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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4
972
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/08(土) 12:52:57 ID:jfWCoXjM0
対話32
質問者
シュリー・チャイタニャやシュリー・ラーマクリシュナのような聖者は神の御前で泣きました。
そして真理を実現したのです。
その道にしたがうべきではありませんか?
マハルシ
そうです。
ある強い力(シャクティ)が、彼らがそのような体験を通り抜けていくようにしむけたのです。
その同じ強大な力があなたを目標に導いてくれるということを信頼しなさい。
涙はしばしば弱さの象徴と見られていますが、これらの偉大な人々はけっして弱者ではなかったのです。
このように神の御前で涙するといったような現れは、偉大な流れが彼らを運んでいくうえでの一時的な形跡でしかありません。
私たちは達成された結果に目を向けるべきなのです。
質問者
この身体を無の中に消し去ることはできるのでしょうか?
マハルシ
なぜそのようなことを尋ねるのですか?
あなたが身体なのかどうかを見いだしなさい。
質問者
ヴァシシュタやヴィシュヴァーミトラのようなヨーギーのように、視界から消え去ることはできるのでしょうか?
マハルシ
それは単なる物理的な問題でしかありません。
それが私たちの関心を向けるべき根本的問題でしょうか?
あなたは真我ではないのですか?
なぜ他の問題に悩むのです?
本質を選び取り、他から学んだ理論などは無駄なものとして棄て去りなさい。
身体が消え去ることを自由の証しと考えている人たちは間違っています。
その必要はありません。
あなたは身体ではないからです。
身体が何らかの方法で消え去ったからといって、それが何になると言うのですか?
そのような現象には何の益もありません。
いったいどのような優劣がそこにあると言うのでしょう?
実在を達成することだけが重要なのです。
「私」を失うことだけが要点なのであって、身体を失うことではありません。
自己と身体の同一化こそが真の束縛です。
偽りの観念を棄て去り、実在を直観的に知覚しなさい。
重要なことはそれだけです。
金を熔かしてその真偽を確かめようとするとき、どのようにそれが熔けたか、全部が熔けたか、部分的に熔けたか、もとはどんな形だったかなどということが重要でしょうか?
重要なのは、それが純金であるかどうかだけです。
死者は自分の身体を見ません。
個人がいかに亡くなったかは残された者たちの問題です。
死において身体が消え去った覚者は確かに存在しました。
しかし真我実現した人にとっては死はなく、身体があろうとなかろうと同じように気づいていて違いを見ることはありません。
彼にとって状態の違いに優劣はないのです。
部外者にとっても、覚者の身体がどうなろうと関心を持つ必要などありません。
自分の問題だけに関心を持ちなさい。
真我を実現しなさい。
実現した後で、どのように死を迎えるのが好ましいか考える時間もあるでしょう。
自己と身体の偽りの同一化が選り好みという観念を引き起こすのです。
あなたは身体なのですか?
昨夜ぐっすり眠っていたとき、あなたは身体に気づいていましたか?
いいえ、気づいてはいませんでした!
では、今存在していてあなたを悩ませているのは何でしょうか?
それは「私」です。
それを取り除いて、幸せになりなさい。
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