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フランス語フランス文化質問箱
44
:
Sekko
:2006/07/21(金) 08:52:13
子供の暴力
近頃、サルコジが、少年の暴力事件には幼年時から現れる素質によるものがあるとして、フランスでは2歳から入れる公立幼稚園や小学校から、「乱暴な子供」の観察と早期治療=管理というのを始めました。そこだけ聞くと過剰危機管理だと思うのですが、そのルポを見ていると、確かに、小さな子供の中にも、皆が静かに座っている状況で、突然他の子のお絵かきの紙を引きちぎったり殴りかかったりする子がいるので、そういう子は幼児心理学者などのカウンセラーを受けます。小学校では、殴り合いなどが始まると、教諭の他に、専門に配されている教育士が、その様子を観察して、当事者の子供を「話し合いの席」につかせて仲直りさせます。それでも、解放されるとすぐに校庭に飛び出して、意味なく他の子を殴る子供もいます。黒人の移民の子が多いです。これは家族がフランス語が不自由だとかうまく社会に溶け込めないとかいう不全感の投影かもしれませんが、確かに、こういう子はいかにも、このままほっておけば、中学くらいになると兄貴分について例の郊外「少年暴動」をやらかす予備軍のように思えます。14、15歳になって力が強くなってからではもう遅いので、かろうじて学校に通っている子供の時から対応するというのは教育的遠謀でもあります。まあこれができるのは、教育社会主義のフランスだからであって、教育費無料、教育士も教育省に雇われていて、問題児への心理学者や心理療法士の対応も全て無料という制度があるからでもあります。そして、教室外での子供同士の世界に口を出さないという「子供コミュニティ」尊重のコミュニタリスムでなく、一人一人の子供が権利を尊重されているかをチェックするユニヴァーサリズム方式なので、教育史が目を光らせていて不当なことには即介入というわけです。日本風のいじめや不登校が起きにくいのはそのためかもしれません。コミュニティより個人が優先して保護されている感覚があるからだと思います。
昨日7月1日、不法滞在移民の就学児童とその親に滞在許可を与えよというデモがあり、パリでは里親の会など何千人もが繰り出しました。やはり黒人を中心に、不法滞在の家族たちが子供連れで歩きました。「就学児童=滞在許可証」というので、役所にも不法移民が押しかけています。その意味では、サルコジもまったく押されています。
子供を共和国の学校に就学させれば、そこで「フランス人」を作るのだから滞在OKですよというのは、彼らの理にかなっています。しかし「教育」が聖域というのは考えたらすごいことですね。大体、他の国では、不法滞在者の子供を公立学校に登録できるのでしょうか?日本など、カルトの信者の子供だからといって受け入れたがらない学校とか自治体とかさえありました。里親どころか、PTAが猛反対という感じです。その癖、いじめとかには目が届かなかったりするので子供が追い詰められたまま大きくなりある日爆発するのだとしたら、悲しいことです。地理的にも歴史的にも状況が違うので、日本にアフリカ系黒人がどっと不法入国する事は考えられませんが、とにかく、たとえば東京の真ん中で、見た目マイノリティの不法滞在の親子たちに滞在許可を与えよといって同級生の親たちが一緒にデモ行進するなんて、逆立ちしても想像できないことです。すごく非現実的だし、こんなことでほんとにいいのか、ともよそ目にも心配ですが、これがフランスの特徴でもあり、こうやって子供の教育を引き受ける限り、「若者の暴動」は全て教育の問題だとみなして幼稚園から対応始めるというのも分かるので、10年後には効を奏するか見てみたいものです。
結局、フランスにおけるライシテの聖域が学校なので、子供たち一人一人が私的に属する共同体が不法移民の家族であろうと伝統的なカトリック小教区であろうとカルトであろうと、学校はその上の「共和国=自由平等友愛」に置かれるわけです。その意味では、「ライシテ」の空間はそのまま駆け込みシェルターだといえます。教育士や多くのアソシエーションが具体的に活動しています。カトリックのシスターや修道会がこのようなライック(=非宗教的)の避難所を運営していることもあります。
でも、何日か前、健康に問題のある不法滞在の人と話していたのですが、フランスでは不法滞在の人でも無料で診てくれるシステムがあるし、いろいろなアソシエーションもあるはずだから調べればとアドヴァイスしたら、自分は生きるのにせいいっぱいで、どこにそんなものがあるのか調べる余裕もないといわれました。理念の認識と情報の平等がないと、一つ一つの不幸は解消できないのです。でも「子供を学校に入れれば合法的に滞在できる」という情報は充分いきわたりましたから、光明を見出す人は多いでしょう。
それで、奈良の高校生ですが、事情はよく分かりませんが、絶望や憎しみが自殺や他殺というほどの形をとるまでには、やはり、精神のケアを要する病的な段階を通過しているのだと思います。学校でも家族でも、第三者の誰かがそれに気付いてあげるシステムや状況がなかったのでしょう。絶望状態の人は、そこから逃げたりどこかに駆け込んだりしたら救われるかもしれないという発想すら奪われて、最後の抵抗が他人や自分を「壊す」ことしかなくなるのだとしたら、やはり、第三者による啓蒙と危機管理が必要なのかもしれません。シェルターがあろうとなかろうと、「他者に救いを求める」決意自体がすでにだれでも平等にもてるものではないのです。
親はその定義上子に対して盲目だ、とフランスでは言われています。子供の危機を管理するのは至難の業、だめだと思ったら第三者に丸投げ、というシステムを認めるのもひとつの方法です。そういう親もまた、第三者の子に手を差し伸べて借りを返せばいいことです。誰でもよその子の教育士になれるし、ならなくてはならない。
何の問題もない「いい子」をもてるのは、ただの僥倖か、子供の自由の搾取に成功したかのどちらかではないでしょうか。全ての少年事件、私には他人事とは思えません。せめて、私の生徒たちに「無償で助ける」ことの存在を教えたいです。助けることを知らなければ、いざというとき自分も助けてもらえるかもしれないと気付けないと思うからです。フランスの話と離れましたが、フランスのTVで、不法滞在の親子とデモ行進をする無償の人々(政治家もいますが)の姿を広く伝えるのは、その意味で悪くないと思いました。
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