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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

933避難民のマジレスさん:2019/05/28(火) 10:30:15 ID:jfWCoXjM0
1935年1月31日

対話21

マドラス州の立法府議員であり、有力なヒンドゥー教徒のエラッパ・チェッティアール氏が尋ねた。
 
「聞くことによって得た知識は確固としたものにならず、黙想によって生まれた知識は揺るぎないものとなると言われていますが、なぜでしょうか?」

マハルシ

一方、耳にしただけの知識(パロークシャ)は確固としたものにならないが、真我実現によって生まれた知識(アパロークシャ)は揺るぎないものとなると言われています。

またこうも言われています。
聞くことは真理の知的理解を助け、瞑想はその理解を明瞭にし、黙想が真理の実現をもたらす、と。

さらに、このような知識はみな確固としたものではなく、ただそれが掌の上の木の実ほど身近で明らかなものとなったときにだけ、それは確固としたものになるとも言われています。

聞くことだけで十分だと断言する人もいます。
なぜなら、有能で、おそらくは過去世で修練を積んで資質を培った人は、一度真理を聞いただけで真我を実現し、平和の内にとどまるからです。
しかし資質を培っていない人は、サマーディ(三昧)に没入するまで今述べたような段階を経なければならないのです。


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