関心が高いのが宝浄寺である。宗務院の五部長の一人である秋元広学という案が
濃厚と見られている。一部には大村の女房の弟・田島寛応ではないか、という声も
あるが、否定的な見方が強い。梅屋誠岳の線は立ち消えたようだ。

 宣徳寺は小川只道か?

 興味深いのは宣徳寺で、本山から小川只道が異動になるとの噂が高まってきた。

 日如は小川を本山から追い出したいというのが本心である。理事としては古株の小川
がいなくなれば、佐藤慈暢も主任理事としての仕事がやりやすくなる。

 しかも、小川のあとの理境坊に佐藤を入れ、その後の百貫坊には宮野審道を入れて脇
を固めるのが日如の腹づもりと言われている。

 この宣徳寺に小川を入れる案に日顕も同意している向きもある。宣徳寺は日顕が
私物化している等々力の豪邸にも近いし、いつ倒れても不思議ではない日顕に万一の
ことがあっても、日顕の提灯持ちの小川が直ぐに駆けつけられるからだ。

 日如は、宗内の注目を妙光寺、宝浄寺、宣徳寺の後任人事に集めておいて、妙国寺
には長男の道寧を入れたいのが狙いである。

 こんな日如の思惑通りに人事が運ぶかどうか、日如の手腕に注目したい。

123検証会議:2009/05/17(日) 21:16:31
 勝ち戦 第136号

 2009年 5月17日(日)

 尾林日至も堕地獄の相!
 広布破壊で一族が崩壊!
 七月の大結集は中止!

 五月十三日に死亡した、前海外部長で妙光寺(品川区)住職・尾林日至の通夜が、本日
十七日十九時から行なわれる。告別式は十八日十時から。

 十七日は当初、毎年恒例の『虫払法要』が行なわれる予定だったが、急遽、尾林の
葬儀に変更。長年妙光寺に寄生して法を蝕んできた害虫を駆除する、本当の意味での
『虫払法要』だ。

 本日、日顕と日如は十八時に妙光寺に到着する予定だが、突然の暴風雨に注意したい。

 日顕は十三日にも枕経に訪れているが、自らの手駒としてSG I破壊工作に狂奔した
尾林の凄まじい死相を見て、さぞかし「ギョッ!」としたことだろう。

 尾林の死相は、肉は削げ落ち、ガリガリに痩せこけ、頬骨と目の周りの骨が浮き出て
骸骨そのもの。下顎は引っ込み上顎が突き出し、口は全開。目の周りは黒ずみ、生前
つぶらな瞳だった尾林の目は驚くほど大きく見開き、目玉は上を向いていた。まるで、
奈落の底に堕ちていく人が上に向かって助けを求めているような形相だ。これを堕地獄
の相と言わずして何と言おうか。

 平成三年、妙光寺庫裏の応接間で、学会青年部員と尾林が約二時間会話した内容の
記録がある。

 青年「SGI破壊工作を企んでいるのか」

 尾林「SGIを壊すようなことはしない。檀徒も作らない」

 (応接間の電話が鳴り尾林が応対。海外での脱会者の対応を指示)

 青年「やっているではないか!」(声に驚いた女房と息子が駆けつける)

 尾林「いや、これは違う」

 青年「今後、SGIの破壊を画策するようなことがあれば、尾林さん、あなた自身が
必ず無間地獄に堕ちる。奇病になって苦しみぬいて死ぬことになる、いいですね!住職
だけではない、このご家族も同様です!」

 尾林「もしやればね、分かりました」

 平成十三年、息子・信正は奇病で死亡。そして尾林は、平成十七年から奇病に苦しみ、
仏罰の無惨な姿を晒して死亡した。

 仏法の厳しい因果からは、誰人も逃れることは出来ない。大村、尾林の死は、日顕宗
の悪侶共に鉄槌が下る瑞相と知れ!

 十六日、仮通夜に坊主が五十人程来ていたが、法類代表の藤原広行はなぜか
大はしゃぎ。妙光寺信徒とも談笑し、自分こそが次期住職と言わんばかりの振る舞い
だった。

 また、坊主らの会話は、「七月二六日の大結集は、新型インフルエンザの影響で中止
が確定した」との話でもちきりに。日本での感染が確認された以上、当然のことだ。

 大結集の中止で、日顕、日如の求心力は急落し、宗門は一気に衰退するだろう。
 日顕には仏法の厳しき裁きがあるのみだ!

124検証会議:2009/05/19(火) 02:38:40
 フェイク 第1029号

 (発行=09.05.17)

 日如・日顕のお経は供養にならず
 邪宗の能化・大村と尾林は堕地獄の悪相
 「死相に背筋がゾッとした」と語る関係者

 大石寺では十七日(日)、朝から雨が降るなか登山してきた法華講員は皆、濡れて
寒そうにしていた。午後からは突風が吹き、濃霧が発生して視界が悪くなり、車は
ヘッドライトを点けて走行していた。

 そんな中、早瀬日如は御開扉の後、東京へ向かい、夜は尾林日至の通夜の会場の
品川・妙光寺に現れた。

 大講頭の河原昭太郎が死んだ先月、約四十年間も奉仕させておきながら、その通夜、
告別式には姿を見せなかった薄情な日顕が坊主仲間の葬儀には宝浄寺にも、妙光寺にも
顔を出す。この日の異様な強風と雨は日顕のせいだと言う人もいる。

 導師の日如は疲れきった表情をしていたが、表情といえば、法華講員によると、去る
十一日に死んだ大村日統、この日に通夜の尾林の二人とも目を剥き、大口を開けるなど
死相が余りにも酷く「棺を見て背筋がゾッとした」と語っていた。

 人の死相について、とやかく書きたくはないので詳しい描写はしないが、周りの者も
たじろぐ程で、関係者が「こりゃ酷い。(他の人には)見せられないな」と小声で
囁きあっていた。

 そういえば、昨年二月に死んだ平安寺の椎名日澄も堕獄の相だった。

 大村は今年三月頃から黄疸の症状が出ていたので黒い筈の死体は真っ黄色に変色して
いたが、椎名も尾林も骸骨が黒い皮を着たようだったということである。

 日蓮大聖人は「報恩抄」に「『今畏の遺形を観るに漸く加(ますます)縮小し黒皮隠隠
として骨其露(あらわ)なり』等云云、彼の弟子等は死後に地獄の相の顕われたるを
しらずして……人死して後・色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀の金言ぞかし」と
記されている(御書三一六ページ)。

 これは善無畏の弟子達の無知を指摘されている文で、善無畏三蔵の遺体を見ると、
次第に体が小さくなって、黒皮に覆われて骨が露われていると書いているが、それは
死後に無間地獄に堕ちた業相である旨、教えられているのである。

 大村、尾林、そして椎名も善無畏三蔵と同じような堕地獄の姿であった。

 日顕宗の坊主は「僧侶の導師でないと成仏しない」「友人葬、家族葬では
成仏しない」「僧侶が引導を渡す必要がある」等と言うが、その引導を渡す僧、しかも
能化が堕地獄の悪相で死んだのだから話にならない。

 「坊主は自分自身の成仏を考えよ」

 戸田第二代会長の「寸鉄」に鋭い指摘がある。

 「一、坊主の仕事は衆生を成仏させる事だが、自分が成仏出来るかどうか考えた事が
あるのか。

 一、死人への供養のためとすれば、ちっとも供養にならないと云う事を知っている
のか、喰って寝て豚同様の動物と云う事を自覚せよ」(昭和二十八年一月十日付)

 寺族同心会からは五百万円、日顕と日如は百万円の香典を包んだそうだが、
「倍返し」の習慣で遺族は日顕に二百万円、日如には三百万円を供養したようだ。

 それだけの多額の供養を懐に入れた法主と称する日如が導師を勤めて引導を渡し、
隠居した前法主の日顕が同座しても、大村と尾林の堕地獄の悪相はそのまま、変化は
見られなかった。

125検証会議:2009/05/20(水) 11:46:55
 フェイク 第1030号

 (発行=09.05.19)

 やはり早瀬道寧が栄転、応顕寺へ
 大村・尾林の後任、日顕に配慮した日如人事
 妙光寺に土居崎慈成、宝浄寺は舟橋義秀

 大村日統と尾林日至の二人の能化の相次ぐ死去に伴い、日顕宗内の関心を集めていた
後任の住職人事が十九日に決まった。

 大田区・宝浄寺の大村の後任に舟橋義秀(六十九歳)、品川区・妙光寺の尾林の後任に
土居崎慈成(七十二歳)、この土居崎の後任の鎌倉・土居崎慈成護国寺住職に榎木境道
(五十七歳)、そして舟橋の後任の応顕寺には早瀬日如の長男・道寧(四十六歳)が決定
した。

 今回の人事は日如が主導権を発揮したようにみえるが、実際は日顕にも十分、配慮
したものである。

 ただ、本紙第一〇二八号舟橋義秀で予想した阿部信彰、秋元広学の人事案は難航し、
二人は涙を呑んだ形になった。特に、秋元は大村の訃報が伝えられている最中、早々と
宝浄寺入りを期待して、ソワソワと落ち着かない素振りを見せていたが、束の間の
ヌカ喜びに終わった。

 また、信彰は暴力事件を起こして刑事告訴されたことが響いて栄転が見送られた
ようだ。小心者の日如は波紋が広がるのを恐れて、大々的な人事が出来なかったの
だろう。

 妙光寺に移ることになった土居崎は、同寺の第六代住職をしていた故・柿沼広澄
(日明)の弟子である。その意味では妙光寺系列の坊主の中では穏当な人事とみられては
いるが、細井珪道(常在寺)を煙たく思っている日顕の後押しで、細井を押し退けて
宗会議長にしてもらった土居崎。この度の異動も、日如が日顕に配慮した人事だと
いえる。

 億単位の個人資産を所有していた大村の後任として宝浄寺に入る舟橋は、
昭和二十三年八月に得度。日如の父親・日慈の弟子で日如とは兄弟弟子の間柄で
あり、早瀬系の中心的な坊主。この舟橋が住職をしていた横浜の応顕寺は、日慈が
昭和五十八年十二月に神奈川教会を再興して応顕寺と寺号公称したものである。

 故・大村は法道院系で姉は吉田日勇の女房、日勇は日慈の盟友であった。その意味で
早瀬系が宝浄寺を死守した格好になった。

 榎木は同三十八年に得度。日達師の弟子で衛三坊、仏法寺を経て倉敷の宝清寺に
いた。以前、日顕に法教院について質問し「お前は花野と同じか」と嫌われていたが、
日如に救われた。

 特筆すべきは道寧(写真)の栄転だ。日如は長男を新潟の聞正寺から大都市・横浜に
異動させた親バカ人事で長年の願いが叶い、さぞ満足だろう。

 それにしても、死後一週間も経たないうちに、もう引越しの準備をしなくては
ならない遺族は、夫や父親の死を悲しむ暇もない。

 せめて、二七日、三七日が過ぎてから、とも思うが、それも日顕宗が血も涙もない
冷酷無比な体質だから仕方がないのか――。

 http://userimg3.teacup.com/userimg/8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000708.jpg

126検証会議:2009/05/23(土) 12:20:28
 フェイク 第1031号

 (発行=09.05.21)

 登山を拒否する法華講員が増加
 寂しい各種法要、妙観講総会も目標の八割
 客殿での唱題行は常にガラ空きの「空念仏」!

 功徳も歓喜もない日顕宗の五十万登山に参加する法華講員が減ってきている。
「たとえ坊主と喧嘩になっても登山しない」「昨年のプレ大会は、参加者が足りない
から、と頼まれて長時間、バスに乗って行ったが、疲れただけだった。お金と時間を
かけて行くところじゃなかった。今年は登山に誘われているが、もう絶対に行かない」

 これらの人達は登山・供養・結集・倍増だと煽られているのは、坊主に騙され、利用
されているだけだと、やっと気付いたのである。「今年になって既に十回、家族三人で
三十回も登山したが、もう懲りた」と言う講員もおり、登山を拒否するようになって
いる。

 先月の妙観講総会も大草らが無理な結集を煽っていたが、結集は目標の約八割に
過ぎなかった。

 今月一日の南條時光の祥月命日に行われた「大行会」の参加者も塔中の坊主、及び
渡辺定元、土橋昌訓ら大石寺総代のほか、法華講など僅かで、昭和初期の山寺に逆戻り
した感じの法要だった。この凋落ぶりを大行尊霊も嘆いているだろう。

 日達法主が「池田先生は大篤信の偉人」

 大行尊霊といえば、日蓮正宗の最後の法主・細井日達師の言葉を思い起こす。

 同法主は昭和四十九年三月、妙蓮寺で南条時光を「大篤信の賢人」と称え、当時の
法華講総講頭・池田会長(現名誉会長)を「大篤信の偉人」と次のように称賛していた。

 「大行尊霊去りて六百四十二年 昭和四十九年今また大行尊霊に継ぐ大篤信の偉人
ありそれ法華講総講頭池田大作なり 今や此の人により宗門は総本山を初め各本山及び
末寺に到るまで廃れたるを起し 新寺を建立し信徒は日々に増大し一躍大宗門の名に
より世界に周知せらるるに至る」

 名誉会長の功績は本山用地百万坪以上の寄進、末寺約三百五十ヶ寺の建立に
とどまらず、全世界への妙法流布の軌跡は仏法史上、未曾有の大偉業と言ってよい。

 大石寺での七日の日興上人、十三日の大聖人御報恩御講の参加者も地元の法華講が
百人そこそこだった。

 更に「七百五十億遍唱題行」は毎日、客殿で行ってはいるが、場内はガラ空き状態
で、しかも、塔中坊は唱題行をやっている気配がない。これでは七百五十億遍の
十分の一にも満たない。実行の伴わない口先だけの宣伝の「空念仏」である。

 特に、日顕は昔から唱題嫌いだが、今も蓮葉庵に泊まっていても唱題行には
出てこない。十六日付「慧妙」が「唱題行に功徳がない」と学会が批判している旨、
書いていたが、この「慧妙」の記事は、いつもの歪曲で、「宗門は功徳のあるような
唱題行を実践していない」と指摘するものである。

 末寺の坊主も能天気だ。大阪市・妙輪寺の坂田正法は「二時間の唱題行でございます
が、家庭には色々な事情があります。一時間なら何とかできる人もいる。その人が茶碗
を洗いながら、大根を切りながら題目を唱えることが大切です」「私も若い頃に二時間
の唱題行をやったこともあるが、そりゃ、もう大変です」

 今では坂田のように全然、ヤル気のない坊主が多いのが実情なのである。

127検証会議:2009/05/23(土) 22:40:39
 石山だより

 平成二十一年五月二十二日

 一、昭和三十二年八月三十日に日蓮宗から帰一した日向本山・定善寺の住職であった
小原日悦師が次のように述懐したことがある。「帰一する前は、檀家だけが集まって
きたが、勤行できる者が全くいなかった。ところが、学会員が寺に来るようになって
から、私の読経に続いて私の声に和するではないか。

 私にとって驚きであり、感動であった。学会員は皆、勤行がうまい。帰一できたのも
全て学会のお陰です。本山が発展したのも、末寺が興隆したのも、池田会長、学会の
お陰なんです」そして「本山が疲弊した時も戸田会長が登山会を提唱してくれた。末寺
が困っていた時、池田会長が御講を提案してくれた。だれが、宗門の将来を考えて
くれたのか。戸田会長・池田会長以外誰もいないじゃないか」と。小原師の率直な心情
が滲み出ている。宗門の緇素一同、耳を傾けるべきだ。

 それを、貧乏をしている時は頭を下げて、金が貯まってきたら横柄傲慢になり、広布
の努力もせず、汗も流さず、号令ばかりで、自分たちがやってきたことを反省も
しないで、難癖を付けて謗法呼ばわりする。宗門の歴史の中で大石寺が、どれだけの
謗法をしてきたのか、みんな知っている。

 一、大村日統と尾林日至の葬儀の模様が伝えられたが、大村の死相は黄疸のためとは
いえペンキを塗ったように真っ黄色。尾林は、目が落ちくぼみ誰にも見せられない
ひなびた骸骨状態。身内親族だけのお別れだった。二人とも、自称法主日顕の言いなり
になり、学会批判を口汚くやってきた。大聖人曰く「此の十四誹謗は在家出家に亘る
べし恐る可し恐る可し」(松野殿御返事)と。御文の如く仏罰の現証は厳然である。

 一、今回の宗門事件は、学会を破壊しようと最初から日顕が仕組んだことである。
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御義口伝)の御金言
のご精神が少しでも解れば、正本堂・大客殿を破壊したり、一千万信徒を破門する
なんて出来る筈はない。あまりにも修行を怠り、遊びほうけた天魔だからこそ、無慈悲
な行為を平気でしたのだ。日顕の終焉の相がいかなるものか全世界が注目している。

 (有史以来の大謗法の親分・日顕の終わりが近いと直感する元奥番鼠)

128検証会議:2009/05/24(日) 04:59:50
 フェイク 第1032号

 (発行=09.05.22)

 「水と乾パン持参で登山せよ」と
 大石寺での真夏の大結集は「決死の覚悟」で
 仮眠場所もなく駐車場での休憩で熱射病に

 大石寺で七月の炎天下に開催する七万五千人大結集総会について「大白法」
五月十六日付に、その概要を掲載し、宗門は参加者に「持ち物リスト」を配布した。
それらを見ると、参加者は決死の覚悟が必要になる。

 まず、今月十日の京都・平安寺の御講で高野法雄は「大結集総会は、もう目前に
迫っています。だが、決して楽な登山ではありません」「腹を決めて参加するように」
と厳命。また、運営の副主任になったT氏に辞令を渡しながら「これからは子供や
奥さんには構わないで任務に頑張ってください」と申し渡していた。

 そのあと、高野は本山に仮眠場所もなく、バスの中でも休憩はできない旨、
次のような説明をしていた。

 「六万登山の時はバスの中でクーラーをつけて休憩できたが、今回はバスが
止まったらクーラーも止めなければならないから休憩もできません。仮眠場所もない。
駐車場にテントを張るなど対策を練っていますが、寝具を敷く場所はない」

 桜を伐採して乱造した駐車場(本紙九七一号など参照)が休憩所とは熱射病になる人が
続出するだろう。死に物狂いの大結集になる。

 虫除けスプレー、日焼け止め、絆創膏、薬も

 宗門が配布した「持ち物リスト」を見て「これじゃ、まるで昔の歩兵のようだ」と
苦笑する人もいる。荷物を入れるバッグの大きさも決められて、四十五センチ×
三十五センチ以内。大き目のバッグは厳禁で、リュックサック(背負袋)が良い、
としている。その背負袋に入れて持参する物としては食料と水のほか、
虫除けスプレー、日焼け止め、絆創膏、服用中の薬、雨具等とされている。

 それも富士宮市内の道路が混雑するから水(ペットボトル)も食べ物も大石寺周辺
では買わずに出発時に用意せよ、とのことである。

 食料は少なくとも二食分の用意が必要だが、季節柄、傷みやすいので日持ちの良い
乾パン等を勧めている。

 戦時中じゃあるまいし、今は自衛隊でも乾パンを余り食べないそうだ。

 坊主は、ご馳走を食べて、冷房の効いた部屋で休む。片や、信徒は水と乾パンで仮眠
もできず、休憩もできないとは差別も甚だしい。

 雨具も「総本山の傘は足らない。各自で持参」となっている。この雨具について、
本山の関係者が「前は『雨日顕』と言われて雨が降ることが多かったが、日如さん
だから多分、降らないと思う」と説明、雨天の場合の対応策は何もない。こんな予感が
大結集総会の運営準備の基準になるとは、無責任で能天気なものだ。

 一方、大石寺では七万五千人の受け入れ準備として、大書院の濡れ縁の水洗いと
ワックス掛け、三門周辺の石畳のメジの修理を行なっているそうだ。

 まさか、登山者を大書院の濡れ縁や石畳で休憩させるつもりではあるまい。
こんな場所の掃除、修理より優先すべきは登山者の仮眠場所、休憩所、待機場所などを
準備することである。

 いずれにしても、法華講に登山せよ、と命令するだけで、その安全や健康のことなど
は何一つ考えていない。体調を崩して倒れたり、死にたくなかったら、大石寺へ
登山しないに限る。

129検証会議:2009/05/28(木) 20:51:57
 越 洋

 平成21年5月25日

 「立正安国論」に云く「旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・
飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩
既に大半に超え悲まざるの族敢て一人も無し」と。新型インフルエンザの世界的な蔓延
といい、100年に一度と言われる世界的不況。そして国連の高官は「2009年には
飢餓人口は10億人を突破するだろう」と語っている。こうした現状のなか世界では毎日
3万人の子供達が餓死しているといわれている。

 今まさに日本も世界も750年前の様相を呈している。

 750年前、大聖人は一切衆生を救わんと身命を賭して国家諫暁を行った。その時、
建長寺道隆・極楽寺良観ら鎌倉仏教界を代表する「邪法の僧」たちは、豪華な袈裟衣を
身にまとい、大きな伽藍に住み、民衆を救う気持ちもなく遊興に耽っていた。そして
国家権力と結びついて、大聖人と弟子を抹殺しようとしたのである。

 日寛上人は「立正安国論」の文段で「蓮祖上人は只これ東西馳走して諸宗を折伏し、
未だ塔寺に安住せず」(日寛上人文段集)。大聖人は、席の温まる暇もなく諸宗を折伏
されていたのであると述べられている。

 750年後、日顕は二百万円以上の特注の袈裟衣を身にまとい、東京の渋谷区松涛、
世田谷区等々力の大豪邸に住み、衣食住にわたって贅沢の限りを尽くしてきた。その姿
は「邪法の僧」そのものである。「立正安国論」750年の今こそ平成の妖怪僧日顕。この
"一凶を止める"時である。

 質素な暮らしが偲ばれる大聖人の狭い草庵跡と日顕が建てた松濤と世田谷の豪邸
出張所

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130検証会議:2009/05/28(木) 20:52:24
 越 洋

 平成21年5月29日

 "世界の空気が読めない"指導者に従っている組織や団体が今、正に没落の一途を
辿っている。環境問題にも無頓着・無関心、反社会的宗団「日蓮正宗大石寺」こそ最も
象徴的な団体である。その元凶は天魔日顕である。

 平成5年に総坊前の約280本の桜を切ったのを皮切りに、なんと切った桜は数万本。
同じく杉の木は数え切れない。その空き地に車が停まりもしない駐車場を何ヶ所も
作った。駐車場が利用されるのは、せいぜい年数回。アスファルトで空き地を覆った
ため、生態系が変化して、生物の成育に多大な影響を与えることは間違いない。
自然環境を無視した木の伐採は、必ずや将来、大きな障害となり大石寺に災厄を
もたらすだろう。

 "地球温暖化は従来の予測をはるかに超えるペースで進んでいる"という衝撃的な
研究成果が今年2月14日、米イリノイ州シカゴで開かれた米国科学振興協会の
シンポジウムで発表された。今や世界は地球温暖化が加速し、環境問題に各国は敏感に
対応し始めている。今年、国連環境計画(UNEP、本部ナイロビ)は世界規模で
1年間に10億本の苗木を植える「10億本植樹キャンペーン」を推進している。この
運動はノーベル平和賞受賞者であるワンガリ・マアタイ女史などと連携して、各国で
多くの子供たちが積極的に参加をするなど世界的規模で確実に広がっている。

 平成5年3月24日、初代環境庁長官の大石武一氏が地元の環境保護団体の要請に
応じて大石寺の桜伐採現場を視察。その時大石氏は「宗教は生命を大事にするものじゃ
ないのか」と何度も何度も「かわいそうに」「もったいない」と怒りを露わにして
いた。アフリカの大地に3000万本の苗木を植樹したワンガリ・マアタイさんも
大石寺森林伐採を目の当たりにしたら必ず"MOTTAINAI"と言うだろう。マアタイさんが
提唱する『もったいない』の考え方は「そのものの価値が生かされず、無駄になるのが
惜しいという自然への畏敬の念」が込められている。自然への感謝の心を忘れた日顕を
はじめ宗門は世界から環境破壊の張本人との烙印を押されることは間違いない。

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131検証会議:2009/05/29(金) 00:38:39
 フェイク 第1033号

 (発行=09.05.27)

 日顕の悩乱で頻発する大災害
 新型インフルに関する「慧妙」の愚論を破す
 六千五百人の人命を守った池田会長の即断

 盲信者の妙観講が作っている「慧妙」五月十六日付一面に、またも愚劣な記事を
載せている。現在の新型インフルエンザの発生は、学会の「悪法」によるという愚にも
つかぬ言い掛かりである。仏意仏勅の団体が流布している法を非難するのは、
日蓮大聖人の妙法を貶すのと同じ大謗法である。

 仏法に無知な「慧妙」の脱線記事は今に始まったことではない。平成十三年九月の
ニューヨークの同時多発テロを謗法による罰だとの暴論を載せ、現地のマスコミや
各方面から激しく糾弾されたのは記憶に新しい。

 「慧妙」に限らず、宗門の錯乱を端的に物語る事例が近年の地震、津波、テロ、事件・
事故から不況に至るまで全て日顕に対する誹謗が原因であるとの変な現証論を
振りかざすことである。

 例えば、日顕宗は平成二年の雲仙・普賢岳の噴火、同五年の奥尻島の津波、同七年の
阪神大震災なども全て学会の謗法によるという根も葉もない的外れの非難をしていた。
また、中越や九州の大地震、JR福知山線の列車事故までも学会のせいだと暴言を
吐いた坊主もいた。このように何事も感情的に学会の悪口を言うのが日顕宗だが、実は
日顕の悩乱こそが大災害、疫病等の根本原因である。

 その実例の一つが、平成十六年十二月のスマトラ沖大地震である。

 地震発生は日顕が「インドネシアへ行きたい」と言い出した直後のことだった。
巨大地震と大津波による被害はインドネシアをはじめマレーシア、タイ、ミャンマー、
インド、スリランカなど広範囲に及び、死傷者は実に三十五万人以上にものぼった。

 日顕は翌年早々、インドネシアへ見舞いではなく供養集めに行ったが、帰国後、
体調を崩して約一ヶ月間、表に出られなかった。これが罰の現証なのである。

 日顕は大惨事の度に笑みを浮かべながら「法華講は一人も死んじゃいない」と言う。
だが、もともと信徒のいない地域だから犠牲者もいないのが当然である。

 災害の度に正義の団体を非難する宗門だが、被災者を救う行為は何もしない。

 学会は被災者を救い、
 閉め出す日顕宗の寺

 昭和四十六年八月、富士山麓の朝霧高原で実施中のボーイスカウトの大野営大会
(世界ジャンボリー)が台風の暴風圏に巻き込まれたことがある。この時、大石寺への
避難要請を宗門は「寺が汚れる」と嫌ったが、池田会長(当時)が緊急事態を知って
「受け入れるのが、人間として当然だ」と即決。学会の夏期講習会の行事を変更し、
大講堂や大化城なども空けて収容を決めた。

 会長自らタオルを買い集め、毛布やパンなどの救援物資を用意し、かがり火を焚いて
約六千五百人のボーイスカウト大会の参加者を迎え入れた。温かいシャワーを使える
ようにしたのも池田会長の配慮であった。

 会長は全身、雨に濡れながらも、ボーイスカウトのメンバー全員が寝たのを見届けて
雪山坊に戻ったのは深夜の零時近くだった。

 現在も宗門の寺は地震などの際、被災者を閉め出すのが常だ。一方、学会は災害等の
度に救援対策本部を設置して、救助に全力を尽くしているのである。

132検証会議:2009/06/02(火) 00:21:13
 新改革通信 第101号

 平成二十一年五月二十七日発行 発行元:日蓮正宗改革同盟

 “死ぬに死ねない”日顕の事情(四)。

 日如の真の狙いは“法道院の奪還”。生き残りをかけた派閥の争いが静かに始まって
いる。

 大村と尾林が亡くなり、宝浄寺と妙光寺に誰が入り、どのように人事が動くのか、
様々な憶測が宗内に飛び交った。

 誰かが死ぬということは、住職のポストが空くという意味であるから、いつも本山の
無任所教師たちがソワソワする。

 しかし、今回は、東京の一等地にあり、元役僧の寺のポストが空くということで、
中堅の住職たちが色めき立った。

 宗門では、東京の寺院に入ることが、住職としての出世コースである。日本の中心で
あり、何よりも金がある寺院が多いからだ。現に、宝浄寺も妙光寺も億単位の預金が
あるといわれている。

 また、今回の人事の結果で、日顕と日如の力関係がわかるという意味でも注目を
浴びた。そしてフタを開けて分かったことは、明らかに日如の色が濃い人事であると
いうことだ。これは同時に日顕の影響力が弱くなっていることを意味する。

 日如が今回の人事で、真っ先に考えたのが長男の早瀬道寧のことであろう。道寧が
入る応顕寺の一番のメリットは収入が安定していることである。応顕寺の檀徒はその
ほとんどが法道院の神奈川方面の檀徒を譲ったものである。だから、新潟と違って収入
が安定している。

 日如からすると、たとえ出来は悪くても、唯一の跡取りであるから、日顕にならって
東京近郊で、なおかつ経済的に楽な寺に入れたかったに違いない。すでに娘(國島道保
の女房)は府中にいるから、これで家族は安泰である。

 おそらく舟橋義秀は七十近いから、今さら動きたいとは思っていなかったかも
しれない。裕福な宝浄寺だから、と言って説得したに違いない。また、宝浄寺を
法器会以外の者に渡したくないという思惑もあったであろう。

 日如は早瀬家の長男として、法器会存続の責任がある。土居崎は高齢だから長くは
ない。その後に法道院系を入れるかもしれない。宗門が駄目になっても、法器会だけは
生き残れる体制を作るのが日如の野望である。

 しかし、日如の真の狙いは、「法道院」の奪還である。八木の後にどうやって法器会
の者を入れるか、日如は思惑をめぐらしているであろう。このままでは、法器会に宗門
を牛耳られる。信彰の出番がなくなる。――日顕が一番恐れていることだ。だから、
日顕は死ぬに死ねない。

 (編集部)

133検証会議:2009/06/02(火) 08:52:15
 大石寺短信 第463号 平成21年5月28日(木)

 日顕宗の動き

 1.どさくさ紛れの“息子優遇”にくすぶる不満

 大村日統(東京・宝浄寺)、尾林日至(東京・妙光寺)の死亡に伴い、人事が
行われた。大村の後の宝浄寺住職に神奈川・応顕寺の舟橋義秀(69)が、尾林の後の
妙光寺住職には宗会議長で神奈川・護国寺の土居崎慈成(72)が就くことになった。
これに伴い応顕寺には新潟・聞正寺の早瀬道寧(46)が、護国寺には岡山・宝清寺の
榎木境道(57)が入り、聞正寺には兵庫・浄福寺在勤の大塚正範(36)が、宝清寺には
本山・大坊在勤の米丸良慧(31)が入る。また、大村の後任として、富士学林長には
重役で東京・常泉寺の藤本日潤(79)、布教師会会長に京都・平安寺の高野法雄
(71)、監正員に本山・大坊の高木伝道(69)が就いた。

 注目は、この大型人事のどさくさに紛れた“ファミリー優遇”。参詣者数十人の
新潟・聞正寺から、300人近くが供養を運んでくる、神奈川県ではトップクラスの
応顕寺に栄転となった「早瀬道寧」とは、日如の長男である。

 道寧が住職を務めてきた聞正寺では昨年も折伏目標が達成されなかった。日如ら
執行部は日ごろから末寺に対し、折伏や結集を煽っては「結果が出なければクビだ」
などと脅しておきながら、一方ではこうした掟破りの身内優遇人事をやってのける。
結果を出している坊主たちはどのように思っているのか。「なぜ道寧が栄転なんだ」
「栄転どころか、結果が出せないドラ息子を真っ先にクビにしろ」といった怒りの声が
噴き出しても仕方あるまい。

 日如にしてみれば、わざわざベテランを差し置いて道寧より一回りも若い大塚や米丸
を同時に登用し、息子の優遇人事をカムフラージュしたつもりだろうが、そんな
子ども騙しの手法で宗内の目をごまかせると思ったら大間違いだ。

 学会と別れて以降、信者は増えず、寺も増えず、衰亡の一途をたどる日顕宗。
援助寺院の住職やあふれかえる無任所教師たちは、「俺たちに夜明けはない」と
投げやりな気分になっているが、このような露骨な不公平人事を見せつけられたなら、
ますますやる気を無くすだろう。

 2.法華講・柳沢の噴飯ものの与太話

 「大白法」5月1日号が、またまた法華講委員長・柳沢の与太話を載せている。柳沢は
7月の7万5千総会について、各末寺に結集責任者を置くこととし、人選にあたっては"
正直な人で"と注文をつけている。わざわざ“正直な人で”と言わなければならないと
いうことは、裏を返せば法華講員に「正直な人」が少ないということ。実際に、各地で
折伏や結集の成果の「ごまかし」が平然と行われているのだ。

 仕方があるまい。日顕宗はまさに「ウソ」から始まった教団だからだ。30年前、
日顕は、「実は相承を受けていた」とウソの自己申告で猊座を盗み取った。以降、
表では学会を賛嘆しておきながら、裏に回れば誹謗中傷。さらに広布破壊の「C作戦」
を企てておきながら、「C作戦など、考えたことも、実行したこともない」ととぼけて
いた。このようにトップが大ウソつきなのだから、信者は「正直」を強いられる筋合い
ではない。

 そして、この柳沢も日顕同様、大ウソつきである。柳沢は話の中で「7万5千総会」の
登山計画について触れ、「何も心配はありません」と言っているが、何をかいわんや。
開催2カ月前の今になって問題が次々と噴き出しているではないか。バス輸送計画も、
食事や宿泊の態勢も、すべてボロボロ。警察からは厳しい指導が入り、坊主の間から
は「死人が出るかもしれない」との声が出る始末だ。

 日顕宗は、「正直」とはおよそ正反対の、ウソで塗り固められた教団である。

 3.6月の予定

    7日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
   14日(日) 御講(末寺)

134検証会議:2009/06/02(火) 16:47:24
 同盟通信 No.135(2009.5.29)

 =里内信徳師、損斥処分に。刑事告訴された庶務部長はどうなるか。=

 ついに里内信徳師が擯斥処分に付された。4月の住職罷免からわずか1か月、素速い
処分である。庶務部長の「謹慎10日」の処分との落差は対称的である。

 里内師の擦斥処分を急がせた背景には何があったのか。ここに注目すべき文書が
ある。それは網走・得成寺の総代・講頭名で全国の末寺住職および法華講役員あてに
送られたものである。そこには、今回の経緯が時系列に記され、宗務当局の理不尽な
措置が縷々暴かれている。そのなかで2月23日、宗門側弁護士から得成寺財政について
話し合いたいとの打診が里内師にあり、3月10日、里内師が東京に出向いた際の宗門側
弁護士とのやりとりが記されている。「当日、居るべきはずの宗務役僧はおらず、
宗門側弁護士より言われたのは、刑事告訴を示談にしなければ財政の話などないと
いうことです。つまりは示談交渉が主たる目的だったのです」との下りがある。

 この一文は極めて重要である。「つまり示談交渉が主たる目的」とあるように、
隠尊周辺は寺の会計に事寄せて里内師を脅す一方で、庶務部長に対する告訴取り下げを
狙っていたことを表明するものだからだ。

 実は宗門首脳は庶務部長の傷害事件の雲行きが悪いことをよく承知している。
庶務部長は富士宮署で事情聴取された際、庶務部長の傲岸不遜な態度に刑事が怒りを
露わにする場面があったり、検察も“悪質”と見ていることが隠尊周辺を不安がらせて
おり、その焦りが里内師に刑事告訴の取り下げを迫らせたのだ。

 もとより里内師は擯斥処分は覚悟の上。宗務当局の不公正さを指弾し、宗祖の心に
かなった宗門の立て直しに微力を捧げたいとの思いのようだ。

 検察から“悪質”と見られた庶務部長の犯罪、いかなる結末になるか。目が離せない。

135検証会議:2009/06/02(火) 16:47:46
 フェイク 第1034号

 2009年(平成21年)6月1日(月)

 驚愕!日顕は「題目否定論者」
 宗門「百日唱題行」の参加者は目標の約一割
 「唱題は罪障を積み、弊害あり、仏界は得られぬ」

 早瀬日如の命令で唱題行がスタートして二ヶ月になるが、全体的に沈滞している。
唱題行を実行していても、全講員が集っている末寺は殆どない。大石寺でも一応、
午前と午後に各一時間、唱題はしているものの、参加者は少なく、せいぜい百人ほどに
過ぎない。

 法華講の機関紙「大白法」五月十六日付は、いかにも唱題行を全末寺が活発に持続
しているような記事を掲載しているが、これは全くの欺瞞である。

 唱題行の期間は四月一日から七月九日までの百日間。目的は七月に七万五千人を強引
に集めるためだという。

 宗門は「日本国内の法華講員約十五万人が一人一日五千遍(二時間)の唱題を百日間
続け、計七百五十億遍の唱題になる」というが、これは単なる夢物語である。

 まず「講員約十五万人」というのが真っ赤なウソ。実際は八万人にも満たない。

 そのうち、日頃から唱題している講員は僅か一握り。講頭クラスでも勤行できない
のがゴロゴロいる。日如の「唱題命令」も馬耳東風で、参加は目標の約一割だ。

 しかし、唱題行に参加していない講員を責めるつもりは毛頭ない。日顕も日如も唱題
が嫌いなのだから、講員に唱題行を強要すること自体が無理なのである。

 大願寺や法道院では勤行をサボってばかりいた日如も「ニセ法主二世」の立場上、
今は渋々、導師を勤めているが、隠居した日顕は蓮葉庵に滞在していても唱題行には
参加していない。

 この日顕は唱題が嫌いというより、「題目否定論者」である。昭和五十九年八月の
行学講習会で自分勝手な修行を止めよ、と述べて「お題目を唱えることによって、
むしろ罪障を積んでいる」「(三十分位の唱題は構わないが)それ以上は多すぎること
になっても、かえって弊害があります」

 更に、平成十六年の夏期講習会では「題目を唱えたからといって、直ちに九識の境涯
を得ることができたなどということは、おそらくないと思います」 これは日蓮大聖人の
仏法を真っ向から否定する大謗法発言である。

 日顕は三大秘法を破壊

 御聖訓には「我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団に
おはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」(日女御前御返事)等と随所に
教えられている。

 真剣に唱題し、我が身の「九識」つまり、仏の生命が湧現するとの仰せである。

 真剣に唱題した経験のない日顕に、その功徳が分からないのも無理はない。

 日顕は大御本尊を鑑定して「偽物」と断定したばかりか、「本門の戒壇」の正本堂を
破壊した。そのうえ、「本門の題目」までも否定する大謗法の坊主である。

 これで日顕は、宗旨の根幹たる「三大秘法」を悉く破壊した訳だが、当の本人に、
その罪の意識もない。

 それは日顕が「御本尊を信じられない」と平山広篤に洩らした
(本紙第六四八号参照)ように、信仰心そのものが欠落しているからである。「今でも
本当に信ずることができない」とも語っていた。

 日顕の題目否定の考えが宗内に蔓延し、今の唱題行の七百五十億遍は絵空事で、その
十分の一以下である。

136検証会議:2009/06/04(木) 15:19:56
 フェイク 第1035号

 (発行=09.06.02)

 法観寺住職、飲酒運転で事故・逮捕
 生臭坊主・山田雄勉の酒色狂いの本性暴く
 兄は容済、兄弟そろって駆け落ちの前歴

 日顕宗の法観寺(熊本県八代市)住職である山田雄勉(六〇歳)が去る五月三十一日
午後、飲酒運転で事故を起こし、熊本県警八代署に道路交通法違反で逮捕された。
 八代警察署、及び地元紙の報道によると、山田は同日午後十時二十分頃、寺の近くの
市道で酒を飲んで乗用車を運転して、緩やかなS字カーブの所で道路左側の電柱に激突
した。

 また、その反動で横向きの状態になって道路をふさぎ、対向の軽乗用車とも衝突する
事故を起こしたため、現行犯逮捕されたのである。

 道路交通法では、酒酔い運転と酒気帯び運転の二段階に分けられているが、山田が
緩やかなS字カーブも曲がりきれなかったということは「アルコールの影響により正常
な運転ができないおそれがある状態」に該当する悪質な「酒酔い運転」と思われる。

 免許の取り消しに加えて、どのような刑罰が科せられるか、また、宗務院として、
どんな処分をするのか、今後の成り行きが注目される。

 山田は昭和三十四年十月に得度し、当時は「山田立済」と名乗って、同四十六年には
一等学衆になった。

 だが、神奈川県平塚市の大経寺に在勤していた昭和四十七年当時、夏季休暇中に一人
の女性と深い関係になり、坊主がイヤになって駆け落ちして還俗した。

 ところが厳しい娑婆世界では生きていけず、昭和五十六年には青年得度として、名前
も「山田雄勉」に変えて再び僧籍に復帰した。

 いくら名前を変えても酒色に溺れる生臭坊主の本質は変わらなかった。

 復帰後の岡山在勤当時、既に妻子もありながら複数の女性と次々に淫らな交際を
重ねていた。注意した先輩もいたが、その後も複数の女性との関係はやめられず、前妻
とは離縁し、交際していたうちの一人の女性と再婚した。いかにも好色の日顕の弟子
らしい。

 この雄勉は、金髪女性との逢瀬を目撃されて有名になった山田容済の弟である。

 兄弟とも遊蕩坊主

 兄の容済も駆け落ちの前歴がある。特に、スペイン・妙昌寺の住職だった平成十二年
三月、イタリアを訪れて深夜、金髪女性と密会。その現場写真が公表されて、弁明の
甲斐もなく、住職をクビになり、日本に召還された遊蕩坊主である。

 実に、容済と雄勉は酒色狂いの兄弟なのである。

 雄勉は衛一坊勤務(昭和六十三年八月)、法観院の二代目主管(同年十月)、そして
平成四年の寺号公称に伴って法観寺の住職になった。

 法観院主管としての最初の法務は某信徒の通夜であったが、御本尊を忘れて来ると
いう醜態を晒した。

 遺族や参列者がア然とするなか、機転を利かせた男子部メンバーが急きょ、寺へ
走って御本尊を届けたので、ようやく通夜を行なうことができたが、当初から山田に
対する不信感が信徒の間に渦巻いていた。

 雄勉は「C作戦」が表面化する以前から学会批判を口にしていたが、平成二年八月
二十一日、宗内に綱紀自粛の通達が出る直前、改革同盟の串岡雄敏氏に電話で
「池田名誉会長を切る。宗門はそれで決まった」との陰謀を伝えた。反学会の急先鋒の
坊主の一人である。

137検証会議:2009/06/05(金) 08:24:04
 フェイク 第1036号

 (発行=09.06.04)

 腰が「く」の字の日顕を囲み酒宴
 早瀬日慈の十七回忌法要と日顕の魔の通力
 音響は不備、警告灯が誤作動、ボヤ騒ぎも

 早瀬日慈の十七回忌法要が三日、東京・池袋の法道院で行われた。日慈とは、今の
ニセ法主・日如の父親で法道院の主管であった。

 日顕の先輩格にあたり、日達法主の下で長年にわたってナンバー2として権勢を
誇り、総監、重役を歴任。日達法主の後釜を狙い、自分では登座できると思い込み、
記念品も用意していた。

 ところが、昭和五十四年七月、日達法主の死の直後、日顕が先手を打って「昨年
(昭和五十三年)四月十五日、総本山大奥において、猊下と自分と二人きりの場に
おいて、猊下より自分に対し内々に御相承の儀に関するお言葉があり、甚深の御法門の
御指南を賜った」と自己申告したため、日慈は後継争いに敗れた。

 【日顕への日慈の怒り】

 若い頃から酒豪だと自慢し、御講の後も五分も経たない内にウイスキーの水割りや
ビールを口にすることが多かったが、法主の後継レースに負けたことが余程、
悔しかった様子。その後はヤケ酒を呷るようになり、晩年は酒に飲まれていた。

 日慈を良く知る人の話によると、日顕に対する憎しみも激しいものがあったという。

 平成五年六月二十日、失意のうちに八十三歳で死亡。その訃報を日顕は親教先の金沢
で知ったが、その死を悼むどころか、山中温泉の高級旅館へ行って、坊主仲間と酒宴に
興じた。

 翌日午後一時五十分頃、日顕が法道院に到着。と同時に、法道院上空に黒雲が
わき上がり、アッという間に真昼の東京が真夜中のような暗黒に包まれた(写真)。
日顕に対する日慈の怒りを感じた、と語る人もいる。

 風が強まり、大粒の雨が降り始め、稲妻が走り、雷鳴がとどろき渡った。

 更に、約一センチ大のヒョウまでも落ちて、浸水の被害や死亡事故も起こる異常な
天候だった。

 【法要はトラブル続き】

 日顕が腰を「く」の字に曲げて十七回忌法要に来た。前日までの好天は一転、
池袋周辺には強風が吹き荒れ、日顕、日如が到着した午後二時半頃までは集まってきて
いたカラスの群れも強風に吹き飛ばされ、何処かへ避難したようだった。

 法要といっても、供養集めが目的なのだが、そうとは知らない講員は万単位の供養を
包んで参集。なかでも婦人講員は結婚式の時のような派手さはないものの、着飾って
集っていた。

 宗門行事にトラブルは付き物。この日も音響設備に不備があり、三階の警告灯も
誤作動。役員らが青くなって走り回っていた時、近所でボヤ騒ぎもあり消防車数台が
出動、騒然となった。

 法要の後、日顕と日如らは客殿で酒宴を催して談笑。池袋周辺だけに降り始めた
雨の中、飲酒運転で帰路につく坊主もいた。

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138検証会議:2009/06/08(月) 12:44:46
 勝ち戦 第137号

 2009年 6月 8日(月)

 大結集への申込み者数、大幅不足!
 大宣寺は五百名不足!
 重役・藤本日潤は成果を偽装!

 七月二六日の大結集に白旗を揚げる寺院が、各地で続出している。

 参加申込み締切日の六月七日現在、能化・菅野日龍が住職を務める大宣寺(国分寺市)
では、結集割当六七〇名に対し、申込み者数が約五〇〇名も不足し、講中あげての
「参加拒否」「ボイコット」ではないかと疑われている。

 大阪布教区でも反人道的な無謀な結集に参加を拒否する講員が続出し、散々な
状況だ。

 四月一九日の大阪布教区広布推進会で、本説寺(吹田市)住職・武安力道は、
「七万五千名の割当に関して極めて深刻な状況です。記念局と致しましても、極めて
懸念していると聞き及んでおります」と、大阪だけでなく、全国的な結集不足に記念局
が頭を抱えていることを暴露していた。

 日顕宗・重役の藤本日潤が住職を務める常泉寺(墨田区)でも、割当六二四名に対し
申込者数が三四〇名と、二八四名も不足している状態だ。当然布教区で最下位だ。重役
の寺がこのザマでは、全国の末寺に悪影響を及ぼすことは必至だろう。

 常泉寺は、折伏も極端に低迷し、講中全体が急速に衰退している。折伏は、
目標八〇世帯に対し、四月一五日現在、たったの四世帯だ。達成率は僅か五%と、目も
当てられない低調ぶりだ。当然全国最下位だ(笑)。だが、藤本は姑息にも成果を不正に
水増しして申告している。

 折伏成果は当然のことながら本尊下附の件数だが、藤本はそこに勧戒六と内得五を
加えて成果を偽造し、一五世帯と発表している。こんなインチキ坊主が富士学林長に
なれば、益々日顕宗のインチキ体質が増長するばかりだ。信者の高齢化も進み、
年金暮らしが大半のため、講費の納入率も低下する一方だ。五月十日の支部総会で、
会計担当の稲崎は、「講費の納入がだいぶ少なくなっておりまして、講費の納入を
お忘れの方等がいるのではないか」と、皮肉を交えて講費を要求していた。常泉寺が
急速に衰退しているのは、信者間の怨嫉、いがみ合いが原因で講中が分裂している
からだ。執事長の小林雄勝は、「全国の寺で『うちの住職はしょうがない』
『早く替えてもらいたい』と、宗務院や猊下に訴えたりしています。

 常泉寺講中で如何なる不本意なこと、不愉快なことがあっても『見ず、聞かず、
言わず』でなければ異体同心は築けない。常泉寺は今は良い講中ではありません」と、
講中の乱れた実状を激白していた。だが、『見ざる、聞かざる、言わざる』では、
日光東照宮のサルと一緒ではないか(爆)。それで異体同心とは呆れた話だ。

 大結集は、申込み者数大幅未達!次はキャンセル殺到で大失敗だ!

139検証会議:2009/06/09(火) 01:58:10
 新改革通信 100号

 平成二十一年五月二十三日発行

 日顕をはじめ、「破和合僧」である「C作戦」加担者たちの末路は無間地獄。
 その悪行は永遠に歴史に刻まれる!

 日顕らは「C作戦」という謀略で創価学会の破壊を目論んだ。仏意仏勅の広宣流布の
団体・創価学会を破門することは五逆罪のうちの「破和合僧」の大罪であり、その報い
は無間地獄であると説かれている。

 その謀略に加担したのが、当時の宗門役僧たちである。破和合僧を犯した者の悪名は
永遠に歴史に刻まれ、取り消せないのだ。それこそ、無間地獄の姿とも言える。

 日顕に加担したのは、西片会議や御前会議に出席していた藤本日潤(当時の総監)、
早瀬日如(当時の庶務部長)、八木日照(当時の主任理事)、河辺慈篤、関快道。
そして、その他の役僧の尾林日至(当時の海外部長)、大村日統(当時の教学部長)、
秋元広学(渉外部長)、長倉教明(財務部長)などである。

 このうち、河辺はすでに亡くなっているが、大村が五月十一日、尾林がその二日後の
十三日と、相次いで亡くなった。

 彼らは、破和合僧の大罪を犯した者として、ユダヤ人大虐殺を行ったナチの戦犯と
同じように、亡くなったとしても、その罪は永遠に許されない。

 第一次宗門事件と今回の第二次宗門事件に共通しているのは、信徒を蔑む
"出家の慢心"である。

 宗門僧侶が池田名誉会長と創価学会を批判する正当な理由などない。ただ
「信徒の分際で」という僧俗差別から来たものだ。僧侶なら許されるが、信徒にはその
権限がないというのだ。

 彼らは、「学会も供養を受ける資格がある」、「会館や研修所は現代の寺院」ということ
を問題であるとしたが、僧俗平等の大聖人の仏法から見て、何の問題もない正論である。

 裏を返せば、自分たちが供養を独占したい、供養する信徒を確保したいという卑しさ
と狡さの現れである。

 また、「信心の血脈は創価学会に受け継がれている」ということに関しては、まさに
その通りである。牧口会長、戸田会長が軍部に屈せず、命を賭して信心の血脈を守った
のであり、その信心で宗門は守られたのである。ところが、日顕らは大恩ある創価学会
を破門し、その命脈を自ら絶ってしまった。日顕らは死んだ後も、破和合・忘恩の者と
して、極楽寺・良観らと同じく、天魔の系譜に永久に刻印されることになるのだ。

 (編集部)

140検証会議:2009/06/13(土) 14:22:33
 大石寺短信 第464号 平成21年 6月11日(木)

 日顕宗の動き

 1.阿部信彰に暴行受けた里内が坊主をクビに

 昨年11月、本山に呼びつけられて査問を受ける中、庶務部長・阿部信彰に暴行を
受けた北海道・得成寺の里内信徳が、このほど擯斥処分(僧侶資格の剥奪)になった。
里内はこれに先立ち、4月に得成寺の住職を罷免されていた。「同盟通信」によると、
日顕宗首脳が里内に傷害事件の刑事告訴を取り下げるよう迫ったものの、これに里内が
応じなかったため、今回の処分となった模様だ。

 暴行の加害者である信彰への処分は「停職10日」という軽いもの。しかも停職期間は
ゴールデンウイークの休日にまたがっており、「実質的に『処分無し』と同じ」との
指摘もある。片や、被害者の里内は、いわば「追放」という極めて重い処分だ。

 日顕宗首脳のこうした一方的なやり方に対して、得成寺の総代、講頭を始めとした
信者らは憤慨しており、事の真相を告発する文書を全国の末寺に送付するなど、
抗議行動を激化させている。

 今後、宗内の混乱の新たな火種になるだろう。

 2.日顕宗坊主が飲酒運転で事故

 熊本・法観寺住職、山田雄勉(60)が酒を飲んで車を運転、交通事故を起こして逮捕
された。

 5月31日夜、熊本県八代市の市道で、山田が運転する車が電柱にぶつかった後、
反対車線の軽乗用車と衝突。呼気1リットル当たり0.6ミリグラムのアルコールが検出
された山田は、酒気帯び運転容疑で逮捕された。山田からは、酒気帯び運転基準値の
4倍ものアルコールが検出されたことになる。

 この山田雄勉という坊主。もともと「山田立済」を名乗っていたが、昭和47年
(1972年)に女性と駆け落ちして還俗。その後、同56年(1981年)に復帰して現在の
名前になった。ちなみに山田の兄は、かつて外国人女性との不適切な関係が問題と
なり、スペインの寺の住職をクビになった山田容済(岩手・感恩寺)である。

 飲酒運転が社会問題化するなか、企業や自治体では飲酒運転をして捕まった社員、
職員は懲戒解雇、懲戒免職になり、監督者も責任を問われるのが通例。それに
ならえば、山田の「坊主クビ」は当然のこととして、山田のような不届き者を坊主に
復帰させた日顕、指導・監督を怠った日如も責任を取って然るべきであろう。今後の
成り行きが注目される。

 3.「7万5千」直前に住職入れ替えのドタバタ

 このほど、2件の住職入れ替え人事が発表になった。

 岡山・妙霑寺の長谷川章道(58)と京都・妙清寺の菅原信了(73)が住職を
入れ替わり、同様に徳島・妙眼寺の森永雄隆(50)と三重・蓮昌院の吉松雄英(58)も
交代する。

 長谷川は、寺の法華講の金銭にまつわるトラブルを適切に処理しなかった責任を
問われた模様で、大規模寺院から信者数が半分以下の寺に飛ばされることになった。
 これまで東中国布教区支院長だったこの男は13年前、当時の支院長・秋山義道
(鳥取・専修寺)が「大客殿は壊すべきではなかった」と発言したとして宗務院に
コソコソ密告。その結果、秋山は支院長を更迭され、長谷川がその座を奪った。
 今回の長谷川の左遷人事に周囲は、「今度は信者に自分の失態をチクられて
飛ばされた」「因果応報。いい気味だ」などと囁いているという。一方、森永も寺の
女性法華講員から多額の供養をむしり取ったことが問題となり、現在の寺の1割程度の
規模の寺に行くことになった。

 「ご命題」の7万5千総会まで、ひと月半と迫った時期のドタバタ人事。総会後に
落ち着いてから行えばよいものを、慌てて住職をすげ替えなければならないほど、
事態は切迫していたと言えよう。

 上も「カネ、カネ」、下も「カネ、カネ」の日顕宗坊主がいるところ、いつまで
たっても金にまつわるトラブルが絶えない。

141検証会議:2009/06/13(土) 14:22:58
 フェイク 第1037号

 2009年(平成21年)6月12日(金)

 中国副大支院長・長谷川章道を左遷
 宗内に絶えない金銭トラブルと投書の波紋
 日顕が阿部法胤に億単位の遊興費を無心

 日顕宗の役付き坊主が、またも法華講の投書で左遷された。クビが飛んだのは
中国大布教区の副大支院長、東中国布教区支院長で岡山市・妙霑寺住職の長谷川章道
(五八歳)である。これは金銭トラブルが原因だと言われている。

 実は、平成八年十二月にも突然、中国大布教区と東中国布教区のトップ人事が発表
され、その時に長谷川が抜擢されて、前任の秋山義道が解任された。これは長谷川が
秋山について「大客殿解体に関して猊下を批判した」旨、宗務院に告げ口したためで
あった。

 まるで戦国の世の下克上だが、因果応報!この度、解任された長谷川はセクハラ坊主
で「お金にも汚いが、信心も言動も最低で勤行もしない」との評判である。この長谷川
は京都・妙清寺に移り、代わって妙霑寺に入るのは、これまで妙清寺にいた菅原信了
(七三歳)に決まった。

 つまり、長谷川と菅原が入れ替わる訳だが、本号では岡山の妙霑寺から京都の妙清寺
への異動が、何故、左遷になるのかを説明する。

 妙霑寺は昭和三十一年八月、学会が建立寄進した大規模な寺院で同五十一年十一月に
現在地に移転。信徒数も他の寺に比べると多く、供養も相当額が集まる。

 片や、妙清寺は同五十七年十一月に宗門が建立した安普請の寺。信徒も少なく、供養
も集まらない。この寺にいた菅原は日顕の弟子で、高齢でも隠居せず、裕福な寺に移る
日顕人事である。

 妙清寺に限らず、京都の檀家は一般的に多額の供養をしない、というのが日顕宗内で
定評になっている。

 その点について関係者の一人が「京都の檀家は供養を坊主が遊興費に浪費するのを
知っているため、余り供養しない」と語る。

 というのも、以前、日顕が京都・平安寺にいた頃、供養を湯水の如く浪費して遊蕩に
耽っていた事実を見聞しているためだというのが専らの見方なのである。

 それに対して、妙霑寺の法華講は渋々ではあっても、それなりに供養する。妙霑寺
には「上客」が多いのだ。

 金で決まる宗門人事

 金遣いの荒い日顕は平安寺時代、豪遊の費用を貰うため、神奈川・持経寺にいた
兄弟子の阿部法胤の所へ頻繁に足を運んでいた。事情通によると「億を超える金を無心
した」という。

 また、日顕は「盗座」後も、この兄弟子に貢がせていた。元奥番の僧は
「昭和六十二年、持経寺住職の阿部法胤氏が段ボール箱を持って日顕に目通りに来た。
住職が帰った後、その箱を運んでいたところ、日顕が『一億円だ』と箱の中身を教えて
くれた」と衝撃的な証言をしていた。

 この法胤は既に他界し、息子の義雲は横浜の法運寺にいるが、これが札付きの悪侶。
始末に負えない大酒飲みの乱暴者である。その弟の阿部信光は日顕を罵倒して正信会に
走った。

 こんな義雲の悪行を宗務院に報告しても、お咎めは一切なし。それは父・法胤が日顕
に億単位の金を提供したからだ。

 無謀な総登山と大結集のノルマに苦しんでいる最中、坊主は投書されないように
法華講のご機嫌伺いに神経をすり減らすか、ニセ法主に大金を貢か、どちらかだ。

142検証会議:2009/06/18(木) 00:25:10
 越 洋

 平成21年6月13日

 世界800万人の信徒の赤誠の御供養により建立された正本堂。中に入ると余りの
厳粛さ、荘厳さに命が清められる感を覚えたものだ。無始以来の罪障消滅と
世界広宣流布の祈りを捧げたのは延べ7千万人に及ぶ。

 平成10年4月5日、客殿の落慶法要の際、突然、大御本尊の遷座と正本堂解体の
発表があった。そして6月23日には正本堂の解体を開始した。それから早や11年が
たった。"正本堂破壊"は三大秘法の破壊である。しかし、坊主は誰一人反省を語る者が
いない。日顕の毒気に染まり宗門全体が宗開両祖の御遺戒と先師に背いた罪は、
未来永劫許されざる大罪である。

 宗門は正本堂解体の理由として「総本山における、仏法を歪曲した謗法の遺物を徹底
して駆逐し、もって破邪顕正の洋々たる広布の未来を開くことこそ、最も緊要のこと」
と言う。それを誤魔化すために当初、「耐震性のため」とか「老朽化」「腐触」
「赤さび」「亀裂」等々とウソを並べ立てていたが、本音は学会への憎悪、嫉妬なので
ある。

 「学会寄進の建物が謗法の遺物」ならば、学会が寄進した356カ寺は
どうなるのか?戦後、本山の土地は農地解放で5万坪になっていた。それを127万坪
にまで広げたのは学会だ。学会が御供養した122万坪は謗法の土地になるでは
ないか。それなのに学会寄進の寺から一人として出ていった坊主はいない。また、本山
を明け渡して日顕宗は出て行かなければならないではないか。この矛盾を宗門はどう
説明するのか?未だに宗門はその返答も出来ず、学会寄進の土地や寺に居座り、虚勢を
張っている。

 世界にあまねく知らしめた"正本堂破壊"という「暴挙」。このことは人類史に刻印
され、永久に語り継がれていくことは絶対に間違いない。

 最後に念告する、正本堂・大客殿を破壊し、桜を数万本も伐採し、無数の犬・猫・鳩
を殺戮した日顕が、一千万の信徒を破門した罪は、永遠に堕地獄である。

143検証会議:2009/06/18(木) 00:25:35
 フェイク 第1038号

 (発行=09.06.15)

 迫る大結集、末寺は地獄の苦しみ
 妙輪寺の坊主・講頭の話は酔っ払いの戯言
 「老人、病人も駆り出せ」、犬猫を預けるのが仏智?

 日顕宗では記念局委員会を六月九日、宗務院会議室で開き、無謀な大結集総会の
推進状況を確認し合った。席上、「胸突き八丁」の意味も知らなかったニセ法主の
早瀬日如が、辞書で調べて、こんな話をしていた。

 「辞書によりますと、胸突き八丁というのは富士登山の時に使う言葉だそうで、
頂上まであと八丁、今で言えば約八百メートルという意味で、そこが一番大事で、
一番大変なところだと、こういうことでありまして(中略)まさに今、我々は、この
胸突き八丁に来ているのではないかと思う」

 能天気な日如だが、末寺の坊主や法華講は「胸突き八丁」どころか、
「地獄の三丁目」を徘徊しているのが現状である。末寺の苦悩の例を大阪・妙輪寺の
地区長会(六月七日)で見ることが出来る。

 同寺の坊主・坂田正法や講頭の園部正勝らは四月の低調な地区長会の様子が本紙
一〇二二号で紹介されたのが相当な痛手だったらしい。今月は青年部の決意発表や
婦人部の体験二題など内容も充実しているように印象付けようと苦心惨憺し、
くだらない話でも無理に拍手をしていた。

 だが、結集も出来ずに地獄の苦しみに喘ぐ状況を講頭の園部が露呈。高齢者を登山
させ、病気も理由にならない等々と息巻いていた。

 また、地区長会にスパイが潜入していると勘違いし、意識過剰になって酔っ払いの
戯言のような支離滅裂で、意味不明の話をしていた。

 園部 来月に迫りました七万五千の大結集ですが、私とこだけではないんですが、
まだまだ、えー、この中に学会の人、ですね、えー、あのー、ですね(薄ら笑いで)、
えー、あのー、来られておりますが、えー、大変な状態になっております。えー、
これも二・三日後の「フェイク」に載ると思います。我々の心も最初は意気込み
良かったんですが、もう十四年も前になりましたら、その時の心意気が薄れてきて
います。

 妙輪寺も百二十五円の心を持った私たち一凡夫が、三億円ものロボットよりも尊い心
を持った私たちが、えー、登山する値打ちも何も無いなんて、誰か言うてましたね。
色々ありますが、私達は難儀しております。

 その「フェイク」に書いて欲しいんですが、まだまだ私達の目標とする数字に至って
おりません。

 高齢者も私は絶対に行く、行かせてくださいということで、妙輪寺では、そういう人
を優先させ、もう随分、前から申し込みをさせております。

 もう病気がどうの、体がどうの、車がどうの、バスがどうのというような話の段階
ではありません。(意味不明のため以下略)

 坂田 妙輪寺では今、七万五千の登山をやっておりますね。登山を。それで、
いろんな問題が出てくると思うんです。犬や猫を飼っている、生き物を飼ってるから
夫婦で登山はできないと。答えは簡単です。仏智を頂きなさいと。仏の智慧を
頂きなさいと。一日だけ猫、犬、動物を預かるホテルもあるでしょう。そんなホテルに
犬や猫を預ける仏智を頂くのです。(バカバカしいので以下略)

 日如は胸突き八丁を乗り越えよ、と檄を飛ばさずに、無謀な大結集総会など即刻、
中止するべきである。

144検証会議:2009/06/22(月) 13:16:58
 勝ち戦 第138号

 2009年 6月21日(日)

 妙光寺・土居崎慈成、入院式で亀裂!
 『尾林ショック』で講中ガタガタ
 尾林家は、一家離散の仏罰!

 妙光寺(品川区)新住職の座替式・入院式が、六月一三日に行なわれた。

 新住職に就任した宗会議長の土居崎慈成は、尾林よりも高齢で生命力もなく、また
何時葬式になるか分からない不安感を漂わせている。土居崎には寺を隆盛させる意欲も
なく、「ここが俺の終の棲家か」といった程度の意識レベルだ。

 妙光寺は単なる老僧の墓場であり、地獄への入口に過ぎないのだ。

 土居崎は赴任に際し、日如から「妙光寺はまだ目標を達成していない。お前、行って
頑張るように!」と、喝を入れられたそうだが、そのプレッシャーと先行き不安のせい
か、入院式では顔をこわばらせ、挨拶の時も「厚く御礼申し上げます」と一礼するや頭
がマイクに激突。「ゴン!」という音が場内に響き、笑うに笑えない状況だった。

 また、入院式早々「地涌倍増の御命題もまだ、妙光寺支部、正道講支部共に成果が
あがっていない!」と講中のダメ出しをして失笑を買った。

 翌一四日の会合でも、前任寺院の護国寺(鎌倉市)が目標達成間近であることを自慢
し、「(護国寺の)みんなと手を取り合って頑張っていくっていう時に異動。何か前に
つんのめりそうな感じです」と、暗に妙光寺を小馬鹿にする発言をして、またもや
失笑。スタートから信者との深い溝ができた。

 初めての御講には、参加者が約一五〇人と、いつもより約五〇人少ない人数しか
集まらなかった。また、「第九代住職となりました。宜しくお願いします」との住職の
挨拶にも誰一人拍手せず、異様な雰囲気が流れていた。

 御書講義の際も、尾林は御書を全員で一度読み、その後に題目三唱して講話を始めて
いたが、土居崎は一人で御書を読み、唱題もせずに講話を始めたため、「今までと勝手
が違う。ついていけない」と、信者は不満タラタラだ。

 土居崎の赴任により一層講中が分裂し、壊滅的危機に瀕するのが目に見えている。

 前住職の尾林が見せた罰の凄まじさに、日顕宗の信仰に動執生疑を起こした信者は
想像以上に多く、現在もその「尾林ショック」の後遺症が尾を引いている。

 壮年部長の萩原は会合で、「二時間唱題をやっているのは、壮年部五〇〇人中、
一〇人以下です。これが実態です。また四月以降、家庭訪問もピタッと止まりました」
と、講中の実状を暴露した。

 「尾林ショック」は地方部にも波及している。六月一七日に行なわれた、
東京第二地方部・広布推進会で、地方部長の金子は、「(尾林の)突然の不幸に頭の中が
真っ白になり、しばらく自己喪失のような状態になりました。地方部は、四月、五月と
あまり成果があがっていません」とまるで、葬式で弔辞を読んでいるような話しっぷり
だった。

 尾林は堕地獄、息子も奇病で死亡、娘婿で執事だった内海は住職になれずに
落ち込み、挨拶もせず夜逃げ同然で本山に赴任。尾林の女房・操江は、「しばらく一人
で生活します」と独居生活。尾林の遺骨を持ってトボトボ寺を去っていった。仏罰無残!

 編集部(転載可)

145検証会議:2009/06/23(火) 20:11:00
 越 洋

 平成21年6月23日

 時の経過が事実を明らかにする。あれから19年。全世界に日蓮正宗大石寺の恥を
晒した日顕! 人間の顔をした畜生・忘恩・変態・未生怨・卑怯者のニセ法主。心血を
注いで誠心誠意、広宣流布に励み、宗門興隆に尽くした純真な信仰者を騙し、裏切り、
破門した外道坊主である。

 平成2年7月16日に大石寺東京出張所(西片会議)で創価学会を切るために謀議。

 翌々日の18日にも大石寺大書院で再び謀議(御前会議)。そして日顕が「C作戦」
と命名した。

 平成2年12月27日に臨時宗会を開き、宗規を改変して名誉会長の総講頭を罷免。
「C作戦」を断行したのであった。

 その半月前、日顕は「短くていいですか」と学会首脳に念を押し、「大白蓮華」の
1月号に「新年の辞」を書いた。「法のため、民衆のため世界平和貢献のために」との
タイトルで、総講頭罷免を胸に秘めながら、すっとぼけて名誉会長を賞讃。
 『特に、池田先生の指揮において大書すべきは、戦後の世界的な移動交流のなかで、
各国に広まった信徒の方々を組織化した、世界広布への大前進が図られたことで
あります』と歯の浮くような心にもない讃辞を並べていた。

 この「大白蓮華」が配られる頃、突然、総講頭罷免のニュースが新聞・テレビで報道
された。聖教新聞が休刊になる年末を狙っての陰謀だった。姑息で狡い手口だ。

 その一方で、日顕は着々と目黒区八雲に地下プ−ル付きの超豪邸計画を実行に移して
いた。予算は実に20億円。自分と政子、一族だけのことしか考えない無慈悲な日顕。
超豪邸計画が露見した途端、3月13日付の内事部通達で建設計画の「取り止め」を
発表した。

 平成3年1月6日の教師指導会で日顕は「『所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき
身にて候』私はもうこの御文を拝したときに涙がですね……(嗚咽)粥をすすっても」
と、全国の住職・寺族を前に泣き真似までして狡猾に騙した。

 日顕・政子がいつ粥をすすったのか?粥をすすっているのは地方の坊主・寺族では
ないのか!以来19年。隠尊になった今も曲がった腰をかばいながら、ベンツに
ふんぞり返り、バカ息子・信彰の登座を夢見て豪邸と蓮葉庵を往復している。かつて
達師夫人は長男の寺に身を寄せ、先月死んだ大村・尾林の未亡人も豪華マンションを
買うという話はない。日顕一族だけが勝手放題。政子・百合子の億ションは沈黙した
まま。与同罪恐るべし!!

