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フランス語フランス文化質問箱

1Sekko:2006/04/19(水) 18:13:31
話し方
 学校関係のだいたいすべての試験にはORALがあります。数学や物理でも、問題をもらって、黒板の前で解説するという形の。国語(フランス語)も、口頭試問の日に籤で問題を選んで、別室で30分準備してから試験官たちの前で発表し、その後質疑応答ですね。バカロレアなどではテキトは20冊くらいの古典系のリストが分かっていて、それをリセですでに準備してるわけです。だから古典や名作文学はリセアンに最も多く読まれます。その発表の仕方は、まず、結論を言い、次にそれを説明し、最後にもう一度結論に導くというのが基本です。センテンスは一般に、短ければ短いほどエレガントだとされます。私は大学時代フランス語の先生の授業で、サルトルの戯曲のについてフランス語のレポートを書かされましたが、日本語でなかなかいいことを考えてからフランス語に訳して出しましたら、あらゆるところに疑問符がついて返ってきました。それからは関係詞などを一掃して、短いセンテンスだけで書くようにしたら分かってもらえました。でも今から思うと、思考の流れそのものが違ってたのだなあと思います。今日本の学生の仏語レポートを見てあげたりすると、その学生の日本語の頭の中が手に取るように分かるんですが、フランス語としては通じないということもはっきり分かるんです。でも、それは「何となく」分かるんではなく、はっきり言語化できるので、テクニックを伝授できます。これってフランスバロック音楽みたいです。内的ロジックがしっかりしてるので、偶然はないんですよ。これを知らない、ロマン派に毒されたような先生に当たると、「そこは、もっとクレシェンド、なぜって?そう感じるからさ」「作曲者の気持ちになって・・・所詮日本人には無理かも」ということになったりします。本当はフランス語やフランス音楽は、内的ロジックを言語化できるという点で、とてもユニヴァーサルで(だからと言って万人に分かりやすくハードルが低いという意味ではないですが)、教えやすいですよ。日本語の方が当然難しいですね。言語化されてない共有の認識、それが実は風化してるとか、日本人同士でも通じなくなってると感じさせられることはこのごろとみに多いですから。
 後は学校で、幼稚園から、韻文系やラ・フォンテーヌの寓話とかの暗誦がとにかく多いです。音とイントネーションでまるごと覚えさせます。それをクラスで暗誦させられます。グランゼコールのカリキュラムにヴィデオを使った面接の自己アピールの練習もありますね。
 もちろん政治学院なんかはもっとすごいですけど。サルコジにヴィルパン、あれだけ正反対なのに、二人ともフランス語うますぎで、聞きほれたりします。

2古川利明:2006/04/19(水) 20:42:43
apprivoiserの訳
 最近、サンテクジュペリの「星の王子さま」の翻訳独占権(?)が切れたということで、雨後の筍のごとく、いろんな翻訳が出てます。んで、4月開講のNHKのラジオフランス語講座の応用編でも、これをテキストにしているのですが、そこで大いなるギモンがあります。というのは、王子さまがキツネと出会う場面で、キツネと親しくなりたい王子さまにキツネは「Je ne suis pas apprivoise」と答えます。で、この「apprivoiser」の訳が、例の岩波版の内藤訳以下、そのラジオ講座のテキストに至るまで、「仲良くなる」という、実に生ぬるい訳語をあてているのです。この「apprivoiser」の元々の意味は「飼い馴らす」ということですよね。野生の動物を「家畜化する」ということだと思うのですが、そこから、キツネは「野生の獣を飼いならそうとする人間と僕とは、そう簡単に友達になれないんだよ」ということを言っていると思うのですが、そんな「仲良くなる」といった、生ぬるいというより、敢えて「誤訳」といっていいと思うのですが、そういう訳語が次々と踏襲されているというのは、いったい「なぜ?」と、私などは思います。こうやって、「規制緩和」されたのですから、そこらのところはそれぞれの訳者が「正確に」訳すべきだと思うのですが。

3Fusako:2006/04/19(水) 22:40:39
言葉
approvoiser、って見たらすぐに浮かんできたのが L'amour est un oiseau rebelle que nul ne peut apprivoiser でした。これをマリア・カラスが歌っているニュアンス、そうですね、「飼い馴らせない」ですね。

「言葉の教育」、やはりね。今、日本では、英語については、話せなければならない、小学校から導入してでも、という流れですが、日本語で「話す」訓練、「読む」訓練はないですね。国語の受験勉強、って判じ物と暗記物、で、古典のタイトルを暗記すると、本文は読んでもいないのにあたかも自分がそれを知っているかのような錯覚を持ちますね。

全然別の話なのですが、わたしは、海外に長く住む友人が何人かいます。その人たちとやりとりしていてほっとするのは、落ち着いた日本語、今の若い人たちの使う流行語の入らない文章でやりとりできること、なんですね。竹下さんの文章にもそういう感じを受けています。

4Sekko:2006/04/20(木) 03:53:25
星の王子さま
まず、フランス語が分かる人に、サイト3つ紹介。2つは、星の王子さまへの質疑です。
3つ目は狐の部分の読解問題です。試してください。

http://www.dialogus2.org/PRI/apprivoiser.html

http://www.dialogus2.org/PRI/sagesseetnaivete.html

http://www.richmond.edu/~jpaulsen/petitprince/chapitre21.html


 さて、ここから、古川さんへの答えです。
apprivoiser というのは、もともと動物の家畜化に使われてきました。
星の王子さまでのキツネの定義「絆を創ること(creer des liens)」があまりにも有名になったので、この作品によって、この言葉の tonalite が変わったとフランスでは言われています。でも星の王子さまでも、「自分のものにしたら特別になる」ようなことが書いてありますね。
 これは家畜化、所有化というより、rapport de seduction だと私は思います。というより、キツネの言葉をきいていると、仲良しというより、精神的依存を互いに作ることで互いに所有しあいたいというので、恋愛と同じですよね、でもこの seduction という言葉にもいい訳が思い浮かびません。どちらにしても異なる二つの存在が関わりあう時、惹かれあい、というより、相手を依存させたいという誘惑があり、はっきり言って、権力の誘惑にも似てますね。恋愛も親子もそういう共依存のリスクがあります。
 それはいいとして、ここからが大事なとこです。 apprivoiser は プリヴェ、プライヴェートと関係していて、要するに、外部のものをある家に取り込むってことです。つまり、ある家=家庭=共同体の基準に従わせるということです。それに対して、キツネは、絆を創る(クリエートですからゼロから新しく創るわけです)と言っています。これは連合です。つまり、共同体中心主義で外部のものを馴らすのでなく、個人を対等と認めて、依存やヒエラルキーやスタンダードの押しつけのない関係をつくらねばならないと言っているのです。キツネは確か、それには rite が必要だとも言っています。伝統じゃなく条約ですね。まさにコミュノタリスムからユニヴァーサリズムへ、です。
 別に私の「読みすぎ」ではないと思います。この本が共和国ガイドに引用されていることを私の新書でも書いたように、この本の中で求められている関係性は、優れてユニヴァーサリズムなのです。ユニヴァーサリズムはただの理想だとか御伽噺だとか批判されもしますが、それがポエティックな童話になったら世界中で愛されてるのを見ると、私は、ユニヴァーサリズムのまさにユニヴァーサルな訴求力を信じられますね。
 あまり質問の答えになっていないかもしれませんが、他の方もご意見があればどうぞ。

5古川利明:2006/04/21(金) 00:36:01
なるほど
 竹下さんらしい、含蓄のある回答をどうもありがとうございます。なんとなく自分の中で思い描いていたことが、説明されたような気がします。すごくすうーっと入ってきます。やはり、フランスに住んで、フランス語を駆使していないと、なかなか微妙なニュアンスは理解できないですね。ただ、ふと、思ったのですが、日本の場合、「本当は怖いグリム童話」ではないですけど(笑)、何か、子供向けの童話は、マイルドにするというか、苦かったり、痛みを伴う「真実」に敢えて触れさせないようにしようとする傾向があるような気がします。それと、私自身が超へそ曲がりなので(苦笑)、やはり、自分が訳すとなると、「前例踏襲」は嫌なので、「僕は飼いならされていないんだよ」と訳してしまうような気がします。私も権力を振りかざしてくる人間には、この上ない「大悪人」になりますけど、キツネのようにユニヴァーサリズムを求めてくる人間には、非常にピュアな愛情を注ぎますね。といっても、本気にしてもらえないでしょうけど(苦笑)

6古川利明:2006/04/21(金) 21:22:17
lienの訳語
 書いたついでですので、もう一つ、その星の王子さまに出てくる「creer des liens」ですが、これはこれまでの岩波版の内藤訳でも、「絆を創る」だったと記憶していますが、この「lien(s)」は、辞書を引くと、「鎖」という意味もありますよね。実はこれまで私はそのキツネと王子さまとの会話の中で出てくるこの「creer des liens」を「鎖で結びつける」というふうに、かなりネガティブな意味に解釈していたのです(もちろん、アイロニカルな意味もこめてですけど)。というのは、たまたま大学時代の原典購読の授業で、星の王子さまのうち、このキツネとの出会いの部分だけ、原文で読まされる機会があったからです。それもあって、「apprivoiser」という、日常生活ではたぶんあんまり使わない動詞を覚え、また、この「creer des liens」というステキな表現も、ずっと、頭にこびりついていたのです。そうこう考えていくと、翻訳という作業もなかなか難しいですが、そこに「解釈」という知的作業の醍醐味もあるような気がします。

7Sekko:2006/04/21(金) 21:49:07
絆を創る
ええと、内藤訳では、確か、「ぼくは飼いならされてないから」とか言うキツネに、その意味が分からないPetit prince が、「飼いならすってなあに」ときいたら、「仲良くなるってことさ」とキツネが答えたんですよ。それで「apprivoiser」の新しい意味が「creer des liens 」、つまり、異なる2者の関係を、優勢な方が劣勢な方を抱合して自分に従わせるという形から、新しい関係を creerする関係に

8Sekko:2006/04/21(金) 22:14:41
続き
さっきの続きです。途中で勝手に手を離れました。
それで、キツネは、従属関係を否定して、異なった2者が、ユニヴァーサルな価値観に基づいてあたらしい関係を創るべきだ、と主張したわけです。だから内藤訳の問題は、「絆を創る」を「仲良くなる」と訳したところなんですね。新訳では、「絆を創る」が優勢ではないでしょうか。まあ対等でないと仲良くなるのは無理なんで、内藤訳も意味は通るんですが、ここで大事なのは、creer の方なんですね。異なる歴史や文化を持つ二つの国や二人の人間が出会う時、どちらかのスタンダードを押し付けないで、平和を維持できるメタ空間を新たに創るというのが重要で、それがフランスでいうと非宗教的ライシテの空間だったりするわけです。そして、それまで、個々の人間の条件というのは Dieu の creation だったわけですね。だから、異なる2者の一方の押し付けは自分たちの創造者の押し付けでもあるわけです。そこを超越したメタ空間を、人間が「創る」というのは、神への挑戦、というか、自分の歴史や文化を相対化できる知恵をつけたということです。異なる神を奉じる人々が共存できる世界を、「神の創った自分たちの世界」とは別のレベルに公空間として人間がクリエイトするわけですね。それならただの無理やり条約に縛られた雑居世界かもしれませんが、キツネはそこから1歩踏み出して、そこに「惹き合う力」を持ち込んだわけです。それを「共依存」と見るか、共感世界と見るか、愛と呼ぶか、それはいろいろでしょうが、単にユニヴァーサリズムといっても、最小公倍数を共有することでの妥協でなく、求心的でダイナミックな統合する力を信じて想定しないとただの烏合だという意味なのかもしれません。

9古川利明:2006/04/22(土) 13:02:01
新しい意味の創造
 いやあ、竹下さんの回答を読んでいて、実にこの物語の深さに思いが至ります。「apprivoiser」という従属の関係を脱する行為を通じて、「lien」の意味が、「鎖」から「絆」へと昇華するのですね。サンテクジュペリがサハラの砂漠に不時着して、そうした孤独の中で「人間の絆」を求めていった彼の人生に思いが至ります。彼は最後、コルシカから飛び立って、そのまま消息を絶ってしまっているのですよね。彼はたぶん、そこで星の王子さまになってしまったのでしょうね。この物語を読むたび、帽子とそっくりなボア(=大蛇)の挿絵を描いて、いくつになっても「少年の心」を失わなかった「珠玉の精神」に改めて感動します。

10古川利明:2006/04/22(土) 14:53:20
補足
 その岩波版の内藤訳の「apprivoiser」は、私の勘違いでスミマセン、「飼いならす」でしたが、今、店頭に並んでいるNHKの語学講座のテキスト5月号は、「馴染みになる」という訳語を充てています。あと、立ち読みだったので忘れましたが、その最近出た訳本の一つは(確か文庫でした)、「仲良くなる」だったと記憶しています。もちろん、訳者の「自由解釈」があってしかるべきですし、それは言論表現の自由からも、最大限保障されなければならないのはいうまでもありませんが、でも、私は少し違和感を感じています(苦笑)

11Fusako:2006/04/23(日) 09:40:22
liens
というのは日常的に普通に使われる言葉ですよね。「リンク」もこれでしたね。creer des liensも、ごく日常的な表現ですか?
日本語と外国語でしばしば動詞の向きが違うことがありますね。特に、日本語として自然な表現を使うとそうなる、という。「仲良くなる」とか「縁ができる」というのは、働きかけでそうなった、というニュアンスで、creerの意味が出ませんね。

12Fusako:2006/04/23(日) 09:48:59
liens(続)
でも、言葉はこれまた面白いもので、「ご縁ができまして」「ご縁があったのですね」という表現は美しくて、わたしは好きです。ただ、こういうやわらかくて古風な表現は、もう今の日本ではあまり使われなくなっていると思いますけれど。
書きながらの自動連想。「縁」は広くやわらかく使うけれど、「縁を切る」は、日本語でも明白に主体的ですが、これは、日本の人間関係では親子・夫婦などに限定された厳しい表現になるように思います。友人だとせいぜい「仲違い」かな、と脱線しそうなので、これまでに。

13nao:2006/04/23(日) 10:56:01
apprivoiser
三野博司訳では「手なずける」とやくされています。その理由が(「星の王子さま」の
謎)論創社にでています。131-133Pです。書店でひろいよみしてください。竹下先生のお考えとぴつたりする、とおもいました。

14古川利明:2006/04/25(火) 00:47:30
難しいですね
 本棚を引っくり返していたら、ガリマール版の原本が出てきたので、読み直してみると、「apprivoiserってどういう意味なの?」と星の王子さまがキツネに尋ねた結果、キツネが「それはcreer des liensだ」と答えているんですね。これは私の解釈ですが、人間同士の関係が、権力的な共依存から対等な個人の自立した者同士のそれへと「昇華」していくことで、「apprivoiser」は、「飼いならす」から「仲良くなる」へ、「liens」も「鎖」から「絆」や「ご縁」へと変容していくのではないかという気がしています。んで、その「apprivoiser」という単語はこの第21章では何度も出てきて、確かに最初の方は「飼いならす」と訳した方がピタリと来るのですが、je crois q’elle (=une

15古川利明:2006/04/25(火) 00:54:46
続き
 途中で、間違って、送信を押してしまいましたので、前の続きですが、その、「je crois q’elle(=une fleur) m’a apprivose」のあたりから後の方は「飼いならす」ではなく、「仲良くなる」とか「馴染みになる」というような訳を与えた方がピタリと来るような気がします。しかし、このニュアンスを日本語の翻訳で伝えるというのは、なんかすごく難しいですね。確かに星の王子さまは文章自体はとても平易ですけど、そこに盛り込まれている内容は、奥深いですし、それを日本語で表現するとなると、なかなか難しいですね。

16Sekko:2006/04/25(火) 05:35:40
Apprivoiser最終解読!?
Naoさん、書店で拾い読みなんて言わないでください。この問題に興味ある人は、みなさんちゃんと、かって読みましょう。それで、私は、日本にいないので、拾い読みも出来ないんですが、その三野先生が、ネット上で星の王子さまの翻訳の好評をなさっているサイトがあって、今その21章をちらっと読んでみました。http://www.tbs.co.jp/lepetitprince/tr21_comment.html
です。古川さん、読んでみてください。
 私は、ちょっと違和感がありました。訳語とか文学性の問題は別として、apprivoiserの根本のイメージは、一番最初に古川さんが言っていた、「家畜化する」という屈辱的な意味が一番正しいです。
 つまり、文学研究とかじゃなくて、普通のフランス人の大人の目でここを読むと、まず、キツネは、古川さんの言ったように、「家畜化なんかされていないから」と、人間の仲間である王子様に敵対して忌避したのです。その非難を感じたからこそ王子様は、まず、誤ったのです。でも、何を非難されたのか分からず、家畜化とはさぞやおそろしいことだと思って、恐る恐るたずねてみた。何度もたずねられた後、キツネは、はじめて、王子さまには本当にその意味もわからず、またそれに相当する概念も持っていないのだ、と気づいたのです。そこで、キツネは、王子様に、本当のこと、つまり人間は動物と対等な関係を持つことはありえない、家畜化か狩の獲物かなのだということを、知らせたくなくなったのです。
 そこで、「忘れられてることだが・・・」とごまかしながら(これはひょっとして、いつか王子様が家畜化の本当の意味を誰かに知らされたときに、キツネにだまされたと思わないように、キツネの教えてくれたのは、忘れられた別の意味なのでと思ってもらえるための伏線であるわけです)、家畜化とは、特別な〈しかし対等な〉関係性を築くことなんだと言ったわけです。それを通して、本当はキツネも、獲物を追ったり人間に追われたりするだけの生活ではなく、誰かと対等に必要とし合う関係を求めていたので、「僕を家畜化してくれる?」って、可愛いことを言ったのですね(なかよくしてくれる?とかいうのが照れくさかったのですね。それに、最初に僕は家畜化されてないから遊べないと忌避した手前、そういうしかなかったのです)。
 それで、その説明を真に受けた王子様がまた、「花がぼくを家畜化して・・・」と可愛いことを言うわけです〈この言葉をはじめて使ってみたので、これでいいかなあ、とおそるおそる)。きゃー、ふたりとも可愛い。
 それを受けて、フランスでは、この本によって、apprivoiser は新しい意味を獲得した、というわけですが、それもフランス式のエスプリなわけです。
 つまり、apprivoiser  と creer des liens はニュアンスが違えば違うほど、この場のかわいらしさが生きてくるわけですよ。 だから、creer des liens を 鎖で結びつけるみたいな家畜化のヴァリエーションで訳するのは間違いで、もう一方、apprivoiser を 「なつかせる」みたいに、ちょっと甘い情緒的な言葉で訳すのもNGです。
 と、細かい読解になりましたけれど、なお、私が最初にお答えした内容は変わりません。同種でないものを家畜化するか、殺すか、という人間同士の搾取や戦争、ランク付けや排外主義を批判し、対等な絆を創らなくてはならない、しかもそれが形式的なものでなく、互恵互助的で人間的に惹き合うものでなくてはならないといっているわけです。

17古川利明:2006/04/25(火) 21:31:49
すごく面白いですね
 そのリンクされた星の王子さまの翻訳特集、ものすごく面白いですね。それぞれが自分のコトバで格闘しているというか、楽しんでいるのがわかって面白いです。やっぱり、ポイントはその「一輪の花」がどうして、「私」を「apprivoiserしたか」のあたりなのかなあ、という気がします。直訳すると、「花が僕を飼いならした」ということですけど、ここでキレイな一輪の花が登場することで、屈辱的なニュアンスから、ポジティブな意味へと変容していっているような気がするのですよ。「花」にはそういう力があります。しかし、このニュアンスを日本語に翻訳するというのは至難の技ですよね。こういうのを見ていくと、テキストを原文で読み込むことの大事さを感じます。

18Sekko:2006/04/25(火) 23:55:10
訂正
今読み返しましたら、下の文で、「その非難を感じたからこそ王子様は、まず、誤ったのです」というところ、「誤った」は誤変換で「謝った」が正しいです。すみません。このせいで、この文を読み「誤った」方がいらっしゃったら「謝り」ますね。
 王子様がキツネの言葉を真に受けて、「お花が僕を家畜化したと思うんだ。」とかわいらしく応用したのを聞いて、キツネも「きみが僕を家畜化してくれたら・・」とか言わざるを得なくなり、終わりの方で、飛行士もキツネのことを思い出して、「家畜化されたら、泣きたくなる」みたいに「キツネ語」を使っちゃいます。「家畜化」の概念自体がなくなった世界を王子様もキツネも飛行士も共有したわけですね。私の言っている意味がうまく伝わったか知りたいので、皆さんの感想お知らせください。

19古川利明:2006/04/26(水) 00:27:06
エスプリの力
 それともう一つは,竹下さんが指摘していた「エスプリ」ですよ。これは英語のユーモアとも違いますね。非常にフランス的だと思います。文章を読み進めていくうちに(王子さまとキツネの会話が進んでいくうちに)、だんだんと「apprivoiser」も、「lien」も意味の内容が移り変わっていくんですよね。ただ、そこにエスプリが込められると、「家畜化する」でも「鎖」でも、字面とは別に、そこに逆にアイロニカルな意味を付け加えるというのか、敢えて逆手に取るというのか、コトバのいいなりとは逆の意味をそこに込めて使うことができるんですよね。その意味では「コトバの遊び」というところで捕らえることもできて、なかなか面白いというか、奥が深いですね。

20Sekko:2006/04/27(木) 04:01:09
また
?? 「いまではすつかり忘れられていることだけどね」と前置きをして説明するように、キツネは新しいモラルの伝道者ではない。今日ではわすれられてしまつた古いモラルの守護者なのだ。しかし、彼がこの知恵をどこから、どのようにして継承してきたのかはわからない。また、彼がこれまでだれかと「手なずける」関係をむすんだことがあるのかどうかもわからない。ただ、彼は「手なずける」の意味をよくしつていて、具体的な行動の指導によつて、それを王子さまに教える。ともかく、彼は秘儀伝授者として、姿をあらわすのである。

21Sekko:2006/04/27(木) 04:39:27
しつこくapprivoiser
三野先生の『星の王子さまの謎』の一部を教えていただきました。

?? 「いまではすつかり忘れられていることだけどね」と前置きをして説明するように、キツネは新しいモラルの伝道者ではない。今日ではわすれられてしまつた古いモラルの守護者なのだ。しかし、彼がこの知恵をどこから、どのようにして継承してきたのかはわからない。また、彼がこれまでだれかと「手なずける」関係をむすんだことがあるのかどうかもわからない。ただ、彼は「手なずける」の意味をよくしつていて、具体的な行動の指導によつて、それを王子さまに教える。ともかく、彼は秘儀伝授者として、姿をあらわすのである。

 そうか、こういうイニシアティックな読み方もされているのですね。何かパウロ・コエーリョのニューエイジ小説みたいです。そういえば、フリーメイスンの知人がフランスのグラントリアンのロッジでは、サンテグジュべリはメイスンのイニシエではなかったけれど、著作からメイスンだと認められて名誉メイスンに認定されているのだと昔言ってたことを思い出しました。
 それで、昔子供だったフランス人たちにこのapprivoiserの話をふってみましたが、普通の人はそう穿った感じでは読んでないようです。キツネが最初に言ったのはapprivoiserのネガティヴな意味が入っていて、それから creer des liens へとシフトして行った、それで、それ以降に言及されるapprivoiserの含意が変わったというのはみんな合意なんですけど、フランス語の字面は変わらないわけで、翻訳で最初のネガティヴな感じで、訳しちゃうと、後に無理がくるわけですね。私はキツネをそんなに秘儀伝授の師のように見られなくて、可愛くて孤独でちょっとかわいそうなイメージから離れられないので(それは私だけじゃないようです)、Aapprivoiser と creer des liens を対照的に訳した方がほろりとくると思うんですが・・・Creer が重要だという意見は変わりません。フランス人たちはむしろ respect の含意が重要というんですが、私は affection の方が胸につまるんです。そして、この本では、花が王子様を、王子様が飛行士をと、相対的に弱い方が強い方をapprivoiserするところが可愛いですよね。ついでにうちの夫に私たちの関係を聞いたら、完全に私が彼をdresserしているということでした。
 しかし、ある言葉を翻訳するということは、含意の幅を温存せずに、意味を限ってしまうのですから、改めて難しいですね。soeur と出てきたら、フランス語的には何の問題もないのに、日本語だとどうしても姉か妹かを決めなくてはならない、それがフランス語だと、初めは漠然とで、やがて文脈で関係がわかってくるという仕掛けになっていたら、その言葉が最初に出たときにもう答えを出したらおかしいですよね。 ニュアンスが変わっていくapprivoiserは、同じ字面だからこそ面白いので、そのへんほんとにむつかしいです。そういえば私がイエスは洗礼者ヨハネの「いとこ〈従弟)」だと書くたびに「はとこ(再従弟)」と校閲さんに訂正されます。中には、マリアとエリザベツが従姉妹だからと系図をつけてくれる人も。フランス語では cousin germain がいとこで、後はみんなcousinでまとめちゃうので、その癖が抜けないのです。

22Sekko:2006/04/27(木) 18:07:40
sauvageについて
apprivoiser といえば、思いつくのは sauvage という言葉です。フランスに住み始めた頃、分からない言葉はたくさんあったんですが、よく知ってる言葉で、全然違う意味で使われるものもたくさんあり、その代表が impossible と sauvage でした。 sauvage は私の中では「野性的」とインプットされてたので、「あの子はsauvageだから」とか「私ってsauvageでしょう」と言われてもピンときませんでした。そのうちsociableの反対語だと気づきました。
 日常語のひとつです。私がこの言葉を一番よく使うシーンは、うちに誰か来たとき、サリーちゃんが隠れてしまうので、「Elle est tres sauvage」 と言い訳するときです。これは警戒心が強いとか、怖がりとか、知らない人が苦手という意味ですね。私たちには慣れてるんで、野生とは関係ないわけです。
 次によく使うのは、お客を招いたり、招かれたりする時、うちが義務を果たしてないのを言い訳するときです。私たちのようなシチュエーション(年齢とか暇さの具合)の仲間では、たとえば、月1回、Aさん夫婦とBさん夫婦を同時にお招きして、Cさん宅と Dさん宅に1度ずつおよばれ(そこでそれぞれ別のカップルとも知り合う)、次の月はCさん夫妻とDさん夫妻を同時にお招きし、Aさん宅とBさん宅に別々に1度ずつおよばれする、みたいな招待したりされたりのルーティーンがあるんですよ。それで、フランス人というのは昔から、そういうシーンで、他のカップルを品定めして浮気に走るというケースが多いんです。私はそんなことに興味はない上、誰が来た時何を出したか、誰が何を持ってきたか、お花かデザートかとか、次に呼ばれる時に何を持っていくか、とか考えるのが面倒なのです。そいでうちの連れ合いもsauvageなんで(彼を知っている人はまさかと思うでしょうが、ほんとのsauvageな人は、努力するから見た目が社交的なんですよ)、私たちはあまり人を呼ばず、「今度はあなたたちの番よ」と催促される始末。それで、「On vit??sauvagement」と弁解するわけです。うちには、たとえば現時点では毎週16人の生徒がレッスンに来て、そのうち半分は親が送迎に来るので、親と話すこともあり、人の出入りが一見多いのですが、基本的には引きこもりなんです。画家や音楽家の友人も毎週私と話しに来ますが、皆うちのことを「独身クラブ」と呼んでるんです。家庭や連れ合いから離れてうちに来ると羽を伸ばせて自由な気分になれてうれしい、という感じです。私も個人でつながった仲のほうが、無理やり連れ合いを紹介されるより長く続きます。うちの連れ合いは sauvage だけど、obeissant で、見た目完璧で信頼感をそそる人なんで、必要な時だけ駆り出します。うちは2件長屋なんで、独身クラブもお稽古場も生活圏と別なので。生活圏の方は猫まみれでぼろぼろで、みんなsauvageに暮らしてます。
 しかし、こういう風に弁解や言い訳に使えるということは、sauvage がすごくネガティヴじゃなく「そういうたち(ひとみしりする、社交が苦手、一人が好き)だからしょうがない」という認知があるということですよね。 もちろんsauvageには野生や未開という意味もありますけど、日本語で野生というと、野蛮も連想されますが、そっちは barbare に行くんで、日常言葉のsauvageにはそれがまったくありません。そしてその意味の反対語がapprivoiserでもあります。
 そして、そういっちゃったら、キツネが、毎日、少しずつ、あまりくっつかないで、云々というのは、確かに初めての人が苦手でsauvageなサリーちゃんに少しずつ慣れていただく、みたいなイメージはあります。だけど、最初にキツネが「おいらはApprivoiserされてないからね」といったのは、「僕はsauvageだからね」 だと言うのではない矜持や拒否があって、王子さまについごめんなさいと言わせたのですね。やはり動物に対する人間優先の言葉の不当さを感じ取ったのでしょう。
 それで、もし誰かが私に「あなたって、本当に付き合い悪いわね」と言ったとして、私は「ごめんなさい、sauvage なもんで」と答えて納得してもらえても、「Je ne suis pas encore apprivoisee」なんて言ったとしたら、何、この人、失礼ね、と思われるわけです。

23古川利明:2006/04/27(木) 20:20:26
フランス語の多義性
 竹下さんの「appivoiser」と「sauvage」に関する論考を読んで思うのは、「フランス語の多義性」ということです。英語と比べると、フランス語というのは、語彙がかなり少ないですよね(詳しい数字は忘れましたけど、慶応仏文の鷲見さんが出している「翻訳仏文法」に、そのフランス語の多義性ということについて、触れています)。確か、近代フランス語が確立していく過程で、かなり語彙を絞り込んでいったというふうなことが書いてありました。すると、語彙が少なくなっていったぶん、いきおい一つの語に多くの意味を持たせてしまうことになるんですよね。例えば、「sens」とかでも、辞書を引くと、「方向」だとか、「味覚」だとか、ものすごくいろんな日本語の訳語が出てて、まあ、文脈でわかるにしても、「何でこんなにたくさん訳語があるんだろう」と思ってしまうんですよね。日本語も確かに、一つの語をアイロニカルに使うことはありますけど、でも、「飼いならす」とか「野蛮」という単語は、なかなかそこから超えた意味へとトランスファーしていかないですよね。ところがフランス語は不思議で、そういった一つの語が持ってしまいがちな「意味の牢獄」からスルリと抜けてしまう自由さがあって、面白いですよね。星の王子さまのキツネは、そういう「言葉の魔術師」みたいなところがありますよね。それを日本語に翻訳するというのは、至難というより、たぶん無理じゃないかと思うのですよ。

24Fusako:2006/04/27(木) 21:42:42
言葉
「言霊」という表現がありますが、言葉には霊がこもっている、ということでしょうか。言葉こそ、その国や民族の魂である、という感じがします。
どの国も民族も、それなりの歴史を持っている、と思いますので、わたしは、アングロサクソンの方々にも、非常に興味もありますし、面白いし、共感するところもあるんですよ。英語が多義的でないとは全然思いませんけれども。単純化というか(動詞に顕著ですね)、どんどんsimplifyされた結果、英語がむしろ一番多義的な言語なのでは、とさえわたしは思いますが。

このところの「星の王子様」の話には、わたしはやや入れずにいました。と言いますのは、わたしは、食わず嫌いで、読んだことがないんです。原題はLe petit princeでしたっけ、それが「星の王子様」ですけれど、若い頃はこのタイトルだけで拒否反応でした。子ども向けの本では、ヴェルヌやアーサー・ランサム、サトクリフなどの冒険小説風のものが大好きで、王子様、には全く興味がありませんでしたので。今でも、その本よりは、テクジュペリの伝記なら読むかなあ、という程度です。

少し前に書きました、日本の法律用語、法律用語だからわかりにくい、というのではなく、もともと、日本語の中に、ぴったりあてはまり、誰にもすっと入る言葉がない、言葉がない、のは、そういう言葉にあらわされる霊、観念が日本に根付いていない、のだと思います。

でも、だからと言って、わたしは日本が精神的な後進国(?差別用語でしょうかね)とも思わないのですが。勝手な憧れかもしれませんけれど、たとえば、エスプリ、と比肩する言葉として、「粋」「気質」などが本来の日本の文化にはあったのでは、というように。
ここで、竹下さんのコメントを見ながら、わたしが考えるのは、フランスのあり方を参考にしながら、日本の中にある何を使えるか、ということですね。

25Fusako:2006/04/28(金) 13:33:24
sauvageについて
次の記述を思い出しました。大橋保夫さんの翻訳ですが、「私にとって『野生の思考』とは野蛮人の思考でもなければ未開人類もしくは古風人類の思考でもない。効率を昂めるために栽培種化されたり家畜化された思考とは異なる、野生状態の思考である。」
レヴィ・ストロースは、apprivoiserではなく、domestiquerを使っていますね。

26:2006/04/29(土) 08:23:38
apprivoiser について(訳者の解釈)
 三野博司です.
 初めて投稿します.このページを毎日のぞいているわけではないので,話題がどんどん発展して行っているようですが,もう一度『星の王子さま』に戻させてください.
 キツネが思わず「家畜化」と言ってしまったという竹下先生の解釈はとても新鮮です.キツネと王子さまとのやりとりが生き生きとしたものとして感じ取れます.
 私の解釈はこの第21章をイニシエーションの場ととらえるものです.それは,『星の王子さま』全体をどう解釈するのか,という問題とも密接にかかわっています.もっとも私の独創ではなく,似たようなことを言っている人はいます.Maryse Brumond ? Le Petit Prince ? (Bertrand-Lacoste) ですが,今年の夏には拙訳が世界思想社から刊行される予定です.
 拙著『星の王子さまの謎』(論創社)では,18頁を割いてこの第21章を解説しています.その内容をここで要約することは避けますが,章の終わりの部分だけを引用します.
「なぜ王子さまは、いったん友情を結んだキツネと別れるのだろうか。彼はキツネに対しても責任を負っているはずではないだろうか。また、王子さまとバラの花、王子さまとキツネ、この二つの<手なずけられた>関係のうち、どちらが優先されるべきなのだろう。それは、恋愛と友情のどちらが優先されるか、という問題でもあるように見える。しかし、キツネとの関係は、友情関係であるだけではなく、秘儀伝授の師弟関係でもある。師から秘儀を伝授された弟子は、もはや師を必要とせず、また師に依存してはならず、師のもとを去って行かねばならない。そして、今度は彼がこの秘儀を誰かに伝える任務を負うだろう。こうして、王子さまの旅は先へと続けられなければならないのである」
 ところで, 問題となっているapprivoiser の訳語についてですが,第21章だけでこの語は15回も使われています.邦訳するときに,これをニュアンスに応じて別の語をあててしまうと,原文では同一の語であることが分からなくなるために,多少の無理はあっても,日本語でも同一の訳語をあてる,というのがまず私の基本方針でした.
 たしかに,apprivoiser を訳すときに困惑を覚えるのは,この「家畜化」というニュアンスをどうするのか,ということです.そのまま「飼いならす」と訳してしまえば良いのですが,私はそこにちょっとこだわって「手なずける」としました.さらに,この「家畜化」のニュアンスを完全に消し去ってしまうと「なじみになる」というような訳語が考えられます.
 拙訳以外の10種近くある新訳はほとんど見ていないので,断定できませんが,approvoiser の訳語としては2つのグループに大別できるのではないかと思います.第1は,フランス語の字義通りに,「飼いならす」「手なずける」と訳すもの.第2は,原語のもつニュアンスからは離れて日本語として通りの良い「なじみになる」「仲良くなる」「ねんごろになる」「親密になる」などと訳すものです.
 私は,第2グループは採用しません.apprivoiser は他動詞であって,一方から他方への働きかけがあり,「なじみになる」と訳したのではこの働きかけが消えてしまうからです.apprivoiser には主体の側の意志的行為が前提とされているのに対して,「なじみになる」では,たとえば近所の商店へ毎日買い物に行っているあいだに知らず知らずのうちに「なじみになる」ように,そこには意志が介入しないからです.
 人と人が出会って親密になる過程では,出会ったときから双方が同時に歩み寄ることもないわけではないのですが,しかし多くの場合は,一方から他方への働きかけがきっかけとなります.この「働きかけること」が大事だと思うのです.キツネが教えるのはまさにこのことに他なりません.
 しかし,キツネはなぜ,王子さまに apprivoiser しておくれ,などと頼むのでしょうか.「なじみになる」「仲良くなる」ことが目的ならば,キツネのほうから王子さまを先に apprivoiser してしまえば,ずっと話が簡単です.あるいは,キツネが人間を apprivoiser するというのが不自然なら,「仲良くしようよ」と言ってしまえばいいわけです.しかし,キツネはそうした手っ取り早い方法を使わずに,王子さまのほうから apprivoiser するように誘いかけます.こうしたまわりくどいやり方には,initiateur としてのキツネの役割があるように思えます.
 キツネは apprivoiser には,「忍耐」が必要だと言います.またそれは「儀式」に則って行われなければならないと言います.これは友だちを作るための指南なのです.いきなり近づいてはいけません.それは不作法というものです.まずはじめは「少し離れて」座ることが求められます.それから時間をかけて,「日が経つごとに,少しずつ」近づくこと,これが作法に則ったやりかたです.ことばをかけることも禁物です.「ことばは誤解のもと」なのです.ことばは相手とのあいだに絆をつくる手っ取り早い手段のように思えますが,それは同時に危険を伴うやり方でもあります.キツネが勧めるのは,もっと時間はかかるけれども確実なやり方なのです.王子さまは「あまり時間がないんだ」と言いますが,ここでは時間を惜しむことは,実は一番避けるべきことなのです.
 毎日同じ時刻にやって来て,少しずつ近づくこと,これはすなわち学習です.キツネは王子さまに学習プログラムを提示するのです.このプログラムにしたがって,おれを相手に apprivoiser の実地練習をやってごらん,と言うのです.実際にやってみなければわからないし,身につかない.師匠がみずからを実験台にして,これを弟子に教え込もうとします.拙著『星の王子さまの謎』ではこう書いています.
 「こうして王子さまはキツネを手なずけることになる.手なずける行為の主体は王子さまでありキツネはその対象であるが,しかしこの行為を指導するのはキツネのほうなのである.実はこの手なずけることがそのまま王子さまにとっての実践的学習となることキツネは知っている」
 以上が,apprivoiser を訳すときに,私が先ほどの第2グループを採用しない理由です.
 訳語をどう選ぶか,というのは解釈と切り離せません.もちろん解釈はいくつもありますから,訳語もいくつもありえるでしょう.それぞれの訳者が自分の解釈にもとづいて訳しているはずです.そして,私は,解釈はたくさんの種類があるほどおもしろいと思っています.
 教室でいつも言っているのは,文学テクストの解釈はつねに複数あるということです.答えは一つではなくいくつもある.正しい解釈とか間違った解釈というものはない.優れた解釈と劣った解釈だけがある.優れた解釈がたくさん生まれれば,それだけテクストの読みが深まっていく.
 私の解釈も,もちろんたくさんある解釈の一つにすぎません.

27Fusako:2006/05/12(金) 22:36:43
NHKラジオのフランス語講座
4月から、毎週末は、「星の王子さま」です。今月は、いよいよキツネの出番でして、「なじみになる」が使われているようですね。
今日の放送では、2004年にテクジュペリの搭乗機の残骸が見つかった話が紹介されていましたが、フランスでのテクジュペリ、ってどういう受け止められ方なんでしょう。

28Sekko:2006/05/13(土) 22:56:36
サンテグジュペリ
 サンテグジュペリのイメージは、今の子はともかく、私の年代くらいのフランス人にとっては、何よりも飛行機の「英雄時代」の英雄として語り継がれていました。今の宇宙飛行士よりももっと危険とロマンに満ちた物語のヒーローという感じです。行方不明の冒険家、かな。植村克己とか・・・そこに戦争も入ってくるので、もっとヒーロー性が高いし。
 日本人が共有する飛行の歴史の初期の神話というのはあるのでしょうか。私は子供の時に「翼よあれがパリの灯だ」のリンドバーグの話を読み、日本の飛行機というと、その後は少年漫画の「零戦ハヤト」みたいなもので、航空機というと事故やハイジャックのことが頭にあるし、飛行機乗るのも嫌いなんですが、人々が最初の飛行士たちに向けた憧れの視線については理解できます。サンテグジュペリのような人にとって、空を飛ぶことの究極のセラピー効果も想像できます。彼が国民的冒険家であって、しかも、『星の王子さま』のような名作を残したのは、飛行の夢ということが何に繋がっていたのかを示唆している気もします。
 彼はTheiste だったと私は思います。無神論の系譜の中でも取りあげるつもりです。無神論とは、本当に、神を語ることで、近代以降のいろいろな思想家や文学者の心を鏡のように映してくれるツールです。

29Fusako:2006/05/16(火) 23:12:16
飛行、英雄、など
そういう人が書いた「童話」、それも、子どもには冷たい国(たしか鹿島茂氏がそのような形容をしていました)での、なんですね。

30Sekko:2006/05/17(水) 22:43:33
子供には冷たい国
フランスは子供に冷たいという評判はどこから来るんでしょうね。私も昔から耳にしてました。いわく、日本のように子供は7歳までは神様という国ではなく、創生神話がアダムとイヴという神の似姿の大人だったので子供は不完全な存在だ、とか、生殖や出産は原罪に対する罰だから、赤ん坊や子供の地位が低いとか、「大人の国」なので子供は2級人間とみなされるのだとか・・・だから68年の五月革命は若者が若者の権利のために戦ったのだとか・・・でも、少なくとも今のフランスで自分の周りの普通の人を見てると、みんな子供や孫に振り回されています。子供は王様、親は殉教者という言葉があるくらいで。むしろフランスでは時々日本のスパルタ式学習塾のドキュメント放送が流れて、日本の子はすごく勉強してかわいそうと思われてるような気がします。

31Fusako:2006/05/17(水) 22:58:23
訂正
ちょっといい加減な書き方をしたので、鹿島茂さんの表現をたしかめてきました。2005年に宝島社から出た「星の王子さまの本」という本で、フランスは「子供に非寛容な国」「子供っぽさが否定される社会」という表現をしておられます。「理性のそなわっていない子供はまだ人間ではない」という考え方が、フランスにはあるから、とのことのよう。で、そのようなフランスで、公刊された本の意義、フランスと日本どの受容は正反対、というような記述がありました。
フランスでの「子どもの発見」て、ルソーとか、アナール学派とか、との関連で聞いたような、とうろ覚えです。
日本とフランスとで、サンテグジュペリ、そして、「プチ・プランス」の受容、ってけっこう違うんじゃないかな、というのがわたしの印象です。
なお、「星の王子さまの本」の鹿島さんの対談にも、「apprivoiser」の訳語の話はやはり出ていて、これはラテン語のprivatus(私物の)から来た言葉、ということで、「飼いならす」としておられましたね。

いきなり全く変わって、日本では、冒険家、ってそれほど憧れの対象にならないのでは。植村直己とはなつかしい名前です。わたしも大好きでしたけれど、今の日本の若い人で彼を知っている人はどれほどいるでしょうか。植村直己とサンテグジュペリとを知っていて好きな人、っているかな、なんて考えました。

32Sekko:2006/05/20(土) 23:04:26
apprivoiser
フランス語講座での話を教えてくださる方がいました。それによると、「apprivoiserはもともとは動物について使うことば。主従関係よりお互いの親しみを想定している。そういうわけで夫婦、カツプルでこの言葉をつかう。たとえば男性が女性を完全にapprivoiserしてしまうということもできる。ということは時間の要素が随分はいつていて、時間をかけてしたしくなつてゆくことも含む」ということでした。
 私にはapprivoiser を そんなに「親しみっぽく」骨抜きにするのは、ちょっとまだ違和感があります。夫が妻をapprivoiser と言ったら、やはりシェイクスピアの『じゃじゃ馬馴らし』 = La Megere apprivoisee を思い出します。つまり相手は「じゃじゃ馬という動物」なわけです。対等な見知らぬ個人同士が時間をかけて「絆を創り」親しんでいくんじゃなくて、apprivoiserする方はapprivoiserしてやろうとする相手に対して、「優越感と恐怖を同時に感じている」のです。言い換えると「軽侮の念を持っているがその存在は怖い」という感じです。だからこそ、人間同士でなく人間と動物、男同士でなく、男と女になり、鶏を盗むキツネや、じゃじゃ馬や、野生の猛獣など、管理しないと脅威になるという相手をapprivoiserと言うのが基本だと思うのです。
 だから星の王子さまが「僕の花が僕をapprivoiserしちゃって」と言うのはキツネの定義を真に受けたかわいい間違いなんですよ。
 それで、このapprivoiserがフランスの雑誌などでよく使われるのは、なんと言っても「 apprivoiser la mort 」 という場合なんですが、これこそぴったりです。 人は死を無視して差別し遠ざけようと思ってるんですが、ほんとは怖くて、 その野生の荒々しさを何とか手なづけなくてはと思っているんですね。
 それでいくと、家畜化 domestiquer というのは、怖くない動物、牛とか馬とか鶏とかを働かせたり、つないだり囲ったりしますが、力では征服できないようなのは時間をかけてapprivoiser というのが基本かもしれません。そしたら、やはりキツネは、はじめは、「遊ぼうなんていってきても、所詮は人間の子、僕を対等に見てるわけないや、僕はだまされないもんね」と警戒してて、王子様が「お花にapprivoiserされちゃって」というのを聞いた時、王子様には人間と動物と植物の間の優劣や差別がないのだと知って、本当に友達になりたくなったんだと思います。
 で、私は 「 apprivoiser la mort 」 を含めて、apprivoiser がすきになれません。今調べている奴隷制の歴史で見るとでいくと、黒人を 奴隷化=domestiquer 出来なくなったところから、植民地化=apprivoiser が始まったと思うからです。じゃあ、異質の他者にどうすればいいかというと、やはり、真の意味で creer des liens です。
 「死」も、ごまかして恐怖を緩和したりするのでなく、生と死の間の絆を絶えず創っていき、生者と死者には共通の場があると想定したいです。多くの宗教はこういう点をカバーしているのですね。 Liens を創るのに rites が必要だというのもそこですね。
 真のユニヴァーサリズムは人を生と死のコミュニティに分けてどちらかがどちらかを管理するというものではなく、
存在のレベルの差を超えたコミュニオンを目指すものだと思います。

33Sekko:2006/05/25(木) 23:12:58
Marie−Antoinette
昨日から公開中のソフィ・コッポラの『マリーアントワネット』の映画は18世紀のレディDというか、15歳でフランス王に嫁いできた少女の物語なんですが、その解説にオーストリア人の彼女にhostileだった宮廷人を彼女が徐々にapprivoiserしていく、とありました。 敵意のあるものを魅力によって陥落させるというニュアンスですね。これは「apprivoiser la mort」とはまた方向性が違うと思いました。「死」は恐ろしくて逃避したいのとなじんでいくという感じですが、マリーアントワネットは、敵意ある環境から孤立させられないために、自分を適応させながら敵意を消失させるわけです。その成功が、怒れる民衆に対しても応用できると思ったところがちょっと悲劇的です。死とマリーアントワネットの二つの事例を考えた後で、キツネの話をもう一度読むと味わいが変わります。

34Sekko:2006/06/08(木) 21:42:16
ジェリコーとコメディ
 今リヨンでジェリコー展をやってます。ジェリコーといえば、ルーヴルにあって、日本の小中学校の美術の教科書にも載っていたと記憶する『メデューズ号の筏』で、ドラマティックだけどアカデミックなイメージです。でもこの人、フランス革命のさなかに生れ、1824年に33歳で死んだんですけど、ナポレオンの成功と没落、ルイ18世の王政復古と死、という、フランスの誇る共和国理念が、現実の嵐の中でぼろぼろがたがたになってどうしていいか分かんない、という政治的激動と危機の時代を生きて、すごく政治的な画家だったわけです。晩年に描いた『死馬』の画などは、メデューズ号と違ってミニマムにシンプルな一頭の馬だけなんですが、ひとつの時代が、完成せず、失望とともに終わったという悲劇が、諦念と鎮魂を凝縮して表現されてます。そして、メデューズ号の筏はその別の表現で、ミシュレーが、これはフランスだ、と言ったそうです。共和国の旗を掲げながら共食いし、屍累々、嘆いている者、救いを待っている者、波は荒く、空は暗雲立ち込め・・・
 それで、今回のジェリコー展の評といえば、そういう時代と今のフランスを必ず重ねるわけですね。一見自虐的とか絶望が深いとかも言えますが、こういう表現の中に文化的カタルシスがあるわけで、スペインにとってのゴヤのように、一番つらいところを引き受けて力の源泉にしてくれるような、こういう国民芸術財産があるのはいいなあと思います。

35Sekko:2006/06/08(木) 22:13:39
コメディ
 コメディのこと書くのを忘れました。ジェリコーとコメディは関係ないです。ジェリコーはむしろトラジェディー。
 最近、フランス映画のコメディを3本立て続けに見ました。私は普段あまりコメディ好きじゃないのですが、この頃、ちょっと、毎日馬鹿笑いしようと決めて、ジョークを収集したり、コメディを見ることにしたんです。それで、英語だと細かい笑いのつぼが分からないので、字幕を読むのも面倒だし、フランス映画にしました。『Essaye-moi』と『Quatre Etoiles』と『Maison du bonheur』です。結局一番面白かったのは『Essaye-moi』でポエティックとヴォードヴィルがよい具合にまざっていて、背景はむしろアメリカの郊外の町みたいでフランスっぽさがないのに、微妙にフランスっぽく、上質でした。これで充分笑えたので、力を得て、次の映画に行ったら、がっかり。ルービッシュとホークスとヒチコックを合わせたようなユーモアと様式と感動をということで期待したのですが、完璧に外れてました。まず、ヒーローの詐欺師がジョゼ・ガルシアなんですがいくらうまくておかしくても、全然共感できないのです。ハリウッドの猿真似でしかない。何が決定的に違うかといえば、ケーリー・グラントじゃないということに尽きます。ルービッシュとホークスとヒチコックを成功させるには、ケーリー・グラントのような「お約束」のキャラクターが必要だということがよく分かりました。ケーリー・グラントがでてきたら、どんな不真面目そうな詐欺師でも、ほんとは純粋で傷つきやすい心を持ってるんだろうとか、ヒロインはきっと恋するに違いないとか納得できるんですが、ジョゼ・ガルシアなら、ヒーローになりきれないのですね。これなら『Essaye-moi』で最初から変人の純粋君として出て来るフランソワ・マルタン・ラヴァルの方がまし。教訓=フランス人はケーリー・グラントのキャラはあわない。
 最後は芝居を映画化したダニー・ブーンのコメディで、購入した別荘の工事がめちゃくちゃになるという話ですが、これはまたフランス的過ぎて、笑えない。フランスに住む人なら誰でも身に覚えのあるような工事の不手際とか、不動産購入のリスクとか、身近な人の小さな裏切りとか、身につまされるところがあって、観客も、個人史の違いによって、それぞれ違うシーンでげらげら笑っていました。見終わった後も、あれよりはうちの方がましだよなあとけちな満足感が残るなんて、拍子抜け。ゲラゲラ笑えて、幸せ感が残り、ちょっとほろりなんてコメディは、天才が自作自演しないとだめかも。その意味でフランソワ・マルタン・ラヴァルは注目。ちょっと古いんですが日本で観れたらお勧めです。

36Fusako:2006/06/08(木) 22:38:26
映画
最近は日本に来るフランス映画って少ないので、おっしゃたのは来るのかなあ。
ルービッシュ、って日本での通常の表記だとエルンスト・ルビッチですよね。粋な映画を作る人でしたね。「ニノチカ」「天国は待ってくれる」「極楽特急」「生きるべきか死ぬべきか」、わあ、なつかしい!

37Sekko:2006/06/09(金) 04:13:15
ルビッチ
 ルビッチなんですね。私は彼の作品をほとんどカルチエラタンの名画座で見たので、日本語の表記も題名も知らなかったんです。今、ルビッチで検索したら、私の好きな「The Shop Around the Corner」は桃色の店(街角)とありました。James Stawart がなつかしい。ドイツ人でもこんなロマンチック・コメディーが創れて、原作がハンガリーの戯曲かなんかでしたよね。この中で、初老の店の主人が、浮気する奥さんに、君は僕と一緒に年をとってくれるのが嫌だったんだね、みたいなことを言うのがすごく身につまされました。まだ若かったんですが。そうか、一緒に年をとれるかというのがカップルなんだなあと思って。それに比べるとヒーローとヒロインの恋の顛末は印象が薄いでした。メグ・ライアンとトム・ハンクスでリメイクしたとか。あのEーメールの恋の映画がそれだったとは知りませんでした。

38hiromin:2006/06/11(日) 08:20:09
移民問題
先日の新聞で、移民の子どもの里親になるという運動が広がっているという記事を読みました。
サルコジ氏主導の移民の人たちを国外退去させるという政策に反対した親たちが、
「自分の子どもの友達を助けよう」ということで、移民の子どもの里親になり(里親になっても必ずしも国外退去させられないとはいうものの)、フランスに残れるようなんとかしようとしている人たちがいる、とのことでした。
日本的にいうと『親の会』って感じでしょうか。
こういった運動が広がるということに驚きましたし、感動しました。
これが日本だったらどうだったか?そう考えたときやっぱり悲観的になりました。
フランスではこういった動きは予想されるようなことなのですか?

39Sekko:2006/06/12(月) 01:18:22
移民の話とサルコジの言い分
ええと、充分想定内ですね。
サルコジが今度の移民法改正について言ってるのは要するにこういうことです。「みなさん、知ってますか? 移民に好かれる先進国のうちで、選択の基準のないのは世界中でフランスだけなんですよ。アメリカもイギリスもカナダもオーストラリアもみんな基準や条件がある。フランスだけが何でもありで、生活保護まで与え、家族を呼び寄せ、そういう移民家族が犯罪の温床になったり国のレベルを下げている。しかも、フランスは、不法移民でも10年住んでいたと証明出来れば労働許可つきの滞在許可を進呈している。これでは不法潜入を罰するどころか報償しているようなもの、こういうのはやめましょう。家族呼び寄せも、政府からの住宅手当や生活手当てなしで自立できている移民労働者だけに限りましょう。国民の税金で養ってもらっている労働者が国からどっと家族を呼ぶなんて変じゃありませんか。フランスに文句があるなら帰ってもらいましょう。あっ、でも労働許可のない不法移民でも、これからはケースバイケースで審査して、きちんと顧客と収入がある技術工とか、学校で優秀な成績を治めている子供とかには正式の書類を出せるように特例を作っていくつもりです。ね、厳しいけれど、人間的、これがサルコジ流ですからね」
近頃、サルコジが極右ル・ペンの外国人狩りのフィールドに侵入し、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルが「家族とか安全」などの保守党フィールドに侵出していると言われてますが、こういう論法はサルコジの典型です。
実際は、10年いればだれでも市民権(労働権)がもらえるというためには、すんでいたことを証明しなくてはなりません。そのためには自分の名で電気代や家賃や住民税を払っていることが必要で、まったくの不法移民の人は、それ自体が難しいのは当然です。学生ヴィザやアーチスト・ヴィザ、ヴィジター・ヴィザなどを更新しつつ、誰かに養われたり自国からの送金などで生活していて10年経過した、という人なら確かに居住者ヴィザをもらえていました。それだけモチヴェーションが高く生活力がある人だといえるので、決して不法に潜入していた根性に報償してもらってるわけではないのですが。サルコジの話だけ聞いてる一般フランス人は、そうか、そいつはひどい、隠れテロリストにどうぞいてくださいというようなものじゃないか、と思うわけです。それに、アメリカだって、不法移民は1100万人と言われていて、そういう人たちが道路にたむろして日雇い仕事場に連れて行くトラックを待っているのは公然の事実で、明らかに不法でも、数が多すぎて、警察も見て見ぬふりです。最近メキシコ国境に軍隊を配して話題になりましたよね。
フランスの問題は、たとえば難民のような人が、難民の認定をしてもらえるまでどうするかというときです。最近話題になったのは、旧ソ連のイスラム圏からの母子で、不倫の子といっしょで、強制送還されたら、シャリア法で母子とも殺されると言うのです。それで、その娘の通っている幼稚園の父兄がその娘を交代でかくまって、官憲からかばいました。あなたたちのやっているのは移民法違反の犯罪ですよ、と言われても、連れて行かれたら殺されると分かっている子供をかばわないのは「危険にある人を助けない罪」を犯していることに充当すると言って、皆一歩も引き下がりませんでした。
カトリック教会などは多くの不法移民の駆け込み寺になっていて、キリスト教の伝統としては、書類がどうとか国籍などは関係なく今ここで困っている人、宿のない人、病気の人、飢えている人、を養うのがイエスに仕えるのと同じだというので、官憲もなかなか手を出しません。そして、義務教育の学校はとにかく、誰でも無条件で無料なので、不法移民の子でも何でもOKなのですね。そして学年の間は就学児の追放はできないので、今、6月の学年末が近づくので、どっと、親とともに強制送還の手続きがなされるわけです。それで、そんな子達の学校の父兄が連帯して、学校に残れるように、なんとか養子手続きなどをしようとかするわけですね。そういう子は要するに学校に通ってみんなに溶け込んでいる子なので、正式移民の子でも不登校で群れをなして麻薬のディーラーになっている子よりも、将来の「共和国市民」として期待され受け入れられているわけです。前にも書きましたが、中国には、12歳くらいの優秀な子を単身フランスに送り込むエージェントがあり、毎日のように子供がパリにつくのが問題になっています。親の分からない未成年であれば、とにかく保護、フランス語を教えて学校に行かせるというのが今のフランスのシステムだからです。「未成年は社会が育てる」という基本があるからです。
 考えてみたら、たとえばインドネシアの地震のニュースで、多くの人が義捐金を寄付しているわけですが、あれも、別に国籍と関係ないですよね。書類があろうとなかろうと、今どこかで困っている人の存在を知ったら手を差し伸べるのが当然というコンセンサスがあるわけです。インドネシアの地震の犠牲者を助けるのが当然なら、いわゆる犯罪者でない限り、不法滞在だとか書類がないとかの理由だけで、困っている人を差別するのはおかしい、特に未成年は。というスタンスがあるのだと思います。
カルトなどの問題でも、未成年者の保護というのが絶対の課題であり、問題カルト関係者の子供たちはできるだけ早くカルトから引き離して「共和国市民」に取り込もうというのがフランス風教育社会主義ですね。日本の学校がカルトの子を受入れたがらないのとは逆の発想です。
とにかく自分以外の人が、衣食住や安全などの生存条件を満たされていないということを知った日からは、だれでも人生に影がさすというか、知らない前のようには生きられないように思うんですが。もしも地球が100人の村だったら、とかいう有名な絵本みたいなのがありますよね。あれを読んで、よかった、私は恵まれている、もう贅沢言わずに感謝して生きていこう、と思う人は多いと思いますが、私はなんかもう人生に陰がさしちゃいます。まあ、どちらの場合も「謙虚」ということを覚えるのは貴重ですけど。だって、自分が日本のような国に生れたりフランのような国で暮らしたりしている幸運は、全然自分のメリットと関係ない偶然でしかないですから。
この偶然の前には、「自助努力」「成果主義」なんて何ぼのもの、と思いますね。

40hiromin:2006/06/15(木) 00:20:41
移民の話
サルコジの言っていることに一瞬正当性を感じましたけど(小泉首相のはぐらかしにあっさり引き下がってしまうマスコミみたい)、なんだかたまたま恵まれた環境にいる人の言い分って感じですね。そこに痛みをもった他者に対する情のようなものもないし、フランスがその理念のもとにこれまでやってきた政策を問題が発生してきたからと言って簡単にないがしろにしようとしてる感じがします。
やっぱりフランスには基本理念は貫いていってほしいと思います。とても難しい問題ではありますけど。
こういう時のヨーロッパ人の発想にはやっぱりキリスト教が大きく影響してるんですね。先日フランス人の女性と話しをしていて「最近のフランス人はあまり教会には行かないのよ」と言ってましたが、それでもやはり影響は大きいんですね。
それにしても、だからといって「養子縁組」をするという発想はすごいと思いました。日本では誰もやらないでしょうね。自分も含めてよほど知っている人でない限り、反対運動はやったとしても「養子縁組」までできるかどうか。。。(これって戸籍の影響もあるんでしょうか)
日本にもかつては『子どもは地域の宝』という発想があったように思います。今は子どもが被害者になってしまう事件が多いので犯罪から守ろうという動きはありますが、もっとグローバルな考え方にたつべきではないかと思うときがあります。カルトの子を受け入れないことも、虐待されてる子どもをほっとくことも、国の宝である未成年を保護するという観点からしたらひどく間違った対応ですよね。

41古川利明:2006/06/16(金) 21:34:12
移民のサルコジ法案
 その移民問題を扱った、例のサルコジ法案ですが(下院は通過して、現在は上院審議ですか、それとも既に「法」として成立してしまったんですか?)、むしろ、私がいちばんアングロサクソン的なコミュニタリスティックなものを感じたのは、例えば、研究者とか、オリンピック、サッカー選手といった「有能な人間」は「どんどん、フランス入国OK」だけれども、「それ以外の人間のクズは、ガンガンと締め出すぜ」という、路線を打ち出していることです(という内容の記事が、外電面には出てました)。「それって、もろアメリカでしょ」の世界です。フランスの素晴らしいところは、もちろん、現実はなかなかそうではなく、非常にタテマエに過ぎるのかもしれませんが、祖国を迫害され、石追わるるごとく逃れてきた、亡命者、難民に対して、それこそ、ユニヴァーサリティックに受け入れ、とりあえず、自立の方策が見えてくるまでは、最低限度の生活保障くらいは面倒みましょう、という部分ではなかったですか。そういうユニヴァーサリズムの根幹を否定しようとしているサルコジに対して、私は、この上ない憤りを感じているのと、結構、そういうサルコジの言動に対して、「沈黙」という名の「支持」を与えているのではないか。そんな気がしてならないのです。60年以上前のレジスタンスも、当初はナチス全体主義に対して「ノン」と体を張って抵抗したのは、ほんのごくわずかの少数(とりわけドゴールくらい)で、フランス人の大半は沈黙していたんですよね。最近のセゴレーヌの「極右化発言」といい、「サルコジ的なるもの」に対して、妙におべっかな空気さえ感じるのは、私の思い込みが過ぎるのでしょうか。「不条理な存在」に対するフランス人のレジスタンスが何か、希薄な感じがしますが。

42Sekko:2006/06/17(土) 17:06:40
移民法
 ええと、上院は通過して、でも、法案の一部を修正(観光で入った外国人がフランス人と結婚して、その後6カ月以上不法滞在していたとき、ヴィザ申請に自国へ戻らなければならない、とするのを免除etc)で、例の資格や能力を明記する許可証については通過しました。優先連帯地域(ほとんどアフリカ)の国との共同開発においては、ということです。それで、こうしたら、ただでさえ自国の医者や技術者が少ないアフリカの国からますます優秀な人が流出するというので、野党は反対していました。今は、上下院共同の委員会にまわされています。(下院の方に差し戻しされれば決定権があります。)
 不法移民の就学児童の強制送還については、サルコジもついに世論に屈して、送還なしと言っています。
 優秀な人を優遇するというのは、フランス人のイメージとしては、優秀な人に来てもらって、「フランス人になってもらいたい」というのがユニヴァーサリズムに絡めた本音だと思います。サッカーチームを見ても分かるように、強ければ、黒人でもアラブ人でも、「みんなフランス人」で合意なのです。その意味で、ネーションより「エタ・レピュブリック」でしょうね。ドイツチームの半分がトルコ人だったりしたら、ドイツ人の応援アイデンティティは成り立たないでしょう、イングランドの半分がインド人とかも。
 フランスの歴史の中で、宗教改革と革命で優秀な国民にどっと出て行かれた、しかし、第一次大戦で優秀な移民が来てフランス人になった(あるいは第ニ世代は教育を受けて優秀になった)、その後は、アフリカの貧しい出稼ぎ移民で彼らは第二世代が適合しないのでまたレベルが下がった、アフリカからの移民を止められないなら、ここら辺で、アフリカ人は、最初から優秀な人に来てもらわなくては、という雰囲気ですね。

43hiromin:2006/06/29(木) 19:09:27
少年事件
先日、奈良で高校生の男の子が自宅に火をつけて母親と兄弟を殺してしまうという事件がありました。
このニュースを聞いたときとても悲しい気分になりました。
この少年は学校の成績のことで父親から厳しく叱責されたりしていたようで、何もかも忘れたくて火をつけたと供述しているようです。
私はこの少年が家から逃げ出せるような環境があれば事態は変わっていたのじゃないかと思いました。駆け込み寺じゃないですけど、一時的に家から離れられるようなところがあってそこに避難できれば、自殺したり殺したりするような事態もある程度は避けられるのじゃないかと。
フランスでは少年事件は増えてますか?またやっぱりフランスにも子どもが自ら駆け込んで行けるようなシェルターみたいのはないですか?

44Sekko:2006/07/21(金) 08:52:13
子供の暴力
 近頃、サルコジが、少年の暴力事件には幼年時から現れる素質によるものがあるとして、フランスでは2歳から入れる公立幼稚園や小学校から、「乱暴な子供」の観察と早期治療=管理というのを始めました。そこだけ聞くと過剰危機管理だと思うのですが、そのルポを見ていると、確かに、小さな子供の中にも、皆が静かに座っている状況で、突然他の子のお絵かきの紙を引きちぎったり殴りかかったりする子がいるので、そういう子は幼児心理学者などのカウンセラーを受けます。小学校では、殴り合いなどが始まると、教諭の他に、専門に配されている教育士が、その様子を観察して、当事者の子供を「話し合いの席」につかせて仲直りさせます。それでも、解放されるとすぐに校庭に飛び出して、意味なく他の子を殴る子供もいます。黒人の移民の子が多いです。これは家族がフランス語が不自由だとかうまく社会に溶け込めないとかいう不全感の投影かもしれませんが、確かに、こういう子はいかにも、このままほっておけば、中学くらいになると兄貴分について例の郊外「少年暴動」をやらかす予備軍のように思えます。14、15歳になって力が強くなってからではもう遅いので、かろうじて学校に通っている子供の時から対応するというのは教育的遠謀でもあります。まあこれができるのは、教育社会主義のフランスだからであって、教育費無料、教育士も教育省に雇われていて、問題児への心理学者や心理療法士の対応も全て無料という制度があるからでもあります。そして、教室外での子供同士の世界に口を出さないという「子供コミュニティ」尊重のコミュニタリスムでなく、一人一人の子供が権利を尊重されているかをチェックするユニヴァーサリズム方式なので、教育史が目を光らせていて不当なことには即介入というわけです。日本風のいじめや不登校が起きにくいのはそのためかもしれません。コミュニティより個人が優先して保護されている感覚があるからだと思います。
 昨日7月1日、不法滞在移民の就学児童とその親に滞在許可を与えよというデモがあり、パリでは里親の会など何千人もが繰り出しました。やはり黒人を中心に、不法滞在の家族たちが子供連れで歩きました。「就学児童=滞在許可証」というので、役所にも不法移民が押しかけています。その意味では、サルコジもまったく押されています。
 子供を共和国の学校に就学させれば、そこで「フランス人」を作るのだから滞在OKですよというのは、彼らの理にかなっています。しかし「教育」が聖域というのは考えたらすごいことですね。大体、他の国では、不法滞在者の子供を公立学校に登録できるのでしょうか?日本など、カルトの信者の子供だからといって受け入れたがらない学校とか自治体とかさえありました。里親どころか、PTAが猛反対という感じです。その癖、いじめとかには目が届かなかったりするので子供が追い詰められたまま大きくなりある日爆発するのだとしたら、悲しいことです。地理的にも歴史的にも状況が違うので、日本にアフリカ系黒人がどっと不法入国する事は考えられませんが、とにかく、たとえば東京の真ん中で、見た目マイノリティの不法滞在の親子たちに滞在許可を与えよといって同級生の親たちが一緒にデモ行進するなんて、逆立ちしても想像できないことです。すごく非現実的だし、こんなことでほんとにいいのか、ともよそ目にも心配ですが、これがフランスの特徴でもあり、こうやって子供の教育を引き受ける限り、「若者の暴動」は全て教育の問題だとみなして幼稚園から対応始めるというのも分かるので、10年後には効を奏するか見てみたいものです。
 結局、フランスにおけるライシテの聖域が学校なので、子供たち一人一人が私的に属する共同体が不法移民の家族であろうと伝統的なカトリック小教区であろうとカルトであろうと、学校はその上の「共和国=自由平等友愛」に置かれるわけです。その意味では、「ライシテ」の空間はそのまま駆け込みシェルターだといえます。教育士や多くのアソシエーションが具体的に活動しています。カトリックのシスターや修道会がこのようなライック(=非宗教的)の避難所を運営していることもあります。
 でも、何日か前、健康に問題のある不法滞在の人と話していたのですが、フランスでは不法滞在の人でも無料で診てくれるシステムがあるし、いろいろなアソシエーションもあるはずだから調べればとアドヴァイスしたら、自分は生きるのにせいいっぱいで、どこにそんなものがあるのか調べる余裕もないといわれました。理念の認識と情報の平等がないと、一つ一つの不幸は解消できないのです。でも「子供を学校に入れれば合法的に滞在できる」という情報は充分いきわたりましたから、光明を見出す人は多いでしょう。
 それで、奈良の高校生ですが、事情はよく分かりませんが、絶望や憎しみが自殺や他殺というほどの形をとるまでには、やはり、精神のケアを要する病的な段階を通過しているのだと思います。学校でも家族でも、第三者の誰かがそれに気付いてあげるシステムや状況がなかったのでしょう。絶望状態の人は、そこから逃げたりどこかに駆け込んだりしたら救われるかもしれないという発想すら奪われて、最後の抵抗が他人や自分を「壊す」ことしかなくなるのだとしたら、やはり、第三者による啓蒙と危機管理が必要なのかもしれません。シェルターがあろうとなかろうと、「他者に救いを求める」決意自体がすでにだれでも平等にもてるものではないのです。
 親はその定義上子に対して盲目だ、とフランスでは言われています。子供の危機を管理するのは至難の業、だめだと思ったら第三者に丸投げ、というシステムを認めるのもひとつの方法です。そういう親もまた、第三者の子に手を差し伸べて借りを返せばいいことです。誰でもよその子の教育士になれるし、ならなくてはならない。
 何の問題もない「いい子」をもてるのは、ただの僥倖か、子供の自由の搾取に成功したかのどちらかではないでしょうか。全ての少年事件、私には他人事とは思えません。せめて、私の生徒たちに「無償で助ける」ことの存在を教えたいです。助けることを知らなければ、いざというとき自分も助けてもらえるかもしれないと気付けないと思うからです。フランスの話と離れましたが、フランスのTVで、不法滞在の親子とデモ行進をする無償の人々(政治家もいますが)の姿を広く伝えるのは、その意味で悪くないと思いました。

45Fusako:2006/07/04(火) 22:29:32
子供の安全
個々の家庭の中に子供を囲い込みながら、学校や通学の安全については、国・自治体・学校など、外部の責任をすごく追及し、そして、子供の視線に立って考える、子供たちがのびのび暮らせるようにという観点が必ずしも共有されていない、のが、最近の日本のように思えます。

46Fusako:2006/08/17(木) 22:21:29
バロック音楽
「バロックはなぜ癒すのか」を読んでいます。
感想とは言えないのですが、面白いと思ったのは、フランス・バロックは演劇的で語りの要素が強い(イタリアに比べて)ということ。
つながるかどうかわかりませんが、しばらく前に聴きに言ったジュリエット・グレコのコンサートで、彼女の歌はほとんど、ドラマ・語りに近く感じました。ロックでも、フランスはけっこうラップが盛んだと聞きます。そんなことを思い出しながら読んでおります。

47Sekko:2006/08/19(土) 17:00:32
シャンソン
 日本にいわゆる「シャンソン」の根強いファンがいるのは、フランスの「語り物の歌」が、日本の伝統的な歌と親和性を持ち、一般に近代西洋音楽を聴く右脳の方でなく、曲も左脳の言語脳で聴くからだと思います。フランス人や日本人の方が、意味不明の外国語の歌詞の曲でも違和感なく語りとして聴くように思います。虫の声や鳥の声にでも「意味」を聞き取るのと同じシステムですね。その辺のことを近く『バロック音楽はなぜ癒すのか』の続編として書く予定です。右脳を鍛えろというのが流行ってますが、日本人やフランス人は左脳に情緒がリンクしてるんですよね。9月14日、朝倉未来良さんのフランス・バロック・フルートのコンサート、ぜひ行ってみてください(文化会館小ホール)。朝倉さん、フランス・バロックの名誉のために頼りにしてますよ。

48Fusako:2006/09/14(木) 23:07:00
小さな優しき歌
のコンサート、とても素敵でした。楽器が徐々に鳴ってくるとか、奏者が佳境に入って来るとか、休憩に頂いたシャンパンがきいてくるとかあるのでしょうか、最初「うむ、今日はバロックのお勉強だな」と思って聴き始めたのが、どんどん楽しくなって、アンコールまで快い高揚感で聴かせていただきました。

49Lion:2006/09/19(火) 17:17:56
ワインの話ですが
先日ワイン通の知り合いがワインを空気にさらして置くと味が変化してくるのを日本語では「ひらく」と表現するが、英語ではchangeと言いあまり言葉的に面白味がないと言うのです。
フランス語ではこういう時にピッタリ合う言葉は何かございますいでしょうか?

50Sekko:2006/09/19(火) 17:24:01
ワインの表現
フランス語は多分こういう場合EVENTE(最初と最後にアクサンあり)でしょう。Change(最後アクサン) というのはないので、
英語のchangeはフランス語の直訳ではないようですね。Ventは風の意味です。風にさらされて香りや味わいが飛んだ感じでしょうか。
酸化したならそのものずばりでOxyde(最後アクサン)もありますが。エヴァンテ の方が趣がありますね。
フランス語のワイン言葉で開く(ouvert)というのは、開花、熟成するという意味です。閉じたferme というのはその逆でまだ固いというか
青いというかですね。ニュアンスの違いはおもしろいですね。

51桐鈴:2006/10/17(火) 17:19:54
ストのこと・障害者雇用のこと
 パリに8年すんでいたという人が、こんなことを言っていました。「パリのストライキは、日本と違って、電車を止めないで、みんなにただで乗せちゃうの」だって。本当ですか?
 後、先日お聞きしたフランスの企業は従業員の6%を障害者雇用しなくてはならないという話ですが、どのくらいの企業が、達成できているの? %を聞かせて。知的障害の人はどんな仕事してるのかしら?

52Sekko:2006/10/17(火) 17:40:30
ようこそ
 電車、止まりますよ。でもわずかながら運転してる分にはコントロールがなくて、ストの日は改札の扉が手であくのはホンとです。でも、定期を持ってたからといって、後で払い戻したりしてくれません。95年の末みたいに2週間以上とまった時はさすがに翌月分が半額とかでした。多くの国では交通機関のような「公共事業」はスト権がないですが、フランスはあり、国鉄も派手にやってます。それは直接民主制の行使ってことで、お互い様で、みんな我慢強いです。
 障害者雇用について、現在、6%が課せられている企業(従業員20人以上)のうち、達成しているのが50%、一部雇用、一部は罰金というのが27%、まったく雇用してないのが23%です。政府は、2005年に、3年間計画で、3年の間何の努力もしない起業からは罰金を3倍に引き上げるとか通達を出してるようです。
 知的障害の人は、高齢化に伴って需要が増える介護助手などが新しいマーケットだとありましたが、今実際、どこにどのくらいいて何をしているのかは分かりませんでした。

53古川利明:2006/10/29(日) 18:15:45
女性大統領について
 竹下さんの「女性大統領待望論」、興味深く読ませて頂きました。竹下さんのセゴレーヌに対する期待が伝わってきます。ただ、彼女は(おそらく)、オランドと「ニコイチ」なんですよね。ヒラリーとクリントンとの関係のように。ヒラリーがクリントンなしに存在しないように(それは男女のそれよりも、「政治活動」という、オフィシャルな部分でしょうが)、セゴレーヌもそうだと思います。私は別に男女の能力差はないと思いますが、良くも悪くも、現実問題として、「政治」はあまりにもドロドロと汚いところに関わらざるを得ません。要するに「肥溜め」に手を突っ込む必要があるということです。それを考えると、あまりにもセゴレーヌは品が良すぎるというか、「清濁合わせ呑む」という部分がないんですよ。そこらあたり、ドビルパンとも共通するところだと思います。何か、フォーブール・サントノレのサロン・ド・テで、やんごとなくお茶を飲んでいる姿がサマになっているっていうのでしょうかねえ。日本でいうと、この前、滋賀県知事に当選したあのオバチャンみたいな感じですかね。確かに「市民派」で「クリーン」な感じはしますが、じゃあ、議会を牛耳っている、脂ぎった顔の、魑魅魍魎とした連中と渡り合えるか、ということです。その点、シラク、サルコジの方が、そういう手管には全然、長けています。シラクもかつては直球一本だったと思いますが、コアビタシオンでミッテランに煮え湯を飲まされて、だいぶ、変化球も使えるようになってきたとは思います。でも、去年のEU憲法草案の是非を巡る国民投票でも、それを最初に言ったのが、その前年の革命記念日だそうですよね。半年以上も間を開けたら、その間にいろんな世論動向の変化もあるわけですから、まだまだ脇は甘いです。それに比べたら、サルコジの方が全然「策士」で、アイツは本当に油断ならない男です。「頭が痛くなって、表から消える」なんてのは、要は「雲隠れ」じゃないですか。都合が悪くなったら「逃げる」ということでしょう。サルコジはENAに籍を持っていないにもかかわらず、ここまでのし上がってこれたのは、まさに「権謀術数」以外の何物でもないでしょう。その点では、彼は余りにも「謎」が多いですね。今、治安担当の内務大臣をやっていることを含めて、竹下さんも含め、フランスに在住する言論人たちが、サルコジをなかなか正面切って批判しようとしないのは、彼に対する「怯え」があるからでしょう。でも、シラクは叩かれる。ワールドカップの例の「頭突き騒動」で、ジダンがシラクに対して頭突きをしている風刺画がネット上に出回っていたようですけど、本来なら、あの頭突きの相手は「サルコジ」でなければならないはずでしょう。竹下さん、前にはっきりと私に言ってたじゃないですか、「もし、サルコジが大統領になったら、フランスから出て行きたいくらいだ」と。もし、「真の言論人」であることを貫くのであれば、もっと、筋を通した発言をしなければですよ。サルコジに別件でパクられて、警察の留置場に入るくらいの覚悟と勇気がなくて、何が、「言論人」だと私は思います。トルコの知識人は、クルド人問題で政府を批判するだけで留置場に引張っていかれているじゃないですか。私が「シラク3選」を支持するのは、そういう理由からです。それで、「共和国大統領」は、アメリカ、中国、ロシアといった、そういう手管にかけては、相当なものを持っている連中相手に交渉するわけですから、それを考えると疑問符を感じます。ただ、そういう「政治家としての資質」は置いといて、「女性らしさとしての魅力」という点で見れば、セゴレーヌもギグーも全然、OKですが(笑)

54Sekko:2006/10/30(月) 00:29:57
サルコジなど
 えーと「女性大統領待望」なんて言ってませんよ。私はDSKを支持だって書いてあるでしょ。あれはジェンダーコーナーで、政治家における男と女の「見た目」について考えてみただけで、サルコジ批判と直接関係ないし。でもサルコジとセゴレーヌの対決なら私はもちろんセゴレーヌで、DSKが首相になると見てます。DSKが大統領ならジョスパンが首相に返り咲きもありです。
 『もし、「真の言論人」であることを貫くのであれば、もっと、筋を通した発言をしなければですよ。サルコジに別件でパクられて、警察の留置場に入るくらいの覚悟と勇気がなくて、何が、「言論人」だと私は思います。』って、まさか私に言ってるんですか?
 サルコジのせいなんかでパクられるなんて、絶対ごめんですよ。まだカナダとかに引っ越すほうがまし。でもね、サルコジのなりふりかまわないむき出しの野心とネオリベぶりは、フランス的なエレガンスとも相容れないし、社会民主主義の伝統とも折り合わないし、その点で、サル居士がどうやって自爆するかつぶされるか、あるいは大統領になってしまったら、どう「フランス化」していくのか、そのへんを観察するのもすごくおもしろいんです。
逃げるのは解決じゃないし。
 もうひとつ、ジェンダーの記事にも書きましたがこちらではサル居士批判にすごく差別的言辞が飛び交っているんです。それに比べればセゴレーヌへの女性蔑視的批判はずっと穏当です。TVのギニョールなどの風刺番組ではシラクはサルコのことを一貫して「小人」と連呼してます。アメリカで「小人」が差別的というので「白雪姫と七人の小人」が検閲されたことがあるのを思うと、我彼の差にあらためて驚きです。
 シラクって、別に若いとき直球1本じゃないですよ。最近のドキュメント番組で、81年の二次投票のとき、彼がいかにジスカールをつぶしたかという証拠のコメントを改めて聞いて、今のサルコより上手のなりふりかまわぬ策士ぶりに驚きました。あの頃の私はシラクだけは信用の置けないマキャべリックなやつで絶対に大統領にしたくないと思ってました。
 ちょっと面白かったのは、シラク12年の功績として、イラク派兵反対や兵役撤廃と並んで、核実験の停止があがっていたことでした。日本人のイメージでは、シラクは大統領に就任してすぐ核実験を再開した悪いやつみたいのがありましたが、確か、ミッテランは10回以上やってたし、シラクは公約の時から、最後の核実験を数回やってそれから停止するというプログラムだったのですね。それで、基本的にフランスはもう核実験しない路線をシラクが用意したわけで、それが評価されてるのです。
 でも、最近、イスラエルの核兵器のことで、60年代にドゴールの肝いりで核開発した後、マルセル・ダソーがミサイル開発を助け、云々の資料を読んでいるうちに、プロアラブと思われているフランスが一方でヨーロッパ最大のユダヤ人口を抱えてイスラエルに率先して核を持たせていることの老獪さに改めて感心しました。イランや北朝鮮だとこんな騒ぎになってるのに、イスラエルだけは、欧米のパワーゲームの中でどうにでもできたんだ、という感慨です。こういうことを見てると、ほんと、清濁併せ呑むどころか、濁流の中で目を開けてどこまで見えるかというのが国の指導者の最低条件です。セゴレーヌは軍人の娘で、兄弟も軍人で、自分はセネガル生まれ、ヴィルパンもモロッコ生まれで、じょうずに「アフリカに強い」イメージも使ってます。「サントノレでやんごとなくお茶してる」感じじゃないですよ。
 そんなわけで、こちらは、サルコジが着々と人心をつかんで行くのに手をこまねいて黙っている、という構図ではなくて、サルコは目を覆いたくなるほど下品な非難や揶揄を含めて、すでにあちこちから攻撃されてます。こんな状況では確かに私は毒気がぬけるんですよ。個人的にはまわりはみんな「インテリ左翼」だし・・
 一度「ヴィルパンかわいい」とか口に出したら散々な目にあいましたし。11月の下旬、社会党の候補が決まったらまた報告します。

55古川利明:2006/10/30(月) 21:43:28
大統領のフランス化?
 失礼しました。確かに「ドミニク・ストラス・カーン(=DSK)に期待する」と書いてありました(笑)。ただ、このDSKという人物は、少なくとも日本では全く無名ですね。外電記事では見たことがないです(たぶん)。どういう人物ですか? それと、私がよくわからないのは、今回はPSもUMPも「党員選挙」で大統領選の候補者を決める、ということですよね。何で、そんなアメリカかぶれのようなことを、わざわざやるんですか? だって、フランス大統領選はアメリカもそれとは違って、有権者の直接投票・2回制なんですから。出たけりゃ、95年のRPR同士の「バラデュールVSシラク」のときのように、どんどん、みんな手を上げて出りゃいいじゃないですか(笑)。前回のジョスパンの1回目でのルペン敗北は、「油断」ですよ。現職の首相が、あのルペンに負けてるようじゃ、どうしようもないじゃないですか(笑)。それと、81年の大統領選で、シラクは決選投票に出れなっかったんで、同じ保守・中道のジスカールデスタンを潰すため、ミッテランに自分の票を回したってことですよね。「敵の敵は味方」なんだから、私だって、それくらいのことはする。私に言わせれば、その程度のレベルは、全然、「マキャベリズム」でも何でもないですよ(笑)。やっぱり、竹下さん、アカデミズムの人ですよ。私のように汚れていない。でも、それは大事なことだと思います。しかし、大統領になると「フランス化」するというのも「ふーむ」という分析です。ミッテランがそういうところがありましたからね。

56Sekko:2006/10/31(火) 01:09:10
DSKなど
簡単なのは、Dominique Strauss-Kahn - Wikipedia で検索したら顔とか経歴とか出てきます。この人も幼時モロッコにいたのでプロアラブのイメージと、でももとユダヤ系ということでバランスが取れてる気もしますが・・・PSがこうなった(党内選挙)のは、EU憲法条約の時のファビウスの離反、しかも離反した側が国民投票で勝ったというトラウマのせいです。でも今のとこ足の引っ張り合いで、議論をやればやるほど、内輪もめの印象を与えてます。サルコジが、少なくとも僕のおかげで彼らは「サルコジ批判」という共通点を持てて分裂をなんとか防げている、と今朝のラジオで言ってたのが皮肉です。UMPは保守から二人立てて共倒れになるのをふせぐためヴィルパンとMAMを抑えようとしてるんでしょうけど、今は去年の「郊外暴動」から1周年ということでまたポリスと若者の衝突が懸念されているので、サルコがかなり表に出ています。「僕は情熱の政治家、この国を情熱的に愛してる、課せられた責任を果たすのが大好き」と臆面もなく言ってました。「責任を果たす=権力を行使する」が彼の中ではナチュラルに一致してるのですが。
 シラクのジスカールへの近づき方と捨て方とつぶし方は、しかし、かなり印象的でしたよ。自分が落ちた後、「私はジスカールに投票しますが、みなさんはお好きなようにまかせます」と言った、その言い方が、見返してみるとびっくりでした。今ドゴールのTV演説を見ても、その芝居ぶりに驚かされました。舞台用としか思えません。ドゴールに比べたら、今の政治家はかなり普通になってます。
 大統領のフランス化というのは、第五共和制では大統領は「国の象徴」の役目もあるので、フランス革命の理念や何やらをせおわされるからです。でも今のシラクみたいに、もう博愛主義者として言ってることと、実際の政治とが遊離しちゃってる場合も出てくるわけです。

57:2006/11/08(水) 14:15:02
ちょっと場違いですかね
http://blogs.yahoo.co.jp/kenichimiura423/43370763.html?p=1&pm=l
こちらのブログでフランスでは教義を理由に団体を差別している。
という話が展開されているのですがこれはライシテの原則に反しているような気もします。
どなたか知見をお持ちの方おりませんか?

