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フランス語フランス文化質問箱

213あがるま:2009/09/07(月) 11:50:54
南北朝時代から
宗教情勢が変はつて来たやうです。
Sekkoさんで納得出来ないのは『超越(或いは聖)』と云ふ言葉の(恣意的な)使ひ方です。(中沢新一や網野善彦も同様ですが)
何か場所的topologicなオーラのことのやうですが、本来は対象(実体)は、最も普遍的なものは経験や言葉を超越するので、概念では把握出来ないし、勿論感覚的にもその対象に達することは出来ない(それが超越とか超越論的と云ふ意味ですから)、或いはモノは常にコトバを超越すると云ふものだと理解します。
R.アイスラーの《哲学辞典》http://www.textlog.de/woerterbuecher.htmlによれば
Die Transcendenz ist schließlich nur ein inadäquater Ausdruck für die Incongruenz zwischen dem tatsächlichen Inhalt und dem Ideal der Erkenntnis. (E.Koenig,Üb. d. letzt. Frag. d. Erk., Zeitschr. f. Philos. 103. Bd. S. 59.).
Nach RIEHL ist transcendental 《die Form der Einheit des Bewußtseins in Abstraction von ihrem Inhalte gedacht, sofern diese Form als die allgemeine, nicht bloß für mich geltende Bedingung erkannt wird, unter welcher die Vorstellung jedes Objects... stehen muß》 (Philos. Krit. II 2, 163)

地下鉄サリン事件で「もっと多く死んでいれば霊的磁場が変わっていたはず」
と中沢新一は言つたさうですが、Sekkoさんの『超越』もそれに近づく危険を持つて居るのではないか?
《聖なるもの》と云う本を書いたR.オットオは.ハウアーJakob Wilhelm Hauer (* 1881 †??1962 ) と云ふナチ時代の宗教運動と関係があつたさうですし
超越を整合的に理解しようとすれば(両者と関係のあつた)R.シュタイナーのやうに超感覚的な能力を前提しなくてはならないでせう − 人間の表象は(分散的な)概念と(統合的な)感覚しかないのですから


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