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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4
905
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/21(火) 10:29:24 ID:jfWCoXjM0
1935年1月8日
対話14
一人の老人が訪れ、ホールに座った。
マハルシはシャルマ氏によってサンスクリット語に訳された『アルナーチャラ・アクシャラ・マナ・マーライ』(文字の結婚指輪)を読んでいた。
老人が静かに尋ねた。
「真我実現はいかなる表現も超えているため、言葉で描写することはできないと言われていますが、どうしてでしょうか?」
マハルシ
『アルナーチャラ・アシュカム』(シュリー・アルナーチャラへの八連の詩)の第二節にその要点が述べられているように、実現の描写は不可能だとしても、その存在を示すことはできるのです。
その直後、老人の感情に明らかな変化が見られた。
呼吸は深く激しくなり、謙虚に全身を床にひれ伏すと、二分ほどしてようやく立ち上がった。
しばらくの間、静寂の内にとどまった後、彼はその場を去った。
明らかに、老人はある啓示を受けたのだ。
彼はマハルシにその確証を求め、マハルシはそれに相応する答えを与えた。
老人は確証を得、謙虚に、神の計らいを感じとったのだった。
『アルナーチャラ・アシュカム』第二節
見る者とは誰か?
内面を探ったとき、見る者は消え去り、その後に残ったものを私は見た。
だが、「私は見た」という想いは起こらなかった。
それゆえ、「私は見なかった」という想いがどうして起ころうか?
太古の昔、ダクシナームールティとして現れたあなたでさえ、ただ沈黙によってのみそれを伝え得たというのに、誰がそれを言葉で伝える力を持つというのか?
大地から天空までを輝かす丘としてそびえ立つあなたの境地を伝えるのは、ただ沈黙しかない。
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