146検証会議:2009/06/24(水) 14:38:14
 フェイク 第1039号

 (発行=09.06.22)

 魔の大結集は人命軽視の暴挙
 大石寺で雨の中、登山地獄に備え任務研修会
 「にわか仕立ての役員に総会の運営は無理」

 大石寺では大結集総会を約一ヶ月後に控えた二十日と二十一日の両日、
全国総本山任務研修会を行なった。これは立正安国論正義顕揚七五〇年記念局が法華講
青年部に働きかけて実施させたもので、総会の予行演習となる研修。参加者は大規模な
行事の運営など全く経験のない者ばかり。二十日は二十〜三十人がグループになって、
境内で担当者の説明を受けていた。

 説明する者も、聞く側もズブの素人。「こんな研修で本当に大丈夫か?」と心配する
声も聞かれた。

 二日目の二十一日は「実践研修」と称して、御開扉の運営などの研修だったが、この
日は雨で時々曇り。総会当日は暴風雨の悪天候になる可能性もあるので、雨天での研修
は意味があったのかも知れない。

 それにしても、七万五千人の大結集総会の運営を俄(にわか)仕立ての役員で無事に
出来ると考える早瀬日如をはじめ記念局委員長の八木日照、総会運営責任者の
佐藤慈暢、小川只道らの感覚が狂っている。

 信者数が僅か数万に過ぎない邪教が七万五千の結集総会を開くこと自体、無謀で
あり、大失敗は目に見えている。永栄義親や宮野審道らが書く下手な原稿を早瀬日如が
棒読みするだけという、くだらない総会に行くのに命がけとは、日蓮正宗の歴史の中で
最悪の愚挙というべき行事である。

 本山関係者でさえも任務研修会の様子を見て、次のように語っていた。

 「登山者やバス、乗用車などで本山は満杯になって、動きが取れなくなるだろう。
にわか仕立ての役員で無事故の運営が出来る訳がない。大勢の人の命を預かるのだから
一年間かけて訓練しても不安である」

 大結集総会は信徒のことなど全然、配慮しない宗門の非道な体質を物語る人命軽視の
催しで、命が惜しい人は、大石寺に近づかない方が賢明だ。

 しかも、七月下旬といえば灼熱の炎天下、或いは宗門の行事だから豪雨になることも
考えられる。そんな時に高齢者から小学生まで強引に集めるというのだ。

 当日は強行スケジュールによる睡眠不足、空腹・渇水、トイレ不足、過労に加えて、
無残にも桜を切り倒して広場にした木陰もなく、熱したフライパン状態の所に
七万五千人もの人を密集させるとは理解できない。

 強烈な日差しが照りつけ、日射病、熱中症、脱水症状などで倒れる人が続出する
だろう。死人が出る危険性もある。しかも、日照対策や飲み水、食料の乾パン類も個人
が事前に準備せよ、と宗門の対応は冷たい。

 道路は大渋滞で塞がっていて救急車も走れないうえ、医薬坊も破壊(本紙第九八一号
参照)。急病人が出るのは間違いない。どう対応するつもりなのか。登山者に「死ね」
と言っているようなもので「現代のインパール作戦」と言ってよい。

  ☆    ☆
 「インパール作戦」

 インパール作戦とは日本陸軍が昭和十九年三月に開始し、七月まで継続した
インド北東部のインパール攻略を目指した作戦のこと。食料、弾薬等の補給を無視した
杜撰な作戦で、飢餓と病気のため、地獄絵図を現出し、悲惨な歴史的敗北を喫した。
死傷者数は約七万二千人。無謀な作戦の代名詞として使用される。

147検証会議:2009/07/01(水) 23:32:40
石山だより 平成21年6月28日

 一、人間を人間と思わない連中が、真夏の七月二十六日に七万五千人を集めて、
炎天下で総会をやること自体、考えられない狂気の沙汰だ。参加者のことなんか
何にも考えていない。最近は温暖化の影響で七月下旬になると各地で三十五度Cを
超え、四十度Cを超えることもある。高齢者が大半で心疾患、高血圧、糖尿病の人など
は熱中症にかかりやすい。その上、長時間バスに揺られて疲れ切って登山してくる
高齢者は体力が衰弱している。万が一、死亡者が出たら誰が責任をとるというの
だろうか?

 一、そもそも主催する委員長が鬱の八木日照じゃ指揮が執れるわけがない。
器が小さく、日顕の弟子だけあって人の心が分からない冷血人間である。自分勝手で
人の意見を聞こうとしない。何でも分かった顔をして何にも分かっていない。八木に
少しの信心と常識があったら、今日の廃れた宗門にはなっていない。日顕の陰に隠れ、
自分で物事の判断が出来ない。今まで日顕にベッタリで100パーセント、言いなりに
なってきた。 人材を育てることが出来ず、手を汚して人のために尽くしたことがない。
孤独を好み、寂しさを楽しむ変わり者の引き篭もり坊主なのだ。八木に光久日康ほどの
批判力があったら、日顕の暴走を阻止できたはずだ。

 一、大型バスが二千台の予定だそうだが、夏休みに入って初めての日曜日だから
一般の観光客が大勢繰り出し、大混雑になることは目に見えている。富士宮警察と
しても、七万五千の総会を大迷惑と思っている。

(運営委員長は口より手の方が早い佐藤慈暢、副運営委員長は狡くて意地汚い
カメレオンの小川只道じゃ運営なんてムリムリと囁かれている。大事故が起きる前に
中止した方が賢明と思う大坊鼠)

148検証会議:2009/07/02(木) 00:22:31
 越 洋

 平成21年6月27日

 富士宮市は近年、年間の観光客数500万人を超える観光都市である。観光資源として
市北部に富士山の恩恵を受けた自然資源があり、市中心部は富士山本宮浅間大社などの
歴史的建造物があり、湧玉池などの名所もある。また御当地人気料理特選とされる
「富士宮やきそば」がメディアに取り上げられ有名になっている。『Google』で
“富士宮 富士宮やきそば”で検索すると458,000件とその人気ぶりが窺える。
ちなみに“富士宮 日蓮正宗”で検索するとガクンと減り、“富士宮やきそば”の
百分の一の件数だ。

 7月26日の“7万5千名大結集総会”まで丁度一ヶ月。それなのに本山の状況は駐車場
の整備だけはせっせとしているが、肝心の運営の方は不安だらけで、登山者の休憩場所
もない。特に、大石寺の敷地に一気に7万5千の人を集めるのに、地元の人々への説明も
無く、住民の不安は募る一方である。

 登山者は7月25日の深夜から26日の明け方にかけて着山する。大石寺側では、あまり
迷惑はかけないと言っているが、地元の人達の心配を考えもしない言動だ。夜の
就寝時刻から大型バスが続々と大石寺に集まって来て、住民の安眠を妨害する。

 特に、地元住民の心配は、総会が終わってから下山する時間帯の大渋滞である。
夏休みに入って初めての日曜日にあたっており、富士宮市には“富士宮やきそば”を
目当てに大勢の観光客が来る事が予想される。(“富士宮やきそば”を目当てに観光客
は年間約60万が来ている)また、朝霧高原周辺はキャンプ場やゴルフ場が多い。
そうした観光客が大石寺の登山バスや乗用車のために渋滞に巻き込まれ、“二度と
富士宮には来るもんか”と思われたら年間の観光客数500万人を超える観光業界に
大打撃である。しかも、7万5千人も集めても潤うのは日如と日顕の懐のみで、富士宮市
には何一つ、経済効果をもたらさない。こんな総会は、即刻、中止すべきである。

149検証会議:2009/07/02(木) 00:22:56
 大石寺短信 第465号 平成21年6月25日(木)

 日顕宗の動き

 1.寺院明け渡し裁判で日顕宗が敗訴

 不法に寺院を占拠しているとして、元正信会坊主の山口法興を相手取り、日顕宗が
起こした寺院建物明け渡し裁判で、京都地方裁判所は15日、日顕宗の請求を棄却する
判決を下した。

 この裁判は、京都・住本寺の藤川某なる正信会坊主が昨年4月に死亡して以降、寺に
居座り続けている山口に対し、日顕宗が立ち退きを求めたもの。これまで、宗門を擯斥
された坊主が居座る寺は、その坊主が死亡した段階で日顕宗に返還される慣例になって
いた。しかし、今回の判決でこれが覆されたことになる。

 日顕宗は判決を不服として控訴したが、今後、山口側の「相承を受けていない
ニセ法主の指示に従う必要はない」との主張に沿って、法廷での日顕の相承問題の
検証が予想される。これまで「相承を受けた」と言うだけで、その証拠を何ひとつ
出していない日顕は、枕を高くして眠れぬ日が続くことだろう。

 2.「7万5千」のずさんな説明会に怒り噴出

 去る14日、7月26日の7万5千総会開催にあたり、大石寺側から地元の町会関係者への
説明会が行われた。

 開催ひと月前の今ごろになってからの説明会。しかもその内容はいい加減そのもの。
書類も配布せず、口頭で済ませようとしたところ、参加者からは「地域に徹底したい
ので、文書ぐらい作って送ってくれ」との要望があがった。

 また、総会前日と当日、参加者を乗せたバス2000台と乗用車2000台が押し寄せる
周辺道路の整理・誘導を大石寺から依頼された近隣住民もおり、不満の声があがって
いる。

 さらに、夏休み最初の日曜日となる総会当日は、富士宮市の名物「富士宮焼きそば」
を求めて多くの観光客がやって来ることが予想される。観光業者は「焼きそばを
食べようと車で向かったはいいが、大渋滞に巻き込まれて『富士宮には二度と行く
ものか』となったら大変」と心配顔だ。一方、市の観光協会も「大渋滞が予想されます
ので、26日は避けたほうがいいかもしれませんね」と言う。

 この大迷惑の元凶は、何の考えもなしに、メチャクチャな結集大会を思いつき、強行
しようとしている日顕、日如に他ならない。

 3.飲酒運転坊主の後任住職が決定

 先ごろ、飲酒運転で交通事故を起こして逮捕された熊本・法観寺住職の山田雄勉
(60)の後任に、宮崎・寿正寺住職の柏熊信乗(41)が就くことになった。寿正寺の
後任には、日顕の運転手をしていた本山・大坊内の土屋正博(37)が入る。

 山田は住職を下ろされたが、僧籍は残されるという。飲酒運転が社会問題化し、
厳罰化が進むこのご時世、一般の会社や自治体では懲戒解雇、懲戒免職が相当であり、
本来なら僧籍剥奪となる「擯斥」などの厳しい処分が妥当。こんな甘い処分で
ごまかそうとする日顕宗は、世間から「非常識教団」と厳しく指弾されるに違いない。

 4.7月の予定

   5日(日)  広布唱題会(本山、末寺)
  12日(日)  御講(末寺)
  15日(水)・16日(木) 立正安国論750年記念大法要
  26日(日)  7万5千大結集総会

150検証会議:2009/07/02(木) 13:49:02
 フェイク 第1040号

 (発行=09.06.24)

 妙峰寺住職の孫、詐欺で逮捕!
 日蓮正宗の僧俗に続発する事件と事故
 背景に宗門の荒廃、虚言の横行、精神の腐敗

 日蓮正宗の妙峰寺(北海道富良野市)の坊主・布施谷雄治の孫である布施谷正俊
(二三歳)が十七日午後四時十六分、北海道警・稚内署に逮捕された。地元紙の
「日刊宗谷」「稚内プレス」等の報道によると、布施谷は市内居住の知人Aさん
(二三歳)に「大腸ガンの手術を受けることになった」などとウソを言って、手術代と
して二十五万円を騙し取った。

 更に、布施谷は同じような手口で、Aさんから数回にわたって合計約百万円を詐取
したと見られており、現在、裏付け捜査中。布施谷は大金を騙し取った事実を認め、
遊興費に使ったと供述しているという。

 詐欺事件としては寸借詐欺、結婚詐欺など色々あり、近年ではオレオレ詐欺、
振り込め詐欺が横行し、発生件数も増える一方だ。

 最近では還付金詐欺とか悪徳医師による診療報酬詐欺、警察官を装った詐欺など
多種多様の悪質な手口がある。

 だが、自らが大病の患者を装い、知人の同情心、親切心を悪用して百万円もの大金を
騙し取ったうえ、その金を遊興費に充てていたとは、いかにも日顕一派の坊主の家族
らしい許し難い悪行と言わねばならない。

 この詐欺事件に限らず、宗門では僧俗間の確執、金銭トラブル、暴力沙汰、飲酒運転
など事件・事故が多発している。その背景には宗門の荒廃、精神の腐敗、虚言の横行、
教育の喪失、末寺の困窮が挙げられる。

 この度の布施谷の逮捕は、宗門の暗澹たる荒廃を象徴する事件といえよう。

 逮捕された容疑者の祖父に当たる坊主の布施谷雄治(大講師、俗名は富治)は
昭和五十八年五月の一般得度。平成五年十一月、現在の妙峰寺に入った。

 また、正俊の父親・布施谷治人は稚内市・法清院(主管は屋比久信如)の法華講に
所属し、講頭、総代を歴任するほどの狂信者である。

 しかし、布施谷が講頭時代の平成九年、父親が住職をしている妙峰寺の夏期講習会
登山の結集割れを防ぐため、法清院の講員を「妙峰寺枠」で参加させようと画策した
ことがあった。

 その策謀が当時の法清院主管・渡辺寧道にバレて大喧嘩。そして法清院の講員全員が
登山をボイコットするという大騒動もあった。

 ところで、詐欺事件で忘れられないのは、埼玉県所沢市の能安寺(水島公正)で
副講頭、壮年部長を歴任し、本堂・庫裏新築の際の建設委員長を勤めた肥沼正男の
巨額詐欺事件である。

 日顕が一億円の塔婆詐欺、
 巨額詐欺事件を起こした
 能安寺の講幹部

 警視庁に逮捕された肥沼は伊藤忠商事系列の大手総合リース会社に架空の契約を
持ちかけて三億八千万円を騙し取ったが、当時、詐取した総額は百四十七億円にも
のぼると見られ、テレビや各紙で空前の巨額詐欺事件として大きく報道された
(本紙第九号を参照)

 更に、絶対に許せぬ詐欺は日顕が十万本分の塔婆料一億円を受け取って、実際は塔婆
を立てず、書きもしなかった塔婆詐欺だ(本紙第六一六号を参照)。

 これは信仰心を利用した悪質な詐欺事件として徹底して糾弾し、末永く語り継いで
いかねばならない。

151名無しさん:2009/07/02(木) 14:56:29
これが日蓮正宗の実態だ!偽装教団 『大石寺』!
http://seigi716.blog54.fc2.com/
里内住職を兵糧攻めにする目的で「ご供養するな」の策謀運動を張り巡らす連中が網走支庁管内に出没。
日蓮正宗が嘘捏造をもって財政破綻の汚名を着せ、里内住職を攻撃するなどは社会正義に反する犯罪行為としか言いようがない。
本尊偽造・教義血脈偽装・史実改竄を教団維持のために脈々とやり続けてきた日蓮正宗大石寺に、宗祖日蓮大聖人の正義は全無である。
http://seigi716.blog54.fc2.com/blog-entry-5.html

152検証会議:2009/07/04(土) 01:04:06
 新改革通信 102号

 平成二十一年六月三十日発行

 死ぬに死ねない"日顕の事情(五)
 尾を引く"信彰問題"日顕親子の過剰な反応がかえって致命傷となり、信彰の次期法主
の可能性は限りなくゼロに!

 "何としても信彰を次期法主に"という日顕の我欲の業報ゆえか、信彰が法主になる
可能性がどんどん低くなっている。

 信彰が得成寺の里内を査問した際に暴力を振るった、"信彰問題"。きちんとした対応
をしていれば、大きな問題にならなかったかもしれないが、事件は急転し、里内が
「擯斥処分」になった。

 暴力を振るった加害者の信彰が「停職十日」で、暴力を受けた被害者が「擯斥処分」
とは、誰にも説明できない話である。

 宗門側は、里内が信彰を「告訴」したことを問題にしているが、そもそも、信彰が
きちんと里内に謝罪をして、それなりの処分を受けていれば、当然、告訴にまで発展
しなかっただろう。

 加えて、信彰は宗内外の批判を封じるために、自分の処分を自分で宗内に知らせると
いう異常な手段を使った。しかも、その処分が「停職十日」という非常に軽いもので
あった。その十日も、ゴールデン・ウィークをはさんでおり、実質的には数日のもので
しかない。

 普通なら、役職辞任が妥当であろう。なぜ、このようなことになったのか?そこには、日顕の意向が働いているとしか考えられない。何としても信彰を次期法主にしたい日顕
からすると、信彰の役職辞任は絶対にあってはならないことだ。

 なぜなら、かつて、日顕の父・日開がある事件で能化から降格され、法主候補から
はずれ、時間かせぎに堀日亨上人を法主に仕立てたことがある。だから、絶対に
そういう事態は避けたいのだ。

 また、信彰には"自分は元法主の息子だから、何をしても許される"という、傲慢さが
ある。だから自分の処分を自分で発表するという、社会性を全く欠如した行為に走る
のだ。

 今回、日如は日顕親子の意向を受けた形にしておきながら、結果として、日如の思う
壷である。なぜなら、こういう不公平な処分をすれば、"信彰問題"はさらなる話題に
なり、信彰を次期法主候補からはずす言い訳となるからだ。日如は巧みに日顕親子を
自爆の方向に誘導したことになる。

 いよいよ、日顕親子と日如のかけひきが激しくなるであろう。今回の問題で信彰は
致命傷を受けたことになる、その状況を如何にして変えるか。もちろん、簡単なこと
ではない。だから、日顕は死ぬに死ねない事情がまた一つ増えた。

 (編集部)

153検証会議:2009/07/04(土) 12:49:20
 フェイク 第1041号

 (発行=09.07.03)

 師弟の道を踏み外し、晩節汚す反逆者
 忘恩の矢野絢也、伊藤弘らの哀れな末路
 戸田会長「三代会長を支えれば広布は出来る」

 広宣流布に生きる人生は師弟の絆で強く結ばれている。その師を見失うと退転の坂を
転げ落ち、反逆の牙を剥き、晩節を汚して醜悪な敗残の人生に終わる。

 元公明党委員長の矢野絢也が一日、民主党など野党議員を前に大恩ある学会を批判
したが、民主党は「政治と宗教」を心配するより、自分達の「政治と金」の釈明こそが
急務ではないのか。

 また、矢野は師弟の道を踏み外した我欲と不知恩の腹黒い男の典型である。

 矢野のように師から離れて信心の原点を喪失した時、広布の大目的を忘れ、己のエゴ
と虚飾に固執し、罰と敗北の人生を彷徨(さまよ)う。これは個人も団体も同じで
ある。日蓮大聖人御在世当時の五老僧、学会の最高幹部などで退転・反逆して学会を
裏切った者達は皆、師弟を忘れて転落した。

 近年では日顕宗が血脈の断絶によって師弟の道を失い、大聖人に敵対する邪教団に
なってしまった。

 去る六月二十二日に伊藤弘という反逆者がガンのため死亡した。享年六十九歳。師恩
を忘れて転落し、晩節を汚した哀れな男である。

 伊藤は昭和二十七年二月に入会し、工業高校を卒業後、電気関係の会社に勤務して
いたが、三十六年八月に学会職員になり、聖教新聞社、小金井会館、立川文化会館、
富士美術館の準備室、日本図書と転々と異動し、何処でも満足な仕事ができなかった。

 こうして世話になった学会の恩を忘れ、平成十六年八月に脱会、大宣寺の法華講に
成り下がった。その直後、伊藤は肺気腫を患うなど罰が直ぐに現れたが、平成十七年
八月十四日、大宣寺での壮年部大会で体験を発表。その中で学会を「第六天の魔王」と
罵倒した。

 以来、学会員を脱会させようと狂奔していたが、各地で反撃されて成果は上がらず、
大宣寺講中の役職も貰えないまま、ガンを発症し、帰らぬ人になった。

 人間の真価は最終章で決まる。晩節を汚すことで、過去の努力も実績も水泡に帰して
しまう。

 退転者に共通する
 自己正当化の口実

 この伊藤や矢野、竜年光、藤原行正、福島源次郎、石田次男、原島嵩らの反逆・
退転者、それに脱会した大草一男(妙観講)らに共通する点は傲慢、金銭・異性問題の
ほか戸田会長を利用する口実である。

 例えば「戸田先生の頃は良かった、三代会長になって学会が変わった」という戯言で
ある。これは己の退転の理由を三代会長に責任転嫁するもので自己正当化の口実に
他ならない。

 学会は創立以来、一貫して広布の路線に変わりはない。三代会長を守り支えよ、と
いう戸田会長の厳命を、ここに確認しておこう。

 「三代会長は青年部に渡す、牧口門下には渡しません、何故かといへば老人だから
です。ゆづる会長は一人でありますが、その時に分裂があってはなりませんぞ。今の
牧口門下が私をささえる様に三代会長を戸田門下がささえて行きなさい。私は広宣流布
の為に身を捨てます。その屍が品川の沖に、また何処にさらされようとも三代会長を
ささえて行くならば絶対に広宣流布は出来ます」
(昭和二十七年三月一日付の聖教新聞より)

154検証会議:2009/07/11(土) 10:17:55
 フェイク 第1043号

 (発行=09.07.08)

 台風下の人命救助を「慧妙」が愚弄
 ボーイスカウト代表が学会に感謝状と楯
 陣頭指揮の池田会長、宗門の役僧は覗いただけ

 創価学会が昭和四十六年八月、約六千五百人のボーイスカウト大会参加者を救援した
事実を紹介した本紙一〇三三号に「慧妙」七月一日付が難癖を付けている。

 「慧妙」は「『フェイク』の五月二十七日付には、まことに興味深いことが書かれて
いた。少々長くなるが引用してみる」と前置きし、朝霧高原で実施中のボーイスカウト
の大野営大会(世界ジャンボリー)が台風の暴風圏に巻き込まれた際、大石寺への
避難要請を宗門は「寺が汚れる」と嫌ったのに対し、池田会長(当時)が緊急事態を
知って「受け入れるのが、人間として当然だ」と即決。講習会の行事を変更し、大講堂
や大化城なども空けて、会長自らタオルを買い集め、毛布やパンなどの救援物資を
用意し、かがり火を焚いて約六千五百人のボーイスカウト大会の参加者を迎え入れた。
そして、池田会長が雪山坊に戻ったのは深夜の零時近くだった、との本紙の記事を長々
と転載している。

 そのあと「慧妙」は人命救助を「抱腹絶倒」と愚弄し「当時在勤していた方に伺って
みると、事実は全く違っていた」「脚色しすぎ」と難癖をつけている。

 更に、鼓笛隊演奏を侮辱し、陣頭指揮を執った池田会長が深夜まで遊んでいたと暴言
を吐き、「雉も鳴かずば打たれまい」と悦に入っている。

 まず「慧妙」が聞いたという、その何も知らない在勤者の氏名を明かせ!

 ボーイスカウトの避難について「それは困りますね。彼らが来ると(建物が)
汚される」「学会に任せる」と言った当時の渉外部長・吉田日勇(義誠)に聞けば、
本紙の記述が正確だと回答したはずだ。何故、吉田に取材しなかったのか?

 本号では当時、コミッショナーとして参加した北九州市在住の沖田さんの声を紹介
する。

 「台風に備えていた私達ボーイスカウトは、びしょ濡れで空腹でした。そんな私達に
池田会長を中心とした創価学会の皆さんは夏季講習会の会場を避難先として提供して
くださり、タオル、パン、牛乳等を頂戴するなど真心の応援をしていただきました。
(中略)噂や週刊誌の情報などだけで、また、表面を見るだけでは真実は
分かりません。実際の姿にふれて初めて真実が分かると思いました。私は会員では
ありませんが、それ以来、機会あるごとに学会の素晴らしさについて語っています」
(平成十六年五月二十五日付の聖教新聞より)

 この時は高等部講習会で会長の指揮の下、輸送班が誘導(写真)し、高等部の
語学委員会有志が通訳。また「音楽隊、鼓笛隊の演奏に勇気づけられた」との感謝の声
も多かった。宗門の役僧は救援の様子をチラッと覗きに来ただけであった。

 後日、ボーイスカウト日本連盟の理事長は、学会本部を訪問、池田会長に感謝状と楯
を贈ったのである。

155検証会議:2009/07/11(土) 10:20:18
>>154

 訂正

 誤 第1043号 → 正 第1042号

156検証会議:2009/07/15(水) 01:53:28
 顕正会短信

 2009.07.15

 大ウソついて、訴えられても知らないよ!

 顕正会の6月総幹部会は、浅井昭衛以下、登壇者のほとんどが学会を誹謗中傷して
いたのだが、好き勝手言いたい放題の浅井はいざ行動となると、平成9年に公言した
「10万人デモ行進」とやらもいまだに行わず、中国の政府要人が来日しても
中国大使館に出向いて「諌暁」した形跡も無い。口先だけだ。師匠がこうだと自然に
弟子も口だけは達者だが、3月に横浜で集会をやってもその後誰も隣接する学会の会館
に「諌暁」に行ったという話はない。要するに「弱虫の遠吠え」でしかないのだ。

 そんな「遠吠え特集」を報じた顕正会の機関紙「顕正新聞」7月5日号には、
学会脱会者で男子部11隊の及川某という会員の発言が掲載された。一部を紹介しよう。

 【また選挙の時などは、私の住所に、他の地域に住む数十名の学会員が住民登録し、
投票が終わるや、すぐさま元の住所に登録を戻す姿を見ては異常さを感じ、学会組織の
体質に、逆に怖さを感じるようにもなっておりました。】

 警告の意味を込めて二つの指摘をしておこう。第一に、この内容はすでに
創価学会本部にも伝わっている。「顕正会の内部会合での話しだから公的なものでは
ない」などという言い訳は通用しない。第二に、「住民票移動云云」などと発言した
人物は皆その言動の根拠を示せずに謝罪し、謝罪せずに法的手段に訴えられた者は
皆敗訴していることを知っているか否か。

 例えば平成5年7月に「徳島県民の住民票が都議選のために集団移動」と書き、
翌日「調査せずに書きました」と謝罪した「朝日新聞」。平成15年7月に同様の記事
を掲載し、9月に「記事を削除する」と謝罪した「週刊ダイヤモンド」。やはり
同年10月、沖縄での選挙応援で「公明党は住民票移動してるから勝ちますよ」などと
公言し、公明党の抗議を受けて謝罪した「せんだみつお」。記憶に新しいのは
偽メール「永田寿康・元民主党国会議員」だろう。国会や国政報告会で何度も
「学会が住民票移動」と繰り返した挙句、学会に告訴され最終的に罰金30万円の有罪
となった。共通しているのは、抗議や追及を受けると「いつ」「どこで」
「具体的な誰と誰」などの証言がまったくできないことである。つまり、「デマ」
なのである。

 さあ、及川某よ。学会が住民票を移動していたのはいつ、何の選挙の際で、住民票を
移したというキミの住所、学会組織はどこなのか、法廷で証言できるのか。その度胸が
あるのなら今後もどんどん集会で「学会が住民票移動している」と言うがいい。
ただし、すべての責任はキミ自身が追うことになるのを忘れるな。キミの師匠は
助けない。

157検証会議:2009/07/15(水) 01:53:59
 越 洋

 平成21年7月11日

 最近、日顕は背が曲がり、足が上がらず草履のかかとを引きずりながら歩いている。
昨年2月17日、平安寺の椎名日澄を京都の病院に政子と様子を見に行った。日澄は
意識朦朧の状態なので相承の秘密を漏らすことはないと胸をなで下ろした日顕は、政子
の腕に支えられながら夕方、京都駅から新幹線グリーン車に乗車した。右の写真は
偶然、その場に居合わせた人が撮影したものである(日顕86歳、政子82歳)。

 昭和54年7月22日、日達法主の通夜の席で重大発表。「昨年(昭和53年)
4月15日、総本山大奥において、猊下(達師)と自分と二人きりの場において猊下
より自分に対し内々に御相承の儀に関するお言葉があり、これについての甚深の御法門
の御指南を賜ったことを御披露する」という、緊急重役会議での日顕の発言をウソと
知りつつ椎名日澄が紹介した。その後はほとんど登山せず、平安寺に引きこもった。
罪悪感にいたたまれなかったに違いない。

 その当日、野村日修から日顕は「相承を受けられた証拠はあるんですか?」と
問われ、証拠がない日顕は今日までズートその事を気にしてきた。その証拠に、
野村日修が一族に漏らしていないか気が気でならなかった。息子の野村光照を高崎の
勝妙寺に入れて破格の扱いをし、それから新宿・大願寺にも入れようとしたが光照から
断られた。それで、やむなく河辺慈篤を入れた経過がある。

 日顕が登座してから30年も経つというのに相承を受けたという証拠を何一つ
示せない、ニセ法主なのである。日顕は、相承を詐取してから、いつ椎名日澄と
野村日修から暴露されるかビクビクしてきたが、二人とも亡くなってしまった。

 政子と二人で胸をなで下ろしているかも知れないが、仏法の因果の理法の現証だけは
逃れられない。御金言に「始めは事なきやうにて終にはほろびざるは候はず」
(1190ペ−ジ)と。待っているのは当然「除歴」である。

http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000735.jpg

158検証会議:2009/07/15(水) 01:54:29
 フェイク 第1043号

 (発行=09.07.13)

 炎天下に背広・ネクタイ着用を強要
 宗門、総会参加者の驚くべき服装を発表
 「女性もスーツ、学生は学生服を着て登山せよ」

 夏の七月下旬に大石寺で開催する七万五千人の大結集総会に際して、信徒に苦痛を
強いる新たな材料が増えている。今度は参加者の服装についての問題である。
「大白法」七月一日付には「大結集総会登山の概要②」を掲載し、その中に「服装に
ついて」という項目があり、次のような驚くべき内容が記されている。

 「総本山参詣にふさわしい服装を心がけましょう。男性はスーツにネクタイ着用か、
それに準ずるもの。女性もそれに準じます。ノースリーブ、タンクトップ、
キャミソールのような肌を露出する服(ジャケット等着用の場合は可)やジーンズ等は
控えましょう。学生は学生らしい服(学生服等)を着用しましょう」

 更に、日焼け予防や毒虫に刺されないため、肌の露出が多い服装は避けるように、
と記し、つばの大きな帽子も厳禁なのだそうだ。

 この「大白法」の記事を本紙編集室に伝えた法華講員は、大結集総会には絶対、参加
しない、と怒っていた。

 夏は熱を逃がす服装にして、つばの広い帽子が常識である。炎天下の屋外で、背広を
着て、ネクタイを締めて、十分な日除けにもならない「つばの小さな帽子」を被って
登山したら、文字通りの「灼熱地獄」である。これでは健康な人でも体調を崩すだろう。

 しかも、参加者の中には高齢者や病弱な人、小学生も多いから急病患者が続出するに
違いない。

 最近ではクールビズが叫ばれ、夏の期間中はサラリーマン、公務員の人たちが出来る
だけ涼しく仕事ができるような軽装で、ネクタイや上着を着ないのが基本である。
日顕宗は時代に逆行している。

 「水と乾パンを持参せよ」等の「持ち物リスト」について紹介した本紙第一〇三二号
には、法華講からも多大な反響があった。この度の服装に関する徹底事項に対しては、
法華講から、もっと大きな反発が予想され、注目される。

 救急車は道路混雑のため走行不能に

 九日付の岳南朝日新聞に大石寺周辺道路の渋滞に関する広告が掲載された。

 それによると、渋滞が予想されるのは、二十五日の夜十一時頃から二十六日の
午前三時頃まで、及び二十六日の正午頃から午後七時頃迄で、国道139号線、同じく
469号線、県道の414号線が該当する。

 観光客にとっては大迷惑だ。道路混雑のため登山者の大石寺周辺での弁当の発注も
「禁止」している。

 これでは急病人が出ても救急車の出動はムリである。

 また、道中のケガや病気は各支部の救護担当者が対応せよと言う。法華講支部に医療
の心得のある者などいる筈がないではないか。

 要するに、病気やケガについて本山では一切、関与しないとの無責任な態度だから
医薬坊も壊した(本紙第九八一号参照)のである。

 更に、仮設トイレも不足しており、喫煙所も少ない。

 喫煙所はバスターミナル、奉安堂と客殿の横、塔之原グラウンドの数ケ所のみ。
「一日位、タバコを吸わなくても文句言うな」と怒鳴る坊主もおり、総会の会場から
遠く離れた駐車場にも設置していない。これも愛煙家にとっては苦痛だろう。

159検証会議:2009/07/17(金) 03:44:03
 フェイク 第1044号

 (発行=09.07.15)

 早瀬閥・妙観会が連合し日顕と暗闘
 宗会議員の9人が「質問主意書」を提出 ①
 真相伝える文書に日如は沈黙、日顕は激怒

 日蓮正宗では七万五千人の大結集総会を目前にして、実に興味深い問題が
持ち上がっている。宗会議員有志が「質問主意書」を総監の八木日照、宗会議長の
土居崎慈成に提出し、執行部に揺さぶりを掛けていることが判明したのである。

 この「質問主意書」は宗会議員十六人のうち楠牟禮慈宝、早瀬義久、阿部美道、
合原歓道、村上節道、西岡雄信、細川明仁、山口実修、近藤恒道の九人の連名で
出され、去る六月十七日の第百七十三臨時宗会において意見が交わされた。

 この「質問主意書」の内容は「法華講組織の充実について」
「布教のあり方について」「宗門の人材育成について」の三項目の柱に沿って合計
二十三項目の質問からなり、特に、富士学林大学科に関する考え方など、日顕を追及
するような項目が含まれている。

 質問主意書の構成員に日如の一族の早瀬義久や西岡雄信(故・早瀬義雄の弟子)が
おり、更に、西岡と縁戚関係にある村上節道がいることから、裏で日如と通じている
可能性が濃厚である。実際には日如―日顕の暗闘だと見る宗門関係者がいる。

 加えて、質問者には細井日達師の直弟子の合原歓道、近藤恒道らの妙観会がおり、
その中でも「日顕嫌い」で有名な花野充道と密接な関係にある「道心」の仲間の
阿部美道、細川明仁などが名前を連ねている。

 花野は今年春、長年の夢であった博士号を取得した挨拶文の中で、日顕を無視して
いたが、日如に対しては「日如上人にご報告申し上げ」と書いていたように、互いに
認め合っている。

 この花野を通じて早瀬閥の法器会―日達師の弟子の妙観会の連合ができつつあると
見るむきもある。

 そうなれば宗内の一大勢力となり、日顕グループは若手主体の出来の悪い連中な
だけに、かなり苦しい。

 この「質問主意書」について言及した「第173臨時宗会の真相」と題する文書が
最近、宗内に出回っていて、物議を醸している。

 これに日如は沈黙し、日顕が反論する文書を出した。その日顕の文書のタイトルは
「わが弟子一同に告ぐ」というもので、今後、波紋を広げることになろう。

 まずは「第173臨時宗会の真相」と題する文書を抜粋して紹介する。

 「"御用宗会"と揶揄する声が聞こえるなかで、今回の宗会は歴史的な宗会となった。
それは宗会議員の議員数の過半数を上回る9師が宗内の声なき声を代弁したからである」

 「(宗会の歴史に触れ)正信会問題に端を発し、野村、太田議長時代、宗会議員の一部
が宗門の方針をめぐり宗務当局と激突し、反執行部派の宗会議員十師が停権処分で解任
される事態に至ったことがある。これなども宗会が宗会として機能していたが故の事実
である」等々と述べ、このところ誰もが本音を語ることを憚るようになっている、と
慨嘆している。

 「『執行部のやりたい放題』と『住職たちの自己保身』との利害の一致により、宗門
はますます閉塞する一方である。厳しい財政事情、不公平人事の問題、里内師の問題に
おける著しくバランスを欠いた処分の在り方等について、宗内には不安、憤懣、猜疑の
声があふれている」(つづく)

160検証会議:2009/07/18(土) 03:20:03
 フェイク 第1045号

 (発行=09.07.17)

 「主意書の扱いが宗門盛衰の分水嶺」
 宗会議員の9人が「質問主意書」を提出 ②
 「執行部の権力発動は時代錯誤の封建体質」

 宗会議員有志九人の「質問主意書」を紹介した「第173臨時宗会の真相」と題する
文書を、前号に引き続き、抜粋して紹介する。

 「今回"質問主意書"を提出した9師の勇気を心から讃えたい。併せて、予想される
"御勘気"に屈して腰砕けに終わることのないよう強く申し添えるものである。また、
執行部に対しては、邪な圧力で9師を抑え込むことのないよう、強く釘を刺しておく。
もし、執行部が例によって愚かな権力を発動するならば、宗内はますます時代錯誤の
封建的体質を世間にさらすことになる。そんな体たらくでは、広布は進むまい」

 「『質問主意書』の上程を、『謀反』と決めつけるような偏狭な執行部であれば、
今でさえ暗い宗門の未来は、いよいよ真っ暗である。閉塞に向かう宗内を一転、昇華
させうる建設的な金のメダル『主意書』と、執行部がとらえられるか否か。そこが
宗内盛衰の分水嶺である」

 「繰り返すが、宗内は閉塞の一途を辿っている。しかし、"ピンチはチャンス"では
ないが、こんな御時世だからこそ宗内の英知を結集すべきである。かつて初期の
学会問題で宗内が紛糾した時も、教師からアンケートを募ったことがあったでは
ないか。今回も『質問主意書』に対する宗内全教師の声を匿名でとったらどうかと提案
したい。こうした一歩が、いずれ宗内百年の大計を開く道となりゆくと確信する」

 この「臨時宗会の真相」は、腐敗・堕落した宗門の本質を鋭く突いている。
 同文書では、このほか総監の八木が総会を目前にした今、検討する時間がないため
九月にでも懇談の機会を設け、本格的な論議は来年三月の宗会で行いたいと答えた旨、
記している。

 多少は自由に発言できる開かれた宗門になったのかと思っていた矢先、日顕が子飼い
の小僧の「邪義破折班」に早速、反論を書かせた。やはり、日顕が生きている間は
閉鎖社会である。

 稚拙な「邪義破折班」

 この破折班は、改革同盟の松岡雄茂氏から木っ端微塵に破折された過去がある。
それを松岡氏は平成十八年四月、四九四㌻に及ぶ『松岡雄茂―阿部日顕・邪義破折班
 問答記録』(非売品)としてまとめ、関係各所に送付。このとき、連戦連敗の
日顕一派は一言の反論もできなかった。この破折班が、この度、日顕の意を受けて
書いた文書が前号で触れた「弟子に告ぐ」である。

 この日顕文書では「臨時宗会の真相」という文書を怪文書と決めつけ、それに反撃
するかのような体を装いながら、その実、宗会議員有志の「質問主意書」に対し、
愚にも付かない屁理屈を並べて、ケチを付けている。

 日顕が反論の文書を出した理由としては①隠居の身ではあるが老婆心として、
②師たる者は死に至るまで弟子を善導する義務と責任がある、③万一にも不心得の弟子
が宗門を乱すことを恐れる上から、等々と弁解。そして「第173臨時宗会の真相」と
題する文書を無慚無愧、虚偽、捏造、煽動など諸々の悪意を含んだ邪悪極まる内容で
あると非難、反論と称して我見・邪見を並べている。
 (つづく)

161検証会議:2009/07/21(火) 04:19:53
 石山だより

 平成二十一年七月十八日

 一、梅雨が明けて、真夏の暑さの中、立正安国論正義顕揚七百五十年記念大法要が
十五・十六日に大石寺で開催された。皆が一様に気にしていたのは二十六日の大会の
ことだ。七万五千人どころか、五万人が集まったとしても大混乱になる。三十五度以上
になったら病人や死者も大勢出るだろう。参加者は真夜中バスに揺られて到着。休息
する場所もなく、若い健常者でさえ疲れ切ってしまう。御開扉を受け、十時からの大会
に出ても、他人が書いた原稿を日如さんが読んでも、参加者は疲労困憊で聞いている
どころではない。オマケに八木やクソ次の戯言なんて聞いていられない。どうせ、八木
とクソ次の話は、歯の浮くような顕チャンの礼賛にすぎない。大聖人も人を山に集める
のが「立正安国論正義顕揚」ではない、大会なんて無意味だ、と呆れ顔だろう。

 一、十五日、客殿での日如さんの目通りが終わったら、引き続き淫尊顕チャンの
目通り。当代よりも長く倍の時間がかかった。本来、遠慮して目通りなどやる必要も
ないのに「安国論のことで今まで法要はなかった」と、いかにも俺が発案したんだと
言っているようで、その言葉には日如さんへの嫌みを含んでいた。八十六歳になっても
幼稚園児みたく自己顕示欲を丸出し。その上、強欲の顕チャンは「ご淫尊に御供養を
用意してきた方は此方にお持ち下さい」と言わせていた。事前に徒弟に、俺にも御供養
を持ってこいと徹底したのだろう。年老いて益々ゼニしか関心のない汚いご淫尊だ。

 一、十六日午前十時から客殿で記念大法要が行われたが、只一人、委員長・鬱総監の
八木が「安国論の謗法充満とあるが、その中で謗法の一番は学会」「隠尊は現代の一凶
は学会だと仰せだ」と声高に言っていた。無反応で聞いていた参加者が思ったのは
「お前ら、日顕と八木と信彰こそ極悪の三凶だ」ということだろう。宗門を衰退させた
のは誰だ。世界中に日蓮正宗の汚名を流布させたのは誰なのか。正本堂・大客殿等を
破壊し、五十五億もの無駄な解体費用を使ったのは誰だ。(せめてアフリカの子供達に
寄付すれば人助けになったのに)。シアトル裁判をはじめ顕チャンのために裁判費用を
どれだけ使ったのか。渋谷・松濤、世田谷・中町出張所の贅沢な建物。早瀬百合子
には、本山所化にカウンセリングをやらせ、給与を支払っている。政子の赤坂の
高級マンション等、チョットあげただけで日顕ファミリーだけがいい思いをしてきた。
(こんな世界ならトックに暴動が起きている。生活出来ない無任所鼠)

162検証会議:2009/07/21(火) 04:20:15
 フェイク 第1046号

 (発行=09.07.19)

 他宗と論戦できぬ富士学林教授陣
 宗会議員の9人が「質問主意書」を提出 ③
 日顕の珍説「一般大学へ通学すると信心が動揺する」

 大石寺では十五・十六日にかけて「立正安国論」正義顕揚七五〇年記念法要を行い、
坊主と寺族が約千人、法華講は二千数百人が参加した。二日目の法要では読経、焼香、
表白文、行道散華、挨拶(八木日照)、祝辞(柳沢喜惣領次)と暗く沈んだ無意味な式に
辟易した参加者は十日後の大結集総会を心配し、疲れた足取りで早々に下山。また坊主
は宗会議員有志の「質問主意書」に関心を寄せ、仲間とヒソヒソ語り合っていた。

 さて、「臨時宗会の真相」と「質問主意書」に激怒した日顕が小僧共に命じて
書かせた「弟子に告ぐ」という稚拙な反論を出したことは前々号、前号で述べた通り。
今号と次号では、日顕の愚劣な反論を紹介する。

 日顕が強く反駁しているのは富士学林大学科に関する内容である。

 「大学科の将来について、どのようなお考えをお持ちなのでしょうか」
 「現在の大学科を文部科学省認定の大学にするつもりはないのか」
 「大学科を大学院のような専門的な機関とする考えはないのか」
 「大学科の教授陣の養成について、どのようにお考えでしょうか」
 「他宗派との論戦に対処しうる教授陣でなければならないのではないか」
 「優秀な人材は修士・博士過程まで学ばせ、将来、教授陣にしていく考えはないか」

 これらは花野充道の持論である。花野は常々、日顕が見栄と道楽で作った
富士学林大学科を卒業しても何の資格も得られず、学問も身に付かないため「何故、
普通の大学に行かせないのか?」と疑問を呈し、法教院(富士学林)は「私塾であって
宗内でしか通用しない」等と「法教院無用論」を主張している。

 同様の意見は宗内に多く、「質問主意書」は、くすぶっている富士学林大学科への
疑問・不満が表面化したものといえる。

 身延派日蓮宗など他宗派には博士号、修士号をもっている人は多いが、日蓮正宗内で
博士号を取得したのは花野充道、長倉信祐の二人しかいない。

 博士の花野充道は隠居、長倉信祐も寺の居候に

 この二人は、本来ならば富士学林大学科の教授になっても良い筈なのに、花野は尾林
の死後、妙光寺に入った土居崎より十歳以上も若いのに隠居させられた。

 また長倉は父・教明の寺(札幌市・日正寺内)の居候の身で住職にもなれない。

 二人が冷遇されているのは嫉妬に狂う日顕の偏狭な考えの結果である。日顕文書
では「質問主意書」「臨時宗会の真相」の背後に花野充道の存在を強く意識して、
怪文書の差出人は歴とした宗門内の僧の手になるもの、と推測している。

 この「質問主意書」「臨時宗会の真相」という文書と、稚拙な日顕文書では、レベル
が違いすぎる。

 所化を一般大学に行かせない理由として、日顕文書では①広布は学識によって可能
なのではない②大学・学科は数多いが、僧として必要な研修科目は見当たらない
③立正・大正大学などへの通学は他門の学生との因縁が生じ動揺を生ずる、と浅薄な
考えを述べている。

 要するに、信仰心のない日顕は弟子達の信心も信用できないのだ。(つづく)

163検証会議:2009/07/24(金) 18:38:41
 フェイク 第1047号

 (発行=09.07.20)

 日顕が死ねば富士学林大学科は廃止
 宗会議員の9人が「質問主意書」を提出 ④
 法器会・妙観会に対抗できない邪義破折班

 早瀬閥の法器会・妙観会連合と日顕の邪義破折班との「質問主意書」をめぐる暗闘は
日顕側が劣勢である。富士学林についての応酬も日顕の完敗。「質問主意書」の中に
「現在の富士学林大学科を文部科学省認定の大学にするつもりはないか」との質問が
あるが、日顕の反論は的外れである。

 日顕は質問した議員各位が、実現できる問題として研究し、条件や手続きなどを
調べた上での質問なのか、と問うているから面白い。

 要するに、日顕は富士学林大学科(法教院)を文科省認定の大学にしたいという野心
はあるものの、出来ないことを匂わせている。

 先日の都議選で、候補者十人全員が供託金を没収されて「泡沫」ぶりを示した
邪教「幸福の科学」が、大学創立の準備を進めて千葉県内に土地を取得し、認可を得る
見込みである、との情報もある。

 しかも、この仮称「幸福の科学大学」では既に教員の勧誘も行っているという。

 それに比べ、未だに認可がとれない日顕宗の《大学もどきの寺子屋》は新宗教からも
物笑いの種にされていくだろう。

 また「大学科を大学院のような専門的な機関とする考えはないのか」との質問に、
日顕は全くバカな考えだ、と応えている。

 確かに、大学も出来ない宗門に「大学院のような専門的な機関」が作れる筈はない。

 次に「大学科の教授陣の養成」に関する質問に、日顕は、改めて養成の必要は全く
ないと回答。続いて「優秀な人材は修士・博士過程まで学ばせ、将来、教授陣にして
いく考えはないか」との問いについても、日顕は否定している。

 そして、学業学事は謗法を許さぬ宗門に於いては、その内容と共に人格が一層問題で
ある、と述べているが、笑止千万!何が「謗法を許さぬ」だ。

 日顕の屁理屈は説教強盗と同類

 昭和初期、説教強盗というのがいた。「泥棒除けに犬を飼いなさい」「夜、寝る時は
戸締りを厳重にしなさい」と忠告しながら金を奪う強盗のことである。

 日顕も同じだ。戒壇を破壊し、題目を否定して、大御本尊を「偽物」と断じた大謗法
の日顕が「謗法を許さぬ」とか、己自身は人格が破綻しているのに「人格が問題」と
いう。説教強盗と似たようなものである。

 大学科の次に日顕が神経質に反応した質問は「学会問題で宗内が紛糾した時も、教師
からアンケートを募ったことがあったではないか。今回も『質問主意書』に対する
宗内全教師の声を匿名でとったらどうか」との項目である。

 この提案を日顕は強く拒否している。アンケートを実施すると「質問主意書」に
賛同する意見が圧倒的に多く、大学科が廃止されることは明白であり、それを日顕は
恐れているのである。

 そして、日顕は弟子共に対し、怪文書作者のような狂った煽動に同意するな、と
警戒を強め、年齢が若くても宗会議員に立候補せよ、と煽っている。

 どんなに日顕が悪足掻きをしても、死ねば大学科の廃止は決定的だ。日顕が
除歴される可能性も極めて大きい。

 (この項 おわり)

164検証会議:2009/07/25(土) 01:16:28
 大石寺短信 第466号

 平成21年7月23日(木)

 日顕宗の動き

 1. 宗会議員の「質問書」に日顕大激怒

 先月17日、本山で行われた「第173臨時宗会」に際し、宗会議員9人が総監・八木と
宗会議長・土居崎宛てに出した「質問主意書」が波紋を広げている。

 全16人の宗会議員のうち、楠牟礼慈宝、早瀬義久、阿部美道、合原歓道、村上節道、
西岡雄信、細川明仁、山口実修、近藤恒道の9人の連名による「質問主意書」の内容は、
「法華講組織の充実について」「布教のあり方について」「宗門の人材育成について」
の3つの柱に沿った計23項目の質問で構成され、特に富士学林大学科の考え方など、
日顕を追及するような項目も含まれている。

 事なかれ主義の執行部は「9月に懇談の機会をもち、本格的な論議は来年3月の宗会で
行いたい」と返答したというが、後日、宗内に「第173臨時宗会の真相」と題する匿名の
文書が流れてから事態は急変。この文書は、「質問主意書」の内容を紹介すると
ともに、宗門の封建的体質を批判。「『執行部のやりたい放題』と『住職たちの
自己保身』との利害の一致により、宗門はますます閉塞する一方である。厳しい
財政事情、不公平人事の問題、里内師の問題における著しくバランスを欠いた処分の
在り方等について、宗内には不安、憤懣、猜疑の声があふれている」「『質問主意書』
に対する宗内全教師の声を匿名でとったらどうかと提案したい」等と主張している。

 これに即座に反応したのが日顕だ。退座して既に4年、86歳になるこの男は
「吾が弟子一同に告ぐ」なる文書を配布。「今更隠居が、宗内のことを云々すべきで
ないことはよく弁えている」とつづっておきながら、16ページにもわたって、文書
「第173臨時宗会の真相」について「無慚無愧」「虚偽」「捏造」「邪悪極まる」等と
悪罵している。

 日顕によるこの文書は、表向きは文書「第173臨時宗会の真相」について書いた体を
とりながら、実際は宗会議員9人の「質問」への反論、言い訳に終始している。

 特に、日顕肝いりの富士学林大学科についての下りでは、「質問主意書」の「大学科
の将来についてどのようなお考えをお持ちなのでしょうか」「大学科の教授陣の養成に
ついてどのようにお考えでしょうか」等の質問に、全ページの3分の1を割いて対抗して
いる。

 宗内には「(日顕は)『隠居』の立場が分かっていない」「すぐに反応したということ
は、痛いところを突かれた証拠」といった冷ややかな声があるが、そもそも、
このような騒ぎを招いた原因は日顕宗執行部の「秘密主義」「閉鎖主義」にある。
「質問主意書」は宗会議員によって提議されたものゆえ、宗務公報などの公式文書で
宗内に周知すればよいものを、姑息にも衆目から隠そうとするから、かえって問題が
大きくなるのである。

 現在、宗内では「第173臨時宗会の真相」の作成者がだれであるかに関心が高まって
いる。かつて日顕を公然批判した「前科」があり、真っ先に嫌疑をかけられた花野充道
は、坊主仲間に「怪文書の作者を捕まえて厳然たる処分を」と哀願し、身の潔白を
訴えている。

 「立正安国論750年」の慶祝行事を目前にして勃発した、宗内を揺るがすこの大騒動。
上層部への追及の「点」は今後「線」になっていくのか。日如はどう出るか。性懲りも
ない日顕はさらに老醜をさらして笑いものになるのか。今後の展開が大いに注目される。

 2. 8月の予定

 2日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
 9日(日) 御講(末寺)
15日(土) 盂蘭盆会(本山、末寺)
27日(木)、28日(金) 全国教師講習会(本山)

165検証会議:2009/07/25(土) 12:51:12
 越 洋

 平成21年7月23日

 7月26日(日)の7万5千大結集総会まで、あと3日に迫った。本山では、
ブヨや蚊が異常発生し、準備に当たっている業者を悩ましている。消毒の白い粉を
散布したら、帰宅途中の小学生に降りかかり大変な騒ぎになった。実に迷惑なことだ。

 26日の総会について、本山周辺の近隣の方々が次のような会話をしていた。

 「たった1日のために、あんなにお金を使って、困っている人のために使えばいい
のに。何であんなところで7万5千人も集めるのよ! えらい迷惑じゃない!」

 「こんな所でムリしなくても、5万人ぐらい集まる会場だったら他にあるのにナー」
 「そういう所(別会場)でやると、本山にお金が入らないからよ。御開扉をやって
お金を取ることが目的だからよ」
 「新型インフルエンザが治まったように思えるけど、参加者の中で発症したら厄介な
ことになるね」

 今の世の中、何が起こるか想像もつかない。21日にも山口県防府市で土石流の被害
を受けた老人養護施設で悲惨な事故が起こったばかりだ。地球温暖化の影響で局地的に
急激な大雨が降る危険性も否定できない。

 「750億万遍の唱題」とは大本営発表のような誤魔化しだ。人数でも、唱題の数に
しても目標に程遠い。末寺では、全く唱題をしていない寺もあれば、2〜3人しか
集まらないとか、散々だった。「笛吹けど踊らず」というが、笛を吹いた当人が
サボっていた。

 唱題もいい加減、実践はしない、これでは大失敗は明らかだ。26日10時から
たった1時間の集会のために、どれだけの無駄をするのか?本山周辺の人も、こんな
暑い時に屋外で集会を開く発想自体、常識では考えられない、と語っている。本山には
相当「金」が余っているようだ。事故が起きたら日如、八木らが社会的責任を問われる
ことになる。

166検証会議:2009/07/25(土) 12:51:46
 フェイク 第1048号

 (発行=09.07.24)

 大石寺にサーカス小屋が出現
 迫る大結集総会の準備は杜撰で不備だらけ
 「立正安国論」とは関係ない真夏の無謀な登山

 大石寺では現在、大結集総会を控えて仮設トイレの設置、テント張り、パイプ椅子の
配置、大型スクリーンの設置などの準備を進めているが、杜撰な計画に地元の方々も
呆れている。

 今月上旬には塔の原グラウンドに登山者の仮眠と休憩用の大型テントを業者が張って
いた(下の写真)。

 また、グラウンドの上の駐車場にも休憩用の大型テントが張られ、大石寺は、
まるでサーカス場のようである。更に、客殿前にも大型のテントが張られた。真夏の
猛暑の時に、睡眠不足と空腹で、体力を消耗した高齢者が蒸し暑いテントの中に
入ったら熱中症になるだろう。

 総会の会場予定地である総坊前では、レンタル業者がパイプ椅子を搬入して配置
していた。

 ところが、常灯ケ 峰は地盤が凸凹しているため並べた椅子が傾いている。地面が
柔らかくて法華講員が座ると転倒するのではなかろうか。

 パイプ椅子はメーンステージが見えない建物の陰にも置かれるため、業者が同時放送
のテレビモニターや大型スクリーンの設置などの作業もしていた。ムリに登山
させられても物陰に隠れた椅子に座らされ、テレビモニターを見るだけで、登山の意味
があるのか?

 三門、客殿などには垂れ幕を張り、総本山の提灯を出して準備をしている。また、
境内には今年、毒虫も異常発生しているとのことだが、そんな草むらにも仮設のトイレ
を設置している(下の写真)。

 去る十九日の日曜日には法華講の役員らが登山して、朝早くから山内の各駐車場
などで、汗だくになりながら草取り作業を行っていた。

 だが、日如をはじめ宗門側の役僧共は見てみないふり。本来ならば、主任理事の
佐藤、理事の小川らが率先してやるべき作業だが、坊主共は激励の言葉もかけないで
素知らぬ顔だった。

 この日午前中、地元・静岡のテレビ局が総会前の大石寺を取材していた。総門前や
塔の原グラウンドなどでテレビカメラを回して取材していたが、こんな杜撰な準備状況
を放送されたら物笑いの種だろう。

 総坊中庭ではパイプ椅子の配置をほぼ完了。折角、並べ終わった椅子も雨に打たれ、
会場には水溜まりも出来ている。

 こんな椅子に座って日如の棒読み説法を聞くだけだ。そこには「立正安国論」の精神
など微塵もない。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000743.jpg

167検証会議:2009/07/26(日) 16:57:53
 フェイク 第1049号

 (発行=09.07.26)

 諸天の加護なき邪宗の証明!
 大失敗!日顕宗・大結集総会の第一報
 初日は静岡県下に大雨・洪水・雷・濃霧注意報

 日顕の我見を聞き入れて日如が提唱した大結集総会は開会前から大失敗の様相を
呈している。総会前日の二十五日には静岡県下に大雨・洪水・雷・濃霧注意報が出て
いて、朝から雨が激しく降ったり、止んだりの不安定な天候であった。

 そんな悪天候の中、朝から法華講の役員が会場を点検して、雨に濡れて汚れた
パイプ椅子を拭いて回っていたが、拭き終わった頃には再び雨が強く降り始めると
いった具合だった。

 特に、九州北部や中国方面の法華講員は豪雨のなか、バスに乗り込んでいた。

 夕方、登山者が大石寺に着山する頃になると、雨が一段と激しく降り出した。

 着山した登山者は誰もが疲れ果てた感じであったが、休む時間もなく、御開扉に臨む
という過酷なスケジュールに苦しめられていた。

 日顕宗では法華講の機関紙「大白法」、嘘八百を書き散らす妙観講の「慧妙」を
使って大結集総会の成功を祈った百日間の唱題の功徳は広大無辺とか、七百五十億遍の
唱題によって天を動かす等と宣伝していたが、実際は唱題会に信徒が寺に
集まらなかった。

 また、サボっていた坊主もいたので唱題数は目標の約一割だろう。

 そして、何よりも大結集総会は謗法の行事だから諸天善神が加護していないという
何よりの証拠である。

 警備は妙観講・大草一男を毛嫌いしている日如の意向もあって、「清昌」ではなく、
外部の警備会社に依頼しており、宗門側が言うところの謗法の警備員が、境内各所に
配置されていた。

 思えば、昨年のプレ大会は二月の西日本・九州大会が雪や冷たい雨で、参加者は
震えていた。北海道大会は四月末であったにもかかわらず、前日は猛吹雪に見舞われた
地域もあり、大会の最中には地震が発生し、会場は騒然となった。

 六月の東日本大会も前日は岩手・宮城内陸地震で甚大な被害があったが、自衛隊など
の救援車と逆走して埼玉へ向かう法華講員を乗せた観光バスが世間の非難を浴びたのは
記憶に新しい。

 急病人が続出し深夜、救急車が8台も出動

 二十六日の総会当日、静岡には濃霧注意報が出て、大石寺は朝から深い霧に包まれて
いる(写真参照)。本山は信徒をムリに登山させ、供養を集めるだけで食事やお茶の面倒
も見ない。睡眠不足と過労、空腹で水分補給もできない登山者は体調を崩し、深夜には
早くも救急車8台が出動した。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000744.jpg

168検証会議:2009/07/27(月) 21:06:00
 フェイク 第1050号

 (発行=09.07.27)

 急病・ケガ人続出、救急車がフル稼働
 大混乱!日顕宗の「大結集総会」の真相
 高温多湿の悪天候、日如の話は単なる夢物語

 日蓮正宗と法華講が「立正安国論」を悪用し「正義顕揚七五〇年」などと銘打って
二十六日午前十時から大石寺で開催した大結集総会は大混乱のなか、僅か約四十分間で
終わった。前夜から長距離バスに揺られて疲労困憊で登山した参加者が聞かされた
のは、ニセ法主・早瀬日如の戯言だった。

 日如は宗門の大謗法の足跡、日蓮大聖人の生誕八百年および日興上人生誕七百七十年
を目指して信者を増やしたいとの夢物語、また、世界的な大教団の悪口を言った後、
参加者に出来もしない新たな折伏のノルマを課したのである。

 参加者は高齢者が目立ち、入院先の病院から抜け出してきたような人も含まれて
いた。多分、悪僧に騙され、強制的に連れ出されたのだろうが、付添いの人に
支えられて歩く姿が痛々しく、気の毒としか言いようのない光景も随所に見られた。

 この日の気温は三十四℃で、前日が激しい雨のため、高温多湿の悪天候だった。

 開会と同時に日差しが強くなり、会場の芝生の上は蒸し風呂状態。一方の舗装された
場所は熱したフライパンの上に座らされているような感じであった。

 仮眠するのは仮設テントの中だったが「蒸し暑くて息苦しく、これが地獄なのか、と
感じた」との苦情も聞かれ、当然、眠れるような環境ではなかった。

 さて、総会の事前の準備状況は本紙第一〇四八号で、また総会の悲惨な第一報は
同一〇四九号で報じたので、本号では参加者の気の毒な姿を紹介する。

 第一回の御開扉の際、奉安堂で体調不良を訴えた婦人が意識を失って倒れた。その
婦人は担架に乗せられて場外へ運び出され、そのまま救急車で病院へ搬送された。

 それから間もなく、別の老婦人も倒れた。脳梗塞のようであった。その直後、
今度は塔の原休憩所でも急病人が出て、治療を受けるため運ばれて行った。その五分後
には転倒事故でケガをした人もいた。

 また、二人の婦人がほぼ同時に急患で救急病院へ運ばれた。どうやら循環器系の疾患
らしい。長時間にわたって車の中にいたのが悪かったのかも知れない。

 更に、総一坊からも婦人が救急車で運ばれた。常来坊で具合が悪くなった人は、仲間
が乗用車で病院へ連れて行った。病人が多すぎて救急車が対応できないのだ。

 他にも壇上の坊主が倒れたのをはじめ、総門付近では脳梗塞で倒れた人、重度の
肺炎症状の壮年、側溝に落ちてケガをして何針か縫った人、パニック症候群になった
人、転倒して骨折した人、頭部を打撲した人、呼吸困難になった人、吐き気を訴える
人、腰を痛めて動けなくなった人……もう大混乱であった。熱中症や脱水症状の人は
数知れず、というのが真相である。

 この日の僅か四十分間の会合のために、昨年は全国四ケ所でプレ大会を開き、何も
しない坊主が法華講員に結集を強要し続けた。

 今後、宗門は「七万五千人の目標を上回って七万八千四百二十三人の精鋭が揃った」
と宣伝するだろう。

 しかし、実際の結集数は目標に届いていない。そのうえ、急病患者が続出して、歓喜
も希望も功徳もない惨憺たる大失敗の総会で、疲労だけが残ったのである。

169名無しさん@お寺行こう!:2009/07/28(火) 00:10:46

総会参加しましたよ。

確かに運営はgdgdだったけど…
それ以上噴飯モノの文面しか書けないのが創価クオリティ。

負け惜しみ乙ww

170検証会議:2009/07/28(火) 01:00:56
>>169

>確かに運営はgdgdだったけど…

 gdgdな運営の感想を自白する貴方は正直でよろしい(爆)

>それ以上噴飯モノの文面しか書けないのが創価クオリティ。

 「灼熱地獄」や「救急車の音も結構聞こえてるぞ〜」といった話は、
富士宮ボーイ日記のブログにも記されておりますが(笑)

>負け惜しみ乙ww

 今さらツヨガリの弁をネットで書くより、大石寺に「強制連行」され、
肉体的&経済的に疲労困憊となった老人の同志をいたわってあげた方が
よろしいかと思いますよ(苦笑)

171ありえねー:2009/07/28(火) 01:57:53
 >>169

>噴飯モノの文面しか書けない

と、あったが、具体的にどういうところがどうかまで主張を書けや。単なる煽り、というか、喚きにしかなってねーぞ。カス人間が。また、負け惜しみって一体何に関して言及しているのだ。結集の数とか訳の分からんことを抜かすんじゃねーそwww,

172名無しさん@お寺行こう!:2009/07/28(火) 07:13:23
予想通りのレスww

実際、体調崩して運ばれる人も見たし救急車も2台ほど見ましたよ。
gdgdな運営ではあったけど、得たことも多かったはず。

別に、数だけで云々するつもりは毛頭ありませんよ。
単に数で言えば、信濃町の某名誉会長さんの鶴の一声があれば
うちら以上の数なんてすぐ集まるでしょ?何せ公称1千万だしw

まぁ、うちらは厳しい条件の中gdgdなところはあったけど
どうにかやり遂げたんだからすべてOK。

以上のことを踏まえて、
悪意100%で粗探しに徹する噴飯モノの文面を見りゃ、
うちらにしてみれば単に負け惜しみにしか見えませんわ。

駄文はどこまで行っても駄文なわけで。w

173検証会議:2009/07/28(火) 11:58:39
>>172

>実際、体調崩して運ばれる人も見たし救急車も2台ほど見ましたよ。
>gdgdな運営ではあったけど、得たことも多かったはず。

>まぁ、うちらは厳しい条件の中gdgdなところはあったけど
>どうにかやり遂げたんだからすべてOK。


 京セラドームやさいたまスーパーアリーナ等で、昨年4回も「予行演習」を
やりながら「少し進歩しただけ」のレベルに止まるようでは、単なる
「教団内の自己満足」だろ。

 それと、救急搬送された病人の信徒には同情するけど、
数少ない救急車を大石寺で実質借り切り状態にしたずさんな運営が、
富士宮市住民と芝川町住民の119番にどれほど迷惑なことだったか、
上野村の坊主には反省してもらいたいところだよな。

174JunkDark:2009/07/28(火) 15:41:09
>>172
>gdgdな運営ではあったけど、得たことも多かったはず。
全てを言外に言ってませんか。(笑)

gdgd運営は確定。
得たこと「がある」と断言できないのね。(笑)
も多かった『はず』と、曖昧なのですね。
自分は得たことが無かった、でも誰かは得たはず、と言う事でしょうか?(笑)

175ありえねー:2009/07/29(水) 00:49:41
 >>172

 ハァ?「予想通り」と書き込んでいる脇には具体的に負け惜しみのことも書けないのか貴様は。しかも、「粗探し」ってテメェーがやっているだけじゃねーのか。(詰まり、悪意100%って勝手に捉えているだけじゃねーのか。)
 そもそも、「うちらにしてみれば」で判断するのがおかしい。(というか、自身だけの判断だろ。)仏法の眼で以ってして判断することじゃねーのか。第一、体調を崩す人が出るという状況を予測するなんて容易かったのに決行する意味が分からん。しかも、救急車まで出動させるなんて馬鹿馬鹿しい話だ。

 蛇足だが、鶴の一声って何だ。

176弟子:2009/07/29(水) 17:10:55

すべてはご本尊様が知っています。
あまり悪口を言わないほうがいいと思いますよ。
おめでたいことですので一緒に喜びましょう!

177 ◆4cVqan2W..:2009/07/29(水) 20:14:09
おめでとう!
皆様の飽くなき戦いにより、ついに○浦シンパの学会員は全員○浦の元を去ったことが証明された!!!!
その証拠は、土日に盛況となる非公認掲示板2が、大石寺の結集に合わせて全くシンパの書き込みが無い事だ。全員登山で忙しいのだから当然。
狂ったように書き込んでいるのは、行きたくても電車賃が無くて行けない○浦が20件。シンパの書き込みは2件で。消されたものが一件となっている。

204 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 06:25:59
247 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 06:26:53
9 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 12:29:51
248 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 12:35:29
631 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 18:35:40
632 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 18:48:56
250 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 18:58:41
251 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 19:04:58
252 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 19:18:59
633 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 20:42:04
634 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 21:02:12
635 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 21:04:46
636 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 21:16:25
637 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 22:17:28
638 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 22:21:12
639 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/25(土) 22:41:42
640 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/26(日) 06:37:56
641 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/26(日) 18:35:26
253 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/26(日) 18:38:35
642 名前:○浦○○ 投稿日:2009/07/26(日) 20:52:21

562 名前:○○スルー○ 投稿日:2009/07/25(土) 07:01:41
249 名前:削除済
529 名前:○○ポポ 投稿日:2009/07/26(日)

○○スルー○氏は、土曜の朝に書き込んで出かけた模様。○○ポポ女史は大石寺から携帯で書き込んだ模様。
現在はシンパの帰宅が完了して以前のペースで書き込みが行われている。
今後も活況のふりをして学会員成りすましの輩が非公認板を盛り上げようとするだろう。哀れな限りである。

178 ◆4cVqan2W..:2009/08/02(日) 05:57:45
続報。新情報を総合すると、シンパ役の役割分担と作戦は、凡そ下記の如く想定される。

  役割(重複可)

①内得信仰だけで功徳が出ると示す役(学会の御本尊を否定する証明用)
②組織に批判的な活動家の役(学会の組織否定用)
③婦人部女子部役(色付役)
④遠方からのお助け役(関西や北海道の住所を偽りシンパの分布を広く見せる役)
⑤他の掲示板に出かけて荒らす役

  作戦

メンバーは学会組織への不満や真面目に活動しなくても功徳があるとする論調を展開。同調する者を取り込み面会まで持っていくことが当面の目的。
面会後も派手に脱会を誘うことはせずXDAYを待つ(一斉に仕掛ける日のことか)
IP解析をされると都道府県が特定されるメンバーは、他の掲示板に出かけない事。他の掲示板に出かける時は住所が特定できないよう携帯からの書き込みによる事。

作戦本部は長野県にある模様。少なくとも数人が複数のIPを使った成りすましをしている事がすでに証明されている。

179検証会議:2009/08/03(月) 11:59:54
 フェイク 第1051号

 (発行=09.07.31)

 日如の妄言に法華講員は唖然
 大結集総会に関する宗門記念局文書を嗤う
 六年後に五十%増、十二年後に八十万?