58Sekko:2006/11/08(水) 20:36:53
いいですよ
 ご指摘のブログを拝見しました。かなり誤解があります。まず、フランスの95年のセクトリストは、「教義によるカルト」の認定ではありません。ライシテとそれに基づく共和国主義を未成年に教育するための指針でした。当時も、法律に反することのない限り、これらのグループの存在は認められています。ただしフランスは、成年(18歳)に達するまでに共和国理念の教育を受けているというのが前提の「自由」なので、未成年(=分別力判断力の完成していない人間)の私的環境に干渉するのです。これは、ブログにあるようにカトリックの保護というのではなく、むしろ、私的地域的にどっぷりカトリックの刷り込みのあったフランスの歴史的状況との戦いを基礎にしてすべての反カルト法があるといっていいくらいです。ですから、反カルト法には今でもカトリック教会が目を光らせていて、信教の自由に反しないかチェックを入れているので、まあバランスは取れています。
 このリストは95年の時点で、フランスで、主として未成年に関係してしばしば訴訟の対象となったグループ(内部での教育機関に勧誘や宣伝、親権訴訟など)、金銭関係などに疑惑を持たれたグループ、寄付や脱会に際してしばしば訴訟の対象になったグループ、であり、「被害者」を助けるための非営利組織がすでにあるものがほとんどでした。「被害」とは、脱会の際に嫌がらせを受けたとか、洗脳されて大金を寄付してしまったとか、子供に法廷のワクチンを受けさせないとか、学校に行かせないとか、離婚した後、子供をつれてグループ生活をする親が、もう一方の親や祖父母との面会を認めないなどです。ブログにはオウム真理教が入っていないとありましたが、95年の時点でフランスでそういう被害がなかったからです。
 ですから教義とは直接の関係はなく(もし教義に社会から子供は隔離して育てるべしなどあれば別ですが)、宗教以外のグループも対象になるわけです。リストにはもちろん各グループの紹介がありますが、そこに挙げられている名目や公式の活動内容そのものがカルトだといわれているわけではありません。
 もちろん健康な大人が自分の判断でどのグループに入ろうと違法行動をしない限りOKです。ではこのリストがどういうふうに使われたかというと、離婚の時に一方が認定セクトに入っていると、入っていないもう一方が親権を主張しやすい、洗脳されていたとの主張が通りやすく賠償金をもらいやすいとかなどの訴訟シーンです。後、このリストに入っているグループは原則として、未成年教育施設、病院、リハビリ施設や老人ホームなど、判断力が充分でないか弱っている人の多い公共の場所とその半径200メートル以内での広報や勧誘活動ができなくなりました。それらのグループの「被害」は実際そういう場所での勧誘が多かったからです。教師が教室で広報勧誘するなどは当然だめですが、確かパリの16区のリセでは日本人のSGIの生徒が、リセの内部で友人を勧誘したことで一時問題になりました、未成年が未成年を、生徒が生徒を勧誘するというのは「想定外」だったからです。
 そういう「訴訟における判断の材料」というプラグマチックな意味があったので、170以上の名がリストにあったわけですが、その後状況は大きく変わりました。一つはもちろん2001年以後のイスラム原理主義のテロ問題です。
 移民や不法移民の子弟が共和国の学校から落ちこぼれる、モスクで原理主義グループに誘われてパキスタンなどの軍事訓練に行く、など深刻な問題がたくさん起こり、セクトどころではなくなったのです。172のグループの「被害者」はどちらかといえば、いいところの若者や小市民が多かったのですが、社会の別の次元の問題が大きな危険を伴って増大したのですね。それで、95年のカルトリストは、今年初めに一応役目を終えたことになりました。これは、それらのグループがセクト的傾向がなくなったと判断されたのではなく、95年の基準で行くと、今は同様のグループは170どころか400か500に上るそうで、172のリストに載っていないということを免罪符にすることの不都合のほうが大きくなったということらしいです。だからリストなどでくくらずに訴訟があるごとに個別のケースを審査すると言うことです。
 もちろん、カトリックの内部でも被害訴訟というのはあります。特定修道会に洗脳されたなどです。あるグループがセクト的であるかどうかは、普通は、教義そのものにあるのではなくその個別の運用にあるのですから。
 独善主義とか、秘密主義とか、全体主義など、共和国主義に反するとみなされる「セクト的」活動や考え方はあらゆるところにはびこっています。セクト(統合するものでなく分断するものというイメージで、フランス風ユニヴァーサリズムの敵)の誘惑といっていいくらいです。「自由・平等・友愛」といいますが、ほっておいたら、私たちは「不自由・不平等・憎悪」に限りなく向かっていくかのようです。だから建前など意味がなくてフランスは歪んでいるんだと言うより、だからこそ、建前をしつこく掲げて、試行錯誤しながら、理念を現実に反映しようと四苦八苦するフランスみたいな国があることは興味深いです。
今の日本では、子供が親と一緒に宗教団体で暮らし始めたら、祖父母が孫と会うことを拒否されても、どこへ訴えることもできず泣き寝入りするケースがほとんどですし、逆に、オウムの事件のように、カルト教団内で育てられていた子供たちを保護するどころか、就学を拒否したり「くさいものに蓋」式の封じ込めをするのも知られています。それよりはフランスの方が責任あるケアが期待できていいかなと思ってます。
 私の義妹はチベット仏教の学者であり僧侶です。その仏教センターに来る人々の心性は、旧ヒッピーというかエコロジーでロハスな人、リンポチェにをほぼ偶像崇拝してる人など、さまざまです。救いや幸福にもいろいろあって、救いや幸福を求める形にもいろいろあるんだと思わされます。でも救いや幸福を求める心につけこんで人をコントロールしたり搾取したりしようとする人間や組織も必ずいるわけで、私は少なくともそっち側(つけこむ側)に足を踏み入れないように気をつけたいです。
 そんなわけで、「・・はフランスでカルトに認定されてるからカルトだ」という言い方は、フランス人が言っても日本人が言っても間違いです。そんな言い方で断罪したり免罪したりせずに、グループや個人の個々の活動の現われを自由・平等・友愛の理念に照らしてこまめに微調整していくのがいいような気がします。

59:2006/11/09(木) 14:31:09
(無題)
ありがとうございます。
お詳しそうですね、文章も気合が入っております。
宗教関係の方からの中立な視点は非常に興味深く、拝読させていただきました。

95年報告書を字義通りに読むだけでは中々わからない話。
具体的な選定基準の話は知らなかった内容もあり参考になりました。
UNADFI等が関わったのは知っておりましたが、記載されたのが「被害者」を助けるための非営利組織がすでにあるものがほとんどという話や細かい基準は知りませんでした。
訴訟における判断の材料に使われたということは、それだけキチンとした報告書であったということですね。
しかし逆に考えると個別の事件に適用するというのは公平さを欠くような印象も受けます。
裁判で95年報告書は行政資料に過ぎないという話もあったようですし。
裁判で乱用してはいけないとの通達もあったようです。

セクトどころではなくなったというのは大変そうな話ですね。
評判が悪いが最悪というイメージが浮かぶほどでない団体が多いみたいでしたしそういう問題がおきたら放っておかれそうですねえ。
しかしMiviludes2004年度報告書を見ると一般的なカルトの手口に対抗するための行政施策が並んでいるようにも見えます。
単純に放っておかれているわけでもないように思えますが?
報告書などを読んでも普遍的なカルト対策に思えます。
そういえば報告書にも訴訟の援助や典型的な被害の目録づくりや詐欺研修防止などがありましたね。
特定団体を想定した対策ではないようですし、そういう方向に流れたというのは穏当な話ですね。

>>大人が自分の判断でどのグループに入ろうと違法行動をしない限りOKです
昔調べている途中で、大人の選択には干渉しない。
という表現があり不思議だったのですが未成年が重視されているとの貴方の説明もあわせると説得力を感じます。

私の話なのですが
日本語の記事を検索してもマスコミ情報はほとんど無く、信頼できるのは日弁連や読売新聞記者の談話など極少数。
このブログに代表されるような誤解だらけの記事が蔓延しておりました。
まずは正確な情報をと、私は今現在セクト対策に関わる行政資料の日本語訳をWikiSourceに提供している次第でして。
WikiSourceはWikiの姉妹プロジェクトで誰でも参加できます。
もし宜しければ参加していただけないでしょうか。
やはり情報が少ない状態ですので、詳しい方はひとりでも多いほうが良いのです。
それにこういうプロジェクトでは多様な視点が何よりも大事です。

60Sekko:2006/11/09(木) 19:44:09
セクト対策プロジェクト
Sさんのスタンスが分からなかったのでちょっと迷ったのですが、お役に立ててよかったです。でもこの問題にこの匿名の場ではあまり深入りしたくないので、このサイトへの個人メール sekko-culturelavo@hotmail.co.jp に改めてご連絡ください。

61:2006/11/12(日) 20:41:25
了解です
わかりました。
一応仕事と勉強を抱えている身分なので時々
お返事が遅くなるかもしれませんがその辺はご了承ください。

62お伺い:2006/11/14(火) 20:49:49
sekko様、s様
当該ブログの管理人の者です。
sekko様の投稿を読み、改めて考えさせていただきました。
その内容を全文記事にしたいとも考えております。
それについてのご意見をお聞かせください。

63Sekko:2006/11/15(水) 00:45:42
いいですけど
「全文記事」ってのがよく分かりませんが、Sさんがよければ私は別にいいです。私は大体において対決回避型の逃げ腰なんで、たとえばセクト的信念に固まった人との論争とかはしたくないんで、目立たないとこでお願いします。(だからSさんへのお返事にまよったんです)
 でも、こういうことで困っている方とかいらっしゃれば、哲学宗教の質問箱かサイトのメールに入れてくださればアドヴァイスできるかもしれませんのでどうぞ。

64お伺い:2006/11/15(水) 12:12:38
感謝
sekko様、全文記事というのは、意図的な変更を行わず、なるべくそのまま記事にしたいとの意味です。とりあえず記事にした際、何か注意点などあれば仰ってください。とにかく、「学会はフランスが国家的に認めた洗脳集団、破壊的カルトだ!」と一刀両断するのも、「それはフランス国家が悪い」としらばっくれるのも、どちらも真実を忠実に表現しているとは言えないと感じています。論争をする気はありませんし、大変フランス事情に精通されていて、敬服しております。

65:2006/11/20(月) 17:52:16
立場表明
偏見に固まらず中立的な見方。
やっぱりこれが一番大事ですからね。
私の場合ついついカルト批判に偏ってしまう側面があります。
事実は事実できちんと存在しているのですから
できるだけ正確な所を知りたいものです。
私もどうしても日本と言う情報の少ない場所に住んでいる身。
情報の少ない状態で犯した誤認は絶えず訂正しなくてはいけませんし。
固執するのはできるだけ避けたいところです。
でも私のサイト反カルトよりではあっても日本語ページで
一番中立的な情報を提供しているサイトだと自負はしているのですよ。

66:2006/11/20(月) 17:55:02
Reお伺い
私も掲載に賛成しますよ。
一つ条件をつけるとすれば
>>「学会はフランスが国家的に認めた洗脳集団、破壊的カルトだ!」と一刀両断するのも、>>「それはフランス国家が悪い」としらばっくれるのも、どちらも真実を忠実に表現してい>>るとは言えないと感じています。
この立場を保持していただくだけでよいです。

67:2006/11/21(火) 21:02:53
(無題)
Sekkoさまちょっと気になるのですがご指定のメールアドレスに私の方から
一通メールを送信しましたがまだお返事を貰っておりません。
一通でも結構ですのでお返事をいただけませんか?

68Sekko:2006/11/21(火) 21:22:13
へんですね
メール読みまして、2通返事しました。biglobe のアドレスに。変ですね。Sさんのサイトを教えてくだされば、そしてそこに連絡先があれば再度トライしますが。でなければ、別の方に頼みます。フランスからなので、返信枠でないと文字化けしたりすることもあるり、スパム扱いで消去されてるということもあるので。

69:2006/11/25(土) 01:05:09
へんですね
お返事遅れました。
もしかしたらジャンクメールと間違って削除したのかもしれません。
sinapusuA@hotmail.co.jp
にメールを送ってみてください。

70Sekko:2007/03/07(水) 00:58:46
大統領選荷ついて
 ここに来てフランソワ・バイルーが頭角を現してきた。サルコとセゴのあくの強いやり取りにうんざりし、どちらも大風呂敷を広げるのが不信感をそそるので、中道のバイルーが新鮮に見える。また、首相はともかく、フランス人は大統領には父親像を伝統的に求めている。サルコもセゴもそれを満たさない。バイルーにはそれがあり、吃音を克服したというやや訥々とした話し方も誠実そうに聞こえる。立て板に水のサルコや、妙に軍人っぽいセゴとは違う。教養のある教育者という雰囲気もある。サルコは、貴族の家系なのに品格がなく、自力でのし上がったとさかんに言っているが、本当にいかにも他人をだましたり押しのけたりして成功したという雰囲気をかもし出している。TVにも映ったが、何か都合の悪い質問をした女性に対して、「T’es qui,toi?」などと答えたことがある。フランス語には Bon pere de famille という表現があって、礼節を持って多者をリスペクトして常識的にふるまうことを「家庭の父としてふるまう」と言う。サルコにはそれがない。彼のその品のなさ、はある意味では一種の魅力でもあるのだが、それゆえに彼はリスペクトされない。バイルーも小柄だが、バイルーをちびだと言う人は一人もない。サルコだけが、はっきり言って気の毒になるほど、背が低いとからかわれている。サルコが体現しているのは父親像でなく、彼自身がクズと呼んで物議をかもしたチンピラ像なのだ。今から思えばジスカール・デスタンは若い大統領だったが背が高く髪が薄く雰囲気が老けていた。ミッテランも髪が薄く若くなかった。シラクは若い頃はぎらぎらしていたが、パパ・シラクとよばれ角が取れたイメージでようやく大統領になれた。その意味では、少し若いが、ヴィルパンは上品だが戦える父親像に適っていたがシラクに使い捨てにされた。サルコが大統領になっても閣僚にはならず、アメリカでアル・ゴアがそうしたように在野で独自の活動をすると彼は言っている。ゴアが環境問題でしたことを自分は世界平和のためにやると言っていた。その方がヴィルパンには似合っている。政治の世界を泳ぐには彼は上品すぎるからだ。フランス人は、190cm台ならとても背が高い、180cm台なら長身、170台は普通、という大まかな感覚があるが、ドゴール、ジスカール、シラク、ヴィルパンと、とても背が高い政治家がけっこういた。だからサルコの小柄が目立ち、シラクとヴィルパンの長身コンビと比べられて揶揄されるのだが、要は人柄だ。温かみのアルバイルーを見ててそう思う。サルコは、額に汗して働いている人が国からアシストされている人よりも稼げないのはおかしいという、ピューリタン成果主義みたいなことを平気で言って、そういうことをフランスで言う政治家は少ないので、一定の支持を受けている。ル・ペンが、うちの子がよその子より優遇されないのはおかしいという論理を打ち出したのと同じだ。サルコが大統領になったら、フランスも、生活保護は最低限のお情け、施しであり、働く人が税金を注ぎ込むのはおかしい、というどこかの国みたいになるだろう。フランスはアベ・ピエールを失って孤児になった。みんなが新しいお父さんを求めている。その気持ちがバイルーに向かえばいいのだけれど。バイルー大統領ならボルローの続投やヴィルパンの外相返り咲きもあり得るかもしれない。

71Sekko:2007/03/12(月) 05:22:46
シラクの言葉
 ついさっき、TVでシラクがようやく大統領選への不出馬を表明した。第五共和制になってから自らの意思で権力を手放した大統領は始めてなのだそうだ。そういえばそうかとびっくりした。不出馬の正式表明を延ばしてたのは、ヴィルパンがサルコジを支持すると言わなくてもいいように配慮していたのだと私は考えていた。結局、今日も、予想通り、サルコジ支持はしなかった。その代わり、無難というか、ユマニストでソシアルで、共和国的なメッセージを残し、文句のつけようがなかった。言ってることとやってることは違うとも揶揄されるが、共和国理念を堂々と完璧に話すだけでも意義がある。セゴレーヌやバイルーやラファランやル・ペンがコメントしていた。前はル・ペンを見るのもいやだったが、今は、78歳でこの意気盛んな様子、ある意味で敬服。今見るのもいやなのはサルコジだ。
 TVではじめシラクを見てたら、なんだかミッテランの時のデジャヴの気がしてきた。輪郭や禿具合がそっくりになってきてる。大統領になるとこうなるのか、右傾から社会党首になったミッテラン、左傾から保守になったシラク、二人とも、大統領を二期やってるうちに、「共和国の子」の顔になった。さっき、シラクは、フランスは世界の経済格差是正についてもがんばるようなこともちらっと言っていた。彼は現にアフリカ諸国から好かれているから意外でもないのだが、こういうときにこういうことを元首がちゃんと言える国というのはうらやましい。自分の国の貧しい部分を切って捨てたり「美しくない」とか思っている国の首長なら、世界の貧しい国のことに言及しないだろう。そういえば、わりと最近、アメリカのキッシンジャー元国務長官ら数名が、世界の核兵器をアメリカも含めてすべて廃絶せよという宣言を出していた。それを読んだとき、なんだか悔しかった。あんたに言われたくはないと言うより、何でこういうことを日本人が言わないんだろう、と思ったのだ。冷戦のときは物言えば唇寒し、というか、核の傘に入れてもらっているということで言いにくいのは分かるが、キッシンジャーですら、全廃棄が平和への唯一の道ととにかく口にする時代になったのだ。北朝鮮に対抗して自分たちもいまさら核武装なんていう声が聞こえる日本って・・・
 もし唯一の被爆国として、地球の片隅からとにかく核兵器全廃絶とずっと唱えていたならば、よそはともかくその日本にもう一度核爆弾を落としたらどんな国でももう国際社会ではやっていけない、という無言の国際合意を作れていたかもしれないなあといつも思わざるを得ない。「フランスには世界の公正と平和のための使命がある」と大統領がTVで熱く語れる国って、たとえGNPが下がっても若者の「暴動」が起こっても、「襤褸は着てても心は錦」って矜持があっていい。理想や原則って、やっぱり大事だ。

72Fusako:2007/03/13(火) 22:55:44
襤褸は着てても心は錦
このフレーズも、「矜持」という表現も、まあ、久しぶりに聞くなつかしい言葉のような気がします。海外にいる方の方が、古い日本を心の中に保っておられるのかもしれませんね。

73Sekko:2007/03/21(水) 01:04:58
仏文和訳
私からの質問です。次の文を和訳してみてください。
そして、Chacun, Quelqu'un, Quiconque 、Personne

という4つの言葉の訳を提案してください。お答えはこのサイトの著作紹介の所にある読者の感想を送る場所
sekko-culturelavo@hotmail.co.jp までどうぞ。


Responsabilité

C'est l'histoire de quatre individus :
Chacun, Quelqu'un, Quiconque et Personne :
Un travail important devait être fait,
et on avait demandé à Chacun de s'en occuper.

Chacun était assuré que Quelqu'un allait le faire, Quiconque aurait pu s'en occuper, mais Personne ne l'a fait.
Quelqu'un s'est emporté parce qu'il considérait que ce travail était la responsabilité de Chacun.
Chacun croyait que Quiconque pouvait le faire, mais Personne ne s'était rendu compte que Chacun ne le ferait pas.
A la fin, Chacun blâmait Quelqu'un, du fait que Personne n'avait fait ce que Quiconque aurait dû faire.

74Sekko:2007/04/06(金) 20:37:00
仏文和訳その2
 お待たせしました。前の質問の答えと次の質問です。といっても、答えはありません。宿題みたいだ、という意見がありましたが、別にどの答えが正しいとかいう評価はないんです。頭の体操として楽しんでください。今回の回答は6人でした。匿名でOKなので、気楽にやってください。
 まずその中で一番クラシックですっきりしてたKumikoさんの回答を貼り付けて回答がわりにします。


  Chacun, Quelqu'un, Quiconque et Personne :
  誰も、  誰か、  誰でも、   誰一人。

4人のおはなしです。
誰もと、誰かと、誰でもと、誰一人がおりました。

大事な仕事がありました。
誰もが取り掛かるようにと指示を受けました。

誰もが誰かがやるだろうと思っていました。誰でも良いのですから。ところが誰一人しなかったのです。
誰かが、この仕事は誰もに責任があるといって、怒り出しました。
誰もが誰でもできると思っていたのに、誰もがしないだろうとは誰一人考えなかったのです。
誰でもやるべきだったことを誰一人しなかったというので、しまいには、誰もが誰かのせいにするのでした。」



 これで4人の名前がぴったりおさまります。パチパチパチ。
「誰も」「誰か」「誰でも」「誰一人」 とミニマムにしたのがよかったみたいです。これに似たのはで、Mさんの「誰もが」「誰かが」「誰でも」「誰も」がありましたが、「誰もが」と「誰も」の違いを出すために「が」という助詞を加えたので、主語じゃないときに修正が必要になりました。
すごくユニークなのはKさんなのでこれも全文ご紹介。

「誰かが答えると、みんなが思っているかもしれませんが、試みに投稿させていただきます。
4つの言葉の訳はケースバイケースになると思います。考えるほどに難しくて、どこかでどれかがぴったり合わなくなります。ケースを決めるのは「大事な仕事」の種類ですね。

私はこんな図式で考えています。

[Chacun⇔Quelqu’un]= Quiconque ⇔ Personne



卑近な例ですが、「道路で狸が車に轢かれて死んでいた」と仮定して、

Chacun =役所

Quelqu’un =住民

Quiconque =心ある人(みんな自分がそうだと思っている)

Personne =傍観者



訳:



責任



4人の人がいました。4人の名前は、役所、住民、心ある人、見ている人、です。

大事な仕事がありました。

はじめに役所に電話がかかってきました。

役所は、そんなことは住民の手でなんとかすべきだと思っていました。心ある人なら誰でもできるはずのことです。でも、みんな見ているだけでした。

住民は怒りました。その仕事は役所の責任だろう、と。

役所は、誰でもできることは自分の責任でないと思っていましたが、役所がその仕事をしないだろうとは、見ている人は気付きませんでした。

とうとう、役所は住民を非難しました。みんな見ているだけじゃないかと、電話をかけた住民が逆に怒られてしまいました。」

サービス精神にあふれてます。考えさせられます。
ただ、この話では大事な仕事を4人に頼んできたのは「4人以外の外側の人間」だと考えられるので、住民と役所のような、すでに責任関係(役所は住民のサービス機関とか)がある間の2者のやり取りは適切じゃないかもしれません。この話の核は、「成員が同等な課題遂行能力を有するグループの中にいる『私と私以外』という意識の問題」だと思うんです。他の誰かができるからといってやらない自分は免責できるのかという話ですね。Blamer を「顔を青くした」と訳された方、このBlamerはブラスフェ−ム(冒涜)の語源の言葉なので、Bleu とは関係ないです。あ、考えるタネの最新記事にフランス語の発音の悩みを書いてます。コメントや、似たような体験があればどうぞ。
 では次の質問。また仏文和訳。
解説つきでもどうぞ! 文字化けの問題があるらしいのでアクサンつけません。敷衍してくださっても、前後の文を勝手に足してくださってもOKです。(liberte の最後のEに右上がりアクサンです。)
 La liberte, ce n'est pas faire ce que l'on veut, mais vouloir ce qu'on fait.

L

75Sekko:2007/04/17(火) 07:23:51
フィギュア・スケート
 ベルシーのフィギュアスケートのスター・オン・アイスに行ってきました。昔はよくホリデイ・オン・アイスとか行きましたが、フィギュア・スケートのショーは初めて、しかも世界チャンピオン級のは今までTVでしか見たことがありません。今回は、フランス人のブライアン・ジュベールが42年ぶりでフランス人男子シングルの世界チャンピオンになったばかりで、華やかです。私は日本人なので、女子チャンピオンの日本人も見たい感じですが、女性ソロはワルシャワであったヨーロッパ選手権の2位のサラ・メイヤーというスイス人、3位のキラ何とかいうフィンランド人でした。キラさんは最も美しいスケーターに選ばれたそうで、「もちろんブロンドで」とかいうナレーションは「なんかなあ」と思いました。サラ・メイヤーさんはブロンドじゃないけど美しかったし。カップルのアイスダンスが多かったので、ソロですべる人は何となく寂しそうに見えたのも意外。第一部のはじめの方で、転んだりする人が出て、司会者が、「ベルシーですべるのはすごく難しいんです。ベルシーだから、パリだから」とフォローしてました。この「パリだから」というのも、すごくフランス的だなあと思いました。国際大会とかで、「日本だから」「東京だから」みんな緊張するとは日本のアナウンサーは言わないだろうなと。出演者の主力はフランス・チームなので、この「パリだから」というのは、多分ほとんどのスケーターが地方出身者だということを意味してるのかもしれません。
 それで、男子ソロはこないだの日本で行われた世界選手権の金銀銅が全員出てました。銀の高橋大輔くんも。その順位で行くとまず銅のステファヌ・ランビエルが滑って、次に高橋、最後にブライアンかと思ったら、高橋が一部も二部も3人の中では前座扱いの最初でした。最もランビエルは2005年と2006年の世界チャンピオンだから、総合の格から言うと、高橋の後に滑るのが妥当かもしれない。それに彼はフランス系スイス人でフランス語を話すし、フランスでも人気だから。私は高橋がフリーで最高得点を出したのをTVで見ていたので、ベルシーでかっこよく滑るのを期待していたのですが、そして、期待通り上手でしたが、何か違う。完璧で高性能という感じで、集中力も伝わり、色気さえあるんですが、そして最後に「J'adore la France]とフランス語で言うというサービスも見せて受けていたんですが、ランビエルやブライアンにあって彼にないもの、それは余裕と華かもしれません。このショーは選手権とかじゃないんだから、ミスをしないとか完璧とかいうより、もっとはじけてほしかったです。3人の中では彼が一番若く、その差も多少出てくるのかもしれません。ブライアンも若いんですが、アレクセイ・ヤグディンの薫陶を受けたせいか、楽しんで、それをコミュニケートするという喜びをちゃんとあらわせています。彼が出てきたときの「華」というのは、スポーツ選手の華というより、なんだか宝塚の男役トップスターの華です。あたかも技術なんか2次的なような。「がんばる」という感じが見えていたらショーにはならない、フィギュアスケートはスポーツだけど、バレーなんかに非常に近いので、選手はアーティストである必要があります。ショーとなると、アスリートが完全にアーティストに変身しなくてはならないんですね。エンタテイナーといってもいいです。後、ッスケートクラブの女の子たちなんかが客席からすごい声で叫ぶんですが、その抑揚が独特で、掛け声の文化というのはどこにでもあるのだと感心しました。仏文和訳2の解説は明日にでも。

76Sekko:2007/04/18(水) 05:20:52
和訳その2の解説
 その1に参加してくださった方と同じ顔ぶれが大体そろいました。人数が少ないので、主なところをそのままコピーします。まずKumikoさん。

「 La liberte, ce n'est pas faire ce que l'on veut, mais vouloir ce qu'on fait.
『欲することを成すのが自由ではない。成すことを欲するのが自由なのだ。』

まあ〜、なんて単純。
それより、ひとつ質問させてください。初めのce que の後にはl' が入ってce que l'on veutになってますが、二度目の ce que の後にはなくて ce qu'on fait.になるのは、なぜなのでしょうね? リズム感の問題?(笑)
この l' の使い方って、難しくて、入れようとするとどこにでも入れてうるさくしてしまう気がするし、なければないでなにか抜けたような気が。慣例句のようになっているのは最低入れるように心がけてはいますが・・・あやふやなのです。むかし、フランス語の先生(外人に教えるフランス人)は、『あなたたちは使わなくてよろしい』と言いましたが・・・。」

ええと、単純ですがリズムがあってきれいな訳です。それに、単純なだけ、幅があって無難ともいえます。自由を2回繰り返したところがテクニックですね。最初のonに l' がついているのに2度目についてないのはやはりリズムの問題です。このlの挿入で、最初の部分のシラブルが2番目のちょうど2倍になっています。だから読んだ時に落ち着きがあります。日本人が書く時には確かに難しいですね。

次にNaoさんの答え。

『 自由とはしたいことをするというのではなく、することを熱心に追求するということである。

またこんなカツテな訳も考えました。
自由とは勝手放題のことをするというのではなく、他者のために、何かすることを望める可能性のことである。(他者のために、したくても制約があつてできないことが多いのでこんなことをかんがえました。)」

 この原文は、「自由とはAではなくBである」ということですね。つまりBはAの正反対にしたいところ。Aを「したいことをする」=「かって放題」=「自己の欲望優先」ととれば、それと対照的に、Bは利他的な行動指針と考えられるわけです。次にKさんの答え。

「私たちの欲することは数限りなくあります。人間、欲には限りがありません。限りのないものを求めることは自由とは「次元の違うこと」だと思います。自由とは行為する意志そのものであって、因果や運命に立ち向かう崇高な手段です。人間は自由を与えられて、責任を負います。

ですから、

『自由とは、欲することを行なうことでなく、欲して行なうことである。』

という訳にいたします。」

実はこの原文は、サルトルです。だから、文脈からいうと、これにかなり近いです。サルトル的にわりと単純で、人間がやることはすべからく自分で選択すべきだという、自由とは「生き方の選択と決定の自由」であるという意味なんですね。しかしMさんのように読んだ人もいます。
 「 自由とはやりたいことをするのでなく、することを望むことだ。
 竹下さんが祈りについて書いていらっしゃった時に『祈りとは祈ったことをかなえてもらうことでなく、可能なことを祈ることだ』というのと重なります。欲望は限りないので欲望から出発しないで、おのずからできることを望む境地に至るのが自由では。」

 これも含蓄がありますね。サルトルが選択の問題を自由と絡めたのは、キリスト教における自由意志の問題を意識しています。自由意志があるから、責任が生じ、責任があるから善悪の観念もでてくるわけです。
 Dieu se chisit. il n'est pas ce qu'il est, el est ce qu'il veut.というのはFrancois Varillon の言葉。コクトーは人間に自由意志を与えたのは神のアリバイだ、と言ってます。「私は自由だ、神さま、私を自由から遠ざけてください。」といったのはクローデル。逆にFerdinand Galianiは、「もし宇宙にたった一人でも自由な存在がいたとしたら、神はもう存在しないだろう」と言っています。この世に善悪が混在する現実の前に、人間の自由は神のアリバイであり、神の自由は人間のアリバイなのかもしれません。サルトルが神を捨てた時、神なき自由意志だけを引き受けたわけで、自由と欲望と責任と倫理とがのしかかってきました。自由がなければ原罪もなく悪も生まれなかったというユダヤ=キリスト教文化がベースにあります。

 次に仏文和訳その3です。これは今書いている『無神論』についての本に使おうと思ったのですが、うまく和訳できません。それで問題というより、皆さんのお知恵拝借です。

 Nier Dieu, c'est se priver de l'unique interet que presente la mort.
 です。interet の最初のeに右肩がりアクサンが、2つ目のeに山形アクサンがはいります。presente の最初のe にもアクサンテギュがつきます。サーシャ・ギトリィの言葉です。sekko-culturelavo@hotmail.co.jp か個人メールにお願いします。コメントつき歓迎。その2のお答えに関するコメントは直接この掲示板に書き込んでください。

77Sekko:2007/04/18(水) 05:23:53
choisit
さっきの文のDieu se chisit は Dieu se choisit のうち間違いでした。訂正。

78Sekko:2007/04/23(月) 04:55:33
また訂正、など。
この前のFrancois Varillonの文の el はもちろん il のエラーでした。この書き込み欄が狭くてチェックがちゃんとできずにすみません。
あと、和訳その2について別のコメントが来たので貼り付けます。J さんです。

「 『 自由とは望むことをすることでなく、することを望めることである。』
私はある依存症と強迫神経症に苦しんでいるものです。つまり、私のやることは私の望んでいることではありません。私の望んでいるのはむしろ「しないこと」ですが、してしまいます。やらされるといったほうがいいかもしれません。それで、しないように、しないように、といつも思いながらやってしまう現状から脱して、いつか「することを望める」ようになることが本当の自由だと思っています。」

 深刻です。「したいことをする」なんていうのは児戯の一種で、本当はみないつも何かやらされているのかもしれません。依存症は脳が覚えてしまっているので、やっていると一種の落ち着きが得られます。でも、それが自分や周りにとって不都合なことなら、少しずつデプラミングしていくことは、根気がいりますが可能だと私は思っています。それが自尊意識などと関わるとつらいので、依存症との関係性そのものを少しずつ変えていくのも必要です。全人格とかを問題にせず、知情意に分けて、アクションをどうコントロールできるかを検討してください。完全に克服できない悪癖とかは、増殖しないよう、転移しないように取り囲んで孤立させれば、罪悪感からは自由になれます。

79Sekko:2007/05/02(水) 21:42:43
和訳その3
 Nier Dieu, c'est se priver de l'unique interet que presente la mort.
の和訳の解説です。最近こんな言葉を見つけました。

「悪い訳でもエエ訳(英訳)、変に訳してもフツウ訳(仏訳)、二人で訳しても独訳、東で訳しても西訳、秘かに訳しても露訳、そもそもいい加減に訳しているのにホン訳(翻訳)というのが良くない。」

 変な訳でもフツウ訳(仏訳)かあ・・・肩の力を抜きましょう。
ベルギー人神父さまの訳。

「神の存在を否定するということは死ぬことのあたえる関心事をすてさることです。」ご感想は、この文章を読んだ時、それを書いた執筆者は自分自身が無神論者ではないと上手に(間接に)断言していると思われたそうです。また、「私にとって「死」とは「神との出会い」ですが、今現在「理性と信仰」によるもので、来世において「顔と顔を合せて」(1コリント人への第一の手紙13,12)と信じていますから神は存在していなければ」とのことです。
 生きている間には神を信じているが会うことはない。死ねばはじめて神と会えるのですから、神を否定すると死後の唯一の楽しみ、特権がなくなってしまいます。それがなければ、死なんて、生を失うという意味ではネガティヴだし、無という意味では、まさに無意味ですからね。私自身は、一応死後は各種聖人の真似をして、人の祈りと神との間の取り次ぎ役になろうと思ってるんですが、徳がないと逆効果かもしれません。それに、別に死んでまで神に出会っても・・・と言う気もちょっとします。今のとこ別にこの世で深刻に苦しんでないので死後の慰めはいらないし、逆に、すでにお世話になってます、ありがとうございます、と言いたいです。もちろんお会いしたことはないので、あの世で、オフ会というか、神の素顔を拝んで・・というのもいいですが、自分の知覚の仕方も変わっているでしょうから、今の好奇心はあの世に結びつきません。
 そこでおなじみK さんの答え。コピペ。
「l’unique interet の意味が問題ですね。死んでしまえば意識が消えて、生と死の区別さえ消えてしまう。その後にも先にも、神はある(のだろうか)。そういうことを考えさせるのが「死」ですが、今回は思いっきり俗な意訳で失礼いたします。
『最後の審判も閻魔さんも怖くなければ、神を否定するがよい。』」

 おお、これは現世利益でなくあの世利益の思想ですね。エジプトのミイラがいろんな護符と一緒にぐるぐる巻きにされてるのを思い出します。どんな文化のどんな共同体でも、一応「死後の物語」の筋はあるので、三途の川の渡り賃だとか、旅装束とか、死者にいろいろ支度させて送り出すというのは普遍的にあります。この文は、「たったひとつのアンテレ」というのが、死の持つ唯一のいいことともとれますし、神の唯一の効用とも皮肉にもとれます。つまり現世利益の部分は効かないので絶望したか、最初からあんまり期待しないけど、自助努力ではどうにもならない死後の世界でこそ、神にしかすがれません、どうぞよろしく、という、情報の少ない未知の分野における危機管理でしょうか。神のものは神に、カエサルのものはカエサルに、で、死後の世界こそ神の得意分野みたいな・・
 でもたいていの文化では、生前からそれなりに信仰していないと、死ぬ時にあわてて恩赦を請うてももう遅いというまっとうな考えなんで、生前の信仰を管理したり支配の道具にしたりする組織や人間も出てくるわけです。

 Naoさんの訳。
|
「神を否定するということは、死が与えてくれる唯一の利益をなくしてしまうということである。」

 同類で、Mさんの訳。
 「神を否定することは死のもたらす唯一の興味深いものを拒絶することだ」

もう一つ、Julieさん
 「『神を否定することは死というものが呈示してくれる唯一の慰みをむざむざ受け取らないことだ。』 死のおかげで味わえる(体験できる)たった一つの楽しみをむざむざと放棄すことだ、というのも考えました。」

 やはり、アンテレが問題ですね。結局、辞書にのっているような、興味、利益、関心事などすべて出てきて、そのどれも少し合っているし、微妙にずれてもいるような。
 結局、死の意識と不可知の意識は同時に生まれるとも思います。この文はフランス人の文なので、神は人格神であり、Nier というのは無神論など、神の存在の問題なんですが、被造物から超越した神なので、そもそも被造物の世界で被造物のような形では存在できないんですね。
 逆に、人間が死に思いをはせることがないか、不死身だったら、神は否定するまでもなく存在しないでしょう。神の存在は、有限の世界というこの被造物のあり方と人間によるその認識とペアになっているのです。「死ぬというあり方とその認識」といってもいいです。「Nier Dieu」は神の存在を前提としているわけです。しかし、死は否定できません。死とは無である、無は存在しないのだから無は存在しない、あるいは、死んだ時はそれを認識する人はもう存在しないのだから、死を知る人は誰もいない、などとエピキュリアン的詭弁は可能ですが、我々は誰でも、親しい人や動物が死に、肉体が破壊され、もう2度と帰ってこない経験などから、死の存在を実感します。死の体験とは、残された者にとっても一種の神との出会いの体験なのでしょう。死もまた神の被造物なのですから。
 哲学者シモーヌ・ヴェイユは、「神の体験をしたことのない二人の人間のうちでは、神を否定する人の方が、神のより近くにいるだろう」と言いました。
 神も死も、人間が否定するだけで存在しなくなるようなものではないんですね。ええと、なんだか、フランス語の解説と離れましたが、アンテレとは、語義的には、「注意を引くに足るもの」なんですね。利益はもちろんかもしれませんが、未知のものや、畏れを抱かせるものも、注意を引きます。死にひきつけられた時、神も姿を現すのかもしれません。

80greencurry:2007/06/02(土) 16:49:38
en の使い方
竹下先生、en の使い方について質問があります。
私は、友達5人でアランの幸福論を原文で読んでいるのですが、第9章 Maux d'esprit の中で次のような文章があります。
「L'imagination est pire qu'un bourreau chinois; elle dose la peur ; elle nous la fait gouter en groumets.」
で、最後の en groumets をどう訳すかよく分かりませんでした。
結局、「食通のように」と訳すのでいいのだと落ち着きましたが、en にはこのような使い方があるのですか?

81Sekko:2007/06/03(日) 22:45:06
わりと普通です。
En のこういう使い方、わりとふつうですよ。良く文例にあるのは「Vivre en prince」とか。「Vivre comme un prince」とどう違うかというと、comme の方が見た目というか、他から見てprinceみたい、という感じで、en prince の方が、本人もなりきって、みたいなイメージがあるかも。

 「日本に行ったら日本人みたいにふるまいなさい」と言うのを「comme des japonais」と言ったら、日本人じゃない人が、日本人のまねをしてそばにいる日本人のようにふるまうという雰囲気ですが、「en japonais」だったら、日本人として期待されるようなやり方でふるまいなさいと言う感じかな。むしろ、日本人に向かって、「外国に行ったら、日本人として(の自覚を持って)ふるまいなさい」と言うときにぴったり。
 このアランの文では、comme si nous etions des gourmets という意味に近いんですが、en gourmets とすることで、imagination がこっちの選択を許さないでいやおうなしに我々をグルメと決めつけて、有能なシェフのように恐怖を調合して味わわせる、我々もグルメっぽくそれにちゃんと反応して、シェフの思い通りに怖がる、という残酷さ皮肉さが効果的に出ていると思います。
 後、初めこの質問を見たとき、何のことか一瞬分からなかったんです。groumets とあったからです。単純ミスにも見えますが、日本人には、聞き取りとしては、groumets と gourmets の区別がつかないんですよね。たとえば、trou とtour では、それぞれ、トゥルー と トゥール とはっきり違って聞こえるんですが、次に母音が来て、たとえば「トゥルネ」と聞こえると、それが「trouner」「tourner」かは耳ではもう区別がつきません。この場合は trouner という動詞はなくtrouer になるので、判断はできますが。固有名詞なんかは大変です。
 昔日本のサッカーで、フランスのトルシエ監督というのを日本のメディアで読んで、それをフランス人に言おうとして、ぐっとつまったことがあります。まあ、trousseという単語から連想して、それで当たってたんですけど、RとLも含めて、なんかすごく可能性がありますから。
ちょっと気にとめといてください。

82greencurry:2007/06/08(金) 20:44:04
ありがとうございました
竹下先生、早速ご回答ありがとうございました。
en 〜 にはそんなニュアンスがあるのですね。一緒に本を読んでいるメンバーにも教えてあげます。それにしても、私はいつになったら、というか、いつかそのようなニュアンスが分かるようになるのでしょうか(苦笑)
フランス人への道は遠いなぁ・・・

83こけし:2007/07/05(木) 21:40:36
はじめまして
初めまして、こけしと申します。
竹下さんの著書『ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女』に大変感銘を受けました。ジャンヌの男装の意味、当時の性概念などジャンヌに関する事への記述だけでなく、中世を生きた女性ヒルデガルドやカタリナ、ジャンヌ・ド・ベルヴィル達に関しての話も全て初めて知るものばかりで、目から鱗が落ちるような思いで読みました。特に復讐の女神と冠されたジャンヌ・ド・ベルヴィルの愛に生きたその生涯に魅了されてしまいました。彼女を知る事ができたのも竹下さんのおかげです。感謝してもしきれない程です、本当に有難う御座います。
私は『〜超異端の聖女』がキッカケでジャンヌ・ド・ベルヴィルについて知り、彼女について詳しく調べたいと思っているのですが、竹下さんの他の著書や資料、外部のサイトなど、ジャンヌ・ド・ベルヴィルについて詳しく書かれている資料でオススメのものはありますでしょうか?宜しければ御教授願います。

84Sekko:2007/07/07(土) 02:22:58
戦う女たち
 私もジャンヌ・ド・ベルヴィル大好きです。あれから出た本でまだ読んでないのは、

http://www.amazon.fr/Pirates-Corsaires-Patrick-Poivre-dArvor/dp/2844590756/ref=sr_1_4/402-9161165-3904159?ie=UTF8&s=books&qid=1183739494&sr=1-4

という本です。歴史雑誌には時々出ていますが、後は、百年戦争にまつわる歴史専門書でしょうか。

 でも、他にもフランスで有名な女性戦士としては、第2次十字軍に、妻が同行するのを禁じられたルイ7世の妻エレオノーレが男装して、やはり騎士の姿で固めた女性たちと一緒に男たちを十字軍へ誘う激をとばしながら、槍や斧で武装して馬を走らせてすごく勇ましかったそうです。そのせいで、第3次十字軍では一切の女性の参加が禁止されたそうです。
 17世紀にはアンゴラで50人の男のハーレムを連れていたというタマラ女王がポルトガルで戦いました。1592年にパナマで参軍した修道女の自叙伝というのも聞いたことがあります。戦う女性は、ジャンヌ・ダルクのような処女か男嫌い、あるいは超男好きかの2種類あると考えられていたようです。巫女型か、「英雄色を好む型」みたいです。前者は自らを犠牲に捧げるタイプ、後者は、エネルギッシュで長生き。フランス革命時代に活躍したのがマリー・ドゥシュマン。軍人を父に持ち1772年に生まれ、早く結婚して19歳で未亡人、1792年、祖国の危機に立ち上がり、父がいて、夫が所属していた部隊に入隊をゆるされて、下士官として7回参戦。その勇敢さを称えられて表彰されるも、25歳で敵前で負傷、兵士として男装のまま廃兵院で治療を受けました。王政復古の1822年、50歳の時にルイ18世から少尉の地位をあたえられます。さらに、1851年、ルイ・ナポレオンがレジオン・ドヌール勲章とセント・ヘレナメダルを授与、ボナパルティストとしての栄誉を受けました。このときマリーは79歳、パリに来たヴィクトリア女王が是非合いたいと言って面会したそうです。89歳で没した時はナポレオン3世夫妻が葬儀に出席、なんか華々しい戦士人生でした。もともと、ローマ軍の記録によれば、ケルトには女性戦隊がいたそうで、プルタルコスは102年にエクス・アン・プロヴァンスで剣や斧で襲ってきた女たちがローマ兵の楯や剣を奪ったと書いています。ローマへの最初の反乱軍12万の兵士を率いたのはBodiceaという女性で、女王とよばれていたそうです。ギリシャ=ローマ=ユダヤ=キリスト教文化の定着のせいで、ヨーロッパには女性戦士のジェンダーがなくなったけれど、土地の記憶としては、時々噴出してくるとも言われています。アマゾン河で女性戦士に襲われたヨーロッパ人がアマゾネスにちなんでその河をアマゾンと名づけたのも有名ですね。
 カノッサの屈辱時代に勇名をはせたマティルドは戦略と戦争の天才だったみたいで、43歳で15歳のバイエルン大公と結婚したし、60歳でも剣をとる気まんまんみたいだったようです。戦いの天才は男女関係なく存在する、みたいです。

85こけし:2007/07/07(土) 11:32:18
有難う御座いました
ご回答有難う御座いました。大変参考になりました。様々な女性戦士の逸話も興味深かったです。
女性戦士にも「英雄色を好む」人がいるというのに少し驚きました。

前回、誤字を打ってしまいました。大変申し訳ありませんでした。訂正いたします。
誤・ヒルデガルド→正・ヒルデガルト

86:2007/08/13(月) 04:10:29
フランス語に言い換えると
「生涯共に」を簡単なフランス語に言い換えると・・・教えてください。
結婚指輪に刻印したいんですよね。

87Sekko:2007/08/18(土) 13:10:17
ごめんなさい
留守しててお返事遅くなりました。

 やっぱ、pour toujours がきれいですね。ou 「う」が3回繰り返しでごろがいいし。直訳なら ensemble toute la vie  だけど長いし、生涯だけじゃなくてずーっと、ずーっと、という気持ちで。

 私たちは、日付と互いの愛称をそれぞれ逆の順で刻印しました。(自分の名を後に)

ずーっと、ずーっといっしょに、互いに相手のことを第一に思いやって暮らしてください。お幸せをお祈りします。

88:2007/08/31(金) 06:37:18
竹下氏の仏語論文について
 Mme.竹下の文春新書「アメリカに『NO』と言える国」を読んで共感を覚えたものです。日本の政治家および官僚に読ませたいとつくづく思いました。
 僕は高校の数学教員だったのですが、各国の数学教育の現状を調べていく内にどうも米・英の行き詰まり感は、氏の指摘する通り、コミュノタリスムに起因するとしか考えられません。弱い立場の人達にしわ寄せがいくというのは日本でも徐々に始まっています。そこで思い切って高校教員を辞し、フランスで数学教育を学ぶことにしました。現在4週間の語学研修をエクスで過ごし、ボルドー大学で引き続きフランス語を学びます。順調にいけば、ボルドー大学の数学教育系大学院へ進み、博士を取れればと思っています。そのとき氏のフランスにおけるグローバリズムに関する仏語の論文を参考にさせていただき、できれば引用させてもらいたいと考えています。氏の論文へのアクセス方法をお教え下さい。

89Sekko:2007/09/01(土) 00:45:58
どうなんでしょうね
 フランスが、数学の成績によって、生徒を選別するのは知られていますが、優秀な生徒は結局、グランゼコールの準備クラスから、エンジニアのグランゼコールに行ってしまって、大学の数学科には人が集まらないと言われています。大学院のレベルでは、グランゼコールの卒業生が入ってくることも少なくなく、また別なんですが。フランスゴのエンジニアは、日本語や英語のエンジニア(フランスではTechnicienと呼ばれます)と違って、理系管理職予備軍というか、エリートの異称で、新卒で就職した時点から、出身学校のレベルによって給料に差がついたりするんですよ。

 数学教育の王道なら、やはり数学のアグレガシオンをとることで、これは、出身によっての差別はありません。ENSの数学科はエンジニアのポリテクより難関と言われています。

 今、日本にいます。最近、マイケル・ムーアの『Sicko』を観ました。カリカチュラルなんですが、アメリカのつらい状況を見せつけられた後で、フランスの様子がうつると、何か胸に温かいものがこみ上げてきました。ヨーロッパの保険制度がカトリックの信心団の互助組合のメンタリティと関係のあることを思うと、マイケル・ムーアがアイルランド系カトリックであることも偶然じゃないかなあという気がします。

 フランスも、診察料、20ユーロが21ユーロに引き上げられたかと思ったら、最近また22ユーロに引き上げられました。個人負担が1ユーロです。昔は全額返ってきましたが・・・保険システムの破綻はカナダ同様うるさく言われているんですが、アメリカのような事態には戻らないでしょう。
 映画の中で、パリの中流家庭と紹介された家族は、夫がエンジニア(つまりエンジニアの国家免状を持っているエリート)で夫婦の収入が7000ユーロ以上と言っていましたから、すごく普通の人たちではないですね。でも、マイケル・ムーアはフランスで好かれているので、サーヴィスしてるんでしょう。『華氏911』よりは丁寧にうまく創られています。キューバを褒めてたわりには、WHOの健康保険充実度のランキングで37位のアメリカより下の39位とあったのがちょっと気になりました。チェ・ゲバラの娘が小児科医として出てくるのは感慨深いでした。

 病や怪我は、それだけで、自尊の念が傷つきます。そんな局面で金とか格差が露になるシステムは、やはり間違っていますね。サルコジのネオリベ体質も、日本のことも心配です。

 コミュノタリスムとユニヴァーサリスム関係の分かりやすいフランス語の本はいくつもあると思います。それと数学教育の関係は分かりませんが。私がフランス語で書いたものはバロック音楽におけるユニヴァーサリスムならありますが、あまり意味はないでしょう。9月半ばにフランスに戻るので、またあらためてお返事します。

90Sekko:2007/09/01(土) 00:48:39
お気軽に
 さっき書き忘れましたが、フランスでの生活や、フランス語のことなど、わかんないことがあれば気軽に質問してくださいね。

91:2007/09/03(月) 19:43:32
御礼
 さっそくのご返事有り難うございます。実は3日ほどパリに行っていて先ほど戻りました。パリにいる知り合いと食事しながらユニヴァーサリズムの話題について議論しましたが、フランス人には当たり前であって、日本人がアメリカに対しNOと言えない不自由さ、もどかしさを理解するのは難しいようです。氏のご指摘の通り、フランスでの優秀な生徒がグランゼコールに行くというのは、聞いてはいましたが、実際に若者に数学が嫌いになる理由の一つだと言われると辛くなります。ただ政治家・官僚にロジックを使える人が多いというのは大切だと思います。日本の政治家のように言動が矛盾していることを指摘されても、それが理解できない、もしくは何の罪悪感も感じないというのは、一般庶民からすると問題だと思います。
 ご存じのように数学では、小学校段階の算数から「同一視」という概念を気がつかない内に導入していきます。それが僕には人間の平等概念を形成するのに大きな役割を果たすと思われるのです。
 第2次世界大戦中、多くの優秀な科学者がアメリカに転住しました。ところがマッカーシーの赤狩り以来、アメリカの大学研究者の言論が一部封じ込められた感があります。理系はそんなことないのだろうかと思っていたのですが、僕が学生時代興味を持ったクルト・ゲーデルというロジシャンは、「ニューヨークの市民憲章は矛盾しているが宣誓せざるを得ない。」と言い、彼の哲学分野の研究も最後まで未発表のまま、ほぼ自殺に近い餓死という形で生涯を閉じました。数学基礎論の哲学的な側面はゲーデルの死後一切無くなり、ただの数学になってしまったのです。残念でなりません。
 ここからは推測ですが、ケンブリッジで教えていたヴィトゲンシュタインが大学を去ったことや、ブルヴァキの中心になってバリバリ研究をしていたグロダンディエックが行方をくらませたのも関連がある気がしてなりません。
 僕はアメリカに自由があるとは思えません。WASP達が恐れているのは、世界をひっくり返すような科学研究が、自分たちと反対サイドの人間によって達成されることではないかと思います。ビル・ゲイツが早々と引退してしまった(政治的活動に関わらないまま)のも陰で何らかの動きがあったか、それを恐れてではないでしょうか。
 ケネディ暗殺を例に出すまでも無く、自分たちの利害に反する者は例外なくたたきつぶすというのがアメリカの本心と思われます。田中角栄がつぶされたのも明らかに中国外交でアメリカの意志に逆らったからではないでしょうか。
 その恐ろしさを知っている自民党の一部の議員がアメリカにNOと言えるわけがありません。だからこそ、「筋が通らないものは誰が何と言おうとだめだ。」というフランス人のスタンスに清々しさを感じるのです。
 今アメリカの数学教育界は大きく動こうとしています。日本の指導要領のようなアメリカ全体で統一的なもの(スタンダードと呼ばれています)を作り、今のところ強制力は無いのですが、そのうち強制する割合が増えていくでしょう。また優秀な教員を育成するために、日本の出来のいい模範授業のDVDを無料で配布し、授業研究をさせています。日本のように研究授業後に反省会を開き、夜になって飲み会でまで議論を戦わすなんて信じられなかったアメリカ人教師がお互いの授業を見合うようにまで変わってきたのです。
 アメリカの大学では優秀なチャイニーズやインディアンが闊歩していますから、相当恐れているのではないでしょうか。
 最後に僕は数学ではなくて、数学教育の研究を続け、できましたら弱い立場にいる人達(例えばフランスが支援をしているアフリカの人達など)が数学教育のレベルを上げることによって豊かな国作りを行える手助けをしたいと考えています。
 よろしければまたのご助言をお願いします。

92Fusako:2007/09/05(水) 22:26:12
Sicko
周囲でけっこう話題になっています。
大学の社会保障論の先生が、学生に「必見」と勧めているという面白いページもありました。
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare103.pdf

ムーアの映画はわたしはまだ見てはいないのですが、そんなことから、医療制度のことをちょっとネットサーフィンしていたら、インドの医療ビジネスの話に行き当たりました。アメリカのように富裕層と貧困層との格差があるけれど、その上に更に技術力の高さとコストの安さから、海外からの需要を呼び込んで「メディカル・ツアー」が医療産業の儲けの目玉になりつつある、という話です。
日本はまさかそこまではと思いますが、今の日本で医学に進むような層に、志からという人たちが一体どれくらいいるのか、圧倒多数は「儲かって社会的ステイタスも高い」みたいなものをめざしているのだとしたら・・・、とやや疑心暗鬼に。ヨーロッパ型とアメリカ型どちらをめざすのか、というだけでなく、アジア型、というのもあるわけですね。

93Sekko:2007/09/07(金) 11:56:46
おもしろいですね。
Fusakoさま、このページ読みました。日本がなんでもアメリカに追随するとしても、軍事や社会保障など、直接命に関わることについては、本当に根本的な世界観や倫理感をふまえてほしいですね。笑い事じゃないです。
 宗教観の比較をしてたら、日本もヨーロッパも、本質的にあんまり変わらないというか、とにかく先進国は似てきている状況にあります。でも、いつも、ちょっと独特なのがインドで、インドの世界観とか宗教観って、今でも独自のものがあるみたいです。
だから、アジア型、っていっても、即日本に分かりやすいかは疑問ですね。
 医療と宗教って生命観、死生観を通じて重なる部分が多いですから、人柄、人格を抜きにして語れませんね。

 森田さん、アフリカの数学教育まで考えていらっしゃるんですね。
この夏セネガルで、サルコジが「アフリカ人は伝統的に進歩に関心を持たない」、とか、差別言辞を吐いたんですよ。彼の横には黒人女性のフランス外務次官がいました。
 これが「ユダヤ人は」とか「アラブ人は」とか、「黒人は」、とかだったら、大騒ぎになってたでしょう。アラブ人も黒人も入ってるんですが、「アフリカ人は」というところが微妙でした。もちろん現地でも、ヨーロッパメディアでも取り上げられたんですが、フランスではマスコミが無視したので、ほんとにいやな傾向だと思っています。
 まあ、よく見たら、フランスの歴史では、カリスマ性を持った専制君主的な人が現れて国民を魅了したり、それが度を過ぎると引き摺り下ろされるという繰り返しもあるんで、「哲学と数学」を両輪にしてきた教育の底力が、いい方に向くことを祈ります。等価交易などの運動がグランゼコールのエリートなどから生まれて広がってきたように、エリートの使命感というのもまだ健在みたいですし。
 森田さんが数学教育でそういう志を持っているなんてうれしいです。

94:2007/09/08(土) 23:56:42
落語
 今回は軟らかい内容で失礼します。ISというエクスにある語学学校で4週間フランス語初級を学びました。必ずプレゼンタシオンをやるのですが、2回目はクラスにもう一人日本人女性がいることもあって、離日前から温めていた落語をやりました。昨年のパリ公演でも「Rakugo」となっていたので「Rakugo japonais」とし、まず落語の意味を説明しましたが、その日本人女性を除いて誰も知らなかったので、大変難しかったです。最初「tour de mots」と言ったら、フランス人の先生が「jeu de mots」の方が正確だと言われました。
 演題は「les tableaux」です。NHKの「英語でしゃべらないと」という番組を見ていたら、故桂枝雀師匠の弟子のイギリス人女性が青井アナウンサーに英語落語の稽古をつけている場面があり、それを仏訳し、話しやすいように少し手直ししたものです。フランス人プロフェッサーとアメリカ人マダムとの掛け合いですが、カンペを見ることもなく無事演じきりました。ただ私の仏語が拙いせいか、先生以外にはあまり受けませんでした。先生には事前に原稿の手直しをお願いしてあったので、ストーリーおよびオチが読めていたこともあってバカ受けしていました。
 パリ公演では字幕スーパーで行いましたが、枕をフランス語でやったり、紙切りの師匠は通訳も、字幕も無しで観客とやりとりされたと聞きました。
 フランス語で落語をやることで、また違った日本文化への理解が生まれるのではないかと思います。日本語での落語にこだわる関東と、積極的に英語落語に挑戦する上方落語とアプローチが異なるのも面白いと思います。大変失礼しました。

95:2007/09/08(土) 23:58:27
落語の続き
 現在仏語での落語台本はみつかりません。仕方がないので、英語落語の原稿を容易に入手する方法を模索中です。

96Sekko:2007/09/09(日) 11:12:41
私も落語好きです。
 この夏、新宿の末廣亭に2回行きました。一番笑えたのは、2回とも、最長老82歳の米丸師匠でした。その脱力ぶり、前ふりが、面白くて、年を取るにつけ、芸と人生や人格が一体になっていくのはおもしろいですね。若い人は、芸をインプットしてそれを何とか味付けてアウトプットするだけで、それをする本人は一種の装置みたいに見えるんですが。
 こういうArt de monologueは、フランス語にも向いてると思うんですが、脱力イメージはフランス語のDeclamationの伝統と会わないので、むしろ講談なんかが受けるかなあ、と思います。
 Jeu de mots は「さげ」の部分だけだから、本質ではない気もします。
 私はソロのパントマイムとの親和性も大きいかと思ってます。寄席に行くとその身体性や、表情の妙味がよく分かりますから。話芸だけではないんですね。パントマイムにも一人で複数の人間を演じ分けるのがありますが、すごく共通点があると思いますね。
 Jeu de mots だけに注目したら、ラブレーだとか、駄洒落を駆使してそれを訳する荻野アンナさんとかを思い出しますが、ああいうエネルギーの高さより、私の好みの脱力系落語はフレンチ・エレガンスと共通してるかなと思います。
 まあ、語学の勉強としては、古典落語をどうやって伝えるかという風になるんでしょうが・・ マイムの要素の多いのが楽しいでしょうかね。食べるシーンとか・・・でもそうなると、まさに「芸」の領域であり、語学学生の手には負えないかも。

97:2007/09/10(月) 03:15:27
脱力派?
 落語家の稽古を見ていても話すのがやっとという人は肩に力が入っていると思います。
師匠が言葉一つ、動作一つをすべてチェックしているのだから当たり前だとは思いますが・・。力が抜けてその人の味が出せるまでに何年かかるでしょうか。落語好きの素人にもうまい人がいますが、やっぱり「間違えたらどうしよう。」という空気が少しでも流れたらダメですね。非常に難しいと思います。僕の落語を評価してくれた先生も、言葉よりも動作(パントマイム)の方が難しいのではと感想を述べてくれました。
 古典落語はまだ手に負えないので、新作落語で短いものから少しずつレパートリーを増やしていければと考えています。こんな駄文にご返事下さり有り難うございました。

98:2007/09/16(日) 08:30:04
野田秀樹氏の話
 前々回仏語で落語を演じたということをお伝えしました。実はこれも「英語でしゃべらないと」の中の話です。野田秀樹氏が英国公演中、まだ日本語で劇をしていた時、劇の最中に台詞をど忘れしてしまったときのことについて話されました。当然のごとく、イギリス人は台詞が飛んだことに誰も気づかなかった。それがあまりに印象強く氏の脳裏に残ったそうです。もし伝えようとするなら現地語でやらなければと。私は野田演劇に詳しくないのですが、氏の脚本には「言葉遊び」の場面がいくつかあり、日本語なればこそ面白いという要素があるそうです。英語で演じるとなれば、そこはあきらめるしかないと仰っていました。英語なればこその面白さ(韻を踏むなど)もあるので、開発の余地はあるそうですが・・。
 この話を聞いて、確かに日本語での落語の良さは出せないかも知れないが、笑いに対する日本人の知恵や歴史や造詣の深さを伝えるには仏語でやるべきだと考えたわけです。まとまりませんが、わかってもらいたいという強い気持ちを伝えるには現地語で演ずるべきではないでしょうか。野田氏も現在英語で脚本を書き、イギリス人に演じさせているものも増えているとのことでした。

99Sekko:2007/09/18(火) 20:14:16
聞きたいです。
 仏訳落語、聞いてみたいです。
 昔、両親がフランスに滞在中、フランス人とフランス語のジョークを笑っていて、通訳してくれと言われ、訳すると全然おもしろくなく、逆に、日本語で笑っていて、フランス人に訳しても、何がおもしろいのか、訳しながらすでにわからなかったということがしょっちゅうありました。
 やはりもう昔ですが、フランスの政治家が日本に行った時に通訳した仏人の大学教授が「何々でござりまする」みたいなアナクロな語尾をいちいち使ったので、訳される度に日本人が苦笑し、ジョークを言うタイプではまったくなかったその政治家はすごくショックで傷ついたというエピソードもありました。
 小話の訳と笑わせ方をテーマにしてフランス語を教えたことも一時あります。このコーナーでもそのうち仏語和訳とか再開しましょう。その時はどうぞ参加してください。

100Fusako:2007/09/19(水) 21:41:47
落語
もうずいぶん昔のことですが、柳家花緑が真打に昇進したばかりの頃、彼の高座をきいたことがあります。なんと、「時そば」を演目に入れていました。で、もちろん、枯れているどころか、真剣勝負、のようなぴんと張り詰めた緊張があって、身を乗り出して聞き入ったのを覚えています。
彼のお兄さんはベジャールのバレエ団で踊っていた人ですが、彼も多才な人なんですよね。ピアノも弾く人で、ショイクスピアにショパンのBGMまで入れたちょっと面白いアルバムも出していますね。それは聴いていませんが。

101:2007/09/20(木) 05:38:41
聞き取りについて
 今回は仏語の勉強の仕方でアドバイスをいただけたらと思い投稿しました。入校時の聞き取り試験も出来ず、本日あったグラマーの授業内の聞き取り小テストもできず、午後のシャンソンの授業でもほとんど歌詞を聴き取れませんでした。ヨーロピアンと少数のチャイニーズはかなり聴き取れているのですが・・。
 現在の勉強方法としては、
 ?日本から持ってきた「フランス語の聞き取り練習」入門編を繰り返し聞く。
  (中級編も持っていますが、文章が2つ以上になるとついていけません)
 ?インターネットで「フランス2」のニュースを8時、13時、20時と聞く。
 ?ラジオを買い、1チャンネルを流してニュースを聞き取る。
です。

聞き取りながら書くところまでいきません。
仏語を始めた頃は「アクサンをつけることによって、発音と綴りを1対1対応にしているうから英語より聞き取りやすい」と勘違いしていました。思ったより同音異字語が多いと思います。まだ慣用表現に慣れていないせいか。簡単な動詞ですら聞き落としてしまうという体たらくです。
 フランス人と話をしていても、自分が話す時はまずまず話せるのですが、聞く時になると、基本的な事柄でも聞き落とし、何回も言ってもらわなければなりません。
 何でもけっこうですのでお願いします。

102Sekko:2007/09/24(月) 06:23:30
ヒアリングの問題
 そうですね。フランス語って、英語、特に米語ほどは子音を呑み込まないから楽な部分もありますが、リエゾンで音がくっついてるから、なれないと聞き取りは結構大変ですね。
特に歌われると聞き取りづらい言葉で、17,18世紀のバロック・オペラの歌詞なんか、今でもところどころしか拾えないときもあります。それはフランス人でも同じで、オペラ座では、フランス語の歌詞でもフランス語のテロップが出ます。17、18世紀の当時でも、王様たちが台本を見ながら聞いていたそうですから、外国人だから難しい、という感じではないですね。
でも、今でも、聞き取れなかったら、日本人だから?と思いがちなんですが、そういう時は、フランス人でも聞き取れないのです。映画などでも日本語が聞き取れないと堂々と、音が割れてたから、とか、台詞回しがはっきりしてなかった、口ごもってた、とか思えるのに、フランス語だと、いまだにひょっとして語彙不足だった?とか自信がなくなるときがありますよ。

 私の経験では、やっぱり、録音より、生きた誰かが目の前で話すのを聞く、それも、10人の人に1時間ずつ話を聞くより、1人の人に10時間話してもらってその癖とか分かってきた方が効果的です。ある特定の人の言葉が聞き取りやすくなれば、他の人の言葉も自然と分かるようになっています。

 幼児、子供向きの番組、子供向きの朗読、子供向きの演劇(パリにはたくさんあります)などを聞いて自身をつけこつをつかむ、というのもあります。子供と話したり子供の話を聞くのも分かりやすいです。私は大人向けの演劇がよく分かるようになるのにすごく時間がかかりました。それで昔はよく子供向けの芝居を見ていました。キリスト教に興味があるといって教会の子供向けのカテシスムの時間を聞かせてもらうとか、地域の図書館の朗読の時間とか、地域の公立のカルチャーセンターで何か興味あるものに参加するとかしても、実際に何かをやりながらの説明なので、分かりやすいと思います。

 ニュースなどを聞くいわゆる聞き取りは、分かる語彙、拾える語彙を増やしていく、そしてモザイクやジグソーパズルのように、少しずつ分かる部分を増やしていくという陣取り型の訓練と、それとはまったく別に、細部にこだわらずに、訳そうとせずぼーっと聞き流し、はじめはピントがぼやけてほとんど形が分からないのを何度も繰り返してると、部分じゃなく全体が、薄紙をはがすように、だんだんとはっきり見えてくるフォーカス型訓練の両方で攻めるといいと思います。フォーカス型では、一つ一つの語彙にこだわらないで、ここが分かったとか次が分からなかったとかで思考をブロックしないで、ぼんやり何度も聞くスタンスが必要です。

 後は、やはり、語彙の多い分野、興味のある分野を集中して聞くことです。
 私は英語のヒアリングが必要になった時、はじめは無闇にCNNとかBBCを必死で聞きましたが、結局、何についてしゃべっているのかがあらかじめある程度分かっていないと難しく、その時必要ない語彙に慣れても意味ないと思いました。それで、私の必要としていた宗教について、一日中、キリスト教の説教やゴスペルやインタビューばかり流してる専用チャンネルだけを見るようにしたら、効率はよかったです。
その時、とにかく、書き取りじゃなく、聞いたことをどんどん復唱するというのもやりました。意味がわかっても分からなくても、聞いた通りをほぼ同じスピードで、同時通訳をするようにかぶせていくのです。これはいい訓練です。
 はじめはフランスに住めば会話が分かるのが6ヶ月、映画が分かるのが1年と聞いていたので、楽しみでしたが、何年住んでても適当に見当つけて理解してるだけの人もたくさんいることが分かりました。

 でも、最終的には語彙でしょうね。自分じゃ絶対言えないようなことを聞いてもなかなか分かりません。そして、語彙を増やすのは、やはり、たくさん読むこと。読みながらでないと語彙は増えていきません。

 でも、私も最初の語学研修の時って、ほんとに何も聞き取れませんでしたよ。ラボでの語形変化の練習でも、ちょっと長い文は繰り返せといわれたときにはもう忘れていましたし。
 日本でも、ドイツ語から転向したので、フランス人の先生のクラスなんて全然ノートがとれませんでした。フランス帰りの学生がすらすらノートを取ってるのを見てうらやましかったのを覚えています。
フランスに3年半いた後で帰国して同じクラスに出たら、超ゆっくり話してることが分かりました。それから、フランスに1年くらいいたからといって、みながすごくよく聞き取れているわけではないことも。
でも、中にはセンスのある人がいて、ほんとはよく聞き取れてなくても、何となくエッセンスをつかんで自信を持って返せる人っているんです。これはもう個性みたいなもんです。ヨーロッパ人とか中南米人の生徒なんかはたいていこのタイプですよ。
聞き取れないところが気になって気になって、全体に自信がなくなってくるタイプの人もいますし。日本人はこういう人が多いですね。

 ヒアリングをしてコメントするというテストなどの対策なら、大体テーマだけ理解できたら、後は何にでも使いまわせるようなユニヴァーサルな言い回しを用意しといて(私は「・・世紀の日本の宗教家の言葉に・・・というのがあって、」云々というのをいつもでっちあげたりしてました)、ちょっとずれていても格調高くまとめとく、なんてテクニックで、結構いい点とれます。書き取りはゆっくり発音してくれるから、文法力があればいい点とりやすいし、筆記は楽ですね。でも、シャンソン聴いて内容をレジュメしろとか、ごまかせないものは最初の1年はむつかしかったですよ。
 むしろ、まだおぼつかないと思っても、強引に専門分野に入ってしまえば、周りも対等に扱ってくれるし、対等にしゃべっているうちにそれなりに慣れてくると思います。

 聞き返しても分からない時は、「・・・ていうこと?」と適当に考えて聞くか、聞き取れなかったとしつこくいう代わりに「それって、どういう意味?」と聞いてみるとか、「C'est a dire?」と促すとか、ヴァリエーションを用意しとくといいかもしれませんね。がんばってください。

103:2007/09/29(土) 08:45:05
穴があったら・・。
 参考になりました。本当に有り難うございました。実は多くの方に相談し、そしてその多くの方から励ましのお言葉をいただきました。自分ではどうにもならない局面だと危機感を募らせていたものでしたから・・。これだけ温かい言葉をかけていただいたら正直に話すほかありませんが、穴があったら入りたい気分です。
 仏語を日本にいる間は独学でやっていました。ほぼNHKのテレビとラジオ講座(入門編)のみです。6年前、修士課程に在籍していた時は、ラジオ講座の他に、無理を言って教養のフランス語会話の授業に半年だけ出ましたが、簡単な会話で終わってしまいました。
 ですので本格的な勉強は、基礎的な文法を含めて、エクスから初め、4週間しかやっていないのです。こと時制についても、条件法現在までしか済んでいません。接続法はこれからです。そしてこれは言いにくいのですが、仏文解釈(仏文和訳)をまったくやっていないのです。先生の言われる、「陣取り型」は受験英語では”精読”、「フォーカス型」は”多読”から養われるのではと理解しました。この両方ともまったくやっていないのですから聴き取れなくて当たり前だと気がつきました。
 フランスに来て、すべてフランス語で授業をするのだから、仏文和訳から逃げられると勘違いしていました。そのくらい、受験英語で痛めつけられたというわけです。私の場合、数学が当時専門だったので、語学は必要だから道具として勉強せざるを得なく、好きだからやっていたわけではなかったからです。
 今回の仏語は初めて好きだから始めた勉強なのに、最も大切な部分を飛ばしてしまおうなどという不遜な態度が自分の首を絞める結果となりました。お仕置きをこれからたっぷり受ける覚悟ができましたので、もう一度謙虚な気持ちで取り組みたいと思います。
 仏文解釈のテキストとして、東大教養のテキスト「Passages」「Promenades」を日本から持ってきました。少し難しいですが、大学の勉強の並行してやっていきます。

104Sekko:2007/09/30(日) 00:58:20
仏文和訳
 仏文和訳、みたいな過程は、生まれながらのバイリンガルの人でもない限り、やはり一度通過しとくステップでしょうねえ。でも、究極的には、脳の中に日本語の言語野とは別のフランス語の言語野を作らない限り、完全にはつかいこなせません。

 現地に住んでたら、確かにつくり安いです。まず、単純な名詞は入れ替わりやすいですね。リンゴ買おうと思って朝市に行って、リンゴを見つけた、リンゴはポムだ、だから「ポムください」と言う。そのうちに、今日はポムを食べたいなあ、と思うようになる。ポムと言う単語にリンゴの形や質感とか触感とかがくっついた場所が脳にできるわけです。それは、「リンゴ=ポム」と書いてある辞書機能の場所とは別です。

そうやって、少しずつ入れ替わっていって、数字も、1、2、3、4に、いち、に、さん、し、が対応してた場所や「いち=UN」と言う場所のほかに、1、2、3、にun、deux、trois が直接対応する場所ができる。

この本、Vingt euros だから 3500円か、高いなあ、と思う世界から、ヴァン・ユーロ? 高いなあ、と直接感じるのはすぐです。

まあ、こういう積み重ねがあって、だんだん、母国語みたいに、独立したフィールドができるんですね。

もっとも、私の知り合いには10年もパリに住んでても、フランス語を聴いたとき、自動的に日本語の方言に変換されてインプットされるので、内容はわかっても後でそれを元のフランス語に戻すことが全然できない、なんて人もいました。

私の場合、感激したのは、いわゆる受験英語のレベルは高かったんですが、本当に母国語との対応システムだったのに、一度日本語から独立したフランス語のフィールドができると、あら不思議、英語も、翻訳しなくても分かるようになったんです。語彙なんかは昔より減ってるはずなんですが、そして聞くのも話すのもへたですが、読み書きは、日本語を通さなくてもできるようになっていました。昔は母国語のフィルターにかけないといまいち落ち着かなかったのに。

だから、通訳や翻訳のテクニックというのはまた全然別の独自のものですね。
私の場合は、日本語をフランス人に教えたりフランス語を日本人に教えたりするうちに、独立してた二つの言語野は再び浸潤しあって、よく言うと自在闊達、悪く言うと不純混乱みたいなシーンもよくあるんですけど。

でも、英仏のバイリンガルの人なんかと違って、日仏とかはまったく構造が違うから、世界が2倍になったみたいで楽しいですよ。まあ、あせらずに、ゆっくりと楽しんでください。

105Fusako:2007/10/01(月) 23:04:08
連帯
「連帯」ってほんとにフランス的なことばですね。
革命のスローガンは、Liberté, égalité, fraternité だと言いますが、それが、現在のフランスには、Liberté, égalité, solidarité として継承されているように見えますね。前半二つ、freedom と equality だけなら、これはアメリカにもある、自由な個人を平等に自由競争させて、人は自由に勝ち、自由に負ける。ただし、大きなグループから社会的に明白なハンディありと圧力がかかったときには(アフリカ系アメリカ人やマイノリティ、女性など)、底上げして平等にする制度を作ったけれども、この制度は精神として定着はしなかったし、むしろこういう底上げによらずに自力で勝ち上がる人が称揚される社会、という感じがしますので、アメリカはその意味では、「自由」だけが価値とみなされる社会かもしれません。
フランスがégalitéとsolidaritéの国だなと思うのは、そもそも「自由に勝ち上がって他者に優越する(少数の)個人」であるよりも、「共に生活を楽しむ普通の(多数の=ユニヴァーサルな)市民」であることが、社会的に好ましいものというコンセンサスがある印象からです。実際には、どちらの国にも暮らしたことはないので、読んだり聞いたりすることからの単なる印象に過ぎないのですが。

最近、家族政策について少々調べていて、面白いと思ったのは、出生についての「格差」の話でした。フランスとイギリス、日本に比べるとどちらも出生率はけっこう高く、フランス2.0(2006)、イギリス1.8(2005)、日本1.32(2006)です。けれども、イギリスとフランスでは、「格差」のあり方が異なる、という調査があったのでした。イギリス、フランスとも、同じ女性でも、経営者層、勤労者層、非就業層で、出生率には差がある、けれども、フランスの場合は、イギリスに比べて、その階層の差が小さく、かつ、平均的に2人くらいの子どもを持つ。イギリスは階層によるばらつきや子ども数のばらつきが大きい。特にイギリスは、十代の婚姻外の出産が多いとのことです。アメリカはイギリスよりも多いですね。これは、貧困と結びついた現象で、出生率は高くても、格差の再生産・拡大につながっています。何が言いたかったのかというと、フランスのsolidarité(制度としての給付や保育、保護されている普通の労働者の労働条件、それから、社会意識として誰もが普通の生活を楽しむ意識)のもとで、二人くらいの子どもを持つのは、どの階層でも普通だというのは、うらやましいということでした。

106:2007/10/06(土) 10:09:30
フランス語で「箱」は?
教えてください。「箱」をフランス語で何と言いますか?よろしくお願いします。

107Sekko:2007/10/08(月) 17:34:53
boite
最初に思いつくのは boite ですね。 後は caisse  とか coffre とか、文脈によりけりです。
boite  の 「i」の上には山型アクサンがつきます。
山型のアクサンというのは、語源的にSが隠れていることを示します。
boite にもSが隠れてるんですね。英語の box という語にSの音が出ていることでも分かりますね。ラテン語の buxita が語源で、フランス語でもBoxというとオペラ座なんかのボックス席を指すのに使われてます。
Hotel Hopitalのoにも山型アクサンがついてるので、ホスピタルやホスピスと同系だとわかります。Hospitalite のようにsが復活することもあります。Maitre と マエストロとか。
ここではアクサンをつけると文字化けする率が多いのでつけませんのでご注意を。
上の注意書きにあるように、このような辞書的質問には原則として答えませんので、次から削除します。よろしく。辞書にはこう書いてあったけれどこれこれ特定の文脈ではどうも理解できない、というような質問はOKです。

108:2007/10/17(水) 10:38:12
語彙の
 ご無沙汰しています。クラスがIL6に変わり2週間が過ぎました。テキストを指定されたので、それを購入し予習を励行しています。それでも授業中に先生の話す仏語がわかりません。板書されたものはもちろん消化し、音から最悪カタカナでも書き取って後で辞書を使って調べています。おかげで一週間にして800語くらい増加しています。やっとクラスメートと語彙の量では追いつきつつあります。まだ条件法と接続法の活用は辞書を見ながらやらないとできません。時々未来形も出てきません。この間現在形でも間違えて大恥をかきました。油断大敵ですね。ディクテはぼちぼちやっていくことにします。

109greencurry:2007/10/19(金) 10:34:07
否定語を作るときの imとin
フランス語で否定語を作るとき、頭にimがついたりinだったりしますが、これって法則などありますか?
時々単語が、im〜だったかin〜だったか忘れることがあって。。。

110Sekko:2007/10/19(金) 19:25:53
imとin
 原則的には簡単ですよ。次につく言葉が「m」とか「p」とか「b」とか、唇を閉じる必要がある音で始まってると 「im」になるんです。

immobile とか、
impossible とか、
imbuvable とかね。

これはアルファベット件の人にとってはすごくナチュラルなんで、日本でも地名のローマ字表記に確か御殿場駅とか、Gotemba と書いてあった記憶があります。

ただし、immobile などは、imのmが次のmに呑み込まれちゃって、発音は「イモビル」となって、「アンモビル」みたいな鼻母音は消えちゃいます。

111greencurry:2007/10/21(日) 08:27:05
ありがとうございます
そうなのですね!とても単純な法則だったんですね。気がつかなかったです。
ありがとうございました。

112:2007/11/01(木) 10:37:14
フランス語が溶ける
 前回の題名が切れてしまってすみませんでした。「語彙の増加」とうったつもりだったのですが・・。さてクラスが変更になって1ヶ月が過ぎました。相変わらず授業中は四苦八苦しています。ただディクテをやる時間がかなり増えたので、聞き取りの勉強にはなります。
日常会話、トラム内でのフランス人同士の会話などで、語彙が増加したせいか、聴き取れる単語がかなり増えてきました。スーパーマルシェ付近のおばさん達の会話って本当に月並みな会話だったんですね。易しい単語とよく使われる言い回しのオンパレードだということがわかってきました。何度も口にしている単語や言い回しを音で憶えておいて辞書で調べたり、ネイティブに綴りを書いてもらったりしながら語彙を増やしていくのは楽しみでもあります。ただ学生同士の会話や授業中のディクテは知らない単語満載なので厳しいです。
 集中して聞いていると、フランス語がわかるというよりも、フランス語が”頭の中に溶けていく”という気がします。以前先生が言われていた、「(和訳しないで)フランス語のまま理解する(または腑に落ちる)」に近い感覚でしょうか?ただ脳みそが元気な時に限ります。まだニュースを聞いても溶けてくれません。頭にガシガシ仏語がぶつかってきて、ガードにぶつかってはね返されるといったイメージです。とにかく授業中にまだ知らない単語が出てくると、偉そうに腹が立つようになりました。その単語の意味を仏語で説明されると「なるほどね。」と納得する場面が増えては来ましたが・・。

113Sekko:2007/11/01(木) 18:38:45
順調でよかったです。
 フランス語が溶けてきてよかったですね。でもこういう段階って、溶けて入ったものを OUT PUT する時に、不純物というか思い込みのフィルターを通すことも多いので、時々は意味や綴りのチェックをしたほうがいいですよ。私なんか、本で読むことのない話し言葉で10年以上も違う綴りをイメージしていたり、外来語で勝手に性別や発音を変えていたことってありました。外来語は一般に男性名詞とするって昔習ったものですから、ポテトチップのことを、男性名詞で使ってたんです。それが子供にうつって、彼らが大きくなってからママのせいで今でもchips(シップス)を口にする時は緊張するとか言われました。後、Puzzule はわざわざフランス語風に「ピュズル」って発音してたんですが、英語風のパズルでいいってことが後でわかって、これも子供に指摘されました。外来語って難しいです。30年前はハンバーガーを「アンビュルジェール」って完璧フランス語風に発音する人もいましたが今は「アンバーガー」ですし。こういう英語から来た言葉って、意味は分かっているものだからそれこそすぐ頭で溶けちゃって、わざわざフランス語の辞書を引いたりしないからけっこう要注意なんですよ。
 フランスで最初に通った語学のクラスで先生が黒板に「MAT」って書いてその意味を質問したんですが、誰も知らず、私はマストのことだって知ってたんですが、脳内では「MAT=マスト」変換であってすぐにはフランス語で説明できなかったんで、結局答えられませんでした。やっぱりまめに仏仏辞書を引かないとフランス語アウトプットは上達しません。
 後、日本人の主婦なんかで、簡単におばさんたちの会話に入っていけるようになる人が、それを普通のフランス語だと思って、子供の学校の先生にも話しているとかもよく見ましたから要注意。外国人なんだから、丁寧語だけしゃべれた方がまだましなんです。出るとこへ出たらちゃんと話せるというポイントを抑えることが大事です。日本よりも教養の差が言葉に出ますからね。

114:2007/11/03(土) 05:43:22
マルセル・プルースト
 励ましのお言葉痛み入ります。実は日本語教室のアシスタントのようなものもやっていて、そこで高校生にも日本語を教えているのですが、まだ叱り方がわかりません。この間、「Tais-toi」「Sois tranquille」「Calme-toi」の違いを説明してもらいました。日本語の「コラ〜」にあたるのが「Eh〜」だと教わったのですが、あまり使っているのを聞いたことがありません。
 さて本題です。実は今トゥーサンのヴァカンスなのですが、マルセル・プルーストの「Du cote de chez Swann(1913)」の中の「L'edifice immense du souvenir」を要約してこいという宿題が出されました。高校生にもどったつもりで辞書を引き引き意味を調べています。当然仏語で要約するのですが、なかなか気持ちが乗りません。和訳でもプルーストは1冊も読んでいないので興味が湧かないと言えばそれまでですが・・。要約の方法もよくわからないのですが、どのようにしてモチベーションを高めていったら良いのでしょうか?ただ思ったより古語は少なく、文語調の言い回しが見受けられるくらいです。こんな質問は失礼かとも思ったのですが、なにせ一向に進まず苦しんでいるものですから・・。ヒントをいただければ幸いです。

115Sekko:2007/11/03(土) 07:06:35
Parascolaire の本
 私も文学作品の要約って、嫌いなので、モティヴェーションの高め方なんて分かりません。でも大きな書店のParascolaireのコーナーか、Parascolaire 専門の書店に行けば、プルーストとか、高2の終わりのフランス語のバカロレアの教材になりそうな作家のアンソロジーとか作品の要約とか解説とか Fiche de lecture が充実していて、そういうのを読むのは結構面白いので便利です。高校生もしょっちゅう要約させられてるわけで、その虎の巻みたいなもんですね。まあ丸写しするわけにはいきませんが、そういうのを読んでると要約のコツも分かってきます。日本人の大人が、作家研究でもするんでなければ、じっくり古典の名作読むなんてつらいですよ。適当にあしらって、文学史の本とか文学評論とか参考書読んだ方が全体の流れがわかって教養もつくしいいんではないんでしょうか。
 あんまりいいアドヴァイスになってませんけど・・

 私がリセで日本語教えてた時は、日本語で叱ってましたよ。口調で分かるし。日本人が日本人に話す口調に慣れさせようと思ったので。静かにしなさい、とかいくつか文型を教えて、繰り返してたら、テキストにその語彙や文型が出てきたときは、分かる分かる、と言ってよろこんでいましたね。

116:2007/11/05(月) 07:10:52
御礼
 有り難うございます。さっそく明日モラへ行って探してきます。日本語教室の時は日本語でもいいと思うのですが、めったにないとは思いますが、街中で怒る時にどのようにどなったらいいのでしょうか。多少ドギツイ方が効果があると思うのですが・・。

117Sekko:2007/11/05(月) 07:34:59
街中で怒るって・・・
 高校生を街に引率してる時に怒るんですか? 私はそんなシチュエーションなかったですね。街に出たことはありますけど、そういうときはみんなクラスにいるよりいい子にしてましたから。しれに私は、「Tais-toi」なんてサルコジが若者に怒るみたいな言い方も嫌いです。むしろVousvoyerして注意しますね。尊敬じゃなくて距離感です。日本の教師と生徒の礼儀みたいなのを一緒に教えようと思ったので。「どぎつい」のはこっちの品位を落としてまずいですよ。
 私も町でジプシーの子供なんかに囲まれてバッグを引っ張られるというようなシチュエーションではしっかり怒鳴りますけど。そんな時、フランス語って便利だなあ、と思います。日本語の文化では、女性が怒った時の迫力ある怒号や罵倒がない、っていうか、口から出てきません。フランス語だとすぐ出ますから。

118:2007/11/06(火) 05:25:16
要約本?
 早速モラへ行って買ってきました。しかし内容を少し読んでみると、要約本よいうよりも小説の背景を説明してある本のようです。書店の女性店員が「今これしか置いていない」と言っていたので要約本ではないと思われます。また探しに行ってきます。日本語教室にフランス語の先生(すでにご退職)に「レジュメの作り方のコツを教えて下さい」と尋ねたら、来週参考書を持ってきてくれると言われました。あまり期待しないで待っています。
 叱り方については言葉足らずですみませんでした。街中で「1ユーロ硬貨を両替してくれ」と言われ、財布を出すと、ユーロ札をごっそり取って走り去るといった悪質な事件がときどき起こります。そのようなときにどう怒鳴ったらいいかということです。
 いつもスピーディーかつ丁寧はご返事有り難うございます。

119Sekko:2007/11/06(火) 06:54:30
悪質な事件ですか・・
 それは、どなり方というより、街中で財布開けちゃだめですよ。それこそフランス語がわかんない振りして足を止めずに無視して歩かなくては。思わず怒鳴るなら、日本語でも何でも、迫力と怒りがこもってたら通じますよ。「Mais,ca va paaaaaaaas!!!!」とか言えばいいんですよ。無理やりひったくる相手は蹴るとか。まあ、それは子供とかの場合で、相手が怖そうな人とかだったらひたすら逃げるか他の人に助けを求めるとかになりますが、まずは、ユーロ札ごっそりなんて持ち歩かずに、財布は見えないようにして足早に歩くことですね。
 よく狙われる人っているんですよ。まあ貧乏そうに見えるに越したことないと思いますが・・ 気をつけてください。

 参考書の中には、ここでは誰が何をしているのでしょうか?というように、レジュメの訓練になるような問いを集めたよくできたものもあるんですけどね。
 でも、受験用のレジュメは別としたら、後は、本当に内容が頭に入ったらおのずとレジュメはできるものですよ。日本語の文を読んで日本語で要約するのでも難しい場合もありますからね。作品との相性もあります。
基本的には、いつどこで誰が何をどのようにしたらそれがどう展開したかってことを起承転結を踏まえて書けばいいんですけど、ヴァリエーションはいくらでもありますからね。WEBでもたまには、いろんな作品の解題が載ってますよ。映画の紹介なんかであらすじを書いてるものをいろいろ読んでもコツがつかめると思います。

120:2007/11/07(水) 04:26:36
プルースト効果?
 本日先生に見せたら「これはコメンタールね。」と言われました。でも朝からずっと眺めていると、よくもまあこれだけこの作品のことをほめちぎれるなあと感心する一方、プルーストの小説に比べて大変わかりやすい文章だということがわかりました。高校生向けに書かれているからかもしれませんが・・。正直多くのフランス人に訊いても「レジュメは苦手だ。」「もう二度とやりたくない」とか、挙げ句は「絶対にプルーストは読まない」と言い切ってしまう人まで現れました。ですから気楽にやることにします。
 新たな展開です。五行ほどの文章に、点や丸をうっていくという課題が出ました。ヨーロペアンは難なくこなしていますが。まったくわかりません。日本から持ってきた文法書にはまったく書いてなかったからです。英語でもやった記憶はありません。仕方がないので図書室に行って司書の方に相談したら、参考書を紹介してもらいました。今日は大事なところだけ手書きで写して帰ってきました。やはりフランス語の文法書を買うべきですか?

