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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

859避難民のマジレスさん:2019/05/06(月) 00:05:58 ID:LC3de7YgO
>>856
『I AM THAT 私は在る』
【101 ジニャーニは理解も把握もしない】
 質問者 ジニャーニ(賢者)は何かを為(な)す必要があるとき、どのよう
     に行うのでしょうか? 彼は計画を立て、詳細にわたって決定し、
     それを実行するのでしょうか?
 マハラジ
 ジニャーニは状況を完全に理解し、即座に何が為されるべきかを知る。
 それだけだ。
 残りはひとりでに起こる。
 しかも、たいていは無意識のうちに起こるのだ。
 ジニャーニとすべての存在との同一性は本当に完全なものであり、彼が宇宙
 に応えるように、宇宙も彼に応える。
 ひとたび状況が認識されれば、出来事は適切な対応のなかで動いていくとい
 うことに彼は絶大な確信を持っているのだ。
 普通の人は個人的利害に関心を持ち、危険とチャンスを計算している。
 一方、ジニャーニは超然として、すべては起こるべくして起こると確信して
 いる。
 そして何が起こるかは、さして重要なことではないのだ。
 なぜなら、最終的に均衡と調和が戻ってくることは不可避だからだ。
 ものごとの核心には平和があるのだ。
 質問者 私は人格が幻想であり、アイデンティティを失うことなく油断なく
     冷静にあることが、私たちにとっての実在との接触点であることを
     理解しました。どうか教えていただけますか、今、この時点であな
     たは個人なのでしょうか、それとも自己覚醒したアイデンティティ
     なのでしょうか?
 マハラジ
 私はその両方だ。
 だが真の自己は、個人によって与えられた、何が私ではないかという表現に
 よる以外描写することはできないのだ。
 個人に関してあなたが言えることはみな自己ではない。
 そしてあなたはあるがままの、そうありえたであろう、そうあるべき自己に
 関して何も言うことはできないのだ。
 すべての属性は個人的なものであり、実在はすべての属性を越えているから
 だ。
 質問者 あなたはときどき自己で、ときどき個人なのでしょうか?
 マハラジ
 どうしてそう在ることができよう?
 個人とは、ほかの人たちにとってそう現れる私なのだ。
 私自身にとって、私は意識の無限な広がりであり、そのなかで無数の個人が
 果てしない連鎖のなかで現れては消えていくのだ。
 質問者 あなたにとってはまったくの実体のない個人が、私たちにとっては
     現実に見えるのはどうしてでしょうか?
 マハラジ
 自己、すべての存在の根源、意識と歓喜であるあなたは、何であれあなたが
 知覚するものに実在性を与えるのだ。
 この実在性を与えることはつねに今のなかにおいて起こり、ほかのどのとき
 にも起こることはない。
 なぜなら過去と未来はマインドのなかにしか存在しないからだ。
 「在ること」は今だけに適用するのだ。
 質問者 永遠性も無限なのではないでしょうか?
 マハラジ
 時間が無限なのだ。
 そこに限界はあるが、永遠は今という一瞬のなかにある。
 私たちがそれを見失うのは、私たちのマインドがつねに過去と未来の間を行
 き来しているからだ。
 マインドが今に焦点を当てるために止まることはないだろう。
 もし興味が起これば、それは比較的簡単にできるのだ。
(´・(ェ)・`)
(みかん)


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