 日蓮正宗では二十六日の立正安国論正義顕彰七五〇年記念の大結集総会の直後、
「大勝利の件」という恥知らずな記念局文書を配信した。そこには「法華講の精鋭
七万八四二三名(要員信徒、鼓笛隊を含む)が参集」等と書いている。

 実際は目標に及ばない結集数だったが、仮に何人が集まろうと、そんなことは自慢
する出来事ではない。

 「立正安国論」には病人や歩行困難な高齢者、小学生を含めた法華講員を真夏にムリ
に登山させ、供養を取れ等とは書かれていない。

 今回の大結集総会は「立正安国論」の御精神とは無関係の日如と日顕の気紛れな
思いつきに他ならない。

 日蓮大聖人が、文応元年(一二六〇年)七月十六日、時の権力者・北条時頼に提出
された「立正安国論」は、客(北条時頼を想定)と主人(大聖人)との十問九答から
なる問答形式で著されている。そこでは誤った仏教に執着し、打ち続く災難を嘆く客に
対して、主人が「災いの原因は正法に背き、悪法を信じているからだ」と諭されている。

 また日寛上人は「文は唯日本及び現世に在り、意は閻浮及び未来に通ずべし」
(立正安国論愚記)と指南された。未来永遠にわたる全世界の平和と全民衆の幸福を
確立することこそ仏法者の究極の誓願なのである。

 無謀な結集など明らかに立正安国論とは無縁の愚挙である。「一身の安堵」
のみならず「四表の静謐」を願う学会の対話運動こそが、大聖人の教えに適った最も
正しい仏法実践の在り方なのである。

 また、記念局文書では「御法主日如上人猊下の御指南を心肝に染め、参加者全員が
新たなる御命題、遠くは平成三十三年宗祖日蓮大聖人御誕生八百年における八十万
法華講の達成、近くは平成二十七年日興上人生誕七百七十年における法華講員の
五十%増に向かって」と大法螺を吹いている。

 法華講員数は十万にも満たない。八十万といえば今の約十倍である。倍増もできない
宗門に十倍以上の折伏は絶対に不可能であり、日如の妄想に過ぎない。

 日顕は怪談と寝言、日如は誇大妄想狂

 日顕は赤ん坊を抱いた女の幽霊の話や「夢のお告げ」等が得意だったが、日如は
誇大妄想狂である。この度、出来なかった七百五十億遍の唱題も一例だが、法道院に
いた平成十六年四月十一日、御講で十億人を折伏すると息巻いていた。

 「一年に一人が一人を折伏すると二人になりますよね。次に、この二人が一人ずつ
折伏する、四人になります。その翌年、この四人が折伏したら八人になりますよ。
十年経つと千二十四人。二十年経つと百四万八千五百七十六人。三十年経ったら何人に
なると思いますか? 驚くことに十億七千三百七十四万人、三十年で十億…」と
日如一人が興奮し「力の限りを尽くしてやる」「やれば出来ないことはない」と
熱病患者の譫言(うわごと)にも似た発言をした。

 この御講に参加していた約四百人は皆、日如に軽蔑の眼差しを向けていた。
折伏経験のない日如は「難事中の難事」だと分からない。

 今回も日如の八十万達成の妄想に同意して決意する法華講員は皆無だと断ずる。

180ファビウス:2009/08/08(土) 21:57:46
自民60点、公明66点=財源確保に不安、民主は58点−知事会のマニフェスト評価
8月8日19時18分配信 時事通信

 全国知事会は8日、自民、民主、公明3党の衆院選マニフェスト(政権公約)のうち、地方分権改革に関する評価結果を公表した。国と地方の協議の場を法制化し、改革実現への仕組みをつくることや、地方の税源充実などが採点基準で、トップは公明の66.2点。自民が60.6点で続いた。民主は、自動車関係諸税の暫定税率廃止などが、地方財源の確保に悪影響を与えるとの懸念から58.3点となった。
 基準は8項目で満点は100点。作業に参加した29知事の採点結果を平均した。それぞれの知事が付けた点数は非公開。記者会見した政権公約評価特別委員会委員長の古川康佐賀県知事は「3党の点数が似通い、合格点と思える点が付いたのは、(知事会の)運動の成果だ」と述べた。

181日々朗らか(大勝利):2009/08/08(土) 22:16:29
>>180
急になんですか(笑)。ヘビウスさん。

182検証会議:2009/08/11(火) 01:45:25
 越 洋

 平成21年8月1日

 日顕宗が大騒ぎして7月26日に強行した「立正安国論正義顕揚七百五十年」
記念の大結集総会とは、一体何だったのか? 苦しんで参加した法華講員は、
言いしれぬ空しさを感じている。総会の後に残ったのは自然破壊の残骸である26ヶ所
もの無駄な駐車場だけである。(右写真)寺の境内には蝉の鳴き声も余り聞かれない。
アスファルトに覆われた駐車場の地下から幼虫が這い出すことが出来なかったのである。

 総会前日は猛烈な雨で、当日は開会直後から日差しが強くなり、高温多湿の最悪の
条件での総会だった。温度34℃、体感温度は40℃を超え、湿度70〜75%で不快指数は
限界を超えていた。仮設テントには冷房は無い。食事も水分補給も思うように
できない。前夜来、長距離バスに揺られて睡眠不足と疲労、空腹が重なって体調を
崩した人が多く、救急車で搬送される登山者が後を絶たなかった。意識不明になった
高齢者、濡れた道路で転倒して骨折した人などもいて、救急車も対応できないほどの
急病人の多さだった。

 坊主に奴隷扱いされる法華講員は「御開扉料が2,100円とは高すぎる」と慨嘆する。

 因みに、結集数が宗門の発表通り78423名だと御開扉料は164,688,300円にもなる。
京都の神社仏閣でさえ拝観料は無料か300円以下。せいぜい400円、500円が
ほとんどで、千円以上は3ケ寺ぐらい。大石寺はボッタクリバーと同じだと
人生経験豊富な壮年が怒っていた。

 思えば、日顕が平成十四年の三十万登山の際、「倍増」と言った。具体的な内容は
言わずに宗内を惑わし、平成十七年十二月に身体の調子が悪くなり、腰の激痛で御本尊
の模写も出来なくなって退座した。丑寅勤行はさぼり放題、広宣流布、令法久住の事は
考えず、一族の繁栄だけを願った法滅坊主の仏罰の姿である。

 突然、ニセ法主になって、日顕の「ご命題」を引き継いだ日如は戸惑いながらも
五十万登山と七万五千人の大結集総会を打ち出したのだが、総会は悲惨な結果に
終わった。五十万登山も惨敗だろう。その日如は今度、平成三十三年の大聖人御生誕
八百年には法華講を八十万にすると言い出した。だが、これを「ご命題」と受け止める
僧俗は一人もいない。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000747.jpg

183検証会議:2009/08/11(火) 01:45:49
 石山だより

 平成二十一年八月六日

 一、七月二十六日の早朝六時三十分、静かな片田舎の本山でドドーン・ドーンと轟音
が響き渡った。総会の開幕を告げる打ち上げ花火だ。突然の大音響に驚いた周辺の犬が
激しく吠え始め、周りの木々からはカラスの大群が一斉に鳴きながら飛び立った。前夜
は登山者を乗せた約二千台の大型バスの往来で安眠を妨害された地元の人々にとって
大迷惑なことである。昼間は奉安堂に群がるカラスも肝を冷やしたことだろう。
因みに、鳩は日顕の命令で皆殺しにされたので、今は殆どいない。

 一、二十五日(土)に日顕が目通りで「総会をワシが打ち出して、日如さんが具体化
してくれた。今日までのことに感謝します」なんて言っていた。平成十四年の三十万
登山の際、平成二十一年には六十万登山と明言すればいいのに「倍増」とお茶を濁し、
自分では何にもやらない。法務をサボリ、平成十七年十二月には体調を崩して、
やむなく日如さんに丸投げした。本当に無責任・懶惰懈怠・堕落坊主という以外ない。
法主の座を日如さんに譲りながら、その後、腰の痛みは治ったと言い、何かにつけて
院政を敷いて、八木、信彰、百合子を使い、日如さんの邪魔を散々してきた。

 一、総会の運営は、実は某社に頼んで、全て金任せでやってもらったことだ。
「大成功」と有頂天になっているが、坊さんがやったのではない。また
「七万八千四百二十三名結集した」と発表したが、これもゴマカシである。日如さんの
話の中で三万、六万、十万、三十万登山に触れていたが、実際の結集数とは相当に
かけ離れた数字だ。そんなことは末寺住職が一番よく知っている。まやかしである。

(内事部のエバリ腐った者の態度に日顕の影を見た。人の苦労が分からない最低の坊主
に辟易する無任所鼠)

184検証会議:2009/08/11(火) 10:32:34
 フェイク 第1052号

(発行=09.08.09)

 諸天が見捨てた日顕宗の総会
 お粗末な「慧妙」の無駄な抵抗を粉砕する
 食事と茶の代わりに氷を配布、と珍弁解

 妙観講が作っているクズ新聞「慧妙」の八月一日付の一面に、本紙への下手な反論を
載せている。そこで、お粗末な「慧妙」の記事の矛盾を突き、粉砕する。

 日如、日顕の気まぐれから法華講員を酷使して先月二十六日に大石寺で開いた
大結集総会が無残な大失敗に終わったことは本紙第一〇四九(七月二十六日付)・
一〇五〇号(二十七日付)で報じた通り。総会前日は大雨・洪水・雷・濃霧注意報が
出され、当日は高温多湿の悪条件が重なっていた。

 そのため前夜から長距離バスに揺られて睡眠不足と空腹で疲労困憊だった参加者の中
から急病人が続出し、境内のあちこちで高齢者らがバタバタ倒れて救急車も
対応できないほどだった。

 この事実を紹介した本紙に対して「慧妙」に反論らしき駄文を載せている。

 ところが、本紙の「諸天の加護なき邪宗の証明!」(第一〇四九号)、
「開会と同時に日差しが強くなり、会場の芝生の上は蒸し風呂状態。一方の舗装された
場所は熱したフライパンの上に座らされているような感じであった」(第一〇五〇号)
との記述が図星だったため、「慧妙」は反論もできず、感情的な悪口に終始しているに
過ぎない。

 また、本紙の「本山は信徒をムリに登山させ、供養を集めるだけで食事やお茶の面倒
もみない」との記述に対しても「慧妙」は「開会前に参加者全員にかち割り氷が一袋
ずつ配られ、参加者はこれを思い思いに有効活用していた」と愚かな言い訳をして
いる。

 空腹と疲労と睡眠不足の法華講員にとっては、袋に入った氷が「食事とお茶」の
代わりだったのか?

 その「慧妙」は、記事の冒頭部分で「爽やかな日差しと涼風が会場を包んだ」と
真っ赤な嘘を書いている。本当に涼風が会場を包む天候なら、氷など配る必要は
なかったはずだ。

 会場は「蒸し風呂状態」「熱したフライパン」の上の灼熱地獄のような状態だった
から、せめて氷でも配らないと参加者は耐えられなかったのである。

 早瀬一族の登座を否定した大草一男

 総会が四十分で終ったのも、猛烈な暑さで氷が溶けた水が生温くなるのを計算しての
ことだったのではないのか?もし、総会が僧俗指導会のようにダラダラと続いていたら
病人が増え、死人も出ていただろう。

 更に、本紙は「睡眠不足と過労、空腹で水分補給もできない登山者は体調を崩し、
深夜には早くも救急車8台が出動した」とも書いた。これに関して「慧妙」は何の釈明
もできていない。

 ついでに「慧妙」は「御法主日如上人猊下は……」と書いているが、妙観講の
大草一男は日如の父・早瀬日慈を裏切り、策略を巡らして罠にはめ、法道院を離籍した
腹黒い奴である。

 その件は日如も十分に承知しており、日慈に「妙観講と戦いますか?」と問うたこと
もある。そして宗内の老僧に「俺の眼の黒いうちに妙観講を潰す」と断言していた。

 一方、大草も法道院を離籍した後、「法道院の早瀬一族から次の猊下が出るとは
到底、信じられない」と日如の登座を否定(本紙第六五九号に詳述)していた。

185名無しさん@お寺行こう!:2009/08/12(水) 07:27:55
フェイクのファビョりっぷりには酷いですな…(苦笑


ここの皆さんは本当にこの辺の駄文を本気で信じているのですか?

186検証会議:2009/08/12(水) 08:14:23
>>185

>この辺の駄文を本気で信じているのですか?

 そういうあんたは、暑い最中に老人信者を集めたあげく、病人の量産や
救急車をフル稼働させて恥じない坊主を「本気で信じてる」わけね(笑)



>172 :名無しさん@お寺行こう!:2009/07/28(火) 07:13:23

>実際、体調崩して運ばれる人も見たし救急車も2台ほど見ましたよ。

187一ロム者:2009/08/12(水) 09:07:51
世間では熱中症は屋内でもおこるので、特に高齢者や幼い子どもには水分を十分に摂取するように
注意を呼びかけています。わざわざ真夏に大勢の信者を屋外に動員終結させているということ自体
非常識といわれても仕方ないでしょうね。一宗の行事のために救急車を何度も使用するということは
富士宮市の市民のみなさんの救護活動に支障をきたすことになるのではありませんか。

188参加者A:2009/08/12(水) 10:10:26
2〜3台でフル稼働?

富士宮市警察。消防の全面協力の下開催したんですよ。
富士宮市を馬鹿にしないでください。

大石寺では予め静岡新聞等に地元の方々にご迷惑をかける旨の大広告もしており、市内駐車場使用料。市内警備会社。市内清掃業者。市内飲料業者。カチワリ氷8万袋(富士宮物産協会)等、富士宮市に対して気を使っております。

食事、飲み物が出ないのは何年も前からわかってること、各自用意してきた。

誰も困ってないのに、悪意に満ちた書き方をするフェイクは逆に凄い。

行きたくなければ、誰も行かないよ。

大聖人にお会いしたく、万難を廃して登山する人を悪く言ったら罰あたりますよ。

189一ロム者:2009/08/12(水) 17:44:52
文面中、どこにも富士宮市を馬鹿にした箇所は見受けられません。
また、信徒さん等を悪く言っていないと思いますよ。
信徒のみなさんが可哀想でなりません・・・w

190ありえねー:2009/08/14(金) 04:09:17
 >>188

 はぁ?日蓮正宗って他の人達には信徒以外の人には一切触れさせない独善的な宗教活動を迷惑掛けてまで平気で行う団体なのか。「富士宮市警察。消防の全面協力」とか抜かしているが、そもそも、今年最初の登山会の現状を知っていたら市も恐くて任せておけないわなwww.というか、両側車線に路注して公道を通行止め、もしくは、著しく交通の妨げとなることをしたにも拘わらず今年最初の登山会では何で市内の駐車場を借りなかったのだ。


 蛇足だが、個人的に凄いと思ったのは救急車が出動したという事実を認めながらも『誰も』困っていないと思える頭の緩さ加減www.日蓮正宗が決して一人を大事にしない団体であることを教えてくれた。(やっぱり全体主義なのかいwww.)

191名無しさん@お寺行こう!:2009/08/14(金) 19:08:14
>>190
支離滅裂。
あんたも少しファビョってないか?www

それにさ。
私は確かに救急車を山内で見たが、
その救急車が体調を崩した講員を搬送しているとは限らんだろうに?

救急車を見たってだけで鬼の首を取ったが如く喧伝しているあなた方っておめでたいですねwwww

192検証会議:2009/08/14(金) 20:25:00
>>191

>その救急車が体調を崩した講員を搬送しているとは限らんだろうに?

 当日、山内で見かけた救急車が、灼熱下に7万(公称)集めた中で
体調崩した講員を運んだのでなければ、大石寺周辺の居住人口が
多く見積もって数百人にすぎない上野地区住民だったって思ってる
わけか?(呆)

 体調崩した講員や救急車を見かけておきながら、講員や病人に対する
心配の念より、大会大成功の体裁を保ちたいだけの隷属信者の発言には
実に哀れさを感じさせますな。

193情報提供:2009/08/14(金) 21:17:49
救急車で運ばれたのが、夜から一睡もせずに写真を撮りまくっていた創価謀略部隊の青年部らしい

194長野を追い出された人:2009/08/14(金) 21:20:58
斧板より転載

 特ダネ★田中康夫参議員、政治資金規正法虚偽記載か?
  http://blog.livedoor.jp/tuigeki/archives/52415578.html

195情報提供:2009/08/14(金) 21:34:05
創価学会では8月の猛暑の中、数百万人の老若男女を動員して選挙運動に駆り出されるらしい。

何分にも体調不良を起こして救急車の世話にならないよう注意してもらいたいものです。

196一ロム者:2009/08/14(金) 21:51:32
富士宮といえば? ずばりヤキソバでしょ♪
それから「正本堂」だね。えっ!ないの? あの素晴らしい建物、もうないんだw

197検証会議:2009/08/14(金) 22:00:50
>>193

 語尾に「らしい」をつけるってことは、事実である確証を持って
ないわけね?(苦笑)

 灼熱下で急病起こして救急搬送までされたあげく、身内から
「謀略部隊」の暴言まで受けるなんて、救急搬送された講員に
同情したくなりますな(哀)

198検証会議:2009/08/14(金) 22:03:36
>>195

 どっかの邪宗教団みたいに、灼熱の屋外1ヶ所に数多くの老人を集めるイベント
なんてやりませんし、選挙運動自体は自民・民主・共産・社民等も支援組織含めて
行っているものだ。

 猛暑の中で脳味噌が熱くなって思考回路がオカシクなったのかどうかはわからんが、
脳味噌冷やそうとカンチガイして119番回して消防車の世話になろうなんてことは
やらないように注意してもらいたいものですな(爆)

199天城五兵衛:2009/08/14(金) 23:53:26
>>194
議員一人で、2億円もの政党交付金を使用出来てしまうのは異常なことだ。
国の財政は先進諸国でも最悪の状況にあり、私達の生活は逼迫され、将来へ不安を抱く人々が多いのに、一国会議員が自由裁量で2億円もの私達の税金を使用出来るのは到底許される事ではない。
庶民の生活を大事にする国会議員ならば、政党交付金を受給出来なくなった段階で速やかに国庫に返却するのが当然だ。
「役者と乞食は三日やったら辞められない」と言われるが、国会議員然りである。
この様な運用を認めてしまう現在の法律も速やかに改正するべきである。

200参加者A:2009/08/15(土) 09:28:41

甲子園にも、国立競技場にも人は集うでしょう。

目的の為に一ヶ所に集うのも本人の自由、支持する党の応援に駆けずり回るのも自由。たとえそれによって具合が悪くなっても、本人は心得ておりますし、決して「高野連が開催したからだ」とか「池田先生が号令をかけたからだ」とかにはならないのです。

皆進んで参加しているのです。

それを口汚く外部が、仮にも宗教者の言うことではありません。

「俺は野球が嫌いだ。猛暑の中、人を何万人も甲子園に集めるなんてどうかしてる。
気分が悪くなった人も出たじゃないか!高校野球大会は大失敗だ!

甲子園に集められた人々は不幸だ。」

お馬鹿さんですよね(笑)

201一ロム者:2009/08/15(土) 10:31:15
富士宮のオオイシデラの集いと甲子園の高校野球を一緒にはできないと思います。
甲子園には我が子が試合に出るから、我が学校の試合だから、後輩が出るから、・・・高校野球が好きだから等
応援にやって来る場所です。
しかし、富士宮のオオイシデラの集いには末寺からの参加結集目標が掲げられ、総本山側の御開扉のご供養金等
の目標もある。全然違いますねw

202 ◆4cVqan2W..:2009/08/15(土) 17:32:46
仮に進んで参加しているとしても、だ。
登山すると供養があるとか、坊主に供養するといいことがあるとか、皆単に騙されているに過ぎない。(笑)

203一ロム者:2009/08/15(土) 19:38:42
先日、某TV番組で派遣の坊さんたちがいることを知りました。
檀家の数だけでは暮らしていかれないので派遣会社に登録し、
要請(葬儀・墓所に出向く)を待ち自ら現地に足を運ぶというもの。
オオイシデラでは、団体登山方式がおいしくて笑いが止まらないのでしょう。

204検証会議:2009/08/17(月) 12:41:29
 勝ち戦 第139号

 2009年8月17日(月)

 大総会、役僧寺院が相次ぎ敗北宣言!
 水島公正は虚偽報告を指示!
 本行寺、前代未聞の粉飾工作も虚しく未達!

 「七万五千総会」。七万八千名が結集という本山の大本営発表とは裏腹に、末寺では
敗北宣言が相次いでいる。

 中部布教区支院長で玉泉寺(名古屋市)住職の佐々木慈啓は、八月一日の会合で、
「我が支部も、先般の登山には残念ながら目標を割ってしまってね、残念でした・・・」
と、意気消沈した面持ちで敗北を宣言。

 佐々木は、六月二七日の中部布教区広布推進会では「来月の今日は皆で乾杯!
う〜ん、たぶん私は飲むと思いますよ。間違いなく」と、大見栄を切ってはしゃいで
いたが、蓋を開ければキャンセル続出で大幅未達。こんな口先だけのふざけた支院長は
クビにした方がよい。佐々木は今後、どの面下げて布教区に顔向けするつもりなのか、
注目だ。

 能化の高野日海が住職を務める本行寺(墨田区)も、結集目標未達で惨敗に終った。

 八月九日の御講で高野は、敗北のショックからか憔悴しきった様子で現れ、壇上に
上るにも足下を一歩一歩確かめるようなフラフラした足取りだった。説法中も
「ゲホッ!オエッ!」と何度もゲロを吐くような仕草を見せるなど、よほど体調が悪い
ようだ。今年に入り能化がバタバタ病死しているだけに、高野も他人事ではなく、
「明日は我が身」と用心すべきだ。

 本行寺は結集目標一一八九名に対し、結果は一一二五名。目標に六四名不足した。
目標は途中で上乗せされたが、当初の目標にも四名足りず、いずれにしても敗北だ。
しかも、その内の二名はなんと、住職の高野と高野の女房が数として含まれている。

 六月二八日の会合で講頭の丸山は、「一昨日、御能化様よりお電話を頂いて、
『ご自分と奥様の分もカウントに入れてほしい。登山費はどのように払ったらよいか』
とのお話がありました」と、切羽詰った住職が、自ら掟破りの粉飾に走った経緯を暴露
している。こんなことは前代未聞のことだろう(笑)。

 埼玉布教区支院長の藤本信恭は六月の広布推進会で、「ご承知の通り、この戦いは
一支部でも完遂出来なければ、これまでの戦いは負けとなってしまうのであります」と
明言している通り、目標未達の寺が続出している以上、「大結集は敗北」と素直に
認めなければならない。事実、七万五千名の結集にすら遠く及ばなかったことは、全国
の末寺住職はもとより、講頭以下全信徒の実感だ。

 未達を素直に認める寺もあれば、教学部長の水島公正が住職の能安寺(所沢市)の
ように、当日のキャンセルが続出し、目標より大幅な未達になったにもかかわらず、
申込者数を結集数として虚偽報告をさせた上、宗門が作った薄っぺらな総会の写真集を
一冊二百円で信者に売りつけ、「勝った!勝った!これを持って学会員を折伏しろ」と
号令をかけている悪質な寺もある。大半の信者が虚偽報告の事実を知っており、
こうした住職のインチキ体質が信者の寺離れを加速させているのだ。

 今回の「大結集?」とやらで、日顕宗の限界点が明らかになった。所詮、日月を
わらう蛍火、華山を下す蟻塚だ!

 編集部(転載可)

205一参加者:2009/08/17(月) 20:34:23
あの総会をこの様なくだらない文章で批判する。だから創価学会は世間から馬鹿にされるのですよ。自分達だけだよ。素晴らしい団体なんて言っているのは。社会を見なさい。あなた方、世間に向かって自分が学会員だなんて、恥ずかしくて言えないだろう。

206一ロム者:2009/08/17(月) 22:52:26
この盛儀には、御法主日如上人猊下・御隠尊日顕上人猊下が御臨席あそばされ、記念局委員長の総監・八木日照御尊能化、同副委員長の重役・藤本日潤御尊能化をはじめ、
山内・全国・海外の御僧侶方が列席された。
また、記念局副委員長で法華講総講頭の柳沢委員長をはじめとする地涌の使命を持った法華講の精鋭が全国から集った。(インターネット大白法)


僧が上、俗は下。僧にも階級があるようですねw

207一ロム者:2009/08/17(月) 23:00:12
御法主・御隠尊=御臨席あそばされ
一般僧侶=列席された
講頭・講員=集った


坊さんてそんなに偉いわけ?w

208講員A:2009/08/18(火) 22:42:24
池田名誉会長=集った

学会首脳部=集った

一般会員=集った


とはならないでしょ

常識の範囲ではないですか

揶揄する事に必死がゆえに足下が見えてないのでは

それよりも暑い中、お盆明けの忙しい中、選挙運動ご苦労様です。

創価学会の活動における矛盾点を克服できればいいですね。

209一ロム者:2009/08/18(火) 23:52:42
通常すべて「出席した」ですね。
海外からの会員にはいつも「ようこそお越しくださいました。」と会長が声をかけますよ。
「ご臨席を賜る」と表記する場合は、来賓(学会員以外)に対してになるでしょう。

私は坊さんより信徒さんたちの方が偉いと思います。坊さんを養ってあげているのですから。

210うず:2009/08/19(水) 00:00:11
講員A氏の書き込みは笑える。
常識の範囲って……

坊主がそんなに偉いのか(゜▽゜=)ノ彡☆ギャハハ!!
そんなに権力悪が好きなのであるのならば、民主からでも出馬すればいいのに・・;

211講員A:2009/08/19(水) 10:04:15
貴方も常識お分かりなんですね。

七万五千総会は法華講連合会主催ですから御僧侶方はすべて来賓としてお迎えいたしました。

貴方のおっしゃった通りの言葉遣いで正解ですね。

池田氏はじめ学会首脳、本部職員などは一般会員が養っているから一般会員より下なんですね。


師弟子を正す法門なり

師に対しては礼をつくすものですよ

上とか下とかの発想は何処からくるのか理解出来ないですね。

そういったなんでもかんでも平等みたいな考え方が今の日本に蔓延し下剋上のていをなしているのですよ。

212一ロム者:2009/08/19(水) 12:38:39
僧と法華講は一体ではないのですか?どちらかが日蓮正宗ではないのですか?
結集の大号令はどこから出たのですか?あの方なんでしょう?(笑)
苦し過ぎますw

教えて差し上げましょう。
宗門関係者以外の方々をご招待しご出席頂いた場合に来賓と称するものですよ。

213検証会議:2009/08/19(水) 12:52:15
 越 洋

 平成21年8月20日

 立正安国論に「旅客来たりて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘
・遍く天下に満ち広く地上に迸る」と記されている。まさに「立正安国論」記念の
大結集総会を7月26日に決行してからというもの日本を始め全世界に天変地異が
起こっている。

 8月11日午前5時7分ごろ、駿河湾を震源とする強い地震があり、静岡県伊豆市、
焼津市などで震度6弱を観測した。その時の地震で東名高速の牧之原サービスエリア
(静岡県牧之原市)の東約5キロ付近で、上り線の路肩ののり面が約40メートルに
わたり崩落したほか複数の場所で亀裂や陥没が見つかった。このため、一部区間で
通行止めとなり、復旧作業が続いた。東海道新幹線も運休し、お盆を前に交通機関に
大きな影響を与えた。

 また、海外に目を向けると宗門の寺が6ヶ寺もある台湾では、台風8号により甚大な
被害を受けた。台湾の防災当局は8月12日、台湾中南部での台風8号による大雨被害
が、死者103人、行方不明者61人になったと発表した。いくつもの場所で土石流が発生。
高雄県甲仙郷小林村や、その南約20キロの新発村が埋まったが、避難民の救出を優先
しているため、死者・行方不明者の確認が遅れている。屏東県など他の山間部で救助を
待つ被災者も多数おり、家を失った被災者は1万500人に上るとされる。台風の被害は、
その後も更なる拡大をしている。

 更に、『インドネシア』でもまた8月16日午後2時38分(日本時間同4時38分)
ごろ、インドネシア・スマトラ島の西方沖でマグニチュード6.7の強い地震があった。

 心ある法華講員からは、"大聖人の仏法をねじ曲げバカな総会を行った宗門に諸天が
怒っている"と語っていた。

 そもそも『立正安国論の御精神』とは、どこまでも民衆の苦悩を我が悩みとし、
その人々を悩ます魔性に対して徹底して言論の力で戦い抜く闘争の行動の中にこそある。

 ただ炎天下に7万8千人?を集め40分の総会をしただけで、立正安国の御精神など
微塵も見受けられない。どこまでも民衆の中に入り一対一の対話を通して同苦し、
世界192カ国まで大聖人の仏法を広めた学会の中にこそ『立正安国の御精神』が脈々と
受け継がれている。「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」と。
此の一凶こそ日顕と日顕宗なのである。

214検証会議:2009/08/20(木) 18:36:58
 顕正会短信

 2009.08.19

 「謀略」と喚く顕正会幹部の作文を破す

 顕正会は、5月6日に仙台市体育館で行った「女子部幹部大会」以降、総幹部会や
各地の集会で狂ったように「謀略」という登壇を連発させ、会員らの意識誘導に必死
だ。いずれも隊長・区長・総班長という幹部クラスが声を荒げ目を吊り上げ「謀略、
謀略」と喚く様は既に正気の沙汰を超えている。

 例えば顕正新聞8月5日号に掲載された秋田の女子部区長の登壇では、女子部幹部
大会に登壇した組長に嫌がらせが多発し、全治十日の怪我まで追わされたため、現場を
抑えるべく張りこみ、車で逃げる謀略実行犯をカーチェイスさながら追いかけたという
ことだが、「謀略」としてビラ撒きや脅し、ストーカーなど数々の「行為」を挙げて
いながら最初から警察に相談しないのはなぜか。しかも預かる後輩が「全治十日の怪我
をさせられた」というなら、なぜその段階で警察に捜査を依頼しなかったのか。まさか
これらの「謀略」が起きていたことをを全く知らなかったというのか。これでは区長と
して失格だ。

 更に「謀略実行犯の逃げる様子を携帯で実況中継」「犯人は大通りをノーブレーキで
横断」などと述べているが、よく「猛スピードで逃げる車」を実況中継しながら
追いかけられるものだ。事実なら、区長も同様の危険運転をしていたことになる。
また、「機動隊も出動」と書かれていたが、これだけの事件になると間違いなく
新聞沙汰だが、報じられた形跡もない。そもそも顕正新聞紙上に日付を特定できる表現
が一切見当たらない。いきなり「この日」で話が切りだされるのだから、ウラを
取られる事を恐れてワザとぼかしているのだ。そして、どの登壇でも必ずと言っていい
ほど付け加えられる「学会の仕業ですね」と警察官が述べるくだりは、完全なウソで
ある。現場で警察官がそのようなことを言うことは有り得ない。これすべて、学会側が
反論してこないことを見越した「作文」なのである。一刻も早く学会が法的措置を
取り、被告として浅井を法廷に引きずり出すことを願う。

 ところで、肝心なことを見落としてはいないだろうか。犯人が顕正会員であるという
可能性も排除できないのだ。掲載されていたビラをもって「学会の謀略」と断定できる
証拠はない。むしろ文面からは「妬み」「嫉み」「やっかみ」のような印象を受ける。
ちょっと注目された人物に対する嫌がらせという「仮説」を排除するわけにはいかない
だろう。「学会員を装った電話や脅迫文作成」など、顕正会員にだって簡単にできるの
である。「自分たちは絶対正しいからそういうことをする人間なんていない」というの
は勝手な思いこみに過ぎない。

 そうそう、「謀略」と騒ぐ顕正会だが、自分たちが勧誘対象者を呼びだしたあと、
わざとらしく幹部が同席して勧誘する手口を「謀略」と言わずして何というのだ?

215検証会議:2009/08/20(木) 18:37:27
 大石寺短信 第467号

 平成21年8月13日(木)

 日顕宗の動き

 1.新たな折伏目標の押しつけに白ける講頭たち

 去る2日、大石寺で講頭・副講頭会が行われた。この会合の目的は、7万5千総会で
発表された「12年後の平成33年までに法華講を80万人に」「6年後の27年までに各寺が
講員数50%増」という二つの目標の徹底を図ることだという。

 しかし開催前から、7月15日の大法要、26日の結集総会に続いて本山へ呼び出される
講頭・副講頭の間からは、「結集総会の時にまとめてやってもらいたい」「半月間で
3回も登山するのは大変だ」といった不満の声があがっていた。そして果たして、その
内容のお粗末さが彼らの怒りを増幅させた。

 庶務部長の阿部信彰は、竜の口の法難や熱原の法難を引き合いに出して、「身命を
なげうって実戦することが大事」と力説。総監の八木も「結果を出さなければ
日蓮大聖人に申し訳ない」と言い放った。

 しかし、毎年、折伏目標の2、3割程度しか達成できない寺の坊主たちが、役僧の権威
を笠に着てこんな大見得を切ったなら、「自分で結果を出してから言え」と言われるの
が落ちである。

 信彰、八木に続いて登壇した日如も、謗法の恐ろしさを延々と強調するだけで、今回
の新たな目標の意義などについては一切言及なし。そして最後は、法華講委員長・柳沢
のいつもの支離滅裂の与太話。参加者が「この程度なら、わざわざ集めるな」「交通費
を返せ」と怒ったとしても致し方あるまい。

 「80万」だの「50%増」だの、夢のような目標をたてたところで、本年まで掲げて
きた「折伏倍増」が大失敗、結集も大惨敗、今まで何から何まで達成したためしがない
のだから、聞く方は白けるばかりだ。

 12年後には、信者が増えないまま、「80万登山」なる途方もない「ご命題」のもと、
一人が年間、何十回も登山させられる羽目になることは必至だ。

 2.講頭会の帰りに講頭が交通事故死

 今月3日午前6時ごろ、岩手県宮古市の日顕宗寺院・妙応院で法華講講頭を務める
橘勝氏(60)の乗用車が、大型トラックと正面衝突し、間もなく橘氏は外傷性ショック
などで死亡した。

 現場は片側1車線の左カーブで、宮古署によると橘氏の乗用車が対向車線にはみ出し、
大型トラックと正面衝突したとみられている。

 橘氏は2日に本山で行われた講頭・副講頭会からの帰りだった。事故の目撃者に
よれば、橘氏の車は蛇行運転を繰り返しており、やがて対向車線のトラックに
突っ込んでいったという。橘氏が居眠り運転をしていた可能性もある。

 7月15日の大法要、26日の7万5千総会への参加に続いて、本山に集められた講頭・
副講頭たち。相当、疲れがたまっているはずだ。開催前から、宗内関係者も「あまりの
過密日程。死人が出るのではないか」とささやいていたというが、その心配は現実の
ものとなった。

 7月26日の7万5千総会でも、真夏の過酷な行程が強いられる中、多くの病人、事故者
が出た。信者のことなど全く考慮しない日顕宗の冷酷、無慈悲な体質がますます
浮き彫りになっている。

216検証会議:2009/08/20(木) 18:38:19
 フェイク 第1053号

 (発行=09.08.20)

 宗門が顕正会のインチキ勧誘を模倣
 正副講頭会を開き、人数で競う方式に変更
 本尊下付を軽視、増えるのは幽霊講員だけ

 日顕宗では「誓願成就」の掛け声も虚しく「地涌倍増」の命題をリピーター登山者数
五十万の数字合わせで誤魔化している最中だが、折伏が一向に進まない状況は深刻だ。
これまで八木日照、阿部信彰、柳沢喜惣次らが僧俗指導会で檄を飛ばして回っていたが
全て不発。入信者より脱講・行方不明者や死者の方が多く、講員は減少の一途を辿って
いる。

 そこで去る二日、第八回講頭・副講頭指導会を学会寄進の大講堂で開き、折伏成果の
変更を発表。「折伏成果は御本尊下付数ではなく、人数で掌握していく」と改変した。

 席上、日如、八木、信彰、水島公正、柳沢が異口同音に「六年後の平成二十七年まで
に全支部が講員数の五十%増、十二年後の平成三十三年までに講員八十万人の達成」を
強調。しかし、自分が率先して実践すると発言した者は一人もいなかった。このうち
水島は「確認すべきことは、講員人数の五十%でありまして、世帯数の五十%では
ない」と力説。「従来は御本尊下付の世帯数をもって主な成果としてきたが、今後は
講員になった人数を重視する」旨を述べた。

 では、御本尊下付を軽視し、人数で掌握する真意は何か? これは顕正会と同じ
インチキ方式で、いくらでも講員数を水増しできる。

 というのは、あの邪教・顕正会は会員が殆ど増えなかった。そのため会員勧誘の
百万達成を平成八年迄、同十年迄、同十四年迄というように次々と延期した。

 浅井昭衛は百万を達成しなければ世界の破局に間に合わない、と戯言を語っていた。
だが、顕正会の百万達成ができなくても、当然のことながら、世界の破局はなかった。

 浅井は何度も目標達成の時を延ばしたが、なかなか進まないため、平成七年六月、
入会手続きを改悪した。

 もともと顕正会には下付する本尊は存在しないが、入会に際しては本人の署名、捺印
も不要と決め、会員が騙して呼び出した人の氏名を勝手に報告書に書いて提出するだけ
で新入会員になるというデタラメな仕組みに変えたのである。

 だから本人が知らないうちに顕正会員になっているケースも多い。そのことを察知
して拒めば暴力沙汰になる。こうして顕正会には名簿上だけの会員が誕生している。
現在、顕正会は百三十万と公称しているが、実質はその五%程度に過ぎず、退会者も
後を絶たない。

 顕正会が高校生などの若者を親に隠れて入会させているのに対し、そのインチキ方式
を真似る日顕宗は本尊を拝めない乳幼児や認知症の高齢者に御授戒だけを受けさせて
「講員が増えた」と宣伝する魂胆のようだ。

 困り慌てる妙観講

 今回の変更で一番困るのが、講員数二万人超を詐称してきた妙観講である。

 なにしろ六年間で一万人以上も増やさなくてはならないからだ。小川只道が嘆いて
いたように『暁鐘』発行部数はここ何十年も二千部余りで低迷。幽霊講員を既に
一万八千人以上も作ってきたのに、更に一万人以上もこしらえなければならない。
妙観講の大草一男は、鳩山の「故人献金」ならぬ、「故人入講」でも始めるのでは
なかろうか。呵々。

217質問:2009/08/20(木) 21:02:41
本部より指導

君達も気をつけたまえ

218検証会議:2009/08/21(金) 00:34:59
 顕正会短信

 2009.08.20

 「謀略」を作文せねば生き残れぬ崖っぷち幹部

 前号では「謀略」「謀略」と喚く顕正会幹部の姿を、秋田の女子部区長の「作文」を
例に取り上げた。

 何としても「謀略」と主張したい余り、「ホンマかいな」と首をひねりたくなる
ような、かなり無理の有る事柄まで書きこんだ、派手な作文であり、大概の人は読めば
その内容の衝撃性に驚き、一時的には信じ込んでしまうかも知れないが、所詮は
「作文」であり、客観的に真実性を見出せるようなものではない。

 よく読めばわかるのだが、ほとんどの顕正会員の作文に共通しているのは、
「いつ」「どこで」という文章の真実性の証明の根幹を為す条件が欠落している点だ。

 もっとも師匠と呼ばれる浅井昭衛自体が、従前より「いつ」という条件を提示した
予言をしてもことごとく外しているから会員らがそうあっても無理はない。

 そして、わざわざそう書くのは、内容が検証されることを恐れているからであること
は言うまでもない。かつて大阪の男子部員が、日蓮正宗の僧侶であった実父が僧侶を
辞めた話を持ち出して誹謗したことがあるが、内容を詳しく書きすぎたことから
法華講員らが調査したところ、この男子部員の数々のウソや疑問点が暴かれ、以降
この話題が二度と活字になることはなかった。この出来事を教訓にしたのだろう。

 さて、同じ顕正新聞には、新潟県で男子部隊長をしている佐藤某の登壇内容が掲載
されている。ご多分に漏れず「謀略」話を展開しているのだが、この内容も非常に
胡散臭い。なんでも「五人の謀略部隊が脱会工作をしたが、そのうちの一人が学会の
会館前でもう一人の車に引き逃げされ死んだ」そうだが、やはりこの作文にも「いつ」
「どこで」がない。

 そもそも、この佐藤某自身も「〜というのであります」という「伝聞」形式で作文
している。つまり、自身で何の裏付けも取っていないのである。杜撰極まりない。
これが新潟男子部トップたる輩の程度である。情けない限りだ。

 新潟男子部は2年連続で逮捕者を出している。もはや背水の陣だ。今度何かあったら
トップたる佐藤某は責任を取らされてクビは間違いないはずだが、そういう危機感が
有るのだろう。

 降格と昇格を繰り返し、ようやく現在の地位にたどり着いた佐藤だが、一度降格した
者が再び昇格するというのは、早い話が「他に人材がいないから仕方なく再登用」と
いう証明だ。

 この人物については、「号令ばかり」「自分でやらない」という地元会員からの怨磋
の声も聞こえてくる。そういう姿勢に愛想をつかして離れていく者の多いこと多い
こと。いまや新潟男子部を称した「男子第十部」の勧誘成績は常にビリかブービーだ。
自身の求心力を高めようと「謀略」話を作文すればするほど、新潟男子部が失速して
いくことに気付かないのは愚かだ。

219検証会議:2009/08/21(金) 00:35:27
 顕正会短信

 2009.08.21

 「あと十有余年で三百万」?

 8月23日の「男子3万結集」の席上、浅井昭衛が新たな号令をかけるのではないか
と言う観測が流れている。「3年後の顕正会発足55周年(実際には妙信講再建)に
男子5万結集を」とでもいうのだろうか。全国の壮年部はもとより婦人部所属の壮年
まで、性別が「男性」であれば誰でも連れてきてようやく“達成”される「3万」も
終わらないうちに新たな勧誘地獄への出発が宣言されるのか。哀れでならない。

 ところで、浅井が2004年8月の「幹部大会」で「三百万を十年以内に
成し遂げる」と宣言し、場内から11分間もの拍手を浴びて悦に入っていたのは記憶に
新しいが、あれから5年が過ぎ、三百万達成期限まで残り半分となった現時点の
公称会員数は135万。

 一年半で約10万の増加となっているようだが、このペースであと5年経っても
およそ170万にしか達しない。仮に1年で10万増加しても180万にしかならず、
この時点で浅井の大ホラが満天下に明るみになる。もっともそこまで生きているか
どうかわからないが、実は、当の浅井は「三百万をあと十年で」と威勢良く格好つけて
宣言し長い拍手を浴びる中で「万一、十年でできなくても大丈夫」とほくそえんでいた
のだ。

 その布石は、前述の「三百万」発言の直前に打たれていた。それは「あと十有余年」
というキーワードだ。浅井の講演によると「日蓮から預かった、本格的な他国侵逼まで
残された時間」のことらしく、立正安国論の意を歪曲した軍事ヲタクの浅井らしい発想
だが、盲信・思考停止の会員らは当然その意識でいることだろう。

 しかしこの「十有余年」というのはかなり曖昧なもので、最長で「19年」まで
当てはめることができる。ちなみに2004年の19年後は2023年。

 今年から数えてあと14年先になる。実は浅井はこれを狙っているのだ。
「幹部大会」以来5年が過ぎても、最高幹部から末端までが「あと十有余年」と
鸚鵡返しのように口にするが、この刷り込みこそ浅井にとって好都合なのだ。

 浅井が目論むのは、「大聖人様から頂いた時間はあと十有余年しかない」と繰り返し
言うことで、「三百万を“あと十有余年”」「他国侵逼までに三百万」という“目標”
を植えつけることなのだ。

 試算だが、仮に現在のペースで入信報告書の枚数が増えたとして、2023年には
230万。もう少しペースを上げて、年10万枚増えたとしても275万。
どうやっても三百万には届かないが、数字などいくらでも水増しが可能だ。

 ましてや、騙し脅し賺しで書かせた入信報告書が何枚積み上げられても実態は泥舟。
浅井も今年の11月で齢78歳。仮に生きていれば2023年には92歳だが、
いつまで泥舟の船頭でいられるか見届けよう。

220講員A:2009/08/21(金) 08:35:19
日蓮正宗と法華講は異体同心で全く別の組織ですよ。

来賓としてお迎えするのは常識です。


話は違いますけど、フェイクやら短信などの出所不明の文書を真偽も確認しないまま【情報】として認識することを危ういとは思わないのでしょうか?


ここに張り付けてる方も、真偽を確認してるわけではなく責任を取る訳でもないですよね


すべてが事実なら、聖教新聞に堂々と載せればいいのに。


だから所詮、怪文書なのですよ。

221検証会議:2009/08/21(金) 12:19:57
>>220

>来賓としてお迎えするのは常識です。

 ほっほ〜。法華講って「来賓」に会場の敷地を提供させたり、
「来賓」に結集の号令をかけさせたりするナサケナイ組織なんだね(爆)


>フェイクやら短信などの出所不明の文書を真偽も確認しないまま【情報】として
>認識することを危ういとは思わないのでしょうか?

>ここに張り付けてる方も、真偽を確認してるわけではなく責任を取る訳でもない
>ですよね


 法的責任の追及でしたら、関係者が法的手続を踏んで行えばいい話でしょう。
 で、「どの記事」「どの内容」が「違法性を有する」のでしょうかね?(笑)


>所詮、怪文書なのですよ。

 出所が明らかでも、情報の精度で「怪文書」にも負けてる「慧妙」って
機関紙は、たしか、宗門まで「法的連帯責任」を負う羽目になった「前科」が
あったような(笑)

222質問:2009/08/21(金) 12:34:11
前回もそうだが、
今回も、

法華よりヘアサロンの店主だと噂されている

阿部日君の逆恨みと判明したので

通知する。

223検証会議:2009/08/21(金) 22:55:35
 顕正会短信

 2009.08.22

 顕正会本部は3万結集不可能を自覚している!

 夏になると資金繰りが苦しくなるのか、毎年のように浅井昭衛の講演や「誤書講義」
を再編集した単行本を出す顕正会が、今年も、3年前の「男子部臨時幹部会」と昨年の
「男子部幹部会」の二つの講演に加筆修正を加え一冊にまとめた単行本を売り出した。

 「自虐史観を捨てよ、仏法史観に立て」などという、仰々しい見出しが付いている
が、内容は「諸君」「WILL」「SAPIO」などの雑誌と相違無い。90ページ、
五百円だがぼったくりだ。書き下ろしではなく焼き直しなので浅井に労力はほとんど
かかってないはずだ。

 当時の顕正新聞を持っていれば金を出して買う物でもない。そして細かい修正が至る
ところになされているが紙面の都合、一つだけ姑息な修正を取り上げておく。3年前の
講演から「東洋一のスーパーアリーナで(3万人の幹部会を)」という部分を削除して
いるが、きっと3年前の新聞掲載の講演を読んでいない新会員から
「なぜスーパーアリーナで行わないのか」という質問が出ることを恐れたからだろう。

 スーパーアリーナなら3万以上集めることも可能なことに気付いた者が
「エムウェーブの方が小さいやん」と言い出すことに脅え、ワザと削除したのだ。
 エムウェーブに3万人収容すること自体が消防法に抵触するはずだが、貸し手も
借り手もその辺は暗黙のうちに行なうのだから双方共に確信犯だ。

 さて、厚生労働省は去る19日、これまで収束方向にあったと思われていた
新型インフルエンザが日本においても「本格的な流行がすでに始まっている可能性が
ある」と発表した。現在のところ、社会生活や日常活動を制限自粛する必要には
迫られていないようだが、遮蔽した屋内などでの大規模かつ不特定多数による集会・
行事などでの感染の拡大も当然、懸念されている。

 そんな社会的不安をよそに、顕正会は長野エムウェーブという屋内施設を使って全国
から公称3万人を集めて「男子部3万結集」なる大会を行なう。顕正会のことだから
事前や入場時に参加者全員の健康チェックなど行なうはずもなく、中には感染している
ことに気付かずにいる者も参加する可能性もあり、もしこの集会で感染が広がったら、
全国に爆発的に広がるのは避けられない。顕正会は、いろいろな意味で社会の不安を
増長するような集会をやめるべきだ。

 ここまで書いて衝撃的な情報が飛び込んできた。法華講員の「あっつあ」氏のブログ
によると、顕正会本部は長野市の行政、防災、交通機関に「集会参加者は2万3千人」
と報告しているというのだ。事実なら「3万結集」は宣言できないことになる。何も
知らない会員に対し「3万達成」と大本営発表することは可能だろうが敢えて警告
する。エムウェーブの最大収容は2万5千なので「3万達成」は「消防法違反して
います」という宣言だ。

224眺め人:2009/08/22(土) 11:32:38
池田名誉会長も、「御法主日達上人猊下のご臨席を賜り、感激至極であります。」とか、「本日の大結集を猊下に御照覧頂けたことの…」とか発言していた件には触れないで置こう。

225一ロム者:2009/08/22(土) 20:56:44
日達上人におかれましては、血脈相承に失敗され大変お気の毒でしたねwww

226指導:2009/08/22(土) 21:43:39
池田先生。教えて差し上げましょう。
宗門関係者以外の方を招待し、来てくださった方を来賓扱いにするのですよ。

【ご臨席を賜り】などと言ってはいけません(笑)

227一ロム者:2009/08/22(土) 23:56:24
言う必要がなくなって良かったのです♪  ここだけの話(笑)

228陪審員:2009/08/23(日) 01:06:37
一ロム者さん
苦し過ぎますWWW

ご苦労様でした。

229一ロム者:2009/08/23(日) 21:18:47
ハッキリ言って…
希望の船出、バンザイ!でしたね♪
お目通り・・・あ、もしかして、まだ江戸時代のままですか?www

230検証会議:2009/08/24(月) 21:07:41
 顕正会短信

 2009.08.23

 3万達成は大嘘!親子漫才に拍手する顕正会員

 本日長野エムウェーブで行われた顕正会「男子部大会」は、昨日夕方に飛び込んで
きた「顕正会本部発表、参加者2万3千人」という情報の通り、会場内には空席が
目立った。

 中には、まとめて椅子が撤去されていた区画もあったと聞く。ビデオ撮影担当者も
さぞ、空席を目だたないようにするかなど撮影には神経を使ったろう。

 集会の詳細については顕正新聞の報道を待って検証するとして、この号では、
男子部長の浅井城衛が父親である浅井昭衛の前で「本日、男子部で3万の結集が遂に
成し遂げられた事をここに先生に御報告申し上げます」と宣言したという、聞き捨てる
ことのできない親子漫才の「ボケ」について「ツッコミ」を入れておく。

 何度も書くが、長野エムウェーブの最大収容人員は2万5千といわれている。
どうやって「3万結集」を宣言できるのだ。

 まさか城衛は「会場に入りきれない男子精鋭が、先生のご講演を待ち望んで
おりました」とでも言ったのか。もしそうだとしたら日本野鳥の会にでも頼んで
集まった会員をカウントしてもらったのか。そんなわけがない。

 「顕正会本部は2万3千」と報告しているのだから、どうやって3万と確認したのか。

 それとも「本日、多数の精鋭が残念ながら都合によりこの会場に参集することは
叶いませんでしたが」とでも説明したのか。あり得ない。いっそのこと、隊別の
参加者数を公開すれば城衛の嘘が判明する。

 入場券で確認すれば一発だ。人出が足りないなら手伝おうか。

 その前にまずは城衛以下、班長より高位の役職者全員の「誓願」を公開せよ。
そもそも、昨年夏の男子部幹部会で城衛自身が「男子部全班長の自発請願の総数は
6万余」と発言していたのは何だったのか。

 顕正会では「誓願」は達成しなくてはならない大事なもので、達成すれば
エムウェーブでは当然収まりきらないことぐらいわかっていたはずだ。しかし今年1月
に昭衛が「エムウェーブに変更」と発表した段階で、「会場が小さすぎます」
「請願達成で6万集まります」などと昭衛に申し入れしたなどという話は一切なかった。

 つまり、城衛自身が「誓願」が達成できるなどとは耳垢ほども思っていなかった
のだ。これほどいい加減な話はない。また「全班長の自発誓願」というが、班長より
上の役職者、つまり総班副長や総班長、支隊副長、支隊長、果ては隊長個人の「請願」
はどうなっていたのか公開せよ。

 それらも全部含んで「全班長」と表現するのはあまりにも誇大な表現だ。顕正会は
幹部が胡坐をかく組織だ。常に部下を報告でがんじがらめにし、中間幹部より上はその
報告をまとめるだけ。現場で苦労している組長や班長を「数字製造機」程度にしか見て
いないから、皆愛想を尽かして退転していく。こんな体たらくで「あと12年で男子
10万を断じて」とは片腹痛い話だ。

231検証会議:2009/08/26(水) 23:33:36
 顕正会短信

 2009.08.26

 多くの会員が「三百万をあと十年で」を憶えているぞ

 顕正会会長・浅井昭衛が去る8月23日に長野・エムウェーブで行なった
「男子部大会」で、我々顕正会ウォッチャーの期待を裏切らずに、また
「誓願の先延ばし」をやってくれた。

 今度は「顕正会三百万と男子十万を12年後(平成33年)に」とのことだが、
この集会まで生活破綻や家庭崩壊をものともせずに必死になって勧誘に狂奔してきた
顕正会員には、実際にはできてもいない男子三万を「達成できました」と浅井城衛が
親爺の前で仰々しく宣言したことで、「次は男子十万を12年後」という部分だけが
強調されて刷りこまれたことだろう。それが浅井の狙いなのだ。

 ご存知の通り、浅井昭衛は平成16年8月23日に横浜国際会議場で行なわれた
「幹部大会」の席上、平成10年9月に東京国際フォーラムで行なった「還御を祝し
奉る」なる集会で固く誓った「一千万をあと15年(平成25年)で」という発言を
反故にし、「三百万をあと10年(平成26年)で」と言いだしたのだが、この発言に
多くの会員が驚き失望し、遂には活動を停止する者や、法華講に移籍する者が続出した
ことは記憶に新しい。

 もともと浅井昭衛の「誓願破り」は今にはじまったことではない。浅井は昭和61年
に行なわれた「大総会」の席上、「百万を最初の10年(平成8年)で、一千万を
次の7年(平成15年)で、一億をそのあとの7年(平成22年)で」として、
「三段階増毛法」ならぬ「増員法」をブチあげ、更には「あと25年(平成19年)で
広宣流布できなければ核戦争で世界は滅ぶ」という歴史に残る大予言をしたのだが、
平成21年現在、核戦争で世界が滅びたと言うニュースはどこからも伝わってきて
いない。所詮そんなものだ。

 結局「百万達成」は昭和60年、平成8年、平成10年、平成14年と4回に
わたって誓願破りとなった。そして平成13年12月総幹部会になって、逆算でメドが
ついたのか、「平成15年11月に百万は必ず成る」とブチ上げたのだが、昭和の時代
から浅井の側に仕えてきた横田、加藤、小峰など最高幹部らは、これら一連の浅井の
「誓願破りの遍歴」をどう思ってきたのだろうか。

 ところで今回、なぜ浅井は三百万の期限を誓願後わずか5年で12年も延長したのか。

 もはや自身の存命中に三百万を達成できるかすら怪しくなってきたので、後事を城衛
に託そうという腹づもりなのだろう。しかし託される城衛こそ大迷惑だろう。できも
しない数字に縛られた挙句、昭衛の死後は「顕正会を崩壊させた主犯のボンボン」と
して未来永劫まで宗教界の笑いものになってしまうからだ。

232検証会議:2009/08/26(水) 23:33:55
 顕正会短信

 2009.08.27

 浅井昭衛の過去の誓願破りの記録を留む

 顕正会会長・浅井昭衛の誓願破りの記録をまとめたのでご一読を。既に期限が到来
したものだけを記載した。


 【百万達成の期限】
 昭和40年7月総幹部会  昭和60年迄に百万
 昭和61年4月大総会   平成8年迄に百万
 平成2年7月第26回総会 平成10年迄に百万
 平成7年5月第26回総会 平成14年迄に百万

 結果はいずれも達成できず。


 【一千万達成の期限】
 昭和61年4月大総会   平成15年迄に一千万
 平成3年2月特別講習会  平成20年迄に一千万

 結果はいずれも達成できず


 これらの「請願」が行われる際に、浅井は必ずといっていいほど「日蓮大聖人様の
御力用により必ずできる」「御本仏(日蓮)の御守護を頂ければ必ず成し遂げられる」
などと付け加えているのだが、いままで達成できなければものには日蓮の守護が
なかったとでもいうのか。

 そういえば浅井はかつて「広宣流布は大聖人様の御力を以って必ずできる。私たちは
その手伝いをさせていただいているのである」と発言したことがあるが、日蓮の力で
できるなら、顕正会が手伝う必要も無いだろう。さっさと解散せよ。

 その浅井、平成9年8月総幹部会で「大聖人様に誓い奉るということがどれほど重い
ことか。もし口先だけの戯れ言であるならば、かえって大聖人様を蔑り奉ることに
なる。この重大さを、誰よりも私は知っております」と発言しているが、この発言の前
に2回、そして現在までに6回も誓願を破りまくった浅井がこの重大さを自覚している
とは思えない。

 わずか5年前に言い出した三百万の期限すら、男子十万の添え物的な扱いにして、
会員の追求を逸らすかのように工作してこっそりと12年先延ばしの平成33年にする
のだから、もはや「病的な嘘つき」だ。あと5年もするとまた先延ばしをするはずだ。
自分の発言が活字になって残っているにも関わらず、そ知らぬ顔で誓願先延ばしを
繰り返す浅井昭衛は「日蓮を蔑む口舌の徒」だ。

 ちなみに浅井は平成6年10月総幹部会で「残された時間はあと20年」と発言して
いる。つまり平成26年がその期限だったわけだが今回、残された時間も7年延びた
ことになる。浅井はどうやら自分を、自由自在に終末の期限を延ばすことができる
「神」だと思い込んでいるようだ。

233検証会議:2009/08/28(金) 22:39:57
 顕正会短信

 2009.08.29

 次は選挙?目立ちたい浅井の次なる野望

 顕正会の今年最大のイベントであった「男子部大会」は様々な方面から指摘が有る
ように「大失敗」で終わった。

 そもそもこの「男子部大会」、純然たる男子部所属会員だけで行なわれたものでは
ない。全国の壮年部に一年も前から「馳せ参じよ」と激を飛ばし、会場も謀略と監視
渦巻く首都圏から、顕正会に理解を示しているエムウェーブの社長に甘えて長野へ
変更。

 周囲を多数の衛護隊で固めれば万全。あとは「3万宣言すれば秋の勧誘が勢いづく」
とほくそえんでいた浅井昭衛・城衛だったが、その目論見は8月21日夕方、長野から
寄せられた驚愕の情報によって木っ葉微塵に吹き飛んだ。

 顕正会本部が長野市の行政・防災・交通機関などに報告した参加者数は3万人では
なく「2万3千人」だったのだ。この情報はインターネット上でも広く流布され、当日
には大会参加者がリアルタイムで場内の様子を掲示板やブログで逐一報告するほど
だった。

 それらの情報を総合すると、どうやら参加者は2万程度だったようだ。満席で
2万3千程のはずだが、空席もあったらしく、ビデオや写真撮影のためにわざわざ
詰めさせていたようだが、壇上向かって左側や壇上裏手の席は誰も座っていなかった
ことが確認されている。

 大会では城衛が親爺に「3万達成」と猿芝居をしていたが、満席でも3万には
7千足りないだろう。算数もできないのか。そして浅井が発表した「300万と
男子10万をあと12年で」という呼びかけも、期限を5年残して更に12年延長する
など、事実上の敗北宣言で終わった。9月1日に行なわれる8月総幹で浅井がこの
「後退」をどう言い訳するか楽しみだ。

 話は変わるが、今年は幸福の科学が「幸福実現党」を作って政治の世界に本格的に
参戦したが、目的は大川隆法の著作の宣伝だと指摘されている。浅井もこの大川の
やり方を参考にして、次回の「諌暁書」出版の際には「顕正党」や「国立戒壇党」と
いう名前で政治団体の届出をした上で選挙に出て、「マニフェスト」と称して
「諌暁書」を売るかもしれない。雑誌「諸君」と間違えて買う人がいるかも。

 かつて浅井は「宗教法人格は必要ない」「政治には永久に出ない」と言ったことが
あるが、平成9年に突如法人格を取得したことは記憶に新しい。いとも簡単に前言を
翻す浅井だ。自らが候補者でなくとも「政治に出ない」という保証はない。

 だがやれば得票数、つまり顕正会員の実数が満天下に晒されるわけで、諸刃の剣と
なる。恥をかいても儲けを取るか、儲けを捨てても恥を隠すか。もっとも4年後の
衆院選まで顕正会が存続しているかどうかも怪しいが。

234検証会議:2009/08/30(日) 00:28:08
 顕正会短信

 2009.08.30

 他人の不幸を勧誘拒否の罰と狂喜する顕正会員

 いままで機会が無かったが、どうしても書き留めておきたかった記事がある。
「顕正会を信じるとここまでおかしくなるのか」と実感させられる実例である。

 顕正新聞平成13年6月5日号に掲載された「地元で起きた武富士放火事件
賞罰厳然に全員が身震い」と言う記事を、その異常さを示す最たるものとして紹介して
おきたい。

 発言者である当時顕正会女子部第1区総班長だった小田川某は、同年5月8日に
弘前市で起きた消費者金融放火殺人事件で亡くなった女性が「勧誘を断った罰で
死んだ」との暴言を吐き、その事件を利用して勧誘が進んでいるのを「日蓮の守護」と
うそぶき、事件で亡くなった女性への哀悼の言葉も無く、「罰」と決めつける異常さを
見せつけた。その登壇から一部を紹介する。

 「驚いたことに、死亡した22歳の女性は、渋谷班長と同じファストフード店に3月
まで勤めていた同僚でした。(中略)実は彼女を折伏しようと総班の班長たちが何度も
呼びだしておりましたが、このファストフード店には我が総班の他にも男子部員が
勤務し、折伏が進められており、顕正会の存在は有名で、逆縁の者と退転者による
怨嫉グループが存在し、亡くなった彼女も噂を聞いていたためか、4月法戦最終日に
連絡をとった時にも、約束を断わられ折伏することが叶いませんでした。

 さらに彼女の母親もこのファストフード店に勤務しておりましたが、顕正会に付いて
は怨嫉し、渋谷班長が顕正会で信心していることを同僚に言いふらしたり、悪口中傷を
しておりました。(中略)その数ヵ月後、あまりに突然な大事件の被害者になった
こと、全ては大聖人様に背き続けた罰による現証と思わずにはいられず、仏法の賞罰
歴然に身震いを禁じえなかったものであります。(中略)中でも間山班長は、葬儀の
ため遠方より駆けつけた友人を次々に折伏いたしました。」

 まったく理解し難い。「顕正会の勧誘に背いたから焼死した」という話には根拠も
何もない。狂信的カルトと断じてもよいだろう。更に葬儀に駆けつけた友人にまで
「彼女は私たちの勧誘を断りつづけたから罰で焼け死んだ。断ると同じような目に
遭うよ」とでも言って勧誘したのだろうか。常軌を逸している。「証拠」を獲るため
なら人の死をも材料にする、顕正会員の発する言葉の裏には常に「証拠(勧誘成果の
こと)」の二文字が隠されていることは明白だ。

 さてこの小田切某、「日蓮が罰の現証として放火事件を起こしてくださった」とでも
言いたいのだろうか。恐ろしい。顕正会こそが日蓮の評判を乏しめている元凶なのだ。

235検証会議:2009/08/31(月) 21:45:49
 顕正会短信

 2009.08.31

 浅井克衛も礼賛の「外部ジャーナリスト」は顕正会員

 手元に一冊の本がある。題名は「富士大石寺顕正会」。今では絶版になっているが
たまにネットオークションに出品されているのを見かける。
 「日新報道」平成10年7月発行。著者は「下山正恕」。肩書には「ジャーナリスト
 現・日蓮正宗法華講所属」とあり、発売当時、「法華講所属のジャーナリストが
顕正会について書く」という意外性に驚いて購入したのだが、読んでみると、学会と
宗門をメッタ切りにする反面、浅井昭衛の著作の丸写しかの如き内容に違和感を覚えた
もので、「こいつ顕正会員じゃないか」と疑っていたのだが、案の定、
昭和57年10月の妙信講第23回総会で「学会より正義にめざめて」と題した登壇を
している顕正会員であることが判明したのである。

 この本にはなぜか「日蓮大聖人」と「日蓮聖人」の二つの表現が存在するが、
顕正会員であることがばれないよう、浅井の著作や講演の丸写し部分以外はわざと
「日蓮聖人」と書いたのだろう。しかし偽装は露呈する。本当に法華講に所属している
なら「日蓮聖人」とは言わない。

 説明によると、学会を除名されたあと昭和54年頃、「勧められてある末寺の法華講
に所属した」と書いている。しかし第23回総会の時には妙信講に所属しており、それ
でいて平成10年当時は「現・法華講所属」と嘯いて顕正会擁護本を出しているの
だから、よくもまぁ悪質な偽装工作をしているものだ。

 この本の「はじめに」には「私は五年後・七年後に、顕正会が日本に及ぼす影響は、
かつての創価学会のそれどころではないと思っている」と書かれているが、確かに
平成16年頃から「特異集団」として公安調査庁がマークするようになり、逮捕者が
17年以降毎年のように発生して社会治安にとっての「悪影響」となったことは確かだ。

 また、巻末の「参考文献」欄では「顕正会発行の書籍は一般書店では入手しにくい
ので問い合わせることを薦める」として、当時の常盤台本部の住所と電話番号まで
書いてあるのだ。問い合わせればどうなるかぐらい容易に想像がつく。顕正会への
勧誘取次も請け負ったのだろうか。

 ところで出版当時、浅井克衛が「外部のジャーナリストが素晴らしい本を出した」
などと各地の集会で盛んにアピールしていた。「外部の物書きも浅井先生を絶賛して
いる」と言わんばかりの猿芝居に騙された婦人部も多かったと聞くが、その罰かは
たまた自分の身から出た錆か、その後克衛は表舞台から消え、彼の話題はタブーと
なっている。そして、この本の売れ行きは芳しくなかったようで、後日在庫の引取りを
巡って顕正会と日新報道の間でトラブルとなり、最終的に顕正会が全部引き取る形と
なったようだが、その日新報道から今年6月、「迷走する顕正会を斬る」が出版された
のは皮肉か、それとも意趣返しか。

236検証会議:2009/09/01(火) 21:37:52
 勝ち戦 第140号

 2009年8月31日(月)

 水島、総会敗北で「現罰下る」と信者を恫喝
 「地涌倍増」は曖昧と日顕を批判!
 信者に「邪魔者」「淘汰される」「消される」と大暴言

 七万五千結集で、申込者数を結集数として虚偽報告をした、教学部長で能安寺
(所沢市)住職の水島公正は、八月二日の会合で、敗北の責任をサークル長に押し付け、
「現罰が下る」と恫喝した。

 「サークルの中で予定の人数を下回った或いは大分欠席者が出たようであります、
二六日ね。十分反省してもらいたい。敗北したわけだから。約束を破った場合は、
厳しい現罰が下るっていうのは仏法の決まりだ!」

 水島自身が証言している通り、能安寺は「大分欠席者が出て敗北」したことは、
全講員も認識している事実だ。講員に八つ当たりする前に、まず水島が己のメンツの
ために虚偽報告した数値を修正申告した上で、全国の住職に謝罪せねばなるまい。

 水島は総会当日の天候について、「天候は実に摩訶不思議で、大石寺の周辺だけが
ポッカリと雨雲が取り払われて、総会の時には陽が当たった」と、諸天の計らいだと
大騒ぎ。だが、冬場の陽光ならともかく、真夏の殺人的灼熱の陽射しだ。諸天の怒りが
大石寺をピンポイントで突き刺したのだろう。その証拠に参加者が熱射病等でバタバタ
倒れて救急車で搬送されている。(下掲写真参照)

 玉泉寺(名古屋市)講頭の舟橋は、「会場では雨が降らなくていいなぁと思ってたの
ですが、御僧侶方がお出ましになるとカンカン照りになりまして」と、坊主の入場に
合わせてカンカン照りになったと証言している(爆)。

 水島は、画餅に終った『地涌倍増』についても、「御隠尊日顕上人が御指南された
倍増という言葉が、二倍なのか、一・五倍なのか、よく分からない節があった。倍増と
いってもはっきりした目標は設定されていなかった」と、言い出しっぺの日顕に
責任転嫁する始末だ。そして、今後の折伏成果については、「内得信仰者も成果に
入れてよろしい」と、一向に進まない本尊流布を諦め、放棄する方針を打ち出した。

 更に、折伏が進まないことについて、信者には耳を疑うような卑劣な大暴言を
放った。「折伏できない法華講員は、これからバッタバッタと倒れていく。役立たずは
いらない。それを『淘汰』っていうんだ。邪魔者は全部消えていく。消されないように
頑張って下さい」

 水島のように坊主のくせに折伏もできず、信者を奴隷のように扱い、馬鹿にする
破仏法の輩こそ、真っ先に淘汰され、消されるものと知れ!

 「功徳善根だ」と誑かされて登山して帰ってくれば、「現罰が下る!」と脅され、
「成果ではない、寺に参詣し折伏を行じることが尊い」と言われて参詣すれば、
「バッタバッタと倒れる!邪魔者!淘汰され消されるぞ!」と恫喝される。

 行くも地獄、行かぬも地獄、これを邪教というのだ!(転載可)

http://8004.teacup.com/cyeokunoken/bbs?M=FDL&CID=753&ID=1

237検証会議:2009/09/02(水) 01:04:26
 顕正会短信

 2009.09.02

 会館に関する「小ネタ」でひと休みさせてください

 グーグルの「ストリートビュー」をご存知だろうか。カメラを積んだ車やバイクが
撮影した画像をドライバー目線で楽しむことができるもので、自宅にいながらにして
知らない土地の風景や町並みを眺めることができ、気分転換などには重宝するツール
ではないかと思う。

 そこで、読者諸兄に「グーグルストリートビューで見る顕正会館」を紹介しよう。
グーグルマップで見たい顕正会の会館・事務所の住所を打ちこめばその周辺が地図
あるいは航空地図で表示されるので、ストリートビューモードに切り替えるのだ。
詳しい切り替え方などはご自分でトライしてみて欲しい。

 確認したところ、新青年会館建設中の本部会館、旧青年会館北側、浅井昭衛宅、
加藤礼子宅、常盤台の芙蓉会館、典礼院、札幌事務所、改築前の仙台会館、改築前の
千葉会館、現在の相模会館、そして台北会館の入っている雑居ビルの建物を見ることが
できるので、他の建物と比較しての大きさや広さなどを楽しんでみてはどうか。

 なお、このストリートビューは首都圏・近畿圏・中京圏以外の地方都市では、
県庁所在地でもほとんど登録されていないので、残念ながら九州や新潟など大半の会館
については眺めることはできない。そして大都市であっても狭い路地はあまり登録
されていないので、大阪会館などのように大通りから一本入ったような場所に有る会館
の画像はない。

 また画像が古く、未だに新青年会館建設の工事のため正面を白い布で覆っている
昨年秋の頃の画像が使われていたりするので、過度の期待はしないよう。また、
画像撮影の際のシャッタータイミングによっては、目的の建物を真正面から眺められる
とは限らないので、こちらも承知のほど。

 会館と言えば、看板もいまだに二種類のものが掲げられている。平成11年から
16年頃に建てられた会館にはクリーム色地に茶色の丸ゴチックで「冨士大石寺顕正会
○○会館」という看板が取り付けられているが、それ以降に新設、増改築された会館に
は、白地に黒の隷書体と思われる文字で「冨士大石寺 顕正会○○会館」という看板が
取り付けられている。いずれはすべて隷書体のものに架け替えられるのだろう。

 ところで顕正新聞8月15、25合併号1面に、札幌、山形、鹿児島の各会館の写真
が掲載された。札幌は出来上がって9月13日の日曜に浅井出席で入仏式が行われる。
山形、鹿児島はこれから内装工事に取り掛かって山形は10月、鹿児島は11月に
それぞれ入仏式の予定。だが、会館ができてもすぐに閑古鳥が鳴くことになるのは
必定だ。

238検証会議:2009/09/02(水) 20:02:27
 石山だより

 平成二十一年九月二日

 一、去る二十八日午後一時すぎ、大石寺の駐車場で車両火災が発生した。消防車が
出動し、警察が実況検分するなど大騒ぎになり、テレビや地元紙などでも報道された。
火災現場は宗務院近くの裏門南側の駐車場で、最初に大きな爆発音と共に車両一台が
炎上。近くに駐車していた他の車両も激しい炎に包まれて計十台が炎上した。消防車が
出動して消火活動を続けたが、火災発生から三十分以上経っても燃え続け、タイヤの
ゴムが焼け焦げて強烈な悪臭が地域一帯に広がった。モウモウと黒煙が舞い上がり、
近隣の人々にも多大な迷惑を及ぼしていた。最初に炎上した車の運転者は、清涼寺檀徒
のI嬢だった。

 一、この日は大石寺で前日から恒例の教師講習会が行われていたが、火災の状況を
知った講習会参加者らは騒然となった。

 塔中の関快道(大石寺執事)や妙蓮寺住職の漆畑行雄(海外部長)らが講習会参加者
と一緒に現場に行って火災の様子を傍観していた。大石寺は昔から火災が多い。因みに
大石寺の過去の大火を一覧にして紹介する。



 過去の火災一覧

寛永八(一六三一)年十月十二日   大石寺諸堂焼失(石文)

寛永十二(一六三五)年       本堂、山門、坊舎残らず焼失(古文書)

文化四(一八〇七)年五月十二日   塔中・理境坊焼失(棟札)

万延元(一八六〇)年二月二十五日  石之坊より出火、富士見庵・寿命坊・遠信坊・
                  学寮焼失(本尊裏書)

元治二(一八六五)年二月二十八日  客殿・六壺・大坊焼失(霑伝)

慶応元(一八六五)年十二月二十三日 蓮葉庵焼失(霑伝)

明治四十二(一九〇九)年六月八日  塔中百貫坊焼失(白蓮華四―六)

大正十三(一九二四)年十月三十一日 塔中本境坊焼失(院二二五)

昭和五(一九三〇)年六月四日    塔中本境坊焼失(院二七五)

昭和八(一九三三)年十月二十三日  蓮葉庵焼失(宗報A三七)

昭和二十(一九四五)年六月十七日  大坊(対面所・大奥・書院・六壺)・
                  客殿等五百余坪焼失(寺誌)。
                  日恭法主が焼死。


(御遺誡に悉く違背した大石寺が福徳さえも失った現証である。と共にこれから
何か起こる予兆ではないかと思う大坊鼠)

239検証会議:2009/09/02(水) 20:15:15
 越 洋

 平成21年9月3日

 大石寺の駐車場で8月28日午後1時すぎ、車両火災が発生し、テレビおよび地元紙
などで報道された。SBS放送、静岡新聞および地元の岳南朝日、岳陽新聞によると、
千葉県千葉市花見川区幕張の女性会社員(37歳)が運転して登山した乗用車から
出火し、付近に止めてあった車にも延焼したということである(下の写真を参照)。

 富士宮警察署の調べでは、出火した車を含む4台が全焼し、6台が半焼ないし
部分焼。法事のために大石寺を訪れた女性が普通乗用車(ステーションワゴン)を
駐車場に止めたところ、エンジン付近から火が出たとのことである。

 運転してきた女性は「アクセルを踏んでも加速しなくなるという異常が発生して
いた」と語る。駐車場に入れたところ車体の底の部分から出火して車体に燃え移った
らしい。車はイタリア製ワンボックスカーだったという。この女性は、満山供養に来て
いたそうだ。

 大石寺では7月26日の大結集総会のため、桜をはじめ杉、松の木を次々と大量に
伐採し、700年に1度しか使用しない26ヶ所の駐車場を作った。ところが、皮肉な
ことに、これが火災事故の現場になったのである。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000755.jpg

240質問ですよ:2009/09/04(金) 23:20:47
めくそはなくそだと思います。

241検証会議:2009/09/05(土) 00:59:10
 フェイク 第1054号

 (発行=09.09.05)

 また一人、忘恩の叛逆者が逝く
 原島嵩、山崎正友に続いて福井の田賀一成も
 被害者の会の幹事、「赤旗」で支援団体を批判

 関西における叛逆者の中心的存在であった田賀一成(元福井県議)が九月三日、
福井市内の県立病院で前立腺ガンのため死去した。享年七十九歳。田賀は平成四年
二月十六日付で脱会届けを学会本部に、離党届けを公明党本部に送り、三月二日には
福井県庁で記者会見して、その旨を公表した。

 以来、日顕宗・本縁寺(福井市内)の法華講に所属して幹事、講頭、総代を歴任し、
平成十六年四月に法華講連合会北近畿地方部の理事兼監事になっていた。

 なかでも平成六年十一月には山崎正友(昨年十二月二十九日に急死)の策謀で結成した
「被害者の会」の発足に参画し、竜年光や桑原春蔵(いずれも故人)らと共に幹事に
就任して、大恩ある支援団体を攻撃するという悪逆非道の行為を続けた。

 この「被害者の会」とは、山崎正友や妙観講の講頭・大草一男が陰で操る謀略
グループで、平成六年十月九日には大石寺の理境坊(住職・小川只道)に竜や鹿児島県
の山口優らと共に退転者約三十人が集って密議。この場で「被害者の会」の具体的な案
を練り上げた。

 平成七年には「民主政治を考える会」と名乗る者達が内藤国夫と共謀して支援団体を
誹謗する「紙つぶて」を全国に一千五百万枚も配布した。これも田賀が幹事を務めて
いた「被害者の会」の連中の仕業であったことが分かっており、むしろ「加害者の会」
というべきだ。

 同会の事務所は新宿区砂土原町のビルに置いていたが、家賃も払えなくなって、
平成十四年五月末に撤退。「被害者の会」は今では壊滅状態である。

 田賀は脱会した直後から共産党の機関紙「赤旗」のインタビュー記事に登場したのを
はじめ、週刊新潮、アエラ、フライデー、週刊ポスト、週刊現代、週刊実話、選択、
週刊文春、諸君、現代仏教、文化評論、慧妙など多くの三流誌紙で支援団体に対する
激しい批判を繰り返した。

 そういう面では恩知らずの裏切り者である矢野絢也と酷似しており、政治家としての
倫理、社会正義に照らしても田賀の行動は許せない背信行為であったと言わざるを
得ない。

 党員、支持者を裏切った忘恩の人生

 田賀は退会した当時、その理由として「宗門から破門処分をうけた学会に見切りを
つけた」等々と語っていた。だが、信仰上の問題だけではなく、その行動基準は
損得勘定だとも言われていた。

 つまり、公明党には議員定年制があり、田賀が離党した時は六十一歳で、任期満了後
は次の選挙に出ることができない立場にあった。そこで信仰上の問題を奇貨として
離党・脱会の好機とみて行動を起こしたのではないか、との見方である。

 田賀が市議、県議になれたのも党員や支持者の方々のお陰であり、裏切られた党員、
多くの支持者が実に気の毒でならない。

 裏切り者の石田次男、福島源次郎、桑原春蔵、信平醇浩、竜年光、原島嵩、山崎正友
らは次々に他界した。

 知恩・報恩こそが仏法を信仰する者の道であるが、田賀自身は市議五期、県議二期を
勤めながら不知恩の人生で終わった。合掌。

242検証会議:2009/09/10(木) 23:17:14
 顕正会短信

 2009.09.11

 姑息な浅井はわざと「男子十万」ばかりを強調した
 三百万先延ばしの事実を顕正会員に知らしめよう

 8月23日、長野エムウェーブで行われた「男子部大会」で顕正会会長・浅井昭衛
は、「顕正会三百万と男子精鋭十万をあと12年のちの平成33年までに、断じて
これを成し遂げたい」と言い出した。

 顕正新聞9月5日号の一面では小見出しでこの浅井の発言が「広布最終段階の
大路線決定」だという。笑わせるな、このペテン野郎!口舌の徒が!

