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136検証会議:2009/06/04(木) 15:19:56
 フェイク 第1035号

 (発行=09.06.02)

 法観寺住職、飲酒運転で事故・逮捕
 生臭坊主・山田雄勉の酒色狂いの本性暴く
 兄は容済、兄弟そろって駆け落ちの前歴

 日顕宗の法観寺(熊本県八代市)住職である山田雄勉(六〇歳)が去る五月三十一日
午後、飲酒運転で事故を起こし、熊本県警八代署に道路交通法違反で逮捕された。
 八代警察署、及び地元紙の報道によると、山田は同日午後十時二十分頃、寺の近くの
市道で酒を飲んで乗用車を運転して、緩やかなS字カーブの所で道路左側の電柱に激突
した。

 また、その反動で横向きの状態になって道路をふさぎ、対向の軽乗用車とも衝突する
事故を起こしたため、現行犯逮捕されたのである。

 道路交通法では、酒酔い運転と酒気帯び運転の二段階に分けられているが、山田が
緩やかなS字カーブも曲がりきれなかったということは「アルコールの影響により正常
な運転ができないおそれがある状態」に該当する悪質な「酒酔い運転」と思われる。

 免許の取り消しに加えて、どのような刑罰が科せられるか、また、宗務院として、
どんな処分をするのか、今後の成り行きが注目される。

 山田は昭和三十四年十月に得度し、当時は「山田立済」と名乗って、同四十六年には
一等学衆になった。

 だが、神奈川県平塚市の大経寺に在勤していた昭和四十七年当時、夏季休暇中に一人
の女性と深い関係になり、坊主がイヤになって駆け落ちして還俗した。

 ところが厳しい娑婆世界では生きていけず、昭和五十六年には青年得度として、名前
も「山田雄勉」に変えて再び僧籍に復帰した。

 いくら名前を変えても酒色に溺れる生臭坊主の本質は変わらなかった。

 復帰後の岡山在勤当時、既に妻子もありながら複数の女性と次々に淫らな交際を
重ねていた。注意した先輩もいたが、その後も複数の女性との関係はやめられず、前妻
とは離縁し、交際していたうちの一人の女性と再婚した。いかにも好色の日顕の弟子
らしい。

 この雄勉は、金髪女性との逢瀬を目撃されて有名になった山田容済の弟である。

 兄弟とも遊蕩坊主

 兄の容済も駆け落ちの前歴がある。特に、スペイン・妙昌寺の住職だった平成十二年
三月、イタリアを訪れて深夜、金髪女性と密会。その現場写真が公表されて、弁明の
甲斐もなく、住職をクビになり、日本に召還された遊蕩坊主である。

 実に、容済と雄勉は酒色狂いの兄弟なのである。

 雄勉は衛一坊勤務(昭和六十三年八月)、法観院の二代目主管(同年十月)、そして
平成四年の寺号公称に伴って法観寺の住職になった。

 法観院主管としての最初の法務は某信徒の通夜であったが、御本尊を忘れて来ると
いう醜態を晒した。

 遺族や参列者がア然とするなか、機転を利かせた男子部メンバーが急きょ、寺へ
走って御本尊を届けたので、ようやく通夜を行なうことができたが、当初から山田に
対する不信感が信徒の間に渦巻いていた。

 雄勉は「C作戦」が表面化する以前から学会批判を口にしていたが、平成二年八月
二十一日、宗内に綱紀自粛の通達が出る直前、改革同盟の串岡雄敏氏に電話で
「池田名誉会長を切る。宗門はそれで決まった」との陰謀を伝えた。反学会の急先鋒の
坊主の一人である。


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