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392検証会議:2010/04/07(水) 00:53:42
 越 洋

 平成22年4月2日

 桜花爛漫の昭和33年4月2日、戸田会長が75万世帯の誓願を成就され、58歳で
ご逝去なされて52星霜。その半月前の3月16日、大講堂のエレベーターで戸田会長
から「俺はもう死んでもいい。あとはお前だよ」と後継のバトンを託された池田先生。
この「3・16」は崇高なる師弟継承の儀式であった。その池田先生の死身弘法・
不惜身命の実践により、世界広宣流布は192ヶ国・地域にまで拡大された。

 世界の大学から280の名誉学術称号を受けられ、トインビー博士をはじめ世界の
約7千人の著名人と対話された池田先生の仏法を基調とした平和・文化運動の軌跡は、
誰人も否定できない。宗開両祖も三世十方の仏菩薩も讃歎を惜しまないだろう。

 戸田会長は昭和29年2月27日の本部幹部会で次のように指導された。

 「広宣流布を成すのは、学会以外にない。これにそむけば五逆罪になる。学会を
離れてしあわせのものはいない。功徳のあるわけが無い。――(五逆罪は)和合僧を
破る。心の和合を破壊し、仏の道を破壊することである。僧というとへんだと思うかも
しれぬが、坊さんのことではないのです。わが学会は、和合して、広布へ、
日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを
破ろうとするものは、かならず仏法の大きな罰を受ける。もし破ろうとするもの
あらば、やってみたまえ。内から外からやってみたまえ。ぜったいにできぬ」と。

 日顕は昭和22年、東京・向島の本行寺住職になった時から、ことあるごとに反学会
の急先鋒として動いていた。昭和27年の「狸祭り事件」で、戸田会長の登山止めを
宗会が決議した時も、宗会議員に何度も電話をかけ、学会に屈することなく頑張って
もらいたいとエ−ルを送っていた。

 また、宗教法人法が施行され、学会が宗教法人法の認証を取ることになったが、
これに強硬に反対したのも日顕だった。

 その日顕が法主になって「C作戦」を決行したが、学会の和合僧を壊すことは
出来なかった。戸田会長の指導の如く、第六天の魔王の日顕が、あらゆる手を使っても
壊すことが出来なかった。この事実こそ、学会が真実の和合僧団であることの証明で
ある。

 片や、不知恩の日顕、日如に率いられた宗門は衰退の一途をたどっている。

 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(聖人御難事)との大聖人の
御指南通り、宗門は仏法の因果の理法により滅び去ることは明々白々である。


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