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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

779避難民のマジレスさん:2019/04/08(月) 23:11:19 ID:LC3de7YgO
>>776
『I AM THAT 私は在る』
【94 あなたは空間と時間を超える】(つづき)

 質問者 あなたはどうなのでしょうか? あなたは気づきのなかに在りつづ
     けるのでしょうか?
 マハラジ
 個人、「私は身体だ」、このマインド、この記憶の連鎖、この一束の欲望と
 恐れは消え去る。
 だが、アイデンティティと呼ばれる何かはそのまま残る。
 それは必要とされるとき、私が個人となることを可能にするのだ。
 愛はそれ自身の必要性をつくり出すのだ。
 ひとりの個人と成ることさえも。
 質問者 実在はそれ自体を存在―意識―至福として現すと言われています。
     それらは絶対的なものでしょうか、それとも相対的なものでしょう
     か?
 マハラジ
 それらは互いにとって相対的であり、相互に依存している。
 実在はその表現とは別なのだ。
 質問者 実在とその表現はどのような関係にあるのでしょうか?
 マハラジ
 何の関係もない。
 実在のなかではすべてが真正で同一なのだ。
 それは、私たちが「サグナ(顕現)とニルグナ(非顕現)はパラブラフマン
 (至高の実在)のなかでひとつだ」と
表現するのと同じだ。
 ただ至高なるものだけが存在するのだ。
 運動のなかでは、それはサグナであり、不動においては、それはニルグナな
 のだ。
 だが、動いているのは、あるいは動かないのはマインドだけだ。
 実在は彼方にあり、あなたも彼方にあるのだ。
 ひとたびあなたが知覚可能、想像可能なものはあなた自身ではありえないと
 理解するならば、あなたはあなたの想像から自由になる。
 すべてを欲望から生まれた想像だと見ることは、真我の実現に必要不可欠な
 のだ。
 私たちは注意の欠如から実在を失い、過剰な想像から偽りを生みだすのだ。
 あなたはこれらのことにマインドとハートを捧げ、繰り返し熟考しなければ
 ならない。
 それは食べ物を料理するようなものだ。
 用意ができるまでは、それを火にかけておかなければならないのだ。
 質問者 私は運命、カルマに支配されているのではないでしょうか? それ
     に対して何ができるのでしょうか? 私が何であるのか、何をする
     のかは前もって決められているのです。私のいわゆる自由選択さえ
     も先決されているのです。ただ私が気づかず、自分は自由だと想像
     しているだけなのです。
 マハラジ
 またしても、それはあなたがどう見るかにかかっている。
 無知とは熱のようなものだ。
 それはあなたにそこにはないものを見させる。
 カルマとは神の力によって処方された治療法なのだ。
 それを歓迎し、その指導に信頼をもってしたがうがいい。
 そうすればあなたは良くなるだろう。
 回復すれば患者は病院を去っていく。
 選択と行為の即座の自由をせがむことは、単に回復を延長させるだけだ。
 運命を受け入れ、それを満たすがいい。
 これが運命からの自由への近道なのだ。
 だが、愛とその欲求からの自由ではない。
 欲望と恐れから行為することは束縛だ。
 愛から行為することが自由なのだ。

(´・(ェ)・`)
(おわり)


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