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342検証会議:2009/12/22(火) 23:04:00
 越 洋

 平成21年12月23日

 ニセ法主早瀬日如の登座以降、宗内に火災が相次いでいる。平成18年8月12日
午後3時半頃、「逆さ杉」は落雷と同時に発火、豪雨にもかかわらず猛烈な勢いで火は
燃え上がり、黒煙が奉安堂一帯を覆い尽くして、本山周辺は一時騒然となった。

 今年に入ってからは、立て続けに発生している。8月28日午後、大石寺境内の
駐車場で車10台が、炎上。次いで、ワシントンDCの妙宣寺(村田雄瑞)では
現地時間10月11日正午(日本時間12日午前2時)頃、お会式の最中に出火。
100人近い消防士が消火にあたり、数十分後に鎮火したが、寺は使用できない程の
大被害を受けた。更に11月15日午後、閉鎖されていた総坊売店の店舗から黒煙が
噴出。軒を連ねる8軒の売店に延焼して約250平方メートルを焼き尽くした。

 日顕が「雨坊主」と呼ばれたのに対し、日如が「火災坊主」と言われる所以である。

 この日如の従兄弟・早瀬義舜の次男である早瀬義久(浜松・正説寺)は、この度、
静岡西布教区の宗務支院長になったが、昭和54年11月、前任地の愛知・豊川で
泰福寺を全焼させ、板本尊を焼失させた過去がある。義久が高知県の開教寺にいた
当時、正信会で活動し脱会者作りを行っていたが、泰福寺に赴任してからも、
脱会者作りに熱心だった。ところが、昭和54年11月、義久が悪侶らと泰福寺で
学会攻撃の謀議を凝らしていた際、ストーブの火の不始末で火事を起こした。寺は
全焼、本堂の板本尊も焼失した。義久らは酒も入っていたようで、気がついた時は
かなり火が回っていた。

 地元の男子部員がいち早く駆け付け、必死に消火を手伝ったが、義久はオロオロする
ばかり。揚げ句の果てに、男子部員の放火だと、濡れ衣を着せようとした。消防署と
警察が徹底的に火事の原因を究明、義久らの火の不始末が原因だと判明した。自分の
不始末を棚に上げて男子部員の放火とは、ふざけた言い掛かりだ。この時、信徒から
預かっていた遺骨も焼けて、百五十体程は、誰の遺骨か不明になった。遺族の中には、
肉親の遺骨が見つからず、今も悲しみを忘れられない方が多い。義久は遺族に満足な
謝罪もせず、浜松に移り、このほど宗務支院長になったが、無責任極まる最低の坊主で
ある。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000808.jpg


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