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157検証会議:2009/07/15(水) 01:53:59
 越 洋

 平成21年7月11日

 最近、日顕は背が曲がり、足が上がらず草履のかかとを引きずりながら歩いている。
昨年2月17日、平安寺の椎名日澄を京都の病院に政子と様子を見に行った。日澄は
意識朦朧の状態なので相承の秘密を漏らすことはないと胸をなで下ろした日顕は、政子
の腕に支えられながら夕方、京都駅から新幹線グリーン車に乗車した。右の写真は
偶然、その場に居合わせた人が撮影したものである(日顕86歳、政子82歳)。

 昭和54年7月22日、日達法主の通夜の席で重大発表。「昨年(昭和53年)
4月15日、総本山大奥において、猊下(達師)と自分と二人きりの場において猊下
より自分に対し内々に御相承の儀に関するお言葉があり、これについての甚深の御法門
の御指南を賜ったことを御披露する」という、緊急重役会議での日顕の発言をウソと
知りつつ椎名日澄が紹介した。その後はほとんど登山せず、平安寺に引きこもった。
罪悪感にいたたまれなかったに違いない。

 その当日、野村日修から日顕は「相承を受けられた証拠はあるんですか?」と
問われ、証拠がない日顕は今日までズートその事を気にしてきた。その証拠に、
野村日修が一族に漏らしていないか気が気でならなかった。息子の野村光照を高崎の
勝妙寺に入れて破格の扱いをし、それから新宿・大願寺にも入れようとしたが光照から
断られた。それで、やむなく河辺慈篤を入れた経過がある。

 日顕が登座してから30年も経つというのに相承を受けたという証拠を何一つ
示せない、ニセ法主なのである。日顕は、相承を詐取してから、いつ椎名日澄と
野村日修から暴露されるかビクビクしてきたが、二人とも亡くなってしまった。

 政子と二人で胸をなで下ろしているかも知れないが、仏法の因果の理法の現証だけは
逃れられない。御金言に「始めは事なきやうにて終にはほろびざるは候はず」
(1190ペ−ジ)と。待っているのは当然「除歴」である。

http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000735.jpg


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