 大体、浅井は平成16年8月22日、横浜国際会議場での「幹部大会」で「三百万を
あと10年で」と誓願し、全国から集められた7千の会員に11分もの長い拍手を
させるという拷問を行ったではないか。

 あれからはや5年。期限の平成26年までちょうど半分を過ぎた今年、浅井は自ら
誓願破りという大失態の姿を晒したのだ。これで浅井のいう「御馬前の大法戦場」から
の後退は何度目だろうか。浅井に日蓮の加護などないことがまた証明されたわけだが、
別に浅井は日蓮を信じているわけではない。

 浅井にとって「謹んで誓い奉る」などという言葉は、会員を新たな勧誘地獄に
送りだすための「進軍ラッパ」でしかなく、顕正新聞代や広布供養などを会員に
出させるための号令でしかないのだ。このような輩を「無二の師匠」と言わされる
顕正会員が哀れでならない。

 顕正会員の皆さん。忘れたか、平成16年の幹部大会を。浅井が「三百万をなんと
してもあと十年以内に成し遂げ」と誓願したとき、あなたはどう思ったのか。

 そして今、その誓願が12年も先延ばしになったことに何も疑問を感じないのか。
「なんとしても」という浅井の決意がいとも簡単に反故にされてしまって、浅井の弟子
であろうあなたは日蓮に対して、師匠がこのような体たらくで恥ずかしくないのか。

 浅井は学会や日蓮正宗など他団体のことをどうこう言える立場には無いのだ。相手に
されていないのをいいことに罵詈雑言をほざいているようだが、天に唾を吐けば自分の
ツラにその唾が落ちてくることも知らないか。

 試算によれば、三百万を平成33年に達成することは不可能だ。最大でも
書類250万枚程度にしかならない。入信報告書を35万枚増やすのに6年もかかって
いるのだ。このペースであと165万枚増やすなら30年はかかるだろう。

 基となる会員数が増えれば勧誘数も増えると思い込んでいる顕正会員もいるだろう
が、いつまでたっても5万人の大総会すらできない顕正会の実働数はどう考えても
5万未満だろう。それを否定するなら11月にでも四者合同で構わないから十万結集を
やってみせるがいい。どうだ?

243検証会議:2009/09/12(土) 15:41:15
 大石寺短信 第468号

 平成21年9月11日(金)

 日顕宗の動き


 1.「布教部長」の指名に戦々恐々の候補者たち

 このほど、宗務院に「布教部」が設置されることになった。先ごろ行われた臨時宗会
で決定したもので、今後、宗規の変更を文部科学省に届け出、認証された後に人事が
行われる。これで、宗務院は「庶務部」「教学部」「渉外部」「海外部」「財務部」
に「布教部」を加えた6部体制となる。

 7月の結集総会の席上、法主・日如より「平成27年・二祖日興上人御生誕770年の佳節
までに、すべての法華講支部が現在の講員数を50%増加すること」「平成33年・
宗祖日蓮大聖人御聖誕800年の佳節までに、法華講80万人の体勢を築くこと」という
新たな命題が発表された。いずれも荒唐無稽な空念仏にしか聞こえないが、布教部の
設置は、この命題に向けて現場の士気を高めることが狙いのようだ。

 宗内文書によれば、布教部の役割は「布教のための企画・会議の主催」「坊主・信徒
への布教指導」「布教のための文書作成」「法華講の指導」となっている。興味深いの
は、先ごろ宗会議員9人が執行部に宛てて出した「質問主意書」における指摘・提案
(「布教のための指導会などの企画」「文書布教の必要性」「法華講の指導育成」等)
がそっくりそのまま加味されていることだ。この質問主意書は、世間体を気にする日顕
の強権によって撤回させられたが、結局、質問主意書の内容が正鵠を射ていたゆえ、
執行部はそれらを採用せざるをえなかったというわけだ。

 毎年毎年、折伏の大号令をかけながらも惨敗続きの日顕宗。既存の「布教師会」に毛
が生えたような「布教部」を作ったところで結果は目に見えているが、特筆すべきは
布教部の設置によって、折伏の出来・不出来の責任の所在が明確になったということ。
つまり、折伏が進む、進まないはすべて布教部長の責任というわけだ。布教部長の人選
にあたっては、数名の名前が挙がっているというが、候補者にしてみれば「自分の寺
のみならず、全末寺の成果の責任を負う布教部長なんか、まっぴらごめん」というのが
本音だろう。


 2."でしゃばり日顕"、今年も教師講習会で講義

 去る8月27・28の両日、本山で行われた教師講習会で、またまた隠尊・日顕が講義を
行った。題材は自著の『百六箇種脱対見拝述記』。日顕は、4年前に日如が登座して
以降、毎年、教師講習会にしゃしゃり出てきては講義を行っている。一方、日如は、
簡単なあいさつでおしまい。おかげで日如は「講義ができない無能法主」「しょせんは
次の法主が登座するまでの"中継ぎ法主"」といったレッテルを貼られ、小馬鹿にされて
いる。

 日如周辺の坊主からは、「これでは猊下のメンツが立たない」「『隠尊』の『隠』は
『かくれる』の意。隠尊はいい加減、身の程をわきまえて引退すべきだ」と言った声が
聞こえてくる。

 宗内関係者によると、「最近、公の場でも、御隠尊(日顕)と御法主上人猊下
(日如)の間によそよそしい空気が漂っている」という。時々刻々、両者間の亀裂は
大きくなるばかりだ。


 3.9月の予定

  12日(土)       御難会(本山)
  13日(日)       御講(末寺)
  18日(金)、19日(土) 寛師会(本山)
  23日(水)       秋季彼岸会(本山、末寺)

244検証会議:2009/09/13(日) 23:57:51
 フェイク 第1055号

 (発行=09.09.12)

 「土下座して謝れ」と被害者が激怒
 ビラ男・小川頼宣の破滅と反逆の惨めな人生
 退転者に共通の金銭・異性問題で堕落

 騙した相手から「土下座して謝れ」と迫られている極悪人が最近、妙観講が作る
「慧妙」などで小多仁伯(本名は古谷博)と一緒に戯言を述べている。退転した
小川頼宣である。この二人のうち、古谷に関しては、本紙第八八三・八八四・八八五号
で詳しく取り上げたので、本号では小川について述べることにする。

 この小川は昨年、学会が著作権を有する写真を無断で複製し、そのうえ改変を加えて
悪質ビラに掲載して、これを販売し、また東京都の北区や足立区、大阪府堺市など各地
で配布していた。

 更に、インターネットのウェブサイトでも悪質ビラの電子データを公表し、
ダウンロード可能な状態にしていたことがある。

 これに対して東京地裁は、小川に対し①ビラの販売・配布の禁止②ビラを執行官に
保管させる③ビラをインターネットで送信可能な状態にすることの禁止を命じる決定を
下した。

 それでも小川は、性懲りもなく今年になって写真をイラストに変えて配布するなどの
悪事を重ねている。

 小川は広報室の元副部長、元九州青年部長の肩書を悪用しているが、以前から
自己顕示欲が強いうえに、酒グセも悪かった。

 九州にいた頃は、退転した福島源次郎に付き従っていた。この福島はムンクの
「叫び」に似た堕地獄の相で既に死んだが、第四代会長の座を狙って失敗し、反逆した
愚劣な奴である。

 その弟分の小川は「酒」「女」「金」という退転者に共通する三つの醜聞を抱えた
堕落男なのである。

 なかでも金銭問題では、小川に騙された被害者が数多くいて、複数の裁判で被告に
なっていた。

 例えば、いかがわしい団体を作り、組織を利用して学会員を事務員にしていたが、
給料を払っていなかった。不誠実な小川は、被害者から未払い賃金の支払いを求めて
訴えられたのである。この裁判で昭和六十一年十一月、小川は二百万円を支払うことに
なったが、それを履行したという話は今も聞かない。

 また、別の男性には、言葉巧みに「輸出の仕事をしよう」と持ちかけて一千二百万円
もの大金を拠出させ、騙し取ったこともある。

 この他、約七百万円の借金を踏み倒すなど、問題だらけの男である。「慧妙」などで
偉そうに御託を並べる前に借金を返済するべきだ。被害者からは「お前のために人生を
狂わされた全被害者に対し、土下座して謝罪せよ」と糾弾されている。更に、小川には
不倫の噂もあった。こんな小川の盟友が、あの軽薄な福島源次郎だった。

 日興上人気取りの福島源次郎と同罪

 福島は、第一次宗門事件が収束に向かおうとしていた時、それをブチ壊したのは周知
の事実だが、この福島の狂気を物語るエピソードがある。それは福島が、日興上人を
気取っていたことだ。副会長が福島を含めて六人だった当時、「他の五人は退転する
だろう」と語ったことがある。まるで先任の五人の副会長を五老僧のように中傷して
いた。

 だが、退転・反逆したのは福島一人。同様に小川も広布の団体を誹謗して、堕地獄へ
の道を急いでいる。

245検証会議:2009/09/17(木) 20:09:26
 石山だより

 平成二十一年九月十四日

 一、大石寺には、学会からの長年の御供養が埋蔵金として貯えられている。日顕は、
愚かな嫉妬から正本堂・大客殿を破壊したが、その費用五十五億以上の供養をムダに
使った罰当たり者なのである。あげくに正本堂、大客殿の基礎は、あまりにも
堅固だったので、壊せなかった。

 その基礎の上に客殿も奉安堂も建っている。要するに日顕が建てたように言って
いるが、全て学会の御供養によって成り立っているのである。


 一、八月二日、講頭・副講頭指導会が行われたが、今まで交通費など出したことなど
ないのに、全員に支給した。締めて一億。信者に交通費を払ったのは初めて、それと、
五十万総登山の全登山者に一人八百五十円の弁当が出ている。合計五億になる。こんな
事が出来るのも過去に学会からの供養があったお陰なのである。

 今も本山には、潤沢な金がある。しかし、日顕一人の狂乱により、今や末寺では、
子女の教育費さえままならない。布教部が出来たそうだが少子高齢化のご時世で、
全国末寺では、塔婆の数もガク減り、金のことしか頭にない所に布教が進むわけがない。


 一、日顕は、大学者の第五十九世日亨上人を「あの方は学者だから」とバカにして
いたが、亨師は聖僧、日顕は遊蕩坊主、月とスッポン程の差がある。

 今日、淫尊の身で二人の教師と二人の女性従業員を使い、世田谷と蓮葉庵を本山の
公用車(ベンツ)にふんぞり返って行き来している。不義密通の子彦坂君は五歳まで入籍
してもらえず、青年時代は修業を怠り、供養を遊興に使い、年を重ねるにつれて堕落の
度を増し、大謗法を重ねてきた。

 本行寺時代は向島芸者に入れあげ、京都・平安寺へ移動後は祇園の舞妓、熱海の芸者
を相手に遊びまくった。こんな極道坊主だから海外初の出張御授戒で売春婦と交わり、
料金でもめ、事件を起こしたのだ。

 こんな男が六十七世だったなんて、誰に語れるのだ!

 (亨師は木綿の衣、生活は質素、常に令法久住を思考されていた。破壊僧日顕よ
恥を知れ! 本山無任所鼠)

246検証会議:2009/09/17(木) 20:09:55
 石山だより

 平成二十一年九月十七日

 一、皆さんご存知の通り、大石寺の駐車場で八月二十八日、何とも不思議な現象が
見られた。駐車した車が突然、発火して炎上したのである。毎日新聞などでは次のよう
に報じていた。

 「二十八日午後一時ごろ、富士宮市上条、大石(たいせき)寺の駐車場で、千葉市
花見川区幕張本郷3、会社員、飯岡澄子さん(三七)運転のワンボックス車が炎上、
全焼した。火は近くに駐車していた普通乗用車など8台にも燃え移り、このうち二台が
全焼した」

 一、この日は奇しくも大石寺内で死亡した所化の三十三回忌満山(満山法要)の日で
あった。亡くなったのは飯岡道真君で当時、上野中学三年生、年分得度の十五期生で、
享年十五歳。戒名は「道真日命小比丘」。この日、炎上した車を運転してきたのは、
実は、この所化の妹さんなのである。満山に参列するための登山だった。暴力とヤクザ
まがいの徒弟制度、どんな素直な子供でも卑屈で偏屈な人間に変わってしまう。飯岡君
はその犠牲者なのだ。当時を知る関係者の一人は「死後三十二年を経た今でも、飯岡君
の悲しみは癒えることはなく、怒りの炎となって車九台を焼いたような感じがする」と
語る。別の関係者は「飯岡君が亡くなった頃、大坊西寮が火事になったことがあった。
その時、駒井に叱られてフテ寝していた所化が焼死した。あの痛ましい事件を
思い出した」と話していた。

 一、飯岡道真君が亡くなったのは昭和五十二年九月二十一日午前七時十分、死因は
心不全と発表されたが、真相は急性アルコール中毒だった。所化イジめで知られる
駒井専道に暴行を加えられた飯岡君はヤケ酒を呷(あお)った。当時を知る坊さんの話
によるとサントリーレッドを一本、飲み干したという。これでは急性アルコール中毒に
なるのもムリはないが、それ程までに悔しかったのだろう。駒専は今、北海道士別市の
安立寺にいるが、所化を死に追い込んだ罪は深くて重い。

 一、日顕が説法すると「妙の字は若い女の乱れ髪、結う(言う)に結われず、解く
(説く)に解かれず」「赤ん坊を抱いた女の幽霊が出た」等々、直ぐに脱線するのが常
である。セクハラ説法、怪談だけではなく、因縁話が好きな日顕は、この所化の急死、
満山の日の自然発火の因縁について、どう説明するのだろうか。

 (大石寺では、積もり積もった謗法の数々、ウソとゴマカシばかりの宗門に、
これから大事件が起こると危惧する大坊鼠)

247おいで^^:2009/09/24(木) 23:01:49
すごく好評のブログw
ちょっとHでどんどん読んじゃうよ。
更新もしてるからきてみてね^^

ttp://stay23meet.web.fc2.com/has/

248検証会議:2009/09/25(金) 03:50:52
 顕正会短信

 2009.09.22

 顕正会のバイブル「折伏理論解説書」再改訂?

 顕正会のバイブルともいえる書物に「折伏理論解説書 日蓮大聖人の仏法」がある。
初版発行は平成元年6月28日。顕正会は当時まだ「日蓮正宗」の冠を謳っていたが、
平成9年11月の法人格取得・自称「冨士大石寺顕正会」への改称を皮切りに、
平成11年5月の「本部指導会」における浅井の「66世・67世相承断絶」指導で、
日蓮正宗と決別した「在家路線」への転換を加速。その直後の同年11月、浅井は同著
を「改訂」とし、大幅に加筆して販売した。

 初版当時は、翌平成2年の「開創七百年」を機に大石寺が「本門寺」に改称されると
いう浅井の脳内妄想が最高潮に膨らんでいた時期で、「誑惑完結の陰謀を打ち砕き」
などと自分に酔いしれている様子が書かれているが、それから10年近く経ち、
「本門寺改称」など起きもせず、平成10年4月に「不思議の還御」が実現し、
「御遺命守護」が完結したはずなのに一向に大石寺には相手にされず、
「御遺命守護完結で宗門復帰できる」と信じ込んできた古参会員らの離反を
招きかねないと案じた浅井が行ったのが「第九章 日蓮大聖人の御遺命」
「第十章 御遺命守護の戦い」なる2章の加筆による改訂だ。

 「御遺命守護の戦いの顛末」なる約120頁に及ぶ文章を追加しているが、その内容
たるや、まず「第八章 日蓮正宗の歴史」という章を「冨士大石寺の歴史」と改題し、
いかにも自称「冨士大石寺顕正会」こそが正系門下唯一の正統だと思わしめようとした。

 また、追加された2章も何のことは無い、平成2年から3年にかけて一般書店でも
販売された浅井の2書物の焼き直しで、改訂版283頁にはあの有名な
「一千万を平成25年までに成し遂げる」という誓願を載せている。現在では
「一千万」は顕正会のタブーなのだが。

 ところが、浅井が平成16年に「三百万を平成26年までに」と誓願を改定した後も
「一千万」が掲載されたままになっていたこのバイブル、今年8月の男子部大会で
「三百万を平成33年までに」と大幅な誓願後退を発表したのを機に再改訂される
ようだ。

 「一千万の誓願」「三百万を平成26年までに」を顕正会の歴史から抹消し、浅井の
息子や娘など一族が音頭をとって先導する「広布最終段階の大路線・三百万をあと
12年で」なる誓願に置き換えようとしているのだろうが、いくら取り繕っても
昔の資料に誓願破りの証拠は残っている。それを否定するならもはや浅井に過去の
学会・宗門の書物や言動を用いた誹謗・中傷をする資格はないが、耄碌はそれも既に
わからぬ末期症状か。

249検証会議:2009/09/25(金) 21:54:19
 同盟通信 No.136

 2009.9.18

 =何をやっても成果が上がらない中、宗務院に布教部を新設し、六部長体制にする。
この布教部は、これまでの庶務部を分割するもので、布教に関して教師・法華講に
対して徹底した指導にあたるという。部長には、庶務部長だった阿部信彰を更迭し、
これにあてるもよう。後任の庶務部長に同副部長の斉藤栄順を昇格させる意向の
ようだ。

 これにあわせて、日如による命題達成のかちどきを徹底させるため、明年四月までに
これまでの全国布教区をこまかく分解し、七〜八箇所を一布教区とする体制にする。
大量の支院長・副支院長をつくるのは、若手を宗務行政にたずさわらせておくことで、
不平不満の声を封じ込む考えだ。=


 日如はこれまで、日顕による地涌倍増の命題をかかげさせていたが、その最後年と
なる本年、とうてい達成は不可能となっていた。このため、先の七万五千名大結集総会
で新たに平成二十七年に講員数五十%増、平成三十三年には議員八十万人の目標を
ぶち上げ、日顕の命題不達成の色あいをもみけした。

 あわせて日如による命題を掲げさせることで「日顕の御命題達成」という、これまで
の日顕色を払拭するとともに、登座から数えて平成三十三年の十六年間は、日如が法主
にして管長猊下であり続ける旨を宣言した総会でもあった。この在位十六年という年数
の宣言は、日達上人の二十年、日顕二十六年と比較しても、かなり遠慮ぎみといえる。

 ただ、日如による命題達成の行進が新たに始まったとはいえ、布教部長に阿部信彰を
すえることに早くも命題達成は不可能との声が広がっている。信彰は、自分で折伏する
という成果を一世帯としてあげていないし、なによりも恫喝の固まりのような僧で
ある。これまで、住職や法華講を担当する役目を利用して、実際には怒鳴りつけ、
追及し、命令するしか能がなく、愛をもって慰撫し、身銭をきって面倒をみることも
ない。このことから、布教部が恫喝部になりかねない、というのだ。

 しかも、信彰には教学力がない。理解できていないのに知ったかぶりをして、しかも
難解に説いて悦に入る。その親(日顕)の血をしっかりと引いている。悪いことに、
サル並みの反省心しかなく、仏道修行者として必須の懺悔心を持ち合わせていない。
恫喝の罪障で心はまっ黒に固められている。

 すでに信彰は「目標達成が困難な寺院には、個別に宗務院(布教部)が入り込んで指導
にあたる」と、恫喝部長らしく公言している。こういう輩に入られたら、疲弊し切って
いる各講はどうなることやら。援助寺院を責めたてるばかりで、大寺院の住職に対して
爆発的折伏をするよう指導し、大寺院を分割して新寺を建立させる方向へと持って
いけない。なによりも、万年目標未達成の重役にして富士学林長の肩書を持つ
藤本日潤能化の常泉寺をどうするのか。それら、大都会という恵まれた立地にいる住職
でありながら、折伏成果を一向に上げていない寺院に住職をさしおいて個別に指導に
入る勇気があるのだろうか、と危うんでいる。しかも、信彰の妙国寺が情けない
折伏成果に甘んじている。何をか言わんや、といったところだろう。

 日如としては、庶務部を事務部化して元の常識を持ち合わせた部長に戻しておくこと
の方が肝要だと踏んでいるようだ。布教部が意味をなさないことになったとしても、
もともと折伏弘教は全宗門として取り組んでいく以上、たいした影響はないという判断
が働いているのではないか、との見方が強い。

 信彰はこれまでの査問の際、あらかじめ「お前は、目通り叶わぬ身である。ここでの
話が終わったら、まっすぐ自坊へ帰るように」と押しつけ、その日、日如に目通りする
ことを勝手に禁じている。査問の際の不都合を日如に知られないようにするためだと
いう。いまだ里内問題は解決していない。いずれにせよ、布教部の新設は、このさい
査問に名を借りて暴言・暴行をほしいままにする恫喝の庶務部という印象を対外的にも
払拭するというのが狙いのようだ。

  (憂宗護法同盟員より)

250検証会議:2009/09/26(土) 02:45:35
 大石寺短信 第469号

 平成21年9月24日(木)

 日顕宗の動き

 1.日顕宗の明年の支部総登山の概要が発表

 明年の法華講支部総登山の概要が発表された。宗内文書によると、「全講員参加を
達成するため、1年に複数回(3回以内)に分けて支部総登山を計画してよい。但し、
2回乃至3回に分けて行う場合は、各回が平坦にならないよう、中心となる支部総登山を
決めて実施する」とのことだ。要するに、"全講員参加というノルマのため、これまでの
ように活動家が2回も3回も登山して数合わせをしないよう、メーンとなる登山を開催
して、そこにより多くの人数を結集しろ"というわけである。

 最近、「7月の結集総会の大勝利によって大歓喜の生命力が得られた」と喧伝している
日顕宗。しかしこれが事実なら、わざわざこのような断りを入れなくても、多くの
法華講員が喜々として登山してくるはずではないか。7月の結集総会で「平成27年までに
法華講員50%増」「平成33年までに法華講員80万人体勢」という無謀な命題を
打ち出した日如執行部は、わざわざ総会の写真をあしらったポスターを信徒に配布し、
折伏のハッパをかけているが、今後、折伏先に困った法華講員が学会員を狙ってくる
ことが予想される。十分警戒していきたい。

 2.「布教部長」は信彰?「同盟通信」報じる

 前号で紹介した、宗務院に新設される「布教部」の部長人事について、憂宗護法同盟
発行の「同盟通信」が報じている。これによると、布教部の部長には現庶務部長の
阿部信彰をあて、後任の庶務部長には現副部長の斎藤栄順を昇格させるもようだ。

 「平成27年までに法華講員50%増」「平成33年までに法華講員80万人体勢」との
新たな命題を発表した日顕宗。同通信は、「日如による命題達成の行進が始まったとは
いえ、布教部長に阿部信彰をすえることに早くも命題達成は不可能との声が広がって
いる」としている。確かに、この信彰という男、自分で折伏をしたことがないどころ
か、自身の寺(東京・妙国寺)は毎年、情けない折伏成果に甘んじている。一方で、
父親ゆずりの"瞬間湯沸かし器"の信彰は、これまで、住職や法華講員を担当する
庶務部長として、ことあるごとに彼らを怒鳴りつけ、抑えつけてきた。ゆえに、信彰に
深い恨みを抱いている末寺坊主、法華講員は少なくない。

 その上で同通信は、信彰の布教部長への横すべり人事を「更迭」としている。
いわく、「日如としては、庶務部を事務部化して元の常識を持ち合わせた部長に戻して
おくことの方が肝要だと踏んでいるようだ」「布教部が意味をなさないことになったと
しても、もともと折伏弘教は全宗門として取り組んでいく以上、たいした影響はないと
いう判断が働いているのではないか、との見方が強い」と。さらに、「布教部の新設
は、このさい査問に名を借りて暴言・暴行をほしいままにする恫喝の庶務部という印象
を対外的にも払拭するということが狙い」と分析している。

 最近、前法主・日顕との間に微妙なすきま風が吹いていると言われている日如だが、
いよいよ、日顕一派に対する反転攻勢を仕掛けてきたということだろうか。

 3.10月の予定

   1日(木) 御会式(末寺〜11月末)
   4日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
  11日(日) 御講(末寺)

251検証会議:2009/09/29(火) 07:25:34
 越 洋

 平成21年9月26日

 宗門の僧俗みんなが疑問に思っていることがある。それは、隠尊日顕の女房政子の
2億円もする赤坂の超高級マンションのことだ。発覚以来、何の説明もなくダンマリ、
まずいことがあると殻に閉じこもり、ほとぼりが冷めるまでジッと沈黙している。
 宗門の前法主の女房なのだから、世間を騒がせた責任は重い。何らかの説明責任が
ある。ダンマリでは世間様に通用しない。

 そろそろ1年半になるので、ほとぼりが冷めたと思ったのか、娘の百合子が麹町の
マンションを売りに出していた。やっと売れたらしい。時価約8000万とのこと。
それで百合子が赤坂の政子のマンションに移ったようだ。

 末寺の生活状況は破産寸前。子弟の教育費はおろか、生活費さえ逼迫している。
このままでは働きに出なければ食っていけない状況だそうだ。本山に収める上納金は
更に生活を困窮させている。

 それに比べて、隠尊ファミリーは超贅沢な極楽生活の毎日だ。百合子は「人生お金が
全てよ!」と言ってはばからない。

 隠尊日顕は公金を湯水の如く使い公私混同。この男は人間としての苦労をしていない
ので、今年12月には87歳になるというのに精神的には3歳児ぐらいのわがまま
放題。人の言う事なんて聞かないやんちゃ坊主だ。死ぬまで、愚かな幼児性は
変わらない。

 やりたい放題で、二十六箇条の遺誡に全て背き続けた大増上慢であり、大謗法の
奪命者なのである。自分と政子、百合子、信彰ら一族だけが贅沢出来れば、他人様の
ことなんか関係なさそうだ。

252検証会議:2009/10/01(木) 04:56:47
 新改革通信 第103号

 平成二十一年九月三十日発行

 "死ぬに死ねない"日顕の事情(六)

 日如の巧妙な罠か?
 庶務部長からはずされた信彰の次期法主の可能性は消え、遂に早瀬ファミリーが
宗門を牛耳る!

 すでに「同盟通信」が報じているが、宗務院に新たに「布教部」というものが設置
されるようだ。そして、庶務部長であった阿部信彰が、その任を解かれ、布教部の部長
に就任する予定であるという。「同盟通信」はこの信彰の処遇を「更迭」と書いている。

 庶務部は宗務院の中枢と言って良い。日如は元庶務部長で、日達法主もそうで
あった。日如は、怒鳴るだけしか能がない信彰に庶務部長などつとまるはずがないと
思っていたに違いない。

 現に、信彰が庶務部長になってから、庶務部は機能しなくなった。その典型的な
例が、信彰が得成寺の里内を査問した際に暴力を振るった事件である。

 この問題は宗内外で話題になり、信彰がどのような処分を受けるかに注目が
集まった。ところが信彰は、自分の処分を自分で宗内に知らせるという異常な手段を
使い、宗内をあきれさせた。常識では考えられないことである。

 そして今回、信彰は新設の「布教部」に移るという。誰の目にも、庶務部から
追い出されたも同然と映る。なぜなら、「同盟通信」が分析しているように、折伏は
宗門全体で取り組むもので、布教部は、大勢に影響はない名前だけの部署だ。

 当然、日顕は不服である。なぜなら、得体の知れない「布教部長」が次期法主になる
可能性は低いからだ。しかし、信彰は暴力事件のことがあるから、ここは黙るしか
ない。そういう意味では、日如の作戦勝ちである。

 しかし、日如の狙いはもう一つあると言われている。信彰が布教部長になれば、
学習能力のない信彰のことだから、どうせ末寺住職を恫喝するに決まっている。
第二・第三の里内が生まれ、大きな問題になる可能性が大きい。

 もし、信彰が大きな問題を起こせば、次期法主の道は完全に絶たれ、阿部一族の
宗内支配の終焉となる。巧妙に仕掛けられた罠というわけだ。

 主任理事の佐藤は自分の女房の弟、新庶務部長には自分が庶務部長時代からの子飼い
である斉藤が就く予定だという。これで日如は内事部と宗務院という宗門の二大柱を
手中に収め、完全に宗門を支配できる。あとは、信彰が問題を起こすのを待つだけで
ある。死ぬに死ねない日顕にとって、一段と前途が暗くなった。今までにないつらい
秋冬となろう。

 (編集部)

253検証会議:2009/10/01(木) 04:57:11
 フェイク 第1056号

 (発行=09.09.29)

 「日如の模写本尊は拝む気がしない」
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ①
 許し難い、寛尊の御本尊を誹謗する日顕宗僧俗

 日顕宗のニセ法主二世・早瀬日如が九月度の広布唱題会(本山客殿)の席で、学会が
授与している日寛上人御書写の御形木御本尊を「ニセ本尊」呼ばわりして、こんな戯言
を述べていた。

 「間違った信仰、例えば池田創価学会のように『ニセ御本尊』を拝んでいたのでは、
幸せになれる道理はなく、『ニセ御本尊』こそ不幸の根源であり、血脈正統の本宗の
御本尊以外に私達が幸せになる途(みち)は絶対にない」

 こんな日如の妄言を真に受けた法華講員らが各地で「脇書きを削っている」
「開眼がない」「法主の許可がない」などと暴言を吐いて非難している。

 この「ニセ本尊」という批判に対し、これまで繰り返し粉砕してきたが、改めて、
日寛上人の御形木御本尊に対する日如ら日顕宗僧俗の誹謗に対して、
①相貌(そうみょう)②授与書き、③開眼、④許可、の四つの視点から破折を加える。

 その前に、日如が模写した本尊について簡単に触れることにする。

 日如が模写した御守本尊(左上の写真を参照)が法華講に出回り始めた一昨年一月、
著名な書道家(B展審査員)が、その本尊について次のように酷評した。

 「これは文字がオドオドしているし、たどたどしい筆跡だ。まるで小学一年生が
初めて筆を持ったみたいで、おっかな、ビックリで書いているから、こんな幼稚な文字
になる。字が上手い、下手というより、人生七十年も生きていると、文字にもそれなり
の風格が出てくるものだが、この本尊の文字からは、それがまったく感じられない。
所化小僧が住職に隠れてイタズラ書きしたような文字で到底、褒められたものではない」

 また、本尊の相貌などについても幾つかの難点がある。

 更に「余りにも下手な字で到底、拝む気にならない」と言う法華講員もいる。

 こんな粗末な模写しかできない日如が寛尊の御本尊を誹謗した妄言を粉砕する。

 学会こそが広宣流布を目指す唯一の「信心の血脈を受け継ぐ仏意仏勅の和合僧団」で
あり、「僧宝」の意義の上から平成五年九月、授与を決議した日寛上人書写の
御形木御本尊は、同上人が享保五年(一七二〇年)に認(したた)められて、
開基約七百年の古刹である淨圓寺(栃木県小山市)の寺宝として所蔵されてきた由緒
ある御本尊である。

 「六巻抄」や数々の「文段」を残され、その中でも特に「我等この本尊を信受し、
南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」
(観心本尊抄文段)等と大聖人直結の信心を強調された。

 また大石寺内に「常唱堂」を建立するなど大聖人直結、御本尊・唱題根本で広宣流布
に邁進されたのが日寛上人であった。

 (つづく)

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000763.jpg

254検証会議:2009/10/02(金) 20:01:00
 越 洋

 平成21年10月3日 

 7万5千名結集総会の記事や写真を『大白法』や『大日蓮』等に載せて「大成功」と、
大仰な宣伝を繰り返している。"7万8千423名もの大結集"と発表しているが、この
発表は、役員とか信心していない運営関係の業者の数も入っている、と内情を関係者が
知らせてくれた。観光目的で登山した未入信の家族も含まれており、その内実たるや、
宗門の宣伝とはかけ離れているのが現状である。

 オマケに、御開扉の際、一人が2〜3枚の御開扉券を出し、受け取る方も気付かない
ふりをして黙認。実に、いい加減な参加数の実態なのだ。

 総会終了後、坊さん連中が集まって、派手に慰労会をやっていた。そこでは"毛ガニ"
などの豪勢なご馳走に舌鼓を打ちまくっていたそうだ。坊さんは、信者が長時間バスに
揺られ、ヘトヘトになって参加していることなんか"ソンナの関係ナイ"そうだ。

 総会当日、"新たな御命題"と称して『①平成33年宗祖日蓮大聖人御聖誕800年に
おける80万法華講の達成 ②平成27年日興上人御生誕770年における法華講員の
50パーセント増』と発表した。世帯数ではなく人数でのカウントになったことで、
法華講員は今後、登山のノルマと折伏のノルマを更に課せられることになった。
折伏・弘教の活動が嫌で寺に移った脱会者にとっては何よりの苦痛。"折伏・折伏"と
寺側が檄を飛ばせば飛ばすほど、更なる寺離れが加速することは間違いない。

 できもしない目標は坊さんの誇大妄想の産物。"その時、俺達はあの世だ。この世には
いないから関係ない"と70歳のオジサンが苦笑していた。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000764.jpg

255質問ですよ:2009/10/02(金) 21:58:08
めくそはなくそだと思います。

256検証会議:2009/10/03(土) 05:55:54
>>255

めくそはなくそ=現法主と前法主 だよね(笑)

257質問ですよ:2009/10/03(土) 08:49:24
>>256
えっ?大丈夫ですか(笑)

258検証会議:2009/10/03(土) 17:36:54
 大石寺短信 第470号

 平成21年10月1日(木)

 日顕宗の動き

 1.「御会式」への勧誘に注意を

 日顕宗の各末寺では、10月から11月にかけて「御会式」が行われる。
 大聖人御入滅の日(10月13日)にちなみ、「御本仏の滅不滅を祝し、仏恩報謝と
広宣流布を誓う」とされる御会式は、末寺にとって年間の最重要行事であり、
供養集めの絶好の機会でもあることから、どの寺も結集に血眼になっている。
 坊主たちは、布教区内でローテーションを組み、互いの寺の御会式を回っていく
など、協力態勢が敷かれる。

 7月の結集総会で「平成27年までに法華講員50%増」「平成33年までに法華講員
80万人体勢」といった新たな命題が打ち出されて以降、法華講機関紙「大白法」
(9月16日号)は日如の「時を移さず折伏戦に入り、まずは本年度の折伏誓願を必ず
達成すること」との言葉を紹介して、「講組織を挙げて大折伏戦を展開し(中略)
創価学会員を一刻も早く救い出そう」と呼び掛けており、最近、法華講員が学会員宅に
電話をかけてきて、執拗に勧誘するケースが各地で多く見られる。今後、この御会式を
折伏推進の足がかりにしようとしてくるだろう。

 これまでも、「(御会式で飾る紙製の)お花を一緒に作りませんか」「一年で
一番大事なお寺の行事に参加しましょう」などと言葉巧みに誘いをかけてきた例が
あったが、今回もなりふり構わぬ勧誘に出てくることが予想される。十分に警戒して
まいりたい。

 2.明年の登山計画に末寺から早くもブーイング

 前号で紹介した明年の支部総登山の計画の概要について、各地の末寺からブーイング
が起こっている。明年の支部総登山の概要は、"全講員を参加させろ""必ずメーンとなる
登山会を開催し、そこにより多くの人数を結集しろ"というもの。

 この、「本山により多くの信者を」という有無を言わせぬ打ち出しに末寺坊主は
怒っているのだ。と言うのも、信者は「登山したら多くの供養を包まなければ
ならない」という強迫観念にとらわれている。つまり、信者が本山に登山すればする
ほど、末寺への実入りが減ってしまうというわけだ。本年は7月の結集総会に加えて、
数合わせの50万登山が行われてきた。本山は丸々と肥え、末寺はやせ細る一方である。
ほとほとまいった末寺坊主たちの「本山は末寺をつぶす気か」という嘆きも納得できる。

 昔から本山と末寺の関係は「親」と「子」にたとえられてきたが、末寺坊主の間から
は、「子どものことを考えるのが親。子どものカネをむしり取る親がどこにいるか」と
いった辛らつな怒りの声も聞こえてくる。

259検証会議:2009/10/04(日) 02:31:06
 顕正会短信

 2009.10.04

 珍しく発行日前に顕正新聞が届いた

 雑感

 顕正新聞といえば、毎月3回、5のつく日(5日、15日、25日)に発行される
「はずの」顕正会機関紙であるが、発行日を一週間過ぎても届かないこともあるなど、
その杜撰さは各方面から非難を浴びている。年間購読料は毎年5月に一括納入で
8500円なのだが当然郵送料込みで、しかも毎号6頁か8頁のくせに一部200円。
月に3回発行で年に36回。計算すると新聞本体にかかるのは年7200円となるの
だからボッたくりもいいところである。

 ところでその郵送料だが「月3回以上発行する新聞」という位置付けの第三種郵便物
なので、帯封を巻いた「一部」を50グラム以下とした場合で一通40円となる
だろう。二部以上の発送の場合については煩雑なので割愛するが、36回発行されたと
して年間送料は1440円となるので、8500円の購読料では一通あたり
年間140円の赤字となってしまう。これではボランティア・慈善事業嫌いの浅井も
やってられないだろう。そこで顕正新聞を年に2〜3回、「合併号」として発行して
いるのだが、昨年は2回あったので発送は計34回。これを元に年間の郵送料を計算
すると1360円で、新聞本体と合わせてもまだ60円の赤字が出る。顕正新聞の
発行部数は非公式ながら、昨年秋に顕正会敗訴で確定した名誉毀損裁判の過程で
小峰編集人が20万部と証言しており、これに基づいた計算では年間の赤字は
1200万となる。「一千万」は達成された(笑)ことになるがそれでは浅井の儲けは
無い。

 そこで編集部が着目したのは、日本郵便の「大口・法人向け料金」の割引率の
最大活用だ。例えば顕正会本部・配送センターのあるさいたま市の場合、5千部以上の
発送物を郵便番号別に分けてさいたま新都心郵便局の窓口に持ち込めば11%の割引に
なる。さらに、配達に3日から7日の余裕を承諾すればプラス4〜6%割り引かれ、
最大17%の割引が得られるのだ。顕正新聞の第三種郵便物としての料金を一部40円
として計算すると切り上げて7円の割引となる。年34回発送されたとして、購読部数
が1部の者への発送では年238円浮かすことができる。それが20万部となると一年
で4760万円の節約となる。もちろん複数部購読者もいるだろうが、圧倒的に
帯封購読者(一部か二部)が多いはずなので、節約額が大幅に減ることは考えにくい。
仮にこの通りであれば赤字どころか相当儲かっていることになる。こうやって捻出した
儲けが積もり積もって数十年の結果か、浅井は地方会館すらスッポリ入る広さの敷地に
建つ豪邸で一族ぬくぬくと暮らせるのだ。

260検証会議:2009/10/04(日) 21:16:53
 フェイク 第1057号

 (発行=09.10.02)

 慢心の日顕が日寛・日亨上人を侮辱
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ②
 学会授与の御本尊は草創期に受けたのと同じ相貌

 日寛上人は、前号で述べた通り日蓮大聖人直結、御本尊と唱題根本で広宣流布に邁進
された中興の祖である。その意味で、世界広布に邁進する創価学会の信心と合致して
いる。

 この点、教学が苦手で御書も読めず、講義も出来ず、題目はあげない、朝夕の勤行も
殆どしない、折伏も出来ない無能で信仰心の欠片もない日如とは正反対である。その
日如が、日寛上人の御本尊をニセ呼ばわりするとは増上慢も甚だしい。

 日如は法門に関する知識は「所化並み」と言われており、日寛上人の御形木御本尊を
「ニセ本尊」と言うだけで、その理由には一切、言及していない。

 ところが、ニセ法主元祖の日顕が平成九年八月二十八日の「八時間説法」で、
日寛上人の御本尊の相貎に難癖をつけて「日寛上人の御本尊様は……戒壇の御本尊様の
十界をお書きになった御本尊様が一幅もないんです。全部、略本尊なんです」
「こんなこと言うと、まあちょっと、悪いかもしれないけどね」と中興の祖を侮辱して
いた。

 この他にも日顕は、日亨上人とか歴代法主を小馬鹿にする発言が目立つ。特に、
平成四年八月、全国教師講習会の際、碩学の日亨上人を批判した事実を忘れては
ならない。

 日顕は「堀上人がね、チョットわけ分かんないようなこと仰っている」と非難。
活字では雰囲気が伝わらないが、侮辱した口調だった。

 日顕は言葉を続け「堀上人はね、学者だから……だから、あんまり会通がないんです」

 日顕が言う、日亨上人の「わけ分かんないこと」とは、謗法坊主の日精について
生涯、造仏読誦論者であったと日亨上人が批判されたことを指す。「わけ分かんない
こと」を口走ったのは日顕の方なのである。

 この慢心の日顕は、日寛上人の書写の作法にも言及。「八時間説法」の小冊子では、
都合の悪い個所は削除しているが、日寛上人の御本尊の相貎まで云々した大増上慢で
ある。

 また「二乗が欠けているから二乗作仏の意義が…」と言いかけた時、場内の異様な
反応に気付き、慌てて「略本尊も正本尊も、悉く尊い御本尊であり、一切唱題の功徳に
相違はありません」と取り繕った。

 これは当然で、日興・日目上人書写の御本尊にも十界の代表しか挙げられていないの
がある。特に、学会が現在、授与している御本尊は、草創期に流布した日寛上人の
享保三年の御本尊と全く同じ相貌なのである。

 学会員は、その御本尊を信受し、何百万もの人々が厳然たる功徳の実証を示したので
あった。

 こうした過去の経緯があるため、日顕も、日寛上人の御本尊の相貌にケチを
つけながらも「略本尊だからニセ本尊」とは言い切れず、「授与書きの削除」
「法主による開眼がない」「法主の許可がない」と文句を言うしかなかった。

 だが、これも日顕の邪見である。御本尊の本義、宗門の歴史から見ても、すぐに化け
の皮がはがれる難癖でしかない。(つづく)

261検証会議:2009/10/05(月) 23:27:45
 顕正会短信

 2009.10.06

 顕正会の“鬼門”、四国で男女大幹部が失脚

 発行日より前に届いた顕正新聞10月5日号の1面はなかなか面白い。まず目に
付いたのは男子部人事で、男子第5部長の小沼貴寛が男子31隊の隊長に就任した
ことだ。第31隊といえば、かつては高知を拠点に四国全域をまとめていた組織で、
前隊長の桑原圭一は同じ名字からして夫婦と察せられる、前第9女子部長の桑原緑子と
共に「四国を牛耳っていた」のだが、今回の交替で消息がわからなくなった。

 桑原緑子も7月総幹で第9女子部長と高知会館管理主任の職を解かれた後の消息が
わかっていない。揃って脱会した可能性もあろう。なぜなら四国には壮年部組織が無い
からだ。12月5日号に掲載される「成果発表」に名前があるかどうか注視したい。

 さて、新31隊長の小沼貴寛だが、他にも第41隊長、本部幹事、そして衛護隊副長
という役職を掛け持っているのだが、埼玉在住でありながら担当地域は九州と四国、
そして仙台とまぁ広いこと遠いこと。その上に衛護や本部幹事もやらねばならないの
だから、どれも中途半端になることは必定だ。早晩疲れ果てて消えていなくなる
だろう。女子部にしても四国の第9女子部で区長の交代が数件発生しており、やはり
桑原緑子絡みでなにかあったのだろう。

 顕正会にとって四国、とりわけ高知は鬼門だ。平成元年当時、顕正会の地方会館は
高知にしかなかった。情報によれば高知会館の須弥壇は本部会館のそれに勝るとも
劣らないものだったと聞く。

 そんな高知に平成2年、当時の高知支部長など多数が脱会する事態が発生し、
一時壊滅状態となった。平成14年には元地区部長が交際中の婦人部員親娘を殺傷し
逮捕、懲役15年の実刑が下った。顕正会員の殺人事件はいままでこの高知の一件だけ
である。

 そして平成17年には高知会館安置の本尊が会員によって「不敬」されている。
破られたのか汚されたのかは不明だが、いつしかこの体たらくだ。ついでに言えば、
四国壮年部はまったく成果が出なかったので男子部に編入されてしまった。子供や孫の
ような年代の若造から勧誘のゲキを飛ばされるようではさすがに愛想をつかすだろう。
要介護や身寄り無しなどで行き場の無い者だけがしがみついて残らざるを得ないのが
実情だ。

 そういえば同じ1面では中国紙が掲載した「新中国に影響を与えた日本人5人」の
話題を取り上げていたようだが、日頃中国を口汚く誹謗しているくせにこういうネタは
取り上げる節操の無い編集だ。このネタについては次号でカラクリを紹介し、浅井らの
知らない事実を明らかにする。

262検証会議:2009/10/05(月) 23:28:13
 フェイク 第1058号

 (発行=09.10.04)

 「御本尊を信じられず苦しい」と日顕
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ③
 日寛上人の御心に適う世界の人々への授与

 日寛上人書写の御本尊を誹謗する日顕は絶大な妙法の力用を疑っているのである。
事実、東京・八王子の平山広篤(広妙寺)が昭和六十一年六月十三日、御講で、日顕の
不信謗法を暴露した。

 「(日顕に)私が『信心してきて一番苦しんだことは何ですか?』と質問した。

 すると『なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも本当に信ずる
ことができないでいる』と仰せられた」

 この平山の話を聞いた婦人は強い衝撃を受けて日記に記していた。

 この一事が日顕の正体を物語る。御本尊の仏力、法力を信じていないからこそ、
日寛上人の御本尊に平気で難癖をつける。その難癖の一つが授与書きについての
言い掛かりである。

 日寛上人から授与を受けた本證房日證師への授与書きが御形木御本尊にはない点を
挙げて「日證師の心を踏みにじる」「功徳がない」と愚かなことを言う。

 御本尊の余白に記された氏名は日興上人が「所賜の本主の交名(きょうみょう)を
書き付くるは後代の高名の為なり」(富士一跡門徒存知の事)と述べられているよう
に、授与を受けた人の功績を称え、証明する意義がある。

 しかし、その名前は御本尊の本体に属するものではなく、授与書きの有無は、力用
とは何ら関係がない。また、書写した法主及び授与された人の心を踏みにじるとか、
その意志を傷付けることにもならない。

 日顕自身、説法の中で弘安以降に書かれた大聖人の御真筆の御本尊でも授与者の名前
のない例が二割近くある事実を認めていた。つまり、授与書きが御本尊の本体には
属さないことを自らが明かしていたのである。

 また、日顕らは「日證師個人に授与された御本尊を世界に流布するのは罰がある、
功徳はない」との邪見を得意気に言うが、厳然たる功徳があることは世界のメンバーが
証明している。

 板本尊の脇書きを削っていた日顕宗

 日寛上人が御本尊を書写された御心は広宣流布にある。その御本尊を寺の倉庫に保存
しておくのではなく、世界の人々に授与することこそ、日寛上人並びに日證師の心に
最も適(かな)っているのである。

 更に、付言すると、学会が授与している御形木御本尊は、日顕宗の輩が騒ぐような
「授与書きを削った」わけではない。正しくは「御本尊の本体の部分だけを
御形木御本尊にした」のである。淨圓寺に所蔵されていた御真筆の御本尊の授与書き
には、何一つ手は加えられてはいない。

 因みに、学会草創期に授与された日寛上人の御形木御本尊も、近年の御形木専用に
書写された御本尊と違って、左上に「授与之」という文字が記されていない。

 ということは現在、学会授与の御本尊と同じように、御本尊の本体の部分だけを
御形木にして印刷したものであったことが明白である。

 この脇書きに関しては、日顕宗こそが寺の本堂の板御本尊の脇書きに刻まれた、
かつての総講頭の願主名を削り、或いは漆で塗り潰して見えなくするなど、その御本尊
を書写した日達法主らの心を踏みにじっていたではないか。

 (つづく)

263検証会議:2009/10/07(水) 19:30:23
 顕正会短信

 2009.10.07

 「お祭り」に踊る阿呆は節操なし

 顕正新聞10月5日号1面の下のほうに囲み記事が掲載されている。何かと思えば、
浅井が嫌ってるはずの中国共産党の機関紙「人民日報」傘下の新聞「環球時報」が、
中華人民共和国成立60年にちなんで行った「中国に影響を与えたが外国人60人」
なる「世論調査」を取り上げ、日本人では田中角栄、松下幸之助、小泉純一郎、
高倉健、渡辺武(順不同・敬称略)の5人が選ばれたが、創価学会の池田名誉会長が
選出されなかった、と小バカにしたものだ。

 敵対する学会をこき下ろすためには、たとえ今最も力を入れて誹謗中傷している
中国共産党の機関紙の内容でも「そんなの関係ねぇ」とばかりに取り上げるあたり、
浅井の節操の無さをアピールしていることに気づかない愚かさだ。

 所詮、浅井が宗門を誹謗中傷するに当たっても、創価新報などが報じた内容を
あたかも自分だけが知っているとばかりにさぞもったいぶって話す体たらくだから性質
が悪い。こういうのを「他力本願」というのである。

 ところで、浅井が有難がって用いたこの「新中国に影響を与えた外国人」という
企画、東京新聞などの報道によれば、「インターネット投票」に加えて中国社会科学院
などが意見を加えて発表されたものとされ、中にはマイケルジャクソン、
マイケルジョーダン、果てはカーネルサンダースまで選ばれているのだから真面目に
選んだのかどうかすら不明だ。

 実はこれは政治的主導で行われた「官製世論調査」であり、新中国建国60周年を
祝う「提灯記事」なのだ。渡辺武・元アジア開発銀行総裁が「対中援助の先駆者」とは
日本人でもなかなか知る人は少ないだろう。

 つまり、中国政府の側から見た「対中国実利貢献度」も大きな選考要因なのだ。
ちなみに池田名誉会長は中国では「思想家」「教育家」という位置付けであり、思想家
の類はルソーやニュートンなど200年以上も前の人物ばかりで生存者は選ばれて
いない。存命であるため掲載されていないと見るのが妥当だ。また、中国は学会を
政治的に利用していないのだ。

 ちなみに、中国社会科学院日本研究所は2003年、
「中日関係30年重要歴史人物及び友好人士」という研究を行い同ホームページで内容
を公開しているが、中国人7人、日本人10人の中に池田名誉会長の名前と略歴も
記されている。厳然たる事実であるが、日本のメディアがこれを報じることは決して
無いだろうから、情報収集能力の無い顕正新聞編集部には知る由も無いだろう。
他国侵逼の相手と位置づける中国の「お祭りネタ」に踊らされてはしゃぐ幼稚な愚かさ
に付けるクスリはもはやない。

264おいで^^:2009/10/12(月) 11:10:43
すごく好評のブログw
ちょっとHでどんどん読んじゃうよ。
更新もしてるからきてみてね^^

ttp://stay23meet.web.fc2.com/has/

265検証会議:2009/10/12(月) 15:11:27
 越 洋

 平成21年10月9日

 10月12日は弘安2年に日蓮大聖人が一閻浮提総与の御本尊を御図顕されてから730年の
佳節にあたる。末法万年尽未来際の一切衆生を救済するために残された御本尊であり、
坊主の専有物ではない。大聖人は「大願とは法華弘通なり」「広宣流布は大地を的と
するなるべし」と広宣流布の方途を示されたが、日蓮正宗は日顕という大謗法の奪命者
の出現によって、現在、信徒数は僅か数万という体たらくである。立正安国論750年の
佳節にも拘わらず、7万5千名の結集さえもままならない。50万総登山と謳いながら、
その実態は一人が何回も登山させられ、インチキ極まりないゴマカシの実情だ。
平成27年に現状の50パ−セント増、平成33年には80万人達成などと吹聴しているが、
出来もしない夢物語である。この頃、日顕も日如も、この世には存在しないから無責任
な目標を打ち出すのだ。

 一方、平成3年11月28日、無慈悲な一片の紙切れの郵送で破門された学会ではあるが、
SGI会長のもと異体同心の鉄の団結で、今や世界192ヶ国・地域に世界広布が進展して
いる。仏意仏勅に叶ったSGIは大聖人直結、御本尊と御書根本で、各国のメンバ−は
喜々として、世界平和と其の国の繁栄のために貢献している。大聖人の御遺命の通りの
見事な実証である。

 あの世紀の大殿堂・正本堂は8百万信徒の血と涙と汗の赤誠で建立された。建物は
法滅坊主によって破壊されても、御供養に参加した歓喜の思い出と正本堂の雄姿は、
一人一人の生命に燦然と輝いている。誰人もその思いを消すことは出来ない。

 11年前の平成10年6月23日、奪命坊主の日顕が正本堂を破壊し始めた。破壊の理由を
地震や赤さびのせいにして屁理屈を言っていたが、本山に金が貯まって慢心になり、
学会への嫉妬心から破壊したのである。正本堂は世界の建築家からも千年以上は絶対に
持つと証言されていた。平成10年9月28日、正本堂円融閣の最後に残っていた5本目の
大円柱が倒されたが、同じ日に日顕自身も倒れて都内のK病院に一ヶ月間、入院した。
御本仏の怒りに触れた厳しい現証だった。日顕が犯した悪行の数々は、除歴は当然、
後世の歴史の上で裁かれることは間違いない。破壊坊主・日顕の蛮行を許した宗門の
側近達も、必ずや、その大罪を問われることだろう。

266検証会議:2009/10/12(月) 23:56:04
 フェイク 第1059号

 (発行=09.10.11)

 開眼は不要、世界の友が功徳満喫
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ④
 日顕の妄言、御本尊の功力は特定の人に限定?

 日顕は、今でも御本尊を信じていないため、日寛上人書写の御本尊に暴言を
浴びせる。日寛上人が日證師に与えられた「一機一縁」の本尊だから、御形木にして
他の人が拝んでも功徳はない旨、バカなことも言っていた。まるで、御本尊の功徳が
特定の人に限定されるかのような妄言である。

 「一機一縁」とは大聖人が門下に授与された御本尊について使われる言葉で、
出世の本懐たる「一閻浮提総与」の大御本尊と区別する意味で用いられる。

 つまり、「一機一縁」の御本尊とは、本来は大聖人ご在世当時、門下に与えられた
御真筆の御本尊のことを指す。日淳上人も大聖人御在世の弟子や信徒を導くために授与
された御本尊を「一機一縁の御本尊」だと明示されている。

 こんな初歩的なことも知らないで、日寛上人の御本尊について「功徳がない」とは
大謗法の発言である。

 厳然と功徳があることは世界の友が実証している。

 次に、日顕は御本尊には法主による開眼が必要であるとして「以前から今日に至る
まで、あらゆる御本尊は、下附のために総本山から離れる前に、丑寅勤行において法主
が祈念をしている」とも語っていた。

 この日顕の話は真っ赤なウソである。本山での法主の開眼など御形木御本尊について
は行われていない。

 日顕は「以前から」とか「古来」という言葉を使って、昔から法主が開眼した御本尊
を授与していたかのように誤魔化すが、学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人は殆ど
皆無に等しい状況だった。

 だから、御本尊を下付する必要もなかったのである。時折、入信する人が現れた
場合、それぞれの末寺が勝手に御本尊を授与していた。

 当然、法主がその都度、開眼するとこともなかった。たとえば、東京の妙光寺が
下山日布(五十五世)、法道院が大石日応(五十六世)、常在寺が阿部日正
(五十七世)と、それぞれ有縁の法主の御形木を持っていて、勝手に印刷・表装し、
授与していたのである。

 淨圓寺が離脱の時、「しまった」と日顕

 また、香川の讃岐本門寺では過去に、塔中坊に安置されていた日興上人の御本尊を
御形木にして多くの檀家に下付していた。

 更に、学会員が草創期に授与を受けていた日寛上人の享保三年の御形木御本尊は池袋
の法道院で印刷し、各末寺は本山を経ずに直接、法道院から受け取っていた。

 即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、
授与書きがない点も、法主による開眼などがなかったという点までも、現在の学会授与
の享保五年の日寛上人の御形木御本尊と全く同じなのである。

 こうした事実を知っている日顕は、平成四年十一月十二日、淨圓寺の成田宣道住職が
邪宗門から離脱した時、周囲の者に「しまった、あの寺には日寛上人の御本尊が
あったな」と悔しそうに呟いた。

 それは以前の妙光寺、法道院、常在寺と同様に今度は浄圓寺の申し出によって、
日寛上人の御形木御本尊が下付されるようになると、それを阻止する正当な理由がない
からだ。(つづく)

267検証会議:2009/10/12(月) 23:56:30
 フェイク 第1060号

 (発行=09.10.12)

 ワシントンDCの妙宣寺が焼失
 日蓮正宗の寺で大火災、被害は八十万ドル
 二百二十人が集った「お会式」の時に炎上

 日蓮正宗では、大御本尊御図顕の日の前日、アメリカで大事件が発生した。
 アメリカ国内に六ケ寺ある寺の一つ、ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)が
火災で焼失したのだ。火の手が上がったのは十月十一日午後零時二十分頃。寺の中
には「お会式」のために、約二百二十人の法華講員が集っていた時、寺の倉庫から出火
した。

 初めのうち、女性信徒の一人は「いつもより煙の多いお香を使用していると思った」
と言い、別の信徒は「他の建物の火事だと思っていた」と言う。ところが、自分達の寺
が燃えていると知って、慌てて逃げ出したため、死傷者はいなかったようである。

 通報を受けた消防署では百人近い消防士が出動し、懸命に消火に当たった。道路は
ロレーヌ通り、デニス通りなど双方向とも数時間にわたって閉鎖され、大渋滞を
引き起こした。

 捜査関係者によると火災はお香と灰を格納するのに使用されているクロゼット内で
起きたという。

 また、火災救急当局のオスカー・ガルシア署長は「寺側の儀式用具の火の消し方が
不適切で、クロゼット内の他の物に燃え移った」と指摘。火事が引き起こした損害は、
概算で八十万ドルにものぼると言明した。

 年に一度の「お会式」の日に、大火災を起こすとは、信心の弛緩としか言いようが
ない。この妙宣寺の火災は「ワシントンポスト」でも写真入りで報道された。

 火災といえば去る八月二十八日午後一時過ぎ、大石寺の駐車場で千葉市から登山した
女性講員が乗ってきた普通乗用車から出火、十台の車が焼けたばかりだ。昭和五十二年
には所化が焼死した大火もあった。寺は少ないが、火災が多いのも宗門の特徴の一つで
ある。

 妙宣寺の火災の残骸を取り除く消防士(「ワシントンポスト」より)

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000768.jpg

268検証会議:2009/10/16(金) 13:39:32
 大石寺短信 第471号

 平成21年10月15日(木)

 日顕宗の動き

 1.日顕宗の明年は「広布前進の年」

 明年の日顕宗の年間方針が「広布前進の年」に決まった。また、年間実践テーマは
「勤行・唱題で広布へ前進」「折伏実践で講員増加」「全講員で支部総登山」の3項目
だという。

 毎年毎年、失敗を繰り返しながら、威勢の良いスローガンを次から次へと繰り出す
だけでは何も改善されまい。そもそも、大失敗に終わった平成21年までの倍増計画の
総括は行われたのか。

 今回の末寺住職向けの宗内文書に並ぶのは、「『折伏せよ』との一点に尽きます」
「広布達成のその日まで死身弘法の御聖訓を奉戴して、指導教師が率先垂範し、不断の
折伏を」「指導教師の広布にかける情熱と意気込み、僧侶としての慈悲と指導性、
言行一致の振る舞いがそのまま講中活動に反映されます」と、相変わらずの
"上から目線"のハッパばかり。

 しかし、この文書を発信している執行部の役僧の寺の実態はどうか。昨年、折伏目標
を達成したのは1カ寺だけ。いつも鬼の形相で坊主達を締め上げる庶務部長・阿部信彰
の妙国寺も惨敗。海外部長・漆畑もダメ。渉外部長・秋元もペケ。財務部長・長倉の寺
も散々。総監・八木の法道院に至っては、目標の2割台しかできていないのだ。
これでは、煽れば煽るほど、末寺住職の怒りの炎に燃料を注ぐだけ。
 来年の年間方針は、いっそのこと、「執行部・率先垂範の年」にでもしたらどうか。

 2.アメリカの妙宣寺で法要中、火災

 アメリカの首都・ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)で11日正午ごろ
(日本時間12日午前2時ごろ)、火災が発生した。火災が起こった当時、寺では
「御会式」が行われていた。御会式とは、「御本仏の滅不滅を祝し、仏恩報謝と
広宣流布を誓う」とされる、末寺にとって年間の最重要行事である。出火原因は、香や
灰を格納する物置での火の不始末とのこと。

 参加していた法華講員にケガはなかったというが、消火作業などのため、約100人の
消防隊員が駆り出され、近隣の大通りは約600メートルにわたって数時間も封鎖された
ため、交通渋滞が発生し、街は大混乱に陥った。火事を報じたワシントンポスト紙に
よれば、現地当局は、この火災による損害総額を約80万ドル(約7千200万円)と算定
しているという。住職の村田はこの件の責任を取って近々クビになる、という情報も
伝わってきている。

 日顕宗は7月の「7万5千総会」の折も、無計画、無謀な結集を行ったがために、
周辺住民、関係者の顰蹙を買ったばかり。これが日本だけの話かと思えば、日顕宗は海
を越えた地でも地域の人々を困らせているのだ。

 火災といえば、8月28日には、大石寺の駐車場で登山者の車から火が出て、10台もの
車が焼けたばかり。かつては、本山・大坊の寮が焼けて所化が亡くなったことも
あった。日顕宗では常々「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば(中略)後生の
大火炎を脱るべしと仏記しをかせ給いぬ」(御書906ページ)との御文を引き、
"御本尊を受持すれば災難を逃れることができる"と宣伝しているが、"「登山すれば
功徳格別」のはずの総本山で車が丸焼け""宗祖への報恩感謝の法要中に寺が燃えた"
−−こうした厳しい現実を引き合いに出すまでもなく、御本尊を受持したところで罰の
現証だらけ。言うまでもなく、日顕宗の信心が間違っているという証左にほかならない。

269検証会議:2009/10/16(金) 13:39:56
 新改革通信 第104号

 平成二十一年十月十三日

 時が経てば経つほど、浮き彫りになる正本堂破壊の"狂気"
 信徒の供養で建てられた堂宇を自ら破壊した僧は、仏教の歴史の中で、
日顕ただ一人!

 昭和四十二年十月十二日、正本堂建立発願式
 昭和四十三年十月十二日、着工大法要
 昭和四十四年十月十二日、定礎式
 昭和四十五年十月十二日、上棟式
 昭和四十六年十月十二日、躯体完成式
 昭和四十七年十月十二日、正本堂完成奉告大法要

 このように、正本堂の建立は世紀の大イベントであった。完成奉告大法要の
ビデオを見た者は正本堂の威容と厳かな式典の模様に息を呑む。

 ところが、平成十年六月二十三日、池田名誉会長に対する嫉妬の感情に支配された
日顕の命により、突然、正本堂の破壊が始まった。この暴挙に対して、設計者の横山氏
や建築家など多くの人々が反対を唱えたが、日顕はその声に一切、耳を貸さず、破壊を
断行した。

 解体に際して、多くの一流建設業者は、その依頼を断った。当たり前である。
社会的にも、人道的にも許されることではない。

 正本堂は普通の堂宇とは訳が違う。八百万信徒の浄財で建立された世紀の大殿堂で
ある。これだけの大殿堂を正当な理由もなく破壊した事件は仏教史に存在しない。

 ましてや僧が信徒の浄財で建てられた堂宇を破壊するなど、絶対にあり得ないことで
ある。すなわち、日顕の名前は"反仏教の魔僧"として永遠に刻印されるのだ。

 日顕は"信徒の浄財を破壊する"という、僧として決して許されない大罪を犯した。
まさに"狂気"のなせる業である。現法主の日如には絶対に出来なかったことであろう。

 しかし、日顕が犯した罪は、それだけではない。

 正本堂は単なる建物ではない。世界八百万信徒の真心の供養であると同時に、大聖人
の御遺命である広宣流布のために戦った、師弟不二の信心の結晶である。

 すなわち、日顕は、宗祖以来の魂である師弟不二の信心に、自ら矢を向け、
極楽寺良観と同じように、日蓮門下を迫害する側に回ったのだ。

 この"狂気の蛮行"は、時が経てば経つほど、浮き彫りになっている。いずれ宗門は
日顕を歴代法主からはずすしかない。不幸にも、日顕一人のために、日蓮正宗そのもの
が"反仏教・反大聖人の団体"となり下がっている。刑期執行と同じで、結論は出ている。
あとは時間の問題である。

 (編集部)

270検証会議:2009/10/18(日) 07:07:01
 フェイク 第1061号

 (発行=09.10.14)

 組織を乱した原島精子(嵩の母)
 「慧妙」に掲載した原島昭の駄文を一蹴する
 派閥を作り役職解任、謹慎させられた悪女

 原島昭(故・嵩の実兄)が「慧妙」の十月一日付に「私が見た創価学会」と題し、
我田引水の駄文を書き殴っている。戸田第二代会長のもとで広布勝利の道を拓いた
池田名誉会長の若き日の戦いの足跡に泥を塗り、原島家のことを自画自賛。知らない人
が読むと、昭や反逆者・嵩の母である原島精子が学会の基礎を築いたかのように錯覚
させられるデタラメな記事である。

 「昭和十三年、私の二つ違いの弟・嵩が生まれ、私が三歳、弟が一歳を過ぎた頃、
母が、創価学会を通じて日蓮正宗に入信しました。その翌年には、父も母に説得されて
入信しました。入信してからの両親の布教活動は、子供の眼から見ても驚くべきもの
で、蒲田支部の基礎を作っていった」といった具合で、以下は略す。

 幼児が驚く布教活動とは一体、どんな活動か?

