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153
:
検証会議
:2009/07/04(土) 12:49:20
フェイク 第1041号
(発行=09.07.03)
師弟の道を踏み外し、晩節汚す反逆者
忘恩の矢野絢也、伊藤弘らの哀れな末路
戸田会長「三代会長を支えれば広布は出来る」
広宣流布に生きる人生は師弟の絆で強く結ばれている。その師を見失うと退転の坂を
転げ落ち、反逆の牙を剥き、晩節を汚して醜悪な敗残の人生に終わる。
元公明党委員長の矢野絢也が一日、民主党など野党議員を前に大恩ある学会を批判
したが、民主党は「政治と宗教」を心配するより、自分達の「政治と金」の釈明こそが
急務ではないのか。
また、矢野は師弟の道を踏み外した我欲と不知恩の腹黒い男の典型である。
矢野のように師から離れて信心の原点を喪失した時、広布の大目的を忘れ、己のエゴ
と虚飾に固執し、罰と敗北の人生を彷徨(さまよ)う。これは個人も団体も同じで
ある。日蓮大聖人御在世当時の五老僧、学会の最高幹部などで退転・反逆して学会を
裏切った者達は皆、師弟を忘れて転落した。
近年では日顕宗が血脈の断絶によって師弟の道を失い、大聖人に敵対する邪教団に
なってしまった。
去る六月二十二日に伊藤弘という反逆者がガンのため死亡した。享年六十九歳。師恩
を忘れて転落し、晩節を汚した哀れな男である。
伊藤は昭和二十七年二月に入会し、工業高校を卒業後、電気関係の会社に勤務して
いたが、三十六年八月に学会職員になり、聖教新聞社、小金井会館、立川文化会館、
富士美術館の準備室、日本図書と転々と異動し、何処でも満足な仕事ができなかった。
こうして世話になった学会の恩を忘れ、平成十六年八月に脱会、大宣寺の法華講に
成り下がった。その直後、伊藤は肺気腫を患うなど罰が直ぐに現れたが、平成十七年
八月十四日、大宣寺での壮年部大会で体験を発表。その中で学会を「第六天の魔王」と
罵倒した。
以来、学会員を脱会させようと狂奔していたが、各地で反撃されて成果は上がらず、
大宣寺講中の役職も貰えないまま、ガンを発症し、帰らぬ人になった。
人間の真価は最終章で決まる。晩節を汚すことで、過去の努力も実績も水泡に帰して
しまう。
退転者に共通する
自己正当化の口実
この伊藤や矢野、竜年光、藤原行正、福島源次郎、石田次男、原島嵩らの反逆・
退転者、それに脱会した大草一男(妙観講)らに共通する点は傲慢、金銭・異性問題の
ほか戸田会長を利用する口実である。
例えば「戸田先生の頃は良かった、三代会長になって学会が変わった」という戯言で
ある。これは己の退転の理由を三代会長に責任転嫁するもので自己正当化の口実に
他ならない。
学会は創立以来、一貫して広布の路線に変わりはない。三代会長を守り支えよ、と
いう戸田会長の厳命を、ここに確認しておこう。
「三代会長は青年部に渡す、牧口門下には渡しません、何故かといへば老人だから
です。ゆづる会長は一人でありますが、その時に分裂があってはなりませんぞ。今の
牧口門下が私をささえる様に三代会長を戸田門下がささえて行きなさい。私は広宣流布
の為に身を捨てます。その屍が品川の沖に、また何処にさらされようとも三代会長を
ささえて行くならば絶対に広宣流布は出来ます」
(昭和二十七年三月一日付の聖教新聞より)
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