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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

752避難民のマジレスさん:2019/03/30(土) 23:58:33 ID:LC3de7YgO
>>748
『I AM THAT 私は在る』
【90 あなたの真我に明け渡しなさい】(つづき)

 質問者 マインドを超えた彼方には沈黙があります。それについては何も言
     えることはありません。
 マハラジ
 そうだ。
 沈黙についての話は、みな騒音にすぎない。
 質問者 どうして私たちは自己の自然な幸福を体験した後でさえ、世俗的な
    幸福を探し求めようとしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが身体に仕えることに従事するとき、幸福は失われてしまう。
 幸福をふたたび得ようとして、快楽の中に探し求めるのだ。
 幸福になろうとする衝動は正しいものだ。
 だが、それを確保しようとする方法が惑わせ、当てにならず、真の幸福を破
 壊してしまうのだ。
 質問者 快楽はつねに悪いことなのでしょうか?
 マハラジ
 身体やマインドを正しく使い、正しい状態に置くことは、非常に快いものだ。
 間違いは快楽を追求することなのだ。
 自分を幸福にしようと試みてはならない。
 むしろ、幸福の探求自体を疑いなさい。
 あなたが幸福でないから、幸福になりたいのだ。
 なぜ幸福ではないのかを見いだしなさい。
 幸福ではないから、快楽のなかに幸福を探し求めるのだ。
 快楽は苦痛をもたらすため、あなたはそれを世俗的と呼ぶ。
 それから、あなたは苦痛をともなわない、何かほかの快楽を切望する。
 そして、それを神聖なものと呼ぶのだ。
 実際には、快楽とは苦痛からの一時的な休息にすぎない。
 幸福は世俗的であるものと、ないものの両方だ。
 そのなかで、そしてその彼方で起こることのすべてなのだ。
 いかなる分別もしてはならない。
 分別できないものを分別してはならない。
 そしてあなた自身を人生から遠ざけてはならない。
 質問者 今、私はなんと良くあなたを理解したことでしょう! 以前、ラマ
     ナアシュラムにいたときは、私は良心に支配され、いつも自分自身
     を裁いていたのです。今、私は完全に落ち着きました。私自身を完
     全に、あるがまま受け入れました。アメリカに戻ったら、私は人生
     を起こるがまま、バガヴァーンの恩寵(おんちょう)として受け入
     れます。そして苦みも甘みもともに楽しむでしょう。バガヴァーン
     を信頼すること、これがアーシュラムで学んだことのひとつなので
     す。以前、私はこんなふうではありませんでした。私には信頼する
     ことができなかったのです。
 マハラジ
 バガヴァーンを信頼することは、あなた自身を信頼することだ。
 何であれ起こることは、あなたによって、あなたを通して、あなたに起こる
 のだ。
 あなたがあなたの知覚するすべてを創造する者であり、それを楽しむ者であ
 り、破壊する者だということに気づきなさい。
 そうすれば、恐れることはないだろう。
 恐れがなければ不幸になることはなく、幸福を探すこともないだろう。
 あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
 それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、それらが来ては
 去っていくのを沈黙のなかで見守りなさい。
 油断してはならない。
 うろたえてはならない。
 この沈黙の観察が、ヨーガの根本的な態度なのだ。
 あなたは画像を見ている。


 だが画像があなたではないのだ。
 質問者 私は死に関して考えることが私を脅かすことに気づきました。なぜ
     なら、私はふたたび誕生したくないからです。誰もそれを強要して
     いないことは知っています。それでも、満たされなかった欲望の圧
     力は圧倒的で、私には抵抗できそうにないかもしれません。
 マハラジ
 抵抗という問題は起こらない。
 誕生し、再誕生するものは、あなたではないからだ。
 それを起こらせるがいい。
 それが起こるのを見なさい。
(´・(ェ)・`)
(つづき)


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