121Sekko:2007/11/07(水) 05:39:08
いろいろ大変ですね。
 文章に点や丸って課題は、初耳です。ま、内容が分かってれば、主語と述語を特定すれば、動詞変化が多い分、英語よりは分かりやすいですよ。日本人にはこういう課題の方がらくだと思いますけど。
 私が日本の大学でドイツ語からフランス科に転向した時、卒論をフランス語で書くためにどうしようと思っていたら、アナトール・フランスの短編を一つとルソーの孤独な散歩者の夢想の中の1章を丸暗記するといい、と言われて、真面目に暗記しました。フランス語の文法書ももちろんもってましたよ。でも今はほんと、Webでいろいろ見れちゃうので文法書なんて見ません。
 とにかく、基本的にはフランス語は短ければ短いほどエレガントなんです。だから文を切ることを恐れずに、関係代名詞など多用してつなげていかないように。今でもたまには分かりにくい文章に出会うこともありますが、私にすぐにわからないということは悪文なんだって思うことにしてます。ほんとにあるんですよ。くねくねした文章って。日本語でもありますよね。
 今 Christiane Singer の本を読んでるんですが、ほんとに達人だなあ、と思います。魅惑的で、彼女の言葉をそのまま味わえるのが幸せ。
 でも、私が思うには、森田さんは、フランス語圏で数学を教えるという目的があるんですから、あまり語学の習得ばかりにこだわらないで、大づかみできたとこで見切り発車して、ちょっと specialiser したほうがいいのでは? 語学ばかりやってると、ほんとに高校生みたいになって、いや、へたすると幼稚園児みたいになって、思考まで退行してくることがあるんで要注意ですよ。まあ、語学に集中する時期もそれはそれで大事なんですが、時と共にしか熟さない果実だってあるんです。長い目で考えてリラックスしてください。

122:2007/11/07(水) 14:55:11
負けず嫌い?
 早速のご返事有り難うございます。フランス語の勉強も3ヶ月経過しました。授業の中でわからない単語が出てきたり、知らない文法事項を説明されたりすると自分に腹が立ってしまいます。それをいとも容易くヨーロペアンや日本人や中国人の若い娘達に答えられると悔しくてたまりません。今までもそうやって勉強へのモチベーションを高めてきました。
 そうは言ってもあまり時間がありません。11月の終わりまでには数学教育の教授とランデヴーを取って、一度自分の意図を説明し、来年度から博士課程に入れるか、またはM2から勉強するかアドヴァイスしてもらいたいと思っています。ですのでフランス語に集中して勉強できるのも年内くらいと思っています。年明けのDELF・DALFだけは一度受験してみようと考えています。
 また説明不足ですみません。La ponctuation という課題で、文章に、le point,les points de suspension,la virgule,le point-virgule,les deux points,les guillemets,les paentheses,le tiret,l'apostrophe,le c cedille,le trait d'unionを付け加えなさい。というものです。
 特にla virguleにはいろいろな規則があって大変です。しかしアルファベ圏の人間は、推測してできるから簡単なようです。ついヨーロペアンに「どうやって勉強したらいいか?」と尋ねたら「知らないね〜。」と言われたので質問してしまいました。
 授業の中で「divan-lit」という単語が辞書に載っているのですが・・と質問したら、そんな使い方は絶対にしない(jamais)と強く否定されたので弱りました。まあ辞書仏語が絶対ではないことはわかりますが、le trait d'union 自体が造語のときに用いる記号だと頭にあったので、「前はそういう使い方があったけれど、今はあまりしない」くらいの答えを期待していました。作家によっては勝手に造語をすると思うのですが・・。そこまで否定しなくてもいいと思ったわけです。現代若者が読むような小説まで読んでいる余裕がないので何とも言えませんが、なんともやりきれない思いです。

123Sekko:2007/11/07(水) 18:20:17
造語のことなど
 フランス語もたとえば日本語と同じようにめまぐるしく動いています。ここ10年位でも日常から姿を消した言葉もたくさんあります。divan-lit は私には通用しますけど。
 virgules の種類は、基本的な用法はありますけれど、たくさん読んでいくうちにわかりますよ。確かにフランス人は文中に deux points とか、point-virgule を多用する人が多く、翻訳する時など、わずらわしいので、適当につなげるかぶつ切りにすることもあります。でもこれも、基本的に「長い文章」はエレガントでない(もちろん文学者のスタイルとして長い文を書く人もいますが)ので、関係代名詞などで引き伸ばしたり接続詞を挿入して複文を多く作るのを避けて、deux points などで意味ををつなぎながら、文を分ける意識が働くからだと思いますね。自分が書くときにも便利ですよ。普通の文には、とにかく分かりやすいと言うことが最優先ですから。
 私は大学時代の仏人教授に出すレポートで、まず日本語で自分ではなかなかいいと思える文を書いて、それからそれを和文仏訳しましたら、赤でクエスチョンマークがいっぱいついて返されたことがあります。それで卒論はひたすら、主語動詞、目的語しかないような文で書くことにしました。そうすると無駄な雰囲気つくりやごまかしが聞かないので、エッセンスだけになるので、整理もついたせいか、「自由で自在で表現力に富む」とほめられました。今から思えばどうってことのない文でしたが、無意識に簡潔を目指したのが正解だったかと思われます。

 さっきラジオを聞いてたら、ジェスチュエルの専門家が、「シラクはサルコジのことを躁鬱だと言っていたが、躁鬱はヴィルパンだった。サルコジはcarateriel だ」と言っていたので、びっくりしました。あまり驚いたので、日本人にも話したくて、久しぶりに仏和辞典を引きましたら、「性格異常」とありました。躁鬱も日本語では「躁鬱病」と病がつくし、caracteriel は、異常とつくし、なんかショッキングですが、フランス語ではそういう接尾語がつかないので、口にしやすいのかと思いました。
 その人の観察によると、サルコが右、左の順で bisou をするのは社会的な挨拶で、左、右という順は親愛の挨拶なんだそうです。で、誰が左、右かというと、ラシダ・ダチだけで、後は全員右・左なんですって。
 サルコジは昨日ブルターニュの漁師たちと話し合って、また tutoyer を連発していました。simplicite と vulgarite を混同している、場所と相手によって態度を使い分けることができない、世俗のホメイニだって言われてましたね。それが caracteriel なんだそうです。アナウンサーに「そんなこと言い切っちゃっていいんですか?」と聞かれて、「明らかです」なんて答えてたので、そのうちアナウンサーともどもサルコジに制裁されるかも、と心配しちゃいました。

124:2007/11/08(木) 11:01:30
多読
 またもや素早いご返事有り難うございました。おそらく半年くらいで仏語の勉強は目途をつけなければならないので、DELF-DALF用に受験勉強のような切り抜け方でせざるをえないと思います。11月29日に数学教育の教授とランデヴーが取れました。ただ彼女が英語がわからないというので、その日までに自分の考えのアブストラクトを仏語に直しておかなくてはなりません。現在少なくとも3人のパレナージュがいてくれるので、キャフェでもご馳走しながら教えてもらおうと思っています。
 フランスの大統領って離婚をあまりしないんですね。ナポレオンージョセフィーヌ以来だと聞きましたが本当ですか?オヴニー620号にサルコジが、セシリアの浮気記事を載せた雑誌の編集長をくびにしたと載っていましたが・・。誰もブッシュと仲良くして醜い腹を出しているサルコジなんか見たくないと思います。フランスも思ったより右寄りですね。学生時代、ほとんどの仏文の学生がサルトルやボーヴォワールを読んでいた気がしましたが、サルトルは極左だということをついこの間知りました。フランス人が「なぜ日本の学生がサルトルを読むのかわからない」としみじみ言っていた意味がわかりました。
 多くの方から文法書を買うよりネットで調べたらと言われました。ごもっともだと思いますが、現在プリンターがありません。昔気質なのかディスプレイを30分以上見ていられません。自分のペースでのんびりやります。(矛盾していますが)

125内田 司:2007/11/12(月) 14:47:14
フランスのマスコミはタブーあり?なし?
はじめまして
鎌倉に住んでます内田と申します
私のフランスに関する関心はつきませんが
その最大のものは「果たしてフランスのマスコミに、公式に扱えない問題(いわゆる
タブー)は存在するのだろうか?あるとしたらどんなことだろうか?」ということ
です。
たとえば
「フランスではタブーを追いかけたために怪死した(あるいは暗殺された)
 ジャーナリストはいるのだろうか?」
「フランスでは、マスコミが報道したくても(ネタを握っても)「法律上、報道できない」
事柄はどんなことがあるだろうか?」
 と考えてしまいます。

 たとえば、フランスの兵器産業の詳しい内幕や、ラ・アーグにある核燃料再処理施設の
詳細な現状などはフランスのジャーナリズムによって詳しく報じられているのでしょうか?
 あと「フランスの諜報機関の活動」も報道されているかが非常に気になります。

 環境保護団体「グリーン・ピース」の船「虹の戦士号」がフランス諜報機関によって
爆破されるという事件がありましたが、あれはフランスの国家としての恥部(れっきとした「権力犯罪」)ではないでしょうか。その後、フランス国は国家として、グリーン・ピースに謝罪や賠償をしたのかが非常に気になります。

 フランスのジャーナリズムには「国家権力による人民に対するいかなる犯罪や人権侵害(諜報機関などによる対人民欺瞞・扇動・操作工作含む)も許さないように戦う」ことを
非常に期待してます。

 まずはフランス版「エシュロン」の完全暴露記事とかが特種ででないかなあと期待
してます。

126内田 司:2007/11/12(月) 15:04:52
フランスのエシュロンと日本のエシュロン(おまけです)
すみません、鎌倉の内田です。
おまけです。

フランス版「エシュロン」について
フレンシェロン(Frenchelon)
フランスの世界規模監視ネットワークのうわさと、そこに潜む国際諜報活動の意味
http://www.infovlad.net/underground/asia/japan/dossier/echelon/frenchelon.html

日本の「エシュロン」について
日本では警備公安警察が「電話局の交換機(最近はデジタルが主流)」についている「回線モニタ」回路を悪用して一般市民の通話を盗聴してます。当然「コンピュータ・システムによる一般市民の会話盗聴(キー・ワードによるピック・アップ)システム」もあるでしょう。ま、「アメリカにあるものはフランスにも、日本にもある」ということですね。

 一国の実情を本当に知るには「マスコミ情報」ではどうしても偏りが出がちです。
むしろ「ジャーナリズムが伝えることのできない事実」が非常に大切では?

 もしかしたら竹下さんの今度のご本は「フランスのEspionage(諜報戦)の現状」に
なるかもしれませんね(?)。楽しみに期待してます。

127Sekko:2007/11/12(月) 21:26:34
タブーはもちろんありますよ
 フランスの政治ジャーナリズムにおけるタブーはもちろんありますよ。アングロサクソンのジャーナリストたちはフランスのジャーナリストの政治家インタヴューは予定調和的だとよく批判しています。
 そのタブーには、圧力からくるものもありますが、メンタリティからくるものもあります。たとえば、政治家の恋愛ゴシップなどについては深追いしないというのは、圧力ではなく、アングロサクソン国のピューリタン的懲罰意識がすくないからでしょう。
 権力者にとって都合の悪いことはマスコミからすべてカット、という風潮は、今のサルコジになってから顕著です。監視カメラをここ2年で10倍にするとか何とかいう計画の発表もアメリカ型監視社会へのシフトです。表現の自由は保証されているものの、言論界もアーティストまでも、「自己規制」の風潮が現れてきたのも21世紀になってから加速されてきました。
 しかし、ボトム・アップの不平たらたら、ストやデモ(や「暴動」)を含める直接民主主義による抵抗はフランス風の共和国主義とあまりにも親和性があるのでめったなことではなくならないでしょう。で、明日からまた交通ストで、それを支援するという学生たちが駅を占拠するそうです。
 しかし、「国益」に関する報道規制の中央集権は分野によっては徹底しているようで、記憶に新しいところでは、チェルノブイリの事故の時、放射能の雲が、フランスの国境で止まったかのような報道がなされたこと。当時の関係者からそのタブーを敗れなかったことの経緯を聞いたことがありますが、これなど、真実を知りたくない、という心理が報道の受け取り側にも働いたと思います(私もその一人でした)。
 あと、フランスは人種差別も外国人排斥もないという「建前」が、人種報道や統計を禁じているわけですが、それを偽善と見るか、理想に向けた努力と見るかはケース・バイ・ケースで微妙な所もあります。
 諜報活動については、今のテクノロジーではアメリカと提携せずには矢っていけない部分(軍事衛星など)が多いので、そこから独立するためにヨーロッパ側で、新しいシステムが構築されつつあるのは確かでしょう。フランスのような国がなかったら、他のヨーロッパ諸国はわりと簡単にアメリカの諜報の傘の下にはいるでしょうね。そしてフランスはほんとうは自分だけでアメリカに競合したいのだけれど、金がないのでヨーロッパぐるみにして・・・という構図も戦後ずっと基本的に変わってません。
 後フランスには中東やアフリカやカリブ海などに独自のコネや情報網があるので、積み重ねは当然あるでしょうね。サルコジのアメリカへのすりよりと自我肥大の遍在行動がこれをつぶすことになるかどうか、まだ分かりません。

 私は個人的にはある行政裁判の原告として係わり中で、経緯をブログで公開することも考えましたが、それを楯にとって、こちらが訴えられる可能性も大きいと言われてあきらめました。敗訴したらヨーロッパ法廷に持っていくつもりです。しかし、どんなに「権利」が保障されていても、その行使には、知識と暇と資金という3拍子が必要な事実は残念ながら厳然としてあります。
 逆にそれが可能な時には異議申し立てを遂行するのが義務であるとも言えます。
 でも、諜報に関する本なんてのは書きそうもないですよ。

128内田 司(人間核弾頭):2007/11/14(水) 16:34:01
タブーを突き破る!!人民の知恵と力
お返事ほんとうにありがとうございます。鎌倉の内田です。

「まず自分で体験してみる・わからないことは当事者に直接聞く・マスコミは一切信じない」をモットーに日々、日本社会を「外から」眺めています。

日本の社会でマスコミによって流される「ニュース」を「深入りしないで大枠を触る」
だけでもおかしいことがすぐにぼろぼろと出てきます。

あげるときりがありませんがひとつだけ。

 1)「日本共産党国際部長宅盗聴事件」(1985年夏から翌年秋にかけて)
   「通話中の雑音や音質低下に不審をいだいた緒方・日本共産党国際部長が
    日本電信電話(NTT)町田局に通報、職員の調査により緒方宅から100
    メートル離れたアパートで盗聴が行われていたことがわかった」
   (Wikipedia日本語版より)
    そうですが、「諜報のプロフェッショナル」たる警備公安警察が
    「アパートから盗聴」?「通話中の雑音や音質低下」?なんて
    「まるで見つけてくれといわんばかりのお粗末な仕事」をするなんて
     私には非常に奇異に思えます。

    プロの仕事は、

    まず「相手を完璧に把握・分析して、相手が絶対に手が出せない位置・方法で攻撃
    を仕掛ける」のが当たり前です。当然、「盗聴のシミュレーション」も必須です。
    一般人がまず考えない「細部」と「万一の事態」を完璧に想定して作戦を検討・吟
    味するのがプロの仕事でしょう。

     純粋に諜報的視点からすると、「体制にとって「真の敵」である日本共産党に
    対して行う諜報戦(電話盗聴)としてはあまりにお粗末過ぎる」ということです。
    やはり、なにかが、ひじょうにおかしい。。。

     日本のマスコミは「権力者によって作られた”おはなし”の「皮を引っぺがす」
    ことはほとんどしませんし、できませんので、私は日本のマスコミが流しているい
    わゆる「ニュース」なるものにはほとんど興味がありません。やはり、自分独自の
    調査や研究を積み重ねていって、「権力者が必死に隠そう隠そうとしている物事」
    を見抜いたときはとても面白いです。

     それには、「ニュースの裏側」を見抜いたり、「ニュースの周辺」(地理的・
    時間的・関係性的)を注視することで、いわゆる「定説」や「常識」とまったくか
   け離れた「面白いこと」が見えてきたりわかったりします。

     フランスについては、「フランスの兵器産業」に非常に関心があります。
    あのフォークランド紛争で世界中にその名をとどろかせたミサイル「エグゾセ」
    とか、ミラージュ戦闘機とか、あとはラ・アーグの核再処理施設にも興味があり
    ます。でも一番、興味があるのは「フランス政府の対人民・対世界(人民)心理
    戦・情報戦・諜報戦の諸戦略」ですね。

    かのサン・テグジュペリ氏も「星の王子さま」の中でおっしゃっておりましたが
    「いちばんたいせつなことは、目にはみえない」って本当です。だから、そこを
    見抜く「目」を持つこと、そして何者にも臆せずに「問いを発すること」が
    私がけっこう大切にしていることです。

     追伸:「主の聖霊」様も目には見えませんね。。。でも私のすべてです。。。

    By 内田 司 (「ご聖体のイエズス様」大好きです。。アシジのフランシスコ)
    鎌倉のカトリック雪の下教会あたりでうろちょろしてます。。。
    ごきげんよう。。。

129Sekko:2007/11/14(水) 21:07:48
この話はこのへんで
 なんだか、微妙になってきたので,この話題はこの場所ではこのへんで打ち切らせてください。「隠れた情報を暴く」とかいうのは、はまってしまうと妄想との境界線が引きにくいので。個人的には陰謀史観とかも要注意だと思っていますので、ここでいろんな解釈論を展開するのは困ります。それに、自分の直感とか、自分の体験とか、意外にあてにならなかったりもしますから、広く他の人の意見もお聞きになったらいかがでしょうか。

130nao:2007/11/20(火) 09:18:35
inexact
友人のヒースがメールしてきました。Ce n`est pas inexactが「これは誤りだ」ということだということを知つていますか、と。私は「これは誤りではない」としか、考えていなかつた。と返事をしました。友人のカワさんにきくと「これは誤りではない」としか考えられないが・・とのことでした。ヒースはプチ・ロベールにNon,c`est inexactとあるので、inexactを単純に使う場合neを先行させるのだ、といいます。私にはどういうことか、わかりません。二人はフランス語がすらすらよめて、私は字引にたよりながら、ポツポツという具合ですので。教えていただけますと有り難いです。

131Sekko:2007/11/20(火) 18:19:01
inexact の話
 文脈がよく分からないのではっきりしませんが、否定的な意味を含む言葉は虚辞の「ne」を先行しちゃうことが多いので、そのせいかもしれませんね。

たとえば、「間違ってるかどうか心配だ」という時に

 J'ai peur qu'il ne soit inexact.

 というような場合ですね。

 単独で「Ce n'est pas inexact.」と言えばやはり「間違っているというわけではない」か、文脈によっては「C'est tres exact」の逆説的表現だったりしますね。
 「Non,」で始まる否定文は本来否定辞(ne pas とか aucun とか personne とか nul とか)を含んでいなければなりませんけど、口語では否定の接頭辞入りの肯定文ですまされちゃうことはありますけれど。

 「Non,ce n'est pas possible.」の代わりに
 「Non, c'est impossible.」と言うとか・・

 と、ここまで書いてから、好奇心で Petit Robert をひさしぶちに開きましたら、確かに、Non,c'est inexact の例文がありました。それだけから推論して飛躍しちゃったのだとしたら、誤解ですね。

132nao:2007/11/20(火) 19:31:14
ありがとうございました。
早速、ヒースにつたえておきます。いまPCを修理にだしているそうで、3Wほど、メールできないとのことでしたので。お忙しいところ、お返事頂きありがとうございました。

133Tsutomu:2007/11/25(日) 21:14:54
筆記体
初めまして。
各国語の愛を伝える言葉に興味を持ち、調べていたところ、
フランス語のジュテームは「Je t'aime.」と書くことを知りました。
ぜひ筆記体で書いてみたいと思ったのですが、フランス語の筆記体は
英語とは違うようで、書き方が分かりません。
「Je t'aime.」は筆記体ではどのように書くのでしょうか。
どなたか、ご教授ください。よろしくお願いいたします。

134Sekko:2007/11/26(月) 09:26:28
フランス語の筆記体
 うーん、この欄では何と説明してよいか・・・フランス語の入門書なんかに載っていると思うので調べてください。Jはけっこう難しいです。

 確かに日本人が習う英語の筆記体とは大分違うのがあります。大文字のIとかAとかSとか、いろいろあるし、私がはじめ何より驚いたのは、Tの小文字とQの小文字です。子供が小学校ではじめて字を習った時にTの小文字の横線が左に抜けてないんで、私は訂正しようとして、お手本でも抜けてないことを知りました。それではじめて、フランス人の書くTの横棒がはるか右側に離れてたりすることの納得がいったものです。Qの小文字などは、下の棒がまっすぐで、丸まってないんですよ。これも知らないで、最初、子供に、右に回ってるのがGの小文字で左に回ってるのがQの小文字ね、なんて言ってから、手本を見てQがまっすぐで、日本人が書く数字の9にそっくりなのに驚きました。数字の筆記体もかなり違います。

 それでも大人はいろいろ癖がありますから、外国人が英語風に書いても別に注意されないので、子供が学校で習うまで気づかなかったんです。(数字の方はすぐ気づきますけど。)

 数字の少数点と位の点がコンマとピリオドが英語とフランス語では逆だとか、握手の仕方も全然違うなど、はじめはけっこうびっくりしましたよ。

135Tsutomu:2007/11/27(火) 22:57:26
Re: フランス語の筆記体
Sekkoさん、丁寧なご回答ありがとうございます。

Qの小文字は丸まらないんですか!それは驚きですね。
次の文字に繋げ辛そうですね……。コンマとピリオドまで
違うとは、驚きですね。
筆記体はご助言どおり、とりあえず入門書を見てみます!

握手は、日本とはどう違うのですか?
もしよろしければ教えて欲しいです(説明がしづらい様でしたら、
参考になるサイトなどがあれば教えていただけると嬉しいです)。

よろしくお願いいたします。

136仏語初心者:2007/11/28(水) 01:33:08
訳をお願いします!
これらの文章を自然な仏語に訳す事ができないでいます。もしよければ誰か模範解答をお願いしたいのですが・・・ 長々とすみません。

1.「どのような車をお探しですか?」
  「馬力のあるスポーツカーを探しています。」

2.「こちらの車はいかがでしょう?」
  「気に入った。これを買うよ。」

3.「やあ、乗っていかないかい?」
  「あら、かっこいい車にのってるわね」

4、「あ、警察官がいる。スピードに気をつけよう・・・」

5、しかし彼は高速道路でスピードを出しすぎ、警察官に捕まってしまった。

6、しばらく走ったあと、彼の車はなぜか故障した。
  新車は故障し、スピード違反で捕まり、最悪の一日だった。

137Sekko:2007/11/28(水) 04:35:46
仏語初心者さん
 こういうのは質問と見なせませんので残念ながらお答えできません。
 ご自分で試訳をなさって、どこが不自然か教えてほしいとか、ここをこう訂正されたのだが腑に落ちないというようなピンポイントなことなら答えられます。あしからず。

138Sekko:2007/11/28(水) 04:46:16
Tsutomu さん
 フランスの握手はワン・プレッションでワン・アクションです。いつまでも握っていたり振ったり、柔らかいのは嫌われます。フランス人は会社の同僚でも毎日ボンジュールと共にせわしなく握手を交わします。イギリス人は初対面とかでないと毎日握手しないことがあります。
 英語のShake Handsは文字通り振りまして、
 フランス語のSerrer la main も文字通り握り締める感じです。

 不思議なのは、ですから日本語の「握手」という訳は、むしろフランス語の直訳ですね。英語だったら「振手」に近いかなと思ったりします。

 ちなみに、フランス人がアングロサクソン風に手を握って振ったりするときは、同時に肩をたたいたりして、「おめでとう」とか「よくやった」、とかの含意表現です。

139Tsutomu:2007/11/30(金) 21:59:42
Sekko さん
 なるほど。フランスの握手は、本当に「握手」と言った感じなんですね。毎日なんて
大変そうですが、礼儀正しくて良いですね。僕は時々感極まると友達と手を握り合いますが、
「振って」ますが、これはアメリカよりなんですね。とても勉強になりました。

 最初の質問の筆記体ですが、今日本屋で見たNHKのテキストに載っていました。
一覧を見ると、確かに全体的にくるくるした感じで、英語とは違っていましたね。

 つい最近までは、英語とフランス語で筆記体が違うことすら知らなかったのですが、
Sekkoさんのご助言もあり、疑問が解決しただけでなく、フランスに興味がわきました。
このたびは、本当にありがとうございました。

140:2007/12/04(火) 15:21:48
同義語辞典
 この間フランス人に文章要約のコリージュをお願いしたら、わざと文章には無い単語を使おうとしたので驚きました。同じ言葉の繰り返しを嫌うことは理解していたので、代名詞を使うことはよくわかるのですが・・。国語や英語の要約では、できるだけ文章中の単語を用いて作文するよう指導を受けてきていたので意外でした。日本人で7年以上勉強している人に伺ったら、「フランス人は繰り返さないよう同義語を探して使うよう努めている。同義語辞典を一冊購入して使うべきだ。」とアドバイスされました。仏仏辞典はもちろんロベールのポッシェを持ってはいます。これにも同義語はよく載っています。本屋に行ったら、同義語辞典が何種類も置いてあって迷いました。結局「les usuels」という一番安いものを購入しましたが、中身をもっと見比べて買うべきだったと思います。フランス人に訊いたら、「用途に依るけれど、厚くてもnuanceが必要な場合もある。」と言われました。まだその差がよくわかりません。

141Sekko:2007/12/04(火) 17:45:14
Synonyme
 そうですね。同語を避けて言い換えるのは、基本中の基本です。学校でよほど言われてるらしく、どんなフランス人でも自分の書いた文を読み返すとき気をつけますね。
 私は同義語辞典ほとんど使いません。ヒントを探すには普通の辞書でOKです。
 私が便利に使ってるのは韻文を書くときの脚韻辞典、ラテン語とフランス語の関係の辞典、語源辞典ですね。
 私はクロスワードパズルの変形のMots flechesというのが好きで、しょっちゅうやってます。これなら縦のカギとかを盤面と見比べなくてすむので、簡便なのです。でもヒントがマス目に入っているので、漢字などは細かくなるせいか日本ではあまり見かけませんね。で、このパズルだとヒントはたいてい「ひとこと」ですから、同義語の語彙が結構必要です。このパズル専用の辞書も出てるくらいです。私は自分でリストを作りました。

 で、実際の仏作における言い換えですが、ある言葉を言い換えようと思って同義語辞典を引いたとしても、そこで見つけた同義語を単独で使いこなせる場合でなければ、選択は難しいです。Aという言葉を言い換えようとしてBや Cという言葉を見つけて、「ああ、そうか、この手があったか」と腑に落ちる場合は使ってOKですが、そのBや Cがはじめて見る単語だとか、自分で使ったことがないものの場合は、同義の微妙なニュアンスを取り違えて使いかねませんから、やめた方が無難です。

 練習のためならどんどん使って見て先生に訂正してもらえばいいでしょうが、もし大事な文なら、変な言いかえを使うくらいなら、たとえ悪文でも、自分の使いこなせる同じ言葉を繰り返してる方が無難です。フランス語としての点数は悪くなっても、意味が通じればいいのですから。確かでない言葉を使って意味が曖昧になったり通じなくなることが最悪です。
 自分の語彙を増やしてニュアンスが分かってきたら、言い換えによってますます意味をはっきりと際立たせていく上級業も可能になります。

 まあ、せっかく同義語辞典を買ったのですから、言い換えようと思う同義語をもう一度辞書で確認してニュアンスの違いや意味の範囲を例文中でじっくり理解して納得して使うといいでしょう。音楽でドの音とレの音の組み合わせがどんな意味を持つかは和声進行を見ないと決定できないのと同じで、文脈を抜きにした同義語なんて性格には存在しないのですから。

142パサン:2007/12/26(水) 12:41:28
パサン ド ノエルと言うお菓子は
初めて質問します。フランスで新年を祝うときに「パサン ド ノエル」と言うお菓子を食べると聞きました。どんなものか知りたいのですがフランス語の綴りがわからず、カタカナで検索してもうまくヒットしません。元の綴りと、作り方とか知っていたら教えてください。

143Sekko:2007/12/27(木) 08:02:37
Passant de Noel?
パサンさま。それ、どこで聞いたんですか?
 綴りとしたらPassant しか思いつかないですが、ノエルってクリスマスだから新年の祝いにはそれはないのでは?
 どこかの地方のかもしれないとググってみましたが見つかりません。どなたか知ってたらどうぞ。クリスマス・ビスケットというのはありますけどね。
 新年は1月6日のガレットが季節の風物詩ですが、1月1日に特有のお菓子って、知りません。フランドルの田舎にはクリスマスの朝、JESUS(イエス)ってブリオッシュ・パンがパン屋に売ってますけど。役に立てなくてごめんなさい。

144Fusako:2007/12/27(木) 20:51:11
お菓子
普通、クリスマスのお菓子と言うと、ブッシュ・ド・ノエルでしょうけれども、パサンとはずいぶん語感が異なりますね。
ガレット・デ・ロワ、少し前までは、限られたところでしか扱ってなかったのですが、最近は、少なくとも東京では、ずいぶん見るようになりました。アーモンドのおいしいタルトで、宝探しのフェーヴ(タルトの中に入っている小さいおもちゃ)も楽しみですね。

145Sekko:2007/12/29(土) 02:01:31
パサンの続き
 「パサン・ド・ノエル」のこと、ちょっと周囲に聞いてみましたら、フランス人は知らないよ、で終わりでしたが、日本人からちょっと意外な仮説が出ました。
それは「サパン・ド・ノエル」の間違いじゃないの、ってこと。
 パサンといわれれば私の中では Passant に変換されてたので、Sapin とは発音も綴りも違うし全然思いつかなかったのですが、カタカナだと、それもありかなあって、コロンブスの卵?
 サパン・ド・ノエルはクリスマスツリーで、お菓子じゃないですが、日本のように、はい、25日終わったからしまって今度は門松の用意ね、ってことになりません。確かにツリーで年越して、新年を祝います。普通はガレットの1月6日までってことですが、1月いっぱいくらいデコレーションを残すところも結構あります。
 そんなわけで、ひょっとしたらパサンはサパンかもという仮説を紹介してみました。
 ガレット・デ・ロワは、私にとって、昔は、『シェルブールの雨傘』の中で、カトリーヌ・ドヌーヴの金髪に冠がよく映えて、って思い出でした。1980年の初めに東京のリセ・フランセで教えてた時、やはり金髪の女の子が、食堂でガレットのフェーヴを引き当てたといって、冠かぶって教室に来たのが可愛かったです。
 フランスでは先に切り分けといて、ふきんをかぶせて、その場にいる一番小さい子に「これはだれの分?」って選ばせるんですが、たいてい、その子の分にフェーヴが行くようにこっそり調整したものです。
 私はフェーヴに毎年の年号が入ってるポワラーヌのガレットを毎年買って、コレクション用に、小さいのも買います(絶対にフェーヴをおいとくために)。今年はパリのとらやが、アーモンドクリームの他に柚子風味あんこが2層になったベルナルド特製フェーヴ入りのガレットを売り出すというんで、つい注文してしまいました。近頃は2月半ばまでパン屋に売ってるので、毎年一つは冷凍しといて夏に食べたり、シーズンオフにしかフランスに来れない人のためにとっときます。昔は自分で手作りもして、冠も手作りしたもんです。

146パサン:2008/01/04(金) 08:58:49
パサンについてお礼
パサンについてお返事いただきありがとうございました。
パサンドノエルについてはある友人から聞いたのですが、確かにパサン、といっていたと思うのですが...、どうやらサパンらしいとの事。友人も何かわからずにフランスの習慣、と言っていたのを私が食べ物と勘違いしたのかもしれません。

147Fusako:2008/01/06(日) 20:13:16
もしかしたら
今日は6日。いつものようにPAULでガレット・デ・ロワを買いました。ポワラーヌは新宿高島屋でたしかパンを扱っていましたが、目の飛び出るようなお値段でした。で、しっかりキツネ色のやや薄型のタルト、このシンプルさがまた好きで、日本のゴテゴテ度が毎年アップするクリスマスケーキ、ビュッシュ・ド・ノエルだって、本来はただの「薪」型なのに、と考えていて、ふっと連想。その「薪」って樅の木の薪でしょうか。樅の木といえば、Mon beau sapin。薪のお菓子、ビュッシュ・ド・ノエルの別名、ということはありませんか?

148Sekko:2008/01/07(月) 23:08:57
ガレットの日。
 今年は久しぶりに公現祭が日曜になるというので、5日の午後のポワラーヌには外まで列ができてました。ポワラーヌのはノワゼットのクリームです。でもとらやの方が割高でした。ベルナルドのフェーヴはお皿のミニチュアで黒塗りに金色の虎、なかなかよかったです。
 ビューシュは樅じゃないですね。でも、フランスはビューシュ、イギリスはプディングとか、ヨーロッパは狭いのに国ごとにクリスマスのお菓子の伝統はそれぞれ違ってておもしろいです。スペインでは公現祭の1月6日は、あの国らしく、東方の3博士の等身大フィギュアの行列とかで盛大だそうで、今日が振り替え休日だそうです。
 私は昨日は客がカップル4組だったので結構疲れて、みなが帰った後、飾りつけもしまって、今日から仕事モードに入ってます。昨日の唯一の失敗は、1985年のボルドーを前日に開けてデカンターに入れとくべきだったんですが、コルクが古びてうまく抜けそうになかったので、客の一人である歯医者さんを待って開けてもらったことです。すぐカラフにうつしましたが空気を入れる(日本語ではなんていうんでしょう)までに少し時間がかかりました。それで、別の若いワインを開けました。でも、そのカラフに残ったボルドー、ひと晩寝かせた今日はすごくまろやかになってて、チーズといっしょにこれから飲みます。うふふ。(おい、仕事モードじゃなかったのか)

149greencurry:2008/01/08(火) 09:48:39
う〜、おいしそう!!
Sekkoさま、皆様、
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
おいしそうな単語がたくさん並んでて、朝(現在午前9:30.会社でこっそり見てます)から実に刺激的でした。会社の近くの百貨店の中にPAULのパン屋さんが去年できました。ガレット、そこで買えたかもしれませんね。惜しいことをしました。
85年のボルドーなんて!それとチーズですか?!いいですねー、ホントに。。。
あ〜うらやましい。垂涎ものです。あ、仕事中だった・・・

150Fusako:2008/01/13(日) 19:52:00
ガレット・デ・ロワ
最近、けっこうあちこちで出しているので、とはいえ、1月限りですから、6日にはPAULで買い、その後、BIGOTで買い、本日はLA VIE DOUCEで買い、と、一直線に子豚フェーヴの拡大版をめざしています。あと、SHIMAでも買う予定。これまでのところ、当たりはBIGOTです。ふたの模様が美しく、サイドも波型に整形、それから、これがだいじですが、フェーヴがちゃんと中に入っていたのは、これまでのところ、ここだけ。もちろんおいしかったですが、きれいな木の葉模様がつやつやしてほんとに「王様のお菓子」、見た目も一番でした。
都心では銀座にしかないBIGOTのお店に、神戸からときどきムッシュ・ビゴが来ています。ミーハーのわたしは、12月にお見かけしたムッシュに"Meilleurs Voeux"とか何とか言って、"Merci,Madame"のお返事を頂いてきゃー、と一人で盛り上がってました。ちなみに、わたしはフランス語は初心者で、これ以上の会話なんてできませんけども。

151Sekko:2008/01/13(日) 22:13:19
ガレットめぐり、楽しそう。
 フェーヴがちゃんと入ってるのはBigotだけって、本当のマメが入ってるってこと?
 それとも、porcelaine のフェーヴが入ってないガレットなんてあるんですか?

 でも、そんなにお好きなら、やっぱ、ホームメイド、お勧めですよ。 Pate feuilletee が面倒なんで、それを既製品でロールしてあって焼くだけになってるやつを買ってきて、アーモンドクリームにバターとかお砂糖とかラム酒とか、体に悪いものをいっぱい加え、たっぷりはさんで、フェーヴを入れ、切り分ける時にフェーヴが入ってるとこにナイフが当たらないように分割線をパイ皮の表に入れとくんです。きれいな模様も工夫して、どこにフェーヴが入っているか作り手にだけ分かるようにしときます。
 王冠も手作りか、既製品にビーズとかはりつけて、豪華なのを作っときます。
 小さな子が二人いる時はフェーブも王冠も二つ用意。うちは夫の誕生日がガレットの日なんで、子供が小さい時は、みんなで作らせました。王冠もパパ用に、フェーヴもパパに当たるように。そういう「仕込み」が子供たちは楽しかったようです。
 義妹のうちではチベットの旧正月にスープに入った餅みたいなのに、太陽型とか、特別のが混じっていて、それを見つけて1年の運勢とか占うってのがあり、これも子供に受けてましたね。

152Fusako:2008/01/13(日) 22:33:10
フェーヴ
日本では、フェーヴの入ってないガレットが普通でしょうね。間違ってフェーヴを食べてしまった人がいたとのことで、クレームがついたか何かしたのでしょう。「食べる前に入れて下さい」とタルトにフェーヴを添付(PAUL、LA VIE DOUCE)、フェーヴ代わりにアーモンドのホールを入れる(SHIMA)などの方法がとられていますが、フランスの方からしたら、「うっそー!!!」でしょうね。実際、ブルゴーニュに住むわたしの友人(日本人)がそれで非常に驚いていたのでした。
で、わたしは、食べるのは好きなんですが、お料理はそんなに好きじゃなくて、時間さえあれば、別の手仕事をしたり、街歩きに出かけてしまうことが多く、それに、子どもはもう一人しか家にいないのです。で、この娘は料理好きなので、彼女にやらせようかな。というか、娘が、パンはビゴ、タルトならクリーム系は好きじゃなくて、なんつったって焼き菓子!なので、甘い親がついついガレットあさりしてます。もっとも、弁解すると、娘はグルメ気取りのわがままスイーツ(「スイーツ」については検索してみて下さい)というわけではなくて、ビゴみたいなパンがヨーロッパやアメリカ(ボストンの経験あり)ならどこにでもあるのに、どうして日本にはなくて、噛み応えも味もないパンばっかりなんだろう、と、仕方なく銀座まで行ってます。時間(と、もしかしたら適切な粉)さえあれば自分で焼くのが一番かもしれませんけれど。

153Fusako:2008/01/14(月) 06:20:37
チーズほか
わたしが長く支援しているNPOで「共働学舎」というのがあるのですが(特定の団体名を出してごめんなさい、でも、宣伝の意図ではありません)、障害者が信州や北海道で農業生産をしているそこの作ったチーズが、一昨年だったか、世界的な賞をとってけっこう話題になりました。もちろん、わが家でも食べていますが、ヨーロッパのものに比べるととても淡白で、よくこれで外国で賞をとれたと思います。で、チーズだけ有名になりましたが、値段などは変わらず、とても安いのと、チーズ以外は会員しか知らないと思いますけれど、じゃがいもなどの野菜やお肉が感動的においしいのが素敵です。クリスマス用に買ったスモークチキンは、普通の市販のものに比べるとすごく薄いお肉が骨にはりついているような感じでしたが(「この鶏、筋肉質、やせ型、って感じね」と家族で食べた)、実にしっかりした味でおいしかったです。
で、本題。ここはプロテスタントの方が運営していますが、日本では、キリスト教系のNPOはどうもプロテスタントが多いように思います。カトリックって、金持ち学校の運営団体って感じかなあ。わたしの通勤する近く、四谷では、上智大学に雙葉学園、ですものね。どちらも堂々たる校舎を新装、神父さんや修道女さん(?)などの質素な制服が、なぜか浮いて見えまーす、と思いつつ近くを通っています。

154nao:2008/01/21(月) 09:27:00
La Grande trappe
Alainの<Propos sur le bonheur>の<
Bonne humueur>のところに、アランが<La grande trappe>に行つたことがかいてありました。トラピスト修道院でGrandeというのは、単に大きなというのではないようにおもいますが、どのような基準でGrandeというのがつくのでしょうか?一つの訳本は「大修道院」他の一つには「ノルマンデイのトラピスト修道院」とありました。そうすると、17世紀半ばすぎにおこつたという大改革がノルマンデイのトラツプ修道院であり、シトー会のことを、一般にトラピスト修道院とよびだしたことから、ここが「大」とつくことになつたのでしょうか?grande
という呼び名は他の修道院でもつかうのでしょうか?教えていただけると、幸いです。
アランはなんと、ここをおとずれたことが、カトリツクから離れる機縁になつたようですが、彼自身も何故、いつ、カトリツクからはなれたのか、はつきりしないそうです。いずれにしろ「解放された」という思いがあつたとか。トラピストでは墓穴を毎日ほるとか、死体を一週間見せるためにおいておいたとか、陰惨だつたそうで、彼は「上機嫌」こそ、大切な「徳」だとかいていました。

155Sekko:2008/01/21(月) 17:27:22
ただの通称
ただの通称だと思います。フランス語でグランとかプチは、物理的に大きいとか小さいとかのほかに、親愛とかのニュアンスが多いですから。
 バジリカ聖堂とかいうのは基準があって、一種の称号なので、使えるかどうかは勝手に決められないわけですが、グランド・トラップはソリニィのトラピスト修道院についた愛称というか通称でしょう。もちろん、改革の中心になったという重要性や敬意や規模の大きさがこの通称を招いたのだと思います。
 有名なのは La Grande Chartreuse 修道院ですが、これは正式名称だと思います。ここからの連想もあるのではないでしょうか。
 アランの行ったのは、ソリニィの修道院ですね。単に「大修道院」と訳するのは変ですね。固有名詞代わりなのですから。
 キュリー夫人が、「 bonne humeur は politesse だ」 と言ったのが私は共感が持てます。誰に接しても、機嫌の良さをかもし出している人は本当に快く、そばにいる人をみんななごませてくれますものね。

156nao:2008/01/21(月) 19:28:16
ありがとうございました。
お聞きしてよかつたです。読書会では「大修道院」と何となく訳していましたから。愛称、通称、固有名詞という感じは我々にはつかめておりませんでした。「ソリニイの修道院」にいつたんですね。いつてみたいものです。私は北海道のトラピスト修道院にゆきました。夫が「ここの食事最高だね」とよろこんだのがついこの間のような気がします。
キュウリ夫人のことば、ご紹介くださいまして、ありがとうございました。本当に機嫌のいい方つて、会うと嬉しいです。特に配偶者が機嫌のいい人だと幸せですね。

157confus:2008/02/07(木) 00:13:49
cafe au lait
いつもおせわになります。歯磨きしていて不意に浮かんだ疑問です。
カフェオレのlaitにはふつう部分冠詞がつくのに、なぜ au lait なのですかね。

158Sekko:2008/02/07(木) 07:28:51
カフェ・オ・レの話
 なんで歯磨きなんですか?  ま、いいですが。

 それは、lait につく部分冠詞の du 自体が、部分をあらわす前置詞の「de」と定冠詞の「le」とが組み合わさったものだからで、「a」(アクサンつき)という前置詞の後にまた「de」を重ねられないから置換したものでしょう。

 たとえば、「Aanalyse du lait」(ミルクの分析)という時の「du」も、
すでに部分冠詞の du ではなく、部分冠詞の一部である前置詞の de が、意味上の目的語をつくる de に置換されていることになります。

 このほか、Agneau de lait と冠詞なしなら、子羊の乳児、つまり雌羊の乳だけで生きてる小さいのを殺した柔らか肉、「frere de lait 」は乳兄弟、「vache a lait」は乳牛で、ニュアンスが違うことも注意です。

159confus:2008/02/07(木) 22:31:51
ほぉーー!
Sekko文法辞典さま、ほんとうにありがとうございます。
よくわかりました。つまり部分冠詞という冠詞はなくて、部分をあらわすdeがあるのみ、と考えればいいのですね。
アレ?オレ?と思ったおかげで、たいへん勉強になりました。

160Sekko:2008/02/07(木) 23:41:25
部分冠詞
「部分冠詞という冠詞」がない、といえば語弊があるのでご注意を。

 フランス語においては、「部分冠詞(article parttiif)=  部分をあらわす前置詞(la preposition a sens partitif)+ 定冠詞( l’article defini)」ということです。

http://solages.site.voila.fr/grm/article_partitif.html

とか見てみて下さい。

 De だけで 冠詞的用法もあるのでややこしいです。

 また、autour de 何とか、って複合前置詞にもなり得ますから。

 どの言語でもそうですが、簡単な言葉ほど、使われ方のニュアンスが広くて分類は難しいですね。まあ、普通に使ってると説明できなくても慣用的に使い分けられます。

 文法辞典は私に頼らず基本的に自分で調べてください。
 今回答えたのは、この質問がとても「フランス語を習う日本人」ぽいと思ったからです。ある意味新鮮でした。

161confus:2008/02/09(土) 16:21:36
再びcafe au lait
はい、その後自分でも調べてみました。

cafe au lait(牛乳)と vache a lait(乳牛)の違いはニュアンスが違うどころか、なんと日本語では漢字の前後の違いですね!

ここで、lait に冠詞がつくかつかないかは、基本的には前置詞「a」がつなぐ二つのものが混合物であるか否か、だそうです。
cafe au lait, glace au chocolat, sauce au vin などが前者で
vache a lait, moulin a eau, machine a vapeur などが後者の例です。

それでも、冠詞がつくつかないはそういうことだとして、その冠詞が部分冠詞なのか定冠詞なのか、私には調べがつきませんでした。Sekkoさまの考えでは、cafe au laitの lait についているのは部分冠詞ですね。でも、de le → du という規則が自然と頭に入っていても、du → de le と逆分解して a と de を置換するというのは、後付の理論に過ぎないような気がしてきました。ここはいっそ、カフェオレのレについている冠詞は定冠詞だと考えられませんか。
そこをつきつめていきますと、やっぱり部分冠詞という冠詞の設定不要論になります。部分をあらわす「de」と定冠詞の縮約規則があるだけと考えた方がスッキリです。「部分冠詞=部分ををあらわす前置詞+定冠詞」と言っても、そんな前置詞はフランス語ではde以外にないですよね。

まあカフェオレはcafe au lait 、なのですけど。

162Sekko:2008/02/11(月) 03:12:09
牛乳
 単純ミスかと思いますが、牛乳は lait de vache と言いたかったんでは?

漢字の組み合わせの前後関係もいろんなケースがありますが、最終的には慣用がものを言うんで、フランス語もそうですね。理屈だけでは予想できません。
 カップにコーヒー半分入れて、暖かいミルクも半分入れて、って感じの時には、絶対に「le lait 」入れて、って言わないですし、「du lait」入れて、って言いますから、カフェオレに隠れてるのはやはり部分冠詞だって気がしますけど。

 冠詞をつけるかどうかというのは日本人にはほんとに難しいですね。英語だとすごくアバウトで楽ですけど。赤ちゃんに言葉を教える本でも、英語だったら、リンゴの横に「APPLE」ってありますが、フランス語だったら、「Une Pomme」ですもの。基本的に、冠詞なしの名詞は覚えないので、ちっちゃい子供のよく言う言葉として「zanimaux」(動物の複数形の冠詞のリエゾンが名前になってる)なんかがあり、動物型ビスケットの名前になってたりします。

163Max:2008/02/28(木) 19:36:35
屋号
お店の屋号に un を付けるのは変ですか?響きがいいのでそうしたいのですが。
巷では le les しか見ないので気になっています。
よろしくお願いします。

164Sekko:2008/02/28(木) 20:47:53
お店の名前
 こちらでun とか une で始まるレストラン、今、思いつきません。
定冠詞をつけたくない場合は、「冠詞抜き」の名詞だけが一般的ではないでしょうか。そのほうがインパクトもあると思います。
 un の後に何が来るのか、たとえば、「野原の中の一人の少女」みたいな物語性のある情景を喚起したい名なのか、そのお店に行ったらそういう名の絵がかかっているとか、特別のコンテキストを想像しますが・・・
 フランス語の綴りとか文法とか間違ってる店名や品名などだって日本ではよく見かけるので、名づける本人がいいならそれでいいという感じもしますが・・これだけではなんとも言えません。

165読者:2008/02/28(木) 21:51:37
(無題)
単純な言い方ですが、フランスは平野の国、ドイツは森の国って聞きました。

そちらに暮らしていて、どうなのかお聞かせ願えれば幸いです。

166Max:2008/02/29(金) 04:05:25
屋号2
Sekko様、ご返答ありがとうございます。
冠詞抜きでもおかしくないのですね? unを付けたかったのは響きの他にひとつの、という意味も込めたかったのですが(cadeauとかpresentとかです)そちらでないということは‥、う〜ん文法的に間違っているのはいやですので‥
ちなみに「麦畑の中の一人の少年」はどうなりますか?

167Sekko:2008/03/03(月) 10:19:54
平野の国
 お返事遅れてすみません。
 そうですね。少なくともパリやパリ近郊に住んでる人にとっては、「平野の国」かもですね。フランスはもともと、ロワール以北と以南では気候も地形も違う感じです。でも、パリの人も、「ヨーロッパで一番高い山はフランスにあるんだから」って自慢します。モンブランですね。でもアルプスやピレネーなど高い山はイタリアとかスペインと国境を接してますね。どちらも、パリからはずっと南です。パリから北のノール地方なんかは、北で寒いことになってるんですが、山はなくフランドルの平野が広がってます。スキーができないんで誰も行きません。ノルマンディなんかはわりと起伏がありますね。
 普通の日本人にとっては、パリという首都からちょっと離れると、平野と麦畑とか広がっているのがすごく印象的だと思います。
 全体として平野が多く耕地面積が広く、農耕や放牧も盛んで、食料自給率が世界有数という恵まれた国という印象はありますね。ドイツは森、フランスは平野という感じは、まあ当たっているんじゃないでしょうか。

 ええと、MAXさま、仏訳の添削はある程度可能ですが、単純仏訳は受けつけてませんので悪しからず。
 屋号に一つの、という意味をこめたければ冠詞抜きで「なんたら・ユニーク」というネーミングもありかもしれませんが日本語じゃユニークは唯一のというより「珍しい、変わってる、」みたいにとられるかもしれませんね。よいお店になりますように。

168読者:2008/03/05(水) 18:52:27
なるほど
 ご返事有難うございます。付け加えると、そういった地理的条件がドイツ語とフランス語の成立に深く関与しているし、ドイツで音楽、フランスで絵画が発展したのもそのことと無縁ではないと仄聞したものですから、そちらに長く住まわれている竹下さんの実感としてはどんなものなのかな?と思いまして質問させて頂いた次第です。
まずはお礼まで。

169Max:2008/03/06(木) 04:36:09
屋号は
冠詞抜きでシンプルにいこうと思います。
Sekko様お返事ありがとうございました。

170greencurry:2008/04/08(火) 11:17:51
短い返信の仕方
私の住んでいる地域は今桜が満開で、とてもキレイです。ソメイヨシノの大木の下に立って、満開の木を見上げると、めまいがするような不思議な感覚になります。
ところで、私は週に1回フランス人の講師にフランス語を習っているのですが、例えば授業が急に中止になるとき、そのフランス人の先生が私の携帯へ中止ですというメールを送ってきてくれます。すごく丁寧な長い文章で「今度の授業はできません、他の方々にもお知らせしてください」と書いてこられます。
で、そのお返事をするのですが、パソコンがすぐに使えないとき、携帯でフランス語を入力するのがものすごく面倒なんです。
簡単な文章でしかも失礼のないように、「その件了解しました」と伝えるには、フランス語ではどのように表現すればよいでしょうか?
ご教示よろしくお願いします。

171Sekko:2008/04/08(火) 20:32:25
先生への返事
 私たちはトリオの練習がないと連絡しあう時は単に「OK,c'est bon.」ですませますが、相手が先生で、向こうが丁寧なら、

「Merci de m'avoir informee, je percute.」とか。

 「Merci, je percute.」
 「Bien recu, j'informe les autres.」
 「Merci, je mets au courant les interesses.」
 「Merci de m'avoir mise au courant, je percute.」

 とか、組み合わせは無数にあります。
 よく使う表現はどっかに記録しといてコピーしてもいいですね。

 私は子供が小さい時、連絡帳にいろいろ書き込むのに、フランス語では書き方によってすぐ教育程度が分かっちゃうので、いろいろリサーチして、表を作っときました。一度、フランス語の先生である義母がちょうどいる時に子供のプールをお休みさせたいと書くのに、代筆してもらったらすごく立派なものだったので、先生からこれも超丁寧な返事をもらいました。
 でも、今はメールとかの時代なんで、一度、娘がハーヴァードに履歴書を送る時のメールの最初に「Hi,Harvard!」なんて書いてあるのを見て、しかも後でちゃんと採用されたのを見てからは、もう悩むのはやめようと思いました。

172Sekko:2008/04/08(火) 20:38:50
さっきの訂正
 ごめんなさい、今、さっき送ったのを見たら、なぜか「Je repercute」というのが2箇所ともREが抜けてました。REのEに右上がりのアクサンがつくのを工夫しようとして貼り付けたのが消えたのです。で、 「Je repercute」の動詞の最初のEはアクサンつきですが、携帯メールジャアクサンが着かないかもしれませんね。でもどうせ日本にいるフランス人はアクサンなしのフランス語に慣れてるので平気です。Bien recu.のC も勿論ひげ付きCです。interesses もアクサン付です。

173greencurry:2008/04/10(木) 23:49:28
ありがとうございます
ありがとうございました。早速使わせていただきます。と、思ったら今朝は電話がかかってきて(7時!まだ寝てました)、とっさに対応ができませんでした。
ところで、「Merci」は、なんだか対友達のような感じがして、必ず「Je vous remercie」をつかっていたのですが、日本語の「ありがとお」(大阪弁なら語尾を上げる)ほど友達的(変な日本語)ではないのですか?

174Sekko:2008/04/15(火) 01:14:17
Merci
 メールや携帯テキストならMerciで充分でしょう。
 ただ、電話となると別です。Merci, Monsieur とか、Monsieur だれそれ、とか、名前をつける必要があります。友人でも、Prenom を付け加えますね。
 Merci bien,とかMerci beaucoup とか言っちゃったら、次がなくても失礼じゃない場合もあります。語調にもよるんですよ。

175nao:2008/05/03(土) 08:59:49
Bernadette
ルルドで聖母マリアのご出現を受けたベルナデツトは日本ではベルナデツタとよばれています。ベルナデツトはフランス語読みですが「ベルナデツタ」はどこの国のことばなのでしょうか?イタリ、スペイン、米、英のような気がするんですが。先生がどこかにかいておられたのですが、見当たりません。ご教示くだされば、幸いに存じます。

176Sekko:2008/05/03(土) 21:25:40
「タ」か「ト」か
 日本に入ってるのは多分イタリア語の「Santa Bernadetta」から来ているのでしょう。これが地名になってるところはアメリカにでもあったと思います。でも、欧米における聖人名の自国語風読み替えはすごくアバウトで自由なんで、どれが正しいということは格言できません。
 でも日本語で中国人名とかが漢字読みから現地語読み優先に変わっている事をかんがみると、ベルナデットがいいかなと思います。

 ベルナデットはもとはローカルな聖女ですし、歴史的にも19世紀後半とわりと新しいし、常に「フランスの聖女」として意識されてきたわけですから。
 そして実際にヌヴェールとかルルドに巡礼に行けばフランスなので、ベルナデットと言ったほうが通じやすいですし。
 もう一つ、ラテン国でも「Santa Bernadette」とサンタの後でもフランス語表記する時と場合はたくさんありますが、フランス語の「Sainte」の後では、必ず「Sainte Bernadette(サント・ベルナデット)」で、Bernadett「a」は使わないので、私はフランス語読みに近いということでベルナデットを使うようにしてます。
 前大統領夫人のベルナデット・シラクは、もちろんこの聖女の名ですが、日本の新聞などの表記はすべてベルナデットとなっています。

 ただし、「r」も「te」も、実際は「ル」や「ト」じゃないですから、どちらにしても厳密には対応しません。

 ただ日本人が、「ベルナデットは」とか「ベルナデットを」とかいう時は「TO」の「0」がほとんど目立たないので、結構フランス語に近く聞えるかも、です。「ベルナデッタ」と言えば、「Bernadetta」にしか聞えないでしょう。
 ただし通称が聖女名となった例で、本名はBernardeと、ベルナールの女性形ですね。

177nao:2008/05/03(土) 22:29:22
お礼もうしあげます。
早速、ご教示頂きまして、本当にありがとうございました。私はいつも「ベルナデツト」をつかつております。これで通そうとおもつていました。今回確信がもてました。ヌベール愛徳修道会の日本の女学院の職員が「ベルナデツタ」しか知らないということでしたので、どちらをつかつてもいいけれど、フランスで通りやすい「ベルナデツト」も頭においておくよう、勧めようとおもいます。ありがとうございました。

178K GOTO:2008/05/07(水) 12:28:38
>先生への返事
横レス + 過去のレス で申し訳ないのですが
4月8日の 先生への返事 内にあります、
>フランス語では書き方によってすぐ教育程度が分かっちゃう
これはorthographeのことでしょうか?
それとも
expressionのことでしょうか?
どちらとも とれる書き方であったので念のため、確認したく。
Orthographeといえば、仏のCVとLettre de motivationは
Orthographeから 人格判断を行う場合もあるため タイプではなく手書きで、
と本で読み 一生懸命手書きで清書したら、友人にPCで書き直された
ことを思い出しました。

179Sekko:2008/05/07(水) 18:23:08
今はPCですね。
 Expressionのことですね。構文とか語彙の選択です。
一時はgraphologieが流行ってたんで、履歴書などのautographeは多くの会社で必須でした。
 もともと、アメリカでは高校や大学でもタイプを自分で打ってレポートを出していたのですが、フランスでは、「タイプはタイピストの仕事」という分業がはっきりしてて、ビジネスマンも秘書に頼るだけで学生は手書きが主流でした。
 PCが普及して学生でも一人1台となったのはここ4,5年のことで、その前は自筆でしたね。PCでは綴りチェックもできますから、なおさら、語彙の選択とか言い回しのちょっとした差は目立つような気もしますが、これからどんどんアメリカ風になるんでしょう。

180K GOTO:2008/05/07(水) 22:36:43
使う言葉で御里が知れる
とは、言いえて妙で
彼女に いくつかの表現を直されてからは
かなり気を使うようになりました。

返答ありがとうございました。

181nao:2009/01/25(日) 08:56:10
beau fils et gendre
フランス人語の先生(フランス人男性)に「婿」のことを、beau fils といいましたら、「その言葉をつかつてはいけません。gendreを使いなさい」といわれて驚きました。神父さまからの手紙にはやはりgendreという表現がつかわれていました。お二人ともVouvoimentの関係ですので、vousで話すときにはbeau fils をつかつてはいけないのかしら?とおもいました。またgendreが手紙の中だつたことを考えると、文章中ではgendreをつかうのかしら?と思いました。「嫁」には文章中でbruが使われると辞書にありますが、まだこの言葉を文章中でみたことがありません。(あまり勉強できていないせいですが・・)。belle fille ということばが美しいせいか、この言葉しか知りませんでした。これらの使い分け方をご教示いただけますと、幸いに存じます。

182Sekko:2009/01/29(木) 17:34:34
naoさまへのお答え
 地方的な違いもあります。 南の Languedoc, Roussillon などでは、gendreも beau-fils も両方、婿を指せますが、他では、beau-fils は、配偶者の息子に限定されることが多いみたいです。今は特に、離婚や再婚 などによるfamille recomposee が多いですから、beau-fils は、そういう場合の義理の息子、というのが普通ですね。世代的に考えても、配偶者の息子という意味での義理の息子の絶対数が多いですから、「beau-fils=配偶者の息子」が一般的です。
 また、今は、子供世代の離婚も多いから、gendre が gendre でなくなることも多いわけで、娘婿にあまり執着しないように beau-fils という言葉=位置づけが無意識に避けられてるのかなあ、という感じがしないでもないですね。
 gendre が普通に使われているのに比べて、確かに、bruはちょっと古臭いですね。封建的な感じがします。今時、自分の娘が相手の親から bru と呼ばれてたらちょっと嫌かも。
 日本では伝統的に嫁-姑の関係が、犬猿のように言われますが、フランスではgendreとbelle-mère の関係がもっとも緊張したものととらえられているので、その辺の温度差もあるかもしれません。gendreはいつまでもgendre でしかなくて、beau-fils としてフュージョナルな関係にはなれないぞ、みたいなね。

 それに比べれば、belle-mère とbelle-fille は、わりと摩擦が少ないと了解されてるみたいです。まあ実際はケース・バイ・ケースでしょうけど。

183nao:2009/01/30(金) 17:08:23
ありがとうございました。
配偶者の息子、とお聞きして一瞬、「え〜それつて、我が子なのに?」とおもつたのは、やはり日本にいるからですね。地方の差、現代の言葉の移り変わりを教えていただき、勉強になりました。今日、フランスのニュウース読みの会で友だちと一緒にお答えを見せて頂きました。皆さん「へえ〜配偶者の子つて、どちらの子なの?」「お互いの相手の子よ」と話すのを聞いていますと、やはり日本ではまだまだ、Famille recomposeeは少ないとおもいました。ありがとうございました。

sukunain

184Sekko:2009/02/11(水) 07:15:45
hommisme
 日本でも今は離婚や再婚が多いと思います。

 でも大きな違いは、日本では、離婚家庭の子供はほぼ、どちらかに引き取られて(昔は父の「家」、今は母個人というのが多いんでしょうか)、もう一方の親との付き合いがなくなるケースが多いようです。
 フランスでは「家」の戸籍とかないので一昔前までは、離婚すると母親が親権を持つことが多いでした。でも、Francophone 系の国ではカナダなどもそうですが、フェムニスムと対をなす「オミスム=Hommisme」の運動が盛んになり、ヴァカンスの半分を父親のところで過ごすのは普通どころか、週の半分を父母が交代で、あるいは隔週でというケースも増え、親権も両方が行使できるケースも増えています。だから子供の学校を中心とした近くに両親(の再婚家庭)がそれぞれ住むこともよくあります。だから、子供たちも父母の新しい配偶者を普通にBelle−Mere とか Beau−pere とか呼んでいるし、彼らも一緒に住む親権を行使できる可能性も開けています。祖父母が孫と会う権利もあり、子供が離婚した後でもう孫と縁が切れてしまうという状態を避けることもできます。

 まあ、これはこれで、子供の情緒が不安定になることもあるので、特に、片方の親が満足のいく再婚をしないまま前夫や前妻に恨みを抱いてる時とか、けっこう問題もあります。生き別れは死に別れよりも大変だ、というのはありますね。14歳までは子供には拒否の権利がないのです。

 でも、父親としての権利を母親と同じく保証されているということで、父親に育児の自覚が出て、分業じゃなく、「いざとなれば100%の親」という意識があるのとないのでは、夫婦の関係も変わるかも、と思いますね。

185Bobby:2009/06/19(金) 12:23:36
magasin
フランス語の「店」にはいろいろな言い方があります。magasinは知人のフランス人に言わせると食べ物を売っている店は省くそうですが、magasin d'alimentationという言い方もあります。たとえば、魚屋poissonnerieはmagasinではないのでしょうか?ご回答のほどよろしくおねがいします。
また余談ですが、エッフェル塔には階段で上れなくなったと聞きましたが、本当でしょうか?ご存じだったら教えてください。

186Sekko:2009/06/25(木) 17:05:28
magasinについて
 magasinというのは、アラビア語起源で「倉庫」のような意味だったと思います。だから、基本的には生鮮食品を売る店には使いません。magasin d'alimentation というと、缶詰や調味料とか、保存できるものを中心に想定されているからでしょう。魚屋はだから、決してmagasin de poissons といいません。marchand de poissons ですね。一般に道に面した小さな店はブチックと呼べます。後は、フランスは今でも職人の資格が厳密なところなので、そのブチックの中にアトリエがあるかどうか、つまり自分で製造してるかどうかによって、店の名称が規制されるので(パン屋さんなど特に)、チョコレートなど、日本風に考えれば少し保存がききそうなものでも、magasin とかいいませんね。

 エッフェル塔のことはよく知りませんが、今サイトhttp://www.insecula.com/musee/M0054.html を検索したら、この季節なら Escalier : 9h00/0h45 dernier accès minuit とあり、1665段を8分台で制覇したとかいう最近の記事も見つけたので、上れるんじゃないでしょうか。何らかの理由で禁止の時もあるのかもしれません。しかし零時まで上れるとは知りませんでした。さすが観光都市ですね。(私はエレベーターですら上ったことがありません。東京タワーには完成した翌年に上り、そこではじめて「外人」観光客に英語で声をかけられたのを覚えてますけど・・)

187Bobby:2009/06/26(金) 11:04:03
「店」
ご回答どうもありがとうございました。真夜中のエッフェル塔、素敵ですね・・・

magasinの件ですが、アトリエがあるかどうかというboutiqueの条件、おもしろいと思いました。とすると、「保存」がきくかどうかがmagasinの見分け方になるのでしょうか。

「保存」とつながってきますが、倉庫という語源的ニュアンスからすれば、「貯蔵」できることかな、と別の方向から勝手に考えていました。というのは、もう一人知り合いのフランス人に聞いたところ、「レストランを除いてすべてmagasin」だというのです。レストランは確かに日本語では「店」といいますが、商店ではありません。商店と店の違いは何か?と考えて、stockerが可能かどうか、に思い至りました。

ただ「保存」と「貯蔵」は同じようで微妙な違いもあります。「貯蔵」は「保存」のように時間を気にしません。ストックされていても午後にはなくなることも、そのまま10年後まであり続けることもできます。生鮮品でも加工品でも広く捉えることができます。また穀物の貯蔵であれば、magasin de grainesがそのまま、現在の「店」に置き換えられているような気もします。
いま問題にしているのは魚屋ではなく「店」なのですが、ふと思い立ってpoissonnerieの定義をインターネットの辞書(CNRTL)でみてみると、筆頭にMagasin où l'on vend du poisson et des fruits de merとありました。

commerceはmagasinより商店のニュアンスが強く限定される感じがあるのですが、magasin以外に専門店であり、また日本語のように一般的に広く使用される「店」はフランス語にあるのでしょうか?

188Sekko:2009/06/26(金) 22:03:13
店の話(続き)
 私は日本語の保存と貯蔵のニュアンスの差を無視して使ったのですが、時間を気にするかどうかより、それこそ、語源的には、物を、ある「場所=蔵とか」に保存するのを貯蔵というんでしょう。「建築物の保存」なら、貯蔵とは言えませんし。で、magasin は、それでいうと、正確には貯蔵可能な商品を取り扱うもの、となりますね。今は一般的な「店」という意味にも使われているので、Magasin où l'on vend du poisson ということは言えますが、でも「靴屋=magasin de chaussures」のような意味で「魚屋= magasin de poissons」といわないことは確かなので、やっぱり生ものかどうかは大いに関係があると思います。commerce も一般的に店と使えますが、poissonnerie がpoissonnierと関係があり、commerce がcommerçant と関係があるように、そこに働いている人の顔が想定される小売店であり、magasin はデパート=grand magasin にも使えるように、ハコものというか、空間そのものと関係がありますね。ちょっとシックな含意を持たせることもできるものとして「maison」というのもありです。これならレストランでも使えることもあります。
 レストランは物を売るというよりサービスを売るので、レストランをマガザンといえないのは、美容院をマガザンと言えないのと同じですよ。でも日本語では美容院でも店とか言いますよね。それは商業施設の建物の総称だからでしょう。日仏で完全に同じ概念の店の言葉はないんではないでしょうか。ヨーロッパなどは同業組合の歴史が長く「メチエ」の概念が根強くてそれが小売にも反映してるような気がします。

189Bobby:2009/06/27(土) 14:13:01
店(終わり)
magasinをめぐって、いろいろとありがとうございました。コンテクストの中から浮き上がってくるmagasinがみえたような気がします。
フランスならではの「小売りの専門店」が、もとはといえばテーマだったのですが、最初に聞いたフランス人の知人はpoissonnerieのほうへ関心が行ってしまったようです。
ご親切でわかりやすい解釈に感謝いたします。

190迷える大羊:2009/07/13(月) 22:16:28
フランス語の数表現
 最近まで知らなかったんですが、石原慎太郎都知事が何でも、「フランス語は数数えられない、国際語に不向き」などと発言。仏語学校校長のフランス人と日本人のフランス語関係者との間で裁判沙汰になってたみたいで・・。

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/05-08/050821tokyo-ishihara.htm

 最近みたニュースでは、石原都知事の発言への不快感はわかる、としながらも特に被告たちが損害を被ったとはいえない、ということで原告側の損害賠償(フランス語への名誉棄損、語学学校への営業妨害といったところか)の訴えは却下されたようですが。

 ところで、私はフランス語は全くの門外漢なんですが、上の記事中のフランス語解説を読むと(下の文)、うーん、確かにややこしいかも、少なくとも俺は簡単に覚えられないなぁ、なんて思ったりしますが、竹下先生はフランス語ビギナーのころ、数表現につまづくことはなかったですか?

 「もっとも、70をSoixante−Dix(60たす10)、90をQuatre−Vingt−Dix(4かける20たす10)と言うなど、日本人から見れば複雑なのは確かだ。」

 あと、この騒動、記事中では「ル・モンド」紙でも報道され、あちら(フランス)でも物議をかもしたとあるんですが、そうなんですか?
 個人的には「ほっとけば?フランス好きは日本に他にいくらでもいるし、都知事が何をいおうと関係なくフランス語習うでしょ」って思うだけですが・・。

191Sekko:2009/07/14(火) 08:07:21
フランス語と数
 この話、当時すでに、このサイトでも話題になってたような覚えがあります。石原知事は確か、同じ頃カルチエ財団の現代美術展にもけちをつけたんですよね。
 実際の計算とかでは、読み方よりも数字の字面に反応するのであまり関係ないと思います。ベルギーのフランス語では今でも、70とか90を60足す10とかじゃなく、独自の呼び方をします。フランスでは電話番号を、ふた桁ずつまとめて言うのガ普通で、そういう時は、60台とか80台が聞えても6とか8とかすぐに書きとめられず、最後まで聞かなければ実は70台か90台か分らないので不便です。で、英語では日本風に、一桁ずつ読み上げるので、その方が分りやすくて便利だなあと、異文化体験をしたフランス人ははじめてフランス語のふた桁まとめの不便さに気づきますよ。
 後、これも前書いたと思いますが、ドレミの読み方が「ソ」が「sol」で「L」も発音するので、けっこう不便です。ドも昔は ut だったんで、「T」も発音し不便なのでドが一般的になったのに、ソは相変わらずソルなので、面倒だから私は時々「ソ」ですまして音楽の生徒に悪影響を与えています。ソルだとスピードが出ないんです。数字も口頭の場合、早く数えにくいですね。私は、早く数えたい時は日本語で考えることにしています。後は、何でも慣れというか、みんな母国語をこんなものだと思っているわけですからね。
 ただ、本当に効率に差がある時は、便利なものが最終的に他を淘汰すると思います。漢数字よりアラビア数字、ローマン数字よりアラビア数字というように。数字さえグローバル化していれば後の読み方は数学でなく文化ですから、確かに他の国の批判をするのは教養がないと思われてもしょうがないですね。フランスは国家的に数学教育に力を入れてる国ですしね。
 日本での「事件」も所詮三面記事ですから知らない人の方が多いでしょう。
 最近、日本製ゲームのパッケージを、日本のものは登場人物のキャラの絵なのを、ヨーロッパ向けのものではデザインを変えて帽子とかシンボリックなものにしたそうなんですが、どちらのデザインがいいと思うかというアンケートをとったらフランス人は圧倒的に日本用パッケージを支持したそうで、キャラへの思い入れがフランスと日本では似ているのだという話を読みました。そんなところも日本のコミックやアニメのフランスでの人気につながっているんでしょうね。

192迷える大羊:2009/07/15(水) 20:22:57
フランス語の数表現2
 しかし、石原知事は一体何を考えてこんな発言を?彼の経歴に何かフランスに反発を抱くようなところってあったかな??
 でも、前から論じてますが、フランス人も意外とナイーブというか人の言うことを気にするというか。

 たとえばの話、英米人なら、「英語にはFuckだのBitchだの下品な罵倒語が多すぎる、国際語に不向き」みたいなことを言われても鼻にもひっかけないような気が・・。

 特にアメリカなんて「自国の悪口」は聞きなれてるようなところがあるし。英国などは自国に絶対の自信があって、それこそ、一部ヨーロッパを除いた外国のことなど全く興味なさげな気がしますし・・。まさに本物の「中華思想」の持ち主かも。

 ちなみにネットで観察する限り、ヨーロッパでウケてる日本式マンガ・アニメの類もイギリスではいま一つといった印象ですね(まあ、マニアが全くいないってわけではないらしいけど)。

 もっとも日本のマンガ・アニメ(黒沢・小津映画も)って別に外国に広めようと思って作ったわけじゃなくて、あくまで日本で日本人が楽しむために作られたもので、本来「国際的」とは最も縁遠い代物だと思うんですが、そういうものに限って、海外でウケる。

 具体的に名を挙げるのは憚られますが、逆に日本人が勝手に「国際的」とか「国際人」と思っているコンテンツやアーチストに限ってまるで相手にされないのは皮肉だよな、と思うのは私だけですかね?
 まさか、「オタク」が世界共通語になってるとは思いませんでした。別に外国に広めたい日本語でもないのに・・。

193Sekko:2009/07/16(木) 18:16:45
特殊と普遍
 そうですね、すごく特殊な文化の中での特殊な出来事の描写の中に普遍性がかえって際立つってこともありますよね。みんな違ってるのがデフォルトで、その中に共通点を発見すると、しみじみとなるっていうのはあります。私の場合あまり自分と状況が近いと共感の仕方もけっこう閉鎖的になります。

 フランスにはフランス語帝国主義がありますから。
 世界中にあるアリアンス・フランセーズの力とか、けっこうすごいですよ。一昔前までは、アフリカとか、アメリカンスクールのない国はあってもリセ・フランセのない国はないというので、あちこち転勤する英語圏の家族は、子供を日本なんかでもわざわざリセ・フランセに入れてました。

 逆に、アメリカなんかでは移民のブロークン英語でもまあOKですが、フランスではフランス語がちゃんとできなければまともに相手にしてもらえない時期が長いでした。でも、ちゃんとできれば、全く対等に扱ってくれるのでやりやすいとも言えます。小学校でも韻文をせっせと暗誦させたり作らせたりしますし、理科系でもフランス語や哲学のカリキュラムは文科系と同じだから、日本の子の日本語能力よりも平均して優れてるかも。

 アメリカでは中部の「田舎」とかでは、自国の悪口を聞くチャンスなんかそもそもなくて、世界はアメリカしかないと思ってる人が大半ですから、アイデンティティの確立が大変だったヨーロッパ諸国なんかとは違うでしょうね。

 オタクはアヴァンギャルドな語感があるみたいですね。まあ、私は、今や、国の差よりも世代の差の方が大きいなあというのが日々の実感なので、なんとも言えません。

194迷える大羊:2009/07/19(日) 00:14:23
日本式女子高生 IN フランス
 以前、「おしゃべりルーム」で日本アニメの学園ものなんて、あっち(フランス・ヨーロッパ)の人にわかるんかしら?みたいなスレを立てましたが、こんな映像を発見。今年のJAPAN EXPO映像らしいのですが・・。

http://www.youtube.com/watch?v=nEmt2mn6VWk

 思わず、うーんと唸ってしまいました。まさか、フランス(あるいはヨーロッパ)の少女の日本式女子高生ルックが拝めるとは夢にも思いませんでした・・。
 フランスやヨーロッパで日本式女子高生ルックのグッズって入手可能っていうか、簡単に手に入るものなんですか??

 あとこの映像、以前から話題に出してる日本アニメ「けいおん!」(すみません、最近のアニメってこれしか知らなくて)のコスプレで、「うんたん、うんたん」なんて内容知らないと出てこないギャグなんですが・・・。
 このアニメ、日本以外では放映されていないし(先月放送終了)、DVDも出てないのに(7月末発売予定)、どうやって観たのかな〜(棒読み)って野暮なツッコミはおいといて、観察すると日本で目ぼしいアニメが放映されるとすぐ、世界各国語の字幕つき映像がアップされるんですよね・・。誰が翻訳してるんですかね?

 ここのところアニメ話ばっかりでなんですが、観察すると面白い上に謎がつきないんですよね〜。

195Sekko:2009/07/19(日) 19:05:49
女子高生
 こんなのいるよ、って次女が言ってました。次女も昔、日本でルーズソックスとか買ってましたね、仲間内コスプレ用に。し亜k氏、さすがに一般のフランス人からの認知度は低いというか、ないですよ。制服自体が基本的にないですからね。
 私も、日本の女子高生の超ミニスカートとかはマンガの世界だけのものかと思っていたら、日本で、実際に普通に町を歩いてるのを見て驚いたことがあります。信じられないです。自分がそういう時代に女子高生じゃなくてよかったし、そんな日本で娘たちがそういう格好をしてるのも信じられません。長女は、東欧の若い女性は自由化の反動ですごくセクシーな格好をしてる、パリでは考えられない、と言ってましたね。パリのリセの子のデフォルトは1968年以来ジーンズじゃないかな。

196迷える大羊:2009/07/20(月) 00:25:06
学校事情
 >一般のフランス人からの認知度は低いというか、ないですよ。

 そりゃそうでしょうね。日本人からみても特殊なカルチャーですし、あれは。日本でも新聞などでもたまに「あんなスカートいいの?」みたいな投書をみかけます。
 私なんかの高校時代、ツっぱっている、あるいはトンがっている女子高生のやるファッションは現在とは逆に極度に丈が長めのスカートをはくことで、教師や親も、むしろ長いスカートの方を警戒したり、目をつけてたりしましたね。

 私が思うに丈が短くなりだしたのは90年代くらいからじゃなかろうか、と。この時代からヤンキー(おわかりになるでしょうか?要するに80年代風不良とでもいいましょうか)が「ダサイ」ものとなり、その象徴だった長めのスカートが廃れだし短くなり出したような。あと長いのがダメなら短くすりゃあいいんだろ!みたいな十代の子らしい「反抗精神」もあったのかも。

 最初はトンがった子たちがやっていた制服に短めスカートも、いつの間にやら普通の子たちにも「普及」しちゃったみたいで・・。もちろん、苦々しく眺める親や教師もいるのでしょうが、十代のころってそういう「反抗」をカッコいい、と思う時期ですし、注意しても効果なくて、今やすっかり違和感がなく、お馴染みの風景になった、ってところでしょうか。

 あと、海外の学園もののマンガとかアニメに関するコメントを見ると、どうも「部活動」っていうのも日本特有のものなのかなぁ?と思ったりするのですが、どうなんでしょう?
 フランスの学校に相当するものはあるのでしょうか?

 日本の学校だと部活選びによって学校生活の楽しさとか意義がかなり変わってくるようなところがありますけど。

197迷える大羊:2009/07/20(月) 19:07:01
先輩後輩
 あと、日本の学園アニメを眺めて、あっち(フランスなどの人)が違和感あるのでは?と思ったのは、先輩後輩関係ですね。日本の学校ですと、年次が下の下級生は年次が上の上級生に対しては敬称で呼びかけ、基本的に敬語で話すのがお約束ですよね。もちろん、学校により、所属する部活動により厳密さの程度は異なりますが。フランスやヨーロッパの学校にこういう年次による上下関係ってあるんですか?

 これ、感覚が外国の人にはあまりよくわからないのかどうか、「〜SAN(さん)」「〜SENPAI(先輩)」って日本語そのまんまの字幕がついてたりします。
 「けいおん!」劇中でも、新入部員・下級生の子は主人公たちを「〜先輩」とか「〜さん」と呼んでますし、ギターの演奏技術は明らかにその下級生の方が上だけど、「先輩・上級生」である主人公の「顔を立てて」リードギターの座を譲り、サイドギターに回る、なんて場面があったりするけど、理解されたかな?これ、なんて思ったりしますが。

 学校だけではなく、こういう年次による先輩・後輩関係は企業に入ってもあるし、日本の企業社会で転職者がぶつかる面倒は、立場や経験を共有する「同期入社組、同年次」がおらず、社内での立場が定まらず、人間関係が築きにくい、というのもありますし。
 そもそも、学生の就職活動で「部活経験」が有利、とよくいわれるのはこういう「組織適応力」というか「人間関係力」を期待される部分が大きいわけですし。

 そういえば、日産自動車現社長はフランス人のカルロス・ゴーン氏ですけど、彼はこういう日本的人間関係とか人事みたいなものをどう思っているのか、興味深いですね。
 彼も日本では毎年4月1日に学校出たての若者を前に「え〜諸君らは新社会人として・・」なんてやってるんだろうか?なんて考えてしまいます。

 今までのご質問、お話の前後から察するに娘さんにいろいろおたずねになったみたいですね。娘さんたちに私からも「ありがとうございます」とお伝え下さいませ。

198Sekko:2009/07/21(火) 02:16:51
先輩とかは・・・
あまりないですね。少なくとも高校レベルまでは。部活も学校の教育活動としてはありません。ただ小学校などは水曜が休みでみな地域のスポーツクラブとか音楽院とかに行きます。公立のものは親の所得によって経費も変わり、教育費はそんなにかかりません。でも学校での音楽とか体育がばらばらなので、学校外で活動してる子としてない子の格差は開きますね。音楽院に行かない子は中学を出る時点でドレミも読めなかったり。
 そもそも、学年ごとに年齢差があるので、高校出るまでに5人に一人はどこかで落第してますし、逆に飛び級する子もいますから、中学最終学年のクラスにで13歳の子と18歳の子がいるって状況もあります。男の子で13歳と18歳っていったら、体格も体力も全然違うし、これでは当然、日本風の体育の授業とか部活とか、できませんしね。その代わり、その上のグランゼコール予備クラスとかグランゼコールとかのレベルになると、実年齢と関係なく「同期」のつながりは深くなります。大学も医学部だとかは、1年目終わりの選抜試験に合格したかどうかで同期のつながりが生まれますね。国立しかないので、その後も基本的にずーっと。サークル活動も始まり、グランゼコールなんかでは2年生が新入生を勧誘したりするのは日本と同じ光景です。免状社会なので、同じ新卒で同じ会社に入社しても、出身校によって初任給も差がついたりします。学部卒の2年目社員より、グランゼコール卒の新入社員の方が高給だったりもします。年齢も飛び級や落第をひきずったままですからばらばらですしね。
 ただ、日本風の塾もないし、教育社会主義みたいな国なので、その気になれば、教育費が限りなくゼロに近い状態でもエリート免状を得ることは可能です。実際はやはり親の学歴水準によって情報の差が出てきますが、少なくとも、イギリスみたいな感じではないです。

199迷える大羊:2009/07/21(火) 22:40:25
同期の桜
 いつも、お忙しい中、恐れ入ります。なるほど、日本みたいに、同年齢の人間のほぼ全員が横並びに進級・進学しないので、「先輩・後輩」関係が生じようがないわけですか。私自身は目上の人間に対しての礼儀云々は苦手なタチなので、フランス人がちょっとうらやましいですね。

>グランゼコール

 しかし、お話伺うとこれすごくないですか?日本の「学閥」、霞が関のキャリア云々なんて話が可愛く思えてくるような強烈なエリート集団なんじゃ?。あと、フランスの大学には国立しかない、というのも意外で、初めて知りました・・。

 今日も、「ルパン三世」のパロディを演じるイタリアのお兄さんの映像を見て大笑いしてました・・。

200迷える大羊:2009/08/10(月) 21:44:31
ピエール・ブール氏
 ってフランスで作家として著名なんですか?今頃、と思われるかもしれませんが、私、有名な映画「戦場にかける橋」「猿の惑星」の原作者がフランス人だったなんて最近知ったもので。

 どちらも英米人の原作とばっかり思ってました。「戦場にかける橋」はの泰面鉄道建設をめぐる日本軍と連合軍捕虜の話、「猿の惑星」は猿と人間の立場が逆転した惑星に不時着した主人公が「動物」としての扱いを受ける皮肉っぽい冒険談で、チャールトン・ヘストン主演で映画化されたものが有名。

 この方、第二次大戦中、ベトナムで1年半ほど日本軍の捕虜になったことがあり、そのころの体験が作品に影響しているようで。特に「猿の惑星」に出てくる猿たちは日本人のカリカチュア、との説が映画好き、SF好きの間には根強くあるのですが・・。
 私個人も彼の別のSF作品「カナシマ博士の月の庭園」における日本人の扱いをみると、さもありなん、と思ってしまいます。

 ちなみに「カナシマ博士の月の庭園」は米ソに先駆けて月到達に成功した日本人科学者「カナシマ博士」がシステムの欠陥で地球に帰還できず、月面でハラキリをして果てる、といった話ですが・・・。

201Sekko:2009/08/11(火) 02:59:04
Pierre Boulle
 知られてないと思います。映画は有名なんで、漠然とアメリカ物だと思われています。ただし、SF読者には知られています。(私もその一人です。)
 死後に遺稿が発見されたとかでそれが出版された時は少し話題になりました。アメリカではすごく人気だそうで、研究書も出てるとか、Xファイルにも影響を与えたそうです。近代SFの始祖的なジュール・ヴェルヌもフランス人だし、わりとSF的感性はあるのかも。ブールは、レジスタンスだったから収容所に入れられたんですよね。フランス軍の方は、ベトナムに日本がきた時はもうドイツ占領下のヴィシー政権だったから、日本と戦争状態ではなく、わりと平和的に共存してた時期があったと聞きました。ブールはレジスタンスだったから、戦後派手に表彰されましたが、当時すごくアングロサクソン的状況だったんでしょう。
 日本人差別があるかどうかは・・・少なくともこっちでは問題にされてないと思いますけど。私は彼の映画はどれもあまり好きじゃないです。

202迷える大羊:2009/08/11(火) 19:50:57
お相手ありがとうございます
 そうですか、ブール氏はさほど著名でもないんですね、フランスでは。そんな彼の作品がどうして米国の映画関係者の目にとまったのかは興味深いですね。

>日本人差別があるかどうかは・・・

 とはいうものの、ブール氏版「猿の惑星」の猿たちは人間の文明を模写することで、勢力を大きくし、いつの間にやら惑星の支配者となったって設定でして。かのヒトラーは「わが闘争」の中で日本人を「サルマネばかりの二流民族」としておりますが、これってそういった第二次大戦前後の欧米人の日本人への偏見そのまんまじゃ?って思ってしまいますねぇ。

 まあ、私個人はブール氏の小説より1968年のチャールトン・ヘストン主演のハリウッド映画「猿の惑星」の方がずっと面白い、と思いますが。

 でも、いつも思うのですが、ハリウッド映画って原作がフランスだろうが日本だろうが、必ず主人公はアメリカ人、舞台もアメリカにして映画化しますよね。(例「猿の惑星」「二キータ」→ハリウッド映画「アサシン」、「ハチ公物語」→ハリウッド映画「HACHI」etc)

 SFドラマ「スタートレック」にしても、遠未来で現在あるような国家主権は消滅し「地球連邦」が成立している世界の話ですが、地球側の戦艦の名は「エンタープライズ」みたいな英米風の名前ばっかり。かろうじてロシア風の「ポチョムキン」がある程度。

 日本のアニメ、例えば「キャンディ・キャンディ」みたいに主人公も舞台設定も欧米人・欧米ばっかりで自国人(日本人)が全く出てこない作品なんて珍しくないのと比べると対照的ですね。グローバル、世界を相手に、とはいうものの、ハリウッド映画っていうのも恐ろしく「内向き」な世界だな、と思うのは私だけでしょうか?

