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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4
961
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/06(木) 12:46:13 ID:jfWCoXjM0
対話30
南インドの町の法廷弁護士会の会長で、伝統的ブラーフマナ(バラモン)であるナテサ・アイヤール氏が尋ねた。
質問者
イーシュヴァラやヴィシュヌといった神々や、神々の聖地であるカイラーサやヴァイクンタは実在するのでしょうか?
マハルシ
あなたがこの身体の中にいるのと同じように、それらは実在しています。
質問者
それらは私の身体のように現象的存在を有しているのでしょうか?
あるいは、それらは野ウサギの角のような作り話にすぎないのでしょうか?
マハルシ
それらは確かに存在します。
質問者
もしそうであれば、それらはどこかに在るはずです。
どこに在るのでしょうか?
マハルシ
それらを見たことのある人々は、それらがどこかに存在していると言っています。
ですから、私たちはその言葉を信じなければならないのです。
質問者
どこに存在しているのでしょうか?
マハルシ
あなたの中に。
質問者
では、それは私が創造し、支配できるただの観念なのでしょうか?
マハルシ
すべてがそのようなものなのです。
質問者
しかし野ウサギの角のようなまったくの虚構や、部分的には真実である蜃気楼のようなものなら想像で創り出すこともできます。
それに対して、私の想像力とは関わりなく存在している事実もあります。
イーシュヴァラ神やシヴァ神はそのように存在しているのでしょうか?
マハルシ
そうです。
質問者
神はプララヤ(宇宙の崩壊)を被るのでしょうか?
マハルシ
なぜですか?
真我に気づいている人は、宇宙の崩壊をも超越して解脱を得たのです。
ならば、なぜはるかに賢く能力を持ったイーシュヴァラにそうできないことがあるでしょう?
質問者
神々や悪魔も同じように存在しているのでしょうか?
マハルシ
そのとおりです。
質問者
「至高の意識」(チャイタニャ・ブラフマン)についてどのように考えればよいのでしょうか?
マハルシ
存在する「それ」として。
質問者
それは「自ら輝くもの」として考えるべきでしょうか?
マハルシ
それは光と闇を超越しています。
個我(ジーヴァ)はその両方を見ています。
光と闇を見るために個人に光を与えているもの、それが真我です。
質問者
それは「私は身体ではなく、行為者でもなく、楽しむ者でもない」などとして理解されるべきものなのでしょうか?
マハルシ
なぜそのような考えを抱くのですか?
私たちは今、「私は人間だ」と考えているでしょうか?
そう考えなければ人間ではなくなると言うのですか?
質問者
では聖典にあるように、「そこには何の違いもない」(ネーハ・ナーナースティ・キムチャナ)として理解されるべきなのでしょうか?
マハルシ
それさえも必要ありません。
質問者
「私は実在だ」と考えれば、それでよいのでしょうか?
マハルシ
すべての思考は実現に反するのです。
私たちに関するすべての考えと、それ以外についてのすべての考えを排除することが正しい状態です。
想念と実現はまったく別のものなのです。
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