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127検証会議:2009/05/23(土) 22:40:39
 石山だより

 平成二十一年五月二十二日

 一、昭和三十二年八月三十日に日蓮宗から帰一した日向本山・定善寺の住職であった
小原日悦師が次のように述懐したことがある。「帰一する前は、檀家だけが集まって
きたが、勤行できる者が全くいなかった。ところが、学会員が寺に来るようになって
から、私の読経に続いて私の声に和するではないか。

 私にとって驚きであり、感動であった。学会員は皆、勤行がうまい。帰一できたのも
全て学会のお陰です。本山が発展したのも、末寺が興隆したのも、池田会長、学会の
お陰なんです」そして「本山が疲弊した時も戸田会長が登山会を提唱してくれた。末寺
が困っていた時、池田会長が御講を提案してくれた。だれが、宗門の将来を考えて
くれたのか。戸田会長・池田会長以外誰もいないじゃないか」と。小原師の率直な心情
が滲み出ている。宗門の緇素一同、耳を傾けるべきだ。

 それを、貧乏をしている時は頭を下げて、金が貯まってきたら横柄傲慢になり、広布
の努力もせず、汗も流さず、号令ばかりで、自分たちがやってきたことを反省も
しないで、難癖を付けて謗法呼ばわりする。宗門の歴史の中で大石寺が、どれだけの
謗法をしてきたのか、みんな知っている。

 一、大村日統と尾林日至の葬儀の模様が伝えられたが、大村の死相は黄疸のためとは
いえペンキを塗ったように真っ黄色。尾林は、目が落ちくぼみ誰にも見せられない
ひなびた骸骨状態。身内親族だけのお別れだった。二人とも、自称法主日顕の言いなり
になり、学会批判を口汚くやってきた。大聖人曰く「此の十四誹謗は在家出家に亘る
べし恐る可し恐る可し」(松野殿御返事)と。御文の如く仏罰の現証は厳然である。

 一、今回の宗門事件は、学会を破壊しようと最初から日顕が仕組んだことである。
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御義口伝)の御金言
のご精神が少しでも解れば、正本堂・大客殿を破壊したり、一千万信徒を破門する
なんて出来る筈はない。あまりにも修行を怠り、遊びほうけた天魔だからこそ、無慈悲
な行為を平気でしたのだ。日顕の終焉の相がいかなるものか全世界が注目している。

 (有史以来の大謗法の親分・日顕の終わりが近いと直感する元奥番鼠)


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