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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

1 避難民のマジレスさん :2018/07/07(土) 12:47:05 ID:GOHu/WSs0
前スレ:鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619

2 避難民のマジレスさん :2018/07/07(土) 12:54:48 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】(つづき)

 質問者 私たちはいわゆる霊的成長を観察することができます。ひとりの利
 己的な人が宗教的になり、己を制御し、思考と感情を改め、霊的修
 行をおさめて真我を実現します。このような進歩は因果律に支配さ
 れているのでしょうか? あるいはただの偶然なのでしょうか?
 マハラジ
 私の視点から見れば、すべてはひとりでに起こる。
 まったく自発的に。
 だが、人はある動機のために、目的に向かって働いていると想像する。
 彼はつねに見返りを考えて、そのために闘うのだ。
 質問者 粗野で未発達な者は、見返りなしには働きません。彼に動機を与え
 ることは間違いでしょうか?
 マハラジ
 どちらにしても、彼は自分のための見返りを見つけだすだろう。
 彼は成長することが意識の本性だということを知らない。
 動機から動機へと移行し、自分の欲望を満たすためにグルたちを追いかけ回
 すのだ。
 存在の法則によって源へと戻る道を見いだしたとき、彼はすべてを放棄する。
 なぜなら、世界への興味はもはやなくなっているからだ。
 彼は何も欲しない。
 他者からも、彼自身からも。
 彼はすべてに対して死に、すべてとなる。
 何も望まず、何もしない。
 これが真の創造だ!
 自分のハートのなかで宇宙が現れては消え去るのを見ることは驚きだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

3 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/07(土) 22:59:46 ID:1d4drIFg0
真の悟りへの道は一人一人の人の意志に任されているが、それもまた必然なのじゃ。
老病死の苦があれば永遠の安楽に惹かれていくものであるからのう。
全ての者は目覚め、死んで全てになるのじゃ。

4 避難民のマジレスさん :2018/07/08(日) 07:12:45 ID:LC3de7YgO
>>2
『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】(つづき)

 質問者 内なる努力への大きな障害は退屈です。弟子は退屈してしまうので
 す。
 マハラジ
 怠惰(タマス)と落ち着きのなさ(ラジャス)はともに作用し、明晰と調和
 (サットヴァ)を引き下ろす。
 タマスとラジャスはサットヴァが現れる前に征服されなければならない。
 それはやがて当然の成り行きとして、まったく自然に現れるだろう。
 質問者 そのとき、努力は必要なくなるのでしょうか?
 マハラジ
 努力が必要となるときは、努力が現れるだろう。
 努力を要しないことが本質的となったときは、それが現れるだろう。
 あなたが生を推し進める必要はない。
 ただそれとともに流れなさい。
 そして現在の瞬間の仕事に完全に自分を捧げなさい。
 それが現在において、今死ぬということだ。
 なぜなら生きることは、死ぬことだからだ。
 死なしに生はありえない。
 要点をつかみなさい。
 世界と自分はひとつであり、完全なのだということを。
 誤りはあなたの姿勢にあり、そこに再調整の必要があるのだ。
 この再調整の過程があなたの言うサーダナだ。
 怠惰に終わりを告げ、明晰性と慈愛のためにすべてのエネルギーを使って道
 を整えることで、あなたはそこにたどり着く。
 しかし実際には、それらはすべて必然的な成長の兆候なのだ。
 恐れてはならない。
 抵抗してはならない。
 先延ばしにしてはならない。
 あなたのままでありなさい。
 恐れることは何もない。
 信頼し、試みなさい。
 誠実に試みなさい。
 あなたの真我に、あなたの人生を形づくる機会を与えなさい。
 けっして後悔しないだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

5 避難民のマジレスさん :2018/07/08(日) 07:22:06 ID:LC3de7YgO
>>4
うむ。
現在の瞬間の仕事に完全に自分を捧げることが、常に自覚的であることが修行でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

6 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/08(日) 22:45:42 ID:1d4drIFg0
退屈と思っているのは実際は恐れからの逃避が原因なのじゃ。
逃避しているからいつもと同じ観念しか観えないのじゃ。
逃避が観られれば恐れも超えて進むことができるのじゃ。

7 避難民のマジレスさん :2018/07/09(月) 19:18:29 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】

 質問者 私はスウェーデンで生まれました。現在はメキシコとアメリカでヨ
 ーガを教えています。
 マハラジ
 どこで学んだのかね?
 質問者 アメリカに住むインドの聖者(スワミ)からです。
 マハラジ
 それはあなたに何を与えたのだろうか?
 質問者 健康と生活の糧(かて)です。
 マハラジ
 それはいいことだ。
 それがあなたの求めるすべてだろうか?
 質問者 私が求めているのはマインドの平和です。キリストの名のもとに、
 いわゆるキリスト教徒がしてきた残酷なことのすべてに嫌気(いや
 け)がさしてしまったのです。ある期間、私は宗教なしで過ごしま
 した。それからヨーガに魅せられたのです。
 マハラジ
 あなたが得たものは何だろうか?
 質問者 ヨーガの哲学を学んだことが助けになりました。
 マハラジ
 どのような形でそれがあなたを助けたのかね?
 何をもってあなたは助けられたと結論を出すのだろうか?
 質問者 健康はその明白なしるしです。
 マハラジ
 健康であることは、疑いなく喜ばしいことだ。
 その喜びはあなたがヨーガから求めたすべてだろうか?
 質問者 健康による喜びはハタ・ヨーガからの報酬です。しかし、概してヨ
 ーガはそれ以上をもたらします。
 マハラジ
 ヨーガということで、あなたは何を意味しているのだろう?
 質問者 進化、輪廻(りんね)、カルマ等々、といったインドの教えの全体
 です。
 マハラジ
 よろしい。
 あなたは求めていたすべての知識を得た。
 だが、それによってどのような恩恵を得たのだろう?
 質問者 それは私にマインドの平和をくれました。
 マハラジ
 そうだろうか?
 あなたのマインドは平和だろうか?
 あなたの探求は終わったのかね?
 質問者 いいえ、まだです。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 それに終わりは来ないだろう。
 なぜなら、マインドの平和というものは存在しないからだ。
 マインドとは不安、落ち着きのなさそのものなのだ。
 ヨーガとはマインドの属性ではなく、マインドの状態でもない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

8 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/09(月) 22:02:23 ID:1d4drIFg0
思考や分別は常に観念に囚われているからそれに平和はないのじゃ。
観念から自分という謬見も起こり、欲も起こるのじゃ。
観念が無い時、思考も分別も智慧として本来の働きを取り戻すのじゃ。

9 避難民のマジレスさん :2018/07/09(月) 22:35:35 ID:LC3de7YgO
記憶でない観念ってあるのでありましょうか?
記憶≒観念 であるのではないでしょうか?
観念でない思考、分別とは、どんなものでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

10 避難民のマジレスさん :2018/07/10(火) 19:19:58 ID:LC3de7YgO
>>7
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 ある程度の平和はヨーガから引き出せたと思います。
 マハラジ
 綿密に調べてみなさい。
 そうすればマインドは騒然としていることがわかるだろう。
 それはときおり空白状態になるかもしれないが、それもひとときのことで、
 またいつもの落ち着きのなさに戻る。
 静かにさせられたマインドというのは平和なマインドではないのだ。
 あなたはマインドをなだめたいと言うが、マインドをなだめたいその人自身
 は平和なのだろうか?
 質問者 いいえ。私は平和ではありません。私はヨーガの助けを借りている
     のです。
 マハラジ
 あなたはそこに矛盾を見ないだろうか?
 もう何年もの間、あなたはマインドの平和を探してきた。
 それなのにあなたは見つけられなかった。
 本質的に落ち着きのないものを、平和にさせることはできないからだ。
 質問者 ある程度の改善はあります。
 マハラジ
 あなたが見いだしたという平和はとてももろいものだ。
 ちょっとしたことでそれは砕かれてしまうだろう。
 あなたの言う平和はただの不安の不在だ。
 それに本当の価値はない。
 真の平安は乱されることのないものだ。
 けっして揺らぐことのないマインドの平安が私にはある、とあなたに言える
 だろうか?
 質問者 私は努力しています。
 マハラジ
 努力もまた不安の一形態だ。
 質問者 では何が残されているのでしょうか?
 マハラジ
 自己を安心させる必要はない。
 自己とは平和そのものであり、安らいでいるのではない。
 ただマインドにだけ落ち着きがないのだ。
 マインドが知っているのは、数多くの気分と異なった程度の落ち着きのなさ
 だ。
 心地よさが優れ、苦痛は劣っていると考えられる。
 私たちが進歩と呼ぶものは、ただ不快から快適への変化にすぎない。
 しかし、変化そのものが不変へと私たちを導くことはできない。
 なぜなら、何であれはじまりがあることには終わりがあるからだ。
 実在にははじまりはない。
 ただ、それ自身をはじまりなく終わりなく、遍在し、万能で、不動のなかの
 発動力であり、永遠に不変なるものとして顕現するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

11 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/10(火) 22:01:50 ID:1d4drIFg0
>>9 無いのじゃ。
 観念は全て記憶に拠ってあるものじゃ。
 観念を追う限り過去の想いを追うことになるのじゃ。
 それは苦を生み、今ここに居ることを忘れさせてしまうのじゃ。

12 避難民のマジレスさん :2018/07/10(火) 22:19:34 ID:LC3de7YgO
>>11
で、ありますよね。
で、記憶に基づかなくても、思考ってできるのでありましょうか?
思考の要素=情報は全て記憶の中にあり。
それを組み立てる、文法も記憶の中にあり。
それを比較するのにも、記憶が必要になると思うのでありますが、

もしかしたら、あるがままに受けとめる。
比較しない。
そのようなありよう自体のことを指して非観念的な「思考」というのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

13 避難民のマジレスさん :2018/07/11(水) 20:38:22 ID:LC3de7YgO
>>10
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 では、何ができるというのでしょうか?
 マハラジ
 ヨーガを通してあなたは知識と体験を蓄積してきた。
 それは否定できないことだ。
 だが、それらすべてがあなたにとって何だというのだろう?
 ヨーガとは統合、結合を意味する。
 あなたは何を再統合し、再結合したのだろうか?
 質問者 わたしは人格を真我に再結合しようと試みているのです。
 マハラジ
 人格(ヴィヤクティ)は想像の産物にすぎない。
 自己(ヴィヤクタ)はこの想像の犠牲となっている。
 あなたではないものを、あなた自身と見なすことが束縛するのだ。
 個人はそれ自体で独自に存在できない。
 個人というものが在ると信じ、個人としての存在を意識しているのは自己な
 のだ。
 すべての原因なき原因である非顕現(アヴィヤクタ)は、自己(ヴィヤクタ)
 の彼方に在る。
 個人を真我と再結合するということさえ正しいとは言えない。
 なぜなら、個人というものは存在しないからだ。
 ただ精神的画像が偽りの実在を与えただけだ。
 何も分割されたものはなく、統合すべきものもない。
 質問者 ヨーガは真我の探求とその発見を助けます。
 マハラジ
 あなたが失ったものは見つけることができる。
 だが、失わなかったものを見つけることはできないのだ。
 質問者 何も失っていないのならば、私は悟っていたでしょう。しかし、私
 は悟ってはいません。私の探求そのものが、何かを失ったことの証
 拠ではないでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたが失ったと信じていることを意味するだけだ。
 だが、信じているのは誰だろうか?
 そして何を失ったと信じるのだろう?
 誰かあなたのような人を失ったと言えるのだろうか?
 あなたの探している自己とはいったい何だろうか?
 何をあなたは見いだすと期待しているのだろう?
 質問者 真の自己知識です。
 マハラジ
 真の自己知識は知識などではない。
 それは探求によって、あらゆるところを探すことによって見つけられるよう
 な何かではない。
 それは時間や空間のなかに見いだすものでもない。
 知識とは記憶にすぎない。
 思考のパターン、ひとつの精神的習慣にすぎない。
 これらすべては喜びと苦痛によって動機づけられている。
 あなたが知識を追求するのは喜びと苦痛によって駆りたてられているからだ。
 自分自身であるということは、すべての動機を完全に超えている。
 あなたは、何かの理由からあなた自身になることはできない。
 あなたはあなた自身なのだ。
 そしてそれには何の理由も必要ない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

14 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/11(水) 21:46:24 ID:1d4drIFg0
>>12 観念に拠らない思考は無いのじゃ。
 観念の無い時、思考も無いのじゃ。
 仏陀の智慧でさえも観念の中で働くものじゃ。
 知識とは記憶に過ぎないとマハラジも言っているのじゃ。
 智慧による思考も記憶によって働くものなのじゃ。

15 避難民のマジレスさん :2018/07/11(水) 22:07:44 ID:LC3de7YgO
>>14
うむ。
で、ありますね。

悟りとは、観念のない状態であり、
けど、観念を使うことも、できると言うことでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

16 避難民のマジレスさん :2018/07/12(木) 16:09:59 ID:LC3de7YgO
>>13
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 ヨーガを通して私は平和を見いだすでしょう。
 マハラジ
 平和があなたを離れて存在するだろうか?
 あなたは自分自身の体験から話しているのか、それともただ本からだろうか?
 あなたの本による知識は、初歩の段階では有用だ。
 だが、じきに直接体験のために捨て去らなければならなくなる。
 その体験はその本性からして表現不可能なものなのだ。
 言葉は破壊のためにも用いられる。
 言葉のイメージが構築され、言葉によってそれは破壊される。
 あなたは言語的思考によって現在の状態に陥った。
 あなたは同じ道を通って脱出しなければならないのだ。
 質問者 ある程度の内的平和に私は到達したのです。それを破壊するのです
 か?
 マハラジ
 到達されたものはふたたび失われるかもしれない。
 ただ、あなたがけっして失うことのなかった真の平和を実現したときだけ、
 その平和はあなたとともに残るだろう。
 それは一度も去ったことはなかったのだ。
 あなたのもっていないものを探すよりも、あなたがけっして失わなかったも
 のとは何かを見つけなさい。
 すべてのはじまる以前、すべての終わった後に存在するもの、不死、不生の
 ものだ。
 身体やマインドの生死に影響されない、不動なる状態、あなたはそれを知覚
 しなければならない。
 質問者 そのような知覚を得る方法は、何でしょうか?
 マハラジ
 生のなかでは障害を乗り越えずに得ることのできるものはない。
 真我の明確な知覚を妨げるのは、快楽への欲望と苦痛への恐れなのだ。
 快楽、苦痛という動機が道を阻(はば)んでいる。
 すべての動機から自由で、何の欲望も立ち現れない状態が自然な状態なのだ。
(´・(ェ)・`)              (つづく)

17 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/12(木) 22:42:57 ID:1d4drIFg0
>>15 そうじゃ、自在なのじゃ。

修業の途中でサマーディ等に至るとそれに囚われてしまうこともあるものじゃ。
それもまた死によって失われるものであり、永遠ではないのじゃ。
死を超える境地に至るまで精進し続けることが大事なのじゃ。

18 避難民のマジレスさん :2018/07/14(土) 10:37:42 ID:LC3de7YgO
>>16
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 そのような欲望をあきらめるには、時間が必要ではありませんか?
 マハラジ
 もしあなたが時間にまかせるならば、何百万年もが必要になろう。
 欲望をひとつひとつあきらめていくことは、果てしない過程となる。
 欲望と恐れは捨て置き、欲望と恐れの背後にある主体に注意を向けなさい。
 「誰が望んでいるのか?」と問いただしなさい。
 欲望が起こるたびに、あなた自身へ注意を戻しなさい。
 質問者 欲望と恐れの根は同じ、幸福への切望です。
 マハラジ
 あなたが望む幸福はただの身体的、あるいは精神的満足にすぎない。
 そのような感覚的、あるいは精神的快楽は真の、絶対の幸福ではない。
 質問者 たとえ身体的、精神的健康とともに現れる感覚的、精神的快楽であ
 っても、それらはその根を実在のなかにもっているはずです。
 マハラジ
 それらはその根を想像のなかにもっているのだ。

 石をもらい、それが非常に貴重なダイヤモンドだと確信させられた人は、そ
 れが間違いだったと悟るまではひどく喜ぶことだろう。
 同様に、真我が知られたとき、快楽はその味を失い、苦痛はその刺を失う。
 どちらもあるがままに、条件づけの感応、ただの反応、好感と反感、記憶と
 先入観に基づいたものとして見られるのだ。
 普通、快楽と苦痛は期待されたとき体験するものだ。
 それはすべて習得された習慣と確信の問題だ。
 質問者 なるほど、快楽は想像上のものかもしれません。しかし苦痛は現実
 です。
 マハラジ
 苦痛と快楽はともに手を携えていくものだ。
 一方からの自由はその両方からの自由を意味する。
 もし快楽を気にかけなければ、苦痛を恐れることはないだろう。
 だが、そのどちらでもなく、両方を完全に超えている幸福がある。
 あなたの知っている幸福は、表現可能
で予測できる、言ってみれば客観的な
 ものだ。
 しかし、客観的なものは、あなたのものではありえない。
 外的なものと自己を同一視することは悲惨な過ちだ。
 異なったレベルのものを混同しても、どこにも到達しない。
 実在は主観、客観を超え、すべてのレベル、あらゆる区別を超えている。
 もっとも明確なことは、実在は苦痛と快楽の源泉でも、原因でも、根源でも
 ないということだ。
 それらは存在と非存在を超えた表現不可能な実在そのものからではなく、実
 在についての無知からやってくるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

19 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/14(土) 22:29:51 ID:1d4drIFg0
全ての煩悩や欲望を滅していくのはとほうもない時間がかかるじゃろう。
唯一つの自分を観察できれば全ての煩悩や欲も消え去るのじゃ。
それが全ての目覚めた者が辿った真の道なのじゃ。
ただひたすらに自分を追求するのじゃ。

20 避難民のマジレスさん :2018/07/15(日) 06:29:13 ID:LC3de7YgO
>>18
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 たくさんの師にしたがい、多くの教義を学びましたが、何ひとつ私
 の望んだものを与えてくれたものはありませんでした。
 マハラジ
 もしあなたが何もほかのものを求めなければ、自己を見いだすという欲望は
 かならず満たされるだろう。
 しかし、あなたは自分に正直でなければならず、本当にほかに何も求めては
 ならないのだ。
 もしあなたがほかに多くのものごとを求め、それらの追求に関わっていたな
 ら、あなたがより懸命になり、矛盾した衝動に引き裂かれることをやめるま
 で、本来の目的は先延ばしにされるだろう。
 内側に入っていきなさい。
 けっしてそれることなく、けっして外側を見ることなく。
 質問者 しかし、それでも私の欲望と恐れは依然そこにあるのです。
 マハラジ
 それらはあなたの記憶以外のどこにあろう?
 それらの根は記憶から生じた期待のなかにあるのだと悟りなさい。
 そうすれば、それらがあなたにつきまとうことはないだろう。
 質問者 社会奉仕はきりのない仕事なのだと、よくよく理解しました。なぜ
 なら改善と堕落、進展と退行が肩を並べていくからです。私たちに
 はそれがあらゆる段階のすべての面にあることがわかります。だと
 すれば、最後に残るのは何なのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ、あなたが着手した仕事を完成させなさい。
 状況が明らかに苦しみと苦しみからの救済を求めるかぎりは、新しい仕事に
 手を着けてはならない。
 まずあなた自身を見いだしなさい。
 そうすれば、かぎりない祝福が続くだろう。
 利益を放棄することほど世界に利益をもたらすことはない。
 もはや損得でものごとを考えない人は、真に非暴力的な人だ。
 なぜなら、彼はすべての葛藤(かっとう)を超えているからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

21 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/15(日) 21:52:00 ID:1d4drIFg0
真の目覚めた導師は常に同じことを言っているのじゃ。
自分の心を見つめ、自分を見るのじゃ、と教えているのじゃ。
それ以外に悟りへの道は無いのじゃ。
方法はそれぞれ違うかも知れんが目的は、自分の心にある自分を観ることだけなのじゃ。 
その実践をするならば多くの師匠も要らないのじゃ。

22 避難民のマジレスさん :2018/07/16(月) 08:58:26 ID:LC3de7YgO
>>20
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 そうです。私はつねにアヒンサー(非暴力)の考えに魅了されてき
 ました。
 マハラジ
 本来、アヒンサーは「傷つけてはならない」という意味だ。
 善を行うことがはじめに来るのではなく、傷つけるのをやめ、苦しみを加え
 ないということなのだ。
 他者を喜ばせることがアヒンサーなのではない。
 質問者 私は喜ばせることを話していたわけではありません。他者を助ける
 ことを思っているのです。
 マハラジ
 与える価値のある唯一の助けとは、さらなる助けの必要性からの自由にある。
 繰り返される援助は、まったく助けになっていない。
 他者が援助の必要性を超える地点にあなたが連れていくまでは、他者を助け
 る話はしない方がいい。
 質問者 どのようにして援助の必要性を超えるのでしょうか? そして人は
 他者がそうするのを助けることができるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての存在は分離と限界のなかにあり、苦痛に満ちていると理解したとき、
 そして、あなたが純粋な存在として、すべての生命と「ひとつであること」
 のなかに完成されて生きようとする意志をもったとき、あなたはすべての助
 けの必要性を超えたのだ。
 あなたは規範と実例によって、とりわけあなたの存在によって、他者を助け
 ることができる。
 あなたがもっていないものを与えることはできないし、あなたは、あなたで
 ないものはもっていないのだ。
 あなたであるものしか与えることはできない。
 そしてそれは、あなたがかぎりなく与えられるものなのだ。
 質問者 しかし、すべての存在は苦痛に満ちているというのは本当でしょう
 か?
 マハラジ
 この世界的な快楽の探求の原因が、何かほかにあるだろうか?
 幸せな人が幸せを探すだろうか?
 なんと人びとは落ち着かないのだろう!
 なんとつねに動きまわっているのだろうか!
 彼らは苦痛のなかにいるから快楽のなかに解放を探しているのだ。
 彼らが想像できうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

23 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/16(月) 22:31:35 ID:1d4drIFg0
真の幸福に在る者はもはや快楽など必要は無いのじゃ。
苦痛のある人間が一時的に苦痛を忘れるために快楽を求めるのじゃ。
そして快楽に囚われて更に苦を受けてしまうのじゃ。
快楽を求めて苦を受けるのは実に愚かなことじゃ。
その繰り返しが大抵の者の人生となるのじゃ。

24 避難民のマジレスさん :2018/07/17(火) 18:46:53 ID:LC3de7YgO
>>22
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 もし私が自分自身と見なしている個人が幸福になれないのなら、ど
 うすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 現在のあなたとしての在り方をやめるだけだ。
 私の言うことは何も残酷なことではない。
 悪夢から人を目覚めさすことは慈悲だ。
 あなたは苦痛で苦しんでいるために、ここに来たのだ。
 そして、私が言えることは、「目覚めなさい。あなた自身を知りなさい。あ
 なた自身で在りなさい」ということだけだ。
 苦痛の終焉(しゅうえん)は、快楽のなかにはない。
 あなたが自分を苦痛も快楽も超えたものだと、超然として屈することなく気
 づくとき、幸福を追求することはやみ、結果として悲しみも消え去る。
 なぜなら、苦痛は快楽の後を追い、快楽は容赦なく苦痛に終わるからだ。
 質問者 究極の状態では、幸福もありえないのでしょうか?
 マハラジ
 不幸もまたありえない。
 ただ自由だけがある。
 幸福は何かに依存し、やがて消え去る。
 すべてからの自由は何にも依存せず、失われることはない。
 不幸からの自由には原因がなく、それゆえ破壊されない。
 その自由を実現しなさい。
 質問者 私は過去の結果として苦しむために生まれたのではないでしょうか?
 自由を得ることは本当に可能なのでしょうか? 私は自分の意志で
 生まれたのでしょうか? 私はただの創造物なのではないでしょう
 か?
 マハラジ
 誕生と死は、意識内の一連の出来事のはじまりと終わりにすぎない。
 分離と限界という観念のために、それらは苦痛となるのだ。
 苦痛からの一時的な解放を、私たちは快楽と呼ぶ。
 そして、いわゆる幸福と呼ばれる終わりなき快楽を期待して、私たちは空中
 に城を築くのだ。
 それはみな誤解であり、誤用だ。
 目を覚ましなさい。
 それらを超えていきなさい。
 真に生きはじめなさい。
 質問者 私の知識はかぎられ、力は取るに足らないのです。
 マハラジ
 自己は知識と力の両方の源であり、またそれらを超えている。
 観察可能なものはマインドのなかにある。
 自己の本性は純粋な気づき、純粋な観照であり、知識の存在や不在に影響さ
 れることはない。
 この身体の誕生と死の外に、あなたの存在を置きなさい。
 そうすれば、あなたの問題は解決するだろう。
 それらの問題が存在するのは、あなたは死ぬために生まれてきたと信じてい
 るからだ。
 迷いから覚め、自由になりなさい。
 あなたは個人ではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

25 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/17(火) 23:17:35 ID:1d4drIFg0
個人としての永遠の幸福はありえないのじゃ。
個人を捨ててこそ永遠の幸福は在るものじゃ。
味わう主体さえない幸福は個人を超えたところに在るのじゃ。

26 避難民のマジレスさん :2018/07/18(水) 05:34:46 ID:LC3de7YgO
1『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】

 質問者 どの面から見ても、欲望とその傾向からの自由が真我実
 現の第一条件だというお話ですが、この条件を満たすの
 は不可能に見えます。自己の無知は欲望を起こし、欲望
 が無知を永続させます。本当に悪循環です。
 マハラジ
 満たさなければならない条件などない。
 するべきこともなければ、あきらめることもない。
 ただ見て、そして覚えておきなさい。
 何であれあなたが知覚するものは、あなたでも、あなたのもので
 もないのだ。
 それは意識の領域内に在る。
 だが、あなたは領域でも、その内容でも、領域を知る者でさえな
 い。
 何かをしなければならないという観念が、努力の結果のなかへと
 あなたを巻き込むのだ。
 動機、欲望、目標達成の失敗、挫折感……これらすべてがあなた
 を引き止める。
 何が起ころうと、だた見守りなさい。
 そしてあなたはそれを超えて在る、ということを知りなさい。
 質問者 それはつまり、私が何かをすることを慎むべきだという
 ことでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたにはできない!
 何であれ起こっていることは、続いていかなければならない。
 もし突然あなたが止まったら、衝突してしまうだろう。
 質問者 それは知られるものと知る者がひとつになるという問題
 でしょうか?
 マハラジ
 どちらもマインドのなかの観念であり、それらを表現する言葉だ。
 それらのなかに真我はない。
 真我はその合間にも、その彼方にもない。
 精神的レベルのなかに真我を探し求めるのは不毛なことだ。
 探求をやめなさい。
 そして見なさい。
 それは今ここに在る。
 あなたも承知のように、それは「私は在る」なのだ。
 あなたがすべきことは、自分自身を意識の領域内に在るものと見
 なすことをやめることだけだ。
 この問題についてあなたが熟考しないかぎり、私から一度聞いた
 だけではだめだろう。
 過去の体験や達成を忘れ、人生の雨風に裸でさらされて立つがい
 い。
 そうすれば、あなたにもチャンスがあるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

27 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/18(水) 22:33:18 ID:1d4drIFg0
何かをしようとすると記憶が働き、自我も起こってしまうものじゃ。
何もせずただありのままにあることで真の大悟は訪れるのじゃ。
そのようにして自我も居らず、記憶も働かない真の意識にとどまることが出来るのじゃ。
観念の自我も、能力である記憶も主体ではなく、個我はなかったと気づくのじゃ。

28 素人A :2018/07/18(水) 23:17:19 ID:gxsfDx0o0
鬼和尚さんは身代わりロボットは仏はホットケと言われるけど
僧でない我々我が身は面倒でも面倒見なければ成らないし、いや本当は
面倒見られて日本の国の助け合いの糸が絡み合い苦しむ事が多いく楽しいも
あるけど何か愚痴やぐち家でまあ良い生き方を選択したのかズルズルとずるく
生きているのか?全体と部分でまあアートになるのだけど、兎に角有難う
ございます?義理でお礼いつているすいません。かつこ悪く生きていくしか無い
せめて自分を責めないで今の自分をアリの飯認めます

29 避難民のマジレスさん :2018/07/19(木) 10:12:32 ID:LC3de7YgO
>>26
『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】(つづき)

 質問者 あなたの教えのなかに献身(バクティ)はありますか?
 マハラジ
 身体がすぐれないとき、あなたは病名と治療法を告げてくれる医
 者のもとへ行くだろう。
 もしあなたが医者に信頼を置いているならば、順調にいく。
 薬を受け取り、食事制限にしたがって良くなることだろう。
 だが、あなたが彼を信頼しないときは、それでもやってみるかも
 しれない、あるいは自分で医学の勉強をするかもしれない。
 どちらにしても、回復への欲望があなたを突き動かすのだ。
 医師ではない。
 信頼なしに平和はない。
 つねに誰かしらにあなたは信頼を置く。
 母親か妻かもしれないが。
 あらゆる人のなかで、真我を悟った人がもっとも信頼に足る人だ。
 だが、ただの信頼では充分ではない。
 あなたは強く望まなければならない。
 自由への欲望なくして、自由を獲得できるという確信が何の役に
 立つというのか?
 欲望と確信はともに手と手を取り合って行かねばならない。
 欲望が強いほど、助けは難なくやってくる。
 最も偉大なグルも、弟子が学ぶことに熱心でなければ、まったく
 無力となる。
 熱心さと真剣さが重要なことのすべてだ。
 自信は体験とともにやってくるだろう。
 あなたが目的に対して献身的であれば、あなたを導く人への献身
 もそれにしたがってくるだろう。
 もし欲望と自信が強ければ、それらが作用し、あなたをゴールへ
 導くだろう。
 なぜならためらいや妥協による先送りをしないからだ。
 あなたの内なる真我が最も偉大なグルだ。
 本当に、彼が至高の師なのだ。
 彼だけがあなたを導くことができる。
 道の終にあなたが出会うのも彼だけだ。
 彼を信頼しなさい。
 そうすれば外側のグルは必要ない。
 しかしまた、彼を見いだすための強い欲望をもたねばならず、障
 害や遅れをつくり出すことを何もしてはならない。
 そして、後悔することにエネルギーと時間を浪費してはならない。
 過ちから学び、それらを繰り返してはならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

30 避難民のマジレスさん :2018/07/19(木) 20:26:10 ID:LC3de7YgO
>>28
うむ。アリの飯 はありのまま、カエルのパパでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

31 避難民のマジレスさん :2018/07/20(金) 17:42:39 ID:LC3de7YgO
>>29
『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】(つづき)

 質問者 個人的な質問をしてもかまわないでしょうか?
 マハラジ
 どうぞ、続けて。
 質問者 あなたはレイヨーの皮の上に座っていますが、それが非
 暴力と一致するのでしょうか?
 マハラジ
 私は人びとの健康を害する手助けをするタバコ職人として今まで
 働いてきた。
 その上、市の自治体は、私の家の前に公共のトイレを設けて、私
 の健康を害している。
 この暴力的な世界でなんらかの類の暴力をどうやって避けること
 ができようか?
 質問者 もちろん、避けられる暴力はすべて避けるべきです。そ
 れでも、インドではすべての聖者は虎やライオンやヒョ
 ウやレイヨーといった皮の上に座っています。
 マハラジ
 昔はビニールがなく、皮が湿気を防ぐのに最適だったのだろう。
 関節炎は聖者にとってもやっかいなものだ。
 このように、長時間の瞑想には皮が用いられたのだ。
 ヨギのレイヨーの皮は、寺院の太鼓の皮のようなものなのだ。
 私たちは気にかけることもない。
 質問者 しかし、動物は殺されなければなりません。
 マハラジ
 ヨーギは自分のために虎を殺したことなど聞いたこともない。
 殺す者はヨーギではなく、ヨーギは殺す者ではない。
 質問者 皮の上に座ることを拒否することで、あなたの不賛成を
 表現すべきではないでしょうか?
 マハラジ
 何という考えだ!
 私は世界全体を認めていないのに、なぜ皮だけ認めるのか?
 質問者 宇宙の何が間違いだというのでしょうか?
 マハラジ
 真我を忘れることは最大の損害だ。
 すべての災はそこからやってくる。
 最も重要なことの面倒を見なさい。
 それ以下のことはそれ自体が世話をするだろう。
 あなたは暗い部屋を片づけたりはしない。
 まず、窓を開ける。
 光をもたらすことがすべてを容易にするのだ。
 自分をあるがままに見ることで自分自身が変わるまでは、他者を
 改善することは待とうではないか。
 かぎりない質問で堂々巡りをする必要はない。
 あなた自身を見つけなさい。
 そうすれば、すべては正しい場所に落ち着くだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

32 素人A :2018/07/20(金) 23:15:10 ID:gxsfDx0o0
答えを素人してシッタかぶりしても、そういう時玄人に黒だと言われて
眼を白黒するだけ 損なことだらけで今は今今しい空まあ良いか
洞窟の中で心沈めるサッカー少年もいるけど、それを退屈しのぎのテレビの
暇つぶしの我々、次は西日本豪雨のニュースがテレビて次々に観れる
どうせ助けられないのなら知らぬが仏なんだけど、次は野球みるか女の人は
ドラマみる普通の人は落ち着いて座れない。何かから逃げている

33 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/20(金) 23:45:10 ID:1d4drIFg0
非暴力は外に在るもので表現されるのではないのじゃ。
心の中にある慈悲によって表されるのじゃ。
外側を飾っても何の意味もないのじゃ。

34 避難民のマジレスさん :2018/07/21(土) 12:34:54 ID:LC3de7YgO
>>31
『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】(つづき)

 質問者 源へ帰り着こうとする衝動はたいへんまれなことです。
 それは一体全体自然なことなのでしょうか?
 マハラジ
 はじめのうちは外向性が自然だが、最後には内向性が自然となる。
 しかし、息を吸うことと吐くことがひとつであるように、実在に
 おいてそれらはひとつなのだ。
 質問者 同じように、身体と身体に宿るものもひとつではないで
 しょうか?
 マハラジ
 時間と空間のなかの出来事、誕生と死、原因と結果――これらは
 ひとつであると見なされるだろう。
 だが、身体と身体に宿るものは同じ実在の理法上にはないのだ。
 身体は時間と空間のなかに存在する。
 はかなく、かぎりあるものだ。
 一方、身体に宿るものは時間と空間を超え、永遠で、普遍のもの
 だ。
 この二つを同一視することは悲惨な過ちであり、果てしない苦し
 みの原因だ。
 マインドと身体がひとつだと言うことはできる。
 だが、「身体―精神」は実在の基礎をなすものではないのだ。
 質問者 それが誰であろうとも、宿るものが身体をコントロール
 し、それゆえ責任があります。
 マハラジ
 普遍的力がコントロールをし、責任をもっているのだ。
 質問者 では、私は何でも好きなことをして、普遍的な力に避難
 を浴びせればいいということですか? なんと楽なこと
 でしょう!
 マハラジ
 そうだ。
 とても楽なのだ。
 すべての動きを司るものの存在を悟り、彼にすべてをまかせなさ
 い。
 もしあなたがためらわず、ごまかすこともなければ、これが真我
 の実現への最短の道だ。
 欲望と恐れなしにすべてのコントロールと責任を放棄しなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

35 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/21(土) 22:56:56 ID:1d4drIFg0
肉体は死によってなくなるが、意識は永遠にあるものじゃ。
それは時間の制約も、空間の制限も超えているのじゃ。
一切がそれであり、それ以外はないのじゃ。

36 避難民のマジレスさん :2018/07/22(日) 09:11:31 ID:LC3de7YgO
>>34
『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】(つづき)

 質問者 何という狂気の沙汰でしょう!
 マハラジ
 そうだ。
 神聖な狂気だ。
 ただの幻想である個人的コントロールと、個人的責任を放棄する
 ことの何が悪いのだろうか?
 どちらもマインドのなかにあるだけだ。
 もちろん、あなたがコントロールを握っていると想像するかぎり
 は、あなたに責任があると想像するべきだ。
 その逆もまたしかりだ。
 質問者 普遍なるものが、どうして特定のものの責任をもてるの
 でしょうか?
 マハラジ
 地上のすべての生命は太陽に依存している。
 それが究極の原因だとしても、地上で起こることのすべてに関し
 て太陽を非難することはできない。
 花の色を表す原因は光にあるが、それはコントロールするわけで
 も、直接責任があるわけでもない。
 光はそれを可能にする、ただそれだけだ。
 質問者 私が嫌なのは、何か普遍的な力のなかに避難してしまう
 ことです。
 マハラジ
 事実に抗うことはできない。
 質問者 誰の事実でしょう? あなたの事実でしょうか、私の事
 実でしょうか?
 マハラジ
 あなたの事実だ。
 あなたに私の事実を否定することはできない。
 あなたはそれを知らないのだ。
 あなたが知っているなら、否定はしないだろう。
 問題はここにある。
 あなたは自分の想像を事実と見なし、私の事実を想像とみなして
 いるのだ。
 私はすべてがひとつだと知っている。
 相違が分離をもたらすことはないのだ。
 あなたには何の責任もないか、あるいはすべての責任があるか、
 どちらかだ。
 あなたがコントロールをしていると想像しながら、ひとつの身体
 のみの責任をとろうというのは「身体―精神」の逸脱だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

37 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/22(日) 23:40:54 ID:1d4drIFg0
悟っていない人間は観念と事実を区別できないのじゃ。
観念の世界を創り、その中に住んでいるのじゃ。
そこでは観念が現実であり、現実は観念としてのみ認識されているのじゃ。

38 避難民のマジレスさん :2018/07/23(月) 10:03:16 ID:LC3de7YgO
>>36
『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】(つづき)

 質問者 それでもあなたは自分の身体に限定されています。
 マハラジ
 この身体に関係する物質のなかでだけだ。
 私はそれでかまわない。
 季節を耐え忍ぶようなものだ。
 それらは来ては去っていき、私は影響されない。
 同じように、「身体―精神」も来ては去っていく。
 生命は永遠に新しい表現を探しているのだ。
 質問者 あなたが悪のすべての重荷を神の背に担(かつ)がせな
 いかぎり、私は満足です。神は存在するのかもしれませ
 ん。しかし私にとって、神は人間のマインドによって投
 影されたひとつの理念です。あなたにとって神は実在か
 もしれません。でも、私にとっては社会のほうが神より
 も本物です。なぜなら、私がその創造者であり囚人でも
 あるからです。あなたの価値基準は智慧(ちえ)と慈悲
 です。社会の価値基準は賢い利己主義です。私はあなた
 とまったく異なった世界に住んでいるのです。
 マハラジ
 誰も強要してはいない。
 質問者 誰もあなたに強要してはいません。しかし、私は強要さ
 れているのです。私の世界は邪悪な世界で、涙と苦労と
 苦痛にあふれています。知的な解釈で弁明し、進化とカ
 ルマの理論を押しつけることは、ただ傷ついたものに屈
 辱を加えるようなものです。邪悪な世界の神は残酷な神
 です。
 マハラジ
 あなたがあなたの世界の神であり、愚かで残酷なのはあなたなの
 だ。
 神は概念であると言うならば、そう言うがいい。
 それはあなた自身の創造物なのだ。
 あなたが誰なのかを見いだしなさい。
 あなたがどのように生き、邪悪な世界で真実と善と美を熱望する
 ようになったのかを見いだしなさい。
 誰が神なのか、あなたが何を話しているのかをわかってもいない
 とき、神に対してのあなたの議論が何の役に立つというのだろう?
 恐れと期待から生まれ、欲望と想像から形づくられた神が、宇宙
 のマインドとハートである力のはずがない。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

39 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/23(月) 22:50:56 ID:1d4drIFg0
神も世界も人の観念により作られたものじゃ。
残酷な世界と神が居ると思うならばそれを創る自らの本心を観るべきなのじゃ。
そこには残酷な世界と神を作る働きと原因かあるじゃろう。
それが完全に観察できれば消えるのじや。

40 避難民のマジレスさん :2018/07/24(火) 20:19:57 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】

 質問者 一千年前に、ある人が生き、そして死にました。彼のア
 イデンティティは新しい身体のなかにふたたび現れまし
 た。なぜ彼は前世を覚えていないのでしょうか? そし
 て覚えているとすれば、記憶が意識のなかに運びこまれ
 たのでしょうか?
 マハラジ
 同じ人が新しい身体に現れたと、どうして知ることができるのだ
 ろうか?
 新しい身体は、そのまま、まったく新しい人を意味するかもしれ
 ないのだ。
 質問者 ギー(インドの精錬されたバター)がポットに入ってい
 ると想像してください。ポットが壊れたとき、ギーは残
 り、新しいポットに移すことができます。古いポットは
 それ自体の匂いを、新しいポットもそれ自体の匂いをも
 っています。ギーは匂いをポットからポットへと運ぶで
 しょう。同じように、個人のアイデンティティも身体か
 ら身体へと移行されていくのです。
 マハラジ
 それはそのとおりだ。
 身体があるとき、その特質は個人に影響する。
 身体なしでは、私たちは「私は在る」という感覚のなかに純粋な
 アイデンティティをもつだけだ。
 だが、新しい身体の中に再誕生したとき、以前体験した世界はど
 こにあるのだろうか?
 質問者 それぞれの身体は、それ自体の世界を体験します。
 マハラジ
 新しい身体のなかで、古い身体はただの観念だろうか、それとも、
 記憶なのだろうか?
 質問者 もちろん、ひとつの観念です。体験しなかったことを、
 どうして脳が覚えていることができるでしょう?
 マハラジ
 あなたは自分の質問に、自分で答を出したのだ。
 なぜ観念をもてあそぶのかね?
 あなたが確信していることに満足するがいい。
 そして、あなたが確信をもてるたったひとつのことは、「私は在
 る」だ。
 それとともに在りなさい。
 そしてほかのすべてを拒絶しなさい。
 これがヨーガだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

41 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/24(火) 23:01:11 ID:1d4drIFg0
前の世があったとか、今の世が在るというのも観念なのじゃ。
個我である自分が在ると思うときだけ、生まれかわるものもあると認識してしまうのじゃ。
個我が無ければそれもまた幻想であったとわかるのじゃ。

42 避難民のマジレスさん :2018/07/25(水) 15:11:00 ID:LC3de7YgO
>>40
1『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 私が拒絶できるのは言葉の上だけです。私にできること
 といえば、一定の決まり文句を繰り返すことぐらいです。
 「これは私ではない。これは私のものではない。私はこ
 れらすべてを超えたものだ」と。
 マハラジ
 充分だ。
 はじめは言葉で、それからマインドで、そして感情で、それから
 行為で。
 あなたの内なる実在に注意を払いなさい。
 そうすれば光に行き着くだろう。
 それはバターをつくるためにクリームをかきまわすようなものだ。
 正確に、誠実にやりなさい。
 そうすれば結果はかならずやってくる。
 質問者 絶対性がどうして過程の結果でありうるでしょうか?
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 相対性が絶対の結果をもたらすことはありえない。
 しかし、クリームを撹拌(かくはん)しないことがバターを分離
 から防ぐように、相対性は絶対性を妨げることができる。
 内面が外面を促し、外面は興味と努力によって反応する。
 その衝動をつくり出すのは実在だ。
 だが、究極的には内面も外面もない。
 意識の光が創造者と創造物、体験者と体験、身体とそれに宿るも
 のなのだ。
 これらすべてを投影する、その力に関心を持ちなさい。
 そうすれば、あなたの問題は終わりを告げるだろう。
 質問者 どれが投影する力なのでしょうか?
 マハラジ
 それは欲望によって促された想像だ。
 質問者 私はこのすべてを知ってはいますが、それに対して無力
 なのです。
 マハラジ
 それは結果を望むことから生まれた、あなたのもうひとつの幻想
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

43 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/25(水) 22:37:05 ID:1d4drIFg0
どれほど知識があっても実践しなければ無意味なのじゃ。
知ることで悟りは得られないのじゃ。
自己の本心を日々観察して実践するのじゃ。
クリームを毎日混ぜてバターを作るように、日々の実践で悟りもやってくるのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

44 避難民のマジレスさん :2018/07/26(木) 08:21:05 ID:LC3de7YgO
>>42
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】

 質問者 目的意識をもった行為の何が間違っているのでしょうか?
 マハラジ
 それは適さないのだ。
 これらのことに目的や行為といった問題はない。
 あなたに必要なのは、聞くこと、覚えること、実行することだ。
 それは食事をするようなものだ。
 あなたのすべきことは、噛みつき、噛み砕き、飲みこむことだけ
 だ。
 消化や吸収のように、それ以外はすべて無意識で自動的なのだ。
 聞き、覚え、理解しなさい。
 マインドは役者と舞台の両方だ。
 すべてはマインドのものだ。
 そしてあなたはマインドではないのだ。
 マインドが誕生し、再誕生するのであって、あなたではない。
 マインドは世界とその素晴らしい多様性のすべてを創造する。
 良い劇にはあらゆる類(たぐい)の登場人物や舞台設定があるよ
 うに、あなたも世界をつくり出すのに、あらゆるものごとが少し
 ずつ必要なのだ。
 質問者 劇のなかでは誰も苦しみはしません。
 マハラジ
 彼自身が役と自己同一化しないかぎり苦しむことはない。
 あなた自身を世界と同一化してはならない。
 そうすれば、苦しむこともないだろう。
 質問者 ほかの者たちが苦しむでしょう。
 マハラジ
 それならば、あなたの世界を完全なものにするがいい。
 もしあなたが神を信じるならば、彼とともに働きなさい。
 信じないならば、神となるがいい。
 世界を劇として見るか、あるいはもてるすべての力で働きかける
 がいい。
 あるいはその両方でもいい。
 質問者 死にゆく人のアイデンティティはどうなるのでしょう?
 彼が死ぬときそれはどうなるのでしょうか? あなたは
 それが別の身体のなかで継続していくということに同意
 しますか?
 マハラジ
 それは継続する。
 しかもなお、しないとも言える。
 すべてはあなたがどう見るかに関わってくるのだ。
 アイデンティティとは結局何なのか?
 記憶のなかでの継続性か?
 記憶なしにアイデンティティを語ることはできるだろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

45 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/26(木) 22:22:16 ID:1d4drIFg0
輪廻とは役者の演技のようなものじゃ。
役者は一つ一つの演劇のたびに別の名前とイメージを与えられてそれを演じるのじゃ。
人も生まれかわるたびに別の名前とイメージを与えられてその自分と思うものを演じるのじゃ。
そこに生まれかわる実体があるのではないのじゃ。
役者の演技のように一つの意識が別の名前とイメージによって別の存在と認識されるだけなのじゃ。

46 避難民のマジレスさん :2018/07/27(金) 08:33:16 ID:LC3de7YgO
>>44
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 ええ。できます。子供は両親のことを知らないかもしれ
 ません。しかし遺伝した特質はそこにあるでしょう。
 マハラジ
 誰がそれと同一化するのだろう?
 記録し比較する記憶をもった誰かとだ。
 記憶とはあなたの精神生活の縦糸だということがわからないだろ
 うか?
 そしてアイデンティティは、単に時間と空間のなかの出来事の、
 ひとつのパターンでしかないのだ。
 パターンを変えてみなさい、すると、あなたはその人も変えたと
 いうことがわかる。
 質問者 パターンは意味があり、重大なものです。それにはそれ
 自体の価値があります。綴れ織りは単に色のついた糸に
 すぎないと言うことで、あなたがもっとも重要なことを
 見逃してしまいます。それはその美しさです。あるいは
 本を紙とインクの汚れとして描写することで、その意味
 は見失われてしまいます。アイデンティティは私たちを
 独特の、かけがえのないものにする、個性の基盤である
 ために価値をもつのです。「私は在る」はそのユニーク
 さの直感なのです。
 マハラジ
 そうであるとも、ないとも言える。
 アイデンティティ、個性、ユニークさ、それらはマインドのもっ
 とも価値のある側面だ。
 だがマインドにおいてだけだ。
 「私は存在するすべてだ」という体験もまた、同等に正当なもの
 だ。
 特定性と普遍性は不可分だからだ。
 それらは名づけることのできないものの、内面と外面から見た二
 つの相なのだ。
 不運にも言葉は、言及できてもその意味を伝えない。
 言葉の彼方に目を向けなさい。
 質問者 死において、死ぬものは何でしょうか?
 マハラジ
 「私は身体だ」という観念が死ぬのだ。
 観照者が死ぬことはない。
 質問者 ジャイナ教徒は観照者の多様性と、その永遠の分離を示
 しています。
 マハラジ
 それは、ある偉大な人びとによる体験をもとにした彼らの伝統な
 のだ。
 ひとりの観照者が無数の身体のなかに「私は在る」として反映さ
 れる。
 いかに捕らえがたい微妙なものでも、身体が存在するかぎり、
 「私は在る」は多数として現れるのだ。
 身体を超えれば、そこにはひとりしかいない。
 質問者 神でしょうか?
 マハラジ
 創造者とは、世界をその身体としている人だ。
 名前を超えたそれは、すべての神をも超えているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

47 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/27(金) 22:59:11 ID:1d4drIFg0
神もまた観念による創作に過ぎないのじゃ。
永遠の意識は観念を超えている故に神をも超えているのじゃ。
神の名前とイメージはただそれにたどり着く道具になるだけなのじゃ。
神もまた悟りへの法なのじゃ。

48 避難民のマジレスさん :2018/07/28(土) 09:24:34 ID:LC3de7YgO
>>46
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 ラマナ・マハルシは死にました。それは彼にとって、ど
 のような違いをもたらしたのでしょうか?
 マハラジ
 何の違いもない。
 彼は絶対の実在だった。
 今でもそうだ。
 質問者 しかし、通常の人びとにとって死は違いをもたらします。
 マハラジ
 死以前に、これが彼自身だと考えていたことが、死後に続いてい
 く。
 彼の自己イメージは生き残るのだ。
 質問者 先日、ジニャーニによって使われる瞑想用の動物の毛皮
 の話がありました。私には納得できませんでした。慣習
 と伝統によって、すべてを正当化することはたやすいこ
 とです。慣習は残酷かもしれず、伝統は堕落しているか
 もしれません。それらは説明にはなっても理由として成
 り立っていませんでした。
 マハラジ
 私はけっして真我の実現の後に無法が続くと言ったわけではない。
 解脱(げだつ)した人は、極端なほど法のもとに生きている。
 しかし彼の法は真我の法であり、社会の法ではない。
 彼は社会の法を環境と必要性にしたがって守り、あるいは破る。
 だが、彼はけっして気まぐれでも無秩序でもない。
 質問者 私が受け入れがたかったことは、慣習と習慣による正当
 化です。
 マハラジ
 私たちの観点の違いが困難を招いたのだ。
 あなたは「身体―精神」の観点から話し、私は観照から話してい
 る。
 違いは根本的なものだ。
 質問者 それでも残酷さは残酷さです。
 マハラジ
 誰もあなたに残酷であるよう強要してはいない。
 質問者 他者の残酷性を利用することは、代用による残酷性です。
 マハラジ
 もしあなたが生きていく過程を間近に見るなら、あなたは残酷性
 をあらゆるところで見ることだろう。
 なぜなら生命は生命によって食物を供給しているからだ。
 これが事実なのだ。
 だが、それがあなたに生きていることの罪悪感を覚えさせること
 はない。
 あなたは残酷な人生をはじめたことで、母親にかぎりない苦労を
 与えている。
 あなたは人生最後の日まで、この危険と死の世界で食事と住居の
 ために競わなければならず、身体にしがみつき、その必要なもの
 のために闘い、その安全を求めなければならない。
 動物の視点から見れば殺されることは最悪の死の形態ではない。
 病死や老衰よりはむしろ願わしいものなのだ。
 残酷さは事実のなかにではなく、動機のなかにある。
 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つけるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

49 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/28(土) 22:51:32 ID:1d4drIFg0
人は他の生き物の命を貰って生きているものじゃ。
全ての生き物の命を助けようとするのも囚われなのじゃ。
それも金や権力に囚われているのと変わりないのじゃ。
攻撃欲から他を害そうとすることが悪なのじゃ。

50 避難民のマジレスさん :2018/07/29(日) 10:08:54 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 賛成します。ですから、人は猟師や屠殺業の仕事を受け
 容れてはならないということです。
 マハラジ
 あなたが受け容れることを誰が望んでいるというのかね?
 質問者 あなたが望んでいるのです。
 マハラジ
 それはあなたの見方だ!
 なんとあなたは急ぎ足で告訴し、有罪を宣告し、判決を下し、死
 刑を執行するのだろう。
 なぜ自分からではなく、私からはじめるのだろうか?
 質問者 あなたのような人が模範を示すべきなのです。
 マハラジ
 私の模範にしたがう用意があなたにあるのかね?
 私は世界に対して死んでいる。
 何も欲するものがない、生きることさえも。
 私のようにありなさい。
 私のようにしなさい。
 私はあなたの動機しか目にしてはいないのに、あなたは私の服や
 食事を見て私を裁いている。
 もしあなたが身体とマインドだと信じて行為するならば、あなた
 は自己の存在への多大で残虐な罪を犯したことになるのだ。
 それと比べれば、ほかのすべての残酷さなどものの数ではない。
 質問者 あなたは自分が身体ではないという主張のなかに避難し
 ているのです。それでも、あなたは身体をコントロール
 し、身体がすることすべての責任を負っています。身体
 に完全な自治を許すことは愚行であり、狂気の沙汰です!
 マハラジ
 落ち着きなさい。
 私もまた肉や毛皮のために動物を殺すことには反対なのだ。
 だが、私はそれを最重要と見なしてはいない。
 菜食主義は価値ある大儀だが、もっとも緊急なものではない。
 すべての大義名分は、源に帰り着いた人に仕えたとき、最上のも
 のとなるのだ。
(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

51 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/29(日) 22:46:48 ID:1d4drIFg0
完全な不殺生も極端な道なのじゃ。
それは快楽主義と同じく欲に囚われているのじゃ。
支配欲とか、攻撃欲をそれによって満足させているのじゃ。

52 避難民のマジレスさん :2018/07/30(月) 07:37:17 ID:LC3de7YgO
>>50
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 シュリー・ラマナアシュラムにいたとき、私はバガヴァ
 ーンがすべてに遍在し、すべてを知覚し、すべてに場所
 にいるのを感じました。
 マハラジ
 あなたは必要なだけの信仰をもっていたのだ。
 彼に本当の信仰をもつ者は、彼をいつどこででも見るだろう。
 すべてはあなたの信仰にしたがって起こる。
 そしてあなたの信仰はあなたの欲望によって形づくられるのだ。
 質問者 あなたがあなた自身にもつ信仰、それもまた、欲望の形
 ではないでしょうか?
 マハラジ
 私が「私は在る」というときは、身体を核とした分離した実体と
 いう意味ではない。
 それは存在の全体性、意識の大洋、宇宙全体という意味だ。
 私には何ひとつ望むものがない。
 私が永遠の完成だからだ。
 質問者 あなたはほかの人びとの内なる人生に触れることができ
 ますか?
 マハラジ
 私が人びとなのだ。
 質問者 本質や実体における同一性、あるいは形態の類似という
 意味ではなく、実際に他者のマインドやハートのなかに
 入って、彼らの個人的体験に加わることができるかとい
 うことです。あなたは私とともに、喜び苦しむことがで
 きますか、それとも、あなたは私が感じることを観察と
 分析から推論するだけでしょうか?
 マハラジ
 すべての存在は私のなかに在る。
 しかし、脳の内容を別の脳へと引き入れることは、特別な訓練が
 必要だ。
 訓練を通して達成できないことは何もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

53 素人A :2018/07/30(月) 10:32:00 ID:gOqWUDAs0
オウム事件今頃絞首刑にしも?と これから起こる犯罪防止のためそれは無い。
平成が今年で終わるからかも
要するにこれはテロだったから現場で射殺するのが但しかつたのか?死刑制度が
どうのこうの考える事もなく法外な行為なんだから戦争状態なんだから後でどうのこうの
無いけど今こうなって死刑になったのだから過去は正世内みな正解なのか世界なのか
オウムなんて無かったことにならない。ありのままの蟻は蟻が糖しかないし
文句たらたらでもそれが世界の正解だし真理尾ネットの糸の通りでも阿弥陀された
正解だし認めるけど文句は言うドラマー魅せられているノカモ。マハラジさんは
有頂天の支店長だし

54 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/30(月) 22:23:14 ID:1d4drIFg0
他者も観念であるからその知覚も無いのじゃ。
目覚めなければ自らの観念による理解しか出来ないのじゃ。
観念による力には死を超えることができないのじゃ。

55 避難民のマジレスさん :2018/07/30(月) 23:01:48 ID:LC3de7YgO
>>54
>脳の内容を別の脳へと引き入れることは、特別な訓練が
 必要だ。
 訓練を通して達成できないことは何もない。
↑くまは、訓練しようとは思いませぬが、こんなこともできるのでありましょうか? (´・(ェ)・`)つ

56 避難民のマジレスさん :2018/07/31(火) 07:56:25 ID:LC3de7YgO
>>52
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 私はあなたの投影ではありませんし、あなたもまた私の
 投影ではありません。私はあなたのただの創造物ではな
 く、私自身の権利によって存在しています。この想像と
 投影の粗野な哲学は、私に訴えかけてきません。誰が誰
 のイメージだと言うのでしょうか? あなたが私のイメ
 ージなのか、私があなたのイメージなのか、あるいは私
 は私自身のイメージのなかのイメージなのでしょうか!
 いいや、何かがどこかで間違っているはずです。
 マハラジ
 言葉はその空虚な本性をうっかり暴いてしまうものなのだ。
 真実は表現不可能であり、体験されなければならないものだ。
 私の知っていることを表す、ふさわしい言葉を見つけだすことは
 できない。
 私の言うことは、ばかげて聞こえるかもしれない。
 だが、言葉が伝えようとしていることは無上の真理なのだ。
 どんなに私たちが論争しようと、すべてはひとつだ。
 そしてすべては、私たちが「私は在る」として知っているひとつ
 の源であり、あらゆる欲望のゴールを満たすために為(な)され
 るのだ。
 質問者 欲望の根底にあるのは苦痛です。基本的衝動は苦痛から
 逃れることです。
 マハラジ
 苦痛の根源は何だろうか?
 あなた自身を知らないということだ。
 欲望の根源は何だろう?
 あなた自身を探そうとする衝動だ。
 すべての創造物はそれ自身のために骨を折って働く。
 そしてそれ自身に戻ってくるまで休息することはないだろう。
 質問者 それはいつ戻るのでしょうか?
 マハラジ
 いつでもあなたが戻りたいときに。
 質問者 では、世界は?
 マハラジ
 あなたとともに連れていけばいい。
 質問者 私が完成に達するまで、世界を救うことは待ったほうが
 よいのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん世界を救うがいい。
 たいしたことができなくとも、その努力はあなたを成長させるだ
 ろう。
 世界を助けることに、何も間違ったことはない。
 質問者 確かに、普通の人で偉大な援助を行った人びとがいまし
 た。
 マハラジ
 世界が助けられるべきときが来たとき、偉大な変化をもたらすた
 めの意志と智慧(ちえ)と力が、何人かの人びとに与えられるの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

57 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/31(火) 21:43:07 ID:1d4drIFg0
悟りを得ない限り世界を救おうとする努力は逆に自他の破滅をもたらすものじゃ。
自らの欲や無知に夜迷いを免れないからのう。
世界を救うつもりで多くの勢力が戦っているのじゃ。
それが虚しいこととわかれば修業にも励むことが出来るのじゃ。

58 避難民のマジレスさん :2018/08/01(水) 06:01:29 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】

 マハラジ
 あなたがあなたを含むすべての証明なのだということを、まず悟るべきだ。
 あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
 なぜなら、他者の存在もあなたによって確認されなければならないからだ。
 あなたは完全に、あなた自身によって在るのだということを覚えておきなさ
 い。
 あなたはどこからも来なかったし、どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、そして気づきなのだ。
 質問者 私たちの基本的な違いは、あなたは真実を知り、私が知っているの
 は私のマインドの作用だけだということです。それゆえ、あなたの
 言うことと私の聞くことにはであいがないのです。言葉は同じでも、
 あなたが言うことは真実であり、私の理解することは偽りです。こ
 の私たちの間の隙間をどうやって埋めればよいのでしょうか?
 マハラジ
 これがあなた自身であるという考えを放棄しなさい。
 そうすれば隙間はなくなるだろう。
 自分自身を分離していると考えることで、あなたは隙間をつくり出したのだ。
 隙間を埋める必要はない。
 ただ、隙間をつくらないことだ。
 すべてはあなたであり、あなたのものなのだ。
 そこにはほかに誰もいない。
 これが事実なのだ。
 質問者 何と奇妙な! 同じ言葉自体が、あなたにとっては真実であり、私
 にとっては偽りなのです。「そこには他に誰もいない」、何と明か
 な嘘でしょう!
 マハラジ
 嘘でも真実でもかまわない。
 言葉は重要ではないのだ。
 問題はあなた自身についてあなたが持っている考えなのだ。
 なぜなら、それがあなたを妨げているからだ。
 それを捨て去りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

59 避難民のマジレスさん :2018/08/01(水) 06:05:12 ID:LC3de7YgO
>>58
>嘘でも真実でもかまわない。
 言葉は重要ではないのだ。
 問題はあなた自身についてあなたが持っている考えなのだ。
 なぜなら、それがあなたを妨げているからだ。
 それを捨て去りなさい。

元気の出る、勇気の出るご指摘であります。
(´・(ェ)・`)つ

60 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/01(水) 22:27:06 ID:1d4drIFg0
↑ そうじゃ、実践によって真実もわかるのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

 悟った者の真実の言葉も悟りを得ていない者には偽りとしか受け容れられないのじゃ。
 言葉で伝えられるのは心を観る実践だけなのじゃ。

61 避難民のマジレスさん :2018/08/02(木) 17:43:16 ID:LC3de7YgO
>>58
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 幼年時代から、私は名前と形に限定されていると考えるように教え
 られてきたのです。単なる反対の表明だけで、精神的な轍(わだち)
 を消し去ることはできません。定期的な洗脳が必要でしょう。もし
 可能であるならば。
 マハラジ
 あなたは洗脳と呼び、私は轍を平らにするためのヨーガと呼ぶ。
 何度も同じ思考を思いめぐらすように強(し)いられてはならない。
 進みなさい。
 質問者 言うは易く行うは難しです。
 マハラジ
 子どもみたいなことを言ってはならない。
 苦しむより変えることのほうが易しいのだ。
 幼稚さから脱却しなさい。
 それだけだ。
 質問者 そういったことは為されることではなく、起こることです。それら
 は起こるのです。
 マハラジ
 すべてはつねに起こっている。
 だが、あなたはそれに用意ができていなければならない。
 用意のできていることが成熟なのだ。
 あなたが真理を見ないのは、マインドに用意ができていないからだ。
 質問者 もし実在が私の本性ならば、どうして用意ができていないというこ
 とがありうるのでしょうか?
 マハラジ
 用意ができていないのは、恐れているからだ。
 あなたはあなたが何であるかを恐れている。
 全体性があなたの目的地だ。
 だが、あなたは自己のアイデンティティを失うのが怖い。
 これが幼稚さだ。
 あなたは欲望と恐れ、意見と観念というおもちゃにしがみついているのだ。
 すべてをあきらめ、真実がそれ自身を主張できるよう用意をしなさい。
 この自己主張は、「私は在る」という言葉にもっともよく表されている。
 それ以外何も存在をもってはいないのだ。
 これに関しては、あなたは絶対の確信をもてるはずだ。
 質問者 もちろん、「私は在る」であり、また「私は知る」でもあります。
 そして、私は誰それであるということを知っており、身体の所有者
 であり、他の所有者との多様な関係のなかにいるということを知っ
 ています。
 マハラジ
 それはすべて、今のなかに持ちこまれた記憶なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

62 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/02(木) 21:24:17 ID:1d4drIFg0
目覚めていない者は皆自分は肉体を持っているとかその主体とか思うものじゃ。
それが自分を守っていると思うのじゃ。
実際にはそれは幻想であり、何も守らず、所有もしていないのじゃ。
幻想に囚われ、幻想を手放すことを恐れているのじゃ。
恐れを超えて自分を観れば、どれほど長い習慣から起こる自己意識も消え去るのじゃ。

63 避難民のマジレスさん :2018/08/03(金) 08:18:56 ID:LC3de7YgO
>>61
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 私が確信できるのは、今あることだけです。過去と未来、記憶と想
 像、これらは精神的状態です。しかし、それらが私が知るすべてで
 あって、それらは今在るのです。あなたはそれらを放棄するように
 言いますが、いったいどうやって今を放棄できるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはいやおうなく、つねに未来のなかに進んでいるのだ。
 質問者 私は今から今へと進んでいるのです。私はまったく動いてなどいま
 せん。他のすべては動いても、私は動きません。
 マハラジ
 認めよう。
 だが、あなたのマインドが動いている。
 現在のなかで、あなたは動であり不動でもある。
 あなたはあなた自身を動と見て、不動を見落としたのだ。
 マインドを裏表にひっくり返しなさい。
 動を無視しなさい。
 そうすれば、あなたはあなた自身を常在で不変の実在、言語を絶する、しか
 し岩のように確固たるものとして見いだすだろう。
 質問者 もしそれが今なら、なぜ私は気づかないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがそれに気づかないという考えに固執しているからだ。
 その考えを捨て去りなさい。
 質問者 それは私を気づかせてはくれません。
 マハラジ
 待ちなさい。
 あなたは同時に壁の両側にいることを望んでいる。
 それはできる。
 だが、壁を取り去らなければならないのだ。
 あるいは壁とその両側はひとつの単一の空間であり、そこに「ここ」と「そ
 こ」という観念は適応しないということを自覚しなさい。
 質問者 比喩は何も証明しません。私の不満はひとつ、なぜ私はあなたの見
 ていることを見ないのでしょう、なぜあなたの言葉は私のなかで真
 実として響かないのでしょうか? ということです。これくらいは
 教えてください。ほかのすべては待てます。あなたは賢く、私は愚
 かです。あなたは見て、私は見ません。どこに私は智慧(ちえ)を
 見いだせばよいのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが愚かだということを知っているならば、あなたはまったく愚か
 ではないのだ。
 質問者 自分が病気だと知ることがそれを癒さないように、自分を愚かだと
 知ることは私を賢明にはしません。
 マハラジ
 あなたが病気だと知ることが、健康になることのはじまりではないかね?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

64 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/04(土) 00:12:15 ID:1d4drIFg0
自らを愚かであると知る者が賢者なのじゃ。
お釈迦様もそう言っているのじゃ。
自分に対する正確な知識が無ければ先に進むことも出来ないのじゃ。
愚かさを自覚することから賢さが始まるのじゃ。

65 素人A :2018/08/04(土) 09:48:56 ID:gOqWUDAs0
ブラフマンは瞑想の達人なのか 基礎が徹底的に出来ているのですか
水空の此処路にドラマーの主人公に成り切って入る野鴨。でも妄想も好
マンゴウ好き

66 避難民のマジレスさん :2018/08/04(土) 10:12:57 ID:LC3de7YgO
>>63
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 いいえ、違うのです。比べればわかります。仮に、私が生来盲目で
 あって、あなたは物に触れることなしにそれを知ると私にいいます。
 私は触れなければなりません。私は見るということの意味を知らず
 に、自分が盲目であることに気づくのです。同様にあなたが主張す
 ることを私が理解できないとき、私には何かが欠けているというこ
 とを知るのです。あなたは私について本当に素晴らしいことを語り
 ます。あなたによれば、私は永遠で、遍在し、全知の、至上の幸福
 であり、存在するすべての創造者、維持者、破壊者、すべての生命
 の源、存在の本質、神、そしてあらゆる創造物にとっての最愛の者
 だということです。あなたは私を究極の実在、すべての存在のゴー
 ルとその源と同等だと言います。私はただ無視するだけです。なぜ
 なら、私自身は欲望と恐れの小さな包み、苦しみの泡、暗黒の海中
 の、意識の一瞬のひらめきだと知っているからです。
 マハラジ
 苦痛以前にあなたは存在し、苦痛が去った後もあなたは残る。
 はかないのは苦痛であり、あなたではない。
 質問者 すみません。しかし、私にはあなたの見るものが見えないのです。
 生まれた日から、死ぬ日まで、苦痛と快楽は人生の模様を織り込ん
 でいくでしょう。誕生以前と死後の存在について私は何もわかりま
 せん。私はあなたを容認も否定もしません。あなたの言われること
 は聞きます。ただ私はそれを知らないのです。
 マハラジ
 今、あなたは意識がある。
 そうではないかね?
 質問者 どうか、以前と以後については聞かないでください。私は今のこと
 だけを知っているのです。
 マハラジ
 それで充分だ。
 あなたは意識している。
 それをつかみなさい。
 あなたが意識していない状態がある。
 無意識の存在と呼ぶものだ。
 質問者 無意識ですか?
 マハラジ
 意識と無意識はここではあてはまらない。
 存在は意識のなかにある。
 本質は意識に依存しない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

67 避難民のマジレスさん :2018/08/04(土) 10:13:44 ID:LC3de7YgO
>>66
えっ!本質は意識に依存しないのでありますか?
(´・(ェ)・`)つ

68 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/04(土) 22:46:22 ID:1d4drIFg0
通常の意識には依存していないのじゃ。
それは無意識の存在となるからのう。
世界の全てを認識して作り出しているのが意識なのじゃ。

69 避難民のマジレスさん :2018/08/04(土) 23:00:34 ID:LC3de7YgO
>>68
>それは無意識の存在となるから
←それとは、本質のことでありますか?
>世界の全てを認識して作り出しているのが意識
←これが通常の意識でありますか?
(´・(ェ)・`)つ

70 避難民のマジレスさん :2018/08/05(日) 12:18:16 ID:LC3de7YgO
>>66
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 それは虚空でしょうか? 沈黙でしょうか?
 マハラジ
 なぜ言葉巧みになるのかね?
 存在は意識に浸透し、そして超越する。
 客観意識は純粋な意識の一部分であり、それを超えることはないのだ。
 質問者 意識でも無意識でもない純粋な存在状態を、どのようにして知るに
 至ったのですか? すべての知識は意識のなかにのみ存在するので
 す。マインドの停止といった状態はあるかもしれません。そのとき
 意識は観照者として現れるのでしょうか?
 マハラジ
 観照者だけが出来事を記録する。
 マインドの停止状態では、「私は在る」という感覚さえも消え去る。
 マインドなしに「私は在る」はないのだ。
 質問者 マインドがないということは思考がないということです。思考とし
 ての「私は在る」は静まり、存在の感覚である「私は在る」は残り
 ます。
 マハラジ
 マインドとともにすべての体験は静まる。
 マインドなしには体験者も体験もありえない。
 質問者 観照者は残るのでしょうか?
 マハラジ
 観照者は単に体験の存在と不在を記録するだけだ。
 それは、それ自体では体験ではないが、「私は観照者だ」という思いが立ち
 現れたとき、それは体験となる。
 質問者 私が知っていることといえば、マインドはときどき作用し、ときど
き止まるということです。精神的沈黙の体験を、私はマインドの停
 止と呼んでいます。
 マハラジ
 それを沈黙、または虚空、あるいは停止とでも呼ぶがいい。
 事実は体験者、体験すること、体験の三つが不在だということだ。
 観照のなか、気づきのなかでは、自意識、あれやこれとしての存在の感覚は
 ない。
 自己同一化されない存在が残るのだ。
 質問者 それは無意識の状態なのでしょうか?
 マハラジ
 それは何とでも関係している。
 それは対極のものだ。
 それはまた、すべての対極の中間であり、その彼方でもある。
 それは意識でも無意識でもなく、その中間でもその二つを超えたものでもな
 い。
 それはそれ自体で在り、体験やその不在といった何かとの関係はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

71 避難民のマジレスさん :2018/08/05(日) 12:31:05 ID:LC3de7YgO
>>70
> それは何とでも関係している。
 それは対極のものだ。
 それはまた、すべての対極の中間であり、その彼方でもある。
 それは意識でも無意識でもなく、その中間でもその二つを超えたものでもな
 い。
 それはそれ自体で在り、体験やその不在といった何かとの関係はない。

←これは「観照者」の説明でありましょうが、観照者とは、否定によってのみあらわされる「真我」のことなのでありましょうか?

> 観照者だけが出来事を記録する。
> 観照者は単に体験の存在と不在を記録するだけだ。
> それは、それ自体では体験ではないが、「私は観照者だ」という思いが立ち
 現れたとき、それは体験となる。
> 事実は体験者、体験すること、体験の三つが不在だということだ。
 観照のなか、気づきのなかでは、自意識、あれやこれとしての存在の感覚は
 ない。
 自己同一化されない存在が残るのだ。
←観照者=真我でありますかね。
そしてそのまま、「無我」の説明のようにも読めるであります。
(´・(ェ)・`)つ

72 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/05(日) 23:21:53 ID:1d4drIFg0
>>69 そうじゃ、本質なのじゃ。
 それは全てにあるものじゃ。

通常の意識なのじゃ。
 それが世界を認識して作り上げているのじゃ。

>>71 真我とも違うものじゃ。
 本来無い者じゃ。
 仮に観照する者として語っているだけなのじゃ。

 真我はそれに至るための道なのじゃ。

73 避難民のマジレスさん :2018/08/05(日) 23:47:41 ID:LC3de7YgO
>>72
> 本来無い者
 仮に観照する者として語っているだけ
 真我はそれに至るための道

←なるへそ!へそのごまであります。
何を観照するかっていえば、自我の不存在でありましたね!
そのために、観照する者を仮設して、その者が、否定によってのみあらわされる真我というわけでありますね!
うむ。何度も聞いてる話なのに、何度も同じような質問をしてる、愚かなくまであります。
鬼和尚、いつもありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

74 避難民のマジレスさん :2018/08/05(日) 23:56:59 ID:LC3de7YgO
>>73
ほょ・・・ちょぴっと違うでありますね!
観照者=真我ではないでありますよね。

ヒンズー教の教えでも、観照は主体なく起こるものとされてるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

75 避難民のマジレスさん :2018/08/06(月) 09:12:53 ID:LC3de7YgO
>>70
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 なんと奇妙な! あなたはそれが体験であるかのように話をします。
 マハラジ
 私がそれについて考えたとき、それは体験になるのだ。
 質問者 目に見えない光が花に遮(さえぎ)られて色となるように、それは
 体験となるのでしょうか?
 マハラジ
 そうだ。
 それは色のなかにあるが、色そのものではない。
 質問者 古くからおなじみのナーガールジュナ(竜樹:りゅうじゅ)の四重
 否定です。これでもなく、それでもない、その両方であり、そのど
 ちらでもない。めまいがしそうです!
 マハラジ
 あなたの困難は、実在を意識の状態と考えることから生じるのだ。
 あたかも実在が多様な尺度をもった属性か特質かのように、あなたは「これ
 は真実で、あれは真実ではない。そしてこれは部分的に真実で、部分的に偽
 りだ」と言う傾向がある。
 質問者 私ならこう言うでしょう。結局、意識は苦痛をともなったときに問
 題となるのです。永遠の至福の状態では、質問は起こりません。す
 べての意識は快楽と苦痛の混合なのです。なぜでしょうか?
 マハラジ
 すべての意識は限定され、そしてそれゆえ苦痛に満ちているのだ。
 意識の根底には体験への衝動という欲望が横たわっている。
 質問者 つまり、欲望なしに意識はないということなのでしょうか? では、
 無意識であることにどのような利点があるのでしょう? もし私が
 苦痛からの自由のために快楽を差し控えなければならないとしたら、
 私ならどちらも取っておくでしょう。
 マハラジ
 苦痛と快楽の彼方に至福があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

76 素人A :2018/08/06(月) 09:45:46 ID:gOqWUDAs0
我々が死なない空だたったら.毎日DVDみて永遠に暮らせるのだろうか
老化も無く時間はメビウスの輪みたいに流れてマンネリにならないのか
役目負わされた役者も文句言わないのか?本当の正解は何も無い法が
でも我々は心静かに座れない一人ではさみしすぎる 適当ないいかげんな所が点国鴨?

77 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/06(月) 22:11:47 ID:1d4drIFg0
>>74 何か認識される主体があって観照が起きたというならばそれは妄想なのじゃ。
 認識主体はそもそも認識されないのであるからのう。
 それが真我なのじゃ。
 それ自身は認識できない認識主体が真我であり、何か認識できるものがあれば真我ではないのじゃ。
 そのような真我の道がウパニシャッドで説かれているのじゃ。

78 避難民のマジレスさん :2018/08/07(火) 06:52:45 ID:LC3de7YgO
>>75
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 無意識の至福に何の価値があるのでしょうか?
 マハラジ
 意識でも無意識でもない、実在だ。
 質問者 意識へのあなたの反対理由は何でしょうか?
 マハラジ
 それは重荷なのだ。
 身体とは重荷だ。
 感覚、欲望、思考、これらはみな重荷なのだ。
 すべての意識は葛藤(かっとう)だ。
 質問者 実在は真の存在、純粋な意識、無限の至福と描写されています。そ
 れが苦痛とどう関わってくるのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛と快楽は起こる。
 だが、苦痛は快楽の値段であり、快楽は苦痛の報酬なのだ。
 人生のなかでも、しばしばあなたは傷つけることで喜び、喜ばすことによっ
 て傷ついている。
 苦痛と快楽がひとつだと知ることが平和なのだ。
 質問者 これらはみな疑いなく、たいへん興味深い話です。しかし私のゴー    ルはもっとシンプルなものです。私は人生において、より多くの快
 楽とより少ない苦痛が欲しいのです。どうすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 意識がそこにあるかぎり、苦痛と快楽は避けられない。
 対極のものと自己同一化することが、意識の、「私は在る」の本性なのだ。
 質問者 これらすべてが私にとって何だというのでしょうか? それは私を
 満足させてはくれません。
 マハラジ
 あなたは誰だろうか? 誰が不満なのだろうか?
 質問者 私は苦痛と快楽の人間です。
 マハラジ
 苦痛と快楽はともにアーナンダ(至福)だ。
 私は今、こうしてあなたの前に座り、直接の不変の体験から話している。
 苦痛と快楽は、至福の海の波の頂きと谷間だ。
 その底深くには完全な充足があるのだ。
 質問者 あなたの体験は本当に不断のものでしょうか?
 マハラジ
 それは時を超えた、不変のものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

79 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/07(火) 22:26:53 ID:1d4drIFg0
快楽をもてめている限り苦痛からも逃れられないのじゃ。
快楽は執着することで苦痛に変るからのう。
一切は苦であるこの世から離脱することが真の喜びへの道なのじゃ。
そこに至ればもはや苦は無く永遠に喜びだけが在るのじゃ。

80 避難民のマジレスさん :2018/08/08(水) 08:57:07 ID:LC3de7YgO
>>78
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 私の知っているのは欲望と苦痛への恐れだけなのです。
 マハラジ
 それはあなたが自分自身についてそう考えるだけだ。
 やめなさい。
 あなたが習慣をただちに打ち破れないなら、あなたが慣れ親しんできた考え
 方に注目し、その偽りを見破りなさい。
 習慣を問いただすことはマインドの義務だ。
 マインドがつくり出したことは、マインドが破壊しなければならない。
 あるいはマインドの外側に欲望はないと認識しなさい。
 そして外側にとどまりなさい。
 質問者 正直なところ、私にはすべてがマインドによってつくられたという
 説明が信頼できません。目が手段であるように、マインドもまた手
 段にすぎません。あなたには知覚されたものが創造されたものだと
 言えますか? 私は窓のなかにではなく、窓を通して世界を見ます。
 私たちに共通の基盤があるために、あなたの言うことはすべて筋が
 通って聞こえますが、あなたの基盤が実在のなかにあるのか、マイ
 ンドのなかにだけあるのか私にはわかりません。ただマインドに映
 るものとしてとらえることはできます。それがあたにとってどんな
 意味をもつのか私にはわかりません。
 マハラジ
 あなたがマインドのなかに立場を置くかぎり、あなたは私をマインドのなか
 に見るだろう。
 質問者 言葉は理解するために何と不適切なのでしょう!
 マハラジ
 言葉なしでは、理解する何がそこにあるというのだろうか?
 理解する必要は誤解から起こるのだ。
 私の言うことは真実でも、あなたにとっては、それはただの理論となってし
 まう。
 どうすれば、あなたはそれが真実だと知るようになるだろうか?
 聞きなさい、覚え、熟考し、視覚化し、体験しなさい。
 あなたの日々の生活においてそれを生かしなさい。
 私に対して忍耐強くありなさい。
 特に自分自身に対して忍耐強くありなさい。
 なぜなら、あなたがあなたのただひとつの障害だからだ。
 道はあなたを通ってあなたを超えていく。
 特定のものだけを真実、意識、そして幸福だと信じているかぎり、そして非
 二元性の実在を何か想像上の抽象的理念として拒否するかぎり、あなたは私
 が観念と抽象的理念を与えていると見なすだろう。
 しかし、ひとたびあなたが自己の存在の真実に触れたなら、私が言い表して
 きたことが、あなたにとってもっとも身近で、もっとも親愛なるものだとい
 うことがわかるだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

81 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/08(水) 22:14:22 ID:1d4drIFg0
自我は障害であるとともに道でもあるのじゃ。
自我の執着を超えることは難しいが、超えることが出来れば悟りも近いのじゃ。
例えば大きな壁が邪魔で道をいけなかった者が、壁が倒れて道になってどこにでもいけるようになるようなものじゃ。
壁であったものが道になるように、自我も執着があれば障害で在るが、執着を離れれば悟りへの道になるのじゃ。

82 避難民のマジレスさん :2018/08/09(木) 05:33:35 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】

 質問者 あなたのもとを訪れる西洋人たちは、しばしば奇妙な困
 難に直面します。解脱(げだつ)した人、賢者、真我の
 実現者、神の体験者、世界を超越した人という概念自体
 が、彼らにとっては未知のものなのです。彼らのキリス
 ト教文化のなかにある聖者の概念はみな、信心深く、法
 を固く守り、神を恐れ、仲間を愛し、祈りに満ち、法悦
 に浸る傾向があり、いくらかの奇跡が確認される、とい
 ったものです。ジニャーニ(真我の実現者)という概念
 そのものが、西洋文化にとっては何か風変わりで信じが
 たい、異質なものなのです。彼の存在が受け容れられた
 ときでさえ、奇妙な姿勢と精神的態度から自発的に引き
 起こされた多幸症(ユーフォリア)の実例のように、彼
 は疑いの目で見られます。意識の新しい次元という概念
 自体が、彼らには信じがたい、ありそうもないものなの
 です。
 真我の実現の体験、その原因、はじまり、進展、そして
 達成、また日常での実際の修練に関して、ジニャーニ自
 身から話を聞く機会をもつことは、彼らにとって助けに
 なるでしょう。彼の語ることの大半は奇妙に、または無
 意味にさえ映るかもしれませんが、それでも実在の感覚、
 実際の体験の雰囲気、言葉では言い表せない、しかしと
 てもリアルな、送られるべき模範的人生の核となるもの
 が残るでしょう。
 マハラジ
 体験は伝達不可能かもしれない。
 人は体験を伝えられるだろうか?
 質問者 はい。もしその人が芸術家ならば。芸術の本質は感情と
 体験の伝達です。
 マハラジ
 伝達を受け取るには、あなたは受動的でなければならない。
 質問者 もちろんです。そこには受け取る人がいなければなりま
 せん。しかし、もし伝達者が伝達しなければ、受信者が
 いったい何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 ジニャーニはすべての人のものだ。
 彼は誰であろうと彼のもとにやってくる人たちに、たえず完全に
 彼自身を与える。
 もし与える人でなかったら、彼はジニャーニではない。
 何であれもっているものを、彼は分かちあうのだ。
 質問者 しかし、彼は彼で在るものを分け与えられますか?
 マハラジ
 つまり、彼はほかの者たちをジニャーニにできるかということだ
 ろうか?
 そうだとも、そうでないとも言えよう。
 ジニャーニはつくり出されるものではないからだ。
 彼らが真の本性に、彼らの源に帰り着いたとき、彼ら自身で実現
 するのだ。
 私はあなたをすでにあなたであるものに作り変えることはできな
 い。
 私にできるのは、私の旅してきた道へとあなたを招待することだ
 けだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

83 素人A :2018/08/09(木) 08:49:13 ID:gOqWUDAs0
個の身にあまり囚われず見るだけで無責任な観光客の仏でいれば楽勝なんだけど
この世個の身は楽しい事もあるけどかわいそうな身があつても見るだけでは何の
助けにもならず、見守る責任は仏には無いのか?感覚的に下位の間隔でも身のために
触覚も獲得しないと物理的にたすけられないし見てみるふりも出来ない良い人では
いられず。ずるがし個苦なるしかなく。ずるずると自分でも見苦しい人だと思うし
たしかに何もない正解なら正しいも誤りもなく矛盾も無い世界だけどなんの楽しみも
無くマインド苦しいのか 観光客の無責任仏ほっとけだけで見守るだけで良いのか?

84 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/09(木) 21:47:45 ID:1d4drIFg0
お釈迦様も自分は修業者の道標になるだけだと言ったのじゃ。
目覚めた者は自ら悟りを求める者に道を教えるだけなのじゃ。
悟りを求める者は自ら実践して進んでいかなければならないのじゃ。

85 避難民のマジレスさん :2018/08/10(金) 07:48:52 ID:LC3de7YgO
>>82
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 それは私の質問の答になっていません。私は高次の意識
 の可能性自体を否定する、批判的で懐疑的な西洋人たち
 のことが頭にあったのです。近年、麻薬が彼らの物質主
 義的見解に影響をあたえることなく、彼らの不信仰の突
 破口を作りました。麻薬があろうとなかろうと、身体は
 主要な事実として残り、マインドは二次的なままです。
 マインドを超えたところに、彼らは何も見ないのです。
 仏陀以外、真我の実現の状態は「あれではなく、これで
 もない」という否定的言語で記述されてきました。それ
 は避けられないものなのでしょうか? 記述できないの
 なら実例で示せないのでしょうか? 記述された状態が
 言葉を超えるとき、どんな言語による記述も及ばないこ
 とは、私も認めます。しかし、それは言葉のなかにもあ
 ります。詩は表現不可能なものを言葉に置き換える技で
 す。
 マハラジ
 宗教詩人ならいくらでもいる。
 あなたの望みがかなうように、彼らに援助を求めるがいい。
 私に関して言えば、私の教えは単純だ。
 信頼し、私の言うようにしてみなさい。
 もしあなたがたゆまずそれを続けるならば、あなたの信頼は報わ
 れたと知るときが来るだろう。
 質問者 興味はもっても信頼できない人たちはどうすればいいの
 でしょう?
 マハラジ
 もし彼らが私とともにとどまるならば、私を信頼するようになる
 だろう。
 ひとたび彼らが信頼すれば、私のアドバイスにしたがい、彼ら自
 身で発見するだろう。
 質問者 私が今尋ねていることは、訓練ではなく結果です。あな
 たはその両方をもっています。あなたは訓練に関しては
 すべてを語る用意がありますが、結果に関しては分かち
 あうことを拒みます。あなたの状態は言葉を超えている
 と伝えるか、私たちが違いを見るとき、あなたは、違い
 はなにもないと言うだけです。どちらの場合も、私たち
 はあなたの状態への洞察を得ることなく取り残されるの
 です。
 マハラジ
 あなた自身の状態への洞察もないのに、どうして私の状態への洞
 察を得ることができるだろう?
 洞察の手段自体が欠けているとき、まずそれを見いだすことが重
 要ではないだろうか?
 それは盲目の人が視力を回復する前に、絵を描くことを学びたが
 るようなものだ。
 あなたは私の状態を知りたがる。
 だが、あなたの妻や召使の状態を知っているのかね?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

86 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/10(金) 22:51:44 ID:1d4drIFg0
目覚めた者の境地は言葉にすれば全て嘘になってしまうものじゃ。
そうであるから目覚めた者達は悟りを得る方法のみを語ったのじゃ。
お釈迦様はそこに至るためにわかり易く苦滅の法を説いたのじゃ。
苦を滅するために修業して自然に自我を観る方法に成るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。

87 避難民のマジレスさん :2018/08/11(土) 00:15:00 ID:LC3de7YgO
>>86
うむ。その通りだと、くまは思うであります。
だから、信心か必要になったら、ブッタを信仰するでたります。
(´・(ェ)・`)つ

88 避難民のマジレスさん :2018/08/11(土) 10:16:23 ID:LC3de7YgO
>>85
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 私は何かヒントがもらえたならと思っただけです。
 マハラジ
 私はすでに、あなたが違いを見るとき私は見ないという、とても
 意味深い手がかりを与えた。
 私にとってはそれで充分だ。
 もしあなたがそれで充分ではないと思うならば、私はただ繰り返
 そう。
 それで充分だ。
 それについて深く熟考しなさい。
 そうすれば、私が見ているものをあなたも見るだろう。
 どうやらあなたは、即座の結果にはつねに長い準備が先行すると
 いうことを忘れて、即座の洞察を求めているようだ。
 果実が落ちるのは突然だが、成熟には時間がかかるのだ。
 にもかかわらず、私を信頼しなさいと私が言うとき、それはた
 だあなたが動き出すのに充分なほどの、わずかな時間だ。
 あなたが熱心であればあるほど、わずかな信念でこと足りる。
 なぜなら、すぐにあなたの信頼は正しかったとわかるからだ。
 あなたは私が信頼に足るかどうか証明してほしいのかね?
 どうしてそれができよう、そしてなぜ?
 結局、私が差しだしているのは、西洋の科学において現在主流と
 なっている科学的アプローチなのだ。
 科学者が実験とその結果を描写するとき、通常あなたは彼の声明
 を信頼とともに受け容れ、彼の実検を記述通りに繰り返す。
 ひとたび同じ、あるいは類似した結果を得たら、もはや彼を信頼
 する必要はない。
 あなたは自分の経験を信頼するからだ。
 それに励まされて、あなたは実験を進め、最後には本質的に同じ
 結果に達するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

89 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/11(土) 21:36:32 ID:1d4drIFg0
>>87 そうじゃ、信仰によって実践する以外にないのじゃ。

 実践によってブッダの教えを確かめられるのじゃ。
 自らの実践で確かめて信仰も揺らがないものになるのじゃ。
 そのようにして進んでいくことができるのじゃ。

90 避難民のマジレスさん :2018/08/12(日) 07:20:50 ID:LC3de7YgO
>>88
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 インド人のマインドは文化的にも、教育的にも、抽象的
 実験をするにふさわしい素養をもっています。インド人
 にとって「至高の実在の直接的知覚」といった言葉は意
 味をなし、彼の内奥の存在からの反応を呼び起こすので
 す。西洋人にとって、そういった言葉は意味をなしませ
 ん。キリスト教のさまざまな理念と照らしあわせてみて
 も、キリストの戒めや、神の十戒との結びつきを超えて
 考えることはありません。実在の直接の知識は、願望を
 超えるどころか思いもつかないことなのです。あるイン
 ド人は、「絶望的だ。西洋人には無理だろう。彼らにで
 きはしない。真我の実現については黙っていたほうがい
 い。有用な人生を送り、インドでの再誕生を待つほうが
 いい。それならばチャンスはあるだろう」と言いました。
 ある人は、「真実はすべての人にとって等しくある。し
 かし、それを把握する能力を皆が等しく付与されている
 わけではない。能力は願望とともにやってくる。それは
 帰依に、そして最終的には真我への完全な自己献身へと
 成長する。正直で誠実に、そして鉄の決意で障害を乗り
 越えるということにおいては、西洋人は東洋人と等しい
 チャンスをもっている。彼に必要なのは興味をもつとい
 うことだけだ」と言っています。自己知識に対する興味
 を喚起させるには、彼はその有益さについて確信させら
 れることが必要なのです。
 マハラジ
 あなたは個人的体験を伝達することは可能だと信じるのかね?
 質問者 わかりません。あなたは見る者と見られるものの同一、
 統合について語ります。すべてがひとつであるとき、伝
 達はありうるでしょう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

91 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/12(日) 22:42:24 ID:1d4drIFg0
人種や国籍で心に違いは無いのじゃ。
常に真摯に悟りを求める者が悟りを得ることが出来るのじゃ。
むしろ伝統を負っているということで傲慢に成り、道を外れる者も多いのじゃ。
真摯に悟りを求めることを忘れてはいかんのじゃ。

92 避難民のマジレスさん :2018/08/13(月) 07:45:57 ID:LC3de7YgO
>>90
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 マハラジ
 ある国を直接体験するには、実際そこへ行き、住んでみなければ
 ならない。
 不可能なことを求めてはならない。
 霊的成就をおさめた人は、疑いなく人類に利益をもたらすだろう。
 だが、別の個人に恩寵(おんちょう)をもたらすには、親しい個
 人的な関係が必要だ。
 そのような関係は偶然では生まれないし、誰もが要求できるもの
 ではない。
 逆に、科学的アプローチは皆に開かれている。
 「信頼、試み、経験」、これ以上何が必要だろう。
 求めない者に、どうして真理のお仕着せができよう?
 どちらにしてもそれは不可能なことだ。
 受け取る者がいなければ、与える者に何ができるだろうか?
 質問者 外的形態を使って内的体験を伝えるのが芸術の本質です。
 もちろん、外面が意味深くあるには、内面に対して繊細
 でなければなりません。人はどのようにして感性を育ん
 でいくのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがどのように表現しようと同じことだ。
 与える者は数多くいるが、どこに受け取る者がいるだろう?
 質問者 あなたは自分の感性を分かちあうことができるでしょう
 か?
 マハラジ
 それはできるが、分かちあいは相互に行き交う道だ。
 分かちあうには二人が必要なのだ。
 私の与えたいことを受け取る用意のある人がいるだろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

93 素人A :2018/08/13(月) 10:45:01 ID:gxsfDx0o0
テレビでは前見たようなドラマの繰り返しが多い 
それはテレビの前の佛さんが個の身のドラマを選ぶカラー
坐禅や瞑想は心の中で神殿を妄想で作り出し佛や神の物語見れて
それは神話で輪廻に数えられ世界の生まれ変わりに飽きる回数を
早めるて二段ロケット噴射してまだ三段目があるのか
変な妄想はつい楽しても無限に輪廻くりかえし段段苦しくなる野鴨

94 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/13(月) 22:19:43 ID:1d4drIFg0
目覚めた者同士ならば完全にわかりあえるのじゃ。
互いに繋がり、妙観察智があるからなのじゃ。
そうでなければわかることはできないのじゃ。
受け取るものが居ないからのう。

95 避難民のマジレスさん :2018/08/14(火) 12:36:23 ID:LC3de7YgO
>>92
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 私たちはひとつだとあなたは言いました。それで充分で
 はありませんか?
 マハラジ
 私はあなたとひとつだ。
 あなたは私とひとつだろうか?
 もしそうなら、あなたは質問しなかっただろう。
 もしそうでないなら、もしあなたが私の見るものを見ないのなら、
 あなたのものの見方を改善する方法を示す以上の何が私にできる
 というのだろうか?
 質問者 あなたが与えられないものなら、あなた自身のものでは
 ないのです。
 マハラジ
 私は何ひとつ自分のものだと主張していない。
 「私」がないとき、どこに「私のもの」があろうか?
 二人の人が樹を見ている。
 ひとりは木の葉の合間に隠れている果実を見て、もうひとりは見
 ない。
 それ以外は、二人の間には何の違いもない。
 見ている者は、ほんのわずかな注意で、もうひとりも見ることが
 できることを知っている。
 だが、分かちあうという問題はここでは起こらない。
 信じてほしい。
 私はあなたに真実を分かちあうことをためらって、けちになって
 いるのではない。
 その反対に、私はまったくあなたのものだ。
 私を食べ、飲みなさい。
 だが、あなたは「ください、ください」と言葉で繰り返しながら、
 差しだされたものを受け取ろうともしないのだ。
 私が見ているものをあなたも見ることができるよう近道を示して
 いるのに、あなたは古い思考、感情、そして行為の習慣にしがみ
 つき、私に非難を浴びせている。
 自己知識は提供されたり、受け取られたりするような所有物では
 ない。
 それは与えたり、受け取ったりできるようなもののない、まった
 く新しい次元にあるのだ。
 質問者 少なくとも、日常生活におけるあなたのマインドの内容
 に関して、何らかの洞察をもらえませんか? 食べ、飲
 み、話し、眠る――あなたの側ではどのように感じられ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 生活における一般のことは、私もあなたと同じように体験してい
 る。
 違いは私が体験しないことのなかに現れる。
 私は恐れや欲望、憎しみや怒りを体験しないのだ。
 私は何も頼まず、何も拒まず、何も蓄えない。
 これらに関して私は妥協しない。
 おそらく、これが私たちの間にある際立った違いだろう。
 私は妥協せず、自己に対して真正だが、あなたは実在を恐れてい
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

96 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/14(火) 22:37:50 ID:1d4drIFg0
目覚めた者には自我がないから行うことも無いのじゃ。
自分が何かを体験したとかも無いのじゃ。
体験そのものもないのじゃ。
悟らなければ理解し難いことであるがのう。

97 避難民のマジレスさん :2018/08/15(水) 08:01:38 ID:LC3de7YgO
>>95
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 西洋人の観点からすれば、あなたのやり方には何か不安
 にさせるものがあるのです。片隅にひとり座って、「私
 は神だ。神は私だ」と繰り返すことはまったく狂ってい
 るように見えます。どうやって西洋人たちに、このよう
 な修練が最上の正気へと導くと納得させればよいのでし
 ょうか?
 マハラジ
 自分を神だと主張する人も、それを疑う他人も、ともに惑わされ
 ている。
 彼らは彼らの夢のなかで話しているのだ。
 質問者 もしすべてが夢なら、目覚めとは何なのでしょうか?
 マハラジ
 真の目覚めの状態を夢の国の言語で表すことができるだろうか?
 言葉では表現できない。
 それらはただの象徴なのだ。
 質問者 またしても、言葉では実在を伝えることができないとい
 う同じ弁解です。
 マハラジ
 もし言葉が欲しいなら、太古の力をもつ言葉をあなたに授けよう。
 どれでもいい。
 絶え間なく繰り返してみるがいい。
 それらは驚きをもたらすだろう。
 質問者 あなたはまじめなのですか? 正しい文化的、宗教的背
 景から生まれた信仰と信念を完全に欠いているにもかか
 わらず、西洋人に「オーム」や「ラーム」または「ハレ
 ・クリシュナ」を絶え間なく繰り返させるというのでし
 ょうか? 熱烈な信心もなしに、機械的に同じ音を繰り
 返すことで、彼が何を達成するというのでしょう?
 マハラジ
 いけないかね?
 衝動と秘められた動機が重要なのであって形式ではない。
 もし彼が真我を見いだすためにするならば、何であれ彼のするこ
 とは間違いなく彼自身へと導くだろう。
 質問者 その手段の有効性のために信仰は必要ないのでしょうか?
 マハラジ
 結果への期待でしかない信仰ならば、まったく必要はない。
 ここでは行動が大事なのだ。
 何であれ、あなたが真実のためにすることは、あなたを真実へと
 連れていくだろう。
 ただ、正直に、誠実でありなさい。 どのような形を取るかは問題ではない。
 質問者 それなら、自分の熱望に表現を与える必要はどこにある
 のでしょうか?
 マハラジ
 必要はない。
 何もしないこともまた良いことなのだ。
 ただの熱望、思考や行為によって薄められていない、純粋で凝縮
 された熱望は、あなたをすばやくゴールへと連れていくだろう。
 本物の動機、それが重要であってやり方ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

98 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/15(水) 22:43:05 ID:1d4drIFg0
真摯に悟りを求める意欲が在るならにば信仰は必要ではないのじゃ。
神への信仰が必要と条件付けされている西洋人には理解できないかもしれんがのう。
老病死を超えようとする熱望が人を悟りにまで導くのじゃ。
神への信仰が強すぎるとサマーディで止まってしまうのじゃ。

99 避難民のマジレスさん :2018/08/16(木) 07:45:11 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 信じられません! 絶望間際の、退屈で単調な復唱が効
 果的でありうるのでしょうか?
 マハラジ
 繰り返しているという事実そのもの、退屈と絶望、そしてまった
 くの確信の欠如にも関わらず、忍耐と粘り強さをもって闘いつづ
 けていることが、実に決定的なことなのだ。
 やり方自体が重要なのではない。
 その背後にある真剣さがもっと重大なのだ。
 そこには内なる後押しと、外からの引きつける力がなければなら
 ない。
 質問者 私の質問は典型的な西洋のものです。西洋では、人びと
 は原因と結果、手段と結果という言語で考えます。特定
 の言葉と絶対的実在との間にどのような因果関係がある
 のか、彼らには理解できないでしょう。
 マハラジ
 まったく何もない。
 だが、言葉とその意味、行動と動機の間には関連がある。
 霊的修練は意志の主張と再主張なのだ。
 あえてそれに挑む人でないかぎり、真理を差しだされても受け取
 らないだろう。
 恐れから気の進まないまますることが、唯一の障害なのだ。
 質問者 何を恐れるというのでしょうか?
 マハラジ
 未知なるものだ。
 存在ではなく、知識ではなく、行為でもない。
 彼方なるものなのだ。
 質問者 つまり、達成への手ほどきは分かちあえても、その結果
 を分かちあうことはできないということでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、結果を分かちあうことはできる。
 それこそ私が絶え間なくしていることだ。
 しかし、私の分かちあいはひとつの沈黙の言語なのだ。
 聞き方を学び、理解しなさい。
 質問者 私には、どうして信念なしにはじめることができるのか、
 理解できません。
 マハラジ
 しばらく私とともにいるがいい。
 あるいは私の言うことに心を捧げなさい。
 そうすれば確信は現れるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

100 避難民のマジレスさん :2018/08/16(木) 08:06:08 ID:KPTPnXc20
くまさま、いつもありがとうございます。

鬼和尚さま
>ただ、正直に、誠実でありなさい。
この「誠実」とはどのようなことを指すのですか?
誠実さとはなんですか?