203あがるま:2009/08/14(金) 14:54:09
シュミット
話題の映画も殆ど知らないのですが
エリック=エマニュエル・シュミット(Éric-Emmanuel Schmitt, 1960年3月28日 リヨン 生まれ)は、この間『エゴイスト・クラブ』La Secte des égoïstes. 1996 を紹介して戴きましたが、『ピラトによる福音書』2000なんてのもありました。リヨンは聖書の登場人物で一番高潔だと云はれるポンティオ・ピラトが生まれて死んだと言はれて居る処ださうなので彼も子供の頃から親しんで居たのかも知れません。
Wikiを見るまでオペラや映画でも活躍してるとは知りませんでした。
≪“Le libertin”(放蕩者)映画版は舞台以上に全裸のオンパレードとなり、別の意味で話題となった。"Monsieur Ibrahim et les fleurs du Coran" 2004年にはオマー・シャリフ主演で映画化、2006年に撮影する書き下ろし台本による“Odette Toulemonde”では監督。≫

204Sekko:2009/08/14(金) 19:01:47
シュミット
 シュミットは、若い頃に砂漠で死にそうになった時に神秘体験をしたといっており、その辺が私の関心と重なります。ユダヤ、イスラム、キリスト教に関する3部作はうまいですし、10歳の小児癌の子供が死の10日前に「神さま」に書き続けた書簡体小説『 Oscar et la Dame rose 』(ダニエル・ダリューの独演劇にもなりました)も自分で監督して映画にしたそうで、年末公開予定で楽しみにしています。今のフランスには、一昔前の無神論者と違ってこういうヒューマンな不可知論者がいて、共感をそそります。ただ、エリカからは、彼のソリプシズムはKと関係ない浅薄なものだと言われましたが。(フランス語お読みでしたら、エリカの訳少し送りますよ。このサイトの読者の感想投稿部分にメールを下されば。その場合は自己紹介お願いします。)

205あがるま:2009/08/23(日) 12:43:19
譜めくりの女
は飛行機の中で見たことがあります。
あるピアニスト志望の女の子が、試験官の女性教師が携帯電話に気を取られて居たために入学試験に落第し、その後で彼女の家庭教師や譜めくりとして彼女の家庭にとつてなくてはならない人間になつたことまでは覚えて居ますが。最後はどうなつたのか、とにかく印象的でした。
楽譜めくりが演奏家にとつてそれほど重要だとは知らなかつたが、監督のデルクールは音楽家だつたのですね。
映画監督としてはO.シュレンドルフやC.ブレイヤくらいしか知らないのですが彼らはもう過去の人かも知れません。

206すずき:2009/08/31(月) 23:29:37
信仰のエクリチュールの御論考
お恥ずかしい限りで、こちらでお聞きして良いものかと思ったのですが、以前『ユリイカ』にお書きになられた「神、バルト、ロヨラ―信仰のエクリチュールをめぐって」という御論考は、既に御著書の中に、収録されているのでしょうか? もし、収録されていらっしゃるのであれば、その本の題名を教えて頂きたいのですが…。その御論とそれに関連する文章も読ませて頂きたいので、このような場所で失礼とは思うのですが、教えて頂けないでしょうか。

207あがるま:2009/09/01(火) 00:54:04
途中で失礼
http://www.dailymotion.com/video/x9t0f6_demain-des-laube-bandeannonce_shortfilms
に『早朝に』の予告編がありLaTurneuseも続いて出て来ました。
カトリーヌ・ブレイヤの映画論も見ることが出来ます。

208Sekko:2009/09/01(火) 01:53:16
すずきさんへ
 このご質問、何だか、私にとって、グッド・タイミングでした。多分もう15年くらい前の論考だと思うのですが、今これを拝見して、雑誌は見当たらなかったのですが、当時のフロッピーが出てきたので読んでみて驚きました。もちろん多少は覚えていましたが、今書いている無神論の系譜の本の一部とぴったり重なるからで、何だか私はずっと同じテーマを追いかけていたのだなあと思うと感慨深いです。で、この論考はユリイカ以外どこにも収録されていませんが、一部加筆修正して来年2月頃出る予定の『無神論の系譜』(中央公論新社)に再録します。そこには当然これに関連する話もたくさん出てきます。神秘主義と無神論の実はすごく近い関係についてももっと掘り下げたいですが。
 私は怠け者のくせに修行とか禁欲のハウツーものが好きで、この手の話は大好きなんです。本が出る頃になればまたブログでお知らせします。

209すずき:2009/09/01(火) 20:35:21
早速のお返事、ありがとうございました
『無神論の系譜』という御著書が出版されるとのことで、早速のお返事を頂き、ありがとうございました。良いタイミングだったとのことで、とても嬉しく思います。出版を楽しみにしております。私は、拙いながらも、「日本文学」の研究をしている者です。竹下さんが、戦後のフランスの「無神論」は、一神教からの解放を目指す知識人の「信仰告白」であったと述べられ、それに対し、戦後の日本の「無信仰」は、ポストモダンのモラル不在の状況とも関わるような、無知や無関心と同義であることが多いとのご指摘をされていたのを知り、関心を持ちました。日本の文化状況を鑑みながら、時折こちらのページを拝見させて頂きたいと思います。ありがとうございました。

210あがるま:2009/09/02(水) 13:50:06
蛇足
YouTubeで『譜めくりの女』を12回で見ることが出来ますが、主人公の女の子がスタージュに行く先はオンフレイと云ふ苗字の家でした。
去年一箇月くらい滞在したロワール河沿ひの町のB&Bの60歳ほどの(カメラマンだつたといふ)女主人はM.オンフレイの10枚ほどもある哲学史講義CDを持つて居て、毛沢東に憧れて居たさうです − どうやらかつての実存主義者の名残らしい。
ジョルジュ・パラントと云ふ名前を何処か聞いたことがあつても、何者か知らなかつたが日本語のサイトもあるさうですね。(ゴダールの映画に出て来たブリス・パランと混同してました)
無神論者ならCharles de Volnayなどもさうかも知れないし、ウィーンのF.マウトナーには『無神論の歴史』と云ふ3巻の大著もありました。

211あがるま:2009/09/03(木) 13:51:16
シャルル・ド・ヴォルネイではなく
Constantin-François Chassebœuf de La Giraudais, comte Volney, dit Volney, né le 3 février 1757[1] à Craon en Anjou et mort le 25 avril 1820 à Paris, est un philosophe et orientaliste français. Il est considéré comme le précurseur des ethnologues, anthropologues et sociologues du XXe siècle[réf. nécessaire].
ださうです。

212Sekko:2009/09/05(土) 07:54:06
あがるまさん
 いろいろ情報をありがとうございます。
 まあ、無神論について、百科時点にしても意味がないし、できないんで、今回はまず、情報を最低限入れて、編集の仕方でオピニオンを伝えるつもりです。
 これは多分今度の本で触れる暇はないですが、たとえば、日本の共産党が、昭和初期とかに一度も、天皇制について無神論的言辞を使っていないのは、「西洋の共産主義=無神論的言辞を弄した擬似宗教」として出発したのとは大分違うなあと感慨深いです。「神仏を信じなくなった」という人は、平安時代にもちゃんと記録があるのですが、神の存在証明がなんとかという発想はやはり、一神教とギリシャ・ローマ世界が出会ったところに生まれた独特の信仰の変種だなあと思います。今のヨーロッパのインテリ世界のデフォルトはアグノスチックであり、無神論は、アメリカでもなければもう意味をなさない感じなんですけど。
 日本の「神」は、アニミズム的な自然神が仏教などの影響で図像化されたものと、祖霊信仰が結びついたもので、そこに儒教も関わったので、神としての天皇制も、太陽神や豊穣神と連動した祖霊信仰の一種なので、「存在論」は問題にならないんでしょうか。既成権力の転覆や革命に神がいるとかいないとかいうのって、日本人的には、考えたらすごく不思議ですよね。でも、日本の近代の知識人は、近代西洋思想とセットになった無神論を輸入してるので、そこのところをあまり誰も追及してないみたいなんです。私の考えたいことは、多分、人間精神にとって「自由とは何か」ということです。

 あすから留守にしますので、ちょっとお休みします。

213あがるま:2009/09/07(月) 11:50:54
南北朝時代から
宗教情勢が変はつて来たやうです。
Sekkoさんで納得出来ないのは『超越(或いは聖)』と云ふ言葉の(恣意的な)使ひ方です。(中沢新一や網野善彦も同様ですが)
何か場所的topologicなオーラのことのやうですが、本来は対象(実体)は、最も普遍的なものは経験や言葉を超越するので、概念では把握出来ないし、勿論感覚的にもその対象に達することは出来ない(それが超越とか超越論的と云ふ意味ですから)、或いはモノは常にコトバを超越すると云ふものだと理解します。
R.アイスラーの《哲学辞典》http://www.textlog.de/woerterbuecher.htmlによれば
Die Transcendenz ist schließlich nur ein inadäquater Ausdruck für die Incongruenz zwischen dem tatsächlichen Inhalt und dem Ideal der Erkenntnis. (E.Koenig,Üb. d. letzt. Frag. d. Erk., Zeitschr. f. Philos. 103. Bd. S. 59.).
Nach RIEHL ist transcendental 《die Form der Einheit des Bewußtseins in Abstraction von ihrem Inhalte gedacht, sofern diese Form als die allgemeine, nicht bloß für mich geltende Bedingung erkannt wird, unter welcher die Vorstellung jedes Objects... stehen muß》 (Philos. Krit. II 2, 163)

地下鉄サリン事件で「もっと多く死んでいれば霊的磁場が変わっていたはず」
と中沢新一は言つたさうですが、Sekkoさんの『超越』もそれに近づく危険を持つて居るのではないか?
《聖なるもの》と云う本を書いたR.オットオは.ハウアーJakob Wilhelm Hauer (* 1881 †??1962 ) と云ふナチ時代の宗教運動と関係があつたさうですし
超越を整合的に理解しようとすれば(両者と関係のあつた)R.シュタイナーのやうに超感覚的な能力を前提しなくてはならないでせう − 人間の表象は(分散的な)概念と(統合的な)感覚しかないのですから

214あがるま:2009/10/22(木) 20:40:16
philosophia perennis
L.クリマ『瞬間と永遠性 − 哲学的間奏曲』E.アブラム訳を手に入れました。
哲学論文集ではなく、プラハの定期刊行物に掲載された文章です。
<『我は絶対である。即ち神的状態の中にある。これは思考の論理の帰結』。(162頁『哲学素描』)>(この命題Sが根本です。しかし彼によると論理と非論理は同じものなのでこれも真偽は分からない)
<私が実際に存在することが確実だ(といふ意識の事実)と同様、私は確実に不死(な神)である − 私は存在し、そして存在するであらう。何故なら永遠性は限界のない現在の他の何物でもない(141頁『不死』)>
<思考は真と偽の外側にある第三のもの。それが齎すのは、可能性の全体(物自体、カントのX)といふ些細なものである。『私は絶対遊戯者、つまり私は絶対である』(164頁『哲学素描』)>
EgoSolisme とかEgoDeismeと彼の云ふものが、何故『無神論』や『神秘主義』ではなく『哲学的自由論』なのか分かりませんが、SekkoさんやErikaさんは(例へばWikiに)彼の(数個しかなささうな)根本命題とその帰結を明晰に叙述出来るでせう。22.10.09

215あがるま:2009/10/24(土) 14:28:32
Je
遊戯概念の説明を抜かしました。(164頁)
Quelque chose avec quoi je peux faire CE QUE JE VEUX, une simple PLASMA, une matiere plastique mise a ma disposition, un JOUET. …..,La pensee SIVE tout est JEU SIVE Conmandement souverain. LE JEU SIVE MON JEU SEUL EXISTE. このテーゼを内部から眺め、その原初的な実在性から出現する命題がJe suis LUDENS absolu,c’est-a-dire JE SUIS ABSOLU.

216Sekko:2009/10/28(水) 01:52:15
分りにくいですね。
 クリマを読んでくださる方がいるのはそれだけで嬉しいです。
 しかし・・・こうして抜粋して下さったところを見ても・・・何か分りづらいですね。

 新訳(まだ出版されていない)では、

 Quoi donc ? Le sol s’est dérobé. Il n’y a d’autre conclusion que celle-ci : le tertium, c’est
n’importe quoi, quodlibet, Tout et Rien ; quelque chose avec quoi je peux faire ce que je
veux, ― un simple plasma, ― une bagatelle, ― un jouet. ― Le complément du Jouet,
c’est le Joueur ; la somme des deux donne le Jeu. La pensée sive tout est Jeu sive
Commandement souverain. Le Jeu sive Mon Jeu seul existe. Or, cette thèse(28), vue du
dedans, tout droit, dans sa réalité réelle, devient : Je suis Ludensk absolu, c’est-à-dire Je
suis Absolu.――

 (これを読んでる他の方々、これを日本語に訳せとかおっしゃらないでくださいね。)

となっています。註28は下記です。

28. Cette thèse ― dit d’abord le dernier état du brouillon ― est une victoire sur le scepticisme, sur
l’Abîme, sur l’Archinuit gangrenée qu’engendre l’esclavage ―


>EgoSolisme とかEgoDeismeと彼の云ふものが、何故『無神論』や『神秘主義』ではなく『哲学的自由論』なのか分かりませんが、SekkoさんやErikaさんは(例へばWikiに)彼の(数個しかなささうな)根本命題とその帰結を明晰に叙述出来るでせう

 カントの自由についての講義録を読んでいてちょっと連想したのです。やはりすごくキリスト教的だなあと思いますね。エリカはともかく私にはとてもクリマの根本命題を明晰に叙述というのは無理で、まあ、自分の関心に近い部分を嗅ぎ分けて試行のツールとして使えれば嬉しいです。エリカによれば、彼は話す相手の政治的やその他の体制的カテゴリー、あるいは自分の財政状態によって、かなり迎合的なことも書いているそうで、真の姿を捉まえるのは困難なのかもしれません。でもどきりとさせられます。あがるまさんの関心の中心や研究対象がどこにあるか分れば、クリマの何が役に立つかエリカに聞きますよ。

217あがるま:2009/10/28(水) 15:10:22
ludensは現在分詞ですから
遊戯者といふ名詞より、遊んで居る状態(例へばシャッターボタンの遊び)を表すのでせう − 主体、対象、働きが三位一体である志向性のやうなもの?
それが現象世界(或いは世界といふ現象)の実態で同時に認識主体とその対象の外部にある(思考の)可能性の全体だと云ふのなら、トマス(E.ジルソン)的な存在論的差異、存在(物)と存在させる力(神の働き)actus purusの区別を指して居るのかも知れません。
でもこれはキリスト教的といふより古代的ギリシア的分別(節度)だと思ひます。
遊戯の存在論ならE.フィンクやK.アクセロスが思ひ出されますが。

Sekkoさんの考へる『自由』が
<一般的な意味での自我的な「存在」と、非特異的な無との2極に拡散される間の微小な地点に「具体的特異的な私の存在」がある。>であるならば
非特異的な無とは具体的特異的な有(個体・実体)であり、両者を統合しながら対象を取込むのが自己意識であり、その基体Substance/Traeger/porteurは自我的な存在で、その媒介活動の微分的現在が自由だと言ふのと何処が違ふのか?

彼の思想はego cogitansから出発するドイツ観念論の変種であり、カント、ショペンハウアー或いはニーチェとどう変りがあるのか分かりません。少し現代的になつて居るとは思ひますが。28.10.09

218あがるま:2009/11/10(火) 00:22:50
こじつけ
ego ludensをego cogitansから区別するのは、遊戯と云ふ現象が意味も目的もない(志向も志向対象も持たない)自由な働きだといふことでせう。
『非特異的な無』が意識のことであり、『自由』とは意志(の自由)のことなら、その意識は思考のやうな明確な対象を持つ運動ではなく、痛み(メルロ・ポンティの幻影肢)や嘔吐(サルトル)や性的オルガスムのやうな共感覚synesthesia(coine aisthesis)であり遊戯とは中動相的な様相を類比的に表現する言葉なのでせう。

219あがるま:2009/11/10(火) 00:27:05
更にこじつけ
ポアンカレの弟子のエピステモロジストでウィーンの論理実証主義団やハイエクなどのモンペラン協会の会員でもあつたLouis Rougier(1989-1982)はペタン政府の有力者だつたために戦後追放されWikiの英語版には彼の哲学的業績が書いてあるのに仏語版には専ら政治的なことしか書かれてありません。
古代からの反キリスト教の聖書とも言へる、ケルススの『アレーテス・ロゴス』の仏訳をした彼も有力な無神論者に属しますね。
ルジエが法王レオ13世のencyclical Aeterna Patris (1879)に反対する800頁以上の大論文 − アリストテレス・トミズムはキリスト教信仰と両立しない − を1924年に発表し、それについてユリウス・エヴォラ1898-1974(R.シュタイナーやR.ゲノンに並ぶエソテリズムの大物ですが)が1924年に書いて居るのを知りました。
http://thompkins_cariou.tripod.com/id3.html
その結論部分でEvolaが書いて居ることはクリマと似て居ないでせうか?
God is this final self-manifestation : the act of the individual (or essence), and, in him, of all things, so that the individual can consider himself to be God in potentia. Not by a jump between two co-existents (Catholic dualism), but by continuity and progression of construction, one passes from one term to the other. Then, it can be said, like Meister Eckhart : all the creatures want their supreme perfection, all of them want the essential life, all of them move into my reason to become reason. I - the Unique - raise all the creatures from their consciousness to mine because they become unity in it. The individual must comprehend, according to the principle of cosmic responsibility, what it is that he does.

220:2009/11/30(月) 16:02:23
C'est vite pass
すごく、レベルの高い議論が続く中を、お許し下さい。
NHKラジオ「まいにちフランス語」の応用編にチャレンジし始めました。毎回、予習が大変ですが、今のところ頑張ってます。少しわからないことがございまして、ご回答いただければ、幸いです。お忙しいところをよろしく お願い申し上げます。
11月26日(木)放送分の本文の最後に、C'est vite passé!? があり、和訳が、「すぐに過ぎるよね。」となっております。ここの文は、内容的には未来のはずなのに、なぜ複合過去(だと思いましたが)で表現してあるのでしょうか。全文を載せます。
Clara : Tu prepares ton depart au Japon?
Raphael: Oui.? J'ai une foule de choses a faire.? Et il faut aussi que je prenne quelquew cours de japonais.

ラファエルの話は続きます。

  Je suis prêt à tous les sacrifices pour que mon rêve se réalise. L'unique problème, c'est que ma copine veut que je l'emmène avec moi. Elle ne veut pas rester sans moi. Mais il n'est pas question qu'on y aille ensemble, au Japon, car so séjour n'est pas pris en charge. D'un autre côté, j'ai peur qu'elle rencontre quelqu'un d'autre en mon absence. Oui, je sais, ça ne sert à rien de se soucier de ce qui pourrait arriver. Bon, et puis trois mois, c'est vite passé!

221Sekko:2009/11/30(月) 20:34:51
話し言葉
 確かに、文法的には「Ca sera vite passé 」とか、「 Ca serait vite passé」
となるべきところですが、話し言葉って、まあこんな感じですよ。

 私も、仏文法を習った者として、間接話法の時制とかがいつも頭にあり、私が不正確に話したら「文法を知らないから」だと思われるんじゃないか、って気になることがありますが、まあ、親しい人同士では、まず、問題にされないです。接続法反過去なんてどこの国のこと?って感じ。ただし、フランス人も、学校では習ってるので、言われると理解するし、もちろん少し正式な場所とか書き言葉とか古典なんかでは普通に出て来るのですが。

 近頃の口語で、私が分っていてもなかなか口に出ないのは、今までなら「Ne t'inquiète pas!」(心配しないで)というのを「T'inquiète! 」と肯定形で言う表現。こういうのは 「s'étonner」なんかも同じで、「びっくりしないよ」を「びっくりするよ」と言ったり、分っていても、私には抵抗があります。
 でも日本語でも「とんでもないこと」と「とんだこと」が同じ意味だったり、考え出すと分りませんよね。虚辞の「ne」というのがありますが、分析的論理的な意味でなく、全体の印象に引きずられる言葉ってひょっとしていろいろあるのかも。話し言葉だけでなくネット上のたとえばブログやこういう掲示板の言葉もそうで、私の日本語ブログをフランス語の自動翻訳機能で翻訳したという友人は、全く分らなかったと言ってました。略語、当て字何か普通ですからね。

 私は、外国人は、口語は、誤解しないくらいにある程度分ればいい、話す必要はないと思います。ちゃんとした言葉を話してないと、「イザという時」に教養の程度を誤解されたりするので。映画などの会話を理解するのは難しいでしょうが、ちゃんとした言葉で書かれた文をたくさん読んだ方が得るところは多いと思いますよ。言いたいことをきっちり話せれば、ちゃんとした人なら向こうがリスペクトして対応してくれるはずです。

222Sekko:2009/12/01(火) 07:49:45
さっきの補足
 この前の返事に、フランス語でEに右上がりアクサンを打ったものが全部消えてました。ssの後とか、sアポストロフィの後とか。適当に入れてください。
 後から考えたのですが、ここは、「Ca se passe vite」と語りの現在形と言われるものでも同じ意味です。
 フランスで日本語を教える時、日本語には現在形と未来形はなく、過去の他にatemporel という無時制があるという言い方がされます。
 フランス語の語りの現在形もこれに似てます。
 たとえば、ちょっと中座する時に「すぐ戻ります」と日本語で言うように、フランス語でも「Je reviens」と言えます。英語で未来形や現在進行形を使って、I’ll return とかI’m commingなんていう時、フランス人は現在形で訳すので、英語人は理解に苦しむのだと言ったフランス語の先生がいました。こういうところは、日本人は英語の文法にあてはめないで、日本語の語感を応用する方が、フランス語が理解しやすいかも、です。私はいつも日本語とフランス語は日本語と英語よりずっと相性がいいなあと感じてました。

223あがるま:2009/12/06(日) 16:37:52
古典語の時間に
印欧語には本来の未来形といふものはなく意志を表現する接続法や希求法から来ると聞きました(或いは逆?)。
未来形が出て来たら現代語では意志を表はす翻訳表現にした方がエレガントださうです。

224Sekko:2009/12/09(水) 19:28:24
日本語も
 フランス人に日本語を教える時は、atemporel の現在か(これは先に書いたようにフランス人には分りやすいのです)、あるいは「・・・でしょう」という)「推測、予測」形だと教えます。「明日は晴れるでしょう」というのがいつも例文でした。確かに未来のことは「過去から見た未来」という時間軸でない限り、意志や予測でしかないんですから、後は、一神教的な「神の視点」でも持ち出さない限り「未来形」って言うのは変ですね。ギリシャ語ラテン語と違って、ゲルマン語系の方が「未来」形が未来形としてわりと機械的に安定している感じがしますね。こういう言語の「癖」によって時間論とか存在論も変わってきそうですね。

225迷える大羊:2009/12/10(木) 23:33:21
日本のサブカルチャー
 最近、海外における日本のサブカルチャーに興味がわいていますが、私がいろいろ調べたり、知る限りでは東アジア圏を除いた、非アジア圏でもっとも日本製サブカルチャーを受け入れている国ってフランスなんじゃないのか?という気がすごくするのです。

 私が子供だった1970年代、今から30年以上前ですが、親に連れられてパリを旅したことがありますが、すでに永井豪氏原作の日本アニメ「UFOロボ グレンダイザー」がテレビ放映されていて、子供心に「あれぇ〜、ここフランスだよね?なんでこんなもんが??」とびっくりしたことがありますし、ジャパンエキスポの繁盛ぶりはヨーロッパ一ですし、日本式マンガを世界でもっとも早く受け入れた国でもあるようですし・・・。

 それにしても、どうしてアメリカでもドイツでもなく、フランスなんだろ?って疑問がどうしても湧いてきます。フランスって国のイメージそのものはすこぶる良いのですが、一方で日本とはかなりメンタリティが違いそうな、日本文化とは相性が悪そうなイメージもあったし、いつぞやSEKKO先生がおっしゃっておりましたように、フランス語帝国主義の国でしょ?そんなところでよくもまあ、という気がどうしてもします。

 ところで、日本製サブカルチャーというとアニメ・マンガばかりが取りざたされますが、最近では日本のガールズファッションも意外とウケているらしく、最近のジャパン・エキスポなど日本式サブカルチャー関係のイベント動員数アップに貢献しているらしいです。ただ、その日本式ガールズファッションの代表格っていうのがゴスロリ(ゴシック&ロリータ)というもので、大多数の日本人の主流から外れたものであるのがなんですが・・・。

 ちなみにゴスロリに関する説明はこれ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%AA

 ところで、ヨーロッパでもっとも日本製サブカルが好きな国はフランス、というのは過去の話となりつつあるらしく、こんな映像も・・。

http://www.youtube.com/watch?v=FwSFiclB0e0&amp;feature=player_embedded#

 まるっきり原宿のあの娘たちとやってることが同じ・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=HSYR34g9yGM&amp;feature=player_embedded#

 道行くオジサン、オバサン、大人の怪訝な表情は日本もあちらも同じ・・。

 まあ、ウケてます、といっても所詮は「サブ」カルチャーですから、全体からすればごく一部なんでしょうけど、日本のサブカルチャーの力って意外と侮れないものがあるなぁって思いました。

226迷える大羊:2009/12/14(月) 00:45:55
ロココとは?
 先スレで話題に出しました、ゴシック・ロリータに絡んで・・。日本におけるゴスロリファッションの定着に貢献した映画に「下妻物語」(主人公のファッションはゴスロリ、というよりはロリータですが)という映画があり、主人公は18世紀フランスのロココ風文化にあこがれている、という設定になってます。映画の冒頭に、18世紀フランスのロココ文化についての説明がありまして、それによれば、超マジメなバロックに対し、派手で軽薄、淫らであまりのバカバカしさに評論家からこきおろされることも多く・・などといういわれてましたが、そうなんですか?

 ちなみに映画「下妻物語」の説明はこれです(ウィキペディア)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%A6%BB%E7%89%A9%E8%AA%9E

 あと、その「下妻物語」の劇中にてロココ調の説明が出てくる部分です。

http://www.youtube.com/watch?v=P5iRzB4fCQE&amp;feature=related

 あと、この映画、ウィキペディアによれば海外でも上映されたらしいです。(タイトルは「KAMIKAZE Girls」ベタですねぇ)。フランスで、実写の邦画としては百館で上映と過去最高の上映数だった、とありますが本当ですか?
 日本人でないと笑えないギャグが多いのに、大丈夫かな、と思ってしまいます。ただ、この映画、ウィキペディアにもありますが、主人公の性格とか、話の進み方がどことなく、フランス映画の「アメリ」に似たところがあって、意外とフランス人と日本人って、笑いとか感動とかの面で感覚が似ている部分もあるのかな?と思ったりもしますが。

227Sekko:2009/12/16(水) 03:29:50
おもしろいですね
 動画、面白かったので、もう少しで続きを見るところでした。今暇がないのでまた今度にします。
 真面目なバロックに対して軽薄なロココ、というのは始めて聞きました。バロックの方が歪んだ真珠というくらいで悪趣味だと思われている場合があるからです。基本的に、フランスでは17,18世紀くらいにクラシックと呼ばれる形式が流行し、建築ではシンメトリー、安定、など静の面、音楽や舞踊では当然動きの面が協調されました。ロココは同じメンタリティの中の、装飾品やインテリアや宮廷絵画に花開いた表現ですね。ふりふりで装飾過多というイメージがもたれているみたいですが、フランスのバロックとロココに共通するのは「演出」性です。人工性、舞台装置的な感じ。すべて計算されつくした表現で、生き方も演劇性があったと思います。バロック音楽は一部のポリフォニー教会音楽や「古楽」という呼称のせいで、「まじめ」という誤解をする人がフランスでもいるんですけど、人口的な脳内楽園みたいな感じは、音楽でも際立っています。ロココは宮廷文化で軟弱で頽廃的ってところはあるんですが、音楽や舞踊や演劇や全体を通して見ると、なかなか興味深いですよ。

 今時の若い女の子のロリータ風というかロココ趣味って、確かに一部のフランス人の女の子にも見られますが、変にセクシーなファッションなんかよりましだと思います。バービー人形よりお姫様人形の方が、自然な好みかなあと思って。

 今フランスで大人気はキティちゃんで、大人(と言っても30代くらいまでですが)の女性でも夢中な人けっこういるので、プレゼントとかしやすくて楽です。

 フランス語帝国主義って言っても、フランス語訳とかフランス語化してればそれでフランスものだということになっちゃうんです。コミックの訳もはじめは左開きで左右反対のプリントだったりしたのが、今では、まったく日本版と同じで右開きでコマ割が進むのも多いです。フランスのBDと呼ばれるハードカバーのコミックも、アートとして成立していてなかなか別の味わいがありますけど。

228迷える大羊:2009/12/20(日) 19:03:30
マリーアントワネットも
 そうですか。別にバロックだからマジメ、ロココだから軽薄とは単純にいえないわけですか。そういう西洋文化方面にはとんと疎いもので。ところで、まったくどうでもいい話ですけど、ヨーロッパの歴史・文化風俗に詳しい日本人って女性が多いのはなぜでしょうね?SEKKO先生はじめ「ローマ人の物語」の塩野七生氏とか「ベルばら」の池田理代子氏とか・・。

 あと、あの動画をみて思いましたけど、主人公は18世紀のフランスに生まれたかったようですが、逆にかのマリー・アントワネットも18世紀のフランスじゃなくて21世紀の日本に生れておれば、ちょっと不思議ちゃんだけど可愛い人、おしゃれな人ですみ、意外と幸せな人生が歩めたんじゃないかなぁと思ったりして・・。
 マリー・アントワネットさんってちょっと空気が読めないところはあるにせよ、そんなに悪い人とは思えないもので・・。私

229迷える大羊:2009/12/30(水) 11:10:03
フランスにおける外国人参政権
 なぜか、新聞・TVではあまり報道されませんが、国会などで話題になっている事項に外国人地方参政権の問題があります。つまり、日本にある一定年数以上居住しているとか、永住権のある外国人には地方に限定して選挙権を与える、というもの。
 外国人、といっても実質的には韓国・台湾など旧植民地出身者対策ですね。今のところ、進歩系メディア、社民、共産、民主党上層部などが推進派、保守系メディア、自民の一部、民主の一部、国民新党などが反対、といった感じで賛否両論入り乱れている状況です。

 ところで、フランスといえば、かつて、あるいは現代も、アフリカ、ベトナムに植民地を抱え、こういった問題に関しては日本よりはるかに「先輩」と思われますが、永住外国人に対する参政権についてはどうなっているのでしょうか?

 具体的には、フランス国籍を取得せずにアルジェリアなりベトナムなりの国籍のまま、フランスの地方議会に対する選挙権を行使することは可能ですか?また、仮に可能として、その際の条件、たとえば、フランスでの居住年数とか、国籍(旧植民地出身者とかEU圏内の出身者に限るなどの)に関する規定にはどのようなものがあるのでしょうか?
 また、このような問題に関する世論の動向はどのようなものでしょうか?

 日本のマスメディアとか有識者っていうのは、左右問わず、何かというと「欧米では」と言いたがるのですが、実際のところ、自分の論調に都合のよい事実だけをつまみ食い的に取り上げる傾向が強いので、実際に(欧米諸国に)居住されている方に、実態を聞いてみたい、と思った次第です。

230Sekko:2010/01/13(水) 23:20:57
お返事遅れてすみません
 年末年始と忙しく、昨日やっとこの掲示板見る余裕ができました。

 結論としては、フランスでは、今のところ、外国人の居住者の参政権はありません。ただし、2重国籍OKの国ですから、ベトナムやアルジェリアなど旧植民地国出身で2重国籍持ってる人も多く、その人たちはもちろん大丈夫。16世紀(1515年らしいです)以来、基本的に出生地主義なので、フランスで生まれた日本人夫婦の子供でも国籍取得して投票する人います。
 本来、「フランス人」の権利でなく基本的人権というユニヴァーサルな人間の権利を革命で謳った国ですから、理念的には、すべての人に選挙権があるはずで、実際、1793年4月24日の憲法では21歳以上のすべての男(女は人間に入ってなかった)で、で共和国に1年以上住んでいて職があるか、私有している家があるか、妻がフランス人か子供がいるか、老人や養子を扶養しているかな人は参政権があるとされていますが、一度も施行されてません。
 社会党は外国人参政権OK派ですが、あのミッテランですら、「フランスはまだその準備ができてない」、と言いまして、ユニヴァーサリズムの適用は難しいですね。それでも理念は引っ込めてないのはフランスっぽいです。
 今年は地方選挙がありまして、社会党は、外国人参政権を掲げてます。このマニフェストは選挙の度に出てきまして、今まではそれが右派を分裂させるための効を奏してたのですが、今回は、保守陣営はそろってノーみたいです。
 左派は移民の多い都市を牛耳っている場合が多く、彼らが、未来の票田として移民を大事にするのはいいとしても、時として原理主義に迎合しているのは困ったものです。社会党の書記長のオーブリー女史はリールの市長で、一部のムスリムの圧力を反映して市民プールに女性専用時間帯を設けたりしてますから。

 でも、ユニヴァーサリズムを推し進めると、国境とか移民とか外国人の概念はなくなりますから、今の世界で政治的には適用不可能ということですね。でも、昔は不可能だった女性や子供の権利も今は多くの場所で認められているのだから、希望はなくしたくないです。それが唯一の、戦争や軍備がなくなる未来ですし。普遍宗教の多くは、理念としてはすべての人の救済を目指して、「国籍」は問わないですから、それに少し救われますが。
 ある国にいる「外国人」が、外国人としてのコミュニティの利益を守るというスタンスでのみ参政権を得るのであれば、ユニヴァーサリズムへの道はむしろ後退すると思います。ユニヴァーサルな視点なしの、分断的な「外国人参政権」は意味がないと思います。男女分断的なフェミニズムが不毛なように。

231迷える大羊:2010/01/15(金) 23:58:02
フランスも
 いろいろ議論が割れるのは日本と大して変わりませんね。日本の保守派も進歩派も互いに外国、特に欧米諸国の都合のよい(自説にとって)事実ばかりを紹介し、そうでない情報はスルーという姿勢は困ったものです。ただ、フランスの場合、二重国籍ありってことで実質的に外国人参政権は実現しているような気もしますね。
 ま、いろいろあるにせよ、フランスには、たとえそれが建前とか偽善ではあっても、普遍的な人間の権利を掲げる理念があり、それがきちんと選挙など、公の場で議論されることは、素直に褒めていいでしょうね。

 日本にはそんな利害損得抜きの「理念」らしきものがないですし、民主党もこの問題は結局マニフェストにせず、選挙では全く話題にしませんでしたし、そもそも肝心の選挙民に関心がまるでない。日本でも外国からの移民とか、参政権というのは他人事でもなんでもないし、結構重大な問題であるハズなんですが・・。

 まあ、テレビ・新聞が詳細をまるで報道しないのが一番の理由なんですが。
 理由はなんとなく想像がつきます。日本の場合、外国人参政権というと実質的な対象は韓国系、中国系住民ということになるわけで・・・。ある意味、日本の新聞とかテレビがもっとも深入りしたくない分野の一つ。
 これらの国々が絡むこととなると、一昔前までの拉致事件の扱いとか長野の聖火リレーでの騒動の扱いが典型的な例ですが、とたんに臭いものにはフタ、毒にも薬にもならない論説でお茶を濁し、面倒なことになりそうなことは「報道しない」姿勢がミエミエで、正直ウンザリします。

232なち:2010/03/17(水) 21:24:35
教えてください
今、飲食店ではたらいてるのですがキッチンがホールの人たちに料理なと品物を運んでもらうようお願いするときの言い方(呼びかけ)を教えてください。

233Sekko:2010/03/19(金) 07:56:46
それは・・
 フランスのということですね。
 普通にシルヴプレ+名前とかじゃだめなんですか。

 他の人がなんて言っているかを聞いてあわせればどうでしょう。
客に聞こえるのでなければいいまわしはあまり気にしなくてもいいのではないでしょうか。日本のレストランでなんて言っているかも私は知りません。

 「はい、何番、上がり」とか、お店によってちがうのでは?

 こういうべたな質問は避けてください。「こういう時にこう言ってみたがこう返された、どこが悪かったのか」とか、具体的になってから質問してください。その方が役に立てると思います。

234迷える大羊:2010/04/20(火) 23:01:53
ギリシャ危機
 栄あるEUの一員である、ギリシャの国家財政の粉飾決算が明るみに出て、実は破綻寸前であることが判明し、何やらすったもんだしていますが・・・。

 私にとって、興味深いのは周辺EU諸国、とりわけ実質的にEUの中心メンバーで、欧州きっての経済大国フランス、ドイツの反応です。
 「欧州は一つ」「欧州合衆国」の建前、理想、ユーロの信用維持の観点からすれば、四の五のいわず、即支援、のハズですが、フランスはわかりませんが、ドイツの反応を見る限り、どうもそうはなっていないようで・・。

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=jp09_newsarchive&amp;sid=agcKOYtAfkG8

 記事の内容は以下のとおり

『ドイツ財務省は、ギリシャに金融支援を提供する場合、その是非をめぐり議会で投票が実施されるだろうとの見方を示した。ギリシャ支援反対派の議員との対立が生じる恐れがある。
 ドイツ財務省のオフェル報道官は14日、ベルリンで記者団に対し、ギリシャが支援を求めた場合、「財務省は議会に権限の承認を求める」と述べ、連邦下院は「当然、これを承認する必要があるだろう」と続けた。オフェル報道官は議会通過のプロセスがどの程度の時間を要するか具体的には言及しなかった。
 欧州連合(EU)はギリシャに300億ユーロの融資支援策を提示したが、このうちドイツの拠出分は84億ユーロとなっている。議会投票に基づく承認が必要となった場合、これまでの方向を180度転換することになる。(後略)』

 これですと、ドイツの支援開始の時間は大幅に遅れる、最悪、支援は行わないこともあり得るわけで、要するにやる気がない、としか読めません。
 まあ、考えてみれば、この世界的不況の最中、粉飾決算をやらかすようなドキュン国家になぜ我々の血税を?俺たちだって金が余っているわけじゃないやい!といった一般国民の反発は当然予想されるわけで、安直に支援の手は挙げられない事情はなんとなくわかるような・・。
 しかし、一方で先に挙げた「欧州は一つ」「欧州合衆国」の理想と夢があるわけだし、なにより、ギリシャ破綻はユーロの信用に関わりますし、一体どうするのか?どうなるのか?その顛末が非常に気になるところです。あと、ギリシャに続いて、ポルトガル、アイルランド、イタリア、スペインといった破綻予備軍が控えていたりしますし。(PIIGSなんてひどいあだ名をつけてますが・・)。

 確か、マーヒリスト条約ではEU加盟国は経済政策、財政政策はすべて足並みを揃えるよう(たとえば、財政赤字はGDP3%以内、とか)義務付けているようですが、抱えている事情も状況もバラバラな国々で本当にそんなことできるのか?かねてから個人的には疑問でした。
 マスメディアでやたらと絶賛されるユーロ、EUですが、好況時は確かに地域共通通貨の恩恵を思いっきり受けられますが、今のような不況時には逆効果じゃ?何より今回のギリシャのように「抜け駆け」をする国が現れるとたちどころに大混乱になるんじゃ?と意地悪く(すみません、天の邪鬼で性悪思想なんです、私)思っていたら、その通りになったんで却ってビックリです。
 ギリシャの場合、いっそEU辞めて、素直にIMF入りした方が害が少なく、解決も早いような気が個人的にはしますです。

 ところで、ユーロはともかく、EUの夢というか理想(一つの欧州、欧州合衆国)って一般市民レベルでどのくらい共有されているんですか?ギリシャ問題に関するフランスの反応ってどんなものなんですかね?あと、「普通」のフランス人って「私たちヨーロッパ人」って自覚はどのくらいあるものですかね?なんか、ギリシャ騒動を見る限り、理想の達成はまだまだ遠いな、と思ったりしますが・・。

235Sekko:2010/04/23(金) 19:13:14
ヨーロッパ
フランスの世論調査なんかでは、若い人ほどヨーロッパ・アイデンティティを持ってるようです。実際、大学間の交流とか割と盛んですし。でも一般的には旧共産圏とか、経済的にもかなり差のある国の人の方がヨーロッパ意識は強いし、フランスのようなもともと中華思想の強いところはフランス人意識の方が優越感と結びついているかも。本部のあるベルギーでさえ、同国内でフランス語とフラマン語の熾烈な戦いがあるように、歴史とか経済格差とかを背景にしたナショナリズムとの戦いは、一国内ですら容易でないのが現実ですよね。ジャック・ドロールは、IMF介入を嘆いてました。マストリヒトなどで、通貨統一ばかりを偏重し、義務の強制ばかりで互助を可能にする経済政策を軽視したことのツケが来たと言ってます。EUが政治的にも生命線である独仏はすぐにギリシャ救済に向かって動こうとしたようですが、根本的に無理がありすぎですね。エゴを捨てて連帯するという創立理念がどこまでナショナリズムやネオリベラリズムノ歯止めになり得るのか、それでも気になるところです。

236迷える大羊:2010/04/23(金) 21:55:02
地中海連合
 いつも、お世話になります。お忙しい中のお相手感謝、です。

 EU内の「内輪もめ」「抜け駆け」問題として、ギリシャの破綻騒ぎを挙げましたが、フランスも「前科」があるみたいで・・。2008年7月13日、パリでEU加盟国と地中海沿岸の合計43カ国の代表による「地中海の為の連合」(UPM)が開かれました。

 これって元々あのサルコジ大統領のブチあげていた構想で、当初は「地中海連合」。EU諸国に関してはフランス、イタリア、ギリシャなど文字通り地中海沿岸諸国限定、ドイツなど地中海沿岸ではない国は対象外だったらしいのですが・・・。

 ところがドイツのメルケル首相より「ヨーロッパを分断する気?何勝手なことしてんのよ」とのツッコミを入れられ、フランス主導にブレーキをかけ、EU諸国すべてを対象とした「地中海の為の連合」と、原語ではどうなっているのか知りませんが、なんだかよくわからない名称となった経緯があるみたいですね(ソース:「知らないと恥をかく世界の大問題」池上彰著 角川新書刊)

 創設の目的(タテマエ)は「地中海に面する国家間の安全保障、文化を促進すること」、となっておりますが・・。でも、地中海のアフリカ側はかつてのフランスの勢力圏内で資源も豊富、ナポレオンの夢よもう一度、といった本音、願望、野望がフランスに関しては門外漢の私にも透けて見えるような気がしますが、気のせいでしょうか?

 これまた、フランスではどういう受け取られ方をしているのでしょうね?「アナクロ」「時代錯誤」ととられているのか?それとも、建前どおりの「理想」が語られているのか?興味深い話ですが、日本ではほとんど報道されない話なので、こちらで話題とさせていただきました。

237Sekko:2010/04/25(日) 04:47:28
UPM
 EUと地中海沿岸諸国の連合の話はもう1995年くらいからあったんですよ。それを、サルコジが、大統領選のキャンペーンの時から地中海沿岸諸国だけ、って形で、まさに、地中海に海岸線を持たない他のEU国から抜け駆けしようとしたんです。一つには、シラクが前向きに検討するとか言っていたトルコのEU加盟に否定的なサルコジがトルコに代替案を提示したというのもあります。当選した時もこのことで大風呂敷を広げていましたし、当選した2007年の秋にモロッコでまた大演説をやったので、物議をかもしました。アルジェリアは、この連合でイスラエルの政策を承認することになるんではないかと懸念を示し、エジプトもトルコもとびつきませんでした。ドイツが怒ったのはとうぜんです。ナポレオンっていうより、ローマ帝国の版図再来って感じの誇大妄想に酔ってるイメージでしたが、どうせブレーンであるアンリ・ゲノのアイディアでしょう。

 まあ、前にEUレベルですでにEUブラス地中海って合意が存在していたという経緯がなかったのなら、このプランはフランスがドイツとは別にひとりでリーダー面できるなかなか優れものの構想だったと思いますが・・・

 地中海沿岸の平和というのは世界的に見てもすごくたいせつなのでうまくいってほしいです。でも、一方でヨーロッパという恩恵を受け利用しながら、一方で「リーダー・フランス」っていうスタンドプレイが通ると思ってたのなら単純すぎですよね。

238迷える大羊:2010/04/29(木) 22:19:44
ヨーロッパもいろいろ
 ありますね。まあ、普通の人間の集まりなんだから当たり前ですが。例のギリシャ危機については欧州きっての経済大国で実質的な支援の中心国たるドイツと当事者のギリシャでまるで話がかみ合ってないような・・・。

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=jp09_newsarchive&amp;sid=aZWRUJ5o6IDM

『ドイツ財務相:対ギリシャ財政支援、否決の可能性もある−ビルト紙
 ドイツは、欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)によるギリシャ救済での資金拠出を拒否する可能性がある。同国のショイブレ財務相が25日、独紙ビルト日曜版(オンライン版)に対し語った。同財務相は、支援は機械的に承認されるものではないと述べた。
 同紙によれば、ショイブレ財務相は「EUとドイツ政府はどちらもまだ決定を下していない。こうした状況下で、決定は承認と否決のいずれに転ぶ可能性もある」と述べた。 』

 確か、EU単位での財政支援は全加盟国の賛成が必要だったんじゃ??しかし、当事国のギリシャはえらくポジティブシンキングらしく、これまたこんな記事が・・。

『ギリシャ財務相:ユーロ圏はいかなる代償払っても通貨守る

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920000&amp;sid=aNi9.KFBPPXw
 ギリシャのパパコンスタンティヌ財務相は、ギリシャの財政危機に対する欧州の対応について、ユーロ圏諸国がユーロを守るために必要なあらゆる措置を取ることを示しているとの認識を明らかにした。
 同財務相はワシントンで国際通貨基金(IMF)と世界銀行との会合後に記者団に対し、「ユーロ圏諸国は共通通貨にコミットしており、いかなるコストを払ってもそれを守るだろう」と語った。
 (後略)』

>「ユーロ圏諸国は共通通貨にコミットしており、いかなるコストを払ってもそれを守るだろう」

 いや、あんたがそれいっちゃいかんでしょ、と思うのは私が日本人、大和民族だからでしょうか?ドイツにとってこのギリシャ問題は不快らしく、これまでの主要紙、閣僚の発言を総合してみる限り「助けて欲しけりゃ、やることやってよね!」ってこととなるわけで。また、「島の一つも叩き売って「誠意」を見せんかい!」とまるで、「ナニワ金融道(借金をテーマにした日本マンガ)」の世界のようなセリフを吐く国会議員までいる有様。

 結局、中途半端に「同胞」「身内」だから却って腹が立つ(あのバカのおかげで・・、といった感じで)といった面があるような気がします。むしろ、全くの「他人」である方が素直に支援できるような気がしないでも。

 これが、共通通貨でなく、国ごとの通貨であれば、ドラクマは暴落、通貨安となり輸入は苦しくなりますが、ギリシャ製品、サービス、ギリシャ旅行は外国人からすると激安となり売上増、国際競争力が増し(タイや韓国は通貨危機をそれで乗り切ったのですが)、少しは破綻のショックも和らごうというものですが、共通通貨ではそんなメカニズムも働かないし・・。

 また、ユーロ加盟国でなければ、ギリシャ政府は最悪の場合、中央銀行に国債を買い取らせ、金利を抑制することができますが、(インフレになりますが)ユーロ加盟国である今、金利調整の機能をECB(欧州中央銀行)に委譲してしまっておりそうもいかないし。

 元々、金融政策は全域共通、でも財政は国家単位、なんていうシステムに無理がありすぎるような。どうみても、ギリシャの場合、ユーロ、EUの一員であることが事態と立場を悪くしているような・・。

 結局、EUとかユーロといっても、その実態はドイツの経済力なのでは?理想とか建前は美しいけど、本音は一国単位ではアメリカやら中国、経済面に限れば日本にも対抗できないから、まとまったっていうのが実態じゃ?私的には、イスラム国ということで全体主義国でもなく独裁国家でもない、ヨーロッパとも関係も深いトルコを仲間外れにしてる時点で「なんだかなぁ」と思ったりもします。

 EUとかユーロに対して、我ながらやたらと意地悪くみてしまう私ですが、別に各々の国々に対する反感とか偏見は全然ありません。むしろ、好きな方ですけど、どうしてかな?と考えると、多分、何かというと外国はうまくやっている、それに比べ日本は、みたいな論調のマスメディアとか評論家にウンザリしてるせいかも、です。

 それにしても、ヨーロッパとか経済にうとい私でも思いつくような問題点ってEU結成の際に議論されなかったんでしょうか?その辺りが不思議でしょうがないんですが。なんだかんだいっても均質性(文化、体制、宗教などあらゆる意味で)高い国々の集団であるEUからしてこれですから、アジアなど他地域での地域統合はもっと難しいでしょうね。

239あがるま:2010/04/30(金) 09:22:15
adorerとplaire
他のヨーロッパ語ではドイツ語でもイタリア語でもスペイン語でもギリシア語でも『何かが誰かの気に入る』といふ言ひ方をするのに、何故フランス語だけがモノに対しても『愛する』などと云ふ言葉を使ふのでせうか?
それが不思議です。

240Sekko:2010/05/01(土) 05:04:24
plaire
??そうですね。今の日常会話の語感では、ブログに使ったアイスクリームの例で言えば、アイスクリーム一般の好き嫌いじゃなく、Cette glace me plait.=このアイスは悪くない。みたいに、ちょっと個別の判断プラス上から目線みたいな感じです。分別感があるかも。
「よろしければ」がシルヴプレというのも、下手(したで)に出てるんですものね。

241あがるま:2010/05/01(土) 10:39:51
parlez-vous franglais?
今まで(強ひて)同じだと思つて居たフランス語のonとドイツ語のmanとはどうも全く違ふものらしい − 後者ではesを主語にした受動形と同じ意味なのに前者ではさうならないから。
同様に,フランス語の代名動詞も受身の意味もあるイタリア語やスペイン語とも違ふらしい − si(se) diceはse ditとは意味も違つて来るらしいから。

大分前にサルトルがrealiserと言ふフランス語に英語の実感するrealizeの意味を持たせたとエチアンブルが非難したことがあつたさうだが(Parlez-vous franglais?と云ふ本で)
愈々フランス語は英語に近い言葉に変化して来てゐるらしい。

242Sekko:2010/05/22(土) 01:41:49
ギリシャのこと
 ギリシャのことで私が何だかちゃぶ台ひっくり返したくなるようなのは、ギリシャの軍事費の高さです。ギリシャに武器を売ってる最大輸出国はアメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、イタリアです。ドイツは世界で5指に入る武器輸出国で輸出先でトルコに次いで多いのがギリシャだそうです(潜水艦多し)。フランスも3位がトルコとか。で、フランスとドイツは、お得意がつぶれると困るからというので最初に救済案を出したはずだったんですね。
 確か、日本は戦後、航空機の製造とか禁じられてますよね。自衛隊の武器もアメリカのばかり買わされているのでしょうか? 日本は武器輸出禁止というか制限があると思いますが、自給率ってどのくらいなのでしょう。
  第二次大戦で日本と同盟国で敗戦したドイツやイタリアは、ヨーロッパの名のもとにしっかり武器輸出国になり、ギリシャやトルコに売りまくってるのを見ると、すごく嫌です。もちろん日本も武器を売ればいいと思ってるわけじゃないですよ。その反対に、こういうときにこそ武器輸出国を批判する側に回って欲しいんですが・・・・

243あがるま:2010/05/22(土) 02:57:25
音楽脳
ドイツは東独併合の時に通貨での痛ひ思ひ出があるので、例により浅墓な国民が反対してゐるだけで何よりEC東欧圏を必要としてゐることも忘れてはなりませぬ・
それより日本の米軍基地に関する論調は更に軽薄で、米国に気配りするより、通貨も含めた中国との関係が優先します。

Daniel Levitin
  This is your brain on music Dutton)
は日本語訳が今年出たさうで、宮崎純と云ふお医者さんのサイトに紹介が出てゐました
http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/
面白さう!

244迷える大羊:2010/05/03(月) 03:57:46
武器輸出
 そうそう、この武器輸出、軍事費の問題もなんだかなぁ、と思う点ですよね。日本のマスメディア、特に進歩系のメディアってドイツの「戦後処理」とか「反省」をやたらと持ち上げますが、一方でそのドイツが世界有数の武器輸出大国(輸出先に制限はあるようですが)である現実にはなぜか触れないのは不思議でしたね。

 ドイツのメディアもメディアで日本の「戦後」に関して「上から目線」で「反省が足りない」みたいな論調が多いんですが(まあ、日本そのものに触れることが少ないんですが)、個人的には「お前がいうな!」っていいたくなる部分がありますね。
 ギリシャって一応ナチス・ドイツの「被害国」ですが、今回のギリシャ破綻騒ぎにおいてドイツとして特に「過去の不幸な歴史に配慮」した形跡はなさそうですし・・。

 (日本が)航空機の製造が占領軍によって禁止されていたのは1945〜52年の占領中の7年間ですが、ちょうどプロペラ機からジェット機への移行期に当たる時期で、航空史上極めて重要な時期に禁止されたのが痛かったですね。しかし、それから60年近い歳月が流れているわけで、どうしてその遅れが未だに取り戻せずにいるのか?は興味深いところです。そうですね、自衛隊の兵器ってアメリカ製ばかりが目につきますね。それはそれで問題のような・・。

 ただ、軍事の問題は戦後の日本人の感覚と世界一般の感覚に大きなズレがあることは認めざる得ないですね。そりゃ、帝国主義の時代みたいに力がすべて、なんて時代ではないにしても、未だに政治力、外交手段の一つとして極めて有効な現実がありますからね。核兵器だって経済力も資源もない、国際的に孤立している国家が手っ取り早く「政治的発言力」を高めるのにこれまた極めて有効な手段だったりしますし、だから、あの手この手で核保有をもくろむ国家が絶えないわけで(特に発展途上国)。

 まあ、それでも、「債権回収」に軍事力が使われる、なんてことがなくなっただけでも人は進歩したと思わないといけないのかもしれませんね。これ(ギリシャ問題)が18世紀とか19世紀の話だったりしたら、軍隊が出てきて、力で島の一つや二つ「差し押さえ」ることは確実だったと思いますし。

245迷える大羊:2010/05/09(日) 21:45:08
フランス人は文句が多い」9割が同意、ただし「自分自身」は37% 
 先生のブログ中のエッセイ[フランス人と日本人の自虐の本音](2009年5月30日付)中に

『日本人が、
 「日本人はえてして・・・と批判される、でも、本当はね・・・日本人は正しいんだ」
 と集団的自己弁護するのに対して、フランス人は、ずばり、
 「フランス人はえてして・・・と批判される、でも、僕はね・・・ちがうんだ」
 と、個人的自己弁護をするところである』

 などという一節(2009年5月30日)がありましたが、それを地で行くような世論調査があって笑ってしまいました。今年5月9日付のロイターの記事なんですが・・。

http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-15172420100507

 内容は以下の通り。

『[パリ 6日 ロイター] フランス人は、短気なウエーターや政府が何か新しいことをするたびに街頭で始まるデモなどから、不平不満が多いというイメージを持たれがちだが、フランス人自身もそう思っていることが最新の調査で分かった。

 この調査は、保険会社Maafが市場調査会社オピニオンウエーに委託し、18歳以上のフランス人1000人超を対象に実施。それによると、「フランス人はよく文句を言う」と思っている人が93%に上った。ただ、自分自身がそうだと認める人は37%にとどまった。

 文句を言う主な理由については、約6人に1人が「そうしなければ踏みにじられる」から回答。また、4人に1人が、文句を言うことはリラックスするための一方法だと答えた。』

 え〜っと個人的に気になるのは、

>文句を言う主な理由については、約6人に1人が「そうしなければ踏みにじられる」から

 フランスってそんなに厳しい、というかキツい社会というかキッツイ人たちの集まりなんですか??数少ないフランス人との接触体験に基づいていえば、日本人一般に比べればはるかにものをはっきりいう、イヤなことを我慢して・・、そして、周囲もそれを理解して、なんて感じではないことはなんとなく分かりますけどね・・。

 笑えるのは

>また、4人に1人が、文句を言うことはリラックスするための一方法だと答えた

 ふ〜ん、文句を言うのがリラックスの方法ですか・・、言われる方はたまらんのではと思ったりもしますけど・・。全くの独断と偏見ですけどフランスはアジアでいえば、なんとなく中国っぽくって、ドイツが日本的な感じがしないでもないです。いや、あくまでなんとなく、ですけど・・。

246Sekko:2010/07/06(火) 08:47:34
おしらせ
 ようやく新しいサイトができました。まだ工事中の部分もありますが、このサイトの記録はほとんど残します。新刊のお知らせもあります。
この掲示板にはForum1というところからいままでリンクできますので引き続きお使いください。 新しいアドレスは

http://setukotakeshita.com/ です。

http://setukotakeshita.com/

247迷える大羊:2010/07/11(日) 00:00:56
死神
 いきなり物騒なタイトルで申し訳ありません。一体、何の話なのか?と申しますと、フランス、またはヨーロッパに「死神」という概念とか、それに相当する創造物があるのか?という疑問です。

 なぜ、そんな疑問を持つのかといいますと・・・。数年前に話題になったマンガ・アニメに「デスノート」というのがありまして、ブームの最中には全く興味がなかったのですが、最近読んでみるとこれが非常に面白かったもので。日本のみならず、世界中でヒットしたらしく、ウィキペディアによれば

「2004年の売り上げは、発売から1年目で年間ベスト10に入った。12巻までの世界累計発行部数は3000万部を突破しており、一巻平均が200万部を越すのは異例とされる。宝島社「このマンガがすごい!」オトコ版では、2006年と2007年に2位を獲得した。」とのこと。実際、ウィキペディアには数十カ国語、ほぼ世界中の言語での解説がついてます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/DEATH_NOTE

マンガはフランス語版もあるようです。

http://massa33.blog50.fc2.com/blog-entry-182.html

 おおざっぱな内容は、人を死なせる力のある死神のノート「デスノート」を使って犯罪者を抹殺し、理想の世界を作ろうとする主人公と、殺人を続ける彼を追う名探偵とその後継者との闘いを描く、というもの。

 ご多分にもれず、このアニメ・マンガもネット上に世界各国語の吹き替え、字幕付きの動画が出回っておりまして、フランス語版もしっかりありました。

http://www.youtube.com/watch?v=_7WX5bYC940&amp;feature=related

 で、それがどうしたのか?と申しますと、この吹き替えで死神のことは、日本語そのまんまで「シニガミ」っていっているんですよ。フランス語だけなのか?と思ったら英語版もやはりそうなんですよね。

http://www.youtube.com/watch?v=AsJhhwiPW9Y&amp;feature=related

 それで、冒頭の疑問、フランスとかヨーロッパ、欧米世界には死神に相当する概念とか創造物がないのかな?という疑問を持ったのわけです。ちなみに原作の日本語版は以下の通り。

http://www.youtube.com/watch?v=OW_EubqN_Ck&amp;feature=related

 しかし、この作品、欧米のキリスト教的価値観からは相当ずれた作品と思えるのに(あちらに)結構ファンがいるみたいなんで、そのことが実は一番ビックリします。

248sekko:2010/07/11(日) 11:38:52
擬人化された死
 私はむしろ、日本の「死神」っていうのは、キリスト教中世に流行った「擬人化された死」である、マントかぶった骸骨が大鎌もってやってくる、あるいは馬の骸骨に乗ってくるアレゴリーのイメージからきてると思ってましたけど。黙示録の影響もあります。埋葬社会で白骨化が普通だし、ペストが流行った頃のダンス・マカーブルという死の踊りや、栄華を戒めるメメントモーリの図柄とか有名ですね。普通にWikiとか検索してもでてくると思います。

 ただ、キリスト教は一神教で、生を司る神と死を司る神とか、光の神と闇の神というような二元論を廃しましたから、逆に日本語の「死神」を直訳するボキャブラリーが文化的にはない、悪魔の一種みたいな感覚で、訳さないままオリジナル・キャラにしたのかもしれません。

 日本語の方は、普通に「死」=「デス」とか呼ばれる西洋の擬人キャラを、気にせず「死神」と神をつけて訳すのが平気なんだと思います。カトリックのファーザーとか、ただの「父」って言葉でも、日本は「神父」って、「神」って言葉をくっつけるでしょう。神という言葉のハードルが低く間口が広いというか・・・

 ヨーロッパでも、中世からもう、死は、偶然と言うか運命と言うか、運命の女神みたいなキャラも死神と一緒にありました。老若不定とか命のはかなさは、体制宗教の説明だけではなかなか受け入れられないものだったんですね。

249迷える大羊:2010/07/11(日) 21:10:51
中世
>マントかぶった骸骨が大鎌もってやってくる

 そうでした、それがありましたね。あれはどうみても西洋由来ですもんね。失礼しました。そう考えれば「デスノート」が欧州方面で人気があるのもわかる気がします。いわば逆輸入みたいなものですものね。
 作者(原作・大場つぐみ氏/作画・小畑健氏)も思えば中世風のモチーフを多用してたような気がしないでも?ゴスロリ少女もしっかり登場しますし。ネットで観る限りこのゴスロリ少女(弥海砂(あまねみさ))があちら(欧州)のマンガ・アニメ好きに人気らしく、こんなことやってたりしますし(ベルギーの大学生たちみたいですが)。

http://www.youtube.com/watch?v=MR4GqB3UCQ8&amp;feature=related

250迷える大羊:2010/07/11(日) 22:10:48
中世の悪魔・死神
 「デスノート」の死神は積極的、直接的に人間に危害を加えることはほとんどなく(直接手を下すのは最終回で主人公を抹殺するときだけ)、主人公の側にも警察・探偵側にも味方せず、あくまで中立、傍観。直接、悪意をもって悪事を働くのは、あくまで人間の側です。

 で、元祖というか本物の中世ヨーロッパの死神とか悪魔っていうのは、どうなんでしょう?直接人間に危害とか加える存在だったんでしょうか?それとも、日本のマンガと同じく、あくまで中立、傍観(そそのかしはやるけど)、の姿勢だったんでしょうか?

 件のマンガ「デスノート」では死神なんかより、人間の方が遥かに怖く、邪悪で死神の側が「ここまでやるか!」と呆れるシーンがあって笑えましたが・・。

251あがるま:2010/08/14(土) 23:37:36
Come
Come
come va!

252あがるま:2010/08/14(土) 23:45:04
Come va!
イタリア語(やドイツ語)では三人称単数(非人称)なのにフランス語では何故さうなるのか?サ・ヴァ?の方が正しいやうな気がするが。
オック語ではどうなのでせうか?

253迷える大羊:2010/08/15(日) 00:28:39
フランスの右翼
 フランスの右翼政党、国民戦線の党首、ルペン党首を筆頭に英国の国民党、オーストリアの自由党、スペインのファランヘ党などヨーロッパの右翼政党ががん首揃えて、この夏(8月12日〜18日)、日本に大集合、靖国神社参拝などを行うそうです。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100810-OYT1T00906.htm

 興味深いのはヨーロッパの右翼というと、どうしてもナチスとかヒトラーなどの強烈な人種主義を思い浮かべてしまいますが、フランス代表(?)の国民戦線のナンバーツーである人物(すみません、名前忘れました)日本の京大を出て、日本人と結婚しているそうで。
 さらに毎日新聞の8月11日号にイタリアの右翼青年が出ていましたが、彼は三島文学の愛好者だったりして、すごく意外でした。

 ヒトラーの「わが闘争」によれば、日本人はサルまね専門の劣等民族、ですが、最近のヨーロッパの右翼はこういう人種主義からは脱却したんでしょうか?何より、笑ってしまうというか、面白いのは、インターナショナルとか国籍を超えた連帯、とかって左翼側の専売特許かと思っていたら、右翼側にもそういう考えがあるんだ・・、ってこと。

 どうも、ヨーロッパの右翼=ネオナチというステレオタイプほど単純でもなさそうです。身近に右翼とか国民戦線の支持者って人、います?いるとして、彼ら(右翼政党支持者)ってどういう人々なんでしょうか?

254Sekko:2010/08/16(月) 05:31:47
Ca va?
あがるまさんへ

フランス語で「ca va?」(cのセディーユがなぜか消えるのでcaのcはすべてひげを補って読んでください)と言ったら、話し言葉で、「元気?」という感じです。

もちろんそれは、 「Comment ca va ? 」とか 「 Est-ce que ca va ? 」の略ですが、もともとくだけた表現だから、「ca va?」になりがちで、ヨーロッパの他の人は、フランス語であいさつが「ca va?」「ca va.」と、同じ言葉で済んでしまうのにびっくりするようです。ふつうは質問と答えが違いますから。

日本人はむしろ「元気? 」「元気。」でもあり得るから違和感が少ないかも。

これについて、aller bien とか aller mal は、12世紀以来、状態の変化を表現していたのに、今は状態の継続を表す体と説明されています。
つまり「ca va?」というのは、「いつもと同じですか? 」「おかわりありませんか?」という意味ですね。だから、基本的に「いつもの状態」を知っている間柄で使うわけです。

いつもより具合悪い時は「Bof.」とかこたえちゃうわけです。

Oc語で「Quin vas ? 」(キンヴァス) というのは「Comment vas-tu?」の方じゃないでしょうか。

255Sekko:2010/08/16(月) 05:48:05
右翼と人種差別
 時差が抜けないので簡単に書きますが、すごーくざっくばらんに言っちゃいますと、フランスの場合、低所得者か低学歴者の右翼は人種差別主義者で、高所得者や高学歴の右翼は、単に貧乏な移民が嫌いなんです。
で、高学歴者や高所得者で人種差別思想を持ってる人は、それを隠すので、表向きにはいません。
 過去に戦争もせず、植民地でもなく、貧しい移民や難民のこない日本なんかはむしろ、インテリ好みで、移民差別のカムフラージュのためにも日本好きを強調したりしますね。私の周りにはさすがに極右はいません。ブルジョワ保守主義者はいますが。

もちろん若くて貧しい極右も存在しますが、清く正しい働き者という感じで、やはり移民とかを嫌いますね。

 国民戦線と言えば、がちがちのカトリックかと思う人もいるかもしれませんが、ル・ペンの娘もそうですが、離婚してるし、女性だし、意外に開けてます。というか、移民ではない、「清く正しい」労働者の票を集めるためには、それも必要なんです。都市の労働者階級は伝統的に共産主義=無神論(反カトリック)層ですから。奥は深いですよ。

256迷える大羊:2010/08/16(月) 19:56:55
日本好きは
 人種主義を隠すためのアイテムですか・・。なんだか、昔の南アフリカの「名誉白人」みたいで複雑ですね。ただ、彼らを決して、決して肯定するわけではないのですが、貧しい移民や難民を大量に輩出する民族とか国々に対しては、いくら頭や理性で、人種差別はいけない、人間としての尊厳に差などない、ということがわかっていても、なかなか同情以上の敬意を持ちづらい、特に独自のコミュニティなどを築きあげられると拒否反応を起こしてしまう、というのは、感情の問題として、現実の問題としてありますね。
 思えば、ヒトラーの時代の日本はその貧しい移民を大量に出す側でした。

>清く正しい働き者

 ヒトラーなどまさしく、このタイプですよね。まあ、私なんかは昔から「正義感」溢れる人にはなんとなく胡散臭さを感じます。

>都市の労働者階級は伝統的に共産主義=無神論(反カトリック)層

 これまた、初めて知りました。なんだかいろいろとややこしい事情がありそうですね。

 申し遅れましたが、いつもお疲れ様です。

257迷える大羊:2010/08/22(日) 22:26:58
フランスの左翼1(軍事編)
 先日は右翼についてお尋ねしましたので、今度は左翼の方を・・。フランス、およびヨーロッパの左翼についていろいろ知りたいことがあるのですが、長くなるので分割します。とりあえずは以下の点。

・防衛、軍備に対する見方、感覚

 日本で左翼といえば、日米安保反対、自衛隊反対、とにかく軍備に対してはとことん否定的、最近はさすがに流行らなくなりましたが、「非武装中立」を大真面目に唱える政党、個人、団体もあったりしますが、フランスの左派、社会党、共産党にそのようなことを唱えている団体、個人は存在するのでしょうか。あるいは軍備撤廃、とまではいかなくとも、核武装放棄ぐらいは唱える左派っていないんですかね?

 日本の社会党は政権につくと、「現状追認」ってことで「しぶしぶ」安保、自衛隊を追認しましたが、フランス社会党が政権獲得した際、「フランスを非武装に」とまではいかなくても「核武装を解除しよう」とか「国民に苦役を強いる徴兵制廃止!」なんて議論とか運動はあったんでしょうか?

 フランスではなく、ドイツの話ですが、一昔前(90年代)、戦後処理に関して「ドイツを見習え」みたいな話がマスコミで流行った時期があり、ドイツの左派系メディア「南ドイツ新聞」の特派員がやたらと登場した時期がありました。その特派員が日本の保守系雑誌「諸君」の座談会に参加していたのですが、ドイツの武器輸出の話となり、論客が「ところで、ドイツは日本に武器輸出することは可能なのですか?」と聞いたところ、「可能です。日本はNATO諸国と同じ扱いですから」と実にシレっとさりげなく答えてました。

 こちらとしては「武器輸出などドイツの恥部です。それこそ「日本を見習って」武器輸出三原則を制定せねば・・」な〜んて趣旨の反応でもあるのかな?と期待?したら全くそうではなく、「(武器輸出は)やってますよ、それがどうかしたんですか?」的(それも、南ドイツ新聞というドイツでも極めつけの左派メディアの人間が)な反応なので、「平和主義」至高の教育を受けた戦後日本人の私はビックリしてしまいました。

 ちなみに私は戦後処理に関して「ドイツを見習え」は昔から胡散臭く感じておりました。最近は日本でもその問題点
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%AA%8D%E8%AD%98#.E3.80.8C.E3.83.89.E3.82.A4.E3.83.84.E3.81.AB.E8.A6.8B.E7.BF.92.E3.81.88.E3.80.8D.E8.AB.96.E3.81.A B.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6

を知る人が増えたせいか、日本の進歩系メディアでも、ドイツを引き合いに出して、日本を批判、といったスタイルの記事はほとんど見なくなりましたけど・・・。

258あがるま:2010/08/23(月) 18:13:27
dativus commodi
wie geht es dir?のやうに、関与の与格dativus commodiか所有の與格dat.auctorisか知りませんが実際の主語になるはずの人称代名詞が欠けてゐるのでせうね。
valeo(etre sainの意味)と言ふラテン語と混同したのかも知れませんね。
辞書を見ると、手紙の最初にはS.V.B.E.E.Q.V.と書いてこれは si vales, bene est,ergo quidem valeoの略ださうです。またquomodo vales?はcomment vous portez-vous?と訳してありました。
come staiやcomo estasなら簡単なのに!

259Sekko:2010/09/06(月) 07:59:48
フランスの軍備など
 お返事遅れてすみません。

 大羊さん、ご紹介いただいたドイツの戦後処理についての話、はじめて日本語で読みました。その認識の推移は感慨深いですね。

 こちらにいて見ていると、やはり、ヨーロッパ諸国は地続きというところが、戦争しても何しても運命共同体的なところがあるなあと思います。ヴェルサイユ条約での強硬な態度が裏目に出たことや、やはり、二度の大戦でぼろぼろになったヨーロッパを立て直すには、底力のあるドイツを制裁するより、何が何でもまず働いてもらった方がいいということだったんでしょう。EUの初期の頃というかECの頃は、保障という形でなくとも徴用された感じで必死で働かされて、よくがんばったなあ、と思います。
 フランスの左翼については、そこは、フランス革命の国ですし、ナポレオンによる国民皆兵などが共和国のルーツにありますから、左翼が平和主義とか軍備撤廃という方向には行きません。核装備についてはまた別ですが。ドゴール主義の中で、アメリカ牽制の意味もあって核装備をしてきた国だし、ミッテランも核実験を続けていましたからね。核廃絶は右翼や左翼の差じゃなくてユマニスム系平和主義者ですね。兵役が撤廃されたのも、軍備のハイテク化とコストパフォーマンスの問題だと思います。素人を訓練して給金を払う割が合わなくなったからでしょう。まだ兵役があった頃すでに、若者への「国のために死ねるか?」というアンケートで、最下位を占めてたのが日本とフランスだった記憶があります。どちらが一番下だっけ・・・でも、妙に納得したのを覚えています。

 なんだかんだといっても、若い世代には「ヨーロッパ人」のアイデンティティを感じるという人が多いのがこれからの救いです。どの国でも若い世代を頑迷なナショナリズムに引き込む方向には向かってほしくないです。

 あがるまさん、興味深いコメントをいつもありがとうございます。

260:2010/09/07(火) 20:27:59
無神論』を通読しました。
<書くのは刺激的だつたが隘路に嵌り込むことが多かつた>さうですがフランスの晩近の状況など殆ど知らないことばかりで色々教へられました。
日本人の人文系論文は、色々丁寧に細かく調べてあるが常に何かとんでもない誤解が根底にあるので、世界の学界では相手にされないさうですが。
その無理解の一が超越範疇transcendentalisとそれに付随した、神の直観的認識と人間の概念的認識(ディスクール)の違ひの認知だと私は思つてゐます。
神が『あれ』と言へば即座に対象として何物かが存立し、その逆過程である認識も神の直観がそのまま普遍的な認識になる。人間の思惟や意志には対象を把握するのにも、個物の知覚が普遍や本質の認識に結び付くやうな(知的)直観がなく、互ひにバラバラで分散的で離接的discreteでしかあり得ない概念を使つた時間的・空間的に迂回する認識しかない。
こんな当り前なことは大学で教へることではなく、欧米の学生は高等学校までに自然に理解してゐるはずですが、そんな常識も日本にはないらしい。
更に付加すれば
命題の主語になるのは(眼の前にある)個物haec resで、それだけが実体ousiaであり、それをsubstrat被担者porteurとして述語が付加される。
超越範疇には一者(或は神)、真、善、美、存在などが挙げられ、それより上位の類概念(カテゴリー)は存在しないので、通常の定義のやうにそれに種差differentiaを加へて思考することが出来ずに、アナロジーだけが可能で、またそれらは互ひに述語として交換可能である。これらの対象には本来人間の知的直観はない − しかし善と美に関してはある、と云ふのがカント。
アリストテレスの形而上学は
?第一学問proto philosofia?本質=実体論ousiologia?存在論ontologia?一者に関する学henologia(神学theologia)である。

他にも細かな点で気になることがある  − 勿論私が正しいと言ふ意味ではないが ― 例へば、西ローマ帝国はキリスト教のために直ぐに滅んでしまひ、金髪の野獣たる北方の野蛮人しか継承しなかつたのに、それ以後千年も続いたオルトドクスについて一言も言及されないのか、アヴェロエスの二重真理説がイスラムではそのまま受入れられた − 故にイスラムには無神論が存在しない − 様に書いてあるが、そんなことがあるのか?
アリストテリコ・トミズムの優れた点は古代には区別がなかつたし、実際区別のし様がない(多様なる)存在者と(単一の)存在を統一的に把握しようとしたことにあることは慥かでせう。
エゾテリスムは『救済(して別の場所に保管する)』sozeinと云ふギリシア語(第二アオリスト受動形)から来るとばかり思つてゐたが、wiki にも内側esoterikosが語源だとあるが、これは正しいのか?英語版には誰も名前も知らないJacque Matterの他に、古代ではルキアノス、1701年に一番最初に哲学史を書いたThomas Stanleyの名前が出典として挙がつてゐた。
デフォルト(缺点)としてのキリスト教より無神論も含めたデ・ファクトとしてのキリスト教の方が重要だと思ふのですが。

261迷える大羊:2010/09/07(火) 21:18:36
フランスの左翼2(ナショナリズム・人種主義など)
 SEKKO先生、お疲れ様です。何かあったのか?と心配しておりました。お疲れのところなんですが、もう一つ。先スレでフランスの右翼の人種主義なんかについて、お話を伺いましたが、左翼、左派のそれについてはどうなんでしょう?

 なぜ、こんなことを考えるのか、といえば、かつてのフランスの対日強硬派、クレッソン女史の存在を思い浮かべるからなんです。なにしろ「日本人はアリ野郎」とまでいってのける人ですし。彼女って、右翼、右派なのか、と思いきや、左派(ですよね?)の社会党内閣の一員なのだから、ちょっと、何がどうなってるの?と戸惑ってしまいましたね。

 日本人として不愉快云々以前に、日本で左派とか左翼といえば(本音はどうであれ)一応、反人種主義、インターナショナル、反ナショナリズムで、間違っても公の場やマスコミで人種がらみの差別用語、なんて口にしないもの、過剰なナショナリズムとか人種主義は右翼、右派の専売特許と思っていたので意外きわまりなかったです。

 あと、これまた、フランスではなくドイツの話ですが、先スレで触れた、左派系の南ドイツの日本特派員ですが、彼も「左翼」なのに、妙に「愛国的」なのも印象的でした。もう、何かというと、ドイツのやり方がいかに日本より進んでいるか、といった「上から目線」の話が多かったですし、先ほど触れた「ドイツに見習え論」が日本のメディアで流行っていたころにも、やはり、(私を含めて)胡散臭く思う論客はいて、たまに、先にあげたウィキペディアに紹介されている事実のような、ドイツにとって「痛い」部分に触れると、「だからといって日本が許されるわけではない!」なんておよそ、理性的とは云いかねる反応をしたりして・・。

 これまた、日本人としてナショナリズム、愛国心=右翼、といった固定観念がある私としては意外でした。逆に右翼でも(ポーズだけかもしれないとはいえ)、日本好きだったり、日本人と結婚している人間がいたりして、単純ではないな〜、と思いましたね。

 どうも、ナショナリズムとか愛国心の感覚が日本人とは相当違う、つまり、ナショナリズム、愛国心=右翼との公式が当てはまらないような気がするのですが、実際のところどうなんでしょう?

262Sekko:2010/09/12(日) 02:05:33
左翼人種主義について
 右派左派というのは、フランス革命以来、主として内政に関してで、人種差別思想は、また別物という感覚を持っています。

前にも書きましたが、今時のインテリ左翼は教養が邪魔して表向きには決して人種差別を見せませんが、全体として明らかにありますし、右派からさえ激烈に攻撃されています。

サルコジ政権の若手黒人大臣だったラマ・ヤデは、共産党が支配しているコロンブ市で、不法滞在外国人の未成年者を道に放り出した市長を攻撃しましたし、同じパリ郊外の、ジスカール派のサン・モール市が、共産党のヴィトリイ市に、マリ人コミュニティ300人を押し付けた時、ヴィトリイは、建物を破壊しかねない強攻策に出ました。右、左と関係なく、不法滞在の外国人を押し付けられたくない、選挙権のある住民(右派の市ではブルジョワ右派、左派の市ではブルジョワ左翼と労働者左翼)の機嫌取りです。みんな既得権だけ守りたいのです。

 その他に、ブルジョワ地域では、単純に、外国人と距離があるので、実際の交流がない、外国人=犯罪者という刷り込みがあって怖い、知らないものは警戒する、という心理が働くので、それは政治的な信条とはまた別物のようです。

 アラン・ソーカルというジャーナリストがいまして、この人なんて、1990年代は熱心な共産党員、2007年に突然極右国民戦線に入り、さすがに違和感があったのか1年ちょっとで離党、今は「左派ナショナリスト協会」とか主宰しています。この人は、19世紀の第三共和制のオピニオンリーダーだったジュール・フェリーが植民地主義者であって「黒人を白人文明に引き上げるのが我々の使命」と言い切ったことなどを蒸し返し、ミッテランが植民地担当大臣だったとか、一貫してフランス左派による人種差別を告発しています。右派の人種主義は分りやすいので批判の対象になりやすく、右派はしょっちゅう謝罪を迫られるし、罪悪感にもとらわれるが、左派による人種主義、左派によるファシズムが最もたちが悪く欺瞞的である、と言っています。

 まあ、この人も、反ユダヤ主義者であることを隠してないし、目糞鼻糞を笑う、と言えばそれまでですが、やはり、人種差別は、単なる差異ではなく、植民地の歴史や戦争の歴史、それと実際の日常生活でどれだけ脅威を感じているかという実感や情報操作や無知や、いろいろなファクターの複合したものだと思います。
たとえそんなファクターをクリアーしても、今度は、似ているけれど僅差があるという同士で、より根深い嫉妬や近親憎悪も生まれますし、一般人同士の憎悪や恐怖を支配の戦略として使う権力者も消えそうもないですから、差別の問題は簡単なものではありません。

情緒に任せていたら、どうしても、そういう流れに足をすくわれますから、もう、ちゃんと理性で、「自由・平等・友愛」というものをいつもいつも頭に叩き込んでみんなが努力するしかないと思います。これは日本人同士やアジア人同士でも同じですし。

でも、政治的指導者たちが「教養」や「理念」によって、人種差別をまず形から廃止したり克服することで、世界は少しずつでも、ましな方に向っていると思いたいです。

植民地主義が広がったのは、「奴隷制」が反人間的だとようやく認識された後、では「同じ人間として助けてやらなくては」という大義を利用したわけですが、その後はそれもようやく間違いだと認識されました。というように、罪や傷跡はたくさんあっても、全体としては少しずつましな方に、金や力の論理を牽制する方向に世界は動いている気もします。ともかく、普遍主義の理想を捨てないで次の世代には少しでもましな世界を用意したいです。

私自身、もし100年前に生まれていたら、日本人、女性、など、いろいろな被差別要因に阻まれて、普遍主義、それなに?という状態で、もう今の歳には疲れ果てて日本の片隅で死んでいる可能性大です。実際さまざまな差別の犠牲になった先人のためにも、せっかくいろいろなことを考えることができる立場にある今、差別されている人の側に、形だけでも立ちたいものです。

263Sekko:2010/09/12(日) 02:29:58
あがるまさま
ありがとうございます。勉強になります。

「西ローマ帝国はキリスト教のために直ぐに滅んでしまひ、金髪の野獣たる北方の野蛮人しか継承しなかつたのに、それ以後千年も続いたオルトドクスについて一言も言及されないのか、アヴェロエスの二重真理説がイスラムではそのまま受入れられた − 故にイスラムには無神論が存在しない − 様に書いてあるが、そんなことがあるのか?」

西ローマ帝国は確かに滅んで神聖ローマ帝国は確かにゲルマン的ですが、西方教会の勢力はやはりラテン的というか、ローマ帝国由来の系譜を抜きに考えられないと思います。この本では、特にその延長としての「西欧」が、近代スタンダードになった経緯に鑑みて西方教会とその展開に注目したわけです。東方教会についてもいつか書ければいいのですが・・・
 イスラムについても同様で、イスラム神学の中には理論上の無神論もあるようだし、神の存在の証明の仕方も実用的な全く別のやり方があります。それをいうなら超越神を立てないはずの仏教の中にも無神論があるし、でも、そういうテーマについては、私より詳しい方に期待したいです。私の身近にはどちらについても専門家がいるので、中途半端なことを書かないことを選択しました。帰って誤解を与えたら申しわけありません。

「神の直観的認識と人間の概念的認識(ディスクール)の違ひの認知」について。

 『無神論』の中で触れたダマシオの理論を覚えていらっしゃいますか?
 私は、彼の本を読んでから、今となっては、今まで「直観」とか言われていたものは、実は体の内外のホメオスタシスを継続モニタリングしている神経活動が生む情動に関係しているのではないかと思うようになりました。
 超越概念と人間の認識できる概念の違いとは、実は、無意識的な体のモニタリングの表象と意識的な知覚の違いじゃないのか、って。
 カントがダマシオの神経学的仮説を読んだらどう反応したかと想像してしまいます。


「こんな当り前なことは大学で教へることではなく、欧米の学生は高等学校までに自然に理解してゐるはず」

 とおっしゃいますが、少なくともフランスの高校生が哲学の授業で理解するシェーマって、なんか未だにデカルトどまり、って気もします。実感ですよ。

264迷える大羊:2010/09/12(日) 19:28:10
理想の国
 お忙しい中、ありがとうございます。お答えいただいた内容、実態は大体、私の予想通りでした。誤解されると困るのですが、別にフランスとかドイツのアラ探しをしたり、貶めたりしたいわけじゃありません。別にかの国々に対する悪いイメージがあるわけでもないです。

 なんていったらいいんでしょうか?最近はあまり見かけなくなりましたが、外国(特に欧米諸国)を必要以上に美化し、理想化し「それに比べて日本は・・」みたいな日本メディア、評論家、インテリにありがちな典型的な評論スタイルに対して違和感があったのです。
 「いいたいことがあるなら、「外国(特に欧米)」の「権威」に頼らず、自分の言葉で言え」みたいな。また、保守系論者とか右翼みたいな、狭い「愛国心」を振りかざすつもりはさらさらないですけど、客観的にみて「日本ってそんなにヒドい国かな?」という疑問も。

 あと、あまりに非現実的ってこと。戦後処理に関する「ドイツに見習え」論で言われているドイツ像が本当なら、ドイツ人は聖人君子の集まり、イエス様の分身みたいな人ばっかり、としか思えない・・。第一、本当に「反省」「悔い改めた」人が「私はいかに悔い改めたか?」なんて、「上から目線」で「自慢」をするものなのかな?(南ドイツ新聞の日本特派員氏など)という疑問も重なって、「胡散臭く」思っていたところ、いろいろ事実関係をあたると、個人的な印象としては、その努力は否定しないけど、特別、日本より「立派」ということは全然ないだろ?、という結論となってしまったのですが。

 まあ、この手の人々にとって、事実関係は案外どうでもいいのかもしれません。どこかに自分の「理想」を体現した「夢の国」があると思っていたいのでしょう。丁度、海外に出られない江戸時代の学者が中国を過度に美化し、思い入れを深めていて、当の中国人以上に、中国古典に通じていたのと同じ感覚なんでしょうね。

 今はネットが発達したおかげで、海外メディアの論調、視点も簡単にわかりますし、海外経験がある人も増えたおかげで、こういった評論スタイルはあまり通用しなくなりましたけど。
 なんて、斜に構えたことばかりいってしまいましたが、

>普遍主義の理想を捨てないで次の世代には少しでもましな世界

 は信じていたいですよね。

265Sekko:2010/09/13(月) 06:13:05
大羊さま
今日、チベット文化フェスティヴァルに行きましたらこのテーマが頭にあったので、人種のことを考えてしまいました。それについてhttp://spinou.exblog.jp/15113423/
にアップしておきました。ご参考にどうぞ。

266KUNI:2010/09/17(金) 20:53:13
フランスの大統領
以前に、フランスの大統領は外交と軍隊、首相は内政というすみ分けがあるというお答えがありました。ロシアやポーランドなどとちがいますね。今はサルコジ大統領が内政も牛耳っていてサルコジ王国と言われているようですが、もとの、「棲み分け」の根拠は何なのでしょうか。

267Sekko:2010/09/18(土) 02:48:47
大統領のこと
フランスは、フランス革命の名残で、理想としては直接民主制と間接民主制のくみあわせになっています。後者が普通選挙による議員の選出、前者がストやデモや、そして、国民投票、中でも、国民投票による大統領選出です。
で、第五共和制のはじまりに、1964年1月31日、ドゴールが、国家権力は党派を超越したものでなくてはならない、全権は国民投票によって選ばれる大統領にある、従って、大統領は、どの党から出ても、一度選出されれば党派から離れる、三権分立のどの権力からも超越する、平時には、首相と大統領の活動領域は分けられねばならない、という趣旨のことを言いました。
 つまり、議会での立法は、その時の多数党が決定するわけですし、多数党のリーダーがたいていは行政のトップとして内閣も率いるわけですが、大統領はこれに党派的には関与しない、だから、原則として内政には関与せず国家としての外交や軍事面での決定権を持つ、ということになります。
実際には、各党が大統領候補を立てるわけで、その公約は党派色があるし、選出されればその党が多数党となり、大統領はその党から首相を選ぶことになります。
サルコジは、政府の人事において右派からも左派からも入閣させるなど、一見例外的な「開放」路線をとりましたが、内政にも立法にも関与しまくり、首相の采配余地を残しませんでした。もはや党派がどうというより「金と権力」で動いているようで、それは今の世界の全体的な傾向になっている気がします。ヴィルパンのようなドゴール派はそれをもちろん批判していますが、2012年の次の選挙でまたサルコジが勝つなら、第五共和制はほんとに終わるでしょうね。

268迷える大羊:2010/09/20(月) 10:38:00
フランスの左翼3(外交)
 いつも、ご丁寧にありがとうございます。さて、三つめのご質問はといいますと。
フランスの左翼勢力の外交方針というか、外国観ですね。

 独断と偏見がかなり入っているかもしれませんし、全部が全部というわけではないのですが、日本の左翼、進歩勢力といえば、過去の日本の帝国主義とか、沖縄の米軍基地とかイラクやら、ベトナムなど米国の過ちの追求にはとても熱心ですが、中国のチベット問題やら軍拡、北朝鮮の拉致の話になると、急にトーンダウンしたり沈黙したり、それもこれも日本とアメリカが悪いみたいな、「本題そらし」したり、と理解不能な態度を取ります。北朝鮮の拉致事件に関する姿勢は本当に見苦しいものがありました。要するに「仲間うち」には「甘い」だったり「ダブルスタンダード」で。その辺が日本の左翼、進歩派の「平和」「人権」がまるっきり信用できない理由ですが・・。

 フランスの左翼、進歩派はどうなんでしょうか?特に中国の「大躍進」「文化大革命」の時代、フランス共産党とか社会党の姿勢ってどんなものでしたんでしょうか?日本だと、「希望に満ち溢れた人民の目」とか「ハエ一匹いない清潔、清廉な新生中国」、みたいな、今にして思えば「おいおい」としか言いようがない報道が進歩派、左翼系メディアに溢れかえっていたみたいですが、フランスではどうだったんでしょう?文革時代、「リベラシオン」あたりなんか、どんな報道していたのか?知りたいですね。

269Sekko:2010/09/20(月) 23:48:42
フランス左翼と外国観
 このテーマ、特に共産主義や中国への愛憎については、別に今フランスに住んでいる私に聞かなくとも、いろいろなところで知ることができます。リベラシオンとの関係も、サルトルの思想的立場の変遷についてでも検索してください。

 ソビエト共産主義へのラブコールと、それがスターリン批判で裏切られたこと、でも、文革による「夢をもう一度」の勘違いと毛沢東へのラブコール、それに続いた68年五月革命の高揚、その後、文革がやはり狂騒として処理された後、そこに、アルジェリア独立戦争のトラウマも絡んで、フランスのインテリ左翼たちは、盛り上がりと失望と転向を重ねてきました。
 その欺瞞感は、日本の60年安保の活動家の転向や、その後の全共闘世代の学生運動家の逸脱や転向の罪悪感よりももっと根が深いと思います。

 BHL(ベルナール・アンリ=レヴィ)あたりからはじめて、あまり自分を傷つけないで転身ができるタイプのポストモダンでデジタルな知識人が出てきたかもです。

 それに、フランス左派の場合は、自分たちの原点である「フランス革命」ですら、最後は恐怖政治に終わったことなどを知ってるわけですから複雑です。
 毛沢東は文革をパリコミューンにたとえて、人民公社もコミューンだと言っていましたから、フランス人の自尊心をくすぐったかもしれません。これに加えて、私の『無神論』でも少し説明しましたが、左翼と無神論、反宗教、共産主義シンパは密接に結びつく伝統もあったので、エールを送っていた外国が失敗するたびに傷が深くなったようです。

 今、フランス人が、ダライラマを支持して、中国のチベット侵略を熱心に糾弾する傾向にあるのは、毛沢東主義に傾倒した「失敗」や、フランス社会におけるイスラムの台頭によって揺らいだ無宗教主義の弱さの自覚を、どちらもまとめてごまかせるからかもしれないなあ、と思うときがあります。

 政治的には、フランスの共産党の運命と日本の社会党(社民党)の運命が何か重なって見えますが・・・

270迷える大羊:2010/09/25(土) 00:57:42
中国への思い
 恥ずかしながら、フランスとか欧米圏の左翼にも中国や文革に入れ込んでいた時期があったなんて、初めて知りました。そんなものは、中国文化から多大な影響を受けた歴史がある日本人左翼独特の「思い入れ」とばっかり思っていました・・。

 それにしても、欧米人といい、日本人といい、中国にどうして、ある種の幻想というか現実離れした入れ込み方をする人間が絶えないのはなぜでしょうね?東アジア以外の人間にとって、東洋といえば中国ですし。それだけ、4千年にわたる歴史をもつ、奥が深く魅力的な国といえばそれまででしょうし、単純にでかくて人口も世界一ってこともあるんでしょうが。
やはり、4千年にわたる歴史と文化の魅力は人を惑わしてしまう魔力があるんですかねぇ?

