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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

166鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/06(木) 21:47:37 ID:1d4drIFg0
実在は体験されることなどないのじゃ。
ただそれであったと気づくだけなのじゃ。
一度としてそれでなかったことはないのじゃ。
永遠にそれだけが在ると気づくだけなのじゃ。

167避難民のマジレスさん:2018/09/07(金) 06:14:41 ID:LC3de7YgO
>>165
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 実在はそれ自身を、知識よりもむしろ行為によって表現するのでし
 ょうか? あるいはそれは感情の類なのでしょうか?
 マハラジ
 行為も、感情も、思考も実在を表現することはない。
 実在の表現といったものはない。
 あなたは二元性のないところに二元性を持ち込んだのだ。
 実在だけが在る。
 ほかには何もない。
 目覚め、夢見、眠りという三つの状態は私ではなく、私はそれらのなかには
 いない。
 私が死ぬとき、世界は「ああ、マハラジが亡くなった!」と言うだろう。
 しかし私にとって、それらは内容のない言葉であり、無意味なのだ。
 グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
 食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
 くように、すべては起こる。
 すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
 それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
 それは私の場合も同様だ。
 すべては必要にしたがって起こる。
 しかも、何も起こってはいないのだ。
 私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
 自体は架空のものだと知っているのだ。
 質問者 それでは、なぜ生きるのですか? なぜこれらすべての不必要な、
 来ては去り、目覚めては眠り、食べては消化するといったことを続
 けるのでしょう?
 マハラジ
 何ひとつ私によっては為されない。
 すべてはただ起こるのだ。
 私は期待しないし、計画も立てない。
 ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
 それらが非現実だと知りながら――。
 質問者 真我を実現した最初の瞬間から、あなたはつねにこのようだったの
 でしょうか?
 マハラジ
 いつものように三つの状態は交替する。
 そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
 それらはただ起こる。
 私には何も起こらないのだ。
 そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
 在―意識―至福がある。
 私はつねにそのなかに在る。
 いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできな
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

168素人A:2018/09/07(金) 09:00:42 ID:gOqWUDAs0
何故か今朝は暇でもむなしい時間が何か楽しく無い こんなときしょうがない
諦めて ため息ついた後 暇つぶし時間つぶしに椅子禅するかいいすねと
私が行動した仏もつづく楽しく無い時はほんの少し無料の坐禅がある

169避難民のマジレスさん:2018/09/07(金) 20:12:24 ID:h5P9mv0k0
アルコール依存者や性依存者は、依存を引き起こすようなトリガーや快楽の種になる対象を
生活圏から排除する努力は必要でしょうか?
居酒屋やコンビニには近づかない。
パソコンに保存しているポルノ動画を消す、等。

その上で原因を観察していく、と言う流れがよろしいでしょうか。

170鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/07(金) 22:36:37 ID:1d4drIFg0
 言葉でも思考でも感情でも意識は現せないのじゃ。
 一切の観念を超えているので在るからのう。
 観念を超えたものを観念の範疇で現すことは不可能なのじゃ。
 ただ一切の苦が無くなり、死も超えた境地と説く他は無いのじゃ。
 後は自ら悟りを得て確かめるのじゃ。


>>169 それも役立つじゃろう。
 見たり聞いたりすると欲しくなるというからのう。
 制感もよいのじゃ。
 
 そのようにするとよいじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

171避難民のマジレスさん:2018/09/08(土) 10:06:49 ID:LC3de7YgO
>>167
> そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
 在―意識―至福がある。
 私はつねにそのなかに在る。

「実在」がマハラジの「悟り」でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

172避難民のマジレスさん:2018/09/08(土) 10:12:53 ID:LC3de7YgO
>>165
> そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。

とは、どう言うことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

173避難民のマジレスさん:2018/09/08(土) 10:21:01 ID:LC3de7YgO
>>167
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 それでも、あなたは意識しています!
 マハラジ
 そうとも言えるし、またそうでないとも言える。
 そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。
 できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。
 私はほとんど気がつかないほどだ。
 質問者 もし私があなたを正しく理解したとすると、修練によって培うこと
 ではこの状態はやってきません。
 マハラジ
 やってくるということはない。
 それはつねにそうだったのだ。
 発見はあった。
 そして、それは突然のものだった。
 誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を
 発見したのだ。
 質問者 それは雲がかかっていて、あなたのサーダナ(修練)が霧を晴らし
 たのでしょうか? あなたの状態は永久なものでしょうか、断続的
 なものでしょうか?
 マハラジ
 絶対的に揺るぎのないものだ。
 私が何をするにせよ、それは岩のように不動なのだ。
 ひとたび実在に目覚めたならば、あなたは実在のなかにとどまる。
 子供は子宮のなかに戻りはしない! 
 それはシンプルな状態だ。
 極小よりもさらに小さく、極大よりもさらに大きい。
 それは自明であるにもかかわらず、描写を超えた彼方に在る。
 質問者 それへの道はあるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
 ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
 壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
 何も私を煩わさない。
 問題が起こっても私は抵抗しない。
 それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
 あなたの側には、とても多くの問題がある。
 私の側にはまったく問題がない。
 私の側に来なさい。
 あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
 何であれ起こることは起こるだろう。
 必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
 誠実さが要なのだ。
 質問者 私にできるでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 あなたには彼岸に渡る充分な能力がある。
 ただ、誠実でありなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

174鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/08(土) 21:44:19 ID:1d4drIFg0
>>171 そうじゃろう。
 不死の境地なのじゃ。

>>172 敏感になっているというような意味じゃろう。
 傷付くことは無いのじゃ。
 自分を守るよろいが無くなり、実在に対して敏感で鋭敏になっているとかなのじゃ。

175避難民のマジレスさん:2018/09/09(日) 07:52:33 ID:LC3de7YgO
>>174
鬼和尚、いつもありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

176避難民のマジレスさん:2018/09/09(日) 08:27:14 ID:LC3de7YgO
>>173
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】

 マハラジ
 世界を知覚する者は、世界以前に存在するのだろうか、あるいは、彼は世界
 とともに存在を現すのだろうか?
 質問者 何と奇妙な質問でしょうか? なぜあなたはそんな質問をされるの
 ですか?
 マハラジ
 あなたがその正しい解答を知らないかぎり、平和を見いだすことはできない
 からだ。
 質問者 私が朝目覚めるとき、世界はすでにそこにあって私を待っています。
 もちろん、世界が先に存在の中に現れ、私はずっと後になって、も
 っとも早くて私が誕生したときに現れます。世界と私の間では、身
  体が媒介となります。身体なしでは私も世界も存在しないでしょう。
 マハラジ
 身体はあなたのマインドのなかに現れ、マインドはあなたの意識の内容なの
 だ。
 あなたはあなたを変えることなしに永遠に変化しつづける意識の流れの不動
 の観照者だ。
 あなたの不変性があまりにも明白なため、それに気づかないだけだ。
 あなた自身をよく見てみなさい。
 そうすれば、それらすべての誤解や誤った観念は溶け去るだろう。
 魚が水のなかに生き、水なしでは生きられないように、全宇宙もあなたのな
 かに在り、あなたなしでは在りえないのだ。
 質問者 それは私たちが神とよぶものです。
 マハラジ
 神はあなたのマインドのなかの概念にすぎない。
 あなたは事実だ。
 あなたが知っているたったひとつ確かなことは、「ここに今、私は在る」と
 いうことだ。
 「ここと今」を取り除きなさい。
 「私は在る」が確固として残る。
 世界は記憶のなかに存在する。
 記憶は意識のなかに現れる。
 意識は気づきのなかに存在し、気づきは存在の水面上の光の反映なのだ。
 質問者 それでも、まだ私にとってはその反対の、「私は世界のなかに在る」
 ということがあまりにも明白であり、どうして世界が私のなかにあ
 るのか理解できません。
 マハラジ
 「私は世界であり、世界は私だ」と言うことさえ無知のしるしだ。
 しかし、人生において、世界との自己同一化をマインドのなかに保ち確信す
 るとき、無知を破壊し、完全に焼き尽くそうとする力が沸き上がってくるの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

177避難民のマジレスさん:2018/09/09(日) 08:32:17 ID:LC3de7YgO
>>176
ふむふむ。
 「私は世界であり、世界は私だ」などと言ったら、
>無知のしるし
どころが、狂人のようでありますが、それは、
>人生において、世界との自己同一化をマインドのなかに保ち確信す
 るとき、無知を破壊し、完全に焼き尽くそうとする力が沸き上がってくるの
 だ。

実在に気付く、= 悟る 為のテクニックなのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

178避難民のマジレスさん:2018/09/09(日) 21:15:11 ID:jfWCoXjM0
鬼和尚、4章のコメントもお願いします。

179鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/09(日) 22:51:42 ID:1d4drIFg0
>>177 そうじゃ、世界は自分なのじゃ。
 神も人の観念が作ったものじゃ。
 それに気づくのじゃ。

>>178 書くじゃろう。

180避難民のマジレスさん:2018/09/10(月) 06:53:04 ID:LC3de7YgO
>>176
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】(つづき)

 質問者 無知の観照者は、無知から分離しているのでしょうか? 「私は無
 知だ」ということは無知の一部分ではないでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、私が偽りなく言えることは、「私は在る」だけだ。
 それ以外はすべて推測だ。
 しかし、推測が習慣になってしまったのだ。
 考えることと見ることというすべての習慣を打ち破りなさい。
 「私は在る」という感覚が顕現の根本的な原因だ。
 それを自己、神、実在、あるいはほかの名で呼んでもいい。
 「私は在る」は世界のなかにある。
 しかし、それは世界の外に出るための扉を開く鍵なのだ。
 水面に踊る月は、水のなかに見られる。
 だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。
 質問者 それでも、まだ私は要点を逃しているようです。私がそのなかで生
 き、動き、存在する世界が私自身の創造、私自身の投影、私の想像
 だということは認めます。未知の世界、あるがままの世界、「絶対
 的物質」の世界、その物質が何であれ。映画のスクリーンがその上
 に投影された画像とはまったく似ていないように、私自身が創造し
 た世界は究極の、実在の世界とはまったく似ていないものかもしれ
 ません。それにもかかわらず、絶対の世界は私にまったく依存せず
 存在しているのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 あなたのマインドがその上に相対的な非実在の世界を投影してきた絶対的実
 在の世界は、あなたに依存していない。
 その単純な理由とは、それがあなた自身だからだ。
 質問者 そこに言葉の矛盾はありませんか? どうして非依存性が自己同一
 性を証明できるのでしょうか?
 マハラジ
 変化の動きを調べてみなさい。
 そうすればわかるだろう。
 あなたが不動である間、変わることのできるものはあなたに依存しないと言
 える。
 だが不変なるものは、何であれそれ以外の不変であるものとひとつなのだ。
 なぜなら、二元性は相互作用を暗示し、相互作用は変化を意味するからだ。
 言い換えれば、絶対的に物質的なものと絶対的に霊的なもの、完全に客観的
 なものと完全に主観的なものは、実体においても本質においても等しいとい
 うことだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

181避難民のマジレスさん:2018/09/10(月) 21:33:42 ID:HSQ6dzY60
>>180
いつもありがとうございます。本が分厚いのでこうして分けてくださることで
飛ばし読みしていた部分が復習できて、とても勉強になります。

この質問者はどうして空の月に還る方法を尋ねなかったのでしょう?
本当に知りたいのはそれだけのような気がします。

182鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/10(月) 22:46:24 ID:1d4drIFg0
右とか左とか上とか下とか分別するのが相対なのじゃ。
それは人が観念によってつくったものに過ぎないのじゃ。
左右上下も同じ空間なのじゃ。
それを越えたところに絶対性が在るのじゃ。

183避難民のマジレスさん:2018/09/11(火) 07:53:12 ID:LC3de7YgO
>>180
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】(つづき)

 質問者 三次元画像のように、光はそれ自身のスクリーンなのですね。
 マハラジ
 どんな比較もあてはまるだろう。
 理解すべき主要な点は、あなたがあなた自身の上に欲望と恐れの記憶をもと
 とした、想像の世界を投影したということだ。
 そして、そのなかにあなた自身を監禁したのだ。
 その魔法を解いて自由になりなさい。
 質問者 どのように魔法を解けばいいのでしょうか?
 マハラジ
 思考と行為において、あなたの非依存性を主張しなさい。
 結局、すべてはあなたが見、聞き、考え、感じることが現実だと確信するあ
 なた自身の信念にかかっているのだ。
 なぜあなたの信念を疑わないのか?
 この世界が意識のスクリーンの上に、あなたによって描かれたものだという
 ことは疑いないのだ。
 そして、それは完全にあなたの個人的な世界だ。
 たとえ世界のなかにあろうとも、あなたの「私は在る」という感覚だけが、
 世界に属さないものだ。
 どのような理論や想像による努力によっても、「私は在る」を「私はいない」
 に変えることはできない。
 あなたの存在を否定することが自体が、あなたの存在を主張している。
 ひとたび世界はあなた自身の投影だと悟れば、あなたはそれから自由だ。
 あなた自身の想像のなかにしか存在しない世界から自由になる必要はない!
 いかにその絵が美しくとも、あるいは醜くとも、それはあなたが描いたもの
 であり、あなたはそれに束縛されないのだ。
 誰もあなたにそれを押しつけてはいないということを悟りなさい。
 それは想像を現実と見なす習慣によるものなのだ。
 想像を想像としてみなさい。
 そして恐れから自由になるがいい。
 このカーペットの色は光によってもたらされたものだが、光がその色ではな
 いように、世界もあなたによって現れたが、あなたが世界なのではない。
 世界を創造し維持するものを、あなたは神、あるいは神の摂理と呼ぶかもし
 れない。
 しかし究極的には、あなたが神の存在の証明なのだ。
 その反対ではない。
 なぜなら、神についてのどんな質問をする前にも、尋ねるあなたがそこにい
 なければならないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

184鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/11(火) 21:48:19 ID:1d4drIFg0
人が認識する全ての世界は自らの心によって作られているから自ら解放することもできるのじゃ。
神もまた自らの観念であるから自ら作り出し、解放する事もできるのじゃ。
人が居なくなれば全ての世界は消え、神も消えるのじゃ。
そして人はいなくなる前に自らの意思で世界も神も消すこともできるのじゃ。

185避難民のマジレスさん:2018/09/12(水) 07:01:45 ID:LC3de7YgO
>>183
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】(つづき)

 質問者 神は時間のなかでの体験です。しかし、体験者は時間を超えていま
 す。
 マハラジ
 体験者さえも二次的なものだ。
 根源は無限なる意識の広がりだ。
 存在してきた、存在する、存在するだろうすべての計り知れない可能性なの
 だ。
 何であれあなたが目にするとき、それは存在の究極を見ているのだ。
 だが、あなたは雲や樹を見ていると想像してしまう。
 想像なしに見ること、歪みなしに聞くことを学びなさい。
 それがすべてだ。
 本質的に無名無形のものに、名前や形が属すると考えることはやめなさい。
 あらゆる知覚の形態は主観的なものであり、見たことや聞いたこと、触れた
 ものやにおいをかいだもの、感じたことや思ったこと、期待したことや想像
 したことは、すべて実在のなかではなく、マインドのなかにあるのだと悟り
 なさい。
 そうすれば、あなたは平安を体験し、恐れから自由になるだろう。
 「私は在る」という感覚さえも、純粋な光の存在の感覚から成るのだ。
 「在る」なしでも「私」はそこに在る。
 同様に、純粋な光もあなたが「私」と言おうと言うまいと、そこに在るのだ。
 その純粋な光に気づきなさい。
 そうすれば、けっしてそれを失うことはない。
 存在のなかの存在性、意識のなかの気づき、すべての体験への関心、それは
 描写不可能でありながら、完全に入手可能なものだ。
 なぜならそれ以外には何も存在しないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

186素人A:2018/09/12(水) 08:21:10 ID:gOqWUDAs0
マハラジさんは何時も脳天気で悔やむ事はないのだろうか
まあ僧言う役だからまあ良いか でも一人でため息ついてたばこの輪を
空にうかべたら絵になる風景か 一休み お役目ご苦労さん

187鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/12(水) 22:24:48 ID:1d4drIFg0
全ては本来名づけられず、形も無いものじゃ。
それを分別して記憶から名前や形を投射しているだけなのじゃ。
観念の世界がそのようにして作られるのじゃ。
それでもそこから抜け出すことは誰にでもできるものじゃ。
なぜならば真の実在は全てである意識だけで在るからのう。

188避難民のマジレスさん:2018/09/13(木) 06:42:58 ID:LC3de7YgO
>>185
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】(つづき)

 質問者 あなたは実在について、すべてに偏在し、常在、永遠、全知であり、
 すべてにエネルギーを与える第一の要因だと直接の体験から語って
 います。実在についての討論をまったく拒絶するほかの師たちもい
 ます。彼らは実在はマインドを超え、すべての討論は非実在の巣窟
(そうくつ)であるマインドの領域にある、と言っています。彼ら
 のアプローチは否定的なものです。非実在を正確に示すことで、そ
 れ自体を超えて実在にたどり着くのです。
 マハラジ
 違いは言葉の上にしかない。
 結局のところ、私が実在を語るとき、それは非実在ではないもの、空間も時
 間もなく、原因がなく、無始無窮(むきゅう)のものとして描写する。
 つまりは同じことなのだ。
 荷車が進んでいくかぎり、それを押すか引くかは問題ではない。
 あるときには実在に引きつけられ、別のときには偽りに対して反発を感じる。
 それらはただ気分が交互に入れ代わっただけだ。
 完全な自由に向かうためには、どちらも必要なものだ。
 あなたはある道を選び、あるいは別の道を選ぶ。
 だが、それぞれのときにそれは正しい道となる。
 ただ全身全霊で行きなさい。
 疑いやためらいに時間を費やしてはならない。
 多くの種類の食べ物が子供の成長にとって必要だ。
 だが、食べるという行為は同じだ。
 理論的には、すべてのアプローチが正しい。
 実際には、与えられたときにおいて、あなたはひとつの道を進むだけだ。
 もし本当に見いだしたいならば、遅かれ早かれひとつの場所だけを掘り進ま
 なければならないことを発見するに違いない。
 それが内面なのだ。
 身体もマインドも、あなたが探し求めているものを与えてくれはしない。
 あなたの探求はあなた自身を知り、あなた自身であること。
 そして、それとともにやってくる大いなる平安だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

189素人A:2018/09/13(木) 12:16:24 ID:gOqWUDAs0
私には身の置き所で自分でも何手ちいさな自分なんだろうと思い
でも此処に身を置いていると不安でアドレナリンは騒ぎ立て不安が
ないと動物は身を守れ無いしひっ様な行為何だ用煩悩馬鹿に出来ない
まあレベル低いんですよ まあなんとかかんとかで説きすすんで行く野鴨
なんでマハラジさんは向こう空みられるのかタバコ屋儲かっているのか
僧言う人で食うには困らないほど稼いでいる野鴨かあちゃんや子供は
いない野鴨 まあひとそれぞれでまあ良い化 私の心は安定しないけど

190避難民のマジレスさん:2018/09/14(金) 06:04:11 ID:LC3de7YgO
>>188
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】(つづき)

 質問者 すべてのアプローチには、かならず何らかの有益な効力があるはず
 です。
 マハラジ
 どの場合にもその価値は、あなたの内面の探求の必要性へと導くことにある。
 さまざまなアプローチに遊び興じるのは、誰か特別な存在として在るという
 幻想を放棄することを恐れた、内側へ入ることへの抵抗かもしれない。
 水を探すために小さな穴を至るところに掘ったりはしない。
 ただ、一カ所を深く掘りつづけるだけだ。
 同様に、あなた自身を見いだすためには自己を探求しなければならない。
 あなたが世界の光だと悟ったとき、あなたはその愛だということも悟るだろ
 う。
 知ることが愛すること、愛することが知ることなのだ。
 すべての愛情のなかで、自己への愛が最初に来るものだ。
 世界へのあなたの愛は、あなた自身へのあなたの愛の反映なのだ。
 世界はあなた自身の創造なのだから。
 光と愛は非個人的なものだ。
 しかし、それはあなたのマインドのなかで、知ることと自己の幸せを想うこ
 ととして映る。
 私たちはいつも私たち自身に対して親しく在る。
 だが、いつも賢明だとは言えない。
 ヨーギとは智慧と善意が手を取り合っている人だ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

191鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/14(金) 22:19:02 ID:1d4drIFg0
アートマンの法では全てを無として観るのじゃ。
ブラフマンの法では自分がどんどん広がっていくとイメージするのじゃ。
どちらも恐れずに実践し続ければ悟りも得られるのじゃ。
ただ一つの法をどこまでもやり続けるのが肝心なのじゃ。 
それをマハラジはただ一カ所を深く掘り続けるだけと語っているのじゃ。

192避難民のマジレスさん:2018/09/15(土) 12:10:12 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】

 質問者 私は話を聞くよりもむしろ、あなたとともにいるためにやってきま
 した。言葉では多くを語れません。沈黙はより雄弁です。
 マハラジ
 まずは言葉、それから沈黙だ。
 沈黙のためには成熟しなければならない。
 質問者 私は沈黙のなかで生きることができるでしょうか?
 マハラジ
 非利己的な仕事は沈黙へと導く。
 なぜなら、私利私欲なしに働くとき、あなたは助けを求める必要がない。
 結果に頓着せず、もっとも不適切な方法で働くことも厭わない。
 才能のあるなしや、用意が整っているかも気にせず、認められることも、援
 助も求めない。
 あなたはただ為すべきことを為し、成功や失敗は未知なるものに預ける。
 なぜなら、すべては無数の要因によって起こり、あなたの努力は、そのなか
 のひとつにすぎないからだ。
 しかし、人類の意志と愛がひとつになるとき、もっとも起こりそうにないこ
 とが起こる。
 人のマインドとハートの魔法とはそういうものなのだ。
 質問者 価値のある仕事のとき、援助を求めることに何の間違いがあるでし
 ょう?
 マハラジ
 求める必要がどこにあるだろうか?
 それはただ、弱さと不安を表しているだけだ。
 働きつづけなさい。
 そうすれば、宇宙はあなたとともに在るだろう。
 つまるところ、正しいことをしているという考えは未知なるものからやって
 くる。
 結果に関するかぎりは未知なるものにゆだねるがいい。
 ただ必要な行動を通り抜けるだけだ。
 あなたは因果関係の長い連鎖のなかのひとつの輪にすぎないのだ。
 根本的に、すべてはただマインドのなかで起こる。
 あなたが何かのために全身全霊で着々と働くとき、それは起こる。
 なぜなら、ものごとを起こらせることがマインドの機能だからだ。
 実際には、何の欠如も必要もない。
 すべての仕事はただ表面上のものだ。
 その深みには完全な平和がある。
 すべての問題が現れるのは、あなたが自分自身を定義し、それゆえ限定した
 からだ。
 あなたが自分自身をあれやこれやと考えないとき、すべての葛藤はやむ。
 問題に対処しようとするいかなる試みも、失敗せざるをえない。
 なぜなら、欲望によって起こったことは、欲望から自由になることによって
 のみ、取り消すことができるからだ。
 あなたは自分自身を時間と空間のなかに閉じこめ、一生という期間と、身体
 という容積のなかに自分を押し込めてしまった。
 それゆえ、生と死、快楽と苦痛、期待と恐れという無数の葛藤をつくり出し
 たのだ。
 幻想を放棄せずに、問題を追い払うことはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

193避難民のマジレスさん:2018/09/15(土) 12:15:01 ID:LC3de7YgO
>>192
ここで、語られてる非利己的な仕事とは、まさにバガヴァッド・ギーターのカルマヨーガのことでありますね!
(´・(ェ)・`)b

194鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/15(土) 21:27:19 ID:1d4drIFg0
↑そういえるじゃろう。
マハラジも当然カルマヨーガを知っていたじゃろう。
為すべきことを為し、成功や失敗は未知なるものに預けるというのが正しくカルマヨーガの教えなのじゃ。
実践してみるとよいのじゃ。

195避難民のマジレスさん:2018/09/16(日) 11:37:06 ID:LC3de7YgO
>>192
1『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 個人はもともと限定されるものです。
 マハラジ
 個人というようなものは存在しない。
 そこにはただ制限と限定があるだけだ。
 それらの定義の総計が個人なのだ。
 あなたが何なのかを知るとき、あなたはあなた自身を知っているかのように
 考える。
 しかし、あなたはけっしてあなたが誰なのかを知らないのだ。
 壺のなかの空間が壺の匂いと容積と形を一見もっていると見えるように、個
 人はただ現れたように見えるだけだ。
 あなたはあなたが自分自身だと信じているものではないということを見抜き
 なさい。
 あなたとは名づけることのできる、描写可能なものだという観念に対して全
 力で闘いなさい。
 あなたは存在しないのだ。
 あれやこれといった言葉で自分自身を思うことを拒否しなさい。
 調べることなく、盲目的に受け入れることでつくり出してきた惨(みじ)め
 さからの出口はほかにないのだ。
 苦しみは探求への呼びかけだ。
 すべての痛みは調べられることが必要なのだ。
 考えることをおろそかにしてはならない。
 質問者 行動は実在の本質です。働かないことのなかには何の徳もありませ
 ん。考えることとともに何かが為されなければなりません。
 マハラジ
 世界のなかで働くことは難しい。
 すべての不必要な仕事をやめることは、さらに難しい。
 質問者 個人としての私にとってこれらはみな不可能なように見えます。
 マハラジ
 あなた自身について、あなたは何を知っているだろうか?
 あなたは、真実あなたであるものとしてだけ在ることができる。
 あなたでないものとしては、そう現れるように見えるだけだ。
 あなたは完全性からけっして離れたことがない。
 すべての自己改善という観念は、慣習的な、言語上のものだ。
 太陽が暗闇を知らないように、自己は非自己を知らない。
 他者を知ることで他者に成ってしまうのはマインドなのだ。
 それにもかかわらず、マインドこそがほかでもない自己なのだ。
 自己は他者、非自己になり、しかも自己として残る。
 それ以外のすべては見せかけにすぎない。
 雲が太陽に影響を与えることなく太陽を覆(おお)い隠してしまうように、
 見せかけは実在を破壊することなしに実在を隠してしまう。
 実在の破壊という観念自体、道理に合わない。
 破壊者はつねに破壊されたものよりもリアルなのだ。
 実在は究極の破壊者だ。
 すべての分離、あらゆる疎遠や疎外は偽りだ。
 すべてはひとつだ――これがあらゆる衝突の最終的な解決法なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

196避難民のマジレスさん:2018/09/16(日) 11:41:21 ID:LC3de7YgO
>>195
>太陽が暗闇を知らないように、自己は非自己を知らない。
> 雲が太陽に影響を与えることなく太陽を覆(おお)い隠してしまうように、
 見せかけは実在を破壊することなしに実在を隠してしまう。
 実在の破壊という観念自体、道理に合わない。
 破壊者はつねに破壊されたものよりもリアルなのだ。
 実在は究極の破壊者だ。

↑くまにも分かる例えばなしであります。
(´・(ェ)・`)つ

197鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/16(日) 23:57:16 ID:1d4drIFg0
自分という幻想がそれ自体の非存在を知ることはないのじゃ。
自分は幻想として有り、妄想を産むだけであるからのう。
自分という幻想から産まれた妄想に人は現実であるというさらなる幻想を抱くのじゃ。
そのようにして迷いの上に迷いを重ねる様になるのじゃ。

198避難民のマジレスさん:2018/09/17(月) 08:41:08 ID:LC3de7YgO
だから、サマディから我にかえる時や眠りからの目覚めの時などに、自我が生じる瞬間をとらえろと言われるのでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

199避難民のマジレスさん:2018/09/17(月) 08:53:37 ID:LC3de7YgO
>>195
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 こんなにも多くの指導や援助にもかかわらず、私たちが進歩をとげ
 ないのはなぜでしょうか?
 マハラジ
 私たちが自分たちを他者からまったく離れた、分離した人物だと想像するか
 ぎり、本質的に非人格である実在を理解することはできない。
 まず私たちが次元も時間も超えた観察の中心である観照者としての私たち自
 身を知らなければならない。
 そしてそのとき、マインドと物質の両方であり、そのどちらをも超えた広大
 無辺で純粋な覚醒の大洋を悟るのだ。
 質問者 実在において私が何であろうと、私は小さな分離した数多くのなか
 のひとりの個人だと感じます。
 マハラジ
 あなたが個人として在るのは、時間と空間という幻想のためだ。
 あなたが自分をある容積を占有する、ある点だと想像しているからだ。
 あなたの人格は身体との同一視によるものだ。
 あなたの思考と感情は時間の連鎖のなかに存在し、記憶があなた自身をある
 期間、存在しつづけていると想像させるのだ。
 実際には、時間と空間があなたのなかに存在する。
 あなたが時間と空間のなかに存在するのではない。
 それらは知覚の様式だ。
 だが、それらがすべてなのではない。
 時間と空間は紙の上に書かれた文字のようなものだ。
 紙は現実だが、言葉は表現のための約束事にすぎない。
 あなたは何歳だろうか?
 質問者 四十八です。
 マハラジ
 何があなたを四十八歳と言わせるのだろう?
 何があなたを「私はここにいます」と言わせるのだろう?
 憶測から生まれた言葉の習慣だ。
 マインドは時間と空間をつくり出し、自らの創造を実在と見なすのだ。
 すべては今ここに在る。
 だが、私たちはそれを見ない。
 本当は私のなかに、私によってすべてが在る。
 ほかには何もない。
 「ほか」という考えそのものが災いなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

200避難民のマジレスさん:2018/09/17(月) 09:01:34 ID:LC3de7YgO
>>199
>時間と空間は紙の上に書かれた文字のようなものだ。
 紙は現実だが、言葉は表現のための約束事にすぎない。

>マインドは時間と空間をつくり出し、自らの創造を実在と見なすのだ。
 すべては今ここに在る。
 だが、私たちはそれを見ない。
 本当は私のなかに、私によってすべてが在る。
 ほかには何もない。
 「ほか」という考えそのものが災いなのだ。
(´・(ェ)・`)つ

201鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/17(月) 19:28:49 ID:1d4drIFg0
>>198 そうじゃ、その一瞬だけ人は自分という幻想から離れられるのじゃ。
 直ぐに自分という幻想を思い出してしまうがのう。
 その前の一瞬を捉えて観察できたならば観照も起こり、無我になるのじゃ。

 自分から自他の全ての幻想が起こるのじゃ。

202避難民のマジレスさん:2018/09/18(火) 07:00:27 ID:LC3de7YgO
>>199
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 人格化の原因、時間と空間のなかでの自己限定の原因は何なのでし
 ょうか?
 マハラジ
 存在しないものが原因をもつことはできない。
 分離した個人というようなものは存在しないのだ。
 経験的見地から言っても、すべてがすべての原因であることは明らかだ。
 すべてはあるがままだ。
 なぜなら、宇宙全体があるがままだからだ。
 質問者 それでも、人格に原因はあるはずです。
 マハラジ
 人格はどのようにして存在を持つのだろうか?
 記憶によってだ。
 現在を過去と同一視し、未来へと投影することによってだ。
 あなた自身を過去も未来もない、一時的なものとして考えてみなさい。
 あなたの人格は消え去るだろう。
 質問者 「私は在る」は残らないのでしょうか?
 マハラジ
 「残る」という言葉は当てはまらない。
 「私は在る」はつねに新鮮なものなのだ。
 あなたが在るために、覚えている必要はない。
 実際問題として、あなたが何かを体験する前に、そこには存在の感覚がなけ
 ればならないからだ。
 現在、あなたの存在は体験することと混同している。
 あなたに必要なことは、体験のもつれから存在を解きほどくことだけだ。
 ひとたびあなたがあれやこれとして在ることのない純粋な存在を知ったなら
 ば、もはやそれを体験のなかから認識することも、名前や形によって迷わさ
 れることもないだろう。
 自己限定は人格の主要な本質なのだ。
 質問者 どのようにして私は普遍的になれるのでしょうか?
 マハラジ
 だが、あなたは普遍なのだ。
 あなたはすでにそうであるものになることはできないし、またなる必要もな
 い。
 ただ、あなた自身が特定の存在だと想像するのをやめなさい。
 去来するものは存在をもたない。
 それはその現れそのものが実在のおかげをこうむっている。
 あなたは世界が在ることを知っているが、世界はあなたのことを知っている
 だろうか?
 すべての知識は、すべての存在とすべての喜びとしてあなたから生じる。
 あなたが永遠の源であり、すべてはあなた自身のものなのだと悟りなさい。
 そのような受容が真の愛なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つつく)

203鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/18(火) 22:13:27 ID:1d4drIFg0
マハラジも記憶に拠って自我があると知っていたのじゃ。
人格も記憶の産物なのじゃ。
他と違う自分という記憶を再生して自我を保っているだけなのじゃ。
それが自分であり、自分を守ると信じているのじゃ。

204避難民のマジレスさん:2018/09/19(水) 06:57:54 ID:LC3de7YgO
>>202
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 あなたの言われることはどれもすばらしい話です。しかし、どのよ
 うにしてそれをひとつの生き方にすればよいのでしょうか。
 マハラジ
 家を一歩も出たことがないのに、あなたは家への帰り道を尋ねている。
 誤った考えを捨て去りなさい。
 それだけだ、
 正しい考えを寄せ集めることも助けにはならない。
 ただ、想像することをやめなさい。
 質問者 それは達成という問題ではなく、理解の問題なのですね。
 マハラジ
 理解しようとしてはならない
 誤解しなければそれで充分だ。
 解放を得るためにマインドに頼ってはいけない。
 あなたを束縛へと追いやったのはマインドなのだ。
 それをすべて超えていきなさい。
 はじまりのないものに原因はありえない。
 あなたは、あなたが何であるかを知っていて、それから忘れてしまったわけ
 ではない。
 ひとたび知れば、あなたは忘れることはできない。
 無知にははじまりがない。
 しかし、終わりはある。
 誰が無知なのか、と探求しなさい。
 そうすれば、無知は夢のように溶け去る。
 世界は矛盾でいっぱいだ。
 それゆえ、あなたは調和と平和を探しているのだ。
 それらを世界のなかに見いだすことはできない。
 世界とは混沌(こんとん)の子供だからだ。
 秩序を見いだすためには、あなたは内面を探求しなければならない。
 あなたが身体の中に生まれて、はじめて世界は存在を表す。
 身体がなければ、世界はない。
 まずあなたが身体なのかどうか、探求しなさい。
 世界を理解することは、後にそれにしたがってやってくるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

205鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/19(水) 22:05:49 ID:1d4drIFg0
知識はそれだけでは助けにならないとマハラジも語っているのじゃ。
無用な知識をいくら集めても無意味なのじゃ。
実践のための知識があれば十分なのじゃ。
自分の心の内面を探求することがマハラジによって説かれたその知識なのじゃ。
それは全てのブッダ達の教えと同じなのじゃ。

206避難民のマジレスさん:2018/09/20(木) 07:33:45 ID:LC3de7YgO
>>204
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 あなたの言われることは納得のいくものです。しかし、それらが世
 界のなかで、世界に属する個人として在る人にとって、何になると
 いうのでしょうか?
 マハラジ
 多くの人がパンを食べている。
 だが小麦についてすべてを知っている人は、ほんのわずかだ。
 そして、それを知っている人だけがパンを改良することができる。
 同様に、自己を知る人だけ、世界を超えた彼方を見た人だけが世界を改善で
 きるのだ。
 個人としてある人たちにとって、彼らの価値は途方もないものだ。
 なぜなら、彼らだけが自分たちの解放への唯一の期待だからだ。
 世界のなかに在るものが、世界を救うことはできない。
 もしあなたが本当に世界を救おうとするなら、そこから出なければならない
 のだ。
 質問者 しかし、世界から出ることができるのでしょうか?
 マハラジ
 世界とあなた、どちらが先に生まれたのだろうか?
 世界が先だと考えるかぎり、あなたはそれに縛られているのだ。
 疑いの跡形もなく、世界はあなたのなかに在り、あなたが世界のなかに在る
 のではないとひとたび悟れば、あなたは外に出ている。
 もちろん、あなたの身体は世界のなかに、世界に属したままだ。
 だが、あなたはもはやそれに惑わされはしない。
 すべての聖典は世界が存在する前に創造者が存在したと言っている。
 誰が創造者を知っているのだろうか? 
 創造者以前に存在したのは、すべての世界とその創造物の源である、あなた
 の真我だけなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

207鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/20(木) 19:52:43 ID:1d4drIFg0
全ての世界は人の観念によって作られたものじゃ。
認識が無ければ世界も無いものじゃ。
全ての世界は認識されたものであり、認識できない認識主体から産まれるものじゃ。
それがわかれば世界の外に出ているといえるのじゃ。

208避難民のマジレスさん:2018/09/20(木) 20:22:16 ID:LC3de7YgO
>>207
むかし、プレデターって映画をみたのであります。
昆虫みたいな宇宙人と、地球の英雄が戦うのでありますが、
宇宙人の見ている世界は、人には見えない赤外線や紫外線みたいな映像なのであります。
観念の世界は、自分の世界でしかなく、見ている対象そのものではないのでありますね。
自分が自分であると思ってるものも、幻想でありますね。
くまも、何とかして世界の外に出たいであります。
(´・(ェ)・`)つ

209避難民のマジレスさん:2018/09/21(金) 06:48:40 ID:LC3de7YgO
>>206
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 あなたの言われることはすべて、世界があなた自身の投影だという
 仮定によって筋が通ります。あなたは個人的主観的な世界、感覚と
 マインドを通してあなたに与えられた世界を認めています。その意
 味では、わたしたちそれぞれが投影による世界に生きているという
 ことです。それらの個人的な世界はほとんど互いに通ずることもな
 く、それらの中心である「わたしは在る」から現れ、そのなかに溶
 け去っていきます。しかし、間違いなくその個人的世界の背後には、
 共通の客観的世界があるはずです。その客観的世界のなかで、個人
 的世界はただの影にすぎません。あなたはそのようなすべてに共通
 な客観的世界を否定しますか?
 マハラジ
 実在は主観的でも客観的でもなく、マインドでも物質でもなく、時間でも空
 間でもない。
 これらの区分には、それが起こる当の人、意識的な分離した中心が必要とな
 る。
 しかし、実在はすべてであり無であり、全体性と排他性であり、充満と虚空
 であり、完全に首尾一貫し、絶対的に矛盾したものだ。
 それについて語ることはできないのだ。
 あなたは、ただあなた自身をそのなかに失うことができるだけだ。
 あなたが実在ではないものすべてをどこまでも拒絶していくと、最終的に否
 定しきれず残されたものにであう。
 ジニャーナ(真理の知識)に関する話はすべて無知の印だ。
 知らないのだと想像し、それから知るようになるのはマインドなのだ。
 実在はこれらの歪曲に関して何も知らない。
 創造者としての神という理念さえも偽りだ。
 わたしは自己の存在を何かほかの存在に負うだろうか? 
 わたしは存在する。
 それゆえ、すべては存在するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

210鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/21(金) 21:17:06 ID:1d4drIFg0
>>208 そうじゃ、世界は見る者によって全く違うのじゃ。
 同じ世界でもプレデターのように赤外線や紫外線で観れば違うように、観念で異なる世界をそれぞれの人間は観ているのじゃ。
 世界を創る自分が観られればそれも消えるのじゃ。

マハラジも創造者としての観念すらも偽りというのじゃ。
真の世界の創造者は自分の心なのじゃ。
それを超越すればもはや語る術も無い不死の境地に入るのじゃ。

211避難民のマジレスさん:2018/09/22(土) 08:11:36 ID:LC3de7YgO
>>209
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 どうしてそうあり得るでしょう? 子供は世界のなかに生まれます。
 世界が子供のなかに生まれるのではありません。世界は古く、子供
 は新しいのです。
 マハラジ
 子供はあなたの世界に生まれてくるのだ。
 さて、あなたは世界のなかに生まれたのだろうか、それとも、世界があなた
 に対して現れたのだろうか? 
 生まれるということはあなた自身を中心として、あなたの周りに世界をつく
 り出すことだ。
 しかし、あなたがあなた自身を創造したのだろうか? 
 あるいは、誰かがあなたを創造したのだろうか? 
 誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、そのなか
 で生きているのだ。
 わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在生を否定することだけ
 だ。
 質問者 眠りの間に目覚めの状態が種子として存在するように、生まれてく
 ることによって子供がつくり出した世界も、子供の誕生以前に存在
 していたのです。その種子は誰とともにあるのでしょうか?
 マハラジ
 死と誕生を観照し、しかもけっして生まれず死ぬこともないその人とともに
 ある。
 ただ彼だけが創造の種子であり、最後に残るものなのだ。
 マインドの彼方に何があるのかを、マインドに確認するよう頼むわけにはい
 かない。
 直接体験だけが唯一有効な証拠なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

212鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/22(土) 22:33:28 ID:1d4drIFg0
自分が自分と世界を作り出す。
それは真実で在るが知る者は少ないのじゃ。
世界が有り、自分が生じたと思っておる。
それが人の信じる神話なのじゃ。
それこからぬけ出す直接体験とはその欺瞞を完全に観察する事なのじゃ。

213避難民のマジレスさん:2018/09/23(日) 05:45:04 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】

 質問者 私の職業は医師です。外科からはじめて、現在は精神医学をやって
 います。また、信仰による精神的健康とヒーリングに関する何冊か
 の著作があります。あなたから霊的健康の法則を学ぶために来まし
 た。
 マハラジ
 あなたが患者を治療しようとするとき、正確には、あなたは何を治そうとし
 ているのだろうか?
 治療とは何だろうか?
 人が治ったと言えるのはどの時点だろうか?
 質問者 私は身体を治療すると同時に、身体とマインドのつながりも改善し
 ようとします。また、マインドを回復させようともします。
 マハラジ
 あなたはマインドと身体の連結を調べただろうか?
 どの点でそれらは連結しているのだろうか?
 質問者 身体と内在する意識の間にマインドがあるのです。
 マハラジ
 身体とは食べ物によってできたものではないだろうか?
 質問者 身体は食べ物によって築かれ維持されています。食べ物なしにはマ
 インドは通常衰弱していきます。しかし、マインドは単なる食べ物
 ではありません。そこにはマインドを身体のなかにつくり出す、あ
 る変容させる要因があります。その変容させる要因とは何でしょう
 か?
 マハラジ
 木が木ではない火を生みだすように、身体は身体ではないマインドをつくり
 出すのだ。
 しかし、マインドは誰にとって現れるのだろう?
 あなたがマインドと呼ぶ思考や感情を知覚するのは誰だろうか?
 木があり、火があり、火を楽しむ人がいる。
 誰がマインドを楽しむのだろうか?
 楽しむ人もまた食べ物の結果だろうか、あるいはそれに依存しないのだろう
 か?
 質問者 知覚する人は依存しません。
 マハラジ
 どうやってあなたは知るのだろう?
 あなた自身の体験から語りなさい。
 あなたは身体でもなくマインドでもないと言う。
 どのようにしてそれを知るのだろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

214鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/23(日) 22:11:50 ID:1d4drIFg0
マインドや身体という分別さえも人の観念が作り出すものじゃ。
それらは別々のものではなく関連しあって働くのじゃ。
そして認識されているものなのじゃ。
それに気付いた時に個我も離れるのじゃ。

215避難民のマジレスさん:2018/09/23(日) 22:42:18 ID:LC3de7YgO
>>214
うむ。
銀河中心に支配された、片隅の太陽系の中の地球上の全ては海と大地と大気で繋がってるのでありますね。
宇宙に支配されてると思うことは、そのように思い描く、くまにより支配されてるのだとも言えるわけでありますね。
思い描けることは全て、夢でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

216避難民のマジレスさん:2018/09/24(月) 06:47:53 ID:LC3de7YgO
>>213
1『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 私は本当は知りません。そう推測したのです。
 マハラジ
 真理は永遠のものだ。
 実在は不変だ。
 変化するものは実在ではない。
 実在は変化しない。
 さて、あなたのなかで変化しないものとは何だろうか?
 食べ物があるかぎり、身体とマインドはある。
 食べ物がなくなれば、身体は死に絶える。
 マインドは溶け去る。
 だが、観察者は消えるだろうか?
 質問者 私は消え去らないと思いますが、証拠がありません。
 マハラジ
 あなた自身がその証拠なのだ。
 ほかのどんな証拠もあなたはもっていないし、もつこともできない。
 あなたはあなた自身だ。
 あなたはあなた自身を知り、あなた自身を愛している。
 何であれマインドがすることは、それ自身への愛のためにするのだ。
 自己の本性そのものが愛なのだ。
 それは愛し、愛され、そして愛すべきものだ。
 身体とマインドをそんなにも興味深く、親しくするのは自己だ。
 それらに与えられる配慮自体も自己からやってくるのだ。
 質問者 もし真我が身体でもマインドでもないなら、身体とマインドなしに
 自己は存在できるのでしょうか?
 マハラジ
 できる。
 自己がマインドと身体から独立した存在だということは実際の体験なのだ。
 それは存在―意識―至福だ。
 存在の意識は至福なのだ。
 質問者 それはあなたにとっては実際体験でしょうが、私にとってはそうで
 はありません。私はどのようにして同じ体験に行き着くことができ
 るでしょうか? 何の修練にしたがい、どのような訓練をすればよ
 いのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが身体でもマインドでもないと知るには、あなた自身を油断なく揺る
 ぎなく見守ることだ。
 また、あなたの身体とマインドに影響を受けることなく、完全に距離を置き、
 あたかも死んでいるかのように生きるがいい。
 つまりあなたは身体にもマインドにも既得権をもっていないという意味だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

217避難民のマジレスさん:2018/09/24(月) 10:51:05 ID:LC3de7YgO
>あたかも死んでいるかのように生きるがいい。
 つまりあなたは身体にもマインドにも既得権をもっていないという意味だ。

←うぅむ。
実際は、いろいろ感じるし思う。
そこを我慢して、
なにも感じない、なにも思わない。
そのように振る舞うことが修行でありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

218鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/24(月) 21:10:41 ID:1d4drIFg0
>>215 そうじゃ、全て繋がっているのじゃ。
 個我は夢なのじゃ。

>>217 そうじゃ、死んで死に切るのじゃ。
 そうすれば自分では無い者が感得されるのじゃ。

 
 意識は肉体や思考感情などがなくなっても消えることは無いのじゃ。
 全てがそれなのじゃ。

219避難民のマジレスさん:2018/09/25(火) 06:21:27 ID:LC3de7YgO
>>216
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 それは危険です!
 マハラジ
 私はあなたに自殺しろと言っているのではない。
 それに、あなたにはできない。
 あなたが殺せるのは身体だけだ。
 精神的過程を止めることはできないし、あなたがあなただと考えている個人
 に終止符を打つこともできないのだ。
 ただ、影響を受けずにいなさい。
 このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
 存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
 だ。
 身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
 しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
 られるのだ
 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
 た自身ではないのだと思い出しなさい。
 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
 まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
 なぜなら、記憶が体験となるからだ。
 誠実さが存在を明かすのだ。
 想像し、決意したことが現実となる。
 ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。
 あなたがどのようにして不変である本来の自己を身体とマインドから切り離
 したのか、話してみなさい。
 質問者 私は医者です。私は多くを学び、訓練方法としての厳しい制御と、
 定期的な断食を自らに課してきました。私は菜食主義者です。
 マハラジ
 しかし、ハートの奥底で、本当にあなたが欲しているものは何だろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

220鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/25(火) 22:29:17 ID:1d4drIFg0
本来の自己というものがあるというわけではないのじゃ。
それを探求していけば自分の観念に気付くのじゃ。
それが私は在るという探求の道なのじゃ。
認識できないものにまで探求が進めば自分もなくなるのじゃ。

221避難民のマジレスさん:2018/09/26(水) 06:47:02 ID:LC3de7YgO
>>216
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 それは危険です!
 マハラジ
 私はあなたに自殺しろと言っているのではない。
 それに、あなたにはできない。
 あなたが殺せるのは身体だけだ。
 精神的過程を止めることはできないし、あなたがあなただと考えている個人
 に終止符を打つこともできないのだ。
 ただ、影響を受けずにいなさい。
 このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
 存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
 だ。
 身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
 しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
 られるのだ
 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
 た自身ではないのだと思い出しなさい。
 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
 まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
 なぜなら、記憶が体験となるからだ。
 誠実さが存在を明かすのだ。
 想像し、決意したことが現実となる。
 ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。
 あなたがどのようにして不変である本来の自己を身体とマインドから切り離
 したのか、話してみなさい。
 質問者 私は医者です。私は多くを学び、訓練方法としての厳しい制御と、
 定期的な断食を自らに課してきました。私は菜食主義者です。
 マハラジ
 しかし、ハートの奥底で、本当にあなたが欲しているものは何だろうか?
 質問者 私は実在を見いだしたいのです。
 マハラジ
 実在のために、どれほどの代償を支払う用意があるのかね?
 いくらでもかまわないかね?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

222避難民のマジレスさん:2018/09/26(水) 06:52:16 ID:LC3de7YgO
>>221
> 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
 た自身ではないのだと思い出しなさい。
 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
 まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
 なぜなら、記憶が体験となるからだ。
 誠実さが存在を明かすのだ。
 想像し、決意したことが現実となる。
 ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。

←死んだように生きたり、全てである実在のように生きたりしてれば、いつかそうなると言う、イメージトレーニングでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

223鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/26(水) 21:53:33 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、そのように意志が在るから悟りも得られるのじゃ。
全てが観念であり、妄想であるならば何をしようと逃れられない筈で在るからのう。
ただ意志によって解脱を目指すことで観念妄想からも離れる道が見出されるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。

224避難民のマジレスさん:2018/09/27(木) 06:35:47 ID:LC3de7YgO
>>221
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 理論的には、いかなる代償も支払う用意があります。実際の人生で
 は、何度も何度も私と実在の間を阻むような行動をさせられてきま
 した。欲望が私を夢中にさせるのです。
 マハラジ
 あなたの欲望を、実在以外にはそれを満たすことができなくなるほど増大さ
 せ、拡大させなさい。
 欲望が間違いなのではない。
 だがその狭さ、小ささが間違いだ。
 欲望とは献身だ。
 ぜひとも真実に、かぎりなきものに、生命の永遠のハートに献身しなさい。
 欲望を愛に変容させなさい。
 あなたが求めているのは幸福であることだけだ。
 あなたのすべての欲望はそれが何であれ、あなたの幸福への熱望の表現なの
 だ。
 基本的に、あなたはあなた自身の幸福を望んでいるのだ。
 質問者 そうすべきではないと、私は知っています……。
 マハラジ
 何だって!
 誰がそうすべきではないとあなたに言ったのかね?
 幸せになることの何が悪いのか?
 質問者 自己は去らねばなりません。
 マハラジ
 しかし、自己はそこにある。
 あなたの欲望はそこにある。
 あなたの幸福への熱望はそこにある。
 なぜか?
 なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。
 あなた自身を愛しなさい。
 賢明に。
 あなたを苦しめることになるような、愚かな仕方であなた自身を愛してはな
 らない。
 あなた自身を賢明に愛しなさい。
 耽溺(たんでき)も禁欲も、ともにあなたを幸せにする同じ目的をもってい
 る。
 耽溺は愚かな方法であり、禁欲は賢い方法だ。
 質問者 禁欲とは何でしょうか?
 マハラジ
 ひとたびあなたが体験を通り抜けたなら、ふたたびそれを通らないことが禁
 欲だ。
 不必要なことを避けることが禁欲だ。
 つねにものごとを制御することが禁欲だ。
 欲望自体は何も悪いものではない。
 それは生命そのもの、知識と体験のなかに成長しようとする衝動なのだ。
 間違いはあなたの選択にある。
 食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
 と想像するのは、自分自身を欺くことだ。
 あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
 に幸福にするのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

225鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/27(木) 21:28:27 ID:1d4drIFg0
欲そのものは生きるためとか、子孫繁栄の為に必要なものなのじゃ。
欲に強く囚われ、自他の不利益をも省みないようになってしまうのがいかんのじゃ。
それを仏教では煩悩の一つである貪欲と呼ぶのじゃ。
むさぼる欲なのじゃ。
名声や権力やセックスや金や食物に強く執着することは自らを欺くことでさえあるとマハラジは言うのじゃ。
それらは人を永遠の幸せに導くことは出来ないからなのじゃ。
不安や恐れ役からの一時の逃避に過ぎないのじゃ。
そうであるから意識して貪欲を離れる必要が在るのじゃ。

226避難民のマジレスさん:2018/09/28(金) 06:38:44 ID:LC3de7YgO
>>224
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 自己愛の表現としての欲望が何も基本的に間違ったものではないと
 すれば、どのように欲望を扱えばよいのでしょうか?
 マハラジ
 つねにもっとも深い自己への興味を心に保ち、生を知的に生きなさい。
 結局、あなたが本当に欲しいのは何なのか? 
 完璧ではない。
 あなたはすでに完璧なのだ。
 あなたが求めているのは、あなたであるものを行為のなかで表現することな
 のだ。
 このためにあなたは身体とマインドを持っているのだ。
 それらを手にし、あなたに仕えさせなさい。
 質問者 ここで操作をする人は誰でしょうか? 誰が身体とマインドを手に
 しているのでしょうか?
 マハラジ
 浄められたマインドが自己の誠実な奉仕者なのだ。
 それが内面と外面の道具を監督し、それらを目的のために仕えさせるのだ。
 質問者 それらの目的とは何でしょう?
 マハラジ
 自己は普遍のものだ。
 そしてその目的も普遍のものだ。
 自己には個人的なものは何もない。
 秩序ある生を生きなさい。
 だが、それ自体を目的にしてはならない。
 それは高次の冒険のための出発点であるべきだ。
 質問者 あなたは私がインドを繰り返し訪れることを勧めますか?
 マハラジ
 もしあなたが真剣ならば、あちこち動き回る必要はない。
 どこにいようと、あなたはあなた自身だ。
 そして、あなたは自分自身の空気をまわりにつくり出す。
 移動や交通は解放を与えはしない。
 あなたは身体ではないのだ。
 身体を場所から場所へと引きずりまわしても、あなたをどこへも連れて行き
 はしない。
 あなたのマインドは三界を思いのままに行き来するのも自由なのだ。
 それを最大限に利用するがいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

227鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/28(金) 22:36:15 ID:1d4drIFg0
昔から悟りを求めて多くの者がインドに行ったりしたのじゃ。
そこで正しい師匠に会えば教えられるのは自分の心を観ることだけなのじゃ。
それならば特にインドには行かなくとも何時でも何処でも出来ることだったのじゃ。
真の探求とはいつでもそのようなものじゃ。
探している者が探し物、そのものだったと気付くのじゃ。

228避難民のマジレスさん:2018/09/29(土) 07:59:40 ID:LC3de7YgO
>>226
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 もし私が自由ならば、なぜ身体のなかにいるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは身体のなかにはいない。
 身体があなたのなかにあるのだ! 
 マインドはあなたのなかにある。
 身体とマインドはあなたに起こるのだ。
 それらがそこにあるのは、あなたがそれらに興味をもったからだ。
 あなたの本性は楽しむための無限の能力をもっている。
 いっぱいの情熱と愛情をもっている。
 それはその輝きを気づきの焦点のなかに来るすべてに放ち、何ひとつ除外さ
 れるものはない。
 あなたの本性は悪も醜さも知らない。
 それは期待し、信頼し、愛する。
 あなたたちはあなたの本来の自己を知らないことで、どれほど逃しているか
 を知らないのだ。
 あなたは身体でもマインドでもない。
 燃料でも火でもない。
 それらはそれら自体の法則にしたがって現れては消えるのだ。
 あなたであるそれ、あなたの本来の自己、あなたはそれを愛している。
 そして何であれあなたのすることは、あなた自身の幸福のためにするのだ。
 それを探し、それを知り、慈しむのはあなたの基本的な衝動なのだ。
 遙かなる昔から、あなたはあなた自身を愛してきた。
 だが、けっして賢明なやり方ではなかったのだ。
 自己に仕えるために、あなたの身体とマインドを賢く使いなさい。
 それだけだ。
 あなた自身の自己に真実でありなさい。
 あなた自身を絶対的に愛しなさい。
 他者をあなた自身のように愛しているというふりをしてはならない。
 彼らとあなたがひとつであると悟らないかぎり、あなたに彼らを愛すること
 はできない。
 あなたではないもののふりをしてはならない。
 あなたであることを拒んではならない。
 あなたの他者への愛は自己知識の結果であって、その原因ではない。
 真我の実現なしには、いかなる徳も本物ではない。
 すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、疑
 いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。
 あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべて
 の生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていること
 を知るだろう。
 しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せ
 ない。
 なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
 疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。
 それは悪循環だ。
 真我の実現だけがその輪を断ち切ることができる。
 固い決意でそれに向かいなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

229鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/29(土) 21:48:37 ID:1d4drIFg0
身体とマインドはあなたの中に起こるものだとマハラジは語るのじゃ。
それらはわたしでも自分でもなく、わたしや自分のものでもない。
身体もマインドも自分の全てではなく、私の中に起こるものであり、現象であるだけなのじゃ。
それらがなくなっても意識は有り続けるのじゃ。
ただ身体もマインドも今悟りを得るための道具に過ぎないのじゃ。

230避難民のマジレスさん:2018/09/30(日) 07:39:56 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】の1

 質問者 本質の探究において、人はすぐに自らの無力さを知り、指導者や師
 の必要性を悟ります。これはある一定の試練を意味しています。な
 ぜなら、指導者を信頼し、彼の助言と教えに従うように期待される
 からです。しかし、それでも社会からの要求や圧力は非常に大きく、
 個人的欲望と恐れがあまりにも強力なため、服従に本質的なマイン
 ドの純真さと意志を得ることができません。どうすればグルの必要
 性と、神に絶対的な服従をすることの間にバランスを見いだせるで
 しょうか?
 マハラジ
 社会と環境からの圧力のもとに為(な)されたことはさほど重要ではない。
 なぜなら、それはほとんど機械的で、単に刺激に反応しているにすぎないか
 らだ。
 自分自身を冷静に見守り、起こっていることから自分自身を完全に孤立させ
 ることで充分だ。
 注意もせず、盲目のうちに為された行為はカルマ(運命)に加えられる。
 さもなければ、それは大した問題ではない。
 グルが要求することはひとつだけだ。
 明晰性と目的の強烈さ、自分自身に対する責任の感覚だ。
 世界の実在性そのものが疑われなければならない。
 結局のところ、グルとは誰か?
 世界も、それに関する考えも存在しない状態を知るその人、彼が至高の師だ。
 彼を見つけることは、もはや想像を実在と見なすことのない状態に達するこ
 とを意味する。
 どうか理解してほしい。
 グルは実在を、真理を、ただ在るものを象徴するのだ。
 彼は言葉の最上の意味において現実主義者だ。
 彼はマインドとその妄想に降伏できないだろうし、またしない。
 彼はあなたを実在へと連れていく。
 彼に何かほかのことを期待してはならない。
 あなたが考えている、情報や知識を与える人は真のグルではない。
 真のグルは実在を知り、見かけの魅力を超えているのだ。
 彼にとって、あなたの服従と試練に関する質問は意味をなさない。
 なぜなら彼にとって、あなたがあなた自身だと信じている個人は存在しない
 からだ。
 あなたの質問は非存在の個人に関するものだ。
 あなたにとって存在するものも、彼にとっては存在しない。
 あなたが当然と見なしていることを、彼は絶対的に否定する。
 彼はあなたに、彼があなたを見るように、あなた自身を見てほしいのだ。
 そうしたとき、あなたは服従し、したがうグルを必要とはしなくなるだろう。
 なぜなら、あなたはあなた自身の実在にしたがい服従するからだ。
 何であれ、あなたが自分自身だと見なしているのは、ただの一連の出来事に
 すぎない。
 すべてが起こり、去来する間、あなただけが移り変わるもののなかでの不変、
 推測されることのなかでの唯一自明のものなのだ。
 観察する者から観察されるものを分離しなさい。
 そして偽りの同一化を放棄するがいい。。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

231鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/30(日) 21:21:56 ID:1d4drIFg0
グルとは師匠のことなのじゃ。
真の師匠は修行者をただ悟りに導くだけなのじゃ。
知識や情報を与えるだけでは真の師匠ではないのじゃ。
自分自身を見ることを教えるのじゃ。
それだけが真の悟りへの道であるからのう。

232避難民のマジレスさん:2018/10/01(月) 06:47:28 ID:LC3de7YgO
>>230
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】の(つづき)

 質問者 実在を見いだすため、道を妨げるすべてを捨て去らなければなりま
 せん。またその反対に、社会のなかで生き残っていく必要から、人
 はたくさんのことを為し、また耐えていくように強(し)いられま
 す。人は実在を見いだすために、職業や社会的立場を放棄するべき
 なのでしょうか?
 マハラジ
 仕事をするがいい。
 自由な時間があるとき、内面を見なさい。
 重要なことは、機会がそれ自体を差しだしているときを逃してはならないと
 いうことだ。
 もしあなたが真剣ならば、許された時間を最大限に使うだろう。
 それで充分だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

233鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/01(月) 22:13:27 ID:1d4drIFg0
マハラジもタバコ屋を経営していたのじゃ。
仕事をしながらでも悟りを得られるのじゃ。
悟った後も仕事をしようとすれば続けられるのじゃ。
仕事を言い訳にして修業をさぼっていてはいかんのじゃ。
死ぬ時になってもっと真面目に実践していればよかったと悔やまないようにするのじゃ。

234避難民のマジレスさん:2018/10/02(火) 00:04:20 ID:LC3de7YgO
>>233
うむ。
くまもそう思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

235避難民のマジレスさん:2018/10/02(火) 07:26:52 ID:LC3de7YgO
>>232
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】(つづき)

 質問者 私が本質を探究し、非本質的なものを捨て去っていくなかで、何か
 創造的な生活のための機会があるでしょうか? たとえば、私は絵
 を描くことを愛しています。もし私が余暇の時間を絵画に費やした
 ならば、それは助けになるでしょうか?
 マハラジ
 あなたが何をしようとも、あなたのマインドを見守りなさい。
 また、マインドが絶対的に静止した、完全な内なる平和と沈黙の時間をもた
 ねばならない。
 もしそれを逃せば、あなたはすべてを逃すことになる。
 もしそれを逃さなければ、マインドの沈黙がそれ以外のすべてを吸収し、溶
 かし去るだろう。
 あなたの困難は、実在を求めながら同時にそれを恐れていることだ。
 恐れているのは、あなたがそれを知らないからだ。
 なじみのあるものは知られている。
 あなたはそれらに安全を感じる。
 未知なるものは不確かであり、それゆえ危険なのだ。
 しかし、実在を知ることは、それとの調和のなかに在ることだ。
 そして調和のなかに恐れの居場所はない。
 幼児は自分の身体を知っている。
 だが、身体を基盤とした区別を知らない。
 ただ意識していて幸せなのだ。
 結局のところ、それこそが生まれてきた目的なのだ。
 在ることの喜びはもっともシンプルな形の自己愛だ。
 それは後に、真我への愛として成長する。
 幼児のように身体と自己の間に、何も妨げるものなく在りなさい。
 生活のなかでの絶え間ない精神的騒音は、そこには不在だ。
 深い沈黙のなかで、自己は身体を観照している。
 それはまだ、何も書かれていない白紙のようなものだ。
 その幼児のように在りなさい。
 あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありなさい。
 あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。
 だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだかるべきで
 はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

236鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/02(火) 22:17:43 ID:1d4drIFg0
>>234 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

悟りを得るための全ての実践は自らの心を見ることに他ならないのじゃ。
しかし、人は自らの心を見ることや自我を失うことを恐れているのじゃ。
 そのためになかなか進まないのじゃ。
今ここに在ることの安らぎを感じればもはや恐れも消えていくじゃろう。
そのようにして進んでいくと善いのじゃ。

237避難民のマジレスさん:2018/10/03(水) 06:26:07 ID:LC3de7YgO
>>235
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】(つづき)

 質問者 ただ在ることで満足するのは、もっとも利己的な時間の過ごし方の
 なようですが。
 マハラジ
 もっとも価値のある利己的な在り方だ!
 真我以外のすべてを差し控えることで、利己的になるがいい。
 真我以外の何も愛さないとき、あなたは利己的と非利己的をともに超えてい
 く。
 すべての区別はその意味を失い、ひとつの愛とすべての愛は、純粋でシンプ
 ルな、誰に対してでもなく、誰をも拒まない愛のなかでともに溶けあうのだ。
 その愛のなかに住みなさい。
 深く、より深くそのなかに入っていきなさい。
 あなた自身を探求しなさい。
 そして探求を愛しなさい。
 そうすれば、あなたはあなた自身の問題だけではなく、人類全体の問題も解
 決するだろう。
 表面的な質問をしてはならない。
 本質的な、あなたの存在の根そのものに向かいなさい。
 質問者 私の真我の実現を早める方法はあるでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、ある。
 質問者 誰がそれを早めるのでしょうか? あなたが私のためにしてくれる
 のでしょうか?
 マハラジ
 あなたがするのでも、私でもない。
 それはただ起こるのだ。
(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

238鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/03(水) 21:59:44 ID:1d4drIFg0
アートマンの探求、その実践こそこの世で最も価値の在る事じゃ。
その他のことは全て差し控えて善いのじゃ。
仕事も肉体を維持して実践の時間をつくるためのものじゃ。
それに囚われすぎて実践の時間をとられてはいかんのじゃ。

239素人A:2018/10/03(水) 22:27:27 ID:/mRrWwwM0
やっぱ役を演じる役者の役が無いと世界劇団の芝居は恥まらないし
何も無い時間が永遠にあっても楽しいも苦しいも無く妄想でも楽しくで
世界は始まつたけど楽しいだけの世界もすぐ厭きてドラマチックな苦楽いマックス
の山あり谷有りの仏の感激はまあよいけど、役者の立場からみればなんで苦しみが
あるのかの不満もでる?神さんは最初からスーパーコンピューターに操られた賢い
ロホットをで世界劇を演じそれを見せられても何画正解だいや世界だと仏から不満が
でと視聴率は稼げなく、でも今こうなっているのがまあ正解なだと歴史は証明するし
私は毎度迷走するし、一途なあ人もいるけどでも私はタコ足配線で自分の面倒もみれないし

240避難民のマジレスさん:2018/10/04(木) 05:36:40 ID:LC3de7YgO
>>237
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】(つづき)

 質問者 私がここに来たということ自体がそれを証明しています。この加速
 は聖者との交わりによるものでしょうか? 前回、私がここを去っ
 たとき、戻ってくることを願っていました。そして、私は戻ってき
 たのです! 今、私はもうすぐイギリスに帰らなくてはならないこ
 とで絶望しています。
 マハラジ
 あなたは生まれたばかりの赤ん坊のようなものだ。
 それは生まれる以前も存在していた。
 だが、その存在を意識してはいなかったのだ。
 誕生とともにそのなかに世界が立ち現れ、それとともに存在の意識が現れる。
 今、あなたは意識のなかでただ成長するだけだ。
 子どもはその世界の王だ。
 成長すると、その王国を管理しはじめる。
 幼少期に深刻な病気にかかり、医師がそれを治したと想像してみなさい。
 幼い王にとって、彼の王国は医師の恩恵をこうむっているのだろうか?
 おそらく貢献した要因のひとつとしてはそうだろう。
 ほかにも多くの要因があり、すべてが貢献したのだ。
 しかし主要な原因、もっとも決定的なものは、彼が王の息子として生まれた
 という事実だ。
 同様に、師も助けはするかもしれない。
 しかし、主要な助けとなるのは、あなたが内なる真理をもっているというこ
 とだ。
 それがそれ自体を主張するのだ。
 あなたがここに来たことは間違いなく助けになっただろう。
 だが、それがあなたを助ける唯一のことではない。
 重要なのはあなた自身の存在だ。
 あなたの誠実さ自体がそれを証明するのだ。
 質問者 私が絵の仕事に従事することは、私の誠実さを否定することになる
 でしょうか?
 マハラジ
 もうすでに言ったはずだ。
 あなたが平和な時間を豊富に自分に許すかぎり、あなたのもっとも敬うべき
 仕事を間違いなく実践できる。
 それらの内なる沈黙の時間がすべての障害を必ず焼き尽くすだろう。
 その効力を疑ってはならない。
 試してみなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

241鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/04(木) 21:28:19 ID:1d4drIFg0
悟りへの道は自分自身の心の中にあるものじゃ。
師匠もそこへの道しるべに過ぎないのじゃ。
真摯に求めるならば仕事も障害にはならないのじゃ。
却って真実を知る役目を果たすことにもなるのじゃ。

242避難民のマジレスさん:2018/10/05(金) 05:55:22 ID:LC3de7YgO
>>240
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】(つづき)

 質問者 ですが、私は試したのです!
 マハラジ
 けっして忠実にではなく、堅実にでもなかった。
 そうでなければ、あなたはこのような質問をしたりはしないだろう。
 自分に確信がもてないから尋ねるのだ。
 あなたに確信がないのは、体験にばかり注意を払って、けっして自分自身に
 注意を払わなかったからだ。
 すべての体験を超え、あなた自身に興味をもちなさい。
 あなた自身とともに在りなさい。
 あなた自身を愛しなさい。
 究極の安全は自己知識のなかにだけ見いだすことができる。
 重要なのは誠実さだ。
 自分自身に正直でありなさい。
 そうすれば、何もあなたを裏切ることはない。
 美徳や力は、子どもが遊ぶためのただのおもちゃのコインにすぎない。
 世界のなかでは、それらは有用だ。
 だが、あなたをそれから連れだしはしない。
 その彼方へと行くには不動の油断のなさ、平静な注意力が必要だ。
 質問者 では、身体的存在はどうなるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが健康なかぎり、生きつづける。
 質問者 内なる不動の生は、人の健康に影響を与えないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの身体は食べ物が変容したものだ。
 食べ物が粗雑なものか、繊細なものかによって、あなたの健康も決まるだろ
 う。
 質問者 では、性的本能には何が起こるでしょうか? それはどのように制
 御することができるでしょうか?
 マハラジ
 セックスは後天的な習慣だ。
 超えていきなさい。
 身体に焦点を合わせているかぎり、あなたは食べ物とセックス、恐れと死に
 捕らえられたままだ。
 あなた自身を見いだし、自由になりなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

243鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/05(金) 22:37:58 ID:1d4drIFg0
悟りの道に入るのには自分自身に対して真摯であらねばならないのじゃ。
自分の心の全てを自分に打ち明け、受け容れるのじゃ。
誠実に徹底的に自分に心を明け渡したならば変容が訪れるのじゃ。
自分自身に誠実であれというのはそういうことなのじゃ。

244避難民のマジレスさん:2018/10/06(土) 05:35:52 ID:LC3de7YgO
>>242
1『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】

 質問者 私はシュリー・ラマナ・アシュラムから、今着いたばかりです。そ
 こで7ヶ月間過ごしました。
 マハラジ
 アーシュラムでは、何の修練をしていたのかね?
 質問者 できるかぎり、「私は誰か?」に集中していました。
 マハラジ
 どのようにしていたのだろうか?
 言葉を使ってかね?
 質問者 一日のうちで私が自由にできる時間に、ときには「私は誰か?」
「私だ。しかし、私は誰なのか?」と自分自身につぶやきながら、
 あるいはそれをマインドのなかで行っていました。ときには何か良
 い感じがしたり、まったく幸せな気分になったりしました。概して、
 体験を得ようと骨を折るよりも、静かに受容的であろうとしていま
 した。
 マハラジ
 あなたが正しい心もちでいたとき、実際には何を体験したのだろうか?
 質問者 内なる静けさ、平和、沈黙です。
 マハラジ
 自分が無意識になったときに気づいたときがあったろうか?
 質問者 はい。ときには、とても短い間ですが。そうでなければ、私はただ
 内側でも外側でも静かにしていただけです。
 マハラジ
 それはどのような静かさだったのだろうか?
 何か深い眠りに似た、それでもやはり意識のある、目覚めた眠りの類(たぐ
 い)だろうか?
 質問者 はい。油断なく気づきながら眠っている状態(ジャーグラット―ス
 シュプティ)です。
 マハラジ
 重要なのは欲望、恐れといったマインドの「六つの敵 *」である否定的感情
 から自由になることだ。
 ひとたび、マインドがそれらから自由になれば、あとはたやすい。
 洗剤に浸けおいた布がきれいになるように、純粋な感情の流のなかでマイン
 ドは浄化されるのだ。
 あなたが静かに座り自己を見つめるとき、あらゆることが表層に現れてくる
 かも知れない。
 それらに対して何もしてはいけない。
 自己は存在として知られ、非自己は一時的なものとして知られる。
 しかし実際は、すべてはマインドのなかにあるのだ。
 観察されるもの、観察、そして観察者は精神的構成概念にすぎない。
 真我だけが在るのだ。

 * 訳注 「六つの敵」 性欲、怒り、強欲、妄想、慢心、羨望。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

245避難民のマジレスさん:2018/10/06(土) 05:45:34 ID:LC3de7YgO
>>243
邪な思いも、情けない思いも、強欲な思いも、また、それが嫌だなと言う思いも、全てをありのままに観察して、その思いを観察していることに気づき、
その心ののスクリーンに映っては消える「思い」に気づいているものが実在なのでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

246鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/06(土) 21:35:36 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、全てを観ているのじゃ。
決してなくなることも眠ることも無いのじゃ。
それだけが在ると言えるのじゃ。
それに達するまで精進あるのみなのじゃ。

247避難民のマジレスさん:2018/10/07(日) 08:43:55 ID:LC3de7YgO
>>244
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 なぜマインドはこれらの区別をつくり出すのでしょうか?
 マハラジ
 区別することはマインドの本性そのものなのだ。
 区別すること自体に害はない。
 しかし分離は事実に反している。
 ものごとや人びとはさまざまだ。
 しかし、それらは分離していない。
 自然はひとつ、実在はひとつだ。
 反対のものはあっても、対立はないのだ。
 質問者 私は自分がたいへん活動的な性質だと気づきました。ここにいる間、
 私は活動を避けるように勧められました。不活発になろうとすれば
 するほど、何かをしようとする衝動は大きくなっていきます。これ
 が私を外面的に活動的にするばかりでなく、本質的にそうではない
 私になろうとする内面の葛藤ももたらします。仕事への切望に対す
 る治療法はあるのでしょうか?
 マハラジ
 仕事と単なる活動の間には違いがある。
 すべての自然は働いている。
 働くことは自然だ。
 自然は働くのだ。
 一方、活動は欲望と恐れ、所有し楽しむことへの切望、苦痛と消滅への恐怖
 を根底にしている。
 仕事は全体による全体のためのものだ。
 活動は自分による自分のためのものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

248鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/07(日) 22:05:48 ID:1d4drIFg0
自然な働きは人の体にも常に在るものじゃ。
瞑想をして意識に身をゆだねるとき、働きは起こり、自然に続いていくものじゃ。
そこには恐れも不安も無く、苦もないのじゃ。
人の活動は不安や恐れから起こるものであり、苦を引き起こすのじゃ。

249避難民のマジレスさん:2018/10/08(月) 08:05:20 ID:LC3de7YgO
>>247
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 活動に対する治療法はあるのでしょうか?
 マハラジ
 それを見なさい。
 そうすれば、それは止むだろう。
 あなたが束縛のなかにいること、何であれ、あなたに起こることは身体的存
 在という事実によることを、あらゆる機会を使って自分に思い起こさせなさ
 い。
 欲望、恐怖、困難、喜び、それらは現れる対象であるあなたがいないかぎり、
 現れることはできない。
 それにもかかわらず、何であれ起こることは知覚する中心としてのあなたの
 存在を指し示す。
 指し示すものは無視し、それらが何を示しているのかに気づきなさい。
 それはとても簡単だが、実行されなければならない。
 重要なことは、あなた自身に戻りつづけるという持続性なのだ。
 質問者 私は自分のなかに深く没頭してしまう奇妙な状態に陥ります。それ
 は、しかし予期できない、一時的なものなのです。そのような状態
 を自分でコントロールできるとは思いません。
 マハラジ
 身体は物質的なものであり、変えるには時間がかかる。
 マインドは考え方と感じ方という精神的習慣の集合だ。
 変えるためには、それらは表層に引き出され、調べられなければならない。
 これもまた時間がかかる。
 ただ決心し、たゆまずやり通すことだ。
 あとはそれ自身が面倒を見るだろう。
 質問者 どうやら私は何をすべきか、という明確な計画をもったようです。
 しかし私は疲れ、ふさぎこんで友人たちを求め、そうして孤独と瞑
 想に与えられるべき時間を浪費してしまうのです。
 マハラジ
 あなたの感じるようにするがいい。
 自分を責めるのはやめなさい。
 暴力はあなたを固く、厳しくしてしまう。
 道の上の障害と闘ってはならない。
 ただそれらに関心をもちなさい。
 それらを見て、観察し、調べなさい。
 良いこと悪いこと、何であれあるがままに起こらせるがいい。
 だが、あなた自身を起こることのなかに沈みこませてはならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

250鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/08(月) 22:20:59 ID:1d4drIFg0
マハラジの言うとおり何が起ころうと観察し続けることが大事なのじゃ。
心身にさまざまな反応や逃避が起ころうと、それを観察していれば消えるのじゃ。
常に観察の対象を自分自身に戻り続けるのじゃ。
それこそが実践なのじゃ。

251避難民のマジレスさん:2018/10/09(火) 06:59:37 ID:LC3de7YgO
>>249
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 自分が観照者だとつねに思い起こさせる目的は何なのでしょうか?
 マハラジ
 動き回るマインドの彼方には、不変なる気づきという背景が存在する。
 マインドは本来の自己を知り、それを敬い、月食で月が太陽を隠すように、
 それを覆(おお)い隠すことをやめなければならない。
 ただ観察可能なもの、体験可能なものは何ひとつあなたではなく、またあな
 たを束縛することはできないということを自覚しなさい。
 あなた自身ではないものに注意を払いなさい。
 質問者 あなたが言ったことをするには、私は絶え間なく気づいていなけれ
 ばなりません。
 マハラジ
 気づくことは目覚めることだ。
 気づかないことは眠っていることだ。
 いずれにせよ、あなたは気づいている。
 そうあろうと試みる必要はない。
 あなたに必要なのは、気づいていることに気づくことだ。
 意図的に、そして意識的に気づいていなさい。
 気づきの領域を広げ、そして深めなさい。
 あなたはつねにマインドを意識している。
 だが、あなた自身が意識していることに気づいてはいないのだ。
 質問者 私が理解するには、あなたは「マインド」「意識」「気づき」とい
 う言葉に、明確に区別された意味を与えています。
 マハラジ
 こういうふうに見てみなさい。
 マインドは、たとえあなたが見ていないときでも、想いを絶え間なく生みだ
 している。
 マインドのなかで何が起こっているかを知っているとき、あなたはそれを意
 識と呼ぶ。
 あなたの意識は感覚から感覚へ、知覚から知覚へ、観念から観念へと果てし
 ない連続のなかで移行している。
 これがあなたの目覚めの状態だ。
 そしてマインドの全体性、意識全体への直接の洞察である気づきが現れる。
 マインドは川のように、身体の川床のなかを絶えず流れている。
 あなたはあなた自身を一瞬ある特定の波と同一化し、それを「私の想い」と
 呼ぶのだ。
 あなたが意識するすべてはあなたのマインドであり、気づきとは意識の全体
 性の認識だ。
 質問者 誰もが意識しています。しかし、誰もが気づいているわけではあり
     ません。
 マハラジ
 「誰もが意識している」と言ってはならない。
 「意識がそこにはある」と言いなさい。
 そのなかですべては現れ消えていく。
 私たちのマインドは意識の大海の波にすぎない。
 波としてのそれは、来ては去っていく。
 海としてのそれは、無限で永遠だ。
 あなた自身を生命の大海、すべての存在の子宮として知りなさい。
 もちろん、これらはすべて隠喩だ。
 実在は描写を超えている。
 あなたはそれで在ることによってのみ、それを知ることができるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

252素人A:2018/10/09(火) 08:26:19 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん 我々は何から逃げているのだろう
ほんとは皆悟っているのは間違いないのに悟りを認めないという事なのかも
悟りなんて特別なものでは無いし永遠に平凡だし詰まらないホカホカになる野鴨
でも中心に置ければまんざらでも曼荼羅になる野鴨。さあホカホカ行こう

253素人A:2018/10/09(火) 09:44:19 ID:gOqWUDAs0
夏の日の午後 サマディ 悟後 孝子さん無意識に洒落たのか
https://www.youtube.com/watch?v=c3Ux83iBtrQ

254鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/09(火) 21:00:30 ID:1d4drIFg0
>>252 孤独とか寂しさとか恐れとか不安から逃げているのじゃ。
 それを観るのじゃ。

 意識がそこには在るとマハラジは語るのじゃ。
 存在すると言えるのはそれだけなのじゃ。
 全ては意識の現われなのじゃ。
 無限で永遠なのじゃ。
 そしてその言葉通りでもないものじゃ。
 自ら悟りを得ることでのみ知ることができるのじゃ。

255避難民のマジレスさん:2018/10/10(水) 05:43:31 ID:LC3de7YgO
>>251
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 それを探求することに苦労するだけの価値があるのでしょうか?
 マハラジ
 それがなければ、すべてが苦労だ。
 もしあなたが正気で、創造的に、幸福に、そして分かちあえる無限の豊かさ
 をもって生きたいと願うならば、あなたであるものを探求しなさい。
 マインドは身体の中心にあり、意識はマインドの中心にあるが、気づきは自
 由だ。
 身体はその衝動をもち、マインドはその苦痛と喜びをもっている。
 気づきは無執着で、不動だ。
 それは透明で、静かで、穏やかで、油断なく、恐れがなく、欲望も恐怖もな
 い。
 あなたの真の存在として、それに瞑想しなさい。
 そして日々の生活のなかでそれで在ろうと試みなさい。
 そうすれば、あなたはその豊かさを実現するだろう。
 マインドは起こっていることに関心をもつが、気づきはマインド自体に関心
 をもつのだ。
 子どもはおもちゃを追い求めるが、母親はおもちゃではなく子どもを見てい
 る。
 たゆまず見つづけることで、私は完全な虚空となったのだ。
 そしてその虚空とともに、すべては私に戻ってきた、ただマインドを除いて。
 私はマインドを失い、取り戻すことができないことに気づいたのだ。
 質問者 今、あなたは私たちに話しかけていますが、あなたは無意識なので
 しょうか?
 マハラジ
 私は意識でも無意識でもない。
 私はマインドと、その多様な状態と条件を超えているのだ。
 区別はマインドによってつくられ、マインドにのみ適用される。
 私は純粋な意識そのものだ。
 存在するものすべての完全な気づきだ。
 私は神聖な状態にいる。
 個人を構成する区分や分離に惑わされることはない。
 身体が続くかぎり、それにはその要求がある。
 しかし、私の精神的過程は終焉(しゅうえん)したのだ。
 質問者 あなたは考える人のようにふるまっていますが。
 マハラジ
 いけないかね?
 だが私の思考は消化作用のように無意識であり、意味のあるものだ。
 質問者 もしあなたの思考が無意識ならば、どうやってそれが正しいと知る
 のでしょうか?
 マハラジ
 それを妨げる何の欲望も恐れもないからだ。
 どうして間違いを犯すことができるだろうか?
 ひとたび自分自身と、自分が何を意味するのかを知れば、自分自身をつねに
 確かめる必要はない。
 あなたの時計が正確な時を告げていると知れば、それを見るたびにためらう
 必要はないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

256素人A:2018/10/10(水) 09:28:31 ID:gOqWUDAs0
鬼おしょうさん我々動物や人間は孤独とか寂しさとか恐れとか不安かなど
身を守って動物として人間としてアドレナリン使わないと煩悩ないと
他に食われて生きていけない死でも心安らかに静かに休む時間もナイト
不味い。でも最近夜見る夢も怖い野ばかりで何か私はまだ野生に居る動物
なのか怖い恐竜に追いかけられ逃げて隠れる夢もみるし本当に百十の王人間
何だ老化怖い時間は科学的に万能細胞を故障した体に手術で入れ替えれば脳も
何とか理論的には太陽が焼けに大きくなるまで生きていけるのだろうか?
損何体に頼らなくても心観があるだろう無理に物質に頼るな。心の修行使用よ

257素人A:2018/10/10(水) 09:44:32 ID:gOqWUDAs0
絶対者なんて我々この世にいる人間役者のドラマ見てハラハラドキドキしている
存在で我々の苦楽みて観劇しているだけで我々の不満に何の関心が有るのか
それとも何も泣くて寂しいからテレビのドラマみるお年寄りと同じなら
少しくらい辛い役でも演じてやらるかでまあ良い化ほんとは私はそれほど辛い役
ではない平凡だけど客があまり来なくお金も泣く暇な店で安心して五ちやんや
ネット三昧?坐禅や瞑想は暇の合間で曖昧な返事しかできずため息ついたらホカホカ以降

258素人A:2018/10/10(水) 09:47:59 ID:gOqWUDAs0
青い風 https://www.youtube.com/watch?v=PLdyRQtQuLA

259鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/10(水) 23:31:55 ID:1d4drIFg0
>>256 夢の中で目覚めているようにすれば怖くないのじゃ。
 自分の好きなように夢を変えられるのじゃ。
 夢の中で自分の手を見ることを念じるのじゃ。


 もはや観念が無いとき、それに間違いも無いのじゃ。
 ただ在るということに間違いも正しいもないのじゃ。
 自らの心を観ることでマハラジもそこにたどり着いたのじゃ。
 もはや永遠に戻ることも無いのじゃ。

260避難民のマジレスさん:2018/10/11(木) 06:33:33 ID:LC3de7YgO
>>255
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 もしマインドではないのなら、今、この瞬間誰が話しているのでし
 ょうか?
 マハラジ
 質問を聞いているそれが答えるのだ。
 質問者 しかし、それとは誰でしょうか?
 マハラジ
 誰ではなく、何がだ。
 あなたにとって、私は個人として見えるかも知れないが、あなたの言葉の意
 味でいう個人ではない。
 私はそのなかですべてが起こる無限の意識の大海なのだ。
 そしてすべての実存と認識を超えた存在の純粋な至福だ。
 私から分離したと感じられるものは何もない。
 それゆえ、私はすべてだ。
 私はいかなるものでもない、それゆえ、私は無なのだ。
 火は燃え、水は流れ、種子は発芽し、樹木は生長する。
 その同じ力が私をしてあなたの質問に答えさせるのだ。
 言葉や話しぶりは個人的に見えるかも知れないが、私に関しては何も個人的
 なことはない。
 個人とは、欲望や思考や行動の一様式だ。
 私の場合、そのようなものは何もない。
 私には望むものも恐れるものもない。
 どうして様式がそこにありえようか?
 質問者 間違いなく、あなたも死ぬでしょう。
 マハラジ
 生命は離れ、身体は死を迎えるだろう。
 だが、それが私に影響を与えることはまったくない。
 私は時間と空間を超えた彼方に在る。
 原因なく、原因を与えることなく、しかも存在の母体そのものなのだ。
 質問者 あなたがどうやって現在の状態に至ったのか、尋ねてもかまいませ
 んか?
 マハラジ
 私の師が、「私は在る」という感覚をしっかりつかまえ、一瞬でさえ離して
 はならない、と私に言ったのだ。
 私は彼の助言にしたがって最善を尽くし、比較的短期間で彼の教えの正しさ
 を実現した。
 私がしたことといえば、彼の教え、彼の顔、彼の言葉を絶えず思い起こして
 いたことだ。
 これがマインドに終焉をもたらした。
 マインドの静寂のなかで、私は束縛から解放された、あるがままの私を見た
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

261素人A:2018/10/11(木) 10:30:55 ID:gOqWUDAs0
純粋な幸福なんて観察している人だけで観察されている我々いや私は
何も幸福が身得ない役で物仏言うしまあそうなっているのかもでまあ良いか
私はマハラジに質問せず妄想で自問自答するだけ七日。まあこの年になつて
ネットで将棋だけでなく麻雀も見るようなり、仕事以外の予定時間が24時間
では足りなく散歩もしなくなりテレビは暇なとき見るしあべま三昧でこれ以上
どうでもよいもの見る習慣がついたら困る。今でも時計は早回りの用にすすみ
慌ててうっとおしく座禅や書き込み素早く映すだけでとにかく頭も急がされでも
朝のため息つく時間は質問者がマハラジに途切れてたばこを一服しているマハラジ
気分と同じかどうかよくわからんとにかく平凡な時間人休みなのかも

262鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/11(木) 22:26:14 ID:1d4drIFg0
マハラジは既に個人ではない。
無限の意識の大海があるだけと気付いているのじゃ。
もはや個人はなく、意識だけがあると感じているのじゃ。
全ての人間もそれなのじゃ。
在ると言えるのは無限の意識の大海だけなのじゃ。

263避難民のマジレスさん:2018/10/12(金) 06:35:03 ID:LC3de7YgO
>>260
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 あなたの真我の実現は突然のものでしょうか、それとも段階的なも
 のだったのでしょうか?
 マハラジ
 どちらでもない。
 それは永遠にそれなのだ。
 欲望と恐れがぬぐい去られたとき、それを実現するのはマインドなのだ。
 質問者 真我の実現のための欲望もぬぐい去られたのでしょうか?
 マハラジ
 恐れることへの恐怖がもっとも奇妙な恐れであるように、すべての欲望に終
 止符を打とうと望むことは、もっとも奇妙な欲望だ。
 ひとつは、あなたにつかみ取ることをやめさせ、もうひとつは、あなたに逃
 げだすことをやめさせる。
 あなたは同じ言葉を使うかも知れないが、その状態は、同じではない。
 真我の実現を探し求める人は欲望に溺れない。
 探求者は欲望に沿うことなく逆らっていく。
 自由への一般的な切望はただの初歩段階だ。
 適切な手段を見つけ、それらを適用することが、つぎなる段階だ。
 探求者には、彼の真我を見いだすというたったひとつのゴールしか視野にな
 い。
 すべての欲望のなかで、それはもっとも野心的なものだ。
 なぜなら、何も、そして誰もそれを満たすことはできないからだ。
 探求者と探求されるものはひとつだ。
 そして探求のみが重要なのだ。
 質問者 探求は終焉するときが来ます。探求者は残るでしょう。
 マハラジ
 いいや。
 探求者は消え去るが、探求は続く。
 探求は究極であり、永遠の実在だ。
 質問者 探求とは、欠けていること、欲していること、未完成、そして不完
 全を意味します。
 マハラジ
 いいや。
 それは不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。
 実在の探求自体が実在の動きなのだ。
 ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのものだ。
 しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、意識的存
 在の根本である真我の探求を意味している。
 この探求が終わることはけっしてない。
 それと同時に、それ以外のすべてへの落ち着きのない切望が終わらなければ
 ならないのだ。
 実在、神、あるいはグルの探求は、真我の探求と同じだということを理解し
 なければならない。
 ひとつが発見されると、すべては発見されるのだ。
 「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドのなかで区別不可能となっ
 たとき、何かが起こる。
 そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたがあるからであり、あな
 たが存在するのは神があるからだと知るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

264素人A:2018/10/12(金) 09:00:07 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん うんそうなのか?たった一の玉死生の意識は阿弥陀くじネット意識は二進法で次々と二股に人別して
我々の所に電気やネットの様に煩悩としても送られるのか?求めれば一つの同じものでもし元が同じじゃないと
繋ぐひつようになり摩擦が生じ摩擦を消す取り決めしても一家は元の木阿弥になる野鴨。だから魂の元は一つでまあ良い?
一つが枝分かれしたら人の字となり次々に枝分かれして我々の所に意識は変換されて来て身える感覚としてのひっ様な煩悩に
変換される野鴨、沢山色々あるとひっ禅的に一途では居られなくあちこち落ち着かずあれを立てればこちらが立たずの
福雑な事になり私は何をしたいのかもまあ良いになり求めようとすると迷路に落ちる。マハラジさんはカーちゃんとか子沢山
なんて関係ないひとだったのか?だいたい僧言う聖人は独身者が多く御釈迦さんは家族を捨てて僧になったし近所のお付き合
いで酒飲む事も無い用だ。でも今の日本ではかあちゃんや家族の面倒みられないのかと冷たくみられるし国なんて何だろう。
また書き込みは方々に枝分かれして迷走していてわけわかなくなった。でもキャンベルさんは迷路には一つの糸をたどれば
迷路から出られると言ったつけ長くなったのでこの辺ででも思いはつたえられずでも長くなつたしまあ良い化適当ですいま
せん あ一つから枝分かれしているという事加 阿弥陀くじネット?

265素人A:2018/10/12(金) 10:44:14 ID:gOqWUDAs0
マハラジは悟り世界の宣伝マンなのか?我々まあ良い人に伝える役目で
宣伝だから美味しいですよとしか言わない。裏から思えば都合悪い事いったら
質問者がやる気なく寿司まあ普通に考えれば不味いとは言えないだろうか
またまた素直では無いなあさあとりあえずが考えてもまあ良い考えしか無く
数手の先は角に狙われている王手飛車取りとか二歩が待ち構えていても先が観えなくて

266鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/12(金) 21:55:50 ID:1d4drIFg0
悟りによって探求する者は無いが探求は続くのじゃ。
わしも人の心を知るために死んで生きているのじゃ。
アートマンも神も私も最後まで探求すれば悟りは訪れるのじゃ。
途中でやめると失敗なのじゃ。
日々精進あるのみなのじゃ。

267避難民のマジレスさん:2018/10/13(土) 09:14:50 ID:LC3de7YgO
>>263
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 すべてが運命によってすでに定まっているのなら、真我の実現もま
 た定まっているのでしょうか? あるいは、少なくともそれに関し
 て私たちは自由なのでしょうか?
 マハラジ
 運命は名前と形にのみ関係する。
 あなたは身体でもマインドでもないのだから、運命があなたをコントロール
 することはできない。
 あなたは完全に自由だ。
 コップは形、材質、利用法などに条件づけられている。
 だが、コップのなかの空間は解放されている。
 それはコップに関連して見られたときにだけ、コップのなかにあると見なさ
 れる。
 そうでなければ、それはただの空間だ。
 身体があるかぎり、あなたは肉体化されたかのように見える。
 身体がなくなっても、あなたは肉体から分離されたのではない。
 あなたはただ在る。
 運命さえもただの概念にすぎない。
 言葉はあらゆる方法で組み立てられる。
 表明は異なるだろうが、それらが現実において変化をもたらすだろうか?
 数多くの説がものごとを説明するために発明されてきた。
 それらすべてはもっともらしいものであり、どれも本物ではない。
 車を運転するとき、あなたは科学と力学の法則の支配下にある。
 車を降りたら、生理学と生化学の支配下にある。
 質問者 瞑想とは何でしょうか? 何がその効用なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが初心者であるかぎり、ある形式的な瞑想、あるいは祈りが向いてい
 るだろう。
 しかし、実在の探求者にはただひとつの瞑想があるだけだ。
 それは思考を潜ませることへの厳格な拒絶だ。
 思考から自由になること、それ自体が瞑想だ。
 質問者 それはどのようになされるのでしょうか?
 マハラジ
 思考が起こるにまかせ、それらを見ることだ。
 その観察自体がマインドをゆっくりさせ、完全に止まらせる。
 ひとたび、マインドが静まったなら、それを静かに保ちなさい。
 平安に退屈になってはならない。
 そのなかに在りなさい。
 そのなかにより深く入っていきなさい。
 質問者 ほかの思考を避けるため、ひとつの想いをもちつづけるということ
 について聞きました。しかしどのようにして、すべての思考を追い
 払いつづけるのでしょうか? その考え自体が思考なのです。
 マハラジ
 新しい実験をしてみなさい。
 過去の体験にしたがってはならない。
 あなたの思考を見なさい。
 そして思考を見ているあなた自身を見なさい。
 すべての思考から自由になった状態が突然起こるだろう。
 そしてその至福によって、それを認識するだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

268鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/13(土) 22:34:50 ID:1d4drIFg0
思考は起こっては消えるままにしておけばいずれとまるのじゃ。
思考が無くとも意識は在る状態になるのじゃ。
その意識によって思考が自分であるという認識もなくなるのじゃ。
思考が自分であれば思考が無い時は自分がない筈であるからのう。
意識である自分に気付くのじゃ。

269避難民のマジレスさん:2018/10/14(日) 09:03:00 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】

 質問者 人びとはあなたに助言を求めてやって来ます。何と答え
 るかをどのようにして知るのでしょうか?
 マハラジ
 質問を聞くように、私は答えを聞くのだ。
 質問者 では、どのようにしてあなたの答えが正しいと知るので
 しょうか?
 マハラジ
 ひとたび答えの真の源を知れば、疑う必要はない。
 純粋な源からは純粋な水だけがあふれ出る。
 私は人びとの欲望や恐れには関わらない。
 私は意見とではなく、事実と同調するのだ。
 人は名前と形を自分自身と見なすが、私は何も私自身とは見なさ
 ない。
 私が名前によって知られるひとつの身体を私自身として見なして
 いたなら、あなたの質問に答えることはできなかっただろう。
 私があなたを単なる身体だと見なしていたら、あなたは私の答え
 によって、何の恩寵(おんちょう)も得なかっただろう。
 真の師は意見に満足したりはしない。
 彼はものごとをあるがままに見、そしてそれをあるがままに見せ
 る。
 もしあなたが人々を、これが彼ら自身だと信じているものとして
 見なすならば、ただ彼らを傷つけるだけだ。
 そうやって彼らが自分自身をいつもひどく苦しめているように。
 しかし、もしあなたが実在としての彼らを見るならば、彼らにと
 って大変な助けとなるだろう。
 もし彼らが何をし、どのような修練をし、どのような生き方にし
 たがうべきかをあなたに尋ねたならば、こう答えるがいい。
 「何もせず、ただ在りなさい。
 在ることのなかで、すべては自然に起こる」と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

270鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/14(日) 21:35:36 ID:1d4drIFg0
マハラジは名前と形をすでに自分とみなしてはいないと言うのじゃ。
名前と形が観念をつくり、自分という観念をも作り出すのじゃ。
それを自分と人は思うが、マハラジはその観念から自由になっているのじゃ。
そうであるから智慧が湧き、どのような難問にも答えられるのじゃ。
あるがままに観る何もしないでいる境地こそ最高の教えで在るが、それを理解できる者は少ないのじゃ。

271避難民のマジレスさん:2018/10/15(月) 06:34:55 ID:LC3de7YgO
>>269
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】(つづき)

 質問者 話のなかで、あなたは「自然に」と「偶然に」という言
 葉を無差別に使っているように見えます。二つの言葉の
 意味には深い違いがあると私には感じられます。自然は
 秩序をもち、法則にしたがいます。人は自然を信頼でき
 ます。偶然は混沌とし、予期予想の不可能なものです。
 すべてが自然であり、自然の法則に支配されていると主
 張することはできますが、すべてが偶然であり、何の原
 因ももたないと主張することは間違いなく誇張です。
 マハラジ
 もし私が「偶然の」の代わりに「自発的に」という言葉を使うな
 ら、あなたには好ましいだろうか?
 質問者 あなたは「偶然の」という言葉に対して「自発的な」ま
 たは「自然の」という言葉を使うかもしれません。しか
 し、偶然のなかには混沌や無秩序の要素があります。偶
 然はつねに規則の破棄、例外、驚きです。
 マハラジ
 人生それ自体が一連の驚きではないだろうか?
 質問者 自然には調和があります。偶然には妨害があるのです。
 マハラジ
 あなたは時間と空間に限定され、身体とマインドの内容に引き下
 げられた個人として語っている。
 あなたが好むこと、それをあなたは「自然の」と呼び、あなたが
 嫌いなこと、それを「偶然の」と呼ぶのだ。
 質問者 私は自然のままの法則を守ること、予期したことが好き
 で、法則を破り、無秩序で、予期できず、無意味なこと
 を恐れるのです。偶然はつねに怪物のようなものです。
 いわゆる「幸運な偶然」と呼ばれるものはあるかもしれ
 ません。ですが、それらはただ偶然なことが起こりやす
 い宇宙では、生活はありえないという法則を証明するだ
 けです。
 マハラジ
 どうやら、誤解があるようだ。
 「偶然の」とは既知の法則にあてはまらない何かを意味している。
 私が、すべては偶然で原因がないと言うとき、ただそれによって
 作用する法則や原因は、私たちの知識や想像を超えているという
 意味なのだ。
 もしあなたが秩序と調和ある予測可能なものを自然と呼ぶならば、
 高次の法則にしたがい、高次の力によって動かされるものは「自
 然発生的」と呼べるかもしれない。
 このように、私たちは二つの自然の秩序をもっている。
 個人的で予測可能なもの、そして非個人的、あるいは超個人的な
 予測不可能なものだ。
 それを低次の自然と高次の自然と呼んでもいい。
 そして偶然という言葉は忘れてしまいなさい。
 あなたが知識と洞察において成長するにつれ、低次と高次の間の
 境界線の印象は薄らいでいく。
 だが、それらがひとつとして見られるまでは、二つのままとどま
 る。
 なぜなら、事実、すべては実に驚くほど不可解だからだ!
(´・(ェ)・`)
(つづく)

272鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/15(月) 22:06:08 ID:1d4drIFg0
悟りを得なければ誰もが自分の好悪の判断から世界を創るのじゃ。
自然は秩序が有り、偶然は破壊的なものと感じるのも観念なのじゃ。
本来全ては観念を超えてあるものであり、思考することもできないものじゃ。
ただあるがままに見ることができるだけなのじゃ。

273避難民のマジレスさん:2018/10/15(月) 22:47:24 ID:LC3de7YgO
>>272
うむ。
全部受け止めるしかないのでありますね。
それは、諦めることとは、真逆なのでありますね。
(´・(∀)・`)つ

274避難民のマジレスさん:2018/10/16(火) 04:11:45 ID:LC3de7YgO
>>271
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】(つづき)

 質問者 科学は多くを説明してきました。
 マハラジ
 科学は名称と形態、質と量、パターンと法則を扱っている。
 それはそれ自身の場においてはまったく良いだろう。
 だが、生とは生きられるものであり、分析のための時間はない。
 反応は即座でなければならず、それゆえ時間を超えた自発性が重
 要だ。
 私たちは未知のなかで生き、動いているのだ。
 既知とは過去のものだ。
 質問者 私には、これが私だと感じる立場を取ることができます。
 私は個人であり、人びとのなかのひとりの人物です。あ
 る人たちは完成され、調和のとれた人格であり、ある人
 たちはそうではありません。ある人たちは努力を要する
 ことなく生き、あらゆる状況に適切に、自発的に反応し
 ます。その時点で必要な、完全に正当なことを為すので
 す。一方、ほかの人たちは手探りをし、過ちを犯し、た
 いがい彼ら自身に害を与えてしまうのです。調和の取れ
 た人たちは、自然で、法則に支配されている人と呼べる
 かもしれません。未完成な人たちは混沌とし、偶然に支
 配されているのです。
 マハラジ
 混沌という概念自体が、秩序、有機的といった相互関係の意議を
 前提としている。
 混沌と秩序。
 これらは同じ状態の二つの相ではないだろうか?
 質問者 しかし、あなたはすべてが混沌、偶然、予測不可能だと
 言っているようです。
 マハラジ
 そうだ。
 その意味では、すべての存在の法則が知られているわけではなく、
 すべての出来事が予測可能なわけではない。
 あなたが理解できるようになればなるほど、宇宙が精神的にも感
 情的にも満足すべきものとなる。
 実在は善と美だ。
 混沌をつくり出すのは私たちなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

275素人A:2018/10/16(火) 08:59:58 ID:gOqWUDAs0
やっぱ私の妄想で科学的思考で死後の世界は可能かどうか考えると.物質全部は情報ソフト量やエネルギー使いすぎで無駄で無理
なのかも。今は省エネだし.像仏像でも作るには大変.でも画像や映像だけならそんなに金かからない。映画やテレビDVDで生前と
実現できる。映像や音声は波の情報としてコンちゃんに記録できるし。また映像等受ける感覚と出る行動は受ける方が
情報エネルギーは少なくてすむし。今でも生前の姿は映像や音声で再現でき。考えも観える頭脳では脳波の情報通信と考えれば
死んだ世界もエネルギー少ない情報せかいでバーチャル的に生存可能なのか要するに今のコンピューターやDVDテレビが現実世界
とはを教えてくれる。なんでみんな気が付かないのかなあインターネットも前にあるし昔は夢や物語しか無くても皆死んでも先は
あると信じじていたけど?要するに金や物が無いと貧乏でみじめと国の資本主義教育の考えでは死は役立たず科学利用して観ない
様に仕向けているだけか?でも日本はどんどん物や金はなくなり貧乏人の自由はコマーシャル憑きのテレビみらされ金持ちは海外
旅行やゴルフに行く。貧乏でも坐禅や瞑想無料ネット将棋はできるけど.でも生きて物質的に行動するには無駄にエネルギー使う
私は何故短くまとめないのか要するに出たとこ勝負でだらだらで纏めるのに時間つかうし

276素人A:2018/10/16(火) 10:03:09 ID:gOqWUDAs0
要するに質問者がろくな質問しないし マハラジにうまく丸め込まれている

277鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/16(火) 22:25:33 ID:1d4drIFg0
>>273 そうじゃ、諦めではないのじゃ。
 あるがままに受け入れ、観察し続けるのじゃ。


 科学は観念の中で起こる現象の法則を見つけ出しただけなのじゃ。
 観念を超越することはできないのじゃ。
 観念が無ければ全ては善美を尽くしたものとなるのじゃ。
 苦は一切無く、永遠に歓喜が在るので在るからのう。

278避難民のマジレスさん:2018/10/17(水) 06:41:16 ID:LC3de7YgO
>>274
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】(つづき)

 質問者 もし偶然は人間の自由意志によって起こるとあなたが言
 うのならば、私は賛成します。しかし、私たちは自由意
 志についてまだ討論していません。
 マハラジ
 あなたの秩序はあなたに快楽を与えるものであり、あなたの無秩
 序は、あなたに苦痛を与えるものだ。
 質問者 あなたはそう表現するかもしれませんが、その二つはひ
 とつだと言わないでください。私の言語で話してくださ
 い、幸福を探求する一個人の言語で。私は非二元性の空
 言に惑わされたくはないのです。
 マハラジ
 あなたが分離した個人だと、何があなたに信じさせるのだろうか?
 質問者 私は一個人としてふるまい、私自身で機能します。私自
 身が基本であり、他者は私との関係性において在るだけ
 です。早い話が、私は私自身のことで忙しいのです。
 マハラジ
 それならば、あなた自身のことで忙しくしていればいい。
 いったいどういうつもりでここに来たのだね?
 質問者 自分自身を安全で幸せにするため、私が古くからやって
 いる商売のためです。白状すると、成功してきたとは言
 えません。私は安全でも幸せでもありません。ですから、
 私はここにいるのです。ここは私にとっては新しいとこ
 ろですが、私がここへ来た理由は古いものです。安全な
 幸福、幸福な安全の探求です。今までのところ見つけて
 はいません。助けてもらえますか?
 マハラジ
 一度も失ったことのないものは、けっして見つけられない。
 安全と喜びの探求そのものがあなたを幸福から遠ざけてしまう。
 探すことをやめなさい。
 失うことをやめなさい。
 病はシンプルなものだ。
 治療も同じくシンプルだ。
 あなたを不安に、不幸にするのはあなたのマインドなのだ。
 予測があなたを不安にし、記憶があなたを不幸にするのだ。
 マインドを誤用することをやめなさい。
 そうすれば、すべてはうまくいくだろう。
 あなたがそれを正す必要はない。
 あなたが過去と未来へのすべての関わりを放棄し、永遠の今のな
 かに生きるやいなや、それはそれ自身を正すだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

279素人A:2018/10/17(水) 09:58:50 ID:/mRrWwwM0
もしブラフマンが神経質で優しい性格だったら細かくみれば悲しい人ばかり見て
毎日なんで世界はこう矛盾だらけで困つたひと助けようとして筋鍵めちゃくちゃに
なり人助けで疲れて毎日泣いている。損な世界は無いている?あなたは能天気で
いっも明るく居なさい。細かい事は見捨てて光り輝いて居なさいそう言う役でしょう
と叱られた。そして暗いのは悪魔に欠かせよう。兎に角明るくブラフマンは使用

280鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/17(水) 20:16:10 ID:1d4drIFg0
誰もが幸福や安全を探しているじゃろう。
それはどこか遠くに在るものではなく、自分の心に在るものじゃ。
心を観ずに幸福や安全を探してもどこにも見つからないのじゃ。
自らの心の中を観ようとすれば真の幸福の道は開かれるのじゃ。

281避難民のマジレスさん:2018/10/18(木) 06:57:51 ID:LC3de7YgO
>>278
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】

 質問者 しかし、今という瞬間には何の空間的広がりもありませ
 ん。私は誰でもない人に、無になってしまうでしょう!
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 無として、誰でもない人としてのあなたは安全で幸福なのだ。
 望むならば体験させてあげよう。
 試してみるがいい。
 だが、何が偶然で、何が自発的、自然なのかという点に戻ってみ
 よう。
 あなたは自然が規則的であり、偶然は混沌の兆候だと言った。
 私はその違いを否定し、原因の由来をたどれないとき、その出来
 事を偶然と呼ぼうと言った。
 自然のなかに混沌というものは存在しない。
 混沌は人のマインドのなかにだけ存在するのだ。
 マインドは全体を把握することができない。
 その焦点はたいへん狭いものだ。
 それは断片だけを見て、状況を察知しそこなう。
 それはある人が音は聞いても言語を理解せず、話し手のことを、
 無意味でわけのわからないことを話し、結局すべて間違いだと非
 難するようなものだ。
 ある人にとっては混沌とした音の流れが、別の人には美しい詩な
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

282鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/18(木) 22:41:54 ID:1d4drIFg0
無であり、誰でもないものであれば安全で幸福な者であるとマハラジは言うのじゃ。
無であり、誰でも無い者とは自分の名前とイメージがない者なのじゃ。
名前とイメージが自分という観念をつくり、孤独と不安と恐れを起こすのじゃ。
そして混沌を恐れて逃避し、秩序を求めて迷うようになるのじゃ。
観念が無ければ無であり。誰でもない者として安全で幸福になるのじゃ。

283避難民のマジレスさん:2018/10/19(金) 05:41:33 ID:LC3de7YgO
>>281
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】(つづき)

 ジャナカ王は、あるとき彼が乞食になった夢を見た。
 目覚めたとき、彼のグルであるヴァーシシュタに尋ねた。
 「私は乞食になった夢を見ている王でしょうか、あるいは王にな
 った夢を見ている乞食なのでしょうか?」
 グルは答えた。
 「あなたはそのどちらでもない。
  あなたはその両方だ。
  あなたは在る。
  だがあなたが考えているあなたではない。
  あなたはそのように在る。
  なぜなら、あなたはそれにしたがってふるまっているからだ。
  あなたはそれではない。
  なぜなら、それは永遠には続かないからだ。
  あなたは永遠に王や乞食として在ることができるだろうか?
 すべては変わっていかなければならない。
  あなたは変わらないものだ。
  そのあなたとは何か?」
 ジャナカは言った。
 「そのとおりです。
  私は王でも乞食でもありません。
  私は覚めた観照者です」。
 グルは言った。
 「あなたが普通の人々とは異なる、より優れたジニャーニだとい
  う考え、これがあなたの最後の幻想だ。
  またしても、あなたはマインドと自己同一化したのだ。
  この場合、正しい処し方であり、あらゆる面で模範となれるマ
  インドである。
  だが、ほんのわずかでも違いを見るかぎりは、あなたは実在の
  局外者なのだ。
  あなたはマインドのレベルにいる。
  『私は私自身だ』が去ったとき、『私はすべてだ』が現れる。
  『私はすべてだ』が去るとき、『私は在る』が来る。
  『私は在る』さえ去ったとき、ただ実在だけが在る。
  そして、そのなかですべての『私は在る』は維持され、栄光を
  与えられるのだ。
  分離のない多様性、それこそマインドが触れることのできる究
  極なのだ。
  その彼方では、すべての活動がやむ。
  なぜなら、そのなかですべての目的地は到達され、すべての目
  的は果たされるからだ」。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

284鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/19(金) 22:15:40 ID:1d4drIFg0
誰もが誰かであるという夢を見ているのじゃ。
与えられた名前を持ち、姿かたちが在るという幻想の自分を認識しているのじゃ。
それが無く、他の何かに自己同一化することも無ければ無我になるのじゃ。
更に認識をも無くなれば悟りは訪れるのじゃ。

285避難民のマジレスさん:2018/10/20(土) 10:30:38 ID:LC3de7YgO
>>283
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】(つづき)

  質問者 ひとたび、至高の状態が到達されたら、それは他者と分
 かちあうことができるでしょうか?
 マハラジ
 至高の状態は、普遍の今、ここに在るものだ。
 すべての人がすでにそのなかで分かちあっている。
 それは存在の、知ることと愛することの状態だ。
 誰が存在することを愛さないというのだろう、あるいは自らの存
 在を知らないというのだろうか?
 しかし、私たちはこの意識的存在の歓びを利用しない。
 私たちはそのなかに入り、それとは異質なものすべてを浄化しよ
 うとしない。
 この精神的な自己浄化、精神の浄化は本質的なものだ。
 目に入ったゴミが炎症をひき起こし世界を視界から消し去るよう
 に、「私は身体―精神だ」という誤った観念は利己的関心を生み
 だし、宇宙を覆(おお)い隠す。
 限定された存在と分離された個人という感覚と闘うことは、その
 根本を取り去るまでは無駄なことだ。
 利己主義は自己の誤った観念のなかに根づいている。
 探求とはマインドの浄化なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

286鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/20(土) 22:04:06 ID:1d4drIFg0
誰もが本来は全てである意識そのものなのじゃ。
それをマハラジは語っているのじゃ。
ただの一度もそれで無かったことは無いのじゃ。
根本の無明がなくなるまでは気付かないだけなのじゃ。

287避難民のマジレスさん:2018/10/21(日) 08:30:54 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【50 自己覚醒が観照者だ】

 質問者 私とは三つの相のもとに考えられる、とあなたは言いま
 した。個人(ヴィヤクティ)、超個人(ヴィヤクタ)、
 非個人(アヴィヤクタ)です。アヴィヤクタは普遍的で
 純粋な真の「私」です。ヴィヤクタは「私は在る」とし
 ての意識の反映です。ヴィヤクティは身体の、そして生
 命の過程の全体性です。狭く制限された現在、超個人は
 時間と空間の両方において個人に気づいています。ひと
 りの個人だけではなく、カルマ(因果関係)の糸に通さ
 れた長い一連の個人たちです。超個人は本質的には観照
 者であり、同時に蓄積された経験の残留、記憶の所在地、
 連結する輪(スートラアートマ)でもあります。それは
 人生が構築し、誕生から誕生へと形作っていく人格です。
 普遍的なる非個人はすべての名前と形を超え、意識と人
 格を超えた、純粋な自己意識の存在なのです。私はあな
 たの見解を正しく現したでしょうか?
 マハラジ
 マインドのレベルではそのとおりだ。
 知的レベルを超えた彼方では、言葉は適用しない。
 質問者 個人が精神的構成観念、意識の記憶と習慣のための集合名詞だとい
うことは私にも理解できます。しかし、それに対して個人が現れる、観照の中
心も精神的なものでしょうか?
 マハラジ
 色彩にはそれを現すひとつの面が必要なように、個人には自分自身と同一化
するための基盤である身体が必要だ。
 それがどのような色であっても、色を見るという行為が色に依存することは
ない。
 色を見るためには目が必要だ。
 色はたくさんあるが、目はひとつだ。
 個人とは色のなかの光、また目のなかの光のようなものだ。
 それにもかかわらず、単一で、分割不可能であり、その顕現のなか以外では
知覚不可能なものだ。
 不可知ではないが、知覚不可能であり、非客観的で、分離不可能なものだ。
 物質的でも精神的でもなく、客観的でも主観的でもない。
 それは物質の根本であり、意識の源だ。
 単なる生と死を超えて、それはすべてを含み、すべてを除いた生命だ。
 そのなかでは誕生が死であり、死が誕生なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

288避難民のマジレスさん:2018/10/21(日) 09:54:54 ID:LC3de7YgO
>>287
> それにもかかわらず、単一で、分割不可能であり、その顕現のなか以外では
知覚不可能なものだ。
↑ここまでは、身体をもつ個人のこととして読める気がするのであります。 

>不可知ではないが、知覚不可能であり、非客観的で、分離不可能なものだ。
 物質的でも精神的でもなく、客観的でも主観的でもない。
 それは物質の根本であり、意識の源だ。
 単なる生と死を超えて、それはすべてを含み、すべてを除いた生命だ。
 そのなかでは誕生が死であり、死が誕生なのだ。
↑これは、アートマンのことでありますかね。

(´・(ェ)・`)つ

289鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/21(日) 21:55:26 ID:1d4drIFg0
↑そのようなものじゃ。
認識できなくともそれを求めて探求して行くがよいのじゃ。
そうすれば途中に現われた幻影に囚われることも無いのじゃ。
そのようにして悟りにまだ到達するのじゃ。

290避難民のマジレスさん:2018/10/22(月) 07:06:52 ID:LC3de7YgO
>>287
『I AM THAT 私は在る』
【50 自己覚醒が観照者だ】(つづき)

 質問者 あなたが話す絶対なるものとは実在のものでしょうか、それとも私たち
の無知を包み込むための単なる理論なのでしょうか?
 マハラジ
 その両方だ。
 マインドにとってはひとつの理論であり、それ自体においてはひとつの実在だ。
 それは自発的で全面的な偽りの根絶において実在なのだ。
 光がその存在自体において暗闇を破壊するように、絶対なるものは想像を破壊す
る。
 すべての知識を無知の一形態として見ることが、それ自体実在の 動きなのだ。
 観照者は個人ではない。
 そこにそのためのひとつの基盤、ひとつの身体、ひとつの有機的組織があるとき
に個人は立ち現れる。
 そのなかで、絶対なるものは気づきとして反映され、純粋な気づきは自己覚醒と
なる。
 そこに自己が存在するとき、自己覚醒が観照者だ。
 そこに観照する自己がいないとき、観照もない。
 それはすべてまったくシンプルだ。
 個人の存在がことを複雑にしてしまうのだ。
 永久に分離した個人というものはないことを理解しなさい。
 そうすればすべては明白になる。
 気づき―精神―物質、それらは動と不動という二つの相と、不活溌性、エネルギ
ー、調和という三つの属性をもったひとつの実在なのだ。
 質問者 意識と気づき、どちらが先に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 気づきがそこにひとつの対象物をもったとき意識となる。
 対象はつねに変わっていく。
 意識のなかには運動がある。
 気づき自体は、運動も時間もない今ここにあるのだ。
 質問者 現在、東パキスタンに苦難と流血が起こっています。あなたはそれをど
のように見ますか? それはあなたにとってどのように現れ、あなたはどう反応す
るのでしょう
 か?
 マハラジ
 純粋な意識のなかでは、けっして何も起こらない。
 質問者 どうか、その形而上学的高みから降りてきてください!
 苦しんでいる人びとにとって、彼自身以外、誰も彼の苦難に気づく人はいないと
言われることがなんの役に立つ と言うのでしょう?
 すべてを幻想として退けることは、傷ついた人に屈辱を加えるようなものです。
東パキスタンのベンガル人は事実であり、彼らの苦難も事実です。
 どうか、それを存在しないかのように扱わないでください!
 あなたは新聞を読んでいるのです。人びとがそれについて話しているのを聞いて
いるはずです。知らなかったとは言えません。さあ、この出来事に対してあなたは
どのような態度を取るのでしょうか?
 マハラジ
 態度はない。
 何も起こってはいないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

291鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/22(月) 19:17:12 ID:1d4drIFg0
問題は問題を作る者の心の中にだけあるものじゃ。
そのような者以外にはないのじゃ。
常に戦争や貧困は在るが囚われなければ苦でもないのじゃ。
それを絶対的なものとみる者の心に問題は在るのじゃ。

292避難民のマジレスさん:2018/10/23(火) 06:27:32 ID:LC3de7YgO
>>290
『I AM THAT 私は在る』
【50 自己覚醒が観照者だ】(つづき)

 質問者 あなたの目の前で、暴動がある日起こるかもしれません。
 おそらく、人びとは殺しあっているでしょう。明らかに、何も起こってはいない
と言って、距離をおいて超然としているわけにはいきません。
 マハラジ
 私は距離をおくなどと、一度も言っていない。
 あなたは私が争いのなかに飛びこんでいって誰かを助け、殺されてしまうのを見
るかもしれない。
 それでも、私にとっては何も起こらなかったのだ。
 巨大な建物が崩壊するところを想像してみなさい。
 いくつかの部屋は破壊され、いくつかはそのままだ。
 だが空間について、破壊された、破壊されないといったことが言 えるだろうか

 被害に遭(あ)ったのは、そこに住んでいた人びとと建築物だけ だ。
 空間自体には何も起こらなかった。
 同様に、形態が崩れ去り、名称がぬぐい去られても、生命には何も起こらないの
だ。
 金細工師は新しい装飾品をつくるために古いものを溶解する。
 ときおり、良質の金は質の悪いものと一緒になる。
 彼はそれを巧みに処理する。
 なぜなら、金自体は失われていないことを、彼は知っているからだ。
 質問者 私が反感を感じるのは死ではなく、死に方です。
 マハラジ
 死は自然なものだ。
 死に方とは人のつくり出したものだ。
 分離が恐怖と攻撃を生じさせ、それがまた暴力を生みだす原因となる。
 人のつくり出した分離を取り除きなさい。
 そうすれば、人びとが互いに殺しあうというすべての憎悪はかならず終わる。
 しかし実際には、殺すことも死ぬこともない。
 真実は死なない。
 偽りはけっして生きたことがない。
 あなたのマインドを正しなさい。
 そうすれば、すべては正される。
 世界はひとつであり、人類はひとつだと知るとき、あなたはそれ にしたがって
行動するだろう。
 しかし、まずあなたが感じ、考え、生きる道に留意しなければな らない。
 あなた自身のなかに秩序がなければ、世界に秩序はありえない。
 実際には、何も起こらない。
 マインドのスクリーン上に、運命はかつて投影された記憶の画像を永遠に映しだ
す。
 そのようにして幻想はそれ自体を絶え間なく再生していくのだ。
 無知によって遮(さえぎ)られた光である画像は来ては去っていく。
 光を見なさい。
 そして画像は無視するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

293避難民のマジレスさん:2018/10/23(火) 06:35:17 ID:LC3de7YgO
>>292
>(真実は死なない。)
 偽りはけっして生きたことがない。
とは、永遠に生きているみたいな意味でありますか?
(´・(ェ)・`)つ

294鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/23(火) 22:51:50 ID:1d4drIFg0
そのようなものじゃ。
永遠の意識は常にありそれだけが真実なのじゃ。
偽りがそこに存在することはないのじゃ。
全て一つなのじゃ。

295避難民のマジレスさん:2018/10/24(水) 04:11:36 ID:LC3de7YgO
>>292
『I AM THAT 私は在る』
【50 自己覚醒が観照者だ】(つづき)

 質問者 何と無感覚なものの見方でしょう! 人びとが殺しあっているというの
に、あなたはここで画像について話して いるのですよ。
 マハラジ
 ではあなた自身、行って殺されるがいい。
 もしそれがあなたのするべきことだと考えるならば。
 あるいは行って殺すがいい。
 もしそれがあなたの義務だと感じるならば。
 だが、それは悪を消滅させる道ではない。
 悪とはマインドの病の悪臭だ。
 あなたのマインドを癒しなさい。
 そうすれば、マインドは歪(ゆが)んだ醜い画像を投影するのを やめるだろう

 質問者 あなたの言われることは理解できます。しかし、私には 感情的に受け
入れることができません。この単なる人生の観念論的見解は、私に深い不快感を与
えます。私には永久に夢の状態にいる自分を考えることができないのです。
 マハラジ
 どうやってはかない身体によって生じた状態のなかに永久にいることができるだ
ろうか?
 誤解はあなたが身体だという観念に基づいているのだ。
 その観念を調べてみなさい。
 その生来の矛盾を見てみなさい。
 あなたの現存在は火花のシャワーのようなものだ。
 それぞれの火花は一秒ももたず、シャワー自体は一、二分しかもたないものだと
認識しなさい。
 もちろん、はじまりが終わりであるものが、その中間をもつことはありえない。
 実在は一時的ではありえない。
 それは永遠だ。
 しかし、永遠は期間ではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

296鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/24(水) 22:12:39 ID:1d4drIFg0
世界を正しくしようとか、平和にしようとする想いが新しい戦争を引き起こすのじゃ。
征服者とか独裁者は皆そのように思って戦争をしていたのじゃ。
それによって世界が平和になることは無いのじゃ。
自らの心の中によのみ平和は在るのじゃ。

297避難民のマジレスさん:2018/10/25(木) 06:47:58 ID:LC3de7YgO
>>295
『I AM THAT 私は在る』
【50 自己覚醒が観照者だ】(つづき)

 質問者 私の住む世界が現実の世界ではないということは認めま
 す。しかし、そこには私が歪んだ絵としてみている現実
 の世界があるはずです。歪みは私の身体、あるいはマイ
 ンドの傷によるものかもしれません。しかしあなたが現
 実の世界は存在せず、ただマインドのなかの夢の世界が
 あるだけだと言うとき、私にはそれを受け入れられない
 のです。すべての存在の恐怖は、私が身体をもつためだ
 と信じることができたなら、と願います。自殺すること
 がその出口なのです。
 マハラジ
 自分のものであれ他人のものであれ、観念に注意を払っているか
 ぎり、あなたは困難に陥るだろう。
 しかし、もしあなたがすべての教え、すべての本、すべての言葉
 で表されたものを無視し、あなた自身のなかに深く潜りこみ、あ
 なた自身を見いだしたならば、これのみがあなたのすべての問題
 を解決するだろう。
 そして、これはあなたがあらゆる状況を完全に統御できるように
 するだろう。
 なぜなら、あなたは状況についての自分の観念に支配されないか
 らだ。
 例えば、あなたが魅力的な女性とともにいるとしよう。
 彼女のことを想い、それが性的な状況をつくり出す。
 問題は生じて、あなたは禁欲の、あるいは快楽の本を探しだす。
 もしあなたが赤ん坊だったら、ふたりとも裸でいても何の問題も
 起こらない。
 ただ、あなたが身体だという考えをやめてみるがいい。
 そうすれば愛とセックスという問題は意味を失うだろう。
 すべての制限の感覚が去るとともに、恐れ、苦痛、快楽の探求、
 すべてがやむ。
 ただ気づきだけが残るのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

298鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/25(木) 22:50:28 ID:1d4drIFg0
観念に囚われている限り、観念による執着や苦はなくならないのじゃ。
自分があり、自分の肉体が在るという観念から欲も生まれ、執着や苦も起こるのじゃ。
自らの心の中に眼を向ければ観念から自由になる悟りへの道も開けるのじゃ。
 そして一切の苦を脱却し、永遠の喜びに浸る事が出来るのじゃ。

299避難民のマジレスさん:2018/10/26(金) 07:26:24 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(1)(前半(p254〜255辺り)は省略されてるようであります)

 マハラジ
 どうして行為について話すのかね?
 あなたが行為をしているというのだろうか?
 ある未知なる力が行為をし、あなたはあなたが行為をしていると想像するの
 だ。
 いかなる形であっても、影響を与えることのできないまま、あなたは単に起
 こることを見ているだけなのだ。
 質問者 どうして私には何もできないということを受け入れるのに、これほ
 ど途方もない抵抗が私のなかにあるのでしょう?
 マハラジ
 だが、あなたに何ができるというのかね?
 あなたは手術を行う外科医の手にかかり、麻酔薬の影響下にある患者と同じ
 だ。
 目覚めたとき、あなたは手術が終わったことを知るのだ。
 それでもあなたが何かをしたと言えるだろうか?
 質問者 しかし、手術を受けることを選択したのは私なのです。
 マハラジ
 もちろんそうではない。
 あなたに決定をさせたのは、一方ではあなたの病気であり、もう一方では医
 師と家族からの強要なのだ。
 あなたに選択はない。
 ただ選択権があるという幻想だけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

300素人A:2018/10/26(金) 10:15:39 ID:gOqWUDAs0
夢の中では夢中になり身替わりロボットの役に嵌まり
冷静に仏の観ではテレビ見ているようで夢中になれず
覚めたのもドラマチックで無いし覚めているのと夢中なのも
どちららもまあ良い化の鴨。でも負け続けの将棋は辛い世くやしくて
明らめられないしまあ色々

301鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/26(金) 21:47:40 ID:1d4drIFg0
人間には自由意志はほとんどないのじゃ。
2%ぐらいじゃな。
修行し続けることさえ難しいのじゃ。
この世界で暇を得て修行できるのは幸運なのじゃ。

302避難民のマジレスさん:2018/10/27(土) 08:43:33 ID:LC3de7YgO
>>299
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 質問者 それでもなお、私はあなたが言われるほど無力ではないと感じてい
 ます。私は考えることすべてを実行することができると感じていま
 す。ただ、どうすればよいのか知らないだけなのです。私が力を欠
 いているのではありません。知識がないのです。
 マハラジ
 明らかに、知らないということは力がないのと同じだけ悪いという意味だ!
 だが、しばらくこの問題は置いておこう。
 結局、さし当たり私たちが無力だということをはっきり知っているかぎり、
 なぜ無力に感じるかはそれほど重要ではないのだ。
 現在、私は七十四歳だ。
 それにもかかわらず、私は子供のように感じる。
 通り抜けてきたあらゆる変化にもかかわらず、私は子供であるとはっきり感
 じるのだ。
 グルは私に言ったものだ。
 「今でさえあなたであるその子供が、あなたの本来の自己なのだ」と。
 「私は在る」が、まだ「これが私だ」「あれが私だ」に汚される前の純粋な
 状態に戻りなさい。
 偽りの自己同一化があなたの重荷なのだ。
 それらをすべて落としなさい。
 グルは私に言った。
 「私を信頼しなさい。あなたに言おう。あなたは神聖なのだ。それを絶対の
 真実として受け取りなさい。あなたの喜びは神聖だ。あなたの苦しみもま
 た神聖だ。すべては神からやって来るのだ。それをいつも憶えていなさい。
 あなたは神だ。あなたの思いのみが為されるのだ」。
 私は彼を信じ、すぐに彼の言葉が的確であり、驚くほど真実だということを
 悟ったのだ。
 私は、「私は神だ。私は素晴らしい。私は超越している」と考えることでマ
 インドに条件づけをしたわけではない。

 ただ「私は在る」という純粋な存在にマインドの焦点を合わせ、そのなかに
 とどまるという彼の教えにしたがっただけなのだ。
 私は、「私は在る」以外何もマインドのなかに置かず、何時間も坐ったもの
 だった。
 そしてすぐに平安と喜びすべてを深く抱擁する愛が私の正常な状態となった。
 そのなかにすべては消え去っていった――私自身、私のグル、私の生きた人
 生、そして私の周辺の世界が。
 ただ、平和と計り知れない沈黙だけを残して。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

303鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/27(土) 22:17:29 ID:1d4drIFg0
計り知れない探求だけが人を悟りに導くのじゃ。
自分という偽りの観念を捨てて在るものだけをどこまでも心の中に求めるのじゃ。
それが人に出来る唯一の方法であり、道なのじゃ。
実践する者だけがその栄光を掴むことができるのじゃ。

304避難民のマジレスさん:2018/10/28(日) 05:39:49 ID:LC3de7YgO
>>302
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 質問者 それは一見、たやすく単純に見えます。しかしそうではありません。
 ときどき素晴らしい、喜びにあふれた平安が私の上に降り立ちます。
 そして私はそれを見て思うのです。「なんとたやすくそれはやってきて、なんと
親密なのだろう。……(中略)……」と。
 マハラジ
 ある特別で劇的な、何か素晴らしい爆発が起こることへの期待は、ただ単にあな
たの真我の実現を妨害し、遅れさせるだけだ。
 爆発を期待すべきではない。
 なぜなら、あなたの誕生の瞬間、あなた自身を在ること―知ること―感じること
として自覚したときに、爆発はすでに起こったからだ。
 たったひとつ、あなたには誤りがある。
 あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
 あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものをあな
たの内側にあると見なしているのだ。
 マインドと感情は外側にあるのだ。
 だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
 あなたは世界が外界のものだと信じている。
 だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
 これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
 あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
 ほかに道はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

305鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/28(日) 21:13:23 ID:1d4drIFg0
マインドの思考とか感情などは外にあるものとマハラジは言うのじゃ。
それらは自分ではなく、自分のものではないから外に在るものと言えるのじゃ。
自らの観念の投射である世界は精神の投影であるから内側に在るものと言うのじゃ。
自分を醜いと思う者には世界は醜く、自分を美しいと思う者には世界も美しいのじゃ。
全てのものの見方が精神を投影しているのじゃ。

306避難民のマジレスさん:2018/10/29(月) 05:37:47 ID:LC3de7YgO
>>304
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 質問者 思考が好き勝手に去来していくなかで、どのようにして考えぬけという
のでしょうか?
 この果てしないおしゃべりが私をかき乱し、疲れ果てさせるのです。
 マハラジ
 通りの往来を見るように、あなたの思考を見守りなさい。
 人々は来ては去っていき、あなたはそれに反応することなく印象をとどめていく。
 はじめのうちは楽ではないかもしれないが、いくらかの修練で、マインドがいく
つもの層で機能し、あなたはそれらすべてに気づくことができると知るだろう。
 ただ、あなたがある特定の層で、あることに関心を持つとき、それに注意を捕ら
われて他の層が忘却されるのだ。
 そのときでさえ、意識界の外側では忘却された層への働きかけが続いている。
 あなたの記憶や思考と闘ってはならない。
 「私は誰か?」「どのようにして私は誕生したのか?」「私を取り巻くこの宇宙
はどこからやってきたのか?」「何が実在であり、何が一時的なものなのか?」と
いった、より重要な質問をあなたの注意の領域に取り入れなさい。
 もしあなたが興味を失えばいかなる記憶も持続はしない。
 束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。
 あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
 いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
 あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからないだ
ろうか?
 ほかの方法を試してみなさい。
 苦痛と快楽に無関心でありなさい。
 求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべての注
意を払いなさい。
 すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
 何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すのだ。
 障害を避けなさい。
 ただそれだけだ。
 探す必要はないのだ。
 すでにもっているものを探すことはない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

307鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/29(月) 22:10:31 ID:1d4drIFg0
ただひたすらに思考が浮かんでは消え去っていくさまを観続けるようにとマハラジは言うのじゃ。
それは既に瞑想といえるものじゃ。
思考に囚われずにいればそれは消え去り、やがてもっと深い層に在る意識に気付くのじゃ。
思考はなくとも意識は有り続けることをそれによって気づくのじゃ。
瑣末な問題に囚われなければ更に深い層の意識へと導かれていくのじゃ。

308避難民のマジレスさん:2018/10/30(火) 06:37:32 ID:LC3de7YgO
>>306
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 あなた自身が神、至高の実在なのだ。
 まず私を信頼しなさい。
 師を信頼することだ。
 それがあなたに第一歩を踏ませる。
 そうすれば、自らの体験によってあなたの信頼が正しかったことを認めるだろう。
 人生を歩んでいくには最初の信頼は欠かせないものなのだ。
 それなしでは何もできない。
 いかなる仕事も信頼の行為だ。
 日々の食事さえ、あなたは信頼をもとに摂っている。
 私の言うことを覚えていることで、あなたはすべてを達成するだろう。
 今一度あなたに言おう。
 あなたはすべてに遍在し、すべてを超越する実在なのだ。
 それにしたがってふるまいなさい。
 全体との調和のなかで考え、感じ、行為しなさい。
 そうすれば、私が言ったことの実際の体験はすぐにあなたに現れるだろう。
 努力は必要ない。
 信頼をもってそのとおりに行動しなさい。
 どうかわかってほしい。
 私はあなたから何も欲してはいないのだ。
 私が話すのは、あなた自身のためなのだ。
 なぜなら、あなたは何よりもあなた自身を愛しているからだ。
 あなたは自分が安全で幸福でありたい。
 それを恥ずかしがることはない。
 それを否定することはない。
 それは自然なことで、自分自身を愛することは良いことだ。
 ただ、正確にあなたが何を愛しているのかを知るべきだ。
 あなたの愛しているのは身体ではない。
 それは生命――知覚し、感じ、考え、行為し、愛し、努力し、創造する生命 な
のだ。
 あなたが愛しているのはあなた自身であり、すべてである生命なのだ。
 それをその全体性において認識しなさい。
 すべての区別と限界を超えて。
 そうすれば、あなたのすべての欲望はそのなかに解け去るだろう。
 なぜなら、大いなるものは小さなものを包含するからだ。
 それゆえ、あなた自身を見いだしなさい。
 なぜなら、それを見いだすことであなたはすべてを見いだすからだ。
 誰でも存在することが嬉しい。
 だが、その完全な意味を知る者はいない。
 「私は在る」「私は知る」「私は愛する」という言葉の意味の核心を知ろうとす
る意志とともに、それらに心をとどめることによって、あなたは知るようになるの
だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

309鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/30(火) 22:17:07 ID:1d4drIFg0
悟りとは何かすら分からない衆生は先ずは師匠を信じて実践する他は無いのじゃ。
実践していけば師匠の言葉が正しかったと知ることも出来るのじゃ。
私を追及する実践がマハラジの教えなのじゃ。
自分自身を見出すことで全てを見出すことが出来るという言葉の意味を知るまで実践に励むのじゃ。

310避難民のマジレスさん:2018/10/31(水) 06:30:17 ID:LC3de7YgO
>>308
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 質問者 「私は神である」と考えることはできるでしょうか?
 マハラジ
 自分自身を観念と同一化してはならない。
 もし神が未知なるものという意味ならば、あなたは単に、「私は私が何であ
 るか知らない」と言うだけだろう。
 もしあなたがあなた自身を知るように神を知っているならば、言う必要もな
 い。
 もっとも正しいのは「私は在る」という純粋な感覚だ。
 忍耐強くそのなかにとどまりなさい。
 ここにおいては忍耐が智慧なのだ。
 失敗を思ってはならない。
 この仕事に失敗はありえないのだ。
 質問者 私の思考がそうさせないでしょう。
 マハラジ
 放っておきなさい。
 闘ってはいけない。
 それについて何もしないことだ。
 それが何であれ、あるがままにしておきなさい。
 抗うこと自体がそれに生命を与えるのだ。
 ただ無視しなさい。
 見過ごすのだ。
 「何であれ、私が在るゆえに起こるのだ」ということを思い出すことを覚え
 ていなさい。
 すべてはあなたが在るということを思い起こさせる。
 体験するにはあなたがいなければならないということを充分利用するがいい。
 関心をもたないことが自由をもたらすのだ。
 しがみつかないこと、それだけだ。
 世界は無数の輪(リング)でできている。
 それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
 あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
 そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
 あなたの耽溺を放棄しなさい。
 ほかに何も放棄するものはない。
 常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
 そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
 努力せずに在りなさい。
 質問者 人生は努力です。そこにはするべき多くのことがあるのです。
 マハラジ
 する必要があることはしなさい。
 抵抗してはならない。
 あなたのマインドのバランスは、的確に正しいことをすることを基本に、瞬
 間から瞬間へと活動的でなければならない。
 成長することに反抗する子供のようであってはならない。
 型にはまった身振りや態度は助けにならないだろう。
 完全にあなたの思考の明晰性、動機の純粋さ、行為の高潔さのみを頼りにし
 なさい。
 あなたが道を誤ることは、けっしてありえない。
 超えていきなさい。
 そしてすべてを置き去りにしなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

311鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/10/31(水) 22:17:42 ID:1d4drIFg0
神とは人が作った観念なのじゃ。
修業に役立てることもできるがサマーディにまでしか到達できないのじゃ。
私を追及するほうが直接悟りに導かれる法なのじゃ。
思考も抵抗も置き去りにして超えていくのじゃ。

312避難民のマジレスさん:2018/11/01(木) 06:48:52 ID:LC3de7YgO
>>310
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 質問者 しかし、永遠に残されるような何かがありうるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは二十四時間休みなしのエクスタシーのような何かが欲しいのだ。
 エクスタシーは来ては去っていく。
 人間の脳は、必然的に長期の緊張に耐えられないからだ。
 長引くエクスタシーは、非常に純粋で微妙なものでないかぎり、脳を焼き切
 ってしまうだろう。
 自然のなかでは何ひとつ停止しているものはない。
 あらゆるものが脈打ち、現れては消えていく。
 心臓、呼吸、消化。
 睡眠と目覚め――誕生、そして死、すべては波のように来ては去っていく。
 循環反復運動、周期性、両極の調和のとれた交替が法則なのだ。
 生命のパターンに対抗しても無益なだけだ。
 もしあなたが不変なるものを求めるならば、体験を超えていきなさい。
 私が「私は在る」をつねに覚えていなさいと言うとき、それは「繰り返しそ
 れに戻ってきなさい」という意味なのだ。
 いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
 ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
 沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
 マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
 黙へと立ち返る。
 あるいはむしろ、沈黙の背景に反してすべての体験が起こるのだ。
 さあ、あなたがここで学んだことが種子となる。
 表面上は、あなたは忘れてしまうかもしれない。
 しかし、それは生き、芽吹きの季節は訪れ、生長し、花を咲かせ、実を結ぶ
 だろう。
 すべてはひとりでに起こるだろう。
 あなたは何もしなくてもいいのだ。
 ただ、それを妨げてはならない。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

313鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/01(木) 22:43:41 ID:1d4drIFg0
観るものも聞くものも無く心に思い描くものもない状態では沈黙だけが有ると言えるのじゃ。
そこには何も無いと思えるかも知れんが実はそれが全てなのじゃ。
そこには意識が在るのじゃ。
それこそ永遠の意識なのじゃ。

314避難民のマジレスさん:2018/11/02(金) 12:20:45 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】

 質問者 私は数カ月前にヨーロッパからやってきました。カルカ
 ッタ近郊に住む私のグルを、今まで定期的に訪ねていま
 した。今回の訪問を終え、今帰途に着つこうとするとこ
 ろです。友人に招かれ、あなたのもとにやってきたので
 す。お会いできて嬉しく思っています。
 マハラジ
 あなたのグルから何を学び、どのような修練をしてきたのだろう
 か?
 質問者 彼は崇敬すべき、齡(よわい)八十近い老人です。彼の
 教えはヴェーダーンタ哲学に属し、マインドのなかの無
 意識のエネルギーを目覚めさせ、隠れた障害や妨害を意
 識のなかにもたらすことが、彼の指導する修練の主要な
 点です。
 私の個人的なサーダナは、私の幼少期に固有の問題に関
 連しています。私の母親は子供の正常な成長にとっても
 っとも重要な、愛と安全に守られた存在の感覚を与える
 ことができませんでした。不安と神経症に悩まされ、自
 分に自信がもてず、彼女にとって私は、彼女の能力を超
 えた重荷であり、責任であったのです。彼女はけっして
 私に生まれてきてほしいと思ってはいませんでした。私
 に成長しないでほしいと望み、生まれる以前、存在する
 以前の子宮のなかに戻ってほしかったのです。私の人生
 におけるどんな動きも、彼女は拒んできました。彼女の
 習慣的生活の狭い輪を私が超えようと試みるたびに、彼
 女は猛烈に抵抗してきました。私は、繊細で、愛情深い
 子供でした。子供に対する純粋で本能的な母親の愛を拒
 まれてきた私は、ほかの何よりも愛情を切望してきまし
 た。子供にとっての母親の愛を探求することは、私の人
 生における主要な動機となり、成長してそれから抜けだ
 すことはけっしてありませんでした。幸福な子供、幸せ
 な幼少時代は私にとって強迫観念となったのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

315鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/02(金) 21:52:01 ID:1d4drIFg0
哀れなことじゃ。
多くの者が親になるための自覚も知識も無いままに子を作るのじゃ。
その子が親になって又同じことを繰り返すのじゃ。
一切が苦なのじゃ。

316避難民のマジレスさん:2018/11/03(土) 11:19:39 ID:LC3de7YgO
>>315
鬼和尚、いつもありがとうであります。
> 意識のエネルギーを目覚めさせ、隠れた障害や妨害を意識のなかにもたらす

とは、純粋な意識、意識そのものの存在の気付きを邪魔してるのが観念であることを自覚させるみたいなことでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

317避難民のマジレスさん:2018/11/03(土) 11:34:42 ID:LC3de7YgO
>>314
『I AM THAT 私は在る』
【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】(つづき)

 妊娠、誕生、幼年期は私に熱烈な興味をもたらしました。
 私は著名な産科医となり、無痛分娩法の開発に貢献して
 きました。幸せな母親の幸せな子供――が私の全人生の
 理想なのです。しかし、私の母はいつもそこにいて、彼
 女自身が不幸なため、幸福な私を見ることができないで
 いるのです。それはとても奇妙な形で現れました。いつ
 であれ私に元気がないとき、彼女はより良く感じ、私が
 元気だと、彼女自身も私をも呪って落胆するのです。あ
 たかも、私が生まれてきたという罪をけっして許さず、
 生きていることへの罪悪感を私に抱かせるかのように。
「あなたが生きているのは私を憎んでいるからでしょう。
 もし私を愛しているならば、死になさい」――これが沈
 黙を通しての彼女の絶え間ないメッセージだったのです。
 それゆえ私は、愛ではなく死を差しだされて生きてきた
 のです。
 母親のなかで永久に幼児として監禁されたため、私は女
 性との意味深い関係を発展させることができませんでし
 た。許すことも、許されることもない母親のイメージが
 間に立ちはだかるのです。私は仕事のなかに多くの慰め
 を見いだしてきましたが、幼児という深い穴から抜けだ
 すことはできませんでした。最終的に、霊的探求に方向
 を変えてからすでに数年間、この路線を着実に進んでい
 ます。しかしある意味では、それは相変わらず母親の愛
 情の探求なのです。それを神と呼ぼうと、アートマ(真
 我)、あるいは至高の実在と呼ぼうとも。基本的に、私
 は愛し、愛されたいのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

318鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/03(土) 22:54:12 ID:1d4drIFg0
>>316 それはクンダリニーの覚醒とかじゃな。
 それによって心を静め、心の中の障害を自覚できるようにするのじゃ。
 なかなか難しいことじゃ。

319避難民のマジレスさん:2018/11/04(日) 01:15:32 ID:LC3de7YgO
>>318
鬼和尚、ありがとうであります。
クンダリニでありましたか。
禅病、クンダリニ症候群みたいなものへの不安から、気をコントロールすることに励んだりしましたが、最近は、瞑想も気功もできておらず、もっぱら意識的にあり続けようとすることのみになっております。
また、いつか、働かなくなったら、今度は本気でクンダリニやってみようかなと思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

320避難民のマジレスさん:2018/11/04(日) 08:03:37 ID:LC3de7YgO
>>317
『I AM THAT 私は在る』
【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】(つづき)

 不運にも、いわゆる宗教的な人びとは生に反対し、まっ
 たくマインドのいいなりです。生の要求と衝動に直面し
 たとき、彼らは分類し、抽象化し、概念化します。そし
 て分類を生自体よりも重要と見なすのです。彼らはひと
 つの概念に集中し、それを人格化するように求めます。
 愛による自発的な統合よりも、ひとつのマントラに、慎
 重に勤勉に集中することを勧めるのです。神、あるいは
 真我、私、あるいはアートマ、それが何であれ同じこと
 です! 愛するための誰かではなく、考えるための何か
 なのです。私に必要なのは、理論やシステムではありま
 せん。同じように魅力的で、もっともらしいものは数多
 くあります。しかし、私に必要なのは、心からの感動、
 生命の再生であり、新たな考え方ではありません。新た
 な考え方というものはありません。しかし、感情はつね
 に新鮮であることができます。私が誰かを愛するとき、
 私は彼に自発的に、強烈な熱意と活気をともなって瞑想
 します。それは私のマインドでは制御できないものです。
 言葉は感情を形づくるのに適しています。感情をともな
 わない冷たく、気の抜けた、身体の入っていない洋服の
 ようなものです。私の母は、私の感情のすべてとその源
 を枯渇させてしまいました。ここで私は、子供としてた
 っぷりと必要だった豊富であり余るほどの感情を見いだ
 すことができるでしょうか?
 マハラジ
 あなたの子供時代は今どこにあるのだろうか?
 そしてあなたの未来とは何だろうか?
 質問者 私は生まれました。私は成長してきました。そして私は
 死ぬでしょう。
 マハラジ
 あなたは、もちろん身体のことを意味しているのだろう。
 そしてあなたのマインドを。
 私はあなたの生理学や心理学について話しているのではない。
 それらは自然の一部であり、自然の法則によって支配されているのだ。
 私はあなたの愛の探求について話しているのだ。
 それには始まりがあっただろうか?
 それには終りが来るのだろうか?
 質問者 私には、とても言うことができません。それは私の人生
 の最初から最後の瞬間までそこにあるのです。この愛へ
 の切望は何と不変で、何と絶望的なのでしょうか!
(´・(ェ)・`)
(つづく)

321鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/04(日) 22:42:27 ID:1d4drIFg0
>>319 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

誰もが愛を欲しているのじゃ。
それも孤独からの逃避でしかないがのう。
自らの心を観察すればそれもなくなるのじゃ。

322避難民のマジレスさん:2018/11/05(月) 06:23:01 ID:LC3de7YgO
>>320
『I AM THAT 私は在る』
【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】(つづき)

 マハラジ
 愛の探求のなかで、あなたは正確には何を探しているのだろうか?
 質問者 ただ、愛し、愛されることです。
 マハラジ
 ある女性を意味しているのだろうか?
 質問者 そうである必要はありません。その感覚が輝いて、明ら
 かでありさえすれば、友達でも、師でも、導き手でもい
 いのです。もちろん、女性はお決まりの答えではありま
 す。しかし、それだけである必要はありません。
 マハラジ
 あなたは愛することと愛されることの二つのうち、どちらを取るだろうか?
 質問者 むしろ、両方を取るでしょう! しかし、愛することの
 方がより偉大で、より高尚で、より深いことは私にも理
 解できます。愛されることが快いのは確かですが、それ
 は人を成長させてはくれません。
 マハラジ
 あなたは自らを愛すことができるだろうか?
 あるいは、愛するようにさせられなければならないだろうか?
 質問者 もちろん、愛するに足る人に出会わなければなりません。
 私の母は愛情がないばかりでなく、愛すべき人でもなか
 ったのです。
 マハラジ
 何が人を愛すべき人にするのだろうか?
 それは愛されることではないだろうか?
 まず、あなたは愛し、それから理由を探すのだ。
 質問者 その反対もありえます。あなたはあなたを幸せにするも
 のを愛するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

323鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/05(月) 22:11:55 ID:1d4drIFg0
愛着はお釈迦様の言うとおり、人を苦しめめるものじゃ。
皆哀れなほどに愛を求めているのじゃ。
フィクションと違って現実は愛によって苦しむ者ばかりなのじゃ。

324避難民のマジレスさん:2018/11/06(火) 07:01:38 ID:LC3de7YgO
>>322
『I AM THAT 私は在る』
【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】


 マハラジ
 だが、何があなたを幸せにするのだろうか?
 質問者 そこには何の規則もありません。その問題全体が非常に
 個人的な、予期できないものなのです。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 どのように表現しようとも、あなたが愛するまで幸せはありえないのだ。
 しかし、愛はつねにあなたを幸せにするだろうか?
 愛が幸せと結びついているのは、むしろ初期の、幼稚な段階ではないだろうか?
 あなたの愛する人が苦しむとき、あなたも苦しむのではないだろうか?
 そして、あなたが愛するのをやめるのは、あなたも苦しむからではないだろうか?
 愛と幸せはともに来て、ともに去っていくものだろうか?
 愛とは単に快楽への期待なのだろうか?
 質問者 もちろん、そうではありません。愛にたいへんな苦しみ
 をともなうことはありえます。
 マハラジ
 では、愛とは何だろうか?
 それはマインドの状態というより、むしろ存在の状態ではないだろうか?
 愛するために、あなたが愛しているということを知らなければならないだろうか?
 あなたは母親を気づかぬうちに愛していたのではないだろうか?
 彼女の愛と彼女を愛する機会を切望することは、愛の行動ではないだろうか?
 愛とは存在の意識としてのあなたの一部分ではないだろうか?
 あなたが母親の愛を求めたのは、あなたが彼女を愛していたからだ。
 質問者 しかし、彼女は私に愛することを許さなかったのですよ!
 マハラジ
 彼女にあなたを止めることはできなかった。
 質問者 それでは、なぜ私の人生は不幸せなのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、あなたはあなたの存在の根底まで行きついていないからだ。
 あなた自身についての完全な無知が、愛と幸せを覆(おお)い隠し、あなたにけ
っして失わなかったものを探求するようにさせたのだ。
 愛とは意志だ。
 すべてとともにあなたの幸せを分かちあう意志なのだ。
 幸せで在ること、幸せになること――これが愛のリズムだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

325避難民のマジレスさん:2018/11/06(火) 07:03:54 ID:LC3de7YgO
>>324
> すべてとともにあなたの幸せを分かちあう意志なのだ。

それは、ただひ一つの意識だからでありますね。
敵も味方もないのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

326鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/06(火) 22:04:10 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、他人の愛がほしいということは未だ自分が何か知らないからなのじゃ。
全てであることがわかれば幸福も常に自分とともにあったとわかるのじゃ。
もはや愛は求めなくて善いのじゃ。
それであったと気づくだけなのじゃ。

327避難民のマジレスさん:2018/11/07(水) 05:40:16 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】

 質問者 告白しなければなりません。私は今日、反抗的な気分でやってきま
 した。航空会社から粗雑な扱いをされたのです。そのような状況に
 直面すると、すべては疑わしく思われ、すべてが無駄なように見え
 てしまいます。
マハラジ
 それはとても有用な気分だ。
 すべてを疑い、すべてを拒絶し、他者から学ぶことを望まないこと。
 それはあなたの長いサーダナ(修練)の成果なのだ。
 つまり、人はいつまでも学ぶばかりではないということだ。
質問者 もう充分です。それは私をどこへも導いてはくれませんでした。
マハラジ
 「どこへも」と言ってはならない。
 それはあなたを今ここへ導いたのだ。
質問者 また同じ子供とその癇癪(かんしゃく)なのです。結局、以前いた
 場所から一歩も動いてはいないのです。
マハラジ
 あなたは子供としてはじめ、子供として終えるだろう。
 何であれその間に得たものは失われ、はじめから出発しなければならないのだ。
質問者 しかし子供は反抗しています。不幸せだったり、何かを否定された
 りすると、子供は反抗するのです。
マハラジ
 反抗させればいい。
 ただその反抗を見ていなさい。
 もしあなたが社会に対して確信をもって反抗するのを恐れるようならば、それも
また見ていなさい。
 それがつらいことなのは知っている。
 だが、解決法を探すのをやめるという唯一の解決法を除いて、解決法はないのだ。
もし怒りや痛みがあるならば、その怒りと痛みからあなた自身を切り離しなさい。
 客観化は解放への第一歩なのだ。
 物理的な出来事は起こりつづけるだろう。
 だが、それら自体には何の重要性もないのだ。
 重要なのはマインドだけだ。
 何が起ころうとも、航空会社や銀行で反抗したり、泣きわめいたりすることはで
きない。
 社会が許さないだろう。
 もし彼らのやり方が気に入らないのなら、あるいは我慢しきれないなら、飛行機
に乗らなければいい。
 あるいはお金を持っていかなければいい。
 歩きなさい。
 もし歩けないならば、旅行をあきらめるがいい。
 社会と折りあってやっていくならば、彼らのやり方を受け入れなければならない。
 なぜなら、それはあなたのやり方でもあるからだ。
 あなたの必要性と要求がそれらをつくり出してきたからだ。
 あなたの欲望はとても複雑で矛盾しているため、あなたのつくり出した社会もま
た複雑で、矛盾しているのも無理はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

328鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/07(水) 21:45:15 ID:1d4drIFg0
自分自身が混乱していればその者の世界も混乱しているのじゃ。
自分の心を整えなければその者の世界は混乱したままなのじゃ。
自分の心が整えられれば世界も整えられるのじゃ。

329避難民のマジレスさん:2018/11/08(木) 03:48:04 ID:LC3de7YgO
>>327
1『I AM THAT 私は在る』
【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】(つづき)

質問者 外側の混乱が私の内なる不調和の反映だということは、私にも理解
 でき、認めもします。しかし、その解決法とは何でしょうか?
マハラジ
 解決法を求めてはならない。
質問者 ときどき、人は「神の恩寵(おんちょう)に浴した状態」にあり、
 人生は幸福で平和です。しかしそのような状態は長続きしません。
 気分は変わっていき、すべてはおかしくなってしまうのです。
マハラジ
 もしあなたが期待や記憶を取り払い、ただ静にしていることができるならば、出
来事の織り成す美しい模様を見極めることができるだろう。
 混沌(こんとん)を招いているのは、あなたの落ち着きのなさなのだ。
質問者 三時間もの間、航空会社のオフィスで、私は忍耐と寛容を実習して
 いたのです。それは状況を早めませんでした。
マハラジ
 少なくとも、それは彼らを遅らせなかったのだ。
 あなたが反抗すれば、間違いなく遅れていただろう。
 あなたは即席の結果を求めているのだ!
 私たちはここで魔術を行っているのではない。
 誰もが同じ過ちをする。
 手段を拒みながら結果を求めるのだ。
 あなたは世界のなかに平和と調和を求めながら、あなたの自身のなかにそれをも
つことは拒んでいるのだ。
 私の助言に、ただ盲目的にしたがってみるといい。
 けっしてあなたを落胆させはしないだろう。
 あなたの問題をただ言葉だけで解決することはできない。
 私が言ったことにあなたが働きかけ、たゆまずやりつづけなければならないのだ。
 正しい助言がではなく、その助言をもとにしたあなたの行為が解放をもたらすの
だ。
 医師が患者に注射をした後、「さあ、静かにしなさい。何もせずに、ただ静かに
しなさい」と言うように、私もあなたに言っているのだ。
 私はあなたに注射をした。
 さあ、静かにしなさい。
 ただ、静かにしなさい。
 あなたはほかに何もしなくていいのだ。
 私のグルも同じことをした。
 彼は私に何かを語り、そして言ったのだ。
 「さあ、静かにしなさい。いつまでも思いめぐらしていてはいけない。止まりな
さい。沈黙しなさい」と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

330鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/08(木) 22:40:09 ID:1d4drIFg0
誰もが手段を拒みながら結果を求めているとマハラジは言うのじゃ。
実践せずに結果はでないのじゃ。ただひたすら実践することでのみ人は進歩していくのじゃ。
話を聞いているだけでは何も起こらないのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

331避難民のマジレスさん:2018/11/09(金) 05:26:00 ID:LC3de7YgO
>>329
『I AM THAT 私は在る』
【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】(つづき)

 質問者
 朝の一時間、静かにすることはできます。しかし、一日は長く、多くのこと
 が起こり、私をバランスの取れた状態から放りだしてしまうのです。「静か
 にしなさい」というのは簡単です。しかし、私のなかで、そしてまわりです
 べてが叫んでいるのです。いったいどうすればいいのでしょうか。教えてく
 ださい。
 マハラジ
 為すべきことは、すべて平和と沈黙の中で為すことができる。
 心を乱される必要はないのだ。
 質問者
 それはみな、事実にそぐわない理論でしかありません。私はヨーロッパに帰
 るのですが、そこでは何もすることがないのです。私の人生はまったく空っ
 ぽなのです。
 マハラジ
 もしあなたがただ静かにするように試みるならば――仕事、仕事のための能力、
正しい動機、すべてはやってくるだろう。
 すべて、前もってあなたが知っていなければならないのかね?
 未来のことを心配してはならない。
 今、静かでありなさい。
 そうすれば、すべては正しい場所に収まるだろう。
 予期しなかったことが、かならず起こるだろう。
 期待して待っていたことは、けっして起こらないかもしれないのだ。
 あなたの性質を制御できないと言ってはならない。
 制御する必要はないのだ。
 それを海に投げ捨ててしまうがいい。
 闘ったり、服従したりするような性質をもつことはない。
 もしあなたがそれを習慣にさえしなければ、いかなる経験もあなたを傷つけるこ
とはないだろう。
 あなたが全宇宙の深遠な原因なのだ。
 すべてはあなたが在るゆえに在る。
 この要点を深く、確実につかみなさい。
 そしてそれについて繰り返し熟考しなさい。
 このことが絶対的な真実だと悟ることが解放なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

332鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/09(金) 21:19:29 ID:1d4drIFg0
全ての宇宙も人の心によって創られているのじゃ。
自分が無ければ認識する宇宙も無いのじゃ。
混乱した環境であればそれも自分の心が作り出していると知るがよいのじゃ。
心が鎮まれば混乱も静まるのじゃ。

333避難民のマジレスさん:2018/11/09(金) 22:46:43 ID:LC3de7YgO
>>332
そうでありますよね。
全ては認識なのでありますよね。
認識している内容は、意識でありまして、意識は、中立なのでありますよね。
あれもこれもなく、中立の意識を、記憶に基づく観念が、面倒な認識に導くのでありますよね。
こまったものであります。
(´・(ェ)・`)つ

334避難民のマジレスさん:2018/11/10(土) 05:50:48 ID:LC3de7YgO
>>331
『I AM THAT 私は在る』
【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】(つづき)

 質問者
 もし私が宇宙の種子なら、私は腐った種子です!
 実がなって種子は認められるのです。
 マハラジ
 あなたがののしるほど、あなたの世界のどこが悪いというのだろうか?
 質問者
 それは苦痛に満ちています。
 マハラジ
 自然は快くもなければ、苦痛に満ちたものでもない。
 それはみな、知性と美にあふれているのだ。
 苦痛と快楽はマインドのなかにあるものだ。
 あなたの価値観の尺度を変えなさい。
 そうすれば、すべては変わるだろう。
 快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない。
 それらを同等に扱いなさい。
 そうすれば、そこには至福だけがあるだろう。
 そして、世界はあなたがつくり出すものだ。
 ぜひ幸せな世界をつくり出すがいい。
 満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
 満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
 すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非常に
実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
 一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
 私を信じてほしい。
 欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なのだ。
 質問者 私たちはものを必要とします。
 マハラジ
 もしあなたが不必要なものを望まなければ、必要なものはやってくるだろう。
 しかしながら、この完全な無執着と無関心の状態に達する人はごくまれなのだ。
 それは非常に崇高な、まさに解放の入り口にある状態だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

335鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/10(土) 22:14:02 ID:1d4drIFg0
>>333 そうじゃ、認識によって人は自ら苦を作り出すのじゃ。
 本来は至福だけが在るのじゃ。

 今苦しんでいる者には聖者の言葉も届かないのじゃ。
 それ故にお釈迦様は苦を滅する法を先に説いたのじゃ。
 苦を滅してから悟りを目指すが善いのじゃ。

336避難民のマジレスさん:2018/11/11(日) 01:31:50 ID:LC3de7YgO
>>334
『I AM THAT 私は在る』
【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】(つづき)

 質問者 この二年間というもの成果がなく、わたしは寂しく虚(うつ)ろな
 状態で、しばしば死が来るのを祈っていたのです。
 マハラジ
 あなたがここに来たことで、ものごとは起こりはじめている。
 それを起こるがまま起こらせるがいい。
 最後には、ものごとがそれ自体でうまく収まっていくだろう。
 未来に向かってあなたが努力することはない。
 未来はそれ自体であなたにやってくるだろう。
 しばらくの間、あなたは意味も確信も失ったまま、今同様に眠り歩きを続けるだ
ろう。
 しかし、この時期は過ぎていく。
 そして、あなたは仕事が順調に進み、成果をあげるのを見ることだろう。
 心が虚ろで離れていくことは、誰でも、いつのときでもあるものだ。
 それはもっとも望まれる瞬間なのだ。
 なぜなら、それは魂が精神的な拠(より)り所を捨て去り、遠くへと航海をはじ
めたことを意味するからだ。
 古かったものが終わりを告げ、新たなるものがまだ訪れていないとき――これが
無執着だ。
 もしあなたが恐れるならば、この状態は悲痛なものとなるだろう。
 しかし、本当に何も恐れることはないのだ。
 教えを思い出しなさい。
 何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということを。
 質問者 仏陀たちは、覚えるべきことを覚えるように指導してきました。し
 かし、正しい瞬間に、正しいことを思い出すのは、私にはあまりに
 も困難なのです。私にとっては、忘れることが法則であるかのよう
 です。
 マハラジ
 あらゆる状況が欲望と恐れの嵐をもたらすとき、思い出すのは易しいことではな
い。
 記憶から生まれた切望は、記憶の破壊者でもあるのだ。
 質問者 どうやって欲望と闘うのでしょうか? 欲望より強いものは何もあ
 りません。
 マハラジ
 生命の水は、求むべき、あるいは憎むべき対象物の岩の上へと、怒号とともに打
ちつけている。
 洞察と無執着によって岩を取り除くのだ。
 そうすれば、同じ水は深く、静かに、速やかに流れるだろう。
 しかもより力強く、より大量に。
 それについて理論的になることはないのだ。
 充分考慮するだけの時間をもつがいい。
 もしあなたが自由を望むならば、もっとも身近な一歩をおろそかにしてはならな
い。
 山を登るときのように、一歩もはずすことはできない。
 一歩でも足りなければ、山頂には到達されないからだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

337鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/11(日) 22:07:19 ID:1d4drIFg0
洞察とは気付くことなのじゃ。
それは観察によってもたらされるのじゃ。
無執着は心に観察する余裕を作り出すものじゃ。
何かに執着していれば心に余裕が無く観察も疎かになってしまうのじゃ。
心に余裕を持って観察すればどれほど強い欲も勘違いからの欲望であったと気付くのじゃ。

338避難民のマジレスさん:2018/11/12(月) 07:04:29 ID:LC3de7YgO
>>336
1『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】

 質問者 先日、私たちは個人―観照者―絶対なるもの(ヴィヤク
 ティ―ヴィヤクタ―アヴィヤクタ)について討論してい
 ました。私が覚えているかぎり絶対のみが実在であり、
 観照者は時間と空間のなかの与えられた点においてのみ
 絶対だとあなたは言われました。個人とは観照者の存在
 によって照らしだされた粗雑、あるいは繊細な有機体で
 す。私はどうやら明確に把握できなかったようです。も
 う一度それについて討論できるでしょうか? あなたは
 また、マハーダカーシュ、チダカーシュ、パラマカーシ
 ュという言葉を用いていました。それらは個人、観照者、
 絶対なるものとどのように関連しているのでしょうか?
 マハラジ
 マハーダカーシュは自然、存在の大洋、感覚を通して知覚されるすべてを含む物
理的空間だ。
 チダカーシュは気づきの拡張、時間の精神的空間、知覚と認識だ。
 パラマカーシュは時間と空間を超えた実在、無心であり、未分化の無限の可能性
、源であり根源、実質であり本質であるもの、物質と意識の両方であり、しかもそ
の両方を超えているものだ。
 それを知覚することはできない。
 だが、つねに観照者を観照する者、知覚者を知覚する者、すべての権限の根源と
終焉、時間と空間の根底、あらゆる因果関係の連鎖における起源的な原因としてそ
れを体験することはできるのだ。
 質問者 ヴィヤクタ(観照者)とアヴィヤクタ(絶対なるもの)
 の違いは何でしょうか?
 マハラジ
 違いはない。
 それは光と日光のようなものだ。
 宇宙はあなたに見えない光に満ちている。
 しかし、その同じ光をあなたは日光として見ているのだ。
 そして日光が顕(あら)わにするものがヴィヤクティ(個人)だ。
 個人はつねに対象として、観照者は主体として在る。
 そしてそれらの相互依存の関係は、それらの絶対的な同一性の反映なのだ。
 あなたはそれらが区別された、分離状態だと想像している。
 そうではないのだ。
 それらは同じ意識の静と動であり、それぞれの状態が他方を意識しているのだ。
 普遍なる意識(チット)のなかで、人は神を知り、神は人を知っている。
 普遍なる意識のなかで、人は世界を形づくり、世界は人を形づくる。
 普遍なる意識は連結部、両極端を結ぶ橋、あらゆる経験に均衡と統合をもたらす
要因だ。
 知覚されたものの全体性が物質と呼ばれ、すべての知覚者の全体性が宇宙のマイ
ンドと呼ばれる。
 その二つの同一性は、知覚力と知覚、調和と知性、愛らしさと愛することとして
それ自体を永遠に再主張していくのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

339鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/12(月) 22:02:04 ID:1d4drIFg0
パラマカーシュとマハラジが語るのは永遠の意識そのものなのじゃ。
全ての観念を超えてあるものであり、知覚はされないものじゃ。
眼で見ることも耳で聞くことも手で触ることも出来ないのじゃ。
ただそれであるということを体験できるのみなのじゃ。

340避難民のマジレスさん:2018/11/13(火) 06:32:45 ID:LC3de7YgO
>>338
『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】(つづき)

 質問者 三つの性質(グナ)であるサットヴァ、ラジャス、タマ
 スは物質のなかにだけあるのでしょうか、それともマイ
 ンドのなかにもあるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、両方にある。
 なぜなら、その二つは別々ではないからだ。
 グナを超えているのは絶対なるものだけだ。
 実際、それらは単なる見解、ただの見方にすぎない。
 それらはマインドのなかにのみ存在するのだ。
 マインドを超えれば、すべての区別は止まる。
 質問者 宇宙とは感覚がつくり出したものなのでしょうか?
 マハラジ
 目覚めとともに、あなたが世界を新たに創造するように、宇宙は繰り広げられて
いく。
 マインドとその五つの知覚器官、五つの行動器官、五つの意識の伝達手段は記憶
、思考、理性、自我として現れるのだ。
 * 訳注
  五つの知覚器官:聴覚、触覚、味覚、嗅覚、視覚。
  五つの行動器官:話すこと、理解すること、動くこと、排泄すること、楽しむ
こと。
  五つの意識の伝達手段:言語器官、運動器官、理解器官、排泄器官、生殖器官。

 質問者 科学は大変な進歩を遂げました。私たちの身体やマイン
 ドは、祖先のそれよりもはるかにすぐれています。マイ
 ンドや物質を描写し分析するあなたの伝統的な方法は、
 もはや有効ではありません。
 マハラジ
 だが、あなたの科学者たちや科学はどこにあるのかね?
 それらはあなた自身のマインドのなかに存在するイメージではないだろうか?
 質問者 ここに基本的な違いがあるのです! それらは私自身の
 投影ではありません。それらは私が生まれる以前から存
 在し、私が死んだ後も存在するでしょう。
 マハラジ
 もちろん、ひとたび時間と空間を実在として受け入れたならば、あなたは自分自
身を短くはかない命を生きるものとして考えるだろう。
 しかし、それは真実なのだろうか?
 時間と空間があなたに依存するのだろうか、それともあなたがそれらに依存する
のだろうか?
 身体として在るならば、あなたは空間のなかにいる。
 マインドとしては、あなたは時間のなかにいるのだ。
 だが、あなたは単なる身体とマインドなのだろうか?
 今まで調べたことがあっただろうか?
 質問者 私にはその動機も方法もありませんでした。
 マハラジ
 私はその両方を差しだしているのだ。
 だが、洞察と識別という実際の仕事はあなたのものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

341鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/13(火) 22:28:02 ID:1d4drIFg0
サットヴァ、ラジャス、タマスの三つのグナも修業の為に創られた観念に過ぎないのじゃ。
それがあると思う者にだけあるのじゃ。
それを修業に使う者だけが正しく捉えていると言えるのじゃ。
この世の全てもまた同じなのじゃ。

342避難民のマジレスさん:2018/11/13(火) 22:54:17 ID:LC3de7YgO
>>341
うむ。
観念として知り得るものだけが、この世の全てのものなのでありますね。
空想でありますね。
実在を観念することはできないのでありますね。
(´・(∀)・`)つ

343避難民のマジレスさん:2018/11/14(水) 05:28:09 ID:LC3de7YgO
>>340
『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】(つづき)

 質問者 唯一私が自覚できる動機といえば、私自身の、原因のな
 い永遠の幸福です。では、方法とは何でしょうか?
 マハラジ
 幸福は主要なものではない。
 真の、そして有効な動機とは愛なのだ。
 あなたは人々が苦しむのを見て、最善の援助方法を探す。
 その答えは明白だ――まず、あなた自身を援助の必要性を超えた地点におきなさ
い。
 あなたの態度は純粋な善意、いかなる期待からも自由なものであることを確かめ
なさい。
 単に幸福のみを求める者は、極度の無関心に陥る場合がある。
 一方、愛はけっして放っておけないのだ。
 方法については、ただひとつだけある。
 あなたがあなた自身――あなたのように現れて見えるあなたと、あるがままであ
るあなたの両方――を知らなければならないということだ。
 明晰(めいせき)性と慈愛がともに必要になる。
 どちらも互いを必要とし、強めあうのだ。
 質問者 慈悲は、避けるべき悲しみに満ちた客観的世界の存在を
 意味しています。
 マハラジ
 世界は客観的なものではない。
 そしてその悲しみは避けることのできないものだ。
 慈悲とは、想像上の原因によって苦しむことの拒否を意味する言葉でもあるのだ。
 質問者 もし原因が想像上のものならば、なぜ苦しみは避けられないのでしょう
か?
 マハラジ
 あなたを苦しめるのは、つねに偽物だ。
 偽りの欲望と恐れ、偽りの価値と観念、偽りの人間関係だ。
 偽物を放棄しなさい。
 そうすれば、苦痛から自由になれる。
 真実は幸せをもたらす。
 真実は解放するのだ。
 質問者 真実は、私は身体のなかに監禁されたマインドだという
 ことです。そして、それはとても不幸な真実なのです。
 マハラジ
 あなたは身体でもなければ、身体のなかにいるのでもない。
 身体などというものは存在しないのだ。
 あなたはあなた自身について、ひどい誤解をしてきた。
 正しく理解するために、調べてみるがいい。
 質問者 しかし、私は身体として、身体のなかに生まれてきたの
 です。そして、身体とともに、身体として死ぬでしょう。
 マハラジ
 これがあなたの思い違いなのだ。
 調べなさい。
 探求し、あなた自身を、そして他者をも疑ってみなさい。
 真実を見いだすには、あなたの確信に固執してはならないのだ。
 もしあなたが現下にあるものを疑わなければ、けっして究極に到達することはで
きないだろう。
 あなたが生まれ、そして死ぬという概念は不条理だ。
 論理的にも体験的にも矛盾しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

344鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/14(水) 21:08:25 ID:1d4drIFg0
>>342 そうじゃ、観念を超えた彼方に在るものに至らなければ永遠は得られないのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

 マハラジは身体さえも存在しないという。
 それもまた意識の現われに過ぎないのじゃ。
 人々が個体として認識する身体は観念のみなのじゃ。
 物理的に呼吸や食べ物を通して常に全てと繋がっていなければならない身体は個体ではないのじゃ。
 切り取ることが出来ない全ての一部として身体は在るのみなのじゃ。

345避難民のマジレスさん:2018/11/15(木) 06:10:07 ID:LC3de7YgO
>>343
54の2『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】(つづき)

 質問者 わかりました。私が身体だと主張するのはも
うやめましょう。あなたの要点はここにあるのです。し
かし今ここであなたと話しているように、私は身体のな
かにいます ――明らかに。身体は私ではないかもしれ
ません。しかし、それは私のものです。
 マハラジ
 宇宙全体が絶え間なくあなたの存在に貢献している。
 それゆえ、宇宙があなたの身体なのだ。
 その意味では、私も同意しよう。
 質問者 身体は私に深く影響を与えます。多くの意味
において、身体は私の運命なのです。私の反応、運命や
恐れ――生来のものであれ、後天的なものであれ、それ
らはすべて身体を根底としています。わずかな量の酒や
薬物や何かで、すべてが変わってしまいます。薬物が抜
けきるまでは、私は別人となってしまうのです。
 マハラジ
 これらすべては、あなたが身体だと考えることによって起こるのだ。
 真我を見いだしなさい。
 そうすれば、薬物さえあなたに影響を与えることはできないだろう。
 質問者 あなたは喫煙しますか?
 マハラジ
 私の身体はいくつかの習慣を保っている。それは死に至るまで続いていくかもし
れない。それらには何の害もないのだ。
 質問者 あなたは肉を食べますか?
 マハラジ
 私は肉を食べる人たちのなかで生まれた。そして私の子供たちは肉を食べている。
私もほんの少し食べるが、気にするほど
のことではない。
 質問者 肉食は、殺すことを意味します。
 マハラジ
 いかにも。
 私は終始一貫していることを主張したことはない。
 あなたは絶対的な一貫性が可能だと思っている。
 例えを示して証明してみなさい。
 自分自身で実践していないことを説いてはいけない。
 生まれてきたという観念についての話に戻るが、あなたは、両親があなたに語っ
てきた懐妊や妊娠、そして誕生、幼児、子供、十代の若者と続いていく話に固執し
ているのだ。
 「私は身体ではない」という観念の助けを借りて、「私は身体だ」という考えを
取り去りなさい。
 確かにそれもまた一つの観念ではある。
 それに疑いはない。
 仕事がすんだら捨て去られるもののように扱うがいい。
 実際には、身体というものは存在しないのに、「私は身体だ」という観念は身体
に実在性を与えてしまう。
 それはただマインドの状態にすぎないのだ。
 あなたは好きなだけ多くの、多種多様な身体をもつことができる。
 ただ、あなたが何を求めているのかを絶えず覚えておきなさい。
 そして、それと一致しないものは受け入れてはならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

346鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/15(木) 22:23:56 ID:1d4drIFg0
観念を滅するために観念を使うこともできるのじゃ。
自分は体ではないという観念で自分は体であるという観念を取り去るのじゃとマハラジはいうのじゃ。
それは空とか無という観念を使うのと同じなのじゃ。
観念を滅する観念なのじゃ。
それもまた法であり、悟りに近づけば捨て去られるべきものなのじゃ。

347避難民のマジレスさん:2018/11/16(金) 07:11:10 ID:LC3de7YgO
>>345
『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】(つづき)

 質問者 私はまるで、箱のなかの箱のなかの箱のようです。外側
 の箱は身体としてあり、その内側の箱には、内在する魂
 がいるのです。その外側の箱を取り去ると、つぎの箱は
 身体で、そのつぎは魂です。それは無限の連続なのです。
 かぎりなく箱を開けていくと、最後に残るものが究極の
 魂なのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが身体をもつならば、魂ももたねばならないだろう。
 そうだとすれば、あなたの一組の箱の直喩もあてはまるだろう。
 しかし、今ここで、あなたの身体と魂を通して純粋な普遍なる意
 識(チット)の光、覚醒が輝いているのだ。
 それを確固としてつかみなさい。
 覚醒なしには、身体は一秒さえも生きることができない。
 身体のなかには、エネルギー、愛情、知性の流れが存在する。
 それが身体を導き、維持し、活力を与えるのだ。
 その流れを発見し、それとともに在りなさい。
 もちろん、これらすべては言葉の例えにすぎない。
 言葉は橋を架けることもできれば、障害にもなりうる。
 あなたの身体の繊維を織り成す生命の気を見いだし、それととも
 に在りなさい。
 それが身体のもつ唯一の本質なのだ。
 質問者 死後、生命の気には何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 それは時間を超えている。
 誕生と死は時間のなかの点にすぎない。
 生命はその無数の綾を永遠に織り成していく。
 織り込んでいくことは時間のなかにあるが、生命そのものは永遠
 だ。
 あなたがその表現にどんな名前と形を与えようとも、それは大海
 のように、けっして変化せず、つねに変化しつづけていくのだ。
 質問者 あなたの言われることはすべて、美しく、得心がいくも
 のです。それでもなお、この奇妙で異質な、しばしば敵
 意に満ちた危険な世界のなかに、個人として在るという
 感覚は消えません。個人として時間と空間のなかに限定
 されながら、どのようにして私はその反対である、何も
 特定化されていない、非個人化され、普遍化された気づ
 きとしての真我を実現できるというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはあなたではないものをあなただと主張し、本来のあなた
 であるものを否定している。
 あなたはすべての個人的な歪曲(わいきょく)から自由である気
 づきの純粋な認識の原理を忘れているのだ。
 あなたが普遍なる意識(チット)の実在を認めないかぎり、あな
 た自身を知ることはけっしてないだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

348鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/16(金) 22:13:01 ID:1d4drIFg0
マハラジはこのように言うのじゃ。
「あなたが普遍なる意識(チット)の実在を認めないかぎり、あな
 た自身を知ることはけっしてないだろう。」
マハラジが言うように存在するものは永遠で時間を越えた不変なる意識そのものだけなのじゃ。
肉体も個人も幻想に過ぎないのじゃ。
知識としてそれを知っただけでもマハラジの存在と教えの意義はあったと言えるのじゃ。
その境地に至るまで自分を追及し続けるのじゃ。

349避難民のマジレスさん:2018/11/17(土) 07:28:41 ID:LC3de7YgO
>>347
『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】(つづき)

 質問者 私はどうすればよいのでしょうか? 私にはあなたが見
 ているように、私自身を見ることはできません。おそら
 く、私が間違っていて、あなたが正しいのかもしれませ
 ん。しかし、どのようにして私の感じている私自身とし
 て在ることをやめることができるというのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身を乞食だと信じきっている王子を、決定的に確信させる
 方法はただひとつしかない。
 彼に王子としてふるまうようにさせるのだ。
 そうして何が起こるかを見てみなさい。
 私の言ったことが、あたかも真実であるようにふるまってみなさ
 い。
 そして実際に何が起こるか判断するがいい。
 私が求めるのは、第一歩を踏みだすために必要なわずかな信頼だ
 けだ。
 体験とともに、確信がやってくる。
 そうすれば、あなたは私をもう必要としないだろう。
 私はあなたが何なのか知っている。
 だから、私はあなたに伝えているのだ。
 しばらくの間、私を信頼してほしい。
 質問者 今ここに在るため、私には身体とその感覚が必要です。
 理解するためには、マインドが必要なのです。
 マハラジ
 身体とマインドは単なる無知、誤解の兆候にすぎないのだ。
 あなたが身体もマインドも超え、時間と空間も超え、「どこで」、
 「いつ」、「どのように」をも超えた、純粋な気づきとしてある
 かのごとくふるまいなさい。
 それに思いをめぐらしなさい。
 その真実性を受け入れることを学びなさい。
 いつまでも反対したり、拒否したりしてはならない。
 少なくとも、心を開きなさい。
 ヨーガ(探求)とは外面が内面に従うことなのだ。
 あなたのマインドと身体に、すべてでありすべてを超えた実在を
 表現させなさい。
 議論することによってではなく、為(な)すことによってあなた
 は達成するのだ。
 質問者 どうか私の最初の質問に戻らせてください。個人として
 在るという過ちの原因はどこにあるのでしょうか?
 マハラジ
 絶対なるものは時間よりも優位を占める。
 まず、気づきが最初に現れる。
 一組の記憶と精神的習慣が注意を引きつけ、気づきがそこに焦点
 を集中させると、突然個人が出現するのだ。
 気づきの輝きを取り去ってみなさい。
 眠りにつくか、気絶すると、個人は消滅してしまう。
 ヴィヤクティ(個人)はかすかにゆらめき、ヴィヤクタ(気づき)
 はすべての時間と空間を内包する。
 アヴィヤクタ(絶対なるもの)は――在るのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

350鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/17(土) 22:18:09 ID:1d4drIFg0
記憶に拠って個人の観念が起こるとマハラジも言っているのじゃ。
自分が在るという観念は記憶によって起こるものじゃ。
今ここに在るものを観ればそれは誤りであったと気付くのじゃ。
永遠なるものがそこに在るのじゃ。

351避難民のマジレスさん:2018/11/18(日) 08:37:21 ID:LC3de7YgO
>>349
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】

 質問者 今この瞬間、あなたはどのような状態にいるのでしょうか?
 マハラジ
 無経験の状態だ。
 そのなかにすべての経験が含まれている。
 質問者 あなたはほかの人のマインドやハートのなかに入って、体験を分か
 ちあうことができるのでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 そのようなことには特別な訓練が必要なのだ。
 私は小麦を扱う商人のようなものだ。
 私はパンやケーキに関してはまったく知らない。
 麦粥の味さえ知らないかもしれない。
 だが、小麦という穀物に関してはすべて良く知っている。
 私はすべての体験の源を知っている。
 しかし、数知れない特定の形態が体験することがらを知ることは、私にはで
 きないし、また知る必要もない。
 そのときどきにおいて、人生を生きていくために知る必要のあることはほん
 のわずかであり、私はどうにか、かろうじて知っているだけだ。
 質問者 あなたの特定の存在と私の特定の存在は、創造神であるブラフマー
 のマインドのなかに存在するのでしょうか?
 マハラジ
 普遍なるものは特定のものには気づいていない。
 個人としての存在は個人的なものだ。
 個人は時間と空間のなかに存在し、名前と形をもち、はじまりと終わるがある。
 普遍なるものはすべての個人を含んでいる。
 絶対なるものはすべての根底にありながら、すべてを超えているのだ。
 質問者 私は全体性には関心がありません。私の個人的な意識とあなたの個
 人的な意識――その二つを結ぶものは何でしょうか?
 マハラジ
 二人の夢を見ている人に、どんなつながりがありうるだろうか?
 質問者 彼らは互いを夢見合うかもしれません。
 マハラジ
 それこそ人びとがしていることだ。
 誰もが「他者」を想像し、その間につながりを探し求めている。
 探している人こそがつなぎ目なのだ。
 他者というものは存在しない。
 質問者 多くの意識の点である私たちの間には、何か共通のものがあるに違
 いありません。
 マハラジ
 多くの点とはどこにあるのだろうか?
 あなたのマインドのなかだ。
 あなたはあなたの世界がマインドから独立していると主張している。
 どうしてそうありうるだろう?
 他者のマインドを知りたいという欲望は、あなたがあなた自身のマインドを
 知らないためだ。
 まず、自分のマインドを知りなさい。
 そうすれば、他者のマインドという疑問は生じないだろう
 なぜなら、「他者」など存在しないからだ。
 あなたが共通要素、すべてのマインドの連結部なのだ。
 存在とは意識だ。
 「私は在る」はすべてにあてはまるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

352避難民のマジレスさん:2018/11/18(日) 08:54:31 ID:LC3de7YgO
>>351
> 普遍なるものは特定のものには気づいていない。
 普遍なるものはすべての個人を含んでいる。

←個人とは夢、幻想であり、そんなものはない。
だから、普遍なるもの(神)は個人には気付いてないけど、神は全ての個人を含んでいる。
ってことでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

353鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/18(日) 21:41:41 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、絶対的なものというと人は神を想像してしまうが、普遍なるものはそのようなものではないのじゃ。
 特定の誰かが祈ったり契約したりすると答えたりすると言う事は無いのじゃ。
 しかし、全ての個人がそれの現われでは在るのじゃ。
 自らを通して普遍なるものに至ることはできるのじゃ。

354避難民のマジレスさん:2018/11/19(月) 06:01:24 ID:LC3de7YgO
>>351
1『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 至高の実在(パラブラフマン)は、私たちすべてに内在しているか
 もしれません。しかし、それが私たちにとって何になるというので
 しょうか?
 マハラジ
 あなたはあたかも「私はものをしまう場所が必要だ。だが、空間が何の役に
 立つというのだろうか?」あるいは、「私はミルクか紅茶、コーヒーかソー
 ダーが欲しい。だが、水は何の役にも立たない」と言っている人のようだ。
 至高の実在がすべてを可能にしているということが、あなたにはわからない
 だろうか?
 だが、もしそれが何の役に立つのかときくならば、「何の役にも立たない」
 と言わねばならない。
 日々の生活においては、実在を知る人には何の利点もないのだ。
 むしろ、彼は不利な状態にあるといえよう。
 欲望と恐れから自由な彼は、自分自身を守ろうとしないからだ。
 利益という概念自体が、彼にとっては異質なものなのだ。
 彼は増加や増大を嫌う。
 彼の人生とは、絶え間なく己(おのれ)から剥ぎ取り、分かちあい、与える
 ことだ。
 質問者 もし至高なるものを得ることに何の利点もないのならば、なぜその
 ために骨を折るのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが何かにしがみつくときだけ、心配事は生まれる。
 何にもしがみつかなければ、何の心配もない。
 より劣ったものを放棄することは、より偉大なものを得ることなのだ。
 すべてをあきらめなさい。
 そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。
 そのとき、人生はその目的通り、無尽蔵の源からの純粋な輝きとなる。
 世界はその輝きのなかに、夢のようにぼんやりとかすんで現れるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

355鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/19(月) 22:35:16 ID:1d4drIFg0
何かの利点を求めるのも自分が世界と離れた小さな存在であることに怯えがあるからなのじゃ。
さまざまな欲するものでその怯えを防ごうとしているのじゃ。
その観念から離れただけでそれも要らなくなるという理解に達していないのじゃ。
至高の実在とマハラジが言うものに達すれば欲求の根本から離れることが出来るのじゃ。
真の幸福はその境地にのみあるものじゃ。

356避難民のマジレスさん:2018/11/20(火) 05:36:02 ID:LC3de7YgO
>>354
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 もし私の世界が単なる夢であり、あなたはその一部であるとするな
 ら、いったい私のために何ができるというのでしょう? もし夢が
 真実ではなく、存在していないと言うのなら、実在はどのようにそ
 れに影響を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 それが続くかぎり、夢は一時的な存在をもっている。
 問題をつくり出すのはあなたがそれにしがみついて離さないからだ。
 手放しなさい。
 夢があなたのものだと想像することをやめるのだ。
 質問者 どうやら、あなたは夢を見る人なしに夢がありえ、私は私の勝手気
 ままな夢と自己同一化していると決めてかかっているようです。し
 かし、私は夢見る人であり、また夢でもあるのです。誰が夢見るこ
 とをやめるというのでしょうか?
 マハラジ
 夢に最後までそれ自体を繰り広げさせるがいい。
 あなたにはどうすることもできない。
 だが、夢を夢として見、実在の痕跡として拒否することはできるのだ。
 質問者 ここで、私はあなたの前に座っています。私は夢を見ていて、あな
 たは私が夢のなかで話しているのを見ています。私たちの間につな
 がりがあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたを目覚めさせようという私の目的がつながりなのだ。
 私のハートはあなたに目覚めてほしい。
 私はあなたが夢のなかで苦しんでいるのを見ている。
 そしてあなたが不幸の終焉へと目覚めなければならないことを知っているの
 だ。
 夢を夢としてみるとき、あなたは目覚める。
 だが、私はあなたの夢自体には興味がない。
 私にとっては、あなたが目覚めなければならないと知ることだけで充分だ。
 夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
 あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
 もない。
 あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
 想像することをやめなさい。
 信じるのをやめなさい。
 矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
 そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
 無限の空間のなかに微小な意識の原子が浮遊している。
 そして、宇宙はそのなかに包含されているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

357素人A:2018/11/20(火) 10:52:47 ID:/mRrWwwM0
マハラジさんがタバコ屋のおつさんでよかった。
志村けんのコント風にもしバスの運転手で絶景の山道の峠を走っていて
質問者「このバスはど超えいくのですか」
マハラジ「このままっすぐなら天国行たあっ」
やっぱ完全に覚せい状態でこの世で働いたらまずいのかも
アドレナリンでこの身を守らんと

358鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/20(火) 22:00:09 ID:1d4drIFg0
夢の中でも目覚めることは出来るのじゃ。
夢を夢として自覚できたならばもはや夢ではないのじゃ。
現実に目覚めたことになるのじゃ。
それには観念を全て滅しなければならないがのう。

359避難民のマジレスさん:2018/11/21(水) 06:25:02 ID:LC3de7YgO
>>356
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 夢のなかには、真実で、永遠に続くように見える愛があります。そ
 れらもまた目覚めとともに消え去るのでしょうか?
 マハラジ
 夢のなかで、あなたは誰かを愛し、ほかの人は愛さない。
 目覚めとともに、あなたはあなた自身がすべてを包含する愛そのものだと知
 るのだ。
 個人的な愛は、いかに強烈で真正なものであっても、かならず束縛すること
 になる。
 自由のなかでの愛は、すべての愛なのだ。
 質問者 人びとは来ては去っていきます。人は出会う人を愛するのです。す
 べてを愛することはできません。
 マハラジ
 あなたが愛そのものであるとき、あなたは時間と数を超える。
 ひとりを愛することのなかで、あなたはすべてを愛し、すべてを愛すること
 のなかで、あなたはひとりひとりを愛する。
 ひとりとすべては背反してはいないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

360素人A:2018/11/21(水) 10:08:05 ID:gOqWUDAs0
マネーゲーム夢中になれるゴーン会長凄い
金欲が不遜している私に月末いっも金不遜して
でも何とかなつている かあちゃんに感謝

361鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/21(水) 21:34:16 ID:1d4drIFg0
一人の者を愛すれば他の者は敵対することになるのじゃ。
愛する者を守るためと戦ったりするのじゃ。
全ての者を愛すれば戦うことも無いのじゃ。
平等心なのじゃ。

362避難民のマジレスさん:2018/11/22(木) 03:29:55 ID:LC3de7YgO
>>359
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 あなたは時間を超えた状態にいると言われました。それはつまり、
 過去と未来があなたに対して開かれているということなのでしょう
 か? あなたはヴァーシシュタ・ムニ、ラーマのグルに出会いまし
 たか?
 マハラジ
 その質問は時間のなかにあり、時間についてのものだ。
 またしても、あなたは夢の内容について尋ねている。
 永遠は時間という幻想を超えたものであり、時間の延長ではないのだ。
 自らをヴァーシシュタと名乗るその人がヴァーシシュタを知っているのだ。
 私はすべての名前と形を超えている。
 ヴァーシシュタはあなたの夢のなかに現れた夢なのだ。
 どうして私に彼を知ることができるだろう?
 あなたは過去と未来に関心をもちすぎている。
 それはみな、あなたの存在を継続させたい、自分自身を消滅から守りたいと
 いう切望から起こるのだ。
 あなたは継続することを求めるために、ほかの人たちに一緒にいてもらいた
 い。
 それゆえ彼らの存続に関心をもつのだ。
 しかし、あなたが呼ぶ存続とは、夢の存続にすぎない。
 それよりは死のほうが望ましい。
 そこには目覚めるチャンスがあるからだ。
 質問者 あなたは永遠に気づいています。それゆえ、存続には関心がないの
 でしょう。
 マハラジ
 それはその反対だ。
 すべての欲望から自由であることが永遠なのだ。
 すべての執着は恐れを暗示している。
 なぜなら、すべてのものごとは、はかない、つかの間のものだからだ。
 そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。
 この執着からの自由は、修練によってもたらされるものではない。
 人が自己の真の存在を知ったとき、自然に執着から自由になるのだ。
 愛は執着しない。
 執着は愛ではないのだ。
 質問者 では、無執着を得る方法はないのでしょうか?
 マハラジ
 そこに得るようなものは何もない。
 すべての想像を放棄して、真我を知りなさい。
 自己知識が無執着なのだ。
 すべての切望は不十分な感覚から生じる。
 何も不足してはいないと知ること、存在するものすべてはあなたであり、あ
 なたのものなのだと知ることで欲望はやむのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

363素人A:2018/11/22(木) 09:36:29 ID:gOqWUDAs0
聖者は永遠に静かに坐っていて満足なんだろうか、寂しくないのだろうか?マハラジさんは永遠の海で泳ぐぐ魚
まあ孔多の夢を明らめないで 私は何か不満俗なこの世うな夢の中で落ち着きも無く静かに坐れないでもまあ良い化
https://www.youtube.com/watch?v=t9q2Xr_iV1M

364鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/22(木) 20:45:10 ID:1d4drIFg0
存在するもの全てが全てであるならば寂しくは無いのじゃ。
全てに満足なのじゃ。
自分を本当に知れば欲は無くなり、執着も無くなるのじゃ。
全てであるので在るからのう。
もはや欲するものもなくなるのじゃ。

365避難民のマジレスさん:2018/11/23(金) 07:26:43 ID:LC3de7YgO
>>362
>ヴァーシシュタ・ムニ、ラーマのグル
ちょぴっとググってみたのである。

ヴァーシシュタとは、
インドのリシケシから北東に、美しい川と深い山に囲まれた渓谷に「ヴァシシュタの洞窟」という、インドの聖地とされるてころだそうである。

インド神話『ラーマーヤナ』は、紀元3世紀頃に成立したヒンドゥー教の聖典の一つで、『マハーバーラタ』と並ぶインド2大叙事詩の一つだそうである。
「ラーマ」は、この『ラーマーヤナ』の主人公だそうであります。
(´・(ェ)・`)つ

366避難民のマジレスさん:2018/11/23(金) 07:56:36 ID:LC3de7YgO
>>362
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 自己を知るために、私は気づきの訓練をしなければならないのでし
 ょうか?
 マハラジ
 訓練しなければならないことは何もない。
 自己を知るために、あなた自身で在りなさい。
 あなた自身であるために、あなたがあれやこれだと想像することをやめなさ
 い。
 ただ在りなさい。
 あなたの真の本性を現れさせるがいい。
 探求によってかき乱されてはならない。
 質問者 もし私がただ待っているだけならば、真我の実現にたいへんな時間
 がかかってしまいます。
 マハラジ
 それが今ここにすでにあるとき、何を待つというのだろう?
 ただよく見て、見いだすだけなのだ。
 あなた自身を、あなたの自己の存在を見なさい。
 あなたはあなたが存在することを知っている。
 そして、あなたはそれを愛しているのだ。
 すべての想像を捨て去りなさい。
 それだけだ。
 時間に頼ってはならない。
 時間とは死だ。
 待つ者は――死ぬ。
 生命は今だけに在る。
 私に過去や未来を語ってはならない。
 それらはあなたのマインドのなかにのみ存在するのだ。
 質問者 あなたもまた死ぬでしょう。
 マハラジ
 私はすでに死んでいるのだ。
 私の場合、身体的な死は何の違いももたらさない。
 私は永遠の存在だ。
 私は欲望と恐れから自由なのだ。
 なぜなら、私は過去を思い出さず、未来を想像しないからだ。
 何の名前も形もないところに、どうして欲望や恐れが存在できるだろうか?
 無欲とともに永遠がもたらされるのだ。
 私は安全だ。
 なぜなら、存在しないものが存在するものに触れることはできないからだ。
 あなたは安全ではない。
 なぜなら、あなたは危険を想像するからだ。
 もちろん、あなたの現在の身体は複雑で傷つきやすく、保護を必要としてい
 る。
 しかし、あなたがではない。
 ひとたび、あなたが難攻不落の存在であると自覚したなら、マインドは平和
 になるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

367素人A:2018/11/23(金) 10:25:11 ID:gOqWUDAs0
そうなあ真でいれば何も身を守る事もないし、時間に追い詰められる事も無いけど
けどが余計なのか、でも何も無いとハラハラドキドキのドラマのまつ白い画面の
テレビの前にるようで居られない。いや動物本能の今あるカラーそういう役目になっている
だけなのかもしれない 今は夢の途中でも目覚めたらどんな答えも間違いなかつたと気が付く
のかも ?で夢の途中 https://www.youtube.com/watch?v=CeAz4VDEPug

368避難民のマジレスさん:2018/11/23(金) 16:21:21 ID:LC3de7YgO
>>366
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 世界が苦しんでいるとき、どうして私に平和を見いだすことができるでし
ょうか?
 マハラジ
 世界が苦しむのは、それなりの妥当な理由があるのだ。
 もしあなたが世界を助けたいのなら、あなた自身が助けの必要性を超えなければな
らない。
 そうすれば、あなたのすること、そしてしないこともまた、もっとも効果的に世界
を助けるだろう。
 質問者 行為が必要なときに、どうして無為が役に立つのでしょうか?
 マハラジ
 行為が必要なときには、行為は起こる。
 人は行為者ではないのだ。
 彼は起こっていることに気づいて在る。
 彼の存在そのものが行為なのだ。
 窓は壁の不在だ。
 そして、それが空気と光を与える。
 なぜなら、それが空だからだ。
 すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
 そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与えるのだ。
 もし本当にある人を助けたいと思うならば、近づかずにいることだ。
 感情的に助けることに専心しようとすれば、果たせずに終わってしまうだろう。
 あなたは非常に忙しく駆けまわり、自分の慈愛的な性質にとても満足するかもしれ
ない。
 だが、たいした助けにはならないだろう。
 人が本当に助けられるのは、彼がもはや助けを必要としなくなったときなのだ。
 それ以外はすべて無用のものだ。
 質問者 ただ座っていながら助けが起こるのを待っているほど、充分な時間はない
のです。人は何かをしなければなりません。
 マハラジ
 もちろんそうするがいい。
 しかし、あなたにできることはかぎられている。
 自己だけが無限なのだ。
 あなた自身をかぎりなく与えるがいい。
 それ以外のすべては、わずかな量でしか与えることはできない。
 あなただけが計り知れないのだ。
 助けることはあなたの本性だ。
 食べたり飲んだりするときにも、あなたは身体を助けているのだ。
 あなた自身のためには、何も必要ない。
 あなたは純粋な明け渡しだ。
 無死無窮(むきゅう)であり、無尽蔵なのだ。
 あなたが悲しみや苦しみを見るときは、それとともに在りなさい。
 性急に行動に走ってはならない。
 学ぶことも行動も、本当の意味での助けにはならないのだ。
 悲しみとともに在りなさい。
 そして、その根底にあるものを露(あら)わにしなさい。
 理解することを助けることが本当の助けとなるのだ。
 質問者 私の死は近づいています。
 マハラジ
 時間が足りないのはあなたの身体だ。
 あなたではない。
 時間と空間はマインドのなかにのみある。
 あなたは束縛されてはいないのだ。
 ただ、あなた自身を理解しなさい。
 そのこと自体が永遠なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

369鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/23(金) 22:54:48 ID:1d4drIFg0
>>365 ご苦労さんなのじゃ。
 インドでは有名なのじゃな。
 久米の仙人みたいなものじゃな。

 目覚めた者は自我がなくなっているから既に死んだものといえるのじゃ。
 個人としては死んで、法を説くものとして生きているのじゃ。
 死んで生きている不思議なのじゃ。
 誰もが死んでも生きれる永遠の意識が在るのじゃ。

370避難民のマジレスさん:2018/11/23(金) 23:55:38 ID:LC3de7YgO
>>369
久米仙人もググってみたのであります。
久米寺(奈良県橿原市)の開祖という伝説上の人物。
天平年間に大和国吉野郡龍門寺の堀に住まって、飛行の術をおこなっていたが、久米川の辺で洗濯する若い女性の白い脛(はぎ)に見惚れて、神通力を失い、墜落し、その女性を妻とした。

愉快で誠実な人柄のようでありますね。
(´・(∀)・`)つ

371避難民のマジレスさん:2018/11/24(土) 00:06:40 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】

 質問者 普通の人が死ぬとき、彼には何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 彼が信じるところにしたがって、それは起こる。
 死以前の生が単なる想像にすぎなかったように、死後もまたそうなのだ。
 夢は続いていく。
 質問者 では、ジニャーニ(賢者)においてはどうなのでしょうか?
 マハラジ
 ジニャーニは死なない。
 なぜなら、彼はけっして生まれてこなかったからだ。
 質問者 他者にとっては、彼はそのように見えません。
 マハラジ
 しかし、彼自身にとってではない。
 彼自身のなかでは、物理的にも精神的にも自由なのだ。
 質問者 それでも、あなたは死んだ人の状態を知っているはずです。少なく
 とも、あなた自身の過去生から。
 マハラジ
 私のグルに出会うまでは、私は非常に多くのことを知っていた。
 今、私は何ひとつ知らない。
 なぜなら、すべての知識は夢のなかだけにあり、根拠の確かなものではない
 からだ。
 私は自己を知っている。
 そして、私のなかには死も生もなく、ただ純粋な存在――これでもあれでも
 なく、ただ在ることだけがある。
 しかし、マインドが貯蔵庫から記憶を引き出し、想像しはじめると、それは
 空間を対象物で、時間を出来事で埋めつくしてしまう。
 現在の誕生でさえ知らない私が、どうして過去生を知っているというのだろ
 う?
 それ自身が動きのなかにあるマインドは、すべてを動いていると見てしまう。
 そうして時間をつくり出しておいてから、過去や未来について心配するのだ。
 全宇宙は意識(マハー・タットヴァ)の揺りかごに揺られている。
 それは完全な秩序と調和のあるところに立ち現れる。
 すべての波が海のなかにあるように、すべての物質的、精神的なものは気づ
 きのなかにあるのだ。
 それゆえ、気づき自体が重要なのであって、その内容ではない。
 あなた自身の気づきをより深め、広めていきなさい。
 そうすれば、すべての祝福はあふれ出すだろう。
 あなたは何も求めなくてもいいのだ。
 すべてはあなたのもとに、自然に努力することなくやってくるだろう。
 五つの感覚と四つのマインドの機能である記憶、思考、理解、自我。
 五大元素である地、水、火、空、エーテル。
 創造の二つの相である物質と魂――すべては気づきのなかに包括されている
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

372避難民のマジレスさん:2018/11/24(土) 07:34:00 ID:LC3de7YgO
>>371
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】(つづき)

 質問者 しかし、それでもあなたは以前に生きていたことを信じているに違
 いありません。
 マハラジ
 聖典はそう述べている。
 しかし、私はそのことについて何も知らない。
 私は私が在ることを知っている。
 私がこのように現れたことや、現れるだろうことは私の体験のなかにはない。
 私が覚えていないというのではないのだ。
 事実、覚えておくことなど何もない。
 転生とは自分の生まれ変わりを意味する。
 そのようなものはないのだ。
 「私」と呼ばれるひと塊(かたまり)の記憶と期待が、それ自体を永遠に存
 在すると想像し、その偽りの永遠性につじつまを合わせるために時間をつく
 り出すのだ。
 在るためには、過去も未来も必要ない。
 すべての体験は想像から生まれてくる。
 私は想像しない。
 だから、誕生も死も私には起こらないのだ。
 生まれたと考える人だけが、生まれ変わると考える。
 あなたは生まれたということで私を告発しているが、私は無罪を主張する!
 すべては気づきのなかに存在している。
 そして、気づきは死にもしなければ、生まれ変わりもしない。
 それは不変の実在そのものなのだ。
 すべての体験の宇宙は、身体と共に生まれ、身体と共に死ぬ。
 そのはじまりと終わりは気づきのなかにある。
 しかし、気づき自体は始まりも終わりも知らない。
 もしそれについて時間をかけて慎重に熟考すれば、あなたは気づきの輝きを
 はっきりと見るだろう。
 そして、世界はあなたの視野から消え去るだろう。
 それは、燃えている線香を見つめるようなものだ。
 最初は、線香と煙を見ている。
 あなたが火の付いた点に注目するとき、それが線香の山を焼き尽くす力をも
 ち、宇宙を煙で覆(おお)い尽くすことを認識するだろう。
 自己はその永遠の可能性を使い尽くすことなく、永遠にそれ自身を具象化し
 ていく。
 線香の直喩では、線香が身体を表し、煙がマインドを表している。
 マインドが曲解に忙しいかぎり、それはそれ自身の源を知覚することができ
 ない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

373鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/24(土) 22:59:29 ID:1d4drIFg0
>>370 そうかもしれん。
 伝説の人なのじゃ。

個我があるという幻想の上で輪廻もあるという幻想が起こるのじゃ。
個我が無い者には幻想の輪廻も無いのじゃ。
輪廻もまた幻想なのじゃ。
個我の幻想としての輪廻は有るとも言えるのじゃ。

374避難民のマジレスさん:2018/11/25(日) 08:05:30 ID:LC3de7YgO
>>372
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】(つづき)

(マハラジ) グルはやってきて、あなたの注意を内なる生命の輝きへと向けさせる。
 マインドはその本性からして外側に向かっているものだ。
 それはつねに、ものごとの源をものごと自体のなかに見いだそうとする傾向
 がある。
 源を内面に見いだすようにと言われること自体、ある意味では新たな人生の
 はじまりなのだ。
 気づきは意識のなかに立ち現れる。
 意識のなかには、意識している「私」が存在している。
 一方、気づきは分割されることがない。
 気づきはそれ自身に気づいているのだ。
 「私は在る」はひとつの想いだ。
 一方、気づきはひとつの想いではない。
 気づきのなかに「私は気づいている」という想いはない。
 意識は属性だ。
 一方、気づきはそうではない。
 人は意識していることに気づくことができる。
 だが、気づきを意識することはできないのだ。
 神は意識の全体性だ。
 だが、気づきは存在も非存在をも、すべて超えている。

 質問者 私は人の死後の状態についての質問から話をはじめたのです。彼の
 身体が滅んだとき、意識には何が起こるのでしょうか? 彼は見た
 り、聞いたりといった感覚を彼とともに連れていくのでしょうか?
 それともそれらは後に残されるのでしょうか? そして、彼が感覚
 を失うのならば、何が彼の意識となるのでしょうか?
 マハラジ
 感覚とは単なる知覚の様式にすぎない。
 粗雑な様式が消えるとともに、繊細な意識の状態が出現する。
 質問者 死後において気づきへの移行といったものはないのでしょうか?
 マハラジ
 意識から気づきへの変化はありえないのだ。
 なぜなら、気づきとは意識の一形態ではないからだ。
 意識をより繊細に、より洗練させることはできる。
 そしてそれが死後に起こることなのだ。
 人の多様な媒介物が死に絶えると、それらによって生じた意識の様式もまた
 姿を消す。
 質問者 最後に無意識だけが残るまででしょうか?
 マハラジ
 無意識を去来する何かのように語るあなた自身を見てみなさい!
 無意識を意識する誰がそこにいるというのだろうか?
 窓が開いているかぎり、日の光は部屋のなかにある。
 窓が閉じられても、太陽はそのままだ。
 だが、それは部屋のなかの暗闇を見るだろうか?
 無意識などというものはないのだ。
 なぜなら無意識は体験不可能だからだ。
 私たちは記憶を喪失したとき、あるいは伝達が不可能なとき、それを無意識
 であると推定する。
 もし私が反応しなくなったら、あなたは私のことを無意識だと言うだろう。
 現実には、記憶や伝達が不可能なだけで、私は鋭敏に意識しているかもしれ
 ないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

375鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/25(日) 20:32:57 ID:1d4drIFg0
知覚や思考や感情も道具に過ぎないものじゃ。
それがなくなっても意識は在るのじゃ。
人が道具を失っても居なくならないように、知覚等を失っても意識はなくならないのじゃ。
本来の意識はあり続けるのじゃ。

376避難民のマジレスさん:2018/11/26(月) 06:26:17 ID:LC3de7YgO
>>374
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】(つづき)

 質問者 私は単純な質問をしているのです。現在、世界には40億人ほどの
 人々がいます。そして、彼らはみな死を免れることができません。
 彼らの死後の状態はどのようなものなのでしょうか――身体的にで
 はなく、心理的に。彼らの意識は継続していくのでしょうか? そ
 して、もしそうならどのような形態をとるのでしょうか? どうか、
 私が正しい質問をしていないとは言わないでください。あるいはあ
 なたが答えを知らないとか、私の質問は無意味だなどと言わないで
 ください。あなたが、私の世界とあなたの世界が異なり、相容れな
 いものだと話はじめた途端、あなたは私たちの間に壁をつくってし
 まうのです。私たちが同じ世界に住んでいるか、そうでなければ、
 あなたの体験は私たちにとって何の役にも立ちません。
 マハラジ
 もちろん、私たちはひとつの世界に住んでいる。
 ただ私だけがあるがままに見ていて、あなたはそう見てはいないのだ。
 あなたは世界のなかにあなた自身を見ている。
 私は私自身のなかに世界を見ているのだ。
 あなたにとっては、あなたは生まれ、そして死んでいく。
 片や、私にとっては、世界が現れては消えていくのだ。
 私たちの世界は実在のものだ。
 だが、あなたの見方がそうではないのだ。
 あなたが築いた壁以外に、私たちの間に壁は存在しない。
 感覚には何の誤りもない。
 あなたの想像があなたを惑わせるのだ。
 それはあるがままの世界を、あなたが想像したように――あなたから独立し
 て存在し、しかもあなたが受け継ぎ、習得してきたパターンにしたがってで
 きた世界として覆い尽くしてしまう。
 あなたの態度には、あなたが理解していない苦しみの原因である深い矛盾が
 ある。
 あなたは苦痛と苦しみの世界のなかに生まれたという考えにしがみついてい
 るのだ。
 私は世界が愛の子供であり、それにははじまりがあり、成長し、愛の成就を
 遂げることを知っている。
 質問者 もしあなたが世界を愛からつくり出したのなら、なぜこんなに苦痛
 に満ちているのでしょうか?
 マハラジ
 身体の視点に立てば、あなたの言うとおりだ。
 しかし、あなたは身体ではないのだ。
 真実ではないものを真実として決めつけてはならない。
 そうすれば、私が見ているものをあなたも見るだろう。
 苦痛と快楽、善と悪、正と邪。
 これらはみな相対的な言語であって、絶対的なものと見なしてはならない。
 それらは限定され、一時的なものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

377素人A:2018/11/26(月) 10:13:33 ID:gOqWUDAs0
真理をネット 意識の糸した通りに演ずる 劇製作者 役者 観客
色々な立場のドラマがあるのかも 皆同じ人の夢芝居だったりして
夢芝居 https://www.youtube.com/watch?v=tJfmPcWZxv8

378鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/26(月) 20:27:13 ID:1d4drIFg0
自分が個体であり、身体そのものと認識すればこの世はまさに一切苦の地獄なのじゃ。
全ての者がいずれ老病死の苦によって消えていくので在るからのう。
映画や漫画のような永遠に幸せになりましたというハッピーエンドは無いのじゃ。
しかし、全てで在る意識こそ本体と知れば肉体は髪や爪のようなものでしかないとわかるのじゃ。
それがなくなっても自然なことであり、悲しむことでもなく消滅でもないのじゃ。
そのようにして死を超えることができるのじゃ。

379避難民のマジレスさん:2018/11/27(火) 06:47:53 ID:LC3de7YgO
>>376
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】

 質問者 仏教の伝統ではニルヴァーニ、悟りを得た仏陀は、宇宙の自由を司
 っていると言われています。彼は存在するすべてを知り、体験する
 ことができます。彼は因果的連鎖によって自然界を制し、調停し、
 出来事の結果を変え、過去を取り消すことさえできるのです! そ
 れでも世界は彼とともに在り、しかもそのなかで彼は自由なのです。
 マハラジ
 あなたが描写しているのは神だ。
 もちろん、宇宙の在るところには、その片割れである神もまた存在するだろ
 う。
 しかし、私はそのどちらも超えているのだ。
 ある王国が王を探していた。
 彼らはふさわしい人を見つけだし、彼を王にした。
 だが、彼はけっして変わっていない。
 彼は王位の称号と権利、そして職務を与えられただけだ。
 変わったのはただ彼の行動だけで、彼の本性は影響を受けてはいないのだ。
 同様に、悟りを得た人も彼の意識の内容は根本的な変容を遂げる。
 しかし、彼は惑わされない。
 彼は不変なるものを知っているのだ。
 質問者 不変なるものは意識することができないはずです。意識はつねに変
 化するものだからです。不変なるものは意識のなかに何の影響も与
 えません。
 マハラジ
 そうだとも、そうでないとも言える。
 紙は書いてあることではないが、それは書いてあることを伝える。
 インクがメッセージではなく、また読む人のマインドがメッセージなのでも
 ない。
 しかし、それらすべてがメッセージを可能にするのだ。
 質問者 意識は実在から降りてくるのでしょうか、それとも、それは物質の
 属性なのでしょうか?
 マハラジ
 意識それ自体としては、物質の微妙な片割れなのだ。
 不活発性(タマス)とエネルギー(ラジャス)が物質の属性であるように、
 調和(サットヴァ)は意識それ自体として現れる。
 ある意味では、それを非常に神秘的なエネルギーの一形態として考えてもい
 いだろう。
 どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
 意識は自発的に現れる。
 有機体の破壊にともなって、意識は消滅するのだ。
 質問者 それでは、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 けっして生まれることも死ぬこともなく、そのなかでは物質も意識も単なる
 相にすぎない、あれが残るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

380素人A:2018/11/27(火) 10:01:14 ID:gOqWUDAs0
神秘家の道と芸術家の道には関連がありますが、両者の違いは(「インドラの屈辱」伝説における<長髪者>のように)神秘家
が世界を無関心あるいは軽蔑とともに眺めるようになる事がありうるという事です。苦行について述べた文献には、身体お
よびその機能と欲望を軽視する言葉がふんだんに出てきます。ラーマクリシュナの高弟スワミ・ヴェカナンダは死ぬ瞬間に
「私は身体を吐き出すところだ」と呟いたそうです。(つづく)
(続き)一方その技術によつてあるがままの世界への愛を持ち続ける芸術家はバラモン、牛、像、あるいは犬を食うもの
〔賎民〕殺すものと殺されるものを平等に見ながらも、その各々のなかにー魅惑された神秘的な静止においてであれ、燐憐
(共有された苦悩)においてであれ、純然たる恐怖においてであれー自分自身と同じ何かを認識せざるをえません。・・
夢と空想が明かす各人の最奥の真理について語りつつ言明しているのです。「人々は彼の同朋愛を放棄すべきではない、
たとい最も罪深い人間に対してであっても」。・・・

381鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/27(火) 22:08:50 ID:1d4drIFg0
マハリシの言う意識とは肉体のもつ心の働きなのじゃ。
質問した者の意味の通りに使っているのじゃ。
思考とか感情とか分別する心の働きなのじゃ。
そのような心の働きは肉体の持つ能力ともいえるものじゃ。
肉体が無くなれば消えるのじゃ。

肉体が消えてもなくならない永遠の意識をマハリシはあれというのじゃ。
それは本来名づけるべきものではないからなのじゃ。

382避難民のマジレスさん:2018/11/28(水) 06:21:44 ID:LC3de7YgO
>>379
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】(つづき)

 質問者 もし物質も意識も超えているのならば、どのようにしてそれを体験
 することができるのでしょうか?
 マハラジ
 それはその影響が物質と意識の両方に及ぼす効果によって知ることができる。
 美と至福のなかにそれを探してみるがいい。
 だが、その両方を超えていかないかぎり、あなたは身体も意識も理解するこ
 とはないだろう。
 質問者 どうか、私たちにはっきりと言ってください。あなたは意識してい
 るのでしょうか、それとも無意識なのでしょうか?
 マハラジ
 悟りを得た人(ジニャーニ)はそのどちらでもない。
 だが、彼の悟り(ジニャーナ)のなかにすべては包括されている。
 気づきはすべての体験を含んでいる。
 しかし、気づいているその人はあらゆる体験を超えているのだ。
 彼は気づき自体をも超えている。
 質問者 体験の背後に物質と呼ばれるものがあります。そして体験者である
 マインドがあります。何がそれら二つの間に橋を架けるのでしょう
 か?
 マハラジ
 その間にある隙間そのものが橋なのだ。
 その一端からは物質として見え、反対側の一端からはマインドとして見える
 それ、それ自体が橋なのだ。
 実在をマインドと身体に分けてはならない。
 そうすれば、橋の必要はなくなる。
 意識が現れるとともに、世界が現れる。
 世界の美と智慧について考えるとき、あなたはそれを神と呼ぶのだ。
 あなた自身のなかにある、そのすべての源を知りなさい。
 そうすれば、あなたはすべての質問の答えを見いだすだろう。
 質問者 見る者と見られるもの、それらはひとつなのでしょうか、それとも
 二つなのでしょうか?
 マハラジ
 ただ、見ることだけが在る。
 そのなかに見る者も、見られるものも含まれるのだ。
 区別のないところに区別をつくり出してはならない。
 質問者 わたしは死を迎えた人について質問をはじめました。あなたは彼の
 体験が彼の期待と信念にしたがって形づくられると言いました。
 マハラジ
 生まれる前に、あなたはあなた自身が立てた計画にしたがって生きることを
 期待していたのだ。
 あなた自身の意志が、あなたの運命の支柱だったのだ。
 質問者 間違いなく、カルマが干渉したはずです。
 マハラジ
 カルマは環境を形づくる。
 態度はあなた自身のものだ。
 結局は、あなたの人格があなたの人生を作り出し、人格を形づくるのはあな
 ただけなのだ。
 質問者 どのようにして人は人格を形づくるのでしょうか?
 マハラジ
 それをあるがままに見ることによって、そして誠実に心から感じることによ
 ってだ。
 この見ることと感じることの統合が奇跡的な働きをする。
 それはブロンズの像を鋳造するようなものだ。
 金属だけでも、火だけでも無理だし、鋳型だけでも役に立たない。
 あなたは金属を火で熱し、溶解して、鋳型へ流し込まなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

383鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/28(水) 22:57:10 ID:1d4drIFg0
アートマンは全てを認識するが、認識されないのじゃ。
それは気づきの意識であり、見ることだけが在るのじゃ。
主体無く対象もなく観ることだけがある時にアートマンに達したと言えるのじゃ。
主体や対象があれば未だアートマンには達していないと知るがよいのじゃ。

384避難民のマジレスさん:2018/11/29(木) 05:46:06 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】

 質問者 あなたがあなたの息子さんの家で昼食が出されるのを待っていると
 ころを目にしました。そのとき、私の意識とあなたの意識の内容が
 似たものなのか、部分的に異なるのか、それともまったく違うのか
 と不思議に思っていたのです。あなたは私のように空腹や喉の渇き
 を覚え、食事が給仕されるまで落ち着かずにいるのでしょうか、そ
 れとも、まったく異なったマインドの状態に在るのでしょうか?
 マハラジ
 表面上の違いはほとんどない。
 だが、その奥深くではたいへん異なる。
 あなたはあなた自身を感覚とマインドを通してのみ知っている。
 あなたはそれらが示唆することをあなた自身として受け入れ、自己の直接の
 知識をもっていない。
 あなたのもっているのは単なる観念だけだ。
 すべて平凡で、使い古しのうわさによるものにすぎない。
 あなたは何であれ、あなたであると考えたことを真実として受け入れてしまう。
 あなた自身が知覚可能で、描写可能なものだと想像する習慣が非常に強固に
 なってしまっているのだ。
 私はあなたが見るように見、あなたが聞くように聞き、あなたが味わうよう
 に味わい、あなたが食べるように食べる。
 私はまた喉の渇きや空腹を感じ、時間通りに食事が給仕されることを期待す
 る。
 飢えたとき、また病気をしたとき、私の身体とマインドは弱まる。
 これらすべてを私はまったく明確に知覚するが、どういうわけか、私はその
 なかにはいないのだ。
 私は自分がその上を漂い、超然として離れているように感じるのだ。
 超然として離れていると言うことさえ本当ではない。
 そこに空腹や渇きがあるように、超然と分離の感覚がそこにあるのだ。
 そこにはまた、気づきと計り知れない距離の感覚がある。
 あたかも、身体とマインド、そしてそれらに起こるすべてが、どこか遙か地
 平線の彼方で起こっているかのようだ。
 私は映画のスクリーンのように明白で空っぽだ。
 画像はその上を通り過ぎ、明白で空っぽのままの状態を残して消えていく。
 どの点においてもスクリーンが画像に影響されることはない。
 また、画像もスクリーンによる影響を受けはしない。
 スクリーンは画像を遮(さえぎ)り投影する。
 スクリーンが画像を形づくるのではないのだ。
 それはフィルムと何の関わりもない。
 フィルムはフィルムとしてひと塊(かたまり)の運命なのだ。
 だが、私の運命ではない。
 スクリーン上の人びとの運命だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

385避難民のマジレスさん:2018/11/29(木) 05:48:58 ID:LC3de7YgO
>>384
> そこに空腹や渇きがあるように、超然と分離の感覚がそこにあるのだ。
 そこにはまた、気づきと計り知れない距離の感覚がある。
 あたかも、身体とマインド、そしてそれらに起こるすべてが、どこか遙か地
 平線の彼方で起こっているかのようだ。

←こんな風にあれたら、楽でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

386素人A:2018/11/29(木) 11:07:48 ID:/mRrWwwM0
マはらじに質問は質問者もまはらじが何答えるか分かり切つてきいている
これ何の意味があるのだろう そこには能天気なタバコの煙の話が浮いていた
だけ人休み そのてん般若心経のコマーシャルは大げさに勧誘する 年取らない
働かなくて良い これは何なんだ

387鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/29(木) 23:00:23 ID:1d4drIFg0
>>385 それはサマーディに入っただけでも感じるものじゃ。
 ただひたすらに集中すると善いのじゃ。
 姿勢を正しくして集中すれば直ぐにでもサマーディは訪れるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

388避難民のマジレスさん:2018/11/30(金) 05:40:58 ID:LC3de7YgO
>>387
サマディーに至るのは、超難しいようにくまには思えるであります。
(´・(ェ)・`)つ

389避難民のマジレスさん:2018/11/30(金) 05:56:45 ID:LC3de7YgO
>>384
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】(つづき)

 質問者 あなたは画像のなかの人びとが運命をもっていると言うのではない
 でしょうね! 彼らは物語に属しているのです。物語は彼らのもの
 ではありません。
 マハラジ
 では、あなたはどうだろうか?
 あなたはあなたの人生を形づくっているだろうか、あるいはあなたがそれに
 よって形づくられているのだろうか?
 質問者 確かにあなたの言われるとおりです。人生の物語はそれ自体で繰り
 広げられ、私はそのなかのひとりの役者にすぎません。私なしには
 それが存在しないように、その外側に私の存在もないのです。私は
 ただの登場人物であって、個人ではありません。
 マハラジ
 彼が人生を起こるがまま受け入れる代わりに、自分でそれを形づくりはじめ、
 彼自身をそれと同一化するとき、登場人物は個人となるのだ。
 質問者 私が質問し、あなたが答えるとき、正確には何が起こっているので
 しょう?
 マハラジ
 質問と回答は、ともにスクリーン上に現れるだけだ。
 唇が動き、身体が話す。
 そして、ふたたびスクリーンは明白で空っぽになる。
 質問者 あなたが明白で空っぽだと言うとき、あなたは何を意味しているの
 ですか?
 マハラジ
 それはすべての内容から自由であることを意味しているのだ。
 私自身にとっては、私は知覚可能なものでも、想像可能なものでもない。
 「これが私だ」と示唆できるようなものは何ひとつないのだ。
 あなたは自分自身をいともたやすくあらゆるものと自己同一化してしまう。
 私にとって、それはまったく不可能だ。
 「私はこれでもなく、あれでもない。また、何も私のものではない」という
 感覚が私のなかで非常に強いため、あるもの、あるいはある想いが現れるや
 いなや、「これは私ではない」という感覚がやってくるのだ。
 質問者 あなたは「これは私ではない、あれも私ではない」と繰り返すこと
 で時間を過ごしていると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、そうではない。
 私はただ、あなたのために言葉に置き換えてみただけだ。
 グルの恩寵(おんちょう)によって、私は主体でも客体でもないということ
 を永久に実現し、つねに自分自身に思い起こさせる必要はないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

390鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/30(金) 22:40:29 ID:1d4drIFg0
>>388 サマーディとは自分を忘れた状態なのじゃ。
 マハラジが説いたように体をこれも自分ではないと見ていくのも方法の一つなのじゃ。
 思考も感情も認識も自分ではないと観るならばそれでもサマーディは訪れるじゃろう。
 いろいろ試してみるとよいのじゃ。

391避難民のマジレスさん:2018/12/01(土) 06:56:51 ID:LC3de7YgO
>>390
うむ。
いろいろ試してみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

392避難民のマジレスさん:2018/12/01(土) 07:25:50 ID:LC3de7YgO
>>389
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】(つづき)

 質問者 あなたが主体でも客体でもないと言われることで、正確には何を意
 味しているのか私には理解できません。私たちが話している今この
 瞬間、私はあなたの体験の客体であり、あなたがその主体ではない
 でしょうか?
 マハラジ
 見なさい。
 私の親指は人差し指に触れている。
 触れるものと触れられるものの両方だ。
 私の注意が親指にあるとき、親指が感じるものであり、人差し指は――自己
 なのだ。
 注意の焦点を移行し、その関係を逆転してみなさい。
 注意の焦点を移行することで、私は私が見ているものと成り、それがもって
 いる意識を体験し、そのものの内なる観照者となることを見いだしたのだ。
 この他者の意識の焦点に入る能力を、私は愛と呼ぶ。
 あなたはあなたの好きなように呼ぶがいい。
 愛は、「私はすべてだ」と言い、智慧(ちえ)は、「私は無だ」と言う。
 その二つの合間を私の人生は流れていく。
 いかなる時間と空間の点においても、私は体験の主体と客体の両方であるこ
 とができるため、私はその両方であり、どちらでもなく、またその両方を超
 えていると表現するのだ。
 質問者 あなたはあなた自身に関するそのような並外れた表明を行います。
 何があなたにそのようなことを言わせるのでしょう? 時間と空間
 を超えると言うことで、あなたは何を意味しているのでしょうか?
 マハラジ 
 あなたが尋ね、そして答えがやってくる。
 私は私自身を見守り、答えを見て、そこに矛盾のないことを見るのだ。
 私が話していることが真実だということは明らかだ。
 それはまったくシンプルなことだ。
 あなたは、ただ私を信頼しなければならない。
 つまり、私が話すことはまったく真剣だということだ。
 すでに話したように、グルは私に自己の本性と世界の本性を見せてくれた。
 それを実現したため、私は世界とひとつであり、しかもそれを超えているの
 だ。
 私は欲望と恐れのすべてから自由になった。
 私が自由になるべきだと論証したのではない。
 まったく予期せず、何の努力もなく、私は自由であることを見いだしたのだ。
 この欲望と恐れからの自由は、それ以来、私とともにとどまっている。
 もうひとつ見いだしたことは、私は何の努力をする必要もなく、何の遅れも
 軋轢(あつれき)もなしに、行為が思考にしたがうということだった。
 私はまた、思考が自己充足するようになり、ものごとがすらすらと、正しい
 場所に落ち着くことも見いだしたのだ。
 主な変化はマインドのなかだった。
 それは不動で、沈黙し、素速く反応するが、反応を永続させなくなった。
 自発性が生のあり方となり、真実は自然になり、自然さは真実となった。
 何にもまして、生は無限の愛、幽玄で静穏な、すべての方向に輝き、すべて
 を抱擁し、すべてを興味深く、美しく、意味深くする幸運なものとなったの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

393素人A:2018/12/01(土) 10:25:31 ID:gOqWUDAs0
網何念この世うに振り回されて生きているの駄老化。私は本で読んだ坐禅や瞑想の基本的な事は入門書で読んでいたのに?
基本的な最初の気が散らない訓練もしなく次次と先先で修行3日でマスターがまだまだなのに修行理解しマスタと新しい野
本で読み。ヨーガ仙道の船頭さんに迷い出て結局何やつているのか自分でもわからない。その前に何故修行しなければ如何
のか遊び回ったほうが楽.必要な時やれば良いと修行避けている。気が散っているそれは月末すぎたからかもいやいつも?
やりかたの基本はコツコツ実行でしょう。理屈では解っているのだが.静かな所で気が散らない様に色々な頭の思いの蝋燭
の火を息を整えて消すんで使用。基本の基本は空のコップから水空始める。そこに一念のエネルギーを根根と根気よくそそぐ
野鴨?それでエネルギー溢れたらジョウロで妄想世界いや瞑想世界に放水すれば三昧に行きつけると根本経典に書いてあった。
あまた本の思いで実行は?実行はあしたからいや明後日から要するにいまやる気が無い色々やる事が覆い。明日も明後日も
永遠に未だ来ない。未来に巡り合いたくないのか??未来は未見て来いという観字七日悟って空見ないと解らんのか
今朝も情けなく不満足な朝。飲めばやる気が出る薬は危険だし、まあぼちぼちの朝位でもまあ良いか
ミストラル https://www.youtube.com/watch?v=mFsecDrY_oA 
別に何も考えず過去のメモコピーしてすましたやる気ない朝さあホカホカ以降だめだこりゃ
阿弥陀された如来さんは未来の時間は無くわかり切った過去の思いでしかなくそれならDVD観る
私たちと変わらないのではないか。今朝は月がかわり今は金縛りから一休みで何していいかお客さん
今は来ないように願うし妄想ばかりで

394素人A:2018/12/01(土) 10:50:12 ID:gOqWUDAs0
ラーマクリシュナ ・・誰かが海はどんなものかと聞かれた。その人は口をあんぐりあけて『アーとにかく凄いものだつたよーあの波
のうねりーあのゴーゴーという轟き』ブラフマンについての話は大方こんなものさ。ヴェーダにあるがーそれは歓喜そのものにして真
ー智ー喜なり。シューカデーヴナたちはこのブラフマンの大海の岸辺に立って.眺めたり水にさわつてみたりしていた。海の中には入
るらなかつたそうだね。だって入ったら最後.もどる方法はないもの。三昧に入るとブラフマンの智が生じる。ブラフマンと対面する
んだ。こうなると考えが止まってしまつて.人はただ黙っている。ブラフマンがどんなものか人間の口では言えないんだよ。塩の人形
が海の深さを測りにいつた。どれだけ深いものか報告するつもりだつた。でもだめだつたよ。海に入ったとたん融けてしまつたから。
ある信者「三昧に入ってブラフマンの智を得た人は.もう何も話さないのですか」ラーマ「シャン空大師は人びとを教え導くために.
知識の私を残しておきなすつた。・・また語りだす」?? 方便があるから何でも?語りだすし法ほけきょ.掲示板書は書かないと無い

395鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/01(土) 22:36:00 ID:1d4drIFg0
>>391 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

マハラジは親指と人差し指を合わせる事で主体も客体も無いことを喩えて見せたのじゃ。
一体であるものに主体も客体もないのじゃ。
悟らなければ観念によって主体と客体があるように認識するが実際は無いのじゃ。
そのような事実が現実にあることをマハラジは実に簡単に眼に見てわかりやすく教えたのじゃ。

396避難民のマジレスさん:2018/12/02(日) 07:49:07 ID:LC3de7YgO
>>392
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】

 質問者 自己本来の存在を実現した人には、さまざまなヨーガの能力が自然
 と手に入ると聞いていますが、これに関するあなたの体験はどのよ
 うなものでしょうか?
 マハラジ
 人間の五つの層の身体* は、私たちのもっとも突飛な夢をも実現可能にする
 能力をもっている。
 人のなかには宇宙全体が反映されているばかりではなく、彼には宇宙をコン
 トロールする力も提供されている。
 賢者は、状況がそれを必要としないかぎり、そのような力を使うことを切望
 したりはしない。
 日々の生活のためには、彼は個人のもつ技術と能力で充分に適切だと見てい
 るのだ。
 ある能力は特別な訓練で発達させることができる。
 しかし、そのような能力を誇示する人は、いまだに束縛のなかにいるのだ。
 賢者は何ひとつ、自分のものと見なさない。
 ある時と場所で、ある奇跡がある人のせいで起こったとしても、彼は出来事
 と人びととの間にいかなる因果的な結びつきも証明しないだろう。
 また、いかなる結論も引き出すことを許さないだろう。
 すべては起こるように起こるのだ。
 なぜなら、それは起こらなければならないからだ。
 すべてはそのように起こる。
 なぜなら、宇宙はあるがままだからだ。
 質問者 宇宙は幸福に生きる場所のようには見えません。なぜこれほど多く
 の苦しみがあるのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛は身体的なもの、苦しみは精神的なものだ。
 マインドを超えたところに苦しみはない。
 苦痛は身体が危険にあり、注意を要求しているという単なる信号なのだ。
 同様に、苦しみは個人と呼ばれる記憶と習慣の構造が、喪失、あるいは変化
 によって脅かされていると私たちに警告しているのだ。
 苦痛は身体の存続のために欠くことのできないものだ。
 しかし、誰もあなたに苦しむよう強要してはいない。
 苦しみは完全に、執着すること、あるいは抵抗することを理由に起こる。
 それは私たちが人生とともに流れ、進んでいくことを自ら欲しないことの兆
 候なのだ。
 健全な人生が苦痛から自由であるように、聖人の人生は苦しみから自由なの
 だ。

 * 訳注 五つの層の身体
  人間は五つのさやに包まれているというヒンドゥ教の概念。
  (一)アンナー・マヤ・コーシャ 物質的身体 
  (二)プラーナ・マヤ・コーシャ 呼吸にともなう五つの気と五つの行動
     器官の身体 
  (三)マノー・マヤ・コーシャ マインドと五つの行動器官の身体 
  (四)ヴィジニャーナ・マヤ・コーシャ 知性と感情の器官の身体 
  (五)アーナンダ・マヤ・コーシャ 至福の身体。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

397鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/02(日) 22:23:36 ID:1d4drIFg0
苦は常に心の中にのみあるものじゃ。
肉体に痛みがあってもそれに囚われなければ苦にならないのじゃ。
痛みは警告に過ぎないからのう。
心を整えて苦を滅することもできるのじゃ。
そして悟りを得れば一切の苦を永遠に滅することが出来るのじゃ。

398避難民のマジレスさん:2018/12/02(日) 23:12:57 ID:LC3de7YgO
>>397
躁鬱病は、肉体=脳の病でありますが、心の状態を激しい苦しみにさらす病でもあるようであります。
西式とかの他に、何か良い対処法はないでありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

399避難民のマジレスさん:2018/12/03(月) 06:52:25 ID:LC3de7YgO
>>396
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】(つづき)

 質問者 聖人ほど苦しむ人は誰もいないでしょう。
 マハラジ
 彼らがあなたにそう言ったのかね?
 それともあなたが自分からそう言うのだろうか?
 聖人のような高徳な生き方の本質は、現在のこの瞬間の完全な受容と、起こ
 るがままとの調和にあるのだ。
 聖人はあるがままから変わってほしいとは望まない。
 すべての要因を考慮した上で、それが不可避であることを彼は知っているの
 だ。
 彼は必然的なものと親しくあり、それゆえ苦しむことがないのだ。
 苦痛なら彼も知っているだろう。
 だが、それが彼を打ちのめすことはない。
 もし彼にできるなら、失われたバランスを必要なだけ回復するだろう。
 あるいは、ものごとがそれ自体の流れを取るにまかせるだろう。
 質問者 彼は死ぬかもしれません。
 マハラジ
 それが何だというのだろう?
 生きつづけることで、彼が何を得るというのだろう?
 死ぬことで彼が何を失うというのだろうか?
 生まれたものは死なねばならない。
 生まれなかったものは死ぬことはできないのだ。
 すべては彼が彼自身を何であると見なしているかによるのだ。
 質問者 あなたが致命的な病気になったと想像してみてください。あなた
 は後悔したり、憤ったりするのでしょうか?
 マハラジ
 だが、私はすでに死んでいるのだ。
 あるいは今まで生きたことも死んだこともなかったのだ。
 あなたは私の身体が習慣的にふるまっているのを見て、あなたなりの結論を
 引き出す。
 あなたの結論が、ほかの誰でもないあなた自身を束縛するということを、あ
 なたは認めないだろう。
 あなたが抱いている私のイメージはまったく誤ったものかもしれないという
 ことを見て取りなさい。
 あなた自身のイメージもまた誤りなのだ。
 しかし、それはあなたの問題だ。
 だが、私のために問題をつくり出しておいて、それから私に解決するように
 要求する必要はない。
 私は問題をつくり出してもいなければ、解決してもいないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

400素人A:2018/12/03(月) 09:01:02 ID:gOqWUDAs0
向うの未来の私が過去のわたしに言った。あのさあそんなにもがいても
全ての行いが正解だよ 私のまえには迷路うな迷い道でも明朗なまあ良い道といわれても
ぽ師匠は色即是空は空即是色と返すと言う師 でも答えの木霊は聞こえなくても
孝子師匠のおう演歌 アンサー https://www.youtube.com/watch?v=dTJUpa-Vt3E

401素人A:2018/12/03(月) 11:22:43 ID:gOqWUDAs0
マハラジと質問者は 分かり合え図 お互いの立場で
 マハラジ「空即是色」 質問者「色即是空」
それでもタバコ屋の前の空は澄んでいた野花も

402鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/03(月) 23:09:54 ID:1d4drIFg0
>>398 大体首が凝っていると頭に血がいきわたらなくてうつになるようじゃ。
 秋から冬になるとうつがふえるのも寒くなって血行が悪くなるからなのじゃ。
 首をマッサージしたり、温めると予防になるのじゃ。
 首の運動もすると善いのじゃ。
 全身の運動もすると善いのじゃ。

403避難民のマジレスさん:2018/12/04(火) 01:54:02 ID:LC3de7YgO
>>402
友達が、重い(躁)鬱病で苦しんでるのであります。
(´・(ェ)・`)つ

404避難民のマジレスさん:2018/12/04(火) 06:51:13 ID:LC3de7YgO
>>399
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】

 質問者 真我の実現の方法について尋ねられたとき、あなたは変わらず「私
 は在る」という感覚にマインドを固定させることの重要さを強調し
 ます。どこにその因果的な要因があるのでしょうか? なぜこの特
 定の思いが真我の実現という結果をもたらすのでしょうか? どの
 ように、「私は在る」への黙想が私に影響を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 観察するという事実自体が、観察者と観察されるものを変えるのだ。
 結局、自己の真の本性への洞察を妨げるのは、マインドの弱さと愚鈍さ、そ
 して粗大なものにのみ焦点を当て、把握しがたいものは抜かしてしまう傾向
 にあるのだ。
 私の提案にしたがい、マインドを「私は在る」だけにとどめるように試みれ
 ば、あなたはマインドとその気まぐれに完全に気づくようになる。
 行為のなかの透明な調和(サットヴァ)である気づきは、愚鈍さを消し去り、
 マインドの落ち着きのなさを静め、穏やかに、しかし着実にその実体を変化
 させていくのだ。
 その変化は目ざましいものである必要はない。
 それはほとんど人目を引かないものかもしれない。
 それでも、それは暗闇から光へ、不注意から気づきへの根本的な移行なのだ。
 質問者 それは「私は在る」という形式でなければならないのでしょうか?
 ほかのマントラではだめなのでしょうか? 「そこにテーブルがあ
 る」という言葉に私が集中しても、同じ目的を果たさないのでしょ
 うか?
 マハラジ
 集中のための訓練としてならいいが、それがあなたをテーブルという概念を
 超えたところに連れていくことはできないだろう。
 あなたが知りたいのはあなた自身であって、テーブルに興味があるのではな
 い。
 このため意識の焦点を、唯一の手がかりであるあなたの存在の確実性に、着
 実に保つのだ。
 それとともに在りなさい。
 それと戯(たわむ)れなさい。
 それを熟考しなさい。
 それに深く沈潜していきなさい。
 無知の皮が破れ、あなたが実在の領域に現れでるまで。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

405素人A:2018/12/04(火) 09:10:57 ID:gOqWUDAs0
ラーマクリシュナ不滅の言葉より「実在を不動のものとして考えるとき、わたしはそれをブラフマンと言い、またブルシャ」
(神我)、無人格的神と名ずける。それが創造し、維持し、破壊するーすなわち活動すると考えるとき、造化力、現象、また
はプラクティ(原自然、大生命力)、神格神と名ずける。一方なくして他方を考える事は出来ない。無人格的なものと人格的
なものは同じ実在であり、たとえば乳とその白さ、ダイヤモンドとその輝き、蛇とそのうねりのようなもの。宇宙の大実母
とブラフマンは一つである」・・・  色即是空で空即是色で色々或るカラー空まあ仏仏もある

406鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/04(火) 21:56:12 ID:1d4drIFg0
>>403 腸の大掃除をすると善いのじゃ。
 脳の不調は腸がわるいからなのじゃ。
 腸脳相関というのじゃ。
 下剤を飲んで浣腸もして一日位の断食をして腸を空にするのじゃ。
 
観察をすることは観察者と観察の対象を変えるとマハラジはいうのじゃ。
観察する事で観察する自分が変り、観察される自分も変るのじゃ。
それが何を意味するのか実践によってのみ明らかになるのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

407避難民のマジレスさん:2018/12/05(水) 03:17:00 ID:LC3de7YgO
>>404
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 私が「私は在る」に焦点を当てることと、殻(から)が破れること
 の間に何らかの因果的なつながりがあるのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身を見いだそうとする衝動は、あなたに用意ができたことのしるしな
 のだ。
 衝動はいつも内面からやってくる。
 時節が調(ととの)うまでは、あなたが全身全霊で真我の探求をするための
 欲望も強さも得ることはないだろう。
 質問者 欲望とその充足はグルの恩寵(おんちょう)に依るのではないでし
 ょうか? グルの輝きを放つ顔が私たちを誘惑して捕まえ、不幸の
 泥沼から引き出してくれるのではないでしょうか?
 マハラジ
 母親が子供を教師に連れていくように、外側の師にあなたを連れていくのは
 内なる師(サットグル)なのだ。
 あなたのグルを信頼し、彼にしたがいなさい。
 なぜなら、彼はあなたの真我のメッセンジャーなのだから。
 質問者 信頼できるグルをどうやって探せばいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身のハートがあなたに告げるだろう。
 グルを見いだすことは困難なことではない。
 なぜなら、グルはあなたを探しているからだ。
 グルはいつも用意ができている。
 あなたは準備ができていない。
 あなたに学ぶ準備ができていないと、あなたのグルに出会っていても、まっ
 たくの怠慢と強情さでせっかくの機会を無駄にしてしまうかも知れないのだ。
 私を例にとれば、私には見込みがあるわけではなかった。
 だが、グルに出会ったとき、私は聴き、信頼し、したがったのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

408素人A:2018/12/05(水) 08:27:58 ID:gOqWUDAs0
YRつまりバーチャルのアルティとは?テレビでバーちゃんに聞かれたらばあちゃんリアルティと答えていた?私も知らん
かったし笑えないけど微笑んだ。仮想現実はこの世うなテレビやパソコンが発達して現実にとひだすと昔から教えていた。
(つづき)たとえば家は火で焼けてもその家ぬしは家を出てゆく如くである。それだけが明らかな霊妙な働きをしており、
迷悟ともに貫いている。万物の環境はどうであれ、霊智は環境や物と違つて永久に変わる事は無い。いまある環境も霊智に
基づけば真実といって差し支え無い、それは本性に由来しているから実在の法である。しかしそうは言うものの霊知の様に
常住では無い。というのは霊知の様に常住では無い。というのは生滅するからである。それとは反対に霊知は明暗とは関係
無く、霊妙にはたらくから、これを霊知というのである。またそれを真我とも覚元(知覚の根源)とも本性や本体とも名付ける
。このような本性を悟る事を常住不変に帰つたといい、また帰真の大士とも言う。それ以後は更に迷いの世界に流転する事も
無く、不生不滅の本性の大海に証入するのである。その他に真実はない、この本性が顕にならない限りは、三界六道の迷いの
世界が競合して現れるのである。」(つづく)?それじゃ主義うしなく遊びの現実たけで使用と道元に頭叩かれた。今朝も適当

409鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/05(水) 22:29:15 ID:1d4drIFg0
本当に学ぶ気になった時に師匠はあらわれるというのじゃ。
そうでなければ目の前に居ても気付かないというのじゃ。
師が存在しないからではなく、本人に準備が出来ていないから見出せないのじゃ。
準備が出来れば自らの本心に真の師匠に引き合わせる師匠がいるというのじゃ。 
本来誰もが無師独悟であるのじゃ。

410避難民のマジレスさん:2018/12/06(木) 05:54:43 ID:LC3de7YgO
>>407
1『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 私が師の手の内に完全に自分を明け渡す前に、彼を吟味すべきでは
 ないでしょうか?
 マハラジ
 もちろん吟味するがいい!
 だが、何を見いだせるというのだろう?
 彼はあなた自身のレベルでしか現れないのだ。
 質問者 彼が首尾一貫しているかどうかを見守ります。彼の人生と彼の教え
 の間に調和があるかどうかを。
 マハラジ
 あなたは数多くの不調和を見つけだすかもしれない――それが何だというの
 だろう?
 それは何も証明しない。
 ただ、動機だけが問題なのだ。
 どうやって彼の動機を知るというのだろうか?
 質問者 少なくとも、彼が自己制御のできる清廉(せいれん)な人生を生き
 ている人であることを期待すべきです。
 マハラジ
 そのような人はいくらでも見つけられるだろう――そしてあなたにとって何
 の役にも立たないだろう。
 グルはあなたの真我へ帰り着く道をあなたに示すことができる。
 それがその人の人格や性質といった外見と、どんな関係があるというのだろ
 うか?
 彼は彼が個人ではないことを、あなたに明確に告げてはいないだろうか?
 唯一判断できるのは、あなたが彼と共に在るときに起こる、あなた自身の変
 化だ。
 もし、あなたがより平和で幸福に感じるならば、そしてあなた自身を通常よ
 り明晰(めいせき)に、より深く理解するならば、それはあなたが正しい人
 を見つけたということだ。
 急ぐことはない。
 だが、ひとたび彼を信頼すると決心したならば、絶対的に彼を信頼しなさい。
 そしてすべての教えに完全に、誠実にしたがいなさい。
 あなたが彼を師として受け入れず、彼と共に在ることだけで満足だとしても、
 それは大した問題ではないのだ。
 もしマインドが純粋で混じり気がなく、乱されることがなければ、サットサ
 ン(聖者と共に在ること)だけでもあなたを目的地へと連れていけるのだ。
 だが、ひとたびあなたがある人をグルとして受け入れたならば、聴き、覚え、
 したがいなさい。
 中途半端な心構えは深刻な障害となる。
 そして、多くの悲しみを自らつくり出す原因となるのだ。
 その過ちはけっしてグルのものではない。
 弟子の愚鈍さと強情さに過失があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

411素人A:2018/12/06(木) 10:27:54 ID:gOqWUDAs0
すいません。皆自由に生きているわけではない。正義行おうとしても守るものだらけで、環境に流される小さな我が観ばかりで
量るしかない。人に悪く生きなければ自分の楽にならない。蟻のまんまを取り上げて観ずに流すばかりで仕方無いな避けない。
悪さに居直って少ししか苦しまない。まあお互い様で見解の総意で誤魔化すくらいしか出来ない。少し反省分からんものは観察
してほじくりだしても苦しい思いだけまあよいか。

世界の創造主は偉い?私と友に居ても私のえこひいきしないで相手の立場も認めて何も出来ないと神や仏は責められても文句は
いわず耐えているのか?なるようなるにまかせていい加減なのか?まあそれしか出来ない立場なのか?単に能力が無いのか?
創造主とは私のソフトの元なのかでもソフトが邪魔して力は◎で発揮できず今の観からしか見えずなのか不自由な身?
無門関 ニ○  ちからのあるもの
松源さまがいわれた、「ちからのある者が、どうして立ちあがれないのか?」また、「説法は演説じゃないぞ。」
無門がいう---------松源は腹わたをむき出したが、受けとり手が居ないのだ。オイソレとひき受けても、
無門のところにきてブンなぐられるだけ。なぜならば? 純金かニセか、火でためすのだ。
歌に---------    足でけかえす太平洋、     低くみくだす銀河系。     この身一つの置きどころ、
(あとの句をたのむ)。 ?アートの苦頼まれたけどとブラ不満に文句言おう

412鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/06(木) 23:43:04 ID:1d4drIFg0
まだ準備が整わない者は師匠がいても信じることはできないのじゃ。
自分の方が賢いとか思っていたりするのじゃ。
師匠を計っているのじゃ。
他人を計る秤で自分も計られるとユダヤの救世主も告げたのじゃ。
真の師匠ならばそこに度し難い愚かさを観るだけなのじゃ。

413避難民のマジレスさん:2018/12/07(金) 07:07:08 ID:LC3de7YgO
>>410
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 そのとき、グルは弟子を追放、あるいは失格にしてしまうのでしょ
 うか?
 マハラジ
 もし、そうしたなら彼はグルとは言えない!
 彼は時節が調い、弟子が鍛えられ、冷静になって、より受容的な精神で彼の
 もとに戻ってくるのを待つのだ。
 質問者 何が動機なのでしょうか? なぜグルはそれほどの困難を受け入れ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 悲しみと悲しみの終焉(しゅうえん)のためだ。
 彼は人びとが夢のなかで苦しんでいるのを見て、目覚めさせたいと願うのだ。
 愛は苦痛や苦しみを見ることに耐えられない。
 グルの忍耐には限界がない。
 それゆえ、打ち負かされることはできないのだ。
 グルはけっして失敗しない。
 質問者 私の最初の師はまた最後の師でもあるのでしょうか、それとも私は
 師から師へと渡り歩かなければならないのでしょうか。
 マハラジ
 宇宙全体があなたのグルだ。
 もし注意深く、知的であれば、あなたはすべてから学んでいく。
 あなたのマインドが澄んで、ハートが清らかであれば、あなたはすべての通
 りがかりの人たちから学ぶだろう。
 あなたが怠惰で落ち着きがないため、内なる真我が外側のグルとして現れ、
 あなたに彼を信頼させ、したがわせるのだ。
 質問者 グルは不可避なのでしょうか?
 マハラジ
 それは「母親は避けることはできないものなのでしょうか?」と尋ねるよう
 なものだ。
 意識のなかで、ひとつの領域からより高い領域に上がっていくには助けが必
 要だ。
 助けがつねに人間の形を取るとはかぎらない。
 それは名状しがたい存在かもしれない。
 あるいは直感のひらめきかもしれない。
 しかし、助けは来なければならない。
 内なる真我は、息子が父親のもとに戻ってくるのを待っているのだ。
 時節が調えば、彼は愛情深く、効果的にすべての手はずを整える。
 メッセンジャーや指導者が必要なとき、真我が必要を満たすためにグルを送
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

414鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/07(金) 22:59:17 ID:1d4drIFg0
誰もが本来無師独悟ではあるが師匠がいれば楽に素早くいけるのじゃ。
迷う時間が少なくなるのじゃ。
迷いを正してくれるものが師匠なのじゃ。
それは人とは限らないのじゃ。
時には苦しみさえも師匠といえるのじゃ。
間違った道を教えてくれるので在るからのう。

415避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 08:44:20 ID:LC3de7YgO
>>413
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 ひとつだけ理解できないことがあります。あなたは内なる自己を、
 賢明で、善であり、美しく、あらゆる面で完全だとし、個人はそれ
 自身存在をもたない、単なる反映だと話しています。その一方、あ
 なたはたいへんな困難も顧みず、個人にそれ自身を実現させる助け
 をしています。もし、個人がそれほど重要ではないならば、なぜそ
 れほどまでしてその幸福を気にかけるのでしょうか? 誰が影のこ
 とを気にするでしょうか?
 マハラジ
 あなたは存在もしない二元性をそこにもち込んだのだ。
 身体があり、真我がある。
 その間にマインドがあるのだ。
 そのマインドのなかに、真我は「私は在る」として反映されている。
 マインドはその不完全さ、その未熟さと落ち着きのなさ、識別と洞察の欠如
 ゆえに、それ自身を真我ではなく身体と見なしてしまうのだ。
 必要なことはマインドを浄化することだけだ。
 マインドが真我のなかに没して消え去るとき、身体は問題を呈しなくなる。
 それはそれであるものとして、認識と行為の道具、内なる創造の炎の表現と
 その道具としてとどまる。
 身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕える
 ことだ。
 あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像して
 いた以上のものであったことを、絶えず発見し続けていくのだ。
 質問者 自己発見には終わりがないのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはじまりがないように、終わりもない。
 だが、グルの恩寵によって私が発見したことは、私はこれだと指し示すこと
 のできるものではないということだ。
 私は「これ」でもなく「あれ」でもない。
 これは絶対不動だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

416避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 09:55:47 ID:LC3de7YgO
>>415
> 身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕えることだ。
←ふむふむ。
普遍の身体=全てであるということは、個別は無い=無我は同じようなものでありますね。
>あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像して
いた以上のものであったことを、絶えず発見し続けていくのだ。

←絶えず発見して行って、「あなた」が消え去ればよいが、それへの執着を消し去るには「無我」と言った方が誤解が生じにくいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

417避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 19:35:39 ID:LC3de7YgO
>>415
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 それでは、新たなる次元へと永遠に自分自身を超えていく、果てし
 ない発見はどこに現れるのでしょうか?
 マハラジ
 これらはすべて顕現の領域に属する。
 それは、低次のものからの自由を通してのみ、より高次なものを得ることが
 できるという宇宙の構造そのもののなかにあるのだ。
 質問者 何が低次で、何が高次なのでしょう?
 マハラジ
 それを気づきの言語のなかで見てみなさい。
 より広く、深いほど、意識が高いのだ。
 生きるものすべては意識を保護し、永続し、拡張するために働いている。
 これが世界の唯一の意味と目的なのだ。
 絶えず意識のレベルを上昇させ、それらの特性と質と能力とともに新たな次
 元を発見すること――それがヨーガの本質だ。
 その意味においては宇宙全体がヨーガの道場となるのだ。
 質問者 完成はすべての人間にとっての運命なのでしょうか?
 マハラジ
 究極的には、すべての生きるものたちにとってだ。
 悟りの概念がマインドのなかに現れるとき、可能性は確実性となるのだ。
 人は、ひとたび解放が手の届くところにあると聞き、理解すれば、けっして
 忘れはしない。
 なぜならそれが内側からの最初のメッセージだからだ。
 それは根を張り、成長し、時が来れば祝福されたグルの姿を取るのだ。
 質問者 では、私たちは皆マインドの救済に関わっているのでしょうか?
 マハラジ
 それ以外の何だというのだろう?
 マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。
 「迷う」という言葉さえ的確ではない。
 マインドはそれ自身のあらゆる気分を知らなければならない。
 繰り返されないかぎり、何ひとつ間違いということはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

418鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/08(土) 22:47:46 ID:1d4drIFg0
>>416 そのような理解で善いのじゃ。
 個人としての自分の肉体は全てであることを気付くためにあるというのじゃ。
 それが肉体を持ったことの意味なのじゃ。
 それに辿りつくために無我にもなるのじゃ。

419避難民のマジレスさん:2018/12/09(日) 07:33:38 ID:LC3de7YgO
>>417
『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】

 質問者 あらためて、私は快楽と苦痛、欲望と恐れの質問をした
 いと思います。恐れとは、苦痛の記憶と予測だと私は理
 解しています。それは有機体とその生活様式の保護のた
 めに本質的なものです。欲望が感じられると苦痛に満ち、
 その期待は恐れでいっぱいになります。私たちは基本的
 な必要性を満たせないことを、当然のことながら恐れま
 す。欲望が満たされたとき、安心を経験したり、不安が
 静められたりするのは、もっぱら苦痛が終わるためです。
 私たちはそれに快楽や喜び、あるいは幸せといった積極
 的な名前を与えますが、それは本質的に苦痛からの解放
 なのです。私たちの社会的、経済的、政治的な制度を維
 持しているのは、この苦痛への恐れです。
 私を困惑させるのは、生存とは何の関係もないものやマ
 インドの状態から私たちが喜びを引き出すことです。そ
 の反対に、私たちの快楽はたいてい破壊的です。それら
 は対象物を、また快楽の主体をも傷つけ、破壊します。
 そうでなければ、快楽と快楽の追求には何の問題もあり
 ません。これが私の質問の核心に導きます。なぜ快楽は
 破壊的なのでしょうか? なぜ破壊的であるにも関わら
 ず、それは求められるのでしょうか?
 言っておかなければなりませんが、私は自然が要求する
 快楽と苦痛のパターンについては考えてはいません。私
 が考えているのは、過食のようにもっとも粗雑なものか
 らもっとも純粋なものまで、感覚的、そして神秘的なも
 のの両方です。快楽に耽溺(たんでき)することは、た
 とえどのような犠牲を払おうとも普遍的なものであり、
 その根本には何か深い意味があるに違いありません。
 もちろん、人のすべての活動は功利主義的な、必要を満
 たすためだけのものとはかぎりません。例えて言えば、
 遊びは自然なものであり、人間は存在のなかでもっとも
 遊び好きな動物です。遊びは自己発見や自己開発のため
 の必要を満たします。しかし、遊びにおいてさえ、人間
 は自然やほかの生きもの、そして彼自身に対して破壊的
 になるのです。
 マハラジ
 ようするに、あなたは快楽には反対でないが、苦痛と苦しみへの
 代価には反対だということだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

420鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/09(日) 22:55:14 ID:1d4drIFg0
快楽とは苦からの解放ではなくただ一時的に忘れるだけなのじゃ。
そうであるから次々に求めて執着するのじゃ。
本当に苦から解放されたならばもはや快楽もいらない筈なのじゃ。
解放されずに一時的に忘れるだけであるから何度も必要になるのじゃ。

421避難民のマジレスさん:2018/12/10(月) 07:04:16 ID:LC3de7YgO
>>419
1『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 もし実在そのものが至福であるならば、快楽はそれに何
 らかの形で関係しているはずです。
 マハラジ
 言葉の上の論理によって話を進めるのはやめよう。
 実在の至福は苦しみを除外しないのだ。
 その上、あなたは快楽のみを知り、純粋な存在の至福を知っては
 いない。
 だから、快楽をそれ自体のレベルで調べてみることにしよう。
 もしあなたが快楽や苦痛の瞬間にある自分を見てみれば、快楽や
 苦痛はものごと自体のなかにあるのではなく、状況のなかにある
 ということを、いつもきまって見つけだすだろう。
 快楽は楽しむ人と楽しまれるものとの関係性のなかにある。
 そしてその本質は需要にあるのだ。
 状況がいかなるものであれ、それを受け入れることが可能ならば、
 それは心地好く、受け入れがたければ、苦しいのだ。
 何がそれを受け入れられるようにするのかは重要でない。
 原因は物質的、心理的、あるいは理由のわからないものかもしれ
 ないが、受容がその決定要因だ。
 相対的に、苦しみは受け入れないことによるものだ。
 質問者 苦痛は受け入れがたいものです。
 マハラジ
 どうしてかね?
 試してみたことがあるのかね?
 試してみなさい。
 そうすれば苦しみには快楽が生みだすことのできない喜びがある
 ことを見いだすだろう。
 なぜなら、苦痛の受容には快楽よりもはるかに深いところへあな
 たを導くという純然たる理由があるからだ。
 個人の自我はその本性からしてたえず快楽を求め、苦痛を避けて
 いる。
 このパターンの終焉(しゅうえん)が自我の終焉なのだ。
 自我と、その欲望と恐れの終焉は、幸福と平和の源であるあなた
 の真の本性に帰り着くことを可能にする。
 絶え間ない快楽への欲望は、内なる永遠の調和の反映なのだ。
 人が自我を意識しだすのは、選択と決定を要求する、快楽と苦痛
 の合間での葛藤(かっとう)に捕らえられたときだけだ。
 この欲望と恐れの衝突が、人生において正常な、偉大なる破壊者
 である怒りを生みだす。
 苦痛がひとつの教訓と警告としてあるがままに受け入れられ、注
 意をもって深く見入られたとき、苦痛と快楽という分離は打ち壊
 され、それらはともに抵抗したとき苦しく、受け入れたとき快い
 という体験になるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

422素人A:2018/12/10(月) 10:21:44 ID:gOqWUDAs0
マハラジなんて単純だしペッパー君で代用できのか

423鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/10(月) 22:08:23 ID:1d4drIFg0
苦から逃れ、快楽を求めることが自我の原因となるとマハラジはいうのじゃ。
それが終われば自我も終焉を迎えるのじゃ。
苦痛から逃れようとせず、快楽も求めようとしない時、自我の欲に惑わされずに本性が見られるのじゃ。
その二つの執着から離れることは意志によってできることなのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。

424避難民のマジレスさん:2018/12/10(月) 23:10:03 ID:LC3de7YgO
>>423
うむ。
主体も客体も、苦も楽もなく、ただ一つの意識でありましょう。
くまはそう思えるであります。
(´・(∀)・`)つ

425避難民のマジレスさん:2018/12/11(火) 06:08:15 ID:LC3de7YgO
>>421
1『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 すべての幸福は気づきからやってくる。
 私たちがより意識的であれば、喜びはより深くなる。
 苦痛の受容、無抵抗、勇気、忍耐――それらは、深く永久に枯渇
 しない真の幸福、真実の至福の源を開くのだ。
 質問者 なぜ苦痛は快楽よりも効力があるのでしょうか?
 マハラジ
 快楽はたやすく受け入れられる。
 一方、自我のすべての力が苦痛を拒絶する。
 苦痛の受容が自我の否定であるように、自我は真実の幸福への道
 を妨げる。
 苦痛の心からの受容は幸福の源泉を解放するのだ。
 質問者 苦しみの受容も同じように働くのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛という事実に気づきの焦点を当てるのは容易なことだ。
 苦しみにあっては、ことはそう単純ではない。
 苦しみに焦点を当てるだけでは、充分ではないのだ。
 なぜなら知ってのとおり、精神的な人生とはひとつの絶え間ない
 苦しみの流れだからだ。
 苦しみのより深い層に到達するには、あなたはその根元まで行き、
 そしてそれらの広大なネットワークを露(あら)わにしなければ
 ならない。
 そこには恐れと欲望が緊密に織り込まれ、生命エネルギーの流れ
 は対立して行く手を遮(さえぎ)り、互いに破壊しあっているの
 だ。
 質問者 どのようにして私の意識層より完全に下にある混乱を正
 すことができるのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身とともに在ること、「私は在る」とともに在ることに
 よって、日々の生活におけるあなた自身を、批判するよりも理解
 しようという意図をもって見守ることによって、何であれ、現れ
 ることを完全に受容することによってだ。
 なぜなら、それはそこにあるのだから。
 あなたは奥深くにあったものが表層に現れることを励まし、その
 捕らわれていたエネルギーによってあなたの人生と意識を豊かに
 するのだ。
 これが気づきの偉大な働きだ。
 それは生命とマインドの本性を理解することによって障害を取り
 除き、エネルギーを解放する。
 知性は自由への扉であり、そして油断のない注意が知性の母なの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

426避難民のマジレスさん:2018/12/11(火) 21:21:22 ID:LC3de7YgO
>>425
> 苦痛の受容、無抵抗、勇気、忍耐――それらは、深く永久に枯渇
 しない真の幸福、真実の至福の源を開くのだ。
 苦痛の心からの受容は幸福の源泉を解放するのだ。

←苦痛の受容は、超難しいようにおもうであります。
(´・(ェ)・`)つ

427避難民のマジレスさん:2018/12/11(火) 21:49:24 ID:LC3de7YgO
 苦しみの根元の広大なネットワークとは、恐れと欲望がのことであり、
それを表層に現れるようにしろということでありますか。
つまり、恐れや欲望を、抑圧せずにありのままに感じることにより、抑圧していたエネルギーを解放しろと言うことでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

428鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/11(火) 22:53:19 ID:1d4drIFg0
>>424 そうじゃ、中道をいくのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>426 最初は蚊にかまれた程度の苦痛でも善いのじゃ。
 続ければ肉体への執着から離れられるのじゃ。

>>427 それは人が苦痛から逃れようとして積み上げてきた縁起なのじゃ。
 十二縁起と同じようなものじゃ。
 苦痛から逃げるために快楽を求め、快楽に執着して又苦が生じるというようにのう。
 それらを観なければ本性にはたどり着かないのじゃ。

429避難民のマジレスさん:2018/12/12(水) 00:20:18 ID:LC3de7YgO
>>428
苦痛から逃れようとして積み上げてきた縁起
十二縁起と同じようなもの
苦痛から逃げるために快楽を求め、快楽に執着して又苦が生じるというように
それらを観なければ本性にはたどり着かない

↑うむ。この説明のは超わかりやすいであります。
ありがとうであります。
(´・(∀)・`)つ

430避難民のマジレスさん:2018/12/12(水) 01:14:08 ID:LC3de7YgO
>>425
59の2『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 もうひとつの質問です。なぜ快楽は苦痛のなかに終わる
 のでしょうか?
 マハラジ
 すべてにはじまりがあり、終わりがある。
 快楽もまた同じなのだ。
 期待してはいけない。
 そして後悔してはいけない。
 そうすれば、そこに苦痛はなくなるだろう。
 苦しみの原因は記憶と想像なのだ。
 もちろん、快楽の後の苦痛は身体とマインドの誤用によるものだ
 ろう。
 身体はその限度を知っているが、マインドはそれを知らないのだ。
 その渇望は数かぎりなく、限度を知らない。
 マインドを最大の努力とともに見守りなさい。
 なぜなら、そこにあなたの束縛が、そしてまた解放への鍵がある
 からだ。
 質問者 私の質問はまだ完全に答えられていません。どうして人
 間の快楽は破壊的なのでしょうか? どうして彼は破壊
 することのなかに、それほど喜びを見いだすのでしょう
 か? 生命はそれ自身の保護、永続、拡張を気にかけて
 いるはずです。このなかで、それは苦痛と快楽に導かれ
 ているのです。いったい、どの時点でそれらは破壊的に
 なるのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが占拠し、記憶し、期待するとき、それは大げさに見た
 り、ゆがめて見たり、見落としたりする。
 過去は未来へと投影され、未来は期待を裏切るのだ。
 感覚と行動の器官は許容範囲を超えた刺激を受け、必然的に弱っ
 てしまう。
 快楽の対象物は期待されたことを満たすことができず、誤用によ
 って尽き果て、あるいは破壊されてしまう。
 快楽が探し求められるところには、過剰な苦痛が結果として生じ
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

431鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/12(水) 22:44:19 ID:1d4drIFg0
>>429 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。


快楽は執着することで常に苦痛をもたらすものとなるのじゃ。
慣れてしまえばより多く、大きな快楽を求め続けることになるからのう。
常に満たされないままになるのじゃ。
より新しい刺激を求めて苦を積み重ねることになるのじゃ。

432避難民のマジレスさん:2018/12/13(木) 06:09:36 ID:LC3de7YgO
>>430
『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 私たちは自分自身だけではなく、他者まで破壊してしま
 うのです!
 マハラジ
 当然、自分本位とはつねに破壊的なものだ。
 欲望と恐れは、ともに自己中心的な状態だ。
 欲望と恐れの間に怒りが、怒りとともに憎悪が、憎悪とともに破
 壊への激情が立ち現れる。
 戦争はすべての死の兵器を備え、組織化された憎悪の行為なのだ。
 質問者 これらの恐ろしいものごとに終止符を打つ方法はないの
 でしょうか?
 マハラジ
 より多くの人びとが彼らの真の本性を知るにつれて、いかに微妙
 なものでも彼らの影響は広まっていき、世界の感情的な空気は和
 らいでいく。
 人びとは彼らの指導者にしたがい、そして指導者たちの間に、何
 人かの偉大なマインドとハートをもち、自己本位から絶対的に自
 由な人が現れたとき、彼らの衝撃はこの時代の未熟さと罪を不可
 能にしてしまうだけの充分な影響力を与えるだろう。
 新たな黄金の時代が現れ、ひとつの時代を築き、それ自身の完成
 のうちに倒れていくかもしれない。
 なぜなら、衰退は機運がその絶頂に達したときにはじまるものだ
 からだ。
 質問者 永久的な完成というものはないのでしょうか?
 マハラジ
 ある。
 だが、それはすべての未完成を包括しているのだ。
 それがすべてを可能にし、知覚可能にし、興味深くする自己の本
 性の完成なのだ。
 それは苦しみを知らない。
 なぜならそれは好まず嫌わず、受容も拒絶もしないからだ。
 創造と破壊は、それがその間でつねに変化しつづけていく模様を
 織り成す二つの極なのだ。
 好き嫌いやより好みから自由になりなさい。
 そうすれば、マインドとその悲しみの重荷は、もはやなくなるだ
 ろう。
 質問者 しかし苦しんでいるのは私ひとりではありません。ほか
 の人たちもいるのです。
 マハラジ
 あなたがあなたの欲望や恐れとともに彼らのもとに行くなら、単
 に彼らに不幸を加えるだけだ。
 まず、あなた自身が苦しみから自由になりなさい。
 そのときにのみ、他者を助けられる期待がもてる。
 期待する必要さえない。
 あなたの存在そのものが、ひとりの人間として同胞に与えること
 のできる最大の助けとなるだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

433鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/13(木) 23:06:06 ID:1d4drIFg0
真の完成は常に在るものじゃ。
それ以外は存在しない幻想なのじゃ。
自分自身がそれに気付かなければ他人を導くことはできないのじゃ。
自ら実践あるのみなのじゃ。

434避難民のマジレスさん:2018/12/14(金) 05:34:16 ID:LC3de7YgO
>>433
うむ。この章の言葉は、とても難しいでありますが、鬼和尚の解説を手がかりにしつ、何度も読み直してみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

435避難民のマジレスさん:2018/12/14(金) 05:46:20 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】

 質問者 あなたは、何であれあなたの見るものはあなた自身だと言います。
 また、私たちが見るように世界を見ていると認めています。ここに
 今日の新聞が、今起こっているあらゆる恐ろしいことを載せていま
 す。世界があなた自身であると言うのなら、このような不正な行為
 をどのように説明することができるのでしょうか?
 マハラジ
 いったい、どの世界のことを思っているのかね?
 質問者 私たちが住む、共通の世界です。
 マハラジ
 私たちが同じ世界に住んでいるというのは確かだろうか?
 私は自然のこと、海や大陸、植物や動物のことを言っているのではない。
 それらは問題ではない。
 果てしない空間、無限の時間、無尽蔵の力もまた問題ではない。
 私が食べたり、喫煙したり、読んだり、話したりすることに惑わされてはな
 らない。
 私のマインドはここにはない。
 私の人生はここにはないのだ。
 あなたの欲望とその充足、恐れとそれとそれからの逃避は、まったく私の世
 界ではない。
 あなたがそれに関して語ることを通して以外、私はそれを知覚さえしないの
 だ。
 それはあなたの個人的な夢の世界であり、それに対する私の唯一の反応は、
 あなたに夢を見つづけるのをやめるよう求めることだけだ。
 質問者 戦争や革命は間違いなく夢ではありません。病気の母親と飢えた子
 どもたちは夢ではありません。不正な富とその誤用は夢ではないの
 です。
 マハラジ
 それ以外の何だというのかね?
 質問者 夢は分かち合うことができません。
 マハラジ
 目覚めの状態もまた、分かち合うことができないのだ。
 目覚め、夢見、眠りの三つの状態はすべて主観的で、個人的な私事(わたく
 しごと)だ。
 それらはみな意識の中の「私」と呼ばれる小さな泡の中に包まれ、そこで起
 こることなのだ。
 真実の世界は自己を超えた彼方にある。
 質問者 自己であろうと、非自己であろうと、事実は現実です。
 マハラジ
 もちろん、事実は現実だ。
 私はそれらの中に生きている。
 しかし、あなたは事実ではなく、想像の中に生きているのだ。
 事実はけっして衝突しない。
 だが、あなたの人生と世界は矛盾で満ちている。
 矛盾は偽物の証拠なのだ。
 本物がそれ自体で矛盾することはない。
 たとえば、あなたは人々が極端な貧困の中にいると苦情を訴えている。
 それにもかかわらず、あなたの富を彼らに分け与えはしない。
 あなたは近隣で起こっている戦争にはかまうが、どこか遠くの国で起こって
 いる戦争のことは考えもしない。
 あなたの気まぐれな自我が価値を決定し、「私は考える」「私は欲しい」
 「私はしなければならない」といった移ろいやすい想念を絶対的なものにし
 てしまうのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

436鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/14(金) 22:41:13 ID:1d4drIFg0
>>434 良かったのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

人は自分の見る現実が他人とも同じ唯一のものと思っているのじゃ。
しかし、実際は違うのじゃ。
一人一人のものにそれぞれ別の現実が在るのじゃ。
自ら作り上げた幻想を現実と思っているだけなのじゃ。

437避難民のマジレスさん:2018/12/15(土) 04:59:16 ID:LC3de7YgO
>>435
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 それでも悪は現実です。
 マハラジ
 あなたの存在以上の現実ではないのだ。
 悪は誤解や誤用による問題への誤った対処法にある。
 それは悪循環なのだ。
 質問者 その循環の輪を断ち切ることはできるでしょうか?
 マハラジ
 偽物の輪を壊す必要はない。
 それをあるがままに、非存在として見るだけで充分なのだ。
 質問者 しかし、私たちを服従させ、屈辱や暴虐行為を与えさせるのに充分
 なほど悪は現実なのです。
 マハラジ
 狂気は普遍的なものであり、正気はまれなのだ。
 しかし、それでも希望はある。
 なぜなら、狂気を知覚した瞬間、私たちは正気に向かいはじめているのだか
 ら。
 日々の生活の中で、私たちの狂気に気づかせること、これがグルの機能だ。
 生命はあなたを意識的にさせる。
 だが、師はあなたを気づかせるのだ。
 質問者 あなたは最初のジニャーニでもなければ、最後のでもありません。
 遙かなる昔から、人々は真理を実現してきました。それにもかかわ
 らず、何とわずかばかりの影響しか私たちの生活に与えてこなかっ
 たのでしょう! ラーマたちやクリシュナたち、仏陀たちやキリス
 トたちは来ては去っていきました。そして、私たちは相変わらず汗
 と涙の中でもがいているのです。私たちがその人生を見守ってきた
 偉大な人々は何をしてきたのでしょうか? 世界の束縛を和らげる
 ために、あなたは何をしたのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのつくり出した悪を取り消すことができるのは、あなただけだ。
 あなたの無神経な利己主義がその根本なのだ。
 まず、自分の家に秩序をもたらすことだ。
 そうすれば、あなたはあなたの仕事を終えたことを知るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

438鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/15(土) 22:44:39 ID:1d4drIFg0
悪が現実にあるというものは心の中に悪が在るからそのように思うのじゃ。
自分の心の中にある悪の観念を世間に投射するのじゃ。
自らの心の中以外に悪はないのじゃ。

人はただ自らを救うことが出来るだけなのじゃ。
全ての悪から全人を救う救世主などいないのじゃ。

439避難民のマジレスさん:2018/12/16(日) 13:19:48 ID:LC3de7YgO
>>437
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 私たちの前に現れた智慧と愛の人たちは、しばしば途方もない代価
 を支払って、正しさを主張してきました。その結果はどうだったの
 でしょう? 流れ星はどんなに輝いても、夜の闇を明るくすること
 はないのです。
 マハラジ
 彼らと彼らの仕事を判断するには、あなたが彼らのひとりにならなければな
 らない。
 井戸の中の蛙は、空を行く鳥のことを何も知らないのだ。
 質問者 つまり、あなたは善と悪の間には、何の壁もないと言われるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 そこに壁はない。
 なぜなら、善も悪もありはしないからだ。
 あらゆる実際の状況のなかで、あるのはただ必要なことと不必要なことだけ
 だ。
 必要なことは正しく、不必要なことは正しくないのだ。
 質問者 誰が決めるのでしょうか?
 マハラジ
 状況が決定する。
 あらゆる状況は正しい反応を要求してくる挑戦なのだ。
 反応が正しいとき、挑戦はかなえられ問題は消える。
 反応を誤ったとき、挑戦は敵わず問題は未解決のまま残る。
 あなたの未解決の問題が、あなたのカルマを構成しているのだ。
 それらを正しく解決し、自由になりなさい。
 質問者 あなたはいつも、私を私自身へと連れ戻します。世界の問題の客観
 的な解決法はないのでしょうか?
 マハラジ
 世界の問題は、それぞれが自分の欲望や恐れでいっぱいの、無数のあなたの
 ような人々によってつくり出されているのだ。
 あなたの個人的、社会的な過去から、誰があなたを解放できるというのだろ
 うか?
 そしてあなた自身が、幻想から生まれた欲望から自由になることへの切迫し
 た必要性を見ないかぎり、どうやって世界の問題を解決するというのだろう
 か?
 あなた自身が助けを必要としているかぎり、どうしてあなたに本当の助けが
 できるだろうか?
 質問者 いったいどのような形で古代の聖者たちは助けたのでしょうか? 
 どのようにしてあなたは助けるのでしょうか? 少数の人たちは、
 疑いなく恩恵を受けています。あなたの指導と手本は、大きな意味
 を彼らにもたらすかもしれません。ですが、いったいどのような形
 で、あなたは人類に、そして生命と意識の全体性に影響を与えると
 いうのでしょうか? あなたは、あなたが世界であり、世界はあな
 ただと言われました。あなたはどのような影響を世界に与えたので
 しょうか?
 マハラジ
 どのような影響をあなたは期待するのかね?
 質問者 人間は愚かで、利己的で、残酷です。
 マハラジ
 人間はまた、賢く、愛情にあふれ、親切でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

440鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/16(日) 22:42:06 ID:1d4drIFg0
世界の問題の唯一の解決法はそれを認識する自分が変容することなのじゃ。
そうすれば世界に何も問題は無いと気付くのじゃ。
人々の愚かさや残酷さでさえも自らのイメージであったと知れるじゃろう。
自分の心の中以外に何も問題は無いのじゃ。

441避難民のマジレスさん:2018/12/17(月) 06:08:34 ID:LC3de7YgO
>>439
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 どうして善が広まらないのでしょうか?
 マハラジ
 私の真実の世界では、それは広まっている。
 私の世界では、あなたの呼ぶ悪も善の召使いであって、それゆえ必要なもの
 なのだ。
 それは吹き出物や熱が身体の不純物を取り除くようなものなのだ。
 病気は苦しく危険でさえあるが、正しく対処すれば治るものだ。
 質問者 あるいは殺してしまいます。
 マハラジ
 ある場合には、死が最適な治癒方なのだ。
 人生は死より悪いものかもしれない。
 外見がどうであれ、死が不快な体験であることはまれなのだ。
 それゆえ、死んだものをではなく、生きているものを憐れみなさい。
 ものごとのなかにある善と悪の問題は、私の世界には存在しない。
 必要なことが善であり、不必要なことは悪だ。
 あなたの世界では快楽が善で、苦痛が悪なのだ。
 質問者 何が必要なのでしょうか?
 マハラジ
 成長することが必要なことだ。
 より成長することが必要なのだ。
 良いことをより良いことのために放棄することは必要なことだ。
 質問者 何が最終目的なのでしょうか?
 マハラジ
 最終目的ははじまりのなかにある。
 あなたはあなたがはじめたところで終えるのだ――絶対なるもののなかで。
 質問者 では、なぜこんなにも困難があるのでしょう? 私がはじめたとこ
 ろに帰り着くためなのですか?
 マハラジ
 誰の困難だろうか?
 どの困難だろうか?
 あなたは生長し、繁茂し、巨大な森林とまでなった種子を憐れむだろうか?
 あなたは人生の厄介ごとから救うために幼児を殺してしまうだろうか?
 人生の何が間違っているというのだろう、永遠の人生が?
 成長のための障害物を取り除きなさい。
 そうすれば、あなたの個人的、社会的、政治的、経済的問題はみな、ただ消
 え去るだろう。
 宇宙はその全体性において完全であり、部分が完成に向かうための努力は喜
 びの道なのだ。
 未完成を完成のために進んで犠牲にしなさい。
 そうすれば善と悪についての話はもうなくなるだろう。
 質問者 それでも、私たちはより良いものを恐れ、より悪いものにしがみつ
 いてしまうのです。
 マハラジ
 これが私たちの、いまにも正気を失わんとする愚かさなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

442鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/17(月) 23:26:41 ID:1d4drIFg0
世界に悪を見る者は自らの心の中にその観念が在るからなのじゃ。
それがなければ世界はありのままに美しいのじゃ。
川を見ても綺麗な流れを見ずに、淀みを見ているようなものじゃ。
淀みにも急流に耐えられぬ生き物がいて安らいでいるものじゃ。
それもまた川のありようの一部なのじゃ。

443避難民のマジレスさん:2018/12/18(火) 05:29:05 ID:LC3de7YgO
>>441
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】

 質問者 幸運にも全人生において私は聖者との交わりをもってきました。そ
 れは真我の実現のために充分でしょうか?
 マハラジ
 それは、あなたがそれから何をつくり出すかによる。
 質問者 サットサン(聖者との交わり)のなかで起こる解放への働きは自動
 的なものだと聞きました。川が人を入り江まで運ぶように、善き人
 びとの深遠な沈黙の影響が私を実在へと導くのです。
 マハラジ
 それは川まであなたを連れていくだろう。
 しかし川を渡るのはあなた自身なのだ。
 自由への意志なしには、自由を獲得することも維持することもできない。
 解放に向かってあなたは努力しなければならない。
 最小限あなたにできることは、入念に障害の覆いを取り除くだけだ。
 もしあなたが平和を求めるのなら、努力しなければならない。
 ただ静かにしているだけでは、平和は得られないだろう。
 質問者 子供はただ成長します。彼は成長のための計画を立てません。パタ
 ーンももってはいませんし、こちらの手、あちらの足というように、
 部分的に成長するわけでもありません。彼は完全な形で、無意識の
 うちに成長するのです。
 マハラジ
 なぜなら、彼は想像から自由だからだ。
 あなたもまたそのように成長することができる。
 しかし、記憶や期待から生まれた予測や計画に熱中してはならないのだ。
 未来に関心がないこと、それがジニャーニ(賢者)の独自性のひとつなのだ。
 あなたの未来への関心は苦痛への恐れと、快楽への欲望によるものだ。
 ジニャーニにとってはすべてが至福だ。
 彼は何が来ようとも幸せなのだ。
 質問者 ジニャーニでさえ惨めになるような、多くのことがかならずあるは
 ずです。
 マハラジ
 ジニャーニは困難に遭遇するかもしれない。
 しかし、それが彼を苦しめることはない。
 子供を誕生から成人まで育て上げることは困難な仕事かもしれない。
 しかし、母親にとっては苦難の思い出も喜びなのだ。
 世界には何の間違いもない。
 誤りはあなたの見方にあるのだ。
 あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
 想像なしには世界もない。
 あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
 あなたが知覚している世界は意識でできている。
 あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
 あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
 あなたは永遠に続く時間だ。
 あなたはそれに生命を与える愛なのだ。
 想像と執着を切り落としなさい。
 すると、何が残るだろうか?
 質問者 世界が残り、私が残ります。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 だが、あなたが欲望と恐れのスクリーンを通して見ず、あるがままに見ると
 き、何と違うことだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

444素人A:2018/12/18(火) 09:45:15 ID:gOqWUDAs0
川は水を見た視さらさらと流れて一つの海にそそぐ仕事に夢中で
山も山の仕事に一生懸命で他の事なんかどうでもよいのだろうか
人間という生物はムーダラな煩悩にエネルギーを無駄に消費する
下等な存在なのかでも無駄な修行がナイト上に上がるまえの植えつけられた
苗だ萎えるなお日様は今朝も毎度上がって繰る蟻が糖

445鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/18(火) 23:01:38 ID:1d4drIFg0
人は観念の他に物質も在ると思っているのじゃ。
それもまた観念による謬見なのじゃ。
なにものも個別化された物質ではないのじゃ。
空間と同じ本質を持つものとして繋がっているのじゃ。
全て一つなのじゃ。

446避難民のマジレスさん:2018/12/19(水) 00:44:34 ID:LC3de7YgO
>>443
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 実在と幻想、智慧と無知、聖人と罪人、これらすべての区別は何の
 ためにあるのでしょうか? 誰もが幸福を探し求めています。誰も
 が必死になって努力をしています。誰もがヨーギであり、彼の人生
 は智慧の学校なのです。各人が各々の方法で、必要な教訓を学んで
 いるのです。社会はある者たちを認め、ほかを否認します。どこで
 も、いつのときにでも適応する法則というものはないのです。
 マハラジ
 私の世界では、愛が唯一の法則だ。
 私は愛を求めず、ただ与えるだけだ。
 それが私の本性なのだ。
 質問者 あなたはパターンにしたがって毎日を生きています。朝には瞑想の
 クラス、講話と討論を定期的にもっています。一日に二度、礼拝
(プージャ)があり、夕方には宗教的な献歌(バジャン)があり
 ます。あなたは一日の過程を綿密に固守しているようです。
 マハラジ
 私の見るかぎり、礼拝や献歌に関しては、私が干渉する理由はない。
 一般的な日課は、私がともに生活するようになった人びとや、話を聞きに来
 る人たちの要望に応えたものだ。
 彼らは働いている人たちで、多くの義務があり、時間の調整は彼らの都合に
 合わせている。
 いくつかの繰り返し過程は避けられない。
 動物や植物でさえ、彼らの時間割をもっているのだ。
 質問者 そうです。私たちは生命すべてに規則的な順序を見ます。誰がその
 秩序を維持しているのでしょうか? そこには法をしき、秩序を守
 らせる内なる支配者がいるのでしょうか?
 マハラジ
 すべてはその本性にしたがって動くのだ。
 どこに警察の必要があるだろう?
 あらゆる行動は反応をつくり出し、それが行動を中立化させ、バランスを取
 る。
 すべては起こる。
 だが、そこには絶え間ない取り消しがある。
 そして最後には、あたかも何も起こらなかったかのようになるのだ。
 質問者 最終的な調和で私をなだめようとしないでください。勘定は合って
 も、損失は私のものなのです。
 マハラジ
 見ていなさい。
 最後にあなたは支出を正当化するのに充分なだけの利益を得るかもしれない
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

447鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/19(水) 23:04:06 ID:1d4drIFg0
このように秩序が在ると観るのも自らの幻想なのじゃ。
観念と観念の働きに自分が持つ観念を投射しているだけなのじゃ。
観念が無ければそこに秩序も法則も無いのじゃ。
そして観念妄想から離れられるのじゃ。

448避難民のマジレスさん:2018/12/20(木) 00:45:53 ID:LC3de7YgO
>>446
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 私には長い過去があり、しばしばその多くの出来事が偶然起こった
 のか、それともひとつの計画によるものなのかと不思議に思うので
 す。私が生まれる以前に、生きるべき人生のパターンが定められて
 いるのでしょうか? もしそうならば、誰がその計画をつくり、誰
 がそれを強制したのでしょうか? そこに逸脱や誤りはありうるの
 でしょうか? ある人は、運命は変えられないもので、あらゆる瞬
 間があらかじめ決定されていると言います。ほかの人たちは、純粋
 な偶然がすべてを決定するのだと言います。
 マハラジ
 あなたの好きなように受け取るがいい。
 人生のなかにひとつのパターンを判別することはできるだろうし、単なる偶
 然の連鎖を見ることもできる。
 説明とはマインドを喜ばせるためにあるのだ。
 それらが真実である必要はない。
 実在は定義不可能であり、描写不可能なものだ。
 質問者 あなたは私の質問を避けています! 私はあなたがどう見ているか
 が知りたいのです。私たちは、どこを見ても信じがたいほどの知性
 と美を見いだします。どうして私に宇宙が無形で混沌(こんとん)
 としていると信じることができるでしょうか? あなたの世界、あ
 なたが住んでいる世界は無形かもしれませんが、混沌としている必
 要はないはずです。
 マハラジ
 客観的な世界には構造があり、秩序を持ち、美しいものだ。
 誰もそれを否定できない。
 だが構造と様式は、そこに強制と拘束があることを暗示しているのだ。
 私の世界は絶対的に自由だ。
 そのなかのすべてが自己決定するのだ。
 それゆえ、私はすべてがひとりでに起こると言い続けているのだ。
 私の世界にも秩序はある。
 しかし、それは外側から押しつけられたものではない。
 それはその永遠性によって自発的に即座に起こるのだ。
 完全性は未来にあるのではない。
 それは今あるのだ。
 質問者 あなたの世界は私の世界に影響を与えますか?
 マハラジ
 今という一点においてだけだ。
 それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。
 完全な気づきのなかでその接点は確立される。
 それには努力を要しない非自意識の注意力が必要なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