101 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/16(木) 22:14:57 ID:1d4drIFg0
>>100 それは自分の心に嘘をつかないことなのじゃ。
 自分を誤魔化したり、偽ったりしないことが大事なのじゃ。
 例えば自分を勇敢と思っている者が、実は本心では臆病であったと気づいたならばそれを誤魔化さず、偽ったりせずに認め受け容れることなのじゃ。
 それを偽ったり誤魔化したりすれば本心は隠されて見えなくなってしまうのじゃ。
 本心を偽り、誤魔化して逃避すれば自分という観念にはとうてい到達できないのじゃ。
 そのように自分の本心を偽らず、誤魔化さずに受け容れることが正直で、誠実であることなのじゃ。

102 避難民のマジレスさん :2018/08/17(金) 06:51:59 ID:LC3de7YgO
>>100
おはようであります。くまにさまはつけなくてよいであります。くまこうとよばれとります。
(´・(ェ)・`)つ

103 避難民のマジレスさん :2018/08/17(金) 06:57:57 ID:LC3de7YgO
>>99
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 誰もがあなたに出会う機会があるわけではありません。
 マハラジ
 あなた自身に出会いなさい。
 あなた自身の自己とともに在りなさい。
 それに耳を傾けなさい。
 それに従いなさい。
 それを育み、たえず記憶のなかにとどめておきなさい。
 あなたにほかの指導は必要ない。
 あなたの真理への衝動が日々の生活に影響を及ぼしているかぎり、
 すべてはうまくいくだろう。
 あなたの生を誰も傷つけることなく生きなさい。
 無害であることは、ヨーガのもっとも強力な修行形式なのだ。
 そして、それがあなたをすばやくゴールへと導くだろう。
 これが、私がニサルガ・ヨーガ、自然のヨーガと呼ぶものだ。
 それは平和と調和、友情と愛に生きる技だ。
 その結実が、永遠で原因のない幸福なのだ。
 質問者 それでもこれらはみな、いくらかの信仰を必要条件とし
 ます。
 マハラジ
 内面に向かいなさい。
 そうすれば、あなたは自己を信頼するようになるだろう。
 そのほかすべてにおいて、確信は体験から来るのだ。
 質問者 ある人が私の知らない何かを知っていると告げたとき、
 私には「私が知らず、あなたが知っていることとは何で
 しょうか?」と聞く権利があります。
 マハラジ
 では、もし彼がそれは言葉では伝えられないと言ったならどうす
 るかね?
 質問者 私は彼を念入りに観察し、理解しようとします。
 マハラジ
 それこそまさしく私があなたにしてほしいことなのだ!
 相互理解の流れが確立するまで興味をもち、注意を注ぎなさい。
 そうすれば分かちあいはやさしいだろう。
 あなたはより大きく開かれた意識のなかに入り、そのなかで分か
 ちあうのだ。
 なかに入っていき、分かちあうことを望まないことが唯一の障害
 なのだ。
 私はけっして違いに関して話さない。
 私にとって違いというものはないからだ。
 あなたは違いを見る。
 だから、それを私に見せるのはあなた次第だ。
 ぜひとも見せてほしいものだ。
 そのためには、あなたは私を理解しなければならない。
 だが、そのときには、もはやあなたは違いについて話さないだろ
 う。
 ひとつのことを理解すれば、あなたは達成したことになる。
 あなたを知ることから妨げるのは機会の欠如ではなく、理解した
 いことにマインドの焦点を合わせる能力に欠けるからだ。
 あなたが知らないことをマインドにとどめることができるならば、
 それはその秘密をあなたに解き明かすだろう。
 だが、もしあなたが浅はかで、短気で、見ること、そして待つこ
 とに充分誠実でないなら、あなたは月を求めてなく子供と同じな
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

104 避難民のマジレスさん :2018/08/17(金) 07:45:34 ID:KPTPnXc20
>>101
鬼和尚さま、ありがとうございます。理解できました。

ではくまこう、いつもありがとうであります^^
最近、マハラジの「意識に先立って」という本が出版されました。
対話のひとつをここに書き込んでもよいですか?

105 避難民のマジレスさん :2018/08/17(金) 20:45:43 ID:LC3de7YgO
>>104
大歓迎であります!
よろしくお願いするであります!
(´・(ェ)・`)つ

106 避難民のマジレスさん :2018/08/17(金) 20:50:46 ID:LC3de7YgO
>>104
うむ。
別の講読ゼミとして、独立させた方が読みやすいかもでありますが、その辺はお任せするであります。
(´・(ェ)・`)つ

107 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/17(金) 22:52:19 ID:1d4drIFg0
>>104 どういたしまして、またおいでなさい。

 マハラジは更に自分の内面を、自分を観ることを説いているのじゃ。
 全ての秘密はそこにあるのじゃ。
 自分という一つのトリック、謬見、間違いに気づくことで無我になるのじゃ。
 自分という無意味な観念に騙されていたことを理解するときそれを捨て去ることができるのじゃ。

108 避難民のマジレスさん :2018/08/18(土) 09:59:38 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【39 それ自体で独立した存在はない】

 質問者 あなたの話を聞いていて、質問することはまったく役に立たないと
 わかりました。質問が何であれ、あなたはきまってそれをそれ自体
 にはね返らせ、私が自らつくり出した幻想のなかに生きているとい
 うこと、そして実在は言葉では表現不可能だという基本的事実に、
 私を連れ戻します。言葉は単に混乱を増すだけで、唯一、賢明な道
 は内なる沈黙の探求だけです。
 マハラジ
 結局、幻想をつくり出すのはマインドであり、それから自由になるのもマイ
 ンドなのだ。
 言葉は幻想を悪質なものにするかもしれないし、それを追い払う助けをする
 かもしれない。
 同じ真実の言葉を、それが真実となるまで何度も繰り返すことは何も間違

 ではない。
 母の役目は子供の誕生で終わるわけではない。
 彼女は来る日も来る日も、何年も子供が彼女を必要としなくなるまで養う。
 人は言葉を聞く必要があるのだ。
 事実が言葉よりも声高に彼に語りだすまで。
 質問者 それでは、私たちは言葉で養われる子供なのですか?
 マハラジ
 言葉を重視するかぎり、あなたは子供なのだ。
 質問者 わかりました。では、私の母親になってください。
 マハラジ
 生まれる前、子供はどこにいただろうか?
 母親と一緒ではなかっただろうか?
 すでに母親と一緒にいたから、生まれることができたのだ。
 質問者 もちろん、母親自身が子供であったときは、子供を抱えてはいませ
 んでした。
 マハラジ
 潜在的に彼女は母親だったのだ。
 時間の幻想を超えなさい。
 質問者 あなたの答えはいつも同じです。ある種の時計のように、同じ時を
 何度も何度も打ち知らせるのです。
 マハラジ
 それはどうしようもないのだ。
 何億もの朝露に映しだされる太陽のように、永遠なるものは果てしなく繰り
 返される。
 私が「私は在る、私は在る」と繰り返すとき、私はただ常在の事実を主張し、
 再主張しているだけだ。
 あなたは私の言葉にうんざりしてしまう。
 それは、あなたはその背後にある、生きた真実を見ないからだ。
 それに触れなさい。
 そうすれば、言葉とその沈黙の完全な意味を見いだすだろう。
 質問者 小さな女の子は、すでに未来の子供の母親だとあなたは言いました。
 潜在的にはそうでしょうが
、実際的には違います。
 マハラジ
 潜在性は考えることによって現実になる。
 身体とその出来事は、マインドのなかに存在するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく

109 避難民のマジレスさん :2018/08/18(土) 11:54:51 ID:KPTPnXc20
くまこう、ありがとうであります^^
では二つの対話を、数回にわけて投稿いたします。

鬼和尚さま、自分というものがトリックだとうっすら気づく時があります。
でもまだタネがわかりません。苦しみがあります。精進いたします。

---
【意識に先立って─ニサルガダッタ・マハラジとの対話】

1981年1月1日

質問者:
私がいなくても宇宙は存在しますか?

マハラジ:
あなたが意識を持っていなかったとき、世界に関心を持っただろうか?意識がそこにあるかぎり、世界もそこにあるだろう。
多くの質問と答えに巻き込まれすぎないようにすることだ。瞑想をしなさい。そうすれば知識は知識と一つになり、すべての答えが自然発生的に湧き起こることだろう。私はあなたに手がかりを与えた。私はどんな恐れも、願望も、野心もない状態だ。

質問者:
瞑想によって、私もそういう状態に達しますか?

マハラジ:
あなたは瞑想しなければならない。しかし、到達するべきものは何もない。あなたがその状態だ。

質問者:
人がこの世の中で非常に活動的であるとき、肉体と非常に簡単に一体化します。

マハラジ:
あなたが肉体と一体化するのは活動のせいでなく、肉体との一体化ゆえに活動が要求されるのだ。

質問者:
活動に巻き込まれていなければ、一体化しないことがより簡単になります。

マハラジ:
それは概念にすぎない。あなたの中でどんな変化もありえない。自分の中で何らかの変化があるだろうというのは仮定にすぎない。あなたは肉体と一体化した観点から私に話しているのだ。
あなたは何かを得ようとしている──霊的な何かを。それを忘れなさい。あなたが自分を、つもり肉体を一体化したのはなんなのか、ただそれを見なさい。肉体の源泉を発見しなさい。あなたがこれを理解するとき、もはやどんな霊的探求も必要ないことだろう。

(1/2)

110 避難民のマジレスさん :2018/08/18(土) 11:57:09 ID:KPTPnXc20
質問者:人は仕事をしなければならないので、それを発見する機会がありません。

マハラジ:その二つは無関係だ。戦争の最中でも、あなたはこれを発見することができる。この肉体はどうやって起こり、その源泉とはなんなのか?
もしあなたが自分の日常生活のあれやこれを放棄するように求められるとすれば、それは真実ではない。何かを放棄することを忘れなさい。自分の通常の活動すべてに最善を尽くしなさい。しかし、そのすべては意識がそこにあるときしか続かない。ただ、他人を傷つけないことだけを心がけなさい。
「するべきこと」と「するべきでないこと」が与えられているのは、世の中の物事がスムーズにいくためだ。
教えらたり読んだりしてきたことは、あなたをどこへも連れて行かないだろう。まず最初に、「私が在る」をあなたが知るのは何故なのかを発見しなさい。それが意識だ。全宇宙がこの「私が在る」という概念に基づいている。それは幻想で想像上のものであり、何の実体もない。

(2/2)

111 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/18(土) 21:52:56 ID:1d4drIFg0
修行が出来ないのは仕事とかが原因ではないのじゃ。
心の中にある恐れとか不安とか変化したくないという想いが真の原因なのじゃ。
仕事が忙しいとかは言い訳に過ぎないものじゃ。
死という現実に唯一対抗できる悟りへの道を誰もが進むべきなのじゃ。

112 避難民のマジレスさん :2018/08/19(日) 06:27:08 ID:LC3de7YgO
>>108
『I AM THAT 私は在る』
【39 それ自体で独立した存在はない】(つづき)

 質問者 そしてマインドは動きのなかの意識であり、意識は真我の条件づけ
 られた(サグナ)相です。無条件(ニルグナ)の相がもうひとつの
 相であり、その彼方には絶対性(パラマールダ)の深淵が広がって
 いるのです。
 マハラジ
 まったくその通りだ。
 あなたは美しくそれを言い表した。
 質問者 しかし、私にとってはただの言葉にすぎません。それを聞き、復唱
 するだけでは、充分ではないのです。それは体験されなければなり
 ません。
 マハラジ
 何もあなたが体験することを止めて
はいない。
 外側の関心事に夢中になることが、内側に焦点を合わせることを妨げている
 のだ。
 それは救いようがない。
 サーダナ(修練)を避けることはできないからだ。
 世界に背を向け、内側に向かいなさい。
 そうすれば、内と外は溶けあい、あなたは内と外という条件づけを超えるこ
 とができる。
 質問者 もちろん、無条件は条件づけされたマインドのなかの単なる概念で
 しかありません。それ自体では存在しません。
 マハラジ
 それ自体で独立した存在はない。
 すべてのものはそれ自体の不在性を必要とするのだ。
 在ることとは、区別することができるように在るということだ。
 そこではなく、ここに在り、その時ではなく、今に在ること。
 何かほかのものにではなく、このよ
うに在ること。
 水が容器によって形づくられるように、すべてのものは条件(グナ)によっ
 て決定されるのだ。
 容器に関わらず、水が水として残り、光が色をもたらしてもそれ自体は光と
 して残るように、実在も、それが反映される条件に関わらず実在としてとど
 まる。
 なぜ意識の焦点のなかにだけ反映を残そうとするのだろう?
 なぜ実在そのものではないのだろうか?
 質問者 意識自体が反映なのです。どうしてそれが実在をつかむことができ
 るでしょう?
 マハラジ
 意識とその内容はただの反映であり、変化し、はかないものだと知ることが
 実在に焦点を当てることになるのだ。
 ロープのなかに蛇を見ることを拒否することが、ロープを見ることの必要

 件なのだ。
 質問者 必要条件だけですか、それとも充分条件なのですか?
 マハラジ
 ロープが存在すること、そしてそれが蛇に似ていることも知らなければなら
 ない。
 同じように、真理が存在し、そしてそれが観照意識の本質だと知らなければ
 ならない。
 もちろん真理は観照の彼方にある。
 だが、真理に入っていくには、まず純粋な観照状態を自覚しなければならな
 い。
 条件づけに気づくことがあなたを無条件な状態に連れていくのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

113 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/19(日) 22:48:35 ID:1d4drIFg0
観照もまた悟りのための道具なのじゃ。
悟り終えれば捨て去るべきものじゃ。
自我を厭離してくれる能力ではあるが意識そのものではないのじゃ。
観照の後に全ては意識であったと気づくのじゃ。

114 避難民のマジレスさん :2018/08/20(月) 08:26:36 ID:LC3de7YgO
>>112
『I AM THAT 私は在る』
【39 それ自体で独立した存在はない】(つづき)

 質問者 無条件なるものを体験することはできるのでしょうか?
 マハラジ
 条件づけを条件づけとして知ること、それが無条件なるものについて言える
 ことのすべてだ。
 肯定的言語は単に示唆するだけであり、かえって迷わせるのだ。
 質問者 観照を実在として語ることはできるでしょうか?
 マハラジ
 それはできない。
 私たちに語ることができるのは、ただ非実在、幻想、一時的なもの、条件づ
 けされたものだけだ。
 その彼方へと行くには、私たちは独立した存在をもつとされるすべてを完全
 否定していかなければならない。
 すべてのものごとは依存しているのだ。
 質問者 それは何に依存するのでしょうか?
 マハラジ
 意識に依存する。
 そして意識は観照者に依存するのだ。
 質問者 そして観照者は実存に依存するのでしょうか?
 マハラジ
 観照者は実在の純粋な反映だ。
 それはマインドの状態に依存する。
 明晰(めいせき)性と無執着が支配すると、観照意識が現れる。
 それは水が澄んで静かならば、月の影が映るような、あるいはダイヤモンド
 のなかで太陽の光線がきらめきを放つようなものだ。
 質問者 すべての体験が条件づけられているため、無条件なるものが体験で
 きないのだとしたら、なぜそれについて話すのでしょうか?
 マハラジ
 無条件なるものなしで、どうして条件づけされたものの知識がありうるだろ
 う?
 そこには、これらすべてが現れだす源、すべてが存在するための土台がなけ
 ればならない。
 自己の条件づけの知識、そして条件づけの無限の多様性は、私たちの条件づ
 けされることと多様性を起こさせる無限の能力に依存している。
 真我の実現とは、根本的にそれに気づくことなのだ。
 条件づけされたマインドには、無条件
なるものは完全性として現れるか、あ
 るいはすべての不在性として現れるのだ。
 どちらも直接体験はありえない。
 しかし、それが非存在を意味しているわけではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

115 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/20(月) 21:18:37 ID:1d4drIFg0
さまざまな観念を作り出す阿頼耶識もそもそも意識が無ければ存在しないものじゃ。
無条件なものがなしで、条件づけされたものの知識が無いとはそのことなのじゃ。
意識によって阿頼耶識も観念も生み出されることに気づくのが真我の実現なのじゃ。

116 避難民のマジレスさん :2018/08/21(火) 06:10:01 ID:LC3de7YgO
>>114
『I AM THAT 私は在る』
【39 それ自体で独立した存在はない】

 質問者 それは感情ではないでしょうか?
 マハラジ
 感情もまたマインドの状態だ。
 健康な身体は注意を呼び起こさない。
 同様に体験から自由な無条件なるものもまたそうなのだ。
 死の体験をとってみなさい。
 普通の人は死を恐れる。
 なぜなら、彼は変化を恐れるからだ。
 ジニャーニは恐れない。
 なぜなら、彼のマインドはすでに死んでいるからだ。
 彼は「わたしは生きている」と考えない。
 彼は「そこに生命が在る」と知っている。
 そこには何の変化もなく、死もない。
 死は時間と空間のなかの変化として現れる。
 時間も空間もないところに、どうして
死がありうるだろう?
 ジニャーニは名前と形に対してすでに死んでいる。
 時間と空間を失うことがどうして彼に影響を与えるだろうか?
 列車に乗った人は、ひとつところからつぎへと旅していく。
 だが、列車を降りた人はどこへも行かない。
 なぜなら、彼は目的地に縛られないからだ。
 彼はどこへも行くところはなく、何もすることはなく、何になることもない。
 計画を持つ人は、それを実行するために生まれてくるだろう。
 計画を持たない人は生まれてくる必要はない。
 質問者 苦痛と快楽の目的は何でしょうか?
 マハラジ
 それらはそれら自体で存在するだろうか?
 あるいはマインドのなかにだけ存在するのだろうか?
 質問者 それでも、それらは存在します。マインドはともかくも。
 マハラジ
 苦痛と快楽は、誤った知識と誤った感情の結果の単なる兆候にすぎない。
 結果がそれ自体の目的をもつことはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

117 避難民のマジレスさん :2018/08/21(火) 09:13:05 ID:KPTPnXc20
【意識に先立って─ニサルガダッタ・マハラジとの対話】

1981年1月27日

マハラジ:あなたはどこから来て、誰がここへ導いたのかね?

質問者:私はタイの僧院で勉強していて、そこの僧院長がマハラジの教えの本を読むように提案してくれました。私がインドに行こうと決心したとき、マハラジに会ったことがある友人たちがここを教えてくれました。

マハラジ:あなたは何か質問があるかね?

質問者:マハラジが推薦する修行方法とは何かを説明していただけないでしょうか?

マハラジ:従うべきどんな修行も規律もない。ただ私の言うことを聞いて、確固たる信念を持って受け入れなさい。

質問者:瞑想の重要性についてはどうでしょうか?

マハラジ:すべての人が持っている唯一のものは自分が存在しているという信念、つまり意識的な存在だけだ。瞑想はただその存在の感覚に対してであり、他にはない。

質問者:瞑想の間、人はただ座って自分の存在について考えます。

マハラジ:個人的にではなく、言葉にできない存在感で座るのだ。あなたがここに座っていることを知っているものついて瞑想しなさい。自分の肉体がここにあるという感覚は肉体との一体化だが、この肉体がここに座っていることを知っているものは『絶対』の表現なのだ。

質問者:このことはマインドを通じて知られるのでしょうか?

マハラジ:マインドは物質の特性だ。あなたは物質ではなく、物質を理解するものなのだ。この存在感が、理解する必要のあるどんなもことでも説明してくれることだろう。あなたの努力はそれを説明してくれないが、あなたがこの存在感と一つになるなら、それが説明してくれるだろう。

質問者::私がするすべての活動について、私はこの存在感を一日中発展させるべきですか?

マハラジ:あなたがこれに集中する必要はない。それはいつもそこにある。あなたがすることは何であれ、その本質は肉体─マインドだ。肉体─マインドにその仕事をさせなさい。しかし、その仕事をやっているのはあなたではないことを理解しなさい。あなたは存在の感覚だ。
 あなたが肉体的なあるいは知的などんな努力をしようとも、それは本質的に肉体─マインドの努力だ。あなたがするべきことは何もない。自分は肉体とマインドから完全に離れているというあなたの信念があれば、何が起こるにしろ、それは自然に起こる。

質問者:それは簡単に聞こえますが、でもとても難しいに違いありません。

マハラジ:簡単とかむずかしいとか考えることなく、あなたはその存在の感覚であり、肉体─マインドではないというこの一つの信念にしがみつきなさい。あなたであるものは何の形も色もない。

118 避難民のマジレスさん :2018/08/21(火) 09:15:05 ID:KPTPnXc20

質問者:肉体と思考がなくなったあとでも、その存在感は続きますか?

マハラジ:肉体が去るときその存在感もなくなり、意識はもはやそれ自体を意識しなくなることだろう。

質問者:肉体が去るときは、あらゆるものが去るのですか?

マハラジ:そのとおりだ。幸福や不幸の経験も去り、一切の経験が無用となる。

質問者:継続するものは何もないですか?何も?

マハラジ:あなたは概念的なレベルで考えている。そのレベルで知りたがっているのは誰か?その状態を忘れなさい。

質問者:私は『それ』を理解したいのです。

マハラジ:理解されたり、認識されることは何であれ、永遠の真理ではありえない。未知なるものが真理だ。
 私にはどんな経験も不要だ。それゆえ、誰ともケンカする必要もない。肉体とマインドが自然に続く間、それらは好きなことを何でもやり続けることだろう。

質問者:あることより別のことをやるほうがいい場合もありますか?たとえば、このマインドと肉体をもって、私はただ座って何もしないでいることもできるでしょう。あるいは、外を歩き回って人々を助けるといった善行をすることもできます。どちらをやったほうがいいのでしょうか?

マハラジ:肉体とマインドは何であれ、その組み合わせにとって自然なことをやるだろう。

質問者:人は物事をコントロールできます。たとえば、食べすぎたり、飲みすぎたりすることもあります。あるいは善行をして人々を助けることなどもできます。

マハラジ:肉体とマインドに関しては、「やるべき」ことと「やるべきではない」ことがあるが、あなたはそれらではない。あなたは肉体とマインドではないことが前提であり、あなたはその前提から始まったのだ。肉体がないとき、意識はそれ自体を意識していないことを理解しなさい。肉体がそこにあるかぎり、それはその自然の機能をおこなわければならない。

質問者:ということは、それが自然なことをするように、私が許すのですか?

マハラジ:それが起こることをあなたが許すという問題ではなく、それは起こるのであり、あなたはそれに対して何のことんロールもできない。

119 避難民のマジレスさん :2018/08/21(火) 09:16:57 ID:KPTPnXc20
質問者:でも、私がコントロールできることもあります。たとえば、ここに来るかどうかをコントロールできます。

マハラジ:それは誤解だ。何であれ、起こることは自然に起こるのだ。このすべては意識のショー、あるいは表現であり、その特性は変化だ。それは意識的な存在のダンスであり、意識にはそれ自体を楽しませる非常の多くの異なる形態、技量、能力が機能している。しかし、その機能は単に自分自身をたのしませるためのものだ。それは疲れると眠って休み、目覚めると活動や行為などの何らかの娯楽を必要とする。
それらはみな意識の中の見かけだ。それぞれは自分自身の寿命に従って続くが、基本的には正当なことも重要なことも何も起きてはいない。目覚め、つまり理解が起こるまで、あなたは自分を行為者だと考えるが、いったんこの理解が起これば、働いているどんな実体もないことをあなたは知る。

質問者:私は悪いことをするより、よいことをするほうがいいだろうと考えているだけです。

マハラジ:あなたが言う良いことと悪いこととはどういう意味だろうか?ある状況下ではよいことが、別の状況下のもとでは悪いことにもなりうる。あなたがよいと考えている物事さえ、その肉体が続くかぎりにおいてのみよいことでありうるにすぎない。まれな人だけが何もするべきことがないと理解することだろう。その人はすでに『それ』だ。

質問者:マハラジは私たちを助けてくださっていますが、それは意図的な状態ですか?

マハラジ:それは全機能の一部だ。起こっていることはある種の夢の状態であり、何が起こっても夢の一部だ。私から霊的な、あるいは世俗的な何が起こっても、それらはマインドによる修正で増殖することはない。なぜなら、どんな行為も宇宙的で霊的だからだ。霊性は『未知なるもの』に安定しているゆえに、完璧だ。
 しばしば肉体的苦痛を観照することが私に起こる。なぜなら、快楽と苦痛を登録する肉体と意識という道具がまだそこにあるからだ。私の健康状態ゆえに苦痛の登録は増える。少し前、私はその苦痛を観照していたが、あなた方がここにきたらなくなってしまった。人は意識の中に安定すると、ただ喜びだけでいっぱいになる。私はその意識に安定して喜びでいっぱいだったのだが、突然病気が現れたために苦痛がやって来たのだ。あなたが意識の中に安定して、どんな肉体的不調もないかぎり、どんな苦痛も経験しないことだろう。それが意識それ自体の特質だ。
 あなたは意識以前に存在している。その状態ではどんな快楽も苦痛もない。
 肉体や意識とつきあうことは、ちょうど次のようなものだ。あなたは独身で自由で幸福な人生を送っている。それから妻というものと関わると、その結果として快楽と苦痛が生じる。ちょうどそんなようなものだ。

質問者:どうしたら私はその状態を獲得できますか?

マハラジ:それは常に行き渡っているが、知ることを超えている。その状態は説明することができなもので、「『それ』は在る」という言葉でさえその状態にはほど遠く、単なる示唆にすぎない。

(おわり)

120 避難民のマジレスさん :2018/08/21(火) 09:25:59 ID:KPTPnXc20
>>115
鬼和尚さま
「意識によって阿頼耶識も観念も生み出される」とのことですが、
それは上のマハラジの言う「快楽と苦痛を登録する肉体と意識」の意識と同じですか?

また、常々おっしゃる「すべては意識なのじゃ」の意識とも同じなのですか?

121 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/21(火) 22:57:11 ID:1d4drIFg0
>>120 違うのじゃ。
 マハラジの言うのは阿頼耶識じゃな。
 
 全てである意識と同じなのじゃ。
 それがなければ阿頼耶識も何も無いのじゃ。
 海が無ければ魚も住まないようなものじゃ。

122 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/22(水) 00:11:47 ID:1d4drIFg0
実践あるのみなのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

123 避難民のマジレスさん :2018/08/22(水) 06:24:54 ID:KPTPnXc20
>>121
お答えありがとうございます。
マハラジのは阿頼耶識を指しているのですね。
実践あるのみ、精進いたします。

これで「意識にさきだって」からの抜粋は終わりであります。
くまこう、ありがとうでありましたであります^^

124 避難民のマジレスさん :2018/08/22(水) 06:32:38 ID:LC3de7YgO
>>123
ありがとうでありました。
気が向いたら、また、つづきもおねがいするのである。
(´・(ェ)・`)つ

125 避難民のマジレスさん :2018/08/22(水) 06:49:25 ID:LC3de7YgO
>>116
『I AM THAT 私は在る』
【39 それ自体で独立した存在はない】(つづき)

 質問者 神の経済学では、すべてが目的をもっていなければなりません。
 マハラジ
 あなたは思うままに神について語っているが、彼を知っているのかね?
 あなたにとって神とは何かね?
 ひとつの音だろうか?
 紙面上のひとつの文字、あるいはマインドのなかのひとつの概念だろうか?
 質問者 彼の力によって私は生まれ、生き続けているのです。
 マハラジ
 そして苦しみ、死ぬのだ。
 あなたはそれが嬉しいかね?
 質問者 私が苦しみ死ぬのなら、それは私の過ちかも知れません。私は永遠
 の生として創造されたのです。
 マハラジ
 なぜ未来における永遠であって、過去への永遠ではないのだろうか?
 はじまりあるものは終わらなければならない。
 はじまりのないものだけが無窮(むきゅう)なのだ。
 質問者 神は単なる概念なのかも知れません。それでもとても有効な概念で
 す!
 マハラジ
 それならば、内なる矛盾から自由になるべきだ。
 だが、それは無理だろう。
 どうしてあなた自身があなたの創造者であり創造物だという理論を調べない
 のだろうか?
 少なくともそこには争うべき外側の神はいないだろう。
 質問者 世界はこんなにも豊かで複雑です。どうやって私にそれをつくり出
 せるというのでしょうか?
 マハラジ
 何ができ、何ができないのかを知るほど、あなたは充分あなた自身を知って
 いるだろうか?
 あなたは自分の力を知らないのだ。
 あなたは一度も調べたことがない。
 自分自身とともに、今はじめなさい。
 質問者 誰もが神を信じています。
 マハラジ
 私にとっては、あなたがあなた自身の
神だ。
 だが、あなたが別の考え方をするならば、最後までそう考えるがいい。
 もし神がいるならば、すべてが神のものであり、すべては最上の目的のため
 にある。
 やってくるものは何であれ、喜びと感謝の心をもって歓迎しなさい。
 そしてすべての創造物を愛しなさい。
 これもまたあなたを真我へと導くだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

126 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/22(水) 22:36:20 ID:1d4drIFg0
神は概念であり、人の作ったものに過ぎないのじゃ。
それに囚われれば観念の奴隷に陥るのじゃ。
自ら作った観念に囚われるのは愚かなことじゃ。
自らの心の中に全てはあるのじゃ。

127 素人A :2018/08/22(水) 23:25:53 ID:gxsfDx0o0
カジノ法案なんて消費税に比べて罪がないと突然おもつた
消費税の国が胴元で札束というものを買う行為と馬券で馬に掛ける仕組みと同じだあ
ギャンブル依存性は国の制作だつた

128 避難民のマジレスさん :2018/08/23(木) 08:39:07 ID:LC3de7YgO
1『I AM THAT 私は在る』
【40真我だけが実在だ】

 マハラジ
 世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。
 それは在り、しかもそれはない。
 私が見たいと欲し、それに参加したいと望むかぎり、それはそこに在る。
 私が気にかけるのをやめるとき、それは溶け去る。
 それは原因がなく、何の目的にも仕えない。
 それは私たちが放心しているときに起こる。
 まったく見たとおりに現れはするが、そこには何の深みも意味もない。
 ただその傍観者だけが実在なのだ。
 彼は真我ともアートマとも呼ばれる。
 真我にとって世界は、それが続くかぎり楽しみ、終われば忘れられてしまう、
 ただの色鮮やかなショーにすぎない。
 何であれ、舞台の上で起こることが彼を恐怖で身震いさせようと、あるいは
 笑い転げさせようと、常に彼はそれがただのショーだと知っている。
 欲望や恐れなしに、彼は起こるがままに楽しむのだ。
 質問者 世界の中に浸かっている人は、多くの味わいを持っています。彼は
 泣き、笑い、愛し、そして憎み、切望し、また恐れ、苦しみ、そし
 て楽しみます。無欲で恐れのないジニャーニ、彼の人生はどのよう
 なものなのでしょう? 彼は冷淡で無味乾燥とした高みにひとり超
 然としているのでしょうか?
 マハラジ
 彼の境地はそのような寂しいものではない。
 それは純粋で、原因がなく、希釈されない至福なのだ。
 彼は幸福であり、幸福が彼の本質そのものなのだ。
 彼はそれを守るために闘うことも、何をする必要もない。
 幸福は彼にしたがい、身体よりも真実で、マインドよりも身近かなのだ。
 あなたは、原因なしで幸福はありえないと想像している。
 私から見れば、幸福のために何かに依存することはまったく悲惨なことだ。
 快楽と苦痛には原因がある。
 一方、私の境地は私自身のものであり、まったく原因がなく、独立した、疑
 う余地のないものだ。
 質問者 舞台上の劇のようにでしょう
か?
 マハラジ
 劇は作品として書かれ、計画され、稽古されたものだ。
 世界はただ無から存在の中へと立ち現れ、無へと帰っていく。
 質問者 創造者はいないのでしょうか? 世界は創造される前には、創造神
 ブラフマーのマインドのなかにあったのではないでしょうか?
 マハラジ
 私の境地の外にいるかぎり、あなたは創造神、維持神、破壊神をもつだろう。
 しかし、ひとたび私とともにあるならば、あなたは真我だけを知り、すべて
 のなかにあなた自身を見るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

129 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/23(木) 22:35:26 ID:1d4drIFg0
世界も神も人が心につくったものじゃ。
目覚めれば無いと理解できるものじゃ。
自分さえも観念でしかないのじゃ。
観念が無ければ常に安らぎと喜びだけが有るのじゃ。

130 避難民のマジレスさん :2018/08/24(金) 06:43:53 ID:LC3de7YgO
>>128
『I AM THAT 私は在る』
【40真我だけが実在だ】(つづき)

 質問者 それでも、あなたは世界のなかで機能しています。
 マハラジ
 めまいがするとき、世界はあなたのまわりで輪を描いているかのように見え
 る。
 手段と目標、仕事と目的という観念に取りつかれて、あなたは私が一見機能
 しているかのように見るだろう。
 実際には、私はただ見ているだけだ。
 何であれ、為されることは舞台上で為
されているのだ。
 喜びと悲しみ、生と死、束縛された人にとってそれらはすべて現実だ。
 私にとって、それらはすべてショーだ。
 ショーそのもののように非現実なのだ。
 私はあなたのように世界を知覚するかも知れないが、あなたはそのなかにい
 ると信じ切っている。
 ところが、私は世界を広大な意識の広がりのなかの、ひとつの真珠のつぶと
 してしか見ていないのだ。
 質問者 私たちは皆年老いていきます。あらゆる痛みや苦痛、弱さ、そして
 死が近づいてきます。老年は快いものではありません。ジニャーニ
 はひとりの老人としてどう感じるのでしょうか? 彼の内なる自己
 は彼自身の老衰をどう見ているのでしょうか?
 マハラジ
 彼は年を追うにしたがって、もっともっと幸せに、そして平安になっていく。
 つまるところ、彼は古巣に戻るのだ。
 目的地に近づいた旅人が、荷物をまとめ、心残りもなく列車を去っていくよ
 うに。
 質問者 明らかにそこには矛盾があります。ジニャーニはすべての変化を超
 えていると私たちは聞いています。彼の幸福は強くなることも、衰
 えることもありません。どうして身体的衰弱にもかかわらず、年を
 とるにつれて彼はより幸福になるのでしょうか?
 マハラジ
 そこに矛盾はない。
 運命の一巻は終わりを告げようとしている――マインドは嬉しいのだ。
 身体的存在の霧は晴れようとしている――身体の重荷は日に日に減少してい
 くのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

131 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/24(金) 22:49:46 ID:1d4drIFg0
悟った者にとって涅槃は永遠の安らぎであり、真の休息なのじゃ。
衆生のために法を説いた後にそこに還るのは喜びでも在るのじゃ。
悟れば死は恐れではなく既に祝福なのじゃ。
そこに近づくのは子供が遠足に行くかのようにうれしいのじゃ。

132 避難民のマジレスさん :2018/08/25(土) 05:29:59 ID:LC3de7YgO
>>130
『I AM THAT 私は在る』
【40真我だけが実在だ】(つづき)

 質問者 ジニャーニが病気だとしましょう。彼は風邪をひき、関節のあちこ
 ちが痛み、焼けるようです。彼のマインドの状態はどうなのでしょ
 うか?
 マハラジ
 あらゆる感覚は完全な平静さとともに観照される。
 そこには何の欲望も拒絶もない。
 それはあるがままであり、彼はそれを愛情のこもった無執着の微笑みととも
 に見るのだ。
 質問者 彼は苦しみに対して超然としているかもしれませんが、それでも、
 それはそこにあるのです。
 マハラジ
 それはそこにある。
 だが、それは問題ではない。
 いかなる状態にいようとも、私はそれをあるがままのマインドの状態として
 見るのだ。
 質問者 痛みは痛みです。あなたはやはり体験するのです。
 マハラジ
 身体を体験する人は、その苦痛と快楽を体験するだろう。
 私は身体でも、身体を体験する人でもないのだ。
 質問者 では、あなたが二十五歳の青年だとします。あなたの結婚が準備さ
 れ、行われました。そして家庭生活の義務があなたの上にのしかか
 ってきます。あなたはどう感じるでしょうか?
 マハラジ
 たった今、私が感じているようにだ。
 あなたは私の内的状態が、外的出来事によって形づくられると主張しつづけ
 ている。
 それはただそうではないのだ。
 何が起ころうと、私は変わらないままだ。
 私の存在の根底には気づきが、強烈な光の点が在る。
 この点がその本性によって輝き、空間のなかには画像を、時間のなかには出
 来事を、努力することなく自発的につくり出す。
 それを単に気づいているだけならば、問題はない。
 しかし、分別心が存在の中に現れ、区別をつくり出すと、苦痛と快楽が立ち
 現れる。
 眠りの間、マインドは停止しているため、苦痛や快楽も停止している。
 創造の過程は継続するが、注目はされない。
 マインドは意識のひとつの形であり、意識は生命のひとつの相だ。
 生命がすべてをつくり出す。
 しかし、至高なるものはすべてを超えた彼方にあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

133 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/25(土) 22:05:43 ID:1d4drIFg0
肉体の痛みも病ももはや何の意味もないのじゃ。
それもまた観念によって苦になるものであるからのう。
全ての観念を超えたならば肉体の不調も苦にはならないのじゃ。
永遠の安らぎと喜びが在るだけなのじゃ。

134 避難民のマジレスさん :2018/08/26(日) 04:52:41 ID:LC3de7YgO
>>132
『I AM THAT 私は在る』
【40 真我だけが実在だ】

 質問者 至高なるものが主人であり、意識は彼の召使いです。
 マハラジ
 主人は意識のなかにいて、それを超えはしない。
 意識との関係において、至高なるものは創造と破壊、具象と抽象、焦点と普
 遍だ。
 それはまた、そのどちらでもない。
 言葉もマインドも、そこには届かないのだ。
 質問者 ジニャーニは、とても寂しい存在のように見えます。孤立している
 かのようです。
 マハラジ
 彼はひとりだ。
 だが、彼はすべてなのだ。
 彼はあるひとつの存在でさえない。
 彼はすべての存在の実在なのだ。
 それでさえもない。
 いかなる言葉も適さない。
 彼は彼で在るもの。
 すべてがそこから成長していく土台なのだ。
 質問者 あなたは死を恐れてはいないのでしょうか?
 マハラジ
 私のグルのグルがどのように死を迎えたか話をしよう。
 死が近づいていることを皆に告げた後、彼は日々の日常の仕事を続けながら、
 食事をするのをやめた。
 十一日後、祈りの時間に、彼は歌い、手を元気に叩きながら突然死んだのだ!
 そのように、二つの瞬間の合間にロウソクが吹き消されるように。
 誰もが彼の生きたように死ぬ。
 私は死を恐れてはいない。
 なぜなら生を恐れていないからだ。
 私は幸福な生を送り、幸福な死を迎えるだろう。
 惨(みじ)めさとは生まれることだ。
 死ぬことではない。
 すべてはあなたがどのように見るかにかかっているのだ。
 質問者 あなたの境地の証拠はありません。私の知るすべては、あなたが言
 うことだけです。私が見ているのはとても興味深い老人です。
 マハラジ
 興味深い老人はあなただ。
 私はけっして生まれなかった。
 どうして年をとることができようか?
 あなたにとって現れる私は、あなたの
マインドのなかにだけ存在するのだ。
 私はそれに関わってはいない。
 質問者 たとえ夢であっても、あなたはもっとも特別な夢です。
 マハラジ
 私はあなたを目覚めさせることのできる夢だ。
 あなたが目覚めるということ自体のなかに、その証明を得るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

135 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/26(日) 21:32:54 ID:1d4drIFg0
目覚めれば人は全てであったことに気づくのじゃ。
一度も個体とか個我になったこともないのじゃ。
個体とか個我の自分という観念が幻想であったのじゃ。
仏陀はその生きた証明なのじゃ。

136 避難民のマジレスさん :2018/08/27(月) 08:00:50 ID:LC3de7YgO
>>134
『I AM THAT 私は在る』
【40 真我だけが実在だ】(つづき)

 質問者 私が死んだという知らせがあなたに届いたと想像してください。誰
 かがあなたに「この人を知っていますか? 彼は死んだのですよ」
 と告げます。あなたはどのような反応をするのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが古巣に帰り着いて私は本当に幸せだろう。
 あなたがこの愚かさから抜けだしたのを見て本当に嬉しい。
 質問者 どの愚かさでしょうか?
 マハラジ
 あなたが生まれ、そして死ぬと考えていること、あなたがマインドを誇示す
 る身体であると考えていること、そしてそのようなばかげた話のすべてだ。
 私の世界では誰も生まれず、誰も死な
ない。
 何人かの人は旅を続け、そして帰ってくる。
 何人かはけっして去ることはない。
 彼らは夢の国で、それぞれ自らの夢に包まれて旅しているのだ。
 そこにどんな違いがあるというのだろう?
 目を覚ますことだけが重要なのだ。
 「私は在る」が実在であり、そしてまた愛なのだと知るだけで充分だ。
 質問者 私の道はそれほど絶対的なものではありません。それゆえの質問で
 す。西洋の至るところで、人びとは何か真実なるものを探求してい
 ます。彼らは物質に関して多くを語る科学に傾倒してきましたが、
 それはマインドに関してはわずかばかり、自然と意識の目的に関し
 てはまったく触れません。彼らにとって実在は客観的で、観察可能
 で、直接、あるいは推測による記述可能な外的なものであり、実在
 の主観的側面については何も知らないのです。実在が在るというこ
 と、そしてそれは物質とその限界や歪(ゆが)みから意識が自由に
 なることで見いだせるのだということを、彼らに知らしめるのは非
 常に重要なことです。世界のほとんどの人びとは、実在を見いだす
 ことができ、しかも意識のなかで体験できるということを知らない
 のです。彼らが実際に実在を実現した人からその良い知らせを聞く
 のはたいへん重要なことのように思えます。そのような賢者はつね
 に存在してきました。そして彼らの証言は貴重なものです。
 マハラジ
 もちろん。
 真我の実現の福音は、ひとたび聞かれたならば、けっして忘れることのでき
 ないものだ。
 大地にうずくまる種子のように、それは来るべき季節を待ち、やがて芽吹い
 て巨大な樹へと生長することだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

137 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/27(月) 22:21:37 ID:1d4drIFg0
死もまた観念であり存在しないものじゃ。
個我が無ければ死もまたないのじゃ。
個我の消滅を死と呼ぶのじゃ。
個我がそもそも無ければ死もまたないのじゃ。

138 避難民のマジレスさん :2018/08/28(火) 06:56:29 ID:LC3de7YgO
1『I AM THAT 私は在る』
【41 観照の姿勢を発達させなさい】

 質問者 賢者の日々のマインドの状態とはどのようなものでしょうか? 彼
 はどのように見、聞き、食べ、飲み、目覚め、働き、そして休むの
 でしょうか? 彼の境地が私たちのものと異なるという証拠は何で
 しょうか? いわゆる実現したと言われる人びとの証言以外に、客
 観的に彼らの状態を証明する方法はありません。何か観察可能な違
 いが彼らの生理学的な、そして神経反応、物質代謝、または脳波、
 あるいは心身相関の構造のなかにあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは違いを見つけるかもしれないし、見つけないかもしれない。
 すべてはあなたの観察の能力にかかっている。
 しかしながら客観的な違いがもっとも重要なものではない。
 問題は彼らの見地と彼らの態度にある。
 それは超然として、冷静で、完全に無執着で在ることだ。
 質問者 ジニャーニの子どもが死んだとき、彼は悲しみを感じるのでしょう
 か? 彼は苦しまないのでしょうか?
 マハラジ
 彼は苦しむ人たちとともに苦しむ。
 出来事自体が重要なのではない。
 だが、生きていようと死んでいようと、身体のなかにいようと外にいようと、
 彼は苦しむ人たちに対して慈悲に満ちている。
 やはり、彼の本性は愛と慈悲なのだ。
 彼はすべての生命とひとつであり、行為のなかでひとつであることが愛なの
 だ。
 質問者 人びとは死をとても恐れています。
 マハラジ
 ジニャーニに恐れるものは何もない。
 だが彼は恐れている人を哀れむ。
 つまるところ、生まれること、生きること、そして死ぬことは自然なことだ。
 恐れることは自然ではない。
 もちろん起きていることに注意は払われる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

139 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/28(火) 22:39:59 ID:1d4drIFg0
苦しむものがいれば自他の無い仏陀も苦しいのじゃ。
その苦から解放するために法を説くのじゃ。
法を実践すれば苦から解放されて安楽になるのじゃ。
死さえも髪やつめが切れて落ちるような自然なここと気づいて安楽になるのじゃ。

140 避難民のマジレスさん :2018/08/29(水) 06:29:02 ID:LC3de7YgO
>>138
『I AM THAT 私は在る』
【41 観照の姿勢を発達させなさい】(つづく)

 質問者 あなたが病気だと想像してください。医師が、あなたの病状は深刻
 なもので、あと二、三日しかもたないだろうと言ったとします。あ
 なたの最初の反応は何でしょうか?
 マハラジ
 無反応だ。
 線香の火に燃えつきるときがくることが自然なように、身体が死ぬのは自然
 なことだ。
 それはまったく重要な問題ではない。
 重要なことは、私は身体でもマインドでもないということだ。
 私は在る
 質問者 あなたの家族は絶望するでしょう。彼らに何と伝えるのでしょうか?
 マハラジ
 よく言われることだ。
 恐れてはならない。
 人生は続いていく。
 神があなたたちを守るだろう。
 私たちはすぐにまた一緒になるだろう、といったことだ。
 だが、私にとってこの動揺全体は無意味なものだ。
 なぜなら、私は生きるとか死ぬといった想像をする実体ではないからだ。
 私はけっして生まれなかった。
 私に死ぬことはできないのだ。
 私には覚えることも忘れることもない

 質問者 死者への祈りはどうなるのですか?
 マハラジ
 もちろん、死者への祈りを捧げるがいい。
 それはとても彼らの意にかなうだろう。
 彼らは嬉しく思う。
 ジニャーニはあなたがたの祈りを必要としていない。
 彼自身があなた方の祈りへの応えなのだ。
 質問者 死の後、ジニャーニはどのように旅立っていくのでしょう?
 マハラジ
 ジニャーニはすでに死んでいる。
 あなたは彼にもう一度死ぬことを期待するのかね?
 質問者 もちろん、身体の崩壊はジニャーニにとっても重要な出来事に違い
 ありません。
 マハラジ
 ジニャーニに重要な出来事というものはない。
 誰かが最高の目的を成就したときを除いては。
 そのときだけは、彼のハートも喜ぶ。
 それ以外のすべてに対して彼は関心がない。
 宇宙全体が彼の身体であり、すべての生命は彼の生命なのだ。
 都会でひとつの電球が消えたとき、それがネットワーク全体に影響を与える
 ことはない。
 同じようにひとつの身体の死が全体に影響を与えることはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

141 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/29(水) 22:02:55 ID:1d4drIFg0
目覚めればもはや死は無いと知れるのじゃ。
産まれることもなかった故に死ぬことも無いのじゃ。
生死も無いのに肉体の在る不思議なのじゃ。
ただ他の者も目覚めさせるために法を説くのみなのじゃ。

142 避難民のマジレスさん :2018/08/30(木) 14:28:19 ID:LC3de7YgO
>>140
『I AM THAT 私は在る』
【41 観照の姿勢を発達させなさい】(つづき)

 質問者 特定の存在は、全体にとって問題ではないかもしれませんが、特定
 の存在にとっては問題です。全体とは抽象的なものですが、特定の
 存在は具体的なものであり、現実です。
 マハラジ
 それはあなたがそう言うだけだ。
 私にとってはその反対だ。
 全体が現実で、部分は来ては去るものだ。
 特定の存在は誕生、再誕生し、名前と形を変えていく。
 ジニャーニはその変化を可能にする不変の実在なのだ。
 しかし、彼はあなたに確信を与えることはできない。
 それはあなた自身の体験とともにやってこなければならないのだ。
 私にとってはすべてがひとつであり、すべてが同等だ。
 質問者 罪と徳はひとつであり、同じものなのでしょうか?
 マハラジ
 それらはみな人間のつくり出した価値だ。
 それらは私にどんな意味を持つというのだろう?
 結果的に幸福をもたらすなら、それは徳だ。
 結果的に不幸をもたらすものは罪だ。
 どちらもマインドの状態だ。
 私の境地はマインドの状態ではないのだ。
 質問者 私たちは見るということの意味を理解できずにいる盲人のようです。
 マハラジ
 あなたの好きなように言うがいい。
 質問者 沈黙の修練はサーダナとして効果的なものでしょうか?
 マハラジ
 何であれあなたが悟りを得るためにすることは、あなたを悟りへと近づける。
 何であれあなたが悟りを覚えることなしにする行為は、あなたを悟りから遠
 ざける。
 だが、なぜそうことを複雑にするのかね?
 ただ、あなたはすべてのものごとや思考を超えているということを覚えてお
 きなさい。
 あなたが成りたいもの、あなたはすでにそれなのだ。
 だだ、それを心にとどめておきなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

143 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/30(木) 22:46:20 ID:1d4drIFg0
悟った者にとっては全てこそ現実であり、真の状態なのじゃ。
それは一度も変わった事は無いのじゃ。
悟りを得ていない者には個体が在るとか、個我があるという幻想を持っているだけなのじゃ。
全てが在るだけなのじゃ。

144 避難民のマジレスさん :2018/08/31(金) 06:45:10 ID:LC3de7YgO
>>142
『I AM THAT 私は在る』
【41 観照の姿勢を発達させなさい】(つづき)

 質問者 あなたの言うことは聞いていますが、私には信じられないのです。
 マハラジ
 私もまた同じ立場にいたのだ。
 だが、私はグルを信頼し、彼はそれが正しいことを証明した。
 もしできるならば、私を信頼しなさい。
 私の言うことを心にとどめておきなさい。
 何も望んではならない。
 なぜなら、あなたは何ひとつ欠いてはいないからだ。
 探すということ自体が見つけるということを妨げるのだ。
 質問者 あなたは本当にすべてのことに無関心なようですね!
 マハラジ
 私は無関心なのではない。
 公平なのだ。
 私には、私と私のものへの選り好みがないのだ。
 かごいっぱいの土とかごいっぱいの宝石はどちらも不要なものだ。
 生と死はどちらも同じことだ。
 質問者 公平さがあなたを無関心にするのです。
 マハラジ
 その反対に、慈悲と愛が私の核だ。
 すべての偏愛を離れ、愛することに自由なのだ。
 質問者 仏陀は、悟りの概念は非常に重要なものだと言いました。ほとんど
 の人たちは、悟りのために努力している人たちがいることはもちろ
 ん、そのようなものがあるということさえ知らずに生きています。
 ひとたび、彼らがそれについて耳にしたなら、けっして絶えること
 のない種子がまかれたのです。それゆえ、彼は毎年八カ月間、彼の
 比丘(びく)たちに絶え間なく教えを説くように送りだしたのです。
 マハラジ
 「人は食物、衣服、住居、知識、愛情を与えることができるが、最上の贈り
 物は悟りの福音だ」と私のグルはよく言ったものだった。
 あなたの言うとおりだ。
 悟りは最上の贈り物だ。
 ひとたびそれを得たら、誰もそれをあなたから取り上げることはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

145 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/08/31(金) 22:11:25 ID:1d4drIFg0
多くの者はまだ悟りというものがあるということすら知らないのじゃ。
神の奴隷で居ることがよいことだと思っているのじゃ。
自分達の作り出した観念の奴隷なのじゃ。
悟りを知識として知る者も信じる事によって修行に入るのじゃ。
できるだけ多くの者に悟りを教えるとよいのじゃ。

146 避難民のマジレスさん :2018/09/01(土) 08:51:06 ID:LC3de7YgO
>>144
『I AM THAT 私は在る』
【41 観照の姿勢を発達させなさい】(つづき)

 質問者 もし西洋であなたがこのように話したら、人びとはあなたを狂人だ
 と思うでしょう。
 マハラジ
 もちろん、彼らはそう思うだろう!
 無知なる人びとにとって、彼らに理解できないことはすべて狂気なのだ。
 それが何だというのだろう?
 彼らは彼らのままであればいい。
 私が私であることに何の益もなく、彼らが彼らであることに何の過ちもない。
 至高の実在は無数の方法でそれ自身を顕現する。
 果てしない数の名前と形がある。
 同じ海の中にすべては立ち現れ、すべては溶けあう。
 すべての源はひとつだ。
 原因と結果を探し求めることはマインドの娯楽にすぎない。
 存在するもの、それは愛すべきものだ。
 愛は結果ではなく、存在の基盤そのものだ。
 どこへ行こうと、あなたは存在と意識と愛を見いだすだろう。
 いったいどうして、何のために選り好みをするのだろうか?
 質問者 洪水や地震のような自然災害が、何千何百万の命を奪うことがあっ
 ても、私を悩ましはしません。しかし、ひとりの人間が人の手によ
 って死ぬとき、私は途方もなく悲しみます。不可避のものにはそれ
 自体の威厳があります。しかし、殺すことは避けることができるも
 のです。そしてそれゆえ、醜く恐ろしいものなのです。
 マハラジ
 すべては起こるように起こるのだ。
 自然なものであれ、人為的なものであれ、災難は起こる。
 怖がる必要はないのだ。
 質問者 原因なしに何かがありうるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての出来事のなかに宇宙全体が反映されている。
 究極的な原因の由来を調べることは不可能だ。
 因果律の概念自体はただの考え方にすぎない。
 原因のない存在の出現を想像することはできない。
 しかしながら、それが因果関係の存在を証明するわけではないのだ。
 質問者 自然にはマインドがありません。それゆえ、責任はありません。し
 かし、人にはマインドがあります。なぜ人のマインドはそれほどま
 でに邪悪なのでしょうか?
 マハラジ
 邪悪さの原因もまた遺伝や環境などの自然なものだ。
 あなたは性急に非難しすぎる。
 他者について思い煩うことはやめなさい。
 あなた自身のマインドを最初に扱いなさい。
 あなたのマインドもまた、自然の一部分であることを自覚すれば、二元性は
 消え去る。
 質問者 私に計り知れない不思議としか言えません。マインドがどうして自
 然の一部分でありうるのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら自然はマインドのなかにあるからだ。
 マインドなしで自然がどこにあるだろうか?
 質問者 もし自然がマインドのなかに在り、マインドが私自身のものならば、
 私は自然を制御できるはずですが、それは事実ではありません。私
 の制御を超えた力が、私の行動を決定するのです。
 マハラジ
 観照の姿勢を発達させなさい。
 そうすれば、あなたは無執着が制御をもたらすということを自らの体験をも
 って見いだすだろう。
 観照している状態は完全な力をもっている。
 そこには何も受動的なことはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

147 避難民のマジレスさん :2018/09/01(土) 09:00:56 ID:LC3de7YgO
観照の姿勢とは、心に思考、感情が起こった瞬間に、気づけるようになろうとする姿勢かなと、思うのであります。
それらに巻き込まれずに、起こった瞬間に気づければ、消え去るのであります。
その姿勢が「観察」という理解でよいでありますよね。
(´・(ェ)・`)つ

148 避難民のマジレスさん :2018/09/01(土) 12:58:05 ID:LC3de7YgO
>>147
あるがままの観察の姿勢が、いつか観照に繋がるかもしれないと期待してるくまである。
(´・(ェ)・`)つ

149 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/01(土) 22:58:03 ID:1d4drIFg0
↑そのような理解で善いのじゃ。
全てを注意深く観察していることなのじゃ。
そうすれば心の制御も可能なのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。

150 避難民のマジレスさん :2018/09/02(日) 08:54:47 ID:LC3de7YgO
>>146
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】

 質問者 私のなかで、古い自己から独立した新しい自己が出現したことに気
 づきました。それらはともかく共存しています。古い自己はその習
 慣的在り方を続け、新しい自己は古い自己をそのままにさせ、しか
 もそれ自体はそれと同一化しません。
 マハラジ
 古い自己と新しい自己の間にある主な違いとは何だろうか?
 質問者 古い自己はすべてを定義し、説明したがります。それはものごとが
 言葉の上で互いにつじつまの合うことを求めています。新しい自己
 は記憶されたことがらとの関係性を求めず、ものごとをありのまま
 に受け入れ、言葉上の説明を気にかけません。
 マハラジ
 あなたは習慣的なものと霊的なものの違いに、完全に変わることなく気づい
 ているだろうか?
 新しい自己と古い自己の態度はどのようなものだろう?
 質問者 新しい自己は古い自己をただ見るだけです。それは親しくもなく、
 敵対もしていません。それはただ古い自己をほかのすべてとともに
 受け入れるだけです。古い自己の存在を否定しませんが、その価値
 と効力は受け入れません。
 マハラジ
 新しい自己とは古い自己の完全な否定だ。
 許容された新しさは本当の新しさではない。
 それは古い自己が取った新たな態度にすぎないのだ。
 真に新しい自己は古い自己を完全に抹殺する。
 二つが一緒に在ることはできない。
 そこには自己を露(あら)わにする過程、古い概念や価値の受け入れを変わ
 らず否定しつづける過程があるだろうか?
 あるいはそこには相互の黙認があるだろうか?
 何がそれらの関係だろうか?
 質問者 そこに特定の関係はありません。それらは共存しているのです。
 マハラジ
 あなたが古い自己と新しい自己を語るとき、誰を思っているのかね?
 二つの間に記憶の継続性があるということは、互いが相手を覚えているとい
 うことだ。
 どうして二つの自己を語ることができようか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

151 素人A :2018/09/02(日) 10:28:35 ID:gxsfDx0o0
魚はなぜ海の中で平気なんだろう さあ鳥は平気で空飛ぶけど
ドラマで察人事件が起こりそうな時なぜ止めずほっとけなんだろう
今は暇なのにコツコツの座禅は止そうでもう直ぐ将棋始まるし
ありのままは蟻の飯に向かう

152 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/02(日) 22:55:42 ID:1d4drIFg0
真実を観ることのない心はさまざま幻影で逃避するものじゃ。
真我というのも本当は語るべきではないのじゃ。
アートマンは真我ではないのじゃ。
認識できないものなのじゃ。

153 避難民のマジレスさん :2018/09/03(月) 03:48:33 ID:jfWCoXjM0
くまさん、ゼミの課題図書(鬼和尚の悟り認定済みの人)投下しときますw

パパジ「真理のみ」
http://www.geocities.jp/ramana_mahaananda/truthis-holder/sinrinomi-map.htm

クリシュナムルティ「変化の緊要」
http://www001.upp.so-net.ne.jp/jkgyk/

OSHO「黄金の華の秘密」
http://bibourokunote.blogspot.com/2011/04/blog-post_5538.html

154 避難民のマジレスさん :2018/09/03(月) 06:01:58 ID:LC3de7YgO
>>153
ありがとうであります。
どんどん続けるであります。
(´・(ェ)・`)つ

155 避難民のマジレスさん :2018/09/03(月) 06:12:43 ID:LC3de7YgO
>>150
1『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 一方は習慣の奴隷であり、もう一方はそうではありません。一方は
 観念化し、もう一方はすべての観念から自由です。
 マハラジ
 なぜ二つの自己なのかね?
 束縛と自由の間には何の関係性もありえない。
 共存という事実自体がそれらの基本的な統合を証明している。
 ひとつの自己だけが存在する。
 そしてそれはいつも今、在るのだ。
 新旧はともかく、あなたの言うほかの自己とはひとつの形態、自己の別の相
 なのだ。
 自己とは単一のものだ。
 あなたがその自己なのだ。
 あなたはこうであった自分と、こうなるだろう自分という観念をもっている。
 しかし、観念は自己ではない。
 たった今、私の前に座るあなたはどちらの自己だろうか?
 新しい自己か?
 質問者 二つは衝突しています。
 マハラジ
 どうして存在するものとしないものの間に衝突がありうるだろう?
 衝突は古い自己の特質なのだ。
 新しい自己が現れるとき、古い自己は消え去る。
 新しい自己と衝突を同時に語ることはできない。
 新しい自己への努力についてでさえ、古い自己が語っているのだ。
 衝突、努力、闘い、奮闘、変化への熱望が語られるところに新しい自己はい
 ない。
 衝突をつくり出し永続させる習慣的傾向から、どの程度あなたは自由なのだ
 ろうか?
 質問者 私が今、別の人になったとは言えません。しかし、以前私が知って
 いた状態とは異なる私についての新しいことがらを発見し、それら
 を新しい自己と呼ぶにふさわしいと感じるのです。
 マハラジ
 古い自己があなた自身なのだ。
 原因なく、自我の汚れもなく、突然出
現する状態を、「神」と呼ぶがいい。
 種子もなく、根もなく、芽を出さず、生長せず、花も果実もない、存在のな
 かに突然栄光に満ちて、神秘的で驚異的に現れる、それを「神」と呼ぶがい
 い。
 それはまったく予期できず、しかも必然的なもの、かぎりなく親しく、しか
 ももっとも驚嘆すべきもの、すべての期待を超え、しかも絶対に確実なもの
 だ。
 なぜなら、それには原因がないため、障害がないからだ。
 それはひとつの法のみにしたがう。
 自由の法だ。
 何であれ、継続性や連鎖を含み、段階から段階へと変化していくものは実在
 ではありえない。
 実在に発展というものはない。
 実在は最終的な、完全なもので、関係性を持たないものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

156 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/03(月) 21:35:25 ID:1d4drIFg0
全てである意識をマハラジは実在と言っているのじゃ。
それはもはや変化したり、発展したりしないのじゃ。
ただありのままにありつづけるだけなのじゃ。
時間も無いから永遠なのじゃ。

157 避難民のマジレスさん :2018/09/04(火) 06:34:30 ID:LC3de7YgO
>>155
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 どうすればそれを成しとげることができるのでしょうか?
 マハラジ
 それについてできることは何もない。
 だが、あなたは障害をつくり出すのを避けることができる。
 あなたのマインドがどのように存在のなかに現れたか、どのように作用する
 かを見守りなさい。
 マインドを見守るにつれて、あなたは見守る人としてのあなた自身を発見す
 る。
 あなたが動じることなく、ただ見守っているとき、あなたは見守る人の背後
 にある光としてのあなた自身を見いだすだろう。
 その光の源は暗く、未知のもので、それは知識の源だ。
 その源のみが存在するのだ。
 その源に帰りなさい。
 そしてそこに永続的に在りなさい。
 それは空にも、すべてに遍在するエーテルのなかにもない。
 神は偉大で素晴らしきすべてだ。
 私は無だ。
 何ももたず、何もできない。
 だが、すべては私から立ち現れる。
 その源が私だ。
 その根底と源泉が私なのだ。
 実在があなたのなかで爆発するとき、あなたはそれを神の体験と呼ぶかもし
 れない。
 あるいは、むしろ神があなたを体験していると言えよう。
 あなたが自己を知るとき、神があなたを知るのだ。
 実在はひとつの過程の結果ではない。
 それは爆発なのだ。
 それは明らかにマインドを超えたものだ。
 しかし、あなたにできることは、あなたのマインドをよく知ることだけだ。
 マインドがあなたを助けるのではない。
 だが、マインドを知ることで、マインドがあなたを無能(に)してしまうのを避け
 ることができる。
 あなたはとても注意深くならなければならない。
 さもなければ、マインドはあなたを裏切るだろう。
 それは泥棒を見守るようなものだ。
 泥棒から何かを期待しているわけではない。 
 だが、あなたは盗まれたくはない。
 同じように、マインドに対してあなたは何も期待することなく、多大な注意
 を払うのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

158 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/04(火) 22:33:31 ID:1d4drIFg0
心を注意深く観察する事が実践の全てなのじゃ。
 それ以外にすべきこともないのじゃ。
 それが出来れば実践できたことになるのじゃ。
 記憶や観念を観ないように気をつけなければいかんがのう。

159 避難民のマジレスさん :2018/09/05(水) 06:59:48 ID:LC3de7YgO
>>158
>心を注意深く観察する
>記憶や観念を観ないように気をつけなければいかん

うむ。
心に起こることは、全て観念=言葉とイメージでありますが、その物語りに巻き込まれずに、何かの反応として起こる感情や思考が起こったことを、起こった瞬間に気付けるように注意深くあればよいのでありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

160 避難民のマジレスさん :2018/09/05(水) 07:12:00 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 別の例をとってみよう。
 私たちは目覚め、そして眠る。
 一日の仕事の後に眠りはやってくる。
 さて、私が眠りに行くのだろうか、それともその特質であるように、眠りが
 私に侵入するのだろうか?
 言い換えれば、私たちが目覚めるのは私たちが眠っているからだ。
 私たちは本当の目覚めの状態に目覚めるのではない。
 目覚めの状態のなかに、無知によって世界は出現し、人を目覚めた夢の世界
 に連れだす。
 眠りも目覚めも、ともに正しい名称ではない。
 私たちは夢を見ているだけなのだ。
 真実の目覚め、真実の眠りはジニャーニだけが知っている。
 私たちは目覚めているという夢を見ている。
 私たちは眠っているという夢を見ている。
 三つの状態は、ただの異なった種類の夢の状態だ。
 すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
 夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
 ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
 て在ることの奴隷になってしまう。
 あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
 ことは奴隷状態の本質なのだ。
 実際には、私たちに物語はない。
 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
 すべてを夢と見て、動じずにいなさい。
 質問者 あなたに耳を傾けることで何の得があるのでしょう?
 マハラジ
 私は、あなたをあなた自身に呼び戻している。
 私があなたに求めることは、あなた自身を見ることだけだ。
 あなた自身に向かい、あなた自身のなかへと見入ることだ。
 質問者 目的は何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは生き、あなたは感じ、あなたは考える。
 あなたの生きること、感じること、考えることに注意を払うことで、あなた
 はそれから自由になり、それらを超えていく。
 あなたの人格は消え去り、観照者だけが残る。
 それから、あなたは観照者をも超える。
 どのようにそれが起こるのかを尋ねてはならない。
 ただ、あなた自身の内面を探りなさい。
 質問者 個人と観照者の違いは何によるのでしょうか?
 マハラジ
 どちらも意識の様式だ。
 一方で、あなたは欲望し恐れる。
 他方で、あなたは快楽と苦痛によって影響されず、出来事に動揺しない。
 あなたはそれらが来ては去るにまかせる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

161 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/05(水) 21:31:04 ID:1d4drIFg0
>>159 そうじゃ、心の働きをただありのままに観るのじゃ。
 それが真の観察なのじゃ。

 目覚めた者の教えは常に修行者の注意を自分自身に呼び戻すことじゃ。
 自分を観ることだけを要求するのじゃ。
 それが唯一の法なのじゃ。

162 避難民のマジレスさん :2018/09/05(水) 22:41:48 ID:LC3de7YgO
>>161
ありがとうであります。
くま家の墓碑銘は、「夢」であります。


|\
∴∴∴
(´・(ェ)・`)
.(つ旦と)
.と_)_)

163 避難民のマジレスさん :2018/09/05(水) 23:23:28 ID:LC3de7YgO
>>162
誤爆であります。
(´・(ェ)・`)つ

164 避難民のマジレスさん :2018/09/06(木) 00:09:21 ID:LC3de7YgO
>>162
くま、帰巣せり。
よくよく読んでみると、必ずしも誤爆でなかったようであります。
(´-・(ェ)・-`)つ

165 避難民のマジレスさん :2018/09/06(木) 07:03:47 ID:LC3de7YgO
>>160
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 どのようにして高次の純粋な観照状態のなかに確立するのでしょう
 か?
 マハラジ
 意識はそれ自体では輝かない。
 それは背後にある光によって輝くのだ。
 意識の夢のような性質を見た上で、意識がそのなかに現れ、存在を与えるそ
 の光を見いだしなさい。
 そこには意識の内容とその気づきがある。
 質問者 私は知っています。そして知っているということを知っています。
 マハラジ
 二つ目の知識が無条件で永遠のものなら、そのとおりだ。
 知られるものは忘れてしまいなさい。
 しかし、あなたが知る者だということは覚えていなさい。
 いつまでも体験に浸っていてはいけない。
 あなたはつねに不死不生であり、体験者を超えているということを覚えてお
 きなさい。
 それを覚えていることで、純粋な知識の質である無条件の気づきの光が出現
 するだろう。
 質問者 人はどの時点で実在を体験するのでしょうか?
 マハラジ
 体験とは変化するものだ。
 それは来ては去っていく。
 実在は出来事ではなく、それを体験することもできない。
 それは出来事を知覚するようには知覚できないのだ。
 もし実在が出現するのを待っているなら、あなたは永遠に待たなければなら
 ないだろう。
 なぜなら、実在は来ることも去ることもないからだ。
 それは期待されることではなく、気づくことだ。
 予想して準備することではない。
 だが、熱望そのものと実在の探求が、実在の動き、行為、作用なのだ。
 あなたにできることは、核心を理解することだ。
 実在は出来事ではなく、起こることでもない。
 何であれ起こること、何であれ去来するものは実在ではない。
 出来事はただ出来事として、一時的なものは一時的なものとして、体験は体
 験として見なさい。
 そうすれば、あなたにできることはすべて為し終えたのだ。
 そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。
 出来事や体験に実在性を与えていたときのような、よろいはもはやつけてい
 ない。
 しかし、好きや嫌いといった選り好みが入り込んだとたん、あなたは仕切を
 下ろしたことになるのだ。
(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

166 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/06(木) 21:47:37 ID:1d4drIFg0
実在は体験されることなどないのじゃ。
ただそれであったと気づくだけなのじゃ。
一度としてそれでなかったことはないのじゃ。
永遠にそれだけが在ると気づくだけなのじゃ。

167 避難民のマジレスさん :2018/09/07(金) 06:14:41 ID:LC3de7YgO
>>165
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 実在はそれ自身を、知識よりもむしろ行為によって表現するのでし
 ょうか? あるいはそれは感情の類なのでしょうか?
 マハラジ
 行為も、感情も、思考も実在を表現することはない。
 実在の表現といったものはない。
 あなたは二元性のないところに二元性を持ち込んだのだ。
 実在だけが在る。
 ほかには何もない。
 目覚め、夢見、眠りという三つの状態は私ではなく、私はそれらのなかには
 いない。
 私が死ぬとき、世界は「ああ、マハラジが亡くなった!」と言うだろう。
 しかし私にとって、それらは内容のない言葉であり、無意味なのだ。
 グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
 食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
 くように、すべては起こる。
 すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
 それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
 それは私の場合も同様だ。
 すべては必要にしたがって起こる。
 しかも、何も起こってはいないのだ。
 私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
 自体は架空のものだと知っているのだ。
 質問者 それでは、なぜ生きるのですか? なぜこれらすべての不必要な、
 来ては去り、目覚めては眠り、食べては消化するといったことを続
 けるのでしょう?
 マハラジ
 何ひとつ私によっては為されない。
 すべてはただ起こるのだ。
 私は期待しないし、計画も立てない。
 ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
 それらが非現実だと知りながら――。
 質問者 真我を実現した最初の瞬間から、あなたはつねにこのようだったの
 でしょうか?
 マハラジ
 いつものように三つの状態は交替する。
 そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
 それらはただ起こる。
 私には何も起こらないのだ。
 そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
 在―意識―至福がある。
 私はつねにそのなかに在る。
 いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできな
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

168 素人A :2018/09/07(金) 09:00:42 ID:gOqWUDAs0
何故か今朝は暇でもむなしい時間が何か楽しく無い こんなときしょうがない
諦めて ため息ついた後 暇つぶし時間つぶしに椅子禅するかいいすねと
私が行動した仏もつづく楽しく無い時はほんの少し無料の坐禅がある

169 避難民のマジレスさん :2018/09/07(金) 20:12:24 ID:h5P9mv0k0
アルコール依存者や性依存者は、依存を引き起こすようなトリガーや快楽の種になる対象を
生活圏から排除する努力は必要でしょうか?
居酒屋やコンビニには近づかない。
パソコンに保存しているポルノ動画を消す、等。

その上で原因を観察していく、と言う流れがよろしいでしょうか。

170 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/07(金) 22:36:37 ID:1d4drIFg0
 言葉でも思考でも感情でも意識は現せないのじゃ。
 一切の観念を超えているので在るからのう。
 観念を超えたものを観念の範疇で現すことは不可能なのじゃ。
 ただ一切の苦が無くなり、死も超えた境地と説く他は無いのじゃ。
 後は自ら悟りを得て確かめるのじゃ。


>>169 それも役立つじゃろう。
 見たり聞いたりすると欲しくなるというからのう。
 制感もよいのじゃ。
 
 そのようにするとよいじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

171 避難民のマジレスさん :2018/09/08(土) 10:06:49 ID:LC3de7YgO
>>167
> そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
 在―意識―至福がある。
 私はつねにそのなかに在る。

「実在」がマハラジの「悟り」でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

172 避難民のマジレスさん :2018/09/08(土) 10:12:53 ID:LC3de7YgO
>>165
> そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。

とは、どう言うことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

173 避難民のマジレスさん :2018/09/08(土) 10:21:01 ID:LC3de7YgO
>>167
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 それでも、あなたは意識しています!
 マハラジ
 そうとも言えるし、またそうでないとも言える。
 そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。
 できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。
 私はほとんど気がつかないほどだ。
 質問者 もし私があなたを正しく理解したとすると、修練によって培うこと
 ではこの状態はやってきません。
 マハラジ
 やってくるということはない。
 それはつねにそうだったのだ。
 発見はあった。
 そして、それは突然のものだった。
 誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を
 発見したのだ。
 質問者 それは雲がかかっていて、あなたのサーダナ(修練)が霧を晴らし
 たのでしょうか? あなたの状態は永久なものでしょうか、断続的
 なものでしょうか?
 マハラジ
 絶対的に揺るぎのないものだ。
 私が何をするにせよ、それは岩のように不動なのだ。
 ひとたび実在に目覚めたならば、あなたは実在のなかにとどまる。
 子供は子宮のなかに戻りはしない! 
 それはシンプルな状態だ。
 極小よりもさらに小さく、極大よりもさらに大きい。
 それは自明であるにもかかわらず、描写を超えた彼方に在る。
 質問者 それへの道はあるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
 ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
 壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
 何も私を煩わさない。
 問題が起こっても私は抵抗しない。
 それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
 あなたの側には、とても多くの問題がある。
 私の側にはまったく問題がない。
 私の側に来なさい。
 あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
 何であれ起こることは起こるだろう。
 必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
 誠実さが要なのだ。
 質問者 私にできるでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 あなたには彼岸に渡る充分な能力がある。
 ただ、誠実でありなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

174 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/08(土) 21:44:19 ID:1d4drIFg0
>>171 そうじゃろう。
 不死の境地なのじゃ。

>>172 敏感になっているというような意味じゃろう。
 傷付くことは無いのじゃ。
 自分を守るよろいが無くなり、実在に対して敏感で鋭敏になっているとかなのじゃ。

175 避難民のマジレスさん :2018/09/09(日) 07:52:33 ID:LC3de7YgO
>>174
鬼和尚、いつもありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

176 避難民のマジレスさん :2018/09/09(日) 08:27:14 ID:LC3de7YgO
>>173
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】

 マハラジ
 世界を知覚する者は、世界以前に存在するのだろうか、あるいは、彼は世界
 とともに存在を現すのだろうか?
 質問者 何と奇妙な質問でしょうか? なぜあなたはそんな質問をされるの
 ですか?
 マハラジ
 あなたがその正しい解答を知らないかぎり、平和を見いだすことはできない
 からだ。
 質問者 私が朝目覚めるとき、世界はすでにそこにあって私を待っています。
 もちろん、世界が先に存在の中に現れ、私はずっと後になって、も
 っとも早くて私が誕生したときに現れます。世界と私の間では、身
  体が媒介となります。身体なしでは私も世界も存在しないでしょう。
 マハラジ
 身体はあなたのマインドのなかに現れ、マインドはあなたの意識の内容なの
 だ。
 あなたはあなたを変えることなしに永遠に変化しつづける意識の流れの不動
 の観照者だ。
 あなたの不変性があまりにも明白なため、それに気づかないだけだ。
 あなた自身をよく見てみなさい。
 そうすれば、それらすべての誤解や誤った観念は溶け去るだろう。
 魚が水のなかに生き、水なしでは生きられないように、全宇宙もあなたのな
 かに在り、あなたなしでは在りえないのだ。
 質問者 それは私たちが神とよぶものです。
 マハラジ
 神はあなたのマインドのなかの概念にすぎない。
 あなたは事実だ。
 あなたが知っているたったひとつ確かなことは、「ここに今、私は在る」と
 いうことだ。
 「ここと今」を取り除きなさい。
 「私は在る」が確固として残る。
 世界は記憶のなかに存在する。
 記憶は意識のなかに現れる。
 意識は気づきのなかに存在し、気づきは存在の水面上の光の反映なのだ。
 質問者 それでも、まだ私にとってはその反対の、「私は世界のなかに在る」
 ということがあまりにも明白であり、どうして世界が私のなかにあ
 るのか理解できません。
 マハラジ
 「私は世界であり、世界は私だ」と言うことさえ無知のしるしだ。
 しかし、人生において、世界との自己同一化をマインドのなかに保ち確信す
 るとき、無知を破壊し、完全に焼き尽くそうとする力が沸き上がってくるの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

177 避難民のマジレスさん :2018/09/09(日) 08:32:17 ID:LC3de7YgO
>>176
ふむふむ。
 「私は世界であり、世界は私だ」などと言ったら、
>無知のしるし
どころが、狂人のようでありますが、それは、
>人生において、世界との自己同一化をマインドのなかに保ち確信す
 るとき、無知を破壊し、完全に焼き尽くそうとする力が沸き上がってくるの
 だ。

実在に気付く、= 悟る 為のテクニックなのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

178 避難民のマジレスさん :2018/09/09(日) 21:15:11 ID:jfWCoXjM0
鬼和尚、4章のコメントもお願いします。

179 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/09(日) 22:51:42 ID:1d4drIFg0
>>177 そうじゃ、世界は自分なのじゃ。
 神も人の観念が作ったものじゃ。
 それに気づくのじゃ。

>>178 書くじゃろう。

180 避難民のマジレスさん :2018/09/10(月) 06:53:04 ID:LC3de7YgO
>>176
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】(つづき)

 質問者 無知の観照者は、無知から分離しているのでしょうか? 「私は無
 知だ」ということは無知の一部分ではないでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、私が偽りなく言えることは、「私は在る」だけだ。
 それ以外はすべて推測だ。
 しかし、推測が習慣になってしまったのだ。
 考えることと見ることというすべての習慣を打ち破りなさい。
 「私は在る」という感覚が顕現の根本的な原因だ。
 それを自己、神、実在、あるいはほかの名で呼んでもいい。
 「私は在る」は世界のなかにある。
 しかし、それは世界の外に出るための扉を開く鍵なのだ。
 水面に踊る月は、水のなかに見られる。
 だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。
 質問者 それでも、まだ私は要点を逃しているようです。私がそのなかで生
 き、動き、存在する世界が私自身の創造、私自身の投影、私の想像
 だということは認めます。未知の世界、あるがままの世界、「絶対
 的物質」の世界、その物質が何であれ。映画のスクリーンがその上
 に投影された画像とはまったく似ていないように、私自身が創造し
 た世界は究極の、実在の世界とはまったく似ていないものかもしれ
 ません。それにもかかわらず、絶対の世界は私にまったく依存せず
 存在しているのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 あなたのマインドがその上に相対的な非実在の世界を投影してきた絶対的実
 在の世界は、あなたに依存していない。
 その単純な理由とは、それがあなた自身だからだ。
 質問者 そこに言葉の矛盾はありませんか? どうして非依存性が自己同一
 性を証明できるのでしょうか?
 マハラジ
 変化の動きを調べてみなさい。
 そうすればわかるだろう。
 あなたが不動である間、変わることのできるものはあなたに依存しないと言
 える。
 だが不変なるものは、何であれそれ以外の不変であるものとひとつなのだ。
 なぜなら、二元性は相互作用を暗示し、相互作用は変化を意味するからだ。
 言い換えれば、絶対的に物質的なものと絶対的に霊的なもの、完全に客観的
 なものと完全に主観的なものは、実体においても本質においても等しいとい
 うことだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

181 避難民のマジレスさん :2018/09/10(月) 21:33:42 ID:HSQ6dzY60
>>180
いつもありがとうございます。本が分厚いのでこうして分けてくださることで
飛ばし読みしていた部分が復習できて、とても勉強になります。

この質問者はどうして空の月に還る方法を尋ねなかったのでしょう?
本当に知りたいのはそれだけのような気がします。

182 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/10(月) 22:46:24 ID:1d4drIFg0
右とか左とか上とか下とか分別するのが相対なのじゃ。
それは人が観念によってつくったものに過ぎないのじゃ。
左右上下も同じ空間なのじゃ。
それを越えたところに絶対性が在るのじゃ。

183 避難民のマジレスさん :2018/09/11(火) 07:53:12 ID:LC3de7YgO
>>180
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】(つづき)

 質問者 三次元画像のように、光はそれ自身のスクリーンなのですね。
 マハラジ
 どんな比較もあてはまるだろう。
 理解すべき主要な点は、あなたがあなた自身の上に欲望と恐れの記憶をもと
 とした、想像の世界を投影したということだ。
 そして、そのなかにあなた自身を監禁したのだ。
 その魔法を解いて自由になりなさい。
 質問者 どのように魔法を解けばいいのでしょうか?
 マハラジ
 思考と行為において、あなたの非依存性を主張しなさい。
 結局、すべてはあなたが見、聞き、考え、感じることが現実だと確信するあ
 なた自身の信念にかかっているのだ。
 なぜあなたの信念を疑わないのか?
 この世界が意識のスクリーンの上に、あなたによって描かれたものだという
 ことは疑いないのだ。
 そして、それは完全にあなたの個人的な世界だ。
 たとえ世界のなかにあろうとも、あなたの「私は在る」という感覚だけが、
 世界に属さないものだ。
 どのような理論や想像による努力によっても、「私は在る」を「私はいない」
 に変えることはできない。
 あなたの存在を否定することが自体が、あなたの存在を主張している。
 ひとたび世界はあなた自身の投影だと悟れば、あなたはそれから自由だ。
 あなた自身の想像のなかにしか存在しない世界から自由になる必要はない!
 いかにその絵が美しくとも、あるいは醜くとも、それはあなたが描いたもの
 であり、あなたはそれに束縛されないのだ。
 誰もあなたにそれを押しつけてはいないということを悟りなさい。
 それは想像を現実と見なす習慣によるものなのだ。
 想像を想像としてみなさい。
 そして恐れから自由になるがいい。
 このカーペットの色は光によってもたらされたものだが、光がその色ではな
 いように、世界もあなたによって現れたが、あなたが世界なのではない。
 世界を創造し維持するものを、あなたは神、あるいは神の摂理と呼ぶかもし
 れない。
 しかし究極的には、あなたが神の存在の証明なのだ。
 その反対ではない。
 なぜなら、神についてのどんな質問をする前にも、尋ねるあなたがそこにい
 なければならないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

184 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/11(火) 21:48:19 ID:1d4drIFg0
人が認識する全ての世界は自らの心によって作られているから自ら解放することもできるのじゃ。
神もまた自らの観念であるから自ら作り出し、解放する事もできるのじゃ。
人が居なくなれば全ての世界は消え、神も消えるのじゃ。
そして人はいなくなる前に自らの意思で世界も神も消すこともできるのじゃ。

185 避難民のマジレスさん :2018/09/12(水) 07:01:45 ID:LC3de7YgO
>>183
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】(つづき)

 質問者 神は時間のなかでの体験です。しかし、体験者は時間を超えていま
 す。
 マハラジ
 体験者さえも二次的なものだ。
 根源は無限なる意識の広がりだ。
 存在してきた、存在する、存在するだろうすべての計り知れない可能性なの
 だ。
 何であれあなたが目にするとき、それは存在の究極を見ているのだ。
 だが、あなたは雲や樹を見ていると想像してしまう。
 想像なしに見ること、歪みなしに聞くことを学びなさい。
 それがすべてだ。
 本質的に無名無形のものに、名前や形が属すると考えることはやめなさい。
 あらゆる知覚の形態は主観的なものであり、見たことや聞いたこと、触れた
 ものやにおいをかいだもの、感じたことや思ったこと、期待したことや想像
 したことは、すべて実在のなかではなく、マインドのなかにあるのだと悟り
 なさい。
 そうすれば、あなたは平安を体験し、恐れから自由になるだろう。
 「私は在る」という感覚さえも、純粋な光の存在の感覚から成るのだ。
 「在る」なしでも「私」はそこに在る。
 同様に、純粋な光もあなたが「私」と言おうと言うまいと、そこに在るのだ。
 その純粋な光に気づきなさい。
 そうすれば、けっしてそれを失うことはない。
 存在のなかの存在性、意識のなかの気づき、すべての体験への関心、それは
 描写不可能でありながら、完全に入手可能なものだ。
 なぜならそれ以外には何も存在しないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

186 素人A :2018/09/12(水) 08:21:10 ID:gOqWUDAs0
マハラジさんは何時も脳天気で悔やむ事はないのだろうか
まあ僧言う役だからまあ良いか でも一人でため息ついてたばこの輪を
空にうかべたら絵になる風景か 一休み お役目ご苦労さん

187 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/12(水) 22:24:48 ID:1d4drIFg0
全ては本来名づけられず、形も無いものじゃ。
それを分別して記憶から名前や形を投射しているだけなのじゃ。
観念の世界がそのようにして作られるのじゃ。
それでもそこから抜け出すことは誰にでもできるものじゃ。
なぜならば真の実在は全てである意識だけで在るからのう。

188 避難民のマジレスさん :2018/09/13(木) 06:42:58 ID:LC3de7YgO
>>185
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】(つづき)

 質問者 あなたは実在について、すべてに偏在し、常在、永遠、全知であり、
 すべてにエネルギーを与える第一の要因だと直接の体験から語って
 います。実在についての討論をまったく拒絶するほかの師たちもい
 ます。彼らは実在はマインドを超え、すべての討論は非実在の巣窟
(そうくつ)であるマインドの領域にある、と言っています。彼ら
 のアプローチは否定的なものです。非実在を正確に示すことで、そ
 れ自体を超えて実在にたどり着くのです。
 マハラジ
 違いは言葉の上にしかない。
 結局のところ、私が実在を語るとき、それは非実在ではないもの、空間も時
 間もなく、原因がなく、無始無窮(むきゅう)のものとして描写する。
 つまりは同じことなのだ。
 荷車が進んでいくかぎり、それを押すか引くかは問題ではない。
 あるときには実在に引きつけられ、別のときには偽りに対して反発を感じる。
 それらはただ気分が交互に入れ代わっただけだ。
 完全な自由に向かうためには、どちらも必要なものだ。
 あなたはある道を選び、あるいは別の道を選ぶ。
 だが、それぞれのときにそれは正しい道となる。
 ただ全身全霊で行きなさい。
 疑いやためらいに時間を費やしてはならない。
 多くの種類の食べ物が子供の成長にとって必要だ。
 だが、食べるという行為は同じだ。
 理論的には、すべてのアプローチが正しい。
 実際には、与えられたときにおいて、あなたはひとつの道を進むだけだ。
 もし本当に見いだしたいならば、遅かれ早かれひとつの場所だけを掘り進ま
 なければならないことを発見するに違いない。
 それが内面なのだ。
 身体もマインドも、あなたが探し求めているものを与えてくれはしない。
 あなたの探求はあなた自身を知り、あなた自身であること。
 そして、それとともにやってくる大いなる平安だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

189 素人A :2018/09/13(木) 12:16:24 ID:gOqWUDAs0
私には身の置き所で自分でも何手ちいさな自分なんだろうと思い
でも此処に身を置いていると不安でアドレナリンは騒ぎ立て不安が
ないと動物は身を守れ無いしひっ様な行為何だ用煩悩馬鹿に出来ない
まあレベル低いんですよ まあなんとかかんとかで説きすすんで行く野鴨
なんでマハラジさんは向こう空みられるのかタバコ屋儲かっているのか
僧言う人で食うには困らないほど稼いでいる野鴨かあちゃんや子供は
いない野鴨 まあひとそれぞれでまあ良い化 私の心は安定しないけど

190 避難民のマジレスさん :2018/09/14(金) 06:04:11 ID:LC3de7YgO
>>188
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】(つづき)

 質問者 すべてのアプローチには、かならず何らかの有益な効力があるはず
 です。
 マハラジ
 どの場合にもその価値は、あなたの内面の探求の必要性へと導くことにある。
 さまざまなアプローチに遊び興じるのは、誰か特別な存在として在るという
 幻想を放棄することを恐れた、内側へ入ることへの抵抗かもしれない。
 水を探すために小さな穴を至るところに掘ったりはしない。
 ただ、一カ所を深く掘りつづけるだけだ。
 同様に、あなた自身を見いだすためには自己を探求しなければならない。
 あなたが世界の光だと悟ったとき、あなたはその愛だということも悟るだろ
 う。
 知ることが愛すること、愛することが知ることなのだ。
 すべての愛情のなかで、自己への愛が最初に来るものだ。
 世界へのあなたの愛は、あなた自身へのあなたの愛の反映なのだ。
 世界はあなた自身の創造なのだから。
 光と愛は非個人的なものだ。
 しかし、それはあなたのマインドのなかで、知ることと自己の幸せを想うこ
 ととして映る。
 私たちはいつも私たち自身に対して親しく在る。
 だが、いつも賢明だとは言えない。
 ヨーギとは智慧と善意が手を取り合っている人だ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

191 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/14(金) 22:19:02 ID:1d4drIFg0
アートマンの法では全てを無として観るのじゃ。
ブラフマンの法では自分がどんどん広がっていくとイメージするのじゃ。
どちらも恐れずに実践し続ければ悟りも得られるのじゃ。
ただ一つの法をどこまでもやり続けるのが肝心なのじゃ。 
それをマハラジはただ一カ所を深く掘り続けるだけと語っているのじゃ。

192 避難民のマジレスさん :2018/09/15(土) 12:10:12 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】

 質問者 私は話を聞くよりもむしろ、あなたとともにいるためにやってきま
 した。言葉では多くを語れません。沈黙はより雄弁です。
 マハラジ
 まずは言葉、それから沈黙だ。
 沈黙のためには成熟しなければならない。
 質問者 私は沈黙のなかで生きることができるでしょうか?
 マハラジ
 非利己的な仕事は沈黙へと導く。
 なぜなら、私利私欲なしに働くとき、あなたは助けを求める必要がない。
 結果に頓着せず、もっとも不適切な方法で働くことも厭わない。
 才能のあるなしや、用意が整っているかも気にせず、認められることも、援
 助も求めない。
 あなたはただ為すべきことを為し、成功や失敗は未知なるものに預ける。
 なぜなら、すべては無数の要因によって起こり、あなたの努力は、そのなか
 のひとつにすぎないからだ。
 しかし、人類の意志と愛がひとつになるとき、もっとも起こりそうにないこ
 とが起こる。
 人のマインドとハートの魔法とはそういうものなのだ。
 質問者 価値のある仕事のとき、援助を求めることに何の間違いがあるでし
 ょう?
 マハラジ
 求める必要がどこにあるだろうか?
 それはただ、弱さと不安を表しているだけだ。
 働きつづけなさい。
 そうすれば、宇宙はあなたとともに在るだろう。
 つまるところ、正しいことをしているという考えは未知なるものからやって
 くる。
 結果に関するかぎりは未知なるものにゆだねるがいい。
 ただ必要な行動を通り抜けるだけだ。
 あなたは因果関係の長い連鎖のなかのひとつの輪にすぎないのだ。
 根本的に、すべてはただマインドのなかで起こる。
 あなたが何かのために全身全霊で着々と働くとき、それは起こる。
 なぜなら、ものごとを起こらせることがマインドの機能だからだ。
 実際には、何の欠如も必要もない。
 すべての仕事はただ表面上のものだ。
 その深みには完全な平和がある。
 すべての問題が現れるのは、あなたが自分自身を定義し、それゆえ限定した
 からだ。
 あなたが自分自身をあれやこれやと考えないとき、すべての葛藤はやむ。
 問題に対処しようとするいかなる試みも、失敗せざるをえない。
 なぜなら、欲望によって起こったことは、欲望から自由になることによって
 のみ、取り消すことができるからだ。
 あなたは自分自身を時間と空間のなかに閉じこめ、一生という期間と、身体
 という容積のなかに自分を押し込めてしまった。
 それゆえ、生と死、快楽と苦痛、期待と恐れという無数の葛藤をつくり出し
 たのだ。
 幻想を放棄せずに、問題を追い払うことはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

193 避難民のマジレスさん :2018/09/15(土) 12:15:01 ID:LC3de7YgO
>>192
ここで、語られてる非利己的な仕事とは、まさにバガヴァッド・ギーターのカルマヨーガのことでありますね!
(´・(ェ)・`)b

194 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/15(土) 21:27:19 ID:1d4drIFg0
↑そういえるじゃろう。
マハラジも当然カルマヨーガを知っていたじゃろう。
為すべきことを為し、成功や失敗は未知なるものに預けるというのが正しくカルマヨーガの教えなのじゃ。
実践してみるとよいのじゃ。

195 避難民のマジレスさん :2018/09/16(日) 11:37:06 ID:LC3de7YgO
>>192
1『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 個人はもともと限定されるものです。
 マハラジ
 個人というようなものは存在しない。
 そこにはただ制限と限定があるだけだ。
 それらの定義の総計が個人なのだ。
 あなたが何なのかを知るとき、あなたはあなた自身を知っているかのように
 考える。
 しかし、あなたはけっしてあなたが誰なのかを知らないのだ。
 壺のなかの空間が壺の匂いと容積と形を一見もっていると見えるように、個
 人はただ現れたように見えるだけだ。
 あなたはあなたが自分自身だと信じているものではないということを見抜き
 なさい。
 あなたとは名づけることのできる、描写可能なものだという観念に対して全
 力で闘いなさい。
 あなたは存在しないのだ。
 あれやこれといった言葉で自分自身を思うことを拒否しなさい。
 調べることなく、盲目的に受け入れることでつくり出してきた惨(みじ)め
 さからの出口はほかにないのだ。
 苦しみは探求への呼びかけだ。
 すべての痛みは調べられることが必要なのだ。
 考えることをおろそかにしてはならない。
 質問者 行動は実在の本質です。働かないことのなかには何の徳もありませ
 ん。考えることとともに何かが為されなければなりません。
 マハラジ
 世界のなかで働くことは難しい。
 すべての不必要な仕事をやめることは、さらに難しい。
 質問者 個人としての私にとってこれらはみな不可能なように見えます。
 マハラジ
 あなた自身について、あなたは何を知っているだろうか?
 あなたは、真実あなたであるものとしてだけ在ることができる。
 あなたでないものとしては、そう現れるように見えるだけだ。
 あなたは完全性からけっして離れたことがない。
 すべての自己改善という観念は、慣習的な、言語上のものだ。
 太陽が暗闇を知らないように、自己は非自己を知らない。
 他者を知ることで他者に成ってしまうのはマインドなのだ。
 それにもかかわらず、マインドこそがほかでもない自己なのだ。
 自己は他者、非自己になり、しかも自己として残る。
 それ以外のすべては見せかけにすぎない。
 雲が太陽に影響を与えることなく太陽を覆(おお)い隠してしまうように、
 見せかけは実在を破壊することなしに実在を隠してしまう。
 実在の破壊という観念自体、道理に合わない。
 破壊者はつねに破壊されたものよりもリアルなのだ。
 実在は究極の破壊者だ。
 すべての分離、あらゆる疎遠や疎外は偽りだ。
 すべてはひとつだ――これがあらゆる衝突の最終的な解決法なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

