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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

947避難民のマジレスさん:2019/06/01(土) 11:30:07 ID:jfWCoXjM0
質問者
 心とは何なのでしょうか?

マハルシ
 心は生命の顕現の一形態です。
 木片や精密な機械が心と呼ばれることはありません。
 生命の気が生命活動として現れ、また心という意識的現象として現れるのです。

質問者
 心と対象物との関係性とは何でしょうか?
 心は、心とは異なるもの、すなわち世界と接触しているのでしょうか?

マハルシ
 世界とは目覚めと夢見の状態の中で「感じられる」ものであり、また思考と知覚の対象でもあります。
 どちらも精神的活動です。
 もし目覚めや夢見という想念の精神的活動がなければ、「世界」を「知覚」することさえないでしょう。
 眠りの中にそのような精神的活動はなく、「対象と世界」も存在しません。
 したがって、「世界の実在性」は自我が眠りから出現することで自我によって創造されたと言えるでしょう。
 そしてその実在性は、眠りの中でその本性を回復した魂によって飲み込まれ、消え去るのです。
 世界が現れたり消え去ったりするのは、クモが巣をつくり出し、それを再び引き入れるのに似ています。
 ここで言うクモは目覚め、夢見、眠りの三つの状態の根底に在ります。
 人の中に宿るそのようなクモが、アートマン(真我)と呼ばれるものです。
 一方、(太陽から生じたと考えられている)世界の中に宿るクモはブラフマン(至高の霊性)と呼ばれます。

 「人の中に宿る『彼』は、太陽の中に宿る『彼』と同じものである」

 サ・ヤシュチャーヤン・プルシェー・ヤシュチャーサーヴァーディッティエー・サ・エーカハ。

 『タイッティリーヤ・ウパニシャド』第2巻8章1節

 真我あるいは霊性が現れず、活動がないとき、そこに主体と対象、つまり「見る者」(ドリク)と「見られるもの」(ドリシャ)のような相対的二元性はありません。
 もし心の現れる究極の原因を探求し続ければ、心はアートマンあるいはブラフマンと呼ばれる実在の現れでしかないことがわかるでしょう。
 心は「微細心」(スークシュマ・シャリーラ)と呼ばれ、ジーヴァは個人の魂を意味し、個性の成長の核である人格と見なされています。
 想念あるいは心はジーヴァの一側面、あるいはジーヴァがそれ自身を表す一つの方法と言われています。
 そのジーヴァの発展の初期段階では、生命は不活発な状態にあります。
 心は常に物質と関係し、あるいは物質に対して働きかけていて、それ自体単独で存在することはけっしてありません。
 つまり心と物質は共存しているのです。


【五つの鞘(パンチャコーシャ)】
 真我を覆い隠す五つの鞘。
(1)アンナーマヤ・コーシャ(身体の鞘)。
(2)プラーナマヤ・コーシャ(生気の鞘)。
(3)マノーマヤ・コーシャ(心の鞘)。
(4)ヴィジニャーナマヤ・コーシャ(知性の鞘)。
(5)アーナンダマヤ・コーシャ(至福の鞘)。


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