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349
:
代理人
:2010/01/13(水) 14:43:18
フェイク 第1085号
(発行=10.01.11)
どちらが日蓮正宗の公式見解か?
日顕の幽霊存在説を妙観講の「暁鐘」が否定
各末寺には連絡先も分からない幽霊講員が多数
日顕といえば御書より幽霊・霊魂の話の方が得意で、過去に夏期講習会、行学講習会、各種法要で、その存在を力説してきた。しかも、幽霊について語る時の日顕は身を乗り出し、旧友を懐かしむような表情になる。
ところが、妙観講発行の「暁鐘」平成二十二年一月号には、日顕の「幽霊・霊魂存在説」に異論を唱える内容を掲載しており、日顕と妙観講の仲に亀裂が入る可能性もある。日顕の影響力が弱まったとみた大草一男が増長してきた感もある。「暁鐘」の内容を紹介する前に、日顕の代表的な説法を振り返ることにする。
「幽霊はいると思う。ワシが本行寺の住職をしていたとき、(ある信徒が)『息子に幽霊が馬乗りになっている』というのを聞いたことがある」(昭和六十三年の行学講習会)
「通力のある人は『ここに何かいるな、アッ、これは鬼だな』とか、あの『幽霊だ』『これは前に男に捨てられて、子供産んで、子供と一緒に死んだ人の霊がここにいるな』とかね、通力のある人には、よく分かるんです」(平成九年七月三十一日の夏期講習会)
「やっぱり霊能者っていうのがいるんです」「(霊能が)事実、当たってんです」(平成十七年八月二十六日の教師講習会・閉講式)
「幽霊を見たことがある人を知っている」(平成十六年十二月二十三日、埼玉県の妙本寺記念法要)
このように日顕の幽霊話は枚挙に暇がないほどだか、「暁鐘」一月号の「質疑応答」欄で「幽霊や霊魂を見たという話を聞くことがありますが、これは、どういうことなのでしょうか」との質問を設定。その回答として日顕説を否定している。
「(仏法では)幽霊や霊魂の存在を認めているわけではありません」「幽霊や霊魂のような実体が本当に存在しているのなら、物質的な側面を持っていようと、いまいと、今日の科学で必ず観測できるはずなのです。だから、そのような存在はあり得ない、ということになります」
「暁鐘」は幽霊の存在を否定、日顕は「幽霊はいる」と言う。さて、どちらが日蓮正宗の見解なのか?
「暁鐘」と同じく妙観講が作っている「慧妙」について、平成六年五月に発行された同人誌「道心」で花野充道博士(当時は兵庫・浄福寺住職)が次のように痛烈に批判していた。
「その論に誰が責任を持つのか。執筆者の責任か、発行者の責任か、法主の監修のもとに書かれた論か、教学部の公式見解か、宗門の公式見解か、あくまで個人の私見か」
この度の「暁鐘」の記事も教学部の公式見解か、宗門の公式見解か、それとも大草一男の我見なのか?
「暁鐘」は幽霊を感じることはあるというような逃げ口上を一応、書いてはいるが、日顕は明確に幽霊と霊魂の存在を肯定している。
この幽霊の存在の有無は、日顕と「暁鐘」誌の今後の対論に任せるとして、各末寺には名前だけで連絡先も分からない幽霊講員が多数、いることだけは確かだ。
また最新版の「宗教年鑑」(平成二〇年版)によると、日蓮正宗の信者数は三十九万六千人と記載されているが、実際は十万人もいないから、約三十万人もの幽霊講員がいることになる。
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