196 避難民のマジレスさん :2018/09/16(日) 11:41:21 ID:LC3de7YgO
>>195
>太陽が暗闇を知らないように、自己は非自己を知らない。
> 雲が太陽に影響を与えることなく太陽を覆(おお)い隠してしまうように、
 見せかけは実在を破壊することなしに実在を隠してしまう。
 実在の破壊という観念自体、道理に合わない。
 破壊者はつねに破壊されたものよりもリアルなのだ。
 実在は究極の破壊者だ。

↑くまにも分かる例えばなしであります。
(´・(ェ)・`)つ

197 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/16(日) 23:57:16 ID:1d4drIFg0
自分という幻想がそれ自体の非存在を知ることはないのじゃ。
自分は幻想として有り、妄想を産むだけであるからのう。
自分という幻想から産まれた妄想に人は現実であるというさらなる幻想を抱くのじゃ。
そのようにして迷いの上に迷いを重ねる様になるのじゃ。

198 避難民のマジレスさん :2018/09/17(月) 08:41:08 ID:LC3de7YgO
だから、サマディから我にかえる時や眠りからの目覚めの時などに、自我が生じる瞬間をとらえろと言われるのでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

199 避難民のマジレスさん :2018/09/17(月) 08:53:37 ID:LC3de7YgO
>>195
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 こんなにも多くの指導や援助にもかかわらず、私たちが進歩をとげ
 ないのはなぜでしょうか?
 マハラジ
 私たちが自分たちを他者からまったく離れた、分離した人物だと想像するか
 ぎり、本質的に非人格である実在を理解することはできない。
 まず私たちが次元も時間も超えた観察の中心である観照者としての私たち自
 身を知らなければならない。
 そしてそのとき、マインドと物質の両方であり、そのどちらをも超えた広大
 無辺で純粋な覚醒の大洋を悟るのだ。
 質問者 実在において私が何であろうと、私は小さな分離した数多くのなか
 のひとりの個人だと感じます。
 マハラジ
 あなたが個人として在るのは、時間と空間という幻想のためだ。
 あなたが自分をある容積を占有する、ある点だと想像しているからだ。
 あなたの人格は身体との同一視によるものだ。
 あなたの思考と感情は時間の連鎖のなかに存在し、記憶があなた自身をある
 期間、存在しつづけていると想像させるのだ。
 実際には、時間と空間があなたのなかに存在する。
 あなたが時間と空間のなかに存在するのではない。
 それらは知覚の様式だ。
 だが、それらがすべてなのではない。
 時間と空間は紙の上に書かれた文字のようなものだ。
 紙は現実だが、言葉は表現のための約束事にすぎない。
 あなたは何歳だろうか?
 質問者 四十八です。
 マハラジ
 何があなたを四十八歳と言わせるのだろう?
 何があなたを「私はここにいます」と言わせるのだろう?
 憶測から生まれた言葉の習慣だ。
 マインドは時間と空間をつくり出し、自らの創造を実在と見なすのだ。
 すべては今ここに在る。
 だが、私たちはそれを見ない。
 本当は私のなかに、私によってすべてが在る。
 ほかには何もない。
 「ほか」という考えそのものが災いなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

200 避難民のマジレスさん :2018/09/17(月) 09:01:34 ID:LC3de7YgO
>>199
>時間と空間は紙の上に書かれた文字のようなものだ。
 紙は現実だが、言葉は表現のための約束事にすぎない。

>マインドは時間と空間をつくり出し、自らの創造を実在と見なすのだ。
 すべては今ここに在る。
 だが、私たちはそれを見ない。
 本当は私のなかに、私によってすべてが在る。
 ほかには何もない。
 「ほか」という考えそのものが災いなのだ。
(´・(ェ)・`)つ

201 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/17(月) 19:28:49 ID:1d4drIFg0
>>198 そうじゃ、その一瞬だけ人は自分という幻想から離れられるのじゃ。
 直ぐに自分という幻想を思い出してしまうがのう。
 その前の一瞬を捉えて観察できたならば観照も起こり、無我になるのじゃ。

 自分から自他の全ての幻想が起こるのじゃ。

202 避難民のマジレスさん :2018/09/18(火) 07:00:27 ID:LC3de7YgO
>>199
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 人格化の原因、時間と空間のなかでの自己限定の原因は何なのでし
 ょうか?
 マハラジ
 存在しないものが原因をもつことはできない。
 分離した個人というようなものは存在しないのだ。
 経験的見地から言っても、すべてがすべての原因であることは明らかだ。
 すべてはあるがままだ。
 なぜなら、宇宙全体があるがままだからだ。
 質問者 それでも、人格に原因はあるはずです。
 マハラジ
 人格はどのようにして存在を持つのだろうか?
 記憶によってだ。
 現在を過去と同一視し、未来へと投影することによってだ。
 あなた自身を過去も未来もない、一時的なものとして考えてみなさい。
 あなたの人格は消え去るだろう。
 質問者 「私は在る」は残らないのでしょうか?
 マハラジ
 「残る」という言葉は当てはまらない。
 「私は在る」はつねに新鮮なものなのだ。
 あなたが在るために、覚えている必要はない。
 実際問題として、あなたが何かを体験する前に、そこには存在の感覚がなけ
 ればならないからだ。
 現在、あなたの存在は体験することと混同している。
 あなたに必要なことは、体験のもつれから存在を解きほどくことだけだ。
 ひとたびあなたがあれやこれとして在ることのない純粋な存在を知ったなら
 ば、もはやそれを体験のなかから認識することも、名前や形によって迷わさ
 れることもないだろう。
 自己限定は人格の主要な本質なのだ。
 質問者 どのようにして私は普遍的になれるのでしょうか?
 マハラジ
 だが、あなたは普遍なのだ。
 あなたはすでにそうであるものになることはできないし、またなる必要もな
 い。
 ただ、あなた自身が特定の存在だと想像するのをやめなさい。
 去来するものは存在をもたない。
 それはその現れそのものが実在のおかげをこうむっている。
 あなたは世界が在ることを知っているが、世界はあなたのことを知っている
 だろうか?
 すべての知識は、すべての存在とすべての喜びとしてあなたから生じる。
 あなたが永遠の源であり、すべてはあなた自身のものなのだと悟りなさい。
 そのような受容が真の愛なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つつく)

203 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/18(火) 22:13:27 ID:1d4drIFg0
マハラジも記憶に拠って自我があると知っていたのじゃ。
人格も記憶の産物なのじゃ。
他と違う自分という記憶を再生して自我を保っているだけなのじゃ。
それが自分であり、自分を守ると信じているのじゃ。

204 避難民のマジレスさん :2018/09/19(水) 06:57:54 ID:LC3de7YgO
>>202
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 あなたの言われることはどれもすばらしい話です。しかし、どのよ
 うにしてそれをひとつの生き方にすればよいのでしょうか。
 マハラジ
 家を一歩も出たことがないのに、あなたは家への帰り道を尋ねている。
 誤った考えを捨て去りなさい。
 それだけだ、
 正しい考えを寄せ集めることも助けにはならない。
 ただ、想像することをやめなさい。
 質問者 それは達成という問題ではなく、理解の問題なのですね。
 マハラジ
 理解しようとしてはならない
 誤解しなければそれで充分だ。
 解放を得るためにマインドに頼ってはいけない。
 あなたを束縛へと追いやったのはマインドなのだ。
 それをすべて超えていきなさい。
 はじまりのないものに原因はありえない。
 あなたは、あなたが何であるかを知っていて、それから忘れてしまったわけ
 ではない。
 ひとたび知れば、あなたは忘れることはできない。
 無知にははじまりがない。
 しかし、終わりはある。
 誰が無知なのか、と探求しなさい。
 そうすれば、無知は夢のように溶け去る。
 世界は矛盾でいっぱいだ。
 それゆえ、あなたは調和と平和を探しているのだ。
 それらを世界のなかに見いだすことはできない。
 世界とは混沌(こんとん)の子供だからだ。
 秩序を見いだすためには、あなたは内面を探求しなければならない。
 あなたが身体の中に生まれて、はじめて世界は存在を表す。
 身体がなければ、世界はない。
 まずあなたが身体なのかどうか、探求しなさい。
 世界を理解することは、後にそれにしたがってやってくるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

205 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/19(水) 22:05:49 ID:1d4drIFg0
知識はそれだけでは助けにならないとマハラジも語っているのじゃ。
無用な知識をいくら集めても無意味なのじゃ。
実践のための知識があれば十分なのじゃ。
自分の心の内面を探求することがマハラジによって説かれたその知識なのじゃ。
それは全てのブッダ達の教えと同じなのじゃ。

206 避難民のマジレスさん :2018/09/20(木) 07:33:45 ID:LC3de7YgO
>>204
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 あなたの言われることは納得のいくものです。しかし、それらが世
 界のなかで、世界に属する個人として在る人にとって、何になると
 いうのでしょうか?
 マハラジ
 多くの人がパンを食べている。
 だが小麦についてすべてを知っている人は、ほんのわずかだ。
 そして、それを知っている人だけがパンを改良することができる。
 同様に、自己を知る人だけ、世界を超えた彼方を見た人だけが世界を改善で
 きるのだ。
 個人としてある人たちにとって、彼らの価値は途方もないものだ。
 なぜなら、彼らだけが自分たちの解放への唯一の期待だからだ。
 世界のなかに在るものが、世界を救うことはできない。
 もしあなたが本当に世界を救おうとするなら、そこから出なければならない
 のだ。
 質問者 しかし、世界から出ることができるのでしょうか?
 マハラジ
 世界とあなた、どちらが先に生まれたのだろうか?
 世界が先だと考えるかぎり、あなたはそれに縛られているのだ。
 疑いの跡形もなく、世界はあなたのなかに在り、あなたが世界のなかに在る
 のではないとひとたび悟れば、あなたは外に出ている。
 もちろん、あなたの身体は世界のなかに、世界に属したままだ。
 だが、あなたはもはやそれに惑わされはしない。
 すべての聖典は世界が存在する前に創造者が存在したと言っている。
 誰が創造者を知っているのだろうか? 
 創造者以前に存在したのは、すべての世界とその創造物の源である、あなた
 の真我だけなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

207 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/20(木) 19:52:43 ID:1d4drIFg0
全ての世界は人の観念によって作られたものじゃ。
認識が無ければ世界も無いものじゃ。
全ての世界は認識されたものであり、認識できない認識主体から産まれるものじゃ。
それがわかれば世界の外に出ているといえるのじゃ。

208 避難民のマジレスさん :2018/09/20(木) 20:22:16 ID:LC3de7YgO
>>207
むかし、プレデターって映画をみたのであります。
昆虫みたいな宇宙人と、地球の英雄が戦うのでありますが、
宇宙人の見ている世界は、人には見えない赤外線や紫外線みたいな映像なのであります。
観念の世界は、自分の世界でしかなく、見ている対象そのものではないのでありますね。
自分が自分であると思ってるものも、幻想でありますね。
くまも、何とかして世界の外に出たいであります。
(´・(ェ)・`)つ

209 避難民のマジレスさん :2018/09/21(金) 06:48:40 ID:LC3de7YgO
>>206
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 あなたの言われることはすべて、世界があなた自身の投影だという
 仮定によって筋が通ります。あなたは個人的主観的な世界、感覚と
 マインドを通してあなたに与えられた世界を認めています。その意
 味では、わたしたちそれぞれが投影による世界に生きているという
 ことです。それらの個人的な世界はほとんど互いに通ずることもな
 く、それらの中心である「わたしは在る」から現れ、そのなかに溶
 け去っていきます。しかし、間違いなくその個人的世界の背後には、
 共通の客観的世界があるはずです。その客観的世界のなかで、個人
 的世界はただの影にすぎません。あなたはそのようなすべてに共通
 な客観的世界を否定しますか?
 マハラジ
 実在は主観的でも客観的でもなく、マインドでも物質でもなく、時間でも空
 間でもない。
 これらの区分には、それが起こる当の人、意識的な分離した中心が必要とな
 る。
 しかし、実在はすべてであり無であり、全体性と排他性であり、充満と虚空
 であり、完全に首尾一貫し、絶対的に矛盾したものだ。
 それについて語ることはできないのだ。
 あなたは、ただあなた自身をそのなかに失うことができるだけだ。
 あなたが実在ではないものすべてをどこまでも拒絶していくと、最終的に否
 定しきれず残されたものにであう。
 ジニャーナ(真理の知識)に関する話はすべて無知の印だ。
 知らないのだと想像し、それから知るようになるのはマインドなのだ。
 実在はこれらの歪曲に関して何も知らない。
 創造者としての神という理念さえも偽りだ。
 わたしは自己の存在を何かほかの存在に負うだろうか? 
 わたしは存在する。
 それゆえ、すべては存在するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

210 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/21(金) 21:17:06 ID:1d4drIFg0
>>208 そうじゃ、世界は見る者によって全く違うのじゃ。
 同じ世界でもプレデターのように赤外線や紫外線で観れば違うように、観念で異なる世界をそれぞれの人間は観ているのじゃ。
 世界を創る自分が観られればそれも消えるのじゃ。

マハラジも創造者としての観念すらも偽りというのじゃ。
真の世界の創造者は自分の心なのじゃ。
それを超越すればもはや語る術も無い不死の境地に入るのじゃ。

211 避難民のマジレスさん :2018/09/22(土) 08:11:36 ID:LC3de7YgO
>>209
『I AM THAT 私は在る』
【45 去来するものは存在を持たない】(つづき)

 質問者 どうしてそうあり得るでしょう? 子供は世界のなかに生まれます。
 世界が子供のなかに生まれるのではありません。世界は古く、子供
 は新しいのです。
 マハラジ
 子供はあなたの世界に生まれてくるのだ。
 さて、あなたは世界のなかに生まれたのだろうか、それとも、世界があなた
 に対して現れたのだろうか? 
 生まれるということはあなた自身を中心として、あなたの周りに世界をつく
 り出すことだ。
 しかし、あなたがあなた自身を創造したのだろうか? 
 あるいは、誰かがあなたを創造したのだろうか? 
 誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、そのなか
 で生きているのだ。
 わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在生を否定することだけ
 だ。
 質問者 眠りの間に目覚めの状態が種子として存在するように、生まれてく
 ることによって子供がつくり出した世界も、子供の誕生以前に存在
 していたのです。その種子は誰とともにあるのでしょうか?
 マハラジ
 死と誕生を観照し、しかもけっして生まれず死ぬこともないその人とともに
 ある。
 ただ彼だけが創造の種子であり、最後に残るものなのだ。
 マインドの彼方に何があるのかを、マインドに確認するよう頼むわけにはい
 かない。
 直接体験だけが唯一有効な証拠なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

212 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/22(土) 22:33:28 ID:1d4drIFg0
自分が自分と世界を作り出す。
それは真実で在るが知る者は少ないのじゃ。
世界が有り、自分が生じたと思っておる。
それが人の信じる神話なのじゃ。
それこからぬけ出す直接体験とはその欺瞞を完全に観察する事なのじゃ。

213 避難民のマジレスさん :2018/09/23(日) 05:45:04 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】

 質問者 私の職業は医師です。外科からはじめて、現在は精神医学をやって
 います。また、信仰による精神的健康とヒーリングに関する何冊か
 の著作があります。あなたから霊的健康の法則を学ぶために来まし
 た。
 マハラジ
 あなたが患者を治療しようとするとき、正確には、あなたは何を治そうとし
 ているのだろうか?
 治療とは何だろうか?
 人が治ったと言えるのはどの時点だろうか?
 質問者 私は身体を治療すると同時に、身体とマインドのつながりも改善し
 ようとします。また、マインドを回復させようともします。
 マハラジ
 あなたはマインドと身体の連結を調べただろうか?
 どの点でそれらは連結しているのだろうか?
 質問者 身体と内在する意識の間にマインドがあるのです。
 マハラジ
 身体とは食べ物によってできたものではないだろうか?
 質問者 身体は食べ物によって築かれ維持されています。食べ物なしにはマ
 インドは通常衰弱していきます。しかし、マインドは単なる食べ物
 ではありません。そこにはマインドを身体のなかにつくり出す、あ
 る変容させる要因があります。その変容させる要因とは何でしょう
 か?
 マハラジ
 木が木ではない火を生みだすように、身体は身体ではないマインドをつくり
 出すのだ。
 しかし、マインドは誰にとって現れるのだろう?
 あなたがマインドと呼ぶ思考や感情を知覚するのは誰だろうか?
 木があり、火があり、火を楽しむ人がいる。
 誰がマインドを楽しむのだろうか?
 楽しむ人もまた食べ物の結果だろうか、あるいはそれに依存しないのだろう
 か?
 質問者 知覚する人は依存しません。
 マハラジ
 どうやってあなたは知るのだろう?
 あなた自身の体験から語りなさい。
 あなたは身体でもなくマインドでもないと言う。
 どのようにしてそれを知るのだろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

214 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/23(日) 22:11:50 ID:1d4drIFg0
マインドや身体という分別さえも人の観念が作り出すものじゃ。
それらは別々のものではなく関連しあって働くのじゃ。
そして認識されているものなのじゃ。
それに気付いた時に個我も離れるのじゃ。

215 避難民のマジレスさん :2018/09/23(日) 22:42:18 ID:LC3de7YgO
>>214
うむ。
銀河中心に支配された、片隅の太陽系の中の地球上の全ては海と大地と大気で繋がってるのでありますね。
宇宙に支配されてると思うことは、そのように思い描く、くまにより支配されてるのだとも言えるわけでありますね。
思い描けることは全て、夢でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

216 避難民のマジレスさん :2018/09/24(月) 06:47:53 ID:LC3de7YgO
>>213
1『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 私は本当は知りません。そう推測したのです。
 マハラジ
 真理は永遠のものだ。
 実在は不変だ。
 変化するものは実在ではない。
 実在は変化しない。
 さて、あなたのなかで変化しないものとは何だろうか?
 食べ物があるかぎり、身体とマインドはある。
 食べ物がなくなれば、身体は死に絶える。
 マインドは溶け去る。
 だが、観察者は消えるだろうか?
 質問者 私は消え去らないと思いますが、証拠がありません。
 マハラジ
 あなた自身がその証拠なのだ。
 ほかのどんな証拠もあなたはもっていないし、もつこともできない。
 あなたはあなた自身だ。
 あなたはあなた自身を知り、あなた自身を愛している。
 何であれマインドがすることは、それ自身への愛のためにするのだ。
 自己の本性そのものが愛なのだ。
 それは愛し、愛され、そして愛すべきものだ。
 身体とマインドをそんなにも興味深く、親しくするのは自己だ。
 それらに与えられる配慮自体も自己からやってくるのだ。
 質問者 もし真我が身体でもマインドでもないなら、身体とマインドなしに
 自己は存在できるのでしょうか?
 マハラジ
 できる。
 自己がマインドと身体から独立した存在だということは実際の体験なのだ。
 それは存在―意識―至福だ。
 存在の意識は至福なのだ。
 質問者 それはあなたにとっては実際体験でしょうが、私にとってはそうで
 はありません。私はどのようにして同じ体験に行き着くことができ
 るでしょうか? 何の修練にしたがい、どのような訓練をすればよ
 いのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが身体でもマインドでもないと知るには、あなた自身を油断なく揺る
 ぎなく見守ることだ。
 また、あなたの身体とマインドに影響を受けることなく、完全に距離を置き、
 あたかも死んでいるかのように生きるがいい。
 つまりあなたは身体にもマインドにも既得権をもっていないという意味だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

217 避難民のマジレスさん :2018/09/24(月) 10:51:05 ID:LC3de7YgO
>あたかも死んでいるかのように生きるがいい。
 つまりあなたは身体にもマインドにも既得権をもっていないという意味だ。

←うぅむ。
実際は、いろいろ感じるし思う。
そこを我慢して、
なにも感じない、なにも思わない。
そのように振る舞うことが修行でありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

218 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/24(月) 21:10:41 ID:1d4drIFg0
>>215 そうじゃ、全て繋がっているのじゃ。
 個我は夢なのじゃ。

>>217 そうじゃ、死んで死に切るのじゃ。
 そうすれば自分では無い者が感得されるのじゃ。

 
 意識は肉体や思考感情などがなくなっても消えることは無いのじゃ。
 全てがそれなのじゃ。

219 避難民のマジレスさん :2018/09/25(火) 06:21:27 ID:LC3de7YgO
>>216
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 それは危険です!
 マハラジ
 私はあなたに自殺しろと言っているのではない。
 それに、あなたにはできない。
 あなたが殺せるのは身体だけだ。
 精神的過程を止めることはできないし、あなたがあなただと考えている個人
 に終止符を打つこともできないのだ。
 ただ、影響を受けずにいなさい。
 このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
 存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
 だ。
 身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
 しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
 られるのだ
 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
 た自身ではないのだと思い出しなさい。
 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
 まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
 なぜなら、記憶が体験となるからだ。
 誠実さが存在を明かすのだ。
 想像し、決意したことが現実となる。
 ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。
 あなたがどのようにして不変である本来の自己を身体とマインドから切り離
 したのか、話してみなさい。
 質問者 私は医者です。私は多くを学び、訓練方法としての厳しい制御と、
 定期的な断食を自らに課してきました。私は菜食主義者です。
 マハラジ
 しかし、ハートの奥底で、本当にあなたが欲しているものは何だろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

220 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/25(火) 22:29:17 ID:1d4drIFg0
本来の自己というものがあるというわけではないのじゃ。
それを探求していけば自分の観念に気付くのじゃ。
それが私は在るという探求の道なのじゃ。
認識できないものにまで探求が進めば自分もなくなるのじゃ。

221 避難民のマジレスさん :2018/09/26(水) 06:47:02 ID:LC3de7YgO
>>216
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 それは危険です!
 マハラジ
 私はあなたに自殺しろと言っているのではない。
 それに、あなたにはできない。
 あなたが殺せるのは身体だけだ。
 精神的過程を止めることはできないし、あなたがあなただと考えている個人
 に終止符を打つこともできないのだ。
 ただ、影響を受けずにいなさい。
 このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
 存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
 だ。
 身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
 しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
 られるのだ
 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
 た自身ではないのだと思い出しなさい。
 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
 まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
 なぜなら、記憶が体験となるからだ。
 誠実さが存在を明かすのだ。
 想像し、決意したことが現実となる。
 ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。
 あなたがどのようにして不変である本来の自己を身体とマインドから切り離
 したのか、話してみなさい。
 質問者 私は医者です。私は多くを学び、訓練方法としての厳しい制御と、
 定期的な断食を自らに課してきました。私は菜食主義者です。
 マハラジ
 しかし、ハートの奥底で、本当にあなたが欲しているものは何だろうか?
 質問者 私は実在を見いだしたいのです。
 マハラジ
 実在のために、どれほどの代償を支払う用意があるのかね?
 いくらでもかまわないかね?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

222 避難民のマジレスさん :2018/09/26(水) 06:52:16 ID:LC3de7YgO
>>221
> 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
 た自身ではないのだと思い出しなさい。
 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
 まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
 なぜなら、記憶が体験となるからだ。
 誠実さが存在を明かすのだ。
 想像し、決意したことが現実となる。
 ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。

←死んだように生きたり、全てである実在のように生きたりしてれば、いつかそうなると言う、イメージトレーニングでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

223 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/26(水) 21:53:33 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、そのように意志が在るから悟りも得られるのじゃ。
全てが観念であり、妄想であるならば何をしようと逃れられない筈で在るからのう。
ただ意志によって解脱を目指すことで観念妄想からも離れる道が見出されるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。

224 避難民のマジレスさん :2018/09/27(木) 06:35:47 ID:LC3de7YgO
>>221
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 理論的には、いかなる代償も支払う用意があります。実際の人生で
 は、何度も何度も私と実在の間を阻むような行動をさせられてきま
 した。欲望が私を夢中にさせるのです。
 マハラジ
 あなたの欲望を、実在以外にはそれを満たすことができなくなるほど増大さ
 せ、拡大させなさい。
 欲望が間違いなのではない。
 だがその狭さ、小ささが間違いだ。
 欲望とは献身だ。
 ぜひとも真実に、かぎりなきものに、生命の永遠のハートに献身しなさい。
 欲望を愛に変容させなさい。
 あなたが求めているのは幸福であることだけだ。
 あなたのすべての欲望はそれが何であれ、あなたの幸福への熱望の表現なの
 だ。
 基本的に、あなたはあなた自身の幸福を望んでいるのだ。
 質問者 そうすべきではないと、私は知っています……。
 マハラジ
 何だって!
 誰がそうすべきではないとあなたに言ったのかね?
 幸せになることの何が悪いのか?
 質問者 自己は去らねばなりません。
 マハラジ
 しかし、自己はそこにある。
 あなたの欲望はそこにある。
 あなたの幸福への熱望はそこにある。
 なぜか?
 なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。
 あなた自身を愛しなさい。
 賢明に。
 あなたを苦しめることになるような、愚かな仕方であなた自身を愛してはな
 らない。
 あなた自身を賢明に愛しなさい。
 耽溺(たんでき)も禁欲も、ともにあなたを幸せにする同じ目的をもってい
 る。
 耽溺は愚かな方法であり、禁欲は賢い方法だ。
 質問者 禁欲とは何でしょうか?
 マハラジ
 ひとたびあなたが体験を通り抜けたなら、ふたたびそれを通らないことが禁
 欲だ。
 不必要なことを避けることが禁欲だ。
 つねにものごとを制御することが禁欲だ。
 欲望自体は何も悪いものではない。
 それは生命そのもの、知識と体験のなかに成長しようとする衝動なのだ。
 間違いはあなたの選択にある。
 食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
 と想像するのは、自分自身を欺くことだ。
 あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
 に幸福にするのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

225 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/27(木) 21:28:27 ID:1d4drIFg0
欲そのものは生きるためとか、子孫繁栄の為に必要なものなのじゃ。
欲に強く囚われ、自他の不利益をも省みないようになってしまうのがいかんのじゃ。
それを仏教では煩悩の一つである貪欲と呼ぶのじゃ。
むさぼる欲なのじゃ。
名声や権力やセックスや金や食物に強く執着することは自らを欺くことでさえあるとマハラジは言うのじゃ。
それらは人を永遠の幸せに導くことは出来ないからなのじゃ。
不安や恐れ役からの一時の逃避に過ぎないのじゃ。
そうであるから意識して貪欲を離れる必要が在るのじゃ。

226 避難民のマジレスさん :2018/09/28(金) 06:38:44 ID:LC3de7YgO
>>224
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 自己愛の表現としての欲望が何も基本的に間違ったものではないと
 すれば、どのように欲望を扱えばよいのでしょうか?
 マハラジ
 つねにもっとも深い自己への興味を心に保ち、生を知的に生きなさい。
 結局、あなたが本当に欲しいのは何なのか? 
 完璧ではない。
 あなたはすでに完璧なのだ。
 あなたが求めているのは、あなたであるものを行為のなかで表現することな
 のだ。
 このためにあなたは身体とマインドを持っているのだ。
 それらを手にし、あなたに仕えさせなさい。
 質問者 ここで操作をする人は誰でしょうか? 誰が身体とマインドを手に
 しているのでしょうか?
 マハラジ
 浄められたマインドが自己の誠実な奉仕者なのだ。
 それが内面と外面の道具を監督し、それらを目的のために仕えさせるのだ。
 質問者 それらの目的とは何でしょう?
 マハラジ
 自己は普遍のものだ。
 そしてその目的も普遍のものだ。
 自己には個人的なものは何もない。
 秩序ある生を生きなさい。
 だが、それ自体を目的にしてはならない。
 それは高次の冒険のための出発点であるべきだ。
 質問者 あなたは私がインドを繰り返し訪れることを勧めますか?
 マハラジ
 もしあなたが真剣ならば、あちこち動き回る必要はない。
 どこにいようと、あなたはあなた自身だ。
 そして、あなたは自分自身の空気をまわりにつくり出す。
 移動や交通は解放を与えはしない。
 あなたは身体ではないのだ。
 身体を場所から場所へと引きずりまわしても、あなたをどこへも連れて行き
 はしない。
 あなたのマインドは三界を思いのままに行き来するのも自由なのだ。
 それを最大限に利用するがいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

227 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/28(金) 22:36:15 ID:1d4drIFg0
昔から悟りを求めて多くの者がインドに行ったりしたのじゃ。
そこで正しい師匠に会えば教えられるのは自分の心を観ることだけなのじゃ。
それならば特にインドには行かなくとも何時でも何処でも出来ることだったのじゃ。
真の探求とはいつでもそのようなものじゃ。
探している者が探し物、そのものだったと気付くのじゃ。

228 避難民のマジレスさん :2018/09/29(土) 07:59:40 ID:LC3de7YgO
>>226
『I AM THAT 私は在る』
【46 存在の意識は至福だ】(つづき)

 質問者 もし私が自由ならば、なぜ身体のなかにいるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは身体のなかにはいない。
 身体があなたのなかにあるのだ! 
 マインドはあなたのなかにある。
 身体とマインドはあなたに起こるのだ。
 それらがそこにあるのは、あなたがそれらに興味をもったからだ。
 あなたの本性は楽しむための無限の能力をもっている。
 いっぱいの情熱と愛情をもっている。
 それはその輝きを気づきの焦点のなかに来るすべてに放ち、何ひとつ除外さ
 れるものはない。
 あなたの本性は悪も醜さも知らない。
 それは期待し、信頼し、愛する。
 あなたたちはあなたの本来の自己を知らないことで、どれほど逃しているか
 を知らないのだ。
 あなたは身体でもマインドでもない。
 燃料でも火でもない。
 それらはそれら自体の法則にしたがって現れては消えるのだ。
 あなたであるそれ、あなたの本来の自己、あなたはそれを愛している。
 そして何であれあなたのすることは、あなた自身の幸福のためにするのだ。
 それを探し、それを知り、慈しむのはあなたの基本的な衝動なのだ。
 遙かなる昔から、あなたはあなた自身を愛してきた。
 だが、けっして賢明なやり方ではなかったのだ。
 自己に仕えるために、あなたの身体とマインドを賢く使いなさい。
 それだけだ。
 あなた自身の自己に真実でありなさい。
 あなた自身を絶対的に愛しなさい。
 他者をあなた自身のように愛しているというふりをしてはならない。
 彼らとあなたがひとつであると悟らないかぎり、あなたに彼らを愛すること
 はできない。
 あなたではないもののふりをしてはならない。
 あなたであることを拒んではならない。
 あなたの他者への愛は自己知識の結果であって、その原因ではない。
 真我の実現なしには、いかなる徳も本物ではない。
 すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、疑
 いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。
 あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべて
 の生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていること
 を知るだろう。
 しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せ
 ない。
 なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
 疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。
 それは悪循環だ。
 真我の実現だけがその輪を断ち切ることができる。
 固い決意でそれに向かいなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

229 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/29(土) 21:48:37 ID:1d4drIFg0
身体とマインドはあなたの中に起こるものだとマハラジは語るのじゃ。
それらはわたしでも自分でもなく、わたしや自分のものでもない。
身体もマインドも自分の全てではなく、私の中に起こるものであり、現象であるだけなのじゃ。
それらがなくなっても意識は有り続けるのじゃ。
ただ身体もマインドも今悟りを得るための道具に過ぎないのじゃ。

230 避難民のマジレスさん :2018/09/30(日) 07:39:56 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】の1

 質問者 本質の探究において、人はすぐに自らの無力さを知り、指導者や師
 の必要性を悟ります。これはある一定の試練を意味しています。な
 ぜなら、指導者を信頼し、彼の助言と教えに従うように期待される
 からです。しかし、それでも社会からの要求や圧力は非常に大きく、
 個人的欲望と恐れがあまりにも強力なため、服従に本質的なマイン
 ドの純真さと意志を得ることができません。どうすればグルの必要
 性と、神に絶対的な服従をすることの間にバランスを見いだせるで
 しょうか?
 マハラジ
 社会と環境からの圧力のもとに為(な)されたことはさほど重要ではない。
 なぜなら、それはほとんど機械的で、単に刺激に反応しているにすぎないか
 らだ。
 自分自身を冷静に見守り、起こっていることから自分自身を完全に孤立させ
 ることで充分だ。
 注意もせず、盲目のうちに為された行為はカルマ(運命)に加えられる。
 さもなければ、それは大した問題ではない。
 グルが要求することはひとつだけだ。
 明晰性と目的の強烈さ、自分自身に対する責任の感覚だ。
 世界の実在性そのものが疑われなければならない。
 結局のところ、グルとは誰か?
 世界も、それに関する考えも存在しない状態を知るその人、彼が至高の師だ。
 彼を見つけることは、もはや想像を実在と見なすことのない状態に達するこ
 とを意味する。
 どうか理解してほしい。
 グルは実在を、真理を、ただ在るものを象徴するのだ。
 彼は言葉の最上の意味において現実主義者だ。
 彼はマインドとその妄想に降伏できないだろうし、またしない。
 彼はあなたを実在へと連れていく。
 彼に何かほかのことを期待してはならない。
 あなたが考えている、情報や知識を与える人は真のグルではない。
 真のグルは実在を知り、見かけの魅力を超えているのだ。
 彼にとって、あなたの服従と試練に関する質問は意味をなさない。
 なぜなら彼にとって、あなたがあなた自身だと信じている個人は存在しない
 からだ。
 あなたの質問は非存在の個人に関するものだ。
 あなたにとって存在するものも、彼にとっては存在しない。
 あなたが当然と見なしていることを、彼は絶対的に否定する。
 彼はあなたに、彼があなたを見るように、あなた自身を見てほしいのだ。
 そうしたとき、あなたは服従し、したがうグルを必要とはしなくなるだろう。
 なぜなら、あなたはあなた自身の実在にしたがい服従するからだ。
 何であれ、あなたが自分自身だと見なしているのは、ただの一連の出来事に
 すぎない。
 すべてが起こり、去来する間、あなただけが移り変わるもののなかでの不変、
 推測されることのなかでの唯一自明のものなのだ。
 観察する者から観察されるものを分離しなさい。
 そして偽りの同一化を放棄するがいい。。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

231 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/09/30(日) 21:21:56 ID:1d4drIFg0
グルとは師匠のことなのじゃ。
真の師匠は修行者をただ悟りに導くだけなのじゃ。
知識や情報を与えるだけでは真の師匠ではないのじゃ。
自分自身を見ることを教えるのじゃ。
それだけが真の悟りへの道であるからのう。

232 避難民のマジレスさん :2018/10/01(月) 06:47:28 ID:LC3de7YgO
>>230
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】の(つづき)

 質問者 実在を見いだすため、道を妨げるすべてを捨て去らなければなりま
 せん。またその反対に、社会のなかで生き残っていく必要から、人
 はたくさんのことを為し、また耐えていくように強(し)いられま
 す。人は実在を見いだすために、職業や社会的立場を放棄するべき
 なのでしょうか?
 マハラジ
 仕事をするがいい。
 自由な時間があるとき、内面を見なさい。
 重要なことは、機会がそれ自体を差しだしているときを逃してはならないと
 いうことだ。
 もしあなたが真剣ならば、許された時間を最大限に使うだろう。
 それで充分だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

233 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/01(月) 22:13:27 ID:1d4drIFg0
マハラジもタバコ屋を経営していたのじゃ。
仕事をしながらでも悟りを得られるのじゃ。
悟った後も仕事をしようとすれば続けられるのじゃ。
仕事を言い訳にして修業をさぼっていてはいかんのじゃ。
死ぬ時になってもっと真面目に実践していればよかったと悔やまないようにするのじゃ。

234 避難民のマジレスさん :2018/10/02(火) 00:04:20 ID:LC3de7YgO
>>233
うむ。
くまもそう思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

235 避難民のマジレスさん :2018/10/02(火) 07:26:52 ID:LC3de7YgO
>>232
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】(つづき)

 質問者 私が本質を探究し、非本質的なものを捨て去っていくなかで、何か
 創造的な生活のための機会があるでしょうか? たとえば、私は絵
 を描くことを愛しています。もし私が余暇の時間を絵画に費やした
 ならば、それは助けになるでしょうか?
 マハラジ
 あなたが何をしようとも、あなたのマインドを見守りなさい。
 また、マインドが絶対的に静止した、完全な内なる平和と沈黙の時間をもた
 ねばならない。
 もしそれを逃せば、あなたはすべてを逃すことになる。
 もしそれを逃さなければ、マインドの沈黙がそれ以外のすべてを吸収し、溶
 かし去るだろう。
 あなたの困難は、実在を求めながら同時にそれを恐れていることだ。
 恐れているのは、あなたがそれを知らないからだ。
 なじみのあるものは知られている。
 あなたはそれらに安全を感じる。
 未知なるものは不確かであり、それゆえ危険なのだ。
 しかし、実在を知ることは、それとの調和のなかに在ることだ。
 そして調和のなかに恐れの居場所はない。
 幼児は自分の身体を知っている。
 だが、身体を基盤とした区別を知らない。
 ただ意識していて幸せなのだ。
 結局のところ、それこそが生まれてきた目的なのだ。
 在ることの喜びはもっともシンプルな形の自己愛だ。
 それは後に、真我への愛として成長する。
 幼児のように身体と自己の間に、何も妨げるものなく在りなさい。
 生活のなかでの絶え間ない精神的騒音は、そこには不在だ。
 深い沈黙のなかで、自己は身体を観照している。
 それはまだ、何も書かれていない白紙のようなものだ。
 その幼児のように在りなさい。
 あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありなさい。
 あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。
 だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだかるべきで
 はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

236 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/02(火) 22:17:43 ID:1d4drIFg0
>>234 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

悟りを得るための全ての実践は自らの心を見ることに他ならないのじゃ。
しかし、人は自らの心を見ることや自我を失うことを恐れているのじゃ。
 そのためになかなか進まないのじゃ。
今ここに在ることの安らぎを感じればもはや恐れも消えていくじゃろう。
そのようにして進んでいくと善いのじゃ。

237 避難民のマジレスさん :2018/10/03(水) 06:26:07 ID:LC3de7YgO
>>235
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】(つづき)

 質問者 ただ在ることで満足するのは、もっとも利己的な時間の過ごし方の
 なようですが。
 マハラジ
 もっとも価値のある利己的な在り方だ!
 真我以外のすべてを差し控えることで、利己的になるがいい。
 真我以外の何も愛さないとき、あなたは利己的と非利己的をともに超えてい
 く。
 すべての区別はその意味を失い、ひとつの愛とすべての愛は、純粋でシンプ
 ルな、誰に対してでもなく、誰をも拒まない愛のなかでともに溶けあうのだ。
 その愛のなかに住みなさい。
 深く、より深くそのなかに入っていきなさい。
 あなた自身を探求しなさい。
 そして探求を愛しなさい。
 そうすれば、あなたはあなた自身の問題だけではなく、人類全体の問題も解
 決するだろう。
 表面的な質問をしてはならない。
 本質的な、あなたの存在の根そのものに向かいなさい。
 質問者 私の真我の実現を早める方法はあるでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、ある。
 質問者 誰がそれを早めるのでしょうか? あなたが私のためにしてくれる
 のでしょうか?
 マハラジ
 あなたがするのでも、私でもない。
 それはただ起こるのだ。
(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

238 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/03(水) 21:59:44 ID:1d4drIFg0
アートマンの探求、その実践こそこの世で最も価値の在る事じゃ。
その他のことは全て差し控えて善いのじゃ。
仕事も肉体を維持して実践の時間をつくるためのものじゃ。
それに囚われすぎて実践の時間をとられてはいかんのじゃ。

239 素人A :2018/10/03(水) 22:27:27 ID:/mRrWwwM0
やっぱ役を演じる役者の役が無いと世界劇団の芝居は恥まらないし
何も無い時間が永遠にあっても楽しいも苦しいも無く妄想でも楽しくで
世界は始まつたけど楽しいだけの世界もすぐ厭きてドラマチックな苦楽いマックス
の山あり谷有りの仏の感激はまあよいけど、役者の立場からみればなんで苦しみが
あるのかの不満もでる?神さんは最初からスーパーコンピューターに操られた賢い
ロホットをで世界劇を演じそれを見せられても何画正解だいや世界だと仏から不満が
でと視聴率は稼げなく、でも今こうなっているのがまあ正解なだと歴史は証明するし
私は毎度迷走するし、一途なあ人もいるけどでも私はタコ足配線で自分の面倒もみれないし

240 避難民のマジレスさん :2018/10/04(木) 05:36:40 ID:LC3de7YgO
>>237
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】(つづき)

 質問者 私がここに来たということ自体がそれを証明しています。この加速
 は聖者との交わりによるものでしょうか? 前回、私がここを去っ
 たとき、戻ってくることを願っていました。そして、私は戻ってき
 たのです! 今、私はもうすぐイギリスに帰らなくてはならないこ
 とで絶望しています。
 マハラジ
 あなたは生まれたばかりの赤ん坊のようなものだ。
 それは生まれる以前も存在していた。
 だが、その存在を意識してはいなかったのだ。
 誕生とともにそのなかに世界が立ち現れ、それとともに存在の意識が現れる。
 今、あなたは意識のなかでただ成長するだけだ。
 子どもはその世界の王だ。
 成長すると、その王国を管理しはじめる。
 幼少期に深刻な病気にかかり、医師がそれを治したと想像してみなさい。
 幼い王にとって、彼の王国は医師の恩恵をこうむっているのだろうか?
 おそらく貢献した要因のひとつとしてはそうだろう。
 ほかにも多くの要因があり、すべてが貢献したのだ。
 しかし主要な原因、もっとも決定的なものは、彼が王の息子として生まれた
 という事実だ。
 同様に、師も助けはするかもしれない。
 しかし、主要な助けとなるのは、あなたが内なる真理をもっているというこ
 とだ。
 それがそれ自体を主張するのだ。
 あなたがここに来たことは間違いなく助けになっただろう。
 だが、それがあなたを助ける唯一のことではない。
 重要なのはあなた自身の存在だ。
 あなたの誠実さ自体がそれを証明するのだ。
 質問者 私が絵の仕事に従事することは、私の誠実さを否定することになる
 でしょうか?
 マハラジ
 もうすでに言ったはずだ。
 あなたが平和な時間を豊富に自分に許すかぎり、あなたのもっとも敬うべき
 仕事を間違いなく実践できる。
 それらの内なる沈黙の時間がすべての障害を必ず焼き尽くすだろう。
 その効力を疑ってはならない。
 試してみなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

241 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/04(木) 21:28:19 ID:1d4drIFg0
悟りへの道は自分自身の心の中にあるものじゃ。
師匠もそこへの道しるべに過ぎないのじゃ。
真摯に求めるならば仕事も障害にはならないのじゃ。
却って真実を知る役目を果たすことにもなるのじゃ。

242 避難民のマジレスさん :2018/10/05(金) 05:55:22 ID:LC3de7YgO
>>240
『I AM THAT 私は在る』
【47 あなたのマインドを見守りなさい】(つづき)

 質問者 ですが、私は試したのです!
 マハラジ
 けっして忠実にではなく、堅実にでもなかった。
 そうでなければ、あなたはこのような質問をしたりはしないだろう。
 自分に確信がもてないから尋ねるのだ。
 あなたに確信がないのは、体験にばかり注意を払って、けっして自分自身に
 注意を払わなかったからだ。
 すべての体験を超え、あなた自身に興味をもちなさい。
 あなた自身とともに在りなさい。
 あなた自身を愛しなさい。
 究極の安全は自己知識のなかにだけ見いだすことができる。
 重要なのは誠実さだ。
 自分自身に正直でありなさい。
 そうすれば、何もあなたを裏切ることはない。
 美徳や力は、子どもが遊ぶためのただのおもちゃのコインにすぎない。
 世界のなかでは、それらは有用だ。
 だが、あなたをそれから連れだしはしない。
 その彼方へと行くには不動の油断のなさ、平静な注意力が必要だ。
 質問者 では、身体的存在はどうなるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが健康なかぎり、生きつづける。
 質問者 内なる不動の生は、人の健康に影響を与えないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの身体は食べ物が変容したものだ。
 食べ物が粗雑なものか、繊細なものかによって、あなたの健康も決まるだろ
 う。
 質問者 では、性的本能には何が起こるでしょうか? それはどのように制
 御することができるでしょうか?
 マハラジ
 セックスは後天的な習慣だ。
 超えていきなさい。
 身体に焦点を合わせているかぎり、あなたは食べ物とセックス、恐れと死に
 捕らえられたままだ。
 あなた自身を見いだし、自由になりなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

243 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/05(金) 22:37:58 ID:1d4drIFg0
悟りの道に入るのには自分自身に対して真摯であらねばならないのじゃ。
自分の心の全てを自分に打ち明け、受け容れるのじゃ。
誠実に徹底的に自分に心を明け渡したならば変容が訪れるのじゃ。
自分自身に誠実であれというのはそういうことなのじゃ。

244 避難民のマジレスさん :2018/10/06(土) 05:35:52 ID:LC3de7YgO
>>242
1『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】

 質問者 私はシュリー・ラマナ・アシュラムから、今着いたばかりです。そ
 こで7ヶ月間過ごしました。
 マハラジ
 アーシュラムでは、何の修練をしていたのかね?
 質問者 できるかぎり、「私は誰か?」に集中していました。
 マハラジ
 どのようにしていたのだろうか?
 言葉を使ってかね?
 質問者 一日のうちで私が自由にできる時間に、ときには「私は誰か?」
「私だ。しかし、私は誰なのか?」と自分自身につぶやきながら、
 あるいはそれをマインドのなかで行っていました。ときには何か良
 い感じがしたり、まったく幸せな気分になったりしました。概して、
 体験を得ようと骨を折るよりも、静かに受容的であろうとしていま
 した。
 マハラジ
 あなたが正しい心もちでいたとき、実際には何を体験したのだろうか?
 質問者 内なる静けさ、平和、沈黙です。
 マハラジ
 自分が無意識になったときに気づいたときがあったろうか?
 質問者 はい。ときには、とても短い間ですが。そうでなければ、私はただ
 内側でも外側でも静かにしていただけです。
 マハラジ
 それはどのような静かさだったのだろうか?
 何か深い眠りに似た、それでもやはり意識のある、目覚めた眠りの類(たぐ
 い)だろうか?
 質問者 はい。油断なく気づきながら眠っている状態(ジャーグラット―ス
 シュプティ)です。
 マハラジ
 重要なのは欲望、恐れといったマインドの「六つの敵 *」である否定的感情
 から自由になることだ。
 ひとたび、マインドがそれらから自由になれば、あとはたやすい。
 洗剤に浸けおいた布がきれいになるように、純粋な感情の流のなかでマイン
 ドは浄化されるのだ。
 あなたが静かに座り自己を見つめるとき、あらゆることが表層に現れてくる
 かも知れない。
 それらに対して何もしてはいけない。
 自己は存在として知られ、非自己は一時的なものとして知られる。
 しかし実際は、すべてはマインドのなかにあるのだ。
 観察されるもの、観察、そして観察者は精神的構成概念にすぎない。
 真我だけが在るのだ。

 * 訳注 「六つの敵」 性欲、怒り、強欲、妄想、慢心、羨望。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

245 避難民のマジレスさん :2018/10/06(土) 05:45:34 ID:LC3de7YgO
>>243
邪な思いも、情けない思いも、強欲な思いも、また、それが嫌だなと言う思いも、全てをありのままに観察して、その思いを観察していることに気づき、
その心ののスクリーンに映っては消える「思い」に気づいているものが実在なのでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

246 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/06(土) 21:35:36 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、全てを観ているのじゃ。
決してなくなることも眠ることも無いのじゃ。
それだけが在ると言えるのじゃ。
それに達するまで精進あるのみなのじゃ。

247 避難民のマジレスさん :2018/10/07(日) 08:43:55 ID:LC3de7YgO
>>244
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 なぜマインドはこれらの区別をつくり出すのでしょうか?
 マハラジ
 区別することはマインドの本性そのものなのだ。
 区別すること自体に害はない。
 しかし分離は事実に反している。
 ものごとや人びとはさまざまだ。
 しかし、それらは分離していない。
 自然はひとつ、実在はひとつだ。
 反対のものはあっても、対立はないのだ。
 質問者 私は自分がたいへん活動的な性質だと気づきました。ここにいる間、
 私は活動を避けるように勧められました。不活発になろうとすれば
 するほど、何かをしようとする衝動は大きくなっていきます。これ
 が私を外面的に活動的にするばかりでなく、本質的にそうではない
 私になろうとする内面の葛藤ももたらします。仕事への切望に対す
 る治療法はあるのでしょうか?
 マハラジ
 仕事と単なる活動の間には違いがある。
 すべての自然は働いている。
 働くことは自然だ。
 自然は働くのだ。
 一方、活動は欲望と恐れ、所有し楽しむことへの切望、苦痛と消滅への恐怖
 を根底にしている。
 仕事は全体による全体のためのものだ。
 活動は自分による自分のためのものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

248 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/07(日) 22:05:48 ID:1d4drIFg0
自然な働きは人の体にも常に在るものじゃ。
瞑想をして意識に身をゆだねるとき、働きは起こり、自然に続いていくものじゃ。
そこには恐れも不安も無く、苦もないのじゃ。
人の活動は不安や恐れから起こるものであり、苦を引き起こすのじゃ。

249 避難民のマジレスさん :2018/10/08(月) 08:05:20 ID:LC3de7YgO
>>247
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 活動に対する治療法はあるのでしょうか?
 マハラジ
 それを見なさい。
 そうすれば、それは止むだろう。
 あなたが束縛のなかにいること、何であれ、あなたに起こることは身体的存
 在という事実によることを、あらゆる機会を使って自分に思い起こさせなさ
 い。
 欲望、恐怖、困難、喜び、それらは現れる対象であるあなたがいないかぎり、
 現れることはできない。
 それにもかかわらず、何であれ起こることは知覚する中心としてのあなたの
 存在を指し示す。
 指し示すものは無視し、それらが何を示しているのかに気づきなさい。
 それはとても簡単だが、実行されなければならない。
 重要なことは、あなた自身に戻りつづけるという持続性なのだ。
 質問者 私は自分のなかに深く没頭してしまう奇妙な状態に陥ります。それ
 は、しかし予期できない、一時的なものなのです。そのような状態
 を自分でコントロールできるとは思いません。
 マハラジ
 身体は物質的なものであり、変えるには時間がかかる。
 マインドは考え方と感じ方という精神的習慣の集合だ。
 変えるためには、それらは表層に引き出され、調べられなければならない。
 これもまた時間がかかる。
 ただ決心し、たゆまずやり通すことだ。
 あとはそれ自身が面倒を見るだろう。
 質問者 どうやら私は何をすべきか、という明確な計画をもったようです。
 しかし私は疲れ、ふさぎこんで友人たちを求め、そうして孤独と瞑
 想に与えられるべき時間を浪費してしまうのです。
 マハラジ
 あなたの感じるようにするがいい。
 自分を責めるのはやめなさい。
 暴力はあなたを固く、厳しくしてしまう。
 道の上の障害と闘ってはならない。
 ただそれらに関心をもちなさい。
 それらを見て、観察し、調べなさい。
 良いこと悪いこと、何であれあるがままに起こらせるがいい。
 だが、あなた自身を起こることのなかに沈みこませてはならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

250 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/08(月) 22:20:59 ID:1d4drIFg0
マハラジの言うとおり何が起ころうと観察し続けることが大事なのじゃ。
心身にさまざまな反応や逃避が起ころうと、それを観察していれば消えるのじゃ。
常に観察の対象を自分自身に戻り続けるのじゃ。
それこそが実践なのじゃ。

251 避難民のマジレスさん :2018/10/09(火) 06:59:37 ID:LC3de7YgO
>>249
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 自分が観照者だとつねに思い起こさせる目的は何なのでしょうか?
 マハラジ
 動き回るマインドの彼方には、不変なる気づきという背景が存在する。
 マインドは本来の自己を知り、それを敬い、月食で月が太陽を隠すように、
 それを覆(おお)い隠すことをやめなければならない。
 ただ観察可能なもの、体験可能なものは何ひとつあなたではなく、またあな
 たを束縛することはできないということを自覚しなさい。
 あなた自身ではないものに注意を払いなさい。
 質問者 あなたが言ったことをするには、私は絶え間なく気づいていなけれ
 ばなりません。
 マハラジ
 気づくことは目覚めることだ。
 気づかないことは眠っていることだ。
 いずれにせよ、あなたは気づいている。
 そうあろうと試みる必要はない。
 あなたに必要なのは、気づいていることに気づくことだ。
 意図的に、そして意識的に気づいていなさい。
 気づきの領域を広げ、そして深めなさい。
 あなたはつねにマインドを意識している。
 だが、あなた自身が意識していることに気づいてはいないのだ。
 質問者 私が理解するには、あなたは「マインド」「意識」「気づき」とい
 う言葉に、明確に区別された意味を与えています。
 マハラジ
 こういうふうに見てみなさい。
 マインドは、たとえあなたが見ていないときでも、想いを絶え間なく生みだ
 している。
 マインドのなかで何が起こっているかを知っているとき、あなたはそれを意
 識と呼ぶ。
 あなたの意識は感覚から感覚へ、知覚から知覚へ、観念から観念へと果てし
 ない連続のなかで移行している。
 これがあなたの目覚めの状態だ。
 そしてマインドの全体性、意識全体への直接の洞察である気づきが現れる。
 マインドは川のように、身体の川床のなかを絶えず流れている。
 あなたはあなた自身を一瞬ある特定の波と同一化し、それを「私の想い」と
 呼ぶのだ。
 あなたが意識するすべてはあなたのマインドであり、気づきとは意識の全体
 性の認識だ。
 質問者 誰もが意識しています。しかし、誰もが気づいているわけではあり
     ません。
 マハラジ
 「誰もが意識している」と言ってはならない。
 「意識がそこにはある」と言いなさい。
 そのなかですべては現れ消えていく。
 私たちのマインドは意識の大海の波にすぎない。
 波としてのそれは、来ては去っていく。
 海としてのそれは、無限で永遠だ。
 あなた自身を生命の大海、すべての存在の子宮として知りなさい。
 もちろん、これらはすべて隠喩だ。
 実在は描写を超えている。
 あなたはそれで在ることによってのみ、それを知ることができるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

252 素人A :2018/10/09(火) 08:26:19 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん 我々は何から逃げているのだろう
ほんとは皆悟っているのは間違いないのに悟りを認めないという事なのかも
悟りなんて特別なものでは無いし永遠に平凡だし詰まらないホカホカになる野鴨
でも中心に置ければまんざらでも曼荼羅になる野鴨。さあホカホカ行こう

253 素人A :2018/10/09(火) 09:44:19 ID:gOqWUDAs0
夏の日の午後 サマディ 悟後 孝子さん無意識に洒落たのか
https://www.youtube.com/watch?v=c3Ux83iBtrQ

254 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/09(火) 21:00:30 ID:1d4drIFg0
>>252 孤独とか寂しさとか恐れとか不安から逃げているのじゃ。
 それを観るのじゃ。

 意識がそこには在るとマハラジは語るのじゃ。
 存在すると言えるのはそれだけなのじゃ。
 全ては意識の現われなのじゃ。
 無限で永遠なのじゃ。
 そしてその言葉通りでもないものじゃ。
 自ら悟りを得ることでのみ知ることができるのじゃ。

255 避難民のマジレスさん :2018/10/10(水) 05:43:31 ID:LC3de7YgO
>>251
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 それを探求することに苦労するだけの価値があるのでしょうか?
 マハラジ
 それがなければ、すべてが苦労だ。
 もしあなたが正気で、創造的に、幸福に、そして分かちあえる無限の豊かさ
 をもって生きたいと願うならば、あなたであるものを探求しなさい。
 マインドは身体の中心にあり、意識はマインドの中心にあるが、気づきは自
 由だ。
 身体はその衝動をもち、マインドはその苦痛と喜びをもっている。
 気づきは無執着で、不動だ。
 それは透明で、静かで、穏やかで、油断なく、恐れがなく、欲望も恐怖もな
 い。
 あなたの真の存在として、それに瞑想しなさい。
 そして日々の生活のなかでそれで在ろうと試みなさい。
 そうすれば、あなたはその豊かさを実現するだろう。
 マインドは起こっていることに関心をもつが、気づきはマインド自体に関心
 をもつのだ。
 子どもはおもちゃを追い求めるが、母親はおもちゃではなく子どもを見てい
 る。
 たゆまず見つづけることで、私は完全な虚空となったのだ。
 そしてその虚空とともに、すべては私に戻ってきた、ただマインドを除いて。
 私はマインドを失い、取り戻すことができないことに気づいたのだ。
 質問者 今、あなたは私たちに話しかけていますが、あなたは無意識なので
 しょうか?
 マハラジ
 私は意識でも無意識でもない。
 私はマインドと、その多様な状態と条件を超えているのだ。
 区別はマインドによってつくられ、マインドにのみ適用される。
 私は純粋な意識そのものだ。
 存在するものすべての完全な気づきだ。
 私は神聖な状態にいる。
 個人を構成する区分や分離に惑わされることはない。
 身体が続くかぎり、それにはその要求がある。
 しかし、私の精神的過程は終焉(しゅうえん)したのだ。
 質問者 あなたは考える人のようにふるまっていますが。
 マハラジ
 いけないかね?
 だが私の思考は消化作用のように無意識であり、意味のあるものだ。
 質問者 もしあなたの思考が無意識ならば、どうやってそれが正しいと知る
 のでしょうか?
 マハラジ
 それを妨げる何の欲望も恐れもないからだ。
 どうして間違いを犯すことができるだろうか?
 ひとたび自分自身と、自分が何を意味するのかを知れば、自分自身をつねに
 確かめる必要はない。
 あなたの時計が正確な時を告げていると知れば、それを見るたびにためらう
 必要はないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

256 素人A :2018/10/10(水) 09:28:31 ID:gOqWUDAs0
鬼おしょうさん我々動物や人間は孤独とか寂しさとか恐れとか不安かなど
身を守って動物として人間としてアドレナリン使わないと煩悩ないと
他に食われて生きていけない死でも心安らかに静かに休む時間もナイト
不味い。でも最近夜見る夢も怖い野ばかりで何か私はまだ野生に居る動物
なのか怖い恐竜に追いかけられ逃げて隠れる夢もみるし本当に百十の王人間
何だ老化怖い時間は科学的に万能細胞を故障した体に手術で入れ替えれば脳も
何とか理論的には太陽が焼けに大きくなるまで生きていけるのだろうか?
損何体に頼らなくても心観があるだろう無理に物質に頼るな。心の修行使用よ

257 素人A :2018/10/10(水) 09:44:32 ID:gOqWUDAs0
絶対者なんて我々この世にいる人間役者のドラマ見てハラハラドキドキしている
存在で我々の苦楽みて観劇しているだけで我々の不満に何の関心が有るのか
それとも何も泣くて寂しいからテレビのドラマみるお年寄りと同じなら
少しくらい辛い役でも演じてやらるかでまあ良い化ほんとは私はそれほど辛い役
ではない平凡だけど客があまり来なくお金も泣く暇な店で安心して五ちやんや
ネット三昧?坐禅や瞑想は暇の合間で曖昧な返事しかできずため息ついたらホカホカ以降

258 素人A :2018/10/10(水) 09:47:59 ID:gOqWUDAs0
青い風 https://www.youtube.com/watch?v=PLdyRQtQuLA

259 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/10(水) 23:31:55 ID:1d4drIFg0
>>256 夢の中で目覚めているようにすれば怖くないのじゃ。
 自分の好きなように夢を変えられるのじゃ。
 夢の中で自分の手を見ることを念じるのじゃ。


 もはや観念が無いとき、それに間違いも無いのじゃ。
 ただ在るということに間違いも正しいもないのじゃ。
 自らの心を観ることでマハラジもそこにたどり着いたのじゃ。
 もはや永遠に戻ることも無いのじゃ。

260 避難民のマジレスさん :2018/10/11(木) 06:33:33 ID:LC3de7YgO
>>255
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 もしマインドではないのなら、今、この瞬間誰が話しているのでし
 ょうか?
 マハラジ
 質問を聞いているそれが答えるのだ。
 質問者 しかし、それとは誰でしょうか?
 マハラジ
 誰ではなく、何がだ。
 あなたにとって、私は個人として見えるかも知れないが、あなたの言葉の意
 味でいう個人ではない。
 私はそのなかですべてが起こる無限の意識の大海なのだ。
 そしてすべての実存と認識を超えた存在の純粋な至福だ。
 私から分離したと感じられるものは何もない。
 それゆえ、私はすべてだ。
 私はいかなるものでもない、それゆえ、私は無なのだ。
 火は燃え、水は流れ、種子は発芽し、樹木は生長する。
 その同じ力が私をしてあなたの質問に答えさせるのだ。
 言葉や話しぶりは個人的に見えるかも知れないが、私に関しては何も個人的
 なことはない。
 個人とは、欲望や思考や行動の一様式だ。
 私の場合、そのようなものは何もない。
 私には望むものも恐れるものもない。
 どうして様式がそこにありえようか?
 質問者 間違いなく、あなたも死ぬでしょう。
 マハラジ
 生命は離れ、身体は死を迎えるだろう。
 だが、それが私に影響を与えることはまったくない。
 私は時間と空間を超えた彼方に在る。
 原因なく、原因を与えることなく、しかも存在の母体そのものなのだ。
 質問者 あなたがどうやって現在の状態に至ったのか、尋ねてもかまいませ
 んか?
 マハラジ
 私の師が、「私は在る」という感覚をしっかりつかまえ、一瞬でさえ離して
 はならない、と私に言ったのだ。
 私は彼の助言にしたがって最善を尽くし、比較的短期間で彼の教えの正しさ
 を実現した。
 私がしたことといえば、彼の教え、彼の顔、彼の言葉を絶えず思い起こして
 いたことだ。
 これがマインドに終焉をもたらした。
 マインドの静寂のなかで、私は束縛から解放された、あるがままの私を見た
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

261 素人A :2018/10/11(木) 10:30:55 ID:gOqWUDAs0
純粋な幸福なんて観察している人だけで観察されている我々いや私は
何も幸福が身得ない役で物仏言うしまあそうなっているのかもでまあ良いか
私はマハラジに質問せず妄想で自問自答するだけ七日。まあこの年になつて
ネットで将棋だけでなく麻雀も見るようなり、仕事以外の予定時間が24時間
では足りなく散歩もしなくなりテレビは暇なとき見るしあべま三昧でこれ以上
どうでもよいもの見る習慣がついたら困る。今でも時計は早回りの用にすすみ
慌ててうっとおしく座禅や書き込み素早く映すだけでとにかく頭も急がされでも
朝のため息つく時間は質問者がマハラジに途切れてたばこを一服しているマハラジ
気分と同じかどうかよくわからんとにかく平凡な時間人休みなのかも

262 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/11(木) 22:26:14 ID:1d4drIFg0
マハラジは既に個人ではない。
無限の意識の大海があるだけと気付いているのじゃ。
もはや個人はなく、意識だけがあると感じているのじゃ。
全ての人間もそれなのじゃ。
在ると言えるのは無限の意識の大海だけなのじゃ。

263 避難民のマジレスさん :2018/10/12(金) 06:35:03 ID:LC3de7YgO
>>260
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 あなたの真我の実現は突然のものでしょうか、それとも段階的なも
 のだったのでしょうか?
 マハラジ
 どちらでもない。
 それは永遠にそれなのだ。
 欲望と恐れがぬぐい去られたとき、それを実現するのはマインドなのだ。
 質問者 真我の実現のための欲望もぬぐい去られたのでしょうか?
 マハラジ
 恐れることへの恐怖がもっとも奇妙な恐れであるように、すべての欲望に終
 止符を打とうと望むことは、もっとも奇妙な欲望だ。
 ひとつは、あなたにつかみ取ることをやめさせ、もうひとつは、あなたに逃
 げだすことをやめさせる。
 あなたは同じ言葉を使うかも知れないが、その状態は、同じではない。
 真我の実現を探し求める人は欲望に溺れない。
 探求者は欲望に沿うことなく逆らっていく。
 自由への一般的な切望はただの初歩段階だ。
 適切な手段を見つけ、それらを適用することが、つぎなる段階だ。
 探求者には、彼の真我を見いだすというたったひとつのゴールしか視野にな
 い。
 すべての欲望のなかで、それはもっとも野心的なものだ。
 なぜなら、何も、そして誰もそれを満たすことはできないからだ。
 探求者と探求されるものはひとつだ。
 そして探求のみが重要なのだ。
 質問者 探求は終焉するときが来ます。探求者は残るでしょう。
 マハラジ
 いいや。
 探求者は消え去るが、探求は続く。
 探求は究極であり、永遠の実在だ。
 質問者 探求とは、欠けていること、欲していること、未完成、そして不完
 全を意味します。
 マハラジ
 いいや。
 それは不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。
 実在の探求自体が実在の動きなのだ。
 ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのものだ。
 しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、意識的存
 在の根本である真我の探求を意味している。
 この探求が終わることはけっしてない。
 それと同時に、それ以外のすべてへの落ち着きのない切望が終わらなければ
 ならないのだ。
 実在、神、あるいはグルの探求は、真我の探求と同じだということを理解し
 なければならない。
 ひとつが発見されると、すべては発見されるのだ。
 「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドのなかで区別不可能となっ
 たとき、何かが起こる。
 そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたがあるからであり、あな
 たが存在するのは神があるからだと知るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

264 素人A :2018/10/12(金) 09:00:07 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん うんそうなのか?たった一の玉死生の意識は阿弥陀くじネット意識は二進法で次々と二股に人別して
我々の所に電気やネットの様に煩悩としても送られるのか?求めれば一つの同じものでもし元が同じじゃないと
繋ぐひつようになり摩擦が生じ摩擦を消す取り決めしても一家は元の木阿弥になる野鴨。だから魂の元は一つでまあ良い?
一つが枝分かれしたら人の字となり次々に枝分かれして我々の所に意識は変換されて来て身える感覚としてのひっ様な煩悩に
変換される野鴨、沢山色々あるとひっ禅的に一途では居られなくあちこち落ち着かずあれを立てればこちらが立たずの
福雑な事になり私は何をしたいのかもまあ良いになり求めようとすると迷路に落ちる。マハラジさんはカーちゃんとか子沢山
なんて関係ないひとだったのか?だいたい僧言う聖人は独身者が多く御釈迦さんは家族を捨てて僧になったし近所のお付き合
いで酒飲む事も無い用だ。でも今の日本ではかあちゃんや家族の面倒みられないのかと冷たくみられるし国なんて何だろう。
また書き込みは方々に枝分かれして迷走していてわけわかなくなった。でもキャンベルさんは迷路には一つの糸をたどれば
迷路から出られると言ったつけ長くなったのでこの辺ででも思いはつたえられずでも長くなつたしまあ良い化適当ですいま
せん あ一つから枝分かれしているという事加 阿弥陀くじネット?

265 素人A :2018/10/12(金) 10:44:14 ID:gOqWUDAs0
マハラジは悟り世界の宣伝マンなのか?我々まあ良い人に伝える役目で
宣伝だから美味しいですよとしか言わない。裏から思えば都合悪い事いったら
質問者がやる気なく寿司まあ普通に考えれば不味いとは言えないだろうか
またまた素直では無いなあさあとりあえずが考えてもまあ良い考えしか無く
数手の先は角に狙われている王手飛車取りとか二歩が待ち構えていても先が観えなくて

266 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/12(金) 21:55:50 ID:1d4drIFg0
悟りによって探求する者は無いが探求は続くのじゃ。
わしも人の心を知るために死んで生きているのじゃ。
アートマンも神も私も最後まで探求すれば悟りは訪れるのじゃ。
途中でやめると失敗なのじゃ。
日々精進あるのみなのじゃ。

267 避難民のマジレスさん :2018/10/13(土) 09:14:50 ID:LC3de7YgO
>>263
『I AM THAT 私は在る』
【48 気づきは自由だ】(つづき)

 質問者 すべてが運命によってすでに定まっているのなら、真我の実現もま
 た定まっているのでしょうか? あるいは、少なくともそれに関し
 て私たちは自由なのでしょうか?
 マハラジ
 運命は名前と形にのみ関係する。
 あなたは身体でもマインドでもないのだから、運命があなたをコントロール
 することはできない。
 あなたは完全に自由だ。
 コップは形、材質、利用法などに条件づけられている。
 だが、コップのなかの空間は解放されている。
 それはコップに関連して見られたときにだけ、コップのなかにあると見なさ
 れる。
 そうでなければ、それはただの空間だ。
 身体があるかぎり、あなたは肉体化されたかのように見える。
 身体がなくなっても、あなたは肉体から分離されたのではない。
 あなたはただ在る。
 運命さえもただの概念にすぎない。
 言葉はあらゆる方法で組み立てられる。
 表明は異なるだろうが、それらが現実において変化をもたらすだろうか?
 数多くの説がものごとを説明するために発明されてきた。
 それらすべてはもっともらしいものであり、どれも本物ではない。
 車を運転するとき、あなたは科学と力学の法則の支配下にある。
 車を降りたら、生理学と生化学の支配下にある。
 質問者 瞑想とは何でしょうか? 何がその効用なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが初心者であるかぎり、ある形式的な瞑想、あるいは祈りが向いてい
 るだろう。
 しかし、実在の探求者にはただひとつの瞑想があるだけだ。
 それは思考を潜ませることへの厳格な拒絶だ。
 思考から自由になること、それ自体が瞑想だ。
 質問者 それはどのようになされるのでしょうか?
 マハラジ
 思考が起こるにまかせ、それらを見ることだ。
 その観察自体がマインドをゆっくりさせ、完全に止まらせる。
 ひとたび、マインドが静まったなら、それを静かに保ちなさい。
 平安に退屈になってはならない。
 そのなかに在りなさい。
 そのなかにより深く入っていきなさい。
 質問者 ほかの思考を避けるため、ひとつの想いをもちつづけるということ
 について聞きました。しかしどのようにして、すべての思考を追い
 払いつづけるのでしょうか? その考え自体が思考なのです。
 マハラジ
 新しい実験をしてみなさい。
 過去の体験にしたがってはならない。
 あなたの思考を見なさい。
 そして思考を見ているあなた自身を見なさい。
 すべての思考から自由になった状態が突然起こるだろう。
 そしてその至福によって、それを認識するだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

268 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/13(土) 22:34:50 ID:1d4drIFg0
思考は起こっては消えるままにしておけばいずれとまるのじゃ。
思考が無くとも意識は在る状態になるのじゃ。
その意識によって思考が自分であるという認識もなくなるのじゃ。
思考が自分であれば思考が無い時は自分がない筈であるからのう。
意識である自分に気付くのじゃ。

269 避難民のマジレスさん :2018/10/14(日) 09:03:00 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】

 質問者 人びとはあなたに助言を求めてやって来ます。何と答え
 るかをどのようにして知るのでしょうか?
 マハラジ
 質問を聞くように、私は答えを聞くのだ。
 質問者 では、どのようにしてあなたの答えが正しいと知るので
 しょうか?
 マハラジ
 ひとたび答えの真の源を知れば、疑う必要はない。
 純粋な源からは純粋な水だけがあふれ出る。
 私は人びとの欲望や恐れには関わらない。
 私は意見とではなく、事実と同調するのだ。
 人は名前と形を自分自身と見なすが、私は何も私自身とは見なさ
 ない。
 私が名前によって知られるひとつの身体を私自身として見なして
 いたなら、あなたの質問に答えることはできなかっただろう。
 私があなたを単なる身体だと見なしていたら、あなたは私の答え
 によって、何の恩寵(おんちょう)も得なかっただろう。
 真の師は意見に満足したりはしない。
 彼はものごとをあるがままに見、そしてそれをあるがままに見せ
 る。
 もしあなたが人々を、これが彼ら自身だと信じているものとして
 見なすならば、ただ彼らを傷つけるだけだ。
 そうやって彼らが自分自身をいつもひどく苦しめているように。
 しかし、もしあなたが実在としての彼らを見るならば、彼らにと
 って大変な助けとなるだろう。
 もし彼らが何をし、どのような修練をし、どのような生き方にし
 たがうべきかをあなたに尋ねたならば、こう答えるがいい。
 「何もせず、ただ在りなさい。
 在ることのなかで、すべては自然に起こる」と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

270 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/14(日) 21:35:36 ID:1d4drIFg0
マハラジは名前と形をすでに自分とみなしてはいないと言うのじゃ。
名前と形が観念をつくり、自分という観念をも作り出すのじゃ。
それを自分と人は思うが、マハラジはその観念から自由になっているのじゃ。
そうであるから智慧が湧き、どのような難問にも答えられるのじゃ。
あるがままに観る何もしないでいる境地こそ最高の教えで在るが、それを理解できる者は少ないのじゃ。

271 避難民のマジレスさん :2018/10/15(月) 06:34:55 ID:LC3de7YgO
>>269
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】(つづき)

 質問者 話のなかで、あなたは「自然に」と「偶然に」という言
 葉を無差別に使っているように見えます。二つの言葉の
 意味には深い違いがあると私には感じられます。自然は
 秩序をもち、法則にしたがいます。人は自然を信頼でき
 ます。偶然は混沌とし、予期予想の不可能なものです。
 すべてが自然であり、自然の法則に支配されていると主
 張することはできますが、すべてが偶然であり、何の原
 因ももたないと主張することは間違いなく誇張です。
 マハラジ
 もし私が「偶然の」の代わりに「自発的に」という言葉を使うな
 ら、あなたには好ましいだろうか?
 質問者 あなたは「偶然の」という言葉に対して「自発的な」ま
 たは「自然の」という言葉を使うかもしれません。しか
 し、偶然のなかには混沌や無秩序の要素があります。偶
 然はつねに規則の破棄、例外、驚きです。
 マハラジ
 人生それ自体が一連の驚きではないだろうか?
 質問者 自然には調和があります。偶然には妨害があるのです。
 マハラジ
 あなたは時間と空間に限定され、身体とマインドの内容に引き下
 げられた個人として語っている。
 あなたが好むこと、それをあなたは「自然の」と呼び、あなたが
 嫌いなこと、それを「偶然の」と呼ぶのだ。
 質問者 私は自然のままの法則を守ること、予期したことが好き
 で、法則を破り、無秩序で、予期できず、無意味なこと
 を恐れるのです。偶然はつねに怪物のようなものです。
 いわゆる「幸運な偶然」と呼ばれるものはあるかもしれ
 ません。ですが、それらはただ偶然なことが起こりやす
 い宇宙では、生活はありえないという法則を証明するだ
 けです。
 マハラジ
 どうやら、誤解があるようだ。
 「偶然の」とは既知の法則にあてはまらない何かを意味している。
 私が、すべては偶然で原因がないと言うとき、ただそれによって
 作用する法則や原因は、私たちの知識や想像を超えているという
 意味なのだ。
 もしあなたが秩序と調和ある予測可能なものを自然と呼ぶならば、
 高次の法則にしたがい、高次の力によって動かされるものは「自
 然発生的」と呼べるかもしれない。
 このように、私たちは二つの自然の秩序をもっている。
 個人的で予測可能なもの、そして非個人的、あるいは超個人的な
 予測不可能なものだ。
 それを低次の自然と高次の自然と呼んでもいい。
 そして偶然という言葉は忘れてしまいなさい。
 あなたが知識と洞察において成長するにつれ、低次と高次の間の
 境界線の印象は薄らいでいく。
 だが、それらがひとつとして見られるまでは、二つのままとどま
 る。
 なぜなら、事実、すべては実に驚くほど不可解だからだ!
(´・(ェ)・`)
(つづく)

272 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/15(月) 22:06:08 ID:1d4drIFg0
悟りを得なければ誰もが自分の好悪の判断から世界を創るのじゃ。
自然は秩序が有り、偶然は破壊的なものと感じるのも観念なのじゃ。
本来全ては観念を超えてあるものであり、思考することもできないものじゃ。
ただあるがままに見ることができるだけなのじゃ。

273 避難民のマジレスさん :2018/10/15(月) 22:47:24 ID:LC3de7YgO
>>272
うむ。
全部受け止めるしかないのでありますね。
それは、諦めることとは、真逆なのでありますね。
(´・(∀)・`)つ

274 避難民のマジレスさん :2018/10/16(火) 04:11:45 ID:LC3de7YgO
>>271
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】(つづき)

 質問者 科学は多くを説明してきました。
 マハラジ
 科学は名称と形態、質と量、パターンと法則を扱っている。
 それはそれ自身の場においてはまったく良いだろう。
 だが、生とは生きられるものであり、分析のための時間はない。
 反応は即座でなければならず、それゆえ時間を超えた自発性が重
 要だ。
 私たちは未知のなかで生き、動いているのだ。
 既知とは過去のものだ。
 質問者 私には、これが私だと感じる立場を取ることができます。
 私は個人であり、人びとのなかのひとりの人物です。あ
 る人たちは完成され、調和のとれた人格であり、ある人
 たちはそうではありません。ある人たちは努力を要する
 ことなく生き、あらゆる状況に適切に、自発的に反応し
 ます。その時点で必要な、完全に正当なことを為すので
 す。一方、ほかの人たちは手探りをし、過ちを犯し、た
 いがい彼ら自身に害を与えてしまうのです。調和の取れ
 た人たちは、自然で、法則に支配されている人と呼べる
 かもしれません。未完成な人たちは混沌とし、偶然に支
 配されているのです。
 マハラジ
 混沌という概念自体が、秩序、有機的といった相互関係の意議を
 前提としている。
 混沌と秩序。
 これらは同じ状態の二つの相ではないだろうか?
 質問者 しかし、あなたはすべてが混沌、偶然、予測不可能だと
 言っているようです。
 マハラジ
 そうだ。
 その意味では、すべての存在の法則が知られているわけではなく、
 すべての出来事が予測可能なわけではない。
 あなたが理解できるようになればなるほど、宇宙が精神的にも感
 情的にも満足すべきものとなる。
 実在は善と美だ。
 混沌をつくり出すのは私たちなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

275 素人A :2018/10/16(火) 08:59:58 ID:gOqWUDAs0
やっぱ私の妄想で科学的思考で死後の世界は可能かどうか考えると.物質全部は情報ソフト量やエネルギー使いすぎで無駄で無理
なのかも。今は省エネだし.像仏像でも作るには大変.でも画像や映像だけならそんなに金かからない。映画やテレビDVDで生前と
実現できる。映像や音声は波の情報としてコンちゃんに記録できるし。また映像等受ける感覚と出る行動は受ける方が
情報エネルギーは少なくてすむし。今でも生前の姿は映像や音声で再現でき。考えも観える頭脳では脳波の情報通信と考えれば
死んだ世界もエネルギー少ない情報せかいでバーチャル的に生存可能なのか要するに今のコンピューターやDVDテレビが現実世界
とはを教えてくれる。なんでみんな気が付かないのかなあインターネットも前にあるし昔は夢や物語しか無くても皆死んでも先は
あると信じじていたけど?要するに金や物が無いと貧乏でみじめと国の資本主義教育の考えでは死は役立たず科学利用して観ない
様に仕向けているだけか?でも日本はどんどん物や金はなくなり貧乏人の自由はコマーシャル憑きのテレビみらされ金持ちは海外
旅行やゴルフに行く。貧乏でも坐禅や瞑想無料ネット将棋はできるけど.でも生きて物質的に行動するには無駄にエネルギー使う
私は何故短くまとめないのか要するに出たとこ勝負でだらだらで纏めるのに時間つかうし

276 素人A :2018/10/16(火) 10:03:09 ID:gOqWUDAs0
要するに質問者がろくな質問しないし マハラジにうまく丸め込まれている

277 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/16(火) 22:25:33 ID:1d4drIFg0
>>273 そうじゃ、諦めではないのじゃ。
 あるがままに受け入れ、観察し続けるのじゃ。


 科学は観念の中で起こる現象の法則を見つけ出しただけなのじゃ。
 観念を超越することはできないのじゃ。
 観念が無ければ全ては善美を尽くしたものとなるのじゃ。
 苦は一切無く、永遠に歓喜が在るので在るからのう。

278 避難民のマジレスさん :2018/10/17(水) 06:41:16 ID:LC3de7YgO
>>274
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】(つづき)

 質問者 もし偶然は人間の自由意志によって起こるとあなたが言
 うのならば、私は賛成します。しかし、私たちは自由意
 志についてまだ討論していません。
 マハラジ
 あなたの秩序はあなたに快楽を与えるものであり、あなたの無秩
 序は、あなたに苦痛を与えるものだ。
 質問者 あなたはそう表現するかもしれませんが、その二つはひ
 とつだと言わないでください。私の言語で話してくださ
 い、幸福を探求する一個人の言語で。私は非二元性の空
 言に惑わされたくはないのです。
 マハラジ
 あなたが分離した個人だと、何があなたに信じさせるのだろうか?
 質問者 私は一個人としてふるまい、私自身で機能します。私自
 身が基本であり、他者は私との関係性において在るだけ
 です。早い話が、私は私自身のことで忙しいのです。
 マハラジ
 それならば、あなた自身のことで忙しくしていればいい。
 いったいどういうつもりでここに来たのだね?
 質問者 自分自身を安全で幸せにするため、私が古くからやって
 いる商売のためです。白状すると、成功してきたとは言
 えません。私は安全でも幸せでもありません。ですから、
 私はここにいるのです。ここは私にとっては新しいとこ
 ろですが、私がここへ来た理由は古いものです。安全な
 幸福、幸福な安全の探求です。今までのところ見つけて
 はいません。助けてもらえますか?
 マハラジ
 一度も失ったことのないものは、けっして見つけられない。
 安全と喜びの探求そのものがあなたを幸福から遠ざけてしまう。
 探すことをやめなさい。
 失うことをやめなさい。
 病はシンプルなものだ。
 治療も同じくシンプルだ。
 あなたを不安に、不幸にするのはあなたのマインドなのだ。
 予測があなたを不安にし、記憶があなたを不幸にするのだ。
 マインドを誤用することをやめなさい。
 そうすれば、すべてはうまくいくだろう。
 あなたがそれを正す必要はない。
 あなたが過去と未来へのすべての関わりを放棄し、永遠の今のな
 かに生きるやいなや、それはそれ自身を正すだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

279 素人A :2018/10/17(水) 09:58:50 ID:/mRrWwwM0
もしブラフマンが神経質で優しい性格だったら細かくみれば悲しい人ばかり見て
毎日なんで世界はこう矛盾だらけで困つたひと助けようとして筋鍵めちゃくちゃに
なり人助けで疲れて毎日泣いている。損な世界は無いている?あなたは能天気で
いっも明るく居なさい。細かい事は見捨てて光り輝いて居なさいそう言う役でしょう
と叱られた。そして暗いのは悪魔に欠かせよう。兎に角明るくブラフマンは使用

280 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/17(水) 20:16:10 ID:1d4drIFg0
誰もが幸福や安全を探しているじゃろう。
それはどこか遠くに在るものではなく、自分の心に在るものじゃ。
心を観ずに幸福や安全を探してもどこにも見つからないのじゃ。
自らの心の中を観ようとすれば真の幸福の道は開かれるのじゃ。

281 避難民のマジレスさん :2018/10/18(木) 06:57:51 ID:LC3de7YgO
>>278
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】

 質問者 しかし、今という瞬間には何の空間的広がりもありませ
 ん。私は誰でもない人に、無になってしまうでしょう!
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 無として、誰でもない人としてのあなたは安全で幸福なのだ。
 望むならば体験させてあげよう。
 試してみるがいい。
 だが、何が偶然で、何が自発的、自然なのかという点に戻ってみ
 よう。
 あなたは自然が規則的であり、偶然は混沌の兆候だと言った。
 私はその違いを否定し、原因の由来をたどれないとき、その出来
 事を偶然と呼ぼうと言った。
 自然のなかに混沌というものは存在しない。
 混沌は人のマインドのなかにだけ存在するのだ。
 マインドは全体を把握することができない。
 その焦点はたいへん狭いものだ。
 それは断片だけを見て、状況を察知しそこなう。
 それはある人が音は聞いても言語を理解せず、話し手のことを、
 無意味でわけのわからないことを話し、結局すべて間違いだと非
 難するようなものだ。
 ある人にとっては混沌とした音の流れが、別の人には美しい詩な
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

282 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/18(木) 22:41:54 ID:1d4drIFg0
無であり、誰でもないものであれば安全で幸福な者であるとマハラジは言うのじゃ。
無であり、誰でも無い者とは自分の名前とイメージがない者なのじゃ。
名前とイメージが自分という観念をつくり、孤独と不安と恐れを起こすのじゃ。
そして混沌を恐れて逃避し、秩序を求めて迷うようになるのじゃ。
観念が無ければ無であり。誰でもない者として安全で幸福になるのじゃ。

283 避難民のマジレスさん :2018/10/19(金) 05:41:33 ID:LC3de7YgO
>>281
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】(つづき)

 ジャナカ王は、あるとき彼が乞食になった夢を見た。
 目覚めたとき、彼のグルであるヴァーシシュタに尋ねた。
 「私は乞食になった夢を見ている王でしょうか、あるいは王にな
 った夢を見ている乞食なのでしょうか?」
 グルは答えた。
 「あなたはそのどちらでもない。
  あなたはその両方だ。
  あなたは在る。
  だがあなたが考えているあなたではない。
  あなたはそのように在る。
  なぜなら、あなたはそれにしたがってふるまっているからだ。
  あなたはそれではない。
  なぜなら、それは永遠には続かないからだ。
  あなたは永遠に王や乞食として在ることができるだろうか?
 すべては変わっていかなければならない。
  あなたは変わらないものだ。
  そのあなたとは何か?」
 ジャナカは言った。
 「そのとおりです。
  私は王でも乞食でもありません。
  私は覚めた観照者です」。
 グルは言った。
 「あなたが普通の人々とは異なる、より優れたジニャーニだとい
  う考え、これがあなたの最後の幻想だ。
  またしても、あなたはマインドと自己同一化したのだ。
  この場合、正しい処し方であり、あらゆる面で模範となれるマ
  インドである。
  だが、ほんのわずかでも違いを見るかぎりは、あなたは実在の
  局外者なのだ。
  あなたはマインドのレベルにいる。
  『私は私自身だ』が去ったとき、『私はすべてだ』が現れる。
  『私はすべてだ』が去るとき、『私は在る』が来る。
  『私は在る』さえ去ったとき、ただ実在だけが在る。
  そして、そのなかですべての『私は在る』は維持され、栄光を
  与えられるのだ。
  分離のない多様性、それこそマインドが触れることのできる究
  極なのだ。
  その彼方では、すべての活動がやむ。
  なぜなら、そのなかですべての目的地は到達され、すべての目
  的は果たされるからだ」。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

284 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/19(金) 22:15:40 ID:1d4drIFg0
誰もが誰かであるという夢を見ているのじゃ。
与えられた名前を持ち、姿かたちが在るという幻想の自分を認識しているのじゃ。
それが無く、他の何かに自己同一化することも無ければ無我になるのじゃ。
更に認識をも無くなれば悟りは訪れるのじゃ。

285 避難民のマジレスさん :2018/10/20(土) 10:30:38 ID:LC3de7YgO
>>283
『I AM THAT 私は在る』
【49 マインドが不安の原因だ】(つづき)

  質問者 ひとたび、至高の状態が到達されたら、それは他者と分
 かちあうことができるでしょうか?
 マハラジ
 至高の状態は、普遍の今、ここに在るものだ。
 すべての人がすでにそのなかで分かちあっている。
 それは存在の、知ることと愛することの状態だ。
 誰が存在することを愛さないというのだろう、あるいは自らの存
 在を知らないというのだろうか?
 しかし、私たちはこの意識的存在の歓びを利用しない。
 私たちはそのなかに入り、それとは異質なものすべてを浄化しよ
 うとしない。
 この精神的な自己浄化、精神の浄化は本質的なものだ。
 目に入ったゴミが炎症をひき起こし世界を視界から消し去るよう
 に、「私は身体―精神だ」という誤った観念は利己的関心を生み
 だし、宇宙を覆(おお)い隠す。
 限定された存在と分離された個人という感覚と闘うことは、その
 根本を取り去るまでは無駄なことだ。
 利己主義は自己の誤った観念のなかに根づいている。
 探求とはマインドの浄化なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

286 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/20(土) 22:04:06 ID:1d4drIFg0
誰もが本来は全てである意識そのものなのじゃ。
それをマハラジは語っているのじゃ。
ただの一度もそれで無かったことは無いのじゃ。
根本の無明がなくなるまでは気付かないだけなのじゃ。

287 避難民のマジレスさん :2018/10/21(日) 08:30:54 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【50 自己覚醒が観照者だ】

 質問者 私とは三つの相のもとに考えられる、とあなたは言いま
 した。個人(ヴィヤクティ)、超個人(ヴィヤクタ)、
 非個人(アヴィヤクタ)です。アヴィヤクタは普遍的で
 純粋な真の「私」です。ヴィヤクタは「私は在る」とし
 ての意識の反映です。ヴィヤクティは身体の、そして生
 命の過程の全体性です。狭く制限された現在、超個人は
 時間と空間の両方において個人に気づいています。ひと
 りの個人だけではなく、カルマ(因果関係)の糸に通さ
 れた長い一連の個人たちです。超個人は本質的には観照
 者であり、同時に蓄積された経験の残留、記憶の所在地、
 連結する輪(スートラアートマ)でもあります。それは
 人生が構築し、誕生から誕生へと形作っていく人格です。
 普遍的なる非個人はすべての名前と形を超え、意識と人
 格を超えた、純粋な自己意識の存在なのです。私はあな
 たの見解を正しく現したでしょうか?
 マハラジ
 マインドのレベルではそのとおりだ。
 知的レベルを超えた彼方では、言葉は適用しない。
 質問者 個人が精神的構成観念、意識の記憶と習慣のための集合名詞だとい
うことは私にも理解できます。しかし、それに対して個人が現れる、観照の中
心も精神的なものでしょうか?
 マハラジ
 色彩にはそれを現すひとつの面が必要なように、個人には自分自身と同一化
するための基盤である身体が必要だ。
 それがどのような色であっても、色を見るという行為が色に依存することは
ない。
 色を見るためには目が必要だ。
 色はたくさんあるが、目はひとつだ。
 個人とは色のなかの光、また目のなかの光のようなものだ。
 それにもかかわらず、単一で、分割不可能であり、その顕現のなか以外では
知覚不可能なものだ。
 不可知ではないが、知覚不可能であり、非客観的で、分離不可能なものだ。
 物質的でも精神的でもなく、客観的でも主観的でもない。
 それは物質の根本であり、意識の源だ。
 単なる生と死を超えて、それはすべてを含み、すべてを除いた生命だ。
 そのなかでは誕生が死であり、死が誕生なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

288 避難民のマジレスさん :2018/10/21(日) 09:54:54 ID:LC3de7YgO
>>287
> それにもかかわらず、単一で、分割不可能であり、その顕現のなか以外では
知覚不可能なものだ。
↑ここまでは、身体をもつ個人のこととして読める気がするのであります。 

>不可知ではないが、知覚不可能であり、非客観的で、分離不可能なものだ。
 物質的でも精神的でもなく、客観的でも主観的でもない。
 それは物質の根本であり、意識の源だ。
 単なる生と死を超えて、それはすべてを含み、すべてを除いた生命だ。
 そのなかでは誕生が死であり、死が誕生なのだ。
↑これは、アートマンのことでありますかね。

(´・(ェ)・`)つ

289 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/21(日) 21:55:26 ID:1d4drIFg0
↑そのようなものじゃ。
認識できなくともそれを求めて探求して行くがよいのじゃ。
そうすれば途中に現われた幻影に囚われることも無いのじゃ。
そのようにして悟りにまだ到達するのじゃ。

290 避難民のマジレスさん :2018/10/22(月) 07:06:52 ID:LC3de7YgO
>>287
『I AM THAT 私は在る』
【50 自己覚醒が観照者だ】(つづき)

 質問者 あなたが話す絶対なるものとは実在のものでしょうか、それとも私たち
の無知を包み込むための単なる理論なのでしょうか?
 マハラジ
 その両方だ。
 マインドにとってはひとつの理論であり、それ自体においてはひとつの実在だ。
 それは自発的で全面的な偽りの根絶において実在なのだ。
 光がその存在自体において暗闇を破壊するように、絶対なるものは想像を破壊す
る。
 すべての知識を無知の一形態として見ることが、それ自体実在の 動きなのだ。
 観照者は個人ではない。
 そこにそのためのひとつの基盤、ひとつの身体、ひとつの有機的組織があるとき
に個人は立ち現れる。
 そのなかで、絶対なるものは気づきとして反映され、純粋な気づきは自己覚醒と
なる。
 そこに自己が存在するとき、自己覚醒が観照者だ。
 そこに観照する自己がいないとき、観照もない。
 それはすべてまったくシンプルだ。
 個人の存在がことを複雑にしてしまうのだ。
 永久に分離した個人というものはないことを理解しなさい。
 そうすればすべては明白になる。
 気づき―精神―物質、それらは動と不動という二つの相と、不活溌性、エネルギ
ー、調和という三つの属性をもったひとつの実在なのだ。
 質問者 意識と気づき、どちらが先に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 気づきがそこにひとつの対象物をもったとき意識となる。
 対象はつねに変わっていく。
 意識のなかには運動がある。
 気づき自体は、運動も時間もない今ここにあるのだ。
 質問者 現在、東パキスタンに苦難と流血が起こっています。あなたはそれをど
のように見ますか? それはあなたにとってどのように現れ、あなたはどう反応す
るのでしょう
 か?
 マハラジ
 純粋な意識のなかでは、けっして何も起こらない。
 質問者 どうか、その形而上学的高みから降りてきてください!
 苦しんでいる人びとにとって、彼自身以外、誰も彼の苦難に気づく人はいないと
言われることがなんの役に立つ と言うのでしょう?
 すべてを幻想として退けることは、傷ついた人に屈辱を加えるようなものです。
東パキスタンのベンガル人は事実であり、彼らの苦難も事実です。
 どうか、それを存在しないかのように扱わないでください!
 あなたは新聞を読んでいるのです。人びとがそれについて話しているのを聞いて
いるはずです。知らなかったとは言えません。さあ、この出来事に対してあなたは
どのような態度を取るのでしょうか?
 マハラジ
 態度はない。
 何も起こってはいないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

291 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/22(月) 19:17:12 ID:1d4drIFg0
問題は問題を作る者の心の中にだけあるものじゃ。
そのような者以外にはないのじゃ。
常に戦争や貧困は在るが囚われなければ苦でもないのじゃ。
それを絶対的なものとみる者の心に問題は在るのじゃ。

292 避難民のマジレスさん :2018/10/23(火) 06:27:32 ID:LC3de7YgO
>>290
『I AM THAT 私は在る』
【50 自己覚醒が観照者だ】(つづき)

 質問者 あなたの目の前で、暴動がある日起こるかもしれません。
 おそらく、人びとは殺しあっているでしょう。明らかに、何も起こってはいない
と言って、距離をおいて超然としているわけにはいきません。
 マハラジ
 私は距離をおくなどと、一度も言っていない。
 あなたは私が争いのなかに飛びこんでいって誰かを助け、殺されてしまうのを見
るかもしれない。
 それでも、私にとっては何も起こらなかったのだ。
 巨大な建物が崩壊するところを想像してみなさい。
 いくつかの部屋は破壊され、いくつかはそのままだ。
 だが空間について、破壊された、破壊されないといったことが言 えるだろうか

 被害に遭(あ)ったのは、そこに住んでいた人びとと建築物だけ だ。
 空間自体には何も起こらなかった。
 同様に、形態が崩れ去り、名称がぬぐい去られても、生命には何も起こらないの
だ。
 金細工師は新しい装飾品をつくるために古いものを溶解する。
 ときおり、良質の金は質の悪いものと一緒になる。
 彼はそれを巧みに処理する。
 なぜなら、金自体は失われていないことを、彼は知っているからだ。
 質問者 私が反感を感じるのは死ではなく、死に方です。
 マハラジ
 死は自然なものだ。
 死に方とは人のつくり出したものだ。
 分離が恐怖と攻撃を生じさせ、それがまた暴力を生みだす原因となる。
 人のつくり出した分離を取り除きなさい。
 そうすれば、人びとが互いに殺しあうというすべての憎悪はかならず終わる。
 しかし実際には、殺すことも死ぬこともない。
 真実は死なない。
 偽りはけっして生きたことがない。
 あなたのマインドを正しなさい。
 そうすれば、すべては正される。
 世界はひとつであり、人類はひとつだと知るとき、あなたはそれ にしたがって
行動するだろう。
 しかし、まずあなたが感じ、考え、生きる道に留意しなければな らない。
 あなた自身のなかに秩序がなければ、世界に秩序はありえない。
 実際には、何も起こらない。
 マインドのスクリーン上に、運命はかつて投影された記憶の画像を永遠に映しだ
す。
 そのようにして幻想はそれ自体を絶え間なく再生していくのだ。
 無知によって遮(さえぎ)られた光である画像は来ては去っていく。
 光を見なさい。
 そして画像は無視するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

293 避難民のマジレスさん :2018/10/23(火) 06:35:17 ID:LC3de7YgO
>>292
>(真実は死なない。)
 偽りはけっして生きたことがない。
とは、永遠に生きているみたいな意味でありますか?
(´・(ェ)・`)つ

294 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/23(火) 22:51:50 ID:1d4drIFg0
そのようなものじゃ。
永遠の意識は常にありそれだけが真実なのじゃ。
偽りがそこに存在することはないのじゃ。
全て一つなのじゃ。

