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394
:
検証会議
:2010/04/09(金) 21:14:24
フェイク 第1105号
(発行=10.04.08)
日顕や藤本の女房が邪宗巡り
宗門の謗法を指弾、「慧妙」の戯言を嗤う㊤
高野山に参詣し宿泊、平安神宮にも参拝
日顕宗の数多くの異流義と大謗法を本紙(第一〇九九・一一〇〇号など)で指摘した
のに対して「慧妙」四月一日付が、学会も、どこそこに寄付をした云々と戯言を書いて
いた。
他宗への寄付をいうなら、何よりもまず、日顕宗の坊主である岸本恭済(法勤寺)が
昭和六十一年十月、群馬県の「安中秋季大祭」の際に、熊野神社の奉納に供される
「山車」の製作のために寄付をしたことを問題にするべきである。
しかも、岸本らの寄付によって完成した「山車」は、神社の宮司のお祓いまで受けた
のである。
また、神社の氏子総代と法華講幹部とを兼務している者もいる。「慧妙」は、
こうした宗開両祖に違背する日顕宗僧俗の実態を調べて糾弾するのが先決であろう。
ニセ法主・日顕は十指に余る謗法を重ねたが、その大罪の極めつけは「人法一箇の
大御本尊根本」の宗旨を「ニセ法主根本」の「日顕宗」に改変し、開祖・日興上人の
遺誡に真っ向から背いて身延派日蓮宗にすり寄るという大謗法を犯すに至ったことで
ある。
そこで、日顕宗の数多い謗法の中でも特に、日顕をはじめとする坊主らの身延派など
他宗派との交流・親睦を指弾する。
富士学林の所化らが、身延山や比叡山に参詣するのは恒例行事になっているが、
この他にも住職共の謗法との深い交わりは枚挙に暇がない程である。
はじめに、これは周知の事実だが、日顕は平成元年七月十七日に福島市内の禅寺・
白山寺に先祖の墓を建立し、自ら出向いて法要を強行した。
この「禅寺墓問題」が露見したのは同三年九月のことで、純真な学会員は仰天した
が、宗門の坊主共に驚きはなかったという。
というのも、宗門の坊主に限らず、その女房連中も邪宗に対しては、今も昔も親近感
を抱いているとの理由からである。とりわけ宗門坊主や寺族の邪宗巡りは以前から
行われ、決して珍しいことではない。
例えば、昭和三十九年秋、日顕の女房・政子、重役の藤本日潤の女房・礼子らが、
吉田日勇(当時・渉外部長)らと共に真言宗の本山・高野山に参詣した。
しかも、吉田日勇らは同行の婦人達と一緒に謗法の寺内に一泊したのであった。
そして、吉田と政子・礼子らは一夜を共に過ごしての帰途、今度は京都の平安神宮に
立ち寄って参拝したのである。
これらの寺族の謗法について「慧妙」は弁解のため、どんな屁理屈を並べるか?
楽しみに待っている。
……………………………
平安神宮に参拝した日顕の女房・政子、藤本日潤の女房・礼子ら寺族の一行
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000846.jpg
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