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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4
989
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/16(日) 16:15:15 ID:jfWCoXjM0
対話46
あるブラーフマナ(バラモン)階級の人が質問を始めた。
質問者
行為が私たちのものかどうかを、どうやって知るのでしょうか?
マハルシ
行為の結果が影響を与えなければ、人は行為から自由なのです。
質問者
知的な理解だけで十分でしょうか?
マハルシ
知的に知るまでは、どのように修練するかもわからないでしょう。
まず知的に理解しなさい。
それから、そこで止まらず実践に移しなさい。
マハルシはある所見を述べた。
マハルシ
あなたが一つの哲学的体系に固執すれば、他をとがめずにはいられなくなるでしょう。
例えば、僧院の院長のように。
すべての人が同じ類の行為をするように期待することはできません。
各人がそれぞれの気質や過去世にしたがって行為するのです。
叡知(ジニャーナ)、帰依(バクティ)、行為(カルマ)はともに関わり合い、交わり合っています。
姿形への瞑想はその人の心に応じたものとなります。
それは他の形を避けて、心を一つの形だけに集中させることです。
それが目標へと導くでしょう。
初めのうちから心をハートに固定させるのは無理なことです。
だからこそ、こういった助けが必要となるのです。
クリシュナは、「あなたにも、私にも、他の人にとっても誕生はない」と言いました。
後になって、彼は「私はアーディティヤよりも先に生まれた」と言い、アルジュナはそれに対して抗議します。
したがって、各自がそれぞれの進歩の段階に応じた形で神を想うのです。
あなたは、自分は目覚めの状態では身体だと言いますが、眠りの状態では身体だとは言いません。
個人の身体的存在さえいくつかの層から成っているのですから、神に無限の能力があって当然ではないでしょうか?
どのような修練方法にしたがおうとも、それは賢者によって奨励されています。
なぜなら他の方法と同じように、それも目標に導くからです。
【個人の身体的存在さえいくつかの層から…】
この文は前後の文章との脈絡がないため、記録者が2、3の言葉あるいは1、2行の文を記録しそびれたと見られる。
記録者はタミル語を話せない訪問者のために通訳もしていたため、記録は困難だった。
このような記録漏れは、本書の中に何箇所も見られる。
「個人の身体的存在はいくつかの層から成っている」という表現はパンチャ・コーシャ(真我を覆い隠す5つの身体の鞘)を意味している。
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