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397検証会議:2010/04/13(火) 02:09:56
 フェイク 第1106号

 (発行=10.04.12)

 日興上人に背き身延派と親交深める
 宗門の謗法を指弾、「慧妙」の戯言を嗤う㊦
 日顕の「波木井礼讃」で異流儀に加速

 ニセ法主の日顕が悩乱して「C作戦」を強行した平成二年十二月以降、大石寺は
身延派に急接近するようになった。大石寺と身延派は相互に登山・参詣し、偽り
親しんで交流を深めるようになったが、その親交は日顕が、大謗法の波木井実長を礼賛
したことに始まる。

 六老僧の一人・民部日向が弘安八年(一二八五年)に身延に登山し、日興上人から
学頭に任じられたが、翌年頃から軟風にかぶれた誤った法門を唱え始め、波木井も日向
の悪影響を受け、①釈迦仏像の造立②神社の参詣③念仏の石塔への供養④念仏道場の
建立、という四つの大謗法を犯した。そのため日興上人が断腸の思いで身延を離山
されたのは周知の事実である。

 日顕は、この波木井を絶賛したのだ。「大聖人様御在世当時の波木井実長の功績
たるや、大変なものです」(平成三年七月、全国教師指導会)、「大聖人様の三大秘法
の具現という大仏法の深い意義が波木井実長の外護によって行われたということは、
今日において二百カ寺、三百カ寺の寺院を造るよりもなお、根源的な意味において
大きな功績であります」(同年十一月、教師指導会)、「この波木井実長の、大聖人様
の仏法の一番根本の功徳を成就するという上の、いわゆる外護という面の功績に
おきましては、創価学会の近年における宗門の外護と比べ、その本義においては比較に
ならないほど大きい」(平成四年六月、東北第一布教区親教)等と称賛し続けた。

 その日顕も以前は「大聖人は波木井実長の信心を、始めからあまり信用なさっては
おられませんでした」(昭和五十五年の愛知・泰福寺親修)と正論を述べ、特に、
平成二年十月の大石寺開創七百年慶讃大法要(初会)では「日向と実長が我見、我意に
執して日興上人の重々の教誡を蔑ろにする姿に対し、いかに心を砕いて訓すとも如何
ともすべからざるを悟られたのであります」と波木井の悪行を指摘。慶讃文でも
「身延山久遠寺を離れ富士の地に正法流布の根源たる精舎を建立し給ふ 其の所以は
一には民部日向の教唆による波木井諸種の謗法にあり」と日興上人の「身延離山」の
原因の第一に波木井の謗法をあげていた。

 狂乱・日顕の波木井讃嘆は身延派を喜ばせた。日顕の再三の波木井礼讃に呼応して
身延山・志摩坊の佐藤順映が、平成四年三月に「大石寺を門下連合へ」という提言を
日蓮宗内に発して、大きな話題になった。

 このエール交換の後、大石寺と身延山久遠寺(写真は久遠寺の三門)との交流が進展
した。身延僧の大石寺研修(平成六年十一月)、池上本門寺貫首の田中日淳(日蓮宗
管長)ら三十二人が登山して高野日海が歓迎(平成七年六月)、総講頭の柳沢らの
身延参拝(平成七年八月)をはじめ前川慈肇、水島公正、関快道、落合尊福、舟橋義秀
ら坊主共の身延派寺院への巡拝など交流が活発化したのだ。

 「慧妙」は学会が異流義などと見当違いの記事を載せているが、日顕こそが巨悪の
元凶なのである。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000848.jpg


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