 雉も鳴かずば撃たれまい――昭クンが必要以上に母親を宣揚し、他人の功績を愚弄
するから、ここに真相を記す。実際は、原島精子は蒲田支部の基礎を作るどころか、
学会内に派閥を作ろうとしていた。そのため、草創期の諸先輩の原島精子に対する評価
は厳しい。

 「戸田先生の法華経講義を受講せず、先生の指導を軽視し『私が御書講義をして
やる』と学会員を自分に付けようとした」「原島派を作ろうとした」「二乗根性が
強くて実にイヤな女だった」「陰湿な性格で好きになれなかった」「言葉は巧み
だったが、日頃の態度、行動を見て、信用できないと思っていた」等々と異口同音に
語る。ある婦人は「原島精子は戸田先生を避けていた。自分の周囲に仲間を集め、組織
を乱す元凶だった」と指弾する。

 事実、昭和二十七年二月十日付の聖教新聞には注目すべき記事がある。それは
「監査部指令」として文京婦人部長の原島精子に対して「辞任を命ず。会長より許可
あるまで謹慎する事。又その支部員は今後その指導及び意見に依存して行動した場合は
同じく監査の対象とする」と記されている。

(左の記事を参照)

 当時、監査部があって、組織を乱したり、学会精神に反する者を対象に監査して
不適任者には辞任を求めたのだ。原島が辞任を命じられた理由は派閥作りであった。
「派閥を断じて作るな」というのが戸田会長の厳命で、精子を「信用できない」と
叱責。派閥が生まれると、そこから信心の澱(よど)みをもたらす。そんな事があって
はならないというのが学会指導である。

 謹慎していた精子が、当時の文京支部幹事の口添えによって学会復帰が許されたのは
約半年後の九月二十五日のことであった。

 反逆した嵩も教学部長の頃、後輩に対し「俺に付け」と迫り、己の一派を作ろうと
画策していたが、誰も相手にしなかった。

 精子と嵩の母子は、二人揃って学会の組織を攪乱。昭クンは仕事もできず、給与だけ
を貰っていたようだ。忘恩は人間の最大の恥だ!

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000770.jpg

271真理子:2009/10/20(火) 19:37:28
私のアソコを見てください…
http://apple.110ero.com/k77/

272検証会議:2009/10/22(木) 17:33:30
 石山だより

 平成二十一年十月十九日

 早いもので、「正義顕揚の年」も後二ヶ月半余りとなった。一年を振り返るにはまだ
少し早いが、顕チャンの言いなりになって来た能化と大講頭が、堕獄の露払いとして
悲惨な生涯を閉じた。奪命者・顕チャンの犠牲者であり、気の毒なことだ。その
顕チャンも随分、弱ってきた。山の蓮葉庵にいることが多く、世田谷の豪邸に帰ること
が少ない。留守番の小僧は大喜び。

 一、大村日統(五月十一日寂 七五歳、元教学部長、脳腫瘍)は健康にだけは充分に
気を遣い、最高級医療クラブのメンバーになって定期検診を受けていたが、因果応報
には為す術がなかった。得意だったのは盗作技術、ゴルフの腕前、それにカラオケ道場
で鍛えた歌唱力。十八番は「愛の讃歌」「マイ・ウエイ」など。ところが、仏法・芸術
・文化には疎く「ガーター勲章はキリストの十字架」「第九の『歓喜の歌』は
外道礼賛だ」と見当違いの暴言を吐いて赤っ恥をかいた。

 葬儀のお別れの際、遺体を見た方々が「黄疸で顔も体も真っ黄色、とても人には
見せられない」と漏らしていた。

 一、尾林日至(五月十三日寂 七一歳、元海外部長、パーキンソン病)は顕チャンの
手先となって檀徒作りに世界中を狂奔。悪行は数々あるが、特筆すべきはシアトル事件
の隠蔽工作、御本尊不敬、杜撰(ずさん)な納骨など。得度した長男を奇病のため
三十一歳の若さで亡くす苦渋も味わう。告別式のお別れは身内だけだった。参列者には
一切見せなかったが、見た者が、まさに「ムンクの叫び」の相だったとのこと。

 一、河原昭太郎(四月十四日 寂八〇歳、元大講頭、糖尿病)は顕チャンに四十年
以上にわたって奉仕した。それと、三人のめかけに貢いだ。糖尿病の悪化で歩行困難に
なり、心臓手術で足の動脈を心臓のバイパスとして移植したが腎臓も機能しない状態に
なった。大村・尾林・河原の三人に共通するのは、顕チャンに面従腹背ながらも
尽くしたことだ。

 そして、この三人の死相は、成仏の相とは全くかけ離れた、目を背けたくなる堕獄の
相だった。恐るべし、恐るべし。

 (顕チャンは平成二十一年までに「倍増」と掛け声だけかけて、何もやらず、
六十七世を辞めちゃった。でもやっぱり、七月十六日と七月二十六日は、自分で
やってみたかったそうだ。再登座なんていわないで、自分で建てた白山寺の墓碑へ
早く帰ったほうがよさそうだ。大坊鼠)

273検証会議:2009/10/22(木) 23:50:22
 フェイク 第1062号

 (発行=09.10.21)

 狂った宗門見解 御本尊に賞味期限?
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑤
 「法魂」の説明もできない日顕、マネする小僧共

 日寛上人の御形木御本尊を誹謗する日顕宗の悪僧共は「法魂」とやらを持ち出す。
十月十六日付「大白法」の「異流義破折」(九三)の中でも、性懲りもなく「法魂」説
を唱えている。

 この「法魂」という言葉は御書には記されておらず、日顕の妄言である。それを
真似て「大白法」では「歴代各上人の御本尊のすべては、もぬけられて本尊の法魂は
現法主の承るところにあり……」「御法主上人は御本尊の法魂を所持あそばされるので
あり……」等とヒステリックに繰り返している。また、「御火中」と称して返納御本尊
を焼却することで、その法魂が「大聖人のもとに還御遊ばされる」という
「法魂帰還説」なる邪義を唱えたこともあった。これらは全て日顕宗の「捏造法門」
なのである。

 「大白法」の記事を書いている無任所小僧共よ、「法魂」とは何か説明できるのか?
大聖人の霊魂のことか?無我を説いた釈尊は真っ先に霊魂の存在を否定したでは
ないか。お前達は、それでも仏教徒なのか?

 日顕宗が御形木御本尊の開眼を全くしていないことは本紙でも再三、述べたが、
一つの法魂が印刷する度に何千、何万の法魂へと増殖し、分裂するとでも言うのか?
「法魂」と言い出した日顕自身、その意味を問うても回答できない。

 小僧共も意味不明のまま、日顕の口真似をして誤魔化しているに過ぎない。

 本号では「大白法」の小僧共に、自分達が判りもしない言葉を使って御託を並べる
な、と釘を刺しておく。

 日顕が日寛上人に嫉妬

 最後に、日顕宗側の難癖に「法主の許可がない」というのがある。本紙一〇五九号で
述べた通り、学会草創期に流布した享保三年の御本尊と現在の学会授与の御本尊が、
その実態において全く同じという事実を日顕も知っている。故に「八時間説法」でも
二つの御形木の違いは、法主の允可の有無だと述べていた。

 御書には「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を
裹(つつ)み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」と記されている。御本尊は大聖人が
末法万年の全人類のために御図顕されたのである。

 その大慈悲こそ御本尊授与の根幹であり、坊主が独占すべきものでも、許可する
云々と、言うべき筋合いもない。日顕は御本尊の功徳は信じていないが、己の模写した
本尊を拝ませたいという野心が強い。難癖の根底には、世界に流布する御本尊を書写
された日寛上人への嫉妬心があるのだ。

 日顕らは自分らの都合で御本尊に「功徳がある」と言ったり「謗法になる」と
言ったり、コロコロ変わる。

 滑稽なのは平成九年十一月三十日までに脱会しないと「宗門の信徒資格を失う」と
戯言を述べていた時の総監・藤本の談話で「日蓮正宗より下付された御本尊では
あっても、これら謗法者宅の仏壇に安置されている本尊に合掌礼拝をすることは
謗法行為となる」云々と、学会員が受持する御本尊は日達法主、或いは日顕が書いた
本尊でも平成九年十二月一日からは「謗法だ」と発表したことがあった。

 まるで、御本尊に賞味期限があるかのような狂った妄言である。

 (つづく)

274検証会議:2009/10/25(日) 22:01:25
 フェイク 第1063号

 (発行=09.10.24)

 日如が模写した本尊に誤字!
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑥
 「南」「写」の二字が間違い、猛練習の効果なし

 日顕宗ニセ法主二世・早瀬日如が模写した御守御本尊に誤字がある、と書道家、
中堅僧が指摘する。「奉書写之」(これを書写し奉る)の「写」を「字」と
書き間違っているというのである(下の写真を参照)。

 確かに指摘の通りである。この「奉書写之」は大抵、終わり近くになって書くもの
だから、日如もここまで緊張して書いて、つい気が緩んで三画目が突き抜けてしまった
のだろう。

 これでは「これを書写し奉る」ではなく「これを書き字し奉る」となってしまい、
意味不明だ。

 日如は「誤字ではない」と弁解するかも知れないが、「ワ冠」が「ウ冠」になって
いて、明らかに誤字に違いない。正確な文字も知らないうえ、相承を受けていない
ニセ法主二世だから、本尊の書き方も出鱈目なのである。こんな間違いの粗末な模写
しか出来ないニセ法主が、中興の祖・日寛上人の御本尊を「ニセ」と誹謗するとは
笑止千万!

 埼玉在住の著名な書道家は、その日如自身の筆遣いについて「論評の埒外、お粗末の
一言に尽きる。筆ペンかサインペンの字で、書になっていない。太細肥痩の変化が
なく、起筆と終筆がだらしない。筆遣いの基本ができていません。前法主(日顕)の
字は弘法大師(空海)を真似たイヤらしさが感じられたが、この(日如の)字は論外
です」と酷評する。こんな下手な字を書く坊主も珍しい。

 加えて、日如が模写した本尊の「南無」は「南」の九画の縦棒が上に突き抜けて
いる。これも間違いだ。

 前出の僧も書道家も「御本尊のこんな首題は見たことがない」と言う。この「南」は
今号では敢えて写真を提示しないが、宗門の僧俗は現物を見て確認せよ。下手な弁解を
すれば、いつでも写真を提示する。

 この点でも日顕と日如がニセ法主であることが明白だ。もともと、日達法主が日顕に
相伝していないから、日顕も日如に相承できなかったのである。

 また、中堅僧は「多分、登座後に猛練習したのでしょうが、他にも幾つかの難点が
ある」と指摘する。

 その一つは「日如」と花押が離れすぎている感がある(上の写真を参照)という。
日蓮大聖人の弘安年間の御本尊がそうだが、大半の歴代の御本尊では法主の花押は自署
を包むように書かれている。ところが日如の場合は分離しすぎている。花押の書き方も
学んだ形跡がない。お粗末の極みだ。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000773.jpg

276検証会議:2009/10/29(木) 09:07:49
 フェイク 第1064号

 (発行=09.10.27)

 ブクロの寛ちゃんに書写は無理
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑦
 「日如の本尊の誤字」に反論不能の宗門

 ニセ法主2世・早瀬日如が模写した御守本尊に誤字がある――「奉書写之」と
書くべきところを「奉書字之」と書いているため意味不明だと、本紙一〇六三号で
指摘した。写真を付けて指摘したので宗門側の関係者は弁解も反論も出来ず、屁理屈や
逃げ口上も言えずに沈黙している。

 ところが、南無妙法蓮華経の「南」の終画が突き抜けている旨、記しておいたことに
対する釈明として、日顕宗の者が他宗の寺に保存されている御本尊の写真を持ち出し
「大聖人の直筆の中にも同じような御本尊があった」と鬼の首でも取ったように狂喜
している。

 なんともバカな者共だ。そんなことは既に百も承知している。

 本紙ではニセ法主が本尊を書くのを「模写」と呼んでいる。だが、日顕は生意気
にも「書写」と称し、日如は「書字」というらしい。

 いずれにしろ、書き写すのは「戒壇の御本尊」である筈だ。日蓮正宗の最後の法主・
細井日達師も「戒壇の御本尊様を書写し奉る」と言い、この種の表現は
「日達上人全集」を開くと枚挙に暇がない、山ほどある。

 更に「この御本尊は本山正本堂に安置し奉るところの戒壇の大御本尊を書写し奉り、
ここに安置奉ったのでございます」(昭和四十九年の慈法寺落慶入仏式)、
「末法の人々に総与の本尊がすなわち戒壇の御本尊であります。この御本尊を
本山正本堂に安置し奉って、その御本尊のお写を、ここに今、安置し奉ったので
ございます」(昭和五十二年の得法寺落慶入仏式)と明言。繰り返すが、書写するのは
戒壇の大御本尊である。

 この歴代法主が書写し奉る「戒壇の御本尊」の「南」は突き抜けていないのである。
したがって、日顕宗の僧俗が「邪宗」と蔑んでいる寺の本尊を「学術資料」等と
持ち出して弁明しても、何の意味もない。

 こんな簡単な論理も理解できないほど狂っているのが日顕宗の坊主であり、法華講員
である。

 日顕のマネで大失敗

 大聖人の直筆の中で「南」の九画目が突き抜けているのは、現存する百二十数幅の
うち約一割。判読できないのもあるので断定は出来ないが、京都・本圀寺、要法寺、
小泉・久遠寺などに保存されている十四ないし十五幅にすぎない。

 因みに、日興上人、日寛上人をはじめ三十三世日元、四十八世日量、五十一世日英、
六十世日開、六十二世日恭、六十四世日昇、六十六世日達の各法主の書いた本尊も
突き抜けていない。

 ところが、ニセ法主元祖の日顕の本尊だけは上に突き抜けているものも
見受けられる。「登座後、暫くは先代の書写のスタイル、書風に似せる」と某僧が
語っていたが、御本仏気取りの日顕は、先代の日達法主のマネをしないで、戒壇の
御本尊を鑑定して「ニセモノ」と断じ、邪宗の寺の御本尊を真似て書いたのであろう。

 そこには自分に相承しなかった日達法主への恨みもあると思われる。

 そして愚かな日如が、先代の日顕のデタラメな本尊をマネして、オドオドしながら
書いて失敗したというのが真相だろう。それにしても下手な字だ。ブクロの寛ちゃんに
書写は無理だ。

277検証会議:2009/10/30(金) 20:01:37
 石山だより

 平成二十一年十月二十七日

 一、立正安国論750年後の今日、やれプレ大会だ、50万総登山だ、7万5千の
結集だと会合形式の催しにうつつを抜かしている。民衆の苦しみには目も向けず、
大聖人の民衆救済の御精神を実践に移そうともしない。それが今の宗門の実態だ。
法華講に檄を飛ばして苦しめ、自分達は僧侶主導で葬儀・儀式をやって折伏の中の摂受
をしているから、折伏はしなくてもいいという変な屁理屈を並べて、何の苦労も努力・
精進もしない。大聖人の御在世だったら、即刻「破門」だろう。

 一、百年に一度という世界的不況、新型インフルエンザの世界的広がりに社会的不安
が増している。アフリカなどでの幼児の飢餓による死は目を覆うばかりだ。
地球温暖化、異常気象、環境問題等々、難問が山積している今こそ、立正安国論の
御精神を世界に向けて実践する時ではないのか。その精神が欠落した今の宗門は、
本山駐車場では車の火災事故、ワシントン・妙宣寺ではお会式の最中に大火災、大坊の
高・中生には新型インフルエンザの発症者が相次ぐなど不祥事や不幸が続く。
樹齢約五百年といわれる銀杏の大木が台風で倒れた。まさに「大謗法の一凶・日顕」が
斃れる予兆ではなかろうか。

 一、日顕だけが一族主義と思っていた。ニセ法主二号の日如さんになってソンナコト
はしないだろうと思っていたが、やっぱり日顕に習って一族主義のニセ二世だった。
十一月二十三日(月)、千葉市に出来る妙聰寺(新寺院)の住職に女房の弟の長男を
するようだ。それは本山・主任理事の佐藤慈暢の長男・佐藤信暢である。現在、
岩手県大船渡市・本寿寺住職(四十歳)。信暢は大のパチンコ狂いが高じて、法教院
(大学科)始まって以来、初めての留年をした経歴の持ち主である。その時は大願寺に
在勤していた。

(いつ住職になれるのか?一族でもない、希望も持てない、期待も持てない一匹狼の
無任所鼠)

278検証会議:2009/10/30(金) 23:45:57
 大石寺短信 第472号

 平成21年10月29日(木)

 日顕宗の動き

 1.折伏あおる「大白法」

 日顕宗は今年7月26日までは「7万5千総会」一色で進んできた。それは機関紙
「大白法」(月2回刊)の紙面に明らかで、総会直前の7月16日付けまでの各号の
1面トップ記事に「7万5千」の文字がない号は虫払いを報じた4月16日付けだけだった。

 それが総会が終わるや、今度は「折伏」だとばかりに、毎号1面トップを飾る記事の
見出しに「折伏」の文字が踊っている。10月16日付けでは「今年も早々に誓願(目標)
を達成した支部(寺)が続出している」と書いているが、これは全くの大嘘で、目標を
達成した寺はいまだ1割に遠く及ばない。また、「折伏」と言いつつ、その内実は信徒
泥棒にすぎないのが実態だ。

 昨年は目標が達成した寺名を「大白法」に記載し、坊主と法華講をあおりたてたが、
今年もなんらかの手段を講じて締め付けを図っていくにちがいない。念には念を入れ、
警戒を怠るまい。

 2.またまた“ファミリー優遇”新寺院住職に日如の甥

 千葉市に新寺「妙聡寺」ができ、11月23日に入仏式が行われる予定である。この寺に
住職として入るのは、大石寺主任理事・佐藤慈暢(本山・百貫坊)の息子で、岩手・
本寿寺住職の佐藤信暢(39)。主任理事・佐藤は日如の女房の弟。つまり佐藤の息子・
信暢は日如の甥にあたる。宗内では「いつものファミリー人事だ」との不満の声が
あがっている。

 確かに身内優遇は露骨だ。本年5月には日如の息子・早瀬道寧が、並み居るベテラン
坊主たちを飛び越えて神奈川の大寺院・応顕寺に入ったばかり。2007年には、東京・
世田谷の一等地に立つ善福寺に日顕の孫娘の婿で当時38歳の木村信龍が入り、2000年
には、静岡・宣正寺に日顕の孫娘の婿で当時31歳の今野信圓が入り、千葉・正願寺には
やはり日顕の孫娘の婿で当時29歳の鈴木信福が入った。法主の代は替わっても、いい目
に遭うのは、いつもファミリーばかりというわけだ。

 こうした理不尽な現実を、赴任する寺もなく、住職の死亡、更迭をひたすら
待ち続けるだけの250人を超える無任所坊主たちは、ただ指をくわえて見ていなければ
ならないのだから、哀れこの上ない。

 ちなみに岩手・本寿寺の後任住職には、本山・大坊内の後城良謙(32)が入る。


 3.11月の予定

    1日(日) 広布唱題会(本山、末寺)

    8日(日) 御講(末寺)

    20日(金)、21日(土) 御大会(本山)

279検証会議:2009/10/31(土) 14:16:56
 越 洋

 平成21年10月30日 

 【宗祖大聖人に違背し、中興の祖・日寛上人を誹謗する誤写三人組】

 日開、日顕、日如の三人は"御本尊誤写"という誤りを犯した。しかも日顕と日如は
偉大な中興の祖・日寛上人お認めの御本尊を"ニセ"と誹謗するが、相伝のない大謗法を
犯した者共に言う資格はない。おこがましい。

 かつて故・大橋正淳・大照寺住職が信徒の家の常住御本尊の讃文が途中までしか
書かれていないことを日顕にソッと告げたが、日顕は「願主が気付いていないなら、
そのまま知らん顔しとけ」と言い放ったことは有名である。また「十羅刹女」
「阿闍世王」「大龍王」をゴッソリ書き忘れ、さらに「奉書写之」を抜かすなど、
考えられないミスを連発していた。常住御本尊の「願主」の名前を間違ったことも
あった。こんな日顕の父親・日開が"御本尊誤写"の元祖である。

 昭和三年六月に登座した日開は「仏滅度後二千二百三十余年」と書くべき讃文を
「仏滅度後二千二百二十余年」と書写した。その誤写が発覚した直後、僧俗から早急に
訂正するよう詰め寄られたが、日開は「タダ漫然之ヲ認タメ、何トモ恐懼(きょうく)
ニ堪(た)ヘヌ」と陳謝した。日開が「漫然と誤写」した御本尊は数十幅とも言われて
いる。日開は一応、陳謝はしたものの、それらの誤写本尊を回収して訂正することは
しなかった。

 この度は日如の"御本尊誤写"事件が浮上した。日顕に相承はなく、当然、日如にも
ない。御本尊書写の権能はないのだが、それを裏付ける誤写事件である。「フェイク」
1063号が、『ニセ法主二世・早瀬日如が模写した御守御本尊に誤字がある』と指摘
したのは「奉書写之」(これを書写し奉る)の「写」を「字」と書き間違っていると
いう事実である。確かにそうだ。

 かつて日顕が「相伝の何たるかも知らない者共が″間違いだ″などと言うこと自体が
おこがましい」と「二十余年」と書写した父・日開をかばっていたが、日如のミスを
黙認し、御本尊様に対する姿勢が実にいい加減な宗門は与同罪を恐れよ。宗門の言う
法主の開眼も、允可(いんか)も不要。日寛上人は大聖人の正義を宣揚され、宗門の
興隆に多大な貢献をされた。極悪の日開、日顕、日如の誤写三人組と日寛上人とでは
「信心と人間の質」が全然、違うのである。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000776.jpg

280検証会議:2009/10/31(土) 14:17:19
 フェイク 第1065号

 (発行=09.10.30)

 誤写した「手抜き本尊」で金儲け
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑧
 宗門坊主は「法華経の行者」でなく「法華経の業者」

 日如が模写した本尊の南無の「南」に注目!

 日如の御守本尊に誤字があると指摘した本紙一〇六三・一〇六四号に対し日顕宗の
者共は反論不能である。B展審査員の著名な書道家は「書の大家でも最後の落款で意に
沿わない場合は最初から書き直すものです。法主と称するからには御本尊を認めて
『書写』か『書字』か、判読に迷う文字は当然、最初から書き直すべきです。それを
しないとは、『手抜き本尊』と言われても仕方ありません」と厳しく指摘した。

 日顕が讃文の「未曾有の大曼荼羅なり」などを書き忘れた事実は有名だ。日如も
同様、誰も気付かないだろうと甘く見ていたのか、文字を知らないから自分では間違い
と思っていないのか? 或いは御本尊を大聖人の御当体ではなく、単なる文字だと
思っているから「書字」と書いたのかも知れない。

 日如も日顕も、御本尊に対する姿勢が実にいい加減である。本尊書写も金儲けの手段
に過ぎない。これが「法華経の行者」ではなく「法華経の業者」と揶揄される所以で
ある。

 さて、本号では南無妙法蓮華経の「南」について再度、指摘する。日如が模写した
首題の「南無」の「南」は、九画目の縦棒が上に突き抜けている(上段に写真)。日如は
国書刊行会の「御本尊の書き方」(有賀要延・編著者)を見て猛練習したということ
だが、その甲斐もなく、お粗末な模写である。因みに左が「御本尊の書き方」の手本で
ある。

 「富士宗学要集」(堀日亨上人編)に収められている本尊の首題を見ても「南」
(左を参照)の九画目の縦棒は当然、突き抜けていない。

 「御本尊の書き方」には書写の心得として「斎戒沐浴して」と記されている。

 日顕のようにステテコ姿で落語を聞きながら書くのは言語道断。また首題の筆法は
「筆は軸を立てて用い、鋒先の弾力性を充分に活用する」とある。日如みたいに拳法に
熱中しヌンチャクを振り回していた手に筆を持つと余計な力が入りすぎ、柔らかい
筆遣いができない。

 しかも、七十歳を過ぎてからでは猛練習も手遅れである。日顕があと十年早く退座
していれば、日如も少しはマシな本尊の模写ができたのに、残念だったな。

 以後は寛尊の御本尊を誹謗するのを止めることだ。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000777.jpg

281矢野殉也:2009/11/02(月) 02:34:07
こたびの選挙大勝利おめでとうございます。

282検証会議:2009/11/04(水) 12:12:02
 フェイク 第1066号

 (発行=09.11.02)

 「今の登山会は極めて危険だ!」
 諸天善神が見捨てた邪宗・大石寺の寸描
 相次ぐ災害、新型インフルエンザも蔓延

 諸天善神に見捨てられた最近の大石寺の惨めな様子を簡単に紹介する。

 【新型インフルエンザ】

 新型インフルエンザが全国規模で本格的な流行となってきている。十一月一日には
盛岡市の二歳の女児が死亡し、京都市右京区の三十代女性と伊丹市の八歳の女児も死亡
した。いずれも基礎疾患はなかったとのことである。これにより、国内の死亡者は疑い
例も含めて計四十三人になった。

 このように感染拡大が憂慮されている折り、日蓮正宗大石寺の大坊に居住する中学生
と高校生の所化の間に新型インフルエンザの発症が見られ、拡大していると伝えられて
いる。

 先月は上野の中学校で学級閉鎖になったほか、地元の小・中学校は共に全校生徒に
マスクの着用を徹底。登下校の際、ほとんどの生徒がマスクを着けている。

 更に、地元の高校に通う大坊の生徒六人もインフルエンザで学校を休んでいると
いう。このように本山内に新型インフルエンザが蔓延している時に登山すると、感染
する危険性が大であり、「今は登山しない」と語る法華講員もいる。

 【台風十八号が直撃】

 台風十八号が十月八日、大石寺を直撃。二天門の東側にあった樹齢数百年の銀杏の
巨木が根元から折れて倒れ、その根が剥き出しになっていた。また、桜や杉の大木も
横倒しになっていた(下の写真参照)。この倒れた巨木は切り刻まれて撤去された。
このように謗法と化した大石寺は数々の災害に見舞われる。

 平成十八年八月には境内の杉の巨木を雷が直撃。「慧妙」は、この落雷を「功徳だ」
と詭弁を弄していたが、この杉は古来「逆さ杉」と呼ばれ、樹齢五百年ともいわれて
いた。

 この由緒ある「逆さ杉」は真っ黒に焦げ、今はこれも撤去されて、大石寺には由緒
ある大木は全て無くなってしまった。

 【不気味なカラスの群れ】

 夕刻になると、奉安堂周辺にはカラスの大群が飛び交う。カラスは廃墟になる場所を
本能的に感じて集まると言われている。境内を群れ飛ぶカラスは、やがて大石寺が廃墟
になることを感じているようだ。

 【客殿に日顕用の手すり】

 日顕が良く使う客殿の東側の階段に手すりが取り付けられた。どうやら足腰が
めっきり弱って本山と世田谷の豪邸を往復するのも辛くなっている日顕のために設置
したらしい。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000778.jpg

283あーあ:2009/11/04(水) 23:08:01
ここは終わった。

閉鎖がよろしかろ

284検証会議:2009/11/05(木) 21:40:04
 フェイク 第1067号

 (発行=09.11.06)

 日顕の弟子が身延僧の導師で読経
 日蓮正宗の坊主は「謗法同座」の感覚がマヒ
 長倉信祐、花野充道が池上本門寺で研究発表

 日蓮正宗の現役坊主と元坊主による「謗法同座」の実態が露見した。この現役坊主
とは宗務院財務部長・長倉教明(札幌市の日正寺)の長男の長倉信祐(写真下)で、
元坊主とは僧籍を失った花野充道(写真上)である。

 長倉と花野の二人は、去る十月二十三日、日蓮宗身延派が主催する池上本門寺での
「日蓮宗教学研究発表大会」に顔を出し、身延派僧に混じって得意満面で研究発表を
していた。

 大会の総裁は日蓮宗管長の酒井日慈、大会会長は日蓮宗・宗務総長の小松浄慎、
実行委員長は日蓮宗宗務院伝道局教務部長の酒井光雄で、他にも身延派坊主が役員と
して名前を連ねている。

 花野充道の研究テーマは「日蓮聖人の教判論」。本来は「大聖人」とすべきだが、
身延派に迎合して「聖人」としている。長倉信祐は「天英院照姫と大石寺信仰」が
テーマであった。

 発表会に先立ち、花野と長倉は「法味言上」と称して身延派の本尊に向かって、
身延派僧の導師で自我偈の読経・唱題もした。この衝撃的な謗法行為は今後、宗内で
物議を醸すことだろう。

 花野は冒頭から「今年三月、早稲田大学から学位を授与されたことにより、七月には
日蓮正宗の僧籍を失った」と、身延の坊主らに日顕の非道を訴えていた。

 今は隠居している日顕は、かつて立正大学に在学中、繰り上げ卒業で海軍に入隊。
今も学歴コンプレックスが強く、所化が大学院に進むのを極端に嫌って「日蓮正宗の僧
に博士号など不要」が持論である。そんな複雑な裏事情を知らない聴衆は、花野の変な
恨み節に、怪訝な表情を見せていた。

 片や、長倉は日顕が作った法教院ではなく大正大学へ行って博士号を取得したことで
日顕に睨まれている。

 日顕や日如のファミリーが若くして住職になっているのに対し、長倉は四十歳に
なっても寒村の住職にもなれず、今も父親の寺に居候の身。研究発表では身延派に
対する破折もせず、常泉寺の由緒・格式ばかりを自慢し、現代の三位房とも言うべき
醜態を晒していた。

 長倉が学位を取得したのは妙楽の研究だったが、天台の研究では身延派僧に遠く
及ばない。それを自覚しているから「天英院照姫」をテーマに選んだのだろう。

 宗内で嫌われている「慧妙」は、学会の辻武寿・森田一哉両氏が、かつて中外日報の
祝賀会に出席したのを「謗法同座」だと見当違いの批判をしていたが、身延派僧の導師
で自我偈の読経・唱題をした花野と長倉を「慧妙」は糾弾すべきだ。同時に、信祐の
父親・長倉教明は、その管理責任が厳しく問われねばならない。

 ところで、学位取得後は一年以内に博士論文を出版する規定があるが、花野と長倉は
目途も立っていない。因みに改革同盟の松岡雄茂氏は、近代日本の日蓮信仰を論じた
博士論文を学位取得の翌年、権威ある東京大学出版会から発刊している。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000779.jpg

285質問でした:2009/11/05(木) 23:11:49
やっぱりめくそはなくそ(笑)
人を呪わば穴二つ掘れ・・・。
双頭の蛇、尾っぽは一本(笑)
出所が一緒なんだから、仲良く自滅すりゃいいんだよ。

286検証会議:2009/11/06(金) 01:32:51
>やっぱりめくそはなくそ(笑)

今度は身延と日顕宗のことか?(笑)

>双頭の蛇、尾っぽは一本(笑)

>出所が一緒なんだから、仲良く自滅すりゃいいんだよ。

前法主が立正大学で身延の坊主と親近したと言う意味では
「尾っぽは一本」「出所が一緒」ってことで(笑)

287検証会議:2009/11/06(金) 22:15:48
 石山だより

 平成二十一年十一月六日

 一、都合のいい時は、早急に宗務広報を出すのに、ワシントン・妙宣寺の火災に
ついては、十一月一日、二十一日遅れで渋々通知を出した。

 本当は、出さずにいたかったが、ワシントンポストを始めインターネットによって
世界中に知れ渡ってしまったので、ほとぼりが冷めるまで待って、通知したということ
だろう。

 宗務院の坊さんのやることはいつもズルクてコスイ、それこそ世間知らずの
思い上がりだ。「正直」ではない。

 一、妙宣寺の法華講員は、当日、「外で予定されていたバーベキューの煙だったと
思った」また、「近くの建物が燃えていると思った」「お会式の最中に火災になる
なんて考えられない」まさに、自分達がバーベキューになるところだったと語っていた
そうだ。

 大聖人は「されば大果報の人をば大火はやかざるなり」(王舎城事)と仰せである。
宗門は禍いばかりだ。福徳が切れ諸天に見放されている所以ではないか。

 一、エーまたか?末寺住職が嘆く登山・折伏。一つは、登山。来年も三回支部登山を
やれ!その一回を全体登山とせよ健常者はみんな連れてこい。それ以外に、夏期講習会
登山をやる。二つは、折伏。平成二十七年までに50%増をせよ。その達成計画を十二月
一日までに出せ。折伏成果の上がらない寺には、ゴマスリ坊さんが派遣されて指導に
行くそうだ。

 たまったもんじゃない。成果が上がっていると言っていた寺だって、その後、報道
されたことがない。だいたいインチキだし、実態のないものばかりだ。

 信彰が言っていたが、新入信の五割が行方不明や死亡で実在しない状況じゃ五十%増
なんて夢のまた夢の数字だ。来年は“広布前進の年"と発表された。

 本山では贅沢に経費を使っているが、末寺は疲弊している。塔婆は、ガタ減り、
講員は寺に来ない。葬儀だって年に一度あるかないかだ。

 そんな実態は、本山にいて苦労を知らない者に、分かるはずがない。

 (十二月パリからフランスの講員に嫌われた守銭奴毛利博道が帰国する。韓国、台湾で
講員から金を集めまくって、何に使ったのか?頭を丁重に下げる裏に魂胆有り。
根っからの悪党だ。一族主義に志が消えてしまった無任所鼠)

288太田:2009/11/07(土) 02:46:41
選挙大勝利万歳!

289質問です:2009/11/08(日) 12:48:28
>>286
鏡をご覧下さい(笑)
相手を醜くみる、もっと醜い二つの穴が空いてます。

290検証会議:2009/11/08(日) 13:13:31
>>289

あんたが見えてる醜い穴は、あんた自身の脳味噌に巣食ってる醜い穴だよ(笑)

291質問です:2009/11/08(日) 21:27:06
他人を嘲り、悪し様に罵るあんた達は腐る脳みそもないよ(笑)
それが宗教だなんて笑わせるのもいい加減にしろ!キチガイが(笑)
見苦しいにも程がある。

292検証会議:2009/11/09(月) 02:32:14
>>291

「事実に基づく批判的意見表明」を見て「嘲り」「悪し様に罵る」と
「脳内変換」されるクソミソ一緒のあんたのノーミソにつけるクスリは
東大医学部教授でもつくるのは難しいだろね(笑)

293質問です:2009/11/09(月) 09:38:26
その言葉がそっくりそのまま自分に当て嵌まる事に気付かないのかな(笑)
自分は言いたい放題で、同じ事を自分がされたら罵倒する。
大したもんだ(笑)
自らに降り懸かった火の粉を払わないで
放火して回ってるのと同じだね(笑)
他者への批判は内輪には通じるが、全く知らない外部には
嫌悪感しか与えない事を勉強なさったほうがいいよ。

294教えてください:2009/11/09(月) 23:18:32
211 :名無しさん@八周年[]:2008/04/19(土) 11:04:06 ID:pZd/Kg980
>>184
>記念日に手を出してもノーベル平和賞まではまだまだ遠いよな。

失礼ですが、あなたは池田先生がノーベル平和賞をご辞退されたのを知らないのですか?
もう、かなり昔の話で、たしか「”米・ソ”冷戦終結への道すじを開いた」というのが
受賞の理由だったと思います。ですから、1990年代のことだったと記憶しています。

かのノーベル賞もかつてノーベル文学賞を哲学者サルトルが辞退した先例があるので、
受賞前に内々に打診があるのですが、池田先生はその打診の段階で、
「私はいまのわたし自身だけで、充分です。ノーベル平和賞をもらってしまっては
”庶民とともにある指導者”という立場に障害ができてしまう。
なんのへだたりもなく、ともに庶民の中で生きてゆきたい。」と
おっしゃられて辞退の意思を伝えられて以来、
ノーベル平和賞の選考からはずされたと聞いています。
やはりノーベル賞選考委員会も、一度辞退の意思を示した人間は同一の分野では、
再度の選考の対象として扱わないことになっているので、
今後、池田先生がノーベル平和賞を受賞されることはないとのことです。

ただ、「人間革命」や「仏法と宇宙」などの先生のお書きになった著書・論文が
ノーベル文学賞・物理学賞の対象に挙がっているということは聞いたことがありますので、
あるいはノーベル文学賞・ノーベル物理学賞ならば、
違った選考委員会にかけられるので受賞の可能性はあると思います。

たいへんな方ですね。
ノーベル平和賞とノーベル文学賞の
三つのノーベル賞の授与の可能性がある、あるいはあった方だとは…
本当にこころからご尊敬します。
あなたもこれくらいの常識は持っておられたほうがいいですよ。

これって本当の話ですか?
全く聞いた事もないし、そもそも候補にもなれば、報道されるはずだとおもうのですが・・・。

295検証会議:2009/11/10(火) 12:24:51
>>293

>全く知らない外部には嫌悪感しか与えない

 「認識せずして評価せず」なんて言葉もあるが、
「全く知らない外部」の名を借りて「偏見」の穴に落ちている
己の姿を晒すマネだけはヤメタ方がよいぞ(笑)

296検証会議:2009/11/10(火) 12:27:23
 フェイク 第1068号

 (発行=09.11.08)

 故・原島嵩の一族は虚言症だ!
 原島昭の駄文で虚報の「慧妙」が恥の上塗り
 「ルビー」の編集は坊主になった矢島周平だった

 退転して昨年、地獄に堕ちた原島嵩の実兄・昭が十一月一日付「慧妙」に再び
デタラメな記事を書いている。昭の母親・精子は派閥を作ろうとして役職解任のうえ、
謹慎させられたが、その処分を下した戸田二代会長を逆恨みして蔑み、更に、若き日の
池田三代会長の輝かしい軌跡に泥を塗ろうと躍起になっている。

 特に、第三代会長は日本正学館で青年編集長として『冒険少年』のちの『少年日本』
(写真)の編集に情熱を注いだが、昭は、若き日の池田編集長を愚弄するため
「ポルノ雑誌『ルビー』」の見出しを付けて、こんな御託を並べている。

 「戸田氏は少年向け雑誌『冒険少年』、次いで成人向け雑誌『ルビー』を創刊し…」
「当時は雑誌が一冊二、三十円くらいの値段で、一冊売るごとに一円ずつの謝礼が
原島家に入る、という取り決めだった」「『冒険少年』も『ルビー』も、あまり
売れませんでした」「『ルビー』を何気なく手に取り、ぱらりと開いて見て
驚きました。グラビアの写真と本文の始めから終わりまでの挿絵の殆ど全てが
ヌード写真で占められていた」「その後一年もたたないうちに池田氏編集の二雑誌は
廃刊になりました」

 この昭の文は虚実を織り交ぜ、読者に間違った認識を与えようとの悪意がある。
池田編集長が『冒険少年』とポルノ雑誌『ルビー』の「二雑誌」を編集していたように
錯覚させようとの陰湿な魂胆が垣間見える。

 池田編集長が編集していたのは『冒険少年』だ。

 創刊号は昭和二十三年の新年号で、昭和二十四年十月号から『少年日本』に改題
された。「面白くて、ためになる」というのが『冒険少年』『少年日本』のモットー
で、いずれの号にも山岡荘八氏、野村胡堂氏、西條八十氏、そしてイラストの大家・
小松崎茂画伯、絵物語の大御所・山川惣治氏、山口将吉郎画伯など当時を代表する
作家、挿絵画家が名前を連ねていた。

 だが、不況の荒波にのまれ、同年十二月号で廃刊になった。

 一方、『ルビー』は左に添付した奥付に明記されている通り、これは後に坊主に
なり下がり学会批判をするようになった矢島周平が編集していた。「ヌード写真で
占められていた」はウソ。昭の駄文は定価も出版社も違う。邪推と妄想と勘違いを
混同して書いており、死んだ嵩と同じ虚言症だ。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000781.jpg

297質問です:2009/11/10(火) 22:51:25
>>295
だからさぁ、鏡を見なさいよ(笑)
自分が見えないにも程があるよ(笑)

298検証会議:2009/11/10(火) 23:51:19
↑ついには「なんとかのひとつ覚え」みたいに「無限ループ」ですかぁ(笑)

299質問です:2009/11/11(水) 12:02:52
中身がない相手にループしても、返ってくる答えは決まってます(笑)
と言うより、答えすら出せずにはぐらかししかしないじゃないですか(笑)

300検証会議:2009/11/11(水) 15:21:46
>>299

>中身がない相手にループしても、返ってくる答えは決まってます(笑)

ちなみに、黒川某(れいな)という人は、某氏との対論において、
最後は「お前は地獄行きだ!」の繰り返しで、彼らしく
「無限ループ状態」になったそうです(笑)

>答えすら出せずにはぐらかししかしない

「質問です」のハンネを使ったところで「質問」がない相手に対して
当方は「答え」る義務も責任もありません(笑)

ま、コンピュータにおける「無限ループ」対策は「強制終了」ということで、
あとはあんたひとりで「勝手に無限ループ」やってていいよ(笑)

301検証会議:2009/11/14(土) 00:32:13
 越 洋

 平成21年11月12日 

 世紀の愚策「C作戦」という謀略により、日顕は平成2年暮れの12月27日、突如
の総講頭罷免に始まり、その翌年の平成3年11月7日に「解散勧告書」、同28日
には「破門通告書」を学会に送りつけた。以来、18年になるが、この平成の宗教改革は
後世の歴史の上でも「魂の独立記念日」として燦然と輝く壮挙となることだろう。
当初、日顕は"20万人の脱会者"を目論んで期待していたが、18年経った今日、現状
は"7万5千そこそこ"をムリに集めて大騒ぎしているのが実状である。

 一方、学会は、世界192カ国・地域にまで発展し、池田名誉会長に国家勲章は
27。世界の大学から贈られた名誉学位記は268。世界各都市からの名誉市民賞は
657を数える。仏意仏勅を受け、御本尊を根本として、大聖人が御書に仰せの通りに
実践を続けてきた結果なのである。

 そういう意味では「破門通告書」により「破門」されたのは、日顕自身であると
言える。そもそも「破門通告書」の内容たるや御書の一節も使うことが出来ず、屁理屈
を並べたにすぎない。要するに"日顕の嫉妬"以外の何ものでもなかったことが、大聖人
から見放された現在の宗門の疲弊した窮状に厳然と現れている。

 かつて登山客で賑わった大石寺売店は、ゴーストタウンと化してしまい、集まるのは
日顕の指示で抹殺された鳩にかわってカラスの大群である。正本堂を破壊して建てた
奉安堂は、登山する法華講よりカラスの方が多く群がっている。日顕の犯した大罪は
取り返しのつかない真っ黒な大汚点として宗門史に語り継がれていくだろう。当然、
懶惰懈怠・腐敗堕落の元凶、日顕は除歴である。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000782.jpg

302検証会議:2009/11/14(土) 11:55:56
 大石寺短信 第473号

 平成21年11月12日(木)

 日顕宗の動き

 1.“付け焼き刃”の「折伏推進員」制度

 日顕宗は、“これから5年間で法華講員を5割増する”との無謀な目標を掲げたが、
このほど、そのできもしない計画を推進するために、「折伏推進員」なる、新たな制度
を設けた。これまで、日顕宗では県単位を基本とする布教区で、毎月、広布推進会と
いう会合を行い、相互に競争させ合って折伏を推進してきた。そこに派遣されてきた
のが「広布推進員」だったが、成果があがらなかったため、来年から
この広布推進員制度は廃止され、今度は折伏推進員に坊主15名を任命し、成果の
出ない寺に対し、具体的にテコ入れをするという。 これは、今までは広布推進会で
単なる“指導”で終わっていたところから、直接成果の悪い末寺に乗り込み、
テコ入れし、それでも成果が改まらない寺の住職をクビにすることまで想定した制度の
ようだ。

 いよいよ日顕宗は「サバイバル・レース」の時代に入っていく。我々も
“油断大敵”。警戒を怠ってはなるまい。

 ところで、いつも折伏の落第生である東京・常泉寺(重役・藤本日潤)はじめ役僧が
住職を務める大寺院の折伏推進員は、だれが引き受けるのだろうか?

 2. いよいよ始まる“使えない”住職の粛清

 このほど、静岡・御殿場市の持妙寺の住職が、大藪道生(43)から東京・八丈島、
無上寺の岩山信寿(42)に、栃木・小山市の教徳院の主管が、重竹雄徳(65)から
本山・大坊の竹内雄慧(49)に交替することになり、無上寺の新住職には本山・大坊の
今井正学(35)が入ることになった。

 持妙寺では、住職・大藪と法華講間の折り合いが悪く、ゴタゴタが続いていた。
大藪は、信者たちから厳しい突き上げを受ける中、体調を崩した女房の看病にあたって
いたが、そのうち自身もダウン。あえなく住職のクビを差し出すことになった。

 教徳院の重竹は、これまで酒の飲み過ぎで何度か倒れたことがあったが、ついに、
「病気療養」を理由に隠居することになった。一方、新たに入る竹内は50歳近くに
なって本山を追い出される羽目になったわけだが、この背景について、「何か不祥事を
起こしたのではないか」といった憶測が飛んでいる。

 今後、成果の出ない寺、問題を抱えている寺の住職の粛清が、本格的に行われていく
ことになるだろう。

303検証会議:2009/11/14(土) 11:56:15
 石山だより 平成二十一年十一月十三日

 一、北海道はもう雪、めっきり寒くなった。最近、札幌の長倉信祐(財務部長・
長倉教明の長男、日正寺)と花野充道(本年七月に還俗)の二人が、池上本門寺で
身延派の教学研究発表大会に出て研究発表し、その際、身延派僧侶の導師で自我偈の
読経・唱題をした事実が宗門内外に知れ渡った。宗務院は現在、表面上は平静を装って
いるが、水面下では喧々囂々。「花野と長倉なら、やりかねない」「あの二人は他宗
との交流が頻繁で、謗法に関する感覚が麻痺している」との見方も強い。また、法華講
でも長倉と花野を問題視する動きがある。「御法主上人猊下が許可されたのだから問題
ない」という意見から「そんな謗法行為を猊下様が許可する筈がない」「もし、許可
したとすれば猊下様もおかしい」等々と、さまざまな見解が飛び交っている。花野と
長倉の謗法同座事件の波紋は大きな広がりを見せている。まだまだ鎮静化する気配は
ない。

 一、宗務院が出したワシントン・妙宣寺の火災の「宗務広報の内容は欺瞞に満ちて
いる」という声が現地から関係者にソッと寄せられた。それは火災発生時の住職・
村田雄瑞の行動に関するものである。お会式の最中、次第に煙が本堂内に充満してきた
ものの、誰一人、寺の火災とは気付かなかった。お香の煙かバーベキューの煙か近所の
火災か等々、他人ごとのように思っていた。ところが寺の火災と分かった途端、住職の
村田は講員に避難の指示もせず、顔面蒼白で慌てて一人で逃げ出した。講員の一人が
大声で「住職、御本尊は?」と問い掛けた。ハッと我に返った村田は、やっと御本尊を
移したのであった。そんな醜態が「宗務広報」では「火災発見後、住職は直ちにすべて
の御本尊を安全な場所にお遷しし、消防関係への通報、及び参詣信徒の速やかな避難を
指示しました」と、美化されて正反対の内容で通達された。まったく厚顔無恥な宗務院
である。

 (「大御本尊は偽物である」「御本尊を信じられない」という者が中興の祖・
日寛上人お認めの御本尊をニセ呼ばわりし、誹謗をするから世の中までおかしくなって
しまう。顕チャンは、そろそろ遠慮することを学びなさい。世田谷と蓮葉庵を本山に
返して、特別養護老人ホームへ入ることを提案する大坊鼠)

304検証会議:2009/11/14(土) 11:56:37
 フェイク 第1069号

 (発行=09.11.13)

 異常だった故・原島嵩と母親の関係
 ウソ八百を羅列した原島昭の「慧妙」の駄文
 狂った家族の中、昭は「ねじけた物の見方」に

 反逆者・原島嵩の実兄の昭は、戸田会長に根深い恨みを抱いているようだ。
 昭の性格は嫉妬深く、性根が曲がり、恩を仇で返す嘘つきでもある。昭は
「(私が)ねじけた物の見方をするようになったのは、多分に創価学会二代会長・
戸田城聖氏の影響でもあります」と、十一月一日付「慧妙」に書いている。

 自分の腐れ切った性根まで、戸田会長のせいにするとは全くふざけた野郎だ。
 昭のネジ曲がった性根、「ねじけた物の見方」は母の精子と弟・嵩の異常な関係を
見てきたからではないかと指摘する人がいる。それは精子が二男の嵩を次期会長と
思い込み、不自然な態度で接していたことである。

 例えば、精子は本部で使用する報告用紙を使って息子宛に「原島教学部長様」と
書き、色々と私的な用件や御礼、時には夕食の献立まで丁寧に記入し、バインダーに
挟んで提出。その報告書を見た嵩が「了解」とか「一任」などと赤字で書いて返却して
いた。

 また、精子が嵩に渡す報告書を両手で頭上高く捧げて、頭を下げて差し出す。
 昭は、こんな母と弟の異常な関係を日常的に見ていた。

 更に、精子は道路で嵩に出会った時、自分の息子にだけは深々と頭を下げるが、他の
幹部には挨拶もしない非常識な女でもあった。

 「戸田会長が詫びた」は嘘

 本紙第一〇六一号で精子が派閥を作ろうとして戸田二代会長によって
文京支部婦人部長の役職を解任され、謹慎させられた、と暴いたので、その弁解の
つもりらしいが、昭は一日付「慧妙」に次のように書いている。

 「昭和二十八年一月一日付の『聖教』紙上に、私の父(編集部注・宏治)が、十二月に
文京支部長を解任され、地方統監部長という新しい役職を与えられた」

 「私の母も、前年にわけの分からないまま支部婦人部長を解任され、謹慎を
命じられていました」

 本紙編集室は当然、原島宏治の解任も把握していたが、昭は母親の解任・謹慎を
報じた本紙の正確な記事を認めた上で、父親の解任も本紙に暴露されるのを察知した
のか、宏治も支部長の任を解かれた事実を明かし、その記事の中で嘘八百の釈明をして
いる。

 「その後、二、三年して、戸田氏は母を呼び寄せ『側近の言葉を信じて、あなたを
辛い目に合わせてしまった。申し訳なかった』と詫び、母に本部副婦人部長の地位を
与えて名誉を回復させました」

 昭は昔のことだからウソを書いてもバレないと思っているのか? 戸田会長が精子に
詫びたというのは作り話だ。最後まで信用していなかった。また、戸田会長が精子に
「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復させた」というのも真っ赤なウソである。
戸田会長の存命中、精子は本部副婦人部長にはなっていない。

 精子が、その役職に登用してもらったのは池田三代会長の時。戸田会長が亡くなって
六年半後の昭和三十九年十二月二十五日、理事長だった宏治が死んで間もなくの
本部幹部会で、五人が本部副婦人部長に登用された。その中の一人に精子も含まれて
いたのである。

 ウソを羅列した昭の駄文は、辻褄が全く合わない。

305検証会議:2009/11/17(火) 22:22:46
 フェイク 第1070号

 (発行=09.11.16)

 急報! 総本山大石寺で火災
 「雨の日顕」と「火事の日如」が邪教の証明
 参道沿いの建物、約二百五十平米が全焼

 最近、火災が続いている日蓮正宗で総本山大石寺の境内にある建物でも、遂に、
十一月十五日午後、火災が発生した。消防車十数台と地元の消防団も駆けつけて消火に
当たったが、約一時間にわたって燃え続け、同寺一帯は物凄い炎と黒煙に包まれた
(下の写真を参照)。

 火災の発生は午後二時頃、総坊近くの休業中の売店で、木造平屋建ての建物八店舗、
約二百五十平方メートルが全焼した。

 火災の翌日の十六日には警察と消防関係者による現場検証が行われた。出火原因は
大石寺坊主の関係者の火遊びだと判明した。

 それにしても、最近の日蓮正宗では火災が多すぎる。八月二十八日には大石寺の
駐車場で乗用車十台が焼ける火災があり、先月十一日(現地時間)にはアメリカ国内に
六ケ寺ある寺の一つ、ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)が焼失したばかりで
ある。

 思えば、日顕がニセ法主の頃は、お会式や各種法要などの行事の度に暴風雨、
集中豪雨に見舞われていた。そして日如がニセ法主になってからは火災が頻発する。

 ムリな登山で講員は疲弊、売店はゴーストタウン化

 日蓮大聖人は「生死一大事血脈抄」に妙法の功力について「火も焼くこと能わず水も
漂わすこと能わず」と教えられている。この御文に照らしても日顕・日如が君臨する
現在の日蓮正宗は大聖人の仏法とは無縁の邪宗教であると断言できる。

 富士宮署によると、火災で全焼した建物は二十年前から使われていなかった、との
ことだが、学会員が登山しなくなってから大石寺は閑古鳥が鳴いていた。

 近年、法華講員に対して宗門は年に数回以上、或いは十数回も登山を強要。そのため
講員は疲弊し、売店で土産品などの買い物をする経済的な余裕もない。

 諸天に見捨てられた日蓮正宗大石寺は滅亡への速度を速めている。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000785.jpg

306検証会議:2009/11/18(水) 01:26:23
 石山だより

 平成二十一年十一月十七日

 一、エーまたかよ! と大坊での声、総本山大石寺の総坊売店で十五日午後二時頃、
火災が発生した。皮肉なことに前日は大雨だったが、この日は晴天だったため火勢が
強く、約一時間で二百五十平方メートルの建物がほぼ全焼した。

 先月十一日のワシントン・妙宣寺の火災の際は、三週間も経ってから「宗務広報」を
出して火災を知らせた。その余りにも間の抜けた対応を「石山だより」十一月六日付で
指摘したので、今回は慌てて、火災から三時間後に大石寺内事部が、全国の住職・主管
に宛てた「お知らせ」を送信した。

 だが、その内容は、昔の大本営発表と同じように「被害は一切ありませんでした」等
と書いており、全くの眉唾物である。

 まず、「営業中の売店に延焼しなかった」と浮かれているが、それは消防関係者の
必死の消火活動のお陰である。それなのに、感謝の言葉が全くない。

 また、近隣の方々に多大な迷惑と心配を掛けておきながら、お詫びの言葉は一言も
ない。

 宗門は「被害がない」と言うが、被害を受けた人がいるではないか。どうして、謝罪
の言葉が一言でも書けないのだろうか。謝ることを知らないのが、今の大石寺の悪しき
体質である。


 一、次に「火災は約一時間で鎮火しました」というのは欺瞞である。火災は木造の
古い平屋建てである。それが一時間も燃え続けたら、全てが灰燼に帰す。

 このような場合は「約一時間で全焼しました」と正直に書くべきであろう。

 通報を受けた消防署は消防車十二台を急いで出したが、いざ、消火しようとしても、
消火栓の水が出ないなど消火活動に支障をきたした。

 これは明らかに大石寺の問題である。法華講から供養を集めることには殊のほか熱心
だが、登山者の安全を守ることには神経を使わないのも大石寺の特徴の一つである。

 更に、「出火原因は調査中」と誤魔化さないで、原因は当初から判明しているよう
に「当山の僧侶の関係者の火遊び」と、なぜ素直に書かないのか?

 (顕チャンが法教院を作ったのは、自分の名聞名利のため。自分のことだけで、学生
のことなど考えない。四年間のぬるま湯教育の末、卒業しても夢も希望も持てない。
何時になったら住職になれるのか?この所火災ばっかり、嘆きの無任所鼠)

307検証会議:2009/11/21(土) 20:52:17
 フェイク 第1071号

 (発行=09.11.20)

 阿部信彰、新設の布教部長に降格
 宗門の前途は真っ暗、脱講者は急増の気配
 末寺坊主・法華購が早くも愚痴と悲鳴

 法華講員が激減し、折伏も停滞している日蓮正宗が今月十三日、宗務院に「布教部」
を新設して、部長には庶務部長だった阿部信彰を任命した。庶務部長は宗務院の中でも
権力が集中する総監に次ぐポストだが、布教部長への転出は明らかに降格人事で、
これで信彰の登座の芽は遠のいたという見方が有力である。

 その後任の庶務部長には早瀬の人脈の斎藤栄順が副部長から昇格した。これにより
宗務院は従来の庶務・教学・渉外・海外・財務の五部に布教部を加えた六部体制になる。

 七月の無謀な結集総会の席で、ニセ法主・早瀬日如が「平成二十七年の日興上人
御生誕七百七十年までに、全ての法華講支部が現在の講員数を五十%増加すること」
「平成三十三年の日蓮大聖人御聖誕八百年の佳節までに法華講八十万人の体勢を築く
こと」という新たなノルマを課した。

 布教部の新設は、この過酷なノルマ達成のために、末寺・法華講にハッパをかけるの
が主な役割である。

 宗内情報によると、布教に関する事項は全て布教部が遂行するとのことだが、大して
重要な役割はない。

 例えば、これまで庶務部長だった信彰が大講頭を連れて強行してきた末寺坊主の
締め上げ、講員への恫喝、それに教学部が運営してきた法華講夏期講習会などを布教部
が担当するという。

 面白いのは、十一月十六日付「大白法」に「法華講員各位には、布教部の誕生を喜ぶ
と共に……」等と書いていることだ。法華講にしてみれば、自分達を恫喝し、出来ない
折伏に狂奔させる目的の布教部が出来たからといって素直に喜べる筈がないではないか。

 むしろ、その辛辣なやり方に反対する法華講員、及び末寺坊主から「やめてくれ」等
の愚痴と悲鳴が早くも聞こえてきている。確かに、部長が信彰では講員達の苦しみが
増すばかりで、今後ますます脱講者が増えると予想される。

 信彰は、自分で折伏した経験がないばかりか、教学力も包容力も人徳もなく、恫喝
するしか能がない。

…………………………

 暴力を振るう阿部信彰

 これまでも僧俗指導会で住職や法華講員を怒鳴りつけ、激しく追及したため住職や
講頭を辞めた者も多い。

 この信彰は日顕と同じで、御本尊を信じられず、平成十五年には新興宗教の信者との
法論に負け、新興宗教に功徳があると認めていた。

 新興宗教の信者 私の入っている新興宗教では実は病気が治るんです。

 信彰 本当に治りますか。

 信者 当然、病気も治るし、お金も入る。

 信彰 そうですか。

 信者 功徳があります。

 信彰 新興宗教は、どの宗派も功徳があるんですね。

 信者 そう、日蓮正宗じゃなくても功徳があるんだ。

 信彰 分かりました。

 この後も新興宗教の信者に言い負かされた信彰は、御本尊の功徳を全く
言えなかった。こんな無能坊主に布教部長は絶対に務まらない。

308検証会議:2009/11/26(木) 14:16:36
 石山だより 平成二十一年十一月二十五日

 あの暴力信彰が布教部長に就任。瞬間湯沸かし器二世は、みんなから嫌われている。
布教、布教と言っても笛吹けど踊らず状態になることは見え見えだ。平成二十七年に
講員50%増、平成三十三年に講員80万達成と景気よくぶち挙げたが、少子高齢化の
ご時世、特に高齢化が激しい、どんなに絶叫しても所詮、目標を達成することは
ムリムリと多くの住職が言っている。何せ、六年後、十二年後の話なので、実感が
わかない。その頃には、相承なき顕チャンも、寛チャンもこの世には不在の身だろうと
囁かれている。

 一、恒例の御大会が二十・二十一日の両日、底冷えの厳しい大石寺で行われた。今年
もお練り、申状捧読など毎年、同じ事を繰り返すだけで何の進歩もないマンネリの行事
に登山者は辟易し、感動したり、喜ぶ登山者は見当たらない。登山者の関心事は十五日
の火災の焼け跡を見に行くことだった。火災現場は廃墟と化していた総二坊西側の売店
で、焼けた売店と総二坊の間に、新しい売店が出来ている。そこの売店での登山者と店
の人との立ち話の会話を紹介する。


 登山者 四・五日前、この裏で大火事があったんですか?

 店 員 ええ、そうです。(と言って売店の奥に登山者を招き入れ、裏口から焼け跡
を見せた)

 登山者 ウワー、すごく燃えたんですね?

 店 員 はい、火の勢いが凄かった。火事が起こった時、運悪く南風が強くて、
建物全体に一気に火が回った。

 登山者 それは、怖かったでしょう?

 店 員 はい、もう怖くて、怖くて体が震えましたよ。火はもの凄い速さで
燃え広がりました。煙も真っ黒でした。

 登山者 ところで、原因は?

 店 員 よく分からないのですが、ご僧侶の焚き火とか、子供の火遊びという噂も
あります。内事部からは、何の説明もありません。

 登山者 この店舗は無事だったんですね。

 店 員 ええ、無事だったんですけど、私達は生きた心地しなかったです。昔は、
登山者で溢れて沢山売れたのですが、近年サッパリ売れなくなって死活問題です。
売れないわ、その上火事では、踏んだり蹴ったりですよ。大石寺も運の尽きで、お先
真っ暗ですわ。


 二日目は昼食を挟んで午後一時から仮御影堂(奉安殿)で布教講演会が行われたが、
弁当の到着が間に合わず、なかには昼食抜きで参加した気の毒な登山者もいた。
とにかく、参加者は、お年寄りが多いので、山内を歩くのも相当きつい、登山するのも
容易じゃない。申し状を読むのを聞いてもタダ坊さん達の自己満足に聞こえる。儀式も
大事かも知れないが、世相が悪すぎる今こそ、七百五十年という佳節なのだから、
立正安国論を実践する「時」ではないか。と言っても、修行を怠り、贅沢、懶惰懈怠に
浸って来た者には、到底無理な話だ。

 (無任所で溢れる本山、二十三日には千葉の妙聰寺の住職に佐藤信暢がなった。
寛チャンのファミリーだ。能力とか、実力など一切関係ない社会だ。法華講のT氏が
寄進したそうだが、援助寺院が一カ寺増えただけだと言われている。待ちくたびれた、
順番待ちの無任所鼠)

309検証会議:2009/11/26(木) 14:19:18
 越 洋

 平成21年11月21日

 11月15日(日)夕方から各社のメディアが"大石寺の売店焼く"と一斉に報じた。
折からの乾燥した空気と強風のため、約1時間で250平方メートルを焼き、地元民の
間には"また大石寺か!!いったい大石寺の防火体制はどうなっているのか!!"と怒りと
不満が充満している。当初、法華講などは「火災は学会のせい」と言っていたが、調べ
が進んで原因は富士学林研究室Kの家族の火遊びだったと判明。翌16日には大石寺
近在の檀家の家も火事になり、悲惨なことばかりだ。

 8月28日には宗務院近くの裏門南側の駐車場で大きな爆発音と共に車両一台が
炎上し、計十台が類焼した。タイヤのゴムが焼け焦げて強烈な悪臭が地域一帯に
広がり、近隣の人々にも多大な迷惑を及ぼした。当日は寺族同心会物故者の満山供養を
行っていた。最初に焼けたのは、その満山供養に参加するため乗ってきた車だ。
「宗門を疲弊させた日顕に対する同心会物故者の怒りと嘆きの炎ではないか」との声も
あった。

 平成18年の8月12日には日興上人所縁の「逆さ杉(お華水の杉)」が落雷のため
炎上した。「奉安堂に落雷しても不思議でないのに『逆さ杉』が避雷針になって奉安堂
を守った」と狂喜する愚者もいた。

 先月11日のワシントンDC・妙宣寺の「お会式」の際の出火も、今回の火災も、仏法
の峻厳な現証であり、宗門に原因がある。それにもかかわらず、屁理屈を並べて
学会批判の口実にしている。この手法は、かつてローマ帝国の暴君・皇帝ネロが
ローマ市で大火事(64年)が発生した際、キリスト教徒のせいにして信者を次々に
処刑した構図に酷似している。その後、暴君ネロの末路は悲惨を極めた。日顕と
その一派は愚かな「C作戦」という謀略で一千万信徒を騙し、破門して五逆罪を
犯した。その罪は立正安国論に照らしても、予想を超えた現証が続々と起こることは
間違いない。一連の火事は宗門にとって大凶事の予兆にすぎないのである。


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310検証会議:2009/11/26(木) 23:47:41
 大石寺短信 第474号

 平成21年11月26日(木)

 日顕宗の動き


 1. 新たに「布教部」が発足

 このほど、文部科学省の認可が正式に下り、日顕宗に「布教部」が設置された。
これで宗務院は庶務部、教学部、渉外部、海外部、財務部、布教部の6部体制となる。
布教部の部長には前庶務部長の阿部信彰が、庶務部長には斎藤栄順が就いた。

 布教部の役割は「布教のための企画・会議の主催」「坊主・信徒への布教指導」
「布教のための文書作成」「法華講の指導」とのこと。

 この布教部の設置を報じる「大白法」11月16日号は「布教の牽引車となって広布推進
の大道を切り開き…」などと大言壮語しているが、設置の背景について、憂宗護法同盟
の「同盟通信」は辛らつに分析している。“父親・日顕ゆずりの「瞬間湯沸かし器」で
ある信彰はこれまで、庶務部長として、末寺坊主や法華講員らを怒鳴りつけ、
抑えつけてきたため、日如は、庶務部を事務部化して元の常識を持ち合わせた部長に
戻し、「恫喝の庶務部」という印象を対外的にも払拭したかった”――どうやらこれが
真相のようだ。


 2. 本年の折伏達成寺院は現状で1割未満

 「大白法」11月16日号に、本年の折伏目標を達成した支部(寺)が紹介されている。
10月末現在でその数は38。全国には600近くの寺があるので、達成支部は1割にも
満たない。残り2カ月の段階でのこの有り様。目も当てられない状況だ。

 しかも、昨年の同日号の紙面で紹介されていた達成支部の数は「50」だったの
だから、明らかな退潮。こんな恥ずかしい記事をわざわざ載せたということは、
「大白法」はよほど記事に困っているのだろう。

 記事には、「折伏は必ずできる」という、もっともらしい見出しが付いているが、
ほとんどの坊主・法華講員はそんな風に思っていない。毎年、折伏目標が達成できる
支部は全体の2割弱程度。ほとんどの寺が「折伏は難しい」と実感しているのだ。

 そもそも、折伏のハッパをかけている坊主の寺が成果を出していないのだから、
説得力はない。新設の布教部長に就いた阿部信彰の寺は毎年毎年、惨敗続き。今回の
紙面にも名前はない。このほか、執行部の重役・藤本、総監・八木、庶務部長・斎藤、
教学部長・水島、渉外部長・秋元、海外部長・漆畑、財務部長・長倉の支部も達成
できていない。さらに、布教部の設置に併せて任命された15人の「折伏推進委員」の中
でも、達成できているのはわずか6人。

 これでは、「偉そうなことを言う前に、まず自分の寺で模範を示せ」と末寺坊主たち
が怒り出しても仕方があるまい。


 3. また大石寺で火事

 15日午後2時25分ごろ、大石寺の総坊売店から出火、店舗8軒が全焼した。当時、現場
には黒煙が上がり、消火のため消防車が何台も駆けつけ、一帯は騒然となった。出火元
の店舗は閉店中で、電気やガスも止められていて、火の気がなかったところから、
出火原因は不審火との見方が強いとみて関係各署が調べている。

 大石寺では、8月にも構内の駐車場に停めてあった車両が炎上する事故があった
ばかり。また、アメリカの妙宣寺では、先月、御会式の最中に寺で火事が発生した。
まったくもって現罰続きの日顕宗である。


 4. 12月の予定

    6日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
   11日(金) 全国正副宗務支院長会(本山)
   13日(日) 御講(末寺)

311検証会議:2009/11/27(金) 21:07:25
 新改革通信 第105号

 平成二十一年十一月二十七日発行

 一凶・日顕の末路(一)

 宗内からの「法教院」批判、信彰の更迭、連続する火災。次々に起こる異変が暗示
する日顕の末路

 平成二年七月の「御前会議」から始まった謀略「C作戦」実行、二十年目を前に
して、宗門では様々な異変が続いている。

 それは一見、突発的な事件、点にしか見えないが、どれも一つの線でつながって
いる。

 その"線"とは、"日顕の権威の失墜"である。

 たとえば、宗会議員が「法教院」を無用の長物であると批判したが、このような
事件は、日顕が法主の時代には起こり得なかったことである。

 また、信彰が庶務部長を実質的にクビになり、何の権力もない「布教部長」に左遷
させられるということなども、日顕が法主でないから、出来たことだ。これによって、
信彰の次期法主の可能性は限りなくゼロに近づいた。

 すなわち、日顕が法主をやめ、早瀬体制が出来上がりつつあることによって、宗内に
くすぶっていた"恐怖政治の悪法主・日顕"への批判が、ゆっくりだが、表面化している
のだ。

 日顕自身も、そのことを肌で感じているから、本山に滞在する時間を延ばして、
存在感を示そうとしている。

 また、三度続いた火災は、日顕の末路を暗示する瑞相である。宗門では昔から"火事
は福運を失くす、諸天が去る"と言われている。

 ①八月二十八日午後一時すぎ、宗務院近くの裏門南側の駐車場で車両十台が炎上。

 ②十月十一日正午(日本時間十月十二日午前二時ごろ)、アメリカ・ワシントンの
妙宣寺で「御会式」の最中に火災が発生。

 ③十一月十五日午後二時頃、総本山大石寺の総坊売店で火災が発生。

 仏法では偶然はないと説く。すべては因果の現れである。本山の繁栄、世界への
布教、どれも創価学会の存在があったからこそ、成し得たものである。それを否定した
日顕の忘恩に対する厳しい罰の現証と見ることができるであろう。

 平成三年十一月二十八日、日顕らは「破門通告書」を学会に送付した。大聖人の
御遺命である世界広布を妨げた「一凶」である日顕を、すでに諸天が見放している
こと、すなわち日顕の命運がつきたことを暗示しているのだ。(編集部)

312検証会議:2009/11/28(土) 13:38:10
 フェイク 第1072号

 (発行=09.11.27)

 「庶務部長の器じゃない」と宗内の声
 阿部信彰の後任・斎藤栄順は謗法の欠陥坊主
 墓参の未入信者へ土産代りに本尊を渡す

 嫌われ者の極道坊主から器の小さい遊蕩坊主に交代した――今、宗内で嘲笑されて
いるのは宗務院庶務部長の人事である。阿部信彰が新設の布教部長に左遷され、その
後任の庶務部長に就いた斎藤栄順といえば、「河辺メモ」の筆跡が河辺本人のものに
間違いない、と法廷で証言した坊主として知られている程度で、今まで殆ど
目立たなかった。

 本紙編集室にも「斎藤とは一体、どんな坊主なのか?」という問い合わせが多く
寄せられている。また、宗内からは「宗務院の庶務部長になるような器じゃない」との
声も聞こえてくる。

 確かに斎藤は小物で存在感が薄く、特筆すべき実績も何一つない。支院長になった
過去もなく、宗会議員に当選した経験もない。

 こんな平坊主が何故、総監に次ぐ庶務部長になったのか? その疑問に答えると共に
無能坊主・斎藤栄順の素顔を紹介する。

 斎藤の本名は誠治、昭和三十八年に尾花泰順を師僧として得度。昭和四十八年に
最下級の教師の「訓導」になり、その翌年に奉天坊住職、昭和五十七年三月に寿命寺
(富士宮市)住職になった。翌五十八年に庶務部主任になって以来、当時の部長・
早瀬義寛(日如)の子分になり、この度、親分の日如が「庶務部長は無能でも忠実な男
がよい」と抜擢した次第。今後も実質の庶務部長は日如で、斎藤は書記係にすぎない
のだ。

 斎藤の特徴を端的に言うと「謗法容認の軟弱な体質で遊び好き」「小心の堕落坊主」
という評判だ。

 まず、謗法について寿命寺の信徒が法華講仲間の謗法払いを依頼しても、斎藤は
「私が頼んでも、謗法払いをしてくれない」と泣き言を言うだけで埒があかない。
更に、未入信の姉妹が寿命寺へ母親の墓参に行った際、斎藤は折伏も説明もせず、二人
に土産の代りに本尊を持たせた。

……………………

 小心の堕落坊主・斎藤

 行事をサボり観光旅行

 斎藤は金儲けには熱心で、言葉巧みに塔婆供養を奨励する。ある講中幹部は、斎藤が
小さい声で題目を唱えながら塔婆を書いていると思っていたが、よく聞くと、ナント
「はい、二千円、はい、二千円」と言いながら書いていたという。

 斎藤が遊び回っているのは寿命寺の講中にも知れ渡っているようだが、平成九年
(一九九七年)には、こんな醜態が露見した。

 それは五月十八日、ハワイ・本誓寺(当時の住職は高橋思道)で開創三十周年
記念法要が行われた時、招かれた斎藤と宮沢親道、吉本恵道の三人が法要終了後も
ハワイに居残り、大石寺での寺族同心会をサボって、観光旅行を楽しんでいた。

 斎藤らはワイキキビーチ沿いにある豪華ホテルに滞在。家族を連れてホノルル市内を
見学、飛行機でハワイ島に渡り、ショッピングやディナーショーを楽しみ、カヌー遊び
に興じるなど、まさに常夏の楽園で遊び呆けていた。

 この斎藤が庶務部長だから今後は殴る蹴るの暴行を受けてケガする住職も減る
だろう、とも囁かれている。

313検証会議:2009/12/02(水) 21:48:33
 フェイク 第1073号

 (発行=09.12.01)

 宗門の狙いは十億円の御開扉料
 日顕宗の「五十万人を突破」の速報を嗤う
 帳尻合わせの「登山地獄」に苦しんだ法華講

 日顕宗の立正安国論正義顕彰七百五十年記念局が十一月二十八日にデタラメな
「速報」を出した。それは「登山参詣人数、御命題の五十万人を突破」と題する内容で
ある。「速報」では冒頭に「本日、本年一月からの登山参詣者累計人数が
五十万一千九百五十五人に達し、五十万総登山の御命題を見事に達成しました」と
述べ、そのあと「(日如と日顕の)御高徳によるところであり」「宗内僧俗各位の
たゆまぬ精進が結実したもの」等々、ウソ八百の文言を並べている。

 日如と日顕の二人のニセ法主に「御高徳」はない。また「たゆまぬ精進」の坊主も
いない。今年初めに大石寺の某僧は「達成しても、しなくても、どうせ『達成した』と
発表するから傍観している」と語っていた。

 その予想通りに出た「速報」は無謀極まる「五十万登山」が、八万人ソコソコしか
いない法華講にとって、いかに悲惨で過酷な「登山地獄」であったかを裏付ける文書と
いってよい。

 今年は十回以上も登山させられた講員が多くいた。各末寺の法華講では
「複数回登山」の檄が飛び交い、それも五回や六回ではなく、「十回以上」という
非常識な登山の強要が公然と叫ばれていたのである。

 ニセ法主が言い出した五十万というノルマの帳尻合わせのために、荒れ果てた大石寺
に足を運んだ高齢者や身障者も含む哀れな講員。そこには歓喜も功徳もないばかりか、
生気すら感じられなかった。こんな粉飾と水増しの登山人数に一体、何の意味がある
のか?

