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フランス語フランス文化質問箱

272迷える大羊:2010/09/26(日) 00:36:15
まあ、そうでしょうね
>中国も日本も同じ認識だと思います。つまり、一般的な日本人の「親ヨーロッパ派」がイギリスもフランスも区別しないような感じで。

 私らにしたって、ノルウェーとスウェーデンの違いを正確に分かる人間は少数派でしょうし、何かというと欧米、欧米、とひとくくりにして論じたがる傾向があるので、どっちもどっち、ですね、確かに。アフリカなんかになると、もう国自体知らなかったりするわけで。

 中国に関しては、1970年代の日本と比較する論調が多いみたいですが、個人的には、1930年代、昭和初期の日本との共通点が多そうな気がします。具体的には・・。

 ・高度経済成長

 というと戦後のそれを連想しがちですが、日中戦争までの日本の経済成長率(数パーセント程度)もあの当時の世界では高い方。1955年の経済白書中の「もはや戦後ではない」というフレーズの根拠はあらゆる経済数値が昭和初期においてもっとも経済状況がよかった1936年(昭和11年)の数値を超えたこと、ですし。そんな時期になんで2.26事件のような大規模クーデターが?という話は長くなるので割愛。

 ・格差社会

 中国が非常に富裕層と貧困層、都市と農村の落差が激しい格差社会であることはよく言われることですが、戦前、昭和初期の日本もまた都市と農村、富裕層と貧困層の落差は激しい格差社会でした。一般工員の年収が600円の時代に、三井財閥理事の一夏のボーナスが40万円というのだからすさまじい。これは、左右両翼から非難、攻撃のターゲットとなり、三井財閥理事の団琢磨氏は右翼の血盟団のテロで殺害されますが・・。

 農村も昭和6年の大不況時などコメの価格暴落で悲惨な状況となり、風俗産業に身を投じる女性が後を絶たない一方、都市部では、失業さえしなければ、その「価格破壊」の恩恵をフルに受け、生活が楽になったりしてました。戦時中に田舎に疎開して、いじめられたり、終戦直後に農村にものを売りに出して、二束三文で買いたたかれたことを、つらい思い出として語る都会出身の年配者は多いけれど、農村側、田舎側からすれば、都会出身者に対する複雑な感情があったんでしょうね。
 中国も戦前の日本以上に都市と農村の落差が激しい、というか戸籍上も区別されていたりして、所得格差だけでなく、感情面でもかなりの対立というか軋轢があるんでしょうね。

・国際社会との軋轢

 現代中国がインドとの国境紛争、日本、フィリピン、ベトナムとの間に領土問題を抱え、なおかつその強引な「解決」ぶり、アフリカへの資源獲得ためのなりふり構わぬ進出ぶり、チベット、ウィグルなどでの人権問題、急激な軍備拡張で非難などなどで浴び、警戒されることが多いですが、戦前の日本も満州国建国で世界的な非難を浴び、その軍備と軍事行動は周辺諸国の恐怖の的でした。
 また、低コストによる輸出攻勢で国際市場でのシェアを急速に広げ、先進国の保護主義を招いたのも、中国と戦前日本は全く同じ。
 そういった諸外国の非難に対し、ナショナリズムが盛り上がるのも戦前日本と現代中国の共通点。6〜70年以上の時を経て、かつての被害国(中国)がかつての加害国(昭和初期の日本)に似てくる、というのはなんだか、すごい皮肉。

 ・やたらと多い海外移民

 中国人とか中国系の移民は世界の主要国のほとんどで見かけます。戦前日本はここまで広範囲ではないにしても、やはりアメリカ、ブラジルなどへの移民は非常に盛んでした。

 って、フランスでなく中国の話になっちゃいました。個人的に父親が仕事上非常に深い関わりがあったもので、中国には関心があるんです。フランス人に限らず、欧米人でここまでの関心(日本、中国に関して)と知識のある人は・・、多分、ごくごく限られた少数派なんでしょうね。

 参照 田原総一郎著「日本の戦争」、岩瀬彰著「月給百円のサラリーマン 戦前日本「平和」な生活」、武田知弘著「戦前の日本」、「ヒトラーの経済政策」

>フランスでちゃんと「日本」に特化して「親日」なのはやはりガラパゴス化しているオタク文化系に対してかもしれません

 これはもうなんて反応してよいのやら・・(笑)。オタク文化こそ、日本最強の「秘密兵器」「外交ツール」なのかもしれない、と冗談抜きで考える今日この頃なのであります。


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