 最近でも、中国がアメリカに匹敵する超大国になる、G2の時代だって話がありますし。現代だけではなく、19世紀にも「眠れる獅子」なんて評価がありましたね。しかし、アヘン戦争に敗れ、世界も日本自身も日本の敗北に終わると予想された日清戦争もフタを開けると全く逆、日本の圧勝だったりしましたし、どうも、歴史的にみてかの国への「思い入れ」「期待」は現実離れした過大評価に終わる傾向が多いような気がするのは私だけでしょうか・・・。

 20世紀に入り、世界中の左翼、インテリの「期待」と「思い入れ」を集めた「大躍進」「文革」もフタをあけるとこれも悲惨としかいいようのない有様でしたし。

 いや、今はGDPは今年ついに日本を抜いて世界第二位に躍進したし、中国市場はでかい、今や世界中の企業がなびいているぞ、、今度こそ「期待通り」じゃないのか?とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、この21世紀の「大躍進」も、私からするといろいろツッコミたくなるところが満載で。

 そのGDPの中身の45%ぐらいが「投資」(バブル経済の典型的な特徴)、海外移民の多さ(皆が皆経済的理由ではないとはいえ、世界第二位の経済大国から?)、大卒者の就職率が6割程度(10%近くの高成長率なのに?)、海外への養子縁組、いわゆる孤児輸出の多さ(しつこいけど、世界第二位の経済大国で?)、政府の為替レート管理下にあり未だハードカレンシーではない「人民元」、日本でいうHONDA、SONYに相当するブランド企業の不在(あったらゴメンナサイ)・・・etc
 世界第二位の経済大国にしてはなぁ、といった不可解な現象があまりに多いんですよね。

 もちろん、昔より格段に豊かになっていることは間違いないし、「中国崩壊云々」は単なる保守派の中国嫌いの人々の願望ですが、米国とならぶ、あるいは凌ぐ「超大国」に云々というのはこれまた、「過大評価」の「歴史」を繰り返すだけに終わりそうな予感が個人的にはしますです。

 それにしても、話が繰り返しになってしまいますが、またまたご質問で申し訳ないのですが、フランスとかヨーロッパにも、なんていえばいいんでしょうか、日本人のような情緒的というか、ちょっと現実離れした中国への入れ込み方をする「親中派」(実は私の父がそう)って多いのですか?

 アメリカなんかは多そうな気がします。パール・バックの「大地」なんかがあったりしますし、今は方針転換してしまいましたが、オバマ大統領など明らかに日本無視、中国重視の外交姿勢でしたし(単なる実利面だけではなかったような気がしました)。

271Sekko:2010/09/25(土) 22:58:41
中国とフランス
テーマが大きいので簡単に書いときますと、フランスの中国学というのはヨーロッパの中で最も進んでいましたし、良質なものもあります。しかし、一般的なレベルで言うと、

>情緒的というか、ちょっと現実離れした中国への入れ込み方をする「親中派」

にとっては、中国も日本も同じ認識だと思います。つまり、一般的な日本人の「親ヨーロッパ派」がイギリスもフランスも区別しないような感じで。

 経済的には「これからは日本でなくて中国だ」とターゲットを変える動きはもちろんあります。でも、日本に駐在していたフランスの企業の人が、中国に転勤すると、愕然として国民性の違いに気がつくようです。

 というわけで、フランス人側から見ていると、「親中国」はあるものの、漠然とした「親東洋」とあまり区別がつかないので、中国や南北朝鮮の情報に関しては、私も日本の記事、報道を追うことにしています。

 フランスでちゃんと「日本」に特化して「親日」なのはやはりガラパゴス化しているオタク文化系に対してかもしれません。

272迷える大羊:2010/09/26(日) 00:36:15
まあ、そうでしょうね
>中国も日本も同じ認識だと思います。つまり、一般的な日本人の「親ヨーロッパ派」がイギリスもフランスも区別しないような感じで。

 私らにしたって、ノルウェーとスウェーデンの違いを正確に分かる人間は少数派でしょうし、何かというと欧米、欧米、とひとくくりにして論じたがる傾向があるので、どっちもどっち、ですね、確かに。アフリカなんかになると、もう国自体知らなかったりするわけで。

 中国に関しては、1970年代の日本と比較する論調が多いみたいですが、個人的には、1930年代、昭和初期の日本との共通点が多そうな気がします。具体的には・・。

 ・高度経済成長

 というと戦後のそれを連想しがちですが、日中戦争までの日本の経済成長率(数パーセント程度)もあの当時の世界では高い方。1955年の経済白書中の「もはや戦後ではない」というフレーズの根拠はあらゆる経済数値が昭和初期においてもっとも経済状況がよかった1936年(昭和11年)の数値を超えたこと、ですし。そんな時期になんで2.26事件のような大規模クーデターが?という話は長くなるので割愛。

 ・格差社会

 中国が非常に富裕層と貧困層、都市と農村の落差が激しい格差社会であることはよく言われることですが、戦前、昭和初期の日本もまた都市と農村、富裕層と貧困層の落差は激しい格差社会でした。一般工員の年収が600円の時代に、三井財閥理事の一夏のボーナスが40万円というのだからすさまじい。これは、左右両翼から非難、攻撃のターゲットとなり、三井財閥理事の団琢磨氏は右翼の血盟団のテロで殺害されますが・・。

 農村も昭和6年の大不況時などコメの価格暴落で悲惨な状況となり、風俗産業に身を投じる女性が後を絶たない一方、都市部では、失業さえしなければ、その「価格破壊」の恩恵をフルに受け、生活が楽になったりしてました。戦時中に田舎に疎開して、いじめられたり、終戦直後に農村にものを売りに出して、二束三文で買いたたかれたことを、つらい思い出として語る都会出身の年配者は多いけれど、農村側、田舎側からすれば、都会出身者に対する複雑な感情があったんでしょうね。
 中国も戦前の日本以上に都市と農村の落差が激しい、というか戸籍上も区別されていたりして、所得格差だけでなく、感情面でもかなりの対立というか軋轢があるんでしょうね。

・国際社会との軋轢

 現代中国がインドとの国境紛争、日本、フィリピン、ベトナムとの間に領土問題を抱え、なおかつその強引な「解決」ぶり、アフリカへの資源獲得ためのなりふり構わぬ進出ぶり、チベット、ウィグルなどでの人権問題、急激な軍備拡張で非難などなどで浴び、警戒されることが多いですが、戦前の日本も満州国建国で世界的な非難を浴び、その軍備と軍事行動は周辺諸国の恐怖の的でした。
 また、低コストによる輸出攻勢で国際市場でのシェアを急速に広げ、先進国の保護主義を招いたのも、中国と戦前日本は全く同じ。
 そういった諸外国の非難に対し、ナショナリズムが盛り上がるのも戦前日本と現代中国の共通点。6〜70年以上の時を経て、かつての被害国(中国)がかつての加害国(昭和初期の日本)に似てくる、というのはなんだか、すごい皮肉。

 ・やたらと多い海外移民

 中国人とか中国系の移民は世界の主要国のほとんどで見かけます。戦前日本はここまで広範囲ではないにしても、やはりアメリカ、ブラジルなどへの移民は非常に盛んでした。

 って、フランスでなく中国の話になっちゃいました。個人的に父親が仕事上非常に深い関わりがあったもので、中国には関心があるんです。フランス人に限らず、欧米人でここまでの関心(日本、中国に関して)と知識のある人は・・、多分、ごくごく限られた少数派なんでしょうね。

 参照 田原総一郎著「日本の戦争」、岩瀬彰著「月給百円のサラリーマン 戦前日本「平和」な生活」、武田知弘著「戦前の日本」、「ヒトラーの経済政策」

>フランスでちゃんと「日本」に特化して「親日」なのはやはりガラパゴス化しているオタク文化系に対してかもしれません

 これはもうなんて反応してよいのやら・・(笑)。オタク文化こそ、日本最強の「秘密兵器」「外交ツール」なのかもしれない、と冗談抜きで考える今日この頃なのであります。

273あがるま:2010/10/02(土) 02:03:11
クリスティアン・バッハ
彼のミラノ時代の卒業作品といはれる『ディエス・イレ』をLPで聞いた時からフアンになりました。
解説にはケミカルな魅力があると書いてありましたが、ダイナミックで力強いホモフォニックな音楽はモツァルトより魅力があります。
A.エフリキアンか誰かイタリアの録音でしたが、その後リリング指揮のものも出たやうですが聞いたことはありません。
『シリアのアドリアノ』といふハドリアヌス帝を扱つたオペラがマッケラス指揮でザルツブルグ音楽祭上演されたこともあります。
I・ヘブラーのピアノ・コンチェルト集や管楽器を交へた室内楽が有名ですが、期待ほどではなくやはり声楽曲に魅力があります。
モツァルトのオペラはイタリアオペラとは全く違ふ不自然な発想で書かれてゐるので声楽家にとつては音程を取るのが難しいと聞いたことがあります。01.10.2010

274あがるま:2010/10/21(木) 02:04:25
フランス古典劇
フランスのバロック音楽とそれに付随したバレーがギリシア・ローマの演劇と密接な結びつきがあることを読んで少し興味を持ちました。
フランス古典(悲)劇のDVDは前から探してゐたのですが中々見つからない − 日本のフランス書店でモリエールのDVDが一枚一万円だといふので驚きました。
FNACで検索したらコメディ・フランセズが1997年から2003年に上演した17枚組みのモリエール集が130ユーロほどだといふのでモリエールには興味がないけれども注文してみることにしました。
念のためにフランスのアマゾンで見ると(何故か)80ユーロほどで2〜30ユーロの送料を入れても一万円程度です。
このMoliereLaCollection,2008 Ed.MontparnasseにはCh.Moryのモリエールについての400頁ほどの本(フォリオ版)と30頁ほどのコメディフラン・セ−ズの小冊子もついてゐます。
Amazon.frはドイツ・ポストの便 − 此処はDHLと提携してるので一週間ほどで着きます。
ラシーヌやコルネイユにもこんなものがあると嬉しいのですが、ネット上では映画か劇場録画か良く分からないので困ります。コメディ・フランセズの売店に行けば売つてるのかも知れませんね。
フェードルとル・シッド、或いはユゴーのリュイ・ブラスは見つけました。

275Sekko:2010/10/21(木) 16:49:51
18世紀ディクション
コメディ・フランセーズでは現在、普通は今風の発音でやっています。学校ではちゃんと18世紀ディクションやジェスチュエルも教えていて、たまに、18世紀のヴァージョンで上演されます。子音が全部発音されたり、たたまれていた言葉が全部展開される感じです。フランス人には不自然ですが、日本人にとっては、むしろ聴きやすいです。

 今回のコンサートでは少し18世紀風ディクションでオードを朗読してもらいます。芦屋の公開レッスンでは、ソプラノの方にディクションを指導します。

今から日本に出発しますので、3週間ほどはトリオのブログのみのチェックとなります。

http://nitetis.cocolog-nifty.com/blog/

276迷える大羊:2010/12/15(水) 22:35:05
フランス転職事情
 私自身、転職を何度かしているもので、この辺りの事情に興味が持ちました。巷に流れるイメージ、ステレオタイプは欧米では転職当たり前、したことない方が珍しい、日本は転職のイメージが悪い、終身雇用、といったものですが、実際のところ、どうなのかな?と思いまして・・・。

 まあ、欧米といっても一緒くたにはできないみたいで、ドイツ系スイス人の知り合いによれば、ドイツとかドイツ語圏スイスの場合、確かに一つの企業に老人になるまで勤め上げる人は滅多にいない。その一方で、じゃあ、転職にもろ手をあげて賛成、理解しているのか?というとそうでもないみたいで、二年以下の職歴がいくつもあったり、職種に一貫性がないような転職を重ねていると、面接で厳しいツッコミをされる、40歳以上の人間の場合、リーダーシップ、つまり管理職、部下持ちの経験を求められるのは日本同様らしいです。

 また、日本で最も有名なフランス人ビジネスマン、経営者のカルロス・ゴーン氏の経歴も知る限りでは、ずーっとルノーグループ一筋で、全く無関係の他社に「転職」した経歴は見当たりません。

 逆に日本でも転職する人は徹底的にしていますし、私の実感では学校卒業から老人になるまで、ずーっと一つの企業、という人は今も昔も労働条件に恵まれている場合が多い、大企業に限られていたような気がしますし、企業への忠誠心とか職務への忠実さ云々というよりは、一部の「やり手」を除けば、年金や生涯収入の点で転職回数が少ない方が有利だから、というのが本当のところのような気がします。あと、35〜6歳を過ぎるともうカンタンに入社させてくれる企業がない、というのも。
 フランスの場合、どうなんでしょう?先生の知人、友人はやはり転職経験者が多いんでしょうか?

 ところで、欧米諸国の場合、日本のように新卒者を年度初めに一斉に入社させる、似たような時期に新卒者だけを採用する、といった制度、風習がない、学校出たての新卒者も中途採用と同様の条件で就職に望む、と聞きます。これを、アチラの人間は「自立」している証拠、それに比べて日本人は、、みたいな論調を展開する人(日本人)もいますが、考えてみるとこれって若者にすごく不利、厳しくないですか?

 だって、これってすなわち、あちらの学生さんは職務経験豊富、世間のことも知っている大人と就職で競争しないとならないんですよね?しかも、あちらには若者の給料は安く、年配者の給料は高く、といった年功序列の賃金制度じゃないわけでしょ?大抵の経営者なら経験豊富ですぐに仕事を任せられる「大人」の方がいいに決まってますよね?
 各種統計を眺めると、欧米先進国、特にフランスの若年(25歳以下)失業率がやたらと高いのはそのせいかな?と愚考しないでもないです。

 その辺も含めて、フランス、ヨーロッパの就職、転職事情をいろいろ知りたいものです。

277Sekko:2010/12/20(月) 06:48:50
フランスの転職など
お久しぶりです。

まあ、一般論を語ると長くなるので、私の周りの実例だけ言いますと、フランスの特色はやはりナポレオン以来の国家による一環教育(これはそれまで教育がカトリック教会の専売だったような事情に対抗したものです)とそれによる免状のヒエラルキーが確立していること、また職能(メチエ)というカテゴリーがはっきりしていて、職別の免状によって地位が守られていることの二つです。

まあ、EU の発展とか、グローバリゼーションのせいで、その独自の縦割りや横割りがどんどん崩れていってはいるのですが、それでもまだまだ特権指導層は自分たちのグループを守ろうとしますから、免状社会の壁はなかなか崩れません。一方で、公教育が原則無償とはいえ、やはり旧植民地系の移民の子孫などには見えないハンディがあるわけで、上級の免状を獲得するのは難しいのが現状です。そういう人たちにはいわゆるガラスの天井というのがあって、たとえ免状があっても就職が困難だと言われています。

でも、それは普通に大学や大学院を出ている場合で、グランゼコールと呼ばれるエリート養成学校にまで到達した場合には、出自差別よりも出身校の学閥の方が優先されていますし、公務員系のキャリアではなおさらです。就学中に企業研修を繰り返すのが普通で、卒業前の最後の研修先がそのまま就職先になることも多いです。
私企業だと、同期に同業務で採用されても、免状による給与差別があることは普通です。

フランスは労働者の権利が強いので、正規社員を解雇することが非常に難しいことから、最初から期間限定の条件で働く人も多く、無期限の正規社員枠はやはり免状、またはコネで決まることがほとんどです。途中でポストが空くことの情報自体にも情報格差があってすでに人脈を持っている者同士で伝え合うので、並みの免状でコネがない人は事実上かなり不利だと思います。

正規社員が就職して二年以内に転職するのは一般に警戒されます。前の会社の勤務評定のようなものも考慮されます。エリートの転職は何歳の場合でも、大体前の給料の15%増しを条件にステップアップしていくようです。

最近ブログに書いたのですが http://spinou.exblog.jp/15477316/
それでもフランスは伝統として失業者や低所得者をサポートしていくのが国の方針ではあるので、今の日本よりも弱者には住みやすいかなあという感じはしますね。

278迷える大羊:2010/12/20(月) 20:41:31
フランスの学歴社会
 うーん。かつて、日本は「学歴社会」などといわれたものですが、お話伺うと、かつての日本など比べ物にならない「学歴社会」ですね、フランスって。どうも、社会や国家、企業の将来を担うエリートとそうでない人はまったく「別人種」みたいな感じがしますね。

>正規社員が就職して二年以内に転職するのは一般に警戒されます。

 あ、やっぱりそうですか。どこの社会も甘くないですねぇ。日本の場合、新卒(または20代での早期転職)→正社員入社→長期勤務のレールにうまく乗っかれた人にとっては、「良き社会」ですが、そのレールから外れると途端に厳しくなる、敗者復活が困難、なところが問題、と個人的に感じますが、どうでしょうね?

 あと、日本の雇用についてはこういう気になる動きが・・・。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101219-00000567-san-soci

(ローソン、ユニクロ、ヤマト運輸…増える外国人留学生採用)

 今のところ、大手企業の一部ですが(だからニュースになるんでしょうが)、これが一般的、当たり前になったら。日本にいる日本人学生であっても優秀な外国人学生との競争もしなくてはならないわけで、社会的地位、収入ともに外国出身者の方が上、というケースが珍しくもなんともなくなる、なんてことがありえるわけで。で、就職に落ちこぼれた学生、若者が外国人排斥、右翼活動に走り、なんてヨーロッパで見られる光景が将来日本でもみられるようになる?考えすぎかな?。

 >正規社員を解雇することが非常に難しいことから

 これも難しいところですね。簡単に解雇できるのも問題ですが、一方であまりに解雇条件が厳しいと逆に「新規参入」が難しくなり、却って失業が増えるという問題が出てきますし。
 雇用の問題はいろんな要素が絡み合って、何がいいのか、悪いのか、一筋縄で語れないところがあって難しいですね。でも、なんでもかんでも「自己責任」で片づけられる社会はゴメンこうむりたいですね。イエスの「放蕩息子の話」「ぶどう園の労働者の話」のメッセージ、精神は忘れられないことを祈るばかりです。

 

279:2011/02/11(金) 22:18:51
諸世紀の訳について
竹下節子 様

日本で紹介されているノストラダムスの諸世紀第10巻72番の最も権威ある翻訳文は竹下様のものだと思っております。

L`an mil neuf cens nonante neuf sept mois,

を「1999年7の月」と訳されていますが、これは「1999年と7カ月」という意味なのではないでしょうか。

また、4行目の

Avant apres, Mars regner per bon heur.

「前後に火星が幸福に統治する」と訳されていますが、

「火星の前後に幸福が統治する」という意味にも読めるのではないでしょうか。

この場合の主語は、詩の2行目の「恐怖の大王」なのか、3行目の「アンゴルモアの大王」なのか、それとも、そのいずれでもないのか不明なのではないかと思いますが、如何でしょうか。

フランス後の古文の翻訳で、大変難しく、図書館などで調べても容易に分かりません。いろいろな方が、いろいろな訳を公表されていますが、正しい意味を追求しようという感じで取り組まれている方は少ないように思います。

私自身は、特に予言には興味はないのですが、以前、フランス(ニース)在住のギタリスト伊藤亜子さんとお話ししたときにノストラダムスの話題がでて、少しだけ関心持っているものです。

たまたま、こちらのサイトを拝見しまして、うかがってみよう思ったしだいです。

どうかよろしくお願いいたします。

by エトワール

280:2011/02/11(金) 22:37:11
諸世紀について
竹下節子 様

大変恐縮ですが、もう一点だけ追加でお教えください。

3行目の冒頭に「Resusciter」という語があり、「甦らせる」と翻訳されていますが、この意味は「人々の心に甦らせる」という意味にもとれるのではないかと思いますが、如何でしょうか。

どうかよろしくお願いいたします。

ブログを拝見しました。クラシック音楽、キリスト教、哲学などについての記事を大変興味深く拝見いたしました。素晴らしいブログだと思います。

by エトワール

281Sekko:2011/02/14(月) 07:01:32
エトワールさま
ブログのご愛読ありがとうございます。

さて、ご質問の件ですが、訳の可能性としてはいずれもあり得ると思います。ただしそれは解釈の範疇であって、ノストラダムスの意図がどうだったかとか、16世紀のフランス語だからこうだとかいう確実性はないものです。

http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/sonota/1072.htm

にあるような

「千九百九十九年七ヶ月、

天から恐怖の大王が来るだろう。

アンゴルモワの大王を蘇らせ、

マルスの前後に首尾よく統治するために。」

というのも、妥当なように思えます。

もしも普通のフランス語風に考えるなら、

viendra という動詞だけが時制変化しているので、その後に来る二つの動詞原形は,いずれも、恐怖の大王が主語ということになります。

でも、ノストラダムスの4行詩には動詞が時制変化しないで原形で放り出されていることがよくあったと記憶しているので、「統治する」の主語がマルスという印象は受けます。コンマの使い方からも。

どちらにしても、この詩だけ取り上げても不明なので、大きい文脈を見る必要があるでしょう。そして、この詩の解釈について今の時点でなおこだわっていらっしゃるということ自体がまたどういう流れの中にあるのか、も見逃せないところです。

ノストラダムスと世界の終りの言説にトラウマを受けたという世代がいることは知っていますし、ノストラダムスに何かを言わせたいという人もたくさんいます。

フランス語には美しい詩がたくさんありますから、別のものにぜひ挑戦してください。

http://setukotakeshita.com/

282:2011/02/15(火) 14:16:53
恐怖の大王の正体
竹下節子 様

丁寧なお返事をいただき大変感謝しております。

最近のことですが、ノストラダムスの1558年6月27日付アンリ二世あての手紙に次のような記述があることに気づきました。

& auant iceux aduenemens, aucuns oyseaux insolites crieront par l'air. Huy, huy , & seront apres quelque temps esuanouys,

これらの出来事に先だって、見かけない鳥たちが空で「ユイ、ユイ」と鳴き、しばらく後に姿を消すでしょう。

この鳥というのは、2003年に運航を停止した超音速旅客機コンコルドのことではないかと思います。

エトワールの第10章72番の解釈は次のとおりです。

ノストラダムスの時代はユリウス暦でしたので、1999年7の月というのは、グレゴリオ暦の2000年7月14日から8月13日までのことだと解釈するのが正しいのではないかと思います。

「アンゴルモアの大王」というのは、フランソワ1世の父でアングレーム伯と呼ばれたシャルル・ドルレアン(Charles d'Orléans Comte d'Angoulême)とよく似た名前のシャルル・ド・ゴール(Charles André Joseph Pierre-Marie de Gaulle ste phane ruegg)のことではないかと思います。

2000年7月25日にシャルル・ド・ゴール国際空港を飛び立ったコンコルドAir France Flight 4590が、離陸直後に炎上し、墜落しています。この時の火だるまになって落ちていくコンコルドの映像は、シャルル・ド・ゴールの名前とともに全世界へ広く報道されました。

ド・ゴールの業績を顧みると「マルスの前後に幸せに統治する」というのも、思い当たる感じがします。

ノストラダムスの第10章72番の詩は、あれほど話題になっていたのに21世紀になってから誰も話題にしなくなったことを不思議に思います。

エトワールは、ノストラダムスをあまり高く評価していませんが、ご指摘のとおり世界の終りの言説にトラウマを受けた世代の一人として、第10章72番の詩には、どうしても決着をつけておきたいと常々思っていたしだいです。

1999年7の月、
空から来るだろう、恐怖の大王が、
アンゴルモアの大王を甦らせる、
前後に火星が幸福に統治する。

それでも、この美しい翻訳を目にしなかったら、今頃になって、こうしたことを深く思索することもなかったのではないかと思います。

一つ区切りがつきました。

ありがとうございました。

283迷える大羊:2011/02/19(土) 00:26:49
懐かしい・・・。
 懐かしいですね、ノストラダムス。昔、五島勉氏の「大予言」シリーズがたくさん本屋に並んでましたねぇ。しかし、あれの「1999年云々」を真に受けて、人生を悲観したり、カルトに走ったりした人間もいたのだから、罪な話でもあります。別に質問、というわけではなく、単なる独り言ですけど・・・・。

284迷える大羊:2011/02/26(土) 17:46:00
「エリート」の善し悪し1
 これまで、先生にフランスの就転職事情や大学など教育の事情を伺って、フランスって日本など足元に及ばない「学歴社会」だ、ってことと国や社会、企業の将来を担う「エリート・幹部候補生」とその「エリート」に判断とリーダーシップを委ねる非エリートがはっきりと二分化している社会、との印象を強く持ちました。(そういえば、現在の日産CEO、ルノー出身のムッシュ・カルロス・ゴーンも、やっぱり、しっかりグランゼコール出身でした・・・)

 まあ、日本でも、官庁では「キャリア組」と「ノンキャリア」ってありますし、民間企業でも有名大企業に就職しようと思ったら新卒の入社段階ですと、いわゆる一流大学でない学生は面接にすらたどり着けない(私も新卒時代、これで涙をのみましたっけ)、ってありますけど、一度入社してしまえば、あまり出身学校は、全く無関係とはいわないけれども、ほとんどこだわりを持たれることは少ないし、転職の場合はあくまで職能と実績。
 っていうか、そうでないと肝心の仕事が回っていきません。

 で、このフランスのあまりの学歴っていうか、グランゼコール偏重って問題が発生することがないのかしら、と思ったら、とあるブログにこんな書き込みがありました。なんでもフランス系の外資系企業に勤務経験がある方らしいのですが・・・。

『ええ。私も以前グランゼコール出身者の下で働いていたことがありましたが、その彼は全く実務に疎い甘ちゃんでしたね。おかげで現場は大混乱。愛想を尽かした正社員の大半が辞めてしまい、ついには派遣社員だらけになってしまいましたが、それでもフランス本国は頑として彼を更迭しようとしませんでしたね。異常な世界だと思いました。』

 まあ、匿名で具体的な企業名も記されていない書き込みですので、信憑性は?ですが、個人的には「あり得る話だ」と思いましたね。
 あと、これだと、非グランゼコールの一般労働者、サラリーマンがやる気無くしませんか?

 フランスの労働者のステレオタイプって仕事はあくまで飯のタネ、夏はバカンスをしっかり、がっちりとり、ほとんど趣味なんじゃないの?っていうくらいストライキをよくやる、サービス残業?バカじゃない?といったものですが、これ、国民性とか文化の問題ではないような・・。私だって、働き、能力、実績に関係なく、初めから高給をもらえるポストに就ける人間は決まっているのなら同じように、適当にやるよなぁ、って思いましたし。セーフティネットは充実しているようですが、これで、セーフティネットもなし、なんていったらそれこそ、ストどころか暴動起こしたくなるかも、です。

 「あのグランゼの坊ちゃん(お嬢さん)には参っちゃうよなぁ、全然、現場しらねーんだもん」「机の上で数字ばっかぎゃあぎゃあいってないで、たまにはテメェで得意先回りの一つでもやってみろってんだ」なんて、フランスの非エリートのサラリーマン、労働者は今日もビストロで一杯やりながら、愚痴っている、んですかね?

 もちろん、大半のグランゼコール出身者は厳しい勉学を頑張ってきただけあって、職場でもそれなりに優秀なんだ、とは思いますが・・・。

 

285迷える大羊:2011/02/26(土) 18:29:11
エリートの善し悪し2
 1ではグランゼコール偏重、エリート偏重の弊害面を想像して書き込みましたが、一方で、フランスが国際政治、外交の上で確固たる存在感、影響力を発揮しているのは、このグランゼコールっていうか、「エリート」、っていうか、うーん、なんていったらいいのか、「リーダー」「指導者」候補者の養成を常に怠っていない社会だから、という点も大いに関係あるかも、といった気がします。決して、核保有国だから、ということだけではないでしょうね。

 逆に日本が、単純に国力だけみれば、フランスを遥かに凌いでいるにも関わらず、国際政治、外交での影の薄さは、「エリート」不在の社会で、リーダー、指導者タイプの人間が出にくい社会だから、でしょうね。
 日本は昔から、経済一流、政治二流、だとマスメディアなどでいわれますが、それは当然で、政治家がさほど尊敬されたり、ステイタスになったりする職業でない上に、一般国民の政治そのものへの関心も低く、国勢政治でも投票率が4割以下なんて数字が珍しくない国ですから、それは当たり前ですね。決して、政治家個人個人の資質の問題、ではないと思います。
 エリートっていうと、人を高みから見下す、選民思想、なんてネガティブなイメージを持ちがちですが、一方で、組織、社会にはまとめ役、リーダー、責任者というものは絶対必要
なわけで、それは、それで大変な仕事であるわけで。そういう仕事、立場が尊敬を集めない、関心を持たれない、一目置かれない社会で、優れた政治家なり、リーダーなりが出てこないのは当然かな、と。個人的に、斜に構えて「今の政治がなんたらかんたら」とか、安直な「昔は良かった」とか、言っている人をみると、「じゃあ、どっかの政党員になって選挙に立候補したら?」「それより、ちゃんと選挙行ってる?」っていいたくなります。

 ちなみに私の住む自治体の首長は、弱冠34歳です。まだ、顔に少年ぽさが残ってます。素直にその若さで、すごいなぁ、えらいなぁ、って思います。

286Sekko:2011/02/27(日) 08:56:26
エリートの話
私の伝聞によるイメージでは、日本の外資系のトップで評判が悪いのは金融系で、トップはビジネススクール系のグランゼコールという場合です。この場合は、彼らは3年くらいの「腰掛」で日本に来るだけなので、その後は別のところに行ったりして、最終的にフランスに戻ったりするわけです。だから、日本の事情を真剣に理解しようという気もなくて、会社の引っ越しだとか迷惑なことばかりしたり・・・

カルロス・ゴーンのような理系グランゼコール出の方が、成果主義というか実務に優れていると思います。ビジネススクールの予備クラスが理系と同じく2年課程となったのはここ15年ほどのことで、その前の人は受験勉強が理系より厳しくなかった、また、基本的に国立である理系と違って、ビジネススクールはすべて私立ですから、学費もかかり、お坊ちゃん系が多くなり、学校によってレベルの差もばらつきます。

今は学歴のグローバル化が進んで見えにくくなっていますが、やはり難関の学校を出た人たちは既得権を守ることもあって学閥を作りやすいです。

その代わりすごく働くし、体力も精神力もタフです。だから、残業も当たり前で、でもバカンスにだって行きますよ。「労働者」の方は、日本よりもずっと組合の力が強いので、愚痴を言い合うだけでなくもっと強硬に出ますね。解雇させにくい国だし。

世界価値観調査というものによれば、「人生の成功は勤勉よりも運やコネによる」と言う価値観を持つ人が、日本では1995年に20.3%だったのが、2005年に41%になったそうです。
これに対して、アメリカでは22.6%、中国では24.9%、日本より比率の高いのにフランスの43%、ロシアの51.8%、だそうです。(中央公論2月号の時評で読みました)(フランスとロシアの意味はかなり違うと思いますが。)
フランスでは、「勤勉が学歴につながり、それがコネにつながる」という可能性が一応残っています。それを塾なしで、すべて無料の国公立校で実現できるのですから、ある意味、機会の均等はあります。医学部もすべて国立ですし。まあ、実際問題として、教育者の子供とかブルジョワ・ホワイトカラーの子供の方が、勤勉につながる環境にありますが・・・

日本人が政治に関心がない、という感じなのは、日本での「民主主義」の導入のされ方の聖だと思います。もとキリスト教文化由来の「近代民主主義」を普遍理念と掲げつつ実は支配の道具にしていくという欺瞞はどこでも同じですが、その方法にはお国柄が出る気がします。今それについて書いています。現在のアラブ世界の「民主革命」のことも含めて。



 

http://setukotakeshita.com/

287迷える大羊:2011/02/28(月) 21:39:02
世界に冠たるヨーロッパ?1
 フランスというよりはヨーロッパ全般の話ですが・・・。

 近年、というより、ここ十数年、欧米系、特に英語メディアで日本関係の話となると相変わらず目にする「日本衰退」の論調。リーマンショック以降、欧州経済が落ち込んでからは、「このままでは日本のようになってしまう」物言いもちらほら出始めました。
 少々古い(2010年9月9日)記事ですが、ご紹介する英国・フィナンシャル・タイムスの記事もそんな内容(もっとも日本に触れているのはほんの一段落程度ですが)。つまり、欧州は日本的に影の薄い存在になりつつある(Europe heads for Japanese irrelevance)」ということ。
 つまり、日本ってなんだかんだいっても世界有数の経済大国ですが、一方で国際政治、外交分野での影響力は、本当に影が薄い、欧州もそんな存在になりつつある、いいのか?これで?というボヤキとも警鐘ともつかぬコメントです。

http://www.ft.com/cms/s/84efd5fe-bc55-11df-a42b-00144feab49a,Authorised=false.html?_i_location=http%3A%2F%2Fwww.ft.com%2Fcms%2Fs%2F0%2F84efd5fe-bc55-11df-a42b-00144feab49a.html&amp;_i_referer=http%3A%2F%2Fnews.goo.ne.jp%2Farticle%2Fnewsengw%2Fworld%2Fnewsengw-20100914-01.html%3FpageIndex%3D1#axzz1FFkFCukW


 記事を書いているのは、フィリップ・スティーヴンズ、という人で、フィナンシャルタイムスの副編集長のようですが。えーと、まあ、簡単におおざっぱに記事の内容をご紹介していくと・・・・。

「国際関係の主立った専門家が集う会議で話題の中心となるのはもっぱら中国で、中国がいつアメリカを追い抜くかが最大の関心事なのだと。そしてそういう場では「欧州は傍観者に過ぎないという印象は紛れもない。これが欧州にとっての問題なのだ」

 で、日本については、

「同じような話としてすぐに思い浮かぶのは、国際舞台における日本の不在だ。世界ランキングで最近になって中国に追い越されたとは言え、日本は依然として経済大国だ。しかし世界情勢の議論においてはもう長いこと、日本の姿がほとんど見えない。日本は変化を起こす側ではなく、変化を受けとめる側の役を、従順に受け入れてきた」

ゆえに「世界の新秩序、あるいは無秩序をこれから形作っていく主要プレイヤーはアメリカと中国になるのだろう」と言う筆者は、「欧州連合(EU)の弱体化」を次々と批判し、EUのみならず個別の欧州各国も世界プレイヤーとしては力不足だと書きます。「フランスは決して世界の大国であるフリを止めたりはしないが」サルコジ大統領がぶちあげる壮大な世界戦略に聞く耳をもつ者は減っていると。イギリスの新政権は国内問題にしか関心がない様子だし、ドイツがかつて大国の真似をしようとした時はとんでもない経験に終わったと。

「経済力は大事だが(中略)力を外に向けて発揮して、地政学の地図上を居丈高にのしのし歩き回るのとは、まったく別の話だ」
 というわけで、スティーヴンズ氏はドイツについてこう書いています。

 そして欧州全体についても、問題は色々あるけれども社会や政治は機能しているし、住民1人あたりの所得は中国の10倍だと。つまり欧州は「小国」として機能し、「小国」なりの影響力を発揮しているのだと。

 国内総生産(GDP)が中国に追い抜かれたと言っても国民1人あたりの所得は中国よりも高いし、社会は(世界全体と比べれば比較的)安定し、国民の自由も(比較的)保障されている日本の状況とよく似てますね、確かに・・・。(2に続く)



 

288迷える大羊:2011/02/28(月) 22:06:26
世界に冠たるヨーロッパ?2
(世界に冠たるヨーロッパ1より)しかしスティーヴンズ氏はそれでは不満なようで、「アメリカはハード・パワーとソフト・パワーを結合させる方法論を編み出した。しかし欧州はぼんやり夢想しているだけで満足なようだ」と結んでいます。つまり国際舞台において目に見える具体的な影響力(軍事力など)と、もっと緩やかで潜在的な影響力(文化伝播力など)を両方駆使しなければ、欧州はますます日本のようになるぞと。それでいいのか?

 というわけです。個人的には何が悪いんや?と思ったりしますが・・・。それこそ、事業仕訳人のれんほー大臣ではありませんが「2位じゃじゃダメなんでしょうか?」。
 確かに、相手に侮られない程度の政治外交力、軍事力は必要かと思いますが、欧州諸国は押し並べてその最低限のレベルはクリアしていると思うし、下手に大国を目指して世界中のあちこちで戦争をしているような国になる必要ないじゃん、とも。
 このスティーブン氏って一体いくつなんでしょう?世代的に「世界に冠たる、日の没することなき帝国」を懐かしむ世代ではないと思うのですが・・・。

 さて、ご質問となりますが、欧州人も「現実」は十分わきまえているかとは思うのですが、欧州が何世紀にもわたって世界の中心だったという意識は、ヨーロッパ人の多くに本能のようにして染み付いていて、世界の方向性を決める場に欧州がいないなどという事態は大英帝国が失われて半世紀以上たった今でも、本音部分ではなかなか受け入れられていないんですかね?。特に、政治軍事外交とは無関係な一般の欧州人の意識はどんなものでしょう?

 まあ、個人的に、このスティーブンス氏の母国・英国についていえば(フランスも同様ですが)私は大英帝国としてブイブイ言わせていたころのクソ生意気でゴーマンな英国よりも、モンティ・パイソンなど自虐ユーモアに溢れ、ビートルズ、ストーンズ、ツェッペリンなどブリティッシュロックを筆頭に充実したサブカルチャーが存在する戦後の英国の方がはるかに好きですし、尊敬しますけど・・。

 あと、このスティーブン氏は日本を最悪の例、と思っているようですが、そりゃまあ、確かに政府とか政治家の対外交渉力は低いけれども、世界標準からすれば経済力はあって、国民生活も(比較的)安定している」日本のポジションは、ぬるま湯ではあるけれども、戦渦に見舞われている国に比べればそこそこ悪くないよ??と苦笑しつつ、自慢したいところです。(人と比較して、アイツよりマシだから、と安心する性根は決して感心できたもんじゃないかもしれませんが)。電車は時間どおりに発車しますしね。

289あがるま:2011/03/02(水) 21:49:06
(無題)
フランスではconciergeュは禁止用語だと聞いたことがあるが、日本ではどんな意味か知らないが、本のコンシエルジュなんて言つてる。
conseillerと間違つてるんぢゃないのか?

290Sekko:2011/03/02(水) 23:14:32
本のコンシェルジュ
・・・なんて言葉が日本語にあるのをはじめて知りました。これはアドヴァイザーという意味ですよね。きっと、昔の「アドヴァイザー」という語感が「上から目線」を避ける今の風潮で、「いろんなことを知っているけれど腰を低くしてお客様のご案内をする」というニュアンスでホテルのコンシェルジュという語を転用したのでしょう。

フランス語では普通に建物の管理人です。
禁止用語じゃないですよ。gardienと同義です。でもgardienの方が広義で、刑務所の番人みたいなものも入りますから、警備員という意味はないconciergeの方がやはり少しソフトかもしれません。

ホテル業界はフランス語がけっこうステイタスになっているので、ホテルのお客様サービスにこの言葉が使われ始めたのですね。
グローバリゼーションの世の中だから、フランスのホテルでもそういう言い方をしているところがあるのかもしれませんが、普通は接客業で相談口になるのはAccueilで、そこにいる人は 「Hôte/sse d'Accueil」ということになります。

でも日本語じゃ「本のホスト」とか「本のホステス」は無理ですね。ちょっとおしゃれなコンシェルジュというのでしょう。フランス語に直訳すると意味不明ですが。

http://setukotakeshita.com/

291Sekko:2011/03/02(水) 23:35:55
世界に冠たる・・・
フランスでそんな風に言っている人って、ある種の政治家とか以外にいないんじゃないでしょうか。外憂内患と言いますが、内患の方が大変で、外に威信を発揮する暇がないというか。
昔の帝国主義のように外に拡大するどころか、今はアラブ革命で発生している大量の難民や不法移民をどうするかであせっているわけですから。

それにフランスは、「建国神話」のヒストリーをごり押しし続けたアメリカと違って、フランス革命後のテロルとかナポレオン戦争とか王政復古とか、ごまかしようのない「失敗」を重ねているんで、その分シニックで、たまに偉そうにしていても腰砕けでかわいいと言えばかわいいような・・

アングロサクソン国に比べてフランスが日本好きなのは確かなようです。アングロサクソン国は、まあ「鬼畜米英」と日本も言ってきた対称構造があるわけですからね。
ビジネスの中心は中国に移ったということで日本から中国に駐在先を移したフランス人のほとんどは、日本と中国のメンタリティの差のあまりにもの大きさにショックを受けて日本をなつかしんでます。

そう言えば大羊さんは幼少時は台湾在住で台湾語をネイティブ並みに操ってらしたということですが、単語や構造は忘れていても発音や抑揚はどこかにインプットされていると思います。それを生かすこともできると思いますよ。

http://setukotakeshita.com/

292:2011/03/03(木) 01:46:26
日本は立憲君主国か
1990年代に、フランス人の友人に聞いた話によれば、フランスでは「日本は立憲君主国であり、日本の元首は天皇である」と皆が思っているとのことでしたが、この認識は正しいものなのでしょうか。

日本政府の公式見解では「天皇をほぼ元首として差し支えが無い」としていますし、内閣法制局は「日本は、立憲君主制と言っても差し支えないであろう」としています。また、「天皇は限定された意味における元首であるとする。一方で、天皇を元首と呼びうるかは定義による」としています。外務省は「日本は立憲君主国である」としています。判例では、プラカード事件第二審において「天皇は元首である」と判示されています。

国内的な解釈は以上のとおりのなのですが、外国からはどう思われているのか興味があります。

何を持って国家元首とするかについては次の2つの有力説があるようです。

1 兵が忠誠を誓う相手が元首とする説
2 自国で開催されたオリンピック開会式の開会宣言を行うのが元首とする説

日本国憲法では明文上「軍隊」を保有しないことになっていますので、自衛隊の服務宣誓については他国における「兵の元首への忠誠」とは一線を画しているようです。自衛官は兵ではないとされています。自衛官は、天皇へも、内閣総理大臣へも服務宣誓はしていません。(自衛隊法施行規則39−42条)

オリンピック憲章では近代オリンピックの開会宣言は開催国の国家元首によっておこなわれるものと規定されています。日本で開かれた近代オリンピック(1964年夏季・1972年冬季・1998年冬季)ではいずれも天皇が開会宣言を行っています。

国内では、学会でも様々な議論があり、日本は立憲国主国かどうか、天皇は元首かどうか、いずれもはっきりとした見解はでていませんが、諸外国では「そんなの常識」という感じなのかなと長年思ってきたわけです。

フランスでは、実際のところどうなのでしょうか。

293あがるま:2011/03/03(木) 12:08:29
c'est une vraie concierge
は口語でune personne bavardeのことだと、ロベルにあつたが、軽蔑の意味はないのか!
今日ではgardien/ienneといふと。
マドモワゼルも使はずに女性は皆マダムだとも言つてたやうな。

294あがるま:2011/03/03(木) 12:44:16
ヴァインベルクの『女船客』
といふオペラ − 昨年のブレゲンツ音楽祭の録画 − をNHKで見た。
現代オペラなど殆ど見たこともないし、ナチや戦争の話は嫌なのだが、これは筋よりも音楽が素晴らしく最後まで見てしまつた。
1961年製作の映画『パサジェルカ』(ムンク監督、ダデウシュ・バイルド音楽)と同じ原作で数年後に作られた。
収容所の中では(別の)ポーランド女は、この女船客マルタの20歳の誕生日で最後まで歌へなかつた故郷を思ひ出す歌を、ドラマが終つた後で歌ふヤナチェック風なメロディの叙情的な歌が印象的。
モイシェイ・ヴァインベルクはポーランド人で殆どの家族が絶滅収容所で死んださうで、そのことを知つたのが彼の20歳の誕生日だつたのかも知れない。

295あがるま:2011/03/03(木) 12:54:01
ギャルソン!
もカフェの店員に対して使つてはいけないと一緒に言はれた(やうな気がする)

296Sekko:2011/03/03(木) 18:24:24
あがるまさま
まず、使用状況について言うと、

1.concierge  は建物の管理人について普通に使われています。


2.garçon   は、カフェのギャルソンについては呼びかけとしては死語です。
 私はフランスに暮らして以来、(カフェにいりびたっているわけではないですが)誰かがこう呼ぶのを聞いたことがありません。普通は「シルヴプレ!」でOK。若い女性が給仕していたら「シルヴプレ、マドモワゼル!」ということはあります。

concierge  についての差別的?表現があるのはこういうことです。パリでは今でも、入口に郵便受けがない古い建物が少なくありませんから、そういうところではconcierge が戸別に郵便物を配布します。 また、住居つきですから、ポルトガル移民の夫婦などが多く、奥さんが頼まれてベビーシッターや家政婦をすることも珍しくありません。建物の工事や点検のために、昼間留守の人からconcierge 鍵を預かることもあります。

そんなわけで、「家政婦は見た」ではないですが、concierge というのは各戸のプライヴェートな事情をよく知っていることが多く、共同部分の玄関などの掃除をしている時におしゃべりすることで「噂」の発祥地ともなります。それもあって、こちらではお正月になると、家賃の5%相当をチョコレートやカードと共にconcierge に渡すという習慣があります。これが廃れないのは、やはり口止め料とかいろいろあると思います。つまり、conciergeはある意味の権力を持っているわけで、警戒心と差別心が表裏をなしていると思います。もちろんconcierge の人柄にもよります。

それにひきかえ、Gardien といえば、語感から言って、外部の人間が勝手に入らないようにチェックする、という機能が中心ですね。今は、郵便受けが玄関にあって、コードやインタフォンもあって、管理人を置かないアパルトマンも増えています。もちろん、concierge に呼びかけるときは、「Monsieur XX」と呼びます。

マダムかマドモワゼルか不明の時にマダムと呼ぶ方がリスペクトしているのは今も昔も変りません。でも、フランスもアメリカ的というか今日的なjeunismeが浸透して来ているので、40代くらいの人だったら、未婚既婚にかかわらず、マドモワゼルと呼ばれて、「軽んじられている」と気分を害するよりも「若く見える」と解して喜ぶかもしれません。まあすべては文脈と言い方によります。

297Sekko:2011/03/03(木) 18:46:24
日本の元首
国家間のプロトコルにおいてはフランス語ではhomologueと呼ばれる「同格」の人の認定が必要ですね。

そういう時の日本の天皇は基本的に英国モデルにあわせていると思いますし、普通にもそう見なされています。

フランスのような国では、大統領が全権なので、もし天皇や国王が来れば大統領が対応しますが、日本や英国の首相などが来ても大統領ですね。フランスには首相もいますが、外交と軍事は大統領ということになっているので、やはり大統領です。(今の大統領には内政も全部手を染めて独裁者ふうになっていますが。

フランスはイギリスとの間でそれを使い分けているので日本にもそれを自然に適用していると思います。

日本の天皇が、政治的な権力のない元首、として外交の場で認知されているのはフランスに住む日本人はむしろ助かっていることが多いかもしれません。日本の首相はあまりにもめまぐるしく変るのでついていけなくて信用を落とすんじゃないかと気になるくらいです。 まあフランスは全体としては日本に好意的なんで助かります。

298迷える大羊:2011/03/04(金) 00:47:25
世界に冠たるフラ・・・
>フランスでそんな風に言っている人って、ある種の政治家とか以外にいないんじゃないでしょうか。外憂内患と言いますが、内患の方が大変で、外に威信を発揮する暇がないというか。

 そうですか。英国だけかな?そんなこといっているのは。まあ、目の前のことに忙しくて、そんなこと考えてるヒマなんて、っていうのはその通りでしょうね。

 でも、フランスっていうとかのドゴール主義、ゴーリズム、核武装のイメージが強いもんで。それに、パリの国際空港はそのドゴールの名を冠しているし、これから察するに彼はフランスでは英雄扱いなわけでしょ?それに最近でもサルコジ大統領の「地中海連合」の話がありましたし、そういう事実関係からつい、そういうイメージを持っちゃいましたね。

>アングロサクソン国に比べてフランスが日本好きなのは確かなようです

 ジャパン・エキスポの盛況ぶりや下記の映像をみると、若年層の一部にかなりの日本文化好きがいるようですね。

http://www.youtube.com/watch?v=vbjBYQXjBZE&amp;feature=player_embedded

 しかし、一方で下記のBBCの世論調査によれば、日本は「良い影響を与える国」と評価しているのはフランスやらドイツよりより、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダなどいわゆるアングロサクソン系の国の方がずっと多かったりしますね。ちなみに、かつての同盟国ドイツは日本に対する評価、認識は低いです。「よく知らない」っていうのが本当のところかも、ですが・・。

http://www.globescan.com/news_archives/bbccntryview09/backgrounder.html

 推論するに、フランスでは確かに「親日的」な人が比較的多く存在するが、それは日本に深い知識とか認識に支えられたものではない、アングロサクソン系の国々の方がまだしも、関わり合いがフランスより濃い分、日本について「良く知っている(といっても、あくまで比較的、ですが)」というのが本当のところかな?と。
 まあ、個人的には「親日派」よりは「知日派」がもっと増えてほしいところです。

 このBBCの調査、眺めるといろいろ面白いです。よく、日本の保守派は「日本人の自虐史観が〜」なんて憂いてますが、歴史観はともかく、日本人が自虐的なのは本当のようです。つまり、日本人で自国が「良い影響を与える国」と思うが41%です。海外の国々の方が日本人より日本を評価している、といった結果です。

 ちなみにフランスは72%、やっぱり中華思想の国??アメリカは60%、思ったよりは謙虚ですね。日本とよく似た現代史、戦後史を持ち、日本より「反省している」はずのドイツはなんと80%!(どうも言い方が皮肉っぽくなるなぁ、我ながら)。
 しかし、なんといってもすごかったのが中国。なんとなんと92%!!。中華思想がどうのこうのっていうより、一体、どんな教育を受けたらこんな数字が??すさまじい自虐ならぬ自尊です。

 まあ、サンプル、調査対象の問題もあるので、すべてが事実を現しているとはいえないかもしれませんが、意外な世界の姿がわかって面白い統計でした。

 

299あがるま:2011/03/05(土) 00:53:27
日本語でリスペクト
てのも抵抗があるのですが − 英悟かと思つてたがフランス語でも全く同じ意味?
尊敬ではなく尊重する程度の意味で使つてるのかな?
スタンスとか立ち位地、温度差なんて変な言葉を聞くと何だか気分が悪くなる!

300Sekko:2011/03/05(土) 01:13:00
respect
は「尊重」です。人間にではなくても抽象概念にも使えます。「他人の自由を尊重する」ように。日本語ではずっと「尊敬」のように訳されることが多く、尊敬はむしろestimeなので、困るなあと前からかんがえていたところ、いつの間にか「リスペクト」という英語が日本語化していて、これでフランス語のrespectもより正確に使ってもらえるなあ、と思っていました。同じ意味でも新しい語感を求めるのはいつの時代もあることで、残るものと残らないものがあるでしょうが私はあまり気にしていません。便利だなあと思う言葉もたくさんあります。

http://setukotakeshita.com/

301あがるま:2011/03/05(土) 13:59:40
(無題)
素人語源学によると
ciergeは教会にあるやうな大きな蝋燭でcon-ciergeはそれを持つて案内する召使、或は蝋燭そのもの。
re-spectのreはre-ligionと同じで、何度もre良く見るspectare、或いは反省する。
英悟のリスペクトはドイツ語repectoやラテン語で言ふrueck-sicht考慮する。
フランス語のレスペクトは誰かの優越性を認めること.

302迷える大羊:2011/03/19(土) 23:15:21
サルコジ氏とは?
 どういう文脈で登場した方なんでしょう?もちろん、彼の経歴、出自みたいなネットで調べられることをご質問したいわけではありません。

 具体的にはどういうフランス人が彼の支持者であり、いろいろ批判、非難を浴びつつも、民主的な手続きを経て大統領でありうるのは、彼にどのような長所、メリットがフランス人有権者の支持を集めているのか?知りたいのです。

 彼が、いわゆる左派、リベラルでないことは乏しい知識でも理解できますが、昨今のフランスの政治的潮流は「保守」っていうか、外向きっていうか「大国志向」が強いんでしょうか?(あくまで、彼の表面的な言動だけをみた上での印象ですが)
 彼の愚かしい点、デメリットについては、先生のブログなどでよくわかるのですが、その一方で、彼の支持を集めている部分(特に内政面)についても知りたいところです。

 思えば、今でこそ極悪人のように言われるヒトラーにしても、「民主的」なワイマール憲法の下、選挙戦に勝ち上がり、合法的に政権を握っているわけですし。あと、ついでに隣国イタリアのベルルスコーニ氏なんていうのも、一体どういうイタリア人が彼を支持しているのか?知りたいな、なんて思ってます、まあ、これは蛇足ですけど。

 話は脱線しますが、先生のブログでも触れられていますが、今回の震災のフランスの反応ってなんともエキセントリックでしたね。サルコジ氏も突如来日したい、って言い出すし。
 地理的に近く、自国民が多く日本にいる中国ならまだ、わかりますが、なぜフランスが??てな感じで(そういえば、BBCの対日世論調査でも、フランスの数値は不可解でしたねぇ)

303Sekko:2011/03/20(日) 02:10:22
サルコジとフランス
この震災騒ぎで仕事が遅れているので長く書けませんが、サルコジについては、リベラルじゃなく完全に「ネオリベ」の文脈で出てきた人です。国益よりも多国籍企業などの財界利益が大事。国内向けにはその場限りのポピュリズム。後、個人的にほとんど病気の権力志向や目立ちたがりの性格。彼が出てきた時点では、「学歴エリート」では決してない経歴のこの人をうまく操れると、エリートたちはたかをくくっていたんだと思います。

あと、社会党がばらばらだったり、市場経済至上主義の世の中で、フランス革命の理念など、言葉だけで棚上げされてしまったのでしょうね。

「サルコジのフランス」は別に大国志向でなく、自分が個人的に偉大なリーダーだと見られたい、ということでしょう。今回のリビアへ介入の安保決議で、「アメリカを引っ張った」といって舞い上がっていますが、中国、インド、ブラジルなどの国が「アラブ圏の民主主義革命」に冷淡なのを見ると、この世界の未来はどうなるのか、心配です。

親戚のある医師(フランス人)が、今回のフランスの態度の「上から目線」を揶揄していました。もし同じことがフランスで起これば、

集団ヒステリー、無期限ゼネスト、政府の責任追及、地震禁止条例(地球に命令)を発令、もちろん新しい税金が増え、休日がまた減る(前に猛暑で犠牲者が多かったことを受けて祭日が一日減らされたのです。その日に働く賃金が救済や対策に回されるということで)、そして原発をめぐって果てしない論戦・・・

だと。

まったくそんな感じです。

左派の日刊紙の土曜第一面には「日本はチェルノブイリに学ばなかった・・・」とありました。昨日のニュースでは、原子炉を修繕するロボットを日本に貸すと言ってました。

フランスは原子炉だらけだから報道などにバイアスかかりまくりなので、あんまり見ないようにしてます。

http://setukotakeshita.com/

304迷える大羊:2011/03/20(日) 13:39:51
なんだかなぁ
>昨日のニュースでは、原子炉を修繕するロボットを日本に貸すと言ってました

 ええ?全然知らないんですが、そんな話。ていうか、フランスっていつの間にそんなもん開発してたんですか?。ていうか、今回の場合、原子炉が壊れたんではなく、冷却機能が働かないことが問題となっているんですが・・・。どうも、この新聞の記者も問題を大して理解して書いているようではないですね。彼らが何かと対抗心を燃やす??アングロサクソン系統の国々の方がその辺、「冷静沈着」です。ちなみに私個人は、原発報道については以下のURLの方とほぼ同意見。

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5668

 海外からの支援についても、個人的にはなんだかんだいって、一番的確な対応をしているのがアメリカ軍のように思えますし。
 問題の所在が大してわかっていない、特に有効性のある策が講じられないなら、上から目線で大騒ぎしてないで、黙っててくれ!と思うのは私だけでしょうか?結論としては、あちらのマスコミも日本のそれと大同小異、いや、変に知ったかぶりしないだけ、まだ日本の方がマシ、との印象を受けてしまうのですが・・。

>中国、インド、ブラジルなどの国が「アラブ圏の民主主義革命」に冷淡なのを見ると、この世界の未来はどうなるのか、心配です。

 うーん、別にこれらの国々を弁護するわけじゃないですが、自分の利害に関わらない国、「よく知らない国」の「人権問題」「民主化問題」に冷淡なのは、彼らに限ったことでもないように思えますが。

 例えば、日本と関わりが深く、人権面でも、安全保障面でも大問題、リビアのカダフィ政権に勝るとも劣らないヒドイ独裁政権が続く北朝鮮の問題にしても、ネットで眺める限り、フランスや欧米で問題とされるのはもっぱら核の問題ばかりで、拉致だとか、元在日朝鮮人、韓国人の「帰国者」の問題なんてほとんど話題になってないですし、リビアのように命をかけてまで介入するつもりはなさそうですし。

 逆にいえば、リビアはフランスやその他欧米諸国にとって、のっぴきならない「利害関係」があり、地理的に近く「関心」があるし、軍事行動を起こしても、中国などの大国が積極的に絡んでくる可能性がないから「安心して」空爆実行ってところなんじゃないかな?と勘繰る私は、冷めているんでしょうか?

 ところでリビア問題でイタリアの反応はどうなんでしょう?確かリビアってイタリアの植民地だったはずですし、何かあれば、イタリアにも難民がなだれ込む可能性が高いわけで、「他人任せ」でいいわけがないですが?。何より、サルコジ大統領以上に「個性派」「目立ちたがり」のベルルスコーニ首相はどういう言動をしているのか?一向に伝わってこないのが不思議ですが・・。

305迷える大羊:2011/03/21(月) 12:16:36
フランスのメディアって・・
 この三連休、ガソリンは入手困難、街はガラガラ、銀行のATMは機能不全ということで、ネットとテレビ三昧の日々です。
 で、先生のブログを逐次、ストーカー(笑)のように拝見させていただいているわけですが。
 先生のブログのここ最近の記事を読んで思ったのは、日本の「識者」は欧米メディアを非常に信用する傾向がありますが、私個人は、少なくともフランスのメディアってあんまり信用できん、レベル高くないな・・・って印象をもちましたね。。

 あと、何かどこかでみたような報道の仕方だな、と既視観に囚われていて、はっと思いついたのは、韓国のメディアの手法によく似ているんですよ。
 ハングルはできないんですが、韓国語と日本語って文法はほぼ共通、単語も共通のものが多いので、機械翻訳でもどうにかこうにか意味はとれるんですね。あと、朝鮮日報、中央日報など、韓国の大新聞は大体、ネットで日本語版を出してますので。

 具体的には
 ・細かい事実関係より「かくあるべし」というストーリー、先入観を優先。ついでにいう と韓国のメディアって大新聞でも経済記事などで、数字がよく間違ってるんですよね。

 ・願望と事実関係の混同

 ・自国万歳、つまり、自国が如何に世界のお役に立っているか、という印象づけの為な   ら、まったく事実無根のことでもためらわずに報道。

 ・基本的に「上から目線」

 お断りしておきますが、俎上にあげているのは、あくまでフランスと韓国の「メディア」なのであって、現実のフランス人とか韓国人そのものをあれこれ、いっているわけではありません。あと、日本のメディアに問題がない、とか素晴らしい、と思っているわけでもありません、念の為。

ええと、まず、ブログに書かれていたことから・・。

 >はりきってフランスから犬を連れて行った救助隊が、結局日本政府の許可が下りず、まったく何もできずにもうすぐ帰仏するという話だった。

 これがそもそも、完璧な捏造ですから。確かに阪神大震災のころは救助犬が検疫にひっかかって、そういうことがありましたが、今回の震災ではそのような事実はございません。現にフランス以外のスイス、韓国、オーストラリア、中国などの救助隊は犬連れで皆さん活動なさってましたし。それとも、フランスだけは拒否されたんでしょうか?それも、解せない、不思議極まりない話。

 ちなみにスイス救助隊の活動記です。

http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=29755998

>竹の棒を持ってごそごそやっているところが移される。

 これはですね、今の段階で遺体を発見しても、回収する余裕がない、あくまで生存者救助が優先するので、遺体を発見したら、事態が落ち着いた時期に回収できるように印をつけてまわっているんですが。そんなことも聞かなかった、確認しなかったんでしょうかね?

 というか、何も取材しない(としか思えない)で、現場で不眠不休で活動している消防、自衛隊、警察、その他ボランティアなどなどの皆さんを不当に貶めているとしかいいようがない話で抗議した方がいいような気がしますが。

>フランスは原子炉周囲で弁を開閉したり遠隔操作で作業したりできるロボットを持っている唯一の国だと言って、それを福島原発に貸し出すと

 そんなことは聞いていない!、ですね。そんなものあったら、東京電力も、日本政府も喜んで飛びつくと思いますが・・・。ていうか、今、福島原発で困っているのは、計器やポンプを動かす電源の確保なわけで、そんなところにロボットだけ来ても・・・、ですよね。なんか、全然わかってないですね。
 韓国のメディアをウォッチしていると、細かい事実関係を無視した、この種の自国万歳、「そんなことは聞いていない」的な記事を多々みかけますが、フランスのマスコミも似たりよったりなんですね・・・。

>日本が外国の救助隊を拒否するのは自尊心のせいかもしれないなどという

 救助隊どころか、空母「ロナルド・レーガン」など米軍艦、外国の軍隊が日本領海、近海で活動している事実をどう考えているのかと・・・。もう、ツッコむ気力も失せますが。韓国のメディアをウォッチしていると「自分もそうだから、他人もそうに違いない」という根拠のない推測記事を多々、みますが、それもその類かなと・・・。

 私はたまたま日本人だし、リビアについては知識、経験が不足しているので、日本についての捏造報道だけを俎上にあげましたが、この調子ですと現在、もう一方の関心事であるリビアについても、相当バイアスというか偏見とか先入観だらけで、事実無根な報道がまかり通っているんでしょうね。
 お話しを伺う限り、犬がつるしあげを食らうシーンを映すのもあれですが、フランス万歳的な報道しかないようですし。 

306Sekko:2011/03/22(火) 07:23:28
考えたら・・・
ある目的を持って完全に組み立てられたルポルタージュですね。

それは、リビアでベンガジの人が「サルコジ、ありがとう、フランスありがとう」と言っている(ほんとはこれもフランスから連れていった移民による演技だったりして・・・)映像と合わせて、日本の被災地で救出された人たちが「サルコジ、ありがとう、フランスありがとう」と言っているところを報道したいのがやまやまなのに、何もせずに帰ってきたので、その言いわけなんでしょうね。

だって、そのルポでは日本の救助隊も「竹の棒」チーム以外は出てこないし、もちろん犬を連れたスイスの救助隊なんて出てこないわけです。

確認してないので分かりませんが、多分フランスの救援隊だけが、一日活動しただけですぐに戦線離脱して米軍基地に引き上げてしまったんでしょう。で、日本が異を唱えた、というのは、やっと各国とチームを組んで協力してやっていたのに、フランスだけが突如として引き上げたので迷惑だったのでしょうね。
そんな当てにならないフランス・チームにその後であらためて「今度はどこそこに来てください」なんて注文を出すわけがありませんよね。

それを「日本はなぜ救援を頼まないのか」のようなトーンにすり替えたのですね。

これは明らかに、話をおもしろくするためのねつ造や取材不足による誤解というより、「戦時広報」みたいな故意の編集でしょう。
他の外国に比べて何の成果も出せずにすぐ撤退した言いわけを必要としたのでしょう。

本来なら、

「リビアでカダフイに苦しめられている人々を助けに出かけて感謝される英雄フランス」



「日本で大災害に苦しめられている人々を助けに出かけて感謝される英雄フランス」

とをセットにして宣伝して、「弱者の味方フランス」を誇示したかったのに、日本では「誰よりも先に危険からのがれた情けないフランス」になったので、戦意高揚のためにごまかしたんでしょう。

これは私がたまたま出食わして奇妙に思ったので取り上げたわけですが、もし細かく見ていったら、他にもいろいろあるのかもしれません。でも、こんな非常時に、目についたものだけをあげつらって抗議しても意味ないし。

まあ、今は、やろうと思えばネットを通じて事実関係などを確認できるのですが、最初に「印象操作」をすれば誰もわざわざあちこちを調べたりしません。個人の危機管理が報道に大きく左右されるような局面では深刻です。

http://setukotakeshita.com/

307shima:2011/03/22(火) 18:51:53
(無題)
初めての投稿失礼致します。
私もあのフランス2の報道は、かなり事実を歪めた報道だったと思います。見た当初は、日本政府に怒りを感じたくらいでしたから...。そこで、ネットで調べてみると、事実はかなり違っていたと言うことがわかりました。
「竹の棒」で日本を見下すような報道をしたのは、フランス側の「vexation」の表れだったのではないかと思います。あの報道では絶対日本が悪いと取られますから。
「ル・ポワン」が比較的客観的な記事を書いています。タイトルが「Tokyo exige le retour des sauveteurs français à Sendai」で、「exige」というのが気になりますが、投稿されたコメントの半分以上を見ると、フランス側が軽率であったことが伝わっているようです。でも「ル・ポワン」の読者とフランス2の視聴者では圧倒的に数が違いますので、多くの人は日本政府の「自尊心」でフランスに失礼なことをしたという脚本を鵜呑みにしているでしょうね。
フランス2に抗議のメールか手紙を送ろうかと思っています。

http://www.lepoint.fr/monde/tokyo-exige-le-retour-des-sauveteurs-francais-a-sendai-19-03-2011-1308662_24.php

308迷える大羊:2011/03/22(火) 20:23:02
メディアリテラシー
>それは、リビアでベンガジの人が「サルコジ、ありがとう、フランスありがとう」と言っている(ほんとはこれもフランスから連れていった移民による演技だったりして・・・)

 いや、私は冗談抜きでそれはヤラセなんじゃないのか?と疑っているんですが。リビア情勢に関する知識も根拠もないんですけど、例の救助隊報道の捏造ぶりをみると、やりかねんな、と。
 しかし、フランスって先進国で民主国家なわけでしょ?そのフランス2って公共放送、日本でいうNHKみたいなもんで一応、独立した報道機関なわけでしょう?そんなところが、ここまであからさまな現政府の意に沿った印象操作、捏造報道をしかけてくることが驚きです。
 それにしても、失笑した、というかあきれ果てて声もでんわい、と思わされたのが、原発ロボを福島原発に貸し出して云々の話。フランスの一般視聴者は、こんなイカレたヨタ話を本気で信じているんですかね?信じているとすれば空恐ろしい話ですが・・。
 韓国のメディアもこの手の飛ばし記事が多いんですが、フランスと韓国のメディア関係者ってメンタリティが似てるのかな?

 まあ、ヒドい報道姿勢ではありますが、一方ですぐにバレそうな気がしますが?ネットで調べなくても、ヨーロッパって各国間の人の出入りが激しいし、フランス語圏はフランスに限らず、スイス、ベルギーにもあるわけで。
 「日本政府が拒否したおかげで救助隊が入れなくて・・」「え?うちんとこの救助隊は活動してきたけど??いや、大変だったみたいだぜ〜」「え??」てな感じで。どうなんでしょう?

  逆にいえば、我々日本人も「これ新聞に書いてある」「テレビでやってたから」などということで安直に真に受けるのは問題かもですね。日本のメディアにも記者クラブとかの問題がありますし。
 別にすべてを疑え、ってわけじゃないですが、何か違和感があるな、変だな、と思ったら自分の頭で考える、調べる、ということは大事だと思いました。
 仕事では、「理解するまで、納得するまで聞け、確認しろ」と先輩、上司から口を酸っぱくして教育され(怒られて)きましたが、メディアに関しても同じことがいえるかなぁ、と、エラそうに柄にもなく真面目に考えたのでした。

 でも、ネットを使えない中高年、老年の方々にそれを要求するのも酷な気もするし、難しいところですね。

309Sekko:2011/03/22(火) 23:04:38
フランスの大手メディアって・・・
今、ますます政府と癒着しているのは有名なんです。

知り合いにご紹介いただいたイタリアにお住まいの方のブログ

http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/2428178.html#more

に、こういうのがありました。

「地震の直後は津波の映像がこれでもかと一日中たれ流されていたイタリアのニュース、ここ数日は当然のことながら原発問題ばかりです。
インターネットが普及し世界は小さくなったと言っても、イタリアと日本では報道の内容がずれるばかり。私の疲労感に拍車をかけております。

たとえば本日のお昼のニュースはこんな感じでした。

イタリアのアナウンサー:「日本の原発問題はますます深刻さを増しまして、トーキョーは大パニックに陥っております。さすがの日本もこのパニックにより、道徳ばかりを重視していられなくなったようです。それでは現地の東京からどうぞ」

東京の特派員( Paolo Longo なるジャーナリストでした):「こちらは東京ですが、節電の通達もあり町の中は若干暗いですが、人々がパニックに陥っている光景は見られません。この惨事のさなか、日本人は驚くほどの冷静さで毎日を送っています。世界中でたたえられた道徳観も失ってはおりません。人々は静かに情勢を見守っております」

イタリアのアナウンサー:「人々はこの状況に怒りを感じていますか?」

東京の特派員:「怒りをあらわにする人はいませんね。いくつかの小さなデモは行われましたが…」

というわけで、このときは東京のまっとうな特派員のおかげで日本の冷静沈着な状況が伝わったのですが、一事が万事がこんな感じでイタリアのニュースでは必要以上に状況をドラマチックに演出しております。私たちがいつも見ているニュースとはこれほど演出がされていたのかとショックを受けるほどに。

(・・・・)

この状況にあって、悲劇だ大惨事だと大騒ぎをしているのは海外の人々で、一番落ち着いているのは日本人なのかとさえ思えてくる。

昨夜のフランス(原子力の技術では世界中のどこよりも優れていると自負している国だそうです)のテレビでも、フランスの大臣は「チェルノブイリの事故はわれわれが知ったときにはすでに爆発をしていた。今回の事故は、爆発の危険を抱えている様子をなにもできずに眺めていなくてはならないぶん悲劇だ」と語ったのですが、その後の報道はすべて
「日本の状況はチェルノブイリより悲劇だ」となっていました。これを大多数のイタリア人は鵜呑みにするのでしょう。」


って・・・フランスのテレビはイタリアにも嘘をばらまいているようで・・・

悪貨は良貨を駆逐する、ということで、各国の報道をすりあわせるどころか、フランスの報道の方が他のヨーロッパに行きわたりそうで困ります。

shimaさん、是非抗議してください。あれを見ていらしたのですね。言わないよりましだと思います。フランス人の友人たちはこの話をフランス語で書いてfacebookやtwitterで回せばいいのに、と言います。

まあ、フランス人が被災地から逃げ出したということ自体はどうでもいいんですが(ああ、現地から実況のジャーナリストというのはたいてい大阪からですね。どう見ても花見がてらに来たような人にインタビューして「被災者の無事を神社で祈った」とか言わせたり・・・)、悪質なのはやはりリビアの報道の方です。

2007年にサルコジがエリゼ宮にカダフィを迎えた時の様子を見ると不思議ではありませんが、カダフィはサルコジに莫大な選挙資金を出していたと言われています。その実態は分かりませんが、カダフィに普通に亡命とかされれば非常にまずいことになるので武力で口封じを狙ったというのが真相に近いのでないかと思います。今のところサルコジ批判は最高潮(選んだお前らが悪いんだよ)で、現在進行形の地方選でも、与党は、躍進顕著な極右国民戦線と大して変わらない低迷ぶりです。

幸いまわりにはまともな人もたくさんいるので私にできることをしていくしかありません。

http://setukotakeshita.com/

310Sekko:2011/03/23(水) 02:18:32
shimaさま
このサイト

http://jpquake.wikispaces.com/Journalist+Wall+of+Shame

にフランス2の例のルについて投稿したらどうでしょう。他にもフランスのテレビが出ていますが、これについては今のところまだ出ていませんでした。

いやあ、いろいろありますねえ。

http://jpquake.wikispaces.com/Journalist+Wall+of+Shame

http://setukotakeshita.com/

311shima:2011/03/23(水) 08:01:52
ご報告
Sekkoさま、突然の投稿にも関わらずお返事くださってありがとうございます。

今日、フランス2に郵送による書面で抗議の手紙を送りました。
その文面をSekkoさまにご報告しようかとも思いましたが、掲示板なのでやはり控えさせていただきますね。

本当は、パリの日本大使館から正式に抗議してもらえると良いのですが、
フランス2の不機嫌にまかせた報道にいちいち反応していたらきりがないのかも知れませんね。
サルコジ・チャンネルですから、今の状況の中でフランス2の報道をそのまま信頼する人も
(まともな人の中には)少ないかとも思っています。

抗議文送付という手立ては微々たることですが、私はブログもフェイスブックもありませんし、
昔はパリに住んでおりましたが、今はフランスの隣国の住民で、
フランス国外の視聴者にすぎませんが、あの報道はさすがに見苦しいと思いましたので。。

フランス人レスキュー隊が被災地から逃げ出したことは、私も別にどうでも良いのです。
フランスの内政の問題ですし、支援を送ってもらった国の人間として感謝こそすれ
(あまりに素早い撤退を残念だとは思いますが)..。
ただ、フランス救援隊の撤退という選択がフランス政府にとって適切な処置だったのなら、
なぜテレビではその事実を堂々とありのままに伝えなかったのか...
そこが突っつきたくなるところです。

そういえば3月11日の晩、フランス2のキャスターが、東京の様子について、
何としてでも特派員から「パニック」という言葉を引き出したがっていたのを思い出しました。
東京の特派員は「ここから見る限りは普段と変わりありません」と言っていましたが、
キャスターはその後も何度も質問を繰り返していました。
ベルルスコーニ・チャンネルと一緒ですね。

これからリビアの報道がどう変わっていくのでしょうか..。
軍事介入を始めた土曜日には、かなりフランスのお手柄的な雰囲気で、
私なんかはてっきりフランス主導だとばかり思っていたのですが、
ノルウェーがいち抜けして、ドイツにも嫌われ、アメリカも消極的。
フランス2のリビア報道もいつの間にか大幅に短縮されているように思います。

この度は突然にお邪魔して失礼いたしました。
この機会に辿り着きましたSekkoさまのブログ、本当に興味深い記事ばかりです。
これからもご活躍楽しみに拝見させていただきます。

312Sekko:2011/03/24(木) 08:32:09
その後…
今日ネットを見ていたら、

http://www.newsplanete.fr/japon-sauveteurs-francais-rappeles-sendai-br37194.html

日本はフランスの救援隊が仙台に戻るようにと要求していた、フランスと日本の間でかなり険悪になった感じのことが出ています。

かと思うと、在日フランス大使館のサイト、

http://ambafrance-jp.org/spip.php?article4625

では、

「派遣隊員50人は3月20日(日曜日)、リセール隊長の指揮下で、三沢市沿岸部の三川目地区に通じる長い道路のがれき撤去作業を行いました。派遣隊は3月 21日(月曜日)朝、より南に下った八戸市の大久喜港に移動し、総勢100人態勢で作業にあたっています。大久喜地区は津波によって港の一部がのみ込まれるなど、深刻な被害を受けました。地元住民の歓迎を受けた市民安全部隊は、住民および三沢基地のアメリカ軍とともに、船舶を元に位置に戻す作業や、港に通じる主要道路の復旧、がれきの分別(金属類、可燃物)、雨水排水網の復旧などに力を合わせて取り組んでいます。」

と写真入りで載っていて、フランスの救援隊は三沢基地に留まって一応現地で救援を続けている様子が・・・

フランス2のあのルポルタージュは一体何だったんでしょうか。

救援隊の人が気の毒な気がします。

http://setukotakeshita.com/

313迷える大羊:2011/03/26(土) 15:18:36
フランスは原発大国
 勝手な想像でしかないのですが、主に政府系のフランスメディアの今回の震災、原発事故へのネガティブキャンペーンって、要は、一般国民に「オレ(フランス)はあんな奴(日本)とは違う!」って強調したかった、んじゃないですかね?

 だって、フランスって電力の8割近くが原発産ですよね(ちなみに日本は3割)。輸出産業としても位置付けていますし。これで、反原発運動が勢いづいたり、国民にパニックが起きたら、大変なことになるわけで。8割も原発依存ですと、代替エネルギーへの切り替えも容易ではないでしょうし。

 ちなみに私は消極的原発反対派、です。原発は怖いし、イヤ。でも、消極的っていうのは、代案が思い浮かばないってことで。なんだかんだいっても、事故がなければ、原発の発電力は強力だし、安定しているし。それに、ネットワーク機器や医療機器など、安定した電源供給が求められる機械類は増える一方だし・・・。

 太陽光発電みたいな自然エネルギーも、一度、考えたこともあるんですが、今の段階では商用電源の方がずっと安上がり、あくまで、商用電源の補助くらいにしかならないし、第一安定した供給、という点で問題多すぎですし。
 と、あれこれ考えると、意見がまとまらず、よくわかりません、となってしまいます。

314あがるま:2011/03/27(日) 22:42:06
日本は危険地域に指定されたので
帰国したフランス人が2、30年は東京付近に戻ることはないはずです。神戸や広島やソウルや香港がありますから。
原発大国フランスは日本のやうに営利会社に原発を作らせるやうなことはしないし、周辺住民のレフェレンダムで設置する。
日本の対応は捕鯨と同様世界各国で顰蹙を買つてゐるのに、大災害に対して整然と行動したなどと飾るのは止めた方が良い。
実際に日本だけの問題ではなく死の灰を各地に撒き散らしてゐるのだから。

315迷える大羊:2011/05/01(日) 08:12:09
フランス大統領と日本
 3月31日、フランス大統領ニコラ・サルコジ氏が、多忙を理由に日本側から一度お断りされたのにも関わらず、強引に来日(でも、滞在はわずか3時間)。元々、日本嫌いで、対日関係をさして重視していない、サルコジ氏がどうして、ここまで焦って来日したのか?

 日本の新聞は大体、原発対策と視察だろう、という論調。要するに、原発大国で海外輸出にも力を入れるフランスとして、なんとしても世界中に原発不信がばらまかれることは避けたい、事故克服の手柄への足がかりをつかみたい、との推測がもっぱらです。。

 ところで、このフランス大統領と日本の関係で思い出したのは、60年代、日本の池田首相とフランス・ドゴール大統領が会談した際、ドゴール大統領は池田首相のことを「トランジスタのセールスマン」と侮蔑した、との話が流れていますが、これは単なる都市伝説?それとも本当なんでしょうか?
 フランス側にはどのように記録があるんでしょうか?しかし、それいうなら、今のフランス大統領は「核のセールスマン」だよなぁ・・・。

316Sekko:2011/04/03(日) 21:25:22
そういえば・・・
そんな話がありましたね。

ミッテラン時代のクレソン女史の有とか兎小屋の話とか、サルコジの相撲コメントとかも・・・

シラクの日本好きは半端じゃなかったようですが・・・

ド・ゴール時代となるとよく分かりませんが、今フランス語ネットをちょっと検索したら、やはり当時のどのメディアがどんなふうに伝えたのかは分かりませんでしたが、1962年の池田勇人首相の公式訪問の時にドゴールが「トランジスターのセールスマンに会った」とジョークで話したという話は確かに使いまわされています。

1996年11月にシラクが日本に来てフランス製品のプロモートをした時に日本のメディアがそのドゴールの言葉を引用して揶揄したという話が、当時のニュース(1996/11/28)にありました。そこでその言葉を誰も否定していないということは多分事実だったんでしょう。

で、その1996年というと、シラクが前年からのポリネシアでの核実験を再開して、日本を含めた抗議運動やフランス製品の不買運動があった後です。その後でシラクは核実験終了宣言をして反核のポーズをとり、日本への自国製品のセールスにとりかかったんですね。

もっともシラクは大統領選の公約としてこの核実験再開をはっきり打ち出していたのだから、その頃からすでに日本はそれを批判していてもいいはずなのに、日本びいきのシラクさんが大統領になってめでたい、と祝電を送っていたんですよ。私は当時それを批判した記事を書いたことがあります。

さらに、ドゴールが池田首相をセールスマン扱いした頃の1962年というのは、これはまた、

1960年に核兵器保有国となったフランスがアメリカから距離を置こうとしていたツッパリ時代の最中です。ソ連と袂を分かった中国に接近しようとして、1964年に核保有国となった中国寄りの政策を続けました。

そんな時代ですから、戦後ずっとアメリカ一辺倒だった日本に対するわだかまりは当然あったでしょう。ヨーロッパではドイツが報復しないようにと、必死で火種を冷却していた時期でもあります。日本のアメリカとの密着ぶりがフランスには理解できなかったのでしょう。

こうして見ると、戦後のすべての外交や経済の背景には核がある、という感じですね。

私の知り合いの仏教徒が、自分はすべての原発が核兵器基地に見える、ほんとの「冷」戦とはこのことだと思う、と言ってるのを聞くと、なんだかあらためて背筋が冷たくなります。

まあ、とりあえず、この福島原発危機が収束できるなら、アメリカさまでもフランスさまでもロボット連隊でも、なんにでもお願いしたいですが・・・

フランスは莫大な安全コストのかかる第三世代原発がご自慢なわけですが、ほんとにそれで意味があるのか分かりません。でも少なくとも、30年も40年も稼働しているような原発は事故が起こる前に廃炉、撤退してもらいたいものです。フランスも古いものがまだたくさん稼働していて、第三世代は実働まだなんですよ。それも新しい場所に建ててるわけで、古いのを廃棄して取り換えるという話ではないんです・・・

フランスは他のヨーロッパ国で認可されているソフト・ドラッグも禁止しているんですが、そのためにディーラーの抗争が激しく、密輸されるソフト・ドラッグの毒性も高い悪質なものが多いそうです。それで、いっそ、パリ近郊で管理して製造させて雇用を促進させ、品質の管理をした方がアルコールやタバコのようにコントロールできるのでは? というプラグマティック(?)な意見の人もいて今朝のラジオでしゃべっているのを聴きました。ドラッグとエネルギーはいっしょにできないものの、肥大する欲望はとめられない中での危機管理という点で、通ずるところのある発想だとも思いました。(日本は島国だからまだソフト・ドラッグでも食い止めやすいんでしょうか? )

http://setukotakeshita.com/

317迷える大羊:2011/04/05(火) 20:54:52
トランジスタセールスマンの話
ってやっぱり、本当、というか、事実無根の話ではなかったんですね。まあ、サムライに会ったとか、ニンジャにあったとかいわれなかっただけマシなんでしょうか??