 総監の八木日照が布教区別僧俗指導会を回って十回以上の登山を奨励した話を
「大白法」に掲載していた。

 「先般、四国のほうへ伺いました時に、女子部の方が決意発表されて、今年は十一回
の記念登山を計画しているということで『自分は十一回全部に参加したい。そのつもり
で準備をしている』と話していました。

 そのためには、仕事を休まなければなりませんし、経済的なこともあります。体調も
しっかりと調えなければ十一回全部に登山することはできないということで、決意を
述べていらっしゃいました」(「大白法」二月十六日付)

 功徳も感動もない登山

 八木は女子部員の決意を引きながら十回以上の登山を強調していたのだ。

 複数回の登山に加え、もう一つの「数稼ぎ」の手口は一度の登山で二回、三回と
御開扉を受けさせる方法で、御開扉料は当然、その都度、支払うことになる。

 日帰り登山者が大石寺に居残り、翌日に一泊登山者として御開扉を受け、下山の前に
また奉安堂に行って三回目の御開扉に臨む。つまり、一度の登山で三回も御開扉を
受ける水増しが横行していたのだった。

 こうして延べ人数が五十万人になったということは、一人二千百円の御開扉料
だから、総額十億円を超える泡銭(あぶくぜに)が「供養」という名目で本山に入った
計算になる。十億円の金集めが狙いだった日如らは、ほくそ笑んでいるだろう。

 某講員は「年に五回も十回も無理やり登山させられたから喜びも感動もない」と
語っていた。信心のない御開扉には功徳はない。

327検証会議:2009/12/08(火) 11:39:45
 フェイク 第1074号

 (発行=09.12.07)

 やはり原島昭は嵩と同じ虚言症
 「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕 ①
 昔の「ルビー」誌の文・絵を転載し見当違いの難癖

 原島昭(故・嵩の兄)が「慧妙」の十二月一日付に昔の雑誌「ルビー」の記事と挿絵
を転載して見当違いの奇怪な文を書いている。

 これは原島が「慧妙」の十月一日・十一月一日付に学会への恨みを込めて寄稿した
内容の間違いを本紙第一〇六一・一〇六八・一〇六九号で指摘したことに対する言い訳
と反論のつもりらしい。まず、これまで昭が「慧妙」に書いたウソと間違い、それを
指摘した本紙の要旨を列記する。

 原島昭のウソ・間違い=私が三歳、弟が一歳を過ぎた頃、母が入信し、その翌年には
父が入信した。入信してからの両親の布教活動は、子供の眼から見ても驚くべきもの
で、蒲田支部の基礎を作っていった。(十月一日付「慧妙」)

 本紙の指摘=幼児が驚くような布教活動とは信じ難い。原島精子は蒲田支部の基礎を
作るどころか、学会内に派閥を作ろうと画策して婦人部長の役職を解任され、そのうえ
謹慎を命じられた。

 昭のウソ・間違い=私が、ねじけた物の味方をするようになったのは多分に
創価学会二代会長・戸田城聖氏の影響でもある。(十一月一日付「慧妙」)

 本紙の指摘=昭は、自分の腐れ切った性根まで、戸田会長のせいにするとは全く
ふざけている。昭の「ねじけた物の見方」は、母親の精子と弟・嵩の異常な関係を見て
きたからではないかと指摘する人がいる。(嵩と母親の異常な関係は本紙第一〇六九号
に詳述)

 昭のウソ・間違い=①戸田氏は「『冒険少年』、次いで『ルビー』を創刊し……当時
は雑誌が一冊二、三十円位の値段で、②「『ルビー』を何気なく手に取り、ぱらりと
開いて見て驚いた。グラビアの写真と本文の始めから終わりまでの挿絵の殆ど全てが
ヌード写真で占められていた③二つの雑誌を発行する「日本正学館」に……
④その後一年もたたないうちに、池田氏編集の二雑誌は廃刊になった。
(十一月一日付「慧妙」)

 本紙の指摘=池田編集長が「冒険少年」と「ルビー」の「二雑誌」を編集していたか
のように錯覚させようとの陰湿な魂胆が垣間見える。(「ルビー」の奥付を提示して)
「ルビー」は後年、坊主になり下がって学会を批判するようになった矢島周平が編集
していた。

 また「ヌード写真で占められていた」はウソ。昭の駄文は定価も出版社も違う。発行
は大道書院、定価は六十五円。邪推と妄想と勘違いで文を書いている昭は、死んだ嵩と
同じ虚言症だ。

 昭のウソ・間違い=(母親の役職解任の後)二、三年して、戸田氏は母を呼び寄せ
「あなたを辛い目に合わせて申し訳なかった」と詫び、母に本部副婦人部長の地位を
与えて名誉を回復させた。(十一月一日付「慧妙」)

 本紙の指摘=戸田会長が精子に詫びたというのは作り話で、最後まで信用して
いなかった。また、戸田会長が精子に「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた」というのも真っ赤なウソである。

 戸田会長の存命中、精子は本部副婦人部長になっていない。精子が、その役職に登用
してもらったのは、戸田会長が亡くなって六年半後の昭和三十九年十二月二十五日で
ある。ウソを羅列した昭の駄文は、辻褄が全く合わない。(つづく)

328検証会議:2009/12/11(金) 01:53:58
 越 洋

 平成21年12月8日

 きょう12月8日は忘れることの出来ない太平洋戦争開戦の日である。昭和16年の
この日、時の法主・鈴木日恭は次のような「訓諭」を発した。

 「本日米国及英国ニ対シ畏(かしこ)クモ宣戦ノ大詔(たいしょう)煥発
(かんぱつ)アラセラレ洵(まこと)ニ恐懼(きょうく)感激ニ堪(た)エズ(中略)
本宗宗徒タルモノ須(すべから)ク聖慮(せいりょ)ヲ奉体(ほうたい)シ仏祖ノ遺訓
ニ基キ平素鍛練ノ信行ヲ奮(ふる)ヒ堅忍持久百難ヲ排シ各自其ノ分ヲ竭(つく)シ
以テ前古(ぜんこ)未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ
 右訓諭ス」

 日恭の「訓諭」は、開戦を待ち望んでいたかのような言辞で埋め尽くされ、以後も
積極的に軍部に従い、戦争遂行に協力した。併せて、宗門はそれまでの軍事献金の功労
によって、当時の海軍大臣であった嶋田繁太郎から「感謝状」を与えられたので
あった。

 戦争の犠牲者は2000万人とも言われている。日蓮正宗は戦争を賛美し加担。御書
の刊行禁止の上、14ヶ所の字句を削除し、経本の観念文を改竄するなど数々の大謗法
を犯した。こんな大謗法を御本仏が許される筈はなく、昭和20年6月17日、大石寺
は大火に包まれ、日恭は生焼け状態で焼死した。如何なるいい訳も通用しない。
戦後64年経っても何一つ反省を示さない傲慢無礼の宗門である。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000794.jpg

329検証会議:2009/12/11(金) 21:16:58
 石山だより

 平成二十一年十二月九日

 阿部信彰の布教部長就任は、左遷なのか?栄転なのか?どっちなのか?と問われる
と、その答えは左遷である。

 庶務部長には様々な権限があるが、布教部長はハッパをかけるだけである。寛チャン
が法主になって4年。その間、顕チャンの弟子の八木と信彰は寛チャンを無視して隠尊
の言いなりになってきた。寛チャンとしては感情的に許せないものがあるものの、
顕チャンの手前、何も言えなかった。ところが、昨年、信彰と八木が北海道・得成寺の
里内信徳を本山に呼びつけて査問した際、激高した信彰が立ち机を蹴り飛ばした。
それが里内の腰と足を直撃し、告訴事件に発展した。

 信彰の暴力は日常的で、女房の信子に対しても、髪の毛を掴んで引っ張り回し、女房
が「ごめんなさい」と謝っても止めない。そんな病的な暴行は有名な話だ。目上の者
にはニコニコ、ペコペコ、目下の者には傲慢に威張り散らす畜生坊主である。在勤者に
対しては言葉よりも暴力。こんな信彰を庶務部長にしておいたら、里内事件の告訴が
受理された場合、宗門に傷が付くと寛チャンは考え、信彰を外すために布教部長を新設
したのである。

 信彰は布教部長になったが、権限としては、たいしたことない。人事のことをやる
のは庶務部だ。そういう意味では、寛チャンが実質的な庶務部長といえる。斉藤栄順
は「名ばかり部長」で単なる事務係ということだ。信彰は恐怖部長として檄を飛ばす
だろうが、権力を振るえば振るうほど、みんなの心は離れ、今以上に毛嫌いされる
のは明々白々。その意味では最も相応しくない者が布教部長になった皮肉な人事で、
宗門史上、大きな災いの元になるだろう。

(いつ殴られるか、と戦々恐々の毎日。身体に変調をきたしたが、信彰の寺の在勤が
終わったら治った無任所鼠)

330検証会議:2009/12/11(金) 21:17:28
 石山だより

 平成二十一年十二月十一日

 十一月二十八日、「登山参詣数、御命題の五十万人を突破」という速報を記念局が
出した。内容は「宗内僧俗各位のたゆまぬ精進が結実したものであって、まさしく
『異体同心なれば万事を成じ』との御聖訓を実証したものと慶賀にたえません」と
言っている。だが、各末寺の住職や法華講各位は、この登山者数がマヤカシで、
インチキであることを知っている。

 七月二十六日の七万五千名大結集総会では、実質七万人も集まらなかったが、この
七万の法華講が一人何回も登山した結果に過ぎない。御開扉の際、一人が二枚の
御開扉券を出しても役員は黙って受け取っていた。一人最高で十五回も登山した講員が
いる。平均すると一人が七回も登山に来ていることになる。登山の常連さんが多い
ので「売店で買い物をする講員がいない」と売店主がぼやいていた。

 昭和二十六年五月三日に第二代戸田会長推戴式が常泉寺で行われ、席上、
七十五万世帯の折伏を宣言された。その後、本山で法華講にも七十五万世帯を
呼びかけられたが、全くその気もなく、歳月だけが虚しく過ぎたのである。要するに
広宣流布の実現を願う信心がないからだ。以来、仏意仏勅なき故、五十八年も経った
のに、七万五千人さえも集まらない淋しい現状だ。

 いくら「御命題五十万人を突破」と大本営発表をしても宗内で信用する者は誰も
いない。みんな達成感など実感できないのだ。また、布教区を細分化して三十七から
四十七に増やし、布教部を新設し、折伏推進委員を任命しても、平成二十七年の講員
五十%増が出来るとは誰一人、思ってもいない。

(今までも死亡、退転・行方不明の多い法華講では、更に高齢化が進んで講員は減る
一方だ。登山、登山と叫ばれ、折伏、折伏とハッパをかけられ、供養、供養と
言われても、年金生活では溜息ばかりしか出てこない。在家の父の姿に痛みを感じる鼠)

331検証会議:2009/12/12(土) 15:38:33
 大石寺短信 第475号

 平成21年12月10日(木)


 日顕宗の動き


 1.苦しみ充満の「50万登山」がようやく終了

 先ごろ、各末寺に本年の「50万登山」が達成されたことを告知する文書が配信
された。当初、日如は能天気にも「全信徒の登山」と言っていたが、それが絵空事で
あることに気づいた後は「1人が12回ぐらい登山したっていい」と方針変更。その結果、
多くの活動家が「12回」どころか、それ以上の登山を強要される事態となった。一方、
着山日と翌日に御開扉を受けて2回の登山とするなどの「回数稼ぎ」も横行。病後にも
かかわらず、遠隔地から長時間バスに揺られて参加し、病院に担ぎ込まれる参加者も
出た。

 「こんな登山に何の意味があるのか」といった疑問の声が噴出したが、7年前の
「30万登山」等と同様、しょせんは本山を潤わせるための金集め登山。日如ら
本山関係者は莫大な御開扉料、供養の収奪に成功したわけだ。

 阿部政子の“億ション”に象徴されるように、日顕、日如と一部の取り巻きだけが
肥え、末寺はやせ細る一方。宗内格差はますます広がっている。


 2.友人葬への笑止千万の難癖

 日顕宗が2種類のリーフレットを作った。それぞれA4版3つ折りで「創価学会員に
よる『友人葬』は間違いです!」「日蓮正宗の信仰」と題したもの。一部10円で末寺、
信者に売りつけるという。

 この期に及んで友人葬に難癖をつけているが、裏を返せば、学会の友人葬への
危機意識の表れでもある。それもそのはず。坊主の贅沢に費やされるための供養を出す
必要はない、広布に前進する同志の唱題に送られて安祥と霊山に旅立てる、そんな
清々しい友人葬は坊主の食い扶持を奪ってしまう脅威なのだ。

 そもそも、葬儀の席で、勤行を間違え、居眠りし、「供養が少ない」と暴言を吐き、
酒に酔っぱらうなど、醜態をさらして顰蹙を買ってきた日顕宗の坊主たち。このような
現実を棚に上げて、言葉巧みに高齢者の不安を煽るやり方は極めて卑劣である。

 友人葬こそ大聖人の仏法の本義にかなった葬儀の在り方であることは言うまでもない。

 3.布教区が細分化

 4日に行われた臨時宗会で宗規が改正となり、10布教区が増えて47布教区の体制と
なった。内訳は以下の通り。

・東北布教区(青森県、岩手県)が青森布教区と岩手布教区に

・静岡南布教区(静岡県南部)が静岡東布教区と静岡西布教区に

・中部布教区(愛知県、三重県)が愛知東布教区、愛知西布教区、三重布教区に

・北近畿布教区(福井県、滋賀県、京都府)から京都布教区が分離

・大阪布教区(大阪府)が大阪北布教区と大阪南布教区に

・東中国布教区(鳥取県、島根県、岡山県)が北中国布教区(鳥取県、島根県)と
岡山布教区に

・西中国布教区(広島県、山口県)が広島布教区と山口布教区に

・福岡布教区(福岡県)が福岡東布教区と福岡西布教区に

・中九州布教区(熊本県、大分県)が熊本布教区と大分布教区に

 日如はこれまでの宗務院中心の体制を見直し、「連絡役」に過ぎなかった支院長に
一定の権限を与え、布教区の機能の強化を図ろうとしている。背景にあるのは「自分の
代に法華講の勢力を増やそう」という日如の野心である。油断することなく警戒して
まいりたい。

332検証会議:2009/12/13(日) 00:37:40
 フェイク 第1075号

 (発行=09.12.10)

 原島昭・嵩の狂いは母親の悪影響!
 「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕②
 本紙の記述を「真相」と認めながら無駄な抵抗

 原島昭と嵩(故人)兄弟の狂いは母親の悪影響が原因の一つと言われている。
 その昭が「慧妙」十二月一日付に「フェイクの欺瞞を嗤う」「フェイクの偽証」の
見出しをつけ、本紙を非難しているので粉砕する。

 昭の母・精子(下の写真)の役職解任と謹慎に関して、本紙が①精子は派閥作りを画策
した②戸田会長から精子は「信用できない」と叱責されたと記した。すると昭は
「フェイク」紙が何故、そんな事実を知っているのか、と疑問を呈し「『フェイク』は
創価学会中枢の関与のもとに書かれたか」また「記事の情報源が学会の古参幹部である
か」と推測。そして「『フェイク』紙が述べているとおりのようです」と認めている。

 その反面、同じ文の中で「(フェイク紙は)妄想癖の持ち主によって書かれた」と難癖
をつけており、全く支離滅裂だ。

 つまり、昭は本紙の記述を学会中枢、古参幹部の確かな情報に基づく真実だと
認めながら「妄想の産物」と非難しているのである。

 本紙第一〇六一号に精子の文京婦人部長の解任・謹慎について、こう記した。

 「戸田先生の法華経講義を受講せず、先生の指導を軽視し『私が御書講義をして
やる』と会員を自分に付けようとした」「原島派を作ろうとした」「二乗根性が強く
イヤな女だった」「陰湿で好きになれなかった」

 このように記した箇所では、明確に「草創期の諸先輩の原島精子に対する評価は
厳しい」と書き加えておいた。これで分かる筈だ。

 昭や死んだ嵩じゃあるまいし、妄想で記事は書けない。功労の諸先輩で精子を良く
言う人は一人もいない。

 原島母子は悪の元凶

 また、昭は「当事者たる母自身は訳がわからないまま解任され、嘆き悲しんでいた」
という事実しか知らないと書いている。

 昭が母親の解任理由を知らないから「派閥作りをした」と教えてあげたのだが、何も
知らない昭が、真相を伝えた本紙を非難するのは筋違いというものだ。

 派閥作りを画策して解任された事実は、原島家にとって一大汚点。だから、
解任・謹慎は「いい加減な命令だった」と、今度は戸田会長を悪者に仕立てようとして
いるが、言語道断!

 更に、昭は自分の母と同時に解任された、もう一人の婦人部長について
「フェイク」紙が触れていないのは「偽証の詐術」だと変な理屈を述べているが、
これも的外れだ。精子の陰湿な派閥作り、昭と嵩の「虚言症」を指摘するのに、関係の
ない他人を引き合いに出す必要もあるまい。

 なお、昭は、かつて大阪地方区から参議院に立候補した白木義一郎氏が当選した勝因
は野球のスターだったからだと書いているが、選挙はそんなに甘くない。

 その例の一つ、広島東洋カープを優勝に導き、赤ヘル黄金期を築いた古葉監督でさえ
野球殿堂入りの後、五年前に参院選に出たが落選した程である。

 (つづく)

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000797.jpg

333検証会議:2009/12/13(日) 21:04:49
 フェイク 第1076号

(発行=09.12.11)

 死ぬまで続いた原島嵩の変態行為
 「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕③
 原島昭は「ルビー」誌の挿絵から淫らな想像?

 日顕宗のクズ新聞「慧妙」の連載「私が見た創価学会」に原島昭(故・嵩の実兄)が
書いた駄文のウソ、間違いについては、本紙で逐一、指摘(要旨は本紙第一〇七四号を
参照)してきた。

 この指摘に反論も説明も出来ない昭は十二月一日付「慧妙」に、矢島周平が編集して
いた雑誌「ルビー」の読み物を取り上げ、そのうえ数枚の挿絵も転載するなど争点を
すり替えて学会の悪口を書いている。

 当初、昭は「戸田氏は少年向け雑誌『冒険少年』、次いで成人向け雑誌『ルビー』を
創刊し」「『ルビー』を何気なく手に取り、ぱらりと開いて見て驚きました(中略)
ヌード写真で占められていた」「(日本正学館に一人の若者が入社したと述べ)父が
『池田君はよく働く…』と私に語ったことがあります。しかし、あの雑誌『ルビー』の
内容を知っていた私は、そう語る父に対しても不信の眼を向け始めた」「その後一年も
たたないうちに池田氏編集の二雑誌は廃刊になりました」

 これを読む限り、昭は「ヌード写真で占められていた『ルビー』を池田青年が編集
し、日本正学館が発行していた」と悪意からウソを書いていることが分かる。

 そこで本紙は「ルビー」の奥付を示し、発行所は大道書院、編集者は坊主に
なりさがった矢島周平(写真)だった、と教えてあげた。

 すると、昭は己の誤認識を訂正しないで「慧妙」で「ルビー」の読み物を取り上げ、
挿絵も転載している。だが「グラビア写真と最初から最後まで占められていた」という
ヌード写真とやらは一枚もない。昭は少年の頃、あの挿絵を見て淫らな想像をしていた
のか?

 昭は本紙の記述を「偽証」「偽証の詐術」と非難するが、挿絵を「ヌード写真」と
偽る昭こそが「偽証」の男というべきである。

 昔、日本正学館に矢島周平がいて雑誌を編集していたからといって、今の学会とは
関係のない話である。

 それは以前、聖教新聞社にセクハラ常習犯の原島嵩という変態の主幹がいたが、その
ことが現在の学会や同新聞社の体質を論じる材料にならないのと同じことだ。

 嵩には赤坂のスナックに「ノコちゃん」というお気に入りの女性がいて、聖教本社に
請求書を届けに行っていた。応対した女子職員に「いつも(原島に)抱きつかれて
嫌だけど商売だから」と言っていたという。

 この原島は死ぬ前に入っていた東京・西多摩の介護老人保健施設で婦人の部屋に
忍び込み、女性用の「おしっこパット」を盗んで注意された。女性トイレに素足のまま
潜んでいたこともある。こんな原島を婦人達は大変に気味悪がっていた。

 ところで、ヌード写真といえば、かつて日蓮正宗の坊主仲間が互いに持ち寄り、
見せ合っていた。

 あの色魔の日顕がシアトルで夜中にホテルを抜け出し、英語ができないので身振り、
手振りのジェスチャーで売春婦にヌード写真を撮らせて欲しいと頼んだのも、宗内で
自慢したいためだったということだ。

 昭和二十八年八月に得度した矢島も日顕に似たような変質者だったのだろう。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000797.jpg

334検証会議:2009/12/19(土) 13:15:06
 新改革通信 第106号

 平成二十一年十二月十八日発行

 一凶・日顕の末路(二)

 日顕は自分の名前を歴史に残すために「法教院」を作ったが、諸悪の根源・
「法教院」は日顕の死後、必ず封鎖される!

 八十七歳になる日顕が今一番、執着しているものは何か?それは「法教院」の存続で
ある。

 なぜか?法主と言うだけでは、代が変われば以前の法主は忘れ去られていくが、
「法教院」が存続すれば、創立した日顕の名前が歴史に残るからである。

 しかし、その日顕の野望とは裏腹に、「法教院」の評判はすこぶる悪い。その理由は
以下の通りだ。

 ①「法教院」は単なる私塾であり、文科省に認められていないので、卒業しても学歴
にならず、卒業者は社会的には「高卒」となる。

 ②以前は偏差値の高い高校を目指していた小僧がいたが、「法教院」にしか行けない
今では、どの高校に行っても同じであり、勉学の意欲がなくなり、必然的に学力が低下
している。

 ③一般教養以外の教員は宗門僧侶に限られており、おざなりな授業になっている。
そのような中で、広く世間に通用する人材は生まれない。

 ④大坊の延長であり、閉鎖的な環境であるため、社会性のない人間となる。

 ⑤無任所が増えているのに、「法教院」を存続させるために得度者を採らなければ
ならない。

 ⑥「法教院」を維持するために膨大な費用がかかっており、宗門財政を圧迫して
いる。

 他にも色々と指摘される問題点があるだろうが、このままいくと、宗内僧侶全員が
「高卒」という現代日本の宗教界でも極めて例のない教団が誕生する。

 日顕は「法教院」を批判されると、常に過剰に反応する。宗会議員の有志が
「法教院」に対して意見をしたが、日顕はすぐに『吾が弟子一同に告ぐ』という文書で
反論した。

 日顕が恐れていることは「法教院」が消滅することにより、創立した日顕の無能力さ
が歴史に残ることである。

 しかし、宗内の中で一体、何人が「法教院は必要である」と思っているであろうか。
皆無である。日顕の死後、その日顕の分身ともいえる「法教院」も、姿を消すことは
宗内の大方の見通しである。

 (編集部)

335検証会議:2009/12/19(土) 13:16:24
 越 洋

 平成21年12月19日

 たった一人の愚人のために一宗が衰亡する。なのに誰一人として「命」をかけて反対
の声をあげない不思議な沈黙教団。その名「日蓮正宗」。宗祖日蓮大聖人は何と仰せに
なるだろうか?

 きょう12月19日は、阿部日顕の87歳の誕生日である。常泉寺のお手伝いだった
彦坂スマが男の子を私生児として出産したのが大正11年のこの日。

 その子の父親は阿部日開、或いは、弟子の高野日深とも言われているが、5歳の時に
認知したのは日開であった。

 日顕は87年間、未生怨を引きずり、遊蕩の限りを尽くし、大悪行と大謗法を重ね、
法主の座を盗み取った。そのうえ「現代における大聖人様」気取りで仏法僧の三宝を
破壊した。また大御本尊を「ニセモノ」と断じ、題目を「体に有害」と誹謗、更に、
事の戒壇たる正本堂を破壊した。

 創価学会の戸田第二代会長は、広宣流布を阻む者は釈迦在世の六師外道が最後には
日蓮正宗の中に生まれてくると昭和31年2月7日、大阪・中之島公会堂での「佐渡御書」
の講義の際、次のように喝破した。

 「大聖人様の時代に良観とか、あるいは法然とかの弟子などになる連中は、いったい
過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をくさした外道の者が生まれてきて、
形だけ仏法をやって、今度は正法に邪魔するのです。大聖人様を迫害した良観たちが、
いま生まれてきて仏立宗等の坊主になっているのです
(中略)
 それで今、日蓮正宗が本尊流布するにあたって邪魔をするのです。今度、それでは
どうなるのかというと、あのような連中が死ぬと、今度は日蓮正宗の中に生まれてくる
のです。そして蓮華寺の僧侶のようになってくるのです」

 戸田会長は本尊流布が進めば、それを邪魔する者が日蓮正宗の中に生まれてくると
鋭く指弾した。実例として「蓮華寺の僧侶」こと、崎尾正道という悪僧を挙げている。
崎尾は昭和30年に「学会員には御本尊を下付しない」「すでに下付した御本尊を返せ」
と通達。御本尊を手段にして学会組織の切り崩しを画策した極悪坊主であった。

 今、崎尾と同じく御本尊の下付を停止した日顕は、その後も日寛上人の御本尊に難癖
をつけて、御本尊を手段にして学会の切り崩しを謀っている。この日顕こそ、日蓮正宗
の中に出現した"仏敵"なのである。この外道坊主・日顕の誕生から退座までの悪行を
簡潔に追ってみた。

336検証会議:2009/12/19(土) 13:18:08
 【日顕の生涯】

○大正11年(1922年)12月19日 東京・向島小梅町165番地で生まれる
(彦坂信夫)

○昭和 3年(1928年) 8月28日 桜井仁道のもとで得度
(信夫を信雄と改名)

○昭和18年(1943年) 4月10日 野坂政子との婚姻届を提出

○昭和22年(1947年) 5月13日 向島・本行寺住職になる

○昭和36年(1961年) 9月 1日 教学部長になる
(「夢のお告げ」を受ける)

○昭和38年(1963年) 3月16日 アメリカへ初の海外出張授戒。ハワイで
トイレに御本尊を置き忘れる

〃    〃     3月20日 シアトル7番街で売春婦とトラブル
(シアトル買春事件)

〃    〃     4月 5日 京都・平安寺住職になる

○昭和52年(1977年)11月22日 常泉寺(東京・墨田区向島)住職になる

○昭和53年(1978年) 4月15日 後に「この日に日達上人から法を内付
された」と詐称する

○昭和54年(1979年) 5月 7日 総監になる

〃    〃     7月22日 管長になる

○昭和55年(1980年) 5月 6日 栃木県鹿沼・仏城寺の入仏式で
「じゃかましい」と信徒を怒鳴る

○昭和61年(1986年)11月22日 東京・赤坂の高級料亭「川崎」で芸者に
囲まれ記念撮影

○平成元年 (1989年) 7月17日 福島市の禅宗の寺に墓を建て法要

○平成2年 (1990年) 7月16日  西片会議(藤本、早瀬、秋元、八木、
河辺、関が出席)で謀議

〃    〃     7月18日 御前会議(西片会議と同じ坊主が出席)で
「C作戦」を謀議

〃    〃     7月21日 名誉会長、会長が目通り。席上、「驕慢謗法だ」
「懲罰にかける」と恫喝

〃    〃     8月29日 教師指導会で綱紀自粛を徹底(直後に伊豆長岡の
超高級温泉旅館で豪遊)

〃    〃    11月20日 名誉会長、会長が目通り。席上、「最近の学会は
破折がない」と発言

〃    〃    12月16日 宗門、話し合いを拒否し、「お尋ね」文書を
一方的に送付

   〃    〃    12月25日 日顕、段勲や高橋公純らとマスコミ工作
などを謀議

   〃    〃    12月27日 宗門、臨時宗会で宗規改変、名誉会長の
総講頭職を罷免

337検証会議:2009/12/19(土) 13:18:31
○平成3年(1991年)  1月 6日 日顕が正本堂の意義を歪める大謗法の
説法、「粥をすすっても」と発言

   〃    〃     3月12日 東京・目黒に日顕の20億円豪邸計画が
発覚

   〃    〃     8月29日 日顕が教師指導会で「頭からカマシて
やれ」と暴言を吐く

   〃    〃    11月 7日 学会に対して「解散勧告書」送付

   〃    〃    11月28日 学会に対して広宣流布の御遺命に逆行する
「破門通告書」送付

○平成5年(1993年)  1月    総坊前などの桜280本を切り倒す

   〃    〃    12月15日 宗門、シアトル事件報道を地裁に提訴

○平成6年(1994年)  1月16日 世田谷の豪邸計画が発覚

   〃    〃     6月 1日 大石寺の遺骨大量不法投棄が発覚

○平成7年(1995年)  8月23日 大客殿の解体を発表

○平成8年(1996年) 11月18日 宗門、文部大臣に学会解散の意見書を
提出(相手にされず)

○平成9年(1997年)  6月18日 今度は渋谷区松濤の豪邸計画が発覚

○平成9年(1997年) 12月22日 シアトル事件裁判で日顕出廷
(翌年2月2日、5月18日も)

○平成10年(1998年) 2月 5日 大御本尊を正本堂から劣悪な奉安殿へ密か
に遷座

○平成10年(1998年) 6月23日 狂気の正本堂解体を強行。日達上人の遺業
を悉く破壊

○平成11年(1999年) 7月 7日 日顕が大御本尊を「偽物」と断じていた
ことが「河辺メモ」で発覚

○平成12年(2000年) 9月    大石寺近くの神社に日顕の本尊が下付
されていたことが発覚

○平成14年(2002年) 1月31日 宗門側が訴えていたシアトル事件の訴えを
取り下げ、学会側全面勝利

○平成15年(2003年) 4月 8日 遺骨大量不法投棄事件、高裁で大石寺が
敗訴。200万円の賠償命令

   〃    〃     7月15日 ニューヨークから帰った日顕が断罪さる。
池田託道氏に対するデマ事件で、最高裁が日顕側の上告を棄却。30万円の支払い命令
判決が確定

   〃    〃     9月 9日 パリから帰った日顕がまた断罪。
シアトル事件をめぐるデマ、最高裁が日顕側の上告を棄却。400万円の支払いを
命じた判決が確定

   〃    〃    12月19日 日顕、81歳の誕生日に断罪。
遺骨大量不法投棄事件、最高裁が大石寺の上告を棄却。遺族に計200万円の支払いを
命じた判決が確定

○平成16年(2004年) 2月24日 芸者写真訴訟、最高裁が上告を棄却。
宗門側の敗訴が確定

○平成17年(2005年) 2月    インドネシア親修から帰った日顕、
約1カ月間、雲隠れ

   〃    〃     3月    赤坂の一等地に阿部政子名義で、
時価約2億の高級マンション18階一室を所有していることが発覚

〃    〃     3月29日 総監の藤本が辞任し、後任に早瀬日如が就任

   〃    〃     5月下旬  世田谷の豪邸を解体、隠居する日顕の邸宅
を新築

   〃    〃    12月 1日 早瀬が学頭に就任

   〃    〃    12月15日 日顕退座。早瀬日如がニセ法主二世となる

338検証会議:2009/12/19(土) 21:00:00
 フェイク 第1077号

 (発行=09.12.18)

 布教も出来ない無能坊主が勢揃い
 新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介(1)
 通夜で棺に足を乗せた悪侶、パチンコ狂も

 日顕宗では十二月四日に開いた臨時宗会で宗規を改正し、十布教区を増やして
四十七布教区の体制にした。去る十一日には新体制での正副支院長会を開催。支院長は
従来、単なる連絡係であったが、ある一定の権限を持たせて各末寺を掌握させ、
折伏推進を図る意向のようである。

 ところが、新たに任命になった十九人をみると、折伏などできない坊主ばかり。以下
に新任の支院長十九人の素顔を紹介する。

 青森布教区 楠牟禮慈宝

 本名は克巳。前川慈肇の弟子として昭三十六年に得度。今回の問題が起こった当初
から時局協議会の文書班に所属し、学会に対する誹謗・攻撃文書を作成していた。
学会員を侮蔑し、坊主仲間と酒を飲みながら、「奴らはチョロイもんだ。『地獄に
堕ちるぞ!』と、一発カマすと、カモがネギしょってやってくる」等と暴言を吐いて
いた。こんな坊主こそが堕地獄である。

 供養集めのため邪教まがいの各種祈祷を行い、御講の席で「就職、受験、病気平癒、
交通安全、安産など何でも祈願します」と盛んに売り込み、集めた供養の金を手に、
坊主頭を帽子で隠し、パチンコ店に入り浸るパチンコ狂でもある。

…………………………

 岩手布教区 山田容済

 昭和三十一年に得度。平成十二年三月に金髪女性との密会事件が発覚し、任地の
スペインから追放された。

 それは同年三月六日、売春婦のいるイタリア・ローマの高級ナイトクラブに入り、
その後、金髪女性と仲むつまじく腕を組み、密会していた現場を目撃されて証拠写真も
撮影された。

 帰国して本山にいたが、シアトルで売春婦とトラブルを起こした日顕が自分と同類の
故か、住職に復帰させ、この度、支院長にまでなった。女性問題には甘い日顕宗らしい
奇妙な人事だ。

…………………………

 静岡東布教区 関戸慈誠

 昭和三十六年に得度。師僧は早瀬日慈(日如の父)。仏法を商売と勘違いしており、
板本尊は二百五十万円、戒名の日号・院号を一文字五十万円で売りつける売僧
(まいす)。浅間神社の氏子にも謗法を破折しないで、板本尊を売り渡していた。

 当初は百五十万円だったが、次第に値を吊り上げて、なかには、三百万円で話を
もちかけられて困っていた檀家もあった。

 因みに仏師(職人)に渡すのは僅か三十万円だということだ。また、戒名の「居士」
や「大姉」は五十万円。院号や日号もそれぞれ五十万円の値をつけて「院・日・居士
(大姉)」ともなれば百五十万円が相場という。

 言葉遣いも荒く、通夜の時に棺の上に足を乗せるなど振る舞いが粗暴なことでも
知られている。

…………………………

 静岡西布教区 早瀬義久

 昭和三十一年に得度。日慈の弟・早瀬義舜の次男で、日如とは従兄弟の関係。
昭和五十四年十一月、愛知・豊川の泰福寺にいた当時、正信会の悪侶らと謀議を
凝らしている間にストーブの火の不始末で火事になり、本堂の板御本尊も焼失した。

 地元の男子部がいち早く駆け付けて消火。だが、義久は男子部員の放火だと濡れ衣を
着せようとした極悪坊主。警察と消防署で調べた結果、坊主の火の不始末が原因と判明
した。

339検証会議:2009/12/19(土) 21:00:38
 フェイク 第1078号

 (発行=09.12.19)

 拝金主義者や好色坊主ばかり
 新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介(2)
 「いなり寿司は謗法だ」と怒鳴った佐々木慈啓

 前号に続いて新任の支院長の素顔を紹介する。

 愛知東布教区 三畝忍道

 昭和三十五年の得度。所化時代に愛媛の妙源寺に在勤していたが、当時から好色坊主
で御講でも好みの女性を物色しては声をかけ、住所と電話番号を聞きだす。

 まさか坊主の遊びが目的だとは思いもしないから素直に教えると、その日のうちに
電話を掛け、一時間も二時間も下品で卑猥な話をしていた。信心がないばかりか、品格
や良識の欠片もない。その後、福井の宝珠寺に住職として赴任したが、余りにも派手な
女性関係のため、日達法主から厳しく叱責され、半年足らずで本山近くの蓮成寺に
移された。更に僧階を降格されて寺の墓番をしていた。「飲む・打つ・買う」の
堕落坊主を住職に復帰させたのは色魔の日顕である。

…………………………

 愛知西布教区 佐々木慈啓

 大酒飲みの拝金主義者。言動がころころ変わるため「カメレオン僧」とか
「怪人二十面僧」との異名をもつ。御書に疎く学会幹部に「六巻抄は、御書のどこに
あるの?」と質問。また、ある法要の席で故人の好物であった「いなり寿司」がお供え
してあったが、それを見た佐々木は凄い剣幕で「いなり寿司は稲荷の謗法だから直ぐに
下ろせ!」と指示した程の狂いよう。

 更に、ある婦人が法要のため書類に戒名を書き込むと、佐々木は一年前に自分が
つけた戒名なのに「これは邪宗の戒名だね。書き直さんといかんね」と言ったことも
ある。塔婆に関するトラブルは多い。

…………………………

 三重布教区 福家重道

 昭和三十五年の得度。平成二年十一月十六日の本部幹部会での池田名誉会長の
スピーチについて、宗門はその反訳を捏造して難癖をつけてきたが、この悪業に
携わった悪侶の一人だ。

 葬儀に遅刻し、居眠りをして勤行を間違え、祭壇に掲げてある故人の遺徳を顕彰する
「名誉称号」を顎でしゃくりながら外させたこともある。塔婆は多い程よいと強要、妻
や知人に塔婆書きの内職をさせていた。

…………………………

 北近畿布教区 宗像高道

 本名は雅行、昭和四十二年の得度。非情な冷血坊主で学会員を騙して脱会させて
おきながら「学会を脱会して寺に来るのはロクな奴はいない」と愚弄していた。

 追善の功徳は死者に三分、生者に七分という珍妙な論理で塔婆供養を強要。葬儀の場
で「故人は成仏していない。四十九日まで七日ごとに寺に来て塔婆供養すれば成仏
する」と人の悲しみにつけ入った悪質な手口で供養を集める強欲坊主だ。

…………………………

 京都布教区 高野法雄

 昭和二十六年の得度。大酒飲みの遊び人。大阪では北新地の高級クラブの常連で、
ポケットに百万を超える札束を入れ、高級ブランデーをガブ飲みしていた。

 御書部分論の邪義を唱え「御書は重要ではあるが、大聖人の法門の一切が網羅された
ものではない」と言い、法主に信伏随従することを強調していた。

 お盆や彼岸で受け付けた塔婆の半分程しか立てず、カラ塔婆で純粋な信徒を騙して
荒稼ぎ。昨年、椎名日澄の死後、平安寺に入ったが、地元の法華講員からも信頼されて
いない。

340検証会議:2009/12/21(月) 21:51:01
 フェイク 第1079号

 (発行=09.12.20)

 日顕は特注食器、信徒は石畳で待機
 新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介③
 柳坂幹道「住職が飼う犬・猫より信徒は下」

 日顕宗の新任の支院長は、折伏も説法も不得手、御書に疎く、信仰心も常識も品格
ない悪僧が揃っている。

 本号でも引き続き、その素顔を紹介する。

 大阪北布教区 柳坂幹道

 本名は幸秀、昭和三十七年の臨時得度。「人間には身分の違いがある。一番上が
法主、次に住職、住職の家族、その次が住職の飼っているイヌ・ネコ、一番下は信徒」
と、富山で明言したことがある。

 こんなクソ坊主に供養する法華講員が哀れだ。

 柳坂が富山・妙顕寺の住職として昭和五十五年九月、日顕を迎えた時、接待用の
食器は、おしぼり受けだけで十数種類もあり、九谷焼の湯飲み茶碗と輪島塗のお椀は
特別注文だった。

 この時、信徒代表は庭の石畳の上に板を敷き、回りをビニールシートで囲んだ中で
待機させられていた。余りにも露骨な差別である。

 その時の接待が日顕は余程、気に入ったのか、翌年、柳坂は本山に栄転した。

…………………………

 大阪南布教区 近山信澄

 これまで福徳寺、妙喜寺、法住寺と渡り歩いたが、行く先々で手を変え、品を変えて
信徒から供養を収奪する守銭奴坊主である。

 信徒には「墓石に刻む題目の染筆料の三万円は本山に納める」と嘘つき、依頼のある
度に、何度もコピーをして使って染筆料を着服していた。

 塔婆は風もないのにヒラッ、ヒラッと曲がるまで削っていた。

…………………………

 北中国布教区 角石永道

 昭和三十一年一月生まれ、本名は和久。同四十二年に得度。常在寺の信徒の出身で
二年前に大僧都になった。宗内の反応は「えっ、あいつが支院長か?」と一様に驚き
の声。今の宗門には、いかに人材がいないかを物語る人事である。

…………………………

 岡山布教区 菅原信了

 昭和三十年に得度。悪辣な日顕の飼い犬で、生意気な坊主である。京都にいた頃、
法華講の組織は分裂寸前の状態だった。その指導力のなさ、無能ぶりは宗内でも有名に
なっている。

 「信者は御書なんか分からなくていい。お寺に御供養を持って来れば、それで
いいんだ」

 「今、お寺に付いている者はカスばかりで、迷惑している」などの暴言を吐いたこと
もある。

…………………………

 広島布教区 原山元征

 青山諦量の徒弟で昭和二十九年に得度。日顕に似た色魔でロリコン坊主。寺の茶室で
女子高生にいたずらしたセクハラ坊主である。

 茶室で若い女性と二人きりになった原山は「目を閉じてごらん」と囁き、素直に目を
閉じた女性の両肩を掴み、頬を擦り寄せてきた。

 驚いた女性は原山の手を払いのけて逃げ出した。
 ゴルフ、ボウリング、酒、金、女性と遊興三昧の生活に染まっている。

…………………………

 山口布教区 今福永明

 高野日海の徒弟。ある家の主人が、一時的な感情から御本尊を寺へ返納した。その
直後、娘さんが寺に駆け付けると、今福は「ああ、これかね」と言って、屑箱から
御本尊を取り出した。

 葬儀等では御供養、お車代、お膳料と三点セットで出させるのが、悪辣な今福流の
集金術である。

341検証会議:2009/12/21(月) 21:51:30
 フェイク 第1080号

 (発行=09.12.21)

 嫌われる「葬式仏教」の日顕宗
 新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介④
 「供養は祭壇の値段以上が必要」と遺族を脅す

 日顕宗の新任支院長を本紙第一〇七七・一〇七八・一〇七九号で紹介して以来、多く
の声が寄せられている。「こんなに酷い坊主がいるとは驚いた」等の怒りの声や
「もっと詳しく知りたい」との要望も多い。詳細は追って報じるが、本号は素顔紹介の
最終回。宗門は坊主の四〜五人に一人が正副支院長の奇妙な体制になった。

…………………………

 福岡東布教区 近藤謙導

 田中教導の弟子。マージャン狂で、その点を指摘されて「私も人間だから、
マージャンぐらいはやりますよ」と開き直ったことがあり「反省もしない、サルより
レベルが低い最悪坊主」と言われている。

 また、お金に関する亡者ぶりは有名になっている。

 例えば、寺での法事の折、未入信の親戚が喪主家への香典として仏前に
供(そな)えておいたお金を、近藤が勝手に持ち去ってしまったことがある。泥棒で
ある。

 親戚の人が「日蓮正宗は仏様にお供えしたもんは、みんな坊主が取るのか」と
呆(あき)れていた。

…………………………

 福岡西布教区 岩城永学

 高野永済(日海)の徒弟。日顕に「御本尊下付の停止」を進言した張本人。
 日顕の「かまし発言」で有名になった、あの全国教師指導会で「学会員に御本尊様を
下付しなくなってもいいということになりましたら本当に有り難いことだと
思います」と、日顕に言上した。

 その直後から、岩城は学会員という理由だけで、御本尊下付を拒否した。御本尊を
自分に隷属させる道具に使った卑劣な坊主である。

…………………………

 熊本布教区 黒沢糾道

 本名は之博。神奈川県横須賀市・法照寺の信徒出身。かつて台湾の本興院主管
だった頃、黒沢らが現地の法華講の家を回って「葬儀には必ず僧侶を呼ぶように」
「塔婆をしっかり立てるように」と恫喝まがいの台詞を吐いて嫌われていた。

 その真の狙いが金儲けにあったことは明白である。

 台湾社会では、葬儀には道教の道士を呼ぶというのが一般的な習俗で仏教の僧侶を
葬儀に招くことは殆どない。まして塔婆を立てる慣習は全くない。

 むしろ、仏教の僧侶に対する台湾の一般的認識は、肉食妻帯をしないことは当然、
仏道修行に励むというもので、修行もせずに遊蕩に明け暮れる日顕宗などが出る幕は
全くないのだ。

 黒沢ら坊主は金儲けだけに執着して、世界広布など念頭にない。黒沢が熊本に来て
三年余、葬式仏教は地域の人に敬遠されている。

…………………………

 大分布教区 斎藤善道

 細井精道(日達)の徒弟。保身のためなら平然と裏切る畜生坊主である。供養の
集め方は凄まじく、お通夜の導師を頼むと、返事の前に「供養を包まない所に
行ったら、我が宗の謗法になる」「御供養しない通夜は法を下げる」と遺族を脅し、
「供養は祭壇の値段以上はするものだ。祭壇が五十万円なら供養はそれ以上だ」と催促
する強欲ぶりの収奪魔でもある。

 しかも、葬儀では遅刻の常習犯で、以前、葬儀場に参列者を待たせたうえ、御本尊を
忘れて遅刻してきた。

 こんな坊主の風上にも置けないクソ坊主が支院長では前途は真っ暗だ。

342検証会議:2009/12/22(火) 23:04:00
 越 洋

 平成21年12月23日

 ニセ法主早瀬日如の登座以降、宗内に火災が相次いでいる。平成18年8月12日
午後3時半頃、「逆さ杉」は落雷と同時に発火、豪雨にもかかわらず猛烈な勢いで火は
燃え上がり、黒煙が奉安堂一帯を覆い尽くして、本山周辺は一時騒然となった。

 今年に入ってからは、立て続けに発生している。8月28日午後、大石寺境内の
駐車場で車10台が、炎上。次いで、ワシントンDCの妙宣寺(村田雄瑞)では
現地時間10月11日正午(日本時間12日午前2時)頃、お会式の最中に出火。
100人近い消防士が消火にあたり、数十分後に鎮火したが、寺は使用できない程の
大被害を受けた。更に11月15日午後、閉鎖されていた総坊売店の店舗から黒煙が
噴出。軒を連ねる8軒の売店に延焼して約250平方メートルを焼き尽くした。

 日顕が「雨坊主」と呼ばれたのに対し、日如が「火災坊主」と言われる所以である。

 この日如の従兄弟・早瀬義舜の次男である早瀬義久(浜松・正説寺)は、この度、
静岡西布教区の宗務支院長になったが、昭和54年11月、前任地の愛知・豊川で
泰福寺を全焼させ、板本尊を焼失させた過去がある。義久が高知県の開教寺にいた
当時、正信会で活動し脱会者作りを行っていたが、泰福寺に赴任してからも、
脱会者作りに熱心だった。ところが、昭和54年11月、義久が悪侶らと泰福寺で
学会攻撃の謀議を凝らしていた際、ストーブの火の不始末で火事を起こした。寺は
全焼、本堂の板本尊も焼失した。義久らは酒も入っていたようで、気がついた時は
かなり火が回っていた。

 地元の男子部員がいち早く駆け付け、必死に消火を手伝ったが、義久はオロオロする
ばかり。揚げ句の果てに、男子部員の放火だと、濡れ衣を着せようとした。消防署と
警察が徹底的に火事の原因を究明、義久らの火の不始末が原因だと判明した。自分の
不始末を棚に上げて男子部員の放火とは、ふざけた言い掛かりだ。この時、信徒から
預かっていた遺骨も焼けて、百五十体程は、誰の遺骨か不明になった。遺族の中には、
肉親の遺骨が見つからず、今も悲しみを忘れられない方が多い。義久は遺族に満足な
謝罪もせず、浜松に移り、このほど宗務支院長になったが、無責任極まる最低の坊主で
ある。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000808.jpg

343検証会議:2009/12/24(木) 23:35:11
 フェイク 第1081号

 (発行=09.12.23)

 「慧妙」と法教院が日蓮正宗の病巣
 花野充道博士、新・同人誌で日顕を罵倒㊤
 「日顕の学問弾圧の非道を永く後世に語り継ごう」

 日蓮正宗の僧籍を離れた花野充道博士が代表となり、このほど同人誌
「法華仏教研究」を創刊した。発起人、執筆陣からは同博士の幅広い人脈が伺え、
創刊号には興味深い論文などが満載されている。特に注目されるのは花野博士の
「編集後記」に代えての「日蓮教団における学問の現状と課題」。

 前半は発刊に至る経緯を述べ、後半は「『フェイク』と題する謀略文書」との見出し
を立て、本紙について言及。その中で日顕、及びその意向を受けて発行する「慧妙」を
一刀両断している。

 少々長くなるが、花野博士に本紙一〇六七号を全文、紹介してもらったので、その
返礼として本紙では同博士の文を抜粋して紹介する。

 まず「慧妙」に関して同博士は「その内容を恥ずかしく思っている日蓮正宗の僧俗も
多い」と記して「慧妙」の泣き所を鋭く突いている。その箇所を引用する。

 「(『慧妙』が有罪判決を受けた時)他教団なら直ちに編集者が責任をとって辞職
するであろうが、名前だけの発行者はいても、その実態は闇の中であり、責任の所在も
不明であるから、結局、誰も、何の責任もとらなかった。『慧妙』に携わっている
十数人の僧俗が、熱海で飲み食いをしていたことが発覚し、宗務院から注意を受けた
ことがあるから、そのメンバーについて宗務院は把握しているようである。しかし
バックに日顕上人がひかえているから、一種の治外法権で、何をやっても、誰も見て
見ぬふりをせざるを得ないのが現状である。教学部も、宗内あらゆる出版物を細かく
チェックしているのに『慧妙』については全く何もしない。このような理不尽が
まかり通っていても、権威権力を恐れて、誰も何も言わないのが、今の日蓮正宗で
ある」

 「勇気のある議員が宗会で質問したところ、某宗務役員から『廃刊も含めて検討
する』という言質をもらったそうである。しかし結局は、その後、何のお咎めもなく、
また読者への謝罪もなく、そのまま刊行が続いている」

 この後、花野博士が以前、携わっていた「慧燈」と「道心」が廃刊に追い込まれた
無念さを述べて「購読料や支払いの清算等々、二度にわたる残務整理がどれほど大変
だったか、命令を下しただけの日顕上人にはわからないであろう」と、日顕に怒りを
ぶつけて「日顕上人による学問・思想弾圧の非道は、永く後世に語り継がれていくで
あろう」と結んでいる。

 日顕に対する花野博士の恨み節は続く。「私の師匠であった日達上人は、一般大学に
行って学問をすることを許された。ところが次の日顕上人は、謗法の立正大学で学ぶ
ことは弊害が大きいとして禁止し、私塾(法教院)を作って、すべての学生をそこに
通わせるように指示された。社会から隔絶され、私塾で純粋培養された僧侶の中には、
私が一般(早稲田)大学で博士号を取得するや、『日顕上人の御指南に異議を唱える
花野は、擯斥処分にしてしまえ』と叫んだ者がいる、と聞いている。日蓮正宗の
独善性・閉鎖性、ここに極まれり、と言うべきであろう。このままいくと、数十年後
には、日蓮正宗の僧侶は全員が高校卒ということになってしまう」

 (つづく)

344検証会議:2009/12/28(月) 04:20:48
 フェイク 第1082号

 (発行=09.12.25)

 「井の中の蛙の親分が大威張り」
 花野充道博士、新・同人誌で日顕を罵倒㊦
 宗門を衰微させた日顕は宗祖から叱責

 花野充道博士が「法華仏教研究」の中で日顕を糾弾している箇所を前号に引き続いて
紹介しよう。

 「日顕上人が、立正大学は謗法の大学だから行かせない、と言うのであれば、
早稲田大学や東洋大学であれば許されるのであろうか。『謗法の大学だから』という
のは口実であって、実は学歴コンプレックス、嫉妬による苛めである、と陰口されて
いるのに、気づいていないのは御本人と取り巻きの宗務役員だけである」

 「自分の親と同じ慶応大学に行きたいとして、慶応大学を受験した学生が還俗
させられた、ということも聞いている。まことに時代錯誤というか、『大海を謗法で
あると批判して、井の中で蛙の親分が大威張り』といった光景である。裸の王様に
向かって正直に『裸』と叫べば、それだけで処罰されるのが、現在の日蓮正宗である」

 「『学問をする奴は信心がない』などと言われて、信伏随従の盲信盲目者が優遇
されるから、段々と僧侶の質の低下が深刻な問題になってきている。そのくせ教義的
には、僧侶主導の『僧俗師弟義』を振りかざしているのであるから、それで布教が進む
ことは絶対にない、と私は確信している。遅かれ早かれ、私塾の限界が行き着くところ
まで行った時に、やはり普通の大学に行かせて、世間に通用する学問を学ぶべきで
ある、という意見を受け入れざるを得なくなる、と思っている」

 「日蓮正宗はこのままいくと高卒だけの宗団になってしまうのだから、衰微すること
は必定である。そしてその責任は、すべて日顕上人に帰せられるであろう。日蓮正宗を
衰微せしめた法主として、日蓮聖人から厳しく叱責されることは疑いない。」

 「信徒に向かって、折伏を『やれ』『やれ』と号令をかけているだけでは、布教は
進まないという現実を思い知らされた時、日顕上人の私塾路線は変更せざるを得なく
なる。世間に法を弘めるためには、世間の学問を修して、世間に通用する人材を育成
しなければならない」

 「ただ滑稽なのは、世間の学問を否定して、独善的な閉鎖主義をとっていながら、
日蓮正宗の本を古書店の東陽堂が置いてくれた、と言って喜んでいる矛盾に気づいて
いないことである。そんなことで喜ぶくらいなら、全国の書店に並ぶほどの本を
書ける(世間に通用する)人材をどうして育成しようとしないのか。日顕上人の
権威権力を恐れて、誰も何も言わないが、一度、無記名で日蓮正宗の僧侶全員から
アンケートをとってみたらどうであろう。無責任な信伏随従の指示待ち僧侶が増えて
いることは事実である…」

 「日達上人と日顕上人との間に、学問に対する全く異なった方針が示されている
ことも、相承疑惑の根拠の一つに数えられているが、日達上人の了解のもとに科学的・
実証的な学問をしてきた者にとって、法主が変わった途端に、正反対の指南をされたの
ではたまったものではない」

 以上、花野博士の「編集後記に代えて」を抜粋して紹介した。内容は同博士の持論を
展開したものだが、日蓮正宗の僧俗にも同人誌の一読を勧めたい。

345検証会議:2009/12/29(火) 21:20:48
 大石寺短信 第476号

 平成21年12月25日(金)

 日顕宗の動き

 1.大支院長、支院長人事が発表

 先ごろ、これまで38あった布教区が48に細分化されたことに伴い、大布教区の
大支院長、布教区の支院長の人事が発表された。

 それによると、大支院長は、中部大布教区で有川岳道(静岡・妙盛寺)から
佐々木慈啓(愛知・玉泉寺)に、中国大布教区は原山元征(広島・興福寺)から
菅原信了(岡山・妙霑寺)に交替し、原山は副大支院長に降りた。

 新たな支院長には、青森布教区が楠牟禮慈宝(青森・玄中寺)に、岩手が山田容済
(岩手・感恩寺)、静岡東が関戸慈誠(静岡・蓮興寺)、静岡西が早瀬義久
(静岡・正説寺)、愛知東が三畝忍道(愛知・正啓寺)、愛知西が佐々木慈啓、三重が
福家重道(三重・普見寺)、北近畿が宗像高道(滋賀・本地寺)、京都が高野法雄
(京都・平安寺)、大阪北が柳坂幹道(大阪・聖教寺)、大阪南が近山信澄
(大阪・法住寺)、鳥取・島根の北中国が角石永道(島根・法久院)、岡山が
菅原信了、広島が原山元征、山口が今福永明(山口・妙宝寺)、福岡東が近藤謙導
(福岡・普遍寺)、福岡西が岩城永学(福岡・立正寺)、熊本が黒沢糾道
(熊本・眞法寺)、大分が斎藤善道(大分・本土寺)となった。

 今回、布教区を細分化した日如の狙いは、これまでただの「連絡係」に過ぎなかった
大支院長、支院長により大きな権限を与え、布教の拡大を図ろうというもの。しかし、
この人事の顔ぶれを見る限り、その目論見は早くも破綻したと言えよう。というのも、
「大白法」11月16日号に、本年の折伏目標を達成したという寺の一覧が出ているが、
新たに任命になった支院長19人のうち、名前が確認できるのはたったの1人。力の無い
支院長にいくら権限を持たせたところで、成果は期待できまい。

 2.年末年始の法華講の訪問に注意

 本年も予想通りの惨敗に終わった日顕宗の折伏。しかし今後、荒唐無稽とはいえ、
「平成33年までに80万法華講の達成」「平成27年までに法華講員50%増」なる「目標」
が掲げられている手前、さらなる折伏のハッパがかけられ、なりふり構わぬ学会員への
勧誘が行われていくことが予想される。

 「大白法」12月16日号も、日如の次のような言葉を載せて、あおっている。「来年、
新年度を迎えてから『やるぞ』という考えは、とかく寒苦鳥になってしまいますので、
戦いを先送りしないで、今日から直ちに誓願達成へ向けて行動を起こすことが、
目標達成のためには必要であります」

 年末年始、独り暮らしの高齢者宅、回忌法要を控えた家などに、坊主・法華講員が
新年勤行会や法要の勧誘にやって来る可能性もあるので、警戒してまいりたい。

 3.1月の予定

   1日(金) 新年勤行会(本山、末寺。寺によっては2・3日の開催も)
   10日(日) 御講(末寺)

346検証会議:2009/12/31(木) 22:35:58
 越 洋

 平成21年12月27日

 日顕が姑息にも平成2年(1990年)12月27日、臨時宗会で宗規改変、名誉会長の
総講頭職を罷免してから今年で19年を迎える。

 「C作戦」は、日顕自らやったと白状しているが、その事実は「河辺メモ」でみんな
知っている。

 総講頭罷免の翌年、正月早々の1月2日、福田毅道がSGIに「私信」と称して
FAXを送信。

 「私はSGIに宣戦布告いたします」という狂乱気味の文面に「C作戦」に関する
記述があり、「C作戦」の存在を世間に知らしめる結果となった。

 小川只道は、福田のFAXについて、"あれは福田君のスタンド・プレーだよ"、
"今なら問題ないが、宗内で誰も知らない段階で出すのはいけない"と、「C作戦」が
実在したことを前提に話をしていた。

 福田は「C作戦」を漏洩(ろうえい)させ、そのうえ、アメリカSGIの離反工作
にも失敗したとして解任。翌年には滋賀・本地寺に左遷された福田は、
平成11年7月5日には住職を解任され、今では宗門から捨て扶持を貰って、北海道・
小樽の実家で細々と生きている。

 平成3年1月6日の教師指導会で日顕は「『所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき
身にて候』私はもうこの御文を拝したときに涙がですね……(嗚咽)粥をすすっても…
…」と、全国の住職・寺族を前に泣き真似までして狡猾に騙した。

 この事件以降、誰が信心の素晴らしさを実感しているのか?

 今年に入って、大村と尾林は、日顕に散々利用された揚げ句、悲惨な死を遂げた。
結局、粥をすすっているのは、日顕に使い捨てにされた福田、それに地方の住職・寺族
である。

 日顕一族らは贅沢三昧、こんな暴挙が放置されていてよいのか。絶対に許しては
ならない!

347検証会議:2010/01/05(火) 19:05:27
 フェイク 第1083号

 (発行=10.01.04)

 原島昭は虚言症に加え妄想癖も
 「慧妙」新年号に原島昭が的外れな珍論㊤
 邪推で書いたデタラメ記事で墓穴掘る

 退転した原島昭が妙観講らの作る「慧妙」に的外れな駄文を連載している。
 この昭とは、あの酒乱の窃盗犯・原島嵩(故人)の実兄である。一月一日付「慧妙」
では「続・学会系怪文書『フェイク』の欺瞞を嗤う」との見出しをつけ、本紙に対して
大仰に反論することによって、己の虚言症を覆い隠そうとヒステリックに書いている。
その内容は「ポルノ」や「ヌード写真」について珍論を述べているだけのスリカエ記事
である。

 原島は昨年十一月一日付の「慧妙」で「ポルノ雑誌『ルビー』を池田青年が編集して
いた」と読者に勘違いさせることを狙って陰湿なデタラメを書いていた。

 その間違いを本紙が指摘し、「ルビー」を編集していたのは坊主に成り下がった
矢島周平だったと教えてあげた。すると、昭は話をすり替えて「慧妙」一日付では
(池田青年達も)編集に協力していた等と言いだす始末。原島は虚言症に加えて妄想癖も
あるようだ。

 昭が書く内容は、夢遊病者のような虚ろな目で背を丸めて歩く鬱(うつ)病患者の戯言
だと思って、これまでは手加減しながら間違い個所を修正してあげた。

 だが、話を狡猾に逸らして本紙を非難し「歴史改竄(かいざん)」「欺瞞」「卑怯」
「偽証の詐術」等々と誹謗するなど極めて質の悪い言い掛かりをつけてきた。

 そこで再度、昭の間違いを振り返ることにする。

 昭が最初に書いていた間違いを端的に言うと「(戸田氏が創刊した『ルビー』は)
グラビア写真と本文がヌード写真で占められていた」「池田氏編集の二雑誌は廃刊に
なった」と記していた点だ。昭は「池田氏編集の二雑誌」が「冒険少年」と「ルビー」
を指すと思わせるような悪意の書き方で、しかも、挿絵を「ヌード写真」と偽る
ふざけた男だ。

 昭の駄文を信じる愚か者がいると不憫なので、その間違いを本紙で指摘してあげた
が、昭は訂正しないばかりか、「慧妙」新年号で「(編集は)互いに協力し合っていた
ことは容易に察しがつきます」「(ルビーを)手に取って眺めたり読んだりしたこと
でしょう」と書いている。これも昭の邪推、妄想にすぎない。

 原島家が「ルビー」を販売

 三十年以上も前の一つのエピソードを紹介する。ある図書館で「冒険少年」
「少年日本」を手にして懐かしそうにページをめくっていた池田会長に、昔の詳しい
事情を知らない幹部が「ここに『ルビー』もあります」と差し出した。しかし、同会長
は「ルビー」の表紙を一瞥して「それは矢島が作っていたんだ」と一言。手に取る様子
もなかった。

 また昭は「大白蓮華」に「冒険少年」「ルビー」の広告が載っていたのを批判材料
に、池田編集長が広告を載せたとか「戸田氏の商魂が透けて見えてきます」と述べて
いるが、その「ルビー」等を販売していたのは昭よ、お前の両親だ。

 当時、水道橋駅のホームに並んでいる広告の片隅に「少年日本」の広告を見つけて
「胸が熱くなった」と言う池田編集長に広告を出すことは出来なかったのだ。

 雑誌が売れないから「大白蓮華」にも広告を出すよう工夫したのは原島の両親で
あろう。

 (つづく)

348検証会議:2010/01/06(水) 01:19:43
 フェイク 第1084号

 (発行=10.01.05)

 反逆者の愚弟・嵩に輪をかけた愚兄
 「慧妙」新年号に原島昭が的外れな珍論㊦
 憶測で書いた間違い記事を訂正し謝罪せよ!

 虚言症と妄想癖の原島昭は「慧妙」新年号に、本紙が「『ルビー』に関しては、
いたくトーンダウンさせてしまった」と書いているが、笑止千万。本紙はダウンも
アップもさせてはいない。もともと変質者の矢島が編集していた「ルビー」に関心は
なく、事実をありのままに記して原島昭の間違いを修正したにすぎない。

 昭は話を逸らさず、「『ルビー』の編集を池田青年と思わせる記述は撤回します。
またヌード写真というのは記憶違いで挿絵でした」と訂正せよ。

 特に、昭の母・精子に戸田会長が謝罪して「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を
回復させたというのは真っ赤なウソでした」と潔く訂正し、読者に謝罪するのが筋で
ある。

 更に、昭は本紙が「私の母や弟の悪口中傷を乱発し続けている」と泣き言を並べて
いるが、本紙が書いたのは悪口や中傷ではない。

 昭の母・精子は役職解任と謹慎処分になったが、それは「派閥作り」を画策したから
だったという理由を明かしたまでだ。

 そして昭の弟・嵩が死ぬ前に入っていた東京・西多摩の介護老人保健施設で婦人の
部屋に忍び込み、女性用の「おしっこパット」を盗んで注意され、女性トイレに素足の
まま潜んでいた等々の窃盗や変態行為は真相の一端を教えてあげたに過ぎず、悪口中傷
ではない。

 しかも、ここに記した嵩の醜聞は、ごく一部でセクハラや痴漢、万引き等々、
恥ずかしくて書けない悪辣な行為が他にも山ほどある。

 昭が本紙の記事を捏造だ、偽証だと非難し続けるのであれば、本当に捏造なのか
どうか、数々の証言を揃えて、それらを全て公表することになるが、それでも良い
のか?昭は身勝手な憶測でデタラメな文を書いて広布の団体に傷をつけようと躍起に
なっているが、反逆者の実弟・嵩と瓜二つだ。

 矢島は再起不能で得度

 次に、昭は「ルビー」を編集していた矢島について、辞意を伝えた戸田理事長が後任
に指名したのは忠実な部下だったからだというが、これも昭の推測でしかない。

 矢島は変節漢で抜け目がなく、老獪だった。理事長になったといっても戸田会長就任
までの暫定である。戸田理事長から矢島に正式に理事長職がバトンタッチされたのは
昭和二十五年十一月で、約半年後の同二十六年五月、戸田二代会長が就任した時、矢島
は指導監査部長に更迭され、その約四ヶ月後には、この役職も辞任した。

 翌二十七年四月二十日の聖教新聞には「指導方針が真実の大聖人様の教からはずれた
ため、大きな錯誤を学会員の指導及び自己の生活に暴露したのである」という記事が
掲載された。

 二十八年六月一日付の同新聞にも矢島に触れて「事業に失敗し、以後しばらく学会
より離れていたが、昨年一度再起せんとして果さず」と記されており、再起不能のため
同年八月に得度。学会寄進の正因寺に入ったが、第一次宗門事件の際、週刊誌で
歴代会長を誹謗し、正信会に走り、同五十七年六月に死去。この男が「ルビー」を編集
していた。昭が学会に籍を置いていた頃から批判的だったのと同様、矢島の信心も不純
だった。

349代理人:2010/01/13(水) 14:43:18
フェイク 第1085号
 
 (発行=10.01.11)

どちらが日蓮正宗の公式見解か?
日顕の幽霊存在説を妙観講の「暁鐘」が否定
各末寺には連絡先も分からない幽霊講員が多数

 日顕といえば御書より幽霊・霊魂の話の方が得意で、過去に夏期講習会、行学講習会、各種法要で、その存在を力説してきた。しかも、幽霊について語る時の日顕は身を乗り出し、旧友を懐かしむような表情になる。

 ところが、妙観講発行の「暁鐘」平成二十二年一月号には、日顕の「幽霊・霊魂存在説」に異論を唱える内容を掲載しており、日顕と妙観講の仲に亀裂が入る可能性もある。日顕の影響力が弱まったとみた大草一男が増長してきた感もある。「暁鐘」の内容を紹介する前に、日顕の代表的な説法を振り返ることにする。

 「幽霊はいると思う。ワシが本行寺の住職をしていたとき、(ある信徒が)『息子に幽霊が馬乗りになっている』というのを聞いたことがある」(昭和六十三年の行学講習会)

 「通力のある人は『ここに何かいるな、アッ、これは鬼だな』とか、あの『幽霊だ』『これは前に男に捨てられて、子供産んで、子供と一緒に死んだ人の霊がここにいるな』とかね、通力のある人には、よく分かるんです」(平成九年七月三十一日の夏期講習会)

 「やっぱり霊能者っていうのがいるんです」「(霊能が)事実、当たってんです」(平成十七年八月二十六日の教師講習会・閉講式)

「幽霊を見たことがある人を知っている」(平成十六年十二月二十三日、埼玉県の妙本寺記念法要)

 このように日顕の幽霊話は枚挙に暇がないほどだか、「暁鐘」一月号の「質疑応答」欄で「幽霊や霊魂を見たという話を聞くことがありますが、これは、どういうことなのでしょうか」との質問を設定。その回答として日顕説を否定している。

 「(仏法では)幽霊や霊魂の存在を認めているわけではありません」「幽霊や霊魂のような実体が本当に存在しているのなら、物質的な側面を持っていようと、いまいと、今日の科学で必ず観測できるはずなのです。だから、そのような存在はあり得ない、ということになります」

 「暁鐘」は幽霊の存在を否定、日顕は「幽霊はいる」と言う。さて、どちらが日蓮正宗の見解なのか?

 「暁鐘」と同じく妙観講が作っている「慧妙」について、平成六年五月に発行された同人誌「道心」で花野充道博士(当時は兵庫・浄福寺住職)が次のように痛烈に批判していた。

 「その論に誰が責任を持つのか。執筆者の責任か、発行者の責任か、法主の監修のもとに書かれた論か、教学部の公式見解か、宗門の公式見解か、あくまで個人の私見か」

 この度の「暁鐘」の記事も教学部の公式見解か、宗門の公式見解か、それとも大草一男の我見なのか?

