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フランス語フランス文化質問箱

76Sekko:2007/04/18(水) 05:20:52
和訳その2の解説
 その1に参加してくださった方と同じ顔ぶれが大体そろいました。人数が少ないので、主なところをそのままコピーします。まずKumikoさん。

「 La liberte, ce n'est pas faire ce que l'on veut, mais vouloir ce qu'on fait.
『欲することを成すのが自由ではない。成すことを欲するのが自由なのだ。』

まあ〜、なんて単純。
それより、ひとつ質問させてください。初めのce que の後にはl' が入ってce que l'on veutになってますが、二度目の ce que の後にはなくて ce qu'on fait.になるのは、なぜなのでしょうね? リズム感の問題?(笑)
この l' の使い方って、難しくて、入れようとするとどこにでも入れてうるさくしてしまう気がするし、なければないでなにか抜けたような気が。慣例句のようになっているのは最低入れるように心がけてはいますが・・・あやふやなのです。むかし、フランス語の先生(外人に教えるフランス人)は、『あなたたちは使わなくてよろしい』と言いましたが・・・。」

ええと、単純ですがリズムがあってきれいな訳です。それに、単純なだけ、幅があって無難ともいえます。自由を2回繰り返したところがテクニックですね。最初のonに l' がついているのに2度目についてないのはやはりリズムの問題です。このlの挿入で、最初の部分のシラブルが2番目のちょうど2倍になっています。だから読んだ時に落ち着きがあります。日本人が書く時には確かに難しいですね。

次にNaoさんの答え。

『 自由とはしたいことをするというのではなく、することを熱心に追求するということである。

またこんなカツテな訳も考えました。
自由とは勝手放題のことをするというのではなく、他者のために、何かすることを望める可能性のことである。(他者のために、したくても制約があつてできないことが多いのでこんなことをかんがえました。)」

 この原文は、「自由とはAではなくBである」ということですね。つまりBはAの正反対にしたいところ。Aを「したいことをする」=「かって放題」=「自己の欲望優先」ととれば、それと対照的に、Bは利他的な行動指針と考えられるわけです。次にKさんの答え。

「私たちの欲することは数限りなくあります。人間、欲には限りがありません。限りのないものを求めることは自由とは「次元の違うこと」だと思います。自由とは行為する意志そのものであって、因果や運命に立ち向かう崇高な手段です。人間は自由を与えられて、責任を負います。

ですから、

『自由とは、欲することを行なうことでなく、欲して行なうことである。』

という訳にいたします。」

実はこの原文は、サルトルです。だから、文脈からいうと、これにかなり近いです。サルトル的にわりと単純で、人間がやることはすべからく自分で選択すべきだという、自由とは「生き方の選択と決定の自由」であるという意味なんですね。しかしMさんのように読んだ人もいます。
 「 自由とはやりたいことをするのでなく、することを望むことだ。
 竹下さんが祈りについて書いていらっしゃった時に『祈りとは祈ったことをかなえてもらうことでなく、可能なことを祈ることだ』というのと重なります。欲望は限りないので欲望から出発しないで、おのずからできることを望む境地に至るのが自由では。」

 これも含蓄がありますね。サルトルが選択の問題を自由と絡めたのは、キリスト教における自由意志の問題を意識しています。自由意志があるから、責任が生じ、責任があるから善悪の観念もでてくるわけです。
 Dieu se chisit. il n'est pas ce qu'il est, el est ce qu'il veut.というのはFrancois Varillon の言葉。コクトーは人間に自由意志を与えたのは神のアリバイだ、と言ってます。「私は自由だ、神さま、私を自由から遠ざけてください。」といったのはクローデル。逆にFerdinand Galianiは、「もし宇宙にたった一人でも自由な存在がいたとしたら、神はもう存在しないだろう」と言っています。この世に善悪が混在する現実の前に、人間の自由は神のアリバイであり、神の自由は人間のアリバイなのかもしれません。サルトルが神を捨てた時、神なき自由意志だけを引き受けたわけで、自由と欲望と責任と倫理とがのしかかってきました。自由がなければ原罪もなく悪も生まれなかったというユダヤ=キリスト教文化がベースにあります。

 次に仏文和訳その3です。これは今書いている『無神論』についての本に使おうと思ったのですが、うまく和訳できません。それで問題というより、皆さんのお知恵拝借です。

 Nier Dieu, c'est se priver de l'unique interet que presente la mort.
 です。interet の最初のeに右肩がりアクサンが、2つ目のeに山形アクサンがはいります。presente の最初のe にもアクサンテギュがつきます。サーシャ・ギトリィの言葉です。sekko-culturelavo@hotmail.co.jp か個人メールにお願いします。コメントつき歓迎。その2のお答えに関するコメントは直接この掲示板に書き込んでください。


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