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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

995避難民のマジレスさん:2019/06/17(月) 16:21:17 ID:jfWCoXjM0
質問者
 真我を実現した後のジニャーニに人格はあるのでしょうか?

マハルシ
 どうして人格を保ち続けることができるでしょう?

 世俗の仕事であれ非世俗の仕事であれ、年長の人たちは仕事にかかる前にアーチャマナ(水を一口飲む)やプラーナーヤーマ(調息)を勧めます。
 つまり精神集中が仕事を達成へと導くのです。

質問者
 私は「ネーティ・ネーティ」(これではない、これではない)に瞑想しています。

マハルシ
 いいえ、それは瞑想ではありません。
 源を見いだしなさい。
 確実に源にたどり着かなければならないのです。
 そうすれば偽りの「私」は消え去り、真の「私」が実現されるでしょう。
 前者は後者なしには存在できないのです。

【そこにはそこに行く人がいるはずです】

 「天国や地獄に行くと信じている個人が存在しなければ天国や地獄も存在しえない。その個人とは誰か?」ということをマハルシは示唆している。

【叡知の捧げ物(ジニャーナ·ヤグニャ)】

 『バガヴァッド・ギーター』第4章24節から33節は、
 「ブラフマンは供犠である。ブラフマンは捧げ物である。それはブラフマンによりブラフマンである火の中に焼べられる」と説き、感覚器官の制御、自己抑制、財物、学習、知識、気息(プラーナ)などのさまざまな捧げ物を挙げている。
 そして 「さまざまな捧げ物の中でも叡知による棒げ物 (真我の知識を捧げること) が最も優れていている」と説いている。

【眉間に注意を集中し、呼吸を止めるなら…】『バガヴァッド・ギーター』5ー27、28

 外界の感覚的対象をすべて閉ざし、眼を眉間に集中させ、鼻腔内の呼気と吸気を均等にして、心と感覚と知性を制御し、欲望と恐れと怒りを離れて解説を目指す。
 この境地に常に在る者は、まさに解脱している。

【なぜ「私はこれだ」と考えるのでしょうか?】

 このマハルシの答えの部分は1、2行の記録漏れがあると考えられる。
 「私はこれだ」とは、「私」を身体や心、性別や国籍などとの同一視を意味している。

【『ヨーガ・ヴァーシシュタ』(シキドヴァジャと女王チューダーラーの物語)

 マルヴァ王国の王シキドヴァジャと女王チューダーラーは快楽を満たす生活に満足できず、ともに真我の知識を採究した。
 先に真我を実現したチューダーラーの境地を理解できずにいた王は、1人王国を放棄すると森に隠通して瞑想生活に入り、後に残されたチューダーラーは賢明な王国統治をする。
 数年の後、彼女はクンバというバラモンに姿を変えて、苦行する王の前に現れ、隠遁生活や苦行や放棄では真我実現できないことを説き明かし、真我探究によって彼を実現へと導いた。
 2人は賢者として王国に戻り、国を統治しながら自由で幸福な人生を送った。


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