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フランス語フランス文化質問箱

425sekko:2013/06/23(日) 20:19:25
ウラヌスさまへ
ご愛読ありがとうございます。

フランス語を読む速度ですが、もちろんある程度の単語力は必要ですが、後は、読む本の内容によると思います。自分の興味のある分野、日本語でも類似のものを読んだことのある分野と、全く専門外のものとは比較できません。

得意分野や軽い読み物(総合雑誌の記事とか)なら、分からない単語があってもある程度読みとばしていくといいと思います。

分からない単語がある度に、その行の横に一応しるしをつけておいて、それが何度も出てくるような言葉だとか重要な言葉だったと分かった時には、少し後でまとめてチェックすればいいと思います。

一見知らないと思う言葉でも、字面をよく見れば、日本語で漢字を見ればなんとなく意味が分かるように、語根や接頭接尾語で類推できることも多いです。

後、フランス語は、基本的にセンテンスが短いほどエレガントだと見なされている言葉です。関係代名詞がずらずらと続くようなものは、悪文か、英語などの翻訳か、確信を持ったスタイルかです。

学者の中には日本人でもそうですがわざともってまわったような文を書く人もいます。そういうのはスルーした方がいいです。
私も最初の頃は、なかなか意味のとれない文を読むと、自分がフランス語力が足りないせいかと思ったことがありますが、今は、興味のある分野でおもしろそうなことを書いているはずなのに悪文というものにぶち当たると時間の無駄なので結論部分しか読みません。

私は日本語を読むスピードは平均よりかなり速いですが、日本語にも悪文はあるし、特に翻訳文には分かりにくいものが多いと痛感しています。

もちろん、日本語でも自分の知らない分野の専門書は読みにくいですが、逆に、フランス思想系の本などは、昔、日本語訳で読んでえらく難解だったものが、後にフランス語で読んだらすっきり明快というケースの方が多かったです。

昔は、パリマッチなどの大衆誌を読む速度は日本の週刊誌を読む速度と変わらないことが分かって、今は、自分の守備範囲のものなら日本語と同じくらいの速度で、つまり、普通のフランス人より速く読めます。

ただし、東洋史東洋文化ものや科学読み物はほとんどすべて日本語で読みます。中国語の固有名詞がアルファベットでたくさん出てくると、イメージが湧かずにギブアップです。

また、ある時、非常に興味ある分野の生物学の本をわくわくしながら読み始めましたら、自分が「drosophileショウジョウバエ」というフランス語すら知らなかったことに気がついたことがあります。よく考えたらショウジョウバエがどんなものなのかだって、よく知らないのですが、日本語で読むと「実験に使うハエ」という認識だけですらすら読めるのに、知らないフランス語だと何か大切なキーワードのような気がして…。

動物植物、地理学、化学、物理学、数学系の語彙も少ないので、やはり基礎語彙なら高校卒業までに全部習った日本語で読むことにしています。でも、その内容がおもしろかった時にそれをフランス人に披露しようとするとやはり語彙が貧弱なので困りますが。

音楽学の本はフランス語の方がずっと速く読めます。日本語で「変ロ短調」とか言われてもフランス語に訳さないと音楽のイメージが全く湧きません。

私の場合、英語も、得意分野のものなら辞書をひかずに、というか頭の中で翻訳せずに読めますが、小説などでは、原文が悪文なのか自分の語学力不足なのかの判断がつかないことが多くて時間のロスなので、ミステリー、SF、科学ものは、すべて日本語訳で読むことにしています。評価の定まった文学作品や詩などは又別枠ですが。

ギリシャ語ラテン語なども、時間をかけて読むよりも、フランス語訳なら信頼できる訳本かどうかを判断できるので、ピンポイントで原文に当たる時に理解できる程度でいいと今は割りきっています。大学ではドイツ語が英語の次の第二外国語で、中国語やスペイン語やペルシャ語も何年か習っていましたが、今やギリシャ語(荒井献先生に習いました)やラテン語(アテネ・フランセに通いました)と同じお客さま扱いです。

というのも、平均よりも、書くスピードも読むスピードも速いはずの自分が、年ごとに増える情報量の前で、今「読みたい」と思っている本「書きたい」と思っている本ですら、残りの人生で読んだり書いたりできるかどうか分からないことが実感できるので、欲張りや高望みはやめたのです。

翻訳の充実という点だけでも、日本語とフランス語を同じレベルで読めることには感謝しています。

長々と書きましたが、言いたいことは、

1.テキストの吟味と選択、

2.日本語とか外国語に関わらず一般的な読解力の向上と守備範囲の自覚、

のふたつが基礎になるということです。

私はいわゆる翻訳をする時以外は、ほとんど仏和辞書は使いませんし、使う時もたいていは、日本語でなんと言えるのかを知りたいだけで、いわゆる「意味」はすでに分かっているものが多いです。意味のわからないものは仏仏辞書で検索します。

でもごくたまに知らない単語の意味を知るために紙の仏和辞書を繰っている時、すごくわくわくします。その単語はずっと前からそこにあって、見てもらえることをずっと待っているのだ、運命の出会い、でもアルファベットをたどっていったら絶対に出会える、そこにあるという信頼感に満たされて嬉しくなります。それを見出した時には辞書の編集に携わった人々の息遣いまで感じます。

特に19世紀あたりの耽美的なテキストにある単語はけっこう出ていますから。先人の苦労に感謝、です。

逆に、私のもっている40年くらい前の仏和辞書には今風の言葉や専門語はあまりないので「出会えない」ことの方が多く、だからほとんど使わなくなっているのですけれど。

ウラヌスさまの引かれるのが電子辞書か紙の辞書かは知りませんが、言葉の意味を調べるという、フランス語と日本語が出会う刺激的な場面に出会えるのだと思えば、たとえ読書のスピードが上がらなくても、リッチな時間を過ごされると思いますよ。

http://setukotakeshita.com/


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