295 避難民のマジレスさん :2018/10/24(水) 04:11:36 ID:LC3de7YgO
>>292
『I AM THAT 私は在る』
【50 自己覚醒が観照者だ】(つづき)

 質問者 何と無感覚なものの見方でしょう! 人びとが殺しあっているというの
に、あなたはここで画像について話して いるのですよ。
 マハラジ
 ではあなた自身、行って殺されるがいい。
 もしそれがあなたのするべきことだと考えるならば。
 あるいは行って殺すがいい。
 もしそれがあなたの義務だと感じるならば。
 だが、それは悪を消滅させる道ではない。
 悪とはマインドの病の悪臭だ。
 あなたのマインドを癒しなさい。
 そうすれば、マインドは歪(ゆが)んだ醜い画像を投影するのを やめるだろう

 質問者 あなたの言われることは理解できます。しかし、私には 感情的に受け
入れることができません。この単なる人生の観念論的見解は、私に深い不快感を与
えます。私には永久に夢の状態にいる自分を考えることができないのです。
 マハラジ
 どうやってはかない身体によって生じた状態のなかに永久にいることができるだ
ろうか?
 誤解はあなたが身体だという観念に基づいているのだ。
 その観念を調べてみなさい。
 その生来の矛盾を見てみなさい。
 あなたの現存在は火花のシャワーのようなものだ。
 それぞれの火花は一秒ももたず、シャワー自体は一、二分しかもたないものだと
認識しなさい。
 もちろん、はじまりが終わりであるものが、その中間をもつことはありえない。
 実在は一時的ではありえない。
 それは永遠だ。
 しかし、永遠は期間ではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

296 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/24(水) 22:12:39 ID:1d4drIFg0
世界を正しくしようとか、平和にしようとする想いが新しい戦争を引き起こすのじゃ。
征服者とか独裁者は皆そのように思って戦争をしていたのじゃ。
それによって世界が平和になることは無いのじゃ。
自らの心の中によのみ平和は在るのじゃ。

297 避難民のマジレスさん :2018/10/25(木) 06:47:58 ID:LC3de7YgO
>>295
『I AM THAT 私は在る』
【50 自己覚醒が観照者だ】(つづき)

 質問者 私の住む世界が現実の世界ではないということは認めま
 す。しかし、そこには私が歪んだ絵としてみている現実
 の世界があるはずです。歪みは私の身体、あるいはマイ
 ンドの傷によるものかもしれません。しかしあなたが現
 実の世界は存在せず、ただマインドのなかの夢の世界が
 あるだけだと言うとき、私にはそれを受け入れられない
 のです。すべての存在の恐怖は、私が身体をもつためだ
 と信じることができたなら、と願います。自殺すること
 がその出口なのです。
 マハラジ
 自分のものであれ他人のものであれ、観念に注意を払っているか
 ぎり、あなたは困難に陥るだろう。
 しかし、もしあなたがすべての教え、すべての本、すべての言葉
 で表されたものを無視し、あなた自身のなかに深く潜りこみ、あ
 なた自身を見いだしたならば、これのみがあなたのすべての問題
 を解決するだろう。
 そして、これはあなたがあらゆる状況を完全に統御できるように
 するだろう。
 なぜなら、あなたは状況についての自分の観念に支配されないか
 らだ。
 例えば、あなたが魅力的な女性とともにいるとしよう。
 彼女のことを想い、それが性的な状況をつくり出す。
 問題は生じて、あなたは禁欲の、あるいは快楽の本を探しだす。
 もしあなたが赤ん坊だったら、ふたりとも裸でいても何の問題も
 起こらない。
 ただ、あなたが身体だという考えをやめてみるがいい。
 そうすれば愛とセックスという問題は意味を失うだろう。
 すべての制限の感覚が去るとともに、恐れ、苦痛、快楽の探求、
 すべてがやむ。
 ただ気づきだけが残るのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

298 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/25(木) 22:50:28 ID:1d4drIFg0
観念に囚われている限り、観念による執着や苦はなくならないのじゃ。
自分があり、自分の肉体が在るという観念から欲も生まれ、執着や苦も起こるのじゃ。
自らの心の中に眼を向ければ観念から自由になる悟りへの道も開けるのじゃ。
 そして一切の苦を脱却し、永遠の喜びに浸る事が出来るのじゃ。

299 避難民のマジレスさん :2018/10/26(金) 07:26:24 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(1)(前半(p254〜255辺り)は省略されてるようであります)

 マハラジ
 どうして行為について話すのかね?
 あなたが行為をしているというのだろうか?
 ある未知なる力が行為をし、あなたはあなたが行為をしていると想像するの
 だ。
 いかなる形であっても、影響を与えることのできないまま、あなたは単に起
 こることを見ているだけなのだ。
 質問者 どうして私には何もできないということを受け入れるのに、これほ
 ど途方もない抵抗が私のなかにあるのでしょう?
 マハラジ
 だが、あなたに何ができるというのかね?
 あなたは手術を行う外科医の手にかかり、麻酔薬の影響下にある患者と同じ
 だ。
 目覚めたとき、あなたは手術が終わったことを知るのだ。
 それでもあなたが何かをしたと言えるだろうか?
 質問者 しかし、手術を受けることを選択したのは私なのです。
 マハラジ
 もちろんそうではない。
 あなたに決定をさせたのは、一方ではあなたの病気であり、もう一方では医
 師と家族からの強要なのだ。
 あなたに選択はない。
 ただ選択権があるという幻想だけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

300 素人A :2018/10/26(金) 10:15:39 ID:gOqWUDAs0
夢の中では夢中になり身替わりロボットの役に嵌まり
冷静に仏の観ではテレビ見ているようで夢中になれず
覚めたのもドラマチックで無いし覚めているのと夢中なのも
どちららもまあ良い化の鴨。でも負け続けの将棋は辛い世くやしくて
明らめられないしまあ色々

301 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/26(金) 21:47:40 ID:1d4drIFg0
人間には自由意志はほとんどないのじゃ。
2%ぐらいじゃな。
修行し続けることさえ難しいのじゃ。
この世界で暇を得て修行できるのは幸運なのじゃ。

302 避難民のマジレスさん :2018/10/27(土) 08:43:33 ID:LC3de7YgO
>>299
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 質問者 それでもなお、私はあなたが言われるほど無力ではないと感じてい
 ます。私は考えることすべてを実行することができると感じていま
 す。ただ、どうすればよいのか知らないだけなのです。私が力を欠
 いているのではありません。知識がないのです。
 マハラジ
 明らかに、知らないということは力がないのと同じだけ悪いという意味だ!
 だが、しばらくこの問題は置いておこう。
 結局、さし当たり私たちが無力だということをはっきり知っているかぎり、
 なぜ無力に感じるかはそれほど重要ではないのだ。
 現在、私は七十四歳だ。
 それにもかかわらず、私は子供のように感じる。
 通り抜けてきたあらゆる変化にもかかわらず、私は子供であるとはっきり感
 じるのだ。
 グルは私に言ったものだ。
 「今でさえあなたであるその子供が、あなたの本来の自己なのだ」と。
 「私は在る」が、まだ「これが私だ」「あれが私だ」に汚される前の純粋な
 状態に戻りなさい。
 偽りの自己同一化があなたの重荷なのだ。
 それらをすべて落としなさい。
 グルは私に言った。
 「私を信頼しなさい。あなたに言おう。あなたは神聖なのだ。それを絶対の
 真実として受け取りなさい。あなたの喜びは神聖だ。あなたの苦しみもま
 た神聖だ。すべては神からやって来るのだ。それをいつも憶えていなさい。
 あなたは神だ。あなたの思いのみが為されるのだ」。
 私は彼を信じ、すぐに彼の言葉が的確であり、驚くほど真実だということを
 悟ったのだ。
 私は、「私は神だ。私は素晴らしい。私は超越している」と考えることでマ
 インドに条件づけをしたわけではない。

 ただ「私は在る」という純粋な存在にマインドの焦点を合わせ、そのなかに
 とどまるという彼の教えにしたがっただけなのだ。
 私は、「私は在る」以外何もマインドのなかに置かず、何時間も坐ったもの
 だった。
 そしてすぐに平安と喜びすべてを深く抱擁する愛が私の正常な状態となった。
 そのなかにすべては消え去っていった――私自身、私のグル、私の生きた人
 生、そして私の周辺の世界が。
 ただ、平和と計り知れない沈黙だけを残して。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

303 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/27(土) 22:17:29 ID:1d4drIFg0
計り知れない探求だけが人を悟りに導くのじゃ。
自分という偽りの観念を捨てて在るものだけをどこまでも心の中に求めるのじゃ。
それが人に出来る唯一の方法であり、道なのじゃ。
実践する者だけがその栄光を掴むことができるのじゃ。

304 避難民のマジレスさん :2018/10/28(日) 05:39:49 ID:LC3de7YgO
>>302
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 質問者 それは一見、たやすく単純に見えます。しかしそうではありません。
 ときどき素晴らしい、喜びにあふれた平安が私の上に降り立ちます。
 そして私はそれを見て思うのです。「なんとたやすくそれはやってきて、なんと
親密なのだろう。……(中略)……」と。
 マハラジ
 ある特別で劇的な、何か素晴らしい爆発が起こることへの期待は、ただ単にあな
たの真我の実現を妨害し、遅れさせるだけだ。
 爆発を期待すべきではない。
 なぜなら、あなたの誕生の瞬間、あなた自身を在ること―知ること―感じること
として自覚したときに、爆発はすでに起こったからだ。
 たったひとつ、あなたには誤りがある。
 あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
 あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものをあな
たの内側にあると見なしているのだ。
 マインドと感情は外側にあるのだ。
 だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
 あなたは世界が外界のものだと信じている。
 だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
 これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
 あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
 ほかに道はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

305 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/28(日) 21:13:23 ID:1d4drIFg0
マインドの思考とか感情などは外にあるものとマハラジは言うのじゃ。
それらは自分ではなく、自分のものではないから外に在るものと言えるのじゃ。
自らの観念の投射である世界は精神の投影であるから内側に在るものと言うのじゃ。
自分を醜いと思う者には世界は醜く、自分を美しいと思う者には世界も美しいのじゃ。
全てのものの見方が精神を投影しているのじゃ。

306 避難民のマジレスさん :2018/10/29(月) 05:37:47 ID:LC3de7YgO
>>304
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 質問者 思考が好き勝手に去来していくなかで、どのようにして考えぬけという
のでしょうか?
 この果てしないおしゃべりが私をかき乱し、疲れ果てさせるのです。
 マハラジ
 通りの往来を見るように、あなたの思考を見守りなさい。
 人々は来ては去っていき、あなたはそれに反応することなく印象をとどめていく。
 はじめのうちは楽ではないかもしれないが、いくらかの修練で、マインドがいく
つもの層で機能し、あなたはそれらすべてに気づくことができると知るだろう。
 ただ、あなたがある特定の層で、あることに関心を持つとき、それに注意を捕ら
われて他の層が忘却されるのだ。
 そのときでさえ、意識界の外側では忘却された層への働きかけが続いている。
 あなたの記憶や思考と闘ってはならない。
 「私は誰か?」「どのようにして私は誕生したのか?」「私を取り巻くこの宇宙
はどこからやってきたのか?」「何が実在であり、何が一時的なものなのか?」と
いった、より重要な質問をあなたの注意の領域に取り入れなさい。
 もしあなたが興味を失えばいかなる記憶も持続はしない。
 束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。
 あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
 いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
 あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからないだ
ろうか?
 ほかの方法を試してみなさい。
 苦痛と快楽に無関心でありなさい。
 求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべての注
意を払いなさい。
 すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
 何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すのだ。
 障害を避けなさい。
 ただそれだけだ。
 探す必要はないのだ。
 すでにもっているものを探すことはない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

307 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/29(月) 22:10:31 ID:1d4drIFg0
ただひたすらに思考が浮かんでは消え去っていくさまを観続けるようにとマハラジは言うのじゃ。
それは既に瞑想といえるものじゃ。
思考に囚われずにいればそれは消え去り、やがてもっと深い層に在る意識に気付くのじゃ。
思考はなくとも意識は有り続けることをそれによって気づくのじゃ。
瑣末な問題に囚われなければ更に深い層の意識へと導かれていくのじゃ。

308 避難民のマジレスさん :2018/10/30(火) 06:37:32 ID:LC3de7YgO
>>306
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 あなた自身が神、至高の実在なのだ。
 まず私を信頼しなさい。
 師を信頼することだ。
 それがあなたに第一歩を踏ませる。
 そうすれば、自らの体験によってあなたの信頼が正しかったことを認めるだろう。
 人生を歩んでいくには最初の信頼は欠かせないものなのだ。
 それなしでは何もできない。
 いかなる仕事も信頼の行為だ。
 日々の食事さえ、あなたは信頼をもとに摂っている。
 私の言うことを覚えていることで、あなたはすべてを達成するだろう。
 今一度あなたに言おう。
 あなたはすべてに遍在し、すべてを超越する実在なのだ。
 それにしたがってふるまいなさい。
 全体との調和のなかで考え、感じ、行為しなさい。
 そうすれば、私が言ったことの実際の体験はすぐにあなたに現れるだろう。
 努力は必要ない。
 信頼をもってそのとおりに行動しなさい。
 どうかわかってほしい。
 私はあなたから何も欲してはいないのだ。
 私が話すのは、あなた自身のためなのだ。
 なぜなら、あなたは何よりもあなた自身を愛しているからだ。
 あなたは自分が安全で幸福でありたい。
 それを恥ずかしがることはない。
 それを否定することはない。
 それは自然なことで、自分自身を愛することは良いことだ。
 ただ、正確にあなたが何を愛しているのかを知るべきだ。
 あなたの愛しているのは身体ではない。
 それは生命――知覚し、感じ、考え、行為し、愛し、努力し、創造する生命 な
のだ。
 あなたが愛しているのはあなた自身であり、すべてである生命なのだ。
 それをその全体性において認識しなさい。
 すべての区別と限界を超えて。
 そうすれば、あなたのすべての欲望はそのなかに解け去るだろう。
 なぜなら、大いなるものは小さなものを包含するからだ。
 それゆえ、あなた自身を見いだしなさい。
 なぜなら、それを見いだすことであなたはすべてを見いだすからだ。
 誰でも存在することが嬉しい。
 だが、その完全な意味を知る者はいない。
 「私は在る」「私は知る」「私は愛する」という言葉の意味の核心を知ろうとす
る意志とともに、それらに心をとどめることによって、あなたは知るようになるの
だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

309 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/30(火) 22:17:07 ID:1d4drIFg0
悟りとは何かすら分からない衆生は先ずは師匠を信じて実践する他は無いのじゃ。
実践していけば師匠の言葉が正しかったと知ることも出来るのじゃ。
私を追及する実践がマハラジの教えなのじゃ。
自分自身を見出すことで全てを見出すことが出来るという言葉の意味を知るまで実践に励むのじゃ。

310 避難民のマジレスさん :2018/10/31(水) 06:30:17 ID:LC3de7YgO
>>308
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 質問者 「私は神である」と考えることはできるでしょうか?
 マハラジ
 自分自身を観念と同一化してはならない。
 もし神が未知なるものという意味ならば、あなたは単に、「私は私が何であ
 るか知らない」と言うだけだろう。
 もしあなたがあなた自身を知るように神を知っているならば、言う必要もな
 い。
 もっとも正しいのは「私は在る」という純粋な感覚だ。
 忍耐強くそのなかにとどまりなさい。
 ここにおいては忍耐が智慧なのだ。
 失敗を思ってはならない。
 この仕事に失敗はありえないのだ。
 質問者 私の思考がそうさせないでしょう。
 マハラジ
 放っておきなさい。
 闘ってはいけない。
 それについて何もしないことだ。
 それが何であれ、あるがままにしておきなさい。
 抗うこと自体がそれに生命を与えるのだ。
 ただ無視しなさい。
 見過ごすのだ。
 「何であれ、私が在るゆえに起こるのだ」ということを思い出すことを覚え
 ていなさい。
 すべてはあなたが在るということを思い起こさせる。
 体験するにはあなたがいなければならないということを充分利用するがいい。
 関心をもたないことが自由をもたらすのだ。
 しがみつかないこと、それだけだ。
 世界は無数の輪(リング)でできている。
 それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
 あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
 そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
 あなたの耽溺を放棄しなさい。
 ほかに何も放棄するものはない。
 常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
 そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
 努力せずに在りなさい。
 質問者 人生は努力です。そこにはするべき多くのことがあるのです。
 マハラジ
 する必要があることはしなさい。
 抵抗してはならない。
 あなたのマインドのバランスは、的確に正しいことをすることを基本に、瞬
 間から瞬間へと活動的でなければならない。
 成長することに反抗する子供のようであってはならない。
 型にはまった身振りや態度は助けにならないだろう。
 完全にあなたの思考の明晰性、動機の純粋さ、行為の高潔さのみを頼りにし
 なさい。
 あなたが道を誤ることは、けっしてありえない。
 超えていきなさい。
 そしてすべてを置き去りにしなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

311 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/31(水) 22:17:42 ID:1d4drIFg0
神とは人が作った観念なのじゃ。
修業に役立てることもできるがサマーディにまでしか到達できないのじゃ。
私を追及するほうが直接悟りに導かれる法なのじゃ。
思考も抵抗も置き去りにして超えていくのじゃ。

312 避難民のマジレスさん :2018/11/01(木) 06:48:52 ID:LC3de7YgO
>>310
『I AM THAT 私は在る』
【51 苦痛と快楽に無関心でありなさい】(つづき)

 質問者 しかし、永遠に残されるような何かがありうるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは二十四時間休みなしのエクスタシーのような何かが欲しいのだ。
 エクスタシーは来ては去っていく。
 人間の脳は、必然的に長期の緊張に耐えられないからだ。
 長引くエクスタシーは、非常に純粋で微妙なものでないかぎり、脳を焼き切
 ってしまうだろう。
 自然のなかでは何ひとつ停止しているものはない。
 あらゆるものが脈打ち、現れては消えていく。
 心臓、呼吸、消化。
 睡眠と目覚め――誕生、そして死、すべては波のように来ては去っていく。
 循環反復運動、周期性、両極の調和のとれた交替が法則なのだ。
 生命のパターンに対抗しても無益なだけだ。
 もしあなたが不変なるものを求めるならば、体験を超えていきなさい。
 私が「私は在る」をつねに覚えていなさいと言うとき、それは「繰り返しそ
 れに戻ってきなさい」という意味なのだ。
 いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
 ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
 沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
 マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
 黙へと立ち返る。
 あるいはむしろ、沈黙の背景に反してすべての体験が起こるのだ。
 さあ、あなたがここで学んだことが種子となる。
 表面上は、あなたは忘れてしまうかもしれない。
 しかし、それは生き、芽吹きの季節は訪れ、生長し、花を咲かせ、実を結ぶ
 だろう。
 すべてはひとりでに起こるだろう。
 あなたは何もしなくてもいいのだ。
 ただ、それを妨げてはならない。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

313 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/01(木) 22:43:41 ID:1d4drIFg0
観るものも聞くものも無く心に思い描くものもない状態では沈黙だけが有ると言えるのじゃ。
そこには何も無いと思えるかも知れんが実はそれが全てなのじゃ。
そこには意識が在るのじゃ。
それこそ永遠の意識なのじゃ。

314 避難民のマジレスさん :2018/11/02(金) 12:20:45 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】

 質問者 私は数カ月前にヨーロッパからやってきました。カルカ
 ッタ近郊に住む私のグルを、今まで定期的に訪ねていま
 した。今回の訪問を終え、今帰途に着つこうとするとこ
 ろです。友人に招かれ、あなたのもとにやってきたので
 す。お会いできて嬉しく思っています。
 マハラジ
 あなたのグルから何を学び、どのような修練をしてきたのだろう
 か?
 質問者 彼は崇敬すべき、齡(よわい)八十近い老人です。彼の
 教えはヴェーダーンタ哲学に属し、マインドのなかの無
 意識のエネルギーを目覚めさせ、隠れた障害や妨害を意
 識のなかにもたらすことが、彼の指導する修練の主要な
 点です。
 私の個人的なサーダナは、私の幼少期に固有の問題に関
 連しています。私の母親は子供の正常な成長にとっても
 っとも重要な、愛と安全に守られた存在の感覚を与える
 ことができませんでした。不安と神経症に悩まされ、自
 分に自信がもてず、彼女にとって私は、彼女の能力を超
 えた重荷であり、責任であったのです。彼女はけっして
 私に生まれてきてほしいと思ってはいませんでした。私
 に成長しないでほしいと望み、生まれる以前、存在する
 以前の子宮のなかに戻ってほしかったのです。私の人生
 におけるどんな動きも、彼女は拒んできました。彼女の
 習慣的生活の狭い輪を私が超えようと試みるたびに、彼
 女は猛烈に抵抗してきました。私は、繊細で、愛情深い
 子供でした。子供に対する純粋で本能的な母親の愛を拒
 まれてきた私は、ほかの何よりも愛情を切望してきまし
 た。子供にとっての母親の愛を探求することは、私の人
 生における主要な動機となり、成長してそれから抜けだ
 すことはけっしてありませんでした。幸福な子供、幸せ
 な幼少時代は私にとって強迫観念となったのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

315 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/02(金) 21:52:01 ID:1d4drIFg0
哀れなことじゃ。
多くの者が親になるための自覚も知識も無いままに子を作るのじゃ。
その子が親になって又同じことを繰り返すのじゃ。
一切が苦なのじゃ。

316 避難民のマジレスさん :2018/11/03(土) 11:19:39 ID:LC3de7YgO
>>315
鬼和尚、いつもありがとうであります。
> 意識のエネルギーを目覚めさせ、隠れた障害や妨害を意識のなかにもたらす

とは、純粋な意識、意識そのものの存在の気付きを邪魔してるのが観念であることを自覚させるみたいなことでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

317 避難民のマジレスさん :2018/11/03(土) 11:34:42 ID:LC3de7YgO
>>314
『I AM THAT 私は在る』
【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】(つづき)

 妊娠、誕生、幼年期は私に熱烈な興味をもたらしました。
 私は著名な産科医となり、無痛分娩法の開発に貢献して
 きました。幸せな母親の幸せな子供――が私の全人生の
 理想なのです。しかし、私の母はいつもそこにいて、彼
 女自身が不幸なため、幸福な私を見ることができないで
 いるのです。それはとても奇妙な形で現れました。いつ
 であれ私に元気がないとき、彼女はより良く感じ、私が
 元気だと、彼女自身も私をも呪って落胆するのです。あ
 たかも、私が生まれてきたという罪をけっして許さず、
 生きていることへの罪悪感を私に抱かせるかのように。
「あなたが生きているのは私を憎んでいるからでしょう。
 もし私を愛しているならば、死になさい」――これが沈
 黙を通しての彼女の絶え間ないメッセージだったのです。
 それゆえ私は、愛ではなく死を差しだされて生きてきた
 のです。
 母親のなかで永久に幼児として監禁されたため、私は女
 性との意味深い関係を発展させることができませんでし
 た。許すことも、許されることもない母親のイメージが
 間に立ちはだかるのです。私は仕事のなかに多くの慰め
 を見いだしてきましたが、幼児という深い穴から抜けだ
 すことはできませんでした。最終的に、霊的探求に方向
 を変えてからすでに数年間、この路線を着実に進んでい
 ます。しかしある意味では、それは相変わらず母親の愛
 情の探求なのです。それを神と呼ぼうと、アートマ(真
 我)、あるいは至高の実在と呼ぼうとも。基本的に、私
 は愛し、愛されたいのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

318 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/03(土) 22:54:12 ID:1d4drIFg0
>>316 それはクンダリニーの覚醒とかじゃな。
 それによって心を静め、心の中の障害を自覚できるようにするのじゃ。
 なかなか難しいことじゃ。

319 避難民のマジレスさん :2018/11/04(日) 01:15:32 ID:LC3de7YgO
>>318
鬼和尚、ありがとうであります。
クンダリニでありましたか。
禅病、クンダリニ症候群みたいなものへの不安から、気をコントロールすることに励んだりしましたが、最近は、瞑想も気功もできておらず、もっぱら意識的にあり続けようとすることのみになっております。
また、いつか、働かなくなったら、今度は本気でクンダリニやってみようかなと思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

320 避難民のマジレスさん :2018/11/04(日) 08:03:37 ID:LC3de7YgO
>>317
『I AM THAT 私は在る』
【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】(つづき)

 不運にも、いわゆる宗教的な人びとは生に反対し、まっ
 たくマインドのいいなりです。生の要求と衝動に直面し
 たとき、彼らは分類し、抽象化し、概念化します。そし
 て分類を生自体よりも重要と見なすのです。彼らはひと
 つの概念に集中し、それを人格化するように求めます。
 愛による自発的な統合よりも、ひとつのマントラに、慎
 重に勤勉に集中することを勧めるのです。神、あるいは
 真我、私、あるいはアートマ、それが何であれ同じこと
 です! 愛するための誰かではなく、考えるための何か
 なのです。私に必要なのは、理論やシステムではありま
 せん。同じように魅力的で、もっともらしいものは数多
 くあります。しかし、私に必要なのは、心からの感動、
 生命の再生であり、新たな考え方ではありません。新た
 な考え方というものはありません。しかし、感情はつね
 に新鮮であることができます。私が誰かを愛するとき、
 私は彼に自発的に、強烈な熱意と活気をともなって瞑想
 します。それは私のマインドでは制御できないものです。
 言葉は感情を形づくるのに適しています。感情をともな
 わない冷たく、気の抜けた、身体の入っていない洋服の
 ようなものです。私の母は、私の感情のすべてとその源
 を枯渇させてしまいました。ここで私は、子供としてた
 っぷりと必要だった豊富であり余るほどの感情を見いだ
 すことができるでしょうか?
 マハラジ
 あなたの子供時代は今どこにあるのだろうか?
 そしてあなたの未来とは何だろうか?
 質問者 私は生まれました。私は成長してきました。そして私は
 死ぬでしょう。
 マハラジ
 あなたは、もちろん身体のことを意味しているのだろう。
 そしてあなたのマインドを。
 私はあなたの生理学や心理学について話しているのではない。
 それらは自然の一部であり、自然の法則によって支配されているのだ。
 私はあなたの愛の探求について話しているのだ。
 それには始まりがあっただろうか?
 それには終りが来るのだろうか?
 質問者 私には、とても言うことができません。それは私の人生
 の最初から最後の瞬間までそこにあるのです。この愛へ
 の切望は何と不変で、何と絶望的なのでしょうか!
(´・(ェ)・`)
(つづく)

321 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/04(日) 22:42:27 ID:1d4drIFg0
>>319 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

誰もが愛を欲しているのじゃ。
それも孤独からの逃避でしかないがのう。
自らの心を観察すればそれもなくなるのじゃ。

322 避難民のマジレスさん :2018/11/05(月) 06:23:01 ID:LC3de7YgO
>>320
『I AM THAT 私は在る』
【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】(つづき)

 マハラジ
 愛の探求のなかで、あなたは正確には何を探しているのだろうか?
 質問者 ただ、愛し、愛されることです。
 マハラジ
 ある女性を意味しているのだろうか?
 質問者 そうである必要はありません。その感覚が輝いて、明ら
 かでありさえすれば、友達でも、師でも、導き手でもい
 いのです。もちろん、女性はお決まりの答えではありま
 す。しかし、それだけである必要はありません。
 マハラジ
 あなたは愛することと愛されることの二つのうち、どちらを取るだろうか?
 質問者 むしろ、両方を取るでしょう! しかし、愛することの
 方がより偉大で、より高尚で、より深いことは私にも理
 解できます。愛されることが快いのは確かですが、それ
 は人を成長させてはくれません。
 マハラジ
 あなたは自らを愛すことができるだろうか?
 あるいは、愛するようにさせられなければならないだろうか?
 質問者 もちろん、愛するに足る人に出会わなければなりません。
 私の母は愛情がないばかりでなく、愛すべき人でもなか
 ったのです。
 マハラジ
 何が人を愛すべき人にするのだろうか?
 それは愛されることではないだろうか?
 まず、あなたは愛し、それから理由を探すのだ。
 質問者 その反対もありえます。あなたはあなたを幸せにするも
 のを愛するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

323 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/05(月) 22:11:55 ID:1d4drIFg0
愛着はお釈迦様の言うとおり、人を苦しめめるものじゃ。
皆哀れなほどに愛を求めているのじゃ。
フィクションと違って現実は愛によって苦しむ者ばかりなのじゃ。

324 避難民のマジレスさん :2018/11/06(火) 07:01:38 ID:LC3de7YgO
>>322
『I AM THAT 私は在る』
【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】


 マハラジ
 だが、何があなたを幸せにするのだろうか?
 質問者 そこには何の規則もありません。その問題全体が非常に
 個人的な、予期できないものなのです。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 どのように表現しようとも、あなたが愛するまで幸せはありえないのだ。
 しかし、愛はつねにあなたを幸せにするだろうか?
 愛が幸せと結びついているのは、むしろ初期の、幼稚な段階ではないだろうか?
 あなたの愛する人が苦しむとき、あなたも苦しむのではないだろうか?
 そして、あなたが愛するのをやめるのは、あなたも苦しむからではないだろうか?
 愛と幸せはともに来て、ともに去っていくものだろうか?
 愛とは単に快楽への期待なのだろうか?
 質問者 もちろん、そうではありません。愛にたいへんな苦しみ
 をともなうことはありえます。
 マハラジ
 では、愛とは何だろうか?
 それはマインドの状態というより、むしろ存在の状態ではないだろうか?
 愛するために、あなたが愛しているということを知らなければならないだろうか?
 あなたは母親を気づかぬうちに愛していたのではないだろうか?
 彼女の愛と彼女を愛する機会を切望することは、愛の行動ではないだろうか?
 愛とは存在の意識としてのあなたの一部分ではないだろうか?
 あなたが母親の愛を求めたのは、あなたが彼女を愛していたからだ。
 質問者 しかし、彼女は私に愛することを許さなかったのですよ!
 マハラジ
 彼女にあなたを止めることはできなかった。
 質問者 それでは、なぜ私の人生は不幸せなのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、あなたはあなたの存在の根底まで行きついていないからだ。
 あなた自身についての完全な無知が、愛と幸せを覆(おお)い隠し、あなたにけ
っして失わなかったものを探求するようにさせたのだ。
 愛とは意志だ。
 すべてとともにあなたの幸せを分かちあう意志なのだ。
 幸せで在ること、幸せになること――これが愛のリズムだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

325 避難民のマジレスさん :2018/11/06(火) 07:03:54 ID:LC3de7YgO
>>324
> すべてとともにあなたの幸せを分かちあう意志なのだ。

それは、ただひ一つの意識だからでありますね。
敵も味方もないのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

326 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/06(火) 22:04:10 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、他人の愛がほしいということは未だ自分が何か知らないからなのじゃ。
全てであることがわかれば幸福も常に自分とともにあったとわかるのじゃ。
もはや愛は求めなくて善いのじゃ。
それであったと気づくだけなのじゃ。

327 避難民のマジレスさん :2018/11/07(水) 05:40:16 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】

 質問者 告白しなければなりません。私は今日、反抗的な気分でやってきま
 した。航空会社から粗雑な扱いをされたのです。そのような状況に
 直面すると、すべては疑わしく思われ、すべてが無駄なように見え
 てしまいます。
マハラジ
 それはとても有用な気分だ。
 すべてを疑い、すべてを拒絶し、他者から学ぶことを望まないこと。
 それはあなたの長いサーダナ(修練)の成果なのだ。
 つまり、人はいつまでも学ぶばかりではないということだ。
質問者 もう充分です。それは私をどこへも導いてはくれませんでした。
マハラジ
 「どこへも」と言ってはならない。
 それはあなたを今ここへ導いたのだ。
質問者 また同じ子供とその癇癪(かんしゃく)なのです。結局、以前いた
 場所から一歩も動いてはいないのです。
マハラジ
 あなたは子供としてはじめ、子供として終えるだろう。
 何であれその間に得たものは失われ、はじめから出発しなければならないのだ。
質問者 しかし子供は反抗しています。不幸せだったり、何かを否定された
 りすると、子供は反抗するのです。
マハラジ
 反抗させればいい。
 ただその反抗を見ていなさい。
 もしあなたが社会に対して確信をもって反抗するのを恐れるようならば、それも
また見ていなさい。
 それがつらいことなのは知っている。
 だが、解決法を探すのをやめるという唯一の解決法を除いて、解決法はないのだ。
もし怒りや痛みがあるならば、その怒りと痛みからあなた自身を切り離しなさい。
 客観化は解放への第一歩なのだ。
 物理的な出来事は起こりつづけるだろう。
 だが、それら自体には何の重要性もないのだ。
 重要なのはマインドだけだ。
 何が起ころうとも、航空会社や銀行で反抗したり、泣きわめいたりすることはで
きない。
 社会が許さないだろう。
 もし彼らのやり方が気に入らないのなら、あるいは我慢しきれないなら、飛行機
に乗らなければいい。
 あるいはお金を持っていかなければいい。
 歩きなさい。
 もし歩けないならば、旅行をあきらめるがいい。
 社会と折りあってやっていくならば、彼らのやり方を受け入れなければならない。
 なぜなら、それはあなたのやり方でもあるからだ。
 あなたの必要性と要求がそれらをつくり出してきたからだ。
 あなたの欲望はとても複雑で矛盾しているため、あなたのつくり出した社会もま
た複雑で、矛盾しているのも無理はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

328 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/07(水) 21:45:15 ID:1d4drIFg0
自分自身が混乱していればその者の世界も混乱しているのじゃ。
自分の心を整えなければその者の世界は混乱したままなのじゃ。
自分の心が整えられれば世界も整えられるのじゃ。

329 避難民のマジレスさん :2018/11/08(木) 03:48:04 ID:LC3de7YgO
>>327
1『I AM THAT 私は在る』
【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】(つづき)

質問者 外側の混乱が私の内なる不調和の反映だということは、私にも理解
 でき、認めもします。しかし、その解決法とは何でしょうか?
マハラジ
 解決法を求めてはならない。
質問者 ときどき、人は「神の恩寵(おんちょう)に浴した状態」にあり、
 人生は幸福で平和です。しかしそのような状態は長続きしません。
 気分は変わっていき、すべてはおかしくなってしまうのです。
マハラジ
 もしあなたが期待や記憶を取り払い、ただ静にしていることができるならば、出
来事の織り成す美しい模様を見極めることができるだろう。
 混沌(こんとん)を招いているのは、あなたの落ち着きのなさなのだ。
質問者 三時間もの間、航空会社のオフィスで、私は忍耐と寛容を実習して
 いたのです。それは状況を早めませんでした。
マハラジ
 少なくとも、それは彼らを遅らせなかったのだ。
 あなたが反抗すれば、間違いなく遅れていただろう。
 あなたは即席の結果を求めているのだ!
 私たちはここで魔術を行っているのではない。
 誰もが同じ過ちをする。
 手段を拒みながら結果を求めるのだ。
 あなたは世界のなかに平和と調和を求めながら、あなたの自身のなかにそれをも
つことは拒んでいるのだ。
 私の助言に、ただ盲目的にしたがってみるといい。
 けっしてあなたを落胆させはしないだろう。
 あなたの問題をただ言葉だけで解決することはできない。
 私が言ったことにあなたが働きかけ、たゆまずやりつづけなければならないのだ。
 正しい助言がではなく、その助言をもとにしたあなたの行為が解放をもたらすの
だ。
 医師が患者に注射をした後、「さあ、静かにしなさい。何もせずに、ただ静かに
しなさい」と言うように、私もあなたに言っているのだ。
 私はあなたに注射をした。
 さあ、静かにしなさい。
 ただ、静かにしなさい。
 あなたはほかに何もしなくていいのだ。
 私のグルも同じことをした。
 彼は私に何かを語り、そして言ったのだ。
 「さあ、静かにしなさい。いつまでも思いめぐらしていてはいけない。止まりな
さい。沈黙しなさい」と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

330 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/08(木) 22:40:09 ID:1d4drIFg0
誰もが手段を拒みながら結果を求めているとマハラジは言うのじゃ。
実践せずに結果はでないのじゃ。ただひたすら実践することでのみ人は進歩していくのじゃ。
話を聞いているだけでは何も起こらないのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

331 避難民のマジレスさん :2018/11/09(金) 05:26:00 ID:LC3de7YgO
>>329
『I AM THAT 私は在る』
【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】(つづき)

 質問者
 朝の一時間、静かにすることはできます。しかし、一日は長く、多くのこと
 が起こり、私をバランスの取れた状態から放りだしてしまうのです。「静か
 にしなさい」というのは簡単です。しかし、私のなかで、そしてまわりです
 べてが叫んでいるのです。いったいどうすればいいのでしょうか。教えてく
 ださい。
 マハラジ
 為すべきことは、すべて平和と沈黙の中で為すことができる。
 心を乱される必要はないのだ。
 質問者
 それはみな、事実にそぐわない理論でしかありません。私はヨーロッパに帰
 るのですが、そこでは何もすることがないのです。私の人生はまったく空っ
 ぽなのです。
 マハラジ
 もしあなたがただ静かにするように試みるならば――仕事、仕事のための能力、
正しい動機、すべてはやってくるだろう。
 すべて、前もってあなたが知っていなければならないのかね?
 未来のことを心配してはならない。
 今、静かでありなさい。
 そうすれば、すべては正しい場所に収まるだろう。
 予期しなかったことが、かならず起こるだろう。
 期待して待っていたことは、けっして起こらないかもしれないのだ。
 あなたの性質を制御できないと言ってはならない。
 制御する必要はないのだ。
 それを海に投げ捨ててしまうがいい。
 闘ったり、服従したりするような性質をもつことはない。
 もしあなたがそれを習慣にさえしなければ、いかなる経験もあなたを傷つけるこ
とはないだろう。
 あなたが全宇宙の深遠な原因なのだ。
 すべてはあなたが在るゆえに在る。
 この要点を深く、確実につかみなさい。
 そしてそれについて繰り返し熟考しなさい。
 このことが絶対的な真実だと悟ることが解放なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

332 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/09(金) 21:19:29 ID:1d4drIFg0
全ての宇宙も人の心によって創られているのじゃ。
自分が無ければ認識する宇宙も無いのじゃ。
混乱した環境であればそれも自分の心が作り出していると知るがよいのじゃ。
心が鎮まれば混乱も静まるのじゃ。

333 避難民のマジレスさん :2018/11/09(金) 22:46:43 ID:LC3de7YgO
>>332
そうでありますよね。
全ては認識なのでありますよね。
認識している内容は、意識でありまして、意識は、中立なのでありますよね。
あれもこれもなく、中立の意識を、記憶に基づく観念が、面倒な認識に導くのでありますよね。
こまったものであります。
(´・(ェ)・`)つ

334 避難民のマジレスさん :2018/11/10(土) 05:50:48 ID:LC3de7YgO
>>331
『I AM THAT 私は在る』
【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】(つづき)

 質問者
 もし私が宇宙の種子なら、私は腐った種子です!
 実がなって種子は認められるのです。
 マハラジ
 あなたがののしるほど、あなたの世界のどこが悪いというのだろうか?
 質問者
 それは苦痛に満ちています。
 マハラジ
 自然は快くもなければ、苦痛に満ちたものでもない。
 それはみな、知性と美にあふれているのだ。
 苦痛と快楽はマインドのなかにあるものだ。
 あなたの価値観の尺度を変えなさい。
 そうすれば、すべては変わるだろう。
 快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない。
 それらを同等に扱いなさい。
 そうすれば、そこには至福だけがあるだろう。
 そして、世界はあなたがつくり出すものだ。
 ぜひ幸せな世界をつくり出すがいい。
 満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
 満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
 すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非常に
実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
 一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
 私を信じてほしい。
 欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なのだ。
 質問者 私たちはものを必要とします。
 マハラジ
 もしあなたが不必要なものを望まなければ、必要なものはやってくるだろう。
 しかしながら、この完全な無執着と無関心の状態に達する人はごくまれなのだ。
 それは非常に崇高な、まさに解放の入り口にある状態だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

335 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/10(土) 22:14:02 ID:1d4drIFg0
>>333 そうじゃ、認識によって人は自ら苦を作り出すのじゃ。
 本来は至福だけが在るのじゃ。

 今苦しんでいる者には聖者の言葉も届かないのじゃ。
 それ故にお釈迦様は苦を滅する法を先に説いたのじゃ。
 苦を滅してから悟りを目指すが善いのじゃ。

336 避難民のマジレスさん :2018/11/11(日) 01:31:50 ID:LC3de7YgO
>>334
『I AM THAT 私は在る』
【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】(つづき)

 質問者 この二年間というもの成果がなく、わたしは寂しく虚(うつ)ろな
 状態で、しばしば死が来るのを祈っていたのです。
 マハラジ
 あなたがここに来たことで、ものごとは起こりはじめている。
 それを起こるがまま起こらせるがいい。
 最後には、ものごとがそれ自体でうまく収まっていくだろう。
 未来に向かってあなたが努力することはない。
 未来はそれ自体であなたにやってくるだろう。
 しばらくの間、あなたは意味も確信も失ったまま、今同様に眠り歩きを続けるだ
ろう。
 しかし、この時期は過ぎていく。
 そして、あなたは仕事が順調に進み、成果をあげるのを見ることだろう。
 心が虚ろで離れていくことは、誰でも、いつのときでもあるものだ。
 それはもっとも望まれる瞬間なのだ。
 なぜなら、それは魂が精神的な拠(より)り所を捨て去り、遠くへと航海をはじ
めたことを意味するからだ。
 古かったものが終わりを告げ、新たなるものがまだ訪れていないとき――これが
無執着だ。
 もしあなたが恐れるならば、この状態は悲痛なものとなるだろう。
 しかし、本当に何も恐れることはないのだ。
 教えを思い出しなさい。
 何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということを。
 質問者 仏陀たちは、覚えるべきことを覚えるように指導してきました。し
 かし、正しい瞬間に、正しいことを思い出すのは、私にはあまりに
 も困難なのです。私にとっては、忘れることが法則であるかのよう
 です。
 マハラジ
 あらゆる状況が欲望と恐れの嵐をもたらすとき、思い出すのは易しいことではな
い。
 記憶から生まれた切望は、記憶の破壊者でもあるのだ。
 質問者 どうやって欲望と闘うのでしょうか? 欲望より強いものは何もあ
 りません。
 マハラジ
 生命の水は、求むべき、あるいは憎むべき対象物の岩の上へと、怒号とともに打
ちつけている。
 洞察と無執着によって岩を取り除くのだ。
 そうすれば、同じ水は深く、静かに、速やかに流れるだろう。
 しかもより力強く、より大量に。
 それについて理論的になることはないのだ。
 充分考慮するだけの時間をもつがいい。
 もしあなたが自由を望むならば、もっとも身近な一歩をおろそかにしてはならな
い。
 山を登るときのように、一歩もはずすことはできない。
 一歩でも足りなければ、山頂には到達されないからだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

337 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/11(日) 22:07:19 ID:1d4drIFg0
洞察とは気付くことなのじゃ。
それは観察によってもたらされるのじゃ。
無執着は心に観察する余裕を作り出すものじゃ。
何かに執着していれば心に余裕が無く観察も疎かになってしまうのじゃ。
心に余裕を持って観察すればどれほど強い欲も勘違いからの欲望であったと気付くのじゃ。

338 避難民のマジレスさん :2018/11/12(月) 07:04:29 ID:LC3de7YgO
>>336
1『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】

 質問者 先日、私たちは個人―観照者―絶対なるもの(ヴィヤク
 ティ―ヴィヤクタ―アヴィヤクタ)について討論してい
 ました。私が覚えているかぎり絶対のみが実在であり、
 観照者は時間と空間のなかの与えられた点においてのみ
 絶対だとあなたは言われました。個人とは観照者の存在
 によって照らしだされた粗雑、あるいは繊細な有機体で
 す。私はどうやら明確に把握できなかったようです。も
 う一度それについて討論できるでしょうか? あなたは
 また、マハーダカーシュ、チダカーシュ、パラマカーシ
 ュという言葉を用いていました。それらは個人、観照者、
 絶対なるものとどのように関連しているのでしょうか?
 マハラジ
 マハーダカーシュは自然、存在の大洋、感覚を通して知覚されるすべてを含む物
理的空間だ。
 チダカーシュは気づきの拡張、時間の精神的空間、知覚と認識だ。
 パラマカーシュは時間と空間を超えた実在、無心であり、未分化の無限の可能性
、源であり根源、実質であり本質であるもの、物質と意識の両方であり、しかもそ
の両方を超えているものだ。
 それを知覚することはできない。
 だが、つねに観照者を観照する者、知覚者を知覚する者、すべての権限の根源と
終焉、時間と空間の根底、あらゆる因果関係の連鎖における起源的な原因としてそ
れを体験することはできるのだ。
 質問者 ヴィヤクタ(観照者)とアヴィヤクタ(絶対なるもの)
 の違いは何でしょうか?
 マハラジ
 違いはない。
 それは光と日光のようなものだ。
 宇宙はあなたに見えない光に満ちている。
 しかし、その同じ光をあなたは日光として見ているのだ。
 そして日光が顕(あら)わにするものがヴィヤクティ(個人)だ。
 個人はつねに対象として、観照者は主体として在る。
 そしてそれらの相互依存の関係は、それらの絶対的な同一性の反映なのだ。
 あなたはそれらが区別された、分離状態だと想像している。
 そうではないのだ。
 それらは同じ意識の静と動であり、それぞれの状態が他方を意識しているのだ。
 普遍なる意識(チット)のなかで、人は神を知り、神は人を知っている。
 普遍なる意識のなかで、人は世界を形づくり、世界は人を形づくる。
 普遍なる意識は連結部、両極端を結ぶ橋、あらゆる経験に均衡と統合をもたらす
要因だ。
 知覚されたものの全体性が物質と呼ばれ、すべての知覚者の全体性が宇宙のマイ
ンドと呼ばれる。
 その二つの同一性は、知覚力と知覚、調和と知性、愛らしさと愛することとして
それ自体を永遠に再主張していくのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

339 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/12(月) 22:02:04 ID:1d4drIFg0
パラマカーシュとマハラジが語るのは永遠の意識そのものなのじゃ。
全ての観念を超えてあるものであり、知覚はされないものじゃ。
眼で見ることも耳で聞くことも手で触ることも出来ないのじゃ。
ただそれであるということを体験できるのみなのじゃ。

340 避難民のマジレスさん :2018/11/13(火) 06:32:45 ID:LC3de7YgO
>>338
『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】(つづき)

 質問者 三つの性質(グナ)であるサットヴァ、ラジャス、タマ
 スは物質のなかにだけあるのでしょうか、それともマイ
 ンドのなかにもあるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、両方にある。
 なぜなら、その二つは別々ではないからだ。
 グナを超えているのは絶対なるものだけだ。
 実際、それらは単なる見解、ただの見方にすぎない。
 それらはマインドのなかにのみ存在するのだ。
 マインドを超えれば、すべての区別は止まる。
 質問者 宇宙とは感覚がつくり出したものなのでしょうか?
 マハラジ
 目覚めとともに、あなたが世界を新たに創造するように、宇宙は繰り広げられて
いく。
 マインドとその五つの知覚器官、五つの行動器官、五つの意識の伝達手段は記憶
、思考、理性、自我として現れるのだ。
 * 訳注
  五つの知覚器官:聴覚、触覚、味覚、嗅覚、視覚。
  五つの行動器官:話すこと、理解すること、動くこと、排泄すること、楽しむ
こと。
  五つの意識の伝達手段:言語器官、運動器官、理解器官、排泄器官、生殖器官。

 質問者 科学は大変な進歩を遂げました。私たちの身体やマイン
 ドは、祖先のそれよりもはるかにすぐれています。マイ
 ンドや物質を描写し分析するあなたの伝統的な方法は、
 もはや有効ではありません。
 マハラジ
 だが、あなたの科学者たちや科学はどこにあるのかね?
 それらはあなた自身のマインドのなかに存在するイメージではないだろうか?
 質問者 ここに基本的な違いがあるのです! それらは私自身の
 投影ではありません。それらは私が生まれる以前から存
 在し、私が死んだ後も存在するでしょう。
 マハラジ
 もちろん、ひとたび時間と空間を実在として受け入れたならば、あなたは自分自
身を短くはかない命を生きるものとして考えるだろう。
 しかし、それは真実なのだろうか?
 時間と空間があなたに依存するのだろうか、それともあなたがそれらに依存する
のだろうか?
 身体として在るならば、あなたは空間のなかにいる。
 マインドとしては、あなたは時間のなかにいるのだ。
 だが、あなたは単なる身体とマインドなのだろうか?
 今まで調べたことがあっただろうか?
 質問者 私にはその動機も方法もありませんでした。
 マハラジ
 私はその両方を差しだしているのだ。
 だが、洞察と識別という実際の仕事はあなたのものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

341 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/13(火) 22:28:02 ID:1d4drIFg0
サットヴァ、ラジャス、タマスの三つのグナも修業の為に創られた観念に過ぎないのじゃ。
それがあると思う者にだけあるのじゃ。
それを修業に使う者だけが正しく捉えていると言えるのじゃ。
この世の全てもまた同じなのじゃ。

342 避難民のマジレスさん :2018/11/13(火) 22:54:17 ID:LC3de7YgO
>>341
うむ。
観念として知り得るものだけが、この世の全てのものなのでありますね。
空想でありますね。
実在を観念することはできないのでありますね。
(´・(∀)・`)つ

343 避難民のマジレスさん :2018/11/14(水) 05:28:09 ID:LC3de7YgO
>>340
『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】(つづき)

 質問者 唯一私が自覚できる動機といえば、私自身の、原因のな
 い永遠の幸福です。では、方法とは何でしょうか?
 マハラジ
 幸福は主要なものではない。
 真の、そして有効な動機とは愛なのだ。
 あなたは人々が苦しむのを見て、最善の援助方法を探す。
 その答えは明白だ――まず、あなた自身を援助の必要性を超えた地点におきなさ
い。
 あなたの態度は純粋な善意、いかなる期待からも自由なものであることを確かめ
なさい。
 単に幸福のみを求める者は、極度の無関心に陥る場合がある。
 一方、愛はけっして放っておけないのだ。
 方法については、ただひとつだけある。
 あなたがあなた自身――あなたのように現れて見えるあなたと、あるがままであ
るあなたの両方――を知らなければならないということだ。
 明晰(めいせき)性と慈愛がともに必要になる。
 どちらも互いを必要とし、強めあうのだ。
 質問者 慈悲は、避けるべき悲しみに満ちた客観的世界の存在を
 意味しています。
 マハラジ
 世界は客観的なものではない。
 そしてその悲しみは避けることのできないものだ。
 慈悲とは、想像上の原因によって苦しむことの拒否を意味する言葉でもあるのだ。
 質問者 もし原因が想像上のものならば、なぜ苦しみは避けられないのでしょう
か?
 マハラジ
 あなたを苦しめるのは、つねに偽物だ。
 偽りの欲望と恐れ、偽りの価値と観念、偽りの人間関係だ。
 偽物を放棄しなさい。
 そうすれば、苦痛から自由になれる。
 真実は幸せをもたらす。
 真実は解放するのだ。
 質問者 真実は、私は身体のなかに監禁されたマインドだという
 ことです。そして、それはとても不幸な真実なのです。
 マハラジ
 あなたは身体でもなければ、身体のなかにいるのでもない。
 身体などというものは存在しないのだ。
 あなたはあなた自身について、ひどい誤解をしてきた。
 正しく理解するために、調べてみるがいい。
 質問者 しかし、私は身体として、身体のなかに生まれてきたの
 です。そして、身体とともに、身体として死ぬでしょう。
 マハラジ
 これがあなたの思い違いなのだ。
 調べなさい。
 探求し、あなた自身を、そして他者をも疑ってみなさい。
 真実を見いだすには、あなたの確信に固執してはならないのだ。
 もしあなたが現下にあるものを疑わなければ、けっして究極に到達することはで
きないだろう。
 あなたが生まれ、そして死ぬという概念は不条理だ。
 論理的にも体験的にも矛盾しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

344 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/14(水) 21:08:25 ID:1d4drIFg0
>>342 そうじゃ、観念を超えた彼方に在るものに至らなければ永遠は得られないのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

 マハラジは身体さえも存在しないという。
 それもまた意識の現われに過ぎないのじゃ。
 人々が個体として認識する身体は観念のみなのじゃ。
 物理的に呼吸や食べ物を通して常に全てと繋がっていなければならない身体は個体ではないのじゃ。
 切り取ることが出来ない全ての一部として身体は在るのみなのじゃ。

345 避難民のマジレスさん :2018/11/15(木) 06:10:07 ID:LC3de7YgO
>>343
54の2『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】(つづき)

 質問者 わかりました。私が身体だと主張するのはも
うやめましょう。あなたの要点はここにあるのです。し
かし今ここであなたと話しているように、私は身体のな
かにいます ――明らかに。身体は私ではないかもしれ
ません。しかし、それは私のものです。
 マハラジ
 宇宙全体が絶え間なくあなたの存在に貢献している。
 それゆえ、宇宙があなたの身体なのだ。
 その意味では、私も同意しよう。
 質問者 身体は私に深く影響を与えます。多くの意味
において、身体は私の運命なのです。私の反応、運命や
恐れ――生来のものであれ、後天的なものであれ、それ
らはすべて身体を根底としています。わずかな量の酒や
薬物や何かで、すべてが変わってしまいます。薬物が抜
けきるまでは、私は別人となってしまうのです。
 マハラジ
 これらすべては、あなたが身体だと考えることによって起こるのだ。
 真我を見いだしなさい。
 そうすれば、薬物さえあなたに影響を与えることはできないだろう。
 質問者 あなたは喫煙しますか?
 マハラジ
 私の身体はいくつかの習慣を保っている。それは死に至るまで続いていくかもし
れない。それらには何の害もないのだ。
 質問者 あなたは肉を食べますか?
 マハラジ
 私は肉を食べる人たちのなかで生まれた。そして私の子供たちは肉を食べている。
私もほんの少し食べるが、気にするほど
のことではない。
 質問者 肉食は、殺すことを意味します。
 マハラジ
 いかにも。
 私は終始一貫していることを主張したことはない。
 あなたは絶対的な一貫性が可能だと思っている。
 例えを示して証明してみなさい。
 自分自身で実践していないことを説いてはいけない。
 生まれてきたという観念についての話に戻るが、あなたは、両親があなたに語っ
てきた懐妊や妊娠、そして誕生、幼児、子供、十代の若者と続いていく話に固執し
ているのだ。
 「私は身体ではない」という観念の助けを借りて、「私は身体だ」という考えを
取り去りなさい。
 確かにそれもまた一つの観念ではある。
 それに疑いはない。
 仕事がすんだら捨て去られるもののように扱うがいい。
 実際には、身体というものは存在しないのに、「私は身体だ」という観念は身体
に実在性を与えてしまう。
 それはただマインドの状態にすぎないのだ。
 あなたは好きなだけ多くの、多種多様な身体をもつことができる。
 ただ、あなたが何を求めているのかを絶えず覚えておきなさい。
 そして、それと一致しないものは受け入れてはならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

346 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/15(木) 22:23:56 ID:1d4drIFg0
観念を滅するために観念を使うこともできるのじゃ。
自分は体ではないという観念で自分は体であるという観念を取り去るのじゃとマハラジはいうのじゃ。
それは空とか無という観念を使うのと同じなのじゃ。
観念を滅する観念なのじゃ。
それもまた法であり、悟りに近づけば捨て去られるべきものなのじゃ。

347 避難民のマジレスさん :2018/11/16(金) 07:11:10 ID:LC3de7YgO
>>345
『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】(つづき)

 質問者 私はまるで、箱のなかの箱のなかの箱のようです。外側
 の箱は身体としてあり、その内側の箱には、内在する魂
 がいるのです。その外側の箱を取り去ると、つぎの箱は
 身体で、そのつぎは魂です。それは無限の連続なのです。
 かぎりなく箱を開けていくと、最後に残るものが究極の
 魂なのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが身体をもつならば、魂ももたねばならないだろう。
 そうだとすれば、あなたの一組の箱の直喩もあてはまるだろう。
 しかし、今ここで、あなたの身体と魂を通して純粋な普遍なる意
 識(チット)の光、覚醒が輝いているのだ。
 それを確固としてつかみなさい。
 覚醒なしには、身体は一秒さえも生きることができない。
 身体のなかには、エネルギー、愛情、知性の流れが存在する。
 それが身体を導き、維持し、活力を与えるのだ。
 その流れを発見し、それとともに在りなさい。
 もちろん、これらすべては言葉の例えにすぎない。
 言葉は橋を架けることもできれば、障害にもなりうる。
 あなたの身体の繊維を織り成す生命の気を見いだし、それととも
 に在りなさい。
 それが身体のもつ唯一の本質なのだ。
 質問者 死後、生命の気には何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 それは時間を超えている。
 誕生と死は時間のなかの点にすぎない。
 生命はその無数の綾を永遠に織り成していく。
 織り込んでいくことは時間のなかにあるが、生命そのものは永遠
 だ。
 あなたがその表現にどんな名前と形を与えようとも、それは大海
 のように、けっして変化せず、つねに変化しつづけていくのだ。
 質問者 あなたの言われることはすべて、美しく、得心がいくも
 のです。それでもなお、この奇妙で異質な、しばしば敵
 意に満ちた危険な世界のなかに、個人として在るという
 感覚は消えません。個人として時間と空間のなかに限定
 されながら、どのようにして私はその反対である、何も
 特定化されていない、非個人化され、普遍化された気づ
 きとしての真我を実現できるというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはあなたではないものをあなただと主張し、本来のあなた
 であるものを否定している。
 あなたはすべての個人的な歪曲(わいきょく)から自由である気
 づきの純粋な認識の原理を忘れているのだ。
 あなたが普遍なる意識(チット)の実在を認めないかぎり、あな
 た自身を知ることはけっしてないだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

348 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/16(金) 22:13:01 ID:1d4drIFg0
マハラジはこのように言うのじゃ。
「あなたが普遍なる意識(チット)の実在を認めないかぎり、あな
 た自身を知ることはけっしてないだろう。」
マハラジが言うように存在するものは永遠で時間を越えた不変なる意識そのものだけなのじゃ。
肉体も個人も幻想に過ぎないのじゃ。
知識としてそれを知っただけでもマハラジの存在と教えの意義はあったと言えるのじゃ。
その境地に至るまで自分を追及し続けるのじゃ。

349 避難民のマジレスさん :2018/11/17(土) 07:28:41 ID:LC3de7YgO
>>347
『I AM THAT 私は在る』
【54 身体とマインドは無知の兆候だ】(つづき)

 質問者 私はどうすればよいのでしょうか? 私にはあなたが見
 ているように、私自身を見ることはできません。おそら
 く、私が間違っていて、あなたが正しいのかもしれませ
 ん。しかし、どのようにして私の感じている私自身とし
 て在ることをやめることができるというのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身を乞食だと信じきっている王子を、決定的に確信させる
 方法はただひとつしかない。
 彼に王子としてふるまうようにさせるのだ。
 そうして何が起こるかを見てみなさい。
 私の言ったことが、あたかも真実であるようにふるまってみなさ
 い。
 そして実際に何が起こるか判断するがいい。
 私が求めるのは、第一歩を踏みだすために必要なわずかな信頼だ
 けだ。
 体験とともに、確信がやってくる。
 そうすれば、あなたは私をもう必要としないだろう。
 私はあなたが何なのか知っている。
 だから、私はあなたに伝えているのだ。
 しばらくの間、私を信頼してほしい。
 質問者 今ここに在るため、私には身体とその感覚が必要です。
 理解するためには、マインドが必要なのです。
 マハラジ
 身体とマインドは単なる無知、誤解の兆候にすぎないのだ。
 あなたが身体もマインドも超え、時間と空間も超え、「どこで」、
 「いつ」、「どのように」をも超えた、純粋な気づきとしてある
 かのごとくふるまいなさい。
 それに思いをめぐらしなさい。
 その真実性を受け入れることを学びなさい。
 いつまでも反対したり、拒否したりしてはならない。
 少なくとも、心を開きなさい。
 ヨーガ(探求)とは外面が内面に従うことなのだ。
 あなたのマインドと身体に、すべてでありすべてを超えた実在を
 表現させなさい。
 議論することによってではなく、為(な)すことによってあなた
 は達成するのだ。
 質問者 どうか私の最初の質問に戻らせてください。個人として
 在るという過ちの原因はどこにあるのでしょうか?
 マハラジ
 絶対なるものは時間よりも優位を占める。
 まず、気づきが最初に現れる。
 一組の記憶と精神的習慣が注意を引きつけ、気づきがそこに焦点
 を集中させると、突然個人が出現するのだ。
 気づきの輝きを取り去ってみなさい。
 眠りにつくか、気絶すると、個人は消滅してしまう。
 ヴィヤクティ(個人)はかすかにゆらめき、ヴィヤクタ(気づき)
 はすべての時間と空間を内包する。
 アヴィヤクタ(絶対なるもの)は――在るのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

350 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/17(土) 22:18:09 ID:1d4drIFg0
記憶に拠って個人の観念が起こるとマハラジも言っているのじゃ。
自分が在るという観念は記憶によって起こるものじゃ。
今ここに在るものを観ればそれは誤りであったと気付くのじゃ。
永遠なるものがそこに在るのじゃ。

351 避難民のマジレスさん :2018/11/18(日) 08:37:21 ID:LC3de7YgO
>>349
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】

 質問者 今この瞬間、あなたはどのような状態にいるのでしょうか?
 マハラジ
 無経験の状態だ。
 そのなかにすべての経験が含まれている。
 質問者 あなたはほかの人のマインドやハートのなかに入って、体験を分か
 ちあうことができるのでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 そのようなことには特別な訓練が必要なのだ。
 私は小麦を扱う商人のようなものだ。
 私はパンやケーキに関してはまったく知らない。
 麦粥の味さえ知らないかもしれない。
 だが、小麦という穀物に関してはすべて良く知っている。
 私はすべての体験の源を知っている。
 しかし、数知れない特定の形態が体験することがらを知ることは、私にはで
 きないし、また知る必要もない。
 そのときどきにおいて、人生を生きていくために知る必要のあることはほん
 のわずかであり、私はどうにか、かろうじて知っているだけだ。
 質問者 あなたの特定の存在と私の特定の存在は、創造神であるブラフマー
 のマインドのなかに存在するのでしょうか?
 マハラジ
 普遍なるものは特定のものには気づいていない。
 個人としての存在は個人的なものだ。
 個人は時間と空間のなかに存在し、名前と形をもち、はじまりと終わるがある。
 普遍なるものはすべての個人を含んでいる。
 絶対なるものはすべての根底にありながら、すべてを超えているのだ。
 質問者 私は全体性には関心がありません。私の個人的な意識とあなたの個
 人的な意識――その二つを結ぶものは何でしょうか?
 マハラジ
 二人の夢を見ている人に、どんなつながりがありうるだろうか?
 質問者 彼らは互いを夢見合うかもしれません。
 マハラジ
 それこそ人びとがしていることだ。
 誰もが「他者」を想像し、その間につながりを探し求めている。
 探している人こそがつなぎ目なのだ。
 他者というものは存在しない。
 質問者 多くの意識の点である私たちの間には、何か共通のものがあるに違
 いありません。
 マハラジ
 多くの点とはどこにあるのだろうか?
 あなたのマインドのなかだ。
 あなたはあなたの世界がマインドから独立していると主張している。
 どうしてそうありうるだろう?
 他者のマインドを知りたいという欲望は、あなたがあなた自身のマインドを
 知らないためだ。
 まず、自分のマインドを知りなさい。
 そうすれば、他者のマインドという疑問は生じないだろう
 なぜなら、「他者」など存在しないからだ。
 あなたが共通要素、すべてのマインドの連結部なのだ。
 存在とは意識だ。
 「私は在る」はすべてにあてはまるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

352 避難民のマジレスさん :2018/11/18(日) 08:54:31 ID:LC3de7YgO
>>351
> 普遍なるものは特定のものには気づいていない。
 普遍なるものはすべての個人を含んでいる。

←個人とは夢、幻想であり、そんなものはない。
だから、普遍なるもの(神)は個人には気付いてないけど、神は全ての個人を含んでいる。
ってことでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

353 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/18(日) 21:41:41 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、絶対的なものというと人は神を想像してしまうが、普遍なるものはそのようなものではないのじゃ。
 特定の誰かが祈ったり契約したりすると答えたりすると言う事は無いのじゃ。
 しかし、全ての個人がそれの現われでは在るのじゃ。
 自らを通して普遍なるものに至ることはできるのじゃ。

354 避難民のマジレスさん :2018/11/19(月) 06:01:24 ID:LC3de7YgO
>>351
1『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 至高の実在(パラブラフマン)は、私たちすべてに内在しているか
 もしれません。しかし、それが私たちにとって何になるというので
 しょうか?
 マハラジ
 あなたはあたかも「私はものをしまう場所が必要だ。だが、空間が何の役に
 立つというのだろうか?」あるいは、「私はミルクか紅茶、コーヒーかソー
 ダーが欲しい。だが、水は何の役にも立たない」と言っている人のようだ。
 至高の実在がすべてを可能にしているということが、あなたにはわからない
 だろうか?
 だが、もしそれが何の役に立つのかときくならば、「何の役にも立たない」
 と言わねばならない。
 日々の生活においては、実在を知る人には何の利点もないのだ。
 むしろ、彼は不利な状態にあるといえよう。
 欲望と恐れから自由な彼は、自分自身を守ろうとしないからだ。
 利益という概念自体が、彼にとっては異質なものなのだ。
 彼は増加や増大を嫌う。
 彼の人生とは、絶え間なく己(おのれ)から剥ぎ取り、分かちあい、与える
 ことだ。
 質問者 もし至高なるものを得ることに何の利点もないのならば、なぜその
 ために骨を折るのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが何かにしがみつくときだけ、心配事は生まれる。
 何にもしがみつかなければ、何の心配もない。
 より劣ったものを放棄することは、より偉大なものを得ることなのだ。
 すべてをあきらめなさい。
 そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。
 そのとき、人生はその目的通り、無尽蔵の源からの純粋な輝きとなる。
 世界はその輝きのなかに、夢のようにぼんやりとかすんで現れるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

355 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/19(月) 22:35:16 ID:1d4drIFg0
何かの利点を求めるのも自分が世界と離れた小さな存在であることに怯えがあるからなのじゃ。
さまざまな欲するものでその怯えを防ごうとしているのじゃ。
その観念から離れただけでそれも要らなくなるという理解に達していないのじゃ。
至高の実在とマハラジが言うものに達すれば欲求の根本から離れることが出来るのじゃ。
真の幸福はその境地にのみあるものじゃ。

356 避難民のマジレスさん :2018/11/20(火) 05:36:02 ID:LC3de7YgO
>>354
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 もし私の世界が単なる夢であり、あなたはその一部であるとするな
 ら、いったい私のために何ができるというのでしょう? もし夢が
 真実ではなく、存在していないと言うのなら、実在はどのようにそ
 れに影響を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 それが続くかぎり、夢は一時的な存在をもっている。
 問題をつくり出すのはあなたがそれにしがみついて離さないからだ。
 手放しなさい。
 夢があなたのものだと想像することをやめるのだ。
 質問者 どうやら、あなたは夢を見る人なしに夢がありえ、私は私の勝手気
 ままな夢と自己同一化していると決めてかかっているようです。し
 かし、私は夢見る人であり、また夢でもあるのです。誰が夢見るこ
 とをやめるというのでしょうか?
 マハラジ
 夢に最後までそれ自体を繰り広げさせるがいい。
 あなたにはどうすることもできない。
 だが、夢を夢として見、実在の痕跡として拒否することはできるのだ。
 質問者 ここで、私はあなたの前に座っています。私は夢を見ていて、あな
 たは私が夢のなかで話しているのを見ています。私たちの間につな
 がりがあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたを目覚めさせようという私の目的がつながりなのだ。
 私のハートはあなたに目覚めてほしい。
 私はあなたが夢のなかで苦しんでいるのを見ている。
 そしてあなたが不幸の終焉へと目覚めなければならないことを知っているの
 だ。
 夢を夢としてみるとき、あなたは目覚める。
 だが、私はあなたの夢自体には興味がない。
 私にとっては、あなたが目覚めなければならないと知ることだけで充分だ。
 夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
 あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
 もない。
 あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
 想像することをやめなさい。
 信じるのをやめなさい。
 矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
 そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
 無限の空間のなかに微小な意識の原子が浮遊している。
 そして、宇宙はそのなかに包含されているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

357 素人A :2018/11/20(火) 10:52:47 ID:/mRrWwwM0
マハラジさんがタバコ屋のおつさんでよかった。
志村けんのコント風にもしバスの運転手で絶景の山道の峠を走っていて
質問者「このバスはど超えいくのですか」
マハラジ「このままっすぐなら天国行たあっ」
やっぱ完全に覚せい状態でこの世で働いたらまずいのかも
アドレナリンでこの身を守らんと

358 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/20(火) 22:00:09 ID:1d4drIFg0
夢の中でも目覚めることは出来るのじゃ。
夢を夢として自覚できたならばもはや夢ではないのじゃ。
現実に目覚めたことになるのじゃ。
それには観念を全て滅しなければならないがのう。

359 避難民のマジレスさん :2018/11/21(水) 06:25:02 ID:LC3de7YgO
>>356
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 夢のなかには、真実で、永遠に続くように見える愛があります。そ
 れらもまた目覚めとともに消え去るのでしょうか?
 マハラジ
 夢のなかで、あなたは誰かを愛し、ほかの人は愛さない。
 目覚めとともに、あなたはあなた自身がすべてを包含する愛そのものだと知
 るのだ。
 個人的な愛は、いかに強烈で真正なものであっても、かならず束縛すること
 になる。
 自由のなかでの愛は、すべての愛なのだ。
 質問者 人びとは来ては去っていきます。人は出会う人を愛するのです。す
 べてを愛することはできません。
 マハラジ
 あなたが愛そのものであるとき、あなたは時間と数を超える。
 ひとりを愛することのなかで、あなたはすべてを愛し、すべてを愛すること
 のなかで、あなたはひとりひとりを愛する。
 ひとりとすべては背反してはいないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

360 素人A :2018/11/21(水) 10:08:05 ID:gOqWUDAs0
マネーゲーム夢中になれるゴーン会長凄い
金欲が不遜している私に月末いっも金不遜して
でも何とかなつている かあちゃんに感謝

361 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/21(水) 21:34:16 ID:1d4drIFg0
一人の者を愛すれば他の者は敵対することになるのじゃ。
愛する者を守るためと戦ったりするのじゃ。
全ての者を愛すれば戦うことも無いのじゃ。
平等心なのじゃ。

362 避難民のマジレスさん :2018/11/22(木) 03:29:55 ID:LC3de7YgO
>>359
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 あなたは時間を超えた状態にいると言われました。それはつまり、
 過去と未来があなたに対して開かれているということなのでしょう
 か? あなたはヴァーシシュタ・ムニ、ラーマのグルに出会いまし
 たか?
 マハラジ
 その質問は時間のなかにあり、時間についてのものだ。
 またしても、あなたは夢の内容について尋ねている。
 永遠は時間という幻想を超えたものであり、時間の延長ではないのだ。
 自らをヴァーシシュタと名乗るその人がヴァーシシュタを知っているのだ。
 私はすべての名前と形を超えている。
 ヴァーシシュタはあなたの夢のなかに現れた夢なのだ。
 どうして私に彼を知ることができるだろう?
 あなたは過去と未来に関心をもちすぎている。
 それはみな、あなたの存在を継続させたい、自分自身を消滅から守りたいと
 いう切望から起こるのだ。
 あなたは継続することを求めるために、ほかの人たちに一緒にいてもらいた
 い。
 それゆえ彼らの存続に関心をもつのだ。
 しかし、あなたが呼ぶ存続とは、夢の存続にすぎない。
 それよりは死のほうが望ましい。
 そこには目覚めるチャンスがあるからだ。
 質問者 あなたは永遠に気づいています。それゆえ、存続には関心がないの
 でしょう。
 マハラジ
 それはその反対だ。
 すべての欲望から自由であることが永遠なのだ。
 すべての執着は恐れを暗示している。
 なぜなら、すべてのものごとは、はかない、つかの間のものだからだ。
 そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。
 この執着からの自由は、修練によってもたらされるものではない。
 人が自己の真の存在を知ったとき、自然に執着から自由になるのだ。
 愛は執着しない。
 執着は愛ではないのだ。
 質問者 では、無執着を得る方法はないのでしょうか?
 マハラジ
 そこに得るようなものは何もない。
 すべての想像を放棄して、真我を知りなさい。
 自己知識が無執着なのだ。
 すべての切望は不十分な感覚から生じる。
 何も不足してはいないと知ること、存在するものすべてはあなたであり、あ
 なたのものなのだと知ることで欲望はやむのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

363 素人A :2018/11/22(木) 09:36:29 ID:gOqWUDAs0
聖者は永遠に静かに坐っていて満足なんだろうか、寂しくないのだろうか?マハラジさんは永遠の海で泳ぐぐ魚
まあ孔多の夢を明らめないで 私は何か不満俗なこの世うな夢の中で落ち着きも無く静かに坐れないでもまあ良い化
https://www.youtube.com/watch?v=t9q2Xr_iV1M

364 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/22(木) 20:45:10 ID:1d4drIFg0
存在するもの全てが全てであるならば寂しくは無いのじゃ。
全てに満足なのじゃ。
自分を本当に知れば欲は無くなり、執着も無くなるのじゃ。
全てであるので在るからのう。
もはや欲するものもなくなるのじゃ。

365 避難民のマジレスさん :2018/11/23(金) 07:26:43 ID:LC3de7YgO
>>362
>ヴァーシシュタ・ムニ、ラーマのグル
ちょぴっとググってみたのである。

ヴァーシシュタとは、
インドのリシケシから北東に、美しい川と深い山に囲まれた渓谷に「ヴァシシュタの洞窟」という、インドの聖地とされるてころだそうである。

インド神話『ラーマーヤナ』は、紀元3世紀頃に成立したヒンドゥー教の聖典の一つで、『マハーバーラタ』と並ぶインド2大叙事詩の一つだそうである。
「ラーマ」は、この『ラーマーヤナ』の主人公だそうであります。
(´・(ェ)・`)つ

366 避難民のマジレスさん :2018/11/23(金) 07:56:36 ID:LC3de7YgO
>>362
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 自己を知るために、私は気づきの訓練をしなければならないのでし
 ょうか?
 マハラジ
 訓練しなければならないことは何もない。
 自己を知るために、あなた自身で在りなさい。
 あなた自身であるために、あなたがあれやこれだと想像することをやめなさ
 い。
 ただ在りなさい。
 あなたの真の本性を現れさせるがいい。
 探求によってかき乱されてはならない。
 質問者 もし私がただ待っているだけならば、真我の実現にたいへんな時間
 がかかってしまいます。
 マハラジ
 それが今ここにすでにあるとき、何を待つというのだろう?
 ただよく見て、見いだすだけなのだ。
 あなた自身を、あなたの自己の存在を見なさい。
 あなたはあなたが存在することを知っている。
 そして、あなたはそれを愛しているのだ。
 すべての想像を捨て去りなさい。
 それだけだ。
 時間に頼ってはならない。
 時間とは死だ。
 待つ者は――死ぬ。
 生命は今だけに在る。
 私に過去や未来を語ってはならない。
 それらはあなたのマインドのなかにのみ存在するのだ。
 質問者 あなたもまた死ぬでしょう。
 マハラジ
 私はすでに死んでいるのだ。
 私の場合、身体的な死は何の違いももたらさない。
 私は永遠の存在だ。
 私は欲望と恐れから自由なのだ。
 なぜなら、私は過去を思い出さず、未来を想像しないからだ。
 何の名前も形もないところに、どうして欲望や恐れが存在できるだろうか?
 無欲とともに永遠がもたらされるのだ。
 私は安全だ。
 なぜなら、存在しないものが存在するものに触れることはできないからだ。
 あなたは安全ではない。
 なぜなら、あなたは危険を想像するからだ。
 もちろん、あなたの現在の身体は複雑で傷つきやすく、保護を必要としてい
 る。
 しかし、あなたがではない。
 ひとたび、あなたが難攻不落の存在であると自覚したなら、マインドは平和
 になるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

367 素人A :2018/11/23(金) 10:25:11 ID:gOqWUDAs0
そうなあ真でいれば何も身を守る事もないし、時間に追い詰められる事も無いけど
けどが余計なのか、でも何も無いとハラハラドキドキのドラマのまつ白い画面の
テレビの前にるようで居られない。いや動物本能の今あるカラーそういう役目になっている
だけなのかもしれない 今は夢の途中でも目覚めたらどんな答えも間違いなかつたと気が付く
のかも ?で夢の途中 https://www.youtube.com/watch?v=CeAz4VDEPug

368 避難民のマジレスさん :2018/11/23(金) 16:21:21 ID:LC3de7YgO
>>366
『I AM THAT 私は在る』
【55 すべてをあきらめなさい、そうすればすべてを得る】(つづき)

 質問者 世界が苦しんでいるとき、どうして私に平和を見いだすことができるでし
ょうか?
 マハラジ
 世界が苦しむのは、それなりの妥当な理由があるのだ。
 もしあなたが世界を助けたいのなら、あなた自身が助けの必要性を超えなければな
らない。
 そうすれば、あなたのすること、そしてしないこともまた、もっとも効果的に世界
を助けるだろう。
 質問者 行為が必要なときに、どうして無為が役に立つのでしょうか?
 マハラジ
 行為が必要なときには、行為は起こる。
 人は行為者ではないのだ。
 彼は起こっていることに気づいて在る。
 彼の存在そのものが行為なのだ。
 窓は壁の不在だ。
 そして、それが空気と光を与える。
 なぜなら、それが空だからだ。
 すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
 そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与えるのだ。
 もし本当にある人を助けたいと思うならば、近づかずにいることだ。
 感情的に助けることに専心しようとすれば、果たせずに終わってしまうだろう。
 あなたは非常に忙しく駆けまわり、自分の慈愛的な性質にとても満足するかもしれ
ない。
 だが、たいした助けにはならないだろう。
 人が本当に助けられるのは、彼がもはや助けを必要としなくなったときなのだ。
 それ以外はすべて無用のものだ。
 質問者 ただ座っていながら助けが起こるのを待っているほど、充分な時間はない
のです。人は何かをしなければなりません。
 マハラジ
 もちろんそうするがいい。
 しかし、あなたにできることはかぎられている。
 自己だけが無限なのだ。
 あなた自身をかぎりなく与えるがいい。
 それ以外のすべては、わずかな量でしか与えることはできない。
 あなただけが計り知れないのだ。
 助けることはあなたの本性だ。
 食べたり飲んだりするときにも、あなたは身体を助けているのだ。
 あなた自身のためには、何も必要ない。
 あなたは純粋な明け渡しだ。
 無死無窮(むきゅう)であり、無尽蔵なのだ。
 あなたが悲しみや苦しみを見るときは、それとともに在りなさい。
 性急に行動に走ってはならない。
 学ぶことも行動も、本当の意味での助けにはならないのだ。
 悲しみとともに在りなさい。
 そして、その根底にあるものを露(あら)わにしなさい。
 理解することを助けることが本当の助けとなるのだ。
 質問者 私の死は近づいています。
 マハラジ
 時間が足りないのはあなたの身体だ。
 あなたではない。
 時間と空間はマインドのなかにのみある。
 あなたは束縛されてはいないのだ。
 ただ、あなた自身を理解しなさい。
 そのこと自体が永遠なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

369 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/23(金) 22:54:48 ID:1d4drIFg0
>>365 ご苦労さんなのじゃ。
 インドでは有名なのじゃな。
 久米の仙人みたいなものじゃな。

 目覚めた者は自我がなくなっているから既に死んだものといえるのじゃ。
 個人としては死んで、法を説くものとして生きているのじゃ。
 死んで生きている不思議なのじゃ。
 誰もが死んでも生きれる永遠の意識が在るのじゃ。

370 避難民のマジレスさん :2018/11/23(金) 23:55:38 ID:LC3de7YgO
>>369
久米仙人もググってみたのであります。
久米寺(奈良県橿原市)の開祖という伝説上の人物。
天平年間に大和国吉野郡龍門寺の堀に住まって、飛行の術をおこなっていたが、久米川の辺で洗濯する若い女性の白い脛(はぎ)に見惚れて、神通力を失い、墜落し、その女性を妻とした。

愉快で誠実な人柄のようでありますね。
(´・(∀)・`)つ

371 避難民のマジレスさん :2018/11/24(土) 00:06:40 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】

 質問者 普通の人が死ぬとき、彼には何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 彼が信じるところにしたがって、それは起こる。
 死以前の生が単なる想像にすぎなかったように、死後もまたそうなのだ。
 夢は続いていく。
 質問者 では、ジニャーニ(賢者)においてはどうなのでしょうか?
 マハラジ
 ジニャーニは死なない。
 なぜなら、彼はけっして生まれてこなかったからだ。
 質問者 他者にとっては、彼はそのように見えません。
 マハラジ
 しかし、彼自身にとってではない。
 彼自身のなかでは、物理的にも精神的にも自由なのだ。
 質問者 それでも、あなたは死んだ人の状態を知っているはずです。少なく
 とも、あなた自身の過去生から。
 マハラジ
 私のグルに出会うまでは、私は非常に多くのことを知っていた。
 今、私は何ひとつ知らない。
 なぜなら、すべての知識は夢のなかだけにあり、根拠の確かなものではない
 からだ。
 私は自己を知っている。
 そして、私のなかには死も生もなく、ただ純粋な存在――これでもあれでも
 なく、ただ在ることだけがある。
 しかし、マインドが貯蔵庫から記憶を引き出し、想像しはじめると、それは
 空間を対象物で、時間を出来事で埋めつくしてしまう。
 現在の誕生でさえ知らない私が、どうして過去生を知っているというのだろ
 う?
 それ自身が動きのなかにあるマインドは、すべてを動いていると見てしまう。
 そうして時間をつくり出しておいてから、過去や未来について心配するのだ。
 全宇宙は意識(マハー・タットヴァ)の揺りかごに揺られている。
 それは完全な秩序と調和のあるところに立ち現れる。
 すべての波が海のなかにあるように、すべての物質的、精神的なものは気づ
 きのなかにあるのだ。
 それゆえ、気づき自体が重要なのであって、その内容ではない。
 あなた自身の気づきをより深め、広めていきなさい。
 そうすれば、すべての祝福はあふれ出すだろう。
 あなたは何も求めなくてもいいのだ。
 すべてはあなたのもとに、自然に努力することなくやってくるだろう。
 五つの感覚と四つのマインドの機能である記憶、思考、理解、自我。
 五大元素である地、水、火、空、エーテル。
 創造の二つの相である物質と魂――すべては気づきのなかに包括されている
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

372 避難民のマジレスさん :2018/11/24(土) 07:34:00 ID:LC3de7YgO
>>371
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】(つづき)

 質問者 しかし、それでもあなたは以前に生きていたことを信じているに違
 いありません。
 マハラジ
 聖典はそう述べている。
 しかし、私はそのことについて何も知らない。
 私は私が在ることを知っている。
 私がこのように現れたことや、現れるだろうことは私の体験のなかにはない。
 私が覚えていないというのではないのだ。
 事実、覚えておくことなど何もない。
 転生とは自分の生まれ変わりを意味する。
 そのようなものはないのだ。
 「私」と呼ばれるひと塊(かたまり)の記憶と期待が、それ自体を永遠に存
 在すると想像し、その偽りの永遠性につじつまを合わせるために時間をつく
 り出すのだ。
 在るためには、過去も未来も必要ない。
 すべての体験は想像から生まれてくる。
 私は想像しない。
 だから、誕生も死も私には起こらないのだ。
 生まれたと考える人だけが、生まれ変わると考える。
 あなたは生まれたということで私を告発しているが、私は無罪を主張する!
 すべては気づきのなかに存在している。
 そして、気づきは死にもしなければ、生まれ変わりもしない。
 それは不変の実在そのものなのだ。
 すべての体験の宇宙は、身体と共に生まれ、身体と共に死ぬ。
 そのはじまりと終わりは気づきのなかにある。
 しかし、気づき自体は始まりも終わりも知らない。
 もしそれについて時間をかけて慎重に熟考すれば、あなたは気づきの輝きを
 はっきりと見るだろう。
 そして、世界はあなたの視野から消え去るだろう。
 それは、燃えている線香を見つめるようなものだ。
 最初は、線香と煙を見ている。
 あなたが火の付いた点に注目するとき、それが線香の山を焼き尽くす力をも
 ち、宇宙を煙で覆(おお)い尽くすことを認識するだろう。
 自己はその永遠の可能性を使い尽くすことなく、永遠にそれ自身を具象化し
 ていく。
 線香の直喩では、線香が身体を表し、煙がマインドを表している。
 マインドが曲解に忙しいかぎり、それはそれ自身の源を知覚することができ
 ない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

373 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/24(土) 22:59:29 ID:1d4drIFg0
>>370 そうかもしれん。
 伝説の人なのじゃ。

個我があるという幻想の上で輪廻もあるという幻想が起こるのじゃ。
個我が無い者には幻想の輪廻も無いのじゃ。
輪廻もまた幻想なのじゃ。
個我の幻想としての輪廻は有るとも言えるのじゃ。

374 避難民のマジレスさん :2018/11/25(日) 08:05:30 ID:LC3de7YgO
>>372
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】(つづき)

(マハラジ) グルはやってきて、あなたの注意を内なる生命の輝きへと向けさせる。
 マインドはその本性からして外側に向かっているものだ。
 それはつねに、ものごとの源をものごと自体のなかに見いだそうとする傾向
 がある。
 源を内面に見いだすようにと言われること自体、ある意味では新たな人生の
 はじまりなのだ。
 気づきは意識のなかに立ち現れる。
 意識のなかには、意識している「私」が存在している。
 一方、気づきは分割されることがない。
 気づきはそれ自身に気づいているのだ。
 「私は在る」はひとつの想いだ。
 一方、気づきはひとつの想いではない。
 気づきのなかに「私は気づいている」という想いはない。
 意識は属性だ。
 一方、気づきはそうではない。
 人は意識していることに気づくことができる。
 だが、気づきを意識することはできないのだ。
 神は意識の全体性だ。
 だが、気づきは存在も非存在をも、すべて超えている。

 質問者 私は人の死後の状態についての質問から話をはじめたのです。彼の
 身体が滅んだとき、意識には何が起こるのでしょうか? 彼は見た
 り、聞いたりといった感覚を彼とともに連れていくのでしょうか?
 それともそれらは後に残されるのでしょうか? そして、彼が感覚
 を失うのならば、何が彼の意識となるのでしょうか?
 マハラジ
 感覚とは単なる知覚の様式にすぎない。
 粗雑な様式が消えるとともに、繊細な意識の状態が出現する。
 質問者 死後において気づきへの移行といったものはないのでしょうか?
 マハラジ
 意識から気づきへの変化はありえないのだ。
 なぜなら、気づきとは意識の一形態ではないからだ。
 意識をより繊細に、より洗練させることはできる。
 そしてそれが死後に起こることなのだ。
 人の多様な媒介物が死に絶えると、それらによって生じた意識の様式もまた
 姿を消す。
 質問者 最後に無意識だけが残るまででしょうか?
 マハラジ
 無意識を去来する何かのように語るあなた自身を見てみなさい!
 無意識を意識する誰がそこにいるというのだろうか?
 窓が開いているかぎり、日の光は部屋のなかにある。
 窓が閉じられても、太陽はそのままだ。
 だが、それは部屋のなかの暗闇を見るだろうか?
 無意識などというものはないのだ。
 なぜなら無意識は体験不可能だからだ。
 私たちは記憶を喪失したとき、あるいは伝達が不可能なとき、それを無意識
 であると推定する。
 もし私が反応しなくなったら、あなたは私のことを無意識だと言うだろう。
 現実には、記憶や伝達が不可能なだけで、私は鋭敏に意識しているかもしれ
 ないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

375 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/25(日) 20:32:57 ID:1d4drIFg0
知覚や思考や感情も道具に過ぎないものじゃ。
それがなくなっても意識は在るのじゃ。
人が道具を失っても居なくならないように、知覚等を失っても意識はなくならないのじゃ。
本来の意識はあり続けるのじゃ。

376 避難民のマジレスさん :2018/11/26(月) 06:26:17 ID:LC3de7YgO
>>374
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】(つづき)

 質問者 私は単純な質問をしているのです。現在、世界には40億人ほどの
 人々がいます。そして、彼らはみな死を免れることができません。
 彼らの死後の状態はどのようなものなのでしょうか――身体的にで
 はなく、心理的に。彼らの意識は継続していくのでしょうか? そ
 して、もしそうならどのような形態をとるのでしょうか? どうか、
 私が正しい質問をしていないとは言わないでください。あるいはあ
 なたが答えを知らないとか、私の質問は無意味だなどと言わないで
 ください。あなたが、私の世界とあなたの世界が異なり、相容れな
 いものだと話はじめた途端、あなたは私たちの間に壁をつくってし
 まうのです。私たちが同じ世界に住んでいるか、そうでなければ、
 あなたの体験は私たちにとって何の役にも立ちません。
 マハラジ
 もちろん、私たちはひとつの世界に住んでいる。
 ただ私だけがあるがままに見ていて、あなたはそう見てはいないのだ。
 あなたは世界のなかにあなた自身を見ている。
 私は私自身のなかに世界を見ているのだ。
 あなたにとっては、あなたは生まれ、そして死んでいく。
 片や、私にとっては、世界が現れては消えていくのだ。
 私たちの世界は実在のものだ。
 だが、あなたの見方がそうではないのだ。
 あなたが築いた壁以外に、私たちの間に壁は存在しない。
 感覚には何の誤りもない。
 あなたの想像があなたを惑わせるのだ。
 それはあるがままの世界を、あなたが想像したように――あなたから独立し
 て存在し、しかもあなたが受け継ぎ、習得してきたパターンにしたがってで
 きた世界として覆い尽くしてしまう。
 あなたの態度には、あなたが理解していない苦しみの原因である深い矛盾が
 ある。
 あなたは苦痛と苦しみの世界のなかに生まれたという考えにしがみついてい
 るのだ。
 私は世界が愛の子供であり、それにははじまりがあり、成長し、愛の成就を
 遂げることを知っている。
 質問者 もしあなたが世界を愛からつくり出したのなら、なぜこんなに苦痛
 に満ちているのでしょうか?
 マハラジ
 身体の視点に立てば、あなたの言うとおりだ。
 しかし、あなたは身体ではないのだ。
 真実ではないものを真実として決めつけてはならない。
 そうすれば、私が見ているものをあなたも見るだろう。
 苦痛と快楽、善と悪、正と邪。
 これらはみな相対的な言語であって、絶対的なものと見なしてはならない。
 それらは限定され、一時的なものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

377 素人A :2018/11/26(月) 10:13:33 ID:gOqWUDAs0
真理をネット 意識の糸した通りに演ずる 劇製作者 役者 観客
色々な立場のドラマがあるのかも 皆同じ人の夢芝居だったりして
夢芝居 https://www.youtube.com/watch?v=tJfmPcWZxv8

378 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/26(月) 20:27:13 ID:1d4drIFg0
自分が個体であり、身体そのものと認識すればこの世はまさに一切苦の地獄なのじゃ。
全ての者がいずれ老病死の苦によって消えていくので在るからのう。
映画や漫画のような永遠に幸せになりましたというハッピーエンドは無いのじゃ。
しかし、全てで在る意識こそ本体と知れば肉体は髪や爪のようなものでしかないとわかるのじゃ。
それがなくなっても自然なことであり、悲しむことでもなく消滅でもないのじゃ。
そのようにして死を超えることができるのじゃ。

379 避難民のマジレスさん :2018/11/27(火) 06:47:53 ID:LC3de7YgO
>>376
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】

 質問者 仏教の伝統ではニルヴァーニ、悟りを得た仏陀は、宇宙の自由を司
 っていると言われています。彼は存在するすべてを知り、体験する
 ことができます。彼は因果的連鎖によって自然界を制し、調停し、
 出来事の結果を変え、過去を取り消すことさえできるのです! そ
 れでも世界は彼とともに在り、しかもそのなかで彼は自由なのです。
 マハラジ
 あなたが描写しているのは神だ。
 もちろん、宇宙の在るところには、その片割れである神もまた存在するだろ
 う。
 しかし、私はそのどちらも超えているのだ。
 ある王国が王を探していた。
 彼らはふさわしい人を見つけだし、彼を王にした。
 だが、彼はけっして変わっていない。
 彼は王位の称号と権利、そして職務を与えられただけだ。
 変わったのはただ彼の行動だけで、彼の本性は影響を受けてはいないのだ。
 同様に、悟りを得た人も彼の意識の内容は根本的な変容を遂げる。
 しかし、彼は惑わされない。
 彼は不変なるものを知っているのだ。
 質問者 不変なるものは意識することができないはずです。意識はつねに変
 化するものだからです。不変なるものは意識のなかに何の影響も与
 えません。
 マハラジ
 そうだとも、そうでないとも言える。
 紙は書いてあることではないが、それは書いてあることを伝える。
 インクがメッセージではなく、また読む人のマインドがメッセージなのでも
 ない。
 しかし、それらすべてがメッセージを可能にするのだ。
 質問者 意識は実在から降りてくるのでしょうか、それとも、それは物質の
 属性なのでしょうか?
 マハラジ
 意識それ自体としては、物質の微妙な片割れなのだ。
 不活発性(タマス)とエネルギー(ラジャス)が物質の属性であるように、
 調和(サットヴァ)は意識それ自体として現れる。
 ある意味では、それを非常に神秘的なエネルギーの一形態として考えてもい
 いだろう。
 どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
 意識は自発的に現れる。
 有機体の破壊にともなって、意識は消滅するのだ。
 質問者 それでは、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 けっして生まれることも死ぬこともなく、そのなかでは物質も意識も単なる
 相にすぎない、あれが残るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

380 素人A :2018/11/27(火) 10:01:14 ID:gOqWUDAs0
神秘家の道と芸術家の道には関連がありますが、両者の違いは(「インドラの屈辱」伝説における<長髪者>のように)神秘家
が世界を無関心あるいは軽蔑とともに眺めるようになる事がありうるという事です。苦行について述べた文献には、身体お
よびその機能と欲望を軽視する言葉がふんだんに出てきます。ラーマクリシュナの高弟スワミ・ヴェカナンダは死ぬ瞬間に
「私は身体を吐き出すところだ」と呟いたそうです。(つづく)
(続き)一方その技術によつてあるがままの世界への愛を持ち続ける芸術家はバラモン、牛、像、あるいは犬を食うもの
〔賎民〕殺すものと殺されるものを平等に見ながらも、その各々のなかにー魅惑された神秘的な静止においてであれ、燐憐
(共有された苦悩)においてであれ、純然たる恐怖においてであれー自分自身と同じ何かを認識せざるをえません。・・
夢と空想が明かす各人の最奥の真理について語りつつ言明しているのです。「人々は彼の同朋愛を放棄すべきではない、
たとい最も罪深い人間に対してであっても」。・・・

381 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/27(火) 22:08:50 ID:1d4drIFg0
マハリシの言う意識とは肉体のもつ心の働きなのじゃ。
質問した者の意味の通りに使っているのじゃ。
思考とか感情とか分別する心の働きなのじゃ。
そのような心の働きは肉体の持つ能力ともいえるものじゃ。
肉体が無くなれば消えるのじゃ。

肉体が消えてもなくならない永遠の意識をマハリシはあれというのじゃ。
それは本来名づけるべきものではないからなのじゃ。

382 避難民のマジレスさん :2018/11/28(水) 06:21:44 ID:LC3de7YgO
>>379
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】(つづき)

 質問者 もし物質も意識も超えているのならば、どのようにしてそれを体験
 することができるのでしょうか?
 マハラジ
 それはその影響が物質と意識の両方に及ぼす効果によって知ることができる。
 美と至福のなかにそれを探してみるがいい。
 だが、その両方を超えていかないかぎり、あなたは身体も意識も理解するこ
 とはないだろう。
 質問者 どうか、私たちにはっきりと言ってください。あなたは意識してい
 るのでしょうか、それとも無意識なのでしょうか?
 マハラジ
 悟りを得た人(ジニャーニ)はそのどちらでもない。
 だが、彼の悟り(ジニャーナ)のなかにすべては包括されている。
 気づきはすべての体験を含んでいる。
 しかし、気づいているその人はあらゆる体験を超えているのだ。
 彼は気づき自体をも超えている。
 質問者 体験の背後に物質と呼ばれるものがあります。そして体験者である
 マインドがあります。何がそれら二つの間に橋を架けるのでしょう
 か?
 マハラジ
 その間にある隙間そのものが橋なのだ。
 その一端からは物質として見え、反対側の一端からはマインドとして見える
 それ、それ自体が橋なのだ。
 実在をマインドと身体に分けてはならない。
 そうすれば、橋の必要はなくなる。
 意識が現れるとともに、世界が現れる。
 世界の美と智慧について考えるとき、あなたはそれを神と呼ぶのだ。
 あなた自身のなかにある、そのすべての源を知りなさい。
 そうすれば、あなたはすべての質問の答えを見いだすだろう。
 質問者 見る者と見られるもの、それらはひとつなのでしょうか、それとも
 二つなのでしょうか?
 マハラジ
 ただ、見ることだけが在る。
 そのなかに見る者も、見られるものも含まれるのだ。
 区別のないところに区別をつくり出してはならない。
 質問者 わたしは死を迎えた人について質問をはじめました。あなたは彼の
 体験が彼の期待と信念にしたがって形づくられると言いました。
 マハラジ
 生まれる前に、あなたはあなた自身が立てた計画にしたがって生きることを
 期待していたのだ。
 あなた自身の意志が、あなたの運命の支柱だったのだ。
 質問者 間違いなく、カルマが干渉したはずです。
 マハラジ
 カルマは環境を形づくる。
 態度はあなた自身のものだ。
 結局は、あなたの人格があなたの人生を作り出し、人格を形づくるのはあな
 ただけなのだ。
 質問者 どのようにして人は人格を形づくるのでしょうか?
 マハラジ
 それをあるがままに見ることによって、そして誠実に心から感じることによ
 ってだ。
 この見ることと感じることの統合が奇跡的な働きをする。
 それはブロンズの像を鋳造するようなものだ。
 金属だけでも、火だけでも無理だし、鋳型だけでも役に立たない。
 あなたは金属を火で熱し、溶解して、鋳型へ流し込まなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

