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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

937避難民のマジレスさん:2019/05/30(木) 10:33:06 ID:jfWCoXjM0
1935年2月2日

対話23

エヴァンス・ヴェンツ氏が先日の質問を続けた。

「霊的な師を二人以上持ってもよいのでしょうか?」

マハルシ
 師とは誰でしょうか?
 結局、師は真我なのです。
 その人の心の発展段階に合わせて、真我は外的な師として姿を現すのです。
 古の高名な聖者、アヴァドゥータは二十四人以上の師を持っていました。
 師とは、何であれそれから人が学ぶことのできる対象をいいます。
 アヴァドゥータがそうだったように、師は、ときには無生物であるかもしれません。
 神、グル(師)、真我は一つなのです。

 霊的(スピリチュアル)な精神を持った人は、神がすべてに遍在すると考え、神を自分の師と見なします。
 次に、神は人の姿をとったグルを彼のもとに送り、彼はグルが遍在するすべてであることを悟ります。
 最終的には、その同じ人が師の恩寵によって、彼自身の真我こそが実在であり、それ以外何も存在しないことを感じ取ります。
 こうして彼は真我が師であることを見いだすのです。

質問者
 シュリー・バガヴァーンは弟子を取りますか?

マハルシは黙ったままだった。

しばらくして、弟子の一人が答えを差し出した。

「マハルシは誰も彼の真我の外側に在るとは見なしません。
 ですから、彼にとって弟子というものはありえないのです。
 彼の恩寵はすべてに遍く存在し、沈黙を通して恩寵を受けるにふさわしい人に分かち合われるのです」

質問者
 書物から得た知識は真我実現に役立つのでしょうか?

マハルシ
 霊的な精神をもたらすというかぎりにおいては。

質問者
 知性はどこまで助けとなるのでしょうか?

マハルシ
 知性を自我の中に、自我を真我の中に沈めさせるまでです。


【アヴァドゥータ】
 すべての所有物を放棄し、ヒンドゥー教のダルマ(義務)からも自由となって放浪する覚者(ジニャーニ)。
 ここではその代表格であるダッタートレーヤを指す。
 彼は、土からは忍耐と不動の心を、水からは純粋な心を、空からは無執着の空なる心を学んだ。
 このようにして五大元素、鳩、バッタ、象、鹿、魚、娼婦、蛇、小さな女の子など出会ったものすべてを師と見なして教えを得たと言われている。


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