449避難民のマジレスさん:2018/12/20(木) 00:51:28 ID:LC3de7YgO
>>448
> 質問者 あなたの世界は私の世界に影響を与えますか?
 マハラジ
 今という一点においてだけだ。
 それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。
 完全な気づきのなかでその接点は確立される。
 それには努力を要しない非自意識の注意力が必要なのだ。

←今という一点においてだけだ。
それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。

とは、
今だけ、マハラジの実在の感覚を、質問者に与える
と理解すればよいのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

450鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/20(木) 23:49:43 ID:1d4drIFg0
>>449 そうじゃ、何も分からない質問者にも今マハラジと居る事で実在を垣間見ることができるのじゃ。
 質問するものにそれに答えられる能力があれば可能になるのじゃ。
 修行や勉強が進んでいなければかなり難しいことであるがのう。
 お釈迦様に会って直ぐに悟りを得たという修行者も同じなのじゃ。

451避難民のマジレスさん:2018/12/20(木) 23:54:07 ID:LC3de7YgO
>>450
ありがとうであります。
(´・(∀)・`)つ

452避難民のマジレスさん:2018/12/21(金) 05:51:51 ID:LC3de7YgO
>>448
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 注意とはマインドの態度なのではありませんか?
 マハラジ
 そうだ。
 マインドが実在を熱望しているとき、それは注意を与えるのだ。
 あなたの世界には何の間違いもない。
 あなた自身がそれから分離していると考えることが無秩序を生みだす。
 利己主義がすべての悪の源なのだ。
 質問者 私の質問に戻ります。私が生まれる前に、内なる自己が人生を詳細
 にわたって決定するのでしょうか、それとも完全に偶然のものであ
 って、遺伝と環境のなすがままなのでしょうか?
 マハラジ
 父親と母親を選択し、次の生をどのように生きるかを決定したと宣言する者
 たちが知っているかもしれない。
 私自身に関して言えば、私はけっして生まれてこなかったのだ。
 質問者 あなたが私の前に座って質問に答えているのをわたしは見ています
 よ。
 マハラジ
 あなたの見ているのは身体だけだ。
 もちろん、それは生まれてきたし、死ぬだろう。
 質問者 私に興味があるのはこの「身体―精神」の人生の物語です。それは
 あなたによって定められたのでしょうか、それとも誰かほかの人に
 よるのでしょうか、あるいはそれは偶然起こったのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの質問自体に策略がある。
 私は身体と宇宙の間に区別をつけはしない。
 それぞれが互いの原因であり、互いは真実においてひとつなのだ。
 だが、私はそのすべての外にいる。
 私はけっして生まれてこなかったと言っているときに、私がどのような準備
 を次の生のためにしてきたかといった質問を、どうしてするのだろうか?
 あなたが想像を展開させることを許した瞬間、それはただちに宇宙を紡ぎだ
 すのだ。
 それはあなたが想像するようなものではまったくない。
 そして、私はあなたの想像には拘束されないのだ。
 質問者 命ある身体を育て、維持するには、知性とエネルギーが要求されま
 す。それらはどこから来るのでしょうか?
 マハラジ
 そこには想像があるだけだ。
 知性とエネルギーは、あなたの想像のなかですべて使い果たされてしまった。
 あなたはまったく想像に夢中にさせられてしまったため、どれほど実在から
 遠く離れてさまよい歩いたのかさえわからなくなってしまったのだ。
 想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
 宇宙のなかの宇宙も、想像によって構築されているのだ。
 それにもかかわらず、それらはみな空間と時間、過去と未来のなかにあり、
 実際は存在しないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

453鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/21(金) 23:39:50 ID:1d4drIFg0
>>451 どういたしまして、またおいでなさい。

自我がある者には自分があるという思考から離れられないのじゃ。
そうであるから自分はどこから生まれたのかとか、どのようにして生まれのかとか延々と考えるのじゃ。
自我から離れれば何一つ独立して在る者は無く、全ての一部としてあるだけであるとわかるのじゃ。
全てとしてただあり続けることに何の不思議も無いのじゃ。

454避難民のマジレスさん:2018/12/22(土) 00:59:58 ID:LC3de7YgO
>>452
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 最近私が読んだ記事に、幼年期に残酷に扱われた少女の話がありま
 す。彼女はひどく身体を傷つけられ、不具にされ、完全に周囲から
 疎外されて孤児院で育ってきました。この少女は物静かで従順です
 が、完全に無関心なのです。子供たちの面倒を見ていた尼僧のひと
 りは、少女は知的障害ではなく、ただ引きこもり、無反応なだけな
 のだと確信しました。ひとりの精神分析医が治療を頼まれ、一週間
 に一度面会し、二年間にわたって孤立の壁を打ち破ろうと試みまし
 た。彼女は従順で行儀正しいのですが、医師に注意を向けませんで
 した。彼は彼女におもちゃの家を与えました。移動可能な家具や部
 屋、父親や母親、そして子供たちの姿の人形を添えて。それが彼女
 の反応を引き起こし、興味をもたらしました。ある日、古傷が回想
 され、よみがえり、表層に呼び起こされたのです。次第に彼女は回
 復し、何度かの手術によって顔と身体は正常な状態に戻りました。
 そして彼女は有能で、魅力的な若い女性へと成長したのです。それ
 は医師にとって五年以上の歳月を要しました。しかし、仕事は為さ
 れたのです。彼は真のグルです! 彼は何の条件も押しつけず、用
 意や適性についても話しませんでした。信頼も希望もなしに、ただ
 心からの愛を持って何度も何度も試みたのです。
 マハラジ
 そうだ。
 それがグルの本性なのだ。
 彼はけっしてあきらめない。
 しかし、成功するためには、彼はあまり強い抵抗を受けてはならないのだ。
 疑いや不服従は遅れを余儀なくしてしまう。
 自信と従順さを与えることで、彼は弟子のなかに革新的な変化をもたらすこ
 とができる。
 グルの深い洞察と弟子の誠実さ、その両方が必要とされるのだ。
 彼女の状態がどのようなものであろうと、あなたの話のなかの少女は、人び
 との誠実さの欠如に苦しんだのだ。
 もっとも難しいのが知的な人びとだ。
 彼らは多くを語るばかりで誠実ではないからだ。
 あなたが真我の実現と呼ぶものは自然なことだ。
 あなたの用意が調(ととの)ったとき、グルは待っている。
 サーダナ(修練)は努力を要しないものだ。
 あなたと師の関係性が正しいとき、あなたは成長する。
 何よりも、彼を信頼することだ。
 彼があなたを惑わすことはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

455鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/22(土) 23:40:21 ID:1d4drIFg0
本当に必要なときに導師は現われるというのじゃ。
必要としていなければ見出すことも出来ないのじゃ。
弟子になるものの誠実さも必要なのじゃ。
どんなに優れた導師の言葉も実践しなければ意味が無いのじゃ。

456避難民のマジレスさん:2018/12/22(土) 23:51:03 ID:LC3de7YgO
>>454
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 たとえ、彼が明らかに間違ったことをするように要求したときも信
 頼すべきでしょうか?
 マハラジ
 そうしなさい。
 ひとりの隠遁者(サンニャーシン)がグルから結婚するようにと言われた。
 彼はそれに従い、苦渋を味わった。
 しかし、彼の四人の子供たちは皆、マハーラーシュトラ州のもっとも偉大な
 聖者や賢者となったのだ。
 何であれあなたのグルから来るものは、喜びとともに受け取りなさい。
 そうすれば、あなたは努力することなく完成へと成長するだろう。
 質問者 師よ、何か欲しいものや望みがありますか? 何かあなたのために
 できることがあるでしょうか?
 マハラジ
 私のもっていない何を与えることができるというのだろうか?
 物質的なものは満足をもたらすために必要だ。
 だが、私は私自身に満足しているのだ。
 ほかに何が必要だというのだろう?
 質問者 もちろん、空腹のときには食べ物が、病気のときには薬が必要です。
 マハラジ
 空腹が食べ物を、病気が薬をもたらすのだ。
 それはすべて自然の仕事だ。
 質問者 もしあなたにとって必要だと私が信じるものをもってきたならば、
 あなたは受け取るでしょうか?
 マハラジ
 あなたに差しださせたその愛が、私をして受け取らせるだろう。
 質問者 もし誰かが美しいアーシュラムを建設すると願い出たならどうしま
 すか?
 マハラジ
 彼にぜひそうさせるがいい。
 富を使い、何百もの人を雇い、何千人に食事を供させるがいい。
 質問者 それは欲望ではないのでしょうか?
 マハラジ
 まったくそうではない。
 私は彼に適切に、中途半端ではなく、惜しむことなくするように頼むだけだ。
 私の欲望ではなく、彼が彼自身の欲望を満たしているのだ。
 彼に成功させ、人や神々のあいだで名を挙げさせるがいい。
 質問者 しかし、あなたはそれを望んでいるのでしょうか?
 マハラジ
 私はそれを望んではいない。
 質問者 あなたはそれを受け入れるのでしょうか?
 マハラジ
 私には必要ないのだ。
 質問者 あなたはそのなかに住むでしょうか?
 マハラジ
 もし強要されたならば。
 質問者 何があなたを強要するのでしょうか?
 マハラジ
 光を探し求めている人たちの愛だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

457避難民のマジレスさん:2018/12/23(日) 09:37:11 ID:LC3de7YgO
>>456
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 ええ。あなたの言われることがわかります。ところで、どうすれば
 私はサマーディ(三昧状態)に入れるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが正しい状態にいれば、何であれ見るものがあなたをサマーディ
 に引き入れるだろう。
 結局、サマーディは特別な状態ではないのだ。
 マインドが強烈に興味を持っているとき、それは興味の対象とひとつになる。
 見る者と見られるものは、見ることのなかでひとつとなり、聞く者と聞かれ
 るものは、聞くことのなかでひとつとなり、愛する者と愛されるものは、愛
 することのなかでひとつとなる。
 あらゆる体験はサマーディの根底となるのだ。
 質問者 あなたはつねにサマーディに在るのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、そうではない。
 サマーディは、要するにマインドの状態なのだ。
 私はすべての体験を超え、サマーディさえも超えている。
 私は偉大な貪(むさぼ)り食う者、破壊者だ。
 何であれ私が触れるものは虚空(アーカーシュ)のなかへと消え去るのだ。
 質問者 私は真我実現のためにサマーディが必要なのです。
 マハラジ
 あなたはあなたに必要な真我実現のすべてを手にしている。
 だが、それを信頼していないのだ。
 勇気を持ちなさい。
 あなた自身を信頼しなさい。
 行き、話し、行為しなさい。
 それ自体が証明する機会を与えるがいい。
 ほとんど気がつかないほどの真我の実現が起こるかもしれない。
 だが、とにかくそれには確信が必要なのだ。
 変わったにもかかわらず、それに気づかないでいる。
 そのような劇的ではない場合のほうが、しばしば、もっとも信頼のおけるも
 のなのだ
 質問者 人は自分が真我を実現したと信じたり、誤解したりすることができ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 「私は真我を実現した」という考えそのものが過ちだ。
 自然な状態のなかには、「私はこれだ」、「私はあれだ」といった考えはな
 いのだ。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

458鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/23(日) 22:36:10 ID:1d4drIFg0
サマーディにも多くの迷信がまとわりついているのじゃ。
それは聖人だけしかできないものではなく、正しい姿勢で座れば誰でもできるものじゃ。
苦しい修行をしなくても好きな事をして我を忘れればサマーディに入っているのじゃ。
悟った者も常にサマーディに入っているのではないのじゃ。
サマーディでいきなり悟れることもないのじゃ。
修行のための集中状態に過ぎないのじゃ。

459避難民のマジレスさん:2018/12/23(日) 23:41:07 ID:LC3de7YgO
>>457
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】

 質問者 四十年ほど前に、J・クリシュナムルティは「存在するのは生命だ
 けで、個人や人格といった話は、実際に何の論理的根拠もない」と
 言いました。彼は生命を描写しようとは試みず、単に、「生命は描
 写できないし、する必要もないが、もし体験するための障害が取り
 除かれるならば、それは完全に体験することができる」と言いまし
 た。主要な妨げは、時間に対する私たちの概念とそれへの耽溺のな
 かに、そして過去の光のなかでの未来への期待という、私たちの習
 慣のなかにあるのです。過去の総計が「私は在った」になり、未来
 への期待が「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」
 から、「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」から、
 「私は在るだろうもの」へと超えていくための絶え間ない努力なの
 です。現時点の「今」は見落とされています。マハラジは「私は在
 る」に関して語りますが、それは「私は在った」や「私は在るだろ
 う」のようにひとつの幻想なのでしょうか、それとも何らかの実在
 性をもっているのでしょうか? そして、もし「私は在る」もまた
 幻想であるのなら、どのようにして、人はそれから自由になるとい
 うのでしょうか? 私は「私は在る」から自由だ、という観念自体
 がひとつの不条理なのです。時間とともに変化し、新たな期待をつ
 くり出す記憶としての「私は在った」や「私は在るだろう」と区別
 するなかで、「私は在る」には何か真実の、何か永遠の質があるの
 でしょうか?
 マハラジ
 現在の「私は在る」は、「私は在った」や「私は在るだろう」と同じように
 偽りだ。
 それは単にマインドのなかの観念、記憶によって残された印象にすぎず、そ
 れがつくり出す分離したアイデンティティも偽物なのだ。
 この偽物の中心に身をゆだねるという習慣が取り除かれなければならない。
 「私は見る」、「私は聞く」、「私は考える」といった観念は意識界から消
 え去らなければならない。
 偽物が去り、残ったものが真実なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

460避難民のマジレスさん:2018/12/24(月) 08:09:02 ID:LC3de7YgO
>>459
1『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 この自己を除去するという大げさな話は何なのでしょうか? どう
 やって自己がそれ自身を除去できるというのでしょう? どんな類
 の形而上学的アクロバットが、曲芸師を消し去るというのでしょう?
 最後に彼は、消えたことをひどく誇らしげにしながらふたたび現れ
 てくることでしょう。
 マハラジ
 「私は在る」を殺すために、それを追いまわす必要はない。
 それはできないことだ。
 あなたに必要なことは、実在への真剣な熱望だけだ。
 私たちはそれをアートマ・バクティ、至高なるものへの愛、あるいはモクシ
 ャ―サンカルパ、偽りから自由になることへの決意と呼ぶ。
 愛、そして愛に感化された意志なしには何ひとつ為(な)されない。
 実在についてただ話すばかりで、それについて何もしないことは自滅的なこ
 とだ。
 「私は在る」と言う個人と、その「私は在る」を観察する者との関係には、
 愛がなければならない。
 内なる「高次の」自己である観察者(ヴィヤクタ)が、「低次の」自己であ
 る観察される者(ヴィヤクティ)を見下し、非難するかぎり、状況は絶望的
 だ。
 観察者が個人を彼自身の投影として受け入れ、そして、いわば自我を真我の
 なかに取り入れると、「私」や「これ」といった二元性は消え去り、内面と
 外面の同一性のなかで、至高の実在はそれ自体を顕現するのだ。
 見る者が彼自身を見る者として意識するとき、見る者と見られるものの統合
 が起こる。
 彼は、ただ単に見られるものに興味をもつだけではなく――どちらにしても
 それは彼なのだが――興味をもたれることにもまた興味をもち、注意にも注
 意を払い、気づいていることにも気づくようになる。
 愛情のともなった気づきは、実在に焦点をもたらす決定的な要因なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

461鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/24(月) 22:37:06 ID:1d4drIFg0
私は在るというのもまた法の一つに過ぎないのじゃ。
今の自分の観念を破壊するための観念なのじゃ。
悟っていない者が認識している私は在るというのは偽りの観念なのじゃ。
しかし、それを方法として使うことで自分という観念も消し去ることが出来るのじゃ。
一度気付いて消えればもはや戻らないのじゃ。

462避難民のマジレスさん:2018/12/25(火) 06:45:20 ID:LC3de7YgO
>>460
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 神智学者とその類の神秘主義者たちによると、人間は人格的存在、
 個人的存在、霊的存在の三つの相によって構成されています。霊的
 存在を超えた彼方には神性があります。人格的存在は一時的で、一
 度きりの誕生にのみ有効です。それは身体の誕生にはじまり、つぎ
 の身体の誕生によって終わります。ひとたび終われば、永遠に終わ
 りです。わずかばかりの楽しい、あるいは苦しい教訓を除いては何
 ひとつ残りません。
 個人的存在は「動物―人間」にはじまり、「完全な人間」として終
 わります。人格的存在と個人的存在の間の分離は、現代の人類の特
 質なのです。一方では、個人的存在とその真、善、美への熱望、も
 う一方では、習慣と願望、恐れと欲望、怠惰性と暴力の醜い闘いで
 す。
 霊的な相はいまだに停止しています。二元性の環境のなかでは、そ
 れ自体を顕現できないからです。人格的存在が個人的存在と再統合
 され、限定されたときにだけ
、その真実の表現である霊性の光と愛
 と美がそれ自体で現れるのです。
 あなたは観察者(ヴィヤクタ)、観察されるもの(ヴィヤクティ)、
 観察の根底(アヴィヤクタ)について教えています。それはほかの
 見解と一致しますか?
 マハラジ
 そうだ。
 観察されるものが観察者からの分離においてその非存在を認識したとき、そ
 して、観察者が観察されるものを彼自身の表現として見るとき、平和と沈黙
 の状態が現れる。
 実際には、その三つはひとつなのだ。
 観察されるものと観察の根底は分割不可能だ。
 それと同時に、観察されるものは感覚、感情、思考の過程であり、五つの基
 本要素によってつくられた身体を基盤にしているのだ。
 質問者 観察者(ヴィヤクタ)と観察の根底(アヴィヤクタ)には、どのよ
 うな関係があるのでしょうか?
 マハラジ
 それらがひとつであるとき、どうして関係がありうるだろう?
 分離や関係といった話はすべて、「私は身体だ」という観念の不正で歪(ゆ
 が)んだ影響によるものだ。
 外面の自己(ヴィヤクティ)は、単に内面の自己(ヴィヤクタ)の投影であ
 る「身体―精神」であり、それはまたすべてであり、無である至高の自己
 (アヴィヤクタ)の表現にすぎないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

463鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/25(火) 22:12:42 ID:1d4drIFg0
観察する者は観察されるものという命題がまた繰り返されたのじゃ。
観察すれば観察していたものが正に観察されたものと気付くのじゃ。
そのようにして観照はおこり、変容が始まるのじゃ。
それは一瞬の気付きによるものなのじゃ。

464避難民のマジレスさん:2018/12/25(火) 23:33:27 ID:LC3de7YgO
>>462
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 高次の自己や低次の自己について語らない教師もいます。彼らは人
 間について、あたかも低次の自己存在でしかないように語ります。
 仏陀もキリストも高次の自己については言及しませんでした。J・
 クリシュナムルティもまた、高次の自己について語ることをつとめ
 て避けてきました。なぜそうなのでしょうか?
 マハラジ
 どうして、ひとつの身体のなかに二つの自己が存在できるだろうか?
 「私は在る」はひとつなのだ。
 高次の「私は在る」や低次の「私は在る」などありはしない。
 あらゆる類のマインドの状態は、気づきに提示される。
 そして、そこにはそれらとの自己同一化があるのだ。
 観察の対象物は現れたとおりの状態とは異なるものだ。
 そして観察者の態度が必ずしも適したものであるとはかぎらない。
 もしあなたが仏陀、キリスト、クリシュナムルティが個人に向かって話して
 いると考えるならば、それは間違いだ。
 彼らは、観察されるものである外面の自己が、観察者である内面の自己の影
 にすぎないことを知っているために、観察者についてだけを語り、それを気
 づかせるようにするのだ。
 彼らは外面の自己に注意を払わせ、それを導き助け、その責任を感じるよう
 にするため、つまりそれに完全に気づくことを助けるために話すのだ。
 気づきは至高なるものから現れ、内面の自己に充満していく。
 いわゆる外面の自己は、自己の存在の気づいていない部分でしかないのだ。
 人は意識しているかもしれない。
 なぜなら、すべての生きるものは意識
しているからだ。
 だが、人は気づいてはいないのだ。
 気づきのなかに含まれるものは内面となり、内面の質を帯びたものとなる。
 あなたは違った表現をするかもしれない。
 身体が外面の自己を定義し、意識が内面の自己を定義する。
 そして、純粋な気づきのなかで、至高なるものは触れられるのだ。
 質問者 あなたは身体が外面の自己を定義すると言われました。あなたも身
 体をもっているのですから、外面の自己もまたもっているのでしょ
 うか?
 マハラジ
 もし私が身体に執着し、それを私自身と見なすならば、そういうことになる
 だろう。
 質問者 しかし、あなたはそれに気づき、その必要に仕えているのです。
 マハラジ
 その反対が真実に近い。
 身体が私を知っていて、それが私の必要に気づいているのだ。
 だが、本当はそのどちらでもない。
 この身体は、あなたのマインドのなかに現れ、私のマインドのなかには何も
 ないのだ。
 質問者 あなたは身体をもっていることを完全に意識しているという意味で
 しょうか?
 マハラジ
 その反対で、私は身体をもっていないことを意識しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

465鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/26(水) 22:45:29 ID:1d4drIFg0
高次の自己などというものはないのじゃ。
それも人の願望によって出来た観念なのじゃ。
アートマンも高次の自己ではなくただ非によって現される法なのじゃ。
全て一つであるのに低い自己とか高い自己がある筈も無いのじゃ。

466避難民のマジレスさん:2018/12/27(木) 00:01:01 ID:LC3de7YgO
>>465
ふむふむ。
アートマンを真我と訳すのと同じ誤りを、解釈の中で、アートマン=高次の自己ととらえる誤りをしてしまっていることを見抜いたのがブッタだったのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

467避難民のマジレスさん:2018/12/27(木) 00:31:19 ID:LC3de7YgO
>>464
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 私はあなたが喫煙しているのを見ていますよ!
 マハラジ
 そのとおりだ。
 あなたは私が喫煙しているのを見る。
 どのようにしてあなたが、私が喫煙しているのを見るようになったのか、見
 いだしてみなさい。
 そうすれば、それはあなたの「私は身体だ」というマインドの状態が、「私
 はあなたが喫煙しているのを見る」という観念の原因となっていることを、
 容易に認識できるだろう。
 質問者 そこには身体があり、そこに私自身がいます。私は身体
 を知っています。それから離れると、私とは何なのでし
 ょうか?
 マハラジ
 身体を離れると、そこに「私」はなく、また世界もない。
 その三つはともに現れ、ともに消えるのだ。
 その根本には、「私は在る」という感覚がある。
 それを超えていきなさい。
 「私は身体ではない」という観念は、「私は身体だ」という偽り
 の観念の単なる解毒剤にすぎない。
 その「私は在る」とは何なのか?
 あなたがあなた自身を知るまでは、ほかの何を知ることができる
 というのだろうか?
 質問者 あなたが言われることから、身体なしに解放はありえな
 い、と私は結論を出します。もし「私は身体ではない」
 という観念が解放へと導くならば、身体の存在は欠くこ
 とのできないものなのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 身体なしに、どうやって「私は身体ではない」という観念が存在
 できるというのだろう?
 「私は自由だ」という観念は「私は束縛されている」という観念
 と同じように偽りなのだ。
 その両方に共通の、「私は在る」を見いだし、それを超えた彼方
 へと行きなさい。
 質問者 すべてはただの夢なのです。
 マハラジ
 すべては単なる言葉にすぎないのだ。
 それがあなたにとって何の役に立つというのだろう?
 あなたは言葉による定義づけや、公式化の網にひっかかっている
 のだ。
 あなたの概念や観念を超えていきなさい。
 真実は欲望や思考の消えた沈黙のなかに見いだされるだろう。
 質問者 人は覚えないようにするこ
とを覚えていなければならな
 いのです。何という苦労でしょう!
 マハラジ
 もちろん、それはできない。
 それは起こらなければならないのだ。
 だが、あなたが本当にその必要性を見たとき、それは起こる。
 ここでも真剣さが黄金の鍵なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

468素人A:2018/12/27(木) 11:26:55 ID:/mRrWwwM0
何いっても誤解されるのは言葉 ようするに受け取る我々は脳力が不足して
お釈迦さんの 無記もその場しのぎだつたのか その言葉に左右される私たち
御釈迦さんが花をさしだしてもあれこれ考えるし 今朝は暇が肥満し度々こちやんに来る
掃除は明日からする

469鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/27(木) 23:25:22 ID:1d4drIFg0
>>466 そうじゃ、真の我とか、高次の我とかがあるとすればそれにしがみついて自我の肥大が起こるものじゃ。
 自分は真我や高次の自己に達したからもはや修行しなくてよいとか思うからのう。
 真のアートマンの法は全てを否定するからそのような観念妄想に陥ることもないのじゃ。
 それがお釈迦様の説いた諸法無我なのじゃ。

470避難民のマジレスさん:2018/12/28(金) 02:11:38 ID:LC3de7YgO
>>467
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 私のマインドの背後では、いつもざわめきが聞こえてい
 ます。無数の弱い思考が群れをなして騒ぎたて、その形
 の定まらない雲はつねに私とともにあるのです。それは
 あなたも同じなのでしょうか? あなたのマインドの背
 後には何があるのでしょうか?
 マハラジ
 マインドがないところには、その背後もないのだ。
 私はすべてが表であって、裏がないのだ!
 虚空が語り、虚空が残るだけだ。
 質問者 そこには何の記憶も残され
ていないのでしょうか?
 マハラジ
 過去の快楽や苦痛の記憶は何も残っていない。
 瞬間瞬間が新しく生まれるのだ。
 質問者 記憶なしには、意識できないでしょう。
 マハラジ
 もちろん、私は意識している。
 そして、それに完全に気づいている。
 私は木材の塊ではないのだ!
 意識とその内容を雲と比較してみなさい。
 あなたは雲のなかにいるが、私はそれを見ているのだ。
 あなたはそのなかに迷いこんでしまい、指先さえ見えずにいるが、
 私は雲を、そしてほかの多くの雲を見ている。
 そして青空も太陽も、月や星たちも見ている。
 実在は私たち二人にとってひとつだ。
 だが、あなたにとってそれは牢獄であり、私にとっては我が家同
 然なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

471鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/28(金) 22:52:44 ID:1d4drIFg0
悟ればもはや雑念が生じることも無いのじゃ。
無理にそうしようとすればできるがのう。
それは記憶が制御できない状態から起こるものなのじゃ。
記憶に依存していれば記憶が制御できないのじゃ。
依存が無くなればもはや記憶が制御されるのじゃ。
止めることも活用することも自在にできるようになるのじゃ。

472避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 01:23:23 ID:LC3de7YgO
>>470
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 記憶なしには、意識できないでしょう。
 マハラジ
 もちろん、私は意識している。
 そして、それに完全に気づいている。
 私は木材の塊ではないのだ!
 意識とその内容を雲と比較してみなさい。
 あなたは雲のなかにいるが、私はそれを見ているのだ。
 あなたはそのなかに迷いこんでしまい、指先さえ見えずにいるが、
 私は雲を、そしてほかの多くの雲を見ている。
 そして青空も太陽も、月や星たちも見ている。
 実在は私たち二人にとってひとつだ。
 だが、あなたにとってそれは牢獄であり、私にとっては我が家同
 然なのだ。
 質問者 あなたは個人(ヴィヤクティ)、観照者(ヴィヤクタ)、
 至高なるもの(アヴィヤクタ)について語っています。
 どれが最初に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 至高なるもののなかに観照者は現れる。
 観照者は個人をつくり出し、それ自身がそれから分離していると
 考えるのだ。
 観照者は、個人が意識のなかに現れるのを見ている。
 その個人は、ふたたび観照者のなかに現れるのだ。
 この基本構成の実現が至高なるものの働きだ。
 それは観照者の背後にある力であり、すべてが生じる源だ。
 個人と観照者の間に相互の援助と愛と統合がないかぎり、至高な
 るものに接触することはできない。
 至高なるものは、そのような調和の結実であり、源でもあるのだ。
 あなたに話すように、私は超然とした状態に在り、しかも愛情を
 ともなった気づき(トゥリーヤ)なのだ。
 この気づきがそれ自身に向けられたときを、至高の状態(トゥリ
 ーヤーティータ)と呼ぶことができるだろう。
 しかし、その根底にある実在は気づきを超え、成ること、存在す
 ること、存在しないことの三つの状態をも超えているのだ。
 質問者 どうして私は、ここでは高尚な話題に没頭し、それらを
 いともたやすく、快く考えつづけていられるというのに、
 家に帰ったとたん、ここで学んだすべてを忘れ、心配し
 たり、いらだったりして、真の本性を覚えていることが
 一瞬さえもできないのでしょう? いったい何がその原
 因なのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたがあなたの幼稚さに戻ったからだ。
 あなたはまだ、完全に成長しきっていないのだ。
 そこには未発達の層が手つかずのま
まに残っている。
 あなたのなかにある残酷さ、野蛮さ、不条理さ、冷酷さ、つまり
 は幼稚さに完全な注意を払いなさい。
 そうすればあなたは成熟するだろう。
 ハートとマインドの成熟、それが欠かせないものなのだ。
 主要な障害物である不注意と油断が取り除かれたとき、それは努
 力を要せずやってくる。
 あなたは気づきのなかで成長するのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

473素人A:2018/12/29(土) 09:59:40 ID:gOqWUDAs0
観賞するだけでは、受け取って見るだけなので相手に働きかけないのでエネルギーを
使わないで済むのかも?あの用があっても返さないので、この用からは身得ない
し、だから無記になつて説明してもほ師匠は説得できなく、まあ各々の用我干渉しなければ
まあ良いか。無駄なエネルギーつかえば力学的に摩擦もおこるし。動物として身えれば
生きるために食わなきゃならない死 殴り合いの出来るテレビ出来てもなあ

474鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/29(土) 20:59:01 ID:1d4drIFg0
記憶が意識であり、記憶が無ければ意識は無いと想う者もいるのじゃ。
意識は記憶を超えてあるものじゃ。
記憶はただ体験をイメージと言葉で記録する能力に過ぎないのじゃ。
それは意識ではないのじゃ。
記憶が無くとも刹那毎の意識が在り続けるだけなのじゃ。

475避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 23:23:30 ID:LC3de7YgO
>>472
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】

 質問者 私たちはサティア・サイババ* のアーシュラムにある期間滞在して
 いました。また、ティルヴァンナーマライのラマナアシュラマムで
 も2カ月ほど過ごしました。今、私たちはアメリカへ帰国の途上な
 のです。
  * 訳注 サティア・サイババ Satya Sai Baba (1926)アーンドラ・
      プラディーシュ州の村プッターパルティに生まれる。マハーラー
      シュトラ州の偉大な聖者シルディ・サイババの化身であると自ら
      名乗る。砂糖菓子や花、聖灰を物質化し、遠く離れた弟子の想念
      を読みとるといった奇跡を行なう世界的に有名なグル。
 マハラジ
 インドがあなたに何らかの変化をもたらしただろうか?
 質問者 私たちは重荷を降ろしたかのように感じています。シュリー・サテ
 ィヤ・サイババは、すべてを彼に明け渡し、ただ日々をできるかぎ
 り公正に生きるようにと言われました。「正しく在りなさい。あと
 は私にまかせなさい」と彼は
言いました。
 マハラジ
 シュリー・ラマナアシュラムでは何をしていたのかね?
 質問者 私たちは師から授かったマントラを復唱しつづていました。また瞑
 想もしました。考えることや勉強することはほとんどなく、ただ、
 静かにしているよう心がけていただけです。私たちはバクティ(帰
 依)の道を行く者で、哲学はむしろ知らないのです。私たちには考
 えなければならないことはさほどなく、ただグルを信頼し、人生を
 生きていくだけです。
 マハラジ
 バクタ(帰依者)の多くは、すべてがうまくいっている間はグルを信頼する。
 しかし、問題が起こると彼らは落ちこみ、ほかの師を探しに行くのだ。
 質問者 そうです。その危険性については警告されました。私たちは厳しい
 状況もやさしい状況とともに受け入れていこうと思っています。
 「すべては恩寵(おんちょう)だ」という感情が非常に強くなけれ
 ばなりません。ひとりのサド
ゥ(修行僧)が東に向かって歩いてい
 ると、その方向から強風が吹いてきました。サドゥはただくるりと
 向きを変えて、西に歩き出したのです。私たちもグルによって与え
 られた環境に私たち自身を合わせながら、そのように生きたいと願
 っています。
 マハラジ
 ただ生命だけがある。
 生命を生きる人は誰もいないのだ。
 質問者 それは私たちも理解します。それでもなお、私たちは、ただ生きる
 のではなく、自分たちの人生を生きようとしてしまうのです。未来
 のために計画を立ててしまうことは、私たちにとって根深い習慣な
 のです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

476避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 08:53:04 ID:LC3de7YgO
>>475
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

 マハラジ
 あなたが計画を立てようと立てまいと、人生は続いていくのだ。
 だがその人生において、マインドのなかに小さな渦巻きが現れる。
 それは幻想にふけり、それ自体が人生を支配し、コントロールしていると想
 像するのだ。
 生命そのものは無欲だ。
 だが、偽りの自己はそれが快く続いてほしい。
 そのため、それはつねに自己の継続を守ることに没頭しているのだ。
 生命は恐れず、自由だ。
 あなたが出来事に影響を与えているという考えをもっているかぎり、解放は
 あなたのものではない。
 行為者という観念、自分が出来事の原因であるという観念自体が束縛なのだ。
 質問者 どうすれば、私たちは為(な)す者と為されることという二元性を
 克服できるのでしょうか?
 マハラジ
 生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
 想しなさい。
 あなたがそれとひとつであると悟るまで。
 それは難しくなどない。
 なぜなら、あなたはただ自分の自然な状態に戻るだけだからだ。
 すべては内側から現れ、あなたの住む世界があなたの上に投影されているの
 ではなく、あなたによって投影されているとひとたび自覚すれば、恐れは終
 焉(しゅうえん)するのだ。
 この自覚なしに、あなたはあなた自身を外界の身体、マインド、社会、国家、
 人類、そして神や至高なるものといったものとさえ同一化してしまう。
 だが、それらはみな恐れからの逃避なのだ。
 あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
 なるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

477避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 08:58:36 ID:LC3de7YgO
>>476
>生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
 想しなさい。
 あなたがそれとひとつであると悟るまで。
 それは難しくなどない。
> あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
 なるのだ。

うむ。これだけでよいのでありますね!
超簡単そうに言ってくれるので、元気が出るのである。
(´・(∀)・`)つ

478鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/31(月) 00:04:27 ID:1d4drIFg0
↑それはブラフマンの法なのじゃ。
全てであるとイメージするのじゃ。
実践してみるとよいのじゃ。

二元性とはものごとを分割して認識する観念なのじゃ。
生と死とか天と地とかのう。
全てが一つとイメージすれば天も地も 一つであると気付くのじゃ。
それがブラフマンの法なのじゃ。

479素人A:2018/12/31(月) 09:21:33 ID:gOqWUDAs0
年末だけど太陽は明日からも同じ様に一日一年繰り返すのか
如来いや未来が存在しないぶら不満は無数の過去の思いでのDVD繰り返し
視るだけしか許されていなかつたりして いま過去に手を出し作り変えようと
すると物発生しびっくりバーンと宇宙が起きてしまい?てたらめだあ的は外れた
さあまあよいかこたえなんて 来年は知ん寝ん

480避難民のマジレスさん:2018/12/31(月) 14:47:45 ID:LC3de7YgO
>>476
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

 質問者 どうして私は自分自身をそんなにも不幸だと想像してしまうのでし
 ょうか?
 マハラジ
 ただの習慣からなのだ。
 あなたの考え方や感じ方を変えなさい。
 それらを再検討し、詳細に調べてみなさい。
 あなたは不注意によって束縛される。
 注意が解放するのだ。
 あなたはあまりにも多くのことを当然のこととして受け取ってきた。
 疑いはじめなさい。
 もっとも明らかなことは、もっとも疑わしいのだ。
 あなた自身にこのように問いかけてみるといい。
「私は本当に生まれたのだろうか?」
「私とは本当にこれなのだろうか?」
「私が存在すると、どのようにして知るのだろうか?」
「誰が私の親なのだ ろうか?」
「彼らが私を創造したのか、それとも私が彼らを創造したのだろうか?」
「私自身に関して言われたことを、すべて信じなければならないのだろうか?」
「私とは誰なのか?」と。
 あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
 ぎこんできた。
 今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
 事実、破壊することはたやすい。
 なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
 すべては「私は在る」という想念にかかっている。
 それを徹底的に調べるがいい。
 それはあらゆる困難の根底に存在している。
 それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
 実在は皮の内側にも外側にもある。
 しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
 この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
 あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
 それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
 それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
 それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
 そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
 「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
 私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
 「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

481避難民のマジレスさん:2018/12/31(月) 19:17:02 ID:LC3de7YgO
>>480
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

  質問者 どうすれば「私」という感覚から自由になれるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたがそれから自由になりたいのなら「私」という感覚と向き合わな
 ければならない。
 あなたが明確にそれを見て完全に理解するまで、それが作用しているときや、
 落ち着いているときを見守りなさい。
 それがどのようにはじまり、どのように停止し、何を欲しがり、どのように
 それを得るのかを見なさい。
 結局、すべてのヨーガは、その源が何であれ、性質が何であれ、目的はただ
 ひとつだ。
 分離された存在という不幸から、広大な美しい絵の中の無意味な点としての
 存在から、あなたを救い出すことにあるのだ。
 あなたが苦しむのは、あなた自身を実在から疎外したからだ。
 そして今、あなたはこの疎外感からの逃避を探し求めている。
 あなた自身の強迫観念から逃げることはできない。
 ただ、それを育むのをやめることができるだけだ。
 「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。
 実在は存続する必要がない――それ自身、破壊不可能なことを知っているか
 らだ。
 それは形態とその表現の破壊に無関心なのだ。
 「私は在る」を強調し安定させようと、私たちはありとあらゆることをする
 が――すべては無駄に終わってしまう。
 なぜなら、「私は在る」は瞬間から瞬間へと再構築されていくものだからだ。
 それは絶え間ない仕事なのだ。
 そして唯一の革新的な解決法は、「私はあれであり、これである」という分
 離した感覚を永遠に消し去ることだ。
 存在は残る。
 だが、自己存在ではない。
 質問者 私には明確な霊的野心があり
ます。それを満たすために努力しなけ
 ればならないのではありませんか?
 マハラジ
 いかなる野心も霊的なものではありえない。
 すべての野心は「私は在る」のためのものなのだ。
 もしあなたが本当の進展を遂げたいのなら、すべての個人的な達成という考
 えは、あきらめなければならない。
 いわゆるヨーギの野心というものは、実にばかげたものだ。
 男性の女性に対する欲望は、永遠の個人的な至福を渇望することに比べれば
 純真なものだ。
 マインドとは詐欺師なのだ。
 より敬虔(けいけん)に見えるほど、裏切りはさらに悪いものとなるだろう。
 質問者 ひっきりなしに、人びとは世間の悩みごとをかかえてあなたのもと
 へやってきます。あなたはいったいどのようにして、彼らに何を言
 うかを知るのでしょうか?
 マハラジ
 ただその瞬間、私のマインドに現れたことを告げるだけだ。
 私には人びとに対応するための企画化
された手順といったものはない。
 質問者 あなたはあなた自身に確信をもっています。しかし、私のもとに人
 びとが来るとき、どのようにして私の助言が正しいものだと確信で
 きるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがどの状態のなかにいるのか、どのレベルで話しているのかを見なさ
 い。
 もしあなたがマインドから話しているなら、間違っているかもしれない。
 あなたの精神的習慣が停止しており、状況への完全な洞察から話しているの
 ならば、あなたの助言は本物の返答かもしれない。
 要点は、あなたも、あなたの前にいる人も、ともに単なる身体ではないと完
 全に気づいていることだ。
 もしあなたの気づきが明晰(めいせき)で完全ならば、間違いはありえない。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

482鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/31(月) 23:02:42 ID:1d4drIFg0
全ての苦は自分があるという観念から起こるのじゃ。
それが無明とお釈迦様は説いたのじゃ。
自分があるという観念がある時、全ての苦は起こり、それがなければ゜苦は無いのじゃ。
それを観察して悟りに至るのじゃ。

483避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 00:16:00 ID:LC3de7YgO
>>482
鬼和尚、あけおめであります。
本年もよろしくであります。
(´・(∀)・`)つ

484避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 00:23:00 ID:LC3de7YgO
>>481
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】

 質問者 私は公認会計士を引退し、妻は貧しい女性たちのための社会奉仕活
 動に従事しています。息子がアメリカへと旅立つため、見送りに来
 たのです。私たちはパンジャブ地方出身ですが、現在、デリーに暮
 らしています。私たちにはラダ・ソアミ教* のグルがいます。そし
 て、サットサン、聖者との交わりを高く評価しています。ここに連
 れてこられたことをたいへん幸福に感じています。今まで多くの聖
 者たちに出会ってきました。そして今、もうひとりに出会えること
 を嬉しく思っています。
 (*訳注 ラダ・ソアミ教 開祖シヴァ・ダヤール・サーヒブによって1861年
 に創設された宗派。シーク教徒とヒンドゥ教徒が主な信奉者。第三
 の目を通して内なる光と音の流れに意識を向けることが彼らの主要
 な修練。またサットサンを重視している。)
 マハラジ
 あなたたちは多くの隠者や苦行者に出会ってきた。
 だが、神性(スワルーパ)を意識した完全に真我実現した人を見いだすこと
 は困難なのだ。
 聖者やヨーギたちは計り知れない努力と犠牲によって多くの奇跡的な力を習
 得し、人びとを助け、信仰心を起こさせるといった善行を施すことができる。
 それでも、それらが彼らを完全にすることはない。
 それは実在への道ではなく、単に偽物に豊かさを与えただけなのだ。
 すべての努力はより多くの努力へと導く。
 何であれ構築されたものは維持されなければならない。
 何であれ得たものは、衰退や喪失から保護されなければならない。
 何であれ失われるものは自己のものではないのだ。
 そしてあなた自身のものでないなら、いったいあなたにとって何の役に立つ
 というのだろう?
 私の世界では、何も強要されることはない。
 すべてはひとりでに起こるのだ。
 すべての存在は時間と空間のなかにあり、限定され一時的なものだ。
 私は「何が存在するか」や「誰が存在するか」には関心がない。
 私の立場はその彼方に在る。
 私はその両方であり、そのどちらでもないところに在るのだ。
 多くの努力と苦行を終えてその野心を満たし、より高次の体験と行為を確保
 した人たちは、たいていの場合、彼らの地位を鋭敏に意識している。
 彼らは人びとを最低の未達成者から最高の達成者までに分類し、階級のなか
 に類別してしまう。
 私にとっては皆が同等だ。
 現れや表現のなかの違いはそこにあっても、それは問題ではないのだ。
 金の装飾品の形が金そのものに影響を与えないように、人の本質も影響を受
 けることはない。
 この同等の感覚が欠乏しているならば、それはつまり、実在には触れられて
 いなかったということだ。
 単なる知識では充分ではない。
 知る者が知られなければならないのだ。
 学者やヨーギは多くのことを知っているかもしれない。
 だが自己が知られていないとき、単なる知識が何になるというのか?
 それは間違いなく誤用されてしまうだろう。
 知る者の知識なしには平和はありえな
いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

485避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 11:21:56 ID:LC3de7YgO
>>484
1『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 人はどのようにして、知る人を知るのでしょうか?
 マハラジ
 私自身の体験から知っていることだけをあなたに話そう。
 私がグルに出会ったとき、彼は私に言ったのだ。
 「あなたはあなたが自分自身だと見なしているものではない。あなたが何で
 あるのかを見いだしなさい。『私は在る』という感覚を見守り、あなたの
 真我を見いだしなさい」と。
 私は彼に服従した。
 なぜなら彼を信頼したからだ。
 私は彼が言ったとおりにし、許すかぎりの時間を、沈黙のなかで自分自身を
 見つめることに費やした。
 そして、何という変化をもたらしたことか!
 それもこんなに早く!
 三年という短い時間で、私は真我を実現したのだ。
 私がグルに会ったすぐ後、彼は死んでしまった。
 だが、それは何の違いももたらさなかった。
 私は彼が私に言ったことを、たゆまず
覚えつづけていたのだ。
 その成果は、私とともにここにある。
 質問者 それは何なのですか?
 マハラジ
 私は真の私自身を知っているのだ。
 私は身体でもマインドでもなく、知的能力でもない。
 私はそれらすべてを超えているのだ。
 質問者 あなたはただの無なのでしょうか?
 マハラジ
 ばかなことを言ってはいけない。
 もちろん、もっとも実質的に、私は存在している。
 ただ、私はあなたが考えているような私ではないのだ。
 これがあなたにすべてを伝えるだろう。
 質問者 それは私に何も伝えていません。
 マハラジ
 なぜなら、それは語ることのできないものだからだ。
 自分自身の体験をもたなければならないのだ。
 あなたは物質的、精神的なものを扱うことには慣れている。
 私はものではなく、あなたもまたものではない。
 私たちは物質でもなくエネルギーでもない。
 身体でもなくマインドでもない。
 ひとたびあなたが自己の存在の一瞥を得るなら、私を理解するのは難しくな
 いと知るだろう。
 私たちは聞き伝えでたくさんのことを信じてしまう。
 遠くの土地や人びとのこと、神や女神のことなどを、ただそう聞いたという
 だけで信じてしまうのだ。
 同じように、私たちは自分自身について、両親や名前、地位や義務などにつ
 いて話を聞いてきた。
 一度もその真偽を確かめることなしに。
 真実への道は虚偽の破壊を通っていくものだ。
 偽りを破壊するために、あなたはあなたのもっとも根深い確信を疑わなけれ
 ばならない。
 そのなかで、あなたが身体であるという確信が最悪のものなのだ。
 身体とともに世界が現れ、世界とともに、世界を創造したと考えられている
 神が現れる。
 このようにして、恐れ、宗教、礼拝、捧げ物、あらゆる類(たぐい)の体系
 がはじまるのだ。
 すべては自らがつくり出した怪物に正気を失うほどおびえた幼稚な人間を保
 護し、支持するためのものだ。
 あなたは生まれることも、死ぬこともできないものだということを悟りなさ
 い。
 そうすれば恐れは去る。
 すべての苦しみは終わるのだ。
 マインドが発明したものは、マインドが破壊する。
 だが、実在は発明されたものではなく、破壊することもできない。
 マインドの力が及ばないそれをつかま
えなさい。
 私があなたに話していることは、過去のなかにも、未来のなかにもない。
 また、今起こっているような日々の生活のなかにもないのだ。
 それは永遠であり、その永遠性の全体はマインドを超えている。
 私のグルと、そして彼の言葉、「あなたは私自身だ」は、永遠に私とともに
 ある。
 はじめのうちはそれらにマインドを固定させなければならなかったが、今で
 はそれも自然なものとなった。
 グルの言葉を真実として受け入れ、日々の生活の細部にわたって自発的にそ
 れによって生きるようになったそのときが、真我の実現の戸口に立ったとき
 なのだ。
 ある意味では、それは信頼による開放だ。
 だが、その信頼は強烈で、持続しなければならない。
 しかしながら、信頼そのものだけで充分だと考えてはならない。
 信頼が行為のなかで表現されることが実現への手段なのだ。
 それはあらゆる手段のなかで、もっとも効果のあるものだ。
 信頼を否定し、論証のみを信じる教師もいる。
 実際には、彼らが否定するのは信頼ではなく、盲信なのだ。
 信頼は盲目的なものではない。
 それは試みようとする意志なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

486鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/01(火) 22:21:37 ID:1d4drIFg0
>>483 あけおめことよろなのじゃ。

日々精進し続けるならばただ一つの教えでも悟りに至れるものじゃ。
シュリハンドクと同じなのじゃ。
法を何度も変えているとそれが逃避に成り、どこにも辿りつけないのじゃ。
自我が消える恐れからこの法は自分に合わないと思うようになるからのう。

487避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 23:31:52 ID:LC3de7YgO
>>486
うむ。
そうでありますね。
くま、長期間失業してた際に、中途半端ではありますが、ケッカフザもできるようになり、小周天みたいなこともできるようになり、何よりも、生きるのがかなり楽になったのであります。
その間ずっと、鬼和尚が相談にのってもらってるのであります。
今は仕事にも就き、瞑想とかはサボってるでありますが、マハラジ流に、できるだけ常に意識を内側に向けている習慣はだいぶついてきたであります。
方向性は間違ってないと思うので、細かいテクニックには拘らず、ただ一つの意識を追求して行こうと思うのであります。
今後ともよろしくお願いしたいのであります。
   /⌒⌒ヽ
  /⌒  ⌒ヽ
 (_(   )_)
 (_)V ̄V(_)

488避難民のマジレスさん:2019/01/02(水) 00:14:53 ID:LC3de7YgO
>>485
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 すべての霊的修練のなかでもっとも効果的なのは、単なる観照の態
     度だと聞きました。それは信頼とどのように比較されるのでしょう
     か?
 マハラジ
 観照の態度もまた信頼なのだ。
 それは自分自身への信頼だ。
 あなたとはあなたが体験するものではないと信じ、すべてに距離をおいて見
 ることだ。
 観照に努力はいらない。
 あなたはあなたがただの観照者なのだと理解し、その理解が働いていく。
 それ以上何も必要ないのだ。
 ただ、あなたが観照者だということを覚えていなさい。
 もし観照の状態のなかで「私は誰か?」と自分自身に尋ねれば、その答えは
 直ちにやってくる。
 ただ、それは言葉ではなく、沈黙のものだ。
 起こっているすべてのことの主体となり、客体であることをやめなさい。
 ひとたび内側に向きを変えたなら、あなたは主体を超えたあなた自身を見い
 だすだろう。
 あなた自身を見いだしたとき、あなたは客体をも超えていることを見いだす。
 主体と客体はともにあなたの中に存在するが、あなたはそのどちらでもない
 のだ。
 質問者 あなたはマインド、マインドを超えた観照意識、そして気づきを超
     えた至高なるものについて語ります。それはつまり気づきさえも実
     在ではないという意味なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが実在―非実在という言葉で論じるかぎりは、唯一実在でありうるの
 は気づきだけだ。
 だが、至高なるものはすべての区別を超えているため、それに「実在」とい
 う言葉は適用しない。
 なぜなら、そのなかではすべてが実在
だからだ。
 それゆえ、そのように名づけられる必要もない。
 それは実在の源そのものだ。
 それは、何であれそれが触れたものに実在性を分け与えるのだ。
 質問者 しかし、誰が世界を創造したのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙のマインド(チダカーシュ)がすべてを創造し、破壊する。
 至高なるもの(パラマカーシュ)が、何であれ存在のなかに現れたものに実
 体を与えるのだ。
 それを宇宙的な愛と呼ぶことが、言葉によってはもっとも近いものと言える
 だろう。
 それは愛のように、すべてを真実に、美しく、望むべきものにするのだ。
 質問者 なぜ、望むべきものなのでしょうか?
 マハラジ
 いけないかね?
 創造されたすべてを互いに反応し合うようにさせ、人びとを結びつける強引
 に引きあう力は、もし至高なるものからでなければ、どこからやってくると
 いうのだろうか?
 欲望を避けてはならない。
 ただそれが正しい経路を流れていることを見なさい。
 欲望なしには、あなたは死んだも同然だ。
 だが、低次の欲望とともにあるなら、あなたは亡霊と同じなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

489素人A:2019/01/02(水) 09:39:41 ID:gOqWUDAs0
注意不足生涯者の私が下記映しても実行は泣く世界は白いキャンバスに精神統一して凝念如雨露三昧でアートなんだろうけど
私が心の中心の曼荼羅である、他の人は他の人の中心点の曼荼羅の中心から見ているのか、でも全体的にバラ薔薇バランスは
とれていて阿弥陀のネットは満天のクリスマスのデコレーションの様に輝いているのかなあ。今は私のつまらない正月風景だ画?
全体性・部分・輝き 宇宙意識より 何とか三昧? 夢中の説明化 絵や音楽や詞や芸術?自然の風景?坐禅や名僧の中?仏仏?
アクイナスはこう言っている「『三つのものが美には必要である翻訳すれば、全体性、調和、そして光輝』となる」。全体性この
原理の機能は、みずから規定されかつ規定するような、実践とは関わりの無い、閉じた錬金術的な場を創り出すところにあります
それがどんな効果をもつかを見るには、何でもいいからいくつかの事物の集まりー例えばテーブルの上の品物の集まりを眺めて、
創造の中でその周囲に枠をおいて見て下さい。すると枠の中の事物の総てが「ひとつのもの」と見なされるでしょう。それはもは
や、いろんな用途をもつ無関係な事物の集合では無く、ある構成の部分であり、相互に関係づけられています。その枠の外にある
ものー例えばテーブルの部分は、いまや「他のもの」となり、枠の中にある事物のすべては一つのものになります。スティブの言
葉では、「君はそれを一つの全体として見る。その全体性を認識しているわけだ、これが全体性なのさ」というわけです。(続く
あおめでとうと言うの忘れた

490素人A:2019/01/02(水) 09:47:26 ID:gOqWUDAs0
(続き)調和 さてこのような構成ができると、次に重要なことーそして重要な事のすべてーは構成の中のそれぞれの
対象ないし事物が此処にあるのか、あちらにあるのかという事、つまり部分に対する関係、各部分の全体に対する関係、全体の各
部分に対する関係です。これが審美的な道具としてのリズム、すなわち調和です。その要素になるのは、事物、色彩、言葉とその
音、楽器、建築の部分とその比率などが考えられます。スティブンの言葉によれば、「君はそれの形の線に導かれ、点から点へと
眼を移してゆく君はそれを、その限界内で均斉のとれているものとして認識する。その構造のリズムを感じるわけだ」ということ
になります。輝き リズムがぴつたりあつたとき、人は喜びの中にとどまり、それに何か他の効用があるかどうかまったく考えま
せん。スティブンはこう言っています「君はまさにそのものであって、他の何ものでもないということを知ったわけだ。(続く)

491素人A:2019/01/02(水) 09:48:25 ID:gOqWUDAs0
(続き)〔アクイナス〕がスコラ学派の「クイッディタス」つまり事物の「そのものであること」について言つているの
がこの光輝なのさ。この至高の徳性は審美的映像が芸術家によつて感じられるものなんだ。こういう審美的瞬間の心を、シェリー
は燃え尽きる炭という美しい比喩で説明している。美の全体性によってとらえられ、美の調和によって魅惑されていた心が、美の
こういう至高の徳性、審美的映像の明るい光輝を輝かしく認識するこの瞬間こそは、審美的快楽の輝かしく静寂な状態だよね。こ
れはイタリアの生理学者ルイジ・ガルヴァーニがシェリーのものに劣らず美しい言葉で心の魅惑とよんだ心臓の状態に、非常に近
い霊的状態なんだ。」まさにこれひそが芸術の存在理由であり、その治癒力と奇跡を説明するものなのです。つまり認識された美
がこのような諸感覚を照明し、精神を鎮め、心を魅惑する力をもつということです。(続く)

492素人A:2019/01/02(水) 09:49:54 ID:gOqWUDAs0
(続き)「芸術は自然と相似した偉大な線を浮かび上がらせるという言葉を自分の座右の格言の一つとして挙げていたことを
思い出します。周知のとおり、自然は私たちの外部にあると同時にに、私たちの内部にもあるからです。芸術はこの両者の境界に
ある鏡なのです。儀式もそして神話も同じであって「自然の偉大な線を浮かび上がらせ」、それによって私たち自身の奥底にある
真理、あらゆる存在と共有している真理において回復させるのです。したがつてこのような「本来的な」やりかたで仕事をしてい
る芸術家は、その世紀の真の見者にして予言者であります。彼は生の擁護者です。生の擁護者でありますから、もちろん一人の
革命家です。その時代の社会的仮面を貫いてその背後にあるものに到達するという点において、単にもう一人の不自然な仮面の名
において舗道を血に染める狂信的な理想主義者よりもはるかに根本的な革命家なのです。」

493避難民のマジレスさん:2019/01/02(水) 10:28:54 ID:LC3de7YgO
>>488
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 至高なるものにもっとも近い体験とはどのようなものでしょうか?
 マハラジ
 計り知れない平和とかぎりない愛だ。
 何であれ、宇宙のなかに真実で、高尚な、美しいものがあれば、それはすべ
 てあなたから現れたのだと自覚しなさい。
 あなた自身がその源なのだ。
 世界を指揮する神や女神は、もっとも素晴らしい荘厳な存在かもしれない。
 それでも彼らは、彼らの主人の富と力を宣伝する、豪華に着飾った召使いの
 ようなものなのだ。
 質問者 どのようにして人は至高なるものに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 すべてのより低い欲望を放棄することによってだ。
 より低い欲望に満足するかぎり、最高のものを手にすることはできない。
 何であれ満足させるものが、あなたを引き止めるのだ。
 すべてのものの不満足さ、はかなさ、限界を悟らないかぎり、そしてすべて
 のエネルギーを多大なる熱望に集めないかぎり、最初の一歩さえも踏めない。
 その反対に、至高なるものへの誠実な欲望は、それ自体至高なるものからの
 招きなのだ。
 身体的、精神的な何もあなたに自由を与えてはくれない。
 ひとたび束縛はあなたが創りだしているということを理解し、あなたを拘束
 する鎖を鋳造することを止めれば、あなたは自由なのだ。
 質問者 どのようにして、グルへの信頼を見いだせばいいのでしょうか?
 マハラジ
 グルを見いだし、また彼を信頼することはまれな幸運だ。
 それはそうそう起こることではない。
 質問者 それは運命に定められているのでしょうか?
 マハラジ
 それを運命と呼ぶことでは何も説明されない。
 それが起こったとき、あなたにはどうしてそれが起こったのかを言うことは
 できない。
 そして、それをカルマや恩寵(おんちょう)、また神の意志と呼ぶことは、
 単にあなたの無知を覆(おお)い隠すだけだ。
 質問者 クリシュナムルティは、グルは必要ないと言っています。
 マハラジ
 誰かが至高の実在と、それへの道について語らなければならないのだ。
 クリシュナムルティがしていることは、ほかの何ものでもない。
 ある意味では、彼は正しい。
 ほとんどのいわゆる弟子たちは、彼らのグルを信頼していないのだ。
 彼らはグルにそむき、グルを放棄してしまう。
 そのような弟子たちにとっては、グルを持たない方が、そして導きを得るた
 めに、ただ内面を見ることのほうがどれだけ良かったか知れないのだ。
 生きたグルを見いだすことは稀少な機会であり、大いなる責任でもある。
 これらのことを軽く扱ってはならないのだ。
 あなたたちは天国を買おうとやっきになって、値段の額を支払えばグルがそ
 れを与えてくれると想像している。
 わずかばかりを捧げて、多くを要求する売買契約を求めているのだ。
 あなたが騙しているのは、ほかでもないあなた自身なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

494鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/02(水) 22:45:29 ID:1d4drIFg0
本来人は師匠なくして悟れるものじゃ。
お釈迦様も無師独悟と言っているのじゃ。
自分を救う者は自分しか居ないのじゃ。
師匠はその道を指し示す道標に過ぎないものじゃ。

495避難民のマジレスさん:2019/01/03(木) 00:07:31 ID:LC3de7YgO
>>493
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 あなたはグルから、「あなたは至高なるものだ」と言われました。
     そして彼を信頼し、その通りに行動したのです。何があなたにこの
     信頼を与えたのでしょうか?
 マハラジ
 私はただ、道理を聞き分けただけだ。
 彼を疑うとしたら、愚かなことだっただろう。
 私を惑わせることで、いったい彼がどんな利益を得るというのだろうか?
 質問者 あなたはある質問者に、私たちは同じであり、同等だと言われまし
     た。私にはそれが信じられません。私に信じられないのなら、あな
     たの表明が私にとって何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの不信は問題ではないのだ。
 私の言葉は真実であり、それはその仕事をする。
 これがサットサン、聖者との交わりの美しさなのだ。
 質問者 ただあなたの近くに座っているだけで、それを霊的な修練だと考え
     ることができるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 生命の川は流れている。
 その水のいくらかはここにある。
 だが、大変な量の水がすでに目的地に到達しているのだ。
 あなたは現在しか見ていない。
 私は遙か彼方の過去と未来を、あなたが何であるか、そしてあなたが何にな
 ることができるのかを見ているのだ。
 私には、あなたを私自身としてしか見ることができない。
 違いを見ないこと、それが愛の本質なのだ。
 質問者 どうすれば、あなたが私を見るように、私自身を見ることができる
     ようになるのでしょう?
 マハラジ
 もしあなた自身を身体だと想像しなければ、それで充分だ。
 災いをもたらすのは「私は身体だ」という想念なのだ。
 それはあなたを真実の本性に対して、完全に盲目にしてしまう。
 ほんの一瞬でさえ、自分が身体だと考えてはならない。
 あなた自身にいかなる名前も形も与え
てはならない。
 実在は闇と沈黙の中で見いだされるのだ。
 質問者 私が身体ではないという確信を持って考えなくてはならないのでし
     ょうか? どこにそのような確信を見つけることができるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。
 そうすれば、確信はやってくるだろう。
 単なる言葉が何の役に立つというのだろう?
 マントラや精神的パターンは助けにならないだろう。
 しかし非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった
 行為が、あなたを実在の確信そのものに連れていくだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

496避難民のマジレスさん:2019/01/03(木) 00:13:42 ID:LC3de7YgO
>>495
>あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。
 そうすれば、確信はやってくるだろう。
・・・・非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった
 行為が、あなたを実在の確信そのものに連れていくだろう。

うむ。
日常的に慈悲ある行為、善事をなす事、をすることが、完全に得心したかのように振る舞うことになるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

497避難民のマジレスさん:2019/01/03(木) 12:49:14 ID:LC3de7YgO
>>495
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 確信なしに行為する勇気を、私はどこから得るというのでしょうか?
 マハラジ
 愛があなたに勇気を与えるだろう。
 あなたが誰か本当に賞賛すべき、愛するに足る崇高な人に出会ったなら、あ
 なたの愛と敬慕が、あなたに高尚にふるまおうという衝動を与えてくれるだ
 ろう。
 質問者 賞賛すべき人を賞賛するということを、誰もが知っているわけでは
     ありません。ほとんどの人々はまったく感受性に欠けているのです。
 マハラジ
 生命が彼らに進化を認めさせるようにするだろう。
 積まれてきた体験の重みが、彼らに見る目を与えるだろう。
 賞賛に値する人に出会ったなら、あなたは彼を愛し、信頼し、彼の助言にし
 たがうことだろう。
 他の者たちが賞賛し、愛するに足る完全な模範を示すこと、これが自己実現
 した人の役目だ。
 その人の人生と人格の美しさは、公益のための途方もない貢献なのだ。
 質問者 私たちは成長のために苦しむべきではないでしょうか?
 マハラジ
 そこに苦しみがあり、世界は苦しんでいるということを知るだけで充分だ。
 快楽と苦痛自体が悟りをもたらすことはない。
 ただ理解だけがそれをもたらすのだ。
 ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだとい
 う真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動とエネルギーを見いだ
 すだろう。
 快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。
 至福を通してだけではあなた自身を知ることはできない。
 あなたの本性そのものが至福だからだ。
 悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなければならな
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

498鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/03(木) 21:53:02 ID:1d4drIFg0
>>496 そうじゃ、慈悲の行いと心が広がって意識も知れるのじゃ。
 慈悲の心が体からどこまでも広がっていくというのがお釈迦様の説いたブラフマンの法なのじゃ。
 慈悲の心がなければそれも出来ないからのう。
 実践あるのみなのじゃ。

499避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 00:36:55 ID:LC3de7YgO
>>497
1『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】

 質問者 私は具合が良くありません。むしろ弱っている感じがします。どう
     すればいいでしょうか?
 マハラジ
 誰の調子が悪いのかね?
 あなたか、それとも身体だろうか?
 質問者 もちろん、私の身体です。
 マハラジ
 昨日、あなたは具合が良かった。
 何が良いと感じたのだろうか?
 質問者 身体です。
 マハラジ
 身体の具合が良いとき、あなたは喜び、身体の具合が悪いとき、あなたは悲
 しむ。
 ある日喜び、つぎの日悲しむのは誰だろうか?
 質問者 マインドです。
 マハラジ
 マインドがそれを知る者だ。
 知る者を知るのは誰だろうか?
 質問者 知る者がそれ自身を知っているのではないでしょうか?
 マハラジ
 マインドは断続的なものだ。
 眠りや気絶や精神錯乱したとき、何度もそれは空白状態となる。
 そこにはその断続性を継続的に記録する何かがあるはずだ。
 質問者 マインドが覚えています。これが継続性を意味します。
 マハラジ
 記憶はつねに部分的であてにならず、つかの間のものだ。
 それは「私は在る」という感覚である、意識に浸透した強力なアイデンティ
 ティの感覚を説明はしない。
 その根底にあるものが何なのかを見いだしなさい。
 質問者 どんなに深く見入っても、私にはマインドしか見いだせません。あ
     なたの「マインドの彼方」という言葉は手がかりにならないのです。
 マハラジ
 マインドでもって見ているかぎり、それを超えていくことはできない。
 彼方へと超えていくには、マインドとその内容から目を離さなければならな
 いのだ。
 質問者 どの方向を見ろといわれるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての方向はマインドのなかにあるのだ!
 私はあなたに特定の方向を見るように言っているのではない。
 ただ、あなたのマインドのなかで起こっていることのすべてから目を離し、
 「私は在る」という感覚にそれを合わせなさい。
 「私は在る」は方向ではない。
 それはすべての方向を否定したものだ。
 最後には「私は在る」さえも去らなければならない。
 なぜなら、明白なことをいつまでも主張しつづける必要はないからだ。
 「私は在る」にマインドを合わせることは、単にマインドをほかのすべてか
 らそむけることなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

500避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 00:45:45 ID:LC3de7YgO
>>498
鬼和尚、ありがとうであります。
>非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった行為

とは、自他の別ののない行為と言うことであり、そのように振舞え、無我を体得したように振る舞えと言ってるのでありますよね。

(´・(ェ)・`)つ

501避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 10:23:38 ID:LC3de7YgO
>>499
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 それは私をどこへ導くのでしょうか?
 マハラジ
 マインドがよそごとに気を取られることから目を離されたとき、それは静か
 になる。
 もしこの静けさを妨げず、そこにとどまるなら、あなたはそれが見たことも
 ない光と愛にあふれていることを知るだろう。
 しかも、あなたはそれをあなた自身の
本性だとすぐに認識するのだ。
 ひとたびこの体験を通ったならば、あなたは二度と同じ人ではなくなるだろ
 う。
 気ままなマインドはその平和を破り、ヴィジョンを消し去ってしまうかもし
 れない。
 だが、すべての束縛が破れ、迷いや執着が終わるまで努力を続ければ、それ
 はかならず戻ってくる。
 そして人生は最高に、今この瞬間に集中したものとなるのだ。
 質問者 それがどんな違いをもたらすというのでしょうか?
 マハラジ
 思考はなくなり、そこには愛の行為だけがあるのだ。
 質問者 私がそれに到達したとき、どうやって認識するのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはもはや恐れがないのだ。
 質問者 神秘と危険に満ちた世界に囲まれて、どうやって恐れなしでいるこ
     とができるでしょう?
 マハラジ
 あなた自身の小さな身体もまた、神秘と危険に満ちているのだ。
 それでも、あなたはそれを恐れはしない。
 あなたがそれをあなた自身のものと見なしているからだ。
 あなたが知らないのは、この宇宙全体があなたの身体であり、それを恐れる
 必要はないということだ。
 あなたは個人的と宇宙的な二つの身体をもっていると言ってもいい。
 個人的身体は来ては去っていく。
 宇宙的身体はいつもあなたとともにある。
 創造全体があなたの宇宙的身体なのだ。
 あなたは個人的身体的に盲目的になり、宇宙的身体を見ていない。
 この盲目がひとりでに終わることはない。
 それは巧みに、熟考した上で取り消さなければならないのだ。
 すべての幻想が理解され、放棄されたとき、あなたは個人的と宇宙的の間の
 区別がすべてなくなった、過ちのない、完全な状態に到達するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

502鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/05(土) 00:24:14 ID:1d4drIFg0
>>500 そうじゃろう。
 なかなか難しいことであるがのう。
 
本来全ての者は宇宙も含んだ全てであるのじゃ。
謬見によって身体だけが自分とか認識しているのじゃ。
その幻想がなくなければ全てに戻るのじゃ。
それが完全な状態ということなのじゃ。

503避難民のマジレスさん:2019/01/05(土) 20:55:49 ID:LC3de7YgO
>>501
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 私は個人であり、それゆえ空間と時間に限定されています。私はわ
     ずかばかりの空間を占め、ほんの瞬間存在するだけです。
 マハラジ
 それにもかかわらず、あなたは在るのだ。
 あなたが真の本性の探求へと深く入って行くにしたがって、小さいのはあな
 たの身体であり、短いのはあなたの記憶であって、広大な生命の大海があな
 たのものであることを発見するだろう。
 質問者 「私」と「宇宙」という言葉自体が相容れないものです。
 マハラジ
 そうではない。
 同一であるという感覚は普遍的に浸透しているのだ。
 探求しなさい。
 そうすれば、あなたはあなた自身であり、かぎりなくそれ以上である宇宙的
 個人を発見することだろう。
 とにかく、まず世界はあなたのなかにあり、あなたが世界のなかにいるので
 はないということを自覚することからはじめなさい。
 質問者 どうしてそうありうるのでしょうか? 私は世界のなかの一部分で
     しかありえません。鏡のような反映による以外に、どうして部分の
     なかに世界全体が含まれるというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 あなたの個人的身体は一部分であり、その中に全体が不思議にも反映されて
 いるのだ。
 しかし、あなたは宇宙的身体もまたもっている。
 それを知らないとさえ言えないのだ。
 なぜなら、あなたはつねにそれを見て、体験しているからだ。
 ただ、それを「世界」と呼び、恐れているだけなのだ。
 質問者 私は、私の小さい身体は知っていると感じますが、もうひとつの身
     体は科学を通してしか知りません。
 マハラジ
 あなたの小さな身体は、あなたの知らない神秘と不思議で満ちている。
 そこでもまた、科学があなたの唯一のガイドだ。
 解剖学と天文学がそれらを説明するだろう。
 質問者 たとえ、私があなたの基本的な論理としての宇宙的身体の教義を受
     け入れたとしても、いったいどのようにそれを考査することができ、
     また、それが私にとって何の役に立つと言うのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが両方の身体に宿ることを知ることで、あなたはすべてを所有するこ
 とになるのだ。
 宇宙のすべてがあなたの関心事となり、すべての生きるものたちをあなたは
 もっとも優しく賢明に愛するようになるだろう。
 あなたと他者との間には利益の衝突がなくなるだろう。
 すべての搾取(さくしゅ)は絶対的に消えるだろう。
 あなたのあらゆる行動は恩恵となり、あらゆる瞬間は祝福となるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

504鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/05(土) 23:14:27 ID:1d4drIFg0
実に興味深いブッダと悟っていない者の会話なのじゃ。
マハラジが何度も全てであると語るのにも関わらず質問者はあくまでそれを何かの理想としか捉えていないのじゃ。
マハラジがそれは今ここで感じられるというのに、あくまでも自分は矮小な身体でしかないと悩んでいるのじゃ。
信者ならば適当に話をあわせたりするのに、どこまでも身体が自分というのじゃ。
それは少なくとも本心を語っていることになるのじゃ。
知識は役立たず実践と実感を通してのみ人は悟りの境地を知ることが出来るとわかるのじゃ。

505避難民のマジレスさん:2019/01/06(日) 03:04:00 ID:LC3de7YgO
>>503
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 それはとても私の関心を引きますが、しかし、宇宙的存在を実現す
     るためには、どのようにはじめればいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたには二つの道がある。
 真我を実現するために、あなたのマイ
ンドとハートを捧げること、あるいは
 私の言葉を信頼して受け入れ、それにしたがって行動することだ。
 あなたは自己に対して完全に利己的になるか、完全に非利己的になるかのど
 ちらかだ。
 「完全に」という言葉、それが重要なのだ。
 至高なるものに到達するためには、あなたは極端にならなければならない。
 質問者 小さく限定された私に、どうしてそのような高遠なるものへの大望
     を抱くことができるでしょう?
 マハラジ
 あなた自身が、そのなかですべてが起こる意識の大洋なのだと認識しなさい。
 それは難しいことではない。
 わずかな注意力と自己への緊密な観察で、あなたはどのような出来事も意識
 の外側で起こっているのではないことを知るだろう。
 質問者 世界は私の意識のなかに現れない出来事でいっぱいです。
 マハラジ
 あなたの身体でさえあなたの意識内に現れることのない出来事でいっぱいな
のだ。
 これが、あなたの身体をあなたのものだと宣言することを妨げはしないだろ
う。
 あなたはあなたの感覚を通して自分の身体を知るように、世界を正確に知っ
ているのだ。
 あなたの皮膚から外側の世界と内側の世界を分割し対立させたのは、あなた
のマインドだ。
 これが恐れと、憎しみと、生きることすべての惨めさを生み出したのだ。
 質問者 私に理解できないのは、あなたが言われる意識を超えていくという
     ことです。言葉は理解できますが、その体験を視覚化できないので
     す。結局、あなた自身が言われたように、すべての体験は意識のな
     かにあるのです。
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 意識を超えたところには、いかなる体験もありえない。
 それでも、そこにはただ在るという体験がある。
 そこには無意識ではなく、意識を超えた彼方の状態があるのだ。
 ある人たちはそれを超意識、純粋意識、あるいは至高の意識と呼んでいる。
 それは主体と客体の関係から自由な、純粋な覚醒なのだ。
 質問者 私は神智学を学んできました。そして、あなたの言われることは何
     ひとつ聞き慣れないことばかりだと気づきました。神智学が顕現の
     みを扱うことは私も認めます。それは宇宙とそこに住む生きものに
     ついて、たいへん詳細に描写します。多くの物質の階層と、それに
     相応する体験の層があることを、それは認めています。しかし、ど
     うやらそれを超えていくことはないようです。あなたの言われるこ
     とはすべての体験を超えていきます。もしそれが体験不可能ならば、
     いったいどうしてそれについて話しあうのでしょうか?
 マハラジ
 意識は隙間だらけの断続的なものだ。
 それにもかかわらず、そこには継続するアイデンティティがある。
 もしこのアイデンティティの感覚が意識を超えた何かでなければ、いったい
 何によるというのだろう。
 質問者 もし私がマインドを超えているならば、どのようにして私を変えて
     いくのでしょうか?
 マハラジ
 何かを変える必要がどこにあるというのだろう?
 いずれにせよ、マインドはつねに変化しているのだ。
 あなたのマインドを冷静に見てみなさい。
 マインドを平静にするにはこれで充分だ。
 静かになると、あなたはマインドの彼方へと行くことができる。
 いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。
 それをやめ、ただ在りなさい。
 もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、その純粋さと
 力強さを回復するだろう。
 絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

506避難民のマジレスさん:2019/01/06(日) 03:17:59 ID:LC3de7YgO
>>504
なるへそ。これもまた実にわかりやすい鬼和尚の解説なのである。
くまは何度も鬼和尚やマハラジの解説を読み、ただ一つの意識を当たり前のように「在る」ものとして捉えて、それを追求してるのであるが、
それは知識であって、未だ実感を伴うものではないのである。
OSHOも言ってるように、知識を疑って、ありのままを観察するように、精進するであります。
(´・(ェ)・`)つ

507避難民のマジレスさん:2019/01/06(日) 14:38:03 ID:LC3de7YgO
>>505
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 もし私の真実の存在がつねに私とともに在るなら、どうして私はそ
     れを知らないのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、それは非常に微妙なものであり、あなたのマインドは粗雑なもの
 だからだ。
 あなたのマインドを静め、明瞭にしなさい。
 そうすれば、あなたはあるがままの自分自身を知るだろう。
 質問者 わたし自身を知るためにマインドが必要なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはマインドを超えている。
 だが、あなたはマインドで知るのだ。
 知識の範囲、深さ、性質は、あなたがどのような手段を使うかに依存すると
 いうことは明らかだ。
 あなたの手段を改善しなさい。
 そうすれば、あなたの知識も改善されるだろう。
 質問者 完全に知るためには、完全なマインドが必要です。
 マハラジ
 あなたに必要なのは、静かなマインドだ。
 ひとたびあなたのマインドが静かになれば、ほかのすべてはしかるべく起こ
 るだろう。
 日の出が世界を活動的にするように、自己覚醒はマインドのなかに変化を与
 えるのだ。
 平静で安定した自己覚醒の光のなかで、内なるエネルギーは目覚め、あなた
 の努力なしに奇跡をもたらすのだ。
 質問者 つまり、もっとも偉大な仕事は、仕事をしないことによってなされ
     ると言うのでしょうか?
 マハラジ
 まさにそのとおりだ。
 あなたは悟りを得るように運命づけられているのだということを理解しなさ
 い。
 あなたの運命に協力しなさい。
 それに抗ってはいけない。
 それを妨げてはいけない。
 それが運命を全(まっと)うするのを許しなさい。
 愚かなマインドがつくり出した障害に注意を払うこと、それがあなたのする
 べきすべてなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

508鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/06(日) 21:37:36 ID:1d4drIFg0
>>506 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。

マインドとはまだ意識に到達していない心の働きなのじゃ。
感覚とか思考とか感情とか分別とか認識なのじゃ。
それしか感じられない人間はそれをもって進んでいくしかないのじゃ。
やがてはそれを超えた意識もあるとわかるのじゃ。

509避難民のマジレスさん:2019/01/06(日) 22:56:55 ID:LC3de7YgO
>>507
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】

 質問者 私はイギリスから来て、マドラスへ向かう途中です。そこで私は父
     親に会い、一緒に車でロンドンまで陸路を通って帰る予定です。私
     は心理学を学んでいるのですが、学位を取得してからどうするかは、
     まだわかりません。産業心理学、または精神療法を試みるかもしれ
     ません。私の父は一般開業医です。私も同じ道を行くのかもしれま
     せん。
     しかし、これで私の興味が尽きるわけではありません。そこには時
     間を経ても変わることのない、ある質問があるのです。あなたはそ
     のような質問への答えをもっていると理解しています。そのために、
     私はあなたのもとへ来たのです。
 マハラジ
 私はあなたの質問に答えるのに正しい人間かどうだろうか。
 私はものごとや人びとについては何も知らないのだ。
 私は私が在るということだけを知っている。
 そして、それくらいはあなたもまた知っている。
 私たちは同等なのだ。
 質問者 もちろん、私は私が在ることを知っています。しかし、それがどう
     いう意味なのか知らないのです。
 マハラジ
 「私は在る」のなかで、あなたが「私」と見なしているものは、あなたでは
 ないのだ。
 あなたが在ることを知っているのは自然なことであり、あなたが何なのかを
 知ることは多くの探求の結果なのだ。
 あなたは意識界全体を探査しなければならない。
 このためには、正しい師を見いだし、発見に必要な条件をつくり出さなけれ
 ばならないのだ。
 一般的には二つの道がある。
 外的なものと内的なものだ。
 あなたは真理を知る誰かとともに生き、彼の導きにあなた自身を完全に服従
 させ、彼の影響のもとにマインドを形づくるか、あるいは内なる導きを探し
 だし、それがどこへあなたを導こうと、内なる光にしたがうことだ。
 どちらの場合も、あなたの個人的な欲望や恐れを顧みてはならない。
 あなたは師と近接していること、あるいは探求することのどちらか、受動的、
 あるいは能動的な道のどちらかで学ぶのだ。
 生命の川とグルの愛によって、あなた自身が運ばれていくことを許すか、あ
 るいはあなたの内なる星に導きを受け、自らの努力を重ねていくかのどちら
 かだ。
 どちらの場合もあなたは進んでいかなければならない。
 そして真剣でなければならない。
 愛し、信頼するに足る誰かを見つける幸運な人はまれなのだ。
 ほとんどの人が厳しい道を行かなければならない。
 知性と理解、洞察と無執着(ヴィヴェーカ―ヴァイラーギャ)の道だ。
 これはすべての人たちに開かれている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

510避難民のマジレスさん:2019/01/07(月) 19:32:53 ID:LC3de7YgO
>>509
1『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 私はここに来ることができて幸運でした。明日発(た)たなければ
     なりませんが、一度あなたと話をしたことが私の全人生に影響を及
     ぼすかもしれません。
 マハラジ
 そうだ。
 ひとたびあなたが「真実を見いだしたい」と言ったなら、全人生はそれに深
 く影響を受けることになるのだ。
 あなたのすべての精神的、身体的習慣、感情と感覚、欲望と恐れ、計画と決
 定はもっとも革新的な変容を通り抜けることだろう。
 質問者 ひとたび私が真実を見いだすことに心を定めたならば、つぎには何
     をするべきなのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたの気質によるのだ。
 もしあなたが真剣ならば、選んだ道がどれであれ、あなたを目的地へと連れ
 ていくだろう。
 真剣さ、それが決定要因なのだ。
 質問者 真剣さの源は何でしょうか?
 マハラジ
 鳥を巣に帰らせ、魚を生まれた川へと帰り着かせる帰巣本能だ。
 果実が成熟したとき、種子は大地に返る。
 成熟がすべてなのだ。
 質問者 では、何が私を成熟させるのでしょう? 体験が必要なのでしょう
     か?
 マハラジ
 あなたはすでに必要な体験をすべて得ている。
 そうでなければここには来なかっただろう。
 これ以上体験を積む必要はない。
 むしろ体験を超えていかなければならないのだ。
 あなたがいかなる努力をし、いかなる修練(サーダナ)にしたがおうとも、
 それは単により多くの体験を重ねるだけで、それを超えてはいかない。
 本を読むこともまた、あなたを助けはしないだろう。
 それらはあなたのマインドを豊かにはするだろう。
 だが、個人であるあなたは影響を受けないままだ。
 もし探求から物質的、精神的、霊的な何らかの恩恵を期待するなら、あなた
 は要点をはずしているのだ。
 真理はいかなる利点もあなたに与えない。
 それはあなたにより高い地位も、他者に対するいかなる権力も与えはしない。
 あなたが得るのは真理、そして偽りからの自由だけなのだ。
 質問者 真理は他者を助ける力をあなたに授けるに違いありません。
 マハラジ
 たとえどんなに高尚であろうとも、それは単なる想像にすぎない。
 真理においては、あなたは他者を助けたりはしない。
 なぜなら他者というものは存在しないからだ。
 あなたが人びとを高尚な人と程度の低い人に区別し、高尚な人に程度の低い
 人を助けるように頼むのだ。
 あなたが分割し、判断し、評価し、非難するのだ。
 真理の名のもとに、あなたは真理を破壊してしまう。
 真理を公式化しようとするあなたの欲望そのものが、真理を否定するのだ。
 なぜなら、それは言葉のなかに包括できないものだからだ。
 真理は行為のなかで偽りを否定していくことによってだけ表現できる。
 このために、あなたは偽りを偽りとして見(ヴィヴェーカ)なければならな
 い。
 そしてそれを拒絶する(ヴァイラーギャ)のだ。
 偽りを放棄することが、解放と活力を与える。
 それは完成への道を切り開いていく。
 質問者 真理を発見したことを、いつ知るのでしょうか?
 マハラジ
 「これが真理だ」、「あれが真理だ」といった考えが起こらないときだ。
 真理が自らそれ自身を主張することはない。
 それは偽りを偽りとして見ることのなかにあるのだ。
 マインドが偽りによって盲目になっているとき、真理の探究は無駄になって
 しまう。
 真理があなたに現れる前に、偽りは完全に浄化されなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

511鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/07(月) 21:40:56 ID:1d4drIFg0
悟っていない者が自分と思っているものは自分ではないのじゃ。
ただの観念なのじゃ。
観念を自分と思っているのじゃ。
それが主体であるとか。、
自分の記憶が在るとか。
感じているとか。
そのような観念から自分と思っているのじゃ。

512避難民のマジレスさん:2019/01/08(火) 02:48:45 ID:LC3de7YgO
>>510
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 しかし、偽りとは何でしょうか?
 マハラジ
 存在をもたないものは間違いなく偽りだ。
 質問者 存在をもたないとはどういう意味でしょう? 偽りは厳然として事
     実です。
 マハラジ
 それ自身で矛盾するものが、存在をもたないのだ。
 あるいはつかの間の存在しかもたないもの、どちらも同じことだ。
 なぜなら、はじまりと終わりをもつものは、その間をもたないからだ。
 それは空っぽだ。
 それはマインドから与えられた名前と形はもっていても、実体も本質ももた
 ないのだ。
 質問者 もし過ぎ去っていくものすべてが存在をもたないとしたなら、宇宙
     もまた存在をもたないということです。
 マハラジ
 誰がそれを否定しただろうか?
 もちろん、宇宙は存在をもっていない。
 質問者 何が存在をもっているのでしょうか?
 マハラジ
 存在に依存しないそれ、宇宙が現れるとともに現れることなく、宇宙が消え
 去るとともに消え去ることのないそれ、いかなる証明も必要とせず、しかし、
 それが触れるすべてのものに実在を分け与えるそれだ。
 一瞬間だけ、あたかも実在のように現れるのが偽りの本性なのだ。
 真実は偽りの父だとも言えるだろう。
 しかし、偽りは時間と空間に限定され、環境によって生まれるものなのだ。
 質問者 どのようにして、私は偽りを除き、実在を確実にすればいいのでし
     ょうか?
 マハラジ
 何の目的のためにかね?
 質問者 より良い、統合され、幸福な、より満足できる人生を生きるためで
     す。
 マハラジ
 何であれ、マインドによって考えられたことは偽りに違いない。
 なぜなら、それはかならず相対的で限定的になるからだ。
 実在は人知の及ばないものであり、ある目的のために利用できるものではな
 い。
 それはそれ自体のために求められなければならないのだ。
 質問者 人知の及ばないものを、どうやって私が望むことができるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 ほかに何か望む価値のあるものがあるだろうか?
 ものを求めるように実在を求められないことは確かだ。
 しかし、あなたは偽りを偽りとして見て、それを放棄することができる。
 真実への道を開くのは、偽りを放棄することなのだ。
 質問者 理解はします。しかし、日常の実生活のなかで、それはどのように
     見えるのでしょうか?
 マハラジ
 利己主義と利己心が偽りの焦点だ。
 あなたの日々の生活は、欲望と恐れの間を揺れ動いている。
 それを余念なく見守りなさい。
 そうすれば、川が岩の合間で泡を立てるように、あなたはマインドがいかに
 して無数の名前と形を装うのかを理解するだろう。
 あらゆる行為を、その利己的な動機までたどっていきなさい。
 そしてその動機を余念なく、それが消
え去るまで見つづけなさい。
 質問者 生きるために、人は自分自身の面倒を見なければなりません。自分
     のためにお金を稼がなくてはならないのです。
 マハラジ
 あなた自身のために収入を得る必要はない。
 だが、妻や子供のためにそうしなければならないかもしれない。
 ほかの人のために、あなたは働きつづけなければならないかもしれない。
 ただ生きつづけることでさえ犠牲となりうるのだ。
 利己的になる必要などどこにもない。
 あらゆる自己本位な動機を見るなり、すぐに放棄しなさい。
 そうすれば、あなたが真理を探究する必要はない。
 真理があなたを見いだすだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

513避難民のマジレスさん:2019/01/08(火) 02:55:44 ID:LC3de7YgO
>>512
> はじまりと終わりをもつものは、その間をもたないからだ。
 それは空っぽだ。
 それはマインドから与えられた名前と形はもっていても、実体も本質ももた
 ないのだ。

> 質問者 何が存在をもっているのでしょうか?
 マハラジ
 存在に依存しないそれ、宇宙が現れるとともに現れることなく、宇宙が消え
 去るとともに消え去ることのないそれ、いかなる証明も必要とせず、しかし、
 それが触れるすべてのものに実在を分け与えるそれだ。
 一瞬間だけ、あたかも実在のように現れるのが偽りの本性なのだ。
 真実は偽りの父だとも言えるだろう。
 しかし、偽りは時間と空間に限定され、環境によって生まれるものなのだ。

←「実在」とは何か?それは否定によってしかあらわせないものの解説として、くまでもわかるわかりやすさであります!
(´・(ェ)・`)つ

514鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/08(火) 22:57:21 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、偽りのものを全て否定して真実が現われるのじゃ。
 自分の名前とイメージの全てを否定した後にそれはあるのじゃ。
 それだけがあると言えるものなのじゃ。
 否定する主体すらも無いから否定も出来ないものなのじゃ。

515避難民のマジレスさん:2019/01/09(水) 02:16:48 ID:LC3de7YgO
>>514
> 否定する主体すらも無いから否定も出来ないもの

うむ。
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

516避難民のマジレスさん:2019/01/09(水) 02:34:54 ID:LC3de7YgO
>>512
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 最低限必要なものがあります。
 マハラジ
 あなたがそれを思ったことで、それは供給されはしなかっただろうか?
 利己主義への囚われを捨て去りなさい。
 そして行為における知性と愛である、ありのままのあなたでありなさい。
 質問者 しかし、人は生き残らなければならないのです!
 マハラジ
 生き残ることはどうすることもできないのだ!
 真のあなたは時間を超え、誕生と死をも超えている。
 そして、身体はそれが必要とされるまで生存するだろう。
 長く生き残ることが重要なのではない。
 充実した人生の方が、長い人生より良いのだ。
 質問者 何が充実した人生かを、誰が言えるのでしょうか? それは私の文
     化的な背景によるものです。
 マハラジ
 もしあなたが実在を探求しているのなら、すべての文化的な考えや感じ方の
 パターンといった背景から、あなた自身を自由にしなければならない。
 男や女であるといった観念さえ、人間であるという観念でさえ放棄されるべ
 きなのだ。
 生命の大海は人類だけでなく、すべてを包含している。
 まず、すべての自己同一化を放棄し、あなた自身をあれやこれとして考える
 のをやめなさい。
 あらゆる利己主義を放棄しなさい。
 物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。
 粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲望を放棄しなさい。
 いかなる類(たぐい)の達成についても考えることをやめなさい。
 あなたは今ここで、完璧なのだ。
 あなたは絶対的に何も必要ないのだ。
 それは何も、あなたが無能で無謀な、軽率で無関心な人になるべきだという
 ことではない。
 ただ自分自身に関する根本的な不安が去るべきなのだ。
 あなたにはいくらかの食事と衣服、そして住居が必要だ。
 しかし、欲望を必要と見なさないかぎり、それが問題をつくり出すことはな
 いだろう。
 想像ではなく、あるがままのものごとと調和のうちに生きなさい。
 質問者 もし、私が人間でなければ、何だというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたに、あなたが人間だと考えさせるものは人間ではない。
 それは意識内の無次元の点、意識している無なのだ。
 あなたがあなた自身に関して言えることは、「私は在る」だけだ。
 あなたは純粋な存在―意識―至福だ。
 それを実現することが、すべての探求の終焉(しゅうえん)なのだ。
 あなたがあなた自身だと思いこんでいることすべてが単なる幻影であり、そ
 して一時的なものを一時的なものとして、想像上のものを想像上のものとし
 て、非現実のものを非現実のものとして、純粋な気づきのなかで超然と離れ
 て見るとき、あなたは探求の終焉に突き当たるのだ。
 それは難しいことではない。
 だが、無執着が必要とされる。
 真理を見ることが困難なのは、偽りにしがみつくからだ。
 ひとたび偽りには時間が必要で、時間を必要とするものは偽りだと理解すれ
 ば、あなたは今このときにあっても時間を超えている。
 実在の間近にいるのだ。
 時間のなかでの永遠とは、時計の運動のような単なる反復にすぎない。
 それは過去から未来へとかぎりなく空虚に永続していくだけだ。
 実在は現在を、単なる精神的なものにすぎない過去や未来とはまったく異な
 った、活気あふれるものにする。
 もしあなたが何かを達成するのに時間が必要ならば、それは偽物に違いない。
 真実はつねにあなたとともにある。
 あるがままのあなたになるために待つ必要はないのだ。
 ただ、マインドが探求のために外へ出ていくのを許してはならない。
 何かが欲しいときは、自分自身に尋ねなさい。
 「私はそれが本当に欲しいのだろうか?」と。
 そして答えがノーならば、ただ捨て去るがいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

517鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/09(水) 21:25:07 ID:1d4drIFg0
>>515 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

自分が人間であり、文化的な背景と価値観をもっているというのも幻想なのじゃ。
生き残らなければならないというのも幻想なのじゃ。
なぜならば人はいずれ必ず死ぬからのう。
人という観念を持つ者は誰も生き残れないのじゃ。
マハラジが実在と呼ぶものだけが時間という観念を超えて永遠に在り続けるものなのじゃ。

518避難民のマジレスさん:2019/01/09(水) 22:03:38 ID:LC3de7YgO
>>516
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 私は幸福になるべきではないのでしょうか?
 もしあるものが必要で、しかも、もしそれが私を幸せにするなら、それを手
に入れるべきではないでしょうか?
 マハラジ
 あなたが在るということ以上に、あなたを幸せにすることのできるものはな
 い。
 幸福へのすべての探求が不幸のもととなり、より多くの不幸を導くのだ。
 価値のある唯一の幸福とは、意識的存在の自然な幸福だ。
 質問者 そのような高いレベルの気づきに達する前に、たくさんの体験が必
要なのではないでしょうか?
 マハラジ
 体験はただ記憶を後に残し、すでに充分重い重荷に加えるだけだ。
 あなたにこれ以上の体験は必要ない。
 過去のものだけで充分だ。
 そして、もしそれ以上が必要だというのなら、周囲の人びとのハートのなか
 に見入るがいい。
 何千年かけても不可能な多様な体験の数々をあなたは見いだすだろう。
 他者の悲しみから学びなさい。
 そしてあなた自身を救うがいい。
 あなたに必要なのは体験ではなく、すべての体験から自由になることだ。
 体験に貪欲(どんよく)になってはいけない。
 あなたには何も必要ないのだ。
 質問者 あなた自身、体験を通り抜けてきたのではないでしょうか?
 マハラジ
 私のまわりで、ものごとは起こる。
 しかし、私はそれらに手を貸さないのだ。
 私が感情的に巻き込まれるときだけ、出来事は体験となるのだ。
 私は改善を必要としない完全な状態のなかにいる。
 体験が私にとって何の役に立つというのだろう?
 質問者 人は知識と教育を必要とします。
 マハラジ
 ものごとを扱うには、ものごとの知識が必要だ。
 人びとに対応するには、洞察と共感が必要だ。
 自分自身に対するには、あなたには何も必要ない。
 意識的存在である、あるがままのあなたでありなさい。
 そして、あなた自身からさ迷い出てはならない。
 質問者 大学教育はもっとも有益なものです。
 マハラジ
 疑いなく、それはあなたに生活の糧(かて)を得る助けを与えてくれるだろ
 う。
 だが、それはあなたにどのように生きるかを教えはしない。
 あなたは心理学の学生だ。
 それはある特定の状況のなかでは、あなたを助けるだろう。
 しかし、あなたは心理学によって生きることができるだろうか?
 行為のなかで実在が反映されたときだけ、生命は価値あるものとなるのだ。
 死期が訪れたとき、あなたが「私は良く生きた。ふたたび生きる必要はない」
 と言えるために、どのように生きればいいのかを教える大学はないだろう。
 私たちのほとんどは、ふたたび生きたいと願いながら死んでいく。
 あまりにも多くの過ちを犯し、あまりにも多くのやり残しがあるからだ。
 ほとんどの人びとが、無為単調な生活をし、本当に生きているとは言えない。
 彼らは単に体験を集め、彼らの記憶を豊富にするだけなのだ。
 しかし、感覚的でも、観念的でもなく、身体でも、マインドでもない、しか
 もそれらを含み、そのどちらをも超えていく実在を体験は否定してしてしま
 うのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

519鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/10(木) 22:31:41 ID:1d4drIFg0
生きることは知識によっては解明できないのじゃ。
誰もが試行錯誤して生きているのじゃ。
知識だけで安楽に暮らせるならば膨大な知識がある現代の者は皆安楽なはずであるがのう。
実際は苦に迷っているのじゃ。
自らを知り、心を観たものだけが進歩していくことが出来るのじゃ。
それは学校では教えてくれないことなのじゃ。

520避難民のマジレスさん:2019/01/11(金) 00:23:52 ID:LC3de7YgO
>>518
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 しかし、体験はもっとも有益なものです。体験を通して、人は炎に
 触れないことを学ぶのです。
 マハラジ
 ものごとを扱うには、知識はもっとも有益だとすでに話したはずだ。
 しかし、それはあなたに人びとや自分自身とどうつき合うか、人生をどう生
 きるかを教えはしない。
 私たちは車の運転や金銭を稼ぐ話をしているのではない。
 そのためには体験が必要だ。
 しかし、あなた自身の光となるためには、物質的知識は助けにならないだろ
 う。
 本当の意味でのあなた自身になるためには、間接的知識よりもさらに深く親
 密な何かが必要となるのだ。
 あなたの外面的生活は重要でない。
 あなたは夜警にでもなり、幸福に生きることもできる。
 内面におけるあなたが何なのか、それが重要なのだ。
 いかなる大学もあなた自身として在ることを教えはしない。
 学ぶ方法は実践しかないのだ。
 たった今、あなた自身として在りはじめなさい。
 あなたではないものを放棄し、どこまでも深く入っていきなさい。
 井戸を掘る人が地下水層に達するまで水ではないものを捨て去るように、あ
 なたもまた、自分自身ではないものを、放棄できるものが何ひとつなくなる
 まで捨て去らなければならないのだ。
 あなたはマインドがつかむことのできるものが何も残されていないのを見る
 だろう。
 あなたは人間でさえないのだ。
 あなたはただ在る。
 時間と空間と同一の広がりをもち、しかもその両方を超え、それ自体原因の
 ない、究極の原因である覚醒の一点なのだ。
 もしあなたが「あなたは誰か?」と尋ねるならば、私はこう答えるだろう。
 「私は特定な何かではない、しかし、それでも私は在るのだ」と。
 質問者 もしあなたが特定の何かではないとすれば、あなたは普遍的な何か
 であるはずです。
 マハラジ
 普遍的であることとは何だろうか?
 理念としてではなく、ひとつの生き方として。
 何であれあなたがであうものと分離せず、反対せず、理解し、愛することが
 普遍的に生きることだ。
 わたしは世界であり、世界は私だ。
 世界は私のものであり、世界は我が家だと本当に言えること。
 すべての存在は私の存在であり、すべての意識は私の意識だ。
 すべての悲しみは私の悲しみであり、すべての喜びは私の喜びだ。
 これが普遍的な人生なのだ。
 それにもかかわらず、私の真の存在は、あなたもまたそうであるように宇宙
 を超え、それゆえ特定や普遍といった範疇(はんちゅう)をも超えている。
 それは、それであるものだ。
 完全に自己充足し、独立しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

521鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/11(金) 22:39:55 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、マハラジがいうように全てが私であり全てなのじゃ。
宇宙も意識も世界も何もかもすべて一つなのじゃ。
数えることも無いから無数無量なのじゃ。
ただ意識だけが在る全てが全てなのじゃ。

522避難民のマジレスさん:2019/01/12(土) 10:00:48 ID:LC3de7YgO
>>520
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 私には理解しがたいことです。
 マハラジ
 これらのことを実行するには、しばらく自分自身に時間を与えなければなら
 ないだろう。
 新しい轍(わだち)をつくることなく、あなたの脳から古い轍を消し去らな
 ければならない。
 あなたはあなた自身が不動なものであること、起こることすべての沈黙の観
 照者であることを認識しなければならないのだ。
 質問者 つまり、私は活動的な人生という考えすべてを捨て去らなければな
 らないということでしょうか?
 マハラジ
 まったくそうではない。
 そこには結婚が、子どもが、そして家族を維持するために収入を稼ぐことが
 あるだろう。
 すべては出来事の自然な流れに沿って起こるだろう。
 運命はそれ自身を満たしていかなければならないからだ。
 あなたはやってくる大小含めた仕事を注意深く周到にこなし、抵抗なく通り
 抜けていくことだろう。
 だが全体的な姿勢は愛情深い冷静さ、かぎりない善意、見返りを期待せず、
 求めることなく、絶え間なく与えつづけていくことだ。
 結婚においては、あなたは夫ではなく、妻でもない。
 あなたはその二つの間の愛なのだ。
 あなたはすべてに秩序と幸福をもたらす明晰性と優しさだ。
 それはあなたにとって、つかみどころのないものに見えるかもしれない。
 しかし少し考えてみれば、神秘的なことがもっとも実際的であることを知る
 だろう。
 なぜなら、それはあなたの人生を創造的で幸福にするからだ。
 あなたの意識はより高い次元に上昇し、そこからは、すべてがより明瞭でよ
 り強烈に見える。
 誕生時に個人となり、死において存在を終えるその人はつかの間の偽物だと
 あなたは悟るのだ。
 あなたは欲望と恐れに捕らえられた感覚的、感情的、知的個人ではない。
 あなたの真の存在を見いだしなさい。
 私とは何なのか?
 これがすべての探求の根本的な質問だ。
 そのなかへ深く入っていきなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

523避難民のマジレスさん:2019/01/12(土) 15:21:18 ID:LC3de7YgO
>>522
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 マハラジ
 探求者とは彼自身を探している人だ。
 じきに彼は、身体が彼ではありえないと発見する。
 ひとたび「私は身体ではない」という確信がしっかりと確立されれば、もは
 や彼は身体に代わって感じ、考え、行動することはできなくなる。
 彼は普遍的な存在、知識、行為なのだということを容易に発見するだろう。
 彼のなかで、彼を通して宇宙全体が真実で、意識的で、活動的になるのだ。
 これが問題の核心だ。
 あなたは身体意識として環境の奴隷となるか、あるいはあなたは普遍的意識
 そのものであり、あらゆる出来事を完全に制御するかだ。
 しかし、それでも意識、個人、普遍なるものは私の真の居場所ではないのだ。
 私はその中にはなく、それは私のものではない。
 その中に「私」はない。
 どのようにして人が意識でもなく、無意識でもなく、ただ彼方に在ることが
 できるのかを説明することは容易でないが、私は彼方にあるのだ。
 私は神の中にいる、あるいは私は神だ、とは言えない。
 神は普遍的な光と愛、普遍的な観照者だ。
 私は普遍的なものさえ超えているのだ。
 質問者 それでは、あなたには名前も形もないということです。いったい、
 あなたはいかなる類(たぐい)の存在なのでしょうか?
 マハラジ
 私は私であるものだ。
 形がなく、形がないということでもない。
 意識ではなく、無意識でもない。
 私はこれらすべての範疇の外に在るのだ。
 質問者 あなたは「ネティ・ネティ」、これではない、これではないという
 アプローチについて語っているのでしょうか?
 マハラジ
 単なる否定によって私を見いだすことはできない。
 私はすべてであり、無なのだ。
 その両方であり、その両方でない。
 そういった定義は宇宙の支配者には当てはまるだろうが、私には当てはまら
 ないのだ。
 質問者 あなたはただの無だということを伝えたいのでしょうか?
 マハラジ
 そうではない。
 私は完全であり完璧なのだ。
 私は存在の中の存在性、知ることの中の知、幸福の充足だ。
 私を虚空に引き下げることはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

524鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/12(土) 21:11:42 ID:1d4drIFg0
観念がないということは無ですらないのじゃ。
無もまた観念の一つに過ぎないのであるからのう。
無である観念によって知識を増やそうとするならばそれもまた否定されるべきなのじゃ。
観念が無いことによって全ては正しく見えるようになるのじゃ。

525避難民のマジレスさん:2019/01/12(土) 22:27:45 ID:LC3de7YgO
>>523
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 質問者 もしあなたが言葉を超えているならば、私たちは何について話すと
 いうのでしょう? 形而上学的には、あなたの言われることは筋が
 通っていて、内面的な矛盾はありません。しかし、あなたの言われ
 ることは、私の糧(かて)になっていないのです。それは完全に私
 の緊急の必要性を超えています。私がパンを求めているときに、あ
 なたは宝石を与えているのです。それらが美しいことは、疑うまで
 もありません。しかし、私は空腹なのです。
 マハラジ
 そうではないのだ。
 私はあなたがまさに必要としているものを差しだしている――気づきだ。
 あなたは空腹ではなく、パンも必要ない。
 あなたに必要なのは停止、放棄、開放だ。
 あなたが必要だと信じているものは、あなたに必要なものではないのだ。
 あなたが本当に必要としているものを知っているのは私だ。
 あなたではない。
 あなたは私がいる状態に戻らなければならない――あなたの自然な状態に。
 ほかの何であれ、あなたの考えるものは幻想であり、障害だ。
 私を信じてほしい。
 あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
 あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
 それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
 ものだ。
 あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
 で充分だ。
 それ以外のすべては無駄なのだ。
 質問者 言うは易く行うは難し、です。苦痛を抱えた人があなたのもとへや
 ってきたとします。そして、あなたは彼に胃の中のものを吐き出す
 ように勧めるのです。もちろん、マインドがなければ何の問題もあ
 りません。しかし、もっとも明白に、マインドはそこにあるのです。
 マハラジ
 マインドがそこにある、とあなたに言うのはマインドなのだ。
 騙されてはいけない。
 マインドについての果てしない議論はみな、マインドそのものによってそれ
 自身を保護し、継続し、拡張するために生みだされたのだ。
 それを超えた彼方へとあなたを連れていくことができるのは、マインドの回
 旋や動乱を完全に拒絶することだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

526避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 08:58:32 ID:LC3de7YgO
>>525
> マインドがそこにある、とあなたに言うのはマインドなのだ。
 騙されてはいけない。
 マインドについての果てしない議論はみな、マインドそのものによってそれ
 自身を保護し、継続し、拡張するために生みだされたのだ。
 それを超えた彼方へとあなたを連れていくことができるのは、マインドの回
 旋や動乱を完全に拒絶することだ。


うぅむ。
拒絶。
何があっても、大丈夫、あるいは仕方がない、と平常心で受け止める覚悟があればよいのでありますね。
悟ってなくても、そのように振る舞えるようになればよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

527避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 09:16:02 ID:LC3de7YgO
>>525
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 マハラジ
 いかに高尚であっても、体験は実在のものではない。
 体験はその本性からして、来ては去っていくものなのだ。
 自己実現は獲得されるものではない。
 それはもっと理解の本質に近いものだ。
 ひとたびそれに到達すれば、けっして失われることはない。
 その反対に、意識は変化し、流れ、瞬間から瞬間へと変容を通り抜けていく。
 意識とその内容をとどめようとしてはならない。
 意識をとどめれば、それは止まる。
 洞察のひらめきと至福の爆発を永続させようと試みることは、それを維持し
 ようとするものにとって破壊的になる。
 来るものは去らなければならない。
 永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
 すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
 無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
 何度も繰り返し試みることだ。
 質問者 試みるには信頼が必要です。
 マハラジ
 まず、熱望がなければならない。
 欲望が強力なとき、試みようとする意志が現れるだろう。
 欲望が強いとき、あなたは成功への確信も必要ない。
 あなたには賭をする用意があるのだ。
 質問者 強い欲望、強い信頼――最後にはどちらも同じことです。これらの
 人々は彼らの両親も、社会も、自分自身さえ信頼しません。触れる
 ものすべてがくずれてしまうのです。彼らに絶対的に真正で、疑う
 余地のない、マインドによる議論を超えたひとつの体験を与えてく
 ださい。そうすれば彼らは世界の果てまであなたにしたがうでしょう。
 マハラジ
 だが、私はほかでもない、それをしているのだ!
 休むことなく、私はひとつの論争の余地のない要因へと彼らを引き寄せてい
 る。
 存在に証明は必要ない。
 それはそれ以外のすべてを証明するのだ。
 もし彼らが存在の事実の中に深く入っていき、「私は在る」が扉となる広大
 さと栄光を見いだし、その扉を通り抜けて、さらに彼方へと進んで行くなら、
 彼らの人生は幸福と光に満ちたものとなるだろう。
 私を信じてほしい。
 到達したとき、発見されるものに比べれば、必要とされる努力など無に等し
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

528避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 09:18:12 ID:LC3de7YgO
>>527
うむ!信じるであります。
(´・(∀)・`)つ

529鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/13(日) 20:48:55 ID:1d4drIFg0
>>526 そうじゃ、全て流してしまうのじゃ。
 囚われなくて善いのじゃ。

全てを手に入れるのであるからどれほど努力してもその甲斐はあるといえるのじゃ。
一生を費やしても悟りを得ようと精進するべきなのじゃ。
いずれは誰もが心身の全てを死によって失うのであるからのう。
有限な心身を使って無限の意識に参入するのじゃ。

530避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 22:02:45 ID:LC3de7YgO
>>527
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 質問者 あなたの言われるとおりです。しかし、これらの人々は自信も忍耐
 ももってはいないのです。
短期間の努力でさえ彼らを疲れさせてしまいます。
彼らが盲目のうちに手探りをし、しかも救いの手をつかむことさえできずにい
るのを見るのは心痛むことです。
彼らは根本的に本当にすてきな人たちなのですが、完全に道に迷っています。
 私は彼らに言うのです。
「真理をあなたの要求額で手に入れることはできない。条件を受け入れなけれ
ばならないのだ」と。
それに対する彼らの答えはこうです。
「何人かは条件を受け入れ、何人かは受け入れないでしょう。
受容や非受容は表面的で偶然のものです。
 実在はすべての中にあるのです。
すべての人が無条件で歩いていける道がか
ならずあるはずです」と。
 マハラジ
 あらゆるレベルで、人生のあらゆる領域において、すべてに対して開かれた
 そのような道はあるのだ。
 誰もが自分自身に気づいている。
 自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
 それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
 それはすべての人たちのためにある。
 誰もそれにとって未熟ではない。
 そして誰にも失敗はありえない。
 しかし、もちろんただ注意するだけではない。
 あなたの留意はマインドをも含まなければならないのだ。
 観照とは、根本的に意識とその動きへの気づきなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

531避難民のマジレスさん:2019/01/14(月) 00:58:29 ID:LC3de7YgO
>>530
> 誰もが自分自身に気づいている。
 自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
 それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
 それはすべての人たちのためにある。
 誰もそれにとって未熟ではない。
 そして誰にも失敗はありえない。
 しかし、もちろんただ注意するだけではない。
 あなたの留意はマインドをも含まなければならないのだ。
 観照とは、根本的に意識とその動きへの気づきなのだ。

注意深く、意識的にあろうとせよと言うことでありますね。
老いぼれても、つまずいて転んだりしないように注意せよと言うことであり、
老いぼれても、何でも知ってると思わず、注意深く本心を見守れと言うことでありますね。
(´・(∀)・`)つ

532鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/14(月) 22:22:28 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、始めて観るが如く注意深くみるのじゃ。
 同じものを観ると思うと人はどうしても手抜きするからのう。
 初心に帰るのじゃ。
 初心禅心なのじゃ。

533避難民のマジレスさん:2019/01/15(火) 07:00:01 ID:LC3de7YgO
>>530
『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】

 質問者 私たちは先日、現代における西洋人のマインドのあり方と、それが
 ヴェーダーンタ* の道義的、また知的修練に服従することの困難さ
 について語りました。その障害のひとつは、若いヨーロッパ人やア
 メリカ人は、世界の悲惨な状態と、それを正そうとする緊急の必要
 性に没頭することにあるのです。
 彼らは、あなたのような世界の改善の必要条件として個人的な改善
 を教える人に対する、忍耐力をもっていません。彼らは、それは可
 能ではなく、必要でもないと言うのです。人類はその社会的、経済
 的、政治的な組織体系を変える用意があると彼らは言います。世界
 政府、世界警察、世界計画、そしてすべての物質的、観念的境界線
 を廃棄することだけで充分であり、個人的変容は必要ないのだとい
 うことです。確かに、人びとが社会を形成しますが、社会も人びと
 を形成するのです。人間社会のなかで、人は人間らしくあることで
 しょう。それだけでなく、科学は以前宗教の領域になった多くの質
 問の答えを供給しています。

 * 訳注 ヴェーダーンタ Vedanta 「ヴェーダ(知識)の終焉」を意味する。
 『ウパニシャッド』『バガヴァッド・ギーター』、『ブラフマ・ス
 ートラ』を根本においたヒンドゥー教の教義の体系。純粋な非二元
 性と限定された(条件つき)非二元性の二つの教義を提示している。

 マハラジ
 確かに、世界の改善のために努力することは、もっとも賞賛に値する仕事だ。
 非利己的に為されることで、それはマインドを明晰にし、ハートを浄化する。
 しかし、じきに人ははかない夢を追求していることを自覚するのだ。
 特定の地域の、一時的な改善はつねに可能だ。
 そして、それは偉大な王や教師の影響のもとで何度も達成されてきた。
 だが、それはすぐに終局を迎え、人類を新しい悲惨な循環の輪のなかにおき
 ざりにするのだ。
 質問者 あなたは逃避を勧めているのではありませんか?
 マハラジ
 その反対だ。
 再生への唯一の道は破壊を通してしかないのだ。
 新しい金の宝飾品を鋳造する前に、あなたは古い宝飾品を、一度形のない状
 態に溶かさなければならない。
 世界を超えた彼方へ行った人びとだけが、世界を変えることができるのだ。
 そうでなければ、それはけっして起こらない。
 影響力が長く続いた少数の人たちは皆、実在を実現した人たちだった。
 彼らのレベルに到達しなさい。
 そして、そうなってから世界を助けることについて話すがいい。
 質問者 私たちが救いたいのは山や川ではなく、人びとなのです。
 マハラジ
 世界には、何も間違ったことはない。
 ただ、それを悪くする人たちのせいなのだ。
 行って、彼らに正しくふるまうように言いなさい。
 質問者 欲望と恐れが彼らにそのようにふるまわせるのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 人間の行動が恐れや欲望に支配されているかぎり、そこには何の希望もない。
 そして、どのようにして効果的に人びとに話をもちかけるかを知るには、あ
 なた自身、すべての欲望と恐れから自由にならなければならないのだ。
 質問者 一定の基本的な欲望や恐れは不可避なものです。それらは食べ物、
 セックス、死に関連しているのです。
 マハラジ
 それらは必要なものであり、必要なものとして容易に満たされる。
 質問者 死でさえも必要なのでしょう
か?
 マハラジ
 長く、充実した人生を生き、あなたは死ぬ必要性を感じるのだ。
 欲望と恐れが誤って適用されたときにだけ、それは破壊的になる。
 確かに欲望は正しく、恐れは誤りだ。
 だが、人びとが間違ったものを欲望し、正しいものを恐れるならば、それら
 は混沌と絶望を生み出すのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

534鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/15(火) 22:14:07 ID:1d4drIFg0
世界を救うとか、統一するとか宣伝して独裁者達が多くの血を流してきたのじゃ。
今もまた世界を救おうと努力して更に悲惨な世界が作られていくのじゃ。
欲を離れていない人間には無理な仕事なのじゃ。
悟りを求めることはそのような仕事から離れるから逃避に見えるが、実際にはそれだけが唯一の救いなのじゃ。
政治にも社会にも知識や学問にも出来ない真の救いが在るのじゃ。

535避難民のマジレスさん:2019/01/15(火) 22:20:22 ID:LC3de7YgO
>>534
うむ。
それしかないでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

536避難民のマジレスさん:2019/01/15(火) 22:41:38 ID:LC3de7YgO
>>533
68の1『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】(つづき)

 質問者 何が正しく、何が間違いなのでしょうか?
 マハラジ
 相対的には、苦しみの原因となるものが間違いで、苦しみを和らげるものが
 正しい。
 絶対的には、あなたを実在に連れ戻すものが正しく、実在を見えなくするも
 のが間違ったものだ。
 質問者 私たちが人類の救済について話すとき、それは無秩序と苦しみに対
 しての努力を意味しているのです。
 マハラジ
 あなたは単に救済について話すだけだが、かつて一度でも、ひとりの人を本
 当に助けたことがあるだろうか?
 あなたは今まで、ひとりの魂を助けの要らなくなるところまで導いたことが
 あるだろうか?
 彼の真の存在への洞察をもった人ではないにしても、少なくとも義務と機会
 を完全に自覚した人物を挙げることができるだろうか?
 あなたが自分自身にとって何が良いのかも知らないときに、どうして他者の
 ために何が良いかを知ることができるだろうか?
 質問者 生活手段の適切な供給は、すべての人たちにとって良いことです。
 あなたは神自身かもしれませんが、私たちに話しかけるにも、栄養
 の充分行きとどいた身体が必要なはずです。
 マハラジ
 あなたに話しかける私の身体を必要としているのは、あなたなのだ。
 私は身体でもなく、それを必要としてもいない。
 私は観照者でしかない。
 私は私自身の形をもっていないのだ。
 あなたは、それほどまで自分自身が意識をもった身体だと考えることに慣れ
 ているため、意識が身体をもっているということが想像もできないのだ。
 身体的存在は意識のなかの動き、マインドの状態でしかなく、意識の大洋は
 無限で永遠であるとひとたび認識し、意識に触れるとき、あなたは観照者で
 しかないと自覚したなら、完全に意識の彼方へと行くことができるだろう。
 質問者 存在のなかには多くのレベルがあると聞きました。
あなたはそれらすべてのレベルのなかに存在し、機能しているのでしょうか?
 あなたは地上に在りながら、同時に天国(スワルガ)にもいるのでしょうか?
 マハラジ
 どこにも私を見いだすことはできない。
 私はほかのもののなかにあるひとつのものではない。
 すべてのものごとは私のなかに在る。
 だが、私はものごとのなかにはいないのだ。
 あなたは私に、表層について語っている。
 だが、私は土台に関わっている。
 表層は現れては衰えていく。
 しかし、土台にあるものは継続するのだ。
 私は移りゆくものに興味をもたない。
 一方、あなたはそれ以外のことは何も話さないのだ。
 質問者 奇妙な質問を許してください。もし誰かが鋭い刀で突然あなたの首
 を断ち切ったならば、あなたにとってどのような違いがあるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 まったく何の違いもない。
 身体がその頭を失うだけだ。
 伝達経路が断ち切られるだろう。
 それだけだ。
 二人の人が電話で話をしている。
 そして、線が切られたのだ。
 その人たちには何も起こらない。
 ただ、彼らはほかの伝達手段を探さなければならないだけだ。
 『バガヴァッド・ギーター』は、「刀はそれを切らない」と言っている。
 文字通りそうなのだ。
 媒体の死にもかかわらず、生きつづけるのが意識の本性だ。
 それは火のようなものだ。
 それは燃料を燃やし尽くすが、それ自体をではない。
 ひとつの炎が燃料の山を長い間燃やしつづけていくように、意識も無数の身
 体を通して生きつづけていくのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

537素人A:2019/01/16(水) 08:11:05 ID:gOqWUDAs0
個の用も2045年問題泣くAIの発達により見回りロボットの人間の物質的役は解決され?観るだけで物質的責任は
亡くなりバーチャルなテレビの劇のなかで泣き笑いの感動するだになるのか?どうせ人間は役立たずで動物の体維持する
無駄遣いはやめ合理的な機械いやAIロボットに動物はおきかえられるのか?もともと悟ツタ聖者たちは物質的欲望は
最低限で観るだけのバーチャル観で生きていたしまあ良い時代が来たのか?兎に角あくせく汗流して働かなくても生き
られで永遠のテレビの盤だとみな悟らされ、それは凡仏にはつまらない正解の鴨で痛いは困るけど女性を触れなくなるのが
辛いのか?親子でもそれはバーチャルな役目で半分の観るだけの半分のあの世うの無責任な淡い現実感しかなあ
アートため息が出で現実に迷つた時代を懐かしく思う野鴨。でもブラフマンの親心で観るだけの存在として許されているだけ
でも有りがたいのかイラン人としてゴミ箱に捨てられるよりましか?本当は捨てられる運命なら怖い。
来てほしい遊んで楽に暮らせるなら2045年は問題無しなんだが?美味い汁のAIは金持ちが独占するなら不味い世
が来るのか?サイコロの眼は目出たい法に出るのか丁半勝負?いままで人類は核問題も金さんも乗り切ってきたし
心配ないのかも知れないけどホーキンズ放棄するか なるようになるしか無い。

538鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/16(水) 21:49:11 ID:1d4drIFg0
>>535 そうじゃ、悟りを求めることこそ人が真に行うべきことなのじゃ。

 マハラジは救済を口にする者に、かつて本当に一人の人でも助けたことがあったかと聞くのじゃ。

 例えば飢えている者に食べ物をあげれば命は一時的に助かるじゃろう。
 家とか服とか医療を与えればかなり長く生きられるじゃろう。
 更に畑とか仕事とかを提供すれば老病死がくるまでは生きられるじゃろう。
 しかし、その先にある老病死からは助けられないのじゃ。
 それが他人への救済の限界なのじゃ。

 自ら悟りを得て他人をも導かなければその限界は突破できないのじゃ。
 他人を導いて悟りを得さしめてこそ真の救済が出来たといえるのじゃ。

539避難民のマジレスさん:2019/01/16(水) 22:49:53 ID:LC3de7YgO
>>538
うむ。
一切をありのままに受け入れることできるように、よぼよぼよたよたと、がんばるであります。
(´・(ェ)・`)つ

540避難民のマジレスさん:2019/01/16(水) 22:59:57 ID:LC3de7YgO
>>536
『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】(つづき)

 質問者 燃料は炎に影響を与えます。
 マハラジ
 それが続くかぎりはそうだ。
 燃料の性質を変えてみなさい。
 炎の色と姿も変化するだろう。
 今、私たちは互いに話しあっている。
 このために、存在は必要となる。
 存在しなければ、話しあうことはできない。
 だが、存在だけでは充分とは言えない。
 そこには話したいという欲望もなければならないのだ。
 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
 この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
 えない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
 質問者 あなたは沈黙の観照者であり、また意識の彼方に在ると言われます。
 そこには矛盾があるのではないでしょうか?
 もしあなたが意識の彼方に在るのなら、あなたは何を観照するというのでしょ
うか?
 マハラジ
 私は意識と無意識だ。
 意識と無意識であり、そして意識ではなく、無意識でもない。
 これらすべてに対して、私は観照者なのだ。
 だが、実はそこに観照者はいない。
 なぜなら、そこに観照されるものが何もないからだ。
 私はすべての精神構造を完全に空にした、空っぽのマインドなのだ。
 それにもかかわらず、完全に気づいている。
 これが、私はマインドを超えていると言うことで表現しようとしていること
 なのだ。
 質問者 それでは、どのようにしてあなたのいるところに到達できるのでし
ょうか?
 マハラジ
 意識していることに気づいていなさい。
 そして意識の源を探求しなさい。
 それだけだ。
 言葉ではほとんど伝えることはできないのだ。
 私があなたに話すことではなく、私の言うように、それをすることが光をもた
らす。
 手段はさして重要ではない。
 重きをなすのは熱望、衝動、真剣さなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

541鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/17(木) 21:52:22 ID:1d4drIFg0
>>539 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。

真剣であり、悟りを熱望し、激しい衝動を持っている者ならば悟りも速やかに達成できるのじゃ。
マハリシは死を超えるものを知ることに激しい衝動があったのじゃ。
そうであるから一日で悟りを得たのじゃ。
方法はそのような悟りへの真の衝動を持たないものの為にあるものじゃ。
更に激しく悟りへの情熱を燃やすのじゃ。

542避難民のマジレスさん:2019/01/17(木) 23:13:01 ID:LC3de7YgO
>>541
人に生きる目的があるとすれば、死ぬことでありますよね。
他に目的・・・て、言うか、目標は、ないでありますよね。

死んで生きるのが、覚者の教えでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

543避難民のマジレスさん:2019/01/17(木) 23:19:46 ID:LC3de7YgO
>>540
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 私の友人はドイツ人です。そして私はイギリス生まれで、両親はフ
 ランス人です。私はアーシュラムからアーシュラムを巡りながら、
 一年以上もインドにいます。
 マハラジ
 何かサーダナ(修練)をしているのかね?
 質問者 研究し、瞑想しています。
 マハラジ
 何に瞑想しているのだろうか?
 質問者 私が読んだことに瞑想しています。
 マハラジ
 よろしい。
 質問者 あなたは何をされているのでしょうか?
 マハラジ
 座っているのだ。
 質問者 ほかには?
 マハラジ
 話している。
 質問者 あなたは何について話をされるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは講義が聞きたいのかね?
 あなたが深く感じられるように、本当に心に触れるような何かを尋ねるほう
 がいい。
 感情的に関わらないかぎり、私と議論をしたとしても、本当の理解は私たち
 の間に生まれないだろう。
 もしあなたが「何も私を悩ますことはない、問題はない」というのなら、そ
 れはそれでいい。
 私たちは静かに黙っていよう。
 だが、本当にあなたの心に触れる何か
があるのならば、話す目的もあるとい
 うものだ。
 私があなたに尋ねようか?
 あなたがひとつところから別のところへと、移動しつづける目的は何だろう
 か?
 質問者 人びとに出会い、彼らを理解することです。
 マハラジ
 人びとの何をあなたは理解しようとしているのだろう?
 正確には、あなたは何を求めているのだろうか?
 質問者 統合です。
 マハラジ
 もしあなたが統合を望むのなら、誰を統合するのか知らなければならないだ
 ろう。
 質問者 人びとに出会い、彼らを見守
ることで、人は自分自身をもまた知る
 ことになるのです。それはともに進むのです。
 マハラジ
 それはかならずしもともに進むとはかぎらない。
 質問者 一方が他方を改善していきます。
 マハラジ
 それはそのように働かないのだ。
 鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
 あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
 鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
 きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
 を見なさい。
 しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
 あなたは投影を見る者だ。
 それを明確に理解しなさい。
 あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

544避難民のマジレスさん:2019/01/17(木) 23:24:18 ID:LC3de7YgO
>>543
> 感情的に関わらないかぎり、私と議論をしたとしても、本当の理解は私たち
 の間に生まれないだろう。
←うむ。で、ありましょう。
> それはそのように働かないのだ。
 鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
 あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
 鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
 きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
 を見なさい。
 しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
 あなたは投影を見る者だ。
 それを明確に理解しなさい。
 あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
←マハラジさんはユーモアがあり余裕でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

545鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/18(金) 22:13:58 ID:1d4drIFg0
>>542 そうじゃ、死んで生きるのじゃ。

マハラジの言葉は悟っていなければ理解するのは難しいじゃろう。
一体何が鏡で何が投影なのかもわからんじゃろう。
心が鏡であり、イメージが投影されるものと見ることもできるのじゃ。
しかし、イメージは自分ではないのじゃ。 
投影をみるものであり、知覚出来ないものとはアートマンに他ならないのじゃ。

546避難民のマジレスさん:2019/01/19(土) 00:37:44 ID:LC3de7YgO
>>545
うむ。
くま、昔からわかっていたような気もするし、永遠にわかるわけがないと言うような気もするのであります。
それではいけないのでありましようか?、どうでもよいのでありましょうか?。
自分に問うくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

547避難民のマジレスさん:2019/01/19(土) 07:48:47 ID:LC3de7YgO
>>543
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)
 質問者 私が鏡で、世界は投影なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは鏡と投影の両方を見ることができるのだ。
 あなたはそのどちらでもない。
 あなたは誰なのか?
 決まり文句で答えてはならない。
 答えは言葉のなかにないからだ。
 言葉で表せるもっとも近い表現は、「私は知覚を可能にし、体験者とその体
 験を超えた生命だ」と言えよう。
 さて、あなたは鏡と鏡のなかのイメージから自分を引き離し、完全にひとり
 で、まったくあなただけで立つことができるだろうか?
 質問者 いいえ、できません。
 マハラジ
 どうしてできないと知っているのかね?
 どのようにやっているのかも知らずに、あなたはたくさんのことをしている
 のだ。
 消化し、血液やリンパ液を循環させ、筋肉を動かしている。
 すべて、どのようにしているのかさえ知らずに。
 同じように、あなたはなぜ、どのようにしてるのかも知らないまま、知覚し、
 感じ、考えている。
 同じように、あなたは知らなくてもあなた自身なのだ。
 真我としてのあなたに何も間違ったところはない。
 それはそれとして完全だ。
 正しく澄んでいないのは鏡なのだ。
 それゆえ、それがあなたに偽りのイメージを与えるのだ。
 あなた自身を正す必要はない。
 ただあなた自身に関するあなたの考えを正しなさい。
 あなた自身を鏡と鏡のなかのイメージから引き離すことを学びなさい。
 つねに、「私はマインドでも、その考えでもない」ということを覚えておき
 なさい。
 信念とともに、忍耐強くそれをしなさい。
 そうすればあなたは、すべてを包容し、すべてに遍在する永遠の存在―知識
 ―愛の源としての、あなた自身の直接の姿を知るときがかならず来るだろう。
 あなたは身体のなかに焦点を合わせた無限なるものだ。
 今、あなたは身体しか見ていない。
 真剣に試みてみなさい。
 そうすれば、無限なるものだけを見るようになるだろう。
 質問者 実在の体験、それはいつやってくるのでしょう、それは続くものな
 のでしょうか?
 マハラジ
 すべての体験は、かならず一時的なものだ。
 だが、すべての体験の根底にあるものは不動なのだ。
 出来事と呼ばれるものは何ひとつ永続しない。
 だが、ある出来事はマインドを浄化し、ある出来事はそれを汚(けが)して
 しまう。
 深い洞察とすべてを包容する愛の瞬間はマインドを浄化する。
 だが、欲望と恐れ、妬(ねた)みと怒り、盲目と知的慢心は精神を汚し、鈍
 くしてしまうのだ。
 質問者 真我の実現はそれほどまでに重要なのでしょうか?
 マハラジ
 それなしには、あなたは果てしない苦しみのなかで、無意味に欲望と恐れを
 繰り返しながらそれらに食い尽くされてしまうだろう。
 ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないのだ。
 しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべての争いや
 葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の仕事となるだろう。
 あなたは自由になれることを知っている。
 そして今、それはあなたにかかっているのだ。
 永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、つねに失
 い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り
 去ることもない永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。
 そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
 それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
 だ。
 質問者 ここまでは、あなたの言われることを理解しました。さて、私は何
 をすべきなのでしょうか?
 マハラジ
 何もすることはないのだ。
 ただ在りなさい。
 何もしてはいけない。
 在りなさい。
 山に登って洞窟のなかに座ることはない。
 私は「あなた自身で在りなさい」とさえ言わない。
 なぜなら、あなたはあなた自身を知らないからだ。
 ただ在りなさい。
 あなたは知覚可能な「外側」の世界でもなければ、思考可能な「内側」の世
 界でもない。
 あなたは身体でもマインドでもないことを見極めたのだ。
 ただ在りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

548鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/19(土) 21:23:25 ID:1d4drIFg0
>>546 今はわからなくてよいのじゃ。
 悟れば自然にわかるのじゃ。
 目覚めた者の言葉とはそのようなものじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

悟りをもとめることは知識や記憶を増やすことではないのじゃ。
目覚めた者の言葉をいくら多く記憶していても無意味なのじゃ。
自ら自分を追及してその言葉を確かめるしかないのじゃ。
その実践をただ在ることとマハリシはいうのじゃ。

549避難民のマジレスさん:2019/01/19(土) 21:50:50 ID:LC3de7YgO
>>547
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 真我の実現には、確かに段階があるはずです。
 マハラジ
 真我の実現に段階などない。
 何も漸進的なところはないのだ。
 それは突然起こり、後戻りできないものだ。
 あなたは新しい次元のなかに入り、そこから以前の次元が単なる抽象的観念
 でしかなかったことを見る。
 日の出とともに、ものごとをあるがままに見るように、あなたは真我を実現
 することですべてをあるがままに見るのだ。
 幻想の世界は後に残されたままだ。
 質問者 真我の実現の状態のなかでは、ものごとは変わるのでしょうか?
 それらは色彩豊かになり、深い意味をもつようになるのでしょうか?
 マハラジ
 その体験はまったく正しい。
 しかし、それは実在(サダヌバーヴ)の体験ではなく、宇宙との調和(サッ
 トヴァヌバーヴ)の体験だ。
 質問者 それでも、そこには進歩があるのでしょうか?
 マハラジ
 準備(サーダナ)のなかに進歩はありうる。
 実現は突然のものだ。
 果実はゆっくり熟していく。
 しかし、落ちるのは突然であり、しかも、もとに戻ることはないのだ。
 質問者 私は身体的にも精神的にも安らかです。これ以上何が必要なのでし
 ょうか?
 マハラジ
 あなたの状態は究極の状態ではないかもしれない。
 あなたは自然な状態に戻ったことを、すべての欲望と恐れの完全な不在によ
 って自覚するだろう。
 結局、すべての欲望と恐れの根本には、あなたがあるがままではないという
 感覚があるのだ。
 関節がはずれているかぎり、脱臼(だっきゅう)したところが痛むように、
 そして関節がはめられたとたん、忘れ去られるように、すべての利己的関心
 は、ひとたび正常な状態に戻れば消えてしまう精神的な脱臼の症候なのだ。
 質問者 そのとおりです。しかし、自然な状態に達するためのサーダナとは
 何なのでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」という感覚をつかみ、それ以外のすべてを除きなさい。
 こうしてマインドが完全に沈黙したとき、それは新しい光とともに輝き、新
 しい知識とともに振動するのだ。
 すべては自発的にやってくる。
 ただ、「私は在る」という感覚をつかむ必要があるだけだ。
 眠りから覚めたときのように、あるいは歓喜の状態にいるように、あなたは
 休息した感覚をもち、しかもなぜ、どのようにしてこれほど良い感じがする
 ようになったのか説明ができない。
 真我実現も同じように、あなたは完全で、充足し、快楽―苦痛から自由であ
 ると感じ、それにもかかわらず、何が、どうして、どのように起こったのか
 を説明できないのだ。
 あなたはそれを否定的な言語でしか表せない。
 「私には、もはや何も間違ったところがない」と。
 ただ過去との比較においてだけ、それから自由になったことを知るのだ。
 そうでなければ、あなたはただ、あなたのままなのだ。
 ほかの人たちに伝えようとしてはならない。
 もしそうできるとしたら、それは本物ではなかったのだ。
 沈黙しなさい。
 そして、それは行為のなかで、それ自身を表現するのを見守りなさい。
 質問者 もし私が何に成るのかを言うことがあなたにできるのなら、それは
 私の成長を見守る助けになるかもしれません。
 マハラジ
 何かに成るということなどないとき、どうして誰かに、あなたが何になるの
 か言うことができるだろうか?
 あなたはただ、あなたで在ることを発見するのだ。
 自分自身をひとつのパターンに鋳造することなど、悲惨なる時間の浪費だ。
 過去も未来も考えず、ただ在りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

550避難民のマジレスさん:2019/01/20(日) 13:58:50 ID:LC3de7YgO
>>549
69の3『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】の3回目

 質問者 どうしてただ在ることができるでしょうか? 変化は不可避なので
 す。
 マハラジ
 変化の絶えないなかにあっては、変化は不可避だ。
 だが、あなたがそれに支配されることはない。
 あなたはそれに対して変化が知覚される、不変の背景なのだ。
 質問者 すべては変化します。背景もまた変化するのです。変化に気づくた
 めの不変の背景など、必要ありません。自己は一時的なものです。
 それは単なる過去と未来の遭遇(そうぐう)点でしかないのです。
 マハラジ
 もちろん、記憶をもとにした自己は一時的なものだ。
 しかし、そのような自己は、その背後に不断の継続性を必要とする。
 あなたの体験からも、自己を忘れてしまう隙間があることを知っているだろ
 う。
 何がそれを蘇らせるのだろうか?
 朝、あなたを目覚めさせるのは何だろうか?
 意識のなかのその隙間を橋渡しする、何か不断の要因がなければならない。
 もしあなたが注意深く見守れば、あなたの日常の意識は、つねに隙間が現れ
 るひらめきのようなものでしかないと知るだろう。
 その隙間のなかには何があるのだろうか?
 ほかでもない、あなたの永遠なる真の実在だ。
 それにとっては、マインドもノー・マ
インドもひとつなのだ。
 質問者 霊的な成就のためにあなたが勧める、私が行くべき特定の場所があ
 りますか?
 マハラジ
 唯一、正しい場所は内側だ。
 外側の世界は、助けにもならなければ妨げにもならない。
 どのような体系的方法も、どのような行動様式も、あなたを目的地へ連れて
 いきはしない。
 未来へ向けてのあらゆる働きかけを放棄しなさい。
 完全に、今に集中するのだ。
 起こるがまま、人生のあらゆる動きに反応することだけで関わっていきなさ
 い。
 質問者 放浪しようとする衝動は何が原因なのでしょうか?
 マハラジ
 原因はない。
 あなたはただ、放浪しているという夢を見ているだけだ。
 数年後には、あなたのインドでの滞在も夢として現れることだろう。
 そのころ、あなたは何かほかの夢を見ていることだろう。
 夢から夢へと動きまわるのは、あなたではない。
 夢があなたの前を流れていき、あなたは不変の観照者なのだ。
 いかなる出来事もあなたの存在に影響を与えることはない。
 これが絶対的な真理なのだ。
 質問者 物理的には動きまわりながら、内面においては動じずにいることは
 できないでしょうか?
 マハラジ
 それはできる。
 しかし、それが何の役に立つというのだろう?
 もしあなたが真剣なら、最後にはうろつき回ることに飽きて、今まで時間と
 エネルギーを浪費してきたことを後悔するだろう。
 あなた自身を見いだすためには、一歩を踏みだすことさえ必要ないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

551避難民のマジレスさん:2019/01/20(日) 14:09:55 ID:LC3de7YgO
>>550

> もしあなたが注意深く見守れば、あなたの日常の意識は、つねに隙間が現れ
 るひらめきのようなものでしかないと知るだろう。
 その隙間のなかには何があるのだろうか?
 ほかでもない、あなたの永遠なる真の実在だ。

←うむ。
車道を走る自動車の数え方に二通りあり、自動車その物を数えるか、走る自動車と自動車の間隔を数えるかであると、OSHOが例えてるのと同じでありますね。
その隙間こそが、まさに、
>永遠なる真の実在だ。

と言う理解で良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

552鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/20(日) 21:05:03 ID:1d4drIFg0
↑そのような理解で善いのじゃ。
 言葉ではそのようにいえるのじゃ。
 自ら確かめてみるしかないのじゃ。

常に自らの心を観るように導くのが正しい指導なのじゃ。
どこに行こうと自分の心を観る以外に解放への道は無いのじゃ。
自らの心の中に入っていくのじゃ。

553避難民のマジレスさん:2019/01/20(日) 21:50:43 ID:LC3de7YgO
>>550

『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 真我(アートマン)の体験と絶対なるもの(ブラフマン)の体験の
 間には、何か違いがあるのでしょうか?
 マハラジ
 絶対なるものの体験などありえない。
 それはすべての体験を超えているからだ。
 その反対に、自己はあらゆる体験のなかの体験要因だ。
 それゆえ、それはある意味で体験の多様性を有効にするのだ。
 世界は偉大な価値あるもので満ちているかもしれない。
 だが、誰も買う人がいなければ、それらに価値はない。
 絶対なるものは、体験可能なあらゆるものを包含している。
 体験を可能にするもの、それが絶対なるものだ。
 それを現実のものにするのが真我なのだ。
 質問者 私たちは段階的な体験を通して絶対なるものに到達するのではない
 でしょうか? もっとも粗雑な体験からはじまり、もっとも崇高な
 体験で終わるように。
 マハラジ
 それを熱望しないかぎり体験はありえ
ない。
 欲望の間に段階はありうる。
 しかし、もっとも崇高な欲望とすべての欲望から自由になることの間には、
 渡らなければならない深遠がある。
 実在ではないものが実在に見えることはあるかもしれない。
 しかし、それは一時的なことだ。
 実在は時間を恐れてはいないのだ。
 質問者 非実在は実在の表現ではないのでしょうか?
 マハラジ
 どうしてそうありえよう?
 それは、あたかも真理は夢のなかでそれ自体を表現すると言うようなものだ。
 実在にとって、非実在は存在しない。
 あなたがそれを信じるために、それは実在として現れるのだ。
 疑ってみなさい。
 そうすればそれは消え去る。
 誰かを愛するとき、あなたはそれに実在を与える。
 あなたはあなたの愛が全能で、永遠だと想像する。
 それが終局を迎えるとき、あなたは言う、「わたしはそれが本物だと思って
 いたが、そうではなかった」と。
 一時性は非実在の最高の証拠なのだ。
 時間と空間のなかに限定され、ひとりの人にしか適用しないものは実在では
 ない。
 実在はすべてのためにあり、永遠のものなのだ。
 ほかの何よりも、あなたはあなた自身を大切にする。
 あなたはあなたの存在を、何ものとも交換することを許さないだろう。
 在ることへの欲望は、すべての欲望の
なかで最強のものだ。
 そして、あなたが真我を実在したときだけ、それは去るだろう。
 質問者 非実在のなかにさえ、そこには実在の感触があります。
 マハラジ
 そうだ。
 それを実在と見なすことで、あなたはそれに実在性を分け与えるのだ。
 あなたは自分を納得させた上で、自分の確信によって束縛されてしまうのだ。
 日が照るとき、色彩が現れる。
 日が沈むとそれらは消え去る。
 光なしに、色彩はどこにあるだろうか?
 質問者 それは二元性のなかでの考えです。
 マハラジ
 考えることはすべて二元性のなかにある。
 本質のなかではいかなる思考も生き残らないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

554鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/21(月) 22:34:56 ID:1d4drIFg0
アートマンを法として使うことでブラフマンにも至れるのじゃ。
それは体験ではないのじゃ。
体験とは一時的に味わい、記憶としてのみ残る刺激なのじゃ。
そのようなものは記憶と共に消えてしまうものじゃ。
消えることの無いものだけが実在しているといえるのじゃ。

555避難民のマジレスさん:2019/01/21(月) 23:00:57 ID:LC3de7YgO
>>553
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】

 マハラジ
 あなたはどこから、何のために来たのかね?
 質問者 私はアメリカから来ました。そして、私の友人はアイルランドから
     来ました。私は6カ月前に来て、アーシュラムからアーシュラムへ
     と旅してきました。私の友人はひとりで来たのです。
 マハラジ
 あなたは何を見てきたのだろうか?
 質問者 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪
     れました。シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見を
     うかがえるでしょうか?
 マハラジ
 私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。
 しかし、あなたはマハルシの何を知っているのかね?
 あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。
 だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。
 質問者 もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?
 マハラジ
 おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。
 二、三の言葉を交わしさえするかもしれない。
 質問者 しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。
 あなたはあなたが体験したことのないものを賞賛することはできない。
 あなたはあなた自身であると考えているものだ。
 だが、あなたはあなたが体験していないものをあなた自身として考えること
 はできないのだ。
 質問者 技師になるためには工学を学ばなければなりません。神となるため
     には何を学ばなければならないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはすべてを忘れなければならない。
 神はすべての欲望と知識の終焉なのだ。
 質問者 あなたは、単に神になろうとする欲望を放棄することで、私が神に
     なると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望が放棄されなければならない。
 なぜなら欲望を持つことで、あなたはあなたの欲望の形を取るからだ。
 何の欲望も残っていないとき、あなたは自然な状態へと戻るのだ。
 質問者 私が完成に到達したということを、どうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 完成を知ることはできない。
 あなたは未完成だけを知ることができるのだ。
 知識が存在するには、そこに分離と調和がなければならない。
 あなたはあなたではないものを知ることができる。
 だが、あなたの真の存在を知ることはできないのだ。
 あなたはあなたであるものとしてだけ在ることができる。
 そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。
 それは偽りを偽りとして見るというものだ。
 しかし理解するために、あなたは外側から観察しなければならない。
 質問者 ヴェーダーンタのマーヤー、幻想の概念は、顕現にあてはめられま
     す。それゆえ、私たちの顕現の知識は信頼できません。しかし、非
     顕現の知識は信頼できるはずです。
 マハラジ
 非顕現の知識といったものはない。
 それは不可知だ。
 知ることができるのは現実のものだけなのだ。
 質問者 どうして、知る者が知られないまま残るのでしょう?
 マハラジ
 知る者は知られるものを知っている。
 あなたは知る者を知っているだろうか?
 誰が知る者を知る者なのだろうか?
 あなたは非顕現を知りたいと言う。
 あなたは顕現を知っていると言えるだろうか?
 質問者 私はものごとと概念を、そしてそれらの関係を知っています。それ
     らの総計が私のすべての経験なのです。
 マハラジ
 すべて?
 質問者 ええ、すべての現実の体験です。現実に起こらなかったことを知る
     ことができないのは認めます。
 マハラジ
 もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合計のどれほ
 どをあなたが知っていると言うのだろう?
 質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。
 マハラジ
 それでさえもない。
 あなたはあなたが反応することだけを知っている。
 誰が何に反応するかを知ってはいない。
 あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。
 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

556避難民のマジレスさん:2019/01/21(月) 23:01:02 ID:LC3de7YgO
>>553
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】