383 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/28(水) 22:57:10 ID:1d4drIFg0
アートマンは全てを認識するが、認識されないのじゃ。
それは気づきの意識であり、見ることだけが在るのじゃ。
主体無く対象もなく観ることだけがある時にアートマンに達したと言えるのじゃ。
主体や対象があれば未だアートマンには達していないと知るがよいのじゃ。

384 避難民のマジレスさん :2018/11/29(木) 05:46:06 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】

 質問者 あなたがあなたの息子さんの家で昼食が出されるのを待っていると
 ころを目にしました。そのとき、私の意識とあなたの意識の内容が
 似たものなのか、部分的に異なるのか、それともまったく違うのか
 と不思議に思っていたのです。あなたは私のように空腹や喉の渇き
 を覚え、食事が給仕されるまで落ち着かずにいるのでしょうか、そ
 れとも、まったく異なったマインドの状態に在るのでしょうか?
 マハラジ
 表面上の違いはほとんどない。
 だが、その奥深くではたいへん異なる。
 あなたはあなた自身を感覚とマインドを通してのみ知っている。
 あなたはそれらが示唆することをあなた自身として受け入れ、自己の直接の
 知識をもっていない。
 あなたのもっているのは単なる観念だけだ。
 すべて平凡で、使い古しのうわさによるものにすぎない。
 あなたは何であれ、あなたであると考えたことを真実として受け入れてしまう。
 あなた自身が知覚可能で、描写可能なものだと想像する習慣が非常に強固に
 なってしまっているのだ。
 私はあなたが見るように見、あなたが聞くように聞き、あなたが味わうよう
 に味わい、あなたが食べるように食べる。
 私はまた喉の渇きや空腹を感じ、時間通りに食事が給仕されることを期待す
 る。
 飢えたとき、また病気をしたとき、私の身体とマインドは弱まる。
 これらすべてを私はまったく明確に知覚するが、どういうわけか、私はその
 なかにはいないのだ。
 私は自分がその上を漂い、超然として離れているように感じるのだ。
 超然として離れていると言うことさえ本当ではない。
 そこに空腹や渇きがあるように、超然と分離の感覚がそこにあるのだ。
 そこにはまた、気づきと計り知れない距離の感覚がある。
 あたかも、身体とマインド、そしてそれらに起こるすべてが、どこか遙か地
 平線の彼方で起こっているかのようだ。
 私は映画のスクリーンのように明白で空っぽだ。
 画像はその上を通り過ぎ、明白で空っぽのままの状態を残して消えていく。
 どの点においてもスクリーンが画像に影響されることはない。
 また、画像もスクリーンによる影響を受けはしない。
 スクリーンは画像を遮(さえぎ)り投影する。
 スクリーンが画像を形づくるのではないのだ。
 それはフィルムと何の関わりもない。
 フィルムはフィルムとしてひと塊(かたまり)の運命なのだ。
 だが、私の運命ではない。
 スクリーン上の人びとの運命だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

385 避難民のマジレスさん :2018/11/29(木) 05:48:58 ID:LC3de7YgO
>>384
> そこに空腹や渇きがあるように、超然と分離の感覚がそこにあるのだ。
 そこにはまた、気づきと計り知れない距離の感覚がある。
 あたかも、身体とマインド、そしてそれらに起こるすべてが、どこか遙か地
 平線の彼方で起こっているかのようだ。

←こんな風にあれたら、楽でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

386 素人A :2018/11/29(木) 11:07:48 ID:/mRrWwwM0
マはらじに質問は質問者もまはらじが何答えるか分かり切つてきいている
これ何の意味があるのだろう そこには能天気なタバコの煙の話が浮いていた
だけ人休み そのてん般若心経のコマーシャルは大げさに勧誘する 年取らない
働かなくて良い これは何なんだ

387 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/29(木) 23:00:23 ID:1d4drIFg0
>>385 それはサマーディに入っただけでも感じるものじゃ。
 ただひたすらに集中すると善いのじゃ。
 姿勢を正しくして集中すれば直ぐにでもサマーディは訪れるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

388 避難民のマジレスさん :2018/11/30(金) 05:40:58 ID:LC3de7YgO
>>387
サマディーに至るのは、超難しいようにくまには思えるであります。
(´・(ェ)・`)つ

389 避難民のマジレスさん :2018/11/30(金) 05:56:45 ID:LC3de7YgO
>>384
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】(つづき)

 質問者 あなたは画像のなかの人びとが運命をもっていると言うのではない
 でしょうね! 彼らは物語に属しているのです。物語は彼らのもの
 ではありません。
 マハラジ
 では、あなたはどうだろうか?
 あなたはあなたの人生を形づくっているだろうか、あるいはあなたがそれに
 よって形づくられているのだろうか?
 質問者 確かにあなたの言われるとおりです。人生の物語はそれ自体で繰り
 広げられ、私はそのなかのひとりの役者にすぎません。私なしには
 それが存在しないように、その外側に私の存在もないのです。私は
 ただの登場人物であって、個人ではありません。
 マハラジ
 彼が人生を起こるがまま受け入れる代わりに、自分でそれを形づくりはじめ、
 彼自身をそれと同一化するとき、登場人物は個人となるのだ。
 質問者 私が質問し、あなたが答えるとき、正確には何が起こっているので
 しょう?
 マハラジ
 質問と回答は、ともにスクリーン上に現れるだけだ。
 唇が動き、身体が話す。
 そして、ふたたびスクリーンは明白で空っぽになる。
 質問者 あなたが明白で空っぽだと言うとき、あなたは何を意味しているの
 ですか?
 マハラジ
 それはすべての内容から自由であることを意味しているのだ。
 私自身にとっては、私は知覚可能なものでも、想像可能なものでもない。
 「これが私だ」と示唆できるようなものは何ひとつないのだ。
 あなたは自分自身をいともたやすくあらゆるものと自己同一化してしまう。
 私にとって、それはまったく不可能だ。
 「私はこれでもなく、あれでもない。また、何も私のものではない」という
 感覚が私のなかで非常に強いため、あるもの、あるいはある想いが現れるや
 いなや、「これは私ではない」という感覚がやってくるのだ。
 質問者 あなたは「これは私ではない、あれも私ではない」と繰り返すこと
 で時間を過ごしていると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、そうではない。
 私はただ、あなたのために言葉に置き換えてみただけだ。
 グルの恩寵(おんちょう)によって、私は主体でも客体でもないということ
 を永久に実現し、つねに自分自身に思い起こさせる必要はないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

390 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/30(金) 22:40:29 ID:1d4drIFg0
>>388 サマーディとは自分を忘れた状態なのじゃ。
 マハラジが説いたように体をこれも自分ではないと見ていくのも方法の一つなのじゃ。
 思考も感情も認識も自分ではないと観るならばそれでもサマーディは訪れるじゃろう。
 いろいろ試してみるとよいのじゃ。

391 避難民のマジレスさん :2018/12/01(土) 06:56:51 ID:LC3de7YgO
>>390
うむ。
いろいろ試してみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

392 避難民のマジレスさん :2018/12/01(土) 07:25:50 ID:LC3de7YgO
>>389
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】(つづき)

 質問者 あなたが主体でも客体でもないと言われることで、正確には何を意
 味しているのか私には理解できません。私たちが話している今この
 瞬間、私はあなたの体験の客体であり、あなたがその主体ではない
 でしょうか?
 マハラジ
 見なさい。
 私の親指は人差し指に触れている。
 触れるものと触れられるものの両方だ。
 私の注意が親指にあるとき、親指が感じるものであり、人差し指は――自己
 なのだ。
 注意の焦点を移行し、その関係を逆転してみなさい。
 注意の焦点を移行することで、私は私が見ているものと成り、それがもって
 いる意識を体験し、そのものの内なる観照者となることを見いだしたのだ。
 この他者の意識の焦点に入る能力を、私は愛と呼ぶ。
 あなたはあなたの好きなように呼ぶがいい。
 愛は、「私はすべてだ」と言い、智慧(ちえ)は、「私は無だ」と言う。
 その二つの合間を私の人生は流れていく。
 いかなる時間と空間の点においても、私は体験の主体と客体の両方であるこ
 とができるため、私はその両方であり、どちらでもなく、またその両方を超
 えていると表現するのだ。
 質問者 あなたはあなた自身に関するそのような並外れた表明を行います。
 何があなたにそのようなことを言わせるのでしょう? 時間と空間
 を超えると言うことで、あなたは何を意味しているのでしょうか?
 マハラジ 
 あなたが尋ね、そして答えがやってくる。
 私は私自身を見守り、答えを見て、そこに矛盾のないことを見るのだ。
 私が話していることが真実だということは明らかだ。
 それはまったくシンプルなことだ。
 あなたは、ただ私を信頼しなければならない。
 つまり、私が話すことはまったく真剣だということだ。
 すでに話したように、グルは私に自己の本性と世界の本性を見せてくれた。
 それを実現したため、私は世界とひとつであり、しかもそれを超えているの
 だ。
 私は欲望と恐れのすべてから自由になった。
 私が自由になるべきだと論証したのではない。
 まったく予期せず、何の努力もなく、私は自由であることを見いだしたのだ。
 この欲望と恐れからの自由は、それ以来、私とともにとどまっている。
 もうひとつ見いだしたことは、私は何の努力をする必要もなく、何の遅れも
 軋轢(あつれき)もなしに、行為が思考にしたがうということだった。
 私はまた、思考が自己充足するようになり、ものごとがすらすらと、正しい
 場所に落ち着くことも見いだしたのだ。
 主な変化はマインドのなかだった。
 それは不動で、沈黙し、素速く反応するが、反応を永続させなくなった。
 自発性が生のあり方となり、真実は自然になり、自然さは真実となった。
 何にもまして、生は無限の愛、幽玄で静穏な、すべての方向に輝き、すべて
 を抱擁し、すべてを興味深く、美しく、意味深くする幸運なものとなったの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

393 素人A :2018/12/01(土) 10:25:31 ID:gOqWUDAs0
網何念この世うに振り回されて生きているの駄老化。私は本で読んだ坐禅や瞑想の基本的な事は入門書で読んでいたのに?
基本的な最初の気が散らない訓練もしなく次次と先先で修行3日でマスターがまだまだなのに修行理解しマスタと新しい野
本で読み。ヨーガ仙道の船頭さんに迷い出て結局何やつているのか自分でもわからない。その前に何故修行しなければ如何
のか遊び回ったほうが楽.必要な時やれば良いと修行避けている。気が散っているそれは月末すぎたからかもいやいつも?
やりかたの基本はコツコツ実行でしょう。理屈では解っているのだが.静かな所で気が散らない様に色々な頭の思いの蝋燭
の火を息を整えて消すんで使用。基本の基本は空のコップから水空始める。そこに一念のエネルギーを根根と根気よくそそぐ
野鴨?それでエネルギー溢れたらジョウロで妄想世界いや瞑想世界に放水すれば三昧に行きつけると根本経典に書いてあった。
あまた本の思いで実行は?実行はあしたからいや明後日から要するにいまやる気が無い色々やる事が覆い。明日も明後日も
永遠に未だ来ない。未来に巡り合いたくないのか??未来は未見て来いという観字七日悟って空見ないと解らんのか
今朝も情けなく不満足な朝。飲めばやる気が出る薬は危険だし、まあぼちぼちの朝位でもまあ良いか
ミストラル https://www.youtube.com/watch?v=mFsecDrY_oA 
別に何も考えず過去のメモコピーしてすましたやる気ない朝さあホカホカ以降だめだこりゃ
阿弥陀された如来さんは未来の時間は無くわかり切った過去の思いでしかなくそれならDVD観る
私たちと変わらないのではないか。今朝は月がかわり今は金縛りから一休みで何していいかお客さん
今は来ないように願うし妄想ばかりで

394 素人A :2018/12/01(土) 10:50:12 ID:gOqWUDAs0
ラーマクリシュナ ・・誰かが海はどんなものかと聞かれた。その人は口をあんぐりあけて『アーとにかく凄いものだつたよーあの波
のうねりーあのゴーゴーという轟き』ブラフマンについての話は大方こんなものさ。ヴェーダにあるがーそれは歓喜そのものにして真
ー智ー喜なり。シューカデーヴナたちはこのブラフマンの大海の岸辺に立って.眺めたり水にさわつてみたりしていた。海の中には入
るらなかつたそうだね。だって入ったら最後.もどる方法はないもの。三昧に入るとブラフマンの智が生じる。ブラフマンと対面する
んだ。こうなると考えが止まってしまつて.人はただ黙っている。ブラフマンがどんなものか人間の口では言えないんだよ。塩の人形
が海の深さを測りにいつた。どれだけ深いものか報告するつもりだつた。でもだめだつたよ。海に入ったとたん融けてしまつたから。
ある信者「三昧に入ってブラフマンの智を得た人は.もう何も話さないのですか」ラーマ「シャン空大師は人びとを教え導くために.
知識の私を残しておきなすつた。・・また語りだす」?? 方便があるから何でも?語りだすし法ほけきょ.掲示板書は書かないと無い

395 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/01(土) 22:36:00 ID:1d4drIFg0
>>391 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

マハラジは親指と人差し指を合わせる事で主体も客体も無いことを喩えて見せたのじゃ。
一体であるものに主体も客体もないのじゃ。
悟らなければ観念によって主体と客体があるように認識するが実際は無いのじゃ。
そのような事実が現実にあることをマハラジは実に簡単に眼に見てわかりやすく教えたのじゃ。

396 避難民のマジレスさん :2018/12/02(日) 07:49:07 ID:LC3de7YgO
>>392
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】

 質問者 自己本来の存在を実現した人には、さまざまなヨーガの能力が自然
 と手に入ると聞いていますが、これに関するあなたの体験はどのよ
 うなものでしょうか?
 マハラジ
 人間の五つの層の身体* は、私たちのもっとも突飛な夢をも実現可能にする
 能力をもっている。
 人のなかには宇宙全体が反映されているばかりではなく、彼には宇宙をコン
 トロールする力も提供されている。
 賢者は、状況がそれを必要としないかぎり、そのような力を使うことを切望
 したりはしない。
 日々の生活のためには、彼は個人のもつ技術と能力で充分に適切だと見てい
 るのだ。
 ある能力は特別な訓練で発達させることができる。
 しかし、そのような能力を誇示する人は、いまだに束縛のなかにいるのだ。
 賢者は何ひとつ、自分のものと見なさない。
 ある時と場所で、ある奇跡がある人のせいで起こったとしても、彼は出来事
 と人びととの間にいかなる因果的な結びつきも証明しないだろう。
 また、いかなる結論も引き出すことを許さないだろう。
 すべては起こるように起こるのだ。
 なぜなら、それは起こらなければならないからだ。
 すべてはそのように起こる。
 なぜなら、宇宙はあるがままだからだ。
 質問者 宇宙は幸福に生きる場所のようには見えません。なぜこれほど多く
 の苦しみがあるのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛は身体的なもの、苦しみは精神的なものだ。
 マインドを超えたところに苦しみはない。
 苦痛は身体が危険にあり、注意を要求しているという単なる信号なのだ。
 同様に、苦しみは個人と呼ばれる記憶と習慣の構造が、喪失、あるいは変化
 によって脅かされていると私たちに警告しているのだ。
 苦痛は身体の存続のために欠くことのできないものだ。
 しかし、誰もあなたに苦しむよう強要してはいない。
 苦しみは完全に、執着すること、あるいは抵抗することを理由に起こる。
 それは私たちが人生とともに流れ、進んでいくことを自ら欲しないことの兆
 候なのだ。
 健全な人生が苦痛から自由であるように、聖人の人生は苦しみから自由なの
 だ。

 * 訳注 五つの層の身体
  人間は五つのさやに包まれているというヒンドゥ教の概念。
  (一)アンナー・マヤ・コーシャ 物質的身体 
  (二)プラーナ・マヤ・コーシャ 呼吸にともなう五つの気と五つの行動
     器官の身体 
  (三)マノー・マヤ・コーシャ マインドと五つの行動器官の身体 
  (四)ヴィジニャーナ・マヤ・コーシャ 知性と感情の器官の身体 
  (五)アーナンダ・マヤ・コーシャ 至福の身体。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

397 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/02(日) 22:23:36 ID:1d4drIFg0
苦は常に心の中にのみあるものじゃ。
肉体に痛みがあってもそれに囚われなければ苦にならないのじゃ。
痛みは警告に過ぎないからのう。
心を整えて苦を滅することもできるのじゃ。
そして悟りを得れば一切の苦を永遠に滅することが出来るのじゃ。

398 避難民のマジレスさん :2018/12/02(日) 23:12:57 ID:LC3de7YgO
>>397
躁鬱病は、肉体=脳の病でありますが、心の状態を激しい苦しみにさらす病でもあるようであります。
西式とかの他に、何か良い対処法はないでありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

399 避難民のマジレスさん :2018/12/03(月) 06:52:25 ID:LC3de7YgO
>>396
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】(つづき)

 質問者 聖人ほど苦しむ人は誰もいないでしょう。
 マハラジ
 彼らがあなたにそう言ったのかね?
 それともあなたが自分からそう言うのだろうか?
 聖人のような高徳な生き方の本質は、現在のこの瞬間の完全な受容と、起こ
 るがままとの調和にあるのだ。
 聖人はあるがままから変わってほしいとは望まない。
 すべての要因を考慮した上で、それが不可避であることを彼は知っているの
 だ。
 彼は必然的なものと親しくあり、それゆえ苦しむことがないのだ。
 苦痛なら彼も知っているだろう。
 だが、それが彼を打ちのめすことはない。
 もし彼にできるなら、失われたバランスを必要なだけ回復するだろう。
 あるいは、ものごとがそれ自体の流れを取るにまかせるだろう。
 質問者 彼は死ぬかもしれません。
 マハラジ
 それが何だというのだろう?
 生きつづけることで、彼が何を得るというのだろう?
 死ぬことで彼が何を失うというのだろうか?
 生まれたものは死なねばならない。
 生まれなかったものは死ぬことはできないのだ。
 すべては彼が彼自身を何であると見なしているかによるのだ。
 質問者 あなたが致命的な病気になったと想像してみてください。あなた
 は後悔したり、憤ったりするのでしょうか?
 マハラジ
 だが、私はすでに死んでいるのだ。
 あるいは今まで生きたことも死んだこともなかったのだ。
 あなたは私の身体が習慣的にふるまっているのを見て、あなたなりの結論を
 引き出す。
 あなたの結論が、ほかの誰でもないあなた自身を束縛するということを、あ
 なたは認めないだろう。
 あなたが抱いている私のイメージはまったく誤ったものかもしれないという
 ことを見て取りなさい。
 あなた自身のイメージもまた誤りなのだ。
 しかし、それはあなたの問題だ。
 だが、私のために問題をつくり出しておいて、それから私に解決するように
 要求する必要はない。
 私は問題をつくり出してもいなければ、解決してもいないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

400 素人A :2018/12/03(月) 09:01:02 ID:gOqWUDAs0
向うの未来の私が過去のわたしに言った。あのさあそんなにもがいても
全ての行いが正解だよ 私のまえには迷路うな迷い道でも明朗なまあ良い道といわれても
ぽ師匠は色即是空は空即是色と返すと言う師 でも答えの木霊は聞こえなくても
孝子師匠のおう演歌 アンサー https://www.youtube.com/watch?v=dTJUpa-Vt3E

401 素人A :2018/12/03(月) 11:22:43 ID:gOqWUDAs0
マハラジと質問者は 分かり合え図 お互いの立場で
 マハラジ「空即是色」 質問者「色即是空」
それでもタバコ屋の前の空は澄んでいた野花も

402 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/03(月) 23:09:54 ID:1d4drIFg0
>>398 大体首が凝っていると頭に血がいきわたらなくてうつになるようじゃ。
 秋から冬になるとうつがふえるのも寒くなって血行が悪くなるからなのじゃ。
 首をマッサージしたり、温めると予防になるのじゃ。
 首の運動もすると善いのじゃ。
 全身の運動もすると善いのじゃ。

403 避難民のマジレスさん :2018/12/04(火) 01:54:02 ID:LC3de7YgO
>>402
友達が、重い(躁)鬱病で苦しんでるのであります。
(´・(ェ)・`)つ

404 避難民のマジレスさん :2018/12/04(火) 06:51:13 ID:LC3de7YgO
>>399
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】

 質問者 真我の実現の方法について尋ねられたとき、あなたは変わらず「私
 は在る」という感覚にマインドを固定させることの重要さを強調し
 ます。どこにその因果的な要因があるのでしょうか? なぜこの特
 定の思いが真我の実現という結果をもたらすのでしょうか? どの
 ように、「私は在る」への黙想が私に影響を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 観察するという事実自体が、観察者と観察されるものを変えるのだ。
 結局、自己の真の本性への洞察を妨げるのは、マインドの弱さと愚鈍さ、そ
 して粗大なものにのみ焦点を当て、把握しがたいものは抜かしてしまう傾向
 にあるのだ。
 私の提案にしたがい、マインドを「私は在る」だけにとどめるように試みれ
 ば、あなたはマインドとその気まぐれに完全に気づくようになる。
 行為のなかの透明な調和(サットヴァ)である気づきは、愚鈍さを消し去り、
 マインドの落ち着きのなさを静め、穏やかに、しかし着実にその実体を変化
 させていくのだ。
 その変化は目ざましいものである必要はない。
 それはほとんど人目を引かないものかもしれない。
 それでも、それは暗闇から光へ、不注意から気づきへの根本的な移行なのだ。
 質問者 それは「私は在る」という形式でなければならないのでしょうか?
 ほかのマントラではだめなのでしょうか? 「そこにテーブルがあ
 る」という言葉に私が集中しても、同じ目的を果たさないのでしょ
 うか?
 マハラジ
 集中のための訓練としてならいいが、それがあなたをテーブルという概念を
 超えたところに連れていくことはできないだろう。
 あなたが知りたいのはあなた自身であって、テーブルに興味があるのではな
 い。
 このため意識の焦点を、唯一の手がかりであるあなたの存在の確実性に、着
 実に保つのだ。
 それとともに在りなさい。
 それと戯(たわむ)れなさい。
 それを熟考しなさい。
 それに深く沈潜していきなさい。
 無知の皮が破れ、あなたが実在の領域に現れでるまで。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

405 素人A :2018/12/04(火) 09:10:57 ID:gOqWUDAs0
ラーマクリシュナ不滅の言葉より「実在を不動のものとして考えるとき、わたしはそれをブラフマンと言い、またブルシャ」
(神我)、無人格的神と名ずける。それが創造し、維持し、破壊するーすなわち活動すると考えるとき、造化力、現象、また
はプラクティ(原自然、大生命力)、神格神と名ずける。一方なくして他方を考える事は出来ない。無人格的なものと人格的
なものは同じ実在であり、たとえば乳とその白さ、ダイヤモンドとその輝き、蛇とそのうねりのようなもの。宇宙の大実母
とブラフマンは一つである」・・・  色即是空で空即是色で色々或るカラー空まあ仏仏もある

406 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/04(火) 21:56:12 ID:1d4drIFg0
>>403 腸の大掃除をすると善いのじゃ。
 脳の不調は腸がわるいからなのじゃ。
 腸脳相関というのじゃ。
 下剤を飲んで浣腸もして一日位の断食をして腸を空にするのじゃ。
 
観察をすることは観察者と観察の対象を変えるとマハラジはいうのじゃ。
観察する事で観察する自分が変り、観察される自分も変るのじゃ。
それが何を意味するのか実践によってのみ明らかになるのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

407 避難民のマジレスさん :2018/12/05(水) 03:17:00 ID:LC3de7YgO
>>404
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 私が「私は在る」に焦点を当てることと、殻(から)が破れること
 の間に何らかの因果的なつながりがあるのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身を見いだそうとする衝動は、あなたに用意ができたことのしるしな
 のだ。
 衝動はいつも内面からやってくる。
 時節が調(ととの)うまでは、あなたが全身全霊で真我の探求をするための
 欲望も強さも得ることはないだろう。
 質問者 欲望とその充足はグルの恩寵(おんちょう)に依るのではないでし
 ょうか? グルの輝きを放つ顔が私たちを誘惑して捕まえ、不幸の
 泥沼から引き出してくれるのではないでしょうか?
 マハラジ
 母親が子供を教師に連れていくように、外側の師にあなたを連れていくのは
 内なる師(サットグル)なのだ。
 あなたのグルを信頼し、彼にしたがいなさい。
 なぜなら、彼はあなたの真我のメッセンジャーなのだから。
 質問者 信頼できるグルをどうやって探せばいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身のハートがあなたに告げるだろう。
 グルを見いだすことは困難なことではない。
 なぜなら、グルはあなたを探しているからだ。
 グルはいつも用意ができている。
 あなたは準備ができていない。
 あなたに学ぶ準備ができていないと、あなたのグルに出会っていても、まっ
 たくの怠慢と強情さでせっかくの機会を無駄にしてしまうかも知れないのだ。
 私を例にとれば、私には見込みがあるわけではなかった。
 だが、グルに出会ったとき、私は聴き、信頼し、したがったのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

408 素人A :2018/12/05(水) 08:27:58 ID:gOqWUDAs0
YRつまりバーチャルのアルティとは?テレビでバーちゃんに聞かれたらばあちゃんリアルティと答えていた?私も知らん
かったし笑えないけど微笑んだ。仮想現実はこの世うなテレビやパソコンが発達して現実にとひだすと昔から教えていた。
(つづき)たとえば家は火で焼けてもその家ぬしは家を出てゆく如くである。それだけが明らかな霊妙な働きをしており、
迷悟ともに貫いている。万物の環境はどうであれ、霊智は環境や物と違つて永久に変わる事は無い。いまある環境も霊智に
基づけば真実といって差し支え無い、それは本性に由来しているから実在の法である。しかしそうは言うものの霊知の様に
常住では無い。というのは霊知の様に常住では無い。というのは生滅するからである。それとは反対に霊知は明暗とは関係
無く、霊妙にはたらくから、これを霊知というのである。またそれを真我とも覚元(知覚の根源)とも本性や本体とも名付ける
。このような本性を悟る事を常住不変に帰つたといい、また帰真の大士とも言う。それ以後は更に迷いの世界に流転する事も
無く、不生不滅の本性の大海に証入するのである。その他に真実はない、この本性が顕にならない限りは、三界六道の迷いの
世界が競合して現れるのである。」(つづく)?それじゃ主義うしなく遊びの現実たけで使用と道元に頭叩かれた。今朝も適当

409 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/05(水) 22:29:15 ID:1d4drIFg0
本当に学ぶ気になった時に師匠はあらわれるというのじゃ。
そうでなければ目の前に居ても気付かないというのじゃ。
師が存在しないからではなく、本人に準備が出来ていないから見出せないのじゃ。
準備が出来れば自らの本心に真の師匠に引き合わせる師匠がいるというのじゃ。 
本来誰もが無師独悟であるのじゃ。

410 避難民のマジレスさん :2018/12/06(木) 05:54:43 ID:LC3de7YgO
>>407
1『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 私が師の手の内に完全に自分を明け渡す前に、彼を吟味すべきでは
 ないでしょうか?
 マハラジ
 もちろん吟味するがいい!
 だが、何を見いだせるというのだろう?
 彼はあなた自身のレベルでしか現れないのだ。
 質問者 彼が首尾一貫しているかどうかを見守ります。彼の人生と彼の教え
 の間に調和があるかどうかを。
 マハラジ
 あなたは数多くの不調和を見つけだすかもしれない――それが何だというの
 だろう?
 それは何も証明しない。
 ただ、動機だけが問題なのだ。
 どうやって彼の動機を知るというのだろうか?
 質問者 少なくとも、彼が自己制御のできる清廉(せいれん)な人生を生き
 ている人であることを期待すべきです。
 マハラジ
 そのような人はいくらでも見つけられるだろう――そしてあなたにとって何
 の役にも立たないだろう。
 グルはあなたの真我へ帰り着く道をあなたに示すことができる。
 それがその人の人格や性質といった外見と、どんな関係があるというのだろ
 うか?
 彼は彼が個人ではないことを、あなたに明確に告げてはいないだろうか?
 唯一判断できるのは、あなたが彼と共に在るときに起こる、あなた自身の変
 化だ。
 もし、あなたがより平和で幸福に感じるならば、そしてあなた自身を通常よ
 り明晰(めいせき)に、より深く理解するならば、それはあなたが正しい人
 を見つけたということだ。
 急ぐことはない。
 だが、ひとたび彼を信頼すると決心したならば、絶対的に彼を信頼しなさい。
 そしてすべての教えに完全に、誠実にしたがいなさい。
 あなたが彼を師として受け入れず、彼と共に在ることだけで満足だとしても、
 それは大した問題ではないのだ。
 もしマインドが純粋で混じり気がなく、乱されることがなければ、サットサ
 ン(聖者と共に在ること)だけでもあなたを目的地へと連れていけるのだ。
 だが、ひとたびあなたがある人をグルとして受け入れたならば、聴き、覚え、
 したがいなさい。
 中途半端な心構えは深刻な障害となる。
 そして、多くの悲しみを自らつくり出す原因となるのだ。
 その過ちはけっしてグルのものではない。
 弟子の愚鈍さと強情さに過失があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

411 素人A :2018/12/06(木) 10:27:54 ID:gOqWUDAs0
すいません。皆自由に生きているわけではない。正義行おうとしても守るものだらけで、環境に流される小さな我が観ばかりで
量るしかない。人に悪く生きなければ自分の楽にならない。蟻のまんまを取り上げて観ずに流すばかりで仕方無いな避けない。
悪さに居直って少ししか苦しまない。まあお互い様で見解の総意で誤魔化すくらいしか出来ない。少し反省分からんものは観察
してほじくりだしても苦しい思いだけまあよいか。

世界の創造主は偉い?私と友に居ても私のえこひいきしないで相手の立場も認めて何も出来ないと神や仏は責められても文句は
いわず耐えているのか?なるようなるにまかせていい加減なのか?まあそれしか出来ない立場なのか?単に能力が無いのか?
創造主とは私のソフトの元なのかでもソフトが邪魔して力は◎で発揮できず今の観からしか見えずなのか不自由な身?
無門関 ニ○  ちからのあるもの
松源さまがいわれた、「ちからのある者が、どうして立ちあがれないのか?」また、「説法は演説じゃないぞ。」
無門がいう---------松源は腹わたをむき出したが、受けとり手が居ないのだ。オイソレとひき受けても、
無門のところにきてブンなぐられるだけ。なぜならば? 純金かニセか、火でためすのだ。
歌に---------    足でけかえす太平洋、     低くみくだす銀河系。     この身一つの置きどころ、
(あとの句をたのむ)。 ?アートの苦頼まれたけどとブラ不満に文句言おう

412 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/06(木) 23:43:04 ID:1d4drIFg0
まだ準備が整わない者は師匠がいても信じることはできないのじゃ。
自分の方が賢いとか思っていたりするのじゃ。
師匠を計っているのじゃ。
他人を計る秤で自分も計られるとユダヤの救世主も告げたのじゃ。
真の師匠ならばそこに度し難い愚かさを観るだけなのじゃ。

413 避難民のマジレスさん :2018/12/07(金) 07:07:08 ID:LC3de7YgO
>>410
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 そのとき、グルは弟子を追放、あるいは失格にしてしまうのでしょ
 うか?
 マハラジ
 もし、そうしたなら彼はグルとは言えない!
 彼は時節が調い、弟子が鍛えられ、冷静になって、より受容的な精神で彼の
 もとに戻ってくるのを待つのだ。
 質問者 何が動機なのでしょうか? なぜグルはそれほどの困難を受け入れ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 悲しみと悲しみの終焉(しゅうえん)のためだ。
 彼は人びとが夢のなかで苦しんでいるのを見て、目覚めさせたいと願うのだ。
 愛は苦痛や苦しみを見ることに耐えられない。
 グルの忍耐には限界がない。
 それゆえ、打ち負かされることはできないのだ。
 グルはけっして失敗しない。
 質問者 私の最初の師はまた最後の師でもあるのでしょうか、それとも私は
 師から師へと渡り歩かなければならないのでしょうか。
 マハラジ
 宇宙全体があなたのグルだ。
 もし注意深く、知的であれば、あなたはすべてから学んでいく。
 あなたのマインドが澄んで、ハートが清らかであれば、あなたはすべての通
 りがかりの人たちから学ぶだろう。
 あなたが怠惰で落ち着きがないため、内なる真我が外側のグルとして現れ、
 あなたに彼を信頼させ、したがわせるのだ。
 質問者 グルは不可避なのでしょうか?
 マハラジ
 それは「母親は避けることはできないものなのでしょうか?」と尋ねるよう
 なものだ。
 意識のなかで、ひとつの領域からより高い領域に上がっていくには助けが必
 要だ。
 助けがつねに人間の形を取るとはかぎらない。
 それは名状しがたい存在かもしれない。
 あるいは直感のひらめきかもしれない。
 しかし、助けは来なければならない。
 内なる真我は、息子が父親のもとに戻ってくるのを待っているのだ。
 時節が調えば、彼は愛情深く、効果的にすべての手はずを整える。
 メッセンジャーや指導者が必要なとき、真我が必要を満たすためにグルを送
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

414 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/07(金) 22:59:17 ID:1d4drIFg0
誰もが本来無師独悟ではあるが師匠がいれば楽に素早くいけるのじゃ。
迷う時間が少なくなるのじゃ。
迷いを正してくれるものが師匠なのじゃ。
それは人とは限らないのじゃ。
時には苦しみさえも師匠といえるのじゃ。
間違った道を教えてくれるので在るからのう。

415 避難民のマジレスさん :2018/12/08(土) 08:44:20 ID:LC3de7YgO
>>413
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 ひとつだけ理解できないことがあります。あなたは内なる自己を、
 賢明で、善であり、美しく、あらゆる面で完全だとし、個人はそれ
 自身存在をもたない、単なる反映だと話しています。その一方、あ
 なたはたいへんな困難も顧みず、個人にそれ自身を実現させる助け
 をしています。もし、個人がそれほど重要ではないならば、なぜそ
 れほどまでしてその幸福を気にかけるのでしょうか? 誰が影のこ
 とを気にするでしょうか?
 マハラジ
 あなたは存在もしない二元性をそこにもち込んだのだ。
 身体があり、真我がある。
 その間にマインドがあるのだ。
 そのマインドのなかに、真我は「私は在る」として反映されている。
 マインドはその不完全さ、その未熟さと落ち着きのなさ、識別と洞察の欠如
 ゆえに、それ自身を真我ではなく身体と見なしてしまうのだ。
 必要なことはマインドを浄化することだけだ。
 マインドが真我のなかに没して消え去るとき、身体は問題を呈しなくなる。
 それはそれであるものとして、認識と行為の道具、内なる創造の炎の表現と
 その道具としてとどまる。
 身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕える
 ことだ。
 あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像して
 いた以上のものであったことを、絶えず発見し続けていくのだ。
 質問者 自己発見には終わりがないのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはじまりがないように、終わりもない。
 だが、グルの恩寵によって私が発見したことは、私はこれだと指し示すこと
 のできるものではないということだ。
 私は「これ」でもなく「あれ」でもない。
 これは絶対不動だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

416 避難民のマジレスさん :2018/12/08(土) 09:55:47 ID:LC3de7YgO
>>415
> 身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕えることだ。
←ふむふむ。
普遍の身体=全てであるということは、個別は無い=無我は同じようなものでありますね。
>あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像して
いた以上のものであったことを、絶えず発見し続けていくのだ。

←絶えず発見して行って、「あなた」が消え去ればよいが、それへの執着を消し去るには「無我」と言った方が誤解が生じにくいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

417 避難民のマジレスさん :2018/12/08(土) 19:35:39 ID:LC3de7YgO
>>415
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 それでは、新たなる次元へと永遠に自分自身を超えていく、果てし
 ない発見はどこに現れるのでしょうか?
 マハラジ
 これらはすべて顕現の領域に属する。
 それは、低次のものからの自由を通してのみ、より高次なものを得ることが
 できるという宇宙の構造そのもののなかにあるのだ。
 質問者 何が低次で、何が高次なのでしょう?
 マハラジ
 それを気づきの言語のなかで見てみなさい。
 より広く、深いほど、意識が高いのだ。
 生きるものすべては意識を保護し、永続し、拡張するために働いている。
 これが世界の唯一の意味と目的なのだ。
 絶えず意識のレベルを上昇させ、それらの特性と質と能力とともに新たな次
 元を発見すること――それがヨーガの本質だ。
 その意味においては宇宙全体がヨーガの道場となるのだ。
 質問者 完成はすべての人間にとっての運命なのでしょうか?
 マハラジ
 究極的には、すべての生きるものたちにとってだ。
 悟りの概念がマインドのなかに現れるとき、可能性は確実性となるのだ。
 人は、ひとたび解放が手の届くところにあると聞き、理解すれば、けっして
 忘れはしない。
 なぜならそれが内側からの最初のメッセージだからだ。
 それは根を張り、成長し、時が来れば祝福されたグルの姿を取るのだ。
 質問者 では、私たちは皆マインドの救済に関わっているのでしょうか?
 マハラジ
 それ以外の何だというのだろう?
 マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。
 「迷う」という言葉さえ的確ではない。
 マインドはそれ自身のあらゆる気分を知らなければならない。
 繰り返されないかぎり、何ひとつ間違いということはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

418 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/08(土) 22:47:46 ID:1d4drIFg0
>>416 そのような理解で善いのじゃ。
 個人としての自分の肉体は全てであることを気付くためにあるというのじゃ。
 それが肉体を持ったことの意味なのじゃ。
 それに辿りつくために無我にもなるのじゃ。

419 避難民のマジレスさん :2018/12/09(日) 07:33:38 ID:LC3de7YgO
>>417
『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】

 質問者 あらためて、私は快楽と苦痛、欲望と恐れの質問をした
 いと思います。恐れとは、苦痛の記憶と予測だと私は理
 解しています。それは有機体とその生活様式の保護のた
 めに本質的なものです。欲望が感じられると苦痛に満ち、
 その期待は恐れでいっぱいになります。私たちは基本的
 な必要性を満たせないことを、当然のことながら恐れま
 す。欲望が満たされたとき、安心を経験したり、不安が
 静められたりするのは、もっぱら苦痛が終わるためです。
 私たちはそれに快楽や喜び、あるいは幸せといった積極
 的な名前を与えますが、それは本質的に苦痛からの解放
 なのです。私たちの社会的、経済的、政治的な制度を維
 持しているのは、この苦痛への恐れです。
 私を困惑させるのは、生存とは何の関係もないものやマ
 インドの状態から私たちが喜びを引き出すことです。そ
 の反対に、私たちの快楽はたいてい破壊的です。それら
 は対象物を、また快楽の主体をも傷つけ、破壊します。
 そうでなければ、快楽と快楽の追求には何の問題もあり
 ません。これが私の質問の核心に導きます。なぜ快楽は
 破壊的なのでしょうか? なぜ破壊的であるにも関わら
 ず、それは求められるのでしょうか?
 言っておかなければなりませんが、私は自然が要求する
 快楽と苦痛のパターンについては考えてはいません。私
 が考えているのは、過食のようにもっとも粗雑なものか
 らもっとも純粋なものまで、感覚的、そして神秘的なも
 のの両方です。快楽に耽溺(たんでき)することは、た
 とえどのような犠牲を払おうとも普遍的なものであり、
 その根本には何か深い意味があるに違いありません。
 もちろん、人のすべての活動は功利主義的な、必要を満
 たすためだけのものとはかぎりません。例えて言えば、
 遊びは自然なものであり、人間は存在のなかでもっとも
 遊び好きな動物です。遊びは自己発見や自己開発のため
 の必要を満たします。しかし、遊びにおいてさえ、人間
 は自然やほかの生きもの、そして彼自身に対して破壊的
 になるのです。
 マハラジ
 ようするに、あなたは快楽には反対でないが、苦痛と苦しみへの
 代価には反対だということだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

420 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/09(日) 22:55:14 ID:1d4drIFg0
快楽とは苦からの解放ではなくただ一時的に忘れるだけなのじゃ。
そうであるから次々に求めて執着するのじゃ。
本当に苦から解放されたならばもはや快楽もいらない筈なのじゃ。
解放されずに一時的に忘れるだけであるから何度も必要になるのじゃ。

421 避難民のマジレスさん :2018/12/10(月) 07:04:16 ID:LC3de7YgO
>>419
1『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 もし実在そのものが至福であるならば、快楽はそれに何
 らかの形で関係しているはずです。
 マハラジ
 言葉の上の論理によって話を進めるのはやめよう。
 実在の至福は苦しみを除外しないのだ。
 その上、あなたは快楽のみを知り、純粋な存在の至福を知っては
 いない。
 だから、快楽をそれ自体のレベルで調べてみることにしよう。
 もしあなたが快楽や苦痛の瞬間にある自分を見てみれば、快楽や
 苦痛はものごと自体のなかにあるのではなく、状況のなかにある
 ということを、いつもきまって見つけだすだろう。
 快楽は楽しむ人と楽しまれるものとの関係性のなかにある。
 そしてその本質は需要にあるのだ。
 状況がいかなるものであれ、それを受け入れることが可能ならば、
 それは心地好く、受け入れがたければ、苦しいのだ。
 何がそれを受け入れられるようにするのかは重要でない。
 原因は物質的、心理的、あるいは理由のわからないものかもしれ
 ないが、受容がその決定要因だ。
 相対的に、苦しみは受け入れないことによるものだ。
 質問者 苦痛は受け入れがたいものです。
 マハラジ
 どうしてかね?
 試してみたことがあるのかね?
 試してみなさい。
 そうすれば苦しみには快楽が生みだすことのできない喜びがある
 ことを見いだすだろう。
 なぜなら、苦痛の受容には快楽よりもはるかに深いところへあな
 たを導くという純然たる理由があるからだ。
 個人の自我はその本性からしてたえず快楽を求め、苦痛を避けて
 いる。
 このパターンの終焉(しゅうえん)が自我の終焉なのだ。
 自我と、その欲望と恐れの終焉は、幸福と平和の源であるあなた
 の真の本性に帰り着くことを可能にする。
 絶え間ない快楽への欲望は、内なる永遠の調和の反映なのだ。
 人が自我を意識しだすのは、選択と決定を要求する、快楽と苦痛
 の合間での葛藤(かっとう)に捕らえられたときだけだ。
 この欲望と恐れの衝突が、人生において正常な、偉大なる破壊者
 である怒りを生みだす。
 苦痛がひとつの教訓と警告としてあるがままに受け入れられ、注
 意をもって深く見入られたとき、苦痛と快楽という分離は打ち壊
 され、それらはともに抵抗したとき苦しく、受け入れたとき快い
 という体験になるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

422 素人A :2018/12/10(月) 10:21:44 ID:gOqWUDAs0
マハラジなんて単純だしペッパー君で代用できのか

423 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/10(月) 22:08:23 ID:1d4drIFg0
苦から逃れ、快楽を求めることが自我の原因となるとマハラジはいうのじゃ。
それが終われば自我も終焉を迎えるのじゃ。
苦痛から逃れようとせず、快楽も求めようとしない時、自我の欲に惑わされずに本性が見られるのじゃ。
その二つの執着から離れることは意志によってできることなのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。

424 避難民のマジレスさん :2018/12/10(月) 23:10:03 ID:LC3de7YgO
>>423
うむ。
主体も客体も、苦も楽もなく、ただ一つの意識でありましょう。
くまはそう思えるであります。
(´・(∀)・`)つ

425 避難民のマジレスさん :2018/12/11(火) 06:08:15 ID:LC3de7YgO
>>421
1『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 すべての幸福は気づきからやってくる。
 私たちがより意識的であれば、喜びはより深くなる。
 苦痛の受容、無抵抗、勇気、忍耐――それらは、深く永久に枯渇
 しない真の幸福、真実の至福の源を開くのだ。
 質問者 なぜ苦痛は快楽よりも効力があるのでしょうか?
 マハラジ
 快楽はたやすく受け入れられる。
 一方、自我のすべての力が苦痛を拒絶する。
 苦痛の受容が自我の否定であるように、自我は真実の幸福への道
 を妨げる。
 苦痛の心からの受容は幸福の源泉を解放するのだ。
 質問者 苦しみの受容も同じように働くのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛という事実に気づきの焦点を当てるのは容易なことだ。
 苦しみにあっては、ことはそう単純ではない。
 苦しみに焦点を当てるだけでは、充分ではないのだ。
 なぜなら知ってのとおり、精神的な人生とはひとつの絶え間ない
 苦しみの流れだからだ。
 苦しみのより深い層に到達するには、あなたはその根元まで行き、
 そしてそれらの広大なネットワークを露(あら)わにしなければ
 ならない。
 そこには恐れと欲望が緊密に織り込まれ、生命エネルギーの流れ
 は対立して行く手を遮(さえぎ)り、互いに破壊しあっているの
 だ。
 質問者 どのようにして私の意識層より完全に下にある混乱を正
 すことができるのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身とともに在ること、「私は在る」とともに在ることに
 よって、日々の生活におけるあなた自身を、批判するよりも理解
 しようという意図をもって見守ることによって、何であれ、現れ
 ることを完全に受容することによってだ。
 なぜなら、それはそこにあるのだから。
 あなたは奥深くにあったものが表層に現れることを励まし、その
 捕らわれていたエネルギーによってあなたの人生と意識を豊かに
 するのだ。
 これが気づきの偉大な働きだ。
 それは生命とマインドの本性を理解することによって障害を取り
 除き、エネルギーを解放する。
 知性は自由への扉であり、そして油断のない注意が知性の母なの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

426 避難民のマジレスさん :2018/12/11(火) 21:21:22 ID:LC3de7YgO
>>425
> 苦痛の受容、無抵抗、勇気、忍耐――それらは、深く永久に枯渇
 しない真の幸福、真実の至福の源を開くのだ。
 苦痛の心からの受容は幸福の源泉を解放するのだ。

←苦痛の受容は、超難しいようにおもうであります。
(´・(ェ)・`)つ

427 避難民のマジレスさん :2018/12/11(火) 21:49:24 ID:LC3de7YgO
 苦しみの根元の広大なネットワークとは、恐れと欲望がのことであり、
それを表層に現れるようにしろということでありますか。
つまり、恐れや欲望を、抑圧せずにありのままに感じることにより、抑圧していたエネルギーを解放しろと言うことでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

428 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/11(火) 22:53:19 ID:1d4drIFg0
>>424 そうじゃ、中道をいくのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>426 最初は蚊にかまれた程度の苦痛でも善いのじゃ。
 続ければ肉体への執着から離れられるのじゃ。

>>427 それは人が苦痛から逃れようとして積み上げてきた縁起なのじゃ。
 十二縁起と同じようなものじゃ。
 苦痛から逃げるために快楽を求め、快楽に執着して又苦が生じるというようにのう。
 それらを観なければ本性にはたどり着かないのじゃ。

429 避難民のマジレスさん :2018/12/12(水) 00:20:18 ID:LC3de7YgO
>>428
苦痛から逃れようとして積み上げてきた縁起
十二縁起と同じようなもの
苦痛から逃げるために快楽を求め、快楽に執着して又苦が生じるというように
それらを観なければ本性にはたどり着かない

↑うむ。この説明のは超わかりやすいであります。
ありがとうであります。
(´・(∀)・`)つ

430 避難民のマジレスさん :2018/12/12(水) 01:14:08 ID:LC3de7YgO
>>425
59の2『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 もうひとつの質問です。なぜ快楽は苦痛のなかに終わる
 のでしょうか?
 マハラジ
 すべてにはじまりがあり、終わりがある。
 快楽もまた同じなのだ。
 期待してはいけない。
 そして後悔してはいけない。
 そうすれば、そこに苦痛はなくなるだろう。
 苦しみの原因は記憶と想像なのだ。
 もちろん、快楽の後の苦痛は身体とマインドの誤用によるものだ
 ろう。
 身体はその限度を知っているが、マインドはそれを知らないのだ。
 その渇望は数かぎりなく、限度を知らない。
 マインドを最大の努力とともに見守りなさい。
 なぜなら、そこにあなたの束縛が、そしてまた解放への鍵がある
 からだ。
 質問者 私の質問はまだ完全に答えられていません。どうして人
 間の快楽は破壊的なのでしょうか? どうして彼は破壊
 することのなかに、それほど喜びを見いだすのでしょう
 か? 生命はそれ自身の保護、永続、拡張を気にかけて
 いるはずです。このなかで、それは苦痛と快楽に導かれ
 ているのです。いったい、どの時点でそれらは破壊的に
 なるのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが占拠し、記憶し、期待するとき、それは大げさに見た
 り、ゆがめて見たり、見落としたりする。
 過去は未来へと投影され、未来は期待を裏切るのだ。
 感覚と行動の器官は許容範囲を超えた刺激を受け、必然的に弱っ
 てしまう。
 快楽の対象物は期待されたことを満たすことができず、誤用によ
 って尽き果て、あるいは破壊されてしまう。
 快楽が探し求められるところには、過剰な苦痛が結果として生じ
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

431 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/12(水) 22:44:19 ID:1d4drIFg0
>>429 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。


快楽は執着することで常に苦痛をもたらすものとなるのじゃ。
慣れてしまえばより多く、大きな快楽を求め続けることになるからのう。
常に満たされないままになるのじゃ。
より新しい刺激を求めて苦を積み重ねることになるのじゃ。

432 避難民のマジレスさん :2018/12/13(木) 06:09:36 ID:LC3de7YgO
>>430
『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 私たちは自分自身だけではなく、他者まで破壊してしま
 うのです!
 マハラジ
 当然、自分本位とはつねに破壊的なものだ。
 欲望と恐れは、ともに自己中心的な状態だ。
 欲望と恐れの間に怒りが、怒りとともに憎悪が、憎悪とともに破
 壊への激情が立ち現れる。
 戦争はすべての死の兵器を備え、組織化された憎悪の行為なのだ。
 質問者 これらの恐ろしいものごとに終止符を打つ方法はないの
 でしょうか?
 マハラジ
 より多くの人びとが彼らの真の本性を知るにつれて、いかに微妙
 なものでも彼らの影響は広まっていき、世界の感情的な空気は和
 らいでいく。
 人びとは彼らの指導者にしたがい、そして指導者たちの間に、何
 人かの偉大なマインドとハートをもち、自己本位から絶対的に自
 由な人が現れたとき、彼らの衝撃はこの時代の未熟さと罪を不可
 能にしてしまうだけの充分な影響力を与えるだろう。
 新たな黄金の時代が現れ、ひとつの時代を築き、それ自身の完成
 のうちに倒れていくかもしれない。
 なぜなら、衰退は機運がその絶頂に達したときにはじまるものだ
 からだ。
 質問者 永久的な完成というものはないのでしょうか?
 マハラジ
 ある。
 だが、それはすべての未完成を包括しているのだ。
 それがすべてを可能にし、知覚可能にし、興味深くする自己の本
 性の完成なのだ。
 それは苦しみを知らない。
 なぜならそれは好まず嫌わず、受容も拒絶もしないからだ。
 創造と破壊は、それがその間でつねに変化しつづけていく模様を
 織り成す二つの極なのだ。
 好き嫌いやより好みから自由になりなさい。
 そうすれば、マインドとその悲しみの重荷は、もはやなくなるだ
 ろう。
 質問者 しかし苦しんでいるのは私ひとりではありません。ほか
 の人たちもいるのです。
 マハラジ
 あなたがあなたの欲望や恐れとともに彼らのもとに行くなら、単
 に彼らに不幸を加えるだけだ。
 まず、あなた自身が苦しみから自由になりなさい。
 そのときにのみ、他者を助けられる期待がもてる。
 期待する必要さえない。
 あなたの存在そのものが、ひとりの人間として同胞に与えること
 のできる最大の助けとなるだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

433 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/13(木) 23:06:06 ID:1d4drIFg0
真の完成は常に在るものじゃ。
それ以外は存在しない幻想なのじゃ。
自分自身がそれに気付かなければ他人を導くことはできないのじゃ。
自ら実践あるのみなのじゃ。

434 避難民のマジレスさん :2018/12/14(金) 05:34:16 ID:LC3de7YgO
>>433
うむ。この章の言葉は、とても難しいでありますが、鬼和尚の解説を手がかりにしつ、何度も読み直してみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

435 避難民のマジレスさん :2018/12/14(金) 05:46:20 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】

 質問者 あなたは、何であれあなたの見るものはあなた自身だと言います。
 また、私たちが見るように世界を見ていると認めています。ここに
 今日の新聞が、今起こっているあらゆる恐ろしいことを載せていま
 す。世界があなた自身であると言うのなら、このような不正な行為
 をどのように説明することができるのでしょうか?
 マハラジ
 いったい、どの世界のことを思っているのかね?
 質問者 私たちが住む、共通の世界です。
 マハラジ
 私たちが同じ世界に住んでいるというのは確かだろうか?
 私は自然のこと、海や大陸、植物や動物のことを言っているのではない。
 それらは問題ではない。
 果てしない空間、無限の時間、無尽蔵の力もまた問題ではない。
 私が食べたり、喫煙したり、読んだり、話したりすることに惑わされてはな
 らない。
 私のマインドはここにはない。
 私の人生はここにはないのだ。
 あなたの欲望とその充足、恐れとそれとそれからの逃避は、まったく私の世
 界ではない。
 あなたがそれに関して語ることを通して以外、私はそれを知覚さえしないの
 だ。
 それはあなたの個人的な夢の世界であり、それに対する私の唯一の反応は、
 あなたに夢を見つづけるのをやめるよう求めることだけだ。
 質問者 戦争や革命は間違いなく夢ではありません。病気の母親と飢えた子
 どもたちは夢ではありません。不正な富とその誤用は夢ではないの
 です。
 マハラジ
 それ以外の何だというのかね?
 質問者 夢は分かち合うことができません。
 マハラジ
 目覚めの状態もまた、分かち合うことができないのだ。
 目覚め、夢見、眠りの三つの状態はすべて主観的で、個人的な私事(わたく
 しごと)だ。
 それらはみな意識の中の「私」と呼ばれる小さな泡の中に包まれ、そこで起
 こることなのだ。
 真実の世界は自己を超えた彼方にある。
 質問者 自己であろうと、非自己であろうと、事実は現実です。
 マハラジ
 もちろん、事実は現実だ。
 私はそれらの中に生きている。
 しかし、あなたは事実ではなく、想像の中に生きているのだ。
 事実はけっして衝突しない。
 だが、あなたの人生と世界は矛盾で満ちている。
 矛盾は偽物の証拠なのだ。
 本物がそれ自体で矛盾することはない。
 たとえば、あなたは人々が極端な貧困の中にいると苦情を訴えている。
 それにもかかわらず、あなたの富を彼らに分け与えはしない。
 あなたは近隣で起こっている戦争にはかまうが、どこか遠くの国で起こって
 いる戦争のことは考えもしない。
 あなたの気まぐれな自我が価値を決定し、「私は考える」「私は欲しい」
 「私はしなければならない」といった移ろいやすい想念を絶対的なものにし
 てしまうのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

436 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/14(金) 22:41:13 ID:1d4drIFg0
>>434 良かったのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

人は自分の見る現実が他人とも同じ唯一のものと思っているのじゃ。
しかし、実際は違うのじゃ。
一人一人のものにそれぞれ別の現実が在るのじゃ。
自ら作り上げた幻想を現実と思っているだけなのじゃ。

437 避難民のマジレスさん :2018/12/15(土) 04:59:16 ID:LC3de7YgO
>>435
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 それでも悪は現実です。
 マハラジ
 あなたの存在以上の現実ではないのだ。
 悪は誤解や誤用による問題への誤った対処法にある。
 それは悪循環なのだ。
 質問者 その循環の輪を断ち切ることはできるでしょうか?
 マハラジ
 偽物の輪を壊す必要はない。
 それをあるがままに、非存在として見るだけで充分なのだ。
 質問者 しかし、私たちを服従させ、屈辱や暴虐行為を与えさせるのに充分
 なほど悪は現実なのです。
 マハラジ
 狂気は普遍的なものであり、正気はまれなのだ。
 しかし、それでも希望はある。
 なぜなら、狂気を知覚した瞬間、私たちは正気に向かいはじめているのだか
 ら。
 日々の生活の中で、私たちの狂気に気づかせること、これがグルの機能だ。
 生命はあなたを意識的にさせる。
 だが、師はあなたを気づかせるのだ。
 質問者 あなたは最初のジニャーニでもなければ、最後のでもありません。
 遙かなる昔から、人々は真理を実現してきました。それにもかかわ
 らず、何とわずかばかりの影響しか私たちの生活に与えてこなかっ
 たのでしょう! ラーマたちやクリシュナたち、仏陀たちやキリス
 トたちは来ては去っていきました。そして、私たちは相変わらず汗
 と涙の中でもがいているのです。私たちがその人生を見守ってきた
 偉大な人々は何をしてきたのでしょうか? 世界の束縛を和らげる
 ために、あなたは何をしたのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのつくり出した悪を取り消すことができるのは、あなただけだ。
 あなたの無神経な利己主義がその根本なのだ。
 まず、自分の家に秩序をもたらすことだ。
 そうすれば、あなたはあなたの仕事を終えたことを知るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

438 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/15(土) 22:44:39 ID:1d4drIFg0
悪が現実にあるというものは心の中に悪が在るからそのように思うのじゃ。
自分の心の中にある悪の観念を世間に投射するのじゃ。
自らの心の中以外に悪はないのじゃ。

人はただ自らを救うことが出来るだけなのじゃ。
全ての悪から全人を救う救世主などいないのじゃ。

439 避難民のマジレスさん :2018/12/16(日) 13:19:48 ID:LC3de7YgO
>>437
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 私たちの前に現れた智慧と愛の人たちは、しばしば途方もない代価
 を支払って、正しさを主張してきました。その結果はどうだったの
 でしょう? 流れ星はどんなに輝いても、夜の闇を明るくすること
 はないのです。
 マハラジ
 彼らと彼らの仕事を判断するには、あなたが彼らのひとりにならなければな
 らない。
 井戸の中の蛙は、空を行く鳥のことを何も知らないのだ。
 質問者 つまり、あなたは善と悪の間には、何の壁もないと言われるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 そこに壁はない。
 なぜなら、善も悪もありはしないからだ。
 あらゆる実際の状況のなかで、あるのはただ必要なことと不必要なことだけ
 だ。
 必要なことは正しく、不必要なことは正しくないのだ。
 質問者 誰が決めるのでしょうか?
 マハラジ
 状況が決定する。
 あらゆる状況は正しい反応を要求してくる挑戦なのだ。
 反応が正しいとき、挑戦はかなえられ問題は消える。
 反応を誤ったとき、挑戦は敵わず問題は未解決のまま残る。
 あなたの未解決の問題が、あなたのカルマを構成しているのだ。
 それらを正しく解決し、自由になりなさい。
 質問者 あなたはいつも、私を私自身へと連れ戻します。世界の問題の客観
 的な解決法はないのでしょうか?
 マハラジ
 世界の問題は、それぞれが自分の欲望や恐れでいっぱいの、無数のあなたの
 ような人々によってつくり出されているのだ。
 あなたの個人的、社会的な過去から、誰があなたを解放できるというのだろ
 うか?
 そしてあなた自身が、幻想から生まれた欲望から自由になることへの切迫し
 た必要性を見ないかぎり、どうやって世界の問題を解決するというのだろう
 か?
 あなた自身が助けを必要としているかぎり、どうしてあなたに本当の助けが
 できるだろうか?
 質問者 いったいどのような形で古代の聖者たちは助けたのでしょうか? 
 どのようにしてあなたは助けるのでしょうか? 少数の人たちは、
 疑いなく恩恵を受けています。あなたの指導と手本は、大きな意味
 を彼らにもたらすかもしれません。ですが、いったいどのような形
 で、あなたは人類に、そして生命と意識の全体性に影響を与えると
 いうのでしょうか? あなたは、あなたが世界であり、世界はあな
 ただと言われました。あなたはどのような影響を世界に与えたので
 しょうか?
 マハラジ
 どのような影響をあなたは期待するのかね?
 質問者 人間は愚かで、利己的で、残酷です。
 マハラジ
 人間はまた、賢く、愛情にあふれ、親切でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

440 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/16(日) 22:42:06 ID:1d4drIFg0
世界の問題の唯一の解決法はそれを認識する自分が変容することなのじゃ。
そうすれば世界に何も問題は無いと気付くのじゃ。
人々の愚かさや残酷さでさえも自らのイメージであったと知れるじゃろう。
自分の心の中以外に何も問題は無いのじゃ。

441 避難民のマジレスさん :2018/12/17(月) 06:08:34 ID:LC3de7YgO
>>439
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 どうして善が広まらないのでしょうか?
 マハラジ
 私の真実の世界では、それは広まっている。
 私の世界では、あなたの呼ぶ悪も善の召使いであって、それゆえ必要なもの
 なのだ。
 それは吹き出物や熱が身体の不純物を取り除くようなものなのだ。
 病気は苦しく危険でさえあるが、正しく対処すれば治るものだ。
 質問者 あるいは殺してしまいます。
 マハラジ
 ある場合には、死が最適な治癒方なのだ。
 人生は死より悪いものかもしれない。
 外見がどうであれ、死が不快な体験であることはまれなのだ。
 それゆえ、死んだものをではなく、生きているものを憐れみなさい。
 ものごとのなかにある善と悪の問題は、私の世界には存在しない。
 必要なことが善であり、不必要なことは悪だ。
 あなたの世界では快楽が善で、苦痛が悪なのだ。
 質問者 何が必要なのでしょうか?
 マハラジ
 成長することが必要なことだ。
 より成長することが必要なのだ。
 良いことをより良いことのために放棄することは必要なことだ。
 質問者 何が最終目的なのでしょうか?
 マハラジ
 最終目的ははじまりのなかにある。
 あなたはあなたがはじめたところで終えるのだ――絶対なるもののなかで。
 質問者 では、なぜこんなにも困難があるのでしょう? 私がはじめたとこ
 ろに帰り着くためなのですか?
 マハラジ
 誰の困難だろうか?
 どの困難だろうか?
 あなたは生長し、繁茂し、巨大な森林とまでなった種子を憐れむだろうか?
 あなたは人生の厄介ごとから救うために幼児を殺してしまうだろうか?
 人生の何が間違っているというのだろう、永遠の人生が?
 成長のための障害物を取り除きなさい。
 そうすれば、あなたの個人的、社会的、政治的、経済的問題はみな、ただ消
 え去るだろう。
 宇宙はその全体性において完全であり、部分が完成に向かうための努力は喜
 びの道なのだ。
 未完成を完成のために進んで犠牲にしなさい。
 そうすれば善と悪についての話はもうなくなるだろう。
 質問者 それでも、私たちはより良いものを恐れ、より悪いものにしがみつ
 いてしまうのです。
 マハラジ
 これが私たちの、いまにも正気を失わんとする愚かさなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

442 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/17(月) 23:26:41 ID:1d4drIFg0
世界に悪を見る者は自らの心の中にその観念が在るからなのじゃ。
それがなければ世界はありのままに美しいのじゃ。
川を見ても綺麗な流れを見ずに、淀みを見ているようなものじゃ。
淀みにも急流に耐えられぬ生き物がいて安らいでいるものじゃ。
それもまた川のありようの一部なのじゃ。

443 避難民のマジレスさん :2018/12/18(火) 05:29:05 ID:LC3de7YgO
>>441
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】

 質問者 幸運にも全人生において私は聖者との交わりをもってきました。そ
 れは真我の実現のために充分でしょうか?
 マハラジ
 それは、あなたがそれから何をつくり出すかによる。
 質問者 サットサン(聖者との交わり)のなかで起こる解放への働きは自動
 的なものだと聞きました。川が人を入り江まで運ぶように、善き人
 びとの深遠な沈黙の影響が私を実在へと導くのです。
 マハラジ
 それは川まであなたを連れていくだろう。
 しかし川を渡るのはあなた自身なのだ。
 自由への意志なしには、自由を獲得することも維持することもできない。
 解放に向かってあなたは努力しなければならない。
 最小限あなたにできることは、入念に障害の覆いを取り除くだけだ。
 もしあなたが平和を求めるのなら、努力しなければならない。
 ただ静かにしているだけでは、平和は得られないだろう。
 質問者 子供はただ成長します。彼は成長のための計画を立てません。パタ
 ーンももってはいませんし、こちらの手、あちらの足というように、
 部分的に成長するわけでもありません。彼は完全な形で、無意識の
 うちに成長するのです。
 マハラジ
 なぜなら、彼は想像から自由だからだ。
 あなたもまたそのように成長することができる。
 しかし、記憶や期待から生まれた予測や計画に熱中してはならないのだ。
 未来に関心がないこと、それがジニャーニ(賢者)の独自性のひとつなのだ。
 あなたの未来への関心は苦痛への恐れと、快楽への欲望によるものだ。
 ジニャーニにとってはすべてが至福だ。
 彼は何が来ようとも幸せなのだ。
 質問者 ジニャーニでさえ惨めになるような、多くのことがかならずあるは
 ずです。
 マハラジ
 ジニャーニは困難に遭遇するかもしれない。
 しかし、それが彼を苦しめることはない。
 子供を誕生から成人まで育て上げることは困難な仕事かもしれない。
 しかし、母親にとっては苦難の思い出も喜びなのだ。
 世界には何の間違いもない。
 誤りはあなたの見方にあるのだ。
 あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
 想像なしには世界もない。
 あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
 あなたが知覚している世界は意識でできている。
 あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
 あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
 あなたは永遠に続く時間だ。
 あなたはそれに生命を与える愛なのだ。
 想像と執着を切り落としなさい。
 すると、何が残るだろうか?
 質問者 世界が残り、私が残ります。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 だが、あなたが欲望と恐れのスクリーンを通して見ず、あるがままに見ると
 き、何と違うことだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

444 素人A :2018/12/18(火) 09:45:15 ID:gOqWUDAs0
川は水を見た視さらさらと流れて一つの海にそそぐ仕事に夢中で
山も山の仕事に一生懸命で他の事なんかどうでもよいのだろうか
人間という生物はムーダラな煩悩にエネルギーを無駄に消費する
下等な存在なのかでも無駄な修行がナイト上に上がるまえの植えつけられた
苗だ萎えるなお日様は今朝も毎度上がって繰る蟻が糖

445 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/18(火) 23:01:38 ID:1d4drIFg0
人は観念の他に物質も在ると思っているのじゃ。
それもまた観念による謬見なのじゃ。
なにものも個別化された物質ではないのじゃ。
空間と同じ本質を持つものとして繋がっているのじゃ。
全て一つなのじゃ。

446 避難民のマジレスさん :2018/12/19(水) 00:44:34 ID:LC3de7YgO
>>443
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 実在と幻想、智慧と無知、聖人と罪人、これらすべての区別は何の
 ためにあるのでしょうか? 誰もが幸福を探し求めています。誰も
 が必死になって努力をしています。誰もがヨーギであり、彼の人生
 は智慧の学校なのです。各人が各々の方法で、必要な教訓を学んで
 いるのです。社会はある者たちを認め、ほかを否認します。どこで
 も、いつのときにでも適応する法則というものはないのです。
 マハラジ
 私の世界では、愛が唯一の法則だ。
 私は愛を求めず、ただ与えるだけだ。
 それが私の本性なのだ。
 質問者 あなたはパターンにしたがって毎日を生きています。朝には瞑想の
 クラス、講話と討論を定期的にもっています。一日に二度、礼拝
(プージャ)があり、夕方には宗教的な献歌(バジャン)があり
 ます。あなたは一日の過程を綿密に固守しているようです。
 マハラジ
 私の見るかぎり、礼拝や献歌に関しては、私が干渉する理由はない。
 一般的な日課は、私がともに生活するようになった人びとや、話を聞きに来
 る人たちの要望に応えたものだ。
 彼らは働いている人たちで、多くの義務があり、時間の調整は彼らの都合に
 合わせている。
 いくつかの繰り返し過程は避けられない。
 動物や植物でさえ、彼らの時間割をもっているのだ。
 質問者 そうです。私たちは生命すべてに規則的な順序を見ます。誰がその
 秩序を維持しているのでしょうか? そこには法をしき、秩序を守
 らせる内なる支配者がいるのでしょうか?
 マハラジ
 すべてはその本性にしたがって動くのだ。
 どこに警察の必要があるだろう?
 あらゆる行動は反応をつくり出し、それが行動を中立化させ、バランスを取
 る。
 すべては起こる。
 だが、そこには絶え間ない取り消しがある。
 そして最後には、あたかも何も起こらなかったかのようになるのだ。
 質問者 最終的な調和で私をなだめようとしないでください。勘定は合って
 も、損失は私のものなのです。
 マハラジ
 見ていなさい。
 最後にあなたは支出を正当化するのに充分なだけの利益を得るかもしれない
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

447 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/19(水) 23:04:06 ID:1d4drIFg0
このように秩序が在ると観るのも自らの幻想なのじゃ。
観念と観念の働きに自分が持つ観念を投射しているだけなのじゃ。
観念が無ければそこに秩序も法則も無いのじゃ。
そして観念妄想から離れられるのじゃ。

448 避難民のマジレスさん :2018/12/20(木) 00:45:53 ID:LC3de7YgO
>>446
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 私には長い過去があり、しばしばその多くの出来事が偶然起こった
 のか、それともひとつの計画によるものなのかと不思議に思うので
 す。私が生まれる以前に、生きるべき人生のパターンが定められて
 いるのでしょうか? もしそうならば、誰がその計画をつくり、誰
 がそれを強制したのでしょうか? そこに逸脱や誤りはありうるの
 でしょうか? ある人は、運命は変えられないもので、あらゆる瞬
 間があらかじめ決定されていると言います。ほかの人たちは、純粋
 な偶然がすべてを決定するのだと言います。
 マハラジ
 あなたの好きなように受け取るがいい。
 人生のなかにひとつのパターンを判別することはできるだろうし、単なる偶
 然の連鎖を見ることもできる。
 説明とはマインドを喜ばせるためにあるのだ。
 それらが真実である必要はない。
 実在は定義不可能であり、描写不可能なものだ。
 質問者 あなたは私の質問を避けています! 私はあなたがどう見ているか
 が知りたいのです。私たちは、どこを見ても信じがたいほどの知性
 と美を見いだします。どうして私に宇宙が無形で混沌(こんとん)
 としていると信じることができるでしょうか? あなたの世界、あ
 なたが住んでいる世界は無形かもしれませんが、混沌としている必
 要はないはずです。
 マハラジ
 客観的な世界には構造があり、秩序を持ち、美しいものだ。
 誰もそれを否定できない。
 だが構造と様式は、そこに強制と拘束があることを暗示しているのだ。
 私の世界は絶対的に自由だ。
 そのなかのすべてが自己決定するのだ。
 それゆえ、私はすべてがひとりでに起こると言い続けているのだ。
 私の世界にも秩序はある。
 しかし、それは外側から押しつけられたものではない。
 それはその永遠性によって自発的に即座に起こるのだ。
 完全性は未来にあるのではない。
 それは今あるのだ。
 質問者 あなたの世界は私の世界に影響を与えますか?
 マハラジ
 今という一点においてだけだ。
 それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。
 完全な気づきのなかでその接点は確立される。
 それには努力を要しない非自意識の注意力が必要なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

449 避難民のマジレスさん :2018/12/20(木) 00:51:28 ID:LC3de7YgO
>>448
> 質問者 あなたの世界は私の世界に影響を与えますか?
 マハラジ
 今という一点においてだけだ。
 それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。
 完全な気づきのなかでその接点は確立される。
 それには努力を要しない非自意識の注意力が必要なのだ。

←今という一点においてだけだ。
それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。

とは、
今だけ、マハラジの実在の感覚を、質問者に与える
と理解すればよいのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

450 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/20(木) 23:49:43 ID:1d4drIFg0
>>449 そうじゃ、何も分からない質問者にも今マハラジと居る事で実在を垣間見ることができるのじゃ。
 質問するものにそれに答えられる能力があれば可能になるのじゃ。
 修行や勉強が進んでいなければかなり難しいことであるがのう。
 お釈迦様に会って直ぐに悟りを得たという修行者も同じなのじゃ。

451 避難民のマジレスさん :2018/12/20(木) 23:54:07 ID:LC3de7YgO
>>450
ありがとうであります。
(´・(∀)・`)つ

452 避難民のマジレスさん :2018/12/21(金) 05:51:51 ID:LC3de7YgO
>>448
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 注意とはマインドの態度なのではありませんか?
 マハラジ
 そうだ。
 マインドが実在を熱望しているとき、それは注意を与えるのだ。
 あなたの世界には何の間違いもない。
 あなた自身がそれから分離していると考えることが無秩序を生みだす。
 利己主義がすべての悪の源なのだ。
 質問者 私の質問に戻ります。私が生まれる前に、内なる自己が人生を詳細
 にわたって決定するのでしょうか、それとも完全に偶然のものであ
 って、遺伝と環境のなすがままなのでしょうか?
 マハラジ
 父親と母親を選択し、次の生をどのように生きるかを決定したと宣言する者
 たちが知っているかもしれない。
 私自身に関して言えば、私はけっして生まれてこなかったのだ。
 質問者 あなたが私の前に座って質問に答えているのをわたしは見ています
 よ。
 マハラジ
 あなたの見ているのは身体だけだ。
 もちろん、それは生まれてきたし、死ぬだろう。
 質問者 私に興味があるのはこの「身体―精神」の人生の物語です。それは
 あなたによって定められたのでしょうか、それとも誰かほかの人に
 よるのでしょうか、あるいはそれは偶然起こったのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの質問自体に策略がある。
 私は身体と宇宙の間に区別をつけはしない。
 それぞれが互いの原因であり、互いは真実においてひとつなのだ。
 だが、私はそのすべての外にいる。
 私はけっして生まれてこなかったと言っているときに、私がどのような準備
 を次の生のためにしてきたかといった質問を、どうしてするのだろうか?
 あなたが想像を展開させることを許した瞬間、それはただちに宇宙を紡ぎだ
 すのだ。
 それはあなたが想像するようなものではまったくない。
 そして、私はあなたの想像には拘束されないのだ。
 質問者 命ある身体を育て、維持するには、知性とエネルギーが要求されま
 す。それらはどこから来るのでしょうか?
 マハラジ
 そこには想像があるだけだ。
 知性とエネルギーは、あなたの想像のなかですべて使い果たされてしまった。
 あなたはまったく想像に夢中にさせられてしまったため、どれほど実在から
 遠く離れてさまよい歩いたのかさえわからなくなってしまったのだ。
 想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
 宇宙のなかの宇宙も、想像によって構築されているのだ。
 それにもかかわらず、それらはみな空間と時間、過去と未来のなかにあり、
 実際は存在しないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

453 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/21(金) 23:39:50 ID:1d4drIFg0
>>451 どういたしまして、またおいでなさい。

自我がある者には自分があるという思考から離れられないのじゃ。
そうであるから自分はどこから生まれたのかとか、どのようにして生まれのかとか延々と考えるのじゃ。
自我から離れれば何一つ独立して在る者は無く、全ての一部としてあるだけであるとわかるのじゃ。
全てとしてただあり続けることに何の不思議も無いのじゃ。

454 避難民のマジレスさん :2018/12/22(土) 00:59:58 ID:LC3de7YgO
>>452
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 最近私が読んだ記事に、幼年期に残酷に扱われた少女の話がありま
 す。彼女はひどく身体を傷つけられ、不具にされ、完全に周囲から
 疎外されて孤児院で育ってきました。この少女は物静かで従順です
 が、完全に無関心なのです。子供たちの面倒を見ていた尼僧のひと
 りは、少女は知的障害ではなく、ただ引きこもり、無反応なだけな
 のだと確信しました。ひとりの精神分析医が治療を頼まれ、一週間
 に一度面会し、二年間にわたって孤立の壁を打ち破ろうと試みまし
 た。彼女は従順で行儀正しいのですが、医師に注意を向けませんで
 した。彼は彼女におもちゃの家を与えました。移動可能な家具や部
 屋、父親や母親、そして子供たちの姿の人形を添えて。それが彼女
 の反応を引き起こし、興味をもたらしました。ある日、古傷が回想
 され、よみがえり、表層に呼び起こされたのです。次第に彼女は回
 復し、何度かの手術によって顔と身体は正常な状態に戻りました。
 そして彼女は有能で、魅力的な若い女性へと成長したのです。それ
 は医師にとって五年以上の歳月を要しました。しかし、仕事は為さ
 れたのです。彼は真のグルです! 彼は何の条件も押しつけず、用
 意や適性についても話しませんでした。信頼も希望もなしに、ただ
 心からの愛を持って何度も何度も試みたのです。
 マハラジ
 そうだ。
 それがグルの本性なのだ。
 彼はけっしてあきらめない。
 しかし、成功するためには、彼はあまり強い抵抗を受けてはならないのだ。
 疑いや不服従は遅れを余儀なくしてしまう。
 自信と従順さを与えることで、彼は弟子のなかに革新的な変化をもたらすこ
 とができる。
 グルの深い洞察と弟子の誠実さ、その両方が必要とされるのだ。
 彼女の状態がどのようなものであろうと、あなたの話のなかの少女は、人び
 との誠実さの欠如に苦しんだのだ。
 もっとも難しいのが知的な人びとだ。
 彼らは多くを語るばかりで誠実ではないからだ。
 あなたが真我の実現と呼ぶものは自然なことだ。
 あなたの用意が調(ととの)ったとき、グルは待っている。
 サーダナ(修練)は努力を要しないものだ。
 あなたと師の関係性が正しいとき、あなたは成長する。
 何よりも、彼を信頼することだ。
 彼があなたを惑わすことはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

455 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/22(土) 23:40:21 ID:1d4drIFg0
本当に必要なときに導師は現われるというのじゃ。
必要としていなければ見出すことも出来ないのじゃ。
弟子になるものの誠実さも必要なのじゃ。
どんなに優れた導師の言葉も実践しなければ意味が無いのじゃ。

456 避難民のマジレスさん :2018/12/22(土) 23:51:03 ID:LC3de7YgO
>>454
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 たとえ、彼が明らかに間違ったことをするように要求したときも信
 頼すべきでしょうか?
 マハラジ
 そうしなさい。
 ひとりの隠遁者(サンニャーシン)がグルから結婚するようにと言われた。
 彼はそれに従い、苦渋を味わった。
 しかし、彼の四人の子供たちは皆、マハーラーシュトラ州のもっとも偉大な
 聖者や賢者となったのだ。
 何であれあなたのグルから来るものは、喜びとともに受け取りなさい。
 そうすれば、あなたは努力することなく完成へと成長するだろう。
 質問者 師よ、何か欲しいものや望みがありますか? 何かあなたのために
 できることがあるでしょうか?
 マハラジ
 私のもっていない何を与えることができるというのだろうか?
 物質的なものは満足をもたらすために必要だ。
 だが、私は私自身に満足しているのだ。
 ほかに何が必要だというのだろう?
 質問者 もちろん、空腹のときには食べ物が、病気のときには薬が必要です。
 マハラジ
 空腹が食べ物を、病気が薬をもたらすのだ。
 それはすべて自然の仕事だ。
 質問者 もしあなたにとって必要だと私が信じるものをもってきたならば、
 あなたは受け取るでしょうか?
 マハラジ
 あなたに差しださせたその愛が、私をして受け取らせるだろう。
 質問者 もし誰かが美しいアーシュラムを建設すると願い出たならどうしま
 すか?
 マハラジ
 彼にぜひそうさせるがいい。
 富を使い、何百もの人を雇い、何千人に食事を供させるがいい。
 質問者 それは欲望ではないのでしょうか?
 マハラジ
 まったくそうではない。
 私は彼に適切に、中途半端ではなく、惜しむことなくするように頼むだけだ。
 私の欲望ではなく、彼が彼自身の欲望を満たしているのだ。
 彼に成功させ、人や神々のあいだで名を挙げさせるがいい。
 質問者 しかし、あなたはそれを望んでいるのでしょうか?
 マハラジ
 私はそれを望んではいない。
 質問者 あなたはそれを受け入れるのでしょうか?
 マハラジ
 私には必要ないのだ。
 質問者 あなたはそのなかに住むでしょうか?
 マハラジ
 もし強要されたならば。
 質問者 何があなたを強要するのでしょうか?
 マハラジ
 光を探し求めている人たちの愛だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

457 避難民のマジレスさん :2018/12/23(日) 09:37:11 ID:LC3de7YgO
>>456
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 ええ。あなたの言われることがわかります。ところで、どうすれば
 私はサマーディ(三昧状態)に入れるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが正しい状態にいれば、何であれ見るものがあなたをサマーディ
 に引き入れるだろう。
 結局、サマーディは特別な状態ではないのだ。
 マインドが強烈に興味を持っているとき、それは興味の対象とひとつになる。
 見る者と見られるものは、見ることのなかでひとつとなり、聞く者と聞かれ
 るものは、聞くことのなかでひとつとなり、愛する者と愛されるものは、愛
 することのなかでひとつとなる。
 あらゆる体験はサマーディの根底となるのだ。
 質問者 あなたはつねにサマーディに在るのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、そうではない。
 サマーディは、要するにマインドの状態なのだ。
 私はすべての体験を超え、サマーディさえも超えている。
 私は偉大な貪(むさぼ)り食う者、破壊者だ。
 何であれ私が触れるものは虚空(アーカーシュ)のなかへと消え去るのだ。
 質問者 私は真我実現のためにサマーディが必要なのです。
 マハラジ
 あなたはあなたに必要な真我実現のすべてを手にしている。
 だが、それを信頼していないのだ。
 勇気を持ちなさい。
 あなた自身を信頼しなさい。
 行き、話し、行為しなさい。
 それ自体が証明する機会を与えるがいい。
 ほとんど気がつかないほどの真我の実現が起こるかもしれない。
 だが、とにかくそれには確信が必要なのだ。
 変わったにもかかわらず、それに気づかないでいる。
 そのような劇的ではない場合のほうが、しばしば、もっとも信頼のおけるも
 のなのだ
 質問者 人は自分が真我を実現したと信じたり、誤解したりすることができ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 「私は真我を実現した」という考えそのものが過ちだ。
 自然な状態のなかには、「私はこれだ」、「私はあれだ」といった考えはな
 いのだ。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

458 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/23(日) 22:36:10 ID:1d4drIFg0
サマーディにも多くの迷信がまとわりついているのじゃ。
それは聖人だけしかできないものではなく、正しい姿勢で座れば誰でもできるものじゃ。
苦しい修行をしなくても好きな事をして我を忘れればサマーディに入っているのじゃ。
悟った者も常にサマーディに入っているのではないのじゃ。
サマーディでいきなり悟れることもないのじゃ。
修行のための集中状態に過ぎないのじゃ。

459 避難民のマジレスさん :2018/12/23(日) 23:41:07 ID:LC3de7YgO
>>457
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】

 質問者 四十年ほど前に、J・クリシュナムルティは「存在するのは生命だ
 けで、個人や人格といった話は、実際に何の論理的根拠もない」と
 言いました。彼は生命を描写しようとは試みず、単に、「生命は描
 写できないし、する必要もないが、もし体験するための障害が取り
 除かれるならば、それは完全に体験することができる」と言いまし
 た。主要な妨げは、時間に対する私たちの概念とそれへの耽溺のな
 かに、そして過去の光のなかでの未来への期待という、私たちの習
 慣のなかにあるのです。過去の総計が「私は在った」になり、未来
 への期待が「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」
 から、「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」から、
 「私は在るだろうもの」へと超えていくための絶え間ない努力なの
 です。現時点の「今」は見落とされています。マハラジは「私は在
 る」に関して語りますが、それは「私は在った」や「私は在るだろ
 う」のようにひとつの幻想なのでしょうか、それとも何らかの実在
 性をもっているのでしょうか? そして、もし「私は在る」もまた
 幻想であるのなら、どのようにして、人はそれから自由になるとい
 うのでしょうか? 私は「私は在る」から自由だ、という観念自体
 がひとつの不条理なのです。時間とともに変化し、新たな期待をつ
 くり出す記憶としての「私は在った」や「私は在るだろう」と区別
 するなかで、「私は在る」には何か真実の、何か永遠の質があるの
 でしょうか?
 マハラジ
 現在の「私は在る」は、「私は在った」や「私は在るだろう」と同じように
 偽りだ。
 それは単にマインドのなかの観念、記憶によって残された印象にすぎず、そ
 れがつくり出す分離したアイデンティティも偽物なのだ。
 この偽物の中心に身をゆだねるという習慣が取り除かれなければならない。
 「私は見る」、「私は聞く」、「私は考える」といった観念は意識界から消
 え去らなければならない。
 偽物が去り、残ったものが真実なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

460 避難民のマジレスさん :2018/12/24(月) 08:09:02 ID:LC3de7YgO
>>459
1『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 この自己を除去するという大げさな話は何なのでしょうか? どう
 やって自己がそれ自身を除去できるというのでしょう? どんな類
 の形而上学的アクロバットが、曲芸師を消し去るというのでしょう?
 最後に彼は、消えたことをひどく誇らしげにしながらふたたび現れ
 てくることでしょう。
 マハラジ
 「私は在る」を殺すために、それを追いまわす必要はない。
 それはできないことだ。
 あなたに必要なことは、実在への真剣な熱望だけだ。
 私たちはそれをアートマ・バクティ、至高なるものへの愛、あるいはモクシ
 ャ―サンカルパ、偽りから自由になることへの決意と呼ぶ。
 愛、そして愛に感化された意志なしには何ひとつ為(な)されない。
 実在についてただ話すばかりで、それについて何もしないことは自滅的なこ
 とだ。
 「私は在る」と言う個人と、その「私は在る」を観察する者との関係には、
 愛がなければならない。
 内なる「高次の」自己である観察者(ヴィヤクタ)が、「低次の」自己であ
 る観察される者(ヴィヤクティ)を見下し、非難するかぎり、状況は絶望的
 だ。
 観察者が個人を彼自身の投影として受け入れ、そして、いわば自我を真我の
 なかに取り入れると、「私」や「これ」といった二元性は消え去り、内面と
 外面の同一性のなかで、至高の実在はそれ自体を顕現するのだ。
 見る者が彼自身を見る者として意識するとき、見る者と見られるものの統合
 が起こる。
 彼は、ただ単に見られるものに興味をもつだけではなく――どちらにしても
 それは彼なのだが――興味をもたれることにもまた興味をもち、注意にも注
 意を払い、気づいていることにも気づくようになる。
 愛情のともなった気づきは、実在に焦点をもたらす決定的な要因なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

461 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/24(月) 22:37:06 ID:1d4drIFg0
私は在るというのもまた法の一つに過ぎないのじゃ。
今の自分の観念を破壊するための観念なのじゃ。
悟っていない者が認識している私は在るというのは偽りの観念なのじゃ。
しかし、それを方法として使うことで自分という観念も消し去ることが出来るのじゃ。
一度気付いて消えればもはや戻らないのじゃ。

462 避難民のマジレスさん :2018/12/25(火) 06:45:20 ID:LC3de7YgO
>>460
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 神智学者とその類の神秘主義者たちによると、人間は人格的存在、
 個人的存在、霊的存在の三つの相によって構成されています。霊的
 存在を超えた彼方には神性があります。人格的存在は一時的で、一
 度きりの誕生にのみ有効です。それは身体の誕生にはじまり、つぎ
 の身体の誕生によって終わります。ひとたび終われば、永遠に終わ
 りです。わずかばかりの楽しい、あるいは苦しい教訓を除いては何
 ひとつ残りません。
 個人的存在は「動物―人間」にはじまり、「完全な人間」として終
 わります。人格的存在と個人的存在の間の分離は、現代の人類の特
 質なのです。一方では、個人的存在とその真、善、美への熱望、も
 う一方では、習慣と願望、恐れと欲望、怠惰性と暴力の醜い闘いで
 す。
 霊的な相はいまだに停止しています。二元性の環境のなかでは、そ
 れ自体を顕現できないからです。人格的存在が個人的存在と再統合
 され、限定されたときにだけ
、その真実の表現である霊性の光と愛
 と美がそれ自体で現れるのです。
 あなたは観察者(ヴィヤクタ)、観察されるもの(ヴィヤクティ)、
 観察の根底(アヴィヤクタ)について教えています。それはほかの
 見解と一致しますか?
 マハラジ
 そうだ。
 観察されるものが観察者からの分離においてその非存在を認識したとき、そ
 して、観察者が観察されるものを彼自身の表現として見るとき、平和と沈黙
 の状態が現れる。
 実際には、その三つはひとつなのだ。
 観察されるものと観察の根底は分割不可能だ。
 それと同時に、観察されるものは感覚、感情、思考の過程であり、五つの基
 本要素によってつくられた身体を基盤にしているのだ。
 質問者 観察者(ヴィヤクタ)と観察の根底(アヴィヤクタ)には、どのよ
 うな関係があるのでしょうか?
 マハラジ
 それらがひとつであるとき、どうして関係がありうるだろう?
 分離や関係といった話はすべて、「私は身体だ」という観念の不正で歪(ゆ
 が)んだ影響によるものだ。
 外面の自己(ヴィヤクティ)は、単に内面の自己(ヴィヤクタ)の投影であ
 る「身体―精神」であり、それはまたすべてであり、無である至高の自己
 (アヴィヤクタ)の表現にすぎないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

463 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/25(火) 22:12:42 ID:1d4drIFg0
観察する者は観察されるものという命題がまた繰り返されたのじゃ。
観察すれば観察していたものが正に観察されたものと気付くのじゃ。
そのようにして観照はおこり、変容が始まるのじゃ。
それは一瞬の気付きによるものなのじゃ。

464 避難民のマジレスさん :2018/12/25(火) 23:33:27 ID:LC3de7YgO
>>462
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 高次の自己や低次の自己について語らない教師もいます。彼らは人
 間について、あたかも低次の自己存在でしかないように語ります。
 仏陀もキリストも高次の自己については言及しませんでした。J・
 クリシュナムルティもまた、高次の自己について語ることをつとめ
 て避けてきました。なぜそうなのでしょうか?
 マハラジ
 どうして、ひとつの身体のなかに二つの自己が存在できるだろうか?
 「私は在る」はひとつなのだ。
 高次の「私は在る」や低次の「私は在る」などありはしない。
 あらゆる類のマインドの状態は、気づきに提示される。
 そして、そこにはそれらとの自己同一化があるのだ。
 観察の対象物は現れたとおりの状態とは異なるものだ。
 そして観察者の態度が必ずしも適したものであるとはかぎらない。
 もしあなたが仏陀、キリスト、クリシュナムルティが個人に向かって話して
 いると考えるならば、それは間違いだ。
 彼らは、観察されるものである外面の自己が、観察者である内面の自己の影
 にすぎないことを知っているために、観察者についてだけを語り、それを気
 づかせるようにするのだ。
 彼らは外面の自己に注意を払わせ、それを導き助け、その責任を感じるよう
 にするため、つまりそれに完全に気づくことを助けるために話すのだ。
 気づきは至高なるものから現れ、内面の自己に充満していく。
 いわゆる外面の自己は、自己の存在の気づいていない部分でしかないのだ。
 人は意識しているかもしれない。
 なぜなら、すべての生きるものは意識
しているからだ。
 だが、人は気づいてはいないのだ。
 気づきのなかに含まれるものは内面となり、内面の質を帯びたものとなる。
 あなたは違った表現をするかもしれない。
 身体が外面の自己を定義し、意識が内面の自己を定義する。
 そして、純粋な気づきのなかで、至高なるものは触れられるのだ。
 質問者 あなたは身体が外面の自己を定義すると言われました。あなたも身
 体をもっているのですから、外面の自己もまたもっているのでしょ
 うか?
 マハラジ
 もし私が身体に執着し、それを私自身と見なすならば、そういうことになる
 だろう。
 質問者 しかし、あなたはそれに気づき、その必要に仕えているのです。
 マハラジ
 その反対が真実に近い。
 身体が私を知っていて、それが私の必要に気づいているのだ。
 だが、本当はそのどちらでもない。
 この身体は、あなたのマインドのなかに現れ、私のマインドのなかには何も
 ないのだ。
 質問者 あなたは身体をもっていることを完全に意識しているという意味で
 しょうか?
 マハラジ
 その反対で、私は身体をもっていないことを意識しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

465 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/26(水) 22:45:29 ID:1d4drIFg0
高次の自己などというものはないのじゃ。
それも人の願望によって出来た観念なのじゃ。
アートマンも高次の自己ではなくただ非によって現される法なのじゃ。
全て一つであるのに低い自己とか高い自己がある筈も無いのじゃ。

466 避難民のマジレスさん :2018/12/27(木) 00:01:01 ID:LC3de7YgO
>>465
ふむふむ。
アートマンを真我と訳すのと同じ誤りを、解釈の中で、アートマン=高次の自己ととらえる誤りをしてしまっていることを見抜いたのがブッタだったのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

467 避難民のマジレスさん :2018/12/27(木) 00:31:19 ID:LC3de7YgO
>>464
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 私はあなたが喫煙しているのを見ていますよ!
 マハラジ
 そのとおりだ。
 あなたは私が喫煙しているのを見る。
 どのようにしてあなたが、私が喫煙しているのを見るようになったのか、見
 いだしてみなさい。
 そうすれば、それはあなたの「私は身体だ」というマインドの状態が、「私
 はあなたが喫煙しているのを見る」という観念の原因となっていることを、
 容易に認識できるだろう。
 質問者 そこには身体があり、そこに私自身がいます。私は身体
 を知っています。それから離れると、私とは何なのでし
 ょうか?
 マハラジ
 身体を離れると、そこに「私」はなく、また世界もない。
 その三つはともに現れ、ともに消えるのだ。
 その根本には、「私は在る」という感覚がある。
 それを超えていきなさい。
 「私は身体ではない」という観念は、「私は身体だ」という偽り
 の観念の単なる解毒剤にすぎない。
 その「私は在る」とは何なのか?
 あなたがあなた自身を知るまでは、ほかの何を知ることができる
 というのだろうか?
 質問者 あなたが言われることから、身体なしに解放はありえな
 い、と私は結論を出します。もし「私は身体ではない」
 という観念が解放へと導くならば、身体の存在は欠くこ
 とのできないものなのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 身体なしに、どうやって「私は身体ではない」という観念が存在
 できるというのだろう?
 「私は自由だ」という観念は「私は束縛されている」という観念
 と同じように偽りなのだ。
 その両方に共通の、「私は在る」を見いだし、それを超えた彼方
 へと行きなさい。
 質問者 すべてはただの夢なのです。
 マハラジ
 すべては単なる言葉にすぎないのだ。
 それがあなたにとって何の役に立つというのだろう?
 あなたは言葉による定義づけや、公式化の網にひっかかっている
 のだ。
 あなたの概念や観念を超えていきなさい。
 真実は欲望や思考の消えた沈黙のなかに見いだされるだろう。
 質問者 人は覚えないようにするこ
とを覚えていなければならな
 いのです。何という苦労でしょう!
 マハラジ
 もちろん、それはできない。
 それは起こらなければならないのだ。
 だが、あなたが本当にその必要性を見たとき、それは起こる。
 ここでも真剣さが黄金の鍵なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

468 素人A :2018/12/27(木) 11:26:55 ID:/mRrWwwM0
何いっても誤解されるのは言葉 ようするに受け取る我々は脳力が不足して
お釈迦さんの 無記もその場しのぎだつたのか その言葉に左右される私たち
御釈迦さんが花をさしだしてもあれこれ考えるし 今朝は暇が肥満し度々こちやんに来る
掃除は明日からする

469 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/27(木) 23:25:22 ID:1d4drIFg0
>>466 そうじゃ、真の我とか、高次の我とかがあるとすればそれにしがみついて自我の肥大が起こるものじゃ。
 自分は真我や高次の自己に達したからもはや修行しなくてよいとか思うからのう。
 真のアートマンの法は全てを否定するからそのような観念妄想に陥ることもないのじゃ。
 それがお釈迦様の説いた諸法無我なのじゃ。

470 避難民のマジレスさん :2018/12/28(金) 02:11:38 ID:LC3de7YgO
>>467
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 私のマインドの背後では、いつもざわめきが聞こえてい
 ます。無数の弱い思考が群れをなして騒ぎたて、その形
 の定まらない雲はつねに私とともにあるのです。それは
 あなたも同じなのでしょうか? あなたのマインドの背
 後には何があるのでしょうか?
 マハラジ
 マインドがないところには、その背後もないのだ。
 私はすべてが表であって、裏がないのだ!
 虚空が語り、虚空が残るだけだ。
 質問者 そこには何の記憶も残され
ていないのでしょうか?
 マハラジ
 過去の快楽や苦痛の記憶は何も残っていない。
 瞬間瞬間が新しく生まれるのだ。
 質問者 記憶なしには、意識できないでしょう。
 マハラジ
 もちろん、私は意識している。
 そして、それに完全に気づいている。
 私は木材の塊ではないのだ!
 意識とその内容を雲と比較してみなさい。
 あなたは雲のなかにいるが、私はそれを見ているのだ。
 あなたはそのなかに迷いこんでしまい、指先さえ見えずにいるが、
 私は雲を、そしてほかの多くの雲を見ている。
 そして青空も太陽も、月や星たちも見ている。
 実在は私たち二人にとってひとつだ。
 だが、あなたにとってそれは牢獄であり、私にとっては我が家同
 然なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

471 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/28(金) 22:52:44 ID:1d4drIFg0
悟ればもはや雑念が生じることも無いのじゃ。
無理にそうしようとすればできるがのう。
それは記憶が制御できない状態から起こるものなのじゃ。
記憶に依存していれば記憶が制御できないのじゃ。
依存が無くなればもはや記憶が制御されるのじゃ。
止めることも活用することも自在にできるようになるのじゃ。

