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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4
958
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/05(水) 12:50:18 ID:jfWCoXjM0
対話29
夕方の穏やかな曇り空。
ときおり小雨が降ったため、いくぶん涼しかった。
アーシュラマムのホールの窓は閉じられ、マハルシはいつものようにソファーに座っていた。
帰依者たちは彼に向かい合って座っている。
クダロールから数人の訪問者があった。
その中には、判事補と同伴の二人の年配の女性の姿が見えた。
判事補が現世の物事のはかなさについて討論を始めた。
「実在と非実在を識別すること(サット・アサット・ヴィチャーラナ)は、『不滅なるもの』の実現へと導くだけの効果があるのでしょうか?」
マハルシ
真理を探究するすべての者が提議し、そう認識しているように、ただ至高の霊性にとどまること(ブラフマ・ニシュター)のみが、真理の実現を可能にするのです。
「それ」は私たち自身のものであり、私たちの内に存在するものです。
ですから、いかに実在と非実在を識別しようとも、それは現象を一時的なはかないものとして放棄させ、永遠の真理と存在だけをつかみ取ろうという思いに駆り立ててはくれますが、それだけでは私たちを一歩先に進ませることしかできないのです。
会話は一転して、
「真我実現(サームラージュヤ)を達成するには神の恩寵が必要か?」
あるいは
「ジーヴァ(個我)の誠実で熱心な努力だけでは到達不可能な、生と死の輪廻を超えた『それ』に達するには神の恩寵が必要か?」
という質問に移った。
マハルシは聖なる顔にたとえようのない微笑を浮かべ、それは彼を取り巻く人々すべての上に輝き渡った。
そして確固たる真理をたたえた声で答えた。
「真我実現には神の恩寵が欠かせません。
それは神の実現へと導きます。
けれどもそのような恩寵は、自由に向かってたゆみなく進み続ける真の帰依者やヨーギーだけに与えられるのです」
質問者
ヨーガの聖典は六つのセンターの存在について述べています。
しかしジーヴァはハートの中に宿るとも言われています。
そうなのでしょうか?
マハルシ
そうです。
ジーヴァは深い眠りではハートの中に、目覚めにおいては脳の中にとどまると言われています。
ここで言うハートを、血液を循環させる四つの心房を持った身体的器官だと考える必要はありません。
この見解を支持する書物も存在しています。
他にも、それを神経節あるいは中枢神経と見なす人もいます。
どちらの見解が正しいかは、私たちには問題ではありません。
私たちは自分自身のことに関心を持つべきだからです。
それは確かに私たちの内にあります。
それに関して、疑いや議論の余地はありません。
「ハート」は『ヴェーダ』や聖典の中に、「私」という観念が湧き起こる場所として述べられています。
それがただの肉の塊から湧き起こるでしょうか?
それは私たちの存在の中心より少し右側から生じるのです。
「私」を位置づけることはできません。
すべては真我であり、ただそれだけが存在するのです。
それゆえ、ハートは私たちの全身体であり、全宇宙であると言うべきです。
そしてそれが「私」なのです。
しかし探究者の理解を助けるために、私たちは宇宙あるいは身体の中の一ヶ所をハートとして示さなければなりません。
だからこそ、このハートが真我の座として指摘されます。
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