 マハラジ
 あなたはどこから、何のために来たのかね?
 質問者 私はアメリカから来ました。そして、私の友人はアイルランドから
     来ました。私は6カ月前に来て、アーシュラムからアーシュラムへ
     と旅してきました。私の友人はひとりで来たのです。
 マハラジ
 あなたは何を見てきたのだろうか?
 質問者 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪
     れました。シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見を
     うかがえるでしょうか?
 マハラジ
 私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。
 しかし、あなたはマハルシの何を知っているのかね?
 あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。
 だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。
 質問者 もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?
 マハラジ
 おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。
 二、三の言葉を交わしさえするかもしれない。
 質問者 しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。
 あなたはあなたが体験したことのないものを賞賛することはできない。
 あなたはあなた自身であると考えているものだ。
 だが、あなたはあなたが体験していないものをあなた自身として考えること
 はできないのだ。
 質問者 技師になるためには工学を学ばなければなりません。神となるため
     には何を学ばなければならないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはすべてを忘れなければならない。
 神はすべての欲望と知識の終焉なのだ。
 質問者 あなたは、単に神になろうとする欲望を放棄することで、私が神に
     なると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望が放棄されなければならない。
 なぜなら欲望を持つことで、あなたはあなたの欲望の形を取るからだ。
 何の欲望も残っていないとき、あなたは自然な状態へと戻るのだ。
 質問者 私が完成に到達したということを、どうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 完成を知ることはできない。
 あなたは未完成だけを知ることができるのだ。
 知識が存在するには、そこに分離と調和がなければならない。
 あなたはあなたではないものを知ることができる。
 だが、あなたの真の存在を知ることはできないのだ。
 あなたはあなたであるものとしてだけ在ることができる。
 そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。
 それは偽りを偽りとして見るというものだ。
 しかし理解するために、あなたは外側から観察しなければならない。
 質問者 ヴェーダーンタのマーヤー、幻想の概念は、顕現にあてはめられま
     す。それゆえ、私たちの顕現の知識は信頼できません。しかし、非
     顕現の知識は信頼できるはずです。
 マハラジ
 非顕現の知識といったものはない。
 それは不可知だ。
 知ることができるのは現実のものだけなのだ。
 質問者 どうして、知る者が知られないまま残るのでしょう?
 マハラジ
 知る者は知られるものを知っている。
 あなたは知る者を知っているだろうか?
 誰が知る者を知る者なのだろうか?
 あなたは非顕現を知りたいと言う。
 あなたは顕現を知っていると言えるだろうか?
 質問者 私はものごとと概念を、そしてそれらの関係を知っています。それ
     らの総計が私のすべての経験なのです。
 マハラジ
 すべて?
 質問者 ええ、すべての現実の体験です。現実に起こらなかったことを知る
     ことができないのは認めます。
 マハラジ
 もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合計のどれほ
 どをあなたが知っていると言うのだろう?
 質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。
 マハラジ
 それでさえもない。
 あなたはあなたが反応することだけを知っている。
 誰が何に反応するかを知ってはいない。
 あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。
 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

557鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/22(火) 21:53:12 ID:1d4drIFg0
全ての知識や体験は実感することの邪魔になるだけなのじゃ。
それらは自ら実感することのための方法を教えるだけであるからのう。
体験したことも不要な観念に他ならないのじゃ。
それは既に消えてしまったものであるからのう。
囚われずに進むのじゃ。

558避難民のマジレスさん:2019/01/22(火) 22:18:53 ID:LC3de7YgO
瞑想とか修行を通して実感できることは、それを体験して、囚われずに実践してる間は、続くのでありますが、それが知識になり、囚われて、求めだすと得られなくなるのであります。
ただくまの場合、基本的な気の実感みたいなものはいつでも得られるので、訓練方法によってはなんとかなると思うのであります。
囚われずに進むであります。
(´・(ェ)・`)つ

559避難民のマジレスさん:2019/01/22(火) 22:27:21 ID:LC3de7YgO
>>556
70の2『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】2回目

 質問者 私は顕現を知っています。なぜなら、私はそれに参加しているから
     です。そのなかでの私の部分はたいへん小さいものであり、それは
     認めます。それでも、それはその全体性と同じほど現実なのです。
     そして、もっと重要なことは、私がそれに意味を与えるということ
     です。私なしには、世界は暗く沈黙しているのです。
 マハラジ
 ホタルが世界を照らすというのかね!
 あなたが世界に意味を与えるのではない。
 あなたはそれを見いだすのだ。
 あなた自身のなかに深く潜っていきなさい。
 そしてすべての意味があふれだす源を見いだしなさい。
 間違いなく、意味を与えることができるのは表面的なマインドではないのだ。
 質問者 何が私を限定し、表面的にしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 全体は開いていて、手に入るものだ。
 だが、あなたはそれを手にしない。
 あなたは自分自身だと考えている小さな個人に執着している。
 あなたの欲望はかぎられていて、野望は取るに足らないものだ。
 結局、知覚の中心がなければ、どこに顕現があるというのだろう?
 知覚されなければ、顕現は非顕現と同じだ。
 あなたは知覚する点、すべての次元に対する無次元の源なのだ。
 全体としてのあなた自身を知りなさい。
 質問者 ひとつの点が、どのように宇宙を包含できるというのでしょうか?
 マハラジ
 ひとつの点のなかには、無限の宇宙を包むに充分な空間がある。
 許容量に欠けることはない。
 自己限定だけが唯一の問題なのだ。
 しかし、あなた自身から逃げだすことはできない。
 どれほど遠くへ行こうとも、あなたは自分自身に、そして無であり、しかも
 すべての源であるこの点を理解する必要性に戻ってくるのだ。
 質問者 私はインドにヨーガの教師を探しに来たのです。いまだに私は探し
     ています。
 マハラジ
 どの類(たぐい)のヨーガをあなたは学びたいのだろうか?
 獲得のヨーガだろうか、放棄のヨーガだろうか?
 質問者 それらは最終的には同じ結果になるのではないでしょうか?
 マハラジ
 どうして同じでありうるだろう?
 一方は隷属させ、他方は解放する。
 動機がもっとも重要なのだ。
 自由は放棄を通してもたらされる。
 すべての所有は束縛なのだ。
 質問者 私が力強さと勇気をもってつかむものを、なぜ放棄しなければなら
     ないのでしょうか? そして、もし私が強さをもっていなければ、
     どうして放棄できるでしょう? 私にはこの放棄の必要性が理解で
     きません。私が何かを欲しいとき、どうしてそれを追求すべきでは
     ないのでしょうか? 放棄は弱者のためのものです。
 マハラジ
 もしあなたが放棄する智慧(ちえ)と力をもっていないのなら、ただあなた
 の所有物を見てみなさい。
 ただ見るという行為がそれらを焼き尽くすだろう。
 もしあなたがマインドの外側に立つことができるなら、じきに所有物と欲望
 を放棄することがもっとも明白な分別ある行為だと知ることだろう。
 あなたが世界をつくり出しておいて、それからそれについて心配するのだ。
 利己的になることはあなたを弱くする。
 あなたに欲望をもつだけの勇気と力があると考えるなら、それはあなたが若
 く、経験不足だからだ。
 例外なく、欲望の対象物はそれを獲得する手段を破壊する。
 そうして、それ自体も衰え果ててしまうのだ。
 結局、すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

560避難民のマジレスさん:2019/01/22(火) 22:31:16 ID:LC3de7YgO
>>559
最後の
>すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。

←このすべて とは、放棄する智慧(ちえ)と力 でありましょうか?
あるいは、タートマンとかブラフマンのことでありましょうか
(´・(ェ)・`)つ

561避難民のマジレスさん:2019/01/23(水) 18:43:58 ID:LC3de7YgO
>>559
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】(つづき)

 質問者 どのようにして無欲を訓練すればいいのでしょう?
 マハラジ
 訓練の必要はない。
 放棄という行為さえ必要ない。
 ただ、あなたのマインドをそらしなさい。
 それだけだ。
 欲望とは単にある想念にマインドを固定させることだ。
 それに注意を払わないことで、その常道にはまる習慣を捨て去りなさい。
 質問者 それだけですか?
 マハラジ
 そうだ。
 それだけだ。
 欲望や恐れが何であれ、それにとどまっていてはならない。
 自分で試みてみなさい。
 ときおり、あなたは忘れてしまうかもしれない。
 だが、それは問題ではない。
 すべての欲望と恐れを追い払うまで、すべての反応が自動的になるまで試み
 ることだ。
 質問者 人はどのようにして感情なしに生きていくことができるのでしょう
     か?
 マハラジ
 あなたは欲しいだけすべての感情をもつことができる。
 だが、引き起こされた感情の反応に注意しなさい。
 完全に自己決定し、外面からではなく、内面から導かれなさい。
 より良いものを確保するために、ひとつのものをあきらめるのは本当の放棄
 ではない。
 あきらめなさい。
 なぜなら、あなたはそれが無価値であることを理解するからだ。
 放棄していくにしたがって、あなたは自然に知性と、力と、無尽蔵の愛と、
 喜びのなかに成長していく自分を見いだすだろう。
 質問者 なぜ、それほどまでにすべての欲望と恐れを放棄することが強調さ
     れるのでしょうか? それらは自然なものではないのでしょうか?
 マハラジ
 それらは自然なものではない。
 完全にマインドによって作られたものだ。
 あなたに必要なものは何もないということを知るために、すべてを放棄しな
 ければならないのだ。
 あなたが必要とするものは非実在であり、あなたの努力は無意味だ。
 あなたは所有物があなたを守ると想像している。
 実際は、それらがあなたを傷つきやすくするのだ。
 あなた自身が「あれ」や「これ」として指し示すことができるすべてから離
 れたものであることを自覚しなさい。
 あなたは感覚的体験や言語的解釈によって到達することのできないものだ。
 それから立ち去りなさい。
 人格化を拒否しなさい。
 質問者 あなたの話を聞いた後、私は何をすればよいのでしょうか?
 マハラジ
 聞くことだけでは本当の助けにならないだろう。
 それを心にとどめ、熟考し、私が語っていることを私に語らせようとするマ
 インドの状態を理解しようとしてみなさい。
 私は真理から話している。
 両手を開き、受け取りなさい。
 あなたはあなたが考えているものではないのだ。
 私が保証しよう。
 あなたがもっているあなた自身のイメ-ジは記憶によってつくられたまった
 く偶然の産物なのだ。
 質問者 私は私のカルマの結果です。
 マハラジ
 一見、あなたであるように見えるもの、それはあなたではない。
 カルマは、あなたが繰り返し学んできたひとつの言葉にすぎない。
 あなたはけっして今まで、そしてこれからもひとりの個人ではないのだ。
 あなた自身を個人だと考えることを拒絶しなさい。
 自分が誰それだということを疑わないかぎり、希望はもてない。
 あなたが目を開くことを拒むとき、何を見せられるというのだろう?
 質問者 カルマとは、私を完成へと衝(つ)き動かす神秘の力だと私は思っ
     ています。
 マハラジ
 それは人びとがあなたに言ったことだ。
 あなたはすでに今ここで完成している。
 完成することができるようなものはあなたではない。
 あなたはあなた自身ではないものをあなただと想像しているのだ。
 やめなさい。
 重要なのは停止そのものであって、あなたが何をやめようとするかではない
 のだ。
 質問者 カルマが私に、私であるものに成るよう駆りたてたのではありませ
     んか?
 マハラジ
 何も駆りたててはいない。
 あなたはあなただと信じるものだ。
 信じるのを止めなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

562鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/23(水) 23:42:44 ID:1d4drIFg0
>>560 それはマハラジが初めに語ったただ見るという行為のことなのじゃ。
 ただ見るだけで欲しかったものはありふれた重荷となり、欲は苦に変わることがわかるのじゃ。
 そのようにして欲望も避けるようになるのじゃ。
 観察の法といえるのじゃ。

563避難民のマジレスさん:2019/01/24(木) 19:36:51 ID:LC3de7YgO
>>562
ありがとうであります。
なるへそ!
>ただ見るという行為がそれらを焼き尽くす

ことによって、

>  結局、すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。

なのでありますね。

すっきりしたであります。
(´・(ェ)・`)つ

564避難民のマジレスさん:2019/01/24(木) 19:44:54 ID:LC3de7YgO
>>561
70の4『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】4回目

 質問者 ここで、あなたは座り、私に話しています。あなたにそれを強いる
     のはカルマです。
 マハラジ
 何ひとつ、私に強いるものはない。
 私はする必要のあることをするだけだ。
 だが、あなたはたくさんの不必要なことをする。
 調べることを拒むことがカルマをつくり出すのだ。
 あなた自身の苦しみに無関心であることが、それを永続させるのだ。
 質問者 それは本当です。この無関心に終止符を打つことができるのは何で
     しょうか?
 マハラジ
 無執着、あるいは慈悲の波が内面から衝動として起こらなければならない。
 質問者 この衝動に私の方からであいに行くことができるでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 あなた自身の状態を見てみなさい。
 世界の状態を見てみるがいい。
 質問者 私たちはカルマ、輪廻(りんね)、進化、ヨーガ、師と弟子につい
     ての話を聞いてきました。これらすべての知識をどうすればいいの
     でしょう?
 マハラジ
 すべてを捨て去っていくがいい。
 忘れるのだ。
 概念や信念の重荷を捨て去って、先へと進んでいきなさい。
 すべての言語的構造、すべての相対的真実、すべての実体的な対象物を放棄
 しなさい。
 絶対なるものは、絶対的な献身によってだけ到達できるのだ。
 半端な気持ちではいけない。
 質問者 私は何か絶対的な真実からはじめなければなりません。そのような
     何かがあるでしょうか?
 マハラジ
 ある。
 それが「私は在る」という感覚だ。
 それからはじめなさい。
 質問者 それ以外の何も真実ではないのでしょうか?
 マハラジ
 ほかのすべては真実でもなければ、偽りでもない。
 それが現れると真実のように見え、否定されるとそれは消え去るのだ。
 一時的なものは神秘的だ。
 質問者 私は実在は神秘的なのだと思っていました。
 マハラジ
 どうしてそうありうるだろう。
 実在はシンプルで、オープンで、明らかで、優しく、美しく、そして喜ばし
 いものだ。
 それは矛盾からの完全な自由なのだ。
 それはつねに新しく、つねに新鮮で、かぎりなく創造的だ。
 存在と非存在、生と死、すべての区別がそのなかで溶けあっている。
 質問者 すべてが偽りだということは認めます。しかし、それが私のマイン
     ドを消し去ることができるでしょうか?
 マハラジ
 マインドとはそれが考えていることなのだ。
 マインドを真実にするために、真実を考えなさい。
 質問者 もしものごとの形が単なる現れでしかないなら、実際には、それら
     は何なのでしょうか?
 マハラジ
 実際には、知覚だけがある。
 知覚する者と知覚されるものは観念であり、知覚しているという事実は現実
 のものだ。
 質問者 絶対なるものはどこから来るのでしょうか?
 マハラジ
 絶対なるものは知覚の誕生する場所だ。
 それが知覚を可能にするのだ。
 しかし、分析のしすぎはあなたをどこへ導きもしない。
 あなたのなかには分析もマインドも超えた存在の核心がある。
 あなたはそれを行為のなかでだけ知ることができる。
 日常生活のなかで、それを表現しなさい。
 そうすれば、その光はつねに明るく光り輝くだろう。
 マインドの真正な機能とは、あなたに何が存在しないのかを伝えることだ。
 だが、もしあなたが明確な知識を望むなら、マインドを超えた彼方へ行かな
 ければならない。
 質問者 すべての宇宙のなかには、ただひとつでも価値あるものがあるので
     しょうか?
 マハラジ
 ある。
 愛の力だ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

565鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/24(木) 21:44:12 ID:1d4drIFg0
>>563 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。


カルマも観念に過ぎないものじゃ。
報いを説明するために作り出されたものじゃ。
それが人の意志にかかわることは無いのじゃ。
ましてそれが人の本質であることも無いのじゃ。
心の働きによってあるように見えるだけのものなのじゃ。

566避難民のマジレスさん:2019/01/24(木) 22:21:07 ID:LC3de7YgO
>>565
ふむふむ。
カルマとか無くてもよいと思うのでありますが。
報いは、どのように説明されるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

567避難民のマジレスさん:2019/01/25(金) 02:21:13 ID:LC3de7YgO
>>564
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】

 質問者 弟子がグルに多くの害を与えることは、私たちが繰り返し体験して
     きたことです。彼らは師の要望を考えることなく計画を立て、それ
     を実行に移します。最終的に、グルにとっては果てしのない心配が
     残り、彼の弟子には苦渋が残るだけです。
 マハラジ
 そうだ。
 それは起こる。
 質問者 誰がそういった屈辱をグルに感受させるよう強(し)いるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 グルは基本的に欲望をもたない。
 彼は選択をせず、決定もしない。
 純粋な観照者として起こっていることを見守り、感化されないままなのだ。
 質問者 しかし、彼の仕事は損害をこうむるでしょう。
 マハラジ
 勝利はつねに彼のものだ――最終的には。
 グルは、もし弟子がグルの言葉から学ばなければ、自分たちの過ちから学ぶ
 だろうということを知っているのだ。
 内面的には、彼は静かに沈黙している。
 彼には分離した個人という感覚がない。
 彼の弟子と彼らの取るに足らない計画も含めた、宇宙全体が彼のものなのだ。
 何ひとつ特定のものが彼に影響を与えることはない。
 あるいは同じことで、宇宙全体が同じ度合いで彼に影響を与えるのだ。
 質問者 グルの恩寵(おんちょう)というものはないのでしょうか?
 マハラジ
 彼の恩寵は絶えることなく遍在している。
 それはひとりに与えられ、ほかを拒むようなものではないのだ。
 質問者 どのようにそれは、個人的に私に影響を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのマインドが真理の探究に従事しているのも、グルの恩寵によるもの
 なのだ。
 そして、グルの恩寵によってあなたは真理を見いだすのだ。
 それはあなたの究極の目標に向かって意図することなく働いている。
 そして、それはすべての人にとってそうなのだ。
 質問者 ある弟子たちは用意ができ、成熟しています。そしてある弟子たち
     はそうではありません。グルは選択をし、決定をするのではないで
     しょうか?
 マハラジ
 グルは究極なるものを知っている。
 そして、それに向けて弟子を容赦なく駆りたてる。
 弟子は自分自身で超えなければならない障害物でいっぱいなのだ。
 グルは弟子の表面的な人生にはそれほど関心をもたない。
 それは重力のようなものだ。
 果実はもうこれ以上もちこたえられないとき、落ちなければならないのだ。
 質問者 もし弟子が目的地を知らなければ、どうやって彼に障害を見極める
 ことができるのでしょうか?
 マハラジ
 目的地はグルによって示される。
 障害は弟子によって発見されるのだ。
 グルに選り好みはない。
 だが、克服しなければならない障害をもつ者たちは、遅れをとるように見え
 るのだ。
 実際には、弟子はグルと異ならない。
 彼は行為における愛と知覚の、同じ無限の中心なのだ。
 彼の想像と想像したものとの自己同一化が、彼を包み込み、個人に変えてし
 まうだけだ。
 師は個人には関心がない。
 彼の注意は内面の見守る者に合わせられている。
 理解をし、それによって個人を消し去るのは見守る者の仕事なのだ。
 一方では恩寵があり、もう一方では修練への献身がなければならない。
 質問者 しかし、個人は除去されたくないのです。
 マハラジ
 個人とは単なる誤解の結果だ。
 実際には、そのようなものはないのだ。
 果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡(こんせき)
 を残し、継続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け抜けていく。
 マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり出し、個人
 は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。
 実際には、個人というものは存在しない。
 ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。
 師は見守る者に言う。
 「あなたはこれではない。このなかには、見守る者と彼の夢を橋渡しする
 『私は在る』という小さな点以外、あなたのものは何ひとつないのだ」と。
 「私はこれだ、私はあれだ」は夢なのだ。
 一方、純粋な「私は在る」には実在の特質がある。
 あなたは今まで本当にたくさんのことを味わってきた――だが、すべては無
 に帰したのだ。
 ただ、「私は在る」だけが変わることなく存続している。
 あなたが彼方へと超えていけるようになるまで、変化の絶えないもののなか
 で、不変なるものとともにとどまりなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

568鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/25(金) 22:23:28 ID:1d4drIFg0
>>566 それは自らの心が行うことなのじゃ。
 自分の心は誤魔化せないから報いも確実に訪れるのじゃ。
 他人が見ていないところで行った悪事も自分の心は知っているから誤魔化せないのじゃ。

個我とか個人とは存在しないとマハラジはいうのじゃ。
それは記憶に拠って作られた幻なのじゃ。
人の体はプラーナや空間を通じて常に全て繋がっているのであるからのう。
一枚の葉が樹木と繋がっているようなものじゃ。

569避難民のマジレスさん:2019/01/25(金) 23:37:51 ID:LC3de7YgO
>>568
世にはまれに、サイコパスもいるようであります。
そのようなものの心に反省はないのではありますまいか?
(´・(ェ)・`)つ

570避難民のマジレスさん:2019/01/25(金) 23:50:29 ID:LC3de7YgO
>>567
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 それはいつ起こるのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたが障害を取り去ったとたんに起こるのだ。
 質問者 どの障害でしょう?
 マハラジ
 偽りへの欲望と真実への恐れだ。
 個人としてのあなたは、グルが個人としてのあなたに興味を持っていると想
 像している。
 まったくそうではない。
 彼にとって、あなたは排除すべき厄介な障害だ。
 彼は実際に、意識のなかの要因であるあなたを排除することを目指している
 のだ。
 質問者 もし私が排除されたなら、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 何も残らない。
 あるいはすべてが残るのだ。
 アイデンティティの感覚は残る。
 だが、特定の身体との同一化はもはやなくなる。
 存在―気づき―愛が最高度に輝きだすだろう。
 解放とは、けっして個人が解放を得ることではなく、個人という実体から解
 放されることなのだ。
 質問者 そして、個人の痕跡は何も残らないのでしょうか?
 マハラジ
 夢や子ども時代の記憶のような、漠然とした記憶は残る。
 結局、覚えておくような何がそこにあるというのだろうか?
 たいてい偶然の、そして無意味な一連の出来事でしかない。
 欲望と恐れの連鎖と、愚かな失敗だ。
 覚えておくような何かがそこにあるだろうか?
 個人とは、あなたを監禁する殻(から)でしかないのだ。
 殻を破りなさい。
 質問者 殻を破るよう誰に頼めばいいのでしょうか? 誰が殻を破るのでし
     ょうか?
 マハラジ
 記憶と自己同一化の拘束を破りなさい。
 そうすれば、殻はひとりでに破れるだろう。
 そこには、何であれそれが知覚するものに実在性を分け与える中心がある。
 あなたが理解すべきことは、あなたは実在の源であり、実在を得るのではな
 く、あなたが実在を与えるということだけだ。
 あなたには何の支持も確証も必要ないのだ。
 ものごとはそのままだ。
 なぜなら、あなたがそれをそれとして受け入れるからだ。
 受け入れるのをやめなさい。
 そうすればそれは消え去る。
 何であれ、あなたが欲望と恐れとともに考えることは、現実となってあなた
 の前に現れる。
 それを欲望と恐れなしに見なさい。
 そうすればそれは実体を失う。
 快楽と苦痛はつかの間のものだ。
 そのために行動を起こすよりも、無視する方が単純でたやすいのだ。
 質問者 もしすべてのものごとに終わりが来るならば、いったい、どうして
     はじめからそれらは現れるのでしょうか?
 マハラジ
 創造は意識の本性そのものなのだ。
 意識が現れを起こす原因なのだ。
 実在は意識を超えた彼方にある。
 質問者 私たちが現れを意識している間、どうして私たちは、それらがただ
     の現れにすぎないと意識しないのでしょうか?
 マハラジ
 マインドはそれとは知らないうちに、実在を覆い隠してしまう。
 マインドの本性を知るには、沈黙と冷静な気づきのなかでマインドを見る能
 力である知性が必要なのだ。
 質問者 もし私がすべてに遍在する意識の本質であるなら、どうして私に無
     知と幻想が起こったのでしょうか?
 マハラジ
 無知も幻想も、けっしてあなたには起こらなかったのだ。
 あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。
 そうすればあなたの質問は答えられるだろう。
 あなたはあたかも自己を知っているかのように話し、それが無知と幻想に揺
 り動かされているかのように見ている。
 だが実際には、あなたは自己を知らず、己の無知にも気づいていないのだ。
 気づきなさい。
 これがあなたを自己へと連れていくだろう。
 そうすればあなたは無知も妄想もなかったことを認識するだろう。
 それは、「光あるところ、いかにして闇あらん」という格言のようなものだ。
 どんなに日の光が強くとも、石の下には影ができるように、「私は身体だ」
 という意識の影のなかには、無知と幻想がかならず現れるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

571鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/26(土) 22:28:26 ID:1d4drIFg0
>>569 それは表面の思考とか感情で行われることではないのじゃ。
 自他を一つとみる深い意識で行われるのじゃ。
 そうであるから他人にしたことが自分に還って来るのじゃ。
 罪の意識がなくても報いはそのように起こるのじゃ。

記憶と自己同一化の拘束を破るようにとマハラジはいうのじゃ。
それこそ阿頼耶識の働きなのじゃ。
阿頼耶識が観察によって滅すれば悟りも訪れるのじゃ。

572避難民のマジレスさん:2019/01/26(土) 23:50:34 ID:LC3de7YgO
>>571
うむ。
確かにそうでありますね。
くまが無我を実感できるようになれば、サイコパスがいなくなるわけではないが、その様な者も報いを受ける、あわれな者として、受け入れられるようになるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

573避難民のマジレスさん:2019/01/27(日) 08:23:03 ID:LC3de7YgO
>>570
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 しかし、どうして身体意識は存在のなかに現れたのでしょうか?
 マハラジ
 「なぜ」や「どうして」を尋ねてはならない。
 それ自身を創造と同一化することは、創造的想像の本性なのだ。
 あなたは注意をそらすことで、あるいは究明することによって、いつでもそ
 れを止めることができる。
 質問者 創造は究明する前に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。
 それから、「私は在る」が個人となる。
 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。
 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。
 そしてグルは彼に言うのだ。
 「あなたは個人ではない。あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。
 彼はそれを為(な)し、彼方へと超えていくのだ。
 質問者 なぜ彼は最初からそうしなかったのでしょうか?
 マハラジ
 それは彼には起こらなかった。
 彼にはそれを言ってくれる誰かが必要だったのだ。
 質問者 それで充分だったのですか?
 マハラジ
 それは充分だった。
 質問者 なぜ、それはわたしの場合そう起こらないのでしょう?
 マハラジ
 あなたが私を信頼しないからだ。
 質問者 なぜ、私の信頼は弱いのでしょうか?
 マハラジ
 欲望や恐れがあなたのマインドを鈍くしてしまったのだ。
 それには洗い落としが必要だ。
 質問者 どうすればマインドをきれいにすることができるのでしょう?
 マハラジ
 容赦なく、それを見守ることによってだ。
 不注意が鈍くさせ、注意が明晰にさせるのだ。
 質問者 どうして、インドの師たちは無為を唱道するのでしょうか?
 マハラジ
 ほとんどの人びとの行為は、あからさまに破壊的でないにしても、無価値な
 のだ。
 欲望と恐れに支配され、彼らは何も適切なことができない。
 悪を為さないことが善をはじめることに先立つ。
 それゆえ、すべての活動をひとまず止める必要があるのだ。
 人の衝動とその動機を調べ、人生のなかでそれらはみな偽りであることを見
 て、あらゆる悪のマインドを清浄にし、その上でようやく自分の明白な義務
 から仕事を再開するのだ。
 もちろん、もしあなたが誰かを助ける機会があるなら、ぜひそうしなさい。
 それも敏速にしなさい。
 あなたが完全になるまで彼を待たせる必要はない。
 だが、善行を職業にしてはいけない。
 質問者 弟子たちの間にそれほど多くの善行をする人たちがいるようには見
     受けられません。私の出会ったほとんどが、自分の取るに足りない
     葛藤(かっとう)に没頭しています。彼らには他者を想う気持ちが
     ないのです。
 マハラジ
 そのような利己主義は一時的なものだ。
 そのような人びとに対して忍耐強くありなさい。
 長年、彼らは彼ら自身以外のすべてに注意を払ってきたのだ。
 ときには、彼らの注意を彼ら自身に向けさせようではないか。
 質問者 自己覚醒の成果とは何でしょうか?
 マハラジ
 あなたはより知的に成長するのだ。
 気づきのなかであなたは学ぶ。
 自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶのだ。
 もちろん、あなたはあなたではないものだけを学ぶことができる。
 あなたが何であるのかを知るには、マインドを超えた彼方へ行かなければな
 らない。
 質問者 気づきはマインドの彼方にあるのではないでしょうか?
 マハラジ
 気づきとはマインドがそれ自身の彼方にある実在のなかへ届こうとする点な
 のだ。
 気づきのなかで、あなたはあなたを喜ばすものを探すのではなく、真実なる
 ものを探すのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

574素人A:2019/01/27(日) 10:36:05 ID:gOqWUDAs0
インドの神話「始まりにおいて、この宇宙は人間の形をした自己にすぎなかった。かれはあたりを見回したが、自分以外に何も
みなかった。それでかれはこう叫んだ。『私は彼だ』。そこから『わたし』という名が出てきた。今日でも人が話しかけるとき
かれがまず『わたしは』といい、それからかれが世間に通用している名前を告げる理由はここにある。かれは恐れた、これが人
々の一人でいるのを恐れる理由である。かれは考えた。『しかし私はなにを恐れているのだ。わたしの外にはなにもないのだ』
それで彼の恐れは消えて去った。彼は不幸だった。これが人々の一人でいると不幸である理由である。かれは仲間を求めた。彼
は抱き合っている女と男ほどに大きくなった。彼は彼自身であるこの身体を二つの部分に分けた。そこから夫し妻が出来た。・
・そこで人間の身体は(人がその妻と結婚する前には)割れたえんどう豆の片割れに似ているのである。・・かれはかの女と結ば
れた。そこから人間達が生まれるのである。かの女は考えた。『どうやつて彼は自分から私を産み出したあと、私と結ばれるこ
とが出来たのか。いいわ隠れてみよう』。かの女は牝牛になった。かれは雄牛になつてかの女と結ばれた。これから牛が生まれ
た。かの女は山羊になった。・・・こうして彼は蟻にいたるまでひとつがいで存在するあらゆるものを作り出した。こうして彼
は解った。『たしかに私は、私自身から創り出すものである。なぜなら私が全世界を創り出したのだから』そこで彼は創造と呼
ばれた。」固体と大宇宙の生みの親との恒久的な基層は以上の神話によれば一にして同じ。・創造主が「自己」と呼ばれる理由

575避難民のマジレスさん:2019/01/27(日) 18:56:40 ID:LC3de7YgO
>>573
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 私は気づきが内面の沈黙の状態、精神的空の状態をもたらすことを
     見いだしました。
 マハラジ
 それはそれでよいが、充分ではない。
 あなたはそのなかで宇宙が青空の白雲のように漂う、すべてを包括する虚空
 を感じただろうか?
 質問者 まずは私自身の内なる空間をよく知るようにさせてください。
 マハラジ
 「私は身体だ」という分離をもたらす壁を壊しなさい。
 そうすれば、内面と外面はひとつになるだろう。
 質問者 私は死ぬのでしょうか?
 マハラジ
 身体的崩壊は無意味だ。
 感覚的な生にしがみつくことがあなたを束縛するのだ。
 もしあなたが内面の虚空を完全に体験するなら、全体性のなかへの爆発は間
 近なのだ。
 質問者 私自身の霊的成長には、それなりの時期があるのです。ときおり私
     は荘厳に感じ、そしてふたたび落ちこむのです。私はまるでエレベ
     ータ・ボーイのようです。上がったり下がったり、上がったり下が
     ったり。
 マハラジ
 意識における変化はすべて、「私は身体だ」という観念によるものだ。
 この観念を取り除くことで、マインドは安定する。
 特定の体験から自由な、純粋な存在がある。
 だが、それを実現するには、あなたは師の言うことをしなければならない。
 ただ聞くだけ、あるいは覚えることさえ充分ではないのだ。
 日常生活のなかで、師の一言ひとことを適用するよう懸命に専念しないかぎ
 り、あなたに進歩がないと不平を言ってはならない。
 本当の進歩とは、みな後戻りできないものだ。
 上がったり下がったりは、教えがマインドに届いていず、完全に行動に移さ
 れていないことを示しているのだ。
 質問者 先日、あなたはカルマなどというものはないと言われました。それ
     にも関わらず、私たちはあらゆるものごとに原因を見ます。それゆ
     え、すべての原因の合計がカルマと呼ばれるのかもしれません。
 マハラジ
 あなた自身を身体だと見なすかぎり、あなたはすべてに原因を帰するだろう。
 私はものごとに原因がないとは言ってはいない。
 それぞれのものごとには無数の原因がある。
 それはあるがままだ。
 なぜなら世界はあるがままだからだ。
 すべての原因とその支流は宇宙を覆っている。
 あなたにはあなたが承諾するものになる絶対の自由があり、あなたがあなた
 であるように見えるのは無知あるいは無関心のためだと自覚したなら、反抗
 し、変わることはあなたの自由だ。
 あなたはあなた自身ではないものとして在ることを許している。
 あなたはあなたではないものの存在の原因を探しているのだ!
 それは無駄な探求だ。
 すべての因果関係を超えた、完全なる真の存在に対するあなたの無知以外に
 原因などない。
 なぜなら、何が起ころうとも、責任はすべての宇宙にあり、そしてあなたが
 宇宙の源だからだ。
 質問者 私は宇宙の原因であることなど何も知りません。
 マハラジ
 あなたが「私は身体だ」という病原体に侵されたとき、宇宙全体が存在のな
 かに現れるのだ。
 だが、あなたがもうこれ以上はたくさんだというほどそれを味わったとき、
 解脱(げだつ)についての空想的な考えをマインドに抱いて、まったく無駄
 な行動を追求しはじめる。
 あなたは集中し、あなたは瞑想し、あなたはマインドと身体を苦しめて、あ
 らゆる類(たぐい)の不必要なことをする。
 だが、個人を消去するという本質的なことは見逃してしまうのだ。
 質問者 はじめのうちは、私たちが真我の探求をする用意ができるまで、し
     ばらくの間、祈りと瞑想をするべきなのかもしれません。
 マハラジ
 もしあなたがそう信じるなら、そうすればいい。
 私にとっては、あらゆる遅れは時間の浪費だ。
 あなたはすべての準備を飛び越え、内なる究極の探求に直接進むことができ
 るのだ。
 すべてのヨーガ(修練)のなかで、それがもっとも簡単で、最短なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

576避難民のマジレスさん:2019/01/27(日) 19:02:20 ID:LC3de7YgO
>>575
> 解脱(げだつ)についての空想的な考えをマインドに抱いて、まったく無駄
 な行動を追求しはじめる。
 あなたは集中し、あなたは瞑想し、あなたはマインドと身体を苦しめて、あ
 らゆる類(たぐい)の不必要なことをする。
 だが、個人を消去するという本質的なことは見逃してしまうのだ。

←マハラジは瞑想に否定的なのでありましょうか?

それとも、
>  あなたが「私は身体だ」という病原体に侵されたとき、宇宙全体が存在のな
 かに現れるのだ。
 だが、あなたがもうこれ以上はたくさんだというほどそれを味わったとき、

身体との自己同一化を放置したままの瞑想は、無駄だと言ってるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

577鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/27(日) 23:40:09 ID:1d4drIFg0
>>572 そうじゃ出来るじゃろう。
 それもまた観念の虜であるからそのような異常を示すのじゃ。
 哀れな者なのじゃ。

>>576 それらは瞑想という行為に囚われて自己を追求することを疎かにする者のためにいうのじゃ。
 瞑想も自己を追求するための方法の一つに過ぎないのじゃ。
 それに囚われて自己を追求しなくなれば何の意味も無いのじゃ。

 クリシュナムルティも瞑想ばかりをして自己を観察しないことを否定したのじゃ。

578避難民のマジレスさん:2019/01/27(日) 23:57:24 ID:LC3de7YgO
>>577
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

579避難民のマジレスさん:2019/01/28(月) 00:10:50 ID:LC3de7YgO
>>575
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】

 マハラジ
 あなたはインドに戻ってきたのかね。
 今までどこにいて、何を見てきたのだろうか?
 質問者 私はスイスから来ました。私はそこで、真我を実現したと宣言する
     注目すべき人物とともに滞在していました。彼は多くのヨーガを習
     得し、多くの体験を通り抜けてきました。今、彼は何も特別な能力
     や知識の主張をしません。唯一、彼について普通ではないことと言
     えば、感覚に関したことです。たとえば、車が彼に向かって急進し
     てきたとき、彼は、車が彼に向かって走ってきているのか、彼が車
     に向かっているのかわからないのです。どうやら、彼は同時に、見
     る者と見られるものの両方らしいのです。それらはひとつになるの
     です。何を見ようとも、彼は彼自身を見ています。私がヴェーダー
     ンタ哲学的な質問をすると、彼はこう答えるのです。「私には本当
     に答えられない。私は知らないんだ。私の知っていることは、何で
     あれ私が知覚するものとの奇
妙な同一化だけで、まったくこんなこ
     とが起こるとは予想もしていなかったんだよ」と。
     彼は概して謙虚な人です。弟子ももたず、自分を台座の上に置くこ
     ともしません。彼はその奇妙な状態について語ることを厭いません。
     しかし、ただそれだけなのです。
 マハラジ
 今、彼は知っているということを知っている。
 それ以外はすべて終わったのだ。
 少なくともまだ話はしている。
 じきに話すことさえもやめるだろう。
 質問者 そのとき、彼は何をするのでしょうか?
 マハラジ
 不動性と沈黙は無為ではないのだ。
 花は空間を芳香で満たし、ロウソクは輝きで満たす。
 それらは何もしないのに単なる存在だけですべてを変えてしまう。
 あなたはロウソクの写真を撮ることはできても、輝きは撮れない。
 あなたはその人の名前や姿を知ることはできても、彼の影響を知ることはで
 きないのだ。
 彼の存在自体が行為なのだ。
 質問者 行動的になるのは、自然なことではないでしょうか?
 マハラジ
 誰もが行動的でありたい。
 だが、彼の行為の根元はどこにあるのだろうか?
 そこに中心点なるものはないのだ。
 無意味に、苦しみながら、果てしない連続の中でそれぞれの行為が別の行為
 を生みだしていく。
 働きと休息の交代はそこにはない。
 あなたは車輪が車軸のまわりをまわっていくように周辺を旋回するのではな
 く、常に中心軸にいなければならないのだ。
 質問者 実際の修練において、私はどうすればよいのでしょうか?
 マハラジ
 いつであれ、欲望や恐れについての思考や感情がマインドに現れたときには、
 ただそれから注意をそむけなさい。
 質問者 思考や感情を抑圧すれば、私は反動を誘発することになるでしょう。
 マハラジ
 私は抑圧について語ってはいない。
 ただ注意を払うことを拒みなさい。
 質問者 マインドの動きを阻止するために努力するべきではありませんか?
 マハラジ
 それは努力とは何の関わりもない。
 ただ目を背け、思考そのものではなく、思考と思考の間を見なさい。
 群衆のなかを歩くとき、あなたは出会うすべての人と闘ったりはしない。
 ただ、その合間に通る道を見いだすだけだ。
 質問者 もし私が意志を用いてマインドを制御しようとすれば、それは自我
     を強めるだけです。
 マハラジ
 もちろんだ。
 もし闘えば、あなたは闘いを招く。
 だが抵抗しなければ、あなたも抵抗にであうことはない。
 ゲームをやめれば、あなたは無関係なのだ。
 質問者 私がマインドから自由になるには、どれくらいの時間がかかるので
     しょうか?
 マハラジ
 それには千年の時がかかるかもしれない。
 だが、本当は時間は必要としないのだ。
 あなたに必要なのは、絶対的に真剣になることだ。
 ここでは意志が実行だ。
 もし真剣ならば、それはあなたのものだ。
 結局、それは態度の問題なのだ。
 今ここであなたがジニャーニとなることを、恐れ以外の何も妨げてはいない。
 あなたは非人格として在ること、あるいは非人格的存在を恐れているのだ。
 ことはまったくシンプルだ。
 欲望と恐れから、そしてそれらが生み出す想念から注意をそむけなさい。
 そうすれば、あなたは即座に自然な状態のなかに在るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

580避難民のマジレスさん:2019/01/28(月) 07:33:23 ID:LC3de7YgO
苦労を重ね、年老いて、身体中の痛みに耐えて生き、死をおそれつつ孤独に天寿を全うしようとしている母に、どのような言葉をかけたらよいでありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ

581避難民のマジレスさん:2019/01/28(月) 12:46:04 ID:LC3de7YgO
>>579
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 マインドの修正や、変更や、消去といった問題はないのでしょうか?
 マハラジ
 絶対にない。
 マインドは放っておきなさい。
 それだけだ。
 それについていってはならない。
 結局、あなたの法則ではなく、それ自体の法則に従って去来する想念を離れ
 て、マインドというものは存在しない
のだ。
 ただあなたが興味を持つために、マインドに支配されてしまうのだ。
 まさにキリストが、「悪にはむかうことなかれ」と言ったごとくだ。
 悪に抵抗することで、単にあなたはそれを強調してしまう。


 質問者 そうなのです。今、私は理解します。私のすべきことは、悪の存在
     を否定することだけなのです。そうすれば、それは消え去るでしょ
     う。しかし、それではある種の自己暗示と同じになってしまいませ
     んか?
 マハラジ
 自己暗示は、あなたが善と悪の狭間(はざま)に捕らわれ、あなた自身を個
 人と見なしている今、もっとも強力に作用しているではないか。
 私があなたに求めていることは、それをやめることなのだ。
 目を覚まし、ものごとをあるがままに見なさい。
 あなたがスイスの奇妙な友人と滞在したことで、彼との交際を通してあなた
 は何を得たのだろうか?
 質問者 まったく何も得てはいません。彼の体験は、私にまったく影響を与
     えませんでした。ひとつだけ私が理解したことは、そこには探求す
     べき何ものもないということです。私がどこへ行こうとも、旅の終
     わりに私を待ち受けているものは何もありません。発見は移動の結
     果ではないのです。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 あなたとは、得たり失ったりできるような何かからまったく離れたものなの
 だ。
 質問者 あなたはそれをヴァイラーギャ、放棄、断念と呼ぶのでしょうか?
 マハラジ
 そこに放棄するようなものは何もない。
 もしあなたが獲得することをやめるなら、それで充分だ。
 与えるためにはもたなければならない。
 もつためには取らなければならない。
 取らないほうがいいのだ。
 それは「霊的な」自尊心となる危険性のある放棄を行うよりもシンプルだ。
 この、秤(はかり)にかけ、選択し、選定し、交換するといったすべてのこ
 とは、「霊的」マーケットでのショッピングなのだ。
 いったいあなたに何の関わりがあるというのだろう?
 どんな取引をするというのだろうか?
 あなたがビジネスをしようと躍起になっていないとき、この選択の果てしな
 い不安が何の役に立つというのだろう?
 落ち着きのなさは、あなたをどこへも連れていきはしない。
 あなたには何も必要ないとあなたが理解することを、何かが妨げているのだ。
 それを見つけだしなさい。
 そして、それが偽りであることを見極めなさい。
 それはある毒を飲み込んで、水への抑えきれない渇望に苦しむようなものだ。
 かぎりなく水を飲み込むよりも、毒を消去してこの焼けつくような渇きから
 自由になったらどうかね?
 質問者 私は自我を消去しなければならないでしょう!
 マハラジ
 「私は時間と空間のなかの個人だ」という感覚が毒なのだ。
 ある意味では、時間そのものが毒だ。
 時間のなかで、すべてのものごとが終焉(しゅうえん)し、新たに滅ぼされ
 るために生まれてくる。
 時間と自己同一化してはならない。
 不安げに「つぎは何か、つぎは何か?」と尋ねてはならない。
 時間から外に踏みだして、それが世界を滅ぼすのを見るがいい。
 そして言うがいい。
 「すべてを終わらせることが時間の本性なのだ。そうあらしめればいい。そ
 れは私には関わりない。私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要も
 ないのだ」と。
 質問者 観照者は観照されるものがなくても存在できるのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはつねに観照される何かがある。
 もし観照されるものがなければ、その不在がある。
 観照は自然なもので、問題のないものだ。
 問題は自己同一化に導く、過剰な興味なのだ。
 何であれあなたを没頭させるものを、あなたは実在と見なしてしまう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

582鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/28(月) 21:59:44 ID:1d4drIFg0
>>578 どういたしまして、またおいでなさい。

>>580 ありがとうと感謝を述べるとよいのじゃ。
 産んでくれたことや愛し育ててくれたことに感謝の言葉をかけるのじゃ。

 死後のことを聞かれたら人は木の葉が大樹に繋がっているように全てにつながり決して全てと離れた存在ではないと告げるがよいのじゃ。
 全てである意識は無くならず、死んでもあり続けるというのじゃ。
 死は疲れた体をやすめる眠りと同じであり、眠りから覚めたものが元気になるように死んだ者も新たな元気な体を持つことをいうがよいのじゃ。

583避難民のマジレスさん:2019/01/28(月) 22:09:15 ID:LC3de7YgO
>>582
鬼和尚、ありがとうであります。
そのまま伝えるであります。
それなら、くまの気持ちそのままであり、くまの言葉で伝えられるであります。
(´・(ェ)・`)つ

584避難民のマジレスさん:2019/01/28(月) 22:27:42 ID:LC3de7YgO
>>581
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 「私は在る」は実在でしょうか、非実在でしょうか? 「私は在る」
     は観照者でしょうか? 観照者は実在でしょうか、非実在でしょう
     か?
 マハラジ
 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ。
 汚染され、混じりあい、依存し、はかないものが非実在だ。
 言葉に惑わされてはならない。
 ひとつの言葉が多くの矛盾した意味を伝えることさえあるのだ。
 快楽を追求し、不快を避ける「私は在る」は偽りだ。
 快楽と苦痛を分割できないものとして見る「私は在る」は、正しく見ている。
 知覚するものに巻き込まれた観照者が個人なのだ。
 超然と離れて動じない観照者が実在の見張り塔であり、それは非顕現に固有
 である気づきが顕現に接触する点だ。
 観照者なしに宇宙はありえない。
 宇宙なしに観照者はありえないのだ。
 質問者 時間は世界を食い尽くします。時間を観照するのは誰なのでしょう
     か?
 マハラジ
 時間を超えた、名づけられないものだ。
 光を放って輝く燃えさしをぐるぐる速くまわすと、輝く輪として現れる。
 その動きが止んでも、燃えさしは残る。
 同じように、動きのなかの「私は在る」が世界をつくり出すのだ。
 「私は在る」が休息しているとき、それは絶対となる。
 あなたは懐中電灯をもって回廊を渡り歩く人のようだ。
 あなたは光線のなかのものしか見ることができない。
 他は暗闇なのだ。
 質問者 もし私が世界をつくり出したのなら、それを変えることができるは
     ずです。
 マハラジ
 もちろんできる。
 しかし、あなたはそれと自己同一化することをやめ、彼方へと超えていかな
 ければならない。
 そのとき、あなたは破壊し、再創造する力を持つのだ。
 質問者 私はただ自由だけが欲しいのです。
 マハラジ
 あなたは二つのことを知らなければならない。
 あなたが何から自由になるのか、そして何があなたを束縛しているのかだ。
 質問者 なぜあなたは宇宙を消滅させたいのでしょうか?
 マハラジ
 私は宇宙に関心はない。
 それはあるままで、あるいはないままで構わずにおこう。
 もし私が私自身を知るならば、それで充分なのだ。
 質問者 もしあなたが世界の彼方にいるのなら、世界にとって何の役にも立
     ちません。
 マハラジ
 存在しない世界を哀れむのではなく、存在する自己を哀れむがいい。
 夢に巻き込まれて、あなたは真我を忘れてしまったのだ。
 質問者 世界なしには、愛の場所もありません。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 これらすべての属性――存在、意識、愛、美は世界のなかに現れた実在の反
 映だ。
 実在なしには反映もない。
 質問者 世界は望ましいものごとや人びとであふれています。どうしてそれ
     を非存在だと想像できるでしょうか?
 マハラジ
 望ましいものは望む人たちにまかせておきなさい。
 あなたの欲望の流れを、取ることから与えることへと変えなさい。
 与えること、分かちあうことへの情熱は、あなたのマインドから外面的な世
 界という観念を、そして与えるという観念さえも自然に洗い流してしまうの
 だ。
 そして与えることも受け取ることも超えた、純粋な愛の輝きだけがそこに残
 るだろう。
 質問者 愛のなかには、愛する者と愛される者という二元性があるはずです。
 マハラジ
 その愛のなかにはひとつのものさえないのだ。
 どうして二つのものがありうるだろう。
 愛とは分かつことと区別することへの拒絶だ。
 統合を考える前に、まずあなたは二元性をつくり出さなければならない。
 本当に愛するとき、あなたは、「私はあなたを愛している」とは言わない。
 思考があるところに二元性があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

585避難民のマジレスさん:2019/01/29(火) 07:50:25 ID:LC3de7YgO
>>584
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 私をインドへと何度も繰り返し連れ戻すのは何でしょうか? それ
     は生活費が比較的安いからだけではないでしょう。また色彩の鮮や
     かさや印象の多様さでもありません。ここでは内面を外面に表すこ
     とが容易なのです。そこに何かより重要な要因があるはずです。
 マハラジ
 そこにはまた、霊的な側面もある。
 内面と外面の区別がインドではより少ないのだ。
 統合はよりたやすい。
 社会はそれほど抑圧的ではないのだ。
 質問者 そうです。西洋では、すべてがタマス(受動性)とラジャス(活動
     性)だけなのです。インドではより多くのサットヴァ、すなわち調
     和と、均衡があるのです。
 マハラジ
 あなたはグナ(属性)を超えてはいけないのだろうか?
 なぜサットヴァを選ぶのだろう?
 どこへ行こうとも、あなたのままでありなさい。
 グナを気にかけてはいけない。
 質問者 私には強さがありません。
 マハラジ
 それは単に、あなたがインドからわずかばかりしか得るところがなかったこ
 とを示しているだけだ。
 本当にあなたが持っているものであれば、失うことはできない。
 あなたがあなた自身のなかに根づいていたなら、場所を変えることはそれに
 影響を与えることはなかっただろう。
 質問者 インドでは、霊的な生活はたやすいのです。西洋ではそうではあり
     ません。より大きな範囲で環境に順応しなければならないのです。
 マハラジ
 どうしてあなた自身の環境をつくり出さないのだろうか?
 世界はあなたがそれに与えるだけの力しか、あなたに対して持ってはいない
 のだ。
 反抗しなさい。
 二元性を超えていきなさい。
 西洋と東洋の違いをつくってはならない。
 質問者 非常に霊的でない環境に自分を見いだしたとき、人は何ができるの
     でしょうか?
 マハラジ
 何もしてはいけない。
 あなた自身でありなさい。
 離れて在りなさい。
 彼方を見るのだ。
 質問者 家庭では衝突があるかもしれません。両親が理解することはまれな
     のです。
 マハラジ
 あなたがあなたの真の存在を知るとき、問題はなくなるのだ。
 あなたが両親を喜ばせようと喜ばせまいと、結婚しようとしまいと、たくさ
 んの富をつくろうとつくるまいと、それはみなあなたにとって同じことなの
 だ。
 ただ環境にしたがって行動しなさい。
 それでもあらゆる状況で、事実と実在に親密に触れながら。
 質問者 それはたいへん高次の状態なのではありませんか?
 マハラジ
 いいや、それはまったく普通の状態なのだ。
 あなたがそれを高いと呼ぶのは恐れがあるからだ。
 まず、恐れから自由になりなさい。
 何も恐れるものはないことを知りなさい。
 恐れのないことが至高なるものへの扉なのだ。
 質問者 どれほどの努力を積もうと、私を恐れなしにすることはできません。
 マハラジ
 あなたが恐れるものは何もないことを見るとき、恐れのない状態はひとりで
 にやってくるのだ。
 混雑した通りを歩くとき、あなたはただ人びとを通り越していく。
 何人かを見て、何人かは一瞥(いちべつ)するだけだ。
 だが、あなたは止まらない。
 障害をつくり出すのは止まるからなのだ。
 動きつづけなさい。
 名前や形を無視しなさい。
 それらに執着してはいけない。
 あなたの執着が束縛なのだ。
 質問者 ある人が私の顔を叩いたら、私はどうすべきでしょうか?
 マハラジ
 あなたはあなたの生来の、あるいは後天的な資質にしたがって反応するだろ
 う。
 質問者 それは避けられないものなのでしょうか? 私は、そして世界はあ
     るがままに留まることを運命づけられているのでしょうか?
 マハラジ
 古い宝飾品を新たにつくり直す宝石細工師たちは、最初にそれを形のない金
 の状態に溶解する。
 同じように、新しい名前と形が出現する前に、人は根元の状態に戻らなけれ
 ばならない。
 死は再生のために本質的なものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

586鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/29(火) 20:58:43 ID:1d4drIFg0
>>583 そうじゃ、伝えると善いのじゃ。


マハラジはグナも気にかけてはいかんというのじゃ。
それもまた修行のために作り出された観念に過ぎないからなのじゃ。
人があまりにも活動的であれば今ラジャスが優勢じゃなとか気付いて直すことができるからなのじゃ。
常にサットヴァという観念に注意していれば心を鎮めていられるから作られただけなのじゃ。
それにも囚われずに進むのじゃ。

587避難民のマジレスさん:2019/01/29(火) 21:33:05 ID:LC3de7YgO
>>586
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

588避難民のマジレスさん:2019/01/29(火) 21:57:02 ID:LC3de7YgO
>>585
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 あなたはいつも彼方へと超えていき、超然とした孤独の必要性を強
     調します。「正しい」や「間違い」という言葉はほとんど使いませ
     ん。なぜそうなのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身であることが正しく、自分自身でないことが間違いだ。
 それ以外はすべて条件づけだ。
 行動の基盤を必要とするために、あなたは正しさと間違いを分離することに
 熱心なのだ。
 あなたはいつも何かを追求している。
 だが、個人的に動機づけられ、何らかの価値の尺度に基づき、ある結果を狙
 った行為は無為よりも一層悪い。
 なぜならその結果はつねに苦いものだ
からだ。
 質問者 気づきと愛はひとつであり、同じものなのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 気づきは動的で、愛は存在だ。
 気づきとは行為のなかの愛なのだ。
 マインドはそれ自体で無数の可能性を実現することができる。
 だが、愛によって喚起されないかぎり、それらに価値はない。
 愛は創造に先行する。
 それなしでは、ただの混沌(こんとん)となってしまう。
 質問者 気づきのなかの行為はどこにあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは救いようのないほど行為に取りつかれている!
 動き、落ち着きのなさ、苦悩がそこにないかぎり、あなたはそれを行為とは
 呼ばないのだ。
 混沌とは動きのための動きなのだ。
 真の行為は置き換えるのではない。
 それは変容するのだ。
 場所の変化は単なる移動にすぎない。
 ハートの変化が行為なのだ。
 ただ覚えておきなさい。
 知覚できるものは何ひとつ実在ではない。
 活動は行為ではない。
 行為とは秘められた、未知で、不可知のものだ。
 あなたはその結果を知ることができるだけだ。
 質問者 神はすべてを為(な)す者なのではありませんか?
 マハラジ
 なぜ、外側の行為者をもちこむのだろうか?
 世界はそれ自体からそれ自体を再創造するのだ。
 それは一時的なものが一時的なものを生みだしていく果てしない過程だ。
 そこに行為者がいなければならないとあなたに考えさせるのは自我なのだ。
 どれほど恐ろしいイメージであろうとも、あなたがあなた自身のイメージに
 よって神をつくり出すのだ。
 あなたのマインドのフィルムを通して世界を投影し、そして原因と目的を与
 えるために神をも投影する。
 それはすべて想像なのだ。
 その外へと踏みだしなさい。
 質問者 世界を純粋に精神的なものとして見ることは、何と難しいのでしょ
     う! 触れることのできるその実在性には、本当に納得させられて
     しまいます。
 マハラジ
 本当に実在のように見えることが想像の神秘なのだ。
 あなたは禁欲主義者か、あるいは結婚しているかもしれない。
 修行僧か、あるいは家庭をもつ人かもしれない。
 それは要点ではないのだ。
 あなたは自分の想像の奴隷だろうか、あるいは違うだろうか?
 あなたがいかなる決定をしようとも、いかなる仕事をしようとも、それは変
 わることなく想像、想定が事実として誇示していることにいつも基づいてい
 るのだ。
 質問者 ここで、私はあなたの前に座っています、そのどの部分が想像のも
     のなのでしょうか?
 マハラジ
 その全体だ。
 空間と時間さえ想像のものだ。
 質問者 それはつまり、わたしは存在しないということなのでしょうか?
 マハラジ
 私もまた存在しない。
 すべての実存(イグジスタンス)は想像されたものなのだ。
 質問者 存在(ビーイング)もまた想像上のものでしょうか?
 マハラジ
 すべてを満たし、すべてを超えた純粋な存在は、限定された実存ではない。
 すべての限界は想像上のものだ。
 無限のものだけが実在なのだ。
 質問者 あなたが私を見るとき、何を見るのでしょうか?
 マハラジ
 私は、あなたがあなた自身だと想像しているあなたを見る。
 質問者 私のような人はたくさんいます。それでも各々異なっているのです。
 マハラジ
 すべての投影の合計が、いわゆるマハー・マーヤー、偉大なる幻想なのだ。
 質問者 しかし、あなたがあなた自身を見るとき、何を見るのでしょうか?
 マハラジ
 それはどのように見るかによる。
 マインドを通して見るとき、私は無数の人びとを見る。
 マインドの彼方を見るとき、私は観照者を見る。
 観照者の彼方には虚空と沈黙のかぎりない強烈さがあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

589鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/30(水) 22:36:44 ID:1d4drIFg0
>>588 どういたしまして、またおいでなさい。

目覚めた者も普通の者と同じように観念を使って世界を見ることができるのじゃ。
それは人々の心に合わせて教えを説くためなのじゃ。
観念が無いときには観照者を見るのじゃ。
観る者が見られるものと同じ全ての意識としてみるのじゃ。

590避難民のマジレスさん:2019/01/30(水) 23:31:20 ID:LC3de7YgO
>>588
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)


 質問者 どのように人びとと関わればいいのでしょうか?
 マハラジ
 どうして、何のために計画を立てるのかね?
 そのような質問は不安の現れだ。
 関係性は生きものだ。
 ただあなたのマインドのなかで平和に在りなさい。
 そうすれば、あなたはすべての人と平和に在ることだろう。
 あなたが起こることの支配者でないことを自覚しなさい。
 純粋に技術的なこと以外、あなたに未来をコントロールすることはできない
 のだ。
 人間同士の関係性は、計画どおりにはいかないものだ。
 それはあまりにも豊かで多様なのだ。
 ただ理解し、慈悲深くありなさい。
 すべての利己主義から自由になりなさい。
 質問者 間違いなく、私は起こることの支配者ではありません。むしろ奴隷
     と言えるでしょう。
 マハラジ
 支配者にも奴隷にもなってはいけない。
 超然と離れて在りなさい。
 質問者 それは行為を避けることを暗示しているのでしょうか?
 マハラジ
 行為を避けることはできない。
 それはほかのすべてのように起こるの
だ。
 質問者 もちろん、私の行為は私がコントロールできます。
 マハラジ
 試してみるがいい。
 しなければならないことをするのだということを、あなたはすぐに理解する
 だろう。
 質問者 私は私の意志にしたがって行為することができます。
 マハラジ
 行為した後になって、はじめてあなたはあなたの意志を知るのだ。
 質問者 私は私の欲望、選択、決断を覚えていて、それにしたがって行為し
     ます。
 マハラジ
 それでは、あなたではなく、あなたの記憶が決めるのだ。
 質問者 どこで私が入り込んでくるのでしょうか?
 マハラジ
 それに注意を払うことで、あなたはそれを可能にするのだ。
 質問者 自由意志というものはないのでしょうか? 私には欲望をもつ自由
     はないのでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 あなたは欲望に強制されるのだ。
 ヒンドゥー教では自由意志という概念自体が不在だ。
 だから、そのための言葉もないのだ。
 意志とは拘束、固定、束縛だ。
 質問者 私の限界を選択するのは私の自由です。
 マハラジ
 あなたはまず、自由にならなければならない。
 世界のなかで自由になるには、世界から自由にならなければならない。
 さもなければ、あなたの過去があなたとあなたの未来のために決定するのだ。
 起こったことと起こらなければならないことの間に、あなたは捕らわれてい
 る。
 それを運命、あるいはカルマと呼ぶがいい。
 だが、けっして自由ではない。
 まず、あなたの真の存在に戻りなさい。
 そして愛のハートから行為するのだ。
 質問者 顕現のなかで、非顕現の特徴をもっているのは何でしょうか?
 マハラジ
 何もない。
 あなたが非顕現の特徴を探しだそうとする瞬間、顕現は消え去るのだ。
 もし非顕現をマインドで理解しようとするならば、あなたは即座にマインド
 を超えるだろう。
 木の棒で火をかきまわすときのように、棒は燃えつきてしまうのだ。
 マインドを用いて、顕現を調べてみなさい。
 卵の殻(から)をつつく、ヒヨコのようでありなさい。
 殻の外側の人生を殻のなかで憶測していても、何の役にも立たない。
 だが、殻を内側からつつくことがヒヨコを解放するのだ。
 同じように、調べることと、矛盾や愚かしさを露わにすることで、内側から
 マインドの殻を破りなさい。
 質問者 殻を破ろうとする熱望、それはどこから来るのでしょうか?
 マハラジ
 非顕現からだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

591避難民のマジレスさん:2019/01/31(木) 11:34:48 ID:LC3de7YgO
>>590
>あなたが非顕現の特徴を探しだそうとする瞬間、顕現は消え去るのだ。
 もし非顕現をマインドで理解しようとするならば、あなたは即座にマインド
 を超えるだろう。
 木の棒で火をかきまわすときのように、棒は燃えつきてしまうのだ。

←これは、言葉で表現できない「非顕現」=「悟り」を心=知性で探究する、詳細に観察することによって、悟りを理解しようとすれば、顕現は消え去ると言う意味でしょうか?
ここの場における顕現とはどのような意味でしょうか?
何故このように言えるのでしょうか?
(´・(ェ)・`)つ

592避難民のマジレスさん:2019/01/31(木) 11:48:16 ID:LC3de7YgO
>>590
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】

 質問者 真の本性を実現する前に、人は個人として在る必要があるのではな
     いでしょうか? 自我にはそれなりの価値があるのではないでしょ
     うか?
 マハラジ
 個人は何の役にも立たない。
 それは自分の関心事に深く巻きこまれ、その真の存在に完全に無知なのだ。
 観照意識が個人に働きかけないかぎり、そして個人が観察の主体よりも、む
 しろ対象とならないかぎり、真我の実現は不可能だ。
 真我の実現を望むべき達成可能なものとするのは、観照者なのだ。
 質問者 人生のなかで、個人が観照者になる時点が来るのですね。
 マハラジ
 そうではない。
 個人が自ら観照者になることはない。
 それでは冷たいロウソクがやがて自ら火を灯(とも)すことを期待するよう
 なものだ。
 個人は気づきの炎に触れられないかぎり、無知の暗闇の中に永遠にとどまる
 こともありうる。
 質問者 誰がロウソクに火を灯すのでしょうか?
 マハラジ
 グルだ。
 彼の言葉、彼の臨在だ。
 インドでは、しばしばそれはマントラだ。
 ひとたびロウソクに火が灯れば、炎はロウソクを燃やし尽くすのだ。
 質問者 なぜ、マントラはそれほど効果的なのでしょうか?
 マハラジ
 絶え間ないマントラの復唱は、個人が自分のためにするような何かではない
 からだ。
 ロウソクが燃えるほどロウソクが増えていくということがないように、その
 恩寵(おんちょう)を受ける人は個人ではないのだ。
 質問者 個人は自分で自分に気づくことができるのでしょうか?
 マハラジ
 できる。
 それはときどき、大変な苦しみの結果として起こることがある。
 グルはあなたを果てしない苦痛から救いたい。
 彼の恩寵とはそのようなものなのだ。
 たとえ外側のグルが発見できないとしても、そこにはつねに内側から助け導
 く、内なる師(サットグル)がいる。
 内面や外面という言葉は身体にだけ関係する言葉だ。
 実際には、すべてはひとつだ。
 外側の存在は単に内面の投影にすぎない。
 気づきは高次の次元からやってくるのだ。
 質問者 火花が点火される前と後では何が違うのでしょうか?
 マハラジ
 火花が点火される前には、違いを知覚する観照者がいない。
 個人は意識しているかもしれない。
 だが、意識していることには気づいていない。
 個人は考えること、感じること、体験することと完全に自己同一化している。
 その中の暗闇も、個人が自らつくり出したものだ。
 暗闇が疑われたとき、それは解け去る。
 疑おうとする欲望は、グルによって植えつけられるものだ。
 別の言葉で言えば、個人と観照者との違いは、自分自身を知っていることと、
 知らないことにある。
 そこに調和(サットヴァ)があるとき、意識のなかで見られる世界は意識の
 本性として在る。
 だが活動性(ラジャス)や受動性(タマス)が現れるとき、それらは覆い隠
 し、歪(ゆが)ませ、そうしてあなたに偽りを実在として見せるのだ。
 質問者 グルの到来の準備として、個人には何ができるのでしょうか?
 マハラジ
 準備への欲望自体が、グルがすでに訪れ、炎が灯されたことを意味している。
 それは偶然出くわすひとつの言葉、あるいは本のなかの1ページかもしれな
 い。
 グルの恩寵は神秘的に働くのだ。
 質問者 心構えといったものはないのでしょうか? 私たちはヨーガのサー
 ダナ(修練)について、たいへん多くのことを聞いています。
 マハラジ
 サーダナをするのは個人ではない。
 個人は不安で、最後の最後まで抵抗する。
 個人とその幻想、過去、現在、未来全体に働きかけるのは観照者なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

593鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/31(木) 23:12:58 ID:1d4drIFg0
>>591 非顕現とはアヴィヤクタというのじゃ。
 それはアートマンのことなのじゃ。
 顕現とはヴィヤクタというのじゃ。
 自己であるというのじゃ。
 いろいろ解釈はあるがのう。

 アートマンをどこまでも追求すれば自己は消え去るしかないのじゃ。
 全てを非で現すアートマンをマインドで理解しようとすればマインドは消え去るしかないのじゃ。
 全て否定されるのであるからマインドそのものも否定されるのじゃ。

594避難民のマジレスさん:2019/01/31(木) 23:41:34 ID:LC3de7YgO
>>593
> アートマンをどこまでも追求すれば自己は消え去るしかないのじゃ。
 全てを非で現すアートマンをマインドで理解しようとすればマインドは消え去るしかない

くまにもわかりやすく解説ありがとうであります。

>あなたが非顕現の特徴を探しだそうとする瞬間、顕現は消え去る

←この「瞬間」・・・消え去る と言うところが、気になったであります。

鬼和尚の説明のように、

>どこまでも追求すれば・・・なら、理解できるのであります。

(´・(ェ)・`)つ

595避難民のマジレスさん:2019/02/01(金) 14:11:49 ID:LC3de7YgO
>>592
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 あなたの言われることが真実だと、どうやって知ることができるの
     でしょう? それ自体のなかで充足し、内なる矛盾のないあなたの
     話が、絶え間ないくり返しによって豊かに飾りたてた、創意に富ん
     だ想像の産物ではないと、どうやって知ることができるのでしょう
     か?
 マハラジ
 真理の証拠は聞き手への影響のなかにあるのだ。
 質問者 言葉はもっとも強力な影響を与えることができます。聞くことによ
     って、あるいは言葉をくり返すことによって、人は多様な超越状態
     を体験することができます。聞き手の体験は誘導されたものかもし
     れず、証拠として考慮することはできません。
 マハラジ
 影響がかならずしも体験である必要はない。
 それは人格、動機、人々との、そして自己との関係性における変化でもあり
 うる。
 言葉や薬物、あるいはほかのいかなる感覚的、精神的方法で誘導された超越
 状態や幻想も一時的なもので、決定的とは言えない。
 ここで語られた真理は不動の、永遠のものだ。
 そしてその証拠は聞き手のなかに、彼の存在全体における深い永続的な変化
 のなかにあるのだ。
 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるようなもので
 はない。
 わたしの体験があなた自身の体験となったとき、それ以上の証拠をあなたは
 求めるだろうか?
 質問者 体験者が彼の体験の証拠です。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 だが、体験者に証拠は必要ないのだ。
 「私は在る」、そして私は「私は在る」と知っている。
 それ以上の証拠を望むことはできない。
 質問者 ものごとの真の知識というものはありうるのでしょうか?
 マハラジ
 相対的見地からすれば――ある。
 絶対的見地からすれば――ものごとといったものはないのだ。
 何も存在しないことを知ることが、真の知識だ。
 質問者 何が相対性と絶対性を連結するものなのでしょうか?
 マハラジ
 それらは同一のものだ。
 質問者 どの見地から、それらが同一なのでしょうか?
 マハラジ
 言葉が話された後、そこには沈黙がある。
 相対性が終わったとき、絶対性が残るのだ。
 言葉が話される前の沈黙は、話された後の沈黙と異なるだろうか?
 沈黙はひとつであり、それなしには言葉も聞こえなかっただろう。
 それはつねに言葉の背景にあるのだ。
 あなたの注意を言葉から沈黙へと移行しなさい。
 そうすれば、あなたは聞くだろう。
 マインドは記憶をその知識とするために、体験を熱望する。
 ジニャーニはすべての体験を超えている。
 そして彼は過去の記憶をもたないのだ。
 彼は特定のいかなるものとも完全に無関係だ。
 だがマインドは体系化と定義づけを切望し、つねに実在を言語的な形態のな
 かに押しこもうと熱心なのだ。
 すべてにおいてそれは観念を求める。
 なぜなら、観念なしにマインドは存在しないからだ。
 実在は本質的にひとりなのだ。
 だが、マインドはそれをひとりにしておかない。
 そして、その代わりに忙しく実在について考えつづける。
 ただ非実在を実在として見なすこと、それがマインドにできる唯一のことな
 のだ。
 質問者 実在を実在として見ることは?
 マハラジ
 実在を見るという状態はない。
 誰が何を見るというのだろう?
 あなたは実在として在ることができるだけだ。
 いづれにせよ、あなたは実在なのだ。
 問題はただ精神的なものだ。
 偽りの概念を放棄しなさい。
 それだけだ。
 真の概念など必要ない。
 そんなものはないのだ。
 質問者 では、どうして私たちは実在を探し求めるように勧められるのでし
     ょうか?
 マハラジ
 マインドは目的をもたなければならない。
 非実在からマインドを自由にするように奨励することは、何らかの見返りを
 約束することだ。
 実際には目的の必要などない。
 偽りから自由になること自体が良いことなのだ。
 それは報酬を求めてはいない。
 それはまったく汚れずにいるようなものだ。
 それ自体がその報酬なのだ。
 質問者 自己知識は報酬ではないのでしょうか?
 マハラジ
 自己知識の報酬は個人的自己からの解放だ。
 あなたに知る者を知ることはできない。
 なぜなら、あなたが知る者だからだ。
 知っているという事実は知る者を証明している。
 ほかの証拠など必要ない。
 知られるものを知る者は不可知なのだ。
 光が色彩でのみ知られるように、知る者は知識のなかで知られるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

596鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/01(金) 21:38:50 ID:1d4drIFg0
>>594 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

知る者は不可知であるというのはそれが認識できない認識主体であるからなのじゃ。
それがアートマンと呼ばれるものなのじゃ。
アートマンという言葉や知識は認識出来るものじゃ。
しかし、俺の心の中に何か認識できるものがあれば未だアートマンには達していないと知るがよいのじゃ。

597避難民のマジレスさん:2019/02/02(土) 01:21:55 ID:LC3de7YgO
>>595
73の2『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 知る者とは推測にすぎないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは身体、マインド、感情を知っている。
 あなたは推測にすぎないのかね?
 質問者 私は他者にとって推測ですが、わたし自身にとってではありません。
 マハラジ
 私にとってもそうだ。
 私はあなたにとってはひとつの推測だが、わたし自身にとってではない。
 私は私自身であることによって、わたし自身を知っている。
 あなたが人間として在ることで、あなた自身が人間であることを知っている
 ように。
 あなたは自分が人間だということをつねに自分に思い起こさせたりはしない。
 あなたの人間性が疑問視されたときにだけ、それを主張するのだ。
 同じように、私は私がすべてであることを知っている。
 私には、「私はすべてだ。私はすべてだ」と繰り返す必要はない。
 あなたが私を何か特定の者、個人として見なすときだけ、私は言明するのだ。
 あなたがつねに人間であるように、私はつねに私で在るものなのだ。
 疑いの余地なく、何であれ、変わることなくあなたであるものがあなたなの
 だ。
 質問者 あなたがジニャーニであることをどのようにして知るのかと尋ねる
     と、あなたは、「私のなかには欲望がない。それが証拠ではないか
     ね?」と言われます。
 マハラジ
 私が欲望に満ちていたとしても、それでも私は私で在るものなのだ。
 質問者 私自身、欲望に満ちています。そしてあなたも。そこにどのような
     違いがあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは欲望と自己同一化し、それらの奴隷になる。
 私にとって欲望はものごとのなかのひとつであり、精神的な空のなかに浮か
 ぶ雲にすぎない。
 そして私がそれらを満たす行為へと強いられることはないのだ。
 質問者 知る者と彼の知識、それらはひとつでしょうか、それとも二つのも
     のでしょうか?
 マハラジ
 それらはひとつであり、二つでもある。
 知る者が非顕現であり、知られるものが顕現だ。
 知られるものはつねに動いている。
 それは変化し、それ自体の形も、住処(すみか)ももたない。
 知る者はすべての知識の不変の支持者だ。
 どちらも互いを必要としている。
 だが、実在はその彼方に在るのだ。
 ジニャーニが知られることはない。
 なぜなら、そこには知られるような誰もいないからだ。
 個人が存在するとき、それについて何か言うことはできる。
 だが、そこに特定のものとの自己同一化がないとき、何を言うことができる
 だろう?
 あなたはジニャーニに何かを言うかも知れない。
 彼の質問はつねに「あなたは誰について語っているのか? そのような個人
 は存在していないのだ」というものだろう。
 あなたは宇宙について何も言えない。
 なぜなら、それはすべてを含んでいるからだ。
 同じように、ジニャーニについて言えることも何もないのだ。
 なぜなら、彼はすべてであり、特定の何かではないからだ。
 壁に絵を掛けるにはフックが必要だ。
 フックがなければ何に絵を掛けるというのだろう?
 ものの位置を決めるには空間が必要だ。
 出来事を位置づけるには時間が必要だ。
 だが、時間と空間を超えたところでは、手のつけようがない。
 それはあらゆるものを知覚可能にする。
 それにもかかわらず、それ自体は知覚の彼方にあるのだ。
 マインドはマインドの彼方にあるものを知ることができない。
 だが、マインドはその彼方のものによって知られる。
 ジニャーニは誕生も死も知らない。
 存在、非存在は彼にとって同じことなのだ。
 質問者 あなたの身体が死を迎えるとき、あなたは残るのです。
 マハラジ
 何も死にはしない。
 身体はただ想像上のものだ。
 そこにそのようなものはないのだ。
 質問者 もうひとつの世紀が訪れる前に、あなたは周りのすべてに対して死
     んでいることでしょう。あなたの身体は花に覆われ、それから焼か
     れ、そして灰はばらまかれるでしょう。これが私たちの体験なので
     す。あなたの体験はどのようなものでしょうか?
 マハラジ
 時間は終焉(しゅうえん)するだろう。
 これが偉大な死(マハームリティユ)と呼ばれるものだ。
 時間の死だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

598鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/02(土) 23:07:58 ID:1d4drIFg0
時間の終焉とはもはや生まれかわらないことなのじゃ。
時間という観念は人が生きるて動いている間だけ働くものであるからのう。
もはや生まれかわらないならば時間も無いのじゃ。
それが時間の終焉なのじゃ。

599避難民のマジレスさん:2019/02/02(土) 23:56:06 ID:LC3de7YgO
>>597
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 それは宇宙とその内容が終局を迎えるということを意味するのでし
     ょうか?
 マハラジ
 宇宙とはあなたの個人的な体験なのだ。
 どうしてそれが影響を受けようか?
 あなたは二時間の講義をしていたかもしれない。
 それが終わったとき、それはどこへ行ったのだろうか?
 それは講義のはじめ、中間、そして終わりのすべてのなかにある沈黙のなか
 へと消え去ったのだ。
 時間の終わるときが来た。
 それは在った。
 だが、それはもうないのだ。
 一生話しつづけた後の沈黙と、一生沈黙していた後の沈黙は同じ沈黙だ。
 不死とは「私は在る」という感覚からの自由だ。
 しかもそれは消滅ではない。
 その反対に、それはあなたが思い描く以上にかぎりなく実在で、気づいてい
 て、幸福だ。
 ただ、自己意識だけがもうないのだ。
 質問者 なぜマインドの大いなる死と身体の小さな死とは同時に起こるので
     しょうか?
 マハラジ
 それは同時には起こらない。
 あなたは精神的動揺もなく、百回もの死を死ぬかもしれない。
 あるいはあなたは身体を維持しながら、マインドのなかだけで死ぬかもしれ
 ないのだ。
 マインドの死は智慧の誕生だ。
 質問者 個人は去り、ただ観照者だけが残ります。
 マハラジ
 誰が残って「私は観照者だ」と言うのだろう?
 そこに「私は在る」がないとき、どこに観照者がいるというのだろう?
 時を超えた状態のなかに、自我が逃れる場所はないのだ。
 包みをもっている人は、それを失わないかと不安だ。
 彼は「包み意識」をもっているのだ。
 「私は在る」の感覚を大切にしている人には自意識がある。
 ジニャーニは何もつかまない。
 それゆえ、意識しているということはできない。
 しかも、彼は無意識でもないのだ。
 彼は気づきの本質そのものだ。
 私たちは彼をディガンバラと呼ぶ。
 空を身にまとい、すべての現れを超えた裸の人だ。
 彼がそのもとに存在するといえるような名前や形は何もない。
 それでも彼は唯一、真に存在する人なのだ。
 質問者 私には理解できません。
 マハラジ
 誰にできるだろうか?
 マインドにはそれ自身の限界があるのだ。
 知識の極限の地へとあなたを連れていき、未知の広大さに直面させるだけで
 充分だ。
 そのなかへと潜っていくことはあなた次第なのだ。
 質問者 観照者は実在でしょうか、それとも非実在でしょうか?
 マハラジ
 その両方だ。
 それは幻想の最後に残るものであり、実在の最初に触れるものだ。
 「私はただの観照者でしかない」と言うことは、偽りであり、真実でもある。
 それは「私は在る」ゆえに偽りであり、観照者ゆえに真実なのだ。
 「そこに観照がある」と言ったほうがより確かだ。
 あなたが、「私は在る」と言った瞬間、宇宙全体がその創造者とともに存在
 のなかに現れるからだ。
 質問者 別の質問です。個人と自己とを二人の兄弟として想い浮かべること
     ができるでしょうか? 弟はいたずら好きで、利己的であり、粗野
     で落ち着きがないのですが、
兄は知性があり、親切で、分別があり、
     思いやりがあって、身体意識とその欲望と恐れから自由です。兄は
     弟を知っています。しかし、弟は兄の存在に無知で、完全に独立し
     て生きていると考えています。グルがやってきて弟に言うのです。
     「あなたはひとりではない。あなたはとても良い家族の出なのだ。
     あなたの兄は大変注目すべき人で、賢明で、優しく、そしてあなた
     をとても愛しているのだ。彼を思い出しなさい。彼を想いなさい。
     彼を見いだしなさい。彼に仕えなさい。そうすれば、あなたは彼と
     ひとつになることだろう」と。さて、質問とは、私たちのなかには
     二人がいるのでしょうか? 個人と自己が。偽りの自己と本来の自
     己が。それともそれはただの直喩にすぎないのでしょうか?
 マハラジ
 その両方だ。
 そこには二人いるように現れる。
 だが、調べることによってひとりであることがわかるのだ。
 疑われないかぎり、二元性は継続する。
 マインド(ヴィヤクティ)、自己(ヴィヤクタ)、魂(アヴィヤクタ)の三
 位(さんみ)は、超越の体験の様式にすぎない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

600避難民のマジレスさん:2019/02/03(日) 09:31:06 ID:LC3de7YgO
>>599
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 私たちが夢の状態にいるというあなたの仮説が、あなたを論破する
     ことのできない立場に置いているのです。何であれ私たちが異議を
     唱えると、あなたはただその正当性を否定してしまいます。あなた
     と討論することは不可能です。
 マハラジ
 討論したいという欲望もまた、単なる欲望にすぎない。
 知ろうとする欲望、力を持とうとする欲望、存在しようとする欲望さえ、た
 だの欲望なのだ。
 誰もが、存在すること、存続すること、継続することを欲望する。
 なぜなら、誰も自分自身に確信がないからだ。
 しかし、誰もが不死不滅なのだ。
 あなたは自分を身体と見なすことで、自分自身を死ぬべき運命のものにして
 しまうのだ。
 質問者 あなたは解放を見いだしたの
です。私に少し分けてくださいません
     か?
 マハラジ
 なぜ少しなのかね?
 すべてを取りなさい。
 それは取るためにそこにあるのだ。
 だが、あなたは解放を恐れているのだ。
 質問者 スワミ・ラームダース* は同じような頼みに対処したことがありま
     した。ある日、何人かの弟子たちが彼のまわりに集い、解放してほ
     しいと頼んだのです。ラームダースは微笑みながら聞いていました
     が、突然、彼はまじめになって言ったのです。「あなたは今ここで
     それを得ることができるのだ。絶対的な永遠の解放を。欲しいのは
     誰かね? 前に出てきなさい」と。誰ひとり動く者はありませんで
     した。三度、彼はくり返し申し出たのですが、誰も受け入れません
     でした。そして彼は言ったのです。「申し出は取り消された」と。
 マハラジ
 執着が勇気を破壊するのだ。
 与える者にはいつも与える用意がある。
 だが、受け取る者がいないのだ。
 自由とは手放すことを意味している。
 人々はすべてを手放したくない。
 死が不死の代価であるように、無限なるものの代価が有限なるものだという
 ことを彼らは知らないのだ。
 霊的な成熟はすべてを手放す用意のなかにある。
 あきらめることが第一歩なのだ。
 だが真の放棄は、そこに何も放棄するものなどないと悟ることだ。
 なぜなら、あなたのものなど何もないからだ。
 深い眠りのように、眠りに陥るとき、あなたはベッドを放棄するわけではな
 い。
 ただそれを忘れるだけだ。
 *訳注 スワミ・ラームダース Swami Ramdas(一八八四一九六三)
 南インドのケララ州生まれの偉大な聖者。一般の家住者の生活を送っていた
 が、三十六歳でサンニャーシンとなる。
 ラーマ神の帰依者として OM SRI RAM JAI RAM JAI JAI RAM のマントラを復
 唱。一九一八年、シュリー・ラマナ・マハルシに出会う。聖なる丘アルナー
 チャラの洞窟に暮らし、ラーマ神のヴィジョンを見る。インド各地を遊行し
 た後、カドリ洞窟にてラーマ神との自己同一性を実現する。
 アーナンダアシュラムを設立。後継者はクリシュナ・バイ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

601鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/03(日) 21:17:22 ID:1d4drIFg0
多くの者は自我を失くすことを恐れているのじゃ。
それが本当の自分と思っているからのう。
そうであるから今すぐにでも悟りを得られると思うと尻込みしてしまうのじゃ。
自分で有る筈の自我を失うということは死に等しいと感じてしまうからなのじゃ。
死への恐れが人を悟りから遠ざけるのじゃ。
自分が自我ではないという知識も必要なのはそのような恐れを克服するためなのじゃ。
瞑想の途中に誰もが経験するこの恐れを感じたならばそこから勇気を持って進むことが肝心なのじゃ。

602避難民のマジレスさん:2019/02/03(日) 21:46:58 ID:LC3de7YgO
>>600
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】

 質問者 私の質問は、「何が真理の証拠なのか?」ということです。すべて
     の宗教の信奉者は、形而上学的、政治的、哲学的、あるいは倫理学
     的のいずれにせよ、彼らのものが唯一の真理だと確信させられてい
     ます。ほかのすべては偽りであり、彼らの揺るぎない信念を真理の
     証拠と見なしています。彼らは、「私は納得した。それゆえ、それ
     は真理に違いない」と言うのです。私にとってはいかなる宗教、哲
     学、教義、あるいは観念体系も、どんなに完全で、感情的に訴え、
     内面的矛盾を持たないとしても、それ自身の真理の証拠にはならな
     いように見えるのです。それは衣服のようなもので、時間や環境に
     よって、流行の流れにしたがって変化していくものです。
     それでは、誰かの信念に依存しない真の宗教、あるいは哲学という
     ものがありうるのでしょうか? 聖典でさえも同様です。なぜなら、
     それも誰かの信仰に依存するからです。信頼することに依存しない、
     主観的ではない真理があるのでしょうか?
 マハラジ
 科学はどうだろうか?
 質問者 科学は堂々巡りです。それは感覚とともに、はじめた場所で終わる
     のです。それは経験を扱い、そして経験とは主観的なものなのです。
     二人の個人が同じ体験をすることはありえません。それでも彼らは
     同じ言葉で表現するかもしれません。
 マハラジ
 あなたはマインドを超えた彼方の真理を探さなければならないのだ。
 質問者 私はもう充分なほどの超越状態を体験してきました。どんな薬物で
     も、安価に、そして即座にそれを誘発できるのです。呼吸や精神的
     な訓練によって起こされた伝統的なサマーディ(三昧)もまた、た
     いした違いはありません。酸素サマーディや二酸化炭素サマーディ
     があり、思考の連鎖やマントラの復唱による自己誘導されたサマー
     ディもあります。単調性は眠気をもたらすだけです。いかに荘厳な
     ものであれ、私にはサマーディを真理の証拠として受け入れること
     はできません。
 マハラジ
 サマーディとは体験を超えたものなのだ。
 それは特質のない状態だ。
 質問者 体験の不在は不注意によるものです。それは注意とともにふたたび
     現れます。目を閉じることが光の不在を証明するわけではありませ
     ん。実在を否定的な状態に帰属させることは、どこへも私たちを連
     れてはいかないでしょう。否定そのものが肯定を含んでいるのです。
 マハラジ
 ある意味では、あなたは正しい。
 だがあなたは何があなたのマインドのなかに描いている真理で、どのような
 証拠があなたを満足させるのかを説明することもなく、真理の証拠を求めて
 いるということがわからないだろうか?
 もしあなたの証明を信頼するなら、あなたは何であれ証明することができる
 のだ。
 しかしあなたの証拠が本物だと何が証明するのだろう?
 あなたが知っているのは、あなたが存在するということだけであるのを、私
 はたやすくあなたに容認させることができる。
 あなたが持つことのできる唯一の証拠は、あなたなのだ。
 だが私は実在(リアリティ)と単なる実存(イグジスタンス)を同一視しな
 い。
 実存は一時的であり、つねに時間と空間のなかにある。
 一方、実在は不変ですべてに浸透しているのだ。
 質問者 私は何が真理か、何によって証明できるのかも知らないのです。ど
     うか私を私自身の源に投げ返さないでください。私は何ももってい
     ないのです。ここではあなたが真理を知る人であり、私ではありま
     せん。
 マハラジ
 あなたは真理の証拠としての証言を拒絶している。
 あなたにとっては他者の体験は役に立たないものだ。
 多くの証人の間で一致した表明による結論も、あなたはすべて拒否してしま
 う。
 それゆえ、何があなたを満足させる証拠なのかを私に伝えるのはあなたなの
 だ。
 何があなたの評価にとって有効な証拠だろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

603避難民のマジレスさん:2019/02/04(月) 06:47:15 ID:LC3de7YgO
>>602
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)
 
 質問者 正直なところ、何が証拠となるのか自分でもわからないのです。
 マハラジ
 あなた自身の体験でさえもかね?
 質問者 私の体験でもなければ、私の存在でもありません。それらは私が意
     識していることに依存するものです。
 マハラジ
 では、あなたが意識していることは何に依存するのだろうか?
 質問者 わかりません。以前なら、私の身体によって、と答えたことでしょ
     う。現在では、身体は二次的で根本的なものでないとわかるので、
     存在の証明として考えることができません。
 マハラジ
 過ちと不幸の源である「私は身体だ」という観念をあなたが放棄したことは
 喜ばしいことだ。
 質問者 私は知的に放棄したのです。しかし、個人としての特定の存在感覚
     はいまだに私とともにあります。「私は在る」と言うことはできま
     すが、私は何なのかを言うことはできません。私が存在しているこ
     とは知っています。しかし、何が存在しているのか、私は知りませ
     ん。どのように表現してみても、私は未知に直面するのです。
 マハラジ
 あなたの存在そのものが真理なのだ。
 質問者 もちろん、私たちは同じことを話しているのではありません。私は
     何か抽象的な存在ではありません。私は個人であり、限定され、そ
     の限定に気づいています。私は事実です。しかし、私はもっとも非
     現実的な事実なのです。個人としての一時的な存在の上に構築でき
     るようなものは何もありません。
 マハラジ
 あなたの言葉はあなたよりも賢明だ!
 個人としてのあなたの存在は一時的なものだ。
 だが、あなたはただの個人なのだろうか?
 あなたは本当に個人なのだろうか?
 質問者 どうやって答えればいいのでしょうか? 私の存在の感覚は、私は
     在ることだけを証明します。それは私から独立したものは何も証明
     しません。私は相対的存在です。相対的な創造主と創造物の両方な
     のです。絶対的真理の絶対的証拠――それは何なのでしょうか、ど
     こにあるのでしょうか? 単なる「私は在る」という感覚が実在の
     証明になりうるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、なりはしない。
 「私は在る」と「世界は在る」は関連し、条件づけられている。
 それらは名前や形を投影するマインドの傾向のせいなのだ。
 質問者 名前と形、観念と信念、しかし真理ではありません。もしあなたに
     出会わなかったなら、私は真理も含めたすべての相対性を受け入れ
     たことでしょう。そして推測によって生きることを学んだことでし
     ょう。ですが、私はあなたに出会い、絶対なるものが手の届くとこ
     ろにあり、もっとも望むべきものであるということをあなたから聞
     きました。平和、至福、永遠、不死といった言葉が、苦痛と恐れか
     らの自由を示すものとして、私の注意を引いたのです。生来の本能
     である快楽の追求と好奇心が呼び起こされ、私はあなたが開いた領
     域を探検しはじめました。それらはみなもっとも魅力的であり、そ
     れゆえ当然、私は尋ねるのです、「それは達成できるものなのでし
     ょうか? それは真理なのでしょうか?」と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

604鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/04(月) 23:01:27 ID:1d4drIFg0
不死の境地は紛れも無くあるものじゃ。
そして人は確かにそれを達成できるのじゃ。
多くのブッダ達が証明しているのじゃ。
しかし、恐れが人を立ち止まらせるのじゃ。
自我を失う恐れを克服して全てのブッダ達はそこに到達したのじゃ。

605避難民のマジレスさん:2019/02/05(火) 04:25:39 ID:LC3de7YgO
>>603
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)

 マハラジ
 あなたは「砂糖が甘いことを証明してくれれば、それをもらうよ」と言って
 いる子供のようだ。
 甘さの証明は砂糖のなかにではなく、口のなかにあるのだ。
 それが甘いことを知るためには、味を知らなければならない。
 ほかに方法はない。
 もちろん、あなたは「それは砂糖でしょうか、それは甘いのでしょうか?」
 と尋ねることからはじめることができる。
 そしてあなたが味わうまでは私の保証を受け入れる。
 ひとたび味わえば、すべての疑いは消え去るのだ。
 そしてあなたの知識は直接の、揺るぎのないものとなる。
 私は、あなたに私を信じるように頼みはしない。
 ただ、はじめるのに充分なだけは信頼してほしい。
 それぞれの段階がそれ自体を証明、あるいは反証するのだ。
 あなたは真理に先立って真理の証拠がほしいようだ。
 では、証明の証明はどうなるのかね?
 見なさい、あなたは後退しているのだ。
 それを止めるためには、証拠を求めることをやめ、真理としての何かを、ま
 ず受け入れなければならない。
 それが何かは重要ではない。
 それは神、あるいは私、あるいはあなた自身かもしれない。
 どの場合でも、あなたは何か、あるいは誰か未知なるものを真理として受け
 入れるのだ。
 さて、もしあなたが、たとえ一瞬でも受け入れた真実にしたがって行為する
 ならば、すぐにもつぎの段階に移るだろう。
 それは闇のなかで木に登るようなものだ。
 最初の枝に足をかけて、はじめてつぎの枝をつかむことができる。
 科学はそれを実験的研究方法と呼ぶ。
 論理を証明するために、先達の実施指導にしたがって実験を進めていくのだ。
 霊的探求における実験の連鎖をヨーガと呼ぶのだ。
 質問者 多くのヨーガがありますが、どれを選択すれば良いのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、すべてのジニャーニは、彼がもっとも親密に知っている自分の歩
 いた達成への道を提案することだろう。
 しかし、彼らのほとんどは非常に寛大であり、探求者の必要に適した助言を
 するのだ。
 すべての道はマインドの浄化へとあなたを導く。
 不純なマインドは真理を不透明にする。
 純粋なマインドは透明だ。
 真理はそれを通して容易に、明らかに見ることができるのだ。
 質問者 すみません。しかし、私には私の困難を伝えるすべを見つけられま
     せん。私は真理の証拠について尋ねていたのです。そして、それに
     到達する方法を与えられたのです。私がその方法にしたがい、ある
     望むべき、すばらしい状態を達成したとします。どのようにしてそ
     の状態が真実のものだと知ることができるのでしょうか? すべて
     の宗教は信仰からはじまり、ある恍惚状態を約束します。その状態
     は実在のものでしょうか? それとも信仰の産物でしょうか? な
     ぜなら、もしそれが誘発された状態なら、はじめから私は関わらな
     いでしょう。たとえばキリスト教徒は言います。「イエスはあなた
     の救世主です。信じなさい。そして罪から救われなさい」と。私が
     罪を犯しているキリスト教徒に、イエスへの信仰にもかかわらず、
     どうしてあなたは罪から救われてはいないのかときくと、彼は、
     「私の信仰心が完全ではないからです」と答えるのです。またして
     も、私たちは悪循環のなかにいます。完全な信仰なしには解放もあ
     りません。解放がなければ、完全な信仰心もないのです。完全な信
     仰心というものはありません。それゆえ、解放はないのです。満た
     すことの不可能な条件を強(し)いられ、それから、それらを満た
     していないことを非難されるのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

606鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/05(火) 22:53:28 ID:1d4drIFg0
真理を伝えることを求める者にマハラジはそれは砂糖が甘いことを証明してくれれば貰うという子供のようじゃというのじゃ。
真理とは自ら行うことでしか知ることも感じることも出来ないものじゃ。
言葉として伝えられる知識としての真理などは無いのじゃ。
自ら実践して体感するための法としての真理だけがあるといえるのじゃ。

607避難民のマジレスさん:2019/02/06(水) 07:09:43 ID:LC3de7YgO
>>605
74の3『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】の3回目

 マハラジ
 あなたは現在の目覚めの状態が、無知から起こるものだということを認識し
 ていない。
 あなたの真理の証拠についての質問は、実在における無知から生まれたもの
 なのだ。
 「私は在る」という点で、あなたは意識のなかの感覚的、精神的状態に触れ
 ている。
 一方、実在は瞑想されず、触れられず、体験されないままだ。
 あなたは二元性をあまりにも当然のことと見なしていて、それに気づいてさ
 えもいない。
 だが、私にとって多様性や変化は分離を生みださないのだ。
 あなたは実在が名前と形から離れてあると想像している。
 だが、私にとって名前と形は、実在の絶えず変化する表現であり、それから
 離れてはいないのだ。
 あなたは真理の証拠を求めている。
 だが私にとっては実存すべてが証拠だ。
 あなたは実存(イグジスタンス)から存在(ビーイング)を切り離し、実在
 (リアリティ)から存在(ビーイング)を切り離している。
 だが、私にとってはすべてがひとつなのだ。
 どれほど目覚めの状態の真実性に確信をもっていようとも、私が自分の話で
 しているように、あなたはそれを永久不変のものだと宣言することはない。
 しかし、それでも私は私たちの間に違いを見ない。
 ただあなたはものごとを想像しているだけであり、私はそうしないだけなの
 だ。
 質問者 最初にあなたは私から真理に関して尋ねる資格を奪い、それから私
     に想像について非難するのです! あなたにとって想像であるもの
     が、私にとっては真理なのです。
 マハラジ
 あなたがそれを調べてみるまではそうだろう。
 何もあなたを非難しているわけではないのだ。
 ただ、賢明に質問するよう求めているだけだ。
 あなたの知らない真理の証拠について探し求めるよりも、あなたが知ってい
 ると信じている証拠について調べてみなさい。
 そうすれば、あなたは何も確信できるものがなく、人伝え聞いたことを信じ
 ているだけだと知るだろう。
 真理を知るためには、あなた自身の体験を通らなければならないのだ。
 質問者 私はサマーディや超越状態がひどく恐ろしいのです。その原因が何
     であろうとも。酒、喫煙、高熱、薬物、呼吸、歌、揺さぶり、踊り、
     旋回、礼拝、セックス、断食、マントラ、あるいはめまいのするよ
     うな抽象観念は私を目覚めの状態から追いだし、未知ゆえに何か驚
     くべき体験を与えるのです。しかし、その原因がやめば、結果は消
     え去り、残るのは記憶だけです。容易に忘れることはできませんが、
     それでも消え去るのです。
     すべての方法とその結果を放棄しましょう。なぜなら、結果は方法
     に縛られているからです。新たな質問をしましょう。真理を生みだ
     すことはできるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが探しにいけるような真理の住処(すみか)がどこかにあるというの
 かね?
 そしてどうやってそれを見つけたと知るのだろうか?
 それを試すためのどんな試金石をもっていくというのだろう?
 あなたは「真理の証拠とは何か?」という最初の質問に後戻りしたのだ。
 その質問自体に何か間違いがあるに違いない。
 なぜなら、あなたにはそれを何度もくり返す傾向があるからだ。
 なぜ真理の証拠が何かと尋ねるのだろうか?
 あなたが真理を直接知らないから、そして騙(だま)されることを恐れてい
 るからだろうか?
 真理とは「真理」という名前をつけた何かであり、もし本物なら、それをも
 つことは有益だとあなたは想像しているのだ。
 だからあなたは騙されることを恐れているのだ。
 あなたは真理を買いに来た。
 だが、商人を信頼することができない。
 あなたは偽造品や模造品を恐れているからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

608鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/06(水) 22:09:29 ID:1d4drIFg0
西洋的な学校の教育を受けたものは真理とは先生が教えてくれものと信じているのじゃ。
それが正しいものである証拠も含めて全て教えてくれるはずだと思うのじゃ。
マハラジのようなブッダはそれが教えられるものではないと知っているのじゃ。
自ら体得しなければどのような真理もありえないのじゃ。
それが真の教えなのじゃ。

609避難民のマジレスさん:2019/02/06(水) 23:17:06 ID:LC3de7YgO
>>607
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)

 質問者 私は騙されることを恐れているのではありません。私が私自身を騙
     すことを恐れているのです。
 マハラジ
 だが、あなたは本当の動機に無知であることによって自分を騙しているのだ。
 あなたは真理を求めている。
 だが、実際には永遠に続く安楽を探しているだけなのだ。
 いかなるものも、どんなマインドの状態も永遠に続きはしない。
 時間と空間のなかではつねに限界がある。
 なぜなら時間と空間自体が限定されているからだ。
 そして時間を超えたもののなかでは「永遠に」という言葉は意味をもたない。
 「真理の証拠」についてもまた同様なのだ。
 非二元性の領域ではすべてが完全で、それ自体の証拠であり、意味と目的な
 のだ。
 すべてがひとつであるところでは、どのような支えも必要とされない。
 あなたは永久性が真理の証拠だと想像している。
 より長く継続するものが、より真理に
近いのだと。
 時間が真理のはかりとなってしまった。
 そして時間がマインドのなかにあるため、マインドが判定者となり、真理の
 証拠をマインドそのもののなかに探求するのだ――まったく不可能で絶望的
 な仕事だ。
 質問者 あなたが「何も真理ではない。すべてが相対的なのだ」と言われる
     のなら、私も同意したでしょう。しかし、あなたは真理、実在、完
     全な知識はあると主張しています。それゆえ、「それは何なのでし
     ょうか、どうやって知ることができるのでしょうか?」と尋ねてい
     るのです。それでは、何が私に「そうです。マハラジの言うとおり
     です」と言わせるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは証明、証拠、権威の必要性にしがみついている。
 まだ真理が示され、「見なさい、ここに真理がある」と言われる必要がある
 と想像しているのだ。
 そうではない。
 真理は努力の結果、旅路の果てにあるのではない。
 それは今ここに、その熱望と探求そのもののなかにあるのだ。
 それはマインドや身体よりも近い。
 「私は在る」という感覚よりも近いのだ。
 あなたがそれを見ないのは、あなた自身からずっと遠くを、存在の核心の外
 を見ているからだ。
 あなたは真理を対象化し、あなたの証明と審査の基準に合うべきだと言い張
 っている。
 だが、それはものごとや思考にしか当てはまらないのだ。
 質問者 あなたの言われることから察するに、真理は手の届かないところに
     あり、私にはそれについて語る資格がないということです。
 マハラジ
 あなたには資格があるばかりではなく、あなたが真理そのものなのだ。
 ただあなたは偽物を真理だと勘違いしているだけだ。
 質問者 あなたは、「真理の証拠について尋ねてはならない。真理でないも
     のだけに関わりなさい」と言われているようです。
 マハラジ
 真理の発見は、偽りを識別することのなかにあるのだ。
 あなたは存在しないものを知ることができる。
 在るものは――あなたはただ在ることができるだけなのだ。
 既知にとって、知識は相対的なものだ。
 ある意味では、知識は無知の片割れなのだ。
 無知のないところに知識の必要があるだろうか?
 それ自体では、無知も知識も存在していない。
 それらは単なるマインドの状態であり、また本質的に不変である意識の運動
 の現れなのだ。
 質問者 真理はマインドの領域内にあるのでしょうか、それともそれを超え
     ているのでしょうか?
 マハラジ
 そのどちらでもない。
 それは両方だ。
 それを言葉で表すことはできない。
 質問者 表現不可能(アニエルヴァーチャーニヤ)……これがつねに私の聞
     いてきたことです。それが私を賢くすることはありません。
 マハラジ
 それがしばしば無知を覆(おお)い隠すことは本当だ。
 マインドはそれ自体がつくり出した言語で働くことができる。
 ただ、それ自体を超えていくことはできないのだ。
 感覚的でも精神的でもなく、しかも、それなしには感覚的なものも精神的な
 ものもありえないものが、感覚的なものや精神的なものに含まれることはあ
 りえないのだ。
 マインドには限界があることを理解しなさい。
 マインドを超えていくには、沈黙とひとつにならなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

610鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/07(木) 22:24:50 ID:1d4drIFg0
マハラジは真理はそこにある、私は在るよりも近いとさえ言うのじゃ。
しかし、質問者はそれを理解しようとしないのじゃ。
それも恐れがあるからなのじゃ。
真理を欲すると共に真理を恐れているのじゃ。
それによって自分の生活や自分自身さえも変化してしまうことを恐れているからなのじゃ。

611避難民のマジレスさん:2019/02/07(木) 22:53:05 ID:LC3de7YgO
>>609
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)

 質問者 行為が真理の証拠だと言うことはできるでしょうか? 真理は言語
     化することはできませんが、行動に表すことはできるかもしれませ
     ん。
 マハラジ
 行為でも無為でもない。
 それはどちらも超えているのだ。
 質問者 人は「そうです。これこそ真理です」と言うことができるのでしょ
     うか? あるいは彼は偽りを否定することに制限されているのでし
     ょうか? 言い方を変えれば、真理は純粋な否定なのでしょうか?
     あるいはそれが断言となる瞬間がやってくるのでしょうか?
 マハラジ
 真理は描写できない。
 だが、体験されることができるのだ。
 質問者 体験は主観的であり、分かち合うことができません。あなたの体験
     は、私を今いるところに置き去りにするのです。
 マハラジ
 真理は体験できるが、それは単なる体験ではない。
 私はそれを知っていて、あなたに伝えることができる。
 だが、あなたがそれに対して開いているときだけだ。
 開いているとは、ほかの何も求めないということだ。
 質問者 私は恐れと欲望でいっぱいなのです。それは私が真理を知るには適
     格ではないということでしょうか?
 マハラジ
 真理は良いふるまいに対する褒美(ほうび)でも、何かの試験が通ったこと
 への賞でもない。
 それをもたらすことはできないのだ。
 それは原初のもの、不生、存在するすべての太古の源なのだ。
 あなたは適格だ。
 なぜならあなたは在るからだ。
 あなたが真理に値する必要はない。
 それはあなた自身のものなのだ。
 ただ、それを追いかけることによって、それから逃げだしてはならない。
 沈黙しなさい。
 静かで在りなさい。
 質問者 もし身体を落ち着かせ、マインドを静にさせなければならないのな
     ら、どのようにすればいいのか教えてください。自己覚醒のなかで、
     私は身体とマインドが私のコントロールを超えた原因によって動か
     されているのを見ます。遺伝と環境が私を絶対的に支配しています。
     宇宙の創造者である偉大な「私は在る」も、薬物によって一時的に、
     あるいは一滴の毒によって永久に消し去ることができるのです。
 マハラジ
 またしても、あなたは自分を身体と見なしている。
 質問者 たとえ私が骨、肉、血としてのこの身体を退けたとしても、いまだ
     に思考、感情、記憶、想像でできた希薄な身体として残るのです。
     それでさえ非―私として退けても、私は意識として残ります。それ
     もまたある種の身体なのです。
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 だが、そこで止まる必要はない。
 その彼方へと行きなさい。
 意識も、その中心の「私は在る」さえも、あなたではないのだ。
 あなたの真の存在は完全な非―自己意識だ。
 粗大、微細、あるいは超越、何であれすべての自己同一から完全に自由なの
 だ。
 質問者 私自身が彼方のものだと想像することはできます。しかしどのよう
     な証拠があるのでしょう? 在るためには、私は誰かで在らねばな
     りません。
 マハラジ
 それは正反対だ。
 在るためには、あなたは誰でもない人にならなければならない。
 あなた自身を何か、あるいは誰かだと考えることは死、そして地獄だ。
 質問者 古代エジプト人は薬物や魔術の影響によって身体から追いだされ、
     実際に外側に立ち、横たわった自分の姿を見るという秘教儀式の存
     在を認めてきました。このことが彼らに死後の存在の実在を確信さ
     せ、国家と寺院に多大な利益をもたらす究極的な運命への深い関心
     を生みだし、身体を所有する個人との自己同一化の儀式が存続した
     のです。
 マハラジ
 身体は食物からできている。
 そしてマインドは想念からできている。。
 それらをあるがままに見なさい。
 あなたが何であるのかを知る必要はない。
 あなたが何ではないかを知れば充分なのだ。
 あなたであるものを知ることはけっしてない。
 なぜならすべての発見が克服すべき新たな次元を開くからだ。
 質問者 それは永遠に無知であり続けるという意味でしょうか?
 マハラジ
 それは無知がけっして存在しなかったことを意味するのだ。
 真理は発見のなかにあり、発見されたもののなかにあるのではない。
 そして、発見にははじまりも終わりもないのだ。
 限界を疑いなさい。
 そして超えていきなさい。
 一見、不可能と見える仕事を自らに託しなさい。
 それが道なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

612鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/08(金) 22:42:46 ID:1d4drIFg0
真実

613鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/08(金) 22:45:26 ID:1d4drIFg0
真実を語り、真理を告げる言葉も相手の心が開いていなければ何にもならないのじゃ。
知識や記憶があればそれで全てを判断してしまうからのう。
恐れからの逃避を見ることもできないのじゃ。
真理はどこか彼方にあるのではなく、自らの心の内にあるものであるから知識や記憶が多すぎれば隠れてしまうことも在るのじゃ。

614避難民のマジレスさん:2019/02/08(金) 23:30:06 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【75 平和と沈黙のなかで、あなたは成長する】

 質問者 インドの伝統では、グル(師)が必要不可欠だと言います。彼は何
     のために必要不可欠なのでしょうか? 母親は子供に身体を与える
     ために必要不可欠です。しかし、彼女は魂を与えるわけではありま
     せん。彼女の役目は限定されています。グルに関してはどうでしょ
     う? 彼の役目もまた限定されているのでしょうか? もしそうな
     らば、何においてでしょうか? あるいは、彼は一般的に必要不可
     欠なのでしょうか? それとも絶対的に必要不可欠なのでしょうか?
 マハラジ
 ハートのなかで、平和に、永遠に輝く内奥の光、それが真のグルなのだ。
 ほかのすべては単に道を指し示すだけだ。
 質問者 私は内なる部分には関心がありません。直接道を示してくれる師に
     だけ関心があるのです。グルなしには、ヨーガは到達しがたいと信
     じる人びとがいます。彼らは正しいグルをつねに探しつづけ、ひと
     りの師からほかへと変えていくのです。そんなグルたちに、いった
     いどんな価値があるというのでしょうか?
 マハラジ
 彼らは一時的な、時間に拘束されたグルなのだ。
 あなたは彼らをあらゆる職業のなかに見いだす。
 何かの知識や技術を獲得するために、彼らを必要とするのだ。
 質問者 母親は一生涯のためにだけいます。彼女は誕生にはじまり、死に終
     わるのです。永遠にいるわけではありません。
 マハラジ
 同じように、時間に拘束されたグルも永遠にいるわけではない。
 彼は彼の目的を果たし、つぎの師へと場を明け渡すのだ。
 それはまったく自然なことであり、それについて非難されるようなことは何
 もない。
 質問者 あらゆる類の知識や技術のためには、別のグルが必要となるのでし
     ょうか?
 マハラジ
 これらの問題においては、外面的なものが一時的であり、内面的なものはそ
 の外見と行動においてはつねに新しいが、永久不変だということ以外何の規
 定もないのだ。
 質問者 内側のグルと外側のグルの間には、どのような関係があるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 外側が内側を表現し、内側はしばらくの間、外側を受け入れるのだ。
 質問者 努力は誰のものなのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん弟子のものだ。
 外側のグルが指導し、内側のグルが力を送る。
 油断なくそれに応えていくのが弟子の仕事だ。
 弟子の意志、知性、エネルギーなしにはグルは無力なのだ。
 内側のグルはチャンスを得ようとする。
 愚鈍さと誤った追求が危機をもたらし、弟子は自ら己の苦境に目覚めるのだ。
 賢い者はショックを待ったりしない。
 それはひどく粗暴なものでもありうるのだ。
 質問者 それは脅しなのでしょうか?
 マハラジ
 脅しではなく警告だ。
 内なるグルは非暴力に専心してはいない。
 愚鈍で堕落した人格を破壊するためには、彼はときおりまったく暴力的にな
 りうる。
 不幸と死、生と幸福は彼の仕事の道具なのだ。
 二元性においてだけ、非暴力は統一のための法となるのだ。
 質問者 人は自分自身を恐れなければならないのでしょうか?
 マハラジ
 恐れではない。
 なぜなら自己とは善良を意味するからだ。
 だが、それは深刻に受け止められなければならない。
 それは注意と服従を呼び起こすのだ。
 聞き入れられないとき、それは説得から強制へと変わる。
 それはしばらく待つことができるが、否定されてはならないのだ。
 困難は外側や内側のグルにあるのではない。
 グルはつねに手に入る。
 不足しているのは成熟した弟子のほうなのだ。
 その人に用意ができていなければ、どうすることができようか?
 質問者 用意でしょうか、それとも志(こころざし)でしょうか?
 マハラジ
 両方だ。
 それは同じことなのだ。
 インドでは、それはアディカーリと呼ばれている。
 それは能力と資格があるということを意味している。
 質問者 外側のグルは秘伝伝授の儀式(ディクシャ)を授けることができる
     のでしょうか?
 マハラジ
 彼はあらゆる類の儀式を授けることができる。
 しかし、実在への儀式は内面から起こらなければならない。
 質問者 誰が究極の儀式を授けるのでしょうか?
 マハラジ
 自己が授けるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

615避難民のマジレスさん:2019/02/09(土) 11:08:25 ID:LC3de7YgO
>>614
『I AM THAT 私は在る』
【75 平和と沈黙のなかで、あなたは成長する】(つづき)

 質問者 私たちは堂々巡りをしているようです。結局、私の知っているのは
     現在の体験的自己だけです。内面の、あるいは高次の自己とは、説
     明と奨励のために考えられた概念なのです。私たちはそれを独立し
     た存在のように話していますが、そうではないのです。
 マハラジ
 外側の自己と内面の自己はともに想像上のものだ。
 ひとつの棘を抜くために別の刺を必要とするように、あるいは毒を解毒する
 ために別の毒を使うように、「私」という存在への固執が癒されるために、
 「超―私」という別の観念への固執が必要とされるのだ。
 すべての断定は否定を呼び起こす。
 だが、これはまだ第一段階にすぎない。
 つぎの段階はその両方を超えた彼方へと行くことだ。
 質問者 外側のグルが、緊急に自分に対して何かをすべきだという注意を呼
     び起こすために必要だったことは理解します。また、私のなかの深
     い変化にとって、どれほどグルが無力かも理解します。しかし、こ
     こであなたは無始、不変、存在の根本、動かぬ約束、確かなる目的
     地である内なるグルをもたらしたのです。彼はひとつの概念なので
     しょうか、それとも実在でしょうか?
 マハラジ
 彼だけが唯一の実在なのだ。
 それ以外のすべては、「身体―精神」(デハー―ブッディ)によって時間の
 上に投げかけられた影にすぎない。
 もちろん、影でさえ実在に関連している。
 だが、それ自体では実在とは言えないのだ。
 質問者 私の知っている唯一の実在は、私だけです。サッドグル(内なる師)
     は、私が彼を想う間はそこにいます。彼に実在性を移行することに
     よって、私は何を得るというのでしょうか?
 マハラジ
 失うことが、あなたの得ることだ。
 影が影として見られたとき、あなたはそれにしたがうことをやめる。
 あなたは振り返り、そこにいつもあった太陽をあなたの背後に発見するのだ。
 質問者 内側のグルもまた、教えを与えるのでしょうか?
 マハラジ
 彼は、あなたが永遠、不変、実在―意識―愛であり、内面とすべての現れを
 超えたものだという確信を与えるのだ。
 質問者 確信では不十分です。そこには確実性がなければなりません。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 だが、この場合は確信が勇気の形を取るのだ。
 恐れは絶対的に消え去る。
 その恐れのない状態が見間違うことのないほど新しく、しかも自分自身のも
 のとして深く感じられ、否定できないものなのだ。
 それは愛する我が子のようなものだ。
 誰に疑うことができるだろう?
 質問者 霊的な努力における進歩に関して、私たちは話を聞いています。あ
     なたはどのような類の進歩を思い描いていますか?
 マハラジ
 あなたが進歩を超えていくとき、進歩とは何かを知るだろう。
 質問者 何が私たちを進歩させるのでしょうか?
 マハラジ
 沈黙が主な要因だ。
 平和と沈黙のなかで、あなたは成長するのだ。
 質問者 マインドは絶対的に落ち着きがありません。何がそれを静めるので
     しょうか?
 マハラジ
 師を信頼しなさい。
 私の例を見てみなさい。
 私のグルは、「私は在る」という感覚に留意し、ほかの何にも注意を払って
 はならないと指導し、私はただそれにしたがったのだ。
 私は呼吸や瞑想、あるいは聖典の研究などの特定の過程にはしたがわなかっ
 た。
 何が起ころうとも、それから注意を背け、「私は在る」という感覚とともに
 とどまったのだ。
 それはあまりにも単純で、粗野にさえ見えるかもしれない。
 私がそうした理由は、グルが私にそうするように言ったからだ。
 それでも、それは効果があったのだ!
 服従はすべての欲望と恐れに対する強
力な解決策なのだ。
 マインドを占有するすべてのものから注意を背けなさい。
 完成しなければならない仕事は何であれ完成させなさい。
 だが、新たな義務は避けなさい。
 空っぽでいることを保ち、つねに用意のできた、開いた状態でありなさい。
 招かずにやってきたものを拒んではならない。
 最後には、あなたは無欲、歓喜の無執着、内なる平安、そして描写不可能な
 解放の状態に達する。
 しかも、それはすばらしく実在なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

616鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/09(土) 23:04:13 ID:1d4drIFg0
インドでは実在のグルの他に誰の心の中にも真のグルがいるというのじゃ。
その内側のグルが無上菩提まで人を導くというのじゃ。
それも意識から起こるものじゃ。
本来の意識からの誘引が内側のグルと呼ばれるのじゃ。
全てであるから意識から起こる誘引を避けられないのじゃ。

617避難民のマジレスさん:2019/02/10(日) 10:41:28 ID:LC3de7YgO
>>615
『I AM THAT 私は在る』
【75 平和と沈黙のなかで、あなたは成長する】(つづき)

 質問者 真理の探究者が真剣にヨーガを修練するとき、内側のグルは彼を導
     き助けるのでしょうか、それとも彼自身にまかせ、結果をただ待つ
     だけなのでしょうか?
 マハラジ
 すべてはひとりでに起こる。
 探求者は何もせず、グルも何もしない。
 ものごとは起こるように起こる。
 行為者という感覚が現れた後に、非難や賞賛が割り当てられるのだ。
 質問者 何と奇妙なのでしょう! 行為者はかならず行為の起こる前に現れ
     るはずです。
 マハラジ
 それはその反対だ。
 行為が事実であり、行為者はただの観念なのだ。
 あなたの言葉そのものが、行為は確定的であり、行為者は疑わしいことを示
 している。
 責任を転嫁することは人間の特徴的なゲームなのだ。
 何かが起こるために不可欠な要因の果てしないリストについて考えていくと、
 すべてが起こるための責任は、いかに間接的であってもすべてにあると認め
 るほかはない。
 行為者とは、「私の」と「私のもの」という幻想から生まれた神話なのだ。
 質問者 その幻想はどれほど強力なものなのでしょうか?
 マハラジ
 疑いようもないほどだ。
 なぜなら、それは実在に基づいているからだ。
 質問者 そのなかの何が実在なのでしょう?
 マハラジ
 識別し、非実在であるすべてを拒絶することによって見いだしなさい。
 質問者 霊的努力における内なる自己の役割を良く理解できませんでした。
     誰が努力をするのでしょうか? 外側の自己でしょうか、内側の
     自己でしょうか?
 マハラジ
 あなたは努力、内側、外側、自己といった言葉を発明し、それらを実在の上
 に押しつけようと努めてきた。
 ものごとは、ただあるがままに起こるのだ。
 しかし、私たちはそれを私たちの言語構造に沿うように、ひとつのパターン
 に組みこむことを望むのだ。
 この習慣があまりにも強いために、私たちは実在を言葉では表現できないも
 のとして否定してしまう傾向にある。
 言葉は、繰り返されてきた体験の慣例と習慣に関係する、ただの象徴だとい
 うことを理解しないのだ。
 質問者 霊的な本の価値とは何でしょうか?
 マハラジ
 それらは無知を追い払う助けをする。
 はじめのうちは有用だが、最後には障害となる。
 人はいつそれを放棄すべきか知らなければならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

618鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/10(日) 21:45:14 ID:1d4drIFg0
自我を持つ者は自分があって行為があると思うのじゃ。
しかし、実際には行為に対して主体という観念が投射されるのじゃ。
行為によって起こるのが自分という観念なのじゃ。
全ては本来主体なしに起こるものじゃ。

619避難民のマジレスさん:2019/02/11(月) 05:01:21 ID:LC3de7YgO
>>617
『I AM THAT 私は在る』
【75 平和と沈黙のなかで、あなたは成長する】(つづき)

 質問者 アートマとサットヴァとの関連性とは何でしょうか?
 マハラジ
 太陽とその光線のようなものだ。
 調和と美、理解と愛情はすべて実在の表現なのだ。
 それは行為のなかの実在性、物質における魂の影響だ。
 タマスは覆い隠し、ラジャスは歪ませ、サットヴァは調和をもたらす。
 サットヴァが成長することで、欲望と恐れは終焉するのだ。
 歪曲していないマインドのなかに真の
存在は反映される。
 物質は改善され、魂は露わにされるのだ。
 その二つはひとつとして見られる。
 それらはつねにひとつだった。
 だが、不完全なマインドはそれを二つとして見ていたのだ。
 マインドの完成は人間の努めだ。
 なぜなら物質と魂はマインドのなかでであうものだからだ。
 質問者 私は扉の前にいる人のようです。扉は開いていることは知っている
     のですが、それは欲望と恐れの犬に守られているのです。どうすれ
     ばいいのでしょうか?
 マハラジ
 師にしたがい、犬たちに立ち向かいなさい。
 それらがそこにいないかのようにふるまいなさい。
 またしても、従順が黄金率なのだ。
 自由は従順によって勝ち取られるものなのだ。
 牢獄から逃げだすためには、疑うことなく、解放のために働いている人の指
 導にしたがわなければならない。
 質問者 グルの言葉は、ただ単に聞くだけでは力を及ぼしません。人は信頼
     とともにそれにしたがわなければなりません。何がそのような信頼
     をつくり出すのでしょうか?
 マハラジ
 時節が調えば、信頼はやってくる。
 すべては時節とともに現れる。
 グルはつねに分け与える用意がある。
 ただ受け取る者がいないのだ。
 質問者 そうです。シュリー・ラマナ・マハルシは、「師は多くいるが、弟
     子はどこにいるのか?」と言っていたそうです。
 マハラジ
 時節を待てば、すべては起こるのだ。
 皆が為し遂げるだろう。
 ひとりの魂も失敗することはないだろう。
 質問者 真我の実現を知的な理解として受け取ることを、私は非常に恐れて
     いるのです。私は知ることなしにそれについて語るかもしれません。
     または一言も語らずして、それを知っているかもしれないのです。
     これらの会話は出版されるそうですが、それは読者にとってどのよ
     うな影響をあたえるのでしょうか?
 マハラジ
 注意深く、思慮深い読者のなかで、それは成熟し、開花し、果実をもたらす
 だろう。
 真理に基づいた言葉は、もし完全に試されるなら、それ自身の力をもつのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

620避難民のマジレスさん:2019/02/11(月) 14:28:27 ID:LC3de7YgO
>>619
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】

 マハラジ
 身体がある。
 身体の内側には観察者、外側には観察されている世界が存在するように見え
 る。
 観察者と彼の観察、そして観察される世界は、ともに現れ、ともに消える。
 そのすべての彼方に虚空がある
 その空こそがこれらすべてなのだ。
 質問者 あなたの言われることはシンプルです。しかし、誰もが言えること
     ではありません。あなたが、そしてあなただけがその三つとその彼
     方の空について語るのです。私が見るのはすべてを含む世界だけで
     す。
 マハラジ
 「私は在る」も含まれるのだろうか?
 質問者 「私は在る」さえも含まれます。「私は在る」はそこにあります。
     なぜなら世界がそこにあるからです。
 マハラジ
 そして世界がそこにあるのは、「私は在る」がそこにあるからだ。
 質問者 そうです。それはどちらにとっても言えることです。私はその二つ
     を分けることも、超えることもできません。私が体験していないか
     ら、それが存在しないとは言えないように、私にはそれを体験しな
     いかぎり、何かがあるとは言えないのです。あなたにそれほどの確
     証を持って語らせる体験とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 私は時間、空間、原因を超えたあるがままの私自身を知っているのだ。
 あなたはほかのことに没頭していて、偶然知らないだけなのだ。
 質問者 どうして私はそんなにも没頭してしまうのでしょうか?
 マハラジ
 なぜならあなたは興味があるからだ。
 質問者 何が私に興味をもたせるのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛への恐れと快楽への欲望だ。
 快楽は苦痛の終焉であり、苦痛は快楽の終焉だ。
 それらは果てしない連続性の中で交代しているしているだけなのだ。
 あなたがそれを超えたあなた自身を見いだすまで、その悪循環を調べてみる
 がいい。
 質問者 私には、彼方へと私を連れていくあなたの恩寵が必要なのではない
     でしょうか?
 マハラジ
 あなたの内なる実在の恩寵は、永遠にあなたとともにある。
 あなたの恩寵を求めたそのこと自体がそのしるしなのだ。
 私の恩寵について思い煩うことはない。
 だが、言われたことをしなさい。
 恩寵への期待ではなく、為すことが真剣さを証明するのだ。
 質問者 何に対して真剣になればいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの注意の領域を横切るすべてを調べなさい。
 修練とともにその領域は広がり、調査は深まっていく。
 やがてそれらは自発的で限界のないものとなるのだ。
 質問者 あなたは真我の実現を修練の結果にしているのではありませんか?
     修練は身体的な存在の限界のなかで作用します。それがどうして無
     限なるものに誕生を与えるというのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、修練と智慧の間に因果的な関連はない。
 だが、智慧への障害は修練による影響を深く受けるのだ。
 質問者 何が障害なのでしょう?
 マハラジ
 誤った観念と欲望がマインドと身体の気を消散させ、誤った行為へと導いて
 いく。
 偽りの発見と放棄は、真実がマインドのなかに入ることを妨げるものを取り
 除くのだ。
 質問者 「私は在る」と「世界はある」という二つのマインドの状態を区別
     することはできます。それらはともに現れ、ともに消え去るのです。
     人々は、「私は在る。なぜなら世界が在るからだ」と言い、あなた
     は「世界はある。なぜなら私が在るからだ」と言います。どちらが
     本当なのでしょうか?
 マハラジ
 どちらも本当ではないのだ。
 その二つはひとつであり、同じ時間と空間の中にある状態だ。
 その彼方には永遠がある。
 質問者 時間と永遠のつながりとは何でしょうか?
 マハラジ
 永遠は時間を知り、時間は永遠を知らない。
 すべての意識は時間のなかにあり、意識にとって永遠は無意識として現れる。
 それにもかかわらず、永遠なるものが意識を可能にするのだ。
 光は暗闇のなかで輝く。
 光の中で暗闇を見ることはできない。
 あるいは、ほかの言い方をすれば、果てしない光の大洋のなかで、暗く、限
 定され、対比によってしか知覚できない意識の雲が現れるのだ。
 これらは何か非常にシンプルでありながら、しかしまったく表現不可能なも
 のを言葉で表現しようとする単なる試みにすぎない。
(´・(ェ)・`)
(つづき)

621鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/11(月) 22:24:49 ID:1d4drIFg0
全てである意識のほんの一部が人が自分と思うのなのじゃ。
それも謬見としてのみあるものじゃ。
大海の中の一滴の水だけを自分と思うようなものじゃ。
それは本来無いものを一部だけ切り取ってあるとしているようなものなのじゃ。
それを意識の雲とマハラジは呼ぶのじゃ。

622避難民のマジレスさん:2019/02/12(火) 00:24:08 ID:LC3de7YgO
>>620
76の2『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】(つづき)

 質問者 言葉は橋渡しの役目をするべきです。
 マハラジ
 言葉は実在ではなく、マインドの状態に言及するものだ。
 川、二つの岸、それに架かる橋、すべてはマインドのなかにある。
 言葉だけであなたをマインドの彼方へと連れていくことはできない。
 そこには途方もない真理への熱望か、またはグルへの絶対的な信頼がなけれ
 ばならない。
 私を信じなさい。
 そこには目的地もなければ、それへ到達する道もまたない。
 あなたが道であり目的地になのだ。
 あなた自身を除いて、到達するようなものは何もないのだ。
 あなたに必要なのは理解することだけだ。
 そして理解はマインドの開花なのだ。
 樹が絶えることはないが、開花や結実は季節とともにやってくる。
 季節は移り変わるが、樹は変わらない。
 あなたが樹なのだ。
 あなたは無数の枝や葉を今まで育ててきた。
 そしてこれからも育てていくだろう。
 だが、あなたはそのまま残るのだ。
 あなたが知らなければならないことは、そう在ったことではなく、そうなる
 だろうことでもない。
 ただ在ることなのだ。
 宇宙を創造した欲望はあなたのものだ。
 世界はあなた自身の創造だと知り、自由になりなさい。
 質問者 世界は愛の子供だとあなたは言われました。私が、世界は戦争、強
     制収容所、残酷な搾取に満ちていると知るとき、どうしてそれをわ
     たし自身の創造として所有することができるでしょうか? いかに
     私が限定されていたとしても、私にはそんな残酷な世界をつくり出
     すことはできなかったでしょう。
 マハラジ
 この残酷な世界が誰にとって現れるのかを見いだしなさい。
 そうすれば、なぜそのように残酷に現れるのかを知るだろう。
 あなたの質問は完全に正当なものだ。
 しかし、それが誰にとっての世界なのかをあなたが知るまでは、それに答え
 ることはできないのだ。
 あるものの意味を見いだしたいのなら、あなたはつくり出した人に尋ねなけ
 ればならない。
 だから言っているのだ。
 あなたが住んでいるこの世界をつくり出した人はあなたなのだ。
 あなただけがそれを変え、あるいはつくり変えることができるのだ。
 質問者 どうして私が世界をつくったと言えるのでしょうか? 私はそれを
     知りもしないのです。
 マハラジ
 あなたがあなた自身を知るとき、世界のなかであなたに知ることができない
 ものは何ひとつなくなるのだ。
 あなた自身を身体と考えることで、あなたは世界を物質的なものの集合だと
 見なしてしまう。
 あなた自身を意識の中心として知るとき、世界はマインドの大海として現れ
 る。
 実在の中のあるがままの自分自身を知るとき、あなたは世界をあなた自身と
 して知るのだ。
 質問者 あなたの言われることは非常にすばらしく聞こえます。しかし、私
     の質問に答えてはいません。どうして世界にはそれほどたくさんの
     不幸があるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたがただ観察者として超然として離れて在れば、苦しむことはない
 のだ。
 あなたは世界をショーとして見るだろう。
 実に、最高のショーだ。
 質問者 何ということでしょう! このリーラ(神の戯れ)の理論は受け入
     れられません。苦しみはあまりにも深刻で、あまねく存在している
     のです。不幸の悲惨な光景で楽しむなど何という倒錯でしょうか!
     何という残酷な神をあなたは差し出すのでしょう!
 マハラジ
 不幸の原因は知覚する者と知覚されるものとの同一化にあるのだ。
 それから欲望が生まれ、欲望とともに盲目的行為、結果への無頓着が続くの
 だ。
 まわりを見まわしてみなさい。
 不幸は人間のつくり出したものだということを知るだろう。
 質問者 もし人間が彼自身の不幸をつくり出しているのなら、私もあなたに
     賛成するでしょう。しかし、彼自身の愚行から他者まで苦しめるの
     です。夢見る人は個人的な悪夢のなかで、ほかでもない自分ひとり
     が苦しむだけです。しかし、他人の人生まで破壊するとは、いった
     いどんな類の夢でしょうか?
 マハラジ
 解説は数多く、矛盾しあっている。実在はシンプルだ。
 すべてはひとつなのだ。
 調和が永遠の法則であり、誰も苦しむように強いられてはいない。
 ただあなたが解説し、説明しようと試みるとき、言葉はあなたを失望させる
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

623鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/12(火) 22:58:59 ID:1d4drIFg0
世界が残酷に見えるならばそれを観る者の心が残酷であるからなのじゃ。
自分ではそれを嘆いているように演技しているだけなのじゃ。
社会的に正しい態度を取って見せているだけなのじゃ。
心の中には残酷を望む願望があるのじゃ。

624避難民のマジレスさん:2019/02/12(火) 23:45:11 ID:LC3de7YgO
>>622
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】(つづき)

 質問者 一度、マハートマ・ガンディーが、「真我は非暴力の法則(アヒン
     サー)に縛られてはいない。真我はその表現に、それを正すために
     苦しみを負わせる自由をもっている」と私に言ったのを覚えていま
     す。
 マハラジ
 二元性のレベルにおいてはそうかもしれない。
 だが、実在のなかには、それ自体は暗いが、すべてを輝かす源があるだけだ。
 知覚されないが、それは知覚を引き起こす原因であり、感じられないが、感
 覚をひき起こす原因だ。
 非存在でありながら、それは存在に感情を与える。
 それは動きの不動なる背景なのだ。
 ひとたびあなたがそこに在るなら、どこにいようと我が家のように感じるこ
 とだろう。
 質問者 もし私がそれであるのならば、私が生まれてきた原因は何なのでし
     ょうか?
 マハラジ
 過去において満たされなかった欲望がエネルギーをふさぎ止め、それが個人
 として現れる。
 その蓄積されたエネルギーが使い果たされたとき、個人は死ぬのだ。
 満たされなかった欲望は次の誕生のなかへと運ばれていく。
 身体との自己同一化は、つねに新しい欲望をつくりつづけ、その束縛の構造
 が明確に理解されるまで、それに終わりはないのだ。
 解放をもたらすのは明晰性だ。
 なぜなら、その原因と結果が明確に理解されるまで、欲望を放棄することは
 できないからだ。
 それは死ぬ。
 そして永遠に死ぬのだ。
 だが、その記憶は残る。
 そしてそれらの欲望と恐れも。
 それらが新しい個人にエネルギーを供給するのだ。
 実在は、それにはまったく関わらない。
 だが、それに光を与えることでそれを可能にするのだ。
 質問者 私の困難とはこれです。私に理解できるかぎりでは、すべての体験
     はそれ自体の現実なのです。それは体験されたものとしてそこにあ
     ります。私がそれを疑い、誰にそれが起こったのか、誰が観察者な
     のかを尋ねる瞬間、体験は過ぎ去り、私が調べることができること
     はみな、その記憶だけになってしまうのです。私には生きた現在の
     瞬間――今を調べることはできません。私の気づきは過去のもので
     あり、現在のものではありません。私が気づいているとき、今のな
     かに本当は生きてはいず、ただ過去のなかだけにいるのです。現在
     の気づきというものが本当にあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが描写しているものは気づきなどではまったくない。
 それはただ体験について考えているだけだ。
 真の気づき(サンヴィド)とは、観照されている出来事についてまったく何
 をすることも試みない、純粋な観照の状態のことだ。
 あなたの思考と感情、言葉と行為もまた、出来事の一部分なのだ。
 あなたは明確な理解の完全な光のなかで、まったく関わりをもたないまま見
 守る。
 それがあなたに影響を与えないため、あなたは何が起こっているのかを正確
 に理解するのだ。
 それはよそよそしく冷淡な態度に見えるかもしれないが、本当はそうではな
 いのだ。
 ひとたびあなたがそのなかに在れば、それがいかなる性質のものであっても、
 あなたはあなたの見るものを愛することを見いだすだろう。
 この無選択の愛が気づきの試金石なのだ。
 もしそれがそこになければ、あなたはある個人的な理由で興味をもつだけだ。
 質問者 そこに苦痛と快楽があるかぎり、人は興味を持たざるをえません。
 マハラジ
 人が意識しているかぎり、そこに苦痛と快楽はあるだろう。
 意識のレベルで快楽や苦痛と闘うことはできないのだ。
 それらを超えていくには、意識を超えなければならない。
 意識をあなたのなかにではなく、あなたに対して起こる何か外部の、異質な、
 あなたの上に押し重ねられたようなものとして見るときにだけ、それを超え
 ることが可能なのだ。
 そのとき、あなたは突然意識から自由な、まったくひとりの、何の干渉も入
 らない状態にいる。
 意識とはあなたに引っかかせようとする急激なかゆみなのだ。
 もちろん、意識から外へと出ることはできない。
 外へ出ようとする考え自体が意識のなかにあるからだ。
 だが、もし意識とは殻(から)のなかのヒヨコを包む個人的で私的な熱のよ
 うなものとして見ることを学ぶなら、その態度そのものが殻を破る転換期を
 もたらすだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

625避難民のマジレスさん:2019/02/12(火) 23:57:06 ID:LC3de7YgO
>>623
うむ。
無我であると言うことは、
その残酷な事実に苦しむ主体がないと言うことはでありますね。
無我に行き着いてない人は、残酷さに苦しむ。
無我に行き着いてない人が、その残酷さを作り出す。
だから、残酷さは、無我に行き着いてない人全ての責任であり、
覚者は残酷さを含む一切をショーとして楽しめるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

626鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/13(水) 22:12:38 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、肉体さえ自分ではなく、自分のものでもないと気付いたならばどのような残酷さもありえないのじゃ。
肉体とはいずれは全て滅していく性質の道具でしかないからのう。

記憶や知識からは気付きは起こらないのじゃ。
真の気づきは観照されている出来事について全く何をする事も試みない純粋な観照の状態とマハラジは言うのじゃ。
そうであってこそ全てをありのままに見ることができるのじゃ。
そこに主体は無く、ただ起こるだけのものとして全てが観られるのじゃ。

627避難民のマジレスさん:2019/02/14(木) 07:01:05 ID:LC3de7YgO
>>624
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】(つづき)

 質問者 仏陀は、人生は苦しみだと言いました。
 マハラジ
 彼はすべての意識が苦痛に満ちたものだと意味していたのだ。
 それは明白だ。
 質問者 では、死が解放をもたらすのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身が生まれてきたと信じている人は、死を非常に恐れている。
 その反対に、自分自身を本当に知っている人にとって、死は幸福な出来事な
 のだ。
 質問者 ヒンドゥ教の伝統は、苦しみは運命によってもたらされ、そして運
     命は相応するものなのだと言っています。洪水、地震、戦争、革命
     といった計り知れない自然の、あるいは人的災害を見てください。
     それぞれの人たちが思いもしなかった彼自身の罪によって苦しむと
     いうこともできるのでしょうか? 何億もの苦しんでいる人々は皆、
     正当に罰せられるべき罪人だというのでしょうか?
 マハラジ
 人は自分自身の罪によってのみ苦しまなければならないのだろうか?
 私たちは本当に分離しているのだろうか?
 この広大な生命の大洋のなかで、私たちは他者の罪によって苦しみ、また私
 たちの罪によって他者を苦しめる。
 もちろん、バランスの法則が最高位のものだ。
 そして最後には貸借の決済をすませる。
 しかし、生命が続くかぎり、私たちは深く互いに影響を与え合うのだ。
 質問者 そうです。詩人はそれを「誰ひとり、孤島ではない」と言い表しま
     した。
 マハラジ
 すべての体験の背後には自己があり、その体験への興味があるのだ。
 それを欲望と呼ぶがいい。
 あるいは愛と呼ぶがいい。
 言葉は重要でない。
 質問者 苦しみを望むことはできるのでしょうか? 私は故意に苦痛を求め
     ることができるのでしょうか? 私は熟睡を期待して柔らかなベッ
     ドをつくり、悪夢に襲われて、寝返りを打ちながら夢のなかで叫ん
     でいる人のようなものです。間違いなく、悪夢を生みだしたのは、
     愛ではありません。
 マハラジ
 すべての苦しみは利己的な分離、孤立と貪欲によって起こるのだ。
 苦しみの原因が理解され、取り除かれたなら、苦しみはやむだろう。
 質問者 私は私の不幸の原因を取り除くかもしれません。しかし、他者は苦
     しみの中に残されるのです。
 マハラジ
 苦しみを理解するには、苦痛と快楽を超えていかなければならない。
 あなた自身の欲望と恐れが理解することを妨げ、それゆえ他者を助けること
 も妨げているのだ。
 実際には、他者は存在しない。
 それゆえ、自分自身を助けることで、あなたはほかの皆をも助けるのだ。
 もし人類の不幸に真面目に取り組むのなら、あなたがもっている唯一の手段
 を完全なものにしなければならない。
 それがあなた自身なのだ。
 質問者 あなたは私が世界の創造者、維持者、破壊者であり、遍在し、全知、
     全能だと言いつづけています。あなたの言うことに思いをめぐらし
     ているとき、私は自分に尋ねるのです。「どうして私の世界には、
     こんなにも多くの悪が存在するのだろうか?」と。
 マハラジ
 悪は存在しない。
 苦しみは存在しないのだ。
 生きる喜びはすべてにまさるものだ。
 見なさい。
 いかにすべてのものたちが生命にしがみついているか、いかに存在をいとお
 しんでいるかを。
 質問者 私のマインドのスクリーンのなかで、イメージが絶えることのない
     連鎖でつぎつぎと入れ代わっていきます。私に関して永久のものは
     何もないのです。
 マハラジ
 あなた自身をもっとよく見てみなさい。
 スクリーンがそこにあるではないか。
 それは変わらないのだ。
 光は揺るぎなく輝いている。
 ただその間にあるフィルムだけが動きつづけ、画像の現れる原因を引き起こ
 しているのだ。
 そのフィルムを運命(プラーラブダ)と呼んでもいい。
 質問者 運命をつくり出すのは何でしょうか?
 マハラジ
 無知が避けることができない原因なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

628避難民のマジレスさん:2019/02/14(木) 19:25:33 ID:LC3de7YgO
>>627
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】

  質問者 何についての無知でしょうか?
 マハラジ
 根本的には、あなた自身についての無知だ。
 また、ものごとの真の本質、その原因と結果についてでもある。
 あなたは辺りを見回し、理解もせずにその現れを実在と見なしてしまう。
 あなたは世界とあなた自身を知っていると信じている。
 だが、「わたしは知っている」とあなたに言わせているのは、単にあなたの
 無知にすぎないのだ。
 知らないということを認めなさい。
 そしてまずそこからはじめなさい。
 無知を終わらせること以上に、世界を助けられることは何もない。
 そうすれば、世界を助けるために何か特定のことをする必要はもうないのだ。
 行為をしようと無為であろうと、あなたの存在そのものが助けとなるのだ。
 質問者 無知はどのようにして知られるのでしょうか? 無知を知るという
     ことは知識を必要条件としています。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 「わたしは無知だ」と認めること自体が知識の現れなのだ。
 無知な人は、彼の無知に無知なのだ。
 あなたは無知が存在しないと言うことができる。
 なぜなら、それが見られた瞬間、それはもはやないからだ。
 それゆえ、それを無意識、あるいは盲目と呼んでもいいだろう。
 あなたの内側とまわりに見るすべては、あなたが知らず、理解しないことな
 のだ。
 あなたはあなたが知らず、理解しないことさえも知らないのだ。
 あなたが知らず、理解もしていないことを知ることは真の知識、謙虚なるハ
 ートの知識だ。
 質問者 そうです。イエスは「幸いなるかな、心貧しき者……」と言われま
     した。
 マハラジ
 あなたの好きなように表現するがいい。
 事実は、知識とは無知でしかないということだ。
 あなたは知らないということを知っているのだ。
 質問者 無知には終わりが来るのでしょうか?
 マハラジ
 知らないことの何が悪いというのかね?
 すべてを知る必要はない。
 必要なことだけを知ればそれで充分だ。
 あとは、あなたがどうすればいいのかを知らなくとも、それ自体が面倒を見
 る。
 重要なことは、あなたの無意識が意識に対抗しないこと、すべてのレベルで
 の統合があることだ。
 知ることは重要なことではないのだ。
 質問者 あなたの言われることは、心理学的には正しいのですが、他者や世
     界を知るに至っては、わたしが知らないということを知っているこ
     とは、それほど助けにはなりません。
 マハラジ
 ひとたびあなたが内的に統合されたなら、外的な知識は自然にやってくるだ
 ろう。
 人生におけるそれぞれの瞬間に、あなたは知るべきことを知るのだ。
 宇宙的マインドの大洋のなかには、全知識が包含されている。
 それはあなたの要求しだいなのだ。
 そのほとんどは、けっして知る必要もないものかもしれない。
 だが、どちらにせよ、すべてあなたのものなのだ。
 知識がそうであるように、力においてもまたそうだ。
 何であれ、あなたがする必要のあることは間違いなく起こる。
 神が宇宙を支配する仕事に従事していることは疑いない事実だ。
 だが、彼は助けを得ることを喜ぶ。
 もしそれが非利己的で、知的な人ならば、すべての宇宙の力が彼の指揮にし
 たがうだろう。
 質問者 自然の盲目的な力でさえも従うのでしょうか?
 マハラジ
 盲目的な力というものはない。
 意識が力なのだ。
 為される必要のあることに気づいてい
なさい。
 そうすれば、それは為されるだろう。
 ただ油断なく、静かにしていなさい。
 ひとたびあなたが目的地に到着し、真の本性を知るならば、あなたの存在は
 すべてにとっての祝福となる。
 あなたは知らないかもしれない。
 世界もまた知らないだろう。
 だが、助けは広く行き渡るのだ。
 世界のなかには、すべての政治家や慈善家を合わせたより以上の善を為して
 いる人々がいる。
 彼らは意図ももたず、知ることもないまま、光と平和を放っている。
 他者が彼らの為した奇跡について話すと、彼らもまた驚きの念に打たれる。
 それにもかかわらず、何ひとつ彼らのものとして受け取らず、誇りももたず、
 名声を望むこともない。
 彼らには、ただ彼ら自身のために何かを欲望すること、他者を助ける喜びを
 求めることさえ不可能なのだ。
 神が善であると知るゆえに、彼らはただ平和の内に在るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

629鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/14(木) 22:33:02 ID:1d4drIFg0
自分自身ついて知らないことを無知とマハラジはいうのじゃ。
お釈迦様はそれを無明と説いたのじゃ。
個体としての自分があると思うことが無知であり、無明なのじゃ。
その謬見がなくならない限り苦はあり続けるのじゃ。