472 避難民のマジレスさん :2018/12/29(土) 01:23:23 ID:LC3de7YgO
>>470
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 記憶なしには、意識できないでしょう。
 マハラジ
 もちろん、私は意識している。
 そして、それに完全に気づいている。
 私は木材の塊ではないのだ!
 意識とその内容を雲と比較してみなさい。
 あなたは雲のなかにいるが、私はそれを見ているのだ。
 あなたはそのなかに迷いこんでしまい、指先さえ見えずにいるが、
 私は雲を、そしてほかの多くの雲を見ている。
 そして青空も太陽も、月や星たちも見ている。
 実在は私たち二人にとってひとつだ。
 だが、あなたにとってそれは牢獄であり、私にとっては我が家同
 然なのだ。
 質問者 あなたは個人(ヴィヤクティ)、観照者(ヴィヤクタ)、
 至高なるもの(アヴィヤクタ)について語っています。
 どれが最初に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 至高なるもののなかに観照者は現れる。
 観照者は個人をつくり出し、それ自身がそれから分離していると
 考えるのだ。
 観照者は、個人が意識のなかに現れるのを見ている。
 その個人は、ふたたび観照者のなかに現れるのだ。
 この基本構成の実現が至高なるものの働きだ。
 それは観照者の背後にある力であり、すべてが生じる源だ。
 個人と観照者の間に相互の援助と愛と統合がないかぎり、至高な
 るものに接触することはできない。
 至高なるものは、そのような調和の結実であり、源でもあるのだ。
 あなたに話すように、私は超然とした状態に在り、しかも愛情を
 ともなった気づき(トゥリーヤ)なのだ。
 この気づきがそれ自身に向けられたときを、至高の状態(トゥリ
 ーヤーティータ)と呼ぶことができるだろう。
 しかし、その根底にある実在は気づきを超え、成ること、存在す
 ること、存在しないことの三つの状態をも超えているのだ。
 質問者 どうして私は、ここでは高尚な話題に没頭し、それらを
 いともたやすく、快く考えつづけていられるというのに、
 家に帰ったとたん、ここで学んだすべてを忘れ、心配し
 たり、いらだったりして、真の本性を覚えていることが
 一瞬さえもできないのでしょう? いったい何がその原
 因なのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたがあなたの幼稚さに戻ったからだ。
 あなたはまだ、完全に成長しきっていないのだ。
 そこには未発達の層が手つかずのま
まに残っている。
 あなたのなかにある残酷さ、野蛮さ、不条理さ、冷酷さ、つまり
 は幼稚さに完全な注意を払いなさい。
 そうすればあなたは成熟するだろう。
 ハートとマインドの成熟、それが欠かせないものなのだ。
 主要な障害物である不注意と油断が取り除かれたとき、それは努
 力を要せずやってくる。
 あなたは気づきのなかで成長するのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

473 素人A :2018/12/29(土) 09:59:40 ID:gOqWUDAs0
観賞するだけでは、受け取って見るだけなので相手に働きかけないのでエネルギーを
使わないで済むのかも?あの用があっても返さないので、この用からは身得ない
し、だから無記になつて説明してもほ師匠は説得できなく、まあ各々の用我干渉しなければ
まあ良いか。無駄なエネルギーつかえば力学的に摩擦もおこるし。動物として身えれば
生きるために食わなきゃならない死 殴り合いの出来るテレビ出来てもなあ

474 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/29(土) 20:59:01 ID:1d4drIFg0
記憶が意識であり、記憶が無ければ意識は無いと想う者もいるのじゃ。
意識は記憶を超えてあるものじゃ。
記憶はただ体験をイメージと言葉で記録する能力に過ぎないのじゃ。
それは意識ではないのじゃ。
記憶が無くとも刹那毎の意識が在り続けるだけなのじゃ。

475 避難民のマジレスさん :2018/12/29(土) 23:23:30 ID:LC3de7YgO
>>472
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】

 質問者 私たちはサティア・サイババ* のアーシュラムにある期間滞在して
 いました。また、ティルヴァンナーマライのラマナアシュラマムで
 も2カ月ほど過ごしました。今、私たちはアメリカへ帰国の途上な
 のです。
  * 訳注 サティア・サイババ Satya Sai Baba (1926)アーンドラ・
      プラディーシュ州の村プッターパルティに生まれる。マハーラー
      シュトラ州の偉大な聖者シルディ・サイババの化身であると自ら
      名乗る。砂糖菓子や花、聖灰を物質化し、遠く離れた弟子の想念
      を読みとるといった奇跡を行なう世界的に有名なグル。
 マハラジ
 インドがあなたに何らかの変化をもたらしただろうか?
 質問者 私たちは重荷を降ろしたかのように感じています。シュリー・サテ
 ィヤ・サイババは、すべてを彼に明け渡し、ただ日々をできるかぎ
 り公正に生きるようにと言われました。「正しく在りなさい。あと
 は私にまかせなさい」と彼は
言いました。
 マハラジ
 シュリー・ラマナアシュラムでは何をしていたのかね?
 質問者 私たちは師から授かったマントラを復唱しつづていました。また瞑
 想もしました。考えることや勉強することはほとんどなく、ただ、
 静かにしているよう心がけていただけです。私たちはバクティ(帰
 依)の道を行く者で、哲学はむしろ知らないのです。私たちには考
 えなければならないことはさほどなく、ただグルを信頼し、人生を
 生きていくだけです。
 マハラジ
 バクタ(帰依者)の多くは、すべてがうまくいっている間はグルを信頼する。
 しかし、問題が起こると彼らは落ちこみ、ほかの師を探しに行くのだ。
 質問者 そうです。その危険性については警告されました。私たちは厳しい
 状況もやさしい状況とともに受け入れていこうと思っています。
 「すべては恩寵(おんちょう)だ」という感情が非常に強くなけれ
 ばなりません。ひとりのサド
ゥ(修行僧)が東に向かって歩いてい
 ると、その方向から強風が吹いてきました。サドゥはただくるりと
 向きを変えて、西に歩き出したのです。私たちもグルによって与え
 られた環境に私たち自身を合わせながら、そのように生きたいと願
 っています。
 マハラジ
 ただ生命だけがある。
 生命を生きる人は誰もいないのだ。
 質問者 それは私たちも理解します。それでもなお、私たちは、ただ生きる
 のではなく、自分たちの人生を生きようとしてしまうのです。未来
 のために計画を立ててしまうことは、私たちにとって根深い習慣な
 のです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

476 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 08:53:04 ID:LC3de7YgO
>>475
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

 マハラジ
 あなたが計画を立てようと立てまいと、人生は続いていくのだ。
 だがその人生において、マインドのなかに小さな渦巻きが現れる。
 それは幻想にふけり、それ自体が人生を支配し、コントロールしていると想
 像するのだ。
 生命そのものは無欲だ。
 だが、偽りの自己はそれが快く続いてほしい。
 そのため、それはつねに自己の継続を守ることに没頭しているのだ。
 生命は恐れず、自由だ。
 あなたが出来事に影響を与えているという考えをもっているかぎり、解放は
 あなたのものではない。
 行為者という観念、自分が出来事の原因であるという観念自体が束縛なのだ。
 質問者 どうすれば、私たちは為(な)す者と為されることという二元性を
 克服できるのでしょうか?
 マハラジ
 生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
 想しなさい。
 あなたがそれとひとつであると悟るまで。
 それは難しくなどない。
 なぜなら、あなたはただ自分の自然な状態に戻るだけだからだ。
 すべては内側から現れ、あなたの住む世界があなたの上に投影されているの
 ではなく、あなたによって投影されているとひとたび自覚すれば、恐れは終
 焉(しゅうえん)するのだ。
 この自覚なしに、あなたはあなた自身を外界の身体、マインド、社会、国家、
 人類、そして神や至高なるものといったものとさえ同一化してしまう。
 だが、それらはみな恐れからの逃避なのだ。
 あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
 なるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

477 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 08:58:36 ID:LC3de7YgO
>>476
>生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
 想しなさい。
 あなたがそれとひとつであると悟るまで。
 それは難しくなどない。
> あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
 なるのだ。

うむ。これだけでよいのでありますね!
超簡単そうに言ってくれるので、元気が出るのである。
(´・(∀)・`)つ

478 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/31(月) 00:04:27 ID:1d4drIFg0
↑それはブラフマンの法なのじゃ。
全てであるとイメージするのじゃ。
実践してみるとよいのじゃ。

二元性とはものごとを分割して認識する観念なのじゃ。
生と死とか天と地とかのう。
全てが一つとイメージすれば天も地も 一つであると気付くのじゃ。
それがブラフマンの法なのじゃ。

479 素人A :2018/12/31(月) 09:21:33 ID:gOqWUDAs0
年末だけど太陽は明日からも同じ様に一日一年繰り返すのか
如来いや未来が存在しないぶら不満は無数の過去の思いでのDVD繰り返し
視るだけしか許されていなかつたりして いま過去に手を出し作り変えようと
すると物発生しびっくりバーンと宇宙が起きてしまい?てたらめだあ的は外れた
さあまあよいかこたえなんて 来年は知ん寝ん

480 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 14:47:45 ID:LC3de7YgO
>>476
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

 質問者 どうして私は自分自身をそんなにも不幸だと想像してしまうのでし
 ょうか?
 マハラジ
 ただの習慣からなのだ。
 あなたの考え方や感じ方を変えなさい。
 それらを再検討し、詳細に調べてみなさい。
 あなたは不注意によって束縛される。
 注意が解放するのだ。
 あなたはあまりにも多くのことを当然のこととして受け取ってきた。
 疑いはじめなさい。
 もっとも明らかなことは、もっとも疑わしいのだ。
 あなた自身にこのように問いかけてみるといい。
「私は本当に生まれたのだろうか?」
「私とは本当にこれなのだろうか?」
「私が存在すると、どのようにして知るのだろうか?」
「誰が私の親なのだ ろうか?」
「彼らが私を創造したのか、それとも私が彼らを創造したのだろうか?」
「私自身に関して言われたことを、すべて信じなければならないのだろうか?」
「私とは誰なのか?」と。
 あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
 ぎこんできた。
 今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
 事実、破壊することはたやすい。
 なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
 すべては「私は在る」という想念にかかっている。
 それを徹底的に調べるがいい。
 それはあらゆる困難の根底に存在している。
 それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
 実在は皮の内側にも外側にもある。
 しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
 この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
 あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
 それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
 それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
 それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
 そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
 「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
 私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
 「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

481 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 19:17:02 ID:LC3de7YgO
>>480
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

  質問者 どうすれば「私」という感覚から自由になれるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたがそれから自由になりたいのなら「私」という感覚と向き合わな
 ければならない。
 あなたが明確にそれを見て完全に理解するまで、それが作用しているときや、
 落ち着いているときを見守りなさい。
 それがどのようにはじまり、どのように停止し、何を欲しがり、どのように
 それを得るのかを見なさい。
 結局、すべてのヨーガは、その源が何であれ、性質が何であれ、目的はただ
 ひとつだ。
 分離された存在という不幸から、広大な美しい絵の中の無意味な点としての
 存在から、あなたを救い出すことにあるのだ。
 あなたが苦しむのは、あなた自身を実在から疎外したからだ。
 そして今、あなたはこの疎外感からの逃避を探し求めている。
 あなた自身の強迫観念から逃げることはできない。
 ただ、それを育むのをやめることができるだけだ。
 「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。
 実在は存続する必要がない――それ自身、破壊不可能なことを知っているか
 らだ。
 それは形態とその表現の破壊に無関心なのだ。
 「私は在る」を強調し安定させようと、私たちはありとあらゆることをする
 が――すべては無駄に終わってしまう。
 なぜなら、「私は在る」は瞬間から瞬間へと再構築されていくものだからだ。
 それは絶え間ない仕事なのだ。
 そして唯一の革新的な解決法は、「私はあれであり、これである」という分
 離した感覚を永遠に消し去ることだ。
 存在は残る。
 だが、自己存在ではない。
 質問者 私には明確な霊的野心があり
ます。それを満たすために努力しなけ
 ればならないのではありませんか?
 マハラジ
 いかなる野心も霊的なものではありえない。
 すべての野心は「私は在る」のためのものなのだ。
 もしあなたが本当の進展を遂げたいのなら、すべての個人的な達成という考
 えは、あきらめなければならない。
 いわゆるヨーギの野心というものは、実にばかげたものだ。
 男性の女性に対する欲望は、永遠の個人的な至福を渇望することに比べれば
 純真なものだ。
 マインドとは詐欺師なのだ。
 より敬虔(けいけん)に見えるほど、裏切りはさらに悪いものとなるだろう。
 質問者 ひっきりなしに、人びとは世間の悩みごとをかかえてあなたのもと
 へやってきます。あなたはいったいどのようにして、彼らに何を言
 うかを知るのでしょうか?
 マハラジ
 ただその瞬間、私のマインドに現れたことを告げるだけだ。
 私には人びとに対応するための企画化
された手順といったものはない。
 質問者 あなたはあなた自身に確信をもっています。しかし、私のもとに人
 びとが来るとき、どのようにして私の助言が正しいものだと確信で
 きるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがどの状態のなかにいるのか、どのレベルで話しているのかを見なさ
 い。
 もしあなたがマインドから話しているなら、間違っているかもしれない。
 あなたの精神的習慣が停止しており、状況への完全な洞察から話しているの
 ならば、あなたの助言は本物の返答かもしれない。
 要点は、あなたも、あなたの前にいる人も、ともに単なる身体ではないと完
 全に気づいていることだ。
 もしあなたの気づきが明晰(めいせき)で完全ならば、間違いはありえない。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

482 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/31(月) 23:02:42 ID:1d4drIFg0
全ての苦は自分があるという観念から起こるのじゃ。
それが無明とお釈迦様は説いたのじゃ。
自分があるという観念がある時、全ての苦は起こり、それがなければ゜苦は無いのじゃ。
それを観察して悟りに至るのじゃ。

483 避難民のマジレスさん :2019/01/01(火) 00:16:00 ID:LC3de7YgO
>>482
鬼和尚、あけおめであります。
本年もよろしくであります。
(´・(∀)・`)つ

484 避難民のマジレスさん :2019/01/01(火) 00:23:00 ID:LC3de7YgO
>>481
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】

 質問者 私は公認会計士を引退し、妻は貧しい女性たちのための社会奉仕活
 動に従事しています。息子がアメリカへと旅立つため、見送りに来
 たのです。私たちはパンジャブ地方出身ですが、現在、デリーに暮
 らしています。私たちにはラダ・ソアミ教* のグルがいます。そし
 て、サットサン、聖者との交わりを高く評価しています。ここに連
 れてこられたことをたいへん幸福に感じています。今まで多くの聖
 者たちに出会ってきました。そして今、もうひとりに出会えること
 を嬉しく思っています。
 (*訳注 ラダ・ソアミ教 開祖シヴァ・ダヤール・サーヒブによって1861年
 に創設された宗派。シーク教徒とヒンドゥ教徒が主な信奉者。第三
 の目を通して内なる光と音の流れに意識を向けることが彼らの主要
 な修練。またサットサンを重視している。)
 マハラジ
 あなたたちは多くの隠者や苦行者に出会ってきた。
 だが、神性(スワルーパ)を意識した完全に真我実現した人を見いだすこと
 は困難なのだ。
 聖者やヨーギたちは計り知れない努力と犠牲によって多くの奇跡的な力を習
 得し、人びとを助け、信仰心を起こさせるといった善行を施すことができる。
 それでも、それらが彼らを完全にすることはない。
 それは実在への道ではなく、単に偽物に豊かさを与えただけなのだ。
 すべての努力はより多くの努力へと導く。
 何であれ構築されたものは維持されなければならない。
 何であれ得たものは、衰退や喪失から保護されなければならない。
 何であれ失われるものは自己のものではないのだ。
 そしてあなた自身のものでないなら、いったいあなたにとって何の役に立つ
 というのだろう?
 私の世界では、何も強要されることはない。
 すべてはひとりでに起こるのだ。
 すべての存在は時間と空間のなかにあり、限定され一時的なものだ。
 私は「何が存在するか」や「誰が存在するか」には関心がない。
 私の立場はその彼方に在る。
 私はその両方であり、そのどちらでもないところに在るのだ。
 多くの努力と苦行を終えてその野心を満たし、より高次の体験と行為を確保
 した人たちは、たいていの場合、彼らの地位を鋭敏に意識している。
 彼らは人びとを最低の未達成者から最高の達成者までに分類し、階級のなか
 に類別してしまう。
 私にとっては皆が同等だ。
 現れや表現のなかの違いはそこにあっても、それは問題ではないのだ。
 金の装飾品の形が金そのものに影響を与えないように、人の本質も影響を受
 けることはない。
 この同等の感覚が欠乏しているならば、それはつまり、実在には触れられて
 いなかったということだ。
 単なる知識では充分ではない。
 知る者が知られなければならないのだ。
 学者やヨーギは多くのことを知っているかもしれない。
 だが自己が知られていないとき、単なる知識が何になるというのか?
 それは間違いなく誤用されてしまうだろう。
 知る者の知識なしには平和はありえな
いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

485 避難民のマジレスさん :2019/01/01(火) 11:21:56 ID:LC3de7YgO
>>484
1『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 人はどのようにして、知る人を知るのでしょうか?
 マハラジ
 私自身の体験から知っていることだけをあなたに話そう。
 私がグルに出会ったとき、彼は私に言ったのだ。
 「あなたはあなたが自分自身だと見なしているものではない。あなたが何で
 あるのかを見いだしなさい。『私は在る』という感覚を見守り、あなたの
 真我を見いだしなさい」と。
 私は彼に服従した。
 なぜなら彼を信頼したからだ。
 私は彼が言ったとおりにし、許すかぎりの時間を、沈黙のなかで自分自身を
 見つめることに費やした。
 そして、何という変化をもたらしたことか!
 それもこんなに早く!
 三年という短い時間で、私は真我を実現したのだ。
 私がグルに会ったすぐ後、彼は死んでしまった。
 だが、それは何の違いももたらさなかった。
 私は彼が私に言ったことを、たゆまず
覚えつづけていたのだ。
 その成果は、私とともにここにある。
 質問者 それは何なのですか?
 マハラジ
 私は真の私自身を知っているのだ。
 私は身体でもマインドでもなく、知的能力でもない。
 私はそれらすべてを超えているのだ。
 質問者 あなたはただの無なのでしょうか?
 マハラジ
 ばかなことを言ってはいけない。
 もちろん、もっとも実質的に、私は存在している。
 ただ、私はあなたが考えているような私ではないのだ。
 これがあなたにすべてを伝えるだろう。
 質問者 それは私に何も伝えていません。
 マハラジ
 なぜなら、それは語ることのできないものだからだ。
 自分自身の体験をもたなければならないのだ。
 あなたは物質的、精神的なものを扱うことには慣れている。
 私はものではなく、あなたもまたものではない。
 私たちは物質でもなくエネルギーでもない。
 身体でもなくマインドでもない。
 ひとたびあなたが自己の存在の一瞥を得るなら、私を理解するのは難しくな
 いと知るだろう。
 私たちは聞き伝えでたくさんのことを信じてしまう。
 遠くの土地や人びとのこと、神や女神のことなどを、ただそう聞いたという
 だけで信じてしまうのだ。
 同じように、私たちは自分自身について、両親や名前、地位や義務などにつ
 いて話を聞いてきた。
 一度もその真偽を確かめることなしに。
 真実への道は虚偽の破壊を通っていくものだ。
 偽りを破壊するために、あなたはあなたのもっとも根深い確信を疑わなけれ
 ばならない。
 そのなかで、あなたが身体であるという確信が最悪のものなのだ。
 身体とともに世界が現れ、世界とともに、世界を創造したと考えられている
 神が現れる。
 このようにして、恐れ、宗教、礼拝、捧げ物、あらゆる類(たぐい)の体系
 がはじまるのだ。
 すべては自らがつくり出した怪物に正気を失うほどおびえた幼稚な人間を保
 護し、支持するためのものだ。
 あなたは生まれることも、死ぬこともできないものだということを悟りなさ
 い。
 そうすれば恐れは去る。
 すべての苦しみは終わるのだ。
 マインドが発明したものは、マインドが破壊する。
 だが、実在は発明されたものではなく、破壊することもできない。
 マインドの力が及ばないそれをつかま
えなさい。
 私があなたに話していることは、過去のなかにも、未来のなかにもない。
 また、今起こっているような日々の生活のなかにもないのだ。
 それは永遠であり、その永遠性の全体はマインドを超えている。
 私のグルと、そして彼の言葉、「あなたは私自身だ」は、永遠に私とともに
 ある。
 はじめのうちはそれらにマインドを固定させなければならなかったが、今で
 はそれも自然なものとなった。
 グルの言葉を真実として受け入れ、日々の生活の細部にわたって自発的にそ
 れによって生きるようになったそのときが、真我の実現の戸口に立ったとき
 なのだ。
 ある意味では、それは信頼による開放だ。
 だが、その信頼は強烈で、持続しなければならない。
 しかしながら、信頼そのものだけで充分だと考えてはならない。
 信頼が行為のなかで表現されることが実現への手段なのだ。
 それはあらゆる手段のなかで、もっとも効果のあるものだ。
 信頼を否定し、論証のみを信じる教師もいる。
 実際には、彼らが否定するのは信頼ではなく、盲信なのだ。
 信頼は盲目的なものではない。
 それは試みようとする意志なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

486 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/01(火) 22:21:37 ID:1d4drIFg0
>>483 あけおめことよろなのじゃ。

日々精進し続けるならばただ一つの教えでも悟りに至れるものじゃ。
シュリハンドクと同じなのじゃ。
法を何度も変えているとそれが逃避に成り、どこにも辿りつけないのじゃ。
自我が消える恐れからこの法は自分に合わないと思うようになるからのう。

487 避難民のマジレスさん :2019/01/01(火) 23:31:52 ID:LC3de7YgO
>>486
うむ。
そうでありますね。
くま、長期間失業してた際に、中途半端ではありますが、ケッカフザもできるようになり、小周天みたいなこともできるようになり、何よりも、生きるのがかなり楽になったのであります。
その間ずっと、鬼和尚が相談にのってもらってるのであります。
今は仕事にも就き、瞑想とかはサボってるでありますが、マハラジ流に、できるだけ常に意識を内側に向けている習慣はだいぶついてきたであります。
方向性は間違ってないと思うので、細かいテクニックには拘らず、ただ一つの意識を追求して行こうと思うのであります。
今後ともよろしくお願いしたいのであります。
   /⌒⌒ヽ
  /⌒  ⌒ヽ
 (_(   )_)
 (_)V ̄V(_)

488 避難民のマジレスさん :2019/01/02(水) 00:14:53 ID:LC3de7YgO
>>485
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 すべての霊的修練のなかでもっとも効果的なのは、単なる観照の態
     度だと聞きました。それは信頼とどのように比較されるのでしょう
     か?
 マハラジ
 観照の態度もまた信頼なのだ。
 それは自分自身への信頼だ。
 あなたとはあなたが体験するものではないと信じ、すべてに距離をおいて見
 ることだ。
 観照に努力はいらない。
 あなたはあなたがただの観照者なのだと理解し、その理解が働いていく。
 それ以上何も必要ないのだ。
 ただ、あなたが観照者だということを覚えていなさい。
 もし観照の状態のなかで「私は誰か?」と自分自身に尋ねれば、その答えは
 直ちにやってくる。
 ただ、それは言葉ではなく、沈黙のものだ。
 起こっているすべてのことの主体となり、客体であることをやめなさい。
 ひとたび内側に向きを変えたなら、あなたは主体を超えたあなた自身を見い
 だすだろう。
 あなた自身を見いだしたとき、あなたは客体をも超えていることを見いだす。
 主体と客体はともにあなたの中に存在するが、あなたはそのどちらでもない
 のだ。
 質問者 あなたはマインド、マインドを超えた観照意識、そして気づきを超
     えた至高なるものについて語ります。それはつまり気づきさえも実
     在ではないという意味なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが実在―非実在という言葉で論じるかぎりは、唯一実在でありうるの
 は気づきだけだ。
 だが、至高なるものはすべての区別を超えているため、それに「実在」とい
 う言葉は適用しない。
 なぜなら、そのなかではすべてが実在
だからだ。
 それゆえ、そのように名づけられる必要もない。
 それは実在の源そのものだ。
 それは、何であれそれが触れたものに実在性を分け与えるのだ。
 質問者 しかし、誰が世界を創造したのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙のマインド(チダカーシュ)がすべてを創造し、破壊する。
 至高なるもの(パラマカーシュ)が、何であれ存在のなかに現れたものに実
 体を与えるのだ。
 それを宇宙的な愛と呼ぶことが、言葉によってはもっとも近いものと言える
 だろう。
 それは愛のように、すべてを真実に、美しく、望むべきものにするのだ。
 質問者 なぜ、望むべきものなのでしょうか?
 マハラジ
 いけないかね?
 創造されたすべてを互いに反応し合うようにさせ、人びとを結びつける強引
 に引きあう力は、もし至高なるものからでなければ、どこからやってくると
 いうのだろうか?
 欲望を避けてはならない。
 ただそれが正しい経路を流れていることを見なさい。
 欲望なしには、あなたは死んだも同然だ。
 だが、低次の欲望とともにあるなら、あなたは亡霊と同じなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

489 素人A :2019/01/02(水) 09:39:41 ID:gOqWUDAs0
注意不足生涯者の私が下記映しても実行は泣く世界は白いキャンバスに精神統一して凝念如雨露三昧でアートなんだろうけど
私が心の中心の曼荼羅である、他の人は他の人の中心点の曼荼羅の中心から見ているのか、でも全体的にバラ薔薇バランスは
とれていて阿弥陀のネットは満天のクリスマスのデコレーションの様に輝いているのかなあ。今は私のつまらない正月風景だ画?
全体性・部分・輝き 宇宙意識より 何とか三昧? 夢中の説明化 絵や音楽や詞や芸術?自然の風景?坐禅や名僧の中?仏仏?
アクイナスはこう言っている「『三つのものが美には必要である翻訳すれば、全体性、調和、そして光輝』となる」。全体性この
原理の機能は、みずから規定されかつ規定するような、実践とは関わりの無い、閉じた錬金術的な場を創り出すところにあります
それがどんな効果をもつかを見るには、何でもいいからいくつかの事物の集まりー例えばテーブルの上の品物の集まりを眺めて、
創造の中でその周囲に枠をおいて見て下さい。すると枠の中の事物の総てが「ひとつのもの」と見なされるでしょう。それはもは
や、いろんな用途をもつ無関係な事物の集合では無く、ある構成の部分であり、相互に関係づけられています。その枠の外にある
ものー例えばテーブルの部分は、いまや「他のもの」となり、枠の中にある事物のすべては一つのものになります。スティブの言
葉では、「君はそれを一つの全体として見る。その全体性を認識しているわけだ、これが全体性なのさ」というわけです。(続く
あおめでとうと言うの忘れた

490 素人A :2019/01/02(水) 09:47:26 ID:gOqWUDAs0
(続き)調和 さてこのような構成ができると、次に重要なことーそして重要な事のすべてーは構成の中のそれぞれの
対象ないし事物が此処にあるのか、あちらにあるのかという事、つまり部分に対する関係、各部分の全体に対する関係、全体の各
部分に対する関係です。これが審美的な道具としてのリズム、すなわち調和です。その要素になるのは、事物、色彩、言葉とその
音、楽器、建築の部分とその比率などが考えられます。スティブンの言葉によれば、「君はそれの形の線に導かれ、点から点へと
眼を移してゆく君はそれを、その限界内で均斉のとれているものとして認識する。その構造のリズムを感じるわけだ」ということ
になります。輝き リズムがぴつたりあつたとき、人は喜びの中にとどまり、それに何か他の効用があるかどうかまったく考えま
せん。スティブンはこう言っています「君はまさにそのものであって、他の何ものでもないということを知ったわけだ。(続く)

491 素人A :2019/01/02(水) 09:48:25 ID:gOqWUDAs0
(続き)〔アクイナス〕がスコラ学派の「クイッディタス」つまり事物の「そのものであること」について言つているの
がこの光輝なのさ。この至高の徳性は審美的映像が芸術家によつて感じられるものなんだ。こういう審美的瞬間の心を、シェリー
は燃え尽きる炭という美しい比喩で説明している。美の全体性によってとらえられ、美の調和によって魅惑されていた心が、美の
こういう至高の徳性、審美的映像の明るい光輝を輝かしく認識するこの瞬間こそは、審美的快楽の輝かしく静寂な状態だよね。こ
れはイタリアの生理学者ルイジ・ガルヴァーニがシェリーのものに劣らず美しい言葉で心の魅惑とよんだ心臓の状態に、非常に近
い霊的状態なんだ。」まさにこれひそが芸術の存在理由であり、その治癒力と奇跡を説明するものなのです。つまり認識された美
がこのような諸感覚を照明し、精神を鎮め、心を魅惑する力をもつということです。(続く)

492 素人A :2019/01/02(水) 09:49:54 ID:gOqWUDAs0
(続き)「芸術は自然と相似した偉大な線を浮かび上がらせるという言葉を自分の座右の格言の一つとして挙げていたことを
思い出します。周知のとおり、自然は私たちの外部にあると同時にに、私たちの内部にもあるからです。芸術はこの両者の境界に
ある鏡なのです。儀式もそして神話も同じであって「自然の偉大な線を浮かび上がらせ」、それによって私たち自身の奥底にある
真理、あらゆる存在と共有している真理において回復させるのです。したがつてこのような「本来的な」やりかたで仕事をしてい
る芸術家は、その世紀の真の見者にして予言者であります。彼は生の擁護者です。生の擁護者でありますから、もちろん一人の
革命家です。その時代の社会的仮面を貫いてその背後にあるものに到達するという点において、単にもう一人の不自然な仮面の名
において舗道を血に染める狂信的な理想主義者よりもはるかに根本的な革命家なのです。」

493 避難民のマジレスさん :2019/01/02(水) 10:28:54 ID:LC3de7YgO
>>488
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 至高なるものにもっとも近い体験とはどのようなものでしょうか?
 マハラジ
 計り知れない平和とかぎりない愛だ。
 何であれ、宇宙のなかに真実で、高尚な、美しいものがあれば、それはすべ
 てあなたから現れたのだと自覚しなさい。
 あなた自身がその源なのだ。
 世界を指揮する神や女神は、もっとも素晴らしい荘厳な存在かもしれない。
 それでも彼らは、彼らの主人の富と力を宣伝する、豪華に着飾った召使いの
 ようなものなのだ。
 質問者 どのようにして人は至高なるものに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 すべてのより低い欲望を放棄することによってだ。
 より低い欲望に満足するかぎり、最高のものを手にすることはできない。
 何であれ満足させるものが、あなたを引き止めるのだ。
 すべてのものの不満足さ、はかなさ、限界を悟らないかぎり、そしてすべて
 のエネルギーを多大なる熱望に集めないかぎり、最初の一歩さえも踏めない。
 その反対に、至高なるものへの誠実な欲望は、それ自体至高なるものからの
 招きなのだ。
 身体的、精神的な何もあなたに自由を与えてはくれない。
 ひとたび束縛はあなたが創りだしているということを理解し、あなたを拘束
 する鎖を鋳造することを止めれば、あなたは自由なのだ。
 質問者 どのようにして、グルへの信頼を見いだせばいいのでしょうか?
 マハラジ
 グルを見いだし、また彼を信頼することはまれな幸運だ。
 それはそうそう起こることではない。
 質問者 それは運命に定められているのでしょうか?
 マハラジ
 それを運命と呼ぶことでは何も説明されない。
 それが起こったとき、あなたにはどうしてそれが起こったのかを言うことは
 できない。
 そして、それをカルマや恩寵(おんちょう)、また神の意志と呼ぶことは、
 単にあなたの無知を覆(おお)い隠すだけだ。
 質問者 クリシュナムルティは、グルは必要ないと言っています。
 マハラジ
 誰かが至高の実在と、それへの道について語らなければならないのだ。
 クリシュナムルティがしていることは、ほかの何ものでもない。
 ある意味では、彼は正しい。
 ほとんどのいわゆる弟子たちは、彼らのグルを信頼していないのだ。
 彼らはグルにそむき、グルを放棄してしまう。
 そのような弟子たちにとっては、グルを持たない方が、そして導きを得るた
 めに、ただ内面を見ることのほうがどれだけ良かったか知れないのだ。
 生きたグルを見いだすことは稀少な機会であり、大いなる責任でもある。
 これらのことを軽く扱ってはならないのだ。
 あなたたちは天国を買おうとやっきになって、値段の額を支払えばグルがそ
 れを与えてくれると想像している。
 わずかばかりを捧げて、多くを要求する売買契約を求めているのだ。
 あなたが騙しているのは、ほかでもないあなた自身なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

494 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/02(水) 22:45:29 ID:1d4drIFg0
本来人は師匠なくして悟れるものじゃ。
お釈迦様も無師独悟と言っているのじゃ。
自分を救う者は自分しか居ないのじゃ。
師匠はその道を指し示す道標に過ぎないものじゃ。

495 避難民のマジレスさん :2019/01/03(木) 00:07:31 ID:LC3de7YgO
>>493
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 あなたはグルから、「あなたは至高なるものだ」と言われました。
     そして彼を信頼し、その通りに行動したのです。何があなたにこの
     信頼を与えたのでしょうか?
 マハラジ
 私はただ、道理を聞き分けただけだ。
 彼を疑うとしたら、愚かなことだっただろう。
 私を惑わせることで、いったい彼がどんな利益を得るというのだろうか?
 質問者 あなたはある質問者に、私たちは同じであり、同等だと言われまし
     た。私にはそれが信じられません。私に信じられないのなら、あな
     たの表明が私にとって何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの不信は問題ではないのだ。
 私の言葉は真実であり、それはその仕事をする。
 これがサットサン、聖者との交わりの美しさなのだ。
 質問者 ただあなたの近くに座っているだけで、それを霊的な修練だと考え
     ることができるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 生命の川は流れている。
 その水のいくらかはここにある。
 だが、大変な量の水がすでに目的地に到達しているのだ。
 あなたは現在しか見ていない。
 私は遙か彼方の過去と未来を、あなたが何であるか、そしてあなたが何にな
 ることができるのかを見ているのだ。
 私には、あなたを私自身としてしか見ることができない。
 違いを見ないこと、それが愛の本質なのだ。
 質問者 どうすれば、あなたが私を見るように、私自身を見ることができる
     ようになるのでしょう?
 マハラジ
 もしあなた自身を身体だと想像しなければ、それで充分だ。
 災いをもたらすのは「私は身体だ」という想念なのだ。
 それはあなたを真実の本性に対して、完全に盲目にしてしまう。
 ほんの一瞬でさえ、自分が身体だと考えてはならない。
 あなた自身にいかなる名前も形も与え
てはならない。
 実在は闇と沈黙の中で見いだされるのだ。
 質問者 私が身体ではないという確信を持って考えなくてはならないのでし
     ょうか? どこにそのような確信を見つけることができるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。
 そうすれば、確信はやってくるだろう。
 単なる言葉が何の役に立つというのだろう?
 マントラや精神的パターンは助けにならないだろう。
 しかし非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった
 行為が、あなたを実在の確信そのものに連れていくだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

496 避難民のマジレスさん :2019/01/03(木) 00:13:42 ID:LC3de7YgO
>>495
>あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。
 そうすれば、確信はやってくるだろう。
・・・・非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった
 行為が、あなたを実在の確信そのものに連れていくだろう。

うむ。
日常的に慈悲ある行為、善事をなす事、をすることが、完全に得心したかのように振る舞うことになるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

497 避難民のマジレスさん :2019/01/03(木) 12:49:14 ID:LC3de7YgO
>>495
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 確信なしに行為する勇気を、私はどこから得るというのでしょうか?
 マハラジ
 愛があなたに勇気を与えるだろう。
 あなたが誰か本当に賞賛すべき、愛するに足る崇高な人に出会ったなら、あ
 なたの愛と敬慕が、あなたに高尚にふるまおうという衝動を与えてくれるだ
 ろう。
 質問者 賞賛すべき人を賞賛するということを、誰もが知っているわけでは
     ありません。ほとんどの人々はまったく感受性に欠けているのです。
 マハラジ
 生命が彼らに進化を認めさせるようにするだろう。
 積まれてきた体験の重みが、彼らに見る目を与えるだろう。
 賞賛に値する人に出会ったなら、あなたは彼を愛し、信頼し、彼の助言にし
 たがうことだろう。
 他の者たちが賞賛し、愛するに足る完全な模範を示すこと、これが自己実現
 した人の役目だ。
 その人の人生と人格の美しさは、公益のための途方もない貢献なのだ。
 質問者 私たちは成長のために苦しむべきではないでしょうか?
 マハラジ
 そこに苦しみがあり、世界は苦しんでいるということを知るだけで充分だ。
 快楽と苦痛自体が悟りをもたらすことはない。
 ただ理解だけがそれをもたらすのだ。
 ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだとい
 う真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動とエネルギーを見いだ
 すだろう。
 快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。
 至福を通してだけではあなた自身を知ることはできない。
 あなたの本性そのものが至福だからだ。
 悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなければならな
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

498 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/03(木) 21:53:02 ID:1d4drIFg0
>>496 そうじゃ、慈悲の行いと心が広がって意識も知れるのじゃ。
 慈悲の心が体からどこまでも広がっていくというのがお釈迦様の説いたブラフマンの法なのじゃ。
 慈悲の心がなければそれも出来ないからのう。
 実践あるのみなのじゃ。

499 避難民のマジレスさん :2019/01/04(金) 00:36:55 ID:LC3de7YgO
>>497
1『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】

 質問者 私は具合が良くありません。むしろ弱っている感じがします。どう
     すればいいでしょうか?
 マハラジ
 誰の調子が悪いのかね?
 あなたか、それとも身体だろうか?
 質問者 もちろん、私の身体です。
 マハラジ
 昨日、あなたは具合が良かった。
 何が良いと感じたのだろうか?
 質問者 身体です。
 マハラジ
 身体の具合が良いとき、あなたは喜び、身体の具合が悪いとき、あなたは悲
 しむ。
 ある日喜び、つぎの日悲しむのは誰だろうか?
 質問者 マインドです。
 マハラジ
 マインドがそれを知る者だ。
 知る者を知るのは誰だろうか?
 質問者 知る者がそれ自身を知っているのではないでしょうか?
 マハラジ
 マインドは断続的なものだ。
 眠りや気絶や精神錯乱したとき、何度もそれは空白状態となる。
 そこにはその断続性を継続的に記録する何かがあるはずだ。
 質問者 マインドが覚えています。これが継続性を意味します。
 マハラジ
 記憶はつねに部分的であてにならず、つかの間のものだ。
 それは「私は在る」という感覚である、意識に浸透した強力なアイデンティ
 ティの感覚を説明はしない。
 その根底にあるものが何なのかを見いだしなさい。
 質問者 どんなに深く見入っても、私にはマインドしか見いだせません。あ
     なたの「マインドの彼方」という言葉は手がかりにならないのです。
 マハラジ
 マインドでもって見ているかぎり、それを超えていくことはできない。
 彼方へと超えていくには、マインドとその内容から目を離さなければならな
 いのだ。
 質問者 どの方向を見ろといわれるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての方向はマインドのなかにあるのだ!
 私はあなたに特定の方向を見るように言っているのではない。
 ただ、あなたのマインドのなかで起こっていることのすべてから目を離し、
 「私は在る」という感覚にそれを合わせなさい。
 「私は在る」は方向ではない。
 それはすべての方向を否定したものだ。
 最後には「私は在る」さえも去らなければならない。
 なぜなら、明白なことをいつまでも主張しつづける必要はないからだ。
 「私は在る」にマインドを合わせることは、単にマインドをほかのすべてか
 らそむけることなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

500 避難民のマジレスさん :2019/01/04(金) 00:45:45 ID:LC3de7YgO
>>498
鬼和尚、ありがとうであります。
>非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった行為

とは、自他の別ののない行為と言うことであり、そのように振舞え、無我を体得したように振る舞えと言ってるのでありますよね。

(´・(ェ)・`)つ

501 避難民のマジレスさん :2019/01/04(金) 10:23:38 ID:LC3de7YgO
>>499
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 それは私をどこへ導くのでしょうか?
 マハラジ
 マインドがよそごとに気を取られることから目を離されたとき、それは静か
 になる。
 もしこの静けさを妨げず、そこにとどまるなら、あなたはそれが見たことも
 ない光と愛にあふれていることを知るだろう。
 しかも、あなたはそれをあなた自身の
本性だとすぐに認識するのだ。
 ひとたびこの体験を通ったならば、あなたは二度と同じ人ではなくなるだろ
 う。
 気ままなマインドはその平和を破り、ヴィジョンを消し去ってしまうかもし
 れない。
 だが、すべての束縛が破れ、迷いや執着が終わるまで努力を続ければ、それ
 はかならず戻ってくる。
 そして人生は最高に、今この瞬間に集中したものとなるのだ。
 質問者 それがどんな違いをもたらすというのでしょうか?
 マハラジ
 思考はなくなり、そこには愛の行為だけがあるのだ。
 質問者 私がそれに到達したとき、どうやって認識するのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはもはや恐れがないのだ。
 質問者 神秘と危険に満ちた世界に囲まれて、どうやって恐れなしでいるこ
     とができるでしょう?
 マハラジ
 あなた自身の小さな身体もまた、神秘と危険に満ちているのだ。
 それでも、あなたはそれを恐れはしない。
 あなたがそれをあなた自身のものと見なしているからだ。
 あなたが知らないのは、この宇宙全体があなたの身体であり、それを恐れる
 必要はないということだ。
 あなたは個人的と宇宙的な二つの身体をもっていると言ってもいい。
 個人的身体は来ては去っていく。
 宇宙的身体はいつもあなたとともにある。
 創造全体があなたの宇宙的身体なのだ。
 あなたは個人的身体的に盲目的になり、宇宙的身体を見ていない。
 この盲目がひとりでに終わることはない。
 それは巧みに、熟考した上で取り消さなければならないのだ。
 すべての幻想が理解され、放棄されたとき、あなたは個人的と宇宙的の間の
 区別がすべてなくなった、過ちのない、完全な状態に到達するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

502 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/05(土) 00:24:14 ID:1d4drIFg0
>>500 そうじゃろう。
 なかなか難しいことであるがのう。
 
本来全ての者は宇宙も含んだ全てであるのじゃ。
謬見によって身体だけが自分とか認識しているのじゃ。
その幻想がなくなければ全てに戻るのじゃ。
それが完全な状態ということなのじゃ。

503 避難民のマジレスさん :2019/01/05(土) 20:55:49 ID:LC3de7YgO
>>501
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 私は個人であり、それゆえ空間と時間に限定されています。私はわ
     ずかばかりの空間を占め、ほんの瞬間存在するだけです。
 マハラジ
 それにもかかわらず、あなたは在るのだ。
 あなたが真の本性の探求へと深く入って行くにしたがって、小さいのはあな
 たの身体であり、短いのはあなたの記憶であって、広大な生命の大海があな
 たのものであることを発見するだろう。
 質問者 「私」と「宇宙」という言葉自体が相容れないものです。
 マハラジ
 そうではない。
 同一であるという感覚は普遍的に浸透しているのだ。
 探求しなさい。
 そうすれば、あなたはあなた自身であり、かぎりなくそれ以上である宇宙的
 個人を発見することだろう。
 とにかく、まず世界はあなたのなかにあり、あなたが世界のなかにいるので
 はないということを自覚することからはじめなさい。
 質問者 どうしてそうありうるのでしょうか? 私は世界のなかの一部分で
     しかありえません。鏡のような反映による以外に、どうして部分の
     なかに世界全体が含まれるというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 あなたの個人的身体は一部分であり、その中に全体が不思議にも反映されて
 いるのだ。
 しかし、あなたは宇宙的身体もまたもっている。
 それを知らないとさえ言えないのだ。
 なぜなら、あなたはつねにそれを見て、体験しているからだ。
 ただ、それを「世界」と呼び、恐れているだけなのだ。
 質問者 私は、私の小さい身体は知っていると感じますが、もうひとつの身
     体は科学を通してしか知りません。
 マハラジ
 あなたの小さな身体は、あなたの知らない神秘と不思議で満ちている。
 そこでもまた、科学があなたの唯一のガイドだ。
 解剖学と天文学がそれらを説明するだろう。
 質問者 たとえ、私があなたの基本的な論理としての宇宙的身体の教義を受
     け入れたとしても、いったいどのようにそれを考査することができ、
     また、それが私にとって何の役に立つと言うのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが両方の身体に宿ることを知ることで、あなたはすべてを所有するこ
 とになるのだ。
 宇宙のすべてがあなたの関心事となり、すべての生きるものたちをあなたは
 もっとも優しく賢明に愛するようになるだろう。
 あなたと他者との間には利益の衝突がなくなるだろう。
 すべての搾取(さくしゅ)は絶対的に消えるだろう。
 あなたのあらゆる行動は恩恵となり、あらゆる瞬間は祝福となるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

504 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/05(土) 23:14:27 ID:1d4drIFg0
実に興味深いブッダと悟っていない者の会話なのじゃ。
マハラジが何度も全てであると語るのにも関わらず質問者はあくまでそれを何かの理想としか捉えていないのじゃ。
マハラジがそれは今ここで感じられるというのに、あくまでも自分は矮小な身体でしかないと悩んでいるのじゃ。
信者ならば適当に話をあわせたりするのに、どこまでも身体が自分というのじゃ。
それは少なくとも本心を語っていることになるのじゃ。
知識は役立たず実践と実感を通してのみ人は悟りの境地を知ることが出来るとわかるのじゃ。

505 避難民のマジレスさん :2019/01/06(日) 03:04:00 ID:LC3de7YgO
>>503
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 それはとても私の関心を引きますが、しかし、宇宙的存在を実現す
     るためには、どのようにはじめればいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたには二つの道がある。
 真我を実現するために、あなたのマイ
ンドとハートを捧げること、あるいは
 私の言葉を信頼して受け入れ、それにしたがって行動することだ。
 あなたは自己に対して完全に利己的になるか、完全に非利己的になるかのど
 ちらかだ。
 「完全に」という言葉、それが重要なのだ。
 至高なるものに到達するためには、あなたは極端にならなければならない。
 質問者 小さく限定された私に、どうしてそのような高遠なるものへの大望
     を抱くことができるでしょう?
 マハラジ
 あなた自身が、そのなかですべてが起こる意識の大洋なのだと認識しなさい。
 それは難しいことではない。
 わずかな注意力と自己への緊密な観察で、あなたはどのような出来事も意識
 の外側で起こっているのではないことを知るだろう。
 質問者 世界は私の意識のなかに現れない出来事でいっぱいです。
 マハラジ
 あなたの身体でさえあなたの意識内に現れることのない出来事でいっぱいな
のだ。
 これが、あなたの身体をあなたのものだと宣言することを妨げはしないだろ
う。
 あなたはあなたの感覚を通して自分の身体を知るように、世界を正確に知っ
ているのだ。
 あなたの皮膚から外側の世界と内側の世界を分割し対立させたのは、あなた
のマインドだ。
 これが恐れと、憎しみと、生きることすべての惨めさを生み出したのだ。
 質問者 私に理解できないのは、あなたが言われる意識を超えていくという
     ことです。言葉は理解できますが、その体験を視覚化できないので
     す。結局、あなた自身が言われたように、すべての体験は意識のな
     かにあるのです。
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 意識を超えたところには、いかなる体験もありえない。
 それでも、そこにはただ在るという体験がある。
 そこには無意識ではなく、意識を超えた彼方の状態があるのだ。
 ある人たちはそれを超意識、純粋意識、あるいは至高の意識と呼んでいる。
 それは主体と客体の関係から自由な、純粋な覚醒なのだ。
 質問者 私は神智学を学んできました。そして、あなたの言われることは何
     ひとつ聞き慣れないことばかりだと気づきました。神智学が顕現の
     みを扱うことは私も認めます。それは宇宙とそこに住む生きものに
     ついて、たいへん詳細に描写します。多くの物質の階層と、それに
     相応する体験の層があることを、それは認めています。しかし、ど
     うやらそれを超えていくことはないようです。あなたの言われるこ
     とはすべての体験を超えていきます。もしそれが体験不可能ならば、
     いったいどうしてそれについて話しあうのでしょうか?
 マハラジ
 意識は隙間だらけの断続的なものだ。
 それにもかかわらず、そこには継続するアイデンティティがある。
 もしこのアイデンティティの感覚が意識を超えた何かでなければ、いったい
 何によるというのだろう。
 質問者 もし私がマインドを超えているならば、どのようにして私を変えて
     いくのでしょうか?
 マハラジ
 何かを変える必要がどこにあるというのだろう?
 いずれにせよ、マインドはつねに変化しているのだ。
 あなたのマインドを冷静に見てみなさい。
 マインドを平静にするにはこれで充分だ。
 静かになると、あなたはマインドの彼方へと行くことができる。
 いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。
 それをやめ、ただ在りなさい。
 もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、その純粋さと
 力強さを回復するだろう。
 絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

506 避難民のマジレスさん :2019/01/06(日) 03:17:59 ID:LC3de7YgO
>>504
なるへそ。これもまた実にわかりやすい鬼和尚の解説なのである。
くまは何度も鬼和尚やマハラジの解説を読み、ただ一つの意識を当たり前のように「在る」ものとして捉えて、それを追求してるのであるが、
それは知識であって、未だ実感を伴うものではないのである。
OSHOも言ってるように、知識を疑って、ありのままを観察するように、精進するであります。
(´・(ェ)・`)つ

507 避難民のマジレスさん :2019/01/06(日) 14:38:03 ID:LC3de7YgO
>>505
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 もし私の真実の存在がつねに私とともに在るなら、どうして私はそ
     れを知らないのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、それは非常に微妙なものであり、あなたのマインドは粗雑なもの
 だからだ。
 あなたのマインドを静め、明瞭にしなさい。
 そうすれば、あなたはあるがままの自分自身を知るだろう。
 質問者 わたし自身を知るためにマインドが必要なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはマインドを超えている。
 だが、あなたはマインドで知るのだ。
 知識の範囲、深さ、性質は、あなたがどのような手段を使うかに依存すると
 いうことは明らかだ。
 あなたの手段を改善しなさい。
 そうすれば、あなたの知識も改善されるだろう。
 質問者 完全に知るためには、完全なマインドが必要です。
 マハラジ
 あなたに必要なのは、静かなマインドだ。
 ひとたびあなたのマインドが静かになれば、ほかのすべてはしかるべく起こ
 るだろう。
 日の出が世界を活動的にするように、自己覚醒はマインドのなかに変化を与
 えるのだ。
 平静で安定した自己覚醒の光のなかで、内なるエネルギーは目覚め、あなた
 の努力なしに奇跡をもたらすのだ。
 質問者 つまり、もっとも偉大な仕事は、仕事をしないことによってなされ
     ると言うのでしょうか?
 マハラジ
 まさにそのとおりだ。
 あなたは悟りを得るように運命づけられているのだということを理解しなさ
 い。
 あなたの運命に協力しなさい。
 それに抗ってはいけない。
 それを妨げてはいけない。
 それが運命を全(まっと)うするのを許しなさい。
 愚かなマインドがつくり出した障害に注意を払うこと、それがあなたのする
 べきすべてなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

508 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/06(日) 21:37:36 ID:1d4drIFg0
>>506 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。

マインドとはまだ意識に到達していない心の働きなのじゃ。
感覚とか思考とか感情とか分別とか認識なのじゃ。
それしか感じられない人間はそれをもって進んでいくしかないのじゃ。
やがてはそれを超えた意識もあるとわかるのじゃ。

509 避難民のマジレスさん :2019/01/06(日) 22:56:55 ID:LC3de7YgO
>>507
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】

 質問者 私はイギリスから来て、マドラスへ向かう途中です。そこで私は父
     親に会い、一緒に車でロンドンまで陸路を通って帰る予定です。私
     は心理学を学んでいるのですが、学位を取得してからどうするかは、
     まだわかりません。産業心理学、または精神療法を試みるかもしれ
     ません。私の父は一般開業医です。私も同じ道を行くのかもしれま
     せん。
     しかし、これで私の興味が尽きるわけではありません。そこには時
     間を経ても変わることのない、ある質問があるのです。あなたはそ
     のような質問への答えをもっていると理解しています。そのために、
     私はあなたのもとへ来たのです。
 マハラジ
 私はあなたの質問に答えるのに正しい人間かどうだろうか。
 私はものごとや人びとについては何も知らないのだ。
 私は私が在るということだけを知っている。
 そして、それくらいはあなたもまた知っている。
 私たちは同等なのだ。
 質問者 もちろん、私は私が在ることを知っています。しかし、それがどう
     いう意味なのか知らないのです。
 マハラジ
 「私は在る」のなかで、あなたが「私」と見なしているものは、あなたでは
 ないのだ。
 あなたが在ることを知っているのは自然なことであり、あなたが何なのかを
 知ることは多くの探求の結果なのだ。
 あなたは意識界全体を探査しなければならない。
 このためには、正しい師を見いだし、発見に必要な条件をつくり出さなけれ
 ばならないのだ。
 一般的には二つの道がある。
 外的なものと内的なものだ。
 あなたは真理を知る誰かとともに生き、彼の導きにあなた自身を完全に服従
 させ、彼の影響のもとにマインドを形づくるか、あるいは内なる導きを探し
 だし、それがどこへあなたを導こうと、内なる光にしたがうことだ。
 どちらの場合も、あなたの個人的な欲望や恐れを顧みてはならない。
 あなたは師と近接していること、あるいは探求することのどちらか、受動的、
 あるいは能動的な道のどちらかで学ぶのだ。
 生命の川とグルの愛によって、あなた自身が運ばれていくことを許すか、あ
 るいはあなたの内なる星に導きを受け、自らの努力を重ねていくかのどちら
 かだ。
 どちらの場合もあなたは進んでいかなければならない。
 そして真剣でなければならない。
 愛し、信頼するに足る誰かを見つける幸運な人はまれなのだ。
 ほとんどの人が厳しい道を行かなければならない。
 知性と理解、洞察と無執着(ヴィヴェーカ―ヴァイラーギャ)の道だ。
 これはすべての人たちに開かれている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

510 避難民のマジレスさん :2019/01/07(月) 19:32:53 ID:LC3de7YgO
>>509
1『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 私はここに来ることができて幸運でした。明日発(た)たなければ
     なりませんが、一度あなたと話をしたことが私の全人生に影響を及
     ぼすかもしれません。
 マハラジ
 そうだ。
 ひとたびあなたが「真実を見いだしたい」と言ったなら、全人生はそれに深
 く影響を受けることになるのだ。
 あなたのすべての精神的、身体的習慣、感情と感覚、欲望と恐れ、計画と決
 定はもっとも革新的な変容を通り抜けることだろう。
 質問者 ひとたび私が真実を見いだすことに心を定めたならば、つぎには何
     をするべきなのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたの気質によるのだ。
 もしあなたが真剣ならば、選んだ道がどれであれ、あなたを目的地へと連れ
 ていくだろう。
 真剣さ、それが決定要因なのだ。
 質問者 真剣さの源は何でしょうか?
 マハラジ
 鳥を巣に帰らせ、魚を生まれた川へと帰り着かせる帰巣本能だ。
 果実が成熟したとき、種子は大地に返る。
 成熟がすべてなのだ。
 質問者 では、何が私を成熟させるのでしょう? 体験が必要なのでしょう
     か?
 マハラジ
 あなたはすでに必要な体験をすべて得ている。
 そうでなければここには来なかっただろう。
 これ以上体験を積む必要はない。
 むしろ体験を超えていかなければならないのだ。
 あなたがいかなる努力をし、いかなる修練(サーダナ)にしたがおうとも、
 それは単により多くの体験を重ねるだけで、それを超えてはいかない。
 本を読むこともまた、あなたを助けはしないだろう。
 それらはあなたのマインドを豊かにはするだろう。
 だが、個人であるあなたは影響を受けないままだ。
 もし探求から物質的、精神的、霊的な何らかの恩恵を期待するなら、あなた
 は要点をはずしているのだ。
 真理はいかなる利点もあなたに与えない。
 それはあなたにより高い地位も、他者に対するいかなる権力も与えはしない。
 あなたが得るのは真理、そして偽りからの自由だけなのだ。
 質問者 真理は他者を助ける力をあなたに授けるに違いありません。
 マハラジ
 たとえどんなに高尚であろうとも、それは単なる想像にすぎない。
 真理においては、あなたは他者を助けたりはしない。
 なぜなら他者というものは存在しないからだ。
 あなたが人びとを高尚な人と程度の低い人に区別し、高尚な人に程度の低い
 人を助けるように頼むのだ。
 あなたが分割し、判断し、評価し、非難するのだ。
 真理の名のもとに、あなたは真理を破壊してしまう。
 真理を公式化しようとするあなたの欲望そのものが、真理を否定するのだ。
 なぜなら、それは言葉のなかに包括できないものだからだ。
 真理は行為のなかで偽りを否定していくことによってだけ表現できる。
 このために、あなたは偽りを偽りとして見(ヴィヴェーカ)なければならな
 い。
 そしてそれを拒絶する(ヴァイラーギャ)のだ。
 偽りを放棄することが、解放と活力を与える。
 それは完成への道を切り開いていく。
 質問者 真理を発見したことを、いつ知るのでしょうか?
 マハラジ
 「これが真理だ」、「あれが真理だ」といった考えが起こらないときだ。
 真理が自らそれ自身を主張することはない。
 それは偽りを偽りとして見ることのなかにあるのだ。
 マインドが偽りによって盲目になっているとき、真理の探究は無駄になって
 しまう。
 真理があなたに現れる前に、偽りは完全に浄化されなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

511 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/07(月) 21:40:56 ID:1d4drIFg0
悟っていない者が自分と思っているものは自分ではないのじゃ。
ただの観念なのじゃ。
観念を自分と思っているのじゃ。
それが主体であるとか。、
自分の記憶が在るとか。
感じているとか。
そのような観念から自分と思っているのじゃ。

512 避難民のマジレスさん :2019/01/08(火) 02:48:45 ID:LC3de7YgO
>>510
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 しかし、偽りとは何でしょうか?
 マハラジ
 存在をもたないものは間違いなく偽りだ。
 質問者 存在をもたないとはどういう意味でしょう? 偽りは厳然として事
     実です。
 マハラジ
 それ自身で矛盾するものが、存在をもたないのだ。
 あるいはつかの間の存在しかもたないもの、どちらも同じことだ。
 なぜなら、はじまりと終わりをもつものは、その間をもたないからだ。
 それは空っぽだ。
 それはマインドから与えられた名前と形はもっていても、実体も本質ももた
 ないのだ。
 質問者 もし過ぎ去っていくものすべてが存在をもたないとしたなら、宇宙
     もまた存在をもたないということです。
 マハラジ
 誰がそれを否定しただろうか?
 もちろん、宇宙は存在をもっていない。
 質問者 何が存在をもっているのでしょうか?
 マハラジ
 存在に依存しないそれ、宇宙が現れるとともに現れることなく、宇宙が消え
 去るとともに消え去ることのないそれ、いかなる証明も必要とせず、しかし、
 それが触れるすべてのものに実在を分け与えるそれだ。
 一瞬間だけ、あたかも実在のように現れるのが偽りの本性なのだ。
 真実は偽りの父だとも言えるだろう。
 しかし、偽りは時間と空間に限定され、環境によって生まれるものなのだ。
 質問者 どのようにして、私は偽りを除き、実在を確実にすればいいのでし
     ょうか?
 マハラジ
 何の目的のためにかね?
 質問者 より良い、統合され、幸福な、より満足できる人生を生きるためで
     す。
 マハラジ
 何であれ、マインドによって考えられたことは偽りに違いない。
 なぜなら、それはかならず相対的で限定的になるからだ。
 実在は人知の及ばないものであり、ある目的のために利用できるものではな
 い。
 それはそれ自体のために求められなければならないのだ。
 質問者 人知の及ばないものを、どうやって私が望むことができるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 ほかに何か望む価値のあるものがあるだろうか?
 ものを求めるように実在を求められないことは確かだ。
 しかし、あなたは偽りを偽りとして見て、それを放棄することができる。
 真実への道を開くのは、偽りを放棄することなのだ。
 質問者 理解はします。しかし、日常の実生活のなかで、それはどのように
     見えるのでしょうか?
 マハラジ
 利己主義と利己心が偽りの焦点だ。
 あなたの日々の生活は、欲望と恐れの間を揺れ動いている。
 それを余念なく見守りなさい。
 そうすれば、川が岩の合間で泡を立てるように、あなたはマインドがいかに
 して無数の名前と形を装うのかを理解するだろう。
 あらゆる行為を、その利己的な動機までたどっていきなさい。
 そしてその動機を余念なく、それが消
え去るまで見つづけなさい。
 質問者 生きるために、人は自分自身の面倒を見なければなりません。自分
     のためにお金を稼がなくてはならないのです。
 マハラジ
 あなた自身のために収入を得る必要はない。
 だが、妻や子供のためにそうしなければならないかもしれない。
 ほかの人のために、あなたは働きつづけなければならないかもしれない。
 ただ生きつづけることでさえ犠牲となりうるのだ。
 利己的になる必要などどこにもない。
 あらゆる自己本位な動機を見るなり、すぐに放棄しなさい。
 そうすれば、あなたが真理を探究する必要はない。
 真理があなたを見いだすだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

513 避難民のマジレスさん :2019/01/08(火) 02:55:44 ID:LC3de7YgO
>>512
> はじまりと終わりをもつものは、その間をもたないからだ。
 それは空っぽだ。
 それはマインドから与えられた名前と形はもっていても、実体も本質ももた
 ないのだ。

> 質問者 何が存在をもっているのでしょうか?
 マハラジ
 存在に依存しないそれ、宇宙が現れるとともに現れることなく、宇宙が消え
 去るとともに消え去ることのないそれ、いかなる証明も必要とせず、しかし、
 それが触れるすべてのものに実在を分け与えるそれだ。
 一瞬間だけ、あたかも実在のように現れるのが偽りの本性なのだ。
 真実は偽りの父だとも言えるだろう。
 しかし、偽りは時間と空間に限定され、環境によって生まれるものなのだ。

←「実在」とは何か?それは否定によってしかあらわせないものの解説として、くまでもわかるわかりやすさであります!
(´・(ェ)・`)つ

514 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/08(火) 22:57:21 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、偽りのものを全て否定して真実が現われるのじゃ。
 自分の名前とイメージの全てを否定した後にそれはあるのじゃ。
 それだけがあると言えるものなのじゃ。
 否定する主体すらも無いから否定も出来ないものなのじゃ。

515 避難民のマジレスさん :2019/01/09(水) 02:16:48 ID:LC3de7YgO
>>514
> 否定する主体すらも無いから否定も出来ないもの

うむ。
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

516 避難民のマジレスさん :2019/01/09(水) 02:34:54 ID:LC3de7YgO
>>512
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 最低限必要なものがあります。
 マハラジ
 あなたがそれを思ったことで、それは供給されはしなかっただろうか?
 利己主義への囚われを捨て去りなさい。
 そして行為における知性と愛である、ありのままのあなたでありなさい。
 質問者 しかし、人は生き残らなければならないのです!
 マハラジ
 生き残ることはどうすることもできないのだ!
 真のあなたは時間を超え、誕生と死をも超えている。
 そして、身体はそれが必要とされるまで生存するだろう。
 長く生き残ることが重要なのではない。
 充実した人生の方が、長い人生より良いのだ。
 質問者 何が充実した人生かを、誰が言えるのでしょうか? それは私の文
     化的な背景によるものです。
 マハラジ
 もしあなたが実在を探求しているのなら、すべての文化的な考えや感じ方の
 パターンといった背景から、あなた自身を自由にしなければならない。
 男や女であるといった観念さえ、人間であるという観念でさえ放棄されるべ
 きなのだ。
 生命の大海は人類だけでなく、すべてを包含している。
 まず、すべての自己同一化を放棄し、あなた自身をあれやこれとして考える
 のをやめなさい。
 あらゆる利己主義を放棄しなさい。
 物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。
 粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲望を放棄しなさい。
 いかなる類(たぐい)の達成についても考えることをやめなさい。
 あなたは今ここで、完璧なのだ。
 あなたは絶対的に何も必要ないのだ。
 それは何も、あなたが無能で無謀な、軽率で無関心な人になるべきだという
 ことではない。
 ただ自分自身に関する根本的な不安が去るべきなのだ。
 あなたにはいくらかの食事と衣服、そして住居が必要だ。
 しかし、欲望を必要と見なさないかぎり、それが問題をつくり出すことはな
 いだろう。
 想像ではなく、あるがままのものごとと調和のうちに生きなさい。
 質問者 もし、私が人間でなければ、何だというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたに、あなたが人間だと考えさせるものは人間ではない。
 それは意識内の無次元の点、意識している無なのだ。
 あなたがあなた自身に関して言えることは、「私は在る」だけだ。
 あなたは純粋な存在―意識―至福だ。
 それを実現することが、すべての探求の終焉(しゅうえん)なのだ。
 あなたがあなた自身だと思いこんでいることすべてが単なる幻影であり、そ
 して一時的なものを一時的なものとして、想像上のものを想像上のものとし
 て、非現実のものを非現実のものとして、純粋な気づきのなかで超然と離れ
 て見るとき、あなたは探求の終焉に突き当たるのだ。
 それは難しいことではない。
 だが、無執着が必要とされる。
 真理を見ることが困難なのは、偽りにしがみつくからだ。
 ひとたび偽りには時間が必要で、時間を必要とするものは偽りだと理解すれ
 ば、あなたは今このときにあっても時間を超えている。
 実在の間近にいるのだ。
 時間のなかでの永遠とは、時計の運動のような単なる反復にすぎない。
 それは過去から未来へとかぎりなく空虚に永続していくだけだ。
 実在は現在を、単なる精神的なものにすぎない過去や未来とはまったく異な
 った、活気あふれるものにする。
 もしあなたが何かを達成するのに時間が必要ならば、それは偽物に違いない。
 真実はつねにあなたとともにある。
 あるがままのあなたになるために待つ必要はないのだ。
 ただ、マインドが探求のために外へ出ていくのを許してはならない。
 何かが欲しいときは、自分自身に尋ねなさい。
 「私はそれが本当に欲しいのだろうか?」と。
 そして答えがノーならば、ただ捨て去るがいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

517 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/09(水) 21:25:07 ID:1d4drIFg0
>>515 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

自分が人間であり、文化的な背景と価値観をもっているというのも幻想なのじゃ。
生き残らなければならないというのも幻想なのじゃ。
なぜならば人はいずれ必ず死ぬからのう。
人という観念を持つ者は誰も生き残れないのじゃ。
マハラジが実在と呼ぶものだけが時間という観念を超えて永遠に在り続けるものなのじゃ。

518 避難民のマジレスさん :2019/01/09(水) 22:03:38 ID:LC3de7YgO
>>516
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 私は幸福になるべきではないのでしょうか?
 もしあるものが必要で、しかも、もしそれが私を幸せにするなら、それを手
に入れるべきではないでしょうか?
 マハラジ
 あなたが在るということ以上に、あなたを幸せにすることのできるものはな
 い。
 幸福へのすべての探求が不幸のもととなり、より多くの不幸を導くのだ。
 価値のある唯一の幸福とは、意識的存在の自然な幸福だ。
 質問者 そのような高いレベルの気づきに達する前に、たくさんの体験が必
要なのではないでしょうか?
 マハラジ
 体験はただ記憶を後に残し、すでに充分重い重荷に加えるだけだ。
 あなたにこれ以上の体験は必要ない。
 過去のものだけで充分だ。
 そして、もしそれ以上が必要だというのなら、周囲の人びとのハートのなか
 に見入るがいい。
 何千年かけても不可能な多様な体験の数々をあなたは見いだすだろう。
 他者の悲しみから学びなさい。
 そしてあなた自身を救うがいい。
 あなたに必要なのは体験ではなく、すべての体験から自由になることだ。
 体験に貪欲(どんよく)になってはいけない。
 あなたには何も必要ないのだ。
 質問者 あなた自身、体験を通り抜けてきたのではないでしょうか?
 マハラジ
 私のまわりで、ものごとは起こる。
 しかし、私はそれらに手を貸さないのだ。
 私が感情的に巻き込まれるときだけ、出来事は体験となるのだ。
 私は改善を必要としない完全な状態のなかにいる。
 体験が私にとって何の役に立つというのだろう?
 質問者 人は知識と教育を必要とします。
 マハラジ
 ものごとを扱うには、ものごとの知識が必要だ。
 人びとに対応するには、洞察と共感が必要だ。
 自分自身に対するには、あなたには何も必要ない。
 意識的存在である、あるがままのあなたでありなさい。
 そして、あなた自身からさ迷い出てはならない。
 質問者 大学教育はもっとも有益なものです。
 マハラジ
 疑いなく、それはあなたに生活の糧(かて)を得る助けを与えてくれるだろ
 う。
 だが、それはあなたにどのように生きるかを教えはしない。
 あなたは心理学の学生だ。
 それはある特定の状況のなかでは、あなたを助けるだろう。
 しかし、あなたは心理学によって生きることができるだろうか?
 行為のなかで実在が反映されたときだけ、生命は価値あるものとなるのだ。
 死期が訪れたとき、あなたが「私は良く生きた。ふたたび生きる必要はない」
 と言えるために、どのように生きればいいのかを教える大学はないだろう。
 私たちのほとんどは、ふたたび生きたいと願いながら死んでいく。
 あまりにも多くの過ちを犯し、あまりにも多くのやり残しがあるからだ。
 ほとんどの人びとが、無為単調な生活をし、本当に生きているとは言えない。
 彼らは単に体験を集め、彼らの記憶を豊富にするだけなのだ。
 しかし、感覚的でも、観念的でもなく、身体でも、マインドでもない、しか
 もそれらを含み、そのどちらをも超えていく実在を体験は否定してしてしま
 うのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

519 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/10(木) 22:31:41 ID:1d4drIFg0
生きることは知識によっては解明できないのじゃ。
誰もが試行錯誤して生きているのじゃ。
知識だけで安楽に暮らせるならば膨大な知識がある現代の者は皆安楽なはずであるがのう。
実際は苦に迷っているのじゃ。
自らを知り、心を観たものだけが進歩していくことが出来るのじゃ。
それは学校では教えてくれないことなのじゃ。

520 避難民のマジレスさん :2019/01/11(金) 00:23:52 ID:LC3de7YgO
>>518
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 しかし、体験はもっとも有益なものです。体験を通して、人は炎に
 触れないことを学ぶのです。
 マハラジ
 ものごとを扱うには、知識はもっとも有益だとすでに話したはずだ。
 しかし、それはあなたに人びとや自分自身とどうつき合うか、人生をどう生
 きるかを教えはしない。
 私たちは車の運転や金銭を稼ぐ話をしているのではない。
 そのためには体験が必要だ。
 しかし、あなた自身の光となるためには、物質的知識は助けにならないだろ
 う。
 本当の意味でのあなた自身になるためには、間接的知識よりもさらに深く親
 密な何かが必要となるのだ。
 あなたの外面的生活は重要でない。
 あなたは夜警にでもなり、幸福に生きることもできる。
 内面におけるあなたが何なのか、それが重要なのだ。
 いかなる大学もあなた自身として在ることを教えはしない。
 学ぶ方法は実践しかないのだ。
 たった今、あなた自身として在りはじめなさい。
 あなたではないものを放棄し、どこまでも深く入っていきなさい。
 井戸を掘る人が地下水層に達するまで水ではないものを捨て去るように、あ
 なたもまた、自分自身ではないものを、放棄できるものが何ひとつなくなる
 まで捨て去らなければならないのだ。
 あなたはマインドがつかむことのできるものが何も残されていないのを見る
 だろう。
 あなたは人間でさえないのだ。
 あなたはただ在る。
 時間と空間と同一の広がりをもち、しかもその両方を超え、それ自体原因の
 ない、究極の原因である覚醒の一点なのだ。
 もしあなたが「あなたは誰か?」と尋ねるならば、私はこう答えるだろう。
 「私は特定な何かではない、しかし、それでも私は在るのだ」と。
 質問者 もしあなたが特定の何かではないとすれば、あなたは普遍的な何か
 であるはずです。
 マハラジ
 普遍的であることとは何だろうか?
 理念としてではなく、ひとつの生き方として。
 何であれあなたがであうものと分離せず、反対せず、理解し、愛することが
 普遍的に生きることだ。
 わたしは世界であり、世界は私だ。
 世界は私のものであり、世界は我が家だと本当に言えること。
 すべての存在は私の存在であり、すべての意識は私の意識だ。
 すべての悲しみは私の悲しみであり、すべての喜びは私の喜びだ。
 これが普遍的な人生なのだ。
 それにもかかわらず、私の真の存在は、あなたもまたそうであるように宇宙
 を超え、それゆえ特定や普遍といった範疇(はんちゅう)をも超えている。
 それは、それであるものだ。
 完全に自己充足し、独立しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

521 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/11(金) 22:39:55 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、マハラジがいうように全てが私であり全てなのじゃ。
宇宙も意識も世界も何もかもすべて一つなのじゃ。
数えることも無いから無数無量なのじゃ。
ただ意識だけが在る全てが全てなのじゃ。

522 避難民のマジレスさん :2019/01/12(土) 10:00:48 ID:LC3de7YgO
>>520
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 私には理解しがたいことです。
 マハラジ
 これらのことを実行するには、しばらく自分自身に時間を与えなければなら
 ないだろう。
 新しい轍(わだち)をつくることなく、あなたの脳から古い轍を消し去らな
 ければならない。
 あなたはあなた自身が不動なものであること、起こることすべての沈黙の観
 照者であることを認識しなければならないのだ。
 質問者 つまり、私は活動的な人生という考えすべてを捨て去らなければな
 らないということでしょうか?
 マハラジ
 まったくそうではない。
 そこには結婚が、子どもが、そして家族を維持するために収入を稼ぐことが
 あるだろう。
 すべては出来事の自然な流れに沿って起こるだろう。
 運命はそれ自身を満たしていかなければならないからだ。
 あなたはやってくる大小含めた仕事を注意深く周到にこなし、抵抗なく通り
 抜けていくことだろう。
 だが全体的な姿勢は愛情深い冷静さ、かぎりない善意、見返りを期待せず、
 求めることなく、絶え間なく与えつづけていくことだ。
 結婚においては、あなたは夫ではなく、妻でもない。
 あなたはその二つの間の愛なのだ。
 あなたはすべてに秩序と幸福をもたらす明晰性と優しさだ。
 それはあなたにとって、つかみどころのないものに見えるかもしれない。
 しかし少し考えてみれば、神秘的なことがもっとも実際的であることを知る
 だろう。
 なぜなら、それはあなたの人生を創造的で幸福にするからだ。
 あなたの意識はより高い次元に上昇し、そこからは、すべてがより明瞭でよ
 り強烈に見える。
 誕生時に個人となり、死において存在を終えるその人はつかの間の偽物だと
 あなたは悟るのだ。
 あなたは欲望と恐れに捕らえられた感覚的、感情的、知的個人ではない。
 あなたの真の存在を見いだしなさい。
 私とは何なのか?
 これがすべての探求の根本的な質問だ。
 そのなかへ深く入っていきなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

523 避難民のマジレスさん :2019/01/12(土) 15:21:18 ID:LC3de7YgO
>>522
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 マハラジ
 探求者とは彼自身を探している人だ。
 じきに彼は、身体が彼ではありえないと発見する。
 ひとたび「私は身体ではない」という確信がしっかりと確立されれば、もは
 や彼は身体に代わって感じ、考え、行動することはできなくなる。
 彼は普遍的な存在、知識、行為なのだということを容易に発見するだろう。
 彼のなかで、彼を通して宇宙全体が真実で、意識的で、活動的になるのだ。
 これが問題の核心だ。
 あなたは身体意識として環境の奴隷となるか、あるいはあなたは普遍的意識
 そのものであり、あらゆる出来事を完全に制御するかだ。
 しかし、それでも意識、個人、普遍なるものは私の真の居場所ではないのだ。
 私はその中にはなく、それは私のものではない。
 その中に「私」はない。
 どのようにして人が意識でもなく、無意識でもなく、ただ彼方に在ることが
 できるのかを説明することは容易でないが、私は彼方にあるのだ。
 私は神の中にいる、あるいは私は神だ、とは言えない。
 神は普遍的な光と愛、普遍的な観照者だ。
 私は普遍的なものさえ超えているのだ。
 質問者 それでは、あなたには名前も形もないということです。いったい、
 あなたはいかなる類(たぐい)の存在なのでしょうか?
 マハラジ
 私は私であるものだ。
 形がなく、形がないということでもない。
 意識ではなく、無意識でもない。
 私はこれらすべての範疇の外に在るのだ。
 質問者 あなたは「ネティ・ネティ」、これではない、これではないという
 アプローチについて語っているのでしょうか?
 マハラジ
 単なる否定によって私を見いだすことはできない。
 私はすべてであり、無なのだ。
 その両方であり、その両方でない。
 そういった定義は宇宙の支配者には当てはまるだろうが、私には当てはまら
 ないのだ。
 質問者 あなたはただの無だということを伝えたいのでしょうか?
 マハラジ
 そうではない。
 私は完全であり完璧なのだ。
 私は存在の中の存在性、知ることの中の知、幸福の充足だ。
 私を虚空に引き下げることはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

524 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/12(土) 21:11:42 ID:1d4drIFg0
観念がないということは無ですらないのじゃ。
無もまた観念の一つに過ぎないのであるからのう。
無である観念によって知識を増やそうとするならばそれもまた否定されるべきなのじゃ。
観念が無いことによって全ては正しく見えるようになるのじゃ。

525 避難民のマジレスさん :2019/01/12(土) 22:27:45 ID:LC3de7YgO
>>523
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 質問者 もしあなたが言葉を超えているならば、私たちは何について話すと
 いうのでしょう? 形而上学的には、あなたの言われることは筋が
 通っていて、内面的な矛盾はありません。しかし、あなたの言われ
 ることは、私の糧(かて)になっていないのです。それは完全に私
 の緊急の必要性を超えています。私がパンを求めているときに、あ
 なたは宝石を与えているのです。それらが美しいことは、疑うまで
 もありません。しかし、私は空腹なのです。
 マハラジ
 そうではないのだ。
 私はあなたがまさに必要としているものを差しだしている――気づきだ。
 あなたは空腹ではなく、パンも必要ない。
 あなたに必要なのは停止、放棄、開放だ。
 あなたが必要だと信じているものは、あなたに必要なものではないのだ。
 あなたが本当に必要としているものを知っているのは私だ。
 あなたではない。
 あなたは私がいる状態に戻らなければならない――あなたの自然な状態に。
 ほかの何であれ、あなたの考えるものは幻想であり、障害だ。
 私を信じてほしい。
 あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
 あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
 それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
 ものだ。
 あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
 で充分だ。
 それ以外のすべては無駄なのだ。
 質問者 言うは易く行うは難し、です。苦痛を抱えた人があなたのもとへや
 ってきたとします。そして、あなたは彼に胃の中のものを吐き出す
 ように勧めるのです。もちろん、マインドがなければ何の問題もあ
 りません。しかし、もっとも明白に、マインドはそこにあるのです。
 マハラジ
 マインドがそこにある、とあなたに言うのはマインドなのだ。
 騙されてはいけない。
 マインドについての果てしない議論はみな、マインドそのものによってそれ
 自身を保護し、継続し、拡張するために生みだされたのだ。
 それを超えた彼方へとあなたを連れていくことができるのは、マインドの回
 旋や動乱を完全に拒絶することだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

526 避難民のマジレスさん :2019/01/13(日) 08:58:32 ID:LC3de7YgO
>>525
> マインドがそこにある、とあなたに言うのはマインドなのだ。
 騙されてはいけない。
 マインドについての果てしない議論はみな、マインドそのものによってそれ
 自身を保護し、継続し、拡張するために生みだされたのだ。
 それを超えた彼方へとあなたを連れていくことができるのは、マインドの回
 旋や動乱を完全に拒絶することだ。


うぅむ。
拒絶。
何があっても、大丈夫、あるいは仕方がない、と平常心で受け止める覚悟があればよいのでありますね。
悟ってなくても、そのように振る舞えるようになればよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

527 避難民のマジレスさん :2019/01/13(日) 09:16:02 ID:LC3de7YgO
>>525
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 マハラジ
 いかに高尚であっても、体験は実在のものではない。
 体験はその本性からして、来ては去っていくものなのだ。
 自己実現は獲得されるものではない。
 それはもっと理解の本質に近いものだ。
 ひとたびそれに到達すれば、けっして失われることはない。
 その反対に、意識は変化し、流れ、瞬間から瞬間へと変容を通り抜けていく。
 意識とその内容をとどめようとしてはならない。
 意識をとどめれば、それは止まる。
 洞察のひらめきと至福の爆発を永続させようと試みることは、それを維持し
 ようとするものにとって破壊的になる。
 来るものは去らなければならない。
 永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
 すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
 無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
 何度も繰り返し試みることだ。
 質問者 試みるには信頼が必要です。
 マハラジ
 まず、熱望がなければならない。
 欲望が強力なとき、試みようとする意志が現れるだろう。
 欲望が強いとき、あなたは成功への確信も必要ない。
 あなたには賭をする用意があるのだ。
 質問者 強い欲望、強い信頼――最後にはどちらも同じことです。これらの
 人々は彼らの両親も、社会も、自分自身さえ信頼しません。触れる
 ものすべてがくずれてしまうのです。彼らに絶対的に真正で、疑う
 余地のない、マインドによる議論を超えたひとつの体験を与えてく
 ださい。そうすれば彼らは世界の果てまであなたにしたがうでしょう。
 マハラジ
 だが、私はほかでもない、それをしているのだ!
 休むことなく、私はひとつの論争の余地のない要因へと彼らを引き寄せてい
 る。
 存在に証明は必要ない。
 それはそれ以外のすべてを証明するのだ。
 もし彼らが存在の事実の中に深く入っていき、「私は在る」が扉となる広大
 さと栄光を見いだし、その扉を通り抜けて、さらに彼方へと進んで行くなら、
 彼らの人生は幸福と光に満ちたものとなるだろう。
 私を信じてほしい。
 到達したとき、発見されるものに比べれば、必要とされる努力など無に等し
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

528 避難民のマジレスさん :2019/01/13(日) 09:18:12 ID:LC3de7YgO
>>527
うむ!信じるであります。
(´・(∀)・`)つ

529 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/13(日) 20:48:55 ID:1d4drIFg0
>>526 そうじゃ、全て流してしまうのじゃ。
 囚われなくて善いのじゃ。

全てを手に入れるのであるからどれほど努力してもその甲斐はあるといえるのじゃ。
一生を費やしても悟りを得ようと精進するべきなのじゃ。
いずれは誰もが心身の全てを死によって失うのであるからのう。
有限な心身を使って無限の意識に参入するのじゃ。

530 避難民のマジレスさん :2019/01/13(日) 22:02:45 ID:LC3de7YgO
>>527
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 質問者 あなたの言われるとおりです。しかし、これらの人々は自信も忍耐
 ももってはいないのです。
短期間の努力でさえ彼らを疲れさせてしまいます。
彼らが盲目のうちに手探りをし、しかも救いの手をつかむことさえできずにい
るのを見るのは心痛むことです。
彼らは根本的に本当にすてきな人たちなのですが、完全に道に迷っています。
 私は彼らに言うのです。
「真理をあなたの要求額で手に入れることはできない。条件を受け入れなけれ
ばならないのだ」と。
それに対する彼らの答えはこうです。
「何人かは条件を受け入れ、何人かは受け入れないでしょう。
受容や非受容は表面的で偶然のものです。
 実在はすべての中にあるのです。
すべての人が無条件で歩いていける道がか
ならずあるはずです」と。
 マハラジ
 あらゆるレベルで、人生のあらゆる領域において、すべてに対して開かれた
 そのような道はあるのだ。
 誰もが自分自身に気づいている。
 自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
 それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
 それはすべての人たちのためにある。
 誰もそれにとって未熟ではない。
 そして誰にも失敗はありえない。
 しかし、もちろんただ注意するだけではない。
 あなたの留意はマインドをも含まなければならないのだ。
 観照とは、根本的に意識とその動きへの気づきなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

531 避難民のマジレスさん :2019/01/14(月) 00:58:29 ID:LC3de7YgO
>>530
> 誰もが自分自身に気づいている。
 自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
 それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
 それはすべての人たちのためにある。
 誰もそれにとって未熟ではない。
 そして誰にも失敗はありえない。
 しかし、もちろんただ注意するだけではない。
 あなたの留意はマインドをも含まなければならないのだ。
 観照とは、根本的に意識とその動きへの気づきなのだ。

注意深く、意識的にあろうとせよと言うことでありますね。
老いぼれても、つまずいて転んだりしないように注意せよと言うことであり、
老いぼれても、何でも知ってると思わず、注意深く本心を見守れと言うことでありますね。
(´・(∀)・`)つ

532 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/14(月) 22:22:28 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、始めて観るが如く注意深くみるのじゃ。
 同じものを観ると思うと人はどうしても手抜きするからのう。
 初心に帰るのじゃ。
 初心禅心なのじゃ。

533 避難民のマジレスさん :2019/01/15(火) 07:00:01 ID:LC3de7YgO
>>530
『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】

 質問者 私たちは先日、現代における西洋人のマインドのあり方と、それが
 ヴェーダーンタ* の道義的、また知的修練に服従することの困難さ
 について語りました。その障害のひとつは、若いヨーロッパ人やア
 メリカ人は、世界の悲惨な状態と、それを正そうとする緊急の必要
 性に没頭することにあるのです。
 彼らは、あなたのような世界の改善の必要条件として個人的な改善
 を教える人に対する、忍耐力をもっていません。彼らは、それは可
 能ではなく、必要でもないと言うのです。人類はその社会的、経済
 的、政治的な組織体系を変える用意があると彼らは言います。世界
 政府、世界警察、世界計画、そしてすべての物質的、観念的境界線
 を廃棄することだけで充分であり、個人的変容は必要ないのだとい
 うことです。確かに、人びとが社会を形成しますが、社会も人びと
 を形成するのです。人間社会のなかで、人は人間らしくあることで
 しょう。それだけでなく、科学は以前宗教の領域になった多くの質
 問の答えを供給しています。

 * 訳注 ヴェーダーンタ Vedanta 「ヴェーダ(知識)の終焉」を意味する。
 『ウパニシャッド』『バガヴァッド・ギーター』、『ブラフマ・ス
 ートラ』を根本においたヒンドゥー教の教義の体系。純粋な非二元
 性と限定された(条件つき)非二元性の二つの教義を提示している。

 マハラジ
 確かに、世界の改善のために努力することは、もっとも賞賛に値する仕事だ。
 非利己的に為されることで、それはマインドを明晰にし、ハートを浄化する。
 しかし、じきに人ははかない夢を追求していることを自覚するのだ。
 特定の地域の、一時的な改善はつねに可能だ。
 そして、それは偉大な王や教師の影響のもとで何度も達成されてきた。
 だが、それはすぐに終局を迎え、人類を新しい悲惨な循環の輪のなかにおき
 ざりにするのだ。
 質問者 あなたは逃避を勧めているのではありませんか?
 マハラジ
 その反対だ。
 再生への唯一の道は破壊を通してしかないのだ。
 新しい金の宝飾品を鋳造する前に、あなたは古い宝飾品を、一度形のない状
 態に溶かさなければならない。
 世界を超えた彼方へ行った人びとだけが、世界を変えることができるのだ。
 そうでなければ、それはけっして起こらない。
 影響力が長く続いた少数の人たちは皆、実在を実現した人たちだった。
 彼らのレベルに到達しなさい。
 そして、そうなってから世界を助けることについて話すがいい。
 質問者 私たちが救いたいのは山や川ではなく、人びとなのです。
 マハラジ
 世界には、何も間違ったことはない。
 ただ、それを悪くする人たちのせいなのだ。
 行って、彼らに正しくふるまうように言いなさい。
 質問者 欲望と恐れが彼らにそのようにふるまわせるのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 人間の行動が恐れや欲望に支配されているかぎり、そこには何の希望もない。
 そして、どのようにして効果的に人びとに話をもちかけるかを知るには、あ
 なた自身、すべての欲望と恐れから自由にならなければならないのだ。
 質問者 一定の基本的な欲望や恐れは不可避なものです。それらは食べ物、
 セックス、死に関連しているのです。
 マハラジ
 それらは必要なものであり、必要なものとして容易に満たされる。
 質問者 死でさえも必要なのでしょう
か?
 マハラジ
 長く、充実した人生を生き、あなたは死ぬ必要性を感じるのだ。
 欲望と恐れが誤って適用されたときにだけ、それは破壊的になる。
 確かに欲望は正しく、恐れは誤りだ。
 だが、人びとが間違ったものを欲望し、正しいものを恐れるならば、それら
 は混沌と絶望を生み出すのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

534 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/15(火) 22:14:07 ID:1d4drIFg0
世界を救うとか、統一するとか宣伝して独裁者達が多くの血を流してきたのじゃ。
今もまた世界を救おうと努力して更に悲惨な世界が作られていくのじゃ。
欲を離れていない人間には無理な仕事なのじゃ。
悟りを求めることはそのような仕事から離れるから逃避に見えるが、実際にはそれだけが唯一の救いなのじゃ。
政治にも社会にも知識や学問にも出来ない真の救いが在るのじゃ。

535 避難民のマジレスさん :2019/01/15(火) 22:20:22 ID:LC3de7YgO
>>534
うむ。
それしかないでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

536 避難民のマジレスさん :2019/01/15(火) 22:41:38 ID:LC3de7YgO
>>533
68の1『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】(つづき)

 質問者 何が正しく、何が間違いなのでしょうか?
 マハラジ
 相対的には、苦しみの原因となるものが間違いで、苦しみを和らげるものが
 正しい。
 絶対的には、あなたを実在に連れ戻すものが正しく、実在を見えなくするも
 のが間違ったものだ。
 質問者 私たちが人類の救済について話すとき、それは無秩序と苦しみに対
 しての努力を意味しているのです。
 マハラジ
 あなたは単に救済について話すだけだが、かつて一度でも、ひとりの人を本
 当に助けたことがあるだろうか?
 あなたは今まで、ひとりの魂を助けの要らなくなるところまで導いたことが
 あるだろうか?
 彼の真の存在への洞察をもった人ではないにしても、少なくとも義務と機会
 を完全に自覚した人物を挙げることができるだろうか?
 あなたが自分自身にとって何が良いのかも知らないときに、どうして他者の
 ために何が良いかを知ることができるだろうか?
 質問者 生活手段の適切な供給は、すべての人たちにとって良いことです。
 あなたは神自身かもしれませんが、私たちに話しかけるにも、栄養
 の充分行きとどいた身体が必要なはずです。
 マハラジ
 あなたに話しかける私の身体を必要としているのは、あなたなのだ。
 私は身体でもなく、それを必要としてもいない。
 私は観照者でしかない。
 私は私自身の形をもっていないのだ。
 あなたは、それほどまで自分自身が意識をもった身体だと考えることに慣れ
 ているため、意識が身体をもっているということが想像もできないのだ。
 身体的存在は意識のなかの動き、マインドの状態でしかなく、意識の大洋は
 無限で永遠であるとひとたび認識し、意識に触れるとき、あなたは観照者で
 しかないと自覚したなら、完全に意識の彼方へと行くことができるだろう。
 質問者 存在のなかには多くのレベルがあると聞きました。
あなたはそれらすべてのレベルのなかに存在し、機能しているのでしょうか?
 あなたは地上に在りながら、同時に天国(スワルガ)にもいるのでしょうか?
 マハラジ
 どこにも私を見いだすことはできない。
 私はほかのもののなかにあるひとつのものではない。
 すべてのものごとは私のなかに在る。
 だが、私はものごとのなかにはいないのだ。
 あなたは私に、表層について語っている。
 だが、私は土台に関わっている。
 表層は現れては衰えていく。
 しかし、土台にあるものは継続するのだ。
 私は移りゆくものに興味をもたない。
 一方、あなたはそれ以外のことは何も話さないのだ。
 質問者 奇妙な質問を許してください。もし誰かが鋭い刀で突然あなたの首
 を断ち切ったならば、あなたにとってどのような違いがあるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 まったく何の違いもない。
 身体がその頭を失うだけだ。
 伝達経路が断ち切られるだろう。
 それだけだ。
 二人の人が電話で話をしている。
 そして、線が切られたのだ。
 その人たちには何も起こらない。
 ただ、彼らはほかの伝達手段を探さなければならないだけだ。
 『バガヴァッド・ギーター』は、「刀はそれを切らない」と言っている。
 文字通りそうなのだ。
 媒体の死にもかかわらず、生きつづけるのが意識の本性だ。
 それは火のようなものだ。
 それは燃料を燃やし尽くすが、それ自体をではない。
 ひとつの炎が燃料の山を長い間燃やしつづけていくように、意識も無数の身
 体を通して生きつづけていくのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

537 素人A :2019/01/16(水) 08:11:05 ID:gOqWUDAs0
個の用も2045年問題泣くAIの発達により見回りロボットの人間の物質的役は解決され?観るだけで物質的責任は
亡くなりバーチャルなテレビの劇のなかで泣き笑いの感動するだになるのか?どうせ人間は役立たずで動物の体維持する
無駄遣いはやめ合理的な機械いやAIロボットに動物はおきかえられるのか?もともと悟ツタ聖者たちは物質的欲望は
最低限で観るだけのバーチャル観で生きていたしまあ良い時代が来たのか?兎に角あくせく汗流して働かなくても生き
られで永遠のテレビの盤だとみな悟らされ、それは凡仏にはつまらない正解の鴨で痛いは困るけど女性を触れなくなるのが
辛いのか?親子でもそれはバーチャルな役目で半分の観るだけの半分のあの世うの無責任な淡い現実感しかなあ
アートため息が出で現実に迷つた時代を懐かしく思う野鴨。でもブラフマンの親心で観るだけの存在として許されているだけ
でも有りがたいのかイラン人としてゴミ箱に捨てられるよりましか?本当は捨てられる運命なら怖い。
来てほしい遊んで楽に暮らせるなら2045年は問題無しなんだが?美味い汁のAIは金持ちが独占するなら不味い世
が来るのか?サイコロの眼は目出たい法に出るのか丁半勝負?いままで人類は核問題も金さんも乗り切ってきたし
心配ないのかも知れないけどホーキンズ放棄するか なるようになるしか無い。

538 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/16(水) 21:49:11 ID:1d4drIFg0
>>535 そうじゃ、悟りを求めることこそ人が真に行うべきことなのじゃ。

 マハラジは救済を口にする者に、かつて本当に一人の人でも助けたことがあったかと聞くのじゃ。

 例えば飢えている者に食べ物をあげれば命は一時的に助かるじゃろう。
 家とか服とか医療を与えればかなり長く生きられるじゃろう。
 更に畑とか仕事とかを提供すれば老病死がくるまでは生きられるじゃろう。
 しかし、その先にある老病死からは助けられないのじゃ。
 それが他人への救済の限界なのじゃ。

 自ら悟りを得て他人をも導かなければその限界は突破できないのじゃ。
 他人を導いて悟りを得さしめてこそ真の救済が出来たといえるのじゃ。

539 避難民のマジレスさん :2019/01/16(水) 22:49:53 ID:LC3de7YgO
>>538
うむ。
一切をありのままに受け入れることできるように、よぼよぼよたよたと、がんばるであります。
(´・(ェ)・`)つ

540 避難民のマジレスさん :2019/01/16(水) 22:59:57 ID:LC3de7YgO
>>536
『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】(つづき)

 質問者 燃料は炎に影響を与えます。
 マハラジ
 それが続くかぎりはそうだ。
 燃料の性質を変えてみなさい。
 炎の色と姿も変化するだろう。
 今、私たちは互いに話しあっている。
 このために、存在は必要となる。
 存在しなければ、話しあうことはできない。
 だが、存在だけでは充分とは言えない。
 そこには話したいという欲望もなければならないのだ。
 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
 この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
 えない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
 質問者 あなたは沈黙の観照者であり、また意識の彼方に在ると言われます。
 そこには矛盾があるのではないでしょうか?
 もしあなたが意識の彼方に在るのなら、あなたは何を観照するというのでしょ
うか?
 マハラジ
 私は意識と無意識だ。
 意識と無意識であり、そして意識ではなく、無意識でもない。
 これらすべてに対して、私は観照者なのだ。
 だが、実はそこに観照者はいない。
 なぜなら、そこに観照されるものが何もないからだ。
 私はすべての精神構造を完全に空にした、空っぽのマインドなのだ。
 それにもかかわらず、完全に気づいている。
 これが、私はマインドを超えていると言うことで表現しようとしていること
 なのだ。
 質問者 それでは、どのようにしてあなたのいるところに到達できるのでし
ょうか?
 マハラジ
 意識していることに気づいていなさい。
 そして意識の源を探求しなさい。
 それだけだ。
 言葉ではほとんど伝えることはできないのだ。
 私があなたに話すことではなく、私の言うように、それをすることが光をもた
らす。
 手段はさして重要ではない。
 重きをなすのは熱望、衝動、真剣さなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

541 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/17(木) 21:52:22 ID:1d4drIFg0
>>539 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。

真剣であり、悟りを熱望し、激しい衝動を持っている者ならば悟りも速やかに達成できるのじゃ。
マハリシは死を超えるものを知ることに激しい衝動があったのじゃ。
そうであるから一日で悟りを得たのじゃ。
方法はそのような悟りへの真の衝動を持たないものの為にあるものじゃ。
更に激しく悟りへの情熱を燃やすのじゃ。

542 避難民のマジレスさん :2019/01/17(木) 23:13:01 ID:LC3de7YgO
>>541
人に生きる目的があるとすれば、死ぬことでありますよね。
他に目的・・・て、言うか、目標は、ないでありますよね。