>ミッテラン時代のクレソン女史の有とか兎小屋の話とか、サルコジの相撲コメントとかも・・・

 しかし、日本に伝わってくるフランスの政治家の日本がらみの発言ってロクなものがないような・・。

>シラクは大統領選の公約としてこの核実験再開

 これ、すごいですね。日本じゃ考えられませんね。たとえ田母神氏であっても、彼が選挙に打って出たとして、核武装を公約になんてとてもとても。

>日本びいきのシラクさんが大統領になってめでたい

 思うに日本人とか日本のメディアの外国人観ってナイーブすぎるような気がしますね。あの人は「親日」だからいい人(日本にとってもいいことしてくれるんじゃ?)、あの人は日本嫌いだからダメ、イヤ、顔も見たくないとか・・。

 でも、個人的な好き嫌いと国家の利害をかけた仕事としての日本との関わり方は違っていて当たり前でしょう。例えば、ロシアのプーチン首相なんかは、柔道をやっていた関係からか結構日本文化好きではありますが、だからといって北方領土問題で妥協などしないし、特に日本に甘い、なんてことはないですし。逆に日本嫌い、といわれるサルコジ氏は意外にも日本の常任理事国入りを支持していますし。

 個人単位でみたって、個人的な好き嫌いだけで協力会社と付き合ったりしてるわけではないし、生活がかかった仕事上のやりとりは個人的な感情とは別にシビアになるものですよね。なんで、ガイジン相手だと、信じられないくらいナイーブになっちゃうんでしょうね?日本人って?

>戦後ずっとアメリカ一辺倒だった日本

 戦後に限った話でもないような。戦前にすでにプロ野球とか高校野球がありましたし、戦前も外来語の圧倒的多数はアメリカ由来の英語ものでしたし、戦前の日本でもっとも出回っている自動車はフォードでしたし、輸出先NO.1はアメリカでしたし。だからこそ、アメリカの経済制裁が堪えたわけですが。

>フランスの原発

 フランス国民は原発は「必要悪」と割り切っているようですね。

 http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=jp09_newsarchive&amp;sid=a1DarvUcCZR0

世論調査をみると「わかっちゃいるけど止められない・・」てな感じで。電力8割が原発・・、もう今更、どうにもならないっていうか。その点、日本は「まだ」三割、今ならまだ「間に合う」のか?それにしても、どうしてフランスはここまで徹底して原発推進したんでしょうね?やはり、エネルギー政策が中東情勢などに振り回されるのを嫌ったんでしょうか?

 逆に隣国ドイツは原発アレルギーが強く、ソフトエネルギーの開発推進も熱心で、原発反対の陣営の方からも称賛されることが多いですね。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-04-05/2011040504_03_0.html

「ドイツでは、すでに発電量の
16%が再生可能エネルギーです。2050年には80%にするという。」

 ドイツといえば、日本と並ぶ工業大国、経済大国。そんな国の電力が再生可能、ソフトエネルギーでまかなわれるとなれば、実に素晴らしいことです。これは、まさに「ドイツに見習え」だ、と思ったら、こんな話が・・。

http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-20438020110405

「原発の一時停止措置により、ドイツは電力の純輸入国になったことを明らかにした。主な調達先は、フランスとチェコ共和国。」

 主な調達先は原発率80%のフランスから?意味ねぇ〜、と思うのは私だけでしょうか?結局、間接的な原発依存ではないか?と思ってしまいました。

>ソフトドラッグ

 まあ、売春の問題と似てますね。ドイツとかタイなんかは、この手の商売は需要がある限り、いくら根絶しようとしても、なくならない、それならばいっそ「公認」して、裏社会の資金源になることを阻止。関わる女性たちの人権侵害を最小限にっていう、いわば開き直りの政策ですね。
 表向きは禁止で違法なのに、黙認。その弱みに付け込んで、さまざまな不条理、理不尽がまかり通る、というよりは、まだいいか?少なくとも偽善的ではないし、と個人的には思ったりもしますが、正直、何が正しいのかよくわかりませんね、この類の話は。

318Sekko:2011/04/05(火) 21:38:31
ヨーロッパの原発
ドイツがフランスから電力を買う得意先になる話はこちらではよく知られてます。

それもありますが、フランスの古い原発はドイツとの国境に近いところにあって、わざとやっているのかと反発されたこともあるほどだし、旧共産圏のハンガリーやブルガリアの原発に事故のリスクが大きくて、もし事故を起こしたらフランスはしっかり汚染されるとも最近読みました。チェルノブイリの当初の被害は今までに明らかになった被害の3%でしかないとか事態は今も深刻だとかという話も・・・。

要するに狭いところに国がひしめき合っているヨーロッパでは、いくらフランスが第三世代のEPRなら絶対安全であるかのような印象操作をしていても意味がないんです。やはり全ヨーロッパ、全世界のレベルで安全対策を強化しない限りだめですよね。排気ガスがどうこう言うより緊急かと・・・

http://setukotakeshita.com/

319Sekko:2011/04/05(火) 22:32:50
さっきの続きです。
さっき、いくらフランスが原発にがんばっても意味ないという話を書きましたが、危機管理について確かに日本よりはましな意識があるようです。

下のブログを是非お読みください。考えさせられます。

http://ameblo.jp/feynman/entry-10848722646.html

http://ameblo.jp/feynman/entry-10851111857.html

このブログには例の「原発ロボット」のこともあって、そこだけコピーすると、

(・・・)原子力技術者の端くれである私は、原子炉の専門家ではなく、核燃料サイクル・再処理技術を確立することを目指して経験したこととして、(・・・)

ということで、じゃあ、日本でもすでにロボットがあるのに今度のような事故には対応できない、ということで、「うちのをぜひぜひ・・・」と申し出るアメリカやドイツやフランスが空気読めてない、ってことなのかもしれません。

それはいいとして、上のブログを読むと、やはり国民性というか、国民がお上にナメられているような国と、下手すると人民蜂起の武力革命を起こされかねない、と、国の方が国民を恐れているような国とでは、国家事業における危機管理の意識は違ってくるような気がします。技術の差とかではなく、やはり政治の問題があるかと・・・

http://setukotakeshita.com/

320迷える大羊:2011/04/12(火) 19:45:57
それにしても
 日本が科学技術大国、なんて話が信じられなくなりますね。フランス当局は全電源喪失の事態に備えた訓練をしていた・・、ですか、さすがですね。ていうか、それが普通って気もします。事故に至るような非常事態に電源が満足に供給される方がよほど不自然だとおもいますし。
 まあ、フランスでもアメリカでもその他でも、この事態を食い止めてくれるならどこでも大歓迎ですけど。
 ところで、ブログで

「この調子で「日本による全北半球放射能汚染」話がエスカレートしたら、本当に、これからは日本からフランスにくる観光客だって警戒されかねなくなるのでないか、と心配だ。」

 とありましたが、すでに現実となっているようです。フランスじゃなくカナダの話ですが。

http://kaigaigossip55.blog28.fc2.com/blog-entry-792.html

 これからどうなるんでしょうね。東北と東京、日本は。

321迷える大羊:2011/04/28(木) 20:56:13
フランスと原発、移民などなど
 福島原発の事故を機に世界各国で原発への懐疑、反対が目につくようになりましたが、そんな中、各種世論調査などをみるとフランスはあまりその種の懐疑、反対は盛り上がっていないように思えます。
 それにしても、フランス電力の80%が原発産というのは驚異的な数値です。どうして、ここまで徹底した原子力化を進めたのか??進められたのか?その理由として、ニュースウィーク誌はこんな分析をしておりますが、フランス在住者の実感として妥当と思われますか?

http://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2011/04/post-217.php

1)フランス人は独立精神が強い。エネルギーで外国に依存すること、とりわけ中東のように不安定な地域に依存することには我慢がならない。だから原子力を必要なのもとして受け入れた。

2)文化的に、フランス人は巨大ハイテクプロジェクトが好きだ。超音速旅客機コンコルドを作りたがったのと同じ理由で原発も好きである(とくに安全な原発への執念は強く、仏アレバ社の次世代型原子炉EPRには過剰と思えるほど何重もの安全対策が施され、9.11同時テロが起こると、航空機が突っ込んでも耐えられるよう改良した)。フランスでは科学者や技術者が敬われ、政府の要職にも理系出身者が多いという背景もある(アメリカでは弁護士がそれに当たる)。

3)フランス政府は原子力の利点とリスクを理解してもらうため必死の努力をした。原発見学ツアーには既に600万人のフランス人が参加している。

 ところで、話は全然変わりますが、最近、ヨーロッパ全体に移民制限、排斥を唱える政治勢力の台頭、動きが盛んとなっているようですが・・。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/04/post-2055.php

「移民受け入れという慈善」はやめた

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/04/post-2060.php

フランス「国境封鎖」で移民列車を阻止

 移民嫌い、外国人アレルギーの欧州の政治家およびその支持者の皆さんには、日本人の私から、とっておきのアドヴァイスが・・。

 原発事故一発起こせば、実際に放射能が飛ぼうが飛ぶまいが、あっというまに、まるで煙でいぶりだしたかのように、外国人、移民、難民なんて一掃されちゃいますがな・・・、と。
 もちろん、これは皮肉で日本は今、大変な風評被害を食らっているわけですが。いや、実際、私は首都圏在住ですが、3月11日以来、本当に外国人という外国人が見事に姿を消しましたねぇ。

322Sekko:2011/04/28(木) 22:32:41
今問題になってるのは・・
特にチュニジア移民ですね。

チュニジア人はみなフランス語を話せるし、旧植民地(保護領?)で、フランス国内にコミュニティがたくさんあるので流れてくるんでしょう。

私も、私の周りのフランス人も不思議に思うのは、独裁政権時代に自由を求めて難民として流れてくるのは分かっても、今はせっかくジャスミン革命も成功して、これから新しい体制を築いていくはずの大切な時に、働き盛りの人たちがなんで大挙して移民になるのか・・・経済的理由なんでしょうが、国の再建とかいう使命感とかないものでしょうかね。日本なんて島国のせいか、言葉が他国で通じないせいか、国内で危機が起こってもそう簡単に移民しようとはならないと思うんですけどね。

で、原発事故が起こったら移民がみな出ていく、というのも疑問です。
アルジェリア移民だってポーランド移民だって、昔、フランス人の従事したがらない炭鉱労働者として大量に「ご招待」されたわけです。
原発事故が起こったら、今福島が募集しているような、「清掃作業、資格問わず、1日3時間で3カ月、宿舎付き、自給1万円」、っていうのがあれば、喜んで3ヶ月働いて国に金を送る人だっているんじゃないかと思います。

移民受け入れが「慈善事業」だったことなんて一度もなかったと思いますよ。

まあ、移民の方が一枚上手で、「慈善」や「福祉」をしっかりあてにして、獲得してきたという面はありますが。

私個人は、「移動の自由」そのものは、動かせない基本的人権だと思ってますが。

フランスの原発依存の話、一番は、他のヨーロッパ国よりも安い料金で電気を提供、っていうのを皆が基本的に受け入れたのがあると思います。
でもそれより、そもそも核兵器のある国では、原発がセットになっていてもしょうがない、って思われてると思います。ドゴールが核兵器を開発したのも、ソ連への核抑止力だけならNATOの核の傘に入ってればよかったので、実はアメリカにも核抑止力を行使したかったんじゃないでしょうか。その時点で、軍事だけでなく平和利用の核もあり、となったのは当然の成り行きだったような。

技術力への過信、グランゼコールの技術者が権力者と重なってきた、というのもあるでしょう。

世界で唯一の被爆国で核兵器のない日本があえて原発に挑んで、事故を起こして、自分で自分を被曝しているって、昨今の図は、情けなさすぎ・・・

http://setukotakeshita.com/

323迷える大羊:2011/04/29(金) 20:29:29
「愛国心」の中身
>私も、私の周りのフランス人も不思議に思うのは、独裁政権時代に自由を求めて難民として>流れてくるのは分かっても、今はせっかくジャスミン革命も成功して、これから新しい体制>を築いていくはずの大切な時に、働き盛りの人たちがなんで大挙して移民になるのか・・・>経済的理由なんでしょうが、国の再建とかいう使命感とかないものでしょうかね。日本なんて島国のせいか、言葉が他国で通じないせいか、国内で危機が起こってもそう簡単に移民しようとはならないと思うんですけどね。

 これは、私も不思議に思っていました。チュニジアがどうこうというより(あまり詳しくないので論じられない)、むしろ我が日本の方が、です。例のBBC世論調査では、日本人で日本を「Mainly Pojitive」と評する人々はわずか4割に過ぎません(大抵の国々では自国に関しては過半数がMainly positive)。

 その割に海外移民は少ないのはなぜ?今回の震災でも、国内で移住の動きはあっても海外移民を考える、実行する人は稀です。日本のメディア、特に新聞、TVをみると、国家財政の赤字の問題が大々的に取り上げられ、「日本は破綻だぁ〜」みたいな論調が幅を利かせていますが、そんなことを主張する評論家も本気でそう思っているのなら、報酬はすべてドル建てで受け取り、不動産は海外で買えばよさそうなものですが、そんなことを実行している「破綻論者」の方は寡聞にして知りません。相変わらず、日本に住み、報酬は円で受け取っているようですし・・・w。

 もちろん、言葉もわからず、勝手もわからない外国で苦労したくない、といえばそれまでですが、世界的にみれば、国家財政は破綻寸前、大震災、原発事故・・・なんて国家からは必ず海外への難民、移民が出るはず、というのがデフォルトなんでしょうね。だからこそ、例えば、ドイツとかロシアからこんな提案が出るんでしょうし・・。

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2791279/6974977?utm_source=afpbb&amp;utm_medium=topics&amp;utm_campaign=txt_topics

http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20110401/110530/

 逆に中国、韓国といった近隣二カ国、BBCの世論調査をみても、メディアの論調をみても非常に「愛国的」ですが、その割に海外移民とか留学がやたらと多いのは??です。韓国の留学熱はとくにすごく、なんと小学生から母親同伴で留学させ、残ったパパはせっせと母子に仕送りという、スタイルが珍しくもないそうな(残ったパパはギロギアッパ、と呼ばれる)。
 バイタリティがある、とポジティブな見方もできますが、そのエネルギーを自国の教育サービスの改善に振り向けられないものか?と思うのは大きなお世話、と思いつつ、つい考えてしまいます。

 どうも、これらの事例をみると「愛国心」なるものの意味とか中身がよくわからなくなってきます。

324迷える大羊:2011/05/11(水) 04:07:43
アレバ社の評判
 ってどうなんでしょうか?こんな話を耳にしたもので・・。元ネタはこれです。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid989.html

 『(汚染水の放射性物質の濃度を低くする作業については、フランスのアレバ社の技術を取り入れるということなんですが)

 東電や日本政府がこういう現状だから、フランスやアメリカの手を借りると安心だという雰囲気が日本にけっこう広がってて、特に高名な評論家やそういう方々が、フランスやアメリカが入ってくれるからという感じでおっしゃってるでしょ。よく現実を見てほしいと思うんですが、アレバはフランスの国策会社で、国が9割方株を持ってる。アレバの技術を使ってる核技術施設はすでに日本にあるんですよ。それは青森県の六ヶ所村の核燃料サイクル施設、あるいは核燃料の再処理工場なんですが、これフランスの技術を入れたためにずるずるいつまでも稼働できなくて、もう20回近く先延ばしになってですよ。で、元々の費用は7600億円でできるはずが、何と2兆2000億になってるんです、すでに。これ日本国民が知らなくて、国際社会ではほんとに有名な話で、このロベルジョンさん(CEO)も含めて、国際社会ではもうフランスは六ヶ所村を食い物にしてると言ってるわけですよ。

(普通だったら大クレームですよね)

 関係者だけクレーム言ってるが、国民や政府からのクレームは聞こえてこないわけですよ。青森でそういうことをやってるフランスに福島でお願いするというのは、国際社会の反応は、へえー、日本はよっぽどお金あるのかなという。

(しかも費用の交渉は後回しにすると)

 どれだけ高い請求書が来るのかと。つまり今、「これだけの費用だったらやってくれますね」って契約して仕事するのを、後回しにしてまずやってくれと日本が頼んだことになってますよね。あとから何を請求されても文句言えないじゃないですか』

 この話の信憑性はいかほどのものでしょう?とくに、以下の部分は非常に気になりますが(特に国際社会では有名な話、というくだり)、これに類する話をフランス、あるいは日本以外の他国で聞いたことはおありですか?

「これ日本国民が知らなくて、国際社会ではほんとに有名な話で、このロベルジョンさん(CEO)も含めて、国際社会ではもうフランスは六ヶ所村を食い物にしてると言ってるわけですよ。」

 そりゃまあ、アメリカにしても、フランスにしても個人としてならともかく、国家や企業として見た場合、単なる善意や同情でここまで首突っ込んだりはしないだろう、ということくらいは世間知らずの私でも納得はいきますが・・・。




 

325迷える大羊:2011/06/19(日) 14:05:07
非常に唐突で
 すみませんが、スーパージュニアとか「SMタウン」といったアイドルグループ(?)をご存じでしょうか?「そういえば聞いたことあるかなぁ?」程度で結構です。

 実は私、韓国マスメディアのウォッチングが半ば趣味のようになってまして。ハングルはよくわかっていないのですが、彼の国の大手メディアは大抵、ネットで日本語版を出してますし、日本語と文法が似通っていて、共通する単語も多いので、機械翻訳でもどうにかこうにか意味がとれるので、普通の日本人でもウォッチは比較的容易です。そのせいか、韓国メディアウォッチを専門としたブログがあるくらいで・・・。

 で、その韓国メディア(中央日報)の記事にこんなのがありまして。

http://japanese.joins.com/article/762/140762.html?servcode=400

世界のK−POPファンが「私の国にも来てほしい」(1)

「11日(現地時間)午後、フランスのル・ゼニス・ド・パリで初めて韓国歌手の大規模公演が大反響の中で終わった。しかしこの公演を現場で見られなかった世界の少女時代やSUPER JUNIOR(スーパージュニア)などK−POPファンは残念そうな表情だ。そこで世界のファンが選んだのはSMを相手にした‘大規模デモ’。 数千人のネットユーザーがSMエンターテイメント公式フェイスブック「SMタウン」(http://www.facebook.com/smtown)」に集まり、多くのコメントを書き込みながら‘オンラインデモ’を行っている。 (引用ここまで、以下略)」

 全部引用すると長くなりすぎるので、詳細は記事をみていただくとして・・。もし、この記事が本当なら、すごい話で、当然、普段、アイドルやらポップスやらに興味のない一般フランス人とかフランス在住の人間にも名前とかイベントの存在くらいは当然、耳にカスっていていいはずだよなぁ、ということで。

326Sekko:2011/06/19(日) 21:03:00
K-POP
私の場合に限ってだけ言いますと、グループの名前は知りません。でも、韓国の若者のグループがパリで公演をしたことは知っています。

それは新聞に載っていたからです。今一番発行部数の多い無料新聞にも載っていました。だから記事は多くの人の目には触れているとは思いますが、私と同世代のような普通のフランス人の注意は特に引いていないでしょうし覚えてもいないと思います。

私の場合は、「へえ、K-POPって、日本だけじゃなくてフランスにも上陸してうけているんだなあ」と驚いたので覚えているのです。

考えたら、日本人が普通に欧米系スターや歌手をアイドル視してきたように、ヨーロッパ人がアジア系スターや歌手を違和感なくアイドル視できるのも当然かなあと思います。

だとしたら、日本で昔よく言われていた「日本人は欧米に憧れているから」という理由づけは関係なかったのかとも思います。

ヨーロッパのファンは別にアジアに憧れているのでなく、個々のスターやアイドルのファンになっているのですから。

マンガのキャラクターや動物キャラにすら誰でも夢中になれるのだから、人間の人種の差とか言葉の差とかあんまり関係ないのかもと思います。

http://setukotakeshita.com/

327迷える大羊:2011/06/20(月) 20:18:29
K−POP人気
>K-POPって、日本だけじゃなくて

 この日本におけるK−POP、韓国芸能人気なんですが、正直、非常に実態がわかりづらいですね。私個人の実感を中心に述べますと、主に50代、60代の女性に熱烈なファンは確かにいます。(主にドラマですが)
 また、テレビのワイドショー、女性誌なんかで、よく韓流スター特集はやってます。

 でも一方で40代以下、特に10代、20代の若年層でいわゆるK−POPの話題が出たところを聞いたことがないです。単にアイドルやら芸能ネタに興味のない人間ばかりだから?でも、AKB48の話は雑談でちらちらでるんですが(総選挙、とか)。親戚にこの手の話を一番するであろう、ティーンエイジャーがいるんですが、彼女にきいても、やはり、ほとんど話題に上らない、とのことでした。

 でも、メディア、特にテレビ(フジテレビ、TBS系が特に)をみると、何やら、熱烈K−POPフィーバーが列島を駆け抜け、みたいな報道がしきりに出てきます(「羽田空港でファン800人熱狂」とか「予約ウン万枚」とか・・・)。
 うーん、どうなってるんだ?これは??単なる主観的な感覚ではなく、もっと具体的なネタ、データはないものか?と考え、2010年度のオリコンシングルチャートランキング(ベスト100)にあたってみました。

http://www.oricon.co.jp/rank/js/y/

 いわゆるK−POPアーチスト、となると16位の東方神起の「BREAK OUT」が最高、以下49位の少女時代「GEE」、67位KARA「ミスター」、という結果でした。

同じく2010年度のアルバムチャートを・・。

http://www.oricon.co.jp/rank/ja/y/

 7位 BEST SELECTION 東方神起が最高、45位 ガールズトーク KARA
70位 KARA BEST KARA 77位  COMPLETE SET Limited Box 東方神起  80位  COMPLETE SET Limited Box 東方神起

 という結果でした。
 まあ、何もない状態から「成り上がった」結果であれば、健闘してるかな?ってといえますが、「大流行」というにはあまりにも無理がありすぎ。特にメディアへの露出の派手さを考えると、「ええ?あれだけ騒いでこんなものなの?」との感は正直、否めません。
 大体、ランキングにしても、発売当初の勢い(発売週にいきなりトップ10入り)と通年のランキングにえらく落差があるし・・。
 東方神起なんかは確かに人気あるようですが、日本を拠点に日本語で活動、となるとK−POPというには微妙、韓国出身のJ−POPアーチストというのが実態に近そうな・・。

 といった具合なので、フランスで人気、という記事をみると、ホントか?実態はどうなんだ?そういえば、フランス在住のSEKKO先生が・・・、と相成った次第です。

 失礼いたしました。

328迷える大羊:2011/06/22(水) 12:25:02
K−POP2(英国編)
 またまた、すみません。しかも、今回はフランスではなく英国での話ですが、同じヨーロッパつながりってことで勘弁していただくとして。
 例によって韓国大手紙「中央日報」の記事から・・。

http://japanese.joins.com/article/954/140954.html

「SHINee、ビートルズの聖地を‘K−POP’の合唱で染める」

 なんだって!?これまた、すごい。これだけの大フィーバーなら、英国のみならず、たとえ、ポップス、アイドルに対する興味あるなしに関わらず、全欧で知られていいはずですが・・・、こういう話、ご存じですか?

 記事概要は以下の通り。

 『英国ロンドンのアビーロードスタジオに「ウィ・ウォント・シャイニー(We want SHINee)!の声が響いた。

??SHINeeは19日、ロンドンのアビーロード・スタジオで、日本デビューショーケースを行った。現場には800人余りの欧州ファンが集結し、アビーロード一帯がまひするという事態となった。この日のライブ公演は、メディアや音楽関係者のために準備されたもので、一般のファンには公開されないイベントだった。しかし欧州各地からやってきたファンは、午前9時からスタジオの周辺に集まり、「ウィ・ウォント・シャイニー(We want SHINee)!」と、声を張り上げた。この日、欧州ファンはメンバーの名前と応援文句をハングルで書いたプラカード、韓国の国旗である太極旗などを振ってSHINeeの曲を合唱した。(引用ここまで、以下略)』

 例によって詳細はURLの記事を読んでいただくとして、個人的にはいろいろと突っ込みどころが・・。

 >SHINeeは19日、ロンドンのアビーロード・スタジオで、日本デビューショーケースを行った。

 これが、いまいち意味がわかりません。今回の場所はパリじゃなくてロンドンで、しかも日本デビュー??

 >これまでスティービー・ワンダーやブライアン・アダムス、コールド・プレイ、ロビ
 >ー・ウィリアムズなど、世界的なポップスターたちがライブ公演を行ってきた場所でも >ある。

 ライブ公演?アビーロードって録音スタジオでは???

>ファンによって交通がまひしたスタジオの前を通り過ぎる現地住民も、クラクションを鳴>らしながらこれに加勢し、まるでストリートフェスティバルを連想させるような雰囲気に>なった

 これもすごいです。本当なら英国のみならず、全欧芸能マスコミの話題となってますよね。
 しかし、個人的には普通はスタジオで録音を行っているときに、いくら熱狂的なファンでもこんなことするかな?第一、中で何やってんのか、見えないだろうし、わからないだろうし、そんなところで騒いで楽しいかな??と素直でない疑問をもってしまうのですが・・。

 ちなみにアビーロードというのは、記事中にもあるとおり、ビートルズがその多くの楽曲をレコーディングしたスタジオで、ビートルズ後期のアルバムのタイトルにもなっていて、洋楽ファン、ロックファンには超有名なスタジオです。

329Sekko:2011/06/22(水) 19:10:28
ル・モンド紙の記事
ロンドンのことは分かりませんが、アビーロードに若者がつめかけていたので邪魔だから車がクラクションを鳴らしたんでしょうね。そんなのをフェスティヴァルみたいっていうのかなあ。

フランスのグーグルで調べると、K-POP情報を流しているサイトがあって、ついに大手の硬派ル・モンド紙にも記事が掲載されたとあり、それはWeb版なんですが、リンク先を開いてみると、

韓国は輸出商品としてのK-POPを国がらみで支援している、

英語でコミュニケを出している、

マーケティングが優れている、

国際色(台湾からスカウトなど)も出している、

ソシアル・ネットワークでの口コミ・カルチャーに助けられた、

などの理由で、ヨーロッパに市場を広げつつあることが書いてあり、

スタイルはアメリカ風、

日本ほどにはコスプレ感覚がない、

と紹介、

中国と日本という両国にサンドイッチされた状態で車と電化製品だけを輸出産業にしている国が何とか文化も売ろうとしているのだ、

というような解説でした。

確かにフランスでは中国と日本の存在感の方が文化、経済、共に大きいですから、一般の人にとっては、韓国は電化製品のイメージくらいで、影が薄いと思います。政治的にはもちろん北朝鮮の方が話題になります。

アジア系の若い男の子たちって中性的な雰囲気だったりヴァーチャルな雰囲気だったりするからヨーロッパでも若い女の子には受けるかもしれません。

今のところマイナーであることは確実ですけれど。

上述したサイトで、韓国のテレビニュースでフランスで熱狂しているファンの姿が流れていましたが、インタビューされていたフランス人の女の子の一人は「個人的には別に好きじゃないけど音楽はいい」と答えてましたが、そこには字幕は入らなかったですね。

http://setukotakeshita.com/

330迷える大羊:2011/06/22(水) 21:25:05
やはり・・・
 東スポとか夕刊なんとかみたいなところの記事ならともかく、一応は全国最大手の一角を占める新聞にこういうツッコミどころ満載な記事が出るのがなんとも・・。

 ルモンド紙の記事の御紹介、ありがとうございます。まあ、そうだろうな、というか、ルモンド紙の分析内容は日本でもネット上では当たり前のように言われている話なんですが、なぜか、新聞、テレビにこういった見解は登場してきません。

 ひたすら礼賛記事ばっかりです。いえ、別にK−POPそのものに含むところは何もないし、個々のアーチストはなれない外国語でよくがんばってるなぁ、と思ったりもするんですが、なんていうか「白々しい」し、実態とあまりにかけ離れている報道内容が不気味です。

 いや、ルモンド紙のような見解を述べたテレビキャスター(木村太郎氏)もいるにはいるんですが、発言後、数日も経たないうちに、放送したテレビ局(フジテレビ)は謝罪を表明しましたね・・。他の誤報では、名前違いのようなケアレスミス以外はなかなか謝罪しないのに。一体、なんなんだこれは?と思っていたんですが、JASRAC(日本音楽著作権協会)のデータベースを検索して納得。

http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/main.jsp?trxID=F00100

 KARAとか少女時代といったK−POPアーチストの欄の出版社名にフジテレビの子会社である「フジパシフィック音楽出版」が大量にヒットするんですよね。(ついでにTBS系の日音も)
 道理で・・。つまり、K−POPが本当に当たればこれらのテレビ局は大儲けってわけで。あんまりフェアな気がしませんが。しかしまあ、一方、こういった世界はある程度虚構上に成り立っている、といえるわけで、ツッコんだり、真に受けたりする方が野暮なのかもしれませんけど。

331迷える大羊:2011/06/23(木) 14:08:52
国策サブカルチャー?
 先ほどから、K−POP話であれですが・・。どうして、このK−POPの話にこだわるのか?というと、なんていったらいいのか、マスメディアの白々しさみたいなものがいろいろ浮き彫りになっているような気がしてしょうがないからです。

 お断りしておきますが、いわゆる韓流について個々の作品、アーチストについては含むところは何もありません。いい作品があることも確かですし、中高年女性が中心ですが、一定のファンをつかんでいることも確かです。でも、なんていえばいいんでしょうね、問題はその「売り込み」の手法というか、過程がツッコミどころ満載なんですよね、個人的に。
 ルモンド記事と先程触れたフジテレビキャスター(ネット上でも)が共通して指摘するのは、

・韓国は輸出商品としてのK-POPを国がらみで支援している、

ということですが、これは中傷でもなんでもなく、実際、このような話があります。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/sports/2011/06/22/0700000000AJP20110622003100882.HTML

「K−POPの競争力強化支援へ、韓国政府」

 大衆文化産業のグローバル競争力強化案”ですか・・・・。フジテレビで木村太郎氏が”韓国政府の中にはブランド委員会というものがあり、K−POPをブランド化するために広告代理店にユーチューブなどのK−POP動画をたくさん再生するよう依頼している”・・・と主張したら、韓国メディアは”大衆文化を国家がコントロールするのは常識的にありえない。あきれてしまう”・・・と反論してましたが??。

http://japanese.joins.com/article/817/137817.html?sectcode=A10&amp;servcode=A00
(「K−POPの流行は韓国政府が操作した詐欺」…日本放送)

 木村氏は詐欺とはいってませんし、ことさら侮蔑するような調子でもなく、むしろ、韓国はそれだけやってんだ、みたいな論調でしたが・・。 とにかく、先に触れたとおりフジテレビは即座に謝罪しました。

http://japanese.joins.com/article/979/137979.html?sectcode=400&amp;servcode=400
(韓国政府による韓流操作の主張、フジテレビが謝罪)
 でも、ルモンドに対しては特にクレームはないみたいですね。

 ただ、K−POP動画を操作しているか否かは確かに不明ですが、韓国政府に「国家ブランド委員会」なるものが存在し、「今後海外のウェブサイトやブログ、動画サイトのユーチューブで、韓国に関連する不正確な情報をすべて修正し、韓国のブランド価値をさらに高める”(下記URL記事より)」活動をその業務の一環として行っているのは事実のようですね。

http://www.chosunonline.com/news/20100601000021
「韓国に対する低い評価を正す」

 これが政府による大衆文化のコントロールでなければ何なんだ?と、個人的には突っ込みを入れざるえないんですが。
 それにしてもねぇ、伝統芸能ならまだしも、アイドルやらドラマやらアニメやらといったサブカルチャーって国策でやるもんなんですかねぇ?本当にそれで「競争力」のあるコンテンツができるものなんでしょうか?
 日本も親方日の丸とか日本株式会社とか言われたことがあったけど、通産省は自動車会社を育成しようとしたことなんかないし、今や日本を代表するコンテンツとなった漫画やアニメなんて、低俗、馬鹿になる、有害図書なんていってPTAと一緒になって潰そうとしていましたけどねぇ。

 アメリカのハリウッド映画、ドラマにしたって同様でしょう。そもそも、ハリウッド映画にしても、音楽にしても、日本アニメ・漫画にしても、まずは国内で熾烈な競争とシビアな国内消費者の目によって磨かれたものが海外に出ているわけで、その段階をすっ飛ばして、いきなり海外というのも、大丈夫かい?それで?ですが・・・。
 まあ、韓国の場合、音楽市場についていえば、日本の30分の1以下、しかも日本以上のネット社会で、みなネットで視聴してしまうためにCDがロクに売れません。何せ2010年度の韓国では10万枚以上売れたアルバムはたった7枚しかないということですし。

 http://www.chosunonline.com/entame/20110210000026

 これだと、海外に出ない限り、大きく儲けることができないわけですが、それにしても・・です。
 普通に考えれば、韓国POPカルチャービジネスに関しては、ツッコミどころが満載なんですが、先程から述べているとおり、新聞、テレビなど表のメディアでこれらの事情に触れるところは皆無、というか触れたら、木村太郎氏のように、たちどころに問題視されます。

 ポップカルチャーなんて人による好みの違いが非常に大きい分野であるわけですから、称賛する人もいれば、全く評価しない人もいるわけで、いろいろ意見があっていいはずですが、韓流に関して、メディアに出てくるのは賞賛記事ばかり、というのも薄気味悪い。もちろん、売れて売れまくっている、ということなら、そういうこともあるかもしれませんが、実際の数字(売上CD枚数、視聴率)を調べると、そんな感じはしない・・、何なんでしょうね?

 フランス関係のBBSなのに、韓国の話ばっかりになってしまいましたが、フランスも確か、かつてはハリウッド映画など海外コンテンツ規制があったように思いましたし、なんとなく文化政策には積極的に国が関与、といったイメージがありますが(韓国ほど露骨にはやらないでしょうが)、サブカルチャーの分野に国が関与、なんてことはあるんでしょうか?
 また、フジテレビ、TBSのように、特定アーチストの出版権をテレビ局が仕入れて、公共の電波で大宣伝、なんてことはフランスのテレビ界であるんでしょうか?

332Sekko:2011/06/23(木) 17:30:41
観光局も
ええと、ちなみにルモンドのソースはこちらです。

http://www.lemonde.fr/culture/article/2011/06/09/la-vague-pop-coreenne-gagne-l-europe_1534023_3246.html

(今読み返すと、中国や台湾にも売りやすいようにとチンタオの人をスカウトでした。)

それで6月のパリ公演が可能かどうかフランスでフランス人がfacebookで呼びかけたとあり、そのプロモートのために、4月には韓国の観光局もVisit Koreaキャンペーンの一環として、ファンのグループを韓国にご招待旅行を助成したようなことも書いてありますね。

SMエンタテインメントというところのオーディションに毎年1万人が応募で合格した人は3年から5年、SMアカデミーで歌や踊りや語学のレッスンを受け、美容整形までされることもあり、入ってからデビューするまでに2億ウォンほどかけて、数年で終り、ということもあるとか。

フランスはもちろん自国文化の輸出を産業として政府も応援していますし、観光キャンペーンもあり、「フランス語」振興も国策の一つです。

日本でも観光キャンペーンありましたけれど、確かに売り物はやはり京都とか、伝統文化、伝統芸能などでしたよね。

フランスはあまり気にせず、新しいトレンドもどんどん売っています。これはまあフランス・ブランドというのがすでに確立しているからでしょうね。

韓国の場合は、ブランドを作るのに、伝統文化よりもグローバル競争力やマーケティング戦略を基に、すぐに売れる、みたいな効率重視を感じさせるところが違和感の原因かなあと思います。

中国のスポーツ選手養成シーンも思い出します。一部のエリート養成のために多くの若者が犠牲になったり、捨てられていくような気がするし、その一部の成功者も、使い捨てだったりすると、これは人権意識の問題だったりするのかもしれません。

「若者文化」というのはやはり「既成の文化」に反発するようなところから力を汲み上げてほしいですね。

http://setukotakeshita.com/

333迷える大羊:2011/06/23(木) 21:20:01
サブカルと伝統芸能
 おつきあいありがとうございます。

>「若者文化」というのはやはり「既成の文化」に反発するようなところから力を汲み上げてほしいですね。

 私がもっとも言いたかったのもこれ。韓国の姿勢に何よりも疑問を感じたのは、サブカルを「国威発揚」「見栄」の道具と思ってない?ってことですかね。大体、ホンマもんのアイドルオタクが

>韓国の国旗である太極旗などを振ってSHINeeの曲を合唱した

 なんてするわけないじゃんっていうのがそもそも最初の突っ込みどころですし。ある意味、国旗、国歌、国威発揚とはもっとも縁遠い分野ですしね。

 確かに、サブカルチャー、ポップカルチャーの拡散がその国のイメージアップやら理解度アップに貢献はしますが、それはあくまで結果であって、最初から狙ってやるもんじゃないだろ、ってことですね。
 ビートルズとかレッド・ツェッペリンなんかが英国政府の助成で活動していた、なんて聞いたことないし、彼らの曲や言動にいわゆる、保守的な意味での祖国愛を訴えるものは皆無ですし(冗談ではあるけど)。

 ところで、サブカルチャー、伝統芸能と分けて語ってますけど、今、伝統芸能となっている分野も元を正せば、作られた時代はサブカル、キワモノだったってものは多いんでしょうね。例えば、浮世絵などリアルタイムで作られていた時代はサブカルチャーであり、「大人」は見向きもしない代物で、だからこそ、幕末になって名作、傑作が簡単に海外に流出してしまった、って聞いたことありますね。クラシックといわれる音楽、ベートーベンやらモーツァルトやらも当時は「不良の音楽」だったかもしれないし・・。

 ロックなんかも、ビートルズの時代あたりまでは、エレキギターで演奏しているだけで「不良」扱いされた、って聞いたことありますし、50年代のアメリカでは大人から目の敵にされた、とのことですし。歌舞伎もそうみたいですね。逆にいうと、そういう「偏見」「迫害」を撥ね退けてこそ「本物」なんでしょうね、サブカルチャー、ポップカルチャーって。

 そんなサブカルも時代が下り、大人の文化となり、さらに進んで「伝統芸能」となり、そしてつまらなくなっていく、または一般人とは縁遠い代物となっていく、という過程を辿るんでしょうね。

 そういう意味では、現在日本を代表するコンテンツとなっているアニメ・マンガも「ヤバい」のかもしれません。つまり、変に持ち上げられて、「大人文化」になりかかっている、という意味で・・。相変わらず、「良識ある大人」からは「低俗、馬鹿、下品」とこき下ろされる文化であり続けた方が、その自由さ、破天荒さが失われなくていいのかも・・、とふと愚考するのでありました。

 

334迷える大羊:2011/06/28(火) 12:44:44
ギリシャとフランス
 前回も同じようなスレを立てていたような気がしますので、恐縮なんですが・・。

今、ヨーロッパでもっとも熱い?国ギリシャの経済問題について。

 単に経済不振、国家破綻というだけなら、それはお気の毒、という話なんですが、ギリシャの場合、ちょっと単純に同情できないんではないか?と個人的には思うところ大なんですが・・。

 ソースは朝日新聞社系の週刊誌「AERA」の昨年5月10日号ですけど(ネットにはありませんでした)それによれば・・・。

◎ギリシャの公務員の数は約100万人で、全人口(1120万人)の1割弱、全労働人口の4人に1人が公務員である・・1974年の軍事政権崩壊後、右派左派で政権交替を繰り返し、そのたびに、自分たちの支持者を公務員として採用したため、こんなに膨れ上がった。
◎公務員によるストライキが、1年に1000回ある・・“特権階級”とも言える公務員が自分たちの既得権を守るために、必死になっている。

◎年金の相続というワケわかんない制度も存在する・・本人と配偶者が死亡した場合・・娘が親の年金受給を引き継ぐことができる。現在約4万人の女性が受給しており、年間の支出額は約5億5千万ユーロ(約644億円)になる。

 その他、時間どおり出勤すると手当がつく、とか年金は大抵の先進国で65歳からであるところが、58歳からもう支給開始、職種によっては55歳からもOK、しかも、現役時代の9割支給、というのですからおいしすぎます。

 他にも、ロクに納税されない消費税の問題とか、ツッコミどころをあげるとキリがなく、このへんにしときますが、かなり出鱈目です。まあ、公務員の問題は日本にも天下りとか特殊法人とかいろいろあるんで、あまり上から目線では語れませんが・・。
 あと、ユーロ、EU加入時の財政状況の申告も粉飾決算、との事実が、09年の政権交代を機にバレてますし・・。

 しかし、ギリシャ一般国民に、これが異様である、との認識は薄いらしく、現在、緊縮財政反対に燃えに燃えているようです。

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=jp09_newsarchive&amp;sid=aw1mwroDohxQ

 EU、ユーロの中心的存在はなんといってもフランス、ドイツですが、これらの国々の一般国民はギリシャへの支援について、どう考えているんでしょうね?

 ドイツ人などは不満たらたらだったらしく、こんな結果を招いたようですが。

『ドイツ首相も支持率急落、ギリシャ支援に不満

【ベルリン=三好範英】ドイツの公共放送ARDが放送した世論調査(25、26日実施)
結果によると、メルケル首相の仕事ぶりに満足との回答は、
前月比マイナス10ポイントの48%と急落、2005年秋の首相就任以来最低水準となった。

欧州の財政危機問題に対し、「政府は迅速かつ結束して処理した」が47%、
「政府は正しい決定をした」は34%にとどまるなど、財政危機への対応のまずさが、
首相への信頼低下に直結した格好だ。特に首相が「ギリシャへの財政支援は行わない」
と明言しながら、5月上旬、巨額の支援に踏み切ったことが不信と失望を招いた。

ソース:(2010年5月29日23時38分 読売新聞)』

 フランスの世論にこうした動きはない、あるいはなかったんでしょうか?私がフランスの有権者、納税者ならかなり抵抗を感じますが・・。
 正直、ギリシャはユーロ離脱、の方が「お互い」の為、という気もしますが、そういう方向には行きそうで行かない、ブツブツいいつつも、援助するのは、

・ドイツ、フランスは国内の金融機関が大量に保有しているギリシャ国債が、ギリシャユーロ離脱、となると大幅に値下がりするため。

・伝統的な「汎ヨーロッパ主義」の考えが抜けないため。1920年代にリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーが汎ヨーロッパ主義運動を推進して100年近い苦労を重ねて、やっとここまできたのに、10年そこそこでパーにされてたまるか、との気持ちが強いため、

じゃないか?と個人的に思っていますが、どうなんでしょうか?タテマエとは違うフランス一般人のホンネが知りたいところですね。

335Sekko:2011/07/05(火) 23:40:48
ギリシャの話
すみません、いろいろ取り込み中だったのでお返事できませんでした。仕事も遅れていてゆっくり書けませんが、ギリシャ問題はもちろん大いに関心があります。

確かにフランスとドイツとの間には温度差があるし、ギリシャの年金制度についても、同じヨーロッパ内なのに、間違った情報がたくさん流れています。一例を挙げればアングロサクソンの新聞がミスしたのをフランスのメディアが何の裏もとらずに次々と翻訳して増幅したこともありました。

たとえばこれまでギリシャの定年は男性65歳、女性60歳だったので、ギリシャの改革担当大臣が、「平均は63歳」と発言したのをなんと53歳と書かれて、53歳から急に67歳(でしたっけ?)になることを散々揶揄されました。
もちろん誤りは指摘されたのですが、一度広まったものはインパクトが強くて。

私もそんなこんなで、ギリシャ人のメンタリティは他のヨーロッパ人とはまったく違うんだなあと思ったこともありましたが、今は、何でも民営化することを条件にするEUの方針に抵抗する市民運動などをヨーロッパの社会民社主義の砦として支援しています。

財政が破綻したから一律に緊縮するというより、これらの国では貧富の差の拡大や失業などが問題なので、アラブ世界のジャスミン革命などと、実は根は同じだと思います。アラブ世界では「独裁者を追い出す」という分かりやすい道がありましたが、ギリシャでも寡頭政治であることは事実ですし。

フランスはヨーロッパで唯一、社会資本家が債権を売り買いしたり市場経済に出さないようになっているシステムの国です。福祉や年金がリアル・エコノミーから遠く離れた投機の対象にされる今の状態を根本的に何とかしないと、ソーシャル・ネットワークでつながった不満の声はどこでも拡大すると思います。日本はなんだかその方向にいかないような感じですけれど…そのへんのメンタリティの差は大いに興味があります。

http://setukotakeshita.com/

336迷える大羊:2011/07/09(土) 21:40:07
御無理はなさらずに・・
 お忙しいところ、お相手いただけるだけでもも感謝しております。まあ、ほとんどボランティアのようなものですし、お気楽にしていただければ、と。お答えできない、わからないこともおありであることは承知しておりますし。

 そうですか、同じヨーロッパ内でも誤解、誤報が多いんですね。日本で触れる欧米メディアはユーロの埒外で、冷ややかに眺める英米系のものが多いですから、なおさらそうかもしれませんね。
 でも、主観、誤解が入りにくい数値データ(ソースを見失いました、すみません)でギリシャをみても日本の神奈川県程度のGDPなのに経常赤字の金額が世界第五位っていうのは、こういってはなんですが、やはり、どうみても身分不相応の消費、浪費があるとしか思えないんですが・・・。

 社会保障、福祉は必要だし大切ですが、無から有が生まれるわけではなく何事も元手が必要ですからね。そういう意味で、妙に斜に構えて経済成長より、生活重視がなんたらかんたら、ということを安直に口にする政治家、評論家は個人的にはあまり支持できないですね。

 ギリシャがユーロに加盟していなければ、通貨が暴落して、物を買ったり(無駄遣い)や外国からの借金に自動的に歯止めがかかり、ここまでひどい事態にはならなかったんじゃないでしょうか?。「稼ぐ力」が大してないのに、ユーロ加入で実態経済と無関係にドイツ、フランスといったヨーロッパの経済大国並の信用と購買力をいきなり得たのがそもそも間違いの始まりとしか思えないんですが・・。

 借金しても、それが国内の産業振興、景気対策などに有効に使われていればいいんですが、もし、そうならこんなことにはなってないですよね。
 私的にはドイツの有権者、納税者の反発もわかるような気が・・。イソップ童話のアリとキリギリスの話は世の心理だな、と。いえ、別にキリギリスをギリシャに当てはめてるわけではなく、うまい話、誰にとっても都合のいい話はこの世にはない、ってことで。

337迷える大羊:2011/07/09(土) 21:46:32
ギリシャ2
 ところで、西欧の一般人にとってギリシャってヨーロッパの一部って認識はあるんでしょうか?私、ギリシャに昔、旅行で行ったことがあるのですが、古代文明やキリスト教(ギリシャ正教)を除けば、街のムードとか、人種構成とか、生活習慣などは、どちらかっていうとトルコとかレバノンとかといった中東西部のムードが濃い感じがしましたが・・・。

 個人的にはギリシャがEUに加盟できるんなら、トルコも入れてやれよ、って思ったりしますけどね。

338迷える大羊:2011/07/09(土) 23:18:46
英国・ギリシャ
 連続投稿すみません。「アングロサクソンの新聞」で思い出しましたが、ギリシャ危機に関して英国の経済紙「エコノミスト」の記事見ましたが、なんか、どこか、「他人事」っぽい感覚みたいですね、単にユーロに参加していないから、というのではなく。英国も一応、「ヨーロッパ」なんですが、あまりそういう感覚はないようで・・。

 私個人はユーロ(ヨーロッパ共通通貨)ってなんだか中途半端で非現実的な構想だなと、発足以来思っていたので、英国がEUに参加はしても、ユーロには不参加、というのは、個人的には、さすがだ、とは思っているんですけど。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/13126
「ユーロ危機:ギリシャが倒れたら・・・」

339Sekko:2011/07/09(土) 23:22:43
ギリシャのことなど
ええとこれは単なるおしゃべりのカテゴリーで続けますが、私も、エーゲ海クルーズなどでギリシャ本土やエーゲ海の島々プラストルコの一部を巡った時に、日本人としての目では、ギリシャとトルコって、激しく似てるなあ、と思いました。ギリシャって全然ヨーロッパじゃないじゃん、ギリシャをヨーロッパに入れた段階でトルコを拒否する理由はないなあ、とも。

でも、そもそもヨーロッパの語源からしてギリシャのエウロパだし、文化的ルーツからいうと避けて通れない、ナナ・ムスクーリがギリシャ語をEUの公用語にするために奔走したようにシンボリックな意味は大きい、と思います。でもそれならユダヤ=キリスト教ルーツも尊重してイスラエルやパレスチナも入れちゃえば、と思ったり・・・

これだけ経済格差のある国同士で共通通貨を採用するのはもともと無理だと思います。最初の6ヶ国くらいではじめればよかったのに。

しかし、今のアラブの民主化運動も含めて、フランスの野望は相変わらず、「地中海連合」を組織することなんですよ。ドイツが地中海沿岸に国境を持たないというところがフランスにとってすごく大事なんです。ドイツが北アフリカ諸国に旧植民地を持たないことも相まって、ドイツと差異化してリーダーシップを維持したいというメガロな幻想ですね。泥沼化しているリビア空爆合意からアラブ連合も撤退しましたし、アフガニスタンからイラクに至るアメリカの失敗から学習しないでフランスはバカなことをしていると思います。7月12日にリビアに対する今後のことが決定されるので注目しています。

NATOの空爆だということで、日本のメディアなんかでは、「またアメリカが干渉している」というトーンのものもあるのですが、反乱軍にせっせと武器を投下してるのってフランスですよ。アメリカ主導なら、いっそもう、サダム・フセインやビン・ラディンのようにカダフィを捉えるか殺すかしているでしょうが、中途半端に国連やらNATOの陰に隠れて人道主義的行動原理を振り回しているフランスのやっていることは、外交的自殺行為だし、リビアの市民にとっても最悪になりつつあると思います。

WBのトップがアメリカ人、IMFのトップがヨーロッパ人という暗黙の了解なども「西ヨーロッパとアメリカ」の連合軍ヘゲモニーを引きずっているわけで、ギリシャはまだまだ翻弄されそうです。

http://setukotakeshita.com/

340迷える大羊:2011/09/23(金) 11:55:29
ユーロ危うし?
 先ほどから延々と続けているギリシャの破綻騒ぎ。いよいよシャレにならない事態になっているようですね。

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=jp09_newsarchive&amp;sid=ahDmti5gqN3o

ギリシャはユーロ離脱の国民投票考えていない−報道を否定

 パパンドレウ首相がIMFなどから求められている「緊縮財政」について、国民投票により信任を得ることを望んでいる、つまり、そんなこと(緊縮財政)をやれば、またまたギリシャ国民の猛抗議で、これまた死者が出るような有様になりかねないため、パパンドレウ首相は国民投票による後ろ盾を得ようとしている、という話を、ギリシャのカティメリニ紙という新聞が報道したけど、ギリシャ政府の報道官はこれを否定、ということですね。。

 国民投票とはすなわち、
「緊縮財政を実施し、ユーロに残留するか」
「緊縮財政を拒否し、ユーロから離脱するか」
 という二者択一です。国民投票の件は一応、否定されましたが、カティメリニ紙の報道はギリシャ国民の社会的な思いを代弁しているように思えますが・・・。

 ギリシャがIMFなどから支援(というか再支援)を受けられるかどうかは不透明な情勢ですし、イタリア国債も格下げ(S&P)されたし、対円レートも下げ続け、いよいよ1ユーロ100円を切りかねない情勢で、ユーロの混乱は泥沼にはまっているかに見えるんですが、現地の反応、情勢はどうなっているんでしょうか?

 ユーロ圏で、失業率、成長率ともにもっともマトモで、最大最強の経済大国はドイツですが、そのドイツにしたって、ギリシャに貸し込んだユーロ債権が不良化すれば、金融危機になりかねないわけですが。
 そのドイツですが、ユーロ推進派の政治家が全く選挙に勝てない情勢のようで、メルケル連立与党は今年になって何度も選挙における敗北を喫してますし。

http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnTK899818120110919

独ベルリン市議会選でメルケル首相率いる国政与党が敗北、FDPは議席獲得できず

 そういえば、フランスでも確か来年、大統領選があって、独仏両国の政治家は「ユーロ」について、有権者から厳しい審判を受けることになるわけですよね?。
 フランス有権者のユーロへの信認は現在どうなっているんでしょうか?

341迷える大羊:2011/09/23(金) 12:38:56
対ギリシャ感情
 そのEUの中核国ドイツなんですが、マスコミの論調をみると、本当にギリシャに対してはイラついている、というかムカつきが止まらないって様子が文章の端々に出てますね。

 ニュースウィーク誌の今週9月28日号のトップ特集は「ユーロ分裂?」ですが、その中にシュテファン・タイルさんという同誌ベルリン支局長(たぶんドイツ人)の記事があって(欧州から始まる崩壊スパイラル)、その中でギリシャについて、「統治不能で腐敗にまみれ、産業競争力も皆無の域内隠れ途上国が放蕩の限りをつくし・・・」とか「他の強い国々が救済してくれるという甘い期待の下、財政赤字を垂れ流し・・」と、そこまでいうんかい、と思えるほどにボロクソです。

 ギリシャにしたって、上から目線で「あんな奴、要らなねぇ」みたいなことを言われ、キリギリス呼ばわりされ、「節約せんかい!努力せんかい!身の丈にあった暮らしをしろ」なんて説教されて面白いわけがないのであって、この記事によれば、アテネ在住のドイツ人が「このナチ野郎」と罵られて、自宅を荒らされた、なんてこともあったみたいで。

 昔のように戦争とか、関係が決定的に決裂する、ってことはないんでしょうが、今後、いろいろと感情的なしこりが残りそうで。それにしても、ヨーロッパ合衆国を最終目標に、そのワンステップとして始まったユーロが却って、円満な関係を阻害している、というのは皮肉以外なにものでもない気がします。
 個人単位でもカネの貸し借りが人間関係を決定的に破壊することはよくありますけど、国と国との関係もそうなんですね、当たり前のことでしょうけど。

 ところで、この対ギリシャ感情について、フランスの反応がなぜか、ネットやその他ニュース媒体を漁っても、なかなか出てこないんですよね。どうしてフランスの反応に関する報道が少ないんでしょうね?もう一方の中核国で、ユーロの命運を握る国なのに。
 まあ、来年の大統領選の結果をみれば、ある程度はわかるような気もしますが。

342Sekko:2011/09/23(金) 20:19:19
ご無沙汰してました
 先日の「韓国系フランス人」http://8925.teacup.com/babarder/bbs/652にお答えしないまますみません。韓国人の養子が多いことは知りませんでした。

フランスのアジア系養子で目立つのはやはりベトナム人かカンボジア人とか、「フランス語」が通じやすい国が多いので。

 この「韓国人の・・・」という発言は、フランス語では「われらが国民的韓国人の・・・」という揶揄的な発言だったので、ちょっとニュアンスは変わります。

そしたら元大臣のラシダ・ダチも「われらが国民的モロッコ人」、ラマ・ヤデは、「われらが国民的セネガル人」と言わなきゃならなくなる、などと反撃されてました。

なんといっても、大統領選出馬表明している人にノルウェー人でもある例のヴァ・ジョリ女史やスペイン系のマニュエル・ヴァルスがいるお国柄なんで、こういう発言がすぐ叩かれること自体にまだ救いがあるかな、と私は見ています。

さて、ギリシャとユーロ問題。

「統治不能で腐敗にまみれ、産業競争力も皆無の域内隠れ途上国が放蕩の限りをつくし・・・」

というのには笑えました。

今EU内では11種の通貨が併存しています。

それが12種になろうと13種になろうと、それでEUが崩壊するわけではなりません。

1930年の大恐慌の時に、さっさと金本位制を捨てた英国が最初に持ち直したように、ギリシャやドイツにもユーロ離脱の可能性を残した方がいいという人もいて、そんなものかとも思います。

それにしても、ドイツ、オランダ、フィンランド、オーストリアあたりのやっぱり「働き者の北国」系とお気楽なギリシャ・ラテン系のメンタリティの差ってあるような気がしますね。

両者混血系のフランスは、どっちにもいい顔がしたいし、ユーロやEU自体の言いだしっぺだし、そもそも社会党がヨーロッパ推進派だったから、ユーロも原発と同様「国是」に近い感じですからね。
むしろサルコジならリアル・ポリティクスでユーロをつぶしても不思議がなさそうですが、ドイツといっしょになって「上から目線」で目立つのは好きだし左派への機嫌取りもあるでしょう。

正直、もうそんなに持ちこたえられないんじゃないかと思います。

ヨーロッパは政治と経済の両輪で、というのがよく言われるのですが、細かいところを見ていくと今でも「言ってることと実際が全然違う」所がたくさんあります。

EU内の税関廃止と学生の自由交流(単位を認めるなど)、EU共同研究機関への支援とか、外交方針の合意とか、第一次産業援助とか、社会政策とか、残すべきところを残して、無制限な投資の規制を作っておけば、ユーロをひっこめてもいいんじゃないかと思います。

ヨーロッパは「合衆国」は無理で、「連合」がいいところでしょう。

http://setukotakeshita.com/

343迷える大羊:2011/09/24(土) 02:06:33
毎度ありがとうございます
>フランス語では「われらが国民的韓国人の・・・」

 そういう表現があるんですね、フランスでは。日本のマスコミでは民族差別、人種差別との非難、あるいは国内の在住民団体からの抗議を恐れて、韓国関連の否定的な側面はあまり報道されない傾向が強いですが、韓国ウォッチャーの間で、韓国が世界有数の孤児・海外養子輸出国(人口比でみれば多分世界一)であることは常識です。

>なんといっても、大統領選出馬表明している人にノルウェー人でもある例のヴァ・ジョリ女史やスペイン系のマニュエル・ヴァルスがいるお国柄なんで、こういう発言がすぐ叩かれること自体にまだ救いがあるかな、と私は見ています。

 そうですね、確かに。サルコジ大統領もハンガリー移民の二世ですし、ヨーロッパ有数、というか、多分ヨーロッパ一の多民族国家ですよね、フランスって。

>それにしても、ドイツ、オランダ、フィンランド、オーストリアあたりのやっぱり「働き者の北国」系とお気楽なギリシャ・ラテン系のメンタリティの差ってあるような気がしますね。

 決定的な決裂はないにしても、この二つの系列の国家間で醜い、というか仁義なき泥仕合が今後始まりそうな悪寒がするのですが、どうなんでしょうね。カネを貸す側も借りる側も必死ってことで。最近、ヨーロッパでも日本マンガを読む人が増えているようですが、このマンガも是非、読まれてほしいなぁ、なんて半分冗談、半分本気で思ったりします。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%8B%E3%83%AF%E9%87%91%E8%9E%8D%E9%81%93

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8A%E3%83%8B%E3%83%AF%E9%87%91%E8%9E%8D%E9%81%93%EF%BC%881%EF%BC%89-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%BC%AB%E7%94%BB%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%9D%92%E6%9C%A8-%E9%9B%84%E4%BA%8C/dp/4062605503

 ドイツ人からすると、連帯保証人になって、自分がこさえたわけでもない借金を背負う羽目になった気分なんでしょうね。



>EU内の税関廃止と学生の自由交流(単位を認めるなど)、EU共同研究機関への支援とか、外交方針の合意とか、第一次産業援助とか、社会政策とか

 それで十分ではないの?何を焦っている、あるいはいたんだろう?と思ってしまうのですが。多分、米国への対抗意識、世界におけるヨーロッパの地盤沈下や存在感の低下を食い止めたかった、あたりが理由かな、と思うんですが、どうなんでしょう?現代の欧州人は世界の中心、世界のリーダーはヨーロッパであらねば、という意識は強いんでしょうか?

344Sekko:2011/09/24(土) 07:29:35
ナニワ金融道
このマンガ、モーニングで時々読んでました。作者が最近亡くなったんですね・・・

私はわりと好きでした。

しかし、日本、しかもナニワが舞台で、この感覚はフランスではかなりシュールでしょう。

逆にいえば、フランスに何十年も住んでいる上に、日本でもサラ金の世界とか、このマンガにある世界とは無縁に暮らしていた私が、こんなある意味ディープなマンガを自然に面白いと思えたり、あまり違和感がなかったりするのって、なんでしょうね。

意外にこういう裏社会みたいなのが日本人のDNAに刻まれた原風景なのかなあ・・・

http://setukotakeshita.com/

345迷える大羊:2011/09/24(土) 18:58:39
ナニ金
 連続投稿恐れ入ります。

>作者が最近亡くなったんですね・・・

 2003年ですね。もう8年経ちますか。連載終了がナニワ金融道の連載終了が1997年ですから、成功した、と思ったらもうお亡くなりになった、てな感じですね。ロシア文学の「罪と罰」からインスパイアされたらしいですが。

>この感覚はフランスではかなりシュールでしょう

 日本人の私が眺めたって、かなり独特な感じがしますからね。そりゃ、フランス人には違和感ありまくりでしょうね。でも、カネの貸し借りを巡る悲喜劇は万国共通だと思うんですけど。 逆にフランスのマンガとか文学、映画にナニ金に相当するような作品ってあるんですかね?あと、連帯保証人とか、手形の裏書ってフランスにあるんだろうか???

 ユーロに対して、今のところ北の貸し手組、特にドイツは騙されて連帯保証人にされたような被害者意識があるんでしょうが、ユーロの恩恵を最も受けているのも、ドイツなんじゃないですか?。何しろ、ユーロ圏内なら、為替レートを気にすることなく、輸出に励めますし、実際、おかげでドイツの景気は今現在いいわけですよね。
 ユーロがなくなって元のマルクに戻ったら、円高以上のマルク高になる可能性が高く、日本以上に輸出依存のドイツには打撃が結構あるように思えますが、どうでしょうね。

346迷える大羊:2011/09/28(水) 07:18:05
ギリシャの労働時間
 このギリシャ危機、ユーロ危機なんですけど、

>ドイツ、オランダ、フィンランド、オーストリアあたりのやっぱり「働き者の北国」系とお気楽なギリシャ・ラテン系

 なんてステレオタイプでみていましたが、必ずしもそうでもなさそうな話もありますね。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2010/06/08/0200000000AJP20100608002200882.HTML

 韓国総合ニュースの記事なんですが、この記事によれば、

「OECDで2000時間を超える国は韓国とギリシャ(2120時間)だけ、OECD平均は1764時間となっている。」

 のだそうですし。

http://www.oecdtokyo2.org/pdf/policybrief_pdf/pb55.pdf#search='ギリシャ 労働時間'

 上の資料でも、ギリシャは労働者一人あたりの労働時間が長い国に分類されてますね。
で、どの資料をみても、フランスは労働時間の低い国のトップバッターです(笑)。

 とすると、ギリシャの一般国民は一生懸命、さんざん働いているのに、国は破産、周辺諸国(EU勝ち組?)から上から目線できつい説教をされて・・・となんだか同情すべきなんじゃないのか?と思えてきます。これだけ、働いているんだったら、年金で少々ズル(?)してもいいか・・、なんて気も。

 逆にフランスってすごい、あれだけ休みまくっても豊かな国、EU内勝ち組?の地位をキープしてるんですから。キリギリスはどっちだ?ですね。
  まあ、ギリシャの場合、付加価値の高い、稼ぎとなる産業がほとんどない、政治の不安定、腐敗が破綻、貧しさの何よりの原因なんでしょうが。

347Sekko:2011/09/29(木) 08:10:13
ギリシャのこと
下の記事、もし翻訳できたら読んでください。

http://www.marianne2.fr/Grece-les-trois-mensonges-des-medias-et-des-experts-1_a192305.html#

これを読むと、ギリシャ人が働かないとか、ドイツ人が働くとか、みんなあやしくなります。

2005年の時点では、購買力を基準にした各国の一人当たり生産高を比較すると、ギリシャはたとえばポルトガルより高いんですよ。ちなみに一番からルクセンブルク、アメリカ、アイルランド、ベルギー、フランス、オーストリア、フィンランド、英国、ドイツ、EU平均(中略)・・・・日本、スペイン、そしてギリシャです。

金融業や工業が少なく、農業や観光などのサービス業でこれだけの生産をするには労働時間が多いわけです。(公務員はやや少なかったのが、10月からサラリー据え置きで週40時間に引き上げられます。)(ちなみにフランスは35h)

ギリシャはユーロ圏に入ったせいで、金持ちの資産が外に流れ、たとえばキプロスの銀行に口座がうつっている、ユーロ高のせいで、トルコ、チュニジア、ヨルダンなどに観光客を奪われた、2005年来のドイツのユーロ政策の犠牲になった、などとも書いてあります。

ユーロから外れて通貨切り下げすれば財政再建できるのに、と、私でも思ってしまいます。

今のフランスとドイツのくっつきぶりも不可解で、第二次大戦でいえばイギリスと味方でドイツとイタリアとは敵だったのに、ユーロで結束しているのは、シャルルマーニュ(カール大帝)の「フランク王国」の名残なのかも、と思ってしまいます。フランク族とアングロサクソンと地中海族の確執かなあ、とも。(この仮説をフランス人に披露すると、妄想扱いされますが・・・)

ギリシャの一般市民はほんとに気の毒だと思います。

フランス人が人生を謳歌している割にはちゃんと働いてるのは確かに不思議ですね。一部の人がものすごく働いていることは事実ですが・・・

http://setukotakeshita.com/

348迷える大羊:2011/09/30(金) 05:53:59
ユーロって?
>ギリシャはユーロ圏に入ったせいで、金持ちの資産が外に流れ、たとえばキプロスの銀行に>口座がうつっている、ユーロ高のせいで、トルコ、チュニジア、ヨルダンなどに観光客を奪>われた、2005年来のドイツのユーロ政策の犠牲になった、などとも書いてあります

 しかし、なんだって、ギリシャは「粉飾決算」をやらかしてまで、EU入り、ユーロ入りを目指したんでしょうね?そのあたりの理由、事情がさっぱり・・。「国際化」だの「グローバル化」などを無条件に是、とする人はこのギリシャの有様をなんだと思ってるんでしょうか?
 それにしても、ユーロのシステムの問題点、欠陥は発足時から予想がついた、と思うのですが、10年前のユーロ発足時のメディアの論調ってひたすら礼賛ばかりでしたよね、少なくとも日本や米国においては・・。
 「超大国・EU誕生」とか「ドルに代わる基軸通貨」だとか・・。以前から思っていることですが、日本もアメリカもとにかくヨーロッパ先進国に夢と理想を抱く人が多く、そんな「先進国」のすることなら「間違いない」と盲目的に信じている人々があまりに多すぎるような・・。
 いえ、ヨーロッパ諸国そのものをどうこういっているんではなくて、例をあげるとキリがないのですが、どうして日本人には海外、外国にありもしないユートピア、理想郷を見出そうとする人が後を絶たないのかなぁ?ってことですが・・。

>フランス人が人生を謳歌している割にはちゃんと働いてるのは確かに不思議ですね。

 独断と偏見ですけど、なんていったらいいんでしょうか、そのメチャメチャよく働く優秀な一部のフランス人が時間をかけて作ってきたシステムが優れている、のではないか、と。
 まあ、個人単位でみて、ドイツ人がメチャクチャ真面目で働くとか、ギリシャ人が働かないとか、なんて法則はないですよね。
 勤勉、とされる日本人だって、明治以前、江戸時代の日本人は結構適当でいい加減だったって話もありますし。

349迷える大羊:2011/10/22(土) 02:02:28
フランス人と外国語
 フランス人、というとステレオタイプとして、自国の文化とフランス語に限りない誇りを抱き、フランス語こそ世界一美しい言葉と固く信じて疑わない・・、英語とか英語圏に対抗意識が強くもち・・なんていうのがありました。

 しかし、最近、教会がらみで20代のフランス人と知り合いましたけど、いろいろ聞くと「英語話したがる人多いよ」「外国人を避けているように見えるのは、単に語学が苦手なだけ」「ええ?外国文化大好きだけどなぁ。」・・・etc。なんだ、日本人と同じじゃん、てな結果でした。

 上記のような「フランス文化最高、フランス語こそ世界一美しい言語と信じ・・」みたいな、妙なステレオタイプとか都市伝説はどこから出てきたものなんでしょうね?

350迷える大羊:2011/10/22(土) 02:40:50
フランスの学校の外国語教育
 また、韓国メディアからのネタですが。

http://japanese.joins.com/article/249/144249.html?servcode=A00&amp;sectcode=A00

 中央日報9月30日付の記事なんですが。

 『フランスのある高校が「韓国語」を正式科目に採択した。 別の高校では近く大学入学試験準備のための正規講座を始めるという。

 在フランス韓国教育院のチェ・ジョンレ院長は28日(現地時間)、「韓国語を正式科目として中等学校で教えるのは欧州全体で前例がないと聞いている」と述べた。 フランスでは1956年、ソルボンヌ大に初めて韓国語講座が開設された。

 フランス西南部都市ボルドーのフランソワマジャンディ高校では、2011−2012学年度が始まった5日から韓国語の授業を行っている。 実用外国語の選択科目で、正規教科。 18人の1年生がこの科目を選択し、1週間に3時間ずつ授業を受けている。 外国語特性化学校のここはボルドーの名門の一つ。

 パリのビクトルディリ高校では近く大学入学試験「バカロレア」の準備のための韓国語講座が始まる。 政府機関が密集した7区にあるこの学校には官僚の子どもが多い。 バカロレアの受験生は韓国語を第2外国語または第3外国語として選択できる。 6月の試験では約60人がこれを選択した。 チェ院長は「主に同胞または親の片方が韓国系の家庭の子どもが受験したが、フランス人学生の関心も高まっている」と説明した。

 フランスの韓国語教育拡散についてチェ院長は「部分的には韓流の影響もあるが、着実に韓国語と韓国文化を学生に知らせる努力が行われてきたため」と説明した。』(引用ここまで)

 この記事を取り上げたブログが他にもありまして、そこのコメント欄には「ボルドー在住経験者」が次のようなツッコミを入れていました。

 ・リセ・フランソワ・マジョンディは特に名門でもなく、ボルドーの普通の公立高校である。

 ・このリセ・フランソワ・マジョンディはかなり前から外国語教育の実験校であり、仏語の授業について行けない外国人生徒向けの母国語補習”について実験的取り組みが行われてる高校。

 ・1980年代末に、既に日本語の授業があった。ただそれは、あくまで在仏日本人でフラン  スの学校に通う仏語が未熟な日本人の高校生が、日本語授業で単位を補う、といった形  の運用で、ついでに興味のある仏人生徒がいれば一緒に受講できますよ、といった感   じ。

 ・同様の事情で韓国語の授業が設置されたのは在仏の韓国人子弟が増えた為。韓流とか韓 国側の「韓国文化を知らせる努力」とはほとんど関係がない。フランスでは1990年代初頭に「オレンジ族」と呼ばれる韓国人留学生が大量に押し寄せ、そのほとんどが学校を終えても滞留を続けているし・・・、とのこと。

 まあ、この辺の事情は中央日報でも「主に同胞または親の片方が韓国系の家庭の子どもが受験したが」との一文でさりげなく触れられてはいますが・・。

 フランス在住者として、実感としては、どちらが事実に近く感じられますか?

351Sekko:2011/10/03(月) 06:42:39
(無題)
>最近、教会がらみで20代のフランス人(・・・)

まず、こっちの方。これは20代なら不思議じゃないでしょう。21世紀からこっち、国の差よりも世代の差の方が大きいのが実感です。「外国のもの」をありがたがる傾向はインテリの中には昔からありました。今は第一外国語は英語が主流だし、中学高校で英米の学校に行く子も少なくないです。

次の韓国語についての話。

まあ、韓国車や電化製品の知名度や普及度に比べると、韓国語が中等教育に現れたのは遅すぎる感じですね。文化的には、ジャポニズムや中国学の伝統からいうと中国語、日本語の教育の歴史と同列には語れませんが。中国語は華僑も昔から多いし、今も中国人がどんどん増えているので、単純に、白人のフランス人の学習者が増えてきたのはやはり中国の経済発展によるビジネス展望の見えてきた最近の傾向です。

それに比べると、日本人の子弟はたいてい日本人学校に行くので、日本語を教えるリセは少なくても、「日本人の生徒」というのはほとんどいなくて、やはりマンガやゲームや柔道、剣道の人気によって集まるフランス人生徒が主流です。

最近、知り合いのフランス人の一人息子で、イギリスのハイスクールを出て、中国語や日本語もならっていたのに、この秋、大学でパリに来て、中国語科と日本語科が定員いっぱいだったので、「しかたなく韓国語科」に入ったという人がいます。中国語、日本語、韓国語という選択は、その程度(つまり定員の問題)でしかないのか、と軽いショックを受けました。後で意見を聞かれたのですが、あまり答えようがなくて・・・

中国語を個人授業でやっている白人フランス人の中学生も知ってますが、中国語なら華僑系のフランス国籍の子弟がたくさんいて、中国語はもちろんバイリンガルだし、実際に中国とのビジネスに活躍している若い人も多いので、白人が無理して早期教育に投資してもどうなのかなあ、と思っています。それこそ、ビジネスなら英語で十分だと思うし。

韓国人留学生も何人か知ってましたが、エリートばかりだったので一般化できません。

フランスにいる「普通の韓国人」の知り合いというのは、不思議なことに、ハーフを含めて、何十年も住んでひとりもいません。中国人やベトナム人はもちろん、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー、シンガポールなどのアジア人ならすぐに思いつくのに・・・

唯一個人的に知っているフランスの韓国系文化の人は、フランス人(白人)の韓国仏教グループだけです。考えてみれば不思議です。そんなわけで、少なくとも私には、テクノロジーは別として、文化としての韓国や韓国語が最近特にフランスで存在感を増したという感じはしません。

http://setukotakeshita.com/

352迷える大羊:2011/10/03(月) 08:56:01
お忙しいところすみません
 ご回答をいただいた感想は「やっぱりね・・・」でした。なんか、韓国メディアにケチばかりをつけている、と思われると困るので、一言付け加えると、日本とか、なんていったらいいのか、「自国の国威発揚」が絡まない記事は、まともです。
 特に経済記事とか世論調査など、きちんとデータ数値とソースを示した上で記事書きますし。ちなみに、私は韓国メディアのおかげで、ああ、世の中には、世界にはこんな統計、データ、ランキングがあるんだ・・、とわかったことが多いですし。

 日本は輸出依存(各種統計ではそのような証拠はない)で円高で破滅だの、凶悪少年犯罪が増えて治安が悪くなっただの(実際は減っている)、見出しと煽り優先の日本メディアよりまともな面もあります。しつこいようですが、日本と「国威発揚」が絡まなければ、という前提において、ですが。

>最近、知り合いのフランス人の一人息子で、イギリスのハイスクールを出て、中国語や日本語もならっていたのに、この秋、大学でパリに来て、中国語科と日本語科が定員いっぱいだったので、「しかたなく韓国語科」に入ったという人がいます。中国語、日本語、韓国語という選択は、その程度(つまり定員の問題)でしかないのか、と軽いショックを受けました

 いやぁ、そんなもんでしょう。十代、二十代の学生なんて。かくいう私も、大学の第二外国語は中国語にしたかったんですが、なぜか中国語が選択科目になく、仕方なく、適当に単位が取りやすいとの噂のあったドイツ語にした、といった手合いですから(笑)。ドイツ人が聞いたら脱力するだろうなぁ、って思います。逆にその年代で、中国、日本の東洋文化に深い知識と関心があり・・、なんていったらそっちの方がビックリです。

353迷える大羊:2011/10/03(月) 20:57:48
日本企業??
>韓国車や電化製品の知名度や普及度に比べると、

 その韓国企業なんですが・・。
 ネット上にはびこる、いわゆる「嫌韓」ユーザーとか民族偏見の持ち主、と思われたくないので、触れないようにしていたんですが、その韓国輸出企業の欧米圏のCMっていうのが、こう、なんていうか、苦笑いというか、よくやるよ、といった代物がしばしばあって・・・。例えば、これ。

 http://www.youtube.com/watch?v=LjKs6HxOFpk&amp;feature=player_embedded

 ニンジャだぁ?今時、なんちゅうベタな日本イメージで売り込んで・・・、どこの日本企業だよ??と思って、画像と音声をよーく見て、聞いてみると、韓国を代表するエレクトロニクス企業「サムスン」でした・・・、とか。
 その他にも、フジヤマだのスモウレスラーだの日本的アイコンを使用した韓国企業のCMがネット、動画サイトに山ほどアップされてます。まあ、数年前のものが多く、今もこんなことしてるのかどうかは不明ですが・・。

 こんなCM打っといて

「最近、米国の大学生を対象に行われた有名ブランドに関する調査によると、サムスン電子が日本企業とする回答が57.8%にも上ったという。LG電子も41.9% は米国企業、26%は日本企業と錯覚していた。現代自動車も55.7%は日本企業だと思っていたという」
 (朝鮮日報 2007年5月28日付 ネットからはすでに削除)

 なんて言われても、って思ってしまいます。あと、こんな話も。

彼は “(1970年代) 韓国という国, 三星ブランド及び製品力は皆一天して中・後進国市場中心の開拓が不可避だった”と “(私は) 往往日本人でなりすまして碌な製品一つなくカタログだけで奥地をさしでがましく通った”と回考した.
(東亜日報・韓国版。2009年3月11日付より。ネットからは削除。言葉がわかりにくいのは機械翻訳のせい)

 日本人になりすまして??。うーん、戦後間もない時代、トヨタだとか、パナソニックの営業マンが海外で「日系アメリカ人に成りすまして」営業した・・なんて話は聞いたことが・・。仮にそんなことを本当にやっていたとしても、堂々と誇らしげに新聞紙上で語ることは・・あるのかなぁ?

 そもそも、韓国における各種世論調査では「嫌いな国」のトップに上ってくる国(日本)の国民に成りすます・・、という心境が私には今一つ理解できないです。
 あと、海外で「日本料理店」を経営するかの国の人は多いですし。あの国の人々の対日感情というのは、ある意味、世界でもっとも理解しづらいです。





 

354Sekko:2011/10/04(火) 05:57:14
おかしいですね。
そう言えば、私も、一つおもしろい経験が。

パリで時々行く、seoul88という韓国レストランがありまして、一度そこで傘を忘れたんです。それでうちに帰ってから電話して、「傘を忘れたんですけど…」と言ったら、即座に「ありません」と言われ、「今日のお昼に食べた日本人なんですけど…」と言ったら、「あ、日本人? 傘、ありますよ」と答えられたことがあります。それで無事とりに行きました。最初はフランス人だと思われたらしいんですが、そんなに簡単に答えを変えちゃうなんて、人種差別じゃないの・・・と思いました。
そのレストランにはフランス語版の「韓国料理」という写真付きレシピ本があって、すしもちゃんと載ってました。私にご自慢で見せてくれました。今のように中華系の日本レストランが蔓延していない時で、私は時々そこのすしをパーティに使っていました。

ですから、日本人だから嫌われたという経験じゃなく、日本人だというと、同じ仲間ね、っていう感じでしたね。その時に、すしを韓国料理として入れているのはいかがなものかと日本人から違和感を持たれるかもしれないという懸念は全然感じられなかったですね。

すごくプラグマティックな国ですね。

国と個別の人との関係ってほんとに違いますよね。アメリカ人には人のいい人が多いし、本気で日本は「ともだち」と寄ってくる人もいますが、友達とかパートナーとか言う前に原爆投下を謝罪すれば…と私などは吹っ切れないことが多いです。

でも、日米関係では日本が一貫してプラグマティックな「実」を採用してきたわけで、サバイバルがかかるとどんな人でも国でも、なりふりかまわず、すごいなあと思うしかありません。私なんかは割り切れないうちに孤立して滅亡しそうです。ヴァイタリティのある人たちの恩恵を受けてここまで生きのびてこれたのだから、批判する気はありません。

http://setukotakeshita.com/

355迷える大羊:2011/10/08(土) 20:13:20
そうですね
>国と個別の人との関係ってほんとに違いますよね

 そうですね、私もリアルの韓国人には特に含むところは何もないですね。あくまで、あの国のメディアの妙なナショナリズムとか、国威発揚の誇大記事(大げさ、誇大としかいいようのない韓流記事とか・・)をからかいたくなるだけで。
 リアルの韓国人(たまに行くバーでバイトしてた学生さん)や、韓国在住の方に聞いたところ、「反日」のほとんどはメディア主導で、一般レベルではメディア(特に新聞)なんてそんなもん、という覚めた目で見ている人も結構多く、100%間に受けているわけではないようですし。
 例の反日ネタも一般人レベルで盛り上がっているのは、スポーツと領土問題だけのようです。ただ、公の場では一応「反日」のフリ(独島(竹島)はわが領土とか、「親日法」とか・・)をしないと叩かれる、という妙な風潮があるようですが・・。

 ところで、韓国企業の「日本成りすまし」ですが・・・。
  以下、朝鮮日報2009年11月15日付け記事(鵜飼経済の亡霊)より(朝鮮日報のネット版、日本語版の記事は削除が早いので、文章をそのまま載せます、あしからず)

 『今年8月、LG電子の家電事業本部に非常事態が起きた。両面開きドアの冷蔵庫に使われるリニアコンプレッサー(冷蔵庫の冷媒圧縮装置)を動かす電子チップを作るNECが突然、供給量を10分の1に減らすと通知してきたためだ。LG電子の関係者は「NECとの緊急交渉を通じて緊急ランプは消えたが、まだ気をもんでいる」と話した。
               (中略)
 韓国が誇る最大の輸出品、携帯電話の場合はさらに深刻だ。携帯電話1個当たりの総費用の26%を占める、最も高価な部品ベースバンドチップはもちろん、センサーチップ、無線送受信の機能を担うトランシーバーなどの国産品採用率は現在0%(放送通信委員会の2009年国政監査資料)だ。源泉技術不在のためだ。ある業界関係者は、「世界的な携帯電話生産国である韓国の実情を調べてみると、製品の外装だけ国産という恥ずかしい現実がある」と話す。
                (中略)
実際に、韓国は昨年だけでも過去最大の327億ドル(約2兆9400億円)の対日貿易赤字を計上したが、このうち部品素材分野の赤字は209億ドル(約1兆8800億円)に達した。2001年(103億ドル=約9260億円)に比べ、7年で倍増したかたちだ。輸出すればするほど部品素材の輸入が増え、本当の果実は日本に手渡している構造が、一層深刻になっているわけだ。』
(引用ここまで)

 要するに、韓国輸出企業のビジネスモデルって、簡単に言えば、外国(主に日本)から、部品、特に精度を要する核心部品を輸入し、自社で組み立てて輸出、というパターンが多い、というかほとんどですから・・。従って、韓国企業の輸出が絶好調になればなるほど、対日貿易赤字が膨れ上がる、という構図になるわけですね。
 つまり、韓国企業、韓国製品=日本、というのは、あながち偽装とも間違いとも言えないのでは?と思えますね。やっぱり、からかってるんですかね?これって。

 そんなわけですから、今回の震災の際もこんな心配をしてましたね。朝鮮日報3月15日付の記事から・・・。

 『韓国への部品・素材供給、中断の危機

 韓国最大手の自動車部品メーカー、万都は、東日本巨大地震による影響で、ブレーキやステアリングなど年間550万個生産している主力部品の生産ができなくなる危機に追い込まれた。同社はこれら部品に使われる電子制御装置用の部品を岩手県のNCC社の工場から輸入しているが、地震の影響で同工場の操業が全面的に中断したためだ。万都の部品在庫量は12日分にすぎない。このため、NCC社の工場復旧が遅れた場合、万都の主力部品は生産が止まる可能性が高い。その上、万都が生産するブレーキ、ステアリングは、現代・起亜自動車の主力車種に搭載されているため、韓国の完成車生産にも影響が出かねない状況だ。(以下略)』
(引用ここまで)

356迷える大羊:2011/10/31(月) 18:45:50
夢の連合王国(英仏併合)?
 最近、ネットでマンガやアニメをみていたら、こんなのがありました。

http://www.geocities.jp/himaruya/ihd.htm

 一体、何のパロディか、と思ったら、1956年、スエズ危機とアルジェ戦争で揺れるフランスで、時のギー仏首相がなんと、フランスの英連合王国入りを英国に打診したことがある、というお話。なんでも、このギー首相、イギリス大好きだったそうで。

 マンガ・アニメでも突っ込まれているように、普通に考えて「それは無理だろ」で、英国からあっさりお断りされたみたいで。第一、「王国入り」では何のために流血だらだらのフランス革命を起こしたのかわからないし・・。
 これ、本当に真面目にフランスで検討されていた話なんですか?フランスといえば、アングロサクソンへの対抗意識が強いドゴールのイメージがあまりに強く、にわかには信じられないんですが。

 しかし、今さらですが、日本マンガ、アニメって本当に人気ありますね。このマンガ、アニメにもしっかり英語版などが出回ってました。

http://www.youtube.com/watch?v=jlktxmYfIDk&amp;feature=related
 

357Sekko:2011/10/31(月) 20:13:23
日本っておもしろい
この、国を擬人化したマンガのシリーズってあいかわらずおもしろいですね。すごくマイナーな所に目をつけてるのが、リアルなようなふざけてるような・・

そう言えばそんなことをBBCが言ってたと聞いた覚えがかすかにあったので今検索すると、2007/1/15にBBCのサイトが20年前に解禁になったけれど誰の注意も弾いてなかった政府文書に、1956/9/10 スエズ危機とかについて話し合いに来たフランスのギイ・モレが政治連合の可能性を提案し、断られてコモンウェルスへの参加の可能性も口にしたなどと書いてありました。で、BBCがフランスとの「結婚」に賛成するかというアンケートを取ったら反対は57%「しか」なかったということです。

当時、イスラエルとフランスが同盟でイギリスとヨルダンがくっついていて、イスラエルとヨルダンが戦争になったら英仏軍がぶつかることになるのでそれはまずいというのが一番の理由だったそうです。ヒトラーの脅威に対抗してチャーチルが盛んに英仏連合を呼び掛けていたこと、二度の大戦共にイギリスがフランスを助けたこととかでモレは大のイギリス好きだったのも本当のようです。

ただ、これはいわゆるEECが発足する前の話で、結局、翌年1957/3/25のローマ条約で、フランスはイギリス抜きで、第二次大戦の敵国ドイツやイタリアを入れてヨーロッパ共同体を創るのですから、その前のいろんな根回しや利権の争いの現れのひとつだったんでしょう。

もっとも、このBBCの「スクープ」を報じたフランスのメディアは、フランス政府側にはそのような文書はまったく残っていないと確認しているので、真相は分かりません。まあ、それから僅か3ヶ月後にイギリス抜きのEECが成立しているのだから、フランスがイギリス女王を戴く気になっていたというのは、モレさんの脳内は知りませんが、あり得ないことでしょう。 でも、それをわざわざマンガにしたりそれが英語で広まっていくって、日本のサブカルっておもしろいです。

http://setukotakeshita.com/

358迷える大羊:2011/11/02(水) 13:12:05
英仏関係って
 好意と敵意、敬意と蔑視の入り混じったなかなかに複雑な関係みたいで・・。

これなんか、この両国が戦争すると必ず共倒れの状況になってしまうことをおちょくってますね。

http://www.geocities.jp/himaruya/frig.htm

 まさに腐れ縁とでももうしましょうか。このマンガの原作者ってまだ20代でニューヨークの美術学校に留学してる学生さん、みたいですけど、若いのによく知ってるな・・って思います。
 個人的に笑ったのは、アニメ版のこの歌(イタリアがドイツに捧げる歌)。

http://www.youtube.com/watch?v=ScktTQaIfBY&amp;feature=related

 「大群で俺んちに押しかけないで〜」って部分。そういえば、ローマに行ったら、ドイツ人観光客がいっぱいいたな〜と思い出して吹き出しました。ドイツが「犬にとって天国」なのは何のことだかよくわかりませんでしたが・・。
 

359迷える大羊:2011/11/03(木) 13:21:19
フランスの必殺技
 先スレのマンガ・アニメですが、元々、イタリアの軍事面での信じがたい弱さ、情けなさがネタになっているわけですが、このマンガではフランスも軍事面での弱さではヒケを取らない、との設定となっていて、イギリス、アメリカなど他の連合国内で「イタリア2号機」とのレッテルを張られている、ことになってます。例外はナポレオン時代ですが、そこでも、イギリス軍の落とし穴作戦に引っかかる、というマヌケさを発揮・・、とさんざんです。
 そんなフランスの得意技は、弱っている相手を叩く、あるいは勝ち馬に乗る、という「漁夫の利」戦法である、とこのマンガ・アニメは決めてかかっているのですが、そう思われますか?

 http://www.youtube.com/watch?v=aR8bXzj3BVk&amp;feature=related

 確か、以前、伺ったお話では世論調査でフランスは敵が攻めてきたら?の設問に対し「逃げる」が主要国中ぶっちぎりの高さだった、とのことなので、やっぱりそうなのかな?と思わないでもないですが・・・・。
 しかし、このマンガ・アニメってフランス人がみたらどう思うんでしょうね?