 「暁鐘」は幽霊を感じることはあるというような逃げ口上を一応、書いてはいるが、日顕は明確に幽霊と霊魂の存在を肯定している。

 この幽霊の存在の有無は、日顕と「暁鐘」誌の今後の対論に任せるとして、各末寺には名前だけで連絡先も分からない幽霊講員が多数、いることだけは確かだ。

 また最新版の「宗教年鑑」(平成二〇年版)によると、日蓮正宗の信者数は三十九万六千人と記載されているが、実際は十万人もいないから、約三十万人もの幽霊講員がいることになる。

350検証会議:2010/01/15(金) 16:06:29
 石山だより

 平成二十二年一月八日

 立宗七百五十八年「広布前進の年」が明けた。昨年の無謀な登山、折伏、供養の
影響で法華講員は疲弊し、今年の大石寺での元旦勤行の参加者は大幅に減少し、
陰々滅々(いんいんめつめつ)の幕開けだった。内事部の二人のヒソヒソ話。

 A房 顕チャンは去年の十二月から本山行事をサボっているが、かなり体が衰弱して
いるという噂は本当のようだな。

 Y房 何でも顕チャンは肋骨を痛めているようだ。あの老齢で糖尿病だから骨も相当
脆(もろ)くなっているだろう。痛めているというよりも骨折しているのかも
しれないよ。

 A房 あの年で骨折したら完治しないな。さまざまな噂が飛び交っているのを本人は
凄く気にしている様子だよ。去年の十二月末、どっかに出かけたようだが、よっぽど噂
を気にしていたんだな。「俺は元気だ!」と虚勢を張って見たかったのだろう。

 Y房 本当に見栄っ張りだな。だから、丑寅には全然、顔を見せないくせに、唱題行
には無理して出て来て健在ぶりを示しているのだろう。全国の教師の初登山(六日)の
際、客殿で寛チャンの目通りの後、顕チャンが自分の弟子だけを残して、改めて目通り
をして、短い話をしていたが、顔や首筋の皺(しわ)が増えて、話し方も弱々しかった
し、歩く姿も足腰が弱っているのを誤魔化せなかったな。

 A房 そうだな。だいたい唱題行には来ても座っているだけで、声を出しているのか
どうかも分からないし。

 Y房 信者の供養を湯水のように使って、何十年間も遊び放題、贅沢と遊蕩の限りを
尽くしたんだから、もう思い残すこともないと思うが……。

 A房 まだまだ、この世に未練があるんだろうか?

 Y房 欲深いからまだ遊ぶつもりなのかな?

 A房 いや、そんな体力はもうないよ。最大の関心事は "寛チャンが誰に譲るのか?"
ということだろう。それが心配で死んでも死にきれない、というところか。

(百年に一度の不況、日本では一年に三万人の自殺者、世界では八億五千万人が飢餓で
苦しみ、一年間に六千万人が亡くなっている。「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ
日蓮一人の苦なるべし」との御金言を何処の誰が実践しているのか?少なくとも
顕チャンが世のため、人のために何をやったのか一向に思いつかない。
一閻浮提広令流布の御遺命を誰が実現してきたのか?宗内の坊さんは "慈悲"という
言葉を簡単に使うが、その心は皆無だ。内事部鼠)

351代理人:2010/01/17(日) 19:56:02
越 洋 (10.01.13)

自然破壊の常習・大石寺――またまた「桜の木」を大量伐採!

 本山で行われた元朝勤行は、今年も昨年の参拝者を下回り、日顕宗にとっては、まさに本年が前進どころか「広布後退の年」となるような出発となった。

 そんな本山に、また無用な建物を建てるために貴重な樹齢50年もの桜の伐採を始めた。昨年の「50万総登山」で供養をしぼりとり、味を占めた日顕と日如は、総一坊南側に新たに宿坊建設を予定。そのため、正月早々の6日、その整地のために桜を伐採。ちゃっかりと法華講員には分からないよう、皆の目につきやすい道路沿いと総門側の桜だけは残し、その奥の桜を伐採した。

 日顕による桜の伐採は、平成5年に総坊前の約280本を手始めに、13・14年には常灯ケ峰の約200本、さらに17年には五重塔北側の桜を約230本も無惨にも切り倒し続けた。そして昨年の7万5千の総会のために、経蔵と宝物殿の間の20本、宝物殿そばで10本が切られ、さらに向原駐車場の側でも伐採が進められた。いったい何万本の樹木を伐採すれば気が済むのだろうか。環境問題には全く無頓着、宗教者のやることではない。

 登山者も普段は少なく、宿泊者もいないにもかかわらず新宿坊の建設は、貪欲な日顕や日如にとって、桜も金のなる木にしか見えないのだ。「貪欲な者は坊主の中に一番多い」と詩人のダンテの言葉を証明するかのような今回の桜伐採である。

 折しも今年一年で、UNEPでは「10億本の植樹キャンペ−ン」を行っている。

 ワンガリ・マアタイさんが聞いたら「オー・ノー」と絶句するだろう。

352代理人:2010/01/17(日) 20:02:36
大石寺短信 第477号 (10.01.14)

1. 重苦しい雰囲気の新年勤行会

「広布前進の年」と銘打たれた本年の日顕宗では、全国末寺で開催された新年勤行会の参加者が
昨年より大幅に減少した。

 昨年、「50万登山」「7万5千結集」の過酷なノルマに苦しめられてきた末寺住職、信者はすっかり疲れ切っているが、本年は、昨年夏に打ち出された「平成27年までに法華講5割増」「平成33年までに法華講80万人」という荒唐無稽な2大命題に向かって、折伏に駆り立てられることになっており、どの寺の勤行会も相変わらず、どんよりとした重苦しい雰囲気が漂っていた。

2. 容赦ない強制徴収でやせ細る末寺

これまで、何かにかこつけては末寺から金を吸い上げてきた本山だが、
本年も「立正安国論750年記念事業のための寄付」の名目で、
寺の全財産の5%を強制徴収する。
昨年末に発行された憂宗護法同盟の「同盟通信」はこれを取り上げ、
現在の全末寺の財産の総計を「約200億円」と推計した上で、
「末寺財産の総計は2年前の2007年には約360億円あり、
8年前の2001年には約510億円あった。
ということは、2001年から2007年までの6年間で150億減らし、
さらに、この2年間で160億も減らしたことになる」とし、
単純計算で「末寺の財産がゼロになるのは3年とかからない計算となる。
否、このままでは2年ともたないかもしれない」と分析している。

 加えて本山は、昨年の無謀な「50万登山」に続き、
本年も末寺に過酷な登山ノルマを課しており、
「同盟通信」は「登山のたびに、信者の供養は本山に吸い上げられ、
末寺にまで回ってこない。登山の督励が、ますます末寺を疲弊させている」
と指摘している。

 さらに、「本山・末寺の関係は、昔から本山が『親』、末寺が『子』に譬えられてきた。
本来、親は子を思い、慈心をもって接するもの」とし、
「(『親』である本山は)『子』の悲鳴に無視を決め込み、それどころか、
『子』の生き血を吸ってますます肥えている始末。
もはや畜生以下」と厳しく糾弾している。

353検証会議:2010/01/19(火) 00:57:28
 フェイク 第1086号

 (発行=10.01.17)

 「原島昭は陰湿なウソつき!」の声
 「慧妙」一月十六日付・投稿欄の偽証を嗤う
 肖像画を写真と偽り早瀬日慈を陥れた大草一男

 妙観講のクズ新聞「慧妙」の連載「私が見た創価学会」に原島昭(故・嵩の実兄)が
書いた間違いについては、本紙が逐一、指摘(第一〇六一・一〇六八・一〇六九・
一〇七四・一〇七五・一〇七六・一〇八三・一〇八四号を参照)してきた。

 これに反論不能の原島は妙観講と共謀して一月十六日付「慧妙」の「読者の
おたより」欄に匿名で「『フェイク』の負け!」と題する手前味噌の陳腐な記事を
掲載し、本紙の指摘から逃げようとしている。

 本紙編集室には「原島家は母親の精子も昭・嵩兄弟も揃って妙法流布を阻む魔で
ある」「昭は愚弟の嵩に輪をかけたような陰湿なウソつきだ」等々、多くの声が
寄せられており、「慧妙」に虚偽を書き続ける原島昭の惨敗は明らかである。

 「慧妙」は宗内でも毛嫌いされており、坊主はもとより一般の法華講員は殆ど読んで
いない。読んでいるのは妙観講員の一部にすぎない。ましてや「慧妙」に投稿する
ような法華講員などいる筈もない。

 したがって、この投稿には、宗教道楽者の大草一男とその一派が関与していることは
間違いない。この投稿欄では「『フェイク』は自らの誤りを認めようとしません」と
書いているが、本紙の記述は何一つ誤っていない。だから、「慧妙」は「ここが違う」
と具体的には書けないで、負け犬の遠吠えのような投書を掲載して誤魔化している。

 この投稿では「少年日本」と「ルビー」の編集トップが池田編集長であったことは
「当然です」と書いているが、何が当然か?「ルビー」の編集長は矢島周平と奥付に
明記されている。

 原島はウソを繰り返すことで読者に間違った認識を与える汚い手を使い、その上、
他人に自分の文を褒めさせる。これも反逆者の弟の嵩と同じ手口である。

 約四十年も昔のことだが、夏期講習会では当時、毎期とも各部部長らの幹部は、
池田会長を囲む講義担当者会で講義のポイント、強調点などを確認して御書講義に臨む
ことになっていた。

 教学部長だった原島嵩が、一人の記者に「次の担当者会で、先生に『原島教学部長の
講義が一番上手いという評判です』と報告して欲しい」と真面目な顔で頼んだことが
あった。

 その記者は、そんな報告はしなかったが、今回の投稿は自画自賛、妙観講中で作った
感が強い。本紙の記述と原島の駄文を公平に読み比べるならば、原島の「私が見た
創価学会」はウソの羅列だと直ぐに分かる。
 
 次に「慧妙」では「だいたい、『フェイク』の人々も、過去に貴紙『慧妙』に載った
カラー写真を『絵だ』と見間違えて、騒いだことがあった」云々と書いているが、
これも妙観講らしいスリカエの大ウソである。

 そもそも、下手な肖像画を意図的に写真だと偽って日達法主に告げ口して早瀬日慈
(日如の父親)を陥れたのは大草一男である(本紙第六九五号を参照)。

 なお、原島は母・精子に戸田会長が詫び、本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた(十一月一日付「慧妙」)と書いていた。この件は本紙が任命年月日から見ても
辻褄が合わないと指摘したが、原島は、その後、沈黙している。潔く間違いを訂正し
謝罪せよ。

354検証会議:2010/01/19(火) 00:57:57
 フェイク 第1087号

 (発行=10.01.18)

 日顕は雨男、日如は火事男!
 新宿・大願寺でボヤ騒ぎ、消防車七台が出動
 大石寺駐車場・売店、米国の妙宣寺と相次ぐ火災

 今度は新宿区・大願寺でボヤ騒ぎ―― 一月十七日午後七時頃、大願寺(板東慈潮)
からモクモクと黒煙が立ち上り、辺り一面には焦げ臭いような物凄い異臭が漂った。
急報を受けて出動した消防車は七台、若松町にある大願寺前の狭い道路は通行止めに
なった(写真)。異変に気づいて家から飛び出してきた近隣の人々も皆、驚きの表情で
あった。

 幸いなことに火災は直ぐに消し止められたものの、まったく近所迷惑なボヤ事件で
あった。ニセ法主元祖の日顕は、行く先々で集中豪雨などに見舞われたため
「テルテル坊主」ではなく「雨坊主」とか「雨男」と呼ばれたが、今のニセ法主の日如
は「火事男」と呼ぶに相応しい。

 盗座した翌年の平成十八年八月十二日の午後四時前、物凄い雷鳴が轟いた次の瞬間、
奉安堂の東側に立つ杉の大木に落雷。杉の大木は中央付近から火を噴いて、周辺には
黒煙が立ち込めた。この落雷を「慧妙」は詭弁を弄して「功徳だ」と強弁していたが、
今の日蓮正宗には「火災という功徳」が多発している。

 昨年の八月二十八日には大石寺の駐車場で乗用車十台が焼ける火災があり、
アメリカ・ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)が十月十一日(日本時間十二日)に
焼失した。

 また、十一月十五日午後には大石寺の境内にある休業中の売店で、木造平屋建ての
建物八店舗、約二百五十平方メートルが全焼したばかりである。

 「王舎城事」には「両火房と申す謗法の聖人・鎌倉中の上下の師なり、一火は身に
留りて極楽寺焼て地獄寺となりぬ、又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候ぬ、又一火は
現世の国をやきぬる上に日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて阿鼻の炎にもえ候べき
先表なり、愚癡の法師等が智慧ある者の申す事を用い候はぬは是体に候なり」とある。

 良観の極楽寺が火事で焼失し、良観が庇護を受けていた鎌倉幕府の御所でも火災が
起こったことから、大聖人は「りょうかん」をもじって「両火房」と揶揄されたが、
日如は現代の「両火房」と言ってよい。

 大願寺は昭和四十七年三月十六日、創価学会・池田会長(当時)の発願により
建立寄進されたが、昭和六十三年十二月に新築した時、早瀬は「全額、私が負担した。
学会には一切、世話になっていない」と放言。この「火事男」は忘恩の坊主なのである。

355検証会議:2010/01/20(水) 00:43:08
 同盟通信 No.136

 (2009.12.28)

 =明年、本山は、記念事業にかこつけ、全末寺から総額10億円の「寄付」を集める。
この10億円という額は末寺財産の5%に相当すると財務部文書から推計される。すると、
現在の全末寺の財産の総計は約200億円。末寺財産の総計は2年前の2007年には約360億円
あり、8年前の2001年には約510億円あった。ということは、2001年から2007年までの
6年間で150億減らし、さらに、この2年間で160億も減らしたことになる。このままでは
末寺の財産がゼロになるのは3年とかからない計算となる。否、このままでは2年と
もたないかもしれない。末寺が2年余で崩壊の時を迎えようとしている。=

 本山・末寺の関係は、昔から本山が「親」、末寺が「子」に譬えられてきた。本来、
親は子を思い、慈心をもって接するものである。それは人も動物も同じである。
しかし、宗門の「親」はどうか。「寄付」とはよく言ったものだ。これまで「不可侵」
とされてきた基本金までが取り崩し対象とされ、有無を言わせず取り立てるのだから、
それは「寄付」に名を借りた「強奪」以外の何ものでもない。「子」の悲鳴に無視を
決め込み、それどころか、「子」の生き血を吸ってますます肥えている始末。もはや
畜生以下である。

 猊下は、11日に開かれた全国正副宗務支院長会議の席上、新入信者の育成について
触れ、「折伏した人は、できるだけ早く登山させろ」とゲキを飛ばしたという。猊下は
今後の取り組みとして、特に登山に力を入れている。明年の支部総登山への結集の
ハッパは周知の通りである。支院長会議では、明年の各種登山への割り当ても発表
され、「虫払法要、寛師会、御大会へは、各支部から講頭はじめ役員が必ず1名以上
参加せよ」と徹底された。

 登山、登山、はたまた登山である。発表直後から”無謀の極み”と陰口をたたかれた
本年の「50万総登山」。先ごろ「50万の御命題が達成された」と発表されたが、その
内実はというと「50万人の登山」ではなく、「50万人”分”の登山」であり、各末寺の
活動家信徒が何回も何回も登山し、やっとのことで達成したものだ。その結果、本山は
御開扉料だけでも約10億円を徴収し、加えて膨大な供養も集めた。一方、割りを食った
のは末寺だ。

 登山のたびに、信者の供養は本山に吸い上げられ、末寺にまで回ってこない。登山の
督励が、ますます末寺を疲弊させているのである。

 隠尊から当代の猊下に座替わりした時、”これで、宗門の未来に明るい光が差す
だろう”と思った僧侶は少なくなかった。しかし、あれから丸4年。阿部庶務部長による
傷害事件に始まった「正義顕揚の年」が、加害者である信彰師が新設の布教部の部長と
いう要職に就くという不可解な落着で幕を閉じ、問もなく「広布前進の年」が明けよう
としている。巷は、年の瀬の華やいだ雰囲気に包まれているが、本宗では大半の
末寺住職たちが、恐怖や不安、猜疑、絶望がない交ぜになった感慨を胸に、陰鬱な日々
を過ごしている。

 (憂宗護法同盟員より)

356検証会議:2010/01/20(水) 21:33:45
 越 洋

 平成22年1月20日

 「フェイク」の圧勝! 「慧妙」と原島昭は惨敗!

 宗内みんなから嫌われている下品な御用新聞「慧妙」に昨年十月一日付から原島昭
(嵩の実兄)が「私の見た創価学会」を連載している。内容は原島の記憶違い、或いは
悪意から事実をネジ曲げたデタラメな記述である。これに対し、宗教情報紙
「フェイク」が逐一、原島の虚偽を指摘している。それは確かな証言と資料に
裏付けられており説得力がある。

 「フェイク」紙の圧勝であり、誰が見ても明らかである。原島の劣勢を感じた
「慧妙」編集部は慌てて一月十六日付の投稿欄を使って、原島の「私の見た創価学会」
を自画自賛。投書に見せかけて勝利宣言のような我田引水の記事を掲載している。
そもそも、「慧妙」に投書をする者がいるのか疑わしい。

 原島の間違いだらけの回想と「フェイク」紙の主な指摘を見比べてみる。

 原島の悪意による間違いの第一は、少年雑誌の編集をしていた若き日の池田編集長
が、ヌード写真で占められた「ルビー」というポルノ雑誌も作っていたと書いていた点
である。

 これに対して「フェイク」紙は、「『ルビー』は後年、坊主になった矢島周平が編集
していた」と奥付を提示し、ヌード写真というのもウソで、挿絵だったと指摘した。
すると原島は、池田編集長も「ルビー」の編集に関与していたのは「容易に察しが
つく」とか、出来上がった「ルビー」を手に取り眺めていた等々と妄想と邪推で勝手な
ことを言い出す始末。しかも、原島は「私が、ねじけた物の味方をするようになったの
は多分に二代会長・戸田城聖氏の影響でもある」(十一月一日付「慧妙」)とも書いて
いた。寝ぼけたことを言うんじゃない!

 「フェイク」紙は、昭の「ねじけた物の見方」は、母親の精子と弟・嵩の異常な関係
を見てきたからではないのかと述べ、嵩と母親の特異な関係を具体的なエピソードを
挙げながら指摘していたが、これは実に興味深いものであった。

 また、原島は蒲田支部の基礎を築いたのは母親の精子だと自慢していたが、
「フェイク」紙が原島精子の悪行を暴露。派閥を作ろうとして戸田会長の逆鱗に触れ、
文京婦人部長を解任されたうえ、謹慎を命じられていたという衝撃的な事実を暴いたの
である。

 原島は苦し紛れの言い訳として、戸田会長が母を呼び寄せ「『あなたを辛い目に
合わせて申し訳なかった』と詫び、本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた」(十一月一日付「慧妙」)と書いていた。ところが、精子は戸田会長の存命中
には本部副婦人部長になっていなかったことを「フェイク」紙に指摘され、これも原島
の作り話であったことが明白になった。

 最早、原島昭のウソ八百は粉砕された。この論争は「フェイク」紙の完勝である。

 写真は人生に負けた弟・原島嵩。落ちぶれた惨めな姿を見よ!

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000819.jpg

357検証会議:2010/01/29(金) 09:59:12
 大石寺短信 第478号

 平成22年1月28日(木)

 日顕宗の動き

 1. 15人中4人の折伏推進委員が昨年の目標未達成

 日如が折伏に躍起になっている。正月の講頭目通りの席でも「各講中が『次の日曜日
にどう戦うか』ということを決めているか、どうか」「次の月、あるいは一年を
とおして、基本的にどういう戦い方をしていくかということを具体的に決めて戦う
べき」と細かく指示していた。この背景には、昨年までの目標だった「信者倍増」が
大失敗に終わったことがある。これについて、「恥ずかしい」と漏らしているという
日如は、何かせずにはいられないという心境なのか、よりによって、各布教区で毎月
行われる「広布推進会」に、親譲りの”瞬間湯沸かし器”で暴力坊主の布教部長・
阿部信彰を単独で派遣することにした。

 日如が目を背けたくなる現実を「大白法」(1月16日号)が紹介している。昨年の
折伏目標を達成した寺の一覧が載っているが、その数は全末寺の2割にも満たないのだ。
上層部からして全くダメ。重役・藤本、総監・八木ら役僧の寺は軒並み達成できて
おらず、各布教区の正副支院長も全94人中、名前が載っているのはたったの13人。全く
「恥ずかしい」有り様である。さらに驚くべきことに、今、折伏ができていない寺を
回っている15人の折伏推進委員のうち、4人(野村慈尊<千葉・清涼寺>、平山広篤
<東京・広妙寺>、岩切仁道<愛媛・法楽寺>、園田司道<兵庫・浄福寺>)が昨年の
目標を達成していないのだ。自分ができていないのに「折伏しろ」とは、どの口で
言えるのか。

 今後、折伏低迷の責任を問われて住職をクビになる者も出てくるだろう。力尽きて
自ら隠居を申し出る者も現れるかもしれない。一方、日如をはじめとした執行部は、
"大聖人の御命"とまで言い切った信者倍増が大失敗に終わろうが、自分の寺が目標を
達成できなかろうが、責任を取らなくてよいのだから、気楽なものである。

 ともあれ、折伏が苦手な日顕宗は、最近、またまた学会に的を絞ってきている。
「大白法」では「創価学会折伏の手引き」なる連載が始まった。今後、あの手この手で
勧誘を仕掛けてくるだろう。油断なく対応してまいりたい。


 2. 2月の予定
    3日(水) 節分会(本山、末寺)
    7日(日) 広布唱題会(本山、末寺) 興師会(本山、末寺)
    14日(日) 御講(末寺)
    16日(火) 宗祖誕生会(本山、末寺)

358検証会議:2010/01/30(土) 23:13:06
 フェイク 第1088号

 (発行=10.01.27)

 破折も折伏もできない早瀬日如
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり(1)
 「祈祷は身延の方が良い」と言う講員にも苦笑

 日顕宗・法華講の機関誌「大白法」が一月十六日付から「創価学会折伏の手引き」の
連載を始めた。これは早瀬日如の意向を受けた企画で、その魂胆が窺える。

 早瀬も新年早々、昨年は残念ながら折伏が思うようにいかなかった、と泣き言を
述べたあと「漠然と『やれ、やれ』と言っても折伏は達成しない。幹部が指導教師と
よく打合せして、いわゆる折伏作戦会議とかの会議を開いて、次の土・日曜をどう戦う
かということを決めていくべきである。これが組織戦である」「宗務院に布教部を設置
して、過去の色々なデータから折伏推進委員の十五人を選んだ」と語り、これで本年を
勝利して平成二十七年(法華講員五十%増)、三十三年(法華講員八十万人)の目標を
達成できると確信している旨、言い放った。

 これらの言動から、今年は日顕宗が「組織戦」として学会員を奪い取ろうと狙って
いることは間違いないが、布教部や推進委員を作ったから折伏の勢いが増すと思うのは
幻想に過ぎない。

 そもそも布教部長に就任した阿部信彰、十五人の折伏推進委員のいずれも折伏は
できない。早瀬自身も折伏は未経験で、御書は苦手、破折もできないのだ。

 かつて新宿区・大願寺にいた頃、早瀬が「学会は折伏、折伏と言っているが、あんな
の寺に連れて来て、御授戒を受けさせるだけだから簡単だろ」とも言っていたとは
当時、同寺に在勤していた渡辺雄範氏の証言である。実践のない早瀬は、寺に連れて
行くまでの紹介者の真剣な祈り、心遣い、苦労が想像できないのだ。

 また、当時の大願寺法華講の班長のある婦人は、身延派日蓮宗の寺に塔婆供養に
通っていて「お祓いや祈祷は身延の方が良い」と、公然と発言していた。

 渡辺氏は早速、早瀬に報告したが、そのことは先刻、承知していた様子で「しょうが
ないな」と苦笑するだけだった。つまり、早瀬は身延派に対する破折の一つもできない
のである。

 新興宗教の一信者に敗北した無能な信彰

 早瀬が布教部長に任命した阿部信彰は、新興宗教の信者一人に言い負かされて
「新興宗教にも功徳があります」と認め、御本尊の功徳については説明も出来なかった
ことは本紙第一〇七一号で述べた。

 そこで今度は早瀬が選んだ十五人の折伏推進委員が、いかに低劣な坊主であるかを
紹介する。奴らに折伏の檄を飛ばす資格はない。

 まず、折伏推進委員の十五人とは野村慈尊、西田秀得、石井信量、菅原信法、
平山広篤、村上節道、武安力道、桑原慧道、中村収道、新井契道、盛岡窮道、
岩切仁道、園田司道、石岡雄哲、竹内雄寧である。

 これらの坊主共の役割は「院達」によると、折伏の状況が一定の基準に満たない支部
に対し、定期的に出張して折伏の助言や指導を行うことだという。

 過去にも平成十四年には「広布推進会地域担当員」、同十八年には「広布推進員」と
いうのを作ったが、一向に成果は上がらなかった。

 今回も徒労に帰すことは明らかである。

 次号からは低劣な折伏推進委員を一人ずつ紹介していくことにする。

 (つづく)

359検証会議:2010/02/01(月) 11:46:47
 フェイク 第1089号

 (発行=10.01.28)

 檄を飛ばした野村慈尊は温泉遊興
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり②
 西田秀得は他宗の僧にも嘲笑される外道坊主

 ニセ法主・早瀬日如が自慢する十五人の折伏推進委員が、いかに低劣な坊主であるか
を順次、紹介する。

 野村慈尊の清涼寺は昨年の折伏目標は未達成。平成十三年五月十五日、折伏のハッパ
をかける僧俗指導会に行ったが、昼間から阿部信彰、柳沢喜惣次と懐石料理に舌鼓を
打ち、М山荘で温泉遊興に耽っていた過去がある。この事実は本紙第三六四号で紹介
した通り。今後も各地を回っては遊興三昧を楽しむことだろう。

 また野村は、鳩の大量殺戮を実行した坊主として有名になった。この話は内藤国夫
(故人)が昭和五十七年七月に「諸君」誌で暴露した。日顕が昭和五十六年にノドの
ポリープを手術した頃から「鳩の糞はノドに悪い」と言い出し、鳩の肉が大好物だと
いう生臭坊主の野村に日顕が「鳩殺し」を命じた。野村は御影堂や大講堂など各所に
カスミ網を設置して約五百羽の鳩を虐殺した(本紙第五八四号に詳述)。

 西田秀得は口先だけの坊主である。臆病で折伏を実践したこともなく、他宗の僧から
も嘲笑されているという。こんな坊主が折伏推進委員とは、法華講員も呆れている。

 西田は折伏がダメなだけでなく、勤行もいい加減で、例えば平成三年八月の葬儀の
際、西田の勤行が間違いだらけで、参列者に不快な思いを与えたことがあった。

 終了後、西田は婦人部の人に「きょう、学会員は来ていなかったのか? 勤行が
合わなかった」と言い、参列者のせいにしていた。

 その婦人が「私は、いつからお経が変わったのかと思いましたよ。眠っていたのですか?何度も間違っていましたよ」と切り返すと、西田は苦笑して誤魔化していた。

………………………
写真上は浴衣姿で温泉に
向かう野村慈尊。写真下
はМ山荘の露天風呂
………………………

 また、西田は勤行を間違うだけではなく、題目を「ナンミョーホウレンゲドー」と
唱えることでも知られている外道坊主である。

 ある人が「お題目が『ゲドー』と聞こえますが……」と指摘すると、西田は
「『ゲドー』には、ちゃんとした意味があるんだ」と開き直ったという。だから、
今でも「ゲドー」と言っているようだ。

 こんな具合だから坊主になっている二男の良活に対しても満足に教導できない。

 良活が大修寺に在勤していた頃、寺に若い茶髪の女性を連れ込んだり、一緒にバイク
を乗り回して朝帰りしたり、到底、出家とは言えない乱行の限りを繰り返していた。

 今の宗門は、このような坊主の風上にも置けない悪僧共の巣窟になっているので
ある。

 (つづく)

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000821.jpg

360検証会議:2010/02/03(水) 00:17:59
 フェイク 第1090号

 (発行=10.01.31)

 蓄財疑惑の石井信量、インチキ成果の宣行寺
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり③
 「布教より金」の強欲な悪僧共

 早瀬日如が任命した折伏推進委員が、いかに劣悪な坊主であるかを前号に引き続いて
紹介する。

 石井信量は以前、大石寺の蓮成坊にいたが、数々の女性問題、巨額の不正蓄財疑惑
などが噴出して本山にいられなくなった坊主である。日顕の内弟子の一人で、管材を
担当しながら温泉豪遊、芸者遊びにも同行していた。義弟の妻の裸体を撮影するなど
畜生坊主としても宗内の評判となったが、大石寺から追放されたのは不正蓄財が原因と
言われている。

 蓮成坊の庫裏には総額で数億円は下らないと見られる壷や茶器類など骨董品の数々が
並び、茶室のような部屋には時代物の家具とか屏風などが置かれていた。

 また、熱海には約二億円もの温泉付き別荘を女房のナツ子と二人の名義で手に入れて
いた。これらは表面に現れた贅沢三昧の実態にすぎない。不正蓄財の疑惑は他にも
相当額があると言われている。

 末寺からの特別供養など不透明な金の流れに関わり、銀行員も顔負けの鮮やかな
手さばきで札びらを切っていた石井だが、折伏は出来ない、というのが宗門関係者の話
である。

 菅原信法も「布教より金」のゼニゲバ坊主である。信徒に「二千円の塔婆供養を
すれば、三万円になって返ってくる」という邪義を吹き込んでいたこともある。通夜
などの供養は「最低二万から三万円」と金額まで決めて押しつけ、七五三、初参り、
法事、結婚式の供養も、それぞれ最低額を示して供養を強要していた。

 御講の席でも「ご供養に酒や米をもらっても仕方がない。お金が良い」と金銭の供養
をねだっていた。

 塔婆も、法要の参列者全員に強要し、信心していない人の名前まで聞き出し、塔婆を
立てるよう催促。純朴な信者を騙して毎月、塔婆供養を続けさせ、合わせて千本近く
立てさせられた人もいたという。

 まさに「塔婆商人」ともいうべき強欲坊主だ。

 もともとは久保川法章の弟子だが、「日顕の七番目の弟子」と吹聴している。

 村上節道の宣行寺(草加市)は「折伏のできる寺」と宗内で宣伝されてはいるが、
実態は酷い。一人が三体の本尊を所持していたり、素性の知れない外国人に下付して
本尊ごと行方不明になったり、下付の当日に返却されるケースもあるなど、帳尻合わせ
のためだけの実にいい加減なインチキ折伏が横行しているのだ。 その証拠に、御講の
参加人数は一向に増えていない。

 村上は本行寺(東京・墨田区)の高野日海の娘婿で、宣行寺法華講は本行寺から信徒
を株分けしてもらって発足した。

 同寺の自己申告によれば、平成九年には支部一千世帯を達成し、その後も、
毎年二百世帯の折伏を完遂してきたという。

 ところが、講中の実態は名ばかりの講員づくり。例えば、講員の子どもの小・中学生
が寺に友達を連れて来ると、無理やり内得信仰扱いにして成果に入れるという事例も
あった。

 月末近くになると講頭が「あと○世帯足りない」と訴えるが、月があけた途端に
「誓願達成」となる。

 この不可解な折伏成果のタネ明かしを説明して回ると受けるだろう。

 (つづく)

361検証会議:2010/02/06(土) 01:44:49
 顕正会短信

 2010.02.06

 未成年者に実名で鑑別所行きを告白させる顕正会

 一昨年12月16日、JR新潟駅前で、当時19歳の顕正会男子部員が、脱会しよう
とした20歳の専門学校生に対し、首を絞めるなどの暴力をふるい、昨年1月に傷害の
容疑で逮捕された事件を覚えているだろうか。これをきっかけに地元紙が身体障害者や
精神障害者への悪質な勧誘の実態を取り上げて報じるなど、あらためて顕正会の異常さ
が新潟県内に広く知れ渡ることとなったのだが、この事件に関しては、発生以来昨年末
まで、各種集会で浅井昭衛の口から「不当逮捕」などと語られたことはなかった。

 しかし事件から一年になろうかという今月11日に行われた“顕正会成人式”で、
突然この事件について浅井が口を開いたのだ。

 この“成人式”では、事件の“犯人”であった男子部員が登壇し、自ら事件について
語ったのだが、およそ顕正会以外に、未成年者を実名で登壇させ、自身の“逮捕歴”や
“処分”まで語らせるような団体は他にないだろう。

 この男子部員は自身が逮捕されたことを「怨嫉の退転者を指導していたら相手が
暴れ出したのでなだめようとした」と言うのだが、その“なだめ”に関わる自身の
逮捕容疑が“絞首による傷害”であることについては何一つ言及していない。しかも
この逮捕劇を何の根拠も示さぬまま「謀略」と決め付けているのだ。

 この男子部員は結果として鑑別所に送られ、通学していた専門学校も退学になって
しまったそうだが、「自業自得」という言葉を知らないのだろうか。彼に限らず
ほとんどの顕正会員に共通する、都合の悪い話をすべて「謀略」と決め付けてしまう
哀れな現実逃避・思考破壊の一例として紹介しておこう。

 ところで浅井は、「名誉を“回復”させてあげたい」とかで、この男子部員が20歳
になったら法的措置を行うと大見得を切ったようだが、逮捕直後にすぐやればよかった
のではないか。弁護士を派遣してくれたとか激励の伝言をくれたなどとさも仰々しく
男子部員に話させているが、結局は弟子が鑑別所行きになってしまったことについて、
浅井は「私の努力不足だった。申し訳ない」などと詫びることも無く、ただ責任転嫁の
「謀略、謀略」と叫ぶのみ。

 浅井よ、お前の言うがままに勧誘に狂奔し、“怨嫉者”の首を絞めるという暴力を
振るった若者の前途にミソがついてしまったのだ。責任をどう考えるのか。顕正会を
解散すれば二度とこんな哀れな若者を出すことはない。前途ある若者をこれ以上、
老い先短い自分の道連れにするな!

362検証会議:2010/02/07(日) 21:08:05
 越 洋

 平成22年2月6日

 宗内で下品な新聞と嫌われている「慧妙」2月1日付に「うっかり尻尾を出した
『信濃町鼠』」「学会怪文書作成班が犯した大失態」と題する的外れな記事を掲載して
いるが、笑止千万!「慧妙」は、本紙と「石山だより」の2紙の出所が本山とは無関係
だと決めつけ、その根拠として、元朝勤行の参加者が増えているのに、両紙とも減った
と報じている共通点があると書いている。だが、この根拠は破綻している。そもそも、
元朝勤行の参加者が減少している事実を宗内諸師は皆、知っている。毎年、あの
浅間神社が十万人を超える初詣客で賑わっているのに、大石寺は3千人足らずで、今年
は約2千6百人に減った。これでも「慧妙」は増えたと強弁するのか?

 愚かな「慧妙」は昨年と今年の元朝勤行の写真を並べて掲載し、対比させているが、
皮肉なことに、これを見ると参加者が増えていないのが一目瞭然である。増えているの
は法華講の参拝者ではなく、無任所坊主の数だけではないか。

 「昔の元朝勤行は三門まで人が溢れていたのに、今は淋しい」と述懐する老師も
いる。あの頃の賑わいの光景は、もう二度と見られない。毎年、御供養していた
参拝者も、この不況の中、御供養を出さなくなった講員が多くなっている。

 「慧妙」の実質的な発行人である妙観講の大草一男は、日顕時代は元朝勤行を
得意満面で取り仕切って、連合会幹部から「生意気な大草」と言われていたが、今は
反対に大草の出る幕が全然ない。だから、正確な参加人数さえ知らないのも無理ない
が、本紙の報道は「公称」ではなく、宗務院や内事部のナマ情報である。

 大石寺は安普請の無用な建物を作るため、今年も桜を伐採した。桜も減り、登山者も
激減し、墓参に来る人も少なく、元朝勤行の参拝者も減少の一途を辿る。しかも、講員
は高齢者や病人が多い。5年後の平成27年には講員の50%増どころか、日興上人
御生誕770年の時には「講員数50%減」という惨憺たる敗北の姿を晒すことになる
に違いない!

363検証会議:2010/02/07(日) 21:08:33
 フェイク 第1091号

 (発行=10.02.06)

 供養の多寡で差別する日顕宗
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり④
 「生き戒名」販売で収奪するハイエナ坊主

 日顕宗の折伏推進委員が、いかに劣悪な坊主であるかを前号に続いて紹介する。

 平山広篤(東京・広妙寺)も昨年の折伏目標を達成できなかった坊主の一人。
 折伏よりも謗法を好む。以前、法華講員を引き連れて佐渡へ行き、身延派の六カ寺を
巡拝し、塚原三昧堂跡地と称する根本寺では布施を渡して参詣したほどである。

 また、日顕の本音を直接、聞いた張本人でもある。

 日顕は平山に「ワシは、どうしても御本尊が信じられなかった」と告白したことが
ある(本紙第六四八号を参照)。そのため、日顕は法務以外の勤行・唱題を一切
しない。ニセ法主の座に居座っていた間、夜の勤行をしたのは、たった一度だけで
ある。

 日顕は「神も仏も、地獄も浄土なども、あるわけがない」というのが本音なので
ある。

 平山は折伏のハッパをかけるよりも、日顕の本音を吹聴して回った方が良さそうだ。

 武安力道(吹田・本説寺)は日頃からパチンコに熱中するチンジャラ坊主。信徒を
金儲けの手段と勘違いしている。

 大阪の中でも自然に恵まれた緑豊かな北摂地域に学会の二百カ寺建立の九番目の寺院
として本説寺が落慶したのは昭和六十年の春。赴任してきた武安は学会の代表に
「素晴らしい環境、立派な寺院ですね。池田名誉会長に宜しくお伝え下さい。精一杯、
法務に励みます」と挨拶。その舌の根も乾かぬ二日後、地元幹部に「前任地の山梨では
法事では豪華な料理が出たが、此処はどれ位の酒や魚が出るのかね?」と聞いてきた。

 武安の浅ましい言い方に、地元幹部が「正宗の僧侶は質実剛健と聞いております。
出ても茶菓子程度です」と答えると、途端に不機嫌な顔になったという。

 この坊主の金儲けの汚い手口の一つが「生き戒名」である。一人暮らしの人を狙って
「生き戒名があったら後々、安心です。今なら安いですよ」と戒名のセールス。
「院号」付きの「生き戒名料」が五万円、「永代供養料」の十万円をセットで勧めて、
供養をむしり取っていた。

 また、経済的に苦しくて、思うように供養のできない家庭の葬儀があった時、武安
は、式の途中で唱題を中断して、そのまま退座してしまった。残った人は、ただ、黙々
と焼香するという異常な状態で、会場には坊主の暴挙に怒りの声が起ったこともある。

 元事務員も「武安は、通夜は五万、葬式は二十万と御供養の額を指定するんです。
経済的に苦しい人に言うのが本当に辛く、これでいいのかと悩みました」と語って
いたが、供養の多寡(たか)で差別するのが武安ら日顕宗の坊主である。

 桑原慧道は今、佐世保の法光寺にいるが、以前は香川の学会寄進の寺に居座り、信徒
をいじめ、浄財を収奪したハイエナ坊主である。

 桑原は昭和六十二年十一月末、学会による二百カ寺建立寄進の六十五番目の正伝寺に
赴任。入仏式に来た日顕は桑原に「これでお前も億万長者になれるぞ」

 御墨付きを貰った桑原は、折伏もできないくせに削り塔婆、冠婚葬祭、永代回向、
御講などを通して、信徒の供養を貪欲なまでに収奪する強欲坊主だ。

 (つづく)

364検証会議:2010/02/10(水) 20:57:17
 越 洋

 平成22年2月9日

 大聖人は伽藍(がらん)仏教について「堂塔(どうとう)・寺社(じしゃ)は
徒(いたずら)に魔縁の栖(すみか)と成りぬ」(御書1441ページ)と喝破(かっぱ)
されている。魔物の住処となった大石寺に住み着くのは日顕宗の坊主とカラスたちで
ある。

 1月16日付の『大白法』で折伏達成寺院が掲載されていたが、目標を達成できて
いない寺院が大半である。そんな大石寺を賑わせ群がってくるのは、法華講員ではなく
カラスの群れだけである。普段から奉安堂の屋根には、真っ黒なカラスの大群が群がり
1日300羽を越え、ひどい時など、500羽〜600羽くらい飛び回っている。

 そのためカラスの糞が、奉安堂の屋根にへばりついて、太陽に照らされ白く光り異様
な色の輝きを放っている。その糞を取り除きたいが、へばり付いて、どうにも取れず、
そこで、カラスを寄せ付けないために防護ネットを張ることにしたようである。
しかし、ある専門家に言わせると"カラスは世界に約9千種いる鳥類のなかで、最も脳が
発達しているため、追い払うのに様々な手段を講じてもすぐに見破るから、一ヶ月
かけて防護ネットの工事をしても、また無駄に供養を使うだけだ"と語ってくれた。

 結局、昨年の「50万総登山」で登山した法華講員が見たものは大石寺の荘厳な姿では
なく、傲慢な坊主達の姿と奉安堂にたかっているカラスの異様な大群であった。特に
カラスの繁殖期は3月下旬〜7月上旬で、この時期には、カラスはヒナを守るため人を
威嚇したり攻撃することがある。都内のカラス対策プロジェクトでも"カラスの攻撃を
避けるためには、巣やヒナに近づかないことが一番"と言われているが、
「魔縁の栖(すみか)」大謗法の大石寺には近づかないのが一番である。

 【カラスの勝手を許すなと防護ネットを張る本山。ネットを張ったって無駄なこった
と糞をたれるカラス】

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000825.jpg

365検証会議:2010/02/10(水) 20:57:50
 越 洋

 平成22年2月10日

 "所詮、血脈相承も受けていないニセ法主が模写した本尊こそがニセ本尊なので
ある。"今盛んに日顕宗の輩が、学会授与の日寛上人御書写の御本尊を「ニセ本尊」
だと誹謗中傷しているが、相承を受けたことを立証も出来ない日顕や日如らに大石寺
「中興の祖」と言われ、天賦の聡明である日寛上人の御本尊を批判する資格はない。

 昨年、日顕宗は自分で起こした京都・住本寺の明け渡し訴訟でも敗訴した。
この裁判で、焦点となったのは、寺を明け渡さない正信会側の主張の「相承を受けて
いないニセ法主の指示に従う必要はない」という点であった。特に「相承の証拠を
出せ」等々と主張したのに対して、日顕宗側は相承があったことを示す証拠を何一つ
出せなかったことが大きな敗因となった。この判決は今後、宗門の裁判という裁判に
多大な影響を及ぼすことは間違いない。結局、こんなニセ法主だから相承箱もなく、
口先だけで跡を譲られた日如もニセ法主であり、この先、法主が何人交代しても、
全て「法師と云う名字をぬすめる盗人なり」のニセ法主なのである。

 ここにニセ法主二世の日如が模写した本尊もどきを掲載する。これを見た老僧は
"サインペンで書かれたような字で全くありがたみが感じられない。どこの筆ペンを
使ったかも一目瞭然である"と語っていた。そのうえ、誤字がある。「奉書写之」
(これを書写し奉る)の「写」を「字」と書いている。この「奉書写之」は大抵、
最後近くになって書くものだから、日如もここまで緊張して書いて、つい気が緩んで
三画目が突き抜けてしまったようだ。これでは「これを書写し奉る」ではなく「これを
書き字し奉る」となって全く意味不明である。かわいそうなのは、こんな重要な事実を
隠ぺいされたまま拝まされている法華講員である。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000826.jpg

366検証会議:2010/02/11(木) 11:42:32
 フェイク 第1092号

 (発行=10.02.10)

 講員を脱講に追い込む強欲僧
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり⑤
 葬儀・法事で悔みの言葉も言わず供養の催促

 日顕宗の愚劣な折伏推進委員の紹介を続ける。

 茨城県・法正寺の中村収道は他宗派の信者を折伏できない。ただ一つの折伏体験は
願生寺という正信会の寺の檀徒一人を一年かけて連れ戻したことだけである。

 「『御戒壇様に戻りましょう。大御本尊様にお目通りにお山に戻りましょう』という
一点だけです。これ以上は言いません。こうした話を繰り返し、繰り返し続けます」と
自慢している。

 こんな話を吹聴するため、各地を回るのだろう。

 新井契道は以前、日顕の取り巻きの一人で、本山・妙住坊にいて大石寺理事でも
あったが、平成十五年に千葉・真光寺に移った。金の亡者で狡猾な坊主。妙住坊にいた
当時、お盆に学会員宅へ行っての帰り際、玄関先で「書類に印鑑をください」と言って
何の説明もせず、自分で判を押して帰った。後で分かったことは、その書類が脱会届
だった。坊主の折伏とは、こんな騙しの手口なのである。

 また、この壮年の夫人が亡くなった時、二十万円の布施を渡すと、新井は「何だ、
これは、御供養か?」と吐き捨てるように言い、悔みの言葉も言わず「三十五日はいつ
やるんだ?」と迫る。じっと耐えて三十五日と四十九日法要を行うと、法要が終わる否
や「お盆はいつやるのか?」とか塔婆供養の催促ばかり。真夜中に電話を掛けてきて
催促することもあった。

 遂に、この人は堪忍袋の緒が切れて脱講した。

 大石寺理事の頃、陰で「登山者の弁当は、もっと小さくしろ」と指示するなど、費用
を浮かすことに腐心していた。新井は勤行ではなく、カラオケで喉を鍛えていたこと
でも有名な遊興坊主。日顕宗の坊主にはパチンコ、カラオケ、宴会などの遊びしか頭に
ない。

 盛岡窮道は平成十年六月、大分県の法柱寺から山口県の弘法寺へ異動になった。御講
での決まり文句は「毎月一回は塔婆供養をしないと成仏しません」

 米の供養を受けると、それを別の講員に横流し。そして供養を強要する。こんな坊主
こそ地獄に堕ちる。

 お金は欲しがるが、坊主も女房も御宝前の供物は粗末にする。野菜類などの供養は
腐らせてそのまま捨てることも多い。「六甲の水」と「栄養ドリンク」を愛飲して
いる。

 盛岡が脱講した人の家を訪ねて「ちょっと題目三唱させてください」と言ったことも
あるが、「お断りします。大変な迷惑です」と断られると、何も言えない。折伏は
できないのだ。

 岩切仁道は二枚舌の坊主。昭和五十九年に立安寺、平成五年に妙長院へ、平成十四年
には法楽寺へ移ったが、傲慢で信徒を苛めて金儲けに利用する。「袈裟を着たら猊下と
同格だ」等と言い放ち、日顕と同様、信徒に伏せ拝までさせていた。

 寺の従業員だった人の証言によると、表面では岩切は「学会のお陰です」と言って
いたが、その従業員に対して、いつも「聖教新聞の配達をやめろ」「学会の役職を
やめろ」と執拗に迫っていた。

 そんな二枚舌の典型が、日頃は「質素に暮らしている」とウソをつき、冷蔵庫を
空っぽにして見せつけていたことだ。陰ではウナギの重箱や寿司桶などが積まれて
いた。

 (つづく)

367検証会議:2010/02/14(日) 01:56:11
 顕正会短信

 2010-02-14

 インチキ親父とあほボンボン パート2

 顕正会の1月度総幹部会がいろいろな意味で大きな波紋を呼び起こしている。この
1月総幹では大規模な人事が行われたのだが、手っ取り早く言えば「浅井一族による
顕正会支配の完了」の宣言だ。

 まず、浅井昭衛を補佐する「理事長」職が新設され、二男の城衛が男子部長兼任で
初代「理事長」に就任した。顕正会には「理事室」というものがあり、理事は6人いる
が、城衛の他の顔ぶれというと、総合女子部長の大沼千恵美、総合婦人部長の湯浅悦子、壮年部長の横田孝明、壮年部副部長の小峰勝彦、そして現在は教学主任という閑職に
おかれる前総合女子部長の加藤礼子である。

 ちなみに湯浅は浅井の母方の親戚らしく、小峰は浅井の娘婿、加藤に至っては不適切
な関係を噂されたほど浅井に近い人物だが、横田と大沼は浅井と血縁関係や婚姻関係が
ないはずだ。以前は浅井の長男である克衛が「主任理事」という役職で実質的な
ナンバー2だったのだが、平成18年5月の総幹部会を最後に壇上から姿を消し、その
消息は未だに不明のままである。

 四者の最高幹部が理事を兼任するというところから、浅井に次ぐ「権力集団」である
ことは当然としても、なぜ壮年部長や副部長といった年長者を差し置いて城衛がその
トップたる「理事長」に就任したかといえば、もはや答えは一つしかあるまい。

 浅井は妙信講時代に「理事長」に就任し、当時講頭だった父親の故・甚兵衛を
「顧問」に追いやって実権を掌握して以降、「拡大」ばかりを追い求めてきたが、幾度
も「誓願」と称する数集めの予言に失敗してはその目標を下方修正し、今日まで顕正会
をなんとか存続させてきた。

 その過程で従順な盲信者を増やしては自身の“武勇伝”を徹底的に学ばせ、自身の
主張に異を唱える者は問答無用で切り捨ててきたのだが、近年はその路線も破綻し、
宗門に移籍する者が増加したため、とうとう昨年夏には「あと12年」という
「最終段階」を設定し、あたかもあと12年で大地震と中国の侵略で日本が滅ぶかの
ような終末的な幻想を会員に抱かせ、勧誘に狂奔させているのだが、浅井自身がその
「12年後」を迎えられるかどうかもわからないため、今のうちから城衛を後継者と
して周知させ、万が一浅井が期待するような状況にならなかった場合に会内から噴出
するであろう責任論を城衛に転嫁したいという思惑だ。

 前回はいわば「クーデター」のようなものだったが今回は「責任回避」の疑いが
濃厚だ。城衛には「いまからオヤジの尻拭いの覚悟を決めておけ」と助言しておこう。

368検証会議:2010/02/15(月) 17:42:55
 フェイク 第1093号

 (発行=10.02.13)

 折伏できず苦しむ能化・役僧の寺
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり⑥
 樋田昌志のデマに踊らされた大草一男

 早瀬日如が任命した十五人の愚かな折伏推進委員の紹介は今回が最終回である。
 園田司道とは「大事な夢は丑寅の時間ですね。パッと目が覚めて急いでメモして
おいて、その問題に取り組む。そういうことが『行』なんです」と邪義を唱えた
柳沢喜惣次に同調した愚かな坊主である。

 日蓮大聖人は、夢物語で邪義を唱えた天台座主の慈覚を例に挙げて「夢を本には
すべからず」と、厳しく戒められている。柳沢も浄福寺の園田司道も大聖人に違背する
謗法である。こんな園田の口車に乗せられて法華講に入っていた老婦人は、学会婦人部
である娘さんの信仰体験に共感して脱講を決意した。園田は反論も再折伏も
できなかった。

 石岡雄哲の長野・妙相寺はデマ情報の元凶である。

 それは「慧妙」が長野県在住の学会員の名誉を毀損する虚偽の記事を掲載したことに
関する裁判で、最高裁は昨年二月二十七日、日顕宗側の上告を棄却した。

 これにより日蓮正宗(代表役員・日如)と「慧妙」発行に関与している妙観講の
指導教師・小川只道(理境坊、大石寺理事)、同講の講頭・大草一男(大講頭)、
同紙発行人・幡野直人らに対して総額百九十万円の損害賠償金支払いを命じた判決が
確定した。

 事件の発端は「慧妙」(平成十六年六月十六日付)に掲載された「学会幹部らを
待ち受ける末路」と題するデタラメな記事。その中で「慧妙」は「仏罰現証の実例」と
して、長野県在住の壮年が逝去したことについて「多額の借金を抱えて事業に
行き詰まり」等と全く事実無根の捏造話を報じた。

 この「慧妙」の記述は、全くの虚報だが、この捏造話の情報源は樋田昌志なる妙相寺
の檀徒。樋田は学会員の逝去についてデマビラを作成し、遺族らに訴えられた別の
裁判で、表記が事実に反することを認めて遺族らに謝罪し、解決金を支払うと共に
今後、学会員個人の名誉、プライバシーを侵害する言論をしないと確約
(平成十八年三月八日、長野地裁)。こんな樋田のデマに「慧妙」を作っているバカな
大草一男らが踊らされたのだった。

 役僧の寺が軒並み低迷

 樋田の暴走に対する監督責任を問われるはずの石岡が推進委員とは滑稽の極みだが、
妙観講の大草一男らは恥を掻かされた妙相寺に不快感を抱いているという。

 竹内雄寧(富山・妙顕寺)は折伏も出来ないうえ、思いやりの欠片もない。登山会の
頭数を揃えるため足の悪い八十歳近い老婦人に対しても「足が悪くても登山に行け!」
と冷たい一言を浴びせた。その夫人が渋々、登山した日は豪雨。本山内の階段で足を
引きずりながら歩いても手を貸す者も、励ましや労いの声を掛ける者もいなかった。

 登山から帰ると、足の具合が悪化。手術を受けて二カ月間の入院中、見舞った
法華講員は皆無だった。

 折伏が一定基準に満たない寺は多く布教部長・阿部信彰の妙国寺、総監・八木日照の
法道院、重役・藤本日潤の常泉寺、能化・高野日海の本行寺など役僧の寺が軒並みで
ある。

 老婦人を怒鳴りつけた竹内が役僧の寺も怒鳴りつけるのか。

 (この項 終わり)

369検証会議:2010/02/15(月) 22:54:27
 顕正会短信

 2010-02-16

 また大幹部失踪!こんどは夫妻で!

 顕正会は平成15年に「儀礼室」なる部署を設け、担当の幹部が会員の葬儀や法要で
の導師を行うようになった。これは学会が早くから行ってきた「儀典部」をパクった
ものであり、塔婆や戒名不要などというコンセプトも瓜二つ、いや、全く一緒である。
よほど顕正会より先に宗門と決別した学会の様子が羨ましく思えていたに違いない。

 平成11年の「本部指導会」で“相承断絶”を宣言してからも、葬儀や本部行事には
還俗坊主の村松某を顕正寺から呼んで形だけは日蓮正宗の真似をしていたのだが、
平成15年に顕正寺を「ロッカー納骨堂」に改築した折に全面的にシステムを見直し、
念願の「坊主不要」「戒名不要」「塔婆不要」に踏み切ったのである。

 「儀礼室」発足時の面子は6人だった。幾度か入れ替えを経て、今年1月の総幹部会
では「室長」に浅井の娘婿の小峰勝彦が就任し、前室長の横田高明はヒラ委員に格下げ
となった。今回はさらに人数の削減が行われ、本部幹事でもあった松本修の名前が
消えた。

 それだけなら盲信的な一般会員は何の違和感も持たないだろうが、今回はそれらで
さえ疑問の声を上げることが起きた。婦人部最高幹部である、同じ苗字の松本真智子・
第三婦人部長が、理由を明かされないまま交替し、壇上から両名が揃って姿を消したの
である。

 この両名は夫婦とのことだ。修の方は壮年部で地区部長などを歴任し、平成18年
からは本部幹事に就任し、平成20年からは儀礼室員の任を受けていた。真智子は古く
からの婦人部幹部で、一時は浅井の娘の小峰昌子と同じ「婦人部副部長」職まで登った
が、その後の組織改編で昌子が「副総合婦人部長」「第二婦人部長」となったのに
対して、真智子は「第三婦人部長」「杉並支区部長」止まりと、身内贔屓としか思えぬ
人事の餌食となった。穿ってみれば、浅井一族の地位を脅かしたから粛清されたとも
いえよう。

 浅井一族はたとえ預かる組織で結果が出なくても会の要職を兼務し独占している。
そこにもって、それを上回ったりする成果を出して人望を集めるような人物が出てくる
ことを、浅井はことのほか嫌う。古くは男子部で浅井の長男・克衛と並んで人望を
集め、教学にも長けたE男子部長が、ある日忽然と失脚した例がある。今回の夫婦
揃っての失脚に対しても、会内には大きな波紋が広がっている。長年、浅井と顕正会に
忠誠を捧げてきた、と誰もが認めるような夫妻に何があったのか。

 一昨年来、理由の告知なく大幹部の失踪が相次ぐ顕正会。果たして粛清されたのか、
泥船からの脱出に成功したのか。

370検証会議:2010/02/15(月) 23:40:35
 大石寺短信 第479号

 平成22年2月12日(金)

 日顕宗の動き

 1.インチキ折伏裏付ける「大白法」記事

 法華講機関紙「大白法」2月1日号は、折伏を煽ろうと、昨年の折伏目標を達成したと
いう寺を紹介しているが、その紙面は、意図とは裏腹に、日顕宗の折伏のお寒い実態を
浮き彫りにする代物となっている。

 見開き2面も使っておきながら、紹介されているのはたったの6カ寺。石川・妙喜寺
(住職・松田泰玄)の記事では、「42世帯も折伏ができた」と言うものの、唱題会の
写真には子どもも含めて19人しか写っていない寂しい有り様。また、金銭不祥事で本山
を追われたと言われている、日顕の元金庫番・石井信量が住職を務める東京・妙証寺が
紹介されているが、毎年、折伏が進んでいるという割には、この寺、御講や元旦勤行の
参詣者が増えていないのだ。さらに、長崎の法成院(主管・藤村良明)も、新潟の
実行寺(住職・田中寿教)も、「目標を達成した」と書かれてあるだけで、「何世帯
できたか」については触れられていない。

 実際のところ、日顕宗の末寺では、執行部の追及を恐れる住職と法華講幹部が結託
し、折伏目標を低く設定したり、架空の数を計上するなどのインチキが横行していると
いうが、今回の「大白法」の紙面は、こうした現実を裏付ける内容であると言えよう。

 2.大石寺近くの末寺でボヤ騒ぎ

 1月27日午後7時前、大石寺近くの静岡・芝川町の日顕宗寺院・蓮成寺でボヤ騒ぎが
起こった。寺の敷地で大きな火の手があがり、消防車4台と救急車1台が出動。建物への
延焼は免れたが、住職の家族によるたき火が出火原因と判明、消防が厳重注意を
行った。

 日顕宗では昨年、8月に大石寺駐車場で登山者などの車10台が炎上し、10月には
アメリカ・妙宣寺で御会式の最中に火災が発生。11月には大石寺境内の売店8軒が
全焼。また本年に入り、1月17日には東京・大願寺でも消防車7台が出動するボヤ騒動が
起こった。

 最近、日顕宗は、やたらと「現証論」を持ち出し、根拠のないデマをでっち上げて
騒いでいるが、本山・末寺で相次ぐ火災こそ”罰の現証”そのものではないか。

 なお、ボヤを出した蓮成寺の住職・高松趣道(67)は、がんを患っており、このほど
隠居が決定。後任には、かつてアルゼンチンに駐在し、ノーベル平和賞受賞者の
マザー・テレサを”悪魔”呼ばわりして、現地の法人登録抹消の原因を作った
いわく付き坊主で、大坊在勤の伊藤道玲(43)が入る。

371検証会議:2010/02/17(水) 01:30:23
 フェイク 第1094号

 (発行=10.02.17)

 「法華講に多い非常識な盲信バカ」
 大阪・妙輪寺の地区長会での婦人講員の嘆き
 教導できない坊主、講頭の話は支離滅裂

 日顕宗の坊主共は遊蕩に耽って布教を怠り、信者に対しては盛んに折伏、講員増加の
ノルマを押し付けている。だが、法華講の内部には不平・不満が充満して、愚痴や悲鳴
が聞こえてくる。

 こんな現場の苦悩も知らず、檄を飛ばすだけのニセ法主、うつ病の総監、無能な
布教部長、耄碌(もうろく)した柳沢らに法華講の末端の惨状を伝えたいとの思いの
大阪・妙輪寺の講員有志が、本紙編集室に同寺での地区長会(二月七日)の模様を
知らせてきた。この日の地区長会で注目されたのは、法華講員の非常識な行為を嘆く
婦人講員の声であった。

 この婦人講員の声に対し、住職の坂田正法も講頭の園部も回答不能。しかも、園部の
発言からは講頭自身も信仰の喜びなど感じていないことが判明した。

 以下は、その概要である。

◇   ◇

 登山担当者が春季総登山、支部登山について説明した後の園部の話が面白い。

 「私たちが折伏するとき『この信心したら、え〜よ。毎朝、お寺に行って住職の説法
を聞いて、大石寺に行く、こんな素晴らしいことありませんよ』って言いますよね。
でも果たして、皆、本当にそう思うてるか?」「我々が御本尊と約束して誓願、目標や
言うてるけど、心がそうなってなかったことを、つくづく感じました」と述べていた。

 つまり、講頭自身も信心の素晴らしさなど感じていないうえ「誓願」「約束」と
口では言っても心は違うと告白していたのである。

 そのあと「誰か、何か、質問は…」との呼びかけに、婦人の油井が発言した。

 「えっと、折伏、折伏とおっしゃいますけれどもねぇ、昔は信者の座談会があった
が、この頃、全然ないんですけども……。私が感じたことは信心バカがようけおる
いうことですねん。信心は、そら一生懸命してるかどうか知りませんが、一般社会の
礼儀とか、常識とか、非常にない人が多い。信心も大事、題目も大事やけど、常識の
ない信心バカではね、折伏できないと思います。月に一度くらい座談会して
いただいたら良いと思いますが、以上です」

 園部が「これは法華講のことなんで私の方から言わしていただきます」と言って
「ご住職に、例えば生活や挨拶、草履の揃え方、食事の仕方、色々と指導してもらう」
と言い出す始末。こんなことも坊主の指導を受けるとは初耳だが、以下は支離滅裂
なので省略する。

 再び、油井が発言した。

 「私が感じたのは、折伏に一緒に行っても、その人が非常識でね、折伏される人は、
その人の行為を見て呆れてるんです。非常識な行為の本人だけがケロッとしてます」
 「人の家に折伏に行っといてね、結局、折伏どころか、生活の行儀、作法についての
常識が無さ過ぎます」

 住職の坂田は「心を磨いてない者が傍若無人の振る舞いをしたならば御本尊に傷を
つける。いくら座談会やっても、だめだ、こりゃ」とサジを投げた。この坂田も
信心バカの一人である。

 日蓮大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と教えられ、賢人と
して振る舞うよう指導されていている。

 ニセ法主に率いられた宗門は僧俗共に大聖人の教えを忘れた盲信者である。

372織田信長の子飼い?:2010/02/21(日) 17:21:04
ツウか、若鷹って企業の為に命をかけるサラリーマンの事だろ?



何でニートが若鷹なんだ?

373浪人軍団:2010/02/21(日) 17:26:18
ニートの鷹ってw

374銘銘:2010/02/21(日) 17:28:10
悪知恵だけならカラスにしとけw

375検証会議:2010/02/24(水) 05:39:15
 越 洋

 平成22年2月23日

 最近、日顕宗では「日蓮正宗の信仰」「創価学会員による『友人葬』は間違い
です!」「あなたが拝んでいるのはニセ本尊ではありませんか?」の3種類のA4版
3つ折りリーフレットを一部10円で末寺、法華講に売りつけている。

 これを見た法華講員は、"写真や色使いもおどろおどろしくてセンスも何もあった
ものではない"とぼやいていた。しかも法華講員に一部10円で売りつけていることに
対しても憤りを覚えたという。

 たかだか、10円の負担ぐらいと宗門は思ったのかもしれないが、無料で配布するの
が当然である。どこまでも庶民感覚からかけ離れている宗門のやり方に、この
リーフレットを見て日蓮正宗に入りたいと思う者など誰一人としていない。

 16日、本山では大聖人の御誕生会と恒例の御塔開きが行われた。「日蓮正宗の
信仰」のリーフレットの最後の写真が「東海道随一の五重塔(参詣者で賑わう御塔
開き)」と称して"750年の伝統を受け継ぐ"目玉商品にさせたかったのだろうが、
その日は早朝から深い霧に包まれ、小雨の降る寒い悪天候だった。朝7時から仮御影堂
で日如の導師で献膳、読経、引き題目が行われ、引き続き五重塔において御塔開きの
法要が行われ、日如の説法があった。

 御塔開きといえば、かつて日顕が"この日が国民の休日となることが真の広宣流布の
姿"と珍説法をしたことでも有名である。「仏法西還」なんて言うが、大聖人の仏法を
歪曲し、自分達は懶惰懈怠の遊興ばかり、それで供養だけはチャッカリ強要している。
またまた、平成23年度に法華講から30億集めるなんて、大聖人から厳然とお叱りを
受けることだろう。諸天に見放されたこの日の悪天候が全てを物語っている。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000830.jpg

376検証会議:2010/02/24(水) 22:41:01
 フェイク 第1095号

 (発行=10.02.24)

 恥さらす邪宗門の「大日蓮出版」
 世間に通用しない日蓮正宗のパンフ、小冊子
 注目集める松岡幹夫氏の「法華経の社会哲学」

 僧籍を離れた花野充道博士が同人誌「法華仏教研究」の創刊号で指摘したように、
宗門の出版物が神田の老舗古書店に置かれただけで大喜びするほど、世間の権威に
コンプレックスを持つ集団が日蓮正宗である。

 同博士は「世間の学問を否定して、独善的な閉鎖主義をとっていながら、日蓮正宗の
本を古書店の東陽堂が置いてくれた、と言って喜んでいる」「そんなことで喜ぶくらい
なら、全国の書店に並ぶほどの本を書ける(世間に通用する)人材をどうして育成
しようとしないのか」と、宗門の泣き所を鋭く突いていた。

 そんな日蓮正宗が平成十八年六月、本山の片隅のプレハブ小屋のような場所に
株式会社「大日蓮出版」を立ち上げた。そして、何を勘違いしたのか、公共の出版物と
するに値しないばかりか、古書店にも置いてくれそうもない素人丸出しの低劣な教義書
や粗末な写真集、パンフレットの類を全国の一般書店に流通させ、世間で物笑いの種に
なっているから滑稽だ。

 例えば、ニセ法主2世・日如の空疎な話をまとめた『折伏要文』という本の売り込み
文句には「この御講義で、御法主上人は、折伏の重要性と功徳の大きさについて、
懇切丁寧に御指南されております」とある。

 こんな意味不明の文句を一般人に伝えて、一体、何の意味があるのか。実数は
数万人程度の法華講員以外、手にすら取る者もいない。

 そもそもパンフレットが一部十円、小冊子一冊百円など、明らかに信者向けの価格で
販売されている。

 つまり、本来は公共的な一般書店の棚に、耳慣れない名前の零細教団が身内にだけ
通じる怪しげな出版物を置き、一般購買者に迷惑がられているのである。

 さらに日蓮正宗は、かつて改革同盟の松岡幹夫(雄茂)氏から痛烈に邪義を破折
された時に、シドロモドロになって反論した稚拙な小冊子類まで一般に流通させると
いう、驚くべき恥を晒している。

 松岡氏の整然たる主張に「邪論」「愚問」等々と吠えまくり、「汝」などと上から
目線で物を言う日蓮正宗の時代錯誤に、高名な哲学者の某教授は「これは話に
ならない。品の無さだけで、まともな宗教の本ではないと分かる」と切り捨てたと
いう。

 一方の松岡氏は先日、新著『法華経の社会哲学』(論創社)を出版(写真)、
注目されている。各大学等での講演を収めて、「活の法門」と呼ばれる法華経の精髄
が「自由自在」「すべてを生かす力」にあると述べている。法華経の現代的意義を
論じ、創価学会の池田名誉会長の哲学もわかりやすく解説した良書である。

 この本と大日蓮出版のカルト書を読み比べてみれば、どちらが仏教の真実を
語っているか、一目瞭然である。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000831.jpg

377検証会議:2010/03/05(金) 05:36:54
 大石寺短信 第480号

 平成22年2月25日(木)

 日顕宗の動き

 1. 末寺住職が執行部批判の書簡

 日顕宗の末寺住職とおぼしき匿名僧侶による執行部批判の手紙が、複数の末寺に送付
されたとして話題になっている。

 その手紙は、折伏ができていない寺を回っている「折伏推進委員」や、日顕、日如に
よる「身内優遇の人事」を手厳しく糾弾。折伏推進委員については、”虚偽の折伏成果
を報告している委員が説教しても、だれも耳を傾けない”“折伏推進委員制度は住職の
監視体制が目的”と指摘。末寺に折伏成果を出させるには、“猊下(注・日如)や
執行部が模範を示すのが早道”と冷ややかに記している。また、“優遇人事”について
は、昨年、日如が息子の早瀬道寧や甥の佐藤信暢(大石寺主任理事・佐藤慈暢の息子)
を、困窮寺院の住職や在勤者をさせられている彼らの同期生を尻目に裕福な寺の住職に
据えたことを挙げ、批判している。

 ここ数年、日顕、日如ら上層部への不満、不信が顕在化している。昨年は、福岡・
要言寺などで住職を務めた花野充道が日顕、日如を批判した揚げ句、還俗(坊主を
辞めること)を余儀なくされた。また、楠牟礼慈宝(青森・玄中寺)ら宗会議員9人が
執行部に「質問主意書」を突きつけたものの、あっけなく撤回させられている。

 これまで、じっと耐えてきた坊主たちだが、度重なる供養の強制徴収、無謀な登山の
強要などによって末寺財政がやせ細り、一方で情け容赦ない住職すげ替え人事が
行われる中、我慢の限界を迎えたようだ。公然と決起すれば花野や9人の宗会議員の
ように潰される。ゆえに、今回の手紙のような形で、静かに宗内世論を喚起しようと
いうことか。匿名僧侶の手紙は、「今こそ心ある人々が声をあげなければ、暗黒の海を
漂流し続ける『日蓮正宗丸』は、早晩沈没の憂き目を避けることは出来ない」「この
書状を認めながら、わが胸中に沸々と憤怒のマグマが沸き上がって来ている」と
結ばれているというが、今のほとんどの末寺住職の考え、心情を代弁していると
言えよう。

 これまで、法主の権威を笠に着て、やりたい放題を尽くしてきた日顕、日如の心中は
穏やかではないだろう。


 2. 3月の予定

    7日(日) 広布唱題会(本山・末寺)
    14日(日) 御講(末寺)
    21日(日) 春季彼岸会(本山・末寺)


 ※この時期、折伏ノルマに駆り立てられた坊主・法華講員があの手この手で勧誘して
くることが予想されるため、注意が必要。

378検証会議:2010/03/05(金) 05:37:18
 石山だより

 平成二十二年三月三日

 一、本山の坊さんは気楽なもんだ。内事部は朝九時に出勤。夕方五時には、さっさと
自分の坊や宿舎へ帰っていく。仕事がない。登山者も少ない。

 早く帰って何をやるかと言えば、育児と女房への家庭サービスだ。昔は「気楽な
稼業」と言われていたサラリーマンでも、今はこんなに甘くはない。末寺の坊さんが
食うや食わずの生活をしているのに、本山の坊さんだけは「我が世の春」だ。

 親が大寺院の子弟は、親から小遣いを貰って余裕を見せ「さあ〜、今日も一家揃って
焼き肉でも食いに行くか」だって。

 一、末寺の坊さんは、オンボロ車に乗って何かと大変だ。二十二年度は寺の預貯金の
五%を六月末までに収めなければならない。生活費にも事欠く毎日だ。登山、登山と
言われて、末寺を通り過ぎて本山だけが潤う。法華講は生活費の中から登山のたびに
三万、五万、十万と年がら年中使っている。更に、二十三年度の御供養は、法華講から
三十億円も集めようとしているのだ。こんなに供養!供養!と大騒ぎする宗団は他に
ない。「もうやってられない」と嘆きの声、声、声。

 一、山は山で、悪僧の小川只道が「マジェスタ」を乗り回しているが、この小川が
住んでいる理境坊と石之坊(山根一順)の2ヵ坊の耐震工事を行うことになった。建物
も危ないが、それよりも本山自体が崩壊の危機に直面している。

 正本堂・大客殿を耐震対策なんて嘘を言って破壊した大罰により、本山の土台
そのものが腐り果て崩落している。平成二十七年に五十%増、平成三十三年に
八十万達成なんて虚勢を張っているが、高齢の信者が「その時は、顕チャンも寛チャン
も我々も、この世にはいない」と苦笑していた。

(二代にわたる相承無きニセ法主が威張り、人々を惑わし、不幸にしてきたことか。
大坊鼠)

379検証会議:2010/03/05(金) 05:37:50
 フェイク 第1096号

 (発行=10.03.03)

 思い上がったデマビラ男・樋田昌志
 「妙教」3月号に掲載 妙相寺の折伏の実態㊤
 解散勧告に動揺して脱会した愚か者

 日顕宗の大日蓮出版が発行する「妙教」3月号では、妙相寺(長野市)の法華講支部が
得意気に取り組んでいるインターネットによる折伏推進の様子を掲載している。同寺
では昨年、折伏目標五十世帯に対し百一世帯を達成した旨、坊主の石岡雄哲や講中の
樋田(とよだ)昌志らが自慢している。

 このインターネットによって折伏の相手を探し出す手口を始めたのは樋田という
退転者である。

 そこで本号では樋田を取り上げることにする。

 この樋田に関しては本紙第一〇九三号で簡潔に紹介した通り、デマビラを配布して
告訴され、罰金を支払う羽目になったデマビラ男で、顔はオウム真理教の麻原彰晃に
似た汚い無精ヒゲの風貌(写真)である。

 樋田は昭和三十四年十月生まれの五十歳。長野県上諏訪町から中学時代に長野市へ
移転。長野高校を経て多摩美術大学へ進んだ。

 もともとは画家志望であったが、画家としての才能がなかったのか、道を踏み外した
のか、法論と称する個人的なDVDを自身のホームページで企画制作・販売し、
学会攻撃用のビラも配布するようになった。

 樋田が入会したのは昭和五十五年二月二十二日。だが、清らかな学会組織には
馴染めず、平成三年十一月、日顕宗からの解散勧告に動揺して脱会し、妙相寺の法華講
に入った。平成八年九月には副講頭になったが、その後、再任されなかった。

 非常識な盲信者が揃っている法華講員の中には物好きな者がいて、樋田を信奉し、
行動を共にする愚か者が増えているようだ。総講頭の柳沢喜惣次や大草一男ら大講頭を
慕う者はいないが、樋田のような思い上がったデマビラ男を信奉するというから呆れて
しまう。

 現代の四条金吾?