死んで生きるのが、覚者の教えでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

543 避難民のマジレスさん :2019/01/17(木) 23:19:46 ID:LC3de7YgO
>>540
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 私の友人はドイツ人です。そして私はイギリス生まれで、両親はフ
 ランス人です。私はアーシュラムからアーシュラムを巡りながら、
 一年以上もインドにいます。
 マハラジ
 何かサーダナ(修練)をしているのかね?
 質問者 研究し、瞑想しています。
 マハラジ
 何に瞑想しているのだろうか?
 質問者 私が読んだことに瞑想しています。
 マハラジ
 よろしい。
 質問者 あなたは何をされているのでしょうか?
 マハラジ
 座っているのだ。
 質問者 ほかには?
 マハラジ
 話している。
 質問者 あなたは何について話をされるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは講義が聞きたいのかね?
 あなたが深く感じられるように、本当に心に触れるような何かを尋ねるほう
 がいい。
 感情的に関わらないかぎり、私と議論をしたとしても、本当の理解は私たち
 の間に生まれないだろう。
 もしあなたが「何も私を悩ますことはない、問題はない」というのなら、そ
 れはそれでいい。
 私たちは静かに黙っていよう。
 だが、本当にあなたの心に触れる何か
があるのならば、話す目的もあるとい
 うものだ。
 私があなたに尋ねようか?
 あなたがひとつところから別のところへと、移動しつづける目的は何だろう
 か?
 質問者 人びとに出会い、彼らを理解することです。
 マハラジ
 人びとの何をあなたは理解しようとしているのだろう?
 正確には、あなたは何を求めているのだろうか?
 質問者 統合です。
 マハラジ
 もしあなたが統合を望むのなら、誰を統合するのか知らなければならないだ
 ろう。
 質問者 人びとに出会い、彼らを見守
ることで、人は自分自身をもまた知る
 ことになるのです。それはともに進むのです。
 マハラジ
 それはかならずしもともに進むとはかぎらない。
 質問者 一方が他方を改善していきます。
 マハラジ
 それはそのように働かないのだ。
 鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
 あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
 鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
 きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
 を見なさい。
 しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
 あなたは投影を見る者だ。
 それを明確に理解しなさい。
 あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

544 避難民のマジレスさん :2019/01/17(木) 23:24:18 ID:LC3de7YgO
>>543
> 感情的に関わらないかぎり、私と議論をしたとしても、本当の理解は私たち
 の間に生まれないだろう。
←うむ。で、ありましょう。
> それはそのように働かないのだ。
 鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
 あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
 鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
 きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
 を見なさい。
 しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
 あなたは投影を見る者だ。
 それを明確に理解しなさい。
 あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
←マハラジさんはユーモアがあり余裕でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

545 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/18(金) 22:13:58 ID:1d4drIFg0
>>542 そうじゃ、死んで生きるのじゃ。

マハラジの言葉は悟っていなければ理解するのは難しいじゃろう。
一体何が鏡で何が投影なのかもわからんじゃろう。
心が鏡であり、イメージが投影されるものと見ることもできるのじゃ。
しかし、イメージは自分ではないのじゃ。 
投影をみるものであり、知覚出来ないものとはアートマンに他ならないのじゃ。

546 避難民のマジレスさん :2019/01/19(土) 00:37:44 ID:LC3de7YgO
>>545
うむ。
くま、昔からわかっていたような気もするし、永遠にわかるわけがないと言うような気もするのであります。
それではいけないのでありましようか?、どうでもよいのでありましょうか?。
自分に問うくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

547 避難民のマジレスさん :2019/01/19(土) 07:48:47 ID:LC3de7YgO
>>543
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)
 質問者 私が鏡で、世界は投影なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは鏡と投影の両方を見ることができるのだ。
 あなたはそのどちらでもない。
 あなたは誰なのか?
 決まり文句で答えてはならない。
 答えは言葉のなかにないからだ。
 言葉で表せるもっとも近い表現は、「私は知覚を可能にし、体験者とその体
 験を超えた生命だ」と言えよう。
 さて、あなたは鏡と鏡のなかのイメージから自分を引き離し、完全にひとり
 で、まったくあなただけで立つことができるだろうか?
 質問者 いいえ、できません。
 マハラジ
 どうしてできないと知っているのかね?
 どのようにやっているのかも知らずに、あなたはたくさんのことをしている
 のだ。
 消化し、血液やリンパ液を循環させ、筋肉を動かしている。
 すべて、どのようにしているのかさえ知らずに。
 同じように、あなたはなぜ、どのようにしてるのかも知らないまま、知覚し、
 感じ、考えている。
 同じように、あなたは知らなくてもあなた自身なのだ。
 真我としてのあなたに何も間違ったところはない。
 それはそれとして完全だ。
 正しく澄んでいないのは鏡なのだ。
 それゆえ、それがあなたに偽りのイメージを与えるのだ。
 あなた自身を正す必要はない。
 ただあなた自身に関するあなたの考えを正しなさい。
 あなた自身を鏡と鏡のなかのイメージから引き離すことを学びなさい。
 つねに、「私はマインドでも、その考えでもない」ということを覚えておき
 なさい。
 信念とともに、忍耐強くそれをしなさい。
 そうすればあなたは、すべてを包容し、すべてに遍在する永遠の存在―知識
 ―愛の源としての、あなた自身の直接の姿を知るときがかならず来るだろう。
 あなたは身体のなかに焦点を合わせた無限なるものだ。
 今、あなたは身体しか見ていない。
 真剣に試みてみなさい。
 そうすれば、無限なるものだけを見るようになるだろう。
 質問者 実在の体験、それはいつやってくるのでしょう、それは続くものな
 のでしょうか?
 マハラジ
 すべての体験は、かならず一時的なものだ。
 だが、すべての体験の根底にあるものは不動なのだ。
 出来事と呼ばれるものは何ひとつ永続しない。
 だが、ある出来事はマインドを浄化し、ある出来事はそれを汚(けが)して
 しまう。
 深い洞察とすべてを包容する愛の瞬間はマインドを浄化する。
 だが、欲望と恐れ、妬(ねた)みと怒り、盲目と知的慢心は精神を汚し、鈍
 くしてしまうのだ。
 質問者 真我の実現はそれほどまでに重要なのでしょうか?
 マハラジ
 それなしには、あなたは果てしない苦しみのなかで、無意味に欲望と恐れを
 繰り返しながらそれらに食い尽くされてしまうだろう。
 ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないのだ。
 しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべての争いや
 葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の仕事となるだろう。
 あなたは自由になれることを知っている。
 そして今、それはあなたにかかっているのだ。
 永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、つねに失
 い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り
 去ることもない永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。
 そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
 それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
 だ。
 質問者 ここまでは、あなたの言われることを理解しました。さて、私は何
 をすべきなのでしょうか?
 マハラジ
 何もすることはないのだ。
 ただ在りなさい。
 何もしてはいけない。
 在りなさい。
 山に登って洞窟のなかに座ることはない。
 私は「あなた自身で在りなさい」とさえ言わない。
 なぜなら、あなたはあなた自身を知らないからだ。
 ただ在りなさい。
 あなたは知覚可能な「外側」の世界でもなければ、思考可能な「内側」の世
 界でもない。
 あなたは身体でもマインドでもないことを見極めたのだ。
 ただ在りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

548 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/19(土) 21:23:25 ID:1d4drIFg0
>>546 今はわからなくてよいのじゃ。
 悟れば自然にわかるのじゃ。
 目覚めた者の言葉とはそのようなものじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

悟りをもとめることは知識や記憶を増やすことではないのじゃ。
目覚めた者の言葉をいくら多く記憶していても無意味なのじゃ。
自ら自分を追及してその言葉を確かめるしかないのじゃ。
その実践をただ在ることとマハリシはいうのじゃ。

549 避難民のマジレスさん :2019/01/19(土) 21:50:50 ID:LC3de7YgO
>>547
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 真我の実現には、確かに段階があるはずです。
 マハラジ
 真我の実現に段階などない。
 何も漸進的なところはないのだ。
 それは突然起こり、後戻りできないものだ。
 あなたは新しい次元のなかに入り、そこから以前の次元が単なる抽象的観念
 でしかなかったことを見る。
 日の出とともに、ものごとをあるがままに見るように、あなたは真我を実現
 することですべてをあるがままに見るのだ。
 幻想の世界は後に残されたままだ。
 質問者 真我の実現の状態のなかでは、ものごとは変わるのでしょうか?
 それらは色彩豊かになり、深い意味をもつようになるのでしょうか?
 マハラジ
 その体験はまったく正しい。
 しかし、それは実在(サダヌバーヴ)の体験ではなく、宇宙との調和(サッ
 トヴァヌバーヴ)の体験だ。
 質問者 それでも、そこには進歩があるのでしょうか?
 マハラジ
 準備(サーダナ)のなかに進歩はありうる。
 実現は突然のものだ。
 果実はゆっくり熟していく。
 しかし、落ちるのは突然であり、しかも、もとに戻ることはないのだ。
 質問者 私は身体的にも精神的にも安らかです。これ以上何が必要なのでし
 ょうか?
 マハラジ
 あなたの状態は究極の状態ではないかもしれない。
 あなたは自然な状態に戻ったことを、すべての欲望と恐れの完全な不在によ
 って自覚するだろう。
 結局、すべての欲望と恐れの根本には、あなたがあるがままではないという
 感覚があるのだ。
 関節がはずれているかぎり、脱臼(だっきゅう)したところが痛むように、
 そして関節がはめられたとたん、忘れ去られるように、すべての利己的関心
 は、ひとたび正常な状態に戻れば消えてしまう精神的な脱臼の症候なのだ。
 質問者 そのとおりです。しかし、自然な状態に達するためのサーダナとは
 何なのでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」という感覚をつかみ、それ以外のすべてを除きなさい。
 こうしてマインドが完全に沈黙したとき、それは新しい光とともに輝き、新
 しい知識とともに振動するのだ。
 すべては自発的にやってくる。
 ただ、「私は在る」という感覚をつかむ必要があるだけだ。
 眠りから覚めたときのように、あるいは歓喜の状態にいるように、あなたは
 休息した感覚をもち、しかもなぜ、どのようにしてこれほど良い感じがする
 ようになったのか説明ができない。
 真我実現も同じように、あなたは完全で、充足し、快楽―苦痛から自由であ
 ると感じ、それにもかかわらず、何が、どうして、どのように起こったのか
 を説明できないのだ。
 あなたはそれを否定的な言語でしか表せない。
 「私には、もはや何も間違ったところがない」と。
 ただ過去との比較においてだけ、それから自由になったことを知るのだ。
 そうでなければ、あなたはただ、あなたのままなのだ。
 ほかの人たちに伝えようとしてはならない。
 もしそうできるとしたら、それは本物ではなかったのだ。
 沈黙しなさい。
 そして、それは行為のなかで、それ自身を表現するのを見守りなさい。
 質問者 もし私が何に成るのかを言うことがあなたにできるのなら、それは
 私の成長を見守る助けになるかもしれません。
 マハラジ
 何かに成るということなどないとき、どうして誰かに、あなたが何になるの
 か言うことができるだろうか?
 あなたはただ、あなたで在ることを発見するのだ。
 自分自身をひとつのパターンに鋳造することなど、悲惨なる時間の浪費だ。
 過去も未来も考えず、ただ在りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

550 避難民のマジレスさん :2019/01/20(日) 13:58:50 ID:LC3de7YgO
>>549
69の3『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】の3回目

 質問者 どうしてただ在ることができるでしょうか? 変化は不可避なので
 す。
 マハラジ
 変化の絶えないなかにあっては、変化は不可避だ。
 だが、あなたがそれに支配されることはない。
 あなたはそれに対して変化が知覚される、不変の背景なのだ。
 質問者 すべては変化します。背景もまた変化するのです。変化に気づくた
 めの不変の背景など、必要ありません。自己は一時的なものです。
 それは単なる過去と未来の遭遇(そうぐう)点でしかないのです。
 マハラジ
 もちろん、記憶をもとにした自己は一時的なものだ。
 しかし、そのような自己は、その背後に不断の継続性を必要とする。
 あなたの体験からも、自己を忘れてしまう隙間があることを知っているだろ
 う。
 何がそれを蘇らせるのだろうか?
 朝、あなたを目覚めさせるのは何だろうか?
 意識のなかのその隙間を橋渡しする、何か不断の要因がなければならない。
 もしあなたが注意深く見守れば、あなたの日常の意識は、つねに隙間が現れ
 るひらめきのようなものでしかないと知るだろう。
 その隙間のなかには何があるのだろうか?
 ほかでもない、あなたの永遠なる真の実在だ。
 それにとっては、マインドもノー・マ
インドもひとつなのだ。
 質問者 霊的な成就のためにあなたが勧める、私が行くべき特定の場所があ
 りますか?
 マハラジ
 唯一、正しい場所は内側だ。
 外側の世界は、助けにもならなければ妨げにもならない。
 どのような体系的方法も、どのような行動様式も、あなたを目的地へ連れて
 いきはしない。
 未来へ向けてのあらゆる働きかけを放棄しなさい。
 完全に、今に集中するのだ。
 起こるがまま、人生のあらゆる動きに反応することだけで関わっていきなさ
 い。
 質問者 放浪しようとする衝動は何が原因なのでしょうか?
 マハラジ
 原因はない。
 あなたはただ、放浪しているという夢を見ているだけだ。
 数年後には、あなたのインドでの滞在も夢として現れることだろう。
 そのころ、あなたは何かほかの夢を見ていることだろう。
 夢から夢へと動きまわるのは、あなたではない。
 夢があなたの前を流れていき、あなたは不変の観照者なのだ。
 いかなる出来事もあなたの存在に影響を与えることはない。
 これが絶対的な真理なのだ。
 質問者 物理的には動きまわりながら、内面においては動じずにいることは
 できないでしょうか?
 マハラジ
 それはできる。
 しかし、それが何の役に立つというのだろう?
 もしあなたが真剣なら、最後にはうろつき回ることに飽きて、今まで時間と
 エネルギーを浪費してきたことを後悔するだろう。
 あなた自身を見いだすためには、一歩を踏みだすことさえ必要ないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

551 避難民のマジレスさん :2019/01/20(日) 14:09:55 ID:LC3de7YgO
>>550

> もしあなたが注意深く見守れば、あなたの日常の意識は、つねに隙間が現れ
 るひらめきのようなものでしかないと知るだろう。
 その隙間のなかには何があるのだろうか?
 ほかでもない、あなたの永遠なる真の実在だ。

←うむ。
車道を走る自動車の数え方に二通りあり、自動車その物を数えるか、走る自動車と自動車の間隔を数えるかであると、OSHOが例えてるのと同じでありますね。
その隙間こそが、まさに、
>永遠なる真の実在だ。

と言う理解で良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

552 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/20(日) 21:05:03 ID:1d4drIFg0
↑そのような理解で善いのじゃ。
 言葉ではそのようにいえるのじゃ。
 自ら確かめてみるしかないのじゃ。

常に自らの心を観るように導くのが正しい指導なのじゃ。
どこに行こうと自分の心を観る以外に解放への道は無いのじゃ。
自らの心の中に入っていくのじゃ。

553 避難民のマジレスさん :2019/01/20(日) 21:50:43 ID:LC3de7YgO
>>550

『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 真我(アートマン)の体験と絶対なるもの(ブラフマン)の体験の
 間には、何か違いがあるのでしょうか?
 マハラジ
 絶対なるものの体験などありえない。
 それはすべての体験を超えているからだ。
 その反対に、自己はあらゆる体験のなかの体験要因だ。
 それゆえ、それはある意味で体験の多様性を有効にするのだ。
 世界は偉大な価値あるもので満ちているかもしれない。
 だが、誰も買う人がいなければ、それらに価値はない。
 絶対なるものは、体験可能なあらゆるものを包含している。
 体験を可能にするもの、それが絶対なるものだ。
 それを現実のものにするのが真我なのだ。
 質問者 私たちは段階的な体験を通して絶対なるものに到達するのではない
 でしょうか? もっとも粗雑な体験からはじまり、もっとも崇高な
 体験で終わるように。
 マハラジ
 それを熱望しないかぎり体験はありえ
ない。
 欲望の間に段階はありうる。
 しかし、もっとも崇高な欲望とすべての欲望から自由になることの間には、
 渡らなければならない深遠がある。
 実在ではないものが実在に見えることはあるかもしれない。
 しかし、それは一時的なことだ。
 実在は時間を恐れてはいないのだ。
 質問者 非実在は実在の表現ではないのでしょうか?
 マハラジ
 どうしてそうありえよう?
 それは、あたかも真理は夢のなかでそれ自体を表現すると言うようなものだ。
 実在にとって、非実在は存在しない。
 あなたがそれを信じるために、それは実在として現れるのだ。
 疑ってみなさい。
 そうすればそれは消え去る。
 誰かを愛するとき、あなたはそれに実在を与える。
 あなたはあなたの愛が全能で、永遠だと想像する。
 それが終局を迎えるとき、あなたは言う、「わたしはそれが本物だと思って
 いたが、そうではなかった」と。
 一時性は非実在の最高の証拠なのだ。
 時間と空間のなかに限定され、ひとりの人にしか適用しないものは実在では
 ない。
 実在はすべてのためにあり、永遠のものなのだ。
 ほかの何よりも、あなたはあなた自身を大切にする。
 あなたはあなたの存在を、何ものとも交換することを許さないだろう。
 在ることへの欲望は、すべての欲望の
なかで最強のものだ。
 そして、あなたが真我を実在したときだけ、それは去るだろう。
 質問者 非実在のなかにさえ、そこには実在の感触があります。
 マハラジ
 そうだ。
 それを実在と見なすことで、あなたはそれに実在性を分け与えるのだ。
 あなたは自分を納得させた上で、自分の確信によって束縛されてしまうのだ。
 日が照るとき、色彩が現れる。
 日が沈むとそれらは消え去る。
 光なしに、色彩はどこにあるだろうか?
 質問者 それは二元性のなかでの考えです。
 マハラジ
 考えることはすべて二元性のなかにある。
 本質のなかではいかなる思考も生き残らないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

554 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/21(月) 22:34:56 ID:1d4drIFg0
アートマンを法として使うことでブラフマンにも至れるのじゃ。
それは体験ではないのじゃ。
体験とは一時的に味わい、記憶としてのみ残る刺激なのじゃ。
そのようなものは記憶と共に消えてしまうものじゃ。
消えることの無いものだけが実在しているといえるのじゃ。

555 避難民のマジレスさん :2019/01/21(月) 23:00:57 ID:LC3de7YgO
>>553
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】

 マハラジ
 あなたはどこから、何のために来たのかね?
 質問者 私はアメリカから来ました。そして、私の友人はアイルランドから
     来ました。私は6カ月前に来て、アーシュラムからアーシュラムへ
     と旅してきました。私の友人はひとりで来たのです。
 マハラジ
 あなたは何を見てきたのだろうか?
 質問者 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪
     れました。シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見を
     うかがえるでしょうか?
 マハラジ
 私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。
 しかし、あなたはマハルシの何を知っているのかね?
 あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。
 だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。
 質問者 もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?
 マハラジ
 おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。
 二、三の言葉を交わしさえするかもしれない。
 質問者 しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。
 あなたはあなたが体験したことのないものを賞賛することはできない。
 あなたはあなた自身であると考えているものだ。
 だが、あなたはあなたが体験していないものをあなた自身として考えること
 はできないのだ。
 質問者 技師になるためには工学を学ばなければなりません。神となるため
     には何を学ばなければならないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはすべてを忘れなければならない。
 神はすべての欲望と知識の終焉なのだ。
 質問者 あなたは、単に神になろうとする欲望を放棄することで、私が神に
     なると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望が放棄されなければならない。
 なぜなら欲望を持つことで、あなたはあなたの欲望の形を取るからだ。
 何の欲望も残っていないとき、あなたは自然な状態へと戻るのだ。
 質問者 私が完成に到達したということを、どうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 完成を知ることはできない。
 あなたは未完成だけを知ることができるのだ。
 知識が存在するには、そこに分離と調和がなければならない。
 あなたはあなたではないものを知ることができる。
 だが、あなたの真の存在を知ることはできないのだ。
 あなたはあなたであるものとしてだけ在ることができる。
 そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。
 それは偽りを偽りとして見るというものだ。
 しかし理解するために、あなたは外側から観察しなければならない。
 質問者 ヴェーダーンタのマーヤー、幻想の概念は、顕現にあてはめられま
     す。それゆえ、私たちの顕現の知識は信頼できません。しかし、非
     顕現の知識は信頼できるはずです。
 マハラジ
 非顕現の知識といったものはない。
 それは不可知だ。
 知ることができるのは現実のものだけなのだ。
 質問者 どうして、知る者が知られないまま残るのでしょう?
 マハラジ
 知る者は知られるものを知っている。
 あなたは知る者を知っているだろうか?
 誰が知る者を知る者なのだろうか?
 あなたは非顕現を知りたいと言う。
 あなたは顕現を知っていると言えるだろうか?
 質問者 私はものごとと概念を、そしてそれらの関係を知っています。それ
     らの総計が私のすべての経験なのです。
 マハラジ
 すべて?
 質問者 ええ、すべての現実の体験です。現実に起こらなかったことを知る
     ことができないのは認めます。
 マハラジ
 もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合計のどれほ
 どをあなたが知っていると言うのだろう?
 質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。
 マハラジ
 それでさえもない。
 あなたはあなたが反応することだけを知っている。
 誰が何に反応するかを知ってはいない。
 あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。
 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

556 避難民のマジレスさん :2019/01/21(月) 23:01:02 ID:LC3de7YgO
>>553
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】

 マハラジ
 あなたはどこから、何のために来たのかね?
 質問者 私はアメリカから来ました。そして、私の友人はアイルランドから
     来ました。私は6カ月前に来て、アーシュラムからアーシュラムへ
     と旅してきました。私の友人はひとりで来たのです。
 マハラジ
 あなたは何を見てきたのだろうか?
 質問者 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪
     れました。シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見を
     うかがえるでしょうか?
 マハラジ
 私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。
 しかし、あなたはマハルシの何を知っているのかね?
 あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。
 だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。
 質問者 もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?
 マハラジ
 おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。
 二、三の言葉を交わしさえするかもしれない。
 質問者 しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。
 あなたはあなたが体験したことのないものを賞賛することはできない。
 あなたはあなた自身であると考えているものだ。
 だが、あなたはあなたが体験していないものをあなた自身として考えること
 はできないのだ。
 質問者 技師になるためには工学を学ばなければなりません。神となるため
     には何を学ばなければならないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはすべてを忘れなければならない。
 神はすべての欲望と知識の終焉なのだ。
 質問者 あなたは、単に神になろうとする欲望を放棄することで、私が神に
     なると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望が放棄されなければならない。
 なぜなら欲望を持つことで、あなたはあなたの欲望の形を取るからだ。
 何の欲望も残っていないとき、あなたは自然な状態へと戻るのだ。
 質問者 私が完成に到達したということを、どうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 完成を知ることはできない。
 あなたは未完成だけを知ることができるのだ。
 知識が存在するには、そこに分離と調和がなければならない。
 あなたはあなたではないものを知ることができる。
 だが、あなたの真の存在を知ることはできないのだ。
 あなたはあなたであるものとしてだけ在ることができる。
 そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。
 それは偽りを偽りとして見るというものだ。
 しかし理解するために、あなたは外側から観察しなければならない。
 質問者 ヴェーダーンタのマーヤー、幻想の概念は、顕現にあてはめられま
     す。それゆえ、私たちの顕現の知識は信頼できません。しかし、非
     顕現の知識は信頼できるはずです。
 マハラジ
 非顕現の知識といったものはない。
 それは不可知だ。
 知ることができるのは現実のものだけなのだ。
 質問者 どうして、知る者が知られないまま残るのでしょう?
 マハラジ
 知る者は知られるものを知っている。
 あなたは知る者を知っているだろうか?
 誰が知る者を知る者なのだろうか?
 あなたは非顕現を知りたいと言う。
 あなたは顕現を知っていると言えるだろうか?
 質問者 私はものごとと概念を、そしてそれらの関係を知っています。それ
     らの総計が私のすべての経験なのです。
 マハラジ
 すべて?
 質問者 ええ、すべての現実の体験です。現実に起こらなかったことを知る
     ことができないのは認めます。
 マハラジ
 もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合計のどれほ
 どをあなたが知っていると言うのだろう?
 質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。
 マハラジ
 それでさえもない。
 あなたはあなたが反応することだけを知っている。
 誰が何に反応するかを知ってはいない。
 あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。
 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

557 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/22(火) 21:53:12 ID:1d4drIFg0
全ての知識や体験は実感することの邪魔になるだけなのじゃ。
それらは自ら実感することのための方法を教えるだけであるからのう。
体験したことも不要な観念に他ならないのじゃ。
それは既に消えてしまったものであるからのう。
囚われずに進むのじゃ。

558 避難民のマジレスさん :2019/01/22(火) 22:18:53 ID:LC3de7YgO
瞑想とか修行を通して実感できることは、それを体験して、囚われずに実践してる間は、続くのでありますが、それが知識になり、囚われて、求めだすと得られなくなるのであります。
ただくまの場合、基本的な気の実感みたいなものはいつでも得られるので、訓練方法によってはなんとかなると思うのであります。
囚われずに進むであります。
(´・(ェ)・`)つ

559 避難民のマジレスさん :2019/01/22(火) 22:27:21 ID:LC3de7YgO
>>556
70の2『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】2回目

 質問者 私は顕現を知っています。なぜなら、私はそれに参加しているから
     です。そのなかでの私の部分はたいへん小さいものであり、それは
     認めます。それでも、それはその全体性と同じほど現実なのです。
     そして、もっと重要なことは、私がそれに意味を与えるということ
     です。私なしには、世界は暗く沈黙しているのです。
 マハラジ
 ホタルが世界を照らすというのかね!
 あなたが世界に意味を与えるのではない。
 あなたはそれを見いだすのだ。
 あなた自身のなかに深く潜っていきなさい。
 そしてすべての意味があふれだす源を見いだしなさい。
 間違いなく、意味を与えることができるのは表面的なマインドではないのだ。
 質問者 何が私を限定し、表面的にしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 全体は開いていて、手に入るものだ。
 だが、あなたはそれを手にしない。
 あなたは自分自身だと考えている小さな個人に執着している。
 あなたの欲望はかぎられていて、野望は取るに足らないものだ。
 結局、知覚の中心がなければ、どこに顕現があるというのだろう?
 知覚されなければ、顕現は非顕現と同じだ。
 あなたは知覚する点、すべての次元に対する無次元の源なのだ。
 全体としてのあなた自身を知りなさい。
 質問者 ひとつの点が、どのように宇宙を包含できるというのでしょうか?
 マハラジ
 ひとつの点のなかには、無限の宇宙を包むに充分な空間がある。
 許容量に欠けることはない。
 自己限定だけが唯一の問題なのだ。
 しかし、あなた自身から逃げだすことはできない。
 どれほど遠くへ行こうとも、あなたは自分自身に、そして無であり、しかも
 すべての源であるこの点を理解する必要性に戻ってくるのだ。
 質問者 私はインドにヨーガの教師を探しに来たのです。いまだに私は探し
     ています。
 マハラジ
 どの類(たぐい)のヨーガをあなたは学びたいのだろうか?
 獲得のヨーガだろうか、放棄のヨーガだろうか?
 質問者 それらは最終的には同じ結果になるのではないでしょうか?
 マハラジ
 どうして同じでありうるだろう?
 一方は隷属させ、他方は解放する。
 動機がもっとも重要なのだ。
 自由は放棄を通してもたらされる。
 すべての所有は束縛なのだ。
 質問者 私が力強さと勇気をもってつかむものを、なぜ放棄しなければなら
     ないのでしょうか? そして、もし私が強さをもっていなければ、
     どうして放棄できるでしょう? 私にはこの放棄の必要性が理解で
     きません。私が何かを欲しいとき、どうしてそれを追求すべきでは
     ないのでしょうか? 放棄は弱者のためのものです。
 マハラジ
 もしあなたが放棄する智慧(ちえ)と力をもっていないのなら、ただあなた
 の所有物を見てみなさい。
 ただ見るという行為がそれらを焼き尽くすだろう。
 もしあなたがマインドの外側に立つことができるなら、じきに所有物と欲望
 を放棄することがもっとも明白な分別ある行為だと知ることだろう。
 あなたが世界をつくり出しておいて、それからそれについて心配するのだ。
 利己的になることはあなたを弱くする。
 あなたに欲望をもつだけの勇気と力があると考えるなら、それはあなたが若
 く、経験不足だからだ。
 例外なく、欲望の対象物はそれを獲得する手段を破壊する。
 そうして、それ自体も衰え果ててしまうのだ。
 結局、すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

560 避難民のマジレスさん :2019/01/22(火) 22:31:16 ID:LC3de7YgO
>>559
最後の
>すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。

←このすべて とは、放棄する智慧(ちえ)と力 でありましょうか?
あるいは、タートマンとかブラフマンのことでありましょうか
(´・(ェ)・`)つ

561 避難民のマジレスさん :2019/01/23(水) 18:43:58 ID:LC3de7YgO
>>559
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】(つづき)

 質問者 どのようにして無欲を訓練すればいいのでしょう?
 マハラジ
 訓練の必要はない。
 放棄という行為さえ必要ない。
 ただ、あなたのマインドをそらしなさい。
 それだけだ。
 欲望とは単にある想念にマインドを固定させることだ。
 それに注意を払わないことで、その常道にはまる習慣を捨て去りなさい。
 質問者 それだけですか?
 マハラジ
 そうだ。
 それだけだ。
 欲望や恐れが何であれ、それにとどまっていてはならない。
 自分で試みてみなさい。
 ときおり、あなたは忘れてしまうかもしれない。
 だが、それは問題ではない。
 すべての欲望と恐れを追い払うまで、すべての反応が自動的になるまで試み
 ることだ。
 質問者 人はどのようにして感情なしに生きていくことができるのでしょう
     か?
 マハラジ
 あなたは欲しいだけすべての感情をもつことができる。
 だが、引き起こされた感情の反応に注意しなさい。
 完全に自己決定し、外面からではなく、内面から導かれなさい。
 より良いものを確保するために、ひとつのものをあきらめるのは本当の放棄
 ではない。
 あきらめなさい。
 なぜなら、あなたはそれが無価値であることを理解するからだ。
 放棄していくにしたがって、あなたは自然に知性と、力と、無尽蔵の愛と、
 喜びのなかに成長していく自分を見いだすだろう。
 質問者 なぜ、それほどまでにすべての欲望と恐れを放棄することが強調さ
     れるのでしょうか? それらは自然なものではないのでしょうか?
 マハラジ
 それらは自然なものではない。
 完全にマインドによって作られたものだ。
 あなたに必要なものは何もないということを知るために、すべてを放棄しな
 ければならないのだ。
 あなたが必要とするものは非実在であり、あなたの努力は無意味だ。
 あなたは所有物があなたを守ると想像している。
 実際は、それらがあなたを傷つきやすくするのだ。
 あなた自身が「あれ」や「これ」として指し示すことができるすべてから離
 れたものであることを自覚しなさい。
 あなたは感覚的体験や言語的解釈によって到達することのできないものだ。
 それから立ち去りなさい。
 人格化を拒否しなさい。
 質問者 あなたの話を聞いた後、私は何をすればよいのでしょうか?
 マハラジ
 聞くことだけでは本当の助けにならないだろう。
 それを心にとどめ、熟考し、私が語っていることを私に語らせようとするマ
 インドの状態を理解しようとしてみなさい。
 私は真理から話している。
 両手を開き、受け取りなさい。
 あなたはあなたが考えているものではないのだ。
 私が保証しよう。
 あなたがもっているあなた自身のイメ-ジは記憶によってつくられたまった
 く偶然の産物なのだ。
 質問者 私は私のカルマの結果です。
 マハラジ
 一見、あなたであるように見えるもの、それはあなたではない。
 カルマは、あなたが繰り返し学んできたひとつの言葉にすぎない。
 あなたはけっして今まで、そしてこれからもひとりの個人ではないのだ。
 あなた自身を個人だと考えることを拒絶しなさい。
 自分が誰それだということを疑わないかぎり、希望はもてない。
 あなたが目を開くことを拒むとき、何を見せられるというのだろう?
 質問者 カルマとは、私を完成へと衝(つ)き動かす神秘の力だと私は思っ
     ています。
 マハラジ
 それは人びとがあなたに言ったことだ。
 あなたはすでに今ここで完成している。
 完成することができるようなものはあなたではない。
 あなたはあなた自身ではないものをあなただと想像しているのだ。
 やめなさい。
 重要なのは停止そのものであって、あなたが何をやめようとするかではない
 のだ。
 質問者 カルマが私に、私であるものに成るよう駆りたてたのではありませ
     んか?
 マハラジ
 何も駆りたててはいない。
 あなたはあなただと信じるものだ。
 信じるのを止めなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

562 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/23(水) 23:42:44 ID:1d4drIFg0
>>560 それはマハラジが初めに語ったただ見るという行為のことなのじゃ。
 ただ見るだけで欲しかったものはありふれた重荷となり、欲は苦に変わることがわかるのじゃ。
 そのようにして欲望も避けるようになるのじゃ。
 観察の法といえるのじゃ。

563 避難民のマジレスさん :2019/01/24(木) 19:36:51 ID:LC3de7YgO
>>562
ありがとうであります。
なるへそ!
>ただ見るという行為がそれらを焼き尽くす

ことによって、

>  結局、すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。

なのでありますね。

すっきりしたであります。
(´・(ェ)・`)つ

564 避難民のマジレスさん :2019/01/24(木) 19:44:54 ID:LC3de7YgO
>>561
70の4『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】4回目

 質問者 ここで、あなたは座り、私に話しています。あなたにそれを強いる
     のはカルマです。
 マハラジ
 何ひとつ、私に強いるものはない。
 私はする必要のあることをするだけだ。
 だが、あなたはたくさんの不必要なことをする。
 調べることを拒むことがカルマをつくり出すのだ。
 あなた自身の苦しみに無関心であることが、それを永続させるのだ。
 質問者 それは本当です。この無関心に終止符を打つことができるのは何で
     しょうか?
 マハラジ
 無執着、あるいは慈悲の波が内面から衝動として起こらなければならない。
 質問者 この衝動に私の方からであいに行くことができるでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 あなた自身の状態を見てみなさい。
 世界の状態を見てみるがいい。
 質問者 私たちはカルマ、輪廻(りんね)、進化、ヨーガ、師と弟子につい
     ての話を聞いてきました。これらすべての知識をどうすればいいの
     でしょう?
 マハラジ
 すべてを捨て去っていくがいい。
 忘れるのだ。
 概念や信念の重荷を捨て去って、先へと進んでいきなさい。
 すべての言語的構造、すべての相対的真実、すべての実体的な対象物を放棄
 しなさい。
 絶対なるものは、絶対的な献身によってだけ到達できるのだ。
 半端な気持ちではいけない。
 質問者 私は何か絶対的な真実からはじめなければなりません。そのような
     何かがあるでしょうか?
 マハラジ
 ある。
 それが「私は在る」という感覚だ。
 それからはじめなさい。
 質問者 それ以外の何も真実ではないのでしょうか?
 マハラジ
 ほかのすべては真実でもなければ、偽りでもない。
 それが現れると真実のように見え、否定されるとそれは消え去るのだ。
 一時的なものは神秘的だ。
 質問者 私は実在は神秘的なのだと思っていました。
 マハラジ
 どうしてそうありうるだろう。
 実在はシンプルで、オープンで、明らかで、優しく、美しく、そして喜ばし
 いものだ。
 それは矛盾からの完全な自由なのだ。
 それはつねに新しく、つねに新鮮で、かぎりなく創造的だ。
 存在と非存在、生と死、すべての区別がそのなかで溶けあっている。
 質問者 すべてが偽りだということは認めます。しかし、それが私のマイン
     ドを消し去ることができるでしょうか?
 マハラジ
 マインドとはそれが考えていることなのだ。
 マインドを真実にするために、真実を考えなさい。
 質問者 もしものごとの形が単なる現れでしかないなら、実際には、それら
     は何なのでしょうか?
 マハラジ
 実際には、知覚だけがある。
 知覚する者と知覚されるものは観念であり、知覚しているという事実は現実
 のものだ。
 質問者 絶対なるものはどこから来るのでしょうか?
 マハラジ
 絶対なるものは知覚の誕生する場所だ。
 それが知覚を可能にするのだ。
 しかし、分析のしすぎはあなたをどこへ導きもしない。
 あなたのなかには分析もマインドも超えた存在の核心がある。
 あなたはそれを行為のなかでだけ知ることができる。
 日常生活のなかで、それを表現しなさい。
 そうすれば、その光はつねに明るく光り輝くだろう。
 マインドの真正な機能とは、あなたに何が存在しないのかを伝えることだ。
 だが、もしあなたが明確な知識を望むなら、マインドを超えた彼方へ行かな
 ければならない。
 質問者 すべての宇宙のなかには、ただひとつでも価値あるものがあるので
     しょうか?
 マハラジ
 ある。
 愛の力だ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

565 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/24(木) 21:44:12 ID:1d4drIFg0
>>563 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。


カルマも観念に過ぎないものじゃ。
報いを説明するために作り出されたものじゃ。
それが人の意志にかかわることは無いのじゃ。
ましてそれが人の本質であることも無いのじゃ。
心の働きによってあるように見えるだけのものなのじゃ。

566 避難民のマジレスさん :2019/01/24(木) 22:21:07 ID:LC3de7YgO
>>565
ふむふむ。
カルマとか無くてもよいと思うのでありますが。
報いは、どのように説明されるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

567 避難民のマジレスさん :2019/01/25(金) 02:21:13 ID:LC3de7YgO
>>564
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】

 質問者 弟子がグルに多くの害を与えることは、私たちが繰り返し体験して
     きたことです。彼らは師の要望を考えることなく計画を立て、それ
     を実行に移します。最終的に、グルにとっては果てしのない心配が
     残り、彼の弟子には苦渋が残るだけです。
 マハラジ
 そうだ。
 それは起こる。
 質問者 誰がそういった屈辱をグルに感受させるよう強(し)いるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 グルは基本的に欲望をもたない。
 彼は選択をせず、決定もしない。
 純粋な観照者として起こっていることを見守り、感化されないままなのだ。
 質問者 しかし、彼の仕事は損害をこうむるでしょう。
 マハラジ
 勝利はつねに彼のものだ――最終的には。
 グルは、もし弟子がグルの言葉から学ばなければ、自分たちの過ちから学ぶ
 だろうということを知っているのだ。
 内面的には、彼は静かに沈黙している。
 彼には分離した個人という感覚がない。
 彼の弟子と彼らの取るに足らない計画も含めた、宇宙全体が彼のものなのだ。
 何ひとつ特定のものが彼に影響を与えることはない。
 あるいは同じことで、宇宙全体が同じ度合いで彼に影響を与えるのだ。
 質問者 グルの恩寵(おんちょう)というものはないのでしょうか?
 マハラジ
 彼の恩寵は絶えることなく遍在している。
 それはひとりに与えられ、ほかを拒むようなものではないのだ。
 質問者 どのようにそれは、個人的に私に影響を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのマインドが真理の探究に従事しているのも、グルの恩寵によるもの
 なのだ。
 そして、グルの恩寵によってあなたは真理を見いだすのだ。
 それはあなたの究極の目標に向かって意図することなく働いている。
 そして、それはすべての人にとってそうなのだ。
 質問者 ある弟子たちは用意ができ、成熟しています。そしてある弟子たち
     はそうではありません。グルは選択をし、決定をするのではないで
     しょうか?
 マハラジ
 グルは究極なるものを知っている。
 そして、それに向けて弟子を容赦なく駆りたてる。
 弟子は自分自身で超えなければならない障害物でいっぱいなのだ。
 グルは弟子の表面的な人生にはそれほど関心をもたない。
 それは重力のようなものだ。
 果実はもうこれ以上もちこたえられないとき、落ちなければならないのだ。
 質問者 もし弟子が目的地を知らなければ、どうやって彼に障害を見極める
 ことができるのでしょうか?
 マハラジ
 目的地はグルによって示される。
 障害は弟子によって発見されるのだ。
 グルに選り好みはない。
 だが、克服しなければならない障害をもつ者たちは、遅れをとるように見え
 るのだ。
 実際には、弟子はグルと異ならない。
 彼は行為における愛と知覚の、同じ無限の中心なのだ。
 彼の想像と想像したものとの自己同一化が、彼を包み込み、個人に変えてし
 まうだけだ。
 師は個人には関心がない。
 彼の注意は内面の見守る者に合わせられている。
 理解をし、それによって個人を消し去るのは見守る者の仕事なのだ。
 一方では恩寵があり、もう一方では修練への献身がなければならない。
 質問者 しかし、個人は除去されたくないのです。
 マハラジ
 個人とは単なる誤解の結果だ。
 実際には、そのようなものはないのだ。
 果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡(こんせき)
 を残し、継続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け抜けていく。
 マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり出し、個人
 は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。
 実際には、個人というものは存在しない。
 ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。
 師は見守る者に言う。
 「あなたはこれではない。このなかには、見守る者と彼の夢を橋渡しする
 『私は在る』という小さな点以外、あなたのものは何ひとつないのだ」と。
 「私はこれだ、私はあれだ」は夢なのだ。
 一方、純粋な「私は在る」には実在の特質がある。
 あなたは今まで本当にたくさんのことを味わってきた――だが、すべては無
 に帰したのだ。
 ただ、「私は在る」だけが変わることなく存続している。
 あなたが彼方へと超えていけるようになるまで、変化の絶えないもののなか
 で、不変なるものとともにとどまりなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

568 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/25(金) 22:23:28 ID:1d4drIFg0
>>566 それは自らの心が行うことなのじゃ。
 自分の心は誤魔化せないから報いも確実に訪れるのじゃ。
 他人が見ていないところで行った悪事も自分の心は知っているから誤魔化せないのじゃ。

個我とか個人とは存在しないとマハラジはいうのじゃ。
それは記憶に拠って作られた幻なのじゃ。
人の体はプラーナや空間を通じて常に全て繋がっているのであるからのう。
一枚の葉が樹木と繋がっているようなものじゃ。

569 避難民のマジレスさん :2019/01/25(金) 23:37:51 ID:LC3de7YgO
>>568
世にはまれに、サイコパスもいるようであります。
そのようなものの心に反省はないのではありますまいか?
(´・(ェ)・`)つ

570 避難民のマジレスさん :2019/01/25(金) 23:50:29 ID:LC3de7YgO
>>567
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 それはいつ起こるのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたが障害を取り去ったとたんに起こるのだ。
 質問者 どの障害でしょう?
 マハラジ
 偽りへの欲望と真実への恐れだ。
 個人としてのあなたは、グルが個人としてのあなたに興味を持っていると想
 像している。
 まったくそうではない。
 彼にとって、あなたは排除すべき厄介な障害だ。
 彼は実際に、意識のなかの要因であるあなたを排除することを目指している
 のだ。
 質問者 もし私が排除されたなら、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 何も残らない。
 あるいはすべてが残るのだ。
 アイデンティティの感覚は残る。
 だが、特定の身体との同一化はもはやなくなる。
 存在―気づき―愛が最高度に輝きだすだろう。
 解放とは、けっして個人が解放を得ることではなく、個人という実体から解
 放されることなのだ。
 質問者 そして、個人の痕跡は何も残らないのでしょうか?
 マハラジ
 夢や子ども時代の記憶のような、漠然とした記憶は残る。
 結局、覚えておくような何がそこにあるというのだろうか?
 たいてい偶然の、そして無意味な一連の出来事でしかない。
 欲望と恐れの連鎖と、愚かな失敗だ。
 覚えておくような何かがそこにあるだろうか?
 個人とは、あなたを監禁する殻(から)でしかないのだ。
 殻を破りなさい。
 質問者 殻を破るよう誰に頼めばいいのでしょうか? 誰が殻を破るのでし
     ょうか?
 マハラジ
 記憶と自己同一化の拘束を破りなさい。
 そうすれば、殻はひとりでに破れるだろう。
 そこには、何であれそれが知覚するものに実在性を分け与える中心がある。
 あなたが理解すべきことは、あなたは実在の源であり、実在を得るのではな
 く、あなたが実在を与えるということだけだ。
 あなたには何の支持も確証も必要ないのだ。
 ものごとはそのままだ。
 なぜなら、あなたがそれをそれとして受け入れるからだ。
 受け入れるのをやめなさい。
 そうすればそれは消え去る。
 何であれ、あなたが欲望と恐れとともに考えることは、現実となってあなた
 の前に現れる。
 それを欲望と恐れなしに見なさい。
 そうすればそれは実体を失う。
 快楽と苦痛はつかの間のものだ。
 そのために行動を起こすよりも、無視する方が単純でたやすいのだ。
 質問者 もしすべてのものごとに終わりが来るならば、いったい、どうして
     はじめからそれらは現れるのでしょうか?
 マハラジ
 創造は意識の本性そのものなのだ。
 意識が現れを起こす原因なのだ。
 実在は意識を超えた彼方にある。
 質問者 私たちが現れを意識している間、どうして私たちは、それらがただ
     の現れにすぎないと意識しないのでしょうか?
 マハラジ
 マインドはそれとは知らないうちに、実在を覆い隠してしまう。
 マインドの本性を知るには、沈黙と冷静な気づきのなかでマインドを見る能
 力である知性が必要なのだ。
 質問者 もし私がすべてに遍在する意識の本質であるなら、どうして私に無
     知と幻想が起こったのでしょうか?
 マハラジ
 無知も幻想も、けっしてあなたには起こらなかったのだ。
 あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。
 そうすればあなたの質問は答えられるだろう。
 あなたはあたかも自己を知っているかのように話し、それが無知と幻想に揺
 り動かされているかのように見ている。
 だが実際には、あなたは自己を知らず、己の無知にも気づいていないのだ。
 気づきなさい。
 これがあなたを自己へと連れていくだろう。
 そうすればあなたは無知も妄想もなかったことを認識するだろう。
 それは、「光あるところ、いかにして闇あらん」という格言のようなものだ。
 どんなに日の光が強くとも、石の下には影ができるように、「私は身体だ」
 という意識の影のなかには、無知と幻想がかならず現れるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

571 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/26(土) 22:28:26 ID:1d4drIFg0
>>569 それは表面の思考とか感情で行われることではないのじゃ。
 自他を一つとみる深い意識で行われるのじゃ。
 そうであるから他人にしたことが自分に還って来るのじゃ。
 罪の意識がなくても報いはそのように起こるのじゃ。

記憶と自己同一化の拘束を破るようにとマハラジはいうのじゃ。
それこそ阿頼耶識の働きなのじゃ。
阿頼耶識が観察によって滅すれば悟りも訪れるのじゃ。

572 避難民のマジレスさん :2019/01/26(土) 23:50:34 ID:LC3de7YgO
>>571
うむ。
確かにそうでありますね。
くまが無我を実感できるようになれば、サイコパスがいなくなるわけではないが、その様な者も報いを受ける、あわれな者として、受け入れられるようになるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

573 避難民のマジレスさん :2019/01/27(日) 08:23:03 ID:LC3de7YgO
>>570
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 しかし、どうして身体意識は存在のなかに現れたのでしょうか?
 マハラジ
 「なぜ」や「どうして」を尋ねてはならない。
 それ自身を創造と同一化することは、創造的想像の本性なのだ。
 あなたは注意をそらすことで、あるいは究明することによって、いつでもそ
 れを止めることができる。
 質問者 創造は究明する前に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。
 それから、「私は在る」が個人となる。
 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。
 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。
 そしてグルは彼に言うのだ。
 「あなたは個人ではない。あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。
 彼はそれを為(な)し、彼方へと超えていくのだ。
 質問者 なぜ彼は最初からそうしなかったのでしょうか?
 マハラジ
 それは彼には起こらなかった。
 彼にはそれを言ってくれる誰かが必要だったのだ。
 質問者 それで充分だったのですか?
 マハラジ
 それは充分だった。
 質問者 なぜ、それはわたしの場合そう起こらないのでしょう?
 マハラジ
 あなたが私を信頼しないからだ。
 質問者 なぜ、私の信頼は弱いのでしょうか?
 マハラジ
 欲望や恐れがあなたのマインドを鈍くしてしまったのだ。
 それには洗い落としが必要だ。
 質問者 どうすればマインドをきれいにすることができるのでしょう?
 マハラジ
 容赦なく、それを見守ることによってだ。
 不注意が鈍くさせ、注意が明晰にさせるのだ。
 質問者 どうして、インドの師たちは無為を唱道するのでしょうか?
 マハラジ
 ほとんどの人びとの行為は、あからさまに破壊的でないにしても、無価値な
 のだ。
 欲望と恐れに支配され、彼らは何も適切なことができない。
 悪を為さないことが善をはじめることに先立つ。
 それゆえ、すべての活動をひとまず止める必要があるのだ。
 人の衝動とその動機を調べ、人生のなかでそれらはみな偽りであることを見
 て、あらゆる悪のマインドを清浄にし、その上でようやく自分の明白な義務
 から仕事を再開するのだ。
 もちろん、もしあなたが誰かを助ける機会があるなら、ぜひそうしなさい。
 それも敏速にしなさい。
 あなたが完全になるまで彼を待たせる必要はない。
 だが、善行を職業にしてはいけない。
 質問者 弟子たちの間にそれほど多くの善行をする人たちがいるようには見
     受けられません。私の出会ったほとんどが、自分の取るに足りない
     葛藤(かっとう)に没頭しています。彼らには他者を想う気持ちが
     ないのです。
 マハラジ
 そのような利己主義は一時的なものだ。
 そのような人びとに対して忍耐強くありなさい。
 長年、彼らは彼ら自身以外のすべてに注意を払ってきたのだ。
 ときには、彼らの注意を彼ら自身に向けさせようではないか。
 質問者 自己覚醒の成果とは何でしょうか?
 マハラジ
 あなたはより知的に成長するのだ。
 気づきのなかであなたは学ぶ。
 自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶのだ。
 もちろん、あなたはあなたではないものだけを学ぶことができる。
 あなたが何であるのかを知るには、マインドを超えた彼方へ行かなければな
 らない。
 質問者 気づきはマインドの彼方にあるのではないでしょうか?
 マハラジ
 気づきとはマインドがそれ自身の彼方にある実在のなかへ届こうとする点な
 のだ。
 気づきのなかで、あなたはあなたを喜ばすものを探すのではなく、真実なる
 ものを探すのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

574 素人A :2019/01/27(日) 10:36:05 ID:gOqWUDAs0
インドの神話「始まりにおいて、この宇宙は人間の形をした自己にすぎなかった。かれはあたりを見回したが、自分以外に何も
みなかった。それでかれはこう叫んだ。『私は彼だ』。そこから『わたし』という名が出てきた。今日でも人が話しかけるとき
かれがまず『わたしは』といい、それからかれが世間に通用している名前を告げる理由はここにある。かれは恐れた、これが人
々の一人でいるのを恐れる理由である。かれは考えた。『しかし私はなにを恐れているのだ。わたしの外にはなにもないのだ』
それで彼の恐れは消えて去った。彼は不幸だった。これが人々の一人でいると不幸である理由である。かれは仲間を求めた。彼
は抱き合っている女と男ほどに大きくなった。彼は彼自身であるこの身体を二つの部分に分けた。そこから夫し妻が出来た。・
・そこで人間の身体は(人がその妻と結婚する前には)割れたえんどう豆の片割れに似ているのである。・・かれはかの女と結ば
れた。そこから人間達が生まれるのである。かの女は考えた。『どうやつて彼は自分から私を産み出したあと、私と結ばれるこ
とが出来たのか。いいわ隠れてみよう』。かの女は牝牛になった。かれは雄牛になつてかの女と結ばれた。これから牛が生まれ
た。かの女は山羊になった。・・・こうして彼は蟻にいたるまでひとつがいで存在するあらゆるものを作り出した。こうして彼
は解った。『たしかに私は、私自身から創り出すものである。なぜなら私が全世界を創り出したのだから』そこで彼は創造と呼
ばれた。」固体と大宇宙の生みの親との恒久的な基層は以上の神話によれば一にして同じ。・創造主が「自己」と呼ばれる理由

575 避難民のマジレスさん :2019/01/27(日) 18:56:40 ID:LC3de7YgO
>>573
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 私は気づきが内面の沈黙の状態、精神的空の状態をもたらすことを
     見いだしました。
 マハラジ
 それはそれでよいが、充分ではない。
 あなたはそのなかで宇宙が青空の白雲のように漂う、すべてを包括する虚空
 を感じただろうか?
 質問者 まずは私自身の内なる空間をよく知るようにさせてください。
 マハラジ
 「私は身体だ」という分離をもたらす壁を壊しなさい。
 そうすれば、内面と外面はひとつになるだろう。
 質問者 私は死ぬのでしょうか?
 マハラジ
 身体的崩壊は無意味だ。
 感覚的な生にしがみつくことがあなたを束縛するのだ。
 もしあなたが内面の虚空を完全に体験するなら、全体性のなかへの爆発は間
 近なのだ。
 質問者 私自身の霊的成長には、それなりの時期があるのです。ときおり私
     は荘厳に感じ、そしてふたたび落ちこむのです。私はまるでエレベ
     ータ・ボーイのようです。上がったり下がったり、上がったり下が
     ったり。
 マハラジ
 意識における変化はすべて、「私は身体だ」という観念によるものだ。
 この観念を取り除くことで、マインドは安定する。
 特定の体験から自由な、純粋な存在がある。
 だが、それを実現するには、あなたは師の言うことをしなければならない。
 ただ聞くだけ、あるいは覚えることさえ充分ではないのだ。
 日常生活のなかで、師の一言ひとことを適用するよう懸命に専念しないかぎ
 り、あなたに進歩がないと不平を言ってはならない。
 本当の進歩とは、みな後戻りできないものだ。
 上がったり下がったりは、教えがマインドに届いていず、完全に行動に移さ
 れていないことを示しているのだ。
 質問者 先日、あなたはカルマなどというものはないと言われました。それ
     にも関わらず、私たちはあらゆるものごとに原因を見ます。それゆ
     え、すべての原因の合計がカルマと呼ばれるのかもしれません。
 マハラジ
 あなた自身を身体だと見なすかぎり、あなたはすべてに原因を帰するだろう。
 私はものごとに原因がないとは言ってはいない。
 それぞれのものごとには無数の原因がある。
 それはあるがままだ。
 なぜなら世界はあるがままだからだ。
 すべての原因とその支流は宇宙を覆っている。
 あなたにはあなたが承諾するものになる絶対の自由があり、あなたがあなた
 であるように見えるのは無知あるいは無関心のためだと自覚したなら、反抗
 し、変わることはあなたの自由だ。
 あなたはあなた自身ではないものとして在ることを許している。
 あなたはあなたではないものの存在の原因を探しているのだ!
 それは無駄な探求だ。
 すべての因果関係を超えた、完全なる真の存在に対するあなたの無知以外に
 原因などない。
 なぜなら、何が起ころうとも、責任はすべての宇宙にあり、そしてあなたが
 宇宙の源だからだ。
 質問者 私は宇宙の原因であることなど何も知りません。
 マハラジ
 あなたが「私は身体だ」という病原体に侵されたとき、宇宙全体が存在のな
 かに現れるのだ。
 だが、あなたがもうこれ以上はたくさんだというほどそれを味わったとき、
 解脱(げだつ)についての空想的な考えをマインドに抱いて、まったく無駄
 な行動を追求しはじめる。
 あなたは集中し、あなたは瞑想し、あなたはマインドと身体を苦しめて、あ
 らゆる類(たぐい)の不必要なことをする。
 だが、個人を消去するという本質的なことは見逃してしまうのだ。
 質問者 はじめのうちは、私たちが真我の探求をする用意ができるまで、し
     ばらくの間、祈りと瞑想をするべきなのかもしれません。
 マハラジ
 もしあなたがそう信じるなら、そうすればいい。
 私にとっては、あらゆる遅れは時間の浪費だ。
 あなたはすべての準備を飛び越え、内なる究極の探求に直接進むことができ
 るのだ。
 すべてのヨーガ(修練)のなかで、それがもっとも簡単で、最短なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

576 避難民のマジレスさん :2019/01/27(日) 19:02:20 ID:LC3de7YgO
>>575
> 解脱(げだつ)についての空想的な考えをマインドに抱いて、まったく無駄
 な行動を追求しはじめる。
 あなたは集中し、あなたは瞑想し、あなたはマインドと身体を苦しめて、あ
 らゆる類(たぐい)の不必要なことをする。
 だが、個人を消去するという本質的なことは見逃してしまうのだ。

←マハラジは瞑想に否定的なのでありましょうか?

それとも、
>  あなたが「私は身体だ」という病原体に侵されたとき、宇宙全体が存在のな
 かに現れるのだ。
 だが、あなたがもうこれ以上はたくさんだというほどそれを味わったとき、

身体との自己同一化を放置したままの瞑想は、無駄だと言ってるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

577 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/27(日) 23:40:09 ID:1d4drIFg0
>>572 そうじゃ出来るじゃろう。
 それもまた観念の虜であるからそのような異常を示すのじゃ。
 哀れな者なのじゃ。

>>576 それらは瞑想という行為に囚われて自己を追求することを疎かにする者のためにいうのじゃ。
 瞑想も自己を追求するための方法の一つに過ぎないのじゃ。
 それに囚われて自己を追求しなくなれば何の意味も無いのじゃ。

 クリシュナムルティも瞑想ばかりをして自己を観察しないことを否定したのじゃ。

578 避難民のマジレスさん :2019/01/27(日) 23:57:24 ID:LC3de7YgO
>>577
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

579 避難民のマジレスさん :2019/01/28(月) 00:10:50 ID:LC3de7YgO
>>575
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】

 マハラジ
 あなたはインドに戻ってきたのかね。
 今までどこにいて、何を見てきたのだろうか?
 質問者 私はスイスから来ました。私はそこで、真我を実現したと宣言する
     注目すべき人物とともに滞在していました。彼は多くのヨーガを習
     得し、多くの体験を通り抜けてきました。今、彼は何も特別な能力
     や知識の主張をしません。唯一、彼について普通ではないことと言
     えば、感覚に関したことです。たとえば、車が彼に向かって急進し
     てきたとき、彼は、車が彼に向かって走ってきているのか、彼が車
     に向かっているのかわからないのです。どうやら、彼は同時に、見
     る者と見られるものの両方らしいのです。それらはひとつになるの
     です。何を見ようとも、彼は彼自身を見ています。私がヴェーダー
     ンタ哲学的な質問をすると、彼はこう答えるのです。「私には本当
     に答えられない。私は知らないんだ。私の知っていることは、何で
     あれ私が知覚するものとの奇
妙な同一化だけで、まったくこんなこ
     とが起こるとは予想もしていなかったんだよ」と。
     彼は概して謙虚な人です。弟子ももたず、自分を台座の上に置くこ
     ともしません。彼はその奇妙な状態について語ることを厭いません。
     しかし、ただそれだけなのです。
 マハラジ
 今、彼は知っているということを知っている。
 それ以外はすべて終わったのだ。
 少なくともまだ話はしている。
 じきに話すことさえもやめるだろう。
 質問者 そのとき、彼は何をするのでしょうか?
 マハラジ
 不動性と沈黙は無為ではないのだ。
 花は空間を芳香で満たし、ロウソクは輝きで満たす。
 それらは何もしないのに単なる存在だけですべてを変えてしまう。
 あなたはロウソクの写真を撮ることはできても、輝きは撮れない。
 あなたはその人の名前や姿を知ることはできても、彼の影響を知ることはで
 きないのだ。
 彼の存在自体が行為なのだ。
 質問者 行動的になるのは、自然なことではないでしょうか?
 マハラジ
 誰もが行動的でありたい。
 だが、彼の行為の根元はどこにあるのだろうか?
 そこに中心点なるものはないのだ。
 無意味に、苦しみながら、果てしない連続の中でそれぞれの行為が別の行為
 を生みだしていく。
 働きと休息の交代はそこにはない。
 あなたは車輪が車軸のまわりをまわっていくように周辺を旋回するのではな
 く、常に中心軸にいなければならないのだ。
 質問者 実際の修練において、私はどうすればよいのでしょうか?
 マハラジ
 いつであれ、欲望や恐れについての思考や感情がマインドに現れたときには、
 ただそれから注意をそむけなさい。
 質問者 思考や感情を抑圧すれば、私は反動を誘発することになるでしょう。
 マハラジ
 私は抑圧について語ってはいない。
 ただ注意を払うことを拒みなさい。
 質問者 マインドの動きを阻止するために努力するべきではありませんか?
 マハラジ
 それは努力とは何の関わりもない。
 ただ目を背け、思考そのものではなく、思考と思考の間を見なさい。
 群衆のなかを歩くとき、あなたは出会うすべての人と闘ったりはしない。
 ただ、その合間に通る道を見いだすだけだ。
 質問者 もし私が意志を用いてマインドを制御しようとすれば、それは自我
     を強めるだけです。
 マハラジ
 もちろんだ。
 もし闘えば、あなたは闘いを招く。
 だが抵抗しなければ、あなたも抵抗にであうことはない。
 ゲームをやめれば、あなたは無関係なのだ。
 質問者 私がマインドから自由になるには、どれくらいの時間がかかるので
     しょうか?
 マハラジ
 それには千年の時がかかるかもしれない。
 だが、本当は時間は必要としないのだ。
 あなたに必要なのは、絶対的に真剣になることだ。
 ここでは意志が実行だ。
 もし真剣ならば、それはあなたのものだ。
 結局、それは態度の問題なのだ。
 今ここであなたがジニャーニとなることを、恐れ以外の何も妨げてはいない。
 あなたは非人格として在ること、あるいは非人格的存在を恐れているのだ。
 ことはまったくシンプルだ。
 欲望と恐れから、そしてそれらが生み出す想念から注意をそむけなさい。
 そうすれば、あなたは即座に自然な状態のなかに在るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

580 避難民のマジレスさん :2019/01/28(月) 07:33:23 ID:LC3de7YgO
苦労を重ね、年老いて、身体中の痛みに耐えて生き、死をおそれつつ孤独に天寿を全うしようとしている母に、どのような言葉をかけたらよいでありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ

581 避難民のマジレスさん :2019/01/28(月) 12:46:04 ID:LC3de7YgO
>>579
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 マインドの修正や、変更や、消去といった問題はないのでしょうか?
 マハラジ
 絶対にない。
 マインドは放っておきなさい。
 それだけだ。
 それについていってはならない。
 結局、あなたの法則ではなく、それ自体の法則に従って去来する想念を離れ
 て、マインドというものは存在しない
のだ。
 ただあなたが興味を持つために、マインドに支配されてしまうのだ。
 まさにキリストが、「悪にはむかうことなかれ」と言ったごとくだ。
 悪に抵抗することで、単にあなたはそれを強調してしまう。


 質問者 そうなのです。今、私は理解します。私のすべきことは、悪の存在
     を否定することだけなのです。そうすれば、それは消え去るでしょ
     う。しかし、それではある種の自己暗示と同じになってしまいませ
     んか?
 マハラジ
 自己暗示は、あなたが善と悪の狭間(はざま)に捕らわれ、あなた自身を個
 人と見なしている今、もっとも強力に作用しているではないか。
 私があなたに求めていることは、それをやめることなのだ。
 目を覚まし、ものごとをあるがままに見なさい。
 あなたがスイスの奇妙な友人と滞在したことで、彼との交際を通してあなた
 は何を得たのだろうか?
 質問者 まったく何も得てはいません。彼の体験は、私にまったく影響を与
     えませんでした。ひとつだけ私が理解したことは、そこには探求す
     べき何ものもないということです。私がどこへ行こうとも、旅の終
     わりに私を待ち受けているものは何もありません。発見は移動の結
     果ではないのです。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 あなたとは、得たり失ったりできるような何かからまったく離れたものなの
 だ。
 質問者 あなたはそれをヴァイラーギャ、放棄、断念と呼ぶのでしょうか?
 マハラジ
 そこに放棄するようなものは何もない。
 もしあなたが獲得することをやめるなら、それで充分だ。
 与えるためにはもたなければならない。
 もつためには取らなければならない。
 取らないほうがいいのだ。
 それは「霊的な」自尊心となる危険性のある放棄を行うよりもシンプルだ。
 この、秤(はかり)にかけ、選択し、選定し、交換するといったすべてのこ
 とは、「霊的」マーケットでのショッピングなのだ。
 いったいあなたに何の関わりがあるというのだろう?
 どんな取引をするというのだろうか?
 あなたがビジネスをしようと躍起になっていないとき、この選択の果てしな
 い不安が何の役に立つというのだろう?
 落ち着きのなさは、あなたをどこへも連れていきはしない。
 あなたには何も必要ないとあなたが理解することを、何かが妨げているのだ。
 それを見つけだしなさい。
 そして、それが偽りであることを見極めなさい。
 それはある毒を飲み込んで、水への抑えきれない渇望に苦しむようなものだ。
 かぎりなく水を飲み込むよりも、毒を消去してこの焼けつくような渇きから
 自由になったらどうかね?
 質問者 私は自我を消去しなければならないでしょう!
 マハラジ
 「私は時間と空間のなかの個人だ」という感覚が毒なのだ。
 ある意味では、時間そのものが毒だ。
 時間のなかで、すべてのものごとが終焉(しゅうえん)し、新たに滅ぼされ
 るために生まれてくる。
 時間と自己同一化してはならない。
 不安げに「つぎは何か、つぎは何か?」と尋ねてはならない。
 時間から外に踏みだして、それが世界を滅ぼすのを見るがいい。
 そして言うがいい。
 「すべてを終わらせることが時間の本性なのだ。そうあらしめればいい。そ
 れは私には関わりない。私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要も
 ないのだ」と。
 質問者 観照者は観照されるものがなくても存在できるのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはつねに観照される何かがある。
 もし観照されるものがなければ、その不在がある。
 観照は自然なもので、問題のないものだ。
 問題は自己同一化に導く、過剰な興味なのだ。
 何であれあなたを没頭させるものを、あなたは実在と見なしてしまう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

582 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/28(月) 21:59:44 ID:1d4drIFg0
>>578 どういたしまして、またおいでなさい。

>>580 ありがとうと感謝を述べるとよいのじゃ。
 産んでくれたことや愛し育ててくれたことに感謝の言葉をかけるのじゃ。

 死後のことを聞かれたら人は木の葉が大樹に繋がっているように全てにつながり決して全てと離れた存在ではないと告げるがよいのじゃ。
 全てである意識は無くならず、死んでもあり続けるというのじゃ。
 死は疲れた体をやすめる眠りと同じであり、眠りから覚めたものが元気になるように死んだ者も新たな元気な体を持つことをいうがよいのじゃ。

583 避難民のマジレスさん :2019/01/28(月) 22:09:15 ID:LC3de7YgO
>>582
鬼和尚、ありがとうであります。
そのまま伝えるであります。
それなら、くまの気持ちそのままであり、くまの言葉で伝えられるであります。
(´・(ェ)・`)つ

584 避難民のマジレスさん :2019/01/28(月) 22:27:42 ID:LC3de7YgO
>>581
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 「私は在る」は実在でしょうか、非実在でしょうか? 「私は在る」
     は観照者でしょうか? 観照者は実在でしょうか、非実在でしょう
     か?
 マハラジ
 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ。
 汚染され、混じりあい、依存し、はかないものが非実在だ。
 言葉に惑わされてはならない。
 ひとつの言葉が多くの矛盾した意味を伝えることさえあるのだ。
 快楽を追求し、不快を避ける「私は在る」は偽りだ。
 快楽と苦痛を分割できないものとして見る「私は在る」は、正しく見ている。
 知覚するものに巻き込まれた観照者が個人なのだ。
 超然と離れて動じない観照者が実在の見張り塔であり、それは非顕現に固有
 である気づきが顕現に接触する点だ。
 観照者なしに宇宙はありえない。
 宇宙なしに観照者はありえないのだ。
 質問者 時間は世界を食い尽くします。時間を観照するのは誰なのでしょう
     か?
 マハラジ
 時間を超えた、名づけられないものだ。
 光を放って輝く燃えさしをぐるぐる速くまわすと、輝く輪として現れる。
 その動きが止んでも、燃えさしは残る。
 同じように、動きのなかの「私は在る」が世界をつくり出すのだ。
 「私は在る」が休息しているとき、それは絶対となる。
 あなたは懐中電灯をもって回廊を渡り歩く人のようだ。
 あなたは光線のなかのものしか見ることができない。
 他は暗闇なのだ。
 質問者 もし私が世界をつくり出したのなら、それを変えることができるは
     ずです。
 マハラジ
 もちろんできる。
 しかし、あなたはそれと自己同一化することをやめ、彼方へと超えていかな
 ければならない。
 そのとき、あなたは破壊し、再創造する力を持つのだ。
 質問者 私はただ自由だけが欲しいのです。
 マハラジ
 あなたは二つのことを知らなければならない。
 あなたが何から自由になるのか、そして何があなたを束縛しているのかだ。
 質問者 なぜあなたは宇宙を消滅させたいのでしょうか?
 マハラジ
 私は宇宙に関心はない。
 それはあるままで、あるいはないままで構わずにおこう。
 もし私が私自身を知るならば、それで充分なのだ。
 質問者 もしあなたが世界の彼方にいるのなら、世界にとって何の役にも立
     ちません。
 マハラジ
 存在しない世界を哀れむのではなく、存在する自己を哀れむがいい。
 夢に巻き込まれて、あなたは真我を忘れてしまったのだ。
 質問者 世界なしには、愛の場所もありません。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 これらすべての属性――存在、意識、愛、美は世界のなかに現れた実在の反
 映だ。
 実在なしには反映もない。
 質問者 世界は望ましいものごとや人びとであふれています。どうしてそれ
     を非存在だと想像できるでしょうか?
 マハラジ
 望ましいものは望む人たちにまかせておきなさい。
 あなたの欲望の流れを、取ることから与えることへと変えなさい。
 与えること、分かちあうことへの情熱は、あなたのマインドから外面的な世
 界という観念を、そして与えるという観念さえも自然に洗い流してしまうの
 だ。
 そして与えることも受け取ることも超えた、純粋な愛の輝きだけがそこに残
 るだろう。
 質問者 愛のなかには、愛する者と愛される者という二元性があるはずです。
 マハラジ
 その愛のなかにはひとつのものさえないのだ。
 どうして二つのものがありうるだろう。
 愛とは分かつことと区別することへの拒絶だ。
 統合を考える前に、まずあなたは二元性をつくり出さなければならない。
 本当に愛するとき、あなたは、「私はあなたを愛している」とは言わない。
 思考があるところに二元性があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

585 避難民のマジレスさん :2019/01/29(火) 07:50:25 ID:LC3de7YgO
>>584
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 私をインドへと何度も繰り返し連れ戻すのは何でしょうか? それ
     は生活費が比較的安いからだけではないでしょう。また色彩の鮮や
     かさや印象の多様さでもありません。ここでは内面を外面に表すこ
     とが容易なのです。そこに何かより重要な要因があるはずです。
 マハラジ
 そこにはまた、霊的な側面もある。
 内面と外面の区別がインドではより少ないのだ。
 統合はよりたやすい。
 社会はそれほど抑圧的ではないのだ。
 質問者 そうです。西洋では、すべてがタマス(受動性)とラジャス(活動
     性)だけなのです。インドではより多くのサットヴァ、すなわち調
     和と、均衡があるのです。
 マハラジ
 あなたはグナ(属性)を超えてはいけないのだろうか?
 なぜサットヴァを選ぶのだろう?
 どこへ行こうとも、あなたのままでありなさい。
 グナを気にかけてはいけない。
 質問者 私には強さがありません。
 マハラジ
 それは単に、あなたがインドからわずかばかりしか得るところがなかったこ
 とを示しているだけだ。
 本当にあなたが持っているものであれば、失うことはできない。
 あなたがあなた自身のなかに根づいていたなら、場所を変えることはそれに
 影響を与えることはなかっただろう。
 質問者 インドでは、霊的な生活はたやすいのです。西洋ではそうではあり
     ません。より大きな範囲で環境に順応しなければならないのです。
 マハラジ
 どうしてあなた自身の環境をつくり出さないのだろうか?
 世界はあなたがそれに与えるだけの力しか、あなたに対して持ってはいない
 のだ。
 反抗しなさい。
 二元性を超えていきなさい。
 西洋と東洋の違いをつくってはならない。
 質問者 非常に霊的でない環境に自分を見いだしたとき、人は何ができるの
     でしょうか?
 マハラジ
 何もしてはいけない。
 あなた自身でありなさい。
 離れて在りなさい。
 彼方を見るのだ。
 質問者 家庭では衝突があるかもしれません。両親が理解することはまれな
     のです。
 マハラジ
 あなたがあなたの真の存在を知るとき、問題はなくなるのだ。
 あなたが両親を喜ばせようと喜ばせまいと、結婚しようとしまいと、たくさ
 んの富をつくろうとつくるまいと、それはみなあなたにとって同じことなの
 だ。
 ただ環境にしたがって行動しなさい。
 それでもあらゆる状況で、事実と実在に親密に触れながら。
 質問者 それはたいへん高次の状態なのではありませんか?
 マハラジ
 いいや、それはまったく普通の状態なのだ。
 あなたがそれを高いと呼ぶのは恐れがあるからだ。
 まず、恐れから自由になりなさい。
 何も恐れるものはないことを知りなさい。
 恐れのないことが至高なるものへの扉なのだ。
 質問者 どれほどの努力を積もうと、私を恐れなしにすることはできません。
 マハラジ
 あなたが恐れるものは何もないことを見るとき、恐れのない状態はひとりで
 にやってくるのだ。
 混雑した通りを歩くとき、あなたはただ人びとを通り越していく。
 何人かを見て、何人かは一瞥(いちべつ)するだけだ。
 だが、あなたは止まらない。
 障害をつくり出すのは止まるからなのだ。
 動きつづけなさい。
 名前や形を無視しなさい。
 それらに執着してはいけない。
 あなたの執着が束縛なのだ。
 質問者 ある人が私の顔を叩いたら、私はどうすべきでしょうか?
 マハラジ
 あなたはあなたの生来の、あるいは後天的な資質にしたがって反応するだろ
 う。
 質問者 それは避けられないものなのでしょうか? 私は、そして世界はあ
     るがままに留まることを運命づけられているのでしょうか?
 マハラジ
 古い宝飾品を新たにつくり直す宝石細工師たちは、最初にそれを形のない金
 の状態に溶解する。
 同じように、新しい名前と形が出現する前に、人は根元の状態に戻らなけれ
 ばならない。
 死は再生のために本質的なものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

586 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/29(火) 20:58:43 ID:1d4drIFg0
>>583 そうじゃ、伝えると善いのじゃ。


マハラジはグナも気にかけてはいかんというのじゃ。
それもまた修行のために作り出された観念に過ぎないからなのじゃ。
人があまりにも活動的であれば今ラジャスが優勢じゃなとか気付いて直すことができるからなのじゃ。
常にサットヴァという観念に注意していれば心を鎮めていられるから作られただけなのじゃ。
それにも囚われずに進むのじゃ。

587 避難民のマジレスさん :2019/01/29(火) 21:33:05 ID:LC3de7YgO
>>586
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

588 避難民のマジレスさん :2019/01/29(火) 21:57:02 ID:LC3de7YgO
>>585
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 あなたはいつも彼方へと超えていき、超然とした孤独の必要性を強
     調します。「正しい」や「間違い」という言葉はほとんど使いませ
     ん。なぜそうなのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身であることが正しく、自分自身でないことが間違いだ。
 それ以外はすべて条件づけだ。
 行動の基盤を必要とするために、あなたは正しさと間違いを分離することに
 熱心なのだ。
 あなたはいつも何かを追求している。
 だが、個人的に動機づけられ、何らかの価値の尺度に基づき、ある結果を狙
 った行為は無為よりも一層悪い。
 なぜならその結果はつねに苦いものだ
からだ。
 質問者 気づきと愛はひとつであり、同じものなのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 気づきは動的で、愛は存在だ。
 気づきとは行為のなかの愛なのだ。
 マインドはそれ自体で無数の可能性を実現することができる。
 だが、愛によって喚起されないかぎり、それらに価値はない。
 愛は創造に先行する。
 それなしでは、ただの混沌(こんとん)となってしまう。
 質問者 気づきのなかの行為はどこにあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは救いようのないほど行為に取りつかれている!
 動き、落ち着きのなさ、苦悩がそこにないかぎり、あなたはそれを行為とは
 呼ばないのだ。
 混沌とは動きのための動きなのだ。
 真の行為は置き換えるのではない。
 それは変容するのだ。
 場所の変化は単なる移動にすぎない。
 ハートの変化が行為なのだ。
 ただ覚えておきなさい。
 知覚できるものは何ひとつ実在ではない。
 活動は行為ではない。
 行為とは秘められた、未知で、不可知のものだ。
 あなたはその結果を知ることができるだけだ。
 質問者 神はすべてを為(な)す者なのではありませんか?
 マハラジ
 なぜ、外側の行為者をもちこむのだろうか?
 世界はそれ自体からそれ自体を再創造するのだ。
 それは一時的なものが一時的なものを生みだしていく果てしない過程だ。
 そこに行為者がいなければならないとあなたに考えさせるのは自我なのだ。
 どれほど恐ろしいイメージであろうとも、あなたがあなた自身のイメージに
 よって神をつくり出すのだ。
 あなたのマインドのフィルムを通して世界を投影し、そして原因と目的を与
 えるために神をも投影する。
 それはすべて想像なのだ。
 その外へと踏みだしなさい。
 質問者 世界を純粋に精神的なものとして見ることは、何と難しいのでしょ
     う! 触れることのできるその実在性には、本当に納得させられて
     しまいます。
 マハラジ
 本当に実在のように見えることが想像の神秘なのだ。
 あなたは禁欲主義者か、あるいは結婚しているかもしれない。
 修行僧か、あるいは家庭をもつ人かもしれない。
 それは要点ではないのだ。
 あなたは自分の想像の奴隷だろうか、あるいは違うだろうか?
 あなたがいかなる決定をしようとも、いかなる仕事をしようとも、それは変
 わることなく想像、想定が事実として誇示していることにいつも基づいてい
 るのだ。
 質問者 ここで、私はあなたの前に座っています、そのどの部分が想像のも
     のなのでしょうか?
 マハラジ
 その全体だ。
 空間と時間さえ想像のものだ。
 質問者 それはつまり、わたしは存在しないということなのでしょうか?
 マハラジ
 私もまた存在しない。
 すべての実存(イグジスタンス)は想像されたものなのだ。
 質問者 存在(ビーイング)もまた想像上のものでしょうか?
 マハラジ
 すべてを満たし、すべてを超えた純粋な存在は、限定された実存ではない。
 すべての限界は想像上のものだ。
 無限のものだけが実在なのだ。
 質問者 あなたが私を見るとき、何を見るのでしょうか?
 マハラジ
 私は、あなたがあなた自身だと想像しているあなたを見る。
 質問者 私のような人はたくさんいます。それでも各々異なっているのです。
 マハラジ
 すべての投影の合計が、いわゆるマハー・マーヤー、偉大なる幻想なのだ。
 質問者 しかし、あなたがあなた自身を見るとき、何を見るのでしょうか?
 マハラジ
 それはどのように見るかによる。
 マインドを通して見るとき、私は無数の人びとを見る。
 マインドの彼方を見るとき、私は観照者を見る。
 観照者の彼方には虚空と沈黙のかぎりない強烈さがあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

589 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/30(水) 22:36:44 ID:1d4drIFg0
>>588 どういたしまして、またおいでなさい。

目覚めた者も普通の者と同じように観念を使って世界を見ることができるのじゃ。
それは人々の心に合わせて教えを説くためなのじゃ。
観念が無いときには観照者を見るのじゃ。
観る者が見られるものと同じ全ての意識としてみるのじゃ。

590 避難民のマジレスさん :2019/01/30(水) 23:31:20 ID:LC3de7YgO
>>588
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)


 質問者 どのように人びとと関わればいいのでしょうか?
 マハラジ
 どうして、何のために計画を立てるのかね?
 そのような質問は不安の現れだ。
 関係性は生きものだ。
 ただあなたのマインドのなかで平和に在りなさい。
 そうすれば、あなたはすべての人と平和に在ることだろう。
 あなたが起こることの支配者でないことを自覚しなさい。
 純粋に技術的なこと以外、あなたに未来をコントロールすることはできない
 のだ。
 人間同士の関係性は、計画どおりにはいかないものだ。
 それはあまりにも豊かで多様なのだ。
 ただ理解し、慈悲深くありなさい。
 すべての利己主義から自由になりなさい。
 質問者 間違いなく、私は起こることの支配者ではありません。むしろ奴隷
     と言えるでしょう。
 マハラジ
 支配者にも奴隷にもなってはいけない。
 超然と離れて在りなさい。
 質問者 それは行為を避けることを暗示しているのでしょうか?
 マハラジ
 行為を避けることはできない。
 それはほかのすべてのように起こるの
だ。
 質問者 もちろん、私の行為は私がコントロールできます。
 マハラジ
 試してみるがいい。
 しなければならないことをするのだということを、あなたはすぐに理解する
 だろう。
 質問者 私は私の意志にしたがって行為することができます。
 マハラジ
 行為した後になって、はじめてあなたはあなたの意志を知るのだ。
 質問者 私は私の欲望、選択、決断を覚えていて、それにしたがって行為し
     ます。
 マハラジ
 それでは、あなたではなく、あなたの記憶が決めるのだ。
 質問者 どこで私が入り込んでくるのでしょうか?
 マハラジ
 それに注意を払うことで、あなたはそれを可能にするのだ。
 質問者 自由意志というものはないのでしょうか? 私には欲望をもつ自由
     はないのでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 あなたは欲望に強制されるのだ。
 ヒンドゥー教では自由意志という概念自体が不在だ。
 だから、そのための言葉もないのだ。
 意志とは拘束、固定、束縛だ。
 質問者 私の限界を選択するのは私の自由です。
 マハラジ
 あなたはまず、自由にならなければならない。
 世界のなかで自由になるには、世界から自由にならなければならない。
 さもなければ、あなたの過去があなたとあなたの未来のために決定するのだ。
 起こったことと起こらなければならないことの間に、あなたは捕らわれてい
 る。
 それを運命、あるいはカルマと呼ぶがいい。
 だが、けっして自由ではない。
 まず、あなたの真の存在に戻りなさい。
 そして愛のハートから行為するのだ。
 質問者 顕現のなかで、非顕現の特徴をもっているのは何でしょうか?
 マハラジ
 何もない。
 あなたが非顕現の特徴を探しだそうとする瞬間、顕現は消え去るのだ。
 もし非顕現をマインドで理解しようとするならば、あなたは即座にマインド
 を超えるだろう。
 木の棒で火をかきまわすときのように、棒は燃えつきてしまうのだ。
 マインドを用いて、顕現を調べてみなさい。
 卵の殻(から)をつつく、ヒヨコのようでありなさい。
 殻の外側の人生を殻のなかで憶測していても、何の役にも立たない。
 だが、殻を内側からつつくことがヒヨコを解放するのだ。
 同じように、調べることと、矛盾や愚かしさを露わにすることで、内側から
 マインドの殻を破りなさい。
 質問者 殻を破ろうとする熱望、それはどこから来るのでしょうか?
 マハラジ
 非顕現からだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

591 避難民のマジレスさん :2019/01/31(木) 11:34:48 ID:LC3de7YgO
>>590
>あなたが非顕現の特徴を探しだそうとする瞬間、顕現は消え去るのだ。
 もし非顕現をマインドで理解しようとするならば、あなたは即座にマインド
 を超えるだろう。
 木の棒で火をかきまわすときのように、棒は燃えつきてしまうのだ。

←これは、言葉で表現できない「非顕現」=「悟り」を心=知性で探究する、詳細に観察することによって、悟りを理解しようとすれば、顕現は消え去ると言う意味でしょうか?
ここの場における顕現とはどのような意味でしょうか?
何故このように言えるのでしょうか?
(´・(ェ)・`)つ

592 避難民のマジレスさん :2019/01/31(木) 11:48:16 ID:LC3de7YgO
>>590
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】

 質問者 真の本性を実現する前に、人は個人として在る必要があるのではな
     いでしょうか? 自我にはそれなりの価値があるのではないでしょ
     うか?
 マハラジ
 個人は何の役にも立たない。
 それは自分の関心事に深く巻きこまれ、その真の存在に完全に無知なのだ。
 観照意識が個人に働きかけないかぎり、そして個人が観察の主体よりも、む
 しろ対象とならないかぎり、真我の実現は不可能だ。
 真我の実現を望むべき達成可能なものとするのは、観照者なのだ。
 質問者 人生のなかで、個人が観照者になる時点が来るのですね。
 マハラジ
 そうではない。
 個人が自ら観照者になることはない。
 それでは冷たいロウソクがやがて自ら火を灯(とも)すことを期待するよう
 なものだ。
 個人は気づきの炎に触れられないかぎり、無知の暗闇の中に永遠にとどまる
 こともありうる。
 質問者 誰がロウソクに火を灯すのでしょうか?
 マハラジ
 グルだ。
 彼の言葉、彼の臨在だ。
 インドでは、しばしばそれはマントラだ。
 ひとたびロウソクに火が灯れば、炎はロウソクを燃やし尽くすのだ。
 質問者 なぜ、マントラはそれほど効果的なのでしょうか?
 マハラジ
 絶え間ないマントラの復唱は、個人が自分のためにするような何かではない
 からだ。
 ロウソクが燃えるほどロウソクが増えていくということがないように、その
 恩寵(おんちょう)を受ける人は個人ではないのだ。
 質問者 個人は自分で自分に気づくことができるのでしょうか?
 マハラジ
 できる。
 それはときどき、大変な苦しみの結果として起こることがある。
 グルはあなたを果てしない苦痛から救いたい。
 彼の恩寵とはそのようなものなのだ。
 たとえ外側のグルが発見できないとしても、そこにはつねに内側から助け導
 く、内なる師(サットグル)がいる。
 内面や外面という言葉は身体にだけ関係する言葉だ。
 実際には、すべてはひとつだ。
 外側の存在は単に内面の投影にすぎない。
 気づきは高次の次元からやってくるのだ。
 質問者 火花が点火される前と後では何が違うのでしょうか?
 マハラジ
 火花が点火される前には、違いを知覚する観照者がいない。
 個人は意識しているかもしれない。
 だが、意識していることには気づいていない。
 個人は考えること、感じること、体験することと完全に自己同一化している。
 その中の暗闇も、個人が自らつくり出したものだ。
 暗闇が疑われたとき、それは解け去る。
 疑おうとする欲望は、グルによって植えつけられるものだ。
 別の言葉で言えば、個人と観照者との違いは、自分自身を知っていることと、
 知らないことにある。
 そこに調和(サットヴァ)があるとき、意識のなかで見られる世界は意識の
 本性として在る。
 だが活動性(ラジャス)や受動性(タマス)が現れるとき、それらは覆い隠
 し、歪(ゆが)ませ、そうしてあなたに偽りを実在として見せるのだ。
 質問者 グルの到来の準備として、個人には何ができるのでしょうか?
 マハラジ
 準備への欲望自体が、グルがすでに訪れ、炎が灯されたことを意味している。
 それは偶然出くわすひとつの言葉、あるいは本のなかの1ページかもしれな
 い。
 グルの恩寵は神秘的に働くのだ。
 質問者 心構えといったものはないのでしょうか? 私たちはヨーガのサー
 ダナ(修練)について、たいへん多くのことを聞いています。
 マハラジ
 サーダナをするのは個人ではない。
 個人は不安で、最後の最後まで抵抗する。
 個人とその幻想、過去、現在、未来全体に働きかけるのは観照者なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

593 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/31(木) 23:12:58 ID:1d4drIFg0
>>591 非顕現とはアヴィヤクタというのじゃ。
 それはアートマンのことなのじゃ。
 顕現とはヴィヤクタというのじゃ。
 自己であるというのじゃ。
 いろいろ解釈はあるがのう。

 アートマンをどこまでも追求すれば自己は消え去るしかないのじゃ。
 全てを非で現すアートマンをマインドで理解しようとすればマインドは消え去るしかないのじゃ。
 全て否定されるのであるからマインドそのものも否定されるのじゃ。

594 避難民のマジレスさん :2019/01/31(木) 23:41:34 ID:LC3de7YgO
>>593
> アートマンをどこまでも追求すれば自己は消え去るしかないのじゃ。
 全てを非で現すアートマンをマインドで理解しようとすればマインドは消え去るしかない

くまにもわかりやすく解説ありがとうであります。

>あなたが非顕現の特徴を探しだそうとする瞬間、顕現は消え去る

←この「瞬間」・・・消え去る と言うところが、気になったであります。

鬼和尚の説明のように、

>どこまでも追求すれば・・・なら、理解できるのであります。

(´・(ェ)・`)つ

595 避難民のマジレスさん :2019/02/01(金) 14:11:49 ID:LC3de7YgO
>>592
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 あなたの言われることが真実だと、どうやって知ることができるの
     でしょう? それ自体のなかで充足し、内なる矛盾のないあなたの
     話が、絶え間ないくり返しによって豊かに飾りたてた、創意に富ん
     だ想像の産物ではないと、どうやって知ることができるのでしょう
     か?
 マハラジ
 真理の証拠は聞き手への影響のなかにあるのだ。
 質問者 言葉はもっとも強力な影響を与えることができます。聞くことによ
     って、あるいは言葉をくり返すことによって、人は多様な超越状態
     を体験することができます。聞き手の体験は誘導されたものかもし
     れず、証拠として考慮することはできません。
 マハラジ
 影響がかならずしも体験である必要はない。
 それは人格、動機、人々との、そして自己との関係性における変化でもあり
 うる。
 言葉や薬物、あるいはほかのいかなる感覚的、精神的方法で誘導された超越
 状態や幻想も一時的なもので、決定的とは言えない。
 ここで語られた真理は不動の、永遠のものだ。
 そしてその証拠は聞き手のなかに、彼の存在全体における深い永続的な変化
 のなかにあるのだ。
 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるようなもので
 はない。
 わたしの体験があなた自身の体験となったとき、それ以上の証拠をあなたは
 求めるだろうか?
 質問者 体験者が彼の体験の証拠です。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 だが、体験者に証拠は必要ないのだ。
 「私は在る」、そして私は「私は在る」と知っている。
 それ以上の証拠を望むことはできない。
 質問者 ものごとの真の知識というものはありうるのでしょうか?
 マハラジ
 相対的見地からすれば――ある。
 絶対的見地からすれば――ものごとといったものはないのだ。
 何も存在しないことを知ることが、真の知識だ。
 質問者 何が相対性と絶対性を連結するものなのでしょうか?
 マハラジ
 それらは同一のものだ。
 質問者 どの見地から、それらが同一なのでしょうか?
 マハラジ
 言葉が話された後、そこには沈黙がある。
 相対性が終わったとき、絶対性が残るのだ。
 言葉が話される前の沈黙は、話された後の沈黙と異なるだろうか?
 沈黙はひとつであり、それなしには言葉も聞こえなかっただろう。
 それはつねに言葉の背景にあるのだ。
 あなたの注意を言葉から沈黙へと移行しなさい。
 そうすれば、あなたは聞くだろう。
 マインドは記憶をその知識とするために、体験を熱望する。
 ジニャーニはすべての体験を超えている。
 そして彼は過去の記憶をもたないのだ。
 彼は特定のいかなるものとも完全に無関係だ。
 だがマインドは体系化と定義づけを切望し、つねに実在を言語的な形態のな
 かに押しこもうと熱心なのだ。
 すべてにおいてそれは観念を求める。
 なぜなら、観念なしにマインドは存在しないからだ。
 実在は本質的にひとりなのだ。
 だが、マインドはそれをひとりにしておかない。
 そして、その代わりに忙しく実在について考えつづける。
 ただ非実在を実在として見なすこと、それがマインドにできる唯一のことな
 のだ。
 質問者 実在を実在として見ることは?
 マハラジ
 実在を見るという状態はない。
 誰が何を見るというのだろう?
 あなたは実在として在ることができるだけだ。
 いづれにせよ、あなたは実在なのだ。
 問題はただ精神的なものだ。
 偽りの概念を放棄しなさい。
 それだけだ。
 真の概念など必要ない。
 そんなものはないのだ。
 質問者 では、どうして私たちは実在を探し求めるように勧められるのでし
     ょうか?
 マハラジ
 マインドは目的をもたなければならない。
 非実在からマインドを自由にするように奨励することは、何らかの見返りを
 約束することだ。
 実際には目的の必要などない。
 偽りから自由になること自体が良いことなのだ。
 それは報酬を求めてはいない。
 それはまったく汚れずにいるようなものだ。
 それ自体がその報酬なのだ。
 質問者 自己知識は報酬ではないのでしょうか?
 マハラジ
 自己知識の報酬は個人的自己からの解放だ。
 あなたに知る者を知ることはできない。
 なぜなら、あなたが知る者だからだ。
 知っているという事実は知る者を証明している。
 ほかの証拠など必要ない。
 知られるものを知る者は不可知なのだ。
 光が色彩でのみ知られるように、知る者は知識のなかで知られるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

596 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/01(金) 21:38:50 ID:1d4drIFg0
>>594 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

知る者は不可知であるというのはそれが認識できない認識主体であるからなのじゃ。
それがアートマンと呼ばれるものなのじゃ。
アートマンという言葉や知識は認識出来るものじゃ。
しかし、俺の心の中に何か認識できるものがあれば未だアートマンには達していないと知るがよいのじゃ。

597 避難民のマジレスさん :2019/02/02(土) 01:21:55 ID:LC3de7YgO
>>595
73の2『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 知る者とは推測にすぎないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは身体、マインド、感情を知っている。
 あなたは推測にすぎないのかね?
 質問者 私は他者にとって推測ですが、わたし自身にとってではありません。
 マハラジ
 私にとってもそうだ。
 私はあなたにとってはひとつの推測だが、わたし自身にとってではない。
 私は私自身であることによって、わたし自身を知っている。
 あなたが人間として在ることで、あなた自身が人間であることを知っている
 ように。
 あなたは自分が人間だということをつねに自分に思い起こさせたりはしない。
 あなたの人間性が疑問視されたときにだけ、それを主張するのだ。
 同じように、私は私がすべてであることを知っている。
 私には、「私はすべてだ。私はすべてだ」と繰り返す必要はない。
 あなたが私を何か特定の者、個人として見なすときだけ、私は言明するのだ。
 あなたがつねに人間であるように、私はつねに私で在るものなのだ。
 疑いの余地なく、何であれ、変わることなくあなたであるものがあなたなの
 だ。
 質問者 あなたがジニャーニであることをどのようにして知るのかと尋ねる
     と、あなたは、「私のなかには欲望がない。それが証拠ではないか
     ね?」と言われます。
 マハラジ
 私が欲望に満ちていたとしても、それでも私は私で在るものなのだ。
 質問者 私自身、欲望に満ちています。そしてあなたも。そこにどのような
     違いがあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは欲望と自己同一化し、それらの奴隷になる。
 私にとって欲望はものごとのなかのひとつであり、精神的な空のなかに浮か
 ぶ雲にすぎない。
 そして私がそれらを満たす行為へと強いられることはないのだ。
 質問者 知る者と彼の知識、それらはひとつでしょうか、それとも二つのも
     のでしょうか?
 マハラジ
 それらはひとつであり、二つでもある。
 知る者が非顕現であり、知られるものが顕現だ。
 知られるものはつねに動いている。
 それは変化し、それ自体の形も、住処(すみか)ももたない。
 知る者はすべての知識の不変の支持者だ。
 どちらも互いを必要としている。
 だが、実在はその彼方に在るのだ。
 ジニャーニが知られることはない。
 なぜなら、そこには知られるような誰もいないからだ。
 個人が存在するとき、それについて何か言うことはできる。
 だが、そこに特定のものとの自己同一化がないとき、何を言うことができる
 だろう?
 あなたはジニャーニに何かを言うかも知れない。
 彼の質問はつねに「あなたは誰について語っているのか? そのような個人
 は存在していないのだ」というものだろう。
 あなたは宇宙について何も言えない。
 なぜなら、それはすべてを含んでいるからだ。
 同じように、ジニャーニについて言えることも何もないのだ。
 なぜなら、彼はすべてであり、特定の何かではないからだ。
 壁に絵を掛けるにはフックが必要だ。
 フックがなければ何に絵を掛けるというのだろう?
 ものの位置を決めるには空間が必要だ。
 出来事を位置づけるには時間が必要だ。
 だが、時間と空間を超えたところでは、手のつけようがない。
 それはあらゆるものを知覚可能にする。
 それにもかかわらず、それ自体は知覚の彼方にあるのだ。
 マインドはマインドの彼方にあるものを知ることができない。
 だが、マインドはその彼方のものによって知られる。
 ジニャーニは誕生も死も知らない。
 存在、非存在は彼にとって同じことなのだ。
 質問者 あなたの身体が死を迎えるとき、あなたは残るのです。
 マハラジ
 何も死にはしない。
 身体はただ想像上のものだ。
 そこにそのようなものはないのだ。
 質問者 もうひとつの世紀が訪れる前に、あなたは周りのすべてに対して死
     んでいることでしょう。あなたの身体は花に覆われ、それから焼か
     れ、そして灰はばらまかれるでしょう。これが私たちの体験なので
     す。あなたの体験はどのようなものでしょうか?
 マハラジ
 時間は終焉(しゅうえん)するだろう。
 これが偉大な死(マハームリティユ)と呼ばれるものだ。
 時間の死だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

598 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/02(土) 23:07:58 ID:1d4drIFg0
時間の終焉とはもはや生まれかわらないことなのじゃ。
時間という観念は人が生きるて動いている間だけ働くものであるからのう。
もはや生まれかわらないならば時間も無いのじゃ。
それが時間の終焉なのじゃ。