630避難民のマジレスさん:2019/02/15(金) 06:10:27 ID:LC3de7YgO
>>628
『I AM THAT 私は在る』
【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】

 質問者 私は家族と所有物に対してたいへんな執着があります。この執着を
     どのようにして克服すればいいのでしょうか?
 マハラジ
 この執着は、「私」と「私のもの」という感覚とともに生まれたものだ。
 これらの言葉のもつ本当の意味を見いだしなさい。
 そうすれば、すべての束縛から自由になるだろう。
 あなたは時間のなかに広がるマインドをもっている。
 つぎつぎとあらゆることがあなたに起こり、そしてその記憶が残る。
 それには何の誤りもない。
 ただ、すべての有機的生命にとって本質的である過去の苦痛や快楽の記憶が、
 ひとつの反射的作用、支配的行動として残るとき問題が起こるのだ。
 この反射作用が「私」という形を取り、身体とマインドをいつも快楽の追求、
 苦痛からの逃避という目的のために使うのだ。
 あなたが「私」を、ひと塊(かたまり)の欲望と恐れとして、「私のもの」
 を、苦痛を避け快楽を確保するためにものごとや人びとを抱擁するものとし
 てあるがままに認識したとき、「私」と「私のもの」は、実在のなかに何の
 基盤ももたない偽りの観念だということが理解できるだろう。
 マインドによってつくられながらも、マインドがそれらを真実だと見なすか
 ぎり、そのつくり出した者を支配する。
 それが疑われた瞬間、それらは消え去るのだ。
 「私」と「私のもの」は、それ自体では存在をもたないため、身体という支
 えを必要とする。
 身体がそれらの身元の証明となるのだ。
 あなたが「私の」夫や「私の」子どもと言うとき、身体にとっての夫、身体
 にとっての子どもを意味している。
 自分が身体だという観念を捨て去り、「私とは誰なのか?」という質問に直
 面しなさい。
 即座に実在を呼び戻す動きのプロセスがはじまる。
 というよりも、そのプロセスがマインドを実在へと連れていくだろう。
 ただ、恐れてはならないのだ。
 質問者 何を恐れるというのでしょうか?
 マハラジ
 実在が在るためには、「私」と「私のもの」という観念は去らなければなら
 ない。
 あなたが手放しさえすれば、それらは去るだろう。
 そうすれば、あなたの正常で自然な状態はふたたび現れる。
 そのとき、あなたは身体でもマインドでもなく、「私」でも「私のもの」で
 もない、まったく異なった存在の状態に在るのだ。
 それは、あれやこれとしての存在ではなく、特定の、あるいは一般的な何か
 との自己同一化のない、純粋な存在の気づきだ。
 意識の純粋な光の中には何も存在しない。
 無という概念すらない。
 そこにはただ光があるだけだ。
 質問者 私には愛する人たちがいます。彼らを手放さなければならないので
     しょうか?
 マハラジ
 あなたはただ、彼らをつかんでいる手を放すだけだ。
 あとは彼ら次第だ。
 彼らはあなたに興味を失うかも知れない。
 あるいはそうではないかもしれない。
 質問者 どうして彼らが興味を失うというのでしょう? 彼らは私のもので
     はないのでしょうか?
 マハラジ
 彼らはあなたの身体のものであり、あなたのものではないのだ。
 あるいはあなた自身のものではない人は、ひとりもいないのだ。
 質問者 それでは私の所有物はどうなるのでしょうか?
 マハラジ
 「私のもの」がないとき、どこに所有物があるというのかね?
 質問者 どうか教えてください。「私」を失うことですべての所有物を失わ
     なければならないのでしょうか?
 マハラジ
 そうかもしれない、そうではないかもしれない。
 それはあなたにとってみな同じこととなるだろう。
 あなたの損失は、誰かほかの人の得となるからだ。
 あなたはかまわないだろう。
 質問者 もしかまわなければ、私はすべてを失ってしまうでしょう!
 マハラジ
 ひとたび何ももたなくなれば、問題はなくなるのだ。
 質問者 私は生存の問題とともに取り残されてしまうでしょう。
 マハラジ
 それは身体の問題であって、食べたり、飲んだり、眠ったりすることで解決
 されるだろう。
 そこにはすべてに充分なだけ、すべてを分かちあうだけ用意されているのだ。
 質問者 私たちの社会は分かちあうことではなく、つかみ取ることを基本に
     しているのです。
 マハラジ
 分かちあうことで、あなたはそれを変えるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

631鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/15(金) 22:42:40 ID:1d4drIFg0
私という観念があれば私のものとか家族とかの観念が起こるのじゃ。
そしてそれに執着するのじゃ。
執着にょって苦も起こるのじゃ。
私という観念が無ければ私も私のものもなく、執着も無く苦もないのじゃ。

632避難民のマジレスさん:2019/02/16(土) 09:28:43 ID:LC3de7YgO
>>630
『I AM THAT 私は在る』
【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】

 質問者 私は分かちあう気にはなれません。とにかく、私は所有物によって
     重荷を負わされているのです。
 マハラジ
 これは自由意志による分かちあいと同じではない。
 社会は強制では変わらない。
 ハートの変革が必要なのだ。
 あなたのものは何ひとつなく、すべてはすべてに属しているということを理
 解しなさい。
 そのときにだけ、社会は変わるだろう。
 質問者 ひとりの人間の理解によって、世界を大きく変えることはできない
     でしょう。
 マハラジ
 あなたが住む世界は深く影響を受けるだろう。
 それは健康で幸福な世界となるだろう。
 それは光を放ち、通じあい、拡大し、広がっていくだろう。
 真実のハートの力は計り知れないものなのだ。
 質問者 どうか、もっと私たちに話してください。
 マハラジ
 話すことが私の専門ではない。
 ときに私は話し、ときには話さない。
 私が話すか話さないかは与えられた状況の一部分であって、私に依ることで
 はないのだ。
 話さなければならない状況では、私は私自身が話していることを聞き、別の
 状況では、私は私自身が話していないことを聞くのだ。
 それは私にとってみな同じことだ。
 話をしようとしまいと、存在の光と愛である私は影響を受けず、それらは私
 の制御の内にあるのだ。
 それらはある。
 そしてそれらがあることを私は知っているのだ。
 そこには喜ばしい気づきがある。
 だが、誰も喜んでいる人はそこにいない。
 もちろん、アイデンティティの感覚はある。
 しかし、それは一連の記憶のアイデンティティ、不変のスクリーン上の画像
 の連鎖とのアイデンティティのようなものなのだ。
 光とスクリーンなしに画像はありえない。
 画像がスクリーン上の光の戯(たわむ)れであると知ることは、画像が実在
 だという観念からの解放を与えてくれる。
 理解しなければならないことは、あなたは自己を愛し、自己はあなたを愛し
 ているということだけだ。
 そして「私は在る」という感覚は、あなたと自己との間の連結部であり、外
 見の多様性に妨げられないアイデンティティの象徴なのだ。
 「私は在る」を内面と外面の間、実在と現れとの間の愛の象徴として見なさ
 い。
 夢のなかでは、「私」という感覚を除いてはすべてが異なっている。
 その「私」が「私は夢を見た」と言うことを可能にするように、「私は在る」
 という感覚が、「私は真我だ」と言うことを可能にするのだ。
 私は何もしないし、私に対して何もされることはない。
 私は私であり、何も私に影響を与えることはできない。
 私はすべてに依存しているように見えるが、事実は、すべてが私に依存して
 いるのだ。
 質問者 どうしてあなたが何もしないと言えるのでしょうか? あなたは私
     に話しているではありませんか?
 マハラジ
 私には私が話しているという感覚がない。
 話をすることが起こっている。
 ただそれだけだ。
 質問者 私は話しています。
 マハラジ
 そうかね?
 あなたはあなたが話しているのを聞く。
 そして言うのだ。
 「私は話す」と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

633鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/16(土) 22:51:51 ID:1d4drIFg0
世界はその観念を持つ者の心で作り出されるものじゃ。
そしてそれも自分のものではないのじゃ。
世界は自分で作りながら、自分で制御できないと思うのじゃ。
心を観察して変容が起これば世界も変るのじゃ。

634避難民のマジレスさん:2019/02/16(土) 23:12:42 ID:LC3de7YgO
>>632
『I AM THAT 私は在る』
【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】(つづき)

 質問者 誰もが「私は働く、私は来る、私は行く」と言います。
 マハラジ
 私はあなたの言語習慣に異議はない。
 だが、それは実際を歪(ゆが)ませ、破壊してしまうのだ。
 より正確な言い方は、「そこには話すことが、働くことが、来ることが、行
 くことが起こっている」となるだろう。
 なぜなら、何かが起こるには宇宙全体が符合しなければならないからだ。
 ひとつの出来事の原因が何か特定のものと信じるのは間違いだ。
 すべての原因は普遍的なものなのだ。
 宇宙全体がその創造と存続に貢献しないかぎり、あなたの身体は存在しなか
 っただろう。
 ものごとは起こるがままに起こる、なぜなら、世界はあるがままだというこ
 とに、私は完全に気づいているからだ。
 出来事の流れに影響を与えるには、世界のなかに新しい要因をもたらさなけ
 ればならない。
 そしてそのような要因は、私のなかで焦点を合わされた愛と理解の力である
 私自身でしかありえないのだ。
 身体が誕生するとき、あらゆることが自由に起こる。
 そしてあなたは自分を身体だと見なして、それらに関わっていく。
 あなたは映画館でずっと席に座っていて、画像が光の戯(たわむ)れにすぎ
 ないのをよく知っているにもかかわらず、画面を見て笑ったり泣いたりして
 いる人のようなものだ。
 その魔力を破るには、スクリーンから自分自身へと注意を移行させるだけで
 充分なのだ。
 身体が死ぬとき、あなたが現在生きている身体的、精神的出来事の連鎖であ
 る人生は終わりを迎える。
 それは身体の死を待たずとも、今でさえ終わらせることができる。
 注意を真我に移行し、そこにとどめておくだけで充分なのだ。
 あたかもそこに、すべてを創造し、動かす神秘の力があるように。
 すべては起こるのだ。
 あなたは動かす人ではなく、ただの観察者なのだということを自覚しなさい。
 そうすれば、あなたは平和の内にあることだろう。
 質問者 その力とは私から離れてあるものでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、そうではない。
 だが、あなたは冷静な観察者としてあることからはじめなければならない。
 そのときにのみ、あなたは普遍的な愛する者と行為する者としてのあなたの
 完全な存在を認識するだろう。
 あなたが特定の人物としての困難のなかに巻き込まれているかぎりは、何も
 その彼方にあるものを見ることはできない。
 だが究極的には、あなたは特定でも普遍的でもなく、その両方を超えたもの
 だと知ることだろう。
 鉛筆の先のごく小さな点が無数の絵を描きだすように、気づきの無次元の点
 は広大な宇宙の内容を描くことができるのだ。
 その点を探し出し、自由になりなさい。
 質問者 私は何から世界をつくり出したのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身の記憶からだ。
 あなたが創造者としての自分に無知なかぎり、あなたの世界は限定され、反
 復的なものになる。
 ひとたびあなたが過去との自己同一化を超えていけば、調和と美の新しい世
 界を自由につくり出すことができる。
 あるいは、あなたはただ存在と非存在の彼方にとどまるのだ。
 質問者 もし私が記憶を手放したなら、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 何も残らないだろう。
 質問者 私はそれを恐れるのです。
 マハラジ
 自由とその祝福を体験するまであなたは恐れることだろう。
 もちろん、身体を識別し導くためにはいくらかの記憶が必要だ。
 そしてそのような記憶は残る。
 だが、身体への執着が残ることはない。
 それはもはや欲望と恐れの拠(より)り所ではなくなるのだ。
 これらすべてを理解し、修練することは何も難しいことではない。
 しかし、あなたは興味をもたなければならない。
 興味なしには何もなされないからだ。
 あなたとは執着によって束ねられた一束の記憶なのだということを理解した
 上で、そこから踏みだし、外側から見てみなさい。
 はじめてあなたは記憶ではない何かを知覚するだろう。
 自分個人の関心事に忙しい某氏として在ることをやめて、ついにあなたは平
 和になるのだ。
 世界には何も間違ったところがないということを、あなたは認識するだろう
 ――間違っていたのはあなただけだ。
 そして、それは今終わったのだ。
 けっしてふたたび、あなたは無知から生まれた欲望の網の目に捕まることは
 ないだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

635鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/17(日) 22:51:10 ID:1d4drIFg0
自分も世界も記憶から起こるものじゃ。
世界と対峙する自分という観念も記憶から起こっているのじゃ。
それを現実と認識するから孤独や不安や全ての苦も起こるのじゃ。
それが幻想であったと気付けば苦もまた幻想として消滅するのじゃ。

636避難民のマジレスさん:2019/02/17(日) 23:17:10 ID:LC3de7YgO
>>634
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】

 質問者 あなたの真我の実現がどのように起こったのか、尋ねてもよいでし
     ょうか?
 マハラジ
 どうしたものか、私の場合それはとても簡単で、やさしいものだった。
 私のグルが亡くなる寸前に私に告げたのだ。
 「私を信じなさい。あなたは至高の実在なのだ。私の言葉を疑ってはならな
 い。不信感をもってはならない。私は真実を伝えているのだ。それに基づい
 て行動しなさい」と。
 私には彼の言葉を忘れることができなかった。
 そして忘れないことで、私は真我を実現したのだ。
 質問者 しかし、実際にあなたは何をしたのでしょうか?
 マハラジ
 何も特別なことはしなかった。
 私は私の人生を生き、商売に励み、家族の面倒を見、時間の許すかぎり私の
 グルと彼の言葉を覚えていたのだ。
 じきに彼は逝き、私は記憶に頼ることしかできなかった。
 それで充分だったのだ。
 質問者 それはグルの恩寵(おんちょう)と力だったに違いありません。
 マハラジ
 彼の言葉は真実だった。
 だからそれは実現されたのだ。
 真実の言葉はつねに実現される。
 私のグルは何もしなかった。
 彼の言葉が働きかけたのだ。
 なぜなら、それらは真実だったからだ。
 何であれ、私のしたことは願わず、求めずして内側から起こったものだ。
 質問者 グルは自ら参加することなしに、一連の変化を起こしたということ
     でしょうか?
 マハラジ
 あなたの好きなように表現するがいい。
 ものごとは起こるように起こるのだ。
 なぜ、どうしてなのかを誰が言えるだろうか?
 私は何ひとつ意図的にしなかった。
 手放そうという熱望、ひとりになること、内側へと向かうこと、すべてはひ
 とりでに起こったのだ。
 質問者 あなたはまったく何の努力もしなかったのでしょうか?
 マハラジ
 何ひとつしなかった。
 私は真我を実現しようと苦悩したわけでさえない。
 彼は私に「あなたは至高なるものだ」と告げ、そして死んだのだ。
 私にはただ彼を疑うことができなかった。
 それ以外はすべてひとりでに起こっていった。
 私は変わりつづけていく私を見ていた。
 ただそれだけだ。
 実のところ、私は驚いている。
 しかし、彼の言葉を実証したいという熱望が湧いてきたのだ。
 私には彼が嘘をついているはずがないというあまりにも強い確信があったた
 め、彼の言葉の完全な意味を実現するか、そうでなければ死ぬしかないと感
 じたのだ。
 私の決意は強固なものだったが、何をすべきか知らなかった。
 私は何時間も彼のことと彼が確約した言葉を想い、議論することなく、ただ
 彼の言った言葉を覚えていたのだ。
 質問者 そして、何があなたに起こったのでしょうか? どのようにしてあ
     なたが至高なるものだと知る
に至ったのでしょうか?
 マハラジ
 誰かがそれを伝えにきたわけではない。
 内面でそう言われたのを聞いたわけでもない。
 事実、努力したのは、ほんのはじめのころだけだ。
 私は光を見たり、声を聞いたり、神々に出会ったり、彼らと話をしたりとい
 う奇妙な体験を通り抜けてきた。
 ひとたびグルが私に「あなたは至高の実在だ」と言ったとき以来、幻想や超
 越状態を体験することはなくなり、とても静かに、そしてシンプルになった。
 私は欲望をもつことや知ろうとすることがだんだんなくなっていき、最後に
 はまったくの驚きとともに、「私は何も知らない。私は何も欲しくない」と
 言うまでに至ったのだ。
 質問者 あなたは本当に欲望と知識から解放されたのでしょうか、それとも
     グルによって与えられたイメージにしたがってジニャーニ(賢者)
     を人格化したのでしょうか?
 マハラジ
 いかなるイメージも与えられなかったし、私自身ももっていなかった。
 グルは何かを期待するようにとは一切言わなかったのだ。
 質問者 今以上のことがあなたに起こるかもしれないのでしょうか? あな
     たの旅は終焉したのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはけっしていかなる旅もなかったのだ。
 私は、つねに私であったままの私なのだ。
 質問者 あなたが到達したという至高の実在とは何だったのでしょうか?
 マハラジ
 私はもはや騙(だま)されない。
 それだけだ。
 私は世界をつくり出し、そこに住んでいた――もはやそうすることはないの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

637避難民のマジレスさん:2019/02/17(日) 23:19:09 ID:LC3de7YgO
>>636
くまも鬼和尚もみなも、至高の実在でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

638鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/18(月) 22:07:35 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、至高の存在なのじゃ。
 それを疑わなくなった時に全ては始まるのじゃ。

マハラジの如く完全な信仰があれば全ての恐れも障害も乗り越えて悟りはやってくるのじゃ。
誰でも自分の心の中を観るのは恐ろしいものじゃ。
自分がなくなるような感じがするじゃろう。
それを乗り越えるには師の言葉を信じて進むしかないのじゃ。
行った事のない山を登るのにはガイドを信じて登るしかないようにのう。

639避難民のマジレスさん:2019/02/18(月) 22:19:29 ID:LC3de7YgO
>>636
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】(つづき)

 質問者 それでは、あなたはどこに住んでいるというのでしょうか?
 マハラジ
 存在と非存在を超えた、意識を超えた空のなかだ。
 その空はまた充満してもいるのだ。
 私を哀れんではいけない。
 それは、「私は私の仕事を終えた。もう何もするべきことはない」と言う人
 のようなものだ。
 質問者 あなたは真我の実現の確かな日時を伝えています。それはつまり、
     その日に何かが起こったということでしょうか? 何が起こったの
     でしょうか?
 マハラジ
 マインドが出来事をつくり出すことをやめたのだ。
 遙かなる昔からの絶え間ない探求が終焉したのだ。
 私は何も望まず、何も期待せず、何ひとつ私のものとして受け取らなかった。
 そこに闘おうとする「私」は残っていなかった。
 ただの「私は在る」さえも消え去ったのだ。
 もう一つ気づいたことは、すべての習慣的な確信を失ったということだ。
 以前、私は多くのことに確信をもっていた。
 今、私には何ひとつ確かなことはないのだ。
 だが、知らないことで何かを失ったようには感じない。
 なぜなら、私のすべての知識が偽りだったからだ。
 私が知らないということ自体、すべての知識は無知なるものだという事実の
 知識なのだ。
 「私は知らない」だけが私にできる唯一の表明だ。
 「私は生まれた」という考えを例にとってみなさい。
 あなたはそれを真実だと受け取っているかも知れない。
 そうではないのだ。
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだろう。
 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないのだ。
 あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、あなたは死
 をまぬがれない者となる。
 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界となるのだ。
 よく見てみなさい。
 すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意識だけが存
 在するのだ。
 意識のかぎりない広がりのなかに、ひとつの光が現れる。
 小さな点は急速に動き、紙の上にペンで形を描くように思考、感情、概念、
 観念を描きだす。
 その描きだすインクが記憶だ。
 あなたはその小さな点であり、あなたの動きによって世界はつねに再創造さ
 れていくのだ。
 動くのをやめなさい。
 すると世界はなくなるだろう。
 内側を見なさい。
 すると身体のなかの広大な光の反映は、「私は在る」という感覚としての小
 さな光の点だと見いだすだろう。
 ただ光だけがあり、それ以外のすべては現れにすぎないのだ。
 質問者 あなたはその光を知っているのでしょうか? それを見たのでしょ
     うか?
 マハラジ
 マインドにとってそれは暗闇として現れる。
 それはその反映を通してだけ知ることができる。
 日の光以外はすべて日の光のなかで見られるのだ。
 質問者 私たちのマインドは同じものだと理解していいのでしょうか?
 マハラジ
 どうしてそうあり得よう?
 あなたは記憶によって織り込まれ、欲望と恐れによってひとつに束ねられた、
 あなた自身の個人的なマインドをもっているのだ。
 私は自分自身のマインドというものをもっていない。
 私が知る必要のあることは、宇宙は私に食べる物を与えるように私のもとへ
 運んでくるのだ。
 質問者 あなたは知りたいことをすべて知っているのですか?
 マハラジ
 私にとって知りたいことは何もない。
 だが、知る必要のあることは知ることになるのだ。
 質問者 この知識はあなたの内側からやってくるのでしょうか、それとも外
     側から来るのでしょうか?
 マハラジ
 その表現は当てはまらない。
 私の内側は外側であり、私の外側は内側なのだ。
 必要な知識をあなたから得るかも知れない。
 だが、あなたは私から離れていないのだ。
 質問者 第四の状態と呼ばれているトゥリーヤとは何でしょうか?
 マハラジ
 世界を描きだす光の点がトゥリーヤだ。
 光そのものとなることがトゥリーヤーティータだ。
 だが、実在がこれほど間近にあるというときに、そのような名称が何になる
 というのだろうか?         
(´・(ェ)・`)
(つづく)

640避難民のマジレスさん:2019/02/18(月) 22:21:01 ID:LC3de7YgO
>>638
うむ。至高の存在である!
(´・(∀)・`)つ

641避難民のマジレスさん:2019/02/19(火) 19:50:24 ID:LC3de7YgO
>>639
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】(つづき)

 質問者 あなたの状態に進展はあるのでしょうか? あなたは昨日の自分を
     今日の自分と比較したとき、変化や進展が見られるのでしょうか?
     あなたの実在の見解はより広く、深くなっていくのでしょうか?
 マハラジ
 実在は不動のものだ。
 それにもかかわらず、絶え間ない変化のなかにある。
 それは力強い川のようなものだ。
 それは流れていくが、しかも永遠にそこにある。
 流れていくのは、川とその川床と両岸ではなく、水だ。
 同じようにサットヴァ・グナ、普遍的調和の質はタマスとラジャス、暗闇と
 絶望に対して戯(たわむ)れる。
 サットヴァのなかには、つねに変化と進展がある。
 ラジャスのなかには、つねに変化と後退がある。
 一方、タマスは混沌(こんとん)を代表する。
 三つのグナ(質)は永遠に互いに対抗して戯れあう。
 それは事実であり、そこに事実との不和はありえないのだ。
 質問者 私はつねにタマスとともに愚鈍になり、ラジャスとともに絶望する
     のでしょうか? サットヴァはどうでしょうか?
 マハラジ
 サットヴァはあなたの真の本性の輝きだ。
 あなたはつねにそれをマインドの彼方に見いだすことができる。
 だが、あなたが世界を望むならば、三つのグナを分離不可能で、本質的にひ
 とつである物質―エネルギー―生命として受け容れなければならない。
 時間と空間のなかには、誕生と死、進歩、後退、また進歩、ふたたび後退と
 いった、一見、はじまりも終わりもないような永遠の流れがある。
 永遠、不変で身体を持たず、マインドのない気づきが至福なのだ。
 質問者 あなたによれば、すべてが意識の状態なのだと私は理解しました。
     世界はもので満ちています。砂の一粒はものであり、惑星ももので
     す。それらはどのように関係しているのでしょうか?
 マハラジ
 意識の届かないところから物質ははじまる。
 ものとは私たちが理解してこなかった存在のひとつの形態だ。
 それは変化しない。
 それはつねに同じで、それ自体として、何か奇妙な異質なものとしてそこに
 あるように見える。
 もちろん、それは意識のなかに在る。
 だが、一見不変に見える外観ゆえに、外側にあるように見えるのだ。
 ものの根本は記憶のなかにある。
 記憶なしには認識はないからだ。
 創造―維持―破壊すなわちブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ。
 これが永遠の過程だ。
 すべてのものごとはそれに支配されているのだ。
 質問者 そこからの脱出はありえないのでしょうか?
 マハラジ
 私はほかでもない脱出だけを示しているのだ。
 ひとつが三つを含んでいることを理解しなさい。
 そしてあなたこそがそのひとつなのだ。
 そうすれば、あなたは輪廻(りんね)から解放されるだろう。
 質問者 そのとき、何が私の意識に起こるのでしょう?
 マハラジ
 創造の段階の後に、調査、そして熟考の段階が来る。
 そして最終的に放棄と忘却の段階となる。
 意識は残るが、潜在的な、静かな状態なのだ。
 質問者 アイデンティティの状態は残るのでしょうか?
 マハラジ
 アイデンティティの状態は実在のなかで固有のものであり、けっして消え去
 るものではない。
 しかし、アイデンティティとは一時的な個人(ヴィヤクティ)でも、カルマ
 によって束縛された人格(ヴィヤクタ)でもないのだ。
 それはすべての自己同一化が偽りとして放棄されたときに残るものだ。
 純粋な意識、そこにある、またはありうるすべての存在の感覚だ。
 意識ははじめ純粋で、終わりもまた純粋なままだ。
 その中間において、創造の根本である想像によって汚されてしまうのだ。
 意識はつねに同じ状態で残る。
 それをあるがままに知ることが真我の実現であり、永遠の平和なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

642鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/19(火) 22:58:46 ID:1d4drIFg0
>>640 そうじゃ、至高の存在じゃ。

この世でのさまざのまな知識は全て仮想の観念としてあるだけなのじゃ。
他人に伝えるための言葉とイメージとして伝わっているだけなのじゃ。
それらは金とか鍬とかペンチとかの道具と同じように本来いらないものじゃ。
ただ便利な道具として生きている間だけ役に立つものなのじゃ。
知識の彼方に永遠の意識は在るのじゃ。

643避難民のマジレスさん:2019/02/19(火) 23:29:16 ID:LC3de7YgO
>>641
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】(つづき)

 質問者 「私は在る」という感覚は実在なのでしょうか、非実在なのでしょ
     うか?
 マハラジ
 その両方だ。
 私たちが、「私はこれだ。私はあれだ」と言うとき、それは非実在であり、
 「私はこれでもなく、あれでもない」と言うとき、それは実在なのだ。
 知る者は知られるものとともに来ては去り、一時的なものだ。
 だが、知らないということを知り、記憶と期待から自由なそれは永遠なのだ。
 質問者 「私は在る」自体が観照者なのでしょうか、それともそれらは別々
     なのでしょうか?
 マハラジ
 ひとつがないときにはもうひとつもない。
 しかし、それらはひとつではない。
 それは花とその色彩のようなものだ。
 花なしには色彩もない。
 色彩なしには――花が見られることもないままだ。
 その彼方には、花と接触することで色彩を生みだす光がある。
 あなたの真の本性は純粋な光だけであり、知覚者と知覚されるものは、とも
 に来ては去っていくだけだ。
 その両方を可能にし、また可能にしないもの、それがあなたの真の存在なの
 だ。
 それは「これやあれ」としての存在ではなく、存在と非存在の純粋な気づき
 なのだ。
 気づきがそれ自体に向かったとき、その感覚は「知らない」というものだ。
 それが外側に向いたとき、知ることの可能なものが現れる。
 「私は私自身を知っている」と言うことは、言葉の上で矛盾がある。
 なぜなら、「知られる」ことが「私自身」であることができないからだ。
 質問者 もし自己がつねに知られざるものならば、真我の実現のなかでは何
     が実現されるのでしょうか?
 マハラジ
 知られることは私、あるいは私のものではありえない、ということを知るこ
 と自体、充分な解放だ。
 一式の記憶と習慣との自己同一化からの自由、存在の無限な広がりに対する
 驚愕(きょうがく)、その無尽蔵な創造力と完全な超越、意識のあらゆる状
 態が錯覚であり、一時的であることの認識から生まれた絶対的な恐れのなさ
 ――それらは深く、かぎりない源から湧き出るものだ。
 源を源として、現れは現れとして知ること、自己を唯一の源として知ること
 が真我の実現なのだ。
 質問者 観照者はどちらの側にあるのでしょう? 実在でしょうか、非実在
     でしょうか?
 マハラジ
 誰も「私は観照者だ」と言うことはできない。
 「私は在る」はつねに観照されているものだ。
 冷静な気づきの状態が観照意識、「鏡のマインド」だ。
 それは対象物とともに現れては消えるものであり、それゆえ完全に実在とは
 言えない。
 対象物がなんであれ、それは変わらず残る。
 それゆえそれは実在とも言えるのだ。
 それは実在と非実在の両方の質をもっているため、そのふたつに架ける橋な
 のだ。
 質問者 もしすべてが「私は在る」にだけ起こるのなら、もし「私は在る」
     が知る者と知られるものと知識そのものであるなら、観照者がする
     こととは 何なのでしょうか? それが何の役に立つというのでし
     ょうか?
 マハラジ
 それは何もしない。
 そして何の役にも立たないのだ。
 質問者 それでは、なぜ私たちはそれについて話すのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、それはそこに在るからだ。
 橋は渡すというひとつの役割を果たすだけだ。
 あなたは橋の上に家を建てたりはしない。
 「私は在る」はものごとを見るが、観照者はそれらを見通すだけだ。
 それはそれらを非実在で一時的なものとして、ありのままに見る。
 「私ではなく、私のものではない」と言うことが観照者の役目なのだ。
 質問者 観照者とは、非顕現(ニルグナ)が表現された顕現(サグナ)なの
     でしょうか?
 マハラジ
 非顕現は表現されない。
 顕現されたものには非顕現を表現することはできないのだ。
 質問者 それでは、なぜ私たちはそれについて語るのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、そこが私の誕生の地だからだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

644避難民のマジレスさん:2019/02/19(火) 23:35:22 ID:LC3de7YgO
>>643
> 「私は私自身を知っている」と言うことは、言葉の上で矛盾がある。
 なぜなら、「知られる」ことが「私自身」であることができないからだ。
> 知られることは私、あるいは私のものではありえない、ということを知るこ
 と自体、充分な解放だ。

目は直接自分の目を見ることはできないってやつでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

645鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/20(水) 23:17:07 ID:1d4drIFg0
↑ そのようなものじゃ。
 主体無く全てはただ起こるのじゃ。
 そこに私は無いのじゃ。
 私が無いことを主体無く気付くことができるのじゃ。
 気付く主体も気付かれる私も無いのじゃ。
 私という認識の観念そのものが気づきによってなくなるのじゃ。

646避難民のマジレスさん:2019/02/20(水) 23:27:39 ID:LC3de7YgO
>>643
『I AM THAT 私は在る』
【79 個人、観照者、至高なるもの】(つづき)

 質問者 私たちには意識を拡張する麻薬のさまざまな体験の長い経歴があり
     ます。それらは高次や低次といった別の意識状態の体験を、そして
     麻薬は信頼できず、良くても一時的であり、最悪では有機体と人格
     を破壊するという確信を私たちに与えてくれました。私たちは意識
     の発達と超越のためのより良い方法を探しています。探求の結果が、
     薄れゆく記憶と無力が後悔に変わるのではなく、私たちとともにと
     どまり、人生を豊かにしてくれることを望んでいるのです。もし霊
     的ということで、私たちが自己探求と発達を意味するなら、インド
     に来た目的はまぎれもなく霊的なものです。幸福なヒッピーの時代
     を私たちは後にしたのです。私たちは、今真剣に進んでいこうとし
     ています。そこに発見すべき実在があることは知っているのですが、
     どのようにしてそれを見つけ、つかまえればいいのか知りません。
     私たちには説得ではなく指導が必要なのです。助けていただけます
     か?
 マハラジ
 あなたに助けは必要ない、ただ助言だけが要る。
 あなたが探しているものは、すでにあなたのなかにある。
 私の場合は例に見てみなさい。
 私は真我の実現のために何もしなかった。
 私の師が、実在は私のなかにあると言ったのだ。
 私は内面を見て、そこにそれを発見した。
 まさしく、師の言ったように。
 実在を見ることは、自分の顔を鏡で見ることのように簡単なことなのだ。
 ただ鏡は汚れのない、本物でなければならない。
 欲望や恐れによる歪みがなく、観念や意見から自由な、すべてのレベルで明
 晰(めいせき)な、静かなマインドが実在を反映するために必要なのだ。
 澄んで、静かに在りなさい。
 油断なく冷静に在りなさい。
 そうすればほかのすべてはひとりでに起こるだろう。
 質問者 あなたは真理を悟る前に、マインドを澄んだ静かな状態にしなけれ
     ばなりませんでした。どうや
ってそれをしたのでしょうか?
 マハラジ
 私は何もしなかった。
 それはただ起こっただけだ。
 私は私の人生を送り、家族の必要に従事していたのだ。
 私のグルも何もしなかった。
 彼が言ったとおり、それはただ起こったのだ。
 質問者 ものごとはただ起こるものではありません。すべてに原因があるは
     ずです。
 マハラジ
 起こることすべてが起こることすべての原因なのだ。
 原因は無数にある。
 たったひとつの原因という考えはただの幻想だ。
 質問者 あなたは何か瞑想やヨーガといった特別なことをしていたに違いあ
     りません。真我の実現がひとりでに起きるなどと、どうして言える
     のでしょうか?
 マハラジ
 何も特別なことはなかったのだ。
 私はただ私の人生を生きていただけだ。
 質問者 驚きです!
 マハラジ
 私もそうだったのだ。
 だが、驚くような何があるというのだろう?
 私の師の言葉が現実となった。
 だから何だというのだろう?
 彼は、私自身を私よりよく知っていたのだ。
 なぜ原因を探すのか?
 最初のうち、私は「私は在る」という感覚に注意を払っていた。
 だが、はじめのうちだけだ。
 しばらくしてグルは死に、私は生きつづけた。
 彼の言葉が真実だと証明された。
 それだけだ。
 それはすべてひとつの過程だった。
 あなたはものごとを時間のなかで区別し、それから原因を探しだそうとして
 いるのだ。
 質問者 あなたの現在の仕事は何でしょうか? あなたは何をしているので
     すか?
 マハラジ
 あなたは在ることと、することを同一視している。
 それはそうではないのだ。
 マインドと身体が動き、変化し、ほかのマインドと身体を動かし、変化させ
 ていく。
 それがすること、行為と呼ばれるものだ。
 私が見るには、燃えることによって火が続いていくように、行為がつぎの行
 為を生みだしていく、それが行為の本質だ。
 私は行為もしなければ、ほかの者に行為させることもしない。
 私は永遠に、起こっていることに気づいているのだ。
 質問者 あなたのマインドのなかや、他者のマインドのなかのことも気づい
     ているのでしょうか?
 マハラジ
 そこには、「私はこれだ、私はあれだ。これは私のものだ。あれは私のもの
 だ」という考えが群れをなしたひとつのマインドがあるだけだ。
 私はマインドではない。
 けっしてそうではなかったし、そうあることもないだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

647避難民のマジレスさん:2019/02/21(木) 06:55:26 ID:LC3de7YgO
>>646
>  マインドと身体が動き、変化し、ほかのマインドと身体を動かし、変化させ
 ていく。
 それがすること、行為と呼ばれるものだ。
 私が見るには、燃えることによって火が続いていくように、行為がつぎの行
 為を生みだしていく、それが行為の本質だ。

←仕事は何かと問われて、このように答えていますが、
これは、心も、身体の動きも、連続しているように見えるので、一つの統一した自我が在るように見えるだけであり、錯覚のようなものである。みたいな意味でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

648避難民のマジレスさん:2019/02/21(木) 20:05:25 ID:LC3de7YgO
>>646
『I AM THAT 私は在る』
【79 個人、観照者、至高なるもの】(つづき)

 質問者 マインドはどうやって現れたのでしょうか?
 マハラジ
 世界は物質、エネルギー、知性で構成されている。
 それらは多くの方法でそれ自体を現している。
 欲望と想像が世界を創造する。
 知性はその二つを調停し、平和と調和の感覚をもたらすのだ。
 私にとっては、それはすべて起こるだけだ。
 私は気づいていて、しかも影響を受けないままなのだ。
 質問者 影響を受けないまま、気づいていることはできません。そこには言
     葉上の矛盾があります。知覚とは変化です。ひとたびあなたがある
     感覚を体験したら、記憶は以前の状態に後戻りすることを許さない
     でしょう。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 記憶に加えられたことを消去するのは簡単なことではない。
 しかし、間違いなくそれはできる。
 事実、私はつねにそれをやっている。
 飛ぶ鳥のように、私は足跡を残さないのだ。
 質問者 観照者は名前と形をもっているのでしょうか、それとも、それらを
     超えているのでしょうか?
 マハラジ
 観照者は気づきのなかの単なる点にすぎず、名前も形もない。
 それは露のしずくに映る太陽の反映のようなものだ。
 露のしずくには名前も形もない。
 だが、光の小さな点は太陽によってできたものだ。
 しずくの透明さとなめらかさは必要な条件であるが、それ自体としては充分
 と言えない。
 同じようにマインドの明晰性と沈黙は、マインドのなかに実在の反映が現れ
 るために必要であるが、それだけでは充分でないのだ。
 それを超えたところに実在がなければならない。
 実在は永遠に存在しているため、必要条件のほうが強調されるのだ。
 質問者 マインドが澄んで、静かにあるでもかかわらず、反映が現れないこ
     ともありうるのでしょうか?
 マハラジ
 運命が考慮されなければならない。
 無意識は運命に捕らえられている。
 事実、それが運命なのだ。
 人は待たなければならないかもしれない。
 しかし、運命の手がいかに重くのしかかろうと、忍耐と自己制御によって取
 り除くことはできるのだ。
 統合と純粋さが障害をぬぐい去るとき、マインドのなかに実在の姿は現れて
 くる。
 質問者 どのようにして自己制御を習得するのでしょうか? 私のマインド
     は軟弱なのです!
 マハラジ
 まず、あなたはあなたが考えているような個人ではないということを理解し
 なさい。
 あなたがあなた自身だと考えていることは、単なる想像や思いつきにすぎな
 いのだ。
 あなたに両親はいない。
 あなたは生まれてもいなければ、死にもしないのだ。
 私がそう言うのを信じるか、あるいは探求し、調査することでそれに到達す
 るがいい。
 完全なる信頼の道は速い。
 もうひとつの道は遅いが、安定している。
 どちらも行為によって試されなければならないのだ。
 あなたが真実だと信じることにしたがって行動しなさい。
 これが真理への道なのだ。
 質問者 真理を受けるに値する人となることと運命とは、ひとつであり同じ
     ことなのでしょうか?
 マハラジ
 そうだ、それらはどちらも無意識のなかにある。
 意識している長所とは単なるうぬぼれにすぎない。
 意識はつねに障害なのだ。
 障害のないとき、人はそれを超えることができる。
 質問者 私は身体ではないという理解が自己制御に必要な力を与えてくれる
     でしょうか?
 マハラジ
 あなたが身体でもマインドでもないと知るとき、それらによって影響される
 ことはなくなる。
 それがどこにあなたを連れていこうとも、あなたはする必要のあることをし、
 払うべき代償が何であれ、真理にしたがっていくだろう。
 質問者 行為は真我の実現に本質的なものなのでしょうか?
 マハラジ
 真我の実現にとっては、理解が本質的なものだ。
 行為は偶然のものでしかない。
 確固とした理解の人は行為を差し控えるだろう。
 行為とは真理の試験なのだ。
 質問者 試験が必要なのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたがつねにあなた自身を試験しなければ、実在と空想との区別はで
 きなくなるだろう。
 観察と注意深い理性はある程度の助けになる。
 しかし、実在は逆説的なのだ。
 思考と感情、言葉と行動を見守り、なぜ、どのようにして、あなたの知らな
 いうちにそれらが変化していくのかを疑わないかぎり、あなたが真我を実現
 したということをどうして知ることができるだろう?
 本当に驚くからこそ、それが実在だと知るのだ。
 予想され、期待されたものが実在であることはまれだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

649鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/21(木) 22:37:26 ID:1d4drIFg0
>>647 そのような理解で善いのじゃ。
 行為があるから行為の主体があるはずだと自我の在る者は思ってしまうのじゃ。
 それはただ自動的に続くものごとに自分の観念を投射しているだけなのじゃ。

 マハラジは人に両親は居らず、生まれても入なければ死にもしないというのじゃ。
 人が自分と思っているものは想像や思いつきであるからというのじゃ。
 実際にはそれは認識であるがのう。
 認識による謬見が自我と呼ぶものなのじゃ。

650避難民のマジレスさん:2019/02/22(金) 07:05:13 ID:LC3de7YgO
>>648
『I AM THAT 私は在る』
【79 個人、観照者、至高なるもの】(つづき)

 質問者 個人はどのようにして現れるのでしょうか?
 マハラジ
 光が身体によって遮(さえぎ)られたとき、影が現れるのと同じように、純
 粋な自己覚醒が「私は身体だ」という想念によって妨げられたとき、個人が
 現れる。
 そして影が地上の光によってその位置と形を変えていくように、個人も運命
 のパターンにしたがって喜んだり、苦しんだり、休息したり、あくせく働い
 たり、見いだしたり、失ったりするように現れて見えるのだ。
 身体がもはやなくなったとき、個人は再帰することなく完全に消え去る。
 ただ観照者と偉大な未知なるものだけが残るのだ。
 観照者は「私は知っている」と言い、個人は「私は為(な)す」と言うのだ。
 「私は知っている」ということは、真実に反することではない。
 それは単に限定されているだけだ。
 しかし、「私は為す」ということは、まったくの間違いだ。
 なぜなら、そこには為す人など誰もいないからだ。
 行為者であるという観念さえ含めたす
べてはひとりでに起こるのだ。
 質問者 それでは、行為とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙は行為であふれている。
 だが、そこに行為する者はいないのだ。
 そこには自己同一化によって行為していると想像している無数の小さな、そ
 して大きな、そしてとても大きな個人たちがいる。
 だが、それが行為の世界(マハーダカーシュ)はすべてに依存し、すべてに
 影響する単一の統一体だという事実を変えることはない。
 星たちは私たちに深く影響を与え、私たちも星たちに影響を与える。
 行為から意識へと一歩退き、行為は身体とマインドにまかせなさい。
 行為はそれらの領域なのだ。
 観照者さえも至高なるもののなかに消え去るまで、純粋な観照者としてとど
 まりなさい。
 木々でいっぱいの密林を想像してみなさい。
 木材から板が切りだされ、一本の小さな鉛筆でその板に書いていく。
 観照者は書かれたものを読み、そして鉛筆と板は密林に間接的に関係しては
 いるが、書かれたことはそれとは何の関係もないことを知る。
 それは完全にその上に付け加えられたものであり、その消滅には何の重要性
 もないのだ。
 人格の消滅にはつねに大いなる解放の感覚が続くものだ。
 あたかも重荷が落ちたかのように。
 質問者 あなたが、「私は観照者を超えた彼方にいる」と言うとき、どのよ
     うな体験があなたにそう言わせるのでしょうか? それはただの観
     照者としてある段階とはどのように違うのでしょうか?
 マハラジ
 それはプリント地の布を洗うようなものだ。
 はじめにデザインが消え、それから背後の色が落ち、最後に布が真っ白にな
 る。
 人格は観照者に場をゆずる。
 それから観照者は去り、純粋な気づきが残るのだ。
 布は、はじめは白く、終わりも白い。
 パターンと色はしばらくの間ただ起こっただけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

651鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/22(金) 22:53:03 ID:1d4drIFg0
個我や主体の観念は永遠の意識に一時だけついた仮の幻想なのじゃ
 色や柄のようなものじゃ。

652鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/22(金) 22:54:45 ID:1d4drIFg0
布が洗い流されたとき色も柄も無くなり、白い色が再び現われるように観照によって個我も主体も消え去るのじゃ。
そして元通りの永遠の行きだけがあり続けるのじゃ。

653避難民のマジレスさん:2019/02/23(土) 00:57:23 ID:LC3de7YgO
>>650
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき) 
 より抜粋

さて、ここでもう一度思い出してほしい。
男と女について 話しているとき、私は生物学の用語を使っているのではない。
どの男の内側にも男性だけでなく内なる女性がいる。
その女の内側にも女性だけでなく内なる男性がいる。
男はたんなる男ではなく、女はたんなる女ではない。
彼らは両方だ。男女ともに両性だ。彼らは両方の性をそなえている。
ある人が男なのは、おそらく一方が優勢だからだろう。
男性の部分が優位に立って―つまりアニムスが意識に昇り、 アニマが無意識の
奥深くに潜んでいると、あなたは男になる。
あるいは、あなたが女であるというのは、アニマが意識に昇り、 女性的な部分
が優位に立って、男性的な部分、アニムスが無意識の なかに潜んでいるという
ことだ。
だが、両性がつねにともにある。 陰陽の極なくして電気が存在しえないように
、両極なくして生物は 存在しえない。
「男と女」「陰と陽」「明と暗」「シヴァとシャクティ」 ―あなたは好きな名
前で呼べばいい。
この二つの誤りを克服しなければならない。
静かな行を中断せずに毎日続けること
が必要になる。

そうすれば確実に成果が現れるであろう

この静かな行とは何か?
これが静かな行だ―
(p285)

静坐して瞑想しなければ、しばしば散乱していてもそれに気つ゛かない。
あなたはそれを観察したことがあるにちがいない。
たくさんの人々が私に報告している。
私のまわりでは何千人もの人々が瞑想しているからだ。
これは瞑想者が等しく認める体験だが、瞑想をはじめると、人は突然奇妙な
現象に気つ゛くようになる。
瞑想をすると、これまで一度もなかったほど心マインドが落ち着かなくなって
くる。
最初のうちはこれがひどく奇妙に思える。
瞑想すれば心が静かになるものと期待しているからだ。
ところが、起こっているのはまったく逆のことだ。
心はますます落ち着きを失ってゆく。
日常の生活をしているときよりも多くの思考がやってくる。
店や会社や工場で働いているときには、さほど思考は邪魔にならない。
ところが 、お寺やモスクや教会に坐って数分でも瞑想すると、突然、思考が群
れをなしてやって 来て、まわりを取り囲み、あちこちに引きずりまわしはじめ
る。
頭がおかしくなりそう になり、わけがわからなくなる。
瞑想者は穏やかで静かになるものと思っていたからだ。
ところがまったく逆のことが起こっている。
どうしてこんなことになるのだろう?
その理由はこうだ。
あなたがたはいつもこれらの思考と行動をともにしてきた。
店や工場や会社で働いているときでさえ、これらの思考はつねにそこにあった
のだ。
だが、仕事に夢中になるあまり、気つ゛かなかっただけのことだ。
目新しいのは 思考の群れではない―思考はあなたがどこに坐っていようが気に
かけない。
教会なのか、寺院なのか、瞑想ホールなのか、思考は気にかけない。
ようするに、坐って瞑想しているときには外界の事物に気を取られていない の
で、心がいつも内側で騒ぎ立てているすべてのものにはっきりと気つ゛く よう
になるというだけのことだ。
瞑想のせいでいつもより多くの思考がやって 来るわけではない。
瞑想によってあなたはそこにあるものに、いつもそこにあった ものに気つ゛く
ようになる。あなたが前よりももっと気つ゛くようになるだけだ。
静坐して瞑想しなければ、しばしば散乱していてもそれに気つ゛かない。
散乱に意識を向けることにより、おのずと散乱を取り除くことができる。
外界の雑務から身を引き、完全に身を引き、全力をあげて内界を観察するため
に、少なくとも毎日一、二時間、坐って瞑想することが強調されるのはそのた
めだ。
最初のうちはパンドラの箱を開けたように見えるだろう。
最初のうちは精神病院に踏み込んだように見えるだろう。
あなたは逃げだして、再び雑務に没頭したくなる。
この誘惑を避けなさい。
この誘惑はなんとしても避けなければならない。
さもなければ、けっして瞑想をすることはできない。
この内なる混乱から目をそらすために数々のトリックが見いだされてきた。
超越瞑想は瞑想のテクニックではなく、内なる現実に直面するのを避けるため
のテクニックだ。
マントラが与えられ、それをくり返すように告げられる。
それは役に立つ―瞑想の助けになるのではなく、気を紛らわしておく助けにな
る。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

654避難民のマジレスさん:2019/02/23(土) 01:25:00 ID:LC3de7YgO
>>653
また。
まちがえたのである。
うむ。
なにかうわのそらなのである。
気を付けないといけないのである。
(´・(ェ)・`)つ

655避難民のマジレスさん:2019/02/23(土) 01:33:32 ID:LC3de7YgO
>>650
『I AM THAT 私は在る』
【79 個人、観照者、至高なるもの】(つづき)

 質問者 気づきの対象物なしに気づきはありうるのでしょうか?
 マハラジ
 気づきとその対象物を、私たちは観照と呼ぶのだ。
 そこに欲望や恐れによって起こる対象物との自己同一化があるとき、そのよ
 うな状態が個人と呼ばれるのだ。
 実際にはただひとつの状態があるだけだ。
 自己同一化によって歪曲(わいきょく)されたとき、それは個人と呼ばれる。
 それが存在の感覚で色づけされたとき、それが観照者であり、色も限定もな
 いとき、それは至高なるものと呼ばれるのだ。
 質問者 私はつねに落ち着きがなく、切望し、期待し、探しだし、見つけだ
     し、楽しみ、放棄し、また探しはじめるのです。何が私を煮えたた
     せつづけるのでしょうか?
 マハラジ
 本当は、あなたは知らぬままにあなた自身を探しているのだ。
 あなたは愛するにふさわしい、完全に愛する価値あるものに恋いこがれてい
 る。
 無知ゆえに、あなたはそれを矛盾と対立の世界のなかに探し求めている。
 あなたがそれを内側に見いだしたとき、あなたの探求は終わるのだ。
 質問者 私はいつまでもこの悲しみに満ちた世界に取り組んでいくのでしょ
     う。
 マハラジ
 先走ってはいけない。
 あなたは知らないのだ。
 すべての現れが対立のなかにあるのは本当だ。
 快楽と苦痛、善と悪、高い低い、進歩と後退、休息と闘い。
 それらはすべて、ともに来て、ともに去っていくものだ。
 そしてそこに世界があるかぎり、その矛盾はそこにあるだろう。
 そこにはまた完全な調和、至福、そして美のときがあるかもしれない。
 だが、ほんのしばらくの間だけだ。
 完全なものは、すべての完全なものの源に帰り着き、対立するものはその戯
 (たわむ)れを続けるのだ。
 質問者 どのようにして完成に到達するのでしょうか?
 マハラジ
 静かになりなさい。
 世界のなかでのあなたの仕事をするがいい。
 だが、内側では静かにしていなさい。
 そうすればすべてはやってくるだろう。
 真我実現のためにあなたの仕事に頼ってはならない。
 それは他者に利益をもたらすかもしれないが、あなたにではない。
 あなたの希望は、マインドのなかでは沈黙を保ち、ハートのなかで静かにし
 ていることにあるのだ。
 真我実現した人たちはとても静かなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

656鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/23(土) 22:59:31 ID:1d4drIFg0
静かにしていればアートマンは実現するとマハラジは言うのじゃ。
タオでは受動性を極めると教えるのじゃ。
何が起ころうと全てを受け入れ、過ぎ去るままにしていればそれはやってくるのじゃ。
自我さえも起こっては消えていく幻影と気付くからなのじゃ。

657避難民のマジレスさん:2019/02/24(日) 00:32:08 ID:LC3de7YgO
>>655
『I AM THAT 私は在る』
【80 気づき】

 質問者 真我を実現するには時間がかかるのでしょうか? それとも時間は
     実現を助けることができないのでしょうか? 真我の実現はただ時
     間の問題なのでしょうか? それとも時間以外の要因に依存するの
     でしょうか?
 マハラジ
 待つことは無駄なことだ。
 問題を解決するために時間に依存することは自己欺瞞(ぎまん)だ。
 未来は、単に過去がそれ自体を繰り返すだけなのだ。
 変化は未来のなかではなく、いまの中だけで起こりうる。
 質問者 何が変化をもたらすのでしょうか?
 マハラジ
 澄みきった明晰(めいせき)性で変化の必要性を見なさい。
 それだけだ。
 質問者 真我の実現は物質のなかで、あるいはその彼方で起こるのでしょう
     か? それは身体とマインドに依存する体験なのでしょうか?
 マハラジ
 すべての体験は限定された、一時的な幻想でしかない。
 体験からは何も期待してはならない。
 それが新しい次元の体験へと導くことはあっても、真我の実現自体はひとつ
 の体験ではないのだ。
 新しい体験がいかに興味深いものであっても、古いものより真実だというわ
 けではない。
 真我の実現が新たな体験ではないことは明らかだ。
 それはすべての体験における時を超えた要因の発見だ。
 それは体験を可能にする気づきなのだ。
 すべての色のなかで光が色彩をもたない要因であるように、すべての体験の
 なかには気づきが存在している。
 それにも関わらず、気づきは体験ではないのだ。
 質問者 もし気づきが体験ではないとするなら、それはどのようにして認識
 されるのでしょうか?
 マハラジ
 気づきは常にそこにある。
 それが認識される必要はないのだ。
 マインドの扉を開きなさい。
 そうすればそれは光で満ちあふれるだろう。
 質問者 物質とは何でしょうか?
 マハラジ
 あなたは物質を何だと理解しているだろう?
 質問者 科学は物質を理解しています。
 マハラジ
 科学は、単に私たちの無知の境界線を押し戻しているだけだ。
 質問者 それでは自然とは何でしょうか?
 マハラジ
 意識的な体験の総体性が自然だ。
 意識的自己としてのあなたは自然の一部なのだ。
 気づきとしてのあなたはその彼方にある。
 自然を単なる意識として見ることが気づきなのだ。
 質問者 気づきの段階というものはあるのでしょうか?
 マハラジ
 意識のなかに段階はあるが、気づきのなかにはない。
 それは均質がひと塊(かたまり)なのだ。
 マインドのなかでのその反映が愛と理解だ。
 理解における明晰性の段階や、愛の強烈さに度合いはあっても、その源に段
 階はないのだ。
 源は単一であり、シンプルだ。
 だがその贈り物は無限のものだ。
 ただ、贈り物を源と取り違えてはならない。
 あなた自身が川ではなく源であることを自覚しなさい。
 それだけだ。
 質問者 私は川でもあるのです。
 マハラジ
 もちろんだ。
 「私は在る」としてのあなたは、身体の岸の間を流れる川だ。
 だが、あなたはまた源でもあり、海でもあり、空の雲でもあるのだ。
 どこであれ、そこに生命と意識があるとき、あなたは在る。
 極小よりも小さく、極大よりも大きい。
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 質問者 存在の感覚と生命の感覚――それらは同一のものでしょうか、それ
     とも異なるものでしょうか?
 マハラジ
 空間のなかのアイデンティティがそのひとつをつくり出し、時間のなかの継
 続性がもうひとつをつくり出すのだ。
 質問者 あなたはかつて、見る者、見ること、見られるものは、三つではな
     くひとつの単一体だと言われました。私にとって、その三つは分離
     しています。あなたの言葉を疑うわけではありません。ただ、私に
     は理解できないのです。
 マハラジ
 注意深く見てみなさい。
 すると、見る者と見られるものは、見ることがあるときにだけ現れることが
 理解できるだろう。
 それらは見ることの属性なのだ。
 あなたが、「私はこれを見ている」と言うとき、「私」と「これ」は見るこ
 ととともに現れ、それ以前にはないことがわかる。
 あなたは目に見えない「これ」や見ていない「私」をもつことはできないの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづき)

658避難民のマジレスさん:2019/02/24(日) 09:53:44 ID:LC3de7YgO
>>657
>見る者と見られるものは、見ることがあるときにだけ現れることが
 理解できるだろう。
 それらは見ることの属性なのだ。
 あなたが、「私はこれを見ている」と言うとき、「私」と「これ」は見るこ
 ととともに現れ、それ以前にはないことがわかる。
 あなたは目に見えない「これ」や見ていない「私」をもつことはできないの
 だ。

これが、自我を投影するということでありますね。
とてもわかりやすいであります。
(´・(∀)・`)つ

659避難民のマジレスさん:2019/02/24(日) 10:09:30 ID:LC3de7YgO
>>657
『I AM THAT 私は在る』
【80 気づき】(つづき)

 質問者 私は、「私は見ない」と言うことができます。
 マハラジ
 「私はこれを見ている」が「私は私が見ていないことを見ている」、あるい
 は「私は暗闇を見ている」になるのだ。
 見ることは残る。
 知られるもの、知ること、知る者という三位のなかでは、知ることだけが事
 実だ。
 「私」と「これ」は疑わしいものだ。
 誰が知ろう?
 何が知られるというのだろう?
 知ることがあるということを除いては、そこには何の確実性もないのだ。
 質問者 どうして私は知る者ではなく、知ることに確信があるのでしょうか?
 マハラジ
 知ることは、在ることと愛することとともに、あなたの真の本性の反映なの
 だ。
 知る者と知られるものは、マインドによって加えられるのだ。
 実際は何もないところに、主体―客体の二元性をつくり出すのがマインドの
 本質なのだ。
 質問者 欲望と恐れの原因とは何でしょうか?
 マハラジ
 明らかに、過去の苦痛と快楽の記憶だ。
 そこには何も偉大な神秘があるわけではない。
 同じ対象物に恐れと欲望が関係したときにだけ葛藤(かっとう)が起こるの
 だ。
 質問者 どのようにして記憶を終わらせることができるのでしょうか?
 マハラジ
 それは必要でもなければ、可能でもない。
 すべては意識のなかで起こり、あなたがその根本、源、意識の根底なのだと
 いうことを認識しなさい。
 世界は体験の連続にすぎず、あなたはそれらに意識を与えるものだ。
 しかも、あなたはすべての体験を超えた彼方にとどまるのだ。
 それは熱、炎、燃える木材のようなものだ。
 熱は炎を維持し、炎は木材を焼き尽くす。
 熱がなければ炎も燃料もなかっただろう。
 同じように、気づきなしには意識も、物質を意識の媒体に変容する生命もな
 かっただろう。
 質問者 あなたは、私がいなければ世界はなく、また世界と世界に関する私
     の知識は同一のものだと主張しています。科学はまったくこれとは
     異なった結論に至っています。世界とは何か具体的な、継続的なも
     のであり、一方、私とは神経系統の生物学的進化の副産物なのです。
     それは根本的には意識の中枢であるよりも、個人的、種族的存続の
     機構なのです。あなたの話はまったく主観的な見解です。一方、科
     学は客観的言語で描写しようと試みています。この矛盾は避けるこ
     とができないのでしょうか?
 マハラジ
 その混乱は明白であり、純粋に言葉によるものだ。
 在るものは在る。
 それは主観的でも客観的でもない。
 物質とマインドは分離したものではない。
 それらはひとつのエネルギーの二つの相なのだ。
 マインドを物質の機能として見てみなさい。
 そうすればあなたは科学を手にする。
 物質をマインドの産物として見てみなさい。
 そうするとあなたは宗教を手にするだろう。
 質問者 しかし、何が真実なのでしょうか? マインドと物質、どちらが先
     に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 どちらも先に現れはしないし、どちらか一方が現れるのでもない。
 物質は形であり、マインドは名前なのだ。
 それらはともに世界をつくる。
 浸透し、超越するのが実在、純粋な存在―意識―至福、あなたの本質そのも
 のなのだ。
 質問者 私が知っているのは意識の流れ、出来事の果てしない連鎖だけです。
     時間の川は容赦なく流れ、運び去ります。つねに未来は過去へと変
     容していきます。
 マハラジ
 あなたは自分の言葉の犠牲になっていないだろうか?
 あなたは時間の流れについて語る。
 あたかもあなたが不動でいるかのように。
 だが、あなたが昨日目撃した出来事を、誰かほかの人が明日見るかもしれな
 い。
 動きのなかにいるのはあなたであって、時間ではないのだ。
 動きを止めなさい。
 すると時間は止まる。
 質問者 時間が止まる? それはどういう意味でしょうか?
 マハラジ
 過去と未来が、永遠の今のなかで溶け合うのだ。
 質問者 しかし、実際の体験のなかで、それはどういう意味をもつのでしょ
     うか? あなたにとって時間が止まったと、どうやって知るのでし
     ょうか?
 マハラジ
 それは過去と未来がもはや重要ではなくなるという意味でもありうる。
 それはまた、かつて起こったすべて、これから起こるだろうすべてが、思い
 のままに開かれた本として読むことができるという意味でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

660鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/24(日) 22:04:33 ID:1d4drIFg0
>>658 そうじゃ、それが行為によって自我が投射されることなのじゃ。
 自我も刹那に起こる観念なのじゃ。

時間とは記憶に拠って創られた観念に過ぎないのじゃ。
以前の記憶と違うものを見て、人はそこに時間が過ぎたと思うのじゃ。
変化を説明するために時間は作られたのじゃ。
それがなくなれば時間も無くなり、全て止まるのじゃ。

661避難民のマジレスさん:2019/02/24(日) 22:42:33 ID:LC3de7YgO
>>659
『I AM THAT 私は在る』
【80 気づき】(つづき)

 質問者 訓練によってアクセスできる宇宙的記憶というものを想像すること
     はできます。しかし、どのようにして未来が知られるというのでし
     ょうか? 予期しない出来事は不可避です。
 マハラジ
 あるレベルで予期しなかったことは、高次のレベルから見れば確実に起こる
 ことかもしれない。
 結局、私たちはマインドの限界内に在る。
 実際には、何も起こってはいないのだ。
 過去もなければ、未来もない。
 すべては現れであり、何も存在しないのだ。
 質問者 何も存在しないとはどういう意味でしょうか? あなたは虚空にな
     るのでしょうか、それとも眠りにつくということでしょうか? あ
     るいは、あなたは世界を消し去り、あなたのつぎの思考のひらめき
     で私たちが生命に連れ戻されるまで、私たちを停止の状態にとどめ
     るということでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 そんなひどい話ではない。
 マインドと物質の、そして名前と形の世界は続いていく。
 だが、それは私にとってまったく重要ではない。
 それは影のようなものだ。
 それはそこにある。
 どこへ行こうともついてくる。
 だが、どのような意味でも私を邪魔することはない。
 体験の世界はそのまま残る。
 だが、欲望と恐れで私に関わる名前と形は残さないのだ。
 体験とは、いわば属性をもたない純粋な体験だ。
 ほかによりよい言葉がないために、私はそれを体験と呼ぶのだ。
 それは大海の波のようなものだ。
 つねに存在しながら、その平和な力に影響を与えることはない。
 質問者 体験は無名無形の定義できないものだということでしょうか?
 マハラジ
 はじめは、すべての体験がそのようなものだ。
 記憶から生まれた欲望と恐れが名前と形を与え、ほかの体験と分けてしまう
 のだ。
 それは意識的な体験ではない。
 なぜなら、それはほかの体験と対立しているわけではないからだ。
 それでもそれは同じ体験なのだ。
 質問者 もし体験が意識的ではないなら、どうしてそれについて話すのでし
     ょうか?
 マハラジ
 ほとんどのあなたの体験は無意識のものだ。
 意識的なものは非常に少ない。
 あなたは事実に気づいていないのだ。
 なぜなら、あなたにとっては意識的なものしか数に入らないからだ。
 無意識に気づくようになりなさい。
 質問者 無意識に気づくことができるのでしょうか? どのようにするので
     しょう?
 マハラジ
 欲望と恐れが覆(おお)い隠し、歪(ゆが)ませてしまう要因なのだ。
 マインドがそれらから解放されたとき、無意識は容易に手に入るようになる。
 質問者 無意識が意識的になるという意味でしょうか?
 マハラジ
 むしろ反対だ。
 意識が無意識とひとつになるのだ。
 それをどちらから見ても区別がなくなるのだ。
 質問者 困惑してしまいます。どうして気づいていながら、しかも無意識で
     あることができるのでしょうか?
 マハラジ
 気づきは意識に対して限定されてはいない。
 それは存在するすべてに対するものだ。
 意識は二元性のものだ。
 気づきのなかに二元性はない。
 それは純粋な知覚のひと塊なのだ。
 純粋な存在と純粋な創造についても同じように、無名、無形、静寂であり、
 しかも絶対的実在だと言うことができる。
 言葉では言い表せないということが、それらに影響を与えることはまったく
 ない。
 それらは無意識でありながら、本質的なものなのだ。
 意識を根本的に変えることはできない。
 それは修正することができるだけだ。
 いかなるものも、変化するためには朦朧(もうろう)とした状態と消滅を、
 死を通らなければならないのだ。
 金の装飾品は、ほかの形に鋳造される前に溶解されなければならない。
 死ぬことを拒むものは再誕生できないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

662避難民のマジレスさん:2019/02/24(日) 22:44:52 ID:LC3de7YgO
>>661
> いいや。
 そんなひどい話ではない。
と、言った時のマハラジの柔和な笑顔が思い浮かぶであります。
(´・(∀)・`)つ

663鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/25(月) 22:54:23 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。

なにものも他人の意志によって作られていないのじゃ。
自らの記憶と経験によって世界は創られているのじゃ。
名前とイメージが全てのものに与えられて世界は形作られているのじゃ。
その自らの心の働きに気付くのじゃ。

664避難民のマジレスさん:2019/02/25(月) 23:14:39 ID:LC3de7YgO
>>661
『I AM THAT 私は在る』
【80 気づき】(つづき)

  質問者 身体の死なしに、どのように死ぬというのでしょう?
 マハラジ
 内側に向かうこと、超然と離れてあること、手放すことが死だ。
 生を全(まっと)うするには、死は欠くことのできないものだ。
 すべての終焉(しゅうえん)がすべてのはじまりをもたらす。
 その一方、よく理解しなさい、生きる者ではなく、ただ死ぬ者だけが死ぬこ
 とができる。
 あなたのなかで生きているもの、それは不死なのだ。
 質問者 欲望はどこからそのエネルギーを引き出すのでしょうか?
 マハラジ
 記憶から引き出した名前と形からだ。
 エネルギーは源から流れだすのだ。
 質問者 ある欲望は完全に間違ったものです。間違った欲望が、どうして崇
     高な源から流れだすことができるのでしょうか?
 マハラジ
 源は正しくも間違いでもない。
 欲望そのものも、正しくも間違いでもないのだ。
 それは幸福を求める努力にほかならない。
 自分自身を一片の身体と同一化して途方にくれ、あなたは幸福と呼ぶ充足と
 完全性の感覚を絶望的に探しまわるのだ。
 質問者 いつそれを失ったのでしょうか? 私はけっしてもってはいなかっ
     たのです。
 マハラジ
 今朝、目覚める前にあなたは持っていたのだ。
 意識を超えていきなさい。
 そうすれば見いだすだろう。
 質問者 どうすれば彼方へと超えていけるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはすでに知っているのだ。
 そうしなさい。
 質問者 あなたはそう言われますが、私は何も知らないのです。
 マハラジ
 それでも、私は繰り返そう。
 あなたはそれを知っているのだ。
 そうするがいい。
 超えていきなさい。
 あなたの正常な、自然な、根本的な状態に戻りなさい。
 質問者 私はとまどうばかりです。
 マハラジ
 目のなかのほこりが、あなたを盲目だと思わせるのだ。
 ほこりを洗い落として見てみなさい。
 質問者 私は見ています! ただ暗闇が見えるだけなのです。
 マハラジ
 ほこりを取り除きなさい。
 そうすれば、あなたの目は光りにあふれることだろう。
 光はそこにあり、待っているのだ。
 目はそこにあり、用意ができている。
 あなたが見ている暗闇は、ほこりの影にすぎないのだ。
 それを取り除きなさい。
 そしてあなたの本性に戻るのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

665鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/26(火) 22:49:14 ID:1d4drIFg0
名称とイメージが観念をつくり、その中で人は欲望や執着を見出すのじゃ。
それも観念が無くなれば消えるものじゃ。
観念として認識できないものに欲望や執着は持てないからのう。
全ての観念を捨てて本性に還るのじゃ。

666避難民のマジレスさん:2019/02/26(火) 23:04:15 ID:LC3de7YgO
>>665
なんとなくわかる気はするのでありますか、それって、悟らないと無理な気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ

667避難民のマジレスさん:2019/02/26(火) 23:18:03 ID:LC3de7YgO
>>664
『I AM THAT 私は在る』
【81 恐れの根本原因】

 マハラジ
 あなたはどこから来たのかね?
 質問者 アメリカから来ました。ですが、ほとんどはヨーロッパで暮らして
     います。インドには最近来たばかりです。私はリシケーシの二つの
     アーシュラムに滞在し、そこでは瞑想と呼吸法を教わりました。
 マハラジ
 どのくらいの期間そこに滞在していたのかね?
 質問者 ひとつのところでは八日間、ほかでは六日間です。私はそこでは楽
     しめず、立ち去りました。それから三週間、私はチベット人のラマ
     僧とともにいました。しかし、彼らは皆、形式と儀式にばかり夢中
     でした。
 マハラジ
 それでは、そのすべての結果とは何だったのだろうか?
 質問者 間違いなく、エネルギーの向上はありました。しかし、リシケーシ
     へと発(た)つ前に、南インドのプッドゥコッタイの自然療法の療
     養所でダイエットと断食を行ない、それが途方もなく良い結果をも
     たらしました。
 マハラジ
 エネルギーを感じはじめたのは、より良い健康のせいかもしれない。
 質問者 私には何とも言えません。しかし、それらすべての試みの結果とし
     て、身体のあちこちで炎が燃えはじめたのです。そしてありもしな
     い声やマントラの復唱を耳にしました。
 マハラジ
 それでは、あなたは今、何を求めているのだろうか?
 質問者 さて、私たちは皆、何を求めているのでしょうか? 何らかの真理、
     何らかの内的な確信、何らかの真の幸福です。さまざまな真我実現
     の学派では、気づきに関する話をたいへん多く聞きます。それゆえ、
     気づき自体が至高の実在だという印象に最終的に行き着くのです。
     それはそうなのでしょうか? 身体は脳によって面倒を見られ、脳
     は意識によって光を照らされ、気づきは意識を見守っています。気
     づきの彼方には何かがあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは気づいているということをどうやって知るだろうか?
 質問者 私は存在する、と感じるのです。それ以外に表現しようがありませ
     ん。
 マハラジ
 あなたが注意深く脳から意識を通って気づきへと観察していくと、二元性の
 感覚が続くことを見いだす。
 あなたが気づきを超えた彼方へと行くとき、そこには非二元性の感覚がある。
 そこに知覚はなく、ただ純粋な存在だけがある。
 もし存在という言葉が何か特定の存在を意味しているというならば、それを
 非存在と呼んでもいいだろう。
 質問者 あなたが純粋な存在と呼ぶものは普遍の存在、すべての存在という
     ことでしょうか?
 マハラジ
 すべてとは特定のものの集合を暗示している。
 純粋な存在のなかでは、特定という観念自体が不在なのだ。
 質問者 純粋な存在と特定の存在には何か関係があるのでしょうか?
 マハラジ
 存在と単なる現れとの間にいかなる関
係がありうるだろうか?
 海と波との間に何か関係性があるだろうか?
 実在は非実在の出現を可能にし、それを消滅させる。
 はかない瞬間の連続が時間という幻想をつくり出すのだ。
 しかし、純粋な存在の永遠の実在性は運動のなかにはない。
 なぜなら、すべての運動には不動の背景が要求されるからだ。
 それはそれ自体、背景なのだ。
 ひとたびあなたのなかでそれを見つけたならば、すべての区別と分離から独
 立したその存在を失ったことはけっしてなかったと知るだろう。
 しかし、それを意識のなかに探してはいけない。
 そこに見いだすことはないだろう。
 どこを探してもいけない。
 なぜなら、何もそれを含むことはできないからだ。
 その反対に、それがすべてを含み、すべてを表すのだ。
 それは、それ自体は不可視でありながら、すべてを可視にする日の光のよう
 なものだ。
 質問者 意識のなかには実在を見いだすことができないと私に言うことが、
     いったい何の役に立つというのでしょうか? ほかのどこでそれを
     探すというのでしょう? それをどうやって認識するというのでし
     ょうか?
 マハラジ
 それはシンプルなことだ。
 もし私があなたに口の中の味はどのようなものかと尋ねたならば、あなたは、
 「それは甘くもなく、苦くもなく、酸っぱくもなく、渋くもない」と言える
 だけだ。
 それはすべての味がないとき残ったものなのだ。
 同じように、すべての区別と反応がなくなったとき残るものが、シンプルで
 実質的な実在なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

668鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/27(水) 23:03:38 ID:1d4drIFg0
>>666 そうかもしれん。
 全ては悟った後にわかるものじゃ。

マハラジの言葉もまた難解で在る事じゃろう。
心を観察すれば初めは観る者と見られる心の二つがあるじゃろう。
やがて観る者と心は一つであると気付くのじゃ。
そこには二つのものはもはや無いのじゃ。
主体という概念そのものがなくなるのじゃ。
そしてさまざまな区別や反応も消えていくのじゃ。

669避難民のマジレスさん:2019/02/27(水) 23:17:22 ID:LC3de7YgO
>>668
思考、感情、感覚、記憶を認識するためのスクリ-ンか、それらを スクリーンに映し出す光みたいなものが、ただひとつの意識かなと思えるのであります。
だいぶわかってきているくまであります。
(´・(∀)・`)つ

670避難民のマジレスさん:2019/02/27(水) 23:34:50 ID:LC3de7YgO
>>667
『I AM THAT 私は在る』
【81 恐れの根本原因】(つづき)

 質問者 私に理解できることと言えば、私ははじまりのない幻想のなかに捕
     らえられているということだけです。そして、どうすればそれを終
     わらすことができるのかわからないのです。もしそれができるのな
     ら、とっくの昔にそうしていたでしょう。過去に、私は多くの機会
     を得ていたに違いありません。未来もまたそうでしょう。起こらな
     かったことは起こることができないことなのです。あるいは、もし
     そうであったとしても、続かないのです。遥か何百万年も後の、私
     たちの哀れな状態は、良くても約束された究極的な消滅であり、最
     悪では、果てしなく続く無意味な繰り返しへの脅威なのです。
 マハラジ
 あなたの現在の状態は無始無窮(むきゅう)だと、どうやって証明するとい
 うのだろう。
 生まれる前、あなたはどうだったのか?
 死んだ後、あなたはどうなるのか?
 そして現在のあなたの状況を、あなたはどれほど知っているだろうか?
 今朝、目覚める前のあなたの状況さえ、知らないのではないかね?
 あなたはわずかばかりの現在の状態を知るだけで、それからすべての時と場
 所における結論を引き出しているのだ。
 あなたはただ夢を見ているだけかもしれない。
 そして夢が永遠のものであると想像しているのだ。
 質問者 それを夢と呼ぶことが状況を変えるわけではありません。私の質問
     を繰り返します。私の果てしない過去が満たせなかったことに、ど
     んな希望がもてるというのでしょうか? なぜ、私の未来が過去と
     は違うと言えるのでしょうか?
 マハラジ
 熱にうなされた状態で、あなたは過去と未来を投影し、それを実在だと見な
 しているのだ。
 事実、あなたの知っているのは現在の瞬間だけだ。
 なぜ、想像上の過去と未来について尋ねるより、今とは何なのかを調べよう
 としないのだろうか?
 あなたの現在の状態は無始でも無窮でもない。
 それは一瞬のうちに過ぎるのだ。
 それがどこから来るのか、どこへ行くのか、注意深く見てみなさい。
 あなたはじきに、その背後にある永遠の実在を見いだすだろう。
 質問者 なぜ、私は以前にそうしなかったのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが発見するのだ。
 質問者 それは答えを見いだすのでしょうか?
 マハラジ
 それは答えの必要のない、質問のない状態に在ることを見いだすのだ。
 質問者 生まれたということは事実です。死ぬことももうひとつの事実です。
     それらは観照者にとってどのように映るのでしょうか?
 マハラジ
 子供は生まれ、人は死ぬ。
 単なる時間の経過のなかでの出来事だ。
 質問者 観照者にとって進歩というのはあるのでしょうか? 気づきは進歩
     するのでしょうか?
 マハラジ
 気づきの光が焦点を当てたとき、見られる者は多くの変化を通り抜けるかも
 しれない。
 だが、変化するのは対象物であって、光ではないのだ。
 植物は日光のなかで生長する。
 しかし、太陽は成長しない。
 それ自体では、身体も観照者も不動のものだ。
 だが、それらがともにマインドのなかにもたらされるとき、両方とも動いて
 いるように見えるのだ。
 質問者 そうです。動き、変化するのは「私は在る」だけだということが理
     解できます。「私は在る」はいったい必要なのでしょうか?
 マハラジ
 誰がそれを必要とするだろうか?
 それは今、そこにある。
 それにははじまりがあり、終わりがあるだろう。
 質問者 「私が在る」が去ったとき、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 来ることも、去ることもないものが残るのだ。
 完成へ向けての進歩と進化という観念をつくり出したのは、つねに貪欲(ど
 んよく)なマインドなのだ。
 それは妨害してから秩序について語り、破壊してから安全を求めるのだ。
 質問者 運命、カルマには進展があるのでしょうか?
 マハラジ
 カルマとは満たされなかった欲望と、理解されなかった恐れの未使用のエネ
 ルギーの蓄積にすぎない。
 蓄えは絶えず新しい欲望と恐れによって補充されていく。
 それが永遠にそうである必要はないのだ。
 あなたの恐れの根本原因であるあなた自身からの疎外と、欲望の根本原因で
 ある自己への切望を理解しなさい。
 そうすればあなたのカルマは夢のように消え去るだろう。
 地上と天国の間で、生は続いていく。
 何も影響されはしない。
 ただ身体が成長し、滅びるだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

671鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/28(木) 22:49:38 ID:1d4drIFg0
>>669 そのような理解で善いのじゃ。
 後は実践あるのみなのじゃ。

観念に囚われている者には未来や過去があると思っているのじゃ。
それが記憶による幻想と気付いていないのじゃ。
記憶からは同じことしか起こらないから未来も過去と同じと思うのじゃ。
現在の瞬間だけが知っているものとマハラジは真実を語るのじゃ。
今しかないから今心を観るのじゃ。

672避難民のマジレスさん:2019/03/01(金) 06:24:56 ID:LC3de7YgO
>>670
81の2『I AM THAT 私は在る』
【81 恐れの根本原因】(つづき)

 質問者 個人と観照者には何の関係があるのでしょうか?
 マハラジ
 何の関係もない。
 なぜならそれらはひとつだからだ。
 分離してはいけない。
 関係性を探そうとしてはいけない。
 質問者 もし見られるものと見る者がひとつなら、どのように分離は起こる
     のでしょうか?
 マハラジ
 その本性からして異なり多様である名前と形に魅せられて、あなたは自然で
 あるものを区別し、ひとつであるものを分割するのだ。
 世界は豊かな多様性を持っている。
 だが、あなたがなじめず、おびえを感じるのは誤解によるものなのだ。
 危険な状態に在るのは身体であって、あなたではない。
 質問者 基本的な生物学的不安、逃避の本能が多くの形を取り、私の思考と
     感情を歪曲してしまうことは理解できます。しかし、不安はどのよ
     うにして現れるのでしょうか?
 マハラジ
 それは「私は身体だ」という観念によって生じた精神的状態だ。
 それは「私は身体ではない」という反対の観念によって取り除くことができ
 る。
 どちらも観念であり偽りだ。
 しかし、ひとつがもうひとつを取り除く。
 どの観念もあなた自身のものではないということを認識しなさい。
 それらはみな、外側からあなたにやってくるのだ。
 あなたは全力をあげて考えなければならない。
 あなた自身があなたの瞑想の対象になりなさい。
 あなた自身を理解しようと努力することがヨーガなのだ。
 ヨーギになりなさい。
 あなたの人生をそれに捧げなさい。
 熟考し、驚き、探求しなさい。
 あなたが誤りの根本と誤りを超えた彼方の真理にたどり着くまで。
 質問者 瞑想の中で瞑想するのは誰でしょうか、個人、あるいは観照者でし
     ょうか?
 マハラジ
 瞑想とは意識の高次の状態を貫き、最終的にそれを超えていこうとする意図
 的な試みなのだ。
 瞑想の技法とは、後に残してきたレベルの理解を失わないままつねにより精
 妙なレベルへと注意の焦点を移行する技だ。
 ある意味では、それは制御しながら死を迎えるようなものだ。
 人は最低の段階からはじめる。
 社会環境、習慣と慣例。
 身体的環境、姿勢と身体の呼吸。
 感覚器官、それらの感覚と知覚。
 マインド、その思考と感情。
 人格の構造全体が把握され、確実に捕らえられるまでだ。
 瞑想の最終段階は、アイデンティティの感覚が「私はこれだ」を超え、「そ
 こに在る」を超え、すべての観念を超えて、非人格的な、純粋な存在へと到
 達されることだ。
 だが、あなたが瞑想するときは精力的でなければならない。
 それは間違いなくパートタイムの仕事ではない。
 あなたの興味と活動を、あなたに必要なこととあなたの家族にとって最低限
 の必要に制限しなさい。
 あなたのエネルギーと時間を、あなたのまわりにマインドが築いてきた壁を
 破壊するために確保しなさい。
 私を信じるがいい。
 けっして後悔しないだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

673鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/01(金) 22:32:44 ID:1d4drIFg0
人は瞑想によって個我の観念を超えられるのじゃ。
その瞑想をする者という観念があってはならないのじゃ。
瞑想をする者という観念があれば瞑想さえも又自我を強化するものとなるじゃろう。
誰も瞑想するものが居なければ全ての観念をも超えられるのじゃ。

674避難民のマジレスさん:2019/03/01(金) 23:13:46 ID:LC3de7YgO
>>672
『I AM THAT 私は在る』
【81 恐れの根本原因】(つづき)

 質問者 私の体験が普遍的なものだと、どうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 瞑想が終わったとき、すべてが直接知られるだろう。
 どのような証明も必要ない。
 すべての海の水滴が海の味を含んでいるように、すべての瞬間は永遠の味を
 含んでいるのだ。
 定義や描写は探求を先に進めていく有用な誘因としての役割にあるが、あな
 たはそれらを超えて、否定的言語以外では定義不可能な、描写不可能ななか
 へと進んでいかなければならないのだ。
 結局、普遍性や永遠性でさえも、時間と場所に拘束されたものに対立する、
 単なる概念にすぎない。
 実在はひとつの概念ではない。
 顕現もまた概念ではないのだ。
 それは概念とは何の関係もない。
 あなたのマインドに関わりなさい。
 その歪曲や不純を取り除きなさい。
 ひとたびあなたがあなた自身の自己を味わったなら、どこでも、いつでもそ
 れを見いだすことができるだろう。
 それゆえ、あなたがそれを実現することは本当に重要なことなのだ。
 一度それを知れば、けっして失うことはないのだ。
 だが、あなたは強烈で、困難さえともなう瞑想に自分を捧げなければならな
 いのだ。
 質問者 正確には、あなたは私に何をしてほしいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのハートとマインドを「私は在る」について熟考させなさい。
 それが何なのか、どのようなものなのか、その源は何なのか、その意味とは
 何かを熟考しなさい。
 それは井戸を掘り下げていくことにとても似ている。
 生命の泉に達するまで、あなたは水でないものをすべて拒絶していくのだ。
 質問者 私が正しい方向に進んでいるということを、どのようにして知るの
     でしょうか?
 マハラジ
 あなたの熱意、明晰性の進展と、修練に対する献身によって知るのだ。
 質問者 私たちヨーロッパ人にとって、静かにしていることは非常に困難だ
     ということを知りました。世間のことで頭がいっぱいなのです。
 マハラジ
 いいや、そうではない。
 あなた方もまた夢を見ている。
 ただ私たちと夢の内容が違うだけなのだ。
 あなた方は完全性を未来のなかに求めている。
 私たちはそれを今の中に見いだそうとしているのだ。
 限定されたものだけが、完成されうる。
 無限なるものはすでに完全なのだ。
 あなたは完全だ。
 ただ知らないだけなのだ。
 あなた自身について学びなさい。
 そうすれば、驚くべきことどもを発見するだろう。
 必要なことはすべてあなたの内側にあ
る。
 ただ、あなたは敬虔さと愛情を抱いてあなた自身に接近しなければならない。
 自己非難や自己不信は悲惨な過ちだ。
 あなたの絶え間ない苦痛への闘いと快楽の追求は、あなたがあなた自身に抱
 く愛のしるしなのだ。
 私があなたに願うことは、あなた自身への愛を完全なものにしなさい、とい
 うことだ。
 あなた自身のなかの何ひとつ、否定してはならない。
 あなた自身に無限性と永遠性を与えなさい。
 そして、あなたはそれらを必要としないことを発見しなさい。
 あなたはその彼方にあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

675鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/02(土) 22:02:51 ID:1d4drIFg0
世間とか社会というのも幻想なのじゃ。
その中で立派に何かをやり遂げなければならないという条件付けがされているだけなのじゃ。
社会も世間もいずれは滅びて行くものじゃ。
一時だけ現れて永遠に消えてしまう泡のようなものと知るが善いのじゃ。

676避難民のマジレスさん:2019/03/02(土) 22:33:47 ID:LC3de7YgO
>>674
『I AM THAT 私は在る』
【82 絶対的な完成は今ここにある】

 質問者 戦争が起こっています。戦争に対するあなたの態度とはどのような
     ものでしょうか?
 マハラジ
 ある場所、またはほかの場所で、ある形で、あるいはほかの形で、戦争はつ
 ねに起こっている。
 戦争の起こらなかったときがかつてあっただろうか?
 ある人は、それは神の意志だと言う。
 ある人は、それを神の戯(たわむ)れだと言う。
 それは戦争とは不可避であり、誰の責任でもないということの別の言い方に
 すぎない。
 質問者 しかし、あなた自身の態度とはどのようなものでしょうか?
 マハラジ
 なぜ私に態度を押しつけるのかね?
 私自身のものと呼べる態度を私はもってはいないのだ。
 質問者 この恐るべき無意味な虐殺の責任を取るべき誰かがかならずいるは
     ずです。どうして人びとはそんなにも互いに殺しあう用意があるの
     でしょうか?
 マハラジ
 その犯人を内側に探し求めなさい。
 すべての衝突の根本には、「私」と「私のもの」という観念があるのだ。
 それから自由になりなさい。
 そうすれば、あなたは衝突から解放されるだろう。
 質問者 私が衝突から解放されたからといって、それが何になるのでしょう?
     それが戦争に影響を与えはしないでしょう。もし私が戦争の原因な
     らば、私は破壊される用意があります。それでも、何千人もの私の
     ような者の消滅が、戦争を止めることがないのは明かです。それら
     は私の誕生とともにはじまったのではなく、私の死とともに終わる
     のでもありません。私に責任はないのです。誰にあるというのでし
     ょうか?
 マハラジ
 争いや闘いは存在の一部分なのだ。
 どうしてあなたは存在の責任が誰にあるのかを調べないのだろうか?
 質問者 なぜあなたは存在と衝突が不可分だと言うのでしょうか? 闘うこ
     となしには存在はありえないと言うのでしょうか? 私自身である
     ために他者と闘う必要はありません。
 マハラジ
 あなたは「身体―精神」、特定の名前と形として存続するために、つねに他
 者と闘っているのだ。
 生きるために、あなたは破壊しなければならない。
 懐妊された瞬間から、あなたは周囲と戦争を始めたのだ――死があなたを解
 放するまで、相互に根絶しあう残酷な戦争を。
 質問者 私の質問はまだ答えられてはいません。あなたは単に私の知ってい
     ることを描写しているだけです――人生とその不幸を。しかし、あ
     なたは誰に責任があるかを言いません。私がせがむと、あなたは神
     やカルマ、あるいは私の欲望や恐れを非難し、それは単にそれ以上
     の質問を招くだけなのです。どうか最終の答えをください。
 マハラジ
 最終の答えとはこれだ。
 何も存在しない。
 すべては宇宙的意識界のなかの一時的現れだ。
 名前と形としての継続性は、容易に一掃できるただの精神的形態なのだ。
 質問者 私は直接の、一時的な現れについて尋ねているのです。ここに兵士
     によって殺された子どもの写真があります。あなたをにらみつけて
     いる――それは事実です。あなたはそれを否定できません。さて、
     この子どもの死の責任は誰にあるのでしょうか?
 マハラジ
 誰の責任でもない。
 あるいは皆の責任だ。
 世界とは、それが包含するものであり、それぞれがそのほかのすべてに影響
 を与えるのだ。
 私たち皆が子どもを殺し、私たち皆が子どもとともに死ぬのだ。
 すべての出来事には無数の原因があり、無数の結果を生みだしている。
 責任の所在を求めることは何の役にも立たない。
 何に起因するわけでもないのだ。
 質問者 あなたの国の人びとはカルマや因果応報という言葉を使います。
 マハラジ
 それはただ相対として真実に近いというだけだ。
 実際には、私たちは互いの創造者と創造物であり。互いの重荷の原因であり、
 互いの重荷の重さに耐えているのだ。
 質問者 では、無実の人が罪で苦しんでいるというのでしょうか?
 マハラジ
 無知であることで、私たちは無実なのだ。
 行為のなかで、私たちは有罪だ。
 私たちは知らずに罪を犯し、理解することなく苦しむのだ。
 私たちの唯一の希望は、止まって、見て、理解し、記憶の罠から抜けだすこ
 とだ。
 なぜなら記憶が想像をあおりたて、想像が欲望と恐れをひき起こすからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

677避難民のマジレスさん:2019/03/03(日) 11:31:15 ID:LC3de7YgO
>>676
『I AM THAT 私は在る』
【82 絶対的な完成は今ここにある】の3回目

 質問者 いったい、なぜ私は想像するのでしょうか?
 マハラジ
 意識の光が記憶のフィルムを通してあなたの脳に画像を投影するのだ。
 脳の欠陥と混乱のために、あなたが知覚することは歪曲(わいきょく)し、
 好き嫌いの好みに色づけされてしまう。
 あなたの思考を秩序あるものにし、過度の感情的な意味づけから自由になり
 なさい。
 そうすれば、あなたは人々やものごとをあるがままに、明晰性と慈愛を持っ
 て見ることだろう。
 誕生、人生、死の観照者は同一だ。
 それは愛と苦痛の観照者なのだ。
 なぜなら限定と分離の存在が悲しみに満ちたものであるにもかかわらず、私
 たちはそれを愛しているからだ。
 私たちはそれを愛し、同時に憎んでいるのだ。
 私たちは争い、殺し、生命や所有物を破壊する。
 そしてそれにもかかわらず私たちは愛情深く、献身的なのだ。
 私たちは優しく子供の世話をする。
 そして子供を捨てもするのだ。
 私たちの人生は矛盾で満ちている。
 しかし、それでも私たちはそれにしがみつく。
 この執着がすべての根底にある。
 その上それは完全に表面的なものだ。
 私たちは何かに、あるいは誰かに全力でしがみつき、そしてつぎの瞬間それ
 を忘れてしまう。
 子供が泥だんごを作り、軽い気持ちで捨て去ってしまうように。
 それに触れてみなさい。
 子供は怒りとともに泣き叫ぶことだろう。
 気をそらしてみなさい。
 彼はそれを忘れてしまう。
 なぜなら、私たちの人生は今に在るからだ。
 そして人生への愛は今に在るからだ。
 私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
 私たちは対比によって魅せられているのだ。
 このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要としている。
 しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙
 を切望するのだ。
 宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
 あなたはその観照者であり、そのハートでもあるのだ。
 質問者 私は絵を見ることはできますが、画家は誰なのでしょうか? 誰が
     この悲惨な、しかし賞賛すべき体験の責任を取るのでしょうか?
 マハラジ
 画家は絵の中にいるのだ。
 あなたは画家を絵から引き離し、そして彼を探そうとする。
 分割してはいけない。
 偽りの質問をしてはいけない。
 ものごとはありのままだ。
 そして、誰か特定の人に責任があるわけではない。
 個人的責任という考えは媒介者という幻想から来ている。
 「誰かがそれをしたに違いない、誰かに責任がある」と。
 今のような社会と、その法律と習慣の構成は、分離した責任ある個人という
 考え方を根底にしている。
 だが、これが社会にとって選択できる唯一の形態ではない。
 分離の感覚が弱く、責任が拡散した別の類(たぐい)の社会形態もありうる
 だろう。
 質問者 あなたには何の問題もないのでしょうか?
 マハラジ
 私には問題がある。
 もう言ったはずだ。
 在ること、名前と形とともに存在することは苦痛に満ちたものだ。
 それでも私はそれを愛している。
 質問者 しかし、あなたはすべてを愛しているのです!
 マハラジ
 存在のなかにはすべてが含まれている。
 私の本性そのものが愛なのだ。
 苦痛に満ちたものでさえ、愛すべきものだ。
 質問者 それが苦痛を弱めるわけではありません。なぜ無限のなかにとどま
     らないのでしょう?
 マハラジ
 それは探求の本能なのだ。
 未知への愛、それが私を存在のなかへと連れ出したのだ。
 在ることのなかに平和を探すことが、成ることの本性そのものであるように、
 成ることのなかに冒険を見いだすことが、在ることの本性そのものなのだ。
 この在ることと成ることの交替は不可避だ。
 だが、私の住処(すみか)はその彼方にあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

678鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/03(日) 22:20:08 ID:1d4drIFg0
戦争などの人災は観る者の心の中にあるものじゃ。
実際はそのようなものごとは何も存在しないのじゃ。
ただ自らの心の中にそのようなものごとがある世界を作り上げるのじゃ。
全ての者が死に行く世界で永遠の権力も武力も存在できないのじゃ。

679避難民のマジレスさん:2019/03/03(日) 22:47:45 ID:LC3de7YgO
>>677
『I AM THAT 私は在る』
【82 絶対的な完成は今ここにある】(つづき)

 質問者 あなたの住処は神のなかにあるのでしょうか?
 マハラジ
 ある神を愛し、礼拝することもまた無知なのだ。
 私の家は、いかに高尚なものであろうとすべての概念の彼方にある。
 質問者 しかし、神は概念ではありません! それは存在を超えた実在です。
 マハラジ
 どんな言葉でも好きなように使うがいい。
 何であれ、あなたの考えることを私は超えているのだ。
 質問者 ひとたびあなたの家を知ったのなら、なぜそこに住まないのでしょ
     うか? 何があなたをそこから連れだしたのでしょうか?
 マハラジ
 集合的な存在への愛から、人は生まれる。
 そしてひとたび生まれたなら、人は運命に巻きこまれる。
 運命とは、成ることから分離できないものだ。
 特定のものに成ろうとする欲望が、個人的な過去や未来といったすべてを含
 んだ個人にあなたを仕立てあげるのだ。
 ある偉大な人物を見てみなさい。
 何と素晴らしい人物だったのだろう!
 だが、何と彼の人生は困難に満ち、その成果はかぎられたものだったろうか。
 何と人の人格は完全に依存したものか。
 そして何と世界はそれに無関心なのだろうか。
 そしてそれにも関わらず、私たちはそれを愛し、その取るに足らない無意味
 さゆえに、それを保護するのだ。
 質問者 戦争が起こっています。そこには混沌(こんとん)があり、あなた
     は食物供給センターを監督するように頼まれます。あなたは必要と
     されるものを与えられ、それはただ仕事を通して得るということが
     らにすぎません。あなたはそれを拒絶するでしょうか?
 マハラジ
 働くか、働かないかは私にとって同じことだ。
 私は監督するかも、しないかも知れない。
 そのような仕事には、私よりふさわしいほかの者たちがいるかもしれない。
 例えば本職の飲食店業者のように。
 だが、私の態度は異なっている。
 子供の誕生を祝わないように、私は死を災難としては見ないのだ。
 子どもは困難のなかへと生まれてきた。
 死者はそれから立ち去るのだ。
 生命への執着は不幸への執着だ。
 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
 私たちの本性とはそんなものなのだ。
 私にとって、死の瞬間は恐れではなく祝福の瞬間だ。
 私は泣いて生まれてきた。
 私は笑って死ぬだろう。
 質問者 死の瞬間における意識の変化とは何でしょうか?
 マハラジ
 どのような変化を期待するというのだろう?
 フィルムの投影が終わったとき、後に残るのはそれがはじまったときと同じ
 ものだ。
 あなたの誕生以前の状態は、またあなたの死後の状態なのだ。
 もしあなたが覚えているとすればだが。
 質問者 私は何も覚えていません。
 マハラジ
 なぜなら、あなたはけっして試みたことがないからだ。
 それはただマインドの波長を合わせる問題なのだ。
 もちろん、それには訓練が要求される。
 質問者 なぜあなたは社会活動に参加されないのでしょうか?
 マハラジ
 だが、私はほかでもないそれだけをいつもしているのだ。
 どんな社会活動を私にしてほしいと言うのだろう?
 寄せ集めの仕事は私のものではない。
 私の立場は明らかだ。
 分配するために生産しなさい。
 あなたが食べる前に食事を与えなさい。
 あなたが取る前に与えなさい。
 あなた自身のことを考える前に、他者のことを考えなさい。
 分かちあいに根ざした非利己的な社会だけが、安定した幸福な社会なのだ。
 これは実質的な解決法にすぎない。
 もしあなたがそれを望まないのなら闘うがいい。
 質問者 それはすべてグナ(属性)の
問題です。タマス(受動性)とラジャ
     ス(活動性)が支配するところでは、争いは避けられません。サッ
     トヴァ(純粋性)が支配するところには平和があるでしょう。
 マハラジ
 あなたの好きなように表現するがいい。
 それは同じことだ。
 社会は動機によって構築されている。
 根底に善意を敷きつめなさい。
 そうすれば、特別な社会事業家は必要なくなるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

680避難民のマジレスさん:2019/03/03(日) 23:13:40 ID:LC3de7YgO
>>678
この点について、マハラジは、
> 争いや闘いは存在の一部分なのだ。
 ・・・・・ 生きるために、あなたは破壊しなければならない。
 懐妊された瞬間から、あなたは周囲と戦争を始めたのだ――死があなたを解
 放するまで、相互に根絶しあう残酷な戦争を。

としつつ、その責任は、
> 誰の責任でもない。
 あるいは皆の責任だ。
 世界とは、それが包含するものであり、それぞれがそのほかのすべてに影響
 を与えるのだ。

で、
> 最終の答えとはこれだ。
 何も存在しない。
 すべては宇宙的意識界のなかの一時的現れだ。
 名前と形としての継続性は、容易に一掃できるただの精神的形態なのだ。

結局、鬼和尚の話と似てるような気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ

681鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/04(月) 20:38:20 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、全て幻想なのじゃ。
 心に争いがある者がこの世の争いを選んで見るのじゃ。
 それが自らの世界を創っているということなのじゃ。
 心に争いの無い者は争いをみないのじゃ。
 そこに平和があるじゃろう。
 心に何も無い者は全てを正しく観るのじゃ。

682避難民のマジレスさん:2019/03/05(火) 08:12:03 ID:LC3de7YgO
>>679
『I AM THAT 私は在る』
【82 絶対的な完成は今ここにある】(つづき)

 質問者 世界はより良くなってきています。
 マハラジ
 世界はつねにより良くなるべきだった。
 しかし、それでもそうならなかった。
 未来にどんな希望があるというのだろうか?
 もちろん、サットヴァが上昇しているとき、そこには調和と平和の期間があ
 った。
 だが、ものごとはそれ自体の完成によって破壊されるものだ。
 完全な社会は静的であることを余儀なくされる。
 それゆえ、それは停滞し、崩壊するのだ。
 頂上からすべての道は下へと向かっていく。
 社会は人びとのようなものだ。
 それは生まれ、成長し、ある時点で相対的な完成を遂げ、そして衰退し、死
 を迎えるのだ。
 質問者 崩壊しない絶対的な完成の状態はあるのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ、はじまりあるものには終わりがなくてはならない。
 永遠のなかでは今ここですべてが完全なのだ。
 質問者 しかし、私たちはやがて永遠に到達するのでしょうか?
 マハラジ
 時が来れば、私たちははじまりの地点に戻ってくる。
 空間が空間の外に私たちを連れだすことができないように、時間は時間の外
 に私たちを連れだすことはできない。
 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。
 質問者 どこにそんな勇気を見つけられるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、あなた自身にだ。
 内側を見てみなさい。
 質問者 あなたの恩寵(おんちょう)が助けてくれるでしょう。
 マハラジ
 私の恩寵が今、内側を見なさいとあなたに言っているのだ。
 あなたは必要なすべてをもっている。
 それを使いなさい。
 あなたの知る最上のあり方でふるまいなさい。
 すべきだと思うことをしなさい。
 過ちを恐れてはならない。
 いつでもそれは正すことができる。
 ただ維持が重要なのだ。
 ものごとがどのように形を取るかは、あなたの手中にはない。
 行為の動機はあなたにかかっているのだ。
 質問者 どうして不完全から生まれた行為が、完全へと導くことができるの
     でしょうか?
 マハラジ
 行為が完全へと導くのではない。
 完全性が行為によって表現されるのだ。
 表現によってあなた自身を判断するかぎり、それらには最高の注意を払うが
 いい。
 あなたが自己の存在を実現したとき、あなたのふるまいは自発的に完全なも
 のとなるだろう。
 質問者 もし私が永遠に完全であるなら、いったいどうして私は生まれてき
     たのでしょうか? この人生の目的は何なのでしょうか?
 マハラジ
 それは金をひとつの装飾品につくり変えることに、いかなる利益があるのか
 と尋ねるようなものだ。
 装飾品は色彩と金の美しさを得るのだ。
 金が豊かになったわけではない。
 同じように、実在が行為のなかで表現されたとき、その行為は意味をもち、
 美しくなるのだ。
 質問者 その表現を通して、実在は何を得るのでしょうか?
 マハラジ
 それが何を得るというのだろう?
 まったく何も得はしない。
 だが、それ自身を表現し、それ自身を肯定し、困難を克服するのは愛の本性
 なのだ。
 ひとたび世界は行為のなかの愛なのだと理解するならば、あなたはそれをま
 ったく違ったように見ることだろう。
 しかし、まずあなたの苦しみに対する態度を変えなければならない。
 苦しみは根本的に、注意を求める呼びかけだ。
 それ自体が愛の動きなのだ。
 幸福よりも、愛は意識と存在の広がりと深まりにおける成長を求める。
 何であれ成長を妨げるものは苦痛の原因となる。
 そして愛は苦痛を避けたりはしないのだ。
 正義と秩序のために働くエネルギー、サットヴァは妨害されてはならない。
 進行を妨害されると、それはそれ自身に敵対して破壊的になるのだ。
 いつであれ愛を与えることが控えられたとき、そして苦しみが広がることが
 許されたとき、争いは不可避となる。
 隣人の苦しみへの無関心が、私たちのもとへ苦しみをもたらすのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

683鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/05(火) 22:40:22 ID:1d4drIFg0
実在は何かを得たり失ったりしないのじゃ。
それは永遠に満たされているのじゃ。
人を実在に導くのは自他を一つと見る賢者の慈悲なのじゃ。
幻想の苦によって嘆き悲しむ人のために目覚めた者達は法を説くのじゃ。

684避難民のマジレスさん:2019/03/06(水) 06:39:39 ID:LC3de7YgO
>>682
『I AM THAT 私は在る』
【83 真のグル】

 質問者 先日、あなたは真我の実現の根本がグルへの信頼だった
     と言われました。彼は、あなたが絶対的な実在なのだと
     確信させ、それ以上何もされることはなかったのです。
     あなたは彼を信頼し、そしてそれにすべてをまかせまし
     た。努力することも、闘うこともないまま。さて、私の
     質問ですが、グルへの信頼がなかったとしたら、あなた
     は真我を実現していたでしょうか? 結局のところ、あ
     なたが信頼しようとしまいと、あなたであるものが、あ
     なたなのです。疑いはグルの言葉の働きを妨げ、それを
     無効にしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 それはしばらくの間、無効とされてしまうだろう。
 質問者 それでは、グルの言葉のなかの力、あるいはエネルギー
     には何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 それは現れないまま、潜在的な状態で残るのだ。
 だが、質問そのものが誤解に基づいている。
 師、弟子、そして彼らの間にある愛と信頼、それらはひとつの事
 実であって、数ある独立した事実ではない。
 それぞれがほかの一部分だ。
 愛と信頼なしには、そこにグルも弟子もないだろう。
 それは電灯のスイッチを入れるようなものだ。
 ランプ、コード、スイッチ、変圧器、送電線、そして発電所。
 それらがひとつの全体を形づくっている。
 ひとつの要素でも欠ければ、光はないだろう。
 不可分なものを分離してはならない。
 言葉が事実をつくり出すことはない。
 それらは描写するか、あるいは歪(ゆが)めるかのどちらかだ。
 事実はつねに言葉を必要としないのだ。
 質問者 まだ良く理解できません。グルの言葉は満たされないま
     ま残るのでしょうか? それとも、それはかならず真実
     であることを証明するのでしょうか?
 マハラジ
 賢者の言葉がその目的を逃すことはけっしてない。
 それは時間がかかるかもしれないが、正しい条件が揃うのを待つ
 のだ。
 それは自然なことだ。
 なぜならそこには種を植える季節と、収穫の季節があるからだ。
 だが、グルの言葉とは死ぬことのない種子なのだ。
 もちろん、グルは身体とマインドを超え、意識自体を超え、空間
 と時間を超え、二元性と統合を超え、理解と描写を超えた本物の
 師でなければならない。
 善き人びとは多くを読み、たくさん語ることがあり、あなたに有
 益なことを教えるかもしれない。
 だが、彼らはその言葉がかならず実現される真のグルではないのだ。
 彼らもまた、あなたが究極の実在そのものだと告げるだろう。
 だが、それが何になるというのだろうか?
 質問者 それでも、私がある理由から偶然彼らを信頼し、したがうことにな
ったとしたら、私は敗北者となるのでしょうか?
 マハラジ
 もし信頼し、したがうことができるなら、あなたはすぐに真のグ
 ルを見いだすだろう。
 あるいはむしろ、彼があなたを見いだすだろう。
 質問者 真我を知る人すべてがグルとなるのでしょうか、それと
     も他者を実在に導くことができなくても、実在を知る人
     となることができるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが教えることを知っているのなら、あなたは知ってい
 ることを教えることができるのだ。
 ここでは賢者としての状態と、教師としての状態はひとつだ。
 だが、絶対的な実在はその両方を超えている。
 自称グルは成熟や努力、功績や達成、運命や恩寵について話すだろう。
 これらすべては単なる精神的構造であり、耽溺(たんでき)した
 精神の投影だ。
 助ける代わりにそれらは妨害するのだ。
 質問者 誰にしたがい、誰を疑うべきかをどのようにして知るのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが確信するまで、すべてを疑いなさい。
 真のグルはけっしてあなたに屈辱を与えたりはしない。
 また、けっしてあなたをあなた自身から遠ざけたりはしないだろう。
 彼は生来の完全性という事実へあなたを絶え間なく連れ戻し、内
 面を探求するように勇気づけるだろう。
 彼はあなたが何も必要ないことを、たとえ彼でさえも必要ないこ
 とを知っている。
 そしてあなたに思い出させることに、けっして飽きたりはしない。
 自称グルは弟子よりも彼自身に関心があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

685鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/06(水) 23:53:01 ID:1d4drIFg0
グルを信頼するならば自己を失う恐れも乗り越えられるのじゃ。
それはがけに上ってしまった幼子が親を信じてがけから飛び降りるようなものじゃ。
親を信じているからがけからも飛び降りることかできるのじゃ。
自己をなくすことが消滅することではないとグルを信じて恐れを飛び越えるのじゃ。

686避難民のマジレスさん:2019/03/07(木) 05:15:07 ID:LC3de7YgO
>>684
『I AM THAT 私は在る』
【83 真のグル】(つづき)

 質問者 あなたは、実在が実在の知識と教えを超えていると言わ
     れました。実在の知識は至高なるもの自体ではありませ
     んか、そして教えはその達成の証明なのではありません
     か?
 マハラジ
 実在あるいは自己の知識はマインドの状態だ。
 ほかの人たちに教えることは、二元性のなかの動きなのだ。
 彼らはマインドの関心があるだけだ。
 サットヴァ(純粋性)もやはりひとつのグナ(質)でしかないの
 だ。
 質問者 それでは、何が実在なのでしょうか?
 マハラジ
 マインドを非実現と実現のものとして知る人、無知と知識をマイ
 ンドの状態として知る人、彼が実在だ。
 ダイヤモンドと砂利の混ざったものをもらったとき、あなたはダ
 イヤモンドを見つけるかもしれないし、見失うかもしれない。
 問題は見ることのなかにあるのだ。
 見る力なくして、どこに砂利の灰色とダイヤの美しさがあるだろ
 う?
 知られるものは形にすぎず、知識は名前にすぎない。
 知る者はマインドの状態にすぎないのだ。
 実在はその彼方にある。
 質問者 もちろん、客観的知識やものごとの観念は自己知識と同
     じものではありません。ひとつは脳を要し、もうひとつ
     は必要としません。
 マハラジ
 議論のためにあなたは言葉を脚色し、それらに意味を与えるかも
 しれない。
 だが、すべての知識は無知から来たものだという事実は残る。
 もっとも精密な地図も、ただの紙にすぎない。
 すべての知識は記憶のなかにある。
 それはただの認識なのだ。
 一方、実在は知る者と知られるものという二元性の彼方にあるの
 だ。
 質問者 それでは、実在は何によって知られるのでしょうか?
 マハラジ
 何とあなたの言葉は誤解をまねくものだろうか!
 あなたは無意識のうちに、実在もまた知識によって到達できるも
 のだと思っている。
 その上、実在を超えた、実在の知者を話のなかにもたらすのだろ
 う。
 在るために実在が知られる必要はないということを理解しなさい。
 無知と知識は実在のなかではなく、マインドのなかにあるのだ。
 質問者 もし実在の知識というものが存在しないのなら、どうや
     ってそれに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 すでにあなたとともに在るものに到達する必要はない。
 到達しようとすること自体がそれを逃してしまうのだ。
 それを見出していないという考えを放棄しなさい。
 そしてただ、マインドのなかのすべてを取り除くことによって、
 今ここにある直接の知覚の焦点へとそれを入ってこさせなさい。
 質問者 去るべきものがすべて去った後には、何が残るのでしょ
     うか?
 マハラジ
 空が残る。
 気づきが残るのだ。
 意識的存在の純粋な光が残るのだ。
 それはすべての家具を取り除いたとき、部屋には何が残るのかと
 尋ねるようなものだ。
 もっとも役に立つ部屋が残るのだ。
 そして壁さえもが取り払われたとき、空間が残る。
 空間と時間の彼方には、実在の今とここがあるのだ。
 質問者 観照者は残るのでしょうか?
 マハラジ
 意識がそこにあるかぎりその観照者もまたそこに在る。
 その二つはともに現れ、ともに消えるのだ。
 質問者 もし観照者もまた一時的なものなら、なぜ、それほどに
     も重要性を与えられるのでしょうか?
 マハラジ
 知覚されるものだけが実在だという既知の幻想の魔力を破るため
 だ。
 質問者 知覚が第一のもの、観照者は第二のものです。
 マハラジ
 これが問題の核心だ。
 外側の世界だけが実在だと信じているかぎり、あなたはその奴隷
 なのだ。
 それから自由となるには、あなたの注意が観照者である「私は在
 る」に引きつけられなければならない。
 もちろん知る者と知られるものは二
つではなくひとつだ。
 だが、知られるものの魔法を破るには、知る者が最前面にもたら
 されなければならない。
 どちらも主要なものではなく、どちらも言い表すことのできない、
 つねに新しく、つねに今にあり、言葉に置き換えようのない、マ
 インドよりもすばやい体験の記憶の反映なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

687鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/07(木) 21:46:42 ID:1d4drIFg0
実在についての知識とは本来存在しないものじゃ。
実在を知識にしたならばそれは全て嘘になるのじゃ。
それは言葉とイメージである観念を超えたものであるからのう。
あえて言葉にするのは悟りを求める者のためなのじゃ。
仮の言葉で人を導くために実在もサットヴァもあると説くのじゃ。

688避難民のマジレスさん:2019/03/07(木) 23:01:37 ID:LC3de7YgO
>>687
サットヴァもでありますか。
明晰と調和と言う意味以外に、ぐくってみたら、純質なと言う意味も出てきたであります。
純質と調和の両方の意味を含むわかったようなわからないような言葉でありますね。(´・(ェ)・`)つ

689避難民のマジレスさん:2019/03/07(木) 23:27:33 ID:LC3de7YgO
>>686
『I AM THAT 私は在る』
【83 真のグル】(つづき)

 質問者 私はグルからグルへと解放を求めてさまよい歩く、単な
     る探求者です。私のマインドは病に侵され、欲望に身を
     焼き、恐れに凍りついています。私の日々は苦痛によっ
     て赤く、退屈によって灰色に過ぎ去っていきます。私は
     老いてゆき、健康は衰え、未来は暗く、恐れおののいて
     いるのです。この分では、私は悲しみのうちに生き、絶
     望のうちに死ぬことでしょう。私に希望はあるのでしょ
     うか? それとも遅すぎるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたには何の間違いもない。
 ただ、あなたのあなた自身に関する考えは、まったくの間違いだ。
 欲望をもち、恐れ、苦しむのはあなたではなく、環境と影響によ
 ってあなたの身体に築かれた個人なのだ。
 あなたは個人ではない。
 これがあなたのマインドのなかで明確に確立されるべき、けっし
 て見失ってはならないものだ。
 通常は、長い期間のサーダナ(修練)、何年もの苦行と瞑想が必
 要なのだ。
 質問者 私のマインドは弱く、優柔不断です。力もサーダナのた
     めの粘り強さもありません。私は絶望的です。
 マハラジ
 ある意味では、あなたの状況はもっとも希望のもてるものだ。
 サーダナに代わるほかの手段がある――信頼だ。
 もしあなたが成果ある探求から生まれた確信を得ることができな
 かったなら、私の発見を利用するがいい。
 私はそれをあなたと分かちあうことを心から望んでいるのだ。
 私には、あなたがけっして今まで、今も、そしてこれからも実在
 から離れて在ることのないことを、最高の明晰(めいせき)性と
 ともに見て取ることができる。
 あなたは今ここで完璧に完全なのだ。
 あなたがあなたである、という生得権を何ものも奪うことはでき
 ない。
 あなたはまったく私と異ならない。
 ただ、それを知らないだけだ。
 あなたが何であるかを知らないため、あなたではないものをあな
 た自身だと想像するのだ。
 それゆえに欲望をもち、恐れ、そして絶望に圧倒されてしまう。
 そしてそれから逃避しようと無意味な行動をしてしまうのだ。
 ただ、わたしを信頼しなさい。
 そして私を信頼することによって生きなさい。
 私はあなたを惑わせたりはしない。
 あなたは世界とその創造者を超え、意識とその観照者を超え、す
 べての断定と否定を超えた至高の実在なのだ。
 それを覚えておきなさい。
 それについて考えなさい。
 それにしたがって行動しなさい。
 すべての分離の感覚を放棄しなさい。
 すべてのなかにあなた自身を見て、それに沿うように行動しなさ
 い。
 行動とともに至福が訪れ、至福とともに確信がやってくるだろう。
 結局、悲しみに暮れて、あなたはあなた自身を疑うようになって
 しまった。
 幸福、自然、自発性、永遠を想像できなくなってしまったのだ。
 それがそこにあろうと、なかろうと。
 ひとたびあなたが外的な原因の必要のない平和、愛、幸福を体験
 し始めたなら、すべての疑いは消え去るだろう。
 ただ、わたしの言ったことをしっかりと捕まえ、それによって生
 きなさい。
 質問者 あなたは私に記憶によって生きろと言われるのでしょう
     か?
 マハラジ
 どちらにせよ、あなたは記憶によって生きているのだ。
 私は単に古い記憶を私の言ったことの記憶に置き換えなさいと言
 っているだけだ。
 あなたが古い記憶にしたがって行動したように、新しい記憶にし
 たがって行動しなさい。
 恐れてはならない。
 なぜなら、ときどき古いものと新しいものの間に葛藤(かっとう)
 が起こるからだ。
 だが、もしあなたが堅い決意で新しい側に自分をとどめたなら、
 葛藤はすぐ終りを告げ、幻想から生まれた欲望や恐れによって欺
 (あざむ)かれるのではなく、努力を要しない状態の自己として
 在ることを自覚するだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

690鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/09(土) 00:01:21 ID:1d4drIFg0
>>688 そうじゃ、それもまた悟りの為に創られた観念なのじゃ。
 調和と純質を守って実践するためなのじゃ。

人は記憶に拠って生きているとマハラジは言うのじゃ。
グルに従うのも古い記憶から新しい記憶に拠って生きることに他ならないのじゃ。
ただ古い記憶はどれも苦に導くだけのものであるが、グルによって与えられた教えの記憶は苦からの解放に導くのじゃ。
それが観念であっても悟りのためであるから記憶も利用するのじゃ。

691避難民のマジレスさん:2019/03/09(土) 00:37:26 ID:LC3de7YgO
>>689
『I AM THAT 私は在る』
【83 真のグル】(つづき)

 質問者 多くのグルたちは彼らの恩寵(おんちょう)のしるしと
     して、頭にかぶる布や、杖、托鉢碗、法衣などを与える
     習慣があり、それによって彼らの弟子の真我の実現を伝
     達、あるいは承認します。そのような習わしに何の価値
     もないことは私にも理解できます。伝承されたのは真我
     の実現ではなく、自尊心なのです。一体全体真実ではな
     く、何かへつらうようなことを言われることが、何の役
     に立つというのでしょうか? 一方で、あなたは多くの
     自称グルについて私に警告をし、もう一方では、私にあ
     なたを信頼してほしいのです。なぜあなたは例外だと主
     張するのですか?
 マハラジ
 私は、あなたに私を信頼しろとは言ってはいない。
 私の言葉を信頼し、それを覚えておきなさい。
 私は私の幸せではなく、あなたの幸せを願っているのだ。
 あなたとあなたの真の存在との間に距離をつくり、仲介者として
 自ら申し出る者たちを疑いなさい。
 私はそのようなことは一切しない。
 約束さえしない。
 単に、「もし私の言葉を信頼し、それらを試みれば、あなたはそ
 れがどんなに絶対的に真実だったかを自ら発見するだろう」と言
 っているだけだ。
 もしあなたが冒険を試みる前に証明を求めるなら、私はただ、
 「私が証明だ。
  私は師の言葉を信頼し、それを心のなかに保ち、彼が正しかっ
  たことを見いだしたのだ。
  私は今まですべてを抱擁し、すべてを超越する無限の実在であ
  ったし、今もそうであり、これからもそうであるだろう」
 と言えるだけなのだ。
 あなたが言うように、あなたには長い修練のための時間もエネル
 ギーもない。
 私はほかの手段を差しだしているのだ。
 私のこの言葉を信頼して受け入れ、新たな人生を生きなさい。
 あるいは悲しみのなかに生きて死ぬがいい。
 質問者 どうやら、真実にしては話がうますぎるようです。
 マハラジ
 助言の単純さに惑わされてはならない。
 無垢(むく)で単純なことを信頼する勇気をもつ者は非常にまれ
 なのだ。
 あなたがマインドの囚人であり、自らつくり出した想像の世界の
 なかに住んでいると知ることは、智慧(ちえ)の現れだ。
 何もそれから求めず、それを完全に放棄する用意のあることが誠
 実さだ。
 本当の絶望から生まれた、そのような誠実さがあなたに私を信頼
 させるのだ。
 質問者 私は充分苦しんでいないでしょうか?
 マハラジ
 苦しみはあなたを鈍くさせ、その重大な誤りを見ることを不可能
 にしてしまったのだ。
 あなたの最初の仕事とは、あなたとあなたのまわりにある悲しみ
 を見ることだ。
 そしてつぎは解放への強烈な熱望だ。
 熱望の強烈さそのものがあなたを導くだろう。
 ほかの導きは必要ない。
 質問者 苦しみは私を鈍くさせました。それ自体にさえ無関心な
     のです。
 マハラジ
 あなたを鈍くさせたのは苦しみではなく、快楽かも知れない。
 調べてみなさい。
 質問者 何が原因であれ、私は愚鈍なのです。私には意志もエネ
     ルギーもありません。
 マハラジ
 いいや、あなたには第一歩を踏みだすに充分な力がある。
 そして一歩ずつが、つぎの一歩のために充分なエネルギーを生み
 だすだろう。
 エネルギーは確信から、確信は体験からやってくるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

692避難民のマジレスさん:2019/03/09(土) 12:35:07 ID:LC3de7YgO
>>691
『I AM THAT 私は在る』
【83 真のグル】(つづく)

 質問者 グルを変えることは正しいのでしょうか?
 マハラジ
 なぜ変えないのかね?
 グルは道しるべのようなものだ。
 ひとりからほかへと移っていくことは自然なことだ。
 それぞれがあなたに方向と距離を告げるだろう。
 一方、サッドグル、永遠の師は道そのものなのだ。
 ひとたび道が目的地であり、あなたはつねに道の上に在り、目的
 地に到達することではなく、その美しさと智慧を楽しむことを悟
 れば、人生は仕事ではなくなり、それは自然でシンプルに、それ
 自体で歓喜となるのだ。
 質問者 では、礼拝し、祈り、ヨーガの修練をする必要はないの
     でしょうか?
 マハラジ
 毎日すこしずつ掃き清め、洗い流し、沐浴(もくよく)すること
 は良いことだ。
 自己覚醒が一歩一歩あなたに何をすべきかを示してくれるだろう。
 すべてが為(な)されたとき、マインドは静になるのだ。
 今、あなたは名前と形、喜びと悲しみをともなった個人として目
 覚めの状態にある。
 あなたが生まれる前に、個人はそこにいなかったし、あなたが死
 んだ後もそこにはいないだろう。
 自分ではない何かに成ろうと個人として奮闘する代わりに、なぜ
 個人的な人生全体を後にして、目覚めの状態を超えていかないの
 だろうか?
 それは個人の消滅を意味するのではない。
 ただ正しい視点から見ることを意味しているのだ。
 質問者 もうひとつ質問があります。あなたは、私が生まれる以
     前、私は実在の純粋な存在とひとつだったと言われまし
     た。もしそうなら、私が生まれるべきだと誰が決定した
     のでしょうか?
 マハラジ
 実際には、あなたはけっして生まれなかった。
 そしてけっして死ぬこともないのだ。
 だが、今あなたは存在すると、あるいは身体をもっていると想像
 し、何がこの状態をもたらしたのかと尋ねている。
 この限定された幻想のなかでの答えは――記憶から生まれた欲望
 があなたを身体に引き寄せ、それとひとつだとあなたに考えさせ
 るからだ。
 だが、これは相対的な見地から見たときだけの真実だ。
 事実は、そこには誰もいず、それを含む世界もない。
 そこあるのはただの精神状態、夢のような状態だけだ。
 その実在性は疑うことでたやすく払いのけられるのだ。
 質問者 あなたは死んだ後、ふたたび戻ってくるのでしょうか?
     もし私が長く生きるなら、もう一度あなたに会えるので
     しょうか?
 マハラジ
 あなたにとっては、身体は実在のものだ。
 私にとっては、そこには何もない。
 あなたが見ている私は、あなたの想像のなかにしか存在しないの
 だ。
 もちろん、もしあなたが私を必要とするなら、あなたはふたたび
 私を見ることだろう。
 太陽が日の出や日の入りに影響されないように、それは私に影響
 を与えはしない。
 影響を受けないため、必要とされるときには、かならずそこに在
 るのだ。
 あなたは知識に没頭している。
 私はそうではない。
 私にはあなたに知ることを切望させる不確実な感覚がないのだ。
 子供が興味をもつように、私は興味をもつ。
 だが、私には知識のなかに避難場所を求めるような不安がない。
 それゆえ、私は再誕生するのか、世界がどれほど長くつづくのか、
 といったことには関心がない。
 これらの質問は恐れから生まれたものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

693避難民のマジレスさん:2019/03/09(土) 12:37:41 ID:LC3de7YgO
>>692
> 事実は、そこには誰もいず、それを含む世界もない。
 そこあるのはただの精神状態、夢のような状態だけだ。
 その実在性は疑うことでたやすく払いのけられるのだ。

←うぅぅ・・・・くまにはたやすくないのである。
けっ、くまも信じてみるのである。
(´・(ェ)・`)つ

694避難民のマジレスさん:2019/03/09(土) 22:56:34 ID:LC3de7YgO
>>693
訂正
けっ→けど

695鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/09(土) 22:59:57 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、全て疑うのじゃ。
 疑って観察してみれば真実も分かるのじゃ。

マハラジも師匠は道標のようなものと言っているのじゃ。
お釈迦様と同じなのじゃ。
道標を見て悟りに向かって進むことができるのはその言葉を信じる者だけなのじゃ。
全ての道しるべが同じ方向を示しているのを見るのじゃ。
その同じ方向とは自分自身の心なのじゃ。
心を観るのじゃ。

696避難民のマジレスさん:2019/03/09(土) 23:24:45 ID:LC3de7YgO
>>692
『I AM THAT 私は在る』
【84 あなたの目的はあなたのグルだ】

 質問者 あなたは、数多くの自称グルがいるが、真のグルは非常にまれだと
言われました。
自らを真我を実現したと想像している多くのジニャーニがいます。
しかし、彼らがもっているのは本からの知識と高い自己評価だけです。
ときおり、彼らは人びとに感銘を与え、魅了し、弟子を引きつけます。
そして役に立たない修練によって彼らの時間を浪費させるのです。
何年かたって弟子が自分自身を評価したとき、何の変化もなかったことを見いだし、
彼が師に不平を訴えると、努力が足りないのだという通常の叱責を受けるのです。
責任は弟子のハートの愛と信頼の欠如にあると非難されます。
ところが実際には弟子を受け入れ、彼らの希望を向上させようとしないグルの
ほうに責任があるのです。
そのようなグルからどうやって自分を守るのでしょうか?
 マハラジ
 なぜそれほどまで他者に関心をもつのかね?
 グルが誰であろうとも、もし彼が良き信仰のもとに行為し、純粋なハートをもって
いるなら、弟子たちに何の害も与えることはないだろう。
 もし何の進展も見られないのなら、過失は弟子のほうにあるのだ。
 彼らの態度と自己制御の欠如がそれだ。
 一方、もし弟子が誠実で、サーダナ(修練)に対して知的で、熱心に取り組んでい
るなら、彼はもっと遠くへ彼を連れていける、より適格な師にかならず出会うことに
なる。
 あなたの質問は三つの偽りの仮定から出てきたものだ。
 そのひとつ目は、人は他者との関わりを必要とするということ。
 二つ目は、人はほかの人を評価できるということ。
 三つ目は、弟子の進歩はグルの仕事であり、責任であるということだ。
 実際には、グルの役割とはただ指導し、勇気づけることだけなのだ。
 弟子は完全に彼自身に責任があるのだ。
 質問者 私たちはグルへの完全な明け渡しがあれば充分であり、残りはグルがする
だろうと聞いてきました。
 マハラジ
 もちろん、完全な明け渡しがあれば、自己の過去、現在、未来と、身体的、そして
霊的安全性や地位に関するすべての完全な放棄があれば、豊かな愛と美にあふれた新
たな人生の夜明けはやってくる。
 そうすればグルは重要ではない。
 なぜなら、弟子は自己を守る殻(から)を破ったからだ。
 完全な自己放棄そのものが解放なのだ。
 質問者 弟子と師の両方が不適切な場合は何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 長期にわたってみれば、すべては適切になるだろう。
 結局、双方の真我は、しばらくの間彼らが演じたコメディによる影響を受けはしな
いのだ。
 すぐに彼らは冷静になり、成熟し、関係性のより高いレベルへと移行していくだろ
う。
 質問者 あるいは、彼らは別れていくでしょう。
 マハラジ
 そうだ。
 彼らは別れるかもしれない。
 結局、いかなる関係性も永遠ではないのだ。
 二元性は一時的な状態だ。
 質問者 私があなたに出会ったのは偶然であり、別の偶然によって私たちは別れ、
けっしてふたたび出会うことはないのでしょうか?
 あるいは、あなたとの出会いはある宇宙的なパターンの一部であり、私たちの人生
の偉大なドラマのひとコマなのでしょうか?
 マハラジ
 実在は意味深く、意味深いことが実在と関係するのだ。
 もし私たちの関係が私とあなたにとって意味深いものであれば、それは偶然ではあ
りえない。
 過去がそうであるように、未来もまた現在に影響をあたえるのだ。
 質問者 誰が真の聖者であり、誰がそうではないのかを、どうしたら見極めること
ができるのでしょうか?
 マハラジ
 人のハートへの明晰な洞察をもたないかぎり、あなたに見極める
 ことはできない。
 外見はあてにならないのだ。
 明白に見るためには、あなたのマインドが純粋で無執着でなければならない。
 自分自身を知らないかぎり、どうして他者を知ることができるだろう?
 そして、あなた自身を知るとき、あなたが他者なのだ。
 しばらく他者のことは後回しにして、まず自分自身を調べなさい。
 あなたが何なのか、誰なのか、どうして生まれることになったの
 か、今、何をなぜしているのか、あなたはどこへ行くのか、あなたの人生と死、そ
して未来にはどのような意味と目的があるのか?
 あなたに過去があるのか、未来があるのか?
 あなたの全存在が幸福と平和のために闘っているというのに、どうして苦しみと悲
しみのなかに生きるようになったのか?
 これらのことが重要な問題であり、最初に留意しなければならないことだ。
 あなたには、誰がジニャーニであり、誰がそうではないのかを見つけだす時間もな
ければ、必要もないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

697避難民のマジレスさん:2019/03/10(日) 08:01:55 ID:LC3de7YgO
>>696
84の2『I AM THAT 私は在る』
【84 あなたの目的はあなたのグルだ】の2回目

 質問者 私は正しくグルを選択しなければなりません。
 マハラジ
 正しい人でありなさい。
 そうすれば正しいグルがかならずあなたを探しだすだろう。
 質問者 あなたは私の質問に答えていません。どのようにして正
     しいグルを見いだすのでしょうか?
 マハラジ
 だが、私は質問に答えたのだ。
 グルを探してはならない。
 考えさえしてはならない。
 あなたの目的をあなたのグルとしなさい。
 結局のところ、グルとは終焉(しゅうえん)そのものではなく、
 終焉への道なのだ。
 あなたにとって重要なのは彼ではなく、何を彼から期待するかだ。
 さて、あなたは何を期待しているのだろうか?
 質問者 彼の恩寵によって、幸福に、力強く、平和になることで
     す。
 マハラジ
 なんという野望だろう!
 どうして時間と空間に限定された単なる「身体―精神」であり、
 誕生と死の狭間(はざま)で苦痛に喘(あえ)いでいるひとりの
 個人が幸福になれるというのだろうか?
 個人が現れるその条件自体が幸福を不可能にしているのだ。
 平和、力、幸福。
 これらはけっして個人的な状態ではない。
 誰も「私の平和」「私の力」と言うことはできない。
 なぜなら、「私のもの」とは除外を暗示しているからだ。
 それはこわれやすく、はかないものなのだ。
 質問者 私が知っているのは、私の条件づけられた存在だけで、
     ほかには何もありません。
 マハラジ
 もちろん、そうとは言えない。
 深い眠りのなかでは、あなたは条件づけられていなかったのだ。
 どんなにあなたは喜んで、進んで眠りにつくことか、どんなに眠
 りのなかで平安で、自由で、幸福であることか!
 質問者 私はそのことをまったく知らないのです。
 マハラジ
 それを否定的に表現してみなさい。
 あなたが眠っているとき、そこには苦痛も、束縛も、落ち着きの
 なさもないのだ。
 質問者 私にはその要点が理解できます。目覚めている間、私は
     私が在ることを知っています。しかし、私は幸福ではあ
     りません。眠りのなかで、私は在り、幸福です。しかし、
     それを私は知らないのです。私に必要なことは、私が自
     由で、幸福だと知ることなのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 今、深く内側に入っていきなさい。
 目覚めた眠りと言える状態のなかへ入っていきなさい。
 世界に気づくのではなく、自分自身に気づいている状態のなかへ
 と入っていきなさい。
 その状態のなかで、あなたは疑いの余地もなく、存在の根底では
 自由で幸福なのだと知るだろう。
 唯一の困難は、あなたが体験に耽溺し、記憶を大切そうに抱えて
 いることだ。
 実際には、その反対なのだ。
 思い出されたことは、けっして実在ではなく、実在は今あるのだ。
 質問者 言葉の上ではすべて理解できますが、私自身の一部分に
     ならないのです。それはマインドのなかで見られるため
     の絵としてとどまるのです。その絵に命を与えるのはグ
     ルの役目ではないのでしょうか?
 マハラジ
 またしてもその反対なのだ。
 絵は生きている。
 死んでいるのはマインドなのだ。
 マインドが言葉とイメージでできているように、マインドのなか
 のあらゆる反映もまたそうなのだ。
 それは言語化することで実在を覆い隠しておいて、それから不平
 を言うのだ。

 あなたはあなたに奇跡を起こすためにグルが必要だと言う。
 あなたは言葉で戯れているだけだ。
 ロウソクと炎のように、グルと弟子はひとつの単一体なのだ。
 弟子が誠実でないかぎり、彼を弟子と呼ぶことはできない。
 グルがまったくの愛であり、献身的でないかぎり、彼をグルと呼
 ぶことはできない。
 偽りではなく、ただ実在だけが実在を生みだすことができるのだ。
 質問者 私には、わたしが偽りであることがわかります。誰が私
     を真実にしてくれるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが言ったその言葉自体がそれをするだろう。
 「私には、私が偽りであることがわかる」というその言葉が、あ
 なたの解放に必要な全てを含んでいるのだ。
 それについて熟考しなさい。
 そのなかへと深く入っていきなさい。
 その根源まで行きなさい。

 それが働きだすだろう。
 力は人のなかにではなく、言葉のなかにあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

698鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/10(日) 21:34:46 ID:1d4drIFg0
弟子が真摯に悟りを求めない限り、真のグルも見出せないのじゃ。
自分を偽る者が偽者のグル騙されるのじゃ。
それは実は自分で自分を騙しているだけなのじゃ。
自分を偽らず、自分の偽りに気付けばそこから修行が始まるのじゃ。

699避難民のマジレスさん:2019/03/10(日) 22:23:18 ID:LC3de7YgO
>>697
『I AM THAT 私は在る』
【84 あなたの目的はあなたのグルだ】(つづき)

 質問者 私はあなたを完全に理解していません。一方では、あな
     たはグルが必要だと言い、他方ではグルは助言だけを与
     え、努力は私のものだと言います。どうか、はっきりお
     っしゃってください。グルなしに、真我は実現できるの
     でしょうか、それとも、真のグルを見いだすことは本質
     的なことなのでしょうか?
 マハラジ
 それ以上に本質的なことは、真の弟子を見つけることだ。
 私を信じなさい。
 真の弟子は非常にまれなのだ。
 なぜなら、自己を見いだすことによって、すぐさま彼はグルの必
 要性を超えるからだ。
 あなたの得た助言が知識からのものなのか、それとも有効な体験
 からなのかを見定めようとすることで時間を浪費してはならない。
 ただ誠実に助言にしたがうがいい。
 もしほかのグルが必要なら、人生があなたにもたらすだろう。
 あるいは、人生はあなたから外側の導きすべてを奪い取り、あな
 た自身の光にあなたを置き去りにするかもしれない。
 個人としてのグルではなく、教えが重要だと理解することは非常
 に重要なことなのだ。
 あなたを笑わせたり、泣かせたりするような手紙を受け取ったと
 しよう。
 あなたを笑わせたり、泣かせたりするのは郵便配達人ではない。
 グルはあなたの真我に関する良き知らせを告げ、そこへの帰り道
 を示すだけだ。
 だが、メッセージはひとつだけだ。
 「あなたとして在りなさい」というものだ。
 あるいは違う言い方をすれば、あなたが真我を実現するまでは、
 誰が真のグルかを知ることはできないのだ。
 あなたが実現したとき、すべてのグルたちがあなたの実現に貢献
 したのだと知ることだろう。
 あなたの真我の実現が、グルが本物だったことを証明する。
 それゆえ、彼をあるがままに受け入れなさい。
 彼が言うことを、熱意と誠実さをもって行ないなさい。
 そして、もし何かが間違っているようなら、あなたのハートが警
 告することを信頼しなさい。
 もし疑いが起こったなら、それと闘ってはいけない。
 疑いのないことを手放してはいけない。
 そして疑わしいことは放っておくがいい。
 質問者 私にはグルがいて、彼のことをとても愛しています。し
     かし、彼が私の本当のグルかどうか、私にはわかりませ
     ん。
 マハラジ
 あなた自身を見守りなさい。
 もしあなたが変わっていき、成長していくなら、あなたは正しい
 人を見いだしたのだ。
 彼は美しいかもしれないし、醜いかもしれない。
 快いかも、不快かもしれない。
 あなたを褒めるかも、叱るかもしれない。
 内的な成長以外は何ひとつ問題ではないのだ。
 もしそうでないのなら、彼は多分あなたの友人かもしれない。
 だが、あなたのグルではないのだ。
 質問者 私が学歴のある西洋人と出会い、グルや彼の教えについ
     て語ると、彼は、「そんな無意味なことを教える人は狂
     っているに違いない」と言うのです。彼に何といえばい
     いのでしょうか?
 マハラジ
 彼を彼自身に直面させるがいい。
 彼がどれほど彼自身について知らないかを見せるがいい。
 いかに彼が彼自身についてのもっとも馬鹿げた表明を神聖な真理
 と見なしているかを。
 彼は身体であり、生まれ、そして死に、両親をもち、義務をもっ
 ていると人から言われてきた。
 彼はほかの者たちが学ぶことを学び、ほかの者たちが恐れること
 を恐れているのだ。
 完全に、記憶によって生き、習慣によって行動する、伝統と社会
 の創造物なのだ。
 彼は彼自身の真の関心について無知で、偽りの目的を追求し、つ
 ねに欲求不満をつのらせている。
 彼の生と死は無意味で苦痛に満ち、そこに出口はないかのようだ。
 それから彼に言うがいい。
 出口は彼の手の届くところにあるのだと。
 それは別の一式の観念に転向するのではなく、一切の観念と生き
 方のパターンから解放されることだ。
 グルや弟子については、語ってはならない。
 このような考え方は彼のためにふさわしくない。
 内なる道が彼のものだ。
 彼は内なる衝動によって突き動かされ、内なる光によって導かれ
 てきたのだ。
 彼が反抗するように誘いなさい。
 そうすれば反応するだろう。
 誰それが賢者であり、グルとして受け入れられるなどと、彼に印
 象づけることはやめなさい。
 彼は彼自身を信頼しないかぎり、他者を信頼することもできない
 のだ。
 そして確信は体験とともにやってくるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

700鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/11(月) 23:26:02 ID:1d4drIFg0
本当は師匠がいなくても悟れるのじゃ。
お釈迦様もマハラジも師匠がいなくても悟れたのじゃ。
自分の心をどこまでも追求して行く意志があれば悟りもやってくるのじゃ。
師匠はその助けになるだけなのじゃ。

701避難民のマジレスさん:2019/03/11(月) 23:46:49 ID:LC3de7YgO
>>699
『I AM THAT 私は在る』
【84 あなたの目的はあなたのグルだ】(つづき)

 質問者 何と奇妙なのでしょうか! 私にはグルなしの人生など
     考えられません。
 マハラジ
 それは気質の問題なのだ。
 あなたもまた正しいのだ。
 あなたにとっては、神を讃えて歌うことで充分だ。
 真我の実現への欲望をもつことさえ、サーダナ(修練)をするこ
 とさえ必要ない。
 神の名前があなたに必要なすべての食事なのだ。
 それによって生きるがいい。
 質問者 このわずかばかりの言葉の絶え間ない繰り返しは、ある
     種の狂気ではありませんか?
 マハラジ
 それは狂気だ。
 だが、意図された狂気なのだ。
 すべての繰り返しはタマス(受動性)だ。
 だが、神の名を復唱することは、その高い目的ゆえにサットヴァ
 ―タマスなのだ。
 サットヴァ(純粋性)の存在ゆえにタマスは尽き果て、そして完
 全な冷静さ、無執着、放棄、超然、普遍性の形を取るだろう。
 タマスは確固たる土台となり、その上に統合された人生が生きら
 れるのだ。
 質問者 不変なるもの――それは死ぬのでしょうか?
 マハラジ
 変わりゆくものが死ぬのだ。
 不変なるものは生きも死にもしない。
 それは生と死の永遠の観照者なのだ。
 それが死ぬとは言えない。
 なぜなら、それは気づいているからだ。
 それが生きているとも言えない。
 なぜなら、それは変化しないからだ。
 それはテープ・レコーダーのようなものだ。
 すべてひとりで記録し、再生する。
 あなたはただ聞くだけだ。
 同じように、私はあなたに話していることも含めた起こることす
 べてを見守っている。
 話をしているのは私ではなく、マインドのなかに言葉が現れ、そ
 れから、それらが語られているのを聞くのだ。
 質問者 誰もがそうなのではありませんか?
 マハラジ
 誰が違うと言ったかね?
 だが、あなたはあなたが考え、あなたが話すと主張するのだ。
 一方、私にとっては、そこに考えることと話すことがあるだけだ。
 質問者 二つの考慮すべきことがあります。私がグルを見つけた
     か、あるいは見つけていないかです。それぞれの場合、
     するべき正しいこととは何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはけっしてグルなしでいることはない。
 なぜなら、彼は永遠にあなたのハートのなかに存在しているから
 だ。
 ときどき、彼は彼自身を母、妻、教師として具現させ、あなたの
 人生の高揚と改善の要因としてあなたのもとにやってくる。
 あるいは彼は公正さと完成への内なる衝動としてとどまるかもし
 れない。
 あなたがするべきことは、彼にしたがい、彼の言うことを為すだ
 けだ。
 彼があなたにしてほしいことはシンプルだ。
 自己覚醒、自己制御、自己放棄を学ぶことだ。
 それは厳しく見えるかもしれない。
 だが、もしあなたが誠実ならば、それはたやすい。
 そして、もしあなたが誠実でなければ、まったく不可能だ。
 誠実さが必要であり、またそれで充分だ。
 すべては誠実さに道を譲るのだ。
 質問者 何が人を誠実にするのでしょうか?
 マハラジ
 慈悲が誠実さの土台だ。
 あなたと他者に対する慈悲、あなた自身と他者の苦しみから生ま
 れた慈悲だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

702鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/12(火) 23:01:32 ID:1d4drIFg0
死は肉体の変化の一つに過ぎないのじゃ。
動いていたからだが動かなくなり分解するという最後の変化なのじゃ。
それは生まれてから成長する変化と同じなのじゃ。
意識は生も死も無く常に変らないのじゃ。

703避難民のマジレスさん:2019/03/12(火) 23:18:38 ID:LC3de7YgO
>>701
『I AM THAT 私は在る』
【84 あなたの目的はあなたのグルだ】(つづき)

 質問者 誠実になるために私は苦しまなければならないのでしょ
     うか?
 マハラジ
 もしあなたが感じやすく、仏陀がしたように他者の苦しみに反応
 するなら、その必要はない。
 だが、もしあなたが冷淡で哀れみがないなら、あなた自身の苦し
 みがあなたに避けがたい質問を尋ねるようにさせるだろう。
 質問者 私は自分自身が苦しんでいることに気づいています。し
     かし、充分ではありません。人生は不快なものですが、
     耐えられないほどではないのです。私のわずかな快楽は
     小さな苦痛の埋め合わせをし、全体的に見て、私は私の
     知っている人たちよりも暮らし向きがいいのです。私の
     状況が不確実なものだということは知っています。災難
     がいつ襲いかかっても不思議はないからです。危機が私
     を真理への道へ導くのを待つべきなのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの状況がいかに壊れやすいかを見た瞬間、あなたはすでに
 注意しているのだ。
 だから気づいていなさい。
 注意を払い、尋ね、調べ、マインドと身体の過ちを発見し、それ
 らを放棄しなさい。
 質問者 そのエネルギーはどこから来るのでしょうか? 私は燃
     えさかる家のなかで麻痺した人のようです。
 マハラジ
 麻痺している人でさえ、ときには自分の足が危険に直面している
 ことに気づくのだ!
 だが、あなたは麻痺していない。
 ただ想像しているだけだ。
 第一歩を踏みだしなさい。
 そうすればあなたは進んでいくだろう。
 質問者 私はあまりにも強く身体にしがみついているため、「私
     が身体だ」という観念をあきらめることができません。
     身体が存続するかぎり、それは私にしがみつくでしょう。
     生きている間は、真我実現は不可能だと主張する人びと
     がいます。私は彼らに同意したい気分なのです。
 マハラジ
 あなたは賛成、あるいは反対する前に、どうして身体という観念
 自体を調べないのだろうか?
 マインドは身体のなかに現れるのだろうか、それとも、マインド
 のなかに身体が現れるのだろうか?
 もちろん、そこには「私は身体だ」と考えるマインドがなければ
 ならない。
 マインドなしの身体は「私の身体」ではありえない。
 マインドが停止しているとき、「私は身体だ」という観念は必ず
 不在だ。
 マインドが思考と感情に深く没頭しているときもまた、それは不
 在なのだ。
 ひとたびあなたが、身体はマインドに依存し、マインドは意識に
 依存し、意識は気づきに依存していることを、そしてその反対で
 はないことを自覚すれば、死が訪れるまで真我の実現を待つとい
 うあなたの疑問に答えられたのだ。
 まず、あなたが「私は身体だ」という観念から自由にならなけれ
 ばならず、それから真我を実現するのではない。
 それは間違いなくその反対だ。
 真実を知らないから、あなたは偽りにしがみつくのだ。
 完全性ではなく、誠実さが真我の実現の必須条件なのだ。
 徳や力は真我の実現とともに現れる。
 それ以前ではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

704鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/13(水) 23:00:43 ID:1d4drIFg0
修行のことを他人に話せばとても無理じゃとかいろいろいうのじゃ。
他人の意見は何の意味もないのじゃ。
そのようなことを気にしている間にも自らの心を探求するとよいのじゃ。
真摯に追求し続ければ道も開かれるのじゃ。

705避難民のマジレスさん:2019/03/13(水) 23:09:00 ID:LC3de7YgO
>>704
うむ。
深刻な苦があるほど、修行ははかどり、修行が安楽となるのであります。
で、状況が変わり、ちょぴっと楽になると、何であの時はあんなにできたのだろうと思い、できないのであります。楽になるとさぼってしまうくまであります。

けど、できるだけ意識的にいようとしてるし、くまは至高のくまであると思うようにしてるくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

706避難民のマジレスさん:2019/03/13(水) 23:12:33 ID:LC3de7YgO
>>703
85の1『I AM THAT 私は在る』
【85 「私は在る」――すべての体験の根底】の1回目

 質問者 私は、あなたが自分自身に関して「私は永遠で、属性を超えた不変
     なるものだ」と言われるのを聞きました。いったいどのようにして
     それを知るのでしょうか? 何があなたにそう言わせるのでしょう
     か?
 マハラジ
 私はただ「私は在る」が現れる前の状態を描写しようと試みているだけだ。
 だが、マインドとその言語を超えたその状態自体は描写不可能なものだ。
 質問者 「私は在る」はすべての体験の根底です。あなたが描写しようと試
     みていることも、限定された一時的なひとつの体験に違いありませ
     ん。あなたはあなた自身が不変なるものだと話しています。私はそ
     の言葉の音を聞き、辞書の意味を思い起こしますが、不変の存在を
     体験したことはないのです。どうすれば私は障壁を打ち破り、不変
     として在ることの意味を個人的に、親密に知ることができるのでし
     ょうか?
 マハラジ
 言葉そのものが橋なのだ。
 それを覚えておきなさい。
 それについて考えなさい。
 それを探索しなさい。
 それとともに在りなさい。
 それをあらゆる方向から見てみなさい。
 誠実な忍耐とともにそのなかに飛び込みなさい。
 すべての遅れや失望に耐えなさい。
 突然、マインドが言葉から離れ、言葉を超えた実在に向かって振り返るまで。
 それは名前だけ知っている人を探しだすようなものだ。
 あなたの探求が、あなたに彼との出会いをもたらす日がやってくる。
 そして名前は実在のものとなるのだ。
 言葉には価値がある。
 なぜなら言葉とその意味との間にはきずながあり、もしたゆみなく調べれば、
 人は概念を超え、その根本にある体験のなかへと入っていくからだ。
 実際には、そのように言葉を超えていこうと繰り返し試みることが、瞑想と
 呼ばれるものなのだ。
 サーダナ(修練)とは言語から非言語へと超えていく執拗な試みにほかなら
 ない。
 その仕事は絶望的に見える。
 突然、すべてが明らかで、シンプルで、素晴らしく、たやすいものとなるま
 で。
 だが、現在の生き方に関心があるかぎり、あなたは未知へと飛び込む最後の
 機会を前にしておじけづいてしまうだろう。
 質問者 なぜ未知なるものが私に興味を起こさせるというのでしょうか? 
     未知が何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 まったく何の役にも立ちはしない。
 だが、何があなたを既知の狭い領域のなかに閉じ込めているのかを知ること
 は価値あることだ。
 あなたを未知へと連れだすのは、完全で正確な既知の知識なのだ。
 それを有用や有益といった条件で考えることはできない。
 静かで冷静に在り、すべての利己的な領域を超え、すべての自己中心的な考
 えを超えることは、解放のための避けることのできない条件だ。
 あなたはそれを死と呼ぶかもしれない。

 私にとって、それはもっとも意味深く、強烈な生き方だ。
 なぜなら、私はその完全性と全体性において生命とひとつだからだ。
 強烈さ、意味深さ、そして調和。
 これ以上何を求めるというのだろうか?
 質問者 もちろん、それ以上何ひとつ必要ありません。しかし、あなたは可
     知なるものについて語っています。
 マハラジ
 不可知なるものについて語ることができるのは、沈黙だけだ。
 マインドは知っていることについてしか語れないのだ。
 もしあなたがたゆまず可知なるものを調べるなら、それは消え去り、不可知
 なるもののみが残る。
 だが、想像と興味のかすかなゆらめきが、不可知なるものを隠してしまう。
 そして既知なるものが前面に現れるのだ。
 既知なるもの、変化するものは、あなたがともに生きているものだ。
 不変なるものは、あなたにとって何の役にも立ちはしない。
 あなたが変化するものに飽き果てて、不変なるものを熱望するときだけ、マ
 インドのレベルから見たとき空や暗闇として描写できるものへと方向転換し、
 踏み込む用意ができたのだ。
 なぜならマインドは内容と多様性を求めるからだ。
 一方、実在とはマインドにとって内容物のない不変なるものなのだ。
 質問者 私にとってそれは死のように見えます。
 マハラジ
 そうだ。
 それはまたすべてに浸透し、すべてを征服した、言葉を超える強烈なものだ。
 普通の脳では、粉砕されずにそれに耐えることはできない。
 それゆえ、サーダナが絶対的に必要なのだ。
 身体の純粋さ、マインドの明晰性、非暴力、そして非利己的な人生は、知的、
 霊的な存在としての存続に欠かせないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

707避難民のマジレスさん:2019/03/14(木) 20:52:07 ID:LC3de7YgO
>>706
『I AM THAT 私は在る』
【85 「私は在る」――すべての体験の根底】(つづき)

 質問者 実在のなかに存在はあるのでしょうか?
 マハラジ
 アイデンティティは実在だ。
 実在がアイデンティティなのだ。
 実在とは無形の集合や無言の混沌ではない。
 それは強力で、気づいていて、至福に満ちている。
 それと比べれば、あなたの人生など太陽に対するロウソクのようなものだ。
 質問者 神と師の恩寵(おんちょう)によって、あなたはすべての欲望と恐
     れを失い、不動の状態に到達しました。わたしの質問は単純です。
     どうやってあなたの状態が不動のものだと知るのでしょうか?
 マハラジ
 ただ変化するものについてだけが考えられ、語ることができるのだ。
 不変なるものは、沈黙のなかでだけ認識されることができる。
 ひとたび真我が実現されたなら、それは変化するものに深く影響を与え、し
 かもそれ自体は変化しないまま残るのだ。
 質問者 あなたが観照者だということをどうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 私は知らない、私は在るのだ。
 私は在る、なぜなら在るためにはすべてが観照されなければならないからだ。
 質問者 聞き伝えによっても、存在は受け入れられます。
 マハラジ
 ついにあなたは直接、観照者が必要とされる地点に来たのだ。
 観照は、もし個人的で実際的でないなら、少なくとも可能であり実行できる
 ものでなければならない。
 直接体験が最終的な証明だ。
 質問者 体験は不完全であり、誤りに導きます。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 だが、体験の事実がではない。
 体験が何であれ、真実であろうと偽りであろうと、体験が起こったという事
 実は否定できない。
 それはそれ自体の証明なのだ。
 あなた自身を念入りに見てみなさい。
 そうすれば意識の内容が何であれ、観照することはその内容物に依存しない
 ことがわかるだろう。
 気づきはそれ自体で在り、出来事とともに変化することはない。
 出来事は快いもの、あるいは不快なものかもしれない。
 重要なもの、あるいは重要でないものかも知れないが、気づきは同じままだ。
 純粋な気づきの固有の本質である、自己意識の痕跡(こんせき)のまったく
 ない自然な自己のアイデンティティに気づきなさい。
 そしてその核心まで行くがいい。
 するとあなたはすぐに気づきがあなたの真の本性だと自覚することだろう。
 あなたが気づくことは、何ひとつあなたのものと呼ぶことはできないのだ。
 質問者 意識とその内容物はひとつであり、同じものではないでしょうか?
 マハラジ
 意識は空に浮かぶ雲のようなものだ。
 そして雨の水滴がその内容物なのだ。
 雲が見えるためには、太陽が必要だ。
 そして意識は気づきのなかで焦点を合わせられる必要があるのだ。
 質問者 気づきは意識の一形態ではないのでしょうか?
 マハラジ
 意識の内容が好き嫌いなしに見られたとき、その意識が気づきなのだ。
 だが、意識のなかに反映された気づきと、意識を超えた純粋な気づきとには
 違いがある。
 反映された気づき、「私は気づいている」という感覚は観照者だ。
 一方、純粋な気づきは実在の本質なのだ。
 水滴のなかの太陽の反映は、確かに太陽の反映だ。
 だが、太陽そのものではない。
 観照者として意識のなかに反映された気づきと、純粋な気づきとの間にはギ
 ャップがある。
 マインドはそれを超えることができないのだ。
 質問者 それはあなたの見方によるのではないでしょうか? マインドは違
     いがあると言い、ハートはないと言うのです。
 マハラジ
 もちろん、そこに違いはない。
 実在は非実在のなかに実在を見るのだ。
 非実在をつくり出すのはマインドであり、偽りを偽りとして見るのもマイン
 ドなのだ。
 質問者 偽りを偽りとして見た後に、実在の体験が続くことは理解していま
     す。
 マハラジ
 実在の体験というようなものはない。
 実在は体験を超えているのだ。
 すべての体験はマインドのなかにある。
 実在として在ることで、あなたは実在を知るのだ。
 質問者 もし実在がマインドも言葉も
超えているのなら、なぜそれほどそれ
     について語るのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、その喜びのためだ。
 実在とは至高の至福だ。
 それについて語ることさえ幸福なのだ。
 質問者 あなたは揺らぐことのない至福について語っていますが、それにつ
     いて語るとき、何をあなたは想っているのでしょうか?
 マハラジ
 私のマインドのなかには何もない。
 あなたが言葉を聞くように、私もそれらを聞くのだ。
 すべてを起こらせる力が、それをも起こらせるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

708鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/14(木) 22:34:31 ID:1d4drIFg0
>>705 そうじゃ、どんどん苦を超えていくが善いのじゃ。
 
時間による変化さえも記憶による観念から起こるものじゃ。
その観念を超えれば全ては不動と知れるのじゃ。
観念が無ければ変化するものも無いのじゃ。
全ては永遠にあるがままに在るのみなのじゃ。

709避難民のマジレスさん:2019/03/14(木) 23:04:04 ID:LC3de7YgO
>>707
『I AM THAT 私は在る』
【85 「私は在る」――すべての体験の根底】(つづき)

 質問者 しかし、話しているのは、私ではなくあなたです。
 マハラジ
 それはあなたにとってそう見えるのだ。
 私が見るには、二つの「身体―精神」が象徴的な雑音を交換しているだけだ。
 実際には、何も起こっていない。
 質問者 どうか聞いてください。私はあなたのもとへ来たのです。なぜなら、
     私は困っているからです。私は理解することのできない世界のなか
     の迷える魂なのです。私は、成長し、子供をつくり、そして死ぬよ
     うに私に求める母なる自然を恐れています。私がこれらすべての意
     味や目的について尋ねても、彼女は答えないのです。私はあなたの
     もとへ来ました。なぜなら、あなたは親切で賢明だと聞いてきたか
     らです。あなたは変化するものは偽りで一時的なものだと言い、そ
     れは私にも理解できます。しかし、あなたが不変なるものについて
     語ると、迷ってしまうのです。「これではない、あれでもない。知
     識を超えた無益なもの」――では、いったいなぜそれについて話す
     のでしょう? それは存在するのでしょうか、それともただの概念
     なのでしょうか、変化するものに対する、ただの反対の言葉なので
     しょうか?
 マハラジ
 それは在る。
 それのみが在るのだ。
 だが、砂漠のなかで喉の渇きで死にそうな夢を見ているあなたにとって、ベ
 ッド脇の水が何の役にも立たないように、現在のあなたの状態では、それが
 役に立つことはないだろう。
 夢が何であれ、私はあなたを夢から覚まそうとしているのだ。
 質問者 どうか私が夢を見ていて、すぐにも目覚めるなどと言わないでくだ
     さい。もしそうであるなら、そうあってほしいところです。しかし、
     私は目覚めていて、苦痛のなかにいるのです。あなたは苦痛のない
     状態について話します。しかし、現在の私の状態ではそれを得るこ
     とはできないとあなたは付け加えるのです。これでは当惑するばか
     りです。
 マハラジ
 とまどってはいけない。
 私はただ、不変なるものと至福に満ちたものを見いだすには、変化するもの
 と苦痛に満ちたものへのあなたの執着を放棄しなければならないと言ってい
 るだけだ。
 あなたは、あなた自身の幸福に関心がある。
 そして私は、そんなものはないと言っているのだ。
 幸福はけっしてあなた自身のものではない。
 それは「私」がないときにあるのだ。
 私はそれがあなたの手に届かないところにあると言っているのではない。
 あなたはただ、あなた自身の彼方に手を差しださなければならないのだ。
 そうすればそれを見いだすだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

710鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/15(金) 22:23:16 ID:1d4drIFg0
不変なものについての知識はある意味不要なものじゃ。
どれほどその知識を多く集めてもそれに達していない者には理解できないからのう。
ただそれを達成する道を説くことが出来るだけなのじゃ。
全ての者は知識によらず自ら達成するしかないのじゃ。

711避難民のマジレスさん:2019/03/15(金) 22:39:33 ID:LC3de7YgO
>>709
『I AM THAT 私は在る』
【85 「私は在る」――すべての体験の根底】(つづき)

 質問者 もし私が私自身を超えていかなければならないのなら、なぜはじめ
     から「私は在る」という観念を得たのでしょうか?
 マハラジ
 マインドは円を描くために、中心を必要とする。
 円は大きく成長していくだろう。
 そして大きくなるたびに「私は在る」には変化があるだろう。
 自分自身を制御するヨーギは螺旋(らせん)を描いていく。
 しかしいかに螺旋が広大でも中心は動かない。
 この企て全体が偽りとして見られ、放棄される日がやがてやってくる。
 中心点は消え、宇宙が中心となるのだ。
 質問者 そうなのかもしれません。しかし、私は今、どうすればいいのでし
     ょうか?
 マハラジ
 たゆみなくあなたの変化しつづける人生を見守りなさい。
 あなたの行為を超えた動機のなかを、深く綿密に探っていきなさい。
 そうすればあなたは、じきにあなたを閉じこめていた泡を突き刺すことだろ
 う。
 ヒヨコは成長のために殻(から)を必要とする。
 だが殻が破られなければならない日が来る。
 もしそうでなければ苦しみと死がやってくるだろう。
 質問者 つまり、もしヨーガに没頭をしなければ、私は消滅するように運命
     づけられているということでしょうか?
 マハラジ
 あなたを救いにグルが現れるだろう。
 それまでは、あなたの人生の流れを見守ることで満足しなさい。
 もしあなたの注意深さが深く、揺るぎなく、つねに源に向いているなら、そ
 れは徐々に上昇し、突然それが源となるのだ。
 マインドではなく、気づきに仕事をまかせなさい。
 マインドはこの仕事に適した道具ではないのだ。
 永遠は永遠によってのみ到達できる。
 あなたの身体とマインドはともに時間に支配されている。
 ただ気づきだけが時間を超えている。
 それは今でさえ超えているのだ。
 気づきのなかで、あなたは事実に直面する。
 実在は事実を好むのだ。
 質問者 あなたはグルや神ではなく、完全に私の気づきが仕事を引き受ける
     と期待しているのですか?
 マハラジ
 神はあなたに身体とマインドを与え、それらの使い道を示したのだ。
 だが、源へと帰り着くのはあなたの仕事だ。
 質問者 神が私を創造したのです。彼が私の面倒を見てくれるでしょう。
 マハラジ
 そこには無数の神々が、それぞれ彼らの宇宙のなかにいる。
 彼らは永遠に創造し、再創造している。
 あなたは彼らが救いの手を差しのべるのを待っているのかね?
 解放に必要なことは、すでにあなたの手の届くところにあるのだ。
 それを使いなさい。
 あなたの知っていることを、その果てまで調べるがいい。
 そうすれば、あなたは存在の未知の層に達するだろう。
 さらに進んでいきなさい。
 すると、あなたのなかで予期せぬ爆発が起こる。
 そしてすべてを粉砕し尽くすだろう。
 質問者 それは死を意味するのでしょうか?
 マハラジ
 それは、ついに生を意味するのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

712鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/16(土) 22:27:40 ID:1d4drIFg0
解放に必要なことは既にあなたの手の届くところにあるとマハラジは言うのじゃ。
それは全ての者にあるものじゃ。
死の寸前でもあり続けるじゃろう。
僅かな時間に意識を集中し自分とは何かを追求し続ければ善いのじゃ。
それが出来れば悟りもやってくるのじゃ。

713避難民のマジレスさん:2019/03/17(日) 00:27:11 ID:LC3de7YgO
>>711
『I AM THAT 私は在る』
【86 未知なるものは実在の住処だ】

 質問者 グル(師)とは誰でしょうか、そして至高のグルとは誰でしょうか?
 マハラジ
 あなたの意識のなかで起こることすべてがあなたのグルなのだ。
 そしてその意識を超えた純粋な覚醒が至高のグルだ。
 質問者 私のグルはシュリー・ババジです。彼についてどう思われますか?
 マハラジ
 何という質問だろうか!
 ボンベイの空間がプーナの空間についてどう思うかと尋ねられたようなもの
 だ。
 名前は異なっても空間は異ならない。
 「ババジ」という言葉は単なる住所にすぎない。
 誰がこの住所に住んでいるのかね?
 困難があるときにだけ、あなたは質問をする。
 誰が誰に困難を与えたのかを調べなさい。
 質問者 誰もが真我を実現することを余儀なくされています。それは義務な
     のでしょうか、それとも運命なのでしょうか?
 マハラジ
 真我の実現とは、あなたが個人ではないという事実なのだ。
 それゆえ真我の実現は、消え去る運命にある個人の義務ではありえない。
 運命とは自分を個人だと想像する人の義務なのだ。
 その人とは誰なのかを見いだしなさい。
 そうすれば想像された個人は消え去るだろう。
 自由とは何かからの自由だ。
 あなたは何から自由になるというのだろう?
 明らかに、あなたは自分自身だと思いこんでいる個人から自由にならなけれ
 ばならないのだ。
 なぜなら、あなたが自分自身に関してもっている観念、それがあなたを束縛
 しているからだ。
 質問者 どのようにして個人は取り除かれるのでしょうか?
 マハラジ
 決意によってだ。
 それは取り除かなければならないものだということを理解しなさい。
 そしてそれが去ることを願いなさい――もしあなたが真剣ならば、それは去
 るだろう。
 誰でもいいが、誰かがあなたに、あなたは「身体―精神」ではなく、純粋な
 意識だと告げるだろう。
 それを可能性として受け入れなさい。
 そして真剣に調べてみなさい。
 あなたは、空間と時間に拘束された個人ではないと発見するかもしれない。
 それがどれほどの違いをもたらすことか、考えてみるがいい!
 質問者 もし私が個人でないならば、私とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 濡れた布は、濡れているかぎり、見た目も感じも、匂いも異なって見える。
 乾けば、それはふたたび普通の布だ。
 水が布から去れば、誰にそれが濡れていたと立証できるだろうか?
 あなたの真の本性は、あなたの外見とは異なるのだ。
 個人として在るという考えを放棄しなさい。
 ただそれだけだ。
 すでにあなたで在るものになる必要はないのだ。
 本来のあなたとしてのアイデンティティがあり、その上に個人が重ねられて
 いるのだ。
 あなたが知っているのは個人だけだ。
 個人ではないアイデンティティをあなたは知らない。
 なぜならあなたはけっして疑ったことがなく、「私は誰か?」という決定的
 な疑問を自分に問いかけたことがなかったからだ。
 アイデンティティとは個人を観照する者だ。
 そしてサーダナ(修練)とは表面的で変化し続ける個人から、普遍で常在の
 観照者に視点を移行させることにあるのだ。
 質問者 どうして「私は誰か?」という質問は、私を引きつけないのでしょ
     うか? 私は聖者とともに快い時を過ごすことのほうを好むのです。
 マハラジ
 あなた自身の存在のなかにとどまることもまた、聖なるものとの交際なのだ。
 もしあなたが苦しみと苦しみからの解放の問題をもっていなければ、真我の
 探求に必要なエネルギーと持続力をもてないだろう。
 あなたに危機をつくり出すことはできない。
 それは真正なものでなければならないのだ。
 質問者 真正な危機とはどのようにして起こるのでしょうか?
 マハラジ
 それはつねに起こっている。
 だが、あなたは充分に気づいていないのだ。
 隣人の顔の影、計り知れない、至るところに浸透している存在の悲しみは、
 あなたの人生における普遍の要因なのだ。
 あなたは苦しみ、また他者の苦しむのを見ている。
 だが、あなたが反応しないだけなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

714避難民のマジレスさん:2019/03/17(日) 10:52:45 ID:LC3de7YgO
>>713
『I AM THAT 私は在る』
【86 未知なるものは実在の住処だ】(つづき)

 質問者 あなたの言われることは本当です。しかし、私に何ができるという
     のでしょう? それが実情なのです。私の無力さと愚鈍さはその一
     部でもあるのです。
 マハラジ
 よく言った。
 あなた自身を落ち着いて見てみなさい。
 それで充分だ。
 あなたを閉じこめている扉はまた、あなたを解き放つ扉でもあるのだ。
 「私は在る」が扉だ。
 それが開くまで、そこにとどまりなさい。
 実際のところ、それは開いている。
 ただ、あなたがそこにいないだけなのだ。
 あなたは、実際には存在せず、けっして開くことのない描かれた扉の前で待
 っているのだ。
 質問者 私たちの多くはある時点で、ある程度の麻薬を摂っていました。人
     びとは意識の高次のレベルへと突破するために麻薬を摂るのだと言
     っていました。ほかの者たちは、同じ目的でふんだんなセックスを
     するよう勧めました。これらの問題に関するあなたの意見をうかが
     えますか? 
 マハラジ
 麻薬が脳とマインドに影響を与え、そして約束されたあらゆる類(たぐい)
 の奇妙な体験をあなたに与えることは疑いのないことだ。
 だが、悲しみと恐れのなかに生まれ、来ることも続くこともない幸福の探求
 を生きるという、このもっとも尋常でない体験を与える麻薬に比べれば、そ
 れらすべての麻薬が何だというのだろう?
 この麻薬の本質について調べ、その解毒剤を発見すべきだ。
 誕生、人生、死――これらはひとつのものだ。
 何がこれらの原因なのかを発見しなさい。
 あなたは生まれる前に、すでに麻薬を飲まされていたのだ。
 それは何の類の麻薬だったのだろうか?
 あなたはすべての病気を治療するかもしれない。
 だが、もしあなたがいまだにこの根元的な麻薬の影響下にあるなら、表面上
 の治療が何の役に立つだろう?
 質問者 再誕生の原因はカルマではないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは名前を変えるかもしれない。
 だが、事実は残るのだ。
 あなたがカルマ、あるいは運命と呼ぶ麻薬は何なのだろうか?
 それがあなたではないものを、あなただと信じさせたのだ。
 それは何なのか?
 そしてあなたはそれから自由になれるのだろうか?
 先へと進む前に、あなたは外見上のあなたではないということ、あなたが麻
 薬の影響下にあるということを、少なくとも役に立つ説として受け入れなけ
 ればならない。
 そのときにだけ、症状を調べ、それらの共通の原因を探しだす衝動と忍耐力
 もつことだろう。
 グルがあなたに言えることは、「あなたはあなた自身についてまったくの思
 い違いをしている。あなたはあなた自身だと考えている個人ではないのだ」
 ということだけなのだ。
 誰も信じてはならない。
 たとえ自分でさえも信じてはならない。
 探求し、見つけだしなさい。
 あなたが真実の生命の水と真理の岩に達するまで、すべての憶測を取り除き、
 拒絶しなさい。
 あなたがその麻薬から解放されないかぎり、宗教や科学、祈りやヨーガは何
 の役にも立たないだろう。
 それらは誤解をもとにしているため、麻薬の影響を強めるだけなのだ。
 だがもしあなたは身体でも、マインドでも、それらの観照者でもなく、まっ
 たくすべてを超えたものだという観念とともにとどまるならば、あなたのマ
 インドは明晰性のなかで、欲望は純粋性のなかで、行為は慈愛のなかで成長
 するだろう。
 そして内なる蒸留作用が、あなたを真実と恐れのない愛の別の世界へと連れ
 ていくことだろう。
 あなたの古い感情と思考の習慣に抵抗しなさい。
 自分自身に言いつづけなさい。
 「いいや、違う。そうはありえない。私はこんなものではない。それは私に
 必要ない。私はそれを欲しくない」と。
 そうすれば、過ちと絶望の構造全体が崩壊し、新しい人生のための基礎が開
 放される日が必ずやってくる。
 結局、あなたが没頭しながらしていることは目覚めの時間と、一部分、夢の
 時間のなかにあるだけだ。
 眠りのなかですべては脇にのけられ、忘れ去られているのだ。
 それはいかにあなたの目覚めの時間が重要なものではないかを示している。
 単に横になって、目を閉じることがそれを終わらせてしまうのだ。
 毎回、目覚めるという確証のまったくないまま、あなたは眠りにつく。
 しかしそれでも、あなたはその危険を受け入れいるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

715鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/17(日) 22:58:12 ID:1d4drIFg0
マハラジの言うとおりアートマンを実現することは個人という観念から解放されることなのじゃ。
個人は存在せず、個人という考えや認識や観念すらも間違いなのじゃ。
それらの謬見から抜け出すことをアートマンを実現するというのじゃ。
全てであることの実証がアートマンの実現なのじゃ。

716避難民のマジレスさん:2019/03/17(日) 23:37:29 ID:LC3de7YgO
>>714
『I AM THAT 私は在る』
【86 未知なるものは実在の住処だ】(つづき)

 質問者 眠りにつくとき、あなたは意識していますか、それとも無意識ですか?
 マハラジ
 私は意識したままとどまる。
 だが、特定の個人として意識しているのではない。
 質問者 あなたは真我実現の経験の味わいを私たちに与えることができますか?
 マハラジ
 そのすべてを受け取るがいい!
 それは求めればここにあるのだ。
 だが、あなたは求めない。
 求めるときでさえ、あなたは受け取らないのだ。
 何が受け取ることを妨げているのか、探しだしなさい。
 質問者 何が妨げているのか知っています。私の自我です。
 マハラジ
 それならば、自我とともに好きにするがいい――私にかまわないでほしい。
 あなたがマインドのなかに閉じこめられているかぎり、私の状態はあなたの
 理解の彼方にあるのだ。
 質問者 もう、質問することが見つか
りません。
 マハラジ
 あなたが本当に自我と闘っているのなら、もっと多くの質問をするはずだ。
 あなたに質問がないのは、本当は興味がないからなのだ。
 今現在、あなたは快楽―苦痛の原理によって動かされている。
 それが自我なのだ。
 あなたは自我とともに生きていて、それと闘っているのではない。
 あなたは自分がいかに完全に個人的な動機によって支配されているかに気づ
 いてさえもいない。
 人はつねに自分自身に対抗しなければならない。
 なぜなら自我はゆがんだ鏡のように、制限し歪曲するからだ。
 自我はすべての暴君のなかでも最悪の暴君だ。
 それはあなたを絶対的に支配してしまうのだ。
 質問者 そこに「私」がないとき、誰が自由になるというのでしょうか?
 マハラジ
 世界がたいへんな厄介者から解放されるのだ。
 結構なことだ。
 質問者 誰にとって結構だと言われるのでしょう?
 マハラジ
 皆にとっていいことなのだ。
 自我は通りにロープをかけて交通を混乱させるようなものだ。
 それは単なるアイデンティティとしてそこにあるだけだ。
 巻き上げておきなさい。
 必要な時が来れば、役にも立つだろう。
 自我からの解放が真我の探求の成果なのだ。
 質問者 私には私自身にひどく不満だったときがありました。今は私のグル
 と出会い、彼に自分自身を完全に明け渡し、私のマインドは平和になったの
です。
 マハラジ
 もしあなたが日々の生活を見守るならば、何ひとつ明け渡してはいないこと
 がわかるだろう。
 あなたは単に「明け渡し」という言葉をあなたの語彙(ごい)のなかに加え、
 グルをあなたの問題を吊す留めクギにしただけだ。
 真実の明け渡しとは、グルによって促されるまでは何もしないことを意味す
 る。
 言ってみれば、あなたは脇にのき、グルがあなたの人生を生きることを許す
 のだ。
 あなたは単に、師があなたにとって解決不可能な問題をいとも簡単に解くの
 を驚きとともに見守るだけなのだ。
 質問者 私はここに座って、部屋を、人びとを、そしてあなたを見ています。
 あなたの側からはどのように見えるのでしょうか? あなたは何を見るので
しょうか?
 マハラジ
 何も見ない。
 私は見ている。
 だが、判断や批判で覆(おお)ったイメージをつくり出す感覚では見ないの
 だ。
 私は描写や評価はしない。
 私は見る。
 私はあなたを見ている。
 しかし、態度や意見は私の視野を曇らせはしないのだ。
 私が目をそらすとき、マインドは記憶がしがみつくことを許さない。
 それは即座に去り、つぎの印象のために真新しく解放されるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

717鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/18(月) 21:01:26 ID:1d4drIFg0
本当に明け渡すことが出来たならばもはや無我の筈なのじゃ。
自分を渡してしまうのであるからのう。
自分があるならば明け渡していないのじゃ。
ただ他人に依存しているだけなのじゃ。
全てを他人の所為にしているから楽になったように感じるのじゃ。

718避難民のマジレスさん:2019/03/18(月) 22:22:24 ID:LC3de7YgO
>>716
『I AM THAT 私は在る』
【86 未知なるものは実在の住処だ】(つづき)

 質問者 ここに座っているあなたを見ていると、この起こっている出来事を
     時間と空間のなかで位置づけすることが私にはできません。この場
     所で起こっている智慧(ちえ)の伝承には、永遠の、普遍的な何か
     があるのです。一万年前、あるいは一万年後だろうと違いはありま
     せん。出来事そのものが時を超えているのです。
 マハラジ
 人間は時代を通して、さほどの変化をしてきたわけではない。
 人類の問題は同じものにとどまり、同じ答えを求めているのだ。
 あなたがいわゆる智慧の伝承を意識していること自体が、智慧がいまだに伝
 承されていないことを示している。
 それを得たとき、あなたはもはやそれを意識しないのだ。
 本当にあなた自身のものを意識することはない。
 あなたが意識していることは、あなたでもなければ、あなたのものでもない。
 あなたのものとは知覚の力であり、あ
なたが知覚しているものではない。
 意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
 人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
 だが、あなたは人ではないのだ。
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。
 質問者 私はグルを探求しなければならないのでしょうか? それとも、誰
     であれ、見いだした人ととどまるべきなのでしょうか?
 マハラジ
 その質問自体がいまだ見いだしてはいないことを示している。
 実現していないかぎり、あなたはグルからグルへと移っていくだろう。
 だが、あなたがあなた自身を見いだしたとき、探求は終わる。
 グルとは道しるべなのだ。
 あなたが動いている間は、多くの道しるべを通り過ぎていくだろう。
 重要なのは最後の師だけだ。
 実際には、それぞれのときにおけるすべての師たちが重要であり、現在はど
 れも重要ではないのだ。
 質問者 あなたはグルに重要性を与えていないかのように見えます。彼は単
     に、その他多くの出来事のひとつなのです。
 マハラジ
 すべての出来事が貢献するのだ。
 だが、どれも決定的なものではない。
 途上では、一歩一歩があなたが目的地に達するのを助ける。
 そしてどの一歩もほかの一歩と同じように決定的なものだ。
 なぜならそれぞれの一歩が避けることのできないものだからだ。
 もしそれを拒んだら、あなたは立ち往生してしまうだろう!
 質問者 誰もがグルの栄光を賛美するというのに、あなたは彼を道しるべと
     比較しています。私たちはグルを必要としないのでしょうか?
 マハラジ
 私たちは道しるべを必要としないのだろうか?
 そうであるとも、ないとも言える。
 あなたに確信がなければ必要であり、あなたが道を知っているなら必要では
 ないのだ。
 ひとたび私たちが自分自身に確かならば、技術的な点を除いて、グルはもは
 や必要ではない。
 あなたのマインドとは、つまり道具なのだ。
 それをどう使うのかを知らなければならない。
 あなたがどう身体を使うかを教わったように、どうやってマインドを使うか
 を知らなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

719避難民のマジレスさん:2019/03/18(月) 22:27:39 ID:LC3de7YgO
>>716
> 私が目をそらすとき、マインドは記憶がしがみつくことを許さない。
 それは即座に去り、つぎの印象のために真新しく解放されるのだ。

←これは、過去も未来もなく、今この時しかないのであるから、このように生きるしかないと言うことかなでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

720鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/19(火) 22:59:28 ID:1d4drIFg0
↑悟った者はそのように生きられるということなのじゃ。
 記憶に依存していないからなのじゃ。
 悟っていなければ記憶に囚われ続けるのじゃ。
 それが悟った者と悟っていない者の違いの一つなのじゃ。

 更に悟っていなければその記憶が観念により本当のことに感じられるのじゃ。
 苦しみの記憶は今ここに苦しみがあると感じさせるのじゃ。
 それによって全ては苦の世界となってしまうのじゃ。
 
 記憶に依存していなければもはや苦の記憶によって苦しむ事は無く、観念からも解放されて永遠に苦はなくなるのじゃ。

721避難民のマジレスさん:2019/03/19(火) 23:15:51 ID:LC3de7YgO
>>720
鬼和尚、ありがとうであります。
悟ればこのように生きられる。
悟る以前でも、あたかも悟ったように、このように振る舞おうとすることは、有害でありましょうか?
有害でなかったとしても、悟りに近づくために役に立たないでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

722避難民のマジレスさん:2019/03/19(火) 23:24:17 ID:LC3de7YgO
>>718
『I AM THAT 私は在る』
【86 未知なるものは実在の住処だ】(つづき)

 質問者 マインドの使い方を学ぶことで、私は何を得るのでしょうか?
 マハラジ
 マインドの誤用による欲望と恐れから自由になるのだ。
 単なる精神的な知識では充分でない。
 既知なるものは非本質的であり、未知なるものが実在の住処(すみか)だ。
 既知のなかに生きることは束縛であり、未知のなかに生きることが解放なの
 だ。
 質問者 すべての霊的修練は、個人的自己の消去にあると私は理解していま
     す。そのような修練には鉄の決意と容赦のない専念が要求されます。
     そのような修練のための高潔さとエネルギーを、どこに見いだせば
     いいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはそれを賢者との交わりのなかに見いだすだろう。
 質問者 どうやって誰が賢者で、誰が単に賢いだけなのかを知るのでしょう?
 マハラジ
 もしあなたの動機が純粋なもので、真理以外の何ものも探していないとすれ
 ば、あなたは正しい人たちを見いだすだろう。
 彼らを見いだすことはやさしい。
 困難なのは、彼らを信頼し、その助言と指導を最大に利用することなのだ。
 質問者 霊的修練のためには、目覚めの状態は眠りの状態よりも重要なので
     しょうか?
 マハラジ
 概して、私たちは目覚めの状態をあまりにも重要視しすぎる。
 眠りがなければ目覚めの状態は不可能だ。
 眠りがなければ人は狂ってしまうか、死ぬしかない。
 なぜそれほどまでに、明らかに意識に依存している目覚めの状態を重要視す
 るのだろうか?
 霊的な修練のなかでは、意識だけではなく無意識にも注意を払わなければな
 らない。
 質問者 どのようにして無意識を扱うのでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」に気づきの焦点を合わせつづけなさい。
 あなたが在ることを覚えておきなさい。
 そうすれば、あなたの努力なしに無意識は意識のなかに流れてくるだろう。
 誤った欲望や恐れ、偽りの観念、社会的抑制は意識との自由な相互作用を阻
 止し妨げる。
 ひとたび意識と無意識が自由に混ざりあえば、二つはひとつなり、ひとつは
 すべてとなる。
 個人は観照者のなかに溶け、観照者は気づきのなかに、気づきは純粋な存在
 のなかに溶ける。
 しかし、それでもアイデンティティは失われない。
 ただその限界が失われ変容されて、真我、サットグル(真の師)、永遠の友
 だち、そして導き手となるのだ。
 それは礼拝によって達することはできない。
 いかなる外的な活動によっても内なる自己に達することはできない。
 礼拝や祈りは表層にとどまるだけだ。
 より深層に、眠り、夢見、目覚めの状態を超えた彼方へ行くために瞑想は欠
 かせない。
 最初のうちは、試みにもむらがあるだろう。
 それからもっとたびたび起こるようになり、規則的になってくる。
 そして継続的に強烈になる。
 すべての障害が克服されるまで。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

723鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/20(水) 23:03:49 ID:1d4drIFg0
>>721 有害ではないのじゃ。
 苦が少なくなるじゃろう。
 役にも立つじゃろう。
 囚われが少なくなるからのう。
 実践あるのみなのじゃ。

マハラジも瞑想を勧めるのじゃ。
瞑想によって人は意識できない無意識にも到達できるからなのじゃ。
自己を越えた意識に達すれば悟りも自ずからやってくるのじゃ。
日々の瞑想が大事なのじゃ。

724避難民のマジレスさん:2019/03/21(木) 02:00:54 ID:LC3de7YgO
>>722
『I AM THAT 私は在る』
【87 マインドの沈黙を保ちなさい、そうすれば発見するだろう】

 質問者 かつて、私は奇妙な体験をしました。私はなく、世界もなく、内側
     も外側もただ光があるばかりでした。そして、そこには計り知れな
     い平和がありました。それは4日間続き、それから私は日常の意識
     に戻ったのです。今、私が知っていることはみな、建築中の建物を
     覆い隠す単なる足場だと感じています。建築家、デザイン、計画、
     目的については何も知りません。何かの活動が続いています。もの
     ごとは起こっています。これが私に言えるすべてです。私とは何か
     壊れやすく、短命なその足場なのです。建物が完成したとき、足場
     は壊され取り除かれます。「私は在る」と「私は何か」が重要では
     ないのです。なぜなら、ひとたび建物が完成されれば、「私」は当
     然のこととして、答えるべき何の質問も残さずに消え去るからです。
 マハラジ
 あなたはそのすべてに気づいていないのだろうか?
 それは気づきが不変の要因だという事実ではないのだろうか?
 質問者 私の永遠性とアイデンティティの感覚は、はかなく、頼りにならな
     い記憶によるものです。つい最近のことでさえ、ほんのわずかしか
     覚えていないのです! 私は一生という期間を生きてきました。そ
     して今、私に何が残されているというのでしょう? ひと束の出来
     事、よくても短編の小説です。
 マハラジ
 このすべてがあなたの意識の内側で起こることなのだ。
 質問者 内側で、そして外側で。日中は内側で、夜は外側で。意識はすべて
     ではありません。その領域を超えたところで、とても多くのことが
     起こっているのです。私が意識していないものは存在しない、と言
     うことはまったくの誤りです。
 マハラジ
 あなたの言うことは論理的には正しい。
 だが実際、あなたは意識のなかにあることしか知らないのだ。
 意識的体験の外側に存在するとあなたが主張するものは、推測されたことだ。
 質問者 推測されたものかもしれません。しかし、それは感覚よりも真実で
     す。
 マハラジ
 気をつけなさい。
 あなたは話しはじめると言語上の宇宙をつくり出すのだ。
 言葉、概念、観念そして抽象の宇宙を。
 相互に依存しあい、織り込まれ、もっとも素晴らしく生成され、互いに支持
 しあい、説明しあってはいる。
 それにも関わらず、それには本質も実体もない、単なるマインドの創造物な
 のだ。
 言葉は言葉をつくり出す。
 実在は沈黙しているのだ。
 質問者 あなたが話すとき、私は聞いています。それは事実なのではありま
     せんか?
 マハラジ
 あなたが聞いているということは事実だ。
 あなたが聞くことは――それではない。
 事実は体験できる。
 その意味においては、その言葉の音とそれが引き起こす精神的波紋は体験さ
 れる。
 それ以外の実体がその背後にあるわけではない。
 その意味は記憶されるための、純粋に慣習的なものだ。
 言語は繰り返し実践されなければ簡単に忘れ去られてしまうものだ。
 質問者 もし言葉に何の実体もないのなら、いったいなぜ、私たちは話をす
     るというのでしょうか?
 マハラジ
 言葉は個人間の相互伝達というかぎられた目的に使われている。
 言葉は事実を伝えるわけではない。
 それは信号を送るのだ。
 ひとたびあなたが個人を超えれば、言葉は必要ない。
 質問者 何が私を個人の彼方へと連れていくのでしょうか? どのようにし
     て意識を超えるのでしょうか?
 マハラジ
 言葉や質問はマインドから起こり、あなたをそこにくいとめる。
 マインドを超えていくには、沈黙し、
静かにしなければならない。
 平和と沈黙。
 沈黙と平和。
 これが彼方への道なのだ。
 質問はやめなさい。
 質問者 ひとたび質問をあきらめたら、私はどうすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 ただ待ち、見守る以外何ができるだろうか?
 質問者 何を待てばいいというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの存在の中心が意識のなかに現れるのを待つのだ。
 眠り、夢見、目覚めの三つの状態はすべて意識のなかに現れる。
 時が来れば、あなたが無意識と呼ぶ状態も現れるだろう。
 意識全体を超えたところに非顕現がある。
 そしてすべてを超え、すべてに遍在する存在のハートは顕現―非顕現、顕現
 ―非顕現(サグナ―ニルグナ)、と脈々と鼓動しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

725鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/21(木) 22:45:55 ID:1d4drIFg0
言葉は事実を伝えられないと言うのじゃ。
ただ道標になるだけなのじゃ。
誰もが自分で事実を見出さなければならないのじゃ。
例えば既に分かっている公式でも試験で自分で解いていかなければならないようにのう。
自らの心の中に事実を見出すのじゃ。

726避難民のマジレスさん:2019/03/22(金) 03:02:14 ID:LC3de7YgO
>>724
『I AM THAT 私は在る』
【87 マインドの沈黙を保ちなさい、そうすれば発見するだろう】(つづき)

 質問者 言語レベルでは、すべて正しいように思われます。私には私自身が
     存在の種子、意識のなかの点として「私は在る」とともに現れては
     消え、現れては消え、と脈打っているのを思い浮かべることができ
     ます。しかし、それを事実として認識し、不変で無言の実在の彼方
     へ行くにはどうすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたにできることは何もない。
 時間がもたらしたものは、時間が奪い去っていくだろう。
 質問者 それではなぜ、ヨーガの修練や実在の探求を奨励するのでしょうか?
     それらは私に力を与え責任をもたせるように感じさせながら、実際
     には、時間によってすべてが為(な)されるのです。
 マハラジ
 独立を実現すること――それがヨーガの終焉(しゅうえん)なのだ。
 起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在
 る」の源に起こるのではない。
 ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら――それを運命、神の意志、
 あるいは単なる偶然と呼ぶがいい――あなたはただ観照者としてとどまる。
 理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。
 質問者 もし私が完全に言葉を信頼することをやめるなら、私はどのような
     状態になるのでしょうか?
 マハラジ
 そこには信頼する時期と疑う時期があるのだ。
 なぜ心配するのか?
 質問者 とにかく、私は私の周辺で起こることに責任があると感じるのです。
 マハラジ
 あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
 あなたに変えられることとは、あなたの態度だけだ。
 そこにあなたの責任があるのだ。
 質問者 あなたは私に、他者の悲しみに無関心でいるように勧めるのですか!
 マハラジ
 あなたが無関心でないということではない。
 人類全体の苦しみはあなたが次の食事を楽しむことを妨げはしない。
 観照者は無関心ではない。
 彼は理解と慈悲に満ちている。
 ただ観照者としてのみ、あなたは他の人びとを助けられるのだ。
 質問者 全人生において、私は言葉によって養われてきました。私が聞き、
     読んできた言葉の数は何十億にのぼるでしょう。それは私のために
     なったのでしょうか? まったくそうではありません!
 マハラジ
 マインドは言語を形づくり、言語がマインドを形づくる。
 どちらも道具なのだ。
 それを使うがいい。
 だが、誤用してはいけない。
 言葉はそれらの限界まであなたを連れていくことができる。
 それを超えるには、言葉は放棄されなければならない。
 沈黙の観照者としてのみとどまりなさい。
 質問者 どうすればそれが私にできるでしょうか? 世界があまりにも私を
     邪魔するのです。
 マハラジ
 それは、世界に影響されるのに充分なほど、あなたが大きいと考えているか
 らだ。
 そうではない。
 何ものもピンで留めることができないほど、あなたは小さいのだ。
 捕らわれてしまうのはあなたのマインドであって、あなたではない。
 次元と時間を超えた意識内の単なる点としての、あるがままのあなたを知り
 なさい。
 あなたは鉛筆の先の点のようなものだ。
 あなたと接触するだけで、マインドは世界の絵を描き出す。
 あなたは単一で単純だ。
 絵は複雑で大規模なものだ。
 絵に惑わされてはならない。
 小さな点に気づきつづけなさい。
 その点は絵のなかのどこにでもあるのだ。
 在るものが在ることをやめることはできる。
 ないものは存在のなかに現れることができる。
 しかし、在ることもないこともなく、存在と非存在がともに依存するそれは、
 否定することのできないものだ。
 あなた自身を、欲望と恐れの原因であり、しかもその両方から自由であるも
 のだと知りなさい。
 質問者 どうして私が恐れの原因だというのでしょうか?
 マハラジ
 すべてはあなたにかかっている。
 世界はあなたの承諾によって存在しているのだ。
 世界の実在性に対するあなたの確信を取り消しなさい。
 そうすればそれは夢のように消え去るだろう。
 時間は山でさえも崩し去る。
 時間を超えた時間の源であるあなたなら、なおさらのことだ。
 なぜなら、記憶と期待なしに時間はありえないからだ。
 質問者 「私は在る」は究極のものなのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが「私は在る」と言う前に、それを言うあなたがいなければならない。
 存在が自意識である必要はない。
 在るために知る必要はない。
 だが、知るためにはあなたが存在しなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

727鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/22(金) 23:00:59 ID:1d4drIFg0
世界は心から創られ、その中で存在する欲望や恐れも自らの心によって創られているものじゃ。
実際にはそれらから心は自由なのじゃ。
自ら作り出したものに人は囚われているのじゃ。
それに気付けば初めから自由であっことにも気付くのじゃ。

728避難民のマジレスさん:2019/03/23(土) 06:24:36 ID:LC3de7YgO
>>726
『I AM THAT 私は在る』
【87 マインドの沈黙を保ちなさい、そうすれば発見するだろう】(つづき)

 質問者 私は言葉の海に溺(おぼ)れそうです。どのように言葉を組み合わ
     せるかにすべてがかかっていることが私には理解できます。しかし、
     そこにはそれらを注意深くまとめる誰かがいなければなりません。
     言葉をでたらめに集めるだけでは、『ラーマーヤナ』『マハーバー
     ラタ』『バーガヴァタ』はけっして生まれなかったでしょう。突然
     変異の論理は、ここでは理にかないません。意味あるものの源は、
     それを超えたものでなければならないのです。混沌から秩序を創造
     する力は何なのでしょうか? 生きることは存在すること以上のも
     のです。そして意識は生きること以上のものです。誰が意識的に生
     きる存在なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの質問自体がその回答を孕(はら)んでいる。
 意識的に生きる存在は意識的に生きる存在だ。
 言葉はもっとも適切なものだ。
 だが、あなたはその完全な重要性を把握していないのだ。
 存在すること、生きること、意識、それらの言葉の意味のなかへ深く入って
 いきなさい。
 そうすればあなたは、質問をしながら答えを取り逃がすという輪のなかを走
 りつづけることをやめるだろう。
 あなたにはあなた自身に関しての正当な質問をすることはできないというこ
 とを理解しなさい。
 なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。
 「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。
 そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すこ
 とができるのだ。
 あなたであるものを、あなたは見いださなければならない。
 私にはあなたが何ではないかを言うことができるだけだ。
 あなたは世界に属するのではない。
 あなたは世界のなかにいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像のなかで世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界を持つこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
 幸福と実在を夢のなかに探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。
 すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。
 質問には終わりがないのだ。
 すべての欲望を放棄しなさい。
 マインドの沈黙を保ちなさい。
 そうすればあなたは発見するだろう。
 * 訳注 『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』『バーガヴァタ』
 (一)『ラーマーヤナ』 Ramayna インドの最も偉大な国家的叙事詩、ラー
  マ神の物語を綴った聖典。原本はヴァールミーキによって、紀元前五〇〇
  年頃、サンスクリット語で記され、後にヒンドゥ語で帰依派のトゥルシダ
  ースによって帰依を強調した形で編集された『ラーム・チャリット・マーナス』が有名である。現代においてもっとも国民的に愛されている古代叙事詩の一つ。
 (二)『マハーバーラタ』 Mahabharata 聖ヴィヤーサ著と言われるが、作
  者はひとりではない。紀元前の遥か昔の物語が語り継がれ、修正、増補さ
  れて、四世紀頃現在の形をとったと考えられる。北インド、バーラタの支
  配権を巡って、バーンダヴァ王家とカウラヴァ王家に起こった同族間戦争
  を描いた世界最大の叙事詩。
 (三)『バーガヴァタ』 Bhagavata 『バーガヴァタ・プーラナム』、ある
  いは『シュリーマッド・バーガヴァタム』としても知られる。紀元前七五
  〇年頃に聖ヴィヤーサによって記されたクリシュナ神の初期の伝記。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

729鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/23(土) 23:30:49 ID:1d4drIFg0
悟っていない者が言う私とは実は何を意味するのかわかっていないというのじゃ。
私とは実際には何なのか。
私とは何を意味するのか。
それをどこまでも探求するべきなのじゃ。

730避難民のマジレスさん:2019/03/24(日) 00:22:34 ID:LC3de7YgO
>>728
『I AM THAT 私は在る』
【88 マインドによる知識は真の知識ではない】

 質問者 あなたは目覚め、夢見、眠りの三つの状態を、私たちと同じように
     体験するのでしょうか、それとも異なるのでしょうか?
 マハラジ
 私にとっては、三つの状態すべてが眠りなのだ。
 私の目覚めの状態はそれらを超えている。
 私があなた方を見ると、あなた方は皆、眠っているように見える。
 私は気づいている。
 なぜなら、私は何も想像しないからだ。
 それは眠りの一種であるサマーディではない。
 それはただマインドの影響を受けない。
 過去と未来から自由な状態だ。
 あなたの場合、それは欲望と恐れ、記憶と期待に歪められている。
 私の場合、それはありのままの正常な状態だ。
 個人として在ることとは、眠っていることなのだ。
 質問者 身体と純粋な気づきの間には、「内なる器官」、アンタカラナ、
     「微細身」、名前は何であれ――が立ちはだかっています。旋回す
     る鏡が日の光を線と色彩の多様なパターンに変化させるように、微
     細な身体も自己の単一の輝く光を多様な世界に変化させるのです。
     私はこのようにあなたの教えを理解しました。私に理解できないの
     は、最初にどのようにしてこの微細な身体が立ち現れたのかという
     ことです。
 マハラジ
 それは「私は在る」という想念とともに創造されたのだ。
 二つはひとつなのだ。
 質問者 「私は在る」はどのようにして現れたのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの世界のなかでは、すべてのものがはじまりと終わりをもっている。
 もしそうでなければ、あなたはそれを永遠と呼ぶことだろう。
 私の視野のなかでははじまりや終わりというものは存在しない。
 はじまりも終わりも、みな時間に関係するものだ。
 時間を超えた存在は、完全な今のなかに在る。
 質問者 アンタカラナ、すなわち微細身は実在でしょうか、非実在でしょう
     か?
 マハラジ
 それは一時的なものだ。
 現在のなかでは実在であり、過ぎてしまえば非実在なのだ。
 質問者 どのような類の実在でしょうか? それは一時的なのでしょうか?
 マハラジ
 それは体験的、実際的、あるいは事実上のものと呼んでもいい。
 それは今ここにある直接体験の否定できない真実なのだ。
 あなたはその描写と意味を疑うことはできる。
 しかし、それ自体を疑うことはできない。
 存在と非存在は交互に交替し、その実在性は一時的なものだ。
 不変の実在は空間と時間を超えて在る。
 存在と非存在のはかなさを認識し、その両方から自由になりなさい。
 質問者 ものごとははかないものかもしれませんが、それでもそれは果てし
     ない反復のなかで私たちとともに在るのです。
 マハラジ
 欲望は強力なものだ。
 反復を起こさせるのは欲望なのだ。
 欲望がなければ、繰り返し現れることはないのだ。
 質問者 恐れについてはどうでしょうか?
 マハラジ
 欲望は過去のものであり、恐れは未来のものだ。
 過去の苦しみの記憶と、その再発の恐れが人を未来に対して不安にさせるの
 だ。
 質問者 そこには未知なるものへの恐れもあります。
 マハラジ
 苦しんだことのない人は恐れることはない。
 質問者 私たちは恐れるように運命づけられているのでしょうか?
 マハラジ
 私たちが恐れを個人的存在の影と見て、それを受け入れることができないか
 ぎり、個人としての私たちは必ず恐れることになる。
 すべての個人的な要因を放棄しなさい。
 そうすればあなたは恐れから自由になるだろう。
 それは難しいことではない。
 欲望が偽りだと認識されたとき、無欲はひとりでにやってくる。
 あなたが欲望と闘う必要はないのだ。
 結局のところ、それは幸福への衝動なのだ。
 悲しみがそこにあるかぎり、それは自然なことだ。
 ただ、あなたが欲望を持つもののなかには、何の幸福もないということを見
 て取りなさい。
 質問者 私たちは快楽に安住してしまうのです。
 マハラジ
 ひとつひとつの快楽が苦痛に包まれているのだ。
 すぐにあなたは一方なしに他方を得ることはできないことを発見するだろう。
 質問者 体験者がいて、彼の体験があります。何がその二つの間のつながり
     をつくり出すのでしょうか?
 マハラジ
 何かがつながりをつくるわけではない。
 二つはひとつなのだ。
 質問者 私にはどこかに罠が仕掛けられているように感じられます。しかし、
     どこなのかわからないのです。
 マハラジ
 罠は何もないところに強(し)いて二元性を見ようとする、あなたのマイン
 ドの中にあるのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

731避難民のマジレスさん:2019/03/24(日) 13:18:17 ID:LC3de7YgO
>>730
『I AM THAT 私は在る』
【88 マインドによる知識は真の知識ではない】(つづき)

 質問者 あなたに耳を傾けていると、私のマインドは完全に今のなかにあり、
     質問がなくなっている自分自身に気がついて驚かされています。
 マハラジ
 実在を知ることができるのは、あなたが驚いているときだけなのだ。
 質問者 私には不安と恐れの原因が記憶にあることが理解できます。記憶を
     終焉(しゅうえん)させる方法とは何でしょうか?
 マハラジ
 方法について語ってはならない。
 方法などないのだ。
 偽りとして見られたものは消え去る。
 調べることによって消え去るのが幻想の本性そのものなのだ。
 調べなさい。
 ただそれだけでいい。
 偽りを破壊することはできない。
 なぜなら、あなたは偽りをつねにつくりつづけているからだ。
 それから手を引き、無視し、それを超えていきなさい。
 そうすれば、偽りはなくなるだろう。
 質問者 キリストもまた悪を無視し、子供のように在ることを語っています。
 マハラジ
 実在は皆にとって共通のものだ。
 偽りだけが個人のものなのだ。
 質問者 私が修行者(サーダカ)を見守り、彼らがそれによって生きている
     理論を調べてみると、彼らは単に物質的欲望を「霊的」野望に置き
     換えただけだということがわかりました。あなたの語るところから
     すると、「霊的」という言葉と「野望」という言葉は両立しないか
     のようです。もし「霊的」という言葉が野望からの解放を暗示して
     いるのなら、探求者を駆りたてるのは何の衝動でしょうか? ヨー
     ガでは解放への欲望は本質的なものだと言っています。それはもっ
     とも高次の野望ではないでしょうか?
 マハラジ
 野望とは個人的なものだ。
 解放とは個人からのものだ。
 解放のなかでは、もはや野望の主体と客体の両方がないのだ。
 誠実さとは、努力の結果を熱望することではない。
 それは偽り、非本質的、個人的なものから興味をそらし、内なる移行をする
 ことの表現なのだ。
 質問者 先日あなたは、私たちは真我を実現する前に完成を夢見ることさえ
     できない。なぜならすべての完成の源は、マインドにではなく真我
     にあるからだと言われました。もし卓越した人徳が解放に不可欠の
     ものでないなら、いったい何が不可欠なのでしょうか?
 マハラジ
 解放とは巧みに適用されたある方法による結果でも、環境によるものでもな
 い。
 それは因果の過程を超えているのだ。
 何もそれを強要することはできず、妨げることもできない。
 質問者 それでは、なぜ私たちは今ここにおいて自由ではないのでしょうか?
 マハラジ
 だが、私たちは「今ここ」で自由なのだ。
 束縛を想像するのはマインドだけだ。
 質問者 何が想像を終焉させるのでしょう?
 マハラジ
 なぜ、あなたは想像を終焉させたいのだろう?
 ひとたびあなたがマインドとその奇跡的な力を知って、分離し、孤立した個
 人という観念を取り除くなら、マインドがそれ自体にふさわしい仕事をする
 ように放っておくだろう。
 マインドをそれ自身の場所に保ち、それ自身の仕事をさせることがマインド
 の解放なのだ。
 質問者 マインドの仕事とは何でしょうか?
 マハラジ
 マインドとはハートに仕える妻であり、世界は明るく幸福であるための彼ら
 の家なのだ。
 質問者 私にはまだ理解できていません。解放への道に何も立ちはだかって
     いないのなら、なぜそれは今ここで起こらないのでしょうか?
 マハラジ
 解放への道には何も立ちはだかっていない。
 そしそしてそれは今ここで起こることができる。
 だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
 そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
 あなたはそれとともに行き、それを見抜き、それが単に判断と賞賛の誤りで
 あることを、それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

732鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/24(日) 22:30:35 ID:1d4drIFg0
方法は悟りへの道の途中までは役に立つものじゃ。
最後には何の方法も無く進まなければならないのじゃ。
何かの方法を行えば直ぐそこに記憶も起こるからのう。
記憶と自分が起こらないようにするためには無意識のうちにまで習熟した観察が必要なのじゃ。

733避難民のマジレスさん:2019/03/24(日) 22:50:58 ID:LC3de7YgO
>>731
『I AM THAT 私は在る』
【88 マインドによる知識は真の知識ではない】

 質問者 もし私が偉大な聖者とともにとどまれば、それは助けになるでしょ
     うか?
 マハラジ
 偉大な聖者たちはつねにあなたの手の届くところにいる。
 だが、あなたは彼らを認識しない。
 誰が偉大で、誰が聖者なのかをどうして知ることができるだろうか?
 聞き伝えに知るのだろうか?
 このことに関して、あなたは他者を、あるいは自分自身でさえ信頼できると
 言えるだろうか?
 疑いの影もないほどあなたを確信させるには、賞賛や推薦の言葉以上の、あ
 るいは歓喜の瞬間でさえも超えた何かが必要だ。
 あなたは偉大で神聖な男性、あるいは女性に遭遇するかもしれない。
 しかもその幸運に長い間気づかずにいることさえあるのだ。
 偉大な人の息子も、幼児でいる間は何年も彼の父親の偉大さを知らずにいる
 ことだろう。
 偉大さを認識するためには、成熟しなければならない。
 そして神聖さを認識するためには、マインドを浄化させなければならないの
 だ。
 あるいはあなたは時間と金を無駄に費やし、しかも人生が差し出しているも
 のを逃すことさえあるのだ。
 あなたの友人の中にはよい人びとがいる。
 彼らから多くを学ぶことができるだろう。
 聖者の後を追いかけまわすことは、単なるゲームにほかならない。
 それよりもあなた自身を覚えていなさい。
 あなたの日々の生活を容赦なく見守りなさい。
 誠実でありなさい。
 そうすればあなたは不注意と想像の束縛を打ち破るだろう。
 質問者 あなたは私にたったひとりでで闘えと言われるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはけっしてひとりではない。
 そこにはつねに、あなたにもっとも忠実に仕えている存在と力がある。
 あなたはそれらを知覚するかも、しないかもしれない。
 それにもかかわらずそれは実在し、活動しているのだ。
 すべてはあなたのマインドのなかにある。
 そしてあなたはマインドを超えているということ、あなたは本当にひとりな
 のだということを悟ったとき、すべてがあなたなのだ。
 質問者 全知とは何なのでしょうか? 神は全知でしょうか? あなたは全
     知なのでしょうか? 普遍的観照者という表現を耳にしますが、そ
     れはどういう意味でしょうか? 真我実現とは全知を暗示している
     のでしょうか? あるいは特別な訓練という問題なのでしょうか?
 マハラジ
 知識へのすべての興味を完全に失うことが全知をもたらすのだ。
 それは正しい瞬間の誤りのない行為のために、知られる必要があることを知
 るという贈り物にほかならない。
 結局、知識は行為のために必要とされる。
 そして、もしあなたが意識内に知識をもちこむことなく、正しく自発的に行
 為するなら、そのほうが遥かにいいのだ。
 質問者 人はほかの人のマインドを知ることができるのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身のマインドをまず知りなさい。
 マインドは宇宙全体とあり余るほどの場所を包含しているのだ!
(´・(ェ)・`)
(おわり)

734鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/25(月) 23:26:56 ID:1d4drIFg0
悟っていない者の知識とは、記憶に他ならないものじゃ。
不必要な知識が多くなれば不要な記憶が増えるばかりなのじゃ。
その記憶に執着して悟りの道を踏み外すこともあるのじゃ。
必要な知識だけを得たら、ひたすら実践に励むが善いのじゃ。

735避難民のマジレスさん:2019/03/25(月) 23:39:29 ID:LC3de7YgO
>>733
『I AM THAT 私は在る』
【88 マインドによる知識は真の知識ではない】(つづき)

 質問者 あなたの根本的な理論は、どうやら目覚めの状態は夢見や夢のない
     状態と基本的に違いがないということのようです。その三つの状態
     は本質的に身体との誤った自己同一化だということです。おそらく、
     それは本当なのでしょう。しかし、私はそれが真理全体ではないと
     感じています。
 マハラジ
 真理を知ろうと試みてはならない。
 なぜならマインドによる知識は真の知識ではないからだ。
 だが、何が真実ではないかを知ることはできる。
 あなたを偽りから解き放つには、それで充分なのだ。
 真実を知っているという考えは危険なものだ。
 知らないときこそ、あなたには調べる自由があるのだ。
 そして調べることなしに解放はありえない。
 なぜなら未調査が束縛の主要な原因だからだ。
 質問者 「私は在る」という感覚とともに幻想の世界がはじるまるのだとあ
     なたは言われました。しかし、私が「私は在る」の源について尋ね
     たとき、あなたは、「そこに源はない。なぜなら調べることととも
     に、それは消え去るからだ」と言われたのです。世界をその上に築
     き上げるに充分なほど強固なものが、単なる幻想であることはでき
     ません。「私は在る」は、私が意識する唯一の不変の要因なのです。
     どうしてそれが偽りでありうるでしょうか? 
 マハラジ
 偽りなのは「私は在る」ではなく、あなたがあなた自身として見なしている
 ものだ。
 私には疑う余地もなく、あなたがあなた自身だと信じているものではないこ
 とが見える。
 論理が通ろうと通るまいと、明白なことを否定することはできない。
 あなたはあなたが意識しているものではないのだ。
 あなたがマインドのなかに築き上げた構造物を取り壊すよう努めなさい。
 マインドが為(な)したことはマインドが取り消さなければならないのだ。
 質問者 マインドがあろうとなかろうと、現在の瞬間を否定することはでき
     ません。今在るものは在るのです。あなたは現れを疑うかも知れま
     せんが、事実は疑うことはできません。事実の根底には何があるの
     でしょうか?
 マハラジ
 すべての現れと、私たちが人生と呼ぶできごとの連鎖のなかの不変なる連結
 部の根源には、「私は在る」という感覚がある。
 だが、私は「私は在る」を超えているのだ。
 質問者 真我を実現した人たちは、普通彼らの状態を彼らの宗教から借りた
     言語によって表現しようとします。あなたはヒンドゥ教徒として生
     まれました。それゆえブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァや、ヒンド
     ゥー教の教えや偶像を用いて語ります。あなたの言葉の背後にある
     体験が何なのか、どうか語っていただけますか? あなたの言葉は
     どのような実在に言及しているのでしょうか?
 マハラジ
 それは私が教わった言語であり、私の話し方なのだ。
 質問者 しかし、言語の背後には何があるのでしょうか?
 マハラジ
 言葉を否定することを除いて、どうして言葉で表現できるだろうか?
 それゆえ、私は時間を超え、空間を超え、原因を超えるといった言葉を使う
 のだ。
 それらもまた言葉だ。
 だが、それらの言葉が意味を無に帰するため、私の目的に合うのだ。
 質問者 もしそれらが無意味なら、どうして使うのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、いかなる言葉も適さないことに、あなたが言葉を望むからだ。
 質問者 あなたの要点が見えました。またしてもあなたは私の質問を奪い取
     ったのです!

(´・(ェ)・`)
(おわり)

736避難民のマジレスさん:2019/03/26(火) 19:52:02 ID:LC3de7YgO
>>735
1『I AM THAT 私は在る』
【89 霊的な人生における進歩】1

 質問者 私たちは女性二人で、イギリスからインドを訪ねてきま
     した。私たちはヨーガに関してほとんど知らず、ここに
     来たのも、インドにおいて霊的な師はたいへん重要な役
     割を果たしていると聞いたからです。
 マハラジ
 ようこそ。
 あなた方はここで何も新しいことを見いだしはしないだろう。
 私たちのしている仕事は時を超えているのだ。
 一万年前も同じだったし、一万年後もまた同じだろう。
 いくつもの世紀が変わりつづけるだろうが、苦しみと苦しみの終
 焉(しゅうえん)という人類の問題は変わらないのだ。
 質問者 先日、七人の若い外国人たちが数日の宿泊のために宿を
     求めてやって来ました。彼らはボンベイで講話をしてい
     る彼らのグルに会いに来たのです。私も彼に会いました。
     たいへん風貌の良い若い男
性で、実際とても有能な人の
     ようでした。しかし、彼には平和と沈黙の雰囲気が漂っ
     ていました。彼の教えはカルマ・ヨーガ、帰依、グルに
     仕えることなどを強調した、伝統的なものです。『ギー
     ター』のように、非利己的な仕事が解放をもたらすと彼
     は言うのです。彼は野心的な計画をたくさんもち、多く
     の国々で瞑想のセンターをはじめる信奉者たちを訓練し
     ています。どうやら、彼は彼らに権威だけでなく、彼の
     名のもとに仕事をする力も与えているようです。
 マハラジ
 そうだ。
 力の譲渡といったものは存在するのだ。
 質問者 彼らと一緒にいたとき、私は不可視になったような奇妙
     な感覚をもちました。帰依者たちは彼ら自身をグルに明
     け渡すことで、私までもグルに明け渡したのです! 何
     であれ私が彼らのためにしたことは、彼らのグルが私を
     通してしたことであって、私はただの道具としか見なさ
     れませんでした。私は単に右か左に回された蛇口でしか
     なかったのです。そこにはどんな個人的な関係性もあり
     ませんでした。彼らは少しだけ、私を彼らの信仰に帰依
     させようと試みましたが、わずかに抵抗を感じるなり、
     私に注意を払うのをやめました。彼らどうしでさえ、そ
     れほど理解しあっているようには見えませんでした。彼
     らを繋(つな)いでいるのはグルへの興味だけなのです。
     私にとっては、それは冷たく、ほとんど非人間的でさえ
     ありました。自己を神の手にある道具と見なすことはひ
     とつの考えです。しかし、「すべては神である」ゆえに
     注意や思いやりをすべて否定することは、残酷さにも近
     い無関心に導くでしょう。
結局すべての戦争は「神の名」
     のもとに行われたのです。人類の全歴史は「聖なる戦争」
     の連続です。人は戦争のさなかほど非個人的になること
     はないのです!
 マハラジ
 強要したり、抵抗したりすることは、存在しようとする意志に含
 まれるのだ。
 存在しようとする意志を取り除いてみなさい。
 何が残るだろうか?
 存在と非存在は、時間と空間のなかの何かに関係している。
 今とここ、そのときとそこ。
 これもまたマインドのなかにある。
 マインドは類推のゲームをしているのだ。
 それはつねに不確実で、不安に悩まされ、落ち着きがない。
 あなたはある神かグルの単なる道具として扱われたことに憤慨し、
 個人として扱われるべきだと主張している。
 なぜなら、あなたは自分の存在に確信がなく、個人として在るこ
 との安楽と安心を手放したくないからだ。
 あなたは、これがあなただと信じているものではないかもしれな
 い。
 だが、それはあなたに継続性を与えてくれる。
 あなたの未来は現在のなかに流れ込み、精神的衝撃もないまま過
 去となる。
 個人的存在を否定されることがこわい。
 だが、あなたはそれに直面し、人生全体とのあなたのアイデンテ
 ィティを見いださなければならないのだ。
 そうすれば、誰が誰に使われたのかという問題はなくなるだろう。
 質問者 私が注意を払われたのは、彼らの信仰に帰依させようと
     試みたときだけでした。私が抵抗したとき、彼らは私に
     興味を失ったのです。
 マハラジ
 人は改宗や偶然から弟子になったりはしない。
 普通、そこには何生をも通して保たれてきた昔からのつながりが
 あり、愛と信頼として花開くのだ。
 それがなければ弟子としての地位はありえない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

737鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/26(火) 21:39:13 ID:1d4drIFg0
洗脳や無理な勧誘で宗教に入ったとしても何も起こらないのじゃ。
愛と信頼が必要なのじゃ。
信頼が無ければ誰も師匠の言うとおりに実践はしないのじゃ。
信じて行うことが悟りへの道となるのじゃ。

738避難民のマジレスさん:2019/03/26(火) 22:14:44 ID:LC3de7YgO
>>736
『I AM THAT 私は在る』
【89 霊的な人生における進歩】(つづき)

 質問者 何があなたに教師となるように決心させたのでしょうか?
 マハラジ
 私はそう呼ばれることによってそうなったのだ。
 誰が誰に教えるというのだろう?
 私であるもの、それがあなたであり、あなたであるもの、それが
 私なのだ。
 私たちすべてに共通なのは、「私は在る」という感覚であり、
 「私は在る」を超えた彼方に、かぎりない光と愛があるのだ。
 私たちがそれを見ないのは、どこかほかを見ているからだ。
 私は空を指し示すことができるだけだ。
 星を見るのはあなたの仕事だ。
 ある人は星を見るまでにより時間がかかる。
 ある人はより早い。
 それらは彼らの視野の明瞭さと探求への真剣さにかかっているの
 だ。
 その二つは彼ら自身のものでなければならない。
 私はただ、励ますことができるだけだ。
 質問者 弟子となったとき、何をするべきなのでしょうか?
 マハラジ
 各々の教師たちは、彼らのグルの教えや、彼ら自身が真我を実現
 した方法と専門用語を用いて教える。
 その枠組のなかで弟子の個性に適したように調整されるのだ。
 弟子は思想と探求における完全な自由を与えられ、心ゆくまで質
 問するように奨励される。
 彼はグルの地位と能力に関して絶対的な確信をもっていなければ
 ならない。
 さもなければ、彼の信頼は絶対的ではないだろうし、彼の行為も
 完全なものではないだろう。
 あなたのなかの絶対性が、あなたを超えた絶対性へと連れていく
 のだ。
 絶対的真実、愛、無欲は、真我の実現への決定要因だ。
 それらは誠実さによって到達されるのだ。
 質問者 弟子になるには家庭や所有物を放棄しなければならない
     と私は理解しています。
 マハラジ
 それはグルによって異なる。
 何人かの師は成熟した弟子たちに苦行者や隠遁者となるように求
 める。
 何人かは家族生活と義務を奨励する。
 彼らのほとんどが典型的家族生活は禁欲生活よりも困難であり、
 より成熟しよりバランスのとれた人格に適していると考えている。
 初期の段階では、禁欲生活の戒律が適切だと言えよう。
 それゆえ、ヒンドゥの文化では二十五歳までの弟子たちは清貧、
 貞潔、服従のなかで、僧のように生きることを求められる。
 それが結婚生活の苦難と誘惑に立ち向かうに十分な人格を磨く機
 会を与えるのだ。
 質問者 この部屋にいる人びとは、いったい誰なのでしょう? 
     彼らはあなたの弟子なのでしょうか?
 マハラジ
 彼らに尋ねるがいい。
 人は言語のレベルで弟子となるわけではない。
 自分の存在の深い沈黙のなかで弟子となるのだ。
 選択によって弟子になることはできない。
 それは自己意志というよりも、運命の問題なのだ。
 誰が師なのかはさほど問題ではない。
 彼らは皆、あなたにとっての最善を願っている。
 弟子の正直さと誠実さ。
 それが重要なのだ。
 正しい弟子は、つねに正しい師を見いだすだろう。
 質問者 有能な、愛すべき師のもとで真我の探求に身を捧げた人
     生に祝福を感じますし、その美しさを見ることができま
     す。不幸にも、私たちはイギリスに戻らなければならな
     いのです。
 マハラジ
 距離は問題ではない。
 もしあなたの欲望が強く真実ならば、それを満たしていくことが
 あなたの人生を形づくるだろう。
 種子をまき、後は時節の到来にまかせなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

739鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/27(水) 22:22:54 ID:1d4drIFg0
目覚めた者が教師となるのは教えてもらいたい者がいるからなのじゃ。
弟子となるのは自ら師匠を選んで修行する意志があるからなのじゃ。
そうでなければ弟子とは呼べないのじゃ。
自らの意志によって道を進むときに修行者ともなるのじゃ。

740避難民のマジレスさん:2019/03/27(水) 22:47:13 ID:LC3de7YgO
>>738
『I AM THAT 私は在る』
【89 霊的な人生における進歩】(つづき)

 質問者 霊的な人生における進歩のしるしとは何でしょうか?
 マハラジ
 すべての不安からの自由。
 安心と喜びの感覚、内面での深い平和と外面でのあふれるエネル
 ギーだ。
 質問者 どうやってそれを得るのでしょうか?
 マハラジ
 私はそれらすべてをグルの聖なる臨在のもとに見いだしたのだ。
 私自身は何もしなかった。
 師は私に静かにしなさいと言い、そして、私はできるかぎりそう
 したのだ。
 質問者 あなたの臨在は、あなたの師と同じほど強力なものなの
     でしょうか?
 マハラジ
 どうして私に知ることができるだろう?
 私にとっては彼の臨在が唯一の臨在なのだ。
 もしあなたが私とともに在るのなら、あなたは彼の臨在のなかに
 在るのだ。
 質問者 どのグルも、彼自身のグルを私に差し向けます。その出
     発地点はどこにあるのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙のなかには悟り、そして解放のために働いている力があるの
 だ。
 私たちはそれをサダー・シヴァと呼んでいる。
 彼はすべての人のハートのなかにつねに存在している。
 それが統合の要因だ。
 統合が解放し、解放が統合するのだ。
 究極的には、私のものやあなたのものは何も無い。
 すべてが私たちのものなのだ。
 あなた自身とひとつでありなさい。
 そうすればあなたはすべてとひとつになり、宇宙全体が我が家と
 なるだろう。
 質問者 単に「私は在る」にとどまることによって、これらすべ
     ての栄光がやってくると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 複雑なことではなく、シンプルなことが確実なのだ。
 しかし、人びとはシンプルなこと、簡単でつねに手に入るものを
 信頼しない。
 私が言うことを素直に試みてみたらどうだろうか?
 それは一見、小さく、無意味に見えるかもしれない。
 だが、それは巨大な樹に成長していく種子のようなものなのだ。
 あなた自身に機会を与えなさい!
 質問者 ここにたくさんの人びとが座っていますが、彼らは何の
     ためにここにやってきたのでしょうか?
 マハラジ
 彼ら自身に出会うためだ。
 家庭は彼らにとってあまりにも世俗的なのだ。
 ここでは何も彼らを妨げない。
 日々の苦悩を去り、彼ら自身の本質
に触れる機会を得ることがで
 きるからだ。
 質問者 気づきの訓練とはどのようなものでしょうか?
 マハラジ
 訓練の必要はない。
 気づきはつねにあなたとともにある。
 あなたが外面に対して与える注意を、内面に向けるだけだ。
 何も新しく、特別な周囲の気づきが必要なわけではない。
 質問者 あなたは個人的に人びとを助けることもあるのでしょう
     か?
 マハラジ
 人びとは彼らの問題を討論するためにやってくる。
 彼らは何らかの救いを引き出しているようだ。
 質問者 人びととの会話はいつも公(おおやけ)のものでしょう
     か、それともあなたは個人的に話すこともあるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 それは彼らの望みによる。
 個人的には、私は公的や私的という区別をもっていない。
 質問者 あなたにはいつも会えるのでしょうか、それともあなた
     はほかの仕事をもっているのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはいつも私に会うことができる。
 ただ、朝と夕方がもっとも都合の良い時間だ。
 質問者 霊的な師より高い位の仕事はないと私は理解しています。
 マハラジ
 あなたの動機がもっとも重要なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

741避難民のマジレスさん:2019/03/27(水) 22:51:19 ID:LC3de7YgO
>サダー・シヴァ
仏教的には、この悟りに導く力であるところのサダー・シヴァては、何にあたるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

742鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/28(木) 22:23:00 ID:1d4drIFg0
↑それは仏性といえるじゃろう。
 全てのものの中にあって悟りに導く力となるのじゃ。
 無始のグルとも呼べるのじゃ。
 全てのものが仏性によって仏陀となるのじゃ。

743避難民のマジレスさん:2019/03/29(金) 00:13:41 ID:LC3de7YgO
>>742
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

744避難民のマジレスさん:2019/03/29(金) 00:25:12 ID:LC3de7YgO
>>740
『I AM THAT 私は在る』
【90 あなたの真我に明け渡しなさい】

 質問者 私はアメリカに生まれました。この一四カ月間、シュリー・ラマナ
     アシュラムに滞在していました。今、母の待つアメリカに帰る途中
     です。
 マハラジ
 あなたの計画はどのようなものだろうか?
 質問者 私は看護士としての資格をもつかもしれません。あるいはただ結婚
     して、子どもをもつかもしれません。
 マハラジ
 何があなたに結婚を望むようにさせるのだろう?
 質問者 スピリチャルな家庭をもつことは、社会奉仕の最高の形だと私は考
     えています。しかし、もちろん人生は違った形を取るかもしれませ
     ん。何が来ようとも受け入れる用意があります。
 マハラジ
 シュリー・ラマナアシュラムでの一四カ月間、彼らは何をあなたに与えたの
 だろうか?
 あなたがそこに到着したときと比べて、あなたはどう変わっただろうか?
 質問者 私はもはや恐れなくなりました。私はある平和を見いだしたのです。
 マハラジ
 それはどのような類の平和だろうか?
 求めたものが手に入った平和だろうか、あるいはもっていないものを求めな
 い平和だろうか?
 質問者 思うに、その両方を少しずつです。本当は楽ではありませんでした。
     アーシュラムが平和なところにもかかわらず、内面的には、私は苦
     悩のなかにいたのです。
 マハラジ
 内面と外面という区別はマインドのなかにあるだけだと自覚したとき、あな
 たはもはや恐れなくなるのだ。
 質問者 私にとってそのような自覚は、来ては去っていくものなのです。私
     はまだ不動の絶対的な完成に至ってはいないのです。
 マハラジ
 あなたがそう信じているかぎり、完全ではないという偽りの観念を払いのけ
 るためのサーダナ(修練)を続けなければならないだろう。
 サーダナは真実の上に重ねられた偽りを取り除くのだ。
 あなたが自分自身を時間と空間のなかにある点よりも小さく、切断されるに
 は小さすぎる何か、殺されるには短命すぎる何かとして自覚したとき、その
 とき、そしてその時にのみ、すべての恐れは消え去るのだ。
 あなたは針の先端よりも小さい。
 それでは、針はあなたを突き通すことはできない。
 あなたが針を突き通すのだ!
 質問者 そうです。ときどき、私は不屈だと感じます。私は恐れ知らず以上
     の何かです。私は大胆不敵そのものなのです。
 マハラジ
 あなたをアーシュラムへ行かせるようにしたきっかけは何だったのだろうか?
 質問者 私は不幸せな恋愛をして、地獄のように苦しんだのです。お酒も麻
     薬も助けにはなりませんでした。暗闇を手探りしながらヨーガの本
     にたどり着き、いくつかの手がかりを通じてラマナアシュラムにた
     どり着いたのです。
 マハラジ
 もし同じような悲劇がまたあなたに起こったなら、同じように苦しむだろう
 か?
 現在のマインドの状態を思えばどうだろうか?
 質問者 いいえ。けっしてふたたび私自身を苦しめたりはしません。死んだ
     ほうがましなくらいです。
 マハラジ
 では、あなたは死を恐れないのだね!
 質問者 死ぬことは恐れますが、死自体を恐れはしません。私は死の過程が
     苦痛に満ち、醜いものだと想像するのです。
 マハラジ
 どうして知ることができるだろう?
 それがそうである必要はない。
 それは美しく、平和なものでありうるのだ。
 ひとたびあなたが死は身体に起こり、あなたに起こるのではないと知れば、
 あなたはただ、身体が捨て去られた衣服のように離れ去っていくのを見守る
 だけだ。
 質問者 私は死の恐怖が知識ではなく、不安によるものだということに完全
     に気づいています。
 マハラジ
 人間は毎秒ごとに死んでいるのだ。
 死ぬことへの恐怖と苦悩は雲のように世界の上にたれこめている。
 あなたもまた恐れていることは、何も不思議なことではない。
 だが、ひとたびあなたが、死ぬのは身体だけであり、記憶の継続性と、その
 なかに反映する「私は在る」という感覚ではないと知れば、もはや恐れるこ
 とはないのだ。
 質問者 まず、死んでみて、それからどうなるか見てみましょう。
 マハラジ
 注意を払いなさい。
 そうすれば、あなたは誕生と死がひとつであることを見いだすだろう。
 生命は存在と非存在の間を脈動し、互いが他方をその完全性のために必要と
 していることがわかるだろう。
 あなたは死ぬために生まれ、再誕生するために死ぬのだ。
 質問者 無執着がその過程を止めるのでしょうか?
 マハラジ
 無執着とともに、恐れが消える。
 だが事実が消えることはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

745鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/29(金) 22:15:06 ID:1d4drIFg0
実践はうそを取り除くものとマハラジは語るのじゃ。
自分は社会ではえらい社長だとか、有名人とか、立法権があるとか無意味な嘘を取り除くのじゃ。
自らがただ死に行く存在でしかないと、自覚した時に真実がわかるのじゃ。
死に行くものが観察されて消えれば、死なない意識にも気付くことができるのじゃ。

746避難民のマジレスさん:2019/03/30(土) 01:51:32 ID:LC3de7YgO
>>744
>ひとたびあなたが、死ぬのは身体だけであり、記憶の継続性と、その
 なかに反映する「私は在る」という感覚ではないと知れば、もはや恐れるこ
 とはないのだ。

←マハラジは、個の記憶は継続すると語っているのでありましょうか?
身体でも、感覚、感情、思考でもない「私は在る」だけは残るとしても、
だからこそ、記憶が死後も継続することはないでありましょう。
ここで言う「記憶」とは、個人のものではない別のものでありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

747避難民のマジレスさん:2019/03/30(土) 02:10:18 ID:LC3de7YgO
>>744
『I AM THAT 私は在る』
【90 あなたの真我に明け渡しなさい】(つづき)

 質問者 私は再誕生するように強要されるのでしょうか? 何とひどい!
 マハラジ
 そこに強要はない。
 あなたはあなたが求めることを得るのだ。
 あなたが自分で計画を立て、それを実行に移すのだ。
 質問者 私たちは苦しむように運命づけられているのでしょうか?
 マハラジ
 私たちは調べることによって成長する。
 そして、成長するためには体験が必要だ。
 私たちは理解していなかったことを繰り返す傾向がある。
 もし私たちが感じやすく知性的であれば、苦しむ必要はないのだ。
 苦痛は注意を呼び起こしているのであり、不注意への罰なのだ。
 知的で慈悲に満ちた行為が唯一の治療法なのだ。
 質問者 私は知性において成長したのですから、ふたたび苦しみが起こるの
     を許したりはしません。ですが、自殺のどこが間違っているのでし
     ょうか?
 マハラジ
 もしそれが問題を解決するならば、何も間違ってはいない。
 もし解決しないなら、どうなるのかね?
 ある苦痛に満ちた不治の病気や、耐えがたい災難のような外部的な要因で起
 こった苦しみなら、正当性があるかもしれない。
 だが、智慧と慈悲の欠如による苦しみなら、自殺は助けにはならない。
 愚かな死は愚かな再誕生を意味するだけだ。
 その上、カルマ(因果関係)の法則も考慮に入れなければならない。
 忍耐は普通、もっとも賢明な身の振り方なのだ。
 質問者 いかに激しく絶望的なものであっても、人は苦しみに耐えていかな
     ければならないのでしょうか?
 マハラジ
 忍耐はひとつの考えであり、絶望的苦悩は別のものだ。
 忍耐は意味深く、成果のあるものであり、苦悩は無駄なことなのだ。
 質問者 なぜ、カルマを気にかけるのでしょうか? それはいずれにせよ、
     それ自体の面倒を見るのです。
 マハラジ
 ほとんどのカルマは集合的なものだ。
 私たちは他者の罪のために苦しみ、他者は私たちの罪に苦しむ。
 人類はひとつなのだ。
 この事実に無知であることはそれを変えることがない。
 私たちは、私たち自身としてもっと幸福な人びとだったかもしれない。
 だが、他者の苦しみへの無関心によって、私たちは苦しむのだ。
 質問者 私はもっと責任のもてるように成長したことに気づいています。
 マハラジ
 それは良いことだ。
 あなたがそう言うとき、マインドのなかでは何を思っているのだろう?
 女性の身体のなかにいる責任感ある個人としてのあなた自身だろうか?
 質問者 そこには身体があり、慈愛があり、記憶やいくつかのものごと、そ
     して態度があります。集合的にそれらは個人と呼ばれるでしょう。
 マハラジ
 「私は在る」という想念も含めてだろうか?
 質問者 「私は在る」は個人を形づくる多くのものを入れたかごのようなも
     のです。
 マハラジ
 あるいはむしろ、そのかごを編んだ柳の枝だと言えるだろう。
 あなたがあなた自身を女性だと考えるとき、あなたが女性だという意味だろ
 うか、あるいはあなたの身体が女性として描写されたのだろうか?
 質問者 それは、私の気分に依ります。ときどき、私は単に気づきの中心だ
     と感じます。
 マハラジ
 あるいは気づきの大海だ。
 だが、あなたは環境や条件によって偶然に引き起こされた男性でも女性でも
 ないものだと感じた瞬間はなかっただろうか?
 質問者 はい。ありましたが、そのことについて語ることにためらいを感じ
     るのです。
 マハラジ
 ひとつのヒントで充分だ。
 それ以上言う必要はない。
 質問者 あなたのいらっしゃる前で、たばこを吸っても構わないでしょうか?
     聖者の前でたばこを吸うことが習慣に反していることはよく知って
     いるのですが。まして女性ですから。
 マハラジ
 もちろん吸うがいい。
 誰もかまいはしない。
 理解しているよ。
 質問者 私は落ち着く必要があるのです。
 マハラジ
 しばしば、アメリカ人や西洋人にとってはそうなのだ。
 ある期間のサーダナの後、エネルギーに満ち、猛烈にはけ口を求めるのだ。
 彼らは共同体を組織し、ヨーガの教師となり、結婚し、本を書くといった―
 ―静かになり、エネルギーを内面に向け、無尽蔵の力の源泉を見いだし、そ
 れを制御するという技を学ぶこと以外のすべてをするのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

748避難民のマジレスさん:2019/03/30(土) 10:18:31 ID:LC3de7YgO
>>747
『I AM THAT 私は在る』
【90 あなたの真我に明け渡しなさい】(つづき)

 質問者 確かに、あまりにたくさんのエネルギーのため、今帰国して非常に
 活動的な生活を送りたいと望んでいることを認めます。
 マハラジ
 あなたが自分自身を身体とマインドだと見なさないかぎり、好きなことをす
 ることができる。
 実際に身体を放棄するという問題ではない。
 あなたが身体ではないという明瞭な理解、超然とした感覚、感情的に巻き込
 まれないことという、身体を放棄することにともなうすべてが重要なのだ。
 質問者 もし私が偉大な聖者とともにとどまれば、それは助けになるでしょ
 うか?
 マハラジ
 偉大な聖者たちはつねにあなたの手の届くところにいる。
 だが、あなたは彼らを認識しない。
 誰が偉大で、誰が聖者なのかをどうして知ることができるだろうか?
 聞き伝えに知るのだろうか?
 このことに関して、あなたは他者を、あるいは自分自身でさえ信頼できると
 言えるだろうか?
 疑いの影もないほどあなたを確信させるには、賞賛や推薦の言葉以上の、あ
 るいは歓喜の瞬間でさえも超えた何かが必要だ。
 あなたは偉大で神聖な男性、あるいは女性に遭遇するかもしれない。
 しかもその幸運に長い間気づかずにいることさえあるのだ。
 偉大な人の息子も、幼児でいる間は何年も彼の父親の偉大さを知らずにいる
 ことだろう。
 偉大さを認識するためには、成熟しなければならない。
 そして神聖さを認識するためには、マインドを浄化させなければならないの
 だ。
 あるいはあなたは時間と金を無駄に費やし、しかも人生が差し出しているも
 のを逃すことさえあるのだ。
 あなたの友人の中にはよい人びとがいる。
 彼らから多くを学ぶことができるだろう。
 聖者の後を追いかけまわすことは、単なるゲームにほかならない。
 それよりもあなた自身を覚えていなさい。
 あなたの日々の生活を容赦なく見守りなさい。
 誠実でありなさい。
 そうすればあなたは不注意と想像の束縛を打ち破るだろう。
 質問者 あなたの言われることはわかります。四年ほど前、私は身体的な側
 面を拒絶した時期がありました。衣服を買わず、シンプルな食事を
 し、ただの板の上に眠ったこともありました。重要なことは、欠乏
 の不自由を受け入れることであって、実際の不便さは問題ではあり
 ませんでした。今、私はあるがままの人生を歓迎し、それが差しだ
 すすべてを愛することが最善なのだと自覚しました。私は、何であ
 れやってきたことを喜びとともに受け入れ、そして最善を尽くすで
 しょう。もし私が少人数の子供たちに生命と真の文化を与えること
 ができるなら充分です。私のハートはすべての子供たちに引かれる
 のですが、皆に届くことはできません。
 マハラジ
 あなたは男性―女性意識をもつときだけ結婚し、母親となるのだ。
 あなたが自分自身を身体と見なさないとき、気づきの光だけが唯一の実在で
 あり、身体の織りなす家族生活がいかに強烈で、あるいは興味深いものであ
 っても、それはマインドのスクリーン上の戯(たわむ)れとして見られるだ
 けだ。
 質問者 なぜ、あなたは気づきだけが唯一の実在だと主張するのでしょうか?
 気づきの対象物も、それが存続するかぎり、実在なのではないでし
 ょうか?
 マハラジ
 だが、それは存続しないのだ。
 一時的な実在は二次的なものだ。
 それは永遠なるものに依存するのだ。
 質問者 あなたが言わんとしているのは、継続性でしょうか、あるいは永久
 性でしょうか?
 マハラジ
 存在のなかに継続性はない。
 継続性は過去、現在、未来における同一性を暗示している。
 そのような同一性は不可能なのだ。
 なぜなら、同一化の手段自体が変動し、変化するからだ。
 継続性や永久性は記憶によってつくられた幻想だ。
 それは単なる精神的投影のパターンなのだ。
 一時的や永久的、身体やマインド、男と女といったすべての観念を放棄しな
 さい。
 何が残るだろう?
 すべての分離が捨て去られたとき、あなたのマインドの状態はどうなってい
 るだろうか?
 私は区別をあきらめなさいと言っているのではない。
 それなしには顕現もありえないからだ。
 質問者 私が分離していないときは幸福で平和です。それでも、どうしてか
 私はその状態の認識を失ってしまい、何度も、外側のもののなかに
 幸福を探そうとしてしまうのです。どうして内なる幸福は安定しな
 いのでしょうか? 私には理解できません。
 マハラジ
 結局、平和もまたひとつのマインドの状態なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

749避難民のマジレスさん:2019/03/30(土) 10:23:26 ID:LC3de7YgO
>>748
> あなたが自分自身を身体と見なさないとき、気づきの光だけが唯一の実在

うむ。
ここで語られてるのも、虚室生白 でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

750鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/30(土) 22:40:06 ID:1d4drIFg0
>>746 悟れば個我としての記憶は全て観られるのじゃ。
 それが宿命通と呼ばれるものじゃ。
  記憶は思い出すことが出来るのじゃ。
 それを現実として扱うことは無いのじゃ。

751鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/30(土) 22:40:48 ID:1d4drIFg0
>>749 そうじゃ、自分は無くなり光が在るのじゃ。

752避難民のマジレスさん:2019/03/30(土) 23:58:33 ID:LC3de7YgO
>>748
『I AM THAT 私は在る』
【90 あなたの真我に明け渡しなさい】(つづき)

 質問者 マインドを超えた彼方には沈黙があります。それについては何も言
     えることはありません。
 マハラジ
 そうだ。
 沈黙についての話は、みな騒音にすぎない。
 質問者 どうして私たちは自己の自然な幸福を体験した後でさえ、世俗的な
    幸福を探し求めようとしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが身体に仕えることに従事するとき、幸福は失われてしまう。
 幸福をふたたび得ようとして、快楽の中に探し求めるのだ。
 幸福になろうとする衝動は正しいものだ。
 だが、それを確保しようとする方法が惑わせ、当てにならず、真の幸福を破
 壊してしまうのだ。
 質問者 快楽はつねに悪いことなのでしょうか?
 マハラジ
 身体やマインドを正しく使い、正しい状態に置くことは、非常に快いものだ。
 間違いは快楽を追求することなのだ。
 自分を幸福にしようと試みてはならない。
 むしろ、幸福の探求自体を疑いなさい。
 あなたが幸福でないから、幸福になりたいのだ。
 なぜ幸福ではないのかを見いだしなさい。
 幸福ではないから、快楽のなかに幸福を探し求めるのだ。
 快楽は苦痛をもたらすため、あなたはそれを世俗的と呼ぶ。
 それから、あなたは苦痛をともなわない、何かほかの快楽を切望する。
 そして、それを神聖なものと呼ぶのだ。
 実際には、快楽とは苦痛からの一時的な休息にすぎない。
 幸福は世俗的であるものと、ないものの両方だ。
 そのなかで、そしてその彼方で起こることのすべてなのだ。
 いかなる分別もしてはならない。
 分別できないものを分別してはならない。
 そしてあなた自身を人生から遠ざけてはならない。
 質問者 今、私はなんと良くあなたを理解したことでしょう! 以前、ラマ
     ナアシュラムにいたときは、私は良心に支配され、いつも自分自身
     を裁いていたのです。今、私は完全に落ち着きました。私自身を完
     全に、あるがまま受け入れました。アメリカに戻ったら、私は人生
     を起こるがまま、バガヴァーンの恩寵(おんちょう)として受け入
     れます。そして苦みも甘みもともに楽しむでしょう。バガヴァーン
     を信頼すること、これがアーシュラムで学んだことのひとつなので
     す。以前、私はこんなふうではありませんでした。私には信頼する
     ことができなかったのです。
 マハラジ
 バガヴァーンを信頼することは、あなた自身を信頼することだ。
 何であれ起こることは、あなたによって、あなたを通して、あなたに起こる
 のだ。
 あなたがあなたの知覚するすべてを創造する者であり、それを楽しむ者であ
 り、破壊する者だということに気づきなさい。
 そうすれば、恐れることはないだろう。
 恐れがなければ不幸になることはなく、幸福を探すこともないだろう。
 あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
 それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、それらが来ては
 去っていくのを沈黙のなかで見守りなさい。
 油断してはならない。
 うろたえてはならない。
 この沈黙の観察が、ヨーガの根本的な態度なのだ。
 あなたは画像を見ている。


 だが画像があなたではないのだ。
 質問者 私は死に関して考えることが私を脅かすことに気づきました。なぜ
     なら、私はふたたび誕生したくないからです。誰もそれを強要して
     いないことは知っています。それでも、満たされなかった欲望の圧
     力は圧倒的で、私には抵抗できそうにないかもしれません。
 マハラジ
 抵抗という問題は起こらない。
 誕生し、再誕生するものは、あなたではないからだ。
 それを起こらせるがいい。
 それが起こるのを見なさい。
(´・(ェ)・`)
(つづき)

753避難民のマジレスさん:2019/03/31(日) 07:39:14 ID:LC3de7YgO
>>750
鬼和尚ありがとうであります。
宿命通でありますか。
これも悟ってみなけりゃわからぬことでありますね。
それは死後にも残るのでありますね。
て、ことは、輪廻でつらなる全ての記憶が残ってるのでありますか?
(´・(ェ)・`)つ

754避難民のマジレスさん:2019/03/31(日) 07:50:19 ID:LC3de7YgO
>>752
『I AM THAT 私は在る』
【90 あなたの真我に明け渡しなさい】(つづき)

 質問者 では、なぜそれに関心をもつのでしょうか?
 マハラジ
 関心をもっているのはあなたなのだ!
 そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、あなたは
 それに関心をもちつづけるだろう。
 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。
 だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注意のレベル
 以下の努力を要しないものとなる。
 身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。
 あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
 身体なしには殺されない。
 所有物なしには奪われない。
 マインドなしには騙(だま)されない。
 そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。
 何の変化もあなたに起こらないかぎり、ほかに何の問題があるだろうか?
 質問者 とにかく、私は死ぬという感覚が嫌いなのです。
 マハラジ
 なぜなら、あなたはとても若いからだ。
 あなたがあなた自身についてより多く知るほど、より恐れなくなるだろう。
 もちろん、死の苦悶を見ることはけっして快いことではない。
 だが、死にゆく人が意識していることはまれなのだ。
 質問者 彼は意識に戻ってくるのでしょうか?
 マハラジ
 それは非常に眠りに似ている。
 しばらくの間、個人は焦点からはずれ、その後、それは戻ってくるのだ。
 質問者 同じ個人が戻ってくるのでしょうか?
 マハラジ
 環境をつくり出す個人は、必然的に環境とともに変化していく。
 それは燃料とともに炎が変化していくようなものだ。
 ただ、その過程だけが時間と空間を創造しながら続いていくのだ。
 質問者 ともかく、神様が私の面倒を見てくれるでしょう。私は彼にすべて
     を預けることができるのです。
 マハラジ
 神への信仰さえも、道の上の一段階にすぎない。
 最終的には、あなたはすべてを放棄するのだ。
 なぜなら、あなたは言葉では表現できないほどシンプルな何かを実現するか
 らだ。
 質問者 私はまだはじめたばかりなのです。はじめのころは、信仰も、信頼
     もなく、ものごとを起こらせることを恐れていました。世界はとて
     も危険で、有害なところだったのです。少なくとも今、私はグルや
     神を信頼することについて話すことができるようになりました。私
     を成長させてください。私を無理に駆りたてないでください。私自
     身のペースで進ませてください。
 マハラジ
 もちろん進むがいい。
 だが、あなたはそうしない。
 あなたはいまだ男と女、老人と若者、生命と死という観念に固執している。
 進みなさい。
 超えていきなさい。
 認識されたことは、超越されるのだ。
 質問者 どこへ行こうと、人びとは私の過ちを見つけることが彼らの義務か
     のように、私を駆りたてるのです。私はもう、この霊的な助言のお
     仕着せに飽き飽きしました。私の現状のどこが間違っているという
     のでしょう? どんなに栄光あるものであっても、それを未来のた
     めに犠牲にするべきでしょうか? 実在は今のなかにある、とあな
     たは言います。私は私の現在を愛しているのです。私はそれが欲し
     いのです。永遠に、私の現状と未来を不安に思いつづけたくありま
     せん。より多くやより良くを追いかけまわしたくはないのです。私
     がもっているものを愛させてください。
 マハラジ
 あなたはまったく正しい。
 そうしなさい。
 ただ、正直でありなさい。
 あなたが愛することだけを愛しなさい。
 闘ってはいけない。
 努力してはいけない。
 質問者 これこそ、私がグルへの明け渡しと呼ぶものなのです。
 マハラジ
 なぜ外面化するのかね?
 すべてのものがその表現である、あなたの真我に明け渡しなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

755鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/31(日) 22:47:21 ID:1d4drIFg0
>>753 そうじゃ、それも観念に過ぎないものであるがのう。
 見る事も見ないことも自在にできるのじゃ。
 
自分の体がなく、自分の物が無く、自分の観念も無ければ、。殺されず、盗まれず、騙されないとマハラジは説くのじゃ。
それらは観念の上である苦であるから観念が無ければ存在しないのじゃ。
自我があればそれらを恐れるのじゃ。
自我を無くせばそれもないとしれるのじゃ。

756避難民のマジレスさん:2019/03/31(日) 23:25:16 ID:LC3de7YgO
>>754
『I AM THAT 私は在る』
【91 快楽と幸福】

 質問者 私の友人のひとりである二十五歳の青年は、不治の心臓病で苦しん
でいます。
彼は緩やかな死よりも、自殺を選ぶと手紙に書いてきました。
私は、西洋医学で治療できない病気も、何かほかの方法で癒すことができるか
もしれない、と返事を書きました。
人間の身体にほとんど即座と言えるほどの変化をもたらすヨーガの力がありま
す。繰り返し断食をすることも、奇跡に近い効果を上げることができます。
私は彼に、死に急ぐよりもほかの方法を試みるようにと書きました。
ボンベイ近郊に、奇跡的な力をもったひとりのヨーギがいます。
私は何人かの彼の弟子と出会い、彼らを通して友人の写真と手紙をヨーギに送
りました。
何が起こるか見てみましょう。
 マハラジ
 そうだ。
 奇跡はしばしば起こる。
 しかし、そこには生きようとする意志がなければならない。
 それなしには奇跡も起こらないだろう。
 質問者 そのような欲望を吹きこむことができるのでしょうか?
 マハラジ
 表面的な欲望なら――できる。
 だが、それは尽きてしまうだろう。
 根本的には、誰もほかの人に生きるように強いることはできないのだ。
 その上、かつては自殺を承認し、尊重する文化も存在したのだ。
 質問者 自然な一生の長さを生きることは、人の義務ではないでしょうか?
 マハラジ
 自然で、自発的で、たやすい人生なら――そのとおりだ。
 だが、病気をし、苦しむ人生なら自然とは言えない。
 何であれ来るものに揺らぐことなく耐えることは高尚な徳だ。
 しかし、無意味な苦悶や屈辱を拒否する尊厳もまたあるのだ。
 質問者 あるシッダ(解脱者)の書いた本を手にしたのですが、彼はそこに
奇妙な、驚くべき多くの体験を描写しています。彼によると、真のサーダカ(
修行者)の道はグルと出会い、師に身体、マインド、ハートを明け渡すことで
終わると言います。それ以降は、弟子の人生のもっともささいな出来事さえも
グルが引き継ぎ、責任を取ります。
それは自己同一化を通しての真我の実現とも言えるでしょう。弟子は制御する
ことも、抵抗することもできない力によって選ばれ、嵐の中の一枚の枯葉のよ
うに無力に感じるのです。彼を狂気と死から救うのは、グルの愛と力への信頼
だけなのです。
 マハラジ
 すべての師たちは、彼の自己体験にしたがって教えるのだ。
 体験は信念によって形づくられ、信念は体験によって形づくられる。
 グルでさえも弟子の自己イメージによって形づくられてしまう。
 グルを偉大にするのは弟子たちなのだ。
 ひとたびグルが内側と外側から解放される力の媒介として見られれば、全身
全霊での明け渡しも自然でたやすいものとなるだろう。
 苦痛に苛まれた人が外科医の手に完全に身をまかせるように、弟子もまた自
分自身をためらいなくグルに預け渡すのだ。
 激しく必要性が感じられたとき、助けを求めるのはまったく自然なことだ。
 だが、いかにグルが強力であろうとも、弟子に彼の意志を押しつけるべきで
はない。
 その反対に、ためらい、信頼しない弟子は、グルの過ちがなくても満たされ
ないままとどまるのだ。
 質問者 それでは、何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 すべてが失敗したとき、人生が教えるのだ。
 だが、人生の教訓は長い時を必要とする。
 信頼し、服従することによって多大な遅延と困難が回避される。
 しかし、そのような信頼も、無関心と落ち着きのなさが明晰性と平和に場所
を明け渡したときにしか起こらないのだ。
 自分自身を尊重できない人には、自分自身も他者も信頼することができない。
 それゆえ、師ははじめに弟子の存在の源の高貴さ、高尚な本性、そして荘厳
な運命を再保証することに最善をつくすのだ。
 師はある聖者や彼自身の体験を語る。
 弟子に自信をもたせ、かぎりない可能性を教えこむ。
 弟子への確信と師への信頼が整ったとき、弟子の人格と人生に、急速な、断
固とした変化が見られるのだ。
 質問者 私は変化を求めていません。私の人生は今のままで充分良いもので
す。
 マハラジ
 あなたがそう言うのは、あなたの人生がいかに苦痛に満ちたものかを、まだ
見てはいないからだ。
 あなたはキャンディーを口にくわえたまま眠る子供のようなものだ。
 完全に自己中心的で、つかの間の幸せを感じているかもしれない。
 しかし、苦しみの普遍性を知覚するためには、人類の顔をよく見てみるだけ
で充分だ。
 あなた自身の幸福でさえ、銀行の破産、あるいは胃潰瘍によって翻弄される
ほど壊れやすく、短命なのだ。
 それは単に、二つの苦しみの間の和らいだ瞬間でしかない。
 真の幸福は壊れやすいものではない。
 なぜなら、それは環境に依存しないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

757鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/01(月) 22:10:50 ID:1d4drIFg0
真の幸福は心の中にのみあるものじゃ。
環境に依存する外面の幸福は環境が変ればなくなってしまうのじゃ。
老病死の苦がある人間には環境からの幸福はありえないのじゃ。
心が幸福ならば何があっても幸福なのじゃ。
自分の体がなくなる死でさえも祝福と安らぎになるのじゃ。

758避難民のマジレスさん:2019/04/02(火) 05:01:02 ID:LC3de7YgO
>>756
『I AM THAT 私は在る』
【91 快楽と幸福】(つづき)

 質問者 あなたは自分自身の体験から語っているのでしょうか?
     あなたもまた不幸せなのでしょうか?
 マハラジ
 私にはいかなる個人的な問題もない。
 だが、世界は恐れと欲望の間に押しつぶされて生きている人たち
 でいっぱいなのだ。
 彼らははねまわり、飛びまわり、何の心配もなく幸せそうに屠殺
 場に連れていかれる仔牛のようだ。
 それにもかかわらず一時間後には殺され、皮を剥(は)がされる
 のだ。
 あなたは幸せだと言う。
 あなたは本当に幸せなのだろうか?
 それとも、単に自分を納得させているだけなのだろうか?
 恐れなしに、あなた自身を見てみなさい。
 そうすれば、あなたの幸せは条件と環境に依存し、それゆえ一時
 的で、実在ではないことが即座に理解できるだろう。
 真の幸福は内側から現れるのだ。 
 質問者 あなたの幸福が私にとってどんな意味があるというので
     しょうか? それが私を幸せにするわけではありません。
 マハラジ
 あなたはそのすべて、そしてそれ以上を求めるだけで得ることが
 できる。
 だが、あなたは求めない。
 あなたはそれを欲しくはないようだ。
 質問者 なぜそう言われるのでしょうか? 私は幸福になりたい
     のです。
 マハラジ
 あなたはまったく快楽に満足しているのだ。
 幸福のための場所は残されていない。
 あなたのコップを空っぽにして洗いなさい。
 そうしなければ、それを満たすことはできないのだ。
 他者はあなたに快楽を与えることができる。
 だが、幸福を与えることはできないのだ。
 質問者 一連の快い出来事は充分良いものです。
 マハラジ
 それはすぐに、もし破滅でなければ、苦痛に取って代わる。
 結局、ヨーガとは内なる永遠の幸福の探求にほかならないのだ。
 質問者 あなたの話されることは東洋のためのものです。西洋で
     は条件があまりにも異なり、あなたの言われることはあ
     てはまりません。
 マハラジ
 悲しみと恐れには、西洋も東洋もない。
 苦しみと苦しみの終焉という問題は普遍的なものだ。
 苦しみの原因は依存にある。
 独立がその治療法なのだ。
 ヨーガとは自己理解を通しての自己解放の芸術と科学なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

759避難民のマジレスさん:2019/04/02(火) 19:49:48 ID:LC3de7YgO
>>756
> 何であれ来るものに揺らぐことなく耐えることは高尚な徳だ。
 しかし、無意味な苦悶や屈辱を拒否する尊厳もまたあるのだ。

←無意味な苦闘はわかるのでありますが、無意味な屈辱とは、どんなことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

760避難民のマジレスさん:2019/04/02(火) 20:02:42 ID:LC3de7YgO
>>758
91の2『I AM THAT 私は在る』
【91 快楽と幸福】(つづき)

 質問者 私がヨーガにふさわしいとは思えません。
 マハラジ
 ほかの何にふさわしいと思っているのかね?
 快楽を求めて行ったり来たりし、愛したり憎んだりすることは、
 あなたが自ら押しつけた、あるいは受け入れた限界に対して闘っ
 ていることを示しているのだ。
 無知からあなたは過ちを犯し、あなた自身や他者にも苦しみを生
 みだしている。
 だが、衝動はそこにあり、それは否定されてはならない。
 誕生、幸福、死を求める同じ衝動が、理解と開放を求めるのだ。
 それは積荷の綿が発火したようなものだ。
 あなたはそのことに気づいていないかもしれない。
 だが、遅かれ早かれ船は炎に包まれるだろう。
 解放は自然な過程だ。
 そして、長期にわたって見れば、不可避なものだ。
 だが、それを今のなかにもたらす力はあなたの内にあるのだ。
 質問者 それでは、なぜ世界中にこれほど解脱した人が少ないの
     でしょうか?
 マハラジ
 森林のなかで完全に開花している樹は、一時にはほんのわずかだ
 ろう。
 それでも、すべての樹がそれぞれの時期をもっているのだ。
 遅かれ早かれ、あなたの身体的、精神的源泉にも終焉(しゅうえ
 ん)がやってくる。
 そうなったとき、あなたはどうするだろう?
 絶望するのかね?
 では、絶望するがいい。
 あなたは絶望に疲れてくるだろう。
 そして、疑問に思いはじめる。
 そのときこそ、あなたは意識のヨーガにふさわしくなるのだ。
 質問者 私には、この探求や黙想がもっとも不自然に見えます。
 マハラジ
 あなたにとっては不具として生まれてくることが自然なのだ。
 あなたはそれに気づいていないかもしれない。
 だが、それがあなたを正常にすることはないのだ。
 正常、あるいは自然であることの意味をあなたは知らない。
 そして、あなたが知らないということも、あなたは知らないのだ。
 現在のあなたは漂っているだけだ。
 そして、それゆえ危険なのだ。
 なぜなら、漂流者にはいつ、何が起こるかわからないからだ。
 目を覚まし、あなたの置かれた状況を見てみる方がいい。
 あなたが存在することを、あなたは知っている。
 あなたが何なのか、それをあなたは知らないのだ。
 あなたが何かを見いだしなさい。
 質問者 なぜ、世界にはこれほど多くの苦しみがあるのでしょう
     か?
 マハラジ
 利己主義が苦しみの原因なのだ。
 ほかの原因はない。
 質問者 苦しみは限界のなかに固有のものだと私は理解していま
     す。
 マハラジ
 相違や区別は苦しみの原因ではない。
 多様性のなかの統合は自然であり、良いものだ。
 ただ分離と自己本位とともに、本当の苦しみが世界に現れるのだ。
                   『私は在る』(p491-493)

761鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/02(火) 22:51:09 ID:1d4drIFg0
>>759 愚かな者に罵られるとかじゃろう。
 愚かな者はいくら相手にしても無意味なのじゃ。
 そのような者を相手にしなくてよいというのじゃ。

東洋でも西洋でも人には老病死の苦があるものじゃ。
そのような者達のために悟りは必要なのじゃ。
真の幸福に達しなければ人は永劫に苦しむだけなのじゃ。
それは東洋でも西洋でも変らないのじゃ。

762避難民のマジレスさん:2019/04/03(水) 03:19:21 ID:LC3de7YgO
>>761
鬼和尚、ありがとうであります。

>病気をし、苦しむ人生なら自然とは言えない。
>自殺を承認し、尊重する
>無意味な苦悶や屈辱を拒否する尊厳もまたあるのだ。

確かに、病気で苦しみ、更に病気故に愚か者に罵られて苦しむのはつらいでありましょうが、
愚かな者に罵られるくらいのことを、屈辱と感じて、それを拒否するために自殺することが尊厳をまもることになるのでありましょうか?
ちょぴっと残念な気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ

763避難民のマジレスさん:2019/04/03(水) 03:57:25 ID:LC3de7YgO
>>760
『I AM THAT 私は在る』
【92 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい】

 質問者 私たちはまるで動物のように、果てしなく無益な追求のために走り
 まわっているようです。いったい出口があるのでしょうか?
 マハラジ
 多くの道があなたに差しだされてきた。
 それらはあなたをひと回りさせ、出発点に連れ戻すものだ。
 まずあなたの問題が、目覚めの状態にしか存在しないことを認識しなさい。
 それがいかに苦痛に満ちたものであっても、眠りについたとき、あなたはす
 べて忘れることができるということを認識しなさい。
 目覚めているとき、あなたは意識している。
 眠っているとき、あなたはただ生きているだけだ。
 意識と生命。
 その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
 だがあなたはその両方を超えているのだ。
 神を超え、存在と非存在を超えている。
 あなた自身がすべてであり、すべてを超えていると知ることを妨げているの
 は、記憶に基づいたマインドなのだ。
 あなたがマインドを信頼するかぎり、それはあなたを支配しつづけるだろう。
 それと闘ってはいけない。
 ただ無視しなさい。
 注目を奪われて、それは速度を落とし、その働きの機構を露わにする。
 ひとたびその本性と目的を知れば、マインドが想像上の問題をつくり出すこ
 とをあなたは許さないだろう。
 質問者 すべての問題が想像上のものでないことは確かです。そこには現実
 の問題もあります。
 マハラジ
 マインドがつくり出さなかった問題などというものがありうるだろうか?
 生と死は問題を作らない。
 苦痛と快楽は来ては去っていく。
 体験されたことは忘れられる。
 達成と逃避の問題をつくり出すのは、好きと嫌いに色づけされた記憶と期待
 だ。
 真理と愛が人の真の本性であり、マインドとハートはその表現の手段なのだ。
 質問者 どのようにして何を欲しているのか知らないマインドを制御すれば
 よいのでしょう?
 マハラジ
 それは暗闇の中で作用することはできない。
 それが正しく機能するには、気づきの純粋な光が必要なのだ。
 制御しようとする努力はすべて、マインドを記憶の命令の支配下に置くこと
 になる。
 記憶は良き召使いだが、悪い主人だ。
 それは発見を巧妙に妨害するのだ。
 実在の中に努力の場はない。
 主要な問題と、その他すべての問題の原因は、身体との自己同一化による利
 己主義にあるのだ。
 努力によって利己主義を取り除くことはできない。
 ただ、原因と結果への明晰な洞察によってのみ為されるのだ。
 努力は互いに相容れない欲望の間に起こる葛藤の徴候だ。
 それらはあるがままに見なければならない。
 そのときにだけ、それらは消え去るのだ。
 質問者 そして、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 変化することのできないもの、それが残る。
 偉大な平和、深い沈黙、秘められた実在の美が残るのだ。
 それは言葉によって伝えられない、と同時に、それはあなた自身によって体
 験されることを待っているのだ。
 質問者 人は真我実現にふさわしく、適するようにならなければいけないの
 でしょうか? 私たちの本性は、その内奥に動物性を潜めているのです。そ
れが克服されるまでは、実在が現れることをどうして期待できるでしょうか?
 マハラジ
 動物性のことは放っておきなさい。
 それをそのままにしておくがいい。
 ただあなたが何なのかを覚えておきなさい。
 観照者としてのあなたなしには神も動物もありえないということを、日々の
 あらゆる出来事をきっかけにして思い起こしなさい。
 あなたは存在するすべての本質と実体の両方なのだと理解しなさい。
 そしてあなたの理解の中に確固として止まりなさい。
 質問者 理解で充分なのでしょうか? もっと明確な証拠が必要なのではな
 いでしょうか?
 マハラジ
 証拠の妥当性について決定するのはあなたの理解なのだ。
 だが、あなた自身の存在以上にどのような確実な証拠が必要だというのかね?
 あなたがどこへ行こうと、あなたはあなた自身を見いだすのだ。
 あなたがどれほど遠くに辿り着いたとしても、あなたはそこにいるのだ。
 質問者 明らかに、私は遍在するものでも、永遠なるものでもありません。
 私はいまここにいるだけです。
 マハラジ
 充分だ。
 「ここ」はいたるところにあり、「今」はつねにあるのだ。
 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい。
 そうすれば、あなたは時間と空間があなたのなかにあり、あなたが時間と空
 間のなかに在るのではないことを見いだすだろう。
 ひとたびあなたがこれを理解すれば、真我の実現のための主要な障害は取り
 除かれるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

764避難民のマジレスさん:2019/04/03(水) 08:07:11 ID:LC3de7YgO
>>763
>記憶に基づいたマインド・・・ それと闘ってはいけない。 
ただ無視しなさい。
 注目を奪われて、それは速度を落とし、その働きの機構を露わにする。
 ひとたびその本性と目的を知れば、マインドが想像上の問題をつくり出すこ
 とをあなたは許さないだろう。

↑たとえばこのように、無視することができない、
>無意味な苦悶や屈辱
それにより自殺により守られる尊厳とは、
結局、程度の問題なのでありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

765鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/03(水) 22:05:15 ID:1d4drIFg0
>>762 それは病の苦とかもあるからじゃろう。
 不治の病ならば仕方の無いことじゃ。

>>764 記憶に基づいたマインドを無視するような修行が出来ないものには自殺もまた許容されるべきだというのじゃろう。
 誰もがそれをできるというわけではないからのう。
 記憶に基づいたマインドが全ての苦を作り出すのじゃ。
 それを観察して気付くことができるものならば、死の瞬間まで実践すべきじゃろう。
 しかし、それが出来ない者には自殺も又選択肢としてあるべきということじゃな。

766避難民のマジレスさん:2019/04/03(水) 22:46:49 ID:LC3de7YgO
>>763
『I AM THAT 私は在る』
【92 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい】(つづき)

 質問者 理解を超えた真我の実現とは何でしょうか?
 マハラジ
 深い密林にたくさんのトラがいる。
 そして、あなたは丈夫な鉄の檻のなかにいると想像してみなさい。
 檻によって無事に守られていることを知っているため、あなたはトラたちを
 恐れなく見ている。
 つぎに、檻のなかにトラたちがいて、あなたはジャングルのなかをうろつき
 まわっている。
 最後に、檻は消え、あなたはトラに乗っているのだ!
 質問者 私は最近、ボンベイで行われた瞑想セッションのひとつに参加しま
     した。そこで私は参加者が自暴自棄になり、精神錯乱しているのを
     目にしたのです。なぜ人びとはそのようなことをしに行くのでしょ
     うか?
 マハラジ
 それらはみな、感覚的刺激を探求する人びとを満足させるために落ち着きの
 ないマインドが発案したものだ。
 それらのいくつかは、抑圧された願望や記憶を吐きだすことで無意識の助け
 となる。
 そしてその程度の解放を与えるのだ。
 しかし、最終的には、彼は何も変わらないままか、あるいはさらに悪くなる
 ことさえあるのだ。
 質問者 最近、私はあるヨーギの瞑想体験について書かれた本を読みました。
     それは幻想や幻聴、色彩や音楽であふれ、たいへん人目を引く内容
     でした。もっとも華麗な娯楽です! 最後には、それらはすべて消
     え去り、ただ恐れのない感覚だけが残ったのです。無理もありませ
     ん。それらすべての体験を無傷で通り抜けてきた人には、何も恐れ
     るものなどないのです! それでも、そのような本が私にとってい
     ったい何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 おそらく、何の役にも立たないだろう、それはあなたの興味を引かなかった
 のだから。
 ほかの人は感動させられたかもしれない。
 人は異なるのだ。
 だが、誰もが自己の存在という事実に直面させられる。
 「私は在る」は究極の事実だ。
 「私は誰か?」はすべての人が答えを見いださなければならない究極の質問
 なのだ。
 質問者 同じ答えでしょうか?
 マハラジ
 本質においては同じだ。
 表現は多様だ。
 それぞれの探求者は自分に合う方法を受け入れ、あるいは発明し、誠実さと
 努力とともにそれを自分に適用する。
 彼は彼の気性や期待にしたがって結果を得、それを言葉の鋳型に鋳込め、シ
 ステムを築きあげ、伝統を設立し、他者を彼のヨーガの学校に入会させるの
 だ。
 それはすべて記憶と想像の上に築きあげられたものだ。
 そのような学校は、無価値でもなければ必要不可欠でもない。
 より以上の進歩を可能にするために、進歩へのすべての欲望が放棄される地
 点まで進歩することができる。
 そうなれば、すべての学校は放棄され、すべての努力は終わり、孤独と暗闇
 のなかで無知と恐れを永遠に終焉(しゅうえん)させる最後の一歩が踏まれ
 るのだ。
 真の師は弟子を既成の観念、感情、行為に押し込めようとはしない。
 その反対に、師はすべての観念や組み込まれた行動様式から自由になる必要
 性を忍耐強く示すのだ。
 注意を怠らず、誠実であり、どこであれ人生が彼を連れていくままにしたが
 い、楽しみも苦しみもせず、ただ理解し、学んでいくように。
 正しい師のもとでは、弟子は記憶し服従することではなく、学ぶことを学ん
 でいく。
 サットサン、すなわち聖者との交際は鋳型にはめるのではなく、解放するの
 だ。
 あなたを依存させるすべてに気をつけなさい。
 いわゆる「師への明け渡し」はほとんどの場合、悲劇でなければ、良くても
 失望に終わる。
 幸運にも、誠実な探求者は体験からより賢明になって、巻きこまれる前に自
 分を危険から救うのだ。
 質問者 明け渡しには確かに価値があります。
 マハラジ
 明け渡しとは利己的関心事を明け渡すことだ。
 それはできるわけがない。
 あなたがあなたの真の本性を実現するとき、それは起こるのだ。
 言葉の上の明け渡しは、たとえ感情をともなっていても、緊張下では失意の
 うちに終わってしまう。
 最善の場合でも、それは熱望を表すが、実際的事実ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

767鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/04(木) 21:27:59 ID:1d4drIFg0
誰もが自己をどこまでも観察すれば同じ答えを見出すのじゃ。
しかし、その表現は違うものとなるじゃろう。
育った国や地域で言葉や表現が違うからのう。
インドの古い表現ではアートマンを実現したというじゃろう。
私は在るとマハラジはいうじゃろう。
それは観念とわしはいうのじゃ。
言葉や表現は違うが全て同じなのじゃ。

768避難民のマジレスさん:2019/04/04(木) 22:06:14 ID:LC3de7YgO
>>766
『I AM THAT 私は在る』
【92 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい】(つづき)

 質問者 『リグ・ヴェーダ』* のなかではアディ・ヨーガ、原初のヨーガに
 ついて言及されています。私が理解するには、それは智慧(ちえ)と生命を
ひとつに結びつけることを意味するプラジニャーとプラーナの結婚から成るも
のです。あなたなら、それはまたダルマとカルマ、公正さと行為の統合をも意
味すると言われるでしょうか?
  * 訳注 『リグ・ヴェーダ』 Rig Veda ヒンドゥ教のなかで最古、最高、
      そしてもっとも神聖なる聖典として知られ、また世界においても
      最古の宗教書。ヴェーダの神々への賛歌。
 マハラジ
 もし公正さが自己の真の本性との調和を意味し、非利己的な無欲の行為を意
 味するのであればそのとおりだ。
 アディ・ヨーガにおいては人生そのものがグルであり、マインドが弟子なの
 だ。
 マインドは人生に仕え、それを支配したりしない。
 人生は自然に努力なしに流れ、マインドは流れをすみやかにするために障害
 物を取り除くのだ。
 質問者 人生はその本性からいって反復的なものではないでしょうか? 人
 生にしたがっていくことは沈滞に導くのではありませんか?
 マハラジ
 それ自体では、人生は途方もなく創造的なものだ。
 一粒の種子がやがて森林となる。
 マインドは森林官のように、存在の膨大な生命力の衝動を保護し調整してい
 るのだ。
 質問者 マインドによる生命への奉仕という見方をすれば、アディ・ヨーガ
 は完全な民主主義です。誰もが彼の最善の能力と知識で人生を生きることに
従事し、誰もが同じグルの弟子なのです。
 マハラジ
 あなたの言うとおりかもしれない。
 可能性としては、おそらくそうだろう。
 だが、人生が熱望と熱心さをともなって愛され信頼されるまでは、意識のな
 かの動き、行為のなかの気づきであるヨーガについて語ることは夢想的なも
 のでしかない。
 質問者 あるとき、私は岩の合間を流れる渓流を眺めていました。それぞれ
 の岩で、岩の大きさと形にしたがって流れの動きは異なっていました。個人
とは皆、単に体の上を流れる動きであり、同時に生命はひとつであり永遠なの
ではありませんか?
 マハラジ
 流れの動きと水は別々のものではない。
 流れの妨害があなたに水の存在を気づかせたのだ。
 意識はつねに運動と変化のなかにある。
 不変の意識といったものはありえない。
 不変なるものは即座に意識をぬぐい去るだろう。
 内面、あるいは外面の感覚を奪われた人は意識を失い、あるいは意識と無意
 識を越えて不老不死の状態のなかへと入っていくだろう。
 霊魂と物質がであったときにだけ意識は生まれるのだ。
 質問者 それらはひとつでしょうか、二つでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたが使う言葉によって、ひとつ、二つ、あるいは三つなのだ。
 調べていくことで三つは二つとなり、二つはひとつとなる。
 顔と鏡とイメージという直喩で見てみなさい。
 どの二つをとってみても、その二つを結びつける第三の存在が前提にある。
 あなたが二つはひとつだと悟るまでは、サーダナ(修練)によって三つを二
 つとして見るのだ。
 あなたが世界に没頭しているかぎり、あなた自身を知ることは不可能だ。
 あなた自身を知るためには、世界から注意を引き離し、内面へと向けなさい。
 質問者 私には世界を破壊することはできません。
 マハラジ
 その必要はない。
 ただあなたが見ているものはあるがままのものではないということを理解し
 なさい。
 現れは調べることによって消え去り、根元的な実在が表層に現れるだろう。
 逃げだすために家を燃やす必要はない。
 あなたはただ歩いて外に出るだけだ。
 家が牢獄となるのは、あなたが自由に行き来できなくなったときだけだ。
 私は意識から自由に自然に出たり入ったりすることができる。
 そしてそれゆえ、世界はわが家であって牢獄ではないのだ。
 質問者 しかし究極的に、世界は存在するのでしょうか、しないのでしょう
 か?
 マハラジ
 あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
 あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
 それが事実を変えることはない。
 運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がスクリーン上
 に絵を描いていく。
 あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリーンでもあ
 るのだ。
 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
 その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
 その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

769鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/05(金) 22:18:20 ID:1d4drIFg0
人生が映画だとしたら人は自分が演じている役者と思っているじゃろう。
喜んだり悲しんだりする自分が主役であり、その中の世界で生きていると思うのじゃ。
実際には人は観る者であり、役者とか世界を創りだして見ているだけなのじゃ。
フィルムとか映写機さえも観る者によって作り出されたものなのじゃ。
それら全てが観念と知って観る者に辿りつくのじゃ。

770避難民のマジレスさん:2019/04/05(金) 22:50:23 ID:LC3de7YgO
>>768
『I AM THAT 私は在る』
【93 人は行為者ではない】

 質問者 私は人生のはじめのころから、不完全さという感覚につきまとわれ
     てきました。高校から大学、就職、結婚、そして裕福になっていき、
     つぎに起こることこそ私に平和を与えてくれるはずだと想像するの
     ですが、平和はやってはこなかったのです。
 マハラジ
 そこに身体と、身体との同一化との感覚があるかぎり、欲求不満は避けられ
 ないものだ。
 あなたが身体とは完全に異なり、相容れないものだと知ったときにだけ、
 「私は身体だ」という観念に不可避の恐れと欲望の入り交じった状態から休
 息を見いだすのだ。
 単に恐れをなだめたり欲望を満たしたりすることでは、あなたが逃避したが
 っている空虚な感覚を取り除くことはできない。
 ただ自己知識だけがあなたを助けることができるのだ。
 自己知識ということで、私はあなたが何ではないのかということの完全な知
 識を意味している。
 そのような知識は到達可能であり、最終的なものだ。
 だが、あなたが何であるかを発見していくことに終焉はありえない。
 発見していけばいくほど、より多く発見することが残るのだ。
 質問者 そのためには、私たちは異なった親と学校をもち、違う社会に生き
     なければなりません。
 マハラジ
 あなたに環境を変えることはできない。
 だが、あなたの態度を変えることはできる。
 非本質的なことに執着する必要はないのだ。
 ただ本質的なことだけが正しい。
 本質的なことのなかにのみ平和は在るのだ。
 質問者 私の求めているものは真理であり、平和ではありません。
 マハラジ
 あなたが平和でないかぎり、真実を見いだすことはできない。
 静かなマインドは正しい知覚にとって欠かせないものだ。
 それはまた、真我の実現にとっても要求されるのだ。
 質問者 私はあまりにも多くのなすべきことがあり、マインドを静かに保つ
     だけの余裕がありません。
 マハラジ
 それはあなたが行為者だという幻想によるのだ。
 実際には、ものごとはあなたに対してなされるのであって、あなたによって
 なされるのではない。
 質問者 もし私がただものごとをあるがままに起こらせたなら、どうしてそ
     れが私の思うように起こると確信できるのでしょうか? もちろん、
     私はそれを私の欲望に沿うように変えていくべきです。
 マハラジ
 あなたの欲望はそれを満たすこと、あるいは満たされないこととともに、あ
 なたに起こるのだ。
 どちらにせよ、あなたに変えることはできない。
 あなたは努力し、闘い、力を尽くしていると信じるかもしれない。
 それもまた、その仕事の結果とともにすべては単に起こるだけなのだ。
 何ひとつあなたによるものではなく、あなたのためのものでもない。
 すべては映画のスクリーン上の画像の中に顕わにされる。
 光のなかには何もない、あなたがあなただと思っている個人も含めて。
 あなたはただの光なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

771避難民のマジレスさん:2019/04/06(土) 09:15:11 ID:LC3de7YgO
>>770
『I AM THAT 私は在る』
【93 人は行為者ではない】(つづき)

 質問者 もし私がただの光なら、どうしてそれを忘れてしまったのでしょう
     か?
 マハラジ
 忘れてはいない。
 あなたが忘れ、そして思い出すのはスクリーン上の画像のなかだけだ。
 あなたがトラになった夢を見たからといって、人であることをやめたわけで
 はない。
 同じように、あなたはスクリーン上の画像として現れた純粋な光であり、ま
 たそれとひとつになったものでもあるのだ。
 質問者 すべてが起こるだけなら、どうして心配しなければならないのでし
     ょうか?
 マハラジ
 まさしくそのとおりだ。
 自由とは心配からの自由なのだ。
 あなたが結果に影響を与えることはできないと自覚したからには、欲望と恐
 れに注意を払うことはやめなさい。
 それらを来ては去っていかせなさい。
 それらに興味や注意といった栄養を与えて助長してはならない。
 質問者 もし私が起こっていることから注意を背けたなら、何によって私は
     生活していけばいいのでしょうか?
 マハラジ
 またしてもそれは「もし私が夢を見るのを止めたら、どうすればいいのでし
 ょう?」と尋ねるようなものだ。
 止まりなさい。
 そして見るのだ。
 「次は何か?」と心配する必要はないのだ。
 つねに次はやってくる。
 生命ははじまりも終わりもしない。
 不動でありながら、それは動き、一時的でありながら、それは継続していく
 のだ。
 数えきれないほどの画像が投影されたとしても、光が使い尽くされることは
 ない。
 生命もまたあらゆる形態をいっぱいに満たし、その形態が崩壊したとき、そ
 の源に戻っていくのだ。
 質問者 もし人生がそれほど素晴らしいものなら、どうして無知が現れたの
     でしょうか?
 マハラジ
 あなたは患者を看ずに病気を扱いたいのかね!
 無知について尋ねる前に、まず誰が無知なのかを調べなさい。
 あなたが無知だと言うとき、感情と思考の現状に無知という観念を押しつけ
 たことをあなたは知らないのだ。
 それが起こるときを調べてみなさい。
 完全な注意を払いなさい。
 すると、あなたは無知といったものはまったく存在せず、ただ不注意があっ
 ただけだということを知るだろう。
 あなたが心配することに注意を払いなさい。
 ただそれだけだ。
 結局のところ、心配とは精神的な苦痛であり、苦痛とはつねに注意を呼び起
 こしていることなのだ。
 あなたが注意を払う瞬間、苦痛はやむ。
 そして無知という問題は消え去る。
 質問の答えを待つ代わりに、誰が尋ねているのか、何がそれを尋ねさせるの
 かを見いだしなさい。
 あなたはすぐに、それが恐れと苦痛に駆りたてられたマインドが尋ねるのだ
 と知るだろう。
 そして恐れのなかには記憶と期待、過去と未来がある。
 注意はあなたを現在に連れ戻す。
 今、そして今のなかにある存在はつねに手に入る状態だ。
 だが、気づかれることはまれなのだ。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

772鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/06(土) 22:22:05 ID:1d4drIFg0
世間における全ての心配事や悩みも無知から起こるものじゃ。
自分は何であるかという無知から離れればそんな心配もしなくてよかったのだと気付くのじゃ。
道に落ちている縄が蛇ではないと気付けば蛇に咬まれる心配もしなくてよかったと気付くようなものじゃ。
縄は全く変らないが、真実を観る眼が変ったのじゃ。

773避難民のマジレスさん:2019/04/06(土) 22:41:16 ID:LC3de7YgO
>>771
1『I AM THAT 私は在る』
【94 あなたは空間と時間を超える】

 質問者 あなたは、私がけっして生まれてこなかったし、死ぬこともないと
     言いつづけています。もしそうならば、どうして私の目には、世界
     は誕生し、間違いなく死にゆくものとして映るのでしょうか?
 マハラジ
 そう信じるのは、明らかにあなたが生まれ、そして死んでいく身体だという
 考えを一度も疑ったことがないからだ。
 生きている間、身体は注意を引き、完全にあなたを魅了する。
 それゆえ、自己の真の本性を知覚する人は本当にまれなのだ。
 それは大海の表面を眺め、その下にある広大さを忘れるようなものだ。
 世界とはマインドの表面だ。
 そしてマインドは無限なのだ。
 私たちが想念と呼ぶものは、マインドのなかのさざ波にすぎない。
 マインドが静かなとき、それは実在を反映する。
 マインドが徹底的に不動であるとき、それは消え去り、ただ実在だけが残る
 のだ。
 この実在は非常に堅固であり、現実であり、マインドや物質よりも実質的な
 ものだ。
 それに比べればダイヤモンドさえもバターのように柔らかい。
 この圧倒的な実在の現実性が、世界を夢のように霧のかかった無意味なもの
 にするのだ。
 質問者 あまりにも多くの苦しみを抱えたこの世界を、どうして無意味なも
     のとして見ることができるのでしょう。なんと冷淡な!
 マハラジ
 冷淡なのはあなたであって、私ではない。
 もしあなたの世界がそれほどにも苦しみに満ちているのなら、何とかするが
 いい。
 強欲や怠惰をそれに加えてはならない。
 私はあなたの夢のような世界に束縛されてはいない。
 私の世界では、苦しみ、欲望、恐れの種子はまかれてはいない。
 それゆえ、苦しみは育たないのだ。
 私の世界は対極から自由であり、相互に破壊的な不一致がなく、調和が遍在
 しているのだ。
 その平和は岩のように堅固であり、この平和と沈黙が私の身体なのだ。
 質問者 あなたが言われることは、仏陀のダルマカーヤ(法身)を思い出さ
     せます。
 マハラジ
 そうかもしれない。
 学術用語で脇道にそれる必要はない。
 ただ、あなたはマインドのなかで知覚する世界の一部分としての個人をあな
 た自身だと想像していることを理解しなさい。
 そしてマインドを外側から見てみなさい。
 なぜなら、あなたはマインドではないのだから。
 結局、あなたの唯一の問題とは、何であれあなたが知覚するものと、熱心に
 自己同一化することなのだ。
 この習慣を捨てなさい。
 あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
 注意深く、超然と離れて在る力を使いなさい。
 あなた自身を生きているものすべてのなかに見なさい。
 そうすれば、あなたのふるまいはあなたの見解を表現するだろう。
 ひとたびこの世界にあなた自身のものと呼べるものは何もないと悟れば、あ
 なたはそれをステージ上の劇やスクリーン上の画像を見るように外側から見
 る。
 賞賛し、楽しみながら、しかも実際には動じることのないままに。
 あなたがあなた自身を何か現実の実体のあるもののひとつとして、時間と空
 間のなかに実際に存在し、短命で壊れやすいものだと想像するならば、当然、
 あなたは存続し、拡大していくことを切望するようになるだろう。
 だが、あなたが時間と空間を超え、今ここの点においてのみ接触し、そうで
 なければすべてに遍在し、すべてを抱擁する、到達不可能、難攻不落、不滅
 なるものだと知るとき、もはや恐れることは何もなくなるのだ。
 あるがままのあなたを知りなさい。
 ほかに恐れに対する治療法はない。
 あなたはこの路線で考え、感じることを学ばなければならない。
 さもなければ、いつまでも欲望と恐れ、獲得と損失、成長と衰退という個人
 のレベルにとどまったままだ。
 個人的な問題はそれ自体のレベルにおいて解決することはできないのだ。
 幸せであろうと切望することは不幸の原則であるように、生きようとする欲
 望自体が死のメッセンジャーなのだ。
 世界は苦痛と恐れの、不安と絶望の大海だ。
 快楽は魚たちのように、わずかばかりまれにやってきては、たちまちのうち
 に去っていく。
 理解力の低い人たちは、あらゆる証拠にも反して彼だけは例外であり、世界
 が彼に幸福をもたらすことこそ当然だと信じている。
 だが、もっていないものを世界が与えることはできない。
 徹底的に世界は非実在であり、真の幸福のためには無用のものなのだ。
 そうであるほかないのだ。
 私たちが実在を求めるのは、非実在に苦しんでいるからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

774避難民のマジレスさん:2019/04/06(土) 23:23:34 ID:LC3de7YgO
>>773
『I AM THAT 私は在る』
【94 あなたは空間と時間を超える】(つづき)

(マハラジ)
 幸福が私たちの真の本性なのだ。
 そして、それを見いだすまで私たちはけっして休まないだろう。
 しかし、それをどこに求めればいいのかを知る人はごくまれだ。
 ひとたびあなたが、世界とは実在の錯誤した光景であり、それはそう現れた
 とおりのものではないと理解すれば、それに取りつかれることから自由とな
 る。
 あなたの真の存在と一致するものだけがあなたを幸福にする。
 見てのとおり、世界は明らかにそれを完全否定するものなのだ。
 ただ静かに在りなさい。
 そしてマインドの表層に現れるものを見守りなさい。
 既知なるものを受けつけず、まず未知なるものを歓迎しなさい。
 そして然る後に、それもまた拒否しなさい。
 このようにして、あなたは知識のない存在だけの状態に到達するのだ。
 そこでは存在自体が知識だ。
 在ること自体によって知ることが直接の知識なのだ。
 間接的な知識は記憶と感覚を根底とし、知覚者と知覚されたものとの関係の
 近さ、その二つの間の対比によって制限されてしまう。
 幸福においてもそれは同様だ。
 普通、喜びを知るために悲しみ、悲しみを知るために喜ばなければならない
 ものだ。
 真の幸福には原因がなく、刺激がなくなっても消え去ることはない。
 それは悲しみと対立するものではない。
 それはすべての悲しみと苦しみを含むものなのだ。
 質問者 こんなにも多くの苦しみに囲まれながら、どうやって幸福でありつ
     づけることができるのでしょうか?
 マハラジ
 それはどうすることもできないのだ。
 内なる幸福は圧倒的に現実のものだ。
 空の太陽のように、その現れが雲に隠れたとしても、けっして不在ではない
 のだ。
 質問者 私たちが困難に在るとき、不幸となるのは避けられないことです。
 マハラジ
 問題はただ恐れだけだ。
 あなた自身を何にも依存しないものとして知りなさい。
 そうすれば、あなたは恐れとその影から自由になるだろう。
 質問者 幸福と快楽との違いは何でしょうか?
 マハラジ
 快楽はものに依存している。
 幸福は依存しない。
 質問者 もし幸福が依存しないものなら、なぜ私たちはつねに幸福ではない
     のでしょうか?
 マハラジ
 幸福となるためにものが必要だと信じているかぎり、ものの不在によって不
 幸になるに違いないと信じることだろう。
 マインドはそれが信じることにしたがって形づくられるのだ。
 それゆえ人は、幸福になろうと駆りたてられる必要はないのだと確信するこ
 とが重要なのだ。
 その反対に、快楽は混乱と厄介者であり、幸福になるには何かをもち、何か
 をしなければならないという偽りの確信を、単に増長するだけなのだ。
 しかし、なぜ幸福について話さなければならないのか?
 不幸であるとき以外、幸福について話したりはしない。
 「私は今幸せです」と言う人は、過去と未来という二つの不幸の間にいるの
 だ。
 この幸福は苦痛から解放されたことによる単なる興奮にすぎない。
 真の幸福とは、まったく自己意識のない状態だ。
 それがもっとも良く表されるのは否定によって、「何も私には間違ったとこ
 ろはない。私には何も心配することがない」と言うことだ。
 結局、すべてのサーダナの最終的な目的は、この確信が言葉上のものでなく、
 実際の常在の体験を根底にした地点に到達することなのだ。
 質問者 どの体験でしょうか?
 マハラジ
 空として在ることの体験だ。
 記憶や期待で混乱していない、開かれた空間の、若々しい、すべての時間と
 エネルギーを発見や冒険のために得たような幸福だ。
 質問者 発見するための何が残されているというのでしょうか?
 マハラジ
 実在のなか、そして神の偉大なマインドとハートのなかに存在する、外なる
 宇宙と内なる無限の空間の広がりだ。
 存在の意味と目的、苦しみの秘密、人生の無知からの救済だ。
 質問者 もし幸福であることが恐れと心配からの解放であるなら、困難の不
 在が幸福であると言えるのではないでしょうか?
 マハラジ
 不在、非存在の状態は原因とはなりえない。
 ある原因が前もって存在するということは、それが観念のなかに暗黙のうち
 に含まれていたことを意味するのだ。
 何も存在しないあなたの自然な状態のなかに、成ることの原因はありえない。
 原因は偉大で神秘的な記憶の力のなかに秘められている。
 しかし、あなたの真の住処はすべての内容物が空っぽの、無のなかにあるの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

775鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/07(日) 20:19:21 ID:1d4drIFg0
真の幸福にはもはや言葉は無いのじゃ。
言葉があればまだ真の幸福ではないのじゃ。
言葉による観念を超えたところに真の幸福はあるのであるからのう。
そこに至ればもはや幸福から不幸に陥ることも無いのじゃ。

776避難民のマジレスさん:2019/04/07(日) 22:56:26 ID:LC3de7YgO
>>774
『I AM THAT 私は在る』
【94 あなたは空間と時間を超える】(つづき)

 質問者 空っぽと無――なんと恐ろしい!
 マハラジ
 あなたは眠るとき、喜んでそれにであうのだ!
 目覚めた眠りの状態をあなた自身で見いだすがいい。
 そうすれば、それがあなたの真の本性と完全に調和していることを知るだろ
 う。
 言葉はあなたに概念しか与えられない。
 そして概念は体験ではないのだ。
 私に言えることはただ、幸福には何の原因もなく、原因のないものは不動だ
 ということだ。
 それは快楽のように知覚可能なものではない。
 知覚可能なものは苦痛と快楽なのだ。
 不幸から解放された状態は否定を通してしか描写できない。
 それを直接知るには、因果律に耽溺したマインドと時間の支配を超えていか
 なければならないのだ。
 質問者 もし幸福が意識ではなく、意識が幸福ではないのなら、それら二つ
     の間のつながりは何なのでしょうか?
 マハラジ
 意識的存在は条件と環境の産物であり、それらに依存し、それらとともに変
 化する。
 独立し、創造されたものではなく、永遠で不変のもの、しかもつねに新しく
 新鮮なものはマインドを超えている。
 それについて考えるとき、マインドは消え去り、ただ幸福だけが残るのだ。
 質問者 すべてが去った後、無が残るのです。
 マハラジ
 何もないところに無がありうるだろうか?
 無とはひとつの概念にすぎない。
 それは何かの記憶に依存しているものだ。
 純粋な存在は、定義可能で描写可能な存在から完全に独立しているのだ。
 質問者 どうか教えてください。マインドを超えても意識は継続するのでし
     ょうか、それともマインドとともに終焉するのでしょうか?
 マハラジ
 意識は来ては去っていく。
 気づきは永遠不変に輝くのだ。
 質問者 気づきの中で気づいているのは誰でしょうか?
 マハラジ
 個人がそこにいるとき、意識もまたそこにある。
 「私は在る」、マインド、意識はどれも同じ状態を表している。
 もしあなたが「わたしは気づいている」というなら、それは「わたしは気づ
 いていることについて考えていることを意識している」という意味だ。
 気づきの中に「私は在る」はない。
 質問者 観照はどうでしょうか?
 マハラジ
 観照はマインドのものだ。
 観照者は観照されるものとともに在る。
 非二元性の状態のなかでは、すべての分離がやむのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

777鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/08(月) 22:37:19 ID:1d4drIFg0
個人がいるときにある意識とは個人意識なのじゃ。
個人としての意識なのじゃ。
それもまた観念なのじゃ。
マインドと同じなのじゃ。

778避難民のマジレスさん:2019/04/08(月) 22:52:51 ID:LC3de7YgO
>>777
睡眠中の意識は、夢等、覚えている範囲内では、観念であり、マインドであり、個人としての意識みたいでありますが、
実は違うものだったりするのでありましょうかね?
(´・(ェ)・`)つ

779避難民のマジレスさん:2019/04/08(月) 23:11:19 ID:LC3de7YgO
>>776
『I AM THAT 私は在る』
【94 あなたは空間と時間を超える】(つづき)

 質問者 あなたはどうなのでしょうか? あなたは気づきのなかに在りつづ
     けるのでしょうか?
 マハラジ
 個人、「私は身体だ」、このマインド、この記憶の連鎖、この一束の欲望と
 恐れは消え去る。
 だが、アイデンティティと呼ばれる何かはそのまま残る。
 それは必要とされるとき、私が個人となることを可能にするのだ。
 愛はそれ自身の必要性をつくり出すのだ。
 ひとりの個人と成ることさえも。
 質問者 実在はそれ自体を存在―意識―至福として現すと言われています。
     それらは絶対的なものでしょうか、それとも相対的なものでしょう
     か?
 マハラジ
 それらは互いにとって相対的であり、相互に依存している。
 実在はその表現とは別なのだ。
 質問者 実在とその表現はどのような関係にあるのでしょうか?
 マハラジ
 何の関係もない。
 実在のなかではすべてが真正で同一なのだ。
 それは、私たちが「サグナ(顕現)とニルグナ(非顕現)はパラブラフマン
 (至高の実在)のなかでひとつだ」と
表現するのと同じだ。
 ただ至高なるものだけが存在するのだ。
 運動のなかでは、それはサグナであり、不動においては、それはニルグナな
 のだ。
 だが、動いているのは、あるいは動かないのはマインドだけだ。
 実在は彼方にあり、あなたも彼方にあるのだ。
 ひとたびあなたが知覚可能、想像可能なものはあなた自身ではありえないと
 理解するならば、あなたはあなたの想像から自由になる。
 すべてを欲望から生まれた想像だと見ることは、真我の実現に必要不可欠な
 のだ。
 私たちは注意の欠如から実在を失い、過剰な想像から偽りを生みだすのだ。
 あなたはこれらのことにマインドとハートを捧げ、繰り返し熟考しなければ
 ならない。
 それは食べ物を料理するようなものだ。
 用意ができるまでは、それを火にかけておかなければならないのだ。
 質問者 私は運命、カルマに支配されているのではないでしょうか? それ
     に対して何ができるのでしょうか? 私が何であるのか、何をする
     のかは前もって決められているのです。私のいわゆる自由選択さえ
     も先決されているのです。ただ私が気づかず、自分は自由だと想像
     しているだけなのです。
 マハラジ
 またしても、それはあなたがどう見るかにかかっている。
 無知とは熱のようなものだ。
 それはあなたにそこにはないものを見させる。
 カルマとは神の力によって処方された治療法なのだ。
 それを歓迎し、その指導に信頼をもってしたがうがいい。
 そうすればあなたは良くなるだろう。
 回復すれば患者は病院を去っていく。
 選択と行為の即座の自由をせがむことは、単に回復を延長させるだけだ。
 運命を受け入れ、それを満たすがいい。
 これが運命からの自由への近道なのだ。
 だが、愛とその欲求からの自由ではない。
 欲望と恐れから行為することは束縛だ。
 愛から行為することが自由なのだ。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

780鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/09(火) 22:31:08 ID:1d4drIFg0
>>778 深く寝ている時は意識も拡大しているのじゃ。
 個人の意識から少し広くなっているのじゃ。
 記憶はないがのう。


イメージできるものや、認識できるものは観念であり、自分ではないのじゃ。
観念を自分と思っていることに気付けば、それから自由になるのじゃ。
それがアートマンの実現なのじゃ。
アートマンとは認識できない認識主体なのじゃ。

781避難民のマジレスさん:2019/04/10(水) 01:11:19 ID:LC3de7YgO
>>779
『I AM THAT 私は在る』
【95 人生を起こるがままに受け入れなさい】

 質問者 私は去年ここにいました。今、ふたたび私はあなたの前
     にいます。何が私をここに来させるのか本当に知らない
     のです。ですが、ともかくあなたを忘れることができな
     いのです。
 マハラジ
 ある人は忘れ、ある人は忘れない。
 彼らの運命にしたがって、あるいは、あなたならそれをチャンス
 と呼ぶかもしれない。 
 質問者 チャンスと運命には基本的な違いがあります。
 マハラジ
 あなたのマインドのなかにだけだ。
 事実、あなたは何が何の原因なのか知らないのだ。
 運命とはあなたの無知を包み込む言葉の毛布でしかない。
 チャンスとはもうひとつの言葉だ。
 質問者 原因と結果を知らずに自由がありうるでしょうか?
 マハラジ
 原因と結果はその数と多様性においてかぎりのないものだ。
 すべてがすべてに影響を与えるのだ。
 この宇宙のなかでは、ひとつが変化すればすべてが変化する。
 それゆえ、自分自身を変えることによって世界を変えるという偉
 大な力があるのだ。
 質問者 あなた自身の言葉によれば、あなたはグルの恩寵(おん
     ちょう)によって、四十年ほど前に革新的な変化を遂げ
     たということです。しかしそれでも、世界は以前と変わ
     らないままではありませんか?
 マハラジ
 私の世界は完全に変わったのだ。
 あなたの世界は同じままだ。
 なぜなら、あなたが変わっていないからだ。
 質問者 どうしてあなたの変化が私に影響を与えないのでしょう
     か?
 マハラジ
 なぜなら、私たちの間には共有の交わりがないからだ。
 あなた自身が私から分離していると想像するのをやめなさい。
 すると私たちは即座に共通の状態を分かちあうのだ。
 質問者 私にはアメリカに資産があり、それを売ってヒマラヤに
     いくらかの土地を購入しようと考えています。家を建て、
     庭を設計し、二、三頭の牛を飼って静かに暮らそうと思
     っています。人びとは私に、資産をもつことと静かに暮
     らすことは一致せず、即座に事務的な、あるいは近隣の、
     または泥棒といった問題に巻きこまれるだろうと言うの
     です。それは避けられないことなのでしょうか?
 マハラジ
 少なくとも、つぎからつぎへと人びとが訪れ、あなたの住まいを
 無料の宿屋にしてしまうぐらいは予期できるだろう。
 人生がそれ自体で形づくっていくのを受け入れた方がいい。
 家に帰り、愛と思いやりをもって妻の面倒を見なさい。
 ほかの誰もあなたを必要としてはいないのだ。
 あなたの栄光の夢はもっと多くの問題をあなたに負わせるだろう。
 質問者 私が求めているのは栄光ではなく、実在です。
 マハラジ
 そのために、あなたには秩序ある静かな生活、マインドの平和、
 そして計り知れない誠実さが必要だ。
 いつであれ、あなたに求めずともやってくるものは神から贈られ
 たものであり、もしそれを精いっぱいに使うなら、かならずやあ
 なたを助けることだろう。
 あなた自身の想像と欲望から、骨を折って手に入れようとするも
 のだけがあなたに困難を与えるのだ。
 質問者 運命と恩寵は同じなのでしょうか?
 マハラジ
 絶対的にそうだ。
 人生を起こるがままに受け入れなさい。
 そうすれば、あなたはそれが祝福に満ちていることを知るだろう。
 質問者 私は自分の人生を受け入れることができます。どうして
     他者が生きているような人生を受け入れることができる
     でしょうか?
 マハラジ
 どちらにせよあなたは受け入れているのだ。
 他者の悲しみがあなたの快楽を妨げることはない。
 もしあなたが本当に慈悲深いのなら、とおの昔に利己主義を放棄
 し、唯一それだけが本当に人を救うことができる生き方をしてい
 ただろう。
 質問者 もし私が大きな家と充分な土地をもつならば、個室、共
     有の瞑想ホール、食堂、図書館などを備えたアーシュラ
     ムをつくるかもしれません。
 マハラジ
 アーシュラムはつくり出すものではない。
 それは起こるのだ。
 川をはじめたり、止めたりすることができないように、あなたに
 はそれをはじめたり、起こるのを妨げたりすることはできない。
 成功するアーシュラムの設立にはあまりにも多くの要因が関わり
 あい、あなたの内なる誠実さはその一要因にすぎないのだ。
 もちろん、あなたが自己の真の存在に無知であれば、あなたの為
 (な)すことは何であれ灰と帰するだろう。
 グルを模倣して無事に済むことはないのだ。
 すべての偽善は災難のうちに終わるだろう。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

782鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/10(水) 20:53:51 ID:1d4drIFg0
無理に作った寺はやがて破綻するものじゃ。
真の寺は自分の心の中にあるものじゃ。
外に求めることは出来ないのじゃ。
どこにいても心が静かならば、世界は沈黙しているのじゃ。

783避難民のマジレスさん:2019/04/10(水) 23:04:46 ID:LC3de7YgO
>>781
『I AM THAT 私は在る』
【95 人生を起こるがままに受け入れなさい】(つづき)

 質問者 聖者と成る前に、聖者のようにふるまうことにどのよう
     な害があるというのでしょうか?
 マハラジ
 聖人らしさを下稽古することはサーダナ(修練)だ。
 それは完全に正しい。
 もし何の功績も言いふらさなければ。
 質問者 試してみるまでは、どうして私にアーシュラムが建てら
     れるかどうかを知ることができるでしょう?
 マハラジ
 あなたがあなた自身をひとりの個人として、身体とマインドをも
 ち、生命の流れから分離し、己(おのれ)の意志を持ち、己の目
 的を追求しているかぎり、あなたはただ表層で生きているだけで
 あり、あなたの為すことは何であれ短命で無価値なものなのだ。
 それは単に虚栄心の炎にわらを投げ入れるようなものだ。
 真正な何かを期待する前に、あなた自身が本当の価値をもたなけ
 ればならない。
 質問者 どのような基準で計ればいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのマインドの中身を見てみなさい。
 あなたとはあなたが考えていることだ。
 あなたはほとんどの時間、自分の小さな個人と日々それが必要と
 するもので忙しいのではないだろうか?
 規則的な瞑想の価値は、あなたを日々の平凡な日課から引き離し、
 あなたはあなたが信じているようなものでないと思い起こさせる
 ことにある。
 だが、思い起こすことさえ充分ではない。
 行為が確信に沿わねばならないのだ。
 詳細にわたる遺書を書いておきながら、死ぬことを拒んでいる金
 持ちのようになってはならない。
 質問者 人生の法則は漸進的なものなのではありませんか?
 マハラジ
 いいや、そうではない。
 準備だけが漸進的であって、変化は突然で完璧なものだ。
 漸進的変化があなたを意識的存在の新たな段階に連れていくこと
 はない。
 あなたには手放す勇気が必要なのだ。
 質問者 私に欠けているのは勇気だということを認めます。
 マハラジ
 なぜなら、あなたは完全に得心していないからだ。
 完全な得心が欲望と勇気を生みだす。
 そして瞑想とは理解を通して信念を得る技なのだ。
 瞑想のなかで、あなたは受けた教えについてあらゆる角度から繰
 り返し熟考する。
 明晰性から確信が生まれ、確信とともに行為が生まれるのだ。
 確信と行為は不可分なものだ。
 もし行為が確信に続かなければ、まず、あなたの確信を調べてみ
 なさい。
 勇気のないことで自分を非難しては
ならない。
 自己欺瞞(ぎまん)はあなたをどこへも連れていきはしない。
 明晰性と感情をともなった同意なしに、意志が何の役に立つだろ
 うか?
 質問者 感情をともなった同意とはどういう意味でしょうか? 
     私は欲望に対抗して行為するべきではないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが欲望に対抗して行為することはないだろう。
 明晰性だけでは充分ではない。
 愛から現れるエネルギー、あなたの愛の対象がどのような形であ
 れ、行為するためには愛さなければならない。
 明晰性と慈愛なしには勇気も破壊的なものとなる。
 戦争において人びとは、しばしば素晴らしい勇気を見せるが、そ
 れが何だというのだろうか?
 質問者 私が欲しいのは平和に暮らせる庭のある家だけだという
     ことがはっきりしているのです。どうして欲望どおりに
     行動してはならないのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、そうするがいい。
 ただ不可避なもの、予期せぬものを忘れてはならない。
 雨なしには、あなたの庭も生い茂ることはないだろう。
 冒険には勇気が必要なのだ。
 質問者 私には勇気を集めるだけの時間が必要です。どうか、急
     がせないでください。私を行為へと成熟させてください。
 マハラジ
 取り組み方全体が間違っている。
 遅れた行為は見捨てられた行為なのだ。
 ほかの行為にとってのチャンスはあるかもしれない。
 だが、現在の瞬間は失われた。
 取り戻すことができないほどに失われたのだ。
 すべての準備は未来のためにある。
 あなたは現在のために準備することはできないのだ。
 質問者 未来のために準備することのどこが間違っているのでし
     ょう?
 マハラジ
 現在における行為は、それほどあなたの準備によって助けられて
 いるわけではない。
 明晰性は今にある。
 行為は今にある。
 準備について考えることが行為を妨害するのだ。
 そして、行為は実在の試金石なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

784鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/11(木) 21:15:32 ID:1d4drIFg0
自分が考えたり、想っているとがその人そのものとマハラジはいうのじゃ。
お釈迦様も全ては心によって作られるというのじゃ。
自分も、自分の世界も想ったり考えたりしていることで作られるのじゃ。
善い事を思えばよい世界が創られるのじゃ。

785避難民のマジレスさん:2019/04/11(木) 23:10:00 ID:LC3de7YgO
>>783
『I AM THAT 私は在る』
【95 人生を起こるがままに受け入れなさい】(つづき)

 質問者 確信なしに行為するときもそうなのでしょうか?
 マハラジ
 行為なしに生きることはできない。
 そしてそれぞれの行為の裏には、ある欲望や恐れが潜んでいるの
 だ。
 結局、あなたの為すことはすべて、世界は現実のものであり、あ
 なたから独立しているという確信に基づいているのだ。
 その反対の視野に確信したなら、あなたのふるまいもまったく違
 ったものとなるはずだ。
 質問者 私の確信に、何も間違ったところはありません。私の行
     動は環境によって形づくられているのです。
 マハラジ
 言ってみれば、あなたはあなたの境遇の実在性、あなたの住む世
 界の実在性に得心させられているということだ。
 世界をその源までたどり直してみなさい。
 すると、世界以前にあなたは存在し、世界がもはやなくなっても、
 あなたは残ることを見いだすだろう。
 あなたの永遠の存在を見つけだしなさい。
 そうすればあなたの行為がそれを証明するだろう。
 あなたはそれを見いだしただろうか?
 質問者 いいえ。
 マハラジ
 では、それ以外の何をするべきだというのだろうか?
 間違いなく、これがもっとも緊急の仕事なのだ。
 あなたはすべてを放棄し、何にも支えられず、何も定義されない
 ままとどまるまでは、すべてから独立したあなたを見ることはで
 きない。
 ひとたびあなた自身を知れば、あなたが何をするかは問題ではな
 くなるのだ。
 だが、あなたの独立性を自覚するためには、あなたが依存してい
 るものすべてを手放すことで試さなければならない。
 真我を実現した人は絶対的なレベルで生きている。
 彼の智慧(ちえ)、愛、勇気は完全なものであり、相対的なとこ
 ろはどこにもないのだ。
 それゆえ、彼はより厳しい、より以上を要求される道を行く試練
 を通して彼自身を証明しなければならないのだ。
 試みる人、試みられる人、そして試練の設定状況はすべて内面に
 ある。
 それは誰ひとり参加できない内なるドラマなのだ。
 質問者 磔(はりつけ)、死、復活、私たちはなじみ深い土台の
     上に立っているようです! 私は際限なくそれについて
     読み、聞き、語ってきました。しかし、自分自身でそれ
     をする能力はないと知ったのです。
 マハラジ
 静かにしなさい。
 揺らいではならない。
 そうすれば智慧と力は自ずとやって
くるだろう。
 それを熱望することはない。
 マインドとハートの沈黙のなかで待ちなさい。
 静かにすることはとてもやさしいことだ。
 ただ、進んでそうしようとする意志がまれなのだ。
 あなたがたは一夜にしてスーパーマンになりたがる。
 野望なしに在りなさい。
 わずかな欲望もなしに、露(あらわ)になり、壊れやすく、無防
 備で、不確かで、独りで、完全に開いて在リ、すべてがあなたの
 物質的、あるいは霊的快楽と利益を生みだすべきだといった利己
 的な確信をもつことなく、起こるがまま人生を受け入れなさい。
 質問者 私はあなたの言われることに応じます。ただ、私にはど
     うすればいいのかが見えないのです。
 マハラジ
 もしあなたがどうすればいいかを知っていたら、そうはしなかっ
 ただろう。
 あらゆる試みを放棄しなさい。
 ただ在りなさい。
 努力してはならない。
 闘ってはならない。
 すべての支えを手放し、存在の感覚に盲目的につかまりなさい。
 それ以外のすべてを払いのけなさい。
 それで充分だ。
 質問者 この払いのけるというのはどのようになされるのでしょ
     うか? 払いのければ払いのけるほど、それは表面へと
     現れてくるのです。
 マハラジ
 注意を退けなさい。
 ものごとが去来するにまかせなさい。
 欲望や思考もまた、ものごとなのだ。
 それらを無視するがいい。
 遙かなる昔から、あなたのマインドの鏡は出来事のほこりで覆わ
 れてきたため、あなたには記憶しか見えなくなっているのだ。
 ほこりが積もってしまう前に払い落としなさい。
 あなたのマインドの真の本性が発見されるまで、それが古い層を
 露にしていくだろう。
 それはすべてとても容易なことだ。誠実で忍耐強くありなさい。
 ただそれだけだ。
 無執着、冷静さ、欲望と恐れとすべての利己主義からの自由、気
 づき、記憶と期待からの自由、これこそ発見が起こりうるマイン
 ドの状態だ。
 結局のところ、解放とは発見することの自由なのだ。
『私は在る』(p511-513)
(´・(ェ)・`)
(おわり)

786避難民のマジレスさん:2019/04/11(木) 23:50:16 ID:LC3de7YgO
現在進行中の、マハラジとOSHOの購読会は、終了までまだ1〜2ヶ月かかるでありましょう。
両書とも生きてる間に可能な限り読みかえしたいと思う章であります。

次の購読会はクリシュナムルティにする予定で、準備に取り掛かったであります。
(´・(ェ)・`)つ

787避難民のマジレスさん:2019/04/12(金) 11:10:28 ID:jfWCoXjM0
鬼和尚にくまさん、いつもありがとうございます。
次はクリシュナムルティの予定なんですね。楽しみです。
現在OSHOとマハラジの2本立てで進行しているように、今後も鬼和尚のコメントをいただけるなら、
そして次枠の1つがまだ未定でしたら、マハルシの対話録を掲載してもよろしいでしょうか?
もしお二方がOKでしたら、私も準備に入りたいと思います。
(-人-)

788避難民のマジレスさん:2019/04/12(金) 18:12:48 ID:LC3de7YgO
>>787
おー!
ありがとうであります!
くま大賛成であります!
マハラジの方があと一ヶ月ほどで先に終わる予定であります。
(´・(ェ)・`)つ

789鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/12(金) 23:03:33 ID:1d4drIFg0
何かをするという行為が自我を起こすのじゃ。
何もしないでいれば自我も起こらないのじゃ。
それは悟っていない者には難しいことであるがのう。
それが出来ないものの為に瞑想も在るのじゃ。

790鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/12(金) 23:04:10 ID:1d4drIFg0
>>787 どんどんやるとよいのじゃ。

791避難民のマジレスさん:2019/04/12(金) 23:23:03 ID:jfWCoXjM0
>>790
ありがとうございます!
よろしくお願いします。
(-人ー)

792避難民のマジレスさん:2019/04/12(金) 23:27:28 ID:jfWCoXjM0
>>788
ありがとうございます!
鬼和尚のOKもいただけたので、準備にかかろうと思います。
私はマハラジの後でもOSHOの後でも構いませんが、くまさんのご希望はありますか?

