したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

フランス語フランス文化質問箱

84Sekko:2007/07/07(土) 02:22:58
戦う女たち
 私もジャンヌ・ド・ベルヴィル大好きです。あれから出た本でまだ読んでないのは、

http://www.amazon.fr/Pirates-Corsaires-Patrick-Poivre-dArvor/dp/2844590756/ref=sr_1_4/402-9161165-3904159?ie=UTF8&s=books&qid=1183739494&sr=1-4

という本です。歴史雑誌には時々出ていますが、後は、百年戦争にまつわる歴史専門書でしょうか。

 でも、他にもフランスで有名な女性戦士としては、第2次十字軍に、妻が同行するのを禁じられたルイ7世の妻エレオノーレが男装して、やはり騎士の姿で固めた女性たちと一緒に男たちを十字軍へ誘う激をとばしながら、槍や斧で武装して馬を走らせてすごく勇ましかったそうです。そのせいで、第3次十字軍では一切の女性の参加が禁止されたそうです。
 17世紀にはアンゴラで50人の男のハーレムを連れていたというタマラ女王がポルトガルで戦いました。1592年にパナマで参軍した修道女の自叙伝というのも聞いたことがあります。戦う女性は、ジャンヌ・ダルクのような処女か男嫌い、あるいは超男好きかの2種類あると考えられていたようです。巫女型か、「英雄色を好む型」みたいです。前者は自らを犠牲に捧げるタイプ、後者は、エネルギッシュで長生き。フランス革命時代に活躍したのがマリー・ドゥシュマン。軍人を父に持ち1772年に生まれ、早く結婚して19歳で未亡人、1792年、祖国の危機に立ち上がり、父がいて、夫が所属していた部隊に入隊をゆるされて、下士官として7回参戦。その勇敢さを称えられて表彰されるも、25歳で敵前で負傷、兵士として男装のまま廃兵院で治療を受けました。王政復古の1822年、50歳の時にルイ18世から少尉の地位をあたえられます。さらに、1851年、ルイ・ナポレオンがレジオン・ドヌール勲章とセント・ヘレナメダルを授与、ボナパルティストとしての栄誉を受けました。このときマリーは79歳、パリに来たヴィクトリア女王が是非合いたいと言って面会したそうです。89歳で没した時はナポレオン3世夫妻が葬儀に出席、なんか華々しい戦士人生でした。もともと、ローマ軍の記録によれば、ケルトには女性戦隊がいたそうで、プルタルコスは102年にエクス・アン・プロヴァンスで剣や斧で襲ってきた女たちがローマ兵の楯や剣を奪ったと書いています。ローマへの最初の反乱軍12万の兵士を率いたのはBodiceaという女性で、女王とよばれていたそうです。ギリシャ=ローマ=ユダヤ=キリスト教文化の定着のせいで、ヨーロッパには女性戦士のジェンダーがなくなったけれど、土地の記憶としては、時々噴出してくるとも言われています。アマゾン河で女性戦士に襲われたヨーロッパ人がアマゾネスにちなんでその河をアマゾンと名づけたのも有名ですね。
 カノッサの屈辱時代に勇名をはせたマティルドは戦略と戦争の天才だったみたいで、43歳で15歳のバイエルン大公と結婚したし、60歳でも剣をとる気まんまんみたいだったようです。戦いの天才は男女関係なく存在する、みたいです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板