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フランス語フランス文化質問箱

58Sekko:2006/11/08(水) 20:36:53
いいですよ
 ご指摘のブログを拝見しました。かなり誤解があります。まず、フランスの95年のセクトリストは、「教義によるカルト」の認定ではありません。ライシテとそれに基づく共和国主義を未成年に教育するための指針でした。当時も、法律に反することのない限り、これらのグループの存在は認められています。ただしフランスは、成年(18歳)に達するまでに共和国理念の教育を受けているというのが前提の「自由」なので、未成年(=分別力判断力の完成していない人間)の私的環境に干渉するのです。これは、ブログにあるようにカトリックの保護というのではなく、むしろ、私的地域的にどっぷりカトリックの刷り込みのあったフランスの歴史的状況との戦いを基礎にしてすべての反カルト法があるといっていいくらいです。ですから、反カルト法には今でもカトリック教会が目を光らせていて、信教の自由に反しないかチェックを入れているので、まあバランスは取れています。
 このリストは95年の時点で、フランスで、主として未成年に関係してしばしば訴訟の対象となったグループ(内部での教育機関に勧誘や宣伝、親権訴訟など)、金銭関係などに疑惑を持たれたグループ、寄付や脱会に際してしばしば訴訟の対象になったグループ、であり、「被害者」を助けるための非営利組織がすでにあるものがほとんどでした。「被害」とは、脱会の際に嫌がらせを受けたとか、洗脳されて大金を寄付してしまったとか、子供に法廷のワクチンを受けさせないとか、学校に行かせないとか、離婚した後、子供をつれてグループ生活をする親が、もう一方の親や祖父母との面会を認めないなどです。ブログにはオウム真理教が入っていないとありましたが、95年の時点でフランスでそういう被害がなかったからです。
 ですから教義とは直接の関係はなく(もし教義に社会から子供は隔離して育てるべしなどあれば別ですが)、宗教以外のグループも対象になるわけです。リストにはもちろん各グループの紹介がありますが、そこに挙げられている名目や公式の活動内容そのものがカルトだといわれているわけではありません。
 もちろん健康な大人が自分の判断でどのグループに入ろうと違法行動をしない限りOKです。ではこのリストがどういうふうに使われたかというと、離婚の時に一方が認定セクトに入っていると、入っていないもう一方が親権を主張しやすい、洗脳されていたとの主張が通りやすく賠償金をもらいやすいとかなどの訴訟シーンです。後、このリストに入っているグループは原則として、未成年教育施設、病院、リハビリ施設や老人ホームなど、判断力が充分でないか弱っている人の多い公共の場所とその半径200メートル以内での広報や勧誘活動ができなくなりました。それらのグループの「被害」は実際そういう場所での勧誘が多かったからです。教師が教室で広報勧誘するなどは当然だめですが、確かパリの16区のリセでは日本人のSGIの生徒が、リセの内部で友人を勧誘したことで一時問題になりました、未成年が未成年を、生徒が生徒を勧誘するというのは「想定外」だったからです。
 そういう「訴訟における判断の材料」というプラグマチックな意味があったので、170以上の名がリストにあったわけですが、その後状況は大きく変わりました。一つはもちろん2001年以後のイスラム原理主義のテロ問題です。
 移民や不法移民の子弟が共和国の学校から落ちこぼれる、モスクで原理主義グループに誘われてパキスタンなどの軍事訓練に行く、など深刻な問題がたくさん起こり、セクトどころではなくなったのです。172のグループの「被害者」はどちらかといえば、いいところの若者や小市民が多かったのですが、社会の別の次元の問題が大きな危険を伴って増大したのですね。それで、95年のカルトリストは、今年初めに一応役目を終えたことになりました。これは、それらのグループがセクト的傾向がなくなったと判断されたのではなく、95年の基準で行くと、今は同様のグループは170どころか400か500に上るそうで、172のリストに載っていないということを免罪符にすることの不都合のほうが大きくなったということらしいです。だからリストなどでくくらずに訴訟があるごとに個別のケースを審査すると言うことです。
 もちろん、カトリックの内部でも被害訴訟というのはあります。特定修道会に洗脳されたなどです。あるグループがセクト的であるかどうかは、普通は、教義そのものにあるのではなくその個別の運用にあるのですから。
 独善主義とか、秘密主義とか、全体主義など、共和国主義に反するとみなされる「セクト的」活動や考え方はあらゆるところにはびこっています。セクト(統合するものでなく分断するものというイメージで、フランス風ユニヴァーサリズムの敵)の誘惑といっていいくらいです。「自由・平等・友愛」といいますが、ほっておいたら、私たちは「不自由・不平等・憎悪」に限りなく向かっていくかのようです。だから建前など意味がなくてフランスは歪んでいるんだと言うより、だからこそ、建前をしつこく掲げて、試行錯誤しながら、理念を現実に反映しようと四苦八苦するフランスみたいな国があることは興味深いです。
今の日本では、子供が親と一緒に宗教団体で暮らし始めたら、祖父母が孫と会うことを拒否されても、どこへ訴えることもできず泣き寝入りするケースがほとんどですし、逆に、オウムの事件のように、カルト教団内で育てられていた子供たちを保護するどころか、就学を拒否したり「くさいものに蓋」式の封じ込めをするのも知られています。それよりはフランスの方が責任あるケアが期待できていいかなと思ってます。
 私の義妹はチベット仏教の学者であり僧侶です。その仏教センターに来る人々の心性は、旧ヒッピーというかエコロジーでロハスな人、リンポチェにをほぼ偶像崇拝してる人など、さまざまです。救いや幸福にもいろいろあって、救いや幸福を求める形にもいろいろあるんだと思わされます。でも救いや幸福を求める心につけこんで人をコントロールしたり搾取したりしようとする人間や組織も必ずいるわけで、私は少なくともそっち側(つけこむ側)に足を踏み入れないように気をつけたいです。
 そんなわけで、「・・はフランスでカルトに認定されてるからカルトだ」という言い方は、フランス人が言っても日本人が言っても間違いです。そんな言い方で断罪したり免罪したりせずに、グループや個人の個々の活動の現われを自由・平等・友愛の理念に照らしてこまめに微調整していくのがいいような気がします。


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