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262検証会議:2009/10/05(月) 23:28:13
 フェイク 第1058号

 (発行=09.10.04)

 「御本尊を信じられず苦しい」と日顕
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ③
 日寛上人の御心に適う世界の人々への授与

 日寛上人書写の御本尊を誹謗する日顕は絶大な妙法の力用を疑っているのである。
事実、東京・八王子の平山広篤(広妙寺)が昭和六十一年六月十三日、御講で、日顕の
不信謗法を暴露した。

 「(日顕に)私が『信心してきて一番苦しんだことは何ですか?』と質問した。

 すると『なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも本当に信ずる
ことができないでいる』と仰せられた」

 この平山の話を聞いた婦人は強い衝撃を受けて日記に記していた。

 この一事が日顕の正体を物語る。御本尊の仏力、法力を信じていないからこそ、
日寛上人の御本尊に平気で難癖をつける。その難癖の一つが授与書きについての
言い掛かりである。

 日寛上人から授与を受けた本證房日證師への授与書きが御形木御本尊にはない点を
挙げて「日證師の心を踏みにじる」「功徳がない」と愚かなことを言う。

 御本尊の余白に記された氏名は日興上人が「所賜の本主の交名(きょうみょう)を
書き付くるは後代の高名の為なり」(富士一跡門徒存知の事)と述べられているよう
に、授与を受けた人の功績を称え、証明する意義がある。

 しかし、その名前は御本尊の本体に属するものではなく、授与書きの有無は、力用
とは何ら関係がない。また、書写した法主及び授与された人の心を踏みにじるとか、
その意志を傷付けることにもならない。

 日顕自身、説法の中で弘安以降に書かれた大聖人の御真筆の御本尊でも授与者の名前
のない例が二割近くある事実を認めていた。つまり、授与書きが御本尊の本体には
属さないことを自らが明かしていたのである。

 また、日顕らは「日證師個人に授与された御本尊を世界に流布するのは罰がある、
功徳はない」との邪見を得意気に言うが、厳然たる功徳があることは世界のメンバーが
証明している。

 板本尊の脇書きを削っていた日顕宗

 日寛上人が御本尊を書写された御心は広宣流布にある。その御本尊を寺の倉庫に保存
しておくのではなく、世界の人々に授与することこそ、日寛上人並びに日證師の心に
最も適(かな)っているのである。

 更に、付言すると、学会が授与している御形木御本尊は、日顕宗の輩が騒ぐような
「授与書きを削った」わけではない。正しくは「御本尊の本体の部分だけを
御形木御本尊にした」のである。淨圓寺に所蔵されていた御真筆の御本尊の授与書き
には、何一つ手は加えられてはいない。

 因みに、学会草創期に授与された日寛上人の御形木御本尊も、近年の御形木専用に
書写された御本尊と違って、左上に「授与之」という文字が記されていない。

 ということは現在、学会授与の御本尊と同じように、御本尊の本体の部分だけを
御形木にして印刷したものであったことが明白である。

 この脇書きに関しては、日顕宗こそが寺の本堂の板御本尊の脇書きに刻まれた、
かつての総講頭の願主名を削り、或いは漆で塗り潰して見えなくするなど、その御本尊
を書写した日達法主らの心を踏みにじっていたではないか。

 (つづく)


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