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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4
919
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/24(金) 19:02:03 ID:jfWCoXjM0
質問者
マハルシの真我実現には、どれほどの時間がかかったのでしょうか?
マハルシ
このような問いがされたのは、あなたが名前や形を知覚しているからです。
このような知覚は、自我と身体を同一視するために起こります。
夢の中のように、自我がそれ自体を微細身と同一視すると、知覚も精妙なものとなります。
しかし深い眠りの中には何の知覚もありません。
それでも、そこに自我は存在していなかったでしょうか?
いいえ、存在していたはずです。
そうでなければ、眠っていたという記憶さえ存在しえなかったでしょう。
眠っていたのは誰でしょうか?
あなたは眠りの中で、「私は眠っている」とは言いませんでした。
あなたがそう言うのは、目覚めの状態である今、このときです。
ですから、自我は目覚め、夢見、眠りのすべてにおいて存在していたのです。
これらの状態の根底にある実在(リアリティ)を見いだしなさい。
その実在という境地の中には、ただ「存在」だけが在ります。
そこにはあなたも、私も、彼もなく、現在も、過去も、未来もありません。
それは時間と空間を超え、表現を超えています。
それは常に存在しているのです。
バナナの木は実が熟して地に落ちる前に根元から芽を出します。
その芽は移植され、そしてまた同じ過程を繰り返します。
それと同じように、太古の昔、弟子たちの疑問を沈黙の内に消し去った原初の師ダクシナームールティも芽を残し、それは今も増え続けています。
グルとはそのダクシナームールティの若芽の一つなのです。
真我が実現されれば、あなたが尋ねたような問いは生じなくなるでしょう。
質問者
マハルシはニルヴィカルパ・サマーディに入ったことがありますか?
マハルシ
目を閉じているときはニルヴィカルパ・サマーディであり、開いているときは(そこに区別はあっても絶対の静寂の内に在る)サヴィカルパです。
(しかし目を開いていようと閉じていようと)常に変わらず存在する自然な境地がサハジャなのです。
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