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フランス語フランス文化質問箱
369
:
迷える大羊
:2011/12/01(木) 19:40:45
「隣人」の範囲
>それはキリスト教的観点です。
つまり、簡単にいえば「隣人」の範囲をどこまで広げるか?ということに関して西洋世界では昔から喧々諤々の論争とか確執があった、ってことですね。
「隣人を愛すこと、敵を赦すこと」を説いたイエスとて、人間である以上、その時代、地域の常識から完全に自由にはなりきれていないわけで東洋人、その他アジア人、インディオなどなどの存在は夢想だにしなかったでしょうしね。
>「みんな人間」というのはなかなかの視点でしたが(日本だって西洋人を見れば赤鬼とか天狗とか、人間と見なさなかった時もあると思います。人間ってどこでもちょっと違っているだけで異種と見なすんですね)、その「人間」に等級をつけたのが惜しいですね。
これで思い出したのは、英国のH・G・ウェルズの1895年の作品、「宇宙戦争」原題「THE WAR OF TWO WORLDS」ですね。いうまでもなく、これは、地球人よりはるかに文明の進んだ火星人の地球侵略の話ですが、始めの方で「(火星人に文句を言う前に)ここで我々は、地球上の下級民族にいかにむごい仕打ちを加えてきたか、思い起こさねばならない(中略)タスマニア人はその人類学的相似にも関わらず、ヨーロッパ人の仕掛けた侵略により絶滅させられ・・・」なんてくだりがありますね。
確かに、ウェルズはウェルズなりに当時の帝国主義、植民地主義に真摯に向き合い、過ちについて反省を促してはいるのはわかるのですが、下級民族とか人類学的相似、なんていっているところに、時代の限界、そして、ウェルズもそれから完全に自由ではなかったことが伺えますね。それとも、日本語訳が悪いだけなんでしょうか?
それにしてもタスマニア人は哀れ極まりないです。雄々しく戦って滅ぼされたのならまだしも、ほとんどハンティングの的として殺されて滅ぼされたんですから。いくら帝国主義の時代とはいえ、というか当時の基準でもかなりひどい話ではないでしょうか、これ。
クジラほどの情けもかけられなかったんですね。
>西洋諸国の後に続いて帝国主義的になっていった時に、日本が掲げていたのは、民族宗教としての国家神道でした。
これ、日本のキリスト教会にとってはかなり片腹痛い話ではないんですかね?日本のキリスト教会って国家神道の政治関与とか、社会への浸透に関して、非常に、あるいは過剰なまでに警戒や反発する傾向が強いです。まあ、過去の歴史的経緯からある程度はわからなくもないのですが。
でも、その国家神道というのは、欧米におけるキリスト教のあり方を参考に、あるいはマネて造られたものである、というのは皮肉以外何者でもないような気がするんですが・・。
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