793避難民のマジレスさん:2019/04/12(金) 23:39:02 ID:LC3de7YgO
>>792
先に読了する予定のマハラジの後に、はじめてください。
楽しみにしてます。
(´・(∀)・`)つ

794避難民のマジレスさん:2019/04/12(金) 23:43:48 ID:LC3de7YgO
>>785
1『I AM THAT 私は在る』
【96 記憶と期待を放棄しなさい】

 質問者 私はアメリカで生まれました。この一年間は、マディア
     ・プラデーシュにあるアーシュラムに滞在し、ヨーガと
     そのさまざまな相を研究していました。偉大なシヴァー
     ナンダ・サラスヴァティの弟子をグル(師)とする私た
     ちの師は、モンギュルに滞在しています。私はシュリー
     ・ラマナアシュラムにも滞在していました。ボンベイで
     はゴエンカによって主催されているビルマ式の集中瞑想
     コースに参加しました。それにもかかわらず、私はいま
     だ平和を見いだしてはいません。自己制御と日々の規律
     には改善が見られますが、ただそれだけです。私には何
     が何によってひき起こされたのか正確には言えません。
     多くの聖地も訪れてきました。それらはどのように私に
     影響を与えてきたのかは、私には言えません。
 マハラジ
 遅かれ早かれ、良い結果が現れるだろう。
 シュリー・ラマナアシュラムでは何か指導を受けたのだろうか?
 質問者 ええ。あるイギリス人が教えてくれました。それから、
     そこに定住しているジニャーナ・ヨーガを修めるインド
     人もまたレッスンをしてくれました。
 マハラジ
 あなたの予定は?
 質問者 ビザの関係で、アメリカに戻らなければなりません。理
     学士の学位を取得して自然治癒法を研究し、それを職業
     にしようと思っています。
 マハラジ
 間違いなく良い職業だ。
 質問者 たとえいかに犠牲を払っても、ヨーガの道を追求してい
     こうとすることに、何らかの危険があるでしょうか?
 マハラジ
 家が火事で燃えているとき、マッチ棒が危険だろうか?
 実在を探求することは、すべての仕事のなかでもっとも危険なも
 のだ。
 なぜなら、それはあなたの住んでいる世界を破壊するからだ。
 しかし、もしあなたの動機が真理と生命への愛であるならば、恐
 れる必要はない。
 質問者 私は自分自身のマインドを恐れています。それはとても
     不安定なのです!
 マハラジ
 あなたのマインドの鏡のなかで、イメージが現れては消えていく。
 鏡はそのままだ。
 すべての相違は現れのなかにだけあり、実際はひとつなのだと悟
 るまで、可動のものから不動のものを、変化するもののなかから
 不変のものを識別することを学びなさい。
 神、ブラフマン、母体(プラクリティ)、名前はともかく、この
 基本的なアイデンティティだけが、すべてはひとつだという真我
 の実現なのだ。
 ひとたびあなたが直接体験から生まれた確信とともに「私は世界
 であり、世界は私自身だ」と言うことができたとき、一方であな
 たは欲望と恐れから自由であり、もう一方では世界に対する完全
 な責任があるのだ。
 人類の愚かな悲しみはあなたの唯一の関心事となるのだ。
 質問者 それでは、ジニャーニ(賢者)にさえも問題はあるので
     すね!
 マハラジ
 そうだ。
 だが、それはもはや彼の創造したものではない。
 彼の悲しみは罪の感覚によって毒されたものではないのだ。
 ほかの人たちのために苦しむことは何も間違ったことではない。
 あなたがたのキリスト教はこのことを根底に置いているのだ。
 質問者 すべての苦しみは自己による創造物なのではありません
     か?
 マハラジ
 そのとおりだ。
 苦しみをつくり出す分離した自己がそこにあるかぎりは。
 究極的に、そこには罪も、犯罪も、報復もなく、ただ生命の果て
 しない変容があるだけだとあなたは知るのだ。
 個人的な「私」が消え去るとき、個人的苦しみも消え去る。
 大いなる慈悲の悲哀と不必要な苦痛は残るのだ。
 質問者 ものごとの成り立ちのなかに何か不必要なものがあるの
     でしょうか?
 マハラジ
 必要なものは何もない。
 不可避なものも何もない。
 習慣と情熱は盲目にし、惑わせる。
 慈悲心による気づきが癒し、救いをもたらすのだ。
 私たちにできることは何もない。
 私たちにできることは、その本性にしたがってものごとが起こる
 にまかせるだけだ。
 質問者 あなたは完全な受動性を指示されるのでしょうか?
 マハラジ
 明晰性(めいせきせい)と慈愛が行為なのだ。
 愛がたゆむことはない、明晰性が導いていく。
 あなたが行為について心配する必要はない。
 マインドとハートの面倒を見るがいい。
 愚かさと利己主義が唯一の悪なのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

795避難民のマジレスさん:2019/04/12(金) 23:47:08 ID:LC3de7YgO
>>794

>大いなる慈悲の悲哀と不必要な苦痛は残るのだ。

←>不必要な苦痛は残る 不必要な苦痛 とは何でありましょうか??

反応としての、肉体の危険信号としての痛みと言う意味でありましょうか?
だとすると、不必要とは言えないような気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ

796鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/13(土) 22:04:33 ID:1d4drIFg0
↑それは衆生の苦悩を自らの苦痛として受け取ることなのじゃ。
 自他の区別が無い目覚めた者は苦しむ者が居れば自分の苦痛として受け取ってしまうのじゃ。
 それは本来無いものであり、観念ではあるから不必要なのじゃ。
 しかし、人に教えを説くために身体があればそれもあり続けるのじゃ

797避難民のマジレスさん:2019/04/13(土) 22:24:30 ID:LC3de7YgO
>>796
鬼和尚、ありがとうであります。
そのように解説していただいて、はじめてマハラジの思考、文脈が理解できたであります。
(´・(ェ)・`)つ

798避難民のマジレスさん:2019/04/13(土) 22:36:28 ID:LC3de7YgO
>>794
『I AM THAT 私は在る』
【96 記憶と期待を放棄しなさい】(つづき)

 質問者 神の名の復唱と瞑想、どちらがより良いのでしょうか?
 マハラジ
 復唱はあなたの呼吸を安定させる。
 深く静かな呼吸によって、生命力が改善される。
 それが脳に影響を与え、マインドの浄化を助け、瞑想にふさわし
 くするのだ。
 生命力なしには何もなされない。
 それゆえ、生命力の維持と増強が重要となるのだ。
 姿勢と呼吸はヨーガの一部だ。
 なぜなら、身体は良い健康状態で制御されていなければならない
 からだ。
 だが、身体への過度な集中も本来の目的にそむいてしまう。
 なぜなら、はじめのうちはマインドが第一とされるからだ。
 マインドがやすらぎ、内なる空間(チダカーシュ)を乱さないと
 き、身体は新たな意味を得、変容は必要となり、また可能ともな
 るのだ。
 質問者 私はインド中を巡り、多くのグルと出会い、いくつかの
     ヨーガを少しずつ学んできました。このようにすべてか
     らすこしずつ味わうことはいいことでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 これはただの前置きにすぎない。
 あなたはあなたの道を見いだす助けをさし出す人に出会うだろう。
 質問者 私は自分で選んだグルは真のグルではありえないのでは
     ないのかと感じています。真の師であるなら、彼は予期
     できず、抵抗できない形で現れるはずです。
 マハラジ
 期待しないことが最善だ。
 あなたの反応の仕方が決定するのだ。
 質問者 私は自分の反応のマスターなのでしょうか?
 マハラジ
 今、識別し無執着であれば、適切な時期にその実を結ぶだろう。
 もし根元が健康で水のやり具合も良ければ、果実はかならず甘い
 ものとなるだろう。
 純粋で、目覚め、準備を整えておきなさい。
 質問者 苦行や禁欲主義は役に立つのでしょうか?
 マハラジ
 人生のあらゆる浮き沈みにであうことは充分な苦行だ。
 苦難を発明する必要などない。
 何であれ、人生がもたらすものを明るく受け入れていくことが、
 あなたに必要な苦行のすべてだ。
 質問者 犠牲に関してはどうでしょうか?
 マハラジ
 誰であれ必要とする人に、進んで喜んで分け与えなさい。
 自分自身に残酷な試練を与えたりしてはならない。
 質問者 明け渡しとは何でしょうか?
 マハラジ
 来るものを受け入れなさい。
 質問者 私は自分の足で立つには弱すぎると感じています。私に
     はグルと善き人びととの聖なる交友が必要だと感じるの
     です。マインドの平静は私にとって手の届かないもので
     す。ものごとを起こるがままに受け入れることは私をお
     びえさせます。アメリカに帰ることを考えるとぞっとす
     るのです。
 マハラジ
 帰りなさい。
 そしてあなたに与えられた機会に最善を尽くしなさい。
 理学士の学位をまず取得しなさい。
 あなたは自然療法の研究のためにいつでもインドに戻ることがで
 きる。
 質問者 アメリカでのチャンスについてはよくわかっています。
     私をおびえさせるのは孤独なのです。
 マハラジ
 あなたには、いつもあなた自身の自己という仲間がいる。
 孤独を感じる必要はない。
 それから離れれば、インドにいたとしても孤独を感じるだろう。
 すべての幸福は自己を喜ばすことから来るのだ。
 自己を満足させなさい。
 アメリカに戻ったら、あなたのハートのなかの荘厳なる実在に値
 しないようなことは何もしてはならない。
 そうすれば、あなたは幸せだろう。
 そして幸せでありつづけるだろう。
 だが、自己を見いださなければならない。
 そして見いだした後、それとともにとどまるのだ。
 質問者 完全に独りであることは何かの助けになるでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたの気質にかかっている。
 あなたはほかの者たちとともに、そしてほかの者たちのために、
 注意深く友好的に働くかもしれない。
 そしてあなたを愚鈍にし、マインドの果てしないおしゃべりに翻
 弄(ほんろう)させてしまう孤独のなかよりもより完全に成長す
 るかもしれない。
 努力によって変化をもたらすことができるなどと想像してはいけ
 ない。
 暴力は、たとえ自分自身に向けられたものでも、苦行や禁欲主義
 のように実を結ばないものなのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

799避難民のマジレスさん:2019/04/15(月) 00:29:52 ID:LC3de7YgO
>>798
『I AM THAT 私は在る』
【96 記憶と期待を放棄しなさい】(つづき)

 質問者 誰が実現し、誰がしていないのかを見分ける方法はないのでしょうか?
 マハラジ
 唯一の証明はあなたのなかにある。
 もしあなたが黄金に変身すれば、それは賢者の石に触れたことのしるしなのだ。
 その人と一緒にいて、何が起こるかを見てみることだ。
 ほかの者たちに尋ねてはならない。
 彼らの師があなたのグルであるとはかぎらない。
 グルは本質において普遍的かもしれないが、表現においては異なるのだ。
 彼は自分のアーシュラムのことを心配していたり、貪欲(どんよく)だったり、
怒っていたりするように見えるかもしれない。
 一方、ほかの教師たちは違うかもしれない。
 質問者 内面と外面の両方での完璧さを期待するべきではないのでしょうか?
 マハラジ
 内面においては、そのとおりだ。
 しかし、外面の完璧さは環境、体の状態、個人的、社会的状態など、無数の要因
によるのだ。
 質問者 私はジニャーニを探しだすように、そうすれば自己知識を達成する技を
彼から学べるだろうと言われました。そして今、その取り組み方自体が間違ったも
のであり、ジニャーニを認めることはできず、ジニャーナ(自己知識)を適切な方
法で獲得することもできないと言われたのです。まったく訳がわかりません!
 マハラジ
 それは実在に関するまったくの誤解によるものだ。
 あなたのマインドは価値評価することや獲得することに没頭している。
 そして獲得不可能なものがあなたの認識を永遠に待っていることを認めることは
ないだろう。
 あなたが為(な)すべきことは、すべての記憶と期待を放棄することだけだ。
 ただ、完全に無防備な無の状態のなかで待つがいい。
 質問者 誰が放棄をするのでしょうか?
 マハラジ
 神がするだろう。
 ただ、放棄される必要があることを見なさい。
 抵抗してはいけない。
 あなた自身だと思いこんでいる個人にしがみついてはいけない。
 あなたがあなた自身を個人だと想像するために、賢者もまたより知識があり、よ
り能力があり、どこか普通とは違う個人だろうと思ってしまうのだ。
 彼は永遠に意識的で幸福だとあなたは言うかもしれない。
 だが、それも全体としての真理からは遠くかけ離れたものなのだ。
 定義や描写を信頼してはいけない。
 それらはひどく誤った印象を与えてしまうのだ。
 質問者 どうすればいいのか、どのようにするのかを言ってもらわないかぎり、
迷ってしまいます。
 マハラジ
 ならば迷うがいい。
 あなたが有能で自信があると感じているかぎり、実在はあなたの手の届かないと
ころにあるのだ。
 あなたが内なる冒険をひとつの生き方として受け入れないかぎり、発見はあなた
に訪れないだろう。
 質問者 何の発見でしょうか?
 マハラジ
 あなたの存在の中心の発見だ。
 それはすべての方向、すべての手段と結果から自由なものだ。
 質問者 「すべてに成れ、すべてを知れ、すべてを持て」でしょうか?
 マハラジ
 「何にもなるな、何も知るな、何も持つな」だ。
 これが唯一生きる価値のある生き方、唯一手にする価値のある幸福なのだ。
 質問者 目的が私の理解を超えたものだということは認めましょう。少なくとも
道を示してもらえませんか。
 マハラジ
 あなた自身で道を見いださなければならないのだ。
 あなた自身で見いださないかぎり、それはあなた自身の道ではないだろう。
 そして、それはどこへもあなたを導きはしないだろう。
 誠実にあなたの見いだした真理を生きなさい。
 理解したわずかなことにしたがって行動しなさい。
 あなたを導くのはほかの誰かの賢さではなく、あなた自身の誠実さなのだ。
 質問者 私は過ちを犯すことを恐れるのです。とても多くのことを試みてきまし
たが、何にもなりませんでした。
 マハラジ
 あなたはほんのわずかしかあなた自身を捧げていない。
 単に興味があるだけで、誠実ではないのだ。
 質問者 それ以上良い在り方を知らないのです。
 マハラジ
 少なくともそれくらいは、あなたも知っている。
 それが表面的であることを知り、あなたの体験に価値を与えることはやめなさい。
 体験が過ぎしだい忘れなさい。
 清らかな無我の人生を生きなさい。
 ただ、それだけだ。
 質問者 倫理がそんなに重要でしょうか?
 マハラジ
 騙(だま)してはいけない。
 傷つけてはいけない――それは重要なことではないかね。
 何よりも、あなたには内面と外面の調和を要する内なる平和が必要なのだ。
 あなたの信じることをしなさい。
 そしてあなたのすることを信じなさい。
 それ以外のすべては時間とエネルギーの浪費なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

800鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/15(月) 02:13:46 ID:1d4drIFg0
>>797 どういたしまして、またおいでなさい。

無我ではなにものでもなく、何も知らず、何も持たないのじゃ。
何かになる自分が無く、知る自分が無く、持つ自分がないからのう。
何かになり、知識を増やし、持つものが多くなれば悟りは遠ざかるのじゃ。
自分がそれであるとか、自分にはこの知識があるとか、自分はこれを持っていると囚われが多くなるかのう。
死とともに全てを捨てなければならない自らをよく観るのじゃ。

801避難民のマジレスさん:2019/04/16(火) 00:40:54 ID:LC3de7YgO
>>799
『I AM THAT 私は在る』
【97 マインドと世界はひとつ】

 質問者 ここには何人かの聖者の写真があります。彼らはあなたの霊的系統
 の歴代の師たちだと聞きました。彼らは誰なのでしょうか。また、どのよう
にしてそれははじまったのでしょうか?
 マハラジ
 私たちは「九人の師(ナヴナート)」と呼ばれている。
 伝説では、私たちの最初の師はダッタートレーヤ* だと伝えられている。
 彼はブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三代神の偉大なる化身だ。
 この「九人の師」でさえも神話なのだ。
 訳注*  ダッタートレーヤ Dattaatreya
     ヴェーダの教え以前の時代の聖者。特にアドヴァイタ・ヴェーダー
     ンタの教義の代表格である『アヴァドゥータ・ギーター』、『ジー
     ヴァンムクタ・ギーター』、『トリプラ・ラハーシャ』の著者とし
     て知られる。ヒンドゥー教三大神の化身であり、ダッタートレーヤ
     ・サンプラダヤの創始者。
 質問者 彼らの教えの独自性とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 そのシンプルさにある。
 理論においても、実践においても。
 質問者 人はどのようにしてナヴナートになるのでしょうか? 秘伝伝授に
 よってでしょうか、あるいは継承によってでしょうか?
 マハラジ
 どちらでもない。
 ナヴナート・パランパラ、すなわち九人の師の伝統は、川の流れのように実
 在の大洋に流れ着き、誰であれそれに溶け入った人が伝えていくのだ。
 質問者 それは同じ伝統に属す、生きた師からの容認を暗示しているのでし
 ょうか?
 マハラジ
 「私は在る」という感覚にマインドの焦点を合わせるサーダナ(修練)を重
 ねてきた者たちは、同じサーダナを継承してきたほかの人びと関係している
 と感じるかもしれない。
 そして彼らの間に生まれた密接な親近感を、自らをナヴナートと呼ぶことに
 よって表すのかもしれない。
 それは彼らに確立した伝統に所属する喜びを与えるのだ。
 質問者 所属することによって、彼らは何らかの恩恵を受けるのでしょうか?
 マハラジ
 サットサン、「聖者たちとの交わり」の輪が時を経るにしたがって広がって
 いくのだ。
 質問者 それによって、彼らは所属しなければ閉ざされたであろう力と恩寵
(おんちょう)の源を占有するのでしょうか?
 マハラジ
 力と恩寵は求める者たちに、そしてすべての人に開かれている。
 自分自身に特定の名前を与えることは何の助けにもならない。
 何であれ好きな名で自分を呼ぶがいい。
 あなたが真剣にあなた自身を覚えることをマインドにとどめているかぎり、
 自己知識にとっての蓄積された障害はかならず一掃されるだろう。
 質問者 もし私があなたの教えを気に入り、指導を受ければ、私をナヴナー
     トと呼ぶことができるのでしょうか?
 マハラジ
 言葉に耽溺(たんでき)したあなたのマインドをそれで喜ばすがいい!
 名前があなたを変えることはないのだ。
 せいぜいそれはあなたに正しくふるまうよう思い出させる程度だろう。
 グルと弟子の継承というものはある。
 弟子は師と入れ替わり、より多くの弟子たちを養成し、このようにして系統
 は維持されていく。
 しかし、伝統の継承は非形式的な、任意のものだ。
 それは家系の名前のようなものだ。
 ただ、ここでの家系は霊的なものなのだ。
 質問者 サンプラダヤに加わるには、あなたは真我を実現しなければならな
 いのでしょうか?
 マハラジ
 ナヴナート・サンプラダヤは単なる伝統のひとつ、教えと修練の方法のひと
 つにすぎない。
 それが意識のレベルを表すわけではないのだ。
 もしあなたがナヴナート・サンプラダヤの師をあなたのグルとして受け入れ
 れば、あなたは彼のサンプラダヤに加わるのだ。
 普通あなたは、彼から見られること、触れられること、あるいはひとつの言
 葉として、また、ときには生き生きとした夢として、あるいは強烈な思い出
 としての彼の恩寵のしるしを受ける。
 ときには弟子のふるまいと人格の意味深い急速な変化が、恩寵の唯一のしる
 しであることもある。
 質問者 私はあなたを知り、定期的にあなたに会うようになって、もう何年
 にもなります。あなたへの想いが私を離れたことはけっしてありま
 せん。それは私をあなたのサンプラダヤに加わったことにするので
 しょうか?
 マハラジ
 あなたの帰属は、あなた自身の感情と確信の問題だ。
 結局、それはまったく言語上の形式的なものだ。
 実際には、グルも弟子もなく、理論も修練もない。
 無知も解脱もまたないのだ。
 すべてはあなたが自己を何と見なすかにかかってくる。
 あなた自身を正しく知りなさい。
 自己知識に代わるものはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

802鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/16(火) 23:03:31 ID:1d4drIFg0
例え悟りのための伝統であっても囚われればそれが障害になるのじゃ。
煩悩になるとも言えるのじゃ。
法統のために欲や怒りや愚かさが起こるからのう。
法にも囚われず、法統にも囚われないようにするのじゃ。

803避難民のマジレスさん:2019/04/17(水) 07:42:51 ID:LC3de7YgO
>>801
『I AM THAT 私は在る』
【97 マインドと世界はひとつ】(つづき)

 質問者 自己を正しく知ることで、どのような証明を私は得るのでしょうか?
 マハラジ
 証明の必要はない。
 その体験は唯一無二の、まぎれもない明白なものだ。
 障害がある地点まで取り除かれたとき、悟りはあなたに突然開かれるだろう。
 それは極度に張りつめた縄が、ぷっつり切れるようなものだ。
 縄を縒(よ)ることがあなたの仕事だ。
 縄の切れる瞬間はかならずやってくる。
 それを遅らせることはできても、妨げることはできないのだ。
 質問者 私はあなたが因果関係を否定されたことに混乱させられています。
     それはつまり、世界がありのままであることは、誰の責任でもない
     ということでしょうか?
 マハラジ
 責任という概念は、あなたのマインドのなかにある。
 あなたは起こることすべてに対して何か、あるいは誰かが完全な責任を取ら
 なければならないと考えている。
 多様な宇宙と単独の原因との間には、ある矛盾がある。
 二つのうちのどちらかが偽りに違いない。
 あるいはどちらともだ。
 私が見るかぎりでは、それはすべて白昼夢だ。
 概念のなかに実在はない。
 事実は、宇宙もその原因も、あなたなしで存在のなかに現れることはできな
 かっただろうということだ。
 質問者 私には自分が創造物なのか、それとも宇宙の創造主なのかを見てと
     ることができません。
 マハラジ
 「私は在る」が変わらぬ事実だ。
 一方、「私は創造された」はひとつの観念だ。
 神も宇宙もあなたのもとへやってきて、彼らがあなたを創造したと伝えはし
 なかった。
 因果関係の概念に取りつかれたマインドが創造を発明し、そして「創造者は
 誰なのか?」と不思議がるのだ。
 マインド自体が創造者だ。
 これさえもまた完全な真実ではない。
 なぜなら創造されたものと創造者はひとつだからだ。
 マインドと世界はひとつだ。
 あなたが世界として考えているものは、あなた自身のマインドなのだという
 ことを理解しなさい。
 質問者 世界はマインドの外にあるのでしょうか、それともその彼方にある
     のでしょうか?
 マハラジ
 すべての時間と空間はマインドのなかにある。
 どこにマインドを超えた世界を位置づけるというだろうか?
 マインドには多くのレベルがあり、それぞれがそれ自身の解釈を投影する。
 それでも、すべてはマインドのなかにあり、マインドによって創造されたも
 のなのだ。
 質問者 罪に対するあなたの態度はどのようなものでしょうか? あなたは
     罪人を、内面または外面の法則を破った誰かをどう見ますか? あ
     なたは彼に変わってほしいと願うでしょうか、あるいは、ただ彼を
     哀れむだけでしょうか? または、罪を犯したゆえに無視するので
     しょうか?
 マハラジ
 私はどのような罪も罪人も知らない。
 あなたの区別や評価が私を拘束することもない。
 誰もがその人の本性にしたがってふるまうのだ。
 それはどうすることもできないことであり、遺憾(いかん)に思う必要もな
 いのだ。
 質問者 他者が苦しむでしょう。
 マハラジ
 生命は生命を食べることによって生きている。
 自然のなかでは、その過程は強制的なものだ。
 社会においては、それは任意のものだ。
 犠牲なしに生命はありえない。
 罪人は犠牲になることを拒む、そして死を招く。
 それはただ、あるがままであり、非難や哀れみの理由にはならないのだ。
 質問者 もちろん、ある人が罪に深く染まっているのを見るとき、あなたは
     少なくとも哀れみを感じることでしょう。
 マハラジ
 そうだ。
 私はその人を私だと感じ、彼の罪は私の罪だと感じるのだ。
 質問者 そのとおりです。そして、それからどうするのでしょう?
 マハラジ
 私が彼とひとつになることによって、彼も私とひとつになる。
 それは意識的な過程ではない。
 まったくひとりでに起こるのだ。
 私たちのどちらも、どうすることもできない。
 起こらなければならない変化が、とにかく起こるのだ。
 今ここで自己がひとつであることを知るだけで充分だ。
 自己のマインドのなかを熱心に、秩序立てて調査することがヨーガなのだ。
 質問者 罪によってつくり出された運命の連鎖についてはどう見られますか?
 マハラジ
 罪の母である無知が溶け去ったとき、運命である、再び罪を犯そうとする脅
 迫的欲求もまたやむのだ。
 質問者 そこには報復があるはずです。
 マハラジ
 無知が終焉(しゅうえん)するとともに、すべては終わりを告げる。
 そのとき、ものごとはあるがままに見られ、そしてそれは善なのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

804鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/17(水) 22:59:12 ID:1d4drIFg0
西洋では罪とか罰の観念が宗教的に結び付けられているからそれを重視するのじゃ。
それもまた観念のみなのじゃ。
罪があれば罰するものがいる。
罰するものが神とか創造主というのじゃ。
それは親の観念が拡大されたものにすぎないのじゃ。

805避難民のマジレスさん:2019/04/18(木) 07:36:36 ID:LC3de7YgO
>>803
『I AM THAT 私は在る』
【97 マインドと世界はひとつ】(つづき)

 質問者 もし法を破る者、罪人があなたの前に現れ、あなたの恩寵を請うと
 したら、あなたはどう反応するでしょうか?
 マハラジ
 彼は彼の望む者を得るだろう。
 質問者 非常に悪い人でもあなたの恩寵を得るのでしょうか?
 マハラジ
 私は誰も悪い人を知らない。
 私はただ私自身を知っているだけだ。
 私はいかなる聖者も罪人も知らない。
 ただ生きる存在を見るだけだ。
 私は恩寵を施したりはしない。
 私には与えるものは何もないし、拒むものもない。
 あなたたちは等しい量をすでにもっているのだ。
 ただあなたの豊かさに気づきなさい。
 そしてそれらを充分利用するがいい。
 私からの恩寵を必要だと想像するかぎり、あなたは私の家の戸口でそれを乞
 うことになるのだ。
 私があなたから恩寵を乞うことはけっしてない。
 私たちは分離してなどいない。
 実在は共有のものだ。
 質問者 ある母親があなたに悲痛な話をもってやってきます。彼女のひとり
 息子が麻薬とセックスに溺(おぼ)れ、状況はより一層悪化するば
 かりです。彼女はあなたの恩寵を求めています。あなたはどう対処
 されますか?
 マハラジ
 おそらく私は、彼女にすべては良くなるだろうと私自身が伝えているのを聞
 くことだろう。
 質問者 ただそれだけですか?
 マハラジ
 それだけだ。
 それ以上何をあなたは期待するというのだろうか?
 質問者 しかし、彼女の息子は変わるのでしょうか?
 マハラジ
 変わるかもしれない、変わらないかもしれない。
 質問者 あなたのまわりに集まった人びとや、あなたを何年も知ってきた人
 びとは、あなたが「それはすべて良くなるだろう」と言ったとき、
 つねにあなたの言ったようになるのだと、皆口をそろえて話してい
 ます。
 マハラジ
 あなたは同様に、母親の想いが子供を救ったのだと言えるだろう。
 なぜなら、すべてに無数の原因があるからだ。
 質問者 自分自身のために何ひとつ望まない人は全能だと聞きました。宇宙
 全体は彼の思いどおりだというのです。
 マハラジ
 もしあなたがそう信じるならば、それにしたがって行動するがいい。
 個人的な欲望をすべて放棄しなさい。
 そして蓄えられた力を、世界を変えるために使うがいい。
 質問者 すべての仏陀たちやリシ(見者)たちは、世界を変えることに成功
 しませんでした。
 マハラジ
 世界は変わることに身をゆだねはしない。
 それはその本性からして苦痛に満ち、はかないものなのだ。
 それをあるがままに見るがいい。
 そしてあなた自身からすべての欲望と恐れをぬぐい去りなさい。
 世界があなたを捕らえ、縛りつけなくなったとき、それは美と喜びの住処
 (すみか)となる。
 世界のなかで幸福となれるのは、あなたがそれから自由になったときだけだ。
 質問者 何が正しく何が間違いなのでしょうか?
 マハラジ
 一般的には、苦しみを生じさせることが間違いで、苦しみを取り除くことが
 正しい。
 身体とマインドには限界があり、それゆえ傷つきやすい。
 それらが保護を必要とすることが恐れを生みだすのだ。
 それらと自己同一化するかぎり、あなたが苦しむのは避けられない。
 あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
 あなたに言おう。
 これが幸福の秘密なのだ。
 あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自己の真の本
 性に関するあなたの無知によるものなのだ。
 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
 智慧(ちえ)なのだ。
 質問者 存在と欲望、どちらが先に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 意識のなかに存在が立ち現れるとともに、あなたが何であるか、また何に成
 るべきかという観念も立ち現れる。
 これが欲望と行動を生み、何かに成るという過程がはじまるのだ。
 成ることには、明らかにはじまりも終わりもない。
 なぜなら、それは毎瞬毎瞬、新たにはじまるからだ。
 創造と欲望が停止したとき、成ることはやみ、あれやこれとして在ることは
 純粋な存在へと溶け去る。
 それは表現することのできない、ただ体験することだけが可能なものだ。
 世界があなたにとって、それほどにも圧倒的に現実のものとして現れるのは、
 あなたがそれについてつねに考えているからだ。
 それについて考えるのをやめてみなさい。
 そうすれば、それは霧のなかに消えていくだろう。
 忘れる必要はない。
 欲望と恐れが終焉したとき、束縛もまた終わりを告げるだろう。
 私たちが人格や気性と呼ぶ、好き嫌いのパターンに感情的に巻きこまれるこ
 と、それが束縛をつくり出すのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

806鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/18(木) 22:00:05 ID:1d4drIFg0
自分があるという観念から、孤独や恐れが起こり、それを逃避するために欲も起こるのじゃ。
この反応が続いている限り、心を詳細に観ることはできないのじゃ。
心にある孤独や恐れを観ないように逃避し続けているのであるからのう。
逃避を止めて真摯に心を観る決意が出来たときに悟りの道も始まるのじゃ。

807避難民のマジレスさん:2019/04/18(木) 23:06:51 ID:LC3de7YgO
>>805
『I AM THAT 私は在る』
【97 マインドと世界はひとつ】(つづき)

 質問者 欲望も恐れもなければ、どのような行動の動機があるというのでし
     ょうか?
 マハラジ
 何もない。
 あなたが生命の愛、正義、美を充分な動機と考えないかぎりは。
 欲望と恐れからの自由を恐れてはならない。
 それはあなたの知っているすべてとはまったく違った、より一層強烈で興味
 深い人生を生きることを可能にさせる。
 まさしく、すべてを失うことによって、あなたはすべてを得るのだ。
 質問者 あなたの霊的系統をリシ・ダッタートレーヤからたどっていくとす
     れば、あなたとあなたの先師たちは皆、リシの化身だと信じてよい
     のでしょうか?
 マハラジ
 何であれあなたの好きなように信じるがいい。
 そして、もしあなたの信じるところにしたがって行動するならば、その結果
 を得ることだろう。
 しかし、私にとってそれは何の重要性もない。
 私は私だ。
 そして、私にとってはこれで充分なのだ。
 私にはいかに高名な人物と出会っても、自己同一化したいという欲望はない。
 また、神話を実在のものと見なすべき必要も感じない。
 私が唯一興味を持つのは無知と、無知からの解放だけだ。
 厳密な意味においてのグルの役割とは、弟子のマインドとハートのなかの無
 知を追い払うことだ。
 ひとたび弟子が理解したなら、決意を固めるのは彼にかかっている。
 誰もほかの者のために行為することはできないのだ。
 そして、もし彼が正しく行為をしなかったなら、それは彼がまだ理解をして
 いなかったという意味にすぎない。
 そしてグルの仕事はまだ終わっていないということなのだ。
 質問者 いくつかの絶望的な場合もありうるのでしょうか?
 マハラジ
 絶望的な人はひとりもいない。
 障害は乗り越えられるものだ。
 生が修繕しなければ、死が終焉させるだろう。
 しかしグルに失敗はありえない。
 質問者 何があなたに確信を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 師と弟子の内なる実在はひとつであり、マインドの救済と解放というひとつ
 の目的に向かってともに働いている。
 それに失敗はありえないのだ。
 彼らの行く手を遮る大きな岩そのものから、彼らは橋を築きあげる。
 意識は存在の全体ではないのだ。
 そこには弟子がより協調的な別のレベルも存在し、グルはすべてのレベルに
 精通している。
 そして、彼のエネルギーと忍耐は無尽蔵なのだ。
 質問者 あなたは、私が夢を見つづけていて、今が目覚めるべき好機なのだ
     と言いつづけています。しかし、私の夢のなかに現れ、私のもとに
     やってきながら、どうしてマハラジは私を目覚めさせることに成功
     してこなかったのでしょうか? あなたはそれを思い出させ、目覚
     めへと駆りたててきました。しかし夢は続くばかりです。
 マハラジ
 それはつまり、あなたは夢を見ているということを、本当に理解してはいな
 かったからだ。
 実在と非実在を混同すること――これが束縛の本質だ。
 あなたの現状では、ただ「私は在る」だけが実在に帰するものだ。
 「何として」、あるいは「どのように私は在る」は、運命、あるいは偶然か
 ら押しつけられた幻想なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

808避難民のマジレスさん:2019/04/18(木) 23:09:08 ID:LC3de7YgO
>>807

> 意識は存在の全体ではないのだ。
 そこには弟子がより協調的な別のレベルも存在し、グルはすべてのレベルに
 精通している。

これはどういう意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

809鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/19(金) 22:09:07 ID:1d4drIFg0
↑それは個人的な意識なのじゃ。
個人のマインドのレベルが全てではないというのじゃ。
師匠に反発しているような弟子も潜在意識では悟りを得たいと思って学んでいるのじゃ。
潜在意識のレベルでは弟子も協調しているのじゃ。
師匠はそのような潜在意識の全てのレベルについて知っているのじゃ。

810避難民のマジレスさん:2019/04/20(土) 00:58:39 ID:LC3de7YgO
>>809
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

811避難民のマジレスさん:2019/04/20(土) 01:07:44 ID:LC3de7YgO
いま、クリシュナムルティの準備に取りかかってるのでありますが、
直訳調の文章が、手強いでります。
けど、それだから良いのかも知れぬと思うのであります。
必死に理解しようとしないと、ワケわかんなくすぐになるのであります。
読むだけで瞑想効果があるのやもしれぬと思ったりするくまである。
(´・(ェ)・`)つ

812避難民のマジレスさん:2019/04/20(土) 08:24:47 ID:LC3de7YgO
>>807
『I AM THAT 私は在る』
【97 マインドと世界はひとつ】(つづき)

 質問者 夢はいつはじまったのでしょうか?
 マハラジ
 それにははじまりがないように見える。
 しかし、事実はたった今だ。
 一瞬一瞬、あなたはそれを再生しているのだ。
 しかし、あなたは見ない。
 なぜなら、あなたはその夢が続いてほしいからだ。
 いかなる代価を支払ってでも、真剣にその夢が終わってほしいと一心に願う
 日がやってくるだろう。
 その代価とは、無執着と冷静さ、その夢自体への興味を失うことだ。
 質問者 何と私は絶望的なのでしょう。存在の夢が続くかぎりは、それが続
     いてほしいと思いますし、私がそれの続くことを望むかぎり、それ
     は続いていくでしょう。
 マハラジ
 それが続くように望むことは、避けられないわけではない。
 あなた自身の状態を明瞭に見なさい。
 あなたの明晰性そのものがあなたを解放させるだろう。
 質問者 私があなたとともにいるかぎりは、あなたの言うことはみなとても
     明らかなのですが、あなたから離れたとたん、私は落ち着きを失い、
     不安を抱えてうろつきまわるのです。
 マハラジ
 私から離れる必要はない、少なくともマインドのなかでだけは。
 だが、あなたのマインドは世界の幸福を追求しているのだ!
 質問者 世界は困難に満ちています。私のマインドがそれでいっぱいなのも
     不思議はありません。
 マハラジ
 世界にかつて困難のなかったときがあっただろうか?
 あなたが個人としてあること自体、他者への暴力に依存しているのだ。
 あなたの身体自体が、死と死者に満ちた戦場なのだ。
 存在していくこと自体が暴力を含むことを暗示するのだ。
 質問者 ひとつの身体としてあることでは、そのとおりです。ひとりの人間
     としての存在では断固違います。なぜなら、人類にとって非暴力は
     生命の法則であり、暴力の死だからです。
 マハラジ
 自然のなかに非暴力というものはない。
 質問者 神と自然は人類ではありませんし、人道にかなう必要もありません。
     私の関心は人間だけです。人間的であるためには慈悲深くあること
     は絶対的なことです。
 マハラジ
 防御すべき自我を抱えているかぎり、暴力的にならざるをえないことが、あ
 なたには理解できるだろうか?
 質問者 理解できます。真に人間としてあるかぎり、私は無私にならなけれ
     ばなりません。私が利己的であるかぎり、私は人間以下、ただ人間
     のように見えるだけです。
 マハラジ
 それでは、私たちは皆人間以下であって、ほんのわずかの人だけが人間だと
 いうことだ。
 わずかであろうと、多かろうと、私たちを人間的にするのは「明晰性」と
 「慈愛」だ。
 人間以下、人間のように見える者たちは、タマス(受動性)とラジャス(活
 動性)に支配され、人間はサットヴァ(純粋性)によって支配されている。
 明晰性と慈愛は、マインドと行為に影響を与えるサットヴァなのだ。
 だが、実在はサットヴァさえも超えている。
 私があなたを知って以来、あなたはつねに世界の救済を追求しているようだ。
 どれほどの助けをあなたはしたのだろうか?
 質問者 まったくだめです。世界も私も変わっていません。しかし、世界は
     苦しんでいます。そして私もそれとともに苦しむのです。苦しみに
     対して闘うことは自然な反応です。文明と文化、哲学や宗教は、ほ
     かでもない苦しみに対する抵抗なのです。悪と悪の終焉、それこそ
     あなたが挺身していることではないでしょうか? あなたはそれを
     無知と呼ぶかもしれませんが、それは同じことです。
 マハラジ
 言葉が重要なのではなく、あなたが今どのような状態にあるかも重要ではな
 い。
 名前と形は絶え間なく変化していく。
 あなた自身が、変化の絶えないマインドの不変の観照者であることを知りな
 さい。
 それで充分だ。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

813鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/20(土) 22:51:20 ID:1d4drIFg0
名前とイメージによる観念は絶え間なく変化しているものじゃ。
それに囚われれば、いつまでも迷ったままなのじゃ。
囚われなければ自己の本性に目覚めるのじゃ。
記憶から起こる観念ではなく、実在する今ここにある実感に目覚めるのじゃ。

814避難民のマジレスさん:2019/04/20(土) 23:39:55 ID:LC3de7YgO
>>812
1『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】

 マハラジ
 あなたは床に座っても大丈夫かね?
 クッションは必要ないかね?
 何か尋ねたいことはないだろうか?
 尋ねる必要があるというわけではない。
 静かにしているだけでもいいのだ。
 在るためには、ただ在ることが重要だ。
 何を尋ねる必要も、する必要もない。
 そのような、一見怠惰な時間の過ごし方はインドでは高く評価されているの
 だ。
 つまりしばらくの間、あなたは「つぎは何か?」という考えに取りつかれる
 ことから解放されるのだ。
 あなたが急がず不安から自由なとき、マインドは静かになり、沈黙のなかで
 ふだん認識するには微妙で繊細すぎるほどの何かが聞こえてくるかもしれな
 い。
 マインドは見るために開いていて静かでなければならない。
 私たちがここで試みていることは、何が実在なのかを理解するために、マイ
 ンドを正しい状態にもたらすことなのだ。
 質問者 どのようにして心配を断ち切ればいいのでしょうか?
 マハラジ
 心配について心配する必要はない。
 ただ在りなさい。
 静かにしようとしなくてもいいのだ。
 「静かに在る」ということを成し遂げるべき仕事にしてはいけない。
 「静かに在る」ことについて落ち着きを失ってはいけない。
 「幸福である」ことについて惨めになってはいけない。
 ただ、あなたが在るということに気づいていなさい。
 そして気づきつづけなさい。
 「はい。私は気づいています。つぎは何でしょうか?」と言ってはならない。
 「私は在る」のなかに「つぎ」はない。
 それは時間を超えた状態なのだ。
 質問者 それが時間を超えた状態なら、いずれにせよ、それは自らを明らか
     にするでしょう。
 マハラジ
 あなたは永遠に、あなたであるものだ。
 だがそれを知り、それにしたがって行為しないかぎり、あなたにとって何の
 役に立つだろう?
 あなたの乞食(こつじき)の鉢は純金でできているかもしれない。
 それでも、それを知らないかぎりあなたは貧者なのだ。
 あなたは自分の内なる価値を知り、信頼し、欲望と恐れを日々捨て去ってい
 くことで、それを表現していかなければならないのだ。
 質問者 もし私が私自身を知れば、欲望や恐れはなくなるのでしょうか?
 マハラジ
 新たな視野にもかかわらず、しばらく間は既知なる過去への切望と未知なる
 未来への恐れという精神的習慣が続くことだろう。
 それらがただのマインドにすぎないと知ったとき、あなたはそれらを超えて
 いくことができる。
 あなた自身に関してあらゆる類の観念を持っているかぎり、あなたはあなた
 自身をそれらの観念を通して知るのだ。
 あなたをあるがままに知るには、すべての観念を捨て去らなければならない。
 純粋な水の味を想像することはできない。
 すべての味を放棄することによってのみ、それを発見することができるのだ。
 現在の生き方に興味を持っているかぎり、あなたはそれを放棄しないだろう。
 なじみのあることにしがみついているかぎり、発見は訪れないだろう。
 人生の計り知れない悲しみを完全に自覚し、それに対して抵抗するときにの
 み、出口は見いだされるのだ。
 質問者 今こそ私には、インドの永遠なる生命の秘密がこの存在の次元にあ
     ると理解できます。インドはつねにその保管者であったのです。
 マハラジ
 それは開かれた秘密であり、そこにはつねにそれを分かちあう用意のある人
 びとがいたのだ。
 教師は数多くいるが、恐れのない弟子はまれだ。
 質問者 私には学ぶ用意があります。
 マハラジ
 言葉を学ぶだけでは充分ではない。
 あなたは理論を知っているかもしれない。
 だが非個人として、存在の無条件の中心、愛と至福としてのあなた自身によ
 る実際の体験なしには、単なる言語上の知識は不毛なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

815鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/21(日) 22:53:42 ID:1d4drIFg0
自分は人間であるとか、自分とはこのようなものであるとかの観念がある限り人はそれを自分として捉えるのじゃ。
観念としてのみ自分を認識しているのじゃ。
それらの観念を全て捨て去ったときに真の実在が知れるのじゃ。
難しいことではあるがのう。

816避難民のマジレスさん:2019/04/21(日) 23:08:17 ID:LC3de7YgO
>>814
『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】(つづき)

 質問者 それでは、どうすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 在ることを試みなさい。
 ただ在りなさい。
 重要な言葉は「試みること」だ。
 一日のなかで、充分な時間を静かに座ることに当てなさい。
 ただ人格と、その耽溺(たんでき)や妄想を超えていくように試みなさい。
 どのようにするかを尋ねてはならない。
 それは説明できないのだ。
 ただ、成功するまで試みなさい。
 もっとも重要なことは誠実さ、真剣さだ。
 あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
 していなければならないのだ。
 そしてこのひと束の記憶と習慣との無用な自己同一化から自由となる緊急の
 必要性を見なさい。
 この無用な自己同一化に対する揺るぎない抵抗が成功の秘密なのだ。
 結局、人生のあらゆる瞬間においてあなたはあるがままのあなたなのだ。
 だが、けっしてそれを意識したことがなかった。
 おそらく眠りから目覚める瞬間を除いては。
 あなたに必要なことは存在に気づくことだけなのだ。
 言葉としての表明ではなく、ひとつの常在の事実として。
 本来のあなたである気づきが、あるがままのあなたへと目を開かせるだろう。
 それはとてもシンプルなことだ。
 最初にあなた自身との絶え間ない接触を確立しなさい。
 すべての祝福は自己覚醒のなかへと注がれる。
 観察の中心として在ることからはじめなさい。
 あなたの認識範囲を熟考し、そして行為における愛の中心へと成長していき
 なさい。
 「私は在る」はまったく自然に、努力の跡もなく偉大な樹へと生長する小さ
 な種子なのだ。
 質問者 私は自分のなかに多くの悪があることがわかります。それを変える
     べきではないでしょうか?
 マハラジ
 悪とは不注意の影なのだ。自己覚醒の光のなかで悪は枯れ果て、落ちていく
 だろう。
 他者への依存はすべて不毛なことだ。
 なぜなら、他者が与えるものは、他者によって取り去られるからだ。
 初めからあなた自身のものだけが、最後まであなた自身のものとして残るの
 だ。
 内なる導き手だけを受け入れなさい。
 そしてすべての記憶を捨て去りなさい。
 なぜなら、それらはあなたを惑わせるからだ。
 たとえ、あなたがまったく方法や手段について無知であったとしても、静か
 にしていなさい。
 そして内側を見なさい。
 導きはかならずやってくる。
 つぎの一歩がどうあるべきかを知らないまま、取り残されることはけっして
 ないだろう。
 問題は、あなたがそれを避けるかも知れないことだ。
 グルは、彼の体験と成功からあなたに勇気を与えるためにそこにいる。
 だが、あなた自身の気づきと努力を通して発見したことだけが、あなたにと
 って永久に役立つだろう。
 何であれあなたが知覚するものは、あなたのものではないということを覚え
 ていなさい。
 外側から来るものには何の価値もないのだ。
 あなた自身の感覚と理解だけが有意義であり、ものごとを明らかにするのだ。
 聞いたり読んだりした言葉はマインドのなかにイメージをつくり出すだけだ。
 だが、あなたは精神的イメージではない。
 あなたはイメージの背後とその彼方にある行為と知覚を可能にする力なのだ。
 質問者 どうやら、あなたは私にエゴイズムといっていいほど利己主義にな
     れと助言しているようです。私はほかの人びとに興味をもつことさ
     え許されないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの他者への興味が利己的、自己中心的、自分思考なのだ。
 あなたは個人としての他者に興味があるのではない。
 ただ彼らがあなた自身のイメージを豊かに高めるかぎり興味をもつのだ。
 そして究極的な利己主義とは、自己の身体の保護、維持、そして繁殖だけを
 気にすることだ。
 身体ということで、私はあなたの名前と形に関するすべて――あなたの家族、
 部族、国、人種などを意味している。
 自己の名前と形に執着することは利己主義なのだ。
 自分が身体でもマインドでもないと知っている人は、利己的ではありえない。
 なぜなら、彼は利己的になるための何ものももってはいないからだ。
 あるいは、彼は出会うすべての人のために、等しく「利己的」であるとも言
 えるだろう。
 すべての人の幸福が彼自身のものなのだ。
 「私は世界だ。世界は私自身だ」という感覚はまったく自然になり、ひとた
 びそれが確立されたら、けっして利己的であることはない。
 利己的であることとは、部分が全体に対して欲望し、獲得し、蓄積すること
 を意味しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

817鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/22(月) 23:48:40 ID:1d4drIFg0
エゴイズムとは他人を自分の思うとおりにしたいという欲求の原因となるものじゃ。
他人との関わり合いには、それが常に出てしまうものじゃ。
自分の心を観ることこそ真のエゴイズムの放棄なのじゃ。
自分が無いことを気付けば他人もまた無いと知るのじゃ。

818避難民のマジレスさん:2019/04/23(火) 00:17:08 ID:LC3de7YgO
>>816
『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】(つづき)

 質問者 人は多くの所有物、遺産相続、結婚、あるいは単に幸運から裕福で
     あるかもしれません。
 マハラジ
 もしあなたがそれにしがみつかなければ、それらは取り去られてしまうだろ
 う。
 質問者 現在の状態においてあなたはほかの人を個人として愛することがで
     きますか?
 マハラジ
 私がほかの人だ。
 ほかの人が私なのだ。
 名前と形において私たちは異なっている。
 だが、そこに分離はない。
 存在の根本において、私たちはひとつなのだ。
 質問者 人びとの間に愛があるときはいつでもそうなのではありませんか?
 マハラジ
 そうだ。
 だが、彼らはそれを意識してはいない。
 彼らは魅力を感じるが、その理由を知らないのだ。
 質問者 どうして愛は選択するのでしょうか?
 マハラジ
 愛は選択しない。
 欲望が選択するのだ。
 愛のなかに他者はいない。
 利己主義の中心がもはやないとき、すべての快楽への欲望と苦痛への恐れは
 やむ。
 人はもはや幸福であることに興味を持たなくなる。
 幸福を超えたところに、純粋で強烈な、無尽蔵のエネルギー、永久に枯渇す
 ることのない源から与えることの歓喜があるのだ。
 質問者 私は善と悪の問題をまず解決するべきではないでしょうか?
 マハラジ
 人びとは快いことを善とみなし、苦しいことを悪と見なすのだ。
 質問者 ええ、私たち普通の人びとにとってはそのとおりです。しかし、あ
     なたが統合されたレベルから見たときはどうでしょう? あなたに
     とっては何が善で何が悪なのでしょうか?
 マハラジ
 苦しみを増長することが悪であり、それを取り除くことは善だ。
 質問者 では、苦しみそのものは善ではないと言われるのですね? 苦しみ
     を正しく、高尚なものとして考えている宗教がありますが。
 マハラジ
 カルマ、あるいは運命は有益な法則の表現だ。
 普遍的なものは均衡、調和、統一に向かう傾向がある。
 あらゆる瞬間において、何であれ起こっていることは最善のためのものだ。
 それは苦しいもの、あるいは醜いもの、苦渋に満ち、無意味なものかもしれ
 ない。
 それでも、過去と未来のことを考えれば、それは破滅的な状況からの出口と
 して最善のものなのだ。
 質問者 人が沈黙の観照者であり、また普遍的エネルギーでもあると聞かさ
     れることは、言うまでもなく喜ばしいことです。しかし、どうやっ
     て言語上の表明から直接の知識へと超えていけばいいのでしょうか?
     聞くことは知ることではありません。
 マハラジ
 あなたが何かを直接知る前に、言葉を通してではなく知る者を知らなければ
 ならないのだ。
 今まで、あなたはマインドを知る者と見なしてきた。
 だが、そうではないのだ。
 マインドはイメージと観念をあなたに詰め込んできた。
 それは記憶に傷跡を残すのだ。
 あなたは覚えていることを知識だと思いこんできた。
 真の知識とはつねに新鮮で、新しく、予期できないものだ。
 それはあなたの内面から沸き上がってくるのだ。
 あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知るものでも
 在る。
 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。
 質問者 私にはマインドによってマインドを調べることができるだけです。
 マハラジ
 もちろん、マインドを知るためにマインドを使うがいい。
 それは完全に正当であり、またマインドを超えていくには最善の準備でもあ
 る。
 在ること、知ること、そして楽しむことはあなた自身のものだ。
 まず、あなた自身の存在を認識しなさい。
 それはやさしいことだ。
 なぜなら「私は在る」という感覚はつねにあなたとともにあるからだ。
 それから、知られるものから離れた、知る者としてのあなた自身と出会いな
 さい。
 ひとたび純粋な存在としてのあなたを知れば、自由の歓喜はあなたのものだ。
 質問者 これはどのヨーガなのでしょうか?
 マハラジ
 なぜ気にするのか?
 あなたをここへ来させたのは、あなたの知る身体とマインドの人生が満たさ
 れないものだからだ。
 あなたはコントロールを通して、また理想に合わせてそれを屈服させようと
 するかもしれない。
 あるいはすべての自己同一の結び目を断ち切り、身体とマインドを、あなた
 とは何の関わりもなく起こる何かとして見るかもしれない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

819鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/23(火) 21:57:13 ID:1d4drIFg0
悟った者には自他の区別は無いのじゃ。
それは悟っていない者にも真実なのじゃ。
ただそれを認識できないだけなのじゃ。
記憶による観念の分別を厭離すれば出来るようになるのじゃ。

820避難民のマジレスさん:2019/04/23(火) 23:19:56 ID:LC3de7YgO
>>819
>記憶による観念の分別を厭離すれば出来るようになる

それが出来ても悟ったことにはならず、更にその先に意識を滅してしまうと、
無為の為でありますか?

(´・(ェ)・`)つ

821避難民のマジレスさん:2019/04/24(水) 00:01:01 ID:LC3de7YgO
>>818
ごめんなさい。
この部分のコピペを間違えてしまいました。
>>818
を全文差し替えます。
(´・(ェ)・`)つ

822避難民のマジレスさん:2019/04/24(水) 00:11:14 ID:LC3de7YgO
>>818
『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】(つづき)

 質問者 人は多くの所有物、遺産相続、結婚、あるいは単に幸運から裕福で
     あるかもしれません。
 マハラジ
 もしあなたがそれにしがみつかなければ、それらは取り去られてしまうだろ
 う。
 質問者 現在の状態においてあなたはほかの人を個人として愛することがで
     きますか?
 マハラジ
 私がほかの人だ。
 ほかの人が私なのだ。
 名前と形において私たちは異なっている。
 だが、そこに分離はない。
 存在の根本において、私たちはひとつなのだ。
 質問者 人びとの間に愛があるときはいつでもそうなのではありませんか?
 マハラジ
 そうだ。
 だが、彼らはそれを意識してはいない。
 彼らは魅力を感じるが、その理由を知らないのだ。
 質問者 どうして愛は選択するのでしょうか?
 マハラジ
 愛は選択しない。
 欲望が選択するのだ。
 愛のなかに他者はいない。
 利己主義の中心がもはやないとき、すべての快楽への欲望と苦痛への恐れは
 やむ。
 人はもはや幸福であることに興味を持たなくなる。
 幸福を超えたところに、純粋で強烈な、無尽蔵のエネルギー、永久に枯渇す
 ることのない源から与えることの歓喜があるのだ。
 質問者 私は善と悪の問題をまず解決するべきではないでしょうか?
 マハラジ
 人びとは快いことを善とみなし、苦しいことを悪と見なすのだ。
 質問者 ええ、私たち普通の人びとにとってはそのとおりです。しかし、あ
     なたが統合されたレベルから見たときはどうでしょう? あなたに
     とっては何が善で何が悪なのでしょうか?
 マハラジ
 苦しみを増長することが悪であり、それを取り除くことは善だ。
 質問者 では、苦しみそのものは善ではないと言われるのですね? 苦しみ
     を正しく、高尚なものとして考えている宗教がありますが。
 マハラジ
 カルマ、あるいは運命は有益な法則の表現だ。
 普遍的なものは均衡、調和、統一に向かう傾向がある。
 あらゆる瞬間において、何であれ起こっていることは最善のためのものだ。
 それは苦しいもの、あるいは醜いもの、苦渋に満ち、無意味なものかもしれ
 ない。
 それでも、過去と未来のことを考えれば、それは破滅的な状況からの出口と
 して最善のものなのだ。


 質問者 人は自分自身の罪だけのために苦しむのでしょうか?
 マハラジ
 人は自分自身が何であると考えるかにしたがって苦しむ。
 あなたが人類とひとつであると感じるならば、あなたは人類とともに苦しむ
 のだ。
 質問者 では、宇宙とひとつだと主張しているあなたにとって、時間的にも
     空間的にも苦しみはかぎりないものなのです!
 マハラジ
 在ることとは苦しむことなのだ。
 自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみはより激しい
 ものとなるのだ。
 質問者 キリスト教は苦しみを、浄化し気高くするものとして受け入れてい
     ます。一方、ヒンドゥー教はそれを毛嫌いしているようです。
 マハラジ
 キリスト教は言葉を構成するひとつの方式であり、ヒンドゥー教はまた別の
 方式なのだ。
 実在は言葉の背後に、そしてその彼方にある。
 それは伝達不可能でありながら直接体験され、マインドに爆発的影響を及ぼ
 すものなのだ。
 他に何も望むものがないとき、実在は容易に手に入る。
 非実在は想像によって創造され、欲望によって永続されるのだ。
 質問者 必要とされ、善である苦しみというものはないのでしょうか?
 マハラジ
 偶然に、あるいは不意に起こる苦痛は一時的であり、避けることができない。
 たとえ最善を考慮した上であっても、意図的に加えられた苦痛は、無意味で
 あり残酷なものだ。
 質問者 あなたなら犯罪を罰することはないのでしょうか?
 マハラジ
 罰は合法化された犯罪でしかない。
 報復よりも防止をもとに築かれた社会では、犯罪は非常にまれなのだ。
 不健全なマインドと身体によって起こったようないくつかの例外は、医学的
 に扱われることだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

823鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/24(水) 22:43:44 ID:1d4drIFg0
>>820 それが出来れば、悟りは訪れるじゃろう。
 それから無為が起こるじゃろう。
 
 社会的な刑罰は社会を守るためのものでしかないのじゃ。
 罰を加える事で民衆を脅して社会の秩序を保っているのじゃ。
 それ故にその罰もまた犯罪でしかないのじゃ。
 犯罪の報復に犯罪を実行しているだけなのじゃ。

824避難民のマジレスさん:2019/04/24(水) 23:05:38 ID:LC3de7YgO
>>823
鬼和尚、ありがとうであります。
無為の為は、悟り後の世界なのでありますね。
それをイメージして、気負わず、目の前にあることを、出来る限りたんたんとやることにより、いろいろと道が開けるであります。
(´・(ェ)・`)つ

825避難民のマジレスさん:2019/04/24(水) 23:16:09 ID:LC3de7YgO
>>822
『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】(つづき)

 質問者 どうやら、あなたは宗教を無用だと考えているようですね。
 マハラジ
 宗教とは何だろうか?
 空に浮かぶひとつの雲だ。
 私は無数の言葉で織りなされた雲のなかにではなく、空のなかに住んでいる。
 無用な言葉を取り去りなさい。
 すると何が残るだろうか?
 真理が残る。
 私の家は不変なるもののなかにある。
 それは対極同士がつねに調和され、統合された状態にある。
 人びとはそのような状態の実際の体験や、その障害について、そしてひとた
 び知覚されればそれを意識内に確立する技について学ぶためにここへやって
 くるのだ。
 そうすることによって、生きることと理解との間に衝突が起こらないように。
 その状態自体はマインドを超えており、習う必要はない。
 マインドは障害に焦点を合わせることができるだけだ。
 障害を障害として見ることは効果のあることだ。
 なぜなら、マインドがマインドに働きかけているからだ。
 ことの起源からはじめなさい。
 「あなたは在る」という事実に注意を払いなさい。
 「私はいない」と言えるときはないのだ。
 あなたに言えることは、「私は覚えていない」ということだけだ。
 記憶がいかに頼りにならないものか、あなたも知っているだろう。
 些細な個人的関心事に没頭して、あなたはあなたが何なのかを忘れてしまっ
 たのだ。
 既知なるものを消し去ることで、失われた記憶を取り戻すように試みなさい。
 何が起こるのかをあなたに伝えることはできない。
 またそれは望ましいことではない。
 期待が幻想を生みだすからだ。
 内なる探求においては、予期せぬことが起こることは不可避だ。
 発見は、かならずすべての想像を超えたものなのだ。
 生まれたばかりの子どもに、誕生した後の人生を知ることができないような
 ものだ。
 なぜなら、マインドのなかにそれを形づくるための確かな画像が何もないか
 らだ。
 同じようにマインドは、「これではない、あれでもない」という否定の言語
 による以外に、非実在の言語をもって実在について考えることは不可能なの
 だ。
 非実在を実在と受け入れることが障害であり、偽りを偽りとして見て、それ
 を放棄することが実在を存在のなかにもたらすのだ。
 明晰(めいせき)性とかぎりない愛、完全に恐れのない状態。
 今、これらは単なる言葉、色彩のないただの輪郭(りんかく)、こうありう
 るというヒントでしかない。
 あなたは手術の結果、目の見えるようになることを期待している盲目の人の
 ようなものだ。
 もしあなたが手術を避けさえしなければ!
 私が在る状態では、言葉はまったく重要なものではない。
 また、そこには言葉への耽溺などない。
 ただ、事実だけが重要なのだ。
 質問者 言葉なくして宗教はありえません。
 マハラジ
 記録された宗教は単なる無用な言葉の山にすぎない。
 宗教はその真実の顔を行為のなかで、沈黙の行為のなかで示すのだ。
 人が何を信じているかを知るには、彼の行為を見守るがいい。
 大半の人びとにとっては、身体とマインドに仕えることが彼らの宗教なのだ。
 彼らは宗教的理念をもっているかもしれない。
 だが、それにしたがって行為することはない。
 彼らはその理念をもてあそぶかもしれない。
 そして、しばしば非常にその理念を好んでいるかもしれない。
 それでも、それにしたがって行為することはないだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

826避難民のマジレスさん:2019/04/24(水) 23:19:55 ID:LC3de7YgO
>>825
> 宗教とは何だろうか?
 空に浮かぶひとつの雲だ。
 私は無数の言葉で織りなされた雲のなかにではなく、空のなかに住んでいる。
 無用な言葉を取り去りなさい。
 すると何が残るだろうか?
 真理が残る。

マハラジの宗教についての言葉とOSHOのそれは、全然違う言葉で語りながら同じことを言ってるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

827鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/25(木) 22:24:47 ID:1d4drIFg0
>>824 そうじゃ、完全に無為の為ができるのは悟った後なのじゃ。
 ただひたすらに精進あるのみなのじゃ。

>>826 そうじゃ、真の宗教とは人を悟りに導くものじゃ。
 それ以外の信仰は宗教とは真の意味では呼べないものじゃ。
 神の奴隷になるというのは宗教ではなく観念への執着なのじゃ。
 観念への執着を取り去るものが真の宗教なのじゃ。

828避難民のマジレスさん:2019/04/25(木) 23:29:10 ID:LC3de7YgO
>>825
『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】(つづき)

 質問者 言葉は意思伝達のために必要とされます。
 マハラジ
 確かに、情報の伝達のためには必要だ。
 だが、人びとの間の真の伝達は言語によるものではない。
 関係性を確立し維持していくには、直接行動によって表された感情豊かな気
 づきが要求されるからだ。
 あなたが何を言うかではなく、何をするかが重要なのだ。
 言葉はマインドによって作られ、マインドのレベルにおいてのみ意味を持つ。
 あなたには「パン」という言葉を食べることも、それによって生きることも
 できない。
 それは単に概念を伝えるだけなのだ。
 それは実際に食べることによって意味を獲得する。
 それと同じ感覚で私はあなたに「普通の状態とは言語上のものではない」と
 言っているのだ。
 それは賢明なる愛が行為のなかで表現されたものだとも言えよう。
 だが、あなたがその豊かさと美を自ら体験しないかぎり、言葉では言い表せ
 ないのだ。
 言葉にはそれ自体のかぎられた有益性がある。
 だが、言葉に制限を与えてこなかったことが、私たちを崩壊の淵へと追いや
 ったのだ。
 私たちの高尚な考えは、不名誉な行為によって絶妙に相殺されてきた。
 私たちは神、真理、愛について語る。
 だが、直接の体験の代わりに定義を蓄えてきた。
 行為を広め、そして深めていく代わりに、定義づけに忙しかったのだ。
 そして定義できることを、私たちは知っていると想像してきたのだ。
 質問者 どのようにして言葉を通さずに体験を伝えることができるのでしょ
     う?
 マハラジ
 体験は言葉で伝えることができない。
 それは行為とともに表されるのだ。
 体験のなかに強烈に在る人は、確信と勇気をまわりに放っている。
 ほかの人たちも行為し、行為から生まれた体験を得ていくのだ。
 言語上の教えは、マインドがマインド自体とその蓄積してきたものを取り除
 き、空にするのを助けるのだ。
 一切の外的なものに価値がなくなり、ハートにそのすべてを放棄する用意が
 あるとき、ひとつの霊的な成熟のレベルに到達されたのだ。
 そのときこそ実在はチャンスを得、それをしっかりとつかむ。
 もし遅れがあるとしたら、マインドが見ること、あるいは捨て去ることを望 
 まないことが原因なのだ。
 質問者 私たちはそれほどまでに孤独なのでしょうか?
 マハラジ
 いいや、そうではない。
 もっている者たちは与えることができる。
 そして、そのような与える者たちは多くいる。
 世界自体が、誠実な犠牲的行為によって支えられている最高の贈り物なのだ。
 だが賢明で、謙虚な、受け取るにふさわしい人たちはまれだ。
 「求めよ。さらば与えられん」は永遠の法則なのだ。
 あなたはとても多くの言葉を学び、とても多くの言葉を話してきた。
 あなたはすべてを知っている。
 だが、あなた自身を知らないのだ。
 なぜなら、自己が言葉を通して知られることはないからだ。
 ただ直接の洞察だけが自己を露(あら)わにする。
 内側を見なさい。
 内側を探求するのだ。
 質問者 言葉を放棄するのは本当に難しいことです。私たちの精神的人生は、
     ひとつの絶え間ない言葉の流れなのです。
 マハラジ
 それはやさしいとか難しいという問題ではない。
 あなたに選択権はない。
 試みるか、試みないか。
 それはあなたにかかっているのだ。
 質問者 私は何度も試み、そして失敗してきたのです。
 マハラジ
 もう一度、試みなさい。
 あなたが試み続けるなら、何かが起こるだろう。
 試みなければ、あなたは立ち往生するだけだ。
 あなたはすべての正しい言葉を知り、聖典を引用し、討論において優秀であ
 るかもしれない。
 しかしそれでも、ただの薄っぺらな人間のままだ。
 あるいはあなたは目立たない、謙虚な、取るに足りない人かもしれない。
 それでも愛に満ちた優しさと、深い知恵に輝いているかもしれないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

829避難民のマジレスさん:2019/04/25(木) 23:40:01 ID:LC3de7YgO
>>828
ここで、マハラジが語ってることは、尼僧の千代能な経験の仕方しか、悟り用はないと言うことでありますね。
観念を厭離することでありますね。

そして、いつになく厳しいニサルガさんであります。
>それはやさしいとか難しいという問題ではない。
 あなたに選択権はない。
 試みるか、試みないか。
 それはあなたにかかっているのだ。

(´・(ェ)・`)つ

830鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/26(金) 21:59:04 ID:1d4drIFg0
↑そのようなものじゃ。
 知識や言葉では何も起こらないのじゃ。
 ただひたすらに実践を日々積み重ねるのじゃ。
 その果てに悟りも訪れるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

831避難民のマジレスさん:2019/04/26(金) 23:24:50 ID:LC3de7YgO
>>828
『I AM THAT 私は在る』
【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】

 質問者 私は修練のために、さまざまなヨーガを探索しながら転々と旅をし
     てきました。そして、いまだにどれが私にとって最適なのか決断の
     付かないままでいるのです。何か的確な助言をいただければ幸いで
     す。現在、このすべての探求の結果として、私は真実を見いだそう
     という考えに疲れてしまいました。私にとって、それは無用な、困
     難なものと見えるのです。人生はあるがままに楽しむべきものであ
     って、それを改善することはまったく無駄に見えます。
 マハラジ
 その満足のなかにとどまりたいのならば、そうすればいい。
 だが、あなたにできるだろうか?
 青春、活力、金銭――それらはすべて、あなたが予期したよりも足早に過ぎ
 去っていくだろう。
 そして、それまで避けてきた悲しみがあなたにつきまとうだろう。
 もしあなたが苦しみを超えたければ、自らそれを出迎えに行き、抱きしめな
 ければならないのだ。
 あなたの習慣や耽溺を捨て去り、シン
プルで目覚めた人生を生きなさい。
 生きるものを傷つけてはならない。
 それがヨーガの根本なのだ。
 実在を見いだすには、日々の最もささいな行為においてさえ、あなたは真実
 でなければならない。
 真理の探究においては、いかなる欺瞞も許されないのだ。
 あなたは人生が楽しむべきものだと知ったと言う。
 今はそうかもしれない。
 だが、それを楽しむのは誰なのか知っているだろうか?
 質問者 実を言えば、私は楽しむ者も楽しまれるものも知りません。私の知
     っているのは楽しみだけです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 しかし、楽しみとはマインドの状態だ――それは来ては去っていくものだ。
 そのはかなさそのものが、それを知覚可能にする。
 変化しないものを意識することはできない。
 意識とはすべて、変化の意識なのだ。
 だが、変化を知覚すること自体が、そこに普遍の背景のあることを余儀なく
 しているのではないだろうか?
 質問者 いいえ、そうではありません。以前の状態の記憶と現在の状態であ
     る現実との比較が、変化の体験を与えるのです。
 マハラジ
 記憶されたことと実際に起こっていることの間には、一瞬一瞬において観察
 することのできる基本的な相違がある。
 現実が思い出されるといった瞬間はありえないのだ。
 その二つの間には、単に強烈さだけではない異なった性質がある。
 現実とは紛れもないものだ。
 意志による努力や想像では、その二つを入れ換えることはできない。
 さて、何が現実の状態にこの特別な質を与えるのだろうか?
 質問者 現実は真正です。一方、記憶されたことには多分の不確実性がある
     のです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 だが、なぜだろうか?
 ほんの一瞬前、記憶されたことは現実であったし、一瞬のうちに現実は記憶
 となるだろう。
 何が現実を独特のものにするのだろうか?
 明らかに、それはあなたの存在の感覚だ。
 記憶と期待の中には観察されている精神的状態という明かな感覚がある。
 一方、現実の中には根元的な現在の存在、そして気づきがそこにあるのだ。
 質問者 ええ、理解できます。現実と記憶されたことの間に違いをもたらす
     のは気づきなのです。人は過去や未来のことを考えますが、人は今
     に存在しているのです。
 マハラジ
 あなたがどこへ行こうと、今、ここという感覚はつねにあなたとともにある
 のだ。
 それはつまり、あなたは時間と空間に依存していないということだ。
 時間と空間はあなたのなかにあり、あなたがそれらのなかにあるのではない。
 時間と空間に限定された身体との自己同一化が、あなたに有限の感覚を与え
 るのだ。
 実際には、あなたは無限で永遠なのだ。
 質問者 この無限で永遠の自己を、どのようにして知るのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが知りたがっている自己、それは何か二番目の自己のようなものだろ
 うか?
 もちろん、そこにはひとつの自己があるだけだ。
 そしてあなたがその自己なのだ。
 あなたである自己、それが唯一存在する自己だ。
 あなた自身に関する誤った観念を取り除き、放棄しなさい。
 するとすべての荘厳さとともに、それはそこにある。
 自己知識を妨げるのはあなたのマインドだけなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

832避難民のマジレスさん:2019/04/27(土) 18:41:24 ID:LC3de7YgO
予定変更の告知、(´・(ェ)・`)つ
>>792殿が マハルシの対話録 を取り上げてくださるとのことでありますので、
くまはパパジ「真理のみ」を掲載しようと思うであります。

その方が、同じ流れの理解を深めることができるような気がするでありますから。

833鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/27(土) 22:58:29 ID:1d4drIFg0
↑どんどんやるとよいのじゃ。

自分に関する知識こそ人が学ぶべきものじゃ。
自ら観察して気付いた自己知識が真に役立つものじゃ。
親とか教育とか友人とか社会に植えつけられた誤まった観念は取り除かねばならんのじゃ。
そうでなければ苦しむだけなのじゃ。

834避難民のマジレスさん:2019/04/27(土) 23:39:05 ID:LC3de7YgO
>>831
『I AM THAT 私は在る』
【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】(つづき)

 質問者 どうやってマインドを追い払うのでしょうか? そしていったい人
     間のレベルで、マインドなしの人生が可能なのでしょうか?
 マハラジ
 マインドというようなものはないのだ。
 そこには観念があって、それらのなかのいくつかは間違ったものなのだ。
 誤った観念を放棄しなさい。
 なぜならそれらは偽りであり、あなた自身に関するあなたの見解を妨げるか
 らだ。
 質問者 どの観念が誤りで、どの観念が正しいのでしょうか?
 マハラジ
 普通、自己主張が誤りであり、自己否定が正しいのだ。
 質問者 すべてを否定することによって生きていることはできません。
 マハラジ
 ただ否定によってのみ、人は生きることができるのだ。
 自己主張は束縛だ。
 疑うことと否定することがなくてはならない。
 それは反抗の本質だ。
 そして反抗することなしに解放はありえないのだ。
 そこに探求すべき第二の、あるいは高次の自己というものはない。
 あなたが最高位の自己なのだ。
 ただ、あなた自身に関する偽りの観念を捨て去りなさい。
 あなたは身体、そしてその欲望と恐れではなく、またマインドとその幻想的
 な観念でもなく、社会があなたに演じるように強要した個人としての役柄で
 もないと、信念と理性があなたに告げているのだ。
 偽物を捨て去りなさい。
 そうすれば真実はそれ自体で現れるだろう。
 あなたはあなた自身を知りたいと言う。
 あなたがあなた自身なのだ。
 あなたはあなた以外の何者にもなれない。
 知ることと在ることは別々だろうか?
 あなたがマインドをもって知ることは何であれマインドのものであって、あ
 なたではない。
 あなた自身についてあなたに言えることは「私は在る。私は気づいている。
 私はそれを愛する」だ。
 質問者 私は生きることが苦痛に満ちた状態だと知っています。
 マハラジ
 あなたに生きることはできない。
 なぜなら、あなたは生命そのものだからだ。
 あなたが苦しむのではない。
 あなたがあなた自身だと思いこんでいる個人が苦しむのだ。
 気づきのなかでそれを消し去りなさい。
 それは記憶と習慣の束でしかないのだ。
 偽りに対する気づきからあなたの真の本性に対する気づきに至る間には深い
 淵がある。
 ひとたびあなたが純粋な気づきの技を習得すれば、それはたやすく越せるだ
 ろう。
 質問者 私の知っていることは、私自身を知らないということだけです。
 マハラジ
 自己を知らないということをどうして知るのだろう
 あなたの直接の洞察が、何よりもあなた自身を知っていると告げているのだ。
 なぜなら、ものの存在を体験するあなたがそこにいないかぎり、何も存在す
 ることはできないからだ。
 あなたは自己を描写できないために、自己を知らないと想像しているのだ。
 あなたはつねに、「私は在るということを知っている」と言うことができる。
 そして「私はいない」という表明を偽りとして退けることだろう。
 だが、何であれ描写できるものはあなた自身ではありえない。
 そしてあなたであるものを描写することはできないのだ。
 あなたは自己定義や自己描写を試みることなしに、あなた自身で在ることに
 よってだけ、自己を知ることができるのだ。
 あなたが知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえず、何であ
 れ、意識の領域に現れるものは自己ではないとひとたび理解したなら、より
 深い自己実現への唯一の方法として、すべての自己同一化を断ち切ることだ
 ろう。
 否定することによって、文字どおりあなたは、まさにロケットのように進歩
 するのだ。
 あなたが身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、しかもその両方に気
 づいていると知ることは、すでに自己知識なのだ。
 質問者 もし私が身体でもマインドでもないのなら、どうやってそれらに気
     づくのでしょうか? どうやって私自身にとってまったく異質な何
     かを知覚することができるのでしょうか?
 マハラジ
 「何も私ではない」が第一段階だ。
 「すべてが私だ」がつぎの段階だ。
 そのどちらも「そこに世界が存在する」という観念にかかっている。
 この観念もまた放棄されたとき、あなたはあるがままの非二元性のあなたと
 して残る。
 今ここで、あなたはそれなのだ。
 だが、あなたの視野は自己に関する偽りの観念によって妨げられているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

835避難民のマジレスさん:2019/04/28(日) 01:05:45 ID:jfWCoXjM0
>>832
いいですね!
パパジと鬼和尚のコラボも楽しみです(-人ー)

836鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/28(日) 23:28:28 ID:1d4drIFg0
観念を放棄するというの難しいことじゃ。
そうしようとすればそれが観念になるからのう。
観念を放棄するという観念に囚われてしまうのじゃ。
ただ観察により、誤まった観念を厭離すればなくなっていくのじゃ。

837避難民のマジレスさん:2019/04/29(月) 00:28:11 ID:LC3de7YgO
>>834
『I AM THAT 私は在る』
【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】より(つづき)

 質問者 なるほど、私は在る、私は在った、私は在るだろう、ということは
     認めましょう。少なくとも誕生から死に至るまでは、今ここにおけ
     る私の存在は疑う余地もありません。しかし、それだけでは充分で
     ないと思うのです。私の人生は、内面と外面との調和から生まれた
     喜びを欠いているのです。もし私ひとりしか存在せず、世界が単な
     る投影にすぎないのならどうして不調和はあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが不調和をつくり出しておいて、それから不平を言うのだ。
 欲望をもち恐れるとき、そして感情と自己同一化するとき、あなたは不幸と
 束縛を生みだす。
 あなたが愛と智慧とともに創造し、そして創造したものに執着しないとき、
 結果は調和と平和となるのだ。
 だが、マインドの状態がいかなるものであれ、それはどのようにあなたに影
 響を及ぼすのだろう?
 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
 不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
 あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によって遠い未
 来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のものとして使われるため
 にそこにあることが明らかになるまでは、自由という目的を心に保ちなさい。
 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
 あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇気だ。
 質問者 もし私が好き勝手にするなら、私は苦しむことでしょう。
 マハラジ
 それにもかかわらずあなたは自由なのだ。
 あなたの行為の結果はあなたの住む社会とその慣習に依存するのだ。
 質問者 私は無謀になるかもしれません。
 マハラジ
 勇気とともに智慧と慈愛、そして行為における能力も現れるだろう。
 あなたは何を為すべきかを知るだろう。
 そして何であれ、あなたがすることは皆にとって良いこととなるだろう。
 質問者 私自身のなかにはさまざまな相の自分がいて、争いあっています。
     私の中に平和がないのです。どこに自由と勇気が、智慧と慈愛があ
     るのでしょうか? 私の行動は、私が住む深淵をより深めるばかり
     なのです。
 マハラジ
 それはあなたがあなた自身を何か、あるいは誰かだと見なしているからだ。
 やめなさい。
 見なさい。
 調べなさい。
 正しい質問を尋ね、正しい結論を得なさい。
 そしてそれにしたがって行為する勇気を持ち、何が起こるか見てみなさい。
 はじめの段階では、頭の上に屋根が落ちてくるかもしれない。
 だが、すぐに混乱は晴れ、平和と喜びが現れるだろう。
 あなたはあなた自身に関して非常に多くのことを知っている。
 だが、その知っている人をあなたは知らないのだ。
 知られるものを知る者であるあなたとは誰かを見いだしなさい。
 たゆむことなく内面を見守りなさい。
 知覚されたものは知覚者ではありえない、と覚えておくことを覚えておきな
 さい。
 あなたが何を見ようと、聞こうと、考えようと、覚えようと――起こること
 があなたなのではない。
 あなたはそれが起こる当人なのだ。
 「私は在る」という感覚のなかに深く潜っていきなさい。
 そうすれば、かならず知覚の中心が、世界を照らす光のように普遍的である
 ことを発見することだろう。
 宇宙のなかで起こることはすべて、沈黙の観照者であるあなたに起こる。
 その反対に、何であれ為されたことは、普遍的で無尽蔵のエネルギーである
 あなたによって為されるのだ。
 質問者 人が沈黙の観照者であり、また普遍的エネルギーでもあると聞かさ
     れることは、言うまでもなく喜ばしいことです。しかし、どうやっ
     て言語上の表明から直接の知識へと超えていけばいいのでしょうか?
     聞くことは知ることではありません。
 マハラジ
 あなたが何かを直接知る前に、言葉を通してではなく知る者を知らなければ
 ならないのだ。
 今まで、あなたはマインドを知る者と見なしてきた。
 だが、そうではないのだ。
 マインドはイメージと観念をあなたに詰め込んできた。
 それは記憶に傷跡を残すのだ。
 あなたは覚えていることを知識だと思いこんできた。
 真の知識とはつねに新鮮で、新しく、予期できないものだ。
 それはあなたの内面から沸き上がってくるのだ。
 あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知るものでも
 在る。
 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

838鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/29(月) 22:15:59 ID:1d4drIFg0
悟っていない者は自分という者を観念によって認識しているのじゃ。
本当に知ってはいないのじゃ。
そこには今ここにあるものという認識が欠けているのじゃ。
常に過去の記憶から自分を想起して、それを自分と認識しているのじゃ。
悟りを得て今ここにある意識に到達したならば、今知ることとあることは同じことになるのじゃ。

839避難民のマジレスさん:2019/04/29(月) 23:17:36 ID:LC3de7YgO
>>837
『I AM THAT 私は在る』
【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】より(つづき)

 質問者 私にはマインドによってマインドを調べることができるだけです。
 マハラジ
 もちろん、マインドを知るためにマインドを使うがいい。
 それは完全に正当であり、またマインドを超えていくには最善の準備でもあ
 る。
 在ること、知ること、そして楽しむことはあなた自身のものだ。
 まず、あなた自身の存在を認識しなさい。
 それはやさしいことだ。
 なぜなら「私は在る」という感覚はつねにあなたとともにあるからだ。
 それから、知られるものから離れた、知る者としてのあなた自身と出会いな
 さい。
 ひとたび純粋な存在としてのあなたを知れば、自由の歓喜はあなたのものだ。
 質問者 これはどのヨーガなのでしょうか?
 マハラジ
 なぜ気にするのか?
 あなたをここへ来させたのは、あなたの知る身体とマインドの人生が満たさ
 れないものだからだ。
 あなたはコントロールを通して、また理想に合わせてそれを屈服させようと
 するかもしれない。
 あるいはすべての自己同一の結び目を断ち切り、身体とマインドを、あなた
 とは何の関わりもなく起こる何かとして見るかもしれない。
 質問者 コントロールと戒律の道をラージャ・ヨーガ、無執着の道をジニャ
     ーナ・ヨーガと呼び、偶像礼拝をバクティ・ヨーガと呼んでいいの
     でしょうか?
 マハラジ
 もしそれに満足ならば、あなたの好きにするがいい。
 言葉は差し示すが、説明はしない。
 私が教える道は、理解を通して至る太古からのシンプルな解放の道だ。
 あなたのマインドを理解しなさい。
 そうすればマインドはあなたをつかんでいる手をぱっと放すだろう。
 マインドとは誤解するものだ。
 誤解がその本性そのものなのだ。
 正しい理解が唯一の治療法だ。
 あなたがそれをどう呼ぼうとも。
 理解の道はもっとも原初の、そして最新の治療法なのだ。
 なぜなら、それはマインドをあるがままに扱うからだ。
 何をしようとあなたが変わることはないだろう。
 なぜなら、あなたには変わる必要がないからだ。
 あなたは身体やマインドを変えるかもしれない。
 だが、それはつねにあなたではなく、何か外側が変わったのだ。
 いったいどうして変わることを気にするのか?
 身体もマインドも、また意識さえもあなた自身ではないと、きっぱりと自覚
 しなさい。
 そして意識も無意識も超えたあなたの真の本性のなかにひとり在りなさい。
 明確な理解を除いては、いかなる努力もあなたをそこへ連れていかないだろ
 う。
 あなたの誤解を明らかにし、それを捨て去りなさい。
 ただそれだけだ。
 そこには探したり、見いだしたりするものは何もない。
 なぜなら、何も失われてはいないからだ。
 リラックスしなさい。
 そして「私は在る」を見守りなさい。
 実在はその背後にあるのだ。
 静かにしなさい。
 沈黙しなさい。
 それは現れるだろう。
 あるいはむしろ、それがあなたをそのなかへと連れていくだろう。
 質問者 私は身体とマインドから自由になるべきではないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたにはできない。
 なぜなら、その考え自体があなたを身体とマインドに拘束させるからだ。
 ただ理解し、無視すればいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

840鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/30(火) 22:42:41 ID:1d4drIFg0
知識が導くのは自らの実践する方法までなのじゃ。
知識によって方法を得たならば、後は自分で実践し続けるしかないのじゃ。
道に迷い自らの心がわからなければ観察して自らの道をも作り上げるのじゃ。
そのようにして進んでいくのじゃ。

841避難民のマジレスさん:2019/04/30(火) 22:58:26 ID:LC3de7YgO
>>839
『I AM THAT 私は在る』
【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】より(つづき

 質問者 私には無視することができません。私は統合されていないのです。
 マハラジ
 あなたが完全に統合され、思考と行動が完全に協調されていると想像してみ
 たところで、それがどのようにあなたを助けるというのだろうか?
 それがあなたは身体とマインドだという誤解を解くことはないだろう。
 身体とマインドを「あなたではないもの」として正しく見なさい。
 ただそれだけだ。
 質問者 あなたは私に忘れるために覚えておきなさいと言われるのですか?
 マハラジ
 そうだ。
 それはそう見える。
 だが絶望的ではない。
 あなたにはできる。
 ただ誠実にはじめなさい。
 あなたの盲目の手探りは前途にあふれている。
 あなたの探求そのものが発見なのだ。
 失敗はありえない。
 質問者 統合されていないために、私たちは苦しむのです。
 マハラジ
 私たちの思考と行為が欲望と恐れに誘発されているかぎり、苦しみは続くだ
 ろう。
 その不毛さと危険性を見なさい。
 そうすれば、混沌は鎮まるだろう。
 あなた自身を改善しようと試みてはならない。
 ただすべての変化が無駄であることを見るのだ。
 変化するものは変化しつづける。
 その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。
 変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、期待してはならな
 い。
 それはけっして起こらない。
 変化という観念自体が偽りとし見られ、放棄されたときにのみ、不変なるも
 のがおのずと現れるのだ。
 質問者 私がどこへ行こうと、実在を見ることができるようになる前に、私
     は深く変わらなければならないと言われてきました。この意図的な、
     自ら強要した変化がヨーガと呼ばれるものなのです。
 マハラジ
 すべての変化はただマインドに影響を与えるだけだ。
 あなたであるもので在るには、マインドを超え、自己の存在のなかへと行か
 なければならない。
 マインドが何なのかということは重要でない。
 もしあなたがマインドを永遠に捨て去るならばだが。
 これもまた、真我の実現なしには不可能だ。
 質問者 マインドを放棄することと真我の実現、どちらが先に来るのでしょ
     うか?
 マハラジ
 真我の実現がかならず先に来る。
 マインドはマインドによってそれ自体を超えることはできないのだ。
 それは爆発しなければならない。
 質問者 爆発の前に探求はないのでしょうか?
 マハラジ
 爆発力は実在からやってくるのだ。
 だが、あなたはマインドをそのときに備えておくように充分教えられている。
 次の機会がやってくるまで恐れはつねにそれを遅らせることができる。
 質問者 私はチャンスがいつもあるものだと思っていました。
 マハラジ
 論理的にはそのとおりだ。
 実際は、真我実現のためにすべての必要要因が揃った状況が生じなければな
 らないのだ。
 このことで落胆することはない。
 「私は在る」という事実にとどまることが、別のチャンスをすぐにつくり出
 すだろう。
 なぜなら、態度が好機を引き寄せるからだ。
 あなたの知っていることはすべて間接的な知識だ。
 ただ、「私は在る」だけが直接の、そして証明を必要としないものなのだ。
 それとともにとどまりなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

842避難民のマジレスさん:2019/05/01(水) 18:12:22 ID:LC3de7YgO
  ∧_∧
 (´・(ェ)・)
 (っ=O と)
 ̄ ̄ヽ二フ ̄ ̄ ̄ ̄\
生ビールと、くま日高や史上初のしょうが焼き定食発注せり。

843避難民のマジレスさん:2019/05/01(水) 18:16:00 ID:LC3de7YgO
>>842
誤爆したであります。
くまの勤労奉仕場は新祭日も出勤日なのである。、
(´・(ェ)・`)つ

844鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/01(水) 21:56:04 ID:1d4drIFg0
↑ご苦労さんなのじゃ。

アートマンの実現があってからマインドの放棄が起こるとマハラジは言うのじゃ。
実際に悟りを得なければマインドを放棄すると言う事は出来ないものじゃ。
マインドとは思考とか分別なのじゃ。
それらを捨てようと思うことが既にマインドの働きであるからのう。
悟りを得る以外に放棄することは出来ないのじゃ。

845避難民のマジレスさん:2019/05/01(水) 22:13:26 ID:LC3de7YgO
>>841
『I AM THAT 私は在る』
【100 理解は解放へ導く】

 質問者 世界中の多くの国々で、調査官が犠牲者たちから告白を
 聞きだし、必要ならば人格さえも変えようとする目的で
 ある種の策略に従事しています。身体的、また倫理的剥
 奪(はくだつ)と説き伏せによって古い人格は崩れ去り、
 代わりに新たな人格が確立されるのです。取り調べを受
 ける人は、何度も何度も彼が国家の敵であり、祖国に対
 する反逆者だと言われるのを聞かされます。そして彼の
 なかで何かが崩れ去り、彼は国事犯、裏切り者であり、
 卑劣でもっとも残虐な罰を受けるに値すると完全に確信
 しはじめる日がやってくるのです。このプロセスは洗脳
 として知られています。
 宗教的、またヨーガ的な修練が洗脳と非常に似通ってい
 ることが、私に衝撃を与えました。同様の身体的、精神
 的剥奪、独房監禁、強烈な罪の感覚、絶望、そして罪の
 償いと回心を通しての逃避への欲望、自己の新たなイメ
 ージの受け入れ、そしてそのイメージの非人格化、同じ
 信条の復唱――「神は善なり。グルは知りたもう。信仰
 がわれらを救いたもう」。いわゆるヨーガ的、あるいは
 宗教的な修練においても同じ機構が作用しています。マ
 インドはほかのすべての概念を除き、ある特定の概念に
 集中させられます。そして集中は厳しい規律と苦しい禁
 欲によって強く強要されます。人生と幸福という高い代
 償が支払われ、それゆえに得たものは大いなる重要性を
 もつのです。これが顕(あらわ)なもの、あるいは秘め
 られたもの、宗教的あるいは政治的、倫理的あるいは社
 会的に、あらかじめ仕組まれた転向であり、一見真正に
 見え、永続するかもしれませんが、そこには人工的な感
 覚があるのです。
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 多くの苦しい状況を通り抜けて、マインドは正常な状態を失い、
 固定されてしまう。
 それは危険な状態に陥り、それが何をしようとより強い束縛には
 まってしまうのだ。
 質問者 それでは、なぜサーダナ(修練)が指導されるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 あなたが途方もない努力をしないかぎり、努力はあなたをどこへ
 も連れていかないと得心することはないだろう。
 自我はあまりにもうぬぼれが強いため、完全に落胆させられるま
 ではあきらめることがないからだ。
 単なる言葉の上の確信では充分ではない。
 厳しい事実だけが自己イメージの絶対的な不毛を示すことができ
 るのだ。
 質問者 洗脳者は私を狂気へと駆りたてます。グルは私を正気へ
     と駆りたてるのです。駆りたてることは同じですが、動
     機と目的は完全に異なるものです。おそらく、その類似
     性は単に言葉上のものなのでしょう。
 マハラジ
 苦しみを招くこと、あるいは強要することは、それ自体暴力を含
 んでいる。
 そして暴力の果実に甘さはありえないのだ。
 人生には苦しみを避けることのできない状況がある。
 そしてあなたはそれを乗り越えていかなければならないのだ。
 あなたが意図的に、あるいは無関心から生み出した状況もある。
 あなたはそれらから、ひとつの教訓を学ばなければならない。
 そうすることで、ふたたび繰り返すことのないように。
 質問者 どうやら苦痛を克服するためには、私たちは苦しまなけ
     ればならないようです。
 マハラジ
 苦痛は耐えなければならない。
 苦痛を克服するということはないし、訓練も必要ない。
 訓練とは未来のためのものだ。
 型にはまった態度を築きあげていくことは、恐れの象徴なのだ。
 質問者 ひとたびいかにして苦痛に直面するかを知れば、私はそ
     れから自由になり、恐れず、それゆえ幸福になるのです。
     これが囚人に起こることです。彼は刑罰を正当で適切な
     ものとして受け入れ、牢獄の権威者や国家と和平を結ぶ
     のです。すべての宗教は、ほかでもない受容と明け渡し
     を唱導します。私たちは罪を認め、世界中にあるすべて
     の悪の責任を感じ、私たちがその唯一の原因であると感
     じることを奨励されるのです。私の問題とは、洗脳とサ
     ーダナの間に大した違いが見えないということなのです。
     サーダナの場合は身体的に抑制されませんが、強制的な
     暗示の要素は双方にあります。
 マハラジ
 すでにあなたの言ったとおり、類似性は表面的なものだ。
 何度も繰り返して言うまでもない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

846避難民のマジレスさん:2019/05/01(水) 22:35:10 ID:LC3de7YgO
>>844
悟れば、思考や分別 を我がものとしてではなく操れる。
我がものとしての思考や分別を放棄されるということでありますかね。

(´・(ェ)・`)つ

847避難民のマジレスさん:2019/05/02(木) 06:55:45 ID:LC3de7YgO
パパジ「真理のみ」の掲載準備をしているのでありますが、
仏教で言うところの、三法への帰依を説いてるのでありましょうが、
パパジの本にに感じるコマーシャル臭が、マハラジには全くなく、先に読んでよかったと思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

848避難民のマジレスさん:2019/05/02(木) 13:48:55 ID:jfWCoXjM0
こちら対話録にはあまりでてきませんが、マハラジの流派も帰依はかなり重要視していたようですよ
瞑想ばかりしている人に、「もっとプージャ(礼拝の儀式)をしなさい」といっていた話も読んだ記憶があります
マハラジ自身も、もう必要ないけれど、師匠に生前いわれたのでやめることなく1日数回していたそうです

849鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/02(木) 22:08:33 ID:1d4drIFg0
>>846 そうじゃ、無我の思考や分別ができるのじゃ。
 自分のものではないから、エゴによる介入や贔屓目がなく、智慧として働くのじゃ。
 思考や分別も本来は智慧として働くものであるが、自我があれば迷いと苦の原因となってしまうのじゃ。
 無我になれば自分のものとしてではなく、智慧として発揮されるのじゃ。

850避難民のマジレスさん:2019/05/02(木) 23:00:37 ID:LC3de7YgO
>>848
そうでたりますか。
そう言えば、信仰をもたないくまも、職場の近くの小さな神社で毎朝、何も願わず、作法通りに手を合わせたり、寺に行けば般若心経を唱えたりしてるのは、その事により、その時だけでも、心が洗われるような
気がするからであります。
あまり、気にしなくてよいのでありますね。
>>849
鬼和尚、いつも、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

851避難民のマジレスさん:2019/05/02(木) 23:13:15 ID:LC3de7YgO
>>845
『I AM THAT 私は在る』
【100 理解は解放へ導く】

 質問者 類似性は表面的なものではありません。人間は複雑な存
     在であり、同時に原告と被告、判事、刑務所長、死刑執
     行人になることができるのです。「自発的な」サーダナ
     に、それほどの自発性はありません。人は理解とコント
     ロールの範囲を超えた力に動かされているのです。苦痛
     に満ちた長い努力による以外、私には身体の代謝作用ほ
     ど心理的代謝作用を変えることはできません。それがヨ
     ーガなのです。私が尋ねたいことは、「マハラジはヨー
     ガが暴力を含んでいるという私の見方に同意されるでし
     ょうか?」ということです。
 マハラジ
 あなたが示しているヨーガが暴力を意味していることには同意す
 るが、私はいかなる形の暴力も唱道したことはない。
 私の道は完全に非暴力のものだ。
 私は言葉どおり正確に非暴力を意味している。
 それがどのようなものであるか自分自身で試してみるがいい。
 私はただ、それが非暴力だと言うだけだ。
 質問者 私は言葉を誤用しているわけではありません。あるグル
     が残りの人生を、一日、十六時間瞑想するよう求めると
     すれば、私には自分への極端な暴力なしにそれをするこ
     とはできません。そのようなグルは正しいのでしょうか、
     間違っているのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがそうしたいと感じないかぎり、誰もあなたに一日、十六
 時間瞑想するよう強要してはいない。
 それは、「あなた自身とともに在りなさい。ほかのものごとのな
 かに自分を見失ってはならない」と言っているだけなのだ。
 教師は待つだろう。
 だが、マインドは性急なのだ。
 暴力的なのは教師ではなくマインドだ。
 そしてマインドはそれ自身の暴力を恐れているのだ。
 マインドに属するものは相対的であり、それを絶対的と見なすこ
 とは誤りだ。
 質問者 もし私が受容的なままでいれば、何の変化も起こらない
     でしょう。もし活動的になれば、私は暴力的になるでし
     ょう。無益でも暴力的でもないどのようなことを私はす
     ればいいのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、無益でも暴力的でもない道がある。
 しかも、最高に効果的なものだ。
 ただあるがままのあなた自身を見なさい。
 あるがままのあなた自身を受け入れなさい。
 そして、あなたであるもののなかへと、どこまでも深く入っていきなさい。
 暴力や非暴力は、あなたの他者に対する態度を表している。
 自己と自己自身との関係性は暴力でも非暴力でもない。
 それはそれ自身に気づいているか気づいていないかのどちらかだ。
 もしそれがそれ自身を知っているなら、それが為(な)すすべては正しいだ
ろう。
 もしそれがそれ自身を知らないなら、それが為すすべては誤りだろう。
 質問者 「私はあるがままの私を知っている」とはどういう意味
     でしょうか?
 マハラジ
 マインドが現れる以前に、私は在る。
 「私は在る」はマインドの中にあるひとつの想念ではない。
 マインドが私に起こるのであって、私がマインドに起こるのではない。
 そして時間と空間がマインドのなかに存在するため、私は時間と空間を超え
、永遠で不変なるものなのだ。
 質問者 あなたは真面目なのですか? 本気であなたがいつでも、
     どこにでも存在すると言われるのですか?
 マハラジ
 そうだ。
 あなたにとって動くことの自由が明白であるように、私にとってそれは明白
なことだ。
 樹が猿に「あなたがどこへでも動くことができるというのは本当なのですか
?」と尋ねているところを想像するがいい。
 そして猿は言うだろう。
 「そうだとも」と。
 質問者 あなたは因果関係からも自由なのでしょうか? あなた
     は奇跡を起こせますか?
 マハラジ
 世界そのものがひとつの奇跡なのだ。
 私は奇跡を超えている。
 私は絶対的に正常だ。
 私にとってはすべて、起こるべきことが起こるのだ。
 私は創造過程を妨げない。
 大いなる奇跡がつねに起こっているときに、小さな奇跡が私にとってどのよ
うな意味があるというのだろう?
 何であれあなたが見ているものは、つねにあなた自身の存在を見ているのだ。
 あなた自身のなかへどこまでも深く入っていきなさい。
 内側を探しなさい。
 自己発見には暴力も非暴力もない。
 偽りを破壊することは暴力ではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

852鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/03(金) 22:22:23 ID:1d4drIFg0
>>850 どういたしまして、またおいでなさい。

世間の者の言う奇跡とは観念の中にあるものじゃ。
観念の操作なのじゃ。
手品師が上手くやってのける手品と同じなのじゃ。
観念を超えたものではないのじゃ。
観念を超えた存在としてあることがマハラジの言う真の奇跡なのじゃ。

853避難民のマジレスさん:2019/05/03(金) 23:12:23 ID:LC3de7YgO
>>851
『I AM THAT 私は在る』
【100 理解は解放へ導く】(つづき)

 質問者 類似性は表面的なものではありません。人間は複雑な存
     在であり、同時に原告と被告、判事、刑務所長、死刑執
     行人になることができるのです。「自発的な」サーダナ
     に、それほどの自発性はありません。人は理解とコント
     ロールの範囲を超えた力に動かされているのです。苦痛
     に満ちた長い努力による以外、私には身体の代謝作用ほ
     ど心理的代謝作用を変えることはできません。それがヨ
     ーガなのです。私が尋ねたいことは、「マハラジはヨー
     ガが暴力を含んでいるという私の見方に同意されるでし
     ょうか?」ということです。
 マハラジ
 あなたが示しているヨーガが暴力を意味していることには同意す
 るが、私はいかなる形の暴力も唱道したことはない。
 私の道は完全に非暴力のものだ。
 私は言葉どおり正確に非暴力を意味している。
 それがどのようなものであるか自分自身で試してみるがいい。
 私はただ、それが非暴力だと言うだけだ。
 質問者 私は言葉を誤用しているわけではありません。あるグル
     が残りの人生を、一日、十六時間瞑想するよう求めると
     すれば、私には自分への極端な暴力なしにそれをするこ
     とはできません。そのようなグルは正しいのでしょうか、
     間違っているのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがそうしたいと感じないかぎり、誰もあなたに一日、十六
 時間瞑想するよう強要してはいない。
 それは、「あなた自身とともに在りなさい。ほかのものごとのな
 かに自分を見失ってはならない」と言っているだけなのだ。
 教師は待つだろう。
 だが、マインドは性急なのだ。
 暴力的なのは教師ではなくマインドだ。
 そしてマインドはそれ自身の暴力を恐れているのだ。
 マインドに属するものは相対的であり、それを絶対的と見なすこ
 とは誤りだ。
 質問者 もし私が受容的なままでいれば、何の変化も起こらない
     でしょう。もし活動的になれば、私は暴力的になるでし
     ょう。無益でも暴力的でもないどのようなことを私はす
     ればいいのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、無益でも暴力的でもない道がある。
 しかも、最高に効果的なものだ。
 ただあるがままのあなた自身を見なさい。
 あるがままのあなた自身を受け入れなさい。
 そして、あなたであるもののなかへと、どこまでも深く入ってい
 きなさい。
 暴力や非暴力は、あなたの他者に対する態度を表している。
 自己と自己自身との関係性は暴力でも非暴力でもない。
 それはそれ自身に気づいているか気づいていないかのどちらかだ。
 もしそれがそれ自身を知っているなら、それが為(な)すすべて
 は正しいだろう。
 もしそれがそれ自身を知らないなら、それが為すすべては誤りだ
 ろう。
 質問者 「私はあるがままの私を知っている」とはどういう意味
     でしょうか?
 マハラジ
 マインドが現れる以前に、私は在る。
 「私は在る」はマインドの中にあるひとつの想念ではない。
 マインドが私に起こるのであって、私がマインドに起こるのでは
 ない。
 そして時間と空間がマインドのなかに存在するため、私は時間と
 空間を超え、永遠で不変なるものなのだ。
 質問者 あなたは真面目なのですか? 本気であなたがいつでも、
     どこにでも存在すると言われるのですか?
 マハラジ
 そうだ。
 あなたにとって動くことの自由が明白であるように、私にとって
 それは明白なことだ。
 樹が猿に「あなたがどこへでも動くことができるというのは本当
 なのですか?」と尋ねているところを想像するがいい。
 そして猿は言うだろう。
 「そうだとも」と。
 質問者 あなたは因果関係からも自由なのでしょうか? あなた
     は奇跡を起こせますか?
 マハラジ
 世界そのものがひとつの奇跡なのだ。
 私は奇跡を超えている。
 私は絶対的に正常だ。
 私にとってはすべて、起こるべきことが起こるのだ。
 私は創造過程を妨げない。
 大いなる奇跡がつねに起こっているときに、小さな奇跡が私にと
 ってどのような意味があるというのだろう?
 何であれあなたが見ているものは、つねにあなた自身の存在を見
 ているのだ。
 あなた自身のなかへどこまでも深く入っていきなさい。
 内側を探しなさい。
 自己発見には暴力も非暴力もない。
 偽りを破壊することは暴力ではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

854鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/04(土) 22:35:43 ID:1d4drIFg0
お釈迦様も神通力で説法すれ゛は善いという者に、そのようなことは幻術師がもっとうまくやってのけるからいかんのじゃ、と言っているのじゃ。
長年修行して空が飛べるとか言っても幻術師が直ぐにもっとうまくやってしまうから無意味なのじゃ。
更に空を飛んでも死には無力なのじゃ。
真の奇跡である不死の境地を目指すが善いのじゃ。

855避難民のマジレスさん:2019/05/04(土) 23:21:40 ID:LC3de7YgO
>>853
『I AM THAT 私は在る』
【100 理解は解放へ導く】(つづき)

 質問者 私が自己探求を実践するとき、あるいはそれが何らかの
     形で私に利益をもたらすだろうと考えながら内側へと入
     っていくとき、私はいまだにあるがままの私から逃げだ
     しているのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 真の探求はつねに何かのなかへであって、何かから外へではない。
 私がいかにして何かを得るか、あるいは避けるかを探求するとき
 は、本当に探求しているとは言えない。
 何かを知るためには、完全にそれを受け入れなければならないの
 だ。
 質問者 そうです。神を知るには神を受け入れなければなりませ
     ん。何と恐ろしいことでしょう!
 マハラジ
 神を受け入れる前に、あなたはあなた自身を受け入れなければな
 らない。
 それはもっと恐ろしいことでさえある。
 自己受容の第一段階はまったく喜ばしいものとは言えない。
 なぜなら、人は楽しい光景を見るわけではないからだ。
 先へ進んでいくには、すべての勇気が必要とされる。
 助けとなるのは沈黙だ。
 完全な沈黙のなかで、あなた自身を見守りなさい。
 あなた自身を描写してはならない。
 あなただと思いこんでいるあなたを見てみなさい。
 そして、あなたはあなたが見ているものではないことを覚えてお
 きなさい。
 「これは私ではない。私は誰か?」が自己探求の動きなのだ。
 解放へのほかの手段というものはない。
 すべての手段は延期を意味するのだ。
 あなたではないものを断固として拒絶しなさい。
 真の自己が荘厳なる無のなかに現れるまで。
 それは、「何ものでもないもの」なのだ。
 質問者 世界は急速に、危機的な変化を通り抜けています。私た
     ちはそれをアメリカのなかで大いなる明晰性(めいせき
     せい)をもって見ることができます。それらはほかの国
     々で起こっているのですが。一方では、犯罪の増加が見
     られ、他方では、真正な神聖さが現れています。共同体
     が形成され、それらのいくつかは非常に高いレベルの統
     合と禁欲生活を送っています。炎がその燃料を使い尽く
     すように、あたかも悪はそれ自体の成功によってそれ自
     体を破壊しているかのようです。一方、善は生命のよう
     にそれ自身を永続させるのです。
 マハラジ
 出来事を善と悪に区別するかぎり、あなたは正しいだろう。
 事実は、善は悪となり、悪はそれ自身を満たすことによって善と
 なるのだ。
 質問者 愛についてはどうでしょう?
 マハラジ
 それが好ましくない欲望へと変わるとき、破壊的になるのだ。
 質問者 好ましくない欲望とは何でしょうか?
 マハラジ
 記憶すること、想像すること、期待することだ。
 それは感覚的で、言語的なのだ。
 耽溺(だんでき)のひとつの形態だ。
 質問者 ブラフマチャーリア、禁欲はヨーガに必要不可欠なもの
     でしょうか?
 マハラジ
 抑制と抑圧の人生はヨーガではない。
 マインドは欲望から解き放たれ、リラックスしていなければなら
 ないのだ。
 それは記憶の一形態である決定から来るのではなく、理解から現
 れる。
 理解するマインドは欲望と恐れから自由なのだ。
 質問者 どうやって私自身を理解させることができるのでしょう
     か?
 マハラジ
 瞑想によって。
 つまり注意を払うことによってだ。
 あなたの問題に完全に気づいていなさい。
 それをすべての角度から見つめなさい。
 それがあなたの人生にどう影響を与えるのか見守りなさい。
 そして、放っておくがいい。
 それ以上あなたにできることはないのだ。
 質問者 それは私を解放するのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはあなたが理解したものから自由なのだ。
 外側での自由の表現が現れるには時間がかかるかもしれない。
 だが、それはすでにそこにある。
 完成を期待してはならない。
 顕現のなかに完成というものはないのだ。
 小さな衝突はまぬがれない。
 問題が完全に解決されることはない。
 だが、あなたはそれが作用しないレベルへと身を引くことができ
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

856避難民のマジレスさん:2019/05/04(土) 23:43:38 ID:LC3de7YgO
>>855
> 質問者 愛についてはどうでしょう?
 マハラジ
 それが好ましくない欲望へと変わるとき、破壊的になるのだ。
 質問者 好ましくない欲望とは何でしょうか?
 マハラジ
 記憶すること、想像すること、期待することだ。
 それは感覚的で、言語的なのだ。
 耽溺(だんでき)のひとつの形態だ。

←マハラジが説く、好ましい愛とは、記憶、想像、期待、と無縁で、感覚的でも言語的でもないものとは、
全てを受け入れる、ただ一つの意識のことでありましょうか?、

> 質問者 それ(=瞑想)は私を解放するのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはあなたが理解したものから自由なのだ。
 外側での自由の表現が現れるには時間がかかるかもしれない。
 だが、それはすでにそこにある。
 完成を期待してはならない。
 顕現のなかに完成というものはないのだ。
 小さな衝突はまぬがれない。
 問題が完全に解決されることはない。
 だが、あなたはそれが作用しないレベルへと身を引くことができ
 るのだ。

←観察瞑想により、理解を深め、それを放置して、作用しないレヘルへと身を引けと言うことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

857鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/05(日) 22:55:07 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
 そこに至れば自他を一つに見る真の愛が在るのじゃ。
 この世の愛は執着に変るからいかんのじゃ。

 そうじゃ、観察して完全に理解できる気付きが起こればそれから自由になるのじゃ。
 自己同一化がなくなり、作用がなくなるのじゃ。
 観察が完全であれば厭離が自然に起こり、自ら身を引くことを意識しなくともできるのじゃ。

858避難民のマジレスさん:2019/05/05(日) 23:59:06 ID:LC3de7YgO
おわびと告知(´・(ェ)・`)つ
昨年1月9日から続けて参りました、マハラジ講読会、あと一章を残すところとなりました。

実はたいへん残念なのでありますが、本日掲載する部分までで、終了とせざるを得なくなりました。

あと5〜6回分くらいのページ数でありますので、残念であります。

と、言うわけで、>>848殿、急なことで申し訳ありませんが、
引き続き、マハラシの対話録の講読会にバトンタッチ、お願いできるでありましょうか?

>>857
鬼和尚、いつもありがとうであります。
この度は中途半端で申し訳ありません。

859避難民のマジレスさん:2019/05/06(月) 00:05:58 ID:LC3de7YgO
>>856
『I AM THAT 私は在る』
【101 ジニャーニは理解も把握もしない】
 質問者 ジニャーニ(賢者)は何かを為(な)す必要があるとき、どのよう
     に行うのでしょうか? 彼は計画を立て、詳細にわたって決定し、
     それを実行するのでしょうか?
 マハラジ
 ジニャーニは状況を完全に理解し、即座に何が為されるべきかを知る。
 それだけだ。
 残りはひとりでに起こる。
 しかも、たいていは無意識のうちに起こるのだ。
 ジニャーニとすべての存在との同一性は本当に完全なものであり、彼が宇宙
 に応えるように、宇宙も彼に応える。
 ひとたび状況が認識されれば、出来事は適切な対応のなかで動いていくとい
 うことに彼は絶大な確信を持っているのだ。
 普通の人は個人的利害に関心を持ち、危険とチャンスを計算している。
 一方、ジニャーニは超然として、すべては起こるべくして起こると確信して
 いる。
 そして何が起こるかは、さして重要なことではないのだ。
 なぜなら、最終的に均衡と調和が戻ってくることは不可避だからだ。
 ものごとの核心には平和があるのだ。
 質問者 私は人格が幻想であり、アイデンティティを失うことなく油断なく
     冷静にあることが、私たちにとっての実在との接触点であることを
     理解しました。どうか教えていただけますか、今、この時点であな
     たは個人なのでしょうか、それとも自己覚醒したアイデンティティ
     なのでしょうか?
 マハラジ
 私はその両方だ。
 だが真の自己は、個人によって与えられた、何が私ではないかという表現に
 よる以外描写することはできないのだ。
 個人に関してあなたが言えることはみな自己ではない。
 そしてあなたはあるがままの、そうありえたであろう、そうあるべき自己に
 関して何も言うことはできないのだ。
 すべての属性は個人的なものであり、実在はすべての属性を越えているから
 だ。
 質問者 あなたはときどき自己で、ときどき個人なのでしょうか?
 マハラジ
 どうしてそう在ることができよう?
 個人とは、ほかの人たちにとってそう現れる私なのだ。
 私自身にとって、私は意識の無限な広がりであり、そのなかで無数の個人が
 果てしない連鎖のなかで現れては消えていくのだ。
 質問者 あなたにとってはまったくの実体のない個人が、私たちにとっては
     現実に見えるのはどうしてでしょうか?
 マハラジ
 自己、すべての存在の根源、意識と歓喜であるあなたは、何であれあなたが
 知覚するものに実在性を与えるのだ。
 この実在性を与えることはつねに今のなかにおいて起こり、ほかのどのとき
 にも起こることはない。
 なぜなら過去と未来はマインドのなかにしか存在しないからだ。
 「在ること」は今だけに適用するのだ。
 質問者 永遠性も無限なのではないでしょうか?
 マハラジ
 時間が無限なのだ。
 そこに限界はあるが、永遠は今という一瞬のなかにある。
 私たちがそれを見失うのは、私たちのマインドがつねに過去と未来の間を行
 き来しているからだ。
 マインドが今に焦点を当てるために止まることはないだろう。
 もし興味が起これば、それは比較的簡単にできるのだ。
(´・(ェ)・`)
(みかん)

860避難民のマジレスさん:2019/05/06(月) 15:39:45 ID:jfWCoXjM0
>>858
了解です!くまさんもお疲れさまでした(-人ー)
OSHOとパパジの講読会も、引き続き楽しみにしてますね。

861避難民のマジレスさん:2019/05/06(月) 16:50:31 ID:LC3de7YgO
>>860
よろしくお願いします。
(´・(ェ)・`)つ

862鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/06(月) 21:51:41 ID:1d4drIFg0
>>858 ご苦労さんなのじゃ。

悟りを得れば全ての状況で身体の智慧が無意識に起きて実行するのじゃ。
そこに計らいは無いのじゃ。
本人にも寸前まで何をするのか分からないのじゃ。
全ての状況に同じ答えは無いから、智慧もまた無尽に働くのじゃ。

863避難民のマジレスさん:2019/05/07(火) 11:04:35 ID:jfWCoXjM0
1935年5月15日

対話1

遊行僧(サンニャーシー)が疑いを解くために尋ねた。
「どうすればこの世のすべてが神であるということを悟れるでしょうか?」

マハルシ

もしあなたが叡知の目で観れば、世界が神であることを見いだすでしょう。
至高の霊性(ブラフマン)を知らずして、どうしてすべてに遍在する神を見いだすことができるでしょうか?

864避難民のマジレスさん:2019/05/07(火) 12:10:49 ID:LC3de7YgO
>>863
ありがとうございます。よろしくお願いします。
(´・(∀)・`)つ

865鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/07(火) 22:46:49 ID:1d4drIFg0
ブラフマンは全てにあるのじゃ。
それを見なければ群小の観念である神に囚われるのじゃ。
インドにもいろろいな神がいるのじゃ。
川の神とか猿の神とか牛の神とか世界を作った神とかそれを夢見ている神とかなのじゃ。
それらに囚われれば観念に囚われたことになるのじゃ。
今ここにある全てである意識に気付けばブラフマンを見たことになるのじゃ。

866避難民のマジレスさん:2019/05/08(水) 13:03:47 ID:jfWCoXjM0
対話2

ある人が知覚の本性について尋ねた。

マハルシ

あなたがどの状態にあろうと、知覚はその状態の性質を帯びるものです。
目覚めの状態(ジャーグラト)では、粗大な身体が粗大な名前や形を知覚し、夢見の状態(スワプナ)では、精神的身体が多様な名前と形をともなった精神的創造物を知覚します。
そして夢のない深い睡眠状態(スシュプティ)では、身体との同一化は失われるため、知覚はなくなります。
同様に、ブラフマンと自己同一化した超越状態においては、人は全体と調和の内にあるため、彼の真我から分離したものは何もないのです。

867鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/08(水) 22:54:17 ID:1d4drIFg0
知覚は刺激を受け取る性質から鏡のように今の状態に染まるのじゃ。
赤い紙を目の前に置けば全て赤く見えるようにのう。
自分の意志によらずただありのままに刺激を受け容れるだけなのじゃ。
自分ではなく自分のものでさえもないものじゃ。
自己同一化により、自分の知覚と認識するだけなのじゃ。

868避難民のマジレスさん:2019/05/09(木) 14:50:13 ID:jfWCoXjM0
対話3


幸福の本性について質問があった。

マハルシ

もし外的な原因や自分の所有するものが幸福の原因だと考えるなら、所有するものが増えれば幸福も大きくなり、所有するものが減るにしたがって幸福も少なくなると結論づけることは理にかなっていると言えるでしょう。
そうすると、もし所有するものがなければ、幸福はありえないはずです。
実際の体験ではどうでしょうか?
それはこの考えと一致しているでしょうか?

深い眠りの中で、人は自分の身体も含めて何も所有していません。
それにもかかわらず、不幸であるどころかまったく幸せなのです。
誰もがぐっすりと眠ることを望んでいます。
つまり幸福は本来人に備わったものであり、外的な原因によるものではないということです。
人に生来備わった純粋な幸福の扉を開くためには、真我を実現しなければならないのです。

869鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/09(木) 23:06:50 ID:1d4drIFg0
外的な環境で幸福になるならば誰も幸福にはなれないのじゃ。
それは直ぐに変化してしまう性質であるからのう。
いずれは死によって永遠に捨てなければならないものじゃ。
心の中にこそ真の幸福はあるのじゃ。
それは死によっても無くなる事が無い永遠の幸福なのじゃ。

870避難民のマジレスさん:2019/05/10(金) 01:49:57 ID:LC3de7YgO

>>868
>深い眠りの中で、人は自分の身体も含めて何も所有していません。
それにもかかわらず、不幸であるどころかまったく幸せなのです。
誰もがぐっすりと眠ることを望んでいます。
つまり幸福は本来人に備わったものであり、外的な原因によるものではない

←言われてみればあたりまえの様でもありますが、くまにとっては、
幸福は本来人に備わったものであると言うことについての、たいへん新鮮な言説であります。
(´・(ェ)・`)つ

871避難民のマジレスさん:2019/05/10(金) 12:02:31 ID:jfWCoXjM0
対話4

教養ある青年がマハルシに尋ねた。

「生物学者はハートが左側にあると言っているのに、どうしてあなたは右側にあると言われるのでしょうか?」

マハルシ

そのとおりです。
身体的器官であるハートは左側にあり、それが否定されたわけではありません。
しかし私の言うハートは身体的なものではなく、それは右側にしかありえないものなのです。
それは私の体験に由来するため、他から証拠を求める必要もありません。

それでも、マラヤラム語版のアーユルヴェーダの書と『シーター・ウパニシャド』の中に確証を得ることができるでしょう。

そう語ると、マハルシは後者からマントラを引用し、前者から韻文の一部を読み上げた。


マラヤラム語版のアーユルヴェーダの書
…『アシュターンガ・フリヤダム』のこと

『シーター・ウパニシャド』
…『アタルヴァ・ヴェーダ』に含まれる32の『ウパニシャド』の1つ。
『ラーマーヤナ』に登場する女神シーターが行為、願望、知識の3つの力を秘める神聖な存在として描写されている。

872避難民のマジレスさん:2019/05/10(金) 19:44:49 ID:LC3de7YgO
>>871
経絡とかツボみたいなものでありましょうかね?
(´・(ェ)・`)つ

873鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/10(金) 23:12:39 ID:1d4drIFg0
>>870 そうじゃ、眠りによって人は苦から一時的に逃れて安らぐのじゃ。
 幸福が心によることの証拠なのじゃ。

>>872 マハリシのチャクラじゃな。
 それは流派によって違い、人によっても違うのじゃ。
 アートマンは胸の中にあるというのじゃ。
 各自でそれを突き止めるしかないのじゃ。

874避難民のマジレスさん:2019/05/11(土) 11:25:47 ID:jfWCoXjM0
対話5

エンジニアのM・フリードマン氏が恩寵についての所見を述べた。

「海に飛び込んだ塩人形は、たとえ防水服を着ていても生き残れないでしょう」

マハルシは嬉しそうに微笑んで、それはいい喩えだと褒めると、「身体が防水服なのです」と言葉を添えた。

875避難民のマジレスさん:2019/05/11(土) 11:59:30 ID:LC3de7YgO
>>874
恩寵=真理
海=ただ一つの意識。(社会ではないでありましょう。)
塩人形=自我、個我

で、ありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ

876鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/11(土) 23:33:13 ID:1d4drIFg0
↑そのようなものじゃ。
身体があれば自分という観念から逃れるのは容易ではないのじゃ。
しかし、実際には身体もまた意識の中にあり、外のものではないのじゅ。
いずれは海に同化していくのは必然なのじゃ。

877避難民のマジレスさん:2019/05/12(日) 11:52:12 ID:jfWCoXjM0

対話6

心が散漫にならないようにする方法について、サンニャーシーが質問した。

マハルシ

あなたは自分の真我を忘れて、外側の物事に目を向けます。
真我をとらえ続けているなら、外側の世界を見ることはないでしょう。

878避難民のマジレスさん:2019/05/12(日) 12:24:02 ID:LC3de7YgO
>>877
うむ。
散漫になっていると、気づいてればよいのでありますかね?

真我は無いものでありますから、その無いものが胸の辺りあると仮定して、そこに集中すればよいのでありますね。
そうすると、自我は無いものであるといつかは気付けるわけでありますね。
で、その事に気づけたのは誰かという最後に残る疑問の答えが、ただ一つの意識であるわけでありますね。

「無」とか「空」と言うよりも、「ただ一つの意識」「アートマン」「ブラフマン」とか言った方が目標がわかりやすいでありますね。

(´・(ェ)・`)つ

879鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/12(日) 22:57:48 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、気付けばよいのじゃ。
 それがアートマンの法なのじゃ。
 それには否定することでしか辿りつけないのじゃ。
 言葉は役に立たないから実践するしかないのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

880避難民のマジレスさん:2019/05/13(月) 13:06:59 ID:jfWCoXjM0

対話7

『ダクシナームールティ・ストートラム』の最終節にあるように、「全知全能(イーシュヴァラトヴァ)を達成するとともに、超自然能力を達成することはできるか」という質問にマハルシが答えた。

「まず全知全能を達成しなさい。
それから、他の質問が起こるかどうか見てみなさい」

881避難民のマジレスさん:2019/05/13(月) 18:41:05 ID:LC3de7YgO
>>880
うむ。
きっとマハリシは全能のパラドクスを承知の上で、それをも含む「ただ一つの意識」「アートマン」「ブラフマン」の追求を促してるのでありましょうか。
で、超自然能力、を肯定してると理解すべきでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

882鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/13(月) 22:50:21 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
全知全能で既に全ての超自然能力を得ているのじゃ。
ただ力が欲しいだけの者の質問なのじゃ。
それも競争に勝ちたいからなのじゃ。
競争に勝つ力に囚われた者なのじゃ。

883避難民のマジレスさん:2019/05/14(火) 11:10:41 ID:jfWCoXjM0

対話8

質問者

自分で選んだ聖なるマントラを繰り返し唱えても、恩恵を受けることはできるのでしょうか?

