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情報スレッド
272
:
検証会議
:2009/10/22(木) 17:33:30
石山だより
平成二十一年十月十九日
早いもので、「正義顕揚の年」も後二ヶ月半余りとなった。一年を振り返るにはまだ
少し早いが、顕チャンの言いなりになって来た能化と大講頭が、堕獄の露払いとして
悲惨な生涯を閉じた。奪命者・顕チャンの犠牲者であり、気の毒なことだ。その
顕チャンも随分、弱ってきた。山の蓮葉庵にいることが多く、世田谷の豪邸に帰ること
が少ない。留守番の小僧は大喜び。
一、大村日統(五月十一日寂 七五歳、元教学部長、脳腫瘍)は健康にだけは充分に
気を遣い、最高級医療クラブのメンバーになって定期検診を受けていたが、因果応報
には為す術がなかった。得意だったのは盗作技術、ゴルフの腕前、それにカラオケ道場
で鍛えた歌唱力。十八番は「愛の讃歌」「マイ・ウエイ」など。ところが、仏法・芸術
・文化には疎く「ガーター勲章はキリストの十字架」「第九の『歓喜の歌』は
外道礼賛だ」と見当違いの暴言を吐いて赤っ恥をかいた。
葬儀のお別れの際、遺体を見た方々が「黄疸で顔も体も真っ黄色、とても人には
見せられない」と漏らしていた。
一、尾林日至(五月十三日寂 七一歳、元海外部長、パーキンソン病)は顕チャンの
手先となって檀徒作りに世界中を狂奔。悪行は数々あるが、特筆すべきはシアトル事件
の隠蔽工作、御本尊不敬、杜撰(ずさん)な納骨など。得度した長男を奇病のため
三十一歳の若さで亡くす苦渋も味わう。告別式のお別れは身内だけだった。参列者には
一切見せなかったが、見た者が、まさに「ムンクの叫び」の相だったとのこと。
一、河原昭太郎(四月十四日 寂八〇歳、元大講頭、糖尿病)は顕チャンに四十年
以上にわたって奉仕した。それと、三人のめかけに貢いだ。糖尿病の悪化で歩行困難に
なり、心臓手術で足の動脈を心臓のバイパスとして移植したが腎臓も機能しない状態に
なった。大村・尾林・河原の三人に共通するのは、顕チャンに面従腹背ながらも
尽くしたことだ。
そして、この三人の死相は、成仏の相とは全くかけ離れた、目を背けたくなる堕獄の
相だった。恐るべし、恐るべし。
(顕チャンは平成二十一年までに「倍増」と掛け声だけかけて、何もやらず、
六十七世を辞めちゃった。でもやっぱり、七月十六日と七月二十六日は、自分で
やってみたかったそうだ。再登座なんていわないで、自分で建てた白山寺の墓碑へ
早く帰ったほうがよさそうだ。大坊鼠)
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