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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

167避難民のマジレスさん:2018/09/07(金) 06:14:41 ID:LC3de7YgO
>>165
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 実在はそれ自身を、知識よりもむしろ行為によって表現するのでし
 ょうか? あるいはそれは感情の類なのでしょうか?
 マハラジ
 行為も、感情も、思考も実在を表現することはない。
 実在の表現といったものはない。
 あなたは二元性のないところに二元性を持ち込んだのだ。
 実在だけが在る。
 ほかには何もない。
 目覚め、夢見、眠りという三つの状態は私ではなく、私はそれらのなかには
 いない。
 私が死ぬとき、世界は「ああ、マハラジが亡くなった!」と言うだろう。
 しかし私にとって、それらは内容のない言葉であり、無意味なのだ。
 グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
 食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
 くように、すべては起こる。
 すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
 それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
 それは私の場合も同様だ。
 すべては必要にしたがって起こる。
 しかも、何も起こってはいないのだ。
 私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
 自体は架空のものだと知っているのだ。
 質問者 それでは、なぜ生きるのですか? なぜこれらすべての不必要な、
 来ては去り、目覚めては眠り、食べては消化するといったことを続
 けるのでしょう?
 マハラジ
 何ひとつ私によっては為されない。
 すべてはただ起こるのだ。
 私は期待しないし、計画も立てない。
 ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
 それらが非現実だと知りながら――。
 質問者 真我を実現した最初の瞬間から、あなたはつねにこのようだったの
 でしょうか?
 マハラジ
 いつものように三つの状態は交替する。
 そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
 それらはただ起こる。
 私には何も起こらないのだ。
 そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
 在―意識―至福がある。
 私はつねにそのなかに在る。
 いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできな
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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