マハルシ

できません。
マントラは師から伝授されなければならず、またその人はそれにふさわしいだけの力量を持っていなければなりません。

ある王と大臣の物語があります。
ある日、王が大臣の邸宅を訪れました。
そこで王は大臣が聖なるマントラの復唱に従事している最中だと告げられました。
王は彼を待ち、大臣が挨拶に来たとき、それがどのようなマントラなのかと尋ねたところ、それは最も神聖なマントラ、ガーヤトリーですと大臣は答えました。
王はそれを伝授してくれるようにと頼んだのですが、大臣は自分にはその力がないことを告白したのです。
そのため、王は仕方なく他の者からそのマントラを学び、後に大臣に会ったとき、それが正しいものかどうか聞いてもらおうと、ガーヤトリーを唱えてみせました。

大臣は

「マントラ自体は正しいものですが、王がそれを口にするのはふさわしくありません」

と伝えました。

その説明を王に強いられたとき、大臣は傍らに控えていた従者に、

「王をとりおさえろ」

と命じました。

しかし従者は命令にしたがいませんでした。
大臣は何度も同じ命令を繰り返しましたが、やはり従者はしたがわなかったのです。

王は激怒して、その従者に

「大臣をとりおさえろ」

と命じました。

すると、従者は即座に命令にしたがったのでした。

大臣は笑って、

「これが王への説明なのです」

と言いました。

「いったいどうして?」

と王は尋ね返しました。

「命令は同じであり、命令された人もまた同じです。
しかし命令する者の権威が違っていたのです。
私が命じたとき、その効力はまったくありませんでしたが、あなたが命令されたとき、即座に効力を発しました。
マントラについても同じことなのです」

884避難民のマジレスさん:2019/05/14(火) 19:19:47 ID:LC3de7YgO
>>883
うむ。日本の財界人や元芸能人でマントラ販売で商売してる人もいるでありますね。
ビートルズの師匠とかも。
なんかくまは、そう言うのは受け入れられないであります。
(´・(ェ)・`)つ

885鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/14(火) 22:52:15 ID:1d4drIFg0
マントラは基本的に神への呼びかけなのじゃ。
信仰する神へのマントラであり、師匠が弟子に授けることで信じて続けることができるのじゃ。
師匠も弟子の信仰態度などを見て決めるのじゃ。
強い信仰の無い者には無意味なのじゃ。

886避難民のマジレスさん:2019/05/15(水) 12:31:17 ID:jfWCoXjM0

対話9

質問者

なぜ聖典は賢者が子供のようだと述べているのでしょうか?

マハルシ

子供と賢者はある意味で似ています。
出来事は、それが起こっている間だけ子供の興味を引きますが、終わってしまえば子供はそれについて考えたりしません。
ですから、出来事が子供に何の印象も残さず、精神的影響を与えなかったことは明らかです。
それは賢者(ジニャーニ)にとっても同じなのです。

ジニャーニ…真我実現した人。賢者。ジュニャーニ。ギャーニ。

887避難民のマジレスさん:2019/05/15(水) 19:01:49 ID:LC3de7YgO
>>886
真我実現した人と賢者は別なのでありますか?
(´・(ェ)・`)つ

888鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/15(水) 23:06:24 ID:1d4drIFg0
悟っていなくとも多く学んで賢くなることはできるのじゃ。
正しい知識によって自らの愚かさを知れば賢者なのじゃ。
お釈迦様も自分を愚かだと知る者は賢者であると説いているのじゃ。
多く学んで゜知識を捨てて臨機応変になれば子供と同じなのじゃ。

889避難民のマジレスさん:2019/05/16(木) 12:38:21 ID:jfWCoXjM0

対話10

質問者

どうすれば『実在についての四十頌補遺』(ウラドゥ・ナールパドゥ・アヌバンダン)第九節にもとづくマハルシの教えにしたがって真我を実現できるでしょうか?
困難なのは心を制御することなのです。

  ハートの蓮華の中には、不変の純粋意識が真我として存在している。

  自我が取り除かれたとき、この真我の意識は個の魂に解放を与える。

               『実在についての四十頌補遺』第9節  

マハルシ

心の制御は呼吸の制御によって為されます。
他の方法を頼らずともその修練だけをすれば、心は制御されるでしょう。

さもなければ、卓越した霊性の力を持った人の臨在のもとに在ることで、心は自然と制御されます。
これが賢者との交際(サットサンガ)の偉大さです。

890鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/16(木) 22:55:06 ID:1d4drIFg0
呼吸法をして呼吸を止めるのはクンバカというのじゃ。
呼吸が自然に止まれば心も止まるのじゃ。
サマーディに入っている時は呼吸も止まっているのじゃ。
観察してみるとよいのじゃ。

891避難民のマジレスさん:2019/05/16(木) 23:17:11 ID:LC3de7YgO
>>890
うむ。
くまサマディ経験はないでありますが、呼吸が1分間に2〜3回くらいまでなったことはあるであります。
第三者に機械計測されたわけではなく、自分で数えたわけでありますから、そんなに瞑想が深まっていなかったことは明らかでありますが、
心が鎮まると、呼吸数が減るのは確認できたであります。
(´・(ェ)・`)つ

892避難民のマジレスさん:2019/05/17(金) 12:56:20 ID:jfWCoXjM0

対話11

質問者

運命(カルマ)が終焉するときは来るのでしょうか?

マハルシ

カルマはそれ自体のうちに、それ自体の破滅の種子を孕んでいるのです。

893鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/17(金) 22:20:15 ID:1d4drIFg0
>>891 そうじゃ、どんどん試してみると善いのじゃ。
 それがヨーガなのじゃ。

カルマとは報いを説明するためにできた観念に過ぎないのじゃ。
それが本当にあるわけではないのじゃ。
観念であるから消えていくしかないのじゃ。
囚われてはいかんのじゃ。

894避難民のマジレスさん:2019/05/18(土) 12:40:38 ID:jfWCoXjM0

対話12

ある人がマハルシに、「何かお言葉をいただけますか?」と頼んだ。
何について知りたいのかと尋ねられ、彼は、「自分は何も知らないので、マハルシから何かを聞きたいのです」と答えた。

マハルシ

あなたは自分が何も知らないことを知っています。
その知識を見いだしなさい。
それが解放(ムクティ)なのです。

895避難民のマジレスさん:2019/05/18(土) 18:30:14 ID:LC3de7YgO
>>894
ちょぴっとづつ知った気になることが、有害なのでありましょう。戒めねばなりますまい。
(´・(ェ)・`)つ

896鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/19(日) 22:45:54 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、自分が愚かであることを知ったのが賢者なのじゃ。
人の知識の限界が世界であるから、制限された知識で傲慢に陥れば世界も狭いままなのじゃ。
何も知らないと知れば世界も広がるのじゃ。
悟りに赴くこともできるのじゃ。

897避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 13:47:35 ID:jfWCoXjM0
1935年1月6日

対話13

イギリスのM・A・ピゴット婦人が、『秘められたインド』を読んでマハルシのもとを訪れた。
弟子の一人が通訳を務めた。
ホールの中は子供連れの女性を含めた大勢の訪問者でざわめいていたが、ようやく沈黙が訪れた。

それまで無限の空間を見つめていたマハルシが、突然静かな声で「サル!」と言ったのが聞こえた。
扉の近くには小さな赤ん坊がいた(母親は扉の反対側にいて気づいていなかった)。
そこには後ろ足で立ちながらその赤ん坊を傷つけないように、そっと両手で抱いている大きなサルの姿が見えた。
彼らはマハルシの臨在の中で安らぎ、仲良くしていたのだ。
サルはマハルシの声を聞くやいなや、さっと飛びのいて消え去った。
この出来事は婦人に強烈な印象を与えたのだった。

898避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 13:53:17 ID:jfWCoXjM0
1935年1月7日

M・A・ピゴット婦人が尋ねた。

「真我実現には師が必要でしょうか?」

マハルシ

真我実現は教えや講話や瞑想よりも、師の恩寵によるものです。
前者が二義的な助けにしかならないのに対して、師の恩寵は最も重要で本質的な要因です。

質問者

真我実現を妨げる障害は何でしょうか?

マハルシ

心の潜在的傾向(ヴァーサナー)です。

質問者

どうすれば心の潜在的傾向を克服できるでしょうか?

マハルシ

真我を実現することによってです。

質問者

それでは堂々巡りです。

マハルシ

そのような問題を引き起こし、障害をつくり出しておいてから、明らかな矛盾に困惑して苦しむのは自我なのです。
誰がそれを尋ねているのか、その尋ねている人を見いだしなさい。
そうすれば真我は見つかるでしょう。

899避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 14:00:15 ID:jfWCoXjM0
質問者

真我実現の助けとなるものは何でしょうか?

マハルシ

聖典の教えや真我を実現した賢者の教えです。

質問者

そのような教えは、討論や講話や瞑想などによるものでもいいのでしょうか?

マハルシ

かまいませんが、それらは二義的な助けにしかなりません。
最も重要なのは師の恩寵なのです。

質問者

師の恩寵を得るには、どれほどの時間がかかるのでしょうか?

マハルシ

なぜそれを知りたいのですか?

質問者

希望を与えてくれるからです。

マハルシ

そのような希望でさえ障害なのです。
真我は常に存在し、真我なしには何も存在しません。
真我として在りなさい。
そうすれば欲望や疑いは消え去るでしょう。
真我は眠り、夢見、目覚めという存在状態観照者です。
それらの状態は自我に属しますが、真我は自我さえ超越しています。
眠りの状態の中でも、あなたは存在していなかったでしょうか?
眠っている間、あなたは自分が眠っていることや世界に気づいていないことを知っていましたか?
あなたが眠りの体験を自覚のない状態だったと描写するのも、目覚めの状態においてだけです。
それゆえ、眠りの状態の意識は目覚めの状態の意識と同じものなのです。
もしこの目覚めの状態の意識が何であるかを知っているなら、あなたは三つのすべての状態を観照する意識を知ることになります。
そのような意識は、眠りにおける意識を探求することで見いだすことができるのです。

質問者

その場合、私は眠ってしまうでしょう。

マハルシ

それでもかまいません!

質問者

それは空白状態なのです。

マハルシ

誰にとってその空白状態が現れるのですか?見いだしなさい。
いつであれ、あなた自身の存在を否定することはできないはずです。
真我は常にそこに在り、すべての状態において存在しているからです。

質問者

あたかも眠りの中にとどまりながら、しかも同時に気づいているべきなのでしょうか?

マハルシ

そのとおりです。
気づいていることが目覚めの状態です。
それゆえ、それは眠りの状態ではなく、眠りのない眠りなのです。
想念の起こるままにまかせていたら、あなたは自分を見失い、果てしなく迷路をさ迷うだけでしょう。

質問者

だとすれば、私は想念の起こる源を探求することに戻るべきなのでしょうか?

マハルシ

まさにそのとおりです。
そうすれば想念は消え去り、ただ真我だけが残るでしょう。
実際、真我には内側も外側も存在しません。
そのような観念も自我による投影でしかないのです。
真我は純粋で絶対なるものだからです。

900避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 14:05:03 ID:jfWCoXjM0

質問者

知的になら理解はできますが、知性は実現の助けとなるのでしょうか?

マハルシ

ある段階までなら助けとなります。
たとえそうだとしても、真我が知性を超越していることは理解しておきなさい。
知性は真我に達する前に消え去らなければならないからです。

質問者

私が真我を実現すれば他者の助けになるでしょうか?

マハルシ

もちろんです。
それは可能なかぎり最高の助けとなります。
しかしそこに助けられるべき他者は存在しないのです。
なぜなら、金細工師がさまざまな宝飾品の中の金を見積もるとき、ただ金だけを見ているように、真我を実現した人はただ真我だけを見ているからです。
自己を身体と同一視するときにのみ、名前と形は存在します。
しかしあなたが身体を超越したとき、身体意識とともに「他者」も消え去るのです。

質問者

それは植物や樹木などについても同じことが言えるのでしょうか?

マハルシ

それらが真我を離れて存在するでしょうか?見いだしなさい。
あなたはあなたが植物を見ていると考えています。
その考えは真我から投影されたものなのです。
その想念がどこから現れたのか見いだしなさい。
そうすれば、想念はもはや現れず、ただ真我だけが残るでしょう。

901避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 14:09:15 ID:jfWCoXjM0

質問者

理論的には理解できるのですが、それでも想念は依然としてそこにあるのです。

マハルシ

そうです。それは映画のようなものです。
スクリーン上には光があり、その上を去来する影が、何かのドラマが演じられているような印象を観客に与えるのです。
もし同じ映画の中で、観客もまたドラマの一部としてスクリーン上に見られたとしたら、見る者と見られるものがともにスクリーンの上にあることになります。
それをあなた自身に当てはめてみなさい。
あなたはそのスクリーンです。
真我が自我をつくり出します。
そして自我は想念を自己増殖させ、それが今あなたの尋ねたような樹木や植物などのある世界として映し出されるのです。
実際には、それらはすべて真我以外の何ものでもありません。
もしあなたが真我を見るなら、いつでも、どこでも、すべてが真我であることがわかるでしょう。
ただ真我だけが存在するのです。

質問者

そのとおりです。
それでも私はいまだに理論的にしか理解できないのです。
しかしあなたの答えはシンプルで、美しく、得心のいくものです。

マハルシ

「私は真我を実現していない」という考えさえ一つの障害です。
事実は、真我だけが存在するのです。


『秘められたインド』…ポール・ブラントン著。日本ヴェーダーンタ協会発行。
マハルシの初期の西洋人帰依者ポール・ブラントンが、インド各地で出会った多くの聖者との体験を記録した本。
最終章はマハルシに捧げられており、この書により多くの西洋人が彼のもとを訪れた。

ヴァーサナー…心の潜在的傾向、性癖を意味する。
無数の過去世で起こった行為の印象(サンスカーラ)が蓄積されたものが、現世では無意識内に種子として潜在しており、状況に応じて衝動、感情、欲望、恐れなどとして現れる。
仏教では燻習(くんじゅう)、習気(じっけ)、種子(しゅうじ)などと呼ばれる。

902避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 14:16:06 ID:jfWCoXjM0
>>899
誤・存在状態観照者
正・存在状態の観照者

903鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/20(月) 23:02:51 ID:1d4drIFg0
アートマンを追求するには師匠が不可欠なのじゃ。
なぜならば認識できる観念全てを否定しなければならないからなのじゃ。
大抵の者は自我をアートマンと思ってしまうものじゃ。
全て否定してくれる師匠がいればそれを正せるのじゃ。

904避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 23:49:49 ID:LC3de7YgO
>>903
それをシステムにしようとしたのが公案でありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

905避難民のマジレスさん:2019/05/21(火) 10:29:24 ID:jfWCoXjM0
1935年1月8日

対話14

一人の老人が訪れ、ホールに座った。
マハルシはシャルマ氏によってサンスクリット語に訳された『アルナーチャラ・アクシャラ・マナ・マーライ』(文字の結婚指輪)を読んでいた。

老人が静かに尋ねた。

「真我実現はいかなる表現も超えているため、言葉で描写することはできないと言われていますが、どうしてでしょうか?」

マハルシ

『アルナーチャラ・アシュカム』(シュリー・アルナーチャラへの八連の詩)の第二節にその要点が述べられているように、実現の描写は不可能だとしても、その存在を示すことはできるのです。


その直後、老人の感情に明らかな変化が見られた。
呼吸は深く激しくなり、謙虚に全身を床にひれ伏すと、二分ほどしてようやく立ち上がった。
しばらくの間、静寂の内にとどまった後、彼はその場を去った。
明らかに、老人はある啓示を受けたのだ。
彼はマハルシにその確証を求め、マハルシはそれに相応する答えを与えた。
老人は確証を得、謙虚に、神の計らいを感じとったのだった。


『アルナーチャラ・アシュカム』第二節

見る者とは誰か?
内面を探ったとき、見る者は消え去り、その後に残ったものを私は見た。
だが、「私は見た」という想いは起こらなかった。
それゆえ、「私は見なかった」という想いがどうして起ころうか?

太古の昔、ダクシナームールティとして現れたあなたでさえ、ただ沈黙によってのみそれを伝え得たというのに、誰がそれを言葉で伝える力を持つというのか?

大地から天空までを輝かす丘としてそびえ立つあなたの境地を伝えるのは、ただ沈黙しかない。

906鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/21(火) 23:09:17 ID:1d4drIFg0
>>903 公案も観念を滅するためのものと言えるがアートマンとは又違うのじゃ。
 答えはあるからのう。
 
認識できない認識主体に達したならば、それは沈黙によってのみ伝えるしかないのじゃ。
全て否定して実践するものであるからのう。
沈黙だけが正しい答えなのじゃ。
見る事も見ないこともない沈黙の教えなのじゃ。

907避難民のマジレスさん:2019/05/21(火) 23:21:22 ID:LC3de7YgO
>>906
答えがあるのは、公案でありますか?
公案をとことん考えることで、観念を滅することはできるものでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

908避難民のマジレスさん:2019/05/22(水) 10:00:07 ID:jfWCoXjM0

対話15

「至高の魂は、最も微細なものよりも微細で、最も巨大なものよりも巨大である」
という『ウパニシャド』の中の言葉について質問があった。

マハルシ

原子の構造でさえ心によって発見されました。
したがって、心は原子よりも微細なものなのです。
心の背後に存在する個人の魂と呼ばれるもの、それは心よりも微細で精妙なものです。
さらにタミル州の聖者マーニッカヴァーチャカルは、
「太陽光線の中を舞う塵の一粒一粒が一つの宇宙を表し、太陽の光全体が至高の存在を表す」
と語っています。


至高の魂は、最も微細なものよりも微細で…『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャド』3-20

これは原子よりも小さく、最大のものよりも大きい。
真我は個人のハートの洞窟の中に宿る。

909鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/22(水) 22:41:13 ID:1d4drIFg0
>>907 答えは在るのじゃ。
 隻手には手を見せるとかのう。
 公案だけを考えれば他の観念は浮かばないのじゃ。
 それも集中なのじゃ。

最小のもの最大のものもただ観念であるだけなのじゃ。
観念を超越したものは最小で最大なのじゃ。
微細なアートマンも集中すればサマーディの中で最大になるのじゃ。
それ自体になるのがサマーディであるからのう。
世界の全てがアートマンになるのじゃ。

910避難民のマジレスさん:2019/05/23(木) 13:49:15 ID:jfWCoXjM0

1935年1月19日

対話16

気品ある七十歳の英国紳士、ダグラス・アインスリー氏(グラント・ダフ氏)は、マドラス前総督の甥である。
作家かつ詩人でもあり、以前アテネ、パリ、ハーグの英国公使館に所属していたため、政府の賓客としてマドラスを訪れていた。
彼はポール・ブラントンからの紹介状を携えてマハルシに会いに来た。
その翌日、再び彼は訪れ、1時間ほどホールにとどまった。
その両日とも何の言葉も実際に交わされず、二人はお互いに見つめ合うばかりだった。
ダグラス氏は質素で禁欲的な習慣の持ち主だった。
午後一時までは何も食べず、それから昼食をとり、夕方も、コーヒーとビスケット以外は何もとらずに眠りについた。
生涯独身を通し、空腹のまま一日数マイルの散歩をした。
言葉数は少なく、物腰は優雅だった。
声は低音で穏やかにしゃべり、その言葉はハートから湧き上がるかのようだった。
友人には故ジョン・ウッドロフ氏、サルヴパッリー・ラーダークリシュナン氏、オックスフォード大学教授のトーマス氏などがいた。彼は『ヴェーダ』の詠唱を聞きたいと望んでいた。

月曜日に、ラトビア共和国のリガから手紙が届いた。
手紙の中の質問は、西洋の来訪者から最近問われた「死者の魂の存在とその供養」に関する質問と偶然にも同じ内容だった。
リガに送られた返信の内容が、ダグラス氏に対して読まれた。
次に、マハルシの『実在についての四十頌 』がタミル語で詠われ、それから『ヴェーダ』の詠唱が行われた。
彼はそれを崇高な格調の高いものと感じた。

911避難民のマジレスさん:2019/05/23(木) 13:51:14 ID:jfWCoXjM0
翌日の午後、ダグラス氏は再び訪れ、他の者たちが驚く中、昨夜起こった体験についてマハルシに伝えた。
彼が語るには、「自己の内面、ハート・センターの右側に電光のごとく輝くものを見た」ということだった。
また、「内面で輝く太陽を見た」とも語った。
マハルシはかすかに微笑むと、『アートマ・ヴィディヤー』(真我の知識)の英訳版を彼に読んで聞かせた。
そこには、「真我実現とは、心の広がり(チッタ・ヴョーマン)とは明確に区別された、意識の広がり(チッド・ヴョーマン)であるアートマンに達することである」という秘教的な言葉が書かれていた。
彼はこの説明が気に入ったようだった。

後ほどダグラス氏のことが話題に上り、マハルシが言葉を添えた。
「自分の得た収入で、自分の家で平和に暮らすこともできただろう七十歳にもなる老人のことを考えてもみなさい!
一万キロもの航海や異国の鉄道の長旅という困難にも耐え、言葉もわからず、孤独な一人暮らしでの運命の移ろいや過酷な暑い気候、自分の体質に合わない不慣れな環境といったすべてを受け入れた彼の熱意がいかに真剣そのものだったか!
彼は自分の家で幸せに暮らすこともできたはずです。
内なる平安への熱望が彼をここに来させたのです」。
まさにそのとおりだ!
彼の真剣な熱意が、ここに到着してたった四日の内に光明の体験をもたらしたのだ、と人々は語り合った。


真我実現とは、心の広がり…『アートマ・ヴィディヤー(真我の知識)』2 ラマナ・マハルシ作

真実で、力強く、永遠に新鮮な真我。
この幻の身体と世界は、「それ」から現れ出す。
この幻影が破壊され、何一つ残らず消え去ったとき、真我の太陽は実在として輝きわたる。
広大なハートの広がりの中で、暗闇は消え去り、苦悩は絶え果て、至福があるれ出す。

912避難民のマジレスさん:2019/05/23(木) 14:01:04 ID:jfWCoXjM0
死者の魂に関する質問についてマハルシが語った。

マハルシ

自分自身を粗大な身体と同一視しているかぎり、その人は想念が物質化して現れた粗大な世界も現実のものと見なします。
なぜなら、彼は自分の身体が他の物理的存在から生まれてきたと考えているため、自分以外の世界も自分自身の身体と同様に実在すると感じるのです。
これまでここに存在し続けてきた魂は、確かに死後も生き残ります。
なぜなら前世から来て、現世の身体の中にまだ存在し続けていると感じている魂がそこにあるからです。
このような状況では天国や地獄も真実と見なされるため、死別した魂は遺族による祈りによって利益を受けるのです。

それとはまったく別の考えをするなら、そこには前世からの心の潜在的傾向(ヴァーサナー)の種子を蓄えている自我があり、その自我が湧き起こった源である真我があります。
その真我こそが唯一の実在なのです。
真我は自我、心の潜在的傾向、粗大な感覚器官を輝かせます。
この潜在的傾向が感覚を通して現れ、宇宙として物質化され、真我の反映である自我によって知覚されるようになるのです。
自我はそれ自身を身体と同一視するため、真我の視野を失ってしまいます。
この過ちの結果が、現在の人生における無知と不幸の暗闇なのです。

自我が真我から生じたという事実、そしてその事実を忘れること、それが誕生です。
そうしてみると、個人の誕生が母親を殺したとも言えるでしょう。
母親を再び得たいという現在の願望は、真実においては真我を取り戻したいという願望なのです。
それは真我実現と同じことであり、自我の死でもあります。
これが母親への明け渡しであり、そうすることで母親は永遠に生き続けるのです。

913避難民のマジレスさん:2019/05/23(木) 14:01:59 ID:jfWCoXjM0
それからマハルシは、タミル語版の『ヨーガ・ヴァーシシュタ』からディールガ・タパシと二人の息子プンニャとパーヴァナの物語について語った。

マハルシ

両親と死に別れて嘆き悲しむ弟を、兄はこう語って慰めました。
「どうして両親が死んだことを嘆くのかい?
彼らがどこにいるのか僕が教えてあげよう。
彼らは僕らの内側に、僕たち自身として存在しているんだ。
生命の流れは生と死、快楽と苦痛などの体験を通して果てしない転生を通り抜けてゆく。
川の流れは岩の上や、くぼみや、砂や、高いところや低いところを通り抜けながらも、流れ自体は影響を受けずにいる。
同じように、生と死、快楽と苦痛は、自我という蜃気楼に現れる水面の揺らぎのようなものなんだよ。
唯一の真実は真我だけだ。
自我は真我から現れ、想念を通してそれ自身を宇宙として現す。
そしてその中にお母さんや、お父さんや、友達や、親戚が、現れては消え去っていくんだ。
これらの人々はみな、真我の表れでしかない。
両親も真我の外側に存在しているわけではないんだよ。
だから嘆くことなんかない。
それを理解して、幸せになるんだ」


『ヨーガ・ヴァーシシュタ』からディールガ・タパシと二人の息子プンニャとパーヴァナの物語

聖者ディールガ・タパシにはプンニャとパーヴァナという2人の息子がいた。
プンニャはすでに真我を実現していたが、弟パーヴァナはまだその途上にいた。
ある日、父ディールガ・タパシは突然の死を迎え、母もその後を追った。
プンニャは淡々と葬儀を進めたが、パーヴァナは嘆き悲しむばかりだった。
プンニャは弟に、自分たちが過去世で無数の両親を持っていたという真理を説き、しかも無数の過去世でパーヴァナは鹿、ライオン、サル、王子、カラス、象、鳥などとして生きてきたことを伝えて、死を嘆く必要などないことを悟らせたのだった。

914鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/23(木) 23:00:00 ID:1d4drIFg0
アートマンは認識主体であるからそれから自我の幻想もあるのじゃ。
自我を認識主体とか認識していることが謬見なのじゃ。
自我も認識されている観念でしかないのじゃ。
観念幻想であることが分かれば、自己同一化がなくなるのじゃ。

915避難民のマジレスさん:2019/05/24(金) 18:37:18 ID:jfWCoXjM0
1935年1月24日

対話17

オックスフォード大学の英文学者、エヴァンス・ヴェンツ氏がポール・ブラントン氏からの紹介状を携えて到着した。
彼は長旅で疲れていたため休息を必要としていた。
すでに数回この国を訪れており、インドでの生活様式には慣れていた。
彼はチベット語を学び、『チベットの死者の書』やチベットで最も偉大なヨーギー、ミラレパの伝記である『ミラレパの生涯』、そして『チベットの秘教の書』の翻訳補助にたずさわっていた。

午後になって、彼は質問を始めた。
それらはヨーガに関係したものだった。
彼はヨーガで坐るために、トラや鹿などを殺して毛皮を使うことが正しいことなのかどうかを知りたがった。

マハルシ

心がそのトラや鹿なのです。

質問者

すべてが幻影だと言うなら、殺すこともかまわないとおっしゃるのですか?

マハルシ

誰にとっての幻影なのでしょうか?見いだしなさい!
事実、誰もが人生のあらゆる瞬間において「真我の殺し屋」(アートマハン)なのです。

質問者

どれが最も良い座位(アーサナ)でしょうか?

マハルシ

どのアーサナでもかまいませんが、楽な姿勢の半跏趺坐(スカ・アーサナ)が良いでしょう。
しかし知識の道(ジニャーナ・マールガ)を行く者にとって、それは重要ではないのです。

質問者

座位はその人の気質を表すのでしょうか?

マハルシ

そうです。

質問者

トラの毛皮や羊毛や鹿の毛皮などには、どのような特質や効果があるのでしょうか?

マハルシ

ある人々がそれらの毛皮に特質や効果があることを発見したのです。
ヨーガの本にそのことが述べられています。
それは磁気の伝導性や非伝導性と一致するといったことです。
しかし知識の道を行く者にとってそれは重要ではありません。
真の座位とは、真我の中に位置し、そこに確立されることを意味しているのです。
それは内側にあります。
他の人たちは、外的な姿勢について述べているのです。

916避難民のマジレスさん:2019/05/24(金) 18:42:40 ID:jfWCoXjM0
質問者

瞑想に最も適した時間はいつでしょうか?

マハルシ

時間とは何でしょうか?

質問者

どうぞおっしゃってください!

マハルシ

時間とは単なる概念にすぎません。
ただ実在だけが存在するのです。
何であれあなたが考えたことは、そのように現れます。
あなたがそれを時間と呼べば、それは時間となり、もしも存在と呼べば、それは存在となる。
そのようなものです。
あなたがそれを時間と呼んでおいてから、昼や夜、年や月、時間や分に分割するのです。
知識の道(ジニャーナ・マールガ)を行く者にとって、時間は問題ではありません。
しかしいくつかの規則や規律は初心者にとって有用なものです。

質問者

ジニャーナ・マールガとは何なのでしょうか?

マハルシ

精神集中は知識の道でもヨーガの道でもある点で共通しています。
ヨーガの目標は個人と普遍的実在との合一です。
実在は何か新しいものではありえません。
それは今も存在しているはずであり、事実、存在しているのです。
それゆえ、知識の道はどうして分離(ヴィヨーガ)が生じたのかを見いだそうとします。
分離でさえ実在からのみ現れるのです。

質問者

幻影とは何でしょうか?

マハルシ

誰にとっての幻影ですか?見いだしなさい。
そうすれば幻影は消え去るでしょう。
人々は幻影について知りたがりますが、それが誰にとって起こるのかを調べようともしません。
それは愚かなことです。
幻影は未知のものであり、外側にあります。
しかし探究者は既知なるものであり、内側にあります。
あなたの知らない遠く離れたものを見いだそうとするよりも、身近で、あなたに親しいものを見いだしなさい。

質問者

マハルシは西洋人に何か特別な座位を勧められますか?

マハルシ

それを勧めることはできるでしょう。
しかしはっきりと理解されるべきことは、瞑想は座位や特別な時間帯や装具一式がないときにも続けられるべきだということです。

質問者

マハルシは西洋人に何か特別な修練方法を勧めますか?

マハルシ

それは個人の精神的特質によるものであって、決められた一定のルールがあるわけではないのです。

917避難民のマジレスさん:2019/05/24(金) 18:51:19 ID:jfWCoXjM0
エヴァンス・ヴェンツ氏はヨーガの初歩段階における質問を始めた。
そのすべての質問に対してマハルシは、
「それらはヨーガの補助的な事柄であり、ヨーガ自体がすべての目標である真我実現の補助なのです」
と答えた。

質問者

仕事は真我実現の妨げとなるでしょうか?

マハルシ

いいえ。
真我を実現した人にとっては真我だけが実在であり、行為は真我に影響を与えることのない単なる現象にすぎないのです。
たとえ行為しているときでも、彼には行為者であるという感覚がありません。
行為は自然に起こり、彼はそれを執着心なく見守り続けるだけです。

このような行為に目的はありません。
仕事に従事している者でさえ、知識の道(ジニャーナ・マールガ)を修練することができます。
初心者には最初は困難かもしれませんが、修練を重ねるうちにそれは効果を現し、やがて仕事が瞑想の妨げになることもなくなるでしょう。

質問者

修練とは何でしょうか?

マハルシ

自我の源である「私」をたゆまず探究し続けることです。
「私は誰か?」、それを見いだしなさい。
純粋な「私」は実在であり、絶対的な「存在ー意識ー至福」です。
「それ」が忘れられたとき、あらゆる不幸が起こります。
「それ」をしっかりととらえれば、不幸がその人に影響を与えることはなくなるのです。

質問者

真我実現にブラフマチャリャ(独身生活)は必要でしょうか?

マハルシ

ブラフマチャリャとは「ブラフマンの内に生きる」ことを意味します。
一般に理解されているような独身生活との関係はありません。
真のブラフマチャリャ、つまりブラフマンの内に生きる人は、真我であるブラフマンの内に至福を見いだします。
だとすれば、なぜ他に幸福の源を探そうとするのでしょうか?
事実は、真我から外へと出て行くことに、すべての不幸の原因があるのです。

質問者

独身生活はヨーガにおいて必要不可欠なものなのでしょうか?

マハルシ

そうです。
独身生活は、確かに多くの補助的な方法の一つです。

質問者

それならば、必要不可欠ではないのですね?
結婚した者でも真我を実現できるのですね?

マハルシ

もちろんです。
それは心の適性の問題なのです。
結婚していようと未婚であろうと、真我実現は可能です。
なぜなら、それは今、ここに在るからです。
もしそうでなければ、つまり努力によって時間をかけた後に達成できるものなら、そして、もしそれが新たに獲得しなければならないようなものなら、追求する価値さえないでしょう。
なぜなら、自然でないものは永遠でもないからです。
しかし私が語る真我とは、今ここに在り、ただそれだけが存在するのです。

918避難民のマジレスさん:2019/05/24(金) 18:56:20 ID:jfWCoXjM0
質問者

神はすべてに遍在しているため、他の生き物の生命を奪ってはならないはずです。
では、殺人者の生命を社会が奪うのは正しいことなのでしょうか?
国家が生命を奪うのは許されるのでしょうか?
キリスト教国家の中には、それを間違いと見なし始める国も現れています。

マハルシ

殺人者に罪を犯すよう駆り立てたものとは何でしょうか?
その同じ力が彼に罰を与えるのです。
社会や国家は、その力の手の内の一つの道具にすぎません。
あなたは一人の生命が奪われたことについて語っていますが、無数の生命が奪われる戦争においてはどうでしょうか?

質問者

まったくそのとおりです。
どちらにせよ、生命の損失は誤りです。
戦争は正当化できるのでしょうか?

マハルシ

常に真我の内に在り続ける覚者にとって、一人の生命、あるいは数人の生命、あるいはこの世のすべての生命、または三界のすべての生命が失われたとしても、何の違いもありません。
たとえ彼がすべての生命を破壊することになったとしても、そのような純粋な魂に罪が触れることはないのです。

 マハルシは『バガヴァッド・ギーター』の第十八章十七節から引用した。

   自我という概念から自由で、知性に執着しない人は、

   たとえ全世界を全滅させようと、彼が殺したということはなく、

   行為の結果に縛られることもない

質問者

行為はその人の来世に影響を及ぼすのではありませんか?

マハルシ

あなたは今生まれたのですか?
どうして来世について想いをめぐらすのでしょうか?
事実は、生も死も存在しないのです。
自分は生まれたと考える者に、死について考えさせなさい。

919避難民のマジレスさん:2019/05/24(金) 19:02:03 ID:jfWCoXjM0
質問者

マハルシの真我実現には、どれほどの時間がかかったのでしょうか?

マハルシ

このような問いがされたのは、あなたが名前や形を知覚しているからです。
このような知覚は、自我と身体を同一視するために起こります。

夢の中のように、自我がそれ自体を微細身と同一視すると、知覚も精妙なものとなります。
しかし深い眠りの中には何の知覚もありません。
それでも、そこに自我は存在していなかったでしょうか?
いいえ、存在していたはずです。
そうでなければ、眠っていたという記憶さえ存在しえなかったでしょう。
眠っていたのは誰でしょうか?
あなたは眠りの中で、「私は眠っている」とは言いませんでした。
あなたがそう言うのは、目覚めの状態である今、このときです。
ですから、自我は目覚め、夢見、眠りのすべてにおいて存在していたのです。
これらの状態の根底にある実在(リアリティ)を見いだしなさい。
その実在という境地の中には、ただ「存在」だけが在ります。
そこにはあなたも、私も、彼もなく、現在も、過去も、未来もありません。
それは時間と空間を超え、表現を超えています。

それは常に存在しているのです。

バナナの木は実が熟して地に落ちる前に根元から芽を出します。
その芽は移植され、そしてまた同じ過程を繰り返します。
それと同じように、太古の昔、弟子たちの疑問を沈黙の内に消し去った原初の師ダクシナームールティも芽を残し、それは今も増え続けています。
グルとはそのダクシナームールティの若芽の一つなのです。
真我が実現されれば、あなたが尋ねたような問いは生じなくなるでしょう。

質問者

マハルシはニルヴィカルパ・サマーディに入ったことがありますか?

マハルシ

目を閉じているときはニルヴィカルパ・サマーディであり、開いているときは(そこに区別はあっても絶対の静寂の内に在る)サヴィカルパです。
(しかし目を開いていようと閉じていようと)常に変わらず存在する自然な境地がサハジャなのです。

920避難民のマジレスさん:2019/05/24(金) 21:46:07 ID:LC3de7YgO
>トラや鹿などを殺して毛皮を使うことが正しいことなのか。

マハルシ

心がそのトラや鹿なのです。

質問者

すべてが幻影だと言うなら、殺すこともかまわないとおっしゃるのですか?

マハルシ

誰にとっての幻影なのでしょうか?見いだしなさい!
事実、誰もが人生のあらゆる瞬間において「真我の殺し屋」(アートマハン)なのです。

うぅむ。
これが、覚者の答えである理由をくまなりに書きながら考えてみる。

誰にとっての幻影か?
幻影を見ている幻影の自我にとっての幻影でありましょう。

誰もがとは、真我の実現に至ってない、自我あるとの幻影の中にいる、いわゆる凡夫でありましょう。

動物を殺して瞑想時の敷布にしていいのかと言う、価値判断を含む意見の表明は、凡夫の価値判断に過ぎないと退けてるわけではなく、
引用最後の、
>事実、誰もが人生のあらゆる瞬間において「真我の殺し屋」(アートマハン)なのです。
←「真我の殺し屋」と言う言葉に、たった一つの意識、アートマン(それには当然殺されたトラをも含む)、その殺し屋である自我を滅して、否定をもってのみ表現しうる認識できない認識主体であるところのアー
トマン(=無我)まで至らなければダメだよ!と言う、クールな励ましの意と受け止めるべきかなと思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

921鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/24(金) 23:24:26 ID:1d4drIFg0
↑そのようなものじゃ。
 それを問う者の心の中に殺生はあるのじゃ。
 
時間も観念に過ぎないゆえに、アートマンを実現した者にはないのじゃ。
どれほどの時間と聞くのは、寝ていた者が眼を覚ますのにどれほど時間がかかったかと聞くようなものじゃ。
寝ていた者には時間は知覚されないのじゃ。
観念のある者だけに時間はあると認識されているのじゃ。

922避難民のマジレスさん:2019/05/25(土) 13:00:57 ID:jfWCoXjM0
1935年1月26日

対話18

エヴァンス・ヴェンツ氏が尋ねた。
「超自然能力を持ったヨーギーがいますが、マハルシは彼らについてどうお考えですか?」

マハルシ

その力は噂によってか、あるいは実演によって知られます。
それゆえ、それらは心の領域の中だけにあるのです。

質問者

ブラントン氏は、マドラスのヨーギーがヒマラヤに住む師と交信をしていると言いました。

マハルシ

それは一般に知られているテレパシーほど驚くべきものではありません。
聞く人なしにテレパシーはありえず、見る人なしにテレビはありえません。
近くの音を聞くことと遠くの音を聞くことに、何の違いがあると言うのでしょう?

重要なのは、それを聞く本人なのです。
聞く者なしに聞くことはありえず、見る者なしに見ることはありえないからです。

質問者

つまり、あなたは私に対象ではなく主体について考えなさいと言われるのですね?

マハルシ

主体と対象は心が生じた後にのみ現れます。
主体も対象も、そして超自然能力も、心の中に含まれるのです。

質問者

アルナーチャラの丘に光(ジョーティ)が現れるのを目にすることはできますか?

マハルシ

できます。

質問者

カイラース山やベナレスのような聖地を巡礼することには、霊的な効果があるのでしょうか?

マハルシ

あります。

質問者

ベナレスで死を迎えることに恩恵はあるのでしょうか?

マハルシ

あります。
もし真のベナレスと真の死の意味が理解されれば、その意味は明らかになるでしょう。

質問者

つまり、それらは真我の中に在るということですね?

マハルシ

そのとおりです。

質問者

身体の中の六つのセンターに相応するセンターが、世界にも存在すると言われています。

マハルシ

そうです。
世界の中に存在するものは身体の中にも存在し、身体の中に存在するものは世界の中にも存在しているのです。

質問者

ベナレスの神聖さは信仰によるものなのでしょうか、それとも外面的にも真実なのでしょうか?

マハルシ

その両方です。

質問者

ある人はある聖地に惹かれ、別の人は別の聖地に惹かれます。
それはその人の気質によるのでしょうか?

マハルシ

そうです。それぞれ違った場所に生まれ、別々の土地で暮らしていた人たちが、今日ここにこうして集まっていることを考えてもみなさい。
あなたたちをここに引き寄せた力とは何なのでしょうか?
もしこれが理解されれば、他の力もまた理解されるでしょう。

923鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/25(土) 22:59:33 ID:1d4drIFg0
力とか聖地とか奇跡とか神秘なものも全て心の中にあるもの゛ゃ。
観念の内から出ていないのじゃ。
その観念を持つものがあると思えば在るのじゃ。
観念が無くなればその者の世界からなくなるのじゃ。

924避難民のマジレスさん:2019/05/26(日) 00:38:10 ID:jfWCoXjM0
1935年1月29日

対話19

グラント・ダフ氏が尋ねた。

「記憶と忘却はどこに位置しているのでしょうか?」

マハルシ

心(チッタ)の中にです。

925鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/26(日) 22:48:57 ID:1d4drIFg0
全ては心の中で繰り広げられる幻影なのじゃ。
記憶に依存した認識が観念を創り、その観念の中でのみ人は生きていくのじゃ。
世界が自分で創った観念であることもわからないのじゃ。
神とか世界が自分を創ったと思っているのじゃ。

926避難民のマジレスさん:2019/05/27(月) 09:30:23 ID:jfWCoXjM0
1935年1月30日

対話20

エヴァンス・ヴェンツ氏
 ジニャーニ(真我実現した人)にとって孤独は必要でしょうか?

マハルシ
 孤独は人の心の中に在ります。
 世間の雑踏の中に在りながら、静かな心を保っている人がいるかもしれません。
 そのような人は、ただ独り在るのです。
 深い森の中に暮らしながら、心を制御できない人もいるかもしれません。
 そのような人は独り在るとは言えないでしょう。
 独り在ることとは、心の在りようです。
 たとえどこにいようとも、欲望にかられた人は独り在ることができません。
 その反対に、無欲の人はいつでもただ独り在るのです。

質問者
 ということは、仕事に従事しながらも欲望に触れることなく、ただ独り在ることもできるということなのですね?

マハルシ
 そうです。
 執着心とともに為された仕事は足かせとなりますが、執着心なしに為された仕事が行為者に影響を及ぼすことはありません。
 このように仕事をする人は、たとえ仕事の最中にあってもただ独り在るのです。

質問者
 チベットには孤独の内にあって、しかも世界を救済している多くの聖者がいると言われています。
 そのようなことは可能なのでしょうか?

マハルシ
 可能です。
 真我を実現することは、人類に与えることのできる最も偉大な救いです。
 それゆえ、聖者は森にとどまっていようとも助けとなることができるのです。
 しかし「独り在る」とは森に住むことだけを意味するのではないことを覚えておきなさい。
 それは街中であろうと、世俗の仕事の只中にあろうと可能なのです。

質問者
 聖者が人々に交わって助けを施すのは必要なことではないでしょうか?

マハルシ
 ただ真我だけが実在なのです。
 世界やその他すべては実在ではありません。
 真我を実現した人は、世界を自分自身と別のものとして見ないのです。

質問者
 つまり聖者の真我実現は、人類の意識をそれとは気づかぬうちに向上させているということなのですね?

マハルシ
 そうです。
 助けは目に見えないものかもしれません。
 それでも、それはそこにあります。
 聖者は知られることなく全人類を助けるのです。

質問者
 他の人々と交わったほうがよいのではありませんか?

マハルシ
 交わるべき他者というものはないのです。
 真我は一つであり、唯一の実在だからです。

927避難民のマジレスさん:2019/05/27(月) 09:31:33 ID:jfWCoXjM0
質問者
 もし真我実現した者が百人いたなら、世界にとってより偉大な恩恵となるのではありませんか?

マハルシ
 あなたが「真我」と言うとき、それは無限なるものを意味していますが、それに「者」という言葉を加えると、その意味は限定されてしまいます。
 無限の真我だけが、唯一の実在なのです。

質問者
 なるほど、確かにそのとおりです。
 シュリー・クリシュナは『ギーター』の中で、「執着心なしに為された仕事は、無為であるよりも優れている」と言っています。
 これはカルマ・ヨーガでしょうか?

マハルシ
 そこに言われていることは、聞く者の気質に合うように与えられた教えなのです。

質問者
 「孤独の内に在る人が助けとなれる」という考えは、ヨーロッパでは理解されないでしょう。
 世間の中で働く人々だけが役に立てると考えられているからです。
 この誤解はいつ正されるのでしょうか?
 ヨーロッパ人の心は迷い続けるままなのでしょうか、それとも真理を理解するのでしょうか?

マハルシ
 ヨーロッパであろうとアメリカであろうと問題ではありません。
 ヨーロッパやアメリカが、あなたの心の中以外のどこに存在すると言うのですか?
 あなたの真我を実現しなさい。
 そうすればすべては理解されるでしょう。

 もしあなたが夢の中で何人かの人を見て、それから目覚めて夢を思い出したとき、夢の中の人々も目を覚ましたかどうかということを確かめようとするでしょうか?

質問者
 宇宙が幻影(マーヤー)であるという理論についてどう思われますか?

マハルシ
 マーヤーとは何でしょうか?
 それは実在以外の何ものでもないのです。

質問者
 マーヤーは幻影ではないのですか?

マハルシ
 マーヤーとは実在の顕現を意味するのです。
 それゆえ、マーヤーは実在以外の何ものでもありません。

質問者
 シュリー・シャンカラーチャーリャは知的なだけで、悟ってはいなかったと言う人がいますが、そうなのでしょうか?

マハルシ
 なぜシャンカラーチャーリャのことで心を煩わせるのですか?
 あなた自身の真我を実現しなさい。
 他の人たちは自分で自分の面倒を見るでしょう。

928避難民のマジレスさん:2019/05/27(月) 09:34:10 ID:jfWCoXjM0
質問者
 イエス・キリストは人々の病気を癒しました。
 それは単なる超自然能力(シッディ)なのでしょうか?

マハルシ
 イエスは人々の病気を癒していることに気づいていたでしょうか?
 彼が自分の能力を意識することはできなかったはずです。
 このような物語があります。

 イエスはあるとき盲目の男を癒した。
 その男はやがて悪人になってしまった。
 数年後、その男に出会ったとき、イエスは
 「どうしてあなたは悪人になってしまったのか?」と尋ねた。
 男は答えた。
 「盲目の間は罪の犯しようもありませんでした。
 しかしイエスが視力を与えたために、邪悪になってしまったのです。
 その責任はイエスにあるのです」と。

質問者
 イエス・キリストは超自然能力(シッディ)を持った全能の人だったのではありませんか?

マハルシ
 彼は自分の能力に気づくことができなかったのです。

質問者
 テレパシーのような能力を得ることは良くないことなのでしょうか?

マハルシ

 テレパシーやラジオは遠くのものを見たり聞いたりすることを可能にします。
 それらは見ることや聞くことという点では同じです。
 近くの音を聞こうと遠くの音を聞こうと、聞くという行為に違いはありません。
 基本的な要因は聞く者、主体にあるのです。
 聞く者あるいは見る者がいなければ、聞くことや見ることはありえません。
 知覚とは心の機能です。
 超自然的な力(シッディ)は、それゆえ心の中にしか存在しないのです。
 それは真我に本来備わっているものではありません。
 もとからあるものではなく、後から獲得されたものは永遠ではありません。
 したがって、努力して獲得するだけの価値もないのです。

 シッディとは能力が拡大されたものです。
 限られた能力を持つ者は不幸です。
 それゆえ、幸福になるために能力を拡大しようとするのです。
 しかし本当にそうなのか考えてみなさい。
 もし限られた能力のために不幸だと言うのなら、能力が拡大するにしたがって不幸も拡大することになります。
 超能力は幸福をもたらすのではなく、人をより不幸にするのです。

 しかも、何のための能力なのですか?
 超能力者になろうとする人は賞賛を求めて自分の力を誇示します。
 賞賛が得られなければ幸福にもなれないでしょう。
 そしてそこには彼を賞賛する他者の存在も必要とされます。
 彼は自分より高い能力を持った者に遭遇することさえあるでしょう。
 それは嫉妬を生み出し、さらに不幸を招くでしょう。
 能力の高い者はさらに能力の高い者に出会い、ついには一瞬の内にすべてを吹き飛ばしてしまうような存在に出会うことになるでしょう。
 そのような至高の存在、それが神、あるいは真我なのです。

 いったいどちらが真の力でしょうか?
 虚栄を満たす力か、平和をもたらす力か?
 平和をもたらすもの、それが最高の成就(シッディ)なのです。

929避難民のマジレスさん:2019/05/27(月) 09:35:15 ID:jfWCoXjM0
質問者
 しかしヨーロッパやアメリカの普通の人々は、そのような考えよりも能力の顕示や講義による教えなどを望んでいるのです。

マハルシ
 講義は人々を改善することもなく、ただ数時間楽しませるだけでしょう。
 一方沈黙は永久的に、全人類に恩恵をもたらすのです。

質問者
 しかし沈黙では理解できません。

マハルシ
 それは問題ではありません。
 沈黙は雄弁です。
 言葉による教えは沈黙のように雄弁ではありません。
 沈黙は絶えず雄弁なのです。
 原初の師、ダクシナームールティはその極致です。
 彼は弟子のリシ(賢者)たちに沈黙を通して教えたのです。

質問者
 しかし彼には弟子たちがいました。
 それはそれでよかったでしょう。
 でも今は違います。
 人々は見いだされ、救われなければならないのです。

マハルシ
 それは無知の証拠です。
 あなたを創造した力が世界をも創造したのです。
 もしそれがあなたの面倒を見るなら、世界の面倒も見ることができるでしょう。

質問者
 イエス・キリストが語っている「失われた魂」についてバガヴァーンはどう思われますか?

マハルシ
 何が失われたと言うのですか?
 失われるような何があると言うのですか?
 重要なのは、生来のものだけです。
 それは永遠なるものであり、体験できないものなのです。
 生まれたものは死ななければならず、得られたものは失われるに違いありません。
 あなたは生まれたのですか?
 あなたは常に存在しているのです。
 真我が失われることはありえないからです。

質問者
 仏陀はすべてを包括する八正道を最高の道として勧めました。

マハルシ
 そうです。
 ヒンドゥー教では、それはラージャ・ヨーガと呼ばれています。

質問者
 ヨーガを真理の探究者に勧めますか?

マハルシ
 ヨーガは心の制御を助けます。

質問者
 しかしそれは危険と見なされている超自然能力に導くのではありませんか?

マハルシ
 しかし質問は、「真理の探究者」に関してではなかったですか?
 あなたは超能力の探究者を意味したのではなかったはずです。

930避難民のマジレスさん:2019/05/27(月) 19:03:52 ID:LC3de7YgO
マハルシさんは、若い時に一人で悟り、その後ヴェーダ以外の幅広い知識を身に付けたのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

931鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/27(月) 23:20:56 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、悟った後に学んだのじゃ。
 人に教えるには知識も必要であるからなのじゃ。

何かを失ったとか、罪を負ったとかの詐欺的な宗教に騙されてはいかんのじゃ。
何も失えず、負う事も無いのじゃ。
何もかも全て在るのじゃ。
それは得ることも失うことも汚れることも清くなることも無いのじゃ。
全てあるがままなのじゃ。

932避難民のマジレスさん:2019/05/27(月) 23:37:18 ID:LC3de7YgO
>>931
般若心経が悟りのイメージでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

933避難民のマジレスさん:2019/05/28(火) 10:30:15 ID:jfWCoXjM0
1935年1月31日

対話21

マドラス州の立法府議員であり、有力なヒンドゥー教徒のエラッパ・チェッティアール氏が尋ねた。
 
「聞くことによって得た知識は確固としたものにならず、黙想によって生まれた知識は揺るぎないものとなると言われていますが、なぜでしょうか?」

マハルシ

一方、耳にしただけの知識(パロークシャ)は確固としたものにならないが、真我実現によって生まれた知識(アパロークシャ)は揺るぎないものとなると言われています。

またこうも言われています。
聞くことは真理の知的理解を助け、瞑想はその理解を明瞭にし、黙想が真理の実現をもたらす、と。

さらに、このような知識はみな確固としたものではなく、ただそれが掌の上の木の実ほど身近で明らかなものとなったときにだけ、それは確固としたものになるとも言われています。

聞くことだけで十分だと断言する人もいます。
なぜなら、有能で、おそらくは過去世で修練を積んで資質を培った人は、一度真理を聞いただけで真我を実現し、平和の内にとどまるからです。
しかし資質を培っていない人は、サマーディ(三昧)に没入するまで今述べたような段階を経なければならないのです。

934鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/28(火) 23:24:19 ID:1d4drIFg0
>>932 そのようなものじゃ。
 それもまた法であるがのう。

経典でも聖者の言葉でも見たり聞いたりしただけの知識は無意味なのじゃ。
富士山に登らずに富士山の話をしているようなものであるからのう。
ちゃんと登った者が正しく完全な知識で語ることが出来るのじゃ。
実践によって正しい知識を得なければ何の意味も無いのじゃ。

935避難民のマジレスさん:2019/05/29(水) 14:30:27 ID:jfWCoXjM0
対話22

ピゴット婦人がマドラスから戻り、食生活について尋ねた。

質問者
 修行者(サーダカ)のために指導される食事とはどのようなものでしょうか?

マハルシ
 決められた量の清らか(サートヴィック)な食事です。

質問者
 サートヴィックな食べ物とは何でしょうか?

マハルシ
 パン、フルーツ、野菜、ミルクなどです。

質問者
 北インドでは魚を食べる人もいます。
 そうしてもよいのでしょうか?

マハルシは何も答えなかった。

質問者
 私たち西洋人は特定の食事に慣れていて、それを変えることは健康にも影響し、心を弱らせます。
 身体的な健康を保つことは必要ではないでしょうか?

マハルシ
 それは本当に必要なことです。
 身体が弱まるほど心は強大になるのです。

質問者
 いつもの私たちの食事がないと、健康は衰え、心は力を失います。

マハルシ
 心の力とはどういう意味でしょうか?

質問者
 世俗的な執着を断ち切る力です。

マハルシ
 食べ物の性質が心に影響を与えるのです。
 心は消化された食べ物に養われているからです。

質問者
 本当ですか!
 ではどうすれば西洋人はサートヴィックな食事だけに適応できるようになるのでしょうか?

マハルシ
(エヴァンス・ヴェンツ氏に向かって)
 あなたは私たちの食事をしています。
 そのために不自由を感じますか?

エヴァンス・ヴェンツ氏
 いいえ。
 慣れていますから。

質問者
 慣れていない人たちはどうなのですか?

マハルシ
 習慣とは単に環境に適応することにすぎません。
 問題なのは心です。
 実際は、ある食べ物がおいしく良いものだと考えるように心が慣らされてきたのです。
 菜食主義者も非菜食主義者も、食べ物自体は同じように良いものです。
 ただ心はある食べ物に慣れ親しみ、おいしいと見なしてそれを求めるのです。

質問者
 真我を実現した人にも食事に規則があるのでしょうか?

マハルシ
 いいえ。
 彼は不動で揺るがず、食べるものによって影響を受けることはありません。

質問者
 肉を料理するということは、生命を殺すことではないでしょうか?

マハルシ
 非暴力(アヒンサー)はヨーギーの修行にとって最も重要な規則です。

質問者
 植物さえも生命を持っています。

マハルシ
 あなたが座っている床の石さえも!

質問者
 私たちはしだいに菜食主義に慣れていくでしょうか?

マハルシ
 そうです。
 それが正しい方法なのです。

936鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/29(水) 23:07:39 ID:1d4drIFg0
施されたら肉も食べてもよいのじゃ。
しかし、瞑想には菜食が向いているのじゃ。
神経も静まるからのう。
肉とか砂糖とか刺激物を取りすぎると攻撃的になると言うのじゃ。

937避難民のマジレスさん:2019/05/30(木) 10:33:06 ID:jfWCoXjM0
1935年2月2日

対話23

エヴァンス・ヴェンツ氏が先日の質問を続けた。

「霊的な師を二人以上持ってもよいのでしょうか?」

マハルシ
 師とは誰でしょうか?
 結局、師は真我なのです。
 その人の心の発展段階に合わせて、真我は外的な師として姿を現すのです。
 古の高名な聖者、アヴァドゥータは二十四人以上の師を持っていました。
 師とは、何であれそれから人が学ぶことのできる対象をいいます。
 アヴァドゥータがそうだったように、師は、ときには無生物であるかもしれません。
 神、グル(師)、真我は一つなのです。

 霊的(スピリチュアル)な精神を持った人は、神がすべてに遍在すると考え、神を自分の師と見なします。
 次に、神は人の姿をとったグルを彼のもとに送り、彼はグルが遍在するすべてであることを悟ります。
 最終的には、その同じ人が師の恩寵によって、彼自身の真我こそが実在であり、それ以外何も存在しないことを感じ取ります。
 こうして彼は真我が師であることを見いだすのです。

質問者
 シュリー・バガヴァーンは弟子を取りますか?

マハルシは黙ったままだった。

しばらくして、弟子の一人が答えを差し出した。

「マハルシは誰も彼の真我の外側に在るとは見なしません。
 ですから、彼にとって弟子というものはありえないのです。
 彼の恩寵はすべてに遍く存在し、沈黙を通して恩寵を受けるにふさわしい人に分かち合われるのです」

質問者
 書物から得た知識は真我実現に役立つのでしょうか?

マハルシ
 霊的な精神をもたらすというかぎりにおいては。

質問者
 知性はどこまで助けとなるのでしょうか?

マハルシ
 知性を自我の中に、自我を真我の中に沈めさせるまでです。


【アヴァドゥータ】
 すべての所有物を放棄し、ヒンドゥー教のダルマ(義務)からも自由となって放浪する覚者(ジニャーニ)。
 ここではその代表格であるダッタートレーヤを指す。
 彼は、土からは忍耐と不動の心を、水からは純粋な心を、空からは無執着の空なる心を学んだ。
 このようにして五大元素、鳩、バッタ、象、鹿、魚、娼婦、蛇、小さな女の子など出会ったものすべてを師と見なして教えを得たと言われている。

938鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/30(木) 23:25:28 ID:1d4drIFg0
アートマンは一つというのに弟子と師匠がある筈も無いのじゃ。
説かれたことを理解していないのじゃ。
アートマンを実践していないのじゃ。
アートマンを習うのにアートマンを理解しなければ無意味なのじゃ。

939避難民のマジレスさん:2019/05/31(金) 07:35:05 ID:LC3de7YgO
>>938
直接的で、誰にでも、くまでもわりやすい解説をありがとうであります。
(´・(∀)・`)つ

940避難民のマジレスさん:2019/05/31(金) 09:50:10 ID:jfWCoXjM0
1935年2月4日

対話24

ピゴット婦人
 どうしてあなたはミルクは飲むのに卵は食べないのですか?

マハルシ
 家畜の牛たちは子牛が必要とする以上にミルクを出すため、ミルクを搾られることに喜びを感じるのです。

質問者
 でも雌鳥も卵を抱えきれないのではないでしょうか?

マハルシ
 しかし卵の中には、やがて生命となるものが宿っているからです。

質問者
 想念が突然止まり、「私ー私」が突然湧き上がって、それは続いていきます。
 それは感じることの中にあり、知的なものではありません。
 これでよいのでしょうか?

マハルシ
 もちろん、それでよいのです。
 「私ー私」が湧き上がるのを感じるには、想念や理性が消え去らなければなりません。
 感じることが主な要因であり、理性ではないのです。

質問者
 何よりも、それは頭の中ではなく胸の右側で感じられるのです。

マハルシ
 そうあってしかるべきです。
 なぜなら、ハートはそこにあるからです。

質問者
 私が外側を見るとき、それは消え去ってしまいます。
 どうすればよいのでしょう?

マハルシ
 しっかりとそれを心にとどめなければなりません。

質問者
 もしそのような想起とともに行為するのであれば、その行為は常に正しいものとなるのでしょうか?

マハルシ
 そうあって当然です。
 しかしながら、そのような人は行為が正しいかどうかを心配したりはしません。
 彼の行為は神の行為であり、それゆえ正しいのです。

質問者
 それでは、どうして食事を制限しなければならないのでしょうか?

マハルシ
 あなたの現在の体験は、あなたのいる環境の影響によるものです。
 この場を離れてその体験を持てるでしょうか?
 体験とは一過性のものです。
 それが永続的なものになるまで修練は欠かせないでしょう。
 そのような体験が続けて起こるようにする助けとして、食事制限があるのです。
 ひとたび真理の内に確立されれば、制限は自然に落ちてゆくでしょう。
 さらに、食事は心に影響を与えます。
 それゆえ、純粋な食事を保つべきなのです。

ピゴット婦人は後にある弟子に伝えた。

「彼からの波動をより強烈に感じています。
 そして、以前よりも容易に『私』の中心に達することができるようになっています」


【「私ー私」】

以下はマハルシ自身の言葉で記録された「私ー私」の主要な説明である。

1)

この私はどこから立ち現れるのか?これを内側に求めよ。
するとこの「私」は消滅する。これが智慧の探求である。
「私」が消滅するところに、自ら「私ー私」が現れる。これは無限なるもの(プールナム)である。

『ウパデーシャ・サーラム』第19、20節

2)

内奥の核心で、ハートは「私ー私」という真我に気づき、ブラフマンとしてひとり輝く。
真我探求によって、あるいは呼吸制御によって、ハート深く潜り、アートマンの内に永遠にとどまりなさい。

『シュリー・ラマナ・ギーター』第2章2節

3)

それゆえ、死骸となった身体は死骸として捨て置き、「私」という言葉を口にせずに、「『私』として現れたそれはいったい何なのか?」と熱心に探求すべきです。
そうすれば、多数に分割された想念は消え去り、単一で分割不可能な気づきである「私ー私」という無音のスプラナ(輝き、振動)が自ずと輝き出すでしょう。
もしそれを離れることなく静寂の内にとどまれば、「私は身体だ」という自我の形である個我性の感覚は完全に破壊され、スプラナさえも静まるでしょう。
賢者や聖者はただこれのみが解脱であると断言しています。

『真我の探求』第3節

941避難民のマジレスさん:2019/05/31(金) 09:51:31 ID:jfWCoXjM0
4)

S.S.コーヘン著『グル・ラマナ』(シュリー・ラマナシュラマム刊)の中にあるマハルシとS.S.コーヘンとの会話に「私ー私」の本性に関する質問がある。
ここに「私ー私」意識とアハム・スプラナの本質が明確に説かれている。

コーヘン
 シャンカラーチャーリャの『ヴィヴェーカ・チューダーマニ』には「私ー私」意識はハートの中で永遠に輝きながらも、誰もそれに気づいていないと述べています。

バガヴァーン
 そうです。
 目覚め、夢見、夢のない眠り──どの状態であろうと、そしてそれを意識しようとしまいと、例外なくすべての人がそれを持っているのです。

コーヘン
 『サット・ダルシャナ・バーシュヤ』の「対話」の項の中に「私ー私」は至高の意識として述べられていますが。

バガヴァーン
 「私ー私」意識は絶対なるものです。
 それはサハジャ・サマーディの起こる前に現れますが、サハジャ自体の中にも「私ー私」意識の中にも精妙な知性が存在しています。
 その2つの違いは、「私ー私」意識の中には(微細な)身体の感覚がまだ残っていますが、サハジャにおいて身体の感覚は完全に消え去るということです。

コーヘン
 バガヴァーン、あなたは昨日、人の身体の中には針の先ほど小さい穴が存在し、意識がそこから身体へと絶えず噴き出していると言われました。

バガヴァーン
 それは身体を意識と結びつけている無知の結び目で、通常は閉じています。
 それはケーヴァラ・ニルヴィカルパの中で心が一時的に消え去るときには開きますが、再び閉じてしまします。
 しかしサハジャの中では、それは開いたままとどまるのです。

コーヘン
 「私ー私」意識の体験の間、それはどのような状態なのでしょうか?

バガヴァーン
 「私ー私」意識がそれを永久的に開く鍵なのです。

コーヘン
 あなたの言われる究極の意識「私ー私」が現れるセンターに達するにはどうすればよいのでしょうか?
 ただ単に「私は誰か?」と問えばいいのでしょうか?

バガヴァーン
 そうです。
 それがあなたをそこへ連れて行くでしょう。
 あなたはそれを静かな心で行わなければなりません。
 心の静寂が不可欠なのです。
 
コーヘン
 そのセンター、ハートに達したとき、意識はどのように現れるのでしょうか、私はそれを認識するでしょうか?

バガヴァーン
 もちろんです。
 それはすべての想念から解放された純粋な意識として認識されます。
 それは純粋で完全なあなた自身の真我の覚醒です。
 というよりむしろ存在の覚醒なのです。
 それが純粋であるとき、見誤ることはありません。

コーヘン
 そのセンターでの振動は、純粋意識の体験と同時に感じられるのでしょうか、それともその前、あるいはその後でしょうか?

バガヴァーン
 それらは1つであり、同じものです。
 しかし、スプラナは瞑想が十分確立されて深まり、最高位の意識に最も近づいたときでさえ、あるいは突然の恐怖や強烈なショックで心が停止したときにさえ感じることができます。
 それは注意をそれ自体に引きつけるため、静寂によって繊細になった瞑想者の心はそれを感じ、それに強く引かれ、ついにはその中、真我の中へと沈み込むのです。

コーヘン
 「私ー私」意識は真我の実現なのでしょうか?

バガヴァーン
 それは真我実現の前兆です。
 それが不変のサハジャとなったとき、それが真我実現、解脱なのです。

(『グル・ラマナ』より抜粋)

942避難民のマジレスさん:2019/05/31(金) 22:22:53 ID:LC3de7YgO
>>940
「私ー私」 とは、私から私を引く、マイナスするLという意味でありますか?
(´・(ェ)・`)つ

943鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/31(金) 22:50:25 ID:1d4drIFg0
サハジャとは自然な状態なのじゃ。
意識しないでも私の観念が見えればそうなるのじゃ。
スプラナは忘我の意識なのじゃ。
マハラジならば気付きの意識と言うじゃろう。
観る意識なのじゃ。

944鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/31(金) 22:56:48 ID:1d4drIFg0
私ー私とは他の想念が消えてアートマンが観えた状態なのじゃ。
真我独存と呼ばれるのじゃ。
全てのものごとが私に見えるのじゃ。
誰もがそうなるものではないがのう。
クリシュナムルティもそうなったというのじゃ。

945避難民のマジレスさん:2019/05/31(金) 23:11:23 ID:LC3de7YgO
>>944
全てか私・・・私 - (マイナス私)= 無 でも良さそうでありますね。
(´・(∀)・`)つ

946避難民のマジレスさん:2019/06/01(土) 11:28:37 ID:jfWCoXjM0
 対話25

『真我実現』(マハルシの最初期の伝記)の著者であるB・V・ナラシンハ・スワミが尋ねた。

「私とは誰でしょうか?どうやってそれを見いだすのでしょうか?」

マハルシ
 あなた自身にそれを問いなさい。
 身体(アンナーマヤ・コーシャ)とその機能は「私」ではありません。
 さらに深く進むと、心(マノーマヤ・コーシャ)とその機能も「私」ではないことがわかります。

 次の段階は、「これらの想念はどこから湧き起こるのか?」と問うことです。
 想念は自発的で、表面的で、分析的です。
 それは知性の働きなのです。
 では誰がそれに気づいているのでしょう?
 このように問うことで、想念の存在とその明確な概念、そしてその働きは個人にとって明らかになります。
 この分析の結果、想念やその流れの存在を認識するのは、個人の人格であるということがわかります。
 
 この人格が自我、あるいは一般に言われる「私」です。
 知性(ヴィジニャーナマヤ・コーシャ)は「私」の鞘にすぎず、「私」そのものではないのです。

 さらに探求を続けてゆくと、「この『私』とは誰なのか?」、「どこからそれは湧き起こるのか?」という問いが起こります。
 眠りの中では「私」は気づいていませんでした。
 「私」が立ち現れるとともに、眠りは夢見あるいは目覚めへと変化してゆくのです。
 しかし今は夢見の状態には関わらずにおきましょう。
 今、この目覚めの状態での私とは誰なのか?
 もし「私」が眠りから生じたのだとすれば、その「私」は無知に包まれているはずです。
 そのような無知な「私」が、聖典や聖者が「私は眠りをも超越する」と語る「私」だとは言えません。
 「私」とは今、ここに在るべきものです。
 そして「私」は眠りや夢見の質を持たないにもかかわらず、眠りや夢見の間にも存在すべきものなのです。
 それゆえ、「私」は(至福であるアーナンダマヤ・コーシャをも超えた)三つの状態の根底に存在する完全なる基盤であるに違いありません。

 簡潔に言えば、「私」は五つの鞘を超越したものです。
 次に、真我ではないすべてを否定し続けた後に残るもの、それが真我、サット・チット・アーナンダ(存在ー意識ー至福)なのです。

質問者
 どうすれば真我を実現できるでしょうか?

マハルシ
 現在の相対的な次元を超越しなさい。
 存在(真我)はそれ自身から分離したもの(非真我)を明らかに知っています。
 つまり主体は対象に気づいています。
 見る者がドリクであり、見られるものはドリシャです。
 これら二つの根底にはそれらを結ぶものがあるはずです。
 それが「自我」として現れるのです。
 この自我がチット(知性、意識)の本性です。
 アチット(非感覚的なもの、意識のないもの)とはチットの否定でしかありません。
 それゆえ根底にある本質は、対象ではなく主体に近いものなのです。
 「見られるもの」(ドリシャ)が完全に消え去るまで「見る者」(ドリク)を探すことによって、相対的な「見る者」はより希薄になり、最後には絶対的な「見る者」だけが残ります。
 この過程は「対象としての世界の消滅」と呼ばれます。

質問者
 どうして「見られるもの」である対象としての世界が排除されなければならないのでしょうか?
 対象が残されたままでは、真理は実現できないのでしょうか?

マハルシ
 できません。
 「見られるもの」の排除とは、主体と対象という分離を排除することです。
 対象は実在ではありません。
 (自我をも含めた)すべての目に見えるものが対象なのです。
 対象である非実在を排除することによって実在が残ります。
 ロープが蛇に見間違えられたとき、真実を悟るには、蛇という誤った知覚を排除するだけでいいのです。
 そのような排除なしに、真理は悟れません。

質問者
 対象としての世界の消滅は、いつ、どうやって起こるのでしょうか?

マハルシ
 それは対象に相対する主体、つまり心が排除されたときに完結します。
 心が主体と客体の創造者であり、二元的概念の起こる原因なのです。
 それゆえ、心は「自己は限定されたものである」という誤った観念によって起こる不幸の原因でもあるのです。

947避難民のマジレスさん:2019/06/01(土) 11:30:07 ID:jfWCoXjM0
質問者
 心とは何なのでしょうか?

マハルシ
 心は生命の顕現の一形態です。
 木片や精密な機械が心と呼ばれることはありません。
 生命の気が生命活動として現れ、また心という意識的現象として現れるのです。

質問者
 心と対象物との関係性とは何でしょうか?
 心は、心とは異なるもの、すなわち世界と接触しているのでしょうか?

マハルシ
 世界とは目覚めと夢見の状態の中で「感じられる」ものであり、また思考と知覚の対象でもあります。
 どちらも精神的活動です。
 もし目覚めや夢見という想念の精神的活動がなければ、「世界」を「知覚」することさえないでしょう。
 眠りの中にそのような精神的活動はなく、「対象と世界」も存在しません。
 したがって、「世界の実在性」は自我が眠りから出現することで自我によって創造されたと言えるでしょう。
 そしてその実在性は、眠りの中でその本性を回復した魂によって飲み込まれ、消え去るのです。
 世界が現れたり消え去ったりするのは、クモが巣をつくり出し、それを再び引き入れるのに似ています。
 ここで言うクモは目覚め、夢見、眠りの三つの状態の根底に在ります。
 人の中に宿るそのようなクモが、アートマン(真我)と呼ばれるものです。
 一方、(太陽から生じたと考えられている)世界の中に宿るクモはブラフマン(至高の霊性)と呼ばれます。

 「人の中に宿る『彼』は、太陽の中に宿る『彼』と同じものである」

 サ・ヤシュチャーヤン・プルシェー・ヤシュチャーサーヴァーディッティエー・サ・エーカハ。

 『タイッティリーヤ・ウパニシャド』第2巻8章1節

 真我あるいは霊性が現れず、活動がないとき、そこに主体と対象、つまり「見る者」(ドリク)と「見られるもの」(ドリシャ)のような相対的二元性はありません。
 もし心の現れる究極の原因を探求し続ければ、心はアートマンあるいはブラフマンと呼ばれる実在の現れでしかないことがわかるでしょう。
 心は「微細心」(スークシュマ・シャリーラ)と呼ばれ、ジーヴァは個人の魂を意味し、個性の成長の核である人格と見なされています。
 想念あるいは心はジーヴァの一側面、あるいはジーヴァがそれ自身を表す一つの方法と言われています。
 そのジーヴァの発展の初期段階では、生命は不活発な状態にあります。
 心は常に物質と関係し、あるいは物質に対して働きかけていて、それ自体単独で存在することはけっしてありません。
 つまり心と物質は共存しているのです。


【五つの鞘(パンチャコーシャ)】
 真我を覆い隠す五つの鞘。
(1)アンナーマヤ・コーシャ(身体の鞘)。
(2)プラーナマヤ・コーシャ(生気の鞘)。
(3)マノーマヤ・コーシャ(心の鞘)。
(4)ヴィジニャーナマヤ・コーシャ(知性の鞘)。
(5)アーナンダマヤ・コーシャ(至福の鞘)。

948鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/01(土) 23:12:59 ID:1d4drIFg0
>>945 そうじゃろう。
 マハラシもいろいろウパニシャッドの言葉を習ったが、やはり自分の言葉で表現するしかないのじゃ。
 悟りの境地は同じでも育った環境とか知識が違うからのう。
 経典や聖者の言葉も参考にするしかないのじゃ。

身体から至福にいたる鞘とは自己同一化される対象なのじゃ。
それらが自己であると認識しているうちは悟りは訪れないのじゃ。
一切の対象が無い時、自己もなくなり悟りも訪れるのじゃ。
同一化の対象は後半異なるが、仏教の五蘊と同じ主旨なのじゃ。

949避難民のマジレスさん:2019/06/02(日) 10:59:15 ID:jfWCoXjM0

対話26

質問者
 どうすれば世界の顕現の究極的原因であり、その本質である心の本性を見いだすことができるでしょうか?

マハルシ
 想念をその価値の順位に並べてみると、「私」という想念が最も重要だということがわかります。
 人格という概念もまた、その他すべての想念の根や幹です。
 それぞれの観念や想念は誰かの想念としてのみ起こり、自我から独立して存在することはありません。
 それゆえ、自我が想念の活動を表すのです。
 二人称と三人称の代名詞である「あなた、彼、あれ」などは、一人称代名詞の「私」なしには存在しません。
 それらは一人称が現れた後にのみ現れます。
 つまり三つの人格はともに現れ、ともに消えていくのです。
 それゆえ、「私」または人格の究極の原因をつき止めなさい。

 「私」という観念は身体を得た自我に起こります。
 それは身体あるいは有機体に関係しているはずです。
 ちょうど話すことや性欲が脳に中心を置いているように、「私」は身体の中、あるい特定の場所に関係しているのでしょうか?
 それとも、「私」は脳、血液、内臓に中心を置いているのでしょうか?
 「想念という生気」は脳と脊髄に中心を置いています。
 そして脳と脊髄の中を血液が循環し、食べ物と空気を適切に混合し、神経物質に変容させることで、この想念という生気は養われているのです。
 それゆえ、血液循環、呼吸作用、栄養摂取を含めた自律的な生命作用または生気は、身体組織の中核あるいは本質だと言われています。
 このような理由から、心は生気の現れと見なされ、また心はハートに宿ると考えられているのです。

質問者
 心を消去し、その代わりに直観を発展させる修練方法について伺いますが、それらは心でも直観でもない中立的な基盤をともなう、二つの異なった段階なのでしょうか?
 それとも真我を実現するには精神活動のない状態が必要なのでしょうか?

マハルシ
 修行者(アビャーシー)にとって、二つの明確に異なった段階があります。
 一つは眠り、昏睡、気絶、狂気などに共通の基盤である精神活動のない状態と、もう一つは自己意識の存在しない状態です。

質問者
 心を消し去り、相対的意識を超越するにはどうすればよいのでしょうか?

マハルシ
 心は本質的に落ち着きのないものです。
 落ち着きのなさからそれを解放しなさい。
 安らぎを与えなさい。
 気を散らすものを避けなさい。
 内側を見るよう訓練しなさい。
 そしてそれを習慣としなさい。
 外的な世界を無視し、心の平安を妨げるものを除くことで、そうすることができるようになります。
 
質問者
 どうすれば心を落ち着かせることができるでしょうか?

マハルシ
 外的な接触──自己以外の対象物との接触──が心を不安定にさせるのです。
 真我ではないものへの興味を失うこと(ヴァイラーギャ)が第一段階です。
 そうすれば内観と集中の習慣がそれに続くでしょう。
 そして外的な感覚や内的な知的機能を制御することが、最終的にサマーディへと導くのです。

950鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/02(日) 22:22:29 ID:1d4drIFg0
自分んがあるという観念から他の観念も次々に生まれてくるのじゃ。
それが縁起というものじゃ。
その心を観るためには五感を制することも重要なのじゃ。
心の視点を外から内側に向けるのじゃ。

951避難民のマジレスさん:2019/06/03(月) 12:55:29 ID:jfWCoXjM0
対話27

質問者
 それらはどのように修練されるのでしょうか?

マハルシ
 外的現象の本性のはかなさを見極めることがヴァイラーギャ(離欲、無執着)へと導きます。
 だからこそ、真我探究が最初に踏み出される重要な一歩となるのです。
 真我探究が自動的に継続するようになると、富や名声、快適さや快楽を無価値なものとして軽視するようになります。
 「私」という想念を見極めることはより明確になり、こうして「私」の源であるハートへと導かれてゆくのです。
 それが最終目的です。
 しかしながら、もし探究者の気質が真我探究の道という内観的、分析的な方法に合わない場合は、神、グル、人類、道徳理念、あるいは美の概念に対するバクティ(帰依、献身、信愛)を養わなければなりません。
 真我探究か帰依のどちらかが個人の心を虜にしたとき、それ以外のことに対する執着心は弱まり、無執着心が強まっていきます。
 それと同時に究極的目標に対する執念が培われ、ついには、ただそれだけが心を占有するのです。
 このようにして、ヴィジョンや直接的な助けなどをともないながら、一点への集中は気づかぬうちに発展していきます。

 真我探究や帰依が適さない人の場合、自然に静けさをもたらすプラーナーヤーマ(調息)を試みるとよいでしょう。
 これはヨーガ・マールガ(ヨーガの道)と呼ばれるものです。
 もし生命が危険にさらされれば、生命の救出の一点にすべての関心が集まるでしょう。
 もし呼吸が抑えられれば心はゆとりを失い、外的な対象物に飛びつくこともなくなるでしょう。
 このように呼吸を制御している間は心も落ち着いています。
 すべての注意は呼吸とその調整に向けられ、他の物事に対する興味が失われるからです。
 熱情には乱れた呼吸がともないますが、穏やかな幸福にはゆっくりとした規則正しい呼吸がともないます。
 激烈で発作的な喜びには、苦痛と同じように痛みがあり、そのどちらにも乱れた呼吸がともないます。
 真の平安こそが幸福です。
 快楽が幸福をもたらすことはありません。
 心は修練によって改善され、革砥で砥がれたカミソリの刃のように鋭くなります。
 そうすることで、心はよりいっそう内的または外的な問題に取り組めるようになるのです。

 もし真理の探究者がジニャーナ(知識)とバクティ(帰依)の二つの道に気質的にそぐわず、また第三の方法であるヨーガも年齢的な状況から無理である場合、彼は(例えば社会奉仕などの善い行いをする)カルマ・ヨーガ、つまり行為の道を試みるべきです。
 彼の崇高な本性はより明らかになり、無私無欲の喜びを得るようになるでしょう。
 小さな自我は主張をやめ、彼の中の善が開花する機会を得るでしょう。
 こうして彼は他の三つの道の一つにも十分適するようになるのです。
 この一つの方法だけでも適切に身につければ、彼の直観は開花するでしょう。

質問者
 一定の想念や連続的な問いかけが自己催眠状態を招くことはありませんか?
 分析不可能な基本原理であり、把握しがたく、漠然としか知覚できない「私」を分析するためには、それを一点に限定するべきではないのではありませんか?

マハルシ
 いいえ。
 それは空間を見つめるような、まばゆい水晶や輝く光を見つめるようなものです。

質問者
 心をその一点に集中させることはできるのでしょうか?
 それはどのようにするのでしょうか?

マハルシ
 もし心が散漫になったなら、「この散漫な心は誰に起こったのか?」と即座に問いただしなさい。
 それはあなたを「私」という点に即座に連れ戻すでしょう。

952避難民のマジレスさん:2019/06/03(月) 12:56:21 ID:jfWCoXjM0
質問者
 心はどれほどの間、ハートの中にとどめておくことができるのでしょう?

マハルシ
 修練が進むほど長くとどめておくことができるようになります。

質問者
 修練を止めたときには、何が起こるのでしょうか?

マハルシ
 心は現在の通常の状態に戻ります。
 ハートの中で融合していた心が、知覚されるさまざまな現象に取って代わられます。
 これは外向的な心と呼ばれています。
 それに対して、ハートに向かう心は安らいだ心と呼ばれています。

質問者
 この過程は単に「知的なもの」なのでしょうか、それとも主に「感じられるもの」なのでしょうか?

マハルシ
 後者です。

質問者
 心がハートの中にあるとき、すべての想念が止むということは、どうやって起こるのでしょうか?

マハルシ
 意志の力によって、師の教えの真理に強烈な信頼を抱くことによってです。

質問者
 この修練の利点とは何でしょうか?

マハルシ
*a意思の克服──集中力が培われる
 b熱情の克服──無執着が培われる
 c徳業を積む──すべてを平等に見る

質問者
 なぜ思考の及ばない点について考えるという自己催眠を用いるべきなのでしょうか?
 どうして光の凝視や呼吸の維持、音楽を聞くことや内なる音に耳を傾けること、オームなどの神聖なマントラの復唱といった他の方法を用いないのでしょうか?

マハルシ
 光の凝視は心を麻痺させ、意志をしばらくの間硬直させますが、その効果は永続しません。
 呼吸の抑制もまた一時的に意志を麻痺させますが、永続はしません。
 音に聞き入ることも、そのマントラが聖なるものであり、想念を高め浄化する高次の力に守られたものでないかぎり、結果は同じこととなってしまうでしょう。


*本書の中に度々見られるこのような箇条書きや表は、マハルシ自身の言葉の表現ではなく、記録者の便宜による。

953鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/03(月) 23:47:26 ID:1d4drIFg0
アートマンの法では他の集中法を用いず、ただひたすら胸の中のアートマンを追求するのじゃ。
そうすれば自然に集中力も増していくのじゃ。
私とは何かを求めるマハリシの教えはアートマンの法と言えるのじゃ。
難しいことではあるがのう。

954避難民のマジレスさん:2019/06/04(火) 13:13:04 ID:jfWCoXjM0
対話28

質問者
 想念の制御と呼吸の制御の間にはどのような関係があるのでしょうか?

マハルシ
 想念と呼吸、血液循環などの自律的な活動は、どちらも同じ個人の生命の異なった相を表し、どちらも生命に備わったものです。
 生命活動と同じように、人格やその他の想念も個人の生命から現れるのです。
 呼吸やその他の生命活動が強制的に抑制されれば、想念も抑制されます。
 もし想念を強制的に遅くすれば、呼吸という生命活動もゆっくりと平坦に、生命を保つ最低のレベルにまで制限されます。
 そのどちらにおいても、散漫な思考は一時的に停止します。
 その相互作用は他の点でも明らかです。
 生きようとする意志を例にとってみなさい。
 それは想念の力です。
 それ以外の生命力が尽き果てようとするときでも、死を遅らせるのは想念の力なのです。
 生きようとする意志の力がなくなれば、死は加速されます。
 それゆえ、想念が肉体に命をとどめ、想念が肉体に宿る生命を一つの身体から別の身体へと運んでゆくと言われるのです。

質問者
 集中を高め、散漫を取り除く方法が何かあるでしょうか?

マハルシ
 身体的には、消化器官や他の内臓器官への刺激を避けなさい。
 それゆえ、食事の量と質の両方を管理しなさい。
 刺激のないものを食べなさい。
 唐辛子を避け、塩や玉ネギ、ワイン、催眠剤などを取り過ぎてはいけません。
 便秘にならないようにし、眠気や興奮、そしてそれらを促進する食べ物を避けなさい。
 精神的には、一つのことに興味を保ち、心をそれにとどめなさい。
 他のすべてを忘れて没頭できるようなことに興味を持ちなさい。
 それが無執着(ヴァイラーギャ)と集中です。
 神やマントラを選ぶと良いでしょう。
 そうすれば、心は霊妙なるものをとらえるほどの力を得て、その中に融け去るのです。

質問者
 潜在する精神的傾向が障害をもたらすこともあります。
 それも排除できるのでしょうか?
 
マハルシ
 できます。
 多くの人たちがそれを成し遂げたのです。
 信じなさい!
 彼らがそうできたのは、できると信じたからです。
 心の潜在的傾向(ヴァーサナー)は消し去ることができます。
 それはヴァーサナーの核でありながら、ヴァーサナーから自由な「それ」に集中することによって排除できるのです。

質問者
 修練はどれほど長く続けるものなのでしょうか?

マハルシ
 目的を遂げ、ヨーガの解放が永久的なものとなるまでです。
 成功は成功を呼びます。
 一つの障害が克服されれば次も克服されてゆき、最終的にはすべてが克服されます。
 その過程は、敵を一人また一人と現れるごとに倒していくことで、敵の城砦を崩し続けていくようなものです。

質問者
 この過程のゴールは何でしょうか?

マハルシ
 実在を実現することです。

質問者
 実在の本性とは何でしょうか?

マハルシ
 a 始まりも終わりもない永遠の存在
 b すべてに遍在する無限の存在
 c すべての形態、変化、力、物質、霊性の根底にある存在

 すべての現象は移り変わり、過ぎ去っていきますが、「一なるもの」(実体)は常に変わりません。

 知る者、知識、知られるものという三位を超えた「それ」。

 三位は時間と空間における現れにすぎません。
 しかし実在はそれらを超えた背後に在ります。
 それらは実在の上に立ち現れた蜃気楼のようなものであり、誤った観念の結果なのです。

質問者
 もし「私」でさえも幻影なら、誰がその幻影を消し去ると言うのでしょうか?

マハルシ
 「私」が「私」という幻影を消し去り、しかも「私」として残る。
 それが真我実現のパラドックスです。
 賢者はそこにいかなる矛盾も見ません。
 帰依(バクティ)の場合を例にとって見てみなさい。
 私はイーシュヴァラ神に近づき、彼の中に融合されんと祈ります。
 信心とともに私は彼に集中し、そして自らを明け渡します。
 後には何が残るでしょう?
 完全な明け渡しは本来の「私」の場所の中に神だけを残し、偽りの「私」は消え去るのです。
 これが至高の帰依、明け渡し、離欲(ヴァイラーギャ)の極みです。

 あなたはあれやこれといった「私の」所有物を放棄しますが、もしその代わりに「私」と「私のもの」という想念を放棄すれば、すべてが一太刀で放棄されるでしょう。
 所有の根本原因が絶たれたからです。
 このようにして邪悪は種のうちに砕かれ、つぼみのうちに摘み取られます。
 そのためには、非常に強固な無執着が為されなければなりません。
 水中にとらえられた人が、必死で水面に上がろうと努力するに等しい真剣さと熱意が必要となるでしょう。

955避難民のマジレスさん:2019/06/04(火) 13:14:34 ID:jfWCoXjM0
質問者
 この困難を師やイシュタ・デーヴァター(信仰の対象として選ばれた神)が和らげてくれるのではないでしょうか?
 師や神が真我をありのままに見る力を与え、私たちを彼らのようにし、真我実現へと導いてくれるのではないでしょうか?

マハルシ
 イシュタ・デーヴァターや師は、実に強力な助けとなります。
 しかしその助けが効果をもたらすには、あなたの努力も必要です。
 あなたの努力は必要不可欠なものです。
 太陽を見なければならないのは、あなたなのです。
 眼鏡や太陽そのものがあなたのために太陽を見てくれるでしょうか?
 あなた自身が自己の本性を見なければならないのです。
 (そのために)たいした助けは必要ありません!

質問者
 私の自由意志と全能の神の圧倒的な力との間にはどのような関係があるのでしょうか?

 a 神の全知と自我の自由意志は一致しますか?
 b 神の全能と自我の自由意志は一致しますか?
 c 自然の法則と神の自由意志は一致しますか?

マハルシ
 一致します。
 自由意志とは、判断や意思という限られた自我の能力が現在現れているものです。
 その同じ自我は、振り返れば自らの過去の行いが「法則」の流れの中にあることを認めます。
 つまり自我は自身の自由意志が「法則」の流れに繋がっていることを知るのです。

 自我は個人の自由意志の現れを通して、その中に神の全知全能が働いていることを見ます。
 それゆえ、自我は自由意志の現れにしたがうべきであると結論づけるのです。

 自然の法則は神の意思の現れであり、神によって決められたものです。

質問者
 科学、心理学、生理学、哲学などの研究は、
 
 a ヨーガによる解放
 b 実在の統一性の直観的理解

 の助けとなるでしょうか?

マハルシ
 aに関しては、ほとんど役に立ちません。
 ある知識はヨーガに必要でしょう。
 それは書物の中に見いだせるでしょう。
 しかし必要とされるのは実際に応用できるものであり、個人の実体験、(グルとの)個人的な接触、個人的な指導が最も役立ちます。
 bに関しては、真理を直観的につかもうと苦心して勤勉にその働きや本質を理解しようと努めても、実際の直観は感覚に近いものであるため、修練と(グルとの)個人的な接触を必要とします。
 単に本を読んだだけでは、たいして役に立ちません。
 実現後には、知的な理解や知識は無用な重荷となり、がらくたとして投げ棄てられます。
 自我を投げ棄てることこそが必要なことなのです。
 
質問者
 夢見と目覚めはどのように異なるのでしょうか?

マハルシ
 夢の中で、人は異なった身体をとります。
 そしてその身体は、夢で感覚的接触を得たとき、再び目覚めの身体に入るのです。

質問者
 幸福とは何でしょうか?
 それはアートマンの中に本来備わっているのでしょうか?
 あるいは対象の中、あるいは対象と主体が出合うときに生じるのでしょうか?
 それでも、私たちは日々の出来事の中に幸福を見いだせません。
 いったいそれはいつ起こるのでしょうか?

マハルシ
 望んでいたものが手に入ったとき、あるいは望んでいなかったものから自由になたとき、あるいはそれを想い起こしたとき、私たちは幸福だと言います。
 そのような幸福は相対的でしかなく、快楽と呼ぶにふさわしいものです。
 しかし人は絶対的で永久的な幸福を求めています。
 それは対象物の中ではなく、「絶対なるもの」の中にあるのです。
 それは苦痛と快楽の両方から自由になった平和──中立的な状態です。

956避難民のマジレスさん:2019/06/04(火) 13:15:26 ID:jfWCoXjM0
質問者
 どういう意味において、私たちの真の本性が幸福だと言われるのですか?

マハルシ
 完全な至福がブラフマンです。
 完全な平和が真我なのです。
 ただそれのみが存在し、それのみが意識しています。
 形而上学によっても、帰依の道によっても同じ結論に至ります。

 私たちは至福を求めて神に祈り、恩寵によってそれを授かります。
 至福を授けるものは至福そのもの、無限なるものに違いありません。
 それゆえ、イーシュヴァラ神は無限の力と至福が人格化された神なのです。
 ブラフマンは至福であり、非人格的な、「絶対なるもの」です。
 有限な存在である自我は、第一にブラフマン、次にイーシュヴァラ神をその根源としています。
 そしてその霊的な本性は至福なのです。
 生物学的に見れば、有機的生物が機能するのは、機能することが幸福をともなうからです。

 私たちの成長を助けるのは、食事、学習、休息、社交といった喜びです。
 喜びの心理学(あるいは形而上学)は、おそらく「私たちの本性が本来一つであり、全体的で、至福に満ちていること」に基づいているのでしょう。
 これを信じるに足る仮定として見てみなさい。
 創造とは実在を神と自然(マーヤー、プラクリティ)に分割したものです。
 このマーヤーは二つの部分から成っています。
 一つは「パラー」、すなわち基礎となる本質、もう一つは「アパラー」、すなわち五大元素、心、知性、自我です。

 自我の完全性はある時点で突然崩れ去り、何かを得よう、何かをしようという欲望が湧き起こります。
 それを満たして欲望が癒されたとき、自我は幸福になり、本来の完全性が回復されます。
 それゆえ、幸福は私たちの本来の状態、本性なのです。
 快楽と苦痛は欲望の充足の度合いにしたがった相対的なもので、私たちの限定された状態に起因しています。
 もし相対的な欲望の充足を追い求めることが止まり、完全な平和をその本性とするブラフマンに魂が融け去れば、それは相対的で一時的でしかない快楽を離れて、完全な平和である至福を楽しむことでしょう。

 だからこそ、真我実現は至福なのです。
 それは真我を無限の霊的な目(ジニャーナ・ドリシュティ)として認識することであって、千里眼ではありません。

 真我実現は至高の明け渡しであり、サンサーラ(輪廻の世界)は不幸なのです。

質問者
 ではなぜ限定された創造と顕現であるサンサーラは、これほど不幸と悪に満ちているのでしょうか?

マハルシ
 神の意思によって!

質問者
 なぜ神はそう望まれたのでしょう?

マハルシ
 それは理解を超えたものなのです。
 あの「力」にはいかなる動機も帰せず、いかなる欲望も目的もあの「全知全能の無限なるもの」に属すると言うことはできません。
 神はその存在の中で起こる活動に影響されないのです。
 太陽と世間の活動を例にとって比較してみればわかるでしょう。

 多数となる前の「一なるもの」に責任や動機を負わせるのは無意味なことです。
 しかしすでに決められた出来事の流れを神の意思に負わせるのは、自由意志問題の解決方法としては都合のいいことでしょう。

 もし何が起こり、何に関わり合い、何を避けるかについて、満足のいかない不安に心が揺れ動いているなら、そのときは責任と自由意志の感覚を棄て去り、全知全能の神に定められた道具として、行為しようと苦しもうと、彼の望むがままに任せることが賢明でしょう。
 彼はすべての重荷を負い、私たちに平和を与えてくれるのです。

957鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/04(火) 22:23:45 ID:1d4drIFg0
イーシュヴァラ神とはシヴァ神のことなのじゃ。
マハリシはそれもまた幻影と知りながら神を信じる者のために説くのじゃ。
インド人が自我を無力化しようとするならば、神への信仰を使うのが一番であるからのう。
数字を信じる者には数学を説いたりするじゃろう。

958避難民のマジレスさん:2019/06/05(水) 12:50:18 ID:jfWCoXjM0
対話29

夕方の穏やかな曇り空。
ときおり小雨が降ったため、いくぶん涼しかった。
アーシュラマムのホールの窓は閉じられ、マハルシはいつものようにソファーに座っていた。
帰依者たちは彼に向かい合って座っている。
クダロールから数人の訪問者があった。
その中には、判事補と同伴の二人の年配の女性の姿が見えた。
判事補が現世の物事のはかなさについて討論を始めた。

「実在と非実在を識別すること(サット・アサット・ヴィチャーラナ)は、『不滅なるもの』の実現へと導くだけの効果があるのでしょうか?」

マハルシ
 真理を探究するすべての者が提議し、そう認識しているように、ただ至高の霊性にとどまること(ブラフマ・ニシュター)のみが、真理の実現を可能にするのです。
 「それ」は私たち自身のものであり、私たちの内に存在するものです。
 ですから、いかに実在と非実在を識別しようとも、それは現象を一時的なはかないものとして放棄させ、永遠の真理と存在だけをつかみ取ろうという思いに駆り立ててはくれますが、それだけでは私たちを一歩先に進ませることしかできないのです。


会話は一転して、

「真我実現(サームラージュヤ)を達成するには神の恩寵が必要か?」

あるいは

「ジーヴァ(個我)の誠実で熱心な努力だけでは到達不可能な、生と死の輪廻を超えた『それ』に達するには神の恩寵が必要か?」

という質問に移った。

マハルシは聖なる顔にたとえようのない微笑を浮かべ、それは彼を取り巻く人々すべての上に輝き渡った。
そして確固たる真理をたたえた声で答えた。

「真我実現には神の恩寵が欠かせません。
 それは神の実現へと導きます。
 けれどもそのような恩寵は、自由に向かってたゆみなく進み続ける真の帰依者やヨーギーだけに与えられるのです」

質問者
 ヨーガの聖典は六つのセンターの存在について述べています。
 しかしジーヴァはハートの中に宿るとも言われています。
 そうなのでしょうか?

マハルシ
 そうです。
 ジーヴァは深い眠りではハートの中に、目覚めにおいては脳の中にとどまると言われています。
 ここで言うハートを、血液を循環させる四つの心房を持った身体的器官だと考える必要はありません。
 この見解を支持する書物も存在しています。
 他にも、それを神経節あるいは中枢神経と見なす人もいます。
 どちらの見解が正しいかは、私たちには問題ではありません。
 私たちは自分自身のことに関心を持つべきだからです。
 それは確かに私たちの内にあります。
 それに関して、疑いや議論の余地はありません。

 「ハート」は『ヴェーダ』や聖典の中に、「私」という観念が湧き起こる場所として述べられています。
 それがただの肉の塊から湧き起こるでしょうか?
 それは私たちの存在の中心より少し右側から生じるのです。

 「私」を位置づけることはできません。
 すべては真我であり、ただそれだけが存在するのです。
 それゆえ、ハートは私たちの全身体であり、全宇宙であると言うべきです。
 そしてそれが「私」なのです。
 
 しかし探究者の理解を助けるために、私たちは宇宙あるいは身体の中の一ヶ所をハートとして示さなければなりません。
 だからこそ、このハートが真我の座として指摘されます。

959避難民のマジレスさん:2019/06/05(水) 12:52:17 ID:jfWCoXjM0
 しかし真実は、私たちはすべてに存在し、すべてが私たちであり、それ以外は何も存在しないのです。

質問者
 サマーディに達するには、神の恩寵が必要だと言われています。
 そうなのでしょうか?

マハルシ
 私たちは神なのです。
 自己を神として見ること自体が神の恩寵です。
 それゆえ、私たちは神の恩寵を得るために神の恩寵が必要なのです。


マハルシがそう言って微笑むと、帰依者たちもみな笑った。


質問者
 神の恩寵とは別に神の寵愛もあると聞きました。
 そうなのでしょうか?

マハルシ
 神を想うこと自体が神の寵愛なのです!
 神は、その本性からして恩寵(アルール)です。
 神の恩寵によって、あなたは神のことを想うのです。

質問者
 師の恩寵は神の恩寵の結果なのでしょうか?

マハルシ
 なぜその二つを区別するのですか?
 師と神は別ではなく同じなのです。

質問者
 正しい人生を歩み、真我に想念を集中しようと真剣に努力するとき、しばしば失敗したり中断したりすることがあります。
 どうすればよいのでしょうか?

マハルシ
 最後には、すべてがうまくいくでしょう。
 失敗や中断が起こる度に、再び歩み出そうとする決意が衝動となって起こります。
 障害は徐々に克服され、あなたの探究の勢いはより強固になるでしょう。
 最終的には、すべてがうまくいくのです。
 固い決意でそれに向かいなさい。


【サームラージュヤ】

このサンスクリット語は一般に「全世界または全宇宙の支配、統制」を意味するが、アドヴァイタ哲学においては「真我実現」のみを意味する。

960鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/05(水) 22:52:34 ID:1d4drIFg0
神という者があるとすれば自分自身なのじゃ。
自分の世界を創った者は自分であるからのう。
自分自身も創ったのであるから創造神なのじゃ。
自分とは自らの心によって創造されたものなのじゃ。

961避難民のマジレスさん:2019/06/06(木) 12:46:13 ID:jfWCoXjM0
対話30

南インドの町の法廷弁護士会の会長で、伝統的ブラーフマナ(バラモン)であるナテサ・アイヤール氏が尋ねた。

質問者
 イーシュヴァラやヴィシュヌといった神々や、神々の聖地であるカイラーサやヴァイクンタは実在するのでしょうか?

マハルシ
 あなたがこの身体の中にいるのと同じように、それらは実在しています。

質問者
 それらは私の身体のように現象的存在を有しているのでしょうか?
 あるいは、それらは野ウサギの角のような作り話にすぎないのでしょうか?

マハルシ
 それらは確かに存在します。

質問者
 もしそうであれば、それらはどこかに在るはずです。
 どこに在るのでしょうか?

マハルシ
 それらを見たことのある人々は、それらがどこかに存在していると言っています。
 ですから、私たちはその言葉を信じなければならないのです。

質問者
 どこに存在しているのでしょうか?

マハルシ
 あなたの中に。

質問者
 では、それは私が創造し、支配できるただの観念なのでしょうか?

マハルシ
 すべてがそのようなものなのです。

質問者
 しかし野ウサギの角のようなまったくの虚構や、部分的には真実である蜃気楼のようなものなら想像で創り出すこともできます。
 それに対して、私の想像力とは関わりなく存在している事実もあります。
 イーシュヴァラ神やシヴァ神はそのように存在しているのでしょうか?

マハルシ
 そうです。

質問者
 神はプララヤ(宇宙の崩壊)を被るのでしょうか?

マハルシ
 なぜですか?
 真我に気づいている人は、宇宙の崩壊をも超越して解脱を得たのです。
 ならば、なぜはるかに賢く能力を持ったイーシュヴァラにそうできないことがあるでしょう?

質問者
 神々や悪魔も同じように存在しているのでしょうか?

マハルシ
 そのとおりです。

質問者
 「至高の意識」(チャイタニャ・ブラフマン)についてどのように考えればよいのでしょうか?

マハルシ
 存在する「それ」として。

質問者
 それは「自ら輝くもの」として考えるべきでしょうか?

マハルシ
 それは光と闇を超越しています。
 個我(ジーヴァ)はその両方を見ています。
 光と闇を見るために個人に光を与えているもの、それが真我です。

質問者
 それは「私は身体ではなく、行為者でもなく、楽しむ者でもない」などとして理解されるべきものなのでしょうか?

マハルシ
 なぜそのような考えを抱くのですか?
 私たちは今、「私は人間だ」と考えているでしょうか?
 そう考えなければ人間ではなくなると言うのですか?

質問者
 では聖典にあるように、「そこには何の違いもない」(ネーハ・ナーナースティ・キムチャナ)として理解されるべきなのでしょうか?

マハルシ
 それさえも必要ありません。

質問者
 「私は実在だ」と考えれば、それでよいのでしょうか?

マハルシ
 すべての思考は実現に反するのです。
 私たちに関するすべての考えと、それ以外についてのすべての考えを排除することが正しい状態です。
 想念と実現はまったく別のものなのです。

962避難民のマジレスさん:2019/06/06(木) 12:47:41 ID:jfWCoXjM0
質問者
 身体を消し去ることは、霊的な発展のために必要なことではありませんか?

マハルシ
 なぜそのようなことを考えるのですか?
 あなたは身体なのですか?

質問者
 いいえ、違います。
 しかし霊的進化は身体の変化をともなうはずです。
 そうではありませんか?

マハルシ
 どんな変化を望むと言うのですか?
 なぜそう考えるのです?

質問者
 身体を透明にする能力は、進化した叡知の証しではないでしょうか?

マハルシ
 そうだとすれば人前で話したり、書いたり、生活した人たちはみな無知だということになりますね!

質問者
 しかしヴァシシュタやヴァールミーキのような聖者は、そのような能力を持っていたのではありませんか?

マハルシ
 叡知(ジニャーナ)とともにそのような能力が発達していったのは、彼らの運命(プラーラブダ)だったのでしょう。
 なぜ本質的ではなく、かえって叡知の妨げとなるような能力を目標とするのですか?
 身体が目に見えるからといって、聖者がそのことで悩むでしょうか?

質問者
 いいえ。

マハルシ
 催眠術師は自分の姿を見えなくさせることができますが、彼は聖者でしょうか?

質問者
 いいえ。
 
マハルシ
 可視性も不可視性も見る者に関わっています。
 その見る者とは誰なのか?
 まずそれを解決しなさい。
 他の問題は重要ではありません。

質問者
 『ヴェーダ』には宇宙の起源に関する矛盾した説明が見受けられます。
 聖典のある箇所では、最初に創造されのはエーテルだと言及され、別の箇所では生気(プラーナ)が最初に創造されたと述べられています。
 そしてまた別の箇所では別のものが、また別の箇所では水がというように。
 いったいこの矛盾をどう一致させればよいのでしょうか?
 これは『ヴェーダ』の権威をそこなうのではありませんか?

マハルシ
 真理の異なった相を、異なった人が異なったときに見て、それぞれが異なった見解を強調するのです。
 なぜそのような矛盾した言葉を気にかけるのですか?
 『ヴェーダ』の本質的な目的は、私たちに不滅のアートマンの本性を教え、私たちが「それ」であることを示すことにあるのです。

質問者
 その点については私も納得しています。

マハルシ
 では、それ以外のことはすべて余分な議論、あるいはものごとの起源をたどろうとする無知な人のための説明と見なしなさい。

963避難民のマジレスさん:2019/06/06(木) 12:49:01 ID:jfWCoXjM0
質問者
 私は罪人です。
 私は宗教的供犠(ホーマ)などを行わないからです。
 そのために私は苦しい転生を経なければならないのでしょうか?
 どうぞ私をお救いください!

マハルシ
 なぜ自分を罪人だなどと言うのです?
 転生をまぬがれるには、神を信頼するだけで十分です。
 すべての重荷を彼に任せなさい。
 『ティルヴァーチャカム』にこう述べられています。

「犬にも劣る私を、あなたは慈悲深くも守ってくださいました。
 この生と死の幻想は、あなたによって保たれているのです。
 それなのに、私が裁く人だと言うのですか?
 私がここの主だと言うのですか?
 ああ、マヘーシュヴァラよ!
 生から死へと私の身体を転生させながら、あなたの御足元に私をとどめるのはあなたなのです」と。

 ですから信じなさい。
 そうすれば救われるでしょう。

質問者
 信仰はあるのですが、それでもまだ困難に直面します。
 集中の修練の後、私は衰弱やめまいに苦しむのです。

マハルシ
 プラーナーヤーマ(呼吸制御)を正しく行えば、力を増すことができるはずです。

質問者
 私は専門職についていますが、絶え間なく瞑想の中にとどまっていたいのです。
 それらはお互いに矛盾するのでしょうか?

マハルシ
 矛盾することはありません。
 どちらも同時に行い、力を開発してゆくにしたがって、両方に従事することができるようになるでしょう。
 あなたは仕事を夢として見るようになるでしょう。
 『バガヴァッド・ギーター』にこう述べられています。

「すべての生けるものにとっての夜は、修養したものにとっての目覚めである。
 すべての生けるものが目覚めているとき、聖者にとっては夜である」と。

【そこには何の違いもない】:『ブリハダーラニャカ・ウパニシャド』4-4-19

心だけがこの真理を認識する。
この真理の中に多様性はない。
実在の中に多様性を見る者は果てしない転生を繰り返す。

【すべての生けるものにとっての夜は】:『バガヴァッド・ギーター』2-69

すべての生けるものが眠る夜、自己を制する賢者は目覚めている。
すべての生けるものが目覚める昼は、内面を観る賢者の夜となる。

964避難民のマジレスさん:2019/06/06(木) 21:03:50 ID:LC3de7YgO
>>961
最後の
> すべての思考は実現に反するのです。
 私たちに関するすべての考えと、それ以外についてのすべての考えを排除することが正しい状態です。
 想念と実現はまったく別のものなのです。

この「実現」とは、「実在」のことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

965避難民のマジレスさん:2019/06/06(木) 21:34:20 ID:jfWCoXjM0
参考までに、英訳本では実現=realizationとなっていました(-人ー)

D. If we think "I m the real," will it do?
M. All thoughts are inconsistent with realization.
The correct state is to exclude thoughts of ourselves as well as all other thoughts.
Thought is one thing and realization is quite another.

966避難民のマジレスさん:2019/06/06(木) 22:02:39 ID:LC3de7YgO
>>965
ありがとうであります。
くま気になったのでググってみたらこんな解説に出くわしました。
>realize という語には「実現する」という意味だけでなく、「もともと現実に存在するものを、現実に存在するものとして、知る・理解する・覚る・実感する・経験する」という意味もあります。

この意味のような気がするので、
実現するとは、実在を実在として知る覚る実感すると言う意味なのかなと思いました。
(´・(ェ)・`)つ

967鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/06(木) 22:49:49 ID:1d4drIFg0
>>964 そのような理解で善いのじゃ。
 実在は観念とは別のものというような意味じゃな。
 その通りなのじゃ。

 神とか聖地も観念として心の中にあるものじゃ。
 それは実在とは違うが、信じる者の心の中にはあるといえるのじゃ。
 目覚めればそれは実在とは違うとわかるのじゃ。
 それまでは修行に役立てると善いのじゃ。

968避難民のマジレスさん:2019/06/07(金) 12:51:52 ID:jfWCoXjM0
対話31

訪問者が尋ねた。

「解脱(モークシャ)を達成するためには、何をすべきでしょうか?」

マハルシ
 解脱とは何なのか、それを学びなさい。

質問者
 そのために神を礼拝すべきでしょうか?

マハルシ
 礼拝は心の制御と集中を助けます。

質問者
 そのために神を礼拝すべきでしょうか?

マハルシ
 礼拝は心の制御と集中を助けます。

質問者
 偶像を崇拝すべきでしょうか?
 それに害はないでしょうか?

マハルシ
 あなたが自分を身体だと見なすかぎり害はありません。

質問者
 生と死の輪廻(サンサーラ)はどうすれば乗り越えられるでしょうか?

マハルシ
 輪廻転生の意味を学びなさい。

質問者
 私は妻や家族を放棄すべきではありませんか?

マハルシ
 どうして彼らがあなたに害を及ぼすと言うのですか?
 あなたが誰なのか、まずそれを見いだしなさい。

質問者
 妻や富や家を棄てるべきではないのですか?

マハルシ
 サンサーラとは何なのか、まずそれを学びなさい。
 妻や富や家がサンサーラなのですか?
 それらとともに暮らしながらも真我を実現した人たちがいたのではないでしょうか?

質問者
 そのための修行段階とはどのようなものでしょうか?

マハルシ
 それは探究者の資質と気質によります。

質問者
 私は偶像崇拝をしています。

マハルシ
 それを続けなさい。
 それは精神集中に導くでしょう。
 一点に集中しなさい。
 そうすれば、すべてはうまくいくでしょう。
 人々は自由(モークシャ)とはどこか彼方にあり、探し求めるものだと考えています。
 それは間違いです。
 自由とはあなた自身の中の真我を知ることにすぎません。
 集中しなさい。
 そうすれば、それを得るでしょう。
 あなたの心が生と死の輪廻(サンサーラ)なのです。

質問者
 私の心はとても落ち着きがありません。
 どうすればよいのでしょうか?

マハルシ
 あなたの注意を何か一つのものに固定しなさい。
 それを保持するよう努めなさい。
 そうすればすべてうまくいくでしょう。

質問者
 集中はとても困難です。
 
マハルシ
 修練を続けなさい。
 そうすれば、集中の修練は呼吸をするぐらいやさしいものとなるでしょう。
 それがあなたの達成の成果となるでしょう。

質問者
 禁欲や菜食は助けとなるでしょうか?

マハルシ
 なります。
 それらはすべて良いことです。

それからマハルシは集中し、静かに虚空を見つめることで、質問者に模範を示した。

969避難民のマジレスさん:2019/06/07(金) 13:02:58 ID:jfWCoXjM0
質問者
 私にはヨーガは必要ないのでしょうか?

マハルシ
 それも精神集中の手段です。

質問者
 精神集中の補助手段として、他の方法を取るのは良いことではありませんか?

マハルシ
 呼吸制御などがそのような助けとなります。

質問者
 神の姿を見ることは可能でしょうか?

マハルシ
 可能です。
 あれやこれや、いろいろなものをあなたは見ます。
 どうして神を見ないということがあるでしょう?
 ただ神とは何か、それを知らなければなりません。
 誰もがみな、いつでも神を見ています。
 ただそれを知らないだけなのです。
 神とは何か、それを見いだしなさい。
 人々は見ていながら、見てはいないのです。
 それは神が何かを知らないからです。

質問者
 偶像を礼拝するとき、クリシュナやラーマなどの名前、つまりマントラの復唱(マントラ・ジャパ)をすべきでしょうか?

マハルシ
 心で唱えるジャパはとても良いものです。
 それは瞑想を助けます。
 心は唱えることと一つになり、礼拝(プージャー)の真の意味を知ることでしょう。
 それは礼拝の対象の中に個を失うことなのです。
 
質問者
 宇宙の魂(パラマートマン)は、私たちとは常に異なったものなのでしょうか?

マハルシ
 一般にはそう信じられていますが、それは間違いです。
 「彼」とあなたは異なるものではない、と考えなさい。
 そうすれば、あなたは真我と神との同一性を悟るでしょう。

質問者
 アドヴァイタとは神と一つになることではありませんか?

マハルシ
 どこに「なる」必要があるでしょうか?
 「考える者」は常に「実在」として在りながら、それに気づいていないだけなのです。
 最終的には、彼もその事実を悟るでしょう。
 私たちは眠りや夢見のときのように、しばしば自己の本性を忘れてしまいます。
 しかし神とは永遠なる意識なのです。

質問者
 偶像崇拝以外に、師の導きが必要ではないのでしょうか?

マハルシ
 師の助言なしにどうして偶像崇拝を始めることができましたか?

質問者
 聖典によってです。

マハルシ
 そうです。
 誰かがあなたに神について告げます。
 あるいは神自身がそう告げます。
 後者の場合、神自身があなたの師です。
 重要なのは、誰が師なのかということではありません。
 私たちは、実は師や神と同じなのです。
 師とは神です。
 最終的には、人はそれを理解します。
 人としてのグルと神としてのグルに違いはありません。

970避難民のマジレスさん:2019/06/07(金) 13:03:40 ID:jfWCoXjM0
質問者
 功徳を積めば、その業果が得られると私は期待しています。
 
マハルシ
 そのようにしてあなたは運命(プラーラブダ)の報いを受けるのです。

質問者
 聡明な師は道を指し示す大いなる助けとなるのではないでしょうか?

マハルシ
 そうです。
 もし手にした光とともに修練を続けるなら、あなたは師に出会うでしょう。
 師もまたあなたを探し求めているのです。

質問者
 明け渡し(プラパッティ)と見者(リシ)のヨーガの道は違うものなのでしょうか?

マハルシ
 ジニャーナ・マールガ(知識の道)とバクティ・マールガ(帰依、明け渡しの道)は一つであり同じものです。
 明け渡しは真我探求と同じように実現に導きます。
 完全な明け渡しとは、「私」という想念が消え去った状態です。
 生来の精神的傾向(サンスカーラ)はすべて洗い流され、あなたは自由になります。
 どちらの道を行こうと、分離した存在として在り続けることはできなくなるのです。

質問者
 私たちは行為の結果として、天国などに行くのではないでしょうか?

マハルシ
 あなたが現在存在しているのと同じように、それもまた真実です。
 しかし「私は誰か?」と探究をし、真我を見いだしたなら、天国について考える必要などあるでしょうか?

質問者
 転生から逃れようとすべきなのではありませんか?

マハルシ
 そのとおりです。
 誰が生まれ、誰が今、存在の問題を抱えているのか、それを見いだしなさい。
 眠っているとき、転生や現在の存在について考えるでしょうか?
 それゆえ、現在の問題がどこから起こるのかを見いだしなさい。
 解決法はそこにあります。
 あなたは誕生も、現在の問題も、不幸もないことを発見するでしょう。
 すべては「それ」であり、すべては至福です。
 実際、私たちは転生から自由なのです。
 なぜ転生という災いについて思い悩むのですか?

971鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/07(金) 22:08:01 ID:1d4drIFg0
輪廻も全て個我の幻想からあるものじゃ。
個我が生まれかわっていくという幻想なのじゃ。
個我と神や宇宙が別にあるというのが無明なのじゃ。
全て一つであるという気付きがあれば全ては今ここで一つなのじゃ。

972避難民のマジレスさん:2019/06/08(土) 12:52:57 ID:jfWCoXjM0
対話32

質問者
 シュリー・チャイタニャやシュリー・ラーマクリシュナのような聖者は神の御前で泣きました。
 そして真理を実現したのです。
 その道にしたがうべきではありませんか?

マハルシ
 そうです。
 ある強い力(シャクティ)が、彼らがそのような体験を通り抜けていくようにしむけたのです。
 その同じ強大な力があなたを目標に導いてくれるということを信頼しなさい。
 涙はしばしば弱さの象徴と見られていますが、これらの偉大な人々はけっして弱者ではなかったのです。
 このように神の御前で涙するといったような現れは、偉大な流れが彼らを運んでいくうえでの一時的な形跡でしかありません。
 私たちは達成された結果に目を向けるべきなのです。

質問者
 この身体を無の中に消し去ることはできるのでしょうか?

マハルシ
 なぜそのようなことを尋ねるのですか?
 あなたが身体なのかどうかを見いだしなさい。

質問者
 ヴァシシュタやヴィシュヴァーミトラのようなヨーギーのように、視界から消え去ることはできるのでしょうか?

マハルシ
 それは単なる物理的な問題でしかありません。
 それが私たちの関心を向けるべき根本的問題でしょうか?
 あなたは真我ではないのですか?
 なぜ他の問題に悩むのです?
 本質を選び取り、他から学んだ理論などは無駄なものとして棄て去りなさい。
 身体が消え去ることを自由の証しと考えている人たちは間違っています。
 その必要はありません。
 あなたは身体ではないからです。
 身体が何らかの方法で消え去ったからといって、それが何になると言うのですか?
 そのような現象には何の益もありません。
 いったいどのような優劣がそこにあると言うのでしょう?
 実在を達成することだけが重要なのです。
 「私」を失うことだけが要点なのであって、身体を失うことではありません。
 自己と身体の同一化こそが真の束縛です。
 偽りの観念を棄て去り、実在を直観的に知覚しなさい。
 重要なことはそれだけです。
 金を熔かしてその真偽を確かめようとするとき、どのようにそれが熔けたか、全部が熔けたか、部分的に熔けたか、もとはどんな形だったかなどということが重要でしょうか?
 重要なのは、それが純金であるかどうかだけです。

 死者は自分の身体を見ません。
 個人がいかに亡くなったかは残された者たちの問題です。
 死において身体が消え去った覚者は確かに存在しました。
 しかし真我実現した人にとっては死はなく、身体があろうとなかろうと同じように気づいていて違いを見ることはありません。
 彼にとって状態の違いに優劣はないのです。
 部外者にとっても、覚者の身体がどうなろうと関心を持つ必要などありません。
 自分の問題だけに関心を持ちなさい。
 真我を実現しなさい。
 実現した後で、どのように死を迎えるのが好ましいか考える時間もあるでしょう。

 自己と身体の偽りの同一化が選り好みという観念を引き起こすのです。
 あなたは身体なのですか?
 昨夜ぐっすり眠っていたとき、あなたは身体に気づいていましたか?
 いいえ、気づいてはいませんでした!
 では、今存在していてあなたを悩ませているのは何でしょうか?
 それは「私」です。
 それを取り除いて、幸せになりなさい。

973鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/08(土) 22:56:12 ID:1d4drIFg0
ヨーガスートラにも集中力が高まれば神通力を得るがそれは悟りにとっては雑念でしかないと記されいるのじゃ。
世間の競争に勝ちたいと思うものは神秘的な力を得たいと憧れたりするのじゃ。
しかしそれでは死は克服できず、苦の世界に住み続けることになるのじゃ。
余計な力に囚われず真の悟りを求めるのじゃ。

974避難民のマジレスさん:2019/06/09(日) 12:41:25 ID:jfWCoXjM0
対話33

質問者
 「ブラフマンは真理である。世界は幻影である」とは、シュリー・シャンカラーチャーリャの常套句です。
 しかし別の人たちは「世界は実在である」と言います。
 どちらが真実なのでしょうか?

マハルシ
 どちらの言葉も真実です。
 それらは霊性の異なった段階について、異なった視点から語られているのです。
 真理の探究者は、「常に存在するものが実在である」という定義から進み始めます。
 それから、彼は世界を非実在として棄て去ります。
 なぜなら世界は変化するものだからです。
 それは実在ではありえません。
 「これではない、これではない!」。
 このように、変化するものを非実在として棄て去っていくことで、探究者は究極的に真我にたどり着くのです。
 その実現の中で、彼はすべての存在の根底に「一なるもの」を見いだします。
 そのとき、最初に非実在として棄て去られたものも、「一なるもの」の一部分だったことが理解されます。
 実在の中に吸収されたものとしては、世界もまた実在です。
 真我実現の中ではただ存在だけがあり、他には何もありません。
 さらに「実在」という言葉は異なった意味合いで使われ、ある思想家たちには漠然とした定義で使われています。
 彼らは実在の反映された段階がいくつかあると言います。
 それらは、

 1ヴャーヴァハーリカ・サティヤ(日常生活)
  ─この椅子は私によって見られ、現実である。

 2プラーティバーシカ・サティヤ(幻影)
  ─巻かれたロープが蛇に見えるという幻影。
   現れはそう考える人にとって現実となる。
   この現象は一時的で特定の環境において現れる。

 3パーラマールティカ・サティヤ(実在)
  ─常に同じで変化することのない実在。

 もし「実在」という言葉が広い意味で用いられるなら、世界は日常生活と幻影という実在性を持っていると言えるかもしれません。
 しかしながら、実生活の現実性さえも否定する人たちがいます。
 彼らはそれを心の投影にすぎないと考えます。
 彼らによれば、それはプラーティバーシカ・サティヤ、つまり幻影でしかないのです。

975避難民のマジレスさん:2019/06/09(日) 13:36:26 ID:LC3de7YgO
>>974
> その(真我)実現の中で、彼はすべての存在の根底に「一なるもの」を見いだします。

この「一なるもの」をググったら、黄金の華の秘密の最後に語られた("一者から一者への飛翔")プロティノスの解説に出会えた。

>プロティノスの思想はプラトンのイデア論を受け継ぎながら、その二元論を克服しようとしたものである。
プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」(ト・ヘン to hen)を重視し、語りえないものとして、これを神と同一視した。
万物(霊魂、物質)は無限の存在(善のイデア)である「一者」(ト・ヘン)から流出したヌース(理性)の働きによるものである(流出説)。
一者は有限の存在である万物とは別の存在で、一者自身は流出によって何ら変化・増減することはない。
あたかも太陽自身は変化せず、太陽から出た光が周囲を照らすようなものである。
光から遠ざかれば次第に暗くなるように、霊魂・物質にも高い・低いの差がある。
また、人間は「一者」への愛(エロース)によって「一者」に回帰することができる。
一者と合一し、忘我の状態に達することをエクスタシスという。
[エネアデスVIの第11節] ただし、エクスタシスに至るのは、ごく稀に、少数の人間ができることである。プロティノス自身は生涯に4度ばかり体験したという。
(´・(ェ)・`)つ

976鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/09(日) 22:35:25 ID:1d4drIFg0
忘我にいたることは誰でもできることじゃ。
インドでは誰でも至る法を創り、広めたのじゃ。
西洋ではただ理屈を広めるだけだったのじゃ。
理解が足りなかったのじゃ。

977避難民のマジレスさん:2019/06/10(月) 12:46:14 ID:jfWCoXjM0
ヨーギー・ラーマイアの体験

対話34

マハルシの臨在のもとに坐ることは、心の平安をもたらします。
私はよく三時間も四時間もサマーディの中に坐ったものでした。
その頃、私は心が形を取って内側から現れ出てくるのを感じていました。
絶え間ない修練と瞑想を通してそれはハートに入り、その中に融け去りました。
こうして私はハートが心にとって安息の地であることを知ったのです。
それは平和をもたらしました。
真我は心がハートに没入したときに実現されます。
これは精神集中(ダーラナー)の段階においてさえ感じることができます。
私はマハルシに黙想について尋ねました。
彼が説いた教えは以下のとおりです。

人が死ぬと、火葬用の薪が用意され、身体はその薪の上に置かれます。

薪に火がともされるとともに、皮膚は焼け、そして肉、それから骨が焼き尽くされ、最後には全身が灰となります。

その後には何が残るでしょうか?

心です。

「この身体の中には一体いくつの心があるのか?」という疑問が起こります。

「一つか二つか?もし二つなら、どうして人々は『私たち』ではなく『私』と言うのか?」

それゆえ、そこにはただ一つの心だけがあるのです。

「それはどこから生まれたのか?その本性とは何なのだろうか?」。

このように探究してゆくと、心もまた消え去ります。

「そのとき、残っているものは一体何だろうか?」。

「私だ」。

次の質問は、「私とは誰か?」です。

それは真我に他なりません。

これが黙想です。

私はこのようにしたのです。

この過程を経ることで、身体への執着心は破壊されます。

自我は消え去り、そして真我だけが輝き出すのです。

心を消滅させる方法の一つに、偉大な魂、ヨーガの達人との交際があります。

彼らはサマーディに熟達しています。

彼らにとって真我実現はたやすく、自然で、永久的なものです。

彼らと親しく暮らし、共感を持って接する人たちは、徐々に彼らのサマーディの習慣を吸収するようになるのです。


【ヨーギー・ラーマイア】

ポール・ブラントン著『秘められたインド』(日本ヴェーダーンタ協会刊)に登場するヨギ・ラミヤーと同一人物。
タミル語の正確な発音はヨーギー・ラーマイア。

978鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/10(月) 22:43:34 ID:1d4drIFg0
肉体が消えても消えない意識が在るのじゃ。
それは唯一つの存在なのじゃ。
そこに至ればもはや苦は無いのじゃ。
永遠に消えることの無い意識なのじゃ。

979避難民のマジレスさん:2019/06/11(火) 12:42:47 ID:jfWCoXjM0
対話35

教養のある訪問者がマハルシに、ドヴァイタとアドヴァイタ(二元論と不二一元論)について尋ねた。

マハルシ

身体と自己同一視することがドヴァイタで、自己同一視しないことがアドヴァイタです。

980鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/11(火) 21:13:22 ID:1d4drIFg0
↑は理論ではない実践によるアドヴィタなのじゃ。
肉体と自己同一化していれば自他の別がある二元論に止まっているのじゃ。
肉体との同一化が無ければアドヴィタであるのが如実にわかるのじゃ。
理論によってアドヴィタに辿りつくのではなく、実践によって全てアドヴィタであることがわかるのじゃ。
そこには論を持つ者も居ないのじゃ。

981避難民のマジレスさん:2019/06/12(水) 12:47:37 ID:jfWCoXjM0
対話36

北インドから気品ある女性の訪問者が個人秘書を連れて正午に到着した。
しばらく待った後、昼食後にホールに戻ったマハルシに質問した。

質問者
 マハーラージ、私たちは死者を見ることができますか?

マハルシ
 できます。

質問者
 ヨーギーは私たちに死者を見せることができるでしょうか?

マハルシ
 できるでしょう。
 でも私には頼まないでください。
 私にはできませんから。

質問者
 あなたは死者を見ますか?

マハルシ
 ええ、夢の中で。

質問者
 ヨーガを通して目標に達することはできるでしょうか?

マハルシ
 できます。

質問者
 ヨーガに関する本をお書きになりましたか?

マハルシ
 はい。


彼女が去った後で、師は言った。

「親戚が生まれる前、私たちは彼らを知っていたでしょうか?
 私たちは彼らの死後についても知るべきでしょうか?」

982鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/12(水) 22:03:13 ID:1d4drIFg0
死者とは夢の中で会えるのじゃ。
眠りの意識は死の意識と同じであるからのう。
人をその意識に導き、死者とあわせることの出来るヨーギもいるというのじゃ。
夢がコントロールできれば何時でも会えるがのう。

983避難民のマジレスさん:2019/06/13(木) 12:55:52 ID:jfWCoXjM0
対話37

質問者
 カルマとは何でしょうか?

マハルシ
 過去世の行為の結果がすでに実を結び始めたものはプラーラブダ・カルマと呼ばれ、過去世で蓄えられ、後に実を結ぶものはサンチタ・カルマと呼ばれます。
 それは村人が、からし菜と交換して得た穀物のように種々雑多です。
 そのような交換用の穀物には米、ヒエ、大麦などがあり、あるものは水に浮かび、あるものは水に沈みます。
 そして質が良かったり悪かったり、どちらでもなかったりします。
 蓄積された多様なカルマのうちの最も強力なものが、次の生において実を結び始めるものであり、それがその生におけるプラーラブダ・カルマとなるのです。

984鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/13(木) 22:46:01 ID:1d4drIFg0
カルマも観念の中でのみあるとされるものじゃ。
観念を超えればカルマもないのじゃ。
悟りを得たヨーギにはカルマが無いとされるのも、そのためなのじゃ。
個我がなければカルマもないのじゃ。

985避難民のマジレスさん:2019/06/14(金) 12:43:30 ID:jfWCoXjM0
対話38

従者の一人が初めてバガヴァーンのもとに来たとき、彼は尋ねた。

「解脱への道とは何でしょうか?」。

マハルシは答えた。

「すでに歩み始めた道が解脱へと導くでしょう」

986鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/14(金) 22:22:27 ID:1d4drIFg0
誰でも自らの道を行くしかないのじゃ。
実践して進んでいくのじゃ。
実践しなければ進歩も無いのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

987避難民のマジレスさん:2019/06/15(土) 17:36:57 ID:jfWCoXjM0
1935年3月22日

対話39

R・セシャギリ・ラーオ氏との会話で、シュリー・バガヴァーンは

「真我を実現した聖者だけが良きカルマ・ヨーギーになれるのです」と語った。

マハルシ
 行為者という感覚が消え去った後、何が起こるのか見てみなさい。
 シュリー・シャンカラは無為を勧めました。
 しかし彼自身聖典の注解を書き、論争に加わらなかったでしょうか?
 行為をするかしないかということに煩わされるべきではありません。
 あなた自身を知りなさい。
 そうすれば、それが誰の行為なのかを知るでしょう。
 誰の行為でしょうか?
 行為がそれ自体で完結するにまかせなさい。
 行為者が存在するかぎり、人は行為の結果を受けなければなりません。
 もし自分自身を行為者と見なさなければ、彼にとって行為はないのです。
 彼こそが世俗的生活を棄てた修行者(サンニャーシー)です。

質問者
 自我はどのように現れたのでしょうか?

マハルシ
 それを知る必要はありません。
 現在を知りなさい。
 現在を知らずして、なぜ過去のことに心を悩ませるのですか?


それから、マハルシはある質問にこう答えた。

マハルシ
 世界はあなたの中にあるのでしょうか?
 それとも外側にあるのでしょうか?
 世界はあなたを離れて存在するでしょうか?
 世界があなたのもとにやって来て、「私は存在する」と告げるでしょうか?

988鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/15(土) 23:33:47 ID:1d4drIFg0
行う者がいなければ行うこともないのじゃ。
行為の主体が無いからなのじゃ。
それが無為なのじゃ。
それは勧められてできるものではないのじゃ。
無我になれば行為は全て無為になるのじゃ。

989避難民のマジレスさん:2019/06/16(日) 16:15:15 ID:jfWCoXjM0
対話46

あるブラーフマナ(バラモン)階級の人が質問を始めた。

質問者
 行為が私たちのものかどうかを、どうやって知るのでしょうか?

マハルシ
 行為の結果が影響を与えなければ、人は行為から自由なのです。

質問者
 知的な理解だけで十分でしょうか?

マハルシ
 知的に知るまでは、どのように修練するかもわからないでしょう。
 まず知的に理解しなさい。
 それから、そこで止まらず実践に移しなさい。

マハルシはある所見を述べた。

マハルシ
 あなたが一つの哲学的体系に固執すれば、他をとがめずにはいられなくなるでしょう。
 例えば、僧院の院長のように。

 すべての人が同じ類の行為をするように期待することはできません。
 各人がそれぞれの気質や過去世にしたがって行為するのです。
 叡知(ジニャーナ)、帰依(バクティ)、行為(カルマ)はともに関わり合い、交わり合っています。
 姿形への瞑想はその人の心に応じたものとなります。
 それは他の形を避けて、心を一つの形だけに集中させることです。
 それが目標へと導くでしょう。
 初めのうちから心をハートに固定させるのは無理なことです。
 だからこそ、こういった助けが必要となるのです。
 クリシュナは、「あなたにも、私にも、他の人にとっても誕生はない」と言いました。
 後になって、彼は「私はアーディティヤよりも先に生まれた」と言い、アルジュナはそれに対して抗議します。
 したがって、各自がそれぞれの進歩の段階に応じた形で神を想うのです。

 あなたは、自分は目覚めの状態では身体だと言いますが、眠りの状態では身体だとは言いません。
 個人の身体的存在さえいくつかの層から成っているのですから、神に無限の能力があって当然ではないでしょうか?
 どのような修練方法にしたがおうとも、それは賢者によって奨励されています。
 なぜなら他の方法と同じように、それも目標に導くからです。


【個人の身体的存在さえいくつかの層から…】

この文は前後の文章との脈絡がないため、記録者が2、3の言葉あるいは1、2行の文を記録しそびれたと見られる。
記録者はタミル語を話せない訪問者のために通訳もしていたため、記録は困難だった。
このような記録漏れは、本書の中に何箇所も見られる。
「個人の身体的存在はいくつかの層から成っている」という表現はパンチャ・コーシャ(真我を覆い隠す5つの身体の鞘)を意味している。

990避難民のマジレスさん:2019/06/16(日) 17:11:41 ID:LC3de7YgO
>>989
>行為の結果が影響を与えなければ、人は行為から自由なのです。

これは、OSHOが説明した「無為の為」のことであり、クリシュナが言う、義務を果たすことでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

991鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/16(日) 22:38:47 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。
無我に至らなくとも忘我のサマーディにまで到達すれば、主体の無い行為も出来るのじゃ。
行為の結果も望まず、行為が出来るのじゃ。
カルマヨーガと同じなのじゃ。

992避難民のマジレスさん:2019/06/16(日) 23:03:26 ID:LC3de7YgO
>>991
そのカルマヨガは、忘我にすら至らなくても、日常的に意識的に実践できることのような気がするのですが、勘違いでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

993避難民のマジレスさん:2019/06/17(月) 16:17:33 ID:jfWCoXjM0
対話41

質問者
 天国や地獄は存在するのでしょうか?

マハルシ
 そこにはそこに行く人がいるはずです。
 それらは夢のようなものです。
 私たちは夢の中にも時間と空間が存在しているのを見ています。
 夢と目覚め、どちらが真実でしょうか?

賀問者
 ですから、私たちは性欲や怒りなどを除かなければならないのです。

マハルシ
 想念を棄て去りなさい。
 他に棄てるべきものなどありません。
 何を見るにせよ、あなたの存在がそこになければなりません。
 それが真我です。
 真我は常に意識しているのです。

質問者
 巡礼などは良いことでしょうか?

マハルシ
 良いことです。

質問者
 真我に達するにはどのような努力が必要でしょうか?

マハルシ
 「私」が破壊されるべきです。
 真我とは到達すべきものではありません。
 真我が存在しないときなどあるでしょうか?
 それは新たなものではないのです。
 あるがままに在りなさい。
 新しいものは永久ではありえません。
 真実なるものは常に存在しているのです。 

質問者
 叡知の捧げ物(ジニャーナ・ヤグニャ)とは何でしょうか?
 あるいは、その他の捧げ物とは何でしょうか?

マハルシ
 そのためには他の修練が存在しています。
 修練は叡知を得るためのものです。

質問者
 ジーヴァン・ムクタ(生存中に解脱した魂)には異なった種類があるのでしょうか?

マハルシ
 彼らが外的に異なっていることが重要でしょうか?
 彼らの叡知に違いはないのです。

質問者
 一人の師に忠誠を尽くしているときに、他の師を敬うことはできるのでしょうか?

マハルシ
 グルは一人しかいません。
 彼は身体ではないのです。
 弱さがあるかぎり、力の支えは必要でしょう。

質問者
 J・クリシュナムールティは「グルは必要ない」と言っています。

マハルシ
 彼はどうやってそれを知ったのですか?
 実現した後にのみ、そう言えるのであり、その前ではありません。

質問者
 あなたは多大な努力によってこの境地を達成されました。
 私たちのような劣った魂はどうすればよいのでしょうか?

マハルシ
 私たちは真我の中にいます。
 世界の中にいるのではないのです。

質問者
 天国と地獄。
 これらは一体何なのですか?

マハルシ
 あなたは自分の中に天国と地獄を抱えています。
 あなたの欲望、怒りなどがそのような領域を生み出すのです。
 それらは夢のようなものです。

994避難民のマジレスさん:2019/06/17(月) 16:18:56 ID:jfWCoXjM0
質問者
 『ギーター』は「眉間に注意を集中し、呼吸を止めるなら、彼は真我に達する」と述べています。

マハルシ
 あなたは常に真我の中にいるため、それに達するということはないのです。
 眉間はただ注意を集中させるための場にすぎません。

質問者
 あなたはハートが瞑想の座だとは言われませんでしたか?

マハルシ
 それもまた注意を集中させるための場なのです。

質問者
 ハートとは何でしょうか?

マハルシ
 それは真我の中心です。
 真我は中心の中心です。
 ハートとは霊的な中心を表しており、身体的な中心のことではないのです。

質問者
 「ジニャーナ」という言葉は真我実現による知識という意味です。
 同じ言葉が方法としても使われています。
 どうしてでしょうか?

マハルシ
 「ジニャーナ」という言葉は方法をも含んでいるのです。
 なぜなら、最終的にはそれが実現をもたらすからです。

質問者
 知識が不完全な人でも教えることにたずさわるべきでしょうか?

マハルシ
 もし彼のプラーラブダ・カルマ(運命)がそうなっているなら。
 『バガヴァッド・ギーター』の第七章で
 アルジュナは、
 「カルマ(行為)は修練(サーダナ)なのかとうか」と尋ね、
 クリシュナは
 「もし行為者という感覚なしに為されれば、そうである」と答えます。

 カルマを否定する聖典に認められたカルマもあります。
 聖典が認めないカルマとは、行為者という感覚をともなって為された行為です。
 カルマ(行為)を手放してはいけません。
 それはできないのです。
 手放すのなら行為者の感覚を手放しなさい。
 カルマは無意識のうちに続いていくでしょう。
 あるいはカルマはあなたから離れ落ちていくでしょう。
 もしカルマがプラーラブダにしたがったあなたの運命であるならば、あなたの意図にかかわらず、それは為されるでしょう。
 もしカルマがあなたの運命でなければ、どれほど強く求めてもそれは為されないでしょう。
 ジャナカ王や聖者シュカなどは「私」という感覚(アハンカーラ)なしに仕事に従事しました。

 カルマは名声のため、あるいは非利己的に公共の利益のために為されるかもしれませんが、それでも、人々はいまだに賞賛を求めています。
 ですから、それは本当のところ利己主義なのです。

質問者
 それを知ればすべての疑間が解けるものとは何でしょうか?

マハルシ
 疑う者を知りなさい。
 疑う者をとらえれば、疑問は起こりません。
 こうして疑う者は超越されるのです。
 疑う者が存在しなければ、どんな疑いも起こらないでしょう。
 さもなければ、どこからそれが起こると言うのでしょう?
 すべての人が真我実現した人(ジニャーニ)、生きながら解脱した人(ジーヴァン・ムクタ)です。
 ただ誰もその事実に気づいていないだけなのです。
 疑いは根こそぎにされなければなりません。
 つまり疑う者を根元から断たねばならないのです。
 ここに言う疑う者とは、心のことです。
 
質問者
 その修練方法とは何でしょうか?

マハルシ
 「私は誰か?」と問う真我探究です。

質問者
 ジャパをしてもよいでしょうか?

マハルシ
 なぜ「私はこれだ」と考えるのでしょうか?
 探究しなさい。
 すると想念は止まります。
 そうすれば、その後に残る唯一存在するもの、つまり真我は明らかになるでしょう。

質問者
 ハタ・ヨーガは必要でしょうか?

マハルシ
 それは助けの一つにはなりますが、必ずしも必要なものではありません。
 それは人によります。
 真我探究(ヴィチャーラ)はプラーナーヤーマ(呼吸法)よりも優れています。
 『ヨーガ・ヴァーシシュタ」の中で、チューダーラーはシキドヴァジャに自我を殺すための方法としてヴィチャーラを勧めています。

 実現はプラーナ(呼吸)か知性をとらえることによって達成されます。
 ハタ・ヨーガは前者であり、ヴィチャーラは後者です。

995避難民のマジレスさん:2019/06/17(月) 16:21:17 ID:jfWCoXjM0
質問者
 真我を実現した後のジニャーニに人格はあるのでしょうか?

マハルシ
 どうして人格を保ち続けることができるでしょう?

 世俗の仕事であれ非世俗の仕事であれ、年長の人たちは仕事にかかる前にアーチャマナ(水を一口飲む)やプラーナーヤーマ(調息)を勧めます。
 つまり精神集中が仕事を達成へと導くのです。

質問者
 私は「ネーティ・ネーティ」(これではない、これではない)に瞑想しています。

マハルシ
 いいえ、それは瞑想ではありません。
 源を見いだしなさい。
 確実に源にたどり着かなければならないのです。
 そうすれば偽りの「私」は消え去り、真の「私」が実現されるでしょう。
 前者は後者なしには存在できないのです。

【そこにはそこに行く人がいるはずです】

 「天国や地獄に行くと信じている個人が存在しなければ天国や地獄も存在しえない。その個人とは誰か?」ということをマハルシは示唆している。

【叡知の捧げ物(ジニャーナ·ヤグニャ)】

 『バガヴァッド・ギーター』第4章24節から33節は、
 「ブラフマンは供犠である。ブラフマンは捧げ物である。それはブラフマンによりブラフマンである火の中に焼べられる」と説き、感覚器官の制御、自己抑制、財物、学習、知識、気息(プラーナ)などのさまざまな捧げ物を挙げている。
 そして 「さまざまな捧げ物の中でも叡知による棒げ物 (真我の知識を捧げること) が最も優れていている」と説いている。

【眉間に注意を集中し、呼吸を止めるなら…】『バガヴァッド・ギーター』5ー27、28

 外界の感覚的対象をすべて閉ざし、眼を眉間に集中させ、鼻腔内の呼気と吸気を均等にして、心と感覚と知性を制御し、欲望と恐れと怒りを離れて解説を目指す。
 この境地に常に在る者は、まさに解脱している。

【なぜ「私はこれだ」と考えるのでしょうか?】

 このマハルシの答えの部分は1、2行の記録漏れがあると考えられる。
 「私はこれだ」とは、「私」を身体や心、性別や国籍などとの同一視を意味している。

【『ヨーガ・ヴァーシシュタ』(シキドヴァジャと女王チューダーラーの物語)

 マルヴァ王国の王シキドヴァジャと女王チューダーラーは快楽を満たす生活に満足できず、ともに真我の知識を採究した。
 先に真我を実現したチューダーラーの境地を理解できずにいた王は、1人王国を放棄すると森に隠通して瞑想生活に入り、後に残されたチューダーラーは賢明な王国統治をする。
 数年の後、彼女はクンバというバラモンに姿を変えて、苦行する王の前に現れ、隠遁生活や苦行や放棄では真我実現できないことを説き明かし、真我探究によって彼を実現へと導いた。
 2人は賢者として王国に戻り、国を統治しながら自由で幸福な人生を送った。

996避難民のマジレスさん:2019/06/17(月) 16:26:16 ID:jfWCoXjM0

×ともに真我の知識を採究した。
〇ともに真我の知識を探究した。

997避難民のマジレスさん:2019/06/17(月) 21:47:52 ID:LC3de7YgO
>>995
 真我を実現した後・・・人格を保ち続けることができない。
そのことと、
>精神集中が仕事を達成へと導く
ことと、なんの関係があるのでしょうか?

人格が精神集中を邪魔するのでしょうか?
> 私は「ネーティ・ネーティ」(これではない、これではない)に瞑想しています。

マハルシ
 いいえ、それは瞑想ではありません。

念じたり、唱えたりする集中よりも、瞑想は観察が大切と言うことでしょうか?
(´・(ェ)・`)つ

998鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/17(月) 23:09:45 ID:1d4drIFg0
>>992 少しの間ならばできるじゃろう。
 しかし、人は成果の見えない仕事にはやる気を失ってしまうのじゃ。
 心理学でも証明されているのじゃ。
 成果の見えない仕事を延々とやり続けるのは最低でも我を忘れてやるしかいないのじゃ。

999避難民のマジレスさん:2019/06/18(火) 19:27:01 ID:LC3de7YgO
新スレ建てました。
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5 - なんでも避難所 - したらば
URL:
http://jbbs.m.shitaraba.net/b/i.cgi/study/8276/1560853465/n

引続きマハリシの対話録の講読会、お願いいたします。
(´・(ェ)・`)つ

1000避難民のマジレスさん:2019/06/18(火) 19:28:07 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)つ1000

1001鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/18(火) 22:35:02 ID:1d4drIFg0
>>997 そもそも人格などはないということなのじゃ。
 忘我で仕事をすることで効率も良くなるのじゃ。
 自我が邪魔をしないからなのじゃ。
 悟っていない者も人格ではなく、精神の集中で仕事をしているのじゃ。

 そうじゃ、それは瞑想ではないのじゃ。
 観察するための実践なのじゃ。
 全ての観念を否定するのであるからのう。
 その果てにあるアートマンを見出すための実践なのじゃ。

1002避難民のマジレスさん:2019/06/19(水) 02:45:04 ID:LC3de7YgO
>>1001
鬼和尚ありがとうであります。
そうでありました。
そもそも人格などはないのでありました。精神の集中が大切でありたすね。
で、その集中力で観察するのでありますね。


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