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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

776避難民のマジレスさん:2019/04/07(日) 22:56:26 ID:LC3de7YgO
>>774
『I AM THAT 私は在る』
【94 あなたは空間と時間を超える】(つづき)

 質問者 空っぽと無――なんと恐ろしい!
 マハラジ
 あなたは眠るとき、喜んでそれにであうのだ!
 目覚めた眠りの状態をあなた自身で見いだすがいい。
 そうすれば、それがあなたの真の本性と完全に調和していることを知るだろ
 う。
 言葉はあなたに概念しか与えられない。
 そして概念は体験ではないのだ。
 私に言えることはただ、幸福には何の原因もなく、原因のないものは不動だ
 ということだ。
 それは快楽のように知覚可能なものではない。
 知覚可能なものは苦痛と快楽なのだ。
 不幸から解放された状態は否定を通してしか描写できない。
 それを直接知るには、因果律に耽溺したマインドと時間の支配を超えていか
 なければならないのだ。
 質問者 もし幸福が意識ではなく、意識が幸福ではないのなら、それら二つ
     の間のつながりは何なのでしょうか?
 マハラジ
 意識的存在は条件と環境の産物であり、それらに依存し、それらとともに変
 化する。
 独立し、創造されたものではなく、永遠で不変のもの、しかもつねに新しく
 新鮮なものはマインドを超えている。
 それについて考えるとき、マインドは消え去り、ただ幸福だけが残るのだ。
 質問者 すべてが去った後、無が残るのです。
 マハラジ
 何もないところに無がありうるだろうか?
 無とはひとつの概念にすぎない。
 それは何かの記憶に依存しているものだ。
 純粋な存在は、定義可能で描写可能な存在から完全に独立しているのだ。
 質問者 どうか教えてください。マインドを超えても意識は継続するのでし
     ょうか、それともマインドとともに終焉するのでしょうか?
 マハラジ
 意識は来ては去っていく。
 気づきは永遠不変に輝くのだ。
 質問者 気づきの中で気づいているのは誰でしょうか?
 マハラジ
 個人がそこにいるとき、意識もまたそこにある。
 「私は在る」、マインド、意識はどれも同じ状態を表している。
 もしあなたが「わたしは気づいている」というなら、それは「わたしは気づ
 いていることについて考えていることを意識している」という意味だ。
 気づきの中に「私は在る」はない。
 質問者 観照はどうでしょうか?
 マハラジ
 観照はマインドのものだ。
 観照者は観照されるものとともに在る。
 非二元性の状態のなかでは、すべての分離がやむのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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