599 避難民のマジレスさん :2019/02/02(土) 23:56:06 ID:LC3de7YgO
>>597
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 それは宇宙とその内容が終局を迎えるということを意味するのでし
     ょうか?
 マハラジ
 宇宙とはあなたの個人的な体験なのだ。
 どうしてそれが影響を受けようか?
 あなたは二時間の講義をしていたかもしれない。
 それが終わったとき、それはどこへ行ったのだろうか?
 それは講義のはじめ、中間、そして終わりのすべてのなかにある沈黙のなか
 へと消え去ったのだ。
 時間の終わるときが来た。
 それは在った。
 だが、それはもうないのだ。
 一生話しつづけた後の沈黙と、一生沈黙していた後の沈黙は同じ沈黙だ。
 不死とは「私は在る」という感覚からの自由だ。
 しかもそれは消滅ではない。
 その反対に、それはあなたが思い描く以上にかぎりなく実在で、気づいてい
 て、幸福だ。
 ただ、自己意識だけがもうないのだ。
 質問者 なぜマインドの大いなる死と身体の小さな死とは同時に起こるので
     しょうか?
 マハラジ
 それは同時には起こらない。
 あなたは精神的動揺もなく、百回もの死を死ぬかもしれない。
 あるいはあなたは身体を維持しながら、マインドのなかだけで死ぬかもしれ
 ないのだ。
 マインドの死は智慧の誕生だ。
 質問者 個人は去り、ただ観照者だけが残ります。
 マハラジ
 誰が残って「私は観照者だ」と言うのだろう?
 そこに「私は在る」がないとき、どこに観照者がいるというのだろう?
 時を超えた状態のなかに、自我が逃れる場所はないのだ。
 包みをもっている人は、それを失わないかと不安だ。
 彼は「包み意識」をもっているのだ。
 「私は在る」の感覚を大切にしている人には自意識がある。
 ジニャーニは何もつかまない。
 それゆえ、意識しているということはできない。
 しかも、彼は無意識でもないのだ。
 彼は気づきの本質そのものだ。
 私たちは彼をディガンバラと呼ぶ。
 空を身にまとい、すべての現れを超えた裸の人だ。
 彼がそのもとに存在するといえるような名前や形は何もない。
 それでも彼は唯一、真に存在する人なのだ。
 質問者 私には理解できません。
 マハラジ
 誰にできるだろうか?
 マインドにはそれ自身の限界があるのだ。
 知識の極限の地へとあなたを連れていき、未知の広大さに直面させるだけで
 充分だ。
 そのなかへと潜っていくことはあなた次第なのだ。
 質問者 観照者は実在でしょうか、それとも非実在でしょうか?
 マハラジ
 その両方だ。
 それは幻想の最後に残るものであり、実在の最初に触れるものだ。
 「私はただの観照者でしかない」と言うことは、偽りであり、真実でもある。
 それは「私は在る」ゆえに偽りであり、観照者ゆえに真実なのだ。
 「そこに観照がある」と言ったほうがより確かだ。
 あなたが、「私は在る」と言った瞬間、宇宙全体がその創造者とともに存在
 のなかに現れるからだ。
 質問者 別の質問です。個人と自己とを二人の兄弟として想い浮かべること
     ができるでしょうか? 弟はいたずら好きで、利己的であり、粗野
     で落ち着きがないのですが、
兄は知性があり、親切で、分別があり、
     思いやりがあって、身体意識とその欲望と恐れから自由です。兄は
     弟を知っています。しかし、弟は兄の存在に無知で、完全に独立し
     て生きていると考えています。グルがやってきて弟に言うのです。
     「あなたはひとりではない。あなたはとても良い家族の出なのだ。
     あなたの兄は大変注目すべき人で、賢明で、優しく、そしてあなた
     をとても愛しているのだ。彼を思い出しなさい。彼を想いなさい。
     彼を見いだしなさい。彼に仕えなさい。そうすれば、あなたは彼と
     ひとつになることだろう」と。さて、質問とは、私たちのなかには
     二人がいるのでしょうか? 個人と自己が。偽りの自己と本来の自
     己が。それともそれはただの直喩にすぎないのでしょうか?
 マハラジ
 その両方だ。
 そこには二人いるように現れる。
 だが、調べることによってひとりであることがわかるのだ。
 疑われないかぎり、二元性は継続する。
 マインド(ヴィヤクティ)、自己(ヴィヤクタ)、魂(アヴィヤクタ)の三
 位(さんみ)は、超越の体験の様式にすぎない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

600 避難民のマジレスさん :2019/02/03(日) 09:31:06 ID:LC3de7YgO
>>599
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 私たちが夢の状態にいるというあなたの仮説が、あなたを論破する
     ことのできない立場に置いているのです。何であれ私たちが異議を
     唱えると、あなたはただその正当性を否定してしまいます。あなた
     と討論することは不可能です。
 マハラジ
 討論したいという欲望もまた、単なる欲望にすぎない。
 知ろうとする欲望、力を持とうとする欲望、存在しようとする欲望さえ、た
 だの欲望なのだ。
 誰もが、存在すること、存続すること、継続することを欲望する。
 なぜなら、誰も自分自身に確信がないからだ。
 しかし、誰もが不死不滅なのだ。
 あなたは自分を身体と見なすことで、自分自身を死ぬべき運命のものにして
 しまうのだ。
 質問者 あなたは解放を見いだしたの
です。私に少し分けてくださいません
     か?
 マハラジ
 なぜ少しなのかね?
 すべてを取りなさい。
 それは取るためにそこにあるのだ。
 だが、あなたは解放を恐れているのだ。
 質問者 スワミ・ラームダース* は同じような頼みに対処したことがありま
     した。ある日、何人かの弟子たちが彼のまわりに集い、解放してほ
     しいと頼んだのです。ラームダースは微笑みながら聞いていました
     が、突然、彼はまじめになって言ったのです。「あなたは今ここで
     それを得ることができるのだ。絶対的な永遠の解放を。欲しいのは
     誰かね? 前に出てきなさい」と。誰ひとり動く者はありませんで
     した。三度、彼はくり返し申し出たのですが、誰も受け入れません
     でした。そして彼は言ったのです。「申し出は取り消された」と。
 マハラジ
 執着が勇気を破壊するのだ。
 与える者にはいつも与える用意がある。
 だが、受け取る者がいないのだ。
 自由とは手放すことを意味している。
 人々はすべてを手放したくない。
 死が不死の代価であるように、無限なるものの代価が有限なるものだという
 ことを彼らは知らないのだ。
 霊的な成熟はすべてを手放す用意のなかにある。
 あきらめることが第一歩なのだ。
 だが真の放棄は、そこに何も放棄するものなどないと悟ることだ。
 なぜなら、あなたのものなど何もないからだ。
 深い眠りのように、眠りに陥るとき、あなたはベッドを放棄するわけではな
 い。
 ただそれを忘れるだけだ。
 *訳注 スワミ・ラームダース Swami Ramdas(一八八四一九六三)
 南インドのケララ州生まれの偉大な聖者。一般の家住者の生活を送っていた
 が、三十六歳でサンニャーシンとなる。
 ラーマ神の帰依者として OM SRI RAM JAI RAM JAI JAI RAM のマントラを復
 唱。一九一八年、シュリー・ラマナ・マハルシに出会う。聖なる丘アルナー
 チャラの洞窟に暮らし、ラーマ神のヴィジョンを見る。インド各地を遊行し
 た後、カドリ洞窟にてラーマ神との自己同一性を実現する。
 アーナンダアシュラムを設立。後継者はクリシュナ・バイ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

601 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/03(日) 21:17:22 ID:1d4drIFg0
多くの者は自我を失くすことを恐れているのじゃ。
それが本当の自分と思っているからのう。
そうであるから今すぐにでも悟りを得られると思うと尻込みしてしまうのじゃ。
自分で有る筈の自我を失うということは死に等しいと感じてしまうからなのじゃ。
死への恐れが人を悟りから遠ざけるのじゃ。
自分が自我ではないという知識も必要なのはそのような恐れを克服するためなのじゃ。
瞑想の途中に誰もが経験するこの恐れを感じたならばそこから勇気を持って進むことが肝心なのじゃ。

602 避難民のマジレスさん :2019/02/03(日) 21:46:58 ID:LC3de7YgO
>>600
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】

 質問者 私の質問は、「何が真理の証拠なのか?」ということです。すべて
     の宗教の信奉者は、形而上学的、政治的、哲学的、あるいは倫理学
     的のいずれにせよ、彼らのものが唯一の真理だと確信させられてい
     ます。ほかのすべては偽りであり、彼らの揺るぎない信念を真理の
     証拠と見なしています。彼らは、「私は納得した。それゆえ、それ
     は真理に違いない」と言うのです。私にとってはいかなる宗教、哲
     学、教義、あるいは観念体系も、どんなに完全で、感情的に訴え、
     内面的矛盾を持たないとしても、それ自身の真理の証拠にはならな
     いように見えるのです。それは衣服のようなもので、時間や環境に
     よって、流行の流れにしたがって変化していくものです。
     それでは、誰かの信念に依存しない真の宗教、あるいは哲学という
     ものがありうるのでしょうか? 聖典でさえも同様です。なぜなら、
     それも誰かの信仰に依存するからです。信頼することに依存しない、
     主観的ではない真理があるのでしょうか?
 マハラジ
 科学はどうだろうか?
 質問者 科学は堂々巡りです。それは感覚とともに、はじめた場所で終わる
     のです。それは経験を扱い、そして経験とは主観的なものなのです。
     二人の個人が同じ体験をすることはありえません。それでも彼らは
     同じ言葉で表現するかもしれません。
 マハラジ
 あなたはマインドを超えた彼方の真理を探さなければならないのだ。
 質問者 私はもう充分なほどの超越状態を体験してきました。どんな薬物で
     も、安価に、そして即座にそれを誘発できるのです。呼吸や精神的
     な訓練によって起こされた伝統的なサマーディ(三昧)もまた、た
     いした違いはありません。酸素サマーディや二酸化炭素サマーディ
     があり、思考の連鎖やマントラの復唱による自己誘導されたサマー
     ディもあります。単調性は眠気をもたらすだけです。いかに荘厳な
     ものであれ、私にはサマーディを真理の証拠として受け入れること
     はできません。
 マハラジ
 サマーディとは体験を超えたものなのだ。
 それは特質のない状態だ。
 質問者 体験の不在は不注意によるものです。それは注意とともにふたたび
     現れます。目を閉じることが光の不在を証明するわけではありませ
     ん。実在を否定的な状態に帰属させることは、どこへも私たちを連
     れてはいかないでしょう。否定そのものが肯定を含んでいるのです。
 マハラジ
 ある意味では、あなたは正しい。
 だがあなたは何があなたのマインドのなかに描いている真理で、どのような
 証拠があなたを満足させるのかを説明することもなく、真理の証拠を求めて
 いるということがわからないだろうか?
 もしあなたの証明を信頼するなら、あなたは何であれ証明することができる
 のだ。
 しかしあなたの証拠が本物だと何が証明するのだろう?
 あなたが知っているのは、あなたが存在するということだけであるのを、私
 はたやすくあなたに容認させることができる。
 あなたが持つことのできる唯一の証拠は、あなたなのだ。
 だが私は実在(リアリティ)と単なる実存(イグジスタンス)を同一視しな
 い。
 実存は一時的であり、つねに時間と空間のなかにある。
 一方、実在は不変ですべてに浸透しているのだ。
 質問者 私は何が真理か、何によって証明できるのかも知らないのです。ど
     うか私を私自身の源に投げ返さないでください。私は何ももってい
     ないのです。ここではあなたが真理を知る人であり、私ではありま
     せん。
 マハラジ
 あなたは真理の証拠としての証言を拒絶している。
 あなたにとっては他者の体験は役に立たないものだ。
 多くの証人の間で一致した表明による結論も、あなたはすべて拒否してしま
 う。
 それゆえ、何があなたを満足させる証拠なのかを私に伝えるのはあなたなの
 だ。
 何があなたの評価にとって有効な証拠だろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

603 避難民のマジレスさん :2019/02/04(月) 06:47:15 ID:LC3de7YgO
>>602
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)
 
 質問者 正直なところ、何が証拠となるのか自分でもわからないのです。
 マハラジ
 あなた自身の体験でさえもかね?
 質問者 私の体験でもなければ、私の存在でもありません。それらは私が意
     識していることに依存するものです。
 マハラジ
 では、あなたが意識していることは何に依存するのだろうか?
 質問者 わかりません。以前なら、私の身体によって、と答えたことでしょ
     う。現在では、身体は二次的で根本的なものでないとわかるので、
     存在の証明として考えることができません。
 マハラジ
 過ちと不幸の源である「私は身体だ」という観念をあなたが放棄したことは
 喜ばしいことだ。
 質問者 私は知的に放棄したのです。しかし、個人としての特定の存在感覚
     はいまだに私とともにあります。「私は在る」と言うことはできま
     すが、私は何なのかを言うことはできません。私が存在しているこ
     とは知っています。しかし、何が存在しているのか、私は知りませ
     ん。どのように表現してみても、私は未知に直面するのです。
 マハラジ
 あなたの存在そのものが真理なのだ。
 質問者 もちろん、私たちは同じことを話しているのではありません。私は
     何か抽象的な存在ではありません。私は個人であり、限定され、そ
     の限定に気づいています。私は事実です。しかし、私はもっとも非
     現実的な事実なのです。個人としての一時的な存在の上に構築でき
     るようなものは何もありません。
 マハラジ
 あなたの言葉はあなたよりも賢明だ!
 個人としてのあなたの存在は一時的なものだ。
 だが、あなたはただの個人なのだろうか?
 あなたは本当に個人なのだろうか?
 質問者 どうやって答えればいいのでしょうか? 私の存在の感覚は、私は
     在ることだけを証明します。それは私から独立したものは何も証明
     しません。私は相対的存在です。相対的な創造主と創造物の両方な
     のです。絶対的真理の絶対的証拠――それは何なのでしょうか、ど
     こにあるのでしょうか? 単なる「私は在る」という感覚が実在の
     証明になりうるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、なりはしない。
 「私は在る」と「世界は在る」は関連し、条件づけられている。
 それらは名前や形を投影するマインドの傾向のせいなのだ。
 質問者 名前と形、観念と信念、しかし真理ではありません。もしあなたに
     出会わなかったなら、私は真理も含めたすべての相対性を受け入れ
     たことでしょう。そして推測によって生きることを学んだことでし
     ょう。ですが、私はあなたに出会い、絶対なるものが手の届くとこ
     ろにあり、もっとも望むべきものであるということをあなたから聞
     きました。平和、至福、永遠、不死といった言葉が、苦痛と恐れか
     らの自由を示すものとして、私の注意を引いたのです。生来の本能
     である快楽の追求と好奇心が呼び起こされ、私はあなたが開いた領
     域を探検しはじめました。それらはみなもっとも魅力的であり、そ
     れゆえ当然、私は尋ねるのです、「それは達成できるものなのでし
     ょうか? それは真理なのでしょうか?」と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

604 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/04(月) 23:01:27 ID:1d4drIFg0
不死の境地は紛れも無くあるものじゃ。
そして人は確かにそれを達成できるのじゃ。
多くのブッダ達が証明しているのじゃ。
しかし、恐れが人を立ち止まらせるのじゃ。
自我を失う恐れを克服して全てのブッダ達はそこに到達したのじゃ。

605 避難民のマジレスさん :2019/02/05(火) 04:25:39 ID:LC3de7YgO
>>603
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)

 マハラジ
 あなたは「砂糖が甘いことを証明してくれれば、それをもらうよ」と言って
 いる子供のようだ。
 甘さの証明は砂糖のなかにではなく、口のなかにあるのだ。
 それが甘いことを知るためには、味を知らなければならない。
 ほかに方法はない。
 もちろん、あなたは「それは砂糖でしょうか、それは甘いのでしょうか?」
 と尋ねることからはじめることができる。
 そしてあなたが味わうまでは私の保証を受け入れる。
 ひとたび味わえば、すべての疑いは消え去るのだ。
 そしてあなたの知識は直接の、揺るぎのないものとなる。
 私は、あなたに私を信じるように頼みはしない。
 ただ、はじめるのに充分なだけは信頼してほしい。
 それぞれの段階がそれ自体を証明、あるいは反証するのだ。
 あなたは真理に先立って真理の証拠がほしいようだ。
 では、証明の証明はどうなるのかね?
 見なさい、あなたは後退しているのだ。
 それを止めるためには、証拠を求めることをやめ、真理としての何かを、ま
 ず受け入れなければならない。
 それが何かは重要ではない。
 それは神、あるいは私、あるいはあなた自身かもしれない。
 どの場合でも、あなたは何か、あるいは誰か未知なるものを真理として受け
 入れるのだ。
 さて、もしあなたが、たとえ一瞬でも受け入れた真実にしたがって行為する
 ならば、すぐにもつぎの段階に移るだろう。
 それは闇のなかで木に登るようなものだ。
 最初の枝に足をかけて、はじめてつぎの枝をつかむことができる。
 科学はそれを実験的研究方法と呼ぶ。
 論理を証明するために、先達の実施指導にしたがって実験を進めていくのだ。
 霊的探求における実験の連鎖をヨーガと呼ぶのだ。
 質問者 多くのヨーガがありますが、どれを選択すれば良いのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、すべてのジニャーニは、彼がもっとも親密に知っている自分の歩
 いた達成への道を提案することだろう。
 しかし、彼らのほとんどは非常に寛大であり、探求者の必要に適した助言を
 するのだ。
 すべての道はマインドの浄化へとあなたを導く。
 不純なマインドは真理を不透明にする。
 純粋なマインドは透明だ。
 真理はそれを通して容易に、明らかに見ることができるのだ。
 質問者 すみません。しかし、私には私の困難を伝えるすべを見つけられま
     せん。私は真理の証拠について尋ねていたのです。そして、それに
     到達する方法を与えられたのです。私がその方法にしたがい、ある
     望むべき、すばらしい状態を達成したとします。どのようにしてそ
     の状態が真実のものだと知ることができるのでしょうか? すべて
     の宗教は信仰からはじまり、ある恍惚状態を約束します。その状態
     は実在のものでしょうか? それとも信仰の産物でしょうか? な
     ぜなら、もしそれが誘発された状態なら、はじめから私は関わらな
     いでしょう。たとえばキリスト教徒は言います。「イエスはあなた
     の救世主です。信じなさい。そして罪から救われなさい」と。私が
     罪を犯しているキリスト教徒に、イエスへの信仰にもかかわらず、
     どうしてあなたは罪から救われてはいないのかときくと、彼は、
     「私の信仰心が完全ではないからです」と答えるのです。またして
     も、私たちは悪循環のなかにいます。完全な信仰なしには解放もあ
     りません。解放がなければ、完全な信仰心もないのです。完全な信
     仰心というものはありません。それゆえ、解放はないのです。満た
     すことの不可能な条件を強(し)いられ、それから、それらを満た
     していないことを非難されるのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

606 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/05(火) 22:53:28 ID:1d4drIFg0
真理を伝えることを求める者にマハラジはそれは砂糖が甘いことを証明してくれれば貰うという子供のようじゃというのじゃ。
真理とは自ら行うことでしか知ることも感じることも出来ないものじゃ。
言葉として伝えられる知識としての真理などは無いのじゃ。
自ら実践して体感するための法としての真理だけがあるといえるのじゃ。

607 避難民のマジレスさん :2019/02/06(水) 07:09:43 ID:LC3de7YgO
>>605
74の3『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】の3回目

 マハラジ
 あなたは現在の目覚めの状態が、無知から起こるものだということを認識し
 ていない。
 あなたの真理の証拠についての質問は、実在における無知から生まれたもの
 なのだ。
 「私は在る」という点で、あなたは意識のなかの感覚的、精神的状態に触れ
 ている。
 一方、実在は瞑想されず、触れられず、体験されないままだ。
 あなたは二元性をあまりにも当然のことと見なしていて、それに気づいてさ
 えもいない。
 だが、私にとって多様性や変化は分離を生みださないのだ。
 あなたは実在が名前と形から離れてあると想像している。
 だが、私にとって名前と形は、実在の絶えず変化する表現であり、それから
 離れてはいないのだ。
 あなたは真理の証拠を求めている。
 だが私にとっては実存すべてが証拠だ。
 あなたは実存(イグジスタンス)から存在(ビーイング)を切り離し、実在
 (リアリティ)から存在(ビーイング)を切り離している。
 だが、私にとってはすべてがひとつなのだ。
 どれほど目覚めの状態の真実性に確信をもっていようとも、私が自分の話で
 しているように、あなたはそれを永久不変のものだと宣言することはない。
 しかし、それでも私は私たちの間に違いを見ない。
 ただあなたはものごとを想像しているだけであり、私はそうしないだけなの
 だ。
 質問者 最初にあなたは私から真理に関して尋ねる資格を奪い、それから私
     に想像について非難するのです! あなたにとって想像であるもの
     が、私にとっては真理なのです。
 マハラジ
 あなたがそれを調べてみるまではそうだろう。
 何もあなたを非難しているわけではないのだ。
 ただ、賢明に質問するよう求めているだけだ。
 あなたの知らない真理の証拠について探し求めるよりも、あなたが知ってい
 ると信じている証拠について調べてみなさい。
 そうすれば、あなたは何も確信できるものがなく、人伝え聞いたことを信じ
 ているだけだと知るだろう。
 真理を知るためには、あなた自身の体験を通らなければならないのだ。
 質問者 私はサマーディや超越状態がひどく恐ろしいのです。その原因が何
     であろうとも。酒、喫煙、高熱、薬物、呼吸、歌、揺さぶり、踊り、
     旋回、礼拝、セックス、断食、マントラ、あるいはめまいのするよ
     うな抽象観念は私を目覚めの状態から追いだし、未知ゆえに何か驚
     くべき体験を与えるのです。しかし、その原因がやめば、結果は消
     え去り、残るのは記憶だけです。容易に忘れることはできませんが、
     それでも消え去るのです。
     すべての方法とその結果を放棄しましょう。なぜなら、結果は方法
     に縛られているからです。新たな質問をしましょう。真理を生みだ
     すことはできるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが探しにいけるような真理の住処(すみか)がどこかにあるというの
 かね?
 そしてどうやってそれを見つけたと知るのだろうか?
 それを試すためのどんな試金石をもっていくというのだろう?
 あなたは「真理の証拠とは何か?」という最初の質問に後戻りしたのだ。
 その質問自体に何か間違いがあるに違いない。
 なぜなら、あなたにはそれを何度もくり返す傾向があるからだ。
 なぜ真理の証拠が何かと尋ねるのだろうか?
 あなたが真理を直接知らないから、そして騙(だま)されることを恐れてい
 るからだろうか?
 真理とは「真理」という名前をつけた何かであり、もし本物なら、それをも
 つことは有益だとあなたは想像しているのだ。
 だからあなたは騙されることを恐れているのだ。
 あなたは真理を買いに来た。
 だが、商人を信頼することができない。
 あなたは偽造品や模造品を恐れているからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

608 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/06(水) 22:09:29 ID:1d4drIFg0
西洋的な学校の教育を受けたものは真理とは先生が教えてくれものと信じているのじゃ。
それが正しいものである証拠も含めて全て教えてくれるはずだと思うのじゃ。
マハラジのようなブッダはそれが教えられるものではないと知っているのじゃ。
自ら体得しなければどのような真理もありえないのじゃ。
それが真の教えなのじゃ。

609 避難民のマジレスさん :2019/02/06(水) 23:17:06 ID:LC3de7YgO
>>607
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)

 質問者 私は騙されることを恐れているのではありません。私が私自身を騙
     すことを恐れているのです。
 マハラジ
 だが、あなたは本当の動機に無知であることによって自分を騙しているのだ。
 あなたは真理を求めている。
 だが、実際には永遠に続く安楽を探しているだけなのだ。
 いかなるものも、どんなマインドの状態も永遠に続きはしない。
 時間と空間のなかではつねに限界がある。
 なぜなら時間と空間自体が限定されているからだ。
 そして時間を超えたもののなかでは「永遠に」という言葉は意味をもたない。
 「真理の証拠」についてもまた同様なのだ。
 非二元性の領域ではすべてが完全で、それ自体の証拠であり、意味と目的な
 のだ。
 すべてがひとつであるところでは、どのような支えも必要とされない。
 あなたは永久性が真理の証拠だと想像している。
 より長く継続するものが、より真理に
近いのだと。
 時間が真理のはかりとなってしまった。
 そして時間がマインドのなかにあるため、マインドが判定者となり、真理の
 証拠をマインドそのもののなかに探求するのだ――まったく不可能で絶望的
 な仕事だ。
 質問者 あなたが「何も真理ではない。すべてが相対的なのだ」と言われる
     のなら、私も同意したでしょう。しかし、あなたは真理、実在、完
     全な知識はあると主張しています。それゆえ、「それは何なのでし
     ょうか、どうやって知ることができるのでしょうか?」と尋ねてい
     るのです。それでは、何が私に「そうです。マハラジの言うとおり
     です」と言わせるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは証明、証拠、権威の必要性にしがみついている。
 まだ真理が示され、「見なさい、ここに真理がある」と言われる必要がある
 と想像しているのだ。
 そうではない。
 真理は努力の結果、旅路の果てにあるのではない。
 それは今ここに、その熱望と探求そのもののなかにあるのだ。
 それはマインドや身体よりも近い。
 「私は在る」という感覚よりも近いのだ。
 あなたがそれを見ないのは、あなた自身からずっと遠くを、存在の核心の外
 を見ているからだ。
 あなたは真理を対象化し、あなたの証明と審査の基準に合うべきだと言い張
 っている。
 だが、それはものごとや思考にしか当てはまらないのだ。
 質問者 あなたの言われることから察するに、真理は手の届かないところに
     あり、私にはそれについて語る資格がないということです。
 マハラジ
 あなたには資格があるばかりではなく、あなたが真理そのものなのだ。
 ただあなたは偽物を真理だと勘違いしているだけだ。
 質問者 あなたは、「真理の証拠について尋ねてはならない。真理でないも
     のだけに関わりなさい」と言われているようです。
 マハラジ
 真理の発見は、偽りを識別することのなかにあるのだ。
 あなたは存在しないものを知ることができる。
 在るものは――あなたはただ在ることができるだけなのだ。
 既知にとって、知識は相対的なものだ。
 ある意味では、知識は無知の片割れなのだ。
 無知のないところに知識の必要があるだろうか?
 それ自体では、無知も知識も存在していない。
 それらは単なるマインドの状態であり、また本質的に不変である意識の運動
 の現れなのだ。
 質問者 真理はマインドの領域内にあるのでしょうか、それともそれを超え
     ているのでしょうか?
 マハラジ
 そのどちらでもない。
 それは両方だ。
 それを言葉で表すことはできない。
 質問者 表現不可能(アニエルヴァーチャーニヤ)……これがつねに私の聞
     いてきたことです。それが私を賢くすることはありません。
 マハラジ
 それがしばしば無知を覆(おお)い隠すことは本当だ。
 マインドはそれ自体がつくり出した言語で働くことができる。
 ただ、それ自体を超えていくことはできないのだ。
 感覚的でも精神的でもなく、しかも、それなしには感覚的なものも精神的な
 ものもありえないものが、感覚的なものや精神的なものに含まれることはあ
 りえないのだ。
 マインドには限界があることを理解しなさい。
 マインドを超えていくには、沈黙とひとつにならなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

610 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/07(木) 22:24:50 ID:1d4drIFg0
マハラジは真理はそこにある、私は在るよりも近いとさえ言うのじゃ。
しかし、質問者はそれを理解しようとしないのじゃ。
それも恐れがあるからなのじゃ。
真理を欲すると共に真理を恐れているのじゃ。
それによって自分の生活や自分自身さえも変化してしまうことを恐れているからなのじゃ。

611 避難民のマジレスさん :2019/02/07(木) 22:53:05 ID:LC3de7YgO
>>609
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)

 質問者 行為が真理の証拠だと言うことはできるでしょうか? 真理は言語
     化することはできませんが、行動に表すことはできるかもしれませ
     ん。
 マハラジ
 行為でも無為でもない。
 それはどちらも超えているのだ。
 質問者 人は「そうです。これこそ真理です」と言うことができるのでしょ
     うか? あるいは彼は偽りを否定することに制限されているのでし
     ょうか? 言い方を変えれば、真理は純粋な否定なのでしょうか?
     あるいはそれが断言となる瞬間がやってくるのでしょうか?
 マハラジ
 真理は描写できない。
 だが、体験されることができるのだ。
 質問者 体験は主観的であり、分かち合うことができません。あなたの体験
     は、私を今いるところに置き去りにするのです。
 マハラジ
 真理は体験できるが、それは単なる体験ではない。
 私はそれを知っていて、あなたに伝えることができる。
 だが、あなたがそれに対して開いているときだけだ。
 開いているとは、ほかの何も求めないということだ。
 質問者 私は恐れと欲望でいっぱいなのです。それは私が真理を知るには適
     格ではないということでしょうか?
 マハラジ
 真理は良いふるまいに対する褒美(ほうび)でも、何かの試験が通ったこと
 への賞でもない。
 それをもたらすことはできないのだ。
 それは原初のもの、不生、存在するすべての太古の源なのだ。
 あなたは適格だ。
 なぜならあなたは在るからだ。
 あなたが真理に値する必要はない。
 それはあなた自身のものなのだ。
 ただ、それを追いかけることによって、それから逃げだしてはならない。
 沈黙しなさい。
 静かで在りなさい。
 質問者 もし身体を落ち着かせ、マインドを静にさせなければならないのな
     ら、どのようにすればいいのか教えてください。自己覚醒のなかで、
     私は身体とマインドが私のコントロールを超えた原因によって動か
     されているのを見ます。遺伝と環境が私を絶対的に支配しています。
     宇宙の創造者である偉大な「私は在る」も、薬物によって一時的に、
     あるいは一滴の毒によって永久に消し去ることができるのです。
 マハラジ
 またしても、あなたは自分を身体と見なしている。
 質問者 たとえ私が骨、肉、血としてのこの身体を退けたとしても、いまだ
     に思考、感情、記憶、想像でできた希薄な身体として残るのです。
     それでさえ非―私として退けても、私は意識として残ります。それ
     もまたある種の身体なのです。
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 だが、そこで止まる必要はない。
 その彼方へと行きなさい。
 意識も、その中心の「私は在る」さえも、あなたではないのだ。
 あなたの真の存在は完全な非―自己意識だ。
 粗大、微細、あるいは超越、何であれすべての自己同一から完全に自由なの
 だ。
 質問者 私自身が彼方のものだと想像することはできます。しかしどのよう
     な証拠があるのでしょう? 在るためには、私は誰かで在らねばな
     りません。
 マハラジ
 それは正反対だ。
 在るためには、あなたは誰でもない人にならなければならない。
 あなた自身を何か、あるいは誰かだと考えることは死、そして地獄だ。
 質問者 古代エジプト人は薬物や魔術の影響によって身体から追いだされ、
     実際に外側に立ち、横たわった自分の姿を見るという秘教儀式の存
     在を認めてきました。このことが彼らに死後の存在の実在を確信さ
     せ、国家と寺院に多大な利益をもたらす究極的な運命への深い関心
     を生みだし、身体を所有する個人との自己同一化の儀式が存続した
     のです。
 マハラジ
 身体は食物からできている。
 そしてマインドは想念からできている。。
 それらをあるがままに見なさい。
 あなたが何であるのかを知る必要はない。
 あなたが何ではないかを知れば充分なのだ。
 あなたであるものを知ることはけっしてない。
 なぜならすべての発見が克服すべき新たな次元を開くからだ。
 質問者 それは永遠に無知であり続けるという意味でしょうか?
 マハラジ
 それは無知がけっして存在しなかったことを意味するのだ。
 真理は発見のなかにあり、発見されたもののなかにあるのではない。
 そして、発見にははじまりも終わりもないのだ。
 限界を疑いなさい。
 そして超えていきなさい。
 一見、不可能と見える仕事を自らに託しなさい。
 それが道なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

612 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/08(金) 22:42:46 ID:1d4drIFg0
真実

613 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/08(金) 22:45:26 ID:1d4drIFg0
真実を語り、真理を告げる言葉も相手の心が開いていなければ何にもならないのじゃ。
知識や記憶があればそれで全てを判断してしまうからのう。
恐れからの逃避を見ることもできないのじゃ。
真理はどこか彼方にあるのではなく、自らの心の内にあるものであるから知識や記憶が多すぎれば隠れてしまうことも在るのじゃ。

614 避難民のマジレスさん :2019/02/08(金) 23:30:06 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【75 平和と沈黙のなかで、あなたは成長する】

 質問者 インドの伝統では、グル(師)が必要不可欠だと言います。彼は何
     のために必要不可欠なのでしょうか? 母親は子供に身体を与える
     ために必要不可欠です。しかし、彼女は魂を与えるわけではありま
     せん。彼女の役目は限定されています。グルに関してはどうでしょ
     う? 彼の役目もまた限定されているのでしょうか? もしそうな
     らば、何においてでしょうか? あるいは、彼は一般的に必要不可
     欠なのでしょうか? それとも絶対的に必要不可欠なのでしょうか?
 マハラジ
 ハートのなかで、平和に、永遠に輝く内奥の光、それが真のグルなのだ。
 ほかのすべては単に道を指し示すだけだ。
 質問者 私は内なる部分には関心がありません。直接道を示してくれる師に
     だけ関心があるのです。グルなしには、ヨーガは到達しがたいと信
     じる人びとがいます。彼らは正しいグルをつねに探しつづけ、ひと
     りの師からほかへと変えていくのです。そんなグルたちに、いった
     いどんな価値があるというのでしょうか?
 マハラジ
 彼らは一時的な、時間に拘束されたグルなのだ。
 あなたは彼らをあらゆる職業のなかに見いだす。
 何かの知識や技術を獲得するために、彼らを必要とするのだ。
 質問者 母親は一生涯のためにだけいます。彼女は誕生にはじまり、死に終
     わるのです。永遠にいるわけではありません。
 マハラジ
 同じように、時間に拘束されたグルも永遠にいるわけではない。
 彼は彼の目的を果たし、つぎの師へと場を明け渡すのだ。
 それはまったく自然なことであり、それについて非難されるようなことは何
 もない。
 質問者 あらゆる類の知識や技術のためには、別のグルが必要となるのでし
     ょうか?
 マハラジ
 これらの問題においては、外面的なものが一時的であり、内面的なものはそ
 の外見と行動においてはつねに新しいが、永久不変だということ以外何の規
 定もないのだ。
 質問者 内側のグルと外側のグルの間には、どのような関係があるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 外側が内側を表現し、内側はしばらくの間、外側を受け入れるのだ。
 質問者 努力は誰のものなのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん弟子のものだ。
 外側のグルが指導し、内側のグルが力を送る。
 油断なくそれに応えていくのが弟子の仕事だ。
 弟子の意志、知性、エネルギーなしにはグルは無力なのだ。
 内側のグルはチャンスを得ようとする。
 愚鈍さと誤った追求が危機をもたらし、弟子は自ら己の苦境に目覚めるのだ。
 賢い者はショックを待ったりしない。
 それはひどく粗暴なものでもありうるのだ。
 質問者 それは脅しなのでしょうか?
 マハラジ
 脅しではなく警告だ。
 内なるグルは非暴力に専心してはいない。
 愚鈍で堕落した人格を破壊するためには、彼はときおりまったく暴力的にな
 りうる。
 不幸と死、生と幸福は彼の仕事の道具なのだ。
 二元性においてだけ、非暴力は統一のための法となるのだ。
 質問者 人は自分自身を恐れなければならないのでしょうか?
 マハラジ
 恐れではない。
 なぜなら自己とは善良を意味するからだ。
 だが、それは深刻に受け止められなければならない。
 それは注意と服従を呼び起こすのだ。
 聞き入れられないとき、それは説得から強制へと変わる。
 それはしばらく待つことができるが、否定されてはならないのだ。
 困難は外側や内側のグルにあるのではない。
 グルはつねに手に入る。
 不足しているのは成熟した弟子のほうなのだ。
 その人に用意ができていなければ、どうすることができようか?
 質問者 用意でしょうか、それとも志(こころざし)でしょうか?
 マハラジ
 両方だ。
 それは同じことなのだ。
 インドでは、それはアディカーリと呼ばれている。
 それは能力と資格があるということを意味している。
 質問者 外側のグルは秘伝伝授の儀式(ディクシャ)を授けることができる
     のでしょうか?
 マハラジ
 彼はあらゆる類の儀式を授けることができる。
 しかし、実在への儀式は内面から起こらなければならない。
 質問者 誰が究極の儀式を授けるのでしょうか?
 マハラジ
 自己が授けるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

615 避難民のマジレスさん :2019/02/09(土) 11:08:25 ID:LC3de7YgO
>>614
『I AM THAT 私は在る』
【75 平和と沈黙のなかで、あなたは成長する】(つづき)

 質問者 私たちは堂々巡りをしているようです。結局、私の知っているのは
     現在の体験的自己だけです。内面の、あるいは高次の自己とは、説
     明と奨励のために考えられた概念なのです。私たちはそれを独立し
     た存在のように話していますが、そうではないのです。
 マハラジ
 外側の自己と内面の自己はともに想像上のものだ。
 ひとつの棘を抜くために別の刺を必要とするように、あるいは毒を解毒する
 ために別の毒を使うように、「私」という存在への固執が癒されるために、
 「超―私」という別の観念への固執が必要とされるのだ。
 すべての断定は否定を呼び起こす。
 だが、これはまだ第一段階にすぎない。
 つぎの段階はその両方を超えた彼方へと行くことだ。
 質問者 外側のグルが、緊急に自分に対して何かをすべきだという注意を呼
     び起こすために必要だったことは理解します。また、私のなかの深
     い変化にとって、どれほどグルが無力かも理解します。しかし、こ
     こであなたは無始、不変、存在の根本、動かぬ約束、確かなる目的
     地である内なるグルをもたらしたのです。彼はひとつの概念なので
     しょうか、それとも実在でしょうか?
 マハラジ
 彼だけが唯一の実在なのだ。
 それ以外のすべては、「身体―精神」(デハー―ブッディ)によって時間の
 上に投げかけられた影にすぎない。
 もちろん、影でさえ実在に関連している。
 だが、それ自体では実在とは言えないのだ。
 質問者 私の知っている唯一の実在は、私だけです。サッドグル(内なる師)
     は、私が彼を想う間はそこにいます。彼に実在性を移行することに
     よって、私は何を得るというのでしょうか?
 マハラジ
 失うことが、あなたの得ることだ。
 影が影として見られたとき、あなたはそれにしたがうことをやめる。
 あなたは振り返り、そこにいつもあった太陽をあなたの背後に発見するのだ。
 質問者 内側のグルもまた、教えを与えるのでしょうか?
 マハラジ
 彼は、あなたが永遠、不変、実在―意識―愛であり、内面とすべての現れを
 超えたものだという確信を与えるのだ。
 質問者 確信では不十分です。そこには確実性がなければなりません。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 だが、この場合は確信が勇気の形を取るのだ。
 恐れは絶対的に消え去る。
 その恐れのない状態が見間違うことのないほど新しく、しかも自分自身のも
 のとして深く感じられ、否定できないものなのだ。
 それは愛する我が子のようなものだ。
 誰に疑うことができるだろう?
 質問者 霊的な努力における進歩に関して、私たちは話を聞いています。あ
     なたはどのような類の進歩を思い描いていますか?
 マハラジ
 あなたが進歩を超えていくとき、進歩とは何かを知るだろう。
 質問者 何が私たちを進歩させるのでしょうか?
 マハラジ
 沈黙が主な要因だ。
 平和と沈黙のなかで、あなたは成長するのだ。
 質問者 マインドは絶対的に落ち着きがありません。何がそれを静めるので
     しょうか?
 マハラジ
 師を信頼しなさい。
 私の例を見てみなさい。
 私のグルは、「私は在る」という感覚に留意し、ほかの何にも注意を払って
 はならないと指導し、私はただそれにしたがったのだ。
 私は呼吸や瞑想、あるいは聖典の研究などの特定の過程にはしたがわなかっ
 た。
 何が起ころうとも、それから注意を背け、「私は在る」という感覚とともに
 とどまったのだ。
 それはあまりにも単純で、粗野にさえ見えるかもしれない。
 私がそうした理由は、グルが私にそうするように言ったからだ。
 それでも、それは効果があったのだ!
 服従はすべての欲望と恐れに対する強
力な解決策なのだ。
 マインドを占有するすべてのものから注意を背けなさい。
 完成しなければならない仕事は何であれ完成させなさい。
 だが、新たな義務は避けなさい。
 空っぽでいることを保ち、つねに用意のできた、開いた状態でありなさい。
 招かずにやってきたものを拒んではならない。
 最後には、あなたは無欲、歓喜の無執着、内なる平安、そして描写不可能な
 解放の状態に達する。
 しかも、それはすばらしく実在なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

616 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/09(土) 23:04:13 ID:1d4drIFg0
インドでは実在のグルの他に誰の心の中にも真のグルがいるというのじゃ。
その内側のグルが無上菩提まで人を導くというのじゃ。
それも意識から起こるものじゃ。
本来の意識からの誘引が内側のグルと呼ばれるのじゃ。
全てであるから意識から起こる誘引を避けられないのじゃ。

617 避難民のマジレスさん :2019/02/10(日) 10:41:28 ID:LC3de7YgO
>>615
『I AM THAT 私は在る』
【75 平和と沈黙のなかで、あなたは成長する】(つづき)

 質問者 真理の探究者が真剣にヨーガを修練するとき、内側のグルは彼を導
     き助けるのでしょうか、それとも彼自身にまかせ、結果をただ待つ
     だけなのでしょうか?
 マハラジ
 すべてはひとりでに起こる。
 探求者は何もせず、グルも何もしない。
 ものごとは起こるように起こる。
 行為者という感覚が現れた後に、非難や賞賛が割り当てられるのだ。
 質問者 何と奇妙なのでしょう! 行為者はかならず行為の起こる前に現れ
     るはずです。
 マハラジ
 それはその反対だ。
 行為が事実であり、行為者はただの観念なのだ。
 あなたの言葉そのものが、行為は確定的であり、行為者は疑わしいことを示
 している。
 責任を転嫁することは人間の特徴的なゲームなのだ。
 何かが起こるために不可欠な要因の果てしないリストについて考えていくと、
 すべてが起こるための責任は、いかに間接的であってもすべてにあると認め
 るほかはない。
 行為者とは、「私の」と「私のもの」という幻想から生まれた神話なのだ。
 質問者 その幻想はどれほど強力なものなのでしょうか?
 マハラジ
 疑いようもないほどだ。
 なぜなら、それは実在に基づいているからだ。
 質問者 そのなかの何が実在なのでしょう?
 マハラジ
 識別し、非実在であるすべてを拒絶することによって見いだしなさい。
 質問者 霊的努力における内なる自己の役割を良く理解できませんでした。
     誰が努力をするのでしょうか? 外側の自己でしょうか、内側の
     自己でしょうか?
 マハラジ
 あなたは努力、内側、外側、自己といった言葉を発明し、それらを実在の上
 に押しつけようと努めてきた。
 ものごとは、ただあるがままに起こるのだ。
 しかし、私たちはそれを私たちの言語構造に沿うように、ひとつのパターン
 に組みこむことを望むのだ。
 この習慣があまりにも強いために、私たちは実在を言葉では表現できないも
 のとして否定してしまう傾向にある。
 言葉は、繰り返されてきた体験の慣例と習慣に関係する、ただの象徴だとい
 うことを理解しないのだ。
 質問者 霊的な本の価値とは何でしょうか?
 マハラジ
 それらは無知を追い払う助けをする。
 はじめのうちは有用だが、最後には障害となる。
 人はいつそれを放棄すべきか知らなければならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

618 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/10(日) 21:45:14 ID:1d4drIFg0
自我を持つ者は自分があって行為があると思うのじゃ。
しかし、実際には行為に対して主体という観念が投射されるのじゃ。
行為によって起こるのが自分という観念なのじゃ。
全ては本来主体なしに起こるものじゃ。

619 避難民のマジレスさん :2019/02/11(月) 05:01:21 ID:LC3de7YgO
>>617
『I AM THAT 私は在る』
【75 平和と沈黙のなかで、あなたは成長する】(つづき)

 質問者 アートマとサットヴァとの関連性とは何でしょうか?
 マハラジ
 太陽とその光線のようなものだ。
 調和と美、理解と愛情はすべて実在の表現なのだ。
 それは行為のなかの実在性、物質における魂の影響だ。
 タマスは覆い隠し、ラジャスは歪ませ、サットヴァは調和をもたらす。
 サットヴァが成長することで、欲望と恐れは終焉するのだ。
 歪曲していないマインドのなかに真の
存在は反映される。
 物質は改善され、魂は露わにされるのだ。
 その二つはひとつとして見られる。
 それらはつねにひとつだった。
 だが、不完全なマインドはそれを二つとして見ていたのだ。
 マインドの完成は人間の努めだ。
 なぜなら物質と魂はマインドのなかでであうものだからだ。
 質問者 私は扉の前にいる人のようです。扉は開いていることは知っている
     のですが、それは欲望と恐れの犬に守られているのです。どうすれ
     ばいいのでしょうか?
 マハラジ
 師にしたがい、犬たちに立ち向かいなさい。
 それらがそこにいないかのようにふるまいなさい。
 またしても、従順が黄金率なのだ。
 自由は従順によって勝ち取られるものなのだ。
 牢獄から逃げだすためには、疑うことなく、解放のために働いている人の指
 導にしたがわなければならない。
 質問者 グルの言葉は、ただ単に聞くだけでは力を及ぼしません。人は信頼
     とともにそれにしたがわなければなりません。何がそのような信頼
     をつくり出すのでしょうか?
 マハラジ
 時節が調えば、信頼はやってくる。
 すべては時節とともに現れる。
 グルはつねに分け与える用意がある。
 ただ受け取る者がいないのだ。
 質問者 そうです。シュリー・ラマナ・マハルシは、「師は多くいるが、弟
     子はどこにいるのか?」と言っていたそうです。
 マハラジ
 時節を待てば、すべては起こるのだ。
 皆が為し遂げるだろう。
 ひとりの魂も失敗することはないだろう。
 質問者 真我の実現を知的な理解として受け取ることを、私は非常に恐れて
     いるのです。私は知ることなしにそれについて語るかもしれません。
     または一言も語らずして、それを知っているかもしれないのです。
     これらの会話は出版されるそうですが、それは読者にとってどのよ
     うな影響をあたえるのでしょうか?
 マハラジ
 注意深く、思慮深い読者のなかで、それは成熟し、開花し、果実をもたらす
 だろう。
 真理に基づいた言葉は、もし完全に試されるなら、それ自身の力をもつのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

620 避難民のマジレスさん :2019/02/11(月) 14:28:27 ID:LC3de7YgO
>>619
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】

 マハラジ
 身体がある。
 身体の内側には観察者、外側には観察されている世界が存在するように見え
 る。
 観察者と彼の観察、そして観察される世界は、ともに現れ、ともに消える。
 そのすべての彼方に虚空がある
 その空こそがこれらすべてなのだ。
 質問者 あなたの言われることはシンプルです。しかし、誰もが言えること
     ではありません。あなたが、そしてあなただけがその三つとその彼
     方の空について語るのです。私が見るのはすべてを含む世界だけで
     す。
 マハラジ
 「私は在る」も含まれるのだろうか?
 質問者 「私は在る」さえも含まれます。「私は在る」はそこにあります。
     なぜなら世界がそこにあるからです。
 マハラジ
 そして世界がそこにあるのは、「私は在る」がそこにあるからだ。
 質問者 そうです。それはどちらにとっても言えることです。私はその二つ
     を分けることも、超えることもできません。私が体験していないか
     ら、それが存在しないとは言えないように、私にはそれを体験しな
     いかぎり、何かがあるとは言えないのです。あなたにそれほどの確
     証を持って語らせる体験とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 私は時間、空間、原因を超えたあるがままの私自身を知っているのだ。
 あなたはほかのことに没頭していて、偶然知らないだけなのだ。
 質問者 どうして私はそんなにも没頭してしまうのでしょうか?
 マハラジ
 なぜならあなたは興味があるからだ。
 質問者 何が私に興味をもたせるのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛への恐れと快楽への欲望だ。
 快楽は苦痛の終焉であり、苦痛は快楽の終焉だ。
 それらは果てしない連続性の中で交代しているしているだけなのだ。
 あなたがそれを超えたあなた自身を見いだすまで、その悪循環を調べてみる
 がいい。
 質問者 私には、彼方へと私を連れていくあなたの恩寵が必要なのではない
     でしょうか?
 マハラジ
 あなたの内なる実在の恩寵は、永遠にあなたとともにある。
 あなたの恩寵を求めたそのこと自体がそのしるしなのだ。
 私の恩寵について思い煩うことはない。
 だが、言われたことをしなさい。
 恩寵への期待ではなく、為すことが真剣さを証明するのだ。
 質問者 何に対して真剣になればいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの注意の領域を横切るすべてを調べなさい。
 修練とともにその領域は広がり、調査は深まっていく。
 やがてそれらは自発的で限界のないものとなるのだ。
 質問者 あなたは真我の実現を修練の結果にしているのではありませんか?
     修練は身体的な存在の限界のなかで作用します。それがどうして無
     限なるものに誕生を与えるというのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、修練と智慧の間に因果的な関連はない。
 だが、智慧への障害は修練による影響を深く受けるのだ。
 質問者 何が障害なのでしょう?
 マハラジ
 誤った観念と欲望がマインドと身体の気を消散させ、誤った行為へと導いて
 いく。
 偽りの発見と放棄は、真実がマインドのなかに入ることを妨げるものを取り
 除くのだ。
 質問者 「私は在る」と「世界はある」という二つのマインドの状態を区別
     することはできます。それらはともに現れ、ともに消え去るのです。
     人々は、「私は在る。なぜなら世界が在るからだ」と言い、あなた
     は「世界はある。なぜなら私が在るからだ」と言います。どちらが
     本当なのでしょうか?
 マハラジ
 どちらも本当ではないのだ。
 その二つはひとつであり、同じ時間と空間の中にある状態だ。
 その彼方には永遠がある。
 質問者 時間と永遠のつながりとは何でしょうか?
 マハラジ
 永遠は時間を知り、時間は永遠を知らない。
 すべての意識は時間のなかにあり、意識にとって永遠は無意識として現れる。
 それにもかかわらず、永遠なるものが意識を可能にするのだ。
 光は暗闇のなかで輝く。
 光の中で暗闇を見ることはできない。
 あるいは、ほかの言い方をすれば、果てしない光の大洋のなかで、暗く、限
 定され、対比によってしか知覚できない意識の雲が現れるのだ。
 これらは何か非常にシンプルでありながら、しかしまったく表現不可能なも
 のを言葉で表現しようとする単なる試みにすぎない。
(´・(ェ)・`)
(つづき)

621 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/11(月) 22:24:49 ID:1d4drIFg0
全てである意識のほんの一部が人が自分と思うのなのじゃ。
それも謬見としてのみあるものじゃ。
大海の中の一滴の水だけを自分と思うようなものじゃ。
それは本来無いものを一部だけ切り取ってあるとしているようなものなのじゃ。
それを意識の雲とマハラジは呼ぶのじゃ。

622 避難民のマジレスさん :2019/02/12(火) 00:24:08 ID:LC3de7YgO
>>620
76の2『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】(つづき)

 質問者 言葉は橋渡しの役目をするべきです。
 マハラジ
 言葉は実在ではなく、マインドの状態に言及するものだ。
 川、二つの岸、それに架かる橋、すべてはマインドのなかにある。
 言葉だけであなたをマインドの彼方へと連れていくことはできない。
 そこには途方もない真理への熱望か、またはグルへの絶対的な信頼がなけれ
 ばならない。
 私を信じなさい。
 そこには目的地もなければ、それへ到達する道もまたない。
 あなたが道であり目的地になのだ。
 あなた自身を除いて、到達するようなものは何もないのだ。
 あなたに必要なのは理解することだけだ。
 そして理解はマインドの開花なのだ。
 樹が絶えることはないが、開花や結実は季節とともにやってくる。
 季節は移り変わるが、樹は変わらない。
 あなたが樹なのだ。
 あなたは無数の枝や葉を今まで育ててきた。
 そしてこれからも育てていくだろう。
 だが、あなたはそのまま残るのだ。
 あなたが知らなければならないことは、そう在ったことではなく、そうなる
 だろうことでもない。
 ただ在ることなのだ。
 宇宙を創造した欲望はあなたのものだ。
 世界はあなた自身の創造だと知り、自由になりなさい。
 質問者 世界は愛の子供だとあなたは言われました。私が、世界は戦争、強
     制収容所、残酷な搾取に満ちていると知るとき、どうしてそれをわ
     たし自身の創造として所有することができるでしょうか? いかに
     私が限定されていたとしても、私にはそんな残酷な世界をつくり出
     すことはできなかったでしょう。
 マハラジ
 この残酷な世界が誰にとって現れるのかを見いだしなさい。
 そうすれば、なぜそのように残酷に現れるのかを知るだろう。
 あなたの質問は完全に正当なものだ。
 しかし、それが誰にとっての世界なのかをあなたが知るまでは、それに答え
 ることはできないのだ。
 あるものの意味を見いだしたいのなら、あなたはつくり出した人に尋ねなけ
 ればならない。
 だから言っているのだ。
 あなたが住んでいるこの世界をつくり出した人はあなたなのだ。
 あなただけがそれを変え、あるいはつくり変えることができるのだ。
 質問者 どうして私が世界をつくったと言えるのでしょうか? 私はそれを
     知りもしないのです。
 マハラジ
 あなたがあなた自身を知るとき、世界のなかであなたに知ることができない
 ものは何ひとつなくなるのだ。
 あなた自身を身体と考えることで、あなたは世界を物質的なものの集合だと
 見なしてしまう。
 あなた自身を意識の中心として知るとき、世界はマインドの大海として現れ
 る。
 実在の中のあるがままの自分自身を知るとき、あなたは世界をあなた自身と
 して知るのだ。
 質問者 あなたの言われることは非常にすばらしく聞こえます。しかし、私
     の質問に答えてはいません。どうして世界にはそれほどたくさんの
     不幸があるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたがただ観察者として超然として離れて在れば、苦しむことはない
 のだ。
 あなたは世界をショーとして見るだろう。
 実に、最高のショーだ。
 質問者 何ということでしょう! このリーラ(神の戯れ)の理論は受け入
     れられません。苦しみはあまりにも深刻で、あまねく存在している
     のです。不幸の悲惨な光景で楽しむなど何という倒錯でしょうか!
     何という残酷な神をあなたは差し出すのでしょう!
 マハラジ
 不幸の原因は知覚する者と知覚されるものとの同一化にあるのだ。
 それから欲望が生まれ、欲望とともに盲目的行為、結果への無頓着が続くの
 だ。
 まわりを見まわしてみなさい。
 不幸は人間のつくり出したものだということを知るだろう。
 質問者 もし人間が彼自身の不幸をつくり出しているのなら、私もあなたに
     賛成するでしょう。しかし、彼自身の愚行から他者まで苦しめるの
     です。夢見る人は個人的な悪夢のなかで、ほかでもない自分ひとり
     が苦しむだけです。しかし、他人の人生まで破壊するとは、いった
     いどんな類の夢でしょうか?
 マハラジ
 解説は数多く、矛盾しあっている。実在はシンプルだ。
 すべてはひとつなのだ。
 調和が永遠の法則であり、誰も苦しむように強いられてはいない。
 ただあなたが解説し、説明しようと試みるとき、言葉はあなたを失望させる
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

623 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/12(火) 22:58:59 ID:1d4drIFg0
世界が残酷に見えるならばそれを観る者の心が残酷であるからなのじゃ。
自分ではそれを嘆いているように演技しているだけなのじゃ。
社会的に正しい態度を取って見せているだけなのじゃ。
心の中には残酷を望む願望があるのじゃ。

624 避難民のマジレスさん :2019/02/12(火) 23:45:11 ID:LC3de7YgO
>>622
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】(つづき)

 質問者 一度、マハートマ・ガンディーが、「真我は非暴力の法則(アヒン
     サー)に縛られてはいない。真我はその表現に、それを正すために
     苦しみを負わせる自由をもっている」と私に言ったのを覚えていま
     す。
 マハラジ
 二元性のレベルにおいてはそうかもしれない。
 だが、実在のなかには、それ自体は暗いが、すべてを輝かす源があるだけだ。
 知覚されないが、それは知覚を引き起こす原因であり、感じられないが、感
 覚をひき起こす原因だ。
 非存在でありながら、それは存在に感情を与える。
 それは動きの不動なる背景なのだ。
 ひとたびあなたがそこに在るなら、どこにいようと我が家のように感じるこ
 とだろう。
 質問者 もし私がそれであるのならば、私が生まれてきた原因は何なのでし
     ょうか?
 マハラジ
 過去において満たされなかった欲望がエネルギーをふさぎ止め、それが個人
 として現れる。
 その蓄積されたエネルギーが使い果たされたとき、個人は死ぬのだ。
 満たされなかった欲望は次の誕生のなかへと運ばれていく。
 身体との自己同一化は、つねに新しい欲望をつくりつづけ、その束縛の構造
 が明確に理解されるまで、それに終わりはないのだ。
 解放をもたらすのは明晰性だ。
 なぜなら、その原因と結果が明確に理解されるまで、欲望を放棄することは
 できないからだ。
 それは死ぬ。
 そして永遠に死ぬのだ。
 だが、その記憶は残る。
 そしてそれらの欲望と恐れも。
 それらが新しい個人にエネルギーを供給するのだ。
 実在は、それにはまったく関わらない。
 だが、それに光を与えることでそれを可能にするのだ。
 質問者 私の困難とはこれです。私に理解できるかぎりでは、すべての体験
     はそれ自体の現実なのです。それは体験されたものとしてそこにあ
     ります。私がそれを疑い、誰にそれが起こったのか、誰が観察者な
     のかを尋ねる瞬間、体験は過ぎ去り、私が調べることができること
     はみな、その記憶だけになってしまうのです。私には生きた現在の
     瞬間――今を調べることはできません。私の気づきは過去のもので
     あり、現在のものではありません。私が気づいているとき、今のな
     かに本当は生きてはいず、ただ過去のなかだけにいるのです。現在
     の気づきというものが本当にあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが描写しているものは気づきなどではまったくない。
 それはただ体験について考えているだけだ。
 真の気づき(サンヴィド)とは、観照されている出来事についてまったく何
 をすることも試みない、純粋な観照の状態のことだ。
 あなたの思考と感情、言葉と行為もまた、出来事の一部分なのだ。
 あなたは明確な理解の完全な光のなかで、まったく関わりをもたないまま見
 守る。
 それがあなたに影響を与えないため、あなたは何が起こっているのかを正確
 に理解するのだ。
 それはよそよそしく冷淡な態度に見えるかもしれないが、本当はそうではな
 いのだ。
 ひとたびあなたがそのなかに在れば、それがいかなる性質のものであっても、
 あなたはあなたの見るものを愛することを見いだすだろう。
 この無選択の愛が気づきの試金石なのだ。
 もしそれがそこになければ、あなたはある個人的な理由で興味をもつだけだ。
 質問者 そこに苦痛と快楽があるかぎり、人は興味を持たざるをえません。
 マハラジ
 人が意識しているかぎり、そこに苦痛と快楽はあるだろう。
 意識のレベルで快楽や苦痛と闘うことはできないのだ。
 それらを超えていくには、意識を超えなければならない。
 意識をあなたのなかにではなく、あなたに対して起こる何か外部の、異質な、
 あなたの上に押し重ねられたようなものとして見るときにだけ、それを超え
 ることが可能なのだ。
 そのとき、あなたは突然意識から自由な、まったくひとりの、何の干渉も入
 らない状態にいる。
 意識とはあなたに引っかかせようとする急激なかゆみなのだ。
 もちろん、意識から外へと出ることはできない。
 外へ出ようとする考え自体が意識のなかにあるからだ。
 だが、もし意識とは殻(から)のなかのヒヨコを包む個人的で私的な熱のよ
 うなものとして見ることを学ぶなら、その態度そのものが殻を破る転換期を
 もたらすだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

625 避難民のマジレスさん :2019/02/12(火) 23:57:06 ID:LC3de7YgO
>>623
うむ。
無我であると言うことは、
その残酷な事実に苦しむ主体がないと言うことはでありますね。
無我に行き着いてない人は、残酷さに苦しむ。
無我に行き着いてない人が、その残酷さを作り出す。
だから、残酷さは、無我に行き着いてない人全ての責任であり、
覚者は残酷さを含む一切をショーとして楽しめるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

626 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/13(水) 22:12:38 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、肉体さえ自分ではなく、自分のものでもないと気付いたならばどのような残酷さもありえないのじゃ。
肉体とはいずれは全て滅していく性質の道具でしかないからのう。

記憶や知識からは気付きは起こらないのじゃ。
真の気づきは観照されている出来事について全く何をする事も試みない純粋な観照の状態とマハラジは言うのじゃ。
そうであってこそ全てをありのままに見ることができるのじゃ。
そこに主体は無く、ただ起こるだけのものとして全てが観られるのじゃ。

627 避難民のマジレスさん :2019/02/14(木) 07:01:05 ID:LC3de7YgO
>>624
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】(つづき)

 質問者 仏陀は、人生は苦しみだと言いました。
 マハラジ
 彼はすべての意識が苦痛に満ちたものだと意味していたのだ。
 それは明白だ。
 質問者 では、死が解放をもたらすのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身が生まれてきたと信じている人は、死を非常に恐れている。
 その反対に、自分自身を本当に知っている人にとって、死は幸福な出来事な
 のだ。
 質問者 ヒンドゥ教の伝統は、苦しみは運命によってもたらされ、そして運
     命は相応するものなのだと言っています。洪水、地震、戦争、革命
     といった計り知れない自然の、あるいは人的災害を見てください。
     それぞれの人たちが思いもしなかった彼自身の罪によって苦しむと
     いうこともできるのでしょうか? 何億もの苦しんでいる人々は皆、
     正当に罰せられるべき罪人だというのでしょうか?
 マハラジ
 人は自分自身の罪によってのみ苦しまなければならないのだろうか?
 私たちは本当に分離しているのだろうか?
 この広大な生命の大洋のなかで、私たちは他者の罪によって苦しみ、また私
 たちの罪によって他者を苦しめる。
 もちろん、バランスの法則が最高位のものだ。
 そして最後には貸借の決済をすませる。
 しかし、生命が続くかぎり、私たちは深く互いに影響を与え合うのだ。
 質問者 そうです。詩人はそれを「誰ひとり、孤島ではない」と言い表しま
     した。
 マハラジ
 すべての体験の背後には自己があり、その体験への興味があるのだ。
 それを欲望と呼ぶがいい。
 あるいは愛と呼ぶがいい。
 言葉は重要でない。
 質問者 苦しみを望むことはできるのでしょうか? 私は故意に苦痛を求め
     ることができるのでしょうか? 私は熟睡を期待して柔らかなベッ
     ドをつくり、悪夢に襲われて、寝返りを打ちながら夢のなかで叫ん
     でいる人のようなものです。間違いなく、悪夢を生みだしたのは、
     愛ではありません。
 マハラジ
 すべての苦しみは利己的な分離、孤立と貪欲によって起こるのだ。
 苦しみの原因が理解され、取り除かれたなら、苦しみはやむだろう。
 質問者 私は私の不幸の原因を取り除くかもしれません。しかし、他者は苦
     しみの中に残されるのです。
 マハラジ
 苦しみを理解するには、苦痛と快楽を超えていかなければならない。
 あなた自身の欲望と恐れが理解することを妨げ、それゆえ他者を助けること
 も妨げているのだ。
 実際には、他者は存在しない。
 それゆえ、自分自身を助けることで、あなたはほかの皆をも助けるのだ。
 もし人類の不幸に真面目に取り組むのなら、あなたがもっている唯一の手段
 を完全なものにしなければならない。
 それがあなた自身なのだ。
 質問者 あなたは私が世界の創造者、維持者、破壊者であり、遍在し、全知、
     全能だと言いつづけています。あなたの言うことに思いをめぐらし
     ているとき、私は自分に尋ねるのです。「どうして私の世界には、
     こんなにも多くの悪が存在するのだろうか?」と。
 マハラジ
 悪は存在しない。
 苦しみは存在しないのだ。
 生きる喜びはすべてにまさるものだ。
 見なさい。
 いかにすべてのものたちが生命にしがみついているか、いかに存在をいとお
 しんでいるかを。
 質問者 私のマインドのスクリーンのなかで、イメージが絶えることのない
     連鎖でつぎつぎと入れ代わっていきます。私に関して永久のものは
     何もないのです。
 マハラジ
 あなた自身をもっとよく見てみなさい。
 スクリーンがそこにあるではないか。
 それは変わらないのだ。
 光は揺るぎなく輝いている。
 ただその間にあるフィルムだけが動きつづけ、画像の現れる原因を引き起こ
 しているのだ。
 そのフィルムを運命(プラーラブダ)と呼んでもいい。
 質問者 運命をつくり出すのは何でしょうか?
 マハラジ
 無知が避けることができない原因なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

628 避難民のマジレスさん :2019/02/14(木) 19:25:33 ID:LC3de7YgO
>>627
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】

  質問者 何についての無知でしょうか?
 マハラジ
 根本的には、あなた自身についての無知だ。
 また、ものごとの真の本質、その原因と結果についてでもある。
 あなたは辺りを見回し、理解もせずにその現れを実在と見なしてしまう。
 あなたは世界とあなた自身を知っていると信じている。
 だが、「わたしは知っている」とあなたに言わせているのは、単にあなたの
 無知にすぎないのだ。
 知らないということを認めなさい。
 そしてまずそこからはじめなさい。
 無知を終わらせること以上に、世界を助けられることは何もない。
 そうすれば、世界を助けるために何か特定のことをする必要はもうないのだ。
 行為をしようと無為であろうと、あなたの存在そのものが助けとなるのだ。
 質問者 無知はどのようにして知られるのでしょうか? 無知を知るという
     ことは知識を必要条件としています。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 「わたしは無知だ」と認めること自体が知識の現れなのだ。
 無知な人は、彼の無知に無知なのだ。
 あなたは無知が存在しないと言うことができる。
 なぜなら、それが見られた瞬間、それはもはやないからだ。
 それゆえ、それを無意識、あるいは盲目と呼んでもいいだろう。
 あなたの内側とまわりに見るすべては、あなたが知らず、理解しないことな
 のだ。
 あなたはあなたが知らず、理解しないことさえも知らないのだ。
 あなたが知らず、理解もしていないことを知ることは真の知識、謙虚なるハ
 ートの知識だ。
 質問者 そうです。イエスは「幸いなるかな、心貧しき者……」と言われま
     した。
 マハラジ
 あなたの好きなように表現するがいい。
 事実は、知識とは無知でしかないということだ。
 あなたは知らないということを知っているのだ。
 質問者 無知には終わりが来るのでしょうか?
 マハラジ
 知らないことの何が悪いというのかね?
 すべてを知る必要はない。
 必要なことだけを知ればそれで充分だ。
 あとは、あなたがどうすればいいのかを知らなくとも、それ自体が面倒を見
 る。
 重要なことは、あなたの無意識が意識に対抗しないこと、すべてのレベルで
 の統合があることだ。
 知ることは重要なことではないのだ。
 質問者 あなたの言われることは、心理学的には正しいのですが、他者や世
     界を知るに至っては、わたしが知らないということを知っているこ
     とは、それほど助けにはなりません。
 マハラジ
 ひとたびあなたが内的に統合されたなら、外的な知識は自然にやってくるだ
 ろう。
 人生におけるそれぞれの瞬間に、あなたは知るべきことを知るのだ。
 宇宙的マインドの大洋のなかには、全知識が包含されている。
 それはあなたの要求しだいなのだ。
 そのほとんどは、けっして知る必要もないものかもしれない。
 だが、どちらにせよ、すべてあなたのものなのだ。
 知識がそうであるように、力においてもまたそうだ。
 何であれ、あなたがする必要のあることは間違いなく起こる。
 神が宇宙を支配する仕事に従事していることは疑いない事実だ。
 だが、彼は助けを得ることを喜ぶ。
 もしそれが非利己的で、知的な人ならば、すべての宇宙の力が彼の指揮にし
 たがうだろう。
 質問者 自然の盲目的な力でさえも従うのでしょうか?
 マハラジ
 盲目的な力というものはない。
 意識が力なのだ。
 為される必要のあることに気づいてい
なさい。
 そうすれば、それは為されるだろう。
 ただ油断なく、静かにしていなさい。
 ひとたびあなたが目的地に到着し、真の本性を知るならば、あなたの存在は
 すべてにとっての祝福となる。
 あなたは知らないかもしれない。
 世界もまた知らないだろう。
 だが、助けは広く行き渡るのだ。
 世界のなかには、すべての政治家や慈善家を合わせたより以上の善を為して
 いる人々がいる。
 彼らは意図ももたず、知ることもないまま、光と平和を放っている。
 他者が彼らの為した奇跡について話すと、彼らもまた驚きの念に打たれる。
 それにもかかわらず、何ひとつ彼らのものとして受け取らず、誇りももたず、
 名声を望むこともない。
 彼らには、ただ彼ら自身のために何かを欲望すること、他者を助ける喜びを
 求めることさえ不可能なのだ。
 神が善であると知るゆえに、彼らはただ平和の内に在るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

629 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/14(木) 22:33:02 ID:1d4drIFg0
自分自身ついて知らないことを無知とマハラジはいうのじゃ。
お釈迦様はそれを無明と説いたのじゃ。
個体としての自分があると思うことが無知であり、無明なのじゃ。
その謬見がなくならない限り苦はあり続けるのじゃ。

630 避難民のマジレスさん :2019/02/15(金) 06:10:27 ID:LC3de7YgO
>>628
『I AM THAT 私は在る』
【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】

 質問者 私は家族と所有物に対してたいへんな執着があります。この執着を
     どのようにして克服すればいいのでしょうか?
 マハラジ
 この執着は、「私」と「私のもの」という感覚とともに生まれたものだ。
 これらの言葉のもつ本当の意味を見いだしなさい。
 そうすれば、すべての束縛から自由になるだろう。
 あなたは時間のなかに広がるマインドをもっている。
 つぎつぎとあらゆることがあなたに起こり、そしてその記憶が残る。
 それには何の誤りもない。
 ただ、すべての有機的生命にとって本質的である過去の苦痛や快楽の記憶が、
 ひとつの反射的作用、支配的行動として残るとき問題が起こるのだ。
 この反射作用が「私」という形を取り、身体とマインドをいつも快楽の追求、
 苦痛からの逃避という目的のために使うのだ。
 あなたが「私」を、ひと塊(かたまり)の欲望と恐れとして、「私のもの」
 を、苦痛を避け快楽を確保するためにものごとや人びとを抱擁するものとし
 てあるがままに認識したとき、「私」と「私のもの」は、実在のなかに何の
 基盤ももたない偽りの観念だということが理解できるだろう。
 マインドによってつくられながらも、マインドがそれらを真実だと見なすか
 ぎり、そのつくり出した者を支配する。
 それが疑われた瞬間、それらは消え去るのだ。
 「私」と「私のもの」は、それ自体では存在をもたないため、身体という支
 えを必要とする。
 身体がそれらの身元の証明となるのだ。
 あなたが「私の」夫や「私の」子どもと言うとき、身体にとっての夫、身体
 にとっての子どもを意味している。
 自分が身体だという観念を捨て去り、「私とは誰なのか?」という質問に直
 面しなさい。
 即座に実在を呼び戻す動きのプロセスがはじまる。
 というよりも、そのプロセスがマインドを実在へと連れていくだろう。
 ただ、恐れてはならないのだ。
 質問者 何を恐れるというのでしょうか?
 マハラジ
 実在が在るためには、「私」と「私のもの」という観念は去らなければなら
 ない。
 あなたが手放しさえすれば、それらは去るだろう。
 そうすれば、あなたの正常で自然な状態はふたたび現れる。
 そのとき、あなたは身体でもマインドでもなく、「私」でも「私のもの」で
 もない、まったく異なった存在の状態に在るのだ。
 それは、あれやこれとしての存在ではなく、特定の、あるいは一般的な何か
 との自己同一化のない、純粋な存在の気づきだ。
 意識の純粋な光の中には何も存在しない。
 無という概念すらない。
 そこにはただ光があるだけだ。
 質問者 私には愛する人たちがいます。彼らを手放さなければならないので
     しょうか?
 マハラジ
 あなたはただ、彼らをつかんでいる手を放すだけだ。
 あとは彼ら次第だ。
 彼らはあなたに興味を失うかも知れない。
 あるいはそうではないかもしれない。
 質問者 どうして彼らが興味を失うというのでしょう? 彼らは私のもので
     はないのでしょうか?
 マハラジ
 彼らはあなたの身体のものであり、あなたのものではないのだ。
 あるいはあなた自身のものではない人は、ひとりもいないのだ。
 質問者 それでは私の所有物はどうなるのでしょうか?
 マハラジ
 「私のもの」がないとき、どこに所有物があるというのかね?
 質問者 どうか教えてください。「私」を失うことですべての所有物を失わ
     なければならないのでしょうか?
 マハラジ
 そうかもしれない、そうではないかもしれない。
 それはあなたにとってみな同じこととなるだろう。
 あなたの損失は、誰かほかの人の得となるからだ。
 あなたはかまわないだろう。
 質問者 もしかまわなければ、私はすべてを失ってしまうでしょう!
 マハラジ
 ひとたび何ももたなくなれば、問題はなくなるのだ。
 質問者 私は生存の問題とともに取り残されてしまうでしょう。
 マハラジ
 それは身体の問題であって、食べたり、飲んだり、眠ったりすることで解決
 されるだろう。
 そこにはすべてに充分なだけ、すべてを分かちあうだけ用意されているのだ。
 質問者 私たちの社会は分かちあうことではなく、つかみ取ることを基本に
     しているのです。
 マハラジ
 分かちあうことで、あなたはそれを変えるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

631 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/15(金) 22:42:40 ID:1d4drIFg0
私という観念があれば私のものとか家族とかの観念が起こるのじゃ。
そしてそれに執着するのじゃ。
執着にょって苦も起こるのじゃ。
私という観念が無ければ私も私のものもなく、執着も無く苦もないのじゃ。

632 避難民のマジレスさん :2019/02/16(土) 09:28:43 ID:LC3de7YgO
>>630
『I AM THAT 私は在る』
【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】

 質問者 私は分かちあう気にはなれません。とにかく、私は所有物によって
     重荷を負わされているのです。
 マハラジ
 これは自由意志による分かちあいと同じではない。
 社会は強制では変わらない。
 ハートの変革が必要なのだ。
 あなたのものは何ひとつなく、すべてはすべてに属しているということを理
 解しなさい。
 そのときにだけ、社会は変わるだろう。
 質問者 ひとりの人間の理解によって、世界を大きく変えることはできない
     でしょう。
 マハラジ
 あなたが住む世界は深く影響を受けるだろう。
 それは健康で幸福な世界となるだろう。
 それは光を放ち、通じあい、拡大し、広がっていくだろう。
 真実のハートの力は計り知れないものなのだ。
 質問者 どうか、もっと私たちに話してください。
 マハラジ
 話すことが私の専門ではない。
 ときに私は話し、ときには話さない。
 私が話すか話さないかは与えられた状況の一部分であって、私に依ることで
 はないのだ。
 話さなければならない状況では、私は私自身が話していることを聞き、別の
 状況では、私は私自身が話していないことを聞くのだ。
 それは私にとってみな同じことだ。
 話をしようとしまいと、存在の光と愛である私は影響を受けず、それらは私
 の制御の内にあるのだ。
 それらはある。
 そしてそれらがあることを私は知っているのだ。
 そこには喜ばしい気づきがある。
 だが、誰も喜んでいる人はそこにいない。
 もちろん、アイデンティティの感覚はある。
 しかし、それは一連の記憶のアイデンティティ、不変のスクリーン上の画像
 の連鎖とのアイデンティティのようなものなのだ。
 光とスクリーンなしに画像はありえない。
 画像がスクリーン上の光の戯(たわむ)れであると知ることは、画像が実在
 だという観念からの解放を与えてくれる。
 理解しなければならないことは、あなたは自己を愛し、自己はあなたを愛し
 ているということだけだ。
 そして「私は在る」という感覚は、あなたと自己との間の連結部であり、外
 見の多様性に妨げられないアイデンティティの象徴なのだ。
 「私は在る」を内面と外面の間、実在と現れとの間の愛の象徴として見なさ
 い。
 夢のなかでは、「私」という感覚を除いてはすべてが異なっている。
 その「私」が「私は夢を見た」と言うことを可能にするように、「私は在る」
 という感覚が、「私は真我だ」と言うことを可能にするのだ。
 私は何もしないし、私に対して何もされることはない。
 私は私であり、何も私に影響を与えることはできない。
 私はすべてに依存しているように見えるが、事実は、すべてが私に依存して
 いるのだ。
 質問者 どうしてあなたが何もしないと言えるのでしょうか? あなたは私
     に話しているではありませんか?
 マハラジ
 私には私が話しているという感覚がない。
 話をすることが起こっている。
 ただそれだけだ。
 質問者 私は話しています。
 マハラジ
 そうかね?
 あなたはあなたが話しているのを聞く。
 そして言うのだ。
 「私は話す」と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

633 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/16(土) 22:51:51 ID:1d4drIFg0
世界はその観念を持つ者の心で作り出されるものじゃ。
そしてそれも自分のものではないのじゃ。
世界は自分で作りながら、自分で制御できないと思うのじゃ。
心を観察して変容が起これば世界も変るのじゃ。

634 避難民のマジレスさん :2019/02/16(土) 23:12:42 ID:LC3de7YgO
>>632
『I AM THAT 私は在る』
【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】(つづき)

 質問者 誰もが「私は働く、私は来る、私は行く」と言います。
 マハラジ
 私はあなたの言語習慣に異議はない。
 だが、それは実際を歪(ゆが)ませ、破壊してしまうのだ。
 より正確な言い方は、「そこには話すことが、働くことが、来ることが、行
 くことが起こっている」となるだろう。
 なぜなら、何かが起こるには宇宙全体が符合しなければならないからだ。
 ひとつの出来事の原因が何か特定のものと信じるのは間違いだ。
 すべての原因は普遍的なものなのだ。
 宇宙全体がその創造と存続に貢献しないかぎり、あなたの身体は存在しなか
 っただろう。
 ものごとは起こるがままに起こる、なぜなら、世界はあるがままだというこ
 とに、私は完全に気づいているからだ。
 出来事の流れに影響を与えるには、世界のなかに新しい要因をもたらさなけ
 ればならない。
 そしてそのような要因は、私のなかで焦点を合わされた愛と理解の力である
 私自身でしかありえないのだ。
 身体が誕生するとき、あらゆることが自由に起こる。
 そしてあなたは自分を身体だと見なして、それらに関わっていく。
 あなたは映画館でずっと席に座っていて、画像が光の戯(たわむ)れにすぎ
 ないのをよく知っているにもかかわらず、画面を見て笑ったり泣いたりして
 いる人のようなものだ。
 その魔力を破るには、スクリーンから自分自身へと注意を移行させるだけで
 充分なのだ。
 身体が死ぬとき、あなたが現在生きている身体的、精神的出来事の連鎖であ
 る人生は終わりを迎える。
 それは身体の死を待たずとも、今でさえ終わらせることができる。
 注意を真我に移行し、そこにとどめておくだけで充分なのだ。
 あたかもそこに、すべてを創造し、動かす神秘の力があるように。
 すべては起こるのだ。
 あなたは動かす人ではなく、ただの観察者なのだということを自覚しなさい。
 そうすれば、あなたは平和の内にあることだろう。
 質問者 その力とは私から離れてあるものでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、そうではない。
 だが、あなたは冷静な観察者としてあることからはじめなければならない。
 そのときにのみ、あなたは普遍的な愛する者と行為する者としてのあなたの
 完全な存在を認識するだろう。
 あなたが特定の人物としての困難のなかに巻き込まれているかぎりは、何も
 その彼方にあるものを見ることはできない。
 だが究極的には、あなたは特定でも普遍的でもなく、その両方を超えたもの
 だと知ることだろう。
 鉛筆の先のごく小さな点が無数の絵を描きだすように、気づきの無次元の点
 は広大な宇宙の内容を描くことができるのだ。
 その点を探し出し、自由になりなさい。
 質問者 私は何から世界をつくり出したのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身の記憶からだ。
 あなたが創造者としての自分に無知なかぎり、あなたの世界は限定され、反
 復的なものになる。
 ひとたびあなたが過去との自己同一化を超えていけば、調和と美の新しい世
 界を自由につくり出すことができる。
 あるいは、あなたはただ存在と非存在の彼方にとどまるのだ。
 質問者 もし私が記憶を手放したなら、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 何も残らないだろう。
 質問者 私はそれを恐れるのです。
 マハラジ
 自由とその祝福を体験するまであなたは恐れることだろう。
 もちろん、身体を識別し導くためにはいくらかの記憶が必要だ。
 そしてそのような記憶は残る。
 だが、身体への執着が残ることはない。
 それはもはや欲望と恐れの拠(より)り所ではなくなるのだ。
 これらすべてを理解し、修練することは何も難しいことではない。
 しかし、あなたは興味をもたなければならない。
 興味なしには何もなされないからだ。
 あなたとは執着によって束ねられた一束の記憶なのだということを理解した
 上で、そこから踏みだし、外側から見てみなさい。
 はじめてあなたは記憶ではない何かを知覚するだろう。
 自分個人の関心事に忙しい某氏として在ることをやめて、ついにあなたは平
 和になるのだ。
 世界には何も間違ったところがないということを、あなたは認識するだろう
 ――間違っていたのはあなただけだ。
 そして、それは今終わったのだ。
 けっしてふたたび、あなたは無知から生まれた欲望の網の目に捕まることは
 ないだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

635 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/17(日) 22:51:10 ID:1d4drIFg0
自分も世界も記憶から起こるものじゃ。
世界と対峙する自分という観念も記憶から起こっているのじゃ。
それを現実と認識するから孤独や不安や全ての苦も起こるのじゃ。
それが幻想であったと気付けば苦もまた幻想として消滅するのじゃ。

636 避難民のマジレスさん :2019/02/17(日) 23:17:10 ID:LC3de7YgO
>>634
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】

 質問者 あなたの真我の実現がどのように起こったのか、尋ねてもよいでし
     ょうか?
 マハラジ
 どうしたものか、私の場合それはとても簡単で、やさしいものだった。
 私のグルが亡くなる寸前に私に告げたのだ。
 「私を信じなさい。あなたは至高の実在なのだ。私の言葉を疑ってはならな
 い。不信感をもってはならない。私は真実を伝えているのだ。それに基づい
 て行動しなさい」と。
 私には彼の言葉を忘れることができなかった。
 そして忘れないことで、私は真我を実現したのだ。
 質問者 しかし、実際にあなたは何をしたのでしょうか?
 マハラジ
 何も特別なことはしなかった。
 私は私の人生を生き、商売に励み、家族の面倒を見、時間の許すかぎり私の
 グルと彼の言葉を覚えていたのだ。
 じきに彼は逝き、私は記憶に頼ることしかできなかった。
 それで充分だったのだ。
 質問者 それはグルの恩寵(おんちょう)と力だったに違いありません。
 マハラジ
 彼の言葉は真実だった。
 だからそれは実現されたのだ。
 真実の言葉はつねに実現される。
 私のグルは何もしなかった。
 彼の言葉が働きかけたのだ。
 なぜなら、それらは真実だったからだ。
 何であれ、私のしたことは願わず、求めずして内側から起こったものだ。
 質問者 グルは自ら参加することなしに、一連の変化を起こしたということ
     でしょうか?
 マハラジ
 あなたの好きなように表現するがいい。
 ものごとは起こるように起こるのだ。
 なぜ、どうしてなのかを誰が言えるだろうか?
 私は何ひとつ意図的にしなかった。
 手放そうという熱望、ひとりになること、内側へと向かうこと、すべてはひ
 とりでに起こったのだ。
 質問者 あなたはまったく何の努力もしなかったのでしょうか?
 マハラジ
 何ひとつしなかった。
 私は真我を実現しようと苦悩したわけでさえない。
 彼は私に「あなたは至高なるものだ」と告げ、そして死んだのだ。
 私にはただ彼を疑うことができなかった。
 それ以外はすべてひとりでに起こっていった。
 私は変わりつづけていく私を見ていた。
 ただそれだけだ。
 実のところ、私は驚いている。
 しかし、彼の言葉を実証したいという熱望が湧いてきたのだ。
 私には彼が嘘をついているはずがないというあまりにも強い確信があったた
 め、彼の言葉の完全な意味を実現するか、そうでなければ死ぬしかないと感
 じたのだ。
 私の決意は強固なものだったが、何をすべきか知らなかった。
 私は何時間も彼のことと彼が確約した言葉を想い、議論することなく、ただ
 彼の言った言葉を覚えていたのだ。
 質問者 そして、何があなたに起こったのでしょうか? どのようにしてあ
     なたが至高なるものだと知る
に至ったのでしょうか?
 マハラジ
 誰かがそれを伝えにきたわけではない。
 内面でそう言われたのを聞いたわけでもない。
 事実、努力したのは、ほんのはじめのころだけだ。
 私は光を見たり、声を聞いたり、神々に出会ったり、彼らと話をしたりとい
 う奇妙な体験を通り抜けてきた。
 ひとたびグルが私に「あなたは至高の実在だ」と言ったとき以来、幻想や超
 越状態を体験することはなくなり、とても静かに、そしてシンプルになった。
 私は欲望をもつことや知ろうとすることがだんだんなくなっていき、最後に
 はまったくの驚きとともに、「私は何も知らない。私は何も欲しくない」と
 言うまでに至ったのだ。
 質問者 あなたは本当に欲望と知識から解放されたのでしょうか、それとも
     グルによって与えられたイメージにしたがってジニャーニ(賢者)
     を人格化したのでしょうか?
 マハラジ
 いかなるイメージも与えられなかったし、私自身ももっていなかった。
 グルは何かを期待するようにとは一切言わなかったのだ。
 質問者 今以上のことがあなたに起こるかもしれないのでしょうか? あな
     たの旅は終焉したのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはけっしていかなる旅もなかったのだ。
 私は、つねに私であったままの私なのだ。
 質問者 あなたが到達したという至高の実在とは何だったのでしょうか?
 マハラジ
 私はもはや騙(だま)されない。
 それだけだ。
 私は世界をつくり出し、そこに住んでいた――もはやそうすることはないの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

637 避難民のマジレスさん :2019/02/17(日) 23:19:09 ID:LC3de7YgO
>>636
くまも鬼和尚もみなも、至高の実在でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

638 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/18(月) 22:07:35 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、至高の存在なのじゃ。
 それを疑わなくなった時に全ては始まるのじゃ。

マハラジの如く完全な信仰があれば全ての恐れも障害も乗り越えて悟りはやってくるのじゃ。
誰でも自分の心の中を観るのは恐ろしいものじゃ。
自分がなくなるような感じがするじゃろう。
それを乗り越えるには師の言葉を信じて進むしかないのじゃ。
行った事のない山を登るのにはガイドを信じて登るしかないようにのう。

639 避難民のマジレスさん :2019/02/18(月) 22:19:29 ID:LC3de7YgO
>>636
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】(つづき)

 質問者 それでは、あなたはどこに住んでいるというのでしょうか?
 マハラジ
 存在と非存在を超えた、意識を超えた空のなかだ。
 その空はまた充満してもいるのだ。
 私を哀れんではいけない。
 それは、「私は私の仕事を終えた。もう何もするべきことはない」と言う人
 のようなものだ。
 質問者 あなたは真我の実現の確かな日時を伝えています。それはつまり、
     その日に何かが起こったということでしょうか? 何が起こったの
     でしょうか?
 マハラジ
 マインドが出来事をつくり出すことをやめたのだ。
 遙かなる昔からの絶え間ない探求が終焉したのだ。
 私は何も望まず、何も期待せず、何ひとつ私のものとして受け取らなかった。
 そこに闘おうとする「私」は残っていなかった。
 ただの「私は在る」さえも消え去ったのだ。
 もう一つ気づいたことは、すべての習慣的な確信を失ったということだ。
 以前、私は多くのことに確信をもっていた。
 今、私には何ひとつ確かなことはないのだ。
 だが、知らないことで何かを失ったようには感じない。
 なぜなら、私のすべての知識が偽りだったからだ。
 私が知らないということ自体、すべての知識は無知なるものだという事実の
 知識なのだ。
 「私は知らない」だけが私にできる唯一の表明だ。
 「私は生まれた」という考えを例にとってみなさい。
 あなたはそれを真実だと受け取っているかも知れない。
 そうではないのだ。
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだろう。
 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないのだ。
 あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、あなたは死
 をまぬがれない者となる。
 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界となるのだ。
 よく見てみなさい。
 すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意識だけが存
 在するのだ。
 意識のかぎりない広がりのなかに、ひとつの光が現れる。
 小さな点は急速に動き、紙の上にペンで形を描くように思考、感情、概念、
 観念を描きだす。
 その描きだすインクが記憶だ。
 あなたはその小さな点であり、あなたの動きによって世界はつねに再創造さ
 れていくのだ。
 動くのをやめなさい。
 すると世界はなくなるだろう。
 内側を見なさい。
 すると身体のなかの広大な光の反映は、「私は在る」という感覚としての小
 さな光の点だと見いだすだろう。
 ただ光だけがあり、それ以外のすべては現れにすぎないのだ。
 質問者 あなたはその光を知っているのでしょうか? それを見たのでしょ
     うか?
 マハラジ
 マインドにとってそれは暗闇として現れる。
 それはその反映を通してだけ知ることができる。
 日の光以外はすべて日の光のなかで見られるのだ。
 質問者 私たちのマインドは同じものだと理解していいのでしょうか?
 マハラジ
 どうしてそうあり得よう?
 あなたは記憶によって織り込まれ、欲望と恐れによってひとつに束ねられた、
 あなた自身の個人的なマインドをもっているのだ。
 私は自分自身のマインドというものをもっていない。
 私が知る必要のあることは、宇宙は私に食べる物を与えるように私のもとへ
 運んでくるのだ。
 質問者 あなたは知りたいことをすべて知っているのですか?
 マハラジ
 私にとって知りたいことは何もない。
 だが、知る必要のあることは知ることになるのだ。
 質問者 この知識はあなたの内側からやってくるのでしょうか、それとも外
     側から来るのでしょうか?
 マハラジ
 その表現は当てはまらない。
 私の内側は外側であり、私の外側は内側なのだ。
 必要な知識をあなたから得るかも知れない。
 だが、あなたは私から離れていないのだ。
 質問者 第四の状態と呼ばれているトゥリーヤとは何でしょうか?
 マハラジ
 世界を描きだす光の点がトゥリーヤだ。
 光そのものとなることがトゥリーヤーティータだ。
 だが、実在がこれほど間近にあるというときに、そのような名称が何になる
 というのだろうか?         
(´・(ェ)・`)
(つづく)

640 避難民のマジレスさん :2019/02/18(月) 22:21:01 ID:LC3de7YgO
>>638
うむ。至高の存在である!
(´・(∀)・`)つ

641 避難民のマジレスさん :2019/02/19(火) 19:50:24 ID:LC3de7YgO
>>639
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】(つづき)

 質問者 あなたの状態に進展はあるのでしょうか? あなたは昨日の自分を
     今日の自分と比較したとき、変化や進展が見られるのでしょうか?
     あなたの実在の見解はより広く、深くなっていくのでしょうか?
 マハラジ
 実在は不動のものだ。
 それにもかかわらず、絶え間ない変化のなかにある。
 それは力強い川のようなものだ。
 それは流れていくが、しかも永遠にそこにある。
 流れていくのは、川とその川床と両岸ではなく、水だ。
 同じようにサットヴァ・グナ、普遍的調和の質はタマスとラジャス、暗闇と
 絶望に対して戯(たわむ)れる。
 サットヴァのなかには、つねに変化と進展がある。
 ラジャスのなかには、つねに変化と後退がある。
 一方、タマスは混沌(こんとん)を代表する。
 三つのグナ(質)は永遠に互いに対抗して戯れあう。
 それは事実であり、そこに事実との不和はありえないのだ。
 質問者 私はつねにタマスとともに愚鈍になり、ラジャスとともに絶望する
     のでしょうか? サットヴァはどうでしょうか?
 マハラジ
 サットヴァはあなたの真の本性の輝きだ。
 あなたはつねにそれをマインドの彼方に見いだすことができる。
 だが、あなたが世界を望むならば、三つのグナを分離不可能で、本質的にひ
 とつである物質―エネルギー―生命として受け容れなければならない。
 時間と空間のなかには、誕生と死、進歩、後退、また進歩、ふたたび後退と
 いった、一見、はじまりも終わりもないような永遠の流れがある。
 永遠、不変で身体を持たず、マインドのない気づきが至福なのだ。
 質問者 あなたによれば、すべてが意識の状態なのだと私は理解しました。
     世界はもので満ちています。砂の一粒はものであり、惑星ももので
     す。それらはどのように関係しているのでしょうか?
 マハラジ
 意識の届かないところから物質ははじまる。
 ものとは私たちが理解してこなかった存在のひとつの形態だ。
 それは変化しない。
 それはつねに同じで、それ自体として、何か奇妙な異質なものとしてそこに
 あるように見える。
 もちろん、それは意識のなかに在る。
 だが、一見不変に見える外観ゆえに、外側にあるように見えるのだ。
 ものの根本は記憶のなかにある。
 記憶なしには認識はないからだ。
 創造―維持―破壊すなわちブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ。
 これが永遠の過程だ。
 すべてのものごとはそれに支配されているのだ。
 質問者 そこからの脱出はありえないのでしょうか?
 マハラジ
 私はほかでもない脱出だけを示しているのだ。
 ひとつが三つを含んでいることを理解しなさい。
 そしてあなたこそがそのひとつなのだ。
 そうすれば、あなたは輪廻(りんね)から解放されるだろう。
 質問者 そのとき、何が私の意識に起こるのでしょう?
 マハラジ
 創造の段階の後に、調査、そして熟考の段階が来る。
 そして最終的に放棄と忘却の段階となる。
 意識は残るが、潜在的な、静かな状態なのだ。
 質問者 アイデンティティの状態は残るのでしょうか?
 マハラジ
 アイデンティティの状態は実在のなかで固有のものであり、けっして消え去
 るものではない。
 しかし、アイデンティティとは一時的な個人(ヴィヤクティ)でも、カルマ
 によって束縛された人格(ヴィヤクタ)でもないのだ。
 それはすべての自己同一化が偽りとして放棄されたときに残るものだ。
 純粋な意識、そこにある、またはありうるすべての存在の感覚だ。
 意識ははじめ純粋で、終わりもまた純粋なままだ。
 その中間において、創造の根本である想像によって汚されてしまうのだ。
 意識はつねに同じ状態で残る。
 それをあるがままに知ることが真我の実現であり、永遠の平和なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

642 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/19(火) 22:58:46 ID:1d4drIFg0
>>640 そうじゃ、至高の存在じゃ。

この世でのさまざのまな知識は全て仮想の観念としてあるだけなのじゃ。
他人に伝えるための言葉とイメージとして伝わっているだけなのじゃ。
それらは金とか鍬とかペンチとかの道具と同じように本来いらないものじゃ。
ただ便利な道具として生きている間だけ役に立つものなのじゃ。
知識の彼方に永遠の意識は在るのじゃ。

643 避難民のマジレスさん :2019/02/19(火) 23:29:16 ID:LC3de7YgO
>>641
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】(つづき)

 質問者 「私は在る」という感覚は実在なのでしょうか、非実在なのでしょ
     うか?
 マハラジ
 その両方だ。
 私たちが、「私はこれだ。私はあれだ」と言うとき、それは非実在であり、
 「私はこれでもなく、あれでもない」と言うとき、それは実在なのだ。
 知る者は知られるものとともに来ては去り、一時的なものだ。
 だが、知らないということを知り、記憶と期待から自由なそれは永遠なのだ。
 質問者 「私は在る」自体が観照者なのでしょうか、それともそれらは別々
     なのでしょうか?
 マハラジ
 ひとつがないときにはもうひとつもない。
 しかし、それらはひとつではない。
 それは花とその色彩のようなものだ。
 花なしには色彩もない。
 色彩なしには――花が見られることもないままだ。
 その彼方には、花と接触することで色彩を生みだす光がある。
 あなたの真の本性は純粋な光だけであり、知覚者と知覚されるものは、とも
 に来ては去っていくだけだ。
 その両方を可能にし、また可能にしないもの、それがあなたの真の存在なの
 だ。
 それは「これやあれ」としての存在ではなく、存在と非存在の純粋な気づき
 なのだ。
 気づきがそれ自体に向かったとき、その感覚は「知らない」というものだ。
 それが外側に向いたとき、知ることの可能なものが現れる。
 「私は私自身を知っている」と言うことは、言葉の上で矛盾がある。
 なぜなら、「知られる」ことが「私自身」であることができないからだ。
 質問者 もし自己がつねに知られざるものならば、真我の実現のなかでは何
     が実現されるのでしょうか?
 マハラジ
 知られることは私、あるいは私のものではありえない、ということを知るこ
 と自体、充分な解放だ。
 一式の記憶と習慣との自己同一化からの自由、存在の無限な広がりに対する
 驚愕(きょうがく)、その無尽蔵な創造力と完全な超越、意識のあらゆる状
 態が錯覚であり、一時的であることの認識から生まれた絶対的な恐れのなさ
 ――それらは深く、かぎりない源から湧き出るものだ。
 源を源として、現れは現れとして知ること、自己を唯一の源として知ること
 が真我の実現なのだ。
 質問者 観照者はどちらの側にあるのでしょう? 実在でしょうか、非実在
     でしょうか?
 マハラジ
 誰も「私は観照者だ」と言うことはできない。
 「私は在る」はつねに観照されているものだ。
 冷静な気づきの状態が観照意識、「鏡のマインド」だ。
 それは対象物とともに現れては消えるものであり、それゆえ完全に実在とは
 言えない。
 対象物がなんであれ、それは変わらず残る。
 それゆえそれは実在とも言えるのだ。
 それは実在と非実在の両方の質をもっているため、そのふたつに架ける橋な
 のだ。
 質問者 もしすべてが「私は在る」にだけ起こるのなら、もし「私は在る」
     が知る者と知られるものと知識そのものであるなら、観照者がする
     こととは 何なのでしょうか? それが何の役に立つというのでし
     ょうか?
 マハラジ
 それは何もしない。
 そして何の役にも立たないのだ。
 質問者 それでは、なぜ私たちはそれについて話すのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、それはそこに在るからだ。
 橋は渡すというひとつの役割を果たすだけだ。
 あなたは橋の上に家を建てたりはしない。
 「私は在る」はものごとを見るが、観照者はそれらを見通すだけだ。
 それはそれらを非実在で一時的なものとして、ありのままに見る。
 「私ではなく、私のものではない」と言うことが観照者の役目なのだ。
 質問者 観照者とは、非顕現(ニルグナ)が表現された顕現(サグナ)なの
     でしょうか?
 マハラジ
 非顕現は表現されない。
 顕現されたものには非顕現を表現することはできないのだ。
 質問者 それでは、なぜ私たちはそれについて語るのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、そこが私の誕生の地だからだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

644 避難民のマジレスさん :2019/02/19(火) 23:35:22 ID:LC3de7YgO