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フランス語フランス文化質問箱

26:2006/04/29(土) 08:23:38
apprivoiser について(訳者の解釈)
 三野博司です.
 初めて投稿します.このページを毎日のぞいているわけではないので,話題がどんどん発展して行っているようですが,もう一度『星の王子さま』に戻させてください.
 キツネが思わず「家畜化」と言ってしまったという竹下先生の解釈はとても新鮮です.キツネと王子さまとのやりとりが生き生きとしたものとして感じ取れます.
 私の解釈はこの第21章をイニシエーションの場ととらえるものです.それは,『星の王子さま』全体をどう解釈するのか,という問題とも密接にかかわっています.もっとも私の独創ではなく,似たようなことを言っている人はいます.Maryse Brumond ? Le Petit Prince ? (Bertrand-Lacoste) ですが,今年の夏には拙訳が世界思想社から刊行される予定です.
 拙著『星の王子さまの謎』(論創社)では,18頁を割いてこの第21章を解説しています.その内容をここで要約することは避けますが,章の終わりの部分だけを引用します.
「なぜ王子さまは、いったん友情を結んだキツネと別れるのだろうか。彼はキツネに対しても責任を負っているはずではないだろうか。また、王子さまとバラの花、王子さまとキツネ、この二つの<手なずけられた>関係のうち、どちらが優先されるべきなのだろう。それは、恋愛と友情のどちらが優先されるか、という問題でもあるように見える。しかし、キツネとの関係は、友情関係であるだけではなく、秘儀伝授の師弟関係でもある。師から秘儀を伝授された弟子は、もはや師を必要とせず、また師に依存してはならず、師のもとを去って行かねばならない。そして、今度は彼がこの秘儀を誰かに伝える任務を負うだろう。こうして、王子さまの旅は先へと続けられなければならないのである」
 ところで, 問題となっているapprivoiser の訳語についてですが,第21章だけでこの語は15回も使われています.邦訳するときに,これをニュアンスに応じて別の語をあててしまうと,原文では同一の語であることが分からなくなるために,多少の無理はあっても,日本語でも同一の訳語をあてる,というのがまず私の基本方針でした.
 たしかに,apprivoiser を訳すときに困惑を覚えるのは,この「家畜化」というニュアンスをどうするのか,ということです.そのまま「飼いならす」と訳してしまえば良いのですが,私はそこにちょっとこだわって「手なずける」としました.さらに,この「家畜化」のニュアンスを完全に消し去ってしまうと「なじみになる」というような訳語が考えられます.
 拙訳以外の10種近くある新訳はほとんど見ていないので,断定できませんが,approvoiser の訳語としては2つのグループに大別できるのではないかと思います.第1は,フランス語の字義通りに,「飼いならす」「手なずける」と訳すもの.第2は,原語のもつニュアンスからは離れて日本語として通りの良い「なじみになる」「仲良くなる」「ねんごろになる」「親密になる」などと訳すものです.
 私は,第2グループは採用しません.apprivoiser は他動詞であって,一方から他方への働きかけがあり,「なじみになる」と訳したのではこの働きかけが消えてしまうからです.apprivoiser には主体の側の意志的行為が前提とされているのに対して,「なじみになる」では,たとえば近所の商店へ毎日買い物に行っているあいだに知らず知らずのうちに「なじみになる」ように,そこには意志が介入しないからです.
 人と人が出会って親密になる過程では,出会ったときから双方が同時に歩み寄ることもないわけではないのですが,しかし多くの場合は,一方から他方への働きかけがきっかけとなります.この「働きかけること」が大事だと思うのです.キツネが教えるのはまさにこのことに他なりません.
 しかし,キツネはなぜ,王子さまに apprivoiser しておくれ,などと頼むのでしょうか.「なじみになる」「仲良くなる」ことが目的ならば,キツネのほうから王子さまを先に apprivoiser してしまえば,ずっと話が簡単です.あるいは,キツネが人間を apprivoiser するというのが不自然なら,「仲良くしようよ」と言ってしまえばいいわけです.しかし,キツネはそうした手っ取り早い方法を使わずに,王子さまのほうから apprivoiser するように誘いかけます.こうしたまわりくどいやり方には,initiateur としてのキツネの役割があるように思えます.
 キツネは apprivoiser には,「忍耐」が必要だと言います.またそれは「儀式」に則って行われなければならないと言います.これは友だちを作るための指南なのです.いきなり近づいてはいけません.それは不作法というものです.まずはじめは「少し離れて」座ることが求められます.それから時間をかけて,「日が経つごとに,少しずつ」近づくこと,これが作法に則ったやりかたです.ことばをかけることも禁物です.「ことばは誤解のもと」なのです.ことばは相手とのあいだに絆をつくる手っ取り早い手段のように思えますが,それは同時に危険を伴うやり方でもあります.キツネが勧めるのは,もっと時間はかかるけれども確実なやり方なのです.王子さまは「あまり時間がないんだ」と言いますが,ここでは時間を惜しむことは,実は一番避けるべきことなのです.
 毎日同じ時刻にやって来て,少しずつ近づくこと,これはすなわち学習です.キツネは王子さまに学習プログラムを提示するのです.このプログラムにしたがって,おれを相手に apprivoiser の実地練習をやってごらん,と言うのです.実際にやってみなければわからないし,身につかない.師匠がみずからを実験台にして,これを弟子に教え込もうとします.拙著『星の王子さまの謎』ではこう書いています.
 「こうして王子さまはキツネを手なずけることになる.手なずける行為の主体は王子さまでありキツネはその対象であるが,しかしこの行為を指導するのはキツネのほうなのである.実はこの手なずけることがそのまま王子さまにとっての実践的学習となることキツネは知っている」
 以上が,apprivoiser を訳すときに,私が先ほどの第2グループを採用しない理由です.
 訳語をどう選ぶか,というのは解釈と切り離せません.もちろん解釈はいくつもありますから,訳語もいくつもありえるでしょう.それぞれの訳者が自分の解釈にもとづいて訳しているはずです.そして,私は,解釈はたくさんの種類があるほどおもしろいと思っています.
 教室でいつも言っているのは,文学テクストの解釈はつねに複数あるということです.答えは一つではなくいくつもある.正しい解釈とか間違った解釈というものはない.優れた解釈と劣った解釈だけがある.優れた解釈がたくさん生まれれば,それだけテクストの読みが深まっていく.
 私の解釈も,もちろんたくさんある解釈の一つにすぎません.


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