360Sekko:2011/11/04(金) 01:25:03
さすがに・・・
おもしろいのはおもしろいですが、さすがに、これらのアニメを見て怒るフランス人はいないでしょう。まともに考えるには歴史上の様々な文脈があるので、どれもやはりマンガのネタでしかないです。
もしこういうのを見て、「本質的だ」と本気で思っている人が多いとしたらその方が心配ですが・・・ それは別にフランス・ネタに限らずですが。
いろんな成り立ちを持ついろんな国家が本当にもしこんなに単純化できるんなら、歴史学も政治学も国際関係論も要りませんよー。

でも、こういうマンガでたとえばイスラムをネタにしたものをフランスで出したりすると、本気で命をねらわれかねないんで、笑いというのも両刃の剣ですね。

http://setukotakeshita.com/

361迷える大羊:2011/11/04(金) 20:28:05
そうですよね・・
 「大人」ならこんなアニメにいちいちバカにされた、とかいきりたったり、真面目に受け取ったりしませんよね、と思えるんですが、何事も例外はつきものでして。まあ、その、抗議の主は韓国なんですが・・。正直、ええ?でした。イタリア人(ヘタレ)、フランス人(変態)あたりが抗議してくるならわかるんですが・・・。

2009年1月13日付け読売新聞より

【ソウル=浅野好春】ケーブルテレビの子供向け専門チャンネル、キッズステーション(東京都千代田区)で1月25日から放映開始予定のアニメ「ヘタリア」に対し、韓国のインターネット愛好家らが放映中止を求めるなど反発が広がっている 物語の一部に「韓国人を侮辱する内容」が含まれているためという。
 (中略)
 原作者は米ニューヨーク在住の日本人漫画家、日丸屋ひまるや秀和氏で、ネット上で連載。単行本も出版されており、版元の幻冬舎のホームページによれば、50万部以上を売り上げているという。韓国メディアによると、コミックの中で韓国に設定されたキャラクターが登場。この人物は米国、日本に依存しながら、中国を「兄貴」と呼び、文物は何でも韓国起源だと主張する者として描かれている。
 韓国のネット愛好家の間では放映中止を求める運動が広まっており、あるポータルサイトでは12日時点で、1万人を超える署名が集まっているという。(以下略)

 韓国はアニメには登場しないし、マンガでの登場回数も少ない上、そんなにひどい扱いだったかな?と思いましたけども(第一、あのマンガはすべての国は「公平」に「バカにされてる」し)。で、韓国のマスコミサイトでこのマンガについて探すとあるわ、あるわ・・。
  これ、韓国の国会にまで取り上げられたんですよね。

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&amp;mid=sec&amp;sid1=001&amp;oid=214&amp;aid=0000091163&amp;

「ハンナラ党の鄭美京(チョン・ミギョン)議員は13日、国会の独島(竹島のこと)領土守護対策特別委員会で、「韓国侮辱」の批判の出ている日本アニメ「ヘタリア」について、「個人対個人として見れば犯罪行為にも等しい」と述べました。」

 なんだか穏やかではない話で、おいおい一体、どんなマンガ・アニメなんだ?」と思ってみたら、意外と面白かったってことで。
 実のところ、私がこのマンガを知ったのは、韓国での騒動のニュースがきっかけで、この騒動がなければ、未だに知らなかったはず。なんか、韓国側からすると逆効果のような気がするんですが・・。

 大体、日本人の私ですら知らなかったアニメ・マンガがなんで、韓国では国会議員が取り上げられるほどに知られてる、見られてるんだ?ていうか、なんで「嫌いな国」のアニメ・マンガに平均的日本人より詳しいの?と、アニメ・マンガそのものの善し悪しより、韓国側の事情というか心境の方がなんだか、私を混乱させました・・・。

362noemi:2011/11/06(日) 20:52:48
ギリシャ危機のこと
チャンネル桜http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV?gl=JP&amp;hl=ja#p/u/6/i-9tffhVbZ0
でドイツ在住のクライン孝子さんがギリシャのような小国が欧州の圧力に抵抗しようとしていることを評価していました。一方、今まで好き勝手なことをしてきたギリシャ人をまじめなドイツ人が助けるのは割に合わないという話も前にありました。フランスの大統領とドイツの首相があんなに必死にギリシャを助けようということの最大の理由をひとことでいうと何でしょう。

363sekko:2011/11/07(月) 19:30:20
noemi さま
このことについて、私のブログ

http://spinou.exblog.jp/17063887/

で簡単に触れてみました。そちらの方を参照してください。でも、ヨーロッパ諸国は、みんな個性があって、小国と言えども、平気で嘘の申告をしたり、恫喝し合ったり、みんな海千山千でしたたかだなあ、と思います。
それに比べると日本って、内弁慶、と言うか、外に対してはすなおで気配り民族かも・・・・

http://setukotakeshita.com/

364迷える大羊:2011/11/16(水) 21:44:47
仏伊関係
 最近、イタリアをネタにしたマンガ(テルマエ・ロマエ、ヘタリア)をよく読むせいか、ちょっとイタリアに興味が出ているんですが、そのイタリアとフランスの関係について。

 イタリアってフランスに対して文化的な対抗意識が強いんでしょうか?イタリア在住の方のブログに、イタリア人に対して、ルーブル博物館の話はタブー、「モナリザ」を筆頭にルネッサンス期のイタリアの貴重な美術、芸術、文化遺産が多くフランスの手に渡っていることを快く思わないイタリア人は多い、とありましたので気になりました。

 イタリアのお騒がせの前首相ベルルスコーニ氏がフランス大統領サルコジ氏の妻(イタリア系フランス人)を指して「私があげた」などと発言、サルコジ氏は不快感を示した、ってことで一悶着あったようですが、これも単なる暴言、失言ではなく、こうした国民感情が背景にある・・、とのことですが、本当でしょうか?

 あと、冒頭であげた、マンガ「テルマエ・ロマエ」の作者、ヤマザキマリ氏のインタビュー(エコノミスト・毎日新聞社刊 2011年11月22日号)の話で、弱冠14歳でヨーロッパに絵の修業に出た作者がブリュッセルで出会ったイタリア人の老人(後の夫の祖父)に絵の勉強しにきた、とたどたどしい英語で話すと「馬鹿もん、ヨーロッパに来てイタリアに行かないとは何事、フランスなんざイタリアに比べれば、二の次、三の次!」と怒られたそうで・・。

 逆に、フランス側はルネサンス期のイタリアの名作を多く所有していることや、イタリアの芸術・文化についてはどのような認識もっている?というか対抗意識みたいなものはあるんでしょうか?

 ちなみに「テルマエ・ロマエ」とはこんなマンガです(ウィキペディア)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%A8

365sekko:2011/11/17(木) 00:07:30
フランスとイタリア
『テルマエ・ロマエ』全巻読んでます。

全然ちがいますが吉田戦車の『フロマンガ』も愛読。

イタリアとフランスの関係ってちょっと中国と日本に似ている部分もあります。

フランスにはフィレンツェ症候群というのがあって、「フランス文化一番」と思っていたフランス人がフィレンツェに行って、なんだうちの文化はみんなイタリアのコピーかよ、オリジナルなものは何もないのね…」と大ショックを受けて鬱になる症状です。

まあ、カトリックつながりに、政略結婚つながりで、大量の文化が流入し、フランスは中央集権国家だったので、それを国家財産に育て上げてアカデミーとか創って、ヨーロッパに威光を広めたんですね。

やはりイタリアの方がギリシャ・ローマ以来の文化先進国でしたから。

中国が日本に対して文化文明の先進国だったので、流入が一方通行だったのと似てます。

もっとも、イタリアは都市国家だったので、市場をフランスに広げることは嫌ではなかったでしょう。

フランスがイタリアからきた文化をあれこれリミックスしたり、太陽王のもとで「フランス化」が花開いたのは事実です。

日本の文化のルーツの多くが中国伝来だといっても、ちゃんと「大和化」して日本独自の文化が花開いたのと同じです。

あと、現代史においてイタリア移民は大挙してフランスに来て根付いていますが、その逆は例外で、経済的にもフランスより格下ということで、イタリア人が「なんだよ、フランスのやつら、うちの文化のコピーばかりしやがった癖に、しっかりヨーロッパの盟主みたいな顔をしやがって・・・」と考えるのは大いにあります。
でも、今やイタリア系フランス人というのはポルトガル系と同様に同化しまくっていますから、文句いうイタリア人もたいていはフランスと太いパイプがあるんですよ。

サルコジ夫人は結婚と共に即効措置でフランス国籍を取得しました。でも、お姉さんもフランスの女優ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%87%E3%82%B9%E3%82%AD だし、二重国籍だし、まあ地続きだし、北イタリアの人で金持ちなら普通にフランスに同化しちゃいますね。
フランスが二重国籍OKだというのも大きいです。

http://setukotakeshita.com/

366迷える大羊:2011/11/18(金) 11:58:06
フランス文化の起源
>フランスにはフィレンツェ症候群というのがあって、「フランス文化一番」と思っていたフラ>ンス人がフィレンツェに行って、なんだうちの文化はみんなイタリアのコピーかよ、オリジ>ナルなものは何もないのね…」と大ショックを受けて鬱になる症状です。

 そうなんですか?逆にそんなことでびっくりしたり、鬱にまでなるフランス人がいるということが驚きなんですが・・。
 まさか、フランスの学校では「フランス文化は世界一、ヨーロッパのすべての起源はフランス、イタリアはフランスの弟」なんてどこかの半島国みたいな歴史教育をしているのかなぁ?まさか、フランスみたいな先進国で?とは思うけど・・、と気になってしまうんですけれども。

 >『テルマエ・ロマエ』

 これ、フジテレビにより映画化(2012年公開予定)されるようですね。主演が阿部寛など日本人(エキストラ、脇役はイタリア人を使うようですが)、と聞いて「大丈夫かよ?」と思いましたが、著者のブログでローマロケの画像をみると、思ったほど違和感がないのにびっくりしました。

http://moretsu.exblog.jp/13838984/

 まあ、考えてみればハリウッドでも、自国人ばかり使ってローマ映画作ってますし、現実にはありえない金髪碧眼のイエスを当たり前のように登場させることを考えれば、まあ、いいか、それにこれ、コメディだしとも思ったりします。

 実際、現実の古代ローマ人って現代の欧米人ほど肉食ではないし、したがって体格も小柄、金髪碧眼も実際にはほとんどいなかったみたいですから、日本人でも、阿部寛氏みたいに「平たい顔」じゃない彫の深い顔立ちの人間がやれば、違和感ない、というか、そう現実離れしたものにはならないようですね。

367迷える大羊:2011/11/29(火) 12:09:43
旧植民地との関係
 フランス、といえば、お隣の英国と並んで、主にアフリカを中心に植民地を数多く持つ植民地帝国でしたが、旧植民地との関係、というか状況というか、メンタリティはどのようなものでしょうか?
 具体的にいいますと、例えば、フランスのマスメディアにおいて、アルジェリア、ベトナムなどの旧植民地地域の否定的な側面を報道することはタブーである、報道すると、人種差別、民族差別主義者扱いされる、業務困難になるくらいのメール、FAXでの抗議行動が展開され、一方で肯定的な側面、「友好」「贖罪」を訴える記事はたとえ、事実を誇張してでも、大々的に報道される・・、みたいな。

 そもそも、植民地支配に関する考え方はどうなっているんでしょう?「文明」を広げ、「発展」を促進したんだから、「いいこと」という見方が支配的なのか?それとも、「過去の過ち」ととらえているんでしょうか?

 ちょっと反応しづらい話かもしれませんが。なぜ、こんなことを?といいますと、前から申し上げます通り、朝鮮学校が自宅近くにある、知人に在日の方がいる、北朝鮮の拉致問題には、すごく手前ミソで恐縮なんですが、今みたいに世間一般に広まる前から非常に関心があった・・私、韓国メディアのウォッチが半分趣味のようになっている、などなどの理由から、朝鮮半島情勢には一般的な日本人よりは関心が高い方なんですけれども、日本メディアの朝鮮半島関連報道って例を挙げるとキリがないので、省きますが、なんか、非常に不自然さを感じることが多々あるので・・。

 いえ、誤解されると困るのですが、ネット上に見られる、ユーモアの欠けたレイシズム、過剰なナショナリズムに基づく中傷誹謗の類に与してるつもりは決してありません。
 でも、そういうものが登場する背景、心情はわからなくもないんです、正直なところ。

 思うにネットを見る限り、欧米圏において、ムスリムとかムスリム国家に関して似たような感情を抱く「ネット右翼」が多いような気がしますが、どうでしょうかね?

368sekko:2011/11/30(水) 23:04:11
フランスと旧植民地
>>例えば、フランスのマスメディアにおいて、アルジェリア、ベトナムなどの旧植民地地域の否定的な側面を報道することはタブーである、報道すると、人種差別、民族差別主義者扱いされる、業務困難になるくらいのメール、FAXでの抗議行動が展開され、一方で肯定的な側面、「友好」「贖罪」を訴える記事はたとえ、事実を誇張してでも、大々的に報道される・・・

えーと、こういうことは一般的にはないです。

日本の場合、近い「植民地」が、人種的に非常に近いこと、もともと大陸文化の中継地として歴史的にも近いこと、第二次大戦の日本の敗戦とともに戦勝国によって手離させられたこと、というのがあります。

それに比べてフランスの方は、たとえばインドシナやアフリカの植民地について言えば、もともと人種的に見た目が違う、歴史的文化的接点が近代以前にはなかった、第二次大戦の時には旧植民地の人もフランス軍として従軍し共に「戦勝国」の側で終った、その後旧植民地諸国が独立戦争などを起こした結果独立したので、ある意味で心理的決着がついている、などとだいぶ状況が違います。(もちろんフランス軍として戦った結果の補償や年金の問題など細かい異議申し立てなどは続きますが)

しかも、その後も経済格差があったり戦争や内乱が続いたことで、フランスは旧植民地国からの難民や移民を大量に受け入れてきました。もちろんフランスの戦後の復興のために彼らの労働力が必要とされたこともあります。

いまだにカリブやインド洋に海外県だの海外領などがあるように、独立を望まずにフランスに留まることを選択した地域もあります。

旧植民地国も、その後の政治経済の中で、旧宗主国のフランスを特別に「スケープゴート」に仕立てあげて国民をまとめるという必要がなかった、そういう戦略をとらなかった、というのもあります。冷戦構造もありましたし。日本が原爆を落とされたり、占領されたりしたアメリカとその後同盟していく道を選択したようなものでしょう。


>>そもそも、植民地支配に関する考え方はどうなっているんでしょう?「文明」を広げ、「発展」を促進したんだから、「いいこと」という見方が支配的なのか?それとも、「過去の過ち」ととらえているんでしょうか?

もちろん、20世紀後半以来の趨勢として帝国主義の過ちとか自己批判はデフォルトになっています。けれども、ここで一つ、日本人にはあまり思いつかない観点があるのです。

それはキリスト教的観点です。

それにもカトリックとプロテスタントで有意の差があったりするのですが、すごく単純化して言ってしまうと、

西洋キリスト教の帝国主義国家は、最初、「新大陸」先住民だのやアフリカ人だの、要するに彼らの目から見て醜く(あるいはもの珍しく)非文化的で野蛮だと思えた人種は、人間ではない、すなわち、魂がない、救済すべき魂がない、と見なしていたわけです。

だから、虐殺や売買が可能でした。

ところが、異文化接触の経験が増え、神学論争なども経て、ある時期から、他の人種もみな「魂の救済に値する人間」だと見なされるようになりました。

すると、奴隷貿易のような人身売買はダメということになりました。

ではどうするかというと、「彼らは人間ではないのではなくてただ下等で非文明的であるだけだから、自分たちが彼らのところに行って彼らを文明化し、魂の救済もしなければならない」と方向を修正したのです。

それはかなり大きな転回点でした。

「みんな人間」というのはなかなかの視点でしたが(日本だって西洋人を見れば赤鬼とか天狗とか、人間と見なさなかった時もあると思います。人間ってどこでもちょっと違っているだけで異種と見なすんですね)、その「人間」に等級をつけたのが惜しいですね。

で、今までの奴隷売買だの先住民虐殺だのという路線を変更して、上から目線の、「救済」「宣教」「教育」「指導」「開発」路線になったんですね。で、奴隷を買う代わりに本国人を「植民」していったわけです。

もちろん実際は労働力の搾取とか資源の搾取とか、一部の権力者の利益誘導などの事態が増えて言ったわけですが、

西洋キリスト教国の「キリスト教頭」には、どこか、キリスト教的建前の必要や理想の思い込みがあって、奴隷制が衰退した後に植民地主義が発展したのは明らかにそういう成り行きがあります。

でも、近代日本が、そういう西洋諸国の後に続いて帝国主義的になっていった時に、日本が掲げていたのは、民族宗教としての国家神道でした。だから、「下等な人間の魂の救済」みたいな普遍的大義はなくて、「いまだ非近代的な国々のインフラを整えて発展させてやろう」という名目と日本の国家神道を押しつけるというのがセットとなっていたのだと思います。

まあ、結果的には、どっちもどっちの独善的覇権主義なのかもしれません。後発の日本は、もし西洋諸国の帝国主義をもう少し深読みしていたら、別の理論武装をしたりもう少しましな戦略をたてられていたかもしれないとは思います。昔のことはもう変えられないけれど、今からでも、地球規模のいろいろな被害や過ちを減らすために歴史を勉強したいものです。

>>思うにネットを見る限り、欧米圏において、ムスリムとかムスリム国家に関して似たような感情を抱く「ネット右翼」が多いような気がしますが、どうでしょうかね?

これは主として、冷戦以降に軍需産業が損しないように新たな危機を作るプロパガンダのせいかもしれません。旧植民地と宗主国との確執とは別のところにあると思います。


 

http://setukotakeshita.com/

369迷える大羊:2011/12/01(木) 19:40:45
「隣人」の範囲
>それはキリスト教的観点です。

 つまり、簡単にいえば「隣人」の範囲をどこまで広げるか?ということに関して西洋世界では昔から喧々諤々の論争とか確執があった、ってことですね。
 「隣人を愛すこと、敵を赦すこと」を説いたイエスとて、人間である以上、その時代、地域の常識から完全に自由にはなりきれていないわけで東洋人、その他アジア人、インディオなどなどの存在は夢想だにしなかったでしょうしね。

>「みんな人間」というのはなかなかの視点でしたが(日本だって西洋人を見れば赤鬼とか天狗とか、人間と見なさなかった時もあると思います。人間ってどこでもちょっと違っているだけで異種と見なすんですね)、その「人間」に等級をつけたのが惜しいですね。

 これで思い出したのは、英国のH・G・ウェルズの1895年の作品、「宇宙戦争」原題「THE WAR OF TWO WORLDS」ですね。いうまでもなく、これは、地球人よりはるかに文明の進んだ火星人の地球侵略の話ですが、始めの方で「(火星人に文句を言う前に)ここで我々は、地球上の下級民族にいかにむごい仕打ちを加えてきたか、思い起こさねばならない(中略)タスマニア人はその人類学的相似にも関わらず、ヨーロッパ人の仕掛けた侵略により絶滅させられ・・・」なんてくだりがありますね。

 確かに、ウェルズはウェルズなりに当時の帝国主義、植民地主義に真摯に向き合い、過ちについて反省を促してはいるのはわかるのですが、下級民族とか人類学的相似、なんていっているところに、時代の限界、そして、ウェルズもそれから完全に自由ではなかったことが伺えますね。それとも、日本語訳が悪いだけなんでしょうか?

 それにしてもタスマニア人は哀れ極まりないです。雄々しく戦って滅ぼされたのならまだしも、ほとんどハンティングの的として殺されて滅ぼされたんですから。いくら帝国主義の時代とはいえ、というか当時の基準でもかなりひどい話ではないでしょうか、これ。

 クジラほどの情けもかけられなかったんですね。

>西洋諸国の後に続いて帝国主義的になっていった時に、日本が掲げていたのは、民族宗教としての国家神道でした。

 これ、日本のキリスト教会にとってはかなり片腹痛い話ではないんですかね?日本のキリスト教会って国家神道の政治関与とか、社会への浸透に関して、非常に、あるいは過剰なまでに警戒や反発する傾向が強いです。まあ、過去の歴史的経緯からある程度はわからなくもないのですが。
 でも、その国家神道というのは、欧米におけるキリスト教のあり方を参考に、あるいはマネて造られたものである、というのは皮肉以外何者でもないような気がするんですが・・。

 

370迷える大羊:2011/12/02(金) 18:51:54
もうウンザリ・・
>旧植民地地域の否定的な側面を報道することはタブーである、報道すると、人種差別、民族差別主義者扱いされる、業務困難になるくらいのメール、FAXでの抗議行動が展開され、一方で肯定的な側面、「友好」「贖罪」を訴える記事はたとえ、事実を誇張してでも、大々的に報道される・・・

 これらの例としては、少し前までは北朝鮮による拉致問題の「無視」。最近では、ほとんど誇大広告に近い「韓流」報道といったところでしょうか。

http://www.asahi.com/showbiz/news_entertainment/TKY201107120293.html
 「チャン・グンソク、高まる人気 ヨン様の「進化形」」
  詳細は読んでいただくとして、絶対にウソだ〜、と思ったのは・・・、

 「今春、映画のロケで茨城空港に来た際には約3千人が殺到。」

 趣味の関係で茨城空港は何度か行ったことがあるんですが、あそこは絵に描いたような地方空港、小空港なんですが・・。そんなところに一度に三千人・・、なんて殺到できんのか?物理的に・・。空港周辺は大混乱に陥るはずですが、そんな話は聞いたことが・・。それ以前にそんな「大ニュース」「大騒動」の画像一枚ないのはどういうことよ??

http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201109060027.html
「2NE1、日本デビュー7万枚が即日完売」

 アイドルグループ2NE1のライブチケットになんと30万人もの応募があったそうです。これはすごい、日本における外国人タレントとしてはレディ・ガガ、マイケル・ジャクソン、いや、御大ビートルズをしのぐ大スターではないか?
 一体ヤフーオークションで、どんな高値がついてんだ?と思ったら、なぜか、定価7500円のチケットが半額どころか、5分の1以下の1300円でオークション終了、という結果。
 なんて、すべてがそうだ、とはいいませんが、ウラをとるとこんなのがやたらと多いです・・。

http://page17.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v214840085

 レンタルCD、DVDのTSUTAYAに行くと韓流ドラマスペースがかなりあって、これはすごい、一体、どれだけ貸し出しがあるんだ?と思って総合貸し出しランキング(洋画、邦画、韓流ドラマ全部込)を眺めると・・。

http://www.discas.net/netdvd/dvd/hotrankingTopTotal.do?pT=0&amp;page=1

12月2日時点で、韓流ものは200位まで漁ってほんの1作品(105位 猟奇的な彼女・クァク・ジェヨン監督)、純粋な韓国作品に拘らず、韓国人監督(在日韓国人含む)の作品まで入れて、やっと数作品、でした。

 あと、日本のメディアだけ見てると、韓国側で大騒ぎしている「日本海→東海(トンへ)」問題は決して知ることができませんし・・。もう、おためごかし、偽善はいい加減にしてほしい、って思ってしまうのは私だけではない、と思いますが。

371迷える大羊:2011/12/10(土) 20:16:39
ユーロ危機・フランスの反応
 昨今のユーロ危機について、ドイツ人の反応はわりとよく報道されるんですが、もう一方の雄、フランスの反応を示した記事がなかなか出てこなかったんですが、ネットを漁ったら、やっと出てきました(CNN)。

http://www.cnn.co.jp/business/30004877.html

 結論からいうと、ユーロになんか入るんじゃなかった・・みたいで、ユーロなんかに入ってなきゃ、経済はもっと好調だった・・が4割。今後、ユーロ圏に留まるべきか?はわずか34%だった・・とのことですが、フランス在住者の実感として、これは妥当な数値と思われますか?

 それにしても、今の欧州情勢だと、もし現在ドイツがドイツの責任での全面的なユーロ救済案を出せば、ドイツにユーロ圏統一を誰も拒否できないんじゃ?
 ヒトラーの「第三帝国」建設が思わぬ形でやってきた、としか・・。そうなったら、フランス、イギリスなどヨーロッパ主要国はどう反応するか、みものですね。
 まあ、負担も半端でなく大変だし、面倒だからドイツはそんなこと、やらないでしょうけど(世論がそうだからこそ、天使・メルケル氏も苦労してるんでしょうし・・)

372sekko:2011/12/15(木) 23:01:36
フランス人とユーロ
返事遅れてすみません。

一昨日の経済紙 Les Echos によれば、最近のIfopの統計では、ユーロをやめてフランに戻りたいというフランス人は3人に1人だそうで、ドイツではマルクに戻りたいのが3人に2人とフランスの倍だそうです。フランス製品を買えとかフランスに製造業を戻せという声は高まっていますが、ユーロ維持の重要性は一般に行きわたっているようです。

ユーロ救済に背を向けたイギリスのキャメロンは、独仏に背を向けた恰好で、自国でも賛否両論が分かれているようですね。

イギリスのことですから、タブロイド紙が、「キャメロンのブルドッグが独仏の小型犬にかみついている」というイラストが出ました。サルコジとメルケルとがキャメロンより頭一つ小さいことを揶揄する意味もあります。

でも、つい最近までは、英仏はリビア空爆で仲好く盛り上がっていたし、英仏独の組み合わせというのは、くっついたり離れたり、あやしいものです。キャメロンもワイン好きで南仏に別荘を持っている親仏家だそうだし。フランスの首相はイギリス人と結婚しているし。

でもイギリスも、第2次大戦中にドイツ風の王朝名をあわてて宮廷所在地のウィンザーに替えたように、ヨーロッパ史を少し見ると、少なくとも権力者の間では頻繁に英独仏(だけではないですが)は混血しているわけで、英独仏のくっつき方や対立の仕方は、所詮、同じ文化圏の慣れ合いの部分があるのかなあ、と思います。

今のフランスは、来年の大統領選に向けて、一般人が「直接民主制」に参加するチャンスが視野にあるせいか、あるいは単にお祭り好きのフランス人が、このクリスマス・シーズンで、不況にもかかわらず去年よりも予算を増やしたとアンケートに答えているように浮かれているせいか、これだけのユーロ危機の割にはおとなしいですね。

昨日、シラク元大統領のパリ市長時代の汚職に有罪判決が出て、これはフランスの民主主義(特に三権分立)が成熟した証拠だということで、けっこう楽観的に評価されてます。リビアなどへの介入の後なので、こういう「内部で身を正す」姿勢は歓迎されています。

http://setukotakeshita.com/

373迷える大羊:2011/12/16(金) 19:38:21
英米マスコミとそれ以外
>ユーロをやめてフランに戻りたいというフランス人は3人に1人だそうで

 そうですか、CNNが伝えるところとは大分違いますね。日本で出回っている海外メディアの報道は圧倒的に英米系のものが多いし、私自身、まがりなりにも解読できる言語は英語だけだったりするので、つい英米マスコミ=欧米、とみてしまいます。

 思うに、英米系のメディアはユーロには辛いっていうか冷淡ですから、その辺は割引いてみないといけないんでしょうかね。英国なんか典型的な「ツンデレ」ですよね(笑)。

>ヨーロッパ史を少し見ると、少なくとも権力者の間では頻繁に英独仏(だけではないですが)は混血しているわけで、英独仏のくっつき方や対立の仕方は、所詮、同じ文化圏の慣れ合いの部分があるのかなあ、と思います。

 そうですね、そんな感じはしますね。もともと、ローマ帝国として、いったんはまとまっていたこともあるし、基本的にキリスト教ですし。だから、EUとかユーロなんて発想がでてくるんでしょう。
 そういうわけで、地理的に政治経済的にどんなにヨーロッパに近くてもトルコは「仲間外れ」となるわけで・・・。
 そういう条件、成り立ちの違いを無視して「アジア共通通貨」だの「東アジア共同体」だのって何を寝言いってんの?と思ってしまいます。
 そもそも「アジア」という括り方自体が欧米人視線だし、妙な「欧米かぶれ」はやめてもらいたい、と思ってしまいますね、個人的に。

374迷える大羊:2011/12/19(月) 11:39:35
フランス人の労働
 フランスについて、注目すべき点は、その労働時間の短さ、と個人的には思っています。各種データをみても、フランス人の労働時間の短さは「圧倒的」。それでいて、EU内でEUきっての経済大国、ドイツに次ぐ「勝ち組」なのですから、大したものです。

 でも、一方で、優雅な労働条件・福祉と高い経済水準という、アラブの産油国ならともかく、通常一般の国、社会では矛盾しかねないような命題をどのように実現しているのか?そこに綻びは本当にないのか?、本当にそれで何もかもうまくやっているのか?が非常に気になります。

 具体的にいうと、フランスといえども、仕事の性質上、どうやったって好き勝手にまとまった休日など取れない職種、業種というのは存在すると思うんですが、どうやってるんだろ?という疑問が出てきます。

 例えば、発電所の保守運用の職員なんかが、好き勝手に長期休暇を取られたんじゃたまったものではありませんよね?フランスなど原発発電の割合が8割近いのですからなおさらです。発電所、とは違いますが、自分の現在の職業がその種の職業で、現在、病気による長期療養で一人欠員してしまい、その穴埋めでてんてこ舞いしてますので、個人的に疑問を感じました。

 あと病院、消防、警察なんていうのも「事件・事故・病人が発生しました、担当は??お休みをいただいておりまして**まで不在。対応はまた後日」なんて言えませんよね?
 もちろん、シフト制で交代勤務にすればいいんでしょうが、この不景気の最中、そう充実した人員数を揃えられるところもなく、ぎりぎりの人数で運用、一人、二人欠けただけで、てんてこ舞い、なんていうところも多いのではないか、と。
 フランスの労働事情ってそんな魔法みたいなことを本当に実現してるのかしらん?実現しているとして、どうやってそういう、諸々の矛盾を解決しているんだろ?という疑問がどうしても湧いてきます。

 あと、海外から日本に戻ってくると、各種商店にしても、鉄道にしても、郵便・宅配便にしても、そのサービスの良さ、質の高さに感動すら覚えることが多いのですが、それって厳しい労働条件と対の関係なんじゃ?って思うことがあります。

 例えば、宅配便。時間指定までできて、沖縄とか離島地域でない限り、ほぼ1日、2日以内に正確に着きますが、その裏には正社員、下請を問わず、トラック運転手の極めて厳しい労働がそこにあるわけで、手放しで素晴らしいことなのかどうかはわからんなぁ、と思うことも。コンビニエンスストアにしても同様で。
 私が知る限り、経験した限りでは大抵の国々では日本ほどコンビニエンスストアは充実していないし、個人商店にしても、デパートにしても、夜、さほど遅くない時間にサッサと閉めちゃうところがほとんどだったような。どちらがいい悪いかは別にして。

 日本を代表するエンタメであるマンガ・アニメにしても、あれだけ手のかかった作品が毎週、当たり前のように観られる背景には漫画家、アニメータの(多分)フランスでは絶対にあり得ないようなこれまた厳しい労働があるわけで・・。

 「日本人は仕事ばかりではなく、人間らしいゆとりをもった生活を」、だとか、それこそ、「コンクリートから人へ」みたいな、きれいごとを並べ立てる評論家やら政治家やらは多いけれども、そんなこといっている人々が「納期」とか「サービス」に人一倍うるさい人間だったら笑っちゃう、というか白けますね。
 要するに、日本人が本当に優雅な労働条件を実現したければ、今の高サービス社会は、全面的とは言わないにしても、多少は妥協せざるえないんじゃないかなぁ、と思ったりしますがどうでしょう?。

 話を戻して、ちょっと抽象的な質問でなんですが、フランスの場合、労働者のゆとりある労働条件と「先進国」としての高レベルのサービス、っていうかパフォーマンス、という矛盾にどのように対処してるんでしょうか?

375sekko:2011/12/28(水) 07:55:42
フランス人の働き方
すみません、年末でいろいろあわただしくお返事が遅れました。ちょうどこの期間、空港の保安スタッフのストがあって、クリスマス休暇だというのにリヨン空港なんかはまる二日も閉鎖状態でした。航空関係は私企業扱いなので、ストの届け出や最低活動の保証などの縛りがなくて、今回は利用者からかなりの抗議も出ました。普段は「ストは憲法で保証された権利」というのが徹底していて、あの不平たらたらのフランス人たちが驚くほど我慢するんですけれど。

フランス人が働かない割には経済効率がいいのはなぜかという話、近くにいたフランス人に質問してみると、

「私のように週末も働きバカンスもとらない人がいるから」

と答えました。

すごく働く人たちがいるのは事実ですが、なんというか、たとえば日本との一番の違いは、必死で働いている人がいて、しっかり休みをとって優雅にやる人もいて、互いが互いと比べ合わない、「同調圧力」もない、というところです。だから、消費する間もなく働く人と、適当に楽しく消費する人とが、自虐的なあるいは他罰的なストレスがあまりなくて共存しているので、全体として、まあまあうまく回っているのかなあと思います。

鉄道なんかは、日本は別としてヨーロッパの他の国よりダイヤも正確だし、ストを除くと私はそうストレスは感じません。

病院、警察、消防などの過剰勤務はこちらでも問題になっています。確か、ヨーロッパの他の国と比べても「母親」のフルタイム就業率が突出して多いのも特徴だと思います。

宅配便やコンビニについて言えば、うーん、日本に帰れば確かに便利だと思うことはありますが、私は宅配便もコンビニもなかった時代の日本に暮らしていましたが、その時は別に不便だと思ったことはないです。なかったらなかったで生活をオーガナイズしていくので。フランスも日曜に開いている商店が昔より増えましたが、日曜は閉まっていると思えばそれなりに他のことをするし、学校の休暇と親の仕事の休暇がある程度シンクロしていると家庭生活は便利ですし、なければないで困らない気がします。

「昔はなかったけれど今はもうなしでは暮らせない」と思うのはやはりインタネットや携帯電話などの通信・情報系の技術やサービスですが、これは幸い、グローバル化していてフランスでも同時進行だし、どんどん便利になっていくので、困ってません。

日本のマンガ家でマンガ週刊誌に何十年も欠かさずに連載を続ける例などは、確かに、フランスでは考えられないですね。

週刊誌は日本でもさすがに盆と正月、ゴールデンウィークなどは合併号が出ますが、フランスでは月刊誌も夏は休刊で年間11号が基本形です。

でも、そういうことも、一定のリズムにはすぐ慣れるので、どうということはありません。慣れないで日常的に腹が立つのはやはり、こちらでは、修理や工事などの対応が遅い、期限を守らない、それらに対する「申し訳ありません」という表面的な恐縮さえみせない、などのシーンです。

日本人に帰るとそういう意味でほっとすることがたくさんありますが、近頃はほころびが見えてくる時もあるし、サービスする側の立場を思うとストレスフルなことも多かろうと思います。フランス人はみんな適度に無愛想な態度でガス抜きしているのかも。

ただ、ホテルやレストランの一流どころではフランスのサービス業は「メチエ」として世界的に評価が高いので、格差があるのは事実です。カネかコネかがあれば一流のサービスが受けられるのは確実です。カネを出してもまがいもののサービスしかない国だってありますからね。

http://setukotakeshita.com/

376迷える大羊:2011/12/30(金) 06:23:48
フランス人も・・
 働いている人はメチャメチャ働いている、という当たり前の事実があるんですね。ま、何もかもがうまくいっている、理想郷はどこにもないよ、ということで。
 マスコミも表面的な事実だけを取り上げて、やれ、フランス人は休みばっかとって働かないみたいなステレオタイプを垂れ流したり、日本人は働きすぎみたいな自虐したり、あるいは勤勉、みたいな自尊したり・・、もアホらしい限りだな、って思います。
 フランス(に限らず欧米で)に本当に見習うべき点、日本との違いは、皆が同じようなライフスタイルでなければならない、みたいな妙な同調圧力の無さ、他人の目を気にしない、ところかと思いますね。

 フランスのストライキは、フランス人のステレオタイプの一つにもなっているようで、たびたび遡上にあげているマンガ・「ヘタリア」のネタにもしっかりなってました(笑)。
 フランスには「ストライキ予定表」なるものがあり、旅行者には必須のアイテム、なんていってましたが、本当かな?(笑)

http://www.youtube.com/watch?v=eraqwZ67nSU&amp;feature=related

377迷える大羊:2012/01/09(月) 19:36:59
フランスのクルマ事情
 年末年始、親類が多く住む四国地方を旅したのですが、地方と都市部の最大の違いは鉄道利用の機会が地方に極端に少なくなること、だと思います。私の行った県は鉄道路線が三本しかなく、本数も少なく(単線でディーゼルカー)、大多数の人はクルマで通勤、買い物、行楽に出かけます。
 スーパーなどの店舗も大型のものは郊外の幹線道路脇、ロードサイドにあり、完全にクルマ使用が前提になってます。一方で、駅前の商店街は廃れ方が激しく、なんだか物悲しい感じ。要はアメリカ化しているわけですが・・。

 確かにクルマで通勤、買い物っていうのは便利で快適なんですが、一方で、事故のリスクはあるし、どうしてもクルマ運転の適性がない人、反射神経の鈍ったお年寄り、障害者などの移動手段はどうする?という問題が出てきますね。

 あと、日本でクルマを持とうすると、維持費がやたらとかかるところも問題かと。ガソリン代はやむ得ないしても、取得した際の取得税とか、車検、および車検の際にかかる重量税、保険代、年毎にかかる税金・・・etc。あと忘れてはいけないのは高速代、首都高における距離別料金の導入、ETC割引、民営化で多少、マシになっているとはいえ、その料金の高さは世界一じゃないか?と。

 前置きが長くなりましたが、質問としては・・。

 ・フランスでもやはり、地方はクルマ無しではどこにも行けない、買い物はロードサイドの大型店でまとめ買い、てな状況になっているんでしょうか?
 逆にパリなどの都市部では、日本の首都圏や関西圏のようにクルマ無しで用が足りますか?

 ・フランスにおいて、クルマの維持費は家計に負担感のあるものなのでしょうか?特に日本における「車検」制度なるものはあるのでしょうか?個人的に日本の車検制度は「大きなお世話」的な気がしてしょうがない、あらゆる制度が「クルマはぜいたく品」の前提に立っていて、都市部はともかく、地方の人間の実感には全然合っていない気がしますが・・。

 ・同じく、フランスの高速道路の料金はこれまた、平均的なフランス一般人の収入に比して負担感があるものでしょうか?料金に対する批判はありますか?

 余談ですが、高速道路の元祖はアウトバーンがあまりに有名なドイツ、とばかり思っていましたが、実は意外にも(?)イタリアでした。ムッソリーニが1925年から1935年にかけて、ミラノと湖水地方との間に建設した「太陽道路」が元祖だとか・・。

 ソース:

http://www.amazon.co.jp/%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%81%93%E8%B7%AF%E3%81%AE%E8%AC%8E-%E6%89%B6%E6%A1%91%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%B8%85%E6%B0%B4-%E8%8D%89%E4%B8%80/dp/4594060226

378sekko:2012/01/15(日) 04:34:45
フランスの車事情のこと
・フランスでもやはり、地方はクルマ無しではどこにも行けない、買い物はロードサイドの大型店でまとめ買い、てな状況になっているんでしょうか?
 逆にパリなどの都市部では、日本の首都圏や関西圏のようにクルマ無しで用が足りますか?

 地方は日本よりも車依存率が高いと思います。日本に住んだフランス人が、「日本ではどんなところでも公共交通機関でいける」と感心していましたから。
 でも、フランスはいまだに一部の国際線を除いて国鉄の独占状態なので、赤字路線でも残すという場所はあるようだし、どうなんでしょうね。
 パリなどの市内では駐車が大変だし、メトロが絶対便利です。でもパリから少し離れたら畑が続くところもあるから郊外から車で通う人も少なくありません。マイカーの路上駐車も可能です。パリの市内では最近、公共貸し自転車に続いて、要所でピックアップして別のところに返すことのできる公共レンタカーも登場しています。

 ・フランスにおいて、クルマの維持費は家計に負担感のあるものなのでしょうか?特に日本における「車検」制度なるものはあるのでしょうか?個人的に日本の車検制度は「大きなお世話」的な気がしてしょうがない、あらゆる制度が「クルマはぜいたく品」の前提に立っていて、都市部はともかく、地方の人間の実感には全然合っていない気がしますが・・。

 車の古さにもよりますが、2年に1度の車検制度が税金代わりになってます。昔は毎年税金代わりのステッカーを貼ることが義務付けられていました。原油が上がって、車を使わずに仕事にいけない人たちは困っているようです。
 最も大きな違いは、みんなぼろ車をいつまでも乗り回している人が普通なこと。15年くらいはみんな乗ってますし、洗車とかもめったにしないので、日本に行くとぴかぴかの車がまぶしいです。

 ・同じく、フランスの高速道路の料金はこれまた、平均的なフランス一般人の収入に比して負担感があるものでしょうか?料金に対する批判はありますか?

 時間帯によって料金が違ったりします。保険料金や燃料費の方が大変で、高速は、無料の部分も多いです。たとえばパリから二つの国際空港へ行くのは高速は無料です。

http://setukotakeshita.com/

379迷える大羊:2012/01/15(日) 19:39:18
フランスクルマ事情
 雑談のような話におつきあいありがとうございます。

>でもパリから少し離れたら畑が続くところもあるから郊外から車で通う人も少なくありません。

 これ、驚きました。世界的大都会のパリでそんなこと可能なの?ってことで。東京では不可能とはいいませんが、かなり難しそう。だいたい、東京圏では「少し離れた」くらいじゃ畑や田んぼなんて出てきませんし・・。
 ネットで調べると、パリの市域って意外と狭くて、東京の世田谷区と同じくらい、なんですってね。その狭い市域にビジネス、観光、政治などあらゆる機能が集中している、からそういうことも可能なのかな?
 というか、東京が異様すぎるだけ、なのかもしれませんね。

>2年に1度の車検制度が税金代わりになってます。

 日本だと2年に1度の車検にプラスして、毎年税金取られますからね(1500?で年間3万5千円)。

>15年くらいはみんな乗ってますし、洗車とかもめったにしないので

 ちなみに私のクルマも13年目、寿命が来た部品を取り換える以外、これといったお手入れもしていません。私の感性(クルマ限定)はフランス的なのかも?っていうか、車みたいな高額商品をわずか数年で次から次に買い替える方が異様、フランス人の方が「普通」な気もします。
 そういう消費が日本車の性能を上げてきたことを考えると必ずしも悪いことではないのでしょうが。

 高速道路は、一ドライバーからするとタダがいいに決まってますが、それだと、渋滞がひどくなって「高速」道路の意味が無くなりそうな気がしますし・・。これも、クルマが必需品でない都市部では高く、クルマ移動が必須でクルマの数も大したことがない地方では、経済力の違いも考慮して、安くしたりタダにしたり、と柔軟性のある料金体系がいいな、と思ったりします。

 イタリアなどそうしてるみたいですが(北部は有料、ナポリより南部はタダ)・・。

380迷える大羊:2012/03/28(水) 10:21:15
フランスと移民
 フランス大統領選にからんで、気になる話が・・。

『【パリ宮川裕章】フランス大統領選(第1回投票4月22日)で再選を目指すサルコジ大統領は11日、パリの支援集会で演説し、
当選した場合、シェンゲン協定の厳格化を協定加盟国に提案する方針を明らかにした。協定は欧州の加盟国間の移動手続きを
簡略化したもの。サルコジ氏は既に仏への移民を半減させる移民制限策を打ち出しており、その一環。当選した場合、
加盟国に共同国境管理機関の創設案などを提示する。

 この協定には現在、仏、独、伊、オランダなど27カ国が加盟。加盟国の国民は国境や空港で旅券審査なしで移動できる。
サルコジ氏は支援集会で、「移民の流入をこのままにしておくわけにはいかない。制裁力を持った加盟国共通の
管理体制が必要だ」と語った。サルコジ氏は支持率で最大野党・社会党のオランド候補にリードを許しており、
このところ極右支持層の取り込みを狙った発言を繰り返している。』

毎日新聞 3月12日(月)1時24分配信

 サルコジ氏が移民排斥の右派層の取り込みを狙うってことは、今、フランス一般人に反移民の機運が高まっているんでしょうか?対する、社会党オランダ候補の移民への見解は?
 なぜかニュースをみても見当たらないし、これまでのお話を伺った限りでは、かつてのクレッソン女史をみてもわかるように、フランスの場合、左派、左翼=対外融和、反差別、多文化主義・・とは限らないようので気になりました。

 しかし、アメリカやオーストラリアなどには及びもつかないにしても、フランスだって相当な移民国家であるわけで、サルコジ氏だってハンガリー移民の二世だし、反移民なんて自分で自分のクビをしめてるような話に思えるんですが・・。

 ちょっと漠然とした質問でなんですが、フランスのごくごく普通の市井の一般市民は移民についてはどう思ってるんでしょう?
 「やっぱり、価値観、宗教、生活習慣の異なる人間が同じ地域で暮らすのは難しい、フランスにきてもフランス文化に合わせる気のない奴らにはムカつく」てな意見が多いのか?
 それとも、「労働力不足とか、フランスの長い目で見た将来を思えば、受け入れは当然、いろいろな文化が混ざりあってフランスは豊かになった、活力が出た」と思っているのでしょうか?
 もちろん、フランス人にもいろいろいるわけで、一般化は難しいのは重々わかっております。とりあえず肌感覚で、こんな感じ程度で結構ですので。

 >仏、独、伊、オランダなど27カ国が加盟。加盟国の国民は国境や空港で旅券審査なし>で移動できる

 これもなぁ、すべての外国人について、「公平に」規制するならともかく、「豊かな国」とか「差別意識のない」外国人についてはウェルカム、そうでない国の出身者はダメ、イヤっていってるようで、露骨な人種差別のような気がしますが、そういう批判はフランスのメディアにはないんでしょうか?
 そういえば、フランスではなくて、スイスの話ですが、田舎の小さな村で在住する外国人の帰化の是非を巡って住民投票を行ったところ、イタリア、フランス、ドイツなど豊かな西欧出身者の帰化はOK、トルコ、東欧などの出身者については×、という偏見丸出しの「投票結果」「民意」が出て、確かEU内はもとより、世界中から非難轟々なんて事件があったような。

 ソース:「黒いスイス」
 http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4106100592/ref=cm_cr_pr_btm_link_1?ie=UTF8&amp;showViewpoints=0

 でも、まあ、きちんと議論が起きるだけフランスやヨーロッパはマシなのかもしれません。そりゃヨーロッパには及びもつかないにしても、日本だって他人ごとではないはず。現に私が勤務先に向かうバスの中は外国出身者だらけだったりしますし、なんですが、一般の関心は薄く、選挙の争点にもならないですし。、

381迷える大羊:2012/03/28(水) 11:13:56
フランスのオタク
 日本で「オタク」というと、一昔前ほどではないにしても、ポジティブなイメージは少なく、その自覚があってもなるべく表には出さない、あるいは否定しようとする人が多く、動画サイトを漁ると、こんな自虐的な作品があって思わず笑ってしまったりします。

http://www.youtube.com/watch?v=8hnVi_RFfsM&amp;feature=related

 ただ、たびたび触れた通り、日本においてなんだか後ろめたい、アニメを筆頭とする「オタクカルチャー」が現代日本文化では最も「国際競争力」があるのが皮肉というか、なんというか面白くて、たびたび雑談のネタにしてしまうわけですが。
 前にも触れました通り、今、海外で最も人気のある日本人(?)シンガーは「初音ミク」と、これまた、オタクカルチャーの化身のような存在(?)だったりしますし。(フランスのテレビにも「出て」いたようで               http://www.youtube.com/watch?v=ZLg6ftNVNxM&amp;feature=related

 日本同様アンチとファン・オタクとの対決があるみたいですね(笑))

 ところで、あまり根拠のある話ではないのですが、Japan EXPOなどの動画を見てる限り、フランスのコスプレイヤーとかオタクってなんだかあっけらかんとしてるような気がするのですが気のせいでしょうか?
 フランスに限らず、海外のオタクイベント全般に言えますが、なんか、こう楽しく騒いでるみたいで、日本のその種の人々みたいに人目を忍んで、隠れキリシタンのように行動、てな感じは全然しなかったのですが。
 まあ、もっとも、日本でも昔、20数年前に比べれば大分、オタカルチャーの認知が進んではいますけれども。

 それとも単にフランスの場合、日本のような同調圧力が少なく、他人の目を気にしていないだけなのか?フランスでもオタクカルチャーに拒否反応があったり、冷ややかな視線を送る向きは多いかと思われますが、フランスのオタクな人々は普段、特に学校、職場ではその趣味を「隠して」る人が多いのか?

 職業とか年齢はどんな人が多いのでしょうか?といろいろ気になってしまいます。
 でもまあ、ネットで海外の人々のコメントを読む(英語しかわかりませんけど)限りだと、どこの国でもこの種の人々の考えることは似たりよったりだな、という気もしたりしますけれども。

382sekko:2012/03/28(水) 19:19:25
移民の話
>> サルコジ氏が移民排斥の右派層の取り込みを狙うってことは、今、フランス一般人に反移民の機運が高まっているんでしょうか?対する、社会党オランダ候補の移民への見解は?
 なぜかニュースをみても見当たらないし、これまでのお話を伺った限りでは、かつてのクレッソン女史をみてもわかるように、フランスの場合、左派、左翼=対外融和、反差別、多文化主義・・とは限らないようので気になりました。

オランドは曖昧ですね。左翼戦線のメランションはも移民排斥に反対です。

>> しかし、アメリカやオーストラリアなどには及びもつかないにしても、フランスだって相当な移民国家であるわけで、サルコジ氏だってハンガリー移民の二世だし、反移民なんて自分で自分のクビをしめてるような話に思えるんですが・・。

昔一番多かった移民はポルトガル、イタリア、ポーランドでした。ハンガリーも含めてみな歴史的にカトリック国なんで、そのネットワークもあります。彼らはすぐフランス化(というかフランス風コスモポリタン化)するので、違和感がないですね。リトアニアとかウクライナとかクロアチア出身者も同様の理由で同化率が高いです。

>>  ちょっと漠然とした質問でなんですが、フランスのごくごく普通の市井の一般市民は移民についてはどう思ってるんでしょう? 「やっぱり、価値観、宗教、生活習慣の異なる人間が同じ地域で暮らすのは難しい、フランスにきてもフランス文化に合わせる気のない奴らにはムカつく」てな意見が多いのか? それとも、「労働力不足とか、フランスの長い目で見た将来を思えば、受け入れは当然、いろいろな文化が混ざりあってフランスは豊かになった、活力が出た」と思っているのでしょうか?

問題はやはり、北アフリカの旧植民地諸国のイスラム系移民であり、石炭採掘とかで積極的に受け入れたのに、彼らの公の場所での宗教の自由を想定してなかったので反発する人が多い、また、フランスは出生地主義で二重国籍もOKですから、移民二世や三世の子弟がどんどん増える、そういう人たちの方が失業率も高く貧困率も高い、フランスは社会福祉が発達しているので税金の多くが彼らに使われている、と煽る人たちがいることです。もちろん犯罪やらテロリストなどの問題を彼らにすべてかぶせる都合よいスケープゴートにもなっています。


EU国内の移動が基本的に自由なのは、

>>すべての外国人について、「公平に」規制するならともかく、「豊かな国」とか「差別意識のない」外国人についてはウェルカム、そうでない国の出身者はダメ、イヤっていってるようで、露骨な人種差別のような気がしますが、そういう批判はフランスのメディアにはないんでしょうか?

という問題より、ヨーロッパのそれぞれの国で移民法や労働ビザやアフリカとの地理的歴史的距離などがみな違っているのに、それぞれの国の「移民二世」二重国籍者も、もちろん自由に移動できるわけで、難民なんかも、いったんどこかの国に入れば、そこからより有利な他の国に移動するのは国境審査がないので簡単なわけで、混乱しているわけです。また、東欧からの出稼ぎ労働者などは当然自由にフランスで働けるわけですから、フランス人の職を奪うとか言われて嫌われることもあるので、人種差別や宗教差別だけとはいいきれません。
なんでも移民問題に摩り替えられやすいのですが、貧富の差を生む社会の構造そのものを何かもっと根本的なところで変革しないとだめでしょうね。

まあ、スイスへの非難もそうですが、差別禁止の建前だけでも生きてれば今でもある程度の抑止力にはなってると思いますが。長いスパンで見れば、ついこの前までは「自分たちの仲間でないものは人間じゃない」と多くの人間が思って差別どころか殺戮しあってたのですから、全体としては人類はいい方向に進化してると思いたいです。

http://setukotakeshita.com/

383sekko:2012/03/28(水) 19:35:39
オタクの話
>>  ところで、あまり根拠のある話ではないのですが、Japan EXPOなどの動画を見てる限り、フランスのコスプレイヤーとかオタクってなんだかあっけらかんとしてるような気がするのですが気のせいでしょうか?
 フランスに限らず、海外のオタクイベント全般に言えますが、なんか、こう楽しく騒いでるみたいで、日本のその種の人々みたいに人目を忍んで、隠れキリシタンのように行動、てな感じは全然しなかったのですが。
 まあ、もっとも、日本でも昔、20数年前に比べれば大分、オタカルチャーの認知が進んではいますけれども。

私はフランスで Japan EXPO に通っている人とかコスプレしている人とかを個人的に何人か知っていますが、彼らをその「現場」で直接観察したことはないです。あっけらかんと言うか、むしろ「おしゃれ」って自意識があるみたいで、「人目を忍んで、隠れキリシタンのように」ってことは絶対にないですよ。

その周りの人たちも、「よく分かんないけど、おしゃれなのかなあ」と思うくらいで、特に拒否反応とか私は見たことないです。学校職場でも隠してることはないですよ。まあ職種によりけりでしょうけれど。フランスのグランゼコールなどのエリート校の中にもマンガ同好会とかアニメとかゲームのクラブが人気があるから、偏見はないでしょう。ビジネス街の窓の内側からポストイットでゲームのキャラクターを張って向かい同士の会社が対戦してたのは日本のニュースにもなりました。

>>  職業とか年齢はどんな人が多いのでしょうか?といろいろ気になってしまいます。

私の知ってる人たちは20歳から35歳くらいですね。いわゆる「引きこもり」の人は知りません。親と同居の人って少ないですし。職業はいろいろです。

http://setukotakeshita.com/

384迷える大羊:2012/03/29(木) 20:45:54
なるほど
>昔一番多かった移民はポルトガル、イタリア、ポーランドでした。ハンガリーも含めてみな歴史的にカトリック国なんで、そのネットワークもあります。彼らはすぐフランス化(というかフランス風コスモポリタン化)するので、違和感がないですね。

 なるほど。フランスで「移民問題」という場合、これらの国々の出身者は含まれていないことが多いんですね。これで、サルコジ氏が自らも移民2世なのに、移民問題に関して妙に「国粋」的な発言をする理由が納得いきました。要は他人事なんですね。確かに、民族は違っていても、宗教というか根本となる価値観、慣習を同じくする、というのは同化に際してアドバンテージが大きいですよね。

 ところで、これで思い出すのは、かつて第二次大戦中、アメリカで日系人は収容所に入れられたり、迫害されたのに、ドイツ系、イタリア系はお咎めなしだったのはどうして?という問題。第一の理由はもちろん人種的な偏見ですが、それ以外にもソースは見失ってしまいましたが、アメリカ人のうち最大のマジョリティは意外にも英国系でもアイルランド系でもなくドイツ系なんだそうで、ドイツ系アメリカ人、といえばアメリカ人そのものになってしまうわけで、迫害とか差別なんて発想がおきようがない・・のだそうで。イタリア系にしたってアメリカ社会の存在感は日系人の比ではないでしょうし。
 それとフランスの人種問題、移民問題は似たような側面があるのかな?と思いました。

>左翼戦線のメランションはも移民排斥に反対です。

 やっぱり「左翼」はこうでないと、と日本人の感覚では思ってしまいますねぇ(笑)。とにかく、フランス、っていうかヨーロッパの「左翼事情」は個人的に複雑怪奇にみえるもので。オランダ氏の日和見的態度が少々不気味。世論の動向をみてどちらにつこうかな?なんて思ってるんですかね。

>スイス

 このスイスの移民承認の「住民投票」の問題。フランスの往年のイケメン俳優、アラン・ドロン氏がスイス永住権を持っているらしく、フィガロだったか、ルモンドだったかが皮肉たっぷりに「スイスっていうのは、顔の善し悪しで永住権与えたり、帰化させたりを決めるんかい」というキツーイつっこみをいれていたようですね。全然笑えませんけど。

 いえ、基本的にはスイスっていい国なんでしょうけど、直接民主主義の伝統としてスイスの町でよく行われる「住民投票」で時折、トンデモだったりブラックだったりな「民意」が飛び出したり、第二次大戦直後、早くも核武装を検討していたり、衣の下に鎧っていうか、たまーに怖いところをチラチラ見せるような気がするのは私だけでしょうか?

 http://www.youtube.com/watch?v=sW_9U_X-aow&amp;feature=related

385迷える大羊:2012/03/29(木) 21:35:28
オシャレ・・ですか
>むしろ「おしゃれ」って自意識があるみたいで

 拒否反応はない、というくらいなら驚かないんですが、「オシャレ」っていうのはビックリです。うーん、お話を伺うとオタクカルチャーにもっとも偏見をもっているのは、他ならぬ本家本元の日本人なんですかねぇ?それとも、フランスが「特殊」なのか?
 まあ、日本でも、以前に比べれば、オタアレルギーは減っていて、むしろ、世間の方がすり寄ってきているような面もありますけど。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120327/its12032710270001-n1.htm

http://www.topics.or.jp/special/130440290019/2011/05/2011_130559805286.html

http://www.pref.tokushima.jp/governor/opinion/form/227

 でも、さすがに「オシャレ」はないよなぁ・・てな感じです。
 それにしても、以前から同じことをいってなんですが、近隣アジア諸国を除いた外国で、他に先駆けて日本製サブカルチャーを受け入れた国がフランス、なのはなぜなのか?いつも不思議に思ってます。
 意外と感性に共通する部分があるのか?もともと、バンド・デシネなどもあって、受け入れる素地があったのか?たまたま、成行きでそうなっただけなのか?
 私の知る限り、三十年以上前から日本製アニメが放送されてましたし。もっとも、排斥の動きもすごかったとも聞きますが・・。

>フランスのグランゼコールなどのエリート校の中にもマンガ同好会とかアニメとかゲームのクラブ

 うーん、フランスの将来は大丈夫なのか?(笑)ただ、まあ、こうして日本文化好きなエリートがフランスにいることは、悪いことじゃありませんよね。こういう「海外進出」は結構なことです。もちろん、某国のような国家ぐるみのごり押しはダメっていうか逆効果ですけども。

386迷える大羊:2012/04/05(木) 23:27:24
観光超大国フランス
 ここ、十年くらいで、東京をはじめとして、日本に外国人観光客の姿が非常に目につくようになり、もう「ガイジン」ってことでいちいち注目しなくなって久しくなりました。去年の震災から数か月ぐらいは目にしなくなりましたが、最近はまた客足も徐々にもどっているみたいで、先日、箱根方面にドライブに行ったのですが、日本人と思って写真撮影を頼んだ方もアジア系の外国人でしたし・・。

 しかし、世界的にみればまだまだ日本は観光小国。古いデータではありますが、2008年時点での外国人観光客受入数では日本は28位。アジア圏を見渡しても、これまた、4位の観光大国中国はもとより、タイやシンガポール、香港より少ないわけで、国や経済規模との兼ね合いを考えると全然・・です。
 で、それにしても、すごいのは一位のフランス。

http://www.geocities.jp/nezimaki_tokyo/kankou/lanking06.html

 なんと、自国の人口より多い、7930万人を受け入れている、というのですから驚きとしか言いようがありません。もちろん、フランスがいろいろな面で魅力的なところである、といってしまえば、それまでで、ミもフタもありませんが。
 しかし、それだけでは自国人口を上回る人間はこないわけで、フランスの政府とか民間レベルで、どのような努力をして、このような世界に冠たる観光超大国フランスになったのでしょうか?

 在留邦人、外国人の立場から、どういった部分に観光超大国フランスの「すごさ」を感じますか?

 日本の場合、英語が通じないからダメ、とはよく言われますが、私の記憶ではフランスにしても、特別、英語が通じやすかった、ということはなかったような・・。英語の通じやすさならむしろドイツとかオランダあたりの方がよほど上位にきそうな気がしますし、間違いではないけども、主たる理由ではないような気もします。

 まあ、中国、フランスにくらべ、観光のネタになる世界的遺跡、遺産の少なさ、というハンデもありますが、個人的には情報発信の貧弱さ、下手さと日本人自身が自国の「ウリ」をよくわかっていないことが原因かな?と。
 例えば、今、外国人観光客とか別荘購入者に人気の北海道ニセコ。これも、日本人が宣伝したわけではなく、十数年北海道に在住しているオーストラリア人が、ネットや口コミでその良さを広めた結果・・で、ここ十年でニセコが急に魅力的な街になったわけではありませんし・・。

http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview050222.html

 まあ、なんていうか、たびたびネタにさせていただいている世界的なアニメ・マンガ人気もそうですが、日本人って日本論が好きでガイジンの目を気にする割に、自らの強み、弱み、良さ、悪さをあまりよくわかっていないような気がしますが、どうでしょうか。

387sekko:2012/04/06(金) 02:23:30
フランスは・・・
ヨーロッパの中で気候的に恵まれていて、地理的に真ん中辺にあって昔から人種の混合が進んでてわりと開けている、そして、政治的に、領邦国家などではなくパリがずっと首都であり続けた、食文化が豊か、の四つくらいがすぐ思い浮かびます。

もちろん、観光産業を国の事業として力を入れてる政策があるし、それがそのままアイデンティティ政策にもつながる面もありますね。

平野も多くてそれでいてヨーロッパで一番高い山もあって、海岸線も多くて、と観光に有利な変化にも富んでいるし、短期でもパリとその周辺だけで満足できるし、ヨーロッパの中では気候が寒すぎも暑すぎもしなくて恵まれています。

食文化については、ヨーロッパの基礎となったキリスト教のミサで使われるパンとワインの原料となる小麦やブドウの栽培に向いた気候だった、グルメ文化がトップダウンできた珍しいケースでもあります。16世紀末のアンリ四世の時代には国王が自ら、すべてのフランス人が日曜には鶏の煮込みを食べるという目標を掲げました。

どこの国でも王侯貴族は美食だったでしょうが農民とかは搾取されていた時代に、すごい発想だと思いますが、それがしっかり実を結んで、労働者階級の食事の質は世界一とか言われてますし、今でもみんながしっかり昼食の時間をとります。

日本などは、江戸時代などは儒教の影響で支配階級も粗食で禁欲的で、美食をしていたのは遊郭とか商人とかですから、トップダウンの反対です。そういう建前と本音みたいなのの乖離が尾をひいて、はっきり言って、ほとんどの日本人は、自分の家に他人を泊めたり食事によんだりしませんよね、その延長で、ほんとは、外国人なんかに自分ちに来てほしくないって思ってるんじゃないかなあ。

フランス人はどんな階級の人でも、ホームレスでない限りみんな気軽に友人をうちによんで食べたり泊まらせたりしますから。

日本では「客間」っていう言葉はこっちでは「友人用寝室」みたいな言葉だし、予備の寝室がない人も平気でサロンに泊めたり自分たちの部屋を提供したりとかしますから。

日本人は、そういうことを気軽にすると、後で「あのうちでは・・・」と陰口を言われたりとか、お返しが大変とか、コードが複雑なのでそれを避けているんじゃないでしょうか。日本ってハイコンテキストの世界で何でも言わないでも通じるっていう説もありますが、ほんとはよくわかんないので、何も言わなくてもとげの立たない、リスクのない行動しかとらないんじゃないかと思いますね。

そういうメンタリティが観光政策にも反映されてる気がします。「客間以外は見せちゃいけない」みたいな・・・

よく、日本人が、フランスでフランス人に道を聞かれたっていう話がありますが、フランス人はほんとにそのくらい、相手が客かどうか気にしてない、と思います。

ああ、すりや引ったくりは相手をよく見てますよ。

http://setukotakeshita.com/

388迷える大羊:2012/04/06(金) 10:42:45
フランスっていいですね
 日本人にもフランスに憧れる人は絶えませんしね。そういえば、赤塚不二夫のマンガ「おそ松くん」にもイヤミというフランスかぶれのキャラが登場しましたっけ。しゃべるのはフランス語ではなく、ヘンな英語だったりしますが・・。

>16世紀末のアンリ四世の時代には国王が自ら、すべてのフランス人が日曜には鶏の煮込みを食べるという

 そんな王様もいたんですね。フランス王室と庶民で食い物、というと、かのマリー・アントワネットの「パンがないならケーキ食べたらいいじゃない」というセリフを思い出すもので(本当かどうかは知りませんが)。フランスの食文化は確かに豊かですよね。対岸のイギリスが味もそっけもないので、余計に。
 食の話で面白かったのはフランスを知らない日本人は一流フレンチレストランで出てくる食事をフランス人は毎日食ってるんだ、とつい思いがちなんですが、フランス出身の某神父さんは「エスカルゴなんてフランスでは食べたことなかった」でした。日本にきて初めて知ったんだそうで(笑)。

 まあ、考えてみれば日本人だって寿司だの懐石料理を毎日食しているわけでもないし、詳しいわけでもないんで、当然ありうる話なんですけれども。
 外国人に対する意識は日本でもこれから大分変ってくるんじゃないか?と思われますが。良くも悪くも「特別扱い」はしなくなるでしょうね。

>日本ってハイコンテキストの世界で何でも言わないでも通じるっていう説もありますが、ほんとはよくわかんないので、何も言わなくてもとげの立たない、リスクのない行動

 いわゆる「空気を読む」というやつですね。私個人はこれ、あまり好きじゃないです。言いたいこと、やってもらいたいこと、注意すべき事柄があるならはっきりと口に出して、文書にしていうべき。そんなこともしないで「気が利かない奴」とか「空気読めない(KY)奴」なんて言われたって、てな感じです。

>フランス人はほんとにそのくらい、相手が客かどうか気にしてない

 日本だと、たとえ日本人と結婚し、日本国籍をとり、もちろん、日本語に不自由しないような人間でも、なかなか日本人、現地人扱いしない傾向があるように思われます。

 米国在住の方々のブログなどを読むとアメリカ人は逆に「外国人は皆、アメリカに憧れ、アメリカ人になりたがっているはずだ」と信じて疑わない人が多いらしく、「いつアメリカ人になるんだ?」と聞かれ閉口した・・なんて話がありましたね。

 フランス人はどうなんでしょうね?日本人とアメリカ人の中間くらいの感覚・・なんでしょうか?
 しかし、オタク文化に妙な偏見を持つ人も少なく、同調圧力も日本に比較すれば、ぐっと少な目。メシはうまい、とすると、仕事が確保して、コミュニティに溶け込めればなかなかに楽しそうなところかもしれませんね。

389sekko:2012/04/06(金) 18:02:48
エスカルゴって・・・
>フランス出身の某神父さんは「エスカルゴなんてフランスでは食べたことなかった」でした。日本にきて初めて知ったんだそうで(笑)。

エスカルゴってもともとブルゴーニュの料理だから、ひと昔前までは、ロワール河から北の普通のフランス人は知らない人も少なくなかったです。ブルゴーニュ公国ってとてもリッチで食文化も進んでたんです。ブルゴーニュ料理とかプロヴァンス料理とか、南西部のフォワグラとか、そういうのが、交通機関や冷凍技術の発達でどこのスーパーでも売られたりどこの家庭でも食べられるようになったのはせいぜいここ半世紀くらいのことでしょう。今はブルゴーニュのカタツムリは保護されているので、ギリシャや東欧から輸入されてるんだそうです。

イギリス人にfroggy とからかわれた蛙の腿料理も、冷凍が出てきてから普通の家庭で出されるのも見かけます。これも、もとはリヨン近辺の料理で、今は輸入の蛙とか。まあ、ソースが大事ですから。そもそもはその地方のカタツムリや蛙を庶民が捕獲して、ソース料理で食べられるものが残ったんでしょうけど・・・

オソマツくんの「イヤミ」、懐かしいですね。実際、私が若い頃にフランス語専攻だった先生や学生にはそういう「キザ」なイメージがありました。私はドイツ語専攻だったんではじめは抵抗がありましたね。国民性への先入観がうつるんでしょう。

>仕事が確保して、コミュニティに溶け込めればなかなかに楽しそうなところかもしれませんね。

むしろ、コミュニティに溶け込むことが苦手な人には日本より向いてる気がしますけど。一人でいても後ろ指指されないしみじめな感じもないし。コミュニティ好きの人は、フランス人って個人主義で冷たいとか言って日本人同士でつるんだりしますから意味ないですよ。

後はやはり、アメリカほどではなくてもセキュリティの問題があるので、やはり日本は安心です。でもそれと相互監視の雰囲気は切り離せないのかもしれません。何を優先したいか、ですよね。後、少なくともパリ近辺は地震がないのがいいかな。とはいっても、原発が最近もまた事故を起こしてますから、穏やかではいられません・・・

http://setukotakeshita.com/

390迷える大羊:2012/04/09(月) 11:40:58
世界料理の宝庫・日本?
 なるほど、フランス料理といっても地方によって大分違うんですねぇ。そんな、フランス人だってよく知っているわけではない、マニアックなフランス料理を当たり前のように出してくる日本のフランス料理店って・・・(笑)。

 恐らく、世界中の料理という料理を一番、消化している国はわが日本ではないでしょうか?ソースは忘れてしまいましたが、確かイタリア人ジャーナリストの著作でも、「本国イタリアを除いて、イタリア料理のレベルがもっとも高いのは日本。社交辞令なしで。」と書いてありましたし。
 距離的にも近いし、馴染みも深そうなヨーロッパのイタリア料理店のレベルの方が高いんじゃないの?と思いきや、必ずしもそうは言えないみたいですね。
 まあ、日本人のオタク気質の賜物といえなくもないですね(笑)

 おそ松くんはマンガそのものは今の若者に知られてなくても、ギャグとか言葉なんかは知ってる若い人間は結構多いような・・。「シェー」とか「おフランスでは・・」とかってわりと聞くような気もしますし。

>フランス人って個人主義で冷たいとか言って

 そういえば、一昔前に「パリ症候群」なんて言葉があったような。ヨーロッパ、フランス大好きな若い日本人女性が渡仏したはいいけれども、なじめない、カルチャーショックで鬱になることをいっていたんですが・・。
 ただ、これなんかは、今はそうでもないけれども、ヨーロッパとかフランスといえば、それこそ、イヤミの「おフランスでは・・」じゃないけれど、やたらと美化、理想化して描くマスコミも悪いんじゃない?という気が個人的にはしますが・・。

 まあ、仕事・職場選びでも、給料が高く、やりがいがあり、休日も多く、人間関係もみんないい人ばかり・・などというところがあり得ない、どこで妥協するかが重要、ていうのと同じことが、国にも言える、という当たり前の結論になるんでしょうね。

391迷える大羊:2012/04/12(木) 22:26:19
フランスの原発世論
 フランスのサルコジ大統領が、選挙戦で、(フランスの)原発の安全性を強調するために、フランスにはあんな津波はこない、といいたくて、「私はフクシマに行ってきた・・」(もちろんでまかせです)なんてやってしまって、対抗馬の社会党オランダ候補から厳しく攻撃されている模様ですが・・。
 まあ、普通のフランス人は東京と福島の位置関係とか距離なんて知らないだろうし(本人ももしかして知らない?)、とタカをくくって、つい勢いでいってしまったでしょうけども・・・。

http://mainichi.jp/select/news/20120413k0000m030045000c.html

 ところで、我が日本では、最近は、特に3.11、フクシマ以降はそうでもないですが、保守・右派=原発推進、左派・リベラル=反原発との図式があって、原子力発電の問題(安全保障もそうですが)となるとイデオロギー論争、神学論争みたいになってしまって、現実的な議論ができない・・という面がありましたが、フランスでは日本におけるような「方程式」は成り立つんでしょうか?


 

392sekko:2012/04/13(金) 00:55:35
一般世論は、フクシマ以来・・・
もちろん結構「反原発」に傾いてますけれど・・

前にブログで書いたように、

http://spinou.exblog.jp/16969433/

社会党のオランドは、脱原発なんて全然消極的です。

フランスで唯一はっきりと反原発なのはもちろん緑の党なんですが、そのヨーロッパ緑の党のフランス書記長のセシル・ドュフローCécile Duflotなんて、去年のフクシマのすぐ後に、「南半球だから」フランスへのリスクは少ないみたいなことをいって,さんざん笑われたくらいなので、政治家の話は考えたくもありません。

ただ、今、Michale Boganim監督の『La Terre outragée』というチェルノブィリの被災者の25年をテーマにした独仏ポーランド、ウクライナ共同制作映画があって、これはすごくいいので、こういうアートの力で搦め手から変わっていけないかなあとも思います。

http://setukotakeshita.com/

393迷える大羊:2012/04/13(金) 19:15:05
そうですか
 確かにブログでおっしゃられる通り、核保有国ですし、左派=反原発とはいかないでしょう、そうだろうな、と思いました。しかし、福島原発の事故当時、アレヴァ社もフランス国内で散々非難を浴びてたんですね。知りませんでした。「廃棄物お引き取り」のチャンスをむざむざ逃していたとは・・。

 >「南半球だから」フランスへのリスクは少ないみたいなことをいって

 ありゃりゃ、反原発の緑の党からしてこれですか・・。反原発の人こそ、原発そのものについても、他のあらゆる面についても、単に危機を煽るだけではない、正確な知識を身につけ、しっかり理論武装してほしいところなんですが。

 関係ありませんが、アメリカの政治家に共和党の副大統領ベイリン氏みたいに「アフリカって国なんですか?」とか延坪島砲撃事件(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E5%9D%AA%E5%B3%B6%E7%A0%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6)の際にも、「北朝鮮を支持する」なんてやってしまう御仁(美人なだけに惜しいというか痛いというか)がいましたが、フランスの政治家にもその手の手合いがゴロゴロいるんですね・・。

 まあ、去年のサルコジ氏来日はビジネス目当てなのが、あまりに見え透いていて、いい感じじゃなかったですね。
 個人的に評価しているルポライター鈴木智彦氏が福島第一原発に作業員として「就職して」ルポした著作「ヤクザと原発」(文芸春秋刊)によれば、(多分)外交上の配慮というか付き合いで導入したフランス製、米国製の汚水処理装置は細かいトラブルが多く、あまり役に立たず、結局予備機のはずだった東芝製のそれ(サリーというニックネーム)が主力になってしまっているそうな・・。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4163747702/ref=cm_cr_pr_btm_link_2?ie=UTF8&amp;showViewpoints=0&amp;pageNumber=2

394迷える大羊:2012/04/26(木) 08:16:14
、「ノルマンの痕跡を探す英国ツアー??
 例によって、韓国メディアウォッチングからですが・・。韓国のメディアをウォッチしていると毎年、春先になると出会うのが「ウリナラ(韓国)がイルボン(日本)に文化を伝えたのだ!」、いわゆる「韓国起源説」記事で、こういった記事を見ると、ああ、季節が変わったんだなぁ、との感慨に浸れます。今年も例によって、こんな記事がありました。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/04/24/2012042401413.html

 まあ、厳密な事実検証、考証はあまりなく、事実関係よりは願望とか、最初にストーリーありき、である場合がほとんどですが・・。
 例えば・・

 「奈良では百済人が古代日本の上層部を形成していたことを示す石舞台や、世界最大の木造建築物であると同時に韓半島(朝鮮半島)系の手があちこちに加えられている奈良・東大寺」

 あ、いや、東大寺が建立されたのは百済が滅んだ後ですが・・・。といった具合にツッコミどころがいろいろあって「面白かったり」するんですが。「韓国起源説」のウィキペディアを読むと正直、眩暈すら感じます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC

 前置きが長くなりましたが、起源、で思い出したのが、11世紀のイギリスで起きたノルマン征服。この事件は英語にも大きな影響を及ぼしましたよね。何しろ支配者の言葉はフランス語であるような状況が14世紀まで続いたわけで。現代の英語にフランス語起源の語彙が多い理由であるわけですよね、確か。

 「韓国起源説」と違って、明らかに事実であるわけですが、フランスのメディアとか、学校が純粋な学者の学術目的以外で「ノルマン人の痕跡を探す英国ツアー」なんてやって、「あれもフランス、これもフランス、フランス万歳」「英国を征伐したのだ」なんてやっている記事とかフランス人をご覧になったことありますか?

 ステレオタイプとしては、フランスは英米への対抗心、ナショナリズムが強い、といった印象がありますが、それはどの程度、本当なのかな?といった点で興味がありますね。
 

395sekko:2012/04/26(木) 14:12:07
英仏関係
国家意識型のナショナリズムの誕生は、百年戦争の英仏関係の相互憎悪だと言われています。愛国心じゃなくて憎悪ですね。その辺に関しては白水社から近刊の『ジャンヌ・ダルク幻想』に書いたので、出版されたときにお読みください。

いえることは、ナポレオンもイギリスには渡れなかったし、11世紀は別として、フランスはイギリスに攻められっぱなしですから、むしろそういうことを忘れたい風な・・・

一方、フランスの文化のルーツのほとんどはイタリアにあるわけで、フィレンツェでそれを見てショックを受けるフィレンツェ症候群などがあるほどで、その辺の後進性のコンプレックス解消法は、コルネイユが書いたように、「ローマ人でないならローマ人たるにふさわしくあれ」ということで、フランスがローマ帝国の真の継承者だと考えることでした。

言葉もラテン語基盤ですし、長い間、領邦国家だったイタリアより、中央集権的だから、「ローマ教会の長女」といって、大陸の覇者として、島国イギリスを見ないようにする部分もあったので、実はずっと密な交流がありました。最も実際は大陸にはハプスブルグ家という巨人がいたんで、微妙だったんですけどね。せっかく近代革命を成し遂げた後で、ナポレオンがヨーロッパの皇帝になろうとしてフランス人から支持されたのはその夢の共有があったからでしょう。でも、彼らは概して、キリスト教という共通の「建前」がある分、それなりのポーズがあるので、今度の韓国のお話とか、北朝鮮のような、なりふり構わずというか、冷静に考えたら、戦略的にマイナスじゃないの、と思われるほどの極端にははしりませんね。

私もパリで入った韓国料理店で、自慢げにフランス語の『韓国料理』って写真本を見せられて、表紙までしっかりSUSHIなのに驚いたことがあります。

396迷える大羊:2012/04/26(木) 21:54:43
目標はローマ帝国?
 お疲れのところ、恐れ入ります。

>ナポレオン

 こんなこというと、フランス人に怒られそうですが、この人、なんかあのヒトラーとの共通点がかなり多いというか、同種の人物のような気がするんですが。

 ・ナポレオンはコルシカ島、ヒトラーはオーストリア、ともに本国から外れた地の出身者 で、軍の下士官(砲兵隊長、通信伍長)がキャリアのスタート
 ・ともに、フランス革命後(ナポレオン)、第一次大戦後のワイマール共和国(ヒトラ  ー)の不安定、混乱に乗じる形でのし上がる
 ・法典整備とか失業対策とか、内政面ではかなりの成果を上げる(だからこそ支持された  んでしょうが)
 ・ともにロシア戦線の膠着がケチのつき始め。ともに英仏海峡を越えることができず、英  国に敗北。

 などなど。

>フランスがローマ帝国の真の継承者だと

 思うんですが、欧米の大国はみんな、そう思ってませんか?例えば、アメリカの上院は
「Senate」、ローマ元老院は「Senatus」ですし、他の欧米諸国も似たような呼称をとっているのでは?
 あと、ドイツ皇帝はKaiserですが、これってローマ皇帝Caesarのドイツ読みですよね?SF映画のスターウォーズなんて、どうみてもローマ帝国の宇宙版ですし、そのネタ元(たぶん)となったアイザック・アシモフの「銀河帝国の興亡」なんてのも、中身はエドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」みたいだし。ローマ帝国の偉大さを改めて感じます。

>『韓国料理』って写真本を見せられて、表紙までしっかりSUSHIなのに驚いたことがあります。

 韓国語学者の水野俊平氏の著作「韓国人の日本偽史」(だったかな?)によれば、70年代くらいまで、SUSHIは「日本の野蛮さ」の象徴だったそうですが、80年代くらいから世界的に広まるにつれ、いつの間にか「韓国起源説」が出たそうな。まあ、一般の韓国人がどこまで真面目に受け取っているかは不明ですが・・。

「韓国人の日本偽史」http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_4094027165

 水野俊平氏 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%87%8E%E4%BF%8A%E5%B9%B3

 どうも、欧米圏において、韓国の日本便乗作戦、「日本の方(角)からきました・・」戦法は企業から芸能、個人レストランに至るまで、基本戦略なんじゃねえだろうな?と勘繰りたくなりますね。こんな話もありましたね・・。

http://japanese.joins.com/article/338/148338.html

(フランスなのに日本語であいさつ…T−ARAの発言めぐり議論に)

>『ジャンヌ・ダルク幻想』

 そういえば、4/25の先生のトークショー会場に置いてありましたね。購入すべきでした。なにはともあれ、お疲れ様でした。サインありがとうございました。フランスへの長旅お気をつけて。

397sekko:2012/04/27(金) 00:25:57
ヒトラーとナポレオン
については、彼らの権威付けや正統性の証明の仕方の違いについてそのうち書こうと思っています。一番の違いはやはりローマ法王の使い方に現れているでしょう。その辺の機微が、ヒトラーは自殺、ナポレオンは処刑されなかったところにまで響いてきます。

25日にいらしていたんですね。ありがとうございます。あの時にあったジャンヌダルクは以前の本です。英仏関係を掘り下げた『ジャンヌダルク幻想』のほうはまだ発売されてません。またお知らせします。

398迷える大羊:2012/05/02(水) 21:25:11
第4帝国??
 ヒトラーの話で思い出しましたが、少々古いのですが今年2012年3月6日の毎日新聞にこんな記事がありました(ネットからはすでに削除)。

 『欧州が財政危機に見舞われる中、ドイツが強固な輸出力で黒字を続ける「独り勝ち」の状況を背景に、ドイツ語学習者が世界で増加傾向にある。

独誌シュピーゲルによると、世界90カ国以上、約150カ所でドイツ語講座を開く公的文化機関「ゲーテ・インスティトゥート(GI)」でドイツ語を学ぶ受講者は昨年、過去最高の23万4000人を記録した。10年に比べ8%の増加だ。

GI本部のレーマン代表はシュピーゲル誌に「文豪ゲーテやシラーを原書で読みたいとの動機はもはや過去。財政危機の今、特に若者はドイツ語を仕事に生かそうと考えている」と分析している。

 急増が目立つのは危機が深刻な南欧諸国で、特にスペインでは10年比で25%も増加。
ドイツからの厳格な財政規律順守の要請に反発し、反独デモが絶えないギリシャでも2割増で、「ギリシャを去り、ドイツ語を武器により良い就職を目指す受講者が多い」(アテネのGI代表)という。

実際、ビジネス分野でのドイツ語需要は高まっている。ドイツ経済技術省によると、移民によるドイツでの起業も増える一方で、09年に国内で新たに設立された40万社のうち約3割(13万社)は外国出身者の起業だった。ベトナム出身のレスラー経済技術相は「外国出身者の起業でドイツ経済も活性化する」と歓迎する。

一方で、メルケル政権の与党議員が「欧州では今、ドイツ語が話され始めている」と得意になって語る風潮などには反発も強い。英大衆紙が「(ナチスの第三帝国に次ぐ)第四帝国の台頭だ」とドイツ脅威論をあおるなど、一部では反独感情も高まりを見せている。』

 これ、本当なんでしょうか?確かに欧州の経済状況はドイツ独り勝ち状態。他国が失業率上昇に苦しむ中、ドイツのみは失業率低下してますし、例のギリシャ、その他問題でもカギを握っているのはドイツですし、ECB(欧州中央銀行)があるのは、パリでもロンドンでもなくフランクフルト・・。
 結局、ユーロの信用っていうのは結局はドイツの信用、経済力で、ユーロ加盟っていうのは経済的にドイツ傘下に入るも同然、いや、政治的にも財政政策にドイツの意向を差し挟まれるわけですから、これはもう、実質的にヨーロッパのドイツ支配、第4帝国の再来では?
 まあ、ドイツの一般人、マスコミレベルではユーロ維持のためにギリシャを筆頭とする、破綻国家群を抱え込むことに拒否反応があるようですが・・・。

 バトル・オブ・ブリテンを経験した英国人にとってはかなり抵抗のある情勢のようですが、こんな状況に対するフランスの反応はどんなものなのでしょうか?実質的にドイツの天下になってもヨーロッパ統合の理想が大事、という意見が大勢を占めているのでしょうか?