 「妙教」誌では「入信はどのような人が多いのか」との司会の問いに、石岡が
「インターネットによる折伏によって、約半数近くが創価学会員」と述べ、樋田昌志
のホームページを見て、「全国に創価学会や顕正会を脱会し立ち上がった人たちが
いて、その人がさらに折伏を推進していくというような折伏」と語っている。

 その広がりは、北は北海道から栃木の宇都宮、東京、神奈川、千葉、埼玉、
関東一円。更に愛知、大阪、福岡が主なのだそうだ。

 そして、まず坊主の石岡が各地に赴き、法華講員の基本姿勢を指導し、その後は樋田
が二ヶ月に一度ほど、定期的な形で座談会を開き、法華講員の心得を教えていると
いう。

 まるで総講頭か大講頭気取りの樋田だが、その慢心は己の仕事の行き詰まりについて
の言い訳にも現れている。「四条金吾が同僚の讒言によって、主君の江間氏から
領地替えをされた時のような法難だと私は実感している」だと。

 かつて大草一男や死んだ竜年光が自分を「有徳王」と勘違いしていた時期もあった
が、樋田は自分を四条金吾に喩えるまでに思い上がっている。(つづく)


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380検証会議:2010/03/08(月) 06:16:38
 フェイク 第1097号

 (発行=10.03.04)

 許し難い樋田昌志の悪徳商法
 「妙教」3月号に掲載 妙相寺の折伏の実態㊦
 奈良県で暗躍した樋田一派は粉砕され退散

 増上慢の樋田昌志(長野市・妙相寺支部)の一派が二月二十八日、奈良県五條市の
日顕宗妙住寺に現れた。樋田は一切、姿を見せずに隠れていたようだか、樋田を信奉
している妙住寺、寧楽寺、妙輪寺、法住寺の法華講員に御書講義を通してハッパを
かけ、五條市、御所市、橿原市などの学会員宅を訪問させていた。

 聞くところによると、樋田は日如や日顕から「法華講の中で一番、頑張っている」
旨、褒められたという。

 だから樋田は慢心を起こして総講頭の柳沢、大講頭の大草らを尻目に出過ぎた行為を
しているのだ。

 以前、この奈良の地には妙観講員が来て「合同折伏」と称して学会員宅を回って迷惑
をかけていた。これら妙観講は、地元の学会青年部メンバーによって一掃されたが、
代わって樋田一派が広布の邪魔をするために暗躍しているのである。

 樋田らの手口は、複数の法華講員がチームを組み、初めは斥候となる法華講員が
公明党のポスターを目印にインターホンを鳴らし、応対する学会員がいると隠れている
樋田に繋ぐというやり方だ。

 そして「学会員さんのお宅ですか?」と質問し、学会員宅を探し出しては学会が
日寛上人書写の御本尊に加筆したとか、修正したとか、嘘八百を書いたビラを配布し、
討論の撮影をする。

 因みに、このビラは一枚十円で販売しているということだが、なんともセコイ商売で
ある。

 この日、妙住寺の講員を中心に複数メンバーが徒党を組んで、公明党ポスターの
貼ってある家、それに地元の講員の案内で学会員宅へ押し掛けては悪態をつき、難癖を
つけて回っていた。

 学会員宅では「御本尊を見せてくれ」「学会は戒壇がないからダメ」「宗門は旧い
から尊い」「開眼がない。脇書きを削っている」等々、既に破折され尽くしたこと
ばかり口走っていた。

 しかし、何処に行っても樋田らの一派は追い返され、破折されて成果は上がらず、
無駄骨に終わっていた。

 法螺を吹く樋田昌志

 話題を「妙教」3月号に戻すと、樋田が今は脱会した人達の地域で折伏勉強会を
開き、その模様を全部、インターネットにアップすると、勉強会の模様を見て連絡が
入り、脱会者が続出するという形だ、と大法螺を吹いている。

 樋田の狙いは、学会員を呼び出して動画を撮影し、商売に結び付けることにある。
インターネットを通して、感心を誘い、それに反応するとメールを交換した後で「証拠
のためにビデオ撮影をする」と撮影をムリに承諾させる。

 そして、編集権や配布を樋田に任せると、その後は撮影した映像を自分にとって都合
の良いように勝手に編集しては、ネット投稿動画サイトにサンプルとしてアップして、
そのDVDを通信販売するという汚い手を使うのである。

 場合によっては隠し撮りすることもあるから要注意だ。加えて、最近は学会の会館に
出向いて、応対した警備責任者とのやりとりを撮影する。

 こんな身勝手な行為を石岡も「妙教」誌でインターネット折伏などと奨励する。
実に、ふざけた坊主である。

381検証会議:2010/03/12(金) 09:28:30
 石山だより

 平成二十二年三月十日

 一、弥生3月、やっと春らしい三寒四温の時がやってきた。昔の人はよく言ったもの
で「暑さ寒さも彼岸まで」と。その通りになる。季節は春の到来である。日蓮大聖人も
「冬は必ず春となる」と仰せられた。しかしながら、大聖人に違背する異流義の
「日顕宗」となった大石の山に"春"は永遠に来ない。

 一、全国の末寺には人が来ない。葬儀もない。法事も少ない。塔婆の申し込みも
ない。供養が集まらない故に収入がない。生活が困窮し、子供の養育費にも事欠く
有り様だ。

 一、学会と分かれて今年で二十年になる。本山では頻繁に末寺や法華講から供養を
集め、その結果、本山には金がタンマリ蓄積されている。一方、末寺は平成三年以降、
四〜五年間は貯金を取り崩して、やりくりしてきたが、今や火の車だ。援助寺院も
二四〇ヵ寺を越えていると言われている。一ヵ寺二十五万の援助として、単純に計算
しても月平均六千万円。一年間で七億二千万円となる。それを十五年間として百八億円
にものぼる。これだけの援助金を毎年、出せるのは、山には○千億円もの金があるから
だと解説する老僧もいる。

 一、御影堂の改修にしても、五年も六年もかかるものではない。業者の言いなりに
なって、工期を延ばされて、その都度、予算が膨らみ、いいように金をふんだくられて
いると噂されている。末寺の皆さん!本山は潤沢です。この数年で本山の各坊二十ヵ坊
を新築し、そこら中を整備してきた。末寺のことなんか眼中にない。本来、本山への
供養は不要のはずだ。それなのに欲張りの顕チャン、寛チャンは更に集めようとして
いる。古寺の住職云く「このままでは破産だ。破産する前に離脱を考えなければ」と。
愚かな法主によってみんなが苦しむ。こんな本山の理不尽は許されない。

(海外で大失敗した悪侶、関と毛利。詐欺師もビックリの守銭奴。ゴミみたいな小心者
が威張るでない。大坊無任所鼠)

382検証会議:2010/03/12(金) 09:29:01
 大石寺短信 第481号

 平成22年3月11日(木)

 日顕宗の動き

 1.明年は信者から30億を収奪

 日顕宗では、「立正安国論750年」にかこつけて、またまた、明平成23年度に信者
から計30億もの供養を集めることになった。「立正安国論750年」の特別供養は
平成18年から3年連続で行われ、18年は約23億、19年は約28億、20年は約40億が徴収
され、終了したかに思われた。

 しかしその後、平成21年度までとされていた「立正安国論750年」の記念事業の期間が
26年度まで大幅に延長され、目玉事業である御影堂修復の予算は約30億円から約40億円
に増額。“おまけ”のはずだった塔中坊の建て替えも10カ坊から18カ坊に増え、さらに
常来坊の建て替えや登山事務所の新築など、新たな事業が次々と加えられていった。
つまり、今回の新たな収奪計画は、これらの“やりたい放題”の尻ぬぐいに
ほかならないのだ。

 全末寺からは本年、計10億が強制徴収されることになっている。ある住職は嘆く。
「末寺からは出すばかりで還元されることは全くない。潤っているのは本山だけだ」。
年に何回も登山させられる信者達も、高額の旅費を支払った上に供養まで
むしり取られ、青息吐息。そしてここにきて“アッと驚く”新たな収奪計画の発表で
ある。

 いつも一泊2、30万のスイートルームに泊まり、一食数十万はする食事が当たり前の
日如や日顕に、困窮寺院の住職や信者の苦しみは分かるまい。

 2.宗会議員の言論を封殺する宗規改正

 このほど、日顕宗の宗規が一部改正された。特筆すべきは日顕宗の「議会」である
宗会に関する規程の改正で、「宗務院への質問主意書は複数の議員が連名で提出する
ことはできない」「議長は、質問主意書の内容が不適当であると認めたときは、
当該議員に修正を求め、又は却下することができる」ことになった。要するに改正の
目的は、宗会議員の自由な言論の封じ込めであり、その背景には、昨年、9人の宗会議員
が連名で執行部のやり方に異を唱える質問主意書を提出した一件がある。結局、
その質問主意書を強圧的に撤回させた執行部。自由な意見が飛び交うとよほど都合が
悪いようだ。

 これなら、「議員がもの言えぬ宗会など必要ない」といった声があがるのも至極
当然。もっとも、相承を受けていないインチキ坊主が4半世紀以上も法主の座を占有
してきた教団のこと。“問答無用”こそがルールなのだろう。 相変わらずの物笑い
教団・日顕宗である。

383検証会議:2010/03/12(金) 19:39:10
 フェイク 第1098号

 (発行=10.03.10)

 日顕宗こそが「異流義の一凶」
 富士学林での阿部信彰らの講義を粉砕㊤
 榎木境道、批判する前に学会寄進の寺を出ろ!

 日顕宗・富士学林大学科(法教院)では今年一月十八・二十一日の昼夜、計四回に
わたり「創価学会、異流義への歩みとその破折」と題する課外授業を行い、また一月
から二月にかけて「異流義破折特講」を九回も実施した。特に「異流義破折特講」は
四年生を対象に今年から新たに開始したもので、大学科で四年間も無駄な日々を
過ごした所化に対し、卒業を間近に控えた今、少しは平成二十七年、及び同三十三年の
ノルマ達成に向けての決意を固めさせたいとの魂胆からである。

 この「異流義破折特講」は布教部長の阿部信彰ら五人の坊主が担当していた。

 一方、課外授業で講義したのは榎木境道(鎌倉市・護国寺)で、日顕が講師に指名
した。この課外授業を担当した榎木は昭三十八年に得度。平成二年には学会による
二百カ寺建立寄進の百八番目となる宝清寺(倉敷市)の住職になった。

 その後、同二十一年には尾林が死んだ後の妙光寺(品川区)に土居崎慈成が入り、
その土居崎の後任として、これも学会が建立寄進した鎌倉市の護国寺に入った。

 学会が建立寄進した寺を渡り歩く榎木は、本来ならば学会に感謝こそすれ、批判など
できる立場ではないが、発願主の学会を「現代の一凶」と誹謗して「今後も徹底した
破折を行っていくことが重要である」等々と述べていた。不知恩の堕地獄坊主である。

 「異流義破折特講」の第一回目は一月十四日午後零時四十分から阿部信彰が全体を
総括するような内容を講義。このなかで信彰は「創価学会問題をきっかけに顕正会や
正信会が次々と異流義化し、創価学会も正法誹謗の邪教となった」等々と身勝手な内容
を述べていた。

 だが、こんな俄(にわか)仕込みの「特講」では何の役にも立たないことは言うまで
もない。

 そもそも講義をした信彰をはじめとする講師自身が折伏も出来ないし、顕正会や
正信会にも歯が立たない堕落坊主ばかりである。ましてや学会の正義を破折できる筈が
ない。

 今回の一連の講義は悉く我田引水の内容であり、日蓮正宗こそが相承無きニセ法主・
日顕によって異流義化して「日顕宗」に成り下がった邪教である。

 日顕とその一派は、三宝を破壊して大聖人の仏法を否定し、破和合僧と広布破壊の
大罪を犯したのみならず、身延派迎合、禅寺墓問題、遊戯雑談、宗門私物化などで
日蓮大聖人、日興上人からの厳しい叱責を受け、堕地獄は絶対に間違いない。

 これは日顕一人に限らず、ニセ法主二世・日如の後、誰が登座しようとも異流義の
「日顕宗」に変わりはない。次号では日顕宗の異流義の具体例を浮き彫りにして破折
する。(つづく)

…………………………

 上の写真は課外授業で講義する榎木境道。学会寄進の寺に居座りながら学会
を批判する不知恩の坊主である。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000836.jpg

384検証会議:2010/03/13(土) 06:11:39
 フェイク 第1099号

 (発行=10.03.11)

 日顕を「本仏」と崇めさせる邪教
 富士学林での阿部信彰らの講義を粉砕㊥
 已を「生身の釈迦日蓮」と説くニセ法主

 日顕宗の数多い邪義・邪説の中でも最たるものが宗祖の教えに違背する異流義の
「法主本仏論」である。日顕は自分が「法主本仏論」について発言したのみならず、
息子の阿部信彰をはじめとする坊主、それに法華講員にも日顕自身を「御本仏」と
崇めさせる異流義を喧伝させた。その代表的な例だけでも次の通りである。

 一、「相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮である」(全国教師講習会での日顕自身の
発言。平成九年八月二十八日)

 二、「猊下様が現代における大聖人様」(「大日蓮」平成三年六月号に掲載の
法華講員・内田和子の論文)

 三、内田和子の論文を仕掛けたのが信彰で、東京・府中の学会員に「猊下が何を
言われても信者は『ハハー』と聞くのが信心で、猊下が何をされても、それは全て仏の
慈悲と拝さねばなりません」「猊下ではなく、大聖人の信徒というなら、もう日蓮正宗
の信徒ではありません」との驚くべき邪義を吹き込んでいた。

 四、「大聖人や日興上人、また歴代法主も過去だから迹であり、当代の法主(日顕)
が本である」(平成三年八月の行学講習会での元海外部書記・福田毅道の発言)

 五、「御本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において
一体不二の尊体にまします」(平成三年九月六日付の能化文書)

 この他にも「法主本仏論」は枚挙に暇がない。

 なかでも信彰の発言は、日蓮大聖人との決別まで打ち出し、異流義「日顕宗」の
旗揚げ宣言であった。

 相承がないために「法主信仰」を強要するしか打つ手がなかった日顕は、大聖人の
仏法を貶めて異流義化していった。

 その一つが遊蕩の言い訳に「末法無戒」をネジ曲げ、芸者遊びを一切衆生救済と強弁
した前代未聞の教義歪曲である。

 それは平成四年、日顕が芸者衆に囲まれて鼻の下を伸ばしている写真(昭和六十一年
十一月二十二日、赤坂の超高級料亭で撮影)が露見。この芸者遊びが糾弾されると、
日顕は「大白法」(平成五年三月十六日付)で次のように釈明させた。

 「祝宴の席に芸妓衆を呼び、舞踊等を鑑賞することは、社会的に認知された行為」
 「そこには一切衆生を平等に救済する本宗の末法無戒の精神の裏付けがある」

 大聖人が一切衆生救済の御精神から残された末法無戒の教えまでも日顕は遊興三昧の
言い訳に悪用した。大聖人を愚弄するにも程がある。

 また、芸者写真が露見する以前の平成元年七月十七日、日顕は福島市・曹洞宗白山寺
の墓地に「阿部家先祖代々の墓」を建立した。

 大聖人が「禅天魔」と破折された寺にコッソリ出向いて法要の導師を勤めたのだ。
これも日顕宗の異流義を象徴する問題である。

 スウェーデン製の最高級墓石には「建立之 日顕」と刻まれ、日顕の花押も刻印
されている。この禅寺墓問題が平成三年九月に発覚した時、日顕は「村の共同墓地」
だと遁辞を並べたが、当の白山寺住職が「ここは共同墓地なんかではない」と証言。
市の墓地台帳にも「白山寺墓地」と明記されている。日顕の虚言は破綻したので
あった。

 (つづく)

385検証会議:2010/03/16(火) 00:10:22
 フェイク 第1100号

 (発行=01.03.13)

 日顕直伝の異流義を説く布教部長
 富士学林での阿部信彰らの講義を粉砕㊦
 「唱題で息を吸う時、本尊の命がスーと入る」?

 日顕とバカ息子・信彰による異流義を象徴する説法に「唱題して息を吸う時に御本尊
の命がスー、スーと入ってくる」という邪義がある。これを言い出したのは悩乱した
日顕であった。

 日顕は平成六年七月の教師指導会で、こんな邪説を披露した。曰く「この(息を)吸う
時に、やはりこの信の一念という気持ちにおいて、ていうことはどういうことかという
と、やはりあの、御本尊様と一体となっているんだという心を持って、その気持ち、
その信で御本尊様を拝している形が基本ですから」「ただ息を吸う時にですね、御本尊
を信じるんだから、そのまま御本尊即我が身、我が当体と拝する意味で息を吸うと、
後の今度は吐くお題目がそれに準じた形でどんどんどんどん、こう出てくることを私は
実は感じたんです。まー、そういう点から、やっぱり境智冥合になりやすいといいます
かね」

 邪義の中の大邪義である。

 日蓮大聖人は「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき
只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」と教えられている。

 朝夕、唱題に励むことが自身の生命を磨くことになる。息を吸う、息を吐くのと唱題
の関係など大聖人の仏法とは無縁の妄説である。

 平成十六年八月、妙国寺(東京・板橋区)の御講で、信彰が日顕直伝の邪義を
説いた。「これは師匠から教わった」と前置きして「御本尊様を拝した時にね、息を
吸うでしょ。吸う時にスー、吸う時にね……その吸う時は南無妙法蓮華経と念じながら
スーッと御本尊様の御命を頂く。全部、自分の命の中に入って頂くような気持ちでね」

 信彰の戯言を耳にした法華講員は御講の最中、信彰の真似をして「スー、スー」と
始め、妙国寺本堂には異様な光景が現出した。

 この信彰が今は布教部長になっているが、妙な異流義を吹聴して回り、広めるつもり
なのだろうか?

 日顕や信彰の他にも異流義を率先して実行する坊主が掃いて捨てるほどいる。

 小川只道(理境坊)は平成三年八月四日、大石寺近くの熊久保地区で道端の道祖神に
向かって「厄払い」と称して読経・唱題した。

 また、宮崎・定善寺の石田栄尊は地蔵などが祀られている祠(ほこら)に合掌・
礼拝。昭和五十一年に関慈英(故人・当時は得成寺)は「馬頭観音」の碑(写真)の
開眼法要をした。

 更に、兵庫県・徳成寺の清水孝信は平成元年十二月、ある家のガレージの中で
息絶えた一頭の鹿の厄払いを勧めて「祭壇は五万円、供養五万円、車代二万円」と
計十二万円を要求した。

 これらが日顕宗の実態である。大聖人の仏法において過去に五老僧の系統など様々な
異流義が生じたが、現代の異流義「日顕教」を根絶しなければならない。

386検証会議:2010/03/23(火) 02:01:07
 越 洋

 平成22年3月20日

 あっと驚く『大白法』! 歴史の事実を隠して法華講員に嘘の歴史を植え付けている。
それは3月16月付の『大白法』で『総本山を歩く』と題して「大講堂」を紹介した
記事である。その記事に「昭和33(1958)年、総本山第65世日淳上人の代に
建立されました」とあるだけである。宗門内外を問わず大講堂は、創価学会第二代・
戸田会長が発願し建立寄進した事実は広く知られている。その真実を覆い隠して
創価学会の文字を消している。これは虚偽報道の犯罪的行為にほかならない。

 日蓮正宗には700年来、講堂という建物は存在しなかった。それを戸田会長が
就任以来、構想をあたため、仏法興隆の時を選んで建立寄進の発願をしたのであった。

 学会員の真心の浄財で、昭和31年12月18日の起工式以来、約1年3ヶ月の工事
を経て同33年3月に落成した。そして同年3月1日には「本門大講堂落慶法要」が
営まれ、これには戸田会長をはじめ約6000人の会員も参列した。3月31日までの
約1ヶ月間記念登山が行われ、学会から21万人もの登山者が参拝した。戸田会長の
念願であった75万世帯の達成も成就され、当時では画期的な規模の登山会で、興隆
する創価学会の姿を遺憾なく示したのである。

 日淳上人は創価学会17回総会で「この機会において、まず申し上げたいのは、
創価学会の力によりまして、本山に大講堂が建設されました。今や完成をみるに
たちいたっております。この学会の力にたいしまして、深く御礼の心を申し上げる次第
でございます」と感謝の言葉を述べられていた。

 大講堂の正面に向かって左側には「妙法の 広布の旅は 遠けれど 共に励まし共々に
征かなむ」の歌碑がある。戸田第二代会長が詠み、日淳法主が染筆したものである。

 今回の「大白法」の記事は第65世日淳法主の気持ちを踏みにじり、学会を冒涜する
ものであり、日顕・日如ら忘恩の日顕宗を象徴している出来事と言うべきだ。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000839.jpg

387検証会議:2010/03/24(水) 13:33:06
 フェイク 第1101号

 (発行=10.03.23)

 「法主の開眼・認可」など不要!
 埼玉県・常生寺の法華講も下劣なビラ配布
 授与書き抹消、文字の改竄は全てデマ

 日顕宗の盲信者共が、性懲りもなく日寛上人書写の御本尊を誹謗するデマビラを各地
で配布している。このうち樋田昌志(長野市・妙相寺支部)一派の怪しげな動きに
ついては本紙一〇九六・一〇九七号で報じたが、最近は埼玉県・浦和の常生寺
(平野選道)などの法華講員も樋田一派を真似した下劣なビラを作って配布して回って
いる。

 この誹謗ビラでは日寛上人の御本尊について①法主の許可がない②授与書きを抹消
している③御文字を改ざんしている、と妄言を書いているが、これらは全て何度も破折
し尽くしている。

 特に、本紙一〇五六・一〇五七・一〇五八・一〇五九・一〇六二・一〇六三・
一〇六四・一〇六五号では、御本尊の①相貌 ②授与書き ③開眼 ④許可、の四つの視点
から日顕宗僧俗の戯言に破折を加えた。

 そこで本号では要点だけを述べて破折する。まず、法主の許可と開眼については全く
必要ないのである。

 日蓮正宗の最後の法主・細井日達師の時代になって、当代の形木本尊が下付される
ようになったが、それ以前の学会草創期、日寛上人が享保三年に書写された御形木本尊
が下付され、更に、その前は各末寺が異なる形木本尊を下付していた。

 例えば、讃岐本門寺では塔中坊に安置されていた日興上人書写の御本尊を御形木に
して檀徒に下付。東京の妙光寺では日布(大石寺第五五世)、法道院は日応
(第五六世)、常在寺は日正(第五七世)というように末寺によって違った形木本尊を
下付。それらの御本尊を当時の法主が一つ一つ開眼し、或いは法主が交替する度に認可
をやり直していた事実はない。

 日亨上人は「宗運漸次に開けて・異族に海外に妙法の唱へ盛なるに至らば・
曼荼羅授与の事豈法主御一人の手に成ることを得んや」と「有師化儀抄註解」に
記されている。世界広布の現在、日顕宗が言う「法主の開眼・認可が必要」というのは
間違いなのである。

 「万機万縁」の御本尊

 次に授与書き抹消については坊主の難癖である。授与書きは、御本尊の本体とは関係
がない。したがって、学会が授与している御形木御本尊は日顕宗の輩が騒ぐような
「授与書きを削った」のではなく、正確には「御本尊の本体だけを御形木御本尊に
した」のである。淨圓寺所蔵の御真筆の御本尊には一切、手は加えられていない事を
付言しておく。

 因みに、学会草創期に授与された日寛上人の御形木御本尊も、近年の御形木専用に
書写された御本尊と違って、左上に「授与之」という文字が記されていない。

 即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、
授与書きがない点も、法主による開眼がなかったという点までも、現在の学会授与の
享保五年の日寛上人の御形木御本尊と全く同じなのである。

 歴代法主の御本尊は一閻浮提総与の大御本尊を書写している以上、それが誰に授与
されたにせよ、「一機一縁の御本尊」ではなく「万機万縁の御本尊」である。

 日寛上人の御形木御本尊に無量無辺の功徳があることは多くの学会員が体験し、証明
している通りである。

388検証会議:2010/03/28(日) 02:11:40
 越 洋

 平成22年3月25日

 3月16月付の『大白法』で大講堂を紹介した記事に虚偽の犯罪的行為がある旨、
前号で指摘したところ、それに加えて、日顕をはじめとする宗門が聖域の大講堂を、
いかに汚してきたかも糾弾して欲しい、との要望が多く寄せられた。

 正式名称を「法華本門大講堂」という、この堂々たる威容の建物は創価学会の
戸田第二代会長が発願、仏法研鑽の根本道場として建立寄進した。しかし、日顕らは
仏法研鑽ではなく、飲み食いの遊興の場として汚してきた。特に、平成16年8月6日、
日顕の「盗座二十五周年祝賀会」を大講堂で開催した。その時、弟子一同から二百万円
もの緞子(どんす)の法衣を贈られて上機嫌の日顕だった。席上、八木は日顕に
言われるまま「御法主上人猊下様の今の一番弟子は阿部信彰様で、私も尊敬して
います」と発言。暴力坊主の信彰に相承させる魂胆で猿芝居を演じたことは記憶に
新しい。

 また、日顕は退座直前にも大講堂に坊主や寺族を集めて大宴会。ホテルの料理人に
特別な高級料理を作らせ、飲み放題、食い放題、歌あり、踊りありのドンチャン騒ぎ。
この時は日顕もカラオケのマイクを握って下手な歌を歌ったが、このように日顕宗は
大講堂をドンチャン騒ぎの宴会場にしてきたのだ。

 平成18年5月には光久日康が、宗門の衰退を見かねて日顕と執行部を批判。
①宗門の疲弊を招いたのは学会破門が原因である②宗門トップは学会に謝罪し、
話し合うべきだ、と主張。常識をもちあわせている人間なら当然、思っていることだ。
だが、日顕らは同年8月29日に大講堂での教師指導会で、正論を述べた光久に全員の
前で謝罪させたのである。驕り高ぶり、仏道修行を怠る日顕らがやりそうなことだ。

 そもそも大講堂とは、学僧が仏法を研鑽するための場であり、教学を講義する堂宇と
いう意味をもつ。かつての比叡山延暦寺の大講堂は、当時の学識の中心地であった。

 「法華本門大講堂」建立が構想されるや、比叡山の大講堂は焼失した。その迹門の
大講堂に代わって本門大講堂が一閻浮提広宣流布という戸田会長の遠大な構想から
建立寄進された意義は深いものがあった。

 現状を戸田会長が知れば「坊主の宴会のために寄進したのではない」と厳しく叱責
されることだろう。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000841.jpg

389検証会議:2010/03/28(日) 02:12:01
 大石寺短信 第482号

 平成22年3月25日(木)

 日顕宗の動き

 1.軽視されている日如の「指南」

 日顕宗の宗務院から末寺住職宛てに「御法主上人猊下御指南の拝読と実践の件」と
題する文書が配信された。文書には「御法主上人猊下の御指南を繰り返し拝読して心に
刻み、今なすべき信行を確実に実践することが肝要」とあり、「講員とともに熟読して
御指南等の趣旨を徹底し、かつ実践するよう」命じている。要するに、「猊下の御指南
が読まれていないので、しっかり読むように」と言いたいわけだが、日如が法主に
なって4年、なぜ今さらこのような“お触れ”を出さなければならないのか。それは
日如の説法を軽視している坊主、法華講員が多いからである。

 日如はこれまで、「御指南集」なる小冊子を5部出しているが、売れ行きはさっぱり。“日顕宗の実質的な機関紙”と裁判所も認定した「慧妙」でさえ、一度も日如の本の
広告を載せたことがない。妙観講の指導教師の小川只道関連の本や怪しい脱会者の本の
広告は、毎回載せているにもかかわらずである。

 それもこれも日如の話がつまらないゆえ。日如のそれは、実践の裏付けのない観念論
だから、聞く者の心を打たないのだ。

 説法の度に“謗法を責めろ”と勇ましい日如。ハッパをかける前に、まずは自ら他宗
の高僧たちと“法論対決”でもやってみてはどうか。法論でボロボロに打ちのめされた
としても、そのなりふり構わぬ姿に心を動かされた坊主や信者が、少しは話に耳を
傾けてくれるのではないか。

 2.宗内人事

 北海道・妙峰寺の住職に本山・大坊の内海雄幸(40)が入る。
 同寺住職の布施谷雄治(82)は隠居となる。
 また、神奈川・妙寿寺の副住職に、兵庫・堅持院事務所の住職で、妙寿寺住職・
佐藤正英(78)の娘婿の遠藤朝道(55)が就き、堅持院事務所には東京・法道院在勤の
藤原雄開(66)が入る。藤原は総監・八木の妻の弟。

 3.4月の予定

 4日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
 6日(火) 虫払法要(本山〜7日)
 11日(日) 御講(末寺)
 28日(水) 立宗会(本山、末寺)

390検証会議:2010/03/28(日) 02:12:23
 フェイク 第1102号

 (発行=10.03.26)

 大石寺から消えた「桜の名所」
 日顕が日達法主お手植えの桜も切り倒す
 目立つのは殺風景の無駄な駐車場だけ

 各地から「花だより」が相次いでいるが、大石寺からは「桜の名所」が消えて
しまった。日顕の命令で数万本もの桜を伐採したためである。特に、塔の原から東山
(池田山)駐車場は桜が皆無に近い状態になった。総門前も以前は富士山と桜の
写真スポットで、大勢のプロ、アマのカメラマンが集まって撮影していたが、ここも
駐車場の入り口確保のために枝振りの良い桜を無惨にも切り倒したために、撮影には
不向きになった。

 周辺の人達は「樹齢四十年の立派な桜を伐採した。環境問題が騒がれている折り、
何故、使用しない駐車場ばかり作るのか?」

 「池田山は桜が全然なくなり、昔はピンク一色になっていたのが嘘のようだ」

 「昔は、街の方から眺めると大石寺一帯が美しいピンクに染まって見えたものだ。
今では見る影もない。最近では学会の富士桜墓園が富士宮を代表する桜の名所に
なった」等と語っている。

 今、大石寺には総坊駐車場、東の山駐車場(池田山跡地)など駐車場だらけだが、
登山者は少数で観光客からも見放され、衰亡に拍車がかかっている。

 池田山の桜は、昭和四十七年の正本堂落慶に際し、池田会長(当時)が大御本尊を
十万本以上の桜で荘厳しようと供養して前年の昭和四十六年四月二十八日、立宗宣言の
佳日に潤井川の東側の丘陵で「植樹祭」を挙行した。苗木は関係者が全国各地に飛んで
最良のものを集め、日達法主と会長が桜、楠、藤、梅、ツツジの五本の苗木を植樹
した。

 この時、日達法主は「池田先生が総本山一帯に十万余本の桜を植えて、大御本尊に
御供養申し上げた」と讃嘆。「私は此の山を『池田山』と命名致しました」「今後とも
此の『池田山』を大切に愛護して下さるようお願い致します」と述べていた。

 この植樹祭の司会は阿部信雄(日顕)だったが、「C作戦」の後、日顕が平成四年
十一月に総坊前の桜百五十二本、翌五年一月に六十六本、総坊南側の六十本を
切り倒したのを手始めに、十三・十四年には常灯ケ峰の周辺、十六年には総一坊と
総二坊周辺、及び「池田山」の桜を大々的に伐採し、十七年には五重塔北側の桜も無惨
に伐採した。十九年には旧富士美術館北側でも大量の桜を伐採。二十一年には経蔵と
宝物殿の間や宝物殿の傍の桜も切り、向原駐車場の傍でも伐採した。

 今年一月にも総門南側の桜を切り、根を掘り起こし、石垣を崩した。それらの伐採の
口実は「駐車場の拡張と増設のため」「テングス病のため」等とのことだが、
テングス病は手入れすれば避けられる。使われない駐車場の拡張・増設は無用の長物。
このテングス病よりも危険な建築物破壊病、供養浪費・遊蕩病の日顕の追放こそが急務
といえる。

………………
 桜の苗木を植樹する日達法主。この桜の木も日顕が切り倒した。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000842.jpg

391検証会議:2010/03/31(水) 23:56:21
 フェイク 第1103号

 (発行=10.03.30)

 日顕宗に「インチキ折伏」が横行
 「古来から御授戒」は嘘、制定は昭和四十一年
 法華講員に「再授戒」して成果に

 日顕宗では「水増し成果」「インチキ折伏」が後を絶たない。特に、折伏成果を
「世帯」ではなく「人数」で数えると変更した日顕宗。過去にもホームレスの入信者を
何十人も作り、住所不定や行方不明の人の名前を勝手に成果に入れていた法道院
(東京・池袋)、子どもが連れてきた友達の小学生を「内得信仰」扱いにして成果に
数える宣行寺(埼玉・草加市)、複数の講員が紹介者になって何体もの本尊を渡した
法霑寺(北九州市)等々、目に余るインチキが指摘されていた。

 なかでも今、ニセ法主になっている早瀬日如がいた頃の法道院では「再授戒」と
称して講員に二度目の御授戒を受けさせて成果にし、宗内に不信感を高めたが、最近は
本山・了性坊の原田輝道が「再授戒」を真似て、既に檀徒になっている者に対して
再度、集団で御授戒を受けさせ、折伏の成果にして誤魔化しているという噂が広がって
いる。

 了性坊の檀徒の中には神社の氏子になっている者もいるが、これら氏子を教導も
しないで「再授戒」するとは日蓮大聖人、日興上人に対する冒涜以外の何ものでも
ない。

 折伏成果の締め付けが激しくなっている日顕宗では、今後は益々、いい加減な
「水増し成果」「インチキ折伏」がエスカレートするだろう。

 ところで、宗門は「古来、御本尊は法主によって御開眼……」「古来、御授戒を
行って御本尊を下付……」と「古来」を力説するが、これは大ウソ。「開眼」が
無かったことは本紙で再三、述べてきたので、本号では御授戒について触れる。

 日亨上人が御授戒の儀式について「近古に至って、にわかにその式が新設せられた」
と記されている通り、宗門が「授戒文」を制定したのは昭和四十一年二月九日である
(下の資料を参照)。

 実際、大聖人御在世においては出家の弟子に対してさえ最蓮房以外には授戒されたと
いう記録は残っておらず、ましてや在家の信徒が授戒を受けた記録はない。

 本来、「授戒」は入会に際して一つのケジメとして始められたもので
「昭和十二年頃、学会の草創期に牧口初代会長が宗門に依頼して始められた」とは、
当時をよく知る学会の和泉覚氏(故人、元最高指導会議議長)の話である。

 学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人もおらず、「授戒」の必要もなかった。

 「授戒文」制定の理由は、「各寺約十指に余る夫々の様式」「その中には二、三意義
に於いて、過不足と思われるものも認められる」「宗門的見地より統一する必要がある
と思われる」というものだった。

 即ち、昔は御授戒など行っていなかった宗門は、学会に入会する人に対して実施する
ようになったが、各寺はバラバラだった。そこで昭和四十一年に正式に制定した経緯が
あり、今の勧誡も授戒も深い意味はない。

…………………………

 院第一〇一三号
  昭和四十一年二月九日
           日蓮正宗宗務院

 全国住職主管並事務取扱者殿
  一、授戒文制定に関する件
 今般、宗門に於る授戒文を左の通り制定した
 ので、今後統一して実施されたい。
 右、通達する。

         記

 一、今身より仏身に至るまで、爾前迹門の邪
 法邪師の邪義を捨てて、法華本門の正法正師
 の正義を持ち奉るや 否や(持ち奉るべし)

 一、今身より仏身に至るまで、爾前迹門の謗
 法を捨てて、法華本門の本尊と戒壇と題目を
 持ち奉るや否や     (持ち奉るべし)

 一、今身より仏身に至るまで、爾前迹門の不
 妄語戒を捨てて、法華本門の不妄語戒を持ち
 奉るや否や       (持ち奉るべし)

                  以 上

392検証会議:2010/04/07(水) 00:53:42
 越 洋

 平成22年4月2日

 桜花爛漫の昭和33年4月2日、戸田会長が75万世帯の誓願を成就され、58歳で
ご逝去なされて52星霜。その半月前の3月16日、大講堂のエレベーターで戸田会長
から「俺はもう死んでもいい。あとはお前だよ」と後継のバトンを託された池田先生。
この「3・16」は崇高なる師弟継承の儀式であった。その池田先生の死身弘法・
不惜身命の実践により、世界広宣流布は192ヶ国・地域にまで拡大された。

 世界の大学から280の名誉学術称号を受けられ、トインビー博士をはじめ世界の
約7千人の著名人と対話された池田先生の仏法を基調とした平和・文化運動の軌跡は、
誰人も否定できない。宗開両祖も三世十方の仏菩薩も讃歎を惜しまないだろう。

 戸田会長は昭和29年2月27日の本部幹部会で次のように指導された。

 「広宣流布を成すのは、学会以外にない。これにそむけば五逆罪になる。学会を
離れてしあわせのものはいない。功徳のあるわけが無い。――(五逆罪は)和合僧を
破る。心の和合を破壊し、仏の道を破壊することである。僧というとへんだと思うかも
しれぬが、坊さんのことではないのです。わが学会は、和合して、広布へ、
日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを
破ろうとするものは、かならず仏法の大きな罰を受ける。もし破ろうとするもの
あらば、やってみたまえ。内から外からやってみたまえ。ぜったいにできぬ」と。

 日顕は昭和22年、東京・向島の本行寺住職になった時から、ことあるごとに反学会
の急先鋒として動いていた。昭和27年の「狸祭り事件」で、戸田会長の登山止めを
宗会が決議した時も、宗会議員に何度も電話をかけ、学会に屈することなく頑張って
もらいたいとエ−ルを送っていた。

 また、宗教法人法が施行され、学会が宗教法人法の認証を取ることになったが、
これに強硬に反対したのも日顕だった。

 その日顕が法主になって「C作戦」を決行したが、学会の和合僧を壊すことは
出来なかった。戸田会長の指導の如く、第六天の魔王の日顕が、あらゆる手を使っても
壊すことが出来なかった。この事実こそ、学会が真実の和合僧団であることの証明で
ある。

 片や、不知恩の日顕、日如に率いられた宗門は衰退の一途をたどっている。

 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(聖人御難事)との大聖人の
御指南通り、宗門は仏法の因果の理法により滅び去ることは明々白々である。

393検証会議:2010/04/07(水) 00:54:04
 フェイク 第1104号

 (発行=10.04.05)

 日顕父子の異流儀には釈明不能
 大謗法を誤魔化す「慧妙」の捏造記事を破す
 祈祷の責任を檀家に転嫁、教導せず供養貰う

 日顕宗のクズ新聞「慧妙」は我見の間違い記事を掲載して、宗門関係者に嫌われて
いるが、四月一日付でも捏造記事を載せ、坊主の謗法に恥の上塗りをしている。

 今回は「日顕宗は異流義だ」と指摘した本紙第一一〇〇号への反論のつもりらしく、
一面全面を使って「正宗を『異流義』呼ばわりする『フェイク』を破す」等々、大仰な
見出しを付け、坊主共の謗法行為について経緯を説明し、弁解している。

 本紙が「日顕宗の異流義の具体例を浮き彫りにして破折する」として挙げた日顕宗の
異流義と謗法の実例は七項目であった。

 そのうち本紙一〇九九号では「相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮である」
(教師講習会での日顕自身の発言。平成九年八月二十八日)をはじめ「猊下様が現代に
おける大聖人様」「大御本尊と不二の尊体」と法華講や能化に言わせた妄言に代表
される「日顕本仏論」について糾弾した。 

 ところが、「慧妙」は、この「日顕本仏論」の邪義に一切、触れることも出来ずに
逃げている。

 「慧妙」の実質的な編集責任者で、このほど、大講頭に再任されて狂喜している
大草一男に重ねて問う。「ニセ法主の日顕や日如は、本当に御本仏なのか?」

 本紙の指弾には反論も釈明も出来もしないくせに、「『フェイク』を破す」とは
笑止千万!

 因みに、本紙第一一〇〇号で具体例として挙げた日顕宗の六項目の異流義とは
次の通り。

 一、日顕のバカ息子・信彰の異流義を象徴する説法として「唱題して息を吸う時に
御本尊の命がスー、スーと入ってくる」という邪義がある。

 二、日顕は平成六年七月の教師指導会で「ただ息を吸う時にですね、御本尊を
信じるんだから、そのまま御本尊即我が身、我が当体と拝する意味で息を吸うと、後の
今度は吐くお題目がそれに準じた形でどんどんどんどん、こう出てくることを私は実は
感じたんです」と意味不明の妄説を述べた。

 三、小川只道(理境坊)は平成三年八月四日、大石寺近くの熊久保地区で道端の
道祖神に向かって「厄払い」と称して読経・唱題し、供養を受け取った。

 四、宮崎・定善寺の石田栄尊は地蔵などが祀られている祠(ほこら)に合掌・礼拝
した。

 五、昭和五十一年に関慈英(故人・当時は得成寺)は「馬頭観音」の碑の開眼法要を
した。

 六、兵庫県・徳成寺の清水孝信は平成元年十二月、ある家のガレージの中で息絶えた
一頭の鹿の厄払いを勧めて「祭壇は五万円、供養五万円、車代二万円」と計十二万円を
要求した。

 「鹿の厄払い」は正当か?

 この六項目のうち「慧妙」が言い逃れようとしているのは三、四、五の三項目のみ
で、それも「檀家に頼まれた」云々と卑怯にも檀家に責任を転嫁する釈明だ。

 大石寺理事や住職の地位にいる坊主が十分な教導もせず、安易に祈祷に応じて供養を
貰い、与同罪を積んでいるのが日顕宗である。「慧妙」よ、今回は触れなかった
「日顕本仏論」や日顕・信彰父子の邪説、清水孝信の鹿の厄払いに関する弁解の屁理屈
はどうした?

394検証会議:2010/04/09(金) 21:14:24
 フェイク 第1105号

 (発行=10.04.08)

 日顕や藤本の女房が邪宗巡り
 宗門の謗法を指弾、「慧妙」の戯言を嗤う㊤
 高野山に参詣し宿泊、平安神宮にも参拝

 日顕宗の数多くの異流義と大謗法を本紙(第一〇九九・一一〇〇号など)で指摘した
のに対して「慧妙」四月一日付が、学会も、どこそこに寄付をした云々と戯言を書いて
いた。

 他宗への寄付をいうなら、何よりもまず、日顕宗の坊主である岸本恭済(法勤寺)が
昭和六十一年十月、群馬県の「安中秋季大祭」の際に、熊野神社の奉納に供される
「山車」の製作のために寄付をしたことを問題にするべきである。

 しかも、岸本らの寄付によって完成した「山車」は、神社の宮司のお祓いまで受けた
のである。

 また、神社の氏子総代と法華講幹部とを兼務している者もいる。「慧妙」は、
こうした宗開両祖に違背する日顕宗僧俗の実態を調べて糾弾するのが先決であろう。

 ニセ法主・日顕は十指に余る謗法を重ねたが、その大罪の極めつけは「人法一箇の
大御本尊根本」の宗旨を「ニセ法主根本」の「日顕宗」に改変し、開祖・日興上人の
遺誡に真っ向から背いて身延派日蓮宗にすり寄るという大謗法を犯すに至ったことで
ある。

 そこで、日顕宗の数多い謗法の中でも特に、日顕をはじめとする坊主らの身延派など
他宗派との交流・親睦を指弾する。

 富士学林の所化らが、身延山や比叡山に参詣するのは恒例行事になっているが、
この他にも住職共の謗法との深い交わりは枚挙に暇がない程である。

 はじめに、これは周知の事実だが、日顕は平成元年七月十七日に福島市内の禅寺・
白山寺に先祖の墓を建立し、自ら出向いて法要を強行した。

 この「禅寺墓問題」が露見したのは同三年九月のことで、純真な学会員は仰天した
が、宗門の坊主共に驚きはなかったという。

 というのも、宗門の坊主に限らず、その女房連中も邪宗に対しては、今も昔も親近感
を抱いているとの理由からである。とりわけ宗門坊主や寺族の邪宗巡りは以前から
行われ、決して珍しいことではない。

 例えば、昭和三十九年秋、日顕の女房・政子、重役の藤本日潤の女房・礼子らが、
吉田日勇(当時・渉外部長)らと共に真言宗の本山・高野山に参詣した。

 しかも、吉田日勇らは同行の婦人達と一緒に謗法の寺内に一泊したのであった。

 そして、吉田と政子・礼子らは一夜を共に過ごしての帰途、今度は京都の平安神宮に
立ち寄って参拝したのである。

 これらの寺族の謗法について「慧妙」は弁解のため、どんな屁理屈を並べるか?
 楽しみに待っている。

 ……………………………

平安神宮に参拝した日顕の女房・政子、藤本日潤の女房・礼子ら寺族の一行

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000846.jpg

395求道者:2010/04/10(土) 08:36:53
日精を除歴したように、正宗に自浄能力があらんことを願う

396検証会議:2010/04/12(月) 23:38:57
 越 洋

 平成22年4月9日

 凋落の一途を辿る宗門を反映した陰惨たる平成22年度の虫払い法要が6日、7日に
大石寺で行われた。4月というのに肌寒く、途中からは雨に降られ、昼には湿度が
78%という不快指数が最悪の一日だった。「なぜこんな日に虫払いをするのか?」
「かえって御真筆が傷んでしまうじゃないか!」と参加者が口々に語っていた。

 境内を歩いていた講員は「山内の桜を見ようと一周したが、アッチもコッチも
使われない駐車場ばかりだ。こんなに駐車場を作ってどうするのか? 自然破壊も
著しい。以前は全山が桜で心から楽しめたのに」と嘆いていた。大石寺の桜を撮影に
来ていたカメラマンも「総門脇の桜が新坊建設のために伐採され、富士山と桜の写真を
撮る絶好の場所がなくなって、本当に残念だ」と嘆く。

 信者ばかりか、市民からも見放されてしまった。年中行事の虫払いは信心の歓喜など
何もわかない。こんな形だけの儀式など即刻止め、今こそ本当の害虫駆除をやるべき
だ。それは毎日の清掃と虫が住めないような環境作りと言われている。その最悪の害虫
は日顕である。

 宗旨を汚し、世界中に日蓮正宗の名を辱(はずかし)めた害虫を速やかに駆除すべき
だ。隠居の身でありながら月々数百万もの給料と供養を懐に入れ、ベンツに乗り、教師
を二人も従え、手伝いの女性二人も使っている。「粥(かゆ)を啜(すす)って…」と
泣いて騙して19年。お前は、ただの一度でも粥を啜ったことがあるのか!
 援助寺院の住職の生活苦を見たら許せることではない。日顕が蓮葉庵へ来ると、今も
八木、信彰と三人で、何やらヒソヒソと打ち合わせをして蠢(うごめ)いている。

 こうした日顕一派の害虫が巣くわないような環境作りが急務である。法華講員に供養
を請求する前に、日顕一派の多額の給料の大幅カットを断行し、徹底した経費節減の
環境を整えるべきである。そうでなければ不景気のご時世、経済苦の年金生活者が多い
法華講は今後、誰一人、供養を出さなくなるに違いない。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000847.jpg

397検証会議:2010/04/13(火) 02:09:56
 フェイク 第1106号

 (発行=10.04.12)

 日興上人に背き身延派と親交深める
 宗門の謗法を指弾、「慧妙」の戯言を嗤う㊦
 日顕の「波木井礼讃」で異流儀に加速

 ニセ法主の日顕が悩乱して「C作戦」を強行した平成二年十二月以降、大石寺は
身延派に急接近するようになった。大石寺と身延派は相互に登山・参詣し、偽り
親しんで交流を深めるようになったが、その親交は日顕が、大謗法の波木井実長を礼賛
したことに始まる。

 六老僧の一人・民部日向が弘安八年(一二八五年)に身延に登山し、日興上人から
学頭に任じられたが、翌年頃から軟風にかぶれた誤った法門を唱え始め、波木井も日向
の悪影響を受け、①釈迦仏像の造立②神社の参詣③念仏の石塔への供養④念仏道場の
建立、という四つの大謗法を犯した。そのため日興上人が断腸の思いで身延を離山
されたのは周知の事実である。

 日顕は、この波木井を絶賛したのだ。「大聖人様御在世当時の波木井実長の功績
たるや、大変なものです」(平成三年七月、全国教師指導会)、「大聖人様の三大秘法
の具現という大仏法の深い意義が波木井実長の外護によって行われたということは、
今日において二百カ寺、三百カ寺の寺院を造るよりもなお、根源的な意味において
大きな功績であります」(同年十一月、教師指導会)、「この波木井実長の、大聖人様
の仏法の一番根本の功徳を成就するという上の、いわゆる外護という面の功績に
おきましては、創価学会の近年における宗門の外護と比べ、その本義においては比較に
ならないほど大きい」(平成四年六月、東北第一布教区親教)等と称賛し続けた。

 その日顕も以前は「大聖人は波木井実長の信心を、始めからあまり信用なさっては
おられませんでした」(昭和五十五年の愛知・泰福寺親修)と正論を述べ、特に、
平成二年十月の大石寺開創七百年慶讃大法要(初会)では「日向と実長が我見、我意に
執して日興上人の重々の教誡を蔑ろにする姿に対し、いかに心を砕いて訓すとも如何
ともすべからざるを悟られたのであります」と波木井の悪行を指摘。慶讃文でも
「身延山久遠寺を離れ富士の地に正法流布の根源たる精舎を建立し給ふ 其の所以は
一には民部日向の教唆による波木井諸種の謗法にあり」と日興上人の「身延離山」の
原因の第一に波木井の謗法をあげていた。

 狂乱・日顕の波木井讃嘆は身延派を喜ばせた。日顕の再三の波木井礼讃に呼応して
身延山・志摩坊の佐藤順映が、平成四年三月に「大石寺を門下連合へ」という提言を
日蓮宗内に発して、大きな話題になった。

 このエール交換の後、大石寺と身延山久遠寺(写真は久遠寺の三門)との交流が進展
した。身延僧の大石寺研修(平成六年十一月)、池上本門寺貫首の田中日淳(日蓮宗
管長)ら三十二人が登山して高野日海が歓迎(平成七年六月)、総講頭の柳沢らの
身延参拝(平成七年八月)をはじめ前川慈肇、水島公正、関快道、落合尊福、舟橋義秀
ら坊主共の身延派寺院への巡拝など交流が活発化したのだ。

 「慧妙」は学会が異流義などと見当違いの記事を載せているが、日顕こそが巨悪の
元凶なのである。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000848.jpg

398検証会議:2010/04/19(月) 14:31:30
 越 洋

 平成22年4月16日

 4月16日は『チャップリン・デー』として広く知られている。20世紀最大の映画作家・
喜劇俳優のチャールズ・チャップリンは1889(明治22)年のこの日、イギリスに
生まれた。貧しさをバネに喜劇俳優になり、社会に対する抗議を涙と笑いの映画に
こめて世界的な人気者になった。『モダン・タイムス』『ライムライト』
『チャップリンの独裁者』など多数の作品は今も尚、世界中から親しまれ、特に、
人間的な『笑い』によって、最も非人間的な『暴力』と戦った等々と高い評価を得て
いる。

 宗門が総講頭罷免など権威権力を剥(む)き出しにしたのは平成2年暮であったが、
翌3年1月6日に開催された第37回本部幹部会では、池田名誉会長のスピーチを
通し、学会は "喜劇王"チャップリンのように、いかなる権威権力をも笑い飛ばし
ながら宗教改革の正義の道を邁進することを確認した。

 一方、日蓮正宗大石寺の平成3年は軍歌『敵は幾万』の大合唱で明けた。6日、
本山・大講堂での「全国末寺住職・寺族初登山」の席上、本住坊(当時)の秋元意道が
音頭(おんど)をとり、全員が軍歌を大合唱。日顕は満足げに聞きいっていた。

 この「軍歌事件」は日顕が最初から学会を善導するつもりなどカケラもなく、一千万
の信徒団体を不倶戴天の「敵」と看做(みな)していたことを象徴的に示している。

 以来、宗門は98%の信徒を失い、弱小の邪教に成り下がった。残った僅か数万の
法華講は登山地獄、供養地獄、結集地獄に苦しみ、今では不平不満が充満している。

 先月27日の大石寺での講頭会でも某講頭が立ち上がって「昨年で最後と言っていた
のに、また4回目の特別供養(30億)なんて、みんなには言えない」等々と発言。
会場から一斉に賛同の拍手が沸き起こったほどである。

 チャップリンは晩年、第二次世界大戦が終幕を迎える頃、アメリカを追われた。
しかし、追放から20年の歳月を経た1972年、チャップリンはハリウッドに招かれ、
アカデミー賞を受賞、名誉も回復された。総講頭罷免より20年の本年、「C作戦」を
断行した日顕の決断が狂っていたことを今こそ総括し、満天下に示す時が来た。

399検証会議:2010/04/19(月) 14:31:55
 越 洋

 平成22年4月18日

 間もなく立宗758年を迎える。"立宗宣言"といえば平成14年3月28日、日顕が
思いつきで「立宗二回説」を主張し、強引に「開宣大法要」を行ったが、10年も
たたないうちに法華講員からも忘れ去られ「そんな法要があったのか?"立宗宣言"は
4月28日でしょ。なんで3月にするの?」と疑問の声が起こっている。"もう御供養を
強要されるのは我慢できない!! "と法華講員は総スカンをしている。

 そもそも「立宗二回説」という珍説など"立宗宣言"をなされた大聖人ご自身も、
第二祖日興上人、第三祖日目上人、日寛上人、日亨上人さえ立宗2回説などといわれて
いない。当然、日蓮宗各派からも無視され、顕正会からも嘲笑された。

 なぜ日顕は、昭和54年に登座してから23年も経ってから「立宗二回説」を
ブチ挙げたのか。それは自身のシアトル裁判の大惨敗を覆い隠すために思いついたに
すぎない。そして自分が碩学の堀日亨上人よりも如何に大学者であるかを装うため
「あの人は学者だから」と蔑み、亨師編纂の「御書全集」に対抗して間違いだらけの
「平成新編御書」を刊行するなど、まさに日顕こそ増上慢の権化である。

 かつて、創価学会第二代戸田会長は『創価学会の歴史と確信』の中で「御僧侶を
尊び、悪侶はいましめ、悪坊主を破り、宗団を外敵より守って、僧俗一体たらんと
願い、日蓮正宗教団を命がけで守らなければならぬ。願わくば御僧侶におかれては、
学会のこの確信をめでられ、悪侶をのぞいて教団を清め、われわれ学会人の闘争の指揮
をとって外敵を伏し、宗開両祖にむくいんことを。」とまで、仰せられていたので
ある。

 日蓮正宗の坊主たちは、『悪侶日顕』をいましめず"折伏"もせずに芸者を囲っては
宴会騒ぎをしてきた。それが発覚すれば"芸者と遊ぶことだって折伏だ"と開き直り、
今日までのうのうと惰眠を貪り、我が身かわいさ故にダンマリを決め込み、面従腹背
の『総悪侶』になってしまった。そのことに気がついた法華講員は信心をやり直すと
脱講している。この姿を見ても、宗門全体が総罰を受けている何よりの証左である。

 『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱え
つたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は
日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』(諸法実相抄)と、
御金言の如く立宗宣言の魂というべき折伏の実践をしてきたのは、仏意仏勅の創価学会
しかないのである。日顕宗では、千年、万年待っても広宣流布はできるわけがない。

400検証会議:2010/04/20(火) 02:03:47
 フェイク 第1107号

 (発行=10.04.18)

 身延離山の精神を踏みにじる宗門
 特集「日顕宗と身延派との交流の足跡」
 大石寺は身延僧を歓待して礼状も送る

 日顕宗の妙観講が作っている「慧妙」や法華講の素人が編集する「大白法」では学会
に対して「異流義」云々と非難中傷を繰り返している。特に「慧妙」四月十六日付
では、相も変わらず日寛上人書写の御本尊を誹謗する一方、日顕宗坊主の邪宗への参詣
は「研修だから全く問題なし」と詭弁を弄し、日顕の女房・阿部政子、日潤の女房・
藤本礼子らが高野山に参詣して宿泊したのは「宿坊の視察」と遁辞を並べている。

 「慧妙」よ、賽銭をあげ、本堂で合掌し、巡拝の後は盛大な宴会に興じるのが、本当
に「研修」なのか?

 そこで「慧妙」の実質的な編集責任者の大草一男に改めて問う。「坊主の女房が
平安神宮に参拝したのは『研修』か? 或いは何を『視察』したのか?」

 「慧妙」が下手な屁理屈で言い逃れようとしても、身延山、比叡山、高野山、
平安神宮への参拝が謗法行為であることに違いはない。「一見と称して謗法を致せる
悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや」との日興上人の戒めに日顕宗坊主が違背しているのは
明白ではないか。

 また、今回も御本尊の「変造疑惑」云々と書いているが、何度も言うように一切、
加筆も修整もされていない。お前らが勝手に変造した写真を並べて、難癖をつけている
だけだ。

 次に日顕のバカ息子・信彰の「唱題して息を吸う時に御本尊の命がスー、スーと
入ってくる」という邪義や日顕の「ただ息を吸う時にですね(中略)今度は吐くお題目が
それに準じた形でどんどんどんどん、こう出てくる」との意味不明の妄説を「御自身の
体感」だと「慧妙」は弁解している。全く、お粗末の極み!この日顕や信彰の変な
「体感」こそ、邪教の教祖の「悟り」にも似た邪説ではないか。

 更に、兵庫県・徳成寺の清水孝信の鹿の厄払いについて「何が異流義か」と
開き直っている。ならば、この種の厄払いも日顕の口癖である「日蓮正宗の古来の伝統
なのか?」

 更に、岸本恭済(法勤寺)が熊野神社の奉納に供される「山車」製作に寄付したのを
子供育成会への寄付だったとは、誤魔化しである。

 「波木井礼讃」には沈黙

 下手な屁理屈を羅列した「慧妙」も、本紙一一〇六号で指摘した日顕の「波木井実長
礼讃」には沈黙している。この件は「慧妙」の次号で是非を明確にせよ


 日顕の「波木井礼讃」以降、日顕宗と身延派との親交が一段と盛んになった。
富士学林の所化が身延山などに参詣するのは恒例行事になっているし、末寺の坊主は
法華講員を連れて身延派の寺を巡拝。また、身延の坊主を大石寺に喜んで引き入れて
歓待。全く日興上人の「身延離山」の精神を踏みにじる悪逆行為だ。

 そこで、本号では「日顕宗と身延派との交流」を特集して、これまでの親交の足跡を
総括する。

 但し、紙数の関係上、恒例行事になっている富士学林の所化の邪宗巡り、及び
菅野慈雲や駒井専道らによる定例の「謗法ツアー」などは割愛し、主な邪宗巡りに限定
した。なお、菅野は日蓮大聖人が伊勢神宮に向かって跪(ひざまず)き、頭を垂れて
合掌している絵画「神宮奏上」等を「日蓮大聖人御一代絵図」として大宣寺
(東京都国分寺市)創立二十五周年を記念して、昭和五十六年十月に発刊した
謗法坊主、駒井は二人の所化を死に追いやった魔僧であることを付記しておく。

401検証会議:2010/04/20(火) 02:04:02
 研修と称し謗法巡り

◆平成六年四月二十四日、東京・華王寺(前川慈肇)がバスをチャーターして身延派の
 寺巡りツアー。三十人余の法華講員と一緒に住職の女房も参加した。一行は安房、
 小湊へ行き、鏡忍寺、清澄寺、誕生寺の順に身延日蓮宗の本山格の三カ寺を巡拝して
 回った。

◆平成六年六月十一日、埼玉・能安寺(水島公正)が「鎌倉研修」を実施。鎌倉の
 大仏、鶴岡八幡宮などの謗法巡り。この日は法華講青年部の一泊登山と重なって
 いたが、大石寺に行かず、この謗法ツアーに参加。また「研修」とは名ばかりで、
 宗門の護国寺が近くにあるにもかかわらず、夜の勤行もしないでホテルに着くと宴会
 に興じ、翌朝も勤行をしなかった。

◆平成六年十月八日、長野県・信盛寺の落合尊福は法華講員を引き連れて佐渡に渡って
 謗法巡り。貸し切りの観光バスには「信盛寺佐渡順拝の旅」(編集部注=「順拝」は
 「巡拝」の間違い)と書かれたプレートを付けていた。身延派の妙宣寺、根本寺など
 の寺を巡り、講員は賽銭箱に金を投げ入れ、真剣に合掌していた。

◆平成六年十一月五日、身延派の布教師会一行が大石寺を訪問。宗門の坊主が丁重に
 迎えた様子が身延派の「布教師會報」第二十号に「日蓮正宗総本山・大石寺研修
 参拝記」として掲載された。宗門側が「(身延の)皆様の暖かなお心に触れ(略)
 暖かな気持ちで御案内申し上げることができましたことを感謝しております」との
 「礼状」も送った。

◆平成七年三月十二日、関快道は千葉の誕生寺、清澄寺など日蓮宗の寺巡り。二十数名
 の法華講青年部や女房の貞子らを率いて巡拝の旅。(平成五年の佐渡、翌六年の
 東北方面に続く三度目の謗法ツアーだった)

◆平成七年六月六日、大石寺に「池上鶴林会」なる団体バスが到着。乗っていたのは
 池上本門寺の貫首らで、高野日海(東京・本行寺)が案内役となって本山内を見学
 させたあと「蓮葉庵」で手厚く接待した。

◆平成七年八月二十日、総講頭の柳沢は阿部信彰が住職をしていた大修寺の法華講員
 約二十人を連れて身延山に参詣し、宴会に興じた。

◆平成九年四月十八日、大石寺の無任所教師七人が西山本門寺の虫払いに酒や菓子折り
 など御供養の品々まで持参して参詣した。

◆平成九年五月十・十一日、横浜市の応顕寺住職・舟橋義秀が講員を引き連れて佐渡の
 根本寺、妙宣寺、世尊寺、妙照寺などを巡拝した。舟橋義秀は帽子を深く被り、
 サングラスで変装。妙照寺の賽銭箱に講員が「チャリーン」と硬貨を入れて御供養
 していた。

◆平成九年七月十五日には、身延山の坊主十数人が大石寺と妙蓮寺を見学した。

◆平成九年八月十七日、東京・宣徳寺(秋元広学)の所化二人に引率された講員が鎌倉
 の龍口寺、極楽寺、収玄寺、妙本寺、安国論寺、妙法寺など邪宗寺院や神社巡りを
 楽しんでいた。

◆平成九年九月十・十一日、東京・華王寺(前川慈肇)の一行が「佐渡研修旅行様」の
 バスに乗り、一泊二日の日程で佐渡の邪宗寺院巡り。

◆平成九年九月十七日には身延僧約三十人が大石寺に参詣。大石寺坊主の案内で正本堂
 などを見学。御影堂内では身延僧が御宝前に合掌・参拝していた。

◆平成十二年九月二十八日には「身延山大学校」の学生が大石寺に参詣した。

◆平成十二年十二月六日、身延の坊主十七人が大石寺を訪れて客殿や御影堂などを見学
 し参拝した。

◆平成十四年十一月二十六日にも他宗坊主二十数人が大石寺に参詣した。

◆平成十六年四月十三日に 身延派坊主が大石寺を訪問、参詣した。

(以下、省略)

402検証会議:2010/04/20(火) 20:24:22
 大石寺短信 第483号

 平成22年4月15日(木)

 日顕宗の動き

 1. 予期せぬ「特別供養」に講頭会が紛糾

 先月27日、大石寺で法華講の講頭会が開かれた。折伏、登山の話と続き、場内は
どんよりしたムードに包まれていたが、供養の話になると、講頭たちの不満が一気に
噴出した。

 というのも、突如、「立正安国論750年」の記念事業にかこつけた「4回目」の
特別供養を明年、行うことが発表されたからだ。予定外である。

 この特別供養、平成18年・19年・20年と3回行われて終了したはずだったが、当初の
計画になかった塔中坊の全面建て替え等の事業が次々と追加されていった結果、予算が
足りなくなったというわけだ。

 講頭会の席上、立ち上がったある講頭は、演壇の法華講連合会委員長・柳沢に、
「一昨年の特別供養の折、『これが最終回』と徹底したのだから、今さら『第4回』と
いう呼称はやめてほしい」と要望した。一様にうなずき、拍手するほかの参加者たち。
柳沢は、顔を真っ赤にして「そんなこと言うのは『供養を出したくない』と思っている
からだ!」と、いつもの意味不明な返答で“逆襲"する始末。続いて別の講頭が「明年、
うちのお寺では改築のための供養を計画しており、特別供養と期間が重なってしまう。
どうすればいいか」と質問するや、柳沢はまたもや語気を荒げて「そんなこと聞くのは
間違いだ!」と一蹴。早々に話を切り上げようと、参加者に「第4回」の特別供養への
賛同を呼び掛けたのだった。しかし拍手はパラパラ。柳沢も「分かったような分かって
いないような拍手……」とため息をつくばかり。当然だろう。講頭たちにしてみれば、
わざわざ遠方から集められて何万円もの旅費を自腹で払い、供養までむしり取られた
揚げ句、理不尽な収奪計画を講員に徹底するよう言い含められるのだから、納得など
できるわけがない。

 ハイエナさながら貪欲な日顕宗執行部と、それに追従するだけの法華講上層部。耐え
に耐えてきた講頭、信者の不満、怒りはいよいよ沸点に達しようとしている。

 2. “無用の長物"法教院に今年も入学者

 見栄っ張りの日顕が23年前、創価大学に対抗したい一心で作った法教院
(富士学林大学科)に今年も17人が入学した。宗内に300人近くも無任所教師が
あふれかえっているというのに、住職になるあてもない“穀潰し坊主”を次から次へと
生み出している法教院。この施設、卒業しても「大卒」の資格が得られるわけでは
ない。脱落者も多く、入学者の4人に1人が途中で辞めていく。こんな“無用の長物”
に、年間億単位の予算がついているというのだから、カネを吸い上げられる一方の
困窮寺院の坊主たちのやるせなさは、想像するに余りある。

423真面目な質問です:2011/12/11(日) 03:51:40
昭和55年6月21日日顕上人書写の御形木御本尊ですが、
妙楽大師と竜樹菩薩が抜けています。これはどういう理由による
ものなんでしょうか?何か意味があって抜かしているのでしょうか?
ちなみに当時学会員に下附されたものです。それから、この御形木御本尊を持っている方おられますか?
誰に聞いても教えてくれません。ここの方々は博識とお見受けしたので
真面目にお尋ねする次第です。御教示の程宜しくお願い致します。

453MA:2015/09/27(日) 08:12:53
警察の死刑囚、中村隆史の顔、公開してます。


証拠が残らないのをいいことに「何でもやっていい」と勘違いした売国奴です。横暴がすぎて収集つかなくなっています。
国民の苦労を食い散らかすしか能がない疫病神です。
本人「表向きは警察だ」と豪語しております。

不正に得た金は、総額二千万円以上になるといわれています。


【中村隆史】警察の工作員。31歳。埼玉県在住。元自衛隊員。昨年7月から9月まで御嶽山9合目、石室山荘に勤務。表の顔は線路軌道工(自称)。小学6年生の息子(中村優馬くん←養育費は月3万円)を持つ。創価学会、警察、宮内庁、自衛隊、最近ではイスラム国などの名前を使いまわし横暴横領をくり返す。表向きは明るいが、極めて残忍な性格。頭は弱い。あだ名はジェシー(RIZE)


中村隆史のブログ
hティーtp://ameblo.jp/gomitakashi301/


(中村隆史)動画→htティーp://c.5chan.jp/N9Tlp4Bbln

454;j:2016/01/11(月) 14:23:15
創価学会の名前使ってるのは彼らですよ。

いわゆるBMI(ブレインマシンインターフェース)というのは

いまどきは、装置を携帯電話の中に埋め込む事が可能です。

彼らの携帯を潰さない限り、創価学会や警察のせいにされ続けてしまいます。

中村隆史 09060128935
斉藤 08012121687

 「テロリストの顔写真」
http://ameblo.jp/gomitakashi301/

日本中の悪い噂にたかるゴミです。遠慮いらないです。

455木村:2016/08/22(月) 14:54:46
本当は日本はすごいシステム持ってるんだけど、
この猿どもが際限なくめちゃくちゃやったせいで
情報入り混じってこんな大変な事になってるんやで


[電磁波加害者、牧野明美]

https://youtu.be/6lY5k2fGOYY

http://c.5chan.jp/disp/XLgwif6R9c


[電磁波加害者、中村隆史]

https://www.youtube.com/watch?v=dVaTSQji4Fw

https://www.youtube.com/watch?v=kp7H9HabR_Y

https://www.youtube.com/watch?v=pjPTgVvIxeo




「末期脳の日記」
http://ameblo.jp/danihun/

レーザー、メーザー、電磁ビーム、機密乱用、機密漏洩、
権威の名前の個人的な利用、傷害、当て逃げ
薬物使用、事故誘発、犯罪誘発、sex(自称捜査)
やらせ、たかり、ヒモ、殺人未遂・・・・
・・・・すべて私情でやりまくって干されちゃいました。

456ドンマイ雷太。:2017/10/09(月) 12:32:09
阿部 日顕の頭ドカンと一発殴ってどっかんV。


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