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304検証会議:2009/11/14(土) 11:56:37
 フェイク 第1069号

 (発行=09.11.13)

 異常だった故・原島嵩と母親の関係
 ウソ八百を羅列した原島昭の「慧妙」の駄文
 狂った家族の中、昭は「ねじけた物の見方」に

 反逆者・原島嵩の実兄の昭は、戸田会長に根深い恨みを抱いているようだ。
 昭の性格は嫉妬深く、性根が曲がり、恩を仇で返す嘘つきでもある。昭は
「(私が)ねじけた物の見方をするようになったのは、多分に創価学会二代会長・
戸田城聖氏の影響でもあります」と、十一月一日付「慧妙」に書いている。

 自分の腐れ切った性根まで、戸田会長のせいにするとは全くふざけた野郎だ。
 昭のネジ曲がった性根、「ねじけた物の見方」は母の精子と弟・嵩の異常な関係を
見てきたからではないかと指摘する人がいる。それは精子が二男の嵩を次期会長と
思い込み、不自然な態度で接していたことである。

 例えば、精子は本部で使用する報告用紙を使って息子宛に「原島教学部長様」と
書き、色々と私的な用件や御礼、時には夕食の献立まで丁寧に記入し、バインダーに
挟んで提出。その報告書を見た嵩が「了解」とか「一任」などと赤字で書いて返却して
いた。

 また、精子が嵩に渡す報告書を両手で頭上高く捧げて、頭を下げて差し出す。
 昭は、こんな母と弟の異常な関係を日常的に見ていた。

 更に、精子は道路で嵩に出会った時、自分の息子にだけは深々と頭を下げるが、他の
幹部には挨拶もしない非常識な女でもあった。

 「戸田会長が詫びた」は嘘

 本紙第一〇六一号で精子が派閥を作ろうとして戸田二代会長によって
文京支部婦人部長の役職を解任され、謹慎させられた、と暴いたので、その弁解の
つもりらしいが、昭は一日付「慧妙」に次のように書いている。

 「昭和二十八年一月一日付の『聖教』紙上に、私の父(編集部注・宏治)が、十二月に
文京支部長を解任され、地方統監部長という新しい役職を与えられた」

 「私の母も、前年にわけの分からないまま支部婦人部長を解任され、謹慎を
命じられていました」

 本紙編集室は当然、原島宏治の解任も把握していたが、昭は母親の解任・謹慎を
報じた本紙の正確な記事を認めた上で、父親の解任も本紙に暴露されるのを察知した
のか、宏治も支部長の任を解かれた事実を明かし、その記事の中で嘘八百の釈明をして
いる。

 「その後、二、三年して、戸田氏は母を呼び寄せ『側近の言葉を信じて、あなたを
辛い目に合わせてしまった。申し訳なかった』と詫び、母に本部副婦人部長の地位を
与えて名誉を回復させました」

 昭は昔のことだからウソを書いてもバレないと思っているのか? 戸田会長が精子に
詫びたというのは作り話だ。最後まで信用していなかった。また、戸田会長が精子に
「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復させた」というのも真っ赤なウソである。
戸田会長の存命中、精子は本部副婦人部長にはなっていない。

 精子が、その役職に登用してもらったのは池田三代会長の時。戸田会長が亡くなって
六年半後の昭和三十九年十二月二十五日、理事長だった宏治が死んで間もなくの
本部幹部会で、五人が本部副婦人部長に登用された。その中の一人に精子も含まれて
いたのである。

 ウソを羅列した昭の駄文は、辻褄が全く合わない。


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