 蛇足ですが、EUの理念の元となった汎ヨーロッパ主義の提唱者であるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー氏の母親は日本人だったんですね。意外なところで、日本との関わりに驚きです(今頃、気づくな、と言われそうですが・・)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95%EF%BC%9D%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC
 

399迷える大羊:2012/05/08(火) 23:05:08
フランス国籍・永住権取得
 フランス大統領選、終わりました。それぞれに思うところがあるでしょうが、個人的に目を引いたのは、例の移民問題。極右政党が伸びたり、オランダ氏は日和見を決め込んだり、サルコジ氏は極右支持層にすり寄ったり、いろいろ物議を醸しましたが、移民がフランスの社会、将来に与える影響が大きいことはわかりました。

 ところで、フランスに限らず、ヨーロッパの極右の皆さんが「お手本」と思っているのが我が日本らしく、ノルウェーのテロ事件でも、犯人はこんな供述をしてました。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/120417/erp12041723500007-n1.htm

『その中で「高い技術を持ち、単一文化が保たれている国」として日本と韓国に言及、そのような国では「より人々の調和が取れている」と持論を展開した。』

 また、欧米マスコミ、あるいは日本のメディアの中にも「移民を拒否する日本」みたいな論調を散見します。
 で、疑問に思ったのは、

 ・フランス国籍とか永住権って日本と比較してそんなに取得が簡単ですか?

 ・また、昨今はともかく、今まで、政府にしても一般国民にしても、移民ウェルカムなム ードでしたか?外国出身者、非欧米人に優しい国ですか?

 ・日本と比較して、外国人(特に非欧米人)の就労は容易ですか?どのような制約がありますか?

 ・先生自身、フランス国籍取得に魅力を感じていらっしゃいますか?(プライバシーに関わりますかね?関わる、とお思いでしたらスルーされて結構ですが)

 私自身の意見としては、日本が閉鎖的、フランスが開放的っていう問題ではなく、中国、韓国などの近隣諸国(中国人の増加は著しいものがあるし、東京・新大久保は韓国みたいです)で、古くから日本国内に基盤がある国々の人間を別にすれば、移民先としてはさして魅力的でもなく、関心を持たれていないだけだと思うんですけれども。
 また、日本側もマスコミの報道とは裏腹に、移民を募るほどに強烈な需要を感じていないってこともあるかも。
 フランスの移民にしたって、データなどを見る限りでは大半は旧植民地か近隣諸国の出身者のようですし・・。

 すべてに同意、というわけではない(話が労働問題に偏りすぎ、混同しているので)ですが、以下のブログに書かれている事情が実態に近いかも、と個人的には思ってます。

http://ameblo.jp/englandyy/entry-10882868569.html
 

400sekko:2012/05/09(水) 21:44:01
いろいろ
ご質問やコメントをいろいろいただいているのにお答えが遅れてすみません。

社会党政権に替ってまた変化はあると思うし、細かいところはしょっちゅう変わっているので詳しいことはここで書けません。


 ・フランス国籍とか永住権って日本と比較してそんなに取得が簡単ですか?

一応出生地主義なので、フランス国内で生まれたなら、前は自動的に、今は16歳だか18歳の成人年齢の前だかに申請しなくてはなりません。未成年でも、親のどちらかがフランス国籍があればパスポート申請できますし、何よりも二重国籍がOKなので、根本的に楽です。兵役があった頃は微妙でしたが…

また、EU圏での移動や就業が自由になってからは大きく変わりました。たとえばスペインは二重国籍を認めていないので今はスペイン国籍のままフランスに永住する人も多くなったとか、ルーマニアから移動してくるジプシーが、何度「追い返して」も、また自由にやって来るようになったとか…

ヨーロッパ圏以外の国については…

はっきり言って、ヨーロッパのすぐそばにアフリカ大陸があるということが日本と決定的に違うところです。もちろん旧植民地国との関係や、前世紀の初めに炭鉱労働者として大量に北アフリカからの移民を受け入れたつけとか、それら移民の「家族呼び寄せ」を是として、さらに、フランスで生まれた移民二世は自動的にフランス国籍を得たとか、それが重なって当然、ゲットー化などの大きな問題も発生します。

建前としては、別に「フランスの価値観に合わせろ、フランスの習慣に合わせろ」というのではなく、「基本的人権」の尊重と「自由平等」の共和国主義という「普遍価値」を教育によって共有させて統合するのが国是ですから、フランスで生まれてフランスの教育を無料で受けさえすればフランス人になれるのだからで国籍もOKという考えです。

高いスキルを持った移民というのは、ヨーロッパ内部やアメリカとの間で間に合っているという感じではないでしょうか。ドイツ人で高いスキルのある人はフランスよりアメリカに行きますね。

私自身は、基本的に、人為的政治的な国境によってアイデンティティを規定されたくない、したくないという立場、また国籍にかかわらず弱者優先というのを目指したいので、その方向に近づけるような政策を支持したいのですが… なかなか現実は難しいと分かっています。

http://setukotakeshita.com/

401迷える大羊:2012/05/10(木) 15:12:56
そうでした
 フランスは二重国籍アリの国であるのを忘れていました。ただ、建前や理念の通りになかなかいかないのは、いずこも同じですね。

>ジプシー

 思うのですが、ヨーロッパでの人種差別、迫害というとユダヤ人や黒人対象のものばかり思い浮かべますが、ジプシーもナチスの迫害の対象になってますし、スイスでもかなり酷い扱いを受けたようで、ユダヤ、黒人のそれより、あまり知られていないだけにさらに酷い気がするのですが・・。

http://www.amazon.co.jp/%E9%BB%92%E3%81%84%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%A6%8F%E5%8E%9F-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4106100592
(ソース:「黒いスイス」)

>国籍にかかわらず

 現状は厳しいでしょうね。日本人が海外旅行に気軽に出かけられるのは、はっきりいって「日本国籍」「日本のパスポート」のおかげですし。国によっては入国審査にやけに時間と手間をかけられたり、何もしてなくても、最悪入国拒否されたりしますからね。

 ですから、「世界市民」とか「国境なき世界」とか「友愛」とかの理念はもちろん、否定する気は毛頭ないのですが、あまりに気楽に、現実をみないで、能天気なことを言う人々(しかも、海外旅行大好きだったりしたら完璧(笑))には、「じゃあ、日本国籍やめて、世界最貧国とか、政治・外交的にややこしい問題を抱える国の国籍になって旅してみれば?」って言ってやりたくなります。

 個人的な体験談をいうと、うちの親は仕事の関係上、また個人的な興味から中国に関わりが結構あり、中国人の知己も結構いたりするのですが、その中に日本人とお見合い結婚→
日本国籍取得を目指していた女性の人がいたのですが、彼女の日本国籍取得の動機の一つに「海外に自由に行ける」がありましたね。
 もう、十数年前の話なので、今、どうなっているのか?どう思っているのかはわかりませんけれども。

 ところで、個人的に今回のフランス大統領選における社会党の政権奪取に絡んで、韓国メディアウォッチャーとして注目しているのは、このニュースですね。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/05/08/2012050800515.html

フランス新政権、韓国系2人が入閣か
フランス大統領選挙で社会党のフランソワ・オランド氏が当選したことから、同国に養子縁組された韓国系2人が入閣する可能性が高まっている。
(2012年5月8日 朝鮮日報)

402迷える大羊:2012/05/11(金) 09:37:32
移民先
 フランスの移民問題に関連して、日本は移民先としては、近隣諸国の一部を別にすれば、大して人気もなく、関心ももたれていない・・、との自説を先スレで唱えましたが、意外とそうでもないのではないか?と思わされる世論調査資料が米・ギャロップ社にありました。
 調査(調査方法は本文参照)の結果、4800万人が1年以内に移民する計画を持っており、希望者の数は6億3000万人(うち1億5千万人がアメリカ行志望だそうで)に達している・・・ということらしいですが。

http://www.gallup.com/poll/153992/150-Million-Adults-Worldwide-Migrate.aspx?ref=more

 この「移民したい国」(TOP DESIRED DESTINATIONS FOR POTENTIAL MIGRANTS WORLDWIDE)ランキングの11位になんと日本が位置しておりました。僅差とはいえ、スイス、スウェーデンより上だったりします。(ホンマかいな?ですが)

 よく解らないのがサウジアラビアが上位(5位)に入っていること。子供時代に滞在したことありますが、確かに豊かといえば、豊かですが、イスラム教原理主義の国で、「大人」にはつらいところ、外国人は現地人が絶対やらない重労働をやらされってイメージが強いんですが・・・。イスラム諸国の人間からの票が効いているのかな?・・です。
 あと、イタリア、スペインも。文化的に非常に魅力的で観光にはいいけど、移民先としてはどうなんだろ?ですし。ロシア、南アフリカって・・日本以上に「ホントですか??」ですし・・。

 日本の「移民」に関してはこんな記事もありましたね。

http://mainichi.jp/opinion/news/20120501k0000m070098000c2.html(毎日新聞WEB版)

 日本帰化者のほとんどは中国・韓国出身者で、それ以外の絶対数は少ないけれども、ただ、この十年で倍になった・・とのことだそうです。

403迷える大羊:2012/06/01(金) 00:47:28
親独反民族行為真相糾明委員会??
 例によって韓国メディア(總合ニュース)からの記事(今日の歴史(5月31日))です。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2012/05/29/0800000000AJP20120529002700882.HTML

 その中で21世紀になってもこういうことをやっているんだ・・と改めて思わされたのがこれ。

 「2005年:親日反民族行為真相糾明委員会が公式発足」

 いや、過去の歴史の暗部の追及はヨーロッパだって、例えば、ドイツでもナチスの犯罪には時効を認めていないだろ?という反論がかえってきそうですが、異常だ、と思わされるのは子孫にまで累が及ぶことです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E6%97%A5%E5%8F%8D%E6%B0%91%E6%97%8F%E8%A1%8C%E7%82%BA%E8%80%85%E8%B2%A1%E7%94%A3%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E5%B8%B0%E5%B1%9E%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%B3%95

 さすがにこれは韓国メディアにも否定的な声があるようですが、こんな法の制定が発案されること自体が個人的には驚きで・・。
 フランスも近代においてドイツに占拠された歴史がありますが、第二次大戦直後ならまだしも、最近になって「親独反民族行為真相糾明委員会」なる、あるいはそれに類似する組織結成や運動なんてありますか?
 対独協力者本人がいろいろ言われる、社会的な不利益を被るのはともかく、直接の関係がないその子孫の財産を没収が検討された・・なんてことは・・あるんですかね?

 第二次大戦終結直後のフランスの反独感情は極めて強かったようで、ドイツ人やドイツ兵と付き合っていた女性が頭を丸刈りにされて、さらし者にされているフィルムを見たことがありますが、その頃、生まれたドイツ人との子供は、どうなったのかな?なんて思ったりもしました・・。

404sekko:2012/06/01(金) 06:30:46
親独というより反ユダヤは追及されます。
ドイツ人女性とアメリカの占領軍GIの黒人兵との間に生まれたブラウン・ベビーのことについて前にブログに書きました。

http://spinou.exblog.jp/16856252/

これに比べたら、フランスでの「ボッシュの子」たちは、外観の違和感がない分、いったん養子縁組をされれば普通のフランス人として育ったのではないでしょうか。対独協力者の弾劾というのはもちろんあっても、子孫に及ぶとかいうのは聞いたことはありません。

ただし、日本でも昨年の東京国際映画祭で最優秀監督賞と観客賞をW受賞した『サラの鍵』(ジル・パケ=ブレネール)という映画で語られたように、フランスでも戦中に着の身着のままで自宅から追放されて収容所に送られたユダヤ人がいて、彼らのアパルトマンにそのまま住みついたフランス人などがたくさんいたわけです。

経緯がはっきりすれば、そうして取り上げられたユダヤ人の財産はその係累などに返還されるはずです。でもこの映画にあるように、次の世代はそれを知らない場合もあるわけで、すべてをトレースすることは不可能でしょう。

そのように、ユダヤ人から不当に取り上げた財産と違って、単に親独だったという市井の人たちは大抵は保身のためですから、まあ、グレーゾーンのまま時代によって転身しているのだと思います。戦後すぐは、そういうやましい心をごまかすスケープゴートとして、ドイツ人の子供を生んだ女性などがリンチされたんでしょうね。

韓国が今頃親日を糾弾するというのはまた別の政治的意図に基づくんでしょうが、ちょっと相手を間違えているというか、よく分からないですね。過去の過ちの弾劾というのは、そのやり方や表現によってはとても不毛なものになって単に憎しみの連鎖になると思います。

一方、『サラの鍵』のようなすぐれた映画は、これまで何度も見た収容所の悲惨な様子のドキュメンタリーなどよりも、私には強烈に内省を促してくれました。規範的な批判よりも、自己改良のプロセスを発動させてくれるような表現を共有したいです。

http://setukotakeshita.com/

405迷える大羊:2012/06/01(金) 09:41:02
差別・被差別
 なるほど、ユダヤ問題に関しては確かに単なる対独協力よりはるかに後ろめたいところが多いでしょうね、フランス人にとっては。
 ただ、どうなんでしょうね、こんなことをいうと袋叩きに遭いそうですが、確かに第二次大戦前後までは、ユダヤ人は「被害者」の立場でしたが、今はそんなに単純なのかどうか?というと疑問を感じないでも。

 映画についていうと、ご紹介された「サラの鍵」の他にもスピルバーグの「シンドラーのリスト」とか、被害者としてのユダヤ人を描く作品は多く存在しますが、イスラエルにおけるパレスチナ人、旧住民の立場を描いた欧米の映画作品ってどれだけあるんだろうか?個人的には全く知らないのだけれども・・と思ってしまいます。
 なんだかんだいっても、欧米のマスコミはユダヤ・イスラエル関連の描写には気を遣う、というかいろいろタブーが多そうですし。つまりは、ユダヤ・イスラエルに関して否定的な側面を報道したり描写したりすると「反ユダヤ」「人種主義者」のレッテルを張られるムードがあるのではないか?と。
 独断と偏見でいえば、現代のヨーロッパで影響力(特にマスコミ方面に)もなく、本当に弱い立場に甘んじているのは、ジプシー・ロマ族あたりのような気がしますが。確か、サルコジ氏も「不法入国のジプシーを叩き出せ」なんていって問題になってませんでしたっけ?
 EU圏内から来たんであれば、不法入国もクソもないはずなんですけどね。

 韓国の「親日法」はねぇ。まともに施行しようとすると、ウィキペディアにも問題点が触れられていましたが、故・パク・チョンヒ大統領など、元日本陸軍の士官ですし、今をときめくサムスン創設者も早稲田大学出身で、財を成すきっかけは日本でのコメ販売で・・なんてことになってキリがなくなりますけどね。
 本当に「親日派」を追い出したり、最下層の身分に追いやったりした北朝鮮は、今、現在の状況に至りますし・・。本当に「反日」がらみになると、冷静さがなくなるというか、何でもアリになるというか・・。

406sekko:2012/06/01(金) 18:44:59
歴史の清算
>欧米のマスコミはユダヤ・イスラエル関連の描写には気を遣う、というかいろいろタブーが多そうですし。つまりは、ユダヤ・イスラエルに関して否定的な側面を報道したり描写したりすると「反ユダヤ」「人種主義者」のレッテルを張られるムードがあるのではないか?

ムードだけではなく、確か、法律だか条例で特別に規制されていて、第二次大戦後までの反ユダヤ主義への総懺悔の意味か、かなりうるさいです。外から来た私なんかから見ると、そんな特別扱いがかえって新しい反ユダヤ(これは特に北アフリカからの戦後のユダヤ移民とイスラム系との確執もあって昔のものとはちょっと違うんですが)感も生んでいるんじゃないかと思う時もあります。

ロマ族やユダヤ人など、長い間「流浪の民」だったような人々は、定住者の共同体の中では「弱い立場」に追いやられるかもしれませんが、別のロジックで考えれば定住者の恐怖をそそる強さがあるのではと思います。ユダヤ人も自分たちの国イスラエルを仕切るようになると、そのタカ派ぶりにはかえって「攻撃によって守る」という他の閉鎖的な国民国家の悪いところが尖鋭的に出てきているような感じもしますね。でもそういう弾圧の連鎖に異を唱える若い人々もたくさんいます。

韓国の親日派については、むしろ旧植民地との関係でアルジェリアのことを思い出します。アルキと呼ばれる人々はアルジェリア独立戦争の時にフランス側について戦ったので、独立後はアルジェリアからも「裏切り者」扱いで追い出され、フランスでも移民扱い、みたいになって不当な扱いを受けていましたが、半世紀経ったごく最近、フランスから功績を認められたり補償が始まったりしています。

歴史の清算は各国の経済事情や内外政治事情がちょうどバランスがとれた時でないと、難しい問題ですね。

http://setukotakeshita.com/

407迷える大羊:2012/06/02(土) 09:04:22
歴史・・ですか
>確か、法律だか条例で特別に規制されていて、第二次大戦後までの反ユダヤ主義への総懺悔の意味か、かなりうるさいです

 え?そこまでうるさいんですか??おっしゃる通り、逆効果のような気もしますけどね?。ただ、そういう「報道規制」「言論統制」があっても、世界の人々は決してバカではない、見るべきところは見ているというべきか、BBC世論調査によれば、イスラエルの国家イメージは芳しくないですね。最大の支援国アメリカですら、POSITIVEが50%いくかいかないか・・でしたし。

>アルキ

 そういえば、これ「ゴルゴ13」のネタになっていたような。フランス特殊部隊に追われたゴルゴが匿ってもらったのがそのアルキの家だった話のような。うろ覚えですが。

 韓国・歴史っていえば、昨日(6月1日)の中央日報にまたこんな記事がありましたね。

http://japanese.joins.com/article/061/153061.html

「対馬の島主 宗氏ではなく韓国人の宋氏=韓国学者」

 また起源説かよ、今度は誰だ?と思って読みますと、「対馬関連の言語学者として知られる黄白炫(ファン・ベクヒョン)博士」だそうなんですが・・。対馬関連の言語学者って何だ??対馬にスペインやフランスにおけるバスク語とか、フランスに残るブルターニュ語とか、英国に残るウェールズ語とか、そういう特殊な言語なんて・・あったかな?それにしても、韓国の歴史学会ってしょっちゅう「新発見」があるんだなぁ、すごいなぁ。

 で、このファン博士の「新学説」のきっかけはというと、「対馬の厳原地域にある展望台には、対馬の初代島主が宗重尚ではなかったことが明らかになったという内容の新しい案内板が昨年に設置されている。」なんだそうで・・。
 日本の大名の先祖なんて、天下取った後にでっち上げた(源氏、または平氏の子孫として)ものがほとんどで、本当はどこの馬の骨か分らない場合がほとんどです。それに対して韓国人の族譜はきちんと整備されているから確実・・といいたいのかもしれませんが、朝鮮半島の族譜にしたって、

 『李朝末期に家名の売買が盛んに行なわれたらしい。没落した両班が裕福な平民に家名を売るわけである。ある資料によると、17世紀に9%しかなかった両班の戸数が、19世紀になると70%にまで増加したという。また、古い族譜には名前がないのに、ある時代を過ぎると突如として名前が出現する分派があったりもする。』
 といった程度のものなんですが・・・。

http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/etc/kanyocho/seimei.html

 まあ、日本にだって「イエスは日本に来て死んだ」とか「義経は大陸に渡ってジンギス・ハン」になった・・なんて「伝説」がありますが、それをメジャーなマスコミが大々的に掲載して、いつの間にか「通説」になって、さらに、それを根拠に「ジンギスカンは源義経だから今のモンゴルも中国も日本の領土なのだ!」などというような記事や論説は、戦前の軍国・国粋主義の時代にも無かったような気が・・。

 こんな調子で「歴史認識」とか「清算」を語られても・・というのが正直なところ、ありますね。

408迷える大羊:2012/06/11(月) 13:51:06
中国=シナ=チャイナ・シーヌ?
 ユダヤ問題とか差別にまつわる問題が出てきたついでに・・・。現在、日本では中国を「支那」と呼ぶのは「差別用語」ということでマスコミでは行われていません。

 それに対し、日本の右派・保守系の人々は英語のchina、フランス語のChine(シーヌ)は要するに「シナ」だろ?なんで日本人が言うと「差別語」なんだ?との反論・反発があります。
 で、ご質問ですが、フランス語や英語のシーヌとかチャイナはやはり「シナ」が語源なのですか?

 右派・保守系に対する日本のリベラル・左派・在日中国人(といってもいろいろですが)の反論はシナ自体は差別語でなくとも、戦前・戦中に蔑称的に使われ、多大な被害をもたらした国から蔑称で呼ばれることを許すことはできないのは当然というもの。

 私個人はもっともな気もしますが、だけど欧米諸国にしたって、主だった国々はかつての租借地などにみられるように、近代において、程度の差はあっても中国に対して何かしらの「タカリ」行為をやってますし、チャイナとかシーヌと呼んでいる国々に中国人差別、蔑視は一切なかったのか?となるとそれはかなり疑問。ちょっとスジが通っていないのは否定できないかと・・。
 もっとも、さすがに現代日本では「シナ」は一般的ではないし、いわゆる保守・右派の中国観に全面的に同調しているわけではないので、普通に「中国」と呼んでいますが。

 今までの投稿から誤解をされると困るので、お断りしますと別に私は日本はアジア解放の為に戦争しただの、植民地の発展に貢献したから植民地支配は良かった・・みたいな思想的立場では全然ありません。祝日に国旗を掲げたこともないし、震災後にメディアに溢れかえった「日本を一つに」とか「がんばれ日本」みたいな、「愛国的」なフレーズにもむず痒さを感じる方です。

 ただ、中国とか韓国(保守的・右派的な人は特亜、つまり特定アジアと呼ぶ)の「反日」って本当に道徳的・人道的な立場から、というよりは一種の政治的・イデオロギー的手段の側面があまりに強く(日本国内の議論もそうですが)、その「告発」の内容も「知れば知るほど」「なんだそりゃ?」みたいなものが多くて、いちいちマトモに付き合ってられるか的なものが多いな、というのが正直なところです。

 私の勝手な想像ですが、フランスとか欧米における「ユダヤ問題」もそういった側面、つまり、純粋に道徳・人権の問題よりは、政治的立場を分けるリトマス紙になっている、純粋かつ冷徹な事実関係・責任問題の追究よりは情緒・感情の問題になってしまっているところが少なからずあるのではないか?と思ったのですが、どうなんでしょう?

 あと、日本メディアでは日韓関係の「特別さ」を強調するものが多いし、私自身、韓国メディアウォッチングを通して、確かに「日韓関係は特殊」と思っていましたが、世界的にみれば、別に珍しい国際関係ではないようですね、下のアルメニアに在住されていた方のweb記事を読むと・・。
 なんか、私が韓国メディアを読んだときとそっくりな感想をもらしているんですよね。アルメニアのナショナリズムのターゲットとなっているのはトルコのようですが・・。

http://armenia.en-grey.com/Entry/36/

409sekko:2012/06/12(火) 22:55:31
Chineのこと
こちらでは中国も正式なフランス語読みをChineにしています。

http://www.amb-chine.fr/fra/(大使館のサイト)

もちろん支那というのと同じ語源というか歴史的経緯で「伝統的呼称」とされています。まあ、日本は漢字文化だから、中国を中国とそのまま書けるわけですから、それを敢えてしないといろいろ言われるのは無理もないかもしれません。

ただし、フランス語で中国人Chinois(シノワ)と言うとそれなりに差別語のニュアンスがあります。

これは今までにどこかで書きましたが、私が昔フランス人と紅白歌合戦を見ていて、ちょうど国民栄誉賞をもらった王選手が出てきたので、彼のことを説明して、人気の野球選手であること、そしてシノワであることを言いました。

その時、C'est un Chinois、つまりThis isチャイニーズと言ったら、「Il est Chinois」(つまりHe is …)と言うべきだと訂正されたんです。
それで、その時は、人を指すのにThis isは失礼なんだな、と私は了解したのです。

ところがそれからしばらくして、サッカーを見ていて、その同じフランス人が、私の質問に答えてある選手のことをThis is ブラジル人(フランス語でです)、と言ったんで私はすかさず、「He is」じゃなきゃだめでしょ、と注意すると「なぜ?」と言われました。

それで王選手のことを思い出させると、シノワにThis is を使うと失礼だけれどブラジル人だと何とも思わないと言うのです。私はもちろん、じゃ、日本人はと聞くと、日本人ならThis is でOKと言われました。

王選手は何しろ国民栄誉賞だから、私がこの人は中国人なのよ、と言った時にもちろん差別的な意味もトーンもなかったわけですから、結局、フランス語自体にシノワという言葉に対するニュアンスの歴史があるということです。

それは大国の中国とは違って、昔からフランスにいて中華レストランなどをやっている華僑たちのイメージでしょう。華僑の人たちは伝統的にあまりフランス人との結婚がなく、彼ら同士の共同体を守っていたので、それなりの差別があったのでしょう。シノワでなくもっと本格的な蔑称ももちろんありまして小学校などではアジア人の子供への差別語になっています。

まあ、それもこれももう昔の話で、今は郊外の公立小学校など人種のるつぼになっていて、金髪碧眼の子の方がいじめられかねないんですけどね。

http://setukotakeshita.com/

410迷える大羊:2012/06/13(水) 19:32:14
ヨーロッパでの東洋人イジメ
>シノワでなくもっと本格的な蔑称ももちろんありまして小学校などではアジア人の子供への差別語になっています。

 「やーい、中国人(チン・チャン・チョン)」というのは、ヨーロッパの主に白人系の子供が日本人含むアジア系・東洋系を虐める際の定番のフレーズらしいですね。大多数のヨーロッパ人にとって、中国、日本、ベトナムの違いは「どうでもいいこと」らしく、アジア人、東洋人はすべて「中国」。「日本人は犬食うだろ?」みたいなイジメを食らって「日本人は食べないよ」と言い返しても「ムダ」なようで。
 まあ、日本、特に地方の公立学校の「ガイジンイジメ」も、なかなかにキツイものがあるので、どっちもどっち、なんですが・・。

 ネタはサンドラ・ヘフェリンさんの「ハーフが美人なんて妄想ですから!」(中央公論新社)です。

http://www.chuko.co.jp/laclef/2012/06/150420.html

 著者は日独ハーフの方。タイトルはふざけてますし、文面も「軽め」ですが、なかなか考えさせられる内容でした、個人的に。本の内容はこの著者のサイトの記事に準拠しているものが多いです。

http://half-sandra.com/column/2012/06/10/1049.php#comment_anc
(ハーフについて考える)

 まあ、真面目で深刻な話はとりあえず、当該URLや本の方を見ていただくとして、読んでいて、個人的に笑ったというか、(日本人として)思い当たる節があって恥ずかしかったのは(ハーフの人が)、いくら、日本語ができる(というか日本語が母語)、日本国籍もあるといっても英語で話しかけられる、とか、国際結婚に憧れがあるんだか、なんだか、わかりませんが、初対面、あるいは大して仲良くもないのに「両親のなれ初め」を根ほり葉ほり聞かれる・・とか、友達と「日本語で」話しているのに、「ユー・フレンド?」などといって、英語で割り込んでくるオジサン(要するに英語話したがり、若者よりオジサン、いわゆる団塊世代に多いそうな・・)とか・・。とにかく、ガイジン顔=英語の短絡思考には困ったもの、とのこと。
 なんていったらいいのか、チヤホヤして持ち上げるにしても、逆に貶めて差別するにしても、とにかくガイジン、というかガイジン顔の異人種に対し、つい妙な「特別扱い」をしてしまう、ガイジン顔の「日本人」が想像できない・・なんてところが非常に「田舎者」的で・・。フランスなどの人種状況を聞くと、いくら、GDPの順位が上位でも、ハイテク大国でも日本はまだ「先進国」ではないのかも?とつい考えてしまいました。

>まあ、それもこれももう昔の話で、今は郊外の公立小学校など人種のるつぼになっていて、金髪碧眼の子の方がいじめられかねないんですけどね

 フランスではそうなんですか?ドイツなど他国ではどうなんでしょうか?まあ、国や地域による、といってしまえばそれまでなんでしょうけども?先のサンドラさんは1975年生まれ。彼女の子供時代は今から30年から20年くらい前になりますから、その間にヨーロッパも変わったんですかね?
 フランス在住30年の日本人の視点からはどう思われますか?

411sekko:2012/06/13(水) 22:30:57
定点では変わったと思います。
私はもう30年程、ある公立小学校の向かいに住んでいるんです。で、家の裏手にはカトリックの私立の小学校があります。

昔は、私のピアノの生徒は全員向かいの小学校の子供でした。

今は、一人を除いて全員裏手のカトリック学校の子供です。

ずっとピアノを教えているので、当然その親たちとも付き合いがあり、中には親子二代を生徒にしたこともあります。近所の公立音楽学校とも30年の付き合いです。だから定点観測はしています。

つくづく、変わったなあ、と思います。

いい点も、悪い点も含めて。

昔も今も、フランスは共働き率が多いのですが、昔は、おばあちゃんに面倒を見てもらっているような子たちはみな、公立学校へ行きながら、音楽院、小教区のカテキズム(教会学校)、そして、他のおけいこ事(バレエとか水泳とか柔道とか)に通ってました。そのグループはいろいろな点で似通っていて、そういう子たちの一部がピアノの個人レッスンにも来ていたわけです。

親の職業は教師が一番多く、アート関係の仕事(演劇、舞台技師、映画監督、ダンサー)、医者などが多数派でした。今もそれはあまり変わりませんが、子供たちが皆私立学校へ行きはじめたのです。

昔は小学校のクラスに黒人は2人くらいでしたが、今や3分の1はいそうで、黒人やアラブ系とのハーフも多くいです。私立学校に流出するのはほとんどいわゆる白人の子ですから公立にはますます少なくなりました。

そういうところにあえて子供を通わせている親は共和国主義のミリタントであり、子供もその親の影響か、肌の色は関係ない、差別はよくない、とか言ってます。逆に、私立に活かせる経済的余裕のない白人家庭(この場合は個人レッスンにも来ないので付き合いはないのですが)なら、逆にコンプレックスから差別主義者になっているので、そういう家庭の子の方が人種差別的言動をします。

でも、一昔前までは、小学生同士なんて、もともと肌の色の意識などなく遊んでいました。
それを思うと、やはり格差のこととかゲットー化とか、経済的社会的要因が子供の社会に影響するんだなあと思います。

生徒の白人といっても、片親がスペイン系、イタリア系、ポルトガル系、ポーランド系、ブラジル系、ユダヤ系とかいろいろで、国際色は結構豊かです。

私はもちろんアジア人なわけですが、しかもこれといった音楽学校の免状もないのですが、生徒同士の口コミのみでずっと教えていまして、ある意味、これが逆に日本だったら、どんな資格があるのかどうかも分からないガイジンのところで習わせるのは普通の発想ではないだろうと思うと不思議です。

うちに子供を連れてくる親の多くは自分も音楽をしたかったけれどできなかったので子供にはそのチャンスを…という人なので、その人たちは、全体に、私にそこはかとないコンプレックスを持っていて、低姿勢です。

日本なら学校で習うので誰でもドレミくらいは読めるし多少の楽器は弾けますが、こちらはそういうのがないので、小さい時に習えなかった人は、たとえていえば音楽の「文盲」状態なので、「音楽の先生」との間に断絶があるんです。

人間のコンプレックスってほんとに人さまざまだなあと思います。

ハーフの人のコラムは面白いですね。私もいろいろ観察してきたので、本を一冊書けそうですが、とにかく、最終的には、いわゆる人種も民族も混ざれば混ざるほど偏狭なテリトリー意識がなくなって、利他の原則で個を確立するような人が増えれば、いじめも差別も戦争もなくなるだろうになあ、と夢みています。

少なくとも、個人レッスンで私に関わった生徒たちにはみな、そういう理念をサブリミナルにたたき込みながら音楽の歓びを伝えてきたので、次の世代に草の根的な多少の貢献はできているかもしれません。子供たちの潜在的な可塑性や寛容の能力はすごいもので、私もたくさんのものをいつももらっています。

だから、一時はいじめだの差別だのの問題があっても、長い目で見ると、異文化や多文化共生の状況は歓迎すべきだと思います。公立学校の子供は、親や先生にいえなくてもクラスで問題があれば訴えられるSOSの電話番号の書かれたタグをもらって鞄につけてます。偽善的な処理より現実的でいいかなあと思います。

親にも言えないという問題を私に長々と語る生徒も少なくなく、勉強になります。

http://setukotakeshita.com/

412迷える大羊:2012/06/14(木) 20:31:11
学校次第?親次第?
 お付き合いありがとうございます。
 自身の海外体験やら、ネット経由で各国在住者の体験談とお話させていただいた結果を元にした独断と偏見では、欧州の中ではフランスは比較的、人種的偏見によるイジメ、とりわけアジア系への偏見は少ない部類に属すみたいですね。それに対してドイツなどは今でも結構差別っぽい話を聞きますね。例の「中国人!(チン・チャン・チョン)」のフレーズも子供たちの間では未だ「現役」みたいですし。
 あと、イタリアなども開放的、陽気なイメージとは裏腹に意外と反移民というかアジア系の偏見は強いみたいで・・。
 まあ、単なる個人的な見聞にすぎないので、真偽については責任は持てませんけど・・。

>私立に活かせる経済的余裕のない

 このハーフとかガイジンイジメと学校の問題はかなり関係があるようで、日本でもヨーロッパでも、インターナショナルスクールやらアメリカンスクールなどの各種外国人学校、あるいは地元学校でもガラのいい地区の名門学校なんかに通った子はあまり酷いイジメは体験しないみたいで・・。ただ、ミもフタもない話ですが、この手は学費がべらぼーに高く(年間百数十万円単位!)で財力のある親でないと無理らしく。

 実は、身内の通う教会の関係でハーフの方とその親の知人いるんですけど、無邪気に「インターナショナルスクールとか行けば?」なんて聞いたところ、即座に「学費高いんだよ」と言われたもので。今にして思えば無神経なこと聞いてしまったと反省しきりです。

 これは日本人同士、同国人のイジメについてもいえる話で、私個人の経験ですと、高校になるとイジメは無くなりはしないけども、激減するんですよね。卒業によってイジメ・イジメられの関係がリセットされる、学力試験による選考によって生徒が「細かく分類」される・・などがその理由ですが。
 差別的と非難されそうだし、堂々といっていいのか?と躊躇するところですが、やはり、「名門」とか「進学校」とか「レベルが高い」とされる学校だと非行とかイジメなどの問題は少なかったし、「底辺校」とか「不良学校」と言われるところだと、問題もそれなりにあって・・で、私の中学時代も、「普通」とされる生徒の間で「あそこだけは行っちゃならね〜」という「底辺校」「不良学校」がいくつか(住んでいる地区に)ありました。そういうところの教師はさぞかし大変だったか、と。 まあ、「優等生」が悪知恵を働かすタイプのイジメとか非行だってあるので、一概には言えませんが全体の傾向として・・。
 フランスなんかでも、そういう学校の問題ってあるのかな?って思いましたね。
 今はどうだか知りませんし、そういう学校を出た子たちも普通に大人になっているので、大人となった今となってはどうでもいい話ですが、子供時分にはやはり「大問題」かと。

 あと、プライバシーを詮索するつもりは毛頭ありませんし、ここでお答していただく必要はないんですが、先生のご子息(いらっしゃるとして)や親類は無事に楽しい学園生活を送れたんだろうか?「チン・チャン・チョン」などと言われたり、後後トラウマになるようなイジメを食らったりしてなかったんだろうか?と、気になったり、心配になったりしましたね。

413sekko:2012/06/15(金) 00:11:11
フランスの場合、
旧植民地と言われればそれまでですが、今でもいわゆる海外県や海外領というのがあって、たとえばカリブ海のグアドループ出身の黒人で「本土」にくる人は、移民でなく代々立派なフランス人なので、それはハイチ生まれの混血の父をもつデュマが有名な小説家として、サッカーのナショナルチームのティエリ・アンリとかがスター選手として認知されているように、「普通」であるわけです。アジア人の場合は、旧仏領インドシナ系時代に生まれた人は、独立後も「フランス人」として認知されてます。やはり微妙に差別されるのは華僑かもしれません。

日仏のハーフの子供って、地方は知りませんが、パリの場合は、日仏ハーフと分かった時点で差別よりも他の子から羨ましがられるんじゃないでしょうか。特に1980年代からの20年くらいは、テレビのアニメやゲーム機で日本ものが一世を風靡していたので。私は90年代に一時期リセで日本語を教えていたのですが、みんな普通のフランス人の子で、どちらかというと理系で頭がよくて(というか、日本語のような外国語を第三外国語で取るような子は勉強に余裕のある子しかいないので)、日本文化に夢中でお目目きらきらでしたよ。

前にも書きましたが、アッパークラスほど親日家が多いので、日本人には暮らしやすいです。また、カトリック系私立学校は、特殊なところでない限り、フランスの教育省に認可されていて教師の給料は教育省から出るし、学費は高くないです。中流家庭なら十分払える額です。インタナショナル校などはまた別ですが。

日本でよく、小学校でもてる男の子は「面白い子」、中学校ではスポーツのできる生徒、高校では勉強のできる生徒、大学では金のある学生、とか聞きましたが、高校のレベルでは偏差値とかで区別ができてある種のすみわけができるんでしょうか。

フランスはヨーロッパでも飛びぬけて「落第」率が多くてその割に学力はいまいちということで今問題になっているんですが、飛び級や落第によって、小学校の頃から学力や成績での振り分けが明らかになるわけで、そういう年齢と学年の「流動性」のおかげで、「いじめ」という点では陰湿で閉鎖的な土壌をつくりにくいかなという点はあります。

でも結局、国や人種や経済力や学力だけでなく、人それぞれの性格と時代と社会とがうまくマッチしない場合は、必ず苦しむ子供が出てくるわけで、それに注意してケアするのが大人の責任だと思います。

http://setukotakeshita.com/

414迷える大羊:2012/06/16(土) 20:06:22
教師・学校
 学校の話が出たついでに。個人的に身内に教育関係者(教師とか保母とか・・)が多いのですけど、これがなかなかに大変で。朝は早く、8時くらいに生徒がやってくるころにはもうすでにスタンバイ、ですし、昼間は当然授業。部活動を抱えていたりすると、夕方は部活動の監督、結局、翌日以降の授業の用意など自分の仕事は夕方からで、毎日、帰りは夜遅くなります。

 土曜日(部活の顧問などなど)もなんだかんだ出ていて、日曜日はさすがに自宅にいますが、テストの採点、事務仕事など仕事と無縁、というわけにはいかないらしく。保護者によってはいつでもお構いなしに携帯に電話をかける人もいたりして、なんか自分の時間はあんまりなさそうです。
 これで、卒業年次(中学三年生、高校三年生)などの担当となると本当に多忙を極めるらしく、また、進学・就職といろいろと難しいことも多いので、大抵はベテランの「仕事ができる」人が担当となるそうです。
 もちろん、学校や個人差もありますが。給与、身分保障の点ではいい仕事ですが、それだけを目当てにやっているんでは続かないな、というのが傍からみた感想です。

 教師、ではないけど、野球のリトルリーグの監督を土日にやっている知人がいますが、これも、子供同士のいざこざ、ワケのわからない(うちの子はなんで補欠なんだ!、**の試合には出せ!などなど)クレームをつけてくる保護者など、なかなかに大変で、「好き」でないと、これまたやってられない仕事らしく。私も少年時代、この手のスポーツ団体に入っていて「しごかれ」ましたが、大人になってみると、シゴく、鍛える側も大変なんだ、ってことを今更ながらわかります。

 フランスの教師とかコーチとか保母さんとか子供相手の仕事ってどんな感じなんでしょう?つまり、同様に忙しくて、保護者の相手が大変とか、あるいは、親のやることと学校のやることは完全に分けて、割り切っている、とか。また、待遇がいいとか、あるいは悪くてなり手に困っているとか・・てなことですが。


 

415sekko:2012/06/17(日) 01:36:24
教師って…
楽な職業だという面と大変な面とあるのはどこでも同じだと思いますが、

私がリセの教師をやっていた時、私はアグレガシオンの資格がないので、フルタイムが週18時間の授業、ハーフタイムが9時間でした。アグレガシオンのある人は、週15時間でフルタイムで給料はより高いです。それを3日でこなして週4休にしている人もいます。

もちろん、授業の準備とか採点とかを自宅でするという計算になってますが、学校に行くのは基本的に授業の時間にクラスに行くだけでよくて、職員室に顔を出す必要すらありません。父兄会とか成績の査定会(進級を決める)とかがある時はそれに応じたサラリーが加算されます。各種研修に行きたい時もサラリーが保証され、長いバカンスの時ももちろん給料が保証されているのですごく楽です。

ただし、毎年教育省からの査定官によりチェックがあったりそのポイントによって、勤務場所を変えさせられたり、ストレスはあります。特に若い駆け出しの教師はたいてい、移民の多い問題校に回されるので、ノイローゼになってやめてしまう人も少なくありません。生徒からはもちろん親からの暴力を受けるケースもあります。(私の教えていたのは私立校だったのでノープロブレムでしたが。)

先生の組合も父兄の組合も各種共存していて、もともとクレームの多い社会なので、その処理自体は、丁々発止でやっているような気がします。

教師ではない各種の教育官というのが充実していていろいろ分業しています。
共働きの親がほとんどなので、放課後に学校に残って宿題などができるシステムがあって、それを手伝うボランティアの大人はかなりいます。

知的職業をリタイアした人のかなりが、地域の学校の子供の補助をしています。そういうシステムもたくさんあるので。

親はかなり楽です。父兄会とか参観日とかはほぼ土曜の午前や午後8時以後です。公立学校はたくさんあるのでアクセスがいいです。よく日本の人が大変だという子供の持ち物の名前つけなどありませんし、持って行かされるものも最小限です。

スポーツ団体は…よく分かりませんが、私の直接知っている公立の体操クラブとか水泳クラブなんかは、うまく行ってるようでした。

落第や飛び級で年齢がまちまちなせいもあって、学校のクラスでスポーツの能力比べをするということがほとんどないので、学外でやるスポーツはみなモチヴェーションが高い子供ばかりというせいもあるでしょう。

http://setukotakeshita.com/

416迷える大羊:2012/06/17(日) 08:55:30
さすがフランス
>アグレガシオンのある人は、週15時間でフルタイムで給料はより高いです。それを3日でこなして週4休にしている人もいます。

 この辺りはさすがフランスだ、てな感じです。日本の労働時間の長さっていうのは、単に勤勉、というよりは発想にいろいろと問題がありそうな気も。客として、サービスを受ける側としては、日本は最高の国ですが、働くとなると・・ですね。基本的には日本は暮らしやすい国ですが、この辺りはいただけないなぁ、と思ったりしますね。

>問題校

 やっぱり、フランスにもあったか、底辺校、不良学校の問題、ですね。しかし、生徒だけじゃなくて親からも暴行を受ける・・なんてすごいですね。日本以上ですね。
 今はどうかわかりませんが、80年代、90年代ごろ、日本の学校に関して、マスコミなどでよく問題にされていたことに、異様に細かすぎる、あるいは大きなお世話的な「校則」がありました。
  例えば、外見の乱れは心の乱れってことで、髪は黒、パーマダメ、天然パーマの子は「証明書」を出せ、とかバイト禁止とかみたいな・・。多民族国家でこんなことやったら、確実に「差別」で訴えられそうな気もしますが。
 まあ、単に大人の事情で体裁を気にしているっていうのは生徒もよくわかるので、ホントにワルイ子ほど、あの手この手で校則破って、反抗するんですけどね。

 ただ、そんな昔でも、いわゆる「進学校」「名門校」となると、そんなにバカげた「校則」ってないんですよね。制服のない学校なんていうのも結構あったりして。つまりはお互いの「信用度」の問題で、いわゆる「いい子」「優等生」の多いところですと、教師側も、そんなにうるさくしなくても、大丈夫だろう、と思っているし、生徒とも「友達」感覚だったりするところも多かったりして・・。アニメなどにこんな高校が出てくると、ここはきっと、高偏差値の名門校で家庭環境もいい子が多いんだろう・・などと想像してしまいます(笑)。

http://www.youtube.com/watch?v=1eEn0_bAfwc&amp;feature=related

 はっきりいって、「うるさい」のは問題学校、底辺校で、そういうところの先生からすれば、いくらマスコミから批判されても、「じゃあ、お前がこいつらみろよ」っていいたい、というのが本音だったかも、です。

 私の出身高校は、私の在学していたころは、ごく「普通」の高校で、普通の子もそれなりに、ヤンチャな連中もそれなりにでした。うるさすぎる「校則」はありましたが、本当に悪いワルはいなかったので、教師も形式的にしか注意しませんでしたし、皆、それなりに裏をかいてました。
 時代が下って、そんな私の出身校も、県下有数の「進学校」になると、「校則」なんて本当に少なくなり、検査なんかも無くなったそうな・・。なんだよ、俺たち信用なかったんかい!ですが(笑)。

 すみません、蛇足のような話、だらだらと失礼しました。

417迷える大羊:2012/08/07(火) 23:23:49
フレンチ・ロック
 今年のロンドンオリンピックの開会式、トリは元ビートルズのポール・マッカートニー氏の「ヘイ・ジュード」の生演奏でした。前回の北京オリンピックの閉会式は、次回開催国・英国代表として、これまた元レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジ氏の「胸いっぱいの愛を」の生演奏が披露されてました。

 とにかく、英国にとって、ロックミュージックは「輸出産業」なんじゃないのか?といいたくなるくらいに、というか事実そうなんでしょうが(ポール・マッカートニー氏は今やサーのつく貴族様ですし)、著名ミュージシャンが犇めいている国で。
 元々、ロックそのものはアメリカ発祥のポップカルチャーですが、今や英国も「本場」扱いです。

 ところで、その英国の隣国・フランス出身の著名なロックミュージシャンというのはトンと聞かないのですが、フランスってロック不毛の地・・なんでしょうか?
 それとも私が知らないだけ?

 ビートルズやらツェッペリンやらが売れているところを見ると、別にロック嫌いばかり、とか英米発の文化だからダメ、ってわけではなさそうですが、ロックに関しては自分で演奏してみよう、とか曲作ってみようって人間はあまりいない、出てこない風土なんでしょうか?
 非ロックのイージー・リスニングとかだとポール・モーリアとかリチャード・クレイダーマンなんかがフランス出身のミュージシャンとして有名で私も好きでしたが。

 ところで、余談ですが、ロック草創期の50年代から60年代にかけて、ロックは不良の音楽、などと言われた時期があり、日本などでも、エレキギターをいじっているだけで不良、遊び人呼ばわりされた、という今では考えられない時期があったようですね。

 もっとも、この「不良の音楽」説、100%根拠なき偏見とも言い切れず、昔のロックミュージシャンは確かに変人・奇人、いたずらっ子みたいな奇行をお約束のようにかましてくれる困った人が結構多かったみたいですね。

 http://www.youtube.com/watch?v=quraS6ZPIIM&amp;feature=related

 (リチャード・ブラックモア 「アンプが火を噴いたら、テレビ的に面白いと思って、ローディに灯油をかけて火をつけろっていったら、(灯油を)かけすぎて、アンプが大爆発・・」他)

 まあ、今やロックもすっかり「普通」の音楽となり、変人奇人は少なくなりましたし、かつての変人たちもいい歳で、菜食主義者のポール・マッカートニーが典型的な例であるようにすっかりヘルシー志向、紳士志向になっちゃってますが・・(笑)

 

418sekko:2012/08/09(木) 01:25:42
もちろん
フランスにもロック・グループ、ロック・シンガーなんて掃いて捨てるくらいいますよ。日本のロック世界と変わらないと思います。

私の若いころから、ジョニー・アリディとかエディ・ミッチェルなんていう人は日本でも知られていましたよ。彼らのジョニーとかミッチェルとかいう芸名もアメリカナイズされているものです。この人たち今でも現役で国民的人気があるところもマッカートニーなんかと似てるかも。

今もたくさんのスター歌手やグループがいますが、

私は何しろ「ロック」でなく「バロック」なので「場ちがい」ってことで。

そういえば私の生徒のおとうさんに有名なロック・グループのアンドシーヌのキーボーダーがいます。息子はコンサートには難聴にならないように耳栓をしていくと言ってました。

パスカル・オビスポとかフロラン・パニィのようなタイプの人の歌はたまに聞きますが、ハードロックみたいなのは全くだめです。

あ、唯一の例外は、2007年にテレビの新人発掘番組で優勝した時からすごいなーと思ってるジュリアン・ドレ(ギュスターヴ・ドレの三代後の甥にあたる人)くらいですね。聞くだけだと耳栓したくなりますが、パフォーマンス全体に訴求力がありすぎ。究極のナルシシズムは利他の境地に突き抜けるなあ、と思います。

http://setukotakeshita.com/

419迷える大羊:2012/08/10(金) 21:46:58
そうですか
 フランスのロック、単に私が知らないだけだったみたいですね。思うに、今の世界のポップミュージックの動向を支配しているのは、やはりアメリカ市場で、そこで成功したか否かが「世界的」になる、ならないの分岐点なんでしょうね。

 ただ、このアメリカ市場、外国人には非常に「閉鎖的」で、英語で歌わないとまずダメ、アメリカ人にとって最も身近な外国であり、英語圏の英国のアーチストですら、60年代にビートルズが成功するまでは全く相手にされなかった、みたいで。
 だからこそ、非英語圏、それもアジア圏の坂本九の「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」のビルボードチャートベストテン入り、とか最近だと初音ミク(人間じゃないけど)のライブ成功が「快挙」だったりするわけですが・・。もっとも、今はネットがあるから、そうでもないですかね?

 フランスのロックミュージシャンが世界的にさほど有名になっていないのは、アメリカ市場で成功しているアーチストがあまりいないから、と思うのですが、どうなんでしょう?
 もっとも、日本のグループもそうですが、フランスのミュージシャンたちも「国内市場」「ヨーロッパ市場」で十分間に合っているから気にしてないでしょうけども。

 ところで、別に質問、というほどの話でもありませんが、ビートルズ、というよりポール・マッカートニー氏の有名曲に「LET IT BE」という、教会で流れてもおかしくないような、えらくキリスト教的、というかカトリック的な曲がありますが、彼本人はともかく、彼の実家はカトリックだったのかな?って考えてしまいました。
 「マッカートニー」なんてモロにアイルランド系の名前ですし・・。

420sekko:2012/08/12(日) 02:17:19
マッカートニー
マッカートニーって名はむしろスコットランド系です。アイルランドはオニールとかオブライエンとか「O'…」みたいなのが有名でしょうか。

ちなみに彼は、14歳で亡くしたおかあさんMaryがカトリック(おとうさんはプロテスタントで後に不可知論者)で、生まれた時にカトリックで受洗してますが、宗教教育は受けなかったそうです。
ジョン・レノンとかリンゴ・スターがアングリカンでジョージ・ハリスンがカトリック家庭出身だそうです。アングリカンもカトリックも聖母マリアへの思い入れは似てるので「Let it be」とかキリスト教カルチャーにインスパイアされているのは不思議じゃないと思います。

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421エトワール:2012/09/21(金) 03:32:08
占いの流行
 日本では、今、大変な占いブームで、タロット、西洋占星術、四柱推命などが流行しています。多くの新聞・雑誌などには、毎日、太陽星座占いなどの占いが掲載されています。フランスでは、タロットなどの占いは、流行していますでしょうか。有力な政治家、芸能人、小説家などで、占い好きな方などいるものでしょうか。フランスの占い事情について、お教えください。よろしくお願いいたします。

422sekko:2012/09/03(月) 05:23:54
フランスの占い
日本では占いがブームなんですか?

今特にというわけではなくて、もうだいぶ前からサブカルチャーとして定着しているのでは???まあ東日本大震災以来、お守りグッズの売れ行きが伸びたというのは聞いているので、次の地震とか放射能への不安などは影響しているのかとも思っていました。

こちらではそんなに変化はありません。

ホロスコープなどは昔から雑誌や新聞のコーナーにはありますし、一部の政治家やビジネスマンが占星術師におうかがいをたてる話も昔から時々話題になります。私は『ノストラダムスの生涯』『さよならノストラダムス』などの本でフランスの占いや予言について書いたことがあります。

メジャーの宗教のカトリックはもともと占い系を禁じているので、日本人が初詣しておみくじを引く、というタイプの習慣はありません。反宗教の人や無神論の人などは占いも受けつけない人が多いです。

霊能者などを集めるサロンなどはあります。最近はオカルトとエコロジーが渾然一体になっているようなテイストのシーンでタロットや水晶球占いなどが登場することもあります。そういうところに来る人は禅とか瞑想とか自然食に惹かれる人とどんどん重なるみたいで、一昔前のニューエイジ系がエコロジー化した曖昧ゾーンに占いも入っているような気がします。

カルト宗教の規制は日本よりは厳しいし、平均的フランス人は日本人よりケチなので、困っている人が大金を出して占い師にはまるというケースは少ないと思います。

私は情報収集と好奇心のために定期的にそういうサロンなどにも顔を出していますが、少なくとも、フランス人で私のリアルの知り合いのうちに、雑誌のホロスコープに目を通す以上に占いに興味を持っている人は皆無です。フランス在住の日本人の知り合いにはいます。宗教や歴史に影響された国民性というのはあると感じます。

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423sekko:2012/09/08(土) 18:41:24
ららばいさんへ ベビーカーについて
サイトのメールを通じて「ららばいさん」から次のような質問を受けました。
ここで答えさせてもらいます。

「(・・・・)日本でベビーカー論争というものがあります。
女性の中でも意見が分かれています。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120713/trd12071308070000-n1.htm

フランスは出生率が高くて共稼ぎ率も多いと思いますが、電車の中のベビーカーのマナーなどが問題になることはありますか(・・・・)」


私はいわゆる通勤時間に公共交通手段を使わないのですが、電車やメトロでベビーカーはよく見かけます。個人的には迷惑だなあと思うこともあります。
でもベビーカーよりも、小さい子供たちがそばでわいわいやっている方が、本とか読めなくて迷惑です。小学生を平日に美術館に連れだしたりする学校も多いので、そういうグループといっしょになった時の方がうるさいですが、まあ観察も好きなので。

ベビーカーですが、昔から日本のベビーカーって大きいなあ、って思ってたんですよ。それがさらに大型化しているみたいですね。日本のテクニックがあれば軽くて機能的な場所も取らなくて安全なものが出てきてもよさそうなのに、少子化でマーケットが少ないのでしょうか。

フランスでも、ベビーカーは大型化しているような気がします。こちらは双子も多いし、また複数の赤ちゃんの世話をするベビーシッターや民間(といっても資格をもつ)の保母さんで複数の子を預かる人も少なくないので、二人用のベビーカー(横に長い形と縦に長い形と二種類)を押してる人もく見かけます。

でも駅とか階段ではほぼ確実に、誰かが手伝って支えてくれます。階段が複数ある場所では最初に手伝った人がそのまま最後まで付き合うので、はじめは家族かと思っていたら、階段部分が終わったら去っていくのも見ます。

いろんな人がいる時は、自然に若い男、若くない男、若い女、若くない女の順番で手伝う人が現れる感じです。私も昔は手伝うこともありましたが、今は重そうなベビーカーに手を貸す自信がないし、たいてい他の誰かが手伝います。

私ならちょっと距離を取っておきたいと思ってしまいそうな「タトゥーだらけの若者」とか、「薄汚い感じのおじさん」とかでも、ごく当たり前に手助けしてます。
そういうのを見ると、自分の偏見が恥ずかしいです。前に駅の改札で私の前に割り込むように走ってきた若者のグループがいたのでやり過ごそうと思ってわざとゆっくりと歩くことにしたら、そのグループの最後の男が、律義にドア式の改札を抑えて待っていてくれたことがあります。

ベビーカーで階段にさしかかった時に周りに人が少ない時は、堂々と頼むおかあさんもいますが、みんな大人しく手伝います。

 なんというか、フランスで暮らすようになった人はすぐに気づきますが、フランスと日本では、丁寧なところ親切なところ、怒るツボ、とかがかなりずれているんですよ。

電車の中とかでベビーカーをたたむというのはもちろん見たことがありません。

勤務先に託児所があって子連れ通勤を強いられるケースもありますが、収入が低いとか勤務先が遠いとかならば優先的に、しかも非常に安く徒歩圏内の公立保育園に受け入れてもらえます。フランスでは学校教育もそうですが、未成年に関してはなにかと「社会主義」っぽい政策なので、まああれなら出生率が上がっても不思議じゃないとも思います。

電車の中でベビーカーで場所をとって遠慮してない人がそばにいる場合、その時たまたま疲れている人が迷惑だと思うことは自然かもしれませんが、その場の快適さよりももっと長いスパンで考えれば、私はやっぱり赤ん坊や子供や若者がいる光景からは力をもらえるような気がします。

いただいたリンク先の「討論」では、私は西舘さん側に近い世代ですが、いわゆる「戦中」生まれの彼女とはどこか亀裂があるのかもしれません。

「赤ちゃんを育てる一時期だけは、楽したり、おしゃれをするといった考えは捨ててみてはどうか。/
女性の劣化を感じる。/
今一度、育児の『伝承』を取り戻さねばならない/」

とか、おんぶの称揚には違和感があります。

でもフランス人で彼女くらいの年の人がこんなこというのは想像がつきません。思っている人はいるかもしれないけれど、口に出したらバッシングされるような気がします。

とりあえずこんなところで・・・

http://setukotakeshita.com/

424ウラヌス:2013/06/23(日) 17:27:10
フランス語の読解力向上について
竹下先生、はじめまして。先生の著作に興味があり、ブログも読ませていただくようになりました。フランス語の学習方法で質問ですが、私はフランスの文学や思想に関心があるので、原書で読んでいます。今のところフーコーが辞書を引きながら一時間に6ページくらい、小説なら18、19世紀のものでおおよそ一時間に5ページから6ページくらい読めるのですが、更に読解力を高めるには、たとえば一時間に6ページを10ページくらい読めるようになるにはどのように勉強すべきでしょうか?中級以上の学習方法がわかりづらいので質問します。

425sekko:2013/06/23(日) 20:19:25
ウラヌスさまへ
ご愛読ありがとうございます。

フランス語を読む速度ですが、もちろんある程度の単語力は必要ですが、後は、読む本の内容によると思います。自分の興味のある分野、日本語でも類似のものを読んだことのある分野と、全く専門外のものとは比較できません。

得意分野や軽い読み物(総合雑誌の記事とか)なら、分からない単語があってもある程度読みとばしていくといいと思います。

分からない単語がある度に、その行の横に一応しるしをつけておいて、それが何度も出てくるような言葉だとか重要な言葉だったと分かった時には、少し後でまとめてチェックすればいいと思います。

一見知らないと思う言葉でも、字面をよく見れば、日本語で漢字を見ればなんとなく意味が分かるように、語根や接頭接尾語で類推できることも多いです。

後、フランス語は、基本的にセンテンスが短いほどエレガントだと見なされている言葉です。関係代名詞がずらずらと続くようなものは、悪文か、英語などの翻訳か、確信を持ったスタイルかです。

学者の中には日本人でもそうですがわざともってまわったような文を書く人もいます。そういうのはスルーした方がいいです。
私も最初の頃は、なかなか意味のとれない文を読むと、自分がフランス語力が足りないせいかと思ったことがありますが、今は、興味のある分野でおもしろそうなことを書いているはずなのに悪文というものにぶち当たると時間の無駄なので結論部分しか読みません。

私は日本語を読むスピードは平均よりかなり速いですが、日本語にも悪文はあるし、特に翻訳文には分かりにくいものが多いと痛感しています。

もちろん、日本語でも自分の知らない分野の専門書は読みにくいですが、逆に、フランス思想系の本などは、昔、日本語訳で読んでえらく難解だったものが、後にフランス語で読んだらすっきり明快というケースの方が多かったです。

昔は、パリマッチなどの大衆誌を読む速度は日本の週刊誌を読む速度と変わらないことが分かって、今は、自分の守備範囲のものなら日本語と同じくらいの速度で、つまり、普通のフランス人より速く読めます。

ただし、東洋史東洋文化ものや科学読み物はほとんどすべて日本語で読みます。中国語の固有名詞がアルファベットでたくさん出てくると、イメージが湧かずにギブアップです。

また、ある時、非常に興味ある分野の生物学の本をわくわくしながら読み始めましたら、自分が「drosophileショウジョウバエ」というフランス語すら知らなかったことに気がついたことがあります。よく考えたらショウジョウバエがどんなものなのかだって、よく知らないのですが、日本語で読むと「実験に使うハエ」という認識だけですらすら読めるのに、知らないフランス語だと何か大切なキーワードのような気がして…。

動物植物、地理学、化学、物理学、数学系の語彙も少ないので、やはり基礎語彙なら高校卒業までに全部習った日本語で読むことにしています。でも、その内容がおもしろかった時にそれをフランス人に披露しようとするとやはり語彙が貧弱なので困りますが。

音楽学の本はフランス語の方がずっと速く読めます。日本語で「変ロ短調」とか言われてもフランス語に訳さないと音楽のイメージが全く湧きません。

私の場合、英語も、得意分野のものなら辞書をひかずに、というか頭の中で翻訳せずに読めますが、小説などでは、原文が悪文なのか自分の語学力不足なのかの判断がつかないことが多くて時間のロスなので、ミステリー、SF、科学ものは、すべて日本語訳で読むことにしています。評価の定まった文学作品や詩などは又別枠ですが。

ギリシャ語ラテン語なども、時間をかけて読むよりも、フランス語訳なら信頼できる訳本かどうかを判断できるので、ピンポイントで原文に当たる時に理解できる程度でいいと今は割りきっています。大学ではドイツ語が英語の次の第二外国語で、中国語やスペイン語やペルシャ語も何年か習っていましたが、今やギリシャ語(荒井献先生に習いました)やラテン語(アテネ・フランセに通いました)と同じお客さま扱いです。

というのも、平均よりも、書くスピードも読むスピードも速いはずの自分が、年ごとに増える情報量の前で、今「読みたい」と思っている本「書きたい」と思っている本ですら、残りの人生で読んだり書いたりできるかどうか分からないことが実感できるので、欲張りや高望みはやめたのです。

翻訳の充実という点だけでも、日本語とフランス語を同じレベルで読めることには感謝しています。

長々と書きましたが、言いたいことは、

1.テキストの吟味と選択、

2.日本語とか外国語に関わらず一般的な読解力の向上と守備範囲の自覚、

のふたつが基礎になるということです。

私はいわゆる翻訳をする時以外は、ほとんど仏和辞書は使いませんし、使う時もたいていは、日本語でなんと言えるのかを知りたいだけで、いわゆる「意味」はすでに分かっているものが多いです。意味のわからないものは仏仏辞書で検索します。

でもごくたまに知らない単語の意味を知るために紙の仏和辞書を繰っている時、すごくわくわくします。その単語はずっと前からそこにあって、見てもらえることをずっと待っているのだ、運命の出会い、でもアルファベットをたどっていったら絶対に出会える、そこにあるという信頼感に満たされて嬉しくなります。それを見出した時には辞書の編集に携わった人々の息遣いまで感じます。

特に19世紀あたりの耽美的なテキストにある単語はけっこう出ていますから。先人の苦労に感謝、です。

逆に、私のもっている40年くらい前の仏和辞書には今風の言葉や専門語はあまりないので「出会えない」ことの方が多く、だからほとんど使わなくなっているのですけれど。

ウラヌスさまの引かれるのが電子辞書か紙の辞書かは知りませんが、言葉の意味を調べるという、フランス語と日本語が出会う刺激的な場面に出会えるのだと思えば、たとえ読書のスピードが上がらなくても、リッチな時間を過ごされると思いますよ。

http://setukotakeshita.com/

426ウラヌス:2013/06/23(日) 21:07:29
早速の回答ありがとうございます
非常に詳しい回答を早速書いて下さったことに感謝します。先生の回答を見て思ったのは、たとえば、現代思想なら日本語でその分野の知識や理解を高めることが、当たり前ですけど、フランス語でこれらの書物を読むのに便利になるということを再確認しました。私は日本語であまり思想とか哲学の書物を読まないので。現代思想のものではフランス語のほうが明快なのは確かに思われます。たとえば、フーコーは難解そうな気がして敬遠してましたけど、読むと、一文が短く、簡潔なのが印象深いです。ただ文学の場合はどういう単語が特に出てくるという訳でもないので、その点が難しいように思います。ちなみに私は紙の辞書を使います。

427ウラヌス:2013/06/23(日) 21:38:37
翻訳に関して
先生も翻訳の文章はぎこちないと感じていらっしゃるようですけど、私も同感です。実は私が時間がかかっても原書を読みたいのは、翻訳文が好きになれないからです。どうも名画の下手な複製のような気がするのです。フランス語の文章はそれにしてもキレがよく明快だと思います。

428和泉:2013/09/11(水) 00:52:14
映画とか・・・
ご無沙汰しております。

先日、Leos Carax の「HOLY MOTORS」を世田谷の映画館で見ました。何だか解らないけれど印象的でした。何人もの人物に変貌する主人公が、(1) 途中でメルドに変身し、車の中で幕の内弁当を食べたり、(2) 街を綺麗綺麗に撮らずに、上空から墓場まで撮り、墓場にいたモデルを主人公が誘拐・・・でも最後の画面は宗教画のようになって・・・など。「これっていったいどうよ?」が実感でしたが面白かったです。

前作の「POLA X」は YouTube では仏語の上に露語が重なっており、チンプンカンプンで、途中までしか見ていません。原作はメルヴィルなので、そちらの方を読みたいと思っています。

「レ・ミゼラブル」の映画化も見ました。最初は原作とイメージが違って「あれれ?」という感じでしたが、まったく別バージョンと考えて、画面の構図、色彩がとても良いと思いました。音楽は crooning って感じがしました。ジャック・ブレルとか、フランソワーズ・アルディとか・・・私の頭が古いのか?原文はコゼットのところで止まっていて全然進みません。

それ以前に聖書が・・・。日本語のもワケ解らんのですが、「福音」は Good News、Gospel、Glad Tidings...う〜ん。それに「義」ですか、right、righteousness これも理解できません。strong も意味がどの範囲なんだか・・・。いつまで経っても入口です。

429スイス鉄道のように:2018/07/17(火) 19:59:21
デシャン監督の絆とは?
こんにちは。
ブログの記事(「ワールドカップでフランスが優勝した」)を拝見いたしました。
私もデシャン監督のインタビューをTwitterで見たのですが、ひとつ教えていただきたことがございまして...
ムッシュー・デシャンは「チームを構成する23人には一生の”絆”ができた」と語ったと翻訳されているのですが、フランス語で”絆”はなんと言うのでしょうか?
私のつたない聞き取り能力では聞き取れませんので、教えていただければありがたいです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

ちなみに、私が見たツイートは、NHKサッカー様が発信されておられる以下です。
https://twitter.com/NHK_soccer/status/1018810767393505281
この中の、開始1分21秒あたりでございます。

http://likeswissrailway.seesaa.net/

430Sekko:2018/07/17(火) 23:32:54
スイス鉄道のように さま
貼っていただいたリンクはここからは視聴不能と出ましたが、デシャン監督のその言葉はネットのあちこちに出回っています。

Ces 23 joueurs, ils seront liés à vie par ce qui s'est passé ce soir.

直訳すると

今夜起きたことによって彼ら23人は一生つながり続けることだろう。

動詞のlierは名詞だとlienだから「絆ができた」で問題ないでしょう。

それにしてもフランスのスポーツ関係者は若い選手もベテランの監督も表現力豊かにしゃべるなあと感心します。

431スイス鉄道のように:2018/07/18(水) 00:05:24
感謝です
竹下様
ありがとうございました。
感謝いたします。

http://likeswissrailway.seesaa.net/

432通りすがり:2019/01/16(水) 01:45:58
兄弟の問題
いつも楽しくブログを拝見させていただきます。
博識の先生の素晴らしいブログに私が気になったことを書くのも気が引けるのですが、
兄弟Frèreの訳の問題なのか、兄と弟問題で気になった個所が2か所出てきてしましたので、
お知らせしておきます。
1.ポール・クローデルはカミーユ・クローデルの兄ではなく弟です。
2.ベルト・モリゾが結婚したのは、マネの兄ではなく弟です。
以上、先生の素晴らしいブログになぜかここだけ気になりましたので、ついメールを
送らせていただきました。
この文章は後で削除していただいて結構です。

433Sekko:2019/01/16(水) 06:31:36
通りすがり さま
ご指摘ありがとうございます。早速訂正しました。

確かに兄弟姉妹に関してフランス語では長幼が特定されないのが普通なのでつい勝手に変換してしまうことがあります。カミーユがポール・クローデルの姉だというのはよく知られているのでエラーの実害はないかもしれませんが、モリゾーのマネ兄弟の方は、自分でもはっきり記憶していませんでした。ネットで調べると1年違いのようで、今はこういう風に簡単に確認できて助かります。
美術館でどちらが年上か確認したつもりだったのですが、どこかで間違えたかすり替わったようでした。

他にエラーがあれば遠慮なく教えてください。(特に事実関係に関するもの。変換ミスとかはしょっちゅうあるので適宜直していますが…)

出版物は編集者や校閲さんが見てくれるのでかなりのエラーは防げますが、それでも後から気づくことがあります。増刷で訂正できない時は冷や汗です。

ブログはほとんど下書きなしで書いているので、たまに読み返して自分でエラーを見つけた時にはその都度訂正していますが線引きで訂正すると読みづらいのでたいていは単なる訂正です。

もうすぐブログの一部を編集したものが出版されますが、もとがブログなのでやはり心配です。自由な感じで読みやすいのですが。

それにしても、欧米系言語では兄弟姉妹の長幼が気にならないなんてやはり儒教ベースの国とは違うなあと思います。小説を訳した時に、登場人物のひとりのsoeurが出てきて、どう読み返しても姉か妹か分からずに困ったことがあります。(どう処理したか覚えていません)

昔はネットでの資料確認ができなかったので、フランス語の言葉の日本での翻訳例が分からずに適当に処理していたこともありました。例えば日本ではプロテスタント教会もカトリック教会も教会と呼ぶとか、だんだんといろいろなことを学びました。

これからもよろしくお願いします。

http://www.setukotakeshita.com/

434Sekko:2020/02/08(土) 05:54:56
定冠詞の使い方
La chambre d’hôtel と La chambre de l’hôtel の違いについて質問を受けました。

前者はそれでひとかたまりの言葉でホテルの種類は問題になりませんが、後者は、どんなホテルかが前提として共有されています。
La chambre de l’hôtel où vous allez dormir (お泊りのご予定のホテルの客室)みたいな特定のホテルの認識があります。

私たちには理屈だけではなかなか難しいです。でも、結局あるシチュエーションでどちらかを使われて、おかしいと思うかどうかは慣れると分かってきます。

ひとかたまりというのは、例えば、「ダンス教室」と言うか「ダンスの教室」と言うかというのに似ています。

Classe de danse ならダンス教室ですが、classe de la danse と言われれば、ダンス以外にもクラスがあるのだなとか、どんな種類のダンスだろう、という感じです。

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435t.p.:2020/05/22(金) 18:09:04
なぞなぞ
dictionnaire!

436Sekko:2020/05/27(水) 06:33:16
t.p.さま
ありがとうございます。

もちろん正解です!

他に答えが分かった方で、ここにいらした方には申し訳ありませんでした。

こういう形の質問だったら、「先着」でしか答えを書き込めませんよね。

この質問、単語の意味をすぐに思い浮かべてしまう人には難しかったと思います。
フランス語を聞いたり読んだりすると同時に日本語に脳内変換してしまうタイプの人もいるので、そんな人にはもっと難しかったかも。

別に深い意味はなくて、でも答えをいっしょに書いちゃうのも考える楽しみがないと思ってああいう書き方になってしまいました。

今度何かフランス語がらみで質問をする時は、複数の人がいろいろ提案できるようなものにします。

ここにいらっしゃった方、他のことでもご質問などあればどうぞお気軽に。

http://www.setukotakeshita.com/

437若生敏由:2021/01/28(木) 11:45:50
SNS上小話の英訳と追加
 昨日の「ふらんすのSNSで送られてきた小話」を楽しく読ませていただきました。最後に、フランス人の自己批評を加えてあることに好感をもちます。日本では、世界的に深刻な話題を風刺する際に、わが身を棚にあげておきがちですが、フランス人の方が柔軟だということでしょうか。
「日本人ならどういうジョークになるんだろう」と締めくくってあったので、試しに追加の話をこしらえてみました。私は、古希を過ぎた元英語教員なので、紹介された小話の英訳を試み、その続きとなるような場面を、やはり英語で添えてみました。
 たいした内容ではないかもしれませんが、一読いただければ幸いです。

??There are many people in any country who are doubtful or suspicious about the vaccine against novel corona-virus disease.

??To inoculate against the virus, a doctor comes to a place where people from U.K., France, German, and U.S. just happen to be present at the right time.

??"This is the vaccine for you," the doctor says. First, a British is called.
British:??"No thanks."
Doctor: "Gentlemen are all to have vaccine inoculation."
??Without turning hair, the British got a preventive shot.

Doctor:??"Well, German. It's your turn!"
German: "That's very tempting but no thanks."
Doctor: "I’m not asking for, but I’m telling."
??Obediently, the German got vaccinated.

Doctor:??"Next is your turn, American."
American: "I refuse vaccinations."
Doctor: "Oh, you should have known it. Your neighbor have already finished a vaccination."
??Changing suddenly, the American agreed to get a shot.

Doctor: "Thank you for waiting, French. It's finally your turn."
French: "I don't need a vaccine."
Doctor: "Gentlemen are all to have vaccine inoculation."
French: "Who cares?"
Doctor: "I’m not asking for, but I’m telling."
French: "No way!"
Doctor: "Oh, you should have known it. Your neighbor have already finished a vaccination."
French: "So what?"
Doctor: "Who on earth are you?"
French: "A real Frenchman!"
Doctor: "Oh, that's funny. Then, anyway, it means that you have no right to get vaccinated."
French: "What was that? How dare you say I don't have the right??!!"
??In the end, the French also decided to have an inoculation against the virus.

 French people would certainly laugh at the way this small talk unfolds. I wonder what kind of joke will be possible about Japanese people.

Doctor:??"Is there any person who hasn't been called yet?"
Japanese:??"Present here."
Doctor:??"You look an Asian."
Japanese:??"I'm a Japanese. Today I accompanied my French husband."
Doctor:??"You may have vaccine inoculation, if you wish."
Japanese:??"Thank you for encouraging me to, but I’m afraid I can’t."
Doctor:??"Why?"
Japanese:??"In Japan, as of today, no one has openly gotten vaccinated."
Doctor:??"In France, you are also a regular citizen sharing liberty, equality, and fraternity together with us. It's entirely up to you whether or not to have an inoculation."
Japanese:??"I can't easily go ahead of having a vaccine shot as one of the Japanese."
Doctor:??"I'm not asking for, but I'm providing you the opportunity. Here in this republic, your choice won't be blamed."
?? Realizing that her husband has the same opinion, the Japanese woman moved on to get vaccinated.
???????????????????????????????????????????????????????????????????? (1/ 27/ 2021)

 今後とも、興味深い話題の提供や思索を披露していただけるように期待しています。

438Sekko:2021/01/28(木) 19:52:01
若生敏由さま
ご愛読ありがとうございます。

英訳、雰囲気が出ていますね。
英訳してから英語で続けて発想すると、視点が変わって興味深いです。

で、日本人は、女性なのですね。他の人たちは確かに、男性風。フランス語では男性名詞になっていますし。

でもここで、他の国の人は男性なのに、日本人の揶揄だけ女性という設定は、ポリコレじゃないというか、フェミニストに叱られそうな非対称です。
しかも、「日本人で私だけが…」という逡巡に、フランス人の夫に従うという夫唱婦随の方が結局勝つという…。

実際は、これまで私が見てきたところでは、ラテン系、地中海系(アルジェリアとか)の国や、日本では、社会的には家父長的で男性が主導権がありそうに見えるのですが、家庭内では女性が圧倒的に強い、というのが実感です。家庭内ヒエラルキーとの誤差が大きいです。

まあ、この小話のようなシチュエーションでは他人の目があるのでどうするかは不明ですが、私のイメージでは、

「あ、けっこうです。夫にワクチン受けさせましたから、私のリスクは減りますしね。受けなきゃ副反応のリスクはゼロだし。」

くらいですかね。

実際、スペイン語のビデオで、マックワクチンのドライブスルーでおまけ付きのワクチンを注文する運転席の女性が、車の後部にいる夫にワクチンを打たせる、というジョーク映像も流れてきました。

うーん、いっそ、アメリカ人、ドイツ人、イギリス人、それぞれと結婚している日本女性がどういう反応をするかを想定比較するのもおもしろそう。夫のお国柄の影響をどのように受けるのか、とかね。
高齢の親にワクチンを真っ先に受けさせるかどうかを各国の人に尋ねた反応とかも。

それにしても、このコロナ禍、検査数、感染者数、死亡者数、みな実際は国同士の比較もできないばらばらだというのに、パニックを煽る言葉や責任追及や不平不満などはけっこう共通しているので、国民性とかを考えるのに興味深い機会だとは思っています。

個々を見てみると人それぞれだけれど、全体としてみると国民性って絶対あるなあ、と思います。地方性も。(パリで暮らす移民はマルセイユで暮らす移民とは歩き方から違っているそうです)

若生さま、英語の発想で視野を広げることを生かしてお元気で発信を続けてください。

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439若生敏由:2021/01/29(金) 09:51:52
小話の改訂
 思いがけなく、丁寧にコメントを加えていただき、大変嬉しくおもっています。なるほど、西欧での女性の位置はそうなのかと認識をあらためさせられました。
 それならばと思い直し、せっかくなので、悪あがきかもしれませんが、改訂を試みました。そうしたくなるのも、あるいは日本人の一面でしょうか。
 読み飛ばすだけで、結構です。

Doctor:??"Possibly, could there be non-Westerners?"
French:??"Here, I brought my Japanese friend, but he says he just came here as an observer."
Doctor:??"You may have vaccine inoculation, if you wish."
Japanese:??"Thank you for encouraging me to, but I’m afraid I can’t."
Doctor:??"Why?"
Japanese:??"In Japan, as of today, no one has openly gotten vaccinated."
Doctor:??"In France, you are also a regular citizen sharing liberty, equality, and fraternity together with us. It's entirely up to you whether or not to have an inoculation."
Japanese:??"I can't easily go ahead of having a vaccine shot as one of the Japanese."
Doctor:??"I'm not asking for, but I'm providing you the opportunity. Here in this republic, your choice won't be blamed."
????Realizing that he cannot disregard the world standard, the Japanese embarrassingly moved on to get vaccinated.

440Sekko:2021/01/30(土) 03:57:46
若生さま
わざわざの「改訂」ありがとうございます。

日本人って、「世間の標準」と「世界の標準」との間でうろうろ迷っているのかも。

って、もうこれって「小話」という感じじゃないですね。
比較文化の小論文みたいな。

逆に、昔、フランス語のレポートがフランス人の先生に理解不可能だったようで、二度目は会話文だけにしたことを思い出します。https://spinou.exblog.jp/15666988/

私は、今は、バカロレアの哲学の小論文の予習をしているリセの生徒などに、困ったら哲学小話風のエピソードをいくつか用意しておいて堂々と書きなさい、とアドバイスすることがあります。採点者も延々と同じような引用や論の展開ばかり見てうんざりしているので、新鮮で高評価してくれる可能性大ですから。

また何かおもしろいお考えがありましたらどうぞ!

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441若生敏由:2021/03/05(金) 20:25:55
「自然の中で深呼吸」その2の最後の写真について
??フォンテーヌブローの写真を見ていると、パンデミックのことなど忘れそうです。自然を人間の都合に合わせながらとりいれ、そうすることで人間もまた自然の延長にあることを実感できる場所が都市の近郊にあることは大切なことだとおもいます。

「自然の中で深呼吸」その2の最後の写真についてお尋ねします。

 タンポポの脇に点在している小粒の花は、オオイヌノフグリではないでしょうか。その花だとすると、仙台近郊に住む私も真冬から3月いっぱいくらいは、周辺の野辺で見かけているものです。雪でも降らなければ一面が枯れ野の一帯に、鮮やかな青色を保ちつづけている、けなげな花です。冷え込もうが、風が吹こうが、大地がことごとく枯れ衰えることはないのだという意志を示しながら、大空に語りかけているようにも見えます。

 その花の学名がVeronica persiaであると知ったときは、かなり驚きました。現在の日本のオオイヌノフグリは西洋種らしいですが、和名は花ではなく実のかたちの印象を表しているとのことです。和名は、なんだか、学名に失礼におもえます。

 ほんとうかどうか分かりませんが、その花を見ているとイエスの顔が見えてくるというのが学名の由来という説明に出会ったことがあります。その真偽とは別に、真冬の土手にその花の群落を目にすると、枯れ果てたなかで再生を促す役目を果たしている花として、希望を感じさせられています。

 写真の花がオオイヌノフグリだとして、フランス語の俗名はどうなっていますか。

442Sekko:2021/03/06(土) 02:58:45
若生敏由 さま
この花は今の季節、至る所に咲いています。
植物の名に疎いのでネットを検索しました。

ヴェロニック(ヴェロニカ)と呼ばれているものには200種類もあって、西南アジア原産という印象です。この花はペルシャのヴェロニック(Véronique de Perse)と呼ばれているそうなのでやはりオリエントっぽいですが。

和名は確かに夢がないですが、フランス語も俗に「猫の腸」boyau-de-chatにという異名もあるそうです。和名よりましかも。

ヴェロニックは聖女なのでフランスによくある名前です。でももともとイエスの顔をぬぐった女性の名は伝わっていず、「真実のイコン」というのがそのまま聖女の名になりました。で、その布をローマ皇帝ティベリウスの「癩」の傷にあてると治癒したという伝説があります。

それで、皮膚病の治療に使われるハーブが「Veronica officinalis」ヴェロニカ薬草と呼ばれたとありました。日本語で調べたらそれは「(コモン)スピードウェル」という万能薬草のようです。

オオイヌノフグリとスピードウェルが同じヴェロニカ種に属しているんですね。

若生さまのおかげで花の名前が分かったので、これからこの花にヴェロニックと呼びかけることにします。

仙台近郊にお住まいとのことですが、先日の地震の影響はどうだったでしょう。10年前のショックを思い出します。日本に行く飛行機をキャンセルしたのは2011年の春が初めてで、2020年の春が2度目でした。毎年咲き続けてくれる花たちに力をもらえる思いです。

お元気でお過ごしください。

http://www.setukotakeshita.com/

443愚者:2021/07/07(水) 12:10:04
パンと葡萄酒
Sekko様
ベルナノス「田舎司祭の日記」の日記を書く司祭は、パンと葡萄酒しか口に入れない、あるいは体が受け付けないと書いてあったと思います。胃病には悪い食生活ではないでしょうか。
この小説において、司祭がパンと葡萄酒だけで生きているというのは重要な点だと思いますが、Sekko様はどういう意味だと思われますか?

444Sekko:2021/07/10(土) 06:33:27
愚者さま
旅行中でお返事遅れてすみません。
この小説の舞台であるノール地方に行っていました。リールにも。

ベルナノス、読みかえさないとニュアンスがつかめませんが、もちろん「パンと葡萄酒で生きる」というのは聖餐と同じシンボリックな意味です。

でもこの司祭が毎日のミサで葡萄酒を飲んでいるうちに依存症になっていたことも考えられますし、実際村人たちからそう思われていたようですね。

葡萄酒に砂糖をたくさん入れていて、そこに固くなったパンを浸したものしか胃が受けつけなくなった、というような記述も確かあったと思いますが、ワインの水割りを子供の時から普通の食卓で水代わりにしているというのはフランスでは昔からありました。あるいは、固くなったパンも、焼き立てのパンも、大きな容器に入れた牛乳に浸して食べるというのも昔は基本スタイルでした。

私がフランスで暮らし始めた頃にはトーストも、食パンも、シリアルも、ほとんど見かけませんでした。
今はアングロサクソン化して、何でもありですが。

ですから、この小説の舞台においては、この司祭の食生活自体はそれほど奇矯ではない「苦行」パフォーマンスだった気もします。

この食生活ではプロテインがとれないですが、砂糖を入れていますし、ワインの中にはブドウ由来の炭水化物もありますから、代謝が適応していくケースもあると思います。
「断食」聖人には「聖体パン(ホスティア)」(水と小麦粉だけでできている)で何十年も生き続けた人が少なくないですし、宗教と関係なくても、「青汁」だけでずっと健康に生きている人の話もありますから、代謝の変化というのは底が深いようです。

この司祭の場合は「胃の痛み」や病気を抱えて不健康だったのですから向いていなかったわけです。

でも昔は「田舎司祭」のイメージが、村人たちに招かれ続けて丸々太った陽気な人、というものが典型的でしたから、この小説の田舎司祭はそのイメージを払拭して村人たちの信仰を呼び覚まそうという意志と、不健康で倒錯的な実態とがずれていったという感じでしょうね。

霊的生活における「食」の問題、というのはいつもどこか危ういところがあって、興味深いです。

445愚者:2021/09/13(月) 10:23:40
ありがとうございました。
sekko様

いまさらですが、解説ありがとうございました。
昔の田舎司祭のイメージが根強いものだったなら、ベルナノスの田舎司祭が村人たちに受け入れられない理由がよくわかります。
この新司祭は受難のキリストの寓意のように思えます。
ところで、L'art de coire を久しぶりに読もうと思ったのですが、情報の量と濃度がこちらの読解の能力を圧倒的に超えているので今日は断念しました。

ところで、sekko様は「資本論」をお読みになったと思いますが、凡人には退屈で難しい本だと思われますか?
こちらの最近のベストセラー斎藤幸平「人新世の「資本論」」を読んで、やっぱり読むべき本だったのか、と思いながらなんとなくやる気が起きません。
近年日本のエライ人達が人権というものをまるで理解していないことがいやでもわかる出来事がたくさんあったので、呆れはてる上に恐怖を感じていますが、斎藤幸平や白井聡ら30代の正統的な論逆がいることに、一筋の希望を見いだしています。
2015年の「ラウダート・シ」の思想を、おおざっぱに言えば、神学から離れてだれにでもわかる形にしたのがこの本だと感じましたが、「資本論」がテーマという点で抵抗を感じるカトリックが少なくないのにやや驚いています。
「人新世の「資本論」」は、「惑星の物質代謝」の概念を核心とする実践的な書でもあります。
マルクスがプロテスタントであったことはあまり知られていなくて、私自身無神論者だと思い込んでいました。
岩波文庫は活字が小さくて、そもそも本屋の店頭にはありません。もし読みやすい日本語訳をご存じでしたら教えていただけますか。

446Sekko:2021/09/13(月) 19:33:26
愚者さま
『資本論』を通読したことはありません。

私が高校一年の頃、駒場の社会思想史の講義で習ったヘーゲル=フォイエルバッハ=マルクスの流れを兄が解説してくれたので、前二者の本の方をかなり読みました。難解でしたが、弁証法、疎外論、支配と隷属、類的存在としての人間、など新しい世界に「開眼」された思い出は強烈です。

その頃にマルクスで読んだのは『経済学=哲学手稿』です。

人間と人間を取り巻く対象を社会的諸関係の中でとらえるということに納得しました。
(あらゆる「実力行使」や「暴力」には昔から一貫して反対の立場ですが。)

それに関してやはり高校時代に読んだ本で今もフランスの書斎にあるのはマルクーゼの『[改訳版]初期マルクス研究--「経済学=哲学手稿」における疎外論』(未来社)です。
(レーニンは中央公論社世界の名著シリーズで読みました。)


今距離をもって思うと、労働の概念そのものが劇的に変わったことに感慨はあります。

『神と金と革命がつくった世界史』(中央公論新社)でキリスト教と共産主義の関係について書いたとき、あらためていろいろなことを考えさせられました。

マルクスが生まれるすぐ前に父親がプロテスタントに改宗したわけですが、社会の多数派に属するというプラグマティズムに徹していたようで、マルクスも宗教に関してはかなりニュートラルだけれどキリスト教文化ベースの教養が根づいていたのは確かだと思います。

(私のブログは「想定読者」が自分である覚書なので、長さや読みやすさについてこれと言った配慮も努力もしていませんので申し訳ありません。時事についてはそれなりの情報提供を心がけています。時々眺めてみてください)

季節の変わり